◎深夜のジャム・セッション~軽音部、トクズ・ラウンジ・スペシャル

【Jam Session】

ジャム。

ずっと家にこもっていてもしょうがない。外に出て普通に生活しよう。ということもあってか、金曜夜、西麻布で何人かのミュージシャンが集まって好きな曲を適当に歌ったり演奏したりするジャムセッションが行われた。当日突然決まったもので、そもそも北山さんが自宅で曲つくりや友人ミュージシャンとのジャムセッションをユーストリームでやろうと考えたのがそもそも。場所を西麻布に移し、三々五々集まった。

シンディー・ローパー終わりのトクもジョインするということで、トクズ・ラウンジ風になった。集まったのは澤田かおり(キーボード・ヴォーカル)、柴田亮(ドラムス)、ヴォイス・パーカッションのカズ(KAZ)、ベースの後藤克臣、北山陽一(ヴォーカル、ユーストリーム担当)、トミー・キャンベル(ドラムス)、永田ジョージ(キーボード)、トク(フルーゲル・ホーン、トランペット、ヴォーカル)ら。

結局、電波・回線の問題でユーストリーム自体はできなかったが、休憩含めて3時間超ゆるーくジャムセッションが行われた。

「クロース・トゥ・ユー」やスティーヴィー・ワンダーの曲をたくさん歌った澤田かおりさんは、最近、あちこちでよく見かけるが彼女の歌を聴いたのは初めて。なかなかよかった。彼女は英語はネイティヴなのかな。

また、ドラムスのトミー・キャンベルとヴォイス・パーカッションのカズさんの5分以上におよぶバトルはすごかった。こういうコール&レスポンスは、ライヴならではの醍醐味。

このカズさんは、2008年の「ビート・ボックス・ジャパン」のチャンピオンになったという。2009年には、イギリスで行われた世界大会にチームで出た。ナチュラリー7のレコードのチリチリ音の話をしたら、さっそく耳元でやってくれた。彼はループステーションという機材を使い、生でその場で録音したリズム、ビートをすぐに再生し、それにあわせてまたビートを作るという、一人で多重ライヴが出来る。一人ヒューマンビート・ボックス・オーケストラというわけだ。

■メンバー

澤田かおり(キーボード・ヴォーカル)、
柴田亮(ドラムス)、
カズ(KAZ)(ヴォイス・パーカッション)
後藤克臣(ベース)
北山陽一(ヴォーカル、ユーストリーム担当)、
トミー・キャンベル(ドラムス)、
永田ジョージ(キーボード)、
トク(フルーゲル・ホーン、トランペット、ヴォーカル

■セットリスト


01.Close To You
02.上を向いて歩こう
03.(Jam)
04.What You Won’t Do For Love
05.(Jam)
06.Don’t You Worry About A Thing
07.Overjoyed
08.Ribbon In The Sky
09.Feel Like Making Love
10.I Can’t Help It
11.Golden Lady
12.アイ (秦基博・曲)
13.My Cherie Amour
14.What’s Going On (Tighten Up)
Ended 4.18

(2011年3月18日金曜・深夜、軽音部セッション)
ENT>MUSIC>LIVE>Keion-Bu
◎ニーヨ・ライヴ~不安と期待と

【Ne-Yo Live: Fear & Expectation】

不安。

2006年に満を持してデビューしたニーヨ。同年の初来日以来、何度もコンサートやプロモーションで来日し、すっかり日本でもおなじみになった。フルサイズのワンマン・ライヴとしては、2006年6月(実質的には30分余のショーケース)、2007年2月、2009年1月以来のもの。その後2009年10月に複数アーティストによるライヴが埼玉スーパーアリーナなどで行われている。2008年サマーソニックにも。

大震災ゆえに来日中止もささやかれたニーヨだったが、結局、来日、ライヴを敢行することになった。もちろん、やるやらないは、関係者らで相当な議論を重ねたと思う。やることも、決断であり、中止も決断だ。外野としては、ただそれを受け止めるだけにとどめたい。今回の地震で、ダンサーの何人かが日本に来ることを怖がり、当初のメンバーが来日していないらしい。また、この後木曜日(24日)に新木場スタジオ・コーストでライヴが予定されていたが、これはこの日中止になった。

ライヴ中、大きな揺れがこないか、そんな不安と、一体どんなパフォーマンスを見せるのか、その期待が入り混じる。客席はほぼ満員。

すでに名古屋、神戸をこなしての横浜アリーナ。客席では、蛍光ペンライトがあちこちで光る。レーザーが飛び、ステージバック、こちらから見て正面には7~8メートルもするまん丸のスクリーン。ここにいろいろな映像が映し出される。

さて、ニーヨ、1曲目はキーボード一人だけを従え登場。2曲目からドラムスが入る。バンドはこの2人のみ。あとは4人のダンサー。かなり省エネな編成だ。基本9割以上の音は、このキーボードが出している。言ってみれば、キーボードがバックコーラスの声も含めてトラック(カラオケ)をすべて出す感じだ。また、ニーヨが実際に歌っているか、口パクかは、席が遠くだったので、確認はできなかった。ただ、歌声はCDのように音量もピッチもひじょうに安定していた。印象的だったのは、ライヴ中、何度も「ニッポン! ニッポン!」と声をかけたこと。

1979年10月18日生まれの未年(ひつじどし)。31歳。油の乗っている年齢だ。甘いメロディアスな楽曲が、やはり、とても日本人に受ける感じがする。

これは4分の1中国(つまりアジア)の血が入っていることも関係あるのだろうか。元々ソングライターから業界入りしたニーヨだけに、当たり前だが、楽曲がいい。

結局、いい曲を書ける優れたソングライターであること、いい曲をあの魅力的な声で歌い録音したCDが大変売れた。そして、大きな人気を得た。そこで大きな会場でライヴが出来る需要が生まれた。そして、大きな会場でライヴをやらざるを得なくなった。ほんとだったら、小さなクラブあたりで見るとめちゃくちゃ盛り上がるようなタイプのアーティストだ。

