Laura Branigan Died At 47
2004年8月31日ローラ・ブラニガン、47歳で死去。
シンガー、ローラ・ブラニガンが8月26日ニューヨークの自宅で、脳動脈瘤のため死去した。47歳だった。彼女はこの二週間ほど、友人に頭痛がすると言っていたが、特に医者に診てもらってはいなかった、という。ブラニガンは、1957年7月3日、ニューヨーク・ブリュースター生まれ。ハイスクール時代から学校でミュージカルなどを演じるようになり、エンタテインメントの世界にあこがれた。マンハッタンに移住してから、本格的に音楽活動を開始、70年代後半にはシンガー・ソングライター、レオナード・コーエンのバックコーラスなどの仕事をしていた。
1982年、アトランティックと契約。「オール・ナイト・ウィズ・ミー」は小ヒットだったが、続く「グローリア」が全米で最高2位を記録する大ヒットとなり、一躍注目のシンガーとなった。この曲自体は、元々79年にイタリアでウンベルト・トッツィーがヒットさせていたものの、アメリカ・ヴァージョン、カヴァーだった。
その後、「ソリテア」(83年、ポップで7位)、マイケル・ボルトンが書いた「ハウ・アム・アイ・サポーズト・トゥ・リヴ・ウィズアウト・ユー」(83年、12位)などのヒットを放った。後者は、89年にマイケル・ボルトン自身がレコーディング、シングルリリースし、さらに大ヒットとなっている。また映画のサウンドトラック(「フラッシュダンス」「ゴーストバスターズ」)などにも楽曲を提供していた。また女優としてもテレビ映画『白バイ野郎ジョン&パンチ』などに出演していた。
1996年夫が死去し、しばらくエンタテインメントの世界から遠ざかっていたが、2002年、ニューヨークで行われたジャニス・ジョプリンを描いたミュージカル『ラヴ、ジャニス』でジャニス・ジョプリン役を演じていた。
公式ページは、次の通り。
http://www.laurabraniganonline.com
オフィシャルのバイオと死亡記事がすでにでている。
http://www.laurabraniganonline.com/pr_current.htm
シンガー、ローラ・ブラニガンが8月26日ニューヨークの自宅で、脳動脈瘤のため死去した。47歳だった。彼女はこの二週間ほど、友人に頭痛がすると言っていたが、特に医者に診てもらってはいなかった、という。ブラニガンは、1957年7月3日、ニューヨーク・ブリュースター生まれ。ハイスクール時代から学校でミュージカルなどを演じるようになり、エンタテインメントの世界にあこがれた。マンハッタンに移住してから、本格的に音楽活動を開始、70年代後半にはシンガー・ソングライター、レオナード・コーエンのバックコーラスなどの仕事をしていた。
1982年、アトランティックと契約。「オール・ナイト・ウィズ・ミー」は小ヒットだったが、続く「グローリア」が全米で最高2位を記録する大ヒットとなり、一躍注目のシンガーとなった。この曲自体は、元々79年にイタリアでウンベルト・トッツィーがヒットさせていたものの、アメリカ・ヴァージョン、カヴァーだった。
その後、「ソリテア」(83年、ポップで7位)、マイケル・ボルトンが書いた「ハウ・アム・アイ・サポーズト・トゥ・リヴ・ウィズアウト・ユー」(83年、12位)などのヒットを放った。後者は、89年にマイケル・ボルトン自身がレコーディング、シングルリリースし、さらに大ヒットとなっている。また映画のサウンドトラック(「フラッシュダンス」「ゴーストバスターズ」)などにも楽曲を提供していた。また女優としてもテレビ映画『白バイ野郎ジョン&パンチ』などに出演していた。
1996年夫が死去し、しばらくエンタテインメントの世界から遠ざかっていたが、2002年、ニューヨークで行われたジャニス・ジョプリンを描いたミュージカル『ラヴ、ジャニス』でジャニス・ジョプリン役を演じていた。
公式ページは、次の通り。
http://www.laurabraniganonline.com
オフィシャルのバイオと死亡記事がすでにでている。
http://www.laurabraniganonline.com/pr_current.htm
What Is The Best Picture Of Music
2004年8月30日ライヴ映像。
マウントフジの映像について少し書いてみたい。ライヴ会場はかなり広い。キャパは5-6000人で、立派なステージの左右にテレビモニターのスクリーンがある。ドームなどでよく見られる、あれである。そこで行われているライヴショウの映像が映し出される。一番後ろで立って見ていたので、どうしても、その大きなモニターを見る機会が多くなってしまった。普通は、モニターはほとんど見ずにミュージシャンを直視することが多いのだが。
最低5台くらいのカメラがあったと思う。一番後ろ中央から真正面、全体をとるカメラが2台。ステージ真下にレールの上に乗って左右に移動するドリーカメラ。ステージの上の手持ちカメラが2台。もう一台どこかにあったかもしれない。
さて、そのモニター映像、それがそのままテレビ映像となって放送されるかはわからない。そのライヴ会場だけの映像かもしれない。放映分はもっときちんとした映像が編集されるのかもしれないが、ここのでライヴモニター映像がうっとうしく感じられた。まったくダメなのだ。とにかく画面の切り替えが忙しく、落ち着いて見ていられない。まったく集中できない。
例えば、ジョーサンプルのピアノソロになった。ワンテンポ遅れて(これポイント)、手持ちカメラが後ろからジョーを背中からとり、手元を映し出す。じっと見ているとあっという間に別の映像に切り替わってしまう。「おっと、もっと見たいぞ」と思ってももう遅い。また、このワンテンポ遅れてというのが、なさけない。事前にある程度、曲を知っていると、だいたいどこで誰のソロになるかがわかる。そうすると始まる直前くらいにそのソロを撮りはじめるのが美しい。
この次々に映像が切り替わるのはまあ、いかにも最近のヴァラエティー的というか、日本のテレビ的というか、しょうがないのかもしれないが、少なくともプロのミュージシャンの音楽映像にはなんとかしていただきたい。映像を作っている人たちは少なくとも音楽を知っている人ではない。あるいは音楽ライヴなどをあまり見たことがない人だろう。もう少し海外のものでもいいのでいい音楽ライヴの映像などを勉強してもらいたいものだ。
この映像を見ていて、自分が音楽ライヴを見るとき、どういう目線の動きをするかふと考えた。やはり、全体的なシーンを見て、ソロになると、そこに集中している。あるいは、ソロでない時でも誰かのプレイに集中したくなると、そこを見る。2秒ごとに視線が変わることはない。
正確には覚えていないのだが、かつてフレッドアステアが自分のダンスを撮らせる時、正面からカメラを動かさずに最後まで撮れと言ったというような話をどこかで読んだことがある。もっとも大事なことはパフォーマンス自体にパワーがあるとき、その被写体を撮る側は下手な小細工をするな、ということなのである。ライヴミュージシャンに力があれば、一番いいライヴ映像は、正面センターからとる固定映像だ。まずそのあたりの基本を知ってから、映像作りをして欲しい。日本人アイドルを撮るなら、カメラを動かし、いろいろと映像で遊んでもいいだろう。しかし、こうしたちゃんとしたプロのライヴミュージシャンを映像化するときは、音楽が好きで、音楽を知る、それなりのプロの撮影スタッフにやってもらいたい。オンエアされるものは、ちゃんとした映像になっていることを期待したい。
音楽ライヴを撮影する時のベストな映像は何か。大きなテーマだ。
マウントフジの映像について少し書いてみたい。ライヴ会場はかなり広い。キャパは5-6000人で、立派なステージの左右にテレビモニターのスクリーンがある。ドームなどでよく見られる、あれである。そこで行われているライヴショウの映像が映し出される。一番後ろで立って見ていたので、どうしても、その大きなモニターを見る機会が多くなってしまった。普通は、モニターはほとんど見ずにミュージシャンを直視することが多いのだが。
最低5台くらいのカメラがあったと思う。一番後ろ中央から真正面、全体をとるカメラが2台。ステージ真下にレールの上に乗って左右に移動するドリーカメラ。ステージの上の手持ちカメラが2台。もう一台どこかにあったかもしれない。
さて、そのモニター映像、それがそのままテレビ映像となって放送されるかはわからない。そのライヴ会場だけの映像かもしれない。放映分はもっときちんとした映像が編集されるのかもしれないが、ここのでライヴモニター映像がうっとうしく感じられた。まったくダメなのだ。とにかく画面の切り替えが忙しく、落ち着いて見ていられない。まったく集中できない。
例えば、ジョーサンプルのピアノソロになった。ワンテンポ遅れて(これポイント)、手持ちカメラが後ろからジョーを背中からとり、手元を映し出す。じっと見ているとあっという間に別の映像に切り替わってしまう。「おっと、もっと見たいぞ」と思ってももう遅い。また、このワンテンポ遅れてというのが、なさけない。事前にある程度、曲を知っていると、だいたいどこで誰のソロになるかがわかる。そうすると始まる直前くらいにそのソロを撮りはじめるのが美しい。
この次々に映像が切り替わるのはまあ、いかにも最近のヴァラエティー的というか、日本のテレビ的というか、しょうがないのかもしれないが、少なくともプロのミュージシャンの音楽映像にはなんとかしていただきたい。映像を作っている人たちは少なくとも音楽を知っている人ではない。あるいは音楽ライヴなどをあまり見たことがない人だろう。もう少し海外のものでもいいのでいい音楽ライヴの映像などを勉強してもらいたいものだ。
この映像を見ていて、自分が音楽ライヴを見るとき、どういう目線の動きをするかふと考えた。やはり、全体的なシーンを見て、ソロになると、そこに集中している。あるいは、ソロでない時でも誰かのプレイに集中したくなると、そこを見る。2秒ごとに視線が変わることはない。
正確には覚えていないのだが、かつてフレッドアステアが自分のダンスを撮らせる時、正面からカメラを動かさずに最後まで撮れと言ったというような話をどこかで読んだことがある。もっとも大事なことはパフォーマンス自体にパワーがあるとき、その被写体を撮る側は下手な小細工をするな、ということなのである。ライヴミュージシャンに力があれば、一番いいライヴ映像は、正面センターからとる固定映像だ。まずそのあたりの基本を知ってから、映像作りをして欲しい。日本人アイドルを撮るなら、カメラを動かし、いろいろと映像で遊んでもいいだろう。しかし、こうしたちゃんとしたプロのライヴミュージシャンを映像化するときは、音楽が好きで、音楽を知る、それなりのプロの撮影スタッフにやってもらいたい。オンエアされるものは、ちゃんとした映像になっていることを期待したい。
音楽ライヴを撮影する時のベストな映像は何か。大きなテーマだ。
Crusaders In Misty
2004年8月29日もや。
あいにくの小雨の中、マウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァル。一枚はおらないと、寒いほど。富士急ハイランドの中でやるライヴは僕は初めて。これは晴れていたら、最高のイヴェントだろうな。
ちょうど入ったら、リー・リトナーのライヴが始まった。椅子に座ると、濡れるので、後ろのミキサーの前あたりでずっと傘をさしながら立ってみていた。まず音のよさにびっくり。ミュージシャンも良いのだろうが、音響もいいのだろう。スポンサーがついていると、ライヴの予算もたっぷりあるのかな。
リー・リトナーは、メンバーもあいかわらずすごい。アーニー・ワッツのサックス、パトリース・ラッシェンのキーボード、アレックス・アクーニャのドラムにエイブラハム・ラボリエルのベース。最初の一音だけで、本物感が伝わってくる。「キャプテン・フィンガー」などなつかしの作品もやって受ける。
そして、ほぼ6時。だいぶ暗くなってから本日のトリ、クルセイダーズの登場だ。メンバー的には昨年の10月のブルーノートでのライヴと近い線で、選曲などもそれに準じる。
だが、ケンドリックス・スコット(ドラムス)、ジョー・サンプル(キーボード)、ウィルトン・フェルダー(サックス)、ニック・サンプル(ジョーの息子=ベース=予定のフレディー・ワシントンから変更)、そして、ギターに我らがレイ・パーカーらがくりだすリズムは、リトナーのものと違って、相当「黒かった」。いつも不思議に思う。この「黒さ」とは何か、と。「黒さ」のエッセンスはどこにあるのか。まあ、体ではわかっていても、なかなかうまく説明ができない。
ベースは今回初登場というか、ジョー・サンプルの息子、ニックがでてきた。確か前回だか父親と一緒に来ていたが、自分でもバンドをやっていた人物である。なかなかのベースを聴かせた。予定ではフレディー・ワシントンと発表されていたので、急遽変更になったのだろう。
そして、最後はレイ・パーカーが登場して、「ゴーストバスターズ」のところを「クルセイダーズ」に変えた替え歌で幕。
ライヴ半分を過ぎたあたり、ちょうど、「ショットガン・ハウス・ブルース」あたりから、低かった雲からもやがステージの上にゆっくりと降りてきた。通常の人工的なスモークマシンではなく、自然のもやがステージを、そして、会場全体を包み込むようになり、これはどのような演出家もできない見事な演出になった。もやの中のクルセイダーズ。この絵は、かなり幻想的だった。おそらくテレビ映像にももやっているところが映っていると思う。
Setlist
Crusaders
show started 18.00
1. Free As The Wind (From "Free As The Wind")
2. Sprial (From "Those Southern Nights")
3. The Territory Of Groove (From "Rural Renewal")
4. It Happens Everyday (From "Free as the Wind")
5. I Feel The Love (Stix Hooper Composition)(From "Chain Reaction)
6. Way Back Home (From "Scratch")
7. Shotgun House Groove (From "Rural Renewal")
8. Put It Where You Want It (From "Crusaders 1")
9. Carnival Of The Night (From "Street Life")
Enc. Ghostbusters (Crusaders) / Ray Parker Jr.
