▲【「私もこの列車でふるさとを後にしました。さようなら」~武田アナ、名コメントで締める】
ひとこと。
何気なく昨日(2009年3月13日金曜)、NHK夜7時のニュース番組『ニュース7』をつけていたら、番組の最後で、今日で最後になったJRのブルートレインの話題を流していた。東京駅から出発する最終のブルートレインを上から撮った映像に、武田アナがこう締めたのだ。
「私もこの列車でふるさとを後にしました。さようなら」
思わずPCの手を休めて、テレビの画面に見入りましたよ。すばらしいなあ。僕は日本のニュース番組司会者が、ニュースにいちいちコメントするのが大嫌いなのだが、こういうのはとてもいい。アメリカのニュース・ショーでは基本、自分の意見は言わない。事実をありのまま伝える。NHKも基本的にそうだ。
CBSで長い間夜のニュースを担当していた名キャスター、ウォルター・クロンカイトはまず自身の意見など言わなかったが、一度だけヴェトナム戦争に対して反対の意見を述べた。それが大変な影響を与えたという。ニュースは、編集の仕方で十分意見を出しているのだ。複雑なニュースにわかりやすい解説をつけるのはともかく、安っぽいコメントなど押し付けがましい。ニュース司会者が意見を言うなんて10年に一度でいい。
古舘伊知郎は局アナ時代から基本的には好きなアナだったが、『ニュース・ステーション』の古館はよろしくない。なんであんなどうでもいいようなコメントを全部のニュースにつけるのだろうか。そういうことを言わないと視聴者が理解できないものだと、バカにしているとしか思えない。視聴者に考えさせる『スペース』を与えて欲しいところだ。
そんな中で、普段自分のコメントをしない武田(たけた、が正しいそうです)アナが放った一言コメントは強烈だった。そうかあ、ひょっとして、九州出身なのかなと思い、ウィッキペディアで調べると、じゃ~~ん、なんと熊本出身。さらっと見ると、なんと、もうこのコメントのことが書かれているではないか。おそるべきウィッキ。(笑)
コメントなんてまさにLess is more(より言わないほうが、多くを語る)。
武田氏の名コメント、歴史に残ります。↓YouTubeにありました。
http://www.youtube.com/watch?v=6NMbadImMy0&eurl=http://blog.soulsearchin.com/&feature=player_embedded
ENT>TV>NEWS
ひとこと。
何気なく昨日(2009年3月13日金曜)、NHK夜7時のニュース番組『ニュース7』をつけていたら、番組の最後で、今日で最後になったJRのブルートレインの話題を流していた。東京駅から出発する最終のブルートレインを上から撮った映像に、武田アナがこう締めたのだ。
「私もこの列車でふるさとを後にしました。さようなら」
思わずPCの手を休めて、テレビの画面に見入りましたよ。すばらしいなあ。僕は日本のニュース番組司会者が、ニュースにいちいちコメントするのが大嫌いなのだが、こういうのはとてもいい。アメリカのニュース・ショーでは基本、自分の意見は言わない。事実をありのまま伝える。NHKも基本的にそうだ。
CBSで長い間夜のニュースを担当していた名キャスター、ウォルター・クロンカイトはまず自身の意見など言わなかったが、一度だけヴェトナム戦争に対して反対の意見を述べた。それが大変な影響を与えたという。ニュースは、編集の仕方で十分意見を出しているのだ。複雑なニュースにわかりやすい解説をつけるのはともかく、安っぽいコメントなど押し付けがましい。ニュース司会者が意見を言うなんて10年に一度でいい。
古舘伊知郎は局アナ時代から基本的には好きなアナだったが、『ニュース・ステーション』の古館はよろしくない。なんであんなどうでもいいようなコメントを全部のニュースにつけるのだろうか。そういうことを言わないと視聴者が理解できないものだと、バカにしているとしか思えない。視聴者に考えさせる『スペース』を与えて欲しいところだ。
そんな中で、普段自分のコメントをしない武田(たけた、が正しいそうです)アナが放った一言コメントは強烈だった。そうかあ、ひょっとして、九州出身なのかなと思い、ウィッキペディアで調べると、じゃ~~ん、なんと熊本出身。さらっと見ると、なんと、もうこのコメントのことが書かれているではないか。おそるべきウィッキ。(笑)
コメントなんてまさにLess is more(より言わないほうが、多くを語る)。
武田氏の名コメント、歴史に残ります。↓YouTubeにありました。
http://www.youtube.com/watch?v=6NMbadImMy0&eurl=http://blog.soulsearchin.com/&feature=player_embedded
ENT>TV>NEWS
■【マイケル・ジャクソン・ロンドン公演50本に】
100万人。
マイケル・ジャクソンの2009年7月8日からロンドン・O2アリーナ(オー・ツー・アリーナ)で行われる公演のチケットがプリセールで発売され、同時に当初の10本以外の日程が発表された。それによると、来年2月まで45本、最終的には50本になるという。マイケル・ジャクソン・ライヴ・ドット・コムによれば、一般発売のプリセールで18時間で36万枚のチケットが売れたという。1時間あたり2万枚、1分間で33枚という計算だ。一般発売は、ロンドン時間2009年3月13日午前7時(日本時間3月13日午後4時)。
一般チケットは、50ポンド(約7000円)から70ポンド(9800円)、「スリラー・パッケージ」というプレミアム・フロア・チケット(いわゆるアリーナ席のステージに近い席と、ショーの前後にパーティーなどが付くもの)が、770~795ポンド(約11万2000円=いずれも1ポンド140円で概算)。
日程を見ると、基本的にはすべて1日おき。1日やって、1日休む、というもの。また、チケットにはいくつかパッケージもあり、ウェルカム・シャンパーンやアフター・パーティーあるいは、ホテル宿泊がついたものまである。50本のライヴがすべて行われると100万人動員ということになる。
■マイケル・ジャクソン・ライヴ・オフィシャル(英語)
http://www.michaeljacksonlive.com/
■マイケル・ジャクソン『ディス・イズ・イット・ツアー』
Michael Jackson Live At London O2 Arena : This Is It Tour
July 8th to February 12, 2010
01. Wed., 8 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
02. Fri., 10 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
03. Sun., 12 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
04. Tue., 14 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
05. Thu., 16 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
06. Sat., 18 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
07.Wed., 22 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
08. Fri., 24 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
09. Sun., 26 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
10. Tue., 28 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
11. Thu., 30 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
12. Sat., 1 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
13. Mon., 3 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
14. Mon., 10 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
15. Wed., 12 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
16. Mon., 17 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
17. Wed., 19 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
18. Mon., 24 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
19. Wed., 26 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
20. Fri., 28 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
21. Sun., 30 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
22. Tue., 1 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
23. Thu., 3 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
24. Sun., 6 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
25. Tue., 8 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
26. Thu., 10 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
27. Mon., 21 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
28. Wed., 23 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
29. Sun., 27 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
30. Tue., 29 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
31. Thu., 7 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
32. Sat., 9 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
33. Tue., 12 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
34. Thu., 14 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
35. Sat., 16 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
36. Mon., 18 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
37. Sat., 23 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
38. Mon., 25 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
39. Wed., 27 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
40. Fri., 29 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
41. Mon., 1 February 2010 London, United Kingdom O2 Arena
42. Mon., 3 February 2010 London, United Kingdom O2 Arena
43. Mon., 8 February 2010 London, United Kingdom O2 Arena
44. Wed., 10 February 2010 London, United Kingdom O2 Arena
45. Fri., 12 February 2010 London, United Kingdom O2 Arena
ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Jackson, Michael
100万人。
マイケル・ジャクソンの2009年7月8日からロンドン・O2アリーナ(オー・ツー・アリーナ)で行われる公演のチケットがプリセールで発売され、同時に当初の10本以外の日程が発表された。それによると、来年2月まで45本、最終的には50本になるという。マイケル・ジャクソン・ライヴ・ドット・コムによれば、一般発売のプリセールで18時間で36万枚のチケットが売れたという。1時間あたり2万枚、1分間で33枚という計算だ。一般発売は、ロンドン時間2009年3月13日午前7時(日本時間3月13日午後4時)。
一般チケットは、50ポンド(約7000円)から70ポンド(9800円)、「スリラー・パッケージ」というプレミアム・フロア・チケット(いわゆるアリーナ席のステージに近い席と、ショーの前後にパーティーなどが付くもの)が、770~795ポンド(約11万2000円=いずれも1ポンド140円で概算)。
日程を見ると、基本的にはすべて1日おき。1日やって、1日休む、というもの。また、チケットにはいくつかパッケージもあり、ウェルカム・シャンパーンやアフター・パーティーあるいは、ホテル宿泊がついたものまである。50本のライヴがすべて行われると100万人動員ということになる。
■マイケル・ジャクソン・ライヴ・オフィシャル(英語)
http://www.michaeljacksonlive.com/
■マイケル・ジャクソン『ディス・イズ・イット・ツアー』
Michael Jackson Live At London O2 Arena : This Is It Tour
July 8th to February 12, 2010
01. Wed., 8 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
02. Fri., 10 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
03. Sun., 12 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
04. Tue., 14 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
05. Thu., 16 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
06. Sat., 18 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
07.Wed., 22 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
08. Fri., 24 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
09. Sun., 26 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
10. Tue., 28 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
11. Thu., 30 July 2009 London, United Kingdom O2 Arena
12. Sat., 1 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
13. Mon., 3 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
14. Mon., 10 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
15. Wed., 12 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
16. Mon., 17 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
17. Wed., 19 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
18. Mon., 24 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
19. Wed., 26 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
20. Fri., 28 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
21. Sun., 30 August 2009 London, United Kingdom O2 Arena
22. Tue., 1 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
23. Thu., 3 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
24. Sun., 6 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
25. Tue., 8 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
26. Thu., 10 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
27. Mon., 21 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
28. Wed., 23 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
29. Sun., 27 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
30. Tue., 29 September 2009 London, United Kingdom O2 Arena
31. Thu., 7 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
32. Sat., 9 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
33. Tue., 12 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
34. Thu., 14 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
35. Sat., 16 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
36. Mon., 18 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
37. Sat., 23 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
38. Mon., 25 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
39. Wed., 27 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
40. Fri., 29 January 2010 London, United Kingdom O2 Arena
41. Mon., 1 February 2010 London, United Kingdom O2 Arena
42. Mon., 3 February 2010 London, United Kingdom O2 Arena
43. Mon., 8 February 2010 London, United Kingdom O2 Arena
44. Wed., 10 February 2010 London, United Kingdom O2 Arena
45. Fri., 12 February 2010 London, United Kingdom O2 Arena
ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Jackson, Michael
●【ワッツ・アップ、ヴィルタス周年パーティー】
周年。
六本木のソウル・バー、ワッツ・アップとヴィルタスが近く周年パーティーを行う。
ワッツ・アップは、15周年で2009年4月12日(日)に銀座ケントスでリアル・ブラッドを向かえ、さらに、翌日13日(月)に六本木ナヴァーナでブラザー・トムを向かえ、2日連続でイヴェントを行う。リアル・ブラッドはワッツ・アップの7周年、8周年、10周年イヴェントに出演したが再度登場。今回初日はリアル・ブラッド全員で、2日目はブラザー・トムのソロとピアノの2人ステージ。
ヴィルタスは11周年記念パーティー。2009年3月25日(水)六本木ヴィルタスで。
詳細は次の通り。
『ワッツ・アップ15周年パーティー』
日時:2009年4月12日(日)19時~26時
会場:銀座ケントス 中央区銀座8-2-1 9F 電話03-3572-9161
出演:ライヴ: リアル・ブラッド DJ: 川畑、アトム、キヨミ、オサ
ライヴ:ファースト21時~、セカンド22時半~ 入れ替えなし
料金:前売り座席指定5500円 立ち見5000円 当日6000円(いずれも1ドリンク付き)
2009年4月13日(月)19時~25時
会場:六本木ナヴァーナ 港区六本木3-13-12-B1 電話03-5411-7227
出演:ライヴ: ブラザー・トム(ヴォーカル)&橋本啓一(ピアノ) DJ:アキラ、オッシー、ヒロシ
ライヴ:22時半~
料金:前売り4000円 当日4500円 (いずれも1ドリンク付き)
問い合わせ:ワッツ・アップ 03-5411-7227
『ヴィルタス11周年パーティー』
日時:2009年3月25日(水) 19時~
会場:六本木ヴィルタス 港区六本木4-6-4 1F&B1F 03-5410-6155 / 03-5410-5577
料金:3500円(3時間飲み放題)
問い合わせ:ヴィルタス 03-5410-6155 / 03-5410-5577
ENT>ANNOUNCEMENT>Anniversary
周年。
六本木のソウル・バー、ワッツ・アップとヴィルタスが近く周年パーティーを行う。
ワッツ・アップは、15周年で2009年4月12日(日)に銀座ケントスでリアル・ブラッドを向かえ、さらに、翌日13日(月)に六本木ナヴァーナでブラザー・トムを向かえ、2日連続でイヴェントを行う。リアル・ブラッドはワッツ・アップの7周年、8周年、10周年イヴェントに出演したが再度登場。今回初日はリアル・ブラッド全員で、2日目はブラザー・トムのソロとピアノの2人ステージ。
ヴィルタスは11周年記念パーティー。2009年3月25日(水)六本木ヴィルタスで。
詳細は次の通り。
『ワッツ・アップ15周年パーティー』
日時:2009年4月12日(日)19時~26時
会場:銀座ケントス 中央区銀座8-2-1 9F 電話03-3572-9161
出演:ライヴ: リアル・ブラッド DJ: 川畑、アトム、キヨミ、オサ
ライヴ:ファースト21時~、セカンド22時半~ 入れ替えなし
料金:前売り座席指定5500円 立ち見5000円 当日6000円(いずれも1ドリンク付き)
2009年4月13日(月)19時~25時
会場:六本木ナヴァーナ 港区六本木3-13-12-B1 電話03-5411-7227
