★マーヴィン・ゲイ命日~エイプリル・フールの衝撃
2011年4月1日 音楽★マーヴィン・ゲイ命日~エイプリル・フールの衝撃
【Marvin Gaye’s Death Anniversary】
命日。
大震災のニュースばかり見ているとどんどんと落ち込んでいく。これはまさにネガティヴ情報の洪水、津波だ。東京にいても精神的に二次被災している気持ちだ。落ち込んでばかりもいられない。年度も変わったので、心機一転行こうと思う。
さて、4月1日といえば、マーヴィン・ゲイの命日。マーヴィンの話を少しばかり。
1984年4月1日、マーヴィン・ゲイが実の父親の銃弾に倒れた。翌日(4月2日)に誕生日を控えての急死だった。44歳での死去だった。
このニュースは日本では時差の関係で翌日4月2日(月)午後に届いた。ちょうどテレビ朝日がアメリカの放送局CNNと提携し、CNNの映像を流し始め、その初日のニュースのひとつとなった。4月1日死去というニュースで、ほんとうにたちの悪いエイプリル・フールかと思った。
いつも、4月1日になると、マーヴィンのことを思い出す。
マーヴィンは一度1979年秋に来日して武道館公演が2日あったので、両日見た。あんなセクシーなシンガーを見たのは初めてだった。それはそれは衝撃だった。
その後1983年8月、ロス・アンジェルスで彼のライヴを見た。グリークシアターだったと思う。屋外の会場だ。1979年に見たときとはまったく違い、自信にあふれ、堂々としていたように見えた。もちろん、1982年秋からの「セクシュアル・ヒーリング」の大ヒットを受けてのライヴ、しかも、文字通り『ホーム』でのライヴだけに観客も熱狂的で、のりも全然ちがった。
しかし、ステージ横にいるボディーガードの存在がものすごく異様に感じられた。
1985年、デイヴィッド・リッツによって書かれたマーヴィンの自伝『引き裂かれたソウル』が全米リリースされ、それを読むと、マーヴィンの人となりが本当によくわかった。
来日時には、相当メンタルで落ちていたこと、ハワイ、ヨーロッパでの隠遁生活中だったこと、ドラッグ中毒はかなりのところまで行っていたことなど、知らないことがたくさん書かれていた。
その後2009年5月、マーヴィンの自伝の存在を知ってから四半世紀を経て、その翻訳をてがけリリースした。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860203186/soulsearchiho-22/ref=nosim/
イヴェント『ソウル・サーチン』でも、2006年4月1日にマーヴィン・ゲイをとりあげた。
マーヴィン・ゲイに関して書いたものは多数ある。いくつかピックアップしてご紹介。お時間あるときにでも、どうぞ。下記のリンクをピックアップしていたら、思わず自分でも古い記事を読んでしまった。(笑)
2009年04月01日(水)
マーヴィン・ゲイ、1984年4月1日、ロス・アンジェルス
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10234220188.html
マーヴィン・ゲイ自伝『引き裂かれたソウル』著者、デイヴィッド・リッツ・インタヴュー
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/interview/ritz19940509.html
2002/10/22 (Tue)
What’s Going On -3-
マーヴィン・ゲイ・「ホワッツ・ゴーイング・オン」について
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200210/diary20021022.html
2010年07月08日(木)
ハーヴィー・フークワ80歳で死去~ムーングロウズのリード・シンガー:マーヴィン・ゲイの育ての親
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10584608240.html
2009年10月16日(金)
グレイト・ストーリーテラー、リオン・ウェアはノンストップでしゃべる
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10365609468.html
マーヴィン・ゲイの傑作『アイ・ウォント・ユー』を作ったリオン・ウェアがマーヴィンを語る
2009年06月21日(日)
マーヴィン・ゲイ人物相関図
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10284488546.html
2009年05月11日(月)
アーニー・バーンズ70歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10258761217.html
『アイ・ウォント・ユー』のジャケットを描いたアーニー・バーンズについて。
2009年04月28日(火)
ユーミン、マーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」を語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10250444144.html
2009年04月08日(水)
マーヴィン物故者高額所得番付に13位で初登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10238620798.html
2009年01月22日(木)
オバマに望む3つの奇跡~就任演説を聴いて
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10196105585.html
オバマ大統領とマーヴィンの『ホワッツ・ゴーイング・オン』について。
2009年01月07日(水)
マーヴィン・ゲイ自伝~『ディヴァイデッド・ソウル(引き裂かれたソウル)』について
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10188810497.html
■ホワッツ・ゴーイング・オン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007FOMP/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■アイ・ウォント・ユー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000060NN/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■レッツ・ゲット・イット・オン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007FOMQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■セクシュアル・ヒーリング~紙ジャケットで再リリース
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004KBHC6A/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Gaye, Marvin
【Marvin Gaye’s Death Anniversary】
命日。
大震災のニュースばかり見ているとどんどんと落ち込んでいく。これはまさにネガティヴ情報の洪水、津波だ。東京にいても精神的に二次被災している気持ちだ。落ち込んでばかりもいられない。年度も変わったので、心機一転行こうと思う。
さて、4月1日といえば、マーヴィン・ゲイの命日。マーヴィンの話を少しばかり。
1984年4月1日、マーヴィン・ゲイが実の父親の銃弾に倒れた。翌日(4月2日)に誕生日を控えての急死だった。44歳での死去だった。
このニュースは日本では時差の関係で翌日4月2日(月)午後に届いた。ちょうどテレビ朝日がアメリカの放送局CNNと提携し、CNNの映像を流し始め、その初日のニュースのひとつとなった。4月1日死去というニュースで、ほんとうにたちの悪いエイプリル・フールかと思った。
いつも、4月1日になると、マーヴィンのことを思い出す。
マーヴィンは一度1979年秋に来日して武道館公演が2日あったので、両日見た。あんなセクシーなシンガーを見たのは初めてだった。それはそれは衝撃だった。
その後1983年8月、ロス・アンジェルスで彼のライヴを見た。グリークシアターだったと思う。屋外の会場だ。1979年に見たときとはまったく違い、自信にあふれ、堂々としていたように見えた。もちろん、1982年秋からの「セクシュアル・ヒーリング」の大ヒットを受けてのライヴ、しかも、文字通り『ホーム』でのライヴだけに観客も熱狂的で、のりも全然ちがった。
しかし、ステージ横にいるボディーガードの存在がものすごく異様に感じられた。
1985年、デイヴィッド・リッツによって書かれたマーヴィンの自伝『引き裂かれたソウル』が全米リリースされ、それを読むと、マーヴィンの人となりが本当によくわかった。
来日時には、相当メンタルで落ちていたこと、ハワイ、ヨーロッパでの隠遁生活中だったこと、ドラッグ中毒はかなりのところまで行っていたことなど、知らないことがたくさん書かれていた。
その後2009年5月、マーヴィンの自伝の存在を知ってから四半世紀を経て、その翻訳をてがけリリースした。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860203186/soulsearchiho-22/ref=nosim/
イヴェント『ソウル・サーチン』でも、2006年4月1日にマーヴィン・ゲイをとりあげた。
マーヴィン・ゲイに関して書いたものは多数ある。いくつかピックアップしてご紹介。お時間あるときにでも、どうぞ。下記のリンクをピックアップしていたら、思わず自分でも古い記事を読んでしまった。(笑)
2009年04月01日(水)
マーヴィン・ゲイ、1984年4月1日、ロス・アンジェルス
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10234220188.html
マーヴィン・ゲイ自伝『引き裂かれたソウル』著者、デイヴィッド・リッツ・インタヴュー
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/interview/ritz19940509.html
2002/10/22 (Tue)
What’s Going On -3-
マーヴィン・ゲイ・「ホワッツ・ゴーイング・オン」について
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200210/diary20021022.html
2010年07月08日(木)
ハーヴィー・フークワ80歳で死去~ムーングロウズのリード・シンガー:マーヴィン・ゲイの育ての親
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10584608240.html
2009年10月16日(金)
グレイト・ストーリーテラー、リオン・ウェアはノンストップでしゃべる
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10365609468.html
マーヴィン・ゲイの傑作『アイ・ウォント・ユー』を作ったリオン・ウェアがマーヴィンを語る
2009年06月21日(日)
マーヴィン・ゲイ人物相関図
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10284488546.html
2009年05月11日(月)
アーニー・バーンズ70歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10258761217.html
『アイ・ウォント・ユー』のジャケットを描いたアーニー・バーンズについて。
2009年04月28日(火)
ユーミン、マーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」を語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10250444144.html
2009年04月08日(水)
マーヴィン物故者高額所得番付に13位で初登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10238620798.html
2009年01月22日(木)
オバマに望む3つの奇跡~就任演説を聴いて
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10196105585.html
オバマ大統領とマーヴィンの『ホワッツ・ゴーイング・オン』について。
2009年01月07日(水)
マーヴィン・ゲイ自伝~『ディヴァイデッド・ソウル(引き裂かれたソウル)』について
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10188810497.html
■ホワッツ・ゴーイング・オン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007FOMP/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■アイ・ウォント・ユー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000060NN/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■レッツ・ゲット・イット・オン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007FOMQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■セクシュアル・ヒーリング~紙ジャケットで再リリース
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004KBHC6A/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Gaye, Marvin
★マーヴィン・ゲイ・誕生日トリビュート
2011年4月2日 音楽★マーヴィン・ゲイ・誕生日トリビュート
【Marvin Gaye Tribute Songs】
トリビュート。
昨日は、マーヴィン・ゲイの命日だが、今日(4月2日)は、マーヴィン・ゲイの誕生日。1939年(昭和14年)4月2日生まれなので、ウサギ年だ。もし生きてれば今日で72歳になった。年男だ。
そこで、おもいつくままにマーヴィン・ゲイ・トリビュート・ソングを。
マーヴィンが1984年4月1日に死去して以来、一番最初に出たのは、ダイアナ・ロスの「ミッシング・ユー」、1984年11月にリリースされ、ソウル・チャートで1位になった。その後1985年1月、コモドアーズの「ナイトシフト」が登場。これもソウルで3位。その後は、雨の後竹の子というかんじでたくさんでた。
Diana Ross-"Missing You",
Commodores-"Nightshift",
Teena Marie-"My Dear Mr.Gaye",
Maze-"Silky Soul"
Edwin Starr “Marvin”,
Speech--Like Marvin Gaye Said
Bobby Brown : Rockwithcha (これはトリビュートということではなく、マーヴィンの名前が歌詞にでてきます)
Sylvia & Kevin Keyes “Love Overture/ Distant Lover”
ちょっとユーチューブを集めてみた。たぶん、もっとあるでしょう。あと、マーヴィン・ゲイの名前が出てくるというだけの楽曲だと、さらにありそう。
Diana Ross-"Missing You",
http://www.youtube.com/embed/aVlbbk4SPC4
Commodores-"Nightshift",
http://www.youtube.com/embed/FrkEDe6Ljqs
Teena Marie-"My Dear Mr.Gaye",
http://www.youtube.com/embed/F7-JmJQWWFM
Maze-"Silky Soul"
http://www.youtube.com/embed/rI7gBu5m45s
Edwin Starr “Marvin”,
http://www.youtube.com/embed/OuTpWzN_SKM
Speech - Like Marvin Gaye Said
http://www.youtube.com/watch?v=xIG6Qgntm44&feature=player_detailpage
Bobby Brown : Rockwithcha
http://www.youtube.com/embed/eI0-n3bkRno
Sylvia & Kevin Keyes “Love Overture/ Distant Lover”(ラヴスミスさん情報)
あと、こんなのあったんだ。(笑) 「ホワッツ・ゴーイング・オン」が「いつが都合いいの?」 これ、グッチ裕三さんかな。受けた!
http://www.youtube.com/embed/WTl6qX1D5As
ENT>MUSIC>Gaye, Marvin
【Marvin Gaye Tribute Songs】
トリビュート。
昨日は、マーヴィン・ゲイの命日だが、今日(4月2日)は、マーヴィン・ゲイの誕生日。1939年(昭和14年)4月2日生まれなので、ウサギ年だ。もし生きてれば今日で72歳になった。年男だ。
そこで、おもいつくままにマーヴィン・ゲイ・トリビュート・ソングを。
マーヴィンが1984年4月1日に死去して以来、一番最初に出たのは、ダイアナ・ロスの「ミッシング・ユー」、1984年11月にリリースされ、ソウル・チャートで1位になった。その後1985年1月、コモドアーズの「ナイトシフト」が登場。これもソウルで3位。その後は、雨の後竹の子というかんじでたくさんでた。
Diana Ross-"Missing You",
Commodores-"Nightshift",
Teena Marie-"My Dear Mr.Gaye",
Maze-"Silky Soul"
Edwin Starr “Marvin”,
Speech--Like Marvin Gaye Said
Bobby Brown : Rockwithcha (これはトリビュートということではなく、マーヴィンの名前が歌詞にでてきます)
Sylvia & Kevin Keyes “Love Overture/ Distant Lover”
ちょっとユーチューブを集めてみた。たぶん、もっとあるでしょう。あと、マーヴィン・ゲイの名前が出てくるというだけの楽曲だと、さらにありそう。
Diana Ross-"Missing You",
http://www.youtube.com/embed/aVlbbk4SPC4
Commodores-"Nightshift",
http://www.youtube.com/embed/FrkEDe6Ljqs
Teena Marie-"My Dear Mr.Gaye",
http://www.youtube.com/embed/F7-JmJQWWFM
Maze-"Silky Soul"
http://www.youtube.com/embed/rI7gBu5m45s
Edwin Starr “Marvin”,
http://www.youtube.com/embed/OuTpWzN_SKM
Speech - Like Marvin Gaye Said
http://www.youtube.com/watch?v=xIG6Qgntm44&feature=player_detailpage
Bobby Brown : Rockwithcha
http://www.youtube.com/embed/eI0-n3bkRno
Sylvia & Kevin Keyes “Love Overture/ Distant Lover”(ラヴスミスさん情報)
あと、こんなのあったんだ。(笑) 「ホワッツ・ゴーイング・オン」が「いつが都合いいの?」 これ、グッチ裕三さんかな。受けた!
http://www.youtube.com/embed/WTl6qX1D5As
ENT>MUSIC>Gaye, Marvin
◎ インコグニート「イッショニタテナオソー!」
2011年4月3日 音楽◎インコグニート「イッショニタテナオソー!」
【Let’s Rebuilt Japan, Together Said Bluey】
建て直し。
親日家と言う言葉ではもはや表せないほど日本に根付いているブルーイ、そして、彼が率いるグループ、インコグニート。2010年11月以来、半年あけずの来日。
そのオープニングの一言は「イッショニ、タテナオソー」だった。ブラック・ミュージック、グルーヴィーな曲が好きなイギリス本拠のミュージシャンたち(ブルーイは、モーリシャス出身)が、ブラック・ミュージックをポップにわかりやすくパフォーマンスする。それがリアル・ミュージシャンによるリアル・ミュージックとなって、ファンを魅了という感じだ。
4曲目「パリジャン・ガール」は、1979年の作品。ブルーイはステージで「グループが出来た頃に時計を戻そう。1979年、当時、僕たちに(オリジナルの)曲はなかった。そこで、スタジオに入ってみんなでジャム・セッションを繰り広げた。これはそうやってジャムった曲」と解説した。
驚いたのがこの曲の次。ブルーイが「日本の素晴らしいギタリストと一緒にレコーディングをすることになった。その彼をご紹介しよう」と言って紹介したのが、小沼ようすけだった。二人は冒頭でかなりギターの掛け合いを繰り広げ、「コリブリ」を演奏。かなりいい感じだった。
インコグニートと小沼ようすけ、さらに数人の日本人シンガーも参加し、震災へのチャリティー・ソングを録音する、とブルーイはステージで発表。この日ライヴ後にスタジオに入ってレコーディングするという。
前回も印象が強かった女性ヴォーカル、ヴァネッサは相当な声力の持ち主だ。
インコグの音を聴いていると、本当にアース・ウィンド&ファイアーや、クール&ギャングといったファンキーなバンドを聴いて気に入った連中が、楽しくそうした音楽を演じているという雰囲気が実によく伝わる。前にも書いたかもしれないが、日本でも同様のコンセプトのバンドがあってもいいような気がする。
最後にブルーイが話しかけた。「僕が子供の頃、いつかきっと自分は日本に行くだろうと思った。でも、その頃は、それが怖かった。というのも、そこがとても暗い国のように思えてからだ。そして、初めて来て、それは違った。広島に行ったとき、市民も明るく、街も明るかった。あそこの場所も、再建したのだ。ストリートで会った人に微笑みかけると、相手も微笑を返してくれた。これは素晴らしいと思った。だから思う。あなたたちは、また元に戻れます。You can come back。広島がカンバックしたように、日本はカンバックします」(拍手)
そして、エンディング。「歴史は僕に語りかける。日本のみなさんは、必ず、復活します。歴史がそう語っています」「肌の色、人種を越え、ワン・ネーション・アンダー・ア・グルーヴ!」と最後にあいさつをしてショーを締めくくり、ボブ・マーリーの「ワン・ラヴ」が流れた。インコグのエンディングはいつも、この「ワン・ラヴ」だ。
■過去関連記事
2010年11月20日(土)
インコグニート・ライヴ~匿名性からほとばしり出るグループとしての独自性
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10711972464.html
2008年03月04日(火)
インコグニートは親日家
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080304.html
2008年03月06日(木)
インコグニートのブルーイ語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080306.html
2002/11/26(TUE)
Grandfather’s lesson
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200211/diary20021126.html
インコグニート(ジャン・ポール・ブルーイ・モニーク)インタヴュー
『トラヴェリング・ミュージシャンのソウル』(2002年12月10日)
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/interview/incognito20021210.html
2002/12/19 (Thu)
One Nation Under A Groove
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200212/diary20021219.html
■最新作『トランスアトランティック』
トランスアトランティック・RPMposted with amazlet at 10.11.19インコグニート
Pヴァイン・レコード (2010-07-14)
売り上げランキング: 1305
Amazon.co.jp で詳細を見る
■ベスト・オブ
オールウエイズ・ゼア:ベスト・オブ・インコグニートposted with amazlet at 10.11.19インコグニート
ユニバーサル インターナショナル (2006-01-25)
売り上げランキング: 28176
Amazon.co.jp で詳細を見る
■メンバー
ジャン・ポール“ブルーイ”モニック(ギター、ヴォーカル)Jean Paul "Bluey" Maunick(g,vo)
クリス・バリン(ヴォーカル)Chris Ballin(vo)
ヴァネッサ・ヘインズ(ヴォーカル)Vanessa Haynes(vo)
ロレイン・ケイト-プライス(ヴォーカル)Lorraine Cato-Price(vo)(この日は体調くずし休み)
シッド・ゴウルド(トランペット)Sid Gauld(tp)
アリスター・ホワイト(トロンボーン)Alistair White(tb)
ジェイミー・アンダーソン(サックス)Jamie Anderson(sax)
マット・クーパー(キーボード)Matt Cooper(key)
ジュリアン・クランプトン(ベース)Julian Crampton(b)
ピート・レイ・ビギン(ドラムス)Pete Ray Biggin(ds)
■セットリスト インコグニート 2011年3月31日(木)、ブルーノート東京
■Setlist : Incognito, March 31, 2011, Bluenote Tokyo
show started 21:41
01.Roots
02.Labour Of Love
03.Good Love
04.Parisienne Girl
05.Colibri (+Onuma Yousuke)
06.Lowdown
07.Expresso Maudureira
08.Living Against The River
09.Always There
Enc. Reach Out
Enc. Everyday
Enc. Jacob’s Ladder
CD One Love (Bob Marley)
Show ended 23:06
(2011年3月31日木曜、東京ブルーノート、インコグニート・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Incognito
2011-
【Let’s Rebuilt Japan, Together Said Bluey】
建て直し。
親日家と言う言葉ではもはや表せないほど日本に根付いているブルーイ、そして、彼が率いるグループ、インコグニート。2010年11月以来、半年あけずの来日。
そのオープニングの一言は「イッショニ、タテナオソー」だった。ブラック・ミュージック、グルーヴィーな曲が好きなイギリス本拠のミュージシャンたち(ブルーイは、モーリシャス出身)が、ブラック・ミュージックをポップにわかりやすくパフォーマンスする。それがリアル・ミュージシャンによるリアル・ミュージックとなって、ファンを魅了という感じだ。
4曲目「パリジャン・ガール」は、1979年の作品。ブルーイはステージで「グループが出来た頃に時計を戻そう。1979年、当時、僕たちに(オリジナルの)曲はなかった。そこで、スタジオに入ってみんなでジャム・セッションを繰り広げた。これはそうやってジャムった曲」と解説した。
驚いたのがこの曲の次。ブルーイが「日本の素晴らしいギタリストと一緒にレコーディングをすることになった。その彼をご紹介しよう」と言って紹介したのが、小沼ようすけだった。二人は冒頭でかなりギターの掛け合いを繰り広げ、「コリブリ」を演奏。かなりいい感じだった。
インコグニートと小沼ようすけ、さらに数人の日本人シンガーも参加し、震災へのチャリティー・ソングを録音する、とブルーイはステージで発表。この日ライヴ後にスタジオに入ってレコーディングするという。
前回も印象が強かった女性ヴォーカル、ヴァネッサは相当な声力の持ち主だ。
インコグの音を聴いていると、本当にアース・ウィンド&ファイアーや、クール&ギャングといったファンキーなバンドを聴いて気に入った連中が、楽しくそうした音楽を演じているという雰囲気が実によく伝わる。前にも書いたかもしれないが、日本でも同様のコンセプトのバンドがあってもいいような気がする。
最後にブルーイが話しかけた。「僕が子供の頃、いつかきっと自分は日本に行くだろうと思った。でも、その頃は、それが怖かった。というのも、そこがとても暗い国のように思えてからだ。そして、初めて来て、それは違った。広島に行ったとき、市民も明るく、街も明るかった。あそこの場所も、再建したのだ。ストリートで会った人に微笑みかけると、相手も微笑を返してくれた。これは素晴らしいと思った。だから思う。あなたたちは、また元に戻れます。You can come back。広島がカンバックしたように、日本はカンバックします」(拍手)
そして、エンディング。「歴史は僕に語りかける。日本のみなさんは、必ず、復活します。歴史がそう語っています」「肌の色、人種を越え、ワン・ネーション・アンダー・ア・グルーヴ!」と最後にあいさつをしてショーを締めくくり、ボブ・マーリーの「ワン・ラヴ」が流れた。インコグのエンディングはいつも、この「ワン・ラヴ」だ。
■過去関連記事
2010年11月20日(土)
インコグニート・ライヴ~匿名性からほとばしり出るグループとしての独自性
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10711972464.html
2008年03月04日(火)
インコグニートは親日家
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080304.html
2008年03月06日(木)
インコグニートのブルーイ語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080306.html
2002/11/26(TUE)
Grandfather’s lesson
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200211/diary20021126.html
インコグニート(ジャン・ポール・ブルーイ・モニーク)インタヴュー
『トラヴェリング・ミュージシャンのソウル』(2002年12月10日)
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/interview/incognito20021210.html
2002/12/19 (Thu)
One Nation Under A Groove
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200212/diary20021219.html
■最新作『トランスアトランティック』
トランスアトランティック・RPMposted with amazlet at 10.11.19インコグニート
Pヴァイン・レコード (2010-07-14)
売り上げランキング: 1305
Amazon.co.jp で詳細を見る
■ベスト・オブ
オールウエイズ・ゼア:ベスト・オブ・インコグニートposted with amazlet at 10.11.19インコグニート
ユニバーサル インターナショナル (2006-01-25)
売り上げランキング: 28176
Amazon.co.jp で詳細を見る
■メンバー
ジャン・ポール“ブルーイ”モニック(ギター、ヴォーカル)Jean Paul "Bluey" Maunick(g,vo)
クリス・バリン(ヴォーカル)Chris Ballin(vo)
ヴァネッサ・ヘインズ(ヴォーカル)Vanessa Haynes(vo)
ロレイン・ケイト-プライス(ヴォーカル)Lorraine Cato-Price(vo)(この日は体調くずし休み)
シッド・ゴウルド(トランペット)Sid Gauld(tp)
アリスター・ホワイト(トロンボーン)Alistair White(tb)
ジェイミー・アンダーソン(サックス)Jamie Anderson(sax)
マット・クーパー(キーボード)Matt Cooper(key)
ジュリアン・クランプトン(ベース)Julian Crampton(b)
ピート・レイ・ビギン(ドラムス)Pete Ray Biggin(ds)
■セットリスト インコグニート 2011年3月31日(木)、ブルーノート東京
■Setlist : Incognito, March 31, 2011, Bluenote Tokyo
show started 21:41
01.Roots
02.Labour Of Love
03.Good Love
04.Parisienne Girl
05.Colibri (+Onuma Yousuke)
06.Lowdown
07.Expresso Maudureira
08.Living Against The River
09.Always There
Enc. Reach Out
Enc. Everyday
Enc. Jacob’s Ladder
CD One Love (Bob Marley)
Show ended 23:06
(2011年3月31日木曜、東京ブルーノート、インコグニート・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Incognito
2011-
▲ソウルバー相次いでクローズへ:ベイビー・ベイビー・ベイビー、オハイオ、ダンステリアなど
【Three Soul Bar Will Be Closed Soon】
閉店。
ソウルバー、ソウル関連の店が4月から6月にかけて相次いでクローズする。
まず、2011年4月9日(土曜)を最後に閉店するのが、三軒茶屋のベイビー・ベイビー・ベイビー。2007年10月にオープンして以来、3年半の歴史に幕を下ろす。
最終営業日の9日は、「特にイヴェントにすることもなく、常連が集まり、朝まで、ひょっとしたら昼くらいまでやっているかもしれない」とマスター。現在のところ、次の移転先などは予定なし。
次に、中町~武蔵小山~自由が丘と居を移していたオハイオが、5月13日(金)に閉店。
オハイオは世田谷区中町に「ソリッド・スライダー」として1995年にオープン、その後2002年まで営業。2002年から武蔵小山に移転し、名称を「オハイオ」に変更。その後2005年に「オハイオ」のまま自由が丘に移転したまさに、流浪のソウルバーだ。次の物件が見つかり次第、心機一転オープンする。
そして、ソウル・ディスコ、ソウル・スポットの老舗、白金ダンステリアが27年の歴史を閉じる。2011年6月26日(日)が最終営業日。ダンステリアは、1984年、全国ディスコ協会のドン勝本氏がオープンした店で、今では「ソウルステップの総本山」的存在となった店。週末はディスコ営業、ウイークデイはソウルをかける店として営業していた。勝本氏が2007年4月19日に死去した後は、息子の有輝さんと勝本氏の右腕、矢作幸裕さんが運営していた。26日の最終営業日は大々的にパーティーを行う。
また、ソウルバーではないが、ソウル関係のレコードを販売していたエボニー・レコード(沖縄)も2011年夏の閉店を発表している。エボニー・レコードは、1989年からソウル関係のレコードを通信販売、1996年から2003年まで新宿で店舗も営業、現在は通信販売のみで営業中だった。
バー・ベイビー・ベイビー・ベイビー
http://www.bar-baby3.com/
東京都世田谷区三軒茶屋2-10-14
なかみち通り 昭和ビル B1 03-3421-2879
20時~ 月曜定休
チャージ 500円
2011年4月9日閉店予定(2007年10月オープン)
ソウルバー・オハイオ
http://www.geocities.jp/ohio_funkysoul/sub-info.htm
東京都目黒区区自由ヶ丘1-2-14 2F TEL:03-3718-0096
17時~0時まで 定休日:日曜日
チャージ 500円
2011年5月15日閉店予定(2005年5月23日から現在地で開店)
関連記事
June 02, 2005
Soul Bar "Ohio" Moved To Jiyugaoka
http://blog.soulsearchin.com/archives/000300.html
白金ダンステリア
http://danceteria.web.fc2.com/
東京都港区白金1-29-13白金ヴィレッジ B1 Tel 03-3444-0097
20時~4時 定休日:月・火・水
入場料: 男性3000円、女性2500円
2011年6月26日閉店予定(1984年オープン)
関連記事
2007年04月20日(金)
ドン勝本氏、57歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070420.html
エボニー・レコード
http://www.diana.dti.ne.jp/~ebonyrec/
〒900-0014沖縄県那覇市久茂地3-15-23-201
Phone / Fax 098-861-5355
営業時間:14:00-21:00 日曜、祝日は19:00まで
定休日:月曜日
2011年夏をめどに閉店予定(1998年通販レコードショップとしてオープン)
SOUL BAR>
【Three Soul Bar Will Be Closed Soon】
閉店。
ソウルバー、ソウル関連の店が4月から6月にかけて相次いでクローズする。
まず、2011年4月9日(土曜)を最後に閉店するのが、三軒茶屋のベイビー・ベイビー・ベイビー。2007年10月にオープンして以来、3年半の歴史に幕を下ろす。
最終営業日の9日は、「特にイヴェントにすることもなく、常連が集まり、朝まで、ひょっとしたら昼くらいまでやっているかもしれない」とマスター。現在のところ、次の移転先などは予定なし。
次に、中町~武蔵小山~自由が丘と居を移していたオハイオが、5月13日(金)に閉店。
オハイオは世田谷区中町に「ソリッド・スライダー」として1995年にオープン、その後2002年まで営業。2002年から武蔵小山に移転し、名称を「オハイオ」に変更。その後2005年に「オハイオ」のまま自由が丘に移転したまさに、流浪のソウルバーだ。次の物件が見つかり次第、心機一転オープンする。
そして、ソウル・ディスコ、ソウル・スポットの老舗、白金ダンステリアが27年の歴史を閉じる。2011年6月26日(日)が最終営業日。ダンステリアは、1984年、全国ディスコ協会のドン勝本氏がオープンした店で、今では「ソウルステップの総本山」的存在となった店。週末はディスコ営業、ウイークデイはソウルをかける店として営業していた。勝本氏が2007年4月19日に死去した後は、息子の有輝さんと勝本氏の右腕、矢作幸裕さんが運営していた。26日の最終営業日は大々的にパーティーを行う。
また、ソウルバーではないが、ソウル関係のレコードを販売していたエボニー・レコード(沖縄)も2011年夏の閉店を発表している。エボニー・レコードは、1989年からソウル関係のレコードを通信販売、1996年から2003年まで新宿で店舗も営業、現在は通信販売のみで営業中だった。
バー・ベイビー・ベイビー・ベイビー
http://www.bar-baby3.com/
東京都世田谷区三軒茶屋2-10-14
なかみち通り 昭和ビル B1 03-3421-2879
20時~ 月曜定休
チャージ 500円
2011年4月9日閉店予定(2007年10月オープン)
ソウルバー・オハイオ
http://www.geocities.jp/ohio_funkysoul/sub-info.htm
東京都目黒区区自由ヶ丘1-2-14 2F TEL:03-3718-0096
17時~0時まで 定休日:日曜日
チャージ 500円
2011年5月15日閉店予定(2005年5月23日から現在地で開店)
関連記事
June 02, 2005
Soul Bar "Ohio" Moved To Jiyugaoka
http://blog.soulsearchin.com/archives/000300.html
白金ダンステリア
http://danceteria.web.fc2.com/
東京都港区白金1-29-13白金ヴィレッジ B1 Tel 03-3444-0097
20時~4時 定休日:月・火・水
入場料: 男性3000円、女性2500円
2011年6月26日閉店予定(1984年オープン)
関連記事
2007年04月20日(金)
ドン勝本氏、57歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070420.html
エボニー・レコード
http://www.diana.dti.ne.jp/~ebonyrec/
〒900-0014沖縄県那覇市久茂地3-15-23-201
Phone / Fax 098-861-5355
営業時間:14:00-21:00 日曜、祝日は19:00まで
定休日:月曜日
2011年夏をめどに閉店予定(1998年通販レコードショップとしてオープン)
SOUL BAR>
★スライ・ストーンがツイッター開始
2011年4月5日 音楽★スライ・ストーンがツイッター開始
【Sly Stone Started Twitter】
開始。
アメリカでも日本でもすっかりおなじみになったツイッター。今回の大震災では、通常の携帯メールでは送信から受信までかなり時間がかかってしまったが、ツイッターでのダイレクト・メールは比較的すぐに到着していて、また、さまざまなリアルタイムの情報共有にひじょうに有効だったことで、有事のツイッター、という認識が生まれてきた。
アメリカでは、フォロワー何百万人というセレブもいるが、なんとブラック・ミュージック・ファンにとってはびっくりのスライ・ストーンが、公式ツイッターを始めた。
IDは、 @HigherSlyStone で、3月24日から始めた。たまたま僕がいつものように、翻訳するためにナイル・ロジャーズのブログを見ていたら、そこのナイルへのツイートの中に、スライがツイッターを始めたという情報を見つけた。
さっそくスライのツイッターをみると、ちゃんと認証済みアカウント。これは、本物だ。まだ、4つしかツイート(つぶやき)がないが、さっそくフォロー。そして、僕のツイッターに「なんと、スライ・ストーンがツイッターを開始!Sly Stone has just started twitter. @HigherSlyStone In few hours, already got 1381 followers.」と18時30分ごろ書き込んだところ、一挙に広まった。僕がフォローした時点で1381人のフォロワーだったが、19時40分現在で1739人、22時半で2000人突破。時速154人の増え方。
いろいろ調べてみると、息子のひとり @BabyStoneMusic が、父にレクチャーしているようだ。
詩人。
スライ・ストーンは詩人である。来日中も、楽屋などどこでも、そこら辺にある紙に思いついた言葉をペンで書き付ける。世話をしてくれた人に、すぐに手書きでサンキュー・レターを書く。しかも、そのヴォキャブラリー、言葉の使い方が独特で、なかなか難解だ。
とりあえず、初ツイートから4つ目までしかないので、そのツイートを軽く分析。(時刻は、僕が日本でツイッターを見るので、日本時間のはず)
