◆音楽遍歴から~あなたの最初のジェームス・ブラウン衝撃は?

【What Is Your First James Brown Shock】

フィードバック。

音楽遍歴について2回にわけて書き、そこから思わぬ展開で高校時代にやっていた番組のテーマのタイトルが「ソウル・サーチン」と知り、それを教えてくれた中学・高校の同級生が今、インドネシアでロックバンドをプロデュースしている。

というまあ、まったく予想だにできぬ展開だったわけだが、どこから音楽にはまったか、というテーマは音楽好きの人たちと話すときにとてもおもしろいテーマになるという感想をいくつかいただいた。

僕はラジオの比重が一番大きかったが、レコードを交換する音楽友達の存在も多かった。それから高校、大学くらいになるとソウル・バー、ロック・バー、あるいは音楽喫茶などにも行った。ディスコも音楽を聴けるところという意味でも大きかった。

今では、ライヴハウスとユーチューブだろうか。ユーチューブは圧倒的だろう。ラジオが占める割合はどんなものなのか気になる。つい昨日のニューズで音楽業界誌ビルボードの「ホット100」の集計データに、ユーチューブのオンエア回数をいれることにしたと伝わってきて、まさに時代の流れを反映しているなと思った。

僕も初めて聴くアーティストを、ユーチューブで知ることはこのところ圧倒的に多くなった。CD以前、ラジオ以前にネットで知るわけだ。

ルーツ。

また、同じソウル好きでもブルーズから入った人、ロックから入った人、それこそ日本の山下達郎から入った人、千差万別だ。

たとえば、ジェームス・ブラウンを初めて意識したのは何か、ジェームス・ブラウンにはまったきっかけは何だったのかという質問を多くのジェームス・ブラウン好き、マニアになげかけたらどんな答えが返ってくるのだろうか。とても興味深い。

僕は、ラジオとディスコかなあ。「セックス・マシーン」あたりかな、「メイク・イット・ファンキー」かな。どれが一番最初に衝撃を受けたのか、今となっては思い出せないほどだ。

自由が丘アンセーニュのマスターは、「アイ・ガット・ザ・フィーリング」を新宿の立ち食い蕎麦屋で聴いて衝撃を受けた。JBマニアの関さんはなんなんだろう。中田さんは、YMOの細野さんからだった。

みんなの最初のジェームス・ブラウン・ショックを聴いてみたい。

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