コンサルタント。

今年一番の気温を記録したそうだ。暑い初夏の土曜日。前日に、ふと飲みの席でとあるディレクターより「ちょっときいてみてください。明日、インストアもあるんで、よかったらどうぞ」と何気なく一枚のCDを渡された。奥山みなこというシンガー。インディのフラワーレコードからでている7曲入りのミニアルバム。

聴いてみると、スティーヴィーの「リボン・イン・ザ・スカイ」をカヴァーしている。ヴァイオリンをいれたシンプルなアレンジ。声は落ち着いたトーン。黒さ、ソウルっぽさはない。普通に聴いたらポップスのカヴァーと思いそう。他のオリジナル曲は、なんかこう、デモテープのような素朴な感じ。

3時から来週3日(木曜)に、原宿のブルージェイウエイで行われる杉本篤彦バンドのイヴェント、「ザ・ソウル・オブ・ギター」の打ち合わせが現地であり、初めてこのお店に入った。昔ここはバスタパスタという一時期えらく流行ったイタリアンレストランだったところ。80年代初期って、今みたいに雨後のたけのこ状態であまりおしゃれな店がなかったので、このバスタパスタなんて大流行していた。そのころの面影はまったくなく、綺麗なライヴハウスになっていた。

打ち合わせは特に支障なく進んだが、ちょうどその時今日の出演者の方がリハーサルをしていた。フェビアン・レザ・パネさんというピアニスト。僕はまったく存じ上げなかったが、母が日本人、父がインドネシア人というハーフの方。担当の方に、もしよろしければ後でいかがですか、と誘われたので、ピアノ好きの僕としては7時過ぎに戻ることにした。

来週の「ソウル・オブ・ア・ギター」は、日本のデイヴィッドTウォーカーをめざす杉本篤彦さんがバンドでソウル、R&Bのヒットばかりを演奏するという企画イヴェント。僕も一部と二部の間で軽くおしゃべりで参加します。みなさんよろしければ、ぜひどうぞ。当日売りは500円高くなるそうなので、事前予約をいただけると嬉しいということです。僕自身も少しチケットを持っていますので、ご希望の方はメールでもください。アドレスはebs@st.rim.or.jpです。詳細は5月25日付け日記へ。

さて、打ち合わせが終わり、渋谷HMVに移動。6時過ぎからその奥山みなこのインストアに。途中、駐車場入りを待っていたら、そこになんと一緒にイヴェントなどもやったことがあるM氏がふらふらと歩いている。おもわず窓をあけて「Mさ〜〜ん」。これこれしかじか・・・。すると、M氏もHMVに登場。

インストアは、このアルバムからの曲を中心に彼女がキーボードと歌、他にベース、ギター、コーラスの3人がバックをつけていた。僕はまだ正直音楽的方向性がわからなかったが、じっくり聴いてみて、例えばこういうのはどう、という感じは思いついた。それは、マリア・モルダー、あるいは、ローラ・ニーロの路線だ。キャロル・キングではない。イギリスのケイト・ブッシュでもない。あるいは、もっと徹底したラウンジ系か。

スティーヴィーの「リボン・イン・ザ・スカイ」をちょっと期待したが、それはやらず、そのかわりバカラックの「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」を歌った。ディオンヌ・ワーウィックのヒット曲でたくさんのカヴァーがある作品だ。もちろん、ソウルファンはルーサーのヴァージョンでもなじみだが、彼女はどれを聴いたのだろうか。おそらくディオンヌ・ヴァージョンだと思われる。確かに、彼女の声はおちついていてちょっと魅力的ではある。いろいろ試行錯誤して、自分にぴったしの方向性を見つけるといいだろう。

そして、ブルージェイウェイに戻り、さきほどのピアノのフェビアン・レザ・パネを聴く。一見したところのルックスは普通の日本人と変わらない。カタカナの名前と登場した人物のギャップに少しびっくり。そんなことは音楽とは関係ない。すでに到着した時は最初のところが始まっていた。

全体的には静かなピアノ・ソロ。クラシックとポピュラーの中間的雰囲気。しいていうとかつて流行ったウィンダムヒル系のピアノといったところか。癒し系でしょうか。ひじょうにやさしいタッチでピアノを弾く。ただ全曲オリジナル曲なので、彼のピアノがうまいのか、そうでないのか判断できない。しかし、とても丁寧で、几帳面で、きめ細かい。

いくつかその曲のエピソードなどを交えて演奏に入るが、そういう話をもっとするといいと思う。もうちょっと聴きたい部分があった。例えば、第二部で演奏された「夕空のエピローグ」という曲は彼が成田から札幌に行く途中の飛行機で見た夕空がものすごく美しかったので、それを曲にした、といった。夕空を見て、どう思ったか。何を感じたのか。普通夕焼けは地上から見るが、それを雲の上から見たらどうだったのか。そうした話をすると、人々の中に夕焼けのイメージが残像として残る。そして、その残像を利用して曲を演奏すれば、その曲の記憶率が高まる、というわけだ。

昨日も書いたが、あるストーリーがあって、それにインスパイアーされて書いた曲です、という話をされてから聴くと、その曲がそういう風に聴こえてくるものだ。それは、まさに言葉のマジック、言葉の力だ。インストは歌がない部分、そういう補足があってもいいと思う。もちろん、演奏者によっては聴き手のイマジネーションを限定するからそういうのは好まない、という人もいるだろうが。ただ、一般の人向けにやる場合はそういうアプローチはひとつの方法である。

これは一般論だが、彼の演奏に限らず、ミュージシャンが演奏する音楽は、その演奏者の人となりを反映する。ということは何度も書いた。今日も、それを感じる。で、その演奏者がどのような人生を生き、何に感動し、何に感動せずに、何に喜び、何に悲しみ、何に傷ついてきたか。そうした心のひだみたいなものがたくさんあればあるほど、心の振幅が大きければ大きいほど、生まれてくる作品は劇的になるはずである。それが人間に奥行きを与え、しいては、その人間が作り出す作品に深みを与えていく。そして、結局、アーティスト、演奏者に課せられた命題は、音楽で何を表現したいのか、何をメッセージとして伝えたいのか、それをどれだけ持てるかということに尽きるのだ。

別にメッセージはいらない、リチャード・クレイダーマンでいいのか。単なるBGMでいいのか。エレヴェーター・ミュージックでいいのか、ということになる。そんなBGMの音楽を、もしやりたくないのであれば、演奏者はそこになんらかの表現性を持たなければならないのだろう。

今日の演奏を聞く限り、僕にはそれほど大きな心の振幅は感じられなかった。しかしBGMで甘んじるタイプでもない。何か表現したいものはきっとあるに違いない。ただ、僕にはまだわからなかった、というだけだ。しかし、気持ちがいい、ゆったりとした気持ちになる音楽ではあった。そして、フェビアンさんがひじょうに真面目で、几帳面できっちりした人で、いい人なんだろうなということを感じた。

以上、少し本職を離れたところでやった音楽コンサルタント、ソウルサーチャーでした。

(2004年5月29日土曜、渋谷HMV=奥山みなこ・ライヴ、原宿ブルー・ジェイ・ウェイ=フェビアン・レザ・パネ・ライヴ)

Chris Botti Live At DUO:

2004年5月29日
言葉力。

オレゴン出身のいわゆるイケメン・トランペッター、クリス・ボッティーの本人名義の初ライヴ。ドラムス、ギター、ベース、キーボード、そして、クリスのトランペットという布陣。まあ、前日にマッコイ・タイナーなどというとてつもないライヴを見てしまったものだから、それと比較するのは酷というもの。全体的にはイージーリスニング、スムースジャズといった雰囲気。アップテンポよりもスローの曲のほうがムードがあり、彼にあっている。ムードが売りというアーティストだ。

一曲目はナット・キング・コールなどでおなじみの「ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ」。最初このメロディー知ってる知ってると思いつつ、なかなか曲名がでてこなかったが、本人の曲紹介で思い出した。この路線、いいんじゃないでしょうか。

ドラムスがビリー・キルソンといい彼だけブラック。なぜか、その叩き方が沼澤尚さんを思わせた。不思議だ。(笑) 彼に聞いたら師匠はアラン・ドゥーソンという人だという。もちろん好きなドラマーはトニー・ウィリアムスなどなど。

ひとつ思いついたアイデア。クリスに「夜明けのトランペット」(ニニ・ロッソ)や「ライズ」(ハーブ・アルパート)をカヴァーしてもらう。このイケメンで「夜明けのトランペット」なんかを吹かれた日には、世の女性が黙っていないだろう。徹底したイージーリスニング路線が彼にはあうような気がした。一昔前にあった「ラヴ・サウンズ」的なサウンドだ。ケニーGのトランペット・ヴァージョンという位置付け。

バンドとしては、全員が自分のプレイに酔っている感じで、他のミュージシャンとのコミュニケーションがそれほどあるようには思えなかった。それぞれが自己陶酔という感じで、なかなかこちら側に熱いソウルは伝わってこなかった。ただ、黒さがなく、軽いので、イージーリスニングという的確なマーケティングを施せば、そこそこ売れるような気がした。音楽的には一般受けするのに、ちょうどよいさじ加減だ。それプラス、彼にはこの絶対的なルックスがあるし。

