ストーリーテラー。
マリーナ・ショウのアルバム『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ』(75年)の1曲目「ストリート・トーキング・ウーマン」には男女の会話が収録されています。なんでまたそんなことをしたのでしょうか。気さくでフレンドリーなマリーナさんが説明してくれました。「私は、ストーリーテラー(物語を語る人)だから」 なるほど。その通りです。「70年代の初期だったか、私はサミー・デイヴィス・ジュニアのオープニングアクトをやっていた。それで、初めて日本に来たんだけどね。それで、私のショウを見たプロデューサーみたいな人が、『彼女には好きにやらせるほうがいい』というようなことを言ってくれたのね。歌うということは、表現すること、演技することと一緒だから。例えば、シンガーによっては、ここでどういう話をして、次の曲は何で、どこをどう歩きみたいなことをきちっと決めてやるシンガーもいるけど、私は違う。その時の雰囲気でやりたい。で、自由にやらせてもらえるようになった。ちょうどあの頃、ああいうラップのようなモノローグが流行っていて、私もやってみようっていうことになったの。あれは私が実際に考えて、やったの」
あの映画のような演技もいいが、アルバム『スイート・ビギニングス』に収録されている「ゴー・アウェイ・リトル・ボーイ」でのオープニング・ナレーションもぞくぞくします。仕事を辞めてしまった男に愛想をつかす女性。その彼女が彼に言う一言は、「ゴー・アウェイ・リトル・ボーイ(もう、出て行ってよ、ボーイ)」 まさにストーリーテラーの面目躍如です。
そういうナレーションで思い出すのが、シャーリー・ブラウンの75年の大ヒット「ウーマン・トゥ・ウーマン」やミリー・ジャクソンの一連のヒットなどです。「そういえば、70年代初期って、ミリー・ジャクソンなんかも、あなたのようなナレーションをいれてましたよね」と話を向けると、マリーナさん、「彼女とは、(私は)ちょっと違うわ」。そう、ミリーのほうがもっとダーティー(卑猥)だからですね。「私には子供たちに聞かせたくないある種の言葉があるわ。そういうのは、自分ではやらないわね(笑)」 良識とクラース(品格)があるマリーナさんです。
そういうナレーションを曲の中にいれるスタイルは最近はあまり聞かれませんでしたが、なんと、あのアリシア・キーズが新曲「ユー・ドント・ノウ・マイ・ネーム」でそうしたナレーションをいれています。アリシアが「70年代にはそういうモノローグが入った曲がよくあった」という時、その中に間違いなくこのマリーナの作品などは入っているでしょう。アリシアの途中のナレーションを聞いて、マリーナの曲やナレーションを思い浮かべる人は少なくありません。
日本には数え切れないほどやってきています。でも、日本語は? 「ぜんぜ〜〜ん、わからない。(笑) 日本語をあなたたちがしゃべってると、とてもおもしろい。私にはリズミックに聞こえる! ヴァイブを感じるわ。タラララララ〜〜。(笑) 」 日本の人は大好きだけど、日本食はだめ、というマリーナさん。「でも、ジャパニーズ・ケンタッキー・フライド・チキンはOKよ!(笑)」
ニューアルバム『ルッキン・フォー・ラヴ』のトップを飾るのは「ホープ・イン・ア・ホープレス・ワールド」。ポール・ヤングも93年に録音している作品ですが、マリーナはその存在を知りませんでした。「ソングライターから直接、この曲をもらったの。新曲だと思ったわ。ポール・ヤング? あ、そう。知らなかった。この曲はメッセージが今にぴったりだと思ったから。本当に今の時代って希望がないでしょう。だからこの曲は前向きなメッセージが気に入ったの」 この曲でも、彼女は充分物語を語っています。
アナログアルバムを4枚ほど持っていったのでサインをねだったら、4枚すべてにサインをしてくれました。やった。
+++++
ライヴは今後、12月8日(月)・六本木スイートベイジル、12日(金)赤坂Bフラットなど。他地方もあります。
