来日。
この秋から冬にかけて続々とブラック系のアーティストが来日する。ひとまとめにした。
ジョス・ストーンの初来日、現在もっとも注目されるプロデューサー、カニエ・ウエストの初来日も決まった。この他に、ジョージ・クリントンを含むPファンクアーティスト、ガイなどの来日も決まっている。
【ジョス・ストーンJoss Stone】
2005/1/6(木)19:00 大阪 なんばHatch 6,800YEN (adv.)
2005/1/7(金)19:00 愛知 Club Diamond Hall 6,800YEN (adv.)
2005/1/10(月・祝)19:00 東京 SHIBUYA-AX
2005/1/11(火)19:00 東京 SHIBUYA-AX
(1F:Standing/ 2F: Reserved Seat) 6,800YEN (adv.)
先行予約 10.13 (wed)10:00-10.14 (thu)23:00
問い合わせ先 スマッシュ 03-3444-6751
【ベイビーフェイス BABYFACE with Band 】
2004年11月9日(火)19:30 ZEPP TOKYO
2004年11月10日(水)19:30 ZEPP TOKYO
料金 前売り:1F S席¥12,000 ・ 1F A席¥10,000 ・ 2F席¥12,000
(各公演1000席限定 ・全指定席)
問い合わせ ポジティブプロダクション045-505-0010 10:00am〜7:00pm (月〜金)
【カニエ・ウエスト Kanye West】
2004年12月2日(木)19:00 studio coast
席種・料金 スタンディング \7,500 ドリンク代別
10/16(土)より各プレイガイドにて発売。
問い合わせ スリーベース(03-5464-9099)
【Dトゥエルヴ D12 】
12/2(木) 福岡:ZEPP FUKUOKA 【問】キョードー西日本 092-714-0159
12/3(土) 大阪:ZEPP OSAKA 【問】キョードー大阪 06-6233-8888
12/6(月) 名古屋:ダイヤモンド・ホール 【問】SMCプラザ 052-265-2666
12/7(火) 東京:ZEPP TOKYO 【問】クリエイティブマン 03-5466-0777
12/8(水) 東京:ZEPP TOKYO 【問】クリエイティブマン 03-5466-0777
なお、エミネムは来日しない。
[問い合わせ] クリエイティブマン 03-5466-0777
【ガイ GUY with Band】,その他DJ(未定)
2004年12月18日(土)Live & All Night Party
YOKOHAMA BAY HALL OPEN 8:00pm- START 10:00pm
2004年12月19日(日)Live のみ
YOKOHAMA BAY HALL OPEN 7:00pm- START 8:30pm-12:00am
料金 前売り:立見¥7,000 指定席¥10,000(100席限定)
※入場時ドリンクチケット(¥500・1D)が必要
問い合わせ ポジティブプロダクション TEL:045-505-0010
【Get Crunk with The New Millenium Funk Tour】
2004年11月1日(月) Zepp Tokyo開場:6:30PM 開演:7:00PM
2004年11月2日(火) Zepp Tokyo開場:6:30PM 開演:7:00PM
料金: 指定・8500 立見・7500
[出演]オリジナル‘P’ファンク/ザップ/ザ・フィフス・エレメント [ゲスト]ジョージ・クリントン
問合せ先:[キョードー東京]03-3498-9999
【アリシア・キーズ Alicia Keys】
2004年10月17日(日) 東京ベイN.K.ホール 開場:5:00PM 開演:6:00PM
全席指定・8500
問合せ先:[ザックコーポレーション]03-5474-9999
2004年10月18日(月) 東京国際フォーラム ホールA 開場:6:00PM 開演:7:00PM
全席指定・8500
問合せ先:[ザックコーポレーション]03-5474-9999
2004年10月15日(金) 大阪フェスティバルホール 開場:6:15PM 開演:7:00PM
全席指定・8500
問合せ先:[フェスティバルホール]06-6231-2221
2004年10月15日(金) フェスティバルホール 開場:6:15PM開演:7:00PM
全席指定・8500 立見・8000 <立見のみ>
問合せ先:[フェスティバルホール]06-6231-2221
2004年10月19日(火) Zepp Fukuoka 開場:6:00PM開演:7:00PM
*1ドリンクオーダー *1F=整理番号付
ブロック指定・8500 2F指定・8500
1Fスタンディング(要1ドリンクオーダー/整理番号付(ブロック指定)), 2F指定(要1ドリンクオーダー)
問合せ先:[B.I.C.]092-713-6085
【ナチュラリー7 Naturally 7】
2004年12月6日(月) 渋谷アックス(AX)
指定席7500円、スタンディング6000円(整理番号つき) 当日券は各500円アップ。(ステージ前と2階に指定席を設定。1階後方をスタンディングにする)
チケット発売日 10月23日(土)
2004年12月7日(火) 心斎橋クラブクアトロ
2004年12月8日(水) 広島クラブクアトロ
問い合わせ カンバセーション 03−5280−9996
【デニス・ラサールDenis LaSalle】
2004年12月18日(土)〜20日(月)
18日19日:開場5時半/ 開演7時
20日:開場6時/ 開演7時半
Price:\7,875( Advanced seat, include Tax) 前売・当日共
会場クラブ・イクスピアリ(JR舞浜駅直結モール「イクスピアリ」4階
お問合せ:047-305-5700 /チケット予約:047-305-5659
ChocolateCream Productions inc. 03-3487-5442
12月21日(火)at 京都たくたく(Taku-Taku, Kyoto)
www.geisya.or.jp/~takutaku/ or call to 075-351-1321
【ジョージ・デューク George Duke】
2004年10月25日(月)〜10/28(木) 東京ブルーノート
【ヴァネッサ・ウィリアムス Vanessa Williams】
2004年11月14日(日)〜18日(木) 東京ブルーノート
【インコグニート・ウィズ・メイザ・リーク Incognito With Maysa Leak】
2004年11月22日(月)〜27日(土) 東京ブルーノート
【フランクマッコム Frank McComb】
2004年12月20日(月)〜21日(火) 東京ブルーノート
【リズ・ライト Liz Wright】
2004年12月22日(水)〜25日(土) 東京ブルーノート
【テイク6 Take 6】
2005年1月31日(月)〜2月5日 東京ブルーノート
問い合わせ ブルーノート東京 03-5485-0088
この秋から冬にかけて続々とブラック系のアーティストが来日する。ひとまとめにした。
ジョス・ストーンの初来日、現在もっとも注目されるプロデューサー、カニエ・ウエストの初来日も決まった。この他に、ジョージ・クリントンを含むPファンクアーティスト、ガイなどの来日も決まっている。
【ジョス・ストーンJoss Stone】
2005/1/6(木)19:00 大阪 なんばHatch 6,800YEN (adv.)
2005/1/7(金)19:00 愛知 Club Diamond Hall 6,800YEN (adv.)
2005/1/10(月・祝)19:00 東京 SHIBUYA-AX
2005/1/11(火)19:00 東京 SHIBUYA-AX
(1F:Standing/ 2F: Reserved Seat) 6,800YEN (adv.)
先行予約 10.13 (wed)10:00-10.14 (thu)23:00
問い合わせ先 スマッシュ 03-3444-6751
【ベイビーフェイス BABYFACE with Band 】
2004年11月9日(火)19:30 ZEPP TOKYO
2004年11月10日(水)19:30 ZEPP TOKYO
料金 前売り:1F S席¥12,000 ・ 1F A席¥10,000 ・ 2F席¥12,000
(各公演1000席限定 ・全指定席)
問い合わせ ポジティブプロダクション045-505-0010 10:00am〜7:00pm (月〜金)
【カニエ・ウエスト Kanye West】
2004年12月2日(木)19:00 studio coast
席種・料金 スタンディング \7,500 ドリンク代別
10/16(土)より各プレイガイドにて発売。
問い合わせ スリーベース(03-5464-9099)
【Dトゥエルヴ D12 】
12/2(木) 福岡:ZEPP FUKUOKA 【問】キョードー西日本 092-714-0159
12/3(土) 大阪:ZEPP OSAKA 【問】キョードー大阪 06-6233-8888
12/6(月) 名古屋:ダイヤモンド・ホール 【問】SMCプラザ 052-265-2666
12/7(火) 東京:ZEPP TOKYO 【問】クリエイティブマン 03-5466-0777
12/8(水) 東京:ZEPP TOKYO 【問】クリエイティブマン 03-5466-0777
なお、エミネムは来日しない。
[問い合わせ] クリエイティブマン 03-5466-0777
【ガイ GUY with Band】,その他DJ(未定)
2004年12月18日(土)Live & All Night Party
YOKOHAMA BAY HALL OPEN 8:00pm- START 10:00pm
2004年12月19日(日)Live のみ
YOKOHAMA BAY HALL OPEN 7:00pm- START 8:30pm-12:00am
料金 前売り:立見¥7,000 指定席¥10,000(100席限定)
※入場時ドリンクチケット(¥500・1D)が必要
問い合わせ ポジティブプロダクション TEL:045-505-0010
【Get Crunk with The New Millenium Funk Tour】
2004年11月1日(月) Zepp Tokyo開場:6:30PM 開演:7:00PM
2004年11月2日(火) Zepp Tokyo開場:6:30PM 開演:7:00PM
料金: 指定・8500 立見・7500
[出演]オリジナル‘P’ファンク/ザップ/ザ・フィフス・エレメント [ゲスト]ジョージ・クリントン
問合せ先:[キョードー東京]03-3498-9999
【アリシア・キーズ Alicia Keys】
2004年10月17日(日) 東京ベイN.K.ホール 開場:5:00PM 開演:6:00PM
全席指定・8500
問合せ先:[ザックコーポレーション]03-5474-9999
2004年10月18日(月) 東京国際フォーラム ホールA 開場:6:00PM 開演:7:00PM
全席指定・8500
問合せ先:[ザックコーポレーション]03-5474-9999
2004年10月15日(金) 大阪フェスティバルホール 開場:6:15PM 開演:7:00PM
全席指定・8500
問合せ先:[フェスティバルホール]06-6231-2221
2004年10月15日(金) フェスティバルホール 開場:6:15PM開演:7:00PM
全席指定・8500 立見・8000 <立見のみ>
問合せ先:[フェスティバルホール]06-6231-2221
2004年10月19日(火) Zepp Fukuoka 開場:6:00PM開演:7:00PM
*1ドリンクオーダー *1F=整理番号付
ブロック指定・8500 2F指定・8500
1Fスタンディング(要1ドリンクオーダー/整理番号付(ブロック指定)), 2F指定(要1ドリンクオーダー)
問合せ先:[B.I.C.]092-713-6085
【ナチュラリー7 Naturally 7】
2004年12月6日(月) 渋谷アックス(AX)
指定席7500円、スタンディング6000円(整理番号つき) 当日券は各500円アップ。(ステージ前と2階に指定席を設定。1階後方をスタンディングにする)
チケット発売日 10月23日(土)
2004年12月7日(火) 心斎橋クラブクアトロ
2004年12月8日(水) 広島クラブクアトロ
問い合わせ カンバセーション 03−5280−9996
【デニス・ラサールDenis LaSalle】
2004年12月18日(土)〜20日(月)
18日19日:開場5時半/ 開演7時
20日:開場6時/ 開演7時半
Price:\7,875( Advanced seat, include Tax) 前売・当日共
会場クラブ・イクスピアリ(JR舞浜駅直結モール「イクスピアリ」4階
お問合せ:047-305-5700 /チケット予約:047-305-5659
ChocolateCream Productions inc. 03-3487-5442
12月21日(火)at 京都たくたく(Taku-Taku, Kyoto)
www.geisya.or.jp/~takutaku/ or call to 075-351-1321
【ジョージ・デューク George Duke】
2004年10月25日(月)〜10/28(木) 東京ブルーノート
【ヴァネッサ・ウィリアムス Vanessa Williams】
2004年11月14日(日)〜18日(木) 東京ブルーノート
【インコグニート・ウィズ・メイザ・リーク Incognito With Maysa Leak】
2004年11月22日(月)〜27日(土) 東京ブルーノート
【フランクマッコム Frank McComb】
2004年12月20日(月)〜21日(火) 東京ブルーノート
【リズ・ライト Liz Wright】
2004年12月22日(水)〜25日(土) 東京ブルーノート
【テイク6 Take 6】
2005年1月31日(月)〜2月5日 東京ブルーノート
問い合わせ ブルーノート東京 03-5485-0088
夕焼け。
昨日また東神奈川のバー「スターダスト」に行った。実は、今月末FM横浜でこの「スターダスト」にスポットをあてる番組をやることになったため、打ち合わせに行った。前回マーチンさんの『ミッドナイト・ラヴ』のコーナー取材のためにお邪魔したとき、いろいろな話を聞かされ、これはその話だけで2時間充分行けるのではということになり、今回、実現するもの。
放送日は、10月30日(土曜日ー深夜1時半から3時半、FM横浜84.7)。構成や選曲などはまだまだなのだが、この50年の歴史を誇る素晴らしく素敵なバー「スターダスト」に起こったエピソード、歴史をドキュメントしてみようと思う。
街で一番古いバーには、必ずおもしろい話がある。それを掘り起してみたい。そして、その街で一番古いバーが今でも続いているというところに素晴らしさがある。マスターの林さんは、言った。「今じゃ、もうここだけだからね」
80枚のシングルが入っている名物ジュークボックス。ここに収録されている作品が番組ではかかる。それは50年代から70年代までのヒット曲ばかりで、そのラインアップはまるで映画『アメリカン・グラフィティー』さながらだ。
昨日は、なぜかものすごく空気が澄み切ったきれいな一日だった。「スターダスト」から遠くに山が見えた。ひょっとして富士山かと思って、林さんに尋ねると、そうだ、という。ちょうど5時くらいから、夕焼けに映える富士山がめちゃくちゃ綺麗だった。そして、その夕焼けの富士山に、ジュークボックスから流れるシックスティーズ(60s)のヒット曲が妙にフィットしていた。
ちょうど5時過ぎ、店にひとりのアメリカ人が入ってきた。「まだかな」と彼が尋ねると、マスターが「ああ、もういいですよ」と言って、彼を招き入れた。マスターは、ネオンにライトをつけ、扉を開け、店がオープンした。せっかくなので、そのアメリカ人の彼に話を聞いた。
「ちょうど、基地のほうで仕事をし終えて、ホテルに帰る途中で一杯、ビールでも飲もうと思って寄ったんだ。この店に来るのは、何度目かな、ずいぶん来てるよ。10年くらい前に話を聞いた。この店は(米軍関係者の間では)有名だよ。橋を渡ってすぐのところにあるからすぐわかる、と言われてやってきた。こんな雰囲気の店は、アメリカにもほとんどないだろうな」
その彼は、日本円のお札と小銭をそのままテーブルに置いて、ビールを飲んでいた。キャッシュオンの店で皆がやるスタイルだ。そして、その横ではこの「スターダスト」名物のネコ、みなとちゃんがだら〜んと寝ていた。
太陽はすでに落ち、真っ赤に染まった空に富士山のシルエットだけが浮かび、そこにジュークボックスからパーシー・スレッジの「男が女を愛する時」が流れてきた。
昨日また東神奈川のバー「スターダスト」に行った。実は、今月末FM横浜でこの「スターダスト」にスポットをあてる番組をやることになったため、打ち合わせに行った。前回マーチンさんの『ミッドナイト・ラヴ』のコーナー取材のためにお邪魔したとき、いろいろな話を聞かされ、これはその話だけで2時間充分行けるのではということになり、今回、実現するもの。
放送日は、10月30日(土曜日ー深夜1時半から3時半、FM横浜84.7)。構成や選曲などはまだまだなのだが、この50年の歴史を誇る素晴らしく素敵なバー「スターダスト」に起こったエピソード、歴史をドキュメントしてみようと思う。
街で一番古いバーには、必ずおもしろい話がある。それを掘り起してみたい。そして、その街で一番古いバーが今でも続いているというところに素晴らしさがある。マスターの林さんは、言った。「今じゃ、もうここだけだからね」
80枚のシングルが入っている名物ジュークボックス。ここに収録されている作品が番組ではかかる。それは50年代から70年代までのヒット曲ばかりで、そのラインアップはまるで映画『アメリカン・グラフィティー』さながらだ。
昨日は、なぜかものすごく空気が澄み切ったきれいな一日だった。「スターダスト」から遠くに山が見えた。ひょっとして富士山かと思って、林さんに尋ねると、そうだ、という。ちょうど5時くらいから、夕焼けに映える富士山がめちゃくちゃ綺麗だった。そして、その夕焼けの富士山に、ジュークボックスから流れるシックスティーズ(60s)のヒット曲が妙にフィットしていた。