それと曲間の彼のトークは流暢でおもしろい。そんな話の中で、彼がニューヨークに住んでいたときの話もよかった。「マンハッタンのいわゆる食肉市場のところい住んでいたときのことだ。そこではみんな毎朝3時から11時まで、ごちゃごちゃ仕事をしている。だから、うるさくて、寝られない。ただ、雨などが降ると、仕事が休みになるらしい。ある朝、たぶん、1997年の1月か2月だったと思う。ふと気が付くと、いつも通りの喧騒がなかった。一体どうしたんだろう、と思ってカーテンを開けると、窓から一面の白銀の世界が広がった。それはそれは美しかった。その時に書いた曲だ」と言って演奏し始めたのが、美しいバラードの「アローン・イン・ザ・スカイ」という曲だ。97年の彼のアルバム『ミッドナイト・ウィズアウト・ユー』に収録されている作品だった。こうやって説明されてその曲を聴くと、不思議と白銀のマンハッタンの様子がイメージできてしまうから、言葉の力というの大きいな、とつくづく思った。

観客席も気持ち、女性の方が多いような気がした。すでに女心は掴んでいるようだ。プロモーションも女性誌を狙うといいと思う。

Setlist (incomplete)
show started 19.03

1. When I Fall In Love
2. Streets Ahead
3. A Thousand Kisses
4. Miami Overnight
5. My Funny Valentine
6. Alone In The Sky
7. Why Not
8. (bluesy song)

Enc. Theme From Cop

show ended 20.26

(2004年5月28日金曜、渋谷デュオ[DUO]=クリス・ボッティー・ライヴ)
額装。

いい演奏、いいライヴを見ていると、いかにそのライヴを自分の記憶の中にとどめ、それを文字にして多くの人に伝えることができるのだろうか、ともんもんとすることがある。もちろん、音楽は文字にはできない。それはミュージシャンが絵や映像や文字を音にできないのと同じだ。しかし、ミュージシャンはそのために必死になる。ならば書き手も文字にすることが不可能な音楽をどこまで文字にできるか必死になるのもいいだろう。

たいがいの場合は、いいライヴ演奏の時は、次々とキーワードとなるような言葉が浮かんでくることが多い。2003年7月以来のジャズピアノのマッコイ・タイナー・トリオの演奏を見ながら、そんなことを思ってしまった。

まず、やはりピアノ・トリオっていうのがいいなあということを痛切に感じる。長老のピアニストが、若手のドラム(ルイス・ナッシュ)とベース(チャーネット・モフェット)に指示をだして、バランスよく曲を編み上げていく。このトリオについて一言で言えば、全員、笑ってしまうほどすばらしい。個々がすばらしく、しかもユニットとしてもひとつのものになっている。極論すればピアノトリオとしての完璧さが輝いている。まさにOne Nation Under A Groove! ネイションが大げさなら、そこをバンドという単語に置き換えてもいい。前回もよくてため息がもれたが、マッコイだけでなく、今回のベースの暴れようのすばらしさといったら。ドラムスのシュアでソリッドな安定感。「けっこういいはず」と思って行って、その期待以上のパフォーマンスをみせられれば、ただただ帽子をとって、お辞儀をするしかない。

僕は初めて見るベースのチャーネット・モフェットには度肝を抜かれた。アコースティック・ベースをあんなに早く、しかも、強く、時にチョッパーで叩き、しかも音の輪郭は決してぶれることなく音像としてくっきり浮かび上がらせる。あの大きなベースを激しく揺らしてプレイすることさえある。かっこいい。

ドラムスのルイス・ナッシュも軸がぶれずに、的確にリズムを叩きだす。緩急自在。かっこいい。クラスのあるドラミングだ。ルイスも、よくマッコイの方を見ている。

そして、マッコイのピアノ。アグレシヴで、しかしときにやさしく、ふと気が付くと本人が何かをハミングしながらプレイしているときもある。男気があり、ちょっとマッチョで、色気もある。これもかっこいいとしかいいようがない。仮にジョー・サンプルのピアノを引き算のピアノとするなら、マッコイ・タイナーのピアノは、足し算、もしくは掛け算のピアノかもしれない。

3人の緊張感は、聴く側にも適度な緊張を強いて、それが楽器の音への集中につながる。3人は限界点まで全力で走りきる。限界へ挑戦していることがわかるので、聴く側も思わず手に汗握って応援してしまうかのようだ。それはすばらしいスポーツ試合を観戦しているときと同じだ。そして、若き二人はまちがいなく、このマッコイというヴェテランピアニストに多くのリスペクトを持っている。3人がプロの職人であり、匠であり、そこには完全なミュージシャンシップが横たわる。

曲を弾き終えると彼はピアノの上に置いてあったハンカチーフで額の汗をぬぐう。そして、そのハンカチをぱっとまたピアノの上に軽く投げるや次の曲に突入する。実に粋だ。

今夜の3人を見て、「ジャズ・ミュージシャンとは本当にかっこいいものだ」ということを痛切に感じた。例えば、このトリオのライヴが明日もどこかであって、その現場に立ち会えないということは、なんと歯がゆいことかとさえ思う。彼ら3人のこの1時間13分におよぶ燃え滾る(たぎる)パフォーマンスは、もし可能なら、額縁にそのまま収めたいとさえ思った。そう、これは額装したいパフォーマンス。

マッコイ・タイナーがアンコールを終えて舞台を降りてくるとき、思わず手を伸ばして握手を求めた。彼は握手をしてくれた。その手は、汗ばんでいたが、感触はごつごつした感じではなくやさしく、暖かく、ふんわりとしていた。

++++

マッコイ・タイナー前回来日時の日記。2003年7月9日付け。
http://diarynote.jp/d/32970/20030709.html

ブルーノートのページ
http://www.bluenote.co.jp/art/20040524.html
2004年5月29日まで。

(2004年5月27日木曜セカンド、東京ブルーノート=マッコイ・タイナー・トリオ)
木下航志君、テレビ・ドキュメンタリー、再放送

この日記でも4月30日付けで取り上げた木下航志君のドキュメンタリー番組『響けぼくの歌』が来る5月30日(日曜)深夜にNHK総合テレビで再放送されます。前回見逃された方は、ぜひどうぞ。NHKのサイトでは5月30日ででていますが、正確には31日(月曜)午前0時50分ということになります。留守録画される方はご注意ください。

4月30日付け日記。

http://diarynote.jp/d/32970/20040430.html

最初の遭遇についての日記。

http://diarynote.jp/d/32970/20031229.html

05月30日(日)(0:50)-総合テレビ [ 響け ぼくの歌 ]

05月30日(日) - 翌 0時50分 ~ 翌 2時22分 - 総合テレビ 響け ぼくの歌 - 木下航志 14歳の旅立ち -
http://www3.nhk.or.jp/hensei/bangumi/ch1-20040530-102.html

N.E.R.D. Live At Zepp

2004年5月27日
ロック。

「ナード」と呼ばずに、「エヌ・イー・アール・ディー」と呼んで、というN.E.R.D.。これは、"No One Ever Really Dies"の頭文字だそうです。一般的にナードというと、「オタク」、「ダサい」と言った意味になりますが。チャド、ファレル、シャイの3人組。チャドとファレルは、ネプチューンズという名のプロデューサーチームとしても活躍中です。そのN.E.R.D.のライヴ。ところが、チャドがステージにはいません。前回の来日時にもチャドは来ていなかったそうです。レコーディングと、ライヴは別物という考えかたのようです。

とはいうものの、いやあ、ゼップ東京超満員。一階は立錐の余地なし。立てのりのロック的なサウンドで、上がる上がる両腕、両腕。ドラム、ギター、ベース、キーボード、ヴォーカル2人。ドラマーがかなりはぎれのいい音をだす。ロックとは言ってもグルーヴ感のあるリズム。シンプルなサウンドで、一瞬だったが、ポリースを思わせるようなところもあった。4人のバンドに2人のヴォーカルということで、わかりやすい。

「N、E、R、D!」。観客がそれに答える。「エヌ! イー! アール! ディー!」 ヒップホップファンもいたが、それよりロックファンが多いような印象をもった。ここ一週間で見た、ミッシー、アウトキャスト、N.E.R.Dの中では一番音楽的だった。なかなか感じのいいライヴだった。

Setlist (incomplete)

01. Preservation
02. Fly Or Die
03. Brain
04. Run To The Sun
05. Stay Together
06. She Wants To Move
07. Backseat Love
08. Provider
09. Maybe
10. Breakout
11. Bobby James
12. Love Ya/Couvousier/Beautiful
13. Frontin’
14. Rockstar

Encore Jump(?)
Encore Thrasher(?)
Encore Lapdance(?)

