Kill Bill Vol.2: Chain Reaction Of Hate
2004年5月1日連鎖。
さてさて、映画『キル・ビルVOL.2』ですが、まず、ここでは音楽ネタからきってみましょう。第一部では、サンタ・エスメラルダの「悲しき願い」とかがかかっていたわけですが、今回もやられた、って感じなのは最後にでてきた梶芽衣子の「うらみ節」です。あれだけ、洋物の映画を見ていて、突然、どーんと「うらみ節」が流れてくると、一体なんなんだ、と思います。こういうセンスは、日本の映画を作る人には絶対ないだろうなあ。もしやっても、もっとベタになってしまうんだと思う。むしろ、センスのいいクラブDJあたりだと、世界各地のクラブヒットの中に、すぽっとこういう曲をいれたりして、わっと驚かせることができるかもしれません。
http://diarynote.jp/d/32970/20031016.html
第一部では、ユマ・サーマンの怒りが込み上げてくるところで、クインシーの「アイアンサイド」でした。今回は、あんまり怒りがこみあげなかったのかなあ。ほとんど出てこなかった。第二部を作る時は、もう第一部であれだけ使ったことを忘れてしまうのでしょうか。(笑)
全体的には、音楽の使い方のうまさにそれほどの「おおっ」というものはなかったように感じました。しいて言えば、冒頭のシーンのこんなやりとりは、もろにタランティーノらしいセリフでした。
ユマ・サーマンが結婚式のリハをやっているシーン。これは時間を戻しての回想シーン。ここで、結婚式のためにオルガンを弾く男がいます。これが最初、誰だかわからなかったのだが、なんとサミュエル・ジャクソンでした。役名はルーファス。南部の教会の黒人のオルガンプレイヤーです。牧師が花嫁たちにルーファスを紹介する。すると、彼らがルーファスに対して「今まで、誰と共演したことがあるんだ?」と尋ねます。ルーファスが答えます。「ルーファス・トーマス」! 僕はここでえらく受けたんですが、観客はシーンとしていて、浮きました。その後に、「バーケイズ、クール&ザ・ギャング…」などとも付け加えていました。「ライドオン、ベイビー」とか、タランティーノに声をかけてやりたい気分です。(笑)
映画全体的な話をしましょうか。一言で言えば、前回ほどのテンションの高さは感じられませんでした。もちろん、ユマ・サーマン演じるブライドの心の動きを描いているのだ、ということはわかるのですが、しかし、テンポ感、リズム感が第一部とはかなり違いました。
パイメイ先生、いい感じです。なんで、服部半蔵はもうでてこないのでしょうか。第一部とはあえて違う空気感、テンポ感をだしたのでしょうか。どうなんだろう。やはり、分けずに2時間半くらいで一本にまとめられなかったのだろうか、と思ってしまいます。
タランティーノは、第三部も考えているそうです。というか、作るらしいです。ブライドに目の前で母親を殺された少女がいましたよね。黒人の母娘。あの娘が15年後に、ブライドに復讐をするという物語だということです。15年後に作るとなると、2019年あたりでしょうか。気の遠く
なる話だ。(笑) そうか、こうして「憎しみの連鎖」は続いていくわけですね。
(映画『キル・ビル VOL.2〜ザ・ラヴ・ストーリー』、2004年4月24日から公開中)
さてさて、映画『キル・ビルVOL.2』ですが、まず、ここでは音楽ネタからきってみましょう。第一部では、サンタ・エスメラルダの「悲しき願い」とかがかかっていたわけですが、今回もやられた、って感じなのは最後にでてきた梶芽衣子の「うらみ節」です。あれだけ、洋物の映画を見ていて、突然、どーんと「うらみ節」が流れてくると、一体なんなんだ、と思います。こういうセンスは、日本の映画を作る人には絶対ないだろうなあ。もしやっても、もっとベタになってしまうんだと思う。むしろ、センスのいいクラブDJあたりだと、世界各地のクラブヒットの中に、すぽっとこういう曲をいれたりして、わっと驚かせることができるかもしれません。
http://diarynote.jp/d/32970/20031016.html
第一部では、ユマ・サーマンの怒りが込み上げてくるところで、クインシーの「アイアンサイド」でした。今回は、あんまり怒りがこみあげなかったのかなあ。ほとんど出てこなかった。第二部を作る時は、もう第一部であれだけ使ったことを忘れてしまうのでしょうか。(笑)
全体的には、音楽の使い方のうまさにそれほどの「おおっ」というものはなかったように感じました。しいて言えば、冒頭のシーンのこんなやりとりは、もろにタランティーノらしいセリフでした。
ユマ・サーマンが結婚式のリハをやっているシーン。これは時間を戻しての回想シーン。ここで、結婚式のためにオルガンを弾く男がいます。これが最初、誰だかわからなかったのだが、なんとサミュエル・ジャクソンでした。役名はルーファス。南部の教会の黒人のオルガンプレイヤーです。牧師が花嫁たちにルーファスを紹介する。すると、彼らがルーファスに対して「今まで、誰と共演したことがあるんだ?」と尋ねます。ルーファスが答えます。「ルーファス・トーマス」! 僕はここでえらく受けたんですが、観客はシーンとしていて、浮きました。その後に、「バーケイズ、クール&ザ・ギャング…」などとも付け加えていました。「ライドオン、ベイビー」とか、タランティーノに声をかけてやりたい気分です。(笑)
映画全体的な話をしましょうか。一言で言えば、前回ほどのテンションの高さは感じられませんでした。もちろん、ユマ・サーマン演じるブライドの心の動きを描いているのだ、ということはわかるのですが、しかし、テンポ感、リズム感が第一部とはかなり違いました。
パイメイ先生、いい感じです。なんで、服部半蔵はもうでてこないのでしょうか。第一部とはあえて違う空気感、テンポ感をだしたのでしょうか。どうなんだろう。やはり、分けずに2時間半くらいで一本にまとめられなかったのだろうか、と思ってしまいます。
タランティーノは、第三部も考えているそうです。というか、作るらしいです。ブライドに目の前で母親を殺された少女がいましたよね。黒人の母娘。あの娘が15年後に、ブライドに復讐をするという物語だということです。15年後に作るとなると、2019年あたりでしょうか。気の遠く
なる話だ。(笑) そうか、こうして「憎しみの連鎖」は続いていくわけですね。
(映画『キル・ビル VOL.2〜ザ・ラヴ・ストーリー』、2004年4月24日から公開中)
源。
映画『ドラムライン』を見てきた。渋谷のシネクイントは、227席の小規模な映画館。土曜日ということもあってか、けっこうはいっていた。ヒップホップ界の大物ダラス・オースティンの自伝的映画でもあるという。
ニューヨークに住むデヴォン(ニック・キャノン)は、音楽の才能を持った男。そのドラムのセンスを認められ、南部のA&T大学に奨学金付きでの入学を誘われる。そこでめきめき頭角を出すが、自身に対して大きな自信を持っていることから、回りのメンバーたちと衝突する。
舞台は大学のフットボールの試合のハーフタイムに行われる各大学のドラム・チームのバトル。デヴォンのドラムの才能は誰もが認めるが、様々な紆余曲折が巻き起こる。楽譜が読めないことが発覚し、デヴォンはチームから首になってしまう。果たして、彼なしでドラム・バトルを勝てるのだろうか。
ストーリー、映画としては一般的というかB級なものだが、マーチングドラムのライヴ映像は圧倒的だ。このドラムの演奏を見るためにだけでも、チケット代を払う価値はある。このバトルというコンセプトは、ブラックカルチャーの中でなんにでもあてはまる。例えば、その昔だったら、ドゥワップ・グループが街角で、ドゥワップを歌ってバトルしていた。それから四半世紀を経て、ドゥワップは、ラップになって、街角ではラッパーたちのバトルが起こった。もちろん、ブレイクダンスのバトルもある。ダンスもある。
ひとつのことを極め、そのフィールドでひじょうに高いレヴェルで技を競い合うということは、とても健全なことだ。そして、なによりこのドラムラインの迫力には、まいった。そして、思うことはただひとつ。ドラムはすべてのリズムの源。
気に入ったセリフがあった。マーチングバンドを率いるリー監督がメンバーに対して言う。メンバーは若いので、ヒップホップ系のアーティストの作品をやりたいと思っている。だが、リー監督は、イー・ダブリュー・エフの曲をやると宣言する。イー・ダブリュー・エフ、EWF、すなわちアース・ウィンド&ファイアーだ。監督は言う。「みんな、アンジー・ストーンをやりたいのか。スヌープの曲をやりたいんだろう。LLクールJをやりたいのか」 メンバーはうなずく。監督がきっぱりいう。「そういう連中はみなこのEWFの影響を受けているんだ」 そして、彼らが一生懸命練習するのが、80年の作品「イン・ザ・ストーン」だった。
ドラムライン、その戦いは大きなフィールドで。まさに青春のもうひとつのフィールド・オブ・ドリームスだ。
そして、僕個人としては、ドラムに焦点をあてた場合、これまでに、ミュージカル『ノイズ&ファンク』や、最近のシーラEのライヴが、つながってくる。『ノイズ&ファンク』で感じたこと、シーラEのライヴで思ったこと、それと同じ思いを僕はこの『ドラムライン』でも感じた。それぞれ出し物は違うのだが、ドラム、リズムという点において、これら三者は見事に一本の線でつながった。
(映画『ドラムライン』、渋谷シネクイントなどで公開中)
『ノイズ&ファンク』ライヴ評・2003年3月22日付け日記
Bring In ’Da Noise, Bring In ’Da Funk: Soul explosion!
http://diarynote.jp/d/32970/20030322.html
シーラEライヴ評 2004年4月10日、4月11日付け日記 Sheila E Live @ Duo: Heartbeat From Ancient Times
http://diarynote.jp/d/32970/20040410.html
4月11日付け日記Sheila E Live: "River God" Makes Her Tears
http://diarynote.jp/d/32970/20040411.html
映画についての一般情報。公開映画館、感想など。
http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=318676
+++++
映画『ドラムライン』を見てきた。渋谷のシネクイントは、227席の小規模な映画館。土曜日ということもあってか、けっこうはいっていた。ヒップホップ界の大物ダラス・オースティンの自伝的映画でもあるという。
ニューヨークに住むデヴォン(ニック・キャノン)は、音楽の才能を持った男。そのドラムのセンスを認められ、南部のA&T大学に奨学金付きでの入学を誘われる。そこでめきめき頭角を出すが、自身に対して大きな自信を持っていることから、回りのメンバーたちと衝突する。
舞台は大学のフットボールの試合のハーフタイムに行われる各大学のドラム・チームのバトル。デヴォンのドラムの才能は誰もが認めるが、様々な紆余曲折が巻き起こる。楽譜が読めないことが発覚し、デヴォンはチームから首になってしまう。果たして、彼なしでドラム・バトルを勝てるのだろうか。
ストーリー、映画としては一般的というかB級なものだが、マーチングドラムのライヴ映像は圧倒的だ。このドラムの演奏を見るためにだけでも、チケット代を払う価値はある。このバトルというコンセプトは、ブラックカルチャーの中でなんにでもあてはまる。例えば、その昔だったら、ドゥワップ・グループが街角で、ドゥワップを歌ってバトルしていた。それから四半世紀を経て、ドゥワップは、ラップになって、街角ではラッパーたちのバトルが起こった。もちろん、ブレイクダンスのバトルもある。ダンスもある。
ひとつのことを極め、そのフィールドでひじょうに高いレヴェルで技を競い合うということは、とても健全なことだ。そして、なによりこのドラムラインの迫力には、まいった。そして、思うことはただひとつ。ドラムはすべてのリズムの源。
気に入ったセリフがあった。マーチングバンドを率いるリー監督がメンバーに対して言う。メンバーは若いので、ヒップホップ系のアーティストの作品をやりたいと思っている。だが、リー監督は、イー・ダブリュー・エフの曲をやると宣言する。イー・ダブリュー・エフ、EWF、すなわちアース・ウィンド&ファイアーだ。監督は言う。「みんな、アンジー・ストーンをやりたいのか。スヌープの曲をやりたいんだろう。LLクールJをやりたいのか」 メンバーはうなずく。監督がきっぱりいう。「そういう連中はみなこのEWFの影響を受けているんだ」 そして、彼らが一生懸命練習するのが、80年の作品「イン・ザ・ストーン」だった。
ドラムライン、その戦いは大きなフィールドで。まさに青春のもうひとつのフィールド・オブ・ドリームスだ。
そして、僕個人としては、ドラムに焦点をあてた場合、これまでに、ミュージカル『ノイズ&ファンク』や、最近のシーラEのライヴが、つながってくる。『ノイズ&ファンク』で感じたこと、シーラEのライヴで思ったこと、それと同じ思いを僕はこの『ドラムライン』でも感じた。それぞれ出し物は違うのだが、ドラム、リズムという点において、これら三者は見事に一本の線でつながった。
(映画『ドラムライン』、渋谷シネクイントなどで公開中)
『ノイズ&ファンク』ライヴ評・2003年3月22日付け日記
Bring In ’Da Noise, Bring In ’Da Funk: Soul explosion!
http://diarynote.jp/d/32970/20030322.html
シーラEライヴ評 2004年4月10日、4月11日付け日記 Sheila E Live @ Duo: Heartbeat From Ancient Times
http://diarynote.jp/d/32970/20040410.html
4月11日付け日記Sheila E Live: "River God" Makes Her Tears
http://diarynote.jp/d/32970/20040411.html
映画についての一般情報。公開映画館、感想など。
http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=318676
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誕生。
昨日「ソウルブレンズ」でご紹介した「アメリカン・パイ」(ドン・マクリーン)は、なんと8分半もある曲です。この曲に関しては、2002年12月10日付けの日記でも書きました。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200212.htmlしかし、改めて歌詞をじっくり読んでみると、実に奥深いですね。この「アメリカン・パイ」を研究するニュースグループができるというのもうなずけます。これを研究するサイトを紹介しました。http://www.faqs.org/faqs/music/american-pie/ ここではそのサイトからの解釈をいくつか紹介します。
さて今回の話のねたとしては、この曲はオリジナルでは曲のほとんどがモノラルで録音されていて、最後の約30秒程度だけがステレオになるというものがうんちく的におもしろいかと思います。で、これを確認するために昨日何度もこの曲を聴きました。
ステレオの正面に座って、じっくり耳を傾けたのですが、どうもこのCDではなんとなくステレオのような気もしないではない。ひょっとすると後年「疑似ステレオ」にしたのかも知れません。ただほとんどモノラルのように聴こえます。そして、確かに最後の30秒くらいコーラスがはいってくるところは、明らかに左右に音が分かれてはっきりとステレオになるのがわかります。ドン・マクリーンは音楽がモノラルからステレオの時代になることを、この8分半の曲の最後で表したかったのだと言います。確かに50年代後期はレコードはモノラルでした。そして、60年代の中頃から徐々にステレオが登場してきました。
1959年2月、当時のロックンロールのスターが一挙に飛行機事故で死亡した日を「音楽死んだ日」としたこの作品は、ロックの歴史、アメリカの歴史のさまざまな事象が織り込まれています。機会があれば、全部を訳しながら、解釈をつけてみたいとも思いますが、これはかなり大変な作業です。(笑)
例えば、このライン。And moss grows fat on a rolling stone. 直訳でいけば「転がる石に苔(こけ)がはえる」となります。さて、このローリング・ストーンは何を意味するのか。ローリング・ストーンズのことか、あるいは、「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌ったボブ・ディランのことか。解釈としては、デビュー当初のディランは、社会に対する反抗精神が強かったのですが、徐々に内容がマイルドなものに変化していきました。そのことを比喩しているとも受け取れます。「ボブ・ディランにも苔がはえた」つまり「ディランも軟弱になった」ということです。
後半では With the jester on the sidelines in a castというラインがあります。直訳は「サイドラインの道化師はギブス姿」 ディランは69年7月にバイク事故で9ヶ月の入院生活を送ります。よってこれはディランのことを指します。
あるいはAnd there we were all in one place 「みんなが一カ所に集まった」は、ウッドストックを指します。また、A generation lost in space は「宇宙に失われた世代」で、アメリカの宇宙計画のことのように思えます。
ここも興味深い。So come on Jack be nimble Jack be quick/Jack Flash sat on a candlestick/’Cause fire is the devil’s only friend 「さあ、ジャック賢くなれ、素早くやれ、ジャックフラッシュはろうそく立ての上に座った、なぜなら、炎は悪魔の唯一の友達だから」 ここには二つの解釈があります。ジャックは、ミック・ジャガーのことで、ろうそく立て(キャンドルスティック)はストーンズ
が行ったキャンドルスティック・パークでのライヴコンサートのこと。ストーンズの作品「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル」を考えると、この一行はぴったし来ます。
もうひとつの解釈はこの「ジャック」がジョンFケネディーを指すというもの。この場合ろうそく立てと炎は、ミサイルと核戦争を意味します。これは、いわゆるアメリカのキューバ危機のことですね。この時、ケネディーは早急に決断を下さなければなかった。彼の判断が少しでも遅れてしまうと、ミサイルが発射される。炎の上にケネディーが座っているというわけです。
このように一行一行にさまざまな事象がたくみに比喩されて織り込まれているのですが、どれが正解かはこれを書いた本人にしかわかりません。ところが当の本人はこの曲の解釈についていっさいコメントしないと言っているのです。おそらく、多くの人がする解釈でいくつかは正しく、いくつかは正しくないのかも知れません。まあ、それも良いでしょう。解釈を解説しないのも、見識であり、そして、勝手に解釈するのも、聞き手の自由でもあります。
ところで59年2月の運命の飛行機には本当は4人目の乗客がいました。しかし、座席が3つしかなかったため、彼らはコイントスをしてその飛行機に乗る乗らないを決めました。コイントスに負けた人物はウェイロン・ジェニングスという人物です。彼は後に作詞家として名前をなすことになります。クルセイダーズで大ヒットした「ストリート・ライフ」の作詞をしたのがウェイロンです。しかし、彼もまたこの事故については決して語ってくれません。コイントスがあまりに大きな人生の岐路となったからです。とても人に話せることではないのでしょう。
ドン・マクリーンのこの曲、そして、ライヴパフォーマンスを見て感動した人物がいました。その彼はその感動を一曲の作品にしたためます。「彼の歌で私をやさしく殺して」というタイトルの曲です。そう、「キリング・ミー・ソフトリー・ウィズ・ヒズ・ソング」です。これは、ロバータ・フラックが歌って大ヒットになりました。ここでいう「ヒズ」(彼の)は、ドン・マクリーンのことです。
そして、僕は今日どうしてもこのうんちくをできるだけ紹介したいということと、この曲をフルで8分半かけたいと思っていました。通常ですと、大体3,4分かけたところで曲にのってしゃべってしまうのですが、無理にディレクターたちにお願いしてフルでかけました。曲を8分半かけたためにおしゃべりが少しはしょってしまいましたが、まあ、それもしょうがないかもしれません。今時、8分半の曲をフルで
かけるラジオ番組なんてなかなかないでしょうから、これはこれでよかったのではないかと思います。スポンサーの山野楽器さんにも理解を示していただいて感謝です。
どうしても、僕がこの曲をフルでかけたかったのは、僕がこの曲を32年前FENで初めて聞いたとき、そのDJがこの曲をカットせずにフルでかけ、そのときのあまりの衝撃をものすごく覚えていたからです。僕はあのとき、曲の意味などまったくわからなかったのに、8分半、本当にラジオのスピーカーの前でこの曲に聞き入ってしまいました。そしてたった一回聞いただけで、この曲のそして、ドン・マクリーンの大ファンになりました。もちろん、それはこの曲が持つ普遍的な魅力があったからでしょう。しかし、当時シングル一曲3分以内という中で8分半の曲をかけたDJの勇気のおかげもあったのではないかと、後になって思います。だから、今日8分半の長い曲を聴いて、ひとりでもこの曲の魅力にふれられたら、音楽を紹介する立場の人間としてこれ以上の喜びはありません。この曲は「音楽が死んだ日」を歌っていますが、僕にとってはある意味で「音楽の生まれた日」あるいは「音楽の魅力が生まれた日」でもあるわけです。
この曲は、2枚組の「ザ・70ズ、ビューティフル・デイズ」というアルバムに収録されています。