show ended 19.02
(2004年8月28日土曜、富士急ハイランド・コニファー・フォーレスト=リー・リトナー・オールスターズ・ライヴ、クルセイダーズ・ライヴ)
あいにくの小雨の中、マウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァル。一枚はおらないと、寒いほど。富士急ハイランドの中でやるライヴは僕は初めて。これは晴れていたら、最高のイヴェントだろうな。
ちょうど入ったら、リー・リトナーのライヴが始まった。椅子に座ると、濡れるので、後ろのミキサーの前あたりでずっと傘をさしながら立ってみていた。まず音のよさにびっくり。ミュージシャンも良いのだろうが、音響もいいのだろう。スポンサーがついていると、ライヴの予算もたっぷりあるのかな。
リー・リトナーは、メンバーもあいかわらずすごい。アーニー・ワッツのサックス、パトリース・ラッシェンのキーボード、アレックス・アクーニャのドラムにエイブラハム・ラボリエルのベース。最初の一音だけで、本物感が伝わってくる。「キャプテン・フィンガー」などなつかしの作品もやって受ける。
そして、ほぼ6時。だいぶ暗くなってから本日のトリ、クルセイダーズの登場だ。メンバー的には昨年の10月のブルーノートでのライヴと近い線で、選曲などもそれに準じる。
だが、ケンドリックス・スコット(ドラムス)、ジョー・サンプル(キーボード)、ウィルトン・フェルダー(サックス)、ニック・サンプル(ジョーの息子=ベース=予定のフレディー・ワシントンから変更)、そして、ギターに我らがレイ・パーカーらがくりだすリズムは、リトナーのものと違って、相当「黒かった」。いつも不思議に思う。この「黒さ」とは何か、と。「黒さ」のエッセンスはどこにあるのか。まあ、体ではわかっていても、なかなかうまく説明ができない。
ベースは今回初登場というか、ジョー・サンプルの息子、ニックがでてきた。確か前回だか父親と一緒に来ていたが、自分でもバンドをやっていた人物である。なかなかのベースを聴かせた。予定ではフレディー・ワシントンと発表されていたので、急遽変更になったのだろう。
そして、最後はレイ・パーカーが登場して、「ゴーストバスターズ」のところを「クルセイダーズ」に変えた替え歌で幕。
ライヴ半分を過ぎたあたり、ちょうど、「ショットガン・ハウス・ブルース」あたりから、低かった雲からもやがステージの上にゆっくりと降りてきた。通常の人工的なスモークマシンではなく、自然のもやがステージを、そして、会場全体を包み込むようになり、これはどのような演出家もできない見事な演出になった。もやの中のクルセイダーズ。この絵は、かなり幻想的だった。おそらくテレビ映像にももやっているところが映っていると思う。
Setlist
Crusaders
show started 18.00
1. Free As The Wind (From "Free As The Wind")
2. Sprial (From "Those Southern Nights")
3. The Territory Of Groove (From "Rural Renewal")
4. It Happens Everyday (From "Free as the Wind")
5. I Feel The Love (Stix Hooper Composition)(From "Chain Reaction)
6. Way Back Home (From "Scratch")
7. Shotgun House Groove (From "Rural Renewal")
8. Put It Where You Want It (From "Crusaders 1")
9. Carnival Of The Night (From "Street Life")
Enc. Ghostbusters (Crusaders) / Ray Parker Jr.
show ended 19.02
(2004年8月28日土曜、富士急ハイランド・コニファー・フォーレスト=リー・リトナー・オールスターズ・ライヴ、クルセイダーズ・ライヴ)
Mount Fuji Jazz Festival
2004年8月28日河口湖。
とりあえず、マウント富士ジャズフェスを見ようかと前日から河口湖の友人宅にやってきた。しかし、あいにくの雨だ。ジャズ
フェス自体は雨天決行なのだが、みんなどうするのだろう。
今年の目玉はクルセイダーズ、フィーチャリング ・レイ・パーカー。昨年のブルーノートでのあのライヴの再現になるのだろうか。
リー・リトナーあたりも一年ぶりくらいかな。晴れていればねえ、すごく気持ちいいのにね。日曜にはベンEキングが出るが、この日は東京にいるので見られません。
とりあえず、マウント富士ジャズフェスを見ようかと前日から河口湖の友人宅にやってきた。しかし、あいにくの雨だ。ジャズ
フェス自体は雨天決行なのだが、みんなどうするのだろう。
今年の目玉はクルセイダーズ、フィーチャリング ・レイ・パーカー。昨年のブルーノートでのあのライヴの再現になるのだろうか。
リー・リトナーあたりも一年ぶりくらいかな。晴れていればねえ、すごく気持ちいいのにね。日曜にはベンEキングが出るが、この日は東京にいるので見られません。
達人。
レイ・チャールズの最後のアルバム『ジーニアス・ラヴズ・カンパニー(邦題、ジーニアス・ラヴ〜永遠の愛』が発売された。このCDには、なんとエクストラ映像が入っていた。僕は音だけしか聴いていなかったので、これはびっくり。
今作のジャケットの写真を撮影しているのは巨匠ノーマン・シーフ。その他に何人かの写真家がいる。そして、そのヴィデオ映像は、1985年、シーフがチャールズを撮影している時の記録映像だ。シーフがスチール写真を撮影している間中、チャールズに話しかけ続ける。キーボードの前に座ったチャールズは、時に演奏しながら質問に答える。
シーフは「初めてピアノを弾きだしたのはいくつの時ですか」と尋ねる。きっとこの質問は、レイ・チャールズへの万国共通の質問なのだろう。レイが「3歳の時から・・・」の話をする。その間も、ノーマンはパシャパシャとシャッターを切っている。そして、蝶ネクタイと新しいスーツに着替えたレイが再登場。今度はキーボードを弾きながら、会話が続く。
このシーンを見てノーマン・シーフの写真家としての魅力を垣間見た。なるほどねえ。こういう風な撮影セッションなんだあ。ノーマンとレイの間の会話でレイが乗ってきているのがわかる。そして、いい表情をするようになる。静物を撮るのと違い、人物を撮るということは、その瞬間瞬間を切り取らなければならない。ある瞬間は二度と繰り返されないのだ。名写真家というのは、きっとその一期一会の素晴らしい瞬間を切り取る確率が高い人なのだろう。ここでは、写真の達人が音楽の達人を撮影している。
+++
生前葬。
彼が6月10日に亡くなっているという強烈な事実があるゆえに、改めてこのアルバムを聴くと、胸を打たれる。最後のアルバムが全曲デュエット・アルバムになっているところも運命的だ。確かに声が震え、その声力も全盛期と比べたら、弱々しいところもある。だが、今となってはそんなことは関係ない。
このアルバムの中で最初にレコーディングされた曲は、2003年6月のヴァン・モリソンとのデュエットだ。そして、最後に録音されたのが、今年3月録音のエルトン・ジョンとのデュエットとなった「ソリー・シームス・トゥ・ビー・ザ・ハーデスト・ワーズ(悲しみのバラード)」である。エルトンの曲は、好きな人から「つきあえません、ごめんなさい」と言われる歌。タイトル直訳は「『ごめんなさい(sorry)』という言葉は、もっともつらい一言だ」という意味。奇しくも「Sorry」は、「残念です」という死去に際してのお悔やみの言葉でもある。日本語で言えば「ご愁傷様です」にあたる。よって、この曲は「『ご愁傷様です』という言葉は、もっともつらい一言だ」ということにもなる。
レイは最後の力を振り絞って、マイクに向かい、ありのたけを歌った。若きシンガーから何十年も親友であるヴェテラン・アーティストまで、全米の音楽家たちがレイの周りに集まって、レイのために歌った。これは、言ってみればレイのための最高に派手な生前葬だ。レイ・チャールズ自身がその生前葬で辞世の歌をソウルを込めて吹き込んだ作品がこれだ。
レイ・チャールズは、クインシーからもらった5セントを片手に握り締めて、今、虹のかなたにいることだろう。
レイ・チャールズの最後のアルバム『ジーニアス・ラヴズ・カンパニー(邦題、ジーニアス・ラヴ〜永遠の愛』が発売された。このCDには、なんとエクストラ映像が入っていた。僕は音だけしか聴いていなかったので、これはびっくり。
今作のジャケットの写真を撮影しているのは巨匠ノーマン・シーフ。その他に何人かの写真家がいる。そして、そのヴィデオ映像は、1985年、シーフがチャールズを撮影している時の記録映像だ。シーフがスチール写真を撮影している間中、チャールズに話しかけ続ける。キーボードの前に座ったチャールズは、時に演奏しながら質問に答える。
シーフは「初めてピアノを弾きだしたのはいくつの時ですか」と尋ねる。きっとこの質問は、レイ・チャールズへの万国共通の質問なのだろう。レイが「3歳の時から・・・」の話をする。その間も、ノーマンはパシャパシャとシャッターを切っている。そして、蝶ネクタイと新しいスーツに着替えたレイが再登場。今度はキーボードを弾きながら、会話が続く。
このシーンを見てノーマン・シーフの写真家としての魅力を垣間見た。なるほどねえ。こういう風な撮影セッションなんだあ。ノーマンとレイの間の会話でレイが乗ってきているのがわかる。そして、いい表情をするようになる。静物を撮るのと違い、人物を撮るということは、その瞬間瞬間を切り取らなければならない。ある瞬間は二度と繰り返されないのだ。名写真家というのは、きっとその一期一会の素晴らしい瞬間を切り取る確率が高い人なのだろう。ここでは、写真の達人が音楽の達人を撮影している。
+++
生前葬。
彼が6月10日に亡くなっているという強烈な事実があるゆえに、改めてこのアルバムを聴くと、胸を打たれる。最後のアルバムが全曲デュエット・アルバムになっているところも運命的だ。確かに声が震え、その声力も全盛期と比べたら、弱々しいところもある。だが、今となってはそんなことは関係ない。
このアルバムの中で最初にレコーディングされた曲は、2003年6月のヴァン・モリソンとのデュエットだ。そして、最後に録音されたのが、今年3月録音のエルトン・ジョンとのデュエットとなった「ソリー・シームス・トゥ・ビー・ザ・ハーデスト・ワーズ(悲しみのバラード)」である。エルトンの曲は、好きな人から「つきあえません、ごめんなさい」と言われる歌。タイトル直訳は「『ごめんなさい(sorry)』という言葉は、もっともつらい一言だ」という意味。奇しくも「Sorry」は、「残念です」という死去に際してのお悔やみの言葉でもある。日本語で言えば「ご愁傷様です」にあたる。よって、この曲は「『ご愁傷様です』という言葉は、もっともつらい一言だ」ということにもなる。
レイは最後の力を振り絞って、マイクに向かい、ありのたけを歌った。若きシンガーから何十年も親友であるヴェテラン・アーティストまで、全米の音楽家たちがレイの周りに集まって、レイのために歌った。これは、言ってみればレイのための最高に派手な生前葬だ。レイ・チャールズ自身がその生前葬で辞世の歌をソウルを込めて吹き込んだ作品がこれだ。
レイ・チャールズは、クインシーからもらった5セントを片手に握り締めて、今、虹のかなたにいることだろう。
ハレルヤ。
それにしても圧巻だった。昼過ぎ突然ソウルメイトNから今日ゴスペルのライヴあるけど行きませんかとの誘い。しかし場所がなんと亀有だという。でもゴスペルなら行くしかない。純粋に音楽を聴きに行く。途中の首都高・三郷(みさと)線は大渋滞。それでもなんとか10分遅れで到着。
出し物はこれ。この中の8月25日のジョナサン・グリア&ザ・ヴォイセス・オブ・ジューダ。
http://homepage1.nifty.com/kgospel/
ロスアンジェルスからやってきたゴスペルクワイヤー。歌う人は12人、キーボードひとり、ディレクター(歌も歌う=ジョナサン・グリア)の計14人。いかにも、歌えそうなブラザー&シスターたちがステージにずらっと12人並んでいる。そして一曲ごとにソロイストが変わる。これが一々、うまいときた。まあ、当たり前なんだろうが、こう次々と迫力の歌唱を聴かされるともう、それだけでノックダウンである。ハレル〜ヤ。
ゴスペルとブルーズというふたつの土台の上にソウル・ミュージックがレイ・チャールズなどによって作られた。そのソウル・ミュージックは、リズム&ブルース、ブラック・コンテンポラリー、そして、R&Bなどと呼ばれるようになり、今日まで脈々と続く。こうしたもっとも土台の部分に触れると、ふだん聴いているR&Bなどがいかに表層的な上澄みの部分だけかということを感じる。これはいい悪いの問題ではなく。
そうした一般的に売れているR&Bスターを、例えば、メジャーリーグのトップ選手とすると、こうしたゴスペルのシンガーたちは、1A,2A、3Aの選手たちだろう。だが、そんな選手でさえ、これだけの力がある。それぞれソロをとるシンガーたちは、今すぐにでもCDデビューできる実力の持ち主ばかりだ。こうしたクワイヤーがアメリカ中にあって、それこそ3歳とか5歳の頃から毎日のようにみんなが歌っているのだろう。こういう「歌う」システムがあれば、力のある歌手は自然にいくらでもでてくる。根本的に、アメリカのこうした歌手を生み出すシステムの力の前には、日本人などどう転んでも、かなわない。
ある者はテディー・ペンダグラス風、ある者はジェニファー・ホリデイ風、アレサ・フランクリンを彷彿とさせる者もいれば、グラディス・ナイトのような声のシンガーもいる。しかも歌われるゴスペルソングは、コンテンポラリーなわかり易いソウルになっている。いやあ、こういうコンテンポラリーなゴスペルはいいなあ。こういうのだったら、いつでも見に来たい。ハレル〜〜ヤ!
聞けばこのヴォイセス・オブ・ジューダには50人近くのシンガーが所属するという。ここに来た14人はその中でも精鋭ということか。まさに、ドリームティームではないかと思った。だが、きっと全員うまいのだろう。底力である。
楽器はキーボード一人だけなのだが、キーボードの生演奏のほか彼が打ち込んだ音をコンピューターから出す。しかし、そんなことはまったく関係ない。12人の声だけで、会場を圧倒する。いい歌い手は声だけで感動できる。ハレル〜〜〜ヤ!!
最後に、この亀有地区のいくつかの教会クワイヤーのメンバーたちがステージに続々と上がった。その数200人近く。うそではない。野鳥の会の如くさっと数えたのだ。会場のキャパは600。観客側にいた3分の1はステージに上がってしまった。そして、彼らを総称して名前もあった。その名は---。「亀・かめ・カモーン・マスクワイヤー」である。うそではない。フライヤーにちゃんと書いてある。
入いる時にいろいろなフライヤーをもらった。その中にずいぶんアメリカからもゴスペル隊がきていることを知った。そして、帰り際には、「はい、聖書です。どうぞお読みください」と、小さな聖書をもらった。(ここだけの話だが、僕はそれよりも、歌い手たちのプロフィールとCDのほうが欲しかった。(笑)) あ、そうそう、これで2000円である。自費来日だそうだ。チケットプライスにもハレル〜〜〜〜ヤ!!!
