◎ウィル・リー&フレンズ・ライヴ~地震ものともせず「ショー・マスト・ゴー・オン」
2012年11月27日 音楽◎ウィル・リー&フレンズ・ライヴ~地震ものともせず「ショー・マスト・ゴー・オン」
【Nevertheless, The Show Must Go On Even The Earthquake Hit】
フレンズ。
9月に東京ジャズで来ていたニューヨークきってのベース奏者、ウィル・リーが自己名義でのライヴ。ウィル名義では初となる。彼の仲のよい友人に声をかけてバンドを結成。スティーヴ・ガッド(ドラムス)、そしてチャック・ローブ(ギター)らとともに醸し出すグルーヴは、彼らは白人であるにもかかわらず相当黒い。なんで白人でここまで黒くなれるのか、改めて不思議に思った。ファースト・コール・ミュージシャンが気軽に集まったセッション・バンドかななどとタカを括っていたが、予想以上にまとまったバンドだったので本当に驚いた。
今回のライヴは、来年(2013年)夏にリリースするウィル・リー名義の新作アルバムに先がけてのライヴということらしい。十数年かけてこつこつレコーディングしてきたという作品で30人近い素晴らしいミュージシャンたちに声をかけ、レコーディングにつきあってもらっている。フライヤーを作って配っていたがそこにミュージシャンの名前が小さな字で印刷されている。
ジャズ、ファンク、フュージョン、ソウル、スムース・ジャズ、果てはロックまで。彼らの手にかかればどれもが超一流の音でその場のグルーヴあふれる空気を彩る。スティーヴ・ガッドのドラムスも、ここではいつになく黒い。5人が5人ともファンクとかグルーヴというものをよーく理解しているのだろう。
「みんなハイラム・ブロック覚えてる? ニジュウヨンチョウメバンド(24丁目バンド)は覚えてる? それをやろうと思う」と言うと、一斉に観客から歓声が。
ウィルは今回渋いヴォーカルも聴かせた。歌はうまいとは言えないが、味のある歌だ。一曲終わると「ありがとうございます」と日本語で言う。そして、「僕たちは(このバンドは)2コードだけで一晩中でも演奏できるんだ」とも言う。
ちょうど17時59分会場が揺れると同時にすでに「ハロー・ライク・ビフォー」(ビル・ウィザースのヒット)の演奏が始まっていた。それから本格的な大きな揺れが来た。しかし、彼らはちょっと天井を見た程度で演奏を何食わぬ顔で続けた。本当に演奏に集中しているのが見てとれた。観客のこっちのほうが、大丈夫だろうか、などと邪念を持ってしまったほど。
■ウィル・リー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000024KBR/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 24丁目バンド
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0006OR1UC/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ウィル・リー Bird House 2006
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000641ET/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
■メンバー
Will Lee (b,vo), ウィル・リー
Steve Gadd (ds), スティーヴ・ガッド
Chuck Loeb (g), チャック・ローブ
Giulio Carmassi (key,vo), ジュリオ・カマシー
Oli Rockberger (key,vo) オリー・ロックバーガー
■セットリスト
Setlist : Will Lee’s Family featuring Steve Gadd & Chuck Loeb @ Cotton Club, November 24, 2012
Show started 17:03
1. Hello Tokyo (On Broadway) (Will Lee Only)
2. Kissing My Love (+band↓)
3. If You Wanna Boogie
4. Fooled Him
5. Simple Way To Say I Love You
6. Leavin’ My Troubles Behind
7. Georgy Porgy [Toto]
8. Hello Like Before [Bill Withers]
9. Shoppin’ Round Again [24th Street Band]
Enc. Watching The River Flow
Show ended 18:26
(2012年11月24日土曜、丸の内コットンクラブ、ウィル・リー・ファミリー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Lee, Will Family
【Nevertheless, The Show Must Go On Even The Earthquake Hit】
フレンズ。
9月に東京ジャズで来ていたニューヨークきってのベース奏者、ウィル・リーが自己名義でのライヴ。ウィル名義では初となる。彼の仲のよい友人に声をかけてバンドを結成。スティーヴ・ガッド(ドラムス)、そしてチャック・ローブ(ギター)らとともに醸し出すグルーヴは、彼らは白人であるにもかかわらず相当黒い。なんで白人でここまで黒くなれるのか、改めて不思議に思った。ファースト・コール・ミュージシャンが気軽に集まったセッション・バンドかななどとタカを括っていたが、予想以上にまとまったバンドだったので本当に驚いた。
今回のライヴは、来年(2013年)夏にリリースするウィル・リー名義の新作アルバムに先がけてのライヴということらしい。十数年かけてこつこつレコーディングしてきたという作品で30人近い素晴らしいミュージシャンたちに声をかけ、レコーディングにつきあってもらっている。フライヤーを作って配っていたがそこにミュージシャンの名前が小さな字で印刷されている。
