新店。

西麻布に本格的なクラブ、クロス(Xross)がオープン、そのレセプションにオッシー軍団らとともに出向いた。一般オープンは10月29日からでこれから大きな話題になるだろう。オッシーもゲストDJなどで参加する。ここのサウンドプロデュースは、宇治田みのるさん。ちょうど昔、Jトリップバーがあった所の斜め向かいになる。

場所は西麻布交差点から広尾のほうに向かい、最初の信号を越えた先の左側。ライトアップされた白い壁が特徴で、昨日はたくさんの花が歩道の両側に所狭しと並べられ、まさにそこはクロスへの花道になっていた。

店内は3フロア。地下一階がいわゆるダンスフロアでかなり広い。ワンフロアだいたい100坪くらいの広さがある、という。中二階に音が遮断されているVIPルーム、横側にソファのあるセミVIP席。ちょっとした舞台があり、ここでライヴなどもできる。小さな台があり、これはなんとお立ち台だ。

宇治田さんはあいさつで、「バブリーだったあの頃のような、大人がいい感じで遊べるような店にしたい」と語った。

1階はラウンジ。バーカウンターと奥に小さなソファ席がある。ここは地下とは違うDJがラウンジ系のソウルをかけている。2階はしゃぶしゃぶのレストランで、さらに奥に個室があり、そこにはスケルトンのミニグランドピアノがあった。2階と1階は吹き抜けになっていて、1階のDJの音が2階にも聴こえる。

昨日のレセプションは、よくあるレセプションの超満員、身動きとれず状態ではなく、ゆったりとしていて、それほど煙くもなくひじょうに心地良かった。

そのレセプションからでて、次は麻布十番のキサナドゥーで行われている映画『サタデイ・ナイト・フィーバー』のパーティーに向かった。映画は10月30日からデジタルリマスターされ六本木ヴァージンシネマで再ロードショーになり、東京映画祭にもかかっている。こちらは、主に映画関係者が多数来ているようだ。

ここでは70年代のディスコヒットがかかり、ダンスフロアの鏡に向かって、ジョン・トラボルタ風の踊りを踊っている人がいて、そのステップを何人かが真似ようとしていた。トラボルタ風ダンスは、リヴァイヴァルヒットするかな。ちょっと楽しみ。

Xross
港区西麻布3−13−3
ネクストフォーム西麻布 1F−B1F
電話 03-5413-8600
営業 19時〜
URL: http://www.club-xross.com
2004年10月28日(木)開店
拍手。

1903年のある日、アメリカ南部ミシシッピー州のトゥットワイラーという街の駅で汽車待ちをしていたW.Cハンディーは、通りすがりの黒人が歌う奇妙な歌に耳を奪われた。その時は、まだ名前もほとんど知られていない「ブルーズ」という形態の音楽だった。後にハンディーはこの奇妙な音楽を初めて楽譜に起こす。ブルーズが記録された瞬間だった。

以来ブルーズは教会音楽であるゴスペルと対となり、アメリカ黒人音楽文化の両輪となってその生活の中に深く深く浸透していく。アメリカは2003年をブルーズ生誕100周年と位置付け、この偉大な音楽遺産に脚光を集めようとさまざまな企画を打ち出した。そんな中で始まった企画が『ブルーズ・ムーヴィー・プロジェクト』である。ここからテレビ・ドキュメンタリー7本が制作され、うち6本が日本でも劇場公開されている。

そして、そのドキュメンタリーとは別プロジェクトとして、現存するブルーズ・ミュージシャンとコンテンポラリーなアーティストが一堂に会する夢のようなライヴが行われ、その模様がフィルムに収められた。監督は再びマーティン・スコセッシ。そして完成した作品がこの『ライトニング・イン・ア・ボトル』である。

この映画は、まさにそのライヴをドキュメントした「ライヴ映画」である。20以上ののアーティストが次々とライヴを繰り広げる。そしてそのライヴ映像の合間に楽屋でのやりとり、リハーサルの模様などが差し込まれる。しかし、これは完全にライヴを見る、ライヴを楽しむ映画だ。

全体的にライヴを撮っているカメラがいい。映像も実に綺麗だし、音もよい。編集もうまい。一体カメラは何台回っているのだろうか。ほとんどカメラを意識することなく映像を見ていられるので、どんどんとライヴそのものへ入り込むことができる。日本のテレビでの音楽映像だとどうしても音楽へ入り込めないが、その点これはよくできている。ミュージシャンたちの汗の一粒も、しわのすべてをも撮影しようとする意気込みに、製作者たちの音楽自体への理解と愛情が感じられる。

ライヴのコンセプトはひじょうにシンプルである。オリジナル・ブルーズ・アーティストと、現代のミュージシャンの共演だ。若きアーティストがブルーズの古典をリメイクする。ヴェテランは持ち歌を歌う。昔のブルーズも、今の世代が引き継ぎますよ、と訴える。この映像には、ブラックミュージックのチェーンが途切れずに次世代にバトンタッチされている瞬間が見事に記録されている。

個人的に気に入ったのは、ネヴィル・ブラザースの「ビッグ・チーフ」や、ソロモン・バークのシーン。バークは「ターン・オン・ユア・ラヴライト」と「ダウン・イン・ザ・ヴァレー」を歌った。立派な椅子に座りながら、思い切り観客をあおり、そしてのらせる。その風体からも大変な存在感だ。ソウル、R&Bからゴスペル、ブルーズまで、すべてをこなすバークは、彼自身がブラックミュージックの生きる歴史そのもののようだ。どうしても一度ライヴを見たいシンガーのひとりだ。

それにしても老練なブルーズマンたちは本当に力強い。年老いて体力は落ちても、生き方が強い。余談で、しかも偏見だが、ブルーズを歌う者は、歯がきれいに揃っていてはだめだ。ナタリーコールは、きれいすぎ。(笑) 

だが、このライヴ映像は見事。音楽自体が持つ「力」をそれほど削ぐことなく画面に刻み込んでいる。ライヴが行われた2003年2月7日、ニューヨークのラジオシティー・ミュージック・ホールにいたかった。そして、画面に向かって何度も拍手をしそうになった。映画館ではスタンディング・オヴェーションも起こるかもしれない。

映画に関する日本のサイト。
http://www.nikkatsu.com/movie/lightning/index.html

アメリカのサイト。
http://www.sonyclassics.com/lightninginabottle/trailer-open.html

映画『ライトニング・イン・ア・ボトル』は、2005年初頭シネマライズで公開予定。

同名サウンドトラック、11月3日、ソニー・ミュージック・ダイレクトから発売。
ハロウイーン。

1927年(昭和2年)10月30日夜、当時28歳だった若き作曲家、ピアニスト、ホーギー・カーマイケルは仲間とともに、インディアナポリスでのちょっとしたライヴを終えて、同じインディアナ州のリッチモンドという街へ夜を徹して車を走らせていた。目的地は、同地のゲネット・スタジオ。このスタジオは既に、ジャズのレコーディングスタジオとして名前を売っていた。

彼らがスタジオに着いたのは夜が空け31日、街がハロウイーンで盛り上がる日だ。レコーディングセッションはなんとすぐに朝6時から始まった。まず一曲「フライデイ・ナイト」という作品が録音され、2曲目の録音が始まった。ピアノのインストゥルメンタル曲で、カーマイケルはその時、この作品に「スター・ダスト」と名づけていた。

カーマイケルは、その2ヶ月ほど前の暑い夏の夜にこのメロディーを、インディアナ大学の構内にいる時に思いついた、という。「夏の終わり、何かを期待させる夜。星が僕の間近で輝き、北極星が木々のすぐ上にあった」と彼は自伝「ザ・スターダスト・ロード」の中で振り返る。彼はそのメロディーを思いつくとすぐに校内のピアノのある部屋へ走っていき、それを書きとめた。

