Roots Music Talk Event At Kenwood Show Room
2004年2月22日継続。
友人でもある音楽評論家、岩田由紀夫氏が隔月で開催している音楽トークイヴェント「ROOTS MUSIC トーク・イベント 音楽の達人 VOL.11」を見に行った。これは、偶数月の第三土曜日に有楽町のケンウッドのショウルームで行われているもので、司会が岩田氏、これに音楽評論家の天辰保文(あまたつ・やすふみ)氏、歌手のアヤ(Aja)さんが加わってひとつのテーマに沿って話をして、それらと関連したCDを聴くというイヴェント。ケンウッドの協力で、入場料は無料。
今回のテーマは、「尊敬するアーティストに捧げる曲(カヴァー曲)特集」ということで、カヴァー、トリビュート、ベネフィット作品などを特集して各人が選曲し、CDをかけた。約2時間のイヴェント。観客は約30名。ほぼ用意された席が一杯になっている。
基本的には、岩田さんが司会進行で、さまざまなトリビュートなどの基本的な情報を解説し、それに、天辰さん、アヤさんらがからむというスタイル。最後には、お客さんが持ってきたトリビュートアルバムから一曲づつかけるという趣向もあった。
岩田さんはさすがにFMでしゃべっているだけに、話が軽妙で、しかも話題の飛び方もうまく飽きさせない。天辰さんも、ぼそぼそっとした朴訥なところがいい味をだし、時々、会場の笑いをうまくとる。そして、歌手のアヤさんは、一般の人が持つ視点で話にからむ。
このイヴェントの告知ウェッブは次。
http://rootsmusic.clubdam.com/rn/stsp/stsp_0402.html
次回は4月17日(土曜)。テーマは、「ウェストコーストロック」について。ということで、天辰さんのもっとも得意とするところ。そういうタイプの音楽がお好きな方、興味のある方は、顔をだされてはいかがだろうか。一応、予約をされたほうがいいが、当日の一見さんでも大丈夫。
終った後、まず、天辰さんと挨拶。普段、お互い記事などは読んでいるが、さすがにコンサート会場で会うことはまずないので、かなり久しぶり。下手すると10年ぶりくらいかもしれない、ということで、名刺交換など。そして、岩田さんと挨拶。
岩田さんに尋ねた。「いやあ、このようなイヴェントずっとやられてるなんて知りませんでした。もう11回?」 「そう、隔月だから2年近いかな。最初は10人くらいしかいなかったよ。でも、やっぱり、こういうのを続けないと、洋楽がだめになっちゃうでしょう。どこでも洋楽かからなくなってるからねえ。こういうのは、何がなんでも継続することですよ」 「継続ねえ、そうですねえ」 「これって、そのまま録音して、どこかの放送局かなんかで放送すればいいのに」 「どこもやってくれないよ。(笑) どっか、売ってきてよ(笑)」 「コミュニティーFMだったら、やれるんじゃないですか?」「そうかもしれないね」
そして、最初のうちは、友達とかにはあえて声をかけなかった、という。基本的には、ウェッブなどの告知を見てやってきた洋楽好きの人が来る、という。「友達だけで一杯になっても、そこからなかなか広がらないような感じがしてね」 なるほどねえ。ほら、僕も今度4月にいわゆる「トーク・イヴェント」みたいなことやるでしょう。いろいろ、参考になるところがありました。はい。
(2004年2月21日土曜日・ケンウッド・ショウルーム=ルーツ・ミュージック・トーク・イヴェントVOL.11)
友人でもある音楽評論家、岩田由紀夫氏が隔月で開催している音楽トークイヴェント「ROOTS MUSIC トーク・イベント 音楽の達人 VOL.11」を見に行った。これは、偶数月の第三土曜日に有楽町のケンウッドのショウルームで行われているもので、司会が岩田氏、これに音楽評論家の天辰保文(あまたつ・やすふみ)氏、歌手のアヤ(Aja)さんが加わってひとつのテーマに沿って話をして、それらと関連したCDを聴くというイヴェント。ケンウッドの協力で、入場料は無料。
今回のテーマは、「尊敬するアーティストに捧げる曲(カヴァー曲)特集」ということで、カヴァー、トリビュート、ベネフィット作品などを特集して各人が選曲し、CDをかけた。約2時間のイヴェント。観客は約30名。ほぼ用意された席が一杯になっている。
基本的には、岩田さんが司会進行で、さまざまなトリビュートなどの基本的な情報を解説し、それに、天辰さん、アヤさんらがからむというスタイル。最後には、お客さんが持ってきたトリビュートアルバムから一曲づつかけるという趣向もあった。
岩田さんはさすがにFMでしゃべっているだけに、話が軽妙で、しかも話題の飛び方もうまく飽きさせない。天辰さんも、ぼそぼそっとした朴訥なところがいい味をだし、時々、会場の笑いをうまくとる。そして、歌手のアヤさんは、一般の人が持つ視点で話にからむ。
このイヴェントの告知ウェッブは次。
http://rootsmusic.clubdam.com/rn/stsp/stsp_0402.html
次回は4月17日(土曜)。テーマは、「ウェストコーストロック」について。ということで、天辰さんのもっとも得意とするところ。そういうタイプの音楽がお好きな方、興味のある方は、顔をだされてはいかがだろうか。一応、予約をされたほうがいいが、当日の一見さんでも大丈夫。
終った後、まず、天辰さんと挨拶。普段、お互い記事などは読んでいるが、さすがにコンサート会場で会うことはまずないので、かなり久しぶり。下手すると10年ぶりくらいかもしれない、ということで、名刺交換など。そして、岩田さんと挨拶。
岩田さんに尋ねた。「いやあ、このようなイヴェントずっとやられてるなんて知りませんでした。もう11回?」 「そう、隔月だから2年近いかな。最初は10人くらいしかいなかったよ。でも、やっぱり、こういうのを続けないと、洋楽がだめになっちゃうでしょう。どこでも洋楽かからなくなってるからねえ。こういうのは、何がなんでも継続することですよ」 「継続ねえ、そうですねえ」 「これって、そのまま録音して、どこかの放送局かなんかで放送すればいいのに」 「どこもやってくれないよ。(笑) どっか、売ってきてよ(笑)」 「コミュニティーFMだったら、やれるんじゃないですか?」「そうかもしれないね」
そして、最初のうちは、友達とかにはあえて声をかけなかった、という。基本的には、ウェッブなどの告知を見てやってきた洋楽好きの人が来る、という。「友達だけで一杯になっても、そこからなかなか広がらないような感じがしてね」 なるほどねえ。ほら、僕も今度4月にいわゆる「トーク・イヴェント」みたいなことやるでしょう。いろいろ、参考になるところがありました。はい。
(2004年2月21日土曜日・ケンウッド・ショウルーム=ルーツ・ミュージック・トーク・イヴェントVOL.11)
イヴェント予告。
11月末に行いご好評をいただいた「ソウル・サーチン・トーキング」の第二回を企画中です。今、イヴェント内容などをつめているところで、まもなく、正式に発表できると思います。4月中です。都内です。第一回にお越しいただいた方、ありがとうございます。そして、満員で入れずにお帰りになられた方、申し訳ございません。次回は少し会場も広くなります。
前回は、3人のトークとCD音源でスティーヴィーの音楽をご紹介したわけですが、今回は、スティーヴィーのライヴを見た感想などを話しあいながら、あの感動を小さく再現したいと思います。あのライヴの中でも、もっともスポンテニアスな、アドリブっぽい「アコースティック・セクション」を再現します。前回イヴェントではCDをかけた部分を生ピアノ、生ヴォーカルでお送りします。といっても僕たちが歌うわけではありません。(笑) 当たり前ですが。この日記にも何度も登場しているケイリブ・ジェームスにピアノの弾き語りをしてもらいます。
前回の「ソウル・サーチン・トーキング」をやったあと、たまたまケイリブのライヴを見て、彼がスティーヴィーの「リボン・イン・ザ・スカイ」や「オーヴァージョイド」を歌うのを聴いて、「これだ!」と思いました。彼の声質は、ジェームス・イングラムとかブライアン・マクナイト系のR&B系。とてもいい雰囲気です。
トークはまあいいんですが、CDをかけていると、どうしてもその間、間が持たないというか、そういう感じになってしまうんですね。でも、今回はそんなことはありません。ケイリブが歌う、スティーヴィーのアコースティック・ヴァージョンの数々。これは聞き物です。
スティーヴィーが前半で見せる約20分弱の「アコースティック・セクション」をケイリブに再現してもらいます。スティーヴィーは、ここで、「リボン…」や「レイトリー」や「オーヴァージョイド」などを歌います。
仮タイトルは、「ソウル・サーチン・トーキング ヴォリューム 2〜スティーヴィーの魅力再発見〜〜A Moment Of You, Me, And Piano」です。いい感じでしょう。スティーヴィー、ごらんになったかたは、ピンと来るかもしれません。スティーヴィーがアンコールで「マイ・シェリー・アモール」をピアノ一本で歌う前に、言った一言からもらいました。
以上、予告でした。1-2週内に正式に発表できると思います。お楽しみに。
11月末に行いご好評をいただいた「ソウル・サーチン・トーキング」の第二回を企画中です。今、イヴェント内容などをつめているところで、まもなく、正式に発表できると思います。4月中です。都内です。第一回にお越しいただいた方、ありがとうございます。そして、満員で入れずにお帰りになられた方、申し訳ございません。次回は少し会場も広くなります。
前回は、3人のトークとCD音源でスティーヴィーの音楽をご紹介したわけですが、今回は、スティーヴィーのライヴを見た感想などを話しあいながら、あの感動を小さく再現したいと思います。あのライヴの中でも、もっともスポンテニアスな、アドリブっぽい「アコースティック・セクション」を再現します。前回イヴェントではCDをかけた部分を生ピアノ、生ヴォーカルでお送りします。といっても僕たちが歌うわけではありません。(笑) 当たり前ですが。この日記にも何度も登場しているケイリブ・ジェームスにピアノの弾き語りをしてもらいます。
前回の「ソウル・サーチン・トーキング」をやったあと、たまたまケイリブのライヴを見て、彼がスティーヴィーの「リボン・イン・ザ・スカイ」や「オーヴァージョイド」を歌うのを聴いて、「これだ!」と思いました。彼の声質は、ジェームス・イングラムとかブライアン・マクナイト系のR&B系。とてもいい雰囲気です。
トークはまあいいんですが、CDをかけていると、どうしてもその間、間が持たないというか、そういう感じになってしまうんですね。でも、今回はそんなことはありません。ケイリブが歌う、スティーヴィーのアコースティック・ヴァージョンの数々。これは聞き物です。
スティーヴィーが前半で見せる約20分弱の「アコースティック・セクション」をケイリブに再現してもらいます。スティーヴィーは、ここで、「リボン…」や「レイトリー」や「オーヴァージョイド」などを歌います。
仮タイトルは、「ソウル・サーチン・トーキング ヴォリューム 2〜スティーヴィーの魅力再発見〜〜A Moment Of You, Me, And Piano」です。いい感じでしょう。スティーヴィー、ごらんになったかたは、ピンと来るかもしれません。スティーヴィーがアンコールで「マイ・シェリー・アモール」をピアノ一本で歌う前に、言った一言からもらいました。
以上、予告でした。1-2週内に正式に発表できると思います。お楽しみに。
蜃気楼。
見ようか見まいかちょっと迷っていたが、意を決して夕方、行くことにした今日のライヴはアル・ディメオラ。70年代のアルバムは何枚か持っているがライヴは初めて。開演しばらく前、友人ソウルメイトYとちょうど席につこうとしていると、ソウルメイトL夫妻から声をかけられた。せっかくなので、4人で観ることに。
70年代から数々のアルバムで超絶テクニック、スーパーテクニックを披露しているディメオラは、元祖癒し系か。ある種ギタリストとしての究極の夢はこのようなライヴをすることではないか、と思った。それにしても、イメージと映像の広がる演奏だ。例えば、新日本紀行とか、ディスカヴァリー・チャンネルの旅番組あたりの音楽にぴったりのような音楽とでも言えばいいか。なかなかにきもちいい。
その超絶テクニックは存分にあらゆる曲で見せつけられるのだが、ふと思うのは、一体どこに生まれ、どこに育つとこのような音楽ができるのだろうか、ということだった。壮大な海辺か、アンデスの山々か、どこかの砂丘か、アマゾンの密林か。あまり、アメリカっぽくないところがユニークだ。
ディメオラは、同じ一本のギターをスイッチひとつで様々な音色を出す変幻自在の楽器にしてしまう。アコースティックな音、エレキ・ギターの音、そして、ベースのような音、オルガンのような音。まるで、そこには3人のディメオラがいるかのようだ。時に幻想的な音空間を生み出し、ブルーノートのテーブル中央に置かれたろうそくのゆらぎと同調するかのようだ。フュージョンとも一線を画すようなこの響きは実に独特のサウンドだ。
彼は映像や絵を想像しながらプレイするのか、それとも、プレイしている時に映像が脳裏に浮かんでくるのか。それとも、まったく無心でプレイしているのか。このレヴェルの域に達したミュージシャンだと、その彼が作る音楽には、ミュージシャンの持つ世界観のようなものが如実に反映すると思う。つまり、音楽や音楽技術以外の部分が非常に大きな要素を占めるような気がしてならない。どのような世界観を持っているのか、どれほど多くの旅をしてきたか、いかなる経験を積んできたか、人間としてのスケールの大きさがどれほどのものか。そうしたものが最終的に凝縮され音に響いてくるのだ。
最後の曲が終わり、彼はメンバーを紹介した後、こう言った。「僕の本名はワタナベカズミ!」。笑いを取ることも忘れない。
音が流れていた70分余の間、僕には、時に大海原でいるかが跳ねるのが見えたり、大きく真っ赤な夕日が落ちていくアフリカの草原に何頭もの象が群れをなして歩いていくのが見えた気がした。なによりもその音色の豊富さで、砂丘の蜃気楼の向こうにアル・ディメオラという名のギタリストが3人くらい立っているような錯覚に陥った。良い旅だった。
(2004年2月19日・木曜、ブルーノート東京=アル・ディメオラ・ライヴ)
ブルーノートのページ。
http://www.bluenote.co.jp/art/20040216.html#song
21日土曜日まで、東京ブルーノート。その後名古屋ブルーノート。福岡ブルーノート。
見ようか見まいかちょっと迷っていたが、意を決して夕方、行くことにした今日のライヴはアル・ディメオラ。70年代のアルバムは何枚か持っているがライヴは初めて。開演しばらく前、友人ソウルメイトYとちょうど席につこうとしていると、ソウルメイトL夫妻から声をかけられた。せっかくなので、4人で観ることに。
70年代から数々のアルバムで超絶テクニック、スーパーテクニックを披露しているディメオラは、元祖癒し系か。ある種ギタリストとしての究極の夢はこのようなライヴをすることではないか、と思った。それにしても、イメージと映像の広がる演奏だ。例えば、新日本紀行とか、ディスカヴァリー・チャンネルの旅番組あたりの音楽にぴったりのような音楽とでも言えばいいか。なかなかにきもちいい。
その超絶テクニックは存分にあらゆる曲で見せつけられるのだが、ふと思うのは、一体どこに生まれ、どこに育つとこのような音楽ができるのだろうか、ということだった。壮大な海辺か、アンデスの山々か、どこかの砂丘か、アマゾンの密林か。あまり、アメリカっぽくないところがユニークだ。
ディメオラは、同じ一本のギターをスイッチひとつで様々な音色を出す変幻自在の楽器にしてしまう。アコースティックな音、エレキ・ギターの音、そして、ベースのような音、オルガンのような音。まるで、そこには3人のディメオラがいるかのようだ。時に幻想的な音空間を生み出し、ブルーノートのテーブル中央に置かれたろうそくのゆらぎと同調するかのようだ。フュージョンとも一線を画すようなこの響きは実に独特のサウンドだ。
彼は映像や絵を想像しながらプレイするのか、それとも、プレイしている時に映像が脳裏に浮かんでくるのか。それとも、まったく無心でプレイしているのか。このレヴェルの域に達したミュージシャンだと、その彼が作る音楽には、ミュージシャンの持つ世界観のようなものが如実に反映すると思う。つまり、音楽や音楽技術以外の部分が非常に大きな要素を占めるような気がしてならない。どのような世界観を持っているのか、どれほど多くの旅をしてきたか、いかなる経験を積んできたか、人間としてのスケールの大きさがどれほどのものか。そうしたものが最終的に凝縮され音に響いてくるのだ。
最後の曲が終わり、彼はメンバーを紹介した後、こう言った。「僕の本名はワタナベカズミ!」。笑いを取ることも忘れない。
音が流れていた70分余の間、僕には、時に大海原でいるかが跳ねるのが見えたり、大きく真っ赤な夕日が落ちていくアフリカの草原に何頭もの象が群れをなして歩いていくのが見えた気がした。なによりもその音色の豊富さで、砂丘の蜃気楼の向こうにアル・ディメオラという名のギタリストが3人くらい立っているような錯覚に陥った。良い旅だった。
(2004年2月19日・木曜、ブルーノート東京=アル・ディメオラ・ライヴ)
ブルーノートのページ。
http://www.bluenote.co.jp/art/20040216.html#song
21日土曜日まで、東京ブルーノート。その後名古屋ブルーノート。福岡ブルーノート。
Doris Troy Died At Age 67
2004年2月19日ドリス・トロイ死去〜『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』のモデル
1960年代に活躍したポップ、ソウルシンガー、ドリス・トロイが去る2月16日(月曜)、ラスヴェガスで死去した。67歳だった。ドリスは、1937年1月6日ニューヨーク生まれ。63年に「ジャスト・ワン・ルック」が大ヒットした。この曲は後にイギリスのホリーズがカヴァー、イギリスでヒットさせた。ドリス自身はこれを超えるヒットはなかったが、このヒットで一世を風靡。ホリーズのヒットのおかげもあり、70年、イギリスのアップルレコードからジョージ・ハリソンのサポートを得てアルバムをだしたこともある。アメリカより、むしろ、イギリスでのほうが人気があったとも言える。
その後、80年代にはいり、ドリスの妹ヴァイ・ヒギンセンが、姉のことをテーマにしたミュージカル『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』を制作、これがロングヒットとなった。このミュージカルには、一時期ドリス・トロイ本人も出演していた。同ミュージカルは88年6月、日本にも上陸、人気を集めた。このミュージカルは、ドリスのルーツであるゴスペルから、ソウル、R&Bなどの音楽をとりあげ、特に日本でのゴスペルを広めることに一役買った。ドリス本人はこのミュージカルを初めて見た時に、大変感動したという。ヴァイ・ヒギンセンはその後も『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング、パート2』などのミュージカルを制作、ヒットさせている。
葬儀は次の通り行われる。
The services for Doris will be held in New York City on Monday, February
23 at 7pm:
Williams Institutional CME Church
2225 Adam Clayton Powell Boulevard
New York City, NY 10027-7805
(7th Avenue between 131-132nd Streets)
212-283-6959
また、古くからの友人であり、イギリス人R&B音楽ジャーナリストでもあるデイヴィッド・ネイサンが追悼文を記している。
http://www.soulmusic.com/doristroy.htm
1960年代に活躍したポップ、ソウルシンガー、ドリス・トロイが去る2月16日(月曜)、ラスヴェガスで死去した。67歳だった。ドリスは、1937年1月6日ニューヨーク生まれ。63年に「ジャスト・ワン・ルック」が大ヒットした。この曲は後にイギリスのホリーズがカヴァー、イギリスでヒットさせた。ドリス自身はこれを超えるヒットはなかったが、このヒットで一世を風靡。ホリーズのヒットのおかげもあり、70年、イギリスのアップルレコードからジョージ・ハリソンのサポートを得てアルバムをだしたこともある。アメリカより、むしろ、イギリスでのほうが人気があったとも言える。
その後、80年代にはいり、ドリスの妹ヴァイ・ヒギンセンが、姉のことをテーマにしたミュージカル『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』を制作、これがロングヒットとなった。このミュージカルには、一時期ドリス・トロイ本人も出演していた。同ミュージカルは88年6月、日本にも上陸、人気を集めた。このミュージカルは、ドリスのルーツであるゴスペルから、ソウル、R&Bなどの音楽をとりあげ、特に日本でのゴスペルを広めることに一役買った。ドリス本人はこのミュージカルを初めて見た時に、大変感動したという。ヴァイ・ヒギンセンはその後も『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング、パート2』などのミュージカルを制作、ヒットさせている。