昨日「ソウルブレンズ」でご紹介した「アメリカン・パイ」(ドン・マクリーン)は、なんと8分半もある曲です。この曲に関しては、2002年12月10日付けの日記でも書きました。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200212.htmlしかし、改めて歌詞をじっくり読んでみると、実に奥深いですね。この「アメリカン・パイ」を研究するニュースグループができるというのもうなずけます。これを研究するサイトを紹介しました。http://www.faqs.org/faqs/music/american-pie/ ここではそのサイトからの解釈をいくつか紹介します。
さて今回の話のねたとしては、この曲はオリジナルでは曲のほとんどがモノラルで録音されていて、最後の約30秒程度だけがステレオになるというものがうんちく的におもしろいかと思います。で、これを確認するために昨日何度もこの曲を聴きました。
ステレオの正面に座って、じっくり耳を傾けたのですが、どうもこのCDではなんとなくステレオのような気もしないではない。ひょっとすると後年「疑似ステレオ」にしたのかも知れません。ただほとんどモノラルのように聴こえます。そして、確かに最後の30秒くらいコーラスがはいってくるところは、明らかに左右に音が分かれてはっきりとステレオになるのがわかります。ドン・マクリーンは音楽がモノラルからステレオの時代になることを、この8分半の曲の最後で表したかったのだと言います。確かに50年代後期はレコードはモノラルでした。そして、60年代の中頃から徐々にステレオが登場してきました。
1959年2月、当時のロックンロールのスターが一挙に飛行機事故で死亡した日を「音楽死んだ日」としたこの作品は、ロックの歴史、アメリカの歴史のさまざまな事象が織り込まれています。機会があれば、全部を訳しながら、解釈をつけてみたいとも思いますが、これはかなり大変な作業です。(笑)
例えば、このライン。And moss grows fat on a rolling stone. 直訳でいけば「転がる石に苔(こけ)がはえる」となります。さて、このローリング・ストーンは何を意味するのか。ローリング・ストーンズのことか、あるいは、「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌ったボブ・ディランのことか。解釈としては、デビュー当初のディランは、社会に対する反抗精神が強かったのですが、徐々に内容がマイルドなものに変化していきました。そのことを比喩しているとも受け取れます。「ボブ・ディランにも苔がはえた」つまり「ディランも軟弱になった」ということです。
後半では With the jester on the sidelines in a castというラインがあります。直訳は「サイドラインの道化師はギブス姿」 ディランは69年7月にバイク事故で9ヶ月の入院生活を送ります。よってこれはディランのことを指します。
あるいはAnd there we were all in one place 「みんなが一カ所に集まった」は、ウッドストックを指します。また、A generation lost in space は「宇宙に失われた世代」で、アメリカの宇宙計画のことのように思えます。
ここも興味深い。So come on Jack be nimble Jack be quick/Jack Flash sat on a candlestick/’Cause fire is the devil’s only friend 「さあ、ジャック賢くなれ、素早くやれ、ジャックフラッシュはろうそく立ての上に座った、なぜなら、炎は悪魔の唯一の友達だから」 ここには二つの解釈があります。ジャックは、ミック・ジャガーのことで、ろうそく立て(キャンドルスティック)はストーンズ
が行ったキャンドルスティック・パークでのライヴコンサートのこと。ストーンズの作品「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル」を考えると、この一行はぴったし来ます。
もうひとつの解釈はこの「ジャック」がジョンFケネディーを指すというもの。この場合ろうそく立てと炎は、ミサイルと核戦争を意味します。これは、いわゆるアメリカのキューバ危機のことですね。この時、ケネディーは早急に決断を下さなければなかった。彼の判断が少しでも遅れてしまうと、ミサイルが発射される。炎の上にケネディーが座っているというわけです。
このように一行一行にさまざまな事象がたくみに比喩されて織り込まれているのですが、どれが正解かはこれを書いた本人にしかわかりません。ところが当の本人はこの曲の解釈についていっさいコメントしないと言っているのです。おそらく、多くの人がする解釈でいくつかは正しく、いくつかは正しくないのかも知れません。まあ、それも良いでしょう。解釈を解説しないのも、見識であり、そして、勝手に解釈するのも、聞き手の自由でもあります。
ところで59年2月の運命の飛行機には本当は4人目の乗客がいました。しかし、座席が3つしかなかったため、彼らはコイントスをしてその飛行機に乗る乗らないを決めました。コイントスに負けた人物はウェイロン・ジェニングスという人物です。彼は後に作詞家として名前をなすことになります。クルセイダーズで大ヒットした「ストリート・ライフ」の作詞をしたのがウェイロンです。しかし、彼もまたこの事故については決して語ってくれません。コイントスがあまりに大きな人生の岐路となったからです。とても人に話せることではないのでしょう。
ドン・マクリーンのこの曲、そして、ライヴパフォーマンスを見て感動した人物がいました。その彼はその感動を一曲の作品にしたためます。「彼の歌で私をやさしく殺して」というタイトルの曲です。そう、「キリング・ミー・ソフトリー・ウィズ・ヒズ・ソング」です。これは、ロバータ・フラックが歌って大ヒットになりました。ここでいう「ヒズ」(彼の)は、ドン・マクリーンのことです。
そして、僕は今日どうしてもこのうんちくをできるだけ紹介したいということと、この曲をフルで8分半かけたいと思っていました。通常ですと、大体3,4分かけたところで曲にのってしゃべってしまうのですが、無理にディレクターたちにお願いしてフルでかけました。曲を8分半かけたためにおしゃべりが少しはしょってしまいましたが、まあ、それもしょうがないかもしれません。今時、8分半の曲をフルで
かけるラジオ番組なんてなかなかないでしょうから、これはこれでよかったのではないかと思います。スポンサーの山野楽器さんにも理解を示していただいて感謝です。
どうしても、僕がこの曲をフルでかけたかったのは、僕がこの曲を32年前FENで初めて聞いたとき、そのDJがこの曲をカットせずにフルでかけ、そのときのあまりの衝撃をものすごく覚えていたからです。僕はあのとき、曲の意味などまったくわからなかったのに、8分半、本当にラジオのスピーカーの前でこの曲に聞き入ってしまいました。そしてたった一回聞いただけで、この曲のそして、ドン・マクリーンの大ファンになりました。もちろん、それはこの曲が持つ普遍的な魅力があったからでしょう。しかし、当時シングル一曲3分以内という中で8分半の曲をかけたDJの勇気のおかげもあったのではないかと、後になって思います。だから、今日8分半の長い曲を聴いて、ひとりでもこの曲の魅力にふれられたら、音楽を紹介する立場の人間としてこれ以上の喜びはありません。この曲は「音楽が死んだ日」を歌っていますが、僕にとってはある意味で「音楽の生まれた日」あるいは「音楽の魅力が生まれた日」でもあるわけです。
この曲は、2枚組の「ザ・70ズ、ビューティフル・デイズ」というアルバムに収録されています。
"American Pie" Saga Continues:
2004年5月4日謎。
「アメリカン・パイ」の解釈に最初に熱心に取り組んだのは、シカゴのラジオDJボブ・ディアボーンという人でした。彼は夜の時間帯に毎日自分のショウをやっていましたが、71年暮れに届いたこのドン・マクリーンの新曲の内容にとても興味を持ち、歌詞を詳細に吟味し、72年初め、自分なりの解釈を数ページのレターヘッドに書き記したのです。
彼は自分の番組の中でこの解釈を書いた原稿に興味があれば、局に手紙を送ってくれ、郵送すると言ったのです。すると、まもなく局には全米から山のような問い合わせの手紙が届いたのです。彼の局WCFLは、当時AMで夜になると地元シカゴだけでなく、全米の広範囲で聴取が可能だったのです。
この反応に驚いた局は、あわてて、返信用切手を貼った封筒を必ず同封するようにと言いますが、この曲に対する興味は薄れることなく、何万通という手紙が発送されました。
ディアボーンは、この解釈を元に、「アメリカン・パイ」を聴いて解釈する特番を制作します。少しずつ歌をかけ、一行が終るとその解釈を解説し、また曲を続け、再び解説をつける、というスタイルです。これも大好評を博し、シカゴの局のローカル番組が全米各地のラジオ局に配給されました。それだけでなく、この解釈を書いた原稿は新聞に掲載され、さらに、テレビのニュースネタとして取材され、「アメリカン・パイ」の解釈は一大ブームにまでなりました。
そして、その彼が72年から約28年たった2000年に、その原稿をウェッブに公開したのです。それがこれです。
http://user.pa.net/~ejjeff/pie.html
昨日アドレスを紹介した研究家のウェッブも、このディアボーンの最初の解釈を参考にしているように思われます。それにしても、実にたくさんの解釈があるんですね。ブルースを歌うシンガーとして、一応ジャニス・ジョプリンだとマクリーン自身は認めているようですが、これをビリー・ホリデイではないかと考える人もいるわけです。またこの曲全体をケネディー暗殺と関連づけて捉える人もいます。
ドン・マクリーンのウェッブもあります。http://www.don-mclean.com/ それでもわからない謎の部分はそのまま残っていますが。(笑) しかし、これほどまでに「語られる曲」は、そうそうありませんね。
「アメリカン・パイ」の解釈に最初に熱心に取り組んだのは、シカゴのラジオDJボブ・ディアボーンという人でした。彼は夜の時間帯に毎日自分のショウをやっていましたが、71年暮れに届いたこのドン・マクリーンの新曲の内容にとても興味を持ち、歌詞を詳細に吟味し、72年初め、自分なりの解釈を数ページのレターヘッドに書き記したのです。
彼は自分の番組の中でこの解釈を書いた原稿に興味があれば、局に手紙を送ってくれ、郵送すると言ったのです。すると、まもなく局には全米から山のような問い合わせの手紙が届いたのです。彼の局WCFLは、当時AMで夜になると地元シカゴだけでなく、全米の広範囲で聴取が可能だったのです。
この反応に驚いた局は、あわてて、返信用切手を貼った封筒を必ず同封するようにと言いますが、この曲に対する興味は薄れることなく、何万通という手紙が発送されました。
ディアボーンは、この解釈を元に、「アメリカン・パイ」を聴いて解釈する特番を制作します。少しずつ歌をかけ、一行が終るとその解釈を解説し、また曲を続け、再び解説をつける、というスタイルです。これも大好評を博し、シカゴの局のローカル番組が全米各地のラジオ局に配給されました。それだけでなく、この解釈を書いた原稿は新聞に掲載され、さらに、テレビのニュースネタとして取材され、「アメリカン・パイ」の解釈は一大ブームにまでなりました。
そして、その彼が72年から約28年たった2000年に、その原稿をウェッブに公開したのです。それがこれです。
http://user.pa.net/~ejjeff/pie.html
昨日アドレスを紹介した研究家のウェッブも、このディアボーンの最初の解釈を参考にしているように思われます。それにしても、実にたくさんの解釈があるんですね。ブルースを歌うシンガーとして、一応ジャニス・ジョプリンだとマクリーン自身は認めているようですが、これをビリー・ホリデイではないかと考える人もいるわけです。またこの曲全体をケネディー暗殺と関連づけて捉える人もいます。
ドン・マクリーンのウェッブもあります。http://www.don-mclean.com/ それでもわからない謎の部分はそのまま残っていますが。(笑) しかし、これほどまでに「語られる曲」は、そうそうありませんね。
一期一会。
背中を眺めつつ、斜め後ろから彼の指の動きを見つめる。ピアノが客席に対して直角ではなく、若干斜めに置かれているので、舞台左手のあたりだと、ピアニストの手の動きがよく見える。特に右手の動きは目前で、左手も、右側に移動するときはよく見える。その華麗な動きを見ているだけで、気持ちよくなってくる。そして背中の主は、ジョー・サンプル。
その手と腕の動きは、水面(みなも)を跳ねる魚のよう。時に、飛び、そして、水の中を自由自在に泳ぐ。水の中を優雅に泳ぐその手の動きは無駄がなく美しい。体全体は実に大きくゆれるが、腕のあたりにクッションがはいっているかの如く、鍵盤に指先が触れる瞬間、すっと力が抜けて、絶妙のソフトタッチが生まれる。そこからサンプル独特のピアノタッチが響く。
前回の来日(2003年12月)は、まったくのジョー・サンプルひとりのソロピアノだったが、今回はアコースティック・ベース(ジェイ・アンダーソン)とドラムス(アダム・ナスバウム)を従えてのトリオ。正直に言うと今回のドラムスは、僕はジョーとあっているように思えなかった。
ミュージシャンがユニットとして音楽を作る場合、「ひとつのイメージの共有」が必要だ。しかし、ドラムスとジョー・サンプルがひとつのイメージを共有しているようには思えなかった。ミュージシャンはある程度自己主張がなければならない。個性が生まれないからだ。しかし、自己主張するだけではコラボレートにならない。まず、相手に耳を傾け、聴かなければならない。この場合、ジョー・サンプルのピアノをじっくり聴き、ジョーのピアノのソウルをつかまなければならない。どうも、そうした作業がなされていたとは思えない。順番が回ってきて、そこでただソロを思い切り叩くだけでは観客を満足させることはできないのだ。トリオのミュージシャンがいるなら、そこで音楽の力学は正三角形を描かなければならない。というわけで、トリオとしては若干の不満をもったが、ジョーのピアノには満足した。
最後の曲「カーメル」を終えて、ステージを降りるジョーに一人の女性が何かをささやいた。アンコールに戻ってきたジョーは、その女性を指してこう言った。「このレディーが、『メロディーズ・オブ・ラヴ』を聴きたがってるんだ。ただ、これだけ(今まで)僕が強く弾いてしまったので、このピアノはもう音が少しずれている。でも、やってみよう」
そして、ジョーひとりでゆったりとした「メロディーズ・オブ・ラヴ」が始まった。レコードとも違う、毎回どこかが違う「メロディーズ・オブ・ラヴ」。それは今日限りの「メロディーズ・オブ・ラヴ」、まさに一期一会のメロディー。
+++++
Setlist Second Set
(title of the song /album/album released year)
show started 21:01
1. The Texas Two Step (The Pecan Tree - 2002)
2. Rainbow Seeker ( Rainbow Seeker - 1978)
3. Souly Creole (Old Places, Old Faces - 1995)
4. The Pecan Tree (The Pecan Tree - 2002)
5. Memories (The Pecan Tree - 2002)
6. X Marks The Spot (Marie Laveau) (The Pecan Tree - 2002)
7. Chain Reaction (Crusaders, Chain Reaction - 1975)
8. Django (Invitation - 1993)
9. Street Life (Crusaders, Street Life - 1979 / Joe Sample, The Song Lives On - 1999)
10. Carmel (Carmel - 1979)
Encore Melodies Of Love (Rainbow Seeker - 1978)
show ended 22:26
(2004年5月4日火曜・東京ブルーノート・セカンド=ジョー・サンプル・ライヴ)
+++++
(関連記事)
ジョー・サンプル&レイラ・ハザウエイ・ライヴ 「魔術師の指」 1999年6月
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/sample19990608.html
ジョー・サンプル・ライヴ 「宇宙のように大きな背中」 2002年4月
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/joe20020409.html
クルセイダーズ・ライヴ 「ウォーリッツァーの初体験」 2003年10月
What Did 40 Year Old Wurlitzer See In Tokyo?
http://diarynote.jp/d/32970/20031010.html
ジョー・サンプル・ライヴ 「引き算のピアノ」 2003年12月
Joe Sample: Abstract Subtraction
http://diarynote.jp/d/32970/20031211.html
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背中を眺めつつ、斜め後ろから彼の指の動きを見つめる。ピアノが客席に対して直角ではなく、若干斜めに置かれているので、舞台左手のあたりだと、ピアニストの手の動きがよく見える。特に右手の動きは目前で、左手も、右側に移動するときはよく見える。その華麗な動きを見ているだけで、気持ちよくなってくる。そして背中の主は、ジョー・サンプル。
その手と腕の動きは、水面(みなも)を跳ねる魚のよう。時に、飛び、そして、水の中を自由自在に泳ぐ。水の中を優雅に泳ぐその手の動きは無駄がなく美しい。体全体は実に大きくゆれるが、腕のあたりにクッションがはいっているかの如く、鍵盤に指先が触れる瞬間、すっと力が抜けて、絶妙のソフトタッチが生まれる。そこからサンプル独特のピアノタッチが響く。
前回の来日(2003年12月)は、まったくのジョー・サンプルひとりのソロピアノだったが、今回はアコースティック・ベース(ジェイ・アンダーソン)とドラムス(アダム・ナスバウム)を従えてのトリオ。正直に言うと今回のドラムスは、僕はジョーとあっているように思えなかった。
ミュージシャンがユニットとして音楽を作る場合、「ひとつのイメージの共有」が必要だ。しかし、ドラムスとジョー・サンプルがひとつのイメージを共有しているようには思えなかった。ミュージシャンはある程度自己主張がなければならない。個性が生まれないからだ。しかし、自己主張するだけではコラボレートにならない。まず、相手に耳を傾け、聴かなければならない。この場合、ジョー・サンプルのピアノをじっくり聴き、ジョーのピアノのソウルをつかまなければならない。どうも、そうした作業がなされていたとは思えない。順番が回ってきて、そこでただソロを思い切り叩くだけでは観客を満足させることはできないのだ。トリオのミュージシャンがいるなら、そこで音楽の力学は正三角形を描かなければならない。というわけで、トリオとしては若干の不満をもったが、ジョーのピアノには満足した。
最後の曲「カーメル」を終えて、ステージを降りるジョーに一人の女性が何かをささやいた。アンコールに戻ってきたジョーは、その女性を指してこう言った。「このレディーが、『メロディーズ・オブ・ラヴ』を聴きたがってるんだ。ただ、これだけ(今まで)僕が強く弾いてしまったので、このピアノはもう音が少しずれている。でも、やってみよう」
そして、ジョーひとりでゆったりとした「メロディーズ・オブ・ラヴ」が始まった。レコードとも違う、毎回どこかが違う「メロディーズ・オブ・ラヴ」。それは今日限りの「メロディーズ・オブ・ラヴ」、まさに一期一会のメロディー。
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Setlist Second Set
(title of the song /album/album released year)
show started 21:01
1. The Texas Two Step (The Pecan Tree - 2002)
2. Rainbow Seeker ( Rainbow Seeker - 1978)
3. Souly Creole (Old Places, Old Faces - 1995)
4. The Pecan Tree (The Pecan Tree - 2002)
5. Memories (The Pecan Tree - 2002)
6. X Marks The Spot (Marie Laveau) (The Pecan Tree - 2002)
7. Chain Reaction (Crusaders, Chain Reaction - 1975)
8. Django (Invitation - 1993)
9. Street Life (Crusaders, Street Life - 1979 / Joe Sample, The Song Lives On - 1999)
10. Carmel (Carmel - 1979)
Encore Melodies Of Love (Rainbow Seeker - 1978)
show ended 22:26
(2004年5月4日火曜・東京ブルーノート・セカンド=ジョー・サンプル・ライヴ)
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(関連記事)
ジョー・サンプル&レイラ・ハザウエイ・ライヴ 「魔術師の指」 1999年6月
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/sample19990608.html
ジョー・サンプル・ライヴ 「宇宙のように大きな背中」 2002年4月
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/joe20020409.html
クルセイダーズ・ライヴ 「ウォーリッツァーの初体験」 2003年10月
What Did 40 Year Old Wurlitzer See In Tokyo?
