★ ナイル・ロジャーズ『ソウル・ブレンズ』に登場 (パート2)
2011年4月20日 音楽★ナイル・ロジャーズ『ソウル・ブレンズ』に登場 (パート2)
【Nile Rodgers Talk On Soul Blends (Part 2)】
(昨日からの続き)
トーク。
来日中の「ナイル・ロジャーズ『ソウル・ブレンズ』で語る」(オンエア、4月17日日曜午後)のパート2。(1は前日のブログ参照)
『ソウル・ブレンズ』は2時間まるまるナイル、シックとナイル・プロデュース関連作品ばかりで選曲された。
オムニバス・アルバム『エヴリバディ・ダンス』の選曲はナイル自身で行い、いくつかの許諾を取るのが難しい楽曲は、自身でマドンナやデイヴィッド・ボウイに電話をした。
マーヴィンが、「ナイルが使いたいといえば、誰も『ノー』とは言えないでしょう」というと、ナイルは答えた。
ナイル。「それはやってみなければわかならい。You’ll never know. マドンナなんか、なかなか映画にも貸さないようだからね。でも今回は、バーナードの没後15周年ということで、頼み込んだ」。
そして、リスナー橋本さんからの質問。
「イタリアのグループ、チェンジのベース奏者、デイヴィッド・ロマーニがイタリアのレコーディング・スタジオにナイル・ロジャーズがやってきたことをとてもよく覚えていて、感激したそうです。このことを覚えていますか?」
ナイル。「チェンジは最初、僕とバーナードでプロデュースする予定だった。ただ、僕たちは『シック・サウンド』をむやみに(人に)あげてしまいたくなかった。誰かをプロデュースすることはまったく問題ないんだが、誰かのプロジェクトで僕たちのサウンド、つまりシック・サウンドをそのまま出すというのは、やりたくなかった。シスター・スレッジのプロジェクトは、シスター・スレッジのためだけに作ったサウンドで、それはシスター・スレッジ・サウンドだ。彼ら(チェンジのプロデューサー)は、シックの人脈を使ってシック・サウンドそのものを欲しがったというわけだ。(それを断ったのは)僕たちは自分たちの尊厳を持っていただけだよ。他のアーティストをプロデュースすること自体は全然問題なかったわけだからね。僕たちのシック・サウンドをそのまますべてあげてしまうというのは、ちょっとよくないと思ったんだ」
リスナーのトミーさんからの質問。
「闘病中の来日、とても感謝しています。今回の新曲『アイ・ウォナ・ダンス』はとても嬉しいのですが、何年も新譜を待ち続けているファンとしては、次の新録フル・アルバムを期待していますが、いかがでしょうか」
ナイル。「『アイ・ウォナ・ダンス』にはおもしろい話がある。僕の母方ミケンズ側のいとこ、スパイク・ミケンズはクール&ザ・ギャングのメンバーだった。クール&ザ・ギャングは、僕の叔父(アンクル=スパイク・ミケンズの父。父とナイルの母が兄弟)のリヴィング・ルームで結成されたんだ。だから子供の頃、僕はこのクール&ザ・ギャングに入りたいと思っていた。これこそが僕にとってのグループだと思えてならなかった。クールたちと僕らは昨年、一緒にツアーに出た。そこで、『今まで、何で一緒に何もやらなかったんだろう』という話になって、一緒にレコーディングすることにしたんだ。ところが、僕が昨年10月末に癌になってしまい、まったく(ギターを)プレイすることができなくなった。レコーディングは中断。手術が終わって、なんとかまたプレイできるようになって、クールがうちのスタジオにやってきてレコーディングをした。そして、このアルバムの締切の前日にマスターテープが完成したというわけだ。将来に関していえば、僕はキャッチアップしているところだ。(なんとか、現状に追いつこうとしている)実はここ7ヶ月、何にもやってないんだよ」
ナイル。「ブロードウェイ・ショー、ツアー、書籍の発売、ビデオ・ゲームの音楽の仕事なんかもたくさんある」
マーヴィン。そんなに忙しくて、どのようにバランスを取っているのですか
ナイル。「寝ないんだよ。(笑) だいたい2-3時間しか寝ないんだ」
マーヴィン。「さて、これから『アイ・ウォナ・ダンス』をかけますが、クールとシックは、もうとっくにコラボレートしててもおかしくないですよね。しかも、メンバーは親戚だ。なぜでしょう」
ナイル。「クールとシックには、ほかにも共通点がある。クールの初期のアルバムのエンジニアはボブ・クリアマウンテンという人物で、シックの最初のアルバムのエンジニアでもある。二つのグループは、本当に並行して活躍していた。だが、お互いそれぞれに忙しく、ツアー自体も一緒にしたことはなかった。また、クールたちは他の人、アーティストをプロデュースしない。で、クールたちは、いつもロード(ツアー)に出ている。僕らが「ウィ・アー・ファミリー」を作って以来、この曲は年間2百万ドル(1億6千万円)を稼ぐようになった。他にも、『アップサイド・ダウン』『ル・フリーク』『グッドタイムス』『ラッパーズ・デライト』があった。一緒にやる機会がなかっただけだ」