(2004年8月25日水曜、かめありリリオホール=ジョナサン・グリア&ヴォイセス・オブ・ジューダ・ライヴ)
それにしても圧巻だった。昼過ぎ突然ソウルメイトNから今日ゴスペルのライヴあるけど行きませんかとの誘い。しかし場所がなんと亀有だという。でもゴスペルなら行くしかない。純粋に音楽を聴きに行く。途中の首都高・三郷(みさと)線は大渋滞。それでもなんとか10分遅れで到着。
出し物はこれ。この中の8月25日のジョナサン・グリア&ザ・ヴォイセス・オブ・ジューダ。
http://homepage1.nifty.com/kgospel/
ロスアンジェルスからやってきたゴスペルクワイヤー。歌う人は12人、キーボードひとり、ディレクター(歌も歌う=ジョナサン・グリア)の計14人。いかにも、歌えそうなブラザー&シスターたちがステージにずらっと12人並んでいる。そして一曲ごとにソロイストが変わる。これが一々、うまいときた。まあ、当たり前なんだろうが、こう次々と迫力の歌唱を聴かされるともう、それだけでノックダウンである。ハレル〜ヤ。
ゴスペルとブルーズというふたつの土台の上にソウル・ミュージックがレイ・チャールズなどによって作られた。そのソウル・ミュージックは、リズム&ブルース、ブラック・コンテンポラリー、そして、R&Bなどと呼ばれるようになり、今日まで脈々と続く。こうしたもっとも土台の部分に触れると、ふだん聴いているR&Bなどがいかに表層的な上澄みの部分だけかということを感じる。これはいい悪いの問題ではなく。
そうした一般的に売れているR&Bスターを、例えば、メジャーリーグのトップ選手とすると、こうしたゴスペルのシンガーたちは、1A,2A、3Aの選手たちだろう。だが、そんな選手でさえ、これだけの力がある。それぞれソロをとるシンガーたちは、今すぐにでもCDデビューできる実力の持ち主ばかりだ。こうしたクワイヤーがアメリカ中にあって、それこそ3歳とか5歳の頃から毎日のようにみんなが歌っているのだろう。こういう「歌う」システムがあれば、力のある歌手は自然にいくらでもでてくる。根本的に、アメリカのこうした歌手を生み出すシステムの力の前には、日本人などどう転んでも、かなわない。
ある者はテディー・ペンダグラス風、ある者はジェニファー・ホリデイ風、アレサ・フランクリンを彷彿とさせる者もいれば、グラディス・ナイトのような声のシンガーもいる。しかも歌われるゴスペルソングは、コンテンポラリーなわかり易いソウルになっている。いやあ、こういうコンテンポラリーなゴスペルはいいなあ。こういうのだったら、いつでも見に来たい。ハレル〜〜ヤ!
聞けばこのヴォイセス・オブ・ジューダには50人近くのシンガーが所属するという。ここに来た14人はその中でも精鋭ということか。まさに、ドリームティームではないかと思った。だが、きっと全員うまいのだろう。底力である。
楽器はキーボード一人だけなのだが、キーボードの生演奏のほか彼が打ち込んだ音をコンピューターから出す。しかし、そんなことはまったく関係ない。12人の声だけで、会場を圧倒する。いい歌い手は声だけで感動できる。ハレル〜〜〜ヤ!!
最後に、この亀有地区のいくつかの教会クワイヤーのメンバーたちがステージに続々と上がった。その数200人近く。うそではない。野鳥の会の如くさっと数えたのだ。会場のキャパは600。観客側にいた3分の1はステージに上がってしまった。そして、彼らを総称して名前もあった。その名は---。「亀・かめ・カモーン・マスクワイヤー」である。うそではない。フライヤーにちゃんと書いてある。
入いる時にいろいろなフライヤーをもらった。その中にずいぶんアメリカからもゴスペル隊がきていることを知った。そして、帰り際には、「はい、聖書です。どうぞお読みください」と、小さな聖書をもらった。(ここだけの話だが、僕はそれよりも、歌い手たちのプロフィールとCDのほうが欲しかった。(笑)) あ、そうそう、これで2000円である。自費来日だそうだ。チケットプライスにもハレル〜〜〜〜ヤ!!!
(2004年8月25日水曜、かめありリリオホール=ジョナサン・グリア&ヴォイセス・オブ・ジューダ・ライヴ)
Sergio Mendes: Brazilian Night
2004年8月25日ブラジル。
ボサノヴァをモダンでポップに、さらにコンテンポラリーにした人。それがセルジオ・メンデスだ。このところ毎年のようにやってくる彼を久々に見た。それにしても、この明るさと、ポップさ、陽気さは、音楽の楽しさ満開だ。
ドラムス、キーボード2台、ギター、ベース、パーカッション、そして、女性コーラス3人という布陣。キーボード1台をセルメンが弾きながら、ときに歌う。1941年2月生まれだというから今年で63歳になるが、いやあ、若い。全体的に、個々のミュージシャンもしっかりしているので、リズム隊が強力。そして、そこにラウンジ風の軽いコーラスがはいって、良質のブラジリアン・ポップス・ウィズ・アメリカン・フレイヴァー、一丁あがりってな感じである。
途中、ひじょうにおもしろかったのが、パーカッション奏者がいろいろなパーカッションをだしてきて、少しずつ音をだすシーン。本当に見たこともないようなおもしろいパーカッションがある。カリンバみたいな音をだすもの、弓のようなもの、タンバリンもあれば、マーチングドラムのような小太鼓もある。また、やはり途中であったチョッパーベースと、そのパーカッション奏者の激しいバトルは見ごたえがあった。あれはかっこいい。ベースとパーカッションのインタープレイというのは、すばらしいアイデアだ。
途中、セルメンたちの大ヒット、「ルック・オブ・ラヴ」「フール・オン・ザ・ヒル」「マシュケナダ」などがメドレーでうたわれ、さすがに年齢層の高い観客に受けていた。あと、「デサフィナート」「トリステーザ」などの有名曲は客ものりのりになった。ブルーノート、ブラジリアン・ナイトになる一夜。
(2004年8月24日火曜セカンド、ブルーノート東京=セルジオ・メンデス・ライヴ)
ボサノヴァをモダンでポップに、さらにコンテンポラリーにした人。それがセルジオ・メンデスだ。このところ毎年のようにやってくる彼を久々に見た。それにしても、この明るさと、ポップさ、陽気さは、音楽の楽しさ満開だ。
ドラムス、キーボード2台、ギター、ベース、パーカッション、そして、女性コーラス3人という布陣。キーボード1台をセルメンが弾きながら、ときに歌う。1941年2月生まれだというから今年で63歳になるが、いやあ、若い。全体的に、個々のミュージシャンもしっかりしているので、リズム隊が強力。そして、そこにラウンジ風の軽いコーラスがはいって、良質のブラジリアン・ポップス・ウィズ・アメリカン・フレイヴァー、一丁あがりってな感じである。
途中、ひじょうにおもしろかったのが、パーカッション奏者がいろいろなパーカッションをだしてきて、少しずつ音をだすシーン。本当に見たこともないようなおもしろいパーカッションがある。カリンバみたいな音をだすもの、弓のようなもの、タンバリンもあれば、マーチングドラムのような小太鼓もある。また、やはり途中であったチョッパーベースと、そのパーカッション奏者の激しいバトルは見ごたえがあった。あれはかっこいい。ベースとパーカッションのインタープレイというのは、すばらしいアイデアだ。
途中、セルメンたちの大ヒット、「ルック・オブ・ラヴ」「フール・オン・ザ・ヒル」「マシュケナダ」などがメドレーでうたわれ、さすがに年齢層の高い観客に受けていた。あと、「デサフィナート」「トリステーザ」などの有名曲は客ものりのりになった。ブルーノート、ブラジリアン・ナイトになる一夜。
(2004年8月24日火曜セカンド、ブルーノート東京=セルジオ・メンデス・ライヴ)
Tonki: Service Of Ton Of Ki
2004年8月24日サーヴィス。
しかし、ここは本当にすごいな。夜、久々に目黒のとんきに行った。おそらくもう50年近く営業している有名店だが、ここのサーヴィスというものがひじょうにここちよい。なにより、清潔感のあふれる店内がきもちいい。別におしゃれでも、新しくもなにもないのだが、シンプルに素朴に、それでいて清潔感がいっぱいだ。カウンターだけのとんかつ屋。(2階はテーブル席もありますが)
今日店にはいったのは、ほとんど閉店間近の10時半くらいだったので、並んでいる人はいなかった。いつも行列になっている時は、カウンターの中の注文を取るおばさんが客の来た順番を実に正確に覚えていて、来た順番に空いた席に案内する。自分より前に来た人の順番は、わからないのだが、自分以降の人たちはわかる。そして、それが一々あっているのでいつも驚嘆する。一体あの記憶術はどうなっているのだろうか。注文伝票にその客の何か目印とか、洋服とか書いているのだろうか。彼女に任せておけば、順番は絶対に狂わない。客は順序良く並んでいるのではなく、適当にかなりばらけて、ベンチに座って待っているのに、順番を間違えないのである。よくラーメン屋で何人もの客の注文をすべて覚えていて驚かせるというのをやったりするが、この順番覚えもたいしたものだ。
とんきは、すべてがオルガナイズされていて、すばらしい。注文を取る。おしぼりが来る。お茶が来る。一人客の場合、すぐに新聞が持ってこられる。二人以上の場合は来ない。とんかつが来るまで、しばし新聞でもお読みになってお待ちください、というわけだ。しばらくしてご飯、味噌汁、おしんこ、とんかつがやってくる。キャベツがなくなると、どこからともなく、すっとキャベツのかごを持ってきて、「いかがですか」ときいてくる。その入ってきかたが、絶妙だ。食事がほぼ終りそうになると、再びおしぼりが来る。まもなく、楊枝が来る。楊枝にはガラスのコップが被せられている。
すでに、店は閉店準備をしている。床を磨く人、棚を掃除する人、食器を洗う人。もちろん、とんかつを揚げる人も仕事をしている。7-8人がてきぱきと自分の持ち場でしっかりと仕事をしている。この店には本当に無駄がない。そして、サーヴィスというものの本質がわかっている。グローヴァル系のフレンドリーなサーヴィスともまた違う、それでいて客を不快にさせない、良質のサーヴィスが完成している。
いつものおばさんが、カウンターにすわっていた僕に近寄ってこう言った。「ゆっくりしてってくださいね。騒がしいけどね」と言いながら、飴をふたつほど置いていったのだ。騒がしいというのは、片付けや掃除ががさがさしていることを気遣ってのものだった。いやあ、ここまでやるか。「1トンの気」を遣ってる店かな。
しかし、ここは本当にすごいな。夜、久々に目黒のとんきに行った。おそらくもう50年近く営業している有名店だが、ここのサーヴィスというものがひじょうにここちよい。なにより、清潔感のあふれる店内がきもちいい。別におしゃれでも、新しくもなにもないのだが、シンプルに素朴に、それでいて清潔感がいっぱいだ。カウンターだけのとんかつ屋。(2階はテーブル席もありますが)
今日店にはいったのは、ほとんど閉店間近の10時半くらいだったので、並んでいる人はいなかった。いつも行列になっている時は、カウンターの中の注文を取るおばさんが客の来た順番を実に正確に覚えていて、来た順番に空いた席に案内する。自分より前に来た人の順番は、わからないのだが、自分以降の人たちはわかる。そして、それが一々あっているのでいつも驚嘆する。一体あの記憶術はどうなっているのだろうか。注文伝票にその客の何か目印とか、洋服とか書いているのだろうか。彼女に任せておけば、順番は絶対に狂わない。客は順序良く並んでいるのではなく、適当にかなりばらけて、ベンチに座って待っているのに、順番を間違えないのである。よくラーメン屋で何人もの客の注文をすべて覚えていて驚かせるというのをやったりするが、この順番覚えもたいしたものだ。
とんきは、すべてがオルガナイズされていて、すばらしい。注文を取る。おしぼりが来る。お茶が来る。一人客の場合、すぐに新聞が持ってこられる。二人以上の場合は来ない。とんかつが来るまで、しばし新聞でもお読みになってお待ちください、というわけだ。しばらくしてご飯、味噌汁、おしんこ、とんかつがやってくる。キャベツがなくなると、どこからともなく、すっとキャベツのかごを持ってきて、「いかがですか」ときいてくる。その入ってきかたが、絶妙だ。食事がほぼ終りそうになると、再びおしぼりが来る。まもなく、楊枝が来る。楊枝にはガラスのコップが被せられている。
すでに、店は閉店準備をしている。床を磨く人、棚を掃除する人、食器を洗う人。もちろん、とんかつを揚げる人も仕事をしている。7-8人がてきぱきと自分の持ち場でしっかりと仕事をしている。この店には本当に無駄がない。そして、サーヴィスというものの本質がわかっている。グローヴァル系のフレンドリーなサーヴィスともまた違う、それでいて客を不快にさせない、良質のサーヴィスが完成している。
いつものおばさんが、カウンターにすわっていた僕に近寄ってこう言った。「ゆっくりしてってくださいね。騒がしいけどね」と言いながら、飴をふたつほど置いていったのだ。騒がしいというのは、片付けや掃除ががさがさしていることを気遣ってのものだった。いやあ、ここまでやるか。「1トンの気」を遣ってる店かな。
真似。
今日「ソウル・ブレンズ」にサルサ・バンドのオルケスタ・デラルスのノラさんとジンさんがゲストにやってきた。で、出演が終ってから談笑していると、その中で、彼らが元々スティーヴィーとかダニーとか、ファンクなどのソウルが大好きだという話になった。そこでまた一挙に話が盛り上がり始めたのだが、そのジンさん、なんとアースのコピーバンド、アース・ウインド&ファイターズを始めた人物だという。しかも、彼は同時にベッチンというヒップホップ系ソウルグループの一員としてもがんばっている、ということがわかった。いやあ、びっくりした。いろんなの掛け持ちしてるんですねえ。