http://diarynote.jp/d/32970/20031010.html
ジョー・サンプル・ライヴ 「引き算のピアノ」 2003年12月
Joe Sample: Abstract Subtraction
http://diarynote.jp/d/32970/20031211.html
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映画『永遠のモータウン』が日本でも5月1日から公開されているが、モータウン関連のニュースが目白押しなので、まとめてご紹介する。
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ベリー・ゴーディー、音楽出版社を売却
『モータウン、わが愛と夢』をテレビ・シリーズに企画も
モータウン・レコードの創始者ベリー・ゴーディーは、このほど自身が保有していた音楽出版社、ジョベッタ・ミュージックの株式の残りをすべてEMIグループに売却した。このモータウンのカタログにはマーヴィン・ゲイ、スモーキー・ロビンソン、ダイアナ・ロス、テンプテーションズ、フォートップスなどによってヒットしたおよそ15000曲に上る作品が含まれる。このうちの100曲以上はチャートでナンバーワンを記録している、という。
EMIは、1997年に株式の50%を1億3200万ドル(およそ132億円)で買収、2003年にはさらに30%を買い上げ、今回残る20%を買い取った。このカタログは4億ドルの価値があると見る向きもある。
一方、ベリー・ゴーディーは、ブロードウェイでミュージカル『エイント・ノー・マウンテイン・ハイ・イナフ』を企画中。これは来年公開をめどに制作を進めている。主演、物語の内容などは未発表だが、その中では多数のモータウン・ヒットが歌われることはまちがいない。
またこれと並行して、ゴーディーは自身の自伝『トゥ・ビー・ラヴド(邦題、モータウン、わが愛と夢)』をテレビのミニシリーズ化しようと売込み中だ。現在NBCと12時間のミニシリーズ化の話をすすめている、という。これは、ベリー・ゴーディーの成功物語を時間軸に従って、追っていくものになると思われる。
これらのゴーディー企画とは別に、マーヴィン・ゲイの人生を描いた映画の企画も2本進行中だという。ただし、これが現実化するかは、まだわからない。
+++++
ファンク・ブラザース、訴えられる
映画『永遠のモータウン(原題、スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン)』で一躍脚光を浴びたファンク・ブラザースが、映画製作チームから訴えられている。これは、映画を製作したリムショッツ・プロダクションが2年間当初ファンク・ブラザースをマネージする契約になっていたが、ファンク・ブラザースは同プロを通さずにライヴの仕事などをとったため、そのマネージメント料の取り分について訴えられたもの。
ファンク・ブラザースは2002年11月の映画公開以降、一挙に注目を集めるようになり、ライヴやテレビ出演などの要請が多くなった。テレビでも『アメリカン・アイドル』などにも出演。過去1年で100万ドル(約1億円)を売り上げたと見られている。
一方、同映画のサウンドトラック盤のデラックス・エディションがアメリカで5月11日に発売される。これは二枚組みで、当初発売されたヴァージョンに未発表の音源などが加えられる。
また、去る4月に行われた『モータウン45』の模様は、ABCテレビで5月17日に放送される。
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自伝。
これらのニュースの中で興味深いのは、ベリー・ゴーディーの二つの企画。ミュージカルと自伝のテレビドラマ化だ。
ミュージカルはモータウンのヒットを使えばいかようにもできると思う。やはり思い浮かぶのが、ドリス・トロイの生涯を描いた『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』などだ。当時の様々なヒットがちりばめられ上手にストーリーが語られれば、おもしろいものができるだろう。
一方で、彼の自伝のテレビのミニシリーズ化の企画というのも興味深い。これがアメリカでヒットし、日本でも放映されることになれば、原作本にももっと注目が集まるかもしれない。そうなれば、僕としてもひじょうに嬉しい。(笑) この本をベースにドラマ化すると、やはり、50年代初期から86年の売却あたりまでだろうか。ベリー・ゴーディーとしては、モータウンの売却でひとつピリオドを打ったという感じがあるだろうから。
ベリー・ゴーディー役は誰か、ダイアナ・ロス役は誰がやるのか、マーヴィンは、スティーヴィーは、スモーキーは一体誰が演じるのだろうか。デンゼル・ワシントン、サミュエル・ジャクソン、ウィル・スミス、モーガン・フリーマン、ジェイダ・ピンケット、アンジェラ・バセット、フォーレスト・ウィテッカー、ダニー・グローヴァー、ウーピー・ゴールドバーグ、マーティン・ローレンス…。おもいつくままに、ブラック系の俳優を並べてみたが、きっともっと若手がたくさんいるのだろう。
ところで、映画『永遠のモータウン』が1日から一般公開され、音楽ファンの間では大きな話題になっている。もっともっと話題になってくれるとうれしい。
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ベリー・ゴーディー、音楽出版社を売却
『モータウン、わが愛と夢』をテレビ・シリーズに企画も
モータウン・レコードの創始者ベリー・ゴーディーは、このほど自身が保有していた音楽出版社、ジョベッタ・ミュージックの株式の残りをすべてEMIグループに売却した。このモータウンのカタログにはマーヴィン・ゲイ、スモーキー・ロビンソン、ダイアナ・ロス、テンプテーションズ、フォートップスなどによってヒットしたおよそ15000曲に上る作品が含まれる。このうちの100曲以上はチャートでナンバーワンを記録している、という。
EMIは、1997年に株式の50%を1億3200万ドル(およそ132億円)で買収、2003年にはさらに30%を買い上げ、今回残る20%を買い取った。このカタログは4億ドルの価値があると見る向きもある。
一方、ベリー・ゴーディーは、ブロードウェイでミュージカル『エイント・ノー・マウンテイン・ハイ・イナフ』を企画中。これは来年公開をめどに制作を進めている。主演、物語の内容などは未発表だが、その中では多数のモータウン・ヒットが歌われることはまちがいない。
またこれと並行して、ゴーディーは自身の自伝『トゥ・ビー・ラヴド(邦題、モータウン、わが愛と夢)』をテレビのミニシリーズ化しようと売込み中だ。現在NBCと12時間のミニシリーズ化の話をすすめている、という。これは、ベリー・ゴーディーの成功物語を時間軸に従って、追っていくものになると思われる。
これらのゴーディー企画とは別に、マーヴィン・ゲイの人生を描いた映画の企画も2本進行中だという。ただし、これが現実化するかは、まだわからない。
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ファンク・ブラザース、訴えられる
映画『永遠のモータウン(原題、スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン)』で一躍脚光を浴びたファンク・ブラザースが、映画製作チームから訴えられている。これは、映画を製作したリムショッツ・プロダクションが2年間当初ファンク・ブラザースをマネージする契約になっていたが、ファンク・ブラザースは同プロを通さずにライヴの仕事などをとったため、そのマネージメント料の取り分について訴えられたもの。
ファンク・ブラザースは2002年11月の映画公開以降、一挙に注目を集めるようになり、ライヴやテレビ出演などの要請が多くなった。テレビでも『アメリカン・アイドル』などにも出演。過去1年で100万ドル(約1億円)を売り上げたと見られている。
一方、同映画のサウンドトラック盤のデラックス・エディションがアメリカで5月11日に発売される。これは二枚組みで、当初発売されたヴァージョンに未発表の音源などが加えられる。
また、去る4月に行われた『モータウン45』の模様は、ABCテレビで5月17日に放送される。
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自伝。
これらのニュースの中で興味深いのは、ベリー・ゴーディーの二つの企画。ミュージカルと自伝のテレビドラマ化だ。
ミュージカルはモータウンのヒットを使えばいかようにもできると思う。やはり思い浮かぶのが、ドリス・トロイの生涯を描いた『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』などだ。当時の様々なヒットがちりばめられ上手にストーリーが語られれば、おもしろいものができるだろう。
一方で、彼の自伝のテレビのミニシリーズ化の企画というのも興味深い。これがアメリカでヒットし、日本でも放映されることになれば、原作本にももっと注目が集まるかもしれない。そうなれば、僕としてもひじょうに嬉しい。(笑) この本をベースにドラマ化すると、やはり、50年代初期から86年の売却あたりまでだろうか。ベリー・ゴーディーとしては、モータウンの売却でひとつピリオドを打ったという感じがあるだろうから。
ベリー・ゴーディー役は誰か、ダイアナ・ロス役は誰がやるのか、マーヴィンは、スティーヴィーは、スモーキーは一体誰が演じるのだろうか。デンゼル・ワシントン、サミュエル・ジャクソン、ウィル・スミス、モーガン・フリーマン、ジェイダ・ピンケット、アンジェラ・バセット、フォーレスト・ウィテッカー、ダニー・グローヴァー、ウーピー・ゴールドバーグ、マーティン・ローレンス…。おもいつくままに、ブラック系の俳優を並べてみたが、きっともっと若手がたくさんいるのだろう。
ところで、映画『永遠のモータウン』が1日から一般公開され、音楽ファンの間では大きな話題になっている。もっともっと話題になってくれるとうれしい。
ニューオーリンズ。
ミスター・サンプルの真後ろでその指先を見た。時々、目にもとまらぬ早さで指が動いていた。
彼の曲の解説はおもしろい。ほとんど毎回演奏する「Xマークス・ザ・スポット」では、ニューオーリンズにいたヴードゥー教(ブードゥー教)の女王マリー・ラヴォーについて語る。「ニューオーリンズに来たら、マリー・ラヴォーの墓参りに行きなさい。そして、彼女の墓石にXのマークをつけるんだ。そうしないと、東京に帰ってきて悪いことが起こるよ。(笑) 僕なんか、もう何百もX印をつけてきた(笑)」
マリー・ラヴォーについてちょっと調べてみた。1794年か1796年生まれ、1881年6月16日に87歳で死去したと言われる。いくつかの人種の混血。生地は様々な説がある。当初はヘアドレッサーというから髪の毛を切る仕事、今で言う美容師をしていた。そしていつしかヴードゥー教を学び、その後彼女は長い間ヴードゥー教のクイーンとして君臨した。ヴードゥー教は、アフリカを起源にハイチを経由してニューオーリンズにはいってきた宗教で、呪いをかけるとそれが実現するという種類のもの。数奇な人生を送ったマリー・ラヴォーは、ヴードゥー・クイーンとして、さまざまな伝説を残した、という。当時、ニューオーリンズでは一般的な宗教よりもこのヴードゥーのほうが市民に対して大きな影響力を持っていたらしい。
ニューオーリンズという土地は1718年から1762年までフランスが統治、さらにその後1803年までスペイン領だった。一時期フランスが取り返すもののまもなくアメリカに。ニューオーリンズに残るヨーロッパの香り、あるいはフレンチクォーターはその名残だ。そして、ジョー・サンプルはとりわけニュー・オーリンズに思い入れが強いようだ。かつては、同地にあるザディゴというジャンルの音楽も演奏したことがある。
彼の曲の解説はおもしろい。アンコールで珍しい曲を演奏した。アルバム『サンプル・ディス』に収録されている「シュリヴポート・ストンプス」という作品だが、これについて彼はマイクを持ってこう説明した。「この曲は第一次世界大戦の前に書かれた曲だ。ジェリー・ロール・モートンという古いピアニストが1921年か22年頃に書いた作品。彼は自分がジャズを始めたと言っている人物でもある。そのジェリーの作品『シュリヴポート・ストンプス』」
ジェリー・ロール・モートンについてちょっと調べてみた。1890年10月20日ニューオーリンズ生まれ。1941年7月10日ロスアンジェルスで50歳で死去。10歳頃からピアノを弾き始め、1900年代にはいると、それまでのニューオーリンズ・タイプのラグタイム風のピアノから発展してジャズ風のアレンジを聞かせるようになった。10代の頃はピアノでは食べられなかったので、ギャンブルをしたり、ビリヤードをしたり、時にはピンプ(ポン引き)などもしていた、という。1920年代に入るとレコーディングをするようになった。
当時は78回転のレコードだったので、一枚に3分程度しか録音できなかったが、ジェリーはその中で起承転結をつけた楽曲を録音していた。以前購入していたピアノばかりを集めたCD40枚組の中に彼の作品だけを集めた1枚があった。ニューオーリンズ風、ラグタイム風ののりのいい作品群だった。ジョー・サンプルがこうしたピアノを聴いて影響を受けたのがよくわかる。
ジェリーは、かなり革新的で現在では実際よりも評価が低いグレイト・ミュージシャンとして認知されているが、当時は個性的な性格のためか回りのミュージシャンとぶつかることが多く、晩年はあまりミュージシャンとして恵まれてはいなかったようだ。
さて、ジョーが2000年のジョージ・ベンソンのアルバムのために書いた曲を演奏した。これはジョー自身は自分名義では録音していない。あるいは、バート・バカラックの作品「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」は、かなりムーディーな雰囲気。一方アンコール一曲前の、本編最後の曲となった「カーメル」は、イントロ部分に自由なインプロヴィゼーションをいれ、「カーメル」に突入した。このあたりの作品のいじり方は自由自在だ。
ミスター・サンプルの真後ろでピアノを聴いた。アンプとスピーカーからの音だけでなく、目の前のピアノから直接音が聴こえてきた。
Setlist (2nd set)
show started 21:31
1. The Texas Two Step ("The Pecan Tree" - 2002)
2. Spellbound ("The Spellbound" - 1989)
3. One On One (George Benson "Absolute Benson" - 2000)
4. A House Is Not A Home ("Invitation" - 1993)
5. More Beautiful Each Day ("Carmel" - 1979)
6. The Song Lives On ("The Song Lives On" - 1999)
7. X Marks The Spot ("The Pecan Tree" - 2002)
8. Ashes To Ashes ("Ashes To Ashes" - 1990)
9. Street Life (Crusaders, "Street Life" - 1979 / Joe Sample, "The Song Lives On" - 1999)
10. Carmel ("Carmel" - 1979)
Encore. Shreveport Stomps (From "Sample This" - 1997)
show ended 22:51
(2004年5月6日木曜・東京ブルーノート・セカンド=ジョー・サンプル・ライヴ)
ミスター・サンプルの真後ろでその指先を見た。時々、目にもとまらぬ早さで指が動いていた。
彼の曲の解説はおもしろい。ほとんど毎回演奏する「Xマークス・ザ・スポット」では、ニューオーリンズにいたヴードゥー教(ブードゥー教)の女王マリー・ラヴォーについて語る。「ニューオーリンズに来たら、マリー・ラヴォーの墓参りに行きなさい。そして、彼女の墓石にXのマークをつけるんだ。そうしないと、東京に帰ってきて悪いことが起こるよ。(笑) 僕なんか、もう何百もX印をつけてきた(笑)」
マリー・ラヴォーについてちょっと調べてみた。1794年か1796年生まれ、1881年6月16日に87歳で死去したと言われる。いくつかの人種の混血。生地は様々な説がある。当初はヘアドレッサーというから髪の毛を切る仕事、今で言う美容師をしていた。そしていつしかヴードゥー教を学び、その後彼女は長い間ヴードゥー教のクイーンとして君臨した。ヴードゥー教は、アフリカを起源にハイチを経由してニューオーリンズにはいってきた宗教で、呪いをかけるとそれが実現するという種類のもの。数奇な人生を送ったマリー・ラヴォーは、ヴードゥー・クイーンとして、さまざまな伝説を残した、という。当時、ニューオーリンズでは一般的な宗教よりもこのヴードゥーのほうが市民に対して大きな影響力を持っていたらしい。
ニューオーリンズという土地は1718年から1762年までフランスが統治、さらにその後1803年までスペイン領だった。一時期フランスが取り返すもののまもなくアメリカに。ニューオーリンズに残るヨーロッパの香り、あるいはフレンチクォーターはその名残だ。そして、ジョー・サンプルはとりわけニュー・オーリンズに思い入れが強いようだ。かつては、同地にあるザディゴというジャンルの音楽も演奏したことがある。
彼の曲の解説はおもしろい。アンコールで珍しい曲を演奏した。アルバム『サンプル・ディス』に収録されている「シュリヴポート・ストンプス」という作品だが、これについて彼はマイクを持ってこう説明した。「この曲は第一次世界大戦の前に書かれた曲だ。ジェリー・ロール・モートンという古いピアニストが1921年か22年頃に書いた作品。彼は自分がジャズを始めたと言っている人物でもある。そのジェリーの作品『シュリヴポート・ストンプス』」
ジェリー・ロール・モートンについてちょっと調べてみた。1890年10月20日ニューオーリンズ生まれ。1941年7月10日ロスアンジェルスで50歳で死去。10歳頃からピアノを弾き始め、1900年代にはいると、それまでのニューオーリンズ・タイプのラグタイム風のピアノから発展してジャズ風のアレンジを聞かせるようになった。10代の頃はピアノでは食べられなかったので、ギャンブルをしたり、ビリヤードをしたり、時にはピンプ(ポン引き)などもしていた、という。1920年代に入るとレコーディングをするようになった。
当時は78回転のレコードだったので、一枚に3分程度しか録音できなかったが、ジェリーはその中で起承転結をつけた楽曲を録音していた。以前購入していたピアノばかりを集めたCD40枚組の中に彼の作品だけを集めた1枚があった。ニューオーリンズ風、ラグタイム風ののりのいい作品群だった。ジョー・サンプルがこうしたピアノを聴いて影響を受けたのがよくわかる。
ジェリーは、かなり革新的で現在では実際よりも評価が低いグレイト・ミュージシャンとして認知されているが、当時は個性的な性格のためか回りのミュージシャンとぶつかることが多く、晩年はあまりミュージシャンとして恵まれてはいなかったようだ。
さて、ジョーが2000年のジョージ・ベンソンのアルバムのために書いた曲を演奏した。これはジョー自身は自分名義では録音していない。あるいは、バート・バカラックの作品「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」は、かなりムーディーな雰囲気。一方アンコール一曲前の、本編最後の曲となった「カーメル」は、イントロ部分に自由なインプロヴィゼーションをいれ、「カーメル」に突入した。このあたりの作品のいじり方は自由自在だ。
ミスター・サンプルの真後ろでピアノを聴いた。アンプとスピーカーからの音だけでなく、目の前のピアノから直接音が聴こえてきた。
Setlist (2nd set)
show started 21:31
1. The Texas Two Step ("The Pecan Tree" - 2002)
2. Spellbound ("The Spellbound" - 1989)
3. One On One (George Benson "Absolute Benson" - 2000)
4. A House Is Not A Home ("Invitation" - 1993)
5. More Beautiful Each Day ("Carmel" - 1979)
6. The Song Lives On ("The Song Lives On" - 1999)
7. X Marks The Spot ("The Pecan Tree" - 2002)
8. Ashes To Ashes ("Ashes To Ashes" - 1990)
9. Street Life (Crusaders, "Street Life" - 1979 / Joe Sample, "The Song Lives On" - 1999)
10. Carmel ("Carmel" - 1979)
Encore. Shreveport Stomps (From "Sample This" - 1997)
show ended 22:51
(2004年5月6日木曜・東京ブルーノート・セカンド=ジョー・サンプル・ライヴ)
映画『永遠のモータウン』関連記事・特集
映画『永遠のモータウン(原題、Standing In The Shadows Of Motown)』が1日から公開され、満員が続いているという。ここでこれまでにご紹介した映画『永遠のモータウン』とその関連記事をもう一度まとめておこう。
1) 2002年12月2日付け日記。全米で映画『スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン』が公開されたというニュース。(12月の日記はファイルがひとつになっていますので、スクロールして2日付へお進みください。)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200212.html
2) 2003年4月29日付け日記。ファンク・ブラザース・ライヴ評。
http://diarynote.jp/d/32970/20030429.html
3) 2003年10月25日付け日記。日本で『永遠のモータウン』の字幕付き試写を見ての映画評。"Standing In The Shadows Of Motown": Motown’s Sparkle & Shadow
光影。「モータウンの光と影」
http://diarynote.jp/d/32970/20031025.html
4) 2004年3月28日付け日記。ファンク・ブラザースの音源をCD化。The Funk Brothers’ Album Released
http://diarynote.jp/d/32970/20040328.html
5) 2004年3月29日付け日記。『ソウルブレンズ』で、モータウン特集
http://diarynote.jp/d/32970/20040329.html
6) 2004年5月6日付け日記。モータウン・ニュースいろいろ。 Motown, Motown, Motown: "To Be Loved" Would Be TV Mini-Series
http://diarynote.jp/d/32970/20040506.html
7) 映画『永遠のモータウン』公式ウェッブサイト
http://www.eiennomotown.com/index2.html
8)ベリー・ゴーディー自伝『モータウン、わが愛と夢』(原題 To Be Loved)(東京FM出版より発売中)
モータウンレコード創始者、ベリー・ゴーディーの唯一の自伝。ゴーディーがいかにしてモータウンを設立し、これを世界的な大レーベルにしたか。ダイアナ・ロス、スティーヴィー、マーヴィン、スモーキーらとの知られざるエピソード満載。映画に感動したら、この本でさらに感動を増幅させてお楽しみください。
本はこれ。↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/492488068X/qid=1083998598/sr=1-5/ref=sr_1_8_5/250-3148806-1228223
その時、一緒に作ったCDはこれ。↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FMTW/250-3148806-1228223
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ヒーロー。
この映画『永遠のモータウン』が、音楽映画は当たらないという業界の予想をくつがえして連日満員になっているのは、当初から応援してきた者としても、ものすごくうれしい。この作品のヒットの要因は、やはりドキュメンタリー作品としてうまくできているということに尽きる。
ジェマーソンや、ロバート・ホワイト、ユリエール・ジョーンズなど実にカラフルな人物たちの豊潤なストーリーは、どれもおもしろい。時におもしろく、時にほろ苦い物語は、そこに真実があるだけに人々の胸を打つ。そして、栄光と挫折、光が当たる者とまったく当たらない者とにくっきりと明暗が分かれているところが、見る者を余計に感情的にしていく。
彼らは決して「夢の中」に入ることなく、「夢の外」にしかいられなかった。そして、気が付いたらその夢自体がはかなく消えていた。そこにスポットを当て、タイトルに「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン(モータウンの影に立って)」とつけた瞬間から、ドキュメンタリーとしては勝利を手中に収めていたのかもしれない。