マリーナ・ショウのアルバム『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ』(75年)の1曲目「ストリート・トーキング・ウーマン」には男女の会話が収録されています。なんでまたそんなことをしたのでしょうか。気さくでフレンドリーなマリーナさんが説明してくれました。「私は、ストーリーテラー(物語を語る人)だから」 なるほど。その通りです。「70年代の初期だったか、私はサミー・デイヴィス・ジュニアのオープニングアクトをやっていた。それで、初めて日本に来たんだけどね。それで、私のショウを見たプロデューサーみたいな人が、『彼女には好きにやらせるほうがいい』というようなことを言ってくれたのね。歌うということは、表現すること、演技することと一緒だから。例えば、シンガーによっては、ここでどういう話をして、次の曲は何で、どこをどう歩きみたいなことをきちっと決めてやるシンガーもいるけど、私は違う。その時の雰囲気でやりたい。で、自由にやらせてもらえるようになった。ちょうどあの頃、ああいうラップのようなモノローグが流行っていて、私もやってみようっていうことになったの。あれは私が実際に考えて、やったの」
あの映画のような演技もいいが、アルバム『スイート・ビギニングス』に収録されている「ゴー・アウェイ・リトル・ボーイ」でのオープニング・ナレーションもぞくぞくします。仕事を辞めてしまった男に愛想をつかす女性。その彼女が彼に言う一言は、「ゴー・アウェイ・リトル・ボーイ(もう、出て行ってよ、ボーイ)」 まさにストーリーテラーの面目躍如です。
そういうナレーションで思い出すのが、シャーリー・ブラウンの75年の大ヒット「ウーマン・トゥ・ウーマン」やミリー・ジャクソンの一連のヒットなどです。「そういえば、70年代初期って、ミリー・ジャクソンなんかも、あなたのようなナレーションをいれてましたよね」と話を向けると、マリーナさん、「彼女とは、(私は)ちょっと違うわ」。そう、ミリーのほうがもっとダーティー(卑猥)だからですね。「私には子供たちに聞かせたくないある種の言葉があるわ。そういうのは、自分ではやらないわね(笑)」 良識とクラース(品格)があるマリーナさんです。
そういうナレーションを曲の中にいれるスタイルは最近はあまり聞かれませんでしたが、なんと、あのアリシア・キーズが新曲「ユー・ドント・ノウ・マイ・ネーム」でそうしたナレーションをいれています。アリシアが「70年代にはそういうモノローグが入った曲がよくあった」という時、その中に間違いなくこのマリーナの作品などは入っているでしょう。アリシアの途中のナレーションを聞いて、マリーナの曲やナレーションを思い浮かべる人は少なくありません。
日本には数え切れないほどやってきています。でも、日本語は? 「ぜんぜ〜〜ん、わからない。(笑) 日本語をあなたたちがしゃべってると、とてもおもしろい。私にはリズミックに聞こえる! ヴァイブを感じるわ。タラララララ〜〜。(笑) 」 日本の人は大好きだけど、日本食はだめ、というマリーナさん。「でも、ジャパニーズ・ケンタッキー・フライド・チキンはOKよ!(笑)」
ニューアルバム『ルッキン・フォー・ラヴ』のトップを飾るのは「ホープ・イン・ア・ホープレス・ワールド」。ポール・ヤングも93年に録音している作品ですが、マリーナはその存在を知りませんでした。「ソングライターから直接、この曲をもらったの。新曲だと思ったわ。ポール・ヤング? あ、そう。知らなかった。この曲はメッセージが今にぴったりだと思ったから。本当に今の時代って希望がないでしょう。だからこの曲は前向きなメッセージが気に入ったの」 この曲でも、彼女は充分物語を語っています。
アナログアルバムを4枚ほど持っていったのでサインをねだったら、4枚すべてにサインをしてくれました。やった。
+++++
ライヴは今後、12月8日(月)・六本木スイートベイジル、12日(金)赤坂Bフラットなど。他地方もあります。
Mike # 9: That’s Al Green Used To Use
2003年12月7日9番。
トータス松本さんと井筒監督のアメリカ南部の旅をつづった番組『井筒監督&トータス松本 歌った!踊った!泣いた!アメリカ南部★ブルースな旅』を見ました。(2003年12月6日・テレビ朝日で放送)
いやあ、音楽ファンにはたまらない内容ですねえ。特にブルースマン、ロバート・ジョンソンが「魂を売ったクロスロード(十字路)」って、本当にあそこに特定されてるんですか。知りませんでした。すごいなあ。それは、松本さんじゃなくても、感激するねえ。
それからロイヤル・スタジオでウィリー・ミッチェルと対面するシーン。なんだか日テレの『バラ珍』みたいな強引な演出でしたが、まあ、あれも素材がいいだけに許しましょう。(笑) ウィリー・ミッチェルの声の吹き替えした人、上手でした。雰囲気でてました。