その昔、アースの70年代そっくりのパフォーマンスを真似るバンドがいるといううわさをきいて、アース・フリークの友人と吉祥寺のスターパイン・カフェまではるばる見に行ったことがあった。それはそれは、徹底したコピーぶりに感嘆したものである。---と思ったのだが、よくよくうちに帰って調べると、99年6月6日のことで、しかも、なんと僕が見たのは同じくアースのコピーバンド、アース・ウィンド&ファイバーというバンドだった。昼間、ジンさんと話しているときは、ファイターズとファイバーをまったく混同していた。しかし、話は勢いついて、続いた。
ファイターズのほうは、なんとアルバムまで出していた。↓ ジャケット見てよ。
http://ewfs.cool.ne.jp/jin/fighters.html
橋本仁さんのウェッブ。
http://ewfs.cool.ne.jp/
そして、アース・ウィンド&ファイターズのウェッブ。
http://ewfs.cool.ne.jp/jin/index.html
ちょうど、僕は2-3日前、アースの昔の映像がDVD化されるので、そのライナーを書くために、何度も見ていたところだった。そこでいろいろアース話に花が咲いたのだが、ジンさんがこう告白した。「前はモーリス・ホワイト役を僕がやって、別にフィリップ・ベイリー役がいたんですけど、そのフィリップ役が今いなくてね。しょうがないから、僕が二人の役、いれかわりでやるんですよ」 その場で、ちょっとだけ、モーリスの歌とフィリップの歌の早変わりをやってくれた。歌舞伎なみの早さだ。(ウソ) だが、正真正銘の一人二役である。モーリスとフィリップの二人を一人でやるっていうその無謀さが笑える。
で、最近はどのあたりでライヴを? と尋ねると、高円寺のジロキチとか、とのお答え。「えええっ〜〜? でも、あそこめちゃくちゃ小さいでしょ、ステージも。みんなのれるんですか?」 「大丈夫ですよ、のれますよ。こんな、なって」と言いながら、両腕を体にぴったりくっつけ、直立不動の姿。受けた。すると、「いやあ、アースネタでこんなに受けてもらえるなんて、嬉しいなあ。じゃあ、モーリスホワイトの腰の動き、やってみます」と、言って、あのモーリスの腰の動きをその場でやってくれた! 「オオオオオッ〜〜」 オッシーとともに、バカ受けである。「すごいすごい」 拍手。「じゃあ、あの『レット・ザ・フィーリン・ショウ』のところの腕を前に出して、指さすやつは?」 「もちろん、できますよ!」と、軽く鼻歌歌いながら即やってくれました。いやあ、おもしろい。
彼らが3デイズなんかやる時など、1日だけはヒット曲はまったくやらずに、マニアックなこれは誰も知らないだろう、みたいな曲ばっかりでフルステージをするそうだ。初期の1-2枚目からの作品や、アルバムからのカットなどで選曲して。ほ〜〜〜、そんなこともやってたんですか。
「衣装とかは、どうしてたんですか」 「あ〜、あれはね、うちの奥さんの手作りなんですよ。でも、最近はもうメンバー全員分のはたいへんだって言って作ってくれなくて。僕の分しか作ってくれないんです。だから僕のだけは、どんどんきれいに新しいのになってくんですけど、みんなのはどんどんボロボロになっていったり、ある奴はジーパンにTシャツとかになっちゃってるんですよ」 おや〜〜。
スリー・ビックリーズなんかと一緒にステージやったらおもしろいんじゃないのだろうか。お笑いソウル・ショウ。仁さん、本名は「ひとし」というそうだが、誰もそうは呼ばない。大阪出身である。笑いのツボは押さえてる。う〜〜ん、なにか命名しましょうか。例えば〜〜〜「コメディー・ソウル」とか「コメディー・ファンク」。「お笑いソウル」とか「ギャグ・ソウル」なんていかが。「じゃあ、こんどゆっくりソウル談義しましょう」ということになった。
(Special thanks to Mr.Morishima for information)
今日「ソウル・ブレンズ」にサルサ・バンドのオルケスタ・デラルスのノラさんとジンさんがゲストにやってきた。で、出演が終ってから談笑していると、その中で、彼らが元々スティーヴィーとかダニーとか、ファンクなどのソウルが大好きだという話になった。そこでまた一挙に話が盛り上がり始めたのだが、そのジンさん、なんとアースのコピーバンド、アース・ウインド&ファイターズを始めた人物だという。しかも、彼は同時にベッチンというヒップホップ系ソウルグループの一員としてもがんばっている、ということがわかった。いやあ、びっくりした。いろんなの掛け持ちしてるんですねえ。
その昔、アースの70年代そっくりのパフォーマンスを真似るバンドがいるといううわさをきいて、アース・フリークの友人と吉祥寺のスターパイン・カフェまではるばる見に行ったことがあった。それはそれは、徹底したコピーぶりに感嘆したものである。---と思ったのだが、よくよくうちに帰って調べると、99年6月6日のことで、しかも、なんと僕が見たのは同じくアースのコピーバンド、アース・ウィンド&ファイバーというバンドだった。昼間、ジンさんと話しているときは、ファイターズとファイバーをまったく混同していた。しかし、話は勢いついて、続いた。
ファイターズのほうは、なんとアルバムまで出していた。↓ ジャケット見てよ。
http://ewfs.cool.ne.jp/jin/fighters.html
橋本仁さんのウェッブ。
http://ewfs.cool.ne.jp/
そして、アース・ウィンド&ファイターズのウェッブ。
http://ewfs.cool.ne.jp/jin/index.html
ちょうど、僕は2-3日前、アースの昔の映像がDVD化されるので、そのライナーを書くために、何度も見ていたところだった。そこでいろいろアース話に花が咲いたのだが、ジンさんがこう告白した。「前はモーリス・ホワイト役を僕がやって、別にフィリップ・ベイリー役がいたんですけど、そのフィリップ役が今いなくてね。しょうがないから、僕が二人の役、いれかわりでやるんですよ」 その場で、ちょっとだけ、モーリスの歌とフィリップの歌の早変わりをやってくれた。歌舞伎なみの早さだ。(ウソ) だが、正真正銘の一人二役である。モーリスとフィリップの二人を一人でやるっていうその無謀さが笑える。
で、最近はどのあたりでライヴを? と尋ねると、高円寺のジロキチとか、とのお答え。「えええっ〜〜? でも、あそこめちゃくちゃ小さいでしょ、ステージも。みんなのれるんですか?」 「大丈夫ですよ、のれますよ。こんな、なって」と言いながら、両腕を体にぴったりくっつけ、直立不動の姿。受けた。すると、「いやあ、アースネタでこんなに受けてもらえるなんて、嬉しいなあ。じゃあ、モーリスホワイトの腰の動き、やってみます」と、言って、あのモーリスの腰の動きをその場でやってくれた! 「オオオオオッ〜〜」 オッシーとともに、バカ受けである。「すごいすごい」 拍手。「じゃあ、あの『レット・ザ・フィーリン・ショウ』のところの腕を前に出して、指さすやつは?」 「もちろん、できますよ!」と、軽く鼻歌歌いながら即やってくれました。いやあ、おもしろい。
彼らが3デイズなんかやる時など、1日だけはヒット曲はまったくやらずに、マニアックなこれは誰も知らないだろう、みたいな曲ばっかりでフルステージをするそうだ。初期の1-2枚目からの作品や、アルバムからのカットなどで選曲して。ほ〜〜〜、そんなこともやってたんですか。
「衣装とかは、どうしてたんですか」 「あ〜、あれはね、うちの奥さんの手作りなんですよ。でも、最近はもうメンバー全員分のはたいへんだって言って作ってくれなくて。僕の分しか作ってくれないんです。だから僕のだけは、どんどんきれいに新しいのになってくんですけど、みんなのはどんどんボロボロになっていったり、ある奴はジーパンにTシャツとかになっちゃってるんですよ」 おや〜〜。
スリー・ビックリーズなんかと一緒にステージやったらおもしろいんじゃないのだろうか。お笑いソウル・ショウ。仁さん、本名は「ひとし」というそうだが、誰もそうは呼ばない。大阪出身である。笑いのツボは押さえてる。う〜〜ん、なにか命名しましょうか。例えば〜〜〜「コメディー・ソウル」とか「コメディー・ファンク」。「お笑いソウル」とか「ギャグ・ソウル」なんていかが。「じゃあ、こんどゆっくりソウル談義しましょう」ということになった。
(Special thanks to Mr.Morishima for information)
Questions To Tao: Lessons About Wadaiko
2004年8月22日講座。
タオのライヴが終った後、ロビーではCDやDVD、パンフレット、Tシャツなどが売られていた。また、海外の新聞にでた記事などもで展示されていて、そんなものをぶらぶら見ていると、メンバーたちがおりてきた。そこにいた人たちにちょっとした挨拶をして、「これからはおしゃべりタイムです」と言い、いろいろな人たちとの談笑が始まった。これはいい、とばかりにメンバーに声をかけた。
実はライヴを見ている最中、いろいろな疑問が浮かびあがっていて、それを紙にメモしていた。以下は疑問一覧表である。
+楽譜はあるのか。ある場合、アドリブはやるのか。アドリブ部分はあるのか。
+この太鼓を作るのは誰? どんな木を使うのか。どれくらいの期間かかるのか。大きいのはいくらくらいするのか。
+調律はどうするのだろうか。ピアノの調律師みたいのはいるのか。
+皮の張り替えは。
+新曲というか作曲はどうするのか。
近くにいた滝良平(たき・りょうへい)さんに聞いた。「楽譜はありますよ。太鼓でも音階がいくつかあるんです。五線譜ではないんですが、そこに音の高さが書いてあります。それと強さが書いてあります。だいたい十段階の強さを数字の1から10までで表しているんです」 アドリブはほとんどないという。曲を書くのは、それぞれがアイデアやテーマを持ち寄って、作り始め、そして一度メンバーに戻し、またそれぞれがやってきたことを集めて、作り上げていくという。なので、長くかかる曲は2ヶ月くらいかかるものもある。
「太鼓は、石川県にある浅野さんという太鼓作りの老舗の会社があって、そこはスポンサーにもなってくれているんですが、そこで作ってもらってます」 この会場に持ってきた一番大きな大太鼓(おおたいこ)と呼ばれる太鼓は、直径3尺8寸(約1.14メーター)。イギリスにひとまわり大きい4尺5寸(約1.35メートル)のものが行っている。ライヴが終った後、会場で近くによってじっくりと見たが、それはそれは立派なものだった。この元の木は、ブビンガというアフリカ産の木だという。本当は、昔のように日本のけやきやひのきで作るといいのだが、まずこれだけの大きさの木が見つからないこと、コストがものすごく高くなるために、日本の木で作るのは実質的にむずかしいそうだ。
直径1メートル以上の太鼓を作るためには、周りを削るので、最初はもっと太い木を探す。中をくりぬいて作る。だから樹齢も何百年という大木を探さなければならない。別の木と木をあわせたりはしない。胴が長いとやはりいい響きを生む。4尺5寸の大きいほうは、「平胴(ひらどう)」と呼んでいる。小さい太鼓は3週間くらいでできるが、大きいのは何ヶ月もかかる。3尺のほうでも500万円ちかくになるそうだ。4尺のほうはもっと高い。
調律ということはできないという。ネジで皮を締め付けているが、それを調整して音をいじるということはできない。また、太鼓は湿気が大敵。そこで湿度が高いときや、雨の時などは、皮のあたりを手やタオルなどでこすったり、時にはストーブで乾燥させて調整する。「今日はちょっと湿度があったせいか、予想以上に(音が)低くなっていましたね。あとで、調整します」と彼は言った。皮の張り替えは10年に一度くらい。太鼓自体は、半永久的に使えるという。
そこにもうひとり水藤義徳(すいとう・よしのり)さんが加わった。ふだんはどんな音楽を聴いているのですか、と尋ねると、「いろいろです。ロックも聴くし、最近では「フィール」でしたっけ、癒し系のオムニバスとかも」との返事。そこで、ひとしきり、ジャズドラマーなんかとセッションしてはどうか、という意見を言ってみた。
ところで、3尺とか4尺と言われてピンとこなかったのですね。で、帰って調べました。1尺は30.3センチ。そして、10寸が1尺ということで。
思わぬ和太鼓ミニ講座でした。ラッキ〜。
(2004年8月20日金・国際フォーラム・ホールD7=タオ(TAO)ライヴ)
タオのライヴが終った後、ロビーではCDやDVD、パンフレット、Tシャツなどが売られていた。また、海外の新聞にでた記事などもで展示されていて、そんなものをぶらぶら見ていると、メンバーたちがおりてきた。そこにいた人たちにちょっとした挨拶をして、「これからはおしゃべりタイムです」と言い、いろいろな人たちとの談笑が始まった。これはいい、とばかりにメンバーに声をかけた。
実はライヴを見ている最中、いろいろな疑問が浮かびあがっていて、それを紙にメモしていた。以下は疑問一覧表である。
+楽譜はあるのか。ある場合、アドリブはやるのか。アドリブ部分はあるのか。
+この太鼓を作るのは誰? どんな木を使うのか。どれくらいの期間かかるのか。大きいのはいくらくらいするのか。
+調律はどうするのだろうか。ピアノの調律師みたいのはいるのか。
+皮の張り替えは。
+新曲というか作曲はどうするのか。
近くにいた滝良平(たき・りょうへい)さんに聞いた。「楽譜はありますよ。太鼓でも音階がいくつかあるんです。五線譜ではないんですが、そこに音の高さが書いてあります。それと強さが書いてあります。だいたい十段階の強さを数字の1から10までで表しているんです」 アドリブはほとんどないという。曲を書くのは、それぞれがアイデアやテーマを持ち寄って、作り始め、そして一度メンバーに戻し、またそれぞれがやってきたことを集めて、作り上げていくという。なので、長くかかる曲は2ヶ月くらいかかるものもある。
