死去。

「ブギー・フィーヴァー」など数多くのダンスクラシックのヒットを放ったシルヴァーズのリード・シンガー、エドモンド・シルヴァーズが去る3月11日、肺がんのためヴァージニア州リッチモンドの病院で死去した。47歳だった。シルヴァーズはおよそ10ヶ月におよぶ闘病生活の末の他界だった。

エドモンド・セオドーア・シルヴァーズは、1957年1月25日ヴァージニア州生まれ。メンフィスに本拠を移し、兄弟たちが一足先にR&Bヴォーカルグループ、シルヴァーズを結成しており、72年、彼が15歳の時にグループに参加。72年、MGM傘下プライド・レコードから『シルヴァーズ 1』でデビュー。シングルヒットとなった「フールズ・パラダイス」他でリードをとっている。当初は7人組だったか、兄弟が徐々に増え、一時期は9人組にまでなった。代表的なヒットは「ブギー・フィーヴァー」(75年)、「ホットライン」(76年)、「ハイスクール・ダンス」(77年)など。

エドモンドは、1980年、ソロアルバム「ハヴ・ユー・ハード」をリリース。これはカサブランカからリリースされた。その後、アリスタでもう一枚アルバムがレコーディングされたが、発売されずに終った。彼の弟クリストファー・ジョセフは85年、17歳で死去している。

また、兄のレオン・シルヴァーズは、70年代後期からプロデューサーとして活躍し、ウィスパーズ、シャラマーなど多数のヒットを放っている。

ご冥福をお祈りしたい。
ニューヨーカー。

ビリー・ジョエルの歌はニューヨークそのものです。ニューヨークへの熱き思いを託した傑作曲「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド(邦題ニューヨークの想い)」は、まさに生粋のニューヨーカーならではの作品ですね。

ニューヨークからどこかに旅立つ時に、飛行機ではなくグレイハウンドのバスで行きたい、というその一行だけで、このソングライターのファンになってしまいます。バスで、ハドソン・リヴァーを渡っていく。バスなら徐々にあの摩天楼が離れていきます。

そして、あちこちに旅をして、あらゆるところに住んでみて、だがやはりニューヨークがいいと思う。次のラインも、ソウル・サーチャーの心をわしづかみですね。(笑) "It was so easy living day by day / Out of touch with the rhythym and blues /But now I need a little give and take "。つまり、「大都会ではないところで、その日暮らしをしているのは、簡単だ。(←直訳) でも、そんな生活にはリズム&ブルーズはない。そろそろ、そんな喧騒が必要だ」といった感じでしょうか。リズム&ブルースは都会の日々の出来事を歌っているというニュアンスで捉えてもいいでしょう。あるいは、ニューヨークにはR&Bがあふれている、と思ってもいい。ギヴ&テイクが必要だ、はギヴ&テイクじゃないとやっていけないぎすぎすした日常のことですね。田舎は、きっと、のんびりしていてギヴ&ギヴで、みんなが誰かに対してなんでもテイクを期待せずにしてくれる。でも、都会はギヴ&テイクじゃないとだめだ、という雰囲気です。

この曲の最初のところでの「グレイハウンドでハドソン川を渡る時」は、マンハッタンからどこかへ行く時を描いているように思えます。一方、最後の部分は同じ「グレイハウンドでハドソン川を渡る」という時、今度は外からマンハッタンへ戻ってくる状況なのではないでしょうか。歌詞だけからはどちらともとれるんですが。非常によくできてますね。

僕も、田舎も好きですが、猥雑な大都会も好き。よってこういう雰囲気はかなりきますね。(笑) これがもし東京だったら、どうなるんでしょう。「多摩川を長距離バスで渡りたい…」とかになるのかな。(笑) 深夜バスかなんかにのって新宿の高層ビル群がどんどん離れていく、って感じでしょうか。

この「ニューヨーク・ステイト・オブ・マイ・マインド」は、ビリーのほか、同じくピアノ・ウーマン、オリータ・アダムスのヴァージョンが染みます。バーブラ・ストレイサンド、カーメン・マクレイ、ダイアン・シュアーなどもレコーディングしています。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」
ビリー・ジョエル 
(アルバム『ターンスタイル(邦題ニューヨーク物語)』1976年)

休暇を取るとき、都会から逃れたいと思う者もいる
飛行機でマイアミやハリウッドに行く者たち…
だが、僕はグレイハウンドのバスで、ゆっくりハドソン川を渡って
マンハッタンを離れたい
僕の心はいつもニューヨークにあるから