ちょうど5時過ぎ、店にひとりのアメリカ人が入ってきた。「まだかな」と彼が尋ねると、マスターが「ああ、もういいですよ」と言って、彼を招き入れた。マスターは、ネオンにライトをつけ、扉を開け、店がオープンした。せっかくなので、そのアメリカ人の彼に話を聞いた。
「ちょうど、基地のほうで仕事をし終えて、ホテルに帰る途中で一杯、ビールでも飲もうと思って寄ったんだ。この店に来るのは、何度目かな、ずいぶん来てるよ。10年くらい前に話を聞いた。この店は(米軍関係者の間では)有名だよ。橋を渡ってすぐのところにあるからすぐわかる、と言われてやってきた。こんな雰囲気の店は、アメリカにもほとんどないだろうな」
その彼は、日本円のお札と小銭をそのままテーブルに置いて、ビールを飲んでいた。キャッシュオンの店で皆がやるスタイルだ。そして、その横ではこの「スターダスト」名物のネコ、みなとちゃんがだら〜んと寝ていた。
太陽はすでに落ち、真っ赤に染まった空に富士山のシルエットだけが浮かび、そこにジュークボックスからパーシー・スレッジの「男が女を愛する時」が流れてきた。
Naturally 7 Will Hit First Japan Tour
2004年10月7日来日。
CDに刻まれた音がすべて人間の声という驚異のヴォーカルグループ、ナチュラリー7の初来日公演が決まった。東京のほか、大阪、広島公演が組まれる。詳細は次の通り。
+++++
東京公演
2004年12月6日(月) 渋谷アックス(AX) 指定席7500円、スタンディング6000円(整理番号つき) 当日券は各500円アップ。(ステージ前と2階に指定席を設定。1階後方をスタンディングにする)
チケットは、チケットぴあ、イープラス、ローソンチケット、カンバセーションで発売。
チケット発売日 10月23日(土)
問い合わせ カンバセーション 03−5280−9996
大阪公演
2004年12月7日(火) 心斎橋クラブクアトロ
広島公演
2004年12月8日(水) 広島クラブクアトロ
大阪、広島のチケットの発売日は未定。
+++++
新譜。
今年春に日本におけるデビュー作を発表し、プロモーションで来日した際に大きなセンセーションを集めた7人組アカペラ・グループ、ナチュラリー7が初めての一般公演を行う。前回は、プロモーションでライヴを見せ大きな話題を集めた。やはり、CDで聴かれた音すべてを7人の人間の声だけでパフォーマンスをするところは、多くの人のソウルをわしづかみしたようだ。
また、ナチュラリー7はこの来日にあわせてホリデイ・シーズン向けの新作をリリースする。タイトルは『ウィンター・ラヴ・ストーリー』というもので、これにはクリスマスソングを中心にラヴソングが収録され、11月10日に発売される。シングル扱いのリードトラックは、「ラヴ・ストーリー」という曲になる予定。
元々彼らはライヴ活動に重点をおいてやってきたいたが、いつかクリスマスアルバムを作りたいと思っていた。それが今年の4月、ドイツのレコード会社のディレクターにそれを強力に勧められてやっと重い腰をあげた。4週間のリハーサル、4週間のレコーディング、3週間半のミックスダウンが6月20日から9月8日までかけて行われ、完成をみた。
すでに自らのサウンドを作り上げているナチュラリー7が、またその独自のサウンドに磨きをかけている。1-2秒聴いただけでナチュラリー7とわかる音で、多くのなじみのクリスマスソングが歌われている。
前回のプロモ来日を見逃された方は、ぜひ今回どうぞ。
CDに刻まれた音がすべて人間の声という驚異のヴォーカルグループ、ナチュラリー7の初来日公演が決まった。東京のほか、大阪、広島公演が組まれる。詳細は次の通り。
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東京公演
2004年12月6日(月) 渋谷アックス(AX) 指定席7500円、スタンディング6000円(整理番号つき) 当日券は各500円アップ。(ステージ前と2階に指定席を設定。1階後方をスタンディングにする)
チケットは、チケットぴあ、イープラス、ローソンチケット、カンバセーションで発売。
チケット発売日 10月23日(土)
問い合わせ カンバセーション 03−5280−9996
大阪公演
2004年12月7日(火) 心斎橋クラブクアトロ
広島公演
2004年12月8日(水) 広島クラブクアトロ
大阪、広島のチケットの発売日は未定。
+++++
新譜。
今年春に日本におけるデビュー作を発表し、プロモーションで来日した際に大きなセンセーションを集めた7人組アカペラ・グループ、ナチュラリー7が初めての一般公演を行う。前回は、プロモーションでライヴを見せ大きな話題を集めた。やはり、CDで聴かれた音すべてを7人の人間の声だけでパフォーマンスをするところは、多くの人のソウルをわしづかみしたようだ。
また、ナチュラリー7はこの来日にあわせてホリデイ・シーズン向けの新作をリリースする。タイトルは『ウィンター・ラヴ・ストーリー』というもので、これにはクリスマスソングを中心にラヴソングが収録され、11月10日に発売される。シングル扱いのリードトラックは、「ラヴ・ストーリー」という曲になる予定。
元々彼らはライヴ活動に重点をおいてやってきたいたが、いつかクリスマスアルバムを作りたいと思っていた。それが今年の4月、ドイツのレコード会社のディレクターにそれを強力に勧められてやっと重い腰をあげた。4週間のリハーサル、4週間のレコーディング、3週間半のミックスダウンが6月20日から9月8日までかけて行われ、完成をみた。
すでに自らのサウンドを作り上げているナチュラリー7が、またその独自のサウンドに磨きをかけている。1-2秒聴いただけでナチュラリー7とわかる音で、多くのなじみのクリスマスソングが歌われている。
前回のプロモ来日を見逃された方は、ぜひ今回どうぞ。
Three Mask Mens In Minneapolis Studio:
2004年10月6日マスク。
このところ、急激に寒くなったりして、体調をくずしている人が多い。かく言う僕も、2-3日前から若干不調気味。(笑) そうしたら昨日あたりからどうも咳がでてきた。今日、『ミッドナイト・ラヴ』の収録で、DJオッシーとマーチンさんに会ったが、なんと二人ともマスクしていた。(笑) そして、僕もマーチンさんから予備のマスクをもらって収録にのぞんだ。
いやいや、男3人が揃ってマスクをつけながら、収録している図はなんともおかしい。なので、3人でマスクをつけたところを写真にとってしまった。(笑)
今日の「魔黒ブラウン」のコーナーは、Rケリーを紹介したが、マーチンさんには「『元町のソウル売り』というよりも、『富山の薬売り』という感じだね」と言われた。
あの比較的狭いミネアポリススタジオで、オッシーの風邪菌と僕の風邪菌が蔓延して、マーチンさんは大丈夫だったであろうか。というより、マーチンさんも微妙な風邪菌を持っていたのかもしれない。(笑) マーチンさん来る10日(日曜)、F1(鈴鹿)で国歌斉唱をする、という。これは大変だ。
「もし、風邪声で国歌斉唱してたら、お前たちのせいだぞ」とマーチンさんに言われた。果たして、日曜日、どうなることやら。
それにしても、雨が止まない。ところで、ロックグループCCRのヒットに、「フール・ストップ・ザ・レイン(誰が雨を止めるのか=直訳)」という曲があった。ただし、この雨は、ヴェトナム戦争の爆弾を比喩するものでもあるらしい。つまり、「この爆弾を止めるのは誰か」「戦争を終らせるのは誰か」という意味だ。この曲、今日でもひじょうに有効な一曲だ。
このところ、急激に寒くなったりして、体調をくずしている人が多い。かく言う僕も、2-3日前から若干不調気味。(笑) そうしたら昨日あたりからどうも咳がでてきた。今日、『ミッドナイト・ラヴ』の収録で、DJオッシーとマーチンさんに会ったが、なんと二人ともマスクしていた。(笑) そして、僕もマーチンさんから予備のマスクをもらって収録にのぞんだ。
いやいや、男3人が揃ってマスクをつけながら、収録している図はなんともおかしい。なので、3人でマスクをつけたところを写真にとってしまった。(笑)
今日の「魔黒ブラウン」のコーナーは、Rケリーを紹介したが、マーチンさんには「『元町のソウル売り』というよりも、『富山の薬売り』という感じだね」と言われた。
あの比較的狭いミネアポリススタジオで、オッシーの風邪菌と僕の風邪菌が蔓延して、マーチンさんは大丈夫だったであろうか。というより、マーチンさんも微妙な風邪菌を持っていたのかもしれない。(笑) マーチンさん来る10日(日曜)、F1(鈴鹿)で国歌斉唱をする、という。これは大変だ。
「もし、風邪声で国歌斉唱してたら、お前たちのせいだぞ」とマーチンさんに言われた。果たして、日曜日、どうなることやら。
それにしても、雨が止まない。ところで、ロックグループCCRのヒットに、「フール・ストップ・ザ・レイン(誰が雨を止めるのか=直訳)」という曲があった。ただし、この雨は、ヴェトナム戦争の爆弾を比喩するものでもあるらしい。つまり、「この爆弾を止めるのは誰か」「戦争を終らせるのは誰か」という意味だ。この曲、今日でもひじょうに有効な一曲だ。
片手。
まずドラマーがステージに登場、続いてベース奏者、そしてギター奏者が位置についた。それぞれが軽く演奏を始め、拍手が鳴り止まないところに、御大オスカー・ピーターソンがゆっくりでてきた。足も不自由そうで、なかなか前に進めない。ふだんは、車椅子で移動するようだ。グランドピアノがいつのまにかベーゼンドルファーに変わっていた。
ピアノの前に座り、すでに始まっている演奏にあわせるようにピアノを弾き始めた。オープニングの上原ひろみの時には、あまり聴こえなかったピアノの音が、今度はよく聴こえる。マイクのセッティングのせいか、それともミキサーの違いか。上原のパフォーマンスはよかったが、音がよく聴こえなかったのが残念だ。
ジャズピアノの巨匠オスカー・ピーターソンは1925年(大正14年)生まれの79歳。自身の名を冠したレコーディングアルバムは200枚以上あるという。ミディアム調の曲、スローの曲、スイングと様々なタイプを聴かせる。まさに生きる伝説がほんの数メートル前で演奏している。しかし、全体に感じるのは会場が大きい、大きすぎるということだ。後ろから音が戻ってきたり、直接聴こえる生音と上部のスピーカーからの音が微妙にまざりあってくる。もっとも、それは演奏者のパフォーマンスとは関係ないが。
ドラムス、アルヴィン・クイーン、ベース、ニールス・ペデルセン、ギター、ウルフ・ヴァケニス、そして、ピーターソンのクワルテット。
何人かの死去したジャズミュージシャンの名前をあげて、彼らに捧げた「レクイエム」というスローの曲と、もう一曲のスローは、咳をするのもはばかられるほど。なかなかよかった。一時代昔のライヴコンサートのような照明の中に浮かび上がるオスカーがスローの曲をプレイすると、それはあたかもオスカーが自分のために演奏しているかのよう。アイドルシンガーのライヴで、そのアイドルが自分の方を見ると、自分だけのために歌ってくれたと錯覚するのと同じだ。
ちょうど、僕の角度からは彼の左手の動きは見えなかったが、ほとんど左手はもう使っていないという。また足もそれほど激しくペダルを踏むこともない。きっと全盛期はもっとすごかったのだろう。片手でもこれだけのものが弾けるのだから、言ってみれば、彼は余裕でプレイしているということになる。オスカー・ピーターソン、79歳にして片手の魔術師。
ふと舞台袖を見ると、じっとオスカーのプレイを見つめていた男がいた。上原ひろみトリオのベース奏者だった。彼は間近でオスカーのプレイを見て何を感じただろうか。アンコールの「サテン・ドール」が終わり、階段のあたりを出口のほうに向かっていると電話がなった。あの妹尾武さんからだった。「どこでご覧になっていたんですか」と尋ねた。 「2階の奥のほうで」 「聴こえましたか?」 「いやあ、もう(彼を)見られるだけで幸せです」 きっと彼も大いなるインスピレーションをもらったことだろう。
+++++
ライヴはこの後、10月6日札幌コンサートホールキタラ、10日大阪フェスティヴァルホール、12日東京国際フォーラム・ホールA。問い合わせはJEC 03-5474-5944。
(2004年10月4日月曜、東京国際フォーラム・ホールA、オスカー・ピーターソン・ライヴ、上原ひろみ・ライヴ)
まずドラマーがステージに登場、続いてベース奏者、そしてギター奏者が位置についた。それぞれが軽く演奏を始め、拍手が鳴り止まないところに、御大オスカー・ピーターソンがゆっくりでてきた。足も不自由そうで、なかなか前に進めない。ふだんは、車椅子で移動するようだ。グランドピアノがいつのまにかベーゼンドルファーに変わっていた。
ピアノの前に座り、すでに始まっている演奏にあわせるようにピアノを弾き始めた。オープニングの上原ひろみの時には、あまり聴こえなかったピアノの音が、今度はよく聴こえる。マイクのセッティングのせいか、それともミキサーの違いか。上原のパフォーマンスはよかったが、音がよく聴こえなかったのが残念だ。
ジャズピアノの巨匠オスカー・ピーターソンは1925年(大正14年)生まれの79歳。自身の名を冠したレコーディングアルバムは200枚以上あるという。ミディアム調の曲、スローの曲、スイングと様々なタイプを聴かせる。まさに生きる伝説がほんの数メートル前で演奏している。しかし、全体に感じるのは会場が大きい、大きすぎるということだ。後ろから音が戻ってきたり、直接聴こえる生音と上部のスピーカーからの音が微妙にまざりあってくる。もっとも、それは演奏者のパフォーマンスとは関係ないが。
ドラムス、アルヴィン・クイーン、ベース、ニールス・ペデルセン、ギター、ウルフ・ヴァケニス、そして、ピーターソンのクワルテット。
何人かの死去したジャズミュージシャンの名前をあげて、彼らに捧げた「レクイエム」というスローの曲と、もう一曲のスローは、咳をするのもはばかられるほど。なかなかよかった。一時代昔のライヴコンサートのような照明の中に浮かび上がるオスカーがスローの曲をプレイすると、それはあたかもオスカーが自分のために演奏しているかのよう。アイドルシンガーのライヴで、そのアイドルが自分の方を見ると、自分だけのために歌ってくれたと錯覚するのと同じだ。
ちょうど、僕の角度からは彼の左手の動きは見えなかったが、ほとんど左手はもう使っていないという。また足もそれほど激しくペダルを踏むこともない。きっと全盛期はもっとすごかったのだろう。片手でもこれだけのものが弾けるのだから、言ってみれば、彼は余裕でプレイしているということになる。オスカー・ピーターソン、79歳にして片手の魔術師。
ふと舞台袖を見ると、じっとオスカーのプレイを見つめていた男がいた。上原ひろみトリオのベース奏者だった。彼は間近でオスカーのプレイを見て何を感じただろうか。アンコールの「サテン・ドール」が終わり、階段のあたりを出口のほうに向かっていると電話がなった。あの妹尾武さんからだった。「どこでご覧になっていたんですか」と尋ねた。 「2階の奥のほうで」 「聴こえましたか?」 「いやあ、もう(彼を)見られるだけで幸せです」 きっと彼も大いなるインスピレーションをもらったことだろう。
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ライヴはこの後、10月6日札幌コンサートホールキタラ、10日大阪フェスティヴァルホール、12日東京国際フォーラム・ホールA。問い合わせはJEC 03-5474-5944。
(2004年10月4日月曜、東京国際フォーラム・ホールA、オスカー・ピーターソン・ライヴ、上原ひろみ・ライヴ)
Everyday People: Summer Of 69
2004年10月4日日々凡人。
昨日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1Mhz毎週日曜午後1時から5時)、「ソウル・サーチン」のコーナー(午後2時から2時20分)では、「ソウル・ジャイアンツを聴く」というタイトルで、スライ&ファミリー・ストーンを紹介した。
彼らの大ヒット「エヴリデイ・ピープル」、「サンキュー」、そして、「ファミリー・アフェアー」の3曲をかけたが、「エヴリデイ・ピープル」の中の歌詞がひじょうに興味深かった。そこには、68年、69年頃のフラワームーヴメント、ヒッピー文化の香りがあった。
歌詞カード中6行目の「There is a blue one who can’t accept the green one」という意味がわからなかった。CDの訳詞は「緑の奴を受け入れられぬ青い奴もいる」。これでは理解できない。(笑) そこでマーヴィン先生登場。
「ブルーワンは悲しい人、落ち込んでいる人、のことね。逆にグリーンワンはハッピーな人、物事がうまく行ってる人」 というわけで、このラインは「物事がうまく行ってる人をねたむ、落ち込んでいる(凹んでる)連中がいる」の意味になる。そういうふうに説明されるとよくわかる。ただし、ブルーワン、グリーンワンには別に意味もあるかもしれない。別の解釈ができるかもしれないので、ご存知の方はお知らせください。
ここの歌詞は、次の「For living with a fat one trying to be a skinny one」とつながっている。直訳は「やせようとしているデブの奴と一緒にいるからな」 ここの部分は、上記の落ち込んでいる連中にかかる。つまり、アメリカに多数いる肥満の人たちの多くはやせたいと思っていても、実際なかなかそうできない。それは、肥満の人は自己コントロールができないからだとみなされる。そうすると、きちんとして自己コントロールができ、人生がうまく行ってる人たちをねたむ、今の言葉で言えば、「負け犬」が「勝ち組み」をねたんでいる、というニュアンスだ。
ここで、経済的な成功者とそうでない者という階層があって、そこに亀裂があることが表現される。これが次のラインにつながる。「And different strokes for different folks」 それぞれの階層の連中に、それぞれの生き方がある、という意味。小泉君風に言えば、「人生いろいろ、生き方いろいろ」だ。
そして、「エヴリデイ・ピープル」は、「日々、普通に仕事をして、生活をしている人」のこと。どんな階層に所属していようと、オレは普通のありきたりの人間。みんな一緒に生きていかなければならないんだ、という、まさにヒッピーカルチャーを象徴するような作品になっている。
