声明。
輸入権の問題がにわかに大きくなっています。音楽愛好家、関係者などが集まって声明文を出しました。僕も署名に加わりました。以下に、掲載します。オリジナルは、下記ウェッブにあります。また関連の資料などもありますので、ぜひごらんください。趣旨にご賛同される方は、今回のまとめ役である小野島大さんあてにメールをお送りください。アドレスは、
newswave@r02.itscom.net
です。
http://copyrights.livedoor.biz/
+++++++++++++++++++++++++++++
2004年5月11日発表。音楽関係者による声明文。
声明文
音楽が殺される……?
法律によるCDの輸入規制に私達は反対します。
現在国会に「著作権法の一部を改正する法立案」が提出されていますが、そこには世界各国の音楽レコードの輸入が禁止できる条項が含まれています。当初、それは主にアジア生産の安価な邦楽CDの逆輸入を規制するためのものと説明されていました。ところが国会の答弁の過程で、日本の音楽ファンが日頃から親しんでいる欧米などからの洋楽の輸入盤CDも「輸入権」というものによって輸入禁止されてしまうことが明らかになったのです。つまり……
●音楽を自由に聴けなくなる?
欲しいCDが買えなくなったり、いつのまにか高くなっていたり
これまでふつうに買えていた洋楽の輸入盤が、買えなくなる可能性があります。
日本発売されている作品の輸入盤が、レコード会社が「輸入権」を行使すると、輸入禁止になります。まだ日本発売されていなくても、日本発売された瞬間に、売ることばかりでなく、在庫を所持していることも違法になるので、日本発売予定がある作品の海外盤は、事実上、輸入することができません。買いたいCDがあるのに、日本盤も輸入盤もなくて、どこを探しても買えなくなるということも起きるのです。
日本発売予定がなくても、いつ、日本盤が出て、違法行為とみなされるか分からないので、レコード店や輸入業者は、これまでのように世界中のさまざまなCDを自由に輸入することが困難になります。輸入盤の種類は大きく減り、値段はとても高くなるでしょう。
個人輸入は認められています。でも、個人使用のためのCDであることが証明されないと、自分で聴くために海外で買ってきたCDや、海外から通販で買ったCDが、税関で差し止められたり没収されたりするかもしれません。
私たちは、消費者に多大な不利益を強いる法案の内容に強い危惧を持っています。
●ぜんぜん話が違うよ!
法案の目的はアジアの安い邦楽CDの逆輸入防止じゃなかったの?
文化庁は、ずっとそう説明し続けています。でも法案では、邦楽の逆輸入盤と洋楽の輸入盤を区別していません。邦楽CDの年間売り上げは、1億7000万枚。邦楽の逆輸入CDやカセットは68万枚。そのたったの68万枚を防ぐという名目で、年間6000万枚を売り上げる洋楽の輸入盤まで規制しようとしているのです。
参議院では、日本レコード協会から「一般の輸入盤を規制するつもりはない。アメリカの大きなレコード会社もそう言っていると聞いている」という旨の発言がありました。ところが、その後になって「日本政府に対して、楽曲の種別を問わず輸入を制限することを要求する」という、全米レコード協会と世界レコード制作者協会からの強硬な意見書が文化庁に送られていたことが判明しました。
私たちは、この矛盾を許容できません。アジア盤の邦楽CDの逆輸入防止を目的とするならば、それを法案に明文化することを求めます。
●音楽に国境を作るな!
音楽ってもっと自由で多彩で豊かなものだったはず
音楽は言葉や主義主張や文化風習を超えた何かを、私たちに語りかけてくれます。そうしたさまざまに異質な価値観がぶつかりあい、混ざり合うことで、より自由で多彩で豊かな音楽が、世界中で作られてきたのです。
現在の日本では、世界中のさまざまな音楽のCDが気軽に入手できます。それは、過去何十年にも渡って日本の音楽ファンが作り上げてきた「輸入盤」文化の賜です。日本のアーティストたちは、そんな素晴らしい環境で音楽を聴き、血肉としながら、新たな自分たちの音楽を作ってきました。しかし法案がこのまま成立すると、そうした環境が失われる可能性があります。それは邦楽を含めた日本の音楽文化と音楽産業全般の衰退に繋がりかねません。
このように、日本の音楽文化の未来に、消費者の利益に、大きな打撃を与える輸入盤の規制に、私たちは強く反対します。
音楽関係者一同
ジャーナリスト、評論家、メディア関係者
レコード・レーベル関係者、マネージメント、イベンター
ミュージシャン、アーティスト、プロデューサー
http://copyrights.livedoor.biz/
(署名された方の一覧は上記アドレスにあります)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
問題点。
実は僕自身もこの話を聴いた時には、「うそだろ、ばかじゃないの」と思った。しかし、資料などが膨大でぜんぜん読みきれてなくて、何か書こうと思っていたが、何もできずに今日まできてしまった。
ただ、さらっと読んだ感じでは、「話にならないほど」「ばかげた」「くだらない」法案のようである。それは直感でわかる。ので、この声明文の趣旨には大賛成する。小野島さんが音頭をとって、いろいろやっていただいているようで、感謝したい。
問題点はいくつもあるようだが、とりあえず、この法案が廃案になってもらうのが一番いいと思う。というわけで、趣旨にご賛同される方は、小野島さんあてに「お名前」「肩書き」「趣旨に賛同します」と書いてメールをお送りください。
輸入権の問題がにわかに大きくなっています。音楽愛好家、関係者などが集まって声明文を出しました。僕も署名に加わりました。以下に、掲載します。オリジナルは、下記ウェッブにあります。また関連の資料などもありますので、ぜひごらんください。趣旨にご賛同される方は、今回のまとめ役である小野島大さんあてにメールをお送りください。アドレスは、
newswave@r02.itscom.net
です。
http://copyrights.livedoor.biz/
+++++++++++++++++++++++++++++
2004年5月11日発表。音楽関係者による声明文。
声明文
音楽が殺される……?
法律によるCDの輸入規制に私達は反対します。
現在国会に「著作権法の一部を改正する法立案」が提出されていますが、そこには世界各国の音楽レコードの輸入が禁止できる条項が含まれています。当初、それは主にアジア生産の安価な邦楽CDの逆輸入を規制するためのものと説明されていました。ところが国会の答弁の過程で、日本の音楽ファンが日頃から親しんでいる欧米などからの洋楽の輸入盤CDも「輸入権」というものによって輸入禁止されてしまうことが明らかになったのです。つまり……
●音楽を自由に聴けなくなる?
欲しいCDが買えなくなったり、いつのまにか高くなっていたり
これまでふつうに買えていた洋楽の輸入盤が、買えなくなる可能性があります。
日本発売されている作品の輸入盤が、レコード会社が「輸入権」を行使すると、輸入禁止になります。まだ日本発売されていなくても、日本発売された瞬間に、売ることばかりでなく、在庫を所持していることも違法になるので、日本発売予定がある作品の海外盤は、事実上、輸入することができません。買いたいCDがあるのに、日本盤も輸入盤もなくて、どこを探しても買えなくなるということも起きるのです。
日本発売予定がなくても、いつ、日本盤が出て、違法行為とみなされるか分からないので、レコード店や輸入業者は、これまでのように世界中のさまざまなCDを自由に輸入することが困難になります。輸入盤の種類は大きく減り、値段はとても高くなるでしょう。
個人輸入は認められています。でも、個人使用のためのCDであることが証明されないと、自分で聴くために海外で買ってきたCDや、海外から通販で買ったCDが、税関で差し止められたり没収されたりするかもしれません。
私たちは、消費者に多大な不利益を強いる法案の内容に強い危惧を持っています。
●ぜんぜん話が違うよ!
法案の目的はアジアの安い邦楽CDの逆輸入防止じゃなかったの?
文化庁は、ずっとそう説明し続けています。でも法案では、邦楽の逆輸入盤と洋楽の輸入盤を区別していません。邦楽CDの年間売り上げは、1億7000万枚。邦楽の逆輸入CDやカセットは68万枚。そのたったの68万枚を防ぐという名目で、年間6000万枚を売り上げる洋楽の輸入盤まで規制しようとしているのです。
参議院では、日本レコード協会から「一般の輸入盤を規制するつもりはない。アメリカの大きなレコード会社もそう言っていると聞いている」という旨の発言がありました。ところが、その後になって「日本政府に対して、楽曲の種別を問わず輸入を制限することを要求する」という、全米レコード協会と世界レコード制作者協会からの強硬な意見書が文化庁に送られていたことが判明しました。
私たちは、この矛盾を許容できません。アジア盤の邦楽CDの逆輸入防止を目的とするならば、それを法案に明文化することを求めます。
●音楽に国境を作るな!
音楽ってもっと自由で多彩で豊かなものだったはず
音楽は言葉や主義主張や文化風習を超えた何かを、私たちに語りかけてくれます。そうしたさまざまに異質な価値観がぶつかりあい、混ざり合うことで、より自由で多彩で豊かな音楽が、世界中で作られてきたのです。
現在の日本では、世界中のさまざまな音楽のCDが気軽に入手できます。それは、過去何十年にも渡って日本の音楽ファンが作り上げてきた「輸入盤」文化の賜です。日本のアーティストたちは、そんな素晴らしい環境で音楽を聴き、血肉としながら、新たな自分たちの音楽を作ってきました。しかし法案がこのまま成立すると、そうした環境が失われる可能性があります。それは邦楽を含めた日本の音楽文化と音楽産業全般の衰退に繋がりかねません。
このように、日本の音楽文化の未来に、消費者の利益に、大きな打撃を与える輸入盤の規制に、私たちは強く反対します。
音楽関係者一同
ジャーナリスト、評論家、メディア関係者
レコード・レーベル関係者、マネージメント、イベンター
ミュージシャン、アーティスト、プロデューサー
http://copyrights.livedoor.biz/
(署名された方の一覧は上記アドレスにあります)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
問題点。
実は僕自身もこの話を聴いた時には、「うそだろ、ばかじゃないの」と思った。しかし、資料などが膨大でぜんぜん読みきれてなくて、何か書こうと思っていたが、何もできずに今日まできてしまった。
ただ、さらっと読んだ感じでは、「話にならないほど」「ばかげた」「くだらない」法案のようである。それは直感でわかる。ので、この声明文の趣旨には大賛成する。小野島さんが音頭をとって、いろいろやっていただいているようで、感謝したい。
問題点はいくつもあるようだが、とりあえず、この法案が廃案になってもらうのが一番いいと思う。というわけで、趣旨にご賛同される方は、小野島さんあてに「お名前」「肩書き」「趣旨に賛同します」と書いてメールをお送りください。
(ライヴ評はネタばれになります。これからライヴをごらんになる方は、あなたのリスクにおいてお読みください(笑)=Read It At Your Own Risk)
適材適所。
僕はやはりこのレイラの声が何よりも好きだ。低くて、落ち着いていて、しかもこねくりまわさずに非常にシンプルに歌う。日本のなんちゃってジャズシンガーに手本にしてもらいたいような歌いっぷりだ。その意味でレイラは本当に正統派、基本に忠実な、直球のシンガーである。
彼女のライヴに僕が行く時、この声の歌手、この声の歌唱を聴きに行くという真摯な姿勢(笑)は持ち合わせているので、基本的にはダニーの娘ということは、気にしていない。そして、もうひとつ、彼女の歌を聴きに行くので、そのバックバンドが多少難あれど目をつぶる。
しかし、やはりこの組合せはスペシャルだ。今夜、ダニーの娘ということを意識しないことはできない。しかも、キーボードに我らがフランク・マッコムが座っているのだ。
いつもどおり裸足でステージに歩いてきたレイラは、自分の持ち歌を2曲(「スマイル」と「ワン・デイ・アイル・フライ・アウエイ」)歌い終えると曲目を紹介してこう言った。「(ワン・デイ・・・」は)ジョー・サンプルのアルバム『ソング・リヴズ・オン』からの作品。もう6年も前になるのかしら。信じられる? (註、録音は98年だが、発売は99年) 私、20かそこらだったわけね。(笑) (註、書くのはヤボですが、ちょっとサバを読んでるのね) 誰か先週ジョー・サンプル・トリオをごらんになった方は? (客席から『ヤー』の声) 空港で彼に会ったわ。みなさんに、『ありがとう』って伝えてくれって。OK・・・」
フランクにキューを送った。フランクはローズを弾きだした。その瞬間、「おおおっ」の声が客席から漏れてきた。レイラが「We’re flying high on a velvet sky...」と歌い出す。そう、曲は「フライング・イージー」だ。ダニーの作品。こうきたか! もちろん男の声と女の声ということで違うのだが、しかし、こういう風に歌われると父の面影が浮かび上がる。
歌い終え、レイラが「サンキュー」という。拍手が続く中、まもなく再びフランクがキーボードを弾く。その瞬間、再び歓声。みなイントロで曲を知っている。そして、ゆったりとしたスローに変身したその曲は、なんと「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」! レイラが歌う。「When you down and trouble...」 そして、続く「Close your eyes...」から今度はフランクが入ってくるのだ。 しかも、「You just call my out my name...」のコーラスの部分は二人のハーモニー! まいりました。ダニー・ヴァージョンより、さらにテンポを落して、しかもピアノ一本で、二人のデュエットにして。これまでにない「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」である。もちろん、まだ荒削りだが、これはすごい。もっと歌いこんで欲しい。
ダニーを彷彿とさせるフランクとレイラ。重なるハーモニーは、あたかもそこに二人のダニー・ハザウェイがいるかの如くだ。これは泣ける。ここまでやるなら、バックのスクリーンにダニーの写真でも映し出したらどうだ? (笑) ベタだが一般受けはする。
2曲のダニーの後、フランクのヒット「キューピッドズ・アロウ」が披露された。この3曲の流れは見事。座って、静かに聴いているのに、体の芯から熱くなっていくのを感じた。
その後ベースソロから「サマータイム」に入るのだが、このベースソロがいただけない。それまで熱くなったものが、徐々にテンションが下がり、冷めてしまった。しかし、後半スキャットなどレイラのヴォーカリストとしての技を見せられ再び熱くなった。その後のアコースティック・ピアノ一本でレイラが歌う「ホエン・ユア・ライフ・ウォズ・ロウ」は、彼女のヴァーサタイルな(多様性のある)シンガーとしての顔を存分に見せて、二重丸をあげたい。冒頭で直球のシンガーと書いたが、このあたりは、様々な変化球も投げられる歌手である。
それにしても、レイラの声に、フランクのローズの音ははまる。これはまさに適材適所だ。ショウの後、フランクもレイラも、CDを買った人にサインをしていた。
Setlist (second set)
show started 21:37
1. Smile (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
2. One Day I’ll Fly Away (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
3. Flying Easy (From Donny Hathaway’s Album "Extension Of A Man" - 1973)
4. You’ve Got A Friend (From Donny Hathaway’s Album "Live" - 1971))(Lalah & Frank)
5. Cupid’s Arrow (From Frank McComb’s Album "Truth" - 2003)(Frank)
6. Summertime (standard)
7. When Your Life Was Low (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
8. Something (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
9. Fever (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
Encore. Street Life (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
show ended 22:52
(2004年5月10日月曜セカンド・ブルーノート東京=レイラ・ハザウェイ・ライヴ、ゲスト・フランク・マッコム)
適材適所。
僕はやはりこのレイラの声が何よりも好きだ。低くて、落ち着いていて、しかもこねくりまわさずに非常にシンプルに歌う。日本のなんちゃってジャズシンガーに手本にしてもらいたいような歌いっぷりだ。その意味でレイラは本当に正統派、基本に忠実な、直球のシンガーである。
彼女のライヴに僕が行く時、この声の歌手、この声の歌唱を聴きに行くという真摯な姿勢(笑)は持ち合わせているので、基本的にはダニーの娘ということは、気にしていない。そして、もうひとつ、彼女の歌を聴きに行くので、そのバックバンドが多少難あれど目をつぶる。
しかし、やはりこの組合せはスペシャルだ。今夜、ダニーの娘ということを意識しないことはできない。しかも、キーボードに我らがフランク・マッコムが座っているのだ。
いつもどおり裸足でステージに歩いてきたレイラは、自分の持ち歌を2曲(「スマイル」と「ワン・デイ・アイル・フライ・アウエイ」)歌い終えると曲目を紹介してこう言った。「(ワン・デイ・・・」は)ジョー・サンプルのアルバム『ソング・リヴズ・オン』からの作品。もう6年も前になるのかしら。信じられる? (註、録音は98年だが、発売は99年) 私、20かそこらだったわけね。(笑) (註、書くのはヤボですが、ちょっとサバを読んでるのね) 誰か先週ジョー・サンプル・トリオをごらんになった方は? (客席から『ヤー』の声) 空港で彼に会ったわ。みなさんに、『ありがとう』って伝えてくれって。OK・・・」
フランクにキューを送った。フランクはローズを弾きだした。その瞬間、「おおおっ」の声が客席から漏れてきた。レイラが「We’re flying high on a velvet sky...」と歌い出す。そう、曲は「フライング・イージー」だ。ダニーの作品。こうきたか! もちろん男の声と女の声ということで違うのだが、しかし、こういう風に歌われると父の面影が浮かび上がる。
歌い終え、レイラが「サンキュー」という。拍手が続く中、まもなく再びフランクがキーボードを弾く。その瞬間、再び歓声。みなイントロで曲を知っている。そして、ゆったりとしたスローに変身したその曲は、なんと「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」! レイラが歌う。「When you down and trouble...」 そして、続く「Close your eyes...」から今度はフランクが入ってくるのだ。 しかも、「You just call my out my name...」のコーラスの部分は二人のハーモニー! まいりました。ダニー・ヴァージョンより、さらにテンポを落して、しかもピアノ一本で、二人のデュエットにして。これまでにない「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」である。もちろん、まだ荒削りだが、これはすごい。もっと歌いこんで欲しい。
ダニーを彷彿とさせるフランクとレイラ。重なるハーモニーは、あたかもそこに二人のダニー・ハザウェイがいるかの如くだ。これは泣ける。ここまでやるなら、バックのスクリーンにダニーの写真でも映し出したらどうだ? (笑) ベタだが一般受けはする。