マーヴィン。「つまり、ナイル、あなたたちは音楽が好きで、やりたいようにできる。やらなければならなくて、それをやるわけではない、ということですよね。義務ではない。だから、日本の人々は、今、この時期に日本にやってくることに本当に敬意を表してるんです。本当にリスペクトしている」
ナイル。「僕には選択の余地はなかった。この地が好きだし、バーナードが僕に人生を与えてくれたんだ。He gave his life for meあのとき、医者はバーナードに『武道館のコンサートは、やるな。キャンセルすべきだ』と言っていた。だが、バーナードは『ありえない、やらないわけにはいかない』と言ってやってきたんだ」
そして、バーナード・エドワーズは、ライヴが終わった翌日、東京のホテルの部屋で息絶えていた。1996年4月18日の早朝だった。
(続く)
+++++
●次回来月にワンデイのライヴ、ナイル・ロジャーズ5月29日公演、
一日だけ。ナイル・ロジャーズ&シックのライヴが、5月29日(日)ブルーノートで決まった。彼らは当日、中国から来日、その日の夜に2ステージを行う。バンドメンバーは翌日帰る。
●WOWOWで収録
バーナードの命日、4月18日、東京公演最終日の模様を、有料衛星放送ワウワウ(WOWOW)が録画収録した。現在ワウワウでは、ナイルを追ったドキュメンタリーを制作中で、ドキュメンタリーとライヴをまとめて、放送する計画が進行中。4月18日は、ナイルの盟友、バーナード・エドワーズの命日。
●今日は大阪
ナイルご一行は、19日新幹線で大阪に移動。20日に大阪で日本最後のライヴを行う。
ナイル・ロジャース/シック公演
2011年4月20日(水)
前売:7,350円(税込)
開場:18:30開演:19:30
会場: 心斎橋クラブクアトロ(大阪府) [地図] [周辺の宿泊施設]
問合せ先:SMASH WEST : 06-6535-5569
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L295PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ARTIST>Rodgers, Nile
RADIO>Soul Blends
【Nile Rodgers Talk On Soul Blends (Part 2)】
(昨日からの続き)
トーク。
来日中の「ナイル・ロジャーズ『ソウル・ブレンズ』で語る」(オンエア、4月17日日曜午後)のパート2。(1は前日のブログ参照)
『ソウル・ブレンズ』は2時間まるまるナイル、シックとナイル・プロデュース関連作品ばかりで選曲された。
オムニバス・アルバム『エヴリバディ・ダンス』の選曲はナイル自身で行い、いくつかの許諾を取るのが難しい楽曲は、自身でマドンナやデイヴィッド・ボウイに電話をした。
マーヴィンが、「ナイルが使いたいといえば、誰も『ノー』とは言えないでしょう」というと、ナイルは答えた。
ナイル。「それはやってみなければわかならい。You’ll never know. マドンナなんか、なかなか映画にも貸さないようだからね。でも今回は、バーナードの没後15周年ということで、頼み込んだ」。
そして、リスナー橋本さんからの質問。
「イタリアのグループ、チェンジのベース奏者、デイヴィッド・ロマーニがイタリアのレコーディング・スタジオにナイル・ロジャーズがやってきたことをとてもよく覚えていて、感激したそうです。このことを覚えていますか?」
ナイル。「チェンジは最初、僕とバーナードでプロデュースする予定だった。ただ、僕たちは『シック・サウンド』をむやみに(人に)あげてしまいたくなかった。誰かをプロデュースすることはまったく問題ないんだが、誰かのプロジェクトで僕たちのサウンド、つまりシック・サウンドをそのまま出すというのは、やりたくなかった。シスター・スレッジのプロジェクトは、シスター・スレッジのためだけに作ったサウンドで、それはシスター・スレッジ・サウンドだ。彼ら(チェンジのプロデューサー)は、シックの人脈を使ってシック・サウンドそのものを欲しがったというわけだ。(それを断ったのは)僕たちは自分たちの尊厳を持っていただけだよ。他のアーティストをプロデュースすること自体は全然問題なかったわけだからね。僕たちのシック・サウンドをそのまますべてあげてしまうというのは、ちょっとよくないと思ったんだ」
リスナーのトミーさんからの質問。
「闘病中の来日、とても感謝しています。今回の新曲『アイ・ウォナ・ダンス』はとても嬉しいのですが、何年も新譜を待ち続けているファンとしては、次の新録フル・アルバムを期待していますが、いかがでしょうか」