最後の「There is a yellow one that won’t accept the black one That won’t accept the red one that won’t accept the white one」というライン。「黒人を受け入れない黄色人種がいる、赤い人種(一般的にインディアン)を受け入れない黒人がいる、そして、白人を受け入れない赤い人種がいる」と、各人種間の対立を浮き彫りにする。(CDの訳詞は間違ってる。そこでは、黄色人が赤色人と白人を受け入れないとなっている)
この曲は68年12月からヒット。ポップ、ソウルともに全米ナンバーワンに輝く。あの69年の夏を象徴するような曲でもある。まさに時代とリンクした傑作だ。試しにこんな訳を。
エヴリデイ・ピープル
(日々凡人)
オレだって時に正しいこともあるが、間違うこともある
オレの信念は、オレの歌の中にある
ぱっとしない肉屋、高そうなスーツに身を包んだ銀行家、
しがないセールスマン
オレがどんな仕事についていようと、人間であることに変わりはない
オレは日々一生懸命生きてる凡人だ
勝ち組みをねたむ負け組みがいる
ダイエットに失敗した肥満の人間がいるわけだから
人生いろいろ、生き方いろいろ
人生にはなんでも起こる、楽しく行こう
結局、オレたちは一緒に生きていかなければならないんだから
オレがお前より優れていることもなければ、
お前がオレより優れてるってこともない
何をしようとも、オレたちは同じ人間
君はオレのことを好きになろうが、嫌いだろうが、
君はオレという人間の存在を知っている
でも、オレが心の奥底でどんな主義主張をもっているかは
わからないだろうな
オレは日々一生懸命生きてる凡人だ
短髪が嫌いな長髪の連中がいる
(短髪の)金持ちは、(長髪の)貧乏人に手を差し伸べようとしないからな
人生いろいろ、生き方いろいろ
人生にはなんでも起こる、楽しく行こう
結局、オレたちは一緒に生きていかなければならないんだから
黒人を受け入れない黄色人種がいる
赤い人種(一般的にインディアン)を受け入れない黒人がいる
そして、白人を受け入れない赤い人種がいる
人生いろいろ、生き方いろいろだ
(試訳The Soul Searcher)
++++
EVERYDAY PEOPLE
Sly & The Family Stone
Sometimes I’m right and I can be wrong
My own beliefs are in my song
The butcher, the banker, the drummer and then
Makes no difference what group I’m in
I am everyday people, yeah yeah
There is a blue one who can’t accept the green one
For living with a fat one trying to be a skinny one
And different strokes for different folks
And so on and so on and scooby dooby doo-bee
Oh sha sha - we got to live together
I am no better and neither are you
We are the same whatever we do
You love me you hate me you know me and then
You can’t figure out the bag l’m in
I am everyday people, yeah yeah
There is a long hair that doesn’t like the short hair
For bein’ such a rich one that will not help the poor one
And different strokes for different folks
And so on and so on and scooby dooby doo-bee
Oh sha sha-we got to live together
There is a yellow one that won’t accept the black one
That won’t accept the red one that won’t accept the white one
And different strokes for different folks
(C) 1968 by Daly city Music
昨日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1Mhz毎週日曜午後1時から5時)、「ソウル・サーチン」のコーナー(午後2時から2時20分)では、「ソウル・ジャイアンツを聴く」というタイトルで、スライ&ファミリー・ストーンを紹介した。
彼らの大ヒット「エヴリデイ・ピープル」、「サンキュー」、そして、「ファミリー・アフェアー」の3曲をかけたが、「エヴリデイ・ピープル」の中の歌詞がひじょうに興味深かった。そこには、68年、69年頃のフラワームーヴメント、ヒッピー文化の香りがあった。
歌詞カード中6行目の「There is a blue one who can’t accept the green one」という意味がわからなかった。CDの訳詞は「緑の奴を受け入れられぬ青い奴もいる」。これでは理解できない。(笑) そこでマーヴィン先生登場。
「ブルーワンは悲しい人、落ち込んでいる人、のことね。逆にグリーンワンはハッピーな人、物事がうまく行ってる人」 というわけで、このラインは「物事がうまく行ってる人をねたむ、落ち込んでいる(凹んでる)連中がいる」の意味になる。そういうふうに説明されるとよくわかる。ただし、ブルーワン、グリーンワンには別に意味もあるかもしれない。別の解釈ができるかもしれないので、ご存知の方はお知らせください。
ここの歌詞は、次の「For living with a fat one trying to be a skinny one」とつながっている。直訳は「やせようとしているデブの奴と一緒にいるからな」 ここの部分は、上記の落ち込んでいる連中にかかる。つまり、アメリカに多数いる肥満の人たちの多くはやせたいと思っていても、実際なかなかそうできない。それは、肥満の人は自己コントロールができないからだとみなされる。そうすると、きちんとして自己コントロールができ、人生がうまく行ってる人たちをねたむ、今の言葉で言えば、「負け犬」が「勝ち組み」をねたんでいる、というニュアンスだ。
ここで、経済的な成功者とそうでない者という階層があって、そこに亀裂があることが表現される。これが次のラインにつながる。「And different strokes for different folks」 それぞれの階層の連中に、それぞれの生き方がある、という意味。小泉君風に言えば、「人生いろいろ、生き方いろいろ」だ。
そして、「エヴリデイ・ピープル」は、「日々、普通に仕事をして、生活をしている人」のこと。どんな階層に所属していようと、オレは普通のありきたりの人間。みんな一緒に生きていかなければならないんだ、という、まさにヒッピーカルチャーを象徴するような作品になっている。
最後の「There is a yellow one that won’t accept the black one That won’t accept the red one that won’t accept the white one」というライン。「黒人を受け入れない黄色人種がいる、赤い人種(一般的にインディアン)を受け入れない黒人がいる、そして、白人を受け入れない赤い人種がいる」と、各人種間の対立を浮き彫りにする。(CDの訳詞は間違ってる。そこでは、黄色人が赤色人と白人を受け入れないとなっている)
この曲は68年12月からヒット。ポップ、ソウルともに全米ナンバーワンに輝く。あの69年の夏を象徴するような曲でもある。まさに時代とリンクした傑作だ。試しにこんな訳を。
エヴリデイ・ピープル
(日々凡人)
オレだって時に正しいこともあるが、間違うこともある
オレの信念は、オレの歌の中にある
ぱっとしない肉屋、高そうなスーツに身を包んだ銀行家、
しがないセールスマン
オレがどんな仕事についていようと、人間であることに変わりはない
オレは日々一生懸命生きてる凡人だ
勝ち組みをねたむ負け組みがいる
ダイエットに失敗した肥満の人間がいるわけだから
人生いろいろ、生き方いろいろ
人生にはなんでも起こる、楽しく行こう
結局、オレたちは一緒に生きていかなければならないんだから
オレがお前より優れていることもなければ、
お前がオレより優れてるってこともない
何をしようとも、オレたちは同じ人間
君はオレのことを好きになろうが、嫌いだろうが、
君はオレという人間の存在を知っている
でも、オレが心の奥底でどんな主義主張をもっているかは
わからないだろうな
オレは日々一生懸命生きてる凡人だ
短髪が嫌いな長髪の連中がいる
(短髪の)金持ちは、(長髪の)貧乏人に手を差し伸べようとしないからな
人生いろいろ、生き方いろいろ
人生にはなんでも起こる、楽しく行こう
結局、オレたちは一緒に生きていかなければならないんだから
黒人を受け入れない黄色人種がいる
赤い人種(一般的にインディアン)を受け入れない黒人がいる
そして、白人を受け入れない赤い人種がいる
人生いろいろ、生き方いろいろだ
(試訳The Soul Searcher)
++++
EVERYDAY PEOPLE
Sly & The Family Stone
Sometimes I’m right and I can be wrong
My own beliefs are in my song
The butcher, the banker, the drummer and then
Makes no difference what group I’m in
I am everyday people, yeah yeah
There is a blue one who can’t accept the green one
For living with a fat one trying to be a skinny one
And different strokes for different folks
And so on and so on and scooby dooby doo-bee
Oh sha sha - we got to live together
I am no better and neither are you
We are the same whatever we do
You love me you hate me you know me and then
You can’t figure out the bag l’m in
I am everyday people, yeah yeah
There is a long hair that doesn’t like the short hair
For bein’ such a rich one that will not help the poor one
And different strokes for different folks
And so on and so on and scooby dooby doo-bee
Oh sha sha-we got to live together
There is a yellow one that won’t accept the black one
That won’t accept the red one that won’t accept the white one
And different strokes for different folks
(C) 1968 by Daly city Music
My Mother Loved It, I Loved It And My Son Loved It: The Song Have Been Loved By Three Generations
2004年10月3日付加価値。
ちょうど505スタジオに入っていくと、オリトが9人編成のバンドで「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を歌っていた。NHKのソウル番組『ソウル・ミュージック』の公開生放送。オリト、上田正樹、そして、リアルブラッドのライヴとトーク。5時から、途中30分のニュース放送をはさんで10時まで5時間、実質4時間半。ものすごい長丁場だ。実は行くまで、僕は今日は収録と勘違いしていた。深い意味はなく、ただなんとなく。たしか、この時間帯、大伴さんがでる番組が生ではいっていたから。そしたら、昨日はその大伴さんの番組はなくなっていたみたいだ。しかし、ライヴバンドをいれ、ソウルのリクエストばかりをかけ、しかも、それを5時間生放送でやってしまうNHKはすごい。民放じゃあできない。
オリトのライヴが終った後、しばしトークがあってグッチ祐三さんが登場。グッチさんとトムさんを生放送で同席させてブッキングするなんて! 一度、彼らがJFN系で放送している番組の収録に見学に行ったことがあるのだが、それはそれは、はちゃめちゃで楽しい。よくこれが放送できるものだと感心した。今日はお二人とも、かなりNHKを意識されていたようだ。(笑) それにしても、この二人を生でいれるNHKの肝っ玉はすごい。
さて、個人的に印象に残ったのは、レイ・チャールズ特集のところ。ライヴを終えた上田さんがはいって、レイへの熱いトークでもりあがったシーン、よかったですねえ。本当にああいう思い入れのあるトークというのは、きっとリスナーにも伝わります。レイ・チャールズだけで30分近くやっていたのかな。
ブラザートムが言った。「僕の母が好きで、僕が好きで、僕の息子も好きな曲」 そして、紹介されたレイ・チャールズの「アイ・キャント・ストップ・ラヴィング・ユー(愛さずにはいられない)」。ひときわこの曲が輝いた瞬間だ。
きっとこの曲、どこの局でも何千回何万回ってかかっているだろう。でも、たださらっと紹介されて終ってしまえば、その曲になんにも付加価値がつかないことも多い。「ただの曲紹介」で過ぎ去っていくだけ。でも、こうしてブラザートムのこの言葉の後にかかった「愛さずにはいられない」は、いつもの何百倍ものインパクトをもってリスナーに伝わる。これぞ、曲の紹介者。僕だって何百回と聴いたこの曲が、いつもと違って聴こえてきて、じっと聴き入った。終ったときには、レコードなのにもかかわらず、拍手をしたかったほどだ。曲自体と、その紹介に対しての拍手だ。きっと、僕はこれ以後この曲を聴く時に、ブラザートムのそのコメントを思い出すだろう。
さて、トムを含むリアル・ブラッドのライヴは絶好調。「恋はJOJO(上々)」での赤いバラを持ち、観客の女性にべったりして歌うところは、何度見ても最高のエンタテインメント。思わず声をあげてしまった。アカペラの「上を向いて歩こう」は4パートにもかかわらず、かなりの迫力だ。そして、先日ゴスペラーズの村上/黒沢組が『フィールン・ソウル』でアカペラでカヴァーした「シルクの雨」! 僕はここ1-2週間彼らの「シルク・・・」が頭から離れず(笑)、久々にオリジナルを聴いたので、ますます気に入った。シルキー藤野のファルセットは、(前にも書いたが)もう絶対今やフィリップ・ベイリーを超えてる。
ところで、この番組、ブラザー・トムとDJ尾臺(おだい)さんのかみあわないトークが、このところ妙に快感になってきた。これってマニアックなリスナーだろうか。(笑)
ちょうど505スタジオに入っていくと、オリトが9人編成のバンドで「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を歌っていた。NHKのソウル番組『ソウル・ミュージック』の公開生放送。オリト、上田正樹、そして、リアルブラッドのライヴとトーク。5時から、途中30分のニュース放送をはさんで10時まで5時間、実質4時間半。ものすごい長丁場だ。実は行くまで、僕は今日は収録と勘違いしていた。深い意味はなく、ただなんとなく。たしか、この時間帯、大伴さんがでる番組が生ではいっていたから。そしたら、昨日はその大伴さんの番組はなくなっていたみたいだ。しかし、ライヴバンドをいれ、ソウルのリクエストばかりをかけ、しかも、それを5時間生放送でやってしまうNHKはすごい。民放じゃあできない。
オリトのライヴが終った後、しばしトークがあってグッチ祐三さんが登場。グッチさんとトムさんを生放送で同席させてブッキングするなんて! 一度、彼らがJFN系で放送している番組の収録に見学に行ったことがあるのだが、それはそれは、はちゃめちゃで楽しい。よくこれが放送できるものだと感心した。今日はお二人とも、かなりNHKを意識されていたようだ。(笑) それにしても、この二人を生でいれるNHKの肝っ玉はすごい。
さて、個人的に印象に残ったのは、レイ・チャールズ特集のところ。ライヴを終えた上田さんがはいって、レイへの熱いトークでもりあがったシーン、よかったですねえ。本当にああいう思い入れのあるトークというのは、きっとリスナーにも伝わります。レイ・チャールズだけで30分近くやっていたのかな。
ブラザートムが言った。「僕の母が好きで、僕が好きで、僕の息子も好きな曲」 そして、紹介されたレイ・チャールズの「アイ・キャント・ストップ・ラヴィング・ユー(愛さずにはいられない)」。ひときわこの曲が輝いた瞬間だ。
きっとこの曲、どこの局でも何千回何万回ってかかっているだろう。でも、たださらっと紹介されて終ってしまえば、その曲になんにも付加価値がつかないことも多い。「ただの曲紹介」で過ぎ去っていくだけ。でも、こうしてブラザートムのこの言葉の後にかかった「愛さずにはいられない」は、いつもの何百倍ものインパクトをもってリスナーに伝わる。これぞ、曲の紹介者。僕だって何百回と聴いたこの曲が、いつもと違って聴こえてきて、じっと聴き入った。終ったときには、レコードなのにもかかわらず、拍手をしたかったほどだ。曲自体と、その紹介に対しての拍手だ。きっと、僕はこれ以後この曲を聴く時に、ブラザートムのそのコメントを思い出すだろう。
