○今年の「ソウル・パワー」は7月開催、新曲6月1日から配信
2011年6月1日 音楽○今年の「ソウル・パワー」は7月開催、新曲6月1日から配信
【Soul Power 2011 Will Be Held In July】
7月。
これまでに5回行われてきた夏の一大ソウル・イヴェント「ソウル・パワー」。今年は6回目になるが、再び大阪でも開催されることになった。また今回はこれまでの9月ではなく、少し前倒しとなって7月16日(土)から開催される。(詳細は下記に) チケットは東京分が6月5日から、大阪分が6月12日から発売される。
これに先立ち、「ソウル・パワー」出演アーティストたちが一同に会し、東北大震災復興支援ソングをレコーディング、6月1日から配信する。これは、ソウル・パワー・オールスターズ(Soul Power Allstars)による「ウィ・ガット・ソウル・パワー(We Got Soul Power)」。リーダーの鈴木雅之を中心に桑野信義、佐藤善雄のラッツ&スター「再集結」をはじめ、ブラザー・コーン、ゴスペラーズ、スクープ・オン・サムバディー、ダンスマンなどが参加している。今回の「ソウル・パワー」での目玉的作品になる。去る5月30日深夜TBS系の生番組『カミスン』で、メンバー全員が集合し、この曲を歌い、初披露した。
「ソウル・パワー」は、2006年から始まった日本のソウル・ミュージック好きのミュージシャン、鈴木雅之がゴスペラーズ、スクープ・オン・サムバディーらに声をかけ「ソウル」をキーワードに、「ソウル」的な楽曲を中心にソウルフルなライヴを見せるイヴェント。昨年は久保田利伸の参加で大いに話題になった。
■今年の「ソウル・パワー2011」
●「SOUL POWER TOKYO SUMMIT 2011」
公演日 : 2011/07/16(土)
地域 : 東京都
会場 : 東京国際フォーラム・ホールA
開場 : 16:30
開演 : 17:30
料金(税込) : 全席指定7,000円(消費税込)
問い合わせ先 : ディスクガレージ TEL:03-5436-9600(平日12:00~19:00)
発売日 : 2011年6月5日(日)
備考 : ※3歳以上の方はチケットが必要です。
●公演日 : 2011/07/17(日)
地域 : 東京都
会場 : 東京国際フォーラム・ホールA
開場 : 16:30
開演 : 17:30
料金(税込) : 全席指定7,000円(消費税込)
問い合わせ先 : ディスクガレージ TEL:03-5436-9600(平日12:00~19:00)
発売日 : 2011年6月5日(日)
備考 : ※3歳以上の方はチケットが必要です。
出演:ゴスペラーズ、鈴木雅之、Skoop On Somebody 他
●「SOUL POWER なにわ SUMMIT 2011」
公演日 : 2011/07/27(水)
地域 : 大阪府
会場 : グランキューブ大阪 メインホール
開場 : 17:45
開演 : 18:30
料金(税込) : 全席指定7,000円(税込)
問い合わせ先 : ソーゴー大阪 TEL:06-6344-3326
発売日 : 2011年6月12日(日)
備考 : ※3歳以上の方はチケットが必要です。
●公演日 : 2011/07/28(木)
地域 : 大阪府
会場 : グランキューブ大阪 メインホール
開場 : 17:45
開演 : 18:30
料金(税込) : 全席指定7,000円(税込)
問い合わせ先 : ソーゴー大阪 TEL:06-6344-3326
発売日 : 2011年6月12日(日)
備考 : ※3歳以上の方はチケットが必要です。
出演:ゴスペラーズ、鈴木雅之、Skoop On Somebody 他
■過去ソウル・パワー関連記事(初回から5回目まで)
2010年09月26日(日)
ソウル・パワー・サミット2010第1日レポート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10658339731.html#main
2010年09月27日(月)
ソウル・パワー・サミット2010 第二日レポート:日本版「ソウル・レヴュー」か
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10659825179.html#main
2010年09月25日(土)
『ソウル・パワー2010』第一日(速報)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100925.html
>2009年第4回
September 26, 2009
ソウル・パワー・東京サミット2009(Day 1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10351045775.html
2009年09月27日(日)
ソウル・パワー・東京サミット2009(Day 2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10351581358.html#main
2009年09月28日(月)
ソウル・パワー、盛りだくさん
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10352078479.html
>第3回2008年
September 25, 2008
ソウル・パワー2008~2日間を見て
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080925.html
September 22, 2008
Soul Power 2008: Tokyo Summit Day Two:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080922.html
September 21, 2008
Soul Power Summit 2008 Tokyo: Day One
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080921.html
>2007年第2回
August 12, 2007
Soul Power Tokyo Summit 2007: Singing Is Joy
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070812.html
July 31, 2007
Soul Power Summit 2007: Full Of Surprise
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070731.html
>2006年第1回
July 27, 2006
Soul Power Tokyo Summit 2006
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_27.html
ENT>ANNOUNCEMENT>Soul Power 2011
【Soul Power 2011 Will Be Held In July】
7月。
これまでに5回行われてきた夏の一大ソウル・イヴェント「ソウル・パワー」。今年は6回目になるが、再び大阪でも開催されることになった。また今回はこれまでの9月ではなく、少し前倒しとなって7月16日(土)から開催される。(詳細は下記に) チケットは東京分が6月5日から、大阪分が6月12日から発売される。
これに先立ち、「ソウル・パワー」出演アーティストたちが一同に会し、東北大震災復興支援ソングをレコーディング、6月1日から配信する。これは、ソウル・パワー・オールスターズ(Soul Power Allstars)による「ウィ・ガット・ソウル・パワー(We Got Soul Power)」。リーダーの鈴木雅之を中心に桑野信義、佐藤善雄のラッツ&スター「再集結」をはじめ、ブラザー・コーン、ゴスペラーズ、スクープ・オン・サムバディー、ダンスマンなどが参加している。今回の「ソウル・パワー」での目玉的作品になる。去る5月30日深夜TBS系の生番組『カミスン』で、メンバー全員が集合し、この曲を歌い、初披露した。
「ソウル・パワー」は、2006年から始まった日本のソウル・ミュージック好きのミュージシャン、鈴木雅之がゴスペラーズ、スクープ・オン・サムバディーらに声をかけ「ソウル」をキーワードに、「ソウル」的な楽曲を中心にソウルフルなライヴを見せるイヴェント。昨年は久保田利伸の参加で大いに話題になった。
■今年の「ソウル・パワー2011」
●「SOUL POWER TOKYO SUMMIT 2011」
公演日 : 2011/07/16(土)
地域 : 東京都
会場 : 東京国際フォーラム・ホールA
開場 : 16:30
開演 : 17:30
料金(税込) : 全席指定7,000円(消費税込)
問い合わせ先 : ディスクガレージ TEL:03-5436-9600(平日12:00~19:00)
発売日 : 2011年6月5日(日)
備考 : ※3歳以上の方はチケットが必要です。
●公演日 : 2011/07/17(日)
地域 : 東京都
会場 : 東京国際フォーラム・ホールA
開場 : 16:30
開演 : 17:30
料金(税込) : 全席指定7,000円(消費税込)
問い合わせ先 : ディスクガレージ TEL:03-5436-9600(平日12:00~19:00)
発売日 : 2011年6月5日(日)
備考 : ※3歳以上の方はチケットが必要です。
出演:ゴスペラーズ、鈴木雅之、Skoop On Somebody 他
●「SOUL POWER なにわ SUMMIT 2011」
公演日 : 2011/07/27(水)
地域 : 大阪府
会場 : グランキューブ大阪 メインホール
開場 : 17:45
開演 : 18:30
料金(税込) : 全席指定7,000円(税込)
問い合わせ先 : ソーゴー大阪 TEL:06-6344-3326
発売日 : 2011年6月12日(日)
備考 : ※3歳以上の方はチケットが必要です。
●公演日 : 2011/07/28(木)
地域 : 大阪府
会場 : グランキューブ大阪 メインホール
開場 : 17:45
開演 : 18:30
料金(税込) : 全席指定7,000円(税込)
問い合わせ先 : ソーゴー大阪 TEL:06-6344-3326
発売日 : 2011年6月12日(日)
備考 : ※3歳以上の方はチケットが必要です。
出演:ゴスペラーズ、鈴木雅之、Skoop On Somebody 他
■過去ソウル・パワー関連記事(初回から5回目まで)
2010年09月26日(日)
ソウル・パワー・サミット2010第1日レポート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10658339731.html#main
2010年09月27日(月)
ソウル・パワー・サミット2010 第二日レポート:日本版「ソウル・レヴュー」か
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10659825179.html#main
2010年09月25日(土)
『ソウル・パワー2010』第一日(速報)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100925.html
>2009年第4回
September 26, 2009
ソウル・パワー・東京サミット2009(Day 1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10351045775.html
2009年09月27日(日)
ソウル・パワー・東京サミット2009(Day 2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10351581358.html#main
2009年09月28日(月)
ソウル・パワー、盛りだくさん
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10352078479.html
>第3回2008年
September 25, 2008
ソウル・パワー2008~2日間を見て
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080925.html
September 22, 2008
Soul Power 2008: Tokyo Summit Day Two:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080922.html
September 21, 2008
Soul Power Summit 2008 Tokyo: Day One
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080921.html
>2007年第2回
August 12, 2007
Soul Power Tokyo Summit 2007: Singing Is Joy
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070812.html
July 31, 2007
Soul Power Summit 2007: Full Of Surprise
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070731.html
>2006年第1回
July 27, 2006
Soul Power Tokyo Summit 2006
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_27.html
ENT>ANNOUNCEMENT>Soul Power 2011
◎ トクズ・ラウンジ~マイルスとヒップホップな夜
2011年6月2日 音楽◎トクズ・ラウンジ~マイルスとヒップホップな夜
【Toku’s Lounge: Jazz And More~ Miles Meets Hip Hop】
ヒップホップ。
5月26日はジャズ・ジャイアント、マイルス・デイヴィスの命日。本当は5月25日の深夜にやりたかったのだが、メンバーのスケジュールなどのために、一日早くマイルス・トリビュート。
若手ミュージシャンたちが月1回深夜に集まり、自由気ままにジャム・セッションを繰り広げる「トクズ・ラウンジ」。ジャズ・ミュージシャン/トランペット/フルーゲルホーン奏者、トクが主催する西麻布深夜の大人のためのエンターテインメントだ。
毎年5月末のこの時期は、マイルスの命日にあわせて、全曲マイルスしばりでジャム・セッション。
マイルス楽曲に力があるのか、マイルス楽曲ゆえにミュージシャンが「火事場のバカ力」を出すのか、いつになく熱いセッションが繰り広げられる。まさに「音の洪水」「音のシャワー」を存分に浴びることができる。
この日、驚いたのはセカンドセットに日本を代表するラッパーたちが飛び入りしたこと。ジーブラとトクは前々から仲良く、コラボレーションもしているが、この日は彼が友人のラッパー仲間を引き連れて、ステージにあがった。参加したのは、スポンテニアのタランチュラ、デフテックのマイクロ、テリヤキボーイズのワイズら。マイルス・デイヴィス楽曲とラップが実にはまる。ジャズ・ミュージシャン、トクとラッパーたちの融合は、素晴らしい。前回はヴォイス・パーカッションとのコラボを見せたが、シンガー、ミュージシャンだけでなく、ラッパーまでも飛び入り歓迎なのだから、トクの懐は広い。
■過去関連記事
2011年03月22日(火)
深夜のジャム・セッション~軽音部、トクズ・ラウンジ・スペシャル
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10837098296.html
2010年10月28日(木)
ミッドナイト・カンヴァー・セッション 「トクズ・ラウンジ」
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10689147109.html
2010年09月16日(木)
トクズ・ラウンジ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100916.html
(過去記事一覧も)
■メンバー(順不同)
TOKU
石渡じゅん ドラムス
ジン JIN
荻原亮 ギター
後藤克臣 ベース
ジョーセイ キーボード
タカヤ キーボード
タカ ヴォーカル&トランペット
グレース・マヤ ヴォーカル
モリヤミユキ サックス
マツモト (パーカッション)
ナガ(パーカッション)
イッセイ (パーカッション)
ジーブラZeebra (ラップ)
タランチュラ (スポンテニア)(ラップ)
マイクロ(デフテック) (ヴォーカル・ラップ)
ワイズ(テリヤキボーイズ)(ラップ)
■セットリスト トクズ・ラウンジ、2011年5月24日深夜、西麻布トクズ・ラウンジ
Setlist : Toku’s Lounge
1st set
Show started 12:45
01.Stella by Starlights
02.Footprints
03.All Blues
04.My Funny Valentine
05.Fever (Grace Maya)
06.81
show ended 2:15
2nd set
show started 3:01
01.Milestone
02.Doo Bop Song (Zeebra, Micro, Tarantula, Wize)
03.One Phone Call
Show ended 4:02
(2011年5月24日火曜深夜、西麻布トクズ・ラウンジ、ジャム・セッション)
ENT>MUSIC>LIVE>Toku’s Lounge
2011-
【Toku’s Lounge: Jazz And More~ Miles Meets Hip Hop】
ヒップホップ。
5月26日はジャズ・ジャイアント、マイルス・デイヴィスの命日。本当は5月25日の深夜にやりたかったのだが、メンバーのスケジュールなどのために、一日早くマイルス・トリビュート。
若手ミュージシャンたちが月1回深夜に集まり、自由気ままにジャム・セッションを繰り広げる「トクズ・ラウンジ」。ジャズ・ミュージシャン/トランペット/フルーゲルホーン奏者、トクが主催する西麻布深夜の大人のためのエンターテインメントだ。
毎年5月末のこの時期は、マイルスの命日にあわせて、全曲マイルスしばりでジャム・セッション。
マイルス楽曲に力があるのか、マイルス楽曲ゆえにミュージシャンが「火事場のバカ力」を出すのか、いつになく熱いセッションが繰り広げられる。まさに「音の洪水」「音のシャワー」を存分に浴びることができる。
この日、驚いたのはセカンドセットに日本を代表するラッパーたちが飛び入りしたこと。ジーブラとトクは前々から仲良く、コラボレーションもしているが、この日は彼が友人のラッパー仲間を引き連れて、ステージにあがった。参加したのは、スポンテニアのタランチュラ、デフテックのマイクロ、テリヤキボーイズのワイズら。マイルス・デイヴィス楽曲とラップが実にはまる。ジャズ・ミュージシャン、トクとラッパーたちの融合は、素晴らしい。前回はヴォイス・パーカッションとのコラボを見せたが、シンガー、ミュージシャンだけでなく、ラッパーまでも飛び入り歓迎なのだから、トクの懐は広い。
■過去関連記事
2011年03月22日(火)
深夜のジャム・セッション~軽音部、トクズ・ラウンジ・スペシャル
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10837098296.html
2010年10月28日(木)
ミッドナイト・カンヴァー・セッション 「トクズ・ラウンジ」
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10689147109.html
2010年09月16日(木)
トクズ・ラウンジ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100916.html
(過去記事一覧も)
■メンバー(順不同)
TOKU
石渡じゅん ドラムス
ジン JIN
荻原亮 ギター
後藤克臣 ベース
ジョーセイ キーボード
タカヤ キーボード
タカ ヴォーカル&トランペット
グレース・マヤ ヴォーカル
モリヤミユキ サックス
マツモト (パーカッション)
ナガ(パーカッション)
イッセイ (パーカッション)
ジーブラZeebra (ラップ)
タランチュラ (スポンテニア)(ラップ)
マイクロ(デフテック) (ヴォーカル・ラップ)
ワイズ(テリヤキボーイズ)(ラップ)
■セットリスト トクズ・ラウンジ、2011年5月24日深夜、西麻布トクズ・ラウンジ
Setlist : Toku’s Lounge
1st set
Show started 12:45
01.Stella by Starlights
02.Footprints
03.All Blues
04.My Funny Valentine
05.Fever (Grace Maya)
06.81
show ended 2:15
2nd set
show started 3:01
01.Milestone
02.Doo Bop Song (Zeebra, Micro, Tarantula, Wize)
03.One Phone Call
Show ended 4:02
(2011年5月24日火曜深夜、西麻布トクズ・ラウンジ、ジャム・セッション)
ENT>MUSIC>LIVE>Toku’s Lounge
2011-
◎ ケニーG・ライヴ~決して変わらぬサウンドを貫くサックスマン
2011年6月3日 音楽◎ケニーG・ライヴ~決して変わらぬサウンドを貫くサックスマン
【Kenny G】
不変普遍。
超人気サックス奏者、ケニーGの東京一日だけの公演。毎年のようにやってきて、大体国際フォーラム2-3日やるという彼がアジア・ツアーの一環で大阪一日、東京一日だけ立ち寄ってのライヴ。ということで、超満員。観客の年齢層もかなり高い。
僕がケニーGに初めて会ったのは1983年7月のこと。ニューヨーク・トライベッカのカシーフの自宅を訪ねたときに、まだメジャーになる前のケニーがいた。当時カシーフがケニーGをプロデュースしていたからだ。シアトルからニューヨークに初めて来たとかで、カシーフ宅に滞在していた。ほぼ同じ頃、フィリップ・ウーもケニーG、カシーフと親しく、カシーフ邸に行っていた、という。たぶん、それは1984年7月の夏のことだったと思う。その話はまた別の機会に譲るとして、ケニーGは、その後、「ソングバード」などが大ヒットし、世界的スーパースターとなった。
僕もケニーGのライヴを見るのは相当久しぶり。1980年代に初来日以降何度か見た記憶があるが、久々に会場に足を運んだ。なんと隣の席に、元アドリブ編集長の松下さんが。かなりこちらも久々にお会いする。僕を見つけるなり、開口一番「やっと若い人に会えたよ(笑)」と言うのだが、僕でさえ、ここでは若いのか。(笑) 最近は悠々自適で、ジャコ・パストリアスの本の出版や、その他の音源リリースをしている、という。
「いやあ、ケニーG、松下さんと一緒にインタヴューしましたよね。でも、ライヴ見るの、久しぶりなんです」「ああ、そう、久しぶりなんだ。僕は、毎回見に来てるけど、昔とまったく変わりません(笑) きっと、客席の後ろから出てくるよ」
客電が落ち、サックスの音が会場に響きだすと、松下さんの言うとおり、1階客席の一番後ろからサックス吹きながら、登場した。
ドラムス、ギター、ベース、キーボード、パーカッションにケニーGのサックスという布陣。そして、確かにそのパフォーマンスは不変で、普遍だった。
MCでもわかるように、実にサーヴィス精神旺盛の人物。それにしても、大変よく日本語をしゃべった。ケニーG、全曲インストゥルメンタル。歌なし。ケニーGの魅力は、そのエンタテインメントぶりとメロディアスな綺麗なサックスの音色にある。とてもわかりやすいサウンドで、かつてのポール・モーリア・オーケストラなどが受けたニュアンスと同じイージー・リスニング・サウンドとして幅広い層に受ける。それが、最近は「スムース・ジャズ」などとも呼ばれる。
彼の得意技のひとつに「サークル・ブリージング(循環呼吸)」でワンノート(ひとつの音階)を延々と吹き続ける、というものがある。今回も始まってすぐにこれをやり、延々続くうちに拍手も大きくなってくる。なんでも、ケニーGはこれで45分以上一音を出し続け、ギネスブックに載ったとか。
終わった後にこれのやり方も簡単に説明するサーヴィスぶり。「鼻で息を吸いながら、口から吹く。だから、いくらでも永遠にできるんです」と解説。
途中でおもしろいシーンがあった。CDを買った人から抽選で、ケニーのサックスをプレゼントするという企画だ。抽選で選ばれた女性が友人を伴ってステージに上げられる。するとその伴った友人がダウン症か何かなのか、なんらかの疾患を持っている女性のようだった。ケニーが感謝の気持ちを込め、1曲プレイし、そのサックスをケースにしまい、彼女にプレゼントをした。一言二言やりとりがあり、ケニーが送り出そうとしたとき、そのもう一人の彼女が、帰りたくないとダダをこねたのだ。さすがに驚いた彼女が、その彼女を説得にかかり、手を引っ張ろうとするが、いやいやと抵抗する。通訳もやってきて、説得するが、椅子を立とうとしない。
すると、ケニーがサックスを吹き始め、彼自身がその彼女たちの席のほうにうながすように、歩き始めたのだ。だがそれでもその彼女は動こうとしない。観客からも失笑がもれる。ケニーはステージを降り、通路に進んだ。結局、やっとのことで彼女の付添い人にうながされ、席に戻った。思わぬハプニングだった。
この日は客席にレストラン「ノブNobu」のオウナー・シェフが来ていて、観客に紹介し、ライヴ後に行くと言っていた。
アンコール2曲目はなんと「タイタニック」。日本人が聴きたいであろう楽曲を一番最後に持ってくる。さすがだ。そして、音楽的立ち位置を変えず、ヴァリエーションはあるものの基本路線は変えず、来た観客が聴きたいと思うものを徹底してプレイする。頑固一徹、それはあっぱれ。
■ケニーG最新作
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003AL7PLS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■エッセンシャル(2枚組み)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000EBDCXW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■メンバー
ケニーG Kenny G (sax)
ロバート・ダンパー Robert Damper (keyboards)
ヴェイル・ジョンソン Vail Johnson (bass)
ダニエル・ベジャラノ Daniel Bejarano (drums)
ロナルド・パウェル Ronald Powell (percussion)
ジョン・レイモンド John Raymond (guitar)
■セットリスト: オーチャード・ホール
Setlist: Kenny G @ Orchard Hall, Shibuya, May 28, 2011
Show started 19:07
01.Home
02.Silhouette
03.G-Bop
04.Havana
05.Percussion solo
06.Forever In Love
07.Heart And Soul
08.Band Introducing
09.Rhythm And Romance
10.Besame Mucho
11.Saxoloco
12.“Sax Present”—Drawing(抽選して1曲プレゼント)
13.Dying Young / Going Home
14.Sade
15.Cadenza
16.Songbird
ENC. Bass Solo
ENC. Pick Up The Pieces
ENC. Titanic
Show ended 21:00
(2011年5月27日金曜、オーチャード・ホール、ケニーGライヴ)
ENT>MUISC>LIVE>Kenny G
2011-
【Kenny G】
不変普遍。
超人気サックス奏者、ケニーGの東京一日だけの公演。毎年のようにやってきて、大体国際フォーラム2-3日やるという彼がアジア・ツアーの一環で大阪一日、東京一日だけ立ち寄ってのライヴ。ということで、超満員。観客の年齢層もかなり高い。
僕がケニーGに初めて会ったのは1983年7月のこと。ニューヨーク・トライベッカのカシーフの自宅を訪ねたときに、まだメジャーになる前のケニーがいた。当時カシーフがケニーGをプロデュースしていたからだ。シアトルからニューヨークに初めて来たとかで、カシーフ宅に滞在していた。ほぼ同じ頃、フィリップ・ウーもケニーG、カシーフと親しく、カシーフ邸に行っていた、という。たぶん、それは1984年7月の夏のことだったと思う。その話はまた別の機会に譲るとして、ケニーGは、その後、「ソングバード」などが大ヒットし、世界的スーパースターとなった。
僕もケニーGのライヴを見るのは相当久しぶり。1980年代に初来日以降何度か見た記憶があるが、久々に会場に足を運んだ。なんと隣の席に、元アドリブ編集長の松下さんが。かなりこちらも久々にお会いする。僕を見つけるなり、開口一番「やっと若い人に会えたよ(笑)」と言うのだが、僕でさえ、ここでは若いのか。(笑) 最近は悠々自適で、ジャコ・パストリアスの本の出版や、その他の音源リリースをしている、という。
「いやあ、ケニーG、松下さんと一緒にインタヴューしましたよね。でも、ライヴ見るの、久しぶりなんです」「ああ、そう、久しぶりなんだ。僕は、毎回見に来てるけど、昔とまったく変わりません(笑) きっと、客席の後ろから出てくるよ」
客電が落ち、サックスの音が会場に響きだすと、松下さんの言うとおり、1階客席の一番後ろからサックス吹きながら、登場した。
ドラムス、ギター、ベース、キーボード、パーカッションにケニーGのサックスという布陣。そして、確かにそのパフォーマンスは不変で、普遍だった。
MCでもわかるように、実にサーヴィス精神旺盛の人物。それにしても、大変よく日本語をしゃべった。ケニーG、全曲インストゥルメンタル。歌なし。ケニーGの魅力は、そのエンタテインメントぶりとメロディアスな綺麗なサックスの音色にある。とてもわかりやすいサウンドで、かつてのポール・モーリア・オーケストラなどが受けたニュアンスと同じイージー・リスニング・サウンドとして幅広い層に受ける。それが、最近は「スムース・ジャズ」などとも呼ばれる。
彼の得意技のひとつに「サークル・ブリージング(循環呼吸)」でワンノート(ひとつの音階)を延々と吹き続ける、というものがある。今回も始まってすぐにこれをやり、延々続くうちに拍手も大きくなってくる。なんでも、ケニーGはこれで45分以上一音を出し続け、ギネスブックに載ったとか。
終わった後にこれのやり方も簡単に説明するサーヴィスぶり。「鼻で息を吸いながら、口から吹く。だから、いくらでも永遠にできるんです」と解説。