ジャズ、ファンク、フュージョン、ソウル、スムース・ジャズ、果てはロックまで。彼らの手にかかればどれもが超一流の音でその場のグルーヴあふれる空気を彩る。スティーヴ・ガッドのドラムスも、ここではいつになく黒い。5人が5人ともファンクとかグルーヴというものをよーく理解しているのだろう。
「みんなハイラム・ブロック覚えてる? ニジュウヨンチョウメバンド(24丁目バンド)は覚えてる? それをやろうと思う」と言うと、一斉に観客から歓声が。
ウィルは今回渋いヴォーカルも聴かせた。歌はうまいとは言えないが、味のある歌だ。一曲終わると「ありがとうございます」と日本語で言う。そして、「僕たちは(このバンドは)2コードだけで一晩中でも演奏できるんだ」とも言う。
ちょうど17時59分会場が揺れると同時にすでに「ハロー・ライク・ビフォー」(ビル・ウィザースのヒット)の演奏が始まっていた。それから本格的な大きな揺れが来た。しかし、彼らはちょっと天井を見た程度で演奏を何食わぬ顔で続けた。本当に演奏に集中しているのが見てとれた。観客のこっちのほうが、大丈夫だろうか、などと邪念を持ってしまったほど。
■ウィル・リー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000024KBR/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 24丁目バンド
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0006OR1UC/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ウィル・リー Bird House 2006
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000641ET/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
■メンバー
Will Lee (b,vo), ウィル・リー
Steve Gadd (ds), スティーヴ・ガッド
Chuck Loeb (g), チャック・ローブ
Giulio Carmassi (key,vo), ジュリオ・カマシー
Oli Rockberger (key,vo) オリー・ロックバーガー
■セットリスト
Setlist : Will Lee’s Family featuring Steve Gadd & Chuck Loeb @ Cotton Club, November 24, 2012
Show started 17:03
1. Hello Tokyo (On Broadway) (Will Lee Only)
2. Kissing My Love (+band↓)
3. If You Wanna Boogie
4. Fooled Him
5. Simple Way To Say I Love You
6. Leavin’ My Troubles Behind
7. Georgy Porgy [Toto]
8. Hello Like Before [Bill Withers]
9. Shoppin’ Round Again [24th Street Band]
Enc. Watching The River Flow
Show ended 18:26
(2012年11月24日土曜、丸の内コットンクラブ、ウィル・リー・ファミリー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Lee, Will Family
●キャデラックスのアール・“スピードー”・キャロル死去。コースターズにも参加
2012年11月27日 音楽●キャデラックスのアール・“スピードー”・キャロル死去。コースターズにも参加
【Earl “Speedo” Carol Dies At 75: Lead Singer of Cadillacs】
訃報。
初期R&Bドゥー・ワップ・グループのひとつ、キャデラックスのリード・シンガー、アール・“スピードー”・キャロルが2012年11月25日(日)ニューヨークの介護施設(老人ホーム)で死去した。75歳。心臓発作、糖尿病などを患っていた。
キャロルは、1937年11月2日生まれ。1953年頃、ニューヨークで友人たちと当時はやりだった5人組ドゥー・ワップ・グループを結成。1954年にリリースされた「グローリア」はチャート・ヒットこそ果たさなかったが、その後多くのドゥー・ワップ・グループにカヴァーされ、ドゥー・ワップの名曲のひとつになった。ビリー・ジョエルの1993年のヒット「ザ・リヴァー・オブ・ドリームス」のエンディングでこの「グローリア」のワンフレーズが歌われる。
さらに、1956年1月から「スピードー」が初ヒット、ソウル・チャートで3位を記録。メンバーはいろいろ変わったが、キャロルはリード・シンガーとして活躍、1955年頃から独特の振り付けをつけた歌と踊りで人気を博すようになった。グループのラヴァーン・ドレイクが辞めた後釜にJRベイリー(1980年死去)が参加。このJRベイリーは1970年代にソロとしても作品を出す。
「スピードー」のニックネームは彼の行動がいつもマイペースでのんびりしていたため、人から「さあ、急げ、スピーディーにいけ」と言われていたことに由来する。
キャデラックスは映画『ゴー・ジョニー・ゴー』(1959年)に出演。その後彼らは似たタイプのグループ、コースターズと交流を深め、キャロルは1961年コースターズに合流。1963年まで参加した。キャデラックスは自然解散。
しかし、1970年、キャデラックスは一時期参加していたJRベイリーが主体となり再結成。このときのバックバンドのドラマーに、テディー・ペンダーグラスが参加していた。ペンダーグラスはその後1972年くらいまでにハロルド・メルヴィン&ブルーノーツにドラマーとして参加するようになった。