2曲のダニーの後、フランクのヒット「キューピッドズ・アロウ」が披露された。この3曲の流れは見事。座って、静かに聴いているのに、体の芯から熱くなっていくのを感じた。
その後ベースソロから「サマータイム」に入るのだが、このベースソロがいただけない。それまで熱くなったものが、徐々にテンションが下がり、冷めてしまった。しかし、後半スキャットなどレイラのヴォーカリストとしての技を見せられ再び熱くなった。その後のアコースティック・ピアノ一本でレイラが歌う「ホエン・ユア・ライフ・ウォズ・ロウ」は、彼女のヴァーサタイルな(多様性のある)シンガーとしての顔を存分に見せて、二重丸をあげたい。冒頭で直球のシンガーと書いたが、このあたりは、様々な変化球も投げられる歌手である。
それにしても、レイラの声に、フランクのローズの音ははまる。これはまさに適材適所だ。ショウの後、フランクもレイラも、CDを買った人にサインをしていた。
Setlist (second set)
show started 21:37
1. Smile (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
2. One Day I’ll Fly Away (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
3. Flying Easy (From Donny Hathaway’s Album "Extension Of A Man" - 1973)
4. You’ve Got A Friend (From Donny Hathaway’s Album "Live" - 1971))(Lalah & Frank)
5. Cupid’s Arrow (From Frank McComb’s Album "Truth" - 2003)(Frank)
6. Summertime (standard)
7. When Your Life Was Low (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
8. Something (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
9. Fever (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
Encore. Street Life (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
show ended 22:52
(2004年5月10日月曜セカンド・ブルーノート東京=レイラ・ハザウェイ・ライヴ、ゲスト・フランク・マッコム)
音楽学。
プリンスは、去る3月トークショウ・ホスト、ジェイ・リノにこう語った。「『ミュージコロジー』は音楽の勉強(study of music)だ。かつてのリアル・ミュージシャンたちの時代の音楽、ジェームス・ブラウンや、アース・ウィンド&ファイアーや、スライの時代の音楽、そうしたものを今の時代によみがえらせたいんだ。コンサートには、ファミリーで来て欲しい。そうすれば、子供たちが本当のミュージシャンシップを目の当たりにして、将来プログラムしたコンピューターなんかいらなくなるだろ」
プリンスのソニー移籍第一弾アルバム『ミュージコロジー』からの最初のシングルはアルバムタイトル曲。プリンスがアメリカのテレビ番組『ジェイ・リノ・ショウ』に出演して、同曲をライヴで見せ、ジェイ・リノのインタヴューに答えた。テレビ番組にでてインタヴューに答えるなんて、一体何年ぶりのことだろう。プリンスの横には、同じ日のゲスト、俳優のメル・ギブソンが座っている。
ここでのライヴは、まさにリアル・ミュージシャン、プリンスそのものだ。途中にアーチー・ベル&ドレルスの「タイトゥン・アップ」のフレーズをいれる遊びも音楽を自由自在に扱える彼ならではのもの。
プリンスの「ミュージコロジー」のプロモーション・ヴィデオ。このイントロにやられる。すでにMTVなどでプレイされ始めているのでごらんになった方もいるだろう。こんな内容だ。
十代の少年が自転車に乗って古ぼけた書店兼レコード店に行く。主人が一人でやっているいわゆる典型的な「ママ&ポップ・ストア(夫婦で経営する小さな商店)」だ。時は1960年代中ごろ。眼鏡をかけた親父さんは、マーヴィン・ゲイが表紙の音楽業界誌キャッシュボックスを読んでいる。見ていたページは、ジャッキー・デシャノンのヒット「ホワット・ザ・ワールド・ニーズ・ナウ・イズ・ラヴ」の全面広告。65年7月からヒットし、ポップ部門で7位を記録する大ヒット曲である。のちに、ラジオDJのトム・クレイもカヴァーする。
天井から「『ミュージコロジー』の45回転シングル盤を買うと無料でコンサートにご招待」のポスターがぶる下がっている。それを見あげて、「プリンスのシングル盤をちょーだい」と言ってくしゃくしゃになった1ドル札を出す少年。当時シングルは、1ドルが相場だ。座っている主人の下には、メジャー・ランスのヒット「ウム、ウム、ウム」(64年1月からの大ヒット)のポスター。少年はシングル盤とコンサートチケットを手にして帰路に。
喜び勇んで家に戻った少年は、ベッドルームでドーナツ盤をステレオにセットする。そこにはジミ・ヘンドリックスの写真が貼ってある。ギターを持ち、イントロのギターリフを真似ようとする少年。掃除機をマイクに見立てて、音楽にのめりこむ。ドアには、スライ&ファミリー・ストーンのポスター。その前座はリトル・フィートだ。曲にあわせて踊っていると部屋に兄が入ってきて、置いてあったアルバムを弟から取り上げる。そのアルバムは、EWF(アース・ウィンド&ファイアー)の『スピリット』、『アイ・アム(黙示録)』、そして、ジェームス・ブラウンの『レヴォリューション・オブ・マインド』の3枚だった。
少年は、プリンスのライヴ会場に。プリンスのファンキー・ショウの会場は、ダンサー、ミュージシャン、そしてそれを楽しむ大勢の人であふれている。「ミュージコロジー」の中には、「セプテンバー」や「レッツ・グルーヴ」、ジェームス・ブラウンの「ホットパンツ」などの名前もでてくる。サックスにはメイシオ・パーカーの姿も。プリンスは歌い叫ぶ。「音楽にときめいていたあの頃が懐かしくないかい?(Don’t u miss the feeling /Music gave ya /Back in the day? )」。演奏を終えた時、プリンスがチーフを投げると、それは少年の手の中に入った。少年は、そして、人々はまちがいなくそこで、そのプリンスの音楽にときめいていた。
ジェイ・リノ・ショウにおけるライヴでは、メイシオ・パーカーのほか、キャンディー・ダルファーまで一緒にサックスを吹いていた。曲のエンディングでプリンスはこうしめる。「本物のファンクの兵士たちのために! ミュージコロジー!」 プリンスは、今音楽業界に必要な言葉を、思う存分発信している。プリンスの音楽は、まちがいなく、ときめくことができる音楽だ。
プリンス・前回来日時(2002年11月)のライヴ評。
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/prince20021115.html
プリンスは、去る3月トークショウ・ホスト、ジェイ・リノにこう語った。「『ミュージコロジー』は音楽の勉強(study of music)だ。かつてのリアル・ミュージシャンたちの時代の音楽、ジェームス・ブラウンや、アース・ウィンド&ファイアーや、スライの時代の音楽、そうしたものを今の時代によみがえらせたいんだ。コンサートには、ファミリーで来て欲しい。そうすれば、子供たちが本当のミュージシャンシップを目の当たりにして、将来プログラムしたコンピューターなんかいらなくなるだろ」
プリンスのソニー移籍第一弾アルバム『ミュージコロジー』からの最初のシングルはアルバムタイトル曲。プリンスがアメリカのテレビ番組『ジェイ・リノ・ショウ』に出演して、同曲をライヴで見せ、ジェイ・リノのインタヴューに答えた。テレビ番組にでてインタヴューに答えるなんて、一体何年ぶりのことだろう。プリンスの横には、同じ日のゲスト、俳優のメル・ギブソンが座っている。
ここでのライヴは、まさにリアル・ミュージシャン、プリンスそのものだ。途中にアーチー・ベル&ドレルスの「タイトゥン・アップ」のフレーズをいれる遊びも音楽を自由自在に扱える彼ならではのもの。
プリンスの「ミュージコロジー」のプロモーション・ヴィデオ。このイントロにやられる。すでにMTVなどでプレイされ始めているのでごらんになった方もいるだろう。こんな内容だ。
十代の少年が自転車に乗って古ぼけた書店兼レコード店に行く。主人が一人でやっているいわゆる典型的な「ママ&ポップ・ストア(夫婦で経営する小さな商店)」だ。時は1960年代中ごろ。眼鏡をかけた親父さんは、マーヴィン・ゲイが表紙の音楽業界誌キャッシュボックスを読んでいる。見ていたページは、ジャッキー・デシャノンのヒット「ホワット・ザ・ワールド・ニーズ・ナウ・イズ・ラヴ」の全面広告。65年7月からヒットし、ポップ部門で7位を記録する大ヒット曲である。のちに、ラジオDJのトム・クレイもカヴァーする。
天井から「『ミュージコロジー』の45回転シングル盤を買うと無料でコンサートにご招待」のポスターがぶる下がっている。それを見あげて、「プリンスのシングル盤をちょーだい」と言ってくしゃくしゃになった1ドル札を出す少年。当時シングルは、1ドルが相場だ。座っている主人の下には、メジャー・ランスのヒット「ウム、ウム、ウム」(64年1月からの大ヒット)のポスター。少年はシングル盤とコンサートチケットを手にして帰路に。
喜び勇んで家に戻った少年は、ベッドルームでドーナツ盤をステレオにセットする。そこにはジミ・ヘンドリックスの写真が貼ってある。ギターを持ち、イントロのギターリフを真似ようとする少年。掃除機をマイクに見立てて、音楽にのめりこむ。ドアには、スライ&ファミリー・ストーンのポスター。その前座はリトル・フィートだ。曲にあわせて踊っていると部屋に兄が入ってきて、置いてあったアルバムを弟から取り上げる。そのアルバムは、EWF(アース・ウィンド&ファイアー)の『スピリット』、『アイ・アム(黙示録)』、そして、ジェームス・ブラウンの『レヴォリューション・オブ・マインド』の3枚だった。
少年は、プリンスのライヴ会場に。プリンスのファンキー・ショウの会場は、ダンサー、ミュージシャン、そしてそれを楽しむ大勢の人であふれている。「ミュージコロジー」の中には、「セプテンバー」や「レッツ・グルーヴ」、ジェームス・ブラウンの「ホットパンツ」などの名前もでてくる。サックスにはメイシオ・パーカーの姿も。プリンスは歌い叫ぶ。「音楽にときめいていたあの頃が懐かしくないかい?(Don’t u miss the feeling /Music gave ya /Back in the day? )」。演奏を終えた時、プリンスがチーフを投げると、それは少年の手の中に入った。少年は、そして、人々はまちがいなくそこで、そのプリンスの音楽にときめいていた。
ジェイ・リノ・ショウにおけるライヴでは、メイシオ・パーカーのほか、キャンディー・ダルファーまで一緒にサックスを吹いていた。曲のエンディングでプリンスはこうしめる。「本物のファンクの兵士たちのために! ミュージコロジー!」 プリンスは、今音楽業界に必要な言葉を、思う存分発信している。プリンスの音楽は、まちがいなく、ときめくことができる音楽だ。
プリンス・前回来日時(2002年11月)のライヴ評。
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/prince20021115.html
Tribute To Jimi Hendrix
2004年5月9日ロック。
ジミ・ヘンドリックスは、基本的にはロックのギタリストですね。そのジミヘンへのトリビュート・アルバムがでました。全19曲。ブラック系では、ミュージック、プリンス、アース・ウィンド&ファイアー、ブッチー・コリンズ・フィーチャリング・ジョージ・クリントン、チャカ・カーン、サウンズ・オブ・ブラックネス、シーロー、ジョン・リー・フッカーなどなど。
個人的に一番のお気に入りは、この中ではプリンスですね。新譜はまだシングルしか聴いてないんですが、プリンス、ほんとに吹っ切れてていいですね。なんていうか、ミュージシャン・ミュージシャンしてて最高です。
ジミヘンの代表曲といえば、「パープル・ヘイズ」ですが、プリンスはその曲ではなく「パープル・ハウス」という曲をやっています。プリンスといえばパープルで、パープルつながりで完璧です。
お星型のめがねでおなじみブッチー・コリンズとジョージ・クリントンのPファンク・オールスターズが一緒にやる「パワー・オブ・ソウル」も、ロックとファンクの融合をこれでもかと見せ付けます。
唯一このアルバムで、注文があるとすれば、なんでアーニー・アイズレーがいないのか、ということ。あるいは、パープルつながりでディープ・パープルにはお声はかからなかったのでしょうか。(笑) ジミヘンは、アイズレーのところに居候していたわけだし、アーニーのギターは、ジミヘン直系ですよね。アーニーがジミヘンの曲をやるのは、どんぴしゃだと思いますがねえ。あと、ちょっと当たり前ですが、ブラック・ロック・コーリションのギタリスト、ヴァーノン・リードなどもはいってて当然というような人ですが。
レニー・クラビッツ、クラプトンなどは、こうした企画にはずせません。(笑) 一方、チャカ・カーンは意外だった。でも、このチャカはどうなんでしょうね。なんかあんまりあってるような気がしない。映画『永遠のモータウン』収録のチャカの「ホワッツ・ゴーイン・オン」も実は、個人的には今ひとつという感じで、なぜか最近CD的にはチャカは若干期待はずれ中です。もちろん彼女は大好きでライヴも来れば絶対に行きますが。そういえば、かなりレコーディング契約がない時期が長くなってきていますね。そろそろ、なんとかして、いいアルバム出して欲しいな。
『パワー・オブ・ソウル〜 トリビュート・トゥ・ジミ・ヘンドリックス』(VAP)、すでに発売中。
ジミ・ヘンドリックスは、基本的にはロックのギタリストですね。そのジミヘンへのトリビュート・アルバムがでました。全19曲。ブラック系では、ミュージック、プリンス、アース・ウィンド&ファイアー、ブッチー・コリンズ・フィーチャリング・ジョージ・クリントン、チャカ・カーン、サウンズ・オブ・ブラックネス、シーロー、ジョン・リー・フッカーなどなど。
個人的に一番のお気に入りは、この中ではプリンスですね。新譜はまだシングルしか聴いてないんですが、プリンス、ほんとに吹っ切れてていいですね。なんていうか、ミュージシャン・ミュージシャンしてて最高です。
ジミヘンの代表曲といえば、「パープル・ヘイズ」ですが、プリンスはその曲ではなく「パープル・ハウス」という曲をやっています。プリンスといえばパープルで、パープルつながりで完璧です。
お星型のめがねでおなじみブッチー・コリンズとジョージ・クリントンのPファンク・オールスターズが一緒にやる「パワー・オブ・ソウル」も、ロックとファンクの融合をこれでもかと見せ付けます。
唯一このアルバムで、注文があるとすれば、なんでアーニー・アイズレーがいないのか、ということ。あるいは、パープルつながりでディープ・パープルにはお声はかからなかったのでしょうか。(笑) ジミヘンは、アイズレーのところに居候していたわけだし、アーニーのギターは、ジミヘン直系ですよね。アーニーがジミヘンの曲をやるのは、どんぴしゃだと思いますがねえ。あと、ちょっと当たり前ですが、ブラック・ロック・コーリションのギタリスト、ヴァーノン・リードなどもはいってて当然というような人ですが。
レニー・クラビッツ、クラプトンなどは、こうした企画にはずせません。(笑) 一方、チャカ・カーンは意外だった。でも、このチャカはどうなんでしょうね。なんかあんまりあってるような気がしない。映画『永遠のモータウン』収録のチャカの「ホワッツ・ゴーイン・オン」も実は、個人的には今ひとつという感じで、なぜか最近CD的にはチャカは若干期待はずれ中です。もちろん彼女は大好きでライヴも来れば絶対に行きますが。そういえば、かなりレコーディング契約がない時期が長くなってきていますね。そろそろ、なんとかして、いいアルバム出して欲しいな。
『パワー・オブ・ソウル〜 トリビュート・トゥ・ジミ・ヘンドリックス』(VAP)、すでに発売中。
映画『永遠のモータウン』関連記事・特集
映画『永遠のモータウン(原題、Standing In The Shadows Of Motown)』が1日から公開され、満員が続いているという。ここでこれまでにご紹介した映画『永遠のモータウン』とその関連記事をもう一度まとめておこう。
1) 2002年12月2日付け日記。全米で映画『スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン』が公開されたというニュース。(12月の日記はファイルがひとつになっていますので、スクロールして2日付へお進みください。)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200212.html
2) 2003年4月29日付け日記。ファンク・ブラザース・ライヴ評。
http://diarynote.jp/d/32970/20030429.html
3) 2003年10月25日付け日記。日本で『永遠のモータウン』の字幕付き試写を見ての映画評。"Standing In The Shadows Of Motown": Motown’s Sparkle & Shadow
光影。「モータウンの光と影」
http://diarynote.jp/d/32970/20031025.html
4) 2004年3月28日付け日記。ファンク・ブラザースの音源をCD化。The Funk Brothers’ Album Released
http://diarynote.jp/d/32970/20040328.html
5) 2004年3月29日付け日記。『ソウルブレンズ』で、モータウン特集
http://diarynote.jp/d/32970/20040329.html
6) 2004年5月6日付け日記。モータウン・ニュースいろいろ。 Motown, Motown, Motown: "To Be Loved" Would Be TV Mini-Series
http://diarynote.jp/d/32970/20040506.html
7) 映画『永遠のモータウン』公式ウェッブサイト
http://www.eiennomotown.com/index2.html
8)ベリー・ゴーディー自伝『モータウン、わが愛と夢』(原題 To Be Loved)(東京FM出版より発売中)
モータウンレコード創始者、ベリー・ゴーディーの唯一の自伝。ゴーディーがいかにしてモータウンを設立し、これを世界的な大レーベルにしたか。ダイアナ・ロス、スティーヴィー、マーヴィン、スモーキーらとの知られざるエピソード満載。映画に感動したら、この本でさらに感動を増幅させてお楽しみください。
本はこれ。↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/492488068X/qid=1083998598/sr=1-5/ref=sr_1_8_5/250-3148806-1228223
その時、一緒に作ったCDはこれ。↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FMTW/250-3148806-1228223
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ヒーロー。
この映画『永遠のモータウン』が、音楽映画は当たらないという業界の予想をくつがえして連日満員になっているのは、当初から応援してきた者としても、ものすごくうれしい。この作品のヒットの要因は、やはりドキュメンタリー作品としてうまくできているということに尽きる。
ジェマーソンや、ロバート・ホワイト、ユリエール・ジョーンズなど実にカラフルな人物たちの豊潤なストーリーは、どれもおもしろい。時におもしろく、時にほろ苦い物語は、そこに真実があるだけに人々の胸を打つ。そして、栄光と挫折、光が当たる者とまったく当たらない者とにくっきりと明暗が分かれているところが、見る者を余計に感情的にしていく。