「太鼓は、石川県にある浅野さんという太鼓作りの老舗の会社があって、そこはスポンサーにもなってくれているんですが、そこで作ってもらってます」 この会場に持ってきた一番大きな大太鼓(おおたいこ)と呼ばれる太鼓は、直径3尺8寸(約1.14メーター)。イギリスにひとまわり大きい4尺5寸(約1.35メートル)のものが行っている。ライヴが終った後、会場で近くによってじっくりと見たが、それはそれは立派なものだった。この元の木は、ブビンガというアフリカ産の木だという。本当は、昔のように日本のけやきやひのきで作るといいのだが、まずこれだけの大きさの木が見つからないこと、コストがものすごく高くなるために、日本の木で作るのは実質的にむずかしいそうだ。
直径1メートル以上の太鼓を作るためには、周りを削るので、最初はもっと太い木を探す。中をくりぬいて作る。だから樹齢も何百年という大木を探さなければならない。別の木と木をあわせたりはしない。胴が長いとやはりいい響きを生む。4尺5寸の大きいほうは、「平胴(ひらどう)」と呼んでいる。小さい太鼓は3週間くらいでできるが、大きいのは何ヶ月もかかる。3尺のほうでも500万円ちかくになるそうだ。4尺のほうはもっと高い。
調律ということはできないという。ネジで皮を締め付けているが、それを調整して音をいじるということはできない。また、太鼓は湿気が大敵。そこで湿度が高いときや、雨の時などは、皮のあたりを手やタオルなどでこすったり、時にはストーブで乾燥させて調整する。「今日はちょっと湿度があったせいか、予想以上に(音が)低くなっていましたね。あとで、調整します」と彼は言った。皮の張り替えは10年に一度くらい。太鼓自体は、半永久的に使えるという。
そこにもうひとり水藤義徳(すいとう・よしのり)さんが加わった。ふだんはどんな音楽を聴いているのですか、と尋ねると、「いろいろです。ロックも聴くし、最近では「フィール」でしたっけ、癒し系のオムニバスとかも」との返事。そこで、ひとしきり、ジャズドラマーなんかとセッションしてはどうか、という意見を言ってみた。
ところで、3尺とか4尺と言われてピンとこなかったのですね。で、帰って調べました。1尺は30.3センチ。そして、10寸が1尺ということで。
思わぬ和太鼓ミニ講座でした。ラッキ〜。
(2004年8月20日金・国際フォーラム・ホールD7=タオ(TAO)ライヴ)
サムライ。
舞台正面に5人の太鼓奏者が動いている。そして、舞台後方、観客席の後ろのほうに大太鼓と呼ばれる大きな太鼓。その間にはさまれて両方の音を聴いていると、まさにドラムの音に完璧に包み込まれる感じになる。九州大分を本拠に今や活動の地を日本だけでなく、海外にも伸ばさんとする和太鼓ユニット、タオ(TAO)の東京公演を初めて見た。まったく予備知識なしで見たが、かなり満足した。
国際フォーラムのD7という席数約300の会場は、竹林がレイアウトされ、マイナスイオンもいっぱいありそうな雰囲気。太鼓、ドラムなどは以前から大変興味のあるテーマでこの日記でもなんども取り上げているが、タオのライヴもそうした流れの中で語ってみたいパフォーマンスだった。(これまでのドラム関係の日記は下記を参照)
今回は、イギリス・エジンバラへ出張している部隊と二手に分かれて8名がここに参加。躍動感、リズム、日本音楽のグルーヴといったものが生み出されていた。かつて、深町純さんが「自分は日本の音楽をやりたい」と言っていたが、このタオの音楽などは、ある意味でまさに日本の音楽ではないだろうか。
和太鼓は、基本的にはメロディーを弾かない。笛が吹かれる作品が何曲かあるが、それでも、太鼓だけででてくる音圧は圧巻だ。ちょうど、前日見ていたアースのライヴDVDを思い出した。アースのドラムも、カリンバも、パーカッションも、音階はないが(もちろん、絶対音感的に正確に言えばあるが)飽きることがない。ものを叩くという行為が、音楽の原点であることを再び痛感させられる。そして、それが心地いい。
最後のMCにはいる前に演奏された曲「大祭」(だと思う)は、正面4つの太鼓を3人でクロスしながら叩く。しかも、ある程度の振り付けがあり、それぞれのプレイヤーが躍動的に踊る。後方の大太鼓との連係も見事だ。これは、モーリス・ホワイトや、マイケル・ジャクソン、そして、スティーヴィー・ワンダー(!)にも見せたい。ヴィジュアル面でも見せてくれた。和太鼓だけで、これだけのものを見せてくれると頼もしい。このパフォーマンスはちょっと鳥肌がたつほど興奮した。全体の和太鼓が並んだ瞬間など、最近の映画『ドラムライン』を思い出した。ここにもしブラックのグルーヴ感がはいっていたら、世界最強のリズムとでも言ってしまったかもしれない。(笑)
さて、以上は前ふりで・・・。課題は、和太鼓はグルーヴを生むことができるか。和太鼓自体のアップテンポの作品の響きは、日本グルーヴというものがあるように思える。ただそれと、僕たちがよく言うブラック・フィーリングのためのある、後ろのりの、ソウル、ジャズのグルーヴとはやはり違う。しかし、前述の「大祭」という曲は、どんどんリズムが昇華していって、それに近づいているかなとも思った。
僕は、このタオのドラムスは、これはこれでものすごく個性があっていいと思う。一方で、もっと違うリズムとのクロスオーヴァーが見たいと強く感じた。一番思ったのは、例えば、デニス・チェンバースやソニー・エモリー、あるいは、オマー・ハキムでもいい、そうしたジャズが叩ける強力なドラマーとのバトルがものすごく見たい。彼らの黒いグルーヴを、日本の若き獅子たちがどう解釈し、自分の体内にいれ、それを消化し、さらに昇華できるか、大変興味がある。
カルチャーとは、世界各地にある個性ある各カルチャーが混ざり合っていくことでどんどん進化し、おもしろいものができあがっていくと、僕は確信している。彼らのプリミティヴなものももちろん、ひとつキープしておきたいが、一方でどんどんさまざまなドラマーたちと融合し、遊び、ジャンルを超えてセッションをして欲しいと願う。和太鼓プレイヤーの若き獅子たちに、さらに貪欲なミュージシャンになっていって欲しいと思った。
おそらく、彼らがデニスやソニーやオマーなんかとセッションし、フリーフォームのインタープレイなどを経験したら、ものすごく刺激され、これまでにないすごいものが生まれるに違いない。ジャズやアフリカやブラジルやソウルなどのグルーヴ感のあるドラムを浴びるほど聴いて、そういうものにインスパイアーされ、新しいものを作って欲しい。デニスとのアドリブのドラムバトルなどが起こったら、興奮のるつぼまちがいなしだ。
彼らが和太鼓を激しく叩いている姿を見て、そこから醸し出される音と熱気をあびていると、サムライのソウルを感じた。世界各地のソウルと熱き戦いをして欲しい。
(ライヴは、国際フォーラムD’で土曜、日曜もあります)
タオ・公式サイト
http://www.drum-tao.com/
これまでのドラム関連の日記
2004/04/21 (Wed)
The Tugaru Live: Can Shamisen Make Groove?
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040421.html
2004/05/02 (Sun)
Movie "Drumline": Another Field Of Dreams
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040502-1.html
2004/03/22『ノイズ&ファンク』ライヴ評
Bring In ’Da Noise, Bring In ’Da Funk: Soul explosion!
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030322.html
2004/04/10 (Sat)
Sheila E Live @ Duo: Heartbeat From Ancient Times
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040410.html
2004/04/11 (Sun)
Sheila E Live: "River God" Makes Her Tears
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040411.html
(2004年8月20日金・国際フォーラム・ホールD7=タオ(TAO)ライヴ)
舞台正面に5人の太鼓奏者が動いている。そして、舞台後方、観客席の後ろのほうに大太鼓と呼ばれる大きな太鼓。その間にはさまれて両方の音を聴いていると、まさにドラムの音に完璧に包み込まれる感じになる。九州大分を本拠に今や活動の地を日本だけでなく、海外にも伸ばさんとする和太鼓ユニット、タオ(TAO)の東京公演を初めて見た。まったく予備知識なしで見たが、かなり満足した。
国際フォーラムのD7という席数約300の会場は、竹林がレイアウトされ、マイナスイオンもいっぱいありそうな雰囲気。太鼓、ドラムなどは以前から大変興味のあるテーマでこの日記でもなんども取り上げているが、タオのライヴもそうした流れの中で語ってみたいパフォーマンスだった。(これまでのドラム関係の日記は下記を参照)
今回は、イギリス・エジンバラへ出張している部隊と二手に分かれて8名がここに参加。躍動感、リズム、日本音楽のグルーヴといったものが生み出されていた。かつて、深町純さんが「自分は日本の音楽をやりたい」と言っていたが、このタオの音楽などは、ある意味でまさに日本の音楽ではないだろうか。
和太鼓は、基本的にはメロディーを弾かない。笛が吹かれる作品が何曲かあるが、それでも、太鼓だけででてくる音圧は圧巻だ。ちょうど、前日見ていたアースのライヴDVDを思い出した。アースのドラムも、カリンバも、パーカッションも、音階はないが(もちろん、絶対音感的に正確に言えばあるが)飽きることがない。ものを叩くという行為が、音楽の原点であることを再び痛感させられる。そして、それが心地いい。
最後のMCにはいる前に演奏された曲「大祭」(だと思う)は、正面4つの太鼓を3人でクロスしながら叩く。しかも、ある程度の振り付けがあり、それぞれのプレイヤーが躍動的に踊る。後方の大太鼓との連係も見事だ。これは、モーリス・ホワイトや、マイケル・ジャクソン、そして、スティーヴィー・ワンダー(!)にも見せたい。ヴィジュアル面でも見せてくれた。和太鼓だけで、これだけのものを見せてくれると頼もしい。このパフォーマンスはちょっと鳥肌がたつほど興奮した。全体の和太鼓が並んだ瞬間など、最近の映画『ドラムライン』を思い出した。ここにもしブラックのグルーヴ感がはいっていたら、世界最強のリズムとでも言ってしまったかもしれない。(笑)
さて、以上は前ふりで・・・。課題は、和太鼓はグルーヴを生むことができるか。和太鼓自体のアップテンポの作品の響きは、日本グルーヴというものがあるように思える。ただそれと、僕たちがよく言うブラック・フィーリングのためのある、後ろのりの、ソウル、ジャズのグルーヴとはやはり違う。しかし、前述の「大祭」という曲は、どんどんリズムが昇華していって、それに近づいているかなとも思った。
僕は、このタオのドラムスは、これはこれでものすごく個性があっていいと思う。一方で、もっと違うリズムとのクロスオーヴァーが見たいと強く感じた。一番思ったのは、例えば、デニス・チェンバースやソニー・エモリー、あるいは、オマー・ハキムでもいい、そうしたジャズが叩ける強力なドラマーとのバトルがものすごく見たい。彼らの黒いグルーヴを、日本の若き獅子たちがどう解釈し、自分の体内にいれ、それを消化し、さらに昇華できるか、大変興味がある。
カルチャーとは、世界各地にある個性ある各カルチャーが混ざり合っていくことでどんどん進化し、おもしろいものができあがっていくと、僕は確信している。彼らのプリミティヴなものももちろん、ひとつキープしておきたいが、一方でどんどんさまざまなドラマーたちと融合し、遊び、ジャンルを超えてセッションをして欲しいと願う。和太鼓プレイヤーの若き獅子たちに、さらに貪欲なミュージシャンになっていって欲しいと思った。
おそらく、彼らがデニスやソニーやオマーなんかとセッションし、フリーフォームのインタープレイなどを経験したら、ものすごく刺激され、これまでにないすごいものが生まれるに違いない。ジャズやアフリカやブラジルやソウルなどのグルーヴ感のあるドラムを浴びるほど聴いて、そういうものにインスパイアーされ、新しいものを作って欲しい。デニスとのアドリブのドラムバトルなどが起こったら、興奮のるつぼまちがいなしだ。
彼らが和太鼓を激しく叩いている姿を見て、そこから醸し出される音と熱気をあびていると、サムライのソウルを感じた。世界各地のソウルと熱き戦いをして欲しい。
(ライヴは、国際フォーラムD’で土曜、日曜もあります)
タオ・公式サイト
http://www.drum-tao.com/
これまでのドラム関連の日記
2004/04/21 (Wed)
The Tugaru Live: Can Shamisen Make Groove?
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040421.html
2004/05/02 (Sun)
Movie "Drumline": Another Field Of Dreams
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040502-1.html
2004/03/22『ノイズ&ファンク』ライヴ評
Bring In ’Da Noise, Bring In ’Da Funk: Soul explosion!