高級車やリムジンに乗っている映画スターも見た
緑の美しいロッキー山脈にも登った
そして自分に何が必要かがわかったんだ
もうこれ以上無駄な時間は過ごせないと悟った
僕の心はやっぱりニューヨークにあるんだ、と。

旅先でその日暮らしに流される
だがそんな生活にリズム&ブルースは流れてこない
そう、そろそろ僕には都会の喧騒が必要になってきたみたい
ニューヨークタイムズや、デイリーニューズがまた読みたい

それは、ぎすぎすした現実感にあふれた生活だろう
でもそれでいいんだ、しばらく成り行きまかせの日々をすごしてきたからね
チャイナタウンでもリヴァーサイドでも、住むのはどこでもいい
どこだっていいんだ。一度はすべてを捨ててしまったんだから
でも今、僕の心は再びニューヨークに引き戻されている…

グレイハウンド・バスでハドソン川を渡ってマンハッタンに戻る
今、僕の身も心も、ニューヨークに戻ってきたんだ

(訳詞The Soul Searcher)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
勝者。

第18回「ソウル・トレイン・ミュージック・アワード」の授賞式が3月21日(日曜)ロスアンジェルスで行われ、アウトキャストが「R&Bソウル、アルバム・オブ・ジ・イヤー」、「ベスト・ミュージック・ヴィデオ」の2部門を獲得。このほか、アリシア・キーズ、ルーサーなどが受賞。この賞は、ラジオ局関係者、アーティストのマネージメント、アーティストたちによる投票で決まる。

授賞式にはジャネット・ジャクソンも登場、スピーチを行った。

10部門すべての勝者は次の通り。本命で4部門、対抗で3部門、はずれが3部門、計7割という結果になった。本命対抗で5割の目標はクリアした。
(ノミネート予想は2月24日付け日記)

1) Best R&B/soul single, female:

"Rain on Me," Ashanti
"Danger," Erykah Badu
対抗 "Crazy in Love," Beyoncee featuring Jay-Z
勝者・本命 "You Don’t Know My Name," Alicia Keys

2) Best R&B/soul single, male:

"Comin’ From Where I’m From," Anthony Hamilton
"Put That Woman First," Jaheim
対抗 "Frontin’," Pharrell featuring Jay-Z
勝者・本命 "Dance With My Father," Luther Vandross

3) Best R&B/soul single, group/band/duo:

"Girlfriend," B2K
勝者・本命 "Say Yes," Floetry
対抗 "Busted," Isley Brothers featuring Ronald Isley & JS
"Walked Out of Heaven," Jagged Edge

4) Best R&B/soul album, female:

対抗 "World Wide Underground" (EP), Erykah Badu
勝者・本命 "Dangerously in Love," Beyonce
"Love & Life," Mary J. Blige
"So Damn Happy," Aretha Franklin

5) Best R&B/soul album, male:

"Subject," Dwele
"Comin’ From Where I’m From," Anthony Hamilton
勝者・対抗 "Chocolate Factory," R. Kelly
本命 "Dance With My Father," Luther Vandross

6) Best R&B/soul album, group/band/duo:

勝者 "Pandemonium," B2K
本命 "Body Kiss," Isley Brothers featuring Ronald Isley
"Surrender to Love," Kindred The Family Soul
対抗 "Neptunes Present... Clones," the Neptunes

7) Best R&B/soul or rap album of the year:

"Dangerously in Love," Beyonce
"Chocolate Factory," R. Kelly
勝者・対抗 "Speakerboxxx/The Love Below," OutKast
本命 "Dance With My Father," Luther Vandross

8) Best R&B/soul or rap new artist:

勝者 "Right Thurr," Chingy
"Stunt 101," G-Unit
本命 "Superstar," Ruben Studdard
対抗 "Through the Wire," Kanye West

9) Michael Jackson Award for best R&B/soul or rap music video:

本命 "Crazy in Love," Beyonce featuring Jay-Z
"Gossip Folks," Missy Elliott featuring Ludacris
"Get Low," Lil’ Jon & the Eastside Boyz featuring Ying Yang Twins
勝者 対抗 "Hey Ya!," OutKast

10) Best gospel album:

勝者 "The Prince of Praise (Live at New Birth Cathedral)," Byron Cage
"Donnie McClurkin... Again," Donnie McClurkin
対抗 "Diary of a Psalmist," Marvin Sapp
本命 "Bringing it All Together," Vickie Winans

FACT BOX
WINNERS:

R&B/Soul Single, Female: "You Don’t Know My Name," Alicia Keys
R&B/Soul Single, Male: "Dance With My Father," Luther Vandross
R&B/Soul Single, Group, Band or Duo: "Say Yes," Floetry
R&B/Soul Album, Female: "Dangerously In Love," Beyonce
R&B/Soul Album, Male: "Chocolate Factory," R. Kelly
R&B/Soul Album Group, Band or Duo: "Pandemonium," B2K
R&B/Soul or Rap Album of the Year: "Speakerboxx/The Love Below," OutKast
R&B/Soul or Rap New Artist: "Right Thurr," Chingy
R&B/Soul or Rap Music Video: "Hey Ya," OutKast
Gospel Album: "The Prince of Praise (Live at New Birth Cathedral)," Byron Cage
共演。

あの早業ピアニスト、ミッシェル・カミロが新日本フィルハーモニック・オーケストラと共演する。ミッシェル・カミロと言うと、最近話題のピアニスト、上原ひろみが登場した時に、新しい時代のミッシェルではないかと感じたが、元祖早業氏が、オーケストラをバックにピアノを弾く。これは、来る3月29日、墨田区のトリフォニー・ホールで行われる一夜だけの企画。

ドミニカ共和国出身のカミロが80年代後期に日本に登場した時のレコード会社のキャッチコピー「鍵盤の上は嵐です」は、いまだに忘れられない。かと思えば、2000年ブルーノートでのライヴでは、フラメンコギターのトマティートとの抜群のコラボレーションを見せた。

ミュージシャンというのは、共演する相手によって、自らのスタイル、あるいは、雰囲気と言えばいいだろうか、そうした空気が変わる。もちろん、ベイシックな部分はしっかりとありつつ、表層的な部分で様々に変化できるものだ。このカミロはまさにそんな変幻自在のピアニストだろう。

今回の企画は、一部はカミロのソロ、そして、第二部で新日本フィルハーモニック・オーケストラとの共演となる。特にその第二部が一体どんなものになるのか興味深い。思わぬマジックが、予期せぬ火花が散ればいいと思う。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

■ ミシェル・カミロ ピアノ・コンサート

2004/3/29(月)19:00開演

料金:S:\7,000 A:\6,000 B:\5,000
問合せ:トリフォニーホールチケットセンター 03-5608-1212

曲目:Part1:ミシェル・カミロ ピアノ・ソロ
    Part2:ミシェル・カミロ&シンフォニー・オーケストラ
    ミシェル・カミロ/ピアノとオーケストラのための協奏曲[日本初演]

出演: ミシェル・カミロ[ピアノ]
十束尚宏[指揮]
新日本フィルハーモニー交響楽団[管弦楽]

詳細は、次のウェッブに。
http://www.triphony.com/topics/2004_03/040329.html

>いまいゆきこさん

リンクありがとうございます。Never Can Say Goodbyeの響きがいいですね! 

Nodesha Live At O East

2004年3月25日
握手会。

あいにくの雨だが、会場は、ほぼ8割方入っていた。立錐の余地がないほどではなく、適度に歩けるスペースがある。ドラムス、ギター、ベース、キーボード二人、コーラス二人、ダンサー二人、そして、今夜のスター、ノディーシャ。ジャム&ルイスがけっこう力をいれてプロデュースしたということで話題になったR&Bシンガー、ノディーシャの一般向けのものとしては初ライヴは最大10人がオンステージに登場。前回のプロモーション来日の時には、トラック(カラオケ)でショウを見せていたが、今回はフルバンドでのライヴ。意外なほどしっかりしたバンドと歌と踊りだった。

一言で言えば充分、しっかり自分の仕事をしている。歌もうまいし、踊りも決まってる。ダンサー二人のうち、なぜか白人の方がちょっとだけダンスがうまかった。会場の渋谷オー・イーストは、スタンディングなので、ステージに近いほうは、かなり体が揺れていた。

ノディーシャは、ミディアムからアップテンポでは踊りや体の動かし方が、かっこよく、さすがダンサー出身。一方でスローの「オールモスト・ゼア」あたりでは、ちょっとばかりジャネット・ジャクソンを思わせる。途中、観客の男性をステージに上げ、椅子に座らせ、その男性に絡む演出もジャネットと同じだ。

ギタリストと二人で並んで歌った「ソー・グッド」がけっこうよかった。そして、彼女はライヴ終了後15分程度で、いわゆる握手会のために、外にでてきた。サーヴィス精神たっぷり。握手会っていうのは、なかなかのものです。(笑) こういうのってアメリカにもあるのだろうか。サイン会ならあるが。握手会って、英語で何ていうのだろう。Handshake Party? 意味通じるかなあ。(笑) 

PS、珍しくニュースがたまってしまいました。ジョニー・ブリストル死去ニュースも、速報を出した後だいたい書いたのですが、その他にもミスター・チークス・ライヴ、他にもミッシー・エリオット来日決定、プリンス、ソニーと契約などのビッグニュースもあり、順にご紹介していきます。