アル・グリーンの新作をウィリー・ミッチェルがやっているというのを知った松本さんが驚いているのは、まあ、なんという奇遇ということなんでしょう。どこでもすぐにギター片手に歌ってしまう松本さんはなかなかいい感じで、好感度アップです。
しかし、彼がアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を初めて知ったのが、タランティーノの映画『パルプ・フィクション』だったという告白には、相当衝撃受けました。94年ですよ、94年。まだたったの9年前。その映画の中で流れてきた「レッツ・ステイ・トゥゲザー」に瞬時に心を奪われた、という。それはそれでものすごくすばらしい感性なのですが、それまでに接点がなかったというのが驚きです。
最後にアル・グリーンがロイヤル・スタジオにやってきたのもよかったなあ。それと、ずっとアル・グリーンが使っていたというマイク「ナンバー・ナイン」が出されたのにはノックアウトさせられた。
(2003年9月25日付け日記参照)
30年前のマイクなんでしょうね。そりゃあ、歌いたくなりますよね。「レッツ・ステイ・トゥゲザー」。そうそう、ウルフルズっていうのはソウルフルから取ったという話は前にどこかででてましたっけ。
トータス松本さんと井筒監督のアメリカ南部の旅をつづった番組『井筒監督&トータス松本 歌った!踊った!泣いた!アメリカ南部★ブルースな旅』を見ました。(2003年12月6日・テレビ朝日で放送)
いやあ、音楽ファンにはたまらない内容ですねえ。特にブルースマン、ロバート・ジョンソンが「魂を売ったクロスロード(十字路)」って、本当にあそこに特定されてるんですか。知りませんでした。すごいなあ。それは、松本さんじゃなくても、感激するねえ。
それからロイヤル・スタジオでウィリー・ミッチェルと対面するシーン。なんだか日テレの『バラ珍』みたいな強引な演出でしたが、まあ、あれも素材がいいだけに許しましょう。(笑) ウィリー・ミッチェルの声の吹き替えした人、上手でした。雰囲気でてました。
アル・グリーンの新作をウィリー・ミッチェルがやっているというのを知った松本さんが驚いているのは、まあ、なんという奇遇ということなんでしょう。どこでもすぐにギター片手に歌ってしまう松本さんはなかなかいい感じで、好感度アップです。
しかし、彼がアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を初めて知ったのが、タランティーノの映画『パルプ・フィクション』だったという告白には、相当衝撃受けました。94年ですよ、94年。まだたったの9年前。その映画の中で流れてきた「レッツ・ステイ・トゥゲザー」に瞬時に心を奪われた、という。それはそれでものすごくすばらしい感性なのですが、それまでに接点がなかったというのが驚きです。
最後にアル・グリーンがロイヤル・スタジオにやってきたのもよかったなあ。それと、ずっとアル・グリーンが使っていたというマイク「ナンバー・ナイン」が出されたのにはノックアウトさせられた。
(2003年9月25日付け日記参照)
30年前のマイクなんでしょうね。そりゃあ、歌いたくなりますよね。「レッツ・ステイ・トゥゲザー」。そうそう、ウルフルズっていうのはソウルフルから取ったという話は前にどこかででてましたっけ。
候補。
第46回グラミー賞のノミネートがNARASから発表された。今年は全31分野(フィールド)、105部門(カテゴリー)でそれぞれに該当するアーティスト、作品などがノミネートされている。グラミー賞は、今年度からスケジュールが前年までより一月ほどくりあげられ、ノミネート発表、授賞式ともに例年よりはやくなっている。これはアカデミー賞の発表が3月に前倒しになった影響を受けてのもの。グラミー賞は2004年2月8日、ロスアンジェルスのステイプル・センターで発表される。中継はCBSが担当。
今年のグラミー賞の最大の特色は、R&B、ヒップ・ホップ系のアーティストが多数ノミネートされている点。これまでもそれぞれの専門分野でのノミネートはあったが、一般分野におけるこれほどの浸透ぶりは初めてのもの。今年の最多ノミネートは6部門で、ビヨンセ、ジェイZ、アウトキャスト、ネプチューンズのファレル・ウィリアムスとすべてR&B、ヒップホップ系。この他5部門ノミネートが,ミッシー・エリオット、エミネム、エヴァネセンス、50(フィフティー)セント、ネプチューンのチャド・ヒューゴ、リッキー・スキャッグス、ジャスティン・ティンバーレイク、ルーサー・ヴァンドロス、故ウォーレン・ジヴォンらとやはりR&B、ヒップホップ系が圧倒的な強さを見せている。