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030322.html
2004/04/10 (Sat)
Sheila E Live @ Duo: Heartbeat From Ancient Times
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040410.html
2004/04/11 (Sun)
Sheila E Live: "River God" Makes Her Tears
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040411.html
(2004年8月20日金・国際フォーラム・ホールD7=タオ(TAO)ライヴ)
The Movie "Maestro": Valued Archives
2004年8月20日資料的価値。
なるほど。ラリー・レヴァンが果たした功績というのは、計り知れないものがあるんですね。ニューヨークで80年代に大きな話題を集めたディスコ、パラダイス・ガレージのDJ,ラリー・レヴァンは、ハウス・ミュージックのブレイクに大きく寄与した人物。しかし、典型的なジャンキーで、つねにハイだった。彼は92年11月8日、38歳で亡くなる。38歳だったのか。ラリーを知る人たちの様々な証言が次々とでてくる。映画『マエストロ』だ。渋谷のシネマ・ソサエティーで毎日9時半から上映している。
このニューヨークのクラブカルチャーというのは、なかなかおもしろい。ひとりのDJが毎週末3000人の観客を躍らせ続けるというのだから、そのパワーは半端ではない。
80年代初期、正体不明の病気が流行り始めた。誰かがステージに立って、安全なセックスを訴えた。だが、誰もその話を聞いていなかった。仲間たちがどんどん死んでいく。「毎日会っていたような自分の友達が60人も死んでみろよ。どうなるか、って」とDJのひとりが言う。活況を呈していたクラブシーンにくさびを打ち込んだのが、エイズだったということが改めて浮き彫りになった。
映像の中には、キース・へリングが踊っているシーンがある。アップになってキースが映っているが、そのカメラが引いていくと、壁面にヘリングが描いた絵が映し出された。へリングも30代でエイズで死んでいる。
それぞれのコメントがヴィヴィッドで、当時のクラブシーンのことがなんとなく、そうだったのか、というふうにわかる。さすがに、当時のディスコの映像は少ないのだろう。それでも、ここではずいぶんと貴重な映像がはいっていた。
ドキュメンタリー作品としては、厳しいものがあるが、資料としては充分価値のあるものだ。なにしろ、現場の一次情報がふんだんに収められているのだ。こういう資料的価値があるものは、どんどんと紹介されるといい。
映画の前のドクターコヤマの、ラリーが来日したときの裏話などもおもしろかった。
http://www.nowonmedia.com/MAESTRO/
なるほど。ラリー・レヴァンが果たした功績というのは、計り知れないものがあるんですね。ニューヨークで80年代に大きな話題を集めたディスコ、パラダイス・ガレージのDJ,ラリー・レヴァンは、ハウス・ミュージックのブレイクに大きく寄与した人物。しかし、典型的なジャンキーで、つねにハイだった。彼は92年11月8日、38歳で亡くなる。38歳だったのか。ラリーを知る人たちの様々な証言が次々とでてくる。映画『マエストロ』だ。渋谷のシネマ・ソサエティーで毎日9時半から上映している。
このニューヨークのクラブカルチャーというのは、なかなかおもしろい。ひとりのDJが毎週末3000人の観客を躍らせ続けるというのだから、そのパワーは半端ではない。
80年代初期、正体不明の病気が流行り始めた。誰かがステージに立って、安全なセックスを訴えた。だが、誰もその話を聞いていなかった。仲間たちがどんどん死んでいく。「毎日会っていたような自分の友達が60人も死んでみろよ。どうなるか、って」とDJのひとりが言う。活況を呈していたクラブシーンにくさびを打ち込んだのが、エイズだったということが改めて浮き彫りになった。
映像の中には、キース・へリングが踊っているシーンがある。アップになってキースが映っているが、そのカメラが引いていくと、壁面にヘリングが描いた絵が映し出された。へリングも30代でエイズで死んでいる。
それぞれのコメントがヴィヴィッドで、当時のクラブシーンのことがなんとなく、そうだったのか、というふうにわかる。さすがに、当時のディスコの映像は少ないのだろう。それでも、ここではずいぶんと貴重な映像がはいっていた。
ドキュメンタリー作品としては、厳しいものがあるが、資料としては充分価値のあるものだ。なにしろ、現場の一次情報がふんだんに収められているのだ。こういう資料的価値があるものは、どんどんと紹介されるといい。
映画の前のドクターコヤマの、ラリーが来日したときの裏話などもおもしろかった。
http://www.nowonmedia.com/MAESTRO/
Athens 2004 Olympics: The Gold Rush
2004年8月19日時差。
もう、オリンピック花盛り。ただでさえ夜更かしなのが、こんなものやられた日には、もっと夜更かしになる。とはいうものの、もともと6時間くらい一般人の生活と時差がある僕なんぞは、ギリシャとの6時間の時差がちょうど同じくらいだろうか。(笑)←あんまり笑えない。
オリンピック開始前に書こうと思っていたのですが、なんやかんやでアップが遅れましたが、仲間内でオリンピックメダル予想というのをやりまして。12日付けの僕の予想は、こんな感じ。
日本の金、10
日本の銀、9
日本の銅、5
計24個。
昨日までで金6、銀2、銅1で、今日これに北島の金などが加わって8-3-1かな。大会6日でこれは順調ですね。なんか、これを超えそうで、すごいな、日本勢。
この数の根拠は、実は元ネタがありまして。アメリカの雑誌、スポーツ・イラステレーテッド誌の詳細予想があり、その日本人関連の部分をちょっと見たのです。
http://sportsillustrated.cnn.com/2004/olympics/medal.picks/
ここに各種目ごとの同誌の予想があります。ほとんど全部かな。これはすごいね。男子体操の団体は、同誌は中国を金、日本を銀と予想していた。日本の金は感動した。
その米スポーツイラストレーテッドの予想は
日本の金、8
銀、12
銅、4
計24個。
ということなので、これに少しアレンジを加えて、上記の予想にしたわけです。だってねえ、北島を銀にしてるからね、同誌は。それから、谷亮子も。これは日本人としては、納得できないわけで。
ちなみに、前回シドニーの日本のメダル数は5−8−5(順に金銀銅)、アトランタは3−6−5、ヴァルセロナは3−8−11でした。最高は64年東京オリンピックで16−5−8。
今回は予想を上回るペースで、すごいですね。応援にも熱がはいります。
もう、オリンピック花盛り。ただでさえ夜更かしなのが、こんなものやられた日には、もっと夜更かしになる。とはいうものの、もともと6時間くらい一般人の生活と時差がある僕なんぞは、ギリシャとの6時間の時差がちょうど同じくらいだろうか。(笑)←あんまり笑えない。
オリンピック開始前に書こうと思っていたのですが、なんやかんやでアップが遅れましたが、仲間内でオリンピックメダル予想というのをやりまして。12日付けの僕の予想は、こんな感じ。
日本の金、10
日本の銀、9
日本の銅、5
計24個。
昨日までで金6、銀2、銅1で、今日これに北島の金などが加わって8-3-1かな。大会6日でこれは順調ですね。なんか、これを超えそうで、すごいな、日本勢。
この数の根拠は、実は元ネタがありまして。アメリカの雑誌、スポーツ・イラステレーテッド誌の詳細予想があり、その日本人関連の部分をちょっと見たのです。
http://sportsillustrated.cnn.com/2004/olympics/medal.picks/
ここに各種目ごとの同誌の予想があります。ほとんど全部かな。これはすごいね。男子体操の団体は、同誌は中国を金、日本を銀と予想していた。日本の金は感動した。
その米スポーツイラストレーテッドの予想は
日本の金、8
銀、12
銅、4
計24個。
ということなので、これに少しアレンジを加えて、上記の予想にしたわけです。だってねえ、北島を銀にしてるからね、同誌は。それから、谷亮子も。これは日本人としては、納得できないわけで。
ちなみに、前回シドニーの日本のメダル数は5−8−5(順に金銀銅)、アトランタは3−6−5、ヴァルセロナは3−8−11でした。最高は64年東京オリンピックで16−5−8。
今回は予想を上回るペースで、すごいですね。応援にも熱がはいります。
ハウス。
今年は音楽関係のドキュメンタリー映画が豊作だ。この映画のタイトルは『マエストロ』。テーマはニューヨークのクラブシーン、しかもハウスを生み出した伝説のDJ、ラリー・レヴァンをフィーチャーしたものだ。すでに7月31日から渋谷シネマソサエティーでレイトショウ公開されている。特に告知らしい告知がなかったので、知らなかった。
http://www.nowonmedia.com/MAESTRO/
明日19日(木)に、映画上映とともに、ニューヨーク・クラブ・シーンに詳しいドクター・コヤマのトークショウがあるというので、これは見逃せない。
たまたま2-3日前にこの映画の情報を知って、これは見に行こうと思っていた。そうしたら、まったく別件でニューヨークからやってきた友人と会うために待ち合わせ場所に行くと、そのドクター・コヤマがそこにいたのだ。なんという偶然。彼にこの映画についてきくと、いろいろと教えてくれた。
ニューヨーク・ハウスの重鎮と言えば、ディスコ「パラダイス・ガレージ」の伝説のDJ、ラリー・レヴァンだ。そのラリーはすでに故人となってしまったが、ラリーが来日した時にドクター・コヤマのとりはからいでインタヴューしたことがある。コヤマは、長くニューヨークにいて当地のクラブでDJをしていたこともあるので、そうしたDJらと知己がある。
映画を見たら、また感想文を書くことにする。ハウス、あるいはニューヨークのクラブシーンなどに興味がある方は、資料としても一度ごらんになられるといいと思う。
今年は音楽関係のドキュメンタリー映画が豊作だ。この映画のタイトルは『マエストロ』。テーマはニューヨークのクラブシーン、しかもハウスを生み出した伝説のDJ、ラリー・レヴァンをフィーチャーしたものだ。すでに7月31日から渋谷シネマソサエティーでレイトショウ公開されている。特に告知らしい告知がなかったので、知らなかった。
http://www.nowonmedia.com/MAESTRO/
明日19日(木)に、映画上映とともに、ニューヨーク・クラブ・シーンに詳しいドクター・コヤマのトークショウがあるというので、これは見逃せない。
たまたま2-3日前にこの映画の情報を知って、これは見に行こうと思っていた。そうしたら、まったく別件でニューヨークからやってきた友人と会うために待ち合わせ場所に行くと、そのドクター・コヤマがそこにいたのだ。なんという偶然。彼にこの映画についてきくと、いろいろと教えてくれた。
ニューヨーク・ハウスの重鎮と言えば、ディスコ「パラダイス・ガレージ」の伝説のDJ、ラリー・レヴァンだ。そのラリーはすでに故人となってしまったが、ラリーが来日した時にドクター・コヤマのとりはからいでインタヴューしたことがある。コヤマは、長くニューヨークにいて当地のクラブでDJをしていたこともあるので、そうしたDJらと知己がある。
映画を見たら、また感想文を書くことにする。ハウス、あるいはニューヨークのクラブシーンなどに興味がある方は、資料としても一度ごらんになられるといいと思う。
Hot Chucho Valdes Makes Hot Summer Night
2004年8月17日底力。
調べてみたら、このチューチョ・ヴァルデスは2000年4月17日と2001年7月23日に見ていた。以来およそ3年ぶりということになる。まだこの「ソウル・サーチン・ダイアリー」がなかったので、その時の模様は書いていない。やはり書いておかないと思い出せないなあ。ライヴは見たら書く。これを肝に銘じましょう。たしかおぼろげに激しいピアニストというのを覚えていたのだが・・・。激しいピアニストは他にもいるので。(笑)
はっきり言ってキューバ出身というだけで、心情的にはプラス5点くらいいく。チューチョは、ダイナミックなピアニスト。がんがん行くタイプだ。背も高ければ、体全体もでかい。指もかなり太そうだ。そして、これにドラムス、ギター、ベース、サックス、トランペット、コンガがはいる。フルバンドの編成だ。そして、最後の2曲だけチューチョの妹カチータのヴォーカルが加わる。彼女が歌った「ベサメ・ムーチョ」は、いかにも日本人受けする。
特にこのコンガ奏者のジョラルディーは、かなりのドライヴ感があって見事だった。コンガだけでなく、自分の頬を叩いて、パーカッシヴな音を作るシーンがあったが、それがなかなかコミカルでインパクトが強い。
熱帯夜にキューバの疾走感と湿度が高いグルーヴ感のあるサウンドは、ぴったしだ。今回、チューチョは彼のグループ、イラケレと一緒のステージに上ったことで、少しばかり遠慮がちだったのかもしれない。もうちょっとソロがあってもよかったかな。
ジャンルをしいて言えば、アフロ・キューバン・ジャズ。しかしこうした音楽力を持ったミュージシャンたちを次々と輩出するキューバという国は、本当に底力がある。
ブルーノートのウェッブ。
http://www.bluenote.co.jp/art/20040812.html
(2004年8月16日月曜セカンド、東京ブルーノート=チューチョ・ヴァルデス、イラケレ・ライヴ)
調べてみたら、このチューチョ・ヴァルデスは2000年4月17日と2001年7月23日に見ていた。以来およそ3年ぶりということになる。まだこの「ソウル・サーチン・ダイアリー」がなかったので、その時の模様は書いていない。やはり書いておかないと思い出せないなあ。ライヴは見たら書く。これを肝に銘じましょう。たしかおぼろげに激しいピアニストというのを覚えていたのだが・・・。激しいピアニストは他にもいるので。(笑)
はっきり言ってキューバ出身というだけで、心情的にはプラス5点くらいいく。チューチョは、ダイナミックなピアニスト。がんがん行くタイプだ。背も高ければ、体全体もでかい。指もかなり太そうだ。そして、これにドラムス、ギター、ベース、サックス、トランペット、コンガがはいる。フルバンドの編成だ。そして、最後の2曲だけチューチョの妹カチータのヴォーカルが加わる。彼女が歌った「ベサメ・ムーチョ」は、いかにも日本人受けする。
特にこのコンガ奏者のジョラルディーは、かなりのドライヴ感があって見事だった。コンガだけでなく、自分の頬を叩いて、パーカッシヴな音を作るシーンがあったが、それがなかなかコミカルでインパクトが強い。
熱帯夜にキューバの疾走感と湿度が高いグルーヴ感のあるサウンドは、ぴったしだ。今回、チューチョは彼のグループ、イラケレと一緒のステージに上ったことで、少しばかり遠慮がちだったのかもしれない。もうちょっとソロがあってもよかったかな。
ジャンルをしいて言えば、アフロ・キューバン・ジャズ。しかしこうした音楽力を持ったミュージシャンたちを次々と輩出するキューバという国は、本当に底力がある。
ブルーノートのウェッブ。
http://www.bluenote.co.jp/art/20040812.html
(2004年8月16日月曜セカンド、東京ブルーノート=チューチョ・ヴァルデス、イラケレ・ライヴ)
How To Write Anita Baker Piece
2004年8月16日原稿。
『ソウル・ブレンズ』が終わり、反省会なども終了し、無事解散。僕は眠くなったので、いったん自宅に戻り、テレビをつけたまま若干の作業をしていた。ソファに横になったら、そのままうとうとしてしまい、そこに電話。なんとオッシーから。そういえば、別れ際に「アニタ・ベイカーの原稿書かなきゃいけないんですけど、書いてください」と言われていた。おそらく、それって、僕が一週間前にだしたのと同じ締切の原稿ではないの? (笑) 「書けないんですよ〜〜」と泣きがはいっていたので、これこれしかじか、こういうふうに書けばとアドヴァイスしたのだが、その続きかと思った。
