カール・アンダーソン死去。
70年代にミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』のユダ役で人気を博したシンガー、カール・アンダーソンが2月23日白血病のためにロスアンジェルスの病院で死去した。58歳だった。アンダーソンは、86年グロリア・ローリングとのデュエットで「フレンズ・アンド・ラヴァーズ」(全米2位)の大ヒットを放っている。90年代にはGRPレコードからジャズテイストのアルバムをリリースしていた。日本にも何度か来てライヴを行っている。
++++++++++++++++
カール・アンダーソンは、1945年2月27日ヴァージニア州生まれ。12人兄弟のひとり。なんとこの12人のうち8人(4組)が双子だという。カールも双子で生まれたが、その弟はカールが11ヶ月の時に他界した。両親は1934年に結婚。父ジェームスが1998年12月に他界するまで64年間の結婚生活が続いた。母アルバータは99年3月に90歳の誕生日を迎えた、という。
60年代になって、カールは家を出てエンターテインメントの世界にはいり、70年代になって、ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』に出演、一挙に人気を集めた。このミュージカルは世界中で公演が行われ、カールも帯同。また、80年代にはいり、ラーキン・アーノルドに認められエピックと契約。85年にテレビドラマの主題歌となった「フレンズ・アンド・ラヴァーズ」をグロリア・ローリングとデュエットして大ヒットさせた。
90年代にはいってからは、ジャズテイストなアルバムをGRPからリリース。日本でもタバコのCM曲に彼の「心のかけら(ピーセス・オブ・マイ・ハート)」が使われヒットした。
++++++++++++++++
Carl Anderson: The Most Memorable Interview I’ve Ever Done
思い出。
昨日の朝、たまたま音楽評論家でAORのクールサウンドを運営している中田利樹さんのホームページを見ていたら、ロスに住む松居さんからのメールでカール・アンダーソン死去のニュースが報告されていて驚いた。早速、中田さんとロスのデイヴィッド・リッツに「本当なの?」とメールを送った。すぐにいろいろ調べると、カールのホームページがあり、そこに死去が報じられていた。まもなく両者からも間違いないというメールをもらい、愕然とした。
僕は91年6月と92年8月、彼が来日した時にインタヴューした。91年のインタヴューは僕がこれまでに行った300本以上のインタヴューの中でもベスト3にはいる印象度のあるインタヴューなのである。彼の誠実な人柄に好印象を持っただけでなく、その時の話の内容に大変感動したからだ。そこで語られた物語は、僕は後に『人生で一番高い買物』というタイトルで雑誌に寄稿した。その原稿は今では次のウェッブでも読むことができる。
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/story/anderson199501.html
この物語からは実に教えられることが多い。自分で書いたくせに、時々思い出したように、読み返してしまう。本当にいい話だ。僕の書いた作品の中でもお勧めベスト3かもしれない。僕も、人生の微調整をしたいと常々思っているが、現実にはなかなかそうは問屋が卸さない。
そして、なによりこのインタヴューが僕にとって忘れ難いものになったのは、彼がこの話をしていた時に、彼自身が泣いてしまったからである。それまでにも多くのインタヴューをしてきたが、インタヴューした相手が涙を見せたのは、後にも先にもこの時だけだ。まあ、これからはあるかもしれないが。だから、彼の目が赤くなってきた時、僕は「うそ、まさか」という思いと、「え、どうすればいいんだろう」という思いで、一瞬頭が真っ白になった。まさかインタヴュー相手が涙を流すなんてまったく予期していなかったので、対処法がわからなかった。結局、話がだんだん落ち着いて、また質問を別方向に持っていって、涙は一段落したが、なんとも言えぬ体験となった。
翌年、再び彼がやってきた時もインタヴューしたが、それだけでなく、その時は彼が滞在していた京王プラザで個人的に彼の奥さんも含めてランチをともにした。カールも僕とのインタヴューをよく覚えていてくれたらしい。というのは、その何年か後に、友人であるデイヴィッド・リッツがカールと親しく、僕とのインタヴューの話をデイヴィッドにしたらしいのだ。昨日来たメールでも、「カールは君とのインタヴューをよく覚えているよ」とあった。その頃カールのライヴアルバムをデイヴィッドが送ってくれた。
このライヴアルバムは、ライヴの模様をいきなりDATに2チャンネルで録音したものらしい。それだけに実に迫力あるライヴになっている。さっきからこのライヴを聴いている。
カールの歌う「イフ・アイ・クド」は、彼の話を聴いて以来一層大好きな作品になった。その後、バーブラ・ストライサンドやレイ・チャールズ、そして、レジーナ・ベルなどもカヴァーし、それらを聴く度にカールの話を思い出す。特にバーブラのヴァージョンはカールの物とは別の意味で心を打つ。カールのものは父から子供へというメッセージになっているが、バーブラの場合は母から子供へのメッセージになっているからだ。(バーブラの珠玉のヴァージョンは97年のアルバム『ハイアー・グラウンド』に収録。このアルバムは他にもすばらしい作品が収められていてバーブラの近年の作品の中でも白眉のでき)
バーブラはそのアルバムの中でこの曲についてこんなコメントを記している。「『イフ・アイ・クド』は親から子へのメッセージとして、また母の立場で大きな意味があります。それは母も父も辛いものですが、いずれは子離れしなければならないときが来るということです。永遠に子供を守りたいと思ったとしても、それは出来ないのです」
カール・アンダーソン、58歳。2月23日に死去。今日、2月27日は彼が59歳になるはずの誕生日だった。Rest in peace.