葬儀は次の通り行われる。
The services for Doris will be held in New York City on Monday, February
23 at 7pm:
Williams Institutional CME Church
2225 Adam Clayton Powell Boulevard
New York City, NY 10027-7805
(7th Avenue between 131-132nd Streets)
212-283-6959
また、古くからの友人であり、イギリス人R&B音楽ジャーナリストでもあるデイヴィッド・ネイサンが追悼文を記している。
http://www.soulmusic.com/doristroy.htm
接近。
久々に「ソウル流し」杉本篤彦さんのライヴを覗きに行きました。しばらく前に連絡があり、ちょうどまた見たいなと思っていたので、この日思い立って東京ドームホテルの43階アーティストカフェに向かいました。
前回は2003年2月もう一年も前なんですね。はやいなあ。もっと最近かとおもっていた。
さて今回は、杉本さんとアコースティックベースに土井孝幸 さん。二人で、ソウルの名曲をいろいろやってくれました。3回のうち、2回目と3回目を見たのですが、まあ、セットリストを見てください。
Setlist
2nd set
1. Killer Joe (Quincy Jones)
2. Sweet Sticky Thing (Ohio Players)
3. La La Means I Love You (Delphonics)
4. Feel Like Making Love (Roberta Flack)
5. If You Don’t Know Me By Now (Harold Melvin & Blue Notes)
6. Blues In The Closet (Ray Bryant, etc)
3rd set
1. Mercy Mercy Me (Marvin Gaye)
2. This Masquerade (George Benson)
3. Georgia On My Mind (Ray Charles)
4. Breezin’ (George Benson)
5. Mo Better Blues (Branford Marsalis / Terence Blanchard )
セカンドの5曲目、邦題「二人の絆」、これの途中のべースソロ、なかなかいい感じだったんですね。ギターとのコンビネーションもよく、ちょっとサビのメロディーもはいってる雰囲気で。そうしたら、後で聞いたら、土井さん、なんと初見だそうで。いやあ、驚きました。僕は彼のベースは初めて見たのですが、ちょっとクリス・ミン・ドーキーの雰囲気を思い出しました。そのほかでのベースソロも、ぐんぐん来て、のりがいいです。
オハイオプレイヤーズの「スイート・スティッキー・シング」をギターとベースだけでやる、っていうのがいいですねえ。チャレンジで。元々ギターがけっこうフィーチャーされている曲ですが。杉本さんは、やはりドラムがいないとちょっとやりづらい、と言っていますが、ラウンジ的にはOKじゃないでしょうか。「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」ときましたか。(笑) いや、選曲に脱帽です。(笑)
サードセットの「ジョージア・オン・マイ・マインド」あたりだと、けっこう泣きがはいってくるんですねえ。いい感じ。やはり、全編にグルーヴとソウルがある感じがします。方向性としては、う〜〜ん、日本のデイヴィッド・T・ウォーカーかなあ。そしてジョージ・ベンソン、ウェス・モンゴメリーあたりもまぶした感じで。
そういえば、前回杉本さんが、「モー・ベター・ブルース」をプレイしたのを聴いて、サヤは同曲をレコーディングしました。今日は、前回より少しテンポアップして演奏していました。やはり、グルーヴがある音楽はいいですねえ。
終った後お茶したんですが、杉本さんにひとつ質問してみました。杉本さんは、ダニー・ハザウェイが歌うようにギターを弾いてみたい、という風に常々思っておられるのですが、ギターをダニーのように弾くのと同じように、他の楽器でもダニーのようにプレイできるでしょうか。ギターはなんとなくわかりました。例えば、ピアノやサックスをダニーの歌のように弾けるか。あるいはその他の楽器は? 「それは受け取る側のこともありますからねえ。いくらこちらがダニーのようにプレイしたとしても、聴く側がそう感じなければしょうがない。でも、歌が楽器に近づけば近づくほど、そして、楽器が歌に近づけば近づくほど、なにか究極にいいものができるような感じがします」
そのとおりですね! すばらしいご意見。完璧、同意します。
+++++
杉本さんのホームページ。ライヴ予定などでています。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~sugimoto/
いろいろなアーティストとの組合せでたくさんライヴがありますが、来る4月13日、目黒ブルースアレーで行われるものは、彼のR&Bバンドでのライヴになります。メンバー・料金など詳細は上記ウェッブで。お勧めです。また、土井さんとのコラボレーションは3月28日(日)にまた同じ東京ドームホテルであります。(ミュージックチャージ500円+ドリンク代)
土井さんのホームページ。ライヴ予定などでています。
http://homepage2.nifty.com/PeePingHAMAO/doimoi/topFrameset2.html
(2004年2月18日火曜・東京ドームホテル・アーティストカフェ=杉本篤彦、土井孝幸 ライヴ)
+++++++++
PS: 昨日の日記について補足を。え〜、酷評と言うことですが(笑)、いろいろ書きましたが、僕としてはこの映画はサム・ムーアやジェリー・バトラー、ルーファス・トーマスなどのソウルミュージックが好きな人でしたら、絶対必見の映画です、お勧めします、ということです。特にこうしたアーティストたちのライヴ映像をみるだけで、充分価値があります。個人的にも僕は1800円を払う価値はあると考えると同時に、DVDも買うつもりです。ドキュメンタリー作品としての評価はまた別問題ということだけです。
久々に「ソウル流し」杉本篤彦さんのライヴを覗きに行きました。しばらく前に連絡があり、ちょうどまた見たいなと思っていたので、この日思い立って東京ドームホテルの43階アーティストカフェに向かいました。
前回は2003年2月もう一年も前なんですね。はやいなあ。もっと最近かとおもっていた。
さて今回は、杉本さんとアコースティックベースに土井孝幸 さん。二人で、ソウルの名曲をいろいろやってくれました。3回のうち、2回目と3回目を見たのですが、まあ、セットリストを見てください。
Setlist
2nd set
1. Killer Joe (Quincy Jones)
2. Sweet Sticky Thing (Ohio Players)
3. La La Means I Love You (Delphonics)
4. Feel Like Making Love (Roberta Flack)
5. If You Don’t Know Me By Now (Harold Melvin & Blue Notes)
6. Blues In The Closet (Ray Bryant, etc)
3rd set
1. Mercy Mercy Me (Marvin Gaye)
2. This Masquerade (George Benson)
3. Georgia On My Mind (Ray Charles)
4. Breezin’ (George Benson)
5. Mo Better Blues (Branford Marsalis / Terence Blanchard )
セカンドの5曲目、邦題「二人の絆」、これの途中のべースソロ、なかなかいい感じだったんですね。ギターとのコンビネーションもよく、ちょっとサビのメロディーもはいってる雰囲気で。そうしたら、後で聞いたら、土井さん、なんと初見だそうで。いやあ、驚きました。僕は彼のベースは初めて見たのですが、ちょっとクリス・ミン・ドーキーの雰囲気を思い出しました。そのほかでのベースソロも、ぐんぐん来て、のりがいいです。
オハイオプレイヤーズの「スイート・スティッキー・シング」をギターとベースだけでやる、っていうのがいいですねえ。チャレンジで。元々ギターがけっこうフィーチャーされている曲ですが。杉本さんは、やはりドラムがいないとちょっとやりづらい、と言っていますが、ラウンジ的にはOKじゃないでしょうか。「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」ときましたか。(笑) いや、選曲に脱帽です。(笑)
サードセットの「ジョージア・オン・マイ・マインド」あたりだと、けっこう泣きがはいってくるんですねえ。いい感じ。やはり、全編にグルーヴとソウルがある感じがします。方向性としては、う〜〜ん、日本のデイヴィッド・T・ウォーカーかなあ。そしてジョージ・ベンソン、ウェス・モンゴメリーあたりもまぶした感じで。
そういえば、前回杉本さんが、「モー・ベター・ブルース」をプレイしたのを聴いて、サヤは同曲をレコーディングしました。今日は、前回より少しテンポアップして演奏していました。やはり、グルーヴがある音楽はいいですねえ。
終った後お茶したんですが、杉本さんにひとつ質問してみました。杉本さんは、ダニー・ハザウェイが歌うようにギターを弾いてみたい、という風に常々思っておられるのですが、ギターをダニーのように弾くのと同じように、他の楽器でもダニーのようにプレイできるでしょうか。ギターはなんとなくわかりました。例えば、ピアノやサックスをダニーの歌のように弾けるか。あるいはその他の楽器は? 「それは受け取る側のこともありますからねえ。いくらこちらがダニーのようにプレイしたとしても、聴く側がそう感じなければしょうがない。でも、歌が楽器に近づけば近づくほど、そして、楽器が歌に近づけば近づくほど、なにか究極にいいものができるような感じがします」
そのとおりですね! すばらしいご意見。完璧、同意します。
+++++
杉本さんのホームページ。ライヴ予定などでています。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~sugimoto/
いろいろなアーティストとの組合せでたくさんライヴがありますが、来る4月13日、目黒ブルースアレーで行われるものは、彼のR&Bバンドでのライヴになります。メンバー・料金など詳細は上記ウェッブで。お勧めです。また、土井さんとのコラボレーションは3月28日(日)にまた同じ東京ドームホテルであります。(ミュージックチャージ500円+ドリンク代)
土井さんのホームページ。ライヴ予定などでています。
http://homepage2.nifty.com/PeePingHAMAO/doimoi/topFrameset2.html
(2004年2月18日火曜・東京ドームホテル・アーティストカフェ=杉本篤彦、土井孝幸 ライヴ)
+++++++++
PS: 昨日の日記について補足を。え〜、酷評と言うことですが(笑)、いろいろ書きましたが、僕としてはこの映画はサム・ムーアやジェリー・バトラー、ルーファス・トーマスなどのソウルミュージックが好きな人でしたら、絶対必見の映画です、お勧めします、ということです。特にこうしたアーティストたちのライヴ映像をみるだけで、充分価値があります。個人的にも僕は1800円を払う価値はあると考えると同時に、DVDも買うつもりです。ドキュメンタリー作品としての評価はまた別問題ということだけです。
(続き)(下のPart 1からお読みください)
ここに登場した連中は、果たしてサヴァイヴした(生き残った)のか。ということは、彼らはストロング(強者)だったのか。そうではないはずだ。彼らは、例えばサム・ムーアなど弱い人間だったに違いない。だが、生き残っている。あるいは、サヴァイヴしなかったアーティストも、多数いるはずだ。そこに光をあててもおもしろい。もし、ここに登場した連中が強者で生き残ったというのであれば、いかに生き残ったか、その過程をもっと掘り下げないと。インタヴューからでてくるコメントが、表面的なのだ。もちろん、普段着の、下世話な本音トークがあって面白いところも多々あるのだが、それは映像作品としてはあくまで調味料的な存在であり、本筋にはしっかりとしたストーリーラインがなければならない。勝者は生き残ったのか。勝者でなければ生き残れなかったのか。弱者はどうなったのか。テーマの見つめ方、掘り下げ方がたりないので、ドキュメンタリーとしてはどうしても物足りない。ああ、それにしても、これだけの素材があって、実にもったいない。未発表フィルムがあるなら、全部見せてもらって、編集させてもらいたいものだ。(笑)
ダイアナ・ロスではなく、メリー・ウィルソンがでてくるのはなぜか。その説明が欲しい。もちろん、ダイアナはスーパースターとなったが、メリーはいまだにクラブでダイアナのヒット曲を歌っている、という悲惨さを見せたいのか。どうも、あちこちで詰めが甘い。それぞれのアーティストたちの関連性というか、つながりというものがない。だからどうしても、誰かに感情移入ができない。よって、泣けない。仮にサム・ムーアを軸にストーリーを展開させていけば、それはそれで徐々に感情移入できるだろう。ルーファス・トーマスでもいい。彼の場合、2001年に亡くなるのだから、その葬式部分がはいってもいいはずだ。
おそらく、ヒントは、ジェリー・バトラーのインタヴューや、彼が書いたという自伝『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ』あたりにあるのではないか。あるいは、ルーファス・トーマスの物語の中にあるかもしれない。サム・ムーアのストーリーにもすばらしいものはあるはずだ。
いずれにせよ、このような音楽ドキュメンタリーが作られること自体を評価しよう。しかし、あ〜、こういう作品を見ると、僕もドキュメンタリー映画が作りたくなってきた。
ここに登場した連中は、果たしてサヴァイヴした(生き残った)のか。ということは、彼らはストロング(強者)だったのか。そうではないはずだ。彼らは、例えばサム・ムーアなど弱い人間だったに違いない。だが、生き残っている。あるいは、サヴァイヴしなかったアーティストも、多数いるはずだ。そこに光をあててもおもしろい。もし、ここに登場した連中が強者で生き残ったというのであれば、いかに生き残ったか、その過程をもっと掘り下げないと。インタヴューからでてくるコメントが、表面的なのだ。もちろん、普段着の、下世話な本音トークがあって面白いところも多々あるのだが、それは映像作品としてはあくまで調味料的な存在であり、本筋にはしっかりとしたストーリーラインがなければならない。勝者は生き残ったのか。勝者でなければ生き残れなかったのか。弱者はどうなったのか。テーマの見つめ方、掘り下げ方がたりないので、ドキュメンタリーとしてはどうしても物足りない。ああ、それにしても、これだけの素材があって、実にもったいない。未発表フィルムがあるなら、全部見せてもらって、編集させてもらいたいものだ。(笑)
ダイアナ・ロスではなく、メリー・ウィルソンがでてくるのはなぜか。その説明が欲しい。もちろん、ダイアナはスーパースターとなったが、メリーはいまだにクラブでダイアナのヒット曲を歌っている、という悲惨さを見せたいのか。どうも、あちこちで詰めが甘い。それぞれのアーティストたちの関連性というか、つながりというものがない。だからどうしても、誰かに感情移入ができない。よって、泣けない。仮にサム・ムーアを軸にストーリーを展開させていけば、それはそれで徐々に感情移入できるだろう。ルーファス・トーマスでもいい。彼の場合、2001年に亡くなるのだから、その葬式部分がはいってもいいはずだ。
おそらく、ヒントは、ジェリー・バトラーのインタヴューや、彼が書いたという自伝『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ』あたりにあるのではないか。あるいは、ルーファス・トーマスの物語の中にあるかもしれない。サム・ムーアのストーリーにもすばらしいものはあるはずだ。
いずれにせよ、このような音楽ドキュメンタリーが作られること自体を評価しよう。しかし、あ〜、こういう作品を見ると、僕もドキュメンタリー映画が作りたくなってきた。
必見。
映画が始まるといきなり、ルーファス・トーマスがメンフィスのDJとともにラジオ局でしゃべっている。そして、かかる曲がジェームス・カーの「ザ・ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」。これをルーファス・トーマスが鼻歌交じりで歌う。これだけでソウル・ファンはノックダウンさせられるだろう。60年代に一世を風靡(ふうび)したソウル・シンガーの何人かにスポットを当てたドキュメンタリー映画。インタヴューとライヴ映像、さらに、過去のフーテージ(資料映像)も交えての101分。この日記では一足先に「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン(邦題、永遠のモータウン)」を紹介したが、本作はそれより後、2003年5月全米で公開された作品。ミラマックスが資金をだし、制作された。(2003年4月29日付け日記、10月24日付け日記)
登場するアーティストは、ルーファス・トーマス、シャイ・ライツ、カーラ・トーマス、サム・ムーア、ジェリー・バトラー、メリー・ウィルソン、アン・ピーブルス&ドン・ブライアント夫妻、アイザック・ヘイズ、ウィルソン・ピケットなど。彼らがちょっとした昔話をし、ライヴを見せる。個人的には、このライヴ部分が非常に楽しめた。上記のアーティストたちの現在の動く姿はなかなか見られないので、それだけでも貴重だからだ。なお、ルーファス・トーマスは2001年12月に死去している。
タイトルの「オンリー・ザ・ストロング・サーヴァイヴ」は、ジェリー・バトラーの69年の大ヒット曲。フィラデルフィアのギャンブル&ハフが書いた作品である。
スタックス・レコードがあった場所。この撮影時には更地になっている。現在はスタックス・ミュージアムができている。ロイヤル・スタジオ。メンフィスのラジオ局。サイン会。いろいろな場所にカメラは出向きソウルスターたちの後を追う。
ドキュメンタリー作品としては、かなり注文をつけたいところがあるが、上記アーティストになじみのあるソウル・ファンには必見だと言える。サム・ムーアのキャラクターやその奥さんの強い部分、あるいは、ウィルソン・ピケットの強烈なキャラクターなどが見られるだけで、資料的価値は充分にある。アン・ピーブルスが歌う「ブレイキング・アップ・サムバディーズ・ホーム」のライヴ映像など、これだけでも嬉しい映像だ。
関連ウェッブは、ここ。
http://movies.go.com/movies/O/onlythestrongsurvive_2003/index.html
この映画は秋に日本でも公開されます。
++++++
以後の感想は、映画の製作についてのもの。ソウルファンにはあまり関係ないと思うので、飛ばしていただいてもいい。映像作品としての製作者への注文である。
まず、ライヴ映像が多数でてくるが、その出所をその場その場ではっきり明示してもらいたい。一番最後にクレジット・ロールで一挙にでるのだが、これだとわからない。多くのライヴ映像は1999年とあるが、これはこの映画のために行われたライヴなのだろうか。ライヴも3箇所くらいで行われたようだが、はっきりしない。まだ紙資料とかがないので、よくわからない。歌われる曲名は字幕がでるが、アーティスト名も日本では絶対に字幕を出さないとわからないだろう。もはや、ウィルソン・ピケットの顔と名前は一致しない。登場するアーティストの名前字幕は必須だと思う。
カメラワークと編集。手持ちカメラを多用するせいか、けっこう映像がぶれて、僕など映像酔いしてしまいそう。もう少し固定カメラでしっかりとってほしい。この撮影チームはテレビ映像を作っていたチームではないか。あまり映画ではこういうアップはみない。異様なほど、アーティストのアップを映す。もっと引いて撮影してほしい。これだと全体像が見られない。このアップの多用にはまいった。このカメラワークはだめ。
ライヴ映像の基本はセンターから、全体像を撮るというもの。しかし、この映画にはそれがない。みな、ステージ下からアップ気味に撮るから、なかなかライヴ自体を堪能できない。いいドキュメンタリーで、ステージセンターから撮影した映像を中心に構成すると、そのライヴ会場にいるような感じになり、あたかもライヴを見ているように入り込める。しかし、この映像ではそうはならない。これは多分、あまりステージとかライヴを撮ったことがない撮影チームなのだろう。編集も、よくわからない。