途中でおもしろいシーンがあった。CDを買った人から抽選で、ケニーのサックスをプレゼントするという企画だ。抽選で選ばれた女性が友人を伴ってステージに上げられる。するとその伴った友人がダウン症か何かなのか、なんらかの疾患を持っている女性のようだった。ケニーが感謝の気持ちを込め、1曲プレイし、そのサックスをケースにしまい、彼女にプレゼントをした。一言二言やりとりがあり、ケニーが送り出そうとしたとき、そのもう一人の彼女が、帰りたくないとダダをこねたのだ。さすがに驚いた彼女が、その彼女を説得にかかり、手を引っ張ろうとするが、いやいやと抵抗する。通訳もやってきて、説得するが、椅子を立とうとしない。
すると、ケニーがサックスを吹き始め、彼自身がその彼女たちの席のほうにうながすように、歩き始めたのだ。だがそれでもその彼女は動こうとしない。観客からも失笑がもれる。ケニーはステージを降り、通路に進んだ。結局、やっとのことで彼女の付添い人にうながされ、席に戻った。思わぬハプニングだった。
この日は客席にレストラン「ノブNobu」のオウナー・シェフが来ていて、観客に紹介し、ライヴ後に行くと言っていた。
アンコール2曲目はなんと「タイタニック」。日本人が聴きたいであろう楽曲を一番最後に持ってくる。さすがだ。そして、音楽的立ち位置を変えず、ヴァリエーションはあるものの基本路線は変えず、来た観客が聴きたいと思うものを徹底してプレイする。頑固一徹、それはあっぱれ。
■ケニーG最新作
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003AL7PLS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■エッセンシャル(2枚組み)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000EBDCXW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■メンバー
ケニーG Kenny G (sax)
ロバート・ダンパー Robert Damper (keyboards)
ヴェイル・ジョンソン Vail Johnson (bass)
ダニエル・ベジャラノ Daniel Bejarano (drums)
ロナルド・パウェル Ronald Powell (percussion)
ジョン・レイモンド John Raymond (guitar)
■セットリスト: オーチャード・ホール
Setlist: Kenny G @ Orchard Hall, Shibuya, May 28, 2011
Show started 19:07
01.Home
02.Silhouette
03.G-Bop
04.Havana
05.Percussion solo
06.Forever In Love
07.Heart And Soul
08.Band Introducing
09.Rhythm And Romance
10.Besame Mucho
11.Saxoloco
12.“Sax Present”—Drawing(抽選して1曲プレゼント)
13.Dying Young / Going Home
14.Sade
15.Cadenza
16.Songbird
ENC. Bass Solo
ENC. Pick Up The Pieces
ENC. Titanic
Show ended 21:00
(2011年5月27日金曜、オーチャード・ホール、ケニーGライヴ)
ENT>MUISC>LIVE>Kenny G
2011-
◎ヴァネッサ・ウィリアムス~ミッドタウンの夜をおしゃれに演出
2011年6月4日 音楽◎ヴァネッサ・ウィリアムス~ミッドタウンの夜をおしゃれに演出
【Vanessa Williams Live】
おしゃれ。
彼女がシンガーとしてソロ・デビューしてからはや23年。デビュー作『ザ・ライト・スタッフ』は1988年リリースだ。その前からちょこちょことジョージ・クリントンのレコーディングなどに参加していた。
このところ、ほぼ毎年のようにやってくる歌姫、ヴァネッサ。ご存知の通り、ミス・アメリカになりながら、ヌード写真が公開されたことで、その称号を剥奪され、一念発起し、シンガー/エンタテイナーとして再起して成功したという人物だ。
日本ではシオノギの頭痛薬セデスのCMで彼女の「セイヴ・ザ・ベスト・フォー・ラスト」が使われ、おなじみ。
全体的には、ポップな女性シンガーという印象で、ホイットニー・ヒューストン、ちょっと大人っぽいところはナタリー・コールなどを彷彿とさせる。ブロードウェイのミュージカルもこなしているので、キャリアは、すでに超ヴェテラン。1963年3月生まれ、48歳とは思えぬスタイル。さすが元モデルだけのことはある。ホイットニーも道を誤らなければ、ヴァネッサのようにスタイルもよく、歌も上手で人気を堅持できたのではないかと思う。ヴァネッサもホイットニーも63年生まれなので、同じ年だ。
途中でコーラス3人のうち男性歌手は、ブロードウェイシンガーで、彼女が主演したミュージカル『キス・オブ・ア・スパイダ-・ウーマン』で共演したダリウス・デ・ハース。ソウル・シンガーというより、ミュージカル・シンガーという雰囲気だった。ヴァネッサは途中で衣装変えもあり、見せて楽しませる。
コーラスの一番右に可愛い子がいると思ったら、なんとヴァネッサの娘さん。ジリアン・ハーヴィー。そういわれてみると、とてもよく似ている。さすが母親譲り。
ナタリー・コールより、もっとポップ路線だ。ラスヴェガスで楽しむショーのような良質の大人向きエンタテインメントだ。
■現状最新作
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001V7DJOK/soulsearchiho-22/ref=nosim/
セカンドアルバム、「セイヴ・ザ・ラスト」収録
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001FWS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■メンバー
ヴァネッサ・ウィリアムス / Vanessa Williams(Lead vocal)
ロブ・マシス/ Rob Mathes(Musical Director / Piano/ Keyboards/Guitar/Background Vocals)
レオ・コロン / Leo Colon(Keyboards/Background Vocals)
キース・ロビンソン / Keith Robinson(Guitar/Background Vocals)
アル・コールドウェル / Al Caldwell(Bass)
JT ルイス / JT Lewis(Drums)
ダリアス・デ・ハース / Darius De Haas(Guest Vocalist)
シェリー・トーマス / Shelley Thomas(Background Vocals)
ジリアン・ハーヴィー / Jillian Hervey(Background Vocals)
セットリスト ヴァネッサ・ウィリアムス、ビルボードライブ東京、
Setlist : Vanessa Williams, June 1, 2011
Show started 21:36
01.Real Thing
02.Dreamin’
03.Love Is
04.Colors Of The Wind (From Pocahontas)
05.The Sweetest Days
06.The Comfort Zone
07.Close To You (with video on screen)
08.Just Friends (duo with male singer)
09.With You I’m Born Again (duo)
10.Send One Your Love (male)
11.Constantly
12.Lazy Afternoon
13.Peel Me A Grape
14.Work To Do [Isley Brothers]
15.Oh How The Years Go By
16.Save The Best For Last
Enc. Betcha Never
Show ended 22:52
(2011年6月1日水曜、ビルボードライブ東京、ヴァネッサ・ウィリアムス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Williams, Vanessa
【Vanessa Williams Live】
おしゃれ。
彼女がシンガーとしてソロ・デビューしてからはや23年。デビュー作『ザ・ライト・スタッフ』は1988年リリースだ。その前からちょこちょことジョージ・クリントンのレコーディングなどに参加していた。
このところ、ほぼ毎年のようにやってくる歌姫、ヴァネッサ。ご存知の通り、ミス・アメリカになりながら、ヌード写真が公開されたことで、その称号を剥奪され、一念発起し、シンガー/エンタテイナーとして再起して成功したという人物だ。
日本ではシオノギの頭痛薬セデスのCMで彼女の「セイヴ・ザ・ベスト・フォー・ラスト」が使われ、おなじみ。
全体的には、ポップな女性シンガーという印象で、ホイットニー・ヒューストン、ちょっと大人っぽいところはナタリー・コールなどを彷彿とさせる。ブロードウェイのミュージカルもこなしているので、キャリアは、すでに超ヴェテラン。1963年3月生まれ、48歳とは思えぬスタイル。さすが元モデルだけのことはある。ホイットニーも道を誤らなければ、ヴァネッサのようにスタイルもよく、歌も上手で人気を堅持できたのではないかと思う。ヴァネッサもホイットニーも63年生まれなので、同じ年だ。
途中でコーラス3人のうち男性歌手は、ブロードウェイシンガーで、彼女が主演したミュージカル『キス・オブ・ア・スパイダ-・ウーマン』で共演したダリウス・デ・ハース。ソウル・シンガーというより、ミュージカル・シンガーという雰囲気だった。ヴァネッサは途中で衣装変えもあり、見せて楽しませる。
コーラスの一番右に可愛い子がいると思ったら、なんとヴァネッサの娘さん。ジリアン・ハーヴィー。そういわれてみると、とてもよく似ている。さすが母親譲り。
ナタリー・コールより、もっとポップ路線だ。ラスヴェガスで楽しむショーのような良質の大人向きエンタテインメントだ。
■現状最新作
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001V7DJOK/soulsearchiho-22/ref=nosim/
セカンドアルバム、「セイヴ・ザ・ラスト」収録
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001FWS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■メンバー
ヴァネッサ・ウィリアムス / Vanessa Williams(Lead vocal)
ロブ・マシス/ Rob Mathes(Musical Director / Piano/ Keyboards/Guitar/Background Vocals)
レオ・コロン / Leo Colon(Keyboards/Background Vocals)
キース・ロビンソン / Keith Robinson(Guitar/Background Vocals)
アル・コールドウェル / Al Caldwell(Bass)
JT ルイス / JT Lewis(Drums)
ダリアス・デ・ハース / Darius De Haas(Guest Vocalist)
シェリー・トーマス / Shelley Thomas(Background Vocals)
ジリアン・ハーヴィー / Jillian Hervey(Background Vocals)
セットリスト ヴァネッサ・ウィリアムス、ビルボードライブ東京、
Setlist : Vanessa Williams, June 1, 2011
Show started 21:36
01.Real Thing
02.Dreamin’
03.Love Is
04.Colors Of The Wind (From Pocahontas)
05.The Sweetest Days
06.The Comfort Zone
07.Close To You (with video on screen)
08.Just Friends (duo with male singer)
09.With You I’m Born Again (duo)
10.Send One Your Love (male)
11.Constantly
12.Lazy Afternoon
13.Peel Me A Grape
14.Work To Do [Isley Brothers]
15.Oh How The Years Go By
16.Save The Best For Last
Enc. Betcha Never
Show ended 22:52
(2011年6月1日水曜、ビルボードライブ東京、ヴァネッサ・ウィリアムス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Williams, Vanessa
◎ トータス松本・ア・カペラ・ライヴ@品川教会(パート1)
2011年6月5日 音楽◎トータス松本・ア・カペラ・ライヴ@品川教会(パート1)
(ネタばれになります。これからごらんになる方はご注意ください)
【Tortoise Matsumoto A Cappella Live At Church】
塊魂爆発(かいこんばくはつ)。
水曜日のカマサミ・コングのランチ・セッションに、ナイル・ロジャーズをお連れしたところで、そこに来ていたケイリブから、今、トータス松本のア・カペラ・ツアーをやっている、すばらしいのでぜひ見てほしいと声をかけられた。ア・カペラと聞けば何でもいく僕としてはこれは行かないわけにはいかない。しかも、トータス松本は、ブルーノートでサム・ムーアのときに飛び入りしたのを見たくらいなので、フルショーを一度見たいと思っていた。加えて、会場が、個人的な思い出もあり、ケイリブと木下航志くんのライヴをやった品川教会ということでさっそくかけつけた。
ふだんはもっと大きな会場でライヴをやる彼からすれば、この350人という収容人数は明らかに小さすぎで、お客さんがあふれる。入口近くで「チケット譲ってください」の紙を持ったファンの人も見かけた。
かつて2003年に『トラヴェラー』というソウル・カヴァー・アルバムを出したソウル・マン、トータス松本が声だけでステージを展開するア・カペラ・ライヴ。会場は神聖なる教会に超満員の観客。8割以上女性だ。自身のヒットやソウル・ヒットを7人のコーラスとトータス本人の計8人だけで歌う。この日は全10本中6本目。
日本で8人だけでア・カペラをやるのはかなり珍しい。もちろんゴスペル・クワイアーなどでは、歌声だけで何十人というパターンはあるが、ポピュラー・ミュージックでア・カペラだけで約2時間は新鮮だ。しかも、今回はライヴ後24時間以内に音源をミックスして、アイチューンズ(I-tunes)で発売するという試みもある。しばらく前に坂本龍一がライヴをユーストで中継し音源をすぐにアイチューンズにだしていたが、これもすばらしいアイデアだ。しかも、毎回のステージが翌日にはリリースされている。会場で感激した方はその感激が翌日には自分のものにできるのだ。音楽家とファンとのつながりは、確実に新しい次元に来ている。ダウンロードは下記へ。
http://itunes.apple.com/jp/artist/id74494386
ここのア・カペラ!! というところ。ライヴの日付があるので、希望のものを選ぶ。すでに6月3日のものもアップされている。30秒程度の試聴も可能。
ライヴ→ユースト→アイチューンズ、あるいはツイッター、フェースブック、アーティスト・アプリなどアーティストをめぐる環境は10年前では想像だにできないほど激変している。それを軸にどんどんと新しいアーティストとファンのふれあいの形ができる。しかし、どれほどデジタルが広まっても、音楽家の本質的な基本はライヴにあることに変わりはない。ライヴが出来てこその新技術の使用と言える。
このトータス松本のライヴは、もちろん、リアルな音楽ができるアーティストのリアルなライヴだ。そして、アカペラを見ていつも思うことだが、そのたびに、改めて人間の力、可能性、特に声の可能性の無限さを感じる。
今回は男声3人、女声4人のコーラスにトータス本人が歌う。すべてはこの8人の声だけ。基本、バックが3から4パートハーモニーをつけ、それにあわせトータス本人がメイン・ヴォーカルを歌う。このトータスの声が、実に力強くソウルフルだ。教会という会場で、声の力は輝きを圧倒的に増す。そして、7人のコーラスを従えて8人の声の塊(かたまり)になったときに、まさにソウル(魂)が爆発する。Soul Explosionだ。
メンバーが会場後方から一人ずつ歩いてステージに進み、ポジションについたところで、おもむろに今夜のスターがやはり後方通路から客席を通って、ステージ中央に。「バンザイ~好きでよかった」からアカペラ・ショーのスタートだ。
メンバーには「ソウル・サーチン」イヴェントでおなじみのケイリブ、ユリ、オリヴィア、ガッツ(中澤信栄)まで。今回の音楽ディレクターはユリで、彼女が中心となってコーラスを考えたという。個人的には、ケイリブがベース・ヴォーカルを担当したところがひじょうに新鮮だった。僕もケイリブにベースをやってもらおうとは今まで思いもつかなかった。こういうサプライズはとてもいい。ミュージシャンやシンガーは、常に、周囲の人間がその人に枠をはめたり決め付けたりする以上のことができるのだ。クリエイティヴなことにリミットをかけてはいけないとつくづく思う。
それにしても、観客は1曲目から総立ちになって、手を突き上げ、腕を揺らし、コール&レスポンスし、歌う。たぶん、楽曲自体にポジティヴな魅力があるから、元気になるのだろう。バックコーラスではガッツの声が目立っていた。
途中のMCもさすがに大阪出身だけにおもしろい。アンコールで牧師風衣装に身を包み、両腕でTの字を作り、ジーザスならぬ「Tザス」です、には受けた。そして、観客もそうだが、やっている本人たちが一番楽しそうに歌っているのが素晴らしい。
最後に「ガッツだぜ」を歌い終えて、客電が点くと、すぐにCDでサム・クックの「ユー・センド・ミー」が流れた。送り出しには最高の選曲だ。
(ライヴ後、楽屋でトータスさん、ケイリブ、ユリさんらに会った。そのときの話などを明日以降に)
■過去関連記事
2008年09月06日(土)
サム・ムーア・ライヴの秘密
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10135912710.html
2008年09月05日(金)
サム・ムーア:「ザ・ソウル・ショウ」@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10135549736.html#main
トータス松本、飛び入りしたサム・ムーア・ライヴ。
2007年11月03日(土)
幸運
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10053853120.html
2007年11月02日(金)
ソウル・パワー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10053853547.html
トータスさん、サムのライヴで「ルッキング・フォー・ア・ラヴ」を歌う
2011年05月04日(水)
ナチュラリー7、口と体の可能性を無限に広げるパフォーマンス
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10880077093.html
現在のアカペラ最高峰、ナチュラリー7のライヴ。
2010年05月19日(水)
ドクター・セドリック・デントが復帰したテイク6~20回目の来日
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10538649996.html
もっとも複雑なハーモニーをいとも簡単に聴かせてみせるテイク6。
December 24, 2006
Shinagawa Gloria Chapel & My Father; Another Christmas Present
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_12_24.html
僕と品川教会の接点。ピアニスト、妹尾さんのライヴで足を運んで
■トータス松本 究極のソウル・カヴァー・アルバム『トラヴェラー』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007M8QS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■メンバー
トータス松本 Tortoise Matsumoto
ユリ Yuri
ケイリブ・ジェームス Kaleb James
オリヴィア・バレル Olivia Burrell
中澤信栄 Nakazawa Nobuyoshi
堀江小綾 Horie Saya
佳世 Kayo
ハピネス徳永 Happiness Tokunaga
■セットリスト トータス松本、品川教会、2011年6月3日(金)
Setlist : Tortoise Matsumoto @ Shinagawa Church, June 3rd, 2011
Show started 18:40
01.バンザイ~好きでよかった
02.いつもの笑顔で
03.愛がなくちゃ
04.You’re All I Need To Get By~僕は海じゃない
>メンバー紹介
05.Wonderful World [Sam Cooke]
06.エビデイ
07.生まれかわっても
08.明星
09.クリア!
10.ハッピー・アワー
Encore. アメージング・グレイス[Traditional]
Encore. ウィ・アー・ザ・ワールド [USA For Africa]
Encore. ガッツだぜ
CD You Send Me (Sam Cooke)
Show ended 20:30
(2011年6月3日金曜、東京:キリスト品川教会 グローリア・チャペル、トータス松本・アカペラ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tortoise Matsumoto
2011-74
(ネタばれになります。これからごらんになる方はご注意ください)
【Tortoise Matsumoto A Cappella Live At Church】
塊魂爆発(かいこんばくはつ)。
水曜日のカマサミ・コングのランチ・セッションに、ナイル・ロジャーズをお連れしたところで、そこに来ていたケイリブから、今、トータス松本のア・カペラ・ツアーをやっている、すばらしいのでぜひ見てほしいと声をかけられた。ア・カペラと聞けば何でもいく僕としてはこれは行かないわけにはいかない。しかも、トータス松本は、ブルーノートでサム・ムーアのときに飛び入りしたのを見たくらいなので、フルショーを一度見たいと思っていた。加えて、会場が、個人的な思い出もあり、ケイリブと木下航志くんのライヴをやった品川教会ということでさっそくかけつけた。
ふだんはもっと大きな会場でライヴをやる彼からすれば、この350人という収容人数は明らかに小さすぎで、お客さんがあふれる。入口近くで「チケット譲ってください」の紙を持ったファンの人も見かけた。
かつて2003年に『トラヴェラー』というソウル・カヴァー・アルバムを出したソウル・マン、トータス松本が声だけでステージを展開するア・カペラ・ライヴ。会場は神聖なる教会に超満員の観客。8割以上女性だ。自身のヒットやソウル・ヒットを7人のコーラスとトータス本人の計8人だけで歌う。この日は全10本中6本目。
日本で8人だけでア・カペラをやるのはかなり珍しい。もちろんゴスペル・クワイアーなどでは、歌声だけで何十人というパターンはあるが、ポピュラー・ミュージックでア・カペラだけで約2時間は新鮮だ。しかも、今回はライヴ後24時間以内に音源をミックスして、アイチューンズ(I-tunes)で発売するという試みもある。しばらく前に坂本龍一がライヴをユーストで中継し音源をすぐにアイチューンズにだしていたが、これもすばらしいアイデアだ。しかも、毎回のステージが翌日にはリリースされている。会場で感激した方はその感激が翌日には自分のものにできるのだ。音楽家とファンとのつながりは、確実に新しい次元に来ている。ダウンロードは下記へ。
http://itunes.apple.com/jp/artist/id74494386
ここのア・カペラ!! というところ。ライヴの日付があるので、希望のものを選ぶ。すでに6月3日のものもアップされている。30秒程度の試聴も可能。
ライヴ→ユースト→アイチューンズ、あるいはツイッター、フェースブック、アーティスト・アプリなどアーティストをめぐる環境は10年前では想像だにできないほど激変している。それを軸にどんどんと新しいアーティストとファンのふれあいの形ができる。しかし、どれほどデジタルが広まっても、音楽家の本質的な基本はライヴにあることに変わりはない。ライヴが出来てこその新技術の使用と言える。
このトータス松本のライヴは、もちろん、リアルな音楽ができるアーティストのリアルなライヴだ。そして、アカペラを見ていつも思うことだが、そのたびに、改めて人間の力、可能性、特に声の可能性の無限さを感じる。
今回は男声3人、女声4人のコーラスにトータス本人が歌う。すべてはこの8人の声だけ。基本、バックが3から4パートハーモニーをつけ、それにあわせトータス本人がメイン・ヴォーカルを歌う。このトータスの声が、実に力強くソウルフルだ。教会という会場で、声の力は輝きを圧倒的に増す。そして、7人のコーラスを従えて8人の声の塊(かたまり)になったときに、まさにソウル(魂)が爆発する。Soul Explosionだ。
メンバーが会場後方から一人ずつ歩いてステージに進み、ポジションについたところで、おもむろに今夜のスターがやはり後方通路から客席を通って、ステージ中央に。「バンザイ~好きでよかった」からアカペラ・ショーのスタートだ。
メンバーには「ソウル・サーチン」イヴェントでおなじみのケイリブ、ユリ、オリヴィア、ガッツ(中澤信栄)まで。今回の音楽ディレクターはユリで、彼女が中心となってコーラスを考えたという。個人的には、ケイリブがベース・ヴォーカルを担当したところがひじょうに新鮮だった。僕もケイリブにベースをやってもらおうとは今まで思いもつかなかった。こういうサプライズはとてもいい。ミュージシャンやシンガーは、常に、周囲の人間がその人に枠をはめたり決め付けたりする以上のことができるのだ。クリエイティヴなことにリミットをかけてはいけないとつくづく思う。
それにしても、観客は1曲目から総立ちになって、手を突き上げ、腕を揺らし、コール&レスポンスし、歌う。たぶん、楽曲自体にポジティヴな魅力があるから、元気になるのだろう。バックコーラスではガッツの声が目立っていた。
途中のMCもさすがに大阪出身だけにおもしろい。アンコールで牧師風衣装に身を包み、両腕でTの字を作り、ジーザスならぬ「Tザス」です、には受けた。そして、観客もそうだが、やっている本人たちが一番楽しそうに歌っているのが素晴らしい。
最後に「ガッツだぜ」を歌い終えて、客電が点くと、すぐにCDでサム・クックの「ユー・センド・ミー」が流れた。送り出しには最高の選曲だ。
(ライヴ後、楽屋でトータスさん、ケイリブ、ユリさんらに会った。そのときの話などを明日以降に)
■過去関連記事
2008年09月06日(土)
サム・ムーア・ライヴの秘密
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10135912710.html
2008年09月05日(金)
サム・ムーア:「ザ・ソウル・ショウ」@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10135549736.html#main
トータス松本、飛び入りしたサム・ムーア・ライヴ。
2007年11月03日(土)
幸運
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10053853120.html
2007年11月02日(金)
ソウル・パワー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10053853547.html
トータスさん、サムのライヴで「ルッキング・フォー・ア・ラヴ」を歌う
2011年05月04日(水)
ナチュラリー7、口と体の可能性を無限に広げるパフォーマンス
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10880077093.html
現在のアカペラ最高峰、ナチュラリー7のライヴ。
2010年05月19日(水)
ドクター・セドリック・デントが復帰したテイク6~20回目の来日
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10538649996.html
もっとも複雑なハーモニーをいとも簡単に聴かせてみせるテイク6。
December 24, 2006
Shinagawa Gloria Chapel & My Father; Another Christmas Present
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_12_24.html
僕と品川教会の接点。ピアニスト、妹尾さんのライヴで足を運んで
■トータス松本 究極のソウル・カヴァー・アルバム『トラヴェラー』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007M8QS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■メンバー
トータス松本 Tortoise Matsumoto
ユリ Yuri
ケイリブ・ジェームス Kaleb James
オリヴィア・バレル Olivia Burrell
中澤信栄 Nakazawa Nobuyoshi
堀江小綾 Horie Saya
佳世 Kayo
ハピネス徳永 Happiness Tokunaga
■セットリスト トータス松本、品川教会、2011年6月3日(金)
Setlist : Tortoise Matsumoto @ Shinagawa Church, June 3rd, 2011
Show started 18:40
01.バンザイ~好きでよかった
02.いつもの笑顔で
03.愛がなくちゃ
04.You’re All I Need To Get By~僕は海じゃない
>メンバー紹介
05.Wonderful World [Sam Cooke]
06.エビデイ
07.生まれかわっても
08.明星
09.クリア!