ナイル。「『アイ・ウォナ・ダンス』にはおもしろい話がある。僕の母方ミケンズ側のいとこ、スパイク・ミケンズはクール&ザ・ギャングのメンバーだった。クール&ザ・ギャングは、僕の叔父(アンクル=スパイク・ミケンズの父。父とナイルの母が兄弟)のリヴィング・ルームで結成されたんだ。だから子供の頃、僕はこのクール&ザ・ギャングに入りたいと思っていた。これこそが僕にとってのグループだと思えてならなかった。クールたちと僕らは昨年、一緒にツアーに出た。そこで、『今まで、何で一緒に何もやらなかったんだろう』という話になって、一緒にレコーディングすることにしたんだ。ところが、僕が昨年10月末に癌になってしまい、まったく(ギターを)プレイすることができなくなった。レコーディングは中断。手術が終わって、なんとかまたプレイできるようになって、クールがうちのスタジオにやってきてレコーディングをした。そして、このアルバムの締切の前日にマスターテープが完成したというわけだ。将来に関していえば、僕はキャッチアップしているところだ。(なんとか、現状に追いつこうとしている)実はここ7ヶ月、何にもやってないんだよ」
ナイル。「ブロードウェイ・ショー、ツアー、書籍の発売、ビデオ・ゲームの音楽の仕事なんかもたくさんある」
マーヴィン。そんなに忙しくて、どのようにバランスを取っているのですか
ナイル。「寝ないんだよ。(笑) だいたい2-3時間しか寝ないんだ」
マーヴィン。「さて、これから『アイ・ウォナ・ダンス』をかけますが、クールとシックは、もうとっくにコラボレートしててもおかしくないですよね。しかも、メンバーは親戚だ。なぜでしょう」
ナイル。「クールとシックには、ほかにも共通点がある。クールの初期のアルバムのエンジニアはボブ・クリアマウンテンという人物で、シックの最初のアルバムのエンジニアでもある。二つのグループは、本当に並行して活躍していた。だが、お互いそれぞれに忙しく、ツアー自体も一緒にしたことはなかった。また、クールたちは他の人、アーティストをプロデュースしない。で、クールたちは、いつもロード(ツアー)に出ている。僕らが「ウィ・アー・ファミリー」を作って以来、この曲は年間2百万ドル(1億6千万円)を稼ぐようになった。他にも、『アップサイド・ダウン』『ル・フリーク』『グッドタイムス』『ラッパーズ・デライト』があった。一緒にやる機会がなかっただけだ」
マーヴィン。「つまり、ナイル、あなたたちは音楽が好きで、やりたいようにできる。やらなければならなくて、それをやるわけではない、ということですよね。義務ではない。だから、日本の人々は、今、この時期に日本にやってくることに本当に敬意を表してるんです。本当にリスペクトしている」
ナイル。「僕には選択の余地はなかった。この地が好きだし、バーナードが僕に人生を与えてくれたんだ。He gave his life for meあのとき、医者はバーナードに『武道館のコンサートは、やるな。キャンセルすべきだ』と言っていた。だが、バーナードは『ありえない、やらないわけにはいかない』と言ってやってきたんだ」
そして、バーナード・エドワーズは、ライヴが終わった翌日、東京のホテルの部屋で息絶えていた。1996年4月18日の早朝だった。
(続く)
+++++
●次回来月にワンデイのライヴ、ナイル・ロジャーズ5月29日公演、
一日だけ。ナイル・ロジャーズ&シックのライヴが、5月29日(日)ブルーノートで決まった。彼らは当日、中国から来日、その日の夜に2ステージを行う。バンドメンバーは翌日帰る。
●WOWOWで収録
バーナードの命日、4月18日、東京公演最終日の模様を、有料衛星放送ワウワウ(WOWOW)が録画収録した。現在ワウワウでは、ナイルを追ったドキュメンタリーを制作中で、ドキュメンタリーとライヴをまとめて、放送する計画が進行中。4月18日は、ナイルの盟友、バーナード・エドワーズの命日。
●今日は大阪
ナイルご一行は、19日新幹線で大阪に移動。20日に大阪で日本最後のライヴを行う。
ナイル・ロジャース/シック公演
2011年4月20日(水)
前売:7,350円(税込)
開場:18:30開演:19:30
会場: 心斎橋クラブクアトロ(大阪府) [地図] [周辺の宿泊施設]
問合せ先:SMASH WEST : 06-6535-5569
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L295PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ARTIST>Rodgers, Nile
RADIO>Soul Blends
★△『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
2011年4月20日 音楽★△『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
第93回(2011年4月20日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
闘病記。