「スタンディング・イン…」の映画はタイトルとストーリーが一致していたが、この「オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ(強者だけが生き残る)」のタイトルと、全体的なコンセプトがあいまいだ。製作者はあまりここに登場するソウル・アーティストについて詳しくないのではないか。これらのアーティストにちょこっとインタヴューして、ライヴ映像を撮ればそれで一本ドキュメンタリーができるだろう、と思ったのではないだろうか。
もし僕がこのタイトルで、これだけのアーティストにインタヴューできるんだったら、もっともっとつっこんで、彼らがもつ豊潤なストーリーを引き出しておもしろいものを作る。インタヴュー自体が相当甘い。ここに登場するアーティストには皆、それぞれすばらしいストーリーがあるのだ。それを浮き彫りにするだけで、十分おもしろいドキュメンタリーができる。ここに登場するアーティストの共通点であり、そして、最大のポイントは彼らが60年代に一世を風靡しつつも、今はそれほどスポットライトが当たるところにはいない、いうことでもある。その光と影のコントラストを丹念に描けば、もっともっとおもしろくなる。
クリント・イーストウッドが作った『ピアノ・マン』のドキュメンタリーなど同じ1時間半程度なのに、その密度の濃さは雲泥の差だ。監督の力といってしまえばそれまでだが、やはりその音楽を、ミュージシャンをどれくらい理解しているかが大きな要素になると思う。そして、どれだけテーマをしっかり持ち、そこを掘り下げられるかだ。
例えば、サム・ムーアに取材者が「あなたはいかにして、(今日まで)生き延びてきたか」と聞く。この質問はいいと思う。これを全員にしてもおもしろいだろう。そして、彼が「僕はラッキーだった。恵まれていた(bleseed)」と答える。サムは70年代初期に、ドラッグ中毒になりどんぞこの生活をしていた。そこから見事に抜け出したのだが、それを隣に座っている奥さんが「私が救った」ようないい方をしている。それも、もちろんあるのだろうが、演出としては、どうだろうか。奥さんの言葉ではなく、サム・ムーアのコメントで、「オレのワイフのおかげだよ」と言ってもらい、横でワイフがうなづいたほうが、よりリアルに感銘できる。これは単純にドキュメンタリーのテクニックの問題である。
ここに登場した連中は、果たしてサヴァイヴした(生き残った)のか。
(Part 2に続く)
映画が始まるといきなり、ルーファス・トーマスがメンフィスのDJとともにラジオ局でしゃべっている。そして、かかる曲がジェームス・カーの「ザ・ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」。これをルーファス・トーマスが鼻歌交じりで歌う。これだけでソウル・ファンはノックダウンさせられるだろう。60年代に一世を風靡(ふうび)したソウル・シンガーの何人かにスポットを当てたドキュメンタリー映画。インタヴューとライヴ映像、さらに、過去のフーテージ(資料映像)も交えての101分。この日記では一足先に「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン(邦題、永遠のモータウン)」を紹介したが、本作はそれより後、2003年5月全米で公開された作品。ミラマックスが資金をだし、制作された。(2003年4月29日付け日記、10月24日付け日記)
登場するアーティストは、ルーファス・トーマス、シャイ・ライツ、カーラ・トーマス、サム・ムーア、ジェリー・バトラー、メリー・ウィルソン、アン・ピーブルス&ドン・ブライアント夫妻、アイザック・ヘイズ、ウィルソン・ピケットなど。彼らがちょっとした昔話をし、ライヴを見せる。個人的には、このライヴ部分が非常に楽しめた。上記のアーティストたちの現在の動く姿はなかなか見られないので、それだけでも貴重だからだ。なお、ルーファス・トーマスは2001年12月に死去している。
タイトルの「オンリー・ザ・ストロング・サーヴァイヴ」は、ジェリー・バトラーの69年の大ヒット曲。フィラデルフィアのギャンブル&ハフが書いた作品である。
スタックス・レコードがあった場所。この撮影時には更地になっている。現在はスタックス・ミュージアムができている。ロイヤル・スタジオ。メンフィスのラジオ局。サイン会。いろいろな場所にカメラは出向きソウルスターたちの後を追う。
ドキュメンタリー作品としては、かなり注文をつけたいところがあるが、上記アーティストになじみのあるソウル・ファンには必見だと言える。サム・ムーアのキャラクターやその奥さんの強い部分、あるいは、ウィルソン・ピケットの強烈なキャラクターなどが見られるだけで、資料的価値は充分にある。アン・ピーブルスが歌う「ブレイキング・アップ・サムバディーズ・ホーム」のライヴ映像など、これだけでも嬉しい映像だ。
関連ウェッブは、ここ。
http://movies.go.com/movies/O/onlythestrongsurvive_2003/index.html
この映画は秋に日本でも公開されます。
++++++
以後の感想は、映画の製作についてのもの。ソウルファンにはあまり関係ないと思うので、飛ばしていただいてもいい。映像作品としての製作者への注文である。
まず、ライヴ映像が多数でてくるが、その出所をその場その場ではっきり明示してもらいたい。一番最後にクレジット・ロールで一挙にでるのだが、これだとわからない。多くのライヴ映像は1999年とあるが、これはこの映画のために行われたライヴなのだろうか。ライヴも3箇所くらいで行われたようだが、はっきりしない。まだ紙資料とかがないので、よくわからない。歌われる曲名は字幕がでるが、アーティスト名も日本では絶対に字幕を出さないとわからないだろう。もはや、ウィルソン・ピケットの顔と名前は一致しない。登場するアーティストの名前字幕は必須だと思う。
カメラワークと編集。手持ちカメラを多用するせいか、けっこう映像がぶれて、僕など映像酔いしてしまいそう。もう少し固定カメラでしっかりとってほしい。この撮影チームはテレビ映像を作っていたチームではないか。あまり映画ではこういうアップはみない。異様なほど、アーティストのアップを映す。もっと引いて撮影してほしい。これだと全体像が見られない。このアップの多用にはまいった。このカメラワークはだめ。
ライヴ映像の基本はセンターから、全体像を撮るというもの。しかし、この映画にはそれがない。みな、ステージ下からアップ気味に撮るから、なかなかライヴ自体を堪能できない。いいドキュメンタリーで、ステージセンターから撮影した映像を中心に構成すると、そのライヴ会場にいるような感じになり、あたかもライヴを見ているように入り込める。しかし、この映像ではそうはならない。これは多分、あまりステージとかライヴを撮ったことがない撮影チームなのだろう。編集も、よくわからない。
「スタンディング・イン…」の映画はタイトルとストーリーが一致していたが、この「オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ(強者だけが生き残る)」のタイトルと、全体的なコンセプトがあいまいだ。製作者はあまりここに登場するソウル・アーティストについて詳しくないのではないか。これらのアーティストにちょこっとインタヴューして、ライヴ映像を撮ればそれで一本ドキュメンタリーができるだろう、と思ったのではないだろうか。
もし僕がこのタイトルで、これだけのアーティストにインタヴューできるんだったら、もっともっとつっこんで、彼らがもつ豊潤なストーリーを引き出しておもしろいものを作る。インタヴュー自体が相当甘い。ここに登場するアーティストには皆、それぞれすばらしいストーリーがあるのだ。それを浮き彫りにするだけで、十分おもしろいドキュメンタリーができる。ここに登場するアーティストの共通点であり、そして、最大のポイントは彼らが60年代に一世を風靡しつつも、今はそれほどスポットライトが当たるところにはいない、いうことでもある。その光と影のコントラストを丹念に描けば、もっともっとおもしろくなる。
クリント・イーストウッドが作った『ピアノ・マン』のドキュメンタリーなど同じ1時間半程度なのに、その密度の濃さは雲泥の差だ。監督の力といってしまえばそれまでだが、やはりその音楽を、ミュージシャンをどれくらい理解しているかが大きな要素になると思う。そして、どれだけテーマをしっかり持ち、そこを掘り下げられるかだ。
例えば、サム・ムーアに取材者が「あなたはいかにして、(今日まで)生き延びてきたか」と聞く。この質問はいいと思う。これを全員にしてもおもしろいだろう。そして、彼が「僕はラッキーだった。恵まれていた(bleseed)」と答える。サムは70年代初期に、ドラッグ中毒になりどんぞこの生活をしていた。そこから見事に抜け出したのだが、それを隣に座っている奥さんが「私が救った」ようないい方をしている。それも、もちろんあるのだろうが、演出としては、どうだろうか。奥さんの言葉ではなく、サム・ムーアのコメントで、「オレのワイフのおかげだよ」と言ってもらい、横でワイフがうなづいたほうが、よりリアルに感銘できる。これは単純にドキュメンタリーのテクニックの問題である。
ここに登場した連中は、果たしてサヴァイヴした(生き残った)のか。
(Part 2に続く)
再来。
それにしても、よく雰囲気が似てるなあ。それがこのフランク・マッコムのニューアルバム『ザ・トゥルース』を聴いての感想だ。誰に似てるって、ダニー・ハザウェイに。フランク・マッコムは、元々ジャズ・フュージョンのブランフォード・マルサリスのサイドプロジェクト、「バックショット・ルフォンク」というグループのリード・ヴォーカルだった人。その関係で2000年に1枚CBSからソロアルバム『ラヴ・ストーリーズ』http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&uid=UIDMISS70311061515161479&sql=Att5j8qc9btz4 を出した。その後、CBSとは切れ、このほどインディから発売したのがこの『ザ・トゥルース』(トイズ・ファクトリー、2004年2月18日発売)。イギリスのソウルレーベル、エクスパンションから2003年7月にリリースされたもの。アメリカではまだでていないようだ。
オーガニック・ソウルのアーティストとして、一足先にイギリスからはドニー(Donnie)というアーティストが注目されているが、このフランクもそのドニーと同様、雰囲気のあるシンガーだ。このアルバムにはゲストにビリー・プレストン(ハモンド3オルガン)、元ルーファスのボビー・ワトソン、サンフランシスコから注目株の女性シンガー、レデシー、元メイズのキーボード、ウェイン・リンゼイなども参加している。
全体的なトーンは、まさに70年代初期のソウルの雰囲気。ダニー・ハザウェイ、70年代初期のスティーヴィーあたりの空気感を持っている。生音で、生楽器で。ピアノとヴァイオリンをバックにしっとりと歌う6曲目の「ホエン・ユー・コール・マイ・ネーム」あたりは、今が混迷の2004年であることを忘れさせてくれる。こういうのを、懐古趣味ではなく、コピーものではなく、良質の音楽というんだろうな。8曲目の「キューピッドズ・アロウ」など、ダニー・ハザウェイそのままだ。ピアノを弾きながら、帽子を被っているジャケット写真も、どこかダニーを意識したイメージフォトか。しかし、ここまでダニー調でいいのだろうか。きっと、多くのライターは、このフランク・マッコムというシンガーを、「ダニー・ハザウェイに似た」とか「ダニーの再来」と書くことだろう。では自分のアイデンティティーは? と僕はちょっと疑問に思った。しかし、彼のウェッブの彼自身のインタヴューを読んで納得した。
http://www.frankmccombmusic.com/findex.html
フランクは言う。「みな、僕が1970年生まれというとびっくりするんだ。僕は、5歳の時に、クリーヴランドのバプティスト教会に育って、自分が将来何をしたいかわかっていたんだ。5歳の時だよ。僕の将来の目標は、シンプルな歌を歌うことだ、と。(To sing a simple song) 15歳の時には、もうすでに10年のキャリアがあったわけだよ。教会で歌い、うちで歌い、ラジオにあわせて歌い、それで周囲の連中を驚かせた。こいつはなんでこんなに若いのにこれほどの(音楽的)ヴォキャブラリーを持っているのか、とね」 16歳のジョス・ストーンを知った今、15歳で彼のような才能がでてきても、もう驚かない。(笑)
彼はルードボーイズ(ジェラルド・リヴァートがプロデュースしたR&Bグループ)のツアー音楽ディレクターとなり、まもなくフィラデルフィアに本拠を移す。そして、彼は今度はフィラデルフィア・ソウルの歴史と遭遇する。それは、309サウス・ボード・ストリート。フィラデルフィア・サウンドの重鎮であり立役者であるケニー・ギャンブル&レオン・ハフが今オフィースを持つ場所だ。そこで、レオン・ハフが使っていた同じピアノを使って、彼は次々と曲を書いた。ひょっとしたら、それはオージェイズの「バックスタバーズ」のピアノのアレンジを考えたものと同じピアノだったかもしれない。
フランクはこう宣言する。「つまり、真似と影響を受けるということの間には厳然とした一線があるということだ。僕が心を打たれる声を聴く時、そのことを真摯に勉強し吸収しようと思う。アレサ、スティーヴィー、レイ・チャールズ、ビリー・プレストン、ダニー・ハザウェイ、ナタリー・コール…。もし彼らに影響を受けたというなら、その事実をしっかり自分で受け止めなければならない。隠すわけにはいかないのだ。そして、そうしたアーティストたちが本当に自分へインスパイアーした(影響を与えた)のなら、自分自身の作品におけるその影響を祝福すればいいだけのことなのだ」
そして、彼はジョージ・ベンソンから言われた一言を決して忘れないという。ちょうどフランクは自分がダニーなどに似ているとしょっちゅう言われていて悩んでいた時期だった。その時、ジョージは彼にこう言った。「フランク、いいか、誰かに過去の偉人に似ていると言われても、ただそれを受け入れ、走りつづけるんだ」 そして、フランクは言う。「そう、それ以来、僕はフォーレスト・ガンプのように走りつづけているのさ」 彼は真似と影響の違いがわかっている。だから、聴くこちら側も、単なる真似、コピーではないということが感じられるのだろう。彼は走りつづけることによって、ソウル・サーチンの答えを見出すことができるのである。
クリーヴランド、フィリー、ロンドン、そして、東京へ。フランク・マッコムは今日も走りつづける。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
フランク・マッコム初来日
はやくも来日決定。4月15日(木)、16日(金)、17日(土)、18日(日)。横浜モーションブルー。問い合わせ 045-226-1919.チケット2月21日から発売。5250円。
http://www.motionblue.co.jp/schedule/2004/04/index.html
それにしても、よく雰囲気が似てるなあ。それがこのフランク・マッコムのニューアルバム『ザ・トゥルース』を聴いての感想だ。誰に似てるって、ダニー・ハザウェイに。フランク・マッコムは、元々ジャズ・フュージョンのブランフォード・マルサリスのサイドプロジェクト、「バックショット・ルフォンク」というグループのリード・ヴォーカルだった人。その関係で2000年に1枚CBSからソロアルバム『ラヴ・ストーリーズ』http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&uid=UIDMISS70311061515161479&sql=Att5j8qc9btz4 を出した。その後、CBSとは切れ、このほどインディから発売したのがこの『ザ・トゥルース』(トイズ・ファクトリー、2004年2月18日発売)。イギリスのソウルレーベル、エクスパンションから2003年7月にリリースされたもの。アメリカではまだでていないようだ。
オーガニック・ソウルのアーティストとして、一足先にイギリスからはドニー(Donnie)というアーティストが注目されているが、このフランクもそのドニーと同様、雰囲気のあるシンガーだ。このアルバムにはゲストにビリー・プレストン(ハモンド3オルガン)、元ルーファスのボビー・ワトソン、サンフランシスコから注目株の女性シンガー、レデシー、元メイズのキーボード、ウェイン・リンゼイなども参加している。
全体的なトーンは、まさに70年代初期のソウルの雰囲気。ダニー・ハザウェイ、70年代初期のスティーヴィーあたりの空気感を持っている。生音で、生楽器で。ピアノとヴァイオリンをバックにしっとりと歌う6曲目の「ホエン・ユー・コール・マイ・ネーム」あたりは、今が混迷の2004年であることを忘れさせてくれる。こういうのを、懐古趣味ではなく、コピーものではなく、良質の音楽というんだろうな。8曲目の「キューピッドズ・アロウ」など、ダニー・ハザウェイそのままだ。ピアノを弾きながら、帽子を被っているジャケット写真も、どこかダニーを意識したイメージフォトか。しかし、ここまでダニー調でいいのだろうか。きっと、多くのライターは、このフランク・マッコムというシンガーを、「ダニー・ハザウェイに似た」とか「ダニーの再来」と書くことだろう。では自分のアイデンティティーは? と僕はちょっと疑問に思った。しかし、彼のウェッブの彼自身のインタヴューを読んで納得した。
http://www.frankmccombmusic.com/findex.html
フランクは言う。「みな、僕が1970年生まれというとびっくりするんだ。僕は、5歳の時に、クリーヴランドのバプティスト教会に育って、自分が将来何をしたいかわかっていたんだ。5歳の時だよ。僕の将来の目標は、シンプルな歌を歌うことだ、と。(To sing a simple song) 15歳の時には、もうすでに10年のキャリアがあったわけだよ。教会で歌い、うちで歌い、ラジオにあわせて歌い、それで周囲の連中を驚かせた。こいつはなんでこんなに若いのにこれほどの(音楽的)ヴォキャブラリーを持っているのか、とね」 16歳のジョス・ストーンを知った今、15歳で彼のような才能がでてきても、もう驚かない。(笑)
彼はルードボーイズ(ジェラルド・リヴァートがプロデュースしたR&Bグループ)のツアー音楽ディレクターとなり、まもなくフィラデルフィアに本拠を移す。そして、彼は今度はフィラデルフィア・ソウルの歴史と遭遇する。それは、309サウス・ボード・ストリート。フィラデルフィア・サウンドの重鎮であり立役者であるケニー・ギャンブル&レオン・ハフが今オフィースを持つ場所だ。そこで、レオン・ハフが使っていた同じピアノを使って、彼は次々と曲を書いた。ひょっとしたら、それはオージェイズの「バックスタバーズ」のピアノのアレンジを考えたものと同じピアノだったかもしれない。
フランクはこう宣言する。「つまり、真似と影響を受けるということの間には厳然とした一線があるということだ。僕が心を打たれる声を聴く時、そのことを真摯に勉強し吸収しようと思う。アレサ、スティーヴィー、レイ・チャールズ、ビリー・プレストン、ダニー・ハザウェイ、ナタリー・コール…。もし彼らに影響を受けたというなら、その事実をしっかり自分で受け止めなければならない。隠すわけにはいかないのだ。そして、そうしたアーティストたちが本当に自分へインスパイアーした(影響を与えた)のなら、自分自身の作品におけるその影響を祝福すればいいだけのことなのだ」
そして、彼はジョージ・ベンソンから言われた一言を決して忘れないという。ちょうどフランクは自分がダニーなどに似ているとしょっちゅう言われていて悩んでいた時期だった。その時、ジョージは彼にこう言った。「フランク、いいか、誰かに過去の偉人に似ていると言われても、ただそれを受け入れ、走りつづけるんだ」 そして、フランクは言う。「そう、それ以来、僕はフォーレスト・ガンプのように走りつづけているのさ」 彼は真似と影響の違いがわかっている。だから、聴くこちら側も、単なる真似、コピーではないということが感じられるのだろう。彼は走りつづけることによって、ソウル・サーチンの答えを見出すことができるのである。
クリーヴランド、フィリー、ロンドン、そして、東京へ。フランク・マッコムは今日も走りつづける。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
フランク・マッコム初来日
はやくも来日決定。4月15日(木)、16日(金)、17日(土)、18日(日)。横浜モーションブルー。問い合わせ 045-226-1919.チケット2月21日から発売。5250円。
http://www.motionblue.co.jp/schedule/2004/04/index.html
Booklet Of Motown Festival 1968: 36 Years Ago, There Was Discount For Group Of More Than Three