10.ハッピー・アワー
Encore. アメージング・グレイス[Traditional]
Encore. ウィ・アー・ザ・ワールド [USA For Africa]
Encore. ガッツだぜ
CD You Send Me (Sam Cooke)
Show ended 20:30
(2011年6月3日金曜、東京:キリスト品川教会 グローリア・チャペル、トータス松本・アカペラ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tortoise Matsumoto
2011-74
◎トータス松本・ア・カペラ・ライヴ@品川教会(パート2)~アカペラのアイデア
2011年6月6日 音楽◎トータス松本・ア・カペラ・ライヴ@品川教会(パート2)~アカペラのアイデア
【Tortoise Matsumoto A Cappella Live At Church(Part 2)】
無尽蔵。
ア・カペラのライヴを聴いていると、いつもいろいろなアイデアが浮かんでくる。ここをこうしたらいいのでは、とか、これはすごいアイデアだとか。もちろん、どれが正解でどれが不正解ということはない。本当に、可能性は無限なのだ。
ア・カペラ・ライヴの場合、人数にもよるが、考えようによっては、何でもできる。ただ、それが「何でもできるが、みな同じになってしまう危険性」と、諸刃の剣だ。しかし、アイデアさえあれば、どんどんと無尽蔵にやれることが生まれてくる。それがア・カペラの醍醐味だ。ア・カペラと一口に言っても、さまざまなタイプのものがある。黒っぽいもの、白っぽいもの、教会っぽいもの、ソウルっぽいもの、ストリートっぽいもの、ドゥーワップっぽいもの。コーラス・コーラスしたものまで。人間の声には虹色以上の彩がある。
ルーサー・ヴァンドロスは、自身が有名になる前に、多くのバックコーラスの経験を積んだ。そして、彼はありとあらゆるコーラスを研究して、「コーラスは、リード・ヴォーカル以上に芸術(art)だ」と言い、みずからさまざまなコーラスを試行錯誤して作っていた。そういう意味で「バックコーラス・マニア」だった。彼がよく指摘していたのは、アレサ・フランクリンのコーラス隊スイート・インスピレーションズのコーラス。そのコーラスを集中して聴いてみると、確かに本当によく出来ている。これがフロント・シンガーを引き立たせるだけでなく、バックコーラス自体もとても魅力的なのだ。
たとえば、今回のようなリード・シンガーに7人のバックコーラスという基本パターンのほかに、リード・シンガーを次々チェンジしながら、ヴォーカル・グループとしての妙を聴かせるパターン(例えば、テンプスやスピナーズ)、リードは一人ながら、残りのバックコーラスが補佐的な、しかし味わいのあるコーラスをつけるパターン(例えば、グラディス・ナイト&ピップスやデルズ、フォートップス)、メンバー全員がそれぞれ口で楽器の音さえ作ってしまうパターン(ナチュラリー7)、メンバー全員でひじょうに高度なハーモニーをつけるパターン(テイク6)、バックコーラスに独特のフレーズなどをつけ、それ自体が魅力的になるパターン(多くのドゥーワップ・グループなど)などがある。ソウルフルなバックコーラスには、リードよりも、思わずそのバックコーラスを歌ってしまいたくなるような魅力的なバックコーラスができている場合がある。なかなかそこまでのコーラスを作るのは難しいのだが。
今回の場合、もちろんトータス松本がリードというのは基本だが、アンコールの「ウィ・アー・ザ・ワールド」のようなリードをまわすパターンも実験的でおもしろかった。コーラスもどちらかというとスウィングル・シンガーズ的な白っぽい雰囲気になっていたので、彼の声にはもう一歩黒っぽいコーラスがついてもいいかと思う。どんどん実験して、次のツアー、その次のツアーへと進んでいって欲しい。
たとえば、次のようなCDを擦り切れるほど聞くと、コーラスのアイデアなどのヒントになるはず。
■ドゥーワップ・ボックス (コーラスのアイデア無尽蔵)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000333M/soulsearchiho-22/ref=nosim/
録音は古くとも、人間の声、そのものは決して古くならない。
■ナチュラリー7、ファースト。(これが人間の口で出せる音なのかという究極のグループ。これまたアイデアの元、無尽蔵にある)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0016FWL9G/soulsearchiho-22/ref=nosim/
しかし、この域まで達すると「世界国宝」、芸術の極み。一日24時間中、その音をどうやって口で出せるかばかりを考えているのだろう。これこそ人間の無限の可能性の証明だ。
++++
アフターショー。
客席に鈴木桃子さんやゴスぺラーズの村上さんがいて、ライヴ後、ケイリブやユリさんやトータスさんに会った。村上さん曰く「トータスさんの声が、圧倒的だから、ほんとコーラスも含めて素晴らしいですよねえ。しかも、ライヴ終わって、サム・クック(のCDが流れた)!(笑)」。村上さんは、かねてから以前の『トラヴェラー』のときのソウルカヴァー集バンド・ライヴを見ていて、「それはそれは素晴らしかった」と言っていて、僕を超うらやましがせる。桃子さんも、超感激の面持ち。彼女はガッツともライヴを一緒にやったりしていて、コーラスのユリ、オリらとも仲間同士だ。
トータスさんと話をするのは初めて。一番興味深かったのは、なんでこのような企画を始めたのか、ということ。トータスさんに聞くと、村上さんも「オレもそれ聞きたかった」。
「去年の暮れに、レコーディングしているときに、ユリとオリヴィアがコーラスをやってくれて、それがすごくよかったんですよ。そのとき、なんかコーラスだけでできないかなと思いついたんです。それで、そういうのやってみない、てユリに声かけて、メンバーとか全部任せるからって任せて。最初9人くらいでやろうかと言ったんだけど、結局7人で行きます、っていうことになって、やり始めたんです。で、(準備を)2月くらいから始めたんですが、3月の震災(3月11日)でちょっと中断しちゃって、時間が少しなくなっちゃったんですけど」
リハーサルは結局10回ほど。最初の2回は、曲構成をどうするかなどのディスカッションに費やされたという。
「曲は今回やった曲以外にも候補はあったんですか?」「いや、(ステージで歌った)これだけです。もう決めうちでこれらの曲だけでした。他に候補があったら、それもアイデア練らないといけないので、ユリが大変でしょう」
「みなさん、絶対音感は?」 ちょうどそこにいたケイリブ。「僕はない」 ガッツ。「たぶん2-3人はあるけど、全員があるわけではない」トータス。「でも、笛で音あわせするのもかっこいいでしょう」「かっこいいかっこいい」と周囲から。
「同じ曲でも、たとえば『ガッツだぜ』なんて、バンドでやるのと、コーラスをバックにしてやるのではずいぶんと違うでしょう」「ぜんぜん、違いますねえ。バンドでは間奏部分があるけど、アカペラだと短くなるし。同じ曲でも、今回は気分的に新曲をやるような感じでした」
ステージでも、「あの曲もやりたい、これもやりたいとやりたいことがどんどん広がってしまった」といったことを言っていた。続編をぜひ。
しかし、こうしたものだと、ある程度小さな会場でなければならないことから、ファンの人がみんなは入れなくなる。そのあたりは、スタッフの側の大きな悩みらしい。まあ、とはいっても、武道館とまではいかなくても、オーチャードとかNHKホールくらいなら、可能ではないだろうか。
一方、なんでも、トータスさんは、『トラヴェラー』的なソウル・カヴァー・アルバムを企画中とのこと。すでにそのアルバムについて、相当綿密な研究会をやっているらしい。今年中には発売したいとのことだ。その企画を聞いて、身震いした。これは超楽しみだ。
■過去関連記事
2003/12/07 (Sun)
Mike # 9: That’s Al Green Used To Use
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031207.html
トータスさんが出た『アメリカ南部★ブルースな旅』のテレビ番組
2003/09/24 (Wed)
Al Green Recorded New Album At Old Royal Studio With Old Microphone
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030924.html
そのとき話題になった「マイク・ナンバー・9」物語。
2010年01月07日(木)
ウィリー・ミッチェル~メンフィス・ソウルの重鎮、81歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10428531650.html
そのウィリー・ミッチェル訃報記事
■トータス松本 究極のソウル・カヴァー・アルバム『トラヴェラー』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007M8QS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
(セットリスト、メンバー表などは、前日のブログにあります)
(2011年6月3日金曜、東京:キリスト品川教会 グローリア・チャペル、トータス松本・アカペラ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tortoise Matsumoto
2011-74
【Tortoise Matsumoto A Cappella Live At Church(Part 2)】
無尽蔵。
ア・カペラのライヴを聴いていると、いつもいろいろなアイデアが浮かんでくる。ここをこうしたらいいのでは、とか、これはすごいアイデアだとか。もちろん、どれが正解でどれが不正解ということはない。本当に、可能性は無限なのだ。
ア・カペラ・ライヴの場合、人数にもよるが、考えようによっては、何でもできる。ただ、それが「何でもできるが、みな同じになってしまう危険性」と、諸刃の剣だ。しかし、アイデアさえあれば、どんどんと無尽蔵にやれることが生まれてくる。それがア・カペラの醍醐味だ。ア・カペラと一口に言っても、さまざまなタイプのものがある。黒っぽいもの、白っぽいもの、教会っぽいもの、ソウルっぽいもの、ストリートっぽいもの、ドゥーワップっぽいもの。コーラス・コーラスしたものまで。人間の声には虹色以上の彩がある。
ルーサー・ヴァンドロスは、自身が有名になる前に、多くのバックコーラスの経験を積んだ。そして、彼はありとあらゆるコーラスを研究して、「コーラスは、リード・ヴォーカル以上に芸術(art)だ」と言い、みずからさまざまなコーラスを試行錯誤して作っていた。そういう意味で「バックコーラス・マニア」だった。彼がよく指摘していたのは、アレサ・フランクリンのコーラス隊スイート・インスピレーションズのコーラス。そのコーラスを集中して聴いてみると、確かに本当によく出来ている。これがフロント・シンガーを引き立たせるだけでなく、バックコーラス自体もとても魅力的なのだ。
たとえば、今回のようなリード・シンガーに7人のバックコーラスという基本パターンのほかに、リード・シンガーを次々チェンジしながら、ヴォーカル・グループとしての妙を聴かせるパターン(例えば、テンプスやスピナーズ)、リードは一人ながら、残りのバックコーラスが補佐的な、しかし味わいのあるコーラスをつけるパターン(例えば、グラディス・ナイト&ピップスやデルズ、フォートップス)、メンバー全員がそれぞれ口で楽器の音さえ作ってしまうパターン(ナチュラリー7)、メンバー全員でひじょうに高度なハーモニーをつけるパターン(テイク6)、バックコーラスに独特のフレーズなどをつけ、それ自体が魅力的になるパターン(多くのドゥーワップ・グループなど)などがある。ソウルフルなバックコーラスには、リードよりも、思わずそのバックコーラスを歌ってしまいたくなるような魅力的なバックコーラスができている場合がある。なかなかそこまでのコーラスを作るのは難しいのだが。
今回の場合、もちろんトータス松本がリードというのは基本だが、アンコールの「ウィ・アー・ザ・ワールド」のようなリードをまわすパターンも実験的でおもしろかった。コーラスもどちらかというとスウィングル・シンガーズ的な白っぽい雰囲気になっていたので、彼の声にはもう一歩黒っぽいコーラスがついてもいいかと思う。どんどん実験して、次のツアー、その次のツアーへと進んでいって欲しい。
たとえば、次のようなCDを擦り切れるほど聞くと、コーラスのアイデアなどのヒントになるはず。
■ドゥーワップ・ボックス (コーラスのアイデア無尽蔵)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000333M/soulsearchiho-22/ref=nosim/
録音は古くとも、人間の声、そのものは決して古くならない。
■ナチュラリー7、ファースト。(これが人間の口で出せる音なのかという究極のグループ。これまたアイデアの元、無尽蔵にある)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0016FWL9G/soulsearchiho-22/ref=nosim/
しかし、この域まで達すると「世界国宝」、芸術の極み。一日24時間中、その音をどうやって口で出せるかばかりを考えているのだろう。これこそ人間の無限の可能性の証明だ。
++++
アフターショー。
客席に鈴木桃子さんやゴスぺラーズの村上さんがいて、ライヴ後、ケイリブやユリさんやトータスさんに会った。村上さん曰く「トータスさんの声が、圧倒的だから、ほんとコーラスも含めて素晴らしいですよねえ。しかも、ライヴ終わって、サム・クック(のCDが流れた)!(笑)」。村上さんは、かねてから以前の『トラヴェラー』のときのソウルカヴァー集バンド・ライヴを見ていて、「それはそれは素晴らしかった」と言っていて、僕を超うらやましがせる。桃子さんも、超感激の面持ち。彼女はガッツともライヴを一緒にやったりしていて、コーラスのユリ、オリらとも仲間同士だ。
トータスさんと話をするのは初めて。一番興味深かったのは、なんでこのような企画を始めたのか、ということ。トータスさんに聞くと、村上さんも「オレもそれ聞きたかった」。
「去年の暮れに、レコーディングしているときに、ユリとオリヴィアがコーラスをやってくれて、それがすごくよかったんですよ。そのとき、なんかコーラスだけでできないかなと思いついたんです。それで、そういうのやってみない、てユリに声かけて、メンバーとか全部任せるからって任せて。最初9人くらいでやろうかと言ったんだけど、結局7人で行きます、っていうことになって、やり始めたんです。で、(準備を)2月くらいから始めたんですが、3月の震災(3月11日)でちょっと中断しちゃって、時間が少しなくなっちゃったんですけど」
リハーサルは結局10回ほど。最初の2回は、曲構成をどうするかなどのディスカッションに費やされたという。
「曲は今回やった曲以外にも候補はあったんですか?」「いや、(ステージで歌った)これだけです。もう決めうちでこれらの曲だけでした。他に候補があったら、それもアイデア練らないといけないので、ユリが大変でしょう」
「みなさん、絶対音感は?」 ちょうどそこにいたケイリブ。「僕はない」 ガッツ。「たぶん2-3人はあるけど、全員があるわけではない」トータス。「でも、笛で音あわせするのもかっこいいでしょう」「かっこいいかっこいい」と周囲から。
「同じ曲でも、たとえば『ガッツだぜ』なんて、バンドでやるのと、コーラスをバックにしてやるのではずいぶんと違うでしょう」「ぜんぜん、違いますねえ。バンドでは間奏部分があるけど、アカペラだと短くなるし。同じ曲でも、今回は気分的に新曲をやるような感じでした」
ステージでも、「あの曲もやりたい、これもやりたいとやりたいことがどんどん広がってしまった」といったことを言っていた。続編をぜひ。
しかし、こうしたものだと、ある程度小さな会場でなければならないことから、ファンの人がみんなは入れなくなる。そのあたりは、スタッフの側の大きな悩みらしい。まあ、とはいっても、武道館とまではいかなくても、オーチャードとかNHKホールくらいなら、可能ではないだろうか。
一方、なんでも、トータスさんは、『トラヴェラー』的なソウル・カヴァー・アルバムを企画中とのこと。すでにそのアルバムについて、相当綿密な研究会をやっているらしい。今年中には発売したいとのことだ。その企画を聞いて、身震いした。これは超楽しみだ。
■過去関連記事
2003/12/07 (Sun)
Mike # 9: That’s Al Green Used To Use
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031207.html
トータスさんが出た『アメリカ南部★ブルースな旅』のテレビ番組
2003/09/24 (Wed)
Al Green Recorded New Album At Old Royal Studio With Old Microphone
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030924.html
そのとき話題になった「マイク・ナンバー・9」物語。
2010年01月07日(木)
ウィリー・ミッチェル~メンフィス・ソウルの重鎮、81歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10428531650.html
そのウィリー・ミッチェル訃報記事
■トータス松本 究極のソウル・カヴァー・アルバム『トラヴェラー』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007M8QS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
(セットリスト、メンバー表などは、前日のブログにあります)
(2011年6月3日金曜、東京:キリスト品川教会 グローリア・チャペル、トータス松本・アカペラ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tortoise Matsumoto
2011-74
◎ ユリ・マサ・ライヴ~自由度の高いライヴ
2011年6月7日 音楽◎ユリ・マサ・ライヴ~自由度の高いライヴ
【Yuri-Masa Live】
自由度。
どちらも、「ソウル・サーチン・イヴェント」でも活躍していただいているギターのマサとヴォーカルのユリ二人だけのユニットその名も「ユリマサ」のライヴ。初回は2008年に阿佐ヶ谷の小さなライヴハウス、ミックス、2回目が2009年に広島、続いて2010年に四谷メビウス、そして4回目がブルース・アレイで2011年4月、それ以来約2ヶ月ぶり、通算5回目になるライヴ。
僕は今回初めて観戦。一言で言えば、まさにタック&パティーをより黒くした感じの二人組みで、タック&パティーよりグルーヴ感というか、黒さが思い切り全面に出る。たとえば、セカンドの「ウォーターフォール」での後半のギター・ソロ部分など、マサ・ギターの本領発揮、底力見せつけで相当すごかった。これのラップ部分をユリがやったのもおもしろかった。よく口がまわるなあ、と感心。後半コーラスを観客が歌ったのには驚いた。
今回は、ツイッターなどでファンからリクエストを募り、それらを何曲か歌った。
おもしろい選曲はジョーの「オール・ザ・シングス」。これは元々男目線の曲だが、それを女性のユリが大胆にも歌う。その歌詞、I got a jones in my bones for you について、ユリもマサも直接的な解説を避けた。調べたら、この場合のjones in my bonesは骨の底からの熱望、切望、それが転じて、君への情欲がもうがまんできない、と言った直接的な意味のスラングらしい。
マサがブルージーなギターを弾かせると、相当なもの。特に印象に残ったのは、「ルート66」。アコースティック・ギターでここまで黒さを演出できるのは、すごい。彼は、あちこちのソロで、その場での思いつきでいろいろなキャッチーな曲のリフを織り交ぜるのが実にうまい。で、さっき弾いたのなんだっけ、と尋ねても、本人も忘れてるほど、その場でアドリブ的に弾いてしまうらしい。アコギだとなかなかグルーヴは出ないものだが、マサの手、指にかかるとこれがすごいことになる。グルーヴは、楽器が生み出すのではなく、それを弾くミュージシャンが生み出すものということを改めて感じさせられた。
サプライズで、アンコール1曲目でジュジュが登場。「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」をユリと、その場で歌う場所を決めデュエットで。「ちょっと杯数、飲んじゃってますが…」(笑)といいながら、しっかりジュジュ節を聴かせた。ちょうど、最新シングルでこの曲を歌っていたこともあって、ぶっつけ本番でも二人とも軽く歌えてしまう。当たり前だが、どちらもうまい。
さらに、アンコール2曲目では、現在ユリがコーラスを務めているア・カペラ・ユニットのボス、トータス松本さんが、無理やり呼び出され、最初は若干躊躇していた感じだったが、マサのギターに乗せられた感じで、即興でブルーズ調の曲を歌った。歌詞もメロディーもその場で、ぱっと思いついたことをマイクに乗せる。いやあ、こういうのはほんと素晴らしい。「たまたま休みで~、ユリのライヴにやってきたあ~~。まさかまさか、オレが歌うとは~~。今、ニッポンは大変、大変~~」 ひとたびステージにあがり、スイッチがオンになれば、もう猪突猛進。それまでの会場の気温を彼一人で3度は上げた感じだ。
ライヴ後、マサさんに、ほぼ全曲アコースティック・ギターなのはなぜか、エレキは使わないのか、と尋ねると、エレキは「ストーミー・マンデイ・ブルーズ」1曲で使ったが、基本的にエレキだと、「鋭角的なサウンドにならない、アコースティックのほうが、よりリッチな感じになると思って、アコースティックでやっている」との答え。なるほど。
「二人だから、かなり自由にできますよ。ソロ部分は(同じ曲でも)毎回、違ってきます」とマサが言う。下記セットリストで、セット1の1,3,5,6、セット2の4が二人でやる初めての曲だという。その意味で、自由度の高いライヴといえそうだ。
二人だけで、これだけの世界が作れるというのも、たいしたもの。また次回を楽しみに。
■関連記事(一部)
2011年03月12日(土)
マサ小浜3回目のライヴ~「レッド・マサ・スペシャル」、アツシ飛び入りも
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10827190545.html
2010年07月09日(金)
マサ小浜、初ソロ・ライヴ~ソウルとファンクとスムース・ジャズと
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10584972682.html
2010年08月21日(土)
ユリ・ライヴ@代官山ループ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10625111213.html
2009年10月15日(木)
シンガー、ユリ@ブルース・アレイ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10364864050.html
2008年08月05日(火)
ユリ、ブルース・アレー単独ソロ名義で初登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10123734321.html
August 10, 2007
Yuri’s First Her Own Live:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070810.html
前回ライヴ評。ここに過去関連記事一覧。
■メンバー
ユリ Yuri (Vocal)
マサ小浜 Masa Kohama (Guitar)
飛び入り
ジュジュ Juju
トータス松本 Tortoise Matsumoto
■セットリスト:ユリマサ、ブルースアレイ、6月5日2011年
Setlist : Yuri Masa @ Blues Alley Meguro, June 5, 2011
[ ] denotes original artists
Set 1
01.At Your Best [Aaliyah]
02.Brother Sister [Brand New Heavies]
03.Rain [SWV]
04.Medley: Voices Inside (Everything Is Everything) [Donny Hathaway] – Higher Ground [Stevie Wonder]
05.When Can I See You [Babyface]
06.AI Medley: Summer Breeze – Life
07.Stormy Monday Blues or ("Call It Stormy Monday (But Tuesday Is Just As Bad)") [T-Bone Walker]
08.Unpretty [TLC]
Set 2
Show started 19:43
01.Lover’s Rock [Sade]
02.The Sound Of Carnival [Kubota Toshinobu]
03.All The Things (Your Man Won’t Do) [Joe]
04.Through The Fire [Chaka Khan]
05.Route 66 [Nat King Cole]
06.Waterfalls [TLC]
07.If [Yuri- original]
08.Stop, Look, Listen To Your Heart [Stylistics]
09.Never Too Much [Luther Vandross]
Enc. You’ve Got A Friend [Donny Hathaway, James Taylor] (+Juju)
Enc. Blues Jam/ Tortoise Matsumoto (+Tortoise Matsumoto)
Show ended 21:06
(2011年6月5日日曜、目黒ブルースアレイ、ユリマサ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>YuriMasa
2011-75
◎橋本江莉果ショーケース・ライヴ~新しい形のスター誕生か
2011年6月8日 音楽◎橋本江莉果ショーケース・ライヴ
【Hashimoto Erika Showcase Live】
注目。
しばらく前に、旧知のプロデューサー、ケン小堀さんとばったり会ったときに、今手がけてる新人がすごいので、ショーケースやるとき、ぜひ見に来てください、と言われた。なんでも、元々女性誌の読者モデルで、たまたまカラオケに行ったら、その歌にノックアウトさせられ、デモテープを作り売り込んだ結果、ソニーから出ることになった。しかも当初はそっと普通に出そうと思っていたところが、社長に気に入られ、同社の今年の一押しになり、大きな期待をかけられることになった、という。ケンさんは、AIの「EO(イーオー)」や「ストーリー」を書き、プロデュースした人物。
その大型新人の名前は橋本江莉果(はしもと・えりか)。10代から20代の女性の間では圧倒的な知名度を誇り、そのブログも日に何十万アクセスもあるという。しかも、このショーケースのバンドマスターを、われらがフィリップ・ウーがてがける、ということもあって、僕的には一気に注目度があがった。
4月末のお台場ゼップで行われたAIのライヴに、江莉果が来ていて、そのとき、一瞬、ケンに紹介された。その後、ドクター・フィリップ・ウーがブルーノートで行ったライヴ(2011年5月12日)で、1曲「涙(なだ)そうそう」を歌ったのを聴いた。このときに彼女の歌声を初めて聴いた。そのときは、クセのないいい声だなあ、という印象を持った。
(そのときのライヴ評)
ドクター・フィリップ・ウー~ブルーノートをファンキー・ジョイントに(パート1)
May 14, 2011
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110514.html
そして、渋谷デュオでのコンヴェンション。なんと、気軽に会場に行ったら、入口にはレッドカーペットが敷かれ、スタッフもスーツにネクタイで、かなりセレブな雰囲気を醸し出していた。中に入ると、テーブルにはロウソク、食事もケータリングが入っていて、ショーケースまで食事を座って食べることになって、しかも、シャンパーンはドンペリ。煌びやかで華やかな、ショーケースとしてはかなり予算がかかったイヴェントになっていて驚いた。この日は暑かったので、渋谷のデュオということなので、短パンで行くことも考えたが、短パンでなくてよかった。(笑)
司会の鮎貝さんがステージに登場し、ひとしきりあいさつをしてから、呼び込んだのが、なんとマジシャンのセロ。セロと江莉果はケンを通して、しばらく前から友達になっていたということで、そのあたりをうまくストーリーにして流暢なトークでショーを進める。タバコやバラ、ティッシュを使ったちょっとしたクローズアップ・マジックを見せる。いずれも、実にうまく、まったくタネなどわからない。しっかりとしたストーリーを語りながら、最後、ステージにあったテーブルの上に壁をとんとん組み立て、セロの合図でその壁の中から江莉果が登場という、マジックで姿を現し観客の度肝を抜いた。すでにやんやの喝采が巻き起こる。しかし、どこから出てきたのだろう。皆目わからなかった。
その時点でもうバンドは待機していて、曲のイントロをプレイし始めていた。それから5曲、いっきに披露した。バンドは、「ソウル・サーチン」などでもおなじみの東京ソウル・メンたちだけに手堅く、うまく。
楽曲は意外とロック調の感じが多く、おなじケンがてがけたAIとは、かなり雰囲気が違う。ロック色もあるストレートなJポップだ。ただし、このバンド・メンバーのためか、グルーヴ感のあるロックだ。
僕は2曲目の「フラワー」のグルーヴ感が気に入った。しかし、5曲目の最初のシングルとなる「アイ・ノウ」は、歌詞に「中目に新しく出来たカフェ・・・」といったフレーズが妙に頭に残り、今の同世代の女子から大きな共感を得そうな気がした。きっと、以前だと、荒井由美(ユーミン)が、「山手のドロフィン~~」と歌って、当時のファンが共感していったように、江莉果も同世代を確実に掴みそうな気がする。3曲目のモータウン風の曲など僕好み。4曲目はスローなピアノからロック調ミディアム・バラードになる。最初はナーヴァスになっていたようだが、徐々に落ち着きを見せ始めた。まだ慶応の大学4年生ということだが、年齢以上に落ち着いて見えた。モデルなどをして、カメラ慣れ、場慣れしているからかもしれない。
ブルーノートではクセのない声と思ったが、この日の5曲を聴くと、とても個性的な声の持ち主で、驚いた。妙なざらつき感が時間の経過とともに、少しずつ皮膚の下のほうに沈殿していく感じだ。セリーヌやマライアなどのきれいな声というより、重く強い声だ。まだまだ荒削りだが、これからライヴの場数を踏み、歌っていけば、歌もどんどん進化していくだろう。
スター誕生。
ダンスのレッスンをしている、と紹介があったので、もっと踊るのかと思ったら、この日はほとんど踊らず。後から本人に聴くと、「今日は歌に集中したかったので、踊りませんでした。踊るときは、曲によってきっちり振り付けして、びしっと踊りたいです」という。
ギターのマサ小浜は、前日から二日連続で見ることになったが、彼によればリハーサルのときに、ケンから、「音源と違ってもいいですから、自由にソロなんかもプレイしてください、ロックなんで」と言われ、驚きながらも、大変嬉しかったので自由に弾かせてもらった、そうだ。確かに、ギター・ソロなんか、なかなか印象的だった。
ライヴ後媒体関係者にあいさつをした後、ミュージシャン、スタッフの前でもあいさつ。きっちりあいさつができ、しっかりと多くの人たちとコミュニケーションが取れる。コミュニケーション・スキルが高くてとてもよい。驚いたのが、たぶん、僕と会うのは2度目で、しかも一度目はほんの1-2分程度しか会っていないのに、僕の名前を覚えていたことだ。名前を覚える、目を見てしゃべるは、コミュニケーションの基本であり、王道とはよくいったものだが、まさにそれ。田中角栄の時代から、変わらない。これはみんなから慕われ、好かれる、そして、多くの媒体の人たちも「応援したい」と思うだろうと感じた。たぶん、遠くのスターというよりも、身近なちょっと手を伸ばせば、同じようになれそうという親近感もあるので、そういう新しい形のスター誕生を予感させる。歌う前からファン・ベースがあるというのがすごい。
今後の展開だが、「アイ・ノウ」が2011年7月27日にシングル・リリース。その後3-4枚シングルを出して、アルバムを年明けくらいのリリースという流れ。その後、ツアーができればいい、といったところ。今年は、クラブなどで小さなライヴを積み重ねていくそうだ。
ライヴ後、セロに「江莉果はどこから出てきたのですか?」と尋ねると、「教えてもいいけど、そうしたら、あなたを殺さなければならない」と笑いながら返答された。
■メンバー
橋本江莉果 Hashimoto Erika (Vocal)
フィリップ・ウー Philip Woo (Keyboards, MD)
ジェイ・スティックス Jay Stixx (Drums)
マサ・小浜 Masa Kohama (Guitar)
息才隆浩 Sokusai Takahiro (Bass)