彼らは決して「夢の中」に入ることなく、「夢の外」にしかいられなかった。そして、気が付いたらその夢自体がはかなく消えていた。そこにスポットを当て、タイトルに「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン(モータウンの影に立って)」とつけた瞬間から、ドキュメンタリーとしては勝利を手中に収めていたのかもしれない。
ところで、60年代の音楽業界について若干補足しておこう。スタジオで歌手のバックをつけるミュージシャンたちをクレジットしなかったのは、別にモータウンだけではない。ロックの世界でも、他のソウル・ミュージックの世界でも、特にポップ、ヒットものに関しては、どこもミュージシャンのクレジットを載せるようなことはほとんどなかった。スタックスも、フィラデルフィアのローカル・レーベルも、シカゴのチェスも一般的なソウルレコードにはミュージシャンはクレジットされず、従って日の目を見ることはなかった。
前にも述べたが、モータウンの作品でミュージシャン・クレジットを初めて載せたアルバムはマーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』(71年)である。ロックの世界でクレジットがでるようになったのは、69年前後あたりから。いずれのスタジオミュージシャンも、アレンジャーも印税がもらえることはなく、いわゆる「取っ払い」(スタジオで演奏が終るとその場でキャッシュをもらってすべて終了)だった。若干のソングライター(作詞家、作曲家)は、ヒットになればその作詞家作曲家印税が入ってきた。ミュージシャン自身も、いつ支払われるかわからない印税よりも、その場のキャッシュ・オン・デリヴァリーのシステムのほうを好んだ。これは、どちらがいい悪いの問題ではなく、当時はそういうシステムだった、ということだけだ。だから極論すればスタジオミュージシャンは、皆ファンク・ブラザース同様、日の目をあびない裏方なのである。
この映画は、たまたまモータウンのスタジオミュージシャンにスポットを当てたが、他のモータウン以外のヒット曲の裏にもこれと同じほどのアンサング・ヒーローがいて、彼らはいまだに無名のままスポットを浴びることもなくすごしているのだ。だから、やろうと思えば「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・フィリー」とか、「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・メンフィス・ハイ」なんていう作品もすぐにできるだろう。
ファンク・ブラザースは、まさに職人。この生き生きとしたグルーヴ感。ジャズ、ファンク、ソウル、R&Bなどの要素をたくみにとりいれた彼らもまた生粋のリアル・ミュージシャンだ。彼らはグループとしてもワン・ビッグ・ファミリーだ。そして、モータウンのもうひとりのヒーローである。
映画『永遠のモータウン(原題、Standing In The Shadows Of Motown)』が1日から公開され、満員が続いているという。ここでこれまでにご紹介した映画『永遠のモータウン』とその関連記事をもう一度まとめておこう。
1) 2002年12月2日付け日記。全米で映画『スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン』が公開されたというニュース。(12月の日記はファイルがひとつになっていますので、スクロールして2日付へお進みください。)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200212.html
2) 2003年4月29日付け日記。ファンク・ブラザース・ライヴ評。
http://diarynote.jp/d/32970/20030429.html
3) 2003年10月25日付け日記。日本で『永遠のモータウン』の字幕付き試写を見ての映画評。"Standing In The Shadows Of Motown": Motown’s Sparkle & Shadow
光影。「モータウンの光と影」
http://diarynote.jp/d/32970/20031025.html
4) 2004年3月28日付け日記。ファンク・ブラザースの音源をCD化。The Funk Brothers’ Album Released
http://diarynote.jp/d/32970/20040328.html
5) 2004年3月29日付け日記。『ソウルブレンズ』で、モータウン特集
http://diarynote.jp/d/32970/20040329.html
6) 2004年5月6日付け日記。モータウン・ニュースいろいろ。 Motown, Motown, Motown: "To Be Loved" Would Be TV Mini-Series
http://diarynote.jp/d/32970/20040506.html
7) 映画『永遠のモータウン』公式ウェッブサイト
http://www.eiennomotown.com/index2.html
8)ベリー・ゴーディー自伝『モータウン、わが愛と夢』(原題 To Be Loved)(東京FM出版より発売中)
モータウンレコード創始者、ベリー・ゴーディーの唯一の自伝。ゴーディーがいかにしてモータウンを設立し、これを世界的な大レーベルにしたか。ダイアナ・ロス、スティーヴィー、マーヴィン、スモーキーらとの知られざるエピソード満載。映画に感動したら、この本でさらに感動を増幅させてお楽しみください。
本はこれ。↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/492488068X/qid=1083998598/sr=1-5/ref=sr_1_8_5/250-3148806-1228223
その時、一緒に作ったCDはこれ。↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FMTW/250-3148806-1228223
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ヒーロー。
この映画『永遠のモータウン』が、音楽映画は当たらないという業界の予想をくつがえして連日満員になっているのは、当初から応援してきた者としても、ものすごくうれしい。この作品のヒットの要因は、やはりドキュメンタリー作品としてうまくできているということに尽きる。
ジェマーソンや、ロバート・ホワイト、ユリエール・ジョーンズなど実にカラフルな人物たちの豊潤なストーリーは、どれもおもしろい。時におもしろく、時にほろ苦い物語は、そこに真実があるだけに人々の胸を打つ。そして、栄光と挫折、光が当たる者とまったく当たらない者とにくっきりと明暗が分かれているところが、見る者を余計に感情的にしていく。
彼らは決して「夢の中」に入ることなく、「夢の外」にしかいられなかった。そして、気が付いたらその夢自体がはかなく消えていた。そこにスポットを当て、タイトルに「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン(モータウンの影に立って)」とつけた瞬間から、ドキュメンタリーとしては勝利を手中に収めていたのかもしれない。
ところで、60年代の音楽業界について若干補足しておこう。スタジオで歌手のバックをつけるミュージシャンたちをクレジットしなかったのは、別にモータウンだけではない。ロックの世界でも、他のソウル・ミュージックの世界でも、特にポップ、ヒットものに関しては、どこもミュージシャンのクレジットを載せるようなことはほとんどなかった。スタックスも、フィラデルフィアのローカル・レーベルも、シカゴのチェスも一般的なソウルレコードにはミュージシャンはクレジットされず、従って日の目を見ることはなかった。
前にも述べたが、モータウンの作品でミュージシャン・クレジットを初めて載せたアルバムはマーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』(71年)である。ロックの世界でクレジットがでるようになったのは、69年前後あたりから。いずれのスタジオミュージシャンも、アレンジャーも印税がもらえることはなく、いわゆる「取っ払い」(スタジオで演奏が終るとその場でキャッシュをもらってすべて終了)だった。若干のソングライター(作詞家、作曲家)は、ヒットになればその作詞家作曲家印税が入ってきた。ミュージシャン自身も、いつ支払われるかわからない印税よりも、その場のキャッシュ・オン・デリヴァリーのシステムのほうを好んだ。これは、どちらがいい悪いの問題ではなく、当時はそういうシステムだった、ということだけだ。だから極論すればスタジオミュージシャンは、皆ファンク・ブラザース同様、日の目をあびない裏方なのである。
この映画は、たまたまモータウンのスタジオミュージシャンにスポットを当てたが、他のモータウン以外のヒット曲の裏にもこれと同じほどのアンサング・ヒーローがいて、彼らはいまだに無名のままスポットを浴びることもなくすごしているのだ。だから、やろうと思えば「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・フィリー」とか、「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・メンフィス・ハイ」なんていう作品もすぐにできるだろう。
ファンク・ブラザースは、まさに職人。この生き生きとしたグルーヴ感。ジャズ、ファンク、ソウル、R&Bなどの要素をたくみにとりいれた彼らもまた生粋のリアル・ミュージシャンだ。彼らはグループとしてもワン・ビッグ・ファミリーだ。そして、モータウンのもうひとりのヒーローである。
ニューオーリンズ。
ミスター・サンプルの真後ろでその指先を見た。時々、目にもとまらぬ早さで指が動いていた。
彼の曲の解説はおもしろい。ほとんど毎回演奏する「Xマークス・ザ・スポット」では、ニューオーリンズにいたヴードゥー教(ブードゥー教)の女王マリー・ラヴォーについて語る。「ニューオーリンズに来たら、マリー・ラヴォーの墓参りに行きなさい。そして、彼女の墓石にXのマークをつけるんだ。そうしないと、東京に帰ってきて悪いことが起こるよ。(笑) 僕なんか、もう何百もX印をつけてきた(笑)」
マリー・ラヴォーについてちょっと調べてみた。1794年か1796年生まれ、1881年6月16日に87歳で死去したと言われる。いくつかの人種の混血。生地は様々な説がある。当初はヘアドレッサーというから髪の毛を切る仕事、今で言う美容師をしていた。そしていつしかヴードゥー教を学び、その後彼女は長い間ヴードゥー教のクイーンとして君臨した。ヴードゥー教は、アフリカを起源にハイチを経由してニューオーリンズにはいってきた宗教で、呪いをかけるとそれが実現するという種類のもの。数奇な人生を送ったマリー・ラヴォーは、ヴードゥー・クイーンとして、さまざまな伝説を残した、という。当時、ニューオーリンズでは一般的な宗教よりもこのヴードゥーのほうが市民に対して大きな影響力を持っていたらしい。
ニューオーリンズという土地は1718年から1762年までフランスが統治、さらにその後1803年までスペイン領だった。一時期フランスが取り返すもののまもなくアメリカに。ニューオーリンズに残るヨーロッパの香り、あるいはフレンチクォーターはその名残だ。そして、ジョー・サンプルはとりわけニュー・オーリンズに思い入れが強いようだ。かつては、同地にあるザディゴというジャンルの音楽も演奏したことがある。
彼の曲の解説はおもしろい。アンコールで珍しい曲を演奏した。アルバム『サンプル・ディス』に収録されている「シュリヴポート・ストンプス」という作品だが、これについて彼はマイクを持ってこう説明した。「この曲は第一次世界大戦の前に書かれた曲だ。ジェリー・ロール・モートンという古いピアニストが1921年か22年頃に書いた作品。彼は自分がジャズを始めたと言っている人物でもある。そのジェリーの作品『シュリヴポート・ストンプス』」
ジェリー・ロール・モートンについてちょっと調べてみた。1890年10月20日ニューオーリンズ生まれ。1941年7月10日ロスアンジェルスで50歳で死去。10歳頃からピアノを弾き始め、1900年代にはいると、それまでのニューオーリンズ・タイプのラグタイム風のピアノから発展してジャズ風のアレンジを聞かせるようになった。10代の頃はピアノでは食べられなかったので、ギャンブルをしたり、ビリヤードをしたり、時にはピンプ(ポン引き)などもしていた、という。1920年代に入るとレコーディングをするようになった。
当時は78回転のレコードだったので、一枚に3分程度しか録音できなかったが、ジェリーはその中で起承転結をつけた楽曲を録音していた。以前購入していたピアノばかりを集めたCD40枚組の中に彼の作品だけを集めた1枚があった。ニューオーリンズ風、ラグタイム風ののりのいい作品群だった。ジョー・サンプルがこうしたピアノを聴いて影響を受けたのがよくわかる。
ジェリーは、かなり革新的で現在では実際よりも評価が低いグレイト・ミュージシャンとして認知されているが、当時は個性的な性格のためか回りのミュージシャンとぶつかることが多く、晩年はあまりミュージシャンとして恵まれてはいなかったようだ。
さて、ジョーが2000年のジョージ・ベンソンのアルバムのために書いた曲を演奏した。これはジョー自身は自分名義では録音していない。あるいは、バート・バカラックの作品「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」は、かなりムーディーな雰囲気。一方アンコール一曲前の、本編最後の曲となった「カーメル」は、イントロ部分に自由なインプロヴィゼーションをいれ、「カーメル」に突入した。このあたりの作品のいじり方は自由自在だ。
ミスター・サンプルの真後ろでピアノを聴いた。アンプとスピーカーからの音だけでなく、目の前のピアノから直接音が聴こえてきた。
Setlist (2nd set)
show started 21:31
1. The Texas Two Step ("The Pecan Tree" - 2002)
2. Spellbound ("The Spellbound" - 1989)
3. One On One (George Benson "Absolute Benson" - 2000)
4. A House Is Not A Home ("Invitation" - 1993)
5. More Beautiful Each Day ("Carmel" - 1979)
6. The Song Lives On ("The Song Lives On" - 1999)
7. X Marks The Spot ("The Pecan Tree" - 2002)
8. Ashes To Ashes ("Ashes To Ashes" - 1990)
9. Street Life (Crusaders, "Street Life" - 1979 / Joe Sample, "The Song Lives On" - 1999)
10. Carmel ("Carmel" - 1979)
Encore. Shreveport Stomps (From "Sample This" - 1997)
show ended 22:51
(2004年5月6日木曜・東京ブルーノート・セカンド=ジョー・サンプル・ライヴ)
ミスター・サンプルの真後ろでその指先を見た。時々、目にもとまらぬ早さで指が動いていた。
彼の曲の解説はおもしろい。ほとんど毎回演奏する「Xマークス・ザ・スポット」では、ニューオーリンズにいたヴードゥー教(ブードゥー教)の女王マリー・ラヴォーについて語る。「ニューオーリンズに来たら、マリー・ラヴォーの墓参りに行きなさい。そして、彼女の墓石にXのマークをつけるんだ。そうしないと、東京に帰ってきて悪いことが起こるよ。(笑) 僕なんか、もう何百もX印をつけてきた(笑)」
マリー・ラヴォーについてちょっと調べてみた。1794年か1796年生まれ、1881年6月16日に87歳で死去したと言われる。いくつかの人種の混血。生地は様々な説がある。当初はヘアドレッサーというから髪の毛を切る仕事、今で言う美容師をしていた。そしていつしかヴードゥー教を学び、その後彼女は長い間ヴードゥー教のクイーンとして君臨した。ヴードゥー教は、アフリカを起源にハイチを経由してニューオーリンズにはいってきた宗教で、呪いをかけるとそれが実現するという種類のもの。数奇な人生を送ったマリー・ラヴォーは、ヴードゥー・クイーンとして、さまざまな伝説を残した、という。当時、ニューオーリンズでは一般的な宗教よりもこのヴードゥーのほうが市民に対して大きな影響力を持っていたらしい。
ニューオーリンズという土地は1718年から1762年までフランスが統治、さらにその後1803年までスペイン領だった。一時期フランスが取り返すもののまもなくアメリカに。ニューオーリンズに残るヨーロッパの香り、あるいはフレンチクォーターはその名残だ。そして、ジョー・サンプルはとりわけニュー・オーリンズに思い入れが強いようだ。かつては、同地にあるザディゴというジャンルの音楽も演奏したことがある。
彼の曲の解説はおもしろい。アンコールで珍しい曲を演奏した。アルバム『サンプル・ディス』に収録されている「シュリヴポート・ストンプス」という作品だが、これについて彼はマイクを持ってこう説明した。「この曲は第一次世界大戦の前に書かれた曲だ。ジェリー・ロール・モートンという古いピアニストが1921年か22年頃に書いた作品。彼は自分がジャズを始めたと言っている人物でもある。そのジェリーの作品『シュリヴポート・ストンプス』」
ジェリー・ロール・モートンについてちょっと調べてみた。1890年10月20日ニューオーリンズ生まれ。1941年7月10日ロスアンジェルスで50歳で死去。10歳頃からピアノを弾き始め、1900年代にはいると、それまでのニューオーリンズ・タイプのラグタイム風のピアノから発展してジャズ風のアレンジを聞かせるようになった。10代の頃はピアノでは食べられなかったので、ギャンブルをしたり、ビリヤードをしたり、時にはピンプ(ポン引き)などもしていた、という。1920年代に入るとレコーディングをするようになった。
当時は78回転のレコードだったので、一枚に3分程度しか録音できなかったが、ジェリーはその中で起承転結をつけた楽曲を録音していた。以前購入していたピアノばかりを集めたCD40枚組の中に彼の作品だけを集めた1枚があった。ニューオーリンズ風、ラグタイム風ののりのいい作品群だった。ジョー・サンプルがこうしたピアノを聴いて影響を受けたのがよくわかる。
ジェリーは、かなり革新的で現在では実際よりも評価が低いグレイト・ミュージシャンとして認知されているが、当時は個性的な性格のためか回りのミュージシャンとぶつかることが多く、晩年はあまりミュージシャンとして恵まれてはいなかったようだ。
さて、ジョーが2000年のジョージ・ベンソンのアルバムのために書いた曲を演奏した。これはジョー自身は自分名義では録音していない。あるいは、バート・バカラックの作品「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」は、かなりムーディーな雰囲気。一方アンコール一曲前の、本編最後の曲となった「カーメル」は、イントロ部分に自由なインプロヴィゼーションをいれ、「カーメル」に突入した。このあたりの作品のいじり方は自由自在だ。
ミスター・サンプルの真後ろでピアノを聴いた。アンプとスピーカーからの音だけでなく、目の前のピアノから直接音が聴こえてきた。
Setlist (2nd set)
show started 21:31
1. The Texas Two Step ("The Pecan Tree" - 2002)
2. Spellbound ("The Spellbound" - 1989)
3. One On One (George Benson "Absolute Benson" - 2000)
4. A House Is Not A Home ("Invitation" - 1993)
5. More Beautiful Each Day ("Carmel" - 1979)
6. The Song Lives On ("The Song Lives On" - 1999)