2004年2月15日割引。
スティーヴィー・ワンダー・マニアの原口さんに、スティーヴィーの初来日時のパンフレットを見せていただいた。25センチ四方の表紙を含めて全24ページ。1968年のものです。いやあ、この頃でもパンフレットなんか作ってたんですね。
この時は、スティーヴィー・ワンダーとテンプテーションズとマーサ&ヴァンデラスの3組が来日し、タムラ・モータウン・フェスティヴァルと銘打ってライヴを見せるというイヴェントでした。今でこそこのようなイヴェントはありそうですが、36年前にこんな企画を立てたなんてすごいですね。ところが、この時はテンプテーションズが来日せずに、スティーヴィーとマーサ&ヴァンデラスだけの来日となり、そのお詫びで、コンサートのチケットは払い戻し、お客さんはただでこの二組のライヴを見ることができた、ということです。この話は一度、この時のチケットを下北沢のソウルバー、しずおか屋さんでみかけた時にちらっとしました。
それをさらに詳しく。公演日程は、68年2月12日・厚生年金ホール、2月13日と14日・渋谷公会堂、19日・大阪フェステイヴァル・ホールの計4回。チケットは、Sが2000円、Aが1500円、Bが1200円、Cが1000円。4種類もあったんですね。しかも、Sで2000円! このころ初任給どれくらいなんだろう。昭和43年。2-3万円でしょうか。調べてみたら巡査の初任給が昭和44年で約26000円。そうか、現在の初任給20万円くらいからすると、その頃のほうがまだ安かったかな。26000円で2000円の割合で行くと、20万円だと15000円くらいに相当します。ということは、今の10000円はまあ、当時と比べてもそれほど高くはない、のかなあ。しかし、レコードが当時2000円で、今も変わらないことから比べると、ライヴのチケット代は5-6倍にもなっているのだから、かなり高騰してることになりますよね。っていうか、レコード代、CD代は本当に割安感あり、ということになりますね。
さて、このパンフレット、誤植もあって非常に面白いのですが、今となっては意味不明のタイトルも。ニッポン放送の社長になられた亀淵昭信氏の原稿のタイトルは、「黒い電子計算機モタウン・レコードの全貌」(原文のまま)。どう理解したら、いいんだ? (笑) 「黒い電子計算機」は何を修飾しているのか。あるいは、意味しているのか。まあ、モータウン(モタウンか?)を修飾しているのだろうけど。どういうことなんだろう。福田一郎氏の原稿タイトルは、「テンプティションストーリー」。その中のメンバー紹介では、「ダヴィッド・ラッフィン」です。
そして、驚くのが広告。12軒のバーやお店の広告が掲載されているのです。R&B・スナックバー、ジョージズ。ご存知、日本最古のソウルバー、ジョージです。この頃はソウルバーなんて言わなかったんですね。スナックバー、ですか。次のもすごいぞ。「R&Bのメッカ、洋盤豊富 ムード最高 御来店下さい!!」というのは、新宿ジ・アザー! 「リズム&ブルースの店、スナックバー コルト45〜ヨコハマチャイナタウン近く」。これにはピストルのイラストが。「ソウル・レストラン G.T〜霞町交差点手前」 ソウル・レストランって、なんでしょう。(笑) ソウルがかかるレストランか。楽しい! 「洋盤豊富 ムード最高」は、サイコーだ。
この招聘元は協同企画エージェンシー。現在のキョウドウ東京です。その広告には、「全女性に贈る華麗なるピアノの調べ・ロジャー・ウィリアムス」の公演と「ボサノバの真髄・セルジオ・メンデス&ブラジル66」の公演。いずれも、Sが2000円です。
あと、これもすごいぞ。協同企画エージェンシーの会員になると、こんな特典があります。「HI MUSIC会員募集 特典・コンサートの入場料が大幅に割引になります。すべての公演が1割引。他に3人ご紹介の場合は2割引、5人で3割引の特典もあります。1年に10回以上ご鑑賞の方は1回が無料になります」
5人で3割引はすごいですねえ! 今だったら、例えば、1万円のコンサート5人で行ったら5万円のところが3万5千円。ひとりあたり7000円になる! まじっすか。ありえな〜〜い。(笑) 今だったら。その頃は、それくらいおいしかったのかな。こういう業種って。(笑)
いやあ、昔のパンフレット、存分に楽しませていただきました。ありがとうございます。
スティーヴィー・ワンダー・マニアの原口さんに、スティーヴィーの初来日時のパンフレットを見せていただいた。25センチ四方の表紙を含めて全24ページ。1968年のものです。いやあ、この頃でもパンフレットなんか作ってたんですね。
この時は、スティーヴィー・ワンダーとテンプテーションズとマーサ&ヴァンデラスの3組が来日し、タムラ・モータウン・フェスティヴァルと銘打ってライヴを見せるというイヴェントでした。今でこそこのようなイヴェントはありそうですが、36年前にこんな企画を立てたなんてすごいですね。ところが、この時はテンプテーションズが来日せずに、スティーヴィーとマーサ&ヴァンデラスだけの来日となり、そのお詫びで、コンサートのチケットは払い戻し、お客さんはただでこの二組のライヴを見ることができた、ということです。この話は一度、この時のチケットを下北沢のソウルバー、しずおか屋さんでみかけた時にちらっとしました。
それをさらに詳しく。公演日程は、68年2月12日・厚生年金ホール、2月13日と14日・渋谷公会堂、19日・大阪フェステイヴァル・ホールの計4回。チケットは、Sが2000円、Aが1500円、Bが1200円、Cが1000円。4種類もあったんですね。しかも、Sで2000円! このころ初任給どれくらいなんだろう。昭和43年。2-3万円でしょうか。調べてみたら巡査の初任給が昭和44年で約26000円。そうか、現在の初任給20万円くらいからすると、その頃のほうがまだ安かったかな。26000円で2000円の割合で行くと、20万円だと15000円くらいに相当します。ということは、今の10000円はまあ、当時と比べてもそれほど高くはない、のかなあ。しかし、レコードが当時2000円で、今も変わらないことから比べると、ライヴのチケット代は5-6倍にもなっているのだから、かなり高騰してることになりますよね。っていうか、レコード代、CD代は本当に割安感あり、ということになりますね。
さて、このパンフレット、誤植もあって非常に面白いのですが、今となっては意味不明のタイトルも。ニッポン放送の社長になられた亀淵昭信氏の原稿のタイトルは、「黒い電子計算機モタウン・レコードの全貌」(原文のまま)。どう理解したら、いいんだ? (笑) 「黒い電子計算機」は何を修飾しているのか。あるいは、意味しているのか。まあ、モータウン(モタウンか?)を修飾しているのだろうけど。どういうことなんだろう。福田一郎氏の原稿タイトルは、「テンプティションストーリー」。その中のメンバー紹介では、「ダヴィッド・ラッフィン」です。
そして、驚くのが広告。12軒のバーやお店の広告が掲載されているのです。R&B・スナックバー、ジョージズ。ご存知、日本最古のソウルバー、ジョージです。この頃はソウルバーなんて言わなかったんですね。スナックバー、ですか。次のもすごいぞ。「R&Bのメッカ、洋盤豊富 ムード最高 御来店下さい!!」というのは、新宿ジ・アザー! 「リズム&ブルースの店、スナックバー コルト45〜ヨコハマチャイナタウン近く」。これにはピストルのイラストが。「ソウル・レストラン G.T〜霞町交差点手前」 ソウル・レストランって、なんでしょう。(笑) ソウルがかかるレストランか。楽しい! 「洋盤豊富 ムード最高」は、サイコーだ。
この招聘元は協同企画エージェンシー。現在のキョウドウ東京です。その広告には、「全女性に贈る華麗なるピアノの調べ・ロジャー・ウィリアムス」の公演と「ボサノバの真髄・セルジオ・メンデス&ブラジル66」の公演。いずれも、Sが2000円です。
あと、これもすごいぞ。協同企画エージェンシーの会員になると、こんな特典があります。「HI MUSIC会員募集 特典・コンサートの入場料が大幅に割引になります。すべての公演が1割引。他に3人ご紹介の場合は2割引、5人で3割引の特典もあります。1年に10回以上ご鑑賞の方は1回が無料になります」
5人で3割引はすごいですねえ! 今だったら、例えば、1万円のコンサート5人で行ったら5万円のところが3万5千円。ひとりあたり7000円になる! まじっすか。ありえな〜〜い。(笑) 今だったら。その頃は、それくらいおいしかったのかな。こういう業種って。(笑)
いやあ、昔のパンフレット、存分に楽しませていただきました。ありがとうございます。
誇り。
宇多田ヒカルのライヴ。武道館最終日。今、日本のミュージシャンでアメリカの音楽業界に出向いてそこそこの成功を得られる可能性がある唯一の人。それが宇多田ヒカルだ。野球で言えば、彼女はヤンキーズの松井、マリナーズのイチローに匹敵する素材だ。なにより、彼女が作る楽曲がすごい。このライヴでも聴かれたが、シングルヒットした曲というのはみなよくできている。曲がしっかり書けるという点、そして、英語が普通にしゃべれる点、これが大きい。まあ、何より才能ということだ。
彼女は正真正銘の日本人だが、普段僕が見る洋楽アーティストと同レベルで見てしまう。日本人アーティストを観る時は、普通日本人アーティストとしてのスタンダードで見るのだが、宇多田ヒカルの場合、どうしても洋楽アーティストのひとりという感じになる。まあ、それだけですごいことなのだが。
さて、デビュー時のライヴの時は、若干グルーヴ感があったのだが、今回のライヴは全体的な印象を一言で言うと、ロックっぽいなあ、ということだった。リズムがファンキーなグルーヴ感がなく、縦のりのロック的な感じ。だから、観客席は一曲目から総立ちにもかかわらず、皆、体が動かない。観てしまうのだ。まあ、Jポップのバンドとしては、いいのだろうか。
確か、前回ライヴはダンサーがついていたと思うが、今回はダンサーはなし。オンステージは、キーボード、ギター2人、パーカッション、べース、ドラムスの6人。もうひとり、マニュピレーター(音素材などを出すコンピューターを操作する人)がいるので、7人のバックバンドに宇多田ヒカルの歌ということになる。唯一左右に動くのが宇多田本人だけなので、ステージに動きがあまりない。唯一一番動いていたのは、天井にロープで吊られていたテレビカメラか(笑)。ステージセットは、スピーカーを少し上に持ち上げているために、実に広々している。これはなかなかいい。これだけ広いステージがあるのだから、動きのあるステージが見たい。
僕は個人的には、「オートマティック」あたりのグルーヴ感が非常に心地よかったので、こういうロックのりのリズムはいまひとつ。バックを黒人のドラマー、ベース奏者、ギターなんかで固めてみたらどうだろう。きっと、宇多田ヒカルがもっともっと光るんじゃないだろうか。このライヴだと、今のリズムオリエンテッドなアメリカでは厳しいと思う。もしこれをアメリカにもっていったら、アメリカでよく言われる言い方[She’s a great songwriter(artist) but she’s not great performer]みたいなことを言われる。もっとも武道館でのライヴは日本人向けのライヴであり、アメリカでライヴをやる時は、別のコンセプトでやるのだろうが。
ライヴの感想はさておき、彼女のアーティストとしての才能には、毎度驚かされる。パフォーマーとしてまだまだとしても、まだたったの21歳、これから様々な可能性がある才能だ。彼女は日本が世界に誇れる才能。そして、彼女が「日本の音楽」をある意味で世界に発信してくれるかもしれないのだ。彼女の英語の楽曲は一体どんな風になるんだろう。本当に楽しみだ。グラミーに一番近い日本人か。日本人は、将来、日本人として松井やイチローを誇りに思うように、宇多田ヒカルのことを誇りに思うことになる。
Setlist
01. 光
02. Traveling
03. Letters
04. Another Chance
05. In My Room
06. Can You Keep The Secret?
07. Addicted To You
08. Sakura ドロップス
09. 甘い罠〜Paint It, Black
10. Movin’ On Without You
11. 蹴っ飛ばせ!
12. Wait & See 〜 リスク
13. Colors
14. First Love
15. Deep River
16. Distance
17. 嘘みたいなI Love You
18. Automatic
Encore 幸せになろう
Encore B&C
(2004年2月10日・火曜・武道館、宇多田ヒカル・ライヴ)
宇多田ヒカルのライヴ。武道館最終日。今、日本のミュージシャンでアメリカの音楽業界に出向いてそこそこの成功を得られる可能性がある唯一の人。それが宇多田ヒカルだ。野球で言えば、彼女はヤンキーズの松井、マリナーズのイチローに匹敵する素材だ。なにより、彼女が作る楽曲がすごい。このライヴでも聴かれたが、シングルヒットした曲というのはみなよくできている。曲がしっかり書けるという点、そして、英語が普通にしゃべれる点、これが大きい。まあ、何より才能ということだ。
彼女は正真正銘の日本人だが、普段僕が見る洋楽アーティストと同レベルで見てしまう。日本人アーティストを観る時は、普通日本人アーティストとしてのスタンダードで見るのだが、宇多田ヒカルの場合、どうしても洋楽アーティストのひとりという感じになる。まあ、それだけですごいことなのだが。
さて、デビュー時のライヴの時は、若干グルーヴ感があったのだが、今回のライヴは全体的な印象を一言で言うと、ロックっぽいなあ、ということだった。リズムがファンキーなグルーヴ感がなく、縦のりのロック的な感じ。だから、観客席は一曲目から総立ちにもかかわらず、皆、体が動かない。観てしまうのだ。まあ、Jポップのバンドとしては、いいのだろうか。
確か、前回ライヴはダンサーがついていたと思うが、今回はダンサーはなし。オンステージは、キーボード、ギター2人、パーカッション、べース、ドラムスの6人。もうひとり、マニュピレーター(音素材などを出すコンピューターを操作する人)がいるので、7人のバックバンドに宇多田ヒカルの歌ということになる。唯一左右に動くのが宇多田本人だけなので、ステージに動きがあまりない。唯一一番動いていたのは、天井にロープで吊られていたテレビカメラか(笑)。ステージセットは、スピーカーを少し上に持ち上げているために、実に広々している。これはなかなかいい。これだけ広いステージがあるのだから、動きのあるステージが見たい。
僕は個人的には、「オートマティック」あたりのグルーヴ感が非常に心地よかったので、こういうロックのりのリズムはいまひとつ。バックを黒人のドラマー、ベース奏者、ギターなんかで固めてみたらどうだろう。きっと、宇多田ヒカルがもっともっと光るんじゃないだろうか。このライヴだと、今のリズムオリエンテッドなアメリカでは厳しいと思う。もしこれをアメリカにもっていったら、アメリカでよく言われる言い方[She’s a great songwriter(artist) but she’s not great performer]みたいなことを言われる。もっとも武道館でのライヴは日本人向けのライヴであり、アメリカでライヴをやる時は、別のコンセプトでやるのだろうが。
ライヴの感想はさておき、彼女のアーティストとしての才能には、毎度驚かされる。パフォーマーとしてまだまだとしても、まだたったの21歳、これから様々な可能性がある才能だ。彼女は日本が世界に誇れる才能。そして、彼女が「日本の音楽」をある意味で世界に発信してくれるかもしれないのだ。彼女の英語の楽曲は一体どんな風になるんだろう。本当に楽しみだ。グラミーに一番近い日本人か。日本人は、将来、日本人として松井やイチローを誇りに思うように、宇多田ヒカルのことを誇りに思うことになる。
Setlist
01. 光
02. Traveling
03. Letters
04. Another Chance
05. In My Room
06. Can You Keep The Secret?
07. Addicted To You
08. Sakura ドロップス
09. 甘い罠〜Paint It, Black
10. Movin’ On Without You
11. 蹴っ飛ばせ!
12. Wait & See 〜 リスク
13. Colors
14. First Love
15. Deep River
16. Distance
17. 嘘みたいなI Love You
18. Automatic
Encore 幸せになろう
Encore B&C
(2004年2月10日・火曜・武道館、宇多田ヒカル・ライヴ)
暑熱厚。
入口で、「今日、ジョジョが病気で来れなくて、代わりにバックコーラスの一人、ティモシーがジョジョの役をやります」と言われた。おやおや、いきなり。(苦笑) 渋谷に新しくできたライヴハウス「Duo(デュオ)」。以前オンエアーだったところ。僕も今回が初めて。客を椅子に座らせて飲みながらライヴを観てもらう、ブルーノートのようなライヴハウスを狙っているようだ。
ケイシー&ジョジョは何度も来日しているが、このようなライヴハウスでは初めて見るので、どうなるのか興味があった。中に入ると、確かにテーブルがあって、ブルーノートを、いや、モーションブルーをさらにエコノミカルにカジュアルにしたような感じ。しかし…。客席に大きな柱が3本。これゆえに、非常に死角になる席が多く、あちこちからかなり見にくい。天井は高く、2階席もあって雰囲気はいい。しかし…柱が…。これで都内・「柱が邪魔ライヴハウス・ベスト3」が出揃った。1位、デュオ、2位、ジェイジー・ブラット、3位、クアトロ。ま、そんな話と、ケイシーたちのライヴ自体の話はまったく別なわけでありまして。ここまではマクラです。
ドラム、ギター、ベース、キーボードにコーラス3人。ここにケイシーがリードシンガーとして入る。ケイシーの暑い熱い厚いヴォーカルは健在だ。ふと思い出したが、彼の英語は南部なまりがあってちょっと早口になったときなど聞き取りにくい。1曲目「イッツ・ミー」が終ったところでジャケットを着たケイシーが本日のジョジョの不在について釈明。ピンチヒッターのティムを紹介。「ジョジョはオレのことをケイシーとは呼ばない。セドリックと呼ぶんだ。みんなが今日はジョジョの代わりになってくれるかあ?」とケイシーは叫んだ。
さて、ケイシーはジョジョの分までがんばろうと思ったのか、いつも通りのサーヴィス精神で歌いまくった。ところどころ、出てくる言葉にちょっとしたメロディーがついたりする。例えば、「do you know about Jodeci?」 と普通だったら、ただの言葉なのだが、これに節がついて、ちょっとした歌になってしまうのだ。このあたりは、さすが。彼らの場合、どんなスローを歌っても、絶対にグルーヴがある。こういうところが、黒人ソウルの真髄だ。いつの間にか、ジャケットを脱ぎ捨て、シャツ姿になっていた。ジョデシー時代の大ヒット「フォーエヴァー・マイ・レイディー」では、客席の夫婦をステージにあげて、その彼女にからむ。
中盤「フリーキン・ユー」あたりで気が付くと、彼は上半身裸になっていた。既に汗が褐色の肌に光る。スティーヴィーの「レイトリー」を終え、ボビー・ウーマックの「イフ・ユー・シンク・ユーアー・ロンリー・ナウ」では、ケイシーはボディーガードともに舞台を降りて客席にやってきた。そして、おもむろにそのボディーガードに肩車させ、肩に乗って練り歩き、歌う。これはいい。肩車に乗って歌うソウルシンガーなんて他にいない。
彼の歌を聴いていると、本当に南部の感じと、教会のゴスペルの感じがしてくる。ルーツが垣間見られるのはすばらしいこと。ショウはちょっと短かったが、ジョジョが欠席のために、そのおわびの印としてこの日は特別にケイシーのサイン会が行われた。
ケイシー&ジョジョは、ジョデシーの半分。ケイシーはケイシー&ジョジョの半分。ジョデシーからすると4分の1ということになります。だから、なんてことはないのですが。(笑)
なお、ケイシーはこの後、同じ会場で土曜までライヴがあり、その後ブルーノート各地のツアーが続く。体調が復帰すれば、ジョジョも途中から参加するかもしれない、とのことだ。
Setlist
show started 19:11
01. It’s Me
02. This Very Moment
03. Life
04. Stay
05. Come & Talk To Me
06. Forever My Lady
07. Cry For You
08. Freak ’n You
09. Feenin’
10. Get On Up
11. Lately
12. If You Think You’re Lonely Now
13. Crazy
14. Tell Me It’s Real
15. All My Life
show ended 20:15
(2004年2月12日木曜・渋谷DUOデュオ=ケイシー&ジョジョ・ライヴ)
入口で、「今日、ジョジョが病気で来れなくて、代わりにバックコーラスの一人、ティモシーがジョジョの役をやります」と言われた。おやおや、いきなり。(苦笑) 渋谷に新しくできたライヴハウス「Duo(デュオ)」。以前オンエアーだったところ。僕も今回が初めて。客を椅子に座らせて飲みながらライヴを観てもらう、ブルーノートのようなライヴハウスを狙っているようだ。