ペニーK Penny K (Keyboards)
サユリー Sayulee (Chorus)
有坂美香 Arisaka Mika (Chorus)
高橋あずみ Takahashi Azumi (Chorus)
MC 鮎貝健
■セットリスト
Setlist : Hashimoto Erika @Duo, Shibuya, June 6, 2011
Convention/MC started 19:19
Performance started 19:30
01.Gimme Love
02.Flowers
03.Enjoy & Happy
04.Serious
05.I Know [7/27 release debut single]
Performance ended 19:54
あいさつ(社長)
MC/Convention ended 20:04
その後、本人は出口で全員とあいさつ
(2011年6月6日、渋谷デュオ、橋本江莉果ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Hashimoto, Erika
2011-
【Hashimoto Erika Showcase Live】
注目。
しばらく前に、旧知のプロデューサー、ケン小堀さんとばったり会ったときに、今手がけてる新人がすごいので、ショーケースやるとき、ぜひ見に来てください、と言われた。なんでも、元々女性誌の読者モデルで、たまたまカラオケに行ったら、その歌にノックアウトさせられ、デモテープを作り売り込んだ結果、ソニーから出ることになった。しかも当初はそっと普通に出そうと思っていたところが、社長に気に入られ、同社の今年の一押しになり、大きな期待をかけられることになった、という。ケンさんは、AIの「EO(イーオー)」や「ストーリー」を書き、プロデュースした人物。
その大型新人の名前は橋本江莉果(はしもと・えりか)。10代から20代の女性の間では圧倒的な知名度を誇り、そのブログも日に何十万アクセスもあるという。しかも、このショーケースのバンドマスターを、われらがフィリップ・ウーがてがける、ということもあって、僕的には一気に注目度があがった。
4月末のお台場ゼップで行われたAIのライヴに、江莉果が来ていて、そのとき、一瞬、ケンに紹介された。その後、ドクター・フィリップ・ウーがブルーノートで行ったライヴ(2011年5月12日)で、1曲「涙(なだ)そうそう」を歌ったのを聴いた。このときに彼女の歌声を初めて聴いた。そのときは、クセのないいい声だなあ、という印象を持った。
(そのときのライヴ評)
ドクター・フィリップ・ウー~ブルーノートをファンキー・ジョイントに(パート1)
May 14, 2011
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110514.html
そして、渋谷デュオでのコンヴェンション。なんと、気軽に会場に行ったら、入口にはレッドカーペットが敷かれ、スタッフもスーツにネクタイで、かなりセレブな雰囲気を醸し出していた。中に入ると、テーブルにはロウソク、食事もケータリングが入っていて、ショーケースまで食事を座って食べることになって、しかも、シャンパーンはドンペリ。煌びやかで華やかな、ショーケースとしてはかなり予算がかかったイヴェントになっていて驚いた。この日は暑かったので、渋谷のデュオということなので、短パンで行くことも考えたが、短パンでなくてよかった。(笑)
司会の鮎貝さんがステージに登場し、ひとしきりあいさつをしてから、呼び込んだのが、なんとマジシャンのセロ。セロと江莉果はケンを通して、しばらく前から友達になっていたということで、そのあたりをうまくストーリーにして流暢なトークでショーを進める。タバコやバラ、ティッシュを使ったちょっとしたクローズアップ・マジックを見せる。いずれも、実にうまく、まったくタネなどわからない。しっかりとしたストーリーを語りながら、最後、ステージにあったテーブルの上に壁をとんとん組み立て、セロの合図でその壁の中から江莉果が登場という、マジックで姿を現し観客の度肝を抜いた。すでにやんやの喝采が巻き起こる。しかし、どこから出てきたのだろう。皆目わからなかった。
その時点でもうバンドは待機していて、曲のイントロをプレイし始めていた。それから5曲、いっきに披露した。バンドは、「ソウル・サーチン」などでもおなじみの東京ソウル・メンたちだけに手堅く、うまく。
楽曲は意外とロック調の感じが多く、おなじケンがてがけたAIとは、かなり雰囲気が違う。ロック色もあるストレートなJポップだ。ただし、このバンド・メンバーのためか、グルーヴ感のあるロックだ。
僕は2曲目の「フラワー」のグルーヴ感が気に入った。しかし、5曲目の最初のシングルとなる「アイ・ノウ」は、歌詞に「中目に新しく出来たカフェ・・・」といったフレーズが妙に頭に残り、今の同世代の女子から大きな共感を得そうな気がした。きっと、以前だと、荒井由美(ユーミン)が、「山手のドロフィン~~」と歌って、当時のファンが共感していったように、江莉果も同世代を確実に掴みそうな気がする。3曲目のモータウン風の曲など僕好み。4曲目はスローなピアノからロック調ミディアム・バラードになる。最初はナーヴァスになっていたようだが、徐々に落ち着きを見せ始めた。まだ慶応の大学4年生ということだが、年齢以上に落ち着いて見えた。モデルなどをして、カメラ慣れ、場慣れしているからかもしれない。
ブルーノートではクセのない声と思ったが、この日の5曲を聴くと、とても個性的な声の持ち主で、驚いた。妙なざらつき感が時間の経過とともに、少しずつ皮膚の下のほうに沈殿していく感じだ。セリーヌやマライアなどのきれいな声というより、重く強い声だ。まだまだ荒削りだが、これからライヴの場数を踏み、歌っていけば、歌もどんどん進化していくだろう。
スター誕生。
ダンスのレッスンをしている、と紹介があったので、もっと踊るのかと思ったら、この日はほとんど踊らず。後から本人に聴くと、「今日は歌に集中したかったので、踊りませんでした。踊るときは、曲によってきっちり振り付けして、びしっと踊りたいです」という。
ギターのマサ小浜は、前日から二日連続で見ることになったが、彼によればリハーサルのときに、ケンから、「音源と違ってもいいですから、自由にソロなんかもプレイしてください、ロックなんで」と言われ、驚きながらも、大変嬉しかったので自由に弾かせてもらった、そうだ。確かに、ギター・ソロなんか、なかなか印象的だった。
ライヴ後媒体関係者にあいさつをした後、ミュージシャン、スタッフの前でもあいさつ。きっちりあいさつができ、しっかりと多くの人たちとコミュニケーションが取れる。コミュニケーション・スキルが高くてとてもよい。驚いたのが、たぶん、僕と会うのは2度目で、しかも一度目はほんの1-2分程度しか会っていないのに、僕の名前を覚えていたことだ。名前を覚える、目を見てしゃべるは、コミュニケーションの基本であり、王道とはよくいったものだが、まさにそれ。田中角栄の時代から、変わらない。これはみんなから慕われ、好かれる、そして、多くの媒体の人たちも「応援したい」と思うだろうと感じた。たぶん、遠くのスターというよりも、身近なちょっと手を伸ばせば、同じようになれそうという親近感もあるので、そういう新しい形のスター誕生を予感させる。歌う前からファン・ベースがあるというのがすごい。
今後の展開だが、「アイ・ノウ」が2011年7月27日にシングル・リリース。その後3-4枚シングルを出して、アルバムを年明けくらいのリリースという流れ。その後、ツアーができればいい、といったところ。今年は、クラブなどで小さなライヴを積み重ねていくそうだ。
ライヴ後、セロに「江莉果はどこから出てきたのですか?」と尋ねると、「教えてもいいけど、そうしたら、あなたを殺さなければならない」と笑いながら返答された。
■メンバー
橋本江莉果 Hashimoto Erika (Vocal)
フィリップ・ウー Philip Woo (Keyboards, MD)
ジェイ・スティックス Jay Stixx (Drums)
マサ・小浜 Masa Kohama (Guitar)
息才隆浩 Sokusai Takahiro (Bass)
ペニーK Penny K (Keyboards)
サユリー Sayulee (Chorus)
有坂美香 Arisaka Mika (Chorus)
高橋あずみ Takahashi Azumi (Chorus)
MC 鮎貝健
■セットリスト
Setlist : Hashimoto Erika @Duo, Shibuya, June 6, 2011
Convention/MC started 19:19
Performance started 19:30
01.Gimme Love
02.Flowers
03.Enjoy & Happy
04.Serious
05.I Know [7/27 release debut single]
Performance ended 19:54
あいさつ(社長)
MC/Convention ended 20:04
その後、本人は出口で全員とあいさつ
(2011年6月6日、渋谷デュオ、橋本江莉果ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Hashimoto, Erika
2011-
○プリンス、ヨーロッパ・ツアーへ~「キス」誕生秘話
2011年6月9日 音楽○プリンス、ヨーロッパ・ツアーへ~「キス」誕生秘話
【Prince Will Hit European Tour】
ヨーロッパ。
ほぼ5月一杯で全米ツアーを一段落させたプリンスが、続いて、ヨーロッパ・ツアーへ出る。
4月23日付け本ソウル・サーチン・ブログで取り上げた以降のプリンス・ツアーは次の通り。ロスアンジェルス・フォーラムでのライヴは、結局、12本も追加された。
前回のプリンス関連記事。
2011年04月23日(土)
プリンス、「ウェルカム・トゥ・アメリカ・ツアー」続行中
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110423.html
ここで書いた以降行われたコンサートは次の通り。
28th April - The Forum. Los Angeles
29th April - The Forum. Los Angeles
30th April - The Forum. Los Angeles
05th May - The Forum. Los Angeles
06th May - The Forum. Los Angeles
07th May - The Forum. Los Angeles
12th May - The Forum. Los Angeles
13th May - The Forum. Los Angeles
14th May - The Forum. Los Angeles
18th May - SaveMart Center, Fresno
19th May – HP Pavilion, San Jose
21st May – HP Pavilion, San Jose
25th May - House Of Blues. West Hollywood
27th May - The Forum. Los Angeles
28th May - The Forum. Los Angeles
29th May - The Forum. Los Angeles
ただし、これだと、全部で20回。(このリストの前に4回フォーラムが行われた) ツアーが「21ナイト・スタンド」というタイトルなので、21本行われると見られたが、ただ、ハウス・オブ・ブルースは2回公演とのことで、そう数えると21本になる。また、21 Night Stand かあるいは、 20 One Night Standなのかも微妙なところで、どちらとも取れる。
この後のヨーロッパの予定は次の通り。7月3日のイギリスでのライヴは、2007年のオーツー・アリーナ(O2アリーナ)以来のこと。野外のロックフェスのようだ。また、日程が若干空いているので、チケットの売れ具合によっては、間に追加が入り込んでくる可能性もある。フランス、ポーランド、イギリス、オランダ、ルクセンブルグ、イタリア、フィンランド、ノルウェイ、アイルランド、スゥエーデンなどを回る。
30th June - Stade De France. Paris, France
2nd July - Open’er Festival. Gdynia, Poland
3rd July - Hop Farm Festival. Kent, UK
http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-13437081
8th/9th/10th July - North Sea Jazz Festival. Rotterdam, The Netherlands
http://www.northseajazz.com/en/news/3x-prince-at-north-sea-jazz
http://www.northseajazz.com/en/program/2011/friday-8-july/15065_prince
13th July - The Rockhal. Luxembourg
15th July - Umbria Jazz Festival. Perugia, Italy
21st July - Hartwall Arena. Helsinki Finland
23rd/24th July - Spectrum. Oslo, Norway
30th July - Dublin, Ireland
13th August - Gothenburg, Sweden
これ以外にも再びアメリカの別の都市での話しもあるそうだが、まだ分からず、発表されていない。
一昨日、6月7日はプリンスの誕生日。日本ではプリンス・ファンのツナさんを中心に今年もプリパが行われた。(すいません、告知が遅れて終わってしまいました)
(情報提供、ツナさん。いつもありがとうございます。遅くなってすいません。さて、ツナさんはヨーロッパは行くのかな?)
++++
「キス」は、もともとマザラッティーにあげた曲だった
返却。
2011年6月3日付けの「アンチ・ミュージック・コム」の「ビハインド・ザ・ソング」コラムに、プリンスの「キス」(1986年)の誕生秘話が書かれている。
http://www.antimusic.com/news/11/june/03Behind_The_Song-_Princes_Kiss.shtml?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+dayinrock+%28Day+in+Rock+Report%29
これによると、ちょうどプリンスが『パレード』をレコーディングしている頃、同時に同じスタジオでミネアポリスのデイヴィッド・リヴキンとレヴォルーションのマーク・ブラウンがプロデュースをしていたマザラッティーをレコーディングしていた。マザラッティーのプロジェクトを傘下に置いたプリンスは、そのとき、自身ではプロデュースする時間がなかったが、彼は、「100MHP」を彼らにプレゼント、さらにレコーディングが進むと、「キス」のシンプルなデモのようなテープをマザラッティー用にとプレゼントしてくれた。
それをもらったリヴキンとブラウンは、一晩かけてそのデモ・テープに自分たちの音楽的アイデアを録音した。ところが、翌日、プリンスがスタジオに戻ってくると、気が変わったプリンスが、昨日の曲を返してくれと言ってきて、リヴキンたちの作った音が入ったテープを持ち帰ってしまった。当初は、彼らの名前をコ・プロデューサーとして入れるという話だったが、結局、それはかなわず、プリンスの『パレード』に収録され、大ヒットになった、という。
なかなか興味深い話だ。
ANNOUNCEMENT>Prince
【Prince Will Hit European Tour】
ヨーロッパ。
ほぼ5月一杯で全米ツアーを一段落させたプリンスが、続いて、ヨーロッパ・ツアーへ出る。
4月23日付け本ソウル・サーチン・ブログで取り上げた以降のプリンス・ツアーは次の通り。ロスアンジェルス・フォーラムでのライヴは、結局、12本も追加された。
前回のプリンス関連記事。
2011年04月23日(土)
プリンス、「ウェルカム・トゥ・アメリカ・ツアー」続行中
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110423.html
ここで書いた以降行われたコンサートは次の通り。
28th April - The Forum. Los Angeles
29th April - The Forum. Los Angeles
30th April - The Forum. Los Angeles
05th May - The Forum. Los Angeles
06th May - The Forum. Los Angeles
07th May - The Forum. Los Angeles
12th May - The Forum. Los Angeles
13th May - The Forum. Los Angeles
14th May - The Forum. Los Angeles
18th May - SaveMart Center, Fresno
19th May – HP Pavilion, San Jose
21st May – HP Pavilion, San Jose
25th May - House Of Blues. West Hollywood
27th May - The Forum. Los Angeles
28th May - The Forum. Los Angeles
29th May - The Forum. Los Angeles
ただし、これだと、全部で20回。(このリストの前に4回フォーラムが行われた) ツアーが「21ナイト・スタンド」というタイトルなので、21本行われると見られたが、ただ、ハウス・オブ・ブルースは2回公演とのことで、そう数えると21本になる。また、21 Night Stand かあるいは、 20 One Night Standなのかも微妙なところで、どちらとも取れる。
この後のヨーロッパの予定は次の通り。7月3日のイギリスでのライヴは、2007年のオーツー・アリーナ(O2アリーナ)以来のこと。野外のロックフェスのようだ。また、日程が若干空いているので、チケットの売れ具合によっては、間に追加が入り込んでくる可能性もある。フランス、ポーランド、イギリス、オランダ、ルクセンブルグ、イタリア、フィンランド、ノルウェイ、アイルランド、スゥエーデンなどを回る。
30th June - Stade De France. Paris, France
2nd July - Open’er Festival. Gdynia, Poland
3rd July - Hop Farm Festival. Kent, UK
http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-13437081
8th/9th/10th July - North Sea Jazz Festival. Rotterdam, The Netherlands
http://www.northseajazz.com/en/news/3x-prince-at-north-sea-jazz
http://www.northseajazz.com/en/program/2011/friday-8-july/15065_prince
13th July - The Rockhal. Luxembourg
15th July - Umbria Jazz Festival. Perugia, Italy
21st July - Hartwall Arena. Helsinki Finland
23rd/24th July - Spectrum. Oslo, Norway
30th July - Dublin, Ireland
13th August - Gothenburg, Sweden
これ以外にも再びアメリカの別の都市での話しもあるそうだが、まだ分からず、発表されていない。
一昨日、6月7日はプリンスの誕生日。日本ではプリンス・ファンのツナさんを中心に今年もプリパが行われた。(すいません、告知が遅れて終わってしまいました)
(情報提供、ツナさん。いつもありがとうございます。遅くなってすいません。さて、ツナさんはヨーロッパは行くのかな?)
++++
「キス」は、もともとマザラッティーにあげた曲だった
返却。
2011年6月3日付けの「アンチ・ミュージック・コム」の「ビハインド・ザ・ソング」コラムに、プリンスの「キス」(1986年)の誕生秘話が書かれている。
http://www.antimusic.com/news/11/june/03Behind_The_Song-_Princes_Kiss.shtml?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+dayinrock+%28Day+in+Rock+Report%29
これによると、ちょうどプリンスが『パレード』をレコーディングしている頃、同時に同じスタジオでミネアポリスのデイヴィッド・リヴキンとレヴォルーションのマーク・ブラウンがプロデュースをしていたマザラッティーをレコーディングしていた。マザラッティーのプロジェクトを傘下に置いたプリンスは、そのとき、自身ではプロデュースする時間がなかったが、彼は、「100MHP」を彼らにプレゼント、さらにレコーディングが進むと、「キス」のシンプルなデモのようなテープをマザラッティー用にとプレゼントしてくれた。
それをもらったリヴキンとブラウンは、一晩かけてそのデモ・テープに自分たちの音楽的アイデアを録音した。ところが、翌日、プリンスがスタジオに戻ってくると、気が変わったプリンスが、昨日の曲を返してくれと言ってきて、リヴキンたちの作った音が入ったテープを持ち帰ってしまった。当初は、彼らの名前をコ・プロデューサーとして入れるという話だったが、結局、それはかなわず、プリンスの『パレード』に収録され、大ヒットになった、という。
なかなか興味深い話だ。
ANNOUNCEMENT>Prince
●洋楽DJ,音楽評論家・八木誠さん、死去
2011年6月10日 音楽●洋楽DJ,音楽評論家・八木誠さん、死去
【Yagi Makoto Dies At 65】
訃報
洋楽DJであり音楽評論家として数多くの作品を日本の洋楽シーンに紹介してきた八木誠さんが、2011年6月5日(日)死去した。65歳だった。
八木さんは、1945年(昭和20年)10月3日神奈川県生まれ。1960年代後期から海外のポップスをラジオや雑誌などで紹介、洋楽DJとして、また洋楽の音楽評論家として多くの足跡を残した。特にTBSラジオでの『ホリデイ・イン・ポップス』(日曜午後)、あるいは、『パック・イン・ミュージック』、FM東京などで活躍した。ラジオDJとしては、関西方面のラジオ局だそうだが、まもなく東京でレギュラーを持つようになった。曲のイントロに乗せた軽快なDJスタイルが、当時斬新だった。
1986年1月から文化放送で「オール・ジャパン・トップ20」~「全国ポピュラー・ベスト10」という洋楽チャート番組がスタート。これは2006年4月まで続いた。
ライナーノーツや、音楽誌への執筆も多数。
2009年2月に小学館から『洋楽ヒットチャート大事典』というヒット曲にまつわる書籍を上梓。そのお披露目パーティーを同年4月、六本木のローリング・ストーン・カフェで行った。このときの登場が公の姿としては最後のものとなったらしい。
ただし、その後、同年6月4日深夜に東京FMの『デイブレイク』に出演して元気な声を聴かせている。
■洋楽ヒットチャート大事典
洋楽ヒットチャート大事典posted with amazlet at 11.06.09八木 誠
小学館
売り上げランキング: 25128
Amazon.co.jp で詳細を見る
+++++
八木さん色。
2011年6月7日の夜11時くらいに、越谷さんから電話をいただき、八木さんの訃報を知った。
八木さんと初めてお会いしたのが、ムゲンだったか、他の場所だったか、正確には覚えていない。ジョージか、六本木のベニルイだったか。あるいは、銀座コアビルか渋谷ヤマハで行われていたDJショーだったか。ただ「ソウル・オン」誌の集いが赤坂ムゲンで行われたときは、行った記憶がある。
僕がものすごくよく覚えているのが、TBSラジオの『ホリデイ・イン・ポップス』と『パック・イン・ミュージック』で軽快なDJをされていた八木さんだ。しかし、調べると『パック』は1969年4月から1970年3月までのわずか1年だけだった。ということは、そのとき、きっと毎週聴いていたのかもしれない。どちらも声優の若山弦蔵さんとのコンビだった。そして、その後に始まる『ホリデイ』では、洋楽チャートを紹介していた。これは、のちに『ポップス・ベスト10』に独立する、というか、引き継がれたと記憶する。『パック』時代には、洋楽曲の邦題を付けることなどもやっていた。ホセ・フェリシアーノの「雨のささやき(rain)」など、八木さんが付けたという。当時は、FEN以外は、AMラジオ局の洋楽チャート番組がほとんどすべてのような感じだったので、毎週かじりついて聴いていた。そして、そうしたチャート番組は1972年10月ラジオ関東でスタートする湯川れい子さんの『アメリカン・トップ40』につながっていく。
八木さんが、好きなタイプの洋楽というのはあるもので、八木さんと言えば、僕にはグラス・ルーツ、スリー・ドッグナイト、ハミルトン・ジョー・フランク&レイノルズなどのダンヒル・サウンド、CCR、キンクス、そしてスタックス、モータウンなどのソウルものという印象がある。八木さんがヒットさせたと言っても過言ではない洋楽ヒットも多数ある。ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」とか、クリスティーの「イエロー・リヴァー」とか、メアリー・ホプキン、ボビー・シャーマンあたりも八木さん色が僕には強い。
僕からすれば大先輩なのに、いつも気軽に声をかけていただいた。ただ、最近はコンサートなどでお会いすることもほとんどなかった。
八木さんが目黒に住んでらっしゃった頃、何度か目黒のマンションにおじゃましたことがある。僕は五反田なので、とてもうちから近かった。最近は埼玉のほうに住んでおられたので、年賀状の行き来くらいになってしまった。
ご冥福をお祈りしたい。
+++++
大阪在住の音楽評論家、上柴とおるさんが、八木さんとの思い出を書かれている。
八木誠さんの思い出。。。
2011年6月8日(水) 3時39分更新 - 追悼。。。
http://www.clinck.co.jp/merurido/_friends/00012/msg_dtl.php?ky=00012-1307470506
(訂正)八木さんの死去日を6月4日とお伝えしていましたが、正しくは5日とのこと。越谷さんからご連絡をいただきましたので、訂正してお詫びいたします。
OBITUARY>Yagi, Makoto>October 3, 1945 – June 5, 2011, 65 Years-old
【Yagi Makoto Dies At 65】
訃報
洋楽DJであり音楽評論家として数多くの作品を日本の洋楽シーンに紹介してきた八木誠さんが、2011年6月5日(日)死去した。65歳だった。
八木さんは、1945年(昭和20年)10月3日神奈川県生まれ。1960年代後期から海外のポップスをラジオや雑誌などで紹介、洋楽DJとして、また洋楽の音楽評論家として多くの足跡を残した。特にTBSラジオでの『ホリデイ・イン・ポップス』(日曜午後)、あるいは、『パック・イン・ミュージック』、FM東京などで活躍した。ラジオDJとしては、関西方面のラジオ局だそうだが、まもなく東京でレギュラーを持つようになった。曲のイントロに乗せた軽快なDJスタイルが、当時斬新だった。
1986年1月から文化放送で「オール・ジャパン・トップ20」~「全国ポピュラー・ベスト10」という洋楽チャート番組がスタート。これは2006年4月まで続いた。
ライナーノーツや、音楽誌への執筆も多数。
2009年2月に小学館から『洋楽ヒットチャート大事典』というヒット曲にまつわる書籍を上梓。そのお披露目パーティーを同年4月、六本木のローリング・ストーン・カフェで行った。このときの登場が公の姿としては最後のものとなったらしい。
ただし、その後、同年6月4日深夜に東京FMの『デイブレイク』に出演して元気な声を聴かせている。
■洋楽ヒットチャート大事典
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小学館
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八木さん色。
2011年6月7日の夜11時くらいに、越谷さんから電話をいただき、八木さんの訃報を知った。
八木さんと初めてお会いしたのが、ムゲンだったか、他の場所だったか、正確には覚えていない。ジョージか、六本木のベニルイだったか。あるいは、銀座コアビルか渋谷ヤマハで行われていたDJショーだったか。ただ「ソウル・オン」誌の集いが赤坂ムゲンで行われたときは、行った記憶がある。
僕がものすごくよく覚えているのが、TBSラジオの『ホリデイ・イン・ポップス』と『パック・イン・ミュージック』で軽快なDJをされていた八木さんだ。しかし、調べると『パック』は1969年4月から1970年3月までのわずか1年だけだった。ということは、そのとき、きっと毎週聴いていたのかもしれない。どちらも声優の若山弦蔵さんとのコンビだった。そして、その後に始まる『ホリデイ』では、洋楽チャートを紹介していた。これは、のちに『ポップス・ベスト10』に独立する、というか、引き継がれたと記憶する。『パック』時代には、洋楽曲の邦題を付けることなどもやっていた。ホセ・フェリシアーノの「雨のささやき(rain)」など、八木さんが付けたという。当時は、FEN以外は、AMラジオ局の洋楽チャート番組がほとんどすべてのような感じだったので、毎週かじりついて聴いていた。そして、そうしたチャート番組は1972年10月ラジオ関東でスタートする湯川れい子さんの『アメリカン・トップ40』につながっていく。
八木さんが、好きなタイプの洋楽というのはあるもので、八木さんと言えば、僕にはグラス・ルーツ、スリー・ドッグナイト、ハミルトン・ジョー・フランク&レイノルズなどのダンヒル・サウンド、CCR、キンクス、そしてスタックス、モータウンなどのソウルものという印象がある。八木さんがヒットさせたと言っても過言ではない洋楽ヒットも多数ある。ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」とか、クリスティーの「イエロー・リヴァー」とか、メアリー・ホプキン、ボビー・シャーマンあたりも八木さん色が僕には強い。
僕からすれば大先輩なのに、いつも気軽に声をかけていただいた。ただ、最近はコンサートなどでお会いすることもほとんどなかった。
八木さんが目黒に住んでらっしゃった頃、何度か目黒のマンションにおじゃましたことがある。僕は五反田なので、とてもうちから近かった。最近は埼玉のほうに住んでおられたので、年賀状の行き来くらいになってしまった。
ご冥福をお祈りしたい。
+++++
大阪在住の音楽評論家、上柴とおるさんが、八木さんとの思い出を書かれている。
八木誠さんの思い出。。。
2011年6月8日(水) 3時39分更新 - 追悼。。。
http://www.clinck.co.jp/merurido/_friends/00012/msg_dtl.php?ky=00012-1307470506
(訂正)八木さんの死去日を6月4日とお伝えしていましたが、正しくは5日とのこと。越谷さんからご連絡をいただきましたので、訂正してお詫びいたします。
OBITUARY>Yagi, Makoto>October 3, 1945 – June 5, 2011, 65 Years-old
○高山広、6月23日に東日本大震災復興支援公演第3弾ライヴ
2011年6月11日 音楽○高山広、6月23日に東日本大震災復興支援公演第3弾ライヴ
【One Man Player: Takayama Hiroshi Hit #3 Play For Reconstruction Support】
復興支援。
仙台出身のワンマン・アクター、一人芝居師・高山広さんが、故郷の復興を願って行うライヴが再び行われる。高山さんからお便りと告知のお知らせが来たので、一部をご紹介しよう。
高山さんはこう書く。
「先月(5月)28日に、宮城県の女川に行ってきました。
私事で恐縮ですが、5歳から小6まで過ごした思い出いっぱいの地、
第2の故郷とも言える街が、そっくり無くなっておりました。
あれから3ヶ月近く経ちますが、現地はまるで手付かずのようにさえ、私の目には映りました…。
想像を越えた凄惨さに言葉をなくし、立ち尽くすばかりでした。
原発の問題もふくめ、なにひとつ終わっても始まってもいない状況を
あらためて実感させられた次第でした。
これからはますます、経済面ばかりでなく
人々の心のケアの問題が大きくなってくるでしょう。
かくいう私ごときに何が出来るというわけではありません。
しかし、
復興までは本当に気が遠くなるような時間と労力、様々な知恵そして
みんなの思いやりと愛の力がもっともっと絶対に必要とされています。
僕なんかにさせてもらえることは、
「劇」に「励み」「励まし、励まされる」ことだけです。
「おキモチ作戦 OPERATION OKIMOCHI 劇励」は、果てしないロングランとなることでしょう。
末永くよろしくお願い致します!