7. X Marks The Spot ("The Pecan Tree" - 2002)
8. Ashes To Ashes ("Ashes To Ashes" - 1990)
9. Street Life (Crusaders, "Street Life" - 1979 / Joe Sample, "The Song Lives On" - 1999)
10. Carmel ("Carmel" - 1979)
Encore. Shreveport Stomps (From "Sample This" - 1997)
show ended 22:51
(2004年5月6日木曜・東京ブルーノート・セカンド=ジョー・サンプル・ライヴ)
映画『永遠のモータウン』が日本でも5月1日から公開されているが、モータウン関連のニュースが目白押しなので、まとめてご紹介する。
+++++
ベリー・ゴーディー、音楽出版社を売却
『モータウン、わが愛と夢』をテレビ・シリーズに企画も
モータウン・レコードの創始者ベリー・ゴーディーは、このほど自身が保有していた音楽出版社、ジョベッタ・ミュージックの株式の残りをすべてEMIグループに売却した。このモータウンのカタログにはマーヴィン・ゲイ、スモーキー・ロビンソン、ダイアナ・ロス、テンプテーションズ、フォートップスなどによってヒットしたおよそ15000曲に上る作品が含まれる。このうちの100曲以上はチャートでナンバーワンを記録している、という。
EMIは、1997年に株式の50%を1億3200万ドル(およそ132億円)で買収、2003年にはさらに30%を買い上げ、今回残る20%を買い取った。このカタログは4億ドルの価値があると見る向きもある。
一方、ベリー・ゴーディーは、ブロードウェイでミュージカル『エイント・ノー・マウンテイン・ハイ・イナフ』を企画中。これは来年公開をめどに制作を進めている。主演、物語の内容などは未発表だが、その中では多数のモータウン・ヒットが歌われることはまちがいない。
またこれと並行して、ゴーディーは自身の自伝『トゥ・ビー・ラヴド(邦題、モータウン、わが愛と夢)』をテレビのミニシリーズ化しようと売込み中だ。現在NBCと12時間のミニシリーズ化の話をすすめている、という。これは、ベリー・ゴーディーの成功物語を時間軸に従って、追っていくものになると思われる。
これらのゴーディー企画とは別に、マーヴィン・ゲイの人生を描いた映画の企画も2本進行中だという。ただし、これが現実化するかは、まだわからない。
+++++
ファンク・ブラザース、訴えられる
映画『永遠のモータウン(原題、スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン)』で一躍脚光を浴びたファンク・ブラザースが、映画製作チームから訴えられている。これは、映画を製作したリムショッツ・プロダクションが2年間当初ファンク・ブラザースをマネージする契約になっていたが、ファンク・ブラザースは同プロを通さずにライヴの仕事などをとったため、そのマネージメント料の取り分について訴えられたもの。
ファンク・ブラザースは2002年11月の映画公開以降、一挙に注目を集めるようになり、ライヴやテレビ出演などの要請が多くなった。テレビでも『アメリカン・アイドル』などにも出演。過去1年で100万ドル(約1億円)を売り上げたと見られている。
一方、同映画のサウンドトラック盤のデラックス・エディションがアメリカで5月11日に発売される。これは二枚組みで、当初発売されたヴァージョンに未発表の音源などが加えられる。
また、去る4月に行われた『モータウン45』の模様は、ABCテレビで5月17日に放送される。
+++++
自伝。
これらのニュースの中で興味深いのは、ベリー・ゴーディーの二つの企画。ミュージカルと自伝のテレビドラマ化だ。
ミュージカルはモータウンのヒットを使えばいかようにもできると思う。やはり思い浮かぶのが、ドリス・トロイの生涯を描いた『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』などだ。当時の様々なヒットがちりばめられ上手にストーリーが語られれば、おもしろいものができるだろう。
一方で、彼の自伝のテレビのミニシリーズ化の企画というのも興味深い。これがアメリカでヒットし、日本でも放映されることになれば、原作本にももっと注目が集まるかもしれない。そうなれば、僕としてもひじょうに嬉しい。(笑) この本をベースにドラマ化すると、やはり、50年代初期から86年の売却あたりまでだろうか。ベリー・ゴーディーとしては、モータウンの売却でひとつピリオドを打ったという感じがあるだろうから。
ベリー・ゴーディー役は誰か、ダイアナ・ロス役は誰がやるのか、マーヴィンは、スティーヴィーは、スモーキーは一体誰が演じるのだろうか。デンゼル・ワシントン、サミュエル・ジャクソン、ウィル・スミス、モーガン・フリーマン、ジェイダ・ピンケット、アンジェラ・バセット、フォーレスト・ウィテッカー、ダニー・グローヴァー、ウーピー・ゴールドバーグ、マーティン・ローレンス…。おもいつくままに、ブラック系の俳優を並べてみたが、きっともっと若手がたくさんいるのだろう。
ところで、映画『永遠のモータウン』が1日から一般公開され、音楽ファンの間では大きな話題になっている。もっともっと話題になってくれるとうれしい。
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ベリー・ゴーディー、音楽出版社を売却
『モータウン、わが愛と夢』をテレビ・シリーズに企画も
モータウン・レコードの創始者ベリー・ゴーディーは、このほど自身が保有していた音楽出版社、ジョベッタ・ミュージックの株式の残りをすべてEMIグループに売却した。このモータウンのカタログにはマーヴィン・ゲイ、スモーキー・ロビンソン、ダイアナ・ロス、テンプテーションズ、フォートップスなどによってヒットしたおよそ15000曲に上る作品が含まれる。このうちの100曲以上はチャートでナンバーワンを記録している、という。
EMIは、1997年に株式の50%を1億3200万ドル(およそ132億円)で買収、2003年にはさらに30%を買い上げ、今回残る20%を買い取った。このカタログは4億ドルの価値があると見る向きもある。
一方、ベリー・ゴーディーは、ブロードウェイでミュージカル『エイント・ノー・マウンテイン・ハイ・イナフ』を企画中。これは来年公開をめどに制作を進めている。主演、物語の内容などは未発表だが、その中では多数のモータウン・ヒットが歌われることはまちがいない。
またこれと並行して、ゴーディーは自身の自伝『トゥ・ビー・ラヴド(邦題、モータウン、わが愛と夢)』をテレビのミニシリーズ化しようと売込み中だ。現在NBCと12時間のミニシリーズ化の話をすすめている、という。これは、ベリー・ゴーディーの成功物語を時間軸に従って、追っていくものになると思われる。
これらのゴーディー企画とは別に、マーヴィン・ゲイの人生を描いた映画の企画も2本進行中だという。ただし、これが現実化するかは、まだわからない。
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ファンク・ブラザース、訴えられる
映画『永遠のモータウン(原題、スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン)』で一躍脚光を浴びたファンク・ブラザースが、映画製作チームから訴えられている。これは、映画を製作したリムショッツ・プロダクションが2年間当初ファンク・ブラザースをマネージする契約になっていたが、ファンク・ブラザースは同プロを通さずにライヴの仕事などをとったため、そのマネージメント料の取り分について訴えられたもの。
ファンク・ブラザースは2002年11月の映画公開以降、一挙に注目を集めるようになり、ライヴやテレビ出演などの要請が多くなった。テレビでも『アメリカン・アイドル』などにも出演。過去1年で100万ドル(約1億円)を売り上げたと見られている。
一方、同映画のサウンドトラック盤のデラックス・エディションがアメリカで5月11日に発売される。これは二枚組みで、当初発売されたヴァージョンに未発表の音源などが加えられる。
また、去る4月に行われた『モータウン45』の模様は、ABCテレビで5月17日に放送される。
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自伝。
これらのニュースの中で興味深いのは、ベリー・ゴーディーの二つの企画。ミュージカルと自伝のテレビドラマ化だ。
ミュージカルはモータウンのヒットを使えばいかようにもできると思う。やはり思い浮かぶのが、ドリス・トロイの生涯を描いた『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』などだ。当時の様々なヒットがちりばめられ上手にストーリーが語られれば、おもしろいものができるだろう。
一方で、彼の自伝のテレビのミニシリーズ化の企画というのも興味深い。これがアメリカでヒットし、日本でも放映されることになれば、原作本にももっと注目が集まるかもしれない。そうなれば、僕としてもひじょうに嬉しい。(笑) この本をベースにドラマ化すると、やはり、50年代初期から86年の売却あたりまでだろうか。ベリー・ゴーディーとしては、モータウンの売却でひとつピリオドを打ったという感じがあるだろうから。
ベリー・ゴーディー役は誰か、ダイアナ・ロス役は誰がやるのか、マーヴィンは、スティーヴィーは、スモーキーは一体誰が演じるのだろうか。デンゼル・ワシントン、サミュエル・ジャクソン、ウィル・スミス、モーガン・フリーマン、ジェイダ・ピンケット、アンジェラ・バセット、フォーレスト・ウィテッカー、ダニー・グローヴァー、ウーピー・ゴールドバーグ、マーティン・ローレンス…。おもいつくままに、ブラック系の俳優を並べてみたが、きっともっと若手がたくさんいるのだろう。
ところで、映画『永遠のモータウン』が1日から一般公開され、音楽ファンの間では大きな話題になっている。もっともっと話題になってくれるとうれしい。
一期一会。
背中を眺めつつ、斜め後ろから彼の指の動きを見つめる。ピアノが客席に対して直角ではなく、若干斜めに置かれているので、舞台左手のあたりだと、ピアニストの手の動きがよく見える。特に右手の動きは目前で、左手も、右側に移動するときはよく見える。その華麗な動きを見ているだけで、気持ちよくなってくる。そして背中の主は、ジョー・サンプル。
その手と腕の動きは、水面(みなも)を跳ねる魚のよう。時に、飛び、そして、水の中を自由自在に泳ぐ。水の中を優雅に泳ぐその手の動きは無駄がなく美しい。体全体は実に大きくゆれるが、腕のあたりにクッションがはいっているかの如く、鍵盤に指先が触れる瞬間、すっと力が抜けて、絶妙のソフトタッチが生まれる。そこからサンプル独特のピアノタッチが響く。
前回の来日(2003年12月)は、まったくのジョー・サンプルひとりのソロピアノだったが、今回はアコースティック・ベース(ジェイ・アンダーソン)とドラムス(アダム・ナスバウム)を従えてのトリオ。正直に言うと今回のドラムスは、僕はジョーとあっているように思えなかった。
ミュージシャンがユニットとして音楽を作る場合、「ひとつのイメージの共有」が必要だ。しかし、ドラムスとジョー・サンプルがひとつのイメージを共有しているようには思えなかった。ミュージシャンはある程度自己主張がなければならない。個性が生まれないからだ。しかし、自己主張するだけではコラボレートにならない。まず、相手に耳を傾け、聴かなければならない。この場合、ジョー・サンプルのピアノをじっくり聴き、ジョーのピアノのソウルをつかまなければならない。どうも、そうした作業がなされていたとは思えない。順番が回ってきて、そこでただソロを思い切り叩くだけでは観客を満足させることはできないのだ。トリオのミュージシャンがいるなら、そこで音楽の力学は正三角形を描かなければならない。というわけで、トリオとしては若干の不満をもったが、ジョーのピアノには満足した。
最後の曲「カーメル」を終えて、ステージを降りるジョーに一人の女性が何かをささやいた。アンコールに戻ってきたジョーは、その女性を指してこう言った。「このレディーが、『メロディーズ・オブ・ラヴ』を聴きたがってるんだ。ただ、これだけ(今まで)僕が強く弾いてしまったので、このピアノはもう音が少しずれている。でも、やってみよう」
そして、ジョーひとりでゆったりとした「メロディーズ・オブ・ラヴ」が始まった。レコードとも違う、毎回どこかが違う「メロディーズ・オブ・ラヴ」。それは今日限りの「メロディーズ・オブ・ラヴ」、まさに一期一会のメロディー。
+++++
Setlist Second Set
(title of the song /album/album released year)
show started 21:01
1. The Texas Two Step (The Pecan Tree - 2002)
2. Rainbow Seeker ( Rainbow Seeker - 1978)
3. Souly Creole (Old Places, Old Faces - 1995)
4. The Pecan Tree (The Pecan Tree - 2002)
5. Memories (The Pecan Tree - 2002)
6. X Marks The Spot (Marie Laveau) (The Pecan Tree - 2002)
7. Chain Reaction (Crusaders, Chain Reaction - 1975)
8. Django (Invitation - 1993)
9. Street Life (Crusaders, Street Life - 1979 / Joe Sample, The Song Lives On - 1999)
10. Carmel (Carmel - 1979)
Encore Melodies Of Love (Rainbow Seeker - 1978)
show ended 22:26
(2004年5月4日火曜・東京ブルーノート・セカンド=ジョー・サンプル・ライヴ)
+++++
(関連記事)
ジョー・サンプル&レイラ・ハザウエイ・ライヴ 「魔術師の指」 1999年6月
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/sample19990608.html
ジョー・サンプル・ライヴ 「宇宙のように大きな背中」 2002年4月
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/joe20020409.html
クルセイダーズ・ライヴ 「ウォーリッツァーの初体験」 2003年10月
What Did 40 Year Old Wurlitzer See In Tokyo?
http://diarynote.jp/d/32970/20031010.html
ジョー・サンプル・ライヴ 「引き算のピアノ」 2003年12月
Joe Sample: Abstract Subtraction
http://diarynote.jp/d/32970/20031211.html
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背中を眺めつつ、斜め後ろから彼の指の動きを見つめる。ピアノが客席に対して直角ではなく、若干斜めに置かれているので、舞台左手のあたりだと、ピアニストの手の動きがよく見える。特に右手の動きは目前で、左手も、右側に移動するときはよく見える。その華麗な動きを見ているだけで、気持ちよくなってくる。そして背中の主は、ジョー・サンプル。
その手と腕の動きは、水面(みなも)を跳ねる魚のよう。時に、飛び、そして、水の中を自由自在に泳ぐ。水の中を優雅に泳ぐその手の動きは無駄がなく美しい。体全体は実に大きくゆれるが、腕のあたりにクッションがはいっているかの如く、鍵盤に指先が触れる瞬間、すっと力が抜けて、絶妙のソフトタッチが生まれる。そこからサンプル独特のピアノタッチが響く。
前回の来日(2003年12月)は、まったくのジョー・サンプルひとりのソロピアノだったが、今回はアコースティック・ベース(ジェイ・アンダーソン)とドラムス(アダム・ナスバウム)を従えてのトリオ。正直に言うと今回のドラムスは、僕はジョーとあっているように思えなかった。
ミュージシャンがユニットとして音楽を作る場合、「ひとつのイメージの共有」が必要だ。しかし、ドラムスとジョー・サンプルがひとつのイメージを共有しているようには思えなかった。ミュージシャンはある程度自己主張がなければならない。個性が生まれないからだ。しかし、自己主張するだけではコラボレートにならない。まず、相手に耳を傾け、聴かなければならない。この場合、ジョー・サンプルのピアノをじっくり聴き、ジョーのピアノのソウルをつかまなければならない。どうも、そうした作業がなされていたとは思えない。順番が回ってきて、そこでただソロを思い切り叩くだけでは観客を満足させることはできないのだ。トリオのミュージシャンがいるなら、そこで音楽の力学は正三角形を描かなければならない。というわけで、トリオとしては若干の不満をもったが、ジョーのピアノには満足した。
最後の曲「カーメル」を終えて、ステージを降りるジョーに一人の女性が何かをささやいた。アンコールに戻ってきたジョーは、その女性を指してこう言った。「このレディーが、『メロディーズ・オブ・ラヴ』を聴きたがってるんだ。ただ、これだけ(今まで)僕が強く弾いてしまったので、このピアノはもう音が少しずれている。でも、やってみよう」
そして、ジョーひとりでゆったりとした「メロディーズ・オブ・ラヴ」が始まった。レコードとも違う、毎回どこかが違う「メロディーズ・オブ・ラヴ」。それは今日限りの「メロディーズ・オブ・ラヴ」、まさに一期一会のメロディー。
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Setlist Second Set
(title of the song /album/album released year)
show started 21:01
1. The Texas Two Step (The Pecan Tree - 2002)
2. Rainbow Seeker ( Rainbow Seeker - 1978)
3. Souly Creole (Old Places, Old Faces - 1995)
4. The Pecan Tree (The Pecan Tree - 2002)
5. Memories (The Pecan Tree - 2002)
6. X Marks The Spot (Marie Laveau) (The Pecan Tree - 2002)
7. Chain Reaction (Crusaders, Chain Reaction - 1975)
8. Django (Invitation - 1993)
9. Street Life (Crusaders, Street Life - 1979 / Joe Sample, The Song Lives On - 1999)
10. Carmel (Carmel - 1979)
Encore Melodies Of Love (Rainbow Seeker - 1978)
show ended 22:26
(2004年5月4日火曜・東京ブルーノート・セカンド=ジョー・サンプル・ライヴ)
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(関連記事)
ジョー・サンプル&レイラ・ハザウエイ・ライヴ 「魔術師の指」 1999年6月
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/sample19990608.html
ジョー・サンプル・ライヴ 「宇宙のように大きな背中」 2002年4月
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/joe20020409.html
クルセイダーズ・ライヴ 「ウォーリッツァーの初体験」 2003年10月
What Did 40 Year Old Wurlitzer See In Tokyo?