ケイシー&ジョジョは何度も来日しているが、このようなライヴハウスでは初めて見るので、どうなるのか興味があった。中に入ると、確かにテーブルがあって、ブルーノートを、いや、モーションブルーをさらにエコノミカルにカジュアルにしたような感じ。しかし…。客席に大きな柱が3本。これゆえに、非常に死角になる席が多く、あちこちからかなり見にくい。天井は高く、2階席もあって雰囲気はいい。しかし…柱が…。これで都内・「柱が邪魔ライヴハウス・ベスト3」が出揃った。1位、デュオ、2位、ジェイジー・ブラット、3位、クアトロ。ま、そんな話と、ケイシーたちのライヴ自体の話はまったく別なわけでありまして。ここまではマクラです。
ドラム、ギター、ベース、キーボードにコーラス3人。ここにケイシーがリードシンガーとして入る。ケイシーの暑い熱い厚いヴォーカルは健在だ。ふと思い出したが、彼の英語は南部なまりがあってちょっと早口になったときなど聞き取りにくい。1曲目「イッツ・ミー」が終ったところでジャケットを着たケイシーが本日のジョジョの不在について釈明。ピンチヒッターのティムを紹介。「ジョジョはオレのことをケイシーとは呼ばない。セドリックと呼ぶんだ。みんなが今日はジョジョの代わりになってくれるかあ?」とケイシーは叫んだ。
さて、ケイシーはジョジョの分までがんばろうと思ったのか、いつも通りのサーヴィス精神で歌いまくった。ところどころ、出てくる言葉にちょっとしたメロディーがついたりする。例えば、「do you know about Jodeci?」 と普通だったら、ただの言葉なのだが、これに節がついて、ちょっとした歌になってしまうのだ。このあたりは、さすが。彼らの場合、どんなスローを歌っても、絶対にグルーヴがある。こういうところが、黒人ソウルの真髄だ。いつの間にか、ジャケットを脱ぎ捨て、シャツ姿になっていた。ジョデシー時代の大ヒット「フォーエヴァー・マイ・レイディー」では、客席の夫婦をステージにあげて、その彼女にからむ。
中盤「フリーキン・ユー」あたりで気が付くと、彼は上半身裸になっていた。既に汗が褐色の肌に光る。スティーヴィーの「レイトリー」を終え、ボビー・ウーマックの「イフ・ユー・シンク・ユーアー・ロンリー・ナウ」では、ケイシーはボディーガードともに舞台を降りて客席にやってきた。そして、おもむろにそのボディーガードに肩車させ、肩に乗って練り歩き、歌う。これはいい。肩車に乗って歌うソウルシンガーなんて他にいない。
彼の歌を聴いていると、本当に南部の感じと、教会のゴスペルの感じがしてくる。ルーツが垣間見られるのはすばらしいこと。ショウはちょっと短かったが、ジョジョが欠席のために、そのおわびの印としてこの日は特別にケイシーのサイン会が行われた。
ケイシー&ジョジョは、ジョデシーの半分。ケイシーはケイシー&ジョジョの半分。ジョデシーからすると4分の1ということになります。だから、なんてことはないのですが。(笑)
なお、ケイシーはこの後、同じ会場で土曜までライヴがあり、その後ブルーノート各地のツアーが続く。体調が復帰すれば、ジョジョも途中から参加するかもしれない、とのことだ。
Setlist
show started 19:11
01. It’s Me
02. This Very Moment
03. Life
04. Stay
05. Come & Talk To Me
06. Forever My Lady
07. Cry For You
08. Freak ’n You
09. Feenin’
10. Get On Up
11. Lately
12. If You Think You’re Lonely Now
13. Crazy
14. Tell Me It’s Real
15. All My Life
show ended 20:15
(2004年2月12日木曜・渋谷DUOデュオ=ケイシー&ジョジョ・ライヴ)
ハッピー。
アメリカの日曜夜(8日=日本時間9日月曜日午前)にはグラミー賞にでていたブラック・アイド・ピーズ。あけて月曜の飛行機に飛び乗り、日本時間火曜の夕方には日本に来ていた。なんと火曜夜中の西麻布のクラブイヴェントに飛び入りしたという。そして、水曜日、一日だけの公演。ものすごいスケジュールだ。今回の来日が2度目。前回3年くらい前の来日時は渋谷オンエアイーストで観客もまばらだったという。僕自身、見に行ったか行かなかったか覚えていないほど。オンエアでなんか途中ででてきたライヴがあったけど、あれだったかなあ(要確認=(笑)) 。3年前にこうして日記を書いてればすぐにわかったのに。見たら、書く。一行でもいいから。日記を書くすばらしい点のひとつです。
そんな彼らが、3枚目のアルバム『エレファンク』で大化けし、日本でも大ブレイク。何よりも、前2作と打って変わってのポップ路線になったことがこの大成功の要因のひとつ。女性ヴォーカル、ファージーが参加して、見事に大ヒットになった。彼女はまさにブラック・アイド・ピーズにとって幸運の女神ということになる。そして日本でもこのたった一回のライヴが売り切れとなり、恵比寿ガーデンホールの前にダフ屋まで出没していたのには驚いた。
ドラム、ギター、キーボード2人、そして、MC、シンガーで4人の計8人がオンステージ。4人は1曲目の「ハンズ・アップ」から全開。客席の手が挙がる、挙がる。MCたちは右に左に走り回り、飛び跳ね、しゃべりまくる。基本的に、打ち込みをあまり使わない生音は、聴いていて非常にライヴ感が感じられる。彼ら、ブラック・アイド・ピーズにせよ、ルーツにせよ、ミュージックにせよ、ヒップホップ系ながらリアル・ミュージックを追求しているところが、好感度アップ。
CDよりはるかに長い9分余にわたる「レッツ・ゲット・リターデッド」でかなり盛り上げ、続いて始まった「ホエア・イズ・ラヴ」のイントロで客席からいっせいにこの日一番の「ウォ〜〜」という歓声があがった。やはり、彼らの一般的人気に火をつけただけのことはある。まさに旬の一曲だ。しかも、メッセージがいい。「こんなおかしな世の中になってしまって、愛はどこへ行った?」 これは、受ける。
アンコールでは、ビヨンセの「クレイジー・イン・ラヴ」をやったり、超ゴキゲンな「ラテン・ガールズ」の中で、「ジャパニーズ・ガール!」を連呼したりとサーヴィス精神もたっぷり。彼らも、自分たちが今人気者であることを知っていて、非常に楽しく、気持ちよく演奏している雰囲気がわかる。根っからのラップ好き、音楽好き、踊り好き、パーティー好きな連中、という雰囲気が伝わってきてハッピーになる。ちょっと疲れたけど楽しい1時間半余だった。少なくとも、この1時間半、このホールには愛はあった。
ところで、グループ名のブラック・アイド・ピーズは、以前少し話したが、アメリカのソウルフードには欠かせない豆の一種。豆の中央に黒い部分があるもので、その黒点が目のように見えるので、その豆のことをブラック・アイド・ピーズという。日本では「ささげ豆」「黒目豆」などと呼ばれている、そうだ。「黒目豆」はそのまんまですね。
Setlist
Show started 18:03
01. Hands Up
02. Hey Mama
03. Smells Like Funk
04. Release (2nd-Bridging The Gap)
05. Fly Away
06. Joints & Jam ( 1st-Behind The Front)
07. ?Que Dices? (1st-Behind The Front)
08. Labor Day(It’s A Holiday)
09. Weekends (2nd-Bridging The Gap)
10. Let’s Get Retarded
11. Where Is The Love
Enc 19.05-
01. Drum Solo & Rap
02. Crazy In Love (Beyonce)
03. The Boogie That Be
04. Latin Girls
05. Shut Up
All songs from their 3rd album "Elephunk" otherwise indicated.
Show ended 19:34
(2004年2月11日・水曜・祝日=恵比寿ガーデンホール、ブラック・アイド・ピーズ・ライヴ)
アメリカの日曜夜(8日=日本時間9日月曜日午前)にはグラミー賞にでていたブラック・アイド・ピーズ。あけて月曜の飛行機に飛び乗り、日本時間火曜の夕方には日本に来ていた。なんと火曜夜中の西麻布のクラブイヴェントに飛び入りしたという。そして、水曜日、一日だけの公演。ものすごいスケジュールだ。今回の来日が2度目。前回3年くらい前の来日時は渋谷オンエアイーストで観客もまばらだったという。僕自身、見に行ったか行かなかったか覚えていないほど。オンエアでなんか途中ででてきたライヴがあったけど、あれだったかなあ(要確認=(笑)) 。3年前にこうして日記を書いてればすぐにわかったのに。見たら、書く。一行でもいいから。日記を書くすばらしい点のひとつです。
そんな彼らが、3枚目のアルバム『エレファンク』で大化けし、日本でも大ブレイク。何よりも、前2作と打って変わってのポップ路線になったことがこの大成功の要因のひとつ。女性ヴォーカル、ファージーが参加して、見事に大ヒットになった。彼女はまさにブラック・アイド・ピーズにとって幸運の女神ということになる。そして日本でもこのたった一回のライヴが売り切れとなり、恵比寿ガーデンホールの前にダフ屋まで出没していたのには驚いた。
ドラム、ギター、キーボード2人、そして、MC、シンガーで4人の計8人がオンステージ。4人は1曲目の「ハンズ・アップ」から全開。客席の手が挙がる、挙がる。MCたちは右に左に走り回り、飛び跳ね、しゃべりまくる。基本的に、打ち込みをあまり使わない生音は、聴いていて非常にライヴ感が感じられる。彼ら、ブラック・アイド・ピーズにせよ、ルーツにせよ、ミュージックにせよ、ヒップホップ系ながらリアル・ミュージックを追求しているところが、好感度アップ。
CDよりはるかに長い9分余にわたる「レッツ・ゲット・リターデッド」でかなり盛り上げ、続いて始まった「ホエア・イズ・ラヴ」のイントロで客席からいっせいにこの日一番の「ウォ〜〜」という歓声があがった。やはり、彼らの一般的人気に火をつけただけのことはある。まさに旬の一曲だ。しかも、メッセージがいい。「こんなおかしな世の中になってしまって、愛はどこへ行った?」 これは、受ける。
アンコールでは、ビヨンセの「クレイジー・イン・ラヴ」をやったり、超ゴキゲンな「ラテン・ガールズ」の中で、「ジャパニーズ・ガール!」を連呼したりとサーヴィス精神もたっぷり。彼らも、自分たちが今人気者であることを知っていて、非常に楽しく、気持ちよく演奏している雰囲気がわかる。根っからのラップ好き、音楽好き、踊り好き、パーティー好きな連中、という雰囲気が伝わってきてハッピーになる。ちょっと疲れたけど楽しい1時間半余だった。少なくとも、この1時間半、このホールには愛はあった。
ところで、グループ名のブラック・アイド・ピーズは、以前少し話したが、アメリカのソウルフードには欠かせない豆の一種。豆の中央に黒い部分があるもので、その黒点が目のように見えるので、その豆のことをブラック・アイド・ピーズという。日本では「ささげ豆」「黒目豆」などと呼ばれている、そうだ。「黒目豆」はそのまんまですね。
Setlist
Show started 18:03
01. Hands Up
02. Hey Mama
03. Smells Like Funk
04. Release (2nd-Bridging The Gap)
05. Fly Away
06. Joints & Jam ( 1st-Behind The Front)
07. ?Que Dices? (1st-Behind The Front)
08. Labor Day(It’s A Holiday)
09. Weekends (2nd-Bridging The Gap)
10. Let’s Get Retarded
11. Where Is The Love
Enc 19.05-
01. Drum Solo & Rap
02. Crazy In Love (Beyonce)
03. The Boogie That Be
04. Latin Girls
05. Shut Up
All songs from their 3rd album "Elephunk" otherwise indicated.
Show ended 19:34
(2004年2月11日・水曜・祝日=恵比寿ガーデンホール、ブラック・アイド・ピーズ・ライヴ)
Another Side Of "Dance With My Father"
2004年2月11日完全復活。
グラミー賞、生放送での中継。「ベスト・ニュー・アーティスト」がエヴァネセンスに行き、「レコード・オブ・ジ・イヤー」がコールドプレイになり、かなり愕然としていたところに、いよいよ「ソング・オブ・ジ・イヤー」の発表になった。ベイビーフェイス、キャロル・キングたちが壇上に。キャロルが言った。「これはソングライターの賞です。歌詞がなければ、(その歌は)ただ『ラララ〜』と歌うしかありません。メロディーがなければ、それはスピーチになってしまいます…」 横でベイビーフェイスが微笑みながらうなずく。そしてノミネートが発表され、受賞者の名前が書かれた封筒が開かれる。
「グラミーは…。リチャード・マークス、ルーサー・ヴァンドロス、『ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー』!」 思わずテレビの画面に向かって「やったあ」と叫んでしまった。
リチャード・マークスとルーサーのマネージャー、カーメン・ロマノが壇上に上がる。ロマノが胸ポケットから一枚の紙を取り出す。ルーサー本人からのメッセージだ。若干声が震えている。「この賞を受賞できて本当にうれしい。この「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」が多くの皆さん方の人生に感動を与えたことを感じています。そして、この曲のメッセージをみなさんの心に届けていただいた私の友人、ラジオのDJなどへ感謝の気持ちを伝えたいと思います。そして、この曲のセンチメント(感情)をともに分かち合ったお母さんへ、僕の代わりにプロモーションに動いてくれてありがとう。私の母に感謝の気持ちを。ありがとう、お母さん」
そして、リチャード・マークス。彼もまた多くの人たちへの感謝を述べて最後にこう締めくくった。「天国のお父さん。いつまでもあなたは僕の心にあります。きっと、今ごろ、ルーサーのお父さんと一緒にシャンペーンのボトルをあけてお祝いしているでしょう」
その時初めてリチャード・マークスの父親が亡くなっていたことを知った。ルーサーはかねてから、この曲は自分のキャリアソング、シグネチャー・ソング(どちらも代表曲を意味する)だと公言していた。しかし、ルーサーとともに13年間、曲を書いてきたマークスにとっても、この曲はある意味で「キャリア・ソング」になっていたのだ。マークスのスピーチを聞いて、それに気付いた。マークスは1963年シカゴ生まれ。父親はジャズ・ミュージシャンであり、音楽関係の会社を経営していた。母親もシンガーで音楽一家に育った。一人っ子。マークス自身、80年代後半から90年代初期まで自ら多くのヒットを放ったシンガー/ソングライターになっている。
マークスはその後の記者会見でこう語っている。「この曲は彼(ルーサー)にとって、ものすごく特別な曲だ。とても個人的な曲であり、同時に非常に普遍的な曲でもある。僕の人生でこれほどあらゆる社会的地位の人々に影響を与えた曲はほとんどない。ルーサーはこれは僕の『ピアノ・マン』(ビリー・ジョエルの自伝的作品)なんだ、と言っていた」
これより先、グラミーのショウでは昨年4月に倒れたルーサーへのトリビュートが行われた。アリシア・キーズが「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」をピアノで歌った。ルーサーの歌でも知られるが、元々はディオンヌ・ワーウィックでヒットした作品でもある。そしてその後、なんと、ルーサーのビデオが流されたのだ。
少し弱々しく見えたルーサーは、「もし僕がさよならを言っても、それは永遠のものではありません。なぜなら、僕は、愛の力(power of love)を信じているから〜」といった。この「パワー・オブ・ラヴ〜」のところは、彼のヒット曲のメロディーを歌ったのだ。その映像を見ていて胸が一杯になった。歌えるじゃないか! あの声はルーサーそのものじゃないか!
マークスは言った。「まだ、ルーサーには皆さんからの祈りが必要なんですよ」 完全復活まで、まだまだ道のりは長い。完全復活の日がいつか来ることを祈って…。
+++
Dance With My Fatherについての関連記事。
2003年4月25日付け日記
2003年5月5日付け日記
2003年5月15日付け日記
2003年5月22日付け日記
2003年5月29日付け日記
2003年6月13日付け日記
2003年6月14日付け日記
2003年6月20日付け日記
++
グラミー賞、生放送での中継。「ベスト・ニュー・アーティスト」がエヴァネセンスに行き、「レコード・オブ・ジ・イヤー」がコールドプレイになり、かなり愕然としていたところに、いよいよ「ソング・オブ・ジ・イヤー」の発表になった。ベイビーフェイス、キャロル・キングたちが壇上に。キャロルが言った。「これはソングライターの賞です。歌詞がなければ、(その歌は)ただ『ラララ〜』と歌うしかありません。メロディーがなければ、それはスピーチになってしまいます…」 横でベイビーフェイスが微笑みながらうなずく。そしてノミネートが発表され、受賞者の名前が書かれた封筒が開かれる。
「グラミーは…。リチャード・マークス、ルーサー・ヴァンドロス、『ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー』!」 思わずテレビの画面に向かって「やったあ」と叫んでしまった。
リチャード・マークスとルーサーのマネージャー、カーメン・ロマノが壇上に上がる。ロマノが胸ポケットから一枚の紙を取り出す。ルーサー本人からのメッセージだ。若干声が震えている。「この賞を受賞できて本当にうれしい。この「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」が多くの皆さん方の人生に感動を与えたことを感じています。そして、この曲のメッセージをみなさんの心に届けていただいた私の友人、ラジオのDJなどへ感謝の気持ちを伝えたいと思います。そして、この曲のセンチメント(感情)をともに分かち合ったお母さんへ、僕の代わりにプロモーションに動いてくれてありがとう。私の母に感謝の気持ちを。ありがとう、お母さん」
そして、リチャード・マークス。彼もまた多くの人たちへの感謝を述べて最後にこう締めくくった。「天国のお父さん。いつまでもあなたは僕の心にあります。きっと、今ごろ、ルーサーのお父さんと一緒にシャンペーンのボトルをあけてお祝いしているでしょう」
その時初めてリチャード・マークスの父親が亡くなっていたことを知った。ルーサーはかねてから、この曲は自分のキャリアソング、シグネチャー・ソング(どちらも代表曲を意味する)だと公言していた。しかし、ルーサーとともに13年間、曲を書いてきたマークスにとっても、この曲はある意味で「キャリア・ソング」になっていたのだ。マークスのスピーチを聞いて、それに気付いた。マークスは1963年シカゴ生まれ。父親はジャズ・ミュージシャンであり、音楽関係の会社を経営していた。母親もシンガーで音楽一家に育った。一人っ子。マークス自身、80年代後半から90年代初期まで自ら多くのヒットを放ったシンガー/ソングライターになっている。
マークスはその後の記者会見でこう語っている。「この曲は彼(ルーサー)にとって、ものすごく特別な曲だ。とても個人的な曲であり、同時に非常に普遍的な曲でもある。僕の人生でこれほどあらゆる社会的地位の人々に影響を与えた曲はほとんどない。ルーサーはこれは僕の『ピアノ・マン』(ビリー・ジョエルの自伝的作品)なんだ、と言っていた」
これより先、グラミーのショウでは昨年4月に倒れたルーサーへのトリビュートが行われた。アリシア・キーズが「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」をピアノで歌った。ルーサーの歌でも知られるが、元々はディオンヌ・ワーウィックでヒットした作品でもある。そしてその後、なんと、ルーサーのビデオが流されたのだ。
少し弱々しく見えたルーサーは、「もし僕がさよならを言っても、それは永遠のものではありません。なぜなら、僕は、愛の力(power of love)を信じているから〜」といった。この「パワー・オブ・ラヴ〜」のところは、彼のヒット曲のメロディーを歌ったのだ。その映像を見ていて胸が一杯になった。歌えるじゃないか! あの声はルーサーそのものじゃないか!
