◎木下航志誕生日ライヴ
2011年5月10日 音楽◎木下航志誕生日ライヴ
【Kishita Kohshi Birthday Live】
1年ぶり。
木下航志(きした・こうし)くんの久しぶりのブルース・アレイ・ライヴ。ブルース・アレイでの単独ライヴは、調べてみたら、前回が2010年3月の『ドゥ・ザ・ソウル』(Vol 8)。となると、1年2ヶ月ぶり。ただ、『ソウル・サーチン』では、2011年2月にも出ている。航志くんは『ソウル・サーチン』は、2005年6月のレイ・チャールズから1回も欠かさずに出演してもらっている。他に、ブレンダやフィリップなどのライヴでもゲストで出ているので、1年ぶりという久しぶり感はあまりなかった。
連休の合間ということもあってか、若干、集客が寂しかったが、航志くんは元気いっぱい歌っていた。今回はいつものドラムス、ベース、キーボードに航志くんという、彼曰く「省エネ・バンド」(笑)。
1曲、吾妻光良&スゥインギン・バッパーズのメンバーでもあり、ソニーミュージックのディレクターでもある渡邊康蔵さんがサックスでゲスト参加。なんと、しばらく前に代官山のレザールで康蔵さんがセッションしていたときに、航志くんが遊びに行って、今回の飛び入りに結びついた、という。
また、ブレンダなどをてがけている大野さんがめんどうを見ているまだ17歳というジュリアという女性シンガーが、今回2曲で航志くんとデュエットした。
ライヴの感想としては、過去記事をじっくりごらんいただくとして、振り返ってみると、航志くんを2003年12月に見かけて、その後翌年、本人に出会い、2005年の『ソウル・サーチン』に出てもらったというつきあいで、もう8年以上になるんだなあ、と感慨深かった。
5月8日で、ええっ、もう22歳? はやい、しかし、まだ若い。1989年(平成元年)生まれだ。
なお、この日はNHK海外放送のテレビ番組『オルタナ・ジャパン』の取材でカメラが3台ほどはいっていた。8月頃のオンエアの予定とのこと。日本で活躍するオルタナティヴっぽい動きをしているミュージシャンを取材してまとめる番組だという。一応、現状では国際放送用番組で、世界各国の放送局で流れるが、国内のNHKでは流れない。ただ、インターネットで見られるようになる、という。
■ 関連記事(一部)
2010年03月22日(月)
木下航志『ドゥ・ザ・ソウル』(Vol.8)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10488032523.html
川崎さんの撮影した4点の写真がとても素敵です
2009年09月07日(月)
木下航志『ドゥ・ザ・ソウルVol.6』ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10336933773.html
2009年05月13日(水)
木下航志・誕生日記念ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10259919781.html
December 06, 2008
Kishita Kohshi Live At Blues Alley : Kohshi Believes To His Soul
【木下航志ライヴ@ブルース・アレイ】(第3回)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081206.html
September 12, 2008
Kishita Kohshi Live At Blues Alley: Started With "Sun Goddess" With Sunglass
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080912.html
June 09, 2008
Kishita Koushi First Live At Blues Alley
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080609.html
ブルース・アレイに自己名義で初登場
(ここに過去記事一覧リンクがあります)
2003/12/29 (Mon)
Stevie Gave Love & Courage To Everybody
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031229-1.html
航志くんとの初めての接点。そのときは、名前も知らなかった。
2004/04/30 (Fri)
Kishita Koushi: 14-Year-Old Genius, I’d Call Him "Little Koushi"
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040430.html
スティーヴィーで見かけた少年の名前が判明。
■メンバー
木下航志 Birthday LIVE
(Vo/Pf/Fender Rhodes1970) 木下航志
(Pf/HAMMOND B-3/Fender Rhodes/Key) Philip Woo
(B) 名村武
(Ds) 河合マイケル
ゲスト: 渡邊康蔵 (サックス)、ジュリア(歌)
■セットリスト
Setlist : Kishita Kohshi @ Blues Alley Meguro, May 7, 2011
01.遠い街
02.世界の果てへ
03.Someday We’ll All Be Free