出演:ライヴ: ブラザー・トム(ヴォーカル)&橋本啓一(ピアノ) DJ:アキラ、オッシー、ヒロシ
ライヴ:22時半~
料金:前売り4000円 当日4500円 (いずれも1ドリンク付き)
問い合わせ:ワッツ・アップ 03-5411-7227
『ヴィルタス11周年パーティー』
日時:2009年3月25日(水) 19時~
会場:六本木ヴィルタス 港区六本木4-6-4 1F&B1F 03-5410-6155 / 03-5410-5577
料金:3500円(3時間飲み放題)
問い合わせ:ヴィルタス 03-5410-6155 / 03-5410-5577
ENT>ANNOUNCEMENT>Anniversary
⊿ Grab CD From CD Shelves: Nate James
2009年3月11日 音楽⊿ 【棚束(たなつか)でネイト・ジェームス】
需要。
こもりきりだと新鮮なネタはなかなかないが、こういうときに、山下達郎さんの真似をしてブログネタも「棚束(たなつか)~CD・レコード棚からひとつかみ」することにした。達郎さんも『サンデー・ソングブック』はこのところ、曲作りがお忙しく、すっかり棚束のようで。(笑) 最近はロスコー・ロビンソン(2009年3月8日放送分)、LJジョンソン(2009年3月1日放送分)など、マニアックなソウル曲がでて、棚束大好きです。
さて、こちらの棚束は、ほんとはまだ棚に入る前の届きたてほやほやだが、なんと、イギリスのネイト・ジェームスの新譜がまたまたソウルのカヴァー集。最近だと、タワー・オブ・パワー、シールとあいついでソウル・カヴァー集を出しているが、みんな考えることは同じか。(笑)
ネイトはさすがに1979年生まれということもあり選曲が若い。おもしろいのは、サルソウル・オーケストラの「ランアウェイ」や、ほかにデズリーとかローリン・ヒル、ブレンダ・K・スターあたりの女性が歌った曲を男性シンガーにも関わらず選んでいる点。後者2曲などはなんかついこないだのヒット曲という感じがするが、もう「カヴァーされる時期」に来ているのか、と妙に感慨深い。マーヴィン曲はここでは「セクシュアル・ヒーリング」。しかし、マクファーデン&ホワイトヘッドの「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」を1曲目に持ってくるところなんか、いいセンスだ。だけど、ここまでカヴァーに需要があるんだったら、ケイリブとかブレンダとかフィリップ集めて、いいソウル・アルバムが出来る気がします。(笑)
■ 棚束の山下達郎氏関連記事
December 29, 2008
Yamashita Tatsuro @ Osaka Festival Hall Final
【山下達郎~フェスティヴァル・ホール最後の日】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_12_29.html
May 07, 2008
Yamashita Tatsuro Live At Hamarikyu Asahi Hall
【山下達郎~素晴らしき人生】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_05_07.html
May 11, 2008
Yamashita Tatsuro Acoustic Mini Live @ Hamarikyu Asahi Hall
【山下達郎・アコースティック・ミニ・ライヴ・セットリスト】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_05_11.html
達郎さんバンド、ドラマー小笠原氏が入ったバンドのライヴ評
December 31, 2008
The Last Day Of Martano: Kajiwara Jun Live
【マルターノ、梶原順ライヴで幕を閉じる】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_12_31.html
◎元祖・棚束 TFM系『サンデー・ソングブック』毎週日曜午後2時~
http://www.smile-co.co.jp/tats/pg/ssb.html
(早くアーカイブもいれて欲しいです(笑))
■ ネイト・ジェームス 最新作3作目『リバイバル』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001PNVYKQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
曲目リスト
1. エイント・ノー・ストッピング・アス・ナウ
2. レイバー・オブ・ラヴ
3. FAITH(フェイス)
4. ビコーズ・アイ・ラヴ・ユー
5. ファミリー・アフェア (Featuring ヒンダ・ヒックス)
6. ハイアー・グラウンド
7. フィール・ソー・ハイ
8. セクシャル・ヒーリング
9. ギヴ・ミー・ザ・ナイト
10. ランナウェイ
11. エックス-ファクター
ENT>ALBUM>James, Nate
需要。
こもりきりだと新鮮なネタはなかなかないが、こういうときに、山下達郎さんの真似をしてブログネタも「棚束(たなつか)~CD・レコード棚からひとつかみ」することにした。達郎さんも『サンデー・ソングブック』はこのところ、曲作りがお忙しく、すっかり棚束のようで。(笑) 最近はロスコー・ロビンソン(2009年3月8日放送分)、LJジョンソン(2009年3月1日放送分)など、マニアックなソウル曲がでて、棚束大好きです。
さて、こちらの棚束は、ほんとはまだ棚に入る前の届きたてほやほやだが、なんと、イギリスのネイト・ジェームスの新譜がまたまたソウルのカヴァー集。最近だと、タワー・オブ・パワー、シールとあいついでソウル・カヴァー集を出しているが、みんな考えることは同じか。(笑)
ネイトはさすがに1979年生まれということもあり選曲が若い。おもしろいのは、サルソウル・オーケストラの「ランアウェイ」や、ほかにデズリーとかローリン・ヒル、ブレンダ・K・スターあたりの女性が歌った曲を男性シンガーにも関わらず選んでいる点。後者2曲などはなんかついこないだのヒット曲という感じがするが、もう「カヴァーされる時期」に来ているのか、と妙に感慨深い。マーヴィン曲はここでは「セクシュアル・ヒーリング」。しかし、マクファーデン&ホワイトヘッドの「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」を1曲目に持ってくるところなんか、いいセンスだ。だけど、ここまでカヴァーに需要があるんだったら、ケイリブとかブレンダとかフィリップ集めて、いいソウル・アルバムが出来る気がします。(笑)
■ 棚束の山下達郎氏関連記事
December 29, 2008
Yamashita Tatsuro @ Osaka Festival Hall Final
【山下達郎~フェスティヴァル・ホール最後の日】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_12_29.html
May 07, 2008
Yamashita Tatsuro Live At Hamarikyu Asahi Hall
【山下達郎~素晴らしき人生】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_05_07.html
May 11, 2008
Yamashita Tatsuro Acoustic Mini Live @ Hamarikyu Asahi Hall
【山下達郎・アコースティック・ミニ・ライヴ・セットリスト】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_05_11.html
達郎さんバンド、ドラマー小笠原氏が入ったバンドのライヴ評
December 31, 2008
The Last Day Of Martano: Kajiwara Jun Live
【マルターノ、梶原順ライヴで幕を閉じる】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_12_31.html
◎元祖・棚束 TFM系『サンデー・ソングブック』毎週日曜午後2時~
http://www.smile-co.co.jp/tats/pg/ssb.html
(早くアーカイブもいれて欲しいです(笑))
■ ネイト・ジェームス 最新作3作目『リバイバル』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001PNVYKQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
曲目リスト
1. エイント・ノー・ストッピング・アス・ナウ
2. レイバー・オブ・ラヴ
3. FAITH(フェイス)
4. ビコーズ・アイ・ラヴ・ユー
5. ファミリー・アフェア (Featuring ヒンダ・ヒックス)
6. ハイアー・グラウンド
7. フィール・ソー・ハイ
8. セクシャル・ヒーリング
9. ギヴ・ミー・ザ・ナイト
10. ランナウェイ
11. エックス-ファクター
ENT>ALBUM>James, Nate
△【マーヴィン・ゲイ自伝『引き裂かれたソウル~マーヴィン・ゲイ物語』~翻訳大詰め進行中】
助け舟。
とりあえず、288ページ(=28章、全340ページ36章中)までの見直し作業を終えて、あと約50ページ。舞台は、イギリス・ロンドンからいよいよベルギーのオステンドへ。オステンドはフランスの港町。ここにいるプロモーターのフレディー・クーサートを頼ってマーヴィンはロンドンを離れこの地に引っ越す。1981年のことだ。マーヴィンの逃亡生活は依然続いている。
彼がアメリカに帰れないのは、税金問題、慰謝料問題などがあり、もしアメリカに戻ると逮捕されてしまうのではないかという恐怖心があったためだ。オステンドはひじょうに居心地がよく、ここで彼はかなり英気を養う。街にある大きなスタジオでピアノを弾いたり、現金を稼ぐためにヨーロッパでツアーをやろうとして、そのリハーサルをする。徐々に彼のメンタルは復活しそうだった。
彼は常に戦う男だった。妻たちと争い、父と争い、レコード会社社長で義理の兄であるベリー・ゴーディーと争い、アメリカ合衆国と戦い、あちこちに争いの種があった。どんどんと追い詰められ、行き場がなくなり、彼は自殺さえ考える。プロモーターとやりあい、マネージャーとも議論し、マーヴィンの周囲には衝突があふれていた。
そして、ベルギーのオステンドまではるかロスアンジェルスからひとりのディレクターがやってくる。CBSレコードのラーキン・アーノルドだ。彼はマネージャーのカーティス・ショーからの誘いで、マーヴィンをCBSへ迎えることを検討し始める。しかし、そこには問題が山積していた。
まずモータウンとの契約。残っていたモータウンとの契約をどのように解消するのか。次に税金滞納問題。アメリカに入国するには、それらをクリアにしておかなければならない。そして、妻への慰謝料。ラーキンとカーティスは、この複雑に絡み合った糸を1本1本丁寧にほぐす。
そして、周囲の誰もが彼にはまだ才能が残っているのかどうか、疑問に思う。いかにして奇跡の復活は起こるのか。彼がどん底に落ちれば落ちるほど、どこからとも助け舟が手を差し伸べてくる。
あるとき10年来の友人、ジェフ・ウォルドがロンドンのマーヴィンのアパートを訪れる。彼は音楽関係の仕事をしている人物で、前妻はシンガーのヘレン・レディーだ。そのアパートは本当にひどいものだった。
ジェフが言う。「マーヴィンは私に言ったよ、10セントも持ってないんだ、って。彼の不渡り小切手も出回っていた。彼は、私にフェーマス・エイモス・クッキーの彼の持分の株を買ってくれないかと頼んできた。彼と私とヘレンは、最初の投資家だったんだ。私は彼に言った。『聞いてくれ、マーヴィン、これから大きな仕事があるんだ。いま、少し金を渡す。でも君の株はいらない。君が自分をそうやってだめにしていると、君はそこの息子のために何も残してやれなくなるぞ。その株は息子のためにとっておきなさい。たくさんのキャッシュを持っていた。7000ドルから17000ドルかあるいは、ポンドだったか、でも、それを彼に手渡したんだ。私は彼に言った。彼は自分自身の人生を台無しにしている本当にくそったれの馬鹿野郎だってね。(中略) 彼はコカインをやっているだけでなく、フリーベースもやっていた。私は彼に言った。『なんてひどい話だ。恥ずかしい。もし君がちゃんとクリーンになったら、君こそ「ブラック・シナトラ」になれる、唯一の人物だろう』って」
マーヴィンは告白した。「もう本当に僕の人生は行き詰って終わっていた。僕のレコードは出たけど、僕はそれが大嫌いで、ベリーは僕の作品はずっと何年ももう売れなくなった、と言っていた。モータウンと僕は、もう終わったんだ。僕は(歩いてきた)後ろの橋を燃やしてしまった。でももう気にはしてない。BGと僕は、もはや取り返しのつかないところまで来てしまった」(『引き裂かれたソウル~マーヴィン・ゲイ物語』から)
さあ、もう一息です。しばしお待ちを。
■ マーヴィン・ゲイ唯一の本人語り下ろしの自伝『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』(デイヴィッド・リッツ著、吉岡正晴翻訳監修=ブルース・インターアクションズ、2009年4月17日発売予定)
■ マーヴィン・ゲイ~ベスト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001HXY8X4/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Gaye, Marvin
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
助け舟。
とりあえず、288ページ(=28章、全340ページ36章中)までの見直し作業を終えて、あと約50ページ。舞台は、イギリス・ロンドンからいよいよベルギーのオステンドへ。オステンドはフランスの港町。ここにいるプロモーターのフレディー・クーサートを頼ってマーヴィンはロンドンを離れこの地に引っ越す。1981年のことだ。マーヴィンの逃亡生活は依然続いている。
彼がアメリカに帰れないのは、税金問題、慰謝料問題などがあり、もしアメリカに戻ると逮捕されてしまうのではないかという恐怖心があったためだ。オステンドはひじょうに居心地がよく、ここで彼はかなり英気を養う。街にある大きなスタジオでピアノを弾いたり、現金を稼ぐためにヨーロッパでツアーをやろうとして、そのリハーサルをする。徐々に彼のメンタルは復活しそうだった。
彼は常に戦う男だった。妻たちと争い、父と争い、レコード会社社長で義理の兄であるベリー・ゴーディーと争い、アメリカ合衆国と戦い、あちこちに争いの種があった。どんどんと追い詰められ、行き場がなくなり、彼は自殺さえ考える。プロモーターとやりあい、マネージャーとも議論し、マーヴィンの周囲には衝突があふれていた。
そして、ベルギーのオステンドまではるかロスアンジェルスからひとりのディレクターがやってくる。CBSレコードのラーキン・アーノルドだ。彼はマネージャーのカーティス・ショーからの誘いで、マーヴィンをCBSへ迎えることを検討し始める。しかし、そこには問題が山積していた。
まずモータウンとの契約。残っていたモータウンとの契約をどのように解消するのか。次に税金滞納問題。アメリカに入国するには、それらをクリアにしておかなければならない。そして、妻への慰謝料。ラーキンとカーティスは、この複雑に絡み合った糸を1本1本丁寧にほぐす。
そして、周囲の誰もが彼にはまだ才能が残っているのかどうか、疑問に思う。いかにして奇跡の復活は起こるのか。彼がどん底に落ちれば落ちるほど、どこからとも助け舟が手を差し伸べてくる。
あるとき10年来の友人、ジェフ・ウォルドがロンドンのマーヴィンのアパートを訪れる。彼は音楽関係の仕事をしている人物で、前妻はシンガーのヘレン・レディーだ。そのアパートは本当にひどいものだった。
ジェフが言う。「マーヴィンは私に言ったよ、10セントも持ってないんだ、って。彼の不渡り小切手も出回っていた。彼は、私にフェーマス・エイモス・クッキーの彼の持分の株を買ってくれないかと頼んできた。彼と私とヘレンは、最初の投資家だったんだ。私は彼に言った。『聞いてくれ、マーヴィン、これから大きな仕事があるんだ。いま、少し金を渡す。でも君の株はいらない。君が自分をそうやってだめにしていると、君はそこの息子のために何も残してやれなくなるぞ。その株は息子のためにとっておきなさい。たくさんのキャッシュを持っていた。7000ドルから17000ドルかあるいは、ポンドだったか、でも、それを彼に手渡したんだ。私は彼に言った。彼は自分自身の人生を台無しにしている本当にくそったれの馬鹿野郎だってね。(中略) 彼はコカインをやっているだけでなく、フリーベースもやっていた。私は彼に言った。『なんてひどい話だ。恥ずかしい。もし君がちゃんとクリーンになったら、君こそ「ブラック・シナトラ」になれる、唯一の人物だろう』って」
マーヴィンは告白した。「もう本当に僕の人生は行き詰って終わっていた。僕のレコードは出たけど、僕はそれが大嫌いで、ベリーは僕の作品はずっと何年ももう売れなくなった、と言っていた。モータウンと僕は、もう終わったんだ。僕は(歩いてきた)後ろの橋を燃やしてしまった。でももう気にはしてない。BGと僕は、もはや取り返しのつかないところまで来てしまった」(『引き裂かれたソウル~マーヴィン・ゲイ物語』から)
さあ、もう一息です。しばしお待ちを。
■ マーヴィン・ゲイ唯一の本人語り下ろしの自伝『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』(デイヴィッド・リッツ著、吉岡正晴翻訳監修=ブルース・インターアクションズ、2009年4月17日発売予定)
■ マーヴィン・ゲイ~ベスト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001HXY8X4/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Gaye, Marvin
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
☆【ルーシー・フォスター初来日~ルーツ・ミュージックのシンガー・ソングライター~新作ひっさげ】
メンフィス・コネクション。
アメリカ南部出身の女性シンガー・ソングライター、ルーシー・フォスターが最新作『ザ・トゥルース』を発表し、2009年3月、日本のライヴ・ハウス・ツアーを行う。
ルーシーはテキサス州生まれ。1970年代前半の生まれと見られる。南部を中心にフォーク、ルーツ・ミュージック的な音楽を中心に歌ってきたが、家族にはゴスペルがあった。最新作(6作目)『ザ・トゥルース・アコーディング・トゥ・ルーシー・フォスター』は昨年アメリカのインディからリリースされ、日本では今年の1月に鎌倉にあるインディ・レーベル、バッファロー・レコードからリリースされた。
このアルバムは昨年8月、メンフィスの名門スタジオ、アーデント・スタジオで同地のハイ、スタックス・レコードなどのセッションで活躍したミュージシャンとともにレコーディングされた。しかも、レコーディングの初日は、なんと奇しくもアイザック・ヘイズの葬儀があった日だという。参加ミュージシャンは、ウェイン・ジャクソン、チャールズ・ホッジス、ジミー・ロバーツ、ジーナ・マレルなどのメンフィス軍団に加え、ゲストでロベン・フォードなども参加している。今回のアルバムに限って言えば、まさにメンフィス・コネクションで生まれたということになる。南部ソウル、ブルーズ、フォーク、ゴスペルなどの要素も含んだルーツ・ミュージックのアーティストだ。
アルバム中、「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」と「ニックル&ネイル」というサザン・ソウル・クラシックをカヴァー。これが実にいい。前者は、シュープリームス、ヴァニラ・ファッジの曲とは違ういわゆる同名異曲。これは、元々はカントリー畑のレイ・サンダーズ&アイリーン・ベルが1964年にだしたもの。1967年ゴスディン・ブラザースというカントリー・アーティストが中ヒットさせた。その後この作品は、カントリー系アーティストだけでなく、ジョー・サイモン、アン・ピーブルズ、さらに、オヴェーションズなどのソウル・シンガー/グループたちが取り上げ、隠れた名曲として知られている。
後者はもちろん、OVライトの文句なしのクラシック。これなど、やはりメンフィス・ソウル的なニュアンスで聴いてしまい、個人的には嬉しくなってしまう。
■ アルバム『ザ・トゥルース』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001N84GOO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
そのルーシー・フォスター、早くも初来日。東京では青山のカイで行われる。
■ ルーシー・フォスター「ザ・トゥルース」ジャパン・ツアー
2009年3月26日(木)横浜サムズアップ 045-314-8705
3月27日(金)東京・青山カイ(Cay) 03-314-8705
3月28日(土)京都・磔磔(たくた)075-351-1321
3月30日(月)名古屋トクゾー(Tokuzo) 052-733-3709
問い合わせ先=バッファロー・レコード0467-61-1398 あるいは各店に。
バッファロー・レコードのサイト↓
http://www.buffalo-records.com/special.asp?id=547&category=1
メンバーはルーシーのほかに2名(本人のギターのほかにベースとドラム=いずれも女性)がバックに付くという。
ENT>MUSIC>LIVE>ANOUNCEMENT>Foster, Ruthie
メンフィス・コネクション。
アメリカ南部出身の女性シンガー・ソングライター、ルーシー・フォスターが最新作『ザ・トゥルース』を発表し、2009年3月、日本のライヴ・ハウス・ツアーを行う。
ルーシーはテキサス州生まれ。1970年代前半の生まれと見られる。南部を中心にフォーク、ルーツ・ミュージック的な音楽を中心に歌ってきたが、家族にはゴスペルがあった。最新作(6作目)『ザ・トゥルース・アコーディング・トゥ・ルーシー・フォスター』は昨年アメリカのインディからリリースされ、日本では今年の1月に鎌倉にあるインディ・レーベル、バッファロー・レコードからリリースされた。
このアルバムは昨年8月、メンフィスの名門スタジオ、アーデント・スタジオで同地のハイ、スタックス・レコードなどのセッションで活躍したミュージシャンとともにレコーディングされた。しかも、レコーディングの初日は、なんと奇しくもアイザック・ヘイズの葬儀があった日だという。参加ミュージシャンは、ウェイン・ジャクソン、チャールズ・ホッジス、ジミー・ロバーツ、ジーナ・マレルなどのメンフィス軍団に加え、ゲストでロベン・フォードなども参加している。今回のアルバムに限って言えば、まさにメンフィス・コネクションで生まれたということになる。南部ソウル、ブルーズ、フォーク、ゴスペルなどの要素も含んだルーツ・ミュージックのアーティストだ。
アルバム中、「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」と「ニックル&ネイル」というサザン・ソウル・クラシックをカヴァー。これが実にいい。前者は、シュープリームス、ヴァニラ・ファッジの曲とは違ういわゆる同名異曲。これは、元々はカントリー畑のレイ・サンダーズ&アイリーン・ベルが1964年にだしたもの。1967年ゴスディン・ブラザースというカントリー・アーティストが中ヒットさせた。その後この作品は、カントリー系アーティストだけでなく、ジョー・サイモン、アン・ピーブルズ、さらに、オヴェーションズなどのソウル・シンガー/グループたちが取り上げ、隠れた名曲として知られている。
後者はもちろん、OVライトの文句なしのクラシック。これなど、やはりメンフィス・ソウル的なニュアンスで聴いてしまい、個人的には嬉しくなってしまう。
■ アルバム『ザ・トゥルース』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001N84GOO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
そのルーシー・フォスター、早くも初来日。東京では青山のカイで行われる。
■ ルーシー・フォスター「ザ・トゥルース」ジャパン・ツアー
2009年3月26日(木)横浜サムズアップ 045-314-8705
3月27日(金)東京・青山カイ(Cay) 03-314-8705
3月28日(土)京都・磔磔(たくた)075-351-1321
3月30日(月)名古屋トクゾー(Tokuzo) 052-733-3709
問い合わせ先=バッファロー・レコード0467-61-1398 あるいは各店に。