マークスは言った。「まだ、ルーサーには皆さんからの祈りが必要なんですよ」 完全復活まで、まだまだ道のりは長い。完全復活の日がいつか来ることを祈って…。
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2003年4月25日付け日記
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2003年6月13日付け日記
2003年6月14日付け日記
2003年6月20日付け日記
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46th Grammy Roundup
2004年2月10日ディレイ。
10時、かとおもいきや、9時55分、いきなりプリンスのライヴが始まった。今回のグラミー生中継は、先週のスーパーボールでのジャネット・ジャクソンの事件があったため、5分間のディレイ中継となった。これは、実際よりも、5分遅れて放送を送り出すというもの。万一、不測の事態が起こった場合、その5分の間にカットするなり、ぼかしをいれるなりの対策を取るというやりかただ。そのせいで、アメリカ東部時間午後8時にあわせると、日本時間午前10時、さらにそこから5分前の、9時55分からの放送になったわけだ。日本のwowowは、ディレイせずにそのまま放送したために5分前からのスタートとなった。これは、快挙。しかし、同時通訳は毎年同じように最悪。もっとレベルの高い通訳はいないのだろうか。ゲストに金かけるくらいなら、通訳にもっといいギャラ払っていい通訳を雇うべきだ。まずきちんと日本語をしゃべれる人をオーディションしないと。あのレベルなら、もうないほうがいいかもしれない。雑音なだけ。
そして、プリンスにビヨンセがからむ。始まりから、なかなかいい演出だ。105部門の中で、この生中継で決定が放送されるのは、わずか11部門。ほとんどの部門はインターネットなどさまざまな媒体でショウの開始とともに発表される。
数多くのライヴ・パフォーマンスが見られたが、やはり、サミュエル・ジャクソンがMCを担当し、アース・ウィンド&ファイアー、アウトキャスト、そして、ジョージ・クリントンなどが一挙に登場したファンク・メドレー。これはテレビで見てても圧巻。会場にいたら、さぞかしすごかっただろう。ブッチー・コリンズもいた。
全体的にはラップ、R&Bアーティストが強いという印象だが、それでもロック・アーティストは健闘している。やはり、グラミーは白人主導型の組織という感じがまだまだある。特に主要4部門のレコード部門(コールドプレイ)と新人部門(エヴァネセンス)は、そうしたロック寄りのグラミーの色を出した感じだ。グラミーを決めるNARASのメンバーの人種構成は明らかにされていないが、白人黒人の割合は7−3くらいなのだろうか。
そろそろ、グラミーも閉ざされた組織ということではなく、徐々に情報公開をしていってもいい時期かもしれない。とりあえずは、得票のパーセンテージを発表してもらいたい。5つのノミネートがあれば、最低20パーセントの支持を得なければ受賞にはならないが、30%対27%なのか、50%対12%なのか、そのあたりで得られる情報はやはり貴重だ。ぜひとも、お願いしたいところ。
ルーサー・トリビュートは、アリシア・キーズがよかった。そして、リチャード・マークスのピアノでセリーヌ・ディオンが歌う「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」。このピアノのイントロだけで一瞬感動したが、セリーヌのマイクの調子が悪く残念だった。しかし、ピアノ一本、しかも真横で歌うのに、なぜモニターのイヤホーンが必要なのだろうか。ただそこのピアノを聴いて歌えばいいのにと思った。
ここでライヴを見せたブラック・アイド・ピーズは明日ロスをたってあさって日本着なのかな。水曜日にはもう東京でライヴ。大忙し。
ところで、今年の「トラディショナル・ポップ・アルバム」部門にロッド・スチュワートの『グレイト・アメリカン・ソングブック、VOL.2』がノミネートされていた。これは前作『VOL.1』に続くもので、前作は全世界で400万枚、今作も170万枚のセールスを記録している、という。僕は、これを本命にしたが、トニー・ベネットとKDラングが受賞。
これまでに、ロッドは13回ノミネートされていたが、一度もグラミーをとることができていない。グラミー七不思議のひとつである。ゆえにそろそろ来てもとも思ったのだが。一方、スティングはすでに15のグラミーを獲得、今年のひとつを加えると16になる。しばらく前、ロッドはインタヴューで、「グラミーはイギリス人にはくれないらしいな、スティングでなければ」とジョーク交じりに語った。そして、それを聞いたスティングは、「じゃあ、オレのをひとつやるよ」とやはりジョークで返したという。スティングとロッド、確かにグラミーのもうひとつの光と影である。
10時、かとおもいきや、9時55分、いきなりプリンスのライヴが始まった。今回のグラミー生中継は、先週のスーパーボールでのジャネット・ジャクソンの事件があったため、5分間のディレイ中継となった。これは、実際よりも、5分遅れて放送を送り出すというもの。万一、不測の事態が起こった場合、その5分の間にカットするなり、ぼかしをいれるなりの対策を取るというやりかただ。そのせいで、アメリカ東部時間午後8時にあわせると、日本時間午前10時、さらにそこから5分前の、9時55分からの放送になったわけだ。日本のwowowは、ディレイせずにそのまま放送したために5分前からのスタートとなった。これは、快挙。しかし、同時通訳は毎年同じように最悪。もっとレベルの高い通訳はいないのだろうか。ゲストに金かけるくらいなら、通訳にもっといいギャラ払っていい通訳を雇うべきだ。まずきちんと日本語をしゃべれる人をオーディションしないと。あのレベルなら、もうないほうがいいかもしれない。雑音なだけ。
そして、プリンスにビヨンセがからむ。始まりから、なかなかいい演出だ。105部門の中で、この生中継で決定が放送されるのは、わずか11部門。ほとんどの部門はインターネットなどさまざまな媒体でショウの開始とともに発表される。
数多くのライヴ・パフォーマンスが見られたが、やはり、サミュエル・ジャクソンがMCを担当し、アース・ウィンド&ファイアー、アウトキャスト、そして、ジョージ・クリントンなどが一挙に登場したファンク・メドレー。これはテレビで見てても圧巻。会場にいたら、さぞかしすごかっただろう。ブッチー・コリンズもいた。
全体的にはラップ、R&Bアーティストが強いという印象だが、それでもロック・アーティストは健闘している。やはり、グラミーは白人主導型の組織という感じがまだまだある。特に主要4部門のレコード部門(コールドプレイ)と新人部門(エヴァネセンス)は、そうしたロック寄りのグラミーの色を出した感じだ。グラミーを決めるNARASのメンバーの人種構成は明らかにされていないが、白人黒人の割合は7−3くらいなのだろうか。
そろそろ、グラミーも閉ざされた組織ということではなく、徐々に情報公開をしていってもいい時期かもしれない。とりあえずは、得票のパーセンテージを発表してもらいたい。5つのノミネートがあれば、最低20パーセントの支持を得なければ受賞にはならないが、30%対27%なのか、50%対12%なのか、そのあたりで得られる情報はやはり貴重だ。ぜひとも、お願いしたいところ。
ルーサー・トリビュートは、アリシア・キーズがよかった。そして、リチャード・マークスのピアノでセリーヌ・ディオンが歌う「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」。このピアノのイントロだけで一瞬感動したが、セリーヌのマイクの調子が悪く残念だった。しかし、ピアノ一本、しかも真横で歌うのに、なぜモニターのイヤホーンが必要なのだろうか。ただそこのピアノを聴いて歌えばいいのにと思った。
ここでライヴを見せたブラック・アイド・ピーズは明日ロスをたってあさって日本着なのかな。水曜日にはもう東京でライヴ。大忙し。
ところで、今年の「トラディショナル・ポップ・アルバム」部門にロッド・スチュワートの『グレイト・アメリカン・ソングブック、VOL.2』がノミネートされていた。これは前作『VOL.1』に続くもので、前作は全世界で400万枚、今作も170万枚のセールスを記録している、という。僕は、これを本命にしたが、トニー・ベネットとKDラングが受賞。
これまでに、ロッドは13回ノミネートされていたが、一度もグラミーをとることができていない。グラミー七不思議のひとつである。ゆえにそろそろ来てもとも思ったのだが。一方、スティングはすでに15のグラミーを獲得、今年のひとつを加えると16になる。しばらく前、ロッドはインタヴューで、「グラミーはイギリス人にはくれないらしいな、スティングでなければ」とジョーク交じりに語った。そして、それを聞いたスティングは、「じゃあ、オレのをひとつやるよ」とやはりジョークで返したという。スティングとロッド、確かにグラミーのもうひとつの光と影である。
46th Grammy Award: Final
2004年2月9日決定。
発表が終りました。予想47部門中、本命で20部門(.425)、対抗で14(.297)(トータルで.723)、そして、13部門がはずれという結果でした。本命で4割、対抗で2割は無事クリア。混迷のグラミー、これと言った決定打がない今年に関しては、非常にいいところではないでしょうか。(日本時間2月9日午後1時50分現在)
特にR&Bとラップの計14部門は本命11部門、対抗で3部門とすべて来たのは快挙でした。絶対来ないと断言してしまったフォンテンズ(新人賞)と「ソング部門」のウォーレン・ジーヴォン、ともに来なかったので、一安心。(笑)
主要4部門、「新人」のエヴァネセンスと「レコード」のコールドプレイは、僕には絶対当てられません。(笑)
完全な受賞者リストは、http://www.grammy.com/awards/grammy/46winners.aspx
もしくは http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/ap/20040209/ap_on_en_mu/grammys_list_4
にあります。
詳細はまた後ほど。予想したカテゴリーの受賞者は次のとおり。
The 46th Grammy Winners List
Category 1-Record Of The Year
本命 Crazy In Love/Beyonce Featuring Jay-Z
Where Is The Love/The Black Eyed Peas & Justin Timberlake
勝者・Clocks/Coldplay
対抗 Lose Yourself/Eminem
Hey Ya!/Outkast
Category 2-Album Of The Year
対抗 Under Construction/Missy Elliott
Fallen/Evanescence
勝者・本命 Speakerboxxx/The Love Below /Outkast
Justified/Justin Timberlake
Elephant/The White Stripes
Category 3-Song Of The Year
Beautiful/Linda Perry, songwriter (Christina Aguilera)
勝者・大本命Dance With My Father/Richard Marx & Luther Vandross, songwriters (Luther Vandross)
I’m With You/Avril Lavigne & The Matrix, songwriters (Avril Lavigne)
Keep Me In Your Heart/Jorge Calderon & Warren Zevon, songwriters (Warren Zevon)
対抗 Lose Yourself/J. Bass, M. Mathers & L. Resto, songwriters (Eminem)
Category 4-Best New Artist
勝者・Evanescence
本命 50 Cent
Fountains Of Wayne
Heather Headley
対抗 Sean Paul
Field 6 R&B
Category 23-Best Female R&B Vocal Performance
対抗 Rain On Me/Ashanti
Back In The Day/Erykah Badu
勝者・本命 Dangerously In Love/Beyonce
Ooh!/Mary J. Blige
I Wish I Wasn’t/Heather Headley
Category 24-Best Male R&B Vocal Performance
Step In The Name Of Love/R. Kelly
対抗 Shoulda, Woulda, Coulda/Brian McKnight
Superstar/Ruben Studdard
How You Gonna Act Like That/Tyrese
勝者・本命 Dance With My Father/Luther Vandross
Category 25-Best R&B Performance By A Duo Or Group With Vocals
勝者・本命 The Closer I Get To You/Beyonce & Luther Vandross
Where Is The Love/Stanley Clarke Featuring Glenn Lewis & Amel Larrieux
Say Yes/Floetry
I’ll Stay/Roy Hargrove & The RH Factor Featuring D’Angelo
対抗 Busted/The Isley Brothers With Ronald Isley aka Mr. Biggs Featuring JS
Hands Up/TLC
Category 26-Best Traditional R&B Vocal Performance
対抗 Hold Me/Earth, Wind & Fire
勝者・本命 Wonderful/Aretha Franklin
Comin’ From Where I’m From/Anthony Hamilton
Way Up There/Patti LaBelle
He Proposed/Kelly Price
Category 27-Best Urban/Alternative Performance
Danger/Erykah Badu
対抗 Milkshake/Kelis
J’veux D’la Musique/Les Nubians
Forthenight/Musiq
勝者・本命 Hey Ya!/Outkast
Category 28-Best R&B Song
Comin’ From Where I’m From/Mark Batson & Anthony Hamilton, songwriters (Anthony Hamilton)
勝者・対抗 Crazy In Love/Shawn Carter, Rich Harrison, Beyonce Knowles & Eugene Record, songwriters (Beyonce Featuring Jay-Z).
本命 Dance With My Father/Richard Marx & Luther Vandross, songwriters (Luther Vandross)
Danger/Erykah Badu, J. Poyser, B.R. Smith & R.C. Williams, songwriters (Erykah Badu)
Rock Wit U (Awww Baby)/A. Douglas, I. Lorenzo & A. Parker, songwriters (Ashanti)
Category 29-Best R&B Album
Worldwide Underground/Erykah Badu
Bittersweet/Blu Cantrell
対抗 So Damn Happy/Aretha Franklin
Body Kiss/The Isley Brothers Featuring Ronald Isley aka Mr. Biggs
勝者・本命 Dance With My Father/Luther Vandross
Category 30-Best Contemporary R&B Album
対抗 Chapter II/Ashanti
勝者・本命 Dangerously In Love/Beyonce
Love & Life/Mary J. Blige
Comin’ From Where I’m From/Anthony Hamilton
Chocolate Factory/R. Kelly
Field 7 Rap
Category 31-Best Female Rap Solo Performance
Got It Poppin’/Da Brat
勝者・本命 Work It/Missy Elliott
Came Back For You/Lil’ Kim
Ride Wit Me/MC Lyte
対抗 Go Head/Queen Latifah
Category 32-Best Male Rap Solo Performance
Pump It Up/Joe Budden
勝者・本命 Lose Yourself/Eminem
対抗 In Da Club/50 Cent
Stand Up/Ludacris
Get Busy/Sean Paul
Category 33-Best Rap Performance By A Duo Or Group
対抗 Gossip Folks/Missy Elliott Featuring Ludacris
Magic Stick/Lil’ Kim Featuring 50 Cent
勝者・本命 Shake Ya Tailfeather/Nelly, P. Diddy & Murphy Lee
Dipset (Santana’s Town)/Juelz Santana Featuring Cam’Ron
Can’t Stop Won’t Stop/Young Gunz
Category 34-Best Rap/Sung Collaboration
勝者・本命 Crazy In Love/Beyonce Featuring Jay-Z
対抗 Where Is The Love/The Black Eyed Peas With Justin Timberlake
Luv U Better/LL Cool J Featuring Marc Dorsey
Frontin’/The Neptunes Featuring Pharrell Williams & Jay-Z
Beautiful/Snoop Dogg Featuring Pharrell And Uncle Charlie Wilson
Category 35-Best Rap Song
Beautiful/Calvin Broadus, Chad Hugo & Pharrell Williams, songwriters (Snoop Dogg Featuring Pharrell & Uncle Charlie Wilson)
Excuse Me Miss/Shawn Carter, Chad Hugo & Pharrell Williams, songwriters (Jay-Z Featuring Pharrell Williams)
本命 In Da Club/M. Elizondo, C. Jackson & A. Young, songwriters (50 Cent)
勝者・対抗 Lose Yourself/J. Bass, M. Mathers & L. Resto, songwriters (Eminem)
Work It/Missy Elliott & Tim Mosley, songwriters (Missy Elliott)
Category 36-Best Rap Album
Under Construction/Missy Elliott
本命 Get Rich Or Die Tryin’/50 Cent
The Blueprint2 - The Gift & The Curse/Jay-Z
勝者・対抗 Speakerboxxx/The Love Below/Outkast
Phrenology/The Roots
Field 1 Pop
Category 5-Best Female Pop Vocal Performance
勝者・対抗 Beautiful/Christina Aguilera
Miss Independent/Kelly Clarkson
White Flag/Dido
本命 I’m With You/Avril Lavigne
Fallen/Sarah McLachlan
Category 6…
発表が終りました。予想47部門中、本命で20部門(.425)、対抗で14(.297)(トータルで.723)、そして、13部門がはずれという結果でした。本命で4割、対抗で2割は無事クリア。混迷のグラミー、これと言った決定打がない今年に関しては、非常にいいところではないでしょうか。(日本時間2月9日午後1時50分現在)
特にR&Bとラップの計14部門は本命11部門、対抗で3部門とすべて来たのは快挙でした。絶対来ないと断言してしまったフォンテンズ(新人賞)と「ソング部門」のウォーレン・ジーヴォン、ともに来なかったので、一安心。(笑)
主要4部門、「新人」のエヴァネセンスと「レコード」のコールドプレイは、僕には絶対当てられません。(笑)
完全な受賞者リストは、http://www.grammy.com/awards/grammy/46winners.aspx
もしくは http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/ap/20040209/ap_on_en_mu/grammys_list_4
にあります。
詳細はまた後ほど。予想したカテゴリーの受賞者は次のとおり。
The 46th Grammy Winners List
Category 1-Record Of The Year
本命 Crazy In Love/Beyonce Featuring Jay-Z
Where Is The Love/The Black Eyed Peas & Justin Timberlake
勝者・Clocks/Coldplay
対抗 Lose Yourself/Eminem
Hey Ya!/Outkast
Category 2-Album Of The Year
対抗 Under Construction/Missy Elliott
Fallen/Evanescence
勝者・本命 Speakerboxxx/The Love Below /Outkast
Justified/Justin Timberlake
Elephant/The White Stripes
Category 3-Song Of The Year
Beautiful/Linda Perry, songwriter (Christina Aguilera)
勝者・大本命Dance With My Father/Richard Marx & Luther Vandross, songwriters (Luther Vandross)
I’m With You/Avril Lavigne & The Matrix, songwriters (Avril Lavigne)
Keep Me In Your Heart/Jorge Calderon & Warren Zevon, songwriters (Warren Zevon)
対抗 Lose Yourself/J. Bass, M. Mathers & L. Resto, songwriters (Eminem)
Category 4-Best New Artist
勝者・Evanescence
本命 50 Cent
Fountains Of Wayne
Heather Headley
対抗 Sean Paul
Field 6 R&B
Category 23-Best Female R&B Vocal Performance
対抗 Rain On Me/Ashanti
Back In The Day/Erykah Badu
勝者・本命 Dangerously In Love/Beyonce
Ooh!/Mary J. Blige
I Wish I Wasn’t/Heather Headley
Category 24-Best Male R&B Vocal Performance
Step In The Name Of Love/R. Kelly
対抗 Shoulda, Woulda, Coulda/Brian McKnight
Superstar/Ruben Studdard
How You Gonna Act Like That/Tyrese
勝者・本命 Dance With My Father/Luther Vandross
Category 25-Best R&B Performance By A Duo Or Group With Vocals
勝者・本命 The Closer I Get To You/Beyonce & Luther Vandross
Where Is The Love/Stanley Clarke Featuring Glenn Lewis & Amel Larrieux
Say Yes/Floetry
I’ll Stay/Roy Hargrove & The RH Factor Featuring D’Angelo
対抗 Busted/The Isley Brothers With Ronald Isley aka Mr. Biggs Featuring JS
Hands Up/TLC
Category 26-Best Traditional R&B Vocal Performance
対抗 Hold Me/Earth, Wind & Fire
勝者・本命 Wonderful/Aretha Franklin
Comin’ From Where I’m From/Anthony Hamilton
Way Up There/Patti LaBelle
He Proposed/Kelly Price
Category 27-Best Urban/Alternative Performance
Danger/Erykah Badu
対抗 Milkshake/Kelis
J’veux D’la Musique/Les Nubians
Forthenight/Musiq
勝者・本命 Hey Ya!/Outkast
Category 28-Best R&B Song
Comin’ From Where I’m From/Mark Batson & Anthony Hamilton, songwriters (Anthony Hamilton)
勝者・対抗 Crazy In Love/Shawn Carter, Rich Harrison, Beyonce Knowles & Eugene Record, songwriters (Beyonce Featuring Jay-Z).