ところが、彼がいたところは中目黒のレコードショップ「ワンウエイ」。そこで、またオッシー、バカ買いしてたのだが、その店長中村さんと話をしていたところ、どうやら僕の話をだしたらしい。中村さんは僕も20年以上前から存じ上げている。僕が20年以上前に書いたニューヨークのラジオ界の記事をお褒めいただき、そこからニューヨークサウンドの話にひろがっていて、オッシーが電話してきて、「はやく、来てください」と言う。僕は人がいいので、やることはいろいろあったが、中目黒にスクランブル発進した。
20分もしないで到着すると、二人が入口のところで立ち話をしている。オッシーは8時前にやってきて、すでに2時間以上、ここで話をしていたという。で、こんどは3人でまた、ひたすらいろんな話になる。昔のディスコの話、70年代の輸入盤業界の話、最近のニューヨークのDJ話、ミックステープの話などなど、話が尽きない。その間、ずっと立ち話である。
一番驚いたのは、ヴィデオを使ったミックスDVDである。音だけのミックステープではなく、プロモヴィデオなどを縦横無尽に編集し、音をあわせたミックス映像作品だ。もはや、こんなことができるのか。こうしたものに対するクリエイティヴな力には、本当に感服させられる。機材が発展し、それを使いこなす人間がでてくると、ほんとにまったく予期出来ないものもできてくる。このあたりについては、いずれもっと勉強して書いてみたい。
結局、店を出たのは1時過ぎだ。営業は12時までなので、以後は看板を下ろしての話になった。オッシーは都合5時間以上、いたことになる。僕も3時間くらいいた計算だ。
そして、その後アニタ・ベイカーの原稿の書き方アドヴァイスを近くのカフェでした。「初めてアニタのレコードを買った時のこと。初めて聴いた時のこと。そのときの情景や、風景、どんなところで、どのようにして聴いたか。オッシーは、『スイートラヴ』のアルバムを3-4枚買いなおしたと言っていたが、それはなぜか、とか。アニタのアルバムが出たのは86年だが、そのアルバムを買ったときに同時に買ったアルバムはなんだったか、とか。そういうことをうまく組み合わせて、自分の体験とアルバムを結びつけて書けばいいのよ」と熱弁をふるった。なんで、僕が熱弁しなければならないのか、よくわからないが。
「さすがに、今日はもう逃げられないなあ・・・」と彼はこぼしていた。明日までに原稿はできているだろうか。ふふふ。
『ソウル・ブレンズ』が終わり、反省会なども終了し、無事解散。僕は眠くなったので、いったん自宅に戻り、テレビをつけたまま若干の作業をしていた。ソファに横になったら、そのままうとうとしてしまい、そこに電話。なんとオッシーから。そういえば、別れ際に「アニタ・ベイカーの原稿書かなきゃいけないんですけど、書いてください」と言われていた。おそらく、それって、僕が一週間前にだしたのと同じ締切の原稿ではないの? (笑) 「書けないんですよ〜〜」と泣きがはいっていたので、これこれしかじか、こういうふうに書けばとアドヴァイスしたのだが、その続きかと思った。
ところが、彼がいたところは中目黒のレコードショップ「ワンウエイ」。そこで、またオッシー、バカ買いしてたのだが、その店長中村さんと話をしていたところ、どうやら僕の話をだしたらしい。中村さんは僕も20年以上前から存じ上げている。僕が20年以上前に書いたニューヨークのラジオ界の記事をお褒めいただき、そこからニューヨークサウンドの話にひろがっていて、オッシーが電話してきて、「はやく、来てください」と言う。僕は人がいいので、やることはいろいろあったが、中目黒にスクランブル発進した。
20分もしないで到着すると、二人が入口のところで立ち話をしている。オッシーは8時前にやってきて、すでに2時間以上、ここで話をしていたという。で、こんどは3人でまた、ひたすらいろんな話になる。昔のディスコの話、70年代の輸入盤業界の話、最近のニューヨークのDJ話、ミックステープの話などなど、話が尽きない。その間、ずっと立ち話である。
一番驚いたのは、ヴィデオを使ったミックスDVDである。音だけのミックステープではなく、プロモヴィデオなどを縦横無尽に編集し、音をあわせたミックス映像作品だ。もはや、こんなことができるのか。こうしたものに対するクリエイティヴな力には、本当に感服させられる。機材が発展し、それを使いこなす人間がでてくると、ほんとにまったく予期出来ないものもできてくる。このあたりについては、いずれもっと勉強して書いてみたい。
結局、店を出たのは1時過ぎだ。営業は12時までなので、以後は看板を下ろしての話になった。オッシーは都合5時間以上、いたことになる。僕も3時間くらいいた計算だ。
そして、その後アニタ・ベイカーの原稿の書き方アドヴァイスを近くのカフェでした。「初めてアニタのレコードを買った時のこと。初めて聴いた時のこと。そのときの情景や、風景、どんなところで、どのようにして聴いたか。オッシーは、『スイートラヴ』のアルバムを3-4枚買いなおしたと言っていたが、それはなぜか、とか。アニタのアルバムが出たのは86年だが、そのアルバムを買ったときに同時に買ったアルバムはなんだったか、とか。そういうことをうまく組み合わせて、自分の体験とアルバムを結びつけて書けばいいのよ」と熱弁をふるった。なんで、僕が熱弁しなければならないのか、よくわからないが。
「さすがに、今日はもう逃げられないなあ・・・」と彼はこぼしていた。明日までに原稿はできているだろうか。ふふふ。
対峙。
木下航志くんのライヴは1時間ちょっとだったが、邦楽洋楽とりまぜていろいろな曲を歌った。まだまだ試行錯誤の段階で、どういう曲が彼に本当にあうのか、どういう曲はあわないのか、未知数だが、それでも僕は個人的にはダニー・ハザウェイの3曲は「向いているなあ」と思ってしまう。それは僕がダニーなどのソウル系の音楽が好きだからという前提がある。だが、昨日のライヴを見に来たほとんどの人たちは、きっとダニー・ハザウェイなどのことを知る由もないだろう。逆に美空ひばりの曲のほうが受けるに違いない。このあたりのバランスの取り方がひじょうにむずかしい。
僕は、彼がこんご10年、20年とやっていく中で、まずはミュージシャン、アーティストとしてしっかりと地に足のついたことをやってほしい。だからいい楽曲を歌い、ヒット曲をだし、音楽で観客を集めて欲しい。
僕自身も「盲目の10代の少年」ということで彼を知ってしまったが、すぐにその音楽的許容量の広さに驚かされた。正直、今は「盲目の10代の少年」という事実が一人歩きして、彼の人気がブレイクしている。名が先にでてしまっていて、実がまだまだついてこない。
スティーヴィーが出始めたときも、モータウン社長ベリー・ゴーディーやスタッフはどうやって彼を売り出していいのかわからなかった。12歳の天才を売り出すために考えられたのは、1)先に盲目の天才シンガーとして人気を集めていたレイ・チャールズの名前を使うこと。その結果録音されたのが『トリビュート・トゥ・レイ・チャールズ』、2)ジャズスタンダードなどを歌うアルバム、当時モータウンはその手のアルバムをよくだした、3)そして、評判がよかった彼のライヴアルバムを作るというアイデアなどだ。いろいろ試行錯誤していたわけだ。結局、そのライヴの魅力が彼を大ブレイクさせることになる。
ライヴは、彼がライヴをやって観客を熱狂させていたので、その熱狂振りを録音してみようというあたりから始まった。すでにリトル・スティーヴィーは、彼の音楽で観客を熱狂させていた、という点が大きい。それは彼が盲目であるという以前に、ミュージシャンとしてすごい、歌がうまい、音楽の才能がある、そして、それを観客が充分に受け入れ、その音楽に反応しているということである。
リトル・コーシの場合、今のところ残念ながらそういう出方をしていない。テレビでドキュメンタリーが放送され、それで一挙に「彼の」人気に火がついているのだ。だから「彼の音楽」を聴きに来る人ももちろんいるだろうが、それ以上に「彼・本人」に会いに、彼を「見に」来る人が圧倒的だ。まだ、もの珍しさが先行しているのかもしれない。もちろん、最終的に彼の「人気」があがることは、CDの売り上げにつながるのだからいいのだろうが、一番の土台を固めておかないと足元をすくわれることになる。
だから、これは僕の勝手な意見に映るかもしれないが、例えば「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」のイントロのウォーリッツァーが響いた瞬間に「キャー」とか「オオッ」と叫ぶような観客の前で彼に歌わせてみたい。ミュージシャンはそうした観客の反応で、どんどん成長し、よくなっていくのである。
彼の音楽だけをなんらかの形で聞かせ、その他の付帯情報なしで興味を持った人たちだけを集めたライヴなんかをやってみたら、どうなるだろうか。実験としてはおもしろい。
リトル・コーシはたくさんのいい音楽を聴いて、吸収し、どんどんとミュージシャンとしての才能を開花させようとしている。それに対峙するには、僕たち観客側もたくさんの音楽を聴いて、聴く才能を磨いていかないといけないのだ。
ライヴ会場で素晴らしい奇跡のようなことが起こるのは、音楽をやる才能がずば抜けた人と、音楽を聴く才能がある観客が、出会い、スパークした瞬間である。もちろん将来、彼のライヴでそういうことが起こると僕は信じている。
(2004年8月13日金、下北沢440[フォーフォーティ]=木下航志ライヴ)
木下航志くんのライヴは1時間ちょっとだったが、邦楽洋楽とりまぜていろいろな曲を歌った。まだまだ試行錯誤の段階で、どういう曲が彼に本当にあうのか、どういう曲はあわないのか、未知数だが、それでも僕は個人的にはダニー・ハザウェイの3曲は「向いているなあ」と思ってしまう。それは僕がダニーなどのソウル系の音楽が好きだからという前提がある。だが、昨日のライヴを見に来たほとんどの人たちは、きっとダニー・ハザウェイなどのことを知る由もないだろう。逆に美空ひばりの曲のほうが受けるに違いない。このあたりのバランスの取り方がひじょうにむずかしい。
僕は、彼がこんご10年、20年とやっていく中で、まずはミュージシャン、アーティストとしてしっかりと地に足のついたことをやってほしい。だからいい楽曲を歌い、ヒット曲をだし、音楽で観客を集めて欲しい。
僕自身も「盲目の10代の少年」ということで彼を知ってしまったが、すぐにその音楽的許容量の広さに驚かされた。正直、今は「盲目の10代の少年」という事実が一人歩きして、彼の人気がブレイクしている。名が先にでてしまっていて、実がまだまだついてこない。
スティーヴィーが出始めたときも、モータウン社長ベリー・ゴーディーやスタッフはどうやって彼を売り出していいのかわからなかった。12歳の天才を売り出すために考えられたのは、1)先に盲目の天才シンガーとして人気を集めていたレイ・チャールズの名前を使うこと。その結果録音されたのが『トリビュート・トゥ・レイ・チャールズ』、2)ジャズスタンダードなどを歌うアルバム、当時モータウンはその手のアルバムをよくだした、3)そして、評判がよかった彼のライヴアルバムを作るというアイデアなどだ。いろいろ試行錯誤していたわけだ。結局、そのライヴの魅力が彼を大ブレイクさせることになる。
ライヴは、彼がライヴをやって観客を熱狂させていたので、その熱狂振りを録音してみようというあたりから始まった。すでにリトル・スティーヴィーは、彼の音楽で観客を熱狂させていた、という点が大きい。それは彼が盲目であるという以前に、ミュージシャンとしてすごい、歌がうまい、音楽の才能がある、そして、それを観客が充分に受け入れ、その音楽に反応しているということである。
リトル・コーシの場合、今のところ残念ながらそういう出方をしていない。テレビでドキュメンタリーが放送され、それで一挙に「彼の」人気に火がついているのだ。だから「彼の音楽」を聴きに来る人ももちろんいるだろうが、それ以上に「彼・本人」に会いに、彼を「見に」来る人が圧倒的だ。まだ、もの珍しさが先行しているのかもしれない。もちろん、最終的に彼の「人気」があがることは、CDの売り上げにつながるのだからいいのだろうが、一番の土台を固めておかないと足元をすくわれることになる。
だから、これは僕の勝手な意見に映るかもしれないが、例えば「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」のイントロのウォーリッツァーが響いた瞬間に「キャー」とか「オオッ」と叫ぶような観客の前で彼に歌わせてみたい。ミュージシャンはそうした観客の反応で、どんどん成長し、よくなっていくのである。
彼の音楽だけをなんらかの形で聞かせ、その他の付帯情報なしで興味を持った人たちだけを集めたライヴなんかをやってみたら、どうなるだろうか。実験としてはおもしろい。
リトル・コーシはたくさんのいい音楽を聴いて、吸収し、どんどんとミュージシャンとしての才能を開花させようとしている。それに対峙するには、僕たち観客側もたくさんの音楽を聴いて、聴く才能を磨いていかないといけないのだ。
ライヴ会場で素晴らしい奇跡のようなことが起こるのは、音楽をやる才能がずば抜けた人と、音楽を聴く才能がある観客が、出会い、スパークした瞬間である。もちろん将来、彼のライヴでそういうことが起こると僕は信じている。
(2004年8月13日金、下北沢440[フォーフォーティ]=木下航志ライヴ)
Setlist
show started 20:46
1. 翼をください (赤い鳥)
2. 竹田の子守唄 (トラディショナル)
3. 恋しくて (オリジナル)
4. アメイジング・グレイス (トラディショナル)
5. ヴァルデス・イン・ザ・カントリー (ダニー・ハザウェイ)
6. ひまわり (福山雅治)
7. ジョージア・オン・マイ・マインド (レイ・チャールズ)
8. ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ (スティーヴィー・ワンダー)
9. フェリス (オリジナル)
10. イエスタデイ (ビートルズ、ダニー・ハザウェイ・ヴァージョン)
11. ユーブ・ガット・ア・フレンド (キャロル・キング、ダニー・ハザウェイ・ヴァージョン)
アンコール1. 川の流れのように (美空ひばり)
2. 愛燦燦 (美空ひばり)
3. (新曲) (オリジナル)
show ended 22:00
(2004年8月13日金、下北沢440[フォーフォーティ]=木下航志ライヴ)
show started 20:46
1. 翼をください (赤い鳥)
2. 竹田の子守唄 (トラディショナル)
3. 恋しくて (オリジナル)
4. アメイジング・グレイス (トラディショナル)
5. ヴァルデス・イン・ザ・カントリー (ダニー・ハザウェイ)
6. ひまわり (福山雅治)
7. ジョージア・オン・マイ・マインド (レイ・チャールズ)
8. ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ (スティーヴィー・ワンダー)
9. フェリス (オリジナル)
10. イエスタデイ (ビートルズ、ダニー・ハザウェイ・ヴァージョン)
11. ユーブ・ガット・ア・フレンド (キャロル・キング、ダニー・ハザウェイ・ヴァージョン)
アンコール1. 川の流れのように (美空ひばり)
2. 愛燦燦 (美空ひばり)
3. (新曲) (オリジナル)
show ended 22:00
(2004年8月13日金、下北沢440[フォーフォーティ]=木下航志ライヴ)
第一回。
「これから始まる出来事のひとつひとつ、自分にふりかかるだろう。けれども、君と歩むから、けして失望はさせないよ」と彼は歌った。
僕は失望しなかった。
本当は11日のライヴに行きたかったのだが、仕事の関係でどうしてもいけず、やっとの思いで13日、ライヴを見ることができた。開場6時半、開演7時半だというのに、下北沢近辺には6時すぎには到着し、ライヴハウスの前にできた列に並んだ。こんなにひとりのライヴをわくわくして待ったのは一体何年ぶりだろう。年に100本ライヴを見るとしても、数年に一度あるかないかだろうな。今夜の主人公は1989年5月8日生まれ、現在15歳の木下航志(きした・こうし)くん、リトル・コーシだ。
本日記でもまだ名前も知らぬ男の子との出会いを書き、http://diarynote.jp/d/32970/20031229.htmlそれが、テレビのドキュメンタリーの主人公http://diarynote.jp/d/32970/20040430.htmlだったことを知った。そして、ついにこの日、リトル・コーシの生のライヴを見ることができる。
しかしなかなか始まらない。前座二組が終わり、本人が登場したのは8時46分。2時間以上待った。
