Chic Drummer Tony Thompson Dies At 48
2003年11月20日シックのドラマー、トニー・トンプソン死去
シックのドラマーとして数々のヒットのドラムを担当してきたトニー・トンプソンが去る11月12日(水)カリフォルニア州エンシノで死去した。49歳の誕生日を3日後に控えてのことだった。48歳。死因は癌。
トニー・トンプソンは1954年11月15日ニューヨーク生まれ。70年代からニューヨークの音楽シーンでドラマーとして頭角をあらわし始めた。特に77年、ナイル・ロジャース、バーナード・エドワーズらと結成したシックでは、シュアなドラムを聞かせ、シック・サウンドの重要な土台を築いた。「ル・フリーク」、「グッドタイムス」などシックとしての大ヒットのほとんどすべて、さらに、ナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズらがプロデュースしたシスター・スレッジの「ウイ・アー・ファミリー」や、ダイアナ・ロスの「アップサイド・ダウン」など多数のヒットでドラムを聞かせている。
またシックのサウンドを支えるだけでなく、バーナード・エドワーズがプロデュースを担当したワンショット的なユニット、パワー・ステーションでもドラムを叩き、人気を集めた。彼のドラムスタイルは、R&Bだけでなく、ジャズ、フュージョン、ロックなどの要素があったため、幅広い音楽性を持っていた。パワー・ステーションに参加したメンバーでは、2003年9月26日同グループのリードシンガーだったロバート・パーマーが死去している。またシックのメンバーとしては、96年のバーナードの急逝に続く2人目の他界。
1985年7月にフィラデルフィアで行われた「ライヴ・エイド」のライヴでは、伝説のロックバンドで、トニー自身大ファンだったレッド・ゼッペリンからドラム(ジョン・ボーナムの代わり)を担当しないかと誘われ、演奏した。86年の同グループの復帰に参加する話もあったが、86年後半、トニーが大きな交通事故にあい、実現はしなかった。
80年代から90年代にかけては、スタジオのセッションドラマーとして売れっ子となるが、92年のシック復活には参加しなかった。ナイル、バーナードとトニーとの関係は微妙で、彼らがシックのサウンドでドラムマシンを使ったことにトニーは落胆していた。しかし、96年のバーナードの葬儀には出席。90年代後半からはセッションの数も少なくなっていた。
来る12月16日、トニーとその家族のために、ベネフィット・コンサートがロスアンジェルスのハードロック・カフェで行われる。
http://www.tonythompsonfund.com/
http://www.guardian.co.uk/arts/news/obituary/0,12723,1085807,00.html
http://www.nme.com/news/106756.htm
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三位一体。
ナイルとバーナードとトニー。彼ら3人が作り出すギター、ベース、ドラムスのコンビネーションは最高のものだった。三位一体とは、彼らのために存在するような言葉だ。だが、シックというと、常にナイルとバーナードにスポットが当たっていた。そのことに少なからず、トニーは不満があったようだ。確かにサウンドプロデューサーとしてはナイル・ロジャースが一歩ぬきんでていた。おそらくスタジオの仕切り方や、ミュージシャンに対するリーダーシップの取り方がうまかったのだろう。音楽的にというより、むしろ、人間関係のとり方がうまかったような気がする。
トニーに正式にインタヴューする機会はなかった。しかし、周囲からわかる話はあった。トニーとバーナード、ナイルらのある種の確執については、『ソウル・サーチン』の第4章に書いた。
それにしても、あのトニーのドラムスはかっこいい。少しロックっぽいが、それ以上にファンキーだ。ロックの要素もあって、ファンクのエッセンスもあるドラマーというのはなかなかいない。もっともっと活躍してほしかった。しかし神様、48歳はないでしょう。あまりに若すぎる。
ご冥福をお祈りする。
Tony Thompson (born in November 15, 1954, died in November 12, 2003)
シックのドラマーとして数々のヒットのドラムを担当してきたトニー・トンプソンが去る11月12日(水)カリフォルニア州エンシノで死去した。49歳の誕生日を3日後に控えてのことだった。48歳。死因は癌。
トニー・トンプソンは1954年11月15日ニューヨーク生まれ。70年代からニューヨークの音楽シーンでドラマーとして頭角をあらわし始めた。特に77年、ナイル・ロジャース、バーナード・エドワーズらと結成したシックでは、シュアなドラムを聞かせ、シック・サウンドの重要な土台を築いた。「ル・フリーク」、「グッドタイムス」などシックとしての大ヒットのほとんどすべて、さらに、ナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズらがプロデュースしたシスター・スレッジの「ウイ・アー・ファミリー」や、ダイアナ・ロスの「アップサイド・ダウン」など多数のヒットでドラムを聞かせている。
またシックのサウンドを支えるだけでなく、バーナード・エドワーズがプロデュースを担当したワンショット的なユニット、パワー・ステーションでもドラムを叩き、人気を集めた。彼のドラムスタイルは、R&Bだけでなく、ジャズ、フュージョン、ロックなどの要素があったため、幅広い音楽性を持っていた。パワー・ステーションに参加したメンバーでは、2003年9月26日同グループのリードシンガーだったロバート・パーマーが死去している。またシックのメンバーとしては、96年のバーナードの急逝に続く2人目の他界。
1985年7月にフィラデルフィアで行われた「ライヴ・エイド」のライヴでは、伝説のロックバンドで、トニー自身大ファンだったレッド・ゼッペリンからドラム(ジョン・ボーナムの代わり)を担当しないかと誘われ、演奏した。86年の同グループの復帰に参加する話もあったが、86年後半、トニーが大きな交通事故にあい、実現はしなかった。
80年代から90年代にかけては、スタジオのセッションドラマーとして売れっ子となるが、92年のシック復活には参加しなかった。ナイル、バーナードとトニーとの関係は微妙で、彼らがシックのサウンドでドラムマシンを使ったことにトニーは落胆していた。しかし、96年のバーナードの葬儀には出席。90年代後半からはセッションの数も少なくなっていた。
来る12月16日、トニーとその家族のために、ベネフィット・コンサートがロスアンジェルスのハードロック・カフェで行われる。
http://www.tonythompsonfund.com/
http://www.guardian.co.uk/arts/news/obituary/0,12723,1085807,00.html
http://www.nme.com/news/106756.htm
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三位一体。
ナイルとバーナードとトニー。彼ら3人が作り出すギター、ベース、ドラムスのコンビネーションは最高のものだった。三位一体とは、彼らのために存在するような言葉だ。だが、シックというと、常にナイルとバーナードにスポットが当たっていた。そのことに少なからず、トニーは不満があったようだ。確かにサウンドプロデューサーとしてはナイル・ロジャースが一歩ぬきんでていた。おそらくスタジオの仕切り方や、ミュージシャンに対するリーダーシップの取り方がうまかったのだろう。音楽的にというより、むしろ、人間関係のとり方がうまかったような気がする。
トニーに正式にインタヴューする機会はなかった。しかし、周囲からわかる話はあった。トニーとバーナード、ナイルらのある種の確執については、『ソウル・サーチン』の第4章に書いた。
それにしても、あのトニーのドラムスはかっこいい。少しロックっぽいが、それ以上にファンキーだ。ロックの要素もあって、ファンクのエッセンスもあるドラマーというのはなかなかいない。もっともっと活躍してほしかった。しかし神様、48歳はないでしょう。あまりに若すぎる。
ご冥福をお祈りする。
Tony Thompson (born in November 15, 1954, died in November 12, 2003)