(2004年5月26日水曜、ゼップ東京=N.E.R.D.ライヴ)
誤算。

アウトキャストのビッグボーイがやってきて、急遽、新木場スタジオコーストでライヴを見せた。元々、MTVのもろもろのイヴェントでの来日が決まって、せっかくやってくるなら、ライヴもやりましょうということで決まったライヴらしい。ので、お客さんのいりは、まあぼちぼちといったところ。

DJ、ギター、ベース、コーラス3人、ダンサー4人、これにMC3人という布陣。とりあえず、どでかい爆音で次々ラップとダンスが披露される。特に大ヒット曲「ザ・ウェイ・ユー・ムーヴ」では、ベースの音がボディソニックのように体にずしりずしりと響いてくる。やはり、ひじょうにポップだ。ショウはトータル57分。

ところで、たまたま会場で某音楽関係者と先日のミッシーのライヴについて話す機会があった。「要は日本の市場に対する捉えかたを(ミッシー側は)、ちょっと読み違えたんじゃないかな。アメリカでは大体あのクラスのアーティストは、何組かがパッケージになっている。ミッシー・クラスだと、オープニング・アクト(前座)でもなく、いわゆるヘッドライナー(トリ)でもない。言ってみればダブルビル(並列でアーティストが並ぶショウ。あまり前座とトリという考え方がない) つまり、彼女が最後にでたとしても、そのオープニングアクトは、相当強力なライヴを見せるしミッシーがオープニングでも、それはそれで強力で、後にでてくるアーティストは大変だ。つまり、何組かのパッケージの中で45分のショウをそれぞれが全力でやるというわけだ。ところが、日本の場合は、そのパッケージになるオープニングアクトが、ミッシーほど強力ではない。だから誰もオープニングアクトに期待してない。みんなミッシーを見に来る。それで45分だと文句がでるんだ。ミッシーは、そのあたりのシステムの違いを読み違えた。彼女にとっては誤算だったんだろうね。ただ彼女はアメリカと同じように45分を全力でやった、というわけだ。それと、今回はMTVのための来日が主目的だったんじゃないかな」

なるほどね。確かにミッシー・クラスのアーティストが2組、3組も同時にでてくれば、客も文句は言わないだろう。ちなみに、来日したミッシー・チームは、総勢46人、ダンサーは24名プラス2名のブレイクダンサー計26名だったそうだ。僕は10名以上まで勘定できたが、12名ワンセットがツーセットいたという。それぞれが着替えをしたりして、ひっかえとっかえ踊っていた、というわけである。物量作戦もここまで来れば立派である。

そして、入口でもらったフライアーの中に、アース・ウィンド&ファイアーの来日のお知らせを発見。9月3日(金)、4日(土)、日本武道館。6月5日午前10時から6月6日24時まで、先行予約を受け付ける、という。電話番号は0570-03-0999。一般発売は6月26日(土曜)。問い合わせ先はサンライズ・コーポレーション0180-99-3715(24時間テープ対応)。

(2004年5月25日火曜、新木場スタジオコースト=ビッグボーイ・オブ・アウトキャスト・ライヴ)
ライヴイヴェントのお知らせ

来る6月3日(木)、日本のデイヴィッドTウォーカーをめざすギタリスト、杉本篤彦さんのバンド、杉本篤彦バンドのライヴ・イヴェントが行われます。タイトルは、「ザ・ソウル・オブ・ギター、ヴォリューム1」。場所は原宿の新しいライヴハウス、ブルージェイウェイ。ギターで奏でるソウルに挑戦します。興味ある方はぜひどうぞ。



6/3(木)原宿 Blue Jay Way
杉本篤彦バンド「The Soul Of Guitar Vol.1」

「TSOP (ソウルトレンのテーマ)」 「Sir.Duke」「Betcha By Golly Wow」「Mercy,Mercy, Me」「LaLa Means I Love You」他珠玉のソウルナンバーばかりをピックアップした杉本篤彦バンドのライブ。日本のミュージックシーンを支えてきたベテランギタリスト矢萩秀明をゲストに迎え、島田奈央子のDJ、ソウルミュージックライター吉岡正晴氏とのトークショーなど盛り沢山の一大イベント!

出演:杉本篤彦バンド 杉本篤彦(gt)/ 中村結花里(key)/ 江上友彦?)/ 大河原亮三(ds)ゲスト:矢萩秀明(gt) / 島田奈央子(DJ)/ 吉岡正晴(選曲・クリエイティブ・アドバイザー)

Open 18:00~ / DJ Time 18:30~ / Live Start 19:30~ / Admission ¥3500(予約)当日券は+¥500 / ビュッフェ¥1500
原宿 Blue Jay Way  渋谷区神宮前2-32-5 ダヴィンチ原宿FACE B1/ Tel03-5785-1148
ご予約は「e+」(イープラス)→ Blue Jay Way
http://www.bj-way.com/
または電話での受付となっております:Tel 03-5785-1148
甲斐。

MTVミュージックアワードの授賞式。今日の目的はひとつ。ジャネット・ジャクソンを見ること。場所は東京ベイNKホール。ひさびさです。それよりも、元々入場券が本当は土曜日に到着する予定だったのが、なんと宅配便の手違いで配送されずに、今日わざわざ配送所までピックアップしてから現地に出向いた。宅配便の置き忘れなんてあるんですねえ。配送所についたのがほぼ7時だったので、時間もなかったので「クレイムは改めて」と言って、浦安に向かいました。

大井南から高速に入り、道はそれほど込んでいなかったので、現地着は7時半。別のスタッフたちは先に行き、一時間前に到着していたそうです。最初のうわさではショウは5時スタートで、だいたい8時すぎにジャネットが新曲の「オールナイト」を歌うのではないか、そして、ショウは8時半終わりくらい、とのことだった。

しかし、遅れる遅れる。押す押す。間にやたら無意味な何もない時間があって、どうにもならない。賞をプレゼントし、コメントし、時折ライヴ・パフォーマンスがあったり、大道芸みたいのがあったりはするのだが、とにかく間延びする。まあ、テレビの収録のためのものだからしょうがないのかもしれないが。編集されたときには、びしっと決まってるのでしょう。アウトキャストのビッグボーイが「アイ・ライク・ザ・ウェイ・ユー・ムーヴ」、「ヘイ・ヤー」を披露、これはかなり盛り上がった。

10時過ぎに、さすがに待ちくたびれて、別の関係者に電話してきいてみると、「いまねえ、大体2時間押しみたいよ」とこともなげに言われた。「終るのは11時過ぎるんじゃないの?」 ひええええ。立ちっぱなしで、前日に続いてまたまた疲れた。(笑) 5時からいる人はどうなったんだろう。椅子があっても疲れそう。というより、ぞくぞくと帰っていく人もいましたが、彼らは次に出る人とか知らされていないんですよねえ。事前にある程度のプログラム発表したほうがいいんじゃないかなあ。

10時半。一足先にライヴを見せていた安室奈美恵が再びマイクを持って登場。「私は、今、この人に会ってパワーをもらってきました」と言ってその人を紹介しました。「ジャネット・ジャクソン!!!」 それまで後ろのほうで座っていた観客が立ち上がり、一斉にステージの前のほうに大挙して移動した。

ダンサー10人を従えて登場したジャネット。歌うは新曲「オールナイト」。あれ、これずいぶんミックス違うんじゃないですか。爆音で聞くから印象が違うのかな。それにしても、ミッシーにしろ、最近はダンサー10人単位かあ。これくらいの物量作戦でみせないと見栄えしないということでしょうか。でも、このジャネットのライヴパフォーマンスは、旬のものを充分に感じます。一曲終えるとステージ奥から再び安室ちゃん花束を持って登場。ステージ中央でその花束をジャネットに渡すと、ジャネットが「アリガトウ」と言って、舞台を後にした。

3時間待った甲斐はありましたが。ジャネット、もっと見たかったなあ。司会のぐっさんこと山口智充、孤軍奮闘でありました。

(2004年5月23日日曜・東京ベイNKホール=MTVヴィデオ・ミュージック・アワード授賞式)

MTV Live 2004 

2004年5月23日
長丁場。

いやあ、まさかあゆを見るとは思わなかった。(笑) MTVライヴ2004。登場アーティストは順に浜崎あゆみ、グッド・シャーロット、日本人のインストゥルメンタルバンド、PE’z(ぺズ)、M−Flo(エムフロー)、ミッシー・エリオット、メアリーJブライジ。5時から始まったイヴェントだが、ミッシーがスタートしたのが8時13分。う〜む、疲れる。(笑) M−Flo、ものすごく音が悪かった。なんででしょう。ひとつの爆音が中心からこっちにやってくる感じ。ミキサーはいないのか。特にシンガー、メロディーが歌った曲は口パクか実際に歌っているかもわからないくらい音がぐちゃぐちゃだった。次にでたピーズは、いわゆるジャムバンド系のアーティストだと思うが、さすがに1万人の会場では厳しそう。ブルーノートやクアトロのような音楽的に濃密な空間でやったほうがいい。こういうところでは彼らのよさは伝わらない。

入口の壁に誰もが好きにメッセージを書き込めるボードがあって、そこにやたら、「GC」、「GC」と書かれていた。思わず、その後ろに「S」でもくっつけてしまおうかと思った。GCSで、グラハム・セントラル・ステーション。ここに書かれたGCは、実はグッド・シャーロットの略だったんですね。もうひとつイメージがわくのは、「Cameron」。GCと来れば、キャメロンです。普通は。な、ことはないか。くだらないことはおいといて。(笑)