++++++++++++++++
カール・アンダーソン・オフィシャルウェッブ
http://www.cstone.net/~dgarlock/carl/index2.html
アルバムリストなど。
http://www.bluedesert.dk/carlanderson.html
70年代にミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』のユダ役で人気を博したシンガー、カール・アンダーソンが2月23日白血病のためにロスアンジェルスの病院で死去した。58歳だった。アンダーソンは、86年グロリア・ローリングとのデュエットで「フレンズ・アンド・ラヴァーズ」(全米2位)の大ヒットを放っている。90年代にはGRPレコードからジャズテイストのアルバムをリリースしていた。日本にも何度か来てライヴを行っている。
++++++++++++++++
カール・アンダーソンは、1945年2月27日ヴァージニア州生まれ。12人兄弟のひとり。なんとこの12人のうち8人(4組)が双子だという。カールも双子で生まれたが、その弟はカールが11ヶ月の時に他界した。両親は1934年に結婚。父ジェームスが1998年12月に他界するまで64年間の結婚生活が続いた。母アルバータは99年3月に90歳の誕生日を迎えた、という。
60年代になって、カールは家を出てエンターテインメントの世界にはいり、70年代になって、ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』に出演、一挙に人気を集めた。このミュージカルは世界中で公演が行われ、カールも帯同。また、80年代にはいり、ラーキン・アーノルドに認められエピックと契約。85年にテレビドラマの主題歌となった「フレンズ・アンド・ラヴァーズ」をグロリア・ローリングとデュエットして大ヒットさせた。
90年代にはいってからは、ジャズテイストなアルバムをGRPからリリース。日本でもタバコのCM曲に彼の「心のかけら(ピーセス・オブ・マイ・ハート)」が使われヒットした。
++++++++++++++++
Carl Anderson: The Most Memorable Interview I’ve Ever Done
思い出。
昨日の朝、たまたま音楽評論家でAORのクールサウンドを運営している中田利樹さんのホームページを見ていたら、ロスに住む松居さんからのメールでカール・アンダーソン死去のニュースが報告されていて驚いた。早速、中田さんとロスのデイヴィッド・リッツに「本当なの?」とメールを送った。すぐにいろいろ調べると、カールのホームページがあり、そこに死去が報じられていた。まもなく両者からも間違いないというメールをもらい、愕然とした。
僕は91年6月と92年8月、彼が来日した時にインタヴューした。91年のインタヴューは僕がこれまでに行った300本以上のインタヴューの中でもベスト3にはいる印象度のあるインタヴューなのである。彼の誠実な人柄に好印象を持っただけでなく、その時の話の内容に大変感動したからだ。そこで語られた物語は、僕は後に『人生で一番高い買物』というタイトルで雑誌に寄稿した。その原稿は今では次のウェッブでも読むことができる。
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/story/anderson199501.html
この物語からは実に教えられることが多い。自分で書いたくせに、時々思い出したように、読み返してしまう。本当にいい話だ。僕の書いた作品の中でもお勧めベスト3かもしれない。僕も、人生の微調整をしたいと常々思っているが、現実にはなかなかそうは問屋が卸さない。
そして、なによりこのインタヴューが僕にとって忘れ難いものになったのは、彼がこの話をしていた時に、彼自身が泣いてしまったからである。それまでにも多くのインタヴューをしてきたが、インタヴューした相手が涙を見せたのは、後にも先にもこの時だけだ。まあ、これからはあるかもしれないが。だから、彼の目が赤くなってきた時、僕は「うそ、まさか」という思いと、「え、どうすればいいんだろう」という思いで、一瞬頭が真っ白になった。まさかインタヴュー相手が涙を流すなんてまったく予期していなかったので、対処法がわからなかった。結局、話がだんだん落ち着いて、また質問を別方向に持っていって、涙は一段落したが、なんとも言えぬ体験となった。
翌年、再び彼がやってきた時もインタヴューしたが、それだけでなく、その時は彼が滞在していた京王プラザで個人的に彼の奥さんも含めてランチをともにした。カールも僕とのインタヴューをよく覚えていてくれたらしい。というのは、その何年か後に、友人であるデイヴィッド・リッツがカールと親しく、僕とのインタヴューの話をデイヴィッドにしたらしいのだ。昨日来たメールでも、「カールは君とのインタヴューをよく覚えているよ」とあった。その頃カールのライヴアルバムをデイヴィッドが送ってくれた。
このライヴアルバムは、ライヴの模様をいきなりDATに2チャンネルで録音したものらしい。それだけに実に迫力あるライヴになっている。さっきからこのライヴを聴いている。
カールの歌う「イフ・アイ・クド」は、彼の話を聴いて以来一層大好きな作品になった。その後、バーブラ・ストライサンドやレイ・チャールズ、そして、レジーナ・ベルなどもカヴァーし、それらを聴く度にカールの話を思い出す。特にバーブラのヴァージョンはカールの物とは別の意味で心を打つ。カールのものは父から子供へというメッセージになっているが、バーブラの場合は母から子供へのメッセージになっているからだ。(バーブラの珠玉のヴァージョンは97年のアルバム『ハイアー・グラウンド』に収録。このアルバムは他にもすばらしい作品が収められていてバーブラの近年の作品の中でも白眉のでき)
バーブラはそのアルバムの中でこの曲についてこんなコメントを記している。「『イフ・アイ・クド』は親から子へのメッセージとして、また母の立場で大きな意味があります。それは母も父も辛いものですが、いずれは子離れしなければならないときが来るということです。永遠に子供を守りたいと思ったとしても、それは出来ないのです」
カール・アンダーソン、58歳。2月23日に死去。今日、2月27日は彼が59歳になるはずの誕生日だった。Rest in peace.
++++++++++++++++
カール・アンダーソン・オフィシャルウェッブ
http://www.cstone.net/~dgarlock/carl/index2.html
アルバムリストなど。
http://www.bluedesert.dk/carlanderson.html