キャロルはコースターズやキャデラックスを行き来し活動。しかし、1980年代から2000年代まではニューヨークの公立高校87で用務員をしていたという。生徒からは有名な「スピードー」が働いているということで、人気だったそうだ。
キャデラックスは最初にカラフルなユニフォームを全員が着て、派手な振り付けがされたグループのひとつとされている。
日本でもシャネルズ(ラッツ&スター)が「ズーム」「スピードー」「スピードーズ・バック・イン・タウン」などをカヴァーし、キャデラックスの知名度アップに大きく貢献している。
キャデラックス 最大のヒット「スピードー」
The Cadillacs "Speedoo"
http://youtu.be/QBcZVTv7dHU
ドゥー・ワップ・クラシック「グローリア」
http://youtu.be/U28e4EEC2j4
Speedo by Speedo and the Cadillacs on Jan 22nd,LATEST SHOW
http://youtu.be/88-2SiNDYHo
これは珍しい映像。アール・キャロルがニューヨークのブッカーTハイスクールの卒業式典で一曲披露している。
Earl Carroll Sings "That’s What Friends Are For"
http://youtu.be/82qacDFeFO4
ビリー・ジョエルの「リヴァーズ・オブ・ドリームス」(ビデオでは黒人3人組のコーラス・グループを従え、ドゥー・ワップ風にアレンジしている)
http://youtu.be/hSq4B_zHqPM
■ベスト・オブ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000032SG/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
OBITUARY>Carol, “Speedo”, Earl, November 2, 1937 – November 25, 2012, 75 year old
【Earl “Speedo” Carol Dies At 75: Lead Singer of Cadillacs】
訃報。
初期R&Bドゥー・ワップ・グループのひとつ、キャデラックスのリード・シンガー、アール・“スピードー”・キャロルが2012年11月25日(日)ニューヨークの介護施設(老人ホーム)で死去した。75歳。心臓発作、糖尿病などを患っていた。
キャロルは、1937年11月2日生まれ。1953年頃、ニューヨークで友人たちと当時はやりだった5人組ドゥー・ワップ・グループを結成。1954年にリリースされた「グローリア」はチャート・ヒットこそ果たさなかったが、その後多くのドゥー・ワップ・グループにカヴァーされ、ドゥー・ワップの名曲のひとつになった。ビリー・ジョエルの1993年のヒット「ザ・リヴァー・オブ・ドリームス」のエンディングでこの「グローリア」のワンフレーズが歌われる。
さらに、1956年1月から「スピードー」が初ヒット、ソウル・チャートで3位を記録。メンバーはいろいろ変わったが、キャロルはリード・シンガーとして活躍、1955年頃から独特の振り付けをつけた歌と踊りで人気を博すようになった。グループのラヴァーン・ドレイクが辞めた後釜にJRベイリー(1980年死去)が参加。このJRベイリーは1970年代にソロとしても作品を出す。
「スピードー」のニックネームは彼の行動がいつもマイペースでのんびりしていたため、人から「さあ、急げ、スピーディーにいけ」と言われていたことに由来する。
キャデラックスは映画『ゴー・ジョニー・ゴー』(1959年)に出演。その後彼らは似たタイプのグループ、コースターズと交流を深め、キャロルは1961年コースターズに合流。1963年まで参加した。キャデラックスは自然解散。
しかし、1970年、キャデラックスは一時期参加していたJRベイリーが主体となり再結成。このときのバックバンドのドラマーに、テディー・ペンダーグラスが参加していた。ペンダーグラスはその後1972年くらいまでにハロルド・メルヴィン&ブルーノーツにドラマーとして参加するようになった。
キャロルはコースターズやキャデラックスを行き来し活動。しかし、1980年代から2000年代まではニューヨークの公立高校87で用務員をしていたという。生徒からは有名な「スピードー」が働いているということで、人気だったそうだ。
キャデラックスは最初にカラフルなユニフォームを全員が着て、派手な振り付けがされたグループのひとつとされている。
日本でもシャネルズ(ラッツ&スター)が「ズーム」「スピードー」「スピードーズ・バック・イン・タウン」などをカヴァーし、キャデラックスの知名度アップに大きく貢献している。
キャデラックス 最大のヒット「スピードー」
The Cadillacs "Speedoo"
http://youtu.be/QBcZVTv7dHU
ドゥー・ワップ・クラシック「グローリア」
http://youtu.be/U28e4EEC2j4
Speedo by Speedo and the Cadillacs on Jan 22nd,LATEST SHOW
http://youtu.be/88-2SiNDYHo
これは珍しい映像。アール・キャロルがニューヨークのブッカーTハイスクールの卒業式典で一曲披露している。
Earl Carroll Sings "That’s What Friends Are For"
http://youtu.be/82qacDFeFO4
ビリー・ジョエルの「リヴァーズ・オブ・ドリームス」(ビデオでは黒人3人組のコーラス・グループを従え、ドゥー・ワップ風にアレンジしている)
http://youtu.be/hSq4B_zHqPM
■ベスト・オブ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000032SG/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
OBITUARY>Carol, “Speedo”, Earl, November 2, 1937 – November 25, 2012, 75 year old