ところで、60年代の音楽業界について若干補足しておこう。スタジオで歌手のバックをつけるミュージシャンたちをクレジットしなかったのは、別にモータウンだけではない。ロックの世界でも、他のソウル・ミュージックの世界でも、特にポップ、ヒットものに関しては、どこもミュージシャンのクレジットを載せるようなことはほとんどなかった。スタックスも、フィラデルフィアのローカル・レーベルも、シカゴのチェスも一般的なソウルレコードにはミュージシャンはクレジットされず、従って日の目を見ることはなかった。
前にも述べたが、モータウンの作品でミュージシャン・クレジットを初めて載せたアルバムはマーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』(71年)である。ロックの世界でクレジットがでるようになったのは、69年前後あたりから。いずれのスタジオミュージシャンも、アレンジャーも印税がもらえることはなく、いわゆる「取っ払い」(スタジオで演奏が終るとその場でキャッシュをもらってすべて終了)だった。若干のソングライター(作詞家、作曲家)は、ヒットになればその作詞家作曲家印税が入ってきた。ミュージシャン自身も、いつ支払われるかわからない印税よりも、その場のキャッシュ・オン・デリヴァリーのシステムのほうを好んだ。これは、どちらがいい悪いの問題ではなく、当時はそういうシステムだった、ということだけだ。だから極論すればスタジオミュージシャンは、皆ファンク・ブラザース同様、日の目をあびない裏方なのである。
この映画は、たまたまモータウンのスタジオミュージシャンにスポットを当てたが、他のモータウン以外のヒット曲の裏にもこれと同じほどのアンサング・ヒーローがいて、彼らはいまだに無名のままスポットを浴びることもなくすごしているのだ。だから、やろうと思えば「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・フィリー」とか、「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・メンフィス・ハイ」なんていう作品もすぐにできるだろう。
ファンク・ブラザースは、まさに職人。この生き生きとしたグルーヴ感。ジャズ、ファンク、ソウル、R&Bなどの要素をたくみにとりいれた彼らもまた生粋のリアル・ミュージシャンだ。彼らはグループとしてもワン・ビッグ・ファミリーだ。そして、モータウンのもうひとりのヒーローである。
映画『永遠のモータウン(原題、Standing In The Shadows Of Motown)』が1日から公開され、満員が続いているという。ここでこれまでにご紹介した映画『永遠のモータウン』とその関連記事をもう一度まとめておこう。
1) 2002年12月2日付け日記。全米で映画『スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン』が公開されたというニュース。(12月の日記はファイルがひとつになっていますので、スクロールして2日付へお進みください。)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200212.html
2) 2003年4月29日付け日記。ファンク・ブラザース・ライヴ評。
http://diarynote.jp/d/32970/20030429.html
3) 2003年10月25日付け日記。日本で『永遠のモータウン』の字幕付き試写を見ての映画評。"Standing In The Shadows Of Motown": Motown’s Sparkle & Shadow
光影。「モータウンの光と影」
http://diarynote.jp/d/32970/20031025.html
4) 2004年3月28日付け日記。ファンク・ブラザースの音源をCD化。The Funk Brothers’ Album Released
http://diarynote.jp/d/32970/20040328.html
5) 2004年3月29日付け日記。『ソウルブレンズ』で、モータウン特集
http://diarynote.jp/d/32970/20040329.html
6) 2004年5月6日付け日記。モータウン・ニュースいろいろ。 Motown, Motown, Motown: "To Be Loved" Would Be TV Mini-Series
http://diarynote.jp/d/32970/20040506.html
7) 映画『永遠のモータウン』公式ウェッブサイト
http://www.eiennomotown.com/index2.html
8)ベリー・ゴーディー自伝『モータウン、わが愛と夢』(原題 To Be Loved)(東京FM出版より発売中)
モータウンレコード創始者、ベリー・ゴーディーの唯一の自伝。ゴーディーがいかにしてモータウンを設立し、これを世界的な大レーベルにしたか。ダイアナ・ロス、スティーヴィー、マーヴィン、スモーキーらとの知られざるエピソード満載。映画に感動したら、この本でさらに感動を増幅させてお楽しみください。
本はこれ。↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/492488068X/qid=1083998598/sr=1-5/ref=sr_1_8_5/250-3148806-1228223
その時、一緒に作ったCDはこれ。↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FMTW/250-3148806-1228223
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ヒーロー。
この映画『永遠のモータウン』が、音楽映画は当たらないという業界の予想をくつがえして連日満員になっているのは、当初から応援してきた者としても、ものすごくうれしい。この作品のヒットの要因は、やはりドキュメンタリー作品としてうまくできているということに尽きる。
ジェマーソンや、ロバート・ホワイト、ユリエール・ジョーンズなど実にカラフルな人物たちの豊潤なストーリーは、どれもおもしろい。時におもしろく、時にほろ苦い物語は、そこに真実があるだけに人々の胸を打つ。そして、栄光と挫折、光が当たる者とまったく当たらない者とにくっきりと明暗が分かれているところが、見る者を余計に感情的にしていく。
彼らは決して「夢の中」に入ることなく、「夢の外」にしかいられなかった。そして、気が付いたらその夢自体がはかなく消えていた。そこにスポットを当て、タイトルに「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン(モータウンの影に立って)」とつけた瞬間から、ドキュメンタリーとしては勝利を手中に収めていたのかもしれない。
ところで、60年代の音楽業界について若干補足しておこう。スタジオで歌手のバックをつけるミュージシャンたちをクレジットしなかったのは、別にモータウンだけではない。ロックの世界でも、他のソウル・ミュージックの世界でも、特にポップ、ヒットものに関しては、どこもミュージシャンのクレジットを載せるようなことはほとんどなかった。スタックスも、フィラデルフィアのローカル・レーベルも、シカゴのチェスも一般的なソウルレコードにはミュージシャンはクレジットされず、従って日の目を見ることはなかった。
前にも述べたが、モータウンの作品でミュージシャン・クレジットを初めて載せたアルバムはマーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』(71年)である。ロックの世界でクレジットがでるようになったのは、69年前後あたりから。いずれのスタジオミュージシャンも、アレンジャーも印税がもらえることはなく、いわゆる「取っ払い」(スタジオで演奏が終るとその場でキャッシュをもらってすべて終了)だった。若干のソングライター(作詞家、作曲家)は、ヒットになればその作詞家作曲家印税が入ってきた。ミュージシャン自身も、いつ支払われるかわからない印税よりも、その場のキャッシュ・オン・デリヴァリーのシステムのほうを好んだ。これは、どちらがいい悪いの問題ではなく、当時はそういうシステムだった、ということだけだ。だから極論すればスタジオミュージシャンは、皆ファンク・ブラザース同様、日の目をあびない裏方なのである。
この映画は、たまたまモータウンのスタジオミュージシャンにスポットを当てたが、他のモータウン以外のヒット曲の裏にもこれと同じほどのアンサング・ヒーローがいて、彼らはいまだに無名のままスポットを浴びることもなくすごしているのだ。だから、やろうと思えば「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・フィリー」とか、「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・メンフィス・ハイ」なんていう作品もすぐにできるだろう。
ファンク・ブラザースは、まさに職人。この生き生きとしたグルーヴ感。ジャズ、ファンク、ソウル、R&Bなどの要素をたくみにとりいれた彼らもまた生粋のリアル・ミュージシャンだ。彼らはグループとしてもワン・ビッグ・ファミリーだ。そして、モータウンのもうひとりのヒーローである。
Tribute To Jimi Hendrix
2004年5月9日ロック。
ジミ・ヘンドリックスは、基本的にはロックのギタリストですね。そのジミヘンへのトリビュート・アルバムがでました。全19曲。ブラック系では、ミュージック、プリンス、アース・ウィンド&ファイアー、ブッチー・コリンズ・フィーチャリング・ジョージ・クリントン、チャカ・カーン、サウンズ・オブ・ブラックネス、シーロー、ジョン・リー・フッカーなどなど。
個人的に一番のお気に入りは、この中ではプリンスですね。新譜はまだシングルしか聴いてないんですが、プリンス、ほんとに吹っ切れてていいですね。なんていうか、ミュージシャン・ミュージシャンしてて最高です。
ジミヘンの代表曲といえば、「パープル・ヘイズ」ですが、プリンスはその曲ではなく「パープル・ハウス」という曲をやっています。プリンスといえばパープルで、パープルつながりで完璧です。
お星型のめがねでおなじみブッチー・コリンズとジョージ・クリントンのPファンク・オールスターズが一緒にやる「パワー・オブ・ソウル」も、ロックとファンクの融合をこれでもかと見せ付けます。
唯一このアルバムで、注文があるとすれば、なんでアーニー・アイズレーがいないのか、ということ。あるいは、パープルつながりでディープ・パープルにはお声はかからなかったのでしょうか。(笑) ジミヘンは、アイズレーのところに居候していたわけだし、アーニーのギターは、ジミヘン直系ですよね。アーニーがジミヘンの曲をやるのは、どんぴしゃだと思いますがねえ。あと、ちょっと当たり前ですが、ブラック・ロック・コーリションのギタリスト、ヴァーノン・リードなどもはいってて当然というような人ですが。
レニー・クラビッツ、クラプトンなどは、こうした企画にはずせません。(笑) 一方、チャカ・カーンは意外だった。でも、このチャカはどうなんでしょうね。なんかあんまりあってるような気がしない。映画『永遠のモータウン』収録のチャカの「ホワッツ・ゴーイン・オン」も実は、個人的には今ひとつという感じで、なぜか最近CD的にはチャカは若干期待はずれ中です。もちろん彼女は大好きでライヴも来れば絶対に行きますが。そういえば、かなりレコーディング契約がない時期が長くなってきていますね。そろそろ、なんとかして、いいアルバム出して欲しいな。
『パワー・オブ・ソウル〜 トリビュート・トゥ・ジミ・ヘンドリックス』(VAP)、すでに発売中。
ジミ・ヘンドリックスは、基本的にはロックのギタリストですね。そのジミヘンへのトリビュート・アルバムがでました。全19曲。ブラック系では、ミュージック、プリンス、アース・ウィンド&ファイアー、ブッチー・コリンズ・フィーチャリング・ジョージ・クリントン、チャカ・カーン、サウンズ・オブ・ブラックネス、シーロー、ジョン・リー・フッカーなどなど。
個人的に一番のお気に入りは、この中ではプリンスですね。新譜はまだシングルしか聴いてないんですが、プリンス、ほんとに吹っ切れてていいですね。なんていうか、ミュージシャン・ミュージシャンしてて最高です。
ジミヘンの代表曲といえば、「パープル・ヘイズ」ですが、プリンスはその曲ではなく「パープル・ハウス」という曲をやっています。プリンスといえばパープルで、パープルつながりで完璧です。
お星型のめがねでおなじみブッチー・コリンズとジョージ・クリントンのPファンク・オールスターズが一緒にやる「パワー・オブ・ソウル」も、ロックとファンクの融合をこれでもかと見せ付けます。
唯一このアルバムで、注文があるとすれば、なんでアーニー・アイズレーがいないのか、ということ。あるいは、パープルつながりでディープ・パープルにはお声はかからなかったのでしょうか。(笑) ジミヘンは、アイズレーのところに居候していたわけだし、アーニーのギターは、ジミヘン直系ですよね。アーニーがジミヘンの曲をやるのは、どんぴしゃだと思いますがねえ。あと、ちょっと当たり前ですが、ブラック・ロック・コーリションのギタリスト、ヴァーノン・リードなどもはいってて当然というような人ですが。
レニー・クラビッツ、クラプトンなどは、こうした企画にはずせません。(笑) 一方、チャカ・カーンは意外だった。でも、このチャカはどうなんでしょうね。なんかあんまりあってるような気がしない。映画『永遠のモータウン』収録のチャカの「ホワッツ・ゴーイン・オン」も実は、個人的には今ひとつという感じで、なぜか最近CD的にはチャカは若干期待はずれ中です。もちろん彼女は大好きでライヴも来れば絶対に行きますが。そういえば、かなりレコーディング契約がない時期が長くなってきていますね。そろそろ、なんとかして、いいアルバム出して欲しいな。
『パワー・オブ・ソウル〜 トリビュート・トゥ・ジミ・ヘンドリックス』(VAP)、すでに発売中。
音楽学。
プリンスは、去る3月トークショウ・ホスト、ジェイ・リノにこう語った。「『ミュージコロジー』は音楽の勉強(study of music)だ。かつてのリアル・ミュージシャンたちの時代の音楽、ジェームス・ブラウンや、アース・ウィンド&ファイアーや、スライの時代の音楽、そうしたものを今の時代によみがえらせたいんだ。コンサートには、ファミリーで来て欲しい。そうすれば、子供たちが本当のミュージシャンシップを目の当たりにして、将来プログラムしたコンピューターなんかいらなくなるだろ」
プリンスのソニー移籍第一弾アルバム『ミュージコロジー』からの最初のシングルはアルバムタイトル曲。プリンスがアメリカのテレビ番組『ジェイ・リノ・ショウ』に出演して、同曲をライヴで見せ、ジェイ・リノのインタヴューに答えた。テレビ番組にでてインタヴューに答えるなんて、一体何年ぶりのことだろう。プリンスの横には、同じ日のゲスト、俳優のメル・ギブソンが座っている。
ここでのライヴは、まさにリアル・ミュージシャン、プリンスそのものだ。途中にアーチー・ベル&ドレルスの「タイトゥン・アップ」のフレーズをいれる遊びも音楽を自由自在に扱える彼ならではのもの。
プリンスの「ミュージコロジー」のプロモーション・ヴィデオ。このイントロにやられる。すでにMTVなどでプレイされ始めているのでごらんになった方もいるだろう。こんな内容だ。
十代の少年が自転車に乗って古ぼけた書店兼レコード店に行く。主人が一人でやっているいわゆる典型的な「ママ&ポップ・ストア(夫婦で経営する小さな商店)」だ。時は1960年代中ごろ。眼鏡をかけた親父さんは、マーヴィン・ゲイが表紙の音楽業界誌キャッシュボックスを読んでいる。見ていたページは、ジャッキー・デシャノンのヒット「ホワット・ザ・ワールド・ニーズ・ナウ・イズ・ラヴ」の全面広告。65年7月からヒットし、ポップ部門で7位を記録する大ヒット曲である。のちに、ラジオDJのトム・クレイもカヴァーする。
天井から「『ミュージコロジー』の45回転シングル盤を買うと無料でコンサートにご招待」のポスターがぶる下がっている。それを見あげて、「プリンスのシングル盤をちょーだい」と言ってくしゃくしゃになった1ドル札を出す少年。当時シングルは、1ドルが相場だ。座っている主人の下には、メジャー・ランスのヒット「ウム、ウム、ウム」(64年1月からの大ヒット)のポスター。少年はシングル盤とコンサートチケットを手にして帰路に。
喜び勇んで家に戻った少年は、ベッドルームでドーナツ盤をステレオにセットする。そこにはジミ・ヘンドリックスの写真が貼ってある。ギターを持ち、イントロのギターリフを真似ようとする少年。掃除機をマイクに見立てて、音楽にのめりこむ。ドアには、スライ&ファミリー・ストーンのポスター。その前座はリトル・フィートだ。曲にあわせて踊っていると部屋に兄が入ってきて、置いてあったアルバムを弟から取り上げる。そのアルバムは、EWF(アース・ウィンド&ファイアー)の『スピリット』、『アイ・アム(黙示録)』、そして、ジェームス・ブラウンの『レヴォリューション・オブ・マインド』の3枚だった。
少年は、プリンスのライヴ会場に。プリンスのファンキー・ショウの会場は、ダンサー、ミュージシャン、そしてそれを楽しむ大勢の人であふれている。「ミュージコロジー」の中には、「セプテンバー」や「レッツ・グルーヴ」、ジェームス・ブラウンの「ホットパンツ」などの名前もでてくる。サックスにはメイシオ・パーカーの姿も。プリンスは歌い叫ぶ。「音楽にときめいていたあの頃が懐かしくないかい?(Don’t u miss the feeling /Music gave ya /Back in the day? )」。演奏を終えた時、プリンスがチーフを投げると、それは少年の手の中に入った。少年は、そして、人々はまちがいなくそこで、そのプリンスの音楽にときめいていた。
ジェイ・リノ・ショウにおけるライヴでは、メイシオ・パーカーのほか、キャンディー・ダルファーまで一緒にサックスを吹いていた。曲のエンディングでプリンスはこうしめる。「本物のファンクの兵士たちのために! ミュージコロジー!」 プリンスは、今音楽業界に必要な言葉を、思う存分発信している。プリンスの音楽は、まちがいなく、ときめくことができる音楽だ。
プリンス・前回来日時(2002年11月)のライヴ評。
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/prince20021115.html
プリンスは、去る3月トークショウ・ホスト、ジェイ・リノにこう語った。「『ミュージコロジー』は音楽の勉強(study of music)だ。かつてのリアル・ミュージシャンたちの時代の音楽、ジェームス・ブラウンや、アース・ウィンド&ファイアーや、スライの時代の音楽、そうしたものを今の時代によみがえらせたいんだ。コンサートには、ファミリーで来て欲しい。そうすれば、子供たちが本当のミュージシャンシップを目の当たりにして、将来プログラムしたコンピューターなんかいらなくなるだろ」
プリンスのソニー移籍第一弾アルバム『ミュージコロジー』からの最初のシングルはアルバムタイトル曲。プリンスがアメリカのテレビ番組『ジェイ・リノ・ショウ』に出演して、同曲をライヴで見せ、ジェイ・リノのインタヴューに答えた。テレビ番組にでてインタヴューに答えるなんて、一体何年ぶりのことだろう。プリンスの横には、同じ日のゲスト、俳優のメル・ギブソンが座っている。
ここでのライヴは、まさにリアル・ミュージシャン、プリンスそのものだ。途中にアーチー・ベル&ドレルスの「タイトゥン・アップ」のフレーズをいれる遊びも音楽を自由自在に扱える彼ならではのもの。
プリンスの「ミュージコロジー」のプロモーション・ヴィデオ。このイントロにやられる。すでにMTVなどでプレイされ始めているのでごらんになった方もいるだろう。こんな内容だ。
十代の少年が自転車に乗って古ぼけた書店兼レコード店に行く。主人が一人でやっているいわゆる典型的な「ママ&ポップ・ストア(夫婦で経営する小さな商店)」だ。時は1960年代中ごろ。眼鏡をかけた親父さんは、マーヴィン・ゲイが表紙の音楽業界誌キャッシュボックスを読んでいる。見ていたページは、ジャッキー・デシャノンのヒット「ホワット・ザ・ワールド・ニーズ・ナウ・イズ・ラヴ」の全面広告。65年7月からヒットし、ポップ部門で7位を記録する大ヒット曲である。のちに、ラジオDJのトム・クレイもカヴァーする。
天井から「『ミュージコロジー』の45回転シングル盤を買うと無料でコンサートにご招待」のポスターがぶる下がっている。それを見あげて、「プリンスのシングル盤をちょーだい」と言ってくしゃくしゃになった1ドル札を出す少年。当時シングルは、1ドルが相場だ。座っている主人の下には、メジャー・ランスのヒット「ウム、ウム、ウム」(64年1月からの大ヒット)のポスター。少年はシングル盤とコンサートチケットを手にして帰路に。
喜び勇んで家に戻った少年は、ベッドルームでドーナツ盤をステレオにセットする。そこにはジミ・ヘンドリックスの写真が貼ってある。ギターを持ち、イントロのギターリフを真似ようとする少年。掃除機をマイクに見立てて、音楽にのめりこむ。ドアには、スライ&ファミリー・ストーンのポスター。その前座はリトル・フィートだ。曲にあわせて踊っていると部屋に兄が入ってきて、置いてあったアルバムを弟から取り上げる。そのアルバムは、EWF(アース・ウィンド&ファイアー)の『スピリット』、『アイ・アム(黙示録)』、そして、ジェームス・ブラウンの『レヴォリューション・オブ・マインド』の3枚だった。
少年は、プリンスのライヴ会場に。プリンスのファンキー・ショウの会場は、ダンサー、ミュージシャン、そしてそれを楽しむ大勢の人であふれている。「ミュージコロジー」の中には、「セプテンバー」や「レッツ・グルーヴ」、ジェームス・ブラウンの「ホットパンツ」などの名前もでてくる。サックスにはメイシオ・パーカーの姿も。プリンスは歌い叫ぶ。「音楽にときめいていたあの頃が懐かしくないかい?(Don’t u miss the feeling /Music gave ya /Back in the day? )」。演奏を終えた時、プリンスがチーフを投げると、それは少年の手の中に入った。少年は、そして、人々はまちがいなくそこで、そのプリンスの音楽にときめいていた。
ジェイ・リノ・ショウにおけるライヴでは、メイシオ・パーカーのほか、キャンディー・ダルファーまで一緒にサックスを吹いていた。曲のエンディングでプリンスはこうしめる。「本物のファンクの兵士たちのために! ミュージコロジー!」 プリンスは、今音楽業界に必要な言葉を、思う存分発信している。プリンスの音楽は、まちがいなく、ときめくことができる音楽だ。
プリンス・前回来日時(2002年11月)のライヴ評。
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/prince20021115.html
(ライヴ評はネタばれになります。これからライヴをごらんになる方は、あなたのリスクにおいてお読みください(笑)=Read It At Your Own Risk)
適材適所。
僕はやはりこのレイラの声が何よりも好きだ。低くて、落ち着いていて、しかもこねくりまわさずに非常にシンプルに歌う。日本のなんちゃってジャズシンガーに手本にしてもらいたいような歌いっぷりだ。その意味でレイラは本当に正統派、基本に忠実な、直球のシンガーである。
彼女のライヴに僕が行く時、この声の歌手、この声の歌唱を聴きに行くという真摯な姿勢(笑)は持ち合わせているので、基本的にはダニーの娘ということは、気にしていない。そして、もうひとつ、彼女の歌を聴きに行くので、そのバックバンドが多少難あれど目をつぶる。
しかし、やはりこの組合せはスペシャルだ。今夜、ダニーの娘ということを意識しないことはできない。しかも、キーボードに我らがフランク・マッコムが座っているのだ。
いつもどおり裸足でステージに歩いてきたレイラは、自分の持ち歌を2曲(「スマイル」と「ワン・デイ・アイル・フライ・アウエイ」)歌い終えると曲目を紹介してこう言った。「(ワン・デイ・・・」は)ジョー・サンプルのアルバム『ソング・リヴズ・オン』からの作品。もう6年も前になるのかしら。信じられる? (註、録音は98年だが、発売は99年) 私、20かそこらだったわけね。(笑) (註、書くのはヤボですが、ちょっとサバを読んでるのね) 誰か先週ジョー・サンプル・トリオをごらんになった方は? (客席から『ヤー』の声) 空港で彼に会ったわ。みなさんに、『ありがとう』って伝えてくれって。OK・・・」
フランクにキューを送った。フランクはローズを弾きだした。その瞬間、「おおおっ」の声が客席から漏れてきた。レイラが「We’re flying high on a velvet sky...」と歌い出す。そう、曲は「フライング・イージー」だ。ダニーの作品。こうきたか! もちろん男の声と女の声ということで違うのだが、しかし、こういう風に歌われると父の面影が浮かび上がる。
歌い終え、レイラが「サンキュー」という。拍手が続く中、まもなく再びフランクがキーボードを弾く。その瞬間、再び歓声。みなイントロで曲を知っている。そして、ゆったりとしたスローに変身したその曲は、なんと「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」! レイラが歌う。「When you down and trouble...」 そして、続く「Close your eyes...」から今度はフランクが入ってくるのだ。 しかも、「You just call my out my name...」のコーラスの部分は二人のハーモニー! まいりました。ダニー・ヴァージョンより、さらにテンポを落して、しかもピアノ一本で、二人のデュエットにして。これまでにない「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」である。もちろん、まだ荒削りだが、これはすごい。もっと歌いこんで欲しい。