しかし、このピアノ・ヴァージョンの「スターダスト」はそれほど評判にならない。それから2年後の1929年、ミッチェル・パリッシュという人物がこのうだつのあがらない作品に素敵な歌詞をつけた。すると、まさにこの作品に羽根が生えたように、世界に飛び出し始めたのだ。

歌入りのヴァージョンを初めてレコーディングしたのはビング・クロスビーだと言われる。1931年のことだった。

この歌の美しいところは、メロディーと歌詞だけではない。実は、「ラヴ・ソングを夢見ている歌」というコンセプトにある。「歌の歌」というわけだ。「スターダスト」というラヴソングとその曲と直結した昔の彼女との思い出だ。「スターダスト」を聴くと彼女を思い出す、そんな作品である。

以来、この作品は多くのシンガー、アーティストたちがレコーディングするようになった。少なく見積もっても1800のヴァージョンがある、という。ギネスブックにはもっともカヴァー・ヴァージョンがある楽曲として1600のヴァージョンを数えるビートルズの「イエスタデイ」が記録されている。実質的には、「イエスタデイ」を超える数の「スターダスト」があるということになる。この数字は世界の人口同様に秒単位で増えているはずだ。2000はもう超えているのだろう。アメリカ中の、いや世界中のピアノバーに行ってこの曲をリクエストしたら、十中八九ピアニストは弾いてくれるであろうスタンダードだ。

歌詞がついてからちょうど75年の今年、2004年。59歳のイギリス生まれのシンガー、ロッド・スチュワートがこの「スター・ダスト」を録音した。ハロウイーンの10月31日に産声をあげた「スターダスト」。奇しくもそれから77年後の同じ日、横浜のバー「スター・ダスト」を描いたプログラム「スター・ダスト・メモリーズ」が放送される。今週末、世界はハロウイーンで大騒ぎだ。喧騒の日に生まれた静寂のスターダスト。その星屑はいまだに色褪せない。

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「スターダスト」
"Star Dust"
Music by Hoagy Carmichael
Words by Mitchell Parish

黄昏時、一面紫に染まる大空が
僕の心のひだをくすぐる
空高く小さな星たちが瞬くと
いつも別れてしまった君を思い出す

君は道を彷徨い(さまよい)
僕の手の届かぬはるか彼方へ
行ってしまった

決して色褪せることのない
ラヴソングだけを残して

君との愛は今やいにしえの星屑
君とともに聴いたあのラヴソングは
今いずこ

我思う。なぜあのラヴソングを夢見て
いまだに孤独な夜を過ごすのか

あのラヴソングのメロディーが
頭の中から幻想曲の如く決して離れない
そのメロディーが蘇ると、その時だけ
君が傍らにいるかの如く

僕たちの恋がまぶしかったころ
キスするたびに心がときめいた
だが、それもはるか昔のこと

僕を今慰めてくれるのは、あのラヴソングに
こぼれる落ちる星屑だけ

「星たちが瞬く庭の傍らで
君は僕の腕の中・・・」
だがそれはナイチンゲールが語る
バラが咲きほこる楽園でのおとぎ話

僕の夢は儚く(はかなく)おぼろげだが、
あの愛とラヴソングは僕の心に永遠に残る

僕の星屑(スターダスト)のメロディー
それは愛の思い出のリフレイン(繰り返し)

(訳詞・ザ・ソウル・サーチャー)
エアチェック。

月末に放送する横浜の伝説のバー、スターダストの特番の収録をしてきた。ご存知の通り、マーチンさんの番組でおじゃましたときに、マスターの林さんの話がえらくおもしろくて、もっといろいろ話を聞きたいというところから話が進み、特番をやることになった。番組自体は『横浜イズム、スターダスト・メモリーズ』で、放送は10月30日(土曜)深夜25時半から27時半まで。正確には31日(日)午前1時半から、FM横浜(84.7mhz)である。

スターダストは、現在の場所でオープンしたのが昭和29年。ちょうど今年で50周年を迎える。さすがに歴史がある。その歴史の一部を林さんに語ってもらった。いろいろなおもしろいエピソードがたくさん語られた。毎日ハーレーダヴィッドソンに乗ってやってくる男、アメリカ人の喧嘩、いつも同じ曲しかかけない客など。

番組的には少し演出を加えた。バー好きの男がその街一番の老舗のバーにやってきて、そこの客とマスターの話をただ聞いているという状況で、その男の感想や心の思いをナレーションで語る。かかる曲はもちろん、ジュークボックスに入っている作品ばかり。50年代から60年代のヒットがほとんどだ。基本的にはインタヴュー番組、ドキュメンタリーだが若干流れを作っているエンタテインメントにもなっている。ドキュエンタテインメントだ。

アメリカとの国境線にあるバー。アメリカの文化が直接、まっさきに入ってきた場所、それがスターダストでもあった。外観は、まさに『アメリカン・グラフィティー』を思わせるが、この店そのものが『アメリカン・グラフィティー』なのだ。

林さんが語るエピソードのひとつには、不覚にも胸に来るものがあった。50年もやってれば、いい話もざくざくあるようである。

前回訪れたときの話↓

http://diarynote.jp/d/32970/20040806.html

http://diarynote.jp/d/32970/20040807.html

で、この番組、最初はただの特番ということだったのだが、なんと局の方針で、ラジオ・テレビ業界での賞のひとつである「ギャラクシー賞」への応募作品となった。おやおやおや、これはさあ大変。ますます力がはいってしまうではないか。(笑) 

プロデューサー、オッシー始めスタッフにメールした。「ギャラクシー賞の授賞式は2005年6月頃のようです。それまでにタキシードを用意し、受賞スピーチと、壇上で感謝を伝えたい人の名前のリストを作っておくように」と。グラミーとかでアーティストがいろいろな名前を呼ぶやつね。(笑) しかし、かすりもしないで、予選で落ちたりして。ははは。

30日(土曜)深夜1時半、FM横浜、Yo,Yo,Yo 要エアチェック!
原点。

「ウルフマン・ジャック・ショウ」、無事大好評のうち放送終了しました。お聴きいただいた方、メールなど送っていただいた方、ありがとうございます。最初の2時間でウルフマンを知らない人のために、彼の生い立ちなどを簡単に紹介して、3時からいよいよ本編が放送されました。3時前でも、彼の一声が入ったジングルなどを曲のイントロに乗せるだけで、もうその曲はウルフマン・ジャックのショウになってしまいますね。あの声のインパクトの強さを改めて感じました。

そして、3時からほぼ1時間じっくり耳を傾けて聞いたわけですが、痛烈に感じたこと。まず、第一に無駄なしゃべりがない。音楽がほとんど途切れない。つまり、音楽番組である。音楽がすべてだ。DJの原点ですね。そして、第二に彼のDJとしてのキャラクターがひじょうに個性的で一度聴けば忘れられないほど際立っている。この2点が素晴らしいですね。ウルフマン・ジャックのキャラの特徴は、まったく気取ってないで、ストリートな雰囲気。例えば、マリファナかなんかしながらぶっとんだような会話、セリフが小気味よくぽんぽんと飛び出してくる。ボキャブラリーが、たくさんある。そんなこんなで、一瞬聴いただけでウルフマンとわかるキャラクターがあるわけです。

彼は、メキシコにあるスーパーパワーステーションからDJをやりました。しかし、ほとんど毎日テープに録音し、そのテープをメキシコまで運んで、それをオンエアーしていました。その出力は250キロワット。半端ではありません。日本のFM局は10キロ、AM局でも50キロが最大です。アンテナの近くを飛んだ鳥の死骸がいくつも地面に落ちていた、というほど、電磁波が強かったようです。北米全域にウルフマンのあの声は届きました。

そして、かける曲はみなウルフマンが選曲していました。今のようにプログラムディレクターがフォーマットを決め、かける曲を事前に決めるということもなく、ウルフマンのソウルを直撃したものだけを彼はかけていました。