さて、トムを含むリアル・ブラッドのライヴは絶好調。「恋はJOJO(上々)」での赤いバラを持ち、観客の女性にべったりして歌うところは、何度見ても最高のエンタテインメント。思わず声をあげてしまった。アカペラの「上を向いて歩こう」は4パートにもかかわらず、かなりの迫力だ。そして、先日ゴスペラーズの村上/黒沢組が『フィールン・ソウル』でアカペラでカヴァーした「シルクの雨」! 僕はここ1-2週間彼らの「シルク・・・」が頭から離れず(笑)、久々にオリジナルを聴いたので、ますます気に入った。シルキー藤野のファルセットは、(前にも書いたが)もう絶対今やフィリップ・ベイリーを超えてる。
ところで、この番組、ブラザー・トムとDJ尾臺(おだい)さんのかみあわないトークが、このところ妙に快感になってきた。これってマニアックなリスナーだろうか。(笑)
訛り。
BBSでサザンアクセントが話題になったので、しばし、訛り談義でも。
日本にもさまざまな方言があるように、アメリカにも多種多様なアクセント、つまり、訛りがある。そのうちのひとつが南部訛りというもの。サザン・アクセントといわれる。ココさんご指摘のサザン・ドロール(DRAWL=引き伸ばす)が特徴で、I(アイ)が(アー)になったりする。これが、強くなると、はっきり言ってほとんど理解不能だ。
僕がこの南部訛りでまず思い浮かぶのは、ミスター・ジェームス・ブラウン。彼の英語はとにかくわからない。(笑) 話していて最初のうちはゆっくり、わかり易くしゃべってくれるが、徐々に興奮し、早口にでもなろうものなら、もうだめだ。通訳の人も、かなり力をいれないと、ピックアップできないのではないだろうか。
この南部アクセントは、口をはっきり動かさず、もごもごした感じでしゃべるために、くぐもった雰囲気になる。はっきりと発音をせずに、しかも前後の単語をつねげてしまうから、たちが悪い。
やはり、日本では沖縄の言葉が、僕はどうしても理解するのが難しい。沖縄の有名なミュージシャン嘉納昌吉がテレビなどのインタヴューで答えているのを見ると、早口になったときが、もうわからない。最近はテレビも親切なもので、そうした言葉にはしっかりと字幕をつけてくれるから頼もしい。
沖縄の発声とアメリカ南部の発声は、意外と近いものがあるのかもしれない。
もうひとり、レイ・チャールズの南部訛りも強いと思う。それは歌声からもときどき感じられる。まあ、これはこれで、彼などの場合、味だからいいと思うが、レイ・チャールズが英会話の学校の先生になったら、大変だなあ、と思う。
ニューヨークのブルックリン訛りというのも、少し僕はわかる。一番最初これに触れたのがカシーフだった。彼の英語ははっきりしていて、わかりやすい。でも、独特のリズム感がある。それがブルックリン訛りだと後で聞いた。それから何年後かに、まったく同じような調子でしゃべるアーティストにインタヴューした。正確には電話インタヴューだった。彼の独特のリズムでしゃべる声がスピーカーから流れてきて、以前、これと同じアクセントでしゃべっていたのが誰かずっと考えていた。そして、カシーフだとひらめき、ああ、これがブルックリン訛りだと思い出した。そのアーティストとは、ルーサー・ヴァンドロスである。よく考えてみれば、彼もブルックリン出身だ。
一方で、ニュースキャスターのようにしゃべると言われるのが、北部、例えばミネソタ州の人たちなどだ。初めてプリンスやジャム&ルイスを取材するために、ミネアポリスに行ったときに、「こっちの人間はよく『ニュースキャスターのようにしゃべる』と言われるんだよ」と説明された。確かに会う人会う人がしっかりした発音でひじょうに聴きやすい。いわゆる中西部あたりのミドルクラスの人々、典型的なアメリカ人が多いからだろうか。なんだか英語のヒアリング力が一瞬あがったかとも錯覚し嬉しくなったほどだ。しかしながら、もちろん南部の英語に触れると、英語のヒアリング全然だめね、と落ち込む。だから、きれいな英語を学ぼうと思ったら、北部に行こう。ミネアポリスはお勧めだ。プリンスもいるしね。(笑)
しかし、北部のほうが寒くて、口などあけないでしゃべりそうなのに不思議だ。言語学の先生にお尋ねしたい。なぜミネアポリスや北部の人たちの英語はきれいなのか、と。そういえば、仙台や北海道の人の日本語は比較的ストレートなアクセントが多いような気がする。だが、青森、秋田はかなり訛りが強い。ただ北だから、訛りが強いとか弱いというものでもなさそうである。
BBSでサザンアクセントが話題になったので、しばし、訛り談義でも。
日本にもさまざまな方言があるように、アメリカにも多種多様なアクセント、つまり、訛りがある。そのうちのひとつが南部訛りというもの。サザン・アクセントといわれる。ココさんご指摘のサザン・ドロール(DRAWL=引き伸ばす)が特徴で、I(アイ)が(アー)になったりする。これが、強くなると、はっきり言ってほとんど理解不能だ。
僕がこの南部訛りでまず思い浮かぶのは、ミスター・ジェームス・ブラウン。彼の英語はとにかくわからない。(笑) 話していて最初のうちはゆっくり、わかり易くしゃべってくれるが、徐々に興奮し、早口にでもなろうものなら、もうだめだ。通訳の人も、かなり力をいれないと、ピックアップできないのではないだろうか。
この南部アクセントは、口をはっきり動かさず、もごもごした感じでしゃべるために、くぐもった雰囲気になる。はっきりと発音をせずに、しかも前後の単語をつねげてしまうから、たちが悪い。
やはり、日本では沖縄の言葉が、僕はどうしても理解するのが難しい。沖縄の有名なミュージシャン嘉納昌吉がテレビなどのインタヴューで答えているのを見ると、早口になったときが、もうわからない。最近はテレビも親切なもので、そうした言葉にはしっかりと字幕をつけてくれるから頼もしい。
沖縄の発声とアメリカ南部の発声は、意外と近いものがあるのかもしれない。
もうひとり、レイ・チャールズの南部訛りも強いと思う。それは歌声からもときどき感じられる。まあ、これはこれで、彼などの場合、味だからいいと思うが、レイ・チャールズが英会話の学校の先生になったら、大変だなあ、と思う。
ニューヨークのブルックリン訛りというのも、少し僕はわかる。一番最初これに触れたのがカシーフだった。彼の英語ははっきりしていて、わかりやすい。でも、独特のリズム感がある。それがブルックリン訛りだと後で聞いた。それから何年後かに、まったく同じような調子でしゃべるアーティストにインタヴューした。正確には電話インタヴューだった。彼の独特のリズムでしゃべる声がスピーカーから流れてきて、以前、これと同じアクセントでしゃべっていたのが誰かずっと考えていた。そして、カシーフだとひらめき、ああ、これがブルックリン訛りだと思い出した。そのアーティストとは、ルーサー・ヴァンドロスである。よく考えてみれば、彼もブルックリン出身だ。
一方で、ニュースキャスターのようにしゃべると言われるのが、北部、例えばミネソタ州の人たちなどだ。初めてプリンスやジャム&ルイスを取材するために、ミネアポリスに行ったときに、「こっちの人間はよく『ニュースキャスターのようにしゃべる』と言われるんだよ」と説明された。確かに会う人会う人がしっかりした発音でひじょうに聴きやすい。いわゆる中西部あたりのミドルクラスの人々、典型的なアメリカ人が多いからだろうか。なんだか英語のヒアリング力が一瞬あがったかとも錯覚し嬉しくなったほどだ。しかしながら、もちろん南部の英語に触れると、英語のヒアリング全然だめね、と落ち込む。だから、きれいな英語を学ぼうと思ったら、北部に行こう。ミネアポリスはお勧めだ。プリンスもいるしね。(笑)
しかし、北部のほうが寒くて、口などあけないでしゃべりそうなのに不思議だ。言語学の先生にお尋ねしたい。なぜミネアポリスや北部の人たちの英語はきれいなのか、と。そういえば、仙台や北海道の人の日本語は比較的ストレートなアクセントが多いような気がする。だが、青森、秋田はかなり訛りが強い。ただ北だから、訛りが強いとか弱いというものでもなさそうである。
イヴェント。
去る6月10日に死去したレイ・チャールズへのトリビュート・イヴェントが10月8日、ロスアンジェルスのステイプルセンターで多くのスターたちを集めて行われる。イヴェントのタイトルは、「ジニアス:ア・ナイト・フォー・レイ・チャールズ」。
現在出演が予定されているのは、メアリーJブライジ、エルトン・ジョン、アッシャー、ノラ・ジョーンズ、アル・グリーン、BBキング、スティーヴィー・ワンダー、リビー・マッキンタイアーなど。この秋に全米公開されるレイ・チャールズの自伝映画『アンチェイン・マイ・ハート』でレイ・チャールズ役を演じる俳優ジェイミー・フォックスが総合司会を担当。この他、クインシー・ジョーンズ、ブルース・ウイルスなどもプレゼンターとして登場する。
この模様は1時間に編集され10月22日午後9時からCBS系で放送される。ライヴイヴェント自体は約1時間45分の予定。
またこのイヴェントから得られる収益金は「レイ・チャールズ・パフォーミング・アーツ・センター」へ寄付される。
++++
レイ・チャールズ自伝映画は10月29日全米公開
レイ・チャールズの自伝映画『アンチェイン・マイ・ハート』は、10月29日(金)から全米公開される。すでに予告編がアップされている。
http://www.raymovie.com/
現在、日本における公開は、2005年下半期(7月〜12月)に予定されているが、本作がゴールデングローヴ賞、あるいは、アカデミー賞などにノミネートされる場合は、前倒しで公開される可能性がある。
++++++
ゴスペルビデオ、日本発売
レイ・チャールズがゴスペルクワイアーとともに歌った貴重な映像作品が10月に日本でもコロンビアから発売される。タイトルは、 レイ・チャールズ・ウィズ・ヴォイセス・ジュビレーション・クワイアーの『セレブレーツ・ア・ゴスペル・クリスマス』。
このDVD映像は去る2002年12月5日、アメリカ・ウイスコンシン州グリーンベイという街にあるレッシュ・センターという会場で約5000人の観客を集めて行なわれたライヴの模様を収録したもの。このライヴは、キャプストーンというイヴェント会社がグリーンベイ市とタイアップして行なったイヴェントで、ゴスペル・クワイアー(コーラス隊)を集め、さらにそこにハイライト的アーティストとしてレイ・チャールズを招聘した。このライヴの模様は録画されペイパーヴュー方式(視聴者がその番組を見たい場合料金を支払ってみるスタイル)で翌年放送されることになっていた、という。
この一大ゴスペル・イヴェントに集まったのは、ニュージャージー・パフォーミング・アーツ・センター(NJPAC)の70名以上のヴォイセス・オブ・ジュビレーション・クワイアー、グリーン・ベイ・ボーイ・クワイアー、Gウリーン・ベイ・ガール・クワイアー、さらに地元の16以上のクワイアーのメンバーたち。総勢100名を越える大合唱団になっている。
ザ・ヴォイセス・ジュビレーション・クワイアー・オブ・ニュージャージーは、地元ニュージャージーのパフォーミング・アーツ・センターを本拠に活動するクワイアーで500人以上のメンバーを抱える。音楽ディレクターは、ステファニー・R・ミナティー。指揮者として画面にも度々登場する。このクワイアーは全米でも屈指のクワイアーのひとつとして知られ、今回のこのイヴェントではわざわざニュージャージーから呼ばれている。
そして、最大のハイライトが「ソウルの巨匠」レイ・チャールズのゲスト参加である。 グリーン・ベイ市のディレクター、マット・パーキンスは「音楽の世界に何十年も君臨してきた人物がこのプロジェクトにかかわり、ライヴを録音し、しかもDVDにもなるというのはすばらしい経験だ」(グリーン・ベイ・プレス・ガゼット紙2004年6月11日付け)と語る。
またチャールズとともに同じステージに立った100人以上のコーラスのひとり、エイプリル・ストロムはこう言う。「彼は伝説の人物です。その音楽スタイルを愛すシンガーとして、ずっと彼の音楽は聴いて育ってきました。まさか自分が彼と同じステージに立つなんて夢にも思いませんでした。最高に楽しかった。永遠に決して忘れない私の人生の一こまです」(同)
全米では、アーバン・ワークス・エンタテインメント社から2003年10月に発売された。
2004.10.20 release
COBY-91092 ¥4,410(tax in) / ¥4,200(tax out)
2003年 アメリカ作品
約90分 片面一層 ドルビー・デジタル
スタンダード
<収 録 曲>
Gospel Vamp ゴスペル・ヴァンプ
Nothing’s Going To Stop Me ナッシングス・ゴーイング・トゥ・ストップ・ミー
The First Noel まきびと羊を(ファースト・ノエル)
What Kind Of Man Is This? ホワット・カインド・オブ・マン・イズ・ディス?
The Christmas Song クリスマス・ソング
All Night, All Day オール・ナイト、オール・デイ
Have Yourself a Merry Little Christmas ハヴ・ユアセルフ・ア・メリー・リトル・クリスマス
Oh, Happy Day オー、ハッピー・デイ
What If God Is Unhappy ホワット・イフ・ゴッド・イズ・アンハッピー
Total Praise トータル・プレイズ
Spirit スピリット
From A Distance フロム・ア・ディスタンス
Rudolph The Red-Nosed Reindeer 赤鼻のトナカイ
Hark! The Herald Angeles Sing 天には栄え
Silent Night 清しこの夜
Little Drummer Boy 可愛い鼓笛隊の少年
America The Beautiful 美しきアメリカ
+++++++++++++++++++++++++++
去る6月10日に死去したレイ・チャールズへのトリビュート・イヴェントが10月8日、ロスアンジェルスのステイプルセンターで多くのスターたちを集めて行われる。イヴェントのタイトルは、「ジニアス:ア・ナイト・フォー・レイ・チャールズ」。
現在出演が予定されているのは、メアリーJブライジ、エルトン・ジョン、アッシャー、ノラ・ジョーンズ、アル・グリーン、BBキング、スティーヴィー・ワンダー、リビー・マッキンタイアーなど。この秋に全米公開されるレイ・チャールズの自伝映画『アンチェイン・マイ・ハート』でレイ・チャールズ役を演じる俳優ジェイミー・フォックスが総合司会を担当。この他、クインシー・ジョーンズ、ブルース・ウイルスなどもプレゼンターとして登場する。
この模様は1時間に編集され10月22日午後9時からCBS系で放送される。ライヴイヴェント自体は約1時間45分の予定。
またこのイヴェントから得られる収益金は「レイ・チャールズ・パフォーミング・アーツ・センター」へ寄付される。
++++
レイ・チャールズ自伝映画は10月29日全米公開
レイ・チャールズの自伝映画『アンチェイン・マイ・ハート』は、10月29日(金)から全米公開される。すでに予告編がアップされている。
http://www.raymovie.com/
現在、日本における公開は、2005年下半期(7月〜12月)に予定されているが、本作がゴールデングローヴ賞、あるいは、アカデミー賞などにノミネートされる場合は、前倒しで公開される可能性がある。
++++++
ゴスペルビデオ、日本発売
レイ・チャールズがゴスペルクワイアーとともに歌った貴重な映像作品が10月に日本でもコロンビアから発売される。タイトルは、 レイ・チャールズ・ウィズ・ヴォイセス・ジュビレーション・クワイアーの『セレブレーツ・ア・ゴスペル・クリスマス』。
このDVD映像は去る2002年12月5日、アメリカ・ウイスコンシン州グリーンベイという街にあるレッシュ・センターという会場で約5000人の観客を集めて行なわれたライヴの模様を収録したもの。このライヴは、キャプストーンというイヴェント会社がグリーンベイ市とタイアップして行なったイヴェントで、ゴスペル・クワイアー(コーラス隊)を集め、さらにそこにハイライト的アーティストとしてレイ・チャールズを招聘した。このライヴの模様は録画されペイパーヴュー方式(視聴者がその番組を見たい場合料金を支払ってみるスタイル)で翌年放送されることになっていた、という。
この一大ゴスペル・イヴェントに集まったのは、ニュージャージー・パフォーミング・アーツ・センター(NJPAC)の70名以上のヴォイセス・オブ・ジュビレーション・クワイアー、グリーン・ベイ・ボーイ・クワイアー、Gウリーン・ベイ・ガール・クワイアー、さらに地元の16以上のクワイアーのメンバーたち。総勢100名を越える大合唱団になっている。
ザ・ヴォイセス・ジュビレーション・クワイアー・オブ・ニュージャージーは、地元ニュージャージーのパフォーミング・アーツ・センターを本拠に活動するクワイアーで500人以上のメンバーを抱える。音楽ディレクターは、ステファニー・R・ミナティー。指揮者として画面にも度々登場する。このクワイアーは全米でも屈指のクワイアーのひとつとして知られ、今回のこのイヴェントではわざわざニュージャージーから呼ばれている。
そして、最大のハイライトが「ソウルの巨匠」レイ・チャールズのゲスト参加である。 グリーン・ベイ市のディレクター、マット・パーキンスは「音楽の世界に何十年も君臨してきた人物がこのプロジェクトにかかわり、ライヴを録音し、しかもDVDにもなるというのはすばらしい経験だ」(グリーン・ベイ・プレス・ガゼット紙2004年6月11日付け)と語る。
またチャールズとともに同じステージに立った100人以上のコーラスのひとり、エイプリル・ストロムはこう言う。「彼は伝説の人物です。その音楽スタイルを愛すシンガーとして、ずっと彼の音楽は聴いて育ってきました。まさか自分が彼と同じステージに立つなんて夢にも思いませんでした。最高に楽しかった。永遠に決して忘れない私の人生の一こまです」(同)
全米では、アーバン・ワークス・エンタテインメント社から2003年10月に発売された。
2004.10.20 release
COBY-91092 ¥4,410(tax in) / ¥4,200(tax out)
2003年 アメリカ作品
約90分 片面一層 ドルビー・デジタル
スタンダード
<収 録 曲>
Gospel Vamp ゴスペル・ヴァンプ
Nothing’s Going To Stop Me ナッシングス・ゴーイング・トゥ・ストップ・ミー
The First Noel まきびと羊を(ファースト・ノエル)
What Kind Of Man Is This? ホワット・カインド・オブ・マン・イズ・ディス?