04.We Got Rhythm
05.Love (新曲)
06.Voice (+Watanabe Kouzo on sax)
07.My Cherie Amour
08.You’ve Got A Friend (+Julia)
Performance ended 2027
Second set
Started 20:51
01.Amazing Grace (+Julia)
02.You & I
03.Ribbon In The Sky
04.Groovin’
05.風の扉 (新曲)
06.Trying To Be A Man (新曲)
07.What’s Going On
08.Rock With You
09.Love Is Everywhere
Enc. Georgia On My Mind
Enc. I’ll Be There
Enc. Pray
(2011年5月7日土曜、目黒ブルース・アレイ、木下航志ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Kishita, Kohshi
2011-
【Kishita Kohshi Birthday Live】
1年ぶり。
木下航志(きした・こうし)くんの久しぶりのブルース・アレイ・ライヴ。ブルース・アレイでの単独ライヴは、調べてみたら、前回が2010年3月の『ドゥ・ザ・ソウル』(Vol 8)。となると、1年2ヶ月ぶり。ただ、『ソウル・サーチン』では、2011年2月にも出ている。航志くんは『ソウル・サーチン』は、2005年6月のレイ・チャールズから1回も欠かさずに出演してもらっている。他に、ブレンダやフィリップなどのライヴでもゲストで出ているので、1年ぶりという久しぶり感はあまりなかった。
連休の合間ということもあってか、若干、集客が寂しかったが、航志くんは元気いっぱい歌っていた。今回はいつものドラムス、ベース、キーボードに航志くんという、彼曰く「省エネ・バンド」(笑)。
1曲、吾妻光良&スゥインギン・バッパーズのメンバーでもあり、ソニーミュージックのディレクターでもある渡邊康蔵さんがサックスでゲスト参加。なんと、しばらく前に代官山のレザールで康蔵さんがセッションしていたときに、航志くんが遊びに行って、今回の飛び入りに結びついた、という。
また、ブレンダなどをてがけている大野さんがめんどうを見ているまだ17歳というジュリアという女性シンガーが、今回2曲で航志くんとデュエットした。
ライヴの感想としては、過去記事をじっくりごらんいただくとして、振り返ってみると、航志くんを2003年12月に見かけて、その後翌年、本人に出会い、2005年の『ソウル・サーチン』に出てもらったというつきあいで、もう8年以上になるんだなあ、と感慨深かった。
5月8日で、ええっ、もう22歳? はやい、しかし、まだ若い。1989年(平成元年)生まれだ。
なお、この日はNHK海外放送のテレビ番組『オルタナ・ジャパン』の取材でカメラが3台ほどはいっていた。8月頃のオンエアの予定とのこと。日本で活躍するオルタナティヴっぽい動きをしているミュージシャンを取材してまとめる番組だという。一応、現状では国際放送用番組で、世界各国の放送局で流れるが、国内のNHKでは流れない。ただ、インターネットで見られるようになる、という。
■ 関連記事(一部)
2010年03月22日(月)
木下航志『ドゥ・ザ・ソウル』(Vol.8)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10488032523.html
川崎さんの撮影した4点の写真がとても素敵です
2009年09月07日(月)
木下航志『ドゥ・ザ・ソウルVol.6』ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10336933773.html
2009年05月13日(水)
木下航志・誕生日記念ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10259919781.html
December 06, 2008
Kishita Kohshi Live At Blues Alley : Kohshi Believes To His Soul
【木下航志ライヴ@ブルース・アレイ】(第3回)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081206.html
September 12, 2008
Kishita Kohshi Live At Blues Alley: Started With "Sun Goddess" With Sunglass
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080912.html
June 09, 2008
Kishita Koushi First Live At Blues Alley
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080609.html
ブルース・アレイに自己名義で初登場
(ここに過去記事一覧リンクがあります)
2003/12/29 (Mon)
Stevie Gave Love & Courage To Everybody
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031229-1.html