さらに、ウルフマン・ジャックは優秀なセールスマンでもありました。自分で地元の小さな商店や、自動車販売店などに営業に回り、こまめにCM取りをしていたのです。

また、ウルフマンはシンジケートというラジオ番組のスタイルを作った初めての人物でもありました。つまり、それまで全米に同時にオンエアする番組はなかったのですが、テープに録音した番組を各エリアごとに独占で売り、全米の各地で放送するというスタイルを作り出したのです。ウルフマンはこのシンジケートのスタイルで作っていたために、彼の声がたくさん残っていたわけです。

彼のキャリアを振り返ることは、まさにラジオ業界の原点を見つめなおすことになります。ウルフマンは真の意味でラジオマンでした。そして、今の日本のラジオは、みんなしゃべりすぎね。僕たちも含めて。(笑) もっと黙れ、レストーク、モアミュージックにしましょう。

おそらく、10年以上も昔のDJ声にも関わらず、ウルフマン・ジャックってまだ生きているかのような錯覚に陥りました。
復活。

さあて、いよいよ、本日ウルフマン・ジャックだ。今日(日曜10月24日)午後1時から5時まで、『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1)はウルフマン一色になる。まだ、自伝の下巻が全部読みきれていない。(泣) ウルフマンを24日にやるというニュースが各新聞にでたり、インターの番宣も流れていて、マイソウルブラザー、ケイ・グラント氏からも電話がかかってきた。「当日仕事でどうしても聞けないんですよ。ぜひエアチェックものをください」 

そしてケイ氏もまたウルフマンによって人生の道を決められた一人だった。彼の家の近くに米軍のFENがあり、子供の頃からずっとFENを聴いていた。もちろん、ウルフマン・ジャック・ショウも毎日聴いていた、という。「ウルフマンがいたから、今、この仕事してるんですよ〜〜〜」と彼はいう。

かと思えば、「こんどウルフマン・ジャックやるんだよ」と言っても、「ふ〜〜ん」とまったく反応しない人(推定20代後半)もいる。年代によって、まったく違う。おそらくウルフマンに熱狂的に反応するのは、40代以上なのかな。(笑) いずれにせよ、ウルフマン・ジャックという全米一の人気DJがなぜあれほどの人気になったのか、彼を知らない人にも、知っている人にも解説したいと思う。

ウルフマン・ジャックのすごいところは、自身がひじょうに個性豊かなDJであったことのほかに、すぐれたビジネスマンであったことだ。自分の番組にCMをもらうために、彼は自ら地元の小さな商店を片っ端からまわり、1フレーズ1ドルでCMを売った。何か一言言って、その商店から1ドルもらうわけだ。ラジオCMの原点だ。

そして、DJとして、曲紹介の語りがまたかっこいい。このだみ声はなんともいえない魅力だ。彼はこのウルフマン・ジャックというキャラクターを考えに考えて、作り上げた。キャラクターを作ったところもすごい。彼はその昔のホラー映画を片っ端から見て、怖そうなウルフマンのイメージを固めていった、という。

今日の3時から4時に放送される「ウルフマン・ジャック・ショウ」はアメリカン・レイディオのショウとしては文字通り最高のものである。エアチェックしながら、お楽しみください。
架空。

先日「ユー・ドント・ノウ・マイ・ネーム」のことを書いたら、マイ・ブラザー、ドクターKからおもしろいメールをいただいた。彼もアリシアが大好きで、先日のライヴも見て、その会場で僕も彼に会ったのだが、「ユー・ドント・・・」の歌詞の中のアリシアのセリフについての話である。

アリシアは、「私は39丁目とレノックスの角のコーヒーハウスのウエイトレス」と名乗る。ところが、39ストリートとレノックス・アヴェニューは、マンハッタンの地図を見るとわかるが、交わらない。つまり、間違っているか架空の場所ということになる。

ドクターKは、「これは39丁目ではなく、139丁目のはずだ。僕は何度も何度も(CDを)聴き直した。アリシアはワンサーティーナインと歌っているように聴こえる。レノックス自体がハーレムにあり、ミッドタウン(39丁目)あたりにはない。また、レノックス・ブルヴァードは、現在、マルコムXブルヴァードと呼ばれている。アリシアのアルバムの中ジャケットの写真は、ハーレムで撮影されている。彼女は、実にアップタウン・ガールだ」というメールをくれた。

かなりマニアックなメールである。彼はずっと長い間ニューヨークに住んでいて、ニューヨークのR&B事情やダンス業界事情にも詳しい。さすがにするどい。僕も「39丁目とレノックス」というのはおぼろげに怪しいとは思っていたのだが、特に地図を見ることもなく歌詞を訳していた。そこで改めて地図をチェックし、アリシアのレコードを何度も聴いた。

う〜〜ん、彼女はここは「オン・サーティーナイン・・・」って言ってるんじゃないかな。ワンではなく、オン・・・という風に聴こえる。139とレノックスだと実在するので、そこに人が殺到しても困るので、架空の39にしたのではないか。しかも、ビジネススーツに身を包んだマイケルは、いかにもミッドタウンで働いていそうなエグゼクティヴのイメージだ。彼が働いている場所としては139よりも39の方がストーリー的にイメージが近い。

ということで、ここは歌詞的には39丁目とレノックスということで一件落着としよう。だが、これで終わらないのがこの日記だ。レノックス・アヴェニューが今、マルコムX(マルコム・エックス)ブルヴァードと呼ばれているという話に進むところががソウル・サーチン・ダイアリーのお勉強になる部分である。(笑) せっかくマニアックなメールをもらったのだから、少し「マニアック返し」しておかないと。そこでこのマルコムXブルヴァードについて調べてみた。詳しいウェッブが下記にあった。

http://www.ci.nyc.ny.us/html/dcp/html/mxb/

ほ〜〜そうですかという感じ。レノックス・アヴェニューは、一般的にはシックスス・アヴェニュー(6番街、6番通り)の続きである。ただしこのシックススは、途中セントラル・パークで中断させられる。ミッドタウンでは、誰もシックススとは呼ばない。「アヴェニュー・オブ・アメリカ(アメリカ通り)」と呼ぶ。それが110丁目より以北147丁目までの通りを1887年以来レノックス・アヴェニューと呼んでいた。この地域はハーレムと呼ばれる場所である。これは、その昔の大金持ちでジェームス・レノックスという人物が自分の膨大な蔵書をニューヨーク公立図書館に寄付したことによって、この通りをレノックス・アヴェニューとしたそうだ。

それが1980年代後期に、この区間をレノックスからマルコムXブルヴァード(マルコムX大通り)と名前を変えた。もちろんマルコムXは黒人解放運動などに尽力した活動家である。ハーレムにちなんで、マルコムXになったのはごく自然の成り行きだった。僕は139丁目と旧レノックス、現マルコムXブルヴァードに行ったことはないのだが、何があるのだろう。その角にはコーヒーハウスはあるのだろうか。今度ニューヨークに行く機会があったら、確認してみよう。

そういえば、アイザック・ヘイズの作品「カフェ・レジオ」が大のお気に入りとなり、ニューヨークに行ったときにわざわざヴィレッジの「カフェ・レジオ」まで行き、そこでシャフト本人が座った席でシャフトよろしくレモンピール付きのエスプレッソを頼んだのは、もう一人のソウルブラザー、Uである。
スターダスト。

先日のホール&オーツのソウルカヴァー・アルバムも最近のお気に入りだが、11月24日に発売されるロッド・スチュワートの新作もよく聴いている1枚。タイトルは『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブックVol.3』(BMG) ご存知の方も多いと思うが、ロッド・スチュワートのこのシリーズはすでに2枚発売されていて、今作が3作目になる。彼がアメリカのスタンダード曲ばかりをカヴァーしたアルバムをだし、それが好評で2作目がでて、さらに3作目がでた。

僕はたまたまこの2作目から知った。ちょうど何かの用事で銀座の山野楽器本店に行き、店内をぶらぶらしているときにこのアルバムがかかっていた。最初、このヴォーカリストがわからなくて、一生懸命考えていたが、結局ギヴアップし店員さんに聞いたところ、ロッドと教わった。その時、これが2作目ということで、1作目があることも知った。