さて、ミッシーは、木曜日に見たものを30分にさらに短くしたヴァージョン。流れはほぼ同じショウをやってくれたが、いやあ、この30分はすごいですね。次々と変わるスクリーンのイメージ。踊る踊るダンサーたち。アン・ピーブルスは、雨の映像がでていたところかな。「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」でも使われていたんでしょうか。2度目ということもあって、曲もある程度わかり、ステージまではかなり遠かったですが、なかなかエンジョイできました。映像とのからみがうまい。たしかにこれは21世紀のエンタテインメントです。

そして、9時6分になってメアリーJブライジが登場。ベティー・ライトの「クリーン・アップ・ウーマン」をサンプリングした「リアル・ラヴ」でスタート。「ノー・モア・ドラマ」など、本編への予告編としてはいいできではないでしょうか。すっかり、R&Bシンガーとしての風格を見せていますね。こちらは、しっかりとバンドを従えたサウンド。ミッシーが打ち込みのビートで徹底的に攻めてくるのに対し、メアリーはミュージシャンのバンドサウンドと自らの歌声で勝負してきます。そして、クイーン・オブ・ヒップホップというよりクイーン・オブ・R&Bという感じがしました。

それにしても長いなあ。途中にいろいろな小さな出し物もあってもりだくさんはいいのだが、まあ、こちらは目当てははっきりしているだけに、最初から8時過ぎに来ればよかったか、という気もしないではないです。(笑) きっちり時間割、発表して欲しいですね。だれそれが何時から出るって。だいたいでいいから。ふ〜〜。おつかれさま。

(2004年5月22日土曜、国立代々木競技場・第一体育館=ミッシー・エリオット、メアリーJブライジ他ライヴ)
誕生日。

「来週の土曜日(29日=今月の最終土曜日にあたる)は、日本のフュージョンのアーティストたちが集まるライヴのリハーサルがあるので、こちらでできないので、特別に(今月の会は)今日という日になりました。1万人のお客さんのほうを選んだわけです。大きなイヴェントに魂を売ったわけですが・・・。(笑)」 それが今回、金曜日に定例会が行われた理由です。深町純のライヴ。

この日は金曜ということもあってか、7時を過ぎてもそれほど混みあっていない。やはり仕事があると7時過ぎにやってくるのはむずかしいのかもしれません。先月初めてコンサートにいらしたというおかあさまがまた、いらしていました。先月のが大変気に入られたのでまた足を運ばれたそうです。

さて、今日は歌のゲストが登場。「実は今日のゲストの彼の『桜』という曲のピアノを僕が弾いてるんです。レコーディングした時、まだ彼は無名で、『じゃあ、アートカフェで歌わせてやるか』なんて思っていたんですが(笑)、一月もしないうちに大ヒットして、いまや毎日のようにテレビにでるほどの売れっ子になってしまいました。僕は、声のインパクトが楽器よりもひじょうに強いということを知っています。声というのは、ものすごく強いんです。ではなぜ僕が楽器にこだわるかというと、やはり、インストゥルメンタルにしか出せないものがあるからと思ってるんです」 

間に乾杯をはさんでゲストを紹介。「今日のゲスト、河口恭吾くんです。(拍手) 質問しようかな。(笑) たぶん、この『桜』っていう曲は何万回って歌ったと思うんだけど、いまだに、心を込めてこの曲を歌えるの?(笑)」 すると河口さん「ええ、そうですねえ、この『桜』だけは飽きませんねえ」。

彼は、「桜」と、新曲の「愛の歌」を深町ピアノと彼のアコースティックギターで歌いました。「桜」、知ってました。たぶん、F横の「ザ・チャート」で聴いたんだと思う。(笑) 新曲は彼自身が言うようにひじょうにシンプルな曲ですね。2曲を歌い終えると、深町さん「ま、若者だから、あんなもんじゃないですか(笑)」といつもの毒舌を一言。彼はあっという間に帰っていきました。「売れるっていうことは、ほんとにこういうことなんだよねえ」と深町さん。

そして、本日はたまたま深町さん58歳の誕生日ということで、円道一成さんが飛び入りで「ハッピーバースデイ」をソウルフルに歌いあげました。

第二部で、何回か演奏しているパーカッション奏者のマサさんが登場。深町さんが「じゃあ、君から何か始めて」というだけで、あとは何も打ち合わせなしで、いきなり演奏が始まりました。マサさんとやると、深町ピアノがいつになくパーカッシヴになる! これがまさにミュージシャン同士に起こる化学反応(ケミストリー)なのですね。

しかしねえ、毎回来る人の半分が初めて来る人なんですよねえ。不思議ねえ。僕は個人的には、始まり時間遅くてもいいから毎回金曜がいいなあ(笑)。

(2004年5月21日金曜、恵比寿アートカフェ=深町純ライヴ)
超短。

いやあ、旬の勢いを存分に感じた。前座、モーリス(ポジティヴプロ社長)のトークなどがあって、しばらく時間が空いてから、8時20分、引田天功ばりのマジックでミッシー登場。観客は超熱狂。

なによりダンサー(十数名)の物量作戦は圧倒的。しかも前日ちょっとばかり時代がかったダンスを見ただけに、今の踊りをがーんと見せ付けられるとやはり、昨日のものは、「オールドスクール」でちょっとダサイなあ、などとも思ってしまう。なにより、リズムが違うからダンスも違っては来るのだが。

ラップは何を言っているかわからないので、判断は保留だが(笑)、ミッシーの存在感はすごいものがあった。また、バックの3面の連結プロジェクターに映し出される映像と、ダンサーたちのリンクがなかなかおもしろい。なにしろ、ダンスには圧倒された。ダンスショウとしてはかなりすごい。

音はすべてDJかプログラム。バンドはなし。ただ、それはほとんど気にならない。ヴィジュアル的に、オンステージに大勢のダンサーがいるからだ。ラップショウ、ダンスショウとして考えれば、まあ音楽的な期待はしていない。バックに掲げられる「Respect Me」の文字。「パス・ザ・ダッチ」などのヒット曲も比較的さらっとやった。もっとやればいいのに。

後半ミッシーが観客席に下りてきた。回りに集まる人たちの手が上がる。そこには携帯が。みな携帯で写真とりまくる。(笑) 

しかし、9時5分。45分でショウは終了。これは、短い。短すぎる。幕が閉じられ、モーリスが登場し「ショウは終わりよ」というと、親指を下に向けブーイングが飛び出した。どうも、ミッシーは本格的なツアーをやったことがないので、これくらいしかできないらしい。ということは、これでもういっぱいいっぱいということなのか。ライヴアーティストとしては、まだまだということになる。最後の終り方も、終ったんだか、終ってないんだかよくわからない終わり方。もっと、ショウのもっていき方の基本を学ばなければ。同じ45分でも構成をじっくり考えれば、ここまで観客の不満もでなかっただろう。

「そうねえ、リルアイ(前座)に1000円、ミッシーに3500円、計4500円がいいところじゃないの? でも、前座は見てないし〜(笑)」という声が聞こえてきた。総合的な判断として、ショウケース的ライヴパフォーマンスとしては、ダンサーなどの物量作戦と激しいダンスでかなりポイント高し。しかし、ライヴショウとして45分という短さは、話にならない。しかも9000円という値段を考慮すると10点満点で3点くらいか。これがショウケース、あるいはイヴェント程度のもので3000円という値段だったら9点のイヴェントという評価をしてもいいかもしれない。

(2004年5月20日木曜、ゼップ東京=ミッシー・エリオット・ライヴ)
プレイバック。

F2(女性35歳〜49歳)M2(男性35歳〜49歳)率多し。ブランド率多し。香水つけてる人率多し。そして、巻髪率多し。70年代後半から80年代にかけてディスコで遊んだ人たち、ダンスクラシックをこよなく愛す人たちを集めた一大イヴェント。

シャラマーは、ハワード・ヒューイット、ジェフリー・ダニエルスを従え、新たな女性シンガー、エヴァ・ジョーンズを含む3人。やはり「セカンド・タイム・アラウンド」、「ア・ナイト・トゥ・リメンバー」などがひときわ大きな声援を得ていた。後者ではジェフリー・ダニエルスがダンスソロを見せたが、どこかマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」を思わせた。

続いては、JTテイラーの登場。これは、結局クール&ギャングではなく、JTのソロという位置付け。しかし歌うヒットは一曲(「オール・アイ・ウォント・イズ・フォーエヴァー」)を除いてすべてクールたちのヒット。回る回るミラーボールは大小3つ。キラキラ、チカチカしています。

そしてトリにシックが登場。ドラムは前回同様オマー・ハキム。「この曲がヒップホップ・ムーヴメントを始めた」と言って演奏された「グッドタイムス」では、例によってナイルのラップも。女性シンガーのうち、赤毛のシルヴァー・シャープの歌が抜群にうまかった。彼女が歌った「アイ・ウォント・ユア・ラヴ」は、声もいいし、太い声でひじょうに印象に残った。いつかソロはでないのだろうか。この名前、覚えておこう。