主なカテゴリーのノミネートは次の通り。また、恒例グラミー予想は、近日中に発表します。完全なリストはhttp://www.grammy.com/awards/grammy/46noms.aspx に。
The 46th Grammy Nominations List
Category 1
Record Of The Year
Crazy In Love
Beyonce Featuring Jay-Z
Where Is The Love
The Black Eyed Peas & Justin Timberlake
Ron Fair & will.i.am,
Clocks
Coldplay
Lose Yourself
Eminem
Hey Ya!
Outkast
Category 2
Album Of The Year
Under Construction
Missy Elliott
Fallen
Evanescence
Speakerboxxx/The Love Below
Outkast
Justified
Justin Timberlake
Elephant
The White Stripes
Category 3
Song Of The Year
Beautiful
Linda Perry, songwriter (Christina Aguilera)
Dance With My Father
Richard Marx & Luther Vandross, songwriters (Luther Vandross)
I’m With You
Avril Lavigne & The Matrix, songwriters (Avril Lavigne)
Keep Me In Your Heart
Jorge Calderon & Warren Zevon, songwriters (Warren Zevon)
Lose Yourself
J. Bass, M. Mathers & L. Resto, songwriters (Eminem)
Category 4
Best New Artist
Evanescence
50 Cent
Fountains Of Wayne
Heather Headley
Sean Paul
第46回グラミー賞のノミネートがNARASから発表された。今年は全31分野(フィールド)、105部門(カテゴリー)でそれぞれに該当するアーティスト、作品などがノミネートされている。グラミー賞は、今年度からスケジュールが前年までより一月ほどくりあげられ、ノミネート発表、授賞式ともに例年よりはやくなっている。これはアカデミー賞の発表が3月に前倒しになった影響を受けてのもの。グラミー賞は2004年2月8日、ロスアンジェルスのステイプル・センターで発表される。中継はCBSが担当。
今年のグラミー賞の最大の特色は、R&B、ヒップ・ホップ系のアーティストが多数ノミネートされている点。これまでもそれぞれの専門分野でのノミネートはあったが、一般分野におけるこれほどの浸透ぶりは初めてのもの。今年の最多ノミネートは6部門で、ビヨンセ、ジェイZ、アウトキャスト、ネプチューンズのファレル・ウィリアムスとすべてR&B、ヒップホップ系。この他5部門ノミネートが,ミッシー・エリオット、エミネム、エヴァネセンス、50(フィフティー)セント、ネプチューンのチャド・ヒューゴ、リッキー・スキャッグス、ジャスティン・ティンバーレイク、ルーサー・ヴァンドロス、故ウォーレン・ジヴォンらとやはりR&B、ヒップホップ系が圧倒的な強さを見せている。
主なカテゴリーのノミネートは次の通り。また、恒例グラミー予想は、近日中に発表します。完全なリストはhttp://www.grammy.com/awards/grammy/46noms.aspx に。
The 46th Grammy Nominations List
Category 1
Record Of The Year
Crazy In Love
Beyonce Featuring Jay-Z
Where Is The Love
The Black Eyed Peas & Justin Timberlake
Ron Fair & will.i.am,
Clocks
Coldplay
Lose Yourself
Eminem
Hey Ya!