http://diarynote.jp/d/32970/20031010.html
ジョー・サンプル・ライヴ 「引き算のピアノ」 2003年12月
Joe Sample: Abstract Subtraction
http://diarynote.jp/d/32970/20031211.html
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"American Pie" Saga Continues:
2004年5月4日謎。
「アメリカン・パイ」の解釈に最初に熱心に取り組んだのは、シカゴのラジオDJボブ・ディアボーンという人でした。彼は夜の時間帯に毎日自分のショウをやっていましたが、71年暮れに届いたこのドン・マクリーンの新曲の内容にとても興味を持ち、歌詞を詳細に吟味し、72年初め、自分なりの解釈を数ページのレターヘッドに書き記したのです。
彼は自分の番組の中でこの解釈を書いた原稿に興味があれば、局に手紙を送ってくれ、郵送すると言ったのです。すると、まもなく局には全米から山のような問い合わせの手紙が届いたのです。彼の局WCFLは、当時AMで夜になると地元シカゴだけでなく、全米の広範囲で聴取が可能だったのです。
この反応に驚いた局は、あわてて、返信用切手を貼った封筒を必ず同封するようにと言いますが、この曲に対する興味は薄れることなく、何万通という手紙が発送されました。
ディアボーンは、この解釈を元に、「アメリカン・パイ」を聴いて解釈する特番を制作します。少しずつ歌をかけ、一行が終るとその解釈を解説し、また曲を続け、再び解説をつける、というスタイルです。これも大好評を博し、シカゴの局のローカル番組が全米各地のラジオ局に配給されました。それだけでなく、この解釈を書いた原稿は新聞に掲載され、さらに、テレビのニュースネタとして取材され、「アメリカン・パイ」の解釈は一大ブームにまでなりました。
そして、その彼が72年から約28年たった2000年に、その原稿をウェッブに公開したのです。それがこれです。
http://user.pa.net/~ejjeff/pie.html
昨日アドレスを紹介した研究家のウェッブも、このディアボーンの最初の解釈を参考にしているように思われます。それにしても、実にたくさんの解釈があるんですね。ブルースを歌うシンガーとして、一応ジャニス・ジョプリンだとマクリーン自身は認めているようですが、これをビリー・ホリデイではないかと考える人もいるわけです。またこの曲全体をケネディー暗殺と関連づけて捉える人もいます。
ドン・マクリーンのウェッブもあります。http://www.don-mclean.com/ それでもわからない謎の部分はそのまま残っていますが。(笑) しかし、これほどまでに「語られる曲」は、そうそうありませんね。
「アメリカン・パイ」の解釈に最初に熱心に取り組んだのは、シカゴのラジオDJボブ・ディアボーンという人でした。彼は夜の時間帯に毎日自分のショウをやっていましたが、71年暮れに届いたこのドン・マクリーンの新曲の内容にとても興味を持ち、歌詞を詳細に吟味し、72年初め、自分なりの解釈を数ページのレターヘッドに書き記したのです。
彼は自分の番組の中でこの解釈を書いた原稿に興味があれば、局に手紙を送ってくれ、郵送すると言ったのです。すると、まもなく局には全米から山のような問い合わせの手紙が届いたのです。彼の局WCFLは、当時AMで夜になると地元シカゴだけでなく、全米の広範囲で聴取が可能だったのです。
この反応に驚いた局は、あわてて、返信用切手を貼った封筒を必ず同封するようにと言いますが、この曲に対する興味は薄れることなく、何万通という手紙が発送されました。
ディアボーンは、この解釈を元に、「アメリカン・パイ」を聴いて解釈する特番を制作します。少しずつ歌をかけ、一行が終るとその解釈を解説し、また曲を続け、再び解説をつける、というスタイルです。これも大好評を博し、シカゴの局のローカル番組が全米各地のラジオ局に配給されました。それだけでなく、この解釈を書いた原稿は新聞に掲載され、さらに、テレビのニュースネタとして取材され、「アメリカン・パイ」の解釈は一大ブームにまでなりました。
そして、その彼が72年から約28年たった2000年に、その原稿をウェッブに公開したのです。それがこれです。
http://user.pa.net/~ejjeff/pie.html
昨日アドレスを紹介した研究家のウェッブも、このディアボーンの最初の解釈を参考にしているように思われます。それにしても、実にたくさんの解釈があるんですね。ブルースを歌うシンガーとして、一応ジャニス・ジョプリンだとマクリーン自身は認めているようですが、これをビリー・ホリデイではないかと考える人もいるわけです。またこの曲全体をケネディー暗殺と関連づけて捉える人もいます。
ドン・マクリーンのウェッブもあります。http://www.don-mclean.com/ それでもわからない謎の部分はそのまま残っていますが。(笑) しかし、これほどまでに「語られる曲」は、そうそうありませんね。
誕生。
昨日「ソウルブレンズ」でご紹介した「アメリカン・パイ」(ドン・マクリーン)は、なんと8分半もある曲です。この曲に関しては、2002年12月10日付けの日記でも書きました。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200212.htmlしかし、改めて歌詞をじっくり読んでみると、実に奥深いですね。この「アメリカン・パイ」を研究するニュースグループができるというのもうなずけます。これを研究するサイトを紹介しました。http://www.faqs.org/faqs/music/american-pie/ ここではそのサイトからの解釈をいくつか紹介します。
さて今回の話のねたとしては、この曲はオリジナルでは曲のほとんどがモノラルで録音されていて、最後の約30秒程度だけがステレオになるというものがうんちく的におもしろいかと思います。で、これを確認するために昨日何度もこの曲を聴きました。
ステレオの正面に座って、じっくり耳を傾けたのですが、どうもこのCDではなんとなくステレオのような気もしないではない。ひょっとすると後年「疑似ステレオ」にしたのかも知れません。ただほとんどモノラルのように聴こえます。そして、確かに最後の30秒くらいコーラスがはいってくるところは、明らかに左右に音が分かれてはっきりとステレオになるのがわかります。ドン・マクリーンは音楽がモノラルからステレオの時代になることを、この8分半の曲の最後で表したかったのだと言います。確かに50年代後期はレコードはモノラルでした。そして、60年代の中頃から徐々にステレオが登場してきました。
1959年2月、当時のロックンロールのスターが一挙に飛行機事故で死亡した日を「音楽死んだ日」としたこの作品は、ロックの歴史、アメリカの歴史のさまざまな事象が織り込まれています。機会があれば、全部を訳しながら、解釈をつけてみたいとも思いますが、これはかなり大変な作業です。(笑)
例えば、このライン。And moss grows fat on a rolling stone. 直訳でいけば「転がる石に苔(こけ)がはえる」となります。さて、このローリング・ストーンは何を意味するのか。ローリング・ストーンズのことか、あるいは、「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌ったボブ・ディランのことか。解釈としては、デビュー当初のディランは、社会に対する反抗精神が強かったのですが、徐々に内容がマイルドなものに変化していきました。そのことを比喩しているとも受け取れます。「ボブ・ディランにも苔がはえた」つまり「ディランも軟弱になった」ということです。
後半では With the jester on the sidelines in a castというラインがあります。直訳は「サイドラインの道化師はギブス姿」 ディランは69年7月にバイク事故で9ヶ月の入院生活を送ります。よってこれはディランのことを指します。
あるいはAnd there we were all in one place 「みんなが一カ所に集まった」は、ウッドストックを指します。また、A generation lost in space は「宇宙に失われた世代」で、アメリカの宇宙計画のことのように思えます。
ここも興味深い。So come on Jack be nimble Jack be quick/Jack Flash sat on a candlestick/’Cause fire is the devil’s only friend 「さあ、ジャック賢くなれ、素早くやれ、ジャックフラッシュはろうそく立ての上に座った、なぜなら、炎は悪魔の唯一の友達だから」 ここには二つの解釈があります。ジャックは、ミック・ジャガーのことで、ろうそく立て(キャンドルスティック)はストーンズ
が行ったキャンドルスティック・パークでのライヴコンサートのこと。ストーンズの作品「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル」を考えると、この一行はぴったし来ます。
もうひとつの解釈はこの「ジャック」がジョンFケネディーを指すというもの。この場合ろうそく立てと炎は、ミサイルと核戦争を意味します。これは、いわゆるアメリカのキューバ危機のことですね。この時、ケネディーは早急に決断を下さなければなかった。彼の判断が少しでも遅れてしまうと、ミサイルが発射される。炎の上にケネディーが座っているというわけです。
このように一行一行にさまざまな事象がたくみに比喩されて織り込まれているのですが、どれが正解かはこれを書いた本人にしかわかりません。ところが当の本人はこの曲の解釈についていっさいコメントしないと言っているのです。おそらく、多くの人がする解釈でいくつかは正しく、いくつかは正しくないのかも知れません。まあ、それも良いでしょう。解釈を解説しないのも、見識であり、そして、勝手に解釈するのも、聞き手の自由でもあります。
ところで59年2月の運命の飛行機には本当は4人目の乗客がいました。しかし、座席が3つしかなかったため、彼らはコイントスをしてその飛行機に乗る乗らないを決めました。コイントスに負けた人物はウェイロン・ジェニングスという人物です。彼は後に作詞家として名前をなすことになります。クルセイダーズで大ヒットした「ストリート・ライフ」の作詞をしたのがウェイロンです。しかし、彼もまたこの事故については決して語ってくれません。コイントスがあまりに大きな人生の岐路となったからです。とても人に話せることではないのでしょう。
ドン・マクリーンのこの曲、そして、ライヴパフォーマンスを見て感動した人物がいました。その彼はその感動を一曲の作品にしたためます。「彼の歌で私をやさしく殺して」というタイトルの曲です。そう、「キリング・ミー・ソフトリー・ウィズ・ヒズ・ソング」です。これは、ロバータ・フラックが歌って大ヒットになりました。ここでいう「ヒズ」(彼の)は、ドン・マクリーンのことです。
そして、僕は今日どうしてもこのうんちくをできるだけ紹介したいということと、この曲をフルで8分半かけたいと思っていました。通常ですと、大体3,4分かけたところで曲にのってしゃべってしまうのですが、無理にディレクターたちにお願いしてフルでかけました。曲を8分半かけたためにおしゃべりが少しはしょってしまいましたが、まあ、それもしょうがないかもしれません。今時、8分半の曲をフルで
かけるラジオ番組なんてなかなかないでしょうから、これはこれでよかったのではないかと思います。スポンサーの山野楽器さんにも理解を示していただいて感謝です。
どうしても、僕がこの曲をフルでかけたかったのは、僕がこの曲を32年前FENで初めて聞いたとき、そのDJがこの曲をカットせずにフルでかけ、そのときのあまりの衝撃をものすごく覚えていたからです。僕はあのとき、曲の意味などまったくわからなかったのに、8分半、本当にラジオのスピーカーの前でこの曲に聞き入ってしまいました。そしてたった一回聞いただけで、この曲のそして、ドン・マクリーンの大ファンになりました。もちろん、それはこの曲が持つ普遍的な魅力があったからでしょう。しかし、当時シングル一曲3分以内という中で8分半の曲をかけたDJの勇気のおかげもあったのではないかと、後になって思います。だから、今日8分半の長い曲を聴いて、ひとりでもこの曲の魅力にふれられたら、音楽を紹介する立場の人間としてこれ以上の喜びはありません。この曲は「音楽が死んだ日」を歌っていますが、僕にとってはある意味で「音楽の生まれた日」あるいは「音楽の魅力が生まれた日」でもあるわけです。
この曲は、2枚組の「ザ・70ズ、ビューティフル・デイズ」というアルバムに収録されています。
昨日「ソウルブレンズ」でご紹介した「アメリカン・パイ」(ドン・マクリーン)は、なんと8分半もある曲です。この曲に関しては、2002年12月10日付けの日記でも書きました。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200212.htmlしかし、改めて歌詞をじっくり読んでみると、実に奥深いですね。この「アメリカン・パイ」を研究するニュースグループができるというのもうなずけます。これを研究するサイトを紹介しました。http://www.faqs.org/faqs/music/american-pie/ ここではそのサイトからの解釈をいくつか紹介します。
さて今回の話のねたとしては、この曲はオリジナルでは曲のほとんどがモノラルで録音されていて、最後の約30秒程度だけがステレオになるというものがうんちく的におもしろいかと思います。で、これを確認するために昨日何度もこの曲を聴きました。
ステレオの正面に座って、じっくり耳を傾けたのですが、どうもこのCDではなんとなくステレオのような気もしないではない。ひょっとすると後年「疑似ステレオ」にしたのかも知れません。ただほとんどモノラルのように聴こえます。そして、確かに最後の30秒くらいコーラスがはいってくるところは、明らかに左右に音が分かれてはっきりとステレオになるのがわかります。ドン・マクリーンは音楽がモノラルからステレオの時代になることを、この8分半の曲の最後で表したかったのだと言います。確かに50年代後期はレコードはモノラルでした。そして、60年代の中頃から徐々にステレオが登場してきました。
1959年2月、当時のロックンロールのスターが一挙に飛行機事故で死亡した日を「音楽死んだ日」としたこの作品は、ロックの歴史、アメリカの歴史のさまざまな事象が織り込まれています。機会があれば、全部を訳しながら、解釈をつけてみたいとも思いますが、これはかなり大変な作業です。(笑)
例えば、このライン。And moss grows fat on a rolling stone. 直訳でいけば「転がる石に苔(こけ)がはえる」となります。さて、このローリング・ストーンは何を意味するのか。ローリング・ストーンズのことか、あるいは、「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌ったボブ・ディランのことか。解釈としては、デビュー当初のディランは、社会に対する反抗精神が強かったのですが、徐々に内容がマイルドなものに変化していきました。そのことを比喩しているとも受け取れます。「ボブ・ディランにも苔がはえた」つまり「ディランも軟弱になった」ということです。
後半では With the jester on the sidelines in a castというラインがあります。直訳は「サイドラインの道化師はギブス姿」 ディランは69年7月にバイク事故で9ヶ月の入院生活を送ります。よってこれはディランのことを指します。
あるいはAnd there we were all in one place 「みんなが一カ所に集まった」は、ウッドストックを指します。また、A generation lost in space は「宇宙に失われた世代」で、アメリカの宇宙計画のことのように思えます。
ここも興味深い。So come on Jack be nimble Jack be quick/Jack Flash sat on a candlestick/’Cause fire is the devil’s only friend 「さあ、ジャック賢くなれ、素早くやれ、ジャックフラッシュはろうそく立ての上に座った、なぜなら、炎は悪魔の唯一の友達だから」 ここには二つの解釈があります。ジャックは、ミック・ジャガーのことで、ろうそく立て(キャンドルスティック)はストーンズ
が行ったキャンドルスティック・パークでのライヴコンサートのこと。ストーンズの作品「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル」を考えると、この一行はぴったし来ます。
もうひとつの解釈はこの「ジャック」がジョンFケネディーを指すというもの。この場合ろうそく立てと炎は、ミサイルと核戦争を意味します。これは、いわゆるアメリカのキューバ危機のことですね。この時、ケネディーは早急に決断を下さなければなかった。彼の判断が少しでも遅れてしまうと、ミサイルが発射される。炎の上にケネディーが座っているというわけです。
このように一行一行にさまざまな事象がたくみに比喩されて織り込まれているのですが、どれが正解かはこれを書いた本人にしかわかりません。ところが当の本人はこの曲の解釈についていっさいコメントしないと言っているのです。おそらく、多くの人がする解釈でいくつかは正しく、いくつかは正しくないのかも知れません。まあ、それも良いでしょう。解釈を解説しないのも、見識であり、そして、勝手に解釈するのも、聞き手の自由でもあります。
ところで59年2月の運命の飛行機には本当は4人目の乗客がいました。しかし、座席が3つしかなかったため、彼らはコイントスをしてその飛行機に乗る乗らないを決めました。コイントスに負けた人物はウェイロン・ジェニングスという人物です。彼は後に作詞家として名前をなすことになります。クルセイダーズで大ヒットした「ストリート・ライフ」の作詞をしたのがウェイロンです。しかし、彼もまたこの事故については決して語ってくれません。コイントスがあまりに大きな人生の岐路となったからです。とても人に話せることではないのでしょう。
ドン・マクリーンのこの曲、そして、ライヴパフォーマンスを見て感動した人物がいました。その彼はその感動を一曲の作品にしたためます。「彼の歌で私をやさしく殺して」というタイトルの曲です。そう、「キリング・ミー・ソフトリー・ウィズ・ヒズ・ソング」です。これは、ロバータ・フラックが歌って大ヒットになりました。ここでいう「ヒズ」(彼の)は、ドン・マクリーンのことです。
そして、僕は今日どうしてもこのうんちくをできるだけ紹介したいということと、この曲をフルで8分半かけたいと思っていました。通常ですと、大体3,4分かけたところで曲にのってしゃべってしまうのですが、無理にディレクターたちにお願いしてフルでかけました。曲を8分半かけたためにおしゃべりが少しはしょってしまいましたが、まあ、それもしょうがないかもしれません。今時、8分半の曲をフルで
かけるラジオ番組なんてなかなかないでしょうから、これはこれでよかったのではないかと思います。スポンサーの山野楽器さんにも理解を示していただいて感謝です。
どうしても、僕がこの曲をフルでかけたかったのは、僕がこの曲を32年前FENで初めて聞いたとき、そのDJがこの曲をカットせずにフルでかけ、そのときのあまりの衝撃をものすごく覚えていたからです。僕はあのとき、曲の意味などまったくわからなかったのに、8分半、本当にラジオのスピーカーの前でこの曲に聞き入ってしまいました。そしてたった一回聞いただけで、この曲のそして、ドン・マクリーンの大ファンになりました。もちろん、それはこの曲が持つ普遍的な魅力があったからでしょう。しかし、当時シングル一曲3分以内という中で8分半の曲をかけたDJの勇気のおかげもあったのではないかと、後になって思います。だから、今日8分半の長い曲を聴いて、ひとりでもこの曲の魅力にふれられたら、音楽を紹介する立場の人間としてこれ以上の喜びはありません。この曲は「音楽が死んだ日」を歌っていますが、僕にとってはある意味で「音楽の生まれた日」あるいは「音楽の魅力が生まれた日」でもあるわけです。
この曲は、2枚組の「ザ・70ズ、ビューティフル・デイズ」というアルバムに収録されています。
源。
映画『ドラムライン』を見てきた。渋谷のシネクイントは、227席の小規模な映画館。土曜日ということもあってか、けっこうはいっていた。ヒップホップ界の大物ダラス・オースティンの自伝的映画でもあるという。
ニューヨークに住むデヴォン(ニック・キャノン)は、音楽の才能を持った男。そのドラムのセンスを認められ、南部のA&T大学に奨学金付きでの入学を誘われる。そこでめきめき頭角を出すが、自身に対して大きな自信を持っていることから、回りのメンバーたちと衝突する。
舞台は大学のフットボールの試合のハーフタイムに行われる各大学のドラム・チームのバトル。デヴォンのドラムの才能は誰もが認めるが、様々な紆余曲折が巻き起こる。楽譜が読めないことが発覚し、デヴォンはチームから首になってしまう。果たして、彼なしでドラム・バトルを勝てるのだろうか。
ストーリー、映画としては一般的というかB級なものだが、マーチングドラムのライヴ映像は圧倒的だ。このドラムの演奏を見るためにだけでも、チケット代を払う価値はある。このバトルというコンセプトは、ブラックカルチャーの中でなんにでもあてはまる。例えば、その昔だったら、ドゥワップ・グループが街角で、ドゥワップを歌ってバトルしていた。それから四半世紀を経て、ドゥワップは、ラップになって、街角ではラッパーたちのバトルが起こった。もちろん、ブレイクダンスのバトルもある。ダンスもある。
ひとつのことを極め、そのフィールドでひじょうに高いレヴェルで技を競い合うということは、とても健全なことだ。そして、なによりこのドラムラインの迫力には、まいった。そして、思うことはただひとつ。ドラムはすべてのリズムの源。
気に入ったセリフがあった。マーチングバンドを率いるリー監督がメンバーに対して言う。メンバーは若いので、ヒップホップ系のアーティストの作品をやりたいと思っている。だが、リー監督は、イー・ダブリュー・エフの曲をやると宣言する。イー・ダブリュー・エフ、EWF、すなわちアース・ウィンド&ファイアーだ。監督は言う。「みんな、アンジー・ストーンをやりたいのか。スヌープの曲をやりたいんだろう。LLクールJをやりたいのか」 メンバーはうなずく。監督がきっぱりいう。「そういう連中はみなこのEWFの影響を受けているんだ」 そして、彼らが一生懸命練習するのが、80年の作品「イン・ザ・ストーン」だった。
ドラムライン、その戦いは大きなフィールドで。まさに青春のもうひとつのフィールド・オブ・ドリームスだ。
そして、僕個人としては、ドラムに焦点をあてた場合、これまでに、ミュージカル『ノイズ&ファンク』や、最近のシーラEのライヴが、つながってくる。『ノイズ&ファンク』で感じたこと、シーラEのライヴで思ったこと、それと同じ思いを僕はこの『ドラムライン』でも感じた。それぞれ出し物は違うのだが、ドラム、リズムという点において、これら三者は見事に一本の線でつながった。
(映画『ドラムライン』、渋谷シネクイントなどで公開中)
『ノイズ&ファンク』ライヴ評・2003年3月22日付け日記
Bring In ’Da Noise, Bring In ’Da Funk: Soul explosion!
http://diarynote.jp/d/32970/20030322.html
シーラEライヴ評 2004年4月10日、4月11日付け日記 Sheila E Live @ Duo: Heartbeat From Ancient Times
http://diarynote.jp/d/32970/20040410.html
4月11日付け日記Sheila E Live: "River God" Makes Her Tears
http://diarynote.jp/d/32970/20040411.html
映画についての一般情報。公開映画館、感想など。
http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=318676
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映画『ドラムライン』を見てきた。渋谷のシネクイントは、227席の小規模な映画館。土曜日ということもあってか、けっこうはいっていた。ヒップホップ界の大物ダラス・オースティンの自伝的映画でもあるという。
ニューヨークに住むデヴォン(ニック・キャノン)は、音楽の才能を持った男。そのドラムのセンスを認められ、南部のA&T大学に奨学金付きでの入学を誘われる。そこでめきめき頭角を出すが、自身に対して大きな自信を持っていることから、回りのメンバーたちと衝突する。
舞台は大学のフットボールの試合のハーフタイムに行われる各大学のドラム・チームのバトル。デヴォンのドラムの才能は誰もが認めるが、様々な紆余曲折が巻き起こる。楽譜が読めないことが発覚し、デヴォンはチームから首になってしまう。果たして、彼なしでドラム・バトルを勝てるのだろうか。
ストーリー、映画としては一般的というかB級なものだが、マーチングドラムのライヴ映像は圧倒的だ。このドラムの演奏を見るためにだけでも、チケット代を払う価値はある。このバトルというコンセプトは、ブラックカルチャーの中でなんにでもあてはまる。例えば、その昔だったら、ドゥワップ・グループが街角で、ドゥワップを歌ってバトルしていた。それから四半世紀を経て、ドゥワップは、ラップになって、街角ではラッパーたちのバトルが起こった。もちろん、ブレイクダンスのバトルもある。ダンスもある。
ひとつのことを極め、そのフィールドでひじょうに高いレヴェルで技を競い合うということは、とても健全なことだ。そして、なによりこのドラムラインの迫力には、まいった。そして、思うことはただひとつ。ドラムはすべてのリズムの源。
気に入ったセリフがあった。マーチングバンドを率いるリー監督がメンバーに対して言う。メンバーは若いので、ヒップホップ系のアーティストの作品をやりたいと思っている。だが、リー監督は、イー・ダブリュー・エフの曲をやると宣言する。イー・ダブリュー・エフ、EWF、すなわちアース・ウィンド&ファイアーだ。監督は言う。「みんな、アンジー・ストーンをやりたいのか。スヌープの曲をやりたいんだろう。LLクールJをやりたいのか」 メンバーはうなずく。監督がきっぱりいう。「そういう連中はみなこのEWFの影響を受けているんだ」 そして、彼らが一生懸命練習するのが、80年の作品「イン・ザ・ストーン」だった。
ドラムライン、その戦いは大きなフィールドで。まさに青春のもうひとつのフィールド・オブ・ドリームスだ。
そして、僕個人としては、ドラムに焦点をあてた場合、これまでに、ミュージカル『ノイズ&ファンク』や、最近のシーラEのライヴが、つながってくる。『ノイズ&ファンク』で感じたこと、シーラEのライヴで思ったこと、それと同じ思いを僕はこの『ドラムライン』でも感じた。それぞれ出し物は違うのだが、ドラム、リズムという点において、これら三者は見事に一本の線でつながった。
(映画『ドラムライン』、渋谷シネクイントなどで公開中)
『ノイズ&ファンク』ライヴ評・2003年3月22日付け日記
Bring In ’Da Noise, Bring In ’Da Funk: Soul explosion!