Setlist

01. Intro
02. Curious
03. Shake ’Em
04. Cupid In Me
05. Will He Ever Love Me Back
06. Sugar Buddy
07. That’s Crazy
08. The Kind Of Guy I Like
09. Band Intro
10. Almost There
11. So Good
12. Rock Your Body
13. Got Into My Head
14. Get It While It’s Hot

(Encore)

15. Get It While It’s Hot (Remix)

(2004年3月24日水曜・渋谷オー・イースト=ノディーシャ・ライヴ)
ジョニー・ブリストル65歳で死去

モータウンでソングライター、プロデューサーとして活躍したジョニー・ブリストルが(2004年3月)21日(日曜)朝、デトロイト近郊の自宅で死去した。65歳だった。

ジョニー・ブリストルは1939年2月3日ノース・キャロライナ州モーガントンの生まれ。デトロイトに本拠を移し、1960年頃から「ジョニー&ジャッキー」というデュオとして活動を始めた。ジャッキーはジャッキー・ビーヴァーズのことで、彼らは軍隊時代に知り合った。ジョニーは一度目の結婚・離婚の後にモータウン創始者ベリー・ゴーディーの姪アイリス・ゴーディーと結婚。名実ともに「モータウン・ファミリー」の一員になった。

ジョニー&ジャッキーは、1961年「サムデイ・ウィル・ビー・トゥゲザー」を録音、ハーヴィー・フークワが持っていたトライ・ファイからリリースされたが、ヒットはしなかった。しかし、この曲は69年、ダイアナ・ロス&スプリームスが最後のシングルとしてリリースし、大ヒットとなる。

ジョニーとハーヴィー・フークワとは、パートナーとして、ジュニア・ウォーカー&オールスターズの「ホワット・ダズ・イット・テイク」などを書いたり、プロデュースした。他にてがけたアーティストは、ダイアナ・ロス&スプリームス、グラディス・ナイト&ピップスなど多数。

ジョニー・ブリストル自身は主としてモータウンのソングライターとして活躍していたが、74年、モータウンを離れMGMに移籍、ここで「ハング・イン・ゼア・ベイビー」を大ヒットさせ注目のシンガーとなった。この曲は80年にアルトン・マクレーンとデュエットでリメイクされ再びヒットした。

++++++++++++++++++++++++++++

勝ち組。

「ハング・オン・イン・ゼア・ベイビー」がヒットし始めた時、いかにもロスアンジェルスのソウルという感じだった。第一印象は、バリー・ホワイト風のサウンドというものだった。74年のことだ。このアルバムが出たときだったか、彼がかつてモータウンで様々なヒットにかかわっていたことを知った。そんな中でダイアナ・ロス&スプリームスの最後のヒット「サムデイ・ウィル・ビー・トゥゲザー」が彼のプロデュース曲だということがわかる。この曲がものすごく好きだったので、モータウンのレコードをいろいろひっくり返した。

1974年頃というのは、元モータウン・アーティストにとっては大きな転機となった年である。それは、72年にモータウン自体がデトロイトから本拠をロスアンジェルスに一挙に移すからである。ある者はデトロイトを離れず、ある者はモータウンについてロスに引っ越した。その引越しのことを会社は、ミュージシャンやスタッフたちに直前までほとんど知らせていなかった、という。そのあたりのちょっとした悲劇は、5月に公開されるドキュメンタリー映画『永遠のモータウン(Standing In The Shadows Of Motown)』http://diary.note.ne.jp/d/32970/20031025.htmlにも登場する。

ジョニー・ブリストルはこの映画には登場してこないが、彼はロスに移って、ある意味モータウン時代以上に成功した珍しい「勝ち組」になった。しかし、今回の死去に際し、デトロイト近郊の自宅にいたということがわかった。すでに引退し、ロスから再びデトロイトに戻っていたのだろう。モータウン自体の華やかさから比べれば、ジョニーが残したヒットによって、彼自身が果たして「勝ち組」になったのか、今となってはわからない。ジョニーの死去は、いまだビルボード誌(音楽業界誌)が報じていない。あまり注目されているとは言えない。人生において「勝ち組」とは一体なんなのだろう。ひょっとすると、ジョニーも「モータウンの影にいた男」の一人なのかもしれない。

しかし、彼が勝ち組ではないとしても、もちろん負け組でないことも確かだ。あれだけいい曲を出したのだから。それだけで充分価値ある人生だったと言える。そう、言ってみれば、価値組ということだ。価値組の人生は、悪くない。