航志くんとの初めての接点。そのときは、名前も知らなかった。
2004/04/30 (Fri)
Kishita Koushi: 14-Year-Old Genius, I’d Call Him "Little Koushi"
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040430.html
スティーヴィーで見かけた少年の名前が判明。
■メンバー
木下航志 Birthday LIVE
(Vo/Pf/Fender Rhodes1970) 木下航志
(Pf/HAMMOND B-3/Fender Rhodes/Key) Philip Woo
(B) 名村武
(Ds) 河合マイケル
ゲスト: 渡邊康蔵 (サックス)、ジュリア(歌)
■セットリスト
Setlist : Kishita Kohshi @ Blues Alley Meguro, May 7, 2011
01.遠い街
02.世界の果てへ
03.Someday We’ll All Be Free
04.We Got Rhythm
05.Love (新曲)
06.Voice (+Watanabe Kouzo on sax)
07.My Cherie Amour
08.You’ve Got A Friend (+Julia)
Performance ended 2027
Second set
Started 20:51
01.Amazing Grace (+Julia)
02.You & I
03.Ribbon In The Sky
04.Groovin’
05.風の扉 (新曲)
06.Trying To Be A Man (新曲)
07.What’s Going On
08.Rock With You
09.Love Is Everywhere
Enc. Georgia On My Mind
Enc. I’ll Be There
Enc. Pray
(2011年5月7日土曜、目黒ブルース・アレイ、木下航志ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Kishita, Kohshi
2011-
●(速報)コーネル・デュプリー、68歳で死去
2011年5月10日 音楽●(速報)コーネル・デュプリー、68歳で死去
【Cornell Dupree Dies At 68】
訃報。
ニューヨークを本拠に1960年代から活躍していた名ギタリスト、コーネル・デュプリーが2011年5月8日、テキサス州フォートウォースの自宅で死去した。68歳だった。(1942年生まれのため、一部で69歳と書かれているが、まちがい。1942年生まれだが、12月生まれで誕生日がまだきていないために68歳) ここ数年、肺気腫を患っており、肺の移植手術を受けることになっていた。それでも、2010年8月、2009年2月、2008年6月と毎年のように来日、ステージを見せていた。2010年8月が最後の来日。これまでに2500以上のセッションに参加、参加レコード多数、ライヴ多数。特に1976年にスティーヴ・ガッド、エリック・ゲイル、リチャード・ティーらと結成したグループ、「スタッフ」が大きな人気を集めた。
2011年3月20日には、コーネルの手術代、治療費などをサポートするために有志のミュージシャンが集まり、ニューヨークのBBキングの「ハウス・オブ・ブルーズ」でチャリティー・ライヴが行われた。
コーネル・デュプリーは、1942年12月19日、テキサス州フォートウォース生まれ。1962年にニューヨークに出て、まもなくベースのチャック・レイニーとともにキング・カーティス・バンドの一員となる。サム・クック、ファッツ・ドミノなどのバックや、1965年にはビートルズのオープニングもやったという。中期からアトランティック・レコードのハウス・バンドの一員として活躍するようになり、アトランティックにおける多数のセッションに参加した。その頃の作品には、アレサ・フランクリンの「リスペクト」、名盤『ライヴ・アット・フィルモア・ウェスト』、ダニー・ハサウェイの名盤『ライヴ』、ブルック・ベントンの「レイニー・ナイト・イン・ジョージア」など多数ある。1967年から1976年まで、アレサ・フランクリンのツアー・バンドの一員でもあった。
彼は、ダニー・ハサウェイ、アレサ、ジョー・コッカー、ロバータ・フラック、ポール・サイモンなどのほかに、自身名義のソロ・アルバム(1974年『ティージン』以降、ソロ多数)もだしている。
スタジオおよびライヴ・セッションでの名声を得た彼は、同業の仲間であるミュージシャン、エリック・ゲイル(ギター)、リチャード・ティー(キーボード)、スティーヴ・ガッド、クリス・パーカー(ともにドラムス)、ゴードン・エドワーズ(ベース)らとともに、1976年、グループ「スタッフ」を結成。ニューヨークの名うてのミュージシャンが集まったスーパー・グループとして、当時のフュージョン・シーン、後のジャズ・ファンク・シーンでも大きな人気を集めた。
スタッフとしてのデビュー・アルバム『スタッフ』(1976年)、さらに『モア・スタッフ』(1977年)は特に日本で大ヒットとなり、日本におけるフュージョン・ブームの起爆剤となった。
その後も、スティーヴ・ガッドがリーダーとなったガッド・ギャングなどでも活躍、さらに、ソウル・サヴァイヴァーズ名義でも活躍し、毎年のように来日し、日本のファンに親しまれた。
コーネル死しても、そのギターの音色は、ずっと生き続ける。His guitar sound will survive forever.