本命 Dance With My Father/Richard Marx & Luther Vandross, songwriters (Luther Vandross)
Danger/Erykah Badu, J. Poyser, B.R. Smith & R.C. Williams, songwriters (Erykah Badu)
Rock Wit U (Awww Baby)/A. Douglas, I. Lorenzo & A. Parker, songwriters (Ashanti)
Category 29-Best R&B Album
Worldwide Underground/Erykah Badu
Bittersweet/Blu Cantrell
対抗 So Damn Happy/Aretha Franklin
Body Kiss/The Isley Brothers Featuring Ronald Isley aka Mr. Biggs
勝者・本命 Dance With My Father/Luther Vandross
Category 30-Best Contemporary R&B Album
対抗 Chapter II/Ashanti
勝者・本命 Dangerously In Love/Beyonce
Love & Life/Mary J. Blige
Comin’ From Where I’m From/Anthony Hamilton
Chocolate Factory/R. Kelly
Field 7 Rap
Category 31-Best Female Rap Solo Performance
Got It Poppin’/Da Brat
勝者・本命 Work It/Missy Elliott
Came Back For You/Lil’ Kim
Ride Wit Me/MC Lyte
対抗 Go Head/Queen Latifah
Category 32-Best Male Rap Solo Performance
Pump It Up/Joe Budden
勝者・本命 Lose Yourself/Eminem
対抗 In Da Club/50 Cent
Stand Up/Ludacris
Get Busy/Sean Paul
Category 33-Best Rap Performance By A Duo Or Group
対抗 Gossip Folks/Missy Elliott Featuring Ludacris
Magic Stick/Lil’ Kim Featuring 50 Cent
勝者・本命 Shake Ya Tailfeather/Nelly, P. Diddy & Murphy Lee
Dipset (Santana’s Town)/Juelz Santana Featuring Cam’Ron
Can’t Stop Won’t Stop/Young Gunz
Category 34-Best Rap/Sung Collaboration
勝者・本命 Crazy In Love/Beyonce Featuring Jay-Z
対抗 Where Is The Love/The Black Eyed Peas With Justin Timberlake
Luv U Better/LL Cool J Featuring Marc Dorsey
Frontin’/The Neptunes Featuring Pharrell Williams & Jay-Z
Beautiful/Snoop Dogg Featuring Pharrell And Uncle Charlie Wilson
Category 35-Best Rap Song
Beautiful/Calvin Broadus, Chad Hugo & Pharrell Williams, songwriters (Snoop Dogg Featuring Pharrell & Uncle Charlie Wilson)
Excuse Me Miss/Shawn Carter, Chad Hugo & Pharrell Williams, songwriters (Jay-Z Featuring Pharrell Williams)
本命 In Da Club/M. Elizondo, C. Jackson & A. Young, songwriters (50 Cent)
勝者・対抗 Lose Yourself/J. Bass, M. Mathers & L. Resto, songwriters (Eminem)
Work It/Missy Elliott & Tim Mosley, songwriters (Missy Elliott)
Category 36-Best Rap Album
Under Construction/Missy Elliott
本命 Get Rich Or Die Tryin’/50 Cent
The Blueprint2 - The Gift & The Curse/Jay-Z
勝者・対抗 Speakerboxxx/The Love Below/Outkast
Phrenology/The Roots
Field 1 Pop
Category 5-Best Female Pop Vocal Performance
勝者・対抗 Beautiful/Christina Aguilera
Miss Independent/Kelly Clarkson
White Flag/Dido
本命 I’m With You/Avril Lavigne
Fallen/Sarah McLachlan
Category 6…
ファンク。
ズーコのソイソウルのライヴでキーボードを弾いていたフィリップ・ウー。ブラック・コンテンポラリー・ミュージックのファンからすると、80年代に大活躍したサンフランシスコ出身のメイズ・フィーチャリング・フランキー・べヴァリーのキーボード奏者としても知られています。彼は現在日本在住、自己のバンドで、ときどきライヴ活動をしているんですね。で、それを見に行ってきました。
きっと、けっこうファンキーなバンドだと思っていました。そして、思ったとおり、やはり、ファンキーでした。ドラムスのロレンゾ・ブレイスフル、ベースのクリフォード・アーチャーとギターの西山’HANK’史翁(にしやま・はんく・ふみお=愛称はんこや)によるバンド。強力です。ドラムスも、ベースも、そして、キーボードも皆、個々でかっこいい。リズム隊、かなり本格的です。このバンドをバックに歌えたら、歌手は嬉しいでしょう。日本在住のバンドでここまできっちりR&Bができるバンドはそうそうないでしょう。
全体的に、ファンキーなジャズ・インストゥルメンタルという感じでしょうか。ハービー・ハンコックの曲「バタフライ」と「スライ」を演奏しましたが、フィリップはかなりハービーが好きだそうです。ローズのエレピ、そして、ハモンドのオルガンといい感じで演奏されます。ギターのカッティングもファンキーで、バンド総体として、ファンクのグルーヴが充分にあります。
そして、4曲演奏曲が終ったところで、やはり日本在住のソウル・シンガー、ブレンダ・ヴォーンが登場。『ウィズ』からの「ホーム」とレイラ・ハザウェイでおなじみの「ワン・デイ・アイル・フライ・アウェイ」歌いました。なかなかこれもいいです。このあたりのヴォーカルとバンドを聴いていると、洋楽アーティストのライヴです。(当たり前ですが) これぞ日本のR&Bシーンなのかな、と思いました。
アンコール2曲目で、再び、ブレンダが登場。「これから歌う曲は私にとって特別な意味を持つ曲です。私は、こうして(自国)アメリカから離れて日本に住んでいますが、家族や友人と離れて生活していると時に辛いこともあります。そんな時、この曲は私にとって大きな意味を持ちます。『あなたは、いつでも私の元にこれる。電車であろうと、陸路であろうと、飛行機でも。』 このメッセージは私の胸に響きます。この曲を私の家族に捧げます」 こう言って歌い始めたのが、同じブレンダでも、ブレンダ・ラッセルの作品でオリータ・アダムスの歌で大ヒットした「ゲット・ヒア」でした。迫力いっぱいでした。
歌物とインストもの。どうしても、歌が入ると、そっちのほうがキャッチーです。インストものでいかに引き付けられる曲を演奏するか、歌とインストのバランスをどうとるか。また、個々のミュージシャンとしては完全ですが、ユニットとしてのひとつのサウンドというか、強烈に人を引き付けられる何かを獲得するのは、今後の課題でしょう。方向性なのかな。ガイダンスなのかもしれません。必要なのは。しかし、基本的には非常にいいバンドです。応援します。
(2004年2月8日・日曜=横浜モーションブルー・フィリップ&ハンク・ライヴ)
ズーコのソイソウルのライヴでキーボードを弾いていたフィリップ・ウー。ブラック・コンテンポラリー・ミュージックのファンからすると、80年代に大活躍したサンフランシスコ出身のメイズ・フィーチャリング・フランキー・べヴァリーのキーボード奏者としても知られています。彼は現在日本在住、自己のバンドで、ときどきライヴ活動をしているんですね。で、それを見に行ってきました。
きっと、けっこうファンキーなバンドだと思っていました。そして、思ったとおり、やはり、ファンキーでした。ドラムスのロレンゾ・ブレイスフル、ベースのクリフォード・アーチャーとギターの西山’HANK’史翁(にしやま・はんく・ふみお=愛称はんこや)によるバンド。強力です。ドラムスも、ベースも、そして、キーボードも皆、個々でかっこいい。リズム隊、かなり本格的です。このバンドをバックに歌えたら、歌手は嬉しいでしょう。日本在住のバンドでここまできっちりR&Bができるバンドはそうそうないでしょう。
全体的に、ファンキーなジャズ・インストゥルメンタルという感じでしょうか。ハービー・ハンコックの曲「バタフライ」と「スライ」を演奏しましたが、フィリップはかなりハービーが好きだそうです。ローズのエレピ、そして、ハモンドのオルガンといい感じで演奏されます。ギターのカッティングもファンキーで、バンド総体として、ファンクのグルーヴが充分にあります。
そして、4曲演奏曲が終ったところで、やはり日本在住のソウル・シンガー、ブレンダ・ヴォーンが登場。『ウィズ』からの「ホーム」とレイラ・ハザウェイでおなじみの「ワン・デイ・アイル・フライ・アウェイ」歌いました。なかなかこれもいいです。このあたりのヴォーカルとバンドを聴いていると、洋楽アーティストのライヴです。(当たり前ですが) これぞ日本のR&Bシーンなのかな、と思いました。
アンコール2曲目で、再び、ブレンダが登場。「これから歌う曲は私にとって特別な意味を持つ曲です。私は、こうして(自国)アメリカから離れて日本に住んでいますが、家族や友人と離れて生活していると時に辛いこともあります。そんな時、この曲は私にとって大きな意味を持ちます。『あなたは、いつでも私の元にこれる。電車であろうと、陸路であろうと、飛行機でも。』 このメッセージは私の胸に響きます。この曲を私の家族に捧げます」 こう言って歌い始めたのが、同じブレンダでも、ブレンダ・ラッセルの作品でオリータ・アダムスの歌で大ヒットした「ゲット・ヒア」でした。迫力いっぱいでした。
歌物とインストもの。どうしても、歌が入ると、そっちのほうがキャッチーです。インストものでいかに引き付けられる曲を演奏するか、歌とインストのバランスをどうとるか。また、個々のミュージシャンとしては完全ですが、ユニットとしてのひとつのサウンドというか、強烈に人を引き付けられる何かを獲得するのは、今後の課題でしょう。方向性なのかな。ガイダンスなのかもしれません。必要なのは。しかし、基本的には非常にいいバンドです。応援します。
(2004年2月8日・日曜=横浜モーションブルー・フィリップ&ハンク・ライヴ)
立ちっぱなし。
1時半過ぎ、西麻布。「三河屋」さんの前に8人の人が並んでいた。「おやおや、まいったなあ」 ずいぶん前から夜の営業をとりやめ、ランチだけになってからなかなか行けなくなってしまった揚げ物定食屋さん。小さな間口の入口のところに8人も並んでいると、まさにそこは行列ができる人気店さながらだ。ちょうど近くを通ったのでランチを食べようと久々にここに出向いた。
店の主人がでてきて「営業中」の看板を「支度中」にひっくり返した。「えええっ?」 「あ、おにいさん、までね。ここまでは大丈夫よ」 「ほ〜〜っ、よかったあ」。無事最後の客になれた。15分ほどして中に入ってしばらく座って待つ。
あとは、お客さん帰っていくのみ。だが、外をみるとまた、二人ほど並んでいる。あれ、どうするんだろう。するとそれに気付いたおかみさんが、丁重に断っていた。「しかし、今日はすごいですねえ。またテレビにでもでたんですか?」 片付け物に忙しくしている主人が答える。「そう、この前ね、V6のなんとか君とかいうのが来て、撮影してったんだよ。すごい人気あるらしいね。テレビでるの39回目だよ」
おおお、しっかり勘定しているところが、すごい。「新聞、雑誌は94回かな」とこともなげに言う。「あと、インターネットっていうの? あれでもよくでてるらしいよ。おじさんは全然わかんないんだけどね(笑)」 そういいながら、なんと「東京レストランガイド」の2000年度の総合1位の盾を見せてくれた。
それにしても、ここほど暖かいFeels Like Homeなゴハン屋さんはない。お母さんも、お父さんも、妙におしゃべり好きで、こっちがちょっと話題をふると、止まらない、止まらない、Ain’t No Stoppin’ Them Now。
「この店になってから14年、その前は肉屋38年だから、52年間立ちっぱなしだよ」と主人が軽く言う。えっ? その御主人を50代くらいに思っていた僕は、年齢を計算して頭上にはてなマークが点灯して思わず尋ねてしまった。「え? おいくつなんですか?」 「今年68だよ」 「お若く見えますねえ。ということは、昭和11年生まれ?」 「そうだよ」 「ということは、…ネズミ年!」 「おお、よくわかるねえ」 おまかせください、干支(えと)のことなら。
なんと言っても、ここのメニューはわかりやすい。メンチ、コロッケ、エビフライなどが味噌汁、ゴハンがついて900円か1000円。一番高い味噌カツ定食でも1200円。内税。そのヴォリュームから行くと、超お得で、コストパフォーマンスは最高の店なのだ。メンチを頼んでも、気のいいお母さんはたいがいコロッケや、余っていたりするとエビフライなんかもおまけでつけてくれたりしちゃう。ゴハン、味噌汁、キャベツ、おかわり自由。でも、まず食べきれません。
いつも朝4時に起きて、仕込をして、11時半から2時すぎくらいまで営業し、片付けなどをしていると6時くらいになってしまう、という。前日は夜の8時に寝たそうだ。「まあねえ、時給にしたら1000円にならないよ。うちはね、ここ、おじさんち(自分の家)だから家賃がいらないんで、できるけどね。いろんなお店の人が見にくるけど、みんな家賃払って、人を雇ったらこの値段じゃできないって」 「だったら、もう少し値上げしてもいいんじゃないですか。まあ、2000円っていうのは困るけど(笑)、1300円くらいでもぜんぜんオッケーだと思いますけど」と僕。お母さんが口をはさむ。「いやあ、それじゃあ、(お客さんが)来なくなっちゃうよ。3日に一度しか来れなくなっちゃうより、毎日来てほしいからさあ」 お父さんが言う。「まあさあ、こんなお店やってるから、おにいさんや、若いお姉さんなんかと話ができて楽しいわけだしさ。お店やってなかったら、誰もこんなおじさんと話してくれないよ。(笑)」
お二人には一人娘さんがいて現在アメリカ在住。平成4年、NHKの番組ロケで一家でドイツに行って田舎町でこの揚げ物などを作り、地元の人々に振舞った。その時の様子が現地の新聞に掲載され、それをプラスチックのファイルにいれたものを見せてくれた。「何書いてるか、さっぱりわからないけどね。ははは」とお母さん。そして、ドイツでの珍道中話をしてくれた。
「毎日かあ・・・」 しかし、揚げ物、毎日はちょっと厳しいかも。(笑) でも、お父さん、お母さんは52年間、立ちっぱなし。そして、この三河屋さんは時代の試練にずっと立ち尽くし、生き残る。
三河屋
東京都港区西麻布1-13-15
電話 03-3408-1304
休業・土・日・祝日
11:30〜14:30(ライスが売り切れ次第終了)
コロッケ定食900円、ミックス定食900円など。
1時半過ぎ、西麻布。「三河屋」さんの前に8人の人が並んでいた。「おやおや、まいったなあ」 ずいぶん前から夜の営業をとりやめ、ランチだけになってからなかなか行けなくなってしまった揚げ物定食屋さん。小さな間口の入口のところに8人も並んでいると、まさにそこは行列ができる人気店さながらだ。ちょうど近くを通ったのでランチを食べようと久々にここに出向いた。
店の主人がでてきて「営業中」の看板を「支度中」にひっくり返した。「えええっ?」 「あ、おにいさん、までね。ここまでは大丈夫よ」 「ほ〜〜っ、よかったあ」。無事最後の客になれた。15分ほどして中に入ってしばらく座って待つ。
あとは、お客さん帰っていくのみ。だが、外をみるとまた、二人ほど並んでいる。あれ、どうするんだろう。するとそれに気付いたおかみさんが、丁重に断っていた。「しかし、今日はすごいですねえ。またテレビにでもでたんですか?」 片付け物に忙しくしている主人が答える。「そう、この前ね、V6のなんとか君とかいうのが来て、撮影してったんだよ。すごい人気あるらしいね。テレビでるの39回目だよ」
おおお、しっかり勘定しているところが、すごい。「新聞、雑誌は94回かな」とこともなげに言う。「あと、インターネットっていうの? あれでもよくでてるらしいよ。おじさんは全然わかんないんだけどね(笑)」 そういいながら、なんと「東京レストランガイド」の2000年度の総合1位の盾を見せてくれた。
それにしても、ここほど暖かいFeels Like Homeなゴハン屋さんはない。お母さんも、お父さんも、妙におしゃべり好きで、こっちがちょっと話題をふると、止まらない、止まらない、Ain’t No Stoppin’ Them Now。
「この店になってから14年、その前は肉屋38年だから、52年間立ちっぱなしだよ」と主人が軽く言う。えっ? その御主人を50代くらいに思っていた僕は、年齢を計算して頭上にはてなマークが点灯して思わず尋ねてしまった。「え? おいくつなんですか?」 「今年68だよ」 「お若く見えますねえ。ということは、昭和11年生まれ?」 「そうだよ」 「ということは、…ネズミ年!」 「おお、よくわかるねえ」 おまかせください、干支(えと)のことなら。
なんと言っても、ここのメニューはわかりやすい。メンチ、コロッケ、エビフライなどが味噌汁、ゴハンがついて900円か1000円。一番高い味噌カツ定食でも1200円。内税。そのヴォリュームから行くと、超お得で、コストパフォーマンスは最高の店なのだ。メンチを頼んでも、気のいいお母さんはたいがいコロッケや、余っていたりするとエビフライなんかもおまけでつけてくれたりしちゃう。ゴハン、味噌汁、キャベツ、おかわり自由。でも、まず食べきれません。
いつも朝4時に起きて、仕込をして、11時半から2時すぎくらいまで営業し、片付けなどをしていると6時くらいになってしまう、という。前日は夜の8時に寝たそうだ。「まあねえ、時給にしたら1000円にならないよ。うちはね、ここ、おじさんち(自分の家)だから家賃がいらないんで、できるけどね。いろんなお店の人が見にくるけど、みんな家賃払って、人を雇ったらこの値段じゃできないって」 「だったら、もう少し値上げしてもいいんじゃないですか。まあ、2000円っていうのは困るけど(笑)、1300円くらいでもぜんぜんオッケーだと思いますけど」と僕。お母さんが口をはさむ。「いやあ、それじゃあ、(お客さんが)来なくなっちゃうよ。3日に一度しか来れなくなっちゃうより、毎日来てほしいからさあ」 お父さんが言う。「まあさあ、こんなお店やってるから、おにいさんや、若いお姉さんなんかと話ができて楽しいわけだしさ。お店やってなかったら、誰もこんなおじさんと話してくれないよ。(笑)」
お二人には一人娘さんがいて現在アメリカ在住。平成4年、NHKの番組ロケで一家でドイツに行って田舎町でこの揚げ物などを作り、地元の人々に振舞った。その時の様子が現地の新聞に掲載され、それをプラスチックのファイルにいれたものを見せてくれた。「何書いてるか、さっぱりわからないけどね。ははは」とお母さん。そして、ドイツでの珍道中話をしてくれた。
「毎日かあ・・・」 しかし、揚げ物、毎日はちょっと厳しいかも。(笑) でも、お父さん、お母さんは52年間、立ちっぱなし。そして、この三河屋さんは時代の試練にずっと立ち尽くし、生き残る。
三河屋
東京都港区西麻布1-13-15
電話 03-3408-1304
休業・土・日・祝日
11:30〜14:30(ライスが売り切れ次第終了)
コロッケ定食900円、ミックス定食900円など。
Marvin’s "Stand By Me"
2004年2月7日回想。
DJマーヴィンがかかっている歌の紹介をした。「(日本語で) 65年、僕はまだ2歳ですね。マーヴィン・ゲイ! 『ハウ・スウィート・イット・イズ・トゥ・ビー・ラヴド・バイ・ユー(君に愛されるってことは、なんとすばらしいことだろう!)』! 僕はこの曲を聴くと、いつもおかあさんのことを思い出しますね。おかあさん、マーヴィン・ゲイが大好きだった。だから、私(の名前)はマーヴィンです。はははは」 オルガンのインストゥルメンタル曲がかかった。「(英語で)この曲を聴くと60年代初期のことを思い出します。あの頃は、ミシガンのデトロイトに育って、『スタンド・バイ・ミー』のような生活をしていました。そして、こんな音楽を聴いていたんです。彼らは南部出身でしたが、この曲は全米中に広がって大ヒットしました。ブッカーT&MGズの『グリーン・オニオン』!」