2011年1月に癌手術を行ったナイル・ロジャーズ。彼が以来毎日その癌闘病記を書いています。題して「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて(癌惑星を歩いて)」。ソウル・サーチン・ブログでは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。1回目以降、全エントリーが次のファイルにあります。
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html
原文の更新は20日日本時間午後5時50分。
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第93回 ホテルにて
#93 In The Hotel
Written on Tuesday, 19 April 2011 15:44 by Nile Rodgers (New York Time)
(Japan Standard Time, 20 April 2011 04:44)(uploaded 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/320-walking-on-planet-c-in-the-hotel#disqus_thread
起きたときベッドでどんな顔をしているか
日本での最後のショーの朝、起きたときベッドでどんな顔をしているか自分で見てみたいと思った。目覚ましが鳴る時刻にあわせてカメラをセッティングし、自分を撮影してみた。読者のあなたはこの顔を見てどう思われるだろうか?(年老いた見苦しい男へのジョークは最小限にとどめておいてほしい)
今日、大阪は寒かった。そこでいつもの治療のためのウォーキングはホテル内で行った。
日本に来て以来、「癌惑星を歩いている」多くの仲間と会った。(癌に侵されて人生を送っている人たちだ) いつ死神(ミスター・デス)とラストダンスを踊るのかなど、誰にもわからないものだ。だが、癌の犠牲者は、人生に対する考え方を変えた人々だ。僕たち患者は、様々な方法で癌と闘う。しかし、「癌特有のクレイジーな思い、考え方」は、みな共通だ。
僕はとりあえず癌消滅と言われているが、ブログには書ききれないほどの無数の術後症状に悩まされている。その症状が重くなくても、少し具合が悪くなったりするだけで、いつでもその「癌特有のクレイジーな思い」が頭をよぎってしまう。
エクソサイズに向かうために部屋を出るとき、僕は「スキヤキ(上を向いて歩こう)」を歌った。僕たちは、この曲を日本の震災犠牲者のために捧げて毎晩歌っている。
左・「スキヤキ」、右・被災地で活躍する人々
僕は世界中のあらゆる分野の素晴らしいアーティストを知っている。
エクソサイズをしていると、新しい友人平野綾がテレビに出ているのを見た。彼女はすばらしい声優で歌手だ。誰かが、最近彼女に対して辛らつな批判と脅しがあったと教えてくれた。多くの人が手を取りあって、日本を強い国に復興しようとしているときに、そういう話を聞くと悲しくなる。
左・平野綾と僕、右・ドナルド・トランプとクリスティーナ・オクセンバーグとイタリアでディナー
1979年、同じようなことが僕の身にも起きた。脅しと辛らつな批判がいわゆる「ディスコはもう終わったDisco Sucks」ムーヴメント(訳注1)の中で、シックの存在を抹殺した。
ショービジネスの世界にひとたび足を踏み入れると、アーティストの人生は批判にさらされることになる。アーティストは、自分たちが人々の気持ちをよくしているという良いニュースを聞きたがるものだが、一方でファンには、悪いと思ったらそのことを言う権利もある。
たぶん、僕は綾の状況を完全には理解していないと思うが、しかし、アーティストというものは、いつも人々をエンタテインしようとするものだ。そして、僕たち(アーティスト)の家族的な生活は相当犠牲を強いられている。この仕事ゆえに、僕たちはほとんどの人生をホテルの中で過ごしているのだ。
(訳注1)「ディスコ・サックス・ムーヴメント」。レコード業界が、1978年、映画『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』の大ヒットが終わると、それがひとつのピークになったかのように、それまでのディスコ大ブームに飽きて、急に「ディスコは古い、ディスコは終わった」といった風潮になった。その結果、ディスコ・ヒットを放っていたアーティストに対していきなり逆風が吹き、レコードが売れなくなってしまった、そのような動き全般を「ディスコ・サックス・ムーヴメント」(直訳的には、ディスコ、くそくらえ)と呼ぶ。1979年後半からその動きが顕著化した。シックは、当時ディスコ・アーティストとして捉えられていたために、その逆風をもろに受けて、レコードが売れなくなった。
左・ホテル・ライフ、右・デイヴィッド・ボウイ
左・エリック・ベネイと、右・エリック・クラプトン
左・マーク・ロンソンとQティップスのRZA、右・スラッシュと
左・左からトミー・フィルフィガー、トニー・ベネット、僕、右・「ディスコは終わった」ムーヴメント