ご理解とご協力を 心よりお願いします」
【公演の詳細】
東日本大震災復興支援公演 第3弾
高山広 一人芝居 「おキモチ作戦 OPERATION OKIMOCHI」 劇励
○日時: 2011年6月23日(木)開場18時30分 開演19時30分
○場所: パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』
HP : http://esorabako.com
劇場問い合わせ 03-6265-0825 mail: info@esorabako.com
〒162-0801 東京都新宿区山吹町361 誠志堂ビル1~2階
(有楽町線「江戸川橋」駅 徒歩2分/東西線「神楽坂」駅 徒歩9分)
○チケット料金: 前売り 2,500円 当日 3,000円
(※要1ドリンクオーダー 700円)
チケットおよび、グッズの売上金の一部を日本赤十字社「東北関東大震災義援金」を通じて、被災された方々へ寄付させて頂きます。 また、当日は会場に募金箱も設置させていただきます。みなさまのご理解とご協力をお願いいたします。
○チケット予約・問い合わせ先 operation_okimochi@yahoo.co.jp
○主催:高山広ショー店 NON GATE THEATRE
○STAFF:
舞台監督・音響 亀井俊彦(芝居屋 かめやま丸)
照明 岩城保
映像 小田史一
写真・フライヤーデザイン 阪上恭史
監修 吉田健美 宣伝協力 小口宏
SPECIAL THANKS 佐藤潤平 井上貴子 近藤佑子
※今回の会場は3月に新宿区山吹町にオープンした小劇場。カフェバーが併設してある小粋なスペースでお飲み物や軽食を楽しみながら、「おキモチWORLD」ごゆっくりご堪能あれ!
+++++
高山さんは、『ソウル・サーチン』でもかつて、ルーサー・ヴァンドロス(2006年7月1日)、アレサ・フランクリン(2007年3月26日)でそれぞれのキャラを見事な一人芝居で演じてくれた。(詳細は下記過去記事で) 一人芝居に興味がある方、ぜひ一度試しにどうぞ。おもしろさ、その内容は保証します。どのようなものか詳しく知りたい方は、過去記事をごらんください。
++++
■ 高山広・プロフィール
高山広は、1963年宮城県出身。1988年から芝居、演技を開始。1992年から、一人芝居をさまざまな会場で行うようになる。ショート・ストーリーを数本まとめたオムニバス形式のシリーズ『高山広のおキモチ大図鑑』では、高山は単に人間だけでなく、動物、昆虫、はては、花火、パチンコ玉、かさ、たばこ、信号機などありとあらゆる森羅万象の物格・人格になりきり、それを演じる。作品数はすでに600本に迫り、数分のショートものから、2時間を越える超大作まで多数。鋭い洞察力をもとにした人物の描き方、演じ方は他の追従を許さない。
■ 高山広公式ウェッブ
http://schop.air-nifty.com/takayama/
■高山広・ソウル・サーチン過去関連記事
2010年01月20日(水)
高山広ライヴ:「ねずぶり」~「ねずぶり」とは、そしてそのメッセージは
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100120.html
2008年09月09日(火)
高山広・一人芝居~20周年中年
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080909.html
November 07, 2007
Takayama Hiroshi @ Martano : He Made “Away” Home
http://blog.soulsearchin.com/archives/002129.html
マルターノでのライヴ。
March 30, 2007
Soul Searchin: The Session (Part 4): "Day Dreaming -- I’m Thinking Of You"
http://blog.soulsearchin.com/archives/001677.html
『ソウル・サーチン』でアレサ・フランクリンを演じたときの評。
August 28, 2006
Takayam Hiroshi One Man Play: Portrays All Things In The Universe
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200608/2006_08_28.html
July 23, 2006
Takayama Hiroshi: Like A Virgin; Hot, Hot, Hot
http://blog.soulsearchin.com/archives/001151.html
July 07, 2006
Takayama Hiroshi Talks About Luther Vandross
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_07_07.html
『ソウル・サーチン』でルーサーと父を演じたときの評。
July 02, 2006
Big Big Thanks For Joining "Soul Searchin’: The Session Vol.1"
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_07_02.html
May 22, 2006
Takayama Hiroshi One Man Stage Play
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200605/2006_05_22.html
ENT>ANNOUNCEMENT>Takayama, Hiroshi
【One Man Player: Takayama Hiroshi Hit #3 Play For Reconstruction Support】
復興支援。
仙台出身のワンマン・アクター、一人芝居師・高山広さんが、故郷の復興を願って行うライヴが再び行われる。高山さんからお便りと告知のお知らせが来たので、一部をご紹介しよう。
高山さんはこう書く。
「先月(5月)28日に、宮城県の女川に行ってきました。
私事で恐縮ですが、5歳から小6まで過ごした思い出いっぱいの地、
第2の故郷とも言える街が、そっくり無くなっておりました。
あれから3ヶ月近く経ちますが、現地はまるで手付かずのようにさえ、私の目には映りました…。
想像を越えた凄惨さに言葉をなくし、立ち尽くすばかりでした。
原発の問題もふくめ、なにひとつ終わっても始まってもいない状況を
あらためて実感させられた次第でした。
これからはますます、経済面ばかりでなく
人々の心のケアの問題が大きくなってくるでしょう。
かくいう私ごときに何が出来るというわけではありません。
しかし、
復興までは本当に気が遠くなるような時間と労力、様々な知恵そして
みんなの思いやりと愛の力がもっともっと絶対に必要とされています。
僕なんかにさせてもらえることは、
「劇」に「励み」「励まし、励まされる」ことだけです。
「おキモチ作戦 OPERATION OKIMOCHI 劇励」は、果てしないロングランとなることでしょう。
末永くよろしくお願い致します!
ご理解とご協力を 心よりお願いします」
【公演の詳細】
東日本大震災復興支援公演 第3弾
高山広 一人芝居 「おキモチ作戦 OPERATION OKIMOCHI」 劇励
○日時: 2011年6月23日(木)開場18時30分 開演19時30分
○場所: パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』
HP : http://esorabako.com
劇場問い合わせ 03-6265-0825 mail: info@esorabako.com
〒162-0801 東京都新宿区山吹町361 誠志堂ビル1~2階
(有楽町線「江戸川橋」駅 徒歩2分/東西線「神楽坂」駅 徒歩9分)
○チケット料金: 前売り 2,500円 当日 3,000円
(※要1ドリンクオーダー 700円)
チケットおよび、グッズの売上金の一部を日本赤十字社「東北関東大震災義援金」を通じて、被災された方々へ寄付させて頂きます。 また、当日は会場に募金箱も設置させていただきます。みなさまのご理解とご協力をお願いいたします。
○チケット予約・問い合わせ先 operation_okimochi@yahoo.co.jp
○主催:高山広ショー店 NON GATE THEATRE
○STAFF:
舞台監督・音響 亀井俊彦(芝居屋 かめやま丸)
照明 岩城保
映像 小田史一
写真・フライヤーデザイン 阪上恭史
監修 吉田健美 宣伝協力 小口宏
SPECIAL THANKS 佐藤潤平 井上貴子 近藤佑子
※今回の会場は3月に新宿区山吹町にオープンした小劇場。カフェバーが併設してある小粋なスペースでお飲み物や軽食を楽しみながら、「おキモチWORLD」ごゆっくりご堪能あれ!
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高山さんは、『ソウル・サーチン』でもかつて、ルーサー・ヴァンドロス(2006年7月1日)、アレサ・フランクリン(2007年3月26日)でそれぞれのキャラを見事な一人芝居で演じてくれた。(詳細は下記過去記事で) 一人芝居に興味がある方、ぜひ一度試しにどうぞ。おもしろさ、その内容は保証します。どのようなものか詳しく知りたい方は、過去記事をごらんください。
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■ 高山広・プロフィール
高山広は、1963年宮城県出身。1988年から芝居、演技を開始。1992年から、一人芝居をさまざまな会場で行うようになる。ショート・ストーリーを数本まとめたオムニバス形式のシリーズ『高山広のおキモチ大図鑑』では、高山は単に人間だけでなく、動物、昆虫、はては、花火、パチンコ玉、かさ、たばこ、信号機などありとあらゆる森羅万象の物格・人格になりきり、それを演じる。作品数はすでに600本に迫り、数分のショートものから、2時間を越える超大作まで多数。鋭い洞察力をもとにした人物の描き方、演じ方は他の追従を許さない。
■ 高山広公式ウェッブ
http://schop.air-nifty.com/takayama/
■高山広・ソウル・サーチン過去関連記事
2010年01月20日(水)
高山広ライヴ:「ねずぶり」~「ねずぶり」とは、そしてそのメッセージは
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100120.html
2008年09月09日(火)
高山広・一人芝居~20周年中年
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080909.html
November 07, 2007
Takayama Hiroshi @ Martano : He Made “Away” Home
http://blog.soulsearchin.com/archives/002129.html
マルターノでのライヴ。
March 30, 2007
Soul Searchin: The Session (Part 4): "Day Dreaming -- I’m Thinking Of You"
http://blog.soulsearchin.com/archives/001677.html
『ソウル・サーチン』でアレサ・フランクリンを演じたときの評。
August 28, 2006
Takayam Hiroshi One Man Play: Portrays All Things In The Universe
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200608/2006_08_28.html
July 23, 2006
Takayama Hiroshi: Like A Virgin; Hot, Hot, Hot
http://blog.soulsearchin.com/archives/001151.html
July 07, 2006
Takayama Hiroshi Talks About Luther Vandross
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_07_07.html
『ソウル・サーチン』でルーサーと父を演じたときの評。
July 02, 2006
Big Big Thanks For Joining "Soul Searchin’: The Session Vol.1"
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_07_02.html
May 22, 2006
Takayama Hiroshi One Man Stage Play
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200605/2006_05_22.html
ENT>ANNOUNCEMENT>Takayama, Hiroshi
△村上春樹さん~カタルーニャ国際賞受賞スピーチ
2011年6月12日 音楽 コメント (1)△村上春樹さん~カタルーニャ国際賞受賞スピーチ
【Murakami Haruki: International Catalunya Prize Acceptance Speech】
言葉力。
作家の村上春樹さんが2011年6月9日、スペイン・バルセロナで「カタルーニャ賞」を受賞、その授賞式の席でスピーチをした。スピーチ原稿がメディアに配られ、毎日新聞などが全文を掲載した。そのリンク。「カタルーニャ賞」は、世界で文化、科学、人間の価値などに対して大きな貢献をした人物に与えられる賞。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html
8000字超のスピーチには、まさに言葉の力があふれている。こういう言葉を発信できる人が、真のリーダーシップを取って欲しいと思うのは、僕だけではないだろう。オバマ大統領のスピーチ・ライターに脚光が集まったが、日本の政治家も、村上さんにスピーチ・ライターでもやってもらったらどうだろうか。もっともスピーチの内容にみあう政治家はいないようだが。 (笑)
それにしても「非現実的な夢想家」とはうまいことを言う。
村上さんといえば、2009年2月の「エルサレム賞」受賞時のスピーチも感動的だった。
2009年02月20日(金)
村上春樹氏「エルサレム賞」スピーチ全文
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10211457439.html
(リンクがデッドになる可能性もあるので、全文をコピーしておきます。もちろん、著作権は村上春樹さんにあります)
おそらく、会場では日本語を読み、通訳がスペイン語か英語に訳したものと思われる。あるいは、英語で読まれたのだろうか。ぜひユーストリームかユーチューブでこのスピーチを見てみたい。すでに、英文での記事も配信されている。
(午前3時追記)映像がありました。これは4パートの1.ここに行くと、2-3-4へのリンクがあります。
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210610054.html
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210610055.html
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210610056.html
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210610057.html
トータル約22分です。ただし、ちょっと語尾を延ばすしゃべり方がいまひとつのような気がします。話す訓練をするといいと思う。英語のしゃべりのほうがよかった。
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村上春樹さん:カタルーニャ国際賞受賞スピーチ原稿全文
2011年6月9日=スペイン・バルセロナ
「非現実的な夢想家として」Unrealistic Dreamers
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。
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NEWS>Murakami, Haruki
【Murakami Haruki: International Catalunya Prize Acceptance Speech】
言葉力。
作家の村上春樹さんが2011年6月9日、スペイン・バルセロナで「カタルーニャ賞」を受賞、その授賞式の席でスピーチをした。スピーチ原稿がメディアに配られ、毎日新聞などが全文を掲載した。そのリンク。「カタルーニャ賞」は、世界で文化、科学、人間の価値などに対して大きな貢献をした人物に与えられる賞。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html
8000字超のスピーチには、まさに言葉の力があふれている。こういう言葉を発信できる人が、真のリーダーシップを取って欲しいと思うのは、僕だけではないだろう。オバマ大統領のスピーチ・ライターに脚光が集まったが、日本の政治家も、村上さんにスピーチ・ライターでもやってもらったらどうだろうか。もっともスピーチの内容にみあう政治家はいないようだが。 (笑)
それにしても「非現実的な夢想家」とはうまいことを言う。
村上さんといえば、2009年2月の「エルサレム賞」受賞時のスピーチも感動的だった。
2009年02月20日(金)
村上春樹氏「エルサレム賞」スピーチ全文
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10211457439.html
(リンクがデッドになる可能性もあるので、全文をコピーしておきます。もちろん、著作権は村上春樹さんにあります)
おそらく、会場では日本語を読み、通訳がスペイン語か英語に訳したものと思われる。あるいは、英語で読まれたのだろうか。ぜひユーストリームかユーチューブでこのスピーチを見てみたい。すでに、英文での記事も配信されている。
(午前3時追記)映像がありました。これは4パートの1.ここに行くと、2-3-4へのリンクがあります。
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210610054.html
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210610055.html
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210610056.html
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210610057.html
トータル約22分です。ただし、ちょっと語尾を延ばすしゃべり方がいまひとつのような気がします。話す訓練をするといいと思う。英語のしゃべりのほうがよかった。
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村上春樹さん:カタルーニャ国際賞受賞スピーチ原稿全文
2011年6月9日=スペイン・バルセロナ
「非現実的な夢想家として」Unrealistic Dreamers
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。
+++++
NEWS>Murakami, Haruki
☆○マイケル・ジャクソン関連イヴェント告知(パート1)
2011年6月13日 音楽☆○マイケル・ジャクソン関連イヴェント告知(パート1)
【Michael Jackson Event Announcement】
告知。
まもなく6月25日。マイケル・ジャクソンの命日。これにともないいくつかのイヴェントなどがあるので、まとめてご紹介します。明日も本ブログでマイケル関連イヴェントの告知をいたします。
1)
2011年6月23日(木)深夜25時~28時生放送、『ビッグ・スペシャル~マイケル・ジャクソン』(東京FM系列全国ネット、正確には24日午前1時~4時)。出演・湯川れい子、吉岡正晴。
湯川れい子さんと3時間、マイケル関連楽曲をかけながら、お話をします。生放送でほぼ全国ネットとのことなので、楽しみにしています。
この『ビッグ・スペシャル』は、毎週月曜深夜から木曜深夜まで25時から28時まで生放送しているもので、6月20日の週は、月曜からマイケル特集を組んでいる、という。約20以上の局でネットされるとのこと。(番組ホームページでは35局のネット局名が出ている)
http://www.fmsounds.co.jp/production/program_detail.php?b=1&p=62&PHPSESSID=vvnqkbcm
番組ではこれまでに、エルヴィスやビートルズ、あるいは、A&Mレコードなど、洋楽を中心にしたアーティストなどを徹底特集しています。湯川さんは、1月にエルヴィスをやり、マイケルはこれまでにもやってきたが、今回も命日に際しマイケルを取り上げるとのこと。
当日は生放送ですので、リスナーからのメール、ツイッターでのメッセージなども受け付けます。
メールを送るフォーム
http://www6.jfn.co.jp/mailforms/index/94
先日、湯川先生と打ち合わせをさせていただいたのですが、直接的な打ち合わせよりも、その他のいろいろな雑談が大変おもしろかったです。
2)
2011年6月25日(土)13時~16時『マイケル・ジャクソンのすべて』
NHKカルチャー、六本木ヒルズ・ハリウッドホール
出演・湯川れい子、西寺郷太
会費・4200円
会場・東京都六本木6-4-1六本木ヒルズ ハリウッドビューティプラザ5F 電話03-6406-6000
http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_607451.html
(満席で、キャンセル待ち)
NHKカルチャー・スクールでの講演会。西寺郷太さんと湯川れい子さんがお話をする。
なお、すでに満席となっており、キャンセル待ちとのこと。
3)
2011年6月26日(日) 17時~21時 『調布MJM開店1周年記念 及び 追悼イヴェント』
調布のカフェ、MJMで開催。
マイケル・マニアの長田さんが調布で始めたカフェの開店一周年記念パーティー。内容は次の通り。
1.吉岡正晴のお話
2.MJ-spiritポリゴン太氏プロデュース「ポリゴン太のMJGameチャレンジ」
3.ギタリストやまきょう氏のMJ演奏会
会費:5000円 (飲み放題とバイキング形式のお食事つき)
2011年6月26日(日) 開場:16時半 開演:17時 終了:21時予定
30名様限定、完全予約制
予約受付電話番号042‐446‐4757
http://cafebarmjm.jimdo.com/%E6%9C%80%E6%96%B0%E6%83%85%E5%A0%B1/
店名 Cafe & Bar MJM
所在 東京都調布市下石原1-57-1
電話 042-446-4757
狭い会場のため30名で一杯になってしまいますので、ご予約はお早めに。
ENT>ANNOUNCEMENT>Michael Jackson
【Michael Jackson Event Announcement】
告知。
まもなく6月25日。マイケル・ジャクソンの命日。これにともないいくつかのイヴェントなどがあるので、まとめてご紹介します。明日も本ブログでマイケル関連イヴェントの告知をいたします。
1)
2011年6月23日(木)深夜25時~28時生放送、『ビッグ・スペシャル~マイケル・ジャクソン』(東京FM系列全国ネット、正確には24日午前1時~4時)。出演・湯川れい子、吉岡正晴。
湯川れい子さんと3時間、マイケル関連楽曲をかけながら、お話をします。生放送でほぼ全国ネットとのことなので、楽しみにしています。
この『ビッグ・スペシャル』は、毎週月曜深夜から木曜深夜まで25時から28時まで生放送しているもので、6月20日の週は、月曜からマイケル特集を組んでいる、という。約20以上の局でネットされるとのこと。(番組ホームページでは35局のネット局名が出ている)
http://www.fmsounds.co.jp/production/program_detail.php?b=1&p=62&PHPSESSID=vvnqkbcm
番組ではこれまでに、エルヴィスやビートルズ、あるいは、A&Mレコードなど、洋楽を中心にしたアーティストなどを徹底特集しています。湯川さんは、1月にエルヴィスをやり、マイケルはこれまでにもやってきたが、今回も命日に際しマイケルを取り上げるとのこと。
当日は生放送ですので、リスナーからのメール、ツイッターでのメッセージなども受け付けます。
メールを送るフォーム
http://www6.jfn.co.jp/mailforms/index/94
先日、湯川先生と打ち合わせをさせていただいたのですが、直接的な打ち合わせよりも、その他のいろいろな雑談が大変おもしろかったです。
2)
2011年6月25日(土)13時~16時『マイケル・ジャクソンのすべて』
NHKカルチャー、六本木ヒルズ・ハリウッドホール
出演・湯川れい子、西寺郷太
会費・4200円
会場・東京都六本木6-4-1六本木ヒルズ ハリウッドビューティプラザ5F 電話03-6406-6000
http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_607451.html
(満席で、キャンセル待ち)
NHKカルチャー・スクールでの講演会。西寺郷太さんと湯川れい子さんがお話をする。
なお、すでに満席となっており、キャンセル待ちとのこと。
3)
2011年6月26日(日) 17時~21時 『調布MJM開店1周年記念 及び 追悼イヴェント』
調布のカフェ、MJMで開催。
マイケル・マニアの長田さんが調布で始めたカフェの開店一周年記念パーティー。内容は次の通り。
1.吉岡正晴のお話
2.MJ-spiritポリゴン太氏プロデュース「ポリゴン太のMJGameチャレンジ」
3.ギタリストやまきょう氏のMJ演奏会
会費:5000円 (飲み放題とバイキング形式のお食事つき)
2011年6月26日(日) 開場:16時半 開演:17時 終了:21時予定
30名様限定、完全予約制
予約受付電話番号042‐446‐4757
http://cafebarmjm.jimdo.com/%E6%9C%80%E6%96%B0%E6%83%85%E5%A0%B1/
店名 Cafe & Bar MJM
所在 東京都調布市下石原1-57-1
電話 042-446-4757
狭い会場のため30名で一杯になってしまいますので、ご予約はお早めに。
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☆○マイケル・ジャクソン関連イヴェント告知(パート2)~「ソウル・サーチン・イヴェント」次回マイケル・ジャクソンをフィーチャー、8月28日~29日に
【Michael Jackson Event Announcement】
誕生日。
毎回、一組のソウル・レジェンドをピックアップし、そのアーティストについてのトークとリアル・ミュージシャンたちによるそのアーティストの楽曲を生演奏でご紹介する音楽イヴェント「ソウル・サーチン」。前回の2月のクインシー・ジョーンズに続いて、8月についに満を持してマイケル・ジャクソンに挑戦することになった。
「ソウル・サーチン」は、今回通算10回目。8月28日(日)、29日(月)の2日にわたって目黒のブルース・アレイで行われる。29日は、ご存知の通り、マイケル・ジャクソンの誕生日。もしマイケルが生きていれば53歳になる誕生日だ。
これまで、「ソウル・サーチン」では、2009年7月にアイズレイ・ブラザーズを行ったときに、6月25日の死去を受けて、急遽、アイズレイをマイケルに切り替える案も浮上したが、どうしても、マイケルをやるためにはある程度の準備が必要ということもあり断念した。その後、前回の「ソウル・サーチン」でもマイケルが候補に上ったが、どうしても難しいということで、マイケル曲も含むクインシー・ジョーンズとなった。そして、クインシーでマイケル曲を試し、次にマイケルをやろうと考えた。
マイケルになかなか手がつけられなかったのは、マイケル楽曲が、完全にマイケルのワン・アンド・オンリーの楽曲になっているためだ。これは、ジェームス・ブラウンも同じで、あのグルーヴとメロディーの捉え方は、マイケルやジェームス・ブラウン本人でなければできない。モータウン初期楽曲くらいなら、なんとかいわゆるカヴァーという点でできなくもないが、エピック以降の作品はなかなか満足がいくカヴァーがない。2009年6月25日以降、多くのマイケル・カヴァーをライヴで見てきたが、どれもなかなか満足できるものになっていなかった。もちろん、本人そっくりコピーしなければならない、というものではない。カヴァーするアーティストの個性を生かしてできればいいのだが、どうしてもマイケル曲はマイケルのイメージが映像も含め強すぎるので、カヴァーする側にスペースが与えられない。だから難しい。
だが、そんなことを言っていても始まらない。そこでケイリブと相談して、やれるところまでやってみようということになった。実はクインシーをやると決めたときから、その次はマイケルだと8割くらい思っていた。果たして、ケイリブ&フィリップたちがどこまでマイケル楽曲を聴かせてくれるか、楽しみだ。
先行。
今回の「ソウル・サーチン」に関して、本ソウル・サーチン・ブログをごらんの方に、先行予約できるように取り計らっていただいた。下記アドレスにアクセスし、指示にしたがって入力、ご予約ください。先行予約から、よい席が割り当てられます。
・8/28分 Soul Searchin The Session Vol.10
≪Soul Searchin’Home Page先行予約≫
http://reserve.bluesalley.co.jp/schedule/pre_reserv.html?c_code=Schedule-20110609173425
・8/29分 Soul Searchin The Session Vol.10
≪Soul Searchin’Home Page先行予約≫
http://reserve.bluesalley.co.jp/schedule/pre_reserv.html?c_code=Schedule-20110609173647
■ソウル・サーチン・イヴェントとは
「ソウル・サーチン・イヴェント」とは、ソウル・ミュージック・ジャーナリストの吉岡正晴が主催するイヴェントで、毎回一組のアーティストにスポットを当て、そのアーティストについて詳しいパネリストのトークとリアル・ミュージシャンによるそのアーティストの作品を生演奏で楽しむ、他に例を見ない音楽イヴェント。正式なタイトルは『ソウル・サーチン:ザ・セッション』で5回目、その前身の『ソウル・サーチン』から数えると通算10回目になる。2003年から始まり、これまでに、スティーヴィー・ワンダー、ダニー・ハサウェイ、レイ・チャールズ、マーヴィン・ゲイ、ルーサー・ヴァンドロス、アレサ・フランクリン、アイズレイ・ブラザーズ、クインシー・ジョーンズを取り上げている。
今回スポットをあてるのは、クインシー・ジョーンズがてがけた最大のポップ・アイコン、マイケル・ジャクソン。6ヶ月ぶりの開催になる。
■イヴェント詳細
■タイトル
Soul Searchin The Session Vol.10~
A Tribute To Michael Jackson
■メンバー
Kaleb James & The Soul Searchers Featuring Philip Woo
Kaleb James (Keys)
Philip Woo (Keys)
Masa Kohama (Guitar)
Shin Takada (Drums)
Gary Scott (Percussion, Sax, Vocal)
Keith Williamson (Bass)
David King (Vocal)
Tahirih Walker (Vocal)
Blue-Tree (Dance)
MC: Yoshioka Masaharu,
Panel Guest; Matsuo KC Kiyoshi (28th)
other guests would be added shortly(特別ゲスト、シークレット・ゲストなどについては今後もご案内いたします)
■公演紹介文
一人のアーティストにスポットをあて、リアル・ミュージシャンによるリアル・ミュージックのパフォーマンスと、そのアーティストについてのディープなトークでお届けする「ソウル・サーチン」。通算10回目。今年2月のクインシー・ジョーンズに続いては、クインシー最大のヒットとなった世紀のスーパースター、マイケル・ジャクソンを特集します。普通のマイケル・カヴァーではなく、他では決して聞けないマイケル作品の虹色のアレンジ、そして、吉岡正晴・松尾潔によるマイケル・トーク、さらに、マイケル・インパーソネーターとして
日本最高峰のブルーツリーのダンス・パフォーマンスまで、盛りだくさんの
内容で、マイケルの誕生日を祝います。
■料金
前売券、テーブル席(指定)\5,500
立見(自由)\5,000
当日券は各料金\500UP (各税込)
■日時・時間(入替無)
2011年8月28日(日)開場:17:00、開演:18:30~×2st
2011年8月29日(月)開場:18:00、開演:19:30~×2st
■会場 目黒・ブルース・アレイ
http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14 電話番号03-5496-4381
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
■チケット発売日
・Soul Searchin Web先行:6月14日(火曜)12:00~6月20日(月)20:00
・BAJ CLUB 先行:6月23日(木)12:00~
・一般発売:7月1日(金)14:00~
※一般予約受付⇒03-5740-6041
(月~土/12:00~20:00) インターネット24時間対応
※発売日、初日のみ14:00~の対応となります。
■WEB先行フォーマット
・8/28分 Soul Searchin The Session Vol.10
≪Soul Searchin’Home Page先行予約≫
http://reserve.bluesalley.co.jp/schedule/pre_reserv.html?c_code=Schedule-20110609173425
・8/29分 Soul Searchin The Session Vol.10
≪Soul Searchin’Home Page先行予約≫
http://reserve.bluesalley.co.jp/schedule/pre_reserv.html?c_code=Schedule-20110609173647
※アドレスが2行に渡って表示される場合は、コピー&ペーストで繋げてご利用ください。
本アドレスの有効期間は
6月14日(火)12:00~6月20日(月)20:00です。
(お申込み状況によっては早期終了する場合がございます)
【予約に関するお問合せ】
BLUES ALLEY JAPAN TEL:03-5740-6041(月~土/12:00~20:00)
■ソウル・サーチン・ヒストリー
「ソウル・サーチン」はこれまでに9回行われている。
SOUL SEARCHIN: history
1Stevie Wonder @Brave Bar, Roppongi 11/27/2003 (only record playing and panel)
2Stevie Wonder @ Rukuya, Nakameguro 04/22/2004 (only Kaleb, and panel)
3Donny Hathaway @ Rakuya, Nakameguro 09/22/2004 (only Kaleb, and panel)
4Ray Charles @Blues Alley 06/26/2005 (Kaleb with Kohshi’s band + Ohta Ken and panel)
5Marvin Gaye @Blues Alley 04/01/2006 (band with no name + panel)
6Luther Vandross @Blues Alley 07/01/2006 (Soul Searchin : The Session Vol.1) (Kaleb & The Soul Searchers + panel )
7Aretha Franklin @Sweet Basil 138, 03/26/2007 (Soul Searchin : The Session Vol.2)
8Isley Brothers @Blues Alley 07/14/15/2009 (Soul Searchin : The Session Vol.3)
9Quincy Jones @Blues Alley 02/03/2011(Thursday), 02/04/2011(Friday) (Soul Searchin : The Session Vol.4)
10Michael Jackson @ Blues Alley 08/28/2011 (Sunday), 08/29/2011 (Monday)
■前回ユーストリーム・アーカイブ
前回の「ソウル・サーチン Vol.Q」をユーストリームで生中継し、そのアーカイブを残してあります。松尾さんとのトーク部分はありませんが、ライヴ部分はすべて残っています。
2011年2月3日(木)「ソウル・サーチン Vol.Q」パート1(第一部)@ブルース・アレイ (約59分)
http://www.ustream.tv/recorded/12429496
2011年2月3日(木)「ソウル・サーチン Vol.Q」パート2(第二部)@ブルース・アレイ (約70分)
http://www.ustream.tv/recorded/12430651
■前回「ソウル・サーチン」イヴェント関連記事
2011年02月06日(日)
ソウル・サーチン、御礼、Uストリームやツイッターでの反応