バッファロー・レコードのサイト↓
http://www.buffalo-records.com/special.asp?id=547&category=1
メンバーはルーシーのほかに2名(本人のギターのほかにベースとドラム=いずれも女性)がバックに付くという。
ENT>MUSIC>LIVE>ANOUNCEMENT>Foster, Ruthie
◎Kishita Kohshi: Do The Soul Vol 4
2009年3月8日 音楽◎【木下航志~ドゥ・ザ・ソウル第4回】
裏声。
木下航志くんのブルース・アレーでの定期ライヴ、はやくも第4弾。毎回新曲を何かしらそろえてくるが、今回もほとんどが新曲になった。今回驚いたのは、航志くんがブルーズに挑戦したり、裏声で歌ったりさまざまな声に挑戦したこと。たとえば、ブルーズの「ストーミー・マンディ」では、ブルージーなヴォーカル・フレージングからところどころ演歌の如くこぶしをきかせたりする。最後のブルージーな「ロード・ハヴ・マーシー…」あたりのうなりも、地響きを起こしそう。フィリップのオルガン・ソロもいい。
かと思えば、ドゥービーズの「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」ではファルセットのようなハイヴォイスで歌う。さらに、「ステイン・アライヴ」では、ファルセットに挑戦だ。なるほど、まだ完成の域には達してないが、この手もそこそこできるとなると、ヴォーカルのヴァリエーションがかなりでてきて、いずれ録音でひとりアカペラなんかもできるかもしれない。
選曲もかなりヴァリエーションに富んでいて、CCR、シンプリー・レッドなども。また、途中の「ルッキング・フォー・ア・ラヴ」では、ブレンダの司会で、「航志は今、愛を求めてるの。25歳以下で独身の女性はいる?」と観客に声をかけ、ステージにあげる演出も見せた。
また、だいたいファースト2曲目は、「達郎セレクション」という感じで、山下達郎さん楽曲が歌われるようになっている。今回は土曜日ということで、「土曜日の恋人」。バックではギターのマサ小浜さんが、ブルージーな曲も、ジャジーな曲もグルーヴ感あふれる演奏を聴かせてかなりいい。以前にもやったレイ・チャールズの「ナイト・タイム」ではブレンダとデュエット。これはいつもながら、強力だ。思ったのだが、1曲歌ってMCをいれるが、話はおもしろいが、2-3曲に1度のトークでもいいかもしれない。メドレーで客を持っていくというパターンが航志くんならできそうだ。
●木下航志・次回ライヴ
2009年5月9日(土曜)@ブルース・アレー
『ドゥ・ザ・ソウルVOL5』
■ 関連記事(一部)
December 06, 2008
Kishita Kohshi Live At Blues Alley : Kohshi Believes To His Soul
【木下航志ライヴ@ブルース・アレー】(第3回)
http://blog.soulsearchin.com/archives/002757.html
September 12, 2008
Kishita Kohshi Live At Blues Alley: Started With "Sun Goddess" With Sunglass
http://blog.soulsearchin.com/archives/002669.html
June 09, 2008
Kishita Koushi First Live At Blues Alley
http://blog.soulsearchin.com/archives/002562.html
(ここに過去記事一覧リンクがあります)
■ メンバー
(Vo/Pf/Fender Rhodes1971)木下航志
(HAMMOND A-100)Philip Woo (B)名村武 (G)マサ小浜 (Ds)マイケル河合 (Vo)Brenda Vaughn (Cho)Yuki (Vo/Per/Sax)Pierre Andre
■セットリスト
Setlist: Kishita Kohshi @ Blues Alley, March 7th, 2009
[ ] indicates original artists
First set
show started 19:40
01. Watermelon Man (Instrumental) [Herbie Hancock]
02. 土曜日の恋人[山下達郎]
03. Love’s In Need Of Love Today [Stevie Wonder]
04. Stormy Monday [T-Bone Walker]
05. Don’t Let Me Be Lonely Tonight [James Taylor, Isley Brothers]
06. Looking For A Love [Bobby Womack]
07. Stars [Simply Red]
08. We Got Rhythm [Original]
show ended 20:33
Second set
show started 21:00
01. 6 To 4 (Instrumental) [George Benson]
02. What A Fool Believes [Doobie Brothers]
03. Have You Ever Seen The Rain [CCR]
04. I’m In Love [Wilson Pickett, Aretha Franklin](せつないソロ・コンテスト)
05. The Night Time Is The Right Time (With Brenda Vaughn) [Ray Charles]
06. Shine A Light [Rolling Stones]
07. 心の鳥 [Original]
08. How Sweet It Is [Marvin Gaye]
09. Don’t You Worry ’Bout A Thing [Stevie Wonder]
Enc. Will You Still Love Me Tomorrow (With Yuki) [Carol King, Roberta Flack]
Enc. Stayin’ Alive [Bee Gees]
Enc. You Are The Sunshine Of My Life [Stevie Wonder]
show ended 22:25
(2009年3月9日土曜、目黒ブルース・アレー=木下航志ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Kishita, Kohshi
2009-11
裏声。
木下航志くんのブルース・アレーでの定期ライヴ、はやくも第4弾。毎回新曲を何かしらそろえてくるが、今回もほとんどが新曲になった。今回驚いたのは、航志くんがブルーズに挑戦したり、裏声で歌ったりさまざまな声に挑戦したこと。たとえば、ブルーズの「ストーミー・マンディ」では、ブルージーなヴォーカル・フレージングからところどころ演歌の如くこぶしをきかせたりする。最後のブルージーな「ロード・ハヴ・マーシー…」あたりのうなりも、地響きを起こしそう。フィリップのオルガン・ソロもいい。
かと思えば、ドゥービーズの「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」ではファルセットのようなハイヴォイスで歌う。さらに、「ステイン・アライヴ」では、ファルセットに挑戦だ。なるほど、まだ完成の域には達してないが、この手もそこそこできるとなると、ヴォーカルのヴァリエーションがかなりでてきて、いずれ録音でひとりアカペラなんかもできるかもしれない。
選曲もかなりヴァリエーションに富んでいて、CCR、シンプリー・レッドなども。また、途中の「ルッキング・フォー・ア・ラヴ」では、ブレンダの司会で、「航志は今、愛を求めてるの。25歳以下で独身の女性はいる?」と観客に声をかけ、ステージにあげる演出も見せた。
また、だいたいファースト2曲目は、「達郎セレクション」という感じで、山下達郎さん楽曲が歌われるようになっている。今回は土曜日ということで、「土曜日の恋人」。バックではギターのマサ小浜さんが、ブルージーな曲も、ジャジーな曲もグルーヴ感あふれる演奏を聴かせてかなりいい。以前にもやったレイ・チャールズの「ナイト・タイム」ではブレンダとデュエット。これはいつもながら、強力だ。思ったのだが、1曲歌ってMCをいれるが、話はおもしろいが、2-3曲に1度のトークでもいいかもしれない。メドレーで客を持っていくというパターンが航志くんならできそうだ。
●木下航志・次回ライヴ
2009年5月9日(土曜)@ブルース・アレー
『ドゥ・ザ・ソウルVOL5』
■ 関連記事(一部)
December 06, 2008
Kishita Kohshi Live At Blues Alley : Kohshi Believes To His Soul
【木下航志ライヴ@ブルース・アレー】(第3回)
http://blog.soulsearchin.com/archives/002757.html
September 12, 2008
Kishita Kohshi Live At Blues Alley: Started With "Sun Goddess" With Sunglass
http://blog.soulsearchin.com/archives/002669.html
June 09, 2008
Kishita Koushi First Live At Blues Alley
http://blog.soulsearchin.com/archives/002562.html
(ここに過去記事一覧リンクがあります)
■ メンバー
(Vo/Pf/Fender Rhodes1971)木下航志
(HAMMOND A-100)Philip Woo (B)名村武 (G)マサ小浜 (Ds)マイケル河合 (Vo)Brenda Vaughn (Cho)Yuki (Vo/Per/Sax)Pierre Andre
■セットリスト
Setlist: Kishita Kohshi @ Blues Alley, March 7th, 2009
[ ] indicates original artists
First set
show started 19:40
01. Watermelon Man (Instrumental) [Herbie Hancock]
02. 土曜日の恋人[山下達郎]
03. Love’s In Need Of Love Today [Stevie Wonder]
04. Stormy Monday [T-Bone Walker]
05. Don’t Let Me Be Lonely Tonight [James Taylor, Isley Brothers]
06. Looking For A Love [Bobby Womack]
07. Stars [Simply Red]
08. We Got Rhythm [Original]
show ended 20:33
Second set
show started 21:00
01. 6 To 4 (Instrumental) [George Benson]
02. What A Fool Believes [Doobie Brothers]
03. Have You Ever Seen The Rain [CCR]
04. I’m In Love [Wilson Pickett, Aretha Franklin](せつないソロ・コンテスト)
05. The Night Time Is The Right Time (With Brenda Vaughn) [Ray Charles]
06. Shine A Light [Rolling Stones]
07. 心の鳥 [Original]
08. How Sweet It Is [Marvin Gaye]
09. Don’t You Worry ’Bout A Thing [Stevie Wonder]
Enc. Will You Still Love Me Tomorrow (With Yuki) [Carol King, Roberta Flack]
Enc. Stayin’ Alive [Bee Gees]
Enc. You Are The Sunshine Of My Life [Stevie Wonder]
show ended 22:25
(2009年3月9日土曜、目黒ブルース・アレー=木下航志ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Kishita, Kohshi
2009-11
○【マイケル・ジャクソン、7月にロンドンでライヴ10回】
記者会見。
マイケル・ジャクソンが2009年3月5日、ロンドンで記者会見し、7月に同地O2(オーツー)アリーナでコンサートを行うことを発表した。初日は7月9日で、まず10回の公演が予定されている。O2アリーナは約23000席。チケットは50ポンド(約7000円)から70ポンド(10600円)で3月13日から売り出される。売り出し方などの詳細は後日発表される。
記者会見にはマイケル・ジャクソン本人が登場し、「This is it」を連呼し、これが「ロンドンにおける最後のコンサートになる」と宣言した。この「ディス・イズ・イット」は、今回のライヴのキャッチフレーズのようで、意味は「いよいよ来るぞ、さあいよいよだ。/これがそうだ。/これだ。/来るものが来た」といったニュアンス。ロンドンの地下鉄にはすでにこのコピーのポスターが貼られているという。
マイケルはこの日予定より1時間半遅れて、午後5時半O2アリーナに登場。一般のファンとメディアをいれての記者会見となった。
記者会見の模様↓
http://www.michaeljacksonlive.com/video.php
ビルボード誌の報道によれば、この10本を含めて最大で25本ほどのライヴをO2アリーナで行う可能性があるという。マイケルは、「ファンが聴きたい曲をやるつもりだ。僕がディス・イズ・イット、というときは、本当にそういうことなんだ。これは最後のカーテン・コールになる」と語った。
今回のプロモーターとなったAEGの社長、CEOティム・レイウェイクは「過去2年、マイケルと交渉してきた」と明かした。マイケル・ジャクソンの公におけるライヴは、2001年9月10日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで多くのアーティストがトリビュートしたときが最後。またメジャーなツアーとしては、1996年~97年の『ヒストリー・ツアー』以来。12年ぶりとなる。
チケット販売サイトはここ↓(英語です)
http://www.michaeljackson.com/tickets/
+++++
ファイナル。
マイケル・ジャクソンのロンドン公演が急遽発表された。チケットの値段もリーズナブル、2万キャパで10回の公演なら瞬く間に売り切れるような気がする。「ロンドンでの最後」と言っているが、それだと「ヨーロッパでのライヴ」、その他の地域でのライヴの可能性も示唆しているとも受け取れる。7月スタートだと4月か遅くとも6月までにはミュージシャン、ダンサーを集合させてリハーサルが始まることになるかと思うが、果たして誰が音楽ディレクターになるのか。ふたたび、グレッグ・フィリンゲーンズか? しばらくこのニュースには注目だ。
■マイケル・ジャクソン (最近は赤がマイケル・カラーの様)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001DNF6V6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■マイケル・ジャクソン観察日誌
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093860130/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>LIVE>ANNOUNCEMENT>Jackson, Michael
ENT>LIVE>Jackson, Michael
記者会見。
マイケル・ジャクソンが2009年3月5日、ロンドンで記者会見し、7月に同地O2(オーツー)アリーナでコンサートを行うことを発表した。初日は7月9日で、まず10回の公演が予定されている。O2アリーナは約23000席。チケットは50ポンド(約7000円)から70ポンド(10600円)で3月13日から売り出される。売り出し方などの詳細は後日発表される。
記者会見にはマイケル・ジャクソン本人が登場し、「This is it」を連呼し、これが「ロンドンにおける最後のコンサートになる」と宣言した。この「ディス・イズ・イット」は、今回のライヴのキャッチフレーズのようで、意味は「いよいよ来るぞ、さあいよいよだ。/これがそうだ。/これだ。/来るものが来た」といったニュアンス。ロンドンの地下鉄にはすでにこのコピーのポスターが貼られているという。
マイケルはこの日予定より1時間半遅れて、午後5時半O2アリーナに登場。一般のファンとメディアをいれての記者会見となった。
記者会見の模様↓
http://www.michaeljacksonlive.com/video.php
ビルボード誌の報道によれば、この10本を含めて最大で25本ほどのライヴをO2アリーナで行う可能性があるという。マイケルは、「ファンが聴きたい曲をやるつもりだ。僕がディス・イズ・イット、というときは、本当にそういうことなんだ。これは最後のカーテン・コールになる」と語った。
今回のプロモーターとなったAEGの社長、CEOティム・レイウェイクは「過去2年、マイケルと交渉してきた」と明かした。マイケル・ジャクソンの公におけるライヴは、2001年9月10日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで多くのアーティストがトリビュートしたときが最後。またメジャーなツアーとしては、1996年~97年の『ヒストリー・ツアー』以来。12年ぶりとなる。
チケット販売サイトはここ↓(英語です)
http://www.michaeljackson.com/tickets/
+++++
ファイナル。
マイケル・ジャクソンのロンドン公演が急遽発表された。チケットの値段もリーズナブル、2万キャパで10回の公演なら瞬く間に売り切れるような気がする。「ロンドンでの最後」と言っているが、それだと「ヨーロッパでのライヴ」、その他の地域でのライヴの可能性も示唆しているとも受け取れる。7月スタートだと4月か遅くとも6月までにはミュージシャン、ダンサーを集合させてリハーサルが始まることになるかと思うが、果たして誰が音楽ディレクターになるのか。ふたたび、グレッグ・フィリンゲーンズか? しばらくこのニュースには注目だ。
■マイケル・ジャクソン (最近は赤がマイケル・カラーの様)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001DNF6V6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■マイケル・ジャクソン観察日誌
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093860130/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>LIVE>ANNOUNCEMENT>Jackson, Michael
ENT>LIVE>Jackson, Michael
◆【フィリップ・イングラム(パート3)、スイッチを変えた後に~】
売れっ子。
「ローレンス、そこのフード、片付けないでくれ」とフィリップが言った。ファーストとセカンドの間に、ミュージシャンは軽く食事をする。この日は、フィリップが食事もそっちのけで話をしてくれたのだ。
モータウンの人気グループとなったスイッチは、1978年のデビュー作『スイッチ』から、1981年リリースの5作目『スイッチV』までコンスタントにアルバムを出した。モータウンを離れ、フィリップはグループを脱退、ソロへ。ロスでスタジオ・シンガーとして、他のシンガーのバック、コーラス、デュエットの相手、CM、また、映画の仕事などを幅広くするようになった。
グループ自体は1984年、ロニー・シモンズの持つトータル・エクスペリエンス・レコード(ギャップ・バンドで売出したレーベル)に移籍。また、グループのデバージ兄弟の別の兄弟たちが「デバージ」としてデビュー。スイッチをしのぐ人気となった。
フィリップが後でこれまでにスイッチ後にクレジットされたアーティストのリストをメールで送ってくれたが、これが膨大な量にのぼる。カニエ・ウェスト、セリーヌ・ディオン、ルーサー・ヴァンドロス、ベット・ミドラー、スターシップ(「セイラ」)、ワン・チャン(「エヴリバディー・ハヴ・ファン・トゥナイト」)ダイアン・リーヴス、サンタナ…。ポップ、ソウル、ジャズあらゆるジャンルを網羅している。
フィリップが言う。「映画もいろいろやったよ。ジュリア・ロバーツの『マイ・ベスト・フレンドズ・ウエディング』(1997年)は覚えているかい? あの中の最後の結婚式のシーンで『アイ・セイ・ア・リトル・プレヤー(小さな願い)』を歌ってるんだよ。(といって少し歌う)」 「えええっ? ほんと」と松尾さんと僕。「あの映画では、キャメロン・ディアスが変な声、出して歌うのが印象に残ってた(といって少し歌う)」 「そうそう、あれで、僕は歌ってたんだよ。他にも、『リトル・マーメイド』のヴォイス・オーヴァー(声優)やったよ。『ハッピー・フィート』や『シュリック』なんか(のサントラ)でも歌ってる」
映画のリストもすごい。他に『プリンス・オブ・エジプト』、『プリティー・ウーマン』『フライド・グリーン・トマト』、『コリーナ・コリーナ』、『ボディーガード』などなど。
松尾さん。「アリソン・ウィリアムスの『ジャスト・コール・マイ・ネーム』も大好きなんですよ」 「おお、あれはケン・カリーとデンジル・ミラーと一緒に書いた」 そして松尾さん。「ちょっとご紹介したい本があるんです。これはモータウンのボックスセットで1995年に日本で出たもので、彼(吉岡)もベスト10を選んで原稿を書いたりしてるんですが、この中で僕もモータウンのオールタイム・フェヴァリット、ベスト10をそれぞれ選んでいます。見てください。この僕のベスト10を。アルバムの1位、『スイッチ』!! そして、ソングの1位、スイッチの「アイ・ウォナ・ビー・クローサー」、2位、スイッチの「ゼール・ネヴァー・ビー」にしてるんですよ!!」 「ワオ、これはすごいね!」とフィリップ。「ゴメンね、僕はアルバムの1位に『ワッツ・ゴーイング・オン』(マーヴィン・ゲイ)選んでて(笑)」と僕。
で、このブックレット、よく見ると、松尾さんと一緒に対談もしてた。10枚組みで立派なブックレット付き、まだ商品としては売られているようだ。
http://www.u-canshop.jp/motown/index_gad.html?ad=adw162&gclid=CO_71pXn5pgCFUUwpAodpUISdQ
フィリップが言う。「あと、僕は日本人の杏里、角松敏生もやってるよ。杏里は89年から95年くらいまでツアーやレコーディングも一緒にやった。1曲『ヴォイス・オブ・ハート』という曲でデュエットもしてる」 どうやら、スイッチ後もロスの売れっ子シンガーになったようだ。
松尾さんが3枚目のアルバム『リーチン・フォー・トゥモロー』にもサインをもらっている。フィリップが言う。「この『リーチン・フォー・トゥモロー』は僕のスイッチの曲の中でもフェヴァリットなんだ。(といって少し歌う)」 さらさらとマジックでサインをしているが、このアルバムの上に「My friend in Japan」と書き添えた。そう、このアルバムには「My Friend In The Sky」という曲が入っていたのだ。それにひっかけて書いたのだが、やはりここでもそのサビのところを歌う。
「スイッチ・リユニオンはデトロイトあたりでやるとブラックばかりでものすごい反応なんだよ。圧倒的だ。だけど、白人のいるところはいまひとつかな。僕たちはクロスオーヴァーしなかったからね。ある意味、R&Bグループなんだ。トム・ジョイナーが70年代(78年)『ゼアル・ネバー・ビー』をブレイクさせてくれたんだ。その彼が今度のリユニオンを誘ってくれてね。最初デトロイトでやって、それからシカゴとかいくつかの都市に行って、SOSバンドやメリー・ジェーン・ガールズと一緒にやったこともあるよ」 「じゃあ、日本にもそのリユニオン・スイッチで、ここビルボードでやったらどう?」 フィリップが冷静に答える。「客は集まるかなあ。R&Bヒットはあるけど、トップ40ヒットがないからなあ。一番のヒットは、『ゼール・ネヴァー・ビー』『アイ・コール・ユア・ネーム』『ラヴ・オーヴァー・アンド・オーヴァー・アゲイン』といったところかなあ」 松尾さん。「あ、でも、アメリカでライヴやるときは僕見に行きますよ!」