01. This is Sylvester Stewart. The real Sly Stone.
7:40 AM Mar 24th webから
これが初ツイート。
「シルヴェスター・スチュワートだ。本物のスライ・ストーンだ」
02. MAY THE HAIRS OF A THOUSAND MILLIPEDES NESTLE IN YOUR NOSE NIGHTLY
3:42 PM Mar 27th Tweetie for Macから
もうわからない。どういう意味だろう。
「無数のやすで(ムカデのような昆虫)の毛が、君の鼻に夜な夜な心地よくうずくまりますように」
スライは詩人である。アーティストである。
03. Gotta give @higherslystone a twitter lesson soon so you guys can see more of the awesome things he has to say! :) (via @BabyStoneMusic)
5:05 PM Apr 1st Tweetie for Macから
これは息子のツイート。
u@higherslystoneにツイートのレッスンしないと。すぐに、みんな、彼がつぶやくすごい言葉を見ることができるよ」
04. THIEVES ARE BEING SURROUNDED
12:40PM April 4th webから
「泥棒は包囲されている」
なんだろう。
ツイート2と4を解説できる方、してください。
■スライ・ストーン過去関連記事
スライ・ストーンとしてのライヴ、ルーファスにゲストで登場。
2010年01月17日(日)
ルーファス&スライ・ストーン、ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436078971.html
2009年09月10日(木)
スライ・ストーン今年も来日していた 衝撃情報
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10338859350.html
2008年09月03日(水)
スライ&ファミリー・ストーン@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10134870915.html
2008年09月01日(月) 03時09分45秒
soulsearchinの投稿
☆スライ・ストーン、36分間ステージに立つ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10133999546.html
スライ&ファミリー・ストーン エッセンシャル
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000NVL96A/soulsearchiho-22/ref=nosim/
バイオグラフィー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860203380/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Stone, Sly
【Sly Stone Started Twitter】
開始。
アメリカでも日本でもすっかりおなじみになったツイッター。今回の大震災では、通常の携帯メールでは送信から受信までかなり時間がかかってしまったが、ツイッターでのダイレクト・メールは比較的すぐに到着していて、また、さまざまなリアルタイムの情報共有にひじょうに有効だったことで、有事のツイッター、という認識が生まれてきた。
アメリカでは、フォロワー何百万人というセレブもいるが、なんとブラック・ミュージック・ファンにとってはびっくりのスライ・ストーンが、公式ツイッターを始めた。
IDは、 @HigherSlyStone で、3月24日から始めた。たまたま僕がいつものように、翻訳するためにナイル・ロジャーズのブログを見ていたら、そこのナイルへのツイートの中に、スライがツイッターを始めたという情報を見つけた。
さっそくスライのツイッターをみると、ちゃんと認証済みアカウント。これは、本物だ。まだ、4つしかツイート(つぶやき)がないが、さっそくフォロー。そして、僕のツイッターに「なんと、スライ・ストーンがツイッターを開始!Sly Stone has just started twitter. @HigherSlyStone In few hours, already got 1381 followers.」と18時30分ごろ書き込んだところ、一挙に広まった。僕がフォローした時点で1381人のフォロワーだったが、19時40分現在で1739人、22時半で2000人突破。時速154人の増え方。
いろいろ調べてみると、息子のひとり @BabyStoneMusic が、父にレクチャーしているようだ。
詩人。
スライ・ストーンは詩人である。来日中も、楽屋などどこでも、そこら辺にある紙に思いついた言葉をペンで書き付ける。世話をしてくれた人に、すぐに手書きでサンキュー・レターを書く。しかも、そのヴォキャブラリー、言葉の使い方が独特で、なかなか難解だ。
とりあえず、初ツイートから4つ目までしかないので、そのツイートを軽く分析。(時刻は、僕が日本でツイッターを見るので、日本時間のはず)
01. This is Sylvester Stewart. The real Sly Stone.
7:40 AM Mar 24th webから
これが初ツイート。
「シルヴェスター・スチュワートだ。本物のスライ・ストーンだ」
02. MAY THE HAIRS OF A THOUSAND MILLIPEDES NESTLE IN YOUR NOSE NIGHTLY
3:42 PM Mar 27th Tweetie for Macから
もうわからない。どういう意味だろう。
「無数のやすで(ムカデのような昆虫)の毛が、君の鼻に夜な夜な心地よくうずくまりますように」
スライは詩人である。アーティストである。
03. Gotta give @higherslystone a twitter lesson soon so you guys can see more of the awesome things he has to say! :) (via @BabyStoneMusic)
5:05 PM Apr 1st Tweetie for Macから
これは息子のツイート。
u@higherslystoneにツイートのレッスンしないと。すぐに、みんな、彼がつぶやくすごい言葉を見ることができるよ」
04. THIEVES ARE BEING SURROUNDED
12:40PM April 4th webから
「泥棒は包囲されている」
なんだろう。
ツイート2と4を解説できる方、してください。
■スライ・ストーン過去関連記事
スライ・ストーンとしてのライヴ、ルーファスにゲストで登場。
2010年01月17日(日)
ルーファス&スライ・ストーン、ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436078971.html
2009年09月10日(木)
スライ・ストーン今年も来日していた 衝撃情報
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10338859350.html
2008年09月03日(水)
スライ&ファミリー・ストーン@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10134870915.html
2008年09月01日(月) 03時09分45秒
soulsearchinの投稿
☆スライ・ストーン、36分間ステージに立つ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10133999546.html
スライ&ファミリー・ストーン エッセンシャル
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000NVL96A/soulsearchiho-22/ref=nosim/
バイオグラフィー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860203380/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Stone, Sly
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (67回~69回)
2011年4月6日 音楽★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (67回~69回)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月25日~3月27日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第67回 ドクター・ラヴ
#67 Doctor Love
Written on Friday, 25 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 25 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/293-walking-on-planet-c-doctor-love
今朝、この界隈は一面雪に覆われた
今朝、この界隈は一面雪に覆われた。僕は膝のエクソサイズを裏のベランダで行った。今日はもっと外で過ごしたかったからだ。癌になって以来、日々のエクソサイズは大事な現在進行形のセラピー(治療)になっている。
昨日、ソウル・サーチャー(@soulsearcher216)がロリータ・ハロウェイ(註1)が亡くなったことを教えてくれた。ソウル・サーチャーは、リスペクトされている日本のジャーナリストで、僕のブログをずっと(日本語に)翻訳してくれている。
ロリータ・ハロウェイはマイクの前に現れたもっとも素晴らしいシンガーの一人だ。彼女の名人芸とも呼べるヴォーカルは、フィリー・ソウル(フィラデルフィア・ソウル)(註2)、ダンス/ディスコ時代が頂点にあった頃、ダンスフロアーを狂喜乱舞させていた。僕は一晩中、彼女のことを考えていた。
ウォーキングを始めるとファースト・チョイスの「ドクター・ラヴ」を歌った。彼女たちは、ロリータ・ハロウェイと同じゴールド・マインド・レコードに所属するレーベルメイトで、ロリータと同じ音楽的DNAを持つ。僕はこの曲の12インチ・ヴァージョンのすべてのメロディーを覚えている。そして、僕はウォーキングのペースにあわせて、曲のテンポを速くした。簡単なことだ。僕はミュージック・プレイヤーを持ち歩かず、DJは僕の頭の中にいるからだ。膨大な量のプレイリストがあり、そのときのムードにあわせて選曲できる。今日は、フィリー・ソウルばかりを歌った。「ヒット&ラン」、「ラヴ・センセーション」(どちらもロリータ・ハロウェイ)、「ザ・プレイヤー」、「アームド・アンド・エクストリームリー・デンジャラス」(どちらもファースト・チョイス)、「ラヴ・イズ・ザ・メッセージ」(MFSB)、「ザッツ・ホエア・ハッピー・ピープル・ゴー」(トランプス)、「スマーティー・パンツ」、「ラヴ・サング」(ファースト・チョイス)、そして、「ドクター・ラヴ」のリプレイで締めた。
Doctor Love / Hit & Run
Love Sensation / That’s Where Happy People Go
ウォーキングの間、ディスコ全盛期に活躍したアーティストの死(ロリータの死のこと)の影から逃れられたわけではない。だが、僕は自分の健康の面倒を見てくれる勤勉なスタッフのおかげで、死を免れている。
家に戻り、留守電とEメールをチェックすると、僕の術後の様子について3人の医師(ドクター)からのメッセージが残されていた。まさに、ドクター・ラヴだ(愛のドクター)だ。
+++++
(註1)ロリータ・ハロウェイ。1946年11月シカゴ生まれ。2011年3月21日死去。64歳。詳細はこちら。http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110324.html
(註2)フィリー・ソウル=フィラデルフィア・ソウル 1970年代初期、ペンシルヴェにア州フィラデルフィアで生まれたソウル・ミュージック。同地のプロデューサー、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフ、トム・ベル、ボビー・マーティンなど多くのプロデューサー、アレンジャー、ミュージシャンが独特のサウンドの作品を作りヒットを生み出した。代表アーティストにはオージェイズ、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、スタイリスティックス、ブルー・マジック、ビリー・ポールなど。ロリータ、ファースト・チョイスともに、フィラデルフィアで録音した作品がヒットした。特に1980年代に入るまで高い人気を集めた。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第68回(3月26日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第68回 それ以上の
#68 So Much More
Written on Saturday, 26 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 26 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/294-walking-on-planet-c-so-much-more
今日、僕はとてもハッピー
今日、僕はとてもハッピーだ。ウォーキングを早めに切り上げた。というのも、まもなく、「スリー・ドット・ダッシュ・ジャスト・ピース・サミット」(註1)が始まるからだ。これは、911テロの悲劇後に僕が設立した「ウィ・アー・ファミリー基金」が行う大きな企画イヴェントのひとつだ。
当初バーナードと僕がシスター・スレッジのために「ウィ・アー・ファミリー」を書いたとき、僕たちはこの曲がR&B、ポップ、ダンスの大ヒットになることは間違いないと思った。だが、実際は、大ヒット以上のものに育った。ピッツバーグ・パイレイツ(註2)が1979年のワールド・シリーズのチャンピオンになったときに、彼らのテーマ曲として使って以来、世界中の人々はこの曲を「結束」の象徴的なテーマと考えるようになった。今では、この曲をかけない祝い事、ウエディング、「バル・ミツバー」(ユダヤ人の男子が13歳になる時に行われる成人式)のほうが少ない。
癌との闘いの初期から僕はこのブログを始めた。その治療となっている朝のウォーキングのまさに初日に僕が歌った曲、それが「ウィ・アー・ファミリー」だった。
初日のブログ↓
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110118.html
この曲は多くの点で僕の人生を変えた。もちろん、僕の作品群の中でもっとも収益をあげる1曲だ。だが、スピリチュアルなレヴェルで、この作品には収益以上の意味がある。それは僕の人生における多くの他の大事なものと同様だ。
僕は癌消滅と言われていて、癌という名の災難後初めてのコンサートをまもなく行う。それは、考えられないような大きな悲劇の只中にある日本の、バーナードが死去した東京で、その死去からちょうど15周年に行われる。
これは、「ウィ・アー・ファミリー基金・ジャスト・ピース・サミット」のすぐ直後ということになる。これらのイヴェントは、うまくタイミングを合わせて計画したわけではなく、多くの人はこれを単なる偶然だと見るかもしれない。ただ僕の心の中では、それ以上のものを感じているのだ。
(註1) 「スリー・ドット・ダッシュ」。「ウィ・アー・ファミリー基金」が運営するイヴェントのひとつ。ナイル・ロジャーズが始めたグローバルな戦略・企画で、世界のティーンのリーダーを育て、応援しようというもの。
http://threedotdash.org/legacy/Initiative.aspx
その年次総会が、2011年3月25日から4月1日までニューヨークで行われている。
(註2)ピッツバーグ・パイレイツ。ペンシルヴェニア州ピッツバーグを本拠とする野球のチームで、1979年にワールド・チャンピオンに。このときから、「ウィ・アー・ファミリー」をチームのテーマ曲に起用。このときはバルティモア・オリオールズと対戦、1勝3敗から3連勝してワールド・チャンピオンに輝いた。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第69回(3月27日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第69回 ポップ・ディーヴァ
#69 Pop Divas
Written on Sunday, 27 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 27 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/295-walking-on-planet-c-pop-divas
今日は朝のウォーキングを少し後ろにずらした
今日は朝のウォーキングを少し後ろにずらした。テレビ・スペシャル『ポップ・ディーヴァ』の出演があったからだ。僕はディーヴァとは、流れを変えることができる超一流の女性アーティストであるべきだと考えている。
僕がてがけた最初のスーパースターは、ダイアナ・ロスだった。あらゆる時代において最大のポップ・ディーヴァのひとりだ。ダイアナは僕の親しい友人のひとりだが、そのアルバム制作は生涯でもっとも困難なものだった。それまでに、またその後も彼女クラスのアーティストに作品を書いたことはなかったので、(さまざまな困難を)受け入れざるをえなかった。
癌と診断されて以来、僕は多くの難しい問題を受け入れている。多くのサポートや、医療的ケアを受けているが、僕の日常の人生を取り戻すために一生懸命やらなければならない。
ジャーナリストが、マドンナやデビー・ハリーをプロデュースし、マライア・キャリー、ブリットニー・スピアーズ、アレサ・フランクリンなどのためにギターをプレイすることについて尋ねてきた。そういう話をするのはとても楽しいが、ふと、一緒に仕事をしたアーティストが亡くなっていることを思うと悲しくなる。それは僕が受け入れなければならないもうひとつの事実ということだ。
スティーヴ・レイ・ヴォーン、バーナード・エドワーズ、テディー・ペンダグラス、ルーサー・ヴァンドロス、そして、インエクセスのマイケル・ハッチェンス。みな、超一流の流れを変えたアーティストたちだ。しかし、今あげたアーティストはみな男性だ。ディーヴァの対になる言葉がディーヴォだが、ディーヴァほどのインパクトはない。
そこで、微笑を取り戻し、VH-1局のテレビ・スペシャルで音楽監督をし、一緒に仕事をしたダイアナ・ロス、ドナ・サマー、マライア・キャリー、フェイス・ヒルなどについての話をし、ポップ・ディーヴァたちとの仕事がどれほど好きかを語った。
ダイアナ・ロス/マドンナ
ブリットニー・スピアーズ/マライア・キャリー
デビー・ハリー/アリサ・フランクリン
スティーヴ・レイ・ヴォーン/バーナード・エドワーズ
テディー・ペンダーグラス/マイケル・ハッチェンス
ルーサー・ヴァンドロス/ドナ・サマー
フェイス・ヒル
Walking On Planet C>(67)Doctor Love / (68)So Much More / (69)Pop Divas
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月25日~3月27日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第67回 ドクター・ラヴ
#67 Doctor Love
Written on Friday, 25 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 25 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/293-walking-on-planet-c-doctor-love
今朝、この界隈は一面雪に覆われた
今朝、この界隈は一面雪に覆われた。僕は膝のエクソサイズを裏のベランダで行った。今日はもっと外で過ごしたかったからだ。癌になって以来、日々のエクソサイズは大事な現在進行形のセラピー(治療)になっている。
昨日、ソウル・サーチャー(@soulsearcher216)がロリータ・ハロウェイ(註1)が亡くなったことを教えてくれた。ソウル・サーチャーは、リスペクトされている日本のジャーナリストで、僕のブログをずっと(日本語に)翻訳してくれている。
ロリータ・ハロウェイはマイクの前に現れたもっとも素晴らしいシンガーの一人だ。彼女の名人芸とも呼べるヴォーカルは、フィリー・ソウル(フィラデルフィア・ソウル)(註2)、ダンス/ディスコ時代が頂点にあった頃、ダンスフロアーを狂喜乱舞させていた。僕は一晩中、彼女のことを考えていた。
ウォーキングを始めるとファースト・チョイスの「ドクター・ラヴ」を歌った。彼女たちは、ロリータ・ハロウェイと同じゴールド・マインド・レコードに所属するレーベルメイトで、ロリータと同じ音楽的DNAを持つ。僕はこの曲の12インチ・ヴァージョンのすべてのメロディーを覚えている。そして、僕はウォーキングのペースにあわせて、曲のテンポを速くした。簡単なことだ。僕はミュージック・プレイヤーを持ち歩かず、DJは僕の頭の中にいるからだ。膨大な量のプレイリストがあり、そのときのムードにあわせて選曲できる。今日は、フィリー・ソウルばかりを歌った。「ヒット&ラン」、「ラヴ・センセーション」(どちらもロリータ・ハロウェイ)、「ザ・プレイヤー」、「アームド・アンド・エクストリームリー・デンジャラス」(どちらもファースト・チョイス)、「ラヴ・イズ・ザ・メッセージ」(MFSB)、「ザッツ・ホエア・ハッピー・ピープル・ゴー」(トランプス)、「スマーティー・パンツ」、「ラヴ・サング」(ファースト・チョイス)、そして、「ドクター・ラヴ」のリプレイで締めた。
Doctor Love / Hit & Run
Love Sensation / That’s Where Happy People Go
ウォーキングの間、ディスコ全盛期に活躍したアーティストの死(ロリータの死のこと)の影から逃れられたわけではない。だが、僕は自分の健康の面倒を見てくれる勤勉なスタッフのおかげで、死を免れている。
家に戻り、留守電とEメールをチェックすると、僕の術後の様子について3人の医師(ドクター)からのメッセージが残されていた。まさに、ドクター・ラヴだ(愛のドクター)だ。
+++++
(註1)ロリータ・ハロウェイ。1946年11月シカゴ生まれ。2011年3月21日死去。64歳。詳細はこちら。http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110324.html
(註2)フィリー・ソウル=フィラデルフィア・ソウル 1970年代初期、ペンシルヴェにア州フィラデルフィアで生まれたソウル・ミュージック。同地のプロデューサー、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフ、トム・ベル、ボビー・マーティンなど多くのプロデューサー、アレンジャー、ミュージシャンが独特のサウンドの作品を作りヒットを生み出した。代表アーティストにはオージェイズ、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、スタイリスティックス、ブルー・マジック、ビリー・ポールなど。ロリータ、ファースト・チョイスともに、フィラデルフィアで録音した作品がヒットした。特に1980年代に入るまで高い人気を集めた。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第68回(3月26日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第68回 それ以上の
#68 So Much More
Written on Saturday, 26 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 26 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/294-walking-on-planet-c-so-much-more
今日、僕はとてもハッピー
今日、僕はとてもハッピーだ。ウォーキングを早めに切り上げた。というのも、まもなく、「スリー・ドット・ダッシュ・ジャスト・ピース・サミット」(註1)が始まるからだ。これは、911テロの悲劇後に僕が設立した「ウィ・アー・ファミリー基金」が行う大きな企画イヴェントのひとつだ。
当初バーナードと僕がシスター・スレッジのために「ウィ・アー・ファミリー」を書いたとき、僕たちはこの曲がR&B、ポップ、ダンスの大ヒットになることは間違いないと思った。だが、実際は、大ヒット以上のものに育った。ピッツバーグ・パイレイツ(註2)が1979年のワールド・シリーズのチャンピオンになったときに、彼らのテーマ曲として使って以来、世界中の人々はこの曲を「結束」の象徴的なテーマと考えるようになった。今では、この曲をかけない祝い事、ウエディング、「バル・ミツバー」(ユダヤ人の男子が13歳になる時に行われる成人式)のほうが少ない。
癌との闘いの初期から僕はこのブログを始めた。その治療となっている朝のウォーキングのまさに初日に僕が歌った曲、それが「ウィ・アー・ファミリー」だった。
初日のブログ↓
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110118.html
この曲は多くの点で僕の人生を変えた。もちろん、僕の作品群の中でもっとも収益をあげる1曲だ。だが、スピリチュアルなレヴェルで、この作品には収益以上の意味がある。それは僕の人生における多くの他の大事なものと同様だ。
僕は癌消滅と言われていて、癌という名の災難後初めてのコンサートをまもなく行う。それは、考えられないような大きな悲劇の只中にある日本の、バーナードが死去した東京で、その死去からちょうど15周年に行われる。
これは、「ウィ・アー・ファミリー基金・ジャスト・ピース・サミット」のすぐ直後ということになる。これらのイヴェントは、うまくタイミングを合わせて計画したわけではなく、多くの人はこれを単なる偶然だと見るかもしれない。ただ僕の心の中では、それ以上のものを感じているのだ。
(註1) 「スリー・ドット・ダッシュ」。「ウィ・アー・ファミリー基金」が運営するイヴェントのひとつ。ナイル・ロジャーズが始めたグローバルな戦略・企画で、世界のティーンのリーダーを育て、応援しようというもの。
http://threedotdash.org/legacy/Initiative.aspx
その年次総会が、2011年3月25日から4月1日までニューヨークで行われている。
(註2)ピッツバーグ・パイレイツ。ペンシルヴェニア州ピッツバーグを本拠とする野球のチームで、1979年にワールド・チャンピオンに。このときから、「ウィ・アー・ファミリー」をチームのテーマ曲に起用。このときはバルティモア・オリオールズと対戦、1勝3敗から3連勝してワールド・チャンピオンに輝いた。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第69回(3月27日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第69回 ポップ・ディーヴァ
#69 Pop Divas
Written on Sunday, 27 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 27 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/295-walking-on-planet-c-pop-divas
今日は朝のウォーキングを少し後ろにずらした
今日は朝のウォーキングを少し後ろにずらした。テレビ・スペシャル『ポップ・ディーヴァ』の出演があったからだ。僕はディーヴァとは、流れを変えることができる超一流の女性アーティストであるべきだと考えている。
僕がてがけた最初のスーパースターは、ダイアナ・ロスだった。あらゆる時代において最大のポップ・ディーヴァのひとりだ。ダイアナは僕の親しい友人のひとりだが、そのアルバム制作は生涯でもっとも困難なものだった。それまでに、またその後も彼女クラスのアーティストに作品を書いたことはなかったので、(さまざまな困難を)受け入れざるをえなかった。
癌と診断されて以来、僕は多くの難しい問題を受け入れている。多くのサポートや、医療的ケアを受けているが、僕の日常の人生を取り戻すために一生懸命やらなければならない。
ジャーナリストが、マドンナやデビー・ハリーをプロデュースし、マライア・キャリー、ブリットニー・スピアーズ、アレサ・フランクリンなどのためにギターをプレイすることについて尋ねてきた。そういう話をするのはとても楽しいが、ふと、一緒に仕事をしたアーティストが亡くなっていることを思うと悲しくなる。それは僕が受け入れなければならないもうひとつの事実ということだ。
スティーヴ・レイ・ヴォーン、バーナード・エドワーズ、テディー・ペンダグラス、ルーサー・ヴァンドロス、そして、インエクセスのマイケル・ハッチェンス。みな、超一流の流れを変えたアーティストたちだ。しかし、今あげたアーティストはみな男性だ。ディーヴァの対になる言葉がディーヴォだが、ディーヴァほどのインパクトはない。
そこで、微笑を取り戻し、VH-1局のテレビ・スペシャルで音楽監督をし、一緒に仕事をしたダイアナ・ロス、ドナ・サマー、マライア・キャリー、フェイス・ヒルなどについての話をし、ポップ・ディーヴァたちとの仕事がどれほど好きかを語った。
ダイアナ・ロス/マドンナ
ブリットニー・スピアーズ/マライア・キャリー
デビー・ハリー/アリサ・フランクリン
スティーヴ・レイ・ヴォーン/バーナード・エドワーズ
テディー・ペンダーグラス/マイケル・ハッチェンス
ルーサー・ヴァンドロス/ドナ・サマー
フェイス・ヒル
Walking On Planet C>(67)Doctor Love / (68)So Much More / (69)Pop Divas
◎ オリト・トリビュート・ライヴ~オリトのもとに一致団結
2011年4月7日 音楽◎オリト・トリビュート・ライヴ~オリトのもとに一致団結
【Orito Tribute Live : One Nation Under Orito】
トリビュート。
2008年2月、43歳で急逝したシンガー、オリトを偲ぶトリビュート・ライヴが2011年4月5日、渋谷デュオで、オリトとゆかりのあるミュージシャン、シンガーたちが集まって行われた。会場は椅子を置きほぼ満席。観客は9割がた女性。2008年7月に同所で、行われたトリビュート・ライヴの再現という趣。
今回は、5日の渋谷デュオと10日の大阪のジャニスというライヴハウスで行われるものを録音し、夏くらいまでにCDとして発売する計画がある、という。今回は、ゴスペラーズの村上てつやさんらが中心となり、ミュージシャンなどと連絡を取り合い、取り仕切った。
ショーが始まる冒頭、村上氏が簡単に震災と今回のトリビュートについてあいさつ、その後フリー・ファンクの演奏でトリビュートが始まった。みな、オリト楽曲をそれぞれ独自の解釈で演奏、パフォーマンス。
村上さん、今回の音頭を取った鈴木さんらによると「オリトの曲を残したい。歌い継がれてほしい。そのためにはオリト楽曲をレコーディングしたい。だが、たくさんのアーティストを集めて(1曲1曲)レコーディングするのは、物理的になかなか大変だ。では、ライヴをやって、それをレコーディングしたらどうだろう、という話になった」との説明。
ハウスバンドは、前半がフリー・ファンク、後半がオリトのバックバンドをつとめたダンデライオンが担当。さまざまなアーティストが1-2曲ずつ歌った。
村上てつやは、「DJフィールグッド」と「Ex-Life」。みな、それぞれオリトのアルバムからお気に入りを選んできている。
エンディング前でジェイ公山さんとチャカさんのデュエットで「ユーヴ・ガッタ・フレンド」を。二人は「一卵性他人」というほどの似たものシャウト系で、実に熱い。そして、シュガー・ピンプスが「感謝の歌」を。日本のサム&デイヴ風な感じでこれもシャウト系。アンコールでは、全員でアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」。やはり、オリトというとこの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」だ。彼の名刺代わりの1曲というほどのインパクトがある。ガッツ→トミー→チャカという順でリードを取り、全体で。全員がステージに横に並ぶと圧巻だ。トミーさんは、以前、ブルースアレイで拝見したことがあるはず。体格と声の感じから、「日本のフィル・ペリー」という印象を受けた。
一応、映像もカメラ3台で押さえた。映像の一部がひょっとしたら、CDに特典映像的につくかもしれない。
ライヴ後の打ち上げも、参加ミュージシャンが多数なだけに、会場となったモリゲンも表まで人があふれる。