The Christmas Song クリスマス・ソング
All Night, All Day オール・ナイト、オール・デイ
Have Yourself a Merry Little Christmas ハヴ・ユアセルフ・ア・メリー・リトル・クリスマス
Oh, Happy Day オー、ハッピー・デイ
What If God Is Unhappy ホワット・イフ・ゴッド・イズ・アンハッピー
Total Praise トータル・プレイズ
Spirit スピリット
From A Distance フロム・ア・ディスタンス
Rudolph The Red-Nosed Reindeer 赤鼻のトナカイ
Hark! The Herald Angeles Sing 天には栄え
Silent Night 清しこの夜
Little Drummer Boy 可愛い鼓笛隊の少年
America The Beautiful 美しきアメリカ
+++++++++++++++++++++++++++
老若男女。
一人、また、一人。ゆっくりとメンバーがステージに上がっていく。ふと気がつくと、それまでだれもいなかったステージにメンバー全員が上がっていた。
圧巻は、4人のトランペット、4人のトロンボーン、そして、5人のサックスという13人のホーンセクションだ。茶色のスーツを着た紳士たちが、「カウント・ベイシー・オーケストラ」と書かれた譜面台の後ろに3列になって座っている。他にドラム、ギター、ベース、キーボード、そして、指揮者。ステージにいる男たちは総勢18人。そして、これに後半ヴォーカルを歌う女性シンガーが加わる。
一曲目が始まるなり、思った。これがかつてのダンスミュージックだったんだな、ということを。カウント・ベイシーは1904年生まれ、84年に死去しているので、今年で生誕100年、没後も20周年ということになる。このオーケストラ、ビッグバンドは、その後も故人の意思をついで脈々と30年代、40年代のサウンドを今に伝える。かつて、彼らはこのサウンドで当時の若者たちを踊らせたのだろう。
バンドメンバーは、正確にはわからないが、20代から70代まで老若(ろうにゃく)さまざまだ。音楽に国境がないように、年齢差もない。誰かがソロを取るとき、他のメンバーはまったく表情も変えず、じっと待っている。しかし、ひとたびソロの出番が来ると、何かがのりうつったように生き生きする。何がおもしろいって、このバンドメンバーの表情を見ているだけで、思う存分楽しめた。
ひょっとして、彼らは演奏することを楽しんでいるのだろうか、それとも仕事としてただやっているだけなのだろうか、などとも考えてしまう。しかし、音を出し始めるとおもしろいくらいに決める。まあ、職人ということなのだろう。楽士という言葉がぴったりのメンバーだ。
指揮者のビル・ヒューズがマイクを持つ。「ベニー・カーターは、長い間活躍したミュージシャンでした。彼はいくつもの楽器を演奏し、93歳になるまで、18歳の頃と同じようにプレイし、そして、95歳で亡くなった。彼が50年代後期に書いた作品で、ベイシーのアルバム『カンサス・シティー・スイート』に入ってる曲をやります」 こうして始まった軽い作品は、「ヴァイン・ストリート・ランブル」。いい感じ。
女性シンガー、カーメン・ブラッドフォードが登場すると空気が一変する。楽器を極めた人間がいたる思い、それは「声こそ最高の楽器だ」という境地だ。どれほどインストの演奏が素晴らしくても、人間の声が、言葉を持ってメロディーを奏でた瞬間、すべての空間を掴んでしまう。これはある種の宿命だ。
ショウが終わり、みな舞台を去ったが、老練なサックス奏者のひとりだけが最後まで荷物を片付けるのに手間取っていた。舞台を降り、通路を歩いていく時に、車輪付きの機内持込可のバックを引っ張っていた。「海外旅行でも行くのか(笑)」と思ったのだが、おそらく、楽譜など舞台で使う様々なものが入っているのだろう。彼にとっては楽屋からステージに向かう間までも、小さな旅なのかもしれない。
ブルーノートのウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20040927.html
(2004年9月29日水曜、東京ブルーノート=カウント・ベイシー・オーケストラ・ライヴ)
一人、また、一人。ゆっくりとメンバーがステージに上がっていく。ふと気がつくと、それまでだれもいなかったステージにメンバー全員が上がっていた。
圧巻は、4人のトランペット、4人のトロンボーン、そして、5人のサックスという13人のホーンセクションだ。茶色のスーツを着た紳士たちが、「カウント・ベイシー・オーケストラ」と書かれた譜面台の後ろに3列になって座っている。他にドラム、ギター、ベース、キーボード、そして、指揮者。ステージにいる男たちは総勢18人。そして、これに後半ヴォーカルを歌う女性シンガーが加わる。
一曲目が始まるなり、思った。これがかつてのダンスミュージックだったんだな、ということを。カウント・ベイシーは1904年生まれ、84年に死去しているので、今年で生誕100年、没後も20周年ということになる。このオーケストラ、ビッグバンドは、その後も故人の意思をついで脈々と30年代、40年代のサウンドを今に伝える。かつて、彼らはこのサウンドで当時の若者たちを踊らせたのだろう。
バンドメンバーは、正確にはわからないが、20代から70代まで老若(ろうにゃく)さまざまだ。音楽に国境がないように、年齢差もない。誰かがソロを取るとき、他のメンバーはまったく表情も変えず、じっと待っている。しかし、ひとたびソロの出番が来ると、何かがのりうつったように生き生きする。何がおもしろいって、このバンドメンバーの表情を見ているだけで、思う存分楽しめた。
ひょっとして、彼らは演奏することを楽しんでいるのだろうか、それとも仕事としてただやっているだけなのだろうか、などとも考えてしまう。しかし、音を出し始めるとおもしろいくらいに決める。まあ、職人ということなのだろう。楽士という言葉がぴったりのメンバーだ。
指揮者のビル・ヒューズがマイクを持つ。「ベニー・カーターは、長い間活躍したミュージシャンでした。彼はいくつもの楽器を演奏し、93歳になるまで、18歳の頃と同じようにプレイし、そして、95歳で亡くなった。彼が50年代後期に書いた作品で、ベイシーのアルバム『カンサス・シティー・スイート』に入ってる曲をやります」 こうして始まった軽い作品は、「ヴァイン・ストリート・ランブル」。いい感じ。
女性シンガー、カーメン・ブラッドフォードが登場すると空気が一変する。楽器を極めた人間がいたる思い、それは「声こそ最高の楽器だ」という境地だ。どれほどインストの演奏が素晴らしくても、人間の声が、言葉を持ってメロディーを奏でた瞬間、すべての空間を掴んでしまう。これはある種の宿命だ。
ショウが終わり、みな舞台を去ったが、老練なサックス奏者のひとりだけが最後まで荷物を片付けるのに手間取っていた。舞台を降り、通路を歩いていく時に、車輪付きの機内持込可のバックを引っ張っていた。「海外旅行でも行くのか(笑)」と思ったのだが、おそらく、楽譜など舞台で使う様々なものが入っているのだろう。彼にとっては楽屋からステージに向かう間までも、小さな旅なのかもしれない。
ブルーノートのウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20040927.html
(2004年9月29日水曜、東京ブルーノート=カウント・ベイシー・オーケストラ・ライヴ)
(ミュージカル『ビッグ・リバー』のライヴ評です。若干ネタばれがあります--Live Review of Musical "Big River"; Read It At Your Own Risk)
大河。
「ビッグ・リヴァー」とは、まさに文字通り大きな河のこと。ここで言う大河は、アメリカのほぼ中央を南北に走るミシシッピー川だ。この河を冒険する二人の男。一人は白人、一人は黒人。彼らが河を進む中で深める友情と、波乱万丈の物語。それがブロードウェイ・ミュージカル『ビッグ・リバー』だ。
アメリカの文豪マーク・トゥエインの人気小説『ハックルベリー・フィンの冒険』を元に書かれたもので、ミュージカル自体は85年に初演が行われた。そして、その通常版とは違い、聾者(ろうしゃ)と聴覚健常者からなる制作陣で作られているのが、今回日本にやってきたヴァージョンである。これはデフ・ウェスト・シアター・ヴァージョンの『ビッグ・リバー』で、アメリカでは2003年夏にブロードウェイで公開され高い評価を得たもの。(アメリカでは2001年に一度デフ・ウェスト・シアターで公開されたが、今回来日したのは2003年ヴァージョン)
舞台は、まだ黒人奴隷制度があった南北戦争前の1850年頃。父親の暴力から逃れるためにビッグ・リヴァーをいかだで旅しようという白人少年ハックルベリー。ハックは以前からの知り合いである黒人奴隷のジムと再会するが、彼は売りに出されてしまった妻子を取り戻しに行こうと考えていた。そこで二人でビッグ・リヴァーを下る冒険にでることにする。ジムは逃亡奴隷と間違われると大変なので、ハックの奴隷ということにしなければならない。
ハックは、暴力父親、また窮屈な養子家庭からの自由を求め、一方、ジムは奴隷制度からの自由を求めていた。二人ともにそれぞれの自由を求めての旅だった。その旅の過程でハックとジムの間に芽生えていく友情。そこにからんでくるペテン師の二人。一体どうなるのか。
舞台は作家マーク・トゥエインがナレーターとなって、自分が書き上げた小説を観客に紹介していくスタイルで語られていく。バックの大道具は本を模した形になっていて観客はあたかも絵本を見ているかのように、芝居の進展を見守ることになる。しかも、彼らはセリフを言いながら、すべて手話(英語)でも同じセリフを表現する。これには驚かされた。主人公ハックは、実際に聾者である役者タイロン・ジョルダーノが演じる。ただし彼の声はマーク・トゥエイン役のダニエル・ジェンキンスが演じている。
二部構成の物語はひじょうにわかりやすく、途中で歌われるゴスペル調の歌にも感銘を受けた。特に一部の後半で、別の逃亡した奴隷が捕らえられた時にしっとりと歌われた「ザ・クロッシング(川を渡る)」という曲は、二人の黒人シンガーが歌いすばらしかった。
また、それまで十数人で歌っていた歓喜の歌の音が一瞬消え、同じ歌詞が一瞬手話だけになり、会場に静寂が訪れたときには、ひじょうに熱いものを感じた。ミュージカルで音をなくして、感動させるなどという演出は思いもよらなかった。ハイライト・シーンのひとつだ。
歌われる楽曲に歌詞の訳がでるため、これもわかりやすく、物語にとけこんでいける。そして、いくつかの歌がとても印象に残る。ただし、字幕の位置が舞台の左右ぎりぎりにあるために、ちょっと字幕に集中してしまうと、演技を見逃してしまうことがある。ほんのもう少しでいいので舞台中側にもってくるか、あるいは、文字をもう一回り大きくできないだろうか。じゃまになるのかな。このあたりは、検討課題だと思う。
このハックルベリー・フィンは、アメリカではある種の定番中の定番の物語なのだろう。まさに古典中の古典という感じがした。アメリカ人誰もが「常識」として知っているような物語。そして、古典が持つ、永続性、継続の力に改めて感銘を受けた。
ここに語られる物語の本質は、150年を経た今も変わらない。それはジムの、ハックの自由を求める旅だ。そして、それは正しくソウル・サーチンの旅でもある。
この日は、皇室の紀子さまが観劇されていた。
ミュージカル『ビッグ・リバー』
9月28日から10月24日まで、青山劇場
http://www.big-river.jp
http://www.horipro.co.jp/ticket/kouen.cgi?Detail=44
(2004年9月28日火曜、ミュージカル『ビッグ・リバー』)
大河。
「ビッグ・リヴァー」とは、まさに文字通り大きな河のこと。ここで言う大河は、アメリカのほぼ中央を南北に走るミシシッピー川だ。この河を冒険する二人の男。一人は白人、一人は黒人。彼らが河を進む中で深める友情と、波乱万丈の物語。それがブロードウェイ・ミュージカル『ビッグ・リバー』だ。
アメリカの文豪マーク・トゥエインの人気小説『ハックルベリー・フィンの冒険』を元に書かれたもので、ミュージカル自体は85年に初演が行われた。そして、その通常版とは違い、聾者(ろうしゃ)と聴覚健常者からなる制作陣で作られているのが、今回日本にやってきたヴァージョンである。これはデフ・ウェスト・シアター・ヴァージョンの『ビッグ・リバー』で、アメリカでは2003年夏にブロードウェイで公開され高い評価を得たもの。(アメリカでは2001年に一度デフ・ウェスト・シアターで公開されたが、今回来日したのは2003年ヴァージョン)
舞台は、まだ黒人奴隷制度があった南北戦争前の1850年頃。父親の暴力から逃れるためにビッグ・リヴァーをいかだで旅しようという白人少年ハックルベリー。ハックは以前からの知り合いである黒人奴隷のジムと再会するが、彼は売りに出されてしまった妻子を取り戻しに行こうと考えていた。そこで二人でビッグ・リヴァーを下る冒険にでることにする。ジムは逃亡奴隷と間違われると大変なので、ハックの奴隷ということにしなければならない。
ハックは、暴力父親、また窮屈な養子家庭からの自由を求め、一方、ジムは奴隷制度からの自由を求めていた。二人ともにそれぞれの自由を求めての旅だった。その旅の過程でハックとジムの間に芽生えていく友情。そこにからんでくるペテン師の二人。一体どうなるのか。
舞台は作家マーク・トゥエインがナレーターとなって、自分が書き上げた小説を観客に紹介していくスタイルで語られていく。バックの大道具は本を模した形になっていて観客はあたかも絵本を見ているかのように、芝居の進展を見守ることになる。しかも、彼らはセリフを言いながら、すべて手話(英語)でも同じセリフを表現する。これには驚かされた。主人公ハックは、実際に聾者である役者タイロン・ジョルダーノが演じる。ただし彼の声はマーク・トゥエイン役のダニエル・ジェンキンスが演じている。
二部構成の物語はひじょうにわかりやすく、途中で歌われるゴスペル調の歌にも感銘を受けた。特に一部の後半で、別の逃亡した奴隷が捕らえられた時にしっとりと歌われた「ザ・クロッシング(川を渡る)」という曲は、二人の黒人シンガーが歌いすばらしかった。
また、それまで十数人で歌っていた歓喜の歌の音が一瞬消え、同じ歌詞が一瞬手話だけになり、会場に静寂が訪れたときには、ひじょうに熱いものを感じた。ミュージカルで音をなくして、感動させるなどという演出は思いもよらなかった。ハイライト・シーンのひとつだ。
歌われる楽曲に歌詞の訳がでるため、これもわかりやすく、物語にとけこんでいける。そして、いくつかの歌がとても印象に残る。ただし、字幕の位置が舞台の左右ぎりぎりにあるために、ちょっと字幕に集中してしまうと、演技を見逃してしまうことがある。ほんのもう少しでいいので舞台中側にもってくるか、あるいは、文字をもう一回り大きくできないだろうか。じゃまになるのかな。このあたりは、検討課題だと思う。
このハックルベリー・フィンは、アメリカではある種の定番中の定番の物語なのだろう。まさに古典中の古典という感じがした。アメリカ人誰もが「常識」として知っているような物語。そして、古典が持つ、永続性、継続の力に改めて感銘を受けた。
ここに語られる物語の本質は、150年を経た今も変わらない。それはジムの、ハックの自由を求める旅だ。そして、それは正しくソウル・サーチンの旅でもある。
この日は、皇室の紀子さまが観劇されていた。
ミュージカル『ビッグ・リバー』
9月28日から10月24日まで、青山劇場
http://www.big-river.jp
http://www.horipro.co.jp/ticket/kouen.cgi?Detail=44
(2004年9月28日火曜、ミュージカル『ビッグ・リバー』)
ディープ。
シカゴ、メンフィスなどを中心に活躍するヴェテラン女性R&Bシンガー、デニス・ラサールの来日が決定した。ラサールの来日公演は1980年、赤坂ムゲン以来24年ぶり。
デニス・ラサールは1939年7月16日ミシシッピー州ベルゾーニ出身。本名デニス・クレイグ。20代でシカゴに移った。教会で歌い始め、その後はローカルクラブなどで活躍。また彼女は自身の作品を自分で書き、女性の視点で曲を書くソングライターとしても力を発揮した。シカゴのチェスレコードのディレクターが彼女のソングライターとしての才能に注目。チェスで自身がレコーディングしたこともある。
71年、デトロイトのインディ・レーベル、ウェストバウンドから出した「トラップド・バイ・ア・シング・コールド・ラヴ」がソウルで1位、ポップで13位になる大ヒットを記録。以来、コンスタントにソウルヒットを放った。77年メジャーのABCレコードに移籍、以後も「ラヴ・ミー・ライト」(77年)、「P.A.R.T.Y」(79年)などのヒットを放ち、日本でも女性サザンソウル・シンガーの第一人者として人気がある。80年、南部のマラコ・レコードが同社専属のソウルシンガー、ZZヒルのために作品を書いてくれと依頼したところから、彼女はマラコのアーティストに楽曲を提供するようになり、83年にはアーティストとしてマラコ・レコードに移籍、やはり良質でディープなソウル、R&Bを発表している。
なお、会場は11月5日舞浜ディズニーランド近くにあるモール・イクスピアリ内にオープンするクラブ・イクスピアリ。
+++++
デニス・ラサール公演日程[Denis LaSalle Japan Tour 2004]
12月18日(土)〜20日(月)/ Dec.18(sat),19(sun) & 20(mon)
18&19日:開場5時半/ 開演7時/ sat & sun 5:30 open/ 7:00 show time
20日:6時開場/ 7時半開演/ mon.6:00 open/ 7:30 show time
Price:\7,875( Advanced seat, include Tax) 前売・当日共
Place:クラブ・イクスピアリ(JR舞浜駅直結モール「イクスピアリ」4階
at Club IKSPIARI( Maihama station\n. on JR line/ same station.with Tokyo Desney Land)
*You can check the Club and Seats at www.clubikspiari.com or call to 047-305-5700
お問合せ:047-305-5700 /チケット予約:047-305-5659 or Ticket PIA: 0570-02-9999