■Ne-Yo ジャパンツアー

2011/3/19(土) 名古屋ガイシホール
2011/3/20(日) 神戸ワールド記念ホール
2011/3/22(火) 横浜アリーナ
2011/3/24 (木) 東京 新木場スタジオ・コースト →中止

中止・払い戻しなどについての詳細はこちら
http://www.creativeman.co.jp/artist/2011/03neyo/

■過去関連記事

2009年01月14日(水)
ニーヨ、武道館・黒沢薫のライヴ・レポート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10192235286.html

June 10, 2006
Ne-Yo Was On Stage For Only 34 Minutes
http://blog.soulsearchin.com/archives/001066.html
(2006年6月のショーケースのようなライヴのレポート)

■ニーヨ最新作 リブラ・スケール

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■ベストコレクション

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■ イン・マイ・オウン・ワーズ+3

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■ビコーズ・オブ・ユー

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■メンバー

ニーヨ(ヴォーカル、ダンス)
キーボード
ドラムス
ダンサー(女性4人)

■セットリスト ニーヨ 横浜アリーナ 2011年3月22日火曜
Setlist : Ne-Yo, Yokohama Arena, March 22, 2011

Show started 19:03
01. Beautiful Monster
02. So Sick
03. Because of you
04. Stay
05. Mad
06. Sexy Love
07. Telekinesis
(DJ Baby by Me) この3曲、ニーヨはステージを離れ着替え。その間CD音源を流した
(DJ Pretty Girl Rock)
(DJ Knock You Down)
08. One In A Million
09. Miss Independent
10. Cause I Said So
11. Can We Chill
12. Champagne Life
13. Do You
Enc. Go On Girl
Enc. Closer
show ended 20:23

(2011年3月22日火曜、横浜アリーナ、ニーヨ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Ne-Yo
2011-
●ロリータ・ハロウェイ、64歳で死去~ソウル・ディスコ・ディーヴァ

【Loleatta Holloway Dies At 64】

訃報。

ゴスペル・シンガーからソウル・シンガーへ転じ、その後、ディスコ・ヒットも生み出したロリータ・ハロウェイが2011年3月21日(月)シカゴの病院で死去した。64歳だった。しばらく前に心臓の疾患で入院、2-3日前から昏睡状態になっていた。

ハロウェイには4人の子供、9人の孫がおり、近日中にシカゴのジェシー・ジャクソン教会でメモリアルが行われる。

各界から弔辞が寄せられている。イギリスのアシッド・ジャズ創始者ジャイルス・ピーターソンは、ロリータの「ヒット・アンド・ラン」が好きだと前置きし、「この曲にはソウル、感情、ディスコ、ロリータのすべてが一曲の中に込められているから」と述べた。

サルソウル・レコードのレーベルメイトであるキャロル・ウィリアムスは、ロリータのレコーディング様子のエピソードを語る。「普通、シンガーは(レコーディングでは)みんなマイクに近づくのよ。でも、ロリータは1フィートくらい離れてるのよ」 それだけ声量があったということだ。

リンダ・クリフォード。「彼女はとても大切な友人でした。ずっと彼女のことを愛します」

キャンディ・ステイトン。「本当に残念です。ロリータは、本当に素晴らしい声、ビッグ・ヴォイスを持ったシンガーのひとり。個人的には彼女はとっても楽しい人物で、人生を思い切り楽しんでいた。彼女のことをずっと思い続けるわ。音楽もずっと残り続けます」

マネージャーのロン・リチャードソンによれば、ロリータはとてもスイートな人物だが、またとても傷つきやすい人物でもあったと振り返る。彼女の1980年の大ヒット「ラヴ・センセーション」は後に1989年イギリスのブラックボックスがサンプリングし、「ライド・オン・タイム」というタイトルで大ヒットさせた。しかも、プロモーション用ビデオでは、モデルのキャサリン・クイノールを前面に押し出し、あたかもキャサリンが歌っているかのように見せ、ロリータのクレジットは載せなかった。結局、これは裁判でロリータ側の全面勝利となるが、彼女にとっては苦い経験になったようだ。

その後、マーキー・マークが「グッド・ヴァイブレーション」で彼女を正式に起用、これもヒット。また、最近ではロリータの「ウィアー・ゲッティング・ストロンガー」を、ホイットニー・ヒューストンが「ミリオン・ダラー・ビル」でサンプリングしている。

彼女の傑作曲である「クライ・トゥ・ミー」だが、これと同名異曲の「クライ・トゥ・ミー」を歌ったソウル・レジェンド、ソロモン・バークの誕生日が奇しくも1940年の3月21日、ロリータ・ハロウェイの命日となった。運命のめぐり合わせか。

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ゴスペル~ソウル~ディスコ~ガレージ

評伝。

ロリータ・ハロウェイは、1946年11月5日イリノイ州シカゴ生まれ。母親がハロウェイ・ゴスペル・シンガーズという自身のグループのゴスペル・シンガーだったことから幼少の頃よりゴスペルを歌い始める。母親はゴスペル名門グループ、キャラヴァンズのアルバーティナ・ウォーカーと接点があり、ロリータは早くからキャラヴァンズでレコーディングを経験した。

1971年、ロリータが24歳ごろ、プロデューサーのフロイド・スミス(1917年1月25日生まれ、1982年3月29日死去、65歳)と知り合い、フロイドのプロデュースで「レインボウ71」を録音。これは、カーティス・メイフィールド作品でジーン・チャンドラーがヒットさせたもののカヴァー。インディから出て少しだけヒットした。ちなみに、フロイドとロリータは1970年代に結婚するが、その年の差は29歳だ。

その後、フロイドがアトランタに本拠を置くGRC(General Recording Company)傘下のアウェア・レコードとロリータの契約をまとめ、アルバム2枚を録音。これが、『ロリータ』(1973年)と『クライ・トゥ・ミー』(1975年)で、どちらもソウル・ファンからひじょうに高い支持を集め、傑作と呼ばれるようになった。ロリータのゴスペルに根付いたソウルフルな歌唱が圧倒的で魅力を出していた。日本でも当時はコロンビア・レコードからリリースされた。だが、このアウェアがまもなく倒産。ロリータは、フィラデルフィアのサルソウル・レコード傘下にできたゴールド・マインドと契約。