全体的に、ダンス自体が一昔前のものだなあというのを感じた。曲が古いのは別に当たり前なのだが、最近のテンポの早い切れ味するどいヒップホップ系のダンスと比べると20年前のダンスはゆっくりしていた。ということを、今、感じる。

どのセットも、大ヒット曲ばかり。リアルタイムを知る人にとっては、どれも知っているおなじみの曲が続き、まさに青春プレイバックだ。

会場でダンスマンに会った。ダンスマンの格好をしていた。会場で一人で立って踊ってるシスターがいた。エボニーだった。一緒に見てると、別のシスターがやってきた。メロディー・セクストンだった。超ひさしぶりに会った。

Setlist

Shalamar

show started 19:02

1. Make That Move
2. Friends
3. Sweeter As The Days Go By
4. For The Lover In You
5. The Second Time Around
6. A Night To Remember

show ended 19:35

J.T. Taylor (Formerly Of Kool & The Gang)

show started 19:47

1. Mislead
2. Get Down On It
3. Ladies Night
4. Joanna
5. All I Want Is Forever
6. Cherish
7. Let’s Go Dancing (Ooh La, La, La)
8. Fresh
9. Celebration

show ended 20:33

Chic

show started 20:47

1. Everybody Dance
2. Dance Dance Dance
3. I Want Your Love
4. Medley: I’m Coming Out
Upside Down
He’s The Greatest Dancer
We Are Family
5. At Last I Am Free
6. Le Freak
Encore C’est Chic
Encore Good Times

show ended 21:50

(2004年5月19日水曜=東京国際フォーラム・ホールA=シャラマー、JT.テイラー、シック・ライヴ)
録音風景。

70年代もっとも売れっ子のドラマーのひとりとして頭角を表したハーヴィー・メイソンがトリオを率いてブルーノートに登場。しかも、ピアノに巨匠デイヴ・グルーシンを呼んだ。本当に一時期は出るレコード、出るレコードみんなハーヴィーの名前があったほどの超売れっ子ぶりをみせていたが、僕がこうしたハーヴィー名義のジャズトリオを見るのは初めて。

一言で言うなら、「ハーヴィー・メイソン・トリオ」というより、「デイヴ・グルーシン・トリオ」というような雰囲気さえあった。(笑) 若干のドラムソロはあるが、やはり主旋律をグルーシンが持っていくため、いつのまにか彼のやさしいピアノを聴いてしまう。

3人ともひじょうに上手なので、3人によるスタジオでの録音風景を見学させてもらっている、という感じがした。まさに職人たちの芸術ということだろう。譜面台に置かれた楽譜をちらりと見て、次にそれぞれのミュージシャンの目を見る。息もあい、ひじょうにこぎれいにまとまった安定したセッションだ。

4曲目のおなじみの「キャラヴァン」を終えるとメイソンが立ち上がって「では、しばらくデイヴの演奏を聴いてみようか」と言った。ヴァレンタインがマイクを持った。「演奏する前に、ちょっとコマーシャルタイム・・・。ハーヴィーのアルバムもすでに出ていますが、ちょうど偶然に私のアルバムも出ます。『ナウ・プレイング』というタイトルで、これは、私がこれまでにてがけてきた映画音楽を、再アレンジしてやったものです。例えば、以前にギターのために書いた曲をピアノのために(アレンジを)書き直して、やっているのです。この中から一曲演奏しますが、それは映画『ミラグロ・ビーンフィールド・ウォー(邦題、ミラグロ・奇跡の地)』からの作品です。まあ、この映画はほとんど誰も見てないと思いますが(笑)、私はオスカーを取ることができました。この映画が私にとって思い出深いのは、そのロケーション地がメキシコ北部だったからなんです。実はそのあたりに私は住んでいたことがあってね。メキシコは、400年前スペイン領でした。なので、もしあなたがこの曲にどこかそんなスペイン風のものを感じるとしたら、そのためです。レコードではギターでしたが、ここではみなさんのためにピアノで弾きます」

そして、確かにスペイン風の作品が演奏された。メイソンの新譜『ウィズ・オール・マイ・ハート』からの一曲「ワン・モーニング・イン・メイ」に続いてグルーシンの79年の大ヒット曲「マウンテン・ダンス」が披露された。なんとなく、やはりここでも「デイヴ・グルーシン・トリオ」的なものを感じた。ドラムが好きな人というより、むしろ、ピアノ好きの人にお勧めかもしれない。

Setlist (2nd set)
show started 21:31

1. Foot Prints (Wayne Shorter)
2. Hindsight (From Harvey Mason’s new album "With All My Heart")
3. Smoke Gets In Your Eyes (From Harvey Mason’s new album "With All My Heart")
4. Caravan (Duke Ellington)
5. Milagro Beanfield War (From Dabe Grusin’s new album "Now Playing Movie Themes Solo Piano)
6. One Morning In May (Hoagy Carmichael)(Harvey Mason’s new album "With All My Heart")
7. Mountain Dance (Dave Grusin)

Enc. Swamp Fire (Duke Ellington) (From Harvey Mason’s new album "With All My Heart")

show ended 23:00

(2004年5月18日火曜セカンド=東京ブルーノート=ハーヴィー・メイソン・トリオ・ウィズ・スペシャル・ゲスト・スター、デイヴ・グルーシン)
英語。

「英語はクソほど、下手なんですよ〜〜」 スガシカオさんは、はっきりとそういって周囲の爆笑を誘った。「英語で歌、歌うとリズムが全然だめなんですよ」 思わず「日本語であれだけ乗ってるのに?」と反応してしまいました。「日本語で歌うとリズムが出るのに、英語だとまったくでないんですよ」 へえ、不思議ですねえ。「だから英語のカヴァー曲を昔やったことがあるんですけど、日本語の歌のほうが、お客がぐあーと来るんですよねえ。英語で歌うとみんな体がとまっちゃったりするんですよ」 

「じゃあ、マーヴィンが英語、スガさんに週3日教える、と」 「でも、マーヴィンの英語、オレよくわかるんだよね」とスガさん。 「あ、それはですね、マーヴィン、日本に長いから。日本語英語だから」と僕が言うとマーヴィンすかさず「ちがうよ〜〜っ。英語は英語だよ〜〜。ウィッキーで〜すぅ〜(爆笑)」

オフマイクになって、スガさん。「いやあ、でもマーヴィンの英語、わかりやすいですよね。僕、ヒアリングが赤点だったから(笑)」 その昔、プラターズのヒット曲「オンリー・ユー」などを英語で歌ってみたことがあるといいます。でもやはりリアクションはよくなかったと。「だからね、英語の歌、もういいんです。外国人の前でも、なんでも、日本語で歌うんです!(きっぱり)」 「ほ〜〜。それはすごい」 「だけどお、(外国人の前でやったら)終った後、(何かを)英語でしゃべりたいんだよ(笑)。『どうだったあ?』とか。(笑) それとか、この前、アヴリル(・ラヴィーン)に会ったんだけど、その時、(自分の)CD渡したんですよ。でも、その時に『オレ、こういうのやってんだよ』くらいは、言いたいじゃない(笑)。で、(あなたの)この曲とか好きなんだよ、くらいは言いたいんですよ(笑) まあ、そういうのが言えないもどかしさはありますよね」

「じゃあ、今、一番会いたい洋楽アーティストって誰ですか?」と僕。「う〜〜ん、そうだなあ、死ぬまでに一回プリンスに会いたいなあ。でも、会っても何もしゃべれないんだろうなあ・・・。前、来日した時に前から4列目で見てましたけどね・・・」とスガさん。

そして、マーヴィン自身も、スガさんの歌の中に、プリンスを感じるという。ちなみに、ニューシングル「秘密」のイントロのドラムは、何か古い音源をサンプリングし、それをさらに加工して作ったといいます。また、自分が曲を作る時は、「サウンド7、歌詞3くらいの割合」になっている、とも。僕も彼の曲は、歌詞よりもサウンドと彼の声に耳が行く。歌詞が、意味を持った日本語としてはいってくるのではなく、単なる音として耳に入ってくるという点で、山下達郎さんの作品と共通したものを感じました。

スガさんのリクエスト、ピーター・トッシュ&ベン・ハーパーが流れ、彼のパートは終りました。そして、時刻は3時半。『ソウル・ブレンズ』はまだまだ続きます。

Nile Rodgers Explosion! 