Walking on Planet C>93>In The Hotel
第93回(2011年4月20日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
闘病記。
2011年1月に癌手術を行ったナイル・ロジャーズ。彼が以来毎日その癌闘病記を書いています。題して「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて(癌惑星を歩いて)」。ソウル・サーチン・ブログでは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。1回目以降、全エントリーが次のファイルにあります。
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html
原文の更新は20日日本時間午後5時50分。
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第93回 ホテルにて
#93 In The Hotel
Written on Tuesday, 19 April 2011 15:44 by Nile Rodgers (New York Time)
(Japan Standard Time, 20 April 2011 04:44)(uploaded 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/320-walking-on-planet-c-in-the-hotel#disqus_thread
起きたときベッドでどんな顔をしているか
日本での最後のショーの朝、起きたときベッドでどんな顔をしているか自分で見てみたいと思った。目覚ましが鳴る時刻にあわせてカメラをセッティングし、自分を撮影してみた。読者のあなたはこの顔を見てどう思われるだろうか?(年老いた見苦しい男へのジョークは最小限にとどめておいてほしい)
今日、大阪は寒かった。そこでいつもの治療のためのウォーキングはホテル内で行った。
日本に来て以来、「癌惑星を歩いている」多くの仲間と会った。(癌に侵されて人生を送っている人たちだ) いつ死神(ミスター・デス)とラストダンスを踊るのかなど、誰にもわからないものだ。だが、癌の犠牲者は、人生に対する考え方を変えた人々だ。僕たち患者は、様々な方法で癌と闘う。しかし、「癌特有のクレイジーな思い、考え方」は、みな共通だ。
僕はとりあえず癌消滅と言われているが、ブログには書ききれないほどの無数の術後症状に悩まされている。その症状が重くなくても、少し具合が悪くなったりするだけで、いつでもその「癌特有のクレイジーな思い」が頭をよぎってしまう。
エクソサイズに向かうために部屋を出るとき、僕は「スキヤキ(上を向いて歩こう)」を歌った。僕たちは、この曲を日本の震災犠牲者のために捧げて毎晩歌っている。
左・「スキヤキ」、右・被災地で活躍する人々
僕は世界中のあらゆる分野の素晴らしいアーティストを知っている。
エクソサイズをしていると、新しい友人平野綾がテレビに出ているのを見た。彼女はすばらしい声優で歌手だ。誰かが、最近彼女に対して辛らつな批判と脅しがあったと教えてくれた。多くの人が手を取りあって、日本を強い国に復興しようとしているときに、そういう話を聞くと悲しくなる。
左・平野綾と僕、右・ドナルド・トランプとクリスティーナ・オクセンバーグとイタリアでディナー
1979年、同じようなことが僕の身にも起きた。脅しと辛らつな批判がいわゆる「ディスコはもう終わったDisco Sucks」ムーヴメント(訳注1)の中で、シックの存在を抹殺した。
ショービジネスの世界にひとたび足を踏み入れると、アーティストの人生は批判にさらされることになる。アーティストは、自分たちが人々の気持ちをよくしているという良いニュースを聞きたがるものだが、一方でファンには、悪いと思ったらそのことを言う権利もある。
たぶん、僕は綾の状況を完全には理解していないと思うが、しかし、アーティストというものは、いつも人々をエンタテインしようとするものだ。そして、僕たち(アーティスト)の家族的な生活は相当犠牲を強いられている。この仕事ゆえに、僕たちはほとんどの人生をホテルの中で過ごしているのだ。
(訳注1)「ディスコ・サックス・ムーヴメント」。レコード業界が、1978年、映画『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』の大ヒットが終わると、それがひとつのピークになったかのように、それまでのディスコ大ブームに飽きて、急に「ディスコは古い、ディスコは終わった」といった風潮になった。その結果、ディスコ・ヒットを放っていたアーティストに対していきなり逆風が吹き、レコードが売れなくなってしまった、そのような動き全般を「ディスコ・サックス・ムーヴメント」(直訳的には、ディスコ、くそくらえ)と呼ぶ。1979年後半からその動きが顕著化した。シックは、当時ディスコ・アーティストとして捉えられていたために、その逆風をもろに受けて、レコードが売れなくなった。