++++++++
ミッシー・エリオット来日決定

女性ラッパーとして今、もっとも旬の人気を獲得しているカリスマ女性ラッパー、ミッシー・エリオットの初来日が5月に決まった。現在、2003年11月に発売された5作目のアルバム『ディス・イズ・ノット・ア・テスト』がロングヒット中。今回は20人以上のダンサーがステージに上る派手なものになるという。

ミッシー・エリオットは、本名メリッサ・エリオット。1971年7月1日ヴァージニア州ポーツマス生まれ。10代の頃にラップグループ、シスタを結成。これがジョデシーのメンバー、デヴァンテに認められチャンスを与えられた。また同じく十代の頃から、当時はまだ無名だったティンバランドなどとも交流があった。当初はデヴァンテのところからCDデビューの話が進んだが、これが消え、次にティンバランドと手を組み、当初はソングライターとしてアリーヤなどに作品を提供。徐々に実績を積んだ。アリーヤの96年の作品『ワン・イン・ア・ミリオン』などに作品を提供している。

97年エレクトラからミッシー・エリオットとしてアルバム『スーパー・デューパー・フライ』でデビュー。以後、コンスタントにヒットを出し、ラッパー、プロデューサー、ソングライターとして大きな人気を獲得している。昨年マドンナとギャップのCMに登場した。


日程は次のとおり。

5月19日(水)、20日(木) ゼップ・東京の計2公演。

料金はスタンディングが\9,000、2階指定席が\10,000。
問い合わせ ポジティブ・プロダクション(http://www.bmopositive.com/japanese.htm)(045-505-0010)で、3月22日(月)より発売されている。
一般プレイガイドでは、4月3日(土)よりスタンディングのみ発売開始。

詳細は次のウェッブ。
http://www.bmopositive.com/missy_2004j.htm
ファンク・ブラザースの音源をCD化

発掘。

2002年秋に発表された映画『永遠のモータウン(原題、Standing In The Shadows Of Motown)』によって脚光を浴びたファンク・ブラザースの過去の音源が発掘され、CD化される。ファンク・ブラザースは、元々60年代から70年代初期にかけてデトロイトのモータウンレコードで、同レコード所属アーティストのバックをつけていたスタジオミュージシャンたちのこと。モータウンの大ヒットのすべてを彼らが演奏していた。約20人のスタジオミュージシャンたちがモータウンのスタジオに出入りし、ヒット曲に貢献した。

今回CD化されるのは、ファンク・ブラザースのキーボード奏者のひとり、アール・ヴァン・ダイク名義でかつてリリースされたことがある作品2枚から、編纂された。これに未発表作品、シングルのみでリリースされていた作品なども発掘した。全体的な編集作業は、ユニヴァーサルのハリー・ワインガー氏が担当。『ザ・ベスト・オブ・ファンク・ブラザース』のタイトルで全米で2月に発売された。これは、アメリカ・ユニヴァーサルがリリースする『20センチュリー・マスターズ/ミレニウム・コレクション』の一環での発売。http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&;;;uid=UIDMISS70311061515161479&sql=Aofd6vwxqa9lk

テンプテーションズの大ヒット「ザ・ウェイ・ユー・ドゥ・ザ・シングス・ユー・ドゥ」、「パパ・ワズ・ア・ローリング・ストーン」、スプリームスの「カム・シー・アバウト・ミー」などのインストゥルメンタル・ヴァージョンが収録される。特に注目されるのは、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」のインストゥルメンタル・ヴァージョン。また、テンプスの「パパ…」は元々シングルのB面に収録されリリースされた。このインスト・ヴァージョンは、グラミー賞ベストR&Bインストゥルメンタルを受賞している。ただし受賞者はこの時はテンプテーションズ自身だった。

ファンク・ブラザースは、ジョー・ハンター、ジョニー・グリフィス(故人)、アール・ヴァン・ダイク(故人)(キーボード)、ジョー・メッシーナ、エディー・ウィルス、ロバート・ホワイト(故人)(ギター)、ボブ・バビット、ジェームス・ジェマーソン(故人)(ベース)、ジャック・アシュフォード、エディー・ボンゴ・ブラウン(故人)(パーカッション)、リチャード・ピストル・アレン、ユリエール・ジョーンズ、ベニー・ベンジャミン(故人)(ドラムス)など。

映画は、グラミー賞などを獲得。日本でもいよいよ5月に公開される。(正確な日程は未定。前にかかっている映画の公開の延長で変更がある)