2004年5月17日
爆発。

いやいやいや、びっくりしたあ。シックのナイル・ロジャースのゲストが急遽決まり、今日の『ソウル・ブレンズ』に緊急ゲスト出演! しかも、アコースティック・ギターを持っての登場だ。『レッツ・グルーヴ2004』の告知を兼ねての出演。

3時半、「ル・フリーク」がかかっていている間にスタジオに入ってくる。すでに「ル・フリーク」にあわせてギターを弾いてる。若干、音がずれているが、関係ない。「オレは今ファンキーになってるんだ」とナイル。そして、曲が「グッドタイムス」に変わると、なんと、DJマーヴィンとナイルで、「ラッパーズ・デライト」のラップをやり始めたのだ。その場でぱっとできてしまうんだから、これはすごい。ナイルもマーヴィンもほとんどのラップのリリックを覚えている。ところどころ、まちがえるのも愛嬌というか。

いきなりスタジオがライヴハウスになった。ナイルがラップする。「誰がギターを弾いている?」 マーヴィンがリズムに乗って答える。「ナイル・ロジャース!」 このフリースタイルのラップ。そして、ナイルがギターを弾き続ける。やはり、ライヴをやってもらうとその瞬間が輝く。

そして、びっくりしたのが、ナイルが現在てがけているプロジェクトをいくつか名前をあげたのだが、その中にスライ&ファミリー・ストーンの名前があったこと。あわてて割り込んで、スライ本人たちをプロデュースするのかと尋ねた。すると正確には『スライ2K』というアルバムで、これはスライたちへのトリビュート・アルバムのことで、いろいろなアーティストがスライたちの作品を録音するアルバムだった。

「エヴリバディー・ダンス」がかかると、まもなく、「ルーサー・ヴァンドロス! これは、ルーサーが歌ってるんだよ」と声をあげた。そして、後半やはりギターを弾き、それにあわせて、コーラス部分まで歌った。いやあ、それにしても、軽くやってくれますねえ。

いったんブレイクに入ったときに、ナイルに聞いた。「スライとは面識は」 「あるよ。知ってる。電話番号も知ってるし、マネジャーも知ってる。何ヶ月か前、ロスアンジェルスのレストランでばったりあって、話をしたよ。その時は、ものすごく健康そうで、元気だったよ。まあ、お酒などを飲んでダウンしている時もあるらしいけど、会った時は、元気だった。彼は、できるだけ人前にでないようにしてるらしい。なぜだかはしらないけれどね。今はレコード契約はないと思うな」

そして、4時半からの『山野ミュージック・ジャム』でも、ナイルがジェフ・ベックの紹介のところでも、コメントをしてくれた。「この『ブロウ・バイ・ブロウ』のアルバムは、彼の作品の中でもベストの作品だ。彼はそれまでロックのギタリストとして知られていたが、このアルバムでジャズ、フュージョンの分野に入り込んで、尊敬されるようになった。一方でジャズ・フュージョン界ではアル・ディメオラやジョン・マクラクリンなどのアーティストたちが主流だったが、そういうところにロック・ギターのジェフが入ってきて、活をいれることになった」

ひじょうに的確だ。ただ、おもしろいことにナイル本人は、ジェフのこうしたジャズ、フュージョン系のギターよりも、初期のロックロックしたギターの方が好きだという。なんだか彼のコメントがはいって、コーナーがしっかりした音楽番組のようになった。(笑) サンキュー、ナイル! 雨の日曜だったが、ナイルの大爆発で、一挙に熱があがった。
緊張。

生の楽器をアンプを通さずに聴くということは、今の時代、とてもぜいたくなことだ。妹尾武さんのピアノコンサートは、彼が触れた鍵盤から力が伝わり、ピアノ線を叩き、その叩かれた音が、天井高ゆうに3メートルはあるだろう格調の高い会場に響く。どこからも彼の姿が見え、どこに座ってもピアノの音ははっきりと聴こえる。まさにすべての席がいい席(every seat is good seat)、王子ホールでのコンサート。

ピアノシモになると、紙を動かす音さえ響いてしまうほどの静寂が訪れる。音を出してはいけない、くしゃみをしてはいけない、咳払いをしてはいけない、携帯電話の音などもってのほか、などといった無言のプレッシャーが、観客に適度な緊張を与える。人は音や声が小さくなればなるほど、その音源に集中するものだ。妹尾さんのピアノも、実にうまく引いて、こちらの集中力を高める。すべての瞬間がいい緊張の瞬間。

今年1月に続く銀座王子ホールでのライヴ。今回強く思ったのが、妹尾さんのピアノを聴くととてもイマジネーションが広がるので、バックになんらかの映像などをつけたらどうだろうか、ということ。例えば、大人気曲「ニュー・シネマ・パラダイス」のバックで、その映画のシーンが映し出されたり、あるいは、「アパートの鍵貸します」の時に、そのシーンがバックに映し出されたら、女性客の目のハートの数も2倍、3倍になってしまい、ホール中にハートマークがあふれてしまうに違いない。

あるいは「材木座海岸」のバックで、材木座海岸の映像が流れたら・・・。彼が「材木座海岸」を弾いている時にPV(プロモーション・ヴィデオ)のアイデアを思いついた。材木座のいい場所を探し、一年間、カメラを固定して定点で映像を撮影し、春夏秋冬の材木座を曲と同じ長さの3分余にする、というもの。

しかし、この曲は数ある妹尾メロディーの傑作の中でも特に傑作だと思う。例えば、ジョー・サンプルの名刺代わりの一曲として「メロディーズ・オブ・ラヴ」があるように、ヘンリー・マンシーニに「ムーンリヴァー」があるように、ミッシェル・ルグランに「サマー・ノウズ」があるように、妹尾武にこの「材木座海岸」あり、となってもまったくおかしくない。もちろん、「キセキノハナ」や「永遠に」という超ビッグな名刺もあるのはわかっているのだが・・・。将来的にはいろいろ、七変化でこの「材木座海岸」を聴いてみたい。よく考えてみれば、ジョー・サンプルなど「メロディーズ・オブ・ラヴ」を4半世紀もほとんど毎回違うように弾いてきているのだ。

そして、この曲に限らず、彼が弾くメロディーにはどれにも映像がふんわりと浮かびあがってくる。すべての曲に、あらゆる映像。

今回は、司会ぶりもおもしろかった。いきなり、冒頭で「今回はちゃんと財布も置いてきて・・・」で大爆笑をつかんで、その後は、かけあいも含め実にいい味がでていた。

ところで、すいません、懺悔(ざんげ)があります。静寂の緊張の中で、膝の上に置いていた携帯を床に落してしまったのは僕です。一度、なんとか止めようとおもったのですが、結局でてしまったくしゃみをしたのも僕です。

今回はギターの天野清継(あまの・きよつぐ)さん、チェロの落合範久(おちあい・のりひさ)さんとのコラボレーションもヴァリエーションを出すという意味で、よかったと思う。そして、最後に「永遠に」を観客に歌わせたところは、やられた。しかも、女性ばかりなのでほとんど女性コーラス隊になって、しかもみんな歌えるときた。

月並みな表現だが、妹尾ピアノはやさしい、気持ちいい、癒される。次回は、材木座海岸に近い鎌倉プリンスですか。ロケーション、できすぎです。

すべての席がいい席。すべての瞬間がいい緊張の瞬間だった。そして、すべての曲にあらゆる映像があり、すべてのメロディーに色があった。

Setlist (incomplete)

show started 18:06

1st set

1. 蒼茫
2.ニュー・シネマ・パラダイス
3.アパートの鍵貸します
4.港が見える丘
5.「彼女は死んじゃった。」メドレー
彼女は死んじゃった。テーマ〜星の灯篭 〜 5:55 
6.メロディー
7.「花にまつわるエトセトラ」メドレー
花のまち〜枯れない花〜春よ来い〜赤いスイートピー
8. キセキノハナ

2nd set

9. キャニオン・ロード 〜 ハウ・インセンシティヴ
10.オーヴァージョイド
11.渚橋
12.最初から今まで 〜 「冬のソナタ」より
13.春にして君を想う
14.KYOTO (京都) 
15.新大阪
16.材木座海岸
17.永遠に

アンコール1. 爪痕
アンコール2. 浜辺の歌
アンコール3.  星霜

show ended 20:41

(2004年5月15日土曜日・銀座王子ホール=妹尾武ライヴ)
(下のパート1からお読みください)

Soul Of Tree, Tree Of Soul:  Furniture Of My Mind(Part 2)

ソウル家具。

「なによりも、グルーヴ感のある家具、ソウルのはいった家具を作りたい」と彼は言う。「あるいは音楽のような家具、と言ってもいいかもしれません。それは音楽グッズに関係する家具ということもありますが、音楽を聴いている場面に、ピッタリはまるような家具。音楽のように、傍らにあるだけで心が和む家具です。でも実際には、どうすればグルーヴ感が出せるのか、僕のソウルがうまく伝えられるのかは、まだまだこれからの課題でもあります」

伊藤さんはさらに続ける。「魂を込めて作った家具をお客さんが喜んでくれることは、もちろん嬉しいですし、達成感もあります。しかし、注文どおりの物を作って渡して終わりというわけではありません。本当は納品した後からのほうが真価を問われるのです。納品するたびに、作った物に対して『これからがんばってくれよ』という気持ちが大きくなっていきます」

2003年暮れ、山梨で競売で売りに出された緑あふれる土地と古びた倉庫を破格値で入手することができた。ぼろぼろの倉庫も手直しが必要で今すぐには使えない。だが、何年かかるかわからないが、こつこつ自分で直し、いずれはそこを工房とショールームにするつもりだ。これにも彼の周りの多くの人々が協力してくれている。彼は言う。「『ソウル・サーチン』は自分の意志で始めることですが、それを実行するためには、多くの協力者が必要だということを痛切に感じています。その人たちへの感謝の気持ちを改めて言いたいですね」