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110206.html
2011年02月07日(月)
「ソウル・サーチン」その意義と目指すもの
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110207.html
EVENT>SOUL SEARCHIN>Vol 9
ENT>ANNOUNCEMENT>EVENT>Soul Searchin
【Michael Jackson Event Announcement】
誕生日。
毎回、一組のソウル・レジェンドをピックアップし、そのアーティストについてのトークとリアル・ミュージシャンたちによるそのアーティストの楽曲を生演奏でご紹介する音楽イヴェント「ソウル・サーチン」。前回の2月のクインシー・ジョーンズに続いて、8月についに満を持してマイケル・ジャクソンに挑戦することになった。
「ソウル・サーチン」は、今回通算10回目。8月28日(日)、29日(月)の2日にわたって目黒のブルース・アレイで行われる。29日は、ご存知の通り、マイケル・ジャクソンの誕生日。もしマイケルが生きていれば53歳になる誕生日だ。
これまで、「ソウル・サーチン」では、2009年7月にアイズレイ・ブラザーズを行ったときに、6月25日の死去を受けて、急遽、アイズレイをマイケルに切り替える案も浮上したが、どうしても、マイケルをやるためにはある程度の準備が必要ということもあり断念した。その後、前回の「ソウル・サーチン」でもマイケルが候補に上ったが、どうしても難しいということで、マイケル曲も含むクインシー・ジョーンズとなった。そして、クインシーでマイケル曲を試し、次にマイケルをやろうと考えた。
マイケルになかなか手がつけられなかったのは、マイケル楽曲が、完全にマイケルのワン・アンド・オンリーの楽曲になっているためだ。これは、ジェームス・ブラウンも同じで、あのグルーヴとメロディーの捉え方は、マイケルやジェームス・ブラウン本人でなければできない。モータウン初期楽曲くらいなら、なんとかいわゆるカヴァーという点でできなくもないが、エピック以降の作品はなかなか満足がいくカヴァーがない。2009年6月25日以降、多くのマイケル・カヴァーをライヴで見てきたが、どれもなかなか満足できるものになっていなかった。もちろん、本人そっくりコピーしなければならない、というものではない。カヴァーするアーティストの個性を生かしてできればいいのだが、どうしてもマイケル曲はマイケルのイメージが映像も含め強すぎるので、カヴァーする側にスペースが与えられない。だから難しい。
だが、そんなことを言っていても始まらない。そこでケイリブと相談して、やれるところまでやってみようということになった。実はクインシーをやると決めたときから、その次はマイケルだと8割くらい思っていた。果たして、ケイリブ&フィリップたちがどこまでマイケル楽曲を聴かせてくれるか、楽しみだ。
先行。
今回の「ソウル・サーチン」に関して、本ソウル・サーチン・ブログをごらんの方に、先行予約できるように取り計らっていただいた。下記アドレスにアクセスし、指示にしたがって入力、ご予約ください。先行予約から、よい席が割り当てられます。
・8/28分 Soul Searchin The Session Vol.10
≪Soul Searchin’Home Page先行予約≫
http://reserve.bluesalley.co.jp/schedule/pre_reserv.html?c_code=Schedule-20110609173425
・8/29分 Soul Searchin The Session Vol.10
≪Soul Searchin’Home Page先行予約≫
http://reserve.bluesalley.co.jp/schedule/pre_reserv.html?c_code=Schedule-20110609173647
■ソウル・サーチン・イヴェントとは
「ソウル・サーチン・イヴェント」とは、ソウル・ミュージック・ジャーナリストの吉岡正晴が主催するイヴェントで、毎回一組のアーティストにスポットを当て、そのアーティストについて詳しいパネリストのトークとリアル・ミュージシャンによるそのアーティストの作品を生演奏で楽しむ、他に例を見ない音楽イヴェント。正式なタイトルは『ソウル・サーチン:ザ・セッション』で5回目、その前身の『ソウル・サーチン』から数えると通算10回目になる。2003年から始まり、これまでに、スティーヴィー・ワンダー、ダニー・ハサウェイ、レイ・チャールズ、マーヴィン・ゲイ、ルーサー・ヴァンドロス、アレサ・フランクリン、アイズレイ・ブラザーズ、クインシー・ジョーンズを取り上げている。
今回スポットをあてるのは、クインシー・ジョーンズがてがけた最大のポップ・アイコン、マイケル・ジャクソン。6ヶ月ぶりの開催になる。
■イヴェント詳細
■タイトル
Soul Searchin The Session Vol.10~
A Tribute To Michael Jackson
■メンバー
Kaleb James & The Soul Searchers Featuring Philip Woo
Kaleb James (Keys)
Philip Woo (Keys)
Masa Kohama (Guitar)
Shin Takada (Drums)
Gary Scott (Percussion, Sax, Vocal)
Keith Williamson (Bass)
David King (Vocal)
Tahirih Walker (Vocal)
Blue-Tree (Dance)
MC: Yoshioka Masaharu,
Panel Guest; Matsuo KC Kiyoshi (28th)
other guests would be added shortly(特別ゲスト、シークレット・ゲストなどについては今後もご案内いたします)
■公演紹介文
一人のアーティストにスポットをあて、リアル・ミュージシャンによるリアル・ミュージックのパフォーマンスと、そのアーティストについてのディープなトークでお届けする「ソウル・サーチン」。通算10回目。今年2月のクインシー・ジョーンズに続いては、クインシー最大のヒットとなった世紀のスーパースター、マイケル・ジャクソンを特集します。普通のマイケル・カヴァーではなく、他では決して聞けないマイケル作品の虹色のアレンジ、そして、吉岡正晴・松尾潔によるマイケル・トーク、さらに、マイケル・インパーソネーターとして
日本最高峰のブルーツリーのダンス・パフォーマンスまで、盛りだくさんの
内容で、マイケルの誕生日を祝います。
■料金
前売券、テーブル席(指定)\5,500
立見(自由)\5,000
当日券は各料金\500UP (各税込)
■日時・時間(入替無)
2011年8月28日(日)開場:17:00、開演:18:30~×2st
2011年8月29日(月)開場:18:00、開演:19:30~×2st
■会場 目黒・ブルース・アレイ
http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14 電話番号03-5496-4381
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
■チケット発売日
・Soul Searchin Web先行:6月14日(火曜)12:00~6月20日(月)20:00
・BAJ CLUB 先行:6月23日(木)12:00~
・一般発売:7月1日(金)14:00~
※一般予約受付⇒03-5740-6041
(月~土/12:00~20:00) インターネット24時間対応
※発売日、初日のみ14:00~の対応となります。
■WEB先行フォーマット
・8/28分 Soul Searchin The Session Vol.10
≪Soul Searchin’Home Page先行予約≫
http://reserve.bluesalley.co.jp/schedule/pre_reserv.html?c_code=Schedule-20110609173425
・8/29分 Soul Searchin The Session Vol.10
≪Soul Searchin’Home Page先行予約≫
http://reserve.bluesalley.co.jp/schedule/pre_reserv.html?c_code=Schedule-20110609173647
※アドレスが2行に渡って表示される場合は、コピー&ペーストで繋げてご利用ください。
本アドレスの有効期間は
6月14日(火)12:00~6月20日(月)20:00です。
(お申込み状況によっては早期終了する場合がございます)
【予約に関するお問合せ】
BLUES ALLEY JAPAN TEL:03-5740-6041(月~土/12:00~20:00)
■ソウル・サーチン・ヒストリー
「ソウル・サーチン」はこれまでに9回行われている。
SOUL SEARCHIN: history
1Stevie Wonder @Brave Bar, Roppongi 11/27/2003 (only record playing and panel)
2Stevie Wonder @ Rukuya, Nakameguro 04/22/2004 (only Kaleb, and panel)
3Donny Hathaway @ Rakuya, Nakameguro 09/22/2004 (only Kaleb, and panel)
4Ray Charles @Blues Alley 06/26/2005 (Kaleb with Kohshi’s band + Ohta Ken and panel)
5Marvin Gaye @Blues Alley 04/01/2006 (band with no name + panel)
6Luther Vandross @Blues Alley 07/01/2006 (Soul Searchin : The Session Vol.1) (Kaleb & The Soul Searchers + panel )
7Aretha Franklin @Sweet Basil 138, 03/26/2007 (Soul Searchin : The Session Vol.2)
8Isley Brothers @Blues Alley 07/14/15/2009 (Soul Searchin : The Session Vol.3)
9Quincy Jones @Blues Alley 02/03/2011(Thursday), 02/04/2011(Friday) (Soul Searchin : The Session Vol.4)
10Michael Jackson @ Blues Alley 08/28/2011 (Sunday), 08/29/2011 (Monday)
■前回ユーストリーム・アーカイブ
前回の「ソウル・サーチン Vol.Q」をユーストリームで生中継し、そのアーカイブを残してあります。松尾さんとのトーク部分はありませんが、ライヴ部分はすべて残っています。
2011年2月3日(木)「ソウル・サーチン Vol.Q」パート1(第一部)@ブルース・アレイ (約59分)
http://www.ustream.tv/recorded/12429496
2011年2月3日(木)「ソウル・サーチン Vol.Q」パート2(第二部)@ブルース・アレイ (約70分)
http://www.ustream.tv/recorded/12430651
■前回「ソウル・サーチン」イヴェント関連記事
2011年02月06日(日)
ソウル・サーチン、御礼、Uストリームやツイッターでの反応
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110206.html
2011年02月07日(月)
「ソウル・サーチン」その意義と目指すもの
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110207.html
EVENT>SOUL SEARCHIN>Vol 9
ENT>ANNOUNCEMENT>EVENT>Soul Searchin
○フィリップ・ウー、自身の歴史を総括するライヴ、誕生日に~ツアー秘話、レコーディング秘話なども披露
【Philip Woo Celebrates 40th Anniversary Of Music Industry: Gig For History Of Philip Woo】
総括。
ファンキーなキーボード奏者、フィリップ・ウーがこれまでの自身のキャリアを振り返る「フィリップ・ウー・ルーツ・ストーリー」と題したライヴを、今年の誕生日(6月29日)に行う。
フィリップは、「ソウル・サーチン」でも大活躍しているが、最近では久保田利伸、エグザイルなどのライヴやレコーディングでも活躍。ソウルフルなキーボード奏者として日本の音楽界でも引っ張りだこ。5月にブルーノートで行われたチャリティー・ライヴは大盛況となった。
そんな彼のキャリアは、彼が10代の頃、地元シアトルにやってきたロイ・エヤーズのステージに上げられたことから始まった。音楽に興味を持ち始めてから40周年ということで、今回はフィリップが子供の頃影響を受けた楽曲から、アメリカの音楽業界でバックミュージシャンとして活動をするようになり、そのバックを務めたアーティスト作品を振り返るというもの。
フィリップによれば、8歳の頃聞いたビートルズの「マネー」(オリジナルはモータウンのバレット・ストロング)、アニマルズの「ドント・レット・ミー・ビー・ミスアンダースタンド」、フィリップ13歳のときにプレイしたというダニー・ハザウェイの「ゲットー」などを皮切りに、「アシュフォード&シンプソン・セクション」(「ユー・アー・オール・アイ・ニード・トゥ・ゲット・バイ」「アイム・エヴリ・ウーマン」など)、パティー・ラベル、フィリス・ハイマン、LTD(ジェフリー・オズボーン)、グローヴァー・ワシントン・ジュニア、シンディー・ロウパーなどまで多数の曲を演奏する。
今回特筆に価するのが、これまで決して自身のライヴでは演奏しなかったメイズの楽曲を演奏する点。長くメイズに在籍してきたフィリップは、日本でも「メイズのフィリップ・ウー」として知られているが、「どうしても、メイズのグルーヴ、音は出せないのでやれなかった。だけど、今回は40周年ということで特別にやることにした」という。彼が今、考えているのが、「ジョイ&ペイン」「ビフォー・アイ・レット・ゴー」などの、フィリップ自身のソロ・プレイが大々的にフィーチャーされている楽曲だ。
そして、そうしたアーティストたちとのライヴ・ツアー秘話、レコーディング秘話などもたっぷり聞かせてくれるそうだ。
いずれにせよ、前月のブルーノートでのライヴも素晴らしかったが、今回のライヴも選曲と話がかなりよさそうで、フィリップ・ファンは必見だ。
+++++
フィリップ・ウーは、今週末アップされるメットポッドでこのライヴについて話すほか、ブルース・アレイのホームページでプロモ・ヴィデオを近くアップする。
+++++
ライヴ詳細
Philip Woo “Roots Story”
~音楽活動40周年記念&Birthday Live!~
日時 2011年6月29日(水)開演19時半~(2回、入れ替えなし)
会場 目黒ブルース・アレイhttp://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14 電話番号03-5496-4381
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
予約ページ http://www.bluesalley.co.jp/schedule/live.html
(ここで6月29日のところへ)
予約専用電話 03-5740-6041【電話予約受付時間】月~土午後12時~20時
公演当日のお問合せ 03-5496-4381(店頭)
チケット代 前売券 テーブル席(指定)\4,500当日券は\500UP(各税込)このほかにテーブルチャージ(525円)がかかります
メンバー:
(Pf/HAMMOND B-3/Fender Rhodes/Key)Philip Woo (G)マサ小浜
(Ds)Jay Stixx (Vo)Brenda Vaughn、Ashton Moore (B)Cliff Archer
■フィリップ・ウー本人のページ
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo/
■ フィリップ・ウー関連過去記事 (このほかに「ソウル・サーチン」イヴェントのライヴ評などが膨大な量あります)
2011年05月14日(土)
ドクター・フィリップ・ウー~ブルーノートをファンキー・ジョイントに(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10890040428.html
先月行われた2時間超のブルーノート東京におけるライヴの模様
(2010年)
2010年08月05日(木)
フィリップ・ウー&フレンズ・ライヴ(パート1): 東京ナンバーワン・ソウルフル・ナイト
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10610344511.html
2010年08月06日(金)
フィリップ・ウー&フレンズ・ライヴ(パート2): ケーブルテレビを無料で見る方法
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10610466616.html
(2009年)
2009年10月10日(土)
フィリップ・ウー、メイズについて語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10361274843.html
2009年09月12日(土)
フィリップ・ウー・ライヴ: フィリップとブレンダのマイケル
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10340423746.html
(『ソウル・サーチン』は、日本で一番フィリップ・ウーの記事が読めるウェッブサイトです)
May 02, 2009
フィリップ・ウー・ライヴ(パート1)~東京1ソウルなバンド
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090502.html
(ブルース・アレイ・ライヴ評)
May 05, 2009
フィリップはハモンド・オルガンが大好き
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090505.html
(ブルース・アレイ・ライヴ評)
(2008年)
March 07, 2008
フィリップ・ウー・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080307.html
March 29, 2008
フィリップ・ウー&ブレンダ・ヴォーン@コットン・クラブ
テーマ:ブログ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080329.html
October 11, 2008
フィリップ・ウー・セッション
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081011.html
(2007年以前)
November 10, 2007
Philip Woo With Maxyan: Philip Dedicates Show To His Father
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071110.html
October 02, 2007
Philip Woo Live At Blues Alley
【フィリップ・ウー・ライヴ】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071002.html
June 06, 2007
Philip Woo: A Tribute To Billy Preston Live
【フィリップ・ウー、ビリー・プレストンへ捧げる】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070606.html
June 04, 2007
Philip Woo Promotes His Own Gig
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070604.html
May 24, 2007
Philip Woo’s Billy Preston Tribute Again; Jino’s Funky Gig Will Be On Next Week
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070524.html
May 23, 2007
Philip & Hank, Yuri Kamino : Mind To Mind Communication
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070523.html
April 04, 2007
Philip Woo: Tribute To Billy Preston (Part 1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070404.html
April 05, 2007
Philip Woo: Tribute To Billy Preston (Part 2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070405.html
February 16, 2007
Philip Woo & Friends @ Cha Cha House
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_02_16.html
(ここにさらにフィリップ関連過去記事一覧があります)
ENT>ANNOUNCEMENT>Woo, Philip
ARTIST>Woo, Philip
+++++
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【Philip Woo Celebrates 40th Anniversary Of Music Industry: Gig For History Of Philip Woo】
総括。
ファンキーなキーボード奏者、フィリップ・ウーがこれまでの自身のキャリアを振り返る「フィリップ・ウー・ルーツ・ストーリー」と題したライヴを、今年の誕生日(6月29日)に行う。
フィリップは、「ソウル・サーチン」でも大活躍しているが、最近では久保田利伸、エグザイルなどのライヴやレコーディングでも活躍。ソウルフルなキーボード奏者として日本の音楽界でも引っ張りだこ。5月にブルーノートで行われたチャリティー・ライヴは大盛況となった。
そんな彼のキャリアは、彼が10代の頃、地元シアトルにやってきたロイ・エヤーズのステージに上げられたことから始まった。音楽に興味を持ち始めてから40周年ということで、今回はフィリップが子供の頃影響を受けた楽曲から、アメリカの音楽業界でバックミュージシャンとして活動をするようになり、そのバックを務めたアーティスト作品を振り返るというもの。
フィリップによれば、8歳の頃聞いたビートルズの「マネー」(オリジナルはモータウンのバレット・ストロング)、アニマルズの「ドント・レット・ミー・ビー・ミスアンダースタンド」、フィリップ13歳のときにプレイしたというダニー・ハザウェイの「ゲットー」などを皮切りに、「アシュフォード&シンプソン・セクション」(「ユー・アー・オール・アイ・ニード・トゥ・ゲット・バイ」「アイム・エヴリ・ウーマン」など)、パティー・ラベル、フィリス・ハイマン、LTD(ジェフリー・オズボーン)、グローヴァー・ワシントン・ジュニア、シンディー・ロウパーなどまで多数の曲を演奏する。
今回特筆に価するのが、これまで決して自身のライヴでは演奏しなかったメイズの楽曲を演奏する点。長くメイズに在籍してきたフィリップは、日本でも「メイズのフィリップ・ウー」として知られているが、「どうしても、メイズのグルーヴ、音は出せないのでやれなかった。だけど、今回は40周年ということで特別にやることにした」という。彼が今、考えているのが、「ジョイ&ペイン」「ビフォー・アイ・レット・ゴー」などの、フィリップ自身のソロ・プレイが大々的にフィーチャーされている楽曲だ。
そして、そうしたアーティストたちとのライヴ・ツアー秘話、レコーディング秘話などもたっぷり聞かせてくれるそうだ。
いずれにせよ、前月のブルーノートでのライヴも素晴らしかったが、今回のライヴも選曲と話がかなりよさそうで、フィリップ・ファンは必見だ。
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フィリップ・ウーは、今週末アップされるメットポッドでこのライヴについて話すほか、ブルース・アレイのホームページでプロモ・ヴィデオを近くアップする。
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ライヴ詳細
Philip Woo “Roots Story”
~音楽活動40周年記念&Birthday Live!~
日時 2011年6月29日(水)開演19時半~(2回、入れ替えなし)
会場 目黒ブルース・アレイhttp://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14 電話番号03-5496-4381
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
予約ページ http://www.bluesalley.co.jp/schedule/live.html
(ここで6月29日のところへ)
予約専用電話 03-5740-6041【電話予約受付時間】月~土午後12時~20時
公演当日のお問合せ 03-5496-4381(店頭)
チケット代 前売券 テーブル席(指定)\4,500当日券は\500UP(各税込)このほかにテーブルチャージ(525円)がかかります
メンバー:
(Pf/HAMMOND B-3/Fender Rhodes/Key)Philip Woo (G)マサ小浜
(Ds)Jay Stixx (Vo)Brenda Vaughn、Ashton Moore (B)Cliff Archer
■フィリップ・ウー本人のページ
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo/
■ フィリップ・ウー関連過去記事 (このほかに「ソウル・サーチン」イヴェントのライヴ評などが膨大な量あります)
2011年05月14日(土)
ドクター・フィリップ・ウー~ブルーノートをファンキー・ジョイントに(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10890040428.html
先月行われた2時間超のブルーノート東京におけるライヴの模様
(2010年)
2010年08月05日(木)
フィリップ・ウー&フレンズ・ライヴ(パート1): 東京ナンバーワン・ソウルフル・ナイト
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10610344511.html
2010年08月06日(金)
フィリップ・ウー&フレンズ・ライヴ(パート2): ケーブルテレビを無料で見る方法
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10610466616.html
(2009年)
2009年10月10日(土)
フィリップ・ウー、メイズについて語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10361274843.html
2009年09月12日(土)
フィリップ・ウー・ライヴ: フィリップとブレンダのマイケル
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10340423746.html
(『ソウル・サーチン』は、日本で一番フィリップ・ウーの記事が読めるウェッブサイトです)
May 02, 2009
フィリップ・ウー・ライヴ(パート1)~東京1ソウルなバンド
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090502.html
(ブルース・アレイ・ライヴ評)
May 05, 2009
フィリップはハモンド・オルガンが大好き
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090505.html
(ブルース・アレイ・ライヴ評)
(2008年)
March 07, 2008
フィリップ・ウー・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080307.html
March 29, 2008
フィリップ・ウー&ブレンダ・ヴォーン@コットン・クラブ
テーマ:ブログ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080329.html
October 11, 2008
フィリップ・ウー・セッション
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081011.html
(2007年以前)
November 10, 2007
Philip Woo With Maxyan: Philip Dedicates Show To His Father
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071110.html
October 02, 2007
Philip Woo Live At Blues Alley
【フィリップ・ウー・ライヴ】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071002.html
June 06, 2007
Philip Woo: A Tribute To Billy Preston Live
【フィリップ・ウー、ビリー・プレストンへ捧げる】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070606.html
June 04, 2007
Philip Woo Promotes His Own Gig
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070604.html
May 24, 2007
Philip Woo’s Billy Preston Tribute Again; Jino’s Funky Gig Will Be On Next Week
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070524.html
May 23, 2007
Philip & Hank, Yuri Kamino : Mind To Mind Communication
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070523.html
April 04, 2007
Philip Woo: Tribute To Billy Preston (Part 1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070404.html
April 05, 2007
Philip Woo: Tribute To Billy Preston (Part 2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070405.html
February 16, 2007
Philip Woo & Friends @ Cha Cha House
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_02_16.html
(ここにさらにフィリップ関連過去記事一覧があります)
ENT>ANNOUNCEMENT>Woo, Philip
ARTIST>Woo, Philip
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●カール・ガードナー(コースターズ)死去~ロック殿堂入り:コミカルなヒット多数
2011年6月16日 音楽●カール・ガードナー(コースターズ)死去~ロック殿堂入り:コミカルなヒット多数
【Carl Gardner Dies At 83】
訃報。
1950年代後期から60年代初期にかけて、ロックンロール、ソウル・ミュージックのヴォーカル・グループとして大人気を博したコースターズのリーダーでありリード・シンガーだったカール・ガードナーが、2011年6月12日(日)、フロリダ州ポート・セント・ルーシーのホスピスで死去した。83歳だった。これまで、鬱血性心不全、若干の認知症(アルツハイマー)を患っていた。
ロックンロール殿堂入りを果たしているコースターズは、1957年「サーチン」、「ヤケティー・ヤック」(1958年)(華麗なサックスは、キング・カーティス)、「チャーリー・ブラウン」(1959年)、「ポイズン・アイヴィー」(1959年)など多数のロックンロール、ドゥワップ的作品のヒットを送り出した。コミカルな動き、曲調とともに、「ノヴェルティー・グループ」(きわものグループ)として捉えられたが、R&Bフィールドだけでなく、ポップ部門へもクロスオーヴァー・ヒットした。曲の振り付けはほとんどカールがやっていた、という。
コースターズの育ての親、リーバー&ストーラーの物語は、そののちブロードウェイ・ショー『スモーク・ジョーズ・カフェ』のベースになる。
カール・ガードナーは、1928年(昭和3年)4月29日、テキサス州タイラーの生まれ。幼少から歌い、兵役後1950年代初期にロスアンジェルスに居を構えた。ここでいくつものグループに参加してきたが、そのうちのひとつがロビンズ。これがソングライターとして活躍していたジェリー・リーバー&マイク・ストーラーによって育てられた。
その後、リーバーたちが彼らの作品を歌わせるヴォーカル・グループを作ろうとして、メンバーを集めてこのコースターズを結成。ロビンズからカール・ガードナーとボビー・ナンを引き抜き、これにリオン・ヒューズ、ビリー・ガイの二人を加え4人組のコースターズを作った。(ギタリストのアドルフ・ジェイコブスも準メンバー的に加わる) 1955年のこと。まさに、ロックンロール誕生の年だ。そして、1956年、「ダウン・イン・メキシコ」がデビュー作で大ヒット、一躍人気となった。ミディアムからアップテンポの曲が次々ヒット。なお、この「ダウン・イン・メキシコ」は、2007年、クエンティン・タランティーノ監督の映画『デス・プルーフ in グラインドハウス』(Death Proof)に使用された。
1957年終わりに、彼らはそれまでの本拠ロスアンジェルスからニューヨークへ移住。このときに、ナンとヒューズが、コーネル・ガンターとウィリー・ジョーンズに交代した。今回のガードナーの死去で、コーネル、ウィリー、ボビーも他界していたことから、第二次コースターズのメンバー4人全員が死去したことになる。第一次(一番最初の)オリジナル・メンバーで、唯一生存者はレオン・ヒューズのみ。
カール・ガードナーは、そうしたアップテンポのヒットもいいが、本人としてはバラードをもっと歌いたがったという。
コースターズのレコードはヒットし、ライヴも成功。60年代初期に週給400ドル(1ドル360円として14万4千円)も稼ぐまでになった。おそらく1日1ドルもあれば最低限暮らせた時代だから、大変な高給取りになった。1970年代、80年代もいわゆる「オールディーズ・サーキット」で活躍。しかし、グループを辞めたメンバーが「コースターズ」を名乗り、一時期複数のコースターズが存在し、ライヴを行っていたこともあった。裁判を経て、現在は、ガードナーがその名前の権利を所有している。
1987年、ロックンロール殿堂入り。
ところが、1990年代に入って、どうしても喫煙を止められないヘヴィー・スモーカーだった彼は、1993年、咽頭癌になり、X線で約3ヵ月治療。そのときは、またロードに復帰した。2004年、今度は心臓発作を起こしたが、それでも復帰。しかし、2005年、自分はリタイアし息子カール・ジュニアを新しいリード・シンガーにした。
ガードナーは偽のグループが有名グループの名前を語ってライヴを行うことを禁じる法案の成立にも積極的にかかわり、これは2007年、フロリダ州で条例となった。
カール・ガードナーの葬儀は、6月21日午後1時からフロリダ州ポート・セント・ルーシーのモーニングサイド教会で、最後のお別れ(Viewing)は、6月20日アイコック葬儀ホームで午後2時から8時まで。妻のヴェタ、娘のブレンダ、2人の息子カール・ジュニアとアヒリー、さらに7人の孫、1人のひ孫らによって送られる。
コースターズが生み出したコミカルなヴォーカル・グループというコンセプトは、他に類を見ず、彼らを真似たグループというものもほとんど出てこなかった。それだけ、ワン&オンリーの存在だった、と言えるのだろう。また、60年代から70年代にかけて多くの白人ロック・アーティストたちが、彼らの作品をカヴァーした。ビートルズやローリング・ストーンズらも、メジャーになる前に、彼らの作品をカヴァーしていた。
コースターズは1982年、鈴木雅之さんらが主催した「ドゥワップ・カーニヴァル」第二回で来日している。
Funeral services for Carl Gardner will be held at Morningside Church in Port St. Lucie on June 21 at 1 p.m. A viewing will take place a day earlier at the Aycock Funeral Home, also in Port St. Lucie, from 2 to 8 p.m.