このアウェアの親会社GRCを取り仕切っていたのはマイケル・セヴィス(1932年ノースキャロライナ生まれ)という人物。彼は実は大物ギャングで、全米のポルノ産業を一手に牛耳っていた男だった。小さなポルノ雑誌の発売から始めて、いわゆるピープショー(覗き部屋)などのポルノショップを経営、これが大当たりし、一時期1970年代には年商1億ドル(当時のレートで360億円)をあげていたといわれる。しかし、殺人、脱税などでFBIに目を付けられ、1976年に逮捕。アウェアの倒産もそれと関連している。

サルソウルに移籍してからは、フィリーのプロデューサー、ノーマン・ハリスらのプロデュースで軽快なフィリー・サウンドの作品が作られ、いわゆるディスコ作品というジャンルにカテゴライズされ、実際ディスコ・チャートでもたくさんのヒットを生み出した。「ヒット・アンド・ラン」(1977年)、「ラン・アウェイ」(1977年)、「ラヴ・センセーション」(1980年)などだ。ダン・ハートマンの「リライト・マイ・ファイアー」(1979年)の客演もこの時期。いずれもディスコで大ヒットしたため、「ディスコ・ディーヴァ」の名前をほしいままにした。

1989年、イギリスのディスコ・プロデューサーが作ったブラックボックスというグループが「ラヴ・センセーション」をロリータのクレジットなしでサンプリングして「ライド・オン・タイム」というタイトルでリリース、これを大ヒットさせた。プロモ・ビデオでモデルを全面にだし、あたかもそのモデルが歌っているかのように見せたため、問題となり、ロリータ側が訴え、ロリータ側が実質的な勝訴(正確には示談)となった。

その後、マーキー・マーク(マーク・ウォールバーグ)&ザ・ファンキー・バンチが正式にロリータをフィーチャード・シンガーとして起用し、「グッド・ヴァイブレーション」が1991年ポップチャートで1位に輝いた。もちろん、これはクレジットも得て、ロイヤリティーも得ることができ、ロリータ最大のヒットになった。

さらに、2000年には日本のハウス・チーム、GTSの「ホワット・ゴーズ・アラウンド・カムズ・アラウンド」でロリータが起用されている。(リリースは2001年)

最近では、ホイットニー・ヒューストンがロリータの1976年の作品「ウィアー・ゲッティング・ストロンガー」を、「ミリオン・ダラー・ベイビー」でサンプリングしている。

ロリータのキャリアを振り返ると、ゴスペルから始まり、ソウルに転じ、さらに、ディスコ、ダンス・ミュージック、そして、ガレージ、ハウスへ変化していった。

オリジナル・アルバムは、アウェアで2枚、サルソウル(ゴールド・マインド)で4枚、ストリートワイズで1枚。そのほかオムニバス、コンピレーション、ベストものなど多数。

Loleatta (Aware 2003 - 1973)
Cry To Me (Aware 2008 - 1975)
Loleatta (Gold Mind 7500 - 1976)
Queen of the Night (Gold Mind 9501 - 1978)
Loleatta Holloway (Gold Mind 9504 -1979)
Love Sensation (Gold Mind 9506 - 1980)
Crash Goes Love (Street Wise 2230 – 1984)

1990年9月に初来日。このときは有明MZAでライヴを行った。1994年12月、西麻布イエロー。2002年12月29日、新木場アゲハのオープニング・パーティーでジョスリン・ブラウンとライヴを行っている。

★Loleatta の表記について

「ロレッタ」は明らかな間違いで「ロリータ」が正しい。コロンビア時代はロリータだった。Lorettaならロレッタになるが、leaがくるので、ロリータになる。アクセントが「リー」に来るので、「リータ・ハロウェイ」と聴こえることもある。単純にレコード会社の担当がロリータだとロリータ趣味と勘違いされそうなので、わざと正しい発音を無視しロレッタにしたという信じられない話。ハロウェイかホロウェイかは、どちらでもいいが、Hollywood(ハリウッド)と同様に考えれば、ハロウェイでよいだろう。

■過去関連記事

2002/12/31
Ageha : Journal To Death
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200212/diary20021231.html
アゲハ・オープニングに登場。

2003/01/29 (Wed)
Loleatta Holloway 表記。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030129.html
上記、「ロリータ」表記の話。

■ロリータ・ハロウェイYoutube

Cry To Me


Show Must Go On


Love Sensation


■ロリータ・ハロウェイCD

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001DETH6K/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007M8PX/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000008KY/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000024WJV/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank



OBITUARY>Holloway, Loleatta (November 5, 1946 to March 21, 2011, 64 year-old)

◆感動した高校野球の選手宣誓 

【Moving a declaration by the players】

宣誓。

選抜高校野球が2011年3月23日から始まったが、その選手宣誓が素晴らしかった。僕は高校野球にはほとんど興味はないが、たまたまこの宣誓を一日遅れでツイッターで知り、動画を見て、感動してしまった。

まずは、ともあれ、その動画を。



Youtubeが直接リンクできない方はこちらから。
http://www.youtube.com/watch?v=FI2BFNwT0c0

彼の文言は次の通り。

「宣誓。私たちは16年前、阪神淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。人は、仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。がんばろう! 日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います」(約221字、約1分35秒)

この選手宣誓をした岡山県・創志学園の野山慎介主将は1995年生まれ。誕生日は調べてみたがまだわからなかったが、早生まれなのかな。(たぶん、1994年4月から1995年3月生まれの学年と推測) テレビなどの字幕では2年生と出ているが、まだこの時点では高校1年生だという説も出ている。

細かいことはさておき、15歳か16歳の彼のこの立派なスピーチはほんとうにすごい。

ツイッターで紹介したところ、ぜひ英訳を、との反応。そのユーチューブにすでにJaefuさんという方が英文を載せていたので、それに補足して転載します。

A declaration by the players

I swear!