彼はこう結んだ。「僕も『ソウル・サーチン』の本のような、人の心を動かす作品を作りたいんです」 彼の夢は、自分で作った工房とショウルームで、一日中自分が好きなソウルミュージックを流しながら、仕事をすることだ。その時、そこでは彼の大好きなシックやクール&ザ・ギャング、クインシー・ジョーンズ、シャーデーなどともに、とりわけ好きなグローヴァー・ワシントン・ジュニアの「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」が流れているだろう。そう、シックや、クインシーや、グローヴァーたちのソウルの入った家具が生まれる日も遠くはない。もし、それらの家具にタイトルをつけるとすれば、Furniture Of My Soul(我がソウルの家具) あるいは、Furniture Of My Mind(我が心の家具)だ。

樹魂のページ。↓
http://www.h4.dion.ne.jp/~jucon/

書籍『ソウル・サーチン』(音楽之友社から発売、2520円)、アマゾンのページ。↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/427623302X/qid=1084302584/sr=1-2/ref=sr_1_8_2/249-1349093-4145155

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[仕事に忙殺されるサラリーマン生活に疑問をもった彼は、家具作りの道へ進むことを決意する。こだわりの「ソウルあふれる家具」作りを目指す家具職人のソウル・サーチンの物語。]

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樹魂。

「樹魂」と書いて、「じゅこん」と読む。「樹」は生きている木。「樹」は切り倒された瞬間、生命を絶たれただの「木、木材」となってしまう。そんな死んだ「木」に再び魂を吹き込み、家具という新しい役割を持った「樹」として生き返らせたい。そういう思いを込めて命名したのが、「樹魂」という名の家具作りの工房だ。そこでは一日中ラジオやCDが流れている。今日かかっているCDはスティーヴィー・ワンダーの『ミュージック・オブ・マイ・マインド(我が心の音楽。邦題、心の詩)』(1972年作品)。これに収録された「スーパーウーマン」は8分近くある大作であり名曲だ。この工房は2003年暮れに東京都町田市に住む伊藤あきとしさんが始めた。

それから遡ること3年前。2000年、いくつかの仕事をしてきた彼は、サラリーマンを辞めようと思い始める。とりたててスーパーサラリーマンではなかったが自分なりに仕事は一生懸命やり、管理職にもなった。しかし、自分のやりたいこともできずに、いつしか日々の生活は会社との往復だけで家にはただ寝に帰るだけになっていた。これを今後何十年も続けるのかと思うと、今の生活でいいのだろうか、という疑問がふつふつと湧いてきた。

ちょうどそんな時、FMで紹介されていた一冊の本に出会った。番組は毎日夕方4時からの『サンダー・ストーム』。そこで紹介されたのが『ソウル・サーチン』(音楽之友社)だ。シック、ナタリー・コール、ジョン・ホワイトヘッド、あるいはミニー・リパートンなど自分が気に入っていたアーティストたちのおなじみの大ヒット曲やさまざまなエピソードを、一週間(月曜から金曜)かけて紹介していた。そうしたエピソードに触れてからそれまで何度も耳にしてきた同じ曲を聴くと、その曲がまったく違う新たな魅力を持って聴こえてきた。アーティストたちの物語に興味を持った彼は、何軒か書店を回りすぐに本を手に入れた。

決意。

その頃、会社の異動で通勤時間は長くなり残業も増え、ますます会社人間になっていた。1963年生まれの彼はそれまでもソウル・ミュージックが好きでよく聴いていて、レコードやCDを買い、時にはDJの真似事などもしていたが、自分のお気に入りのアーティストたちのヒット曲や栄光の部分しか知らなかった。この『ソウル・サーチン』を読んで、栄光以外の影の部分を垣間見て、それぞれのアーティストたちの「ソウル・サーチン」の意味を知った。そして自分の可能性にもかけてみたくなった。前書きに書かれていた「次の『ソウル・サーチン』の主人公となるのは、あなたかもしれないのだ」という言葉に、次の主人公は自分かもしれないと思った。

彼が家具職人の道を選んだのは、自然の素材で一から物を作ることができると思ったからだ。しかし、家具職人になるべく専門学校に通うまでは、日曜大工さえしたことがなかった、という。

会社を辞めて学校に行く決意を固めた頃、家具作りの基本的な勉強をしようと思い、タウンページを見て自宅に一番近いところにあった家具屋さんを探し、遊びにいくようになった。そこでは今まで何も知らなかった木工の基本を見様見真似でいろいろ覚えた。たまたま知り合ったこの家具屋さんの主人は、多くのことを教えてくれ、彼にとっての師匠のような存在になっていった。ここで基礎的な知識を覚えたので学校での授業が理解しやすかった。

サラリーマンを辞める決意をしてから1年余。2002年4月から翌年3月まで、彼は専門学校に1年間、休むことなく週5日通った。講義と実技があり、毎日7時間ほどの授業があった。クラスは20名。高校を卒業した人が6名、彼のような脱サラ組が3名、40歳の人もいた。伊藤さんはその人についで2番目の年長者だった。ふたりいた先生は、ともに伊藤さんより年下だった。

1年は瞬く間に過ぎた。彼は振り返る。「これほど充実した時間は、生涯で初めてだったかもしれません。卒業式には、修了証とともに、皆勤賞、努力賞もいただくことができました」

ちょうどその頃、テレビで岡山県のとある工房が紹介されていた。伊藤さんはその主人の生き方や、家具作りの姿勢に共感を持ち連絡をいれた。最初話を聞きに行き、その後、そこで勉強できればと思ったが、夫婦ふたりでやられている工房のため、給料はだせないと言われた。しかし、それでもよければという言葉をもらい、彼は岡山で半年ほど修行する。2003年4月から半年間のことだった。

つながり。

修行後、東京に戻りいよいよ独立することになって、工房の場所を探した。ところが、工房を作るということは、機械の騒音や木屑の問題など周囲に迷惑がかかることが多いので、なかなかいい場所が見つからなかった。あるとき、家具屋さんの仕入先で、それまでも何度か授業などで使わせてもらっていた材木屋さんに思わず愚痴をこぼすと、その材木屋さんが「うちを使えばどうだ」と言ってくれた。そこの倉庫の一部を仲間の協力を得て手作りで2ヶ月ほどかけて改築し、工房を始めることができた。これが2003年暮れのことだ。

初めての仕事は、以前に勤めていた会社のお客さんだった。開業したことを案内すると、注文がもらえた。

伊藤さんは言う。「この仕事は、営業、設計、見積もり、制作、販売、納品、メンテナンスまでトータルに仕事ができるのでやりがいがあり、ひじょうに充実しています。自分が作った物を使う人がわかっているということは、物を作る仕事をしている人でもなかなかないと思います。もちろん逆もそうで、使う人も、作品を作った人と直接接触することもあまりないでしょう。この仕事には実に人と人とのふれあい、つながりが感じられます。これが今までのサラリーマン生活と一番違う点かもしれません。実際、タウンページで見つけた家具屋さんと知り合いにならなければ、僕はまだきっと工房を持っていなかったと思います」

伊藤さんが作る家具は、いわゆる手作りの注文家具。よってどうしてもコストが高くなる。今はまだ勉強期間と思い、単価を安くしてやっているが、それでも注文を取るのは大変なことだという。彼は素材にこだわる家具について解説する。「材料を家具に使えるようにするには、乾燥という工程が大切です。本来なら、天然乾燥を7〜8年して、人口乾燥をかけ、その後、また天然乾燥を1年くらいすると良い家具材となるのですが、その工程をすると、金額的には高いものになります。ですので、材木屋さんも乾燥していない木を使いますし、市場の家具は、乾燥の必要のない合板を主に家具を作っています。乾燥していない材料を使うと、反りや割れなどを起こし、ひどい時には家具としての機能を失います。僕たちのような無垢材で家具を作っている者にとっては、乾燥材を使うというのは、とても大切なことなので、材料費がかかっても乾燥材を買うようにしています」

(Part 2 へ続く)
軌跡。

ライヴ演奏が始まる前から妙に期待感が高まっている時がある。それは、僕個人がそうである時もあれば、周囲の観客がそうなっていて、その場の「空気」が「熱く」なっていることを僕が感じる時もある。12日のブルーノートのセカンドはそんな空気感が漂っていた。これは、理屈ではないのだろう。3日目、最後のライヴということを観客も、ミュージシャンも知っていて、そのことが微妙に作用しているのかもしれない。あるいは、過去2日間ライヴに通った観客が、このライヴのすばらしさを誰かに伝え、そうした期待を胸に秘めた人たちが多く集まっているのかもしれない。そうしたことは、確かに、初日ではありえない。この日、セカンドは立ち見がでるほどになっていた。

偶然会場で会ったケイリブ、エボニーを含め計8人が6人の席に座るという牛詰状態の中で、歌は始まった。

レイラ・ハザウェイの3日目は、曲目(セットリスト)だけで言えば、1日目とまったく同じである。ところがのりはまったく違った。日本風の上着を羽織り、足早にステージにあがったレイラは、「スマイル」から好調なすべりだし。観客からの歓声もいつになく熱い。