ChocolateCream Productions inc. 03-3487-5442 or www.chocolatecream.co.jp/
12月21日(火)at 京都たくたく(Taku-Taku, Kyoto)
See their HP www.geisya.or.jp/~takutaku/ or call to 075-351-1321
JAPAN TOUR MEMBERS
Denise LaSalle Lead Vocalist
Marvin Hill Lead Guitar/ Music Director
Nathan Fyrestone Bass Guitar
Undecided(未定) keyboards
Sam Allen drums
Karen Wolfe Background Vocalist
Jewel Jones Background Vocalist
Denise LaSalle (Discography)
Trapped By A Thing Called Love(Westbound) 1971
On The Loose(Westbound)
Here I Am(Westbound)
Second Breath(ABC) 1976
The Bitch Is Bad(ABC) 1977
Under The Influence (ABC)1978
Unwrapped(MCA) 1979
I’m So Hot(MCA) 1980
Guaranteed(MCA) 1981
A Lady In The Street(Malaco) 1983
Right Place, Right Time(Malaco) 1984
Love Talkin’(Malaco) 1985
Rain And Fire(Malaco) 1986
It’s Laying Time Again(Malaco) 1987
Hittin’ Where It Hurts(Malaco) 1988
Still Trapped(Malaco) 1990
Smokin’ In Bed(Malaco) 1997
God’s Got My Back(Angel) 1999
This Real Woman(Ordena) 2000
There’s No Separation(Ordena) 2001
Still The Queen(Ecko) 2002
Love Talkin’ [2004]
シカゴ、メンフィスなどを中心に活躍するヴェテラン女性R&Bシンガー、デニス・ラサールの来日が決定した。ラサールの来日公演は1980年、赤坂ムゲン以来24年ぶり。
デニス・ラサールは1939年7月16日ミシシッピー州ベルゾーニ出身。本名デニス・クレイグ。20代でシカゴに移った。教会で歌い始め、その後はローカルクラブなどで活躍。また彼女は自身の作品を自分で書き、女性の視点で曲を書くソングライターとしても力を発揮した。シカゴのチェスレコードのディレクターが彼女のソングライターとしての才能に注目。チェスで自身がレコーディングしたこともある。
71年、デトロイトのインディ・レーベル、ウェストバウンドから出した「トラップド・バイ・ア・シング・コールド・ラヴ」がソウルで1位、ポップで13位になる大ヒットを記録。以来、コンスタントにソウルヒットを放った。77年メジャーのABCレコードに移籍、以後も「ラヴ・ミー・ライト」(77年)、「P.A.R.T.Y」(79年)などのヒットを放ち、日本でも女性サザンソウル・シンガーの第一人者として人気がある。80年、南部のマラコ・レコードが同社専属のソウルシンガー、ZZヒルのために作品を書いてくれと依頼したところから、彼女はマラコのアーティストに楽曲を提供するようになり、83年にはアーティストとしてマラコ・レコードに移籍、やはり良質でディープなソウル、R&Bを発表している。
なお、会場は11月5日舞浜ディズニーランド近くにあるモール・イクスピアリ内にオープンするクラブ・イクスピアリ。
+++++
デニス・ラサール公演日程[Denis LaSalle Japan Tour 2004]
12月18日(土)〜20日(月)/ Dec.18(sat),19(sun) & 20(mon)
18&19日:開場5時半/ 開演7時/ sat & sun 5:30 open/ 7:00 show time
20日:6時開場/ 7時半開演/ mon.6:00 open/ 7:30 show time
Price:\7,875( Advanced seat, include Tax) 前売・当日共
Place:クラブ・イクスピアリ(JR舞浜駅直結モール「イクスピアリ」4階
at Club IKSPIARI( Maihama station\n. on JR line/ same station.with Tokyo Desney Land)
*You can check the Club and Seats at www.clubikspiari.com or call to 047-305-5700
お問合せ:047-305-5700 /チケット予約:047-305-5659 or Ticket PIA: 0570-02-9999
ChocolateCream Productions inc. 03-3487-5442 or www.chocolatecream.co.jp/
12月21日(火)at 京都たくたく(Taku-Taku, Kyoto)
See their HP www.geisya.or.jp/~takutaku/ or call to 075-351-1321
JAPAN TOUR MEMBERS
Denise LaSalle Lead Vocalist
Marvin Hill Lead Guitar/ Music Director
Nathan Fyrestone Bass Guitar
Undecided(未定) keyboards
Sam Allen drums
Karen Wolfe Background Vocalist
Jewel Jones Background Vocalist
Denise LaSalle (Discography)
Trapped By A Thing Called Love(Westbound) 1971
On The Loose(Westbound)
Here I Am(Westbound)
Second Breath(ABC) 1976
The Bitch Is Bad(ABC) 1977
Under The Influence (ABC)1978
Unwrapped(MCA) 1979
I’m So Hot(MCA) 1980
Guaranteed(MCA) 1981
A Lady In The Street(Malaco) 1983
Right Place, Right Time(Malaco) 1984
Love Talkin’(Malaco) 1985
Rain And Fire(Malaco) 1986
It’s Laying Time Again(Malaco) 1987
Hittin’ Where It Hurts(Malaco) 1988
Still Trapped(Malaco) 1990
Smokin’ In Bed(Malaco) 1997
God’s Got My Back(Angel) 1999
This Real Woman(Ordena) 2000
There’s No Separation(Ordena) 2001
Still The Queen(Ecko) 2002
Love Talkin’ [2004]
Osaka Monaurail: Ain’t It Funky Now
2004年9月27日こだわり。
「寝ても冷めてもジェームス・ブラウンですから」 オーサカ=モノレールの中田さんはそう言った。昨日(26日)の『ソウル・ブレンズ』にゲストで登場しました。キング・オブ・ソウル、ジェームス・ブラウンにあこがれ、彼のファンク・ミュージックをリスペクトし、彼の音楽を自分でもやってみようと思ってバンドを作りました。
数年前、僕は「オーサカ=モノレール」というグループ名を初めて聞いた瞬間から「ジェームス・ブラウンの匂い」を感じました。「ひょっとして、あれかな」と。あれ、とは、ジェームス・ブラウンのバックバンド、JBズのアルバム『ハッスル・ウィズ・スピード』の中に収録されている「JBズ・モノレール」という曲です。そこからグループ名をとったのだろうと思いました。
さて、ジェームス・ブラウン・フリークの中田さんですが、彼のグループ、オーサカ=モノレールが新作アルバム、3作目『サンクフル(THANKFUL)』をリリースしました。あいかわらず、めちゃくちゃかっこいいファンクサウンドを聴かせてくれます。
『サンクフル(THANKFUL)』(シャウト、RDレコーズ、RDR1039=2004年9月23日発売)
このアルバムからの最初のシングル「サンクフル」のプロモヴィデオを見せてもらいました。これがおもしろい。CGのセットに、モノクロの写真のメンバーが立てかけられ、曲にあわせて、いろいろズームされるというもの。そのセットが、なんと70年代初期に、ジェームス・ブラウンが『ソウルトレイン』にでたときのものを模しています。
「高校の時、ジェームス・ブラウンのCDを初めて買ったんですよ。88年の『アイム・リアル』のアルバム。ジェームス・ブラウンっていう名前が、なんかかっこいいなあ、と思って。吉岡さん、それライナー書かれてますよね。何度も読みました」
ライナー書きました。(笑) ジェームス・ブラウンという名前がかっこいい、というところがすばらしい。(笑) そして、その音を聴いてめちゃくちゃかっこいいと思い、以来、どんどんジェームス・ブラウンの作品をさかのぼって聴くようになり、ついにはブラウンのようなファンクバンドを作ってしまったわけです。
ところで、この「オーサカ=モノレール」という表記、中田さんはかなりこだわっているそうです。「オーサカ・モノレール」ではなく、「オーサカ=モノレール」と「・」ではなく「=」でつなぎます。「オオサカ」ではなく、「オーサカ」です。もちろん、「大阪」でもありません。「・」か「=」について、彼は「昔は、『・』と『=』の両方が使われていたと思うんですけど、徐々に『・』が主流になってしまいましたね。だから、『=』だと、ちょっとレトロな感覚がでるかな、と思って。『オオサカ』とか、『大阪』って書かれてしまうこともあるんですけど、校正だせれば出しますよ(笑)」
中田さん、現在、本拠を大阪から東京に移してライヴ、レコーディングと忙しい日々を過ごしています。僕は、ミスター・ブラウンに彼らのライヴ・ショウを一度見せたいと思います。あるいは少なくとも、ヴィデオくらいは見せて、ブラウンがどのようなリアクションを見せるか、見てみたいです。
+++++
ライヴ情報
10月22日(金) 渋谷ヴエノス(Vuenos)
イヴェント名、「ヴォヤージ4」
料金 前売り2500円+ドリンク代別、当日3000円+ドリンク代別
出演 オーサカ=モノレール、森広隆・他。
この他、11月6日タワーレコード渋谷店でインストア他、全国各地でプロモーションを行います。詳しくは、下記ウェッブで。
http://www.rdrecords.com/index.shtml
「寝ても冷めてもジェームス・ブラウンですから」 オーサカ=モノレールの中田さんはそう言った。昨日(26日)の『ソウル・ブレンズ』にゲストで登場しました。キング・オブ・ソウル、ジェームス・ブラウンにあこがれ、彼のファンク・ミュージックをリスペクトし、彼の音楽を自分でもやってみようと思ってバンドを作りました。
数年前、僕は「オーサカ=モノレール」というグループ名を初めて聞いた瞬間から「ジェームス・ブラウンの匂い」を感じました。「ひょっとして、あれかな」と。あれ、とは、ジェームス・ブラウンのバックバンド、JBズのアルバム『ハッスル・ウィズ・スピード』の中に収録されている「JBズ・モノレール」という曲です。そこからグループ名をとったのだろうと思いました。
さて、ジェームス・ブラウン・フリークの中田さんですが、彼のグループ、オーサカ=モノレールが新作アルバム、3作目『サンクフル(THANKFUL)』をリリースしました。あいかわらず、めちゃくちゃかっこいいファンクサウンドを聴かせてくれます。
『サンクフル(THANKFUL)』(シャウト、RDレコーズ、RDR1039=2004年9月23日発売)
このアルバムからの最初のシングル「サンクフル」のプロモヴィデオを見せてもらいました。これがおもしろい。CGのセットに、モノクロの写真のメンバーが立てかけられ、曲にあわせて、いろいろズームされるというもの。そのセットが、なんと70年代初期に、ジェームス・ブラウンが『ソウルトレイン』にでたときのものを模しています。
「高校の時、ジェームス・ブラウンのCDを初めて買ったんですよ。88年の『アイム・リアル』のアルバム。ジェームス・ブラウンっていう名前が、なんかかっこいいなあ、と思って。吉岡さん、それライナー書かれてますよね。何度も読みました」
ライナー書きました。(笑) ジェームス・ブラウンという名前がかっこいい、というところがすばらしい。(笑) そして、その音を聴いてめちゃくちゃかっこいいと思い、以来、どんどんジェームス・ブラウンの作品をさかのぼって聴くようになり、ついにはブラウンのようなファンクバンドを作ってしまったわけです。
ところで、この「オーサカ=モノレール」という表記、中田さんはかなりこだわっているそうです。「オーサカ・モノレール」ではなく、「オーサカ=モノレール」と「・」ではなく「=」でつなぎます。「オオサカ」ではなく、「オーサカ」です。もちろん、「大阪」でもありません。「・」か「=」について、彼は「昔は、『・』と『=』の両方が使われていたと思うんですけど、徐々に『・』が主流になってしまいましたね。だから、『=』だと、ちょっとレトロな感覚がでるかな、と思って。『オオサカ』とか、『大阪』って書かれてしまうこともあるんですけど、校正だせれば出しますよ(笑)」
中田さん、現在、本拠を大阪から東京に移してライヴ、レコーディングと忙しい日々を過ごしています。僕は、ミスター・ブラウンに彼らのライヴ・ショウを一度見せたいと思います。あるいは少なくとも、ヴィデオくらいは見せて、ブラウンがどのようなリアクションを見せるか、見てみたいです。
+++++
ライヴ情報
10月22日(金) 渋谷ヴエノス(Vuenos)
イヴェント名、「ヴォヤージ4」
料金 前売り2500円+ドリンク代別、当日3000円+ドリンク代別
出演 オーサカ=モノレール、森広隆・他。
この他、11月6日タワーレコード渋谷店でインストア他、全国各地でプロモーションを行います。詳しくは、下記ウェッブで。
http://www.rdrecords.com/index.shtml
天才。
『ソウル・サーチン・トーキング』でケイリブと飛び入りのレディー・ヨーコさんが歌った「クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」は、1978年の初頭のヒット。ロバータとダニーのデュエットで知られる曲です。ソウルチャートで1位になりました。彼らが手を組んだのは、72年の「ホエア・イズ・ラヴ」以来、約6年ぶりのことでした。最近ではビヨンセとルーサー・ヴァンドロスのデュエットでも話題になっています。
この曲、最後のパートで歌われたので、イヴェントの時には説明ができずに終りましたが、実は77年にレコーディングした時、ダニーは入院中だったんですね。バンドとロバータが録音し、その後、ダニーをほんの何時間か病院から連れ出して、さっと録音したということです。病気だったにもかかわらず、あのパフォーマンスを見せるわけですから、やはり、ダニーは天才でしょう。
これを書いたのは、元々ジャズの巨匠、マイルス・デイヴィス・グループにいたジェームス・エムトゥーメ、レジー・ルーカスの二人。彼らはマイルスのグループを辞めた後、なかなかポップのフィールドで仕事ができずに、ロバータのバンドの仕事などで食いつないでいました。積極的にデモテープを作っては、業界の知り合いたちに手渡したりしていましたが、そんな中から生まれたのがこの曲でした。
元々ソロシンガー用に書かれた曲で、ロバータはたいへん気に入り、ヴォーカルを何度も何度もいれなおしました。しかし、ダニーは療養中のため、ほとんど一度か二度の録音ですまさなければなりません。このダニーのヴォーカル・パフォーマンスからは、彼が病気であったことなどまったく想像だにできません。
この曲は結局ロバータのアルバム『ブルー・ライツ・イン・ザ・ベースメント』(77年12月発売)に収録され、78年になってから第二弾シングルとしてカットされ、見事な大ヒットになるわけです。さらにこのシングルの成功が、二人に再びデュエットアルバムを作らせることにつながるわけです。78年、ダニーとロバータはそのアルバム作りに取りかかります。そして、4曲をダニーが録音したところで、すべての時の流れが止まりました。79年1月13日、ダニー・自殺。その理由はわかりません。病気を苦にしたのか。キャリアに不安を覚えたのか。そして、彼は伝説になったわけです。
『ソウル・サーチン・トーキング』でケイリブと飛び入りのレディー・ヨーコさんが歌った「クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」は、1978年の初頭のヒット。ロバータとダニーのデュエットで知られる曲です。ソウルチャートで1位になりました。彼らが手を組んだのは、72年の「ホエア・イズ・ラヴ」以来、約6年ぶりのことでした。最近ではビヨンセとルーサー・ヴァンドロスのデュエットでも話題になっています。
この曲、最後のパートで歌われたので、イヴェントの時には説明ができずに終りましたが、実は77年にレコーディングした時、ダニーは入院中だったんですね。バンドとロバータが録音し、その後、ダニーをほんの何時間か病院から連れ出して、さっと録音したということです。病気だったにもかかわらず、あのパフォーマンスを見せるわけですから、やはり、ダニーは天才でしょう。
これを書いたのは、元々ジャズの巨匠、マイルス・デイヴィス・グループにいたジェームス・エムトゥーメ、レジー・ルーカスの二人。彼らはマイルスのグループを辞めた後、なかなかポップのフィールドで仕事ができずに、ロバータのバンドの仕事などで食いつないでいました。積極的にデモテープを作っては、業界の知り合いたちに手渡したりしていましたが、そんな中から生まれたのがこの曲でした。