それにしても、オリトは本当に多くのシンガー/ミュージシャンたちに愛されていたのだなあ、と思う。オリトのもとに多くのミュージシャンたちがひとつになった夜だった。まさに、「One Nation Under Orito」という感じだ。その一体感は何物にも代え難いものだ。ミュージシャンたちの団結力がすごい。
なお、大阪では、清水興さんなども参加、セットリストも若干変わるという。
■過去関連記事
2008年02月27日(水)
オリト死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080227.html
2008年07月16日(水)
オリト・トリビュート・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080716.html
March 13, 2006
OA Farewell Party
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200603/2006_03_13.html
2004/08/10 (Tue)
Orito Live At Blues Alley: Homework Is Still Remain
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200408/diary20040810.html
■ オリト・公式ウェッブ
http://oritosoul.com/
■1枚目 ソウル・ジョイント
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000565UR/soulsearchiho-22/ref=nosim/
2作目 ソウルフード
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005GXHW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
3作目ロスト・アンド・ファウンド
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005GXQO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
4作目(編集ベスト・アルバム)イモータルソウル
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001A9TJJ8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
団子と珈琲
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0019HB2CS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■2011年4月10日に大阪公演
OSAKA~大阪公演~
【日時】2010年4月10日(日) OPEN 17:00 / START 18:00
【場所】心斎橋 JANUS
TEL: 06-6214-7255
【出演】*敬称略
清水 興(ベース)、SASSY TOMO(キーボード)、せきこーぢ 星川薫(ギター)中村岳(ドラム)
村上てつや、CHAKA JAYE公山 Ko-Jayes 福原タカヨシ TOMICA 高橋 篤 DJ刃頭
【チケット情報】
料金 前売 ¥4,500 / 当日 5,000 ※税込、1ドリンク別
■メンバー (東京分)
フリー・ファンク Free Funk
Toshifumi "FREEFUNK艦長" Sakuratani vocal & guitar
Yoshitaka "Uratch" Urakami drums & vocal
Shinri "Sammy" Usami keyboards
Kenji "Shibaken" Koshiba baritone sax, alto sax
Mei-Me Watari vocal & tombourine
Kimikazu "Taylor" Hiraoka tenor sax
Kohei "ESP" Kiyota trumpet
Shingo "Mee-Mo" Yusa bass
タイラヨヲ Taira Yo
シュガ・ピンプス Suga Pimps
ルーサー市村 Luther Ichimura
シンヴァ Shimva
中澤信栄 Nakazawa Nobuyoshi
トミー Tommy 富永Tommy弘明
ジェイド Jay’ed
ジェイ公山 Jaye Kouyama
チャカ Chaka
村上てつや Murakami Tetsuya
シュウタロウ Shutaro (talk box)
木村佳代子 Kimura Kayoko サックス
ORITOバンド
星川 薫(ギター)池間 史規 六川 正彦(ベース)三浦 晃嗣(ドラム)中道 勝彦 加藤 実(キーボード) TOMICA(ボーカル)
■セットリスト オリト・トリビュート・ライヴ 2011年4月5日 渋谷デュオ
Setlist: Orito Tribute Live
( )=演奏・歌
Show started 19:01
00.あいさつ (村上てつや)
01.大丈夫 大丈夫 (フリー・ファンク)
02.I Never Thought (フリー・ファンク)
03.ありがとう (タイラヨヲ)
04.メイフィールド (シュガー・ピンプス)
05.Our Beat (ルーサー市村)
Ended 19:40
Break
Started 19:48
06.Nene (バンド演奏、インスト)
07.Lisa 横田基地物語 (シンヴァ)
08.そして僕を愛して (中澤信栄)
09.De Ja Vu (中澤信栄)
10.夢中になる性格 (トミー)
11.Why (ジェイド)
12.I’m Yours (ジェイ公山)
13.Afraid Of Losing You (チャカ)
14.DJ Feelgood (村上てつや)
15.Ex-Life (村上てつや)
16.You’ve Got Friends (ジェイ公山&チャカ)
17.感謝の歌 (ジェイ公山&チャカ &村上てつや、シュガー・ピンプス)
18.Let’s Stay Together (全員)~ a riff of ありがとう
Show ended 21:54
(2011年4月5日火曜、渋谷デュオ、オリト・トリビュート・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Orito Tribute
2011-
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (70回~72回)
2011年4月8日 音楽★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (70回~72回)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月28日~3月30日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第70回 ラヴ・トレイン
#70 Love Train
Written on Monday, 28 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 28 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/296-walking-on-planet-c-love-train
「ジャスト・ピース・サミット」に顔を出したあと、治療のためのウォーキングに
一日、「ウィ・アー・ファミリー基金」(WAFF)が行っている「ジャスト・ピース・サミット」に顔を出したあと、治療のためのウォーキングに出た。
過去二日、オージェイズの「ラヴ・トレイン」が僕の脳裏から片時も離れない。
僕は心ではヒッピーで、いつも愛の力を信じている。そして、癌を宣告されて以来、さらにそれを感じ感謝している。
「WAFFジャスト・ピース・サミット」は、十代の若者たちが集まる団体「スリー・ドット・ダッシュ」が行う企画イヴェントだ。「スリー・ドット…」は、世界中から「グローヴァル・ティーン・リーダーズ(地球的規模で物を考える十代のリーダーたち)」(GTL)を集めている。
僕の頭から「ラヴ・トレイン」が離れないのも無理はない。様々な十代の若者たち、その保護者、サポーターらと一緒にいるときに、「ラヴ・トレイン」の歌詞が頭の中をループしていた。
(コーラス)世界中の人々よ、手を組もう。そして、愛の列車(ラヴ・トレイン)を走らせるんだ。ラヴ・トレインを。
(ヴァース)まもなく次の停車地だ。ロシアや中国の仲間にも伝えてくれ。みんな、この列車に乗ろう。そして、この列車を走り続けさせよう
(コーラス)世界中の人々よ、手を組もう。そして、愛の列車(ラヴ・トレイン)を走らせるんだ。ラヴ・トレインを。
(ヴァース)アフリカの同胞たちよ、エジプトやイスラエルの仲間にも伝えてくれ。この列車に乗り遅れないでくれ。もしこれを逃すと、君たちが後悔すると思うから
(コーラス)世界中の人々よ、手を組もう。そして、愛の列車(ラヴ・トレイン)を走らせるんだ。ラヴ・トレインを。
+++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第71回 大笑い
#71 A Lot of Fun
Written on Tuesday, 29 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 29 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/297-walking-on-planet-c-a-lot-of-fun
左・「スリー・ドット・ダッシュ」の音楽ビデオを見ているととてもハッピーに。右・僕とジャマル
今日、「スリー・ドット・ダッシュ」の音楽ビデオを見ていると、とてもハッピーになった。「ウィ・アー・ファミリー基金」のイヴェント「ジャスト・ピース・サミット」中、僕はずっとハッピーだった。たくさんの楽しいことがあったからだ。
癌手術後の状態としては、今日はかなり悪かったが、そんなことにくよくよしてても始まらない。「グローヴァル・ティーン・リーダーズ」(世界的視野で見る十代のリーダーたち)がニューヨークに来ていて、僕たちは日々、多くの問題を克服している。僕たちはいかに個々のプログラムの連携を図るかについて一緒になってアイデアを出しあい、グループとしてより効果的なものを作り上げようとしている。
僕たちは真剣に懸命に勉強しているが、それでもたくさん楽しいことがある。ときに、最高の結果というのは、最悪な状況から生まれるものだ。
僕のもっとも売れたシングル、アトランティック・レコードから国内だけで600万枚売れた「ル・フリーク」は、もともと抗議の歌として始まった。実は大晦日にディスコ「スタジオ54」(註1)でライヴをやっていたグレイス・ジョーンズ(註2)に招待され、そこに行ったところ、シックは中にいれてもらえなかったのだ。ディスコのドアマンは僕たちをののしり、目の前でドアをびしゃりと閉めた。グレイスに言われてバックステージのところに行ったのだが、「ファック・オフ」(くそったれ=四文字ワード=放送禁止用語のようなもの)と言われたのだ。
僕たちはもはや中に入れないと悟ったので、アパートに戻り「あ~~、ファック・オフ」というフレーズをいれたグルーヴでジャム・セッションを始めた。それから、僕たちは(「ファック・オフ」というのはあまりにひどいので)「あ~~、フリーク・オフ」と変えて、さらに、最終的には「ア~~、フリーク・アウト」と変えて歌った。世界でもっとも話題を集めていたホットなディスコに入れてもらえなかった失望感にもかかわらず、僕たちはそのことを大いに笑い飛ばし、曲作りで楽しいひと時を過ごし、僕たち最大のナンバー・ワン・シングルを生み出したのだ。
今日、現在コロンビア大学映画学校の部長を勤めている、僕が16歳の頃から知っている友人の一人、ジャマル・ジョセフが、長時間、とても有益な勉強になるレクチャーをしてくれた。それは今日の「スリー・ドット・ダッシュ・ジャスト・ピース・サミット」の中で、映画製作についてのとても難しいワークショップだった。それは厳しく、集中したものだったが、とても楽しいものだった。
(註1)1970年代中期にニューヨークでもっとも流行ったディスコ。マンハッタン54丁目にあったので、「ステジオ54」という名前をつけていた。当時、多くのセレブ、有名人が集まり、そうしたセレブ目当てに一般の客も来たが、ドアマンがおしゃれな人間しかいれなかったために、かなり敷居の高いディスコとして知られていた。ナイルたちは、まだ当時は無名だったので、顔を知られていなかったために、中にいれてもらえなかった。
(註2)1970年代中期、ディスコで大変人気のあった黒人女性アーティスト。ひじょうにファッショナブルで、もともとモデルから転じてシンガーになった。
+++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第72回 スリー・ドット・ダッシュはVサイン
#72 Three Dot Dash
Written on Wednesday, 30 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 30 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/298-walking-on-planet-c-three-dot-dash
「ジャスト・ピース・サミット」に戻るため、ミッドタウンの駐車場に車を停め、会場まで歩く
「ウィ・アー・ファミリー基金」(WAFF)の「ジャスト・ピース・サミット」に戻るため、ミッドタウンの駐車場に車を停め、会場まで歩くことにした。僕は2010年10月の終わりに悪性前立腺癌と診断されて以来、ウォーキングを日課にしている。言ってみれば、「スリードット・ダッシュ・サミット」へ歩いていくことで、二つの目的(会場に行くこと、ウォーキングをすること)を遂げることができるわけだ。
「スリー・ドット・ダッシュ」は、WAFFが企画運営する地球規模の新たな取り組み、戦略だ。WAFFは、世界中で積極的に様々な活動をする「グローヴァル・ティーン・リーダーズ(地球規模で物を考える十代のリーダー)」を支援する。その活動は、人類が根本的に必要とする食料、水、健康、最低限の住まい、安全、教育、環境問題などを軸に、より平和な社会を作り、推進しようというものである。「スリー・ドット・ダッシュ」という名前は、電報で使われるモールス信号と二本の指で形作られる「ピース・サイン」つまり「Vサイン」をあわせたものだ。モールス信号で、「V」は、「・・・-(トン・トン・トン・ツーーー))となる。
僕は以前の拠点だったザ・パワー・スーテーション・スタジオ(現アヴァター・スタジオ)の前を通り過ぎた。そこでは、かつて僕たちはあらゆるヴァージョンの「ウィ・アー・ファミリー」を録音した。スパイク・リー・ヴァージョン、チルドレン・ヴァージョン、そして、1978年にオリジナルのシスター・スレッジ・ヴァージョンだ。
そしてもう1曲別の作品をそこで録音した。インパクト・レパートリー・シアターによる「スリー・ドット・ダッシュ」だ。
(下記にビデオ)
Walking on Planet C>70-72>Love Train / A Lot of Fun / Three Dot Dash
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月28日~3月30日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第70回 ラヴ・トレイン
#70 Love Train
Written on Monday, 28 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 28 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/296-walking-on-planet-c-love-train
「ジャスト・ピース・サミット」に顔を出したあと、治療のためのウォーキングに
一日、「ウィ・アー・ファミリー基金」(WAFF)が行っている「ジャスト・ピース・サミット」に顔を出したあと、治療のためのウォーキングに出た。
過去二日、オージェイズの「ラヴ・トレイン」が僕の脳裏から片時も離れない。
僕は心ではヒッピーで、いつも愛の力を信じている。そして、癌を宣告されて以来、さらにそれを感じ感謝している。
「WAFFジャスト・ピース・サミット」は、十代の若者たちが集まる団体「スリー・ドット・ダッシュ」が行う企画イヴェントだ。「スリー・ドット…」は、世界中から「グローヴァル・ティーン・リーダーズ(地球的規模で物を考える十代のリーダーたち)」(GTL)を集めている。
僕の頭から「ラヴ・トレイン」が離れないのも無理はない。様々な十代の若者たち、その保護者、サポーターらと一緒にいるときに、「ラヴ・トレイン」の歌詞が頭の中をループしていた。
(コーラス)世界中の人々よ、手を組もう。そして、愛の列車(ラヴ・トレイン)を走らせるんだ。ラヴ・トレインを。
(ヴァース)まもなく次の停車地だ。ロシアや中国の仲間にも伝えてくれ。みんな、この列車に乗ろう。そして、この列車を走り続けさせよう
(コーラス)世界中の人々よ、手を組もう。そして、愛の列車(ラヴ・トレイン)を走らせるんだ。ラヴ・トレインを。
(ヴァース)アフリカの同胞たちよ、エジプトやイスラエルの仲間にも伝えてくれ。この列車に乗り遅れないでくれ。もしこれを逃すと、君たちが後悔すると思うから
(コーラス)世界中の人々よ、手を組もう。そして、愛の列車(ラヴ・トレイン)を走らせるんだ。ラヴ・トレインを。
+++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第71回 大笑い
#71 A Lot of Fun
Written on Tuesday, 29 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 29 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/297-walking-on-planet-c-a-lot-of-fun
左・「スリー・ドット・ダッシュ」の音楽ビデオを見ているととてもハッピーに。右・僕とジャマル
今日、「スリー・ドット・ダッシュ」の音楽ビデオを見ていると、とてもハッピーになった。「ウィ・アー・ファミリー基金」のイヴェント「ジャスト・ピース・サミット」中、僕はずっとハッピーだった。たくさんの楽しいことがあったからだ。
癌手術後の状態としては、今日はかなり悪かったが、そんなことにくよくよしてても始まらない。「グローヴァル・ティーン・リーダーズ」(世界的視野で見る十代のリーダーたち)がニューヨークに来ていて、僕たちは日々、多くの問題を克服している。僕たちはいかに個々のプログラムの連携を図るかについて一緒になってアイデアを出しあい、グループとしてより効果的なものを作り上げようとしている。
僕たちは真剣に懸命に勉強しているが、それでもたくさん楽しいことがある。ときに、最高の結果というのは、最悪な状況から生まれるものだ。
僕のもっとも売れたシングル、アトランティック・レコードから国内だけで600万枚売れた「ル・フリーク」は、もともと抗議の歌として始まった。実は大晦日にディスコ「スタジオ54」(註1)でライヴをやっていたグレイス・ジョーンズ(註2)に招待され、そこに行ったところ、シックは中にいれてもらえなかったのだ。ディスコのドアマンは僕たちをののしり、目の前でドアをびしゃりと閉めた。グレイスに言われてバックステージのところに行ったのだが、「ファック・オフ」(くそったれ=四文字ワード=放送禁止用語のようなもの)と言われたのだ。
僕たちはもはや中に入れないと悟ったので、アパートに戻り「あ~~、ファック・オフ」というフレーズをいれたグルーヴでジャム・セッションを始めた。それから、僕たちは(「ファック・オフ」というのはあまりにひどいので)「あ~~、フリーク・オフ」と変えて、さらに、最終的には「ア~~、フリーク・アウト」と変えて歌った。世界でもっとも話題を集めていたホットなディスコに入れてもらえなかった失望感にもかかわらず、僕たちはそのことを大いに笑い飛ばし、曲作りで楽しいひと時を過ごし、僕たち最大のナンバー・ワン・シングルを生み出したのだ。
今日、現在コロンビア大学映画学校の部長を勤めている、僕が16歳の頃から知っている友人の一人、ジャマル・ジョセフが、長時間、とても有益な勉強になるレクチャーをしてくれた。それは今日の「スリー・ドット・ダッシュ・ジャスト・ピース・サミット」の中で、映画製作についてのとても難しいワークショップだった。それは厳しく、集中したものだったが、とても楽しいものだった。
(註1)1970年代中期にニューヨークでもっとも流行ったディスコ。マンハッタン54丁目にあったので、「ステジオ54」という名前をつけていた。当時、多くのセレブ、有名人が集まり、そうしたセレブ目当てに一般の客も来たが、ドアマンがおしゃれな人間しかいれなかったために、かなり敷居の高いディスコとして知られていた。ナイルたちは、まだ当時は無名だったので、顔を知られていなかったために、中にいれてもらえなかった。
(註2)1970年代中期、ディスコで大変人気のあった黒人女性アーティスト。ひじょうにファッショナブルで、もともとモデルから転じてシンガーになった。
+++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第72回 スリー・ドット・ダッシュはVサイン
#72 Three Dot Dash
Written on Wednesday, 30 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 30 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/298-walking-on-planet-c-three-dot-dash
「ジャスト・ピース・サミット」に戻るため、ミッドタウンの駐車場に車を停め、会場まで歩く
「ウィ・アー・ファミリー基金」(WAFF)の「ジャスト・ピース・サミット」に戻るため、ミッドタウンの駐車場に車を停め、会場まで歩くことにした。僕は2010年10月の終わりに悪性前立腺癌と診断されて以来、ウォーキングを日課にしている。言ってみれば、「スリードット・ダッシュ・サミット」へ歩いていくことで、二つの目的(会場に行くこと、ウォーキングをすること)を遂げることができるわけだ。
「スリー・ドット・ダッシュ」は、WAFFが企画運営する地球規模の新たな取り組み、戦略だ。WAFFは、世界中で積極的に様々な活動をする「グローヴァル・ティーン・リーダーズ(地球規模で物を考える十代のリーダー)」を支援する。その活動は、人類が根本的に必要とする食料、水、健康、最低限の住まい、安全、教育、環境問題などを軸に、より平和な社会を作り、推進しようというものである。「スリー・ドット・ダッシュ」という名前は、電報で使われるモールス信号と二本の指で形作られる「ピース・サイン」つまり「Vサイン」をあわせたものだ。モールス信号で、「V」は、「・・・-(トン・トン・トン・ツーーー))となる。
僕は以前の拠点だったザ・パワー・スーテーション・スタジオ(現アヴァター・スタジオ)の前を通り過ぎた。そこでは、かつて僕たちはあらゆるヴァージョンの「ウィ・アー・ファミリー」を録音した。スパイク・リー・ヴァージョン、チルドレン・ヴァージョン、そして、1978年にオリジナルのシスター・スレッジ・ヴァージョンだ。
そしてもう1曲別の作品をそこで録音した。インパクト・レパートリー・シアターによる「スリー・ドット・ダッシュ」だ。
(下記にビデオ)
Walking on Planet C>70-72>Love Train / A Lot of Fun / Three Dot Dash
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (73回~75回)
2011年4月9日 音楽★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (73回~75回)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月31日~4月02日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第73回(3月31日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第73回 スリー・ドット・ダッシュはVサイン
#73 Party Night
Written on Thursday, 31 March 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 31 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/299-walking-on-planet-c-party-night
左・グリーンウィッチ・ヴィレッジを通り越し、ザ・ビターエンド・クラブに到着、僕の右はアイズハン、右・僕とビートボクサー、キッド・ラッキー
僕はグリーンウィッチ・ヴィレッジを通り越し、ザ・ビターエンド・クラブに到着した。今日は、「スリー・ドット・ダッシュ・グローヴァル・ティーン・リーダーズ(GTL)」のパーティー・ナイトだった。
今夜は、癌手術以来初めてギターを持ってステージに上った。
GTLのみんなやビターエンドのマネージャーたち(ビターエンドは、僕が16歳のときプレイした初めてのクラブだった)、僕の忠実なギター・テック(ギターの面倒をすべて見るアシスタント技術者)のテリー、そして、ウィ・アー・ファミリー基金のスタッフたちにサポートされるのは本当に嬉しく幸せだった。多くのパフォーマーたちが登場し、素晴らしい夜だった。
インパクト・レパートリー・シアターが「スリー・ドット・ダッシュ」をライヴで演奏した。僕はアンコールで、彼らとともに「ウィ・アー・ファミリー」をプレイした。見せ掛けのエンディング(=音楽業界用語:本当のエンディングではなく、一見終わったように見せるエンディングのこと)の後、ビートボックス(ヒューマン・ビートボックス)をやる連中がステージに上がり、「ウィ・アー・ファミリー」を繰り返し、GTLのすべてのメンバーがステージに駆け上がった。なぜかって? パーティー・ナイトだからだ!
(スリー・ドット・ダッシュのビデオ)
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第74回(4月1日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第74回 彼らが僕にしてくれたこと
#74 What They Do for Me
Written on Friday, 01 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 01 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/300-walking-on-planet-c-what-they-do-for-me
暗雲に覆われた空の下、ブロードウェイを「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらファンキーに歩く
暗雲に覆われた空の下、僕はブロードウェイを「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらファンキーに歩いていた。「アイ・ウォナ・ダンス」は、ザ・シック・オーガニゼーションがクール&ザ・ギャングと手を組んで完成した新曲だ。
癌に侵される以前からこの曲に取りかかり始めていたが、僕がコントロールできない様々な問題が起き、プロジェクトは保留にされていた。
僕は音楽を愛している。音楽の力には戸惑うほどだ。そしてその力は僕に生きる理由を与えてくれる。僕のセラピーの過程で様々な歌を自分自身のために歌っている。音楽、思い出、人々、楽曲。そうしたものが僕のエンジンを動かす燃料だ。それらは、僕に人生の意味、人生の目的を教えてくれる。それこそが彼らやそうしたものが僕に与えてくれるものなのだ。
僕の人生を変えた作品を集めたコンピレーション・アルバムを作った。このレコードを元パートナー、バーナード・エドワーズと日本の人々を称えるために、日本でリリースする。15年前、バーナードは東京で亡くなったが、その後、僕の人生に大いなる意味をもつ楽曲を歌うために、再度日本に招かれた。
そんな特別な日本の友人たちのため、バーナードとの愛と音楽とダンスの思い出を称えるために、僕は毎年、日本に戻る。
先ごろの悲劇的な地震、そしてその後遺症は、今年、僕にとってもっとも重要な関心事となった。日本の人々の強さは、僕のスピリット(精神)を奮い立たせてくれる。
彼らが僕のためにしてくれたことを、今度は僕が彼らのためにするつもりだ。
+++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第75回(4月2日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第75回 明るく陽気に
#75 Staying Upbeat
Written on Saturday, 02 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 02 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/301-walking-on-planet-c-staying-upbeat
左・コンピューターで癌手術日からの自分自身の写真を眺める、右・神経を麻痺させる局部麻酔のコマーシャルの真似をしてみんなを笑わせた
今日、僕はコンピューターで癌手術日からの自分自身の写真を眺めていた。点滴や僕の体4箇所から出ているチューブなどの激痛を感じながらも、明るく振舞おうとしていた。
僕は、神経を麻痺させる局部麻酔のコマーシャルの真似をしてみんなを笑わせた。
術後の体調面での症状は過去四ヵ月、大きな変化はない。しかし、気持ちの上、メンタル面ではかなり明るく上向いている。僕にはこれからたくさんやらなければならないことがある。疾患からくる体調をコントロールすることはできないが、気持ちの中で幸せと心の平和を得ようとしている。
だが、メンタル面でそのような極地に至るのは簡単ではない。自身どうありたいかという究極の例については、いつも自分にこう言い聞かせている。「もし僕が乗っている飛行機が墜落するとわかったら、そのとき、人生を思い浮かべる最後の思い出が楽しいものであればいい」
(2011年)4月6日、僕は『エヴリバディ・ダンス!』のコンピレーションCDをリリースする。これは元僕のパートナー、バーナード・エドワーズと日本の人々へ捧げるものだ。バーナードは15年前に日本で死去し、また、日本は今壊滅的な危機に直面しているが、このCDにはハッピーで平和的な音楽があふれている。音楽を作るとき、僕は明るく陽気なものを作ることを意識している。
Walking on Planet C>73-75>Party Night / What they Do For Me / Staying Upbeat
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月31日~4月02日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第73回(3月31日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第73回 スリー・ドット・ダッシュはVサイン
#73 Party Night
Written on Thursday, 31 March 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 31 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/299-walking-on-planet-c-party-night
左・グリーンウィッチ・ヴィレッジを通り越し、ザ・ビターエンド・クラブに到着、僕の右はアイズハン、右・僕とビートボクサー、キッド・ラッキー
僕はグリーンウィッチ・ヴィレッジを通り越し、ザ・ビターエンド・クラブに到着した。今日は、「スリー・ドット・ダッシュ・グローヴァル・ティーン・リーダーズ(GTL)」のパーティー・ナイトだった。
今夜は、癌手術以来初めてギターを持ってステージに上った。
GTLのみんなやビターエンドのマネージャーたち(ビターエンドは、僕が16歳のときプレイした初めてのクラブだった)、僕の忠実なギター・テック(ギターの面倒をすべて見るアシスタント技術者)のテリー、そして、ウィ・アー・ファミリー基金のスタッフたちにサポートされるのは本当に嬉しく幸せだった。多くのパフォーマーたちが登場し、素晴らしい夜だった。
インパクト・レパートリー・シアターが「スリー・ドット・ダッシュ」をライヴで演奏した。僕はアンコールで、彼らとともに「ウィ・アー・ファミリー」をプレイした。見せ掛けのエンディング(=音楽業界用語:本当のエンディングではなく、一見終わったように見せるエンディングのこと)の後、ビートボックス(ヒューマン・ビートボックス)をやる連中がステージに上がり、「ウィ・アー・ファミリー」を繰り返し、GTLのすべてのメンバーがステージに駆け上がった。なぜかって? パーティー・ナイトだからだ!