ダニーを彷彿とさせるフランクとレイラ。重なるハーモニーは、あたかもそこに二人のダニー・ハザウェイがいるかの如くだ。これは泣ける。ここまでやるなら、バックのスクリーンにダニーの写真でも映し出したらどうだ? (笑) ベタだが一般受けはする。
2曲のダニーの後、フランクのヒット「キューピッドズ・アロウ」が披露された。この3曲の流れは見事。座って、静かに聴いているのに、体の芯から熱くなっていくのを感じた。
その後ベースソロから「サマータイム」に入るのだが、このベースソロがいただけない。それまで熱くなったものが、徐々にテンションが下がり、冷めてしまった。しかし、後半スキャットなどレイラのヴォーカリストとしての技を見せられ再び熱くなった。その後のアコースティック・ピアノ一本でレイラが歌う「ホエン・ユア・ライフ・ウォズ・ロウ」は、彼女のヴァーサタイルな(多様性のある)シンガーとしての顔を存分に見せて、二重丸をあげたい。冒頭で直球のシンガーと書いたが、このあたりは、様々な変化球も投げられる歌手である。
それにしても、レイラの声に、フランクのローズの音ははまる。これはまさに適材適所だ。ショウの後、フランクもレイラも、CDを買った人にサインをしていた。
Setlist (second set)
show started 21:37
1. Smile (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
2. One Day I’ll Fly Away (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
3. Flying Easy (From Donny Hathaway’s Album "Extension Of A Man" - 1973)
4. You’ve Got A Friend (From Donny Hathaway’s Album "Live" - 1971))(Lalah & Frank)
5. Cupid’s Arrow (From Frank McComb’s Album "Truth" - 2003)(Frank)
6. Summertime (standard)
7. When Your Life Was Low (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
8. Something (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
9. Fever (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
Encore. Street Life (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
show ended 22:52
(2004年5月10日月曜セカンド・ブルーノート東京=レイラ・ハザウェイ・ライヴ、ゲスト・フランク・マッコム)
適材適所。
僕はやはりこのレイラの声が何よりも好きだ。低くて、落ち着いていて、しかもこねくりまわさずに非常にシンプルに歌う。日本のなんちゃってジャズシンガーに手本にしてもらいたいような歌いっぷりだ。その意味でレイラは本当に正統派、基本に忠実な、直球のシンガーである。
彼女のライヴに僕が行く時、この声の歌手、この声の歌唱を聴きに行くという真摯な姿勢(笑)は持ち合わせているので、基本的にはダニーの娘ということは、気にしていない。そして、もうひとつ、彼女の歌を聴きに行くので、そのバックバンドが多少難あれど目をつぶる。
しかし、やはりこの組合せはスペシャルだ。今夜、ダニーの娘ということを意識しないことはできない。しかも、キーボードに我らがフランク・マッコムが座っているのだ。
いつもどおり裸足でステージに歩いてきたレイラは、自分の持ち歌を2曲(「スマイル」と「ワン・デイ・アイル・フライ・アウエイ」)歌い終えると曲目を紹介してこう言った。「(ワン・デイ・・・」は)ジョー・サンプルのアルバム『ソング・リヴズ・オン』からの作品。もう6年も前になるのかしら。信じられる? (註、録音は98年だが、発売は99年) 私、20かそこらだったわけね。(笑) (註、書くのはヤボですが、ちょっとサバを読んでるのね) 誰か先週ジョー・サンプル・トリオをごらんになった方は? (客席から『ヤー』の声) 空港で彼に会ったわ。みなさんに、『ありがとう』って伝えてくれって。OK・・・」
フランクにキューを送った。フランクはローズを弾きだした。その瞬間、「おおおっ」の声が客席から漏れてきた。レイラが「We’re flying high on a velvet sky...」と歌い出す。そう、曲は「フライング・イージー」だ。ダニーの作品。こうきたか! もちろん男の声と女の声ということで違うのだが、しかし、こういう風に歌われると父の面影が浮かび上がる。
歌い終え、レイラが「サンキュー」という。拍手が続く中、まもなく再びフランクがキーボードを弾く。その瞬間、再び歓声。みなイントロで曲を知っている。そして、ゆったりとしたスローに変身したその曲は、なんと「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」! レイラが歌う。「When you down and trouble...」 そして、続く「Close your eyes...」から今度はフランクが入ってくるのだ。 しかも、「You just call my out my name...」のコーラスの部分は二人のハーモニー! まいりました。ダニー・ヴァージョンより、さらにテンポを落して、しかもピアノ一本で、二人のデュエットにして。これまでにない「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」である。もちろん、まだ荒削りだが、これはすごい。もっと歌いこんで欲しい。
ダニーを彷彿とさせるフランクとレイラ。重なるハーモニーは、あたかもそこに二人のダニー・ハザウェイがいるかの如くだ。これは泣ける。ここまでやるなら、バックのスクリーンにダニーの写真でも映し出したらどうだ? (笑) ベタだが一般受けはする。
2曲のダニーの後、フランクのヒット「キューピッドズ・アロウ」が披露された。この3曲の流れは見事。座って、静かに聴いているのに、体の芯から熱くなっていくのを感じた。
その後ベースソロから「サマータイム」に入るのだが、このベースソロがいただけない。それまで熱くなったものが、徐々にテンションが下がり、冷めてしまった。しかし、後半スキャットなどレイラのヴォーカリストとしての技を見せられ再び熱くなった。その後のアコースティック・ピアノ一本でレイラが歌う「ホエン・ユア・ライフ・ウォズ・ロウ」は、彼女のヴァーサタイルな(多様性のある)シンガーとしての顔を存分に見せて、二重丸をあげたい。冒頭で直球のシンガーと書いたが、このあたりは、様々な変化球も投げられる歌手である。
それにしても、レイラの声に、フランクのローズの音ははまる。これはまさに適材適所だ。ショウの後、フランクもレイラも、CDを買った人にサインをしていた。
Setlist (second set)
show started 21:37
1. Smile (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
2. One Day I’ll Fly Away (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
3. Flying Easy (From Donny Hathaway’s Album "Extension Of A Man" - 1973)
4. You’ve Got A Friend (From Donny Hathaway’s Album "Live" - 1971))(Lalah & Frank)
5. Cupid’s Arrow (From Frank McComb’s Album "Truth" - 2003)(Frank)
6. Summertime (standard)
7. When Your Life Was Low (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
8. Something (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
9. Fever (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
Encore. Street Life (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
show ended 22:52
(2004年5月10日月曜セカンド・ブルーノート東京=レイラ・ハザウェイ・ライヴ、ゲスト・フランク・マッコム)
声明。
輸入権の問題がにわかに大きくなっています。音楽愛好家、関係者などが集まって声明文を出しました。僕も署名に加わりました。以下に、掲載します。オリジナルは、下記ウェッブにあります。また関連の資料などもありますので、ぜひごらんください。趣旨にご賛同される方は、今回のまとめ役である小野島大さんあてにメールをお送りください。アドレスは、
newswave@r02.itscom.net
です。
http://copyrights.livedoor.biz/
+++++++++++++++++++++++++++++
2004年5月11日発表。音楽関係者による声明文。
声明文
音楽が殺される……?
法律によるCDの輸入規制に私達は反対します。
現在国会に「著作権法の一部を改正する法立案」が提出されていますが、そこには世界各国の音楽レコードの輸入が禁止できる条項が含まれています。当初、それは主にアジア生産の安価な邦楽CDの逆輸入を規制するためのものと説明されていました。ところが国会の答弁の過程で、日本の音楽ファンが日頃から親しんでいる欧米などからの洋楽の輸入盤CDも「輸入権」というものによって輸入禁止されてしまうことが明らかになったのです。つまり……
●音楽を自由に聴けなくなる?
欲しいCDが買えなくなったり、いつのまにか高くなっていたり
これまでふつうに買えていた洋楽の輸入盤が、買えなくなる可能性があります。
日本発売されている作品の輸入盤が、レコード会社が「輸入権」を行使すると、輸入禁止になります。まだ日本発売されていなくても、日本発売された瞬間に、売ることばかりでなく、在庫を所持していることも違法になるので、日本発売予定がある作品の海外盤は、事実上、輸入することができません。買いたいCDがあるのに、日本盤も輸入盤もなくて、どこを探しても買えなくなるということも起きるのです。
日本発売予定がなくても、いつ、日本盤が出て、違法行為とみなされるか分からないので、レコード店や輸入業者は、これまでのように世界中のさまざまなCDを自由に輸入することが困難になります。輸入盤の種類は大きく減り、値段はとても高くなるでしょう。
個人輸入は認められています。でも、個人使用のためのCDであることが証明されないと、自分で聴くために海外で買ってきたCDや、海外から通販で買ったCDが、税関で差し止められたり没収されたりするかもしれません。
私たちは、消費者に多大な不利益を強いる法案の内容に強い危惧を持っています。
●ぜんぜん話が違うよ!
法案の目的はアジアの安い邦楽CDの逆輸入防止じゃなかったの?
文化庁は、ずっとそう説明し続けています。でも法案では、邦楽の逆輸入盤と洋楽の輸入盤を区別していません。邦楽CDの年間売り上げは、1億7000万枚。邦楽の逆輸入CDやカセットは68万枚。そのたったの68万枚を防ぐという名目で、年間6000万枚を売り上げる洋楽の輸入盤まで規制しようとしているのです。
参議院では、日本レコード協会から「一般の輸入盤を規制するつもりはない。アメリカの大きなレコード会社もそう言っていると聞いている」という旨の発言がありました。ところが、その後になって「日本政府に対して、楽曲の種別を問わず輸入を制限することを要求する」という、全米レコード協会と世界レコード制作者協会からの強硬な意見書が文化庁に送られていたことが判明しました。
私たちは、この矛盾を許容できません。アジア盤の邦楽CDの逆輸入防止を目的とするならば、それを法案に明文化することを求めます。
●音楽に国境を作るな!
音楽ってもっと自由で多彩で豊かなものだったはず
音楽は言葉や主義主張や文化風習を超えた何かを、私たちに語りかけてくれます。そうしたさまざまに異質な価値観がぶつかりあい、混ざり合うことで、より自由で多彩で豊かな音楽が、世界中で作られてきたのです。
現在の日本では、世界中のさまざまな音楽のCDが気軽に入手できます。それは、過去何十年にも渡って日本の音楽ファンが作り上げてきた「輸入盤」文化の賜です。日本のアーティストたちは、そんな素晴らしい環境で音楽を聴き、血肉としながら、新たな自分たちの音楽を作ってきました。しかし法案がこのまま成立すると、そうした環境が失われる可能性があります。それは邦楽を含めた日本の音楽文化と音楽産業全般の衰退に繋がりかねません。
このように、日本の音楽文化の未来に、消費者の利益に、大きな打撃を与える輸入盤の規制に、私たちは強く反対します。
音楽関係者一同
ジャーナリスト、評論家、メディア関係者
レコード・レーベル関係者、マネージメント、イベンター
ミュージシャン、アーティスト、プロデューサー
http://copyrights.livedoor.biz/
(署名された方の一覧は上記アドレスにあります)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
問題点。
実は僕自身もこの話を聴いた時には、「うそだろ、ばかじゃないの」と思った。しかし、資料などが膨大でぜんぜん読みきれてなくて、何か書こうと思っていたが、何もできずに今日まできてしまった。
ただ、さらっと読んだ感じでは、「話にならないほど」「ばかげた」「くだらない」法案のようである。それは直感でわかる。ので、この声明文の趣旨には大賛成する。小野島さんが音頭をとって、いろいろやっていただいているようで、感謝したい。
問題点はいくつもあるようだが、とりあえず、この法案が廃案になってもらうのが一番いいと思う。というわけで、趣旨にご賛同される方は、小野島さんあてに「お名前」「肩書き」「趣旨に賛同します」と書いてメールをお送りください。
輸入権の問題がにわかに大きくなっています。音楽愛好家、関係者などが集まって声明文を出しました。僕も署名に加わりました。以下に、掲載します。オリジナルは、下記ウェッブにあります。また関連の資料などもありますので、ぜひごらんください。趣旨にご賛同される方は、今回のまとめ役である小野島大さんあてにメールをお送りください。アドレスは、
newswave@r02.itscom.net
です。
http://copyrights.livedoor.biz/
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2004年5月11日発表。音楽関係者による声明文。
声明文
音楽が殺される……?
法律によるCDの輸入規制に私達は反対します。
現在国会に「著作権法の一部を改正する法立案」が提出されていますが、そこには世界各国の音楽レコードの輸入が禁止できる条項が含まれています。当初、それは主にアジア生産の安価な邦楽CDの逆輸入を規制するためのものと説明されていました。ところが国会の答弁の過程で、日本の音楽ファンが日頃から親しんでいる欧米などからの洋楽の輸入盤CDも「輸入権」というものによって輸入禁止されてしまうことが明らかになったのです。つまり……
●音楽を自由に聴けなくなる?
欲しいCDが買えなくなったり、いつのまにか高くなっていたり
これまでふつうに買えていた洋楽の輸入盤が、買えなくなる可能性があります。
日本発売されている作品の輸入盤が、レコード会社が「輸入権」を行使すると、輸入禁止になります。まだ日本発売されていなくても、日本発売された瞬間に、売ることばかりでなく、在庫を所持していることも違法になるので、日本発売予定がある作品の海外盤は、事実上、輸入することができません。買いたいCDがあるのに、日本盤も輸入盤もなくて、どこを探しても買えなくなるということも起きるのです。
日本発売予定がなくても、いつ、日本盤が出て、違法行為とみなされるか分からないので、レコード店や輸入業者は、これまでのように世界中のさまざまなCDを自由に輸入することが困難になります。輸入盤の種類は大きく減り、値段はとても高くなるでしょう。
個人輸入は認められています。でも、個人使用のためのCDであることが証明されないと、自分で聴くために海外で買ってきたCDや、海外から通販で買ったCDが、税関で差し止められたり没収されたりするかもしれません。
私たちは、消費者に多大な不利益を強いる法案の内容に強い危惧を持っています。
●ぜんぜん話が違うよ!
法案の目的はアジアの安い邦楽CDの逆輸入防止じゃなかったの?
文化庁は、ずっとそう説明し続けています。でも法案では、邦楽の逆輸入盤と洋楽の輸入盤を区別していません。邦楽CDの年間売り上げは、1億7000万枚。邦楽の逆輸入CDやカセットは68万枚。そのたったの68万枚を防ぐという名目で、年間6000万枚を売り上げる洋楽の輸入盤まで規制しようとしているのです。
参議院では、日本レコード協会から「一般の輸入盤を規制するつもりはない。アメリカの大きなレコード会社もそう言っていると聞いている」という旨の発言がありました。ところが、その後になって「日本政府に対して、楽曲の種別を問わず輸入を制限することを要求する」という、全米レコード協会と世界レコード制作者協会からの強硬な意見書が文化庁に送られていたことが判明しました。
私たちは、この矛盾を許容できません。アジア盤の邦楽CDの逆輸入防止を目的とするならば、それを法案に明文化することを求めます。
●音楽に国境を作るな!
音楽ってもっと自由で多彩で豊かなものだったはず
音楽は言葉や主義主張や文化風習を超えた何かを、私たちに語りかけてくれます。そうしたさまざまに異質な価値観がぶつかりあい、混ざり合うことで、より自由で多彩で豊かな音楽が、世界中で作られてきたのです。
現在の日本では、世界中のさまざまな音楽のCDが気軽に入手できます。それは、過去何十年にも渡って日本の音楽ファンが作り上げてきた「輸入盤」文化の賜です。日本のアーティストたちは、そんな素晴らしい環境で音楽を聴き、血肉としながら、新たな自分たちの音楽を作ってきました。しかし法案がこのまま成立すると、そうした環境が失われる可能性があります。それは邦楽を含めた日本の音楽文化と音楽産業全般の衰退に繋がりかねません。
このように、日本の音楽文化の未来に、消費者の利益に、大きな打撃を与える輸入盤の規制に、私たちは強く反対します。
音楽関係者一同
ジャーナリスト、評論家、メディア関係者
レコード・レーベル関係者、マネージメント、イベンター
ミュージシャン、アーティスト、プロデューサー
http://copyrights.livedoor.biz/
(署名された方の一覧は上記アドレスにあります)
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問題点。
実は僕自身もこの話を聴いた時には、「うそだろ、ばかじゃないの」と思った。しかし、資料などが膨大でぜんぜん読みきれてなくて、何か書こうと思っていたが、何もできずに今日まできてしまった。
ただ、さらっと読んだ感じでは、「話にならないほど」「ばかげた」「くだらない」法案のようである。それは直感でわかる。ので、この声明文の趣旨には大賛成する。小野島さんが音頭をとって、いろいろやっていただいているようで、感謝したい。
問題点はいくつもあるようだが、とりあえず、この法案が廃案になってもらうのが一番いいと思う。というわけで、趣旨にご賛同される方は、小野島さんあてに「お名前」「肩書き」「趣旨に賛同します」と書いてメールをお送りください。
John Whitehead Shot Dead
2004年5月13日ジョン・ホワイトヘッド(マクファーデン&ホワイトヘッドの片割れ)殺害される
フィラデルフィアのデュオで、ソングライター、プロデューサーとしても多数のヒットを持つマクファーデン&ホワイトヘッドのジョン・ホワイトヘッドが去る5月11日夕方、フィラデルフィアの自宅前で銃を持った複数の暴漢に撃たれ死亡した。55歳だった。ホワイトヘッドと同じ現場にいた甥のオーメッド・ジャクソン(20)も撃たれたが命に別状はない模様。銃声はかなりの数したという。男たちはオーメッドを狙っていたのではないかとの観測もある。犯人は捕まっていない。ホワイトヘッドは、4年前、自宅に強盗が押し入り、ジョンの兄弟ケヴィンを縛り上げ、宝石や現金が奪われていた。
娘のドーン・ホワイトヘッド(33)は、「なぜ父に彼らはこんなことをするの。昨日、話したばかりなのに」と呆然とした。音楽パートナーであるジーン・マクファーデンはこのニュースを聞き、ダラス・ストリートの自宅前の現場に急行、やはり立ちすくんだという。
12日に警察が記者会見したところによると、単なる物取りではなく、おそらく犯人と甥の間になんらかのトラブルがあったものと見られている。状況から犯人たちはジャクソンを狙い撃ちしたらしい。そのあおりでホワイトヘッドが死亡した。
++++++++++++++++++++++++++++
フィラデルフィアのトップ・プロデューサー、デュオ。
ジョン・ホワイトヘッドは、1947年7月10日フィラデルフィア生まれ。小学校時代の友人ジーン・マクファーデンとともにヴォーカル・グループを結成。エプシロンズという名で活躍している60年代中期にオーティス・レディングに認められ、彼のツアーに参加。オーティスの67年12月10日の飛行機事故による急死を受け、地元で活躍するようになり、同地のプロデューサー、ギャンブル&ハフに認められ、彼らのレコード会社に入社する。
グループ名をトーク・オブ・ザ・タウンと変えシングルをリリースするがヒットにはいたらなかった。その後、雑用などをしていたが、曲作りを覚え、初めて書いた作品が「バック・スタバーズ」で、72年これをオージェイズが歌い大ヒットになった。以後、二人のコンビで多数の作品を書き、プロデュースもし、フィラデルフィアのホットなプロデューサー・チームとなった。
オージェイズだけでなく、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、テディー・ペンダグラス、イントゥルーダーズなどに多数のヒットを提供。その後、自らマクファーデン&ホワイトヘッドとして79年再デビュー。この時だした「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」が大ヒットし、彼らはアーティストとしてもブレイクした。この曲はその後もサンプリング、カヴァーなどもされ、ダンスクラシックとなっている。
ジョンは1983年ソロアルバムを一枚だすが、思ったほどの成功は収めなかった。最近でもジーンとともに、時折ライヴ・パフォーマンスなどを見せていたという。
++++++++++++++++++++++++++++
衝撃。
ブルーノートで、レイラ・ハザウェイとフランク・マッコムのライヴをひじょうに楽しんで帰ってきて、その感想文でも書こうとコンピューターを立ち上げたら、とんでもないニュースが飛び込んできた。ジョン・ホワイトヘッド死去のニュースだ。このところ、本当に訃報が多いが、これにはまいった。しかも、暴漢に襲われての死亡だ。状況からすると巻き添え的に殺された感が強い。
ご存知の方も多いだろうが、僕が「ソウル・サーチン」という言葉を教わったのが、このジョン・ホワイトヘッドからである。88年3月、ニューヨークで彼に会い、インタヴューし、その中で彼は自身のソウル・サーチンの物語を語ってくれた。あの時の彼の表情や、雰囲気は今でも思い起こすことができる。彼と会わなければ、僕の著作『ソウル・サーチン』も生まれていない。そして、僕がThe Soul Searcherと名乗ることもなかった。その意味で、僕にとってはジョン・ホワイトヘッドこそ、ソウル・サーチンのオリジネイターなのである。88年以来再会できていなかったが、絶対にまた会ってゆっくり話をしたいと思っていた人物のひとりである。このニュースを聞いて、本当に残念でならない。
彼は快活で、明るい、笑いが絶えない人物だった。今回の事件に関して彼を知る人物がみなジョンのことを「いい奴で、おもしろい奴だった」というコメントをしているが、本当にその通りだった。しかも、彼の話がなんといってもおもしろい。見事な語り部だった。インタヴュー・テープをただそのまま起こせば、それだけで充分なストーリーになっていた。
あのインタヴューは僕がてがけたインタヴューの中でも3本の指に入るいいものだった。彼がオーティス・レディングに弟子入りしていたことなども初めて知った。「バック・スタバーズ」の誕生秘話もおもしろかった。彼らが裏方から表舞台にでて「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」をやっとの思いで録音することができたという話。そして、大ヒットがたくさんでて、ジョンが脱税で刑務所に入ってしまうという話。彼がどん底にいたときに手を差し伸べてくれた友人。そこで体験した彼自身のソウル・サーチン。たった一時間のインタヴューで僕はエンタテインメントの映画一本分を見たような満足感を得た。彼以後も多数の人にインタヴューをしているが、彼ほど話をおもしろおかしく、しかもときに悲しく、メリハリをつけ、起承転結をうまく話す人物を知らない。
Rest In Peace, John Whitehead!
