● シカゴ・ソウルの大物プロデューサー、カール・デイヴィス死去
2012年8月13日 音楽●シカゴ・ソウルの大物プロデューサー、カール・デイヴィス死去
【Chicago Soul Producer, Carl Davis Dies At 77】
訃報。
いわゆる「シカゴ・ソウル」サウンドを作り上げた大物プロデューサー、カール・デイヴィスが2012年8月9日、サウス・キャロライナ州の自宅で死去した。77歳。肺線維症を患っていた。デイヴィスは夫妻で2009年、地元シカゴからサウス・キャロライナに引っ越していた。
http://www.suntimes.com/entertainment/14373356-418/producer-carl-davis-architect-of-the-chicago-sound-dies-at-77.html
評伝。
カール・デイヴィスと言えば、「シカゴ・ソウル」の大物プロデューサー。シャイ・ライツ、ジーン・チャンドラー、カーティス・メイフィールド、ウォルター・ジャクソン、タイロン・デイヴィス、そして、ジャッキー・ウィルソンなどをてがけた人物だ。都会的に洗練されたソウル・ミュージックを作り上げた第一人者だ。
カール・デイヴィスは1934年9月19日シカゴ生まれ。ハイスクール卒業後、1951年から1954年までエアフォース(空軍)に入隊、その後1955年から地元のラジオ局WGESでDJのアシスタントを開始。そしてレコード会社で仕事をするようになる。地元のインディ・レーベル、ナット(Nat)でデイヴィスがプロデュースしたデューケイズの「ナイト・オウル」という曲がローカル・ヒットに。続いてプロデュースしたのが、デューケイズのリード・シンガー、ジーン・チャンドラーの「デューク・オブ・アール」でこれがシカゴのヴィージェイ・レコードから1962年初頭にリリースされ全米で大ヒット。ジーン・チャンドラーも、カール・デイヴィスも注目されることになった。
デイヴィスはその後、地元オーケイ・レコードでA&Rの仕事をスタート。ここで、メジャー・ランス(1963年、「モンキー・タイム」の大ヒットほか)、ビリー・バトラー、ウォルター・ジャクソンなどの作品をプロデュース。この頃カーティス・メイフィールドの作品をこうしたシンガーに歌わせていた。他にも、引き続きジーン・チャンドラー、ジ・アーティスティックス、モータウン後のメアリー・ウェルズなどをてがけ、1960年代後期からはやはり地元のブランズウィック・レコードで多くの仕事をするようになる。
ブランズウィックではジャッキー・ウィルソンのカンバックや、バーバラ・アクリン、シャイ・ライツ、タイロン・デイヴィス(「ターン・バック・ザ・ハンズ・オブ・タイム」など)、ディスコ系ではハミルトン・ボハナンなどを世に送り出し、ヒットを生み出した。
ブランズウィック傘下のデイカー・レコードでもプロデュース仕事を多数おこない、こののち、1976年、自身でシャイ・サウンド・レコードを設立。引き続きウォルター・ジャクソン、ジーン・チャンドラー、無名時代のベイビーフェイスが参加していたマンチャイルドなどのレコードを出した。
シャイ・サウンドは、以後もクローズしたり、ときどきレコードをだしたりしていた。
~~
カール・デイヴィスと言えばシカゴ・サウンド。シカゴ・サウンドといえば、シャイ・ライツか
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00092QVH0/soulsearchiho-22/ref=nosim/
タイロン・デイヴィスも忘れられない
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005R14C/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
OBITUARY>Davis, Carl (Septmeber 19, 1934 – August 9, 2012, 77 year old)
【Chicago Soul Producer, Carl Davis Dies At 77】
訃報。
いわゆる「シカゴ・ソウル」サウンドを作り上げた大物プロデューサー、カール・デイヴィスが2012年8月9日、サウス・キャロライナ州の自宅で死去した。77歳。肺線維症を患っていた。デイヴィスは夫妻で2009年、地元シカゴからサウス・キャロライナに引っ越していた。
http://www.suntimes.com/entertainment/14373356-418/producer-carl-davis-architect-of-the-chicago-sound-dies-at-77.html
評伝。
カール・デイヴィスと言えば、「シカゴ・ソウル」の大物プロデューサー。シャイ・ライツ、ジーン・チャンドラー、カーティス・メイフィールド、ウォルター・ジャクソン、タイロン・デイヴィス、そして、ジャッキー・ウィルソンなどをてがけた人物だ。都会的に洗練されたソウル・ミュージックを作り上げた第一人者だ。
カール・デイヴィスは1934年9月19日シカゴ生まれ。ハイスクール卒業後、1951年から1954年までエアフォース(空軍)に入隊、その後1955年から地元のラジオ局WGESでDJのアシスタントを開始。そしてレコード会社で仕事をするようになる。地元のインディ・レーベル、ナット(Nat)でデイヴィスがプロデュースしたデューケイズの「ナイト・オウル」という曲がローカル・ヒットに。続いてプロデュースしたのが、デューケイズのリード・シンガー、ジーン・チャンドラーの「デューク・オブ・アール」でこれがシカゴのヴィージェイ・レコードから1962年初頭にリリースされ全米で大ヒット。ジーン・チャンドラーも、カール・デイヴィスも注目されることになった。
デイヴィスはその後、地元オーケイ・レコードでA&Rの仕事をスタート。ここで、メジャー・ランス(1963年、「モンキー・タイム」の大ヒットほか)、ビリー・バトラー、ウォルター・ジャクソンなどの作品をプロデュース。この頃カーティス・メイフィールドの作品をこうしたシンガーに歌わせていた。他にも、引き続きジーン・チャンドラー、ジ・アーティスティックス、モータウン後のメアリー・ウェルズなどをてがけ、1960年代後期からはやはり地元のブランズウィック・レコードで多くの仕事をするようになる。
ブランズウィックではジャッキー・ウィルソンのカンバックや、バーバラ・アクリン、シャイ・ライツ、タイロン・デイヴィス(「ターン・バック・ザ・ハンズ・オブ・タイム」など)、ディスコ系ではハミルトン・ボハナンなどを世に送り出し、ヒットを生み出した。
ブランズウィック傘下のデイカー・レコードでもプロデュース仕事を多数おこない、こののち、1976年、自身でシャイ・サウンド・レコードを設立。引き続きウォルター・ジャクソン、ジーン・チャンドラー、無名時代のベイビーフェイスが参加していたマンチャイルドなどのレコードを出した。
シャイ・サウンドは、以後もクローズしたり、ときどきレコードをだしたりしていた。
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カール・デイヴィスと言えばシカゴ・サウンド。シカゴ・サウンドといえば、シャイ・ライツか
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00092QVH0/soulsearchiho-22/ref=nosim/
タイロン・デイヴィスも忘れられない
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005R14C/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
OBITUARY>Davis, Carl (Septmeber 19, 1934 – August 9, 2012, 77 year old)