左・ホテル・ライフ、右・デイヴィッド・ボウイ
左・エリック・ベネイと、右・エリック・クラプトン
左・マーク・ロンソンとQティップスのRZA、右・スラッシュと
左・左からトミー・フィルフィガー、トニー・ベネット、僕、右・「ディスコは終わった」ムーヴメント
Walking on Planet C>93>In The Hotel
●カルヴィン・ヤングブラッド、56歳で死去
2011年4月20日 音楽●カルヴィン・ヤングブラッド、56歳で死去
【Calvin Youngblood Dies At 56】
訃報。
日本の横浜を本拠に活躍していたソウル・シンガー、カルヴィン・ヤングブラッドが2011年4月18日(月)午前6時18分、横浜市内の病院で癌のために死去した。56歳だった。半年ほど前から闘病していた。昨年12月末に目黒のブルース・アレイで行われたブレンダ・ヴォーンのライヴでは、飛び入りで参加。元気そうな姿を見せていた。
癌発覚後から親友のデイヴィッド・キングらがかなり付っきりで看病をしていた。
カルヴィンは、1954年8月5日アメリカ生まれ。幼少の頃からゴスペルを歌いながら、プロのシンガーとなり、来日後、日本人の奥さんと16年ほど結婚し、長く日本に住んでいた。2009年には、ゲイリー・アドキンス、デイヴィッド・キングらと4人組のソウル・ヴォーカル・グループ「タッチ・オブ・エレガンス」を結成。同年6月に目黒のブルース・アレイでライヴを行った。
2009年06月30日(火)
「タッチ・オブ・エレガンス」~往年のソウル・ショーを現代に蘇らせる
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090630.html
その後、メンバーを変更し、クラッシー・ジェントルメンとして、2010年2月、再度ブルース・アレイでライヴを行った。
カルヴィンは野太いソウルフルな声が大きな魅力で、テディー・ペンダグラス系の作品を実に味わい深く歌っていた。また、ここでは、ルイ・アームストロングで有名な「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」をルイそっくりに歌い、観客の喝采を集めていた。
2010年02月26日(金)
クラッシーなソウル・グループが東京に蘇る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10468195889.html
Calvin Youngblood : What A Wonderful World. 2/25/2010 @ Blues Alley Meguro
クラッシー・ジェントルメン(編集)向かって右から2人目がカルヴィン
Calvin Youngblood : Please, Please, Please 2010/10 At Blue Alley
Calvin Tribute
最後に顔を見せたのは、2010年12月のブレンダ・ヴォーンのライヴ。ここでは、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの「ミッドナイト・トレイン・トゥ・ジョージア」をブレンダが歌い、そのコーラスを観客席から3人の男性を選んで、やってもらうというのが恒例になっている。最初日本人の男性3人がやったが、続いて、ゲイリー、デイヴィッド、そして、カルヴィンがピップスとしてステージに上がった。このときは、かなり元気そうだった。
Destiny solid ground with Dennis Bradford featuring Calvin Youngblood
http://soundcloud.com/brenda-vaughn/destiny-solid-ground-with?utm_source=soundcloud&utm_campaign=share&utm_medium=facebook&utm_content=http%3A%2F%2Fsoundcloud.com%2Fbrenda-vaughn%2Fdestiny-solid-ground-with
僕が彼に最後に会ったのは、この12月末のブレンダのライヴ。息子さんも来ていて一緒に写真を撮った。普通にステージで歌っていたので、元気そうに見えた。
カルヴィンの葬儀は下記の通り、今週金曜(2011年4月22日)、午前11時30分から横浜のメモワル・ホール・吉野町で行われる。
Memorial service for Calvin Youngblood Friday April 22, 2011 11:30 am at Memowaru Hall 045-251-5631 Yoshinocho station Yokohama subway line.
If you have any questions contact Yuki Sudo, David King, Takako King, or Gary Adkins
ご冥福をお祈りします。
OBITUARY>Youngblood, Calvin (August 5, 1954 – April 18, 2011, 56 year old)
【Calvin Youngblood Dies At 56】
訃報。
日本の横浜を本拠に活躍していたソウル・シンガー、カルヴィン・ヤングブラッドが2011年4月18日(月)午前6時18分、横浜市内の病院で癌のために死去した。56歳だった。半年ほど前から闘病していた。昨年12月末に目黒のブルース・アレイで行われたブレンダ・ヴォーンのライヴでは、飛び入りで参加。元気そうな姿を見せていた。
癌発覚後から親友のデイヴィッド・キングらがかなり付っきりで看病をしていた。
カルヴィンは、1954年8月5日アメリカ生まれ。幼少の頃からゴスペルを歌いながら、プロのシンガーとなり、来日後、日本人の奥さんと16年ほど結婚し、長く日本に住んでいた。2009年には、ゲイリー・アドキンス、デイヴィッド・キングらと4人組のソウル・ヴォーカル・グループ「タッチ・オブ・エレガンス」を結成。同年6月に目黒のブルース・アレイでライヴを行った。
2009年06月30日(火)
「タッチ・オブ・エレガンス」~往年のソウル・ショーを現代に蘇らせる
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090630.html
その後、メンバーを変更し、クラッシー・ジェントルメンとして、2010年2月、再度ブルース・アレイでライヴを行った。
カルヴィンは野太いソウルフルな声が大きな魅力で、テディー・ペンダグラス系の作品を実に味わい深く歌っていた。また、ここでは、ルイ・アームストロングで有名な「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」をルイそっくりに歌い、観客の喝采を集めていた。
2010年02月26日(金)
クラッシーなソウル・グループが東京に蘇る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10468195889.html
Calvin Youngblood : What A Wonderful World. 2/25/2010 @ Blues Alley Meguro
クラッシー・ジェントルメン(編集)向かって右から2人目がカルヴィン
Calvin Youngblood : Please, Please, Please 2010/10 At Blue Alley
Calvin Tribute
最後に顔を見せたのは、2010年12月のブレンダ・ヴォーンのライヴ。ここでは、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの「ミッドナイト・トレイン・トゥ・ジョージア」をブレンダが歌い、そのコーラスを観客席から3人の男性を選んで、やってもらうというのが恒例になっている。最初日本人の男性3人がやったが、続いて、ゲイリー、デイヴィッド、そして、カルヴィンがピップスとしてステージに上がった。このときは、かなり元気そうだった。
Destiny solid ground with Dennis Bradford featuring Calvin Youngblood
http://soundcloud.com/brenda-vaughn/destiny-solid-ground-with?utm_source=soundcloud&utm_campaign=share&utm_medium=facebook&utm_content=http%3A%2F%2Fsoundcloud.com%2Fbrenda-vaughn%2Fdestiny-solid-ground-with
僕が彼に最後に会ったのは、この12月末のブレンダのライヴ。息子さんも来ていて一緒に写真を撮った。普通にステージで歌っていたので、元気そうに見えた。
カルヴィンの葬儀は下記の通り、今週金曜(2011年4月22日)、午前11時30分から横浜のメモワル・ホール・吉野町で行われる。
Memorial service for Calvin Youngblood Friday April 22, 2011 11:30 am at Memowaru Hall 045-251-5631 Yoshinocho station Yokohama subway line.
If you have any questions contact Yuki Sudo, David King, Takako King, or Gary Adkins
ご冥福をお祈りします。
OBITUARY>Youngblood, Calvin (August 5, 1954 – April 18, 2011, 56 year old)