『ソウル・サーチン』
http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/index.html
フィラデルフィアのデュオで、ソングライター、プロデューサーとしても多数のヒットを持つマクファーデン&ホワイトヘッドのジョン・ホワイトヘッドが去る5月11日夕方、フィラデルフィアの自宅前で銃を持った複数の暴漢に撃たれ死亡した。55歳だった。ホワイトヘッドと同じ現場にいた甥のオーメッド・ジャクソン(20)も撃たれたが命に別状はない模様。銃声はかなりの数したという。男たちはオーメッドを狙っていたのではないかとの観測もある。犯人は捕まっていない。ホワイトヘッドは、4年前、自宅に強盗が押し入り、ジョンの兄弟ケヴィンを縛り上げ、宝石や現金が奪われていた。
娘のドーン・ホワイトヘッド(33)は、「なぜ父に彼らはこんなことをするの。昨日、話したばかりなのに」と呆然とした。音楽パートナーであるジーン・マクファーデンはこのニュースを聞き、ダラス・ストリートの自宅前の現場に急行、やはり立ちすくんだという。
12日に警察が記者会見したところによると、単なる物取りではなく、おそらく犯人と甥の間になんらかのトラブルがあったものと見られている。状況から犯人たちはジャクソンを狙い撃ちしたらしい。そのあおりでホワイトヘッドが死亡した。
++++++++++++++++++++++++++++
フィラデルフィアのトップ・プロデューサー、デュオ。
ジョン・ホワイトヘッドは、1947年7月10日フィラデルフィア生まれ。小学校時代の友人ジーン・マクファーデンとともにヴォーカル・グループを結成。エプシロンズという名で活躍している60年代中期にオーティス・レディングに認められ、彼のツアーに参加。オーティスの67年12月10日の飛行機事故による急死を受け、地元で活躍するようになり、同地のプロデューサー、ギャンブル&ハフに認められ、彼らのレコード会社に入社する。
グループ名をトーク・オブ・ザ・タウンと変えシングルをリリースするがヒットにはいたらなかった。その後、雑用などをしていたが、曲作りを覚え、初めて書いた作品が「バック・スタバーズ」で、72年これをオージェイズが歌い大ヒットになった。以後、二人のコンビで多数の作品を書き、プロデュースもし、フィラデルフィアのホットなプロデューサー・チームとなった。
オージェイズだけでなく、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、テディー・ペンダグラス、イントゥルーダーズなどに多数のヒットを提供。その後、自らマクファーデン&ホワイトヘッドとして79年再デビュー。この時だした「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」が大ヒットし、彼らはアーティストとしてもブレイクした。この曲はその後もサンプリング、カヴァーなどもされ、ダンスクラシックとなっている。
ジョンは1983年ソロアルバムを一枚だすが、思ったほどの成功は収めなかった。最近でもジーンとともに、時折ライヴ・パフォーマンスなどを見せていたという。
++++++++++++++++++++++++++++
衝撃。
ブルーノートで、レイラ・ハザウェイとフランク・マッコムのライヴをひじょうに楽しんで帰ってきて、その感想文でも書こうとコンピューターを立ち上げたら、とんでもないニュースが飛び込んできた。ジョン・ホワイトヘッド死去のニュースだ。このところ、本当に訃報が多いが、これにはまいった。しかも、暴漢に襲われての死亡だ。状況からすると巻き添え的に殺された感が強い。
ご存知の方も多いだろうが、僕が「ソウル・サーチン」という言葉を教わったのが、このジョン・ホワイトヘッドからである。88年3月、ニューヨークで彼に会い、インタヴューし、その中で彼は自身のソウル・サーチンの物語を語ってくれた。あの時の彼の表情や、雰囲気は今でも思い起こすことができる。彼と会わなければ、僕の著作『ソウル・サーチン』も生まれていない。そして、僕がThe Soul Searcherと名乗ることもなかった。その意味で、僕にとってはジョン・ホワイトヘッドこそ、ソウル・サーチンのオリジネイターなのである。88年以来再会できていなかったが、絶対にまた会ってゆっくり話をしたいと思っていた人物のひとりである。このニュースを聞いて、本当に残念でならない。
彼は快活で、明るい、笑いが絶えない人物だった。今回の事件に関して彼を知る人物がみなジョンのことを「いい奴で、おもしろい奴だった」というコメントをしているが、本当にその通りだった。しかも、彼の話がなんといってもおもしろい。見事な語り部だった。インタヴュー・テープをただそのまま起こせば、それだけで充分なストーリーになっていた。
あのインタヴューは僕がてがけたインタヴューの中でも3本の指に入るいいものだった。彼がオーティス・レディングに弟子入りしていたことなども初めて知った。「バック・スタバーズ」の誕生秘話もおもしろかった。彼らが裏方から表舞台にでて「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」をやっとの思いで録音することができたという話。そして、大ヒットがたくさんでて、ジョンが脱税で刑務所に入ってしまうという話。彼がどん底にいたときに手を差し伸べてくれた友人。そこで体験した彼自身のソウル・サーチン。たった一時間のインタヴューで僕はエンタテインメントの映画一本分を見たような満足感を得た。彼以後も多数の人にインタヴューをしているが、彼ほど話をおもしろおかしく、しかもときに悲しく、メリハリをつけ、起承転結をうまく話す人物を知らない。
Rest In Peace, John Whitehead!
『ソウル・サーチン』
http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/index.html
軌跡。
ライヴ演奏が始まる前から妙に期待感が高まっている時がある。それは、僕個人がそうである時もあれば、周囲の観客がそうなっていて、その場の「空気」が「熱く」なっていることを僕が感じる時もある。12日のブルーノートのセカンドはそんな空気感が漂っていた。これは、理屈ではないのだろう。3日目、最後のライヴということを観客も、ミュージシャンも知っていて、そのことが微妙に作用しているのかもしれない。あるいは、過去2日間ライヴに通った観客が、このライヴのすばらしさを誰かに伝え、そうした期待を胸に秘めた人たちが多く集まっているのかもしれない。そうしたことは、確かに、初日ではありえない。この日、セカンドは立ち見がでるほどになっていた。
偶然会場で会ったケイリブ、エボニーを含め計8人が6人の席に座るという牛詰状態の中で、歌は始まった。
レイラ・ハザウェイの3日目は、曲目(セットリスト)だけで言えば、1日目とまったく同じである。ところがのりはまったく違った。日本風の上着を羽織り、足早にステージにあがったレイラは、「スマイル」から好調なすべりだし。観客からの歓声もいつになく熱い。
2曲を歌い終えて、さて、いよいよ・・・。「OK」という単語がキューになっているようだ。まず、第一のパンチ。「フライング・イージー」。う〜〜ん。いやいや、まいるなあ。実に気持ちよく歌うレイラ。疾走するフランクのキーボード。爽快感あふれるレイラの歌声。レイラとフランクのデュオをもっともっとやってほしい。
そして、「フライング・イージー」を終え、拍手の中、フランクがローズからアコースティック・ピアノに位置を移す。第二のパンチ。エボニーが「sing it you all」と声をかける。ダニーよりもテンポを遅くした「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」。初日よりもさらに磨きがかかっている。レイラからフランクへ。そして、二人のハーモニー。これは奇跡のハーモニーだ。
1990年、21歳でデビューした時、レイラはダニーの作品に触れることはなかった。それは触れることができない聖域だった。それから14年。レイラは少しずつダニーの作品に触れるようになってきた。ライヴで一曲だけやったり、なにかのイヴェントでちょっとやってみたり。この日、彼女が「フライング・イージー」と「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」というダニーが録音した作品を2曲続けて歌う意味は、娘が父に一歩一歩近づいていることの証だ。Slow But Surely. ゆっくりだが、確実に。この「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」は、レイラの父への歩み寄りの軌跡のハーモニーとも言えるのだ。
二人の「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」は、実に熱い。途中のかけあいなど、背筋がぞくぞくする。初日に見たというソウルメイトHは後日僕に「あれは、ダイアナ&マーヴィンに匹敵するね」と言った。これは何をおいてもレコーディングしてもらわないと困る。(笑) 彼らのヴァージョンを聴いていると、ダニー・ハザウェイのヴァージョンも忘れそうになるほどオリジナリティーにあふれている。一緒に見ていたケイリブがレイラをして「なんというミュージシャンだ。Very musical!(ものすごく、音楽的)」と感嘆した。その通りだ。ジェームス・テイラーが歌っていたことが、キャロル・キングが書いたという事実が、陽炎(かげろう)の如く遠くへ飛んでいく。これは、今この瞬間レイラとフランクの歌になりきっているのだ。
もっともっと、ずっとずっと、聴いていたい。終わらないで欲しい。二人を見つめながら、ずっとそう思っていた。
この日、「サマータイム」でトクさん、飛び入りで登場。さらに会場を熱くした。続く「ホエン・ユア・ライフ・ウォズ・ロウ」のイントロが始まった瞬間、自らその曲をレパートリーにしているエボニーは悲鳴をあげた。「フィーヴァー」では、レイラの「立ち上がって踊りたければ、そうしていいのよ」の声に観客がみな立ち上がった。そしてアンコールの「ストリート・ライフ」が終るまで、みな立っていた。それはいつしかそのままスタンディング・オヴェーションになっていた。
「今年のベスト・一曲のパフォーマンス(Best One Performance Of The Year)」を選べと言われたら、現在のところ、僕はこのレイラ&フランクの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」を選ぶことになりそうだ。
Setlist (second set)
show started 21:45
1. Smile (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
2. One Day I’ll Fly Away (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
3. Flying Easy (From Donny Hathaway’s Album "Extension Of A Man" - 1973)
4. You’ve Got A Friend (From Donny Hathaway’s Album "Live" - 1971))(Lalah & Frank)
5. Cupid’s Arrow (From Frank McComb’s Album "Truth" - 2003)(Frank)
6. Summertime (standard)(with TOKU)
7. When Your Life Was Low (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
8. Somethin’ (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
9. Fever (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
Encore. Street Life (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
show ended 23:02
(2004年5月12日水曜セカンド・ブルーノート東京=レイラ・ハザウェイ・ライヴ、ゲスト・フランク・マッコム)
ライヴ演奏が始まる前から妙に期待感が高まっている時がある。それは、僕個人がそうである時もあれば、周囲の観客がそうなっていて、その場の「空気」が「熱く」なっていることを僕が感じる時もある。12日のブルーノートのセカンドはそんな空気感が漂っていた。これは、理屈ではないのだろう。3日目、最後のライヴということを観客も、ミュージシャンも知っていて、そのことが微妙に作用しているのかもしれない。あるいは、過去2日間ライヴに通った観客が、このライヴのすばらしさを誰かに伝え、そうした期待を胸に秘めた人たちが多く集まっているのかもしれない。そうしたことは、確かに、初日ではありえない。この日、セカンドは立ち見がでるほどになっていた。
偶然会場で会ったケイリブ、エボニーを含め計8人が6人の席に座るという牛詰状態の中で、歌は始まった。
レイラ・ハザウェイの3日目は、曲目(セットリスト)だけで言えば、1日目とまったく同じである。ところがのりはまったく違った。日本風の上着を羽織り、足早にステージにあがったレイラは、「スマイル」から好調なすべりだし。観客からの歓声もいつになく熱い。
2曲を歌い終えて、さて、いよいよ・・・。「OK」という単語がキューになっているようだ。まず、第一のパンチ。「フライング・イージー」。う〜〜ん。いやいや、まいるなあ。実に気持ちよく歌うレイラ。疾走するフランクのキーボード。爽快感あふれるレイラの歌声。レイラとフランクのデュオをもっともっとやってほしい。
そして、「フライング・イージー」を終え、拍手の中、フランクがローズからアコースティック・ピアノに位置を移す。第二のパンチ。エボニーが「sing it you all」と声をかける。ダニーよりもテンポを遅くした「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」。初日よりもさらに磨きがかかっている。レイラからフランクへ。そして、二人のハーモニー。これは奇跡のハーモニーだ。
1990年、21歳でデビューした時、レイラはダニーの作品に触れることはなかった。それは触れることができない聖域だった。それから14年。レイラは少しずつダニーの作品に触れるようになってきた。ライヴで一曲だけやったり、なにかのイヴェントでちょっとやってみたり。この日、彼女が「フライング・イージー」と「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」というダニーが録音した作品を2曲続けて歌う意味は、娘が父に一歩一歩近づいていることの証だ。Slow But Surely. ゆっくりだが、確実に。この「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」は、レイラの父への歩み寄りの軌跡のハーモニーとも言えるのだ。
二人の「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」は、実に熱い。途中のかけあいなど、背筋がぞくぞくする。初日に見たというソウルメイトHは後日僕に「あれは、ダイアナ&マーヴィンに匹敵するね」と言った。これは何をおいてもレコーディングしてもらわないと困る。(笑) 彼らのヴァージョンを聴いていると、ダニー・ハザウェイのヴァージョンも忘れそうになるほどオリジナリティーにあふれている。一緒に見ていたケイリブがレイラをして「なんというミュージシャンだ。Very musical!(ものすごく、音楽的)」と感嘆した。その通りだ。ジェームス・テイラーが歌っていたことが、キャロル・キングが書いたという事実が、陽炎(かげろう)の如く遠くへ飛んでいく。これは、今この瞬間レイラとフランクの歌になりきっているのだ。
もっともっと、ずっとずっと、聴いていたい。終わらないで欲しい。二人を見つめながら、ずっとそう思っていた。
この日、「サマータイム」でトクさん、飛び入りで登場。さらに会場を熱くした。続く「ホエン・ユア・ライフ・ウォズ・ロウ」のイントロが始まった瞬間、自らその曲をレパートリーにしているエボニーは悲鳴をあげた。「フィーヴァー」では、レイラの「立ち上がって踊りたければ、そうしていいのよ」の声に観客がみな立ち上がった。そしてアンコールの「ストリート・ライフ」が終るまで、みな立っていた。それはいつしかそのままスタンディング・オヴェーションになっていた。
「今年のベスト・一曲のパフォーマンス(Best One Performance Of The Year)」を選べと言われたら、現在のところ、僕はこのレイラ&フランクの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」を選ぶことになりそうだ。
Setlist (second set)
show started 21:45
1. Smile (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
2. One Day I’ll Fly Away (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
3. Flying Easy (From Donny Hathaway’s Album "Extension Of A Man" - 1973)
4. You’ve Got A Friend (From Donny Hathaway’s Album "Live" - 1971))(Lalah & Frank)
5. Cupid’s Arrow (From Frank McComb’s Album "Truth" - 2003)(Frank)
6. Summertime (standard)(with TOKU)
7. When Your Life Was Low (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
8. Somethin’ (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
9. Fever (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
Encore. Street Life (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
show ended 23:02
(2004年5月12日水曜セカンド・ブルーノート東京=レイラ・ハザウェイ・ライヴ、ゲスト・フランク・マッコム)
[仕事に忙殺されるサラリーマン生活に疑問をもった彼は、家具作りの道へ進むことを決意する。こだわりの「ソウルあふれる家具」作りを目指す家具職人のソウル・サーチンの物語。]
+++++
樹魂。
「樹魂」と書いて、「じゅこん」と読む。「樹」は生きている木。「樹」は切り倒された瞬間、生命を絶たれただの「木、木材」となってしまう。そんな死んだ「木」に再び魂を吹き込み、家具という新しい役割を持った「樹」として生き返らせたい。そういう思いを込めて命名したのが、「樹魂」という名の家具作りの工房だ。そこでは一日中ラジオやCDが流れている。今日かかっているCDはスティーヴィー・ワンダーの『ミュージック・オブ・マイ・マインド(我が心の音楽。邦題、心の詩)』(1972年作品)。これに収録された「スーパーウーマン」は8分近くある大作であり名曲だ。この工房は2003年暮れに東京都町田市に住む伊藤あきとしさんが始めた。
それから遡ること3年前。2000年、いくつかの仕事をしてきた彼は、サラリーマンを辞めようと思い始める。とりたててスーパーサラリーマンではなかったが自分なりに仕事は一生懸命やり、管理職にもなった。しかし、自分のやりたいこともできずに、いつしか日々の生活は会社との往復だけで家にはただ寝に帰るだけになっていた。これを今後何十年も続けるのかと思うと、今の生活でいいのだろうか、という疑問がふつふつと湧いてきた。
ちょうどそんな時、FMで紹介されていた一冊の本に出会った。番組は毎日夕方4時からの『サンダー・ストーム』。そこで紹介されたのが『ソウル・サーチン』(音楽之友社)だ。シック、ナタリー・コール、ジョン・ホワイトヘッド、あるいはミニー・リパートンなど自分が気に入っていたアーティストたちのおなじみの大ヒット曲やさまざまなエピソードを、一週間(月曜から金曜)かけて紹介していた。そうしたエピソードに触れてからそれまで何度も耳にしてきた同じ曲を聴くと、その曲がまったく違う新たな魅力を持って聴こえてきた。アーティストたちの物語に興味を持った彼は、何軒か書店を回りすぐに本を手に入れた。
決意。
その頃、会社の異動で通勤時間は長くなり残業も増え、ますます会社人間になっていた。1963年生まれの彼はそれまでもソウル・ミュージックが好きでよく聴いていて、レコードやCDを買い、時にはDJの真似事などもしていたが、自分のお気に入りのアーティストたちのヒット曲や栄光の部分しか知らなかった。この『ソウル・サーチン』を読んで、栄光以外の影の部分を垣間見て、それぞれのアーティストたちの「ソウル・サーチン」の意味を知った。そして自分の可能性にもかけてみたくなった。前書きに書かれていた「次の『ソウル・サーチン』の主人公となるのは、あなたかもしれないのだ」という言葉に、次の主人公は自分かもしれないと思った。
彼が家具職人の道を選んだのは、自然の素材で一から物を作ることができると思ったからだ。しかし、家具職人になるべく専門学校に通うまでは、日曜大工さえしたことがなかった、という。
会社を辞めて学校に行く決意を固めた頃、家具作りの基本的な勉強をしようと思い、タウンページを見て自宅に一番近いところにあった家具屋さんを探し、遊びにいくようになった。そこでは今まで何も知らなかった木工の基本を見様見真似でいろいろ覚えた。たまたま知り合ったこの家具屋さんの主人は、多くのことを教えてくれ、彼にとっての師匠のような存在になっていった。ここで基礎的な知識を覚えたので学校での授業が理解しやすかった。
サラリーマンを辞める決意をしてから1年余。2002年4月から翌年3月まで、彼は専門学校に1年間、休むことなく週5日通った。講義と実技があり、毎日7時間ほどの授業があった。クラスは20名。高校を卒業した人が6名、彼のような脱サラ組が3名、40歳の人もいた。伊藤さんはその人についで2番目の年長者だった。ふたりいた先生は、ともに伊藤さんより年下だった。
1年は瞬く間に過ぎた。彼は振り返る。「これほど充実した時間は、生涯で初めてだったかもしれません。卒業式には、修了証とともに、皆勤賞、努力賞もいただくことができました」
ちょうどその頃、テレビで岡山県のとある工房が紹介されていた。伊藤さんはその主人の生き方や、家具作りの姿勢に共感を持ち連絡をいれた。最初話を聞きに行き、その後、そこで勉強できればと思ったが、夫婦ふたりでやられている工房のため、給料はだせないと言われた。しかし、それでもよければという言葉をもらい、彼は岡山で半年ほど修行する。2003年4月から半年間のことだった。
つながり。
修行後、東京に戻りいよいよ独立することになって、工房の場所を探した。ところが、工房を作るということは、機械の騒音や木屑の問題など周囲に迷惑がかかることが多いので、なかなかいい場所が見つからなかった。あるとき、家具屋さんの仕入先で、それまでも何度か授業などで使わせてもらっていた材木屋さんに思わず愚痴をこぼすと、その材木屋さんが「うちを使えばどうだ」と言ってくれた。そこの倉庫の一部を仲間の協力を得て手作りで2ヶ月ほどかけて改築し、工房を始めることができた。これが2003年暮れのことだ。