フィリップは最近週一回、ウェイン・ヘンダーソンがコーディネートして、日本から来た人物がやっている音楽学校的なところでヴォーカル・クラスを持って、教えているという。
「君たち、セカンド・ショーにも残るかい?」 「いやあ、もう行かないと…(苦笑)」。いやいや、話は尽きない。松尾さんは、新プロジェクトのレコーディングの途中、中抜けしてやってきた。僕は、マーヴィンを中抜けしてやってきた。そして、フィリップはまもなくセカンド・ショーが始まる。
ENT>MUSIC>ARTIST>Ingram, Phillip
売れっ子。
「ローレンス、そこのフード、片付けないでくれ」とフィリップが言った。ファーストとセカンドの間に、ミュージシャンは軽く食事をする。この日は、フィリップが食事もそっちのけで話をしてくれたのだ。
モータウンの人気グループとなったスイッチは、1978年のデビュー作『スイッチ』から、1981年リリースの5作目『スイッチV』までコンスタントにアルバムを出した。モータウンを離れ、フィリップはグループを脱退、ソロへ。ロスでスタジオ・シンガーとして、他のシンガーのバック、コーラス、デュエットの相手、CM、また、映画の仕事などを幅広くするようになった。
グループ自体は1984年、ロニー・シモンズの持つトータル・エクスペリエンス・レコード(ギャップ・バンドで売出したレーベル)に移籍。また、グループのデバージ兄弟の別の兄弟たちが「デバージ」としてデビュー。スイッチをしのぐ人気となった。
フィリップが後でこれまでにスイッチ後にクレジットされたアーティストのリストをメールで送ってくれたが、これが膨大な量にのぼる。カニエ・ウェスト、セリーヌ・ディオン、ルーサー・ヴァンドロス、ベット・ミドラー、スターシップ(「セイラ」)、ワン・チャン(「エヴリバディー・ハヴ・ファン・トゥナイト」)ダイアン・リーヴス、サンタナ…。ポップ、ソウル、ジャズあらゆるジャンルを網羅している。
フィリップが言う。「映画もいろいろやったよ。ジュリア・ロバーツの『マイ・ベスト・フレンドズ・ウエディング』(1997年)は覚えているかい? あの中の最後の結婚式のシーンで『アイ・セイ・ア・リトル・プレヤー(小さな願い)』を歌ってるんだよ。(といって少し歌う)」 「えええっ? ほんと」と松尾さんと僕。「あの映画では、キャメロン・ディアスが変な声、出して歌うのが印象に残ってた(といって少し歌う)」 「そうそう、あれで、僕は歌ってたんだよ。他にも、『リトル・マーメイド』のヴォイス・オーヴァー(声優)やったよ。『ハッピー・フィート』や『シュリック』なんか(のサントラ)でも歌ってる」
映画のリストもすごい。他に『プリンス・オブ・エジプト』、『プリティー・ウーマン』『フライド・グリーン・トマト』、『コリーナ・コリーナ』、『ボディーガード』などなど。
松尾さん。「アリソン・ウィリアムスの『ジャスト・コール・マイ・ネーム』も大好きなんですよ」 「おお、あれはケン・カリーとデンジル・ミラーと一緒に書いた」 そして松尾さん。「ちょっとご紹介したい本があるんです。これはモータウンのボックスセットで1995年に日本で出たもので、彼(吉岡)もベスト10を選んで原稿を書いたりしてるんですが、この中で僕もモータウンのオールタイム・フェヴァリット、ベスト10をそれぞれ選んでいます。見てください。この僕のベスト10を。アルバムの1位、『スイッチ』!! そして、ソングの1位、スイッチの「アイ・ウォナ・ビー・クローサー」、2位、スイッチの「ゼール・ネヴァー・ビー」にしてるんですよ!!」 「ワオ、これはすごいね!」とフィリップ。「ゴメンね、僕はアルバムの1位に『ワッツ・ゴーイング・オン』(マーヴィン・ゲイ)選んでて(笑)」と僕。
で、このブックレット、よく見ると、松尾さんと一緒に対談もしてた。10枚組みで立派なブックレット付き、まだ商品としては売られているようだ。
http://www.u-canshop.jp/motown/index_gad.html?ad=adw162&gclid=CO_71pXn5pgCFUUwpAodpUISdQ
フィリップが言う。「あと、僕は日本人の杏里、角松敏生もやってるよ。杏里は89年から95年くらいまでツアーやレコーディングも一緒にやった。1曲『ヴォイス・オブ・ハート』という曲でデュエットもしてる」 どうやら、スイッチ後もロスの売れっ子シンガーになったようだ。
松尾さんが3枚目のアルバム『リーチン・フォー・トゥモロー』にもサインをもらっている。フィリップが言う。「この『リーチン・フォー・トゥモロー』は僕のスイッチの曲の中でもフェヴァリットなんだ。(といって少し歌う)」 さらさらとマジックでサインをしているが、このアルバムの上に「My friend in Japan」と書き添えた。そう、このアルバムには「My Friend In The Sky」という曲が入っていたのだ。それにひっかけて書いたのだが、やはりここでもそのサビのところを歌う。
「スイッチ・リユニオンはデトロイトあたりでやるとブラックばかりでものすごい反応なんだよ。圧倒的だ。だけど、白人のいるところはいまひとつかな。僕たちはクロスオーヴァーしなかったからね。ある意味、R&Bグループなんだ。トム・ジョイナーが70年代(78年)『ゼアル・ネバー・ビー』をブレイクさせてくれたんだ。その彼が今度のリユニオンを誘ってくれてね。最初デトロイトでやって、それからシカゴとかいくつかの都市に行って、SOSバンドやメリー・ジェーン・ガールズと一緒にやったこともあるよ」 「じゃあ、日本にもそのリユニオン・スイッチで、ここビルボードでやったらどう?」 フィリップが冷静に答える。「客は集まるかなあ。R&Bヒットはあるけど、トップ40ヒットがないからなあ。一番のヒットは、『ゼール・ネヴァー・ビー』『アイ・コール・ユア・ネーム』『ラヴ・オーヴァー・アンド・オーヴァー・アゲイン』といったところかなあ」 松尾さん。「あ、でも、アメリカでライヴやるときは僕見に行きますよ!」
フィリップは最近週一回、ウェイン・ヘンダーソンがコーディネートして、日本から来た人物がやっている音楽学校的なところでヴォーカル・クラスを持って、教えているという。
「君たち、セカンド・ショーにも残るかい?」 「いやあ、もう行かないと…(苦笑)」。いやいや、話は尽きない。松尾さんは、新プロジェクトのレコーディングの途中、中抜けしてやってきた。僕は、マーヴィンを中抜けしてやってきた。そして、フィリップはまもなくセカンド・ショーが始まる。
ENT>MUSIC>ARTIST>Ingram, Phillip
(パート1は昨日のシーナ・イーストン・ライヴ評です)
★フィリップ・イングラム、スイッチについて語る(パート2)
スイッチ。
ライヴが終わりメンバーがはけるときに、僕と松尾さんは通路のところでスイッチのアナログを掲げた。それを見たフィリップが大笑いしながら、近づいてきた。松尾さんはモータウンの中で、スイッチが一番好きなグループと言ってもいいほど。
モータウンから1978年アルバム『スイッチ』でデビュー。さらに79年『スイッチ2』も大ヒット。最初の2枚のアルバムはゴールド・ディスクに輝き、一躍人気グループとなったスイッチ。ヒットとしては、「ゼール・ネヴァー・ビー」、「アイ・ウォナ・ビー・クローサー」、「アイ・コール・ユア・ネーム」などがある。そのメンバーのひとり、フィリップ・イングラムがシーナ・イーストンのバックコーラスの一員として来日。シーナのライヴの後、松尾さんとスイッチのアナログ・レコードをバッグにいれて楽屋を訪ねた。
フィリップは雄弁でよくしゃべった。まず驚いたのが、スイッチをしばらく前の2003年に再結成して何箇所かでライヴをやったというニュース。ボビーは1995年8月16日、36歳の若さでエイズのため死去しているが、グループを作ったグレッグ・ウィリアムス、フィリップ、そのほかのメンバーでやったという。
スイッチはもともと1974年オハイオ州アクロンで、グレッグ・ウィリアムスが中心になってジョディー・シムズ、ボビー・デバージ、そして、トミー・デバージ、エディー・フルーエレン、フィリップ・イングラムらが入ってできたホワイト・ヒートが母体になっている。このグループは1975年、バリー・ホワイトに認められバリーのプロデュースでRCAから一枚『White Heat』というアルバムを出した。フィリップとエディーはその前から知り合いで、他の何人かとアクロンでロウ・ソウルというグループをやっていたという。
こんなアルバム↓
http://cgi.ebay.com/White-Heat-S%2FT-1975-RCA-Funk-LP-Barry-White_W0QQitemZ270351739875QQcmdZViewItemQQimsxZ20090302?IMSfp=TL090302145001r14578
オハイオ州アクロンからは、ハワード・ヒューイットも登場。ハワードとエディーは高校が同級生だという。このグループは残念ながらヒットしなかったが、その後グレッグ、フィリップらは本格的に音楽活動をするために、1976年頃、LAに引っ越した。デモ・テープなどを作ったりライヴハウスに顔を出していた1977年1月、彼らが別のレコーディングでモータウン・ビルディングに行く用事があった。
彼らがエレヴェーターに乗ると、なんと同じエレヴェーターにジャーメイン・ジャクソンが乗ってきた。フィリップが言う。「そうなんだ。ジャーメインが乗ってきて、僕たちは舞い上がった。で、エレヴェーターを出て、彼を追いかけていき、ちょうど持っていたデモ・テープを彼に『よかったら聞いてください』と言って渡したんだよ。ジャーメインは、車に乗ってそのカセットをかけたらしい。その翌日、彼から電話がかかってきた。興味がある、っていうんだ。そこで、彼はモータウンのスザンヌ・ドゥ・パッセの前でオーディションをすることになった。僕たちはうまくできたと思う。僕たちがなんで、グループ名をスイッチにしたか知ってるかい?」
「いや、知りません」 「そのときは、グループに名前がなかったんだ。ショーケースの席上で、スザンヌが言った。『あなたたちみたいに、(メンバーが)楽器をスイッチするグループは今まで見たことがないわ』ってね。それで、僕たちはグループ名をスイッチってすることにしたんだよ!」
「ジョディーがドラムだけど、実は僕もドラムができる。エディーはキーボードとトロンボーンもやる。グレッグはキーボードだけど、トランペットもやる。だからみんな楽器をとっかえひっかえできるんだ」
ほおお、それは知らなかったなあ。松尾さんと一緒にその由来を聴いて驚く。そして1977年5月頃契約して、アルバムは1978年8月にリリースされた。ちょうどこのモータウンとの契約が決まったとき、やはりLAに来ていた兄のジェームス・イングラムにそのことを話すと、兄はものすごく驚いたという。
ジェームスは、フィリップの6歳年上。ちょうどこの頃はレオン・ヘイウッドのバンドでキーボードを弾いたり、レイ・チャールズのバンドにいた時期。クインシーに見出される前のことだ。彼もインディでジンガラというバンドでレコードを出すがあくまでインディ。フィリップが言う。「たぶん、兄のジンガラと同じか、スイッチのほうが早かったかと思う。僕が音楽の世界に入ったのは、兄貴のおかげだよ。彼が一足先にバンド活動を始めていて、それを見に行っていて、うらやましく思ってね」
イングラム兄弟は6人で、音楽業界に入ったのはジェームス・イングラムとフィリップ・イングラムだけ。上から順にヘンリー、ジョイス、ジェームス、ジャニス、デイヴィッド、そして、フィリップだ。フィリップは1958年7月11日生まれ。今年の7月で51歳になる。58年は昭和33年、戌年(いぬどし)です。マイケル、プリンス、マドンナと同じ年だ。
スイッチはモータウンで5枚アルバムを出し、フィリップはモータウンを離れると同時にグループを抜け、ソロ活動に転じた。
松尾さんはアナログ・アルバムを3枚とCDを1枚、僕は2枚目のアナログを持ってきた。彼も2枚目を持ってきていたが、それはアメリカ盤。僕のは当時ビクターから出た帯びつき日本盤のしかも見本盤だった。
ちょうどビルボード・ライヴのスタッフ、ローレンスがやってきた。「彼がいたスイッチはすごいグループなんだよ」と松尾さん。「このハンサム・ガイは誰だかわかるかい?」と言って、ローレンスにジャケットに映ってるフィリップの若い時の写真を指差す。ローレンス。「ワオッ、若いな」 フィリップ。「髪の毛もあるし、髭もあるな。(笑) 『アイ・ウォナ・ビー・クローサー』って知ってる? (と言って歌いだす)」「おおっ、知ってる、知ってる!」「ちょっとばかり長くやってるんだよ」(爆笑)
(まだまだ続く)
ENT>MUSIC>ARTIST>Ingram, Phillip
★フィリップ・イングラム、スイッチについて語る(パート2)
スイッチ。
ライヴが終わりメンバーがはけるときに、僕と松尾さんは通路のところでスイッチのアナログを掲げた。それを見たフィリップが大笑いしながら、近づいてきた。松尾さんはモータウンの中で、スイッチが一番好きなグループと言ってもいいほど。
モータウンから1978年アルバム『スイッチ』でデビュー。さらに79年『スイッチ2』も大ヒット。最初の2枚のアルバムはゴールド・ディスクに輝き、一躍人気グループとなったスイッチ。ヒットとしては、「ゼール・ネヴァー・ビー」、「アイ・ウォナ・ビー・クローサー」、「アイ・コール・ユア・ネーム」などがある。そのメンバーのひとり、フィリップ・イングラムがシーナ・イーストンのバックコーラスの一員として来日。シーナのライヴの後、松尾さんとスイッチのアナログ・レコードをバッグにいれて楽屋を訪ねた。
フィリップは雄弁でよくしゃべった。まず驚いたのが、スイッチをしばらく前の2003年に再結成して何箇所かでライヴをやったというニュース。ボビーは1995年8月16日、36歳の若さでエイズのため死去しているが、グループを作ったグレッグ・ウィリアムス、フィリップ、そのほかのメンバーでやったという。
スイッチはもともと1974年オハイオ州アクロンで、グレッグ・ウィリアムスが中心になってジョディー・シムズ、ボビー・デバージ、そして、トミー・デバージ、エディー・フルーエレン、フィリップ・イングラムらが入ってできたホワイト・ヒートが母体になっている。このグループは1975年、バリー・ホワイトに認められバリーのプロデュースでRCAから一枚『White Heat』というアルバムを出した。フィリップとエディーはその前から知り合いで、他の何人かとアクロンでロウ・ソウルというグループをやっていたという。
こんなアルバム↓
http://cgi.ebay.com/White-Heat-S%2FT-1975-RCA-Funk-LP-Barry-White_W0QQitemZ270351739875QQcmdZViewItemQQimsxZ20090302?IMSfp=TL090302145001r14578
オハイオ州アクロンからは、ハワード・ヒューイットも登場。ハワードとエディーは高校が同級生だという。このグループは残念ながらヒットしなかったが、その後グレッグ、フィリップらは本格的に音楽活動をするために、1976年頃、LAに引っ越した。デモ・テープなどを作ったりライヴハウスに顔を出していた1977年1月、彼らが別のレコーディングでモータウン・ビルディングに行く用事があった。
彼らがエレヴェーターに乗ると、なんと同じエレヴェーターにジャーメイン・ジャクソンが乗ってきた。フィリップが言う。「そうなんだ。ジャーメインが乗ってきて、僕たちは舞い上がった。で、エレヴェーターを出て、彼を追いかけていき、ちょうど持っていたデモ・テープを彼に『よかったら聞いてください』と言って渡したんだよ。ジャーメインは、車に乗ってそのカセットをかけたらしい。その翌日、彼から電話がかかってきた。興味がある、っていうんだ。そこで、彼はモータウンのスザンヌ・ドゥ・パッセの前でオーディションをすることになった。僕たちはうまくできたと思う。僕たちがなんで、グループ名をスイッチにしたか知ってるかい?」
「いや、知りません」 「そのときは、グループに名前がなかったんだ。ショーケースの席上で、スザンヌが言った。『あなたたちみたいに、(メンバーが)楽器をスイッチするグループは今まで見たことがないわ』ってね。それで、僕たちはグループ名をスイッチってすることにしたんだよ!」
「ジョディーがドラムだけど、実は僕もドラムができる。エディーはキーボードとトロンボーンもやる。グレッグはキーボードだけど、トランペットもやる。だからみんな楽器をとっかえひっかえできるんだ」
ほおお、それは知らなかったなあ。松尾さんと一緒にその由来を聴いて驚く。そして1977年5月頃契約して、アルバムは1978年8月にリリースされた。ちょうどこのモータウンとの契約が決まったとき、やはりLAに来ていた兄のジェームス・イングラムにそのことを話すと、兄はものすごく驚いたという。
ジェームスは、フィリップの6歳年上。ちょうどこの頃はレオン・ヘイウッドのバンドでキーボードを弾いたり、レイ・チャールズのバンドにいた時期。クインシーに見出される前のことだ。彼もインディでジンガラというバンドでレコードを出すがあくまでインディ。フィリップが言う。「たぶん、兄のジンガラと同じか、スイッチのほうが早かったかと思う。僕が音楽の世界に入ったのは、兄貴のおかげだよ。彼が一足先にバンド活動を始めていて、それを見に行っていて、うらやましく思ってね」
イングラム兄弟は6人で、音楽業界に入ったのはジェームス・イングラムとフィリップ・イングラムだけ。上から順にヘンリー、ジョイス、ジェームス、ジャニス、デイヴィッド、そして、フィリップだ。フィリップは1958年7月11日生まれ。今年の7月で51歳になる。58年は昭和33年、戌年(いぬどし)です。マイケル、プリンス、マドンナと同じ年だ。
スイッチはモータウンで5枚アルバムを出し、フィリップはモータウンを離れると同時にグループを抜け、ソロ活動に転じた。
松尾さんはアナログ・アルバムを3枚とCDを1枚、僕は2枚目のアナログを持ってきた。彼も2枚目を持ってきていたが、それはアメリカ盤。僕のは当時ビクターから出た帯びつき日本盤のしかも見本盤だった。
ちょうどビルボード・ライヴのスタッフ、ローレンスがやってきた。「彼がいたスイッチはすごいグループなんだよ」と松尾さん。「このハンサム・ガイは誰だかわかるかい?」と言って、ローレンスにジャケットに映ってるフィリップの若い時の写真を指差す。ローレンス。「ワオッ、若いな」 フィリップ。「髪の毛もあるし、髭もあるな。(笑) 『アイ・ウォナ・ビー・クローサー』って知ってる? (と言って歌いだす)」「おおっ、知ってる、知ってる!」「ちょっとばかり長くやってるんだよ」(爆笑)
(まだまだ続く)
ENT>MUSIC>ARTIST>Ingram, Phillip
▲【シーナ・イーストン・ライヴ~フィリップ・イングラム・コーラス(パート1)】
気分転換。
マーヴィン・ゲイ翻訳で煮詰まっているところに、ブラザーKCから「気分転換に、今晩シーナ・イーストンでもいかがですか。フィリップ・イングラムも来てますし。ファーストでさくっと見て、さくっと帰りましょう」という嬉しいお誘い。さくっとなら行っちゃおうということで、午後7時、ミッドタウン・ビルボード。入るなり、すでに「ザ・ラヴァー・イン・ミー」が始まっていた。ドラムス、ギター、サックス、キーボード、バックヴォーカルの5人にシーナ・イーストンという編成。観客は、さすがに80年代に彼女のヒットを親しんだ風の年齢層高めの落ち着いた雰囲気。
そういえば、去年、松尾さんと一緒にいく予定になっていたシーナだが、その日なんとファーストを終えた後、シーナの声がでなくなり急遽キャンセルの連絡が入り、行くのを取りやめた。だが翌日、シーナはキャンセルになったが、バンドだけでしかもほぼフィリップ・イングラムがリードを歌ったショーを来たお客さんに無料で披露した、ということを聴いて驚愕した。そんなこんなでの1年振りのリヴェンジでもある。
ほぼヒット曲の構成だが、曲間でよくしゃべる。しかも、いかにもブリティッシュな感じの英語で、しかし、はっきりと聞き取りやすい英語でゆっくりしゃべってくれる。かわいらしい感じは、80年代そのものだが、それでも年輪は重ねた。メンバー紹介した後、ビルボードの照明、音響スタッフ、ホールからキッチンのスタッフまで感謝の気持ちを述べて、もちあげるもちあげる。さすが、ここ何年もラスヴェガスで定期的にショーをやっていて、エンタテインメントの真髄を知り尽くしているだけのことはある。
僕がシーナの曲で一番好きなのは、プリンスが作った「シュガーウォールズ」。それから「ユー・ガット・ザ・ルック」あたりも。やっぱりファンキーなのが好きだ。と思っていたら、なんと「ふだんはめったに歌わない曲を歌います。たぶん、20年ぶりくらいかしら。私の初期のアルバム、1枚目か2枚目に入っているジャニス・イアンの曲です。イン・ザ・ウィンター(調べたら3枚目のアルバムに収録でした)」と言ってしっとりしたバラードを歌った。いかにもジャニス風でなかなかよかった。
それにしても、トークが台本でもあるのかというほどしっかりしていて、滑らかで滑舌もよく、ストーリー展開もちゃんとしてる。
さて、お目当てのフィリップはもちろん、元モータウンのグループ、スイッチのメンバー。「ユー・ガット・ザ・ラヴ」、さらに、レコードではケニー・ロジャースとのデュエットだった「ウイヴ・ガット・トゥナイト」、バカラック・メドレーなどを歌った。バカラックの「ディス・ガイ」など、ずいぶんとルーサーっぽくてかなりいい。
アンコールが終わり、フィリップがステージを降りてくるとき、通路で松尾さんと僕はスイッチのアナログを見せたら、「おおおっ」と受けた。
(フィリップとのお話は、明日に続く)
■メンバー
シーナ・イーストン/Sheena Easton(Vocals)
フィリップ・イングラム/Phillip Ingram(Background Vocals)
ジョー・スプレイカー/Joe Spraker(Keyboards/Music Director)
エリック・ティウォルト/Eric Tewalt(Saxophone/Flute)
デイヴ・ハート/Dave Hart(Guitar)
アール・キャンベル/Earl Campbell(Drums)
■セットリスト シーナ・イーストン
Setlist : Sheena Easton @ Billboard, March 3rd, 2009
show started 19:00
01. The Lover In Me
02. Almost Over You
03. U Got The Look (Phillip)
04. ~Sugar Walls ~A Riff of Glamorous Life~U Got The Look
05. We’ve Got Tonight (Phillip + Sheena)
Ø Band introducing
06. Strut
07. In The Winter (Janis Ian song)(from third album)
08. Burt Bacharach Medley: This Guy’s In Love With You (Phillip)
~Anyone Who Had A Heart (Sheena)
~Going Out Of My Head (Phillip + Sheena)
09. Telefone (Long Distant Love Affair)
10. Morning Train (9 to 5)
11. For Your Eyes Only
Enc. Modern Girl
show ended 20:14
(2009年3月3日火曜、ビルボード・ライヴ=シーナ・イーストン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Easton, Sheena
気分転換。
マーヴィン・ゲイ翻訳で煮詰まっているところに、ブラザーKCから「気分転換に、今晩シーナ・イーストンでもいかがですか。フィリップ・イングラムも来てますし。ファーストでさくっと見て、さくっと帰りましょう」という嬉しいお誘い。さくっとなら行っちゃおうということで、午後7時、ミッドタウン・ビルボード。入るなり、すでに「ザ・ラヴァー・イン・ミー」が始まっていた。ドラムス、ギター、サックス、キーボード、バックヴォーカルの5人にシーナ・イーストンという編成。観客は、さすがに80年代に彼女のヒットを親しんだ風の年齢層高めの落ち着いた雰囲気。
そういえば、去年、松尾さんと一緒にいく予定になっていたシーナだが、その日なんとファーストを終えた後、シーナの声がでなくなり急遽キャンセルの連絡が入り、行くのを取りやめた。だが翌日、シーナはキャンセルになったが、バンドだけでしかもほぼフィリップ・イングラムがリードを歌ったショーを来たお客さんに無料で披露した、ということを聴いて驚愕した。そんなこんなでの1年振りのリヴェンジでもある。
ほぼヒット曲の構成だが、曲間でよくしゃべる。しかも、いかにもブリティッシュな感じの英語で、しかし、はっきりと聞き取りやすい英語でゆっくりしゃべってくれる。かわいらしい感じは、80年代そのものだが、それでも年輪は重ねた。メンバー紹介した後、ビルボードの照明、音響スタッフ、ホールからキッチンのスタッフまで感謝の気持ちを述べて、もちあげるもちあげる。さすが、ここ何年もラスヴェガスで定期的にショーをやっていて、エンタテインメントの真髄を知り尽くしているだけのことはある。