http://diarynote.jp/d/32970/20030322.html
シーラEライヴ評 2004年4月10日、4月11日付け日記 Sheila E Live @ Duo: Heartbeat From Ancient Times
http://diarynote.jp/d/32970/20040410.html
4月11日付け日記Sheila E Live: "River God" Makes Her Tears
http://diarynote.jp/d/32970/20040411.html
映画についての一般情報。公開映画館、感想など。
http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=318676
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Kill Bill Vol.2: Chain Reaction Of Hate
2004年5月1日連鎖。
さてさて、映画『キル・ビルVOL.2』ですが、まず、ここでは音楽ネタからきってみましょう。第一部では、サンタ・エスメラルダの「悲しき願い」とかがかかっていたわけですが、今回もやられた、って感じなのは最後にでてきた梶芽衣子の「うらみ節」です。あれだけ、洋物の映画を見ていて、突然、どーんと「うらみ節」が流れてくると、一体なんなんだ、と思います。こういうセンスは、日本の映画を作る人には絶対ないだろうなあ。もしやっても、もっとベタになってしまうんだと思う。むしろ、センスのいいクラブDJあたりだと、世界各地のクラブヒットの中に、すぽっとこういう曲をいれたりして、わっと驚かせることができるかもしれません。
http://diarynote.jp/d/32970/20031016.html
第一部では、ユマ・サーマンの怒りが込み上げてくるところで、クインシーの「アイアンサイド」でした。今回は、あんまり怒りがこみあげなかったのかなあ。ほとんど出てこなかった。第二部を作る時は、もう第一部であれだけ使ったことを忘れてしまうのでしょうか。(笑)
全体的には、音楽の使い方のうまさにそれほどの「おおっ」というものはなかったように感じました。しいて言えば、冒頭のシーンのこんなやりとりは、もろにタランティーノらしいセリフでした。
ユマ・サーマンが結婚式のリハをやっているシーン。これは時間を戻しての回想シーン。ここで、結婚式のためにオルガンを弾く男がいます。これが最初、誰だかわからなかったのだが、なんとサミュエル・ジャクソンでした。役名はルーファス。南部の教会の黒人のオルガンプレイヤーです。牧師が花嫁たちにルーファスを紹介する。すると、彼らがルーファスに対して「今まで、誰と共演したことがあるんだ?」と尋ねます。ルーファスが答えます。「ルーファス・トーマス」! 僕はここでえらく受けたんですが、観客はシーンとしていて、浮きました。その後に、「バーケイズ、クール&ザ・ギャング…」などとも付け加えていました。「ライドオン、ベイビー」とか、タランティーノに声をかけてやりたい気分です。(笑)
映画全体的な話をしましょうか。一言で言えば、前回ほどのテンションの高さは感じられませんでした。もちろん、ユマ・サーマン演じるブライドの心の動きを描いているのだ、ということはわかるのですが、しかし、テンポ感、リズム感が第一部とはかなり違いました。
パイメイ先生、いい感じです。なんで、服部半蔵はもうでてこないのでしょうか。第一部とはあえて違う空気感、テンポ感をだしたのでしょうか。どうなんだろう。やはり、分けずに2時間半くらいで一本にまとめられなかったのだろうか、と思ってしまいます。
タランティーノは、第三部も考えているそうです。というか、作るらしいです。ブライドに目の前で母親を殺された少女がいましたよね。黒人の母娘。あの娘が15年後に、ブライドに復讐をするという物語だということです。15年後に作るとなると、2019年あたりでしょうか。気の遠く
なる話だ。(笑) そうか、こうして「憎しみの連鎖」は続いていくわけですね。
(映画『キル・ビル VOL.2〜ザ・ラヴ・ストーリー』、2004年4月24日から公開中)
さてさて、映画『キル・ビルVOL.2』ですが、まず、ここでは音楽ネタからきってみましょう。第一部では、サンタ・エスメラルダの「悲しき願い」とかがかかっていたわけですが、今回もやられた、って感じなのは最後にでてきた梶芽衣子の「うらみ節」です。あれだけ、洋物の映画を見ていて、突然、どーんと「うらみ節」が流れてくると、一体なんなんだ、と思います。こういうセンスは、日本の映画を作る人には絶対ないだろうなあ。もしやっても、もっとベタになってしまうんだと思う。むしろ、センスのいいクラブDJあたりだと、世界各地のクラブヒットの中に、すぽっとこういう曲をいれたりして、わっと驚かせることができるかもしれません。
http://diarynote.jp/d/32970/20031016.html
第一部では、ユマ・サーマンの怒りが込み上げてくるところで、クインシーの「アイアンサイド」でした。今回は、あんまり怒りがこみあげなかったのかなあ。ほとんど出てこなかった。第二部を作る時は、もう第一部であれだけ使ったことを忘れてしまうのでしょうか。(笑)
全体的には、音楽の使い方のうまさにそれほどの「おおっ」というものはなかったように感じました。しいて言えば、冒頭のシーンのこんなやりとりは、もろにタランティーノらしいセリフでした。
ユマ・サーマンが結婚式のリハをやっているシーン。これは時間を戻しての回想シーン。ここで、結婚式のためにオルガンを弾く男がいます。これが最初、誰だかわからなかったのだが、なんとサミュエル・ジャクソンでした。役名はルーファス。南部の教会の黒人のオルガンプレイヤーです。牧師が花嫁たちにルーファスを紹介する。すると、彼らがルーファスに対して「今まで、誰と共演したことがあるんだ?」と尋ねます。ルーファスが答えます。「ルーファス・トーマス」! 僕はここでえらく受けたんですが、観客はシーンとしていて、浮きました。その後に、「バーケイズ、クール&ザ・ギャング…」などとも付け加えていました。「ライドオン、ベイビー」とか、タランティーノに声をかけてやりたい気分です。(笑)
映画全体的な話をしましょうか。一言で言えば、前回ほどのテンションの高さは感じられませんでした。もちろん、ユマ・サーマン演じるブライドの心の動きを描いているのだ、ということはわかるのですが、しかし、テンポ感、リズム感が第一部とはかなり違いました。
パイメイ先生、いい感じです。なんで、服部半蔵はもうでてこないのでしょうか。第一部とはあえて違う空気感、テンポ感をだしたのでしょうか。どうなんだろう。やはり、分けずに2時間半くらいで一本にまとめられなかったのだろうか、と思ってしまいます。
タランティーノは、第三部も考えているそうです。というか、作るらしいです。ブライドに目の前で母親を殺された少女がいましたよね。黒人の母娘。あの娘が15年後に、ブライドに復讐をするという物語だということです。15年後に作るとなると、2019年あたりでしょうか。気の遠く
なる話だ。(笑) そうか、こうして「憎しみの連鎖」は続いていくわけですね。
(映画『キル・ビル VOL.2〜ザ・ラヴ・ストーリー』、2004年4月24日から公開中)
証明。
午後一。ソウルメイトSから電話。「スティーヴィーの時にいた子がテレビにでてるよ!」 あわててNHKをつける。番組は、『響けぼくの歌 〜木下航志 14歳の旅立ち〜』(NHK総合2004年4月29日午後1時05分から2時40分まで放送)というものだった。
彼こそが、スティーヴィーのライヴに来ていた「アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー(心の愛)」を一字一句スティーヴィーと同じように歌う少年だった。
http://diarynote.jp/d/32970/20031229.html
そうかあ、彼が木下航志(きした・こうし)君というのか。1989年5月8日鹿児島生まれ。現在14歳。来月の誕生日で15歳。このドキュメンタリーの撮影は、2003年の初めからなので、13歳の時から14歳にかけての歴史ということになる。最初にBS(衛星放送)で放映されたらしいのだが、知らなかった。この日が地上波で再放送だったらしい。
20分くらいたったところから見たのだが、いやあ、やられた。なんと言っても、航志君がスティーヴィーの幼少の頃と重なる。スティーヴィーの幼少のころをリアルで知るわけではないが、本や映像やさまざまな資料などから想像するスティーヴィーの幼少の頃を彷彿(ほうふつ)とさせる。ライヴでのユーモアあふれる司会ぶり。ヘッドセットをつけ、エレピの前に座った彼は一曲歌い終えて言った。「ま、まちがえるのも人生ですよ」 スティーヴィーも、大人を食ったようなユーモアが得意だった。その名(迷?)司会ぶりにも「スティーヴィーらしさ」を感じてしまった。(笑) そう、現在14歳の彼はさしずめ「リトル・コーシ」(リトル・スティーヴィーをもじって)といったところか。
レコーディング風景。録音の合間に聞かせたエルヴィスとダニー・ハザウェイのCD。そして、その直後に歌った「アメイジング・グレイス」の変貌ぶり。番組ではほんの10秒程度しかでていなかったが、あれが、直後のものなら、本当にすごいことだ。才能が伸びているまさにその瞬間を、あの映像は捉えたと思う。今、彼はあらゆる音楽を、貪欲に、スポンジのように吸収している最中だと思う。今、この時期にこそいい、良質の音楽をどんどんと聴いて吸収し、自分のものにしていって欲しい。その先には無限の可能性が秘められている。
下北沢ライヴハウスでのライヴ。リハでは、「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」などもちらっと聴こえた。そして、印象づけられたのは、まず「ザ・スラムス(邦題、貧民街)」。ダニー・ハザウェイの73年のアルバム『エクステンション・オブ・ア・マン(邦題、愛と自由を求めて)』収録のインストゥルメンタルの一曲。放送では編集され「ユーヴ・ガット・ア・フレンド(邦題、きみの友だち)」が続いた。次の機会には古いウォーリッツァーで弾いてほしいな。
「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」の歌詞にはいる直前の「ウー、ウー」という歌声だけで背筋がぞくぞくとした。これだけの音楽に対する吸収力と理解度があると、彼などは教会に行かずとも、教会に行ったのと同じくらいの音楽的素養を得るのではないかと思った。ということは、天才とは吸収力と理解度が並外れた人間のことを言うのだろうか。このほんの2秒の「ウー、ウー」に僕は、ダイアモンドの原石を垣間見た。
たぶん、彼はまだ歌詞の意味や、英語はそれほどわかっていないかもしれない。発音もおぼつかないところもある。だが、何年か人生を歩んで行けば、すぐに彼はこうした曲が持つ意味あいを理解し、もっと深みをもった歌に仕上げることになると思う。それは表面的に英語曲をなぞるのではなく、音楽の本質に迫ることができる才能を持っているからこそできることなのだ。そういう才能を持っている人はなかなか多くない。
スティーヴィーと一緒のステージで「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」を、ダニー・ヴァージョンで歌って欲しいな。スティーヴィーも絶対に彼のことが気に入るだろう。『ソウル・サーチン・トーキング』でダニー・ハザウェイをとりあげることになったら、フランク・マッコムとこの航志君に来て歌って欲しい。(笑) 「ユーヴ・ガット…」のイントロのキーボードが流れてきた瞬間、観客からの歓声が聴こえて来ることがたやすく想像できる。そして終ったときに万雷のスタンディング・オヴェーションが鳴り止まないことも。
彼の歌声は、そして、音楽の力は国境も、人種も、年齢もすべて超越する。航志君はそれを見事に証明している。
(2004年4月29日木曜・NHK総合「響けぼくの歌 〜木下航志 14歳の旅立ち〜」)
午後一。ソウルメイトSから電話。「スティーヴィーの時にいた子がテレビにでてるよ!」 あわててNHKをつける。番組は、『響けぼくの歌 〜木下航志 14歳の旅立ち〜』(NHK総合2004年4月29日午後1時05分から2時40分まで放送)というものだった。
彼こそが、スティーヴィーのライヴに来ていた「アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー(心の愛)」を一字一句スティーヴィーと同じように歌う少年だった。
http://diarynote.jp/d/32970/20031229.html
そうかあ、彼が木下航志(きした・こうし)君というのか。1989年5月8日鹿児島生まれ。現在14歳。来月の誕生日で15歳。このドキュメンタリーの撮影は、2003年の初めからなので、13歳の時から14歳にかけての歴史ということになる。最初にBS(衛星放送)で放映されたらしいのだが、知らなかった。この日が地上波で再放送だったらしい。
20分くらいたったところから見たのだが、いやあ、やられた。なんと言っても、航志君がスティーヴィーの幼少の頃と重なる。スティーヴィーの幼少のころをリアルで知るわけではないが、本や映像やさまざまな資料などから想像するスティーヴィーの幼少の頃を彷彿(ほうふつ)とさせる。ライヴでのユーモアあふれる司会ぶり。ヘッドセットをつけ、エレピの前に座った彼は一曲歌い終えて言った。「ま、まちがえるのも人生ですよ」 スティーヴィーも、大人を食ったようなユーモアが得意だった。その名(迷?)司会ぶりにも「スティーヴィーらしさ」を感じてしまった。(笑) そう、現在14歳の彼はさしずめ「リトル・コーシ」(リトル・スティーヴィーをもじって)といったところか。
レコーディング風景。録音の合間に聞かせたエルヴィスとダニー・ハザウェイのCD。そして、その直後に歌った「アメイジング・グレイス」の変貌ぶり。番組ではほんの10秒程度しかでていなかったが、あれが、直後のものなら、本当にすごいことだ。才能が伸びているまさにその瞬間を、あの映像は捉えたと思う。今、彼はあらゆる音楽を、貪欲に、スポンジのように吸収している最中だと思う。今、この時期にこそいい、良質の音楽をどんどんと聴いて吸収し、自分のものにしていって欲しい。その先には無限の可能性が秘められている。
下北沢ライヴハウスでのライヴ。リハでは、「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」などもちらっと聴こえた。そして、印象づけられたのは、まず「ザ・スラムス(邦題、貧民街)」。ダニー・ハザウェイの73年のアルバム『エクステンション・オブ・ア・マン(邦題、愛と自由を求めて)』収録のインストゥルメンタルの一曲。放送では編集され「ユーヴ・ガット・ア・フレンド(邦題、きみの友だち)」が続いた。次の機会には古いウォーリッツァーで弾いてほしいな。
「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」の歌詞にはいる直前の「ウー、ウー」という歌声だけで背筋がぞくぞくとした。これだけの音楽に対する吸収力と理解度があると、彼などは教会に行かずとも、教会に行ったのと同じくらいの音楽的素養を得るのではないかと思った。ということは、天才とは吸収力と理解度が並外れた人間のことを言うのだろうか。このほんの2秒の「ウー、ウー」に僕は、ダイアモンドの原石を垣間見た。
たぶん、彼はまだ歌詞の意味や、英語はそれほどわかっていないかもしれない。発音もおぼつかないところもある。だが、何年か人生を歩んで行けば、すぐに彼はこうした曲が持つ意味あいを理解し、もっと深みをもった歌に仕上げることになると思う。それは表面的に英語曲をなぞるのではなく、音楽の本質に迫ることができる才能を持っているからこそできることなのだ。そういう才能を持っている人はなかなか多くない。
スティーヴィーと一緒のステージで「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」を、ダニー・ヴァージョンで歌って欲しいな。スティーヴィーも絶対に彼のことが気に入るだろう。『ソウル・サーチン・トーキング』でダニー・ハザウェイをとりあげることになったら、フランク・マッコムとこの航志君に来て歌って欲しい。(笑) 「ユーヴ・ガット…」のイントロのキーボードが流れてきた瞬間、観客からの歓声が聴こえて来ることがたやすく想像できる。そして終ったときに万雷のスタンディング・オヴェーションが鳴り止まないことも。
彼の歌声は、そして、音楽の力は国境も、人種も、年齢もすべて超越する。航志君はそれを見事に証明している。
(2004年4月29日木曜・NHK総合「響けぼくの歌 〜木下航志 14歳の旅立ち〜」)
"Gospel Is…" Live
2004年4月29日迫力。
熱いゴスペルの熱気が会場に湯気をもださせたか。武道館などではよく見られる湯気のような白い煙が、薄く会場にたちこめていた。ニューヨークで大当たりしたミュージカル『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』のプロデューサー、ヴァイ・ヒギンセンがてがけた新作。タイトルは、その名も『ゴスペル・イズ』。意味は「ゴスペルとは…」ということ。
ミュージカルではなく、ライヴ・ショウだった。12人の男女混声のコーラスにドラム、ベース、キーボードの3人のバック。なんといっても、その12人のコーラスの迫力にまいる。宗教などまったく関係なく、歌そのものの力を思う存分見せてくれる。おそらく、会場の半分以上の人たちは歌詞のメッセージなど知らずに、ビートとサウンドとリズムに乗って楽しんでいるのだろう。
ここでは、ゴスペルは完全なエンタテインメントである。日本におけるコーラス・グループ・ブーム、アカペラ・ブーム、あるいは、ゴスペル・ブームというのがあるとすれば、その市場にどんぴしゃのタイミングとも言える。そして、ここで歌にあわせて踊ったりしている観客の中には仏教にせよ、他の宗教の人たちもいるのかもしれない。
途中、アレサ・フランクリンの「シンク」、ダイアナ・ロス、あるいは、マーヴィン・ゲイなどでもおなじみの「エイント・ノー・マウンテイン・ハイ・イナフ」、「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」、「オー・ハッピー・デイ」などなじみの曲をいれ、リードシンガーも入れ替わり立ち代り皆大活躍。
一番印象に残ったのは、12人のコーラスとキーボードだけでやった「アメイジング・グレイス」。12人のコーラスがユニゾンで綺麗にまとまった。
またアップテンポの曲では観客が立ち上がって、音楽を楽しんでいたが、これなどほぼディスコ状態と同じだ。アンコール3曲目の「エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト」は、最後ほぼドラマーとキーボード、ベースだけになり、15分以上続いた。アンコール含めて18曲、熱狂のステージの幕を下ろした。一言で言えば「本場の迫力はすごいね」。
(2004年12月28日水・新宿厚生年金=ゴスペル・イズ…・ライヴ)
熱いゴスペルの熱気が会場に湯気をもださせたか。武道館などではよく見られる湯気のような白い煙が、薄く会場にたちこめていた。ニューヨークで大当たりしたミュージカル『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』のプロデューサー、ヴァイ・ヒギンセンがてがけた新作。タイトルは、その名も『ゴスペル・イズ』。意味は「ゴスペルとは…」ということ。
ミュージカルではなく、ライヴ・ショウだった。12人の男女混声のコーラスにドラム、ベース、キーボードの3人のバック。なんといっても、その12人のコーラスの迫力にまいる。宗教などまったく関係なく、歌そのものの力を思う存分見せてくれる。おそらく、会場の半分以上の人たちは歌詞のメッセージなど知らずに、ビートとサウンドとリズムに乗って楽しんでいるのだろう。
ここでは、ゴスペルは完全なエンタテインメントである。日本におけるコーラス・グループ・ブーム、アカペラ・ブーム、あるいは、ゴスペル・ブームというのがあるとすれば、その市場にどんぴしゃのタイミングとも言える。そして、ここで歌にあわせて踊ったりしている観客の中には仏教にせよ、他の宗教の人たちもいるのかもしれない。
途中、アレサ・フランクリンの「シンク」、ダイアナ・ロス、あるいは、マーヴィン・ゲイなどでもおなじみの「エイント・ノー・マウンテイン・ハイ・イナフ」、「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」、「オー・ハッピー・デイ」などなじみの曲をいれ、リードシンガーも入れ替わり立ち代り皆大活躍。
一番印象に残ったのは、12人のコーラスとキーボードだけでやった「アメイジング・グレイス」。12人のコーラスがユニゾンで綺麗にまとまった。
またアップテンポの曲では観客が立ち上がって、音楽を楽しんでいたが、これなどほぼディスコ状態と同じだ。アンコール3曲目の「エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト」は、最後ほぼドラマーとキーボード、ベースだけになり、15分以上続いた。アンコール含めて18曲、熱狂のステージの幕を下ろした。一言で言えば「本場の迫力はすごいね」。
(2004年12月28日水・新宿厚生年金=ゴスペル・イズ…・ライヴ)
Toku Hangover: Live At Sweet Basil
2004年4月28日二日酔い。
雨の量はそれほどではないが、風がものすごい一日。会場のスイートベイジルにはちょうど一部の後半に着いた。休憩をはさんで第二部がスタート。なにから始まるかと思いきや、「ゴールデン・レイディー」から。おおおっ。以前番組で歌ってくれたのを聴いたが、バンドでしかも、弦のカルテットをバックに聴く「ゴールデン・レイディー」はおつなものでした。
エルヴィス・コステロの「シー」、スタンダードの「スマイル」などをはさんで、再びスティーヴィーの「ザット・ガール」。新作アルバム『30』に収録されている作品だ。オリジナルはミディアム調のものをToku(トク)は、かなりスローにして歌う。
スローの作品が多いが、Tokuは、時の流れをうまくつかんで自分の時間と空間を作り出す。やはり新作『30』に収録されている彼自身が作詞作曲をてがけた「ロバータ」は、なかなか雰囲気のある作品。ちょうど、この曲の間奏でフルーゲルホーンのところにさしかかった時、テーブルの小さなグラスにぺリエが注がれた。ぺリエの泡と彼のフルーゲルが妙にいいマッチングを見せていた。
アンコール3曲のトップで、弦4人をバックにマイクを使わずに「スターダスト」を歌った。会場の観客全員がTokuを凝視する。歩く足音さえうるさく感じられるほどの静寂の中に彼の歌声だけが響いた。男女比率2:8くらいで圧倒的に女性が多い観客は、みな彼の歌声に酔いしれ、目はハートマークになっていたかのようだった。そして、再びバンドが登場し、フランク・マッコムの作品「ガッタ・ファインド・ア・ウェイ」。これなども、すごく彼に向いた作品だ。そして、最後は新作アルバムのトップを飾る「ハロー・イッツ・ミー」。
丸い氷の入ったグラスを片手にした同行ソウルメイトM曰く「こういう曲、聴いてるとどんどん酔っちゃうので、もう水にしておきます(笑)」。Tokuが観客みんなを酔わせた夜だった。中にはその強烈なToku度数ゆえに、二日酔いになる人もいるかもしれない。それはToku Hangover.