前作についての日記。
http://diarynote.jp/d/32970/20031218.html

さっそくこの2枚を聴いたら、これが実にいい感じ。ちょうど、ロナルド・アイズレーがバカラックの作品を歌うアルバムなどを出していたが、これはその白人版という感じだった。日本ではそれほど話題にはならなかったが、それでも1万枚以上のセールスをあげている。とはいうものの、アメリカではいずれもが、100万枚から200万枚以上売れているので、アメリカのヒットと比べれば、日本でのセールスは話しにならないほどではある。しかも、グラミー賞にもノミネートされた。

どの曲も実に丁寧に作られているのは、前作までと同じ。ゲストにスティーヴィー・ワンダー、エリック・クラプトン、ベット・ミドラーなどもはいり、超豪華な作り。今回の中でも、「フォー・センチメンタル・ジャーニー」やルイ・アームストロングでおなじみの「この素晴らしき世界」などいい曲揃い。そろそろ、ロッドにもグラミーこないものだろうか。彼がひとつもグラミーをとっていないというのも、七不思議のひとつだ。

現在あの伝説のバー、スターダストの特番のためにさまざまなヴァージョンの「スターダスト」を聴いていたが、なんとこのロッドのアルバムにも「スターダスト」が入っていた。元々1927年にホーギー・カーマイケルが書き、29年に発表されたこの曲は以来多くのシンガーたちに歌われてきた。ナット・キング・コールは1956年に録音。それからほぼ50年後の2004年、ロッド・スチュワートが録音している。バー、スターダストの歴史を表すのにこれほど適した作品はない。
静寂。

マイケル・フランクスのことを語らせたら日本でこの人の右にでるものはいないというカニ大先生とDJオッシーに、「そのライヴに行くから絶対に来なさい」と強力に誘われ、台風真っ只中、青山に出向いた。

ゆったりとしたサウンドと、けだるいヴォーカル。いわゆる都会的に洗練された日本で言われる「AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)」の雄、マイケル・フランクス。まさに嵐の中の静寂が会場を覆う。どこまでもマイペースのフランクスは、自身の軸を決してぶらすことはない。絶対に歌い上げないささやき系の声は、今で言うところの癒し系。彼の歌声を聴いていると、外の嵐のことなどすっかり忘れる。

「この曲は僕が自分の息子のために書いた曲。その頃6歳だった息子は今、34歳だ」(観客席から若干の笑い) そう言って歌い始めたのが「ホエン・ザ・クッキー・ジャー・イズ・エンプティー(クッキーの箱が空のとき)」。78年のアルバム『バーチフィールド・ナインズ』に収録されている作品。クッキーがなくなると、子供が不機嫌になるといった普通の家庭によくある日々の一ページを描いた曲だ。28年も前の曲なのかあ・・・。

この作品に限らず、フランクスの作品は、現象への観察が鋭く、描写が実にうまい。サックス奏者をフィーチャーした「レディー・ウォンツ・トゥ・ノウ」(アルバム『スリーピング・ジプシー』77年)あたりも独特の世界を描きつつ、ジャジーなサウンドはしっかりした骨格を作る。フランクスがピアノのチャールズ・ブレンジングに次に歌う曲を指示する。事前のセットリストはそれほどなく、自然なのりで曲を決めているようだ。

「83年にでたアルバム『パッションフルート』からの作品を一曲やります。ちょうどデイヴ・グルーシンとのライヴにやってきて東京のホテルオークラに滞在していました。結婚記念日という日で、そのホテルの部屋で書いた曲です。『レイニー・ナイト・イン・トウキョウ』」 台風が来て、外は雨の東京にぴったりの一曲。詩人は世界を旅すればするほど、いい作品が書ける。ここで雨の効果音をだす棒状のようなものが登場した。これはいい。となりのオッシーに、「あれうちらも番組で使おうよ」とささやいた。「いいですねえ」

アンコールだけは毎回決まっている。もちろん彼の最大のヒット「アントニオ・ソング」。ひときわ大きな拍手が巻き起こった。

1944年9月18日カリフォルニア州生まれ。ということは、今年ちょうど60歳、還暦だ。しかし、若い。とても60には見えない。やはり、音楽家は年をとらない。そして、外にどんな大きな台風が来ようが彼には関係ない。彼の歩みになんら変化はない。

Michael Franks Setlist 2004.10.20 Second Set

show started 21:35

01. Tell Me All About It
02. Don’t Be Blue
03. When I Give My Love To You
04. Monks New Tune
05. In The Eyes Of Storm
06. When the Cookie Jar Is Empty
07. My Present
08. Island Life
09. Lady Wants to Know
10. Rainy Night in Tokyo
11. Popsicle Toes
12. Monkey See - Monkey Do

Enc Antonio’s Song (The Rainbow)

show ended 22:57


ブルーノート東京のウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20041018.html

マイケル・フランクス・オフィシャル・ウェッブ
http://www.michaelfranks.com/

(2004年10月20日・水、ブルーノート東京=マイケル・フランクス・ライヴ)
逆ナン。

アリシア・キーズの大ヒットに「ユー・ドント・ノウ・マイ・ネーム」という曲がある。彼女のアルバム『ダイアリー・オブ・アリシア・キーズ』に収録されている。もちろん、先日のライヴでも堂々と歌われた。「あなたは、私の名前を知らない」という意味だ。

物語の状況はこんな感じ。私(アリシア)は、ニューヨーク・マンハッタンの39丁目とレノックスストリートの角にあるレストランでウエイトレスをしている。そこに毎週水曜日のランチにやってくるいい男がいる。いつも、店の「スペシャル」をオーダーし、そこにはホットチョコレートをつけてもらう。あるとき、その男は、彼の名刺を店の名刺ボックスの中に入れていった。アリシアはそれをそっと抜き出し、彼の名前と電話番号を入手する。そして彼女は思い切ってその彼に電話をかけ、食事はいかがと誘いだす。

このセリフがなかなかいい。映画なんかでしゃれたセリフがでてくることはよくあるが、この曲中のアリシアのダイアログは映画さながらだ。

「マイケルと話したいんだけど。おや、お元気ですか? バカかと思われるかもしれませんが、私は39丁目とレノックスの角のコーヒーハウスのウエイトレスです。編みこんでる子っていえば、わかるかしら。あなたはいつも水曜日にいらっしゃってますよね。ホットチョコレートつきのスペシャルをオーダーして。女は普通こんなことはしないんだけど、もしよかったらこんどこの店以外のところで、会うことはできないかな、と思って。普段の私はウエイトレスの姿とはずいぶんと違うんですよ。〜あら、携帯の調子、悪いわ。聴こえる? そう、何曜日っておっしゃったの? 木曜? 完璧だわ!」

70年代のソウル作品には、こうしたダイアログが入った作品がたくさんあった。よく覚えているのが、シャーリー・ブラウンの「ウーマン・トゥ・ウーマン」。女同士の戦いで、シャーリーが自分のだんなの浮気相手に直接電話するシーンのダイアログが収録されている。あるいは、ジャズシンガー、マリーナ・ショウのアルバム『フー・イズ・ディス・ビッチ』の冒頭は、かなり長い映画さながらの演技が聞かれる。これは男が女をナンパするシーンだ。

それにしても、アリシアみたいな子に逆ナンされる男なんて、たまらないだろうなあ。(笑) 女性で、こう堂々と男に声をかける人は少ない、と思う。しかし、あなたが女性で誰かいいなと思う男性がいるなら、このアリシアのセリフを参考にしてみればいかが。日本では女性からアプローチするとだめなのかな。(笑) 

アリシアとマイケルのその後は、一体どうなったんだろう。続編の曲が聴きたいところである。タイトルは、そうねえ、「Now, You Know My Name」とか。
風格。