2曲を歌い終えて、さて、いよいよ・・・。「OK」という単語がキューになっているようだ。まず、第一のパンチ。「フライング・イージー」。う〜〜ん。いやいや、まいるなあ。実に気持ちよく歌うレイラ。疾走するフランクのキーボード。爽快感あふれるレイラの歌声。レイラとフランクのデュオをもっともっとやってほしい。

そして、「フライング・イージー」を終え、拍手の中、フランクがローズからアコースティック・ピアノに位置を移す。第二のパンチ。エボニーが「sing it you all」と声をかける。ダニーよりもテンポを遅くした「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」。初日よりもさらに磨きがかかっている。レイラからフランクへ。そして、二人のハーモニー。これは奇跡のハーモニーだ。

1990年、21歳でデビューした時、レイラはダニーの作品に触れることはなかった。それは触れることができない聖域だった。それから14年。レイラは少しずつダニーの作品に触れるようになってきた。ライヴで一曲だけやったり、なにかのイヴェントでちょっとやってみたり。この日、彼女が「フライング・イージー」と「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」というダニーが録音した作品を2曲続けて歌う意味は、娘が父に一歩一歩近づいていることの証だ。Slow But Surely. ゆっくりだが、確実に。この「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」は、レイラの父への歩み寄りの軌跡のハーモニーとも言えるのだ。

二人の「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」は、実に熱い。途中のかけあいなど、背筋がぞくぞくする。初日に見たというソウルメイトHは後日僕に「あれは、ダイアナ&マーヴィンに匹敵するね」と言った。これは何をおいてもレコーディングしてもらわないと困る。(笑) 彼らのヴァージョンを聴いていると、ダニー・ハザウェイのヴァージョンも忘れそうになるほどオリジナリティーにあふれている。一緒に見ていたケイリブがレイラをして「なんというミュージシャンだ。Very musical!(ものすごく、音楽的)」と感嘆した。その通りだ。ジェームス・テイラーが歌っていたことが、キャロル・キングが書いたという事実が、陽炎(かげろう)の如く遠くへ飛んでいく。これは、今この瞬間レイラとフランクの歌になりきっているのだ。

もっともっと、ずっとずっと、聴いていたい。終わらないで欲しい。二人を見つめながら、ずっとそう思っていた。

この日、「サマータイム」でトクさん、飛び入りで登場。さらに会場を熱くした。続く「ホエン・ユア・ライフ・ウォズ・ロウ」のイントロが始まった瞬間、自らその曲をレパートリーにしているエボニーは悲鳴をあげた。「フィーヴァー」では、レイラの「立ち上がって踊りたければ、そうしていいのよ」の声に観客がみな立ち上がった。そしてアンコールの「ストリート・ライフ」が終るまで、みな立っていた。それはいつしかそのままスタンディング・オヴェーションになっていた。

「今年のベスト・一曲のパフォーマンス(Best One Performance Of The Year)」を選べと言われたら、現在のところ、僕はこのレイラ&フランクの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」を選ぶことになりそうだ。

Setlist (second set)

show started 21:45

1. Smile (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
2. One Day I’ll Fly Away (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
3. Flying Easy (From Donny Hathaway’s Album "Extension Of A Man" - 1973)
4. You’ve Got A Friend (From Donny Hathaway’s Album "Live" - 1971))(Lalah & Frank)
5. Cupid’s Arrow (From Frank McComb’s Album "Truth" - 2003)(Frank)
6. Summertime (standard)(with TOKU)
7. When Your Life Was Low (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)
8. Somethin’ (From Album "Lalah Hathaway" - 1990)
9. Fever (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)

Encore. Street Life (From Joe Sample/Lalah Hathaway Album "The Song Lives On" - 1999)

show ended 23:02

(2004年5月12日水曜セカンド・ブルーノート東京=レイラ・ハザウェイ・ライヴ、ゲスト・フランク・マッコム)

John Whitehead Shot Dead

2004年5月13日
ジョン・ホワイトヘッド(マクファーデン&ホワイトヘッドの片割れ)殺害される

フィラデルフィアのデュオで、ソングライター、プロデューサーとしても多数のヒットを持つマクファーデン&ホワイトヘッドのジョン・ホワイトヘッドが去る5月11日夕方、フィラデルフィアの自宅前で銃を持った複数の暴漢に撃たれ死亡した。55歳だった。ホワイトヘッドと同じ現場にいた甥のオーメッド・ジャクソン(20)も撃たれたが命に別状はない模様。銃声はかなりの数したという。男たちはオーメッドを狙っていたのではないかとの観測もある。犯人は捕まっていない。ホワイトヘッドは、4年前、自宅に強盗が押し入り、ジョンの兄弟ケヴィンを縛り上げ、宝石や現金が奪われていた。

娘のドーン・ホワイトヘッド(33)は、「なぜ父に彼らはこんなことをするの。昨日、話したばかりなのに」と呆然とした。音楽パートナーであるジーン・マクファーデンはこのニュースを聞き、ダラス・ストリートの自宅前の現場に急行、やはり立ちすくんだという。

12日に警察が記者会見したところによると、単なる物取りではなく、おそらく犯人と甥の間になんらかのトラブルがあったものと見られている。状況から犯人たちはジャクソンを狙い撃ちしたらしい。そのあおりでホワイトヘッドが死亡した。

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フィラデルフィアのトップ・プロデューサー、デュオ。

ジョン・ホワイトヘッドは、1947年7月10日フィラデルフィア生まれ。小学校時代の友人ジーン・マクファーデンとともにヴォーカル・グループを結成。エプシロンズという名で活躍している60年代中期にオーティス・レディングに認められ、彼のツアーに参加。オーティスの67年12月10日の飛行機事故による急死を受け、地元で活躍するようになり、同地のプロデューサー、ギャンブル&ハフに認められ、彼らのレコード会社に入社する。

グループ名をトーク・オブ・ザ・タウンと変えシングルをリリースするがヒットにはいたらなかった。その後、雑用などをしていたが、曲作りを覚え、初めて書いた作品が「バック・スタバーズ」で、72年これをオージェイズが歌い大ヒットになった。以後、二人のコンビで多数の作品を書き、プロデュースもし、フィラデルフィアのホットなプロデューサー・チームとなった。

オージェイズだけでなく、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、テディー・ペンダグラス、イントゥルーダーズなどに多数のヒットを提供。その後、自らマクファーデン&ホワイトヘッドとして79年再デビュー。この時だした「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」が大ヒットし、彼らはアーティストとしてもブレイクした。この曲はその後もサンプリング、カヴァーなどもされ、ダンスクラシックとなっている。

ジョンは1983年ソロアルバムを一枚だすが、思ったほどの成功は収めなかった。最近でもジーンとともに、時折ライヴ・パフォーマンスなどを見せていたという。

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衝撃。

ブルーノートで、レイラ・ハザウェイとフランク・マッコムのライヴをひじょうに楽しんで帰ってきて、その感想文でも書こうとコンピューターを立ち上げたら、とんでもないニュースが飛び込んできた。ジョン・ホワイトヘッド死去のニュースだ。このところ、本当に訃報が多いが、これにはまいった。しかも、暴漢に襲われての死亡だ。状況からすると巻き添え的に殺された感が強い。

ご存知の方も多いだろうが、僕が「ソウル・サーチン」という言葉を教わったのが、このジョン・ホワイトヘッドからである。88年3月、ニューヨークで彼に会い、インタヴューし、その中で彼は自身のソウル・サーチンの物語を語ってくれた。あの時の彼の表情や、雰囲気は今でも思い起こすことができる。彼と会わなければ、僕の著作『ソウル・サーチン』も生まれていない。そして、僕がThe Soul Searcherと名乗ることもなかった。その意味で、僕にとってはジョン・ホワイトヘッドこそ、ソウル・サーチンのオリジネイターなのである。88年以来再会できていなかったが、絶対にまた会ってゆっくり話をしたいと思っていた人物のひとりである。このニュースを聞いて、本当に残念でならない。

彼は快活で、明るい、笑いが絶えない人物だった。今回の事件に関して彼を知る人物がみなジョンのことを「いい奴で、おもしろい奴だった」というコメントをしているが、本当にその通りだった。しかも、彼の話がなんといってもおもしろい。見事な語り部だった。インタヴュー・テープをただそのまま起こせば、それだけで充分なストーリーになっていた。

あのインタヴューは僕がてがけたインタヴューの中でも3本の指に入るいいものだった。彼がオーティス・レディングに弟子入りしていたことなども初めて知った。「バック・スタバーズ」の誕生秘話もおもしろかった。彼らが裏方から表舞台にでて「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」をやっとの思いで録音することができたという話。そして、大ヒットがたくさんでて、ジョンが脱税で刑務所に入ってしまうという話。彼がどん底にいたときに手を差し伸べてくれた友人。そこで体験した彼自身のソウル・サーチン。たった一時間のインタヴューで僕はエンタテインメントの映画一本分を見たような満足感を得た。彼以後も多数の人にインタヴューをしているが、彼ほど話をおもしろおかしく、しかもときに悲しく、メリハリをつけ、起承転結をうまく話す人物を知らない。

Rest In Peace, John Whitehead!

『ソウル・サーチン』
http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/index.html

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