We were born in the year of the Great Hanshin-Awaji Earthquake 16 years ago. Now, many precious lives are lost in the Great East Japan Earthquake, our hearts are filled with sorrow. All the people are united in the affected areas, and they are working very hard with their companions. We believe that the people can get over big difficulty with help from their companions.

What we can do now. Our answer is to play the game with utmost effort and bouncily.

Let’s do our best, Japan!  (Let’s hang in there, Japan!)

We appreciate to our lives, and make a pledge to play the game fairly and squarely with heart and soul.

(Jaefuさんという方の訳)

「がんばろう! 日本」の「がんばろう」のイディオムが日本語にないので、適訳がないが、Let’s do our bestもいいと思う。hang toughとか、try hardもいいかもしれない。Let’s hang in there, Japan とか。ふんばれ、ジャパン、という感じ。

結局、言葉の力、自信にあふれた彼の魂(ソウル)を込めた発声が、人の心を揺さぶるのだと思う。今の政治家にもっとも欠けているものだ。管総理に、彼のつめの垢を煎じて飲ませたい。(笑)


■関連記事 The Great Earthquake Related Post (In English & Japanese)

2011年03月16日(水)
311 Catastrophe : My Thoughts For Earthquake
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10831890596.html

ESSAY>Declaration
NEWS>Declaration by the Players
◆ニューヨーク・タイムズの震災写真~「ソウル」の二重露光

【Photographs Of New York Times: Double Exposure Of “Soul”】

写真力。

大震災のニュース記事同様に膨大な量の写真が日本の新聞や雑誌にも載っている。テレビやユーチューブには、これまた膨大な量の津波映像などもある。もちろんすべてを見ているわけではないが、そんな中で、ニューヨーク・タイムズ紙が集めた写真がどれも秀逸だ。この中には日本のメディアやフリーランスの日本人フォトグラファーのものも多数含まれる。これを見ていると、報道写真の力強さを感じさせられる。そのあたりを考えてみた。

まず、ニューヨーク・タイムズ紙の写真は次のファイルにある。(遺体などの写真も含まれますので、ご注意ください)

http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html?scp=1&sq=earthquake,%20japan,%20photo&st=cse#1

ここには、2011年3月11日以来毎日写真が追加されており、25日午後5時現在で計212枚のカラー写真が掲載されている。トップページでは、最新の写真があり、右端の→ボタンを押すと、順に古いものになっていく。写真の下に英文で小さな文字だがキャプション(説明)が付けられている。横に撮影者のクレジットもある。

中には日本の新聞ではお目にかかれない多数の棺や、ブルーシートに包まれた遺体もある。そうした写真は、圧倒的な力で見る者を圧迫する。大惨事が、小さな悲劇の集合体であることが、その小さな悲劇を切り取ることによって別のアングルで浮かび上がる。



左・March 12, 2011
In the aftermath of the tsunami, a woman sat amid the debris in Natori.
Toshiyuki Tsunenari/Asahi Shimbun, via Associated Press

右・March 22, 2011
A boat sat atop a building in Otsuchi, Iwate Prefecture.
Hiroto Nomoto/Yomiuri Shimbun, via Associated Press
(このブログでは画素数が落ちてしまっているので、迫力がありませんが、オリジナルのリンクで大画面で見るとかなり迫力があります)


ビートたけしが、「この震災を『2万人が死んだ一つの事件』と考えると被害者のことを全く理解できない。そこには『1人が死んだ事件が2万件あった』ってことなんだよ」と言ったという。その通りだと思う。我々もふとテレビなどの震災死者数報道などを見ていると、2万人が死んだ震災と思ってしまいがちだ。1人の死が2万件はとてつもなく重い。いわば2万の物語、ドラマがあるのだ。

すぐれた報道写真は、1万文字書いても語りきれないものを、瞬時に人々に語りかける。ただのスナップと力を持った写真の違いだ。

おそらくニューヨーク・タイムズの写真は世界中のフォトグラファーが撮影した何万枚という写真の中から、目をサラのようにして選んでいるのだろう。写真力のある作品だ。

二重露光。

これだけの写真を撮影できるポイントは何か。

ストーリーやテーマがあるかどうか、被写体を撮影する写真家にしっかりとした物事の見方、確かな洞察力があるか、フォーカスする視点が明確か、などが大きなポイントだと思う。それが結局、写真に現れるのだろう。写真がひとつの媒体であるだけでなく、作品として昇華されているかのようにも感じられる。

一方、テレビやユーチューブでの映像は、あまりにリアルすぎる。本当のことがリアルタイムで起こっていて、生の感覚が見ている側に直接伝わってくる。それを見ていると、本物感が強烈なだけに、見ていても救われない感じがしてくるのだ。

ところが、これらの写真を見ていると、たとえそこに遺体が映されていても、ある意味、なぜか救われる感じがする。これはなぜなのだろう。よくわからない。

10分の動画よりも、たった1枚のスチール写真のほうが胸の奥にささる場合がある。

ニューヨーク・タイムズの写真は、報道写真とは何か、という根源的な問いを投げかけているような気もしてくる。

たぶん、ここにある写真群は、フォトグラファー(写真家)たちの「ソウル」と、被写体である悲しみと絶望の人々の「ソウル」という二者の「ソウル」が二重露光(ダブル・エクスポージャー)されて、映された写真ゆえに力を持っているのだと思う。

+++

ESSAY>Earthquake
NEWS>Earthquake
 ★△ナイル・ロジャーズ・ブログ 第62回(3月20日)~第66回(3月24日) □.