「The Diary Of Alicia Keys」という大きな日記をバックの壁にしたステージ。アルバム2枚だけでスーパースターになったアリシア・キーズ。1981年1月25日生まれの23歳は、すでに風格充分だ。

アリシア・キーズの2002年5月以来のライヴ(前回はプロモーションで来日して赤坂ブリッツでライヴ)は国際フォーラム超満員。音楽関係者多数。2枚のアルバムを出し、文字通りスーパースターとなってのライヴだけに、観客側の期待度もじつに高い。

白のパンツにジャケット、さらに帽子というカジュアルないでたちで中央7段ほどの小さなお立ち台から登場。その姿を見た瞬間、女マイケル・ジャクソンかと思った。ステッキを使うところなども、マイケルを思わせる。さらに3曲目ではジェームス・ブラウンのリフを使い、ここではどこかジェームス・ブラウン風。さらに「スローダウン」では、ひじょうにセンシュアルで色っぽく、しかもグランドピアノの上に上ってなまめかしい姿を見せた。ここは、実にプリンスを思わせる演出。さらに、途中にはスティーヴィーの「リヴィン・フォー・ザ・シティー」と「ハイヤー・グラウンド」を歌い、マイケル、ブラウン、プリンス、スティーヴィーと70年代ソウルの素晴らしきエッセンスをこれでもかこれでもかとりいれている。オリジナル曲も、どこもかしこも70年代フレイヴァーだ。よっぽど、70年代のソウルが好きなのだろう。

なにが素晴らしいって、その力強い歌声が見事だ。よく出ている声、よく通る声。この声だけでやられる。しっかり地に足のついたアーティストというオーラが漂う。

アリシアがピアノを弾きながら歌う姿もなかなかよい。ただ今回はフォーラムの音が全体的によくなかったように思う。特に彼女がピアノ・ソロをやる時の音は、音が割れているかのようにさえ聴こえるほど悪い。彼女がちゃんとしたパフォーマンスをしているだけに、もっと音がよければ、そこにどんどんと入り込めただろう。バンドメンバーはとくに可もなく不可もなく。なので、途中のアリシアが指揮者のごとく、バンドを仕切るところは不要。バンドの演奏だけを聴いてもしょうがない。

しかし、一方3人いたバックコーラスはみな素晴らしかった。それぞれが曲を歌ったが、おもしろいことに、2人の女性シンガーはアリシアと声質が似ていた。あれでコーラスをつけられたらトリプル・アリシアだ。また男性の声は高く、ファルセットもなかなかよかった。

ここまでオールドスクールを自分のものにしているこれほどまでに若いアーティストはなかなかいない。90分間ほとんど、70年代の香りを残していた。このようなアーティストの存在こそが、ブラックミュージックの歴史の鎖をつないでいくのだ。バトンが過去の先達から、今、アリシアに手渡され、彼女はゴールの見えない長い旅にでている。

Setlist
2004.10.18
show started 19:29

01. Karma
02. Heartburn
03. Give It Up Or Turnit Loose / Rock Wit U ("Jungle Boogie" Riff)
04. A Woman’s Worth

AK Piano
05. How Come You Don’t Call Me
06. Never Felt This Way
07. Butterflyz
08. Goodbye
09. Night Time Is Right Time To Be In Tokyo(?)

10. If I Ain’t Got You
11. (AK Conducting Band) Apach
12. Medley: The Life
Streets Of New York
Living For The City
Higher Ground
13. Slow Down
14. Diary
15. Fallin’
16. Back Vocal Medley:
My Lonely Days Are Over
Oh, Baby, Baby
Misty Blue
Special Lady

Encore. You Don’t Know My Name

show ended 20:59

(2004年10月18日月曜、国際フォーラムA=アリシア・キーズ・ライヴ)
真似。

いよいよ来週日曜(24日)、『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1mhz)で、あの伝説のDJウルフマン・ジャックがよみがえる。というわけで、昨日の「ソウル・サーチン」のコーナーで次週のウルフマンの案内をしたのだが、そこで、DJマーヴィンがウルフマンの真似をやった。

これが、すごい。(笑) びっくりした。確かに小林克也さんなどもウルフマンの真似をするし、また、比較的真似をしやすいタイプの声ではあるのだが、マーヴィンのも実によく似ている。マーヴィンは、これまでにもジェームス・ブラウン、マイケル・ジャクソンなどの真似を実にうまくこなしてきたが、ウルフマン・ジャックは、彼の物真似ベスト3にはいる。

このマーヴィンのヴァージョンのウルフマンを聴いたインターの担当者は、「権利、買わなくてもよかった・・・(笑)」と言ったほど。マーヴィンの声で、なんちゃってウルフマン・ジャック・ショウができてしまう。

マーヴィンは、「17歳くらいから、ずっとウルフマンが大好きで毎日真似してた」というから、四半世紀ウルフマンの真似をしてきているともいえるかもしれない。しかも、「ニホンゴモシャベレルヨ〜〜」には、スタッフ一同大爆笑した。

番組を終え、打ち合わせが一段落してスタジオに行くと、7時からの番組を担当されるピーター・バラカンさんがいつものようにスタジオでスタンバイしていた。スタジオの前を通ったら、ちょうどバラカンさんが手を振られたので、中に入った。「ミーティング?」と聞かれたので、「え〜、来週のウルフマンジャックの打ち合わせで・・・。ピーターさんは、ウルフマン・ジャックはリアルタイムで聴かれていたんですか?」と尋ねた。すると、「僕はイギリスだから聴いてなかったなあ。彼を認識したのは、(映画)『アメリカン・グラフィティー』からかな。その後日本に来てからFENで聴いてた」と言う。

「ウルフマンというと、トッド・ラングレンが『サムシング/エニシング』っていう二枚組みのアルバムで『ウルフマン・ジャック』っていう曲、やってますよ」と教えていただいた。わお、そのアルバムは確かうちにあるはず。さすが、なんでも知ってる。「あ、もう本番ですね」と僕。「あと、1分だ」 時計を見ると6時59分だった。ではでは、と言いながら、扉を閉めてスタジオを出た。

そういえば、このインターFMのスタジオも、いわゆる喋り手(DJ)がひとりでCDをかけ、しゃべるというスタイルという点ではウルフマン・ジャックと同じだ。カナダのロックグループ、ゲス・フーの「クラップ・フォー・ザ・ウルフマン」も、彼に捧げられた作品だ。

そして、僕は家に戻り、トッド・ラングレンのそのCDを引っ張り出し、「ウルフマン・ジャック」を聴きながら、この日記を書いた。
カヴァー。

このところ、様々なアーティストがいわゆるカヴァーアルバムをだすことが実に多い。モータウンのヒット曲ばかりを集めたアーティストや、昔のソウルヒットを歌ったジョス・ストーンなど、企画も様々だ。そして、そんな「カヴァー市場」に、またまた強烈な一枚が登場した。ブルーアイド・ソウル・メン、ホール&オーツだ。彼らがなんとソウルのヒット曲ばかりをカヴァーした新作アルバム『アワ・カインド・オブ・ソウル』(ビクター、10月21日発売)をだした。これはしばらくマイ・ターンテーブルでヘヴィーローテーションになりそうだ。

先週、この曲のリストだけ見せられたときには、じつに、「やられた」と思った。いやあ、さすがソウル好きのホール&オーツだ。特に、ドラマティックスの「ホワッチャ・シー・イズ・ホワッチャ・ゲット」にはまいった。これをやるか! 実は一足先に、フュージョンギターのジョン・スコフィールドがアルバム『アップ・オール・ナイト』でカヴァーしていた。これも、かなりマニアックな選曲だな、とは思っていたが、またまたホール&オーツにやられて、この曲ちょっとしたマイブームだ。