■ウォールストリート・ジャーナル
http://blogs.wsj.com/speakeasy/2011/06/14/a-memorial-tribute-to-rock-clown-prince-carl-gardner/?mod=google_news_blog
■コースターズ ベスト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000AR9YMS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
OBITUARY> Gardner, Carl Edward (April 29, 1928 – June 12, 2011, 83 year-old)
【Carl Gardner Dies At 83】
訃報。
1950年代後期から60年代初期にかけて、ロックンロール、ソウル・ミュージックのヴォーカル・グループとして大人気を博したコースターズのリーダーでありリード・シンガーだったカール・ガードナーが、2011年6月12日(日)、フロリダ州ポート・セント・ルーシーのホスピスで死去した。83歳だった。これまで、鬱血性心不全、若干の認知症(アルツハイマー)を患っていた。
ロックンロール殿堂入りを果たしているコースターズは、1957年「サーチン」、「ヤケティー・ヤック」(1958年)(華麗なサックスは、キング・カーティス)、「チャーリー・ブラウン」(1959年)、「ポイズン・アイヴィー」(1959年)など多数のロックンロール、ドゥワップ的作品のヒットを送り出した。コミカルな動き、曲調とともに、「ノヴェルティー・グループ」(きわものグループ)として捉えられたが、R&Bフィールドだけでなく、ポップ部門へもクロスオーヴァー・ヒットした。曲の振り付けはほとんどカールがやっていた、という。
コースターズの育ての親、リーバー&ストーラーの物語は、そののちブロードウェイ・ショー『スモーク・ジョーズ・カフェ』のベースになる。
カール・ガードナーは、1928年(昭和3年)4月29日、テキサス州タイラーの生まれ。幼少から歌い、兵役後1950年代初期にロスアンジェルスに居を構えた。ここでいくつものグループに参加してきたが、そのうちのひとつがロビンズ。これがソングライターとして活躍していたジェリー・リーバー&マイク・ストーラーによって育てられた。
その後、リーバーたちが彼らの作品を歌わせるヴォーカル・グループを作ろうとして、メンバーを集めてこのコースターズを結成。ロビンズからカール・ガードナーとボビー・ナンを引き抜き、これにリオン・ヒューズ、ビリー・ガイの二人を加え4人組のコースターズを作った。(ギタリストのアドルフ・ジェイコブスも準メンバー的に加わる) 1955年のこと。まさに、ロックンロール誕生の年だ。そして、1956年、「ダウン・イン・メキシコ」がデビュー作で大ヒット、一躍人気となった。ミディアムからアップテンポの曲が次々ヒット。なお、この「ダウン・イン・メキシコ」は、2007年、クエンティン・タランティーノ監督の映画『デス・プルーフ in グラインドハウス』(Death Proof)に使用された。
1957年終わりに、彼らはそれまでの本拠ロスアンジェルスからニューヨークへ移住。このときに、ナンとヒューズが、コーネル・ガンターとウィリー・ジョーンズに交代した。今回のガードナーの死去で、コーネル、ウィリー、ボビーも他界していたことから、第二次コースターズのメンバー4人全員が死去したことになる。第一次(一番最初の)オリジナル・メンバーで、唯一生存者はレオン・ヒューズのみ。
カール・ガードナーは、そうしたアップテンポのヒットもいいが、本人としてはバラードをもっと歌いたがったという。
コースターズのレコードはヒットし、ライヴも成功。60年代初期に週給400ドル(1ドル360円として14万4千円)も稼ぐまでになった。おそらく1日1ドルもあれば最低限暮らせた時代だから、大変な高給取りになった。1970年代、80年代もいわゆる「オールディーズ・サーキット」で活躍。しかし、グループを辞めたメンバーが「コースターズ」を名乗り、一時期複数のコースターズが存在し、ライヴを行っていたこともあった。裁判を経て、現在は、ガードナーがその名前の権利を所有している。
1987年、ロックンロール殿堂入り。
ところが、1990年代に入って、どうしても喫煙を止められないヘヴィー・スモーカーだった彼は、1993年、咽頭癌になり、X線で約3ヵ月治療。そのときは、またロードに復帰した。2004年、今度は心臓発作を起こしたが、それでも復帰。しかし、2005年、自分はリタイアし息子カール・ジュニアを新しいリード・シンガーにした。
ガードナーは偽のグループが有名グループの名前を語ってライヴを行うことを禁じる法案の成立にも積極的にかかわり、これは2007年、フロリダ州で条例となった。
カール・ガードナーの葬儀は、6月21日午後1時からフロリダ州ポート・セント・ルーシーのモーニングサイド教会で、最後のお別れ(Viewing)は、6月20日アイコック葬儀ホームで午後2時から8時まで。妻のヴェタ、娘のブレンダ、2人の息子カール・ジュニアとアヒリー、さらに7人の孫、1人のひ孫らによって送られる。
コースターズが生み出したコミカルなヴォーカル・グループというコンセプトは、他に類を見ず、彼らを真似たグループというものもほとんど出てこなかった。それだけ、ワン&オンリーの存在だった、と言えるのだろう。また、60年代から70年代にかけて多くの白人ロック・アーティストたちが、彼らの作品をカヴァーした。ビートルズやローリング・ストーンズらも、メジャーになる前に、彼らの作品をカヴァーしていた。
コースターズは1982年、鈴木雅之さんらが主催した「ドゥワップ・カーニヴァル」第二回で来日している。
Funeral services for Carl Gardner will be held at Morningside Church in Port St. Lucie on June 21 at 1 p.m. A viewing will take place a day earlier at the Aycock Funeral Home, also in Port St. Lucie, from 2 to 8 p.m.
■ウォールストリート・ジャーナル
http://blogs.wsj.com/speakeasy/2011/06/14/a-memorial-tribute-to-rock-clown-prince-carl-gardner/?mod=google_news_blog
■コースターズ ベスト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000AR9YMS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
OBITUARY> Gardner, Carl Edward (April 29, 1928 – June 12, 2011, 83 year-old)
★アレサ・フランクリンはデトロイト出身なのになぜモータウンに入らなかったのか
2011年6月17日 音楽★アレサ・フランクリンはデトロイト出身なのになぜモータウンに入らなかったのか
【Why Aretha Franklin Didn’t Go With Motown】
謎。
日曜日(2011年6月12日)「ソウル・サーチン」のコーナーで、アレサ・フランクリンの『グレイト・アメリカン・ソングブック』を紹介した。これは、アレサが1960年から1967年まで在籍していたコロンビア・レコードに残された音源を編纂した企画アルバム。ロッド・スチュワートがスタンダードばかりを録音した作品を作り、このタイトルでリリースしたところベストセラーとなったことから、その企画に乗ったもの。音源としてはほとんど過去にリリースされているものばかりだが、このネーミングがひじょうによく、マーケティングのうまさが目立った新作だ。
これを紹介するとき、デトロイト出身のDJマーヴィン・デンジャーフィールドは、アレサ自身がデトロイトの名士ということもあり、親近感を覚えている。そして、マーヴィン曰く「デトロイトといえば、モータウンでしょう。どうして、アレサはモータウンに入らなかったんでしょう」と疑問をなげかけてきた。
これはおもしろい質問なので、番組でも答えたがブログでも書いておきたい。
まず、アレサがコロンビアと契約したのが、1960年6月14日。たぶん交渉はその前から進んでいたのだろう。ベリー・ゴーディーがモータウンを始めるのが1959年1月、最初のミリオン・セラーとなるミラクルズの「ショップ・アラウンド」がリリースされるのが1960年9月。その後、年をまたいで大ヒットする。1960年の初めのあたりでは、まだベリー・ゴーディーは一介の弱小インディ・レーベルのどこの馬の骨ともわからぬ人物だ。
一方、アレサの父、CLフランクリンは、地元デトロイトの名士であり、有力な教会の司祭。いわば、デトロイトでは有名なセレブで、その娘となれば、それだけで注目されるエリート中のエリート的存在だ。CLフランクリンからすれば、ベリーなど、鼻にも掛けない存在、見下ろすような感じだっただろう。もし、愛娘をレコード会社と契約させるなら、当時のメジャー・レコード会社と契約させるのが、自然だ。当時、メジャーといえば、コロンビア、RCA、そして、キャピトルくらいだろう。そんな中、コロンビアが熱心に誘ってくれれば、コロンビアとの契約は文句なしだった。
しかし、運命とは皮肉なもので、コロンビアではアレサはほとんどヒットらしいヒットをだせない。レコード会社のジャズ、ブルーズ・ヴォーカル寄りのコンセプトが受け入れられなかったのだ。
一方で、1960年、61年以降、徐々にヒットを出し始めたモータウンは、休息に地元デトロイトのナンバー・ワン・インディ・レーベルへ成長していく。特に1965年、ダイアナ・ロスとシュープリームスが全米ナンバー・ワン・ヒットを連発すると、アメリカのモータウン、世界のモータウンというビッグな存在になり、デトロイト中のシンガーたちは、みなモータウンに入りたがった。それは、デトロイトだけでなく、中西部のシンガーたちはみなモータウン入りを狙うようになったほどだ。
アレサは、1967年コロンビアを離れて、アトランティックに移籍するが、このとき、モータウン入りの可能性はあったのか。そのあたりはわからないのだが、この時点でモータウンがラヴコールをすれば、少なくとも、交渉のテーブルには乗ったのだろう。しかし、そうはならず、アトランティックに移籍し、そこから歴史的な快進撃が始まる。もちろん、1967年時点ではアトランティック、とりわけ、プロデューサーのジェリー・ウェクスラーがコロンビア時代からアレサに目を付け、延々とアトランティック入りのラヴコールを送っていたので、その結果アトランティック入りしたわけだ。
モータウンはアレサにアプローチしたのか。この時点でモータウンのナンバー・ワン・女性シンガーは、ご存知の通り、ダイアナ・ロスである。モータウン社長、ベリー・ゴーディーの恋人でもあり、モータウンのナンバー・ワン・プッシュ・アーティストが女性シンガーのダイアナだった。そうなると、そこにアレサを招き入れることは不可能だ。同じような女性シンガーを一社で二人かかえるわけにはいかない。つまり、ダイアナがいたから、アレサはモータウンに来なかった、という推測は成り立つ。
1960年の時点では、モータウンは、アレサ側からすれば、契約を結ぶようなレーベルではなかった。1967年の時点では、モータウンは十分ビッグになったが、そこに女性横綱としてダイアナがいたので、そのポジションには入れなかった、ということになる。この二つの大きな要因で、アレサはモータウンに入らなかった。
アトランティックに入り、ジェリー・ウェクスラーらのソウルフルな路線が全米ナンバーワン・女性ソウル・シンガーを生み出したのだから、おもしろい。ただ、モータウンに入っていたら、グラミー連続獲得ということはできなかっただろう。「たら・れば」を言っても仕方がないが、アレサがモータウンに入ったらどうなっていたのかというのも、ソウルの歴史を振り返るときに、ちょっと見てみたい一ページではある。
■ソウル・サーチン:ザ・セッション~アレサ・フランクリン・レポート
「ソウル・サーチン」イヴェントでも、2007年3月にアレサ・フランクリンをとりあげています。
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070327.html
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070328.html
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070329.html
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070330.html
■過去関連記事
2010年12月11日(土)
アレサ・フランクリン~すい臓がんで手術~5月までの予定キャンセル
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10732753969.html
2009年01月21日(水)
オバマ大統領誕生~アレサの歌が祝福
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090121.html
■グレイト・アメリカン・ソングブック
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004OUK3AY/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ここに収録されているのは、1960年から1965年までに録音されたもの。アレサは1942年3月生まれだから、18歳から22-3歳までの作品だ。20歳といえば、大学2年生。曲によるが、はたちでこの表現力には驚かされる。
ENT>ARETHA
【Why Aretha Franklin Didn’t Go With Motown】
謎。
日曜日(2011年6月12日)「ソウル・サーチン」のコーナーで、アレサ・フランクリンの『グレイト・アメリカン・ソングブック』を紹介した。これは、アレサが1960年から1967年まで在籍していたコロンビア・レコードに残された音源を編纂した企画アルバム。ロッド・スチュワートがスタンダードばかりを録音した作品を作り、このタイトルでリリースしたところベストセラーとなったことから、その企画に乗ったもの。音源としてはほとんど過去にリリースされているものばかりだが、このネーミングがひじょうによく、マーケティングのうまさが目立った新作だ。
これを紹介するとき、デトロイト出身のDJマーヴィン・デンジャーフィールドは、アレサ自身がデトロイトの名士ということもあり、親近感を覚えている。そして、マーヴィン曰く「デトロイトといえば、モータウンでしょう。どうして、アレサはモータウンに入らなかったんでしょう」と疑問をなげかけてきた。
これはおもしろい質問なので、番組でも答えたがブログでも書いておきたい。
まず、アレサがコロンビアと契約したのが、1960年6月14日。たぶん交渉はその前から進んでいたのだろう。ベリー・ゴーディーがモータウンを始めるのが1959年1月、最初のミリオン・セラーとなるミラクルズの「ショップ・アラウンド」がリリースされるのが1960年9月。その後、年をまたいで大ヒットする。1960年の初めのあたりでは、まだベリー・ゴーディーは一介の弱小インディ・レーベルのどこの馬の骨ともわからぬ人物だ。
一方、アレサの父、CLフランクリンは、地元デトロイトの名士であり、有力な教会の司祭。いわば、デトロイトでは有名なセレブで、その娘となれば、それだけで注目されるエリート中のエリート的存在だ。CLフランクリンからすれば、ベリーなど、鼻にも掛けない存在、見下ろすような感じだっただろう。もし、愛娘をレコード会社と契約させるなら、当時のメジャー・レコード会社と契約させるのが、自然だ。当時、メジャーといえば、コロンビア、RCA、そして、キャピトルくらいだろう。そんな中、コロンビアが熱心に誘ってくれれば、コロンビアとの契約は文句なしだった。
しかし、運命とは皮肉なもので、コロンビアではアレサはほとんどヒットらしいヒットをだせない。レコード会社のジャズ、ブルーズ・ヴォーカル寄りのコンセプトが受け入れられなかったのだ。
一方で、1960年、61年以降、徐々にヒットを出し始めたモータウンは、休息に地元デトロイトのナンバー・ワン・インディ・レーベルへ成長していく。特に1965年、ダイアナ・ロスとシュープリームスが全米ナンバー・ワン・ヒットを連発すると、アメリカのモータウン、世界のモータウンというビッグな存在になり、デトロイト中のシンガーたちは、みなモータウンに入りたがった。それは、デトロイトだけでなく、中西部のシンガーたちはみなモータウン入りを狙うようになったほどだ。
アレサは、1967年コロンビアを離れて、アトランティックに移籍するが、このとき、モータウン入りの可能性はあったのか。そのあたりはわからないのだが、この時点でモータウンがラヴコールをすれば、少なくとも、交渉のテーブルには乗ったのだろう。しかし、そうはならず、アトランティックに移籍し、そこから歴史的な快進撃が始まる。もちろん、1967年時点ではアトランティック、とりわけ、プロデューサーのジェリー・ウェクスラーがコロンビア時代からアレサに目を付け、延々とアトランティック入りのラヴコールを送っていたので、その結果アトランティック入りしたわけだ。
モータウンはアレサにアプローチしたのか。この時点でモータウンのナンバー・ワン・女性シンガーは、ご存知の通り、ダイアナ・ロスである。モータウン社長、ベリー・ゴーディーの恋人でもあり、モータウンのナンバー・ワン・プッシュ・アーティストが女性シンガーのダイアナだった。そうなると、そこにアレサを招き入れることは不可能だ。同じような女性シンガーを一社で二人かかえるわけにはいかない。つまり、ダイアナがいたから、アレサはモータウンに来なかった、という推測は成り立つ。
1960年の時点では、モータウンは、アレサ側からすれば、契約を結ぶようなレーベルではなかった。1967年の時点では、モータウンは十分ビッグになったが、そこに女性横綱としてダイアナがいたので、そのポジションには入れなかった、ということになる。この二つの大きな要因で、アレサはモータウンに入らなかった。
アトランティックに入り、ジェリー・ウェクスラーらのソウルフルな路線が全米ナンバーワン・女性ソウル・シンガーを生み出したのだから、おもしろい。ただ、モータウンに入っていたら、グラミー連続獲得ということはできなかっただろう。「たら・れば」を言っても仕方がないが、アレサがモータウンに入ったらどうなっていたのかというのも、ソウルの歴史を振り返るときに、ちょっと見てみたい一ページではある。
■ソウル・サーチン:ザ・セッション~アレサ・フランクリン・レポート
「ソウル・サーチン」イヴェントでも、2007年3月にアレサ・フランクリンをとりあげています。
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070327.html
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070328.html
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070329.html
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070330.html
■過去関連記事
2010年12月11日(土)
アレサ・フランクリン~すい臓がんで手術~5月までの予定キャンセル
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10732753969.html
2009年01月21日(水)
オバマ大統領誕生~アレサの歌が祝福
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090121.html
■グレイト・アメリカン・ソングブック
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004OUK3AY/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ここに収録されているのは、1960年から1965年までに録音されたもの。アレサは1942年3月生まれだから、18歳から22-3歳までの作品だ。20歳といえば、大学2年生。曲によるが、はたちでこの表現力には驚かされる。
ENT>ARETHA
◆ジンジャーエール・サーチン~新発売辛口ペットボトルを飲む
2011年6月18日 音楽◆ジンジャーエール・サーチン~新発売辛口ペットボトルを飲む
【Wilkinson Ginger Ale: Pet Bottle Newly Released】
辛口。
ライヴハウスでオーダーする飲み物は、僕はお酒を飲まないのでほとんどジンジャーエール。そこに辛口があれば、辛口を頼む。ウィルキンソンのビンの辛口が一番いい。あとは、店がオリジナルで、しょうがから作るものがあればなおさらいいが、そういうのはなかなかめったにない。昔、しょうがは健康にいい、というのを聞きかじって、以来、コーラではなく、ジンジャーエールを頼むようになった。(炭酸は、歯に悪いよ、というのも聞きかじっているが…)
そんな無類のジンジャーエール好きに、とても嬉しいニュースが届いた。いままでビンしかなかったウィルキンソンのジンジャーエール辛口がペットボトルになったという。500CCのものが2011年6月14日から140円で販売され始めた。
さっそく、買い求めてビンのものと飲み比べた。
ビンは辛口、通常のものともアサヒビールの小売価格は、190CCで68円。ペットボトルは500CCで140円。ビンは、いつも24本ケース買いしていた。たしか一本10円のビン代が返却される。
詳しい成分表がここにある。
http://www.asahiinryo.co.jp/products/carbonated/wilkinson_gingerale/
http://www.asahiinryo.co.jp/products/carbonated/wilkinson_gingerale_extra/
成分表を見比べると、ビンの方がカロリーが39kcal、ペットボトルは0、また炭水化物がビンが9.4となっているが、ペットボトルは植物繊維が0.4-0.7。一方、カリウムがペットボトルが10未満、ビンが1未満。人口甘味料が入っているのがペットボトルの特徴。 保存期間はペットボトルが6ヶ月、ビンが12ヶ月。カリウムあたりが人口甘味料なのかな。
そして、飲んでみての感想。
第一印象としてはなんとなくペットボトルのほうが甘いという感じがした。これが人口甘味料のせいなのか。でも、飲み始めでガツーンとくる強力なジンジャー、炭酸感は、どちらも同じようにある。ジンジャーエールと言えばこの最初のガツーンと来る、炭酸の強烈な喉ごし。これはどちらもある。
ビンは一度開けたら、飲みきらないとだめなので、190CCはちょうどいい量かもしれない。500は、さすがに一気には飲みきれないので、ふたがきっちりしまるのはいい。(500一気に飲む人もいるようだが)
で、どちらがいいかというと、やはり迷う。味だけでいえばビンのほうだが、ケース置き場とか、ケース買いしたときに、めんどう。あと、普通ではなかなか買えない。その点、ペットボトルはコンビニあたりでも気軽に1本から買えるところがメリット。
また、ツイートでも指摘されていたが、紛らわしいことに「ジンジャーエール・ドライ」というのは、辛くない通常のほう。ラベルは緑。辛いほうは茶色で正式にはシンプルに「ジンジャーエール」という。辛いジンジャーエールが欲しいときには、「辛いほうのジンジャーエール」と言ったほうがいいそうだ。
そんなこんなでジンジャーエール・サーチンをしていたら、なんとドンキであまり見たことがない「アメリカン・ジンジャーエール」というのを発見。355CCの缶で58円。とりあえず、一缶試しに買って飲んでみた。まあ、普通のジンジャーエールだった。えらく安いなあ、と思ってみたら、アメリカから輸入したものだが、なんとドンキのオリジナル商品だという。ケースで買うと、さらに単価が下がっていた。缶で355かあ。コーラでも350一気に飲むと、ゲップが止まらないもんなあ。(笑)
それよりも、ウィルキンソンのジンジャーエールが、まったく日本で始まったものだというのを最近知ってびっくりした。
試しに1CCあたりの単価を出してみた。カナダドライは定価がわからず。いわゆる参考小売価格で、量販店などでの実質売値はさらに安いはず。アメリカンだけ、実売値。
ウィルキンソン・ビン 190CC 68円 0.35円
ウィルキンソン・ペットボトル 500CC 140円 0.28円
アメリカン・ジンジャーエール 355CC 58円 0.16円
なんと、もうアマゾンでも売ってた。
■ウィルキンソン・ジンジャーエール・ペットボトル
(500CC、2999円、1本あたり125円)(送料無料)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0055X2NTI/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"
アマゾンにはビンもあったが、値段が1本あたり118円と高いので、他のカクヤスなどで買ったほうがいい。
ESSAY>Gingerale
+++++
【Wilkinson Ginger Ale: Pet Bottle Newly Released】
辛口。
ライヴハウスでオーダーする飲み物は、僕はお酒を飲まないのでほとんどジンジャーエール。そこに辛口があれば、辛口を頼む。ウィルキンソンのビンの辛口が一番いい。あとは、店がオリジナルで、しょうがから作るものがあればなおさらいいが、そういうのはなかなかめったにない。昔、しょうがは健康にいい、というのを聞きかじって、以来、コーラではなく、ジンジャーエールを頼むようになった。(炭酸は、歯に悪いよ、というのも聞きかじっているが…)
そんな無類のジンジャーエール好きに、とても嬉しいニュースが届いた。いままでビンしかなかったウィルキンソンのジンジャーエール辛口がペットボトルになったという。500CCのものが2011年6月14日から140円で販売され始めた。
さっそく、買い求めてビンのものと飲み比べた。
ビンは辛口、通常のものともアサヒビールの小売価格は、190CCで68円。ペットボトルは500CCで140円。ビンは、いつも24本ケース買いしていた。たしか一本10円のビン代が返却される。
詳しい成分表がここにある。
http://www.asahiinryo.co.jp/products/carbonated/wilkinson_gingerale/
http://www.asahiinryo.co.jp/products/carbonated/wilkinson_gingerale_extra/
成分表を見比べると、ビンの方がカロリーが39kcal、ペットボトルは0、また炭水化物がビンが9.4となっているが、ペットボトルは植物繊維が0.4-0.7。一方、カリウムがペットボトルが10未満、ビンが1未満。人口甘味料が入っているのがペットボトルの特徴。 保存期間はペットボトルが6ヶ月、ビンが12ヶ月。カリウムあたりが人口甘味料なのかな。
そして、飲んでみての感想。
第一印象としてはなんとなくペットボトルのほうが甘いという感じがした。これが人口甘味料のせいなのか。でも、飲み始めでガツーンとくる強力なジンジャー、炭酸感は、どちらも同じようにある。ジンジャーエールと言えばこの最初のガツーンと来る、炭酸の強烈な喉ごし。これはどちらもある。