>SAKURAさん

リンクありがとうございます。これからもよろしく。
特集。

今日の『ソウル・ブレンズ』では、4時間にわたって「モータウン」特集をしました。それにしても、4時間ほとんどモータウン関係の曲だけでやるというのは、かなり気持ちいいですねえ。前半などほんと、曲だけかけているだけで番組が成立する、という感じです。やはり、ラジオの原点というのは、いい音楽をかけるというところにあるんだな、と思いました。DJオッシーも、「いやあ、音楽の力っていうのは、すごいね。こういう曲かけてるだけで、成り立つんだからね」と言ってましたが、まさにそのとおりです。

そして、3時台のゲストはマーチンこと鈴木雅之さん。『ソウル・ブレンズ』的にはまいどおなじみのマーチンさんですが、モータウン特集ということで、マーチンさんもモータウンには多くの思い入れがあり、話が止まりません。しかも、3時から4時までの一時間だけでなく、4時半の『山野ミュージックジャム』のところも出演してくださいました。

4時間やっても、モータウンの話題、曲は尽きませんね。今後、ワンクールに一回くらいやっていこうか、などとも話しております。まあ、次回は映画『永遠のモータウン』が日本公開されたあたりでやるような感じです。皆さんも、ぜひ見ていただいて、その感想を大募集したいところですね。

番組などで映画を紹介するのは、本当にむずかしいです。ある程度紹介しなければ、紹介していることにならないし、一方であまりに内容を話しすぎてしまうと、ネタバレで見る人の楽しみを奪ってしまうかもしれない。見るつもりがない人は、全部話してくれと思っているかもしれない。どこで、どう落としどころをみつけるかはとてもむずかしいですねえ。

それにしても、マーチンさんがこの映画を見て「まあ、『白い巨塔』についで号泣した。(映画の主人公、モータウンのベース奏者)ジェームス・ジェマーソンは、さしずめ財前五郎だね」のコメントには大爆笑でした。

ちなみに、『永遠のモータウン』ですが、原書は1989年に発売され、それ以来原作者は映画化を考えるようになっていました。しかし、なかなか製作してくれる映画スタジオが見つからず、結局10年近くかかって出資者と出会うのですね。その出資者というのはポール・エリオットとデイヴィッド・スコットの二人です。彼らは製作総指揮のクレジットで名前がでています。二人ともアマチュアのミュージシャンですが、コンピューター関係の仕事で財をなし、この映画に投資することにしたのです。2000年冬、本がでて11年の月日が流れ、いよいよ映画の撮影が始まりました。6週間で撮影された作品は2002年秋、全米で公開され、話題を集め、グラミー賞なども獲得しました。

映画『永遠のモータウン』のホームページができています。ここに、プロダクションノート、出演者などが詳しくでています。ごらんください。http://www.eiennomotown.com/index2.html
僕も、モータウンについて簡単な原稿を寄稿しています。また、この映画のスターたち、ファンク・ブラザースは現在ツアーを行っていますが、彼らの来日も検討されています。ぜひ生で見たいですね。
振幅。

墨田区錦糸町にあるトリフォニー・ホールに初めて行った。うちからは遠いということと、演目がクラシック中心ゆえに行くチャンスがなかったが、今回はミシェル・カミロがたった一日だけここでやるというので出向いた。いやあ、それにしても基本的にクラシックのホールだが、すごい。正面に大きなパイプオルガン。ホールの天井高もゆうに10メートルはあるだろう。1階から3階まであり、2階3階の横にも座席がある。全体的に濃い木目で統一されていて実に荘厳だ。キャパは約2000。まずはこのホールの立派さに驚かされた。

正面ステージにぽつんとグランドピアノ。定刻から少し遅れてミシェル・カミロが舞台左手よりおもむろに登場。この日は一部がミシェルのソロ、二部がミシェルと新日本フィルハーモニー交響楽団との共演である。一音だした瞬間、「おっ、アンプ通さないのか」。

生のピアノの音が直接響く。しかし、さすがにここはコンサートホール。僕が座ったのは前から22列目ということで、キャパ300人のところで見るのとはわけが違う。音量が爆音でこない。少しだけ音が響いて、こちらに到達する。きっと、20世紀より前の音楽会はアンプなしでこんな風に開かれていたのだろう、と思った。今日のこのライヴは、「ライヴ」あるいは「コンサート」という言葉よりも、「音楽会」という言葉が似合っていた。

前回見たライヴは、トマティートとの共演だった。
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/michelle20001019.html
今回もやはり、鍵盤の上は嵐だった。しかも、かなり激しい嵐だった。