★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 

【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】

『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳

闘病記。

ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月20日~3月24日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。

前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください

このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています

【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】

第62回 日本と僕の復活
#62 Better Than Before

Written on Sunday, 20 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 20 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/288-walking-on-planet-c-better-than-before


ストレッチは嫌いな運動だが、今朝は大爆笑

ストレッチは嫌いな運動にもかかわらず、今朝は笑いが止まらなかった。ちょうどバーナードのインタヴューを見終えて、大爆笑したのだ。

バーナードがグループの解散と再結成について語っていた。彼は、僕たちが別居期間中も常に二人の間には愛があり、再結成したとき、「まるで(その間)何もなかったように、笑い始めた」と言っている。これはそれでも「世紀の過小評価」だ。そんなものではない。僕たちは(そのとき笑い始めたのではなく)四六時中爆笑していた。何でそんなに笑ってばかりいたのかはわからないのだが。

癌と診断されて以来、根治手術をし、今、癌が消滅し、僕は今まで以上に人生を満喫し、愛に感謝し、笑っている。

日本の友人が今日、こんなメーセージを送ってくれた。彼女は僕が襲われたこの事件でどれほど落ち込んでいるかを知っているからだ。「740年前から、日本にはこんな叡智に富んだ言い伝えがあります。『大悪起これば大善きたるー』」(悪いことが起こったら、その後にいいことがある、という言い伝え)(註1)

バーナードと僕が会わなくなったとき、本当に最悪だと感じた。(大悪) だが、また縁りを戻したとき、以前にも増して良い感じになった。(大善) そう、日本も以前よりも絶対に良くなるだろう。

(註1)この原文の前には「大事には小瑞なし(大きなことが起きる前には小さな前触れは起きない)」とある。これが転じて、「大きないいことの前には小さな前触れはない」とも読める。

++++

第63回 あのオールド・スクールの感覚よ、もう一度
#63 That Old-School Feeling Again

Written on Monday, 21 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 21 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/289-walking-on-planet-c-that-old-school-feeling-again


ウォーキングにでるとき歌っていたのは「アイ・ウォナ・ダンス」

朝のウォーキングに出るときル・クリブ・スタジオ(註1)で歌っていたのは「アイ・ウォナ・ダンス」だった。これはシック・オーガニゼーションとクール&ザ・ギャングが一緒に録音した新曲だ。

僕たちは一緒に曲を書き、プロデュースした。これは本当の意味でのコラボレーションで、レコーディング中はあのオールド・スクール(「昔懐かしい」と、音楽スタイルとしての「オールド・スクール」をかけている)な感覚が蘇った。

僕はいわゆるメインストリーム(主流、メジャーな)の音楽業界からずっとドロップアウトしている。もはや今の業界には何も興奮するところがないからだ。かつて夢に描いたことは自分でもほとんどすべて実現してしまった。

癌を生き延びてから人生観が変わった。死の淵を彷徨(さまよ)ったとき、自身が愛してきた多くのものを思い浮かべた。そして、たとえ、それが1回限りだとしても、あのオールド・スクールの感覚でレコードを作りたいと思った。

僕はこれまでに一度も、成功というものを自分が売ったレコードの枚数で評価したことはなかった。僕は、その作品作りから学べるものによって評価している。作品作りとはつねに、僕がスタジオで感じたものをいかに一般に伝えられるか、それを見極める実験とも言える。

ナイル・ロジャーズの『エヴリバディー・ダンス!』のアルバムに収められている作品群はすでに大成功を収めたものばかりだ。そこに実験的なボーナス・トラック「アイ・ウォナ・ダンス」が収録されているが、それはここに収められている他の曲が醸し出す「あのオールド・スクールの感覚よ、もう一度」と同じ感触を与えてくれる。

(註1)ナイルがコネチカット州に持っている自宅スタジオ。

4月に日本で先行発売されるエヴリバディ・ダンス!
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第64回 人生は素晴らしく、予期できない
#64 Life Is Beautiful and Unpredictable

Written on Tuesday, 22 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 22 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/290-walking-on-planet-c-life-is-beautiful-and-unpredictable


人生とは素晴らしきもの、そして、予期できぬもの

人生とは素晴らしきもの、そして、予期できぬもの。

まさに初めて春満開になった一日だった。だが、雪が降った。信じられない。僕はウォーキングを終えたが、外に出て、今シーズン最後の雪を楽しむべく、もう一度外に出てみた。

まるで童心に返ってか、あるいは、癌から生き延びたから、それともその両方の理由で、はしゃいでいるのか。たぶん両方だと思う!

人生で多くのことをやってきた。そしてこれからもまだたくさんやりたいことがある。まさに、人生とは素晴らしきもの、そして、予期できぬものだ。

癌告知以来、右手の筋力が失われることに最大の恐怖を感じていた。今、ほぼそれは100パーセントまで戻り、東京で逝去したバーナード・エドワーズの15周年を記念するコンサートに日々近づいている。

日本に行きたい、プレイをしたい、歌いたい、「アイ・ウォナ・ダンス(踊りたい)」。

人生とは素晴らしきもの、そして、予期できぬもの。

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ナイル・ロジャーズ著 第65回(3月23日)

【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】

第65回 たまには過去を訪れて
#65 A Nice Place to Visit

Written on Wednesday, 23 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 23 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/291-walking-on-planet-c-a-nice-place-to-visit


僕は昔のあの頃がどれほど楽しかったに思いを寄せた

朝のウォーミング・アップをしている間、僕は昔のあの頃がどれほど楽しかったに思いを寄せた。僕の人生は、ライヴ・ミュージック(生演奏の音楽)に囲まれていた。それは本当に「グッド・タイムス(いい時代)」だった。ある程度、今もそうであればと思う。ただ僕は過去にしがみつこうというのではない。過去を、振り返って訪ねてみるのもいいものだと、言っているのだ。

2010年10月27日、悪性の癌と診断されて以来、もうあまり長くはライヴ・ミュージックをプレイできないだろうと思った。だが、僕には優秀な医師団がいて、強力な幸運が味方につき、素晴らしい友達がいた。その結果、今日、僕は依然しっかりと生きてこの物語を語っている。

かつてのあの頃、どれほどパーティー三昧をしても、僕自身から僕を救ってくれたのは、音楽に対する純粋な気持ち、音楽への愛だった。まったく何もないところから、まとまったコンセプトを作り上げていくクリエイティヴな作業ほど、やりがいのあるものはそう多くはない。

僕はこの「アイ・ウォナ・ダンス」をクール&ザ・ギャングとともに出来たことをとても誇りに思っている。クールたちは、僕がティーンエイジャーだった頃から音楽的に意識してきた伝説的グループだからだ。だが、僕は過去にしがみつこうとしているわけではない。ただ、過去を振り返り、ときには訪ねてみるのもいいものだと言いたいのだ。