元々ソロシンガー用に書かれた曲で、ロバータはたいへん気に入り、ヴォーカルを何度も何度もいれなおしました。しかし、ダニーは療養中のため、ほとんど一度か二度の録音ですまさなければなりません。このダニーのヴォーカル・パフォーマンスからは、彼が病気であったことなどまったく想像だにできません。
この曲は結局ロバータのアルバム『ブルー・ライツ・イン・ザ・ベースメント』(77年12月発売)に収録され、78年になってから第二弾シングルとしてカットされ、見事な大ヒットになるわけです。さらにこのシングルの成功が、二人に再びデュエットアルバムを作らせることにつながるわけです。78年、ダニーとロバータはそのアルバム作りに取りかかります。そして、4曲をダニーが録音したところで、すべての時の流れが止まりました。79年1月13日、ダニー・自殺。その理由はわかりません。病気を苦にしたのか。キャリアに不安を覚えたのか。そして、彼は伝説になったわけです。
封印。
『ソウル・サーチン・トーキング』で、ダニー・ハザウェイの未発表曲を含む『アンソロジー(ボックスセット)』の発売が2年以上遅れているという話をした。そして、その理由はそこに収録されるロバータ・フラックとのデュエットに関して、ロバータが発売を許可しないかららしい、という説明を加えた。僕は単純にも、ロバータが許可しないことに、「なんでだ、ずいぶんな人だなあ」などと思ってしまった。このアンソロジーがなかなか発売されないものだから、では別の編成で未発表曲を出そう、ということもあって、今年の『ライヴ! ディーズ・ソングス・フォー・ユー』が出た。
さて、なぜロバータがダニーとのデュエットの発売に許可を与えないのか。元々彼女は、自分自身の作品が、ヒットもののオムニバスなどに収録されることを嫌う人だった。最近よくあるベストヒット形式のオムニバスにもほとんどロバータの作品は使われていない。ロバータが自分自身の作品は、自身のアルバムの中でのみ発表されるべきだと考えているからだ。アルバム全体で作品ができているのだから、切り売りはしない、ということだ。これは見識としてリスペクトできる。
だが、ダニーのアンソロジーなら、他のアーティストとの混在もない。極めてシンプルかつ、ファンの要望も強いことは百も承知だろう。「他でもない、ダニーの作品なんだから、いいじゃないか」という気になる。では、なぜ。
『ソウル・サーチン・トーキング』にいらしたOさんが、その点について実にうまい説明をしてくれた。「大阪で2000年くらいだったか、彼女のライヴを見た時に、やはりダニーについてロバータがしゃべっていたことをはっきりと覚えている。英語はわからないので、正確に何て言っていたのかはわからないけれど、ロバータはものすごくダニーのことを愛していたんじゃないかと感じた。そのコメントにはものすごく愛があふれていたの。だから、私はそのことを吉岡さんに聞きたかったんです。あの二人はつきあっていたんですか」
「ダニーとロバータがつきあっていたかどうかは、わからないなあ。つきあっていたかもしれないし、ただ単純に音楽的な結びつきだけだったかもしれない」と僕。 「でも、あの二人はエッチしてるんじゃないかしら。そうじゃなきゃ、あれほど愛がほとばしるデュエットにはならないと思う。時々、デュエットでもまったく愛が感じられないものがあるでしょう。(笑) (ダニーとロバータは)仮にしていなくても、する寸前とか。彼らのデュエットには愛が間違いなくあるわ。吉岡さんが2002年にロバータがダニーのことを語った時のことを話したとき、『そうそう』と思った」 確かに二人のデュエットに愛はある。
「だからこそ、彼女はそのデュエットを外に出せないんじゃないかしら。世に出す、人前にさらすというのは、ものすごくパッションとエネルギーがいるでしょう。すごく大事なものは、逆にひけらかせないのよ。だからロバータの気持ちはよくわかる」
なるほど。79年1月のダニーの自殺という死はロバータにとってもはかりしれないほどの衝撃を与えたに違いない。それは今でもトラウマになっているかもしれないし、彼女自身がなんらかの後悔の念を持っているかもしれない。まさに彼女とのデュエットアルバムを作っている最中に、ダニーは自殺しているのだ。ロバータが直接彼の死に責任を負う必要はないにせよ、彼女自身は大きな負い目を持っているかもしれない。
となると、彼女があらゆるダニーとのデュエットソングを「封印」したいと思うことも自然なことだ。ひょっとしたら、遺言で自分が死んだら発売してもいい、などとしたためているかもしれない。
「大事なものほど、しまっておきたい」 ロバータの心の奥底にそういう気持ちがあるのだろう。ダニーとのデュエットというのは、ロバータにとって墓場まで自分だけで持っていきたい、極めてプレシャスな一点ものの豪華な宝石なのだ。それほど素晴らしい想い出。だから人前には出せないのだ。
『ソウル・サーチン・トーキング』の冒頭で紹介したロバータのインタヴューで、最後に一言彼女が言う。「ダニーのレガシーが今の若い人たちにも伝えられればいいと思う」 この後、すこし間があって、「私は生きているのにね」とぽつりと言った。やはり、彼女はダニーの死に対して、自分なりの責任というものを痛切に感じているのだ。その心の奥底は決して語られることはないだろうが、だが、この一言でダニーへの思いが世界中の誰よりも強いということに気がつかされた。
ダニー死して25年。四半世紀。だが、ロバータにとってはそれはまるで昨日の衝撃として生々しく心に刻まれているのだ。
『ソウル・サーチン・トーキング』で、ダニー・ハザウェイの未発表曲を含む『アンソロジー(ボックスセット)』の発売が2年以上遅れているという話をした。そして、その理由はそこに収録されるロバータ・フラックとのデュエットに関して、ロバータが発売を許可しないかららしい、という説明を加えた。僕は単純にも、ロバータが許可しないことに、「なんでだ、ずいぶんな人だなあ」などと思ってしまった。このアンソロジーがなかなか発売されないものだから、では別の編成で未発表曲を出そう、ということもあって、今年の『ライヴ! ディーズ・ソングス・フォー・ユー』が出た。
さて、なぜロバータがダニーとのデュエットの発売に許可を与えないのか。元々彼女は、自分自身の作品が、ヒットもののオムニバスなどに収録されることを嫌う人だった。最近よくあるベストヒット形式のオムニバスにもほとんどロバータの作品は使われていない。ロバータが自分自身の作品は、自身のアルバムの中でのみ発表されるべきだと考えているからだ。アルバム全体で作品ができているのだから、切り売りはしない、ということだ。これは見識としてリスペクトできる。
だが、ダニーのアンソロジーなら、他のアーティストとの混在もない。極めてシンプルかつ、ファンの要望も強いことは百も承知だろう。「他でもない、ダニーの作品なんだから、いいじゃないか」という気になる。では、なぜ。
『ソウル・サーチン・トーキング』にいらしたOさんが、その点について実にうまい説明をしてくれた。「大阪で2000年くらいだったか、彼女のライヴを見た時に、やはりダニーについてロバータがしゃべっていたことをはっきりと覚えている。英語はわからないので、正確に何て言っていたのかはわからないけれど、ロバータはものすごくダニーのことを愛していたんじゃないかと感じた。そのコメントにはものすごく愛があふれていたの。だから、私はそのことを吉岡さんに聞きたかったんです。あの二人はつきあっていたんですか」
「ダニーとロバータがつきあっていたかどうかは、わからないなあ。つきあっていたかもしれないし、ただ単純に音楽的な結びつきだけだったかもしれない」と僕。 「でも、あの二人はエッチしてるんじゃないかしら。そうじゃなきゃ、あれほど愛がほとばしるデュエットにはならないと思う。時々、デュエットでもまったく愛が感じられないものがあるでしょう。(笑) (ダニーとロバータは)仮にしていなくても、する寸前とか。彼らのデュエットには愛が間違いなくあるわ。吉岡さんが2002年にロバータがダニーのことを語った時のことを話したとき、『そうそう』と思った」 確かに二人のデュエットに愛はある。
「だからこそ、彼女はそのデュエットを外に出せないんじゃないかしら。世に出す、人前にさらすというのは、ものすごくパッションとエネルギーがいるでしょう。すごく大事なものは、逆にひけらかせないのよ。だからロバータの気持ちはよくわかる」
なるほど。79年1月のダニーの自殺という死はロバータにとってもはかりしれないほどの衝撃を与えたに違いない。それは今でもトラウマになっているかもしれないし、彼女自身がなんらかの後悔の念を持っているかもしれない。まさに彼女とのデュエットアルバムを作っている最中に、ダニーは自殺しているのだ。ロバータが直接彼の死に責任を負う必要はないにせよ、彼女自身は大きな負い目を持っているかもしれない。
となると、彼女があらゆるダニーとのデュエットソングを「封印」したいと思うことも自然なことだ。ひょっとしたら、遺言で自分が死んだら発売してもいい、などとしたためているかもしれない。
「大事なものほど、しまっておきたい」 ロバータの心の奥底にそういう気持ちがあるのだろう。ダニーとのデュエットというのは、ロバータにとって墓場まで自分だけで持っていきたい、極めてプレシャスな一点ものの豪華な宝石なのだ。それほど素晴らしい想い出。だから人前には出せないのだ。
『ソウル・サーチン・トーキング』の冒頭で紹介したロバータのインタヴューで、最後に一言彼女が言う。「ダニーのレガシーが今の若い人たちにも伝えられればいいと思う」 この後、すこし間があって、「私は生きているのにね」とぽつりと言った。やはり、彼女はダニーの死に対して、自分なりの責任というものを痛切に感じているのだ。その心の奥底は決して語られることはないだろうが、だが、この一言でダニーへの思いが世界中の誰よりも強いということに気がつかされた。
ダニー死して25年。四半世紀。だが、ロバータにとってはそれはまるで昨日の衝撃として生々しく心に刻まれているのだ。
ブランク。
そして、駐車場に入ろうとしているときに携帯がなった。ケイリブからだ。「じつは話があるんだ。昨日、僕が(ソウル・サーチン・トーキングのイヴェントで)自分のCDを売っただろう。6枚売れたんだけど・・・、それがどうもみんな中に入っていたのが、ブランクCDらしいんだ。うちに戻って調べてみたら、おいてあったのがみんなそうだった。どうやら、CDを焼いたときに、60%くらいしか焼けなかったようで、完全には焼けなかったらしい」
そうそう、すでに書き込みがあった。「そこでお願いなんだが、もし僕のCDを買っていて、ブランクCDだったら、僕にメールをくれるようにウェッブに書いてくれないか。その人たちには、僕からすぐにちゃんと音の入ったCDを送るから」 「もちろん、了解、了解」
そこで、昨日CDを買われた方、6人の方が買われたようなのですが、そのうち2枚は行き先がわかっているので、残る4枚を買われた方(一枚は、BBSに書き込まれたrayさんかな)は、ケイリブに直接メールを送ってみてください。一応、ケイリブのパソコンは英語のみですが、送り先のお名前と住所をお送りください。あるいは、英語がだめという方は僕の方にメールをいただいても、けっこうです。
ケイリブのアドレスは kay@kalebjames.com
ソウルサーチンのアドレス soul_searchin_talking@hotmail.com
その用件が終った後、軽く雑談。「普段、バーなんかではあんなに張り上げて歌うことはないし、だいたいみんな僕の歌は聞いていない。でも、昨日のような場所では、みんなが僕の歌を聞いてくれているから、とてもやりがいがあるよ。こんな機会を与えてくれて、ありがとう」 「いやいや、こちらこそ、すばらしいパフォーマンスをありがとう。あそこでは、みんなが君を見ている、みんなが君の歌を真剣に聞いているよ。リアクションもしっかりあるし」 「また、ぜひやろう」
実際、ケイリブが歌ったダニーの歌の数々は僕たちも初めて聴くものが多かった。本人もどうなるかわからないという部分もあった。確かに、ケイリブの歌声は、ダニーの声質に似ているので、やはりあっているのでしょう。さて、次回は何かな。やはり、流れから行くと、マーヴィンでしょうかね。(笑)
そして、駐車場に入ろうとしているときに携帯がなった。ケイリブからだ。「じつは話があるんだ。昨日、僕が(ソウル・サーチン・トーキングのイヴェントで)自分のCDを売っただろう。6枚売れたんだけど・・・、それがどうもみんな中に入っていたのが、ブランクCDらしいんだ。うちに戻って調べてみたら、おいてあったのがみんなそうだった。どうやら、CDを焼いたときに、60%くらいしか焼けなかったようで、完全には焼けなかったらしい」
そうそう、すでに書き込みがあった。「そこでお願いなんだが、もし僕のCDを買っていて、ブランクCDだったら、僕にメールをくれるようにウェッブに書いてくれないか。その人たちには、僕からすぐにちゃんと音の入ったCDを送るから」 「もちろん、了解、了解」
そこで、昨日CDを買われた方、6人の方が買われたようなのですが、そのうち2枚は行き先がわかっているので、残る4枚を買われた方(一枚は、BBSに書き込まれたrayさんかな)は、ケイリブに直接メールを送ってみてください。一応、ケイリブのパソコンは英語のみですが、送り先のお名前と住所をお送りください。あるいは、英語がだめという方は僕の方にメールをいただいても、けっこうです。
ケイリブのアドレスは kay@kalebjames.com
ソウルサーチンのアドレス soul_searchin_talking@hotmail.com
その用件が終った後、軽く雑談。「普段、バーなんかではあんなに張り上げて歌うことはないし、だいたいみんな僕の歌は聞いていない。でも、昨日のような場所では、みんなが僕の歌を聞いてくれているから、とてもやりがいがあるよ。こんな機会を与えてくれて、ありがとう」 「いやいや、こちらこそ、すばらしいパフォーマンスをありがとう。あそこでは、みんなが君を見ている、みんなが君の歌を真剣に聞いているよ。リアクションもしっかりあるし」 「また、ぜひやろう」
実際、ケイリブが歌ったダニーの歌の数々は僕たちも初めて聴くものが多かった。本人もどうなるかわからないという部分もあった。確かに、ケイリブの歌声は、ダニーの声質に似ているので、やはりあっているのでしょう。さて、次回は何かな。やはり、流れから行くと、マーヴィンでしょうかね。(笑)
醍醐味。
おつかれさまでした。『ソウル・サーチン・トーキング 第三回』。席が一杯でお座りになれなかった方、申し訳ありませんでした。この『ソウル・サーチン・トーキング 第三回』さらに、その前の回については、報告をする意味で別にページをもうけてみたいと思います。
オープニングの簡単なヴィデオが終ってから、ケイリブがピアノを弾き始め、歌いだしたのは「ソング・フォー・ユー」でした。やはり、ケイリブはダニーの声にあっているようですね。声質が似ているのか。けっこう向いています。
ダニーの資料や、インタヴューなどは極めて少ないので、反省点としては詳細なネタを集めきれなかったかな、というのは僕は個人的にありました。今回もいろいろあたってみましたが、少なくともネットではでてきませんね。昔の印刷文献をあたらないとだめかもしれません。
半分以上の方アンケートを書いていただきました。ありがとうございます。さまざまざなご意見を参考に、次回以降に反映していきたいと思います。
第二部で、ダニーが72年頃に出演したアメリカの『フリップ・ウィルソン・ショウ』に出演したときの映像を少しご紹介しました。ここで、彼はバンドで、口パクではなく、「プット・ユア・ハンド・イン・ユア・ハンド(邦題、サインはピース」を歌います。おそらく、会場のほとんど全員にとってダニーの動く映像の目撃になったのではないかと思います。これはねえ、ライヴをしているところが、テレビに映っているだけなのに、すばらしいですね。観客席からもヴィデオが終ったときに、拍手が来ました。
第二部になってからやった曲の中で、ケイリブは「リトル・ゲットー・ボーイ」のコーラス部分「エヴリシングス・ガット・トゥ・ビー・ベター」を観客にコーラスさせたのですが、これはなかなか盛り上がった。このあたりから徐々にヒートアップした感じ。
セット4は、事前にケイリブがリストアップしていた曲名に「ホワッツ・ゴーイン・オン」しかなかったので、「これ一曲で15分やるのか」と尋ねると、「いやあ、もう少しメドレーで彼が緊急にやることを決めた曲と言って歌いだしたのが「ホー・オール・ウィ・ノウ」。そして、観客席にいたレディー・ヨーコさんを呼び出し、なんとデュエットをご披露! それが、「ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」でした。「あの人は誰?」とみんなびっくりしていました。
そして、アンコールで歌われた「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」は、観客全員があのサビのところを歌ってかなり盛り上がりました。やはりこういう感じはライヴの醍醐味ですね。ケイリブもこういう観客とのやりとりが好きで、のらせるのがうまい。そのときにコメントで言いましたが、木下航志くんも今日の「ソウル・サーチン・トーキング」にいらしたような観客の前で歌わせたいなあ、と思ったわけです。
いずれにせよ、ご来場いただいた方、くったくのないご意見、ご希望、ダメだしなど、ご遠慮なくどうぞ。ありがとうございました。また、詳細を後日まとめてみます。
setlist
Soul Searchin Talking Vol.3
At Rakuya 2004.9.22 (Wednesday)
show started 7:45
01. A Song For You
02. Flying Easy
03. Someday We’ll All Be Free
04. Superwoman
05. Jealous Guy
-- Put Your Hand In Your Hand (Donny Hathaway live video footage from Flip Wilson Show)
--Break--
Second Set
06. Little Ghetto Boy
07. I Love You More Than You’ll Ever Know
08. For All We Know
09. The Closer I Get To Know (with Lady Yoko)
10. What’s Goin’ On
Encore You’ve Got A Friend
show ended 10.49