彼のパフォーマンスを見ていていろいろなことが思い浮かんだ。彼は、なぜこれほどまでに感情を爆発させることができるのか。どのようにして、感情の扉をここまで開くことができるのか。彼に激情のピアノを弾かせているその最大の原動力はなんなのか。そして、彼の音楽はクラシックなのか、ジャズなのか、ラテンなのか。もちろん、ジャンル分けなどというものは、もはや彼のような音楽には必要ないのだろう。音楽はその人を反映する。ということは、ミシェルは激情型の男なのか。ふと疑問に思った。

第一部のソロは、もちろん、トマティートとの共演同様、嵐の鍵盤にすごみも感じたが、会場の大きさゆえか、ミシェルまでに距離があったためか、感動まで至らなかった。ひょっとして目の前で見ていたらちがったかもしれない。

第一部が終って、二階のショップでコーヒーを飲んでいる間、ピアノが再び調律されている音がポロンポロンと聴こえてきた。嵐で荒れた鍵盤を整えているのだ。ステージにはフルオーケストラの椅子が用意されていた。クラシック好きの人がかつて、壮大なフルオーケストラの音色を聴くだけで泣きそうになるということを聞いたことがある。その意味がわかる時がある。この時の2部もそうだった。

壮大な30名以上のオーケストラが奏でるメロディーとミシェルのピアノのハーモニーは、第一部と同様にアンプはなくとも今度は圧倒的な音量で聴く側に迫ってきた。新日本フィルの指揮者は、十束尚宏(とつか・なおひろ)氏。彼が指揮をしているのだが、この空間を支配しているのは、ミシェルだった。10本の指とふたつの目で、彼は88の鍵盤と、何十人というオーケストラを自らの手足の如く操った。

たったひとりのソロと、壮大なオーケストラをバックにした演奏は、まさに対極に位置する。彼とオーケストラの演奏を聴いていると、ミシェルを通じて音楽の神様がここに降りてきているのではないかとさえ思えてきた。

オーケストラとともに演奏したのは既にCD化されている『ピアノとオーケストラのための協奏曲』の第1楽章から第3楽章まで。約30分。これが終ると万雷の拍手が巻き起こり、客席の多くの人たちが立ち上がった。長く続いた拍手を聴きながら、普段僕が行くライヴで聴く拍手と異質のものを感じた。それはクラシックの拍手なのか、コンサートホールにおけるジャズの拍手なのか。だが、演奏者に最大級の賛辞を送る拍手であることに変わりはない。そして、その拍手自体に、なにか熱いものを感じた。

それに答えてアンコールに登場したミシェルは、おもむろに「アランフェス協奏曲」を弾き、さらに、チック・コーリアの「スペイン」へとなだれ込んだ。激しくピアノを叩いたミシェルは、体全体でピアノと格闘していた。それはミシェルとピアノの激しく熱い戦いだった。アンコール3曲目の「トゥ・マッチ」という曲は実に美しい曲だった。今度は彼はピアノをやさしく愛撫した。愛撫と鞭、心の静寂と激情。静と動を自由に、激しく明るい晴天と嵐も自在に操るミシェル・カミロ。ひょっとしてその振幅の激しい熱い戦いに僕は胸を打たれたのかもしれない。

Setlist 2004.3.29 at Sumida Triphony Hall

First set

Performance started 19:06

1. From Within
2. Twilight Glow
3. Cocowalk
4. The Magic In You
5. At Night
6. Why Not
7. Caribe

Performance ended 20:06

Second set

Performance started 20.40

Concerto For Piano And Orchestra
1. Religiosamente -- Allegretto -- Allegro
2. Andante
3. Allegro

Encore

1. Concierto De Aranjuez アランフェス協奏曲 (J.Rodrigo)
2. Spain (Chick Corea)
3. Too Much

Performance ended 21:24

All songs written by Michel Camilo otherwise indicated.

(2004年3月29日月曜=墨田トリフォニー・ホール、ミシェル・カミロ・コンサート)
アクシデント。

CD2枚、『ドゥーイン・イット』(2001年)と『シェーキン』(2003年)がでているニューオーリーンズ出身の5人組ファンクバンド、パパ・グロウズ・ファンクが初来日。渋谷クラブクアトロでライヴを見せた。

5人が登場して最初の音を出した瞬間、すでにそこは渋谷ではなくなっていた。ニューオーリーンズだ。メンバー、それぞれが出す一音一音がいちいちファンクしている。ギターの山岸が弾く音、リーダーでキーボードのジョン・グロスが鍵盤を叩きつけて出す音、弾けるマーク・ペロのベース、炸裂するラッセル・パディステのドラムス、そして吹いて吹いてニューオーリーンズの風を吹かせるジェイソン・ミングロドフのサックス。全員が意識しようがしまいが、体に「ニューオーリーンズ・ファンク」という名のDNAを持っていることが痛いほどわかる。そして、そのニューオーリーンズのファンクは、実に楽しく、気持ちがいい。