Outkast
Category 2
Album Of The Year
Under Construction
Missy Elliott
Fallen
Evanescence
Speakerboxxx/The Love Below
Outkast
Justified
Justin Timberlake
Elephant
The White Stripes
Category 3
Song Of The Year
Beautiful
Linda Perry, songwriter (Christina Aguilera)
Dance With My Father
Richard Marx & Luther Vandross, songwriters (Luther Vandross)
I’m With You
Avril Lavigne & The Matrix, songwriters (Avril Lavigne)
Keep Me In Your Heart
Jorge Calderon & Warren Zevon, songwriters (Warren Zevon)
Lose Yourself
J. Bass, M. Mathers & L. Resto, songwriters (Eminem)
Category 4
Best New Artist
Evanescence
50 Cent
Fountains Of Wayne
Heather Headley
Sean Paul
Marlena Shaw: What A Wonderful Her World
2003年12月5日自由自在。
アナログがどこかにあったはずなのに手元にない。レコードの整理がずさんな僕の場合そんなことはよくあること。CDで買い直そうと、夕方渋谷のタワーに行った。Mのところで探したのはマリーナ・ショウの名盤『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ』(75年)だ。CD1枚だけを買うつもりだったのに、余計なものを買い、タワーの袋はかなりの重さに。だからCDショップに行くのは気がひける。そのマリーナ・ショウのライヴを見るために赤坂の「Bフラット」へ。
ちょうど1年前(2002年)の今ごろ同じ「Bフラット」でマリーナを見た。さらにその前の2002年6月の「Bフラット」におけるライヴの模様は、『ライヴ・イン・トウキョウ』となって高音質のCDになっている。そして、2003年11月にリリースされた新作『ルッキン・フォー・ラヴ』も今年6月来日時に時間を割いて東京で録音されたものだ。これも音がいい。
今回のライヴは、その『ルッキン・フォー…』を録音したジェフ・チェンバース(ベース)、レニー・ロビンソン(ドラムス)、そしてデイヴィッド・ヘイゼルティーン(ピアノ)のトリオがそのまま参加、実に息のあったところを見せる。このトリオはなかなか聞きもの。特にデイヴィッドのピアノは僕の好きなタイプだ。横顔が映画『ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』でピアニストを演じたジェフ・ブリッジスを思わせた。「おはよう、おはよう・・・」と言って始まったライヴはファーストセットとセカンドセットでダブリ曲なしという密度の濃さ。
3曲ほど歌ってマリーナは話し始めた。「今日はニュー・アルバムを初めてお披露目します。新作は『ルッキン・フォー・ラヴ』。それ、それ、すでにお持ちなのね。(と言って一番前のお客さんが持っているCDを指差す) じゃあ、歌詞、もうご存知でしょう。(忘れたら)私に教えてね。(笑)」 それまでアコースティック・ピアノを弾いていたデイヴが向きをローズ(エレクトリック・キーボード)のほうに変えた。そしてアルバム1曲目の「ホープ・イン・ア・ホープレス・ワールド」が始まった。イギリスのポール・ヤングや、ジャムバンド系のワイドスプレッド・パニックなどが録音している佳曲だ。じっくり歌詞を読むと「ホワッツ・ゴーイング・オン」などに通じるメッセージがある作品だ。いい感じ。
サッチモの「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」やビリー・ジョエルの「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」、ミュージカル『バブリング・ブラウン・シュガー』の挿入歌としても知られる「スイート・ジョージア・ブラウン」など有名なスタンダードがマリーナ節で次々と歌われる。彼女の場合特に低音の声が魅力的。あの低い声はなかなか類をみない。もちろん、その声は上に行くのも、下に行くのも自由自在。声帯使いのプロだ。しかも曲調も様々なタイプを実にそつなくこなす。声で彼女の世界を作る。What A Wonderful Her World!