(スリー・ドット・ダッシュのビデオ)
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第74回(4月1日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第74回 彼らが僕にしてくれたこと
#74 What They Do for Me
Written on Friday, 01 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 01 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/300-walking-on-planet-c-what-they-do-for-me
暗雲に覆われた空の下、ブロードウェイを「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらファンキーに歩く
暗雲に覆われた空の下、僕はブロードウェイを「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらファンキーに歩いていた。「アイ・ウォナ・ダンス」は、ザ・シック・オーガニゼーションがクール&ザ・ギャングと手を組んで完成した新曲だ。
癌に侵される以前からこの曲に取りかかり始めていたが、僕がコントロールできない様々な問題が起き、プロジェクトは保留にされていた。
僕は音楽を愛している。音楽の力には戸惑うほどだ。そしてその力は僕に生きる理由を与えてくれる。僕のセラピーの過程で様々な歌を自分自身のために歌っている。音楽、思い出、人々、楽曲。そうしたものが僕のエンジンを動かす燃料だ。それらは、僕に人生の意味、人生の目的を教えてくれる。それこそが彼らやそうしたものが僕に与えてくれるものなのだ。
僕の人生を変えた作品を集めたコンピレーション・アルバムを作った。このレコードを元パートナー、バーナード・エドワーズと日本の人々を称えるために、日本でリリースする。15年前、バーナードは東京で亡くなったが、その後、僕の人生に大いなる意味をもつ楽曲を歌うために、再度日本に招かれた。
そんな特別な日本の友人たちのため、バーナードとの愛と音楽とダンスの思い出を称えるために、僕は毎年、日本に戻る。
先ごろの悲劇的な地震、そしてその後遺症は、今年、僕にとってもっとも重要な関心事となった。日本の人々の強さは、僕のスピリット(精神)を奮い立たせてくれる。
彼らが僕のためにしてくれたことを、今度は僕が彼らのためにするつもりだ。
+++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第75回(4月2日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第75回 明るく陽気に
#75 Staying Upbeat
Written on Saturday, 02 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 02 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/301-walking-on-planet-c-staying-upbeat
左・コンピューターで癌手術日からの自分自身の写真を眺める、右・神経を麻痺させる局部麻酔のコマーシャルの真似をしてみんなを笑わせた
今日、僕はコンピューターで癌手術日からの自分自身の写真を眺めていた。点滴や僕の体4箇所から出ているチューブなどの激痛を感じながらも、明るく振舞おうとしていた。
僕は、神経を麻痺させる局部麻酔のコマーシャルの真似をしてみんなを笑わせた。
術後の体調面での症状は過去四ヵ月、大きな変化はない。しかし、気持ちの上、メンタル面ではかなり明るく上向いている。僕にはこれからたくさんやらなければならないことがある。疾患からくる体調をコントロールすることはできないが、気持ちの中で幸せと心の平和を得ようとしている。
だが、メンタル面でそのような極地に至るのは簡単ではない。自身どうありたいかという究極の例については、いつも自分にこう言い聞かせている。「もし僕が乗っている飛行機が墜落するとわかったら、そのとき、人生を思い浮かべる最後の思い出が楽しいものであればいい」
(2011年)4月6日、僕は『エヴリバディ・ダンス!』のコンピレーションCDをリリースする。これは元僕のパートナー、バーナード・エドワーズと日本の人々へ捧げるものだ。バーナードは15年前に日本で死去し、また、日本は今壊滅的な危機に直面しているが、このCDにはハッピーで平和的な音楽があふれている。音楽を作るとき、僕は明るく陽気なものを作ることを意識している。
Walking on Planet C>73-75>Party Night / What they Do For Me / Staying Upbeat
△東京都知事選2011予想
2011年4月10日 音楽△東京都知事選2011予想
【Tokyo Gubernatorial Election 2011 Prediction】
予想。
ぎりぎりになってしまったが、ふと、思いついて、都知事選を予想してみた。なんでも予想してから、実際に参加すると、結果や速報がとても楽しみになる。結果を見てからあれこれ言う結果論だとつまらないが、はずれたとしても、こうなるだろうというのを予想しておくと、結果から読み取れることが大幅に違う。予想の勧め。(笑)
さて、今回は石原、東国原、小池、渡邊の4氏にフォーカスする。
まず、投票率、過去57.87%(1999)、44.94%(2003)、54.35%(2007)だったが、2011年は盛り上がりに欠けることと、天気がよくなさそうなので、45~47%前後と予想。当日有権者数を約1023万人とすると、約480万票が有効票。これの取り合いになる。石原が200万票とれたら、信任と騒がれ、本人も有頂天になるだろう。
前回石原は51%の得票率だが、僕は30%くらいに減ると思う。一方2位予想の東国原は25%前後、3位予想の小池が20%、渡邊が15%くらいか。
基礎票とプラス・マイナスを出してみた。
石原 144万票 +40-20 (124~184万の間)(前回281万票)
東国原120万票 ±20 (100~140万の間)
小池 96万票 +40-30 (66~136万の間)(前回共産候補は62万票)
渡邊 72万票 ±20 (52~92万の間)
石原は144万をベースにプラスで40万、184万。もし、少ない場合はマイナス20万で124万。なので、反石原が固まり、石原が124万くらいしか取れなければ、東、小池に勝算が出てくる。しかし、石原は過去3回、166万、308万、前回281万を獲得。160万くらいの基礎票があるような気もする。とにかく人気がある。それがどこまで減るかがポイントだ。
投票率1%は約10万票。それを石原以外の3人が取るとすると、各3万票ずつ上乗せされる。もし前回と同じ54%くらいになると、+7%なので+70万票、各候補20万票の上乗せになる。この7%あたりが浮動票なのかもしれない。浮動票の6割を小池が取れば42万票上乗せで、石原がもたついた場合、逆転が可能だ。
石原にはやらせたくないが、他に適任者がいない。どれもどんぐりの背比べという感じが一番強い。渡邊は一番さわやかでイメージがいいが、なにせ政治実績がなく、大丈夫か、という不安が募る。東は宮崎県知事でそこそこの実績があるが、東京都民からすると、宮崎はできても、東京は無理でしょう、という印象。小池は石原に続いて手堅いが、共産推薦というところが最大のネック。美濃部都政の呪縛から放たれれば、一番大穴。良くも悪くもどれも石原ほどの強烈なインパクトがなく、強いリーダーシップが感じられない。
今回のポイントは、反石原票が3人にばらけてしまう点。たぶん、3人の合計票は、石原単独よりも多くなると思う。石原対誰か一人という二極対立構造だったら、その誰か一人が勝ったと思う。
石原で言えば、この4人の中で唯一「原発推進」。これもマイナス・ポイント。そして、「4選はさすがに長いでしょう」という心理的ネガティヴが強い。「花見自粛」もマイナスじゃないかな。また、例の「天罰発言」で大いに票を減らしたが、消防庁隊員の帰還時の「涙の会見」でそれを盛り返した感がある。
投票は午前7時から午後8時まで。開票は8時半からスタート。深夜12時くらいまでには確定するだろう。夜10時くらいには確定するのかな。あ、そうか、接戦だと遅くなるんだ。
++++
政見放送。
というわけで、今回の都知事選で一番おもしろかった政見放送は、マック赤坂。受けました! (笑) 今回の「ベスト政見放送」を授与したい。
http://www.youtube.com/watch?v=OqPqd71WJxQ
立ち上がって、画面から見切れるところなんぞ、サイコーです。
今回の東京都知事選の供託金は300万円。有効投票総数の1割を取れないと没収になる。投票率47%として約47万票を取れないと没収だ。しかし、300万円で、この6分の政見放送ができれば、まあ、いい宣伝費か。これがNHKで2度は流れるし、他に民放、ラジオでも流れる。民放で6分も時間買ったら、300万では買えない。
あと、谷山ゆうじろうの「めちゃくちゃ」になったのもおもしろかった。最初、ヴァラエティーのギャグかと思った。これって、やり直して録画しないのかなあ。
http://www.youtube.com/watch?v=9mR_-pgpReE&feature=player_embedded#at=49
NEWS>Tokyo Gubernatorial Election
【Tokyo Gubernatorial Election 2011 Prediction】
予想。
ぎりぎりになってしまったが、ふと、思いついて、都知事選を予想してみた。なんでも予想してから、実際に参加すると、結果や速報がとても楽しみになる。結果を見てからあれこれ言う結果論だとつまらないが、はずれたとしても、こうなるだろうというのを予想しておくと、結果から読み取れることが大幅に違う。予想の勧め。(笑)
さて、今回は石原、東国原、小池、渡邊の4氏にフォーカスする。
まず、投票率、過去57.87%(1999)、44.94%(2003)、54.35%(2007)だったが、2011年は盛り上がりに欠けることと、天気がよくなさそうなので、45~47%前後と予想。当日有権者数を約1023万人とすると、約480万票が有効票。これの取り合いになる。石原が200万票とれたら、信任と騒がれ、本人も有頂天になるだろう。
前回石原は51%の得票率だが、僕は30%くらいに減ると思う。一方2位予想の東国原は25%前後、3位予想の小池が20%、渡邊が15%くらいか。
基礎票とプラス・マイナスを出してみた。
石原 144万票 +40-20 (124~184万の間)(前回281万票)
東国原120万票 ±20 (100~140万の間)
小池 96万票 +40-30 (66~136万の間)(前回共産候補は62万票)
渡邊 72万票 ±20 (52~92万の間)
石原は144万をベースにプラスで40万、184万。もし、少ない場合はマイナス20万で124万。なので、反石原が固まり、石原が124万くらいしか取れなければ、東、小池に勝算が出てくる。しかし、石原は過去3回、166万、308万、前回281万を獲得。160万くらいの基礎票があるような気もする。とにかく人気がある。それがどこまで減るかがポイントだ。
投票率1%は約10万票。それを石原以外の3人が取るとすると、各3万票ずつ上乗せされる。もし前回と同じ54%くらいになると、+7%なので+70万票、各候補20万票の上乗せになる。この7%あたりが浮動票なのかもしれない。浮動票の6割を小池が取れば42万票上乗せで、石原がもたついた場合、逆転が可能だ。
石原にはやらせたくないが、他に適任者がいない。どれもどんぐりの背比べという感じが一番強い。渡邊は一番さわやかでイメージがいいが、なにせ政治実績がなく、大丈夫か、という不安が募る。東は宮崎県知事でそこそこの実績があるが、東京都民からすると、宮崎はできても、東京は無理でしょう、という印象。小池は石原に続いて手堅いが、共産推薦というところが最大のネック。美濃部都政の呪縛から放たれれば、一番大穴。良くも悪くもどれも石原ほどの強烈なインパクトがなく、強いリーダーシップが感じられない。
今回のポイントは、反石原票が3人にばらけてしまう点。たぶん、3人の合計票は、石原単独よりも多くなると思う。石原対誰か一人という二極対立構造だったら、その誰か一人が勝ったと思う。
石原で言えば、この4人の中で唯一「原発推進」。これもマイナス・ポイント。そして、「4選はさすがに長いでしょう」という心理的ネガティヴが強い。「花見自粛」もマイナスじゃないかな。また、例の「天罰発言」で大いに票を減らしたが、消防庁隊員の帰還時の「涙の会見」でそれを盛り返した感がある。
投票は午前7時から午後8時まで。開票は8時半からスタート。深夜12時くらいまでには確定するだろう。夜10時くらいには確定するのかな。あ、そうか、接戦だと遅くなるんだ。
++++
政見放送。
というわけで、今回の都知事選で一番おもしろかった政見放送は、マック赤坂。受けました! (笑) 今回の「ベスト政見放送」を授与したい。
http://www.youtube.com/watch?v=OqPqd71WJxQ
立ち上がって、画面から見切れるところなんぞ、サイコーです。
今回の東京都知事選の供託金は300万円。有効投票総数の1割を取れないと没収になる。投票率47%として約47万票を取れないと没収だ。しかし、300万円で、この6分の政見放送ができれば、まあ、いい宣伝費か。これがNHKで2度は流れるし、他に民放、ラジオでも流れる。民放で6分も時間買ったら、300万では買えない。
あと、谷山ゆうじろうの「めちゃくちゃ」になったのもおもしろかった。最初、ヴァラエティーのギャグかと思った。これって、やり直して録画しないのかなあ。
http://www.youtube.com/watch?v=9mR_-pgpReE&feature=player_embedded#at=49
NEWS>Tokyo Gubernatorial Election
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (76回~78回)
2011年4月11日 音楽★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (76回~78回)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年4月3日~4月5日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第76回(4月3日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第76回 フライ・アウェイ
#76 Fly Away
Written on Sunday, 03 April 2011 04:50 by Nile Rodgers (Japan Standard Time, 02 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/302-walking-on-planet-c-fly-away
左・チャイナタウンからソーホーまで歩く、右・TVパーソナリティーのトゥーレ
今日、僕はチャイナタウンからソーホーまで歩いた。ソーホーでは、第二回「テッドxティーン」(註1)のイヴェントが行われていた。ジャーナリストでTVパーソナリティーのトゥーレが見事に仕切っていた。
癌手術以来、術後症状のひとつに、ときに現れる強烈な痛みを伴う膀胱けいれんがある。なんてことだ。今日、本当に最悪なけいれんにみまわれた。だが、すぐにその痛みは消え、アパートを出て、いつものようにいい感じのウォーキングをした。
「ジャスト・ピース・サミット」に参加した十代の若者たちはみな、今日ニューヨークを旅立った。脳内DJが「ロッキーのテーマ」として知られる「ゴナ・フライ・ナウ」をかけるまで、ずっと「リーヴィング・オン・ア・ジェット・プレーン」(ピーター・ポール&マリー)が頭の中から離れなかった。僕はミュージック・プレイヤーを持ち歩かない。いつでも曲が僕の頭の中に浮かんできて、それらの曲同士はいつもつながっている。
「フライング(飛ぶ)」という言葉がキーワードとなって僕の脳内にあふれた。デイヴィッド・ボウイと一緒にやった「ナイト・フライツ」が脳内をループし始め、それから僕がギターをプレイしたシールの「フライ・ライク・アン・イーグル」、シルヴァー・コンヴェンションによるディスコ・クラシック「フライ・ロビン・フライ」、シュガー・レイの「フライ」、フー・ファイターズの「ラーン・トゥ・フライ」、トム・ペリーの「ラーニング・トゥ・フライ」、レニー・クラヴィッツの「フライ・アウェイ」、ビートルズのサイケデリックなブルーズ曲「フライング」、そして、Rケリーの「アイ・ビリーヴ・アイ・キャン・フライ」が続いた。
人々と音楽の素晴らしいところは、たとえそれらがどこかに飛び去った(Fly away)後でも、つねに僕の傍らにいてくれることだ。音楽も、人々も、僕の心の中に。
(註1)「テッドxティーン」イヴェント。悩める十代の若者たちに、さまざまな悩みのテーマや議論のテーマを与え、積極的に議論・討論させたり、少人数のグループで講師の話を聴いたり、話し合ったりするフォーラム。
+++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第77回(4月4日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第77回 一日中
#77 All Day
Written on Monday, 04 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 04 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/303-walking-on-planet-c-all-day#disqus_thread
ニューヨークもついに春満開
たぶん、(ニューヨークも)ついに春満開といったところだろう。今日の暖かさは、春の息吹を感じさせた。まもなく日本に旅立つ。きっと、桜も満開だろう。日本や桜のことを一日中考えている。
短めのウォーキングにでかけた。その間、膀胱けいれんがでないか心配したが、杞憂に終わった。一歩一歩幸せをかみしめながら歩いた。
前立腺癌の根治手術を受けてから、僕の中をありとあらゆる感情がかけぬける。昨日のブログへのコメントで、ディナイルスプレイス(Dnilesplace)は「(様々な術後症状は)きっと、ローラーコースターのようなものだったでしょう」と書いた。その通りだ。そして、一日中オハイオ・プレイヤーズが脳内で鳴っていた。
ウォーキングの間、脳内DJは、オハイオ・プレイヤーズの曲を4曲、繰り返し繰り返しかけていた。「スキン・タイト」、「アイ・ウォント・トゥ・ビー・フリー」、「ファイアー」、そして、もちろん、「ラヴ・ローラーコースター」だ。
僕はただウォーキングしているだけだが、気持ちは踊っているようだった。
家に戻るとクール&ザ・ギャングのロバート・ベルから2本の留守電メッセージが残っていた。ザ・シック・オーガニゼーションとクール&ザ・ギャングは、ともに「アイ・ウォナ・ダンス」をレコーディングした。この曲も一日中、僕の頭の中に鳴り響いていた。
++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第78回(4月5日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第78回 シックの男
#78 A Dude In CHIC
Written on Tuesday, 05 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 05 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/304-walking-on-planet-c-a-dude-in-chic
差し込む朝日に僕のギターのシルエットが浮かんだ
今朝、差し込む朝日に僕のギターのシルエットが浮かび上がった。ウォーキングを前にして、そのギターを弾かずにはいられなかった。僕はほとんど昔の僕に戻った感じだ。そう、「シックの男」として。
2010年10月27日、前立腺癌と診断されて以降、ひじょうに厳しい心配事が起こった。右腕の筋力を失ったのだ。今日、それが元に戻るまで6ヶ月ほどかかった。
僕はシック・オルガニゼーションとクール&ザ・ギャングがともに録音した新曲の練習を始めた。「アイ・ウォナ・ダンス」というタイトルで、これをステージに上ってプレイするのが待ちきれない。anxiety event
あと5日で僕は一連のコンサートをするため日本に旅立つ。「シックの男」となって以来、人前でパフォーマンスすることに今ほど興奮したことはない。
Walking on Planet C>76-78>Fly Away / All Day / A Dude In Chic
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年4月3日~4月5日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第76回(4月3日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第76回 フライ・アウェイ
#76 Fly Away
Written on Sunday, 03 April 2011 04:50 by Nile Rodgers (Japan Standard Time, 02 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/302-walking-on-planet-c-fly-away
左・チャイナタウンからソーホーまで歩く、右・TVパーソナリティーのトゥーレ
今日、僕はチャイナタウンからソーホーまで歩いた。ソーホーでは、第二回「テッドxティーン」(註1)のイヴェントが行われていた。ジャーナリストでTVパーソナリティーのトゥーレが見事に仕切っていた。
癌手術以来、術後症状のひとつに、ときに現れる強烈な痛みを伴う膀胱けいれんがある。なんてことだ。今日、本当に最悪なけいれんにみまわれた。だが、すぐにその痛みは消え、アパートを出て、いつものようにいい感じのウォーキングをした。
「ジャスト・ピース・サミット」に参加した十代の若者たちはみな、今日ニューヨークを旅立った。脳内DJが「ロッキーのテーマ」として知られる「ゴナ・フライ・ナウ」をかけるまで、ずっと「リーヴィング・オン・ア・ジェット・プレーン」(ピーター・ポール&マリー)が頭の中から離れなかった。僕はミュージック・プレイヤーを持ち歩かない。いつでも曲が僕の頭の中に浮かんできて、それらの曲同士はいつもつながっている。
「フライング(飛ぶ)」という言葉がキーワードとなって僕の脳内にあふれた。デイヴィッド・ボウイと一緒にやった「ナイト・フライツ」が脳内をループし始め、それから僕がギターをプレイしたシールの「フライ・ライク・アン・イーグル」、シルヴァー・コンヴェンションによるディスコ・クラシック「フライ・ロビン・フライ」、シュガー・レイの「フライ」、フー・ファイターズの「ラーン・トゥ・フライ」、トム・ペリーの「ラーニング・トゥ・フライ」、レニー・クラヴィッツの「フライ・アウェイ」、ビートルズのサイケデリックなブルーズ曲「フライング」、そして、Rケリーの「アイ・ビリーヴ・アイ・キャン・フライ」が続いた。
人々と音楽の素晴らしいところは、たとえそれらがどこかに飛び去った(Fly away)後でも、つねに僕の傍らにいてくれることだ。音楽も、人々も、僕の心の中に。
(註1)「テッドxティーン」イヴェント。悩める十代の若者たちに、さまざまな悩みのテーマや議論のテーマを与え、積極的に議論・討論させたり、少人数のグループで講師の話を聴いたり、話し合ったりするフォーラム。
+++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第77回(4月4日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第77回 一日中
#77 All Day
Written on Monday, 04 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 04 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/303-walking-on-planet-c-all-day#disqus_thread
ニューヨークもついに春満開
たぶん、(ニューヨークも)ついに春満開といったところだろう。今日の暖かさは、春の息吹を感じさせた。まもなく日本に旅立つ。きっと、桜も満開だろう。日本や桜のことを一日中考えている。
短めのウォーキングにでかけた。その間、膀胱けいれんがでないか心配したが、杞憂に終わった。一歩一歩幸せをかみしめながら歩いた。
前立腺癌の根治手術を受けてから、僕の中をありとあらゆる感情がかけぬける。昨日のブログへのコメントで、ディナイルスプレイス(Dnilesplace)は「(様々な術後症状は)きっと、ローラーコースターのようなものだったでしょう」と書いた。その通りだ。そして、一日中オハイオ・プレイヤーズが脳内で鳴っていた。
ウォーキングの間、脳内DJは、オハイオ・プレイヤーズの曲を4曲、繰り返し繰り返しかけていた。「スキン・タイト」、「アイ・ウォント・トゥ・ビー・フリー」、「ファイアー」、そして、もちろん、「ラヴ・ローラーコースター」だ。
僕はただウォーキングしているだけだが、気持ちは踊っているようだった。
家に戻るとクール&ザ・ギャングのロバート・ベルから2本の留守電メッセージが残っていた。ザ・シック・オーガニゼーションとクール&ザ・ギャングは、ともに「アイ・ウォナ・ダンス」をレコーディングした。この曲も一日中、僕の頭の中に鳴り響いていた。
++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第78回(4月5日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第78回 シックの男
#78 A Dude In CHIC
Written on Tuesday, 05 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 05 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/304-walking-on-planet-c-a-dude-in-chic
差し込む朝日に僕のギターのシルエットが浮かんだ
今朝、差し込む朝日に僕のギターのシルエットが浮かび上がった。ウォーキングを前にして、そのギターを弾かずにはいられなかった。僕はほとんど昔の僕に戻った感じだ。そう、「シックの男」として。
2010年10月27日、前立腺癌と診断されて以降、ひじょうに厳しい心配事が起こった。右腕の筋力を失ったのだ。今日、それが元に戻るまで6ヶ月ほどかかった。
僕はシック・オルガニゼーションとクール&ザ・ギャングがともに録音した新曲の練習を始めた。「アイ・ウォナ・ダンス」というタイトルで、これをステージに上ってプレイするのが待ちきれない。anxiety event
あと5日で僕は一連のコンサートをするため日本に旅立つ。「シックの男」となって以来、人前でパフォーマンスすることに今ほど興奮したことはない。
Walking on Planet C>76-78>Fly Away / All Day / A Dude In Chic
◎ デジル・ブラザーズ~ グルーヴのあるライヴ
2011年4月12日 音楽◎デジル・ブラザーズ~ グルーヴのあるライヴ
【Dezille Brothers : Live With Groove】
ファンク。
先月11日、そう3月11日に横浜モーション・ブルーでそのライヴは行われる予定になっていて、僕も行くつもりだった。しかし、あの地震。そして中止。彼らはリハーサル中で、地震後も最初のうちはライヴを敢行するつもりだった、という。そして、2度目の揺れが来て、赤レンガビル自体がクローズすることになり、ライヴは中止に。
今回のライヴは、その振り替えではなく、元々予定されていたリリース・パーティーだったが、結果的に、振り替え的にもなった。
さて、昨年(2010年)3月モーションで行われた椎名純平名義のライヴで、ゲストで出演していたキーボード奏者、スウィング・オーを加えてデジル・ブラザーズとなり、アルバムを作り、デジルとしてのデビューとなった。もうあれから1年かあ。
今回の会場渋谷スター・ラウンジは初めて行った。表玄関のかんばんとロゴがかっこいい。2010年10月にオープンした新しいライヴハウス。この日は超満員で、おそらく立ち見で200人くらい入っていたのではないだろうか。
ぎりぎりに入ると、もう中には進めず、入口のところで聴いていた。ところが、ここはステージの高さが低く、前のミュージシャンたちがほとんど見えない。椎名さんが座ってキーボードを弾くと、もうどこにいるかすらもわからず。もう少しステージが高ければいいのに。あるいは、カメラで撮って、どこかの壁に映し出すのもいいかもしれない。
しかし、醸し出されるグルーヴ感いっぱいのサウンドは、前回昨年に横浜のモーションで見たとき同様とてもよかった。ドラムス、ギター、ベース、キーボードから繰り広げられるブラック・フィーリングいっぱいののりは実に気持ちいい。このサウンドで、なにかソウルかファンクのカヴァー曲を1-2曲、セットリストにいれたら、もっとおもしろいのではないだろうか。日本人若手でこのタイプをやると、一番安定している感じがする。このメンバーは間違いない。
ライヴ後の軽い打ち上げで、レコード会社の担当者が、「(こういうタイプの音楽は)なかなか売れませんが・・・」とあいさつして失笑がもれたが、がんばって欲しい。やり続けることに意義があると思う。
■過去関連記事
2010年03月30日(火)
椎名純平ライヴ@モーション・ブルー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10494837639.html
■ 椎名純平ブログ
http://blog.goo.ne.jp/shiinajunpei/
■デジル・ブラザーズ 『だしの取りかた』
だしの取りかた
posted with amazlet at 11.04.10
Dezille Brothers 椎名純平 SWING-O a.k.a 45 竹内朋康 鈴木渉 白根佳尚 TABU ZOMBIE 元晴 SOIL & "PIMP"SESSIONS
キングレコード (2011-03-02)
売り上げランキング: 16482
Amazon.co.jp で詳細を見る
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004H9PEYW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■メンバー
デジル・ブラザーズ=
椎名純平 (キーボード、歌)
竹内朋康 (ギター)
鈴木渉 (ベース)
白根佳尚 (ドラムス)
スウィンゴー SWING-O a.k.a 45 (キーボード)
タブゾンビ TABU ZOMBIE SOIL & "PIMP"SESSIONS (トランペット)
元晴 SOIL & "PIMP"SESSIONS (サックス)
■セットリスト:デジル・ブラザーズ @渋谷スター・ラウンジ
Setlist: Dezille Brothers @ Shibuya Star Lounge, April 8, 2011
Show started 19:33
SE Gimme Some More
01.Gimme Some More
02.Eyes On Me (タブ/元春)
03.病みつきスピード (タブ/元春)
04.To The Limit (タブ/元春)
05.キスはせつなく
06.Shine Shine Shine
07.メンバー紹介(洪水のテキサス~45)
08.スキ大好き
09.Waltz (タブ)
10.アフロガール
11.やぶれかぶれ
12.奇跡の庭 (タブ/元春)
Encore The Light ~ A Journey To The Promised Land
Encore ゴキゲンナナメ (タブ/元春)
Show ended 21:03
(2011年4月8日金曜、渋谷スター・ラウンジ、デジル・ブラザーズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Dezille Brothers
2011-
【Dezille Brothers : Live With Groove】
ファンク。
先月11日、そう3月11日に横浜モーション・ブルーでそのライヴは行われる予定になっていて、僕も行くつもりだった。しかし、あの地震。そして中止。彼らはリハーサル中で、地震後も最初のうちはライヴを敢行するつもりだった、という。そして、2度目の揺れが来て、赤レンガビル自体がクローズすることになり、ライヴは中止に。
今回のライヴは、その振り替えではなく、元々予定されていたリリース・パーティーだったが、結果的に、振り替え的にもなった。
さて、昨年(2010年)3月モーションで行われた椎名純平名義のライヴで、ゲストで出演していたキーボード奏者、スウィング・オーを加えてデジル・ブラザーズとなり、アルバムを作り、デジルとしてのデビューとなった。もうあれから1年かあ。
今回の会場渋谷スター・ラウンジは初めて行った。表玄関のかんばんとロゴがかっこいい。2010年10月にオープンした新しいライヴハウス。この日は超満員で、おそらく立ち見で200人くらい入っていたのではないだろうか。
ぎりぎりに入ると、もう中には進めず、入口のところで聴いていた。ところが、ここはステージの高さが低く、前のミュージシャンたちがほとんど見えない。椎名さんが座ってキーボードを弾くと、もうどこにいるかすらもわからず。もう少しステージが高ければいいのに。あるいは、カメラで撮って、どこかの壁に映し出すのもいいかもしれない。
しかし、醸し出されるグルーヴ感いっぱいのサウンドは、前回昨年に横浜のモーションで見たとき同様とてもよかった。ドラムス、ギター、ベース、キーボードから繰り広げられるブラック・フィーリングいっぱいののりは実に気持ちいい。このサウンドで、なにかソウルかファンクのカヴァー曲を1-2曲、セットリストにいれたら、もっとおもしろいのではないだろうか。日本人若手でこのタイプをやると、一番安定している感じがする。このメンバーは間違いない。
ライヴ後の軽い打ち上げで、レコード会社の担当者が、「(こういうタイプの音楽は)なかなか売れませんが・・・」とあいさつして失笑がもれたが、がんばって欲しい。やり続けることに意義があると思う。
■過去関連記事
2010年03月30日(火)
椎名純平ライヴ@モーション・ブルー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10494837639.html
■ 椎名純平ブログ
http://blog.goo.ne.jp/shiinajunpei/
■デジル・ブラザーズ 『だしの取りかた』
だしの取りかた
posted with amazlet at 11.04.10
Dezille Brothers 椎名純平 SWING-O a.k.a 45 竹内朋康 鈴木渉 白根佳尚 TABU ZOMBIE 元晴 SOIL & "PIMP"SESSIONS
キングレコード (2011-03-02)
売り上げランキング: 16482
Amazon.co.jp で詳細を見る
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004H9PEYW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■メンバー
デジル・ブラザーズ=
椎名純平 (キーボード、歌)
竹内朋康 (ギター)
鈴木渉 (ベース)
白根佳尚 (ドラムス)
スウィンゴー SWING-O a.k.a 45 (キーボード)
タブゾンビ TABU ZOMBIE SOIL & "PIMP"SESSIONS (トランペット)
元晴 SOIL & "PIMP"SESSIONS (サックス)
■セットリスト:デジル・ブラザーズ @渋谷スター・ラウンジ
Setlist: Dezille Brothers @ Shibuya Star Lounge, April 8, 2011
Show started 19:33
SE Gimme Some More
01.Gimme Some More
02.Eyes On Me (タブ/元春)
03.病みつきスピード (タブ/元春)
04.To The Limit (タブ/元春)
05.キスはせつなく
06.Shine Shine Shine
07.メンバー紹介(洪水のテキサス~45)
08.スキ大好き
09.Waltz (タブ)
10.アフロガール
11.やぶれかぶれ
12.奇跡の庭 (タブ/元春)
Encore The Light ~ A Journey To The Promised Land
Encore ゴキゲンナナメ (タブ/元春)
Show ended 21:03
(2011年4月8日金曜、渋谷スター・ラウンジ、デジル・ブラザーズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Dezille Brothers
2011-
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (79回~81回)
2011年4月13日 音楽★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (79回~81回)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
ライヴ。
いよいよ、昨日(2011年4月12日)からナイル・ロジャーズの日本公演が始まった。12日にコットンクラブ、14日から18日までブルーノート東京、そして、20日大阪で公演が行われる。
初日の模様は明日付けのブログでご紹介します。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年4月6日~4月8日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください。なお、当日に写真なしの文字のみの翻訳をツイッターにアップしていますので、早くお読みになりたい方は、ツイッターをごらんください。ツイッターのアドレスは、https://twitter.com/soulsearcher216 です。
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第79回(4月6日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第79回 徹底してライヴ
#79 It’s All The Way Live
Written on Wednesday, 06 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 06 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/305-walking-on-planet-c-its-all-the-way-live
「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらスタジオを出た
「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらスタジオを出た。バンド向けにこの曲のライヴ用アレンジを準備していたからだ。僕たちは、この曲をレコーディングのときに、一度しか演奏していない。
これは、僕たちがR&Bレジェンド、クール&ザ・ギャングとともに作った作品だが、いくつかの不幸な状況のため制作が延期されていたものだ。中でもっとも大きかったのが、癌になったことだ。
いつも僕がウォーキングをするとき、脳内には多くの曲が思い浮かぶ。今日僕は、「アイ・ウォナ・ダンス」のことばかり考えていた。これを日本でライヴ演奏するからだ。そして、まだこの曲は誰も知らない。ただこの曲はとてもオールド・スクール(古いタイプ)のコンセプトで作られている。
時代は変わる。人々がなじみのない曲を敬遠することは知っている。だが、僕は二度目の人生を生きる機会を与えられ、それを最大限全う(まっとう)したいと思う。シックはライヴ・R&Bダンス・バンドだ。ショーがライヴで行われるとき、多くの想定外のことが起こる。だがそれこそが音楽をプレイすることを胸躍らせるものにする。そうして、僕は自分の人生をこう生きる。レイクサイドが「イッツ・オール・ザ・ウェイ・ライヴ(徹底的にライヴ)」と歌うように。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第80回(4月7日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第80回 春
#80 Springtime
Written on Thursday, 07 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 07 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/306-walking-on-planet-c-springtime
白鳥をバックに僕を手前にして一緒に写真を撮ろうとした
僕は、腕を伸ばしてカメラを持ち、向こう側にいる白鳥をバックに僕を手前にして一緒に写真を撮ろうとした。だが、僕と白鳥は一枚の写真に収められず、しかたなく別々に撮影した。春を感じるのにどちらの写真がいいかはわからない。
僕のパートナー、バーナード・エドワーズは日本の東京で1996年4月18日、亡くなった。暖かい春の一日だったが、僕にとっては人生でもっとも寒さに凍えた日だった。度重なるモーニング・コールに答えなかった彼が、ホテルの部屋で死んで横たわっていたのを僕が発見した。その前夜、シック、スラッシュ、シスター・スレッジ、スティーヴ・ウィンウッド、デュラン・デュランのサイモン・ルボンらとともにコンサートをちょうど成功裏に終わらせていた。
あの夜の後、自分は決して再びシックの音楽をプレイすることはないだろうと思った。しかし次の年、僕は日本に招かれ、自分がシックを続けなければならないと悟った。それ以来、僕は毎年4月に日本で演奏している。
春の日本は一年でもっとも素晴らしい時期だ。今、日本の人々は最悪の惨事に見舞われている。しかし、僕は彼らが強い精神力を持っていることを知っている。彼らが僕と同じように復活し元気になると信じている。日本ほど素晴らしい場所はないからだ、特に春は。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第81回(4月8日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第81回 ディスコ・スピード
#81 Disco Speed
Written on Friday, 08 April 2011 04:50 by Nile Rodgers (Japan Standard Time, 08 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/307-walking-on-planet-c-disco-speed
今日、僕はちょっとばかりフォーレスト・ガンプのような感じだった。(ドキュメンタリーの)監督が、僕にウォーキングをして欲しいと言い、スタッフ全員が僕についてきたのだ。今、ドキュメンタリーを撮影しており、彼らがウォーキングによる治療について興味を持った。最初はカジュアルに歩いていたが、徐々に僕がいつもの歩くスピードにしたところ、彼らは驚いたようだった。そう、いつものスピードとは、ディスコ・スピード(ディスコのテンポの速いスピード)だ。
僕の人生には多くのことが急速に起こった。通常の検査に通っていたころ、僕はそのドクターの患者の中でもっとも健康的な男だった。だが、ほんの数日の間に僕は悪性の癌と診断された。その変化の速さは、まさにディスコ・スピードだった。
僕はそうした速さに順応する。速いもの、たとえば、車やボート、ゲーム、そして、おそらく猛スピードの人生にも順応するのだろう。僕の中でひとつテンポが遅いものがあるとすれば、それは前立腺癌手術から治るスピードだ。医者からは、長いスパンのスケジュールでみれば決して遅くはないと言われている。だが僕にとっては、草が伸びてくるのを見ているように思える。
誤解しないで欲しいのは、僕はこうして生命をもらっていることに感謝し、幸せだということだ。ウォーキング中の僕の表情を見ればおわかりになるだろう。特に、ディスコ・スピードで歩いているときはごきげんだ。
エヴリバディ・ダンス!