僕がシーナの曲で一番好きなのは、プリンスが作った「シュガーウォールズ」。それから「ユー・ガット・ザ・ルック」あたりも。やっぱりファンキーなのが好きだ。と思っていたら、なんと「ふだんはめったに歌わない曲を歌います。たぶん、20年ぶりくらいかしら。私の初期のアルバム、1枚目か2枚目に入っているジャニス・イアンの曲です。イン・ザ・ウィンター(調べたら3枚目のアルバムに収録でした)」と言ってしっとりしたバラードを歌った。いかにもジャニス風でなかなかよかった。
それにしても、トークが台本でもあるのかというほどしっかりしていて、滑らかで滑舌もよく、ストーリー展開もちゃんとしてる。
さて、お目当てのフィリップはもちろん、元モータウンのグループ、スイッチのメンバー。「ユー・ガット・ザ・ラヴ」、さらに、レコードではケニー・ロジャースとのデュエットだった「ウイヴ・ガット・トゥナイト」、バカラック・メドレーなどを歌った。バカラックの「ディス・ガイ」など、ずいぶんとルーサーっぽくてかなりいい。
アンコールが終わり、フィリップがステージを降りてくるとき、通路で松尾さんと僕はスイッチのアナログを見せたら、「おおおっ」と受けた。
(フィリップとのお話は、明日に続く)
■メンバー
シーナ・イーストン/Sheena Easton(Vocals)
フィリップ・イングラム/Phillip Ingram(Background Vocals)
ジョー・スプレイカー/Joe Spraker(Keyboards/Music Director)
エリック・ティウォルト/Eric Tewalt(Saxophone/Flute)
デイヴ・ハート/Dave Hart(Guitar)
アール・キャンベル/Earl Campbell(Drums)
■セットリスト シーナ・イーストン
Setlist : Sheena Easton @ Billboard, March 3rd, 2009
show started 19:00
01. The Lover In Me
02. Almost Over You
03. U Got The Look (Phillip)
04. ~Sugar Walls ~A Riff of Glamorous Life~U Got The Look
05. We’ve Got Tonight (Phillip + Sheena)
Ø Band introducing
06. Strut
07. In The Winter (Janis Ian song)(from third album)
08. Burt Bacharach Medley: This Guy’s In Love With You (Phillip)
~Anyone Who Had A Heart (Sheena)
~Going Out Of My Head (Phillip + Sheena)
09. Telefone (Long Distant Love Affair)
10. Morning Train (9 to 5)
11. For Your Eyes Only
Enc. Modern Girl
show ended 20:14
(2009年3月3日火曜、ビルボード・ライヴ=シーナ・イーストン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Easton, Sheena
■【毎日新聞が「おくりびと」青木氏インタヴュー、村上春樹氏「卵と壁」スピーチ全文を掲載】
掲載。
このところマーヴィン・ゲイの自伝にかかりきりなので、外にでてライヴを見ることが少なくなっているので、このブログも一般ネタばかりになってしまっていて申し訳ないが、それでも興味を持つニュースは出てくるもの。
ここ一か月だと、オバマ大統領就任スピーチ、村上春樹氏のエルサレム賞授賞式のスピーチ、そして、「おくりびと」のアカデミー受賞が僕には圧倒的に興味深かった。これでずいぶんブログ記事も書いた。
村上氏のスピーチ全文は本ブログでもすでに2009年2月20日付けでご紹介したが、その日本語と英語全文を毎日新聞が2009年3月2日付け夕刊で掲載した。(翌3月3日付けとで2回に分けての掲載) ネットでさまざまなブログを閲覧している方にはすでにおなじみのスピーチだが、紙面だとほぼ一ページの半分を使う。左横には解説も載っている。
僕も昔は何紙か購読していたが、今は古新聞が貯まる一方なので、宅配は毎日だけ。こういう特集記事になると各紙の色というか、個性が出て楽しい。一応簡単に調べてみたが、村上スピーチの日本語全文は毎日が初めてかな。青木さんへのインタヴュー内容は一番毎日がいい。
■毎日新聞2009年3月2日付け夕刊
村上春樹さん:イスラエルの文学賞「エルサレム賞」授賞式・記念講演全文/上
http://mainichi.jp/enta/art/news/20090302mog00m040057000c.html?link_id=TT003
同英文
http://mdn.mainichi.jp/mdnnews/news/20090302p2a00m0na004000c.html
■ソウル・サーチン・ブログ
February 20, 2009
Murakami Haruki’s " Always On The Side Of Egg " or Simply "Egg & Wall" (Full Text): Speech At Jerusalem Award
【村上春樹氏「エルサレム賞」スピーチ全文】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002835.html
February 21, 2009
About Haruki Murakami’s Speech For Jerusalem Award
【村上春樹氏の「エルサレム賞」受賞について】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002836.html
+++++
「おくりびと」関連、青木新門さんインタヴュー
もうひとつ、たぶん相当数インタヴューは露出しているのだろうが、毎日新聞2009年3月2日付け朝刊で「おくりびと」受賞の解説と青木新門さんのインタヴューが掲載され、読んだ。これも一ページの半分をどーんと使った記事。僕は一度薫堂さんにゆっくり話が聞きたいなあ。
■ 毎日新聞2009年3月2日付け朝刊(ウェッブではパート3まで)
おくりびと:「納棺夫日記」との違いは?なぜ原作ではない?(1)宗教色薄めて家族を描く
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090302mog00m200033000c.html
おくりびと:「納棺夫日記」との違いは?なぜ原作ではない?(2) 多くの共通点も
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090302mog00m200034000c.html
おくりびと:「納棺夫日記」との違いは?なぜ原作ではない?(3止)「納棺夫日記」著者・青木さんに聞く
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090302mog00m200035000c.html
■ 朝日新聞2009年2月25日付
「おくりびと」オスカー受賞の陰に…青木新門さん~「納棺夫日記」映画のもとに ブックインが94年に功労賞
http://mytown.asahi.com/tottori/news.php?k_id=32000000902250002
この朝日の記事も、なかなかおもしろかった。なんだか新聞切り抜き、やってるみたいです。(笑)
■ ソウル・サーチン・ブログ「おくりびと」関連
February 24, 2009
Real Departures For Soul: Motoki’s Soul Searchin Journey To India
【ソウルの真の出発】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002840.html
February 25, 2009
Roots Of "Okuribito [Departures]" : Aoki Shinmon’s Book
【青木新門氏の『納棺夫日記』は『おくりびと』の原点本】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002841.html
February 26, 2009
"Okuribito [Departures]" Saga Continues:
【「おくりびと」誕生へのご縁】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002842.html
ENT>MOVIE>Okuribito
SPEECH>Murakami, Haruki
掲載。
このところマーヴィン・ゲイの自伝にかかりきりなので、外にでてライヴを見ることが少なくなっているので、このブログも一般ネタばかりになってしまっていて申し訳ないが、それでも興味を持つニュースは出てくるもの。
ここ一か月だと、オバマ大統領就任スピーチ、村上春樹氏のエルサレム賞授賞式のスピーチ、そして、「おくりびと」のアカデミー受賞が僕には圧倒的に興味深かった。これでずいぶんブログ記事も書いた。
村上氏のスピーチ全文は本ブログでもすでに2009年2月20日付けでご紹介したが、その日本語と英語全文を毎日新聞が2009年3月2日付け夕刊で掲載した。(翌3月3日付けとで2回に分けての掲載) ネットでさまざまなブログを閲覧している方にはすでにおなじみのスピーチだが、紙面だとほぼ一ページの半分を使う。左横には解説も載っている。
僕も昔は何紙か購読していたが、今は古新聞が貯まる一方なので、宅配は毎日だけ。こういう特集記事になると各紙の色というか、個性が出て楽しい。一応簡単に調べてみたが、村上スピーチの日本語全文は毎日が初めてかな。青木さんへのインタヴュー内容は一番毎日がいい。
■毎日新聞2009年3月2日付け夕刊
村上春樹さん:イスラエルの文学賞「エルサレム賞」授賞式・記念講演全文/上
http://mainichi.jp/enta/art/news/20090302mog00m040057000c.html?link_id=TT003
同英文
http://mdn.mainichi.jp/mdnnews/news/20090302p2a00m0na004000c.html
■ソウル・サーチン・ブログ
February 20, 2009
Murakami Haruki’s " Always On The Side Of Egg " or Simply "Egg & Wall" (Full Text): Speech At Jerusalem Award
【村上春樹氏「エルサレム賞」スピーチ全文】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002835.html
February 21, 2009
About Haruki Murakami’s Speech For Jerusalem Award
【村上春樹氏の「エルサレム賞」受賞について】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002836.html
+++++
「おくりびと」関連、青木新門さんインタヴュー
もうひとつ、たぶん相当数インタヴューは露出しているのだろうが、毎日新聞2009年3月2日付け朝刊で「おくりびと」受賞の解説と青木新門さんのインタヴューが掲載され、読んだ。これも一ページの半分をどーんと使った記事。僕は一度薫堂さんにゆっくり話が聞きたいなあ。
■ 毎日新聞2009年3月2日付け朝刊(ウェッブではパート3まで)
おくりびと:「納棺夫日記」との違いは?なぜ原作ではない?(1)宗教色薄めて家族を描く
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090302mog00m200033000c.html
おくりびと:「納棺夫日記」との違いは?なぜ原作ではない?(2) 多くの共通点も
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090302mog00m200034000c.html
おくりびと:「納棺夫日記」との違いは?なぜ原作ではない?(3止)「納棺夫日記」著者・青木さんに聞く
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090302mog00m200035000c.html
■ 朝日新聞2009年2月25日付
「おくりびと」オスカー受賞の陰に…青木新門さん~「納棺夫日記」映画のもとに ブックインが94年に功労賞
http://mytown.asahi.com/tottori/news.php?k_id=32000000902250002
この朝日の記事も、なかなかおもしろかった。なんだか新聞切り抜き、やってるみたいです。(笑)
■ ソウル・サーチン・ブログ「おくりびと」関連
February 24, 2009
Real Departures For Soul: Motoki’s Soul Searchin Journey To India
【ソウルの真の出発】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002840.html
February 25, 2009
Roots Of "Okuribito [Departures]" : Aoki Shinmon’s Book
【青木新門氏の『納棺夫日記』は『おくりびと』の原点本】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002841.html
February 26, 2009
"Okuribito [Departures]" Saga Continues:
【「おくりびと」誕生へのご縁】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002842.html
ENT>MOVIE>Okuribito
SPEECH>Murakami, Haruki
●【マーヴィン・ゲイ自伝『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』~予想外の時間】
言い訳。
どうもこうもないんだが、なんでこんなに時間がかかるんだ、というのが正直なところなのだが…。レイ・チャールズ自伝のときは、同じデイヴィッド・リッツの作品なのに、比較的すいすいできて、かなりの集中で映画公開に間に合った。だが、今回は出足がちょっとおそかったこともあるのだが、それ以上に難航しているというのが正直なところ。
その理由は、まあ、いくつかあるのだが、第一に英語が難しいということがある。デイヴィッド・リッツが書いた地の文章が、彼の観察や論評、意見などがはいってきていて実に難しい。たとえば、レイ・チャールズの場合は、ほとんどレイ・チャールズの言葉を聞き書きしたと言ってもいいのだが、そのため、レイの言葉をどんどん訳していくことになる。話言葉ということもあって比較的なんとかなる。レイの言葉はわかりやすい。もちろんマーヴィンのコメントも多数あって、それはいいんだが、なにしろリッツの文が大変だ。
先日も、イギリスの詩人のところでつっかかってしまった話を書いたが、彼がインテリで教養がある分、こちらの苦労が多い。こっちは英文学など専攻してないからなあ。(苦笑) 引用も多く、それらの引用先の文献など資料に当たっていると、それでまた時間を取られる。それはそれで楽しいんだが。それだけ、彼なりの深い分析や観察があって大変やりがいがあるのだが、日本語がどうしても理屈っぽくなってしまって、何度も何度も日本語を読み直し、もっと砕けた言い方はないだろうかと考えていると、即、夜が明ける。どんぴしゃな日本が浮かんだときは、ほんとやったあ、という感じになるが、訳としては間違ってないとしても、直訳調で理屈っぽかったりすると、どうにも気持ちが浮かない。
あと、第二に僕自身の集中力が弱まっているのかなあ。(泣) ま、これは情けないと言えば情けないんだが。すぐコーヒーいれたり、たべっこ動物食べたり、ポテチに手が伸びたり、よろしくない。(笑)
今日はアルバム『アイ・ウォント・ユー』制作のあたりです。当然BGMはそれをかけながら…。
さあ、もう一息です。しばしお待ちを。
■ アイ・ウォント・ユー(デラックス・エディション)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000AFOH6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ マーヴィン・ゲイ唯一の本人語り下ろしの自伝『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』(デイヴィッド・リッツ著、吉岡正晴翻訳監修=ブルース・インターアクションズ、2009年4月17日発売予定)
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
言い訳。
どうもこうもないんだが、なんでこんなに時間がかかるんだ、というのが正直なところなのだが…。レイ・チャールズ自伝のときは、同じデイヴィッド・リッツの作品なのに、比較的すいすいできて、かなりの集中で映画公開に間に合った。だが、今回は出足がちょっとおそかったこともあるのだが、それ以上に難航しているというのが正直なところ。
その理由は、まあ、いくつかあるのだが、第一に英語が難しいということがある。デイヴィッド・リッツが書いた地の文章が、彼の観察や論評、意見などがはいってきていて実に難しい。たとえば、レイ・チャールズの場合は、ほとんどレイ・チャールズの言葉を聞き書きしたと言ってもいいのだが、そのため、レイの言葉をどんどん訳していくことになる。話言葉ということもあって比較的なんとかなる。レイの言葉はわかりやすい。もちろんマーヴィンのコメントも多数あって、それはいいんだが、なにしろリッツの文が大変だ。
先日も、イギリスの詩人のところでつっかかってしまった話を書いたが、彼がインテリで教養がある分、こちらの苦労が多い。こっちは英文学など専攻してないからなあ。(苦笑) 引用も多く、それらの引用先の文献など資料に当たっていると、それでまた時間を取られる。それはそれで楽しいんだが。それだけ、彼なりの深い分析や観察があって大変やりがいがあるのだが、日本語がどうしても理屈っぽくなってしまって、何度も何度も日本語を読み直し、もっと砕けた言い方はないだろうかと考えていると、即、夜が明ける。どんぴしゃな日本が浮かんだときは、ほんとやったあ、という感じになるが、訳としては間違ってないとしても、直訳調で理屈っぽかったりすると、どうにも気持ちが浮かない。
あと、第二に僕自身の集中力が弱まっているのかなあ。(泣) ま、これは情けないと言えば情けないんだが。すぐコーヒーいれたり、たべっこ動物食べたり、ポテチに手が伸びたり、よろしくない。(笑)
今日はアルバム『アイ・ウォント・ユー』制作のあたりです。当然BGMはそれをかけながら…。
さあ、もう一息です。しばしお待ちを。
■ アイ・ウォント・ユー(デラックス・エディション)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000AFOH6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ マーヴィン・ゲイ唯一の本人語り下ろしの自伝『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』(デイヴィッド・リッツ著、吉岡正晴翻訳監修=ブルース・インターアクションズ、2009年4月17日発売予定)
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
⊿【マーヴィン・ゲイ自伝『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』予告編】
予告編。
まあ、翻訳の苦労はあるのだが、この原書は本当におもしろい物語だ。映画の予告編の如く、本の予告編を。
著者デイヴィッド・リッツはマーヴィン・ゲイ不慮の死の前4~5年をマーヴィンと一緒に過ごし、ベルギーのオスタンデにも行き、多くの時間を過ごしている。そこからたくさんの事実を集め、そうして集めた事実をジグゾーパズルのピースをはめていくようにひとつひとつ埋めていきながら、ストーリーを構築し、ヴィヴィッドにマーヴィンの真実を浮かび上がらせる。
一体マーヴィンとはどんな人物なのか。どのような性格で、何を恐れ、何に喜びを感じていたのか。神と愛についてどう考えていたのか。交錯する性と聖と生と死。自分より17歳年上の最初の妻、アンナ。そして、自分より17歳年下の二人目の妻、ジャン。彼は二人の妻とどのように接していたのか。その野心と夢はいかに熟成し、彼の猜疑心と嫉妬はどのように大きくなっていくのか。
アイドルからアーティストへの成長。社会に目を向けた世紀の傑作『ホワッツ・ゴーイング・オン』はいかにして誕生したか。対照的に性をあからさまに歌った傑作『レッツ・ゲット・イット・オン』は誰に向けたメッセージだったのか。
なぜマーヴィンはこんなでたらめな生活を送るのか、なぜ彼はこんなに精神的に弱いのか、なぜ彼はライヴが嫌いなのか、なぜ彼は家に引きこもるのか。なぜ彼の心はこれほどまでにもろく、そのソウルはこんなにも簡単に引き裂かれてしまうのか。そのルーツにある幼少の頃からの父との壮絶な確執。父を憎み、しかし、最後の最後までずっと父に愛されたいと思い続けたマーヴィン・ゲイ。その愛と憎しみに引き裂かれたソウルが、父親に銃弾を発射させることになっていく。知られざる激動のそして壮絶な44年のマーヴィンの人生が明らかになる。
「セクシュアル・ヒーリング」の共同作者でもあるデイヴィッド・リッツがソウル作家として渾身のソウルを込めて書いた超力作。
マーヴィン・ゲイ、本人が語った唯一のオフィシャル自伝。マーヴィン生誕70周年、没後25周年記念発売。世界初翻訳、『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』!! ついに日本発売間近!!
(映画の予告編みたいですね。読みたくなったでしょう?(笑))
■ マーヴィン・ゲイ唯一の本人語り下ろしの自伝『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』(デイヴィッド・リッツ著、吉岡正晴翻訳監修=ブルース・インターアクションズ、2009年4月17日発売予定)
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
予告編。
まあ、翻訳の苦労はあるのだが、この原書は本当におもしろい物語だ。映画の予告編の如く、本の予告編を。
著者デイヴィッド・リッツはマーヴィン・ゲイ不慮の死の前4~5年をマーヴィンと一緒に過ごし、ベルギーのオスタンデにも行き、多くの時間を過ごしている。そこからたくさんの事実を集め、そうして集めた事実をジグゾーパズルのピースをはめていくようにひとつひとつ埋めていきながら、ストーリーを構築し、ヴィヴィッドにマーヴィンの真実を浮かび上がらせる。
一体マーヴィンとはどんな人物なのか。どのような性格で、何を恐れ、何に喜びを感じていたのか。神と愛についてどう考えていたのか。交錯する性と聖と生と死。自分より17歳年上の最初の妻、アンナ。そして、自分より17歳年下の二人目の妻、ジャン。彼は二人の妻とどのように接していたのか。その野心と夢はいかに熟成し、彼の猜疑心と嫉妬はどのように大きくなっていくのか。
アイドルからアーティストへの成長。社会に目を向けた世紀の傑作『ホワッツ・ゴーイング・オン』はいかにして誕生したか。対照的に性をあからさまに歌った傑作『レッツ・ゲット・イット・オン』は誰に向けたメッセージだったのか。
なぜマーヴィンはこんなでたらめな生活を送るのか、なぜ彼はこんなに精神的に弱いのか、なぜ彼はライヴが嫌いなのか、なぜ彼は家に引きこもるのか。なぜ彼の心はこれほどまでにもろく、そのソウルはこんなにも簡単に引き裂かれてしまうのか。そのルーツにある幼少の頃からの父との壮絶な確執。父を憎み、しかし、最後の最後までずっと父に愛されたいと思い続けたマーヴィン・ゲイ。その愛と憎しみに引き裂かれたソウルが、父親に銃弾を発射させることになっていく。知られざる激動のそして壮絶な44年のマーヴィンの人生が明らかになる。
「セクシュアル・ヒーリング」の共同作者でもあるデイヴィッド・リッツがソウル作家として渾身のソウルを込めて書いた超力作。
マーヴィン・ゲイ、本人が語った唯一のオフィシャル自伝。マーヴィン生誕70周年、没後25周年記念発売。世界初翻訳、『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』!! ついに日本発売間近!!