マイクのスイッチが切られ、「グリーン・オニオン」のヴォリュームがあがった。「『スタンド・バイ・ミー』みたいな生活ってどんなの?」と僕は訊いた。ヘッドフォンを首にかけているマーヴィンが話し始めた。「毎年子供の頃、夏休みになると近所の友達と電車に乗って、ちょっと遠くに行ってみたりしたんだ。貨物列車みたいのに乗ってね。飛び乗る感じ。別に泊まりで行くわけじゃないけど、ちょっとした小旅行。だいたいいつも、5-6人仲のいい友達がいてね。小学校からハイスクールまで、みんな同じ学校に通うから、みんな仲間みたいなもんだよ。僕はクラス・オブ・80(80年卒)なんだけど、卒業10周年と25周年でリユニオン(同窓会)があるんだ。10周年は行ったよ。半分くらいの人は、街をでたりしていたけれど、半分くらいの人はその街からまったく出てないんだよね。あの頃、一緒に遊んだ連中は、生涯の友達(friends for life)っていう感じだなあ。そういうのはあんまり日本ではないみたいだね」
「夏休みはいつも一月くらいミシシッピのおばあちゃんのところに行ったんだ。母のほうのおばあちゃん。マッコムっていう本当に小さな街。ジャクソン州トュペロの近く。もう、見渡す限りとうもろこし畑。とうもろこし、とうもろこし、とうもろこし…。どこを見てもとうもろこししかないんだよ。(笑) 田舎の人たちは、僕たちが都会から来たっていうと、もの珍しがって、なんでも訊きたがるんだよ。『あれはどうなの』、『これは本当か』とかね。夜は、街にネオンとかないんだ。真っ暗になって、空一面に星が広がる。何にもないからおもしろいんだよ」
僕はアメリカ南部の広大な土地を想像した。自然以外、何もないところ。ひたすらまっすぐで、急な坂が上がったり下がったりするような舗装されていない道。川や森があって、様々な動物が周りにはいるような。「川とかで泳ぐの?」と訊く。「いやあ、泳がない。ワニがいるかもしれないから。(笑) そのかわり、蛙を取ったり、木を切ってブランコを作ったり。ショットガンでハンティングしたり」 「えええっ、10歳くらいで、銃でハンティングするの?」 「みんなするよ。ショットガンっていうのは、弾を撃つと小さい玉があちこちに広がるの。だから、けっこう鳥とか落ちる」
「こんな感じ」といって、白い紙にその家近辺の絵を書いてくれた。おばあちゃんのうちがあって、その奥に森があって、右手と左手に別の家がある。マーヴィンは自分にいとこが何人いるかわからない、という。近所の家に遊びに行くと、みなそれぞれの家でソウルフードをふるまってくれる。
「ハウ・スウィート・イット・イズ」は、しばしマーヴィンに『スタンド・バイ・ミー』時代を回想させたようだ。そんな話をしていると、そろそろ次の曲が終ろうとしていた。マーヴィンがマイクのスイッチをオンにした。
DJマーヴィンがかかっている歌の紹介をした。「(日本語で) 65年、僕はまだ2歳ですね。マーヴィン・ゲイ! 『ハウ・スウィート・イット・イズ・トゥ・ビー・ラヴド・バイ・ユー(君に愛されるってことは、なんとすばらしいことだろう!)』! 僕はこの曲を聴くと、いつもおかあさんのことを思い出しますね。おかあさん、マーヴィン・ゲイが大好きだった。だから、私(の名前)はマーヴィンです。はははは」 オルガンのインストゥルメンタル曲がかかった。「(英語で)この曲を聴くと60年代初期のことを思い出します。あの頃は、ミシガンのデトロイトに育って、『スタンド・バイ・ミー』のような生活をしていました。そして、こんな音楽を聴いていたんです。彼らは南部出身でしたが、この曲は全米中に広がって大ヒットしました。ブッカーT&MGズの『グリーン・オニオン』!」
マイクのスイッチが切られ、「グリーン・オニオン」のヴォリュームがあがった。「『スタンド・バイ・ミー』みたいな生活ってどんなの?」と僕は訊いた。ヘッドフォンを首にかけているマーヴィンが話し始めた。「毎年子供の頃、夏休みになると近所の友達と電車に乗って、ちょっと遠くに行ってみたりしたんだ。貨物列車みたいのに乗ってね。飛び乗る感じ。別に泊まりで行くわけじゃないけど、ちょっとした小旅行。だいたいいつも、5-6人仲のいい友達がいてね。小学校からハイスクールまで、みんな同じ学校に通うから、みんな仲間みたいなもんだよ。僕はクラス・オブ・80(80年卒)なんだけど、卒業10周年と25周年でリユニオン(同窓会)があるんだ。10周年は行ったよ。半分くらいの人は、街をでたりしていたけれど、半分くらいの人はその街からまったく出てないんだよね。あの頃、一緒に遊んだ連中は、生涯の友達(friends for life)っていう感じだなあ。そういうのはあんまり日本ではないみたいだね」
「夏休みはいつも一月くらいミシシッピのおばあちゃんのところに行ったんだ。母のほうのおばあちゃん。マッコムっていう本当に小さな街。ジャクソン州トュペロの近く。もう、見渡す限りとうもろこし畑。とうもろこし、とうもろこし、とうもろこし…。どこを見てもとうもろこししかないんだよ。(笑) 田舎の人たちは、僕たちが都会から来たっていうと、もの珍しがって、なんでも訊きたがるんだよ。『あれはどうなの』、『これは本当か』とかね。夜は、街にネオンとかないんだ。真っ暗になって、空一面に星が広がる。何にもないからおもしろいんだよ」
僕はアメリカ南部の広大な土地を想像した。自然以外、何もないところ。ひたすらまっすぐで、急な坂が上がったり下がったりするような舗装されていない道。川や森があって、様々な動物が周りにはいるような。「川とかで泳ぐの?」と訊く。「いやあ、泳がない。ワニがいるかもしれないから。(笑) そのかわり、蛙を取ったり、木を切ってブランコを作ったり。ショットガンでハンティングしたり」 「えええっ、10歳くらいで、銃でハンティングするの?」 「みんなするよ。ショットガンっていうのは、弾を撃つと小さい玉があちこちに広がるの。だから、けっこう鳥とか落ちる」
「こんな感じ」といって、白い紙にその家近辺の絵を書いてくれた。おばあちゃんのうちがあって、その奥に森があって、右手と左手に別の家がある。マーヴィンは自分にいとこが何人いるかわからない、という。近所の家に遊びに行くと、みなそれぞれの家でソウルフードをふるまってくれる。
「ハウ・スウィート・イット・イズ」は、しばしマーヴィンに『スタンド・バイ・ミー』時代を回想させたようだ。そんな話をしていると、そろそろ次の曲が終ろうとしていた。マーヴィンがマイクのスイッチをオンにした。
ノーナ・ゲイ、NBAオールスターで国歌斉唱
来る2004年2月12日(木)から16日(月)まで行われるアメリカ・バスケットボールNBAのオールスター・ゲーム・イヴェントで、ノーナ・ゲイが国歌斉唱を行う。ノーナがロスアンジェルスのステイプルズ・センターで歌うのは、土曜日の予定。ノーナ・ゲイは、故マーヴィン・ゲイの娘で、29歳。父マーヴィン・ゲイは1983年の同オールスターで国歌斉唱を行った。
今回の国歌斉唱では、かつてのマーヴィン・ゲイの音も使い、「ゴースト・デュエット」をライヴで見せる、という。この曲の音楽総監督は、ジャム&ルイスでおなじみのジミー・ジャムがてがける。デジタル処理された映像とともに、ノーナが歌う。
オールスターがロスアンジェルスに戻ってくるのは、ちょうど21年ぶり。つまり前回マーヴィンが歌って以来という。83年のオールスター・ゲームでどちらかが勝ったかを覚えている人は少ないが、マーヴィン・ゲイが国歌を歌ったことは、皆よく覚えているはずだ。
アブドゥール・ジャバールはこういう。「(マーヴィンの国歌は)ジミ・ヘンドリックスがウッドストックで歌った国歌を思い出させてくれた。マーヴィンは国歌の雛型を完璧に変えて、人々の目を覚ませたんだ。『オレたちは黒人で、同時にオレたちはアメリカ人だ』というコンセプトを見事に表した。国歌の解釈を変えてもいいということを知ったんだ」
今度国歌を歌うノーナ・ゲイは、ナタリー・コールの父親とのデュエット「アンフォーゲッタブル」と比べてこう語る。「その違いは、ナタリーはレコードで、私はライヴで歌うというところかしら。とても緊張するけど、興奮もするわ。私が父と一緒に歌うなんて信じられない」
父がオールスターで歌ったとき、ノーナはまだ8歳だった。それが彼女が見る最後のステージとなった。彼女は振り返る。「父のどこかに、自分は死にたいと思っていたところがあったようだわ。でも、自殺はしたくなかった。父と祖父は強烈な個性でぶつかっていて、お互い、好きにはなれなかった」
++++++++++++++++++
国歌斉唱。
ノーナ・ゲイがNBAオールスターで国歌を歌うという。83年のマーヴィンの斉唱はあまりに印象的だ。マーヴィンのヴァージョンはビデオにもなっているし、また、CD化もされているので、ご存知の方も多いだろう。それから21年後、その娘と父がゴーストデュエットで共演。これは見ものだ。一体どんな風になるのだろうか。
来る2004年2月12日(木)から16日(月)まで行われるアメリカ・バスケットボールNBAのオールスター・ゲーム・イヴェントで、ノーナ・ゲイが国歌斉唱を行う。ノーナがロスアンジェルスのステイプルズ・センターで歌うのは、土曜日の予定。ノーナ・ゲイは、故マーヴィン・ゲイの娘で、29歳。父マーヴィン・ゲイは1983年の同オールスターで国歌斉唱を行った。
今回の国歌斉唱では、かつてのマーヴィン・ゲイの音も使い、「ゴースト・デュエット」をライヴで見せる、という。この曲の音楽総監督は、ジャム&ルイスでおなじみのジミー・ジャムがてがける。デジタル処理された映像とともに、ノーナが歌う。
オールスターがロスアンジェルスに戻ってくるのは、ちょうど21年ぶり。つまり前回マーヴィンが歌って以来という。83年のオールスター・ゲームでどちらかが勝ったかを覚えている人は少ないが、マーヴィン・ゲイが国歌を歌ったことは、皆よく覚えているはずだ。
アブドゥール・ジャバールはこういう。「(マーヴィンの国歌は)ジミ・ヘンドリックスがウッドストックで歌った国歌を思い出させてくれた。マーヴィンは国歌の雛型を完璧に変えて、人々の目を覚ませたんだ。『オレたちは黒人で、同時にオレたちはアメリカ人だ』というコンセプトを見事に表した。国歌の解釈を変えてもいいということを知ったんだ」
今度国歌を歌うノーナ・ゲイは、ナタリー・コールの父親とのデュエット「アンフォーゲッタブル」と比べてこう語る。「その違いは、ナタリーはレコードで、私はライヴで歌うというところかしら。とても緊張するけど、興奮もするわ。私が父と一緒に歌うなんて信じられない」
父がオールスターで歌ったとき、ノーナはまだ8歳だった。それが彼女が見る最後のステージとなった。彼女は振り返る。「父のどこかに、自分は死にたいと思っていたところがあったようだわ。でも、自殺はしたくなかった。父と祖父は強烈な個性でぶつかっていて、お互い、好きにはなれなかった」
++++++++++++++++++
国歌斉唱。
ノーナ・ゲイがNBAオールスターで国歌を歌うという。83年のマーヴィンの斉唱はあまりに印象的だ。マーヴィンのヴァージョンはビデオにもなっているし、また、CD化もされているので、ご存知の方も多いだろう。それから21年後、その娘と父がゴーストデュエットで共演。これは見ものだ。一体どんな風になるのだろうか。
上品。
ピアノ、ベース、ドラムの3人が皆、黒のタキシードに身を包んでステージにあがる。きっちりした正統派ジャズのライヴだ。2日間だけの超ヴェテラン・ジャズ・ピアニスト、ハンク・ジョーンズのブルーノート公演。1918年7月31日生まれの現在85歳。大正7年生まれ。今年の誕生日で86歳を迎える。ベース(ジョージ・ムラーツ)とドラムス(デニス・マクレル)の超強力トリオ。ピアノのプレイなどとてもその年齢とは思えない。まずその年齢とこのプレイに度肝を抜かれた。そして、一言でこのトリオを表すなら、なんとクラース(品格)のあるピアノトリオか、ということ。品があり、洗練され、それでいてしっかりとグルーヴもある。古き良き時代のジャズの魂が見事に今でも生きているという感じだ。
その時代をリアルタイムで経験したわけではないが、ハーレム・ルネッサンス(1920年代から1940年代にかけてニューヨークのハーレムがカルチャー的に大全盛を向かえた期間のこと)時代の、ジャズが若々しく、最高にヒップで生き生きしていた頃にタイムスリップさせてくれるかのようだ。真面目なジャズ職人3人が集まって、オーソドックスにジャズを演奏してくれる。
ブラシのみのドラムソロになると、音がものすごく小さくなり、ブルーノートのエアコンが動く音が聴こえてくるほど。そのドラムソロの間、ベースのジョージは高い椅子に寄りかかり、ゆっくりとハンカチで額の汗をぬぐっていた。そのドラムソロが終わり、観客から拍手がくると、デニスはゆっくり二度三度と首を縦にふり、ありがとうの仕草をした。それがまた粋だ。
ハンク・ジョーンズのピアノのタッチは優しく、穏やかでクール。それはまさに高級なシルクの手触りだ。そして雄大な包容力がある。彼は律儀に各曲を紹介してからプレイする。そうしたキャラクターがピアノの音から伝わってくる。
耳をべースに転じると、その見事なグルーヴ感からベースがまるで息をしているかのようだ。僕は多分彼の生のベースを聴くのは初めてかもしれないが、その音の良さにノックダウンさせられた。すばらしいベース奏者だ。聞けばハンクとは2-30年一緒にやっているという。ドラムスも、10年かそれ以上一緒にやっているという。このトリオのレコードを聴きたい。
ちょうどレコード会社の人がいたので、ちょっとだけ楽屋におじゃますることができた。最初ハンクは別の人たちと談笑していた。ドラムスのデニスがビールを飲んでいたので声をかけた。「ムラーツさんは全部楽譜を見ていたようですが、あなたはまったく見ていませんでしたよね。どうして?」 「ああ、全部覚えてるんだよ(笑)」 「日本に初めて来たのは?」「83年かな、カウント・ベイシーで。確か、彼の最後のツアーだと思う」 確かにカウント・ベイシーは84年4月26日に亡くなっている。
ハンクと握手をした。「お会いできて光栄です。プレイにものすごく感激しました。あなたのピアノにはクラース(品格)がありますね。In a class by itself っていう感じです。これほどのクラースはどのようにして?」 すると少しばかり訛りの強い英語で彼はこう答えた。「ありがとう。さあ、なんでだろう。わからないな。何人かピアノの先生には習ったけどね。カントリーのピアノの先生なんだよ。そのせいかな。長年やってきて、いつのまにか備わったのかな(笑)」
「ところで、いつもタキシードで?」 「タキシードのときもあれば、スーツの時もあるよ。今日はスーツだと暑くてね」 「タキシードは何着お持ちですか?」 「4着かな(笑)、そのうち2着こっちに持ってきた」 「全部黒?」 「いや、ピンクもある(爆笑)」
「元々どちら出身?」 「ミシシッピー州なんだけど、生後8ヶ月くらいでミシガン州ポンティアックに移った。デトロイトから25マイルくらいのところだ。ニューヨークに来たのは1944年くらいかな」 「ということは『ハーレム・ルネッサンス』の時期ですか」 「う〜ん、ちょうどそれが終わりそうな頃だな。いろんなクラブに出演したけどね。(名前を言われたが、聞き取れず) 」 「日本に初めて来たのはいつだか覚えてますか」 「1956年、ベニー・グッドマンとだよ。あ、ちがうな、ベニー・バッドマンだな。奴はバッドマンだからな。(爆笑)」
ユーモアもたっぷりあるハンク・ジョーンズ翁。ばりばりに若く、現役だ。超満員、立ち見もでた観客席の中に、プロ、アマ含めて一体何人くらいピアニストがいたのだろうか。そうしたピアノをたしなむ人たちが、今日は神の手を一目見たいとやってきていたようだ。そして、神の手は惜しげもなく存分に披露された。ここにも宝物(jewels)はあった。Jewels are here to stay.
(2004年2月4日水曜・ブルーノート東京セカンド=ハンク・ジョーンズ・トリオ・ライヴ)
このトリオのライヴは、もう一日(5日)東京で。その後、名古屋ブルーノート(2月6日、7日)に行きます。
ブルーノート東京のページ。
http://www.bluenote.co.jp/art/20040204.html
デニス・マクレルのページ。(英語)
http://www.dennismackrelmusic.com/home.html
ピアノ、ベース、ドラムの3人が皆、黒のタキシードに身を包んでステージにあがる。きっちりした正統派ジャズのライヴだ。2日間だけの超ヴェテラン・ジャズ・ピアニスト、ハンク・ジョーンズのブルーノート公演。1918年7月31日生まれの現在85歳。大正7年生まれ。今年の誕生日で86歳を迎える。ベース(ジョージ・ムラーツ)とドラムス(デニス・マクレル)の超強力トリオ。ピアノのプレイなどとてもその年齢とは思えない。まずその年齢とこのプレイに度肝を抜かれた。そして、一言でこのトリオを表すなら、なんとクラース(品格)のあるピアノトリオか、ということ。品があり、洗練され、それでいてしっかりとグルーヴもある。古き良き時代のジャズの魂が見事に今でも生きているという感じだ。
その時代をリアルタイムで経験したわけではないが、ハーレム・ルネッサンス(1920年代から1940年代にかけてニューヨークのハーレムがカルチャー的に大全盛を向かえた期間のこと)時代の、ジャズが若々しく、最高にヒップで生き生きしていた頃にタイムスリップさせてくれるかのようだ。真面目なジャズ職人3人が集まって、オーソドックスにジャズを演奏してくれる。
ブラシのみのドラムソロになると、音がものすごく小さくなり、ブルーノートのエアコンが動く音が聴こえてくるほど。そのドラムソロの間、ベースのジョージは高い椅子に寄りかかり、ゆっくりとハンカチで額の汗をぬぐっていた。そのドラムソロが終わり、観客から拍手がくると、デニスはゆっくり二度三度と首を縦にふり、ありがとうの仕草をした。それがまた粋だ。
ハンク・ジョーンズのピアノのタッチは優しく、穏やかでクール。それはまさに高級なシルクの手触りだ。そして雄大な包容力がある。彼は律儀に各曲を紹介してからプレイする。そうしたキャラクターがピアノの音から伝わってくる。
耳をべースに転じると、その見事なグルーヴ感からベースがまるで息をしているかのようだ。僕は多分彼の生のベースを聴くのは初めてかもしれないが、その音の良さにノックダウンさせられた。すばらしいベース奏者だ。聞けばハンクとは2-30年一緒にやっているという。ドラムスも、10年かそれ以上一緒にやっているという。このトリオのレコードを聴きたい。
ちょうどレコード会社の人がいたので、ちょっとだけ楽屋におじゃますることができた。最初ハンクは別の人たちと談笑していた。ドラムスのデニスがビールを飲んでいたので声をかけた。「ムラーツさんは全部楽譜を見ていたようですが、あなたはまったく見ていませんでしたよね。どうして?」 「ああ、全部覚えてるんだよ(笑)」 「日本に初めて来たのは?」「83年かな、カウント・ベイシーで。確か、彼の最後のツアーだと思う」 確かにカウント・ベイシーは84年4月26日に亡くなっている。
ハンクと握手をした。「お会いできて光栄です。プレイにものすごく感激しました。あなたのピアノにはクラース(品格)がありますね。In a class by itself っていう感じです。これほどのクラースはどのようにして?」 すると少しばかり訛りの強い英語で彼はこう答えた。「ありがとう。さあ、なんでだろう。わからないな。何人かピアノの先生には習ったけどね。カントリーのピアノの先生なんだよ。そのせいかな。長年やってきて、いつのまにか備わったのかな(笑)」
「ところで、いつもタキシードで?」 「タキシードのときもあれば、スーツの時もあるよ。今日はスーツだと暑くてね」 「タキシードは何着お持ちですか?」 「4着かな(笑)、そのうち2着こっちに持ってきた」 「全部黒?」 「いや、ピンクもある(爆笑)」
「元々どちら出身?」 「ミシシッピー州なんだけど、生後8ヶ月くらいでミシガン州ポンティアックに移った。デトロイトから25マイルくらいのところだ。ニューヨークに来たのは1944年くらいかな」 「ということは『ハーレム・ルネッサンス』の時期ですか」 「う〜ん、ちょうどそれが終わりそうな頃だな。いろんなクラブに出演したけどね。(名前を言われたが、聞き取れず) 」 「日本に初めて来たのはいつだか覚えてますか」 「1956年、ベニー・グッドマンとだよ。あ、ちがうな、ベニー・バッドマンだな。奴はバッドマンだからな。(爆笑)」
ユーモアもたっぷりあるハンク・ジョーンズ翁。ばりばりに若く、現役だ。超満員、立ち見もでた観客席の中に、プロ、アマ含めて一体何人くらいピアニストがいたのだろうか。そうしたピアノをたしなむ人たちが、今日は神の手を一目見たいとやってきていたようだ。そして、神の手は惜しげもなく存分に披露された。ここにも宝物(jewels)はあった。Jewels are here to stay.
(2004年2月4日水曜・ブルーノート東京セカンド=ハンク・ジョーンズ・トリオ・ライヴ)
このトリオのライヴは、もう一日(5日)東京で。その後、名古屋ブルーノート(2月6日、7日)に行きます。
ブルーノート東京のページ。
http://www.bluenote.co.jp/art/20040204.html
デニス・マクレルのページ。(英語)
http://www.dennismackrelmusic.com/home.html