posted with amazlet at 11.04.12
オムニバス ナイル・ロジャース シック
ワーナーミュージック・ジャパン (2011-04-06)
売り上げランキング: 318
Amazon.co.jp で詳細を見る
++++
Walking On Planet C>79,80,81> It’s All The Way Live / Spring time / Disco Speed
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
ライヴ。
いよいよ、昨日(2011年4月12日)からナイル・ロジャーズの日本公演が始まった。12日にコットンクラブ、14日から18日までブルーノート東京、そして、20日大阪で公演が行われる。
初日の模様は明日付けのブログでご紹介します。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年4月6日~4月8日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください。なお、当日に写真なしの文字のみの翻訳をツイッターにアップしていますので、早くお読みになりたい方は、ツイッターをごらんください。ツイッターのアドレスは、https://twitter.com/soulsearcher216 です。
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第79回(4月6日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第79回 徹底してライヴ
#79 It’s All The Way Live
Written on Wednesday, 06 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 06 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/305-walking-on-planet-c-its-all-the-way-live
「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらスタジオを出た
「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらスタジオを出た。バンド向けにこの曲のライヴ用アレンジを準備していたからだ。僕たちは、この曲をレコーディングのときに、一度しか演奏していない。
これは、僕たちがR&Bレジェンド、クール&ザ・ギャングとともに作った作品だが、いくつかの不幸な状況のため制作が延期されていたものだ。中でもっとも大きかったのが、癌になったことだ。
いつも僕がウォーキングをするとき、脳内には多くの曲が思い浮かぶ。今日僕は、「アイ・ウォナ・ダンス」のことばかり考えていた。これを日本でライヴ演奏するからだ。そして、まだこの曲は誰も知らない。ただこの曲はとてもオールド・スクール(古いタイプ)のコンセプトで作られている。
時代は変わる。人々がなじみのない曲を敬遠することは知っている。だが、僕は二度目の人生を生きる機会を与えられ、それを最大限全う(まっとう)したいと思う。シックはライヴ・R&Bダンス・バンドだ。ショーがライヴで行われるとき、多くの想定外のことが起こる。だがそれこそが音楽をプレイすることを胸躍らせるものにする。そうして、僕は自分の人生をこう生きる。レイクサイドが「イッツ・オール・ザ・ウェイ・ライヴ(徹底的にライヴ)」と歌うように。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第80回(4月7日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第80回 春
#80 Springtime
Written on Thursday, 07 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 07 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/306-walking-on-planet-c-springtime
白鳥をバックに僕を手前にして一緒に写真を撮ろうとした
僕は、腕を伸ばしてカメラを持ち、向こう側にいる白鳥をバックに僕を手前にして一緒に写真を撮ろうとした。だが、僕と白鳥は一枚の写真に収められず、しかたなく別々に撮影した。春を感じるのにどちらの写真がいいかはわからない。
僕のパートナー、バーナード・エドワーズは日本の東京で1996年4月18日、亡くなった。暖かい春の一日だったが、僕にとっては人生でもっとも寒さに凍えた日だった。度重なるモーニング・コールに答えなかった彼が、ホテルの部屋で死んで横たわっていたのを僕が発見した。その前夜、シック、スラッシュ、シスター・スレッジ、スティーヴ・ウィンウッド、デュラン・デュランのサイモン・ルボンらとともにコンサートをちょうど成功裏に終わらせていた。
あの夜の後、自分は決して再びシックの音楽をプレイすることはないだろうと思った。しかし次の年、僕は日本に招かれ、自分がシックを続けなければならないと悟った。それ以来、僕は毎年4月に日本で演奏している。
春の日本は一年でもっとも素晴らしい時期だ。今、日本の人々は最悪の惨事に見舞われている。しかし、僕は彼らが強い精神力を持っていることを知っている。彼らが僕と同じように復活し元気になると信じている。日本ほど素晴らしい場所はないからだ、特に春は。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第81回(4月8日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第81回 ディスコ・スピード
#81 Disco Speed
Written on Friday, 08 April 2011 04:50 by Nile Rodgers (Japan Standard Time, 08 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/307-walking-on-planet-c-disco-speed
今日、僕はちょっとばかりフォーレスト・ガンプのような感じだった。(ドキュメンタリーの)監督が、僕にウォーキングをして欲しいと言い、スタッフ全員が僕についてきたのだ。今、ドキュメンタリーを撮影しており、彼らがウォーキングによる治療について興味を持った。最初はカジュアルに歩いていたが、徐々に僕がいつもの歩くスピードにしたところ、彼らは驚いたようだった。そう、いつものスピードとは、ディスコ・スピード(ディスコのテンポの速いスピード)だ。
僕の人生には多くのことが急速に起こった。通常の検査に通っていたころ、僕はそのドクターの患者の中でもっとも健康的な男だった。だが、ほんの数日の間に僕は悪性の癌と診断された。その変化の速さは、まさにディスコ・スピードだった。
僕はそうした速さに順応する。速いもの、たとえば、車やボート、ゲーム、そして、おそらく猛スピードの人生にも順応するのだろう。僕の中でひとつテンポが遅いものがあるとすれば、それは前立腺癌手術から治るスピードだ。医者からは、長いスパンのスケジュールでみれば決して遅くはないと言われている。だが僕にとっては、草が伸びてくるのを見ているように思える。
誤解しないで欲しいのは、僕はこうして生命をもらっていることに感謝し、幸せだということだ。ウォーキング中の僕の表情を見ればおわかりになるだろう。特に、ディスコ・スピードで歩いているときはごきげんだ。
エヴリバディ・ダンス!
posted with amazlet at 11.04.12
オムニバス ナイル・ロジャース シック
ワーナーミュージック・ジャパン (2011-04-06)
売り上げランキング: 318
Amazon.co.jp で詳細を見る
++++
Walking On Planet C>79,80,81> It’s All The Way Live / Spring time / Disco Speed
◎ ナイル・ロジャーズ、万感の思いを込めて15周年ライヴ・スタート
2011年4月14日 音楽◎ナイル・ロジャーズ、万感の思いを込めて15周年ライヴ・スタート
(下記にセットリストがあります。これからご覧になる方で先に知りたくない方はご注意ください)
【Nile Rodgers Live: With 15th Anniversary Of Partner’s Passing】
ジェットラグ。
ナイル・ロジャーズの通算11回目の日本ツアーが2011年4月12日(火)、丸の内コットンクラブからスタートした。
今回のツアーは、ナイルの盟友でありパートナーであるベース奏者、バーナード・エドワーズが1996年4月18日、東京で死去してからちょうど15周年にあたる。また、ナイル自身が昨年癌であることがわかり、2011年1月に手術をし、リハビリテーションの末、癌克服以来初めてのステージとなることから、ナイルも復活をかけたライヴ・ツアーになる。同時に、3月11日に日本を襲った太平洋東北大震災からの日本の復活を願うライヴにもなった。
この4月6日、ナイルは渾身のコンピレーション・アルバムを編纂し、リリース。それが『エヴリバディ・ダンス!』で、2枚組み。1枚目はシックとしてのヒット曲、2枚目はナイルやバーナードがプロデュースした作品を集めたもの。通常、マドンナやデイヴィッド・ボウイなどの大物アーティスト楽曲は、一般のコンピレーションに許諾が降りないが、今回はナイル本人がそうしたアーティストや事務所にかけあって、可能となった。
バンドメンバーがステージにあがってから、ナイルは黒のパンツ、白のジャケットといういでたちで登場。若干、やせたような気もしたが、笑顔からは元気そうな様子。ライヴは、メンバーも昨年とほぼ同じだけに、いつもの調子でシック節全開だ。
セットリストはほぼ昨年と同様で、今回のセットリストでは、「ライク・ア・ヴァージン」が目新しい選曲。また、「スープ・フォー・ワン」も再演。
ラルフのドラムス、ジェリーのベース、リッチとセランのキーボード、そして、ナイルのギターが生み出すグルーヴ、ファンクの渦。それが実にポップな楽曲とからみあい、シックの宇宙を編み出す。
次々演奏される楽曲が、どれもポップで、わかりやすく、親しみやすい。やはり、ソングライターとしてナイルたちがひじょうにずば抜けた存在ということを改めて感じさせる。
ヴォーカル陣、キムは本格的R&Bシンガー、一方、フォラミはダイアナ・ロスを彷彿とさせるポップな感じだ。一緒に見た西寺郷太さんは、どちらかというと、フォラミのポップな感じの方が好きだと言っていた。
ポップなファンクとグルーヴが満開。そして、外ではさくらが満開。この日は当日日本テレビ系列の『スッキリ!』に彼らが出演したためか、急に当日予約が入ったそうで、立ち見もでる超満員になった。
「みんな、今朝のテレビは見てくれたか? さあ、じゃあこの曲をやるぞ。これは本物だからね Let’s do it for real」とナイルは話してから「ル・フリーク」に突入。実は、『スッキリ!』でやった「ル・フリーク」、口パク(リップシンク)で、既製音源にあわせてあてぶりしたものだったのだ。(笑) (追記、正確には既存音源にヴォーカルだけ現場で歌ったものをかぶせた。演奏部分がCD音源。ご指摘感謝)
この日はまだ来日したばかりで、ジャットラグなどもあって、「眠い」と言っていたが、徐々に日本の時間になれれば、ますますファンク魂全開となっていくだろう。
ライヴ後、短い時間だが、サイン会を行った。
(明日のブログで、ナイル関連過去記事をまとめて特集します)
■コットンクラブでの12日の映像(抜粋)
■ライヴは、4月18日(月)まで青山ブルーノートで。
http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/nile-rodgers/
+++++
露出。
今回は、メディアへの露出も多く、次のような番組への出演などが決まっている。
11日に来日、12日(火)には、日本テレビ系列『スッキリ!』(午前8時~10時25分)の第二部(関東ローカル)に出演。「ル・フリーク」を見せた。その他のメディア露出予定は次の通り。
4月13日(水)NHK-BS『エル・ムンド』(23時~23時48分)(生放送)
4月14日(木)NHK-FM『ミュージック・プラザ』(16時~17時20分)コメントで出演。ナイル、シックなどの特集。
4月15日(金)Jウェイヴ(東京地区81.3mhz)『JKレイディー~東京ユナイテッド』(午前6時~11時半)生出演、バンド演奏あり。出演は9時以降か。時間不明)ラジコ= http://radiko.jp/#FMJ
4月17日(日)インターFM(東京地区76.1mhz)『ソウル・ブレンズ』(13時~15時)(生出演)出演は1時20分前後から2時30分か50分くらいまでの予定。ラジコ= http://radiko.jp/#INT
4月20日(水) TBSラジオ『キラキラ』(西寺郷太コラムで『エヴリバディ・ダンス』の紹介)(午後3時~)
4月20日(水) FM802(大阪)『フリップリップス』(生出演)
収録番組 (放送日は未定です。各番組へお尋ねください)
NACK5 『ストロボナイト』http://radiko.jp/player/player.html#NACK5
ベイFM『インター・エクスプレス』http://radiko.jp/#BAYFM78
FMフジ『ウェストサイド・東京』
東京FM『ディア・フレンズ』http://radiko.jp/player/player.html#FMT
CS『シカオノヨウガク』
FM横浜『横浜ソウル・レジェンド』http://radiko.jp/player/player.html#YFM
FM横浜『レイディオ・ヒッツ・レイディオ』
BS朝日『ベスト・ヒットUSA』
FM大阪(大阪)『ウィークエンド・ポップス』
紙媒体は読売新聞、アエラなどが予定されています。
■最新作2枚組み、ナイル渾身のコンピレーション・アルバム『エヴリバディ・ダンス!』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L295PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■メンバー
ナイル・ロジャーズ(ギター、ヴォーカル)Nile Rodgers(g,vo)
キンバリー・デイヴィス-ジョーンズ(ヴォーカル)Kimberly Davis-Jones(vo)
フォラミ(ヴォーカル) Folami(vo)
ビル・ホロマン(サックス)Bill Holloman(sax)
スティーヴ・ヤンコウスキ(トランペット)Steve Jankowski(tp)
リッチ・ヒルトン(キーボード)Rich Hilton(key)
セラン・ラーナー(キーボード)Selan Lerner(key)
ジェリー・バーンズ(ベース)Jerry Barnes(b)
ラルフ・ロール(ドラムス)Ralph Rolle(ds)
■セットリスト
Setlist : Nile Rodgers & Chic @Cotton Club, April 12,2011
show started 19:01
01. Open Up
02. Everybody Dance
03. Dance, Dance, Dance (Yowsah, Yowsah, Yowsah)
04. Sukiyaki (Kim) ~ I Want Your Love (a riff of I Want To Take You Higher)
05. Medley: (5-8) I’m Coming Out (Folami)
06. Upside Down
07. He’s the Greatest Dancer
08. We Are Family
09. Soup For One
10. Like A Virgin (Folami)
11. Chic Cheer
12. My Forbidden Lover
13. Thinking Of You
14. Let’s Dance (Ralph Rolle on vocal)
15. Le Freak
16. Goodtimes ~ Rapper’s Delight ~ Goodtimes
show ended 20:25
(2011年4月12日火曜、コットンクラブ丸の内、ナイル・ロジャーズ&シック・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Rodger, Nile & Chic Organization
2011-47
(下記にセットリストがあります。これからご覧になる方で先に知りたくない方はご注意ください)
【Nile Rodgers Live: With 15th Anniversary Of Partner’s Passing】
ジェットラグ。
ナイル・ロジャーズの通算11回目の日本ツアーが2011年4月12日(火)、丸の内コットンクラブからスタートした。
今回のツアーは、ナイルの盟友でありパートナーであるベース奏者、バーナード・エドワーズが1996年4月18日、東京で死去してからちょうど15周年にあたる。また、ナイル自身が昨年癌であることがわかり、2011年1月に手術をし、リハビリテーションの末、癌克服以来初めてのステージとなることから、ナイルも復活をかけたライヴ・ツアーになる。同時に、3月11日に日本を襲った太平洋東北大震災からの日本の復活を願うライヴにもなった。
この4月6日、ナイルは渾身のコンピレーション・アルバムを編纂し、リリース。それが『エヴリバディ・ダンス!』で、2枚組み。1枚目はシックとしてのヒット曲、2枚目はナイルやバーナードがプロデュースした作品を集めたもの。通常、マドンナやデイヴィッド・ボウイなどの大物アーティスト楽曲は、一般のコンピレーションに許諾が降りないが、今回はナイル本人がそうしたアーティストや事務所にかけあって、可能となった。
バンドメンバーがステージにあがってから、ナイルは黒のパンツ、白のジャケットといういでたちで登場。若干、やせたような気もしたが、笑顔からは元気そうな様子。ライヴは、メンバーも昨年とほぼ同じだけに、いつもの調子でシック節全開だ。
セットリストはほぼ昨年と同様で、今回のセットリストでは、「ライク・ア・ヴァージン」が目新しい選曲。また、「スープ・フォー・ワン」も再演。
ラルフのドラムス、ジェリーのベース、リッチとセランのキーボード、そして、ナイルのギターが生み出すグルーヴ、ファンクの渦。それが実にポップな楽曲とからみあい、シックの宇宙を編み出す。
次々演奏される楽曲が、どれもポップで、わかりやすく、親しみやすい。やはり、ソングライターとしてナイルたちがひじょうにずば抜けた存在ということを改めて感じさせる。
ヴォーカル陣、キムは本格的R&Bシンガー、一方、フォラミはダイアナ・ロスを彷彿とさせるポップな感じだ。一緒に見た西寺郷太さんは、どちらかというと、フォラミのポップな感じの方が好きだと言っていた。
ポップなファンクとグルーヴが満開。そして、外ではさくらが満開。この日は当日日本テレビ系列の『スッキリ!』に彼らが出演したためか、急に当日予約が入ったそうで、立ち見もでる超満員になった。
「みんな、今朝のテレビは見てくれたか? さあ、じゃあこの曲をやるぞ。これは本物だからね Let’s do it for real」とナイルは話してから「ル・フリーク」に突入。実は、『スッキリ!』でやった「ル・フリーク」、口パク(リップシンク)で、既製音源にあわせてあてぶりしたものだったのだ。(笑) (追記、正確には既存音源にヴォーカルだけ現場で歌ったものをかぶせた。演奏部分がCD音源。ご指摘感謝)
この日はまだ来日したばかりで、ジャットラグなどもあって、「眠い」と言っていたが、徐々に日本の時間になれれば、ますますファンク魂全開となっていくだろう。
ライヴ後、短い時間だが、サイン会を行った。
(明日のブログで、ナイル関連過去記事をまとめて特集します)
■コットンクラブでの12日の映像(抜粋)
■ライヴは、4月18日(月)まで青山ブルーノートで。
http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/nile-rodgers/
+++++
露出。
今回は、メディアへの露出も多く、次のような番組への出演などが決まっている。
11日に来日、12日(火)には、日本テレビ系列『スッキリ!』(午前8時~10時25分)の第二部(関東ローカル)に出演。「ル・フリーク」を見せた。その他のメディア露出予定は次の通り。
4月13日(水)NHK-BS『エル・ムンド』(23時~23時48分)(生放送)
4月14日(木)NHK-FM『ミュージック・プラザ』(16時~17時20分)コメントで出演。ナイル、シックなどの特集。
4月15日(金)Jウェイヴ(東京地区81.3mhz)『JKレイディー~東京ユナイテッド』(午前6時~11時半)生出演、バンド演奏あり。出演は9時以降か。時間不明)ラジコ= http://radiko.jp/#FMJ
4月17日(日)インターFM(東京地区76.1mhz)『ソウル・ブレンズ』(13時~15時)(生出演)出演は1時20分前後から2時30分か50分くらいまでの予定。ラジコ= http://radiko.jp/#INT
4月20日(水) TBSラジオ『キラキラ』(西寺郷太コラムで『エヴリバディ・ダンス』の紹介)(午後3時~)
4月20日(水) FM802(大阪)『フリップリップス』(生出演)
収録番組 (放送日は未定です。各番組へお尋ねください)
NACK5 『ストロボナイト』http://radiko.jp/player/player.html#NACK5
ベイFM『インター・エクスプレス』http://radiko.jp/#BAYFM78
FMフジ『ウェストサイド・東京』
東京FM『ディア・フレンズ』http://radiko.jp/player/player.html#FMT
CS『シカオノヨウガク』
FM横浜『横浜ソウル・レジェンド』http://radiko.jp/player/player.html#YFM
FM横浜『レイディオ・ヒッツ・レイディオ』
BS朝日『ベスト・ヒットUSA』
FM大阪(大阪)『ウィークエンド・ポップス』
紙媒体は読売新聞、アエラなどが予定されています。
■最新作2枚組み、ナイル渾身のコンピレーション・アルバム『エヴリバディ・ダンス!』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L295PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■メンバー
ナイル・ロジャーズ(ギター、ヴォーカル)Nile Rodgers(g,vo)
キンバリー・デイヴィス-ジョーンズ(ヴォーカル)Kimberly Davis-Jones(vo)
フォラミ(ヴォーカル) Folami(vo)
ビル・ホロマン(サックス)Bill Holloman(sax)
スティーヴ・ヤンコウスキ(トランペット)Steve Jankowski(tp)
リッチ・ヒルトン(キーボード)Rich Hilton(key)
セラン・ラーナー(キーボード)Selan Lerner(key)
ジェリー・バーンズ(ベース)Jerry Barnes(b)
ラルフ・ロール(ドラムス)Ralph Rolle(ds)
■セットリスト
Setlist : Nile Rodgers & Chic @Cotton Club, April 12,2011
show started 19:01
01. Open Up
02. Everybody Dance
03. Dance, Dance, Dance (Yowsah, Yowsah, Yowsah)
04. Sukiyaki (Kim) ~ I Want Your Love (a riff of I Want To Take You Higher)
05. Medley: (5-8) I’m Coming Out (Folami)
06. Upside Down
07. He’s the Greatest Dancer
08. We Are Family
09. Soup For One
10. Like A Virgin (Folami)
11. Chic Cheer
12. My Forbidden Lover
13. Thinking Of You
14. Let’s Dance (Ralph Rolle on vocal)
15. Le Freak
16. Goodtimes ~ Rapper’s Delight ~ Goodtimes
show ended 20:25
(2011年4月12日火曜、コットンクラブ丸の内、ナイル・ロジャーズ&シック・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Rodger, Nile & Chic Organization
2011-47
◎ ナイル・ロジャーズ来日記念特集~過去ナイル関連記事
2011年4月15日 音楽◎ナイル・ロジャーズ来日記念特集~過去ナイル関連記事
【Nile Rodgers/Chic Articles】
大特集。
いよいよ昨日14日からブルーノートでのライヴがスタートしたナイル・ロジャーズ。18日月曜まで東京公演が続く。その後20日に大阪。
今日はナイルの来日記念ということで、これまでにソウル・サーチンが紹介してきたナイル・ロジャーズ/シック関連記事をまとめて大特集してみようと思う。かなり膨大な量になるので、適当にピックアップしてごらんください。
その前に、2011年4月13日(水)、西寺郷太さんがTBSラジオ『小島慶子キラ☆キラ』(13時~15時30分)内コーナー「コラ☆コラ」(15時~)で、ナイル・ロジャーズ/シックの話をしています。ポッドキャストで聴けます。
http://podcast.tbsradio.jp/kirakira/files/20110413_nishidera_kora.mp3
また、ワーナー・ミュージックのサイトにシック・フリークの人見さんが、いろいろと書いています。
http://blog.wmg.jp/wmlife/
人見氏のブログ。日々追っかけ日記も。
http://hit2japan.exblog.jp/
ナイル・ロジャーズ本人のウェッブ
http://nilerodgers.com/
上記の中のWalking On Planet C が毎日更新されている癌闘病ブログです。これの毎日の翻訳が、ソウル・サーチンブログに掲載されます。
http://ameblo.jp/soulsearchin/
プラネットC専用・ファイル(初回からすべて収録)
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html
■過去シック、ナイル・ロジャーズ関連記事
●『ソウル・サーチン~友情という名のメロディー~ナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズ・ストーリー』(単行本『ソウル・サーチン』内、第4章2000年7月発表)
日本で唯一のシック・ストーリー。ナイル・ロジャーズ、バーナード・エドワーズがどのように出会い、いかにして成功と挫折を味わったか。感動の物語です。長文です。ナイルがなぜ毎年4月に来日するのか。バーナードの死を知った瞬間の話なども読み応えがあります。
http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/4-1.html
http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/4-2.html
●2011年1月、癌を公表。以後癌ブログ翻訳へ
2011年01月18日(火)
ナイル・ロジャーズ、癌を公表
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme28-10032211060.html#main
「ウォーキング・オン・プラネットC」は、1月からすでに80回を超えています。当日にツイッターで速報訳をお送りし、数日遅れて写真付きをブログにアップしています。
●前回(2010年)来日時(通算10回目)ライヴ評(ライヴ評はいずれもセットリスト付き)
2010年04月26日(月)
シック(ナイル・ロジャース)ライヴ~バーナード、トニー、ルーサーが見守るステージ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10518022287.html
2010年04月27日(火)
シック~ナイル・ロジャース(パート2): 自伝を執筆中
http://ameblo.jp/soulsearchin/archive4-201004.html#main
●2009年来日時(通算9回目)ライヴ評
2009年04月07日(火)
ナイル・ロジャース&シック、ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090407.html
2009年来日時ライヴ評
2009年04月09日(木)
シック最終日: 桜とファンクが満開
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090409.html
2009年04月10日(金)
「ダンス・ダンス・ダンス」の後に~シック・ライヴの余韻
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090410.html
●日本人ミュージシャンによるシック・トリビュート・ライヴ
2008年06月26日(木)
シック・トリビュート・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10110033366.html
ベースの小松さんが音頭を取って行ったシック・トリビュート。シック本体がやらない曲もやっているという、シック・マニアには垂涎のライヴでした。
●8回目の来日(2007年)
June 14, 2007
Nile Rodgers & Chic Will Be At BN: 30th Anniversary Of Chic
【シック30周年、8回目の公演来日】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070614.html
June 16, 2007
Everybody Dance, Dance, Dance On Chic Music
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070616.html
June 18, 2007
Take Pictures And Send It To Nilerodgers.com
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070618.html
●シックの「ル・フリーク」などのコーラスを担当し、ルーサー・ヴァンドロスの親友、ディーヴァ・グレイの世界初本人名義のライヴ評
January 10, 2007
It Was Diva Great Show: Every Songs Are Her Song
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200701/2007_01_10.html
「ソウル・サーチン」で大好評を得たディーヴァの世界唯一の単独ライヴ。
June 25, 2006
"Soul Searchin: The Session" Has Diva Gray Segment
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200606/2006_06_25.html
July 03, 2006
"Soul Searchin’ : The Session Vol.1" (Part 2): Full Of Roses In Her Arms
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_07_03.html
ディーヴァ・グレイが「ソウル・サーチン~ルーサー・ヴァンドロス」の回に登場した時の様子。
●シックに影響を受けた大西さんのストーリー
January 13, 2006
Like The Show Must Go On, The Story Must Go On (Part 1 of 2 Parts)
シックに影響を受けた大西さんのストーリー (パート1、2)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200601/2006_01_13.html
January 14, 2006
The Show Must Go On: The Story Must Go On (Part 2 of 2 Parts)
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_01_14.html
2006年1月12日付け
その時のマルターノ大西さんの日記
http://martano.exblog.jp/m2006-01-01/#3008158
●7回目(2006年4月)ライヴ
April 12, 2006
Nile Rodgers & Chic Live: One Small Step For A Man...
