兄。

しばらく前にボビー・へブの「サニー」という曲が話題になりました。たまたまちょっと別の調べ物をしていたところ、この「サニー」の話を知ったので、ちょっとまとめてみようと思います。

ボビー・へブは、1938年7月26日テネシー州ナッシュヴィル生まれ。6歳年上の兄ハル・へブと二人兄弟でした。父はギターやトロンボーンをたしなみ、母はピアノとギターをプレイしていました。兄は一足先にタップダンスを習っていました。ボビーが3歳の誕生日、1941年7月26日にジェリー・ジャクソン・レヴューというヴォードヴィルのステージに、兄に誘われて昇ったのです。3歳ですから、別に歌うというものでもなかったでしょう。適度に音楽にあわせて体を動かした程度だったのでしょう。それでも、3歳のボビーにとっては、初ステージとなりました。

以来、両親とハルとボビーの4人はしばしばステージに立つようになりました。ボビーも徐々に歌とダンスを覚えるようになったのです。

1954年、ボビーはさらに音楽をやりたいとシカゴに行き、チェス・レコード周辺で活動をします。その後、ニューヨークに行くのですが、1963年11月22日、アメリカに運命の銃弾が撃ちこまれます。そう、ジョン・F・ケネディー大統領がダラスで暗殺されるのです。ボビーも、アメリカ国民皆が悲しんでいましたが、悲劇はさらに追い討ちをかけました。ボビーの兄、ハルがその翌日23日に強盗に襲われ帰らぬ人となってしまったのです。31歳くらいだったでしょう。まだこれからというときです。当時25歳のボビーやへブ家にとっては二重の悲しみでした。

そして、ボビーはその亡き兄の思い出を一曲の歌にしたためます。それが、「サニー」という曲になったのです。ボビーはこの曲を66年に録音。6月からヒットし、ソウル・チャートで3位、ポップ・チャートで2位を記録、ミリオン・セラーになりました。

「サニー」は、ボビー・へブにとってのある意味での「キャリア・ソング」だったんですね。自伝的な歌とも言えます。僕はこれは単なるラヴソングかと思っていたんですが、亡き兄を思う歌だったわけです。だから、少し物悲しいんですね。

この曲は、その後200以上のカヴァーがレコーディングされ、真の意味でのスタンダードになりました。そして、ジェームス・ブラウンやマーヴィン・ゲイなどのヴァージョンも生まれ、この「サニー」だけのコンピレーション・アルバムまで制作されています。

このコンピは、ドイツのDJが、パーティーでしばしば「サニー」ばかりいろいろなヴァージョンをかけていたところ、その受けがよく、では「サニー」だけのコンピレーションを作ろうということで作った、ということです。

「サニー」は、ボビーの6歳年上の兄ハル・へブのことなのです。
サニーを異性の恋人ではなく、兄として、訳してみました。

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「サニー」−ボビー・へブ


サニー、昨日、僕の人生は、大雨に降られたよ
サニー、兄貴が僕に微笑んでくれると、痛みも消えたものだ
兄貴が微笑んでくれると、暗い日が過ぎ去り、明るい日がやってくる
僕の輝く兄貴の微笑みは、純真そのもの
兄貴、本当に愛してるよ

サニー、太陽の花束をありがとう
サニー、兄貴が僕にくれた愛にありがとう
兄貴は、すべてを僕にくれた
兄貴のおかげで、10フィート(3メートル)も背が高くなった気分さ

サニー、僕に見させてくれた真実に感謝
サニー、僕に教えてくれたAからZまでのあらゆることに感謝
今、僕の人生は風に飛ばされる砂のようにこなごなだ
兄貴が僕の手を握ってくれたとき、二人の絆は硬く結ばれた

サニー、兄貴の微笑みよ、ありがとう
サニー、兄貴のその優雅なきらめきよ、ありがとう
兄貴は僕の燃える火の発火材
僕も兄貴みたいになりたいんだ
兄貴、本当に愛してるよ

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こうやって改めて読んでみると、なるほどねえ、という感じですね。「昨日大雨」ということは、兄が死んだ翌日にこの曲を書いたのか、あるいは、翌日の気分を曲にしたということなのかもしれません。この曲の持つ魅力が、なんとなく少しわかったような気がします。そして、最終的にそういうものは、歌い手にも聴き手にも伝わるのでしょう。だから200人以上ものシンガーやアーティストがこの作品を録音するわけです。