スタッフの人に手を引かれ、キーボードの前に座り、ヘッドセットをつけてもらう。スタッフの彼はさしずめ、スティーヴィーで言えばキース・ジョン役か。キーボード一本で赤い鳥の72年のヒット「翼をください」を歌った。テレビで聴いたあの声だ。確かに、彼の声は特徴がある。ひじょうに耳に残る。まず、この声だけで、合格点である。そして4曲目にCDにもなっている「アメイジング・グレイス」がきた! 彼の声はすでに声変わりを終っている。その声に聞き入ってしまう。
そして、バンドメンバー(ドラムス・後藤敏昭とベース・名村武)が参加しトリオになる。ちょっと話があり始まった曲が、が〜〜ん、「ヴァルデス・イン・ザ・カントリー」ときた。テレビでは「スラム」をやっていた。「ヴァルデス・・・」はインスト、ダニー・ハザウェイの作品。アルバムは『エクステンション・オブ・ア・マン(愛と自由を求めて)』。リトル・コーシは、ウォーリッツァーをプレイしている。
一曲(「ひまわり」)をはさんで、リトル・コーシはこう話した。「次はレイ・チャールズの曲ですが、彼は僕が殺しました。(笑) 彼、最近お亡くなりになってね・・・」 このあたりの話っぷりが、人を食ってておもしろい。ただし、この日彼の声が小さく、聞きづらかった。歌われた「ジョージア・オン・マイ・マインド」。この節回しねえ、驚くね。もちろん、コピーだと言えば、コピーなんだが、それが立派にリトル・コーシのものとして成り立っている。やはり音楽の吸収力の違いだろう。すぐにコピーから自分のものにしてしまう才能がある。リトル・コーシの声質は、スティーヴィーよりもむしろブラザー・レイのほうが近いかもしれない。しかし、ピアノ・タッチはかなりスティーヴィーっぽい。彼がフリーなピアノを弾いているとき、なんどスティーヴィーの曲が始まるのではないか、と思ったことか。スティーヴィーのピアノにブラザー・レイの声質ときたら、鬼に金棒である。
そして、そんなことを思っているとスティーヴィーの「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」がでてきた。レイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダー、ダニー・ハザウェイそして、リトル・コーシという流れがある。文字にするだけで恐るべき並びである。続いて歌われたのがCDにもなっている彼のオリジナル曲「フェリス」。これはCDより、ライヴのほうがよりラテン調になっていて、よかった。
そして、続いて紹介されたのが、ビートルズの「イエスタデイ」。と、と、ところが、これが、本日記でも何度も話題になっているついこの間でたばかりのダニー・ハザウェイの新作『ディーズ・ソングス・フォー・ユー、ライヴ』収録のヴァージョンの「イエスタデイ」なのだ。たしかに、ダニーをそっくりそのままなぞる。となりのソウルブラザーUが「ダニーですね。知らない人が聞いたら、このアレンジはびっくりしちゃいますよね」。「ほんとだねえ、じゃあ、次は『ユーヴ・ガット・ア・フレンド』かな」とぼく。そして、「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」でした。(笑) これはテレビで見たほうがよかった。
「昨日、かわいい子にこの帽子をもらいまして・・・」とリトル・コーシが言う。こんなセリフはスティーヴィーばりだ。かわいい子を、君はどうやって知る? (笑) オプラ・ウィンフリーがスティーヴィーに尋ねた質問がよみがえった。「スティーヴィー、あなたは、どうやってきれいな女性がわかるの?」
一応、これが最後でアンコールの拍手にうながされ、再登場。「大ぽかをやりまして、何曲か飛ばしてしまいました。(笑) そこで、アンコールを増量でやります(笑)。次の曲は、僕より年配の人に送ります」 すると、「みんな年配だよ」の声も。(笑) 確かに15歳より観客はみな上だっただろう。増量で歌われたのは、美空ひばりメドレーだった。「愛燦燦(あい・さんさん)」「川の流れのように」。
ライヴの完成度などはまだまだこれからだと思うが、ライヴを見て改めて確信したのは、彼の音楽の吸収度、理解度は相当ずば抜けている、ということ。そして、声が素晴らしい。歌ももっとヴォイストレーニングをして鍛えれば、どんどんよくなるはずだ。完成度なんていう言葉を今使ったが、まだ相手は15歳である。普通は学芸会のレヴェルだ。今後、どういう方向性に行くべきなのだろうか。彼はどこへ行くのだろう。周囲の誰もがその方向性を模索すると思う。慌てず、試行錯誤しつつ、いい道を選んでもらいたい。山積みの課題もひとつひとつクリアしていって欲しい。まちがいなくダイアモンドの原石だ。
しかし、彼の声に聞き入っている時に、僕の中には彼が何歳かなんてことは、これっぽちも思い浮かばないな。思い浮かぶことといえば、彼の声の中に、スティーヴィーがいて、レイ・チャールズがいて、ダニーもいるということだけだ。
「季節が移ると心の色、ひとつひとつが静かに変わっていくだろう。けれども変わらない何かがあると信じているんだよ。ここまで来たよと笑顔で迎えて欲しい」(アンコールで歌った「未完成」の一曲の一部)
リトル・コーシはきっと10年後も変わっていないだろうと僕は信じる。しかし、誰もが彼を知るまでになるだろう。そこまで行ったとき、もちろん人々は彼を笑顔で迎える。その時、彼はもはやリトル・コーシではなく、ミスター・キシタ・コーシになっている。
ライヴが終った後、ちょっとだけ楽屋をのぞいた。プロデューサーの永島氏に紹介されて握手した。「ダニー・ハザウェイは好きなの?」と尋ねた。「はい、好きですねえ」 「何かスポーツはしている?」 「いや、スポーツはしないですねえ」 「でも、これから将来、1時間だけじゃなくて、2時間以上のライヴやるには、体力つけないと」 「そうですねえ」 彼は首を軽く振りながら、ずっとにこにこしている。 彼の握手の手は柔らかく、ちょっとひんやりとしていた。これから彼のライヴを僕は何回見に行くことになるのだろう。今日から数えることにしよう。今日は記念すべきその第一回。
「これから始まる出来事のひとつひとつ、自分にふりかかるだろう。けれども、君と歩むから、けして失望はさせないよ」と彼は歌った。
僕は失望しなかった。
本当は11日のライヴに行きたかったのだが、仕事の関係でどうしてもいけず、やっとの思いで13日、ライヴを見ることができた。開場6時半、開演7時半だというのに、下北沢近辺には6時すぎには到着し、ライヴハウスの前にできた列に並んだ。こんなにひとりのライヴをわくわくして待ったのは一体何年ぶりだろう。年に100本ライヴを見るとしても、数年に一度あるかないかだろうな。今夜の主人公は1989年5月8日生まれ、現在15歳の木下航志(きした・こうし)くん、リトル・コーシだ。
本日記でもまだ名前も知らぬ男の子との出会いを書き、http://diarynote.jp/d/32970/20031229.htmlそれが、テレビのドキュメンタリーの主人公http://diarynote.jp/d/32970/20040430.htmlだったことを知った。そして、ついにこの日、リトル・コーシの生のライヴを見ることができる。
しかしなかなか始まらない。前座二組が終わり、本人が登場したのは8時46分。2時間以上待った。
スタッフの人に手を引かれ、キーボードの前に座り、ヘッドセットをつけてもらう。スタッフの彼はさしずめ、スティーヴィーで言えばキース・ジョン役か。キーボード一本で赤い鳥の72年のヒット「翼をください」を歌った。テレビで聴いたあの声だ。確かに、彼の声は特徴がある。ひじょうに耳に残る。まず、この声だけで、合格点である。そして4曲目にCDにもなっている「アメイジング・グレイス」がきた! 彼の声はすでに声変わりを終っている。その声に聞き入ってしまう。
そして、バンドメンバー(ドラムス・後藤敏昭とベース・名村武)が参加しトリオになる。ちょっと話があり始まった曲が、が〜〜ん、「ヴァルデス・イン・ザ・カントリー」ときた。テレビでは「スラム」をやっていた。「ヴァルデス・・・」はインスト、ダニー・ハザウェイの作品。アルバムは『エクステンション・オブ・ア・マン(愛と自由を求めて)』。リトル・コーシは、ウォーリッツァーをプレイしている。
一曲(「ひまわり」)をはさんで、リトル・コーシはこう話した。「次はレイ・チャールズの曲ですが、彼は僕が殺しました。(笑) 彼、最近お亡くなりになってね・・・」 このあたりの話っぷりが、人を食ってておもしろい。ただし、この日彼の声が小さく、聞きづらかった。歌われた「ジョージア・オン・マイ・マインド」。この節回しねえ、驚くね。もちろん、コピーだと言えば、コピーなんだが、それが立派にリトル・コーシのものとして成り立っている。やはり音楽の吸収力の違いだろう。すぐにコピーから自分のものにしてしまう才能がある。リトル・コーシの声質は、スティーヴィーよりもむしろブラザー・レイのほうが近いかもしれない。しかし、ピアノ・タッチはかなりスティーヴィーっぽい。彼がフリーなピアノを弾いているとき、なんどスティーヴィーの曲が始まるのではないか、と思ったことか。スティーヴィーのピアノにブラザー・レイの声質ときたら、鬼に金棒である。
そして、そんなことを思っているとスティーヴィーの「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」がでてきた。レイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダー、ダニー・ハザウェイそして、リトル・コーシという流れがある。文字にするだけで恐るべき並びである。続いて歌われたのがCDにもなっている彼のオリジナル曲「フェリス」。これはCDより、ライヴのほうがよりラテン調になっていて、よかった。
そして、続いて紹介されたのが、ビートルズの「イエスタデイ」。と、と、ところが、これが、本日記でも何度も話題になっているついこの間でたばかりのダニー・ハザウェイの新作『ディーズ・ソングス・フォー・ユー、ライヴ』収録のヴァージョンの「イエスタデイ」なのだ。たしかに、ダニーをそっくりそのままなぞる。となりのソウルブラザーUが「ダニーですね。知らない人が聞いたら、このアレンジはびっくりしちゃいますよね」。「ほんとだねえ、じゃあ、次は『ユーヴ・ガット・ア・フレンド』かな」とぼく。そして、「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」でした。(笑) これはテレビで見たほうがよかった。
「昨日、かわいい子にこの帽子をもらいまして・・・」とリトル・コーシが言う。こんなセリフはスティーヴィーばりだ。かわいい子を、君はどうやって知る? (笑) オプラ・ウィンフリーがスティーヴィーに尋ねた質問がよみがえった。「スティーヴィー、あなたは、どうやってきれいな女性がわかるの?」
一応、これが最後でアンコールの拍手にうながされ、再登場。「大ぽかをやりまして、何曲か飛ばしてしまいました。(笑) そこで、アンコールを増量でやります(笑)。次の曲は、僕より年配の人に送ります」 すると、「みんな年配だよ」の声も。(笑) 確かに15歳より観客はみな上だっただろう。増量で歌われたのは、美空ひばりメドレーだった。「愛燦燦(あい・さんさん)」「川の流れのように」。
ライヴの完成度などはまだまだこれからだと思うが、ライヴを見て改めて確信したのは、彼の音楽の吸収度、理解度は相当ずば抜けている、ということ。そして、声が素晴らしい。歌ももっとヴォイストレーニングをして鍛えれば、どんどんよくなるはずだ。完成度なんていう言葉を今使ったが、まだ相手は15歳である。普通は学芸会のレヴェルだ。今後、どういう方向性に行くべきなのだろうか。彼はどこへ行くのだろう。周囲の誰もがその方向性を模索すると思う。慌てず、試行錯誤しつつ、いい道を選んでもらいたい。山積みの課題もひとつひとつクリアしていって欲しい。まちがいなくダイアモンドの原石だ。
しかし、彼の声に聞き入っている時に、僕の中には彼が何歳かなんてことは、これっぽちも思い浮かばないな。思い浮かぶことといえば、彼の声の中に、スティーヴィーがいて、レイ・チャールズがいて、ダニーもいるということだけだ。
「季節が移ると心の色、ひとつひとつが静かに変わっていくだろう。けれども変わらない何かがあると信じているんだよ。ここまで来たよと笑顔で迎えて欲しい」(アンコールで歌った「未完成」の一曲の一部)
リトル・コーシはきっと10年後も変わっていないだろうと僕は信じる。しかし、誰もが彼を知るまでになるだろう。そこまで行ったとき、もちろん人々は彼を笑顔で迎える。その時、彼はもはやリトル・コーシではなく、ミスター・キシタ・コーシになっている。
ライヴが終った後、ちょっとだけ楽屋をのぞいた。プロデューサーの永島氏に紹介されて握手した。「ダニー・ハザウェイは好きなの?」と尋ねた。「はい、好きですねえ」 「何かスポーツはしている?」 「いや、スポーツはしないですねえ」 「でも、これから将来、1時間だけじゃなくて、2時間以上のライヴやるには、体力つけないと」 「そうですねえ」 彼は首を軽く振りながら、ずっとにこにこしている。 彼の握手の手は柔らかく、ちょっとひんやりとしていた。これから彼のライヴを僕は何回見に行くことになるのだろう。今日から数えることにしよう。今日は記念すべきその第一回。
巨木。
新宿方面に用事があったので、これはということで、大久保のストーンに寄ろうかと思った。そこで、ソウルバーのプロ、高畠氏に電話。すると目白にいるので待ち合わせることになった。しばらくして、電話がかかってくると、なんとストーンは今日からお盆休みということで、扉は閉ざされていた、という。では、3丁目近辺に急遽、場所変更。
まだ僕が行ったことがないバオバブに行くことに決定。車の針路を変え3丁目に。なかなか駐車場が空いていなかったが、ちょうど店のま隣の駐車場が空いていてとめた。
バオバブは、アフリカに生えている樹齢4000年になるものさえある巨木。大きなバオバブの木の下に人が集い、物事を決め、宴が始まるという。店内はちょっとアフリカ風の内装だが、基本的にはソウルバー。もちろん、アフリカ的な音楽も時にはかかる。約20席とカウンター10席くらい。アナログプレイヤー2台、CDプレイヤーも2台ある。ちょうどこのときは、アースやジョーなどがかかっていた。リクエストもOK。年中無休で休むのは正月くらい。食べ物がけっこういろいろある。
バオバブがオープンしたのは、2000年11月24日。今年で4周年を向かえる。木作りのテーブル、カウンターなどのためか、なんとなく落ち着く感じ。いい店だ。
ちょうどこの店の向かいにソウルジョイントがある。高畠さんは、よくはしごするそうだ。「なんたって、階段降りて、上がるだけですから」
バオバブのウェッブ
http://www1.odn.ne.jp/~baobab/
バー・バオバブ
Bar Bao Bab
新宿区新宿3-10-7 馬酔木ビル2F
TEL 03-5368-0636
営業時間
平日PM7:00〜AM5:00
日曜PM6:00 〜AM0:00
ドリンク600円〜
新宿方面に用事があったので、これはということで、大久保のストーンに寄ろうかと思った。そこで、ソウルバーのプロ、高畠氏に電話。すると目白にいるので待ち合わせることになった。しばらくして、電話がかかってくると、なんとストーンは今日からお盆休みということで、扉は閉ざされていた、という。では、3丁目近辺に急遽、場所変更。
まだ僕が行ったことがないバオバブに行くことに決定。車の針路を変え3丁目に。なかなか駐車場が空いていなかったが、ちょうど店のま隣の駐車場が空いていてとめた。
バオバブは、アフリカに生えている樹齢4000年になるものさえある巨木。大きなバオバブの木の下に人が集い、物事を決め、宴が始まるという。店内はちょっとアフリカ風の内装だが、基本的にはソウルバー。もちろん、アフリカ的な音楽も時にはかかる。約20席とカウンター10席くらい。アナログプレイヤー2台、CDプレイヤーも2台ある。ちょうどこのときは、アースやジョーなどがかかっていた。リクエストもOK。年中無休で休むのは正月くらい。食べ物がけっこういろいろある。
バオバブがオープンしたのは、2000年11月24日。今年で4周年を向かえる。木作りのテーブル、カウンターなどのためか、なんとなく落ち着く感じ。いい店だ。
ちょうどこの店の向かいにソウルジョイントがある。高畠さんは、よくはしごするそうだ。「なんたって、階段降りて、上がるだけですから」
バオバブのウェッブ
http://www1.odn.ne.jp/~baobab/
バー・バオバブ
Bar Bao Bab
新宿区新宿3-10-7 馬酔木ビル2F
TEL 03-5368-0636
営業時間
平日PM7:00〜AM5:00
日曜PM6:00 〜AM0:00
ドリンク600円〜