(映画の予告編みたいですね。読みたくなったでしょう?(笑))
■ マーヴィン・ゲイ唯一の本人語り下ろしの自伝『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』(デイヴィッド・リッツ著、吉岡正晴翻訳監修=ブルース・インターアクションズ、2009年4月17日発売予定)
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
△February Is Gone, Spring Has Come
2009年2月28日 音楽△【2月は去り、春がやってくる】
秒速。
なんか、秒速で時が過ぎていく。ついこの間、新年になったと思ったら、もう2月が終わる。明日からは3月だ。ふ~。
マーヴィン・ゲイが1974年、一冊の本を読んでいた。それは、マーヴィンについて書かれた本だった。とはいっても、それはフィクションの形をとった小説だ。タイトルは、「ナンバー・ワン・ウィズ・ア・ボレット(1位赤丸付き)」というもので、エレーン・ジェスマーという作家が書き1974年5月に出版したもの。
主人公の名前は、ダニエル・ストーン。黒人の人気シンガーだ。ダニエルは、レコード会社ファイネスト・レコードを持ち経営しているボブ・ヴェールという人物の姉と結婚し、ボブと義理の兄弟の関係になっている。もちろん、このファイネスト・レコードは、モータウンであり、ボブなる人物はベリー・ゴーディーを想定している。
マーヴィンによれば、この本は半分は本当だ、という。で、一時期この本を元にして映画化の話が持ち上がった。すると、ベリー・ゴーディーが映画化権を買った。しかし、映画はまったく手付かずで製作の話さえ消えた。つまり、ベリー・ゴーディーがこの小説からの映画が公開されることを嫌い、いわば「握りつぶした」のだ。『ドリーム・ガールズ』よりも数年前の話だ。
日本版は出ていないが、アメリカのアマゾンで見ると中古が何冊も出ている。マーヴィン終わったら、読んでみようかな。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0374223475/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Gaye, Marvin
秒速。
なんか、秒速で時が過ぎていく。ついこの間、新年になったと思ったら、もう2月が終わる。明日からは3月だ。ふ~。
マーヴィン・ゲイが1974年、一冊の本を読んでいた。それは、マーヴィンについて書かれた本だった。とはいっても、それはフィクションの形をとった小説だ。タイトルは、「ナンバー・ワン・ウィズ・ア・ボレット(1位赤丸付き)」というもので、エレーン・ジェスマーという作家が書き1974年5月に出版したもの。
主人公の名前は、ダニエル・ストーン。黒人の人気シンガーだ。ダニエルは、レコード会社ファイネスト・レコードを持ち経営しているボブ・ヴェールという人物の姉と結婚し、ボブと義理の兄弟の関係になっている。もちろん、このファイネスト・レコードは、モータウンであり、ボブなる人物はベリー・ゴーディーを想定している。
マーヴィンによれば、この本は半分は本当だ、という。で、一時期この本を元にして映画化の話が持ち上がった。すると、ベリー・ゴーディーが映画化権を買った。しかし、映画はまったく手付かずで製作の話さえ消えた。つまり、ベリー・ゴーディーがこの小説からの映画が公開されることを嫌い、いわば「握りつぶした」のだ。『ドリーム・ガールズ』よりも数年前の話だ。
日本版は出ていないが、アメリカのアマゾンで見ると中古が何冊も出ている。マーヴィン終わったら、読んでみようかな。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0374223475/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Gaye, Marvin
☆【マーヴィン・ゲイのもうひとつの傑作『レッツ・ゲット・イット・オン』】
詩人。
マーヴィン自伝『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』翻訳作業は遅々としてなんとか進んでいるが…。カンパケ作業が36章中18章まで一応終わった。ページでは340ページ分の185ページまで。
しかし、この18章がたぶん全36章中最大の難関だった。時代はマーヴィンが『レッツ・ゲット・イット・オン』を出した1973年。著者のデイヴィッド・リッツが、マーヴィンのこのエロティック・ソウルの傑作『レッツ・ゲット・イット・オン』を16世紀あたりの詩人たちと比較するのだ。これがやっかいで、普段、詩などを読まない僕には超難易度高い。(苦笑)
最初はイタリアの詩人・哲学者ダンテ(1265年~1321年)。その詩集『新星』から1行引用。また、ダンテの『神曲』の一部。次がT.S.エリオット(1888年~1965年)。そして難解なイギリスの17世紀の詩人、アンドリュー・マーヴェル(1621年~1678年)。彼の「To His Coy Mistress(内気な恋人に贈る、はにかむ恋人へ)」という詩から6行ほど。続いて、イギリスの詩人トマス・カリュー(1595年~1640年)の『ラプチャー』(アニタ・ベイカーではありません)という詩から2行。イギリスの詩人ジョン・ダン(1572年~1631年)は1610年頃の作品『ホリー・ソネッツ(聖なる14行詩)』から4行ほど。
なんとなく雰囲気でわかるところもあるのだが、単語自体が辞書にでてなかったり、おそらく、古い英語なんだろう、わけわからない。(笑) いろいろ調べているのだが、邦訳がでているものも少ないか、絶版だ。ものによってはヤフオクで何万円もする全集みたいのがあった。あとは大きな図書館に行くしかないかな。
興味深いのは、13世紀、ダンテが9歳のときに、同じ年の美少女ベアトリーチェ(ビーチェ)と出会い、一目惚れする。それは創作の大いなる原動力となるのだが、マーヴィンは33歳のときに16歳の美少女ジャンと出会い、衝撃を受け一目惚れする。著者デイヴィッド・リッツは、これを結びつけて論じるのだ。そして、マーヴィンもそれに興味を持っていく。このあたりが、デイヴィッドらしい。
どなたか、英文学に精通されている方でひょっとしたら手助けできるかもしれないという方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。大感謝いたします。
アドレスは ebs@st.rim.or.jp です。
それにしても、ここを訳しながら、ずっと『レッツ・ゲット・イット・オン』をかけていたのだが、改めていいアルバムだという思いを新たにした。
■ レッツ・ゲット・イット・オン(2枚組み)(デモ・ヴァージョンなども収録されているお勧め盤)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005O02R/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
詩人。
マーヴィン自伝『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』翻訳作業は遅々としてなんとか進んでいるが…。カンパケ作業が36章中18章まで一応終わった。ページでは340ページ分の185ページまで。
しかし、この18章がたぶん全36章中最大の難関だった。時代はマーヴィンが『レッツ・ゲット・イット・オン』を出した1973年。著者のデイヴィッド・リッツが、マーヴィンのこのエロティック・ソウルの傑作『レッツ・ゲット・イット・オン』を16世紀あたりの詩人たちと比較するのだ。これがやっかいで、普段、詩などを読まない僕には超難易度高い。(苦笑)
最初はイタリアの詩人・哲学者ダンテ(1265年~1321年)。その詩集『新星』から1行引用。また、ダンテの『神曲』の一部。次がT.S.エリオット(1888年~1965年)。そして難解なイギリスの17世紀の詩人、アンドリュー・マーヴェル(1621年~1678年)。彼の「To His Coy Mistress(内気な恋人に贈る、はにかむ恋人へ)」という詩から6行ほど。続いて、イギリスの詩人トマス・カリュー(1595年~1640年)の『ラプチャー』(アニタ・ベイカーではありません)という詩から2行。イギリスの詩人ジョン・ダン(1572年~1631年)は1610年頃の作品『ホリー・ソネッツ(聖なる14行詩)』から4行ほど。
なんとなく雰囲気でわかるところもあるのだが、単語自体が辞書にでてなかったり、おそらく、古い英語なんだろう、わけわからない。(笑) いろいろ調べているのだが、邦訳がでているものも少ないか、絶版だ。ものによってはヤフオクで何万円もする全集みたいのがあった。あとは大きな図書館に行くしかないかな。
興味深いのは、13世紀、ダンテが9歳のときに、同じ年の美少女ベアトリーチェ(ビーチェ)と出会い、一目惚れする。それは創作の大いなる原動力となるのだが、マーヴィンは33歳のときに16歳の美少女ジャンと出会い、衝撃を受け一目惚れする。著者デイヴィッド・リッツは、これを結びつけて論じるのだ。そして、マーヴィンもそれに興味を持っていく。このあたりが、デイヴィッドらしい。
どなたか、英文学に精通されている方でひょっとしたら手助けできるかもしれないという方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。大感謝いたします。
アドレスは ebs@st.rim.or.jp です。
それにしても、ここを訳しながら、ずっと『レッツ・ゲット・イット・オン』をかけていたのだが、改めていいアルバムだという思いを新たにした。
■ レッツ・ゲット・イット・オン(2枚組み)(デモ・ヴァージョンなども収録されているお勧め盤)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005O02R/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
◎"Okuribito [Departures]" Saga Continues:
2009年2月26日 音楽◎【「おくりびと」誕生へのご縁】
縁。
この「おくりびと」誕生までは本当にいろいろな話があるようだ。それらは一言で、「ご縁」という言葉でつながる。
いろいろ見てておもしろいな、と思ったのが、本木さんが奥さんとなる内田也哉子さんと知り合うきっかけが、1993年のアカデミー賞のテレビ中継だったらしい。それから16年後、彼らは夫婦でロスに行き、本木さんはそのアカデミー賞を受賞するのだから、すごい縁だ。
また、監督の滝田洋二郎氏は、もともといわゆるピンク映画(成人映画)からキャリアを積み上げた人で、その彼は1986年、『コミック雑誌なんかいらない!』から一般映画を監督し始める。彼が一般映画を撮り出す最大のターニング・ポイントとなったのがこの『コミック…』なのだが、この映画を撮るにあたって滝田監督を抜擢したのが、そもそもこの映画の発案者だった内田裕也さんだった。
内田さんは、成人映画の監督だった滝田氏を一般映画の世界に招きいれ、その滝田さんは以後、一般映画で着実に実績を積み上げ、今回の『おくりびと』へつながる。その企画案が内田さんの義理の息子、本木さんから出ているわけだ。これまたすごいご縁だ。
本木さんはこの映画の成功の要因に脚本の小山薫堂さんの名前をあげているが、本木さん、小山さん、そして、滝田さんのつながりは、いつ頃、どのようにしてできたのだろうか。
そしてなにより、本木さんが出会った『納棺夫日記』。これこそ最大のご縁だろう。
いろいろなテレビなどで本木さんのインタヴューが出ていたが、ひじょうに真摯なまじめな映画人という印象を受けた。ひょっとして、映画プロデューサー兼俳優として日本のクリント・イーストウッドみたいになれるのではないか。
■ ざっと不完全な年表
1986年 『コミック雑誌はいらない!』(滝田氏、一般映画へ進出。内田裕也氏の抜擢)
1993年 本木氏、インド旅行
1993年3月 青木新門氏 『納棺夫日記』上梓
1993年3月? アカデミー賞で本木氏、内田也哉子さんと知り合う。
1993年10月 本木氏、自身の写真集に『納棺夫日記』からの引用許諾をもらうため、青木氏にコンタクト
1993年12月 本木氏 『天空静座 - HILL HEAVEN』上梓
1995年5月 本木氏、内田也哉子さんと結婚
2005年頃? 映画『おくりびと』企画、産声をあげる
2008年9月 『おくりびと』ロードショー公開
2009年2月 アカデミー賞「外国語映画賞」受賞
抜けているところを徐々にでも埋めていきたい。
■ 「おくりびと」関連記事
February 25, 2009
Roots Of "Okuribito [Departures]" : Aoki Shinmon’s Book
【青木新門氏の『納棺夫日記』は『おくりびと』の原点本】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002841.html
February 24, 2009
Real Departures For Soul: Motoki’s Soul Searchin Journey To India
【ソウルの真の出発】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002840.html
ENT>AWARD>ACADEMY
縁。
この「おくりびと」誕生までは本当にいろいろな話があるようだ。それらは一言で、「ご縁」という言葉でつながる。
いろいろ見てておもしろいな、と思ったのが、本木さんが奥さんとなる内田也哉子さんと知り合うきっかけが、1993年のアカデミー賞のテレビ中継だったらしい。それから16年後、彼らは夫婦でロスに行き、本木さんはそのアカデミー賞を受賞するのだから、すごい縁だ。
また、監督の滝田洋二郎氏は、もともといわゆるピンク映画(成人映画)からキャリアを積み上げた人で、その彼は1986年、『コミック雑誌なんかいらない!』から一般映画を監督し始める。彼が一般映画を撮り出す最大のターニング・ポイントとなったのがこの『コミック…』なのだが、この映画を撮るにあたって滝田監督を抜擢したのが、そもそもこの映画の発案者だった内田裕也さんだった。
内田さんは、成人映画の監督だった滝田氏を一般映画の世界に招きいれ、その滝田さんは以後、一般映画で着実に実績を積み上げ、今回の『おくりびと』へつながる。その企画案が内田さんの義理の息子、本木さんから出ているわけだ。これまたすごいご縁だ。
本木さんはこの映画の成功の要因に脚本の小山薫堂さんの名前をあげているが、本木さん、小山さん、そして、滝田さんのつながりは、いつ頃、どのようにしてできたのだろうか。
そしてなにより、本木さんが出会った『納棺夫日記』。これこそ最大のご縁だろう。
いろいろなテレビなどで本木さんのインタヴューが出ていたが、ひじょうに真摯なまじめな映画人という印象を受けた。ひょっとして、映画プロデューサー兼俳優として日本のクリント・イーストウッドみたいになれるのではないか。
■ ざっと不完全な年表
1986年 『コミック雑誌はいらない!』(滝田氏、一般映画へ進出。内田裕也氏の抜擢)
1993年 本木氏、インド旅行
1993年3月 青木新門氏 『納棺夫日記』上梓
1993年3月? アカデミー賞で本木氏、内田也哉子さんと知り合う。
1993年10月 本木氏、自身の写真集に『納棺夫日記』からの引用許諾をもらうため、青木氏にコンタクト
1993年12月 本木氏 『天空静座 - HILL HEAVEN』上梓
1995年5月 本木氏、内田也哉子さんと結婚
2005年頃? 映画『おくりびと』企画、産声をあげる
2008年9月 『おくりびと』ロードショー公開
2009年2月 アカデミー賞「外国語映画賞」受賞
抜けているところを徐々にでも埋めていきたい。
■ 「おくりびと」関連記事
February 25, 2009
Roots Of "Okuribito [Departures]" : Aoki Shinmon’s Book
【青木新門氏の『納棺夫日記』は『おくりびと』の原点本】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002841.html
February 24, 2009
Real Departures For Soul: Motoki’s Soul Searchin Journey To India
【ソウルの真の出発】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002840.html
ENT>AWARD>ACADEMY
○【青木新門氏の『納棺夫日記』は『おくりびと』の原点本】
原点本。
昨日付け本ブログでアカデミー賞「外国語映画部門」を獲得した日本映画『おくりびと』とそのアイデアの元になった『納棺夫日記』について書いた。さっそく複数の方からこれに関してメールをいただいた。どちらの方も青木さんと間接的に接点がある方たちで媒体には出ていない内容を知らせてくださった。ありがとうございます。
さらに、その後も、さまざまな媒体で青木さん自身がコメントをだされたりしている。そうした情報を読むと、昨日速攻で書いた文章『Real Departures For Soul: Motoki’s Soul Searchin Journey To India~ソウルの真の出発』は、もう一度改めて書き直さなければならない。(近いうちにやります)
僕や多くの人が持っている一番の疑問。それはなぜ青木さんの『納棺夫日記』はオフィシャルな原作本となっていないのか。一番端的な理由は、2009年2月24日付け毎日新聞の次の記事に明らかになっている。
毎日新聞2009年2月24日付け朝刊
http://mainichi.jp/enta/cinema/archive/news/2009/02/24/20090224ddm041200157000c.html
~しかし、封切り直前、「原作者」とされることは拒んだ。一番描いてほしかった「『おくりびと』が(死者を)どこに送るのか」が描かれていなかったからだ。~
当初、映画化したいと本木さんが青木さんに言ったときには、「これは映画化できる話ではない」と断ったという。しかし、それでも本木さんは諦めずに、青木さんのところに足を運んだり、手紙を書いたりした。最初の脚本を見たときはやはり青木さんにとっては不本意で、映画化の話は一度振り出しに戻った。しかし、本木さんは諦めずに、タイトルも変え、脚本も書き直して持っていった。すると、その熱意に負けたのか青木さんから、原作と青木さんの名前を出さないという条件なら映画化してもいいという言葉をもらったという。
書き出し。
書き出しは、全ての出発点。文章で一番重要だ。僕は小学校の国語の先生(藤本先生)にそう習った。そして、『納棺夫日記』の書き出しは、実に見事だ。
「今朝、立山に雪が来た。
全身に殺気にも似た冷気が走る。~」(『納棺夫日記』青木新門・著)
映画の舞台、ロケはさまざまな事情があったのだろう。山形県庄内市になる。青木さんは、富山に大変こだわりのある方だった。この冒頭の一文からして、映画の舞台が立山でなくては、原作者としては譲れないだろう。
また、青木さんは「納棺夫」という言葉にこだわりがあったようだ。映画では「納棺師」とされている。これは、最近では女性でもこの仕事をするために、業界的には、「納棺師」という言い方が一般的らしい。だが、この物語は「納棺夫」の物語だ。
納棺の仕事は宗教性と無縁ではなく、そのあたりが省かれている点も気になったらしい。とはいうものの、映画は映画としてエンタテインメントにしなければならないので、そのあたりのさじ加減は実にむずかしい。
2月24日日本テレビ系『みやねや』(午後2時~)で青木さん本人がインタヴューに答えられていた。それによると、本木さんが映画がほぼできて「やはり、原作として名前をいれさせてください」と懇願しにきた。食事処で本木さんは出されたものに箸もつけず、1時間半ずっと正座したまま、懇願し続けたという。青木さんはその真摯な姿勢に打たれたが、『納棺夫日記』は『納棺夫日記』、『おくりびと』は『おくりびと』でいいではありませんか、と言ったという。
僕はこの話を聞いて、どちらも立派だと感動した。青木さんは青木さんで筋を通し、この本を映画化することを許可した。そして本木さんは本木さんで、最後の最後まで原作クレジットをいれることにこだわった。だが、こうして原作クレジットは入らずとも、本木さんがこの本についてあちこちで話したことで、この映画の原点がここにあるということが明らかにされ、これは十分に恩返し(クレジットを与えている)しているように思える。しかも、アカデミーという超ど級の御礼がついた。
青木さんは原作本としては名前を貸さなかったが、ふたりの関係はひじょうに良好で、青木さんは本木さんに大変好印象を持っている。『~それでも先月末、本木さんからノミネートの知らせを受けた時は、素直に「おめでとう。蛆(うじ)の光はオスカーの黄金の光とつながっています」と伝えた。~』(上記・毎日新聞・記事)
『納棺夫日記』はほとんど自費出版に近いもので、初版は500部(毎日新聞の記事では2500部)とかなりの少部数だったそうだ。しかし、そんな本を、本木さんは一体どこでどのようにして手に入れたのだろう。新たな疑問が浮かびあがった。
「映画と本は別物だ」と青木さんは言う。まったくその通りだと思う。しかし、僕は、これについて映画の原作本ではなく、新たな呼称を授けたい。『納棺夫日記』は、『おくりびと』の「原点本」だ、と。映画と書籍の新しいいい関係だと思う。
■ 参考記事
なんと糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」で昨年、『おくりびと』についての糸井氏、学者の中沢新一氏、本木さんの3人の深い対談がでていました。よくわかる読み応えある対談です。
http://www.1101.com/okuribito/index.html
February 24, 2009
Real Departures For Soul: Motoki’s Soul Searchin Journey To India
【ソウルの真の出発】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002840.html
++
ちなみに、「納棺夫」という言葉に英語の定訳はないようだが、Coffin’s ManとかCasket Manあたりでいいのだろうか。
ENT>AWARDS>Oscar>81st, Winners
ENT>MOVIES>Okuribito, Departures
原点本。
昨日付け本ブログでアカデミー賞「外国語映画部門」を獲得した日本映画『おくりびと』とそのアイデアの元になった『納棺夫日記』について書いた。さっそく複数の方からこれに関してメールをいただいた。どちらの方も青木さんと間接的に接点がある方たちで媒体には出ていない内容を知らせてくださった。ありがとうございます。
さらに、その後も、さまざまな媒体で青木さん自身がコメントをだされたりしている。そうした情報を読むと、昨日速攻で書いた文章『Real Departures For Soul: Motoki’s Soul Searchin Journey To India~ソウルの真の出発』は、もう一度改めて書き直さなければならない。(近いうちにやります)
僕や多くの人が持っている一番の疑問。それはなぜ青木さんの『納棺夫日記』はオフィシャルな原作本となっていないのか。一番端的な理由は、2009年2月24日付け毎日新聞の次の記事に明らかになっている。
毎日新聞2009年2月24日付け朝刊
http://mainichi.jp/enta/cinema/archive/news/2009/02/24/20090224ddm041200157000c.html
~しかし、封切り直前、「原作者」とされることは拒んだ。一番描いてほしかった「『おくりびと』が(死者を)どこに送るのか」が描かれていなかったからだ。~
当初、映画化したいと本木さんが青木さんに言ったときには、「これは映画化できる話ではない」と断ったという。しかし、それでも本木さんは諦めずに、青木さんのところに足を運んだり、手紙を書いたりした。最初の脚本を見たときはやはり青木さんにとっては不本意で、映画化の話は一度振り出しに戻った。しかし、本木さんは諦めずに、タイトルも変え、脚本も書き直して持っていった。すると、その熱意に負けたのか青木さんから、原作と青木さんの名前を出さないという条件なら映画化してもいいという言葉をもらったという。
書き出し。
書き出しは、全ての出発点。文章で一番重要だ。僕は小学校の国語の先生(藤本先生)にそう習った。そして、『納棺夫日記』の書き出しは、実に見事だ。
「今朝、立山に雪が来た。
全身に殺気にも似た冷気が走る。~」(『納棺夫日記』青木新門・著)
映画の舞台、ロケはさまざまな事情があったのだろう。山形県庄内市になる。青木さんは、富山に大変こだわりのある方だった。この冒頭の一文からして、映画の舞台が立山でなくては、原作者としては譲れないだろう。
また、青木さんは「納棺夫」という言葉にこだわりがあったようだ。映画では「納棺師」とされている。これは、最近では女性でもこの仕事をするために、業界的には、「納棺師」という言い方が一般的らしい。だが、この物語は「納棺夫」の物語だ。
納棺の仕事は宗教性と無縁ではなく、そのあたりが省かれている点も気になったらしい。とはいうものの、映画は映画としてエンタテインメントにしなければならないので、そのあたりのさじ加減は実にむずかしい。
2月24日日本テレビ系『みやねや』(午後2時~)で青木さん本人がインタヴューに答えられていた。それによると、本木さんが映画がほぼできて「やはり、原作として名前をいれさせてください」と懇願しにきた。食事処で本木さんは出されたものに箸もつけず、1時間半ずっと正座したまま、懇願し続けたという。青木さんはその真摯な姿勢に打たれたが、『納棺夫日記』は『納棺夫日記』、『おくりびと』は『おくりびと』でいいではありませんか、と言ったという。