彼ら5人の演奏を見ていると、彼らが純粋に音楽に集中し、没頭できる環境で音楽をやっているんだなあと思う。いい意味でみんな音楽馬鹿になっているのだ。ニューオーリーンズ・ファンク独特のセカンドラインのリズム、切れ味するどいサックス、ロングヘアを振り乱し、汗を飛ばし口をあけ、歌いながら鳴り響かせるギター。それぞれが音楽を純粋に愛し、音楽に人生をささげ、ただひたすら自身の楽器とともにこれまで歩んできた音楽人たちのピュアでリアルな音楽がそこに存在している。これも間違いなくリアル・ミュージック・バイ・リアル・ミュージシャンだ。

途中でドラマーがスティックを投げていた。ショウの間中何度も投げていた。なんと、それらのスティックは、あまりの激しさに折れたものだった。パティステは、ドラムを叩き、スティックが折れたらそのまま観客席に投げ、さっと新しいスティックを取り、演奏を続けていたのだ。一度のライヴであんな本数スティックを折るのか。(観客のMさんは、その折れたスティックを2本ゲット! おめでとうございます)

しかも、ショウの最中、彼は右手親指を突き指というか、右腕がつってしまった。そして、隣のベース奏者ペロに指を折り曲げてひっぱってもらった。その瞬間、ものすごく痛そうな顔をした。その間、右手で叩かなければならないリフを彼は左手で叩いた。それでも、直らず、彼は途中でドラムスを離れ、しばし楽屋に行き、サロンパスのようなものを貼って戻ってきた。思わぬアクシデントだ。

ドラマーのスティックは、何本も折れ、腕までつって突き指までする。なんというバンドだろうか。しかしきっと、奴らは腕が折れても、満身創痍(まんしんそうい)でショウを続けるだろう。まさに、ショウ・マスト・ゴー・オン(ショウは続けなければならない)。それも含めて、彼らのライヴパフォーマンス。

時々、タワー・オブ・パワーや、ゴーゴーサウンド風のファンクリズムも聴こえるが、やはり、ドクタージョン、ワイルド・マグノリアス、ネヴィル・ブラザースなどのニューオーリーンズ軍団の血筋をいやがおうでも感じさせる。実に強力無比なバンドとしかいいようがない。

といったようなことを考えていても、ひとたび彼らに「イエ〜」と声を出させられたら、「そんなことはど〜〜でもいいっ、楽しい時間をすごそうぜ」という気持ちにさせられる。

ショウが終って楽屋で山岸に会った。「ねえ、今日のセットリスト、ない?」 「そんなもん、あるかっ」 一笑に付される。「曲なんか決まってないのよ。誰かが適当に音出して、そこからその曲になるから。最初の音出すのも決まってない。俺が出す時もあるし、ジョン(リーダー)が何かを弾いて曲が決まることもあるさ。あ、でも曲はあるからね。最初の音を出せば、その曲にはなるよ。大体の場合はね。時々違う曲、やってたりすることもあるけどさ。ははは」 失礼しました。

ソウルメートAが言う。「みんなが少年のよう。年を重ねるのではなく、時を越えてしまっている。周りが変化しただけで、彼らの中心軸、スピリットはまったく変わらず今日まで来ている。例えば、子供の頃音楽が好きになる時って、ただ単純に好きになりますよね。それが一歩一歩進むにつれだんだんゆがんできたりする。でも彼らはまさに純粋な道をずっと歩いてきているから、今でも本物のままだ。そしてそれだけのパワーがある。突き指しようが、そこで何が起ころうと、アクシデントも含めて、スティックが折れてその破片が客席に飛んだとしてもすべてがパフォーマンスになっている。何があっても、そこで時が流れていて、観客にすべてを受け取れと言ってるみたいな。演奏が始まった時は、観客のエネルギーレベルは低いところにあったが、ひとたび観客に『イエー』と言わせることによって、一挙に観客の温度をあげてしまう。そして、観客とバンドが一体化する。観客は参加してナンボの世界になる。ミュージシャンたちは息を止めずに、グルーヴをやり続けてる。ミュージシャンたちは、技を持った赤ん坊のようで、そのパワーは計り知れない」

パパ・グロウズ・ファンク。直訳するとパパがファンクになった。成長した。といったところだろうか。Clear And Present Funk は、「明らかに、今そこにあるファンク」の意味。

オフィシャルウェッブ
http://www.papagrowsfunk.com/

(2004年3月30日火曜=渋谷クアトロ、パパ・グロウズ・ファンク・ライヴ)

1 2