さて、選曲リストは下記を見ていただくとして、なんだかこのリストを見るだけでこのアルバムの良さがわかる。1曲目と5曲目だけが、オリジナル。ほとんど大ヒットだが、8「フェイディング・アウェイ」だけヒットしていない作品。これは僕も知らなかったが、スモーキー・ロビンソンが書いたもので初期のテンプテーションズのシングルのB面に入っていた作品だという。(18曲目の「ウィズアウト・ユー」は、現在CMに使われている作品で、日本のボーナストラック)

実はこれを今日の「ソウル・サーチン」で紹介するのだが、軽く2曲の選曲などできると思ったら、大間違い。どれもこれもかけたくて、迷いに迷った。一曲はドラマティックスはすぐ決まったが、もう一曲が決まらない。迷った末に選んだのは、アル・グリーンである。この暖かい感じのサウンドがたまらなかった。

ホール&オーツは、フィラデルフィア出身。元々フィリーのスタジオなどでソウルのレコードのコーラスをいれたりしていた。要はソウルマンたちだ。彼らは、六本木のソウルバー、ジョージが大好きで、彼らが来日すると必ず、ジョージに行っていた、という。ある時など、アメリカから到着したばかりの成田から電話してきて、今からスタッフみんなで行くから貸切にしてくれ、などということもあったらしい。

このCDのライナーノーツには、ダリル自身の曲解説がある。これは実にいい。彼のソウルへの愛がよくでていて好感が持てる。そして、その中で、興味深いことが書いてあった。彼らがカヴァーした、グラディス・ナイト&ピップスの「ニーザー・ワン・オブ・アス(邦題、さよならは悲しい言葉)」についてだ。彼はこう書いている。「この曲をぶち壊して、感情をむき出しにさせたかったんだ。僕にとってはそうすることでこの曲は数段アップするし・・・」  感情をむきだしにするのはいい。だが、僕はこのコメント、「数段アップする」という部分にはまったく同意しない。(笑) 彼流に言うなら、「ダリルのヴァージョンも悪くはない・・・」といったあたりだ。彼の意図はよくわかるが、数段アップするというところがわからない。これはぜひ、彼と一緒にジョージあたりでじっくりと膝を突き合わせてソウル談義をしたいものだ。

僕はカヴァーアルバム、あるいはカヴァーソングというのは、カヴァーという意味において価値があると思う。かつての偉大な先輩が書いたりヒットさせた作品を、彼らに敬意を表し独自のスタイルに解釈してカヴァーするというのは、それなりに意義があると思う。そのカヴァーを我々もエンジョイするわけだから。だが、ほとんどの場合、カヴァーはオリジナルを超えることはない。カヴァーがオリジナルを越えるなどということは奇跡に近い。音楽スタイルを変えてカヴァーすると、オリジナルとはまったく違った魅力を生み出すこともあるが。「オリジナル至上主義者」と呼んでもらってもかまわない。(笑) 

だから、ここのホール&オーツたちのカヴァーも、どれも僕は決してオリジナルを超えることはないと断言できる。しかし、別にオリジナルを超える必要はないのだ。彼らが好きで、自分たちのスタイルで解釈してやって、それをただ聴く、そして、今まで聴いたことがないヴァージョンを聴ける喜びがここにある。それだけのことだ。しいて言えば、どちらがより好きかという判断はあるだろう。だが、それも大概の場合は最初に聴いてなじんだほうが、好きということが多い。もしカヴァーがオリジナルを超えているのであれば、そのカヴァーがオリジナルを超えるヒットになってしかるべきである。まれにそういうことがあるが。だから、ダリルの「数段アップさせる」という真意がどういうことなのか、ちょっとばかり興味をもったのである。

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ダリル・ホール&ジョン・オーツ
アワ・カインド・オブ・ソウル
ビクター VICP 62891
発売日 2004年10月21日
税込価格 2,520円

ダリル・ホール&ジョン・オーツ

(1)LET LOVE TAKE CONTROL
(2)STANDING IN THE SHADOWS OF LOVE
(3)I’LL BE AROUND
(4)USED TO BE MY GIRL
(5)SOUL VIOLINS
(6)I CAN DREAM ABOUT YOU
(7)DON’T TURN YOUR BACK ON ME BABY
(8)FADING AWAY
(9)NEITHER ONE OF US
(10)AFTER THE DANCE
(11)ROCK STEADY
(12)LOVE TKO
(13)WHAT YOU SEE IS WHAT YOU GET
(14)CAN’T GET ENOUGH OF YOUR LOVE
(15)YOU ARE EVERYTHING
(16)I’M STILL IN LOVE WITH YOU
(17)OHH CHILD
(18)WITHOUT YOU
カーニヴァル。

ライヴは生きがい、ライヴはカーニヴァル、そう、彼らのライヴを体感することは、人生をカーニヴァルにすることだ。ブルーノートで見るアーティストの中で個人的にずば抜けて大好きなワイルド・マグノリアスの3年ぶりのライヴだ。

20分弱、ドラム、ギター、ベース、キーボード、ボンゴの5人でステージをいわゆるニューオーリンズのセカンドラインのリズムで、どんどんとあおる。スタータイムへの序章をおもいきり引っ張って、いよいよ今夜のスターが登場。歌い手たちのワイルド・マグノリアスたち。もちろん、あの大きなインディアン風衣装に身を包んでの出現だ。

リードシンガー、ボー・ドリスの息子、ボー・ドリス・ジュニアが被っている白い羽根を基調にしたインディアン衣装は、他の二人よりひときわ大きい。この3人が登場するだけで、会場がぱっと明るくハッピーになる。彼らが出るだけで、ブルーノートの室温は5度はあがる。いや、見てる側の体温もが〜っとあがる。ほんとに度肝を抜かれる衣装だ。

実にライヴに生きているバンドだなあ、ということをつくづく感じる。ライヴたたき上げ、生涯ライヴマンであるメンバーたち。出てくる音も、とにかくでかく、グルーヴ感あふれる。どれをやってもドンドンドドオンというセカンドラインのリズムが実に心地良い。

リードシンガー、ビッグ・チーフの喉はどうなってるのだろう。あれだけの大音量をバックにいくら歌っても、声が減らない。どういう声帯をしているのだ。それほど、強い歌声だ。そして、右に左に揺れる超特大の羽根衣装。ブルーノートは、今ニューオーリンズに、しかも、マルディグラのど真ん中だ。

ビーズを投げ、おもちゃのタンバリンを渡し、いろいろなものを観客にプレゼントし、途中からは客を立たせ、ステージにさえ乗せる。まさに、この夜、この瞬間、ライフ・イズ・カーニヴァル(人生はカーニヴァル)! このエネルギーと、リズムとグルーヴ、すべてにおいての大迫力で、完全な音のシャワーの中に溺れた。ここまで音に浸れるのは久々だ。このリズムにキーボード吉弘さんの息子さんロニー君(7歳)が、ずっと踊っていた。最初は照れていたが、一度ステージに上がると、もう降りようとはしなかった。彼もステージで踊ることに快感を覚え、きっと中毒になっているかもしれない。

そして今、目の前で堂々とこのニューオーリンズのバンドの音楽ディレクターをやっているのが、ギターを一心不乱に弾く山岸潤史だ。彼がこうしてニューオーリンズ一のバンドで、ファンキーなギターを弾いているだけで、僕は個人的に、若干感情的に、イチローがメジャーリーグで大活躍して感動するのと同じくらい感動できる。

コネもなく、知り合いもなく、ただギター一本でニューオーリンズに渡り、無名のギタリストから徐々に名前を売り、自分が大好きだったバンドのオーディションに行き、自分が大好きゆえに彼らのレパートリーをすべて空で弾けたことからバンド入り。さらにその音楽的センスを見込まれ、バンドマスターにまで出世し、今、凱旋しているのだ。そう、山岸の人生も見事なカーニヴァルだ。

ニューオーリンズ好き、のりのいい音楽好き、パーティー系ファンク好きの方には絶対お勧めだ。音の洪水の中に、時が経つのを完璧に忘れる。何度見ても気持ちいい、まさに中毒になるライヴだ。

ブルーノートのウエッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20041015.html

ライヴは日曜(17日)まで。

(2004年10月15日金、東京ブルーノート=ワイルド・マグノリアス・ライヴ)
生存者。

32歳、天才ギタリストとして油の乗っている時期。突然彼は謎の頭痛に悩まされる。診断結果、脳の動脈瘤。手術が行われるが、ギターの弾き方から、さまざまな記憶まですべてを失った。76年のことだった。天才ギタリストの名を欲しいままにしていた彼はただの人になった。それから11年かけて、彼はリハビリをし、ギターの弾き方を懸命に学び、練習し続けた。自身の古いレコードに耳を澄まし、その音を再現するように努力、ついに87年復活した。その時のアルバムタイトルは『リターン(復活)』。見事な奇跡の復活だった。

ところがまもなく両親が病に倒れ、その看病などで、以後7年間、再び音楽活動から身を退けた。94年、再度の復活。以後はコンスタントに音楽活動を続け、何度かの来日を経て、2004年10月、再びブルーノートの舞台に立った。パット・マルティーノだ。1944年8月25日ペンシルヴェニア州生まれ。現在60歳。

ベース、ドラムス、ピアノ、サックスにパットのギターという5人編成。いずれのミュージシャンも名うての連中、プロ中のプロだ。彼を見るのは初めてだったが、なんども「なるほど、なるほど」とうならされた。ただし、このジャズは白人のジャズだ。

一見して、60年代のモッズのような渋いかっこよさを漂わせるパット。ニューヨーク・ヴィレッジのジャズ・カフェあたりで、むずかしいジャズを聴いているモッズの仲間が、自分たちもジャズをやり始めた、といった趣を感じさせる。ブルーノートのような綺麗でおしゃれで広い場所というより、もっと小さく狭く、汚く、タバコの煙が充満しているようなジャズ・バーでやるのが似合いそうなアグレシヴで、ちょっととんがったサウンドだ。

パットの指の動きは速く、一方めがねをかけたそのルックスは学校の教授のよう。最後の曲、「アースリングス」は、実にドライヴ感あふれるギター、ベース、ドラムなどで圧巻だった。

一度、引っ込みアンコールの拍手にうながされて彼らが出てくると、どこからともなく、「サニー」、「サニー」という声がかかった。僕は一瞬ミュージシャンの誰かの名前かニックネームが「サニー」というのかと思った。すると、彼らが演奏を始めたのが、あの楽曲の「サニー」だったのだ。実にかっこいい、ジャジーな「サニー」だった。これは、印象に残る。僕はちょうど同じ日、昼間に別番組の収録でボニーMの「サニー」を聴いていたので、その違いに妙に感心した。

パットの「サニー」は72年の彼のアルバム『ヘッド&ハート』に収録されている。ここでも10分近くやっているようだが、ライヴでも10分におよぶ熱のこもったパフォーマンスを見せてくれた。観客席で「サニー!」と声をかけた人たちは、30年以上前のこの作品を知っていたのだ。

重病から復活し、記憶喪失にも負けずギターを二度学んだ男、パット・マルティーノ。彼こそ、ジャズ・サヴァイヴァーだ。

楽曲「サニー」についての素晴らしい物語はここに。
http://diarynote.jp/d/32970/20030817.html

パット・マルティーノ、ブルーノートのウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20041012.html

(2004年10月14日木曜、東京ブルーノート=パット・マルティーノ・ライヴ)
地下室。

ウルフマンの自伝を流し読みというか、速読しているのだが、彼がDJ的なものに興味を持ち始めたところがおもしろい。

彼の家は最初はそこそこ裕福で地下室にジュークボックスがあった。そこで、彼の10歳年上の姉がよく友達を呼んでパーティーをやっていた。ウルフマン(当時はまだボブ少年)は、彼らのためにジュークボックスの曲を選んでかけていた。すると、どんな曲に彼らが踊るか、反応がいいかを知るようになる。そして、まもなくそれだけでなく、彼はそれらの曲をどのような順番でかけると、より彼らが盛り上がるかを知るのである。1950年代初期のことだろう。

これぞ、まさに、DJの原点ではないか! 彼もその時のことを自分のDJの原点であることを認める。ただ曲をかけるだけではなく、どのような選曲で、どの順番でかければ、人々がより盛り上がるか、反応するか、それは例えば、クラブやディスコのDJのもっとも考えなければならないところだ。それはラジオDJにもあてはまる。こうして、彼はDJをすることのおもしろさを知ってしまうのだ。

僕がおもしろいと思ったのは、それをジュークボックスでもやってのけていた、というところだ。ジュークだったら、曲と曲の間に微妙な数秒間の空白がある。それでも、人々は前の曲の余韻を知っている。今は、クラブにしろ、ラジオ局にしろ、ターンテーブルは最低2台はあるから、曲間があくということはない。

どのように曲をかければ、人々が喜ぶかを知ったボブ少年は、ただのソウル好きからどんどん人々をエンタテインすることの喜びを知っていくわけだ。地下室のジュークボックスが、ボブ少年をDJウルフマンにする原点だったのである。

というようなことを、当然話そうと思っているわけですが、なんで、話すことをこうやって事前に日記に書いてしまうか。実は、読んだことや聞いたことを一度こうして日記などに書き記すと、ひじょうに理路整然と話すことがしやすくなるのである。やはり、書くことによって一度頭の中でさらに整理できるのだろう。

確かに、読んだことやただ聞いたことをそのまま話そうとすると、微妙にまとまりが悪かったりするが、一度書いてまとめていると、意外と楽にまとめられたりする。というわけで、今日のテーマは、ウルフマンをダシに,書くことと話すことの関係についてでした。(笑) 

Coffee & Doo Wop 

2004年10月13日
ドゥワップ珈琲。

「戸越銀座にドゥワップを聴かせるコーヒー屋さんがあるんですよ」という情報をもたらしてくれたのは、Oさん。戸越銀座といえば、ソウルバー「オブライアン」である。その「オブライアン」と同じ通り沿い、「オブライアン」の100メートルくらい手前にある、という。手前というのは戸越銀座の銀座通りから行った場合。その名は「COFFEE 若林珈房」。

さっそくOさんに連れられて「若林珈房」に出向いた。真新しい木目調、そして、ちょっとどこか地中海風の店内には、フランキー・ライモン&ティーンエイジャーズなどの30センチアルバムのジャケットが飾られていた。珈琲とドゥワップというあまりなじみではない組合せが妙にいい感じ。カウンター約6席と、4人用のボックス席が2つ。音源はCDとDVD。DVDのモニターでは、ちょうど『エド・サリヴァン・ショウ』の「R&B特集」の回が流れていた。

オウナーは若林さん。2003年10月3日にオープンした。約4ヶ月ほどかけて、大工さんと一緒にほぼ手作りで仕上げたという。その工事の間、若林さんはラジカセでドゥワップのCDをずっとかけていた。すると、その大工さんが大のドゥワップ好きだった。二人は、仕事もそこそこにドゥワップ話で意気投合したという。「彼が、やたら詳しくてね。超マニアでびっくりしましたよ」と彼は言う。

若林さんは、1964年山梨出身。音楽好きの兄の影響でビートルズから洋楽にはいり、ロックンロールのオムニバスを聞いているときに、ティーンエイジャーズなどのドゥワップ系の音楽に魅せられるようになった。一番印象に残ったのは、コーズの「シュブーン」という曲。これがずっと欲しくて欲しくて探していたが、長い間手にいれられないでいた。地元ではなかなかそうしたマニアックなレコードを入手することができずに悶々としていたが、83年ごろ上京し、都内のあちこちのレコード店を訪れるようになり、徐々にそうした作品も入手できるようになった。

「やはり、『アメリカン・グラフィティー』のサントラは、手引き書みたいなもんですよね。映画自体はずいぶん後になってから見たんですけどね」と若林さんは言う。ここでも、また、『アメリカン・グラフィティー』だ。「おばさんが、R&Bのオムニバスアルバム『アトランティックR&Bのすべて』っていう2枚組のを持っていてね。そこにはサム&デイヴとかソロモン・バークとかはいっていて、そういうのも好きでした」