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シック&クール&ザ・ギャング「アイ・ウォナ・ダンス」 フル・ヴァージョン発表!!
オリジナルのサイトのビデオをごらんください


左・ロバート・クール・ベル(クール&ザ・ギャング=以下K&Gベース)、右・ナイル・ロジャーズ(シック)


左・ジョージ:ブラウン(ドラムス、キーボード、K&G)、右・リッチ・ヒルトン(キーボード、シック)


左・ラルフ・ロール(ドラムス、シック)、右・カリース・ベル(サックス、ヴォーカル、K&G)


左・デニス・トーマス(サックス、K&G)、右・ミリサ・ヒミネス(ヴォーカル、シック)


左・ビル・ホロマン(サックス、シック)、右・キム・デイヴィス(ヴォーカル、シック)

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ナイル・ロジャーズ著 第66回(3月24日)

【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】

第66回 可能な限り最高の人生
#66 The Best Life Possible

Written on Thursday, 24 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 24 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/292-walking-on-planet-c-the-best-life-possible#disqus_thread



わかった。そうか、僕は間違っていたんだ。今朝、また雪が降った。だが言い訳をすれば、こうも言ったはずだ。「人生とは予期できぬもの」。

僕は自分が癌に侵されるとは決して予期できなかった。そして先週、検査で癌消滅の結果がでることも予期できなかった。

癌が「再発しない限りは癌消滅」だということは十分わかっている。癌消滅を維持するために、最大限努力はするが、それ以上に大事なのは「可能な限り最高の人生」を送るべく最大限努力することだ。僕にはそれしかなす術はないからだ。僕の身に起こったこと、周辺に起こったことを僕は直接的にはコントロールできない。僕がコントロールできるのは、そのことが起きたときに僕が対処することだけだ。

15年前、東京でバーナード・エドワーズが亡くなったとき、僕は「可能な限り最高の人生」を謳歌していた。僕が盟友であるベース奏者を失い、死がバーナードと僕を分かち、彼がギター奏者を失った後も、日本の人々はシック・オーガニゼーションを存続させる力を与えてくれた。僕たちが「ヒトミ・ナンバー1」あるいは、「ヒット・ミー(Hit Me)」と呼ぶ日本の特別なファンは、はるばるアメリカまで来てバーナードの全葬儀に参列してくれた。彼は今や、シック・オーガニゼーションの一員である。

僕はこれからもずっとバーナード・エドワーズ、トニー・トンプソン、ルーサー・ヴァンドロス、シック・オーガニゼーション、そして、日本の人々に感謝を捧げ、恩義を感じ続ける。彼らはみな、僕が「可能な限り最高の人生」を送るための意欲を授けてくれるのだ。




上左・バーナード、上右・トニー・トンプソン、下ルーサー・ヴァンドロス

Walking on Planet C>62-66>Better Than Before / That Old-School Feeling Again / Life Is Beautiful and Unpredictable / A Nice Place To Visit / The Best Life Possible
◆被災地にたなびく赤い旗 ~看護士の方のブログ

【Flag Flowing Suffered Area】

ブログ。

東日本大震災の被災地に派遣された看護士の方(匿名・都内在住・女性)が、派遣されていた約1週間のことを自身のブログに書いた。これを知り、膨大な量でかなり読むのにも時間がかかったが、全部読んだ。感銘を受けたので、ご紹介したい。このブログは彼女が2011年3月23日午後に帰京してアップされたようだ。

JKTS
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

ここに、3月16日から23日までのことがほぼ1日ずつに分けられて描かれている。派遣されるときの生半可な気持ちで行くな、という言葉から始まり、壮絶な現場入り。「被災者の前で泣いてはいけない」「次から次へとでてくる遺体」「さまざまな物資の不足」「劣悪な環境」。現場で仕事をされた方ならではの描写に胸を打たれる。これは新聞やテレビなどのマスメディアにはほとんど出てこない、生のリアルな情報だ。メディアはどうしても俯瞰した全体像しか捉えようとしない。こうした下からのフィールド・レポートという視点がないので、本当に貴重だ。

このブログによると、瓦礫に覆われた被災地にはあちこちに赤い旗が立てられているという。それは、遺体が発見された場所を記す目印だという。それがそれこそあちこちに立てられていて、その惨状のすさまじさを物語る。

かと思えば、この1週間あまりの短い滞在中、知り合った6歳の女の子とのふれあいには思わず目頭が熱くなった。

27日(日)午後11時半現在ですでに360件以上のコメントがよせられている。僕は『ソウル・ブレンズ』のDJチーちゃんから教わって、番組中ひたすら携帯で読んでいたのだが、その頃はコメントも150件程度だったと記憶するので、いま、相当読まれているのだろう。ツイッターなどでもたくさん紹介されている。

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停電。

ところで、そのチーちゃんの住んでいるエリアはすでに計画停電で2度停電したそうだ。やはり、超不便になるが、真っ暗になると、意外と自分の部屋でも何がどこにあるか覚えていない、わからない、という。そして、結局、やることもないので、布団に入ってねちゃう、そうだ。

また、一度車ででているときに停電になったが、信号が止まることが本当に怖いという。真っ暗なところで、突然、自転車が横から出てきたりする。

冷蔵庫は、停電中は、もう何がなんでも開けないことにしているそうだ。

今回の大震災は、直接的な被災者でもない僕たちも、その後の状況で、まるで「二次被災」しているようなものだ。原発問題も含めて相当な長期戦になるものと覚悟を決めなければならない。

まだまだ出口の見えないトンネルの中にいる。

■東日本大震災関連記事

2011年03月26日(土)
ニューヨーク・タイムズの震災写真~「ソウル」の二重露光
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10841006248.html

2011年03月21日(月)
大震災~節電も不便もすぐに慣れる
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10835930782.html

2011年03月17日(木)
日本復興と絆
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10832394911.html

2011年03月16日(水)
311 Catastrophe : My Thoughts For Earthquake
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10831890596.html

2011年03月14日(月)
巨大地震=東日本大震災
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10829793774.html

2011年03月13日(日)
東北地方太平洋沖地震
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10828766120.html

ESSAY>
◆「フライ・ジン(Fly-Jin)」新語登場

【Fly-Jin is New Word】

新語。

言葉は生き物。新しい言葉はいつでも、どこでも生まれる。

昨日僕が知った言葉。それは、Fly-Jin(フライ・ジン)。フェイスブックで見かけて、なんだろうなあと思って、いろいろ読んでみたり、ググってみると、すでにたくさん使用例がでている。

Fly-Jinとは、飛行機で東京(あるいは日本)から逃げていく外国人のことを指す。311以来、放射能問題が報道されてから、成田が一挙に活気付き、外国人出国ラッシュが起こった。そのあたりで出来た言葉らしい。そうした人々をFly-Jin (Fly と Gaijinをあわせて)と呼ぶようになった。

そして、そのFly-Jinたちがそろそろ、日本に戻り始める例もでてきている。すると、こんどはその彼らを、日本にずっと留まっていた人々が白い目で見るようになることも起こっているそうだ。

タイム・アウトのウェッブ版(2011年3月23日付け)では、すでに大挙して日本を脱出する外国人についてリポートしていた。

Don’t call me ’flyjin’
Time Out talks to a few of the foreigners who left Tokyo
http://www.timeout.jp/en/tokyo/feature/2672/Dont-call-me-flyjin
日本語版
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2692

おもしろいのが、外国人は「まず家族、そして、会社」というメンタリティーだが、日本人は「まず会社、そして、家族」というメンタリティーだ、と考えられていること。なるほど、一般論的にはそうなのかなあ、という気もしてくる。

ところで、彼ら外国人が日本を出国したのは、地震・津波のせいではない。例の原発問題ゆえだ。原発、放射能に関しては彼らは日本人以上にナーヴァスだ。そしてさまざまな情報を得ようとするが、実際日本の政府・東電の発表はまったくあてにならない。すべてが後手後手に回っていて、その対処も不安を増幅するだけ。それゆえ、彼らが日本を出たのはいたしかたないだろう。

このまま放っておくと、地震以上の災害になる可能性がある。今の政府・東電に処理能力がないことはよくわかった。外圧でいいので、どこかリーダーシップをとって、ガツンと処理して欲しい。

今回知ったのだが、河野太郎・衆議院議員は、以前からこの原発問題を取り上げていて、とてもわかりやすく説明しており、ひじょうに信頼できると思った。

河野太郎ブログ
http://www.taro.org/gomame/

彼が東電の圧力でテレビにでられなくなったという話をきいて、さもありなんと感じた。

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昨日紹介したナース(看護師)ブログ。多くのツイッターでリツイートされたり、「ほぼ日」やさまざまなブログで紹介され、一挙に広まっている。さきほど見たら、コメントが1200を越えていた。どなたも、みなこの長文を一気に読んでいるようだ。3月28日14時20分すぎに、本人が「こちらこそありがとうございます。」という一文をアップしている。

http://blog.goo.ne.jp/flower-wing


■東日本大震災関連記事

2011年03月28日(月)
被災地にたなびく赤い旗 ~看護士の方のブログ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110328.html

2011年03月26日(土)
ニューヨーク・タイムズの震災写真~「ソウル」の二重露光
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10841006248.html

2011年03月21日(月)
大震災~節電も不便もすぐに慣れる
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10835930782.html

2011年03月17日(木)
日本復興と絆
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10832394911.html

2011年03月16日(水)
311 Catastrophe : My Thoughts For Earthquake
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10831890596.html

2011年03月14日(月)
巨大地震=東日本大震災
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10829793774.html

2011年03月13日(日)
東北地方太平洋沖地震
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10828766120.html

ESSAY>
○シック来日記念CDリリース~シック歓迎イヴェント

【Chic/Nile Rodgers: Countdown To Show】

来日。

ナイル・ロジャーズ率いるシックが4月に来日。2011年4月12日コットンクラブからツアーが始まる。今回は、ナイルにとっては盟友でありベース奏者だったバーナード・エドワーズが1996年4月18日に東京でのライヴ後に死去して15周年、また本人も癌宣告からの復活という意味で、いつになく大きな意味を持つライヴ・ショーとなる。

この15周年を機に、シックの来日記念CDのリリース、歓迎イヴェントなどがいくつか行われる。

CDは、『エヴリバディ・ダンス!』と題され、2枚組み。1枚目がシック自体のヒット曲集。2枚目がシック、ナイル・ロジャーズがプロデュースした作品を集めている。特にプロデューサーズ・サイド(2枚目)では、一般的なコピレーション・アルバムではなかなか収録許可がおりないマドンナやデイヴィッド・ボウイの作品も収録され、文字通りナイル/シックの集大成的アルバムに仕上がっている。これは、ナイル本人がボウイらの事務所に直接交渉し、実現した。また、ここにはクール&ザ・ギャングとの新録による新曲「アイ・ウォナ・ダンス」が収録される。ライナーノーツ・吉岡正晴。

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ナイル・ロジャーズの癌闘病ブログ(毎日更新)については、本ソウル・サーチン・ブログで毎日翻訳アップデートしているのはご存知の通り。
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html
2011年1月14日に最初のブログがアップされて以来、毎日更新されている。日本語版はナイル本人の了承を得て、本ソウル・サーチン・ブログで2-3日程度に1回まとめて紹介している。なお、日々の文字のみの仮訳は、ツイッターで毎日すぐにご紹介している。

◎ナイル・ロジャーズ/シック・ツアー公演 

コットンクラブ=2011年4月12日(火曜)
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/schedule/index.php?yr=2011&mn=04#

ブルーノート公演=2011年4月14日(木曜)~18日(月曜)
http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/nile-rodgers/

大阪・心斎橋 クラブ・クアトロClub Quattro=2011年4月20日(水曜)
http://www.smash-jpn.com/band/2011/04_nilerogers/index.php
6:30PM/7:30PM

◎ナイル・ロジャーズ恒例ギター・コンテスト
http://www.bluenote.co.jp/jp/event/chic-guitar-contest/

▽歓迎イヴェントは次の通り。

◎ナバーナ六本木。ナイル・ロジャーズ・トリビュート・ナイト
2011年4月9日(土)
http://www.nirvana08.net/index.html

4.9sat. 7:00p.m.-1:00a.m.
六本木ナバーナ
tel : 03-5771-2760 
http://www.nirvana08.net
DJ AKIRA, OSSHY
80年代六本木でOPENし一世風靡した伝説のDiscotheque。ナイル・ロジャーズの直筆サイン入りCDプレゼント等の企画もあり。Inter FM「SOUL BLENDS」(毎週日曜 13:00~15:00)も大プッシュのスペシャルパーティー。

◎フィアット・スペース青山 2011年3月31日(木)と4月18日(月)
http://fiatcaffe.jp/space/331thu-nile-rodgers-chic-welcome-back-to-japan-tribute-party/

★3月31日木曜日

NILE RODGERS & CHIC
WELCOME BACK TO JAPAN
TRIBUTE PARTY
18:00-LATE

MEN: 2500YEN W1D+ FINGER FOOD
LADY: 2000YEN W1D + FINGER FOOD
FLYER 持参で500円割引
フードは、21時までとなっております。
18:00-21:00 HAPPY HOUR 500YEN DRINK あり

★4月18日月曜日
NILE RODGERS & CHIC
AFTER PARTY 後夜祭

21:00-LATE

2000YEN WITH ONE DRINK
(整理券を発行いたしますのでご予約を承っております。定員60名様のみ)

予約方法:
FACE BOOK もしくは、FIAT SPACEのTWITTERからお名前と人数を送って頂きますとこちらから整理番号をお送り致します。TWITTER以外の場合、FIAT SPACEまでお電話もしくは、メールにてご予約をお待ちしております。

◎日比谷DIANA
2011年4月13日(水)午後7時~12時
tel : 03-5501-1115 http://www.clubdiana.jp

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ANNOUNCEMENT>Chic
◎ 佐藤英里(ひらり)・ロビー・コンサート~「可能性」と「将来」と「夢」

【Satoh Hirari Lobby Concert: Prospect, Future, & Dream】

9歳。

昨年のゴールド・コンサート(下記過去記事参照)で準優勝を果たした新潟県のシンガー・ソングライター、佐藤英里(さとう・ひらり)ちゃんが、2011年3月29日小さなロビー・コンサートを東京で開いた。当初は、別の会場で予定されていたが、東北大震災の影響でそこでのイヴェントができなくなり、急遽六本木のノビルデューカというイヴェントスペースでの開催となった。

今回はゴールド・コンサートを主催するNPO法人日本バリアフリー協会が主催。元々アメリカのジャズ・シンガーで、前回ゴールド・コンサートの審査員を務めていたオーラ・リードさんと一緒にやる予定だったが、やはり震災の影響で来日できなくなり、急遽、ゴールド・コンサート第3回の優勝者、ダージリンさんが出演した。約40名が観覧。ユーストリームでも生中継した。


左・ダージリンさん、右・佐藤英里(ひらり)さん

ピアノの弾き語りで全5曲、最後にダージリンさんと一緒に2曲を披露した。ひらりちゃんは、まだ9歳。来月10歳になる。いきものがかりから、美空ひばり、そして、ヴァネッサ・カールトンまで、ヴァラエティーに富んだ選曲。

曲間のMCでも、なかなかおもしろいことを言う。「私が好きな食べ物は、おくらとメカブです。ネバネバ・ズルズルが好きです。納豆も。いくらや生卵も好きです」 「将来の夢はなんですかと聞かれたら、昔は、『歌手です』と答えていましたが、今は、『シンガー・ソングライター』です」 ハキハキとマイクの前でしゃべる。9歳にとっての「昔」とは、果たして、何年前、なんて思って見ていた。本人は、始まったあたりで、声がうまくでなかったことを気にしていた。

アンコールでは、教科書にも使われている赤い鳥の「翼をください」を、「みなさんも一緒に歌ってください」と観客に語りかけた。

間違いなく音楽の才能があり、これから、歌、ヴォイス・トレーニングなど、可能な限り音楽の基礎、基本を勉強し、たくさん良質の音楽を聞いて、まっすぐ進めば、無限の可能性を秘める。

この震災被災で日本自体が精神的に沈没中の今、「可能性」「将来」「夢」というものを間近に見て嬉しかった。

翌日、バリアフリー協会の貝谷さんのところでひらりちゃんに会った。にこにこして、いつも元気に飛び跳ねている。「誰とでも人見知りしないで、おしゃべりするんですよ」とお母さんの絵美さん。この明るさは最高にいい。昨年のゴールド・コンサートでの準優勝以来、地元ではあちこちから声がかかるようになったという。

「可能性」「将来」「夢」っていい言葉だ。


甘いパンが好きです

■過去関連記事

2010年10月05日(火)
ゴールド・コンサート第7回~9歳の少女佐藤英里さん「アメージング・グレイス」で観客を圧倒~初のスター誕生か
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10666809323.html

■セットリスト 佐藤英里、ダージリン・ライヴ @ノビルデューカ、2011年3月29日
( )=オリジナル

佐藤英里
performance started 18:10
01.ありがとう (いきものがかり)
02.愛燦燦(あい・さんさん) (美空ひばり)
03.A Thouthsand Miles (Vanessa Carlton)
04.ふるさと (トラディショナル)
05.Amazing Grace (トラディショナル、本田美奈子)
Performance ended 18:38

ダージリン(Darjiling)
MC started 19:00
01.
02.
03.
04.ヒーロー
05.
Enc1. You Raise Me Up [ダージリン+佐藤英里](ケルティック・ウーマン、シークレット・ガーデン、ジョッシュ・グローバン)
Enc2. 翼をください [ダージリン+佐藤英里](赤い鳥、川村かおり・他)
Show ended 19:51

(2011年3月29日火曜、六本木・ノビルデューカ、佐藤英里&ダージリン・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Satou, Hirari / Darkiling
2011-

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