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200604/2006_04_12.html
マルターノ日記=2006年4月12日付け
Field of Dreams
http://martano.exblog.jp/m2006-04-01/#3470666
●マルターノの壁画
September 13, 2006
Watch Out For New Martano’s Wall Painting
【マルターノの壁画】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001266.html
●6回目の(2004年5月)ライヴ
2004/05/17 (Mon)
Nile Rodgers Explosion!
『ソウル・ブレンズ』にゲストで出演
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040517.html
2004/05/20 (Thu)
Let’s Groove 2004, Live At Kokusai Forum: Don’t You Miss It Back In The Day?
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040520.html
●4回目(2003年4月)ライヴ
2003/04/15 (Tue)
Chic Chic Chic
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030415.html
今回はこの押し物『エヴリバディ・ダンス!』のほかに、初期3枚のアルバムがデジタル・リマスターされ再発売された。
■最新作2枚組み、ナイル渾身のコンピレーション・アルバム『エヴリバディ・ダンス!』 (吉岡正晴・ライナーノーツ)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L295PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ダンス・ダンス・ダンス (1枚目)原題 Chic (1977年11月リリース) アルバム・タイトル曲「ダンス・ダンス・ダンス」収録のシックの記念すべきデビュー作。ルーサー・ヴァンドロス、ディーヴァ・グレイなども参加。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L295RC/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■2枚目エレガンス・シック (アマゾンの下記表記は、まちがい) 原題はC’est Chic (1978年11月リリース)「ル・フリーク」が誕生した傑作アルバム。「ル・フリーク」も、ルーサー・ヴァンドロス、ディーヴァ・グレイなども参加。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L29644/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■3枚目 危険な関係 Risque (1979年8月リリース)音楽史を変えた奇跡の1曲、ラップに息吹を与えた「グッド・タイムス」収録。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L295T0/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Rodgers, Nile
【Nile Rodgers/Chic Articles】
大特集。
いよいよ昨日14日からブルーノートでのライヴがスタートしたナイル・ロジャーズ。18日月曜まで東京公演が続く。その後20日に大阪。
今日はナイルの来日記念ということで、これまでにソウル・サーチンが紹介してきたナイル・ロジャーズ/シック関連記事をまとめて大特集してみようと思う。かなり膨大な量になるので、適当にピックアップしてごらんください。
その前に、2011年4月13日(水)、西寺郷太さんがTBSラジオ『小島慶子キラ☆キラ』(13時~15時30分)内コーナー「コラ☆コラ」(15時~)で、ナイル・ロジャーズ/シックの話をしています。ポッドキャストで聴けます。
http://podcast.tbsradio.jp/kirakira/files/20110413_nishidera_kora.mp3
また、ワーナー・ミュージックのサイトにシック・フリークの人見さんが、いろいろと書いています。
http://blog.wmg.jp/wmlife/
人見氏のブログ。日々追っかけ日記も。
http://hit2japan.exblog.jp/
ナイル・ロジャーズ本人のウェッブ
http://nilerodgers.com/
上記の中のWalking On Planet C が毎日更新されている癌闘病ブログです。これの毎日の翻訳が、ソウル・サーチンブログに掲載されます。
http://ameblo.jp/soulsearchin/
プラネットC専用・ファイル(初回からすべて収録)
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html
■過去シック、ナイル・ロジャーズ関連記事
●『ソウル・サーチン~友情という名のメロディー~ナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズ・ストーリー』(単行本『ソウル・サーチン』内、第4章2000年7月発表)
日本で唯一のシック・ストーリー。ナイル・ロジャーズ、バーナード・エドワーズがどのように出会い、いかにして成功と挫折を味わったか。感動の物語です。長文です。ナイルがなぜ毎年4月に来日するのか。バーナードの死を知った瞬間の話なども読み応えがあります。
http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/4-1.html
http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/4-2.html
●2011年1月、癌を公表。以後癌ブログ翻訳へ
2011年01月18日(火)
ナイル・ロジャーズ、癌を公表
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme28-10032211060.html#main
「ウォーキング・オン・プラネットC」は、1月からすでに80回を超えています。当日にツイッターで速報訳をお送りし、数日遅れて写真付きをブログにアップしています。
●前回(2010年)来日時(通算10回目)ライヴ評(ライヴ評はいずれもセットリスト付き)
2010年04月26日(月)
シック(ナイル・ロジャース)ライヴ~バーナード、トニー、ルーサーが見守るステージ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10518022287.html
2010年04月27日(火)
シック~ナイル・ロジャース(パート2): 自伝を執筆中
http://ameblo.jp/soulsearchin/archive4-201004.html#main
●2009年来日時(通算9回目)ライヴ評
2009年04月07日(火)
ナイル・ロジャース&シック、ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090407.html
2009年来日時ライヴ評
2009年04月09日(木)
シック最終日: 桜とファンクが満開
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090409.html
2009年04月10日(金)
「ダンス・ダンス・ダンス」の後に~シック・ライヴの余韻
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090410.html
●日本人ミュージシャンによるシック・トリビュート・ライヴ
2008年06月26日(木)
シック・トリビュート・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10110033366.html
ベースの小松さんが音頭を取って行ったシック・トリビュート。シック本体がやらない曲もやっているという、シック・マニアには垂涎のライヴでした。
●8回目の来日(2007年)
June 14, 2007
Nile Rodgers & Chic Will Be At BN: 30th Anniversary Of Chic
【シック30周年、8回目の公演来日】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070614.html
June 16, 2007
Everybody Dance, Dance, Dance On Chic Music
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070616.html
June 18, 2007
Take Pictures And Send It To Nilerodgers.com
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070618.html
●シックの「ル・フリーク」などのコーラスを担当し、ルーサー・ヴァンドロスの親友、ディーヴァ・グレイの世界初本人名義のライヴ評
January 10, 2007
It Was Diva Great Show: Every Songs Are Her Song
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200701/2007_01_10.html
「ソウル・サーチン」で大好評を得たディーヴァの世界唯一の単独ライヴ。
June 25, 2006
"Soul Searchin: The Session" Has Diva Gray Segment
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200606/2006_06_25.html
July 03, 2006
"Soul Searchin’ : The Session Vol.1" (Part 2): Full Of Roses In Her Arms
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_07_03.html
ディーヴァ・グレイが「ソウル・サーチン~ルーサー・ヴァンドロス」の回に登場した時の様子。
●シックに影響を受けた大西さんのストーリー
January 13, 2006
Like The Show Must Go On, The Story Must Go On (Part 1 of 2 Parts)
シックに影響を受けた大西さんのストーリー (パート1、2)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200601/2006_01_13.html
January 14, 2006
The Show Must Go On: The Story Must Go On (Part 2 of 2 Parts)
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_01_14.html
2006年1月12日付け
その時のマルターノ大西さんの日記
http://martano.exblog.jp/m2006-01-01/#3008158
●7回目(2006年4月)ライヴ
April 12, 2006
Nile Rodgers & Chic Live: One Small Step For A Man...
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200604/2006_04_12.html
マルターノ日記=2006年4月12日付け
Field of Dreams
http://martano.exblog.jp/m2006-04-01/#3470666
●マルターノの壁画
September 13, 2006
Watch Out For New Martano’s Wall Painting
【マルターノの壁画】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001266.html
●6回目の(2004年5月)ライヴ
2004/05/17 (Mon)
Nile Rodgers Explosion!
『ソウル・ブレンズ』にゲストで出演
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040517.html
2004/05/20 (Thu)
Let’s Groove 2004, Live At Kokusai Forum: Don’t You Miss It Back In The Day?
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040520.html
●4回目(2003年4月)ライヴ
2003/04/15 (Tue)
Chic Chic Chic
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030415.html
今回はこの押し物『エヴリバディ・ダンス!』のほかに、初期3枚のアルバムがデジタル・リマスターされ再発売された。
■最新作2枚組み、ナイル渾身のコンピレーション・アルバム『エヴリバディ・ダンス!』 (吉岡正晴・ライナーノーツ)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L295PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ダンス・ダンス・ダンス (1枚目)原題 Chic (1977年11月リリース) アルバム・タイトル曲「ダンス・ダンス・ダンス」収録のシックの記念すべきデビュー作。ルーサー・ヴァンドロス、ディーヴァ・グレイなども参加。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L295RC/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■2枚目エレガンス・シック (アマゾンの下記表記は、まちがい) 原題はC’est Chic (1978年11月リリース)「ル・フリーク」が誕生した傑作アルバム。「ル・フリーク」も、ルーサー・ヴァンドロス、ディーヴァ・グレイなども参加。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L29644/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■3枚目 危険な関係 Risque (1979年8月リリース)音楽史を変えた奇跡の1曲、ラップに息吹を与えた「グッド・タイムス」収録。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L295T0/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Rodgers, Nile
★△ナイル・ロジャーズ・ツアー進む~プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著(第82回~84回)
秘話。
ナイルのライヴは順調に続いている。4月14日(木)は、昼間に「アイ・ウォナ・ダンス」を何度も練習。ファースト・ステージから披露した。ナイルは「ファーストではかなりぐちゃぐちゃになったけど、セカンドはまあよくなった。ツアーが終わる頃には、最高の出来になってるよ。だから、またこれを聴きにきてくれ」とステージで話した。
この日もライヴ後、軽くサイン会。翌朝はJウェイヴのジョン・カビラさんの番組出演のため9時前にホテルを出るという。
カビラさんの番組『東京ユナイテッド』(Jウェイヴ、午前6時~11時半)では、ナイルは「レッツ・ダンス」の誕生秘話をギターを鳴らしながら披露した。それによると、ナイルはデイヴィッド・ボウイがスイスに持っている別荘に呼ばれ、そのベッドルームでこの曲を初めて聴かされた。デイヴィッドはギターでこれを弾いたが、最初はとてもフォーキーな(フォーク調の)曲だった。最初はAm(エー・マイナー)だったがこれをBフラットにし、ジャズコードを加え、マイナー13はどうかと提案。ジャジーな雰囲気を加えたところ、デイヴィッドが気に入ってくれた、という。また、イントロ部分は、アイズレイ・ブラザーズの「ツイスト・アンド・シャウト」をヒントに、作り上げた。最後に、バンドメンバーが入り、「レッツ・ダンス」をプレイした。
●ナイル・ロジャーズ、日曜日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM、関東地区76.1mhz=午後1時~3時)に生出演。ギターも持ち込みの予定。1時20分ごろから登場予定。1時間以上たっぷりお話をうかがいます。
ラジコでも。http://radiko.jp/player/player.html#INT (関東圏で接続できます)
【Walking On Planet C】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年4月9日~4月11日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください。なお、当日に写真なしの文字のみの翻訳をツイッターにアップしていますので、早くお読みになりたい方は、ツイッターをごらんください。ツイッターのアドレスは、https://twitter.com/soulsearcher216 です。
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第82回(4月9日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
ナイル・ロジャーズ著 第82回(4月9日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第82回 生き返る
#82 Living It Again
Written on Saturday, 09 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 09 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/308-walking-on-planet-c-living-it-again#disqus_thread
今朝のウォーキングでパワー・ステーション・スタジオを訪ねる
今朝のウォーキングで、ヒット曲のほとんどをレコーディングしたパワー・ステーション・スタジオを訪ねた。ここは、現在は新しいオウナーになり、アヴァター・スタジオと名前が変わっているが、レコーディングのクオリティーに関しては以前とまったく変わらない。今でも、僕は可能な限りいつもここでレコーディングする。
ここを訪れるためのプロジェクトがなんであれ、このスタジオのスペースに身を委ねると、まるでタイム・カプセルにいるような感じだ。瞬時にあの頃に戻り、突然自分が生き返ったような気持ちになる。
癌に襲われて以来、僕は自分の思い出に新たな慕情を抱くようになった。まず生きていることが信じられない。そして新たに生きる日々に、かつてと同じような思慕を抱ける思い出が生まれていく。
これらの思い出は、ある意味、大きな価値を持つようになっている。それはその思い出を自分自身だけの心の奥底にしまうのではなく、そうした思い出を多くの友人たちとシェア(共有)しているからだ。奇妙に聴こえるかもしれないが、この中にほんのひとかけらの真実があるような気がする。
ここでのレコーディングの思い出をなぞるように、僕はスタジオ内を歩いた。すべてのシック・アルバムの録音、シスター・スレッジ、マドンア、ダイアナ・ロス、デイヴィッド・ボウイ、ジェフ・ベック、ブライアン・フェリー、デュラン・デュラン、ミック・ジャガー、フィリップ・ベイリー、デビー・ハリー、サウスサイド・ジョニー、ザ・B52ズ、ビーヴァス&バットヘッド、キム・カーンズ、アル・ジャロウ、ピーター・ゲイブリエル、数え切れないほど多くのアーティストたちとの思い出だ。
出版社にて
読者の方は、なぜ僕が今日こんなにノスタルジックになっているか不思議に思われるかもしれない。実は、ドキュメンタリーのスタッフとともにいるからなのだ。彼らは僕の人生の多くのページにスポットを当てている。そうして過去のページを読み返すことで、また自分が生き返ってきたような気分なのだ。
その後、僕たちはランダム・ハウス社を訪問した。僕の伝記の出版元スピーゲル&グロウの親会社だ。僕の担当編集者クリストファー・ジャクソンが原稿のページを見せてくれ、またまた生き返った。
パワー・ステーション・スタジオで
パワー・ステーションで僕がレコーディングした作品の数々
++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第83回(4月10日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第83回 素晴らしいものになる
#83 Going To Be Great
Written on Sunday, 10 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 10 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/309-walking-on-planet-c-going-to-be-great#disqus_thread
渡日前唯一のシック・オーガニゼーションのリハーサル
今日は、渡日前唯一のシック・オーガニゼーションのリハーサルだった。メンバーの一人の家族に予期せぬ死が訪れたため、リハーサルを短縮した。2時間しかできなかったが、このショーは素晴らしいものになると思っている。
日本は僕の心の中で特に思い入れのある場所だ。長きにわたるパートナーで最高のベース奏者バーナード・エドワーズがその地で亡くなったからだ。今月、彼の死から15周年になる。また僕の癌との戦いから明けて初のシック・コンサートだ。このような特別なコンサートをする地として、日本以外の場所は考えられない。
日本は僕にとっても特別な場所
今、ドキュメンタリーを撮影中だ。僕の一挙手一投足をスタッフがすべて撮影している。神出鬼没のスタッフたちについて誰かが、僕が音楽を担当したエディー・マーフィーの映画『カミング・トゥ・アメリカ(邦題、星の王子 ニューヨークへ行く)』にからめてジョークを言った。その中でプリンス(王子)が父(王)にオーヴァーに尋ねる。「僕はたった1回でいいのでトイレにひとりで行ってもいいでしょうか?」 このスタッフたちは、なんと言ったらいいのか、(トイレにもついてきそうなほど)それほど献身的なのだ。このドキュメンタリーはきっと素晴らしいものになると思っている。
日本にいる兄弟姉妹仲間友人たちのみなさんへ、あなたがたに今降り注いでいる悲劇は壊滅的だと理解している。しかし、あなたたちは強い国民だ。あなた方が僕に手を差し伸べてくれたとき、それが直接わかった。僕のソウルの中で理解した。だから、最後には日本がまた素晴らしい国として復活すると信じている。
リハーサル中のメンバー(下記4枚)
バーナードと僕
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第84回(4月11日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第84回 新しい友人と出会う
#84 Meet Some New Ones
Written on Monday, 11 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 11 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/310-walking-on-planet-c-meet-some-new-ones
左・完璧な春の朝 右・ずっとドキュメンタリーを撮影
完璧な春の朝だった。起きてから少しギターでスケールを練習し、それから階下に降り、ウォーキングをし、朝食を取り、空港に向かった。何本ものライヴ・コンサートを行うために、日本に向かう。そして、古くからの友人たち、新しい友人たちと会うのだ。
ずっとドキュメンタリーが撮影されてきたが、そのスタッフたちは一足先に日本に戻った。そこで彼らは僕が日本に到着するところを撮影できる。スタッフはこのドキュメンタリーの精鋭たちだ。彼らは前立腺癌について、根治手術の前後何をしたかなどありとあらゆる質問をしてきた。僕はいい気分だったので、(そうした暗い)話をするのはちょっと辛かった。そこで、次のコーナーを撮影するときに、もう一度その話をしようと言った。
さて、話を少し早送りしよう。空港に到着し、チェックインを済ませ、ゲートまで遠い道のりを歩いた。エリック・バードン&ジ・アニマルズの「スカイ・パイロット」を口ずさみ、スティーヴィー・ワンダーの「リボン・イン・ザ・スカイ」、ノーマン・グリーンバウムの「スピリット・イン・ザ・スカイ」、ノトーリアスB.I.G.の「スカイ・イズ・ザ・リミット」、そして、カニエ・ウェストの「タッチ・ザ・スカイ」を歌った。
バンドメンバーに会うと(歌の)集中が切れたが、彼らとしばし談笑した。さあ、日本へ出発だ。
空港のラウンジで、ビデオ・ゲーム業界の友人に会った。飛行機に乗ったとき、新しい友人で出会えればと思っていた。
Walking On Planet C>82,83,84>Living It Again / Going To Be Great / Meet Some New Ones
秘話。
ナイルのライヴは順調に続いている。4月14日(木)は、昼間に「アイ・ウォナ・ダンス」を何度も練習。ファースト・ステージから披露した。ナイルは「ファーストではかなりぐちゃぐちゃになったけど、セカンドはまあよくなった。ツアーが終わる頃には、最高の出来になってるよ。だから、またこれを聴きにきてくれ」とステージで話した。
この日もライヴ後、軽くサイン会。翌朝はJウェイヴのジョン・カビラさんの番組出演のため9時前にホテルを出るという。
カビラさんの番組『東京ユナイテッド』(Jウェイヴ、午前6時~11時半)では、ナイルは「レッツ・ダンス」の誕生秘話をギターを鳴らしながら披露した。それによると、ナイルはデイヴィッド・ボウイがスイスに持っている別荘に呼ばれ、そのベッドルームでこの曲を初めて聴かされた。デイヴィッドはギターでこれを弾いたが、最初はとてもフォーキーな(フォーク調の)曲だった。最初はAm(エー・マイナー)だったがこれをBフラットにし、ジャズコードを加え、マイナー13はどうかと提案。ジャジーな雰囲気を加えたところ、デイヴィッドが気に入ってくれた、という。また、イントロ部分は、アイズレイ・ブラザーズの「ツイスト・アンド・シャウト」をヒントに、作り上げた。最後に、バンドメンバーが入り、「レッツ・ダンス」をプレイした。
●ナイル・ロジャーズ、日曜日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM、関東地区76.1mhz=午後1時~3時)に生出演。ギターも持ち込みの予定。1時20分ごろから登場予定。1時間以上たっぷりお話をうかがいます。
ラジコでも。http://radiko.jp/player/player.html#INT (関東圏で接続できます)
【Walking On Planet C】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年4月9日~4月11日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください。なお、当日に写真なしの文字のみの翻訳をツイッターにアップしていますので、早くお読みになりたい方は、ツイッターをごらんください。ツイッターのアドレスは、https://twitter.com/soulsearcher216 です。
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第82回(4月9日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
ナイル・ロジャーズ著 第82回(4月9日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第82回 生き返る
#82 Living It Again
Written on Saturday, 09 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 09 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/308-walking-on-planet-c-living-it-again#disqus_thread
今朝のウォーキングでパワー・ステーション・スタジオを訪ねる
今朝のウォーキングで、ヒット曲のほとんどをレコーディングしたパワー・ステーション・スタジオを訪ねた。ここは、現在は新しいオウナーになり、アヴァター・スタジオと名前が変わっているが、レコーディングのクオリティーに関しては以前とまったく変わらない。今でも、僕は可能な限りいつもここでレコーディングする。
ここを訪れるためのプロジェクトがなんであれ、このスタジオのスペースに身を委ねると、まるでタイム・カプセルにいるような感じだ。瞬時にあの頃に戻り、突然自分が生き返ったような気持ちになる。
癌に襲われて以来、僕は自分の思い出に新たな慕情を抱くようになった。まず生きていることが信じられない。そして新たに生きる日々に、かつてと同じような思慕を抱ける思い出が生まれていく。
これらの思い出は、ある意味、大きな価値を持つようになっている。それはその思い出を自分自身だけの心の奥底にしまうのではなく、そうした思い出を多くの友人たちとシェア(共有)しているからだ。奇妙に聴こえるかもしれないが、この中にほんのひとかけらの真実があるような気がする。
ここでのレコーディングの思い出をなぞるように、僕はスタジオ内を歩いた。すべてのシック・アルバムの録音、シスター・スレッジ、マドンア、ダイアナ・ロス、デイヴィッド・ボウイ、ジェフ・ベック、ブライアン・フェリー、デュラン・デュラン、ミック・ジャガー、フィリップ・ベイリー、デビー・ハリー、サウスサイド・ジョニー、ザ・B52ズ、ビーヴァス&バットヘッド、キム・カーンズ、アル・ジャロウ、ピーター・ゲイブリエル、数え切れないほど多くのアーティストたちとの思い出だ。
出版社にて
読者の方は、なぜ僕が今日こんなにノスタルジックになっているか不思議に思われるかもしれない。実は、ドキュメンタリーのスタッフとともにいるからなのだ。彼らは僕の人生の多くのページにスポットを当てている。そうして過去のページを読み返すことで、また自分が生き返ってきたような気分なのだ。
その後、僕たちはランダム・ハウス社を訪問した。僕の伝記の出版元スピーゲル&グロウの親会社だ。僕の担当編集者クリストファー・ジャクソンが原稿のページを見せてくれ、またまた生き返った。
パワー・ステーション・スタジオで
パワー・ステーションで僕がレコーディングした作品の数々
++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第83回(4月10日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第83回 素晴らしいものになる
#83 Going To Be Great
Written on Sunday, 10 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 10 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/309-walking-on-planet-c-going-to-be-great#disqus_thread
渡日前唯一のシック・オーガニゼーションのリハーサル
今日は、渡日前唯一のシック・オーガニゼーションのリハーサルだった。メンバーの一人の家族に予期せぬ死が訪れたため、リハーサルを短縮した。2時間しかできなかったが、このショーは素晴らしいものになると思っている。
日本は僕の心の中で特に思い入れのある場所だ。長きにわたるパートナーで最高のベース奏者バーナード・エドワーズがその地で亡くなったからだ。今月、彼の死から15周年になる。また僕の癌との戦いから明けて初のシック・コンサートだ。このような特別なコンサートをする地として、日本以外の場所は考えられない。
日本は僕にとっても特別な場所
今、ドキュメンタリーを撮影中だ。僕の一挙手一投足をスタッフがすべて撮影している。神出鬼没のスタッフたちについて誰かが、僕が音楽を担当したエディー・マーフィーの映画『カミング・トゥ・アメリカ(邦題、星の王子 ニューヨークへ行く)』にからめてジョークを言った。その中でプリンス(王子)が父(王)にオーヴァーに尋ねる。「僕はたった1回でいいのでトイレにひとりで行ってもいいでしょうか?」 このスタッフたちは、なんと言ったらいいのか、(トイレにもついてきそうなほど)それほど献身的なのだ。このドキュメンタリーはきっと素晴らしいものになると思っている。
日本にいる兄弟姉妹仲間友人たちのみなさんへ、あなたがたに今降り注いでいる悲劇は壊滅的だと理解している。しかし、あなたたちは強い国民だ。あなた方が僕に手を差し伸べてくれたとき、それが直接わかった。僕のソウルの中で理解した。だから、最後には日本がまた素晴らしい国として復活すると信じている。
リハーサル中のメンバー(下記4枚)
バーナードと僕
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第84回(4月11日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第84回 新しい友人と出会う
#84 Meet Some New Ones
Written on Monday, 11 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 11 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/310-walking-on-planet-c-meet-some-new-ones
左・完璧な春の朝 右・ずっとドキュメンタリーを撮影
完璧な春の朝だった。起きてから少しギターでスケールを練習し、それから階下に降り、ウォーキングをし、朝食を取り、空港に向かった。何本ものライヴ・コンサートを行うために、日本に向かう。そして、古くからの友人たち、新しい友人たちと会うのだ。
ずっとドキュメンタリーが撮影されてきたが、そのスタッフたちは一足先に日本に戻った。そこで彼らは僕が日本に到着するところを撮影できる。スタッフはこのドキュメンタリーの精鋭たちだ。彼らは前立腺癌について、根治手術の前後何をしたかなどありとあらゆる質問をしてきた。僕はいい気分だったので、(そうした暗い)話をするのはちょっと辛かった。そこで、次のコーナーを撮影するときに、もう一度その話をしようと言った。
さて、話を少し早送りしよう。空港に到着し、チェックインを済ませ、ゲートまで遠い道のりを歩いた。エリック・バードン&ジ・アニマルズの「スカイ・パイロット」を口ずさみ、スティーヴィー・ワンダーの「リボン・イン・ザ・スカイ」、ノーマン・グリーンバウムの「スピリット・イン・ザ・スカイ」、ノトーリアスB.I.G.の「スカイ・イズ・ザ・リミット」、そして、カニエ・ウェストの「タッチ・ザ・スカイ」を歌った。
バンドメンバーに会うと(歌の)集中が切れたが、彼らとしばし談笑した。さあ、日本へ出発だ。
空港のラウンジで、ビデオ・ゲーム業界の友人に会った。飛行機に乗ったとき、新しい友人で出会えればと思っていた。
Walking On Planet C>82,83,84>Living It Again / Going To Be Great / Meet Some New Ones
★ナイル・ロジャーズ最新情報いよいよ今日『ソウル・ブレンズ』に生ゲスト&ブログ翻訳~プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著(第85回~88回)
【Nile Rodgers Will Be On Our “Soul Blends”】
ゲスト登場。
来日中のナイル・ロジャーズ。今日、日曜は、いよいよインターFMの『ソウル・ブレンズ』(76.1mhz関東地区、午後1時~3時)に生ゲスト出演する。エレキ・ギターを持ってきていただく予定なので、話の中で、ギターを弾きながら曲解説や、CDにあわせての生ギター披露などもあるかと思う。
Nile Rodgers will be appearing today’s "Soul Blends" (Inter-FM, 76.1mhz, Tokyo local) from 1pm to 3pm.
出演は午後1時20分過ぎから。何か、ナイルに聞きたい質問などがあれば、番組宛て、もしくは、ツイッターにお送りください。
If you would have some questions to Nile, please send email or tweet, we’ll try to respond as possible as we could.