営業は朝8時半から夜10時まで。モーニングからやっている。地元密着型の珈琲店。若林さんは、もちろん、仕事が終ると「オブライアン」にもよく顔を出す。ちょうど「ドゥワップ」のボックスセットから、スカイライナーズの「シンス・アイ・ドント・ハヴ・ユー」が流れてきた。

COFFEE 若林珈房
〒142-0041
品川区戸越2−1−22
03−3782−1057
営業時間 8時半〜22時
定休 火曜日

珈琲 500円〜
復活。

そして、そのウルフマン・ジャックがなんと、復活することになったのだ。来る10月24日(日)インターFMの『ソウル・ブレンズ』の中で、「ザ・ウルフマン・ジャック・ショウ」が復活する。これは、ウルフマンの過去の音声を管理している会社が、過去の音源をデジタル化し、全米でもパッケージにして各ラジオ局に番組を供給するようになり、その日本での権利をインターFMが獲得したために実現することになった。

『ザ・ウルフマン・ジャック・ショウ』は、10月24日の『ソウル・ブレンズ』内午後3時から約1時間、当時のままのショウをオンエアする。ラフなテープを聞かせてもらったが、久々に聴くウルフマンは実にかっこいい。とりあえず、パイロット的に一度放送し、これが好評ならレギュラー化していく予定。

ウルフマン・ジャックは、ソウルマンだった、と書いたが、ここでの選曲は『ソウル・ブレンズ』にじつにぴったりの選曲。1-2曲、ポップな作品が収録されているが、ほとんど気にならない。一時間の「ザ・ウルフマン・ジャック・ショウ」がインターから流れてくれば、間違いなく、この間はアメリカン・レイディオがよみがえる。

この日は『ソウル・ブレンズ』は特番仕様で、1時から3時までマーヴィンと僕と新アシスタント、ちーちゃんの3人で「ウルフマン・ジャックとは何者か」「伝説のDJ、ウルフマン・ジャックのすべて」、「ウルフマンとアメリカン・グラフィティー」などさまざまな切り口で、ウルフマン・ジャックの化けの皮を剥ぐことにする。

70年代のアメリカン・レイディオのファン、あるいは、70年代、80年代のアメリカン・ポップスのファンの方は、エアチェックの用意をして待っていてください。

http://www.interfm.co.jp/

ウルフマンの紹介
http://www.interfm.co.jp/n03_special/041001wolf.cgi

もちろん、僕がかつて訪問したロスの小高い山の上にあったKDAYのお話もします。それにしても、まさか自分があの伝説のDJ、ウルフマン・ジャックを紹介することになるとは夢にも思わなかった。

ウルフマンの声が聞こえてくる。「My name is still Wolfman Jack, I’m back!」 今から、めちゃくちゃ楽しみだ。

++++

「ザ・ウルフマン・ジャック・ショウ」
2004年10月24日(日)午後1時〜5時「ソウルブレンズ」内
午後3時から インターFM 76.1MHZ
伝説。

このところ、本やCDをネットで買うことが多い。もちろん、CDショップに行って買うこともあるが、いろいろネットをうろうろしていて、「あっと」思って、思わずクリックしてしまうことがある。逆に店舗で見ても、あわてずに、まあ、ネットで値段でも比べて買えばいいか、などとも思うことも多々ある。

そんな中で、最近、初めてアマゾンでマーケットプレイスで本を買ってみた。いわゆる中古版だ。とある本を入手したいと思い探してみたところ、新品もそこにはでていたのだが、オーダーしてみると、出版元に在庫なしか時間がかかる、などとでてしまう。そこで、マーケットプライスで買うことにした。

そうして手にいれたのが、あの伝説のDJ、ウルフマン・ジャックの自伝だ。日本版は98年2月に発売された。上下巻に別れている本だが、数日して別の出品者から本が届いた。なるほど、これは簡単だ。

そして、そのウルフマン・ジャックの自伝を流し読むと、彼がいかに「ソウルマン」だったかが描かれている。ウルフマン・ジャックは70年代に全米で圧倒的人気を獲得した独特のだみ声でしゃべるDJだ。日本でも70年代にはFENで毎晩番組が放送されていた。たしか、FENでは毎晩8時5分か8時15分頃から9時まで「ウルフマン・ジャック・ショウ」をやっていた。学校から帰ってきた僕はほとんど毎日のようにそのショウを聴いていた。

ウルフマンは、ニューヨーク生まれで幼い頃からソウルが好きだったようだ。彼のDJの声を全米で聴いた人々は、ウルフマンを黒人のDJだと思った。ウルフマンのショウの選曲には、多くのソウル、R&Bヒットがはいっている。

で、そのウルフマンが一時期、ロスのラジオ局KDAYでDJをしていたということをこの自伝から知った。それを知って飛び上がるほどびっくりした。そう、僕が21年前に訪ねたあの山の上の放送局こそ、KDAYだったのだ。

http://diarynote.jp/d/32970/20030828.html

つまり、僕が「ウルフマンの放送局みたい」と思った放送局は、まさにウルフマンがいたところだったのだ。そして、どうやら、映画『アメリカン・グラフィティー』にでてくるウルフマンのシーンは、あのKDAYをモデルにしたようなのだ。なにかすべての点がつながったような気がした。

先日、東神奈川の「スターダスト」に行ったとき、夕方暗くなりかけた青空に映える「スターダスト」の外観が、ちょうどジュークボックスでかかっていた曲ともあいまって、ずいぶんと『アメリカン・グラフィティー』ぽいと思ったものだ。

「スターダスト」と『アメリカン・グラフィティー』、『アメリカン・グラフィティー』とウルフマン・ジャック、ウルフマン・ジャックとKDAYのスタジオ・・・。伝説のDJ、ウルフマン・ジャックがなぜか近づいている。
台風一過。

それにしてもすごい台風だったみたいですね。ニュースなどで見ていると、横浜のほうで、大きなトラックがひっくり返っていました。あんな大きなトラックが風でひっくり返るなんて。僕の友人の車も駐車場で、なんと水没。エンジンがかからなくなってしまったそうです。

というわけで、今日は台風の中の生放送となった『フィールン・ソウル』ですが、レインソングをいくつか。ピーボ・ブライソンの「キャン・ユー・ストップ・ザ・レイン」、ニュー・エディションの「キャン・ユー・スタンド・ザ・レイン」、この他にもRケリーのストームがらみの曲なども用意しました。

10時過ぎには東京はすでに台風は去っていて、ほとんど雨も降っていなかったのですが、東北地方のほうはまだ雨が若干降っていたようですね。それにしても、こんな10月にこれほど大きな台風とはね。自然現象は、決して甘く見てはいけませんね。

これで、今日は30度近くになるという予報がでています。どうなるんでしょう。『ソウルブレンズ』は、ソウルサーチンが、ラッパーから牧師になり、また、ラッパーとして復帰したメイスを、山野ミュージックジャムでは、フリーソウルのモータウンのコンピレーションです。

ところで話は変わりますが、最近スターバックスに行くと、よくアレサ・フランクリンがかかっています。そして、レジのところにアレサのベストアルバムが置いてあるんですね。しばらく前まで、レイ・チャールズの編集盤がありました。これらのCDは、アメリカのライノ・レコードとの提携で制作・発売されているもので、ライノのディレクターとスターバックスの担当者が決めて発売しているのでしょう。

なかなかそのラインアップが興味深い。アメリカのスタバでは、なんとレイ・チャールズの話題の新譜『ジニアス・ラヴズ・カンパニー』を売っているようです。ほかにも、何枚かのオムニバスを作って、レジ横で販売しています。スタバでアレサっていうのが、なんとなく、いい感じでお気に入りです。ただ、それだけですが。

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