僕はこの話を聞いて、どちらも立派だと感動した。青木さんは青木さんで筋を通し、この本を映画化することを許可した。そして本木さんは本木さんで、最後の最後まで原作クレジットをいれることにこだわった。だが、こうして原作クレジットは入らずとも、本木さんがこの本についてあちこちで話したことで、この映画の原点がここにあるということが明らかにされ、これは十分に恩返し(クレジットを与えている)しているように思える。しかも、アカデミーという超ど級の御礼がついた。
青木さんは原作本としては名前を貸さなかったが、ふたりの関係はひじょうに良好で、青木さんは本木さんに大変好印象を持っている。『~それでも先月末、本木さんからノミネートの知らせを受けた時は、素直に「おめでとう。蛆(うじ)の光はオスカーの黄金の光とつながっています」と伝えた。~』(上記・毎日新聞・記事)
『納棺夫日記』はほとんど自費出版に近いもので、初版は500部(毎日新聞の記事では2500部)とかなりの少部数だったそうだ。しかし、そんな本を、本木さんは一体どこでどのようにして手に入れたのだろう。新たな疑問が浮かびあがった。
「映画と本は別物だ」と青木さんは言う。まったくその通りだと思う。しかし、僕は、これについて映画の原作本ではなく、新たな呼称を授けたい。『納棺夫日記』は、『おくりびと』の「原点本」だ、と。映画と書籍の新しいいい関係だと思う。
■ 参考記事
なんと糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」で昨年、『おくりびと』についての糸井氏、学者の中沢新一氏、本木さんの3人の深い対談がでていました。よくわかる読み応えある対談です。
http://www.1101.com/okuribito/index.html
February 24, 2009
Real Departures For Soul: Motoki’s Soul Searchin Journey To India
【ソウルの真の出発】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002840.html
++
ちなみに、「納棺夫」という言葉に英語の定訳はないようだが、Coffin’s ManとかCasket Manあたりでいいのだろうか。
ENT>AWARDS>Oscar>81st, Winners
ENT>MOVIES>Okuribito, Departures
◆【ソウルの真の出発】
出発。
第81回アカデミー賞・外国語映画部門で日本の映画『おくりびと(英語タイトルDepartures)』が受賞した。今回これを機にいろいろ調べたら、なかなか興味深かったので、簡単にまとめてみたい。
+++
インド。
1993年、俳優本木雅弘(1965年12月21日生まれ)は『メメントモリ(ラテン語/死を想え)』(藤原新也・著=情報センター出版局刊)などの影響もあり、プライヴェートでインドに旅行した。悠久のガンジス川で彼が見たものは、そこをゆったりと流れる遺体だった。その横で日常を送る人々、生と死の共存を垣間見る。そのとき、彼は死生観というもので大きなカルチャー・ショックを受けた。日本に帰り彼はそうしたものについての書籍をむさぼるように読み出す。上野正彦氏の「死体は語る」や、熊田紺也氏の「死体とご遺体 夫婦湯灌師と4000体の出会い」などだった。そんな中に、富山県の一地方出版社から発売された『納棺夫日記』(青木新門・著=桂書房、1993年)があった。
本木はこれを読んで感銘。本木は言う。「その本で納棺師という仕事を知りまして、そのときに、見知らぬ男が見知らぬご遺体を前にふき清め、仏着を着せて棺に納めるという一連の作業が職業として存在するということに大変衝撃を受けました。そしてそれがとてもミステリアスである種エロチックで、何だかとても映画的だと感じたことを覚えています」(シネマトゥデイのインタヴュー・文・平野敦子)
シネマトゥデイ・本木雅弘インタヴュー↓
http://cinematoday.jp/page/A0001898
本木はこのインドの旅を一冊の作品にまとめようと、写真と文で作品を作る。その中で彼は、『納棺夫日記』で感銘を受けた文章を引用したく、著者の青木氏(1937年生まれ)に連絡をいれる。青木氏は快諾、彼が引用した文章は「蛆(うじ)も命なのだ。そう思うと蛆(うじ)たちが光って見えた」というものだった。インド・ベナレスのガンジス川岸辺で送り火を手にした上半身裸の本木の写真の横にこの一文をいれた。
青木氏の著作『納棺夫日記』は、死去した遺体を洗い清め、納棺することを仕事にする納棺夫を描いたもので、これは青木氏本人の自伝的著作でもあった。彼が引用するほど感銘を受けたのはこのシーンだ。
「目の錯覚のせいか、少し盛り上がった布団が動いたような気がした。それよりも、部屋の中に豆をばらまいたように見える白いものが気になった。
よく見ると、蛆(うじ)だと分かった。蛆が布団の中から出てきて、部屋中に広がり、廊下まで這い出している。─(略)─
お棺を置き、布団をはぐった瞬間、一瞬ぞっとした。後ろにいた警察官は顔をそむけ後退りし、箒(ほうき)を届けに来た男などは、家の外まで飛び出していった。
無数の蛆が肋骨の中で波打つように蠢いていたのである。
蛆を掃き集めているうちに、一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきた。そして、蛆たちが捕まるまいと必死に逃げているのに気づいた。柱をよじ登って逃げようとしているのまでいる。
蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた。」
(青木新門・著『納棺夫日記 増補改訂版』=文藝春秋、1996年)
本木の写真集は『天空静座 - HILL HEAVEN』として、1993年12月に発売される。MARCのデータベースによると、この本は「暗黒の"死"が"幸福"の頂点となる。生と死が1つに溶け合う。巨大で不可解なインドの風土の写真、文学の一文、詩、フィルム・メモワール、寄稿、投稿などが混然となって伝える、"天国"のかたち」ということだ。インドで受けた強烈な死生観を余すことなく彼は写真集と文で表現した。彼はこのインドの旅、そして、この『納棺夫日記』以来、これを映画化したいと漠然と思うようになる。僕は本木がこのインドの旅、そして、こうした本を読むことによって相当深いソウル・サーチンをしたと思う。
この経緯について、青木氏は本人のホームページでも触れている。
青木氏ウェッブ↓
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shinmon/news.htm
『納棺夫日記』は、地方発信の書籍として評判を呼び、その約3年後、文芸春秋社から1996年7月発売。さらにベストセラーとなった。
熱望。
本木は、依然この物語を映画化したいと熱望し続けた。しかし題材が地味であることなどからなかなかゴー・サインはでなかった。さまざまな紆余曲折を経て、2005年頃、制作準備が始まった。インドへの旅からすでに12年の歳月が流れていた。
監督に滝田洋二郎(1955年12月4日生まれ)氏、脚本に売れっ子放送作家小山薫堂(1964年6月23日生まれ)氏などがあたり、さらに広告代理店、放送局などが集まった製作委員会が結成され、映画製作が始まった。当初は原作が『納棺夫日記』になる雰囲気だったが、映画の脚本の第一稿を読んだ青木氏がどうやら自分の本のイメージと違うということ、また青木氏が住む富山ではなく、映画の舞台・ロケ地が山形県庄内市になることなどで、原作からは降りることになったらしい。このあたりの事情はさまざまなことがあるのだろう。推測でしかない。しかし、原作クレジットはなくとも、この映画を作るきっかっけとなった作品は『納棺夫日記』であることにはまちがいない。
映画は2008年夏までに完成し、9月に全国で公開された。映画は静かにヒット。すぐに第32回モントリオール世界映画祭でグランプリを獲得するなど、さまざまな賞を総なめにしていく。約半年で日本で250万人が映画を見たという。『納棺夫日記』とは別の映画脚本を元にした映画のノヴェライズという手法で『おくりびと』という本も出た。そして2009年2月20日、日本アカデミー賞10部門獲得。勢いがついていた。
そして、2009年2月22日(現地時間)。ロス・アンジェルス・コダック・シアター。「外国語映画賞」発表。日本時間23日午後1時07分。プレゼンターが封を切って、言う。「オスカー・ゴーズ・トゥー…。…デパーチャーズ! ジャパン!」
本木雅弘、広末涼子らと壇上に上がった滝田監督は喜びをかみしめながらカタカナ英語で挨拶した。「Thank you to all the Academy. Thank you to everybody who help this film. I am very happy. Thank you. I am here because of film. This is a new departure for me. I will, we will be back, ... I hope. Thank you, arigatou!」
授賞式はその後も今年のハイライト「スラムドッグ&ミリオネア」の大量受賞とともに進んでいった。ライヴ・ショーの最後、「ベスト・ピクチャー(最優秀映画)」の発表となった。5本のノミネートから選ばれたのは、この日8部門目の獲得となった圧勝の「スラムドッグ」だった。
この映画もまたインドを舞台にした作品だった。ステージには多くのインド人出演者も上がった。「スラムドッグ」に「おくりびと」。どちらも言ってみればインドにルーツを持つ作品だ。「おくりびと」のすべては本木雅弘のインドへの旅から始まり、これを何が何でも映画化したいという強い彼の気持ちがすべてを動かした。そうして、インドにおけるソウル・サーチンが生み出したまったく別の2本の映画に、同じ日、同じ場所で、同じ瞬間、世界が見つめる中、世界の栄光と映画の神様が微笑んだ。ソウルを知っている人たちは素晴らしい。
■第81回オスカー・アカデミー賞
February 23, 2009
OSCAR, 81st Academy Awards Final: New Departure For Japanese Film
http://blog.soulsearchin.com/archives/002839.html
■おくりびと[DVD] はやくも2009年3月18日発売
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001Q2HNOW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
おくりびと [DVD]posted with amazlet at 09.02.24アミューズソフトエンタテインメント (2009-03-18)売り上げランキング: 1Amazon.co.jp で詳細を見る
■定本『納棺夫日記』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4903351351/soulsearchiho-22/ref=nosim/
定本納棺夫日記 2版posted with amazlet at 09.02.24青木 新門 桂書房 売り上げランキング: 100Amazon.co.jp で詳細を見る
■『納棺夫日記』 その文庫版
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167323028/soulsearchiho-22/ref=nosim/
納棺夫日記 (文春文庫)posted with amazlet at 09.02.24青木 新門 文藝春秋 売り上げランキング: 1Amazon.co.jp で詳細を見る
■おくりびと(映画のノヴェライズ版)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094082840/soulsearchiho-22/ref=nosim/
おくりびと (小学館文庫)posted with amazlet at 09.02.24百瀬 しのぶ 小学館 売り上げランキング: 26Amazon.co.jp で詳細を見る
ENT>AWARDS>Oscar>81st, Winners
出発。
第81回アカデミー賞・外国語映画部門で日本の映画『おくりびと(英語タイトルDepartures)』が受賞した。今回これを機にいろいろ調べたら、なかなか興味深かったので、簡単にまとめてみたい。
+++
インド。
1993年、俳優本木雅弘(1965年12月21日生まれ)は『メメントモリ(ラテン語/死を想え)』(藤原新也・著=情報センター出版局刊)などの影響もあり、プライヴェートでインドに旅行した。悠久のガンジス川で彼が見たものは、そこをゆったりと流れる遺体だった。その横で日常を送る人々、生と死の共存を垣間見る。そのとき、彼は死生観というもので大きなカルチャー・ショックを受けた。日本に帰り彼はそうしたものについての書籍をむさぼるように読み出す。上野正彦氏の「死体は語る」や、熊田紺也氏の「死体とご遺体 夫婦湯灌師と4000体の出会い」などだった。そんな中に、富山県の一地方出版社から発売された『納棺夫日記』(青木新門・著=桂書房、1993年)があった。
本木はこれを読んで感銘。本木は言う。「その本で納棺師という仕事を知りまして、そのときに、見知らぬ男が見知らぬご遺体を前にふき清め、仏着を着せて棺に納めるという一連の作業が職業として存在するということに大変衝撃を受けました。そしてそれがとてもミステリアスである種エロチックで、何だかとても映画的だと感じたことを覚えています」(シネマトゥデイのインタヴュー・文・平野敦子)
シネマトゥデイ・本木雅弘インタヴュー↓
http://cinematoday.jp/page/A0001898
本木はこのインドの旅を一冊の作品にまとめようと、写真と文で作品を作る。その中で彼は、『納棺夫日記』で感銘を受けた文章を引用したく、著者の青木氏(1937年生まれ)に連絡をいれる。青木氏は快諾、彼が引用した文章は「蛆(うじ)も命なのだ。そう思うと蛆(うじ)たちが光って見えた」というものだった。インド・ベナレスのガンジス川岸辺で送り火を手にした上半身裸の本木の写真の横にこの一文をいれた。
青木氏の著作『納棺夫日記』は、死去した遺体を洗い清め、納棺することを仕事にする納棺夫を描いたもので、これは青木氏本人の自伝的著作でもあった。彼が引用するほど感銘を受けたのはこのシーンだ。
「目の錯覚のせいか、少し盛り上がった布団が動いたような気がした。それよりも、部屋の中に豆をばらまいたように見える白いものが気になった。
よく見ると、蛆(うじ)だと分かった。蛆が布団の中から出てきて、部屋中に広がり、廊下まで這い出している。─(略)─
お棺を置き、布団をはぐった瞬間、一瞬ぞっとした。後ろにいた警察官は顔をそむけ後退りし、箒(ほうき)を届けに来た男などは、家の外まで飛び出していった。
無数の蛆が肋骨の中で波打つように蠢いていたのである。
蛆を掃き集めているうちに、一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきた。そして、蛆たちが捕まるまいと必死に逃げているのに気づいた。柱をよじ登って逃げようとしているのまでいる。
蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた。」
(青木新門・著『納棺夫日記 増補改訂版』=文藝春秋、1996年)
本木の写真集は『天空静座 - HILL HEAVEN』として、1993年12月に発売される。MARCのデータベースによると、この本は「暗黒の"死"が"幸福"の頂点となる。生と死が1つに溶け合う。巨大で不可解なインドの風土の写真、文学の一文、詩、フィルム・メモワール、寄稿、投稿などが混然となって伝える、"天国"のかたち」ということだ。インドで受けた強烈な死生観を余すことなく彼は写真集と文で表現した。彼はこのインドの旅、そして、この『納棺夫日記』以来、これを映画化したいと漠然と思うようになる。僕は本木がこのインドの旅、そして、こうした本を読むことによって相当深いソウル・サーチンをしたと思う。
この経緯について、青木氏は本人のホームページでも触れている。
青木氏ウェッブ↓
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shinmon/news.htm
『納棺夫日記』は、地方発信の書籍として評判を呼び、その約3年後、文芸春秋社から1996年7月発売。さらにベストセラーとなった。
熱望。
本木は、依然この物語を映画化したいと熱望し続けた。しかし題材が地味であることなどからなかなかゴー・サインはでなかった。さまざまな紆余曲折を経て、2005年頃、制作準備が始まった。インドへの旅からすでに12年の歳月が流れていた。
監督に滝田洋二郎(1955年12月4日生まれ)氏、脚本に売れっ子放送作家小山薫堂(1964年6月23日生まれ)氏などがあたり、さらに広告代理店、放送局などが集まった製作委員会が結成され、映画製作が始まった。当初は原作が『納棺夫日記』になる雰囲気だったが、映画の脚本の第一稿を読んだ青木氏がどうやら自分の本のイメージと違うということ、また青木氏が住む富山ではなく、映画の舞台・ロケ地が山形県庄内市になることなどで、原作からは降りることになったらしい。このあたりの事情はさまざまなことがあるのだろう。推測でしかない。しかし、原作クレジットはなくとも、この映画を作るきっかっけとなった作品は『納棺夫日記』であることにはまちがいない。
映画は2008年夏までに完成し、9月に全国で公開された。映画は静かにヒット。すぐに第32回モントリオール世界映画祭でグランプリを獲得するなど、さまざまな賞を総なめにしていく。約半年で日本で250万人が映画を見たという。『納棺夫日記』とは別の映画脚本を元にした映画のノヴェライズという手法で『おくりびと』という本も出た。そして2009年2月20日、日本アカデミー賞10部門獲得。勢いがついていた。
そして、2009年2月22日(現地時間)。ロス・アンジェルス・コダック・シアター。「外国語映画賞」発表。日本時間23日午後1時07分。プレゼンターが封を切って、言う。「オスカー・ゴーズ・トゥー…。…デパーチャーズ! ジャパン!」
本木雅弘、広末涼子らと壇上に上がった滝田監督は喜びをかみしめながらカタカナ英語で挨拶した。「Thank you to all the Academy. Thank you to everybody who help this film. I am very happy. Thank you. I am here because of film. This is a new departure for me. I will, we will be back, ... I hope. Thank you, arigatou!」
授賞式はその後も今年のハイライト「スラムドッグ&ミリオネア」の大量受賞とともに進んでいった。ライヴ・ショーの最後、「ベスト・ピクチャー(最優秀映画)」の発表となった。5本のノミネートから選ばれたのは、この日8部門目の獲得となった圧勝の「スラムドッグ」だった。
この映画もまたインドを舞台にした作品だった。ステージには多くのインド人出演者も上がった。「スラムドッグ」に「おくりびと」。どちらも言ってみればインドにルーツを持つ作品だ。「おくりびと」のすべては本木雅弘のインドへの旅から始まり、これを何が何でも映画化したいという強い彼の気持ちがすべてを動かした。そうして、インドにおけるソウル・サーチンが生み出したまったく別の2本の映画に、同じ日、同じ場所で、同じ瞬間、世界が見つめる中、世界の栄光と映画の神様が微笑んだ。ソウルを知っている人たちは素晴らしい。
■第81回オスカー・アカデミー賞
February 23, 2009
OSCAR, 81st Academy Awards Final: New Departure For Japanese Film
http://blog.soulsearchin.com/archives/002839.html
■おくりびと[DVD] はやくも2009年3月18日発売
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001Q2HNOW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
おくりびと [DVD]posted with amazlet at 09.02.24アミューズソフトエンタテインメント (2009-03-18)売り上げランキング: 1Amazon.co.jp で詳細を見る
■定本『納棺夫日記』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4903351351/soulsearchiho-22/ref=nosim/
定本納棺夫日記 2版posted with amazlet at 09.02.24青木 新門 桂書房 売り上げランキング: 100Amazon.co.jp で詳細を見る
■『納棺夫日記』 その文庫版
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167323028/soulsearchiho-22/ref=nosim/
納棺夫日記 (文春文庫)posted with amazlet at 09.02.24青木 新門 文藝春秋 売り上げランキング: 1Amazon.co.jp で詳細を見る
■おくりびと(映画のノヴェライズ版)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094082840/soulsearchiho-22/ref=nosim/
おくりびと (小学館文庫)posted with amazlet at 09.02.24百瀬 しのぶ 小学館 売り上げランキング: 26Amazon.co.jp で詳細を見る
ENT>AWARDS>Oscar>81st, Winners
★【第81回アカデミー賞~「おくりびと」「つみきのいえ」受賞~日本映画に新たな出発】
日本。
アメリカ映画業界最大のイヴェント、アカデミー賞の授賞式が2009年2月22日(日=東部時間午後8時=日本時間2月23日月曜午前10時)からロスアンジェルスのコダック・シアターで行われた。日本からの映画「おくりびと」が、外国語映画賞を、短編アニメ賞で「つみきのいえ」が堂々と獲得した。「つみきのいえ」の加藤久仁生監督は、「サンキュー・マイ・ペンシル、どうもありがとうミスター・ロボット」などと挨拶。さらに「おくりびと(デパーチャー)」を受賞した滝田洋二郎監督は壇上で「サンキュー・トゥ・オール・ジ・アカデミー。サンキュー・トゥ・エヴリバディー・フー・ヘルプ・ディス・フィルム。アイ・アム・ヴェリー・ヴェリー・ハッピー。サンキュー。アイ・アム・ヒア・ビコーズ・オブ・フィルム。ディス・イズ・ア・ニュー・デパーチャー・フォー・ミー。アイ・ウィル、ウイ・ウィル・ビー・バック、アイ・ホープ、サンキュー、ありがとう」と英語で挨拶した。
日本映画はこれまでに1956年に正式に「外国語映画賞」が設立されてから12本ノミネートされ初の獲得となった。なお正式な「外国語映画賞」以前に、同様の賞として「名誉外国語映画賞」があり、1951年度「羅生門」(黒澤明監督)、1954年度「地獄門」(衣笠貞之助監督)、1955年度「宮本武蔵」(稲垣浩監督)が獲得しているので、53年ぶり、4本目ということになる。また外国語映画賞では、日本映画ではないが1975年度ソ連映画「デルス・ウザーラ」で黒澤明監督が獲得している。これはまさに日本映画の快挙だ。(日本映画関係は、下記資料参照)
今年は、「ベンジャミン・バトン」と「スラムドッグ」の一騎打ちの様相を呈していた。ソウル・サーチャーは、9部門10ノミネートの「スラム」が「ベスト・ピクチャー」など計7部門獲得を予想したが、8部門を獲得。「スラム」が受賞を逃したのは「サウンド・エディティング(音響賞)」の部門のみ。13部門でノミネートの「ベンジャミン」が「アート・ディレクション」など4部門を予想したが、3部門を獲得した。「ベンジャミン」は有力視された「コステューム(衣装)部門」を「ある公爵夫人の生涯(ダッチェス)」に奪われた。
主演男優賞は、ショーン・ペンが5度目のノミネートで「ミスティック・リヴァー」(2003年)で同賞を受賞して以来、同賞2度目の受賞。本命ミッキー・ロークを破っての受賞。助演女優賞は、ペネロペ・クルースが2006年に「主演女優」でノミネートされており、2度目のノミネートで見事受賞。主演女優はケイト・ウィンストレットが6度目のノミネートで初受賞。「監督」「作品」は予想通り「スラム」になった。
予想24部門で本命が17部門的中、対抗で5部門、はずれが2部門。9割1分7厘。はずれたのは、「サウンド・ミキシング」が「スラムドッグ」を、「ドキュメンタリー・ショート」で「スマイル・ピンキ」が獲得したところ。かなりいい成績だった。
全24部門の各受賞者は次の通り。
オスカー予想は今年で5年目。過去の的中率は次の通り。
第81回 2008年度 予想24部門 本命的中17 対抗5 .917
第80回 2007年度 予想24部門 本命的中13 対抗4 .708
第79回 2006年度 予想24部門 本命13 対抗8 .875
第78回 2005年度 予想10部門 本命7 対抗2 .900
第77回 2004年度 予想10部門 本命7 対抗3 1.000
アカデミーのオフィシャル・ウェッブ
http://www.oscar.com/
中継をするWOWOWのサイト
http://www.wowow.co.jp/extra/academy2009/nomination/list.html
■第81回オスカー・アカデミー賞 結果
01. ACTOR, LEADING