(2004年4月27日火曜=スイートベイジル、TOKU(トク)ライヴ)
雨の量はそれほどではないが、風がものすごい一日。会場のスイートベイジルにはちょうど一部の後半に着いた。休憩をはさんで第二部がスタート。なにから始まるかと思いきや、「ゴールデン・レイディー」から。おおおっ。以前番組で歌ってくれたのを聴いたが、バンドでしかも、弦のカルテットをバックに聴く「ゴールデン・レイディー」はおつなものでした。
エルヴィス・コステロの「シー」、スタンダードの「スマイル」などをはさんで、再びスティーヴィーの「ザット・ガール」。新作アルバム『30』に収録されている作品だ。オリジナルはミディアム調のものをToku(トク)は、かなりスローにして歌う。
スローの作品が多いが、Tokuは、時の流れをうまくつかんで自分の時間と空間を作り出す。やはり新作『30』に収録されている彼自身が作詞作曲をてがけた「ロバータ」は、なかなか雰囲気のある作品。ちょうど、この曲の間奏でフルーゲルホーンのところにさしかかった時、テーブルの小さなグラスにぺリエが注がれた。ぺリエの泡と彼のフルーゲルが妙にいいマッチングを見せていた。
アンコール3曲のトップで、弦4人をバックにマイクを使わずに「スターダスト」を歌った。会場の観客全員がTokuを凝視する。歩く足音さえうるさく感じられるほどの静寂の中に彼の歌声だけが響いた。男女比率2:8くらいで圧倒的に女性が多い観客は、みな彼の歌声に酔いしれ、目はハートマークになっていたかのようだった。そして、再びバンドが登場し、フランク・マッコムの作品「ガッタ・ファインド・ア・ウェイ」。これなども、すごく彼に向いた作品だ。そして、最後は新作アルバムのトップを飾る「ハロー・イッツ・ミー」。
丸い氷の入ったグラスを片手にした同行ソウルメイトM曰く「こういう曲、聴いてるとどんどん酔っちゃうので、もう水にしておきます(笑)」。Tokuが観客みんなを酔わせた夜だった。中にはその強烈なToku度数ゆえに、二日酔いになる人もいるかもしれない。それはToku Hangover.
(2004年4月27日火曜=スイートベイジル、TOKU(トク)ライヴ)
Rainy Days & Mondays For Al Jarreau
2004年4月27日ウォームアップ。
アル・ジャロウの約一年ぶりのブルーノート公演。初日のセカンドということもあってか、かなりリラックスした様子。まだまだこれから一週間あるぞ、という感じだ。彼の場合、曲順などもかなりスポンテニアス(自然)な感じで、その場の雰囲気で決めていく。初日のためか、まだ声もそれほどでていなかったようだが、時折、見せる「声の遊び」はさすがヴェテラン。
ジャズの名曲「テイク5」をスキャットで始めるスタイルは、昨年見たもの。これはどんどんとグルーヴ感をあげていき、徐々に楽器を加えていく。「モーニン」は、ほとんどいつも必ず歌う曲。
「僕たちをまたこの店に呼んでくれてありがとう。ハタさん、ハタさん、ナカムラさん、ナカムラさん…(どちらも店長、マネージャーなど)」 そこにアル節のメロディーがつくと、もはや見事な「音楽」だ。さらに「シミズさん、シミズさん…。彼はシェフなんだ。僕は大事な人を知ってるんだ」 客席から笑いがまきおこる。
「さて、じゃあ7月に発売される予定の新作から一曲やろうか。新作のタイトルは、『アクセンチュア・ザ・ポジティヴ、エリミネート・ザ・ネガティヴ』(ものすごく早口だったのを聞き取ったため、ひょっとしたらちがうかもしれません。前向きさを伸ばし、後ろ向きなことを削除しよう、ということだと思う。ポジティヴを伸ばし、ネガティヴを減らす、ということでしょう)。あなたは、この新作を10枚買ってくれるかな、そちらのあなたは20枚、そして、そちらの方は、1枚?」(笑)
そして、ラリー・ウィリアムスのシンプルなキーボードで歌い始めたのがスタンダードの「マイ・フーリッシュ・ハート」だった。2004年8月発売予定の新作アルバムは、ピアノ、ギター、ベース、ドラムスをバックにほとんどすべてワンテイクで録音したもので、スタンダードソングを中心にしたものになる、という。
しかし、珍しくアンコール含めて58分という短いライヴだったので、少々物足りなかった。ま、初日だからしょうがないかな。おそらく日が重なるにつれて、徐々にウォームアップし、もりあがっていくことだろう。
そして、外に出るといつの間にか小雨が降っていた。アル・ジャロウと雨の日と月曜日…。
+++++
前回ライヴ評。2003年3月23日付け日記。
http://diarynote.jp/d/32970/20030323.html
ブルーノート・ウェッブ。ライヴは5月2日まで。
http://www.bluenote.co.jp/art/20040426.html
+++++
Setlist
Second Set (incomplete)
show started 21:33
1. Tell Me What I Gotta Do (From "L is for Lover" - 1986)
2. Flame (From "Tomorrow Today" - 2000)
Medley
3. Save Me (From "Jarreau" -- 1983)
4. My Old Friend (From "Breakin Away" -- 1981)
5. Trouble In Paradise (From "Jarreau" -- 1983)
6. Distracted (From "This Time" -- 1980)
+ Thank you Hata-san, Nakamura-san, Shimizu-san
7. My Foolish Heart (From "Accentuate The Positive" - 2004)
8. Puddit (Put it Where You Want It) (From "Tomorrow Today" --2000)
9. Mornin’ (From "Jarreau" -- 1983)
10. Take 5 (From "Look To The Rainbow/Live In Europe" -- 1977)
11.Roof Garden (From "Breakin’ Away" -- 1981)
show ended 22:31
(2004年4月26日月曜ブルーノート・セカンド=アル・ジャロウ・ライヴ)
アル・ジャロウの約一年ぶりのブルーノート公演。初日のセカンドということもあってか、かなりリラックスした様子。まだまだこれから一週間あるぞ、という感じだ。彼の場合、曲順などもかなりスポンテニアス(自然)な感じで、その場の雰囲気で決めていく。初日のためか、まだ声もそれほどでていなかったようだが、時折、見せる「声の遊び」はさすがヴェテラン。
ジャズの名曲「テイク5」をスキャットで始めるスタイルは、昨年見たもの。これはどんどんとグルーヴ感をあげていき、徐々に楽器を加えていく。「モーニン」は、ほとんどいつも必ず歌う曲。
「僕たちをまたこの店に呼んでくれてありがとう。ハタさん、ハタさん、ナカムラさん、ナカムラさん…(どちらも店長、マネージャーなど)」 そこにアル節のメロディーがつくと、もはや見事な「音楽」だ。さらに「シミズさん、シミズさん…。彼はシェフなんだ。僕は大事な人を知ってるんだ」 客席から笑いがまきおこる。
「さて、じゃあ7月に発売される予定の新作から一曲やろうか。新作のタイトルは、『アクセンチュア・ザ・ポジティヴ、エリミネート・ザ・ネガティヴ』(ものすごく早口だったのを聞き取ったため、ひょっとしたらちがうかもしれません。前向きさを伸ばし、後ろ向きなことを削除しよう、ということだと思う。ポジティヴを伸ばし、ネガティヴを減らす、ということでしょう)。あなたは、この新作を10枚買ってくれるかな、そちらのあなたは20枚、そして、そちらの方は、1枚?」(笑)
そして、ラリー・ウィリアムスのシンプルなキーボードで歌い始めたのがスタンダードの「マイ・フーリッシュ・ハート」だった。2004年8月発売予定の新作アルバムは、ピアノ、ギター、ベース、ドラムスをバックにほとんどすべてワンテイクで録音したもので、スタンダードソングを中心にしたものになる、という。
しかし、珍しくアンコール含めて58分という短いライヴだったので、少々物足りなかった。ま、初日だからしょうがないかな。おそらく日が重なるにつれて、徐々にウォームアップし、もりあがっていくことだろう。
そして、外に出るといつの間にか小雨が降っていた。アル・ジャロウと雨の日と月曜日…。
+++++
前回ライヴ評。2003年3月23日付け日記。
http://diarynote.jp/d/32970/20030323.html
ブルーノート・ウェッブ。ライヴは5月2日まで。
http://www.bluenote.co.jp/art/20040426.html
+++++
Setlist
Second Set (incomplete)
show started 21:33
1. Tell Me What I Gotta Do (From "L is for Lover" - 1986)
2. Flame (From "Tomorrow Today" - 2000)
Medley
3. Save Me (From "Jarreau" -- 1983)
4. My Old Friend (From "Breakin Away" -- 1981)
5. Trouble In Paradise (From "Jarreau" -- 1983)
6. Distracted (From "This Time" -- 1980)
+ Thank you Hata-san, Nakamura-san, Shimizu-san
7. My Foolish Heart (From "Accentuate The Positive" - 2004)
8. Puddit (Put it Where You Want It) (From "Tomorrow Today" --2000)
9. Mornin’ (From "Jarreau" -- 1983)
10. Take 5 (From "Look To The Rainbow/Live In Europe" -- 1977)
11.Roof Garden (From "Breakin’ Away" -- 1981)
show ended 22:31
(2004年4月26日月曜ブルーノート・セカンド=アル・ジャロウ・ライヴ)
ジャマ。
ちょうど、カール・カールトンのダンス・クラシック「シーズ・ア・バッド・ママ・ジャマ」がかかった。日本のダンスマンは、この曲に「背の高い奴はジャマ」という空耳をあて、大ヒットさせた。これがメジャーのエイベックスからリリースされたのは、98年3月。そうか、もう6年も前のことになるのか。
すると、アシスタントのYが、「『She’s A Bad Mama, Jama』ってどういう意味ですか」と尋ねてきた。「う〜〜ん、彼女は、最高の女だ、って感じかなあ。『ママ、ジャマ』の『ジャマ』は、語呂合わせで意味はないんだ。直接的には、シーズ・ア・バッド・ママで、彼女は最高にいい女、ということ。ママは女性を一般的に指す言葉。バッド・ママで、いい女、まぶい女、最高の女、ってところじゃないかなあ。で、そのあとのジャマは、日本語のギャグで言えば、『住めば都はるみ』の『はるみ』みたいなもの。語呂遊び。で、いいですか、マーヴィン先生?」 「そだね!」と踊りながらマーヴィン。
そして、そのダンスマンがゲストに登場。『ソウルブレンズ』にはぴったりのゲストです。ダンスマンのとぼけた話はとにかくおもしろい。ダンスマンは空耳をあてるためにいろいろなネタを常日頃から考えているという。そうしたネタをメモに書きためて、なんらかの曲にぴったしあうと、一曲できるというわけだ。
ダンスマンは新作『ファンカヴァリック』のプロモーションでやってきたわけだが今日は5月8日に発売されるシングル「アフロ軍曹」も宣伝していった。これは、テレビ東京系で毎週土曜日朝10時から放送されているアニメ『ケロロ軍曹』の後テーマ曲。ダンスマンによると「バーケイズの『フリーク・ショウ』とダズバンドの『レット・イット・ウィップ』を足して二で割らない、足したまんまの曲です」という。で、聴いてみると、コメントどおりで、笑った。バーケイズ、そのままだ。そこで、番組では曲が終った後、BGMでバーケイズ「フリーク・ショウ…」をかけました。ダンスマン、それにあわせて、「アフロ軍曹」の歌詞を歌ってました。
ちょうど、カール・カールトンのダンス・クラシック「シーズ・ア・バッド・ママ・ジャマ」がかかった。日本のダンスマンは、この曲に「背の高い奴はジャマ」という空耳をあて、大ヒットさせた。これがメジャーのエイベックスからリリースされたのは、98年3月。そうか、もう6年も前のことになるのか。
すると、アシスタントのYが、「『She’s A Bad Mama, Jama』ってどういう意味ですか」と尋ねてきた。「う〜〜ん、彼女は、最高の女だ、って感じかなあ。『ママ、ジャマ』の『ジャマ』は、語呂合わせで意味はないんだ。直接的には、シーズ・ア・バッド・ママで、彼女は最高にいい女、ということ。ママは女性を一般的に指す言葉。バッド・ママで、いい女、まぶい女、最高の女、ってところじゃないかなあ。で、そのあとのジャマは、日本語のギャグで言えば、『住めば都はるみ』の『はるみ』みたいなもの。語呂遊び。で、いいですか、マーヴィン先生?」 「そだね!」と踊りながらマーヴィン。
そして、そのダンスマンがゲストに登場。『ソウルブレンズ』にはぴったりのゲストです。ダンスマンのとぼけた話はとにかくおもしろい。ダンスマンは空耳をあてるためにいろいろなネタを常日頃から考えているという。そうしたネタをメモに書きためて、なんらかの曲にぴったしあうと、一曲できるというわけだ。
ダンスマンは新作『ファンカヴァリック』のプロモーションでやってきたわけだが今日は5月8日に発売されるシングル「アフロ軍曹」も宣伝していった。これは、テレビ東京系で毎週土曜日朝10時から放送されているアニメ『ケロロ軍曹』の後テーマ曲。ダンスマンによると「バーケイズの『フリーク・ショウ』とダズバンドの『レット・イット・ウィップ』を足して二で割らない、足したまんまの曲です」という。で、聴いてみると、コメントどおりで、笑った。バーケイズ、そのままだ。そこで、番組では曲が終った後、BGMでバーケイズ「フリーク・ショウ…」をかけました。ダンスマン、それにあわせて、「アフロ軍曹」の歌詞を歌ってました。
Soul Searchin’ Talking Saga Continues:
2004年4月25日内幕。
さらに、「ソウル・サーチン・トーキング」ネタが続きます。実際、振り返ってみるとパート1が80分、パート2も95分を越えていました。これは、予定以上の長さになってしまいました。まあ、最初の読みでは伸びて70分ずつ、マックス80分と思ってましたから。しかし、こっちはやってるほうなので、時間は見てはやってるんですが、ケイリブのライヴを見てるときは完璧に観客になって、時間が経つのを忘れてしまいました。(笑) 当初の予定では、お店側の希望は、60分、休憩30分、後半60分。入れ替えをしないので、1部と2部は違うものを、ということでした。最後のアンコール「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」が終わり、最後の挨拶が終了したのが、11時15分でした。中には終電に間に合わず、帰られてしまった方もいらっしゃったようです。すいません。まあ、この辺のタイムキーピングは反省点として、次回以降の課題とさせていただきます。(笑)
各セットリストについての解説も、かなり実際ははしょった感じになって、僕としては消化不良なんですが、結果的には時間がないということもあって、しかたないかもしれません。その部分はこの日記でフォローしましょう。
彼がやった4セットとも、本当によかったですが、まずセット3について何か書きたいです。これはセット3に限らずですが、やはりスティーヴィーの曲はいい曲が多い。だから、2時間近くやっても、こちらは飽きないんですね。当たり前のことですが、やはりとてつもなくすごいことです。さきほど、今回の26曲にはいっていない曲でピアノでできそうな曲をリストアップしていたんですが、まだ20曲以上ありますねえ。「アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー(邦題、心の愛)」を除いても。(笑) これは、すごいなあ。
セット3、まずケイリブが少しアドリブっぽくピアノを弾いて、そこからおもむろに「レイトリー」のイントロに進みました。うまい! つかむ! 途中のところで、ブレイクをはさむと、観客から掛け声が。いやあ、いいですねえ、こういう雰囲気。たまりません。スティーヴィーの曲は、とても音域が広く、特に男性歌手は高域のところを歌うのが大変なようです。で、ケイリブももっとも張り上げるところで、一息深呼吸をいれたわけです。そこで、「Take your time, it’s the best part!」の声。ケイリブ、観客側を見て「Not for me!」 そして、爆笑。深呼吸してやっとの思い出歌い上げる最高のパート。観客からやんやの声援が。
映画『シークレット・ライフ・オブ・プランツ』のサントラとしてリリースされた同名のアルバムから、「センド・ワン・ユア・ラヴ」とタイトル曲と、しっとりした曲が続き、さらにそこから『インナーヴィジョンズ』からの「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」への流れは見事でした。
僕は観客のみなさんの反応もすばらしかったと思います。曲の歌い始めでの歓声、サビのところでの掛け声、終った時の拍手。こういうリアクションだとシンガーもどんどん乗ってきます。
そして、曲が終わり、ケイが歌った曲の解説をしている時のとこでした。映画のサントラの話になり、突然、「アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー」の話になったんですね。そして、ケイリブがなぜ彼がこの曲を嫌いかを延々とまくし立て始めました。いやあ、このトークはおもしろかったですね。ケイリブによれば、「スティーヴィーはあの頃、お金が必要だったから、ヒット曲を書かなければならなかった。スティーヴィーくらい才能があると、彼らはいくらでもヒット曲など書こうと思えば、書ける。でも普段はもっとクリエイティヴに曲を書こうとしている。しかし、あの時、スティーヴィーは税金問題を抱えていた」というようなことをいろいろな例などを出しながら、解説したのです。かなり受けてました。(笑) いわばこう言った内幕ものは、あんまり語られないからおもしろいですね。まあ、これをスティーヴィー本人が認めるかどうかは、別問題ですが。(笑)
それにしても、このセット3は全曲の流れが見事でした。僕が思い描いた「ユー、ミー&ピアノ」にぴったしでした。そしてセット4へ向かうにつれ、彼のもとにスティーヴィーが舞い降りてきた感じでした。ケイリブ、ありがとう。You did great job! って感じです。
+++++
>嬬葺ジェシカ さん
リンクありがとうございます。今日はインナーヴィジョンズですか。傑作です。
さらに、「ソウル・サーチン・トーキング」ネタが続きます。実際、振り返ってみるとパート1が80分、パート2も95分を越えていました。これは、予定以上の長さになってしまいました。まあ、最初の読みでは伸びて70分ずつ、マックス80分と思ってましたから。しかし、こっちはやってるほうなので、時間は見てはやってるんですが、ケイリブのライヴを見てるときは完璧に観客になって、時間が経つのを忘れてしまいました。(笑) 当初の予定では、お店側の希望は、60分、休憩30分、後半60分。入れ替えをしないので、1部と2部は違うものを、ということでした。最後のアンコール「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」が終わり、最後の挨拶が終了したのが、11時15分でした。中には終電に間に合わず、帰られてしまった方もいらっしゃったようです。すいません。まあ、この辺のタイムキーピングは反省点として、次回以降の課題とさせていただきます。(笑)
各セットリストについての解説も、かなり実際ははしょった感じになって、僕としては消化不良なんですが、結果的には時間がないということもあって、しかたないかもしれません。その部分はこの日記でフォローしましょう。
彼がやった4セットとも、本当によかったですが、まずセット3について何か書きたいです。これはセット3に限らずですが、やはりスティーヴィーの曲はいい曲が多い。だから、2時間近くやっても、こちらは飽きないんですね。当たり前のことですが、やはりとてつもなくすごいことです。さきほど、今回の26曲にはいっていない曲でピアノでできそうな曲をリストアップしていたんですが、まだ20曲以上ありますねえ。「アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー(邦題、心の愛)」を除いても。(笑) これは、すごいなあ。
セット3、まずケイリブが少しアドリブっぽくピアノを弾いて、そこからおもむろに「レイトリー」のイントロに進みました。うまい! つかむ! 途中のところで、ブレイクをはさむと、観客から掛け声が。いやあ、いいですねえ、こういう雰囲気。たまりません。スティーヴィーの曲は、とても音域が広く、特に男性歌手は高域のところを歌うのが大変なようです。で、ケイリブももっとも張り上げるところで、一息深呼吸をいれたわけです。そこで、「Take your time, it’s the best part!」の声。ケイリブ、観客側を見て「Not for me!」 そして、爆笑。深呼吸してやっとの思い出歌い上げる最高のパート。観客からやんやの声援が。
映画『シークレット・ライフ・オブ・プランツ』のサントラとしてリリースされた同名のアルバムから、「センド・ワン・ユア・ラヴ」とタイトル曲と、しっとりした曲が続き、さらにそこから『インナーヴィジョンズ』からの「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」への流れは見事でした。
僕は観客のみなさんの反応もすばらしかったと思います。曲の歌い始めでの歓声、サビのところでの掛け声、終った時の拍手。こういうリアクションだとシンガーもどんどん乗ってきます。
そして、曲が終わり、ケイが歌った曲の解説をしている時のとこでした。映画のサントラの話になり、突然、「アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー」の話になったんですね。そして、ケイリブがなぜ彼がこの曲を嫌いかを延々とまくし立て始めました。いやあ、このトークはおもしろかったですね。ケイリブによれば、「スティーヴィーはあの頃、お金が必要だったから、ヒット曲を書かなければならなかった。スティーヴィーくらい才能があると、彼らはいくらでもヒット曲など書こうと思えば、書ける。でも普段はもっとクリエイティヴに曲を書こうとしている。しかし、あの時、スティーヴィーは税金問題を抱えていた」というようなことをいろいろな例などを出しながら、解説したのです。かなり受けてました。(笑) いわばこう言った内幕ものは、あんまり語られないからおもしろいですね。まあ、これをスティーヴィー本人が認めるかどうかは、別問題ですが。(笑)
それにしても、このセット3は全曲の流れが見事でした。僕が思い描いた「ユー、ミー&ピアノ」にぴったしでした。そしてセット4へ向かうにつれ、彼のもとにスティーヴィーが舞い降りてきた感じでした。ケイリブ、ありがとう。You did great job! って感じです。
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>嬬葺ジェシカ さん
リンクありがとうございます。今日はインナーヴィジョンズですか。傑作です。
相性。
たくさんのメッセージ、ありがとうございます。BBSへの書き込みのほかにも直接のメールなどもいただいています。改めてありがとうございます。
先日のフランク・マッコムのインタヴューの話が途中なので、続きを少し書いておきましょう。僕が、「あなたが音楽で最後に泣いたのはいつのことですか」という質問をしたところ、フランクはしばらく考えて、こう答えたのです。
「僕が曲を聴いて最後に泣いたのは、一月ほど前のことだった。よく覚えている。その時、聴いた曲というのは「サマー・ソフト」、スティーヴィー・ワンダーだ」 よりによって、「サマー・ソフト」を選んできたので僕は超びっくりしました。
「あれは76年のこと。僕の母親が新しい兄弟を生むために入院していた。母親は姉(フランクのおばさんにあたる)に、僕たちの面倒をみるように言った。そして、僕たちをなつかせるためにレコードのかけ方をおばに教えておいたんだ。その時かかっていたのが、スティーヴィー・ワンダーのアルバム『キー・オブ・ライフ』のディスク1のサイド2だった。『アイ・ウィッシュ』から始まって、『サマー・ソフト』が4曲目にかかる。おばさんは、その面ばかり朝から晩までかけていた。で、その曲を聴くと、母親が苦労していたあの時のことが思い出されるんだ。で、この曲が流れて来た時、思わず泣いてしまった。そう、この曲は僕を76年のあの時に連れてってくれるんだ」
というわけで、僕は急遽、この話を『ソウル・サーチン・トーキン』でしようと考えたのですが、それだけでなく、何かビデオメッセージでももらおうと思ったのです。そして、収録したメッセージと、このインタヴューの部分をご紹介したわけです。
それにしても、スティーヴィーの曲が、なんらかの思い出になっている人って本当に多いですね。それだけ、彼の作品は思い出と相性がいいのでしょう。
たくさんのメッセージ、ありがとうございます。BBSへの書き込みのほかにも直接のメールなどもいただいています。改めてありがとうございます。
先日のフランク・マッコムのインタヴューの話が途中なので、続きを少し書いておきましょう。僕が、「あなたが音楽で最後に泣いたのはいつのことですか」という質問をしたところ、フランクはしばらく考えて、こう答えたのです。
「僕が曲を聴いて最後に泣いたのは、一月ほど前のことだった。よく覚えている。その時、聴いた曲というのは「サマー・ソフト」、スティーヴィー・ワンダーだ」 よりによって、「サマー・ソフト」を選んできたので僕は超びっくりしました。
「あれは76年のこと。僕の母親が新しい兄弟を生むために入院していた。母親は姉(フランクのおばさんにあたる)に、僕たちの面倒をみるように言った。そして、僕たちをなつかせるためにレコードのかけ方をおばに教えておいたんだ。その時かかっていたのが、スティーヴィー・ワンダーのアルバム『キー・オブ・ライフ』のディスク1のサイド2だった。『アイ・ウィッシュ』から始まって、『サマー・ソフト』が4曲目にかかる。おばさんは、その面ばかり朝から晩までかけていた。で、その曲を聴くと、母親が苦労していたあの時のことが思い出されるんだ。で、この曲が流れて来た時、思わず泣いてしまった。そう、この曲は僕を76年のあの時に連れてってくれるんだ」
というわけで、僕は急遽、この話を『ソウル・サーチン・トーキン』でしようと考えたのですが、それだけでなく、何かビデオメッセージでももらおうと思ったのです。そして、収録したメッセージと、このインタヴューの部分をご紹介したわけです。
それにしても、スティーヴィーの曲が、なんらかの思い出になっている人って本当に多いですね。それだけ、彼の作品は思い出と相性がいいのでしょう。
感謝。
いやあ、ケイリブ、よかった。(笑) 今までケイリブの歌ってピアノバーでしか聴いたことなかったんです。もちろんそれもそれなりによかったのですが、今日のはかなり本気だったですね! 僕が一番思ったのは、このライヴをスティーヴィー本人に見せたかったということ。次に、彼が歌う曲の歌詞をみんな覚えていられればなあ、ということ。いやあ、こうなると一緒に歌いたくなりますねえ。スティーヴィーの曲は。(笑)
セット1で、彼が「ドンチュー・ウォーリー・バウト・ア・シング(くよくよするな)」でオーディエンスにサビのところを歌うように促したら、みんな歌うんですよねえ。まあ、スティーヴィー好きが集まってるんだから、当たり前だ、と言われればそれまでなんですが、感激しました。他にも、「テル・ミー・サムシング・グッド」のところでも、大合唱になったりして。
前日、ケイが愛宕で歌っているところに最終打ち合わせを兼ねて行ったんですが、ちょっとナーヴァスになっていたようでした。というのも、いくつかの曲がまだ完全にマスターできていなかったんですね。で、僕は彼に言いました。「Everybody will love you, definitely! (みんな、絶対君のこと、気に入るよ)」と。
セット2のトップは、スティーヴィーが今回の来日で一度だけ披露した新曲「アイ・キャント・イマジン・ラヴ・ウィズアウト・ユー」でした。これは、スティーヴィーの大ファンである原口さんのリクエストでもありました。曲紹介の時に、それを言おうと思ってメモしていたんですが、つい忘れてしまいました。すいません。(笑) ピアノでぴったりですね。
セット2のスティーヴィーが他のアーティストに書いた作品集は、これもよかった。これはケイリブのアイデアで、候補をたくさんだして彼が選んでいます。「ユー・アー・マイ・ヘヴン」、いいですね。そして、クインシー・ジョーンズのアルバム『愛のコリーダ』にはいってる「ベッチャ・ウドント・ハート・ミー」あたりを選んでくるところはさすが。しかも、オリジナルはベースの効いてるグルーヴ感のある曲ですが、彼はこれをピアノ一本でいいのりでやりました。
全曲ピアノだけで、アップテンポ、ミディアム、そして、スローまで。いやあ、よくこなしました、23曲。そして、アンコール3曲もやってくれました。彼は途中で「なぜ、自分が『アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー』が嫌いなのか」をひじょうにおもしろく解説してくれました。かなり受けてました。
ケイリブは、かなり体力を消耗したようです。あとで言ってました。「いやあ、一週間くらい前から、ジムに通って、もっと体力をつけておくべきだった(笑)」 なるほど。しかし、内田さん、島田さんも、僕もいつのまにかただのリスナーになってましたよ。そして、彼が何かを歌い始めると客席から「ウーー」とか、「オオッ」とか声がかかるのを見ていると、いやあ、この企画やってよかったなと思いました。
超満員のご来場のお客様、ありがとうございました。入口で入場に若干時間がかかってしまったお客様、失礼いたしました。
また、ころあいを見て、なにかやってみましょう。
Setlist
Part One
SET ONE
Love’s In Need Of Love Today
All I Do
Creepin’
Don’t You Worry ’Bout A Thing
Signed, Sealed, Delivered
SET TWO
I Can’t Imagine Love Without You
Too Shy To Say
I Can’t Help It (Michael Jackson)
You Are My Heaven (Roberta & Donny)
Betcha Wouldn’t Hurt Me (Quincy Jones)
Till You Come Back To Me (Aretha Franklin)
It’s A Shame (Spinners)
Tell Me Something Good (Rufus)
+++++++++++++++++++++
Part Two
SET THREE
Lately
Send One Your Love
Secret Life Of Plants
All In Love Is Fair
If It’s Magic
SET FOUR
If You Really Love Me
Summer Soft
Ribbon In The Sky
Ordinary Pain
Superwoman
ENCORE
I Wish
Superstition
You Are The Sunshine Of My Life
(2004年4月22日木曜・ソウル・サーチン・トーキング=目黒楽屋[らくや])
いやあ、ケイリブ、よかった。(笑) 今までケイリブの歌ってピアノバーでしか聴いたことなかったんです。もちろんそれもそれなりによかったのですが、今日のはかなり本気だったですね! 僕が一番思ったのは、このライヴをスティーヴィー本人に見せたかったということ。次に、彼が歌う曲の歌詞をみんな覚えていられればなあ、ということ。いやあ、こうなると一緒に歌いたくなりますねえ。スティーヴィーの曲は。(笑)
セット1で、彼が「ドンチュー・ウォーリー・バウト・ア・シング(くよくよするな)」でオーディエンスにサビのところを歌うように促したら、みんな歌うんですよねえ。まあ、スティーヴィー好きが集まってるんだから、当たり前だ、と言われればそれまでなんですが、感激しました。他にも、「テル・ミー・サムシング・グッド」のところでも、大合唱になったりして。
前日、ケイが愛宕で歌っているところに最終打ち合わせを兼ねて行ったんですが、ちょっとナーヴァスになっていたようでした。というのも、いくつかの曲がまだ完全にマスターできていなかったんですね。で、僕は彼に言いました。「Everybody will love you, definitely! (みんな、絶対君のこと、気に入るよ)」と。
セット2のトップは、スティーヴィーが今回の来日で一度だけ披露した新曲「アイ・キャント・イマジン・ラヴ・ウィズアウト・ユー」でした。これは、スティーヴィーの大ファンである原口さんのリクエストでもありました。曲紹介の時に、それを言おうと思ってメモしていたんですが、つい忘れてしまいました。すいません。(笑) ピアノでぴったりですね。
セット2のスティーヴィーが他のアーティストに書いた作品集は、これもよかった。これはケイリブのアイデアで、候補をたくさんだして彼が選んでいます。「ユー・アー・マイ・ヘヴン」、いいですね。そして、クインシー・ジョーンズのアルバム『愛のコリーダ』にはいってる「ベッチャ・ウドント・ハート・ミー」あたりを選んでくるところはさすが。しかも、オリジナルはベースの効いてるグルーヴ感のある曲ですが、彼はこれをピアノ一本でいいのりでやりました。
全曲ピアノだけで、アップテンポ、ミディアム、そして、スローまで。いやあ、よくこなしました、23曲。そして、アンコール3曲もやってくれました。彼は途中で「なぜ、自分が『アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー』が嫌いなのか」をひじょうにおもしろく解説してくれました。かなり受けてました。
ケイリブは、かなり体力を消耗したようです。あとで言ってました。「いやあ、一週間くらい前から、ジムに通って、もっと体力をつけておくべきだった(笑)」 なるほど。しかし、内田さん、島田さんも、僕もいつのまにかただのリスナーになってましたよ。そして、彼が何かを歌い始めると客席から「ウーー」とか、「オオッ」とか声がかかるのを見ていると、いやあ、この企画やってよかったなと思いました。
超満員のご来場のお客様、ありがとうございました。入口で入場に若干時間がかかってしまったお客様、失礼いたしました。
また、ころあいを見て、なにかやってみましょう。
Setlist
Part One
SET ONE
Love’s In Need Of Love Today
All I Do
Creepin’
Don’t You Worry ’Bout A Thing
Signed, Sealed, Delivered
SET TWO
I Can’t Imagine Love Without You
Too Shy To Say
I Can’t Help It (Michael Jackson)
You Are My Heaven (Roberta & Donny)
Betcha Wouldn’t Hurt Me (Quincy Jones)
Till You Come Back To Me (Aretha Franklin)
It’s A Shame (Spinners)
Tell Me Something Good (Rufus)
+++++++++++++++++++++
Part Two
SET THREE
Lately
Send One Your Love
Secret Life Of Plants
All In Love Is Fair
If It’s Magic
SET FOUR
If You Really Love Me
Summer Soft
Ribbon In The Sky
Ordinary Pain
Superwoman
ENCORE
I Wish
Superstition
You Are The Sunshine Of My Life
(2004年4月22日木曜・ソウル・サーチン・トーキング=目黒楽屋[らくや])