ビンは一度開けたら、飲みきらないとだめなので、190CCはちょうどいい量かもしれない。500は、さすがに一気には飲みきれないので、ふたがきっちりしまるのはいい。(500一気に飲む人もいるようだが)
で、どちらがいいかというと、やはり迷う。味だけでいえばビンのほうだが、ケース置き場とか、ケース買いしたときに、めんどう。あと、普通ではなかなか買えない。その点、ペットボトルはコンビニあたりでも気軽に1本から買えるところがメリット。
また、ツイートでも指摘されていたが、紛らわしいことに「ジンジャーエール・ドライ」というのは、辛くない通常のほう。ラベルは緑。辛いほうは茶色で正式にはシンプルに「ジンジャーエール」という。辛いジンジャーエールが欲しいときには、「辛いほうのジンジャーエール」と言ったほうがいいそうだ。
そんなこんなでジンジャーエール・サーチンをしていたら、なんとドンキであまり見たことがない「アメリカン・ジンジャーエール」というのを発見。355CCの缶で58円。とりあえず、一缶試しに買って飲んでみた。まあ、普通のジンジャーエールだった。えらく安いなあ、と思ってみたら、アメリカから輸入したものだが、なんとドンキのオリジナル商品だという。ケースで買うと、さらに単価が下がっていた。缶で355かあ。コーラでも350一気に飲むと、ゲップが止まらないもんなあ。(笑)
それよりも、ウィルキンソンのジンジャーエールが、まったく日本で始まったものだというのを最近知ってびっくりした。
試しに1CCあたりの単価を出してみた。カナダドライは定価がわからず。いわゆる参考小売価格で、量販店などでの実質売値はさらに安いはず。アメリカンだけ、実売値。
ウィルキンソン・ビン 190CC 68円 0.35円
ウィルキンソン・ペットボトル 500CC 140円 0.28円
アメリカン・ジンジャーエール 355CC 58円 0.16円
なんと、もうアマゾンでも売ってた。
■ウィルキンソン・ジンジャーエール・ペットボトル
(500CC、2999円、1本あたり125円)(送料無料)
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ESSAY>Gingerale
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◎ 近藤房之助~ヴェテラン・ブルーズ・マン、若手と組む
2011年6月19日 音楽◎近藤房之助~ヴェテラン・ブルーズ・マン、若手と組む
【Kondo Fusanosuke Tagged With Younger Generations Of Soul Men】
バトン。
日本を代表するヴェテラン・ブルーズ・アーティスト、近藤房之助が、若手のスウィングオー(Swing-O)などと組んでアルバム『黒くなれ』をリリース。このアルバムを軸にしたライヴを東京と大阪で敢行。そのうち東京の二日目を見た。近藤房之助さんのライヴを見るのは、調べてみると2005年以来、僕は6年ぶりということになる。そんなに見てないか。
今回のアルバムはクロっぽい音を作ることで定評のある若手キーボード奏者、スゥイングオーがプロデューサーとなり、その周辺の若手ミュージシャンを集めて、作った。そしてそのメンバーを中心にライヴ自体も行う。ということで、かなりいきのいいバンド・サウンド、グルーヴあふれるサウンドに大御所のブルーズ・ヴォーカルが乗る感じになった。
房さん(と皆に呼ばれる)は、この若手たちとの共演がことのほか気に入ったようで、次回の再演も「僕はやる気マンマンです」と広言してはばからない。会場は立ち見も出る超満員。ドラムス、ギター、ベース、キーボード、3管(トロンボーン、サックス、トランペット)、そして、近藤房之助本人(ヴォーカルとギター)。
若手のファンク・インスト・バンド、マウンテン・モカ・キリマンジャロのメンバーたち、ベースのルートソウル、そしてスゥイングオーとのリズム・セクションその名もブラック・シャフト(いい名前)だ。は実に強力で、ブルース・アレイがまさにその名にふさわしくブルーズとソウルにあふれた。
メンバーがステージにあがり、「イッツ・ユア・シング」のリフを延々引き続け、本人を招き入れる。もうこの時点から観客の沸点は最高潮に達している。
ジョニー・テイラーの「フーズ・メイキング・ラヴ」を日本人の房さんが歌うと、当たり前だが、独自の日本人らしさがどこからともなく出てくる。ジョニーはリズムを歌うが、房さんはこのジャンプナンバーをメロディーで歌う。
4曲目の「ウォーキング…」の途中では、ギターを持った房さんが、マウンテンのギタリスト、小林さんに「さあ、かかってこい」とばかりにギター・バトルを仕掛け、それに小林さんが乗って、両者の壮絶なバトルがしばし繰り広げられた。親子くらい違う世代が、ギター一本で「バトルする」というか「語り合う」ことが出来るのは、音楽だけ。
しかし、「パーティー・ダウン」のゆったりしたグルーヴは、最高だ。ギターとヴォーカルの絡みなども引き込まれる。
ボスのバンド・マスター、スゥイングオーの紹介。「60歳から25歳までを束ねた男」!
ボスに対する紹介。「体の80%がアルコールで出来ている男」!(受ける)
バンドは、特にベース・ドラムス・キーボード・ギターのリズムが強力。これに、3管が入るので、まさにリアル・バンドの様相。
60歳、還暦を迎えたばかりの房さん。若さ炸裂に見えたが、本人は相当しんどいらしい。(笑) でも、若手に囲まれ、がんばってしまうらしい。途中のMCもヴェテランらしく、プチおもしろい。「ブルースはねえ、売れないからねえ。彼ら(バックの若手)も、そつなく稼いでくれ」(受ける)
房さんは、「これから、点と点をつなげて行きたい」とステージで宣言した。それはヴェテランから若手へ「ブルーズのバトン」をつなぐという意味もありそうだ。
ライヴ後は、房さんはさっさと着替えて、「さああ、飲もう飲もう!」とみんなを誘っていた。下北の飲み会から目黒の飲み会、その点と点も線になりそうだ。会場まで自転車で来たのか訊くのを忘れた。
■過去関連記事~近藤房之助
April 26, 2005
Kondo Fusanosuke Live At Blues Alley
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200504/2005_04_26.html
June 11, 2005
Ray In The Rain, Soul In The Rain
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200506/2005_06_11.html
■最新作『黒くなれ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004OGYLD8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■近藤房之助オフィシャル
http://www.fusanosuke.net/
■メンバー
近藤房之助 (vocal & guitar)
SWING-O a.k.a.45 (keyboards & back ground vocal)
池田憲一 a.k.a.ROOTSOUL(bass)
岡野“Tiger”諭 (drums)from Mountain Mocha Kilimanjaro
小林“Bobsan”直一 (guitar)from Mountain Mocha Kilimanjaro
四方田“Temjin”直人 (Trumpet)from Mountain Mocha Kilimanjaro
廣瀬貴雄 (trombone)from JAZZ COLLECTIVE
栗原健 (saxophone)from CENTRAL
オープニング・アクト(16日)
ズクナシ =
衣美 (vocal & guitar)
spicy-marico (bass & chorus)
茜 (drums & chorus)
238 (piano & chorus)
オープニング・アクト(17日)
45trio=
SWING-O a.k.a.45 (keyboards)
Sunapanng (bass)
久保正彦 (drums)
ライヴ・ペインティング
NOVOL
■セットリスト 近藤房之助 @ブルース・アレイ 2011年6月17日(金)
Setlist : Kondo Fusanosuke
[ ] denotes original or the acts who made song famous
Show started 20:45
01.It’s Your Thing [Isley Brothers]
02.Eat The Rich [Aerosmith]
03.Who’s Making Love [Johnny Taylor]
04.Walking The Backstreets And Crying [Little Milton]
05.Party Down [Little Beaver]
06.Ain’t No Mountain High Enough (+ ズクナシ衣美) [Marvin Gaye & Tammi Terrell, Diana Ross]
07.Cisco Kid [War]
08.Right Place, Wrong Time [Dr. John]
09.The Way It Is [Snowy White]??
Enc. Get It Up For Love [Ben E King, The Mob]
Enc. Rock Me Baby [B.B.King, Jimi Hendrix, etc]
Show ended 22:40
(2011年6月17日金曜、目黒ブルース・アレイ、近藤房之助ライヴ)
2011-
【Kondo Fusanosuke Tagged With Younger Generations Of Soul Men】
バトン。
日本を代表するヴェテラン・ブルーズ・アーティスト、近藤房之助が、若手のスウィングオー(Swing-O)などと組んでアルバム『黒くなれ』をリリース。このアルバムを軸にしたライヴを東京と大阪で敢行。そのうち東京の二日目を見た。近藤房之助さんのライヴを見るのは、調べてみると2005年以来、僕は6年ぶりということになる。そんなに見てないか。
今回のアルバムはクロっぽい音を作ることで定評のある若手キーボード奏者、スゥイングオーがプロデューサーとなり、その周辺の若手ミュージシャンを集めて、作った。そしてそのメンバーを中心にライヴ自体も行う。ということで、かなりいきのいいバンド・サウンド、グルーヴあふれるサウンドに大御所のブルーズ・ヴォーカルが乗る感じになった。
房さん(と皆に呼ばれる)は、この若手たちとの共演がことのほか気に入ったようで、次回の再演も「僕はやる気マンマンです」と広言してはばからない。会場は立ち見も出る超満員。ドラムス、ギター、ベース、キーボード、3管(トロンボーン、サックス、トランペット)、そして、近藤房之助本人(ヴォーカルとギター)。
若手のファンク・インスト・バンド、マウンテン・モカ・キリマンジャロのメンバーたち、ベースのルートソウル、そしてスゥイングオーとのリズム・セクションその名もブラック・シャフト(いい名前)だ。は実に強力で、ブルース・アレイがまさにその名にふさわしくブルーズとソウルにあふれた。
メンバーがステージにあがり、「イッツ・ユア・シング」のリフを延々引き続け、本人を招き入れる。もうこの時点から観客の沸点は最高潮に達している。
ジョニー・テイラーの「フーズ・メイキング・ラヴ」を日本人の房さんが歌うと、当たり前だが、独自の日本人らしさがどこからともなく出てくる。ジョニーはリズムを歌うが、房さんはこのジャンプナンバーをメロディーで歌う。
4曲目の「ウォーキング…」の途中では、ギターを持った房さんが、マウンテンのギタリスト、小林さんに「さあ、かかってこい」とばかりにギター・バトルを仕掛け、それに小林さんが乗って、両者の壮絶なバトルがしばし繰り広げられた。親子くらい違う世代が、ギター一本で「バトルする」というか「語り合う」ことが出来るのは、音楽だけ。
しかし、「パーティー・ダウン」のゆったりしたグルーヴは、最高だ。ギターとヴォーカルの絡みなども引き込まれる。
ボスのバンド・マスター、スゥイングオーの紹介。「60歳から25歳までを束ねた男」!
ボスに対する紹介。「体の80%がアルコールで出来ている男」!(受ける)
バンドは、特にベース・ドラムス・キーボード・ギターのリズムが強力。これに、3管が入るので、まさにリアル・バンドの様相。
60歳、還暦を迎えたばかりの房さん。若さ炸裂に見えたが、本人は相当しんどいらしい。(笑) でも、若手に囲まれ、がんばってしまうらしい。途中のMCもヴェテランらしく、プチおもしろい。「ブルースはねえ、売れないからねえ。彼ら(バックの若手)も、そつなく稼いでくれ」(受ける)
房さんは、「これから、点と点をつなげて行きたい」とステージで宣言した。それはヴェテランから若手へ「ブルーズのバトン」をつなぐという意味もありそうだ。
ライヴ後は、房さんはさっさと着替えて、「さああ、飲もう飲もう!」とみんなを誘っていた。下北の飲み会から目黒の飲み会、その点と点も線になりそうだ。会場まで自転車で来たのか訊くのを忘れた。
■過去関連記事~近藤房之助
April 26, 2005
Kondo Fusanosuke Live At Blues Alley
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200504/2005_04_26.html
June 11, 2005
Ray In The Rain, Soul In The Rain
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200506/2005_06_11.html
■最新作『黒くなれ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004OGYLD8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■近藤房之助オフィシャル
http://www.fusanosuke.net/
■メンバー
近藤房之助 (vocal & guitar)
SWING-O a.k.a.45 (keyboards & back ground vocal)
池田憲一 a.k.a.ROOTSOUL(bass)
岡野“Tiger”諭 (drums)from Mountain Mocha Kilimanjaro
小林“Bobsan”直一 (guitar)from Mountain Mocha Kilimanjaro
四方田“Temjin”直人 (Trumpet)from Mountain Mocha Kilimanjaro
廣瀬貴雄 (trombone)from JAZZ COLLECTIVE
栗原健 (saxophone)from CENTRAL
オープニング・アクト(16日)
ズクナシ =
衣美 (vocal & guitar)
spicy-marico (bass & chorus)
茜 (drums & chorus)
238 (piano & chorus)
オープニング・アクト(17日)
45trio=
SWING-O a.k.a.45 (keyboards)
Sunapanng (bass)
久保正彦 (drums)
ライヴ・ペインティング
NOVOL
■セットリスト 近藤房之助 @ブルース・アレイ 2011年6月17日(金)
Setlist : Kondo Fusanosuke
[ ] denotes original or the acts who made song famous
Show started 20:45
01.It’s Your Thing [Isley Brothers]
02.Eat The Rich [Aerosmith]
03.Who’s Making Love [Johnny Taylor]
04.Walking The Backstreets And Crying [Little Milton]
05.Party Down [Little Beaver]
06.Ain’t No Mountain High Enough (+ ズクナシ衣美) [Marvin Gaye & Tammi Terrell, Diana Ross]
07.Cisco Kid [War]
08.Right Place, Wrong Time [Dr. John]
09.The Way It Is [Snowy White]??
Enc. Get It Up For Love [Ben E King, The Mob]
Enc. Rock Me Baby [B.B.King, Jimi Hendrix, etc]
Show ended 22:40
(2011年6月17日金曜、目黒ブルース・アレイ、近藤房之助ライヴ)
2011-
★○ トニー&アマンダ・メイデン、「ソウル・ブレンズ」に、ライヴは水曜から
2011年6月20日 音楽★○ トニー&アマンダ・メイデン、「ソウル・ブレンズ」に、ライヴは水曜から
【Tony & Amanda Maiden Talk On Soul Blends】
親子。
父の日の昨日(2011年6月19日)、『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1mhz、毎週日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン」では、父と娘がゲスト出演した。水曜から金曜(6月22日~24日)まで東京ブルーノートでライヴを行うファンク・グループ、ルーファスのギタリストでバンド・リーダー、トニー・メイデンとその娘アマンダ・メイデンだ。
今回のライヴはどのようなライヴになるのか。トニーが説明する。「今回も、僕のことだから、ファンキーなものになるよ。(笑) 今回は、僕の娘、アマンダ、シャカ・カーンの娘、ミリニ・カーン、そして、スライ・ストーンの娘ファン・ストーンの3人が出る。彼女は、『ドーターズ・オブ・ファンク』(ファンクの娘たち)という名前だよ」
トニー、シャカ、スライの娘たちが集まる、ということでも、かなり強力なラインアップな感じがする。
今回「ソウル・サーチン」では、東日本大震災のために特別に作ったという「ホールド・オン」という曲を、トニーのギター、アマンダの歌でライヴでお送りした。もう1曲、2010年1月に来日したときのライヴ音源をミックスしたものから「ユー・ガット・ラヴ」をオンエア。「ホールド・オン」はアマンダ自身が書いたもので本邦、いや世界初公開、オンエアだという。また、マイケル・ジャクソンの「ディス・イズ・イット」ツアーでシンガーとして抜擢され同名映画にも出演したジュディス・ヒルが歌った「ハリウッド」もレコーディングされており、これも次のアルバムに収録される。そして、ルーファスのバンド・メンバーのキーボード奏者、ミチコ・ヒルは、そのジュディスの母親だ。
これらのライヴ音源と、インドネシアで行ったライヴの音源、さらに、インドネシアのライヴを撮影した映像で、DVDとCDを出す予定だという。
(訂正)フィリップ・ウーがピンチヒッターとお伝えしましたが、今回フィリップの参加はなくなりました。訂正してお詫びいたします。その部分を削除いたします。(20日午後5時現在)
(トニー・メイデン、ルーファスの項続く。ルーファス、トニー・メイデンとの話が番組出演前も後も、相当盛り上がったので、そのあたりの話を明日以降ご紹介します)
■ルーファス過去記事(前回、前々回ライヴ評、インタヴューなど)
2010年01月17日(日)
ルーファス&スライ・ストーン、ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436078971.html
2010年01月18日(月)
トニー&アマンダ・メイデン(ルーファス)、『ソウルブレンズ』に登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436835618.html#main
前回ライヴ評。↑
前々回来日時のルーファス特集↓
2008年11月13日(木)
ルーファス・ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10164090490.html
2008年11月15日(土)
ルーファス(パート2)~トニー・メイデン語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10164913911.html
2008年11月16日(日)
ルーファス(パート3)~ケヴィン・マーフィー語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10165405612.html#main
2008年11月17日(月)
ルーファス(パート4)~マダム・ディー語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10165844327.html#main
2008年11月18日(火)
ルーファス(パート5)~ヴァル・ヤング語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10166274990.html#main
■トニー&ルーファスのライヴ詳細はこちら
http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/rufus/
■今回のメンバー
トニー・メイデン(ヴォーカル、ギター)Tony Maiden(vo,g)
アマンダ・メイデン(ヴォーカル)Amanda Maiden(vo)
インディラ・ミリニ・カーン(ヴォーカル)Indira Milini Khan(vo)
ファン・ロビンソン・ストーン(ヴォーカル)Phunne Robinson Stone(vo)
ミチコ・ヒル(キーボード)Michiko Hill(key)
マイケル・スティーヴァー(トランペット)Michael Stever(tp)
ロバート・リー・ヒル(ベース)Robert Lee Hill(b)
アンソニー・フィッツジェラルド・ムーア(ドラムス)Anthony Fitzgerald Moore(ds)
フィリップ・ウー(キーボード) Philip Woo
ENT>ANNOUNCEMENT>Rufus
ENT>ARTIST>Rufus, Maiden Tony & Amanda
【Tony & Amanda Maiden Talk On Soul Blends】
親子。
父の日の昨日(2011年6月19日)、『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1mhz、毎週日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン」では、父と娘がゲスト出演した。水曜から金曜(6月22日~24日)まで東京ブルーノートでライヴを行うファンク・グループ、ルーファスのギタリストでバンド・リーダー、トニー・メイデンとその娘アマンダ・メイデンだ。
今回のライヴはどのようなライヴになるのか。トニーが説明する。「今回も、僕のことだから、ファンキーなものになるよ。(笑) 今回は、僕の娘、アマンダ、シャカ・カーンの娘、ミリニ・カーン、そして、スライ・ストーンの娘ファン・ストーンの3人が出る。彼女は、『ドーターズ・オブ・ファンク』(ファンクの娘たち)という名前だよ」
トニー、シャカ、スライの娘たちが集まる、ということでも、かなり強力なラインアップな感じがする。
今回「ソウル・サーチン」では、東日本大震災のために特別に作ったという「ホールド・オン」という曲を、トニーのギター、アマンダの歌でライヴでお送りした。もう1曲、2010年1月に来日したときのライヴ音源をミックスしたものから「ユー・ガット・ラヴ」をオンエア。「ホールド・オン」はアマンダ自身が書いたもので本邦、いや世界初公開、オンエアだという。また、マイケル・ジャクソンの「ディス・イズ・イット」ツアーでシンガーとして抜擢され同名映画にも出演したジュディス・ヒルが歌った「ハリウッド」もレコーディングされており、これも次のアルバムに収録される。そして、ルーファスのバンド・メンバーのキーボード奏者、ミチコ・ヒルは、そのジュディスの母親だ。
これらのライヴ音源と、インドネシアで行ったライヴの音源、さらに、インドネシアのライヴを撮影した映像で、DVDとCDを出す予定だという。
(訂正)フィリップ・ウーがピンチヒッターとお伝えしましたが、今回フィリップの参加はなくなりました。訂正してお詫びいたします。その部分を削除いたします。(20日午後5時現在)
(トニー・メイデン、ルーファスの項続く。ルーファス、トニー・メイデンとの話が番組出演前も後も、相当盛り上がったので、そのあたりの話を明日以降ご紹介します)
■ルーファス過去記事(前回、前々回ライヴ評、インタヴューなど)
2010年01月17日(日)
ルーファス&スライ・ストーン、ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436078971.html
2010年01月18日(月)
トニー&アマンダ・メイデン(ルーファス)、『ソウルブレンズ』に登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436835618.html#main
前回ライヴ評。↑
前々回来日時のルーファス特集↓
2008年11月13日(木)
ルーファス・ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10164090490.html
2008年11月15日(土)
ルーファス(パート2)~トニー・メイデン語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10164913911.html
2008年11月16日(日)
ルーファス(パート3)~ケヴィン・マーフィー語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10165405612.html#main
2008年11月17日(月)
ルーファス(パート4)~マダム・ディー語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10165844327.html#main
2008年11月18日(火)
ルーファス(パート5)~ヴァル・ヤング語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10166274990.html#main
■トニー&ルーファスのライヴ詳細はこちら
http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/rufus/
■今回のメンバー
トニー・メイデン(ヴォーカル、ギター)Tony Maiden(vo,g)
アマンダ・メイデン(ヴォーカル)Amanda Maiden(vo)
インディラ・ミリニ・カーン(ヴォーカル)Indira Milini Khan(vo)
ファン・ロビンソン・ストーン(ヴォーカル)Phunne Robinson Stone(vo)
ミチコ・ヒル(キーボード)Michiko Hill(key)
マイケル・スティーヴァー(トランペット)Michael Stever(tp)
ロバート・リー・ヒル(ベース)Robert Lee Hill(b)
アンソニー・フィッツジェラルド・ムーア(ドラムス)Anthony Fitzgerald Moore(ds)
フィリップ・ウー(キーボード) Philip Woo
ENT>ANNOUNCEMENT>Rufus
ENT>ARTIST>Rufus, Maiden Tony & Amanda
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