今年のパフォーマンスは、去年見た時よりも、声に張りと艶(つや)があってよく通ってるように感じた。ライヴが終った後、少しだけ話した。「あなたの声はとても強力ですね。どのように維持されてるのですか」 すると彼女は「子供が5人もいて、いつも叫んでるからねえ。ははは」とジョークたっぷりに答えた。気のいいビッグママという感じのマリーナ・ショウ。彼女はステージでも笑いを取ることを忘れない。「ではお孫さんは?」「7人いるわ。それも、み〜〜んな女の子なのよ。だから買い物しっぱなしよ(笑) もうすぐクリスマスだから、何かあげなきゃね」 「じゃあ、何かプレゼントを買うんですね」 「いやあ、最近はみんな物じゃなくて、現金や、あれ、なんだっけ、デパートなんかで使える・・・、ああ、商品券。そういうのを欲しがるのよねえ(笑) 私は、メイシーズで買い物するけど、彼女たちは高級店に行くのよ(笑)」 本当に気取りのないフレンドリーな人だ。だからサインや写真をねだるファンがいれば、誰にでもつきあう。
帰り際、車の中でJウエイヴの『ソウル・トレイン』を聞いていたら、男女のモノローグが流れてきた。映画のようなやりとり。都会のバーでの会話だ。男「どんな仕事をしているの?」 女「社会サーヴィスみたいなものね」 男「何か奢らせてもらえないかな」 女「シャンペーンを持ってきて」 男「今日はね、僕にとってお祝いの日なんだ」 女「へえー、どんな」 男「9回目の結婚記念日なんだ」 女「サム(ウエイター)、(シャンパーンを大きな)マグナムにして!」 マグナムにして、といったところが実にちゃっかりしていて笑える。会話に思わず聞き入ってしまった。そのモノローグはマリーナ・ショウの『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ』の1曲目「ストリート・トーキング・ウーマン」の冒頭部分だった。夕方にCDを買い直したばかりの作品だった。
(2003年12月04日(木)赤坂Bフラット=マリーナ・ショウ・ライヴ)
アナログがどこかにあったはずなのに手元にない。レコードの整理がずさんな僕の場合そんなことはよくあること。CDで買い直そうと、夕方渋谷のタワーに行った。Mのところで探したのはマリーナ・ショウの名盤『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ』(75年)だ。CD1枚だけを買うつもりだったのに、余計なものを買い、タワーの袋はかなりの重さに。だからCDショップに行くのは気がひける。そのマリーナ・ショウのライヴを見るために赤坂の「Bフラット」へ。
ちょうど1年前(2002年)の今ごろ同じ「Bフラット」でマリーナを見た。さらにその前の2002年6月の「Bフラット」におけるライヴの模様は、『ライヴ・イン・トウキョウ』となって高音質のCDになっている。そして、2003年11月にリリースされた新作『ルッキン・フォー・ラヴ』も今年6月来日時に時間を割いて東京で録音されたものだ。これも音がいい。
今回のライヴは、その『ルッキン・フォー…』を録音したジェフ・チェンバース(ベース)、レニー・ロビンソン(ドラムス)、そしてデイヴィッド・ヘイゼルティーン(ピアノ)のトリオがそのまま参加、実に息のあったところを見せる。このトリオはなかなか聞きもの。特にデイヴィッドのピアノは僕の好きなタイプだ。横顔が映画『ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』でピアニストを演じたジェフ・ブリッジスを思わせた。「おはよう、おはよう・・・」と言って始まったライヴはファーストセットとセカンドセットでダブリ曲なしという密度の濃さ。
3曲ほど歌ってマリーナは話し始めた。「今日はニュー・アルバムを初めてお披露目します。新作は『ルッキン・フォー・ラヴ』。それ、それ、すでにお持ちなのね。(と言って一番前のお客さんが持っているCDを指差す) じゃあ、歌詞、もうご存知でしょう。(忘れたら)私に教えてね。(笑)」 それまでアコースティック・ピアノを弾いていたデイヴが向きをローズ(エレクトリック・キーボード)のほうに変えた。そしてアルバム1曲目の「ホープ・イン・ア・ホープレス・ワールド」が始まった。イギリスのポール・ヤングや、ジャムバンド系のワイドスプレッド・パニックなどが録音している佳曲だ。じっくり歌詞を読むと「ホワッツ・ゴーイング・オン」などに通じるメッセージがある作品だ。いい感じ。
サッチモの「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」やビリー・ジョエルの「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」、ミュージカル『バブリング・ブラウン・シュガー』の挿入歌としても知られる「スイート・ジョージア・ブラウン」など有名なスタンダードがマリーナ節で次々と歌われる。彼女の場合特に低音の声が魅力的。あの低い声はなかなか類をみない。もちろん、その声は上に行くのも、下に行くのも自由自在。声帯使いのプロだ。しかも曲調も様々なタイプを実にそつなくこなす。声で彼女の世界を作る。What A Wonderful Her World!