初めての仕事は、以前に勤めていた会社のお客さんだった。開業したことを案内すると、注文がもらえた。
伊藤さんは言う。「この仕事は、営業、設計、見積もり、制作、販売、納品、メンテナンスまでトータルに仕事ができるのでやりがいがあり、ひじょうに充実しています。自分が作った物を使う人がわかっているということは、物を作る仕事をしている人でもなかなかないと思います。もちろん逆もそうで、使う人も、作品を作った人と直接接触することもあまりないでしょう。この仕事には実に人と人とのふれあい、つながりが感じられます。これが今までのサラリーマン生活と一番違う点かもしれません。実際、タウンページで見つけた家具屋さんと知り合いにならなければ、僕はまだきっと工房を持っていなかったと思います」
伊藤さんが作る家具は、いわゆる手作りの注文家具。よってどうしてもコストが高くなる。今はまだ勉強期間と思い、単価を安くしてやっているが、それでも注文を取るのは大変なことだという。彼は素材にこだわる家具について解説する。「材料を家具に使えるようにするには、乾燥という工程が大切です。本来なら、天然乾燥を7〜8年して、人口乾燥をかけ、その後、また天然乾燥を1年くらいすると良い家具材となるのですが、その工程をすると、金額的には高いものになります。ですので、材木屋さんも乾燥していない木を使いますし、市場の家具は、乾燥の必要のない合板を主に家具を作っています。乾燥していない材料を使うと、反りや割れなどを起こし、ひどい時には家具としての機能を失います。僕たちのような無垢材で家具を作っている者にとっては、乾燥材を使うというのは、とても大切なことなので、材料費がかかっても乾燥材を買うようにしています」
(Part 2 へ続く)
+++++
樹魂。
「樹魂」と書いて、「じゅこん」と読む。「樹」は生きている木。「樹」は切り倒された瞬間、生命を絶たれただの「木、木材」となってしまう。そんな死んだ「木」に再び魂を吹き込み、家具という新しい役割を持った「樹」として生き返らせたい。そういう思いを込めて命名したのが、「樹魂」という名の家具作りの工房だ。そこでは一日中ラジオやCDが流れている。今日かかっているCDはスティーヴィー・ワンダーの『ミュージック・オブ・マイ・マインド(我が心の音楽。邦題、心の詩)』(1972年作品)。これに収録された「スーパーウーマン」は8分近くある大作であり名曲だ。この工房は2003年暮れに東京都町田市に住む伊藤あきとしさんが始めた。
それから遡ること3年前。2000年、いくつかの仕事をしてきた彼は、サラリーマンを辞めようと思い始める。とりたててスーパーサラリーマンではなかったが自分なりに仕事は一生懸命やり、管理職にもなった。しかし、自分のやりたいこともできずに、いつしか日々の生活は会社との往復だけで家にはただ寝に帰るだけになっていた。これを今後何十年も続けるのかと思うと、今の生活でいいのだろうか、という疑問がふつふつと湧いてきた。
ちょうどそんな時、FMで紹介されていた一冊の本に出会った。番組は毎日夕方4時からの『サンダー・ストーム』。そこで紹介されたのが『ソウル・サーチン』(音楽之友社)だ。シック、ナタリー・コール、ジョン・ホワイトヘッド、あるいはミニー・リパートンなど自分が気に入っていたアーティストたちのおなじみの大ヒット曲やさまざまなエピソードを、一週間(月曜から金曜)かけて紹介していた。そうしたエピソードに触れてからそれまで何度も耳にしてきた同じ曲を聴くと、その曲がまったく違う新たな魅力を持って聴こえてきた。アーティストたちの物語に興味を持った彼は、何軒か書店を回りすぐに本を手に入れた。
決意。
その頃、会社の異動で通勤時間は長くなり残業も増え、ますます会社人間になっていた。1963年生まれの彼はそれまでもソウル・ミュージックが好きでよく聴いていて、レコードやCDを買い、時にはDJの真似事などもしていたが、自分のお気に入りのアーティストたちのヒット曲や栄光の部分しか知らなかった。この『ソウル・サーチン』を読んで、栄光以外の影の部分を垣間見て、それぞれのアーティストたちの「ソウル・サーチン」の意味を知った。そして自分の可能性にもかけてみたくなった。前書きに書かれていた「次の『ソウル・サーチン』の主人公となるのは、あなたかもしれないのだ」という言葉に、次の主人公は自分かもしれないと思った。
彼が家具職人の道を選んだのは、自然の素材で一から物を作ることができると思ったからだ。しかし、家具職人になるべく専門学校に通うまでは、日曜大工さえしたことがなかった、という。
会社を辞めて学校に行く決意を固めた頃、家具作りの基本的な勉強をしようと思い、タウンページを見て自宅に一番近いところにあった家具屋さんを探し、遊びにいくようになった。そこでは今まで何も知らなかった木工の基本を見様見真似でいろいろ覚えた。たまたま知り合ったこの家具屋さんの主人は、多くのことを教えてくれ、彼にとっての師匠のような存在になっていった。ここで基礎的な知識を覚えたので学校での授業が理解しやすかった。
サラリーマンを辞める決意をしてから1年余。2002年4月から翌年3月まで、彼は専門学校に1年間、休むことなく週5日通った。講義と実技があり、毎日7時間ほどの授業があった。クラスは20名。高校を卒業した人が6名、彼のような脱サラ組が3名、40歳の人もいた。伊藤さんはその人についで2番目の年長者だった。ふたりいた先生は、ともに伊藤さんより年下だった。
1年は瞬く間に過ぎた。彼は振り返る。「これほど充実した時間は、生涯で初めてだったかもしれません。卒業式には、修了証とともに、皆勤賞、努力賞もいただくことができました」
ちょうどその頃、テレビで岡山県のとある工房が紹介されていた。伊藤さんはその主人の生き方や、家具作りの姿勢に共感を持ち連絡をいれた。最初話を聞きに行き、その後、そこで勉強できればと思ったが、夫婦ふたりでやられている工房のため、給料はだせないと言われた。しかし、それでもよければという言葉をもらい、彼は岡山で半年ほど修行する。2003年4月から半年間のことだった。
つながり。
修行後、東京に戻りいよいよ独立することになって、工房の場所を探した。ところが、工房を作るということは、機械の騒音や木屑の問題など周囲に迷惑がかかることが多いので、なかなかいい場所が見つからなかった。あるとき、家具屋さんの仕入先で、それまでも何度か授業などで使わせてもらっていた材木屋さんに思わず愚痴をこぼすと、その材木屋さんが「うちを使えばどうだ」と言ってくれた。そこの倉庫の一部を仲間の協力を得て手作りで2ヶ月ほどかけて改築し、工房を始めることができた。これが2003年暮れのことだ。
初めての仕事は、以前に勤めていた会社のお客さんだった。開業したことを案内すると、注文がもらえた。
伊藤さんは言う。「この仕事は、営業、設計、見積もり、制作、販売、納品、メンテナンスまでトータルに仕事ができるのでやりがいがあり、ひじょうに充実しています。自分が作った物を使う人がわかっているということは、物を作る仕事をしている人でもなかなかないと思います。もちろん逆もそうで、使う人も、作品を作った人と直接接触することもあまりないでしょう。この仕事には実に人と人とのふれあい、つながりが感じられます。これが今までのサラリーマン生活と一番違う点かもしれません。実際、タウンページで見つけた家具屋さんと知り合いにならなければ、僕はまだきっと工房を持っていなかったと思います」
伊藤さんが作る家具は、いわゆる手作りの注文家具。よってどうしてもコストが高くなる。今はまだ勉強期間と思い、単価を安くしてやっているが、それでも注文を取るのは大変なことだという。彼は素材にこだわる家具について解説する。「材料を家具に使えるようにするには、乾燥という工程が大切です。本来なら、天然乾燥を7〜8年して、人口乾燥をかけ、その後、また天然乾燥を1年くらいすると良い家具材となるのですが、その工程をすると、金額的には高いものになります。ですので、材木屋さんも乾燥していない木を使いますし、市場の家具は、乾燥の必要のない合板を主に家具を作っています。乾燥していない材料を使うと、反りや割れなどを起こし、ひどい時には家具としての機能を失います。僕たちのような無垢材で家具を作っている者にとっては、乾燥材を使うというのは、とても大切なことなので、材料費がかかっても乾燥材を買うようにしています」
(Part 2 へ続く)
(下のパート1からお読みください)
Soul Of Tree, Tree Of Soul: Furniture Of My Mind(Part 2)
ソウル家具。
「なによりも、グルーヴ感のある家具、ソウルのはいった家具を作りたい」と彼は言う。「あるいは音楽のような家具、と言ってもいいかもしれません。それは音楽グッズに関係する家具ということもありますが、音楽を聴いている場面に、ピッタリはまるような家具。音楽のように、傍らにあるだけで心が和む家具です。でも実際には、どうすればグルーヴ感が出せるのか、僕のソウルがうまく伝えられるのかは、まだまだこれからの課題でもあります」
伊藤さんはさらに続ける。「魂を込めて作った家具をお客さんが喜んでくれることは、もちろん嬉しいですし、達成感もあります。しかし、注文どおりの物を作って渡して終わりというわけではありません。本当は納品した後からのほうが真価を問われるのです。納品するたびに、作った物に対して『これからがんばってくれよ』という気持ちが大きくなっていきます」
2003年暮れ、山梨で競売で売りに出された緑あふれる土地と古びた倉庫を破格値で入手することができた。ぼろぼろの倉庫も手直しが必要で今すぐには使えない。だが、何年かかるかわからないが、こつこつ自分で直し、いずれはそこを工房とショールームにするつもりだ。これにも彼の周りの多くの人々が協力してくれている。彼は言う。「『ソウル・サーチン』は自分の意志で始めることですが、それを実行するためには、多くの協力者が必要だということを痛切に感じています。その人たちへの感謝の気持ちを改めて言いたいですね」
彼はこう結んだ。「僕も『ソウル・サーチン』の本のような、人の心を動かす作品を作りたいんです」 彼の夢は、自分で作った工房とショウルームで、一日中自分が好きなソウルミュージックを流しながら、仕事をすることだ。その時、そこでは彼の大好きなシックやクール&ザ・ギャング、クインシー・ジョーンズ、シャーデーなどともに、とりわけ好きなグローヴァー・ワシントン・ジュニアの「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」が流れているだろう。そう、シックや、クインシーや、グローヴァーたちのソウルの入った家具が生まれる日も遠くはない。もし、それらの家具にタイトルをつけるとすれば、Furniture Of My Soul(我がソウルの家具) あるいは、Furniture Of My Mind(我が心の家具)だ。
樹魂のページ。↓
http://www.h4.dion.ne.jp/~jucon/
書籍『ソウル・サーチン』(音楽之友社から発売、2520円)、アマゾンのページ。↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/427623302X/qid=1084302584/sr=1-2/ref=sr_1_8_2/249-1349093-4145155
++++
Soul Of Tree, Tree Of Soul: Furniture Of My Mind(Part 2)
ソウル家具。
「なによりも、グルーヴ感のある家具、ソウルのはいった家具を作りたい」と彼は言う。「あるいは音楽のような家具、と言ってもいいかもしれません。それは音楽グッズに関係する家具ということもありますが、音楽を聴いている場面に、ピッタリはまるような家具。音楽のように、傍らにあるだけで心が和む家具です。でも実際には、どうすればグルーヴ感が出せるのか、僕のソウルがうまく伝えられるのかは、まだまだこれからの課題でもあります」
伊藤さんはさらに続ける。「魂を込めて作った家具をお客さんが喜んでくれることは、もちろん嬉しいですし、達成感もあります。しかし、注文どおりの物を作って渡して終わりというわけではありません。本当は納品した後からのほうが真価を問われるのです。納品するたびに、作った物に対して『これからがんばってくれよ』という気持ちが大きくなっていきます」
2003年暮れ、山梨で競売で売りに出された緑あふれる土地と古びた倉庫を破格値で入手することができた。ぼろぼろの倉庫も手直しが必要で今すぐには使えない。だが、何年かかるかわからないが、こつこつ自分で直し、いずれはそこを工房とショールームにするつもりだ。これにも彼の周りの多くの人々が協力してくれている。彼は言う。「『ソウル・サーチン』は自分の意志で始めることですが、それを実行するためには、多くの協力者が必要だということを痛切に感じています。その人たちへの感謝の気持ちを改めて言いたいですね」
彼はこう結んだ。「僕も『ソウル・サーチン』の本のような、人の心を動かす作品を作りたいんです」 彼の夢は、自分で作った工房とショウルームで、一日中自分が好きなソウルミュージックを流しながら、仕事をすることだ。その時、そこでは彼の大好きなシックやクール&ザ・ギャング、クインシー・ジョーンズ、シャーデーなどともに、とりわけ好きなグローヴァー・ワシントン・ジュニアの「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」が流れているだろう。そう、シックや、クインシーや、グローヴァーたちのソウルの入った家具が生まれる日も遠くはない。もし、それらの家具にタイトルをつけるとすれば、Furniture Of My Soul(我がソウルの家具) あるいは、Furniture Of My Mind(我が心の家具)だ。
樹魂のページ。↓
http://www.h4.dion.ne.jp/~jucon/
書籍『ソウル・サーチン』(音楽之友社から発売、2520円)、アマゾンのページ。↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/427623302X/qid=1084302584/sr=1-2/ref=sr_1_8_2/249-1349093-4145155
++++
緊張。
生の楽器をアンプを通さずに聴くということは、今の時代、とてもぜいたくなことだ。妹尾武さんのピアノコンサートは、彼が触れた鍵盤から力が伝わり、ピアノ線を叩き、その叩かれた音が、天井高ゆうに3メートルはあるだろう格調の高い会場に響く。どこからも彼の姿が見え、どこに座ってもピアノの音ははっきりと聴こえる。まさにすべての席がいい席(every seat is good seat)、王子ホールでのコンサート。
ピアノシモになると、紙を動かす音さえ響いてしまうほどの静寂が訪れる。音を出してはいけない、くしゃみをしてはいけない、咳払いをしてはいけない、携帯電話の音などもってのほか、などといった無言のプレッシャーが、観客に適度な緊張を与える。人は音や声が小さくなればなるほど、その音源に集中するものだ。妹尾さんのピアノも、実にうまく引いて、こちらの集中力を高める。すべての瞬間がいい緊張の瞬間。
今年1月に続く銀座王子ホールでのライヴ。今回強く思ったのが、妹尾さんのピアノを聴くととてもイマジネーションが広がるので、バックになんらかの映像などをつけたらどうだろうか、ということ。例えば、大人気曲「ニュー・シネマ・パラダイス」のバックで、その映画のシーンが映し出されたり、あるいは、「アパートの鍵貸します」の時に、そのシーンがバックに映し出されたら、女性客の目のハートの数も2倍、3倍になってしまい、ホール中にハートマークがあふれてしまうに違いない。
あるいは「材木座海岸」のバックで、材木座海岸の映像が流れたら・・・。彼が「材木座海岸」を弾いている時にPV(プロモーション・ヴィデオ)のアイデアを思いついた。材木座のいい場所を探し、一年間、カメラを固定して定点で映像を撮影し、春夏秋冬の材木座を曲と同じ長さの3分余にする、というもの。
しかし、この曲は数ある妹尾メロディーの傑作の中でも特に傑作だと思う。例えば、ジョー・サンプルの名刺代わりの一曲として「メロディーズ・オブ・ラヴ」があるように、ヘンリー・マンシーニに「ムーンリヴァー」があるように、ミッシェル・ルグランに「サマー・ノウズ」があるように、妹尾武にこの「材木座海岸」あり、となってもまったくおかしくない。もちろん、「キセキノハナ」や「永遠に」という超ビッグな名刺もあるのはわかっているのだが・・・。将来的にはいろいろ、七変化でこの「材木座海岸」を聴いてみたい。よく考えてみれば、ジョー・サンプルなど「メロディーズ・オブ・ラヴ」を4半世紀もほとんど毎回違うように弾いてきているのだ。
そして、この曲に限らず、彼が弾くメロディーにはどれにも映像がふんわりと浮かびあがってくる。すべての曲に、あらゆる映像。
今回は、司会ぶりもおもしろかった。いきなり、冒頭で「今回はちゃんと財布も置いてきて・・・」で大爆笑をつかんで、その後は、かけあいも含め実にいい味がでていた。
ところで、すいません、懺悔(ざんげ)があります。静寂の緊張の中で、膝の上に置いていた携帯を床に落してしまったのは僕です。一度、なんとか止めようとおもったのですが、結局でてしまったくしゃみをしたのも僕です。
今回はギターの天野清継(あまの・きよつぐ)さん、チェロの落合範久(おちあい・のりひさ)さんとのコラボレーションもヴァリエーションを出すという意味で、よかったと思う。そして、最後に「永遠に」を観客に歌わせたところは、やられた。しかも、女性ばかりなのでほとんど女性コーラス隊になって、しかもみんな歌えるときた。
月並みな表現だが、妹尾ピアノはやさしい、気持ちいい、癒される。次回は、材木座海岸に近い鎌倉プリンスですか。ロケーション、できすぎです。
すべての席がいい席。すべての瞬間がいい緊張の瞬間だった。そして、すべての曲にあらゆる映像があり、すべてのメロディーに色があった。
Setlist (incomplete)
show started 18:06
1st set
1. 蒼茫
2.ニュー・シネマ・パラダイス
3.アパートの鍵貸します
4.港が見える丘
5.「彼女は死んじゃった。」メドレー
彼女は死んじゃった。テーマ〜星の灯篭 〜 5:55
6.メロディー
7.「花にまつわるエトセトラ」メドレー
花のまち〜枯れない花〜春よ来い〜赤いスイートピー
8. キセキノハナ
2nd set
9. キャニオン・ロード 〜 ハウ・インセンシティヴ
10.オーヴァージョイド
11.渚橋
12.最初から今まで 〜 「冬のソナタ」より
13.春にして君を想う
14.KYOTO (京都)
15.新大阪
16.材木座海岸
17.永遠に
アンコール1. 爪痕
アンコール2. 浜辺の歌
アンコール3. 星霜
show ended 20:41
(2004年5月15日土曜日・銀座王子ホール=妹尾武ライヴ)
生の楽器をアンプを通さずに聴くということは、今の時代、とてもぜいたくなことだ。妹尾武さんのピアノコンサートは、彼が触れた鍵盤から力が伝わり、ピアノ線を叩き、その叩かれた音が、天井高ゆうに3メートルはあるだろう格調の高い会場に響く。どこからも彼の姿が見え、どこに座ってもピアノの音ははっきりと聴こえる。まさにすべての席がいい席(every seat is good seat)、王子ホールでのコンサート。
ピアノシモになると、紙を動かす音さえ響いてしまうほどの静寂が訪れる。音を出してはいけない、くしゃみをしてはいけない、咳払いをしてはいけない、携帯電話の音などもってのほか、などといった無言のプレッシャーが、観客に適度な緊張を与える。人は音や声が小さくなればなるほど、その音源に集中するものだ。妹尾さんのピアノも、実にうまく引いて、こちらの集中力を高める。すべての瞬間がいい緊張の瞬間。
今年1月に続く銀座王子ホールでのライヴ。今回強く思ったのが、妹尾さんのピアノを聴くととてもイマジネーションが広がるので、バックになんらかの映像などをつけたらどうだろうか、ということ。例えば、大人気曲「ニュー・シネマ・パラダイス」のバックで、その映画のシーンが映し出されたり、あるいは、「アパートの鍵貸します」の時に、そのシーンがバックに映し出されたら、女性客の目のハートの数も2倍、3倍になってしまい、ホール中にハートマークがあふれてしまうに違いない。
あるいは「材木座海岸」のバックで、材木座海岸の映像が流れたら・・・。彼が「材木座海岸」を弾いている時にPV(プロモーション・ヴィデオ)のアイデアを思いついた。材木座のいい場所を探し、一年間、カメラを固定して定点で映像を撮影し、春夏秋冬の材木座を曲と同じ長さの3分余にする、というもの。
しかし、この曲は数ある妹尾メロディーの傑作の中でも特に傑作だと思う。例えば、ジョー・サンプルの名刺代わりの一曲として「メロディーズ・オブ・ラヴ」があるように、ヘンリー・マンシーニに「ムーンリヴァー」があるように、ミッシェル・ルグランに「サマー・ノウズ」があるように、妹尾武にこの「材木座海岸」あり、となってもまったくおかしくない。もちろん、「キセキノハナ」や「永遠に」という超ビッグな名刺もあるのはわかっているのだが・・・。将来的にはいろいろ、七変化でこの「材木座海岸」を聴いてみたい。よく考えてみれば、ジョー・サンプルなど「メロディーズ・オブ・ラヴ」を4半世紀もほとんど毎回違うように弾いてきているのだ。
そして、この曲に限らず、彼が弾くメロディーにはどれにも映像がふんわりと浮かびあがってくる。すべての曲に、あらゆる映像。
今回は、司会ぶりもおもしろかった。いきなり、冒頭で「今回はちゃんと財布も置いてきて・・・」で大爆笑をつかんで、その後は、かけあいも含め実にいい味がでていた。
ところで、すいません、懺悔(ざんげ)があります。静寂の緊張の中で、膝の上に置いていた携帯を床に落してしまったのは僕です。一度、なんとか止めようとおもったのですが、結局でてしまったくしゃみをしたのも僕です。
今回はギターの天野清継(あまの・きよつぐ)さん、チェロの落合範久(おちあい・のりひさ)さんとのコラボレーションもヴァリエーションを出すという意味で、よかったと思う。そして、最後に「永遠に」を観客に歌わせたところは、やられた。しかも、女性ばかりなのでほとんど女性コーラス隊になって、しかもみんな歌えるときた。
月並みな表現だが、妹尾ピアノはやさしい、気持ちいい、癒される。次回は、材木座海岸に近い鎌倉プリンスですか。ロケーション、できすぎです。
すべての席がいい席。すべての瞬間がいい緊張の瞬間だった。そして、すべての曲にあらゆる映像があり、すべてのメロディーに色があった。
Setlist (incomplete)
show started 18:06
1st set
1. 蒼茫
2.ニュー・シネマ・パラダイス
3.アパートの鍵貸します
4.港が見える丘
5.「彼女は死んじゃった。」メドレー
彼女は死んじゃった。テーマ〜星の灯篭 〜 5:55
6.メロディー
7.「花にまつわるエトセトラ」メドレー
花のまち〜枯れない花〜春よ来い〜赤いスイートピー
8. キセキノハナ
2nd set
9. キャニオン・ロード 〜 ハウ・インセンシティヴ
10.オーヴァージョイド
11.渚橋
12.最初から今まで 〜 「冬のソナタ」より
13.春にして君を想う
14.KYOTO (京都)
15.新大阪
16.材木座海岸
17.永遠に
アンコール1. 爪痕
アンコール2. 浜辺の歌
アンコール3. 星霜
show ended 20:41
(2004年5月15日土曜日・銀座王子ホール=妹尾武ライヴ)
Nile Rodgers Explosion!