Richard Jenkins in “The Visitor”
Frank Langella in “Frost/Nixon”
勝者 対抗Sean Penn in “Milk”
Brad Pitt in “The Curious Case of Benjamin Button”
本命Mickey Rourke in “The Wrestler”
02. BEST PICTURE
対抗“The Curious Case of Benjamin Button”
“Frost/Nixon”
“Milk”
“The Reader”
勝者 本命“Slumdog Millionaire”
03. ACTOR, SUPPORTING
Josh Brolin in “Milk”
Robert Downey Jr. in “Tropic Thunder”
Philip Seymour Hoffman in “Doubt”
勝者 本命 Heath Ledger in “The Dark Knight”
対抗 Michael Shannon in“Revolutionary Road”
04. SHORT FILM, ANIMATED
勝者 対抗“La Maison en Petits Cubes” 「つみきのいえ」
“Lavatory - Lovestory”
“Oktapodi”
本命“Presto” 「マジシャン・プレスト」
+“This Way Up”
05. ACTRESS, LEADING
+ Anne Hathaway in“Rachel Getting Married”
Angelina Jolie in “Changeling”
Melissa Leo in “Frozen River”
対抗 Meryl Streep in “Doubt”
勝者 本命 Kate Winslet in “The Reader”
06. SHORT FILM, LIVE ACTION
“Auf der Strecke (On the Line)”
“Manon on the Asphalt”
本命“New Boy”
“The Pig”
勝者 対抗“Spielzeugland (Toyland)”
07. ACTRESS, SUPPORTING
Amy Adams in “Doubt”
勝者 本命 Penélope Cruz in“Vicky Cristina Barcelona”
+Viola Davis in “Doubt”
対抗 Taraji P. Henson in “The Curious Caseof Benjamin Button”
Marisa Tomei in “The Wrestler”
08. SOUND EDITING
勝者 本命“The Dark Knight”
“Iron Man”
“Slumdog Millionaire”
対抗 “WALL-E”
“Wanted”
09. ANIMATED FEATURE
“Bolt”
対抗 “Kung-Fu Panda”
勝者 本命 “WALL-E”
10. SOUND MIXING
“The Curious Case of Benjamin Button”
本命“The Dark Knight”
勝者 “Slumdog Millionaire”
対抗 “WALL-E”
“Wanted”
11. ART DIRECTION
“Changeling”
勝者 本命“The Curious Case of Benjamin Button”
対抗“The Dark Knight”
“The Duchess”
“Revolutionary Road”
12. VISUAL EFFECTS
勝者 本命“The Curious Case of Benjamin Button”
対抗“The Dark Knight”
“Iron Man”
13. CINEMATOGRAPHY
“Changeling”
“The Curious Case of Benjamin Button”
対抗 “The Dark Knight”
“The Reader”
勝者 本命“Slumdog Millionaire”
14. SCREENPLAY, ADAPTED
対抗 “The Curious Case of Benjamin Button”
“Doubt”
“Frost/Nixon”
“The Reader”
勝者 本命 “Slumdog Millionaire”
15. COSTUME DESIGN
“Australia”
本命“The Curious Case of Benjamin Button”
勝者 対抗“The Duchess”
“Milk”
“Revolutionary Road”
16. SCREENPLAY, ORIGINAL
“Frozen River”
“Happy-Go-Lucky”
“In Bruges”
勝者 本命“Milk”
対抗“WALL-E”
17. DIRECTING
対抗“The Curious Case of Benjamin Button”
“Frost/Nixon”
“Milk”
“The Reader”
勝者 本命 “Slumdog Millionaire”
18. DOCUMENTARY FEATURE
“The Betrayal (Nerakhoon)”
対抗“Encounters at the End of the World”
“The Garden”
勝者 本命“Man on Wire”
+“Trouble the Water”
19. DOCUMENTARY SHORT
本命“The Conscience of Nhem En”
“The Final Inch”
勝者 “Smile Pinki”
対抗“The Witness - From the Balcony of Room 306”
20. FILM EDITING
“The Curious Case of Benjamin Button”
対抗“The Dark Knight”
“Frost/Nixon”
“Milk”
勝者 本命“Slumdog Millionaire”
21. FOREIGN LANGUAGE FILM
“The Baader Meinhof Complex” (ドイツ)
+“The Class” (フランス)
勝者 対抗“Departures" 「おくりびと」(日本)日本「「おくりびと」 日本
“Revanche”(オーストリア)
本命“Waltz with Bashir” 「戦場でワルツを」(イスラエル)
22. MAKEUP
勝者 本命“The Curious Case of Benjamin Button”
対抗“The Dark Knight”
“Hellboy II: The Golden Army”
23. ORIGINAL SCORE
“The Curious Case of Benjamin Button”
“Defiance”
“Milk”
勝者 本命“Slumdog Millionaire”
対抗“WALL-E”
24. ORIGINAL SONG
対抗“Down to Earth” from “WALL-E”
勝者 本命“Jai Ho” from “Slumdog Millionaire”
“O Saya” from “Slumdog Millionaire”
+++
(資料)
過去の主な日本関係のアカデミー賞
年度
1951 名誉賞(最優秀外国語映画)=「羅生門」(黒澤明監督)
1954 同=「地獄門」(衣笠貞之助監督)
1954 衣装デザイン賞=和田三造「地獄門」
1955 名誉賞(最優秀外国語映画)=「宮本武蔵」(稲垣浩監督)
1957 助演女優賞=ナンシー梅木「サヨナラ」
1975 外国語映画賞=「デルス・ウザーラ」(黒澤明監督のソ連映画)
1977長編ドキュメンタリー映画賞=「愛のファミリー」(日本、アメリカの合作)
1985 衣装デザイン賞=ワダ・エミ「乱」
1987 音楽(作曲)賞=坂本龍一「ラストエンペラー」
1989 名誉賞=黒澤明
1992 衣装デザイン賞=石岡瑛子「ドラキュラ」
1998 ドキュメンタリー短編賞=「ザ・パーソナルズ--たそがれのロマンス」(伊比恵子監督)
1999 短編アニメーション賞=「老人と海」(日本、ロシア、カナダ合作)
2002 長編アニメーション賞=「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)
2008 短編アニメーション賞=「つみきのいえ」(加藤久仁生監督)
2008 外国語映画賞=「おくりびと」(滝田洋二郎監督)
外国語映画賞 日本映画ノミネート
ACADEMY AWARDS HISTORY
This is the twelfth Academy Award nomination for Japan. Previous nominations were:
THE TWILIGHT SAMURAI (2003) -- Nominee, Foreign Language Film
MUDDY RIVER (1981) -- Nominee, Foreign Language Film
KAGEMUSHA (THE SHADOW WARRIOR) (1980) -- Nominee, Foreign Language Film
SANDAKAN NO. 8 (1975) -- Nominee, Foreign Language Film
DODES’KA-DEN (1971) -- Nominee, Foreign Language Film
PORTRAIT OF CHIEKO (1967) -- Nominee, Foreign Language Film
KWAIDAN (1965) -- Nominee, Foreign Language Film
WOMAN IN THE DUNES (1964) -- Nominee, Foreign Language Film
TWIN SISTERS OF KYOTO (1963) -- Nominee, Foreign Language Film
IMMORTAL LOVE (1961) -- Nominee, Foreign Language Film
HARP OF BURMA (1956) -- Nominee, Foreign Language Film
Additionally, Japan received three Special/Honorary Awards prior to the establishment of Foreign Language Film as a regular category in 1956:
SAMURAI, THE LEGEND OF MUSASHI (1955) -- Honorary Foreign Language Film Award
GATE OF HELL (1954) -- Honorary Foreign Language Film Award
RASHOMON (1951) -- Honorary Foreign Language Film Award
ENT>AWARDS>Oscar>81st, Winners
日本。
アメリカ映画業界最大のイヴェント、アカデミー賞の授賞式が2009年2月22日(日=東部時間午後8時=日本時間2月23日月曜午前10時)からロスアンジェルスのコダック・シアターで行われた。日本からの映画「おくりびと」が、外国語映画賞を、短編アニメ賞で「つみきのいえ」が堂々と獲得した。「つみきのいえ」の加藤久仁生監督は、「サンキュー・マイ・ペンシル、どうもありがとうミスター・ロボット」などと挨拶。さらに「おくりびと(デパーチャー)」を受賞した滝田洋二郎監督は壇上で「サンキュー・トゥ・オール・ジ・アカデミー。サンキュー・トゥ・エヴリバディー・フー・ヘルプ・ディス・フィルム。アイ・アム・ヴェリー・ヴェリー・ハッピー。サンキュー。アイ・アム・ヒア・ビコーズ・オブ・フィルム。ディス・イズ・ア・ニュー・デパーチャー・フォー・ミー。アイ・ウィル、ウイ・ウィル・ビー・バック、アイ・ホープ、サンキュー、ありがとう」と英語で挨拶した。
日本映画はこれまでに1956年に正式に「外国語映画賞」が設立されてから12本ノミネートされ初の獲得となった。なお正式な「外国語映画賞」以前に、同様の賞として「名誉外国語映画賞」があり、1951年度「羅生門」(黒澤明監督)、1954年度「地獄門」(衣笠貞之助監督)、1955年度「宮本武蔵」(稲垣浩監督)が獲得しているので、53年ぶり、4本目ということになる。また外国語映画賞では、日本映画ではないが1975年度ソ連映画「デルス・ウザーラ」で黒澤明監督が獲得している。これはまさに日本映画の快挙だ。(日本映画関係は、下記資料参照)
今年は、「ベンジャミン・バトン」と「スラムドッグ」の一騎打ちの様相を呈していた。ソウル・サーチャーは、9部門10ノミネートの「スラム」が「ベスト・ピクチャー」など計7部門獲得を予想したが、8部門を獲得。「スラム」が受賞を逃したのは「サウンド・エディティング(音響賞)」の部門のみ。13部門でノミネートの「ベンジャミン」が「アート・ディレクション」など4部門を予想したが、3部門を獲得した。「ベンジャミン」は有力視された「コステューム(衣装)部門」を「ある公爵夫人の生涯(ダッチェス)」に奪われた。
主演男優賞は、ショーン・ペンが5度目のノミネートで「ミスティック・リヴァー」(2003年)で同賞を受賞して以来、同賞2度目の受賞。本命ミッキー・ロークを破っての受賞。助演女優賞は、ペネロペ・クルースが2006年に「主演女優」でノミネートされており、2度目のノミネートで見事受賞。主演女優はケイト・ウィンストレットが6度目のノミネートで初受賞。「監督」「作品」は予想通り「スラム」になった。
予想24部門で本命が17部門的中、対抗で5部門、はずれが2部門。9割1分7厘。はずれたのは、「サウンド・ミキシング」が「スラムドッグ」を、「ドキュメンタリー・ショート」で「スマイル・ピンキ」が獲得したところ。かなりいい成績だった。
全24部門の各受賞者は次の通り。
オスカー予想は今年で5年目。過去の的中率は次の通り。
第81回 2008年度 予想24部門 本命的中17 対抗5 .917
第80回 2007年度 予想24部門 本命的中13 対抗4 .708
第79回 2006年度 予想24部門 本命13 対抗8 .875
第78回 2005年度 予想10部門 本命7 対抗2 .900
第77回 2004年度 予想10部門 本命7 対抗3 1.000
アカデミーのオフィシャル・ウェッブ
http://www.oscar.com/
中継をするWOWOWのサイト
http://www.wowow.co.jp/extra/academy2009/nomination/list.html
■第81回オスカー・アカデミー賞 結果
01. ACTOR, LEADING
Richard Jenkins in “The Visitor”
Frank Langella in “Frost/Nixon”
勝者 対抗Sean Penn in “Milk”
Brad Pitt in “The Curious Case of Benjamin Button”
本命Mickey Rourke in “The Wrestler”
02. BEST PICTURE
対抗“The Curious Case of Benjamin Button”
“Frost/Nixon”
“Milk”
“The Reader”
勝者 本命“Slumdog Millionaire”
03. ACTOR, SUPPORTING
Josh Brolin in “Milk”
Robert Downey Jr. in “Tropic Thunder”
Philip Seymour Hoffman in “Doubt”
勝者 本命 Heath Ledger in “The Dark Knight”
対抗 Michael Shannon in“Revolutionary Road”
04. SHORT FILM, ANIMATED
勝者 対抗“La Maison en Petits Cubes” 「つみきのいえ」
“Lavatory - Lovestory”
“Oktapodi”
本命“Presto” 「マジシャン・プレスト」
+“This Way Up”
05. ACTRESS, LEADING
+ Anne Hathaway in“Rachel Getting Married”
Angelina Jolie in “Changeling”
Melissa Leo in “Frozen River”
対抗 Meryl Streep in “Doubt”
勝者 本命 Kate Winslet in “The Reader”
06. SHORT FILM, LIVE ACTION
“Auf der Strecke (On the Line)”
“Manon on the Asphalt”
本命“New Boy”
“The Pig”
勝者 対抗“Spielzeugland (Toyland)”
07. ACTRESS, SUPPORTING
Amy Adams in “Doubt”
勝者 本命 Penélope Cruz in“Vicky Cristina Barcelona”
+Viola Davis in “Doubt”
対抗 Taraji P. Henson in “The Curious Caseof Benjamin Button”
Marisa Tomei in “The Wrestler”
08. SOUND EDITING
勝者 本命“The Dark Knight”
“Iron Man”
“Slumdog Millionaire”
対抗 “WALL-E”
“Wanted”
09. ANIMATED FEATURE
“Bolt”
対抗 “Kung-Fu Panda”
勝者 本命 “WALL-E”
10. SOUND MIXING
“The Curious Case of Benjamin Button”
本命“The Dark Knight”
勝者 “Slumdog Millionaire”
対抗 “WALL-E”
“Wanted”
11. ART DIRECTION
“Changeling”
勝者 本命“The Curious Case of Benjamin Button”
対抗“The Dark Knight”
“The Duchess”
“Revolutionary Road”
12. VISUAL EFFECTS
勝者 本命“The Curious Case of Benjamin Button”
対抗“The Dark Knight”
“Iron Man”
13. CINEMATOGRAPHY
“Changeling”
“The Curious Case of Benjamin Button”
対抗 “The Dark Knight”
“The Reader”
勝者 本命“Slumdog Millionaire”
14. SCREENPLAY, ADAPTED
対抗 “The Curious Case of Benjamin Button”
“Doubt”
“Frost/Nixon”
“The Reader”
勝者 本命 “Slumdog Millionaire”
15. COSTUME DESIGN
“Australia”
本命“The Curious Case of Benjamin Button”
勝者 対抗“The Duchess”
“Milk”
“Revolutionary Road”
16. SCREENPLAY, ORIGINAL
“Frozen River”
“Happy-Go-Lucky”
“In Bruges”
勝者 本命“Milk”
対抗“WALL-E”
17. DIRECTING
対抗“The Curious Case of Benjamin Button”
“Frost/Nixon”
“Milk”
“The Reader”
勝者 本命 “Slumdog Millionaire”
18. DOCUMENTARY FEATURE
“The Betrayal (Nerakhoon)”
対抗“Encounters at the End of the World”
“The Garden”
勝者 本命“Man on Wire”
+“Trouble the Water”
19. DOCUMENTARY SHORT
本命“The Conscience of Nhem En”
“The Final Inch”
勝者 “Smile Pinki”
対抗“The Witness - From the Balcony of Room 306”
20. FILM EDITING
“The Curious Case of Benjamin Button”
対抗“The Dark Knight”
“Frost/Nixon”
“Milk”
勝者 本命“Slumdog Millionaire”
21. FOREIGN LANGUAGE FILM
“The Baader Meinhof Complex” (ドイツ)
+“The Class” (フランス)
勝者 対抗“Departures" 「おくりびと」(日本)日本「「おくりびと」 日本
“Revanche”(オーストリア)
本命“Waltz with Bashir” 「戦場でワルツを」(イスラエル)
22. MAKEUP
勝者 本命“The Curious Case of Benjamin Button”
対抗“The Dark Knight”
“Hellboy II: The Golden Army”
23. ORIGINAL SCORE
“The Curious Case of Benjamin Button”
“Defiance”
“Milk”
勝者 本命“Slumdog Millionaire”
対抗“WALL-E”
24. ORIGINAL SONG
対抗“Down to Earth” from “WALL-E”
勝者 本命“Jai Ho” from “Slumdog Millionaire”
“O Saya” from “Slumdog Millionaire”
+++
(資料)
過去の主な日本関係のアカデミー賞
年度
1951 名誉賞(最優秀外国語映画)=「羅生門」(黒澤明監督)
1954 同=「地獄門」(衣笠貞之助監督)
1954 衣装デザイン賞=和田三造「地獄門」
1955 名誉賞(最優秀外国語映画)=「宮本武蔵」(稲垣浩監督)
1957 助演女優賞=ナンシー梅木「サヨナラ」
1975 外国語映画賞=「デルス・ウザーラ」(黒澤明監督のソ連映画)
1977長編ドキュメンタリー映画賞=「愛のファミリー」(日本、アメリカの合作)
1985 衣装デザイン賞=ワダ・エミ「乱」
1987 音楽(作曲)賞=坂本龍一「ラストエンペラー」
1989 名誉賞=黒澤明
1992 衣装デザイン賞=石岡瑛子「ドラキュラ」
1998 ドキュメンタリー短編賞=「ザ・パーソナルズ--たそがれのロマンス」(伊比恵子監督)
1999 短編アニメーション賞=「老人と海」(日本、ロシア、カナダ合作)
2002 長編アニメーション賞=「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)
2008 短編アニメーション賞=「つみきのいえ」(加藤久仁生監督)
2008 外国語映画賞=「おくりびと」(滝田洋二郎監督)
外国語映画賞 日本映画ノミネート
ACADEMY AWARDS HISTORY
This is the twelfth Academy Award nomination for Japan. Previous nominations were:
THE TWILIGHT SAMURAI (2003) -- Nominee, Foreign Language Film
MUDDY RIVER (1981) -- Nominee, Foreign Language Film
KAGEMUSHA (THE SHADOW WARRIOR) (1980) -- Nominee, Foreign Language Film
SANDAKAN NO. 8 (1975) -- Nominee, Foreign Language Film
DODES’KA-DEN (1971) -- Nominee, Foreign Language Film
PORTRAIT OF CHIEKO (1967) -- Nominee, Foreign Language Film
KWAIDAN (1965) -- Nominee, Foreign Language Film
WOMAN IN THE DUNES (1964) -- Nominee, Foreign Language Film
TWIN SISTERS OF KYOTO (1963) -- Nominee, Foreign Language Film
IMMORTAL LOVE (1961) -- Nominee, Foreign Language Film
HARP OF BURMA (1956) -- Nominee, Foreign Language Film
Additionally, Japan received three Special/Honorary Awards prior to the establishment of Foreign Language Film as a regular category in 1956:
SAMURAI, THE LEGEND OF MUSASHI (1955) -- Honorary Foreign Language Film Award
GATE OF HELL (1954) -- Honorary Foreign Language Film Award
RASHOMON (1951) -- Honorary Foreign Language Film Award
ENT>AWARDS>Oscar>81st, Winners