今年のパフォーマンスは、去年見た時よりも、声に張りと艶(つや)があってよく通ってるように感じた。ライヴが終った後、少しだけ話した。「あなたの声はとても強力ですね。どのように維持されてるのですか」 すると彼女は「子供が5人もいて、いつも叫んでるからねえ。ははは」とジョークたっぷりに答えた。気のいいビッグママという感じのマリーナ・ショウ。彼女はステージでも笑いを取ることを忘れない。「ではお孫さんは?」「7人いるわ。それも、み〜〜んな女の子なのよ。だから買い物しっぱなしよ(笑) もうすぐクリスマスだから、何かあげなきゃね」 「じゃあ、何かプレゼントを買うんですね」 「いやあ、最近はみんな物じゃなくて、現金や、あれ、なんだっけ、デパートなんかで使える・・・、ああ、商品券。そういうのを欲しがるのよねえ(笑) 私は、メイシーズで買い物するけど、彼女たちは高級店に行くのよ(笑)」 本当に気取りのないフレンドリーな人だ。だからサインや写真をねだるファンがいれば、誰にでもつきあう。
帰り際、車の中でJウエイヴの『ソウル・トレイン』を聞いていたら、男女のモノローグが流れてきた。映画のようなやりとり。都会のバーでの会話だ。男「どんな仕事をしているの?」 女「社会サーヴィスみたいなものね」 男「何か奢らせてもらえないかな」 女「シャンペーンを持ってきて」 男「今日はね、僕にとってお祝いの日なんだ」 女「へえー、どんな」 男「9回目の結婚記念日なんだ」 女「サム(ウエイター)、(シャンパーンを大きな)マグナムにして!」 マグナムにして、といったところが実にちゃっかりしていて笑える。会話に思わず聞き入ってしまった。そのモノローグはマリーナ・ショウの『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ』の1曲目「ストリート・トーキング・ウーマン」の冒頭部分だった。夕方にCDを買い直したばかりの作品だった。
(2003年12月04日(木)赤坂Bフラット=マリーナ・ショウ・ライヴ)
Roots Live At Bluenote
2003年12月4日ルーツ。
キーボード、ギター2人、ベース、ドラム、パーカッション、そして、MC。ステージ上にいたのは7人。これに後半、ジャグワー・ライトが加わる。ブルーノートで行われたルーツのライヴ。
ジャグワー・ライトは、かっこいい。ソウル・シスター・ナンバー・ワンと紹介されて登場。その迫力ある歌声は、ちょっとどこかジェームス・ブラウン・ファミリーのリン・コリンズを思わせました。あの迫力は、ダイナマイトボディーゆえか。(笑)
それからもうひとり、マーティン・ルーサーというギタリストの歌が、けっこうお上手です。インターネットだけで自分のCDを出しているとか。なにより、今回感心したのは、クエスト・ラヴ(アミール・トンプソン)のドラムが意外としっかりしていて、非常によかったことです。
それにしても以前、ヴェルファーレや、お台場で見たときはパフォーマンスの時間が長かったんですが、この日は約1時間18分ほど。短くてよかった。(笑) たしか、「ノー・サンプリング、ノー・スクラッチ」で売り出したルーツ。なにか彼らのライヴを見ていると、メンバーがちょくちょく変わり、しかