接近。

久々に「ソウル流し」杉本篤彦さんのライヴを覗きに行きました。しばらく前に連絡があり、ちょうどまた見たいなと思っていたので、この日思い立って東京ドームホテルの43階アーティストカフェに向かいました。

前回は2003年2月もう一年も前なんですね。はやいなあ。もっと最近かとおもっていた。

さて今回は、杉本さんとアコースティックベースに土井孝幸 さん。二人で、ソウルの名曲をいろいろやってくれました。3回のうち、2回目と3回目を見たのですが、まあ、セットリストを見てください。

Setlist
2nd set

1. Killer Joe (Quincy Jones)
2. Sweet Sticky Thing (Ohio Players)
3. La La Means I Love You (Delphonics)
4. Feel Like Making Love (Roberta Flack)
5. If You Don’t Know Me By Now (Harold Melvin & Blue Notes)
6. Blues In The Closet (Ray Bryant, etc)

3rd set

1. Mercy Mercy Me (Marvin Gaye)
2. This Masquerade (George Benson)
3. Georgia On My Mind (Ray Charles)
4. Breezin’ (George Benson)
5. Mo Better Blues (Branford Marsalis / Terence Blanchard )

セカンドの5曲目、邦題「二人の絆」、これの途中のべースソロ、なかなかいい感じだったんですね。ギターとのコンビネーションもよく、ちょっとサビのメロディーもはいってる雰囲気で。そうしたら、後で聞いたら、土井さん、なんと初見だそうで。いやあ、驚きました。僕は彼のベースは初めて見たのですが、ちょっとクリス・ミン・ドーキーの雰囲気を思い出しました。そのほかでのベースソロも、ぐんぐん来て、のりがいいです。

オハイオプレイヤーズの「スイート・スティッキー・シング」をギターとベースだけでやる、っていうのがいいですねえ。チャレンジで。元々ギターがけっこうフィーチャーされている曲ですが。杉本さんは、やはりドラムがいないとちょっとやりづらい、と言っていますが、ラウンジ的にはOKじゃないでしょうか。「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」ときましたか。(笑) いや、選曲に脱帽です。(笑) 

サードセットの「ジョージア・オン・マイ・マインド」あたりだと、けっこう泣きがはいってくるんですねえ。いい感じ。やはり、全編にグルーヴとソウルがある感じがします。方向性としては、う〜〜ん、日本のデイヴィッド・T・ウォーカーかなあ。そしてジョージ・ベンソン、ウェス・モンゴメリーあたりもまぶした感じで。

そういえば、前回杉本さんが、「モー・ベター・ブルース」をプレイしたのを聴いて、サヤは同曲をレコーディングしました。今日は、前回より少しテンポアップして演奏していました。やはり、グルーヴがある音楽はいいですねえ。

終った後お茶したんですが、杉本さんにひとつ質問してみました。杉本さんは、ダニー・ハザウェイが歌うようにギターを弾いてみたい、という風に常々思っておられるのですが、ギターをダニーのように弾くのと同じように、他の楽器でもダニーのようにプレイできるでしょうか。ギターはなんとなくわかりました。例えば、ピアノやサックスをダニーの歌のように弾けるか。あるいはその他の楽器は? 「それは受け取る側のこともありますからねえ。いくらこちらがダニーのようにプレイしたとしても、聴く側がそう感じなければしょうがない。でも、歌が楽器に近づけば近づくほど、そして、楽器が歌に近づけば近づくほど、なにか究極にいいものができるような感じがします」

そのとおりですね! すばらしいご意見。完璧、同意します。

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杉本さんのホームページ。ライヴ予定などでています。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~sugimoto/

いろいろなアーティストとの組合せでたくさんライヴがありますが、来る4月13日、目黒ブルースアレーで行われるものは、彼のR&Bバンドでのライヴになります。メンバー・料金など詳細は上記ウェッブで。お勧めです。また、土井さんとのコラボレーションは3月28日(日)にまた同じ東京ドームホテルであります。(ミュージックチャージ500円+ドリンク代)

土井さんのホームページ。ライヴ予定などでています。
http://homepage2.nifty.com/PeePingHAMAO/doimoi/topFrameset2.html

(2004年2月18日火曜・東京ドームホテル・アーティストカフェ=杉本篤彦、土井孝幸 ライヴ)

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PS: 昨日の日記について補足を。え〜、酷評と言うことですが(笑)、いろいろ書きましたが、僕としてはこの映画はサム・ムーアやジェリー・バトラー、ルーファス・トーマスなどのソウルミュージックが好きな人でしたら、絶対必見の映画です、お勧めします、ということです。特にこうしたアーティストたちのライヴ映像をみるだけで、充分価値があります。個人的にも僕は1800円を払う価値はあると考えると同時に、DVDも買うつもりです。ドキュメンタリー作品としての評価はまた別問題ということだけです。

Doris Troy Died At Age 67

2004年2月19日
ドリス・トロイ死去〜『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』のモデル

1960年代に活躍したポップ、ソウルシンガー、ドリス・トロイが去る2月16日(月曜)、ラスヴェガスで死去した。67歳だった。ドリスは、1937年1月6日ニューヨーク生まれ。63年に「ジャスト・ワン・ルック」が大ヒットした。この曲は後にイギリスのホリーズがカヴァー、イギリスでヒットさせた。ドリス自身はこれを超えるヒットはなかったが、このヒットで一世を風靡。ホリーズのヒットのおかげもあり、70年、イギリスのアップルレコードからジョージ・ハリソンのサポートを得てアルバムをだしたこともある。アメリカより、むしろ、イギリスでのほうが人気があったとも言える。

その後、80年代にはいり、ドリスの妹ヴァイ・ヒギンセンが、姉のことをテーマにしたミュージカル『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』を制作、これがロングヒットとなった。このミュージカルには、一時期ドリス・トロイ本人も出演していた。同ミュージカルは88年6月、日本にも上陸、人気を集めた。このミュージカルは、ドリスのルーツであるゴスペルから、ソウル、R&Bなどの音楽をとりあげ、特に日本でのゴスペルを広めることに一役買った。ドリス本人はこのミュージカルを初めて見た時に、大変感動したという。ヴァイ・ヒギンセンはその後も『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング、パート2』などのミュージカルを制作、ヒットさせている。

葬儀は次の通り行われる。

The services for Doris will be held in New York City on Monday, February
23 at 7pm:
Williams Institutional CME Church
2225 Adam Clayton Powell Boulevard
New York City, NY 10027-7805
(7th Avenue between 131-132nd Streets)
212-283-6959

また、古くからの友人であり、イギリス人R&B音楽ジャーナリストでもあるデイヴィッド・ネイサンが追悼文を記している。

http://www.soulmusic.com/doristroy.htm
蜃気楼。

見ようか見まいかちょっと迷っていたが、意を決して夕方、行くことにした今日のライヴはアル・ディメオラ。70年代のアルバムは何枚か持っているがライヴは初めて。開演しばらく前、友人ソウルメイトYとちょうど席につこうとしていると、ソウルメイトL夫妻から声をかけられた。せっかくなので、4人で観ることに。

70年代から数々のアルバムで超絶テクニック、スーパーテクニックを披露しているディメオラは、元祖癒し系か。ある種ギタリストとしての究極の夢はこのようなライヴをすることではないか、と思った。それにしても、イメージと映像の広がる演奏だ。例えば、新日本紀行とか、ディスカヴァリー・チャンネルの旅番組あたりの音楽にぴったりのような音楽とでも言えばいいか。なかなかにきもちいい。

その超絶テクニックは存分にあらゆる曲で見せつけられるのだが、ふと思うのは、一体どこに生まれ、どこに育つとこのような音楽ができるのだろうか、ということだった。壮大な海辺か、アンデスの山々か、どこかの砂丘か、アマゾンの密林か。あまり、アメリカっぽくないところがユニークだ。

ディメオラは、同じ一本のギターをスイッチひとつで様々な音色を出す変幻自在の楽器にしてしまう。アコースティックな音、エレキ・ギターの音、そして、ベースのような音、オルガンのような音。まるで、そこには3人のディメオラがいるかのようだ。時に幻想的な音空間を生み出し、ブルーノートのテーブル中央に置かれたろうそくのゆらぎと同調するかのようだ。フュージョンとも一線を画すようなこの響きは実に独特のサウンドだ。

彼は映像や絵を想像しながらプレイするのか、それとも、プレイしている時に映像が脳裏に浮かんでくるのか。それとも、まったく無心でプレイしているのか。このレヴェルの域に達したミュージシャンだと、その彼が作る音楽には、ミュージシャンの持つ世界観のようなものが如実に反映すると思う。つまり、音楽や音楽技術以外の部分が非常に大きな要素を占めるような気がしてならない。どのような世界観を持っているのか、どれほど多くの旅をしてきたか、いかなる経験を積んできたか、人間としてのスケールの大きさがどれほどのものか。そうしたものが最終的に凝縮され音に響いてくるのだ。

最後の曲が終わり、彼はメンバーを紹介した後、こう言った。「僕の本名はワタナベカズミ!」。笑いを取ることも忘れない。

音が流れていた70分余の間、僕には、時に大海原でいるかが跳ねるのが見えたり、大きく真っ赤な夕日が落ちていくアフリカの草原に何頭もの象が群れをなして歩いていくのが見えた気がした。なによりもその音色の豊富さで、砂丘の蜃気楼の向こうにアル・ディメオラという名のギタリストが3人くらい立っているような錯覚に陥った。良い旅だった。

(2004年2月19日・木曜、ブルーノート東京=アル・ディメオラ・ライヴ)

ブルーノートのページ。
http://www.bluenote.co.jp/art/20040216.html#song

21日土曜日まで、東京ブルーノート。その後名古屋ブルーノート。福岡ブルーノート。
イヴェント予告。

11月末に行いご好評をいただいた「ソウル・サーチン・トーキング」の第二回を企画中です。今、イヴェント内容などをつめているところで、まもなく、正式に発表できると思います。4月中です。都内です。第一回にお越しいただいた方、ありがとうございます。そして、満員で入れずにお帰りになられた方、申し訳ございません。次回は少し会場も広くなります。

前回は、3人のトークとCD音源でスティーヴィーの音楽をご紹介したわけですが、今回は、スティーヴィーのライヴを見た感想などを話しあいながら、あの感動を小さく再現したいと思います。あのライヴの中でも、もっともスポンテニアスな、アドリブっぽい「アコースティック・セクション」を再現します。前回イヴェントではCDをかけた部分を生ピアノ、生ヴォーカルでお送りします。といっても僕たちが歌うわけではありません。(笑) 当たり前ですが。この日記にも何度も登場しているケイリブ・ジェームスにピアノの弾き語りをしてもらいます。

前回の「ソウル・サーチン・トーキング」をやったあと、たまたまケイリブのライヴを見て、彼がスティーヴィーの「リボン・イン・ザ・スカイ」や「オーヴァージョイド」を歌うのを聴いて、「これだ!」と思いました。彼の声質は、ジェームス・イングラムとかブライアン・マクナイト系のR&B系。とてもいい雰囲気です。

トークはまあいいんですが、CDをかけていると、どうしてもその間、間が持たないというか、そういう感じになってしまうんですね。でも、今回はそんなことはありません。ケイリブが歌う、スティーヴィーのアコースティック・ヴァージョンの数々。これは聞き物です。

スティーヴィーが前半で見せる約20分弱の「アコースティック・セクション」をケイリブに再現してもらいます。スティーヴィーは、ここで、「リボン…」や「レイトリー」や「オーヴァージョイド」などを歌います。

仮タイトルは、「ソウル・サーチン・トーキング ヴォリューム 2〜スティーヴィーの魅力再発見〜〜A Moment Of You, Me, And Piano」です。いい感じでしょう。スティーヴィー、ごらんになったかたは、ピンと来るかもしれません。スティーヴィーがアンコールで「マイ・シェリー・アモール」をピアノ一本で歌う前に、言った一言からもらいました。

以上、予告でした。1-2週内に正式に発表できると思います。お楽しみに。
継続。

友人でもある音楽評論家、岩田由紀夫氏が隔月で開催している音楽トークイヴェント「ROOTS MUSIC トーク・イベント 音楽の達人 VOL.11」を見に行った。これは、偶数月の第三土曜日に有楽町のケンウッドのショウルームで行われているもので、司会が岩田氏、これに音楽評論家の天辰保文(あまたつ・やすふみ)氏、歌手のアヤ(Aja)さんが加わってひとつのテーマに沿って話をして、それらと関連したCDを聴くというイヴェント。ケンウッドの協力で、入場料は無料。

今回のテーマは、「尊敬するアーティストに捧げる曲(カヴァー曲)特集」ということで、カヴァー、トリビュート、ベネフィット作品などを特集して各人が選曲し、CDをかけた。約2時間のイヴェント。観客は約30名。ほぼ用意された席が一杯になっている。

基本的には、岩田さんが司会進行で、さまざまなトリビュートなどの基本的な情報を解説し、それに、天辰さん、アヤさんらがからむというスタイル。最後には、お客さんが持ってきたトリビュートアルバムから一曲づつかけるという趣向もあった。

岩田さんはさすがにFMでしゃべっているだけに、話が軽妙で、しかも話題の飛び方もうまく飽きさせない。天辰さんも、ぼそぼそっとした朴訥なところがいい味をだし、時々、会場の笑いをうまくとる。そして、歌手のアヤさんは、一般の人が持つ視点で話にからむ。

このイヴェントの告知ウェッブは次。

http://rootsmusic.clubdam.com/rn/stsp/stsp_0402.html

次回は4月17日(土曜)。テーマは、「ウェストコーストロック」について。ということで、天辰さんのもっとも得意とするところ。そういうタイプの音楽がお好きな方、興味のある方は、顔をだされてはいかがだろうか。一応、予約をされたほうがいいが、当日の一見さんでも大丈夫。

終った後、まず、天辰さんと挨拶。普段、お互い記事などは読んでいるが、さすがにコンサート会場で会うことはまずないので、かなり久しぶり。下手すると10年ぶりくらいかもしれない、ということで、名刺交換など。そして、岩田さんと挨拶。

岩田さんに尋ねた。「いやあ、このようなイヴェントずっとやられてるなんて知りませんでした。もう11回?」 「そう、隔月だから2年近いかな。最初は10人くらいしかいなかったよ。でも、やっぱり、こういうのを続けないと、洋楽がだめになっちゃうでしょう。どこでも洋楽かからなくなってるからねえ。こういうのは、何がなんでも継続することですよ」 「継続ねえ、そうですねえ」 「これって、そのまま録音して、どこかの放送局かなんかで放送すればいいのに」 「どこもやってくれないよ。(笑) どっか、売ってきてよ(笑)」 「コミュニティーFMだったら、やれるんじゃないですか?」「そうかもしれないね」 

そして、最初のうちは、友達とかにはあえて声をかけなかった、という。基本的には、ウェッブなどの告知を見てやってきた洋楽好きの人が来る、という。「友達だけで一杯になっても、そこからなかなか広がらないような感じがしてね」 なるほどねえ。ほら、僕も今度4月にいわゆる「トーク・イヴェント」みたいなことやるでしょう。いろいろ、参考になるところがありました。はい。

(2004年2月21日土曜日・ケンウッド・ショウルーム=ルーツ・ミュージック・トーク・イヴェントVOL.11)
クラブ。

一階から地下一階に階段を降りていくと、いきなりそこに受け付けがあった。普段はここを通りすぎて、横に受付があるのだが。さて、今日はいつものブルーノートが一日だけクラブっぽくなって営業するイヴェントの日。これまでに何回かやってきたが、地下二階のフロアから通常のテーブル、椅子をはずして、ここをダンスフロアにして、クラブになる。バンドは、コスミック・ラウンジというダンス系のバンド。フィリーのDJ、キング・ブリットのプレゼンツ。ライヴの前後は彼のDJプレイで、皆踊る。

このブルーノートのクラブイヴェントは、かなりおしゃれで、僕は個人的にけっこうお気に入り。普段椅子テーブルのところがダンスフロアになって、立ってライヴを見たり、踊ったりしている雰囲気がいい。DJタイムには、昔のディスコみたいに、レーザー光線が飛んだりしている。なにより、ここは天井が高いから、そういうのが生きる。なにより、ここは音がいいから気持ちいい。

さて、バンドは僕は初めて見たが、こういうクラブでのバンドとしては、充分の出来。ディスコ風、ソウル風のリズムで躍らせる。女性リード・シンガーのイヴァナ・サンティーリは、カナダ出身の白人。歌のほかに、トランペットをちょろっと吹く。歌はバンド内の歌、トランペットは愛嬌という程度だが、声質がハスキーでなかなかいい。きちっとヴォイストレーニングでもして歌を勉強すれば、いいものがでるかもしれない。ファンキーバンドの紅一点ヴォーカルとしては、充分だ。いわゆるディスコバンド、クラブの箱バンドとしても、これでOKだろう。

このイヴェント、2ヶ月に一度くらいあるといいなあ。客層もいい雰囲気だし。しかし、外に出たら、いきなり大雨が降っていて、びっくりした。

(2004年2月22日日曜・東京ブルーノート=キング・ブリット・プレゼンツ・ザ・コズミック・ラウンジ、スペシャル・ライブ・イバナ・サンティーリ)
ノミネート。

第18回「ソウル・トレイン・ミュージック・アワード」のノミネートが発表された。最大のノミネートは4部門のビヨンセ。それに続いて3部門のルーサー・ヴァンドロス。全10部門あり、発表は3月20日、ロスアンジェルスのインタ^ナショナル・カルチュアル・センター。約2時間のショウの司会は、アリシア・キーズとベイビーフェイスが担当し、ライヴパフォーマンスは、ジャネット・ジャクソン、ビヨンセ、アウトキャストなどが予定されている。

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ノミネートリストと予想は次の通り。グラミーよりむずかしい予想です。本命対抗で5割を目標にしましょう。

The full list of nominees is as follows:

1) Best R&B/soul single, female:

"Rain on Me," Ashanti
"Danger," Erykah Badu
対抗 "Crazy in Love," Beyoncee featuring Jay-Z
本命 "You Don’t Know My Name," Alicia Keys

2) Best R&B/soul single, male:

"Comin’ From Where I’m From," Anthony Hamilton
"Put That Woman First," Jaheim
対抗 "Frontin’," Pharrell featuring Jay-Z
本命 "Dance With My Father," Luther Vandross

3) Best R&B/soul single, group/band/duo:

"Girlfriend," B2K
本命 "Say Yes," Floetry
対抗 "Busted," Isley Brothers featuring Ronald Isley & JS
"Walked Out of Heaven," Jagged Edge

4) Best R&B/soul album, female:

対抗 "World Wide Underground" (EP), Erykah Badu
本命 "Dangerously in Love," Beyonce
"Love & Life," Mary J. Blige
"So Damn Happy," Aretha Franklin

5) Best R&B/soul album, male:

"Subject," Dwele
"Comin’ From Where I’m From," Anthony Hamilton
対抗 "Chocolate Factory," R. Kelly
本命 "Dance With My Father," Luther Vandross

6) Best R&B/soul album, group/band/duo:

"Pandemonium," B2K
本命 "Body Kiss," Isley Brothers featuring Ronald Isley
"Surrender to Love," Kindred The Family Soul
対抗 "Neptunes Present... Clones," the Neptunes

7) Best R&B/soul or rap album of the year:

"Dangerously in Love," Beyonce
"Chocolate Factory," R. Kelly
対抗 "Speakerboxxx/The Love Below," OutKast
本命 "Dance With My Father," Luther Vandross

8) Best R&B/soul or rap new artist:

"Right Thurr," Chingy
"Stunt 101," G-Unit
本命 "Superstar," Ruben Studdard
対抗 "Through the Wire," Kanye West

9) Michael Jackson Award for best R&B/soul or rap music video:

本命 "Crazy in Love," Beyonce featuring Jay-Z
"Gossip Folks," Missy Elliott featuring Ludacris
"Get Low," Lil’ Jon & the Eastside Boyz featuring Ying Yang Twins
対抗 "Hey Ya!," OutKast

10) Best gospel album:

"The Prince of Praise (Live at New Birth Cathedral)," Byron Cage
"Donnie McClurkin... Again," Donnie McClurkin
対抗 "Diary of a Psalmist," Marvin Sapp
本命 "Bringing it All Together," Vickie Winans

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雫(しずく)。

一曲、トリオがウォームアップ用のインストゥルメンタルをプレイしてから彼女は登場した。いかにも、ジャズトリオとそのシンガーという雰囲気。僕が見た前々回(99年4月)が内省的で、前回(2002年10月)がなにか吹っ切れてという印象だったが、果たして、今回はどのようになっているか、という興味もあった。ダイアン・リーヴスの久々のライヴ。

それにしても、完璧な発声、完璧な発音(ディクション)、完璧な歌唱。三拍子というか、すべてが揃った歌手のお手本のようなシンガーだ。こういう歌だったら、何時間でも安心して聴いていられる。歌を勉強している人、歌を真剣に歌いたい人に見せてあげたいショウだ。

2曲目を終えて、ダイアンはマイクを取り話し始めた。「日本語のふたつの言葉を教わったの。ひとつは、『建前』、もうひとつは『本音』。私は、本音が好き。私はいつでも、自分自身の本当の気持ちを歌っているわ」 ベースのソロから始まる粋な曲は、実にむずかしい曲。それはメロディーの移動が非常に難しいという意味だが、それを彼女は簡単そうに歌う。プロだ。

彼女は、CDショップでは「ジャズ・ヴォーカル」のセクションに分類されているが、いよいよそうしたジャンルを飛び越えそうな時期に来ているかもしれない。確かに、ジャズだろう。しかし、そのレパートリーには、ブルージーな曲、フォーク調のスローバラード、R&B風ファンク曲などもある。6曲目の「アイ・アム・ア・ウーマン」(題名不確実)を聴いていると、テンプテーションズの「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」を思い浮かべてしまった。かと思えば、「私が4-5歳の頃、大叔母が私にずいぶんと下世話なブルーズを聴かせてくれた。私は、その危ない歌詞の意味なんかわからずに、その歌をみようみまねで歌っていた」と説明してから歌った曲はブルージーな一曲。しかし、ダイアンが歌うとあまり黒くない、というかダーティーにならない。ちょっと品よくなってしまうのだ。このあたりのアンバランスがおもしろい。

ジャズやブルーズを聴いていると、そこで歌われているものは、完璧に僕たち日本人とは違う『文化』であることを痛切に感じる。そして、だからこそ、おもしろいのだ。彼女は誇らしげに言った。「私(の中)には、力強い女性たちの伝統があります。そのスピリットは決して消すことができません。べシー・スミス、ビリー・ホリデイ、カーメン・マクレイ、サラ・ヴォーン…。(いずれも過去のジャズ界の偉人たち) 力強く彼女たちが歌うストーリーは、誰も決して否定できないのです」

彼女の歌はバックのトリオとまさに一体化している。ダイアンもある時は楽器になり、ある時はストーリーを語る語り部に変貌する。アルバム『イン・ザ・モーメント』(2000年)に収録のレナード・コーエン作の「スザンヌ」はそんなストーリーテラー、ダイアンの面目躍如の一曲だった。

彼女は、時に内省的でもあったが、時に解放的でもある。堂々とした自信があふれる。どんどんスケールが大きなシンガーになっているようだ。

いつものように最後の曲におけるメンバー紹介はメロディーに乗せて、アドリブで行う。これが何度聴いても実にかっこいい。単語が音楽になる。それは、名前という単語にメロディーが宿り、命を与えられた瞬間だ。

僕の位置から見ていると、ダイアンが口を大きく開けて歌うとき、口からでるつばが霧のようになってブルーの壁をバックに照明に照らされ光っていた。ある角度からしか見えないのだが、ダイアンの口元から出る霧が本当に薄くだが、何度も何度も垣間見られた。こんなもの見たことがなかった。もちろん、シンガーが歌う時つばが飛ぶのは何度も見たことがあったが、このように霧みたいに散っているのが不思議だった。それとも汗なのか。いや、彼女は汗はそれほどかいていなかった。わかった。あれはダイアンのソウルの雫(しずく)なのだ。

(2004年2月24日火曜・東京ブルーノート=ダイアン・リーヴス・ライヴ)

ブルーノートのウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20040223.html
前向き。

「オーディションに落ちたり、いやなことがあったりして凹んだ時、この曲をよく聴いたんです。この曲のメッセージって、『すべてうまく行く』っていう前向きなものでしょう。だから、落ち込んだ時はこの曲を聴いて元気を出すんです」

なるほど、そんな言葉が聞こえてくるのも理解できる。確かに、それほど英語の歌詞がわからなくとも、このサビの部分だけはよくわかる。”Everything’s Gonna Be Alright”。バッハの『G線上のアリア』のメロディーに乗せたこの曲は、98年秋からヒット。99年、日本のFM局のへヴィーローテーションを総なめにした。これを歌っていたのが、「スウィートボックス」と名乗るアーティストだ。

当初このグループは、ドイツのディスコ・プロデューサー、ゲオとアメリカ人ラッパー兼シンガーのティナ・ハリスのプロジェクトだった。この大ヒットの後、2000年5月から、リードシンガーがティナから現在のジェイド・ヴァレリー・ヴァイラロン(1980年8月12日カリフォルニア生まれ)に代わった。以後、彼らはコンスタントにアルバムをリリース、日本でも着実な人気を獲得している。「エヴリシングス…」のプロモーション用ビデオクリップで歌っていたのは黒人のティナ、そして、現在リードシンガーは、白人のジェイドというわけで、プロモビデオを思い浮かべるとちょっととまどうかもしれない。

そんな二代目スウィートボックスが渋谷DUOでライヴを見せた。ドラムス、ギター、ベース、キーボード二人、コーラス、それにリードシンガーのジェイドの7人。途中、一緒に来日していたママの誕生日を祝う「ハッピー・バースデイ」を含め、基本的にはのりのりのポップなロック。観客が座っているのを盛り上げようとするが、着席が基本という会場のせいかなかなか立ち上がらない。さて、1時間15分のステージで、やはり、アンコール一曲目の「エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト」に尽きる。それまでの作品は、このメインディッシュまでのアンティパストの趣さえある。

セカンドショウのライヴが終った後、ジェイドが客席にでてサイン会を行った。その後、ジェイドと一言二言話すことができた。近くで見るジェイドは気取りがまったくなく、可愛かった。ライヴのステージでの英語がどこかヨーロッパ系のアクセントがあるように思えたが、「カリフォルニア出身よ。今はロスアンジェルスに住んでるわ。日本には何度も来てる」とのこと。ショウの途中でも、アンコールが終った後も、「ありがとう」という言葉を何度も何度も繰り返していた。85年から87年にかけて、父親が米軍所属だったため日本に滞在していた、という。「日本は大好きよ」と彼女は言った。

(2004年2月25日水曜・渋谷DUO=スウィートボックス・ライヴ)
カール・アンダーソン死去。

70年代にミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』のユダ役で人気を博したシンガー、カール・アンダーソンが2月23日白血病のためにロスアンジェルスの病院で死去した。58歳だった。アンダーソンは、86年グロリア・ローリングとのデュエットで「フレンズ・アンド・ラヴァーズ」(全米2位)の大ヒットを放っている。90年代にはGRPレコードからジャズテイストのアルバムをリリースしていた。日本にも何度か来てライヴを行っている。

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カール・アンダーソンは、1945年2月27日ヴァージニア州生まれ。12人兄弟のひとり。なんとこの12人のうち8人(4組)が双子だという。カールも双子で生まれたが、その弟はカールが11ヶ月の時に他界した。両親は1934年に結婚。父ジェームスが1998年12月に他界するまで64年間の結婚生活が続いた。母アルバータは99年3月に90歳の誕生日を迎えた、という。

60年代になって、カールは家を出てエンターテインメントの世界にはいり、70年代になって、ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』に出演、一挙に人気を集めた。このミュージカルは世界中で公演が行われ、カールも帯同。また、80年代にはいり、ラーキン・アーノルドに認められエピックと契約。85年にテレビドラマの主題歌となった「フレンズ・アンド・ラヴァーズ」をグロリア・ローリングとデュエットして大ヒットさせた。

90年代にはいってからは、ジャズテイストなアルバムをGRPからリリース。日本でもタバコのCM曲に彼の「心のかけら(ピーセス・オブ・マイ・ハート)」が使われヒットした。

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Carl Anderson: The Most Memorable Interview I’ve Ever Done

思い出。

昨日の朝、たまたま音楽評論家でAORのクールサウンドを運営している中田利樹さんのホームページを見ていたら、ロスに住む松居さんからのメールでカール・アンダーソン死去のニュースが報告されていて驚いた。早速、中田さんとロスのデイヴィッド・リッツに「本当なの?」とメールを送った。すぐにいろいろ調べると、カールのホームページがあり、そこに死去が報じられていた。まもなく両者からも間違いないというメールをもらい、愕然とした。

僕は91年6月と92年8月、彼が来日した時にインタヴューした。91年のインタヴューは僕がこれまでに行った300本以上のインタヴューの中でもベスト3にはいる印象度のあるインタヴューなのである。彼の誠実な人柄に好印象を持っただけでなく、その時の話の内容に大変感動したからだ。そこで語られた物語は、僕は後に『人生で一番高い買物』というタイトルで雑誌に寄稿した。その原稿は今では次のウェッブでも読むことができる。

http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/story/anderson199501.html

この物語からは実に教えられることが多い。自分で書いたくせに、時々思い出したように、読み返してしまう。本当にいい話だ。僕の書いた作品の中でもお勧めベスト3かもしれない。僕も、人生の微調整をしたいと常々思っているが、現実にはなかなかそうは問屋が卸さない。

そして、なによりこのインタヴューが僕にとって忘れ難いものになったのは、彼がこの話をしていた時に、彼自身が泣いてしまったからである。それまでにも多くのインタヴューをしてきたが、インタヴューした相手が涙を見せたのは、後にも先にもこの時だけだ。まあ、これからはあるかもしれないが。だから、彼の目が赤くなってきた時、僕は「うそ、まさか」という思いと、「え、どうすればいいんだろう」という思いで、一瞬頭が真っ白になった。まさかインタヴュー相手が涙を流すなんてまったく予期していなかったので、対処法がわからなかった。結局、話がだんだん落ち着いて、また質問を別方向に持っていって、涙は一段落したが、なんとも言えぬ体験となった。

翌年、再び彼がやってきた時もインタヴューしたが、それだけでなく、その時は彼が滞在していた京王プラザで個人的に彼の奥さんも含めてランチをともにした。カールも僕とのインタヴューをよく覚えていてくれたらしい。というのは、その何年か後に、友人であるデイヴィッド・リッツがカールと親しく、僕とのインタヴューの話をデイヴィッドにしたらしいのだ。昨日来たメールでも、「カールは君とのインタヴューをよく覚えているよ」とあった。その頃カールのライヴアルバムをデイヴィッドが送ってくれた。

このライヴアルバムは、ライヴの模様をいきなりDATに2チャンネルで録音したものらしい。それだけに実に迫力あるライヴになっている。さっきからこのライヴを聴いている。

カールの歌う「イフ・アイ・クド」は、彼の話を聴いて以来一層大好きな作品になった。その後、バーブラ・ストライサンドやレイ・チャールズ、そして、レジーナ・ベルなどもカヴァーし、それらを聴く度にカールの話を思い出す。特にバーブラのヴァージョンはカールの物とは別の意味で心を打つ。カールのものは父から子供へというメッセージになっているが、バーブラの場合は母から子供へのメッセージになっているからだ。(バーブラの珠玉のヴァージョンは97年のアルバム『ハイアー・グラウンド』に収録。このアルバムは他にもすばらしい作品が収められていてバーブラの近年の作品の中でも白眉のでき)

バーブラはそのアルバムの中でこの曲についてこんなコメントを記している。「『イフ・アイ・クド』は親から子へのメッセージとして、また母の立場で大きな意味があります。それは母も父も辛いものですが、いずれは子離れしなければならないときが来るということです。永遠に子供を守りたいと思ったとしても、それは出来ないのです」

カール・アンダーソン、58歳。2月23日に死去。今日、2月27日は彼が59歳になるはずの誕生日だった。Rest in peace.

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カール・アンダーソン・オフィシャルウェッブ
http://www.cstone.net/~dgarlock/carl/index2.html

アルバムリストなど。
http://www.bluedesert.dk/carlanderson.html
夢。

「メンフィスのロイヤルスタジオのドラムブースのところね、皮系は持ち込み禁止なのね。つまりドラムの上の皮の部分とか、そのあたりを外部の人間は変えちゃいけないんですよ。それで、あらゆるマイクが釘で打ち付けられてがっちり固定されてるんですよ。そうやって、マイクの位置が動かないようにして、いつでも同じ音を出せるようにしてるってことなのね」

いきなり、こんな濃い話。日本のライヴ・ステージの音響エンジニアをされている末永さんのメンフィス話だ。しかも、これが75年のことだというから、それもまたすごい。マーチンさんに末永さんを紹介され、やにわに「メンフィスのロイヤルスタジオで録音したことがあるんですよ」という話が始まったのだ。

末永さんは、72年頃アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を聴いて、メンフィスサウンドに打ちのめされ、それ以来メンフィスのしかも、ハイ・サウンドに一直線に走った人である。ハイ・サウンドとは、メンフィスの音楽界のドンとも言えるプロデューサー、ウィリー・ミッチェルの持つ「ハイ・レコード」から出た作品の数々のことを指す。ここに所属するアーティストはいずれも、同じようなサウンドで作られ、それが非常に個性的だったため、「ハイ・サウンド」などと呼ばれるようになった。アーティストで言えば、アル・グリーン、OVライト、アン・ピーブルス、オーティス・クレイ、クワイエット・エレガンス、ドン・ブライアントなどで、彼らの作品はいずれも強烈な個性をもつ「ハイ・サウンド」でできている。

末永さんは大阪出身で、70年代初期、加川良というシンガーのレコード制作にディレクターとして携わっていた。そして、自分がメンフィスがとても好きということもあって、どうしても一度メンフィスに行ってここでレコーディングしてみたい、と考えた。最初ロスに行き、交渉をしていたが、ものすごく高いことを言われ、らちがあかないので、直接メンフィスに単身乗り込んだ。アポなしで、ロイヤル・スタジオのドアをノックしたのだ。そして、ちょうど彼が求めるミュージシャンたちのスケジュールがあい、加川良のレコーディングがメンフィスで行われることになったのである。このアルバムは、76年の『南行きハイウェイ』という作品になる。

当時既に他のスタジオでは16チャンネルのマルチトラックが使われていたが、ウィリー・ミッチェルらはそれでも8チャンネルを使っていた、という。それは、ウィリーが16チャンネルの音に満足せず、8チャンネルの音のほうが気に入っていたからだ。チャンネル数が足りなくなると、いわゆる「ピンポン」という作業をして、チャンネル数をかせいでいた。(「ピンポン」とは、8チャンネルのうち例えば6チャンネルを使って録音したものを、バランスを整えて、残る2チャンネルにトラックダウンして、またその6チャンネルのところに新たに音を録音していくという方法。チャンネル数が限られていたときは、よく使われていた手法)

「それでね、8チャンネルしかないからか、フェーダー(音量を上げ下げするスイッチ)が、縦型の上下に上げるやつじゃなくて、丸く回転するヴォリームつまみなんですよ。その8チャンネルへのこだわりは、ウィリーならではのものでしたね」

末永さんがグラス片手に話す。「ハイ・レコードの作品、つまりウィリー・ミッチェルの作品って、あることに気がついたんですけど、どれも全部フェードアウトで終るんですよ。一曲もカットアウトで終る曲がない。ライヴでは別ですけどね。で、前から不思議に思ってて、メンフィスに行ったときに、ウィリー・ミッチェルに訊いたんです。そうしたら、彼は『よく気付いたな』って言いながらこう答えた。『その後(フェードアウトの後)は、聴く者が想像すればいいだろう。フェードアウトのほうが、その先に夢があるだろ』」

な〜〜るほど。うまいことを言うもんだ。フェードアウトの先には、夢がある・・・か。いい話だ。
パーティー。

このところディスコの復活が叫ばれる中、ディスコ系アーティストを集めたライヴが行われる。タイトルは、『レッツ・グルーヴ2004』。アーティストは、クール&ギャングからJTテイラー、シックからナイル・ロジャース、シャラマーが出場する。シャラマーのメンバーは、ハワード・ヒューイット、ジェフリー・ダニエルス、キャロリン・グリフィン3人。会場は、有楽町の国際フォーラムAだが、ライヴ会場の他、階段の踊り場などもディスコ風にするという。イヴェント風パーティーになりそうだ。

公演日 5/19(水)20(木)19:00
会場 東京国際フォーラム ホールA 
席種・料金 全席指定    \8,500

出演者 出演:CHIC(NILE RODGERS)/KOOL&THE GANG(JT TAYLOR)/SHALAMAR[HOWARD HEWITT/JEFFREY DANIELS/CAROLYN GRIFFY]

チケットは、Eプラスで先行発売している。
http://mars.eplus.co.jp/ss/kougyou/syosai.asp?kc=009422&;ks=01

アクセスコード 944009

プレオーダー 2/23(月)12:00 〜 3/3(水)18:00
一般発売日 3/14(日)10:00

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