(2004年9月22日水曜、ソウル・サーチン・トーキングVOL.3)
おつかれさまでした。『ソウル・サーチン・トーキング 第三回』。席が一杯でお座りになれなかった方、申し訳ありませんでした。この『ソウル・サーチン・トーキング 第三回』さらに、その前の回については、報告をする意味で別にページをもうけてみたいと思います。
オープニングの簡単なヴィデオが終ってから、ケイリブがピアノを弾き始め、歌いだしたのは「ソング・フォー・ユー」でした。やはり、ケイリブはダニーの声にあっているようですね。声質が似ているのか。けっこう向いています。
ダニーの資料や、インタヴューなどは極めて少ないので、反省点としては詳細なネタを集めきれなかったかな、というのは僕は個人的にありました。今回もいろいろあたってみましたが、少なくともネットではでてきませんね。昔の印刷文献をあたらないとだめかもしれません。
半分以上の方アンケートを書いていただきました。ありがとうございます。さまざまざなご意見を参考に、次回以降に反映していきたいと思います。
第二部で、ダニーが72年頃に出演したアメリカの『フリップ・ウィルソン・ショウ』に出演したときの映像を少しご紹介しました。ここで、彼はバンドで、口パクではなく、「プット・ユア・ハンド・イン・ユア・ハンド(邦題、サインはピース」を歌います。おそらく、会場のほとんど全員にとってダニーの動く映像の目撃になったのではないかと思います。これはねえ、ライヴをしているところが、テレビに映っているだけなのに、すばらしいですね。観客席からもヴィデオが終ったときに、拍手が来ました。
第二部になってからやった曲の中で、ケイリブは「リトル・ゲットー・ボーイ」のコーラス部分「エヴリシングス・ガット・トゥ・ビー・ベター」を観客にコーラスさせたのですが、これはなかなか盛り上がった。このあたりから徐々にヒートアップした感じ。
セット4は、事前にケイリブがリストアップしていた曲名に「ホワッツ・ゴーイン・オン」しかなかったので、「これ一曲で15分やるのか」と尋ねると、「いやあ、もう少しメドレーで彼が緊急にやることを決めた曲と言って歌いだしたのが「ホー・オール・ウィ・ノウ」。そして、観客席にいたレディー・ヨーコさんを呼び出し、なんとデュエットをご披露! それが、「ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」でした。「あの人は誰?」とみんなびっくりしていました。
そして、アンコールで歌われた「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」は、観客全員があのサビのところを歌ってかなり盛り上がりました。やはりこういう感じはライヴの醍醐味ですね。ケイリブもこういう観客とのやりとりが好きで、のらせるのがうまい。そのときにコメントで言いましたが、木下航志くんも今日の「ソウル・サーチン・トーキング」にいらしたような観客の前で歌わせたいなあ、と思ったわけです。
いずれにせよ、ご来場いただいた方、くったくのないご意見、ご希望、ダメだしなど、ご遠慮なくどうぞ。ありがとうございました。また、詳細を後日まとめてみます。
setlist
Soul Searchin Talking Vol.3
At Rakuya 2004.9.22 (Wednesday)
show started 7:45
01. A Song For You
02. Flying Easy
03. Someday We’ll All Be Free
04. Superwoman
05. Jealous Guy
-- Put Your Hand In Your Hand (Donny Hathaway live video footage from Flip Wilson Show)
--Break--
Second Set
06. Little Ghetto Boy
07. I Love You More Than You’ll Ever Know
08. For All We Know
09. The Closer I Get To Know (with Lady Yoko)
10. What’s Goin’ On
Encore You’ve Got A Friend
show ended 10.49
(2004年9月22日水曜、ソウル・サーチン・トーキングVOL.3)
大火事。
そして、六本木の裏の駐車場に車をいれて、スイートベイジルに向かった。今日は、TKO、あれちがう、TOK? ちがう、そう、TKYのライヴだ。Tはトク、Kは日野賢二、Yは小沼ようすけの3人。そして、これに大槻カルタ英宣(おおつき・ひでのぶ=ドラムス)、秋田慎治(あきた・しんじ=ピアノ)が加わった5人編成のバンドでライヴを聴かせた。
全体的には、とてもかっこいいなかなかのライヴだった。それぞれのミュージシャンがそれぞれにいい影響を与えつつミュージシャンシップがスパークしていた。一番驚いたのが、観客が8−2で圧倒的に女性が多いこと。やはり、イケメンズのミュージシャン・ライヴだからか。これにはびっくりした。
例えば、ここにいるそれぞれのミュージシャンは一緒にやる相手によって、どんどん影響を受けて柔軟なスタイルで音楽を演奏できる。一緒にやった人数分だけ、その音楽家の血となり肉となりという感じだ。みんな音楽的に柔軟性、吸収性があるように思えた。これはなかなかすばらしいことだ。
第一部の最後は、シックの「グッドタイムス」のリフをうまくアレンジして、それぞれがソロをとったりする。
小沼さんはCDよりはるかにライヴでファンキーさがでたときのほうが、輝きを増す。日野さんのチョッパーベースは、これはニューヨーク仕込みか。ソ〜〜、ファンキー。
第一部と第二部でトクが何曲か歌った。中でも、マイケル・ジャクソンの「レディー・イン・マイ・ライフ」(ロッド・テンパートンの作品)などは、なかなか印象的。アンコールで彼らが再度登場した時、トクが「情報が入ってきました。紹介したい人が来てます! 村上くん、ゴスペラーズの村上てつや〜〜〜」とアナウンスした。おや、いつの間に。アンコールは、トクお得意のフランク・マッコムの「ガッタ・ファインド・ア・ウェイ」だ。
仲の良いミュージシャン同士が気軽にジャムセッションをするような感じで始まったこのTKYのプロジェクト。すっかり、形が整ってきたようだ。バンドサウンドが確立しつつある。ということで、TKY、いよいよTKYとしてのレコーディングの話があるらしい。実現するとかなりの話題になりそうで、とても楽しみだ。山火事が自然発生的に起こるのと同じように、自然に始まったこのプロジェクトも、山を大きく焦がす大火事になりそうだ。
(2004年9月21日火曜、六本木スイートベイジル、TKYライヴ)
そして、六本木の裏の駐車場に車をいれて、スイートベイジルに向かった。今日は、TKO、あれちがう、TOK? ちがう、そう、TKYのライヴだ。Tはトク、Kは日野賢二、Yは小沼ようすけの3人。そして、これに大槻カルタ英宣(おおつき・ひでのぶ=ドラムス)、秋田慎治(あきた・しんじ=ピアノ)が加わった5人編成のバンドでライヴを聴かせた。
全体的には、とてもかっこいいなかなかのライヴだった。それぞれのミュージシャンがそれぞれにいい影響を与えつつミュージシャンシップがスパークしていた。一番驚いたのが、観客が8−2で圧倒的に女性が多いこと。やはり、イケメンズのミュージシャン・ライヴだからか。これにはびっくりした。
例えば、ここにいるそれぞれのミュージシャンは一緒にやる相手によって、どんどん影響を受けて柔軟なスタイルで音楽を演奏できる。一緒にやった人数分だけ、その音楽家の血となり肉となりという感じだ。みんな音楽的に柔軟性、吸収性があるように思えた。これはなかなかすばらしいことだ。
第一部の最後は、シックの「グッドタイムス」のリフをうまくアレンジして、それぞれがソロをとったりする。
小沼さんはCDよりはるかにライヴでファンキーさがでたときのほうが、輝きを増す。日野さんのチョッパーベースは、これはニューヨーク仕込みか。ソ〜〜、ファンキー。
第一部と第二部でトクが何曲か歌った。中でも、マイケル・ジャクソンの「レディー・イン・マイ・ライフ」(ロッド・テンパートンの作品)などは、なかなか印象的。アンコールで彼らが再度登場した時、トクが「情報が入ってきました。紹介したい人が来てます! 村上くん、ゴスペラーズの村上てつや〜〜〜」とアナウンスした。おや、いつの間に。アンコールは、トクお得意のフランク・マッコムの「ガッタ・ファインド・ア・ウェイ」だ。
仲の良いミュージシャン同士が気軽にジャムセッションをするような感じで始まったこのTKYのプロジェクト。すっかり、形が整ってきたようだ。バンドサウンドが確立しつつある。ということで、TKY、いよいよTKYとしてのレコーディングの話があるらしい。実現するとかなりの話題になりそうで、とても楽しみだ。山火事が自然発生的に起こるのと同じように、自然に始まったこのプロジェクトも、山を大きく焦がす大火事になりそうだ。
(2004年9月21日火曜、六本木スイートベイジル、TKYライヴ)
Asking Order For "Soul Searchin’" Book
2004年9月21日注文。
このウェッブページのタイトルにもなっている「ソウル・サーチン」は僕が2000年7月に出した著作からとっています。本ページのへヴィー・ヴィジターの方はすでにご存知だと思いますが、ソウルミュージシャン7組(ジョン・ホワイトヘッド、ハーヴィー・フークワ(マーヴィン・ゲイ)、マイケル・マッサー(モハメド・アリ)、シック、ウーマック&ウーマック、ミニー・リパートン、ナタリー・コール)にスポットをあてたいわば音楽ドキュメンタリーです。切り口は、そのミュージシャンの栄光と挫折の間にある「ソウル・サーチン」という行動です。
本の内容はかなり読み応えがあるもので、それぞれのアーティストのファンであったり、それぞれのアーティストに思い入れがある方は、その章に圧倒的に感動されるようです。シックのファンの方は、シックの章を何度も読み返し、「ラヴィン・ユー」でミニー・リパートンのファンになった人は、ミニーの章で涙するとききます。4年前に出版されていますが、自分で言うのもなんですが、今読んでも、まったく色あせることない輝きを持っています。
本の出版から約4年たったわけですが、つい先ごろ、初版(わずか3000部)がほぼ売り切れになったという報告を出版社から受けました。ちょうど僕自身昨年暮れ以降、何十部かまとめて買おうと思い、出版社に頼んでいたのですが、なかなか入荷しないでいた矢先のことでした。しかし、現時点で重版の予定がたっていません。ということは、これ以後、この『ソウル・サーチン』の本をなにかのきっかけで知って、書店に注文しても入手できないということになります。これは著者としても、またブラック・ミュージック、ソウル・ミュージック愛好家としても由々しき問題です。(笑)
「重版してもらえないか」と頼んでも、なかなかすぐにはできない、という返事。ある程度の数字が見込めれば考える、と。そこで、考えました。このウエッブをご覧になっている方へお願いです。書店にこの『ソウル・サーチン』の本を注文してください。注文が出版社に届けば、そこで出版社は重版を決断するかもしれません。ここだけの話ですが、注文して実際に買われなくてもかまいません。買っていただければもちろん、最高ですが。(笑) 注文を出すことが、増刷への第一歩らしいのです。
詳細は次の通りです。この本を出版元から取り寄せてくれ、と注文してください。現時点では、注文しても1-2週間してから「版元、品切れ」といった返事が返ってくるのでしょう。でも、それでもいいのです。注文が入ったという事実が残れば、重版への第一歩となります。
『ソウル・サーチン〜R&Bの心を求めて』(出版社、音楽之友社、2000年7月発売。吉岡正晴・著、2400円)
本日は、選挙演説のようにやってまいりました。あなたの一冊の本の注文をお近くの書店さんへ。よろしくお願いいたします。(ペコリ) あ、そうそう、もし中古書店で見つけたら僕ももちろん即買いです。(笑)
このウェッブページのタイトルにもなっている「ソウル・サーチン」は僕が2000年7月に出した著作からとっています。本ページのへヴィー・ヴィジターの方はすでにご存知だと思いますが、ソウルミュージシャン7組(ジョン・ホワイトヘッド、ハーヴィー・フークワ(マーヴィン・ゲイ)、マイケル・マッサー(モハメド・アリ)、シック、ウーマック&ウーマック、ミニー・リパートン、ナタリー・コール)にスポットをあてたいわば音楽ドキュメンタリーです。切り口は、そのミュージシャンの栄光と挫折の間にある「ソウル・サーチン」という行動です。
本の内容はかなり読み応えがあるもので、それぞれのアーティストのファンであったり、それぞれのアーティストに思い入れがある方は、その章に圧倒的に感動されるようです。シックのファンの方は、シックの章を何度も読み返し、「ラヴィン・ユー」でミニー・リパートンのファンになった人は、ミニーの章で涙するとききます。4年前に出版されていますが、自分で言うのもなんですが、今読んでも、まったく色あせることない輝きを持っています。
本の出版から約4年たったわけですが、つい先ごろ、初版(わずか3000部)がほぼ売り切れになったという報告を出版社から受けました。ちょうど僕自身昨年暮れ以降、何十部かまとめて買おうと思い、出版社に頼んでいたのですが、なかなか入荷しないでいた矢先のことでした。しかし、現時点で重版の予定がたっていません。ということは、これ以後、この『ソウル・サーチン』の本をなにかのきっかけで知って、書店に注文しても入手できないということになります。これは著者としても、またブラック・ミュージック、ソウル・ミュージック愛好家としても由々しき問題です。(笑)
「重版してもらえないか」と頼んでも、なかなかすぐにはできない、という返事。ある程度の数字が見込めれば考える、と。そこで、考えました。このウエッブをご覧になっている方へお願いです。書店にこの『ソウル・サーチン』の本を注文してください。注文が出版社に届けば、そこで出版社は重版を決断するかもしれません。ここだけの話ですが、注文して実際に買われなくてもかまいません。買っていただければもちろん、最高ですが。(笑) 注文を出すことが、増刷への第一歩らしいのです。
詳細は次の通りです。この本を出版元から取り寄せてくれ、と注文してください。現時点では、注文しても1-2週間してから「版元、品切れ」といった返事が返ってくるのでしょう。でも、それでもいいのです。注文が入ったという事実が残れば、重版への第一歩となります。
『ソウル・サーチン〜R&Bの心を求めて』(出版社、音楽之友社、2000年7月発売。吉岡正晴・著、2400円)
本日は、選挙演説のようにやってまいりました。あなたの一冊の本の注文をお近くの書店さんへ。よろしくお願いいたします。(ペコリ) あ、そうそう、もし中古書店で見つけたら僕ももちろん即買いです。(笑)
変幻自在。
水曜日の『ソウル・サーチン・トーキング』でダニーの名曲を歌ってくれるケイリブが代官山で歌っているので、ちょっと打ち合わせがてら会いに行った。行く前に確認の電話をしようとしたら、なんと携帯が「お客様の都合により・・・」のアナウンスが。おいおい、電話代払ってないのか、などと驚くが、店に電話したところ、9時から歌うことになっているので、行くことにする。
9時ちょっと前にケイリブ登場。「ちょうど、君に電話しようと思っていたところなんだ。電話が通じてないのをさっき、かけようと思った時に知ったんだよ。この前、AUに行ったときにはなんにも言われなかったのに、どういうことなんだろう」
まあ、それはおいといて、なんとこのところ激忙しいそうで、ほとんど寝ていなかったそうだ。そこであまり声が出ないので、今日はピアノの演奏を中心にする、という。実際、話す声もつらそう。「でも明日(月曜)とあさっては、声を休めて、これ(ソウル・サーチン)にかかりきりになるので、大丈夫だ、安心してくれ」という。
とりあえず、現状でケイリブが歌える曲と、こちらがどうしても歌って欲しい曲と、全体の構成を伝えた。やはり、彼にとっても難しい作品はある、という。たとえば、「ヘイ・ガール」は相当難しいそうだ。彼は「やはり、バンドでやりたい曲が多いなあ。『リトル・ゲットー・ボーイ』あたりは、バンド曲だよ」 「でも、これははずさないでね(笑)」
実は僕のイメージの中には「バンド曲をピアノ一本で演奏し歌う」というものがある。それは、スティーヴィーがライヴで「マイ・シェリー・アモール」をピアノ一本で歌った時にそのアイデアが浮かんだ。要はバンドサウンドでなじんだ曲でも、やりようによってはピアノ一本で新たな作品に生まれ変わるということだ。
さて、ケイリブの変幻自在でどんなダニー・ハザウェイの歌がよみがえるのだろうか。
水曜日の『ソウル・サーチン・トーキング』でダニーの名曲を歌ってくれるケイリブが代官山で歌っているので、ちょっと打ち合わせがてら会いに行った。行く前に確認の電話をしようとしたら、なんと携帯が「お客様の都合により・・・」のアナウンスが。おいおい、電話代払ってないのか、などと驚くが、店に電話したところ、9時から歌うことになっているので、行くことにする。
9時ちょっと前にケイリブ登場。「ちょうど、君に電話しようと思っていたところなんだ。電話が通じてないのをさっき、かけようと思った時に知ったんだよ。この前、AUに行ったときにはなんにも言われなかったのに、どういうことなんだろう」
まあ、それはおいといて、なんとこのところ激忙しいそうで、ほとんど寝ていなかったそうだ。そこであまり声が出ないので、今日はピアノの演奏を中心にする、という。実際、話す声もつらそう。「でも明日(月曜)とあさっては、声を休めて、これ(ソウル・サーチン)にかかりきりになるので、大丈夫だ、安心してくれ」という。
とりあえず、現状でケイリブが歌える曲と、こちらがどうしても歌って欲しい曲と、全体の構成を伝えた。やはり、彼にとっても難しい作品はある、という。たとえば、「ヘイ・ガール」は相当難しいそうだ。彼は「やはり、バンドでやりたい曲が多いなあ。『リトル・ゲットー・ボーイ』あたりは、バンド曲だよ」 「でも、これははずさないでね(笑)」
実は僕のイメージの中には「バンド曲をピアノ一本で演奏し歌う」というものがある。それは、スティーヴィーがライヴで「マイ・シェリー・アモール」をピアノ一本で歌った時にそのアイデアが浮かんだ。要はバンドサウンドでなじんだ曲でも、やりようによってはピアノ一本で新たな作品に生まれ変わるということだ。
さて、ケイリブの変幻自在でどんなダニー・ハザウェイの歌がよみがえるのだろうか。