なお、スタッフのうち、リチャード・ティーは1993年7月21日に49歳で、エリック・ゲイルは1994年5月25日、55歳でともに癌で亡くなっている。
(修正:デュプリーの死去した場所を当初、ニューヨークと書きましたが、テキサス州フォートウォースの自宅だったことがわかりましたので、修正しました。=2011年5月12日、午後1時40分現在)
+++++
訃報に関して。
訃報に関しては毎回書いていますが、必ず複数の情報源から確認を取るようにしています。最近はツイッター、フェースブックなどで、一般ネットメディアに出る前に、当人の家族、親しい友人などからの情報が流れることが多くなっています。ただ一般の人がツイートした場合、いつ・どこで・何が原因で・何歳で死去したかという、きちんとしたメディア情報になっていないことが多いために、それを確認するために、時間がかかります。しかし、第一報は瞬く間に広がります。
ソウル・サーチンでは、ツイッターにおける「速さ」よりも、その情報が確実かどうか、信頼性があるかに重きを置いて、確実だと判断した場合のみ情報を発信しています。これからも、親しい筋から情報が出た場合、一般メディア、ネットメディアなどに出るまでには6~24時間程度の時差が生まれるでしょう。しかし、多くのツイッター情報は、ひとつの情報源のものをリツイートすることが多く、瞬く間に広まるために、誤報だった場合も、瞬時に広まる危険性があります。そのあたりは慎重に対処するつもりですので、ご理解ください。
+++++
今回の訃報は、ムゲンブラスターズの宮原さんが9日午後8時過ぎにエリック・ゲイルの奥様マサコさんからの情報としてツイートした。僕もそれを見て知り、いろいろと確認作業をしたが、その後、マサコさん自身の書き込みが確認されたため、確定情報として午後10時半すぎにツイートした。日本時間10日になって、ジェイソン・マイルズなどもツイート。日本時間で10日午前0時20分ごろ、英語版ウィキペディアで死亡が書かれた。また、9日昼12時(日本時間10日午前4時)からはカリフォルニア州ロングビーチのジャズ専門局KJAZZ(88.1FM)が追悼特集を放送し始めた。
+++++
コーネル・デュプリーは、調べてみると2010年と2009年を見逃していた。2010年は予定があわず行けず、2009年はマーヴィン・ゲイにかかりきりで、時間が取れなかった。よって、最後のライヴ評は2008年のものだった。そのときからすでに、酸素ボンベだったのだから、本当に大変なプロ意識だと思う。いつ見ても、陳腐な表現だが、いぶし銀だった。ご冥福をお祈りします。
■ 過去記事 コーネル・デュプリー関連
2008年04月17日(木)
職人ギタリスト、コーネル・デュプリー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10088927816.html
August 06, 2005
Soul Survivors Still Survive:
【平均年齢62.2歳、老練のサヴァイヴァーたち】
http://blog.soulsearchin.com/archives/000431.html
2003/03/09 (Sun)
Soul Survivors who make soul survive
2003年ソウル・サヴァイヴァーズのライヴ評~ソウルを生きながらえさせる男たち
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030309.html
■コーネルの名演奏が聴けるスタッフの1枚目、2枚目、そして、ダニー、アレサのライヴ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00129Q1WE/soulsearchiho-22/ref=nosim
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00129Q1WO/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000005S6W/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000WPP9EU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
OBITUARITY>Dupree, Cornell
【Cornell Dupree Dies At 68】
訃報。
ニューヨークを本拠に1960年代から活躍していた名ギタリスト、コーネル・デュプリーが2011年5月8日、テキサス州フォートウォースの自宅で死去した。68歳だった。(1942年生まれのため、一部で69歳と書かれているが、まちがい。1942年生まれだが、12月生まれで誕生日がまだきていないために68歳) ここ数年、肺気腫を患っており、肺の移植手術を受けることになっていた。それでも、2010年8月、2009年2月、2008年6月と毎年のように来日、ステージを見せていた。2010年8月が最後の来日。これまでに2500以上のセッションに参加、参加レコード多数、ライヴ多数。特に1976年にスティーヴ・ガッド、エリック・ゲイル、リチャード・ティーらと結成したグループ、「スタッフ」が大きな人気を集めた。
2011年3月20日には、コーネルの手術代、治療費などをサポートするために有志のミュージシャンが集まり、ニューヨークのBBキングの「ハウス・オブ・ブルーズ」でチャリティー・ライヴが行われた。
コーネル・デュプリーは、1942年12月19日、テキサス州フォートウォース生まれ。1962年にニューヨークに出て、まもなくベースのチャック・レイニーとともにキング・カーティス・バンドの一員となる。サム・クック、ファッツ・ドミノなどのバックや、1965年にはビートルズのオープニングもやったという。中期からアトランティック・レコードのハウス・バンドの一員として活躍するようになり、アトランティックにおける多数のセッションに参加した。その頃の作品には、アレサ・フランクリンの「リスペクト」、名盤『ライヴ・アット・フィルモア・ウェスト』、ダニー・ハサウェイの名盤『ライヴ』、ブルック・ベントンの「レイニー・ナイト・イン・ジョージア」など多数ある。1967年から1976年まで、アレサ・フランクリンのツアー・バンドの一員でもあった。
彼は、ダニー・ハサウェイ、アレサ、ジョー・コッカー、ロバータ・フラック、ポール・サイモンなどのほかに、自身名義のソロ・アルバム(1974年『ティージン』以降、ソロ多数)もだしている。
スタジオおよびライヴ・セッションでの名声を得た彼は、同業の仲間であるミュージシャン、エリック・ゲイル(ギター)、リチャード・ティー(キーボード)、スティーヴ・ガッド、クリス・パーカー(ともにドラムス)、ゴードン・エドワーズ(ベース)らとともに、1976年、グループ「スタッフ」を結成。ニューヨークの名うてのミュージシャンが集まったスーパー・グループとして、当時のフュージョン・シーン、後のジャズ・ファンク・シーンでも大きな人気を集めた。
スタッフとしてのデビュー・アルバム『スタッフ』(1976年)、さらに『モア・スタッフ』(1977年)は特に日本で大ヒットとなり、日本におけるフュージョン・ブームの起爆剤となった。
その後も、スティーヴ・ガッドがリーダーとなったガッド・ギャングなどでも活躍、さらに、ソウル・サヴァイヴァーズ名義でも活躍し、毎年のように来日し、日本のファンに親しまれた。
コーネル死しても、そのギターの音色は、ずっと生き続ける。His guitar sound will survive forever.
なお、スタッフのうち、リチャード・ティーは1993年7月21日に49歳で、エリック・ゲイルは1994年5月25日、55歳でともに癌で亡くなっている。
(修正:デュプリーの死去した場所を当初、ニューヨークと書きましたが、テキサス州フォートウォースの自宅だったことがわかりましたので、修正しました。=2011年5月12日、午後1時40分現在)
+++++
訃報に関して。
訃報に関しては毎回書いていますが、必ず複数の情報源から確認を取るようにしています。最近はツイッター、フェースブックなどで、一般ネットメディアに出る前に、当人の家族、親しい友人などからの情報が流れることが多くなっています。ただ一般の人がツイートした場合、いつ・どこで・何が原因で・何歳で死去したかという、きちんとしたメディア情報になっていないことが多いために、それを確認するために、時間がかかります。しかし、第一報は瞬く間に広がります。
ソウル・サーチンでは、ツイッターにおける「速さ」よりも、その情報が確実かどうか、信頼性があるかに重きを置いて、確実だと判断した場合のみ情報を発信しています。これからも、親しい筋から情報が出た場合、一般メディア、ネットメディアなどに出るまでには6~24時間程度の時差が生まれるでしょう。しかし、多くのツイッター情報は、ひとつの情報源のものをリツイートすることが多く、瞬く間に広まるために、誤報だった場合も、瞬時に広まる危険性があります。そのあたりは慎重に対処するつもりですので、ご理解ください。
+++++
今回の訃報は、ムゲンブラスターズの宮原さんが9日午後8時過ぎにエリック・ゲイルの奥様マサコさんからの情報としてツイートした。僕もそれを見て知り、いろいろと確認作業をしたが、その後、マサコさん自身の書き込みが確認されたため、確定情報として午後10時半すぎにツイートした。日本時間10日になって、ジェイソン・マイルズなどもツイート。日本時間で10日午前0時20分ごろ、英語版ウィキペディアで死亡が書かれた。また、9日昼12時(日本時間10日午前4時)からはカリフォルニア州ロングビーチのジャズ専門局KJAZZ(88.1FM)が追悼特集を放送し始めた。
+++++
コーネル・デュプリーは、調べてみると2010年と2009年を見逃していた。2010年は予定があわず行けず、2009年はマーヴィン・ゲイにかかりきりで、時間が取れなかった。よって、最後のライヴ評は2008年のものだった。そのときからすでに、酸素ボンベだったのだから、本当に大変なプロ意識だと思う。いつ見ても、陳腐な表現だが、いぶし銀だった。ご冥福をお祈りします。
■ 過去記事 コーネル・デュプリー関連
2008年04月17日(木)
職人ギタリスト、コーネル・デュプリー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10088927816.html
August 06, 2005
Soul Survivors Still Survive:
【平均年齢62.2歳、老練のサヴァイヴァーたち】
http://blog.soulsearchin.com/archives/000431.html
2003/03/09 (Sun)
Soul Survivors who make soul survive
2003年ソウル・サヴァイヴァーズのライヴ評~ソウルを生きながらえさせる男たち
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030309.html
■コーネルの名演奏が聴けるスタッフの1枚目、2枚目、そして、ダニー、アレサのライヴ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00129Q1WE/soulsearchiho-22/ref=nosim
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00129Q1WO/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000005S6W/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000WPP9EU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
OBITUARITY>Dupree, Cornell