2004年5月17日爆発。
いやいやいや、びっくりしたあ。シックのナイル・ロジャースのゲストが急遽決まり、今日の『ソウル・ブレンズ』に緊急ゲスト出演! しかも、アコースティック・ギターを持っての登場だ。『レッツ・グルーヴ2004』の告知を兼ねての出演。
3時半、「ル・フリーク」がかかっていている間にスタジオに入ってくる。すでに「ル・フリーク」にあわせてギターを弾いてる。若干、音がずれているが、関係ない。「オレは今ファンキーになってるんだ」とナイル。そして、曲が「グッドタイムス」に変わると、なんと、DJマーヴィンとナイルで、「ラッパーズ・デライト」のラップをやり始めたのだ。その場でぱっとできてしまうんだから、これはすごい。ナイルもマーヴィンもほとんどのラップのリリックを覚えている。ところどころ、まちがえるのも愛嬌というか。
いきなりスタジオがライヴハウスになった。ナイルがラップする。「誰がギターを弾いている?」 マーヴィンがリズムに乗って答える。「ナイル・ロジャース!」 このフリースタイルのラップ。そして、ナイルがギターを弾き続ける。やはり、ライヴをやってもらうとその瞬間が輝く。
そして、びっくりしたのが、ナイルが現在てがけているプロジェクトをいくつか名前をあげたのだが、その中にスライ&ファミリー・ストーンの名前があったこと。あわてて割り込んで、スライ本人たちをプロデュースするのかと尋ねた。すると正確には『スライ2K』というアルバムで、これはスライたちへのトリビュート・アルバムのことで、いろいろなアーティストがスライたちの作品を録音するアルバムだった。
「エヴリバディー・ダンス」がかかると、まもなく、「ルーサー・ヴァンドロス! これは、ルーサーが歌ってるんだよ」と声をあげた。そして、後半やはりギターを弾き、それにあわせて、コーラス部分まで歌った。いやあ、それにしても、軽くやってくれますねえ。
いったんブレイクに入ったときに、ナイルに聞いた。「スライとは面識は」 「あるよ。知ってる。電話番号も知ってるし、マネジャーも知ってる。何ヶ月か前、ロスアンジェルスのレストランでばったりあって、話をしたよ。その時は、ものすごく健康そうで、元気だったよ。まあ、お酒などを飲んでダウンしている時もあるらしいけど、会った時は、元気だった。彼は、できるだけ人前にでないようにしてるらしい。なぜだかはしらないけれどね。今はレコード契約はないと思うな」
そして、4時半からの『山野ミュージック・ジャム』でも、ナイルがジェフ・ベックの紹介のところでも、コメントをしてくれた。「この『ブロウ・バイ・ブロウ』のアルバムは、彼の作品の中でもベストの作品だ。彼はそれまでロックのギタリストとして知られていたが、このアルバムでジャズ、フュージョンの分野に入り込んで、尊敬されるようになった。一方でジャズ・フュージョン界ではアル・ディメオラやジョン・マクラクリンなどのアーティストたちが主流だったが、そういうところにロック・ギターのジェフが入ってきて、活をいれることになった」
ひじょうに的確だ。ただ、おもしろいことにナイル本人は、ジェフのこうしたジャズ、フュージョン系のギターよりも、初期のロックロックしたギターの方が好きだという。なんだか彼のコメントがはいって、コーナーがしっかりした音楽番組のようになった。(笑) サンキュー、ナイル! 雨の日曜だったが、ナイルの大爆発で、一挙に熱があがった。
いやいやいや、びっくりしたあ。シックのナイル・ロジャースのゲストが急遽決まり、今日の『ソウル・ブレンズ』に緊急ゲスト出演! しかも、アコースティック・ギターを持っての登場だ。『レッツ・グルーヴ2004』の告知を兼ねての出演。
3時半、「ル・フリーク」がかかっていている間にスタジオに入ってくる。すでに「ル・フリーク」にあわせてギターを弾いてる。若干、音がずれているが、関係ない。「オレは今ファンキーになってるんだ」とナイル。そして、曲が「グッドタイムス」に変わると、なんと、DJマーヴィンとナイルで、「ラッパーズ・デライト」のラップをやり始めたのだ。その場でぱっとできてしまうんだから、これはすごい。ナイルもマーヴィンもほとんどのラップのリリックを覚えている。ところどころ、まちがえるのも愛嬌というか。
いきなりスタジオがライヴハウスになった。ナイルがラップする。「誰がギターを弾いている?」 マーヴィンがリズムに乗って答える。「ナイル・ロジャース!」 このフリースタイルのラップ。そして、ナイルがギターを弾き続ける。やはり、ライヴをやってもらうとその瞬間が輝く。
そして、びっくりしたのが、ナイルが現在てがけているプロジェクトをいくつか名前をあげたのだが、その中にスライ&ファミリー・ストーンの名前があったこと。あわてて割り込んで、スライ本人たちをプロデュースするのかと尋ねた。すると正確には『スライ2K』というアルバムで、これはスライたちへのトリビュート・アルバムのことで、いろいろなアーティストがスライたちの作品を録音するアルバムだった。
「エヴリバディー・ダンス」がかかると、まもなく、「ルーサー・ヴァンドロス! これは、ルーサーが歌ってるんだよ」と声をあげた。そして、後半やはりギターを弾き、それにあわせて、コーラス部分まで歌った。いやあ、それにしても、軽くやってくれますねえ。
いったんブレイクに入ったときに、ナイルに聞いた。「スライとは面識は」 「あるよ。知ってる。電話番号も知ってるし、マネジャーも知ってる。何ヶ月か前、ロスアンジェルスのレストランでばったりあって、話をしたよ。その時は、ものすごく健康そうで、元気だったよ。まあ、お酒などを飲んでダウンしている時もあるらしいけど、会った時は、元気だった。彼は、できるだけ人前にでないようにしてるらしい。なぜだかはしらないけれどね。今はレコード契約はないと思うな」
そして、4時半からの『山野ミュージック・ジャム』でも、ナイルがジェフ・ベックの紹介のところでも、コメントをしてくれた。「この『ブロウ・バイ・ブロウ』のアルバムは、彼の作品の中でもベストの作品だ。彼はそれまでロックのギタリストとして知られていたが、このアルバムでジャズ、フュージョンの分野に入り込んで、尊敬されるようになった。一方でジャズ・フュージョン界ではアル・ディメオラやジョン・マクラクリンなどのアーティストたちが主流だったが、そういうところにロック・ギターのジェフが入ってきて、活をいれることになった」
ひじょうに的確だ。ただ、おもしろいことにナイル本人は、ジェフのこうしたジャズ、フュージョン系のギターよりも、初期のロックロックしたギターの方が好きだという。なんだか彼のコメントがはいって、コーナーがしっかりした音楽番組のようになった。(笑) サンキュー、ナイル! 雨の日曜だったが、ナイルの大爆発で、一挙に熱があがった。
英語。
「英語はクソほど、下手なんですよ〜〜」 スガシカオさんは、はっきりとそういって周囲の爆笑を誘った。「英語で歌、歌うとリズムが全然だめなんですよ」 思わず「日本語であれだけ乗ってるのに?」と反応してしまいました。「日本語で歌うとリズムが出るのに、英語だとまったくでないんですよ」 へえ、不思議ですねえ。「だから英語のカヴァー曲を昔やったことがあるんですけど、日本語の歌のほうが、お客がぐあーと来るんですよねえ。英語で歌うとみんな体がとまっちゃったりするんですよ」
「じゃあ、マーヴィンが英語、スガさんに週3日教える、と」 「でも、マーヴィンの英語、オレよくわかるんだよね」とスガさん。 「あ、それはですね、マーヴィン、日本に長いから。日本語英語だから」と僕が言うとマーヴィンすかさず「ちがうよ〜〜っ。英語は英語だよ〜〜。ウィッキーで〜すぅ〜(爆笑)」
オフマイクになって、スガさん。「いやあ、でもマーヴィンの英語、わかりやすいですよね。僕、ヒアリングが赤点だったから(笑)」 その昔、プラターズのヒット曲「オンリー・ユー」などを英語で歌ってみたことがあるといいます。でもやはりリアクションはよくなかったと。「だからね、英語の歌、もういいんです。外国人の前でも、なんでも、日本語で歌うんです!(きっぱり)」 「ほ〜〜。それはすごい」 「だけどお、(外国人の前でやったら)終った後、(何かを)英語でしゃべりたいんだよ(笑)。『どうだったあ?』とか。(笑) それとか、この前、アヴリル(・ラヴィーン)に会ったんだけど、その時、(自分の)CD渡したんですよ。でも、その時に『オレ、こういうのやってんだよ』くらいは、言いたいじゃない(笑)。で、(あなたの)この曲とか好きなんだよ、くらいは言いたいんですよ(笑) まあ、そういうのが言えないもどかしさはありますよね」
「じゃあ、今、一番会いたい洋楽アーティストって誰ですか?」と僕。「う〜〜ん、そうだなあ、死ぬまでに一回プリンスに会いたいなあ。でも、会っても何もしゃべれないんだろうなあ・・・。前、来日した時に前から4列目で見てましたけどね・・・」とスガさん。
そして、マーヴィン自身も、スガさんの歌の中に、プリンスを感じるという。ちなみに、ニューシングル「秘密」のイントロのドラムは、何か古い音源をサンプリングし、それをさらに加工して作ったといいます。また、自分が曲を作る時は、「サウンド7、歌詞3くらいの割合」になっている、とも。僕も彼の曲は、歌詞よりもサウンドと彼の声に耳が行く。歌詞が、意味を持った日本語としてはいってくるのではなく、単なる音として耳に入ってくるという点で、山下達郎さんの作品と共通したものを感じました。
スガさんのリクエスト、ピーター・トッシュ&ベン・ハーパーが流れ、彼のパートは終りました。そして、時刻は3時半。『ソウル・ブレンズ』はまだまだ続きます。
「英語はクソほど、下手なんですよ〜〜」 スガシカオさんは、はっきりとそういって周囲の爆笑を誘った。「英語で歌、歌うとリズムが全然だめなんですよ」 思わず「日本語であれだけ乗ってるのに?」と反応してしまいました。「日本語で歌うとリズムが出るのに、英語だとまったくでないんですよ」 へえ、不思議ですねえ。「だから英語のカヴァー曲を昔やったことがあるんですけど、日本語の歌のほうが、お客がぐあーと来るんですよねえ。英語で歌うとみんな体がとまっちゃったりするんですよ」
「じゃあ、マーヴィンが英語、スガさんに週3日教える、と」 「でも、マーヴィンの英語、オレよくわかるんだよね」とスガさん。 「あ、それはですね、マーヴィン、日本に長いから。日本語英語だから」と僕が言うとマーヴィンすかさず「ちがうよ〜〜っ。英語は英語だよ〜〜。ウィッキーで〜すぅ〜(爆笑)」
オフマイクになって、スガさん。「いやあ、でもマーヴィンの英語、わかりやすいですよね。僕、ヒアリングが赤点だったから(笑)」 その昔、プラターズのヒット曲「オンリー・ユー」などを英語で歌ってみたことがあるといいます。でもやはりリアクションはよくなかったと。「だからね、英語の歌、もういいんです。外国人の前でも、なんでも、日本語で歌うんです!(きっぱり)」 「ほ〜〜。それはすごい」 「だけどお、(外国人の前でやったら)終った後、(何かを)英語でしゃべりたいんだよ(笑)。『どうだったあ?』とか。(笑) それとか、この前、アヴリル(・ラヴィーン)に会ったんだけど、その時、(自分の)CD渡したんですよ。でも、その時に『オレ、こういうのやってんだよ』くらいは、言いたいじゃない(笑)。で、(あなたの)この曲とか好きなんだよ、くらいは言いたいんですよ(笑) まあ、そういうのが言えないもどかしさはありますよね」
「じゃあ、今、一番会いたい洋楽アーティストって誰ですか?」と僕。「う〜〜ん、そうだなあ、死ぬまでに一回プリンスに会いたいなあ。でも、会っても何もしゃべれないんだろうなあ・・・。前、来日した時に前から4列目で見てましたけどね・・・」とスガさん。
そして、マーヴィン自身も、スガさんの歌の中に、プリンスを感じるという。ちなみに、ニューシングル「秘密」のイントロのドラムは、何か古い音源をサンプリングし、それをさらに加工して作ったといいます。また、自分が曲を作る時は、「サウンド7、歌詞3くらいの割合」になっている、とも。僕も彼の曲は、歌詞よりもサウンドと彼の声に耳が行く。歌詞が、意味を持った日本語としてはいってくるのではなく、単なる音として耳に入ってくるという点で、山下達郎さんの作品と共通したものを感じました。
スガさんのリクエスト、ピーター・トッシュ&ベン・ハーパーが流れ、彼のパートは終りました。そして、時刻は3時半。『ソウル・ブレンズ』はまだまだ続きます。
録音風景。
70年代もっとも売れっ子のドラマーのひとりとして頭角を表したハーヴィー・メイソンがトリオを率いてブルーノートに登場。しかも、ピアノに巨匠デイヴ・グルーシンを呼んだ。本当に一時期は出るレコード、出るレコードみんなハーヴィーの名前があったほどの超売れっ子ぶりをみせていたが、僕がこうしたハーヴィー名義のジャズトリオを見るのは初めて。
一言で言うなら、「ハーヴィー・メイソン・トリオ」というより、「デイヴ・グルーシン・トリオ」というような雰囲気さえあった。(笑) 若干のドラムソロはあるが、やはり主旋律をグルーシンが持っていくため、いつのまにか彼のやさしいピアノを聴いてしまう。
3人ともひじょうに上手なので、3人によるスタジオでの録音風景を見学させてもらっている、という感じがした。まさに職人たちの芸術ということだろう。譜面台に置かれた楽譜をちらりと見て、次にそれぞれのミュージシャンの目を見る。息もあい、ひじょうにこぎれいにまとまった安定したセッションだ。
4曲目のおなじみの「キャラヴァン」を終えるとメイソンが立ち上がって「では、しばらくデイヴの演奏を聴いてみようか」と言った。ヴァレンタインがマイクを持った。「演奏する前に、ちょっとコマーシャルタイム・・・。ハーヴィーのアルバムもすでに出ていますが、ちょうど偶然に私のアルバムも出ます。『ナウ・プレイング』というタイトルで、これは、私がこれまでにてがけてきた映画音楽を、再アレンジしてやったものです。例えば、以前にギターのために書いた曲をピアノのために(アレンジを)書き直して、やっているのです。この中から一曲演奏しますが、それは映画『ミラグロ・ビーンフィールド・ウォー(邦題、ミラグロ・奇跡の地)』からの作品です。まあ、この映画はほとんど誰も見てないと思いますが(笑)、私はオスカーを取ることができました。この映画が私にとって思い出深いのは、そのロケーション地がメキシコ北部だったからなんです。実はそのあたりに私は住んでいたことがあってね。メキシコは、400年前スペイン領でした。なので、もしあなたがこの曲にどこかそんなスペイン風のものを感じるとしたら、そのためです。レコードではギターでしたが、ここではみなさんのためにピアノで弾きます」
そして、確かにスペイン風の作品が演奏された。メイソンの新譜『ウィズ・オール・マイ・ハート』からの一曲「ワン・モーニング・イン・メイ」に続いてグルーシンの79年の大ヒット曲「マウンテン・ダンス」が披露された。なんとなく、やはりここでも「デイヴ・グルーシン・トリオ」的なものを感じた。ドラムが好きな人というより、むしろ、ピアノ好きの人にお勧めかもしれない。
Setlist (2nd set)
show started 21:31
1. Foot Prints (Wayne Shorter)
2. Hindsight (From Harvey Mason’s new album "With All My Heart")
3. Smoke Gets In Your Eyes (From Harvey Mason’s new album "With All My Heart")
4. Caravan (Duke Ellington)
5. Milagro Beanfield War (From Dabe Grusin’s new album "Now Playing Movie Themes Solo Piano)
6. One Morning In May (Hoagy Carmichael)(Harvey Mason’s new album "With All My Heart")
7. Mountain Dance (Dave Grusin)
Enc. Swamp Fire (Duke Ellington) (From Harvey Mason’s new album "With All My Heart")
show ended 23:00
(2004年5月18日火曜セカンド=東京ブルーノート=ハーヴィー・メイソン・トリオ・ウィズ・スペシャル・ゲスト・スター、デイヴ・グルーシン)
70年代もっとも売れっ子のドラマーのひとりとして頭角を表したハーヴィー・メイソンがトリオを率いてブルーノートに登場。しかも、ピアノに巨匠デイヴ・グルーシンを呼んだ。本当に一時期は出るレコード、出るレコードみんなハーヴィーの名前があったほどの超売れっ子ぶりをみせていたが、僕がこうしたハーヴィー名義のジャズトリオを見るのは初めて。
一言で言うなら、「ハーヴィー・メイソン・トリオ」というより、「デイヴ・グルーシン・トリオ」というような雰囲気さえあった。(笑) 若干のドラムソロはあるが、やはり主旋律をグルーシンが持っていくため、いつのまにか彼のやさしいピアノを聴いてしまう。
3人ともひじょうに上手なので、3人によるスタジオでの録音風景を見学させてもらっている、という感じがした。まさに職人たちの芸術ということだろう。譜面台に置かれた楽譜をちらりと見て、次にそれぞれのミュージシャンの目を見る。息もあい、ひじょうにこぎれいにまとまった安定したセッションだ。
4曲目のおなじみの「キャラヴァン」を終えるとメイソンが立ち上がって「では、しばらくデイヴの演奏を聴いてみようか」と言った。ヴァレンタインがマイクを持った。「演奏する前に、ちょっとコマーシャルタイム・・・。ハーヴィーのアルバムもすでに出ていますが、ちょうど偶然に私のアルバムも出ます。『ナウ・プレイング』というタイトルで、これは、私がこれまでにてがけてきた映画音楽を、再アレンジしてやったものです。例えば、以前にギターのために書いた曲をピアノのために(アレンジを)書き直して、やっているのです。この中から一曲演奏しますが、それは映画『ミラグロ・ビーンフィールド・ウォー(邦題、ミラグロ・奇跡の地)』からの作品です。まあ、この映画はほとんど誰も見てないと思いますが(笑)、私はオスカーを取ることができました。この映画が私にとって思い出深いのは、そのロケーション地がメキシコ北部だったからなんです。実はそのあたりに私は住んでいたことがあってね。メキシコは、400年前スペイン領でした。なので、もしあなたがこの曲にどこかそんなスペイン風のものを感じるとしたら、そのためです。レコードではギターでしたが、ここではみなさんのためにピアノで弾きます」
そして、確かにスペイン風の作品が演奏された。メイソンの新譜『ウィズ・オール・マイ・ハート』からの一曲「ワン・モーニング・イン・メイ」に続いてグルーシンの79年の大ヒット曲「マウンテン・ダンス」が披露された。なんとなく、やはりここでも「デイヴ・グルーシン・トリオ」的なものを感じた。ドラムが好きな人というより、むしろ、ピアノ好きの人にお勧めかもしれない。
Setlist (2nd set)
show started 21:31
1. Foot Prints (Wayne Shorter)
2. Hindsight (From Harvey Mason’s new album "With All My Heart")
3. Smoke Gets In Your Eyes (From Harvey Mason’s new album "With All My Heart")
4. Caravan (Duke Ellington)
5. Milagro Beanfield War (From Dabe Grusin’s new album "Now Playing Movie Themes Solo Piano)
6. One Morning In May (Hoagy Carmichael)(Harvey Mason’s new album "With All My Heart")
7. Mountain Dance (Dave Grusin)
Enc. Swamp Fire (Duke Ellington) (From Harvey Mason’s new album "With All My Heart")
show ended 23:00
(2004年5月18日火曜セカンド=東京ブルーノート=ハーヴィー・メイソン・トリオ・ウィズ・スペシャル・ゲスト・スター、デイヴ・グルーシン)
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