番組メールアドレスは、marvin@interfm.jp
ツイッターは、https://twitter.com/soulsearcher216
番組は関東地区の方は、インターネット経由ラジコでも聴けます。
●ナイル・ロジャーズ、日曜日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM、関東地区76.1mhz=午後1時~3時)に生出演。ギターも持ち込みの予定。1時20分ごろから登場予定。1時間以上たっぷりお話をうかがいます。
ラジコでも。http://radiko.jp/player/player.html#INT (関東圏で接続できます)
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
【Walking On Planet C】
闘病記。
2011年1月に癌手術を行ったナイル・ロジャーズ。彼が以来毎日その癌闘病記を書いています。題して「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて(癌惑星を歩いて)」。ソウル・サーチン・ブログでは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。1回目以降、次のファイルにあります。
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html
2011年4月12日~4月15日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第85回 もうひとつの完璧なスタート(パート1)
#85 Another Perfect Start Pt. 1
Written on Tuesday, 12 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 12 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/312-walking-on-planet-c-another-perfect-start-pt-1
左・出発前にバーナードをバックに撮影、右・飛行機から
スタッフがル・クリブ(ナイルが持つ、コネチカット州にある自身のスタジオ)を出る前に、彼らにバーナードの演奏映像を繰り返し流しているモニターをバックに写真を撮ってもらった。それから、旅行用の洋服をいれ、バッグを握り、空港に向かった。僕の一日は完璧なスタートだった。
これまでの長時間飛行の中でも、この日は生涯で一番といっていいほどスムースなフライトだった。まるで、かつてのコンコルドの飛行高度を飛んでいるかのように思えた。フライト中はほとんど寝ていた。着陸すると、忠実なドキュメンタリー・スタッフたちが僕らを待ち受けていた。日本の第一歩からして完璧なスタートだ。
忠実なスタッフたち
現在進行形である癌除去手術後の闘いのほかに、僕には糖尿病と心臓関連の疾患もあるため、多くの薬を服用しなければならない。東京のホテルに到着するまで、まさか自分がその薬を飛行機内に忘れてきたとは夢にも思わなかった。いくつかの薬は(アメリカ)国外では入手できないので、僕はちょっとしたパニックになった。
24時間体制の医者に電話をした。(註1)彼はあらゆる薬を持っており、ホテルに届けてくれることになった。2時間ほど寝てから、『スッキリ!』というテレビ番組に出演した。
そのテレビ局で、ワーナー・ミュージックのチーフから、同社が「アイ・ウォナ・ダンス」のラジオでのオンエアを取るために力をいれる、と聞かされた。期待以上の喜びだ。
ホテルに戻ると薬が届いていた。3回の地震(余震)を除いては、これまた完璧なスタートになった。
(註1)ナイルは、ホテルのコンシアージュに問い合わせ、都内の医師を紹介してもらい、薬を処方してもらい、それを届けてもらった。
(つづく)
「スッキリ!」出演
+++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第86回 もうひとつの完璧なスタート(パート2)
#86 Another Perfect Start Pt. 2
Written on Tuesday, 12 April 2011 19:55 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 12 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/313-walking-on-planet-c-another-perfect-start-pt-2#disqus_thread
左・城山ガーデンを散歩、右・さくらからの木漏れ日が僕の顔を照らす
今日、僕は東京の城山ガーデンの近所を歩いた。シェリル・リンの「ガット・トゥ・ビー・リアル」のロング・ヴァージョンを歌っていた。これも、もうひとつの完璧なスタートだ。
昨日は、本当に大変な一日だった。だが、音楽の力と、ライヴで得た観客のみなさんからのスピリットと、日本の人々の以心伝心の協力がひとつにまとまり、このピンチを切り抜けることができた。この日本人の以心伝心は、逆説的だが、(相手に対して)非常に気の利くもので、どこでも見受けられるものだ。
さくらからの木漏れ日が僕の顔を照らす。それは、神が僕を、僕の人生を祝福しているかのように思えた。インナー・シティーの「グッド・ライフ」を歌い始めた。それから、トーク・トークの「イッツ・マイ・ライフ」、友人のエルトン・ジョンの「サークル・オブ・ライフ」を歌った。この曲は、別の僕の友人ジュリー・テイモーがブロードウェイ版ミュージカル『ザ・ライオン・キング』を監督したことで新たな命を与えられた。ジュリーは僕のビデオの一本「レッツ・ゴー・アウト・トゥナイト」を手がけてくれた。この曲は僕が来日した後、1980年代のパーティー・カルチャーにインスピレーションを得て書いたものだ。
エルトン・ジョンと僕
右・ナイル・ロジャーズの「レッツ・ゴー・アウト・トゥナイト」。ただし、このビデオはジュリアンのものではないようだ。一般の人が映像だけ作ったらしい。
僕は2010年10月27日、癌と診断された。完全な復活までには長い闘いが待ち受けているが、今日、日本で人生の輪廻を感じた。これもまた完璧なスタートだ。
(つづく)
インナー・サークル、トーク・トーク
エルトン・ジョン「サークル・オブ・ライフ」、演出家・監督ジュリアン・テイモー
++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第87回 もうひとつの完璧なスタート(パート3)
#87 Another Perfect Start Pt. 3
Written on Wednesday, 13 April 2011 22:11 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 14 April 2011 11:11)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/314-walking-on-planet-c-another-perfect-start-pt-3#disqus_thread
左・「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらウォーキング、右・『オプラ』に出たシスター・スレッジ
今日は「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらウォーキングをした。日本のファンが最初のショーでこれをリクエストしてきた。だが、これをリハーサルする時間がなかったのだ。今日のサウンドチェックで練習してみよう。これも、もうひとつの完璧なスタートだと思う。
癌手術後の症状は依然最悪だ。膀胱けいれん(この世のものとは思えぬほど最悪なもの)がまだ続いている。ただ幸い、ひんぱんにはでてこない。また、音楽をプレイ中にはでてこないようで、それについては本当に神に感謝している。
今朝、『オプラ・ウィンフリー・ショー』にシスター・スレッジが出ているのを見た。とても誇りに思えた。彼女たちは「ウィ・アー・ファミリー」を歌った。読者のあなたがこの癌ブログの最初のエントリーをお読みになっていれば、前立腺癌になったとき、どれほど自分を不憫に思えたか、残念だったかについて書いたことを記憶されているだろう。そして、作曲家として一生懸命やってきたが、多くのヒット作品を僕が書いたことをほとんどの人々が知らないことで、自分の人生も意味がないのではないかと感じた、と書いた。
僕とバーナード、二人の献身的な若き作曲家たち
『オプラ・ショー』で彼女たちは「ウィ・アー・ファミリー」が二人の献身的な若き作曲家によって書かれていることを一言も話さなかった。その作曲家たちは、シスター・スレッジの名前を世界的なものにし、クラシックとなるヒットを作るために一生懸命がんばっていた。二人の名前とは、バーナード・エドワーズとナイル・ロジャーズだ。
多くの人々は僕がどの曲を書いたかなどは知らないものだ。だが、そのことを僕自身がよく認識していれば、それもまたもうひとつの完璧な始まりかもしれない。
『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演したシスター・スレッジ
++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第88回 ラジオ出演
#88 On The Radio
Written on Friday, 15 April 2011 01:45 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 15 April 2011 14:45)(uploaded 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/315-walking-on-planet-c-on-the-radio
左・鯉の前で撮影、右・Jウェイヴのスタジオで
今日はモーニング・ウォークの時間がなかった。だが朝食の後、指を鳴らしてウェイターを呼び、鯉が泳ぐ池の前にひざまずいて写真を撮った。今朝はチームが三班に分かれ、Jウェイヴのラジオ番組に向かった。僕は8時15分にホテルを出なければならなかった。
スタジオに着いて、僕は「ライク・ア・ヴァージン」と「レッツ・ダンス」を軽く(ギターを弾きながら)歌った。番組でこの2曲のどちらをエンディング曲にするか選ぶコンテストをしていたからだ。勝ったほうをシックがラジオで生演奏することになっていた。およそ2万人が投票してきた。
http://youtu.be/s__rX_WL100
マドンナ「ライク・ア・ヴァージン」
左からラルフ・ロール、キム・デイヴィス、DJジョン・カビラ、フォラーミ、ナイル・ロジャーズ
この2曲を少し聴かせた後、急に術後の症状が出たので急いでトイレに走った。幸いなことに、曲の最後の部分をプレイした後だった。誰も僕の異変には気づかなったが、かなりつらかった。しかし、僕はプロのようにクールを装った。
電話をかけてくるリスナーがシックのどちらの曲をラジオで生演奏して欲しいか決めようとしている間、シンガーのキンバリー・デイヴィスとフォラーミがスタジオに到着した。最後に僕のドラマー、ラルフ・ロールが飛び込んできた。結局、ほんの数百の差で勝ちが決まった。リスナーは「レッツ・ダンス」を選んだので、僕たちは小編成ヴァージョンの「レッツ・ダンス」をプレイした。
ラジオ局は愛と素晴らしいヴァイブに包まれていた。番組では、僕の新作CDから「アイ・ウォナ・ダンス」もかけてくれた。実は、この曲を僕の新曲だと宣言するのには、少し躊躇がある。というのも数年前、レコード会社のエグゼクティヴが、僕は年を取りすぎていて、もう誰もシックのレコードを買わないなどと言ったからだ。彼は正直だったが、そんなことがあったので、僕はラジオでこの「アイ・ウォナ・ダンス」がかかったことがものすごく嬉しかったのだ。
左・キム、右・フォラーミ
左・ラルフ、右・ナイル
+++++
Walking On Planet C>85,86,87,88 >Another Perfect Start Part 1 – Part 3 / On The Radio
【Nile Rodgers Will Be On Our “Soul Blends”】
ゲスト登場。
来日中のナイル・ロジャーズ。今日、日曜は、いよいよインターFMの『ソウル・ブレンズ』(76.1mhz関東地区、午後1時~3時)に生ゲスト出演する。エレキ・ギターを持ってきていただく予定なので、話の中で、ギターを弾きながら曲解説や、CDにあわせての生ギター披露などもあるかと思う。
Nile Rodgers will be appearing today’s "Soul Blends" (Inter-FM, 76.1mhz, Tokyo local) from 1pm to 3pm.
出演は午後1時20分過ぎから。何か、ナイルに聞きたい質問などがあれば、番組宛て、もしくは、ツイッターにお送りください。
If you would have some questions to Nile, please send email or tweet, we’ll try to respond as possible as we could.
番組メールアドレスは、marvin@interfm.jp
ツイッターは、https://twitter.com/soulsearcher216
番組は関東地区の方は、インターネット経由ラジコでも聴けます。
●ナイル・ロジャーズ、日曜日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM、関東地区76.1mhz=午後1時~3時)に生出演。ギターも持ち込みの予定。1時20分ごろから登場予定。1時間以上たっぷりお話をうかがいます。
ラジコでも。http://radiko.jp/player/player.html#INT (関東圏で接続できます)
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
【Walking On Planet C】
闘病記。
2011年1月に癌手術を行ったナイル・ロジャーズ。彼が以来毎日その癌闘病記を書いています。題して「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて(癌惑星を歩いて)」。ソウル・サーチン・ブログでは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。1回目以降、次のファイルにあります。
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html
2011年4月12日~4月15日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第85回 もうひとつの完璧なスタート(パート1)
#85 Another Perfect Start Pt. 1
Written on Tuesday, 12 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 12 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/312-walking-on-planet-c-another-perfect-start-pt-1
左・出発前にバーナードをバックに撮影、右・飛行機から
スタッフがル・クリブ(ナイルが持つ、コネチカット州にある自身のスタジオ)を出る前に、彼らにバーナードの演奏映像を繰り返し流しているモニターをバックに写真を撮ってもらった。それから、旅行用の洋服をいれ、バッグを握り、空港に向かった。僕の一日は完璧なスタートだった。
これまでの長時間飛行の中でも、この日は生涯で一番といっていいほどスムースなフライトだった。まるで、かつてのコンコルドの飛行高度を飛んでいるかのように思えた。フライト中はほとんど寝ていた。着陸すると、忠実なドキュメンタリー・スタッフたちが僕らを待ち受けていた。日本の第一歩からして完璧なスタートだ。
忠実なスタッフたち
現在進行形である癌除去手術後の闘いのほかに、僕には糖尿病と心臓関連の疾患もあるため、多くの薬を服用しなければならない。東京のホテルに到着するまで、まさか自分がその薬を飛行機内に忘れてきたとは夢にも思わなかった。いくつかの薬は(アメリカ)国外では入手できないので、僕はちょっとしたパニックになった。
24時間体制の医者に電話をした。(註1)彼はあらゆる薬を持っており、ホテルに届けてくれることになった。2時間ほど寝てから、『スッキリ!』というテレビ番組に出演した。
そのテレビ局で、ワーナー・ミュージックのチーフから、同社が「アイ・ウォナ・ダンス」のラジオでのオンエアを取るために力をいれる、と聞かされた。期待以上の喜びだ。
ホテルに戻ると薬が届いていた。3回の地震(余震)を除いては、これまた完璧なスタートになった。
(註1)ナイルは、ホテルのコンシアージュに問い合わせ、都内の医師を紹介してもらい、薬を処方してもらい、それを届けてもらった。
(つづく)
「スッキリ!」出演
+++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第86回 もうひとつの完璧なスタート(パート2)
#86 Another Perfect Start Pt. 2
Written on Tuesday, 12 April 2011 19:55 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 12 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/313-walking-on-planet-c-another-perfect-start-pt-2#disqus_thread
左・城山ガーデンを散歩、右・さくらからの木漏れ日が僕の顔を照らす
今日、僕は東京の城山ガーデンの近所を歩いた。シェリル・リンの「ガット・トゥ・ビー・リアル」のロング・ヴァージョンを歌っていた。これも、もうひとつの完璧なスタートだ。
昨日は、本当に大変な一日だった。だが、音楽の力と、ライヴで得た観客のみなさんからのスピリットと、日本の人々の以心伝心の協力がひとつにまとまり、このピンチを切り抜けることができた。この日本人の以心伝心は、逆説的だが、(相手に対して)非常に気の利くもので、どこでも見受けられるものだ。
さくらからの木漏れ日が僕の顔を照らす。それは、神が僕を、僕の人生を祝福しているかのように思えた。インナー・シティーの「グッド・ライフ」を歌い始めた。それから、トーク・トークの「イッツ・マイ・ライフ」、友人のエルトン・ジョンの「サークル・オブ・ライフ」を歌った。この曲は、別の僕の友人ジュリー・テイモーがブロードウェイ版ミュージカル『ザ・ライオン・キング』を監督したことで新たな命を与えられた。ジュリーは僕のビデオの一本「レッツ・ゴー・アウト・トゥナイト」を手がけてくれた。この曲は僕が来日した後、1980年代のパーティー・カルチャーにインスピレーションを得て書いたものだ。
エルトン・ジョンと僕
右・ナイル・ロジャーズの「レッツ・ゴー・アウト・トゥナイト」。ただし、このビデオはジュリアンのものではないようだ。一般の人が映像だけ作ったらしい。
僕は2010年10月27日、癌と診断された。完全な復活までには長い闘いが待ち受けているが、今日、日本で人生の輪廻を感じた。これもまた完璧なスタートだ。
(つづく)
インナー・サークル、トーク・トーク
エルトン・ジョン「サークル・オブ・ライフ」、演出家・監督ジュリアン・テイモー
++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第87回 もうひとつの完璧なスタート(パート3)
#87 Another Perfect Start Pt. 3
Written on Wednesday, 13 April 2011 22:11 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 14 April 2011 11:11)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/314-walking-on-planet-c-another-perfect-start-pt-3#disqus_thread
左・「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらウォーキング、右・『オプラ』に出たシスター・スレッジ
今日は「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらウォーキングをした。日本のファンが最初のショーでこれをリクエストしてきた。だが、これをリハーサルする時間がなかったのだ。今日のサウンドチェックで練習してみよう。これも、もうひとつの完璧なスタートだと思う。
癌手術後の症状は依然最悪だ。膀胱けいれん(この世のものとは思えぬほど最悪なもの)がまだ続いている。ただ幸い、ひんぱんにはでてこない。また、音楽をプレイ中にはでてこないようで、それについては本当に神に感謝している。
今朝、『オプラ・ウィンフリー・ショー』にシスター・スレッジが出ているのを見た。とても誇りに思えた。彼女たちは「ウィ・アー・ファミリー」を歌った。読者のあなたがこの癌ブログの最初のエントリーをお読みになっていれば、前立腺癌になったとき、どれほど自分を不憫に思えたか、残念だったかについて書いたことを記憶されているだろう。そして、作曲家として一生懸命やってきたが、多くのヒット作品を僕が書いたことをほとんどの人々が知らないことで、自分の人生も意味がないのではないかと感じた、と書いた。
僕とバーナード、二人の献身的な若き作曲家たち
『オプラ・ショー』で彼女たちは「ウィ・アー・ファミリー」が二人の献身的な若き作曲家によって書かれていることを一言も話さなかった。その作曲家たちは、シスター・スレッジの名前を世界的なものにし、クラシックとなるヒットを作るために一生懸命がんばっていた。二人の名前とは、バーナード・エドワーズとナイル・ロジャーズだ。
多くの人々は僕がどの曲を書いたかなどは知らないものだ。だが、そのことを僕自身がよく認識していれば、それもまたもうひとつの完璧な始まりかもしれない。
『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演したシスター・スレッジ
++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第88回 ラジオ出演
#88 On The Radio
Written on Friday, 15 April 2011 01:45 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 15 April 2011 14:45)(uploaded 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/315-walking-on-planet-c-on-the-radio
左・鯉の前で撮影、右・Jウェイヴのスタジオで
今日はモーニング・ウォークの時間がなかった。だが朝食の後、指を鳴らしてウェイターを呼び、鯉が泳ぐ池の前にひざまずいて写真を撮った。今朝はチームが三班に分かれ、Jウェイヴのラジオ番組に向かった。僕は8時15分にホテルを出なければならなかった。
スタジオに着いて、僕は「ライク・ア・ヴァージン」と「レッツ・ダンス」を軽く(ギターを弾きながら)歌った。番組でこの2曲のどちらをエンディング曲にするか選ぶコンテストをしていたからだ。勝ったほうをシックがラジオで生演奏することになっていた。およそ2万人が投票してきた。
http://youtu.be/s__rX_WL100
マドンナ「ライク・ア・ヴァージン」
左からラルフ・ロール、キム・デイヴィス、DJジョン・カビラ、フォラーミ、ナイル・ロジャーズ
この2曲を少し聴かせた後、急に術後の症状が出たので急いでトイレに走った。幸いなことに、曲の最後の部分をプレイした後だった。誰も僕の異変には気づかなったが、かなりつらかった。しかし、僕はプロのようにクールを装った。
電話をかけてくるリスナーがシックのどちらの曲をラジオで生演奏して欲しいか決めようとしている間、シンガーのキンバリー・デイヴィスとフォラーミがスタジオに到着した。最後に僕のドラマー、ラルフ・ロールが飛び込んできた。結局、ほんの数百の差で勝ちが決まった。リスナーは「レッツ・ダンス」を選んだので、僕たちは小編成ヴァージョンの「レッツ・ダンス」をプレイした。
ラジオ局は愛と素晴らしいヴァイブに包まれていた。番組では、僕の新作CDから「アイ・ウォナ・ダンス」もかけてくれた。実は、この曲を僕の新曲だと宣言するのには、少し躊躇がある。というのも数年前、レコード会社のエグゼクティヴが、僕は年を取りすぎていて、もう誰もシックのレコードを買わないなどと言ったからだ。彼は正直だったが、そんなことがあったので、僕はラジオでこの「アイ・ウォナ・ダンス」がかかったことがものすごく嬉しかったのだ。
左・キム、右・フォラーミ
左・ラルフ、右・ナイル
+++++
Walking On Planet C>85,86,87,88 >Another Perfect Start Part 1 – Part 3 / On The Radio
★ナイル・ロジャーズ最新情報『ソウル・ブレンズ』に生ゲスト&ブログ翻訳~プラネットC
2011年4月18日 音楽★ナイル・ロジャーズ最新情報『ソウル・ブレンズ』に生ゲスト&ブログ翻訳~プラネットC □.
【Nile Rodgers Update】
最新情報。
金曜日・土曜日のライヴでは、木曜日にやった「アイ・ウォナ・ダンス」をプレイしなかった。どうやら、まだ完全な形になっていないので、もう少し練習をしたいみたいだ。マネジャーのピーターによれば、「ナイルは完璧主義者だからね」という。
また、土曜日のライヴの席で、5月29日にまた来日して、1日だけブルーノートでショーをすると発表した。とはいうものの、まだ正式には確定していないそうだ。ナイルは、ちょうど前日まで中国にいるため、直接ニューヨークに帰るなら、東京に立ち寄ってもいいのではないか、と来日が急遽決まった。バンドは、1日ライヴをやって帰国するが、ナイルはしばらく滞在して、たとえば仙台に行ってストリート・ミュージシャンとジャムすることなども考えている、という。
日曜午後は、インターFMの『ソウル・ブレンズ』に1時間以上にわたって登場。いろいろな話をしたり、ギターを弾いたりしてくれた。
「ヤワザ・ヤワザ・ヤワザ」の由来、「ウィ・アー・ファミリー」誕生秘話、5月29日の再来日、チェンジのことなどについて話した。最後に、ギターで「グッドタイムス」のフレーズをその場でプレイし、それにあわせて、DJのマーヴィン・デンジャーフィールドが「ラッパーズ・デライト」のラップを披露、ナイルと一緒にラップをして盛り上げた。詳細は改めてご紹介する。
左・みんなで。ナイル(前)、左から吉岡、マーヴィン・デンジャーフィールド、チーちゃん、右・ナイル「本日の主役」
日曜日は、恒例のギター・コンテスト。ユーチューブなどで予選を行い、選ばれた数人が日曜セカンドの決勝に登場して「ル・フリーク」のギターをプレイした。また、日曜のファーストはファミリー・デイで子供たちも参加。
いよいよ月曜日、4月18日はバーナードの命日。そして、東京最終公演。どんなドラマが待ち受けているのだろうか。
+++++
闘病記。
2011年1月に癌手術を行ったナイル・ロジャーズ。彼が以来毎日その癌闘病記を書いています。題して「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて(癌惑星を歩いて)」。ソウル・サーチン・ブログでは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。1回目以降、s全エントリーが次のファイルにあります。
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html
2011年4月16日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
第89回(4月16日)
第89回 無理はしない
#89 Push It
Written on Friday, 15 April 2011 23:22 (NY time) by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 16 April 2011 12:22)(uploaded 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/316-walking-on-planet-c-push-it
左・体調がちょっとよくなかったが、気持ちは絶好調、右・お気に入りの散歩道
今日は、体調がちょっとよくなかった。だが、気持ちは絶好調だった。マクファーデン&ホワイトヘッドの「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」を歌った。お気に入りの散歩道で日課となっている治療のためのウォーキングをするが、無理はしたくない。
昨夜、ひじょうに厳しいスケジュールのために、ファースト・ショーでは気を失いかけた。だが、セカンド・ショーではエネルギーが復活した。新旧の友人、また、ネットで知り合ったEフレンズたちがリアルな接点を持つ友人となり、彼らのおかげで僕は生き返ったのだ。
癌手術後の症状は昨夜は最悪だった。だが、ショーは素晴らしく、多くの人々がやってきてくれた。
僕は「サムシング・アニメ」という新しい仕事を始める。ブルーノートに真のスーパースターがやってきた。平野綾だ。彼女の日本のエレクトリック・エンターテインメントの世界における名声はひじょうに大きい。彼女が演じる多くのキャラクターよりも、実際の彼女はとてもチャーミングだ。彼女はシックのショーを気に入ってくれ、バックステージに来て、歌ってくれた。
楽屋を訪れてくれた平野綾と
そして、吉田兄弟が楽屋に来てくれた。彼らのことも大好きで、大きな映画かビデオ・プロジェクトを彼らと一緒にやってみたい。彼らの純粋な名人芸は世界中のオーディエンスを驚かせるだろう。彼らもシックのファンで、実際とてもナイス・ガイたちだ。
同じく吉田兄弟と
さて、以上が今朝のひとときだ。もう一度ベッドに入ることにする。今夜も2回のショーがあり、無理はしたくないから。
(註、これは金曜夜のライヴ・ショーについてのことです)
平野綾と。後ろで座っているのはドラムスのラルフ・ロール
+++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第90回 「アイ・ウォナ・ダンス」ライヴ
#90 I Wanna Dance Live
Written on Saturday, 16 April 2011 22:06 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 17 April 2011 11:06)(uploaded 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/317-walking-on-planet-c-i-wanna-dance-live
今日は部屋にこもって「アイ・ウォナ・ダンス」を練習
今日、もう少し「アイ・ウォナ・ダンス」をライヴでやるための練習をすることにした。朝のウォーキングにでかけるかわりに、ホテルの部屋にこもった。
この曲は『ナイル・ロジャーズ/エヴリバディ・ダンス!』のアルバムに締切ぎりぎりで収録できた新曲だ。アメリカでクール&ザ・ギャングと一緒にレコーディングしたが、日本に来る前には十分にリハーサルする時間がなかった。
今日、僕はかなり具合が悪く、音楽をやることで、気分がよくなればと思っている。だいたい、いつもそうなるのだが。昨日、具合は悪かったが、素晴らしいショーを2本できた。
プロのギタリストになって以来、世界中の素晴らしいミュージシャンたちと一緒に仕事をしてきた。そして、その何人かは、シック・オーガニゼーションにも参加してもらっている。
今日そうした最高のミュージシャンの何人かとともに、「アイ・ウォナ・ダンス」をライヴでプレイできるのがとても嬉しい。
+++++
Walking On Planet C>85, 86>Push It / I Wanna Dance, Live
【Nile Rodgers Update】
最新情報。
金曜日・土曜日のライヴでは、木曜日にやった「アイ・ウォナ・ダンス」をプレイしなかった。どうやら、まだ完全な形になっていないので、もう少し練習をしたいみたいだ。マネジャーのピーターによれば、「ナイルは完璧主義者だからね」という。
また、土曜日のライヴの席で、5月29日にまた来日して、1日だけブルーノートでショーをすると発表した。とはいうものの、まだ正式には確定していないそうだ。ナイルは、ちょうど前日まで中国にいるため、直接ニューヨークに帰るなら、東京に立ち寄ってもいいのではないか、と来日が急遽決まった。バンドは、1日ライヴをやって帰国するが、ナイルはしばらく滞在して、たとえば仙台に行ってストリート・ミュージシャンとジャムすることなども考えている、という。
日曜午後は、インターFMの『ソウル・ブレンズ』に1時間以上にわたって登場。いろいろな話をしたり、ギターを弾いたりしてくれた。
「ヤワザ・ヤワザ・ヤワザ」の由来、「ウィ・アー・ファミリー」誕生秘話、5月29日の再来日、チェンジのことなどについて話した。最後に、ギターで「グッドタイムス」のフレーズをその場でプレイし、それにあわせて、DJのマーヴィン・デンジャーフィールドが「ラッパーズ・デライト」のラップを披露、ナイルと一緒にラップをして盛り上げた。詳細は改めてご紹介する。
左・みんなで。ナイル(前)、左から吉岡、マーヴィン・デンジャーフィールド、チーちゃん、右・ナイル「本日の主役」
日曜日は、恒例のギター・コンテスト。ユーチューブなどで予選を行い、選ばれた数人が日曜セカンドの決勝に登場して「ル・フリーク」のギターをプレイした。また、日曜のファーストはファミリー・デイで子供たちも参加。
いよいよ月曜日、4月18日はバーナードの命日。そして、東京最終公演。どんなドラマが待ち受けているのだろうか。
+++++
闘病記。
2011年1月に癌手術を行ったナイル・ロジャーズ。彼が以来毎日その癌闘病記を書いています。題して「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて(癌惑星を歩いて)」。ソウル・サーチン・ブログでは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。1回目以降、s全エントリーが次のファイルにあります。
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html
2011年4月16日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
第89回(4月16日)
第89回 無理はしない
#89 Push It
Written on Friday, 15 April 2011 23:22 (NY time) by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 16 April 2011 12:22)(uploaded 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/316-walking-on-planet-c-push-it
左・体調がちょっとよくなかったが、気持ちは絶好調、右・お気に入りの散歩道
今日は、体調がちょっとよくなかった。だが、気持ちは絶好調だった。マクファーデン&ホワイトヘッドの「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」を歌った。お気に入りの散歩道で日課となっている治療のためのウォーキングをするが、無理はしたくない。
昨夜、ひじょうに厳しいスケジュールのために、ファースト・ショーでは気を失いかけた。だが、セカンド・ショーではエネルギーが復活した。新旧の友人、また、ネットで知り合ったEフレンズたちがリアルな接点を持つ友人となり、彼らのおかげで僕は生き返ったのだ。
癌手術後の症状は昨夜は最悪だった。だが、ショーは素晴らしく、多くの人々がやってきてくれた。
僕は「サムシング・アニメ」という新しい仕事を始める。ブルーノートに真のスーパースターがやってきた。平野綾だ。彼女の日本のエレクトリック・エンターテインメントの世界における名声はひじょうに大きい。彼女が演じる多くのキャラクターよりも、実際の彼女はとてもチャーミングだ。彼女はシックのショーを気に入ってくれ、バックステージに来て、歌ってくれた。
楽屋を訪れてくれた平野綾と
そして、吉田兄弟が楽屋に来てくれた。彼らのことも大好きで、大きな映画かビデオ・プロジェクトを彼らと一緒にやってみたい。彼らの純粋な名人芸は世界中のオーディエンスを驚かせるだろう。彼らもシックのファンで、実際とてもナイス・ガイたちだ。
同じく吉田兄弟と
さて、以上が今朝のひとときだ。もう一度ベッドに入ることにする。今夜も2回のショーがあり、無理はしたくないから。
(註、これは金曜夜のライヴ・ショーについてのことです)
平野綾と。後ろで座っているのはドラムスのラルフ・ロール
+++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第90回 「アイ・ウォナ・ダンス」ライヴ
#90 I Wanna Dance Live
Written on Saturday, 16 April 2011 22:06 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 17 April 2011 11:06)(uploaded 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/317-walking-on-planet-c-i-wanna-dance-live
今日は部屋にこもって「アイ・ウォナ・ダンス」を練習
今日、もう少し「アイ・ウォナ・ダンス」をライヴでやるための練習をすることにした。朝のウォーキングにでかけるかわりに、ホテルの部屋にこもった。
この曲は『ナイル・ロジャーズ/エヴリバディ・ダンス!』のアルバムに締切ぎりぎりで収録できた新曲だ。アメリカでクール&ザ・ギャングと一緒にレコーディングしたが、日本に来る前には十分にリハーサルする時間がなかった。
今日、僕はかなり具合が悪く、音楽をやることで、気分がよくなればと思っている。だいたい、いつもそうなるのだが。昨日、具合は悪かったが、素晴らしいショーを2本できた。
プロのギタリストになって以来、世界中の素晴らしいミュージシャンたちと一緒に仕事をしてきた。そして、その何人かは、シック・オーガニゼーションにも参加してもらっている。
今日そうした最高のミュージシャンの何人かとともに、「アイ・ウォナ・ダンス」をライヴでプレイできるのがとても嬉しい。
+++++
Walking On Planet C>85, 86>Push It / I Wanna Dance, Live
★△『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
第91回(2011年4月18日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
闘病記。
2011年1月に癌手術を行ったナイル・ロジャーズ。彼が以来毎日その癌闘病記を書いています。題して「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて(癌惑星を歩いて)」。ソウル・サーチン・ブログでは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。1回目以降、全エントリーが次のファイルにあります。
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第91回 人生はファンキーに
#91 Life Can Be Funky
Written on Sunday, 17 April 2011 22:09 by Nile Rodgers (New York Time)
(Japan Standard Time, 18 April 2011 11:09)(uploaded 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/318-walking-on-planet-c-life-can-be-funky#disqus_thread
左・僕とバーナード、右・今朝は部屋でギターを練習
今日はバーナード・エドワーズが東京で死去してからちょうど15周年にあたる。昨夜はかなり具合が悪く、自分が彼と同じ運命をたどるのではないかとさえ考えてしまった。つまり、素晴らしいショーを終えて、ホテルの部屋で息絶えるということだ。
くたくたになって寝入ってしまうまで、彼のことを考えていた。どうやら、めったにひかない悪い風邪をひいてしまったようだ。癌にかかると、すべてが違ってくる。真剣に人生を見直さなければならない。さもなければ、人生は悪い意味でかなりファンキーになってしまう。(訳注、この場合は、人生はぐちゃぐちゃになってしまう、の意味)
今日は遅くまで寝ていた。そして最初のインタヴューまでギターを弾いていた。日本にいる間中、僕の頭はバーナードのことで一杯だ。だが僕の心はいつもどこかを彷徨っている。ふと、僕が受けるインタヴュー番組では、みなファンクやR&Bばかりをかけていると気づいた。
昨日訪れたいくつかの番組では、たくさんのシックやバーナードの作品がかけられていた。同時に、ブーチー・コリンズ、プリンス、ザップ、スレイヴ、キャメオ、コン・ファンク・シャン、ザ・コモドアーズ、ザ・ダズ・バンド、ジ・オハイオ・プレイヤーズ、メイシオ・パーカー、そして、クール&ザ・ギャングなどもかかっていた。すべてランチタイム前の時間帯だ。
ブルーノートでのショーで、ファンク・ギター・コンテストを行った。ラギー(平木LAGGY宏隆)という子が並み居るファンキーなプレイヤーを押さえて勝った。日本では、海外の音楽ジャンルをバランスよく聴いているようだ。何か新しいものがでてきても、すぐにかつてのものがどこかに追いやられることはない。
左から、僕、ラギー、ケイ・グラント(司会)
テレビとラジオのスケジュールがひしめいた一日だった。その多くがバーナードのレガシー(伝説)についてと、多くのアーティストたちが来日をキャンセルする中、僕がやってきたことに話題が集中した。率直に言って、ジャーナリストやファンからそのことばかりを聞かれるので驚いている。だが、人生はなんにせよ、ファンキーになるものだ。(訳注、この場合は、かっこよくクールになる、の意味も含まれる)
「アイ・ウォナ・ダンス」はゲストに出るとかけてもらえる
日本のラジオ番組でファンキーな作品を聴いた
>Walking On Planet C>91>A Life Can Be Funky
★ナイル・ロジャーズ『ソウル・ブレンズ』に登場 (パート1)
2011年4月19日 音楽★ナイル・ロジャーズ『ソウル・ブレンズ』に登場 (パート1)
【Nile Rodgers Talks On Soul Blends ; Chat With Same Cool People】
2度目。
来日中のナイル・ロジャーズが、2011年4月17日、『ソウル・ブレンズ』(インターFM、関東地区)http://radiko.jp/player/player.html#INT (日曜午後1時~3時)に、ゲストで登場してくれた。午後1時20分から約70分スタジオにどっしりと座り、いろいろな話をしてくれた。ナイルが同番組に登場したのは、2004年5月16日以来2度目。
ナイルがやってくるというので、彼におみやげを用意。ひとつは、「神風」と「必勝」というハチマキ、そしてもうひとつは「本日の主役」とタスキだ。これをかけて、ラジオにでてもらった。「必勝」は彼の癌闘病に勝つように、また、その癌を打ち破る「神風」が吹くように、という祈りをかけて。これは、Divine Wind(神の風)と「should win, must win」と説明した。
マーヴィンにも、「日本一の司会者」というタスキをプレゼントした。けっこう、マーヴィンにも受けていた。
さて、リスナーからの質問も含めいくつかのやりとりをご紹介しよう。当日、生放送では半分も訳しきれていなかったので、これで概要がおわかりになると思う。
マーヴィン。「簡単なバイオを紹介してください」
ナイル。「ハイスクールを出てすぐ、セサミ・ストリートのバンドをやって、それからアポロ・シアターでのハウスバンドをやった。セサミ・ストリートのプロデューサーの夫がアポロのマネージャーだったからだ。それから元パートナーのバーナード・エドワーズと一緒に、ニューヨーク・シティーというグループのバックバンドをやった。ちゃんとしたお金を貰えたのはこれが初めてだった。「アイム・ドゥーイン・ファイン・ナウ」というヒットが出た。このヒットが出たおかげで、世界中を旅することができた。その頃、いろいろなミュージシャン、アーティストに出会った。たとえば、ロクシー・ミュージック、彼らからは本当に大きなアイデアを得た。ジェフ・ベック、デイヴィッド・ボウイなどなど。まさに(自分の音楽)世界が広がったんだ。旅から戻って、僕たちはシックを結成したというわけだ」
ナイル。「レコード契約を取る前に1年ほどかかった。注目されたのは、『ダンス・ダンス・ダンス』なんだけど、最初に録音したのは『エヴリバディー・ダンス』だった。ここでやっているのは、みんな友人たちだ。当時『ヤング・アメリカンズ』でデイヴィッド・ボウイのコーラスをやっていたルーサー・ヴァンドロスなどだ。僕たちは、あらゆるプロの連中を集めて、お互い、なんとかそれぞれががんばって協力し助け合って、最初の契約やヒットを出そうとしていた。『ダンス・ダンス・ダンス』は、アメリカのダンス・チャートでナンバーワンになった。たぶん、ポップでもトップ5、トップR&Bにもなっただろう。それから、次に僕たちはシックのリード・シンガー、ノーマ・ジーン・ライトのレコードを作った。そのころアトランティック・レコードは、僕たちにローリング・ストーンズやベット・ミドラーをプロデュースさせようとした。だけど、その頃まだ一度もスーパースターと一緒に仕事をしたことがなかった。今までは、僕らの仲間内の作品だけを作ってきた。そこで、僕たちはそんなオファーの中からシスター・スレッジを選んだ。僕たちは説明した。僕らは誰でもプロデュースできる。だが、無名のアーティストを選びたい。ちょっとエゴステカルかもしれないけれど、僕たちのソングライターとしての能力はかなりあると思っていた。いい曲を書き、いいアイデアを生み出せる。シスター・スレッジのコンセプトは、僕たちが生み出したものだった。僕らは彼女たちにレコーディングの日まで会ったことがなかった。彼女たちの過去曲も聴いたことはなかった。彼女たちがスタジオに入ってきた瞬間もまだ、僕たちは『ウィ・アー・ファミリー』の歌詞を書いていたほどなんだ。(笑)」
マーヴィン。「今まで誰があなたに影響を与えたか」
ナイル。「今まで一緒に仕事をしてきたアーティストすべてだ。僕たちはとてもラッキーで、シック・キャンプ以外で初めててがけたスーパースターがダイアナ・ロスだった。ダイアナから、ボウイから、マドンナ、デュラン・デュラン。みんな僕にとってのインスピレーションだよ」
CMをはさんで、リスナーからの質問。
チーちゃん。「持っているギターの数は? ギター用の家をお持ちなんでしょう」
「イエス、ギター・ハウスがある。数は2-300かな。正確にはわからない。ときどき、誰かに上げたりしてしまうんだ。ときどき、あまりに多すぎてやになってしまうんだ。(笑) ギターはすべて素晴らしく、それは弾かれなければならないからだ。ときどきそのギター・ハウスに行って、何時間もギターを弾きまくったりするんだ。いくつかはチャリティーなんかに寄付したりする」
マーヴィン。「そういうギターには、たとえば、スーザンとかベティーと言った名前はあるんですか(笑)」
ナイル。「ははは。スーザンもベティーもいるけど(笑)、ある一本のギターに『ヒットメイカー』と名づけている。1973年に買ったもので、いくらで買ったかはわからない。実はキャッシュを払ってないんだよ。というのは、僕が当時持っていたジャズ・ギターとそれを交換したからなんだ。しかも、相手はギターのほかにさらに300ドルをつけてくれた。たぶん、そのジャズ・ギターは相当高価なものだったんだろうね。そうやって手に入れた『ヒットメイカー』は、そうだな、わからないけど、3ビリオン・ダラー(30億ドル=莫大な)の売り上げに結びついたことになる」
吉岡。「ダンス・ダンス・ダンス」の中で、「ヤワザ・ヤワザ・ヤワザ」という掛け声がありますが、これはどこからでてきたのですか」
http://www.youtube.com/embed/bQr_oCmQGuw
相当昔のナイルとバーナード。1977年ごろ。
ナイル。「1929年、大恐慌が起こったときに、お金を集めるためにチャリティーのダンス・マラソンが行われた。ダンサーたちは、何日も昼夜ぶっ通しで踊り続け、しまいには眠ってしまう。そんなダンス競争の最中にMC(司会者)が、地元のコマーシャルとして、『ヤウザ・ヤウザ・ヤウザ』ってやってたんだけど、それが眠りそうなダンサーたちを起こす掛け声にもなったんだ。(マーヴィンが真似る) そう、その通り。彼らがメガフォンを使って大きな声でやっていた。(ウェイク・アップ・ウェイク・アップ、起きろ、起きろ、といった意味にもなった) 基本的には、(会社の)CMみたいなものだよ」
(訳注、また、この「ヤウザ」はアメリカ・ブラックのスラングで、「イエス」の意味で使われるという。「イエス・イエス・イエス」という感じだ。1920年代にDJでジャズ・ヴィオリニストでラジオDJでもあったベン・ベニーが使い始めた言葉)
ナイル。「これを使うときもそうだったんだけど、みんなにシックのコンセプトを理解して欲しいと思った。僕たちのサウンドはモダンなダンス・ミュージックだけど、オールド・ファッションな部分も携えているんだ。この音楽はカウント・ベイシー、デューク・エリントンなど昔の巨匠たちの音楽をベースにしている。彼らは後にカウントとかデュークだけでみんなに知られるようになる。僕たちが生まれる前からのブラック・マスターたちへの僕たちからのトリビュートの意味合いがあるんだ。歌詞もそうしたところを反映してるよ」
「ウィ・アー・ファミリー」基金について。
http://www.youtube.com/embed/l8lEhb9Hotk
ナイル。「このウィ・アー・ファミリー基金は、2001年の911事件の後に始めた基金だ。あの日、貿易センタービルに突っ込んだ最初の飛行機に、なんと僕の友人が3人乗っていた。一人は以前僕の写真家だった女性で、(レコード会社の)ワーナーの重要な人物も2人乗っていた。それ以後、あの時期モスリム風の連中に冷たい視線が集まるようになった。実際僕もこうやってバンダナをしたりして、それ風に見えることだってあったからね。この基金を始めたのは、人々を癒すためだった。多くの人に言われたのが、『ウィ・アー・ファミリー』をリリースして、その売り上げを寄付したらどうだ、ということだった。そこで、この曲の幅を広げるべくいろいろやった。僕は『セサミ・ストリート』から自分のキャリアを始めていたので、子供たちにも参加して欲しいと思った。そこで、子供ヴァージョンを録音した。そのあたりから、この組織が回り始めたんだよ」
ナイル。「世界中の子供たちが参加してくれたり、スパイク・リーがすばらしいビデオを作ってくれたりしている。最初にこの『ウィ・アー・ファミリー』を作るときは、まだ彼女たち(シスター・スレッジ)には会ってなかった。レコード会社の人間と話をしたときのちょっとしたメモだけを頼りに彼女たちがどうあるべきか、そんなことを想像しながら曲を作った。彼(レコード会社の人間)によれば、彼女たちと僕たち(レコード会社)はファミリーみたいなもので、彼女たちはメンバー全員で一緒に(レコード会社のある)ビルにやってきて、絆が強い、みたいなことを言っていた。そこでそれを元に、曲を作ったんだ。そして、今ではナショナル・アンセム(国歌、賛歌)のようになった」
吉岡。リスナーから。「この厳しい時期に日本に来ていただいてありがとうございます。ここ、日本に来ると、この地で亡くなったバーナード・エドワーズのスピリットや魂を感じることはありますか」
ナイル。「もちろんだ。今回来日するにあたって、あらゆる友人たちが、(日本に)行くな、行くな、と言っていた。大変なことがたくさん起こってるぞ、と言っていた。テレビのニュースなどでも、地震のこと、津波のこと、放射能のことなど膨大なニュースが流れていた。そんなニュースを見ていると、まるで北海道がなくなってしまったのではないかと思わせられたほどだ(笑)。そこで日本の北部に住んでいる友人に連絡してみると、その友人は癌になった僕のことを心配してくれた。彼らは自分たちのことを心配しなければならないのに、僕のことを心配してくれてとても感激した。だけども、彼らも僕に日本に来て、いいスピリットといいファンクを見せて欲しいとも言った。僕はいつもこの時期に日本にやってくる。それはバーナードのためだ。今年は彼が亡くなってちょうど15周年になる。そんなときに、日本に来ないなんて僕にとってはありえない、ということだ。たとえ、バンドのメンバーが日本に来ることを恐れて誰も来なかったとしても、僕は一人で来て、ステージに立って、『ウィー・アー・ファミリー』(節をつけて)って歌っていったよ。ステージでも言ったことだけど、ニューオーリンズの葬儀では、最初はみな悲しんでいるけど、最後には、みんなパーティーになっている。そんな感じだな」
『エヴリバディ・ダンス』のアルバムの話を少し。マドンナやデイヴィッド・ボウイの事務所に連絡して、ぜひ、楽曲の使用を許諾してくれと頼んだ話など。「バーナードの15周年だから、ぜひお願いします」と頼んだとナイルは説明した。
(つづく)
+++++
◎ギター・コンテストと謝辞
【Guitar Contest & Shout Out】
感謝。
4月17日のライヴでは、ユーチューブで予選を通過したギター奏者たちの「ル・フリーク・ギター・コンテスト」が行われ、5人と昨年の優勝者が演奏を披露、タイラギ・ラギ・ヒロタカさんが優勝した。
この日のギター・コンテストのMCケイ・グラントさんが、ベイFMのDJ,
伊津野亮さん、JウェイヴのDJ、ジョン・カビラさんらを紹介した。
また、恒例フォト・セッションの後、ナイルはこんなことを言ってくれた。
「ちょっとシャウト・アウトしておきたいんだ。My boy, ソウル・サーチャーはどこかにいるかな。素晴らしいライターで、レギュラージョブの傍ら、彼は毎日僕のブログを日本語に翻訳してくれている。ニューヨークタイムの朝5時のブログをね。Thank you Masa, I appreciate that」
わざわざシャウト・アウトしてくれて、ありがとう、ナイル。Thank you for shout out, Nile.
■メンバー
ナイル・ロジャーズ(ギター、ヴォーカル)Nile Rodgers(g,vo)
キンバリー・デイヴィス-ジョーンズ(ヴォーカル)Kimberly Davis-Jones(vo)
フォラミ(ヴォーカル) Folami(vo)
ビル・ホロマン(サックス)Bill Holloman(sax)
スティーヴ・ヤンコウスキ(トランペット)Steve Jankowski(tp)
リッチ・ヒルトン(キーボード)Rich Hilton(key)
セラン・ラーナー(キーボード)Selan Lerner(key)
ジェリー・バーンズ(ベース)Jerry Barnes(b)
ラルフ・ロール(ドラムス)Ralph Rolle(ds) AKA David Bowie of Chic Organization
■セットリスト ブルーノート
Setlist : Nile Rodgers & Chic @Bluenote Tokyo, April 17,2011
show started 19:05
01. Hangin’
02. Everybody Dance
03. Dance, Dance, Dance (Yowsah, Yowsah, Yowsah)
04. Sukiyaki (Kim) ~ I Want Your Love (a riff of I Want To Take You Higher)
05. Medley: (5-8) I’m Coming Out (Folami)
06. Upside Down
07. He’s the Greatest Dancer
08. We Are Family
09. Soup For One ~ Lady ~ Soup For One
10. Like A Virgin (Folami)
11. Let’s Dance (Ralph Rolle on vocal)
12. Thinking Of You
>Guitar Contest
13. Chic Cheer
14. My Forbidden Lover ~ a riff of “Crazy In Love”(Beyonce)
15. Le Freak
>Photo Session
16. Goodtimes ~ Rapper’s Delight ~ Goodtimes
Enc. Hangin
show ended 20:50
(2011年4月17日日曜、ブルーノート東京、ナイル・ロジャーズ&シック・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Rodger, Nile & Chic Organization
2011-
【Nile Rodgers Talks On Soul Blends ; Chat With Same Cool People】
2度目。
来日中のナイル・ロジャーズが、2011年4月17日、『ソウル・ブレンズ』(インターFM、関東地区)http://radiko.jp/player/player.html#INT (日曜午後1時~3時)に、ゲストで登場してくれた。午後1時20分から約70分スタジオにどっしりと座り、いろいろな話をしてくれた。ナイルが同番組に登場したのは、2004年5月16日以来2度目。
ナイルがやってくるというので、彼におみやげを用意。ひとつは、「神風」と「必勝」というハチマキ、そしてもうひとつは「本日の主役」とタスキだ。これをかけて、ラジオにでてもらった。「必勝」は彼の癌闘病に勝つように、また、その癌を打ち破る「神風」が吹くように、という祈りをかけて。これは、Divine Wind(神の風)と「should win, must win」と説明した。
マーヴィンにも、「日本一の司会者」というタスキをプレゼントした。けっこう、マーヴィンにも受けていた。
さて、リスナーからの質問も含めいくつかのやりとりをご紹介しよう。当日、生放送では半分も訳しきれていなかったので、これで概要がおわかりになると思う。
マーヴィン。「簡単なバイオを紹介してください」
ナイル。「ハイスクールを出てすぐ、セサミ・ストリートのバンドをやって、それからアポロ・シアターでのハウスバンドをやった。セサミ・ストリートのプロデューサーの夫がアポロのマネージャーだったからだ。それから元パートナーのバーナード・エドワーズと一緒に、ニューヨーク・シティーというグループのバックバンドをやった。ちゃんとしたお金を貰えたのはこれが初めてだった。「アイム・ドゥーイン・ファイン・ナウ」というヒットが出た。このヒットが出たおかげで、世界中を旅することができた。その頃、いろいろなミュージシャン、アーティストに出会った。たとえば、ロクシー・ミュージック、彼らからは本当に大きなアイデアを得た。ジェフ・ベック、デイヴィッド・ボウイなどなど。まさに(自分の音楽)世界が広がったんだ。旅から戻って、僕たちはシックを結成したというわけだ」
ナイル。「レコード契約を取る前に1年ほどかかった。注目されたのは、『ダンス・ダンス・ダンス』なんだけど、最初に録音したのは『エヴリバディー・ダンス』だった。ここでやっているのは、みんな友人たちだ。当時『ヤング・アメリカンズ』でデイヴィッド・ボウイのコーラスをやっていたルーサー・ヴァンドロスなどだ。僕たちは、あらゆるプロの連中を集めて、お互い、なんとかそれぞれががんばって協力し助け合って、最初の契約やヒットを出そうとしていた。『ダンス・ダンス・ダンス』は、アメリカのダンス・チャートでナンバーワンになった。たぶん、ポップでもトップ5、トップR&Bにもなっただろう。それから、次に僕たちはシックのリード・シンガー、ノーマ・ジーン・ライトのレコードを作った。そのころアトランティック・レコードは、僕たちにローリング・ストーンズやベット・ミドラーをプロデュースさせようとした。だけど、その頃まだ一度もスーパースターと一緒に仕事をしたことがなかった。今までは、僕らの仲間内の作品だけを作ってきた。そこで、僕たちはそんなオファーの中からシスター・スレッジを選んだ。僕たちは説明した。僕らは誰でもプロデュースできる。だが、無名のアーティストを選びたい。ちょっとエゴステカルかもしれないけれど、僕たちのソングライターとしての能力はかなりあると思っていた。いい曲を書き、いいアイデアを生み出せる。シスター・スレッジのコンセプトは、僕たちが生み出したものだった。僕らは彼女たちにレコーディングの日まで会ったことがなかった。彼女たちの過去曲も聴いたことはなかった。彼女たちがスタジオに入ってきた瞬間もまだ、僕たちは『ウィ・アー・ファミリー』の歌詞を書いていたほどなんだ。(笑)」
マーヴィン。「今まで誰があなたに影響を与えたか」
ナイル。「今まで一緒に仕事をしてきたアーティストすべてだ。僕たちはとてもラッキーで、シック・キャンプ以外で初めててがけたスーパースターがダイアナ・ロスだった。ダイアナから、ボウイから、マドンナ、デュラン・デュラン。みんな僕にとってのインスピレーションだよ」
CMをはさんで、リスナーからの質問。
チーちゃん。「持っているギターの数は? ギター用の家をお持ちなんでしょう」
「イエス、ギター・ハウスがある。数は2-300かな。正確にはわからない。ときどき、誰かに上げたりしてしまうんだ。ときどき、あまりに多すぎてやになってしまうんだ。(笑) ギターはすべて素晴らしく、それは弾かれなければならないからだ。ときどきそのギター・ハウスに行って、何時間もギターを弾きまくったりするんだ。いくつかはチャリティーなんかに寄付したりする」
マーヴィン。「そういうギターには、たとえば、スーザンとかベティーと言った名前はあるんですか(笑)」
ナイル。「ははは。スーザンもベティーもいるけど(笑)、ある一本のギターに『ヒットメイカー』と名づけている。1973年に買ったもので、いくらで買ったかはわからない。実はキャッシュを払ってないんだよ。というのは、僕が当時持っていたジャズ・ギターとそれを交換したからなんだ。しかも、相手はギターのほかにさらに300ドルをつけてくれた。たぶん、そのジャズ・ギターは相当高価なものだったんだろうね。そうやって手に入れた『ヒットメイカー』は、そうだな、わからないけど、3ビリオン・ダラー(30億ドル=莫大な)の売り上げに結びついたことになる」
吉岡。「ダンス・ダンス・ダンス」の中で、「ヤワザ・ヤワザ・ヤワザ」という掛け声がありますが、これはどこからでてきたのですか」
http://www.youtube.com/embed/bQr_oCmQGuw
相当昔のナイルとバーナード。1977年ごろ。
ナイル。「1929年、大恐慌が起こったときに、お金を集めるためにチャリティーのダンス・マラソンが行われた。ダンサーたちは、何日も昼夜ぶっ通しで踊り続け、しまいには眠ってしまう。そんなダンス競争の最中にMC(司会者)が、地元のコマーシャルとして、『ヤウザ・ヤウザ・ヤウザ』ってやってたんだけど、それが眠りそうなダンサーたちを起こす掛け声にもなったんだ。(マーヴィンが真似る) そう、その通り。彼らがメガフォンを使って大きな声でやっていた。(ウェイク・アップ・ウェイク・アップ、起きろ、起きろ、といった意味にもなった) 基本的には、(会社の)CMみたいなものだよ」
(訳注、また、この「ヤウザ」はアメリカ・ブラックのスラングで、「イエス」の意味で使われるという。「イエス・イエス・イエス」という感じだ。1920年代にDJでジャズ・ヴィオリニストでラジオDJでもあったベン・ベニーが使い始めた言葉)
ナイル。「これを使うときもそうだったんだけど、みんなにシックのコンセプトを理解して欲しいと思った。僕たちのサウンドはモダンなダンス・ミュージックだけど、オールド・ファッションな部分も携えているんだ。この音楽はカウント・ベイシー、デューク・エリントンなど昔の巨匠たちの音楽をベースにしている。彼らは後にカウントとかデュークだけでみんなに知られるようになる。僕たちが生まれる前からのブラック・マスターたちへの僕たちからのトリビュートの意味合いがあるんだ。歌詞もそうしたところを反映してるよ」
「ウィ・アー・ファミリー」基金について。
http://www.youtube.com/embed/l8lEhb9Hotk
ナイル。「このウィ・アー・ファミリー基金は、2001年の911事件の後に始めた基金だ。あの日、貿易センタービルに突っ込んだ最初の飛行機に、なんと僕の友人が3人乗っていた。一人は以前僕の写真家だった女性で、(レコード会社の)ワーナーの重要な人物も2人乗っていた。それ以後、あの時期モスリム風の連中に冷たい視線が集まるようになった。実際僕もこうやってバンダナをしたりして、それ風に見えることだってあったからね。この基金を始めたのは、人々を癒すためだった。多くの人に言われたのが、『ウィ・アー・ファミリー』をリリースして、その売り上げを寄付したらどうだ、ということだった。そこで、この曲の幅を広げるべくいろいろやった。僕は『セサミ・ストリート』から自分のキャリアを始めていたので、子供たちにも参加して欲しいと思った。そこで、子供ヴァージョンを録音した。そのあたりから、この組織が回り始めたんだよ」
ナイル。「世界中の子供たちが参加してくれたり、スパイク・リーがすばらしいビデオを作ってくれたりしている。最初にこの『ウィ・アー・ファミリー』を作るときは、まだ彼女たち(シスター・スレッジ)には会ってなかった。レコード会社の人間と話をしたときのちょっとしたメモだけを頼りに彼女たちがどうあるべきか、そんなことを想像しながら曲を作った。彼(レコード会社の人間)によれば、彼女たちと僕たち(レコード会社)はファミリーみたいなもので、彼女たちはメンバー全員で一緒に(レコード会社のある)ビルにやってきて、絆が強い、みたいなことを言っていた。そこでそれを元に、曲を作ったんだ。そして、今ではナショナル・アンセム(国歌、賛歌)のようになった」
吉岡。リスナーから。「この厳しい時期に日本に来ていただいてありがとうございます。ここ、日本に来ると、この地で亡くなったバーナード・エドワーズのスピリットや魂を感じることはありますか」
ナイル。「もちろんだ。今回来日するにあたって、あらゆる友人たちが、(日本に)行くな、行くな、と言っていた。大変なことがたくさん起こってるぞ、と言っていた。テレビのニュースなどでも、地震のこと、津波のこと、放射能のことなど膨大なニュースが流れていた。そんなニュースを見ていると、まるで北海道がなくなってしまったのではないかと思わせられたほどだ(笑)。そこで日本の北部に住んでいる友人に連絡してみると、その友人は癌になった僕のことを心配してくれた。彼らは自分たちのことを心配しなければならないのに、僕のことを心配してくれてとても感激した。だけども、彼らも僕に日本に来て、いいスピリットといいファンクを見せて欲しいとも言った。僕はいつもこの時期に日本にやってくる。それはバーナードのためだ。今年は彼が亡くなってちょうど15周年になる。そんなときに、日本に来ないなんて僕にとってはありえない、ということだ。たとえ、バンドのメンバーが日本に来ることを恐れて誰も来なかったとしても、僕は一人で来て、ステージに立って、『ウィー・アー・ファミリー』(節をつけて)って歌っていったよ。ステージでも言ったことだけど、ニューオーリンズの葬儀では、最初はみな悲しんでいるけど、最後には、みんなパーティーになっている。そんな感じだな」
『エヴリバディ・ダンス』のアルバムの話を少し。マドンナやデイヴィッド・ボウイの事務所に連絡して、ぜひ、楽曲の使用を許諾してくれと頼んだ話など。「バーナードの15周年だから、ぜひお願いします」と頼んだとナイルは説明した。
(つづく)
+++++
◎ギター・コンテストと謝辞
【Guitar Contest & Shout Out】
感謝。
4月17日のライヴでは、ユーチューブで予選を通過したギター奏者たちの「ル・フリーク・ギター・コンテスト」が行われ、5人と昨年の優勝者が演奏を披露、タイラギ・ラギ・ヒロタカさんが優勝した。
この日のギター・コンテストのMCケイ・グラントさんが、ベイFMのDJ,
伊津野亮さん、JウェイヴのDJ、ジョン・カビラさんらを紹介した。
また、恒例フォト・セッションの後、ナイルはこんなことを言ってくれた。
「ちょっとシャウト・アウトしておきたいんだ。My boy, ソウル・サーチャーはどこかにいるかな。素晴らしいライターで、レギュラージョブの傍ら、彼は毎日僕のブログを日本語に翻訳してくれている。ニューヨークタイムの朝5時のブログをね。Thank you Masa, I appreciate that」
わざわざシャウト・アウトしてくれて、ありがとう、ナイル。Thank you for shout out, Nile.
■メンバー
ナイル・ロジャーズ(ギター、ヴォーカル)Nile Rodgers(g,vo)
キンバリー・デイヴィス-ジョーンズ(ヴォーカル)Kimberly Davis-Jones(vo)
フォラミ(ヴォーカル) Folami(vo)
ビル・ホロマン(サックス)Bill Holloman(sax)
スティーヴ・ヤンコウスキ(トランペット)Steve Jankowski(tp)
リッチ・ヒルトン(キーボード)Rich Hilton(key)
セラン・ラーナー(キーボード)Selan Lerner(key)
ジェリー・バーンズ(ベース)Jerry Barnes(b)
ラルフ・ロール(ドラムス)Ralph Rolle(ds) AKA David Bowie of Chic Organization
■セットリスト ブルーノート
Setlist : Nile Rodgers & Chic @Bluenote Tokyo, April 17,2011
show started 19:05
01. Hangin’
02. Everybody Dance
03. Dance, Dance, Dance (Yowsah, Yowsah, Yowsah)
04. Sukiyaki (Kim) ~ I Want Your Love (a riff of I Want To Take You Higher)
05. Medley: (5-8) I’m Coming Out (Folami)
06. Upside Down
07. He’s the Greatest Dancer
08. We Are Family
09. Soup For One ~ Lady ~ Soup For One
10. Like A Virgin (Folami)
11. Let’s Dance (Ralph Rolle on vocal)
12. Thinking Of You
>Guitar Contest
13. Chic Cheer
14. My Forbidden Lover ~ a riff of “Crazy In Love”(Beyonce)
15. Le Freak
>Photo Session
16. Goodtimes ~ Rapper’s Delight ~ Goodtimes
Enc. Hangin
show ended 20:50
(2011年4月17日日曜、ブルーノート東京、ナイル・ロジャーズ&シック・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Rodger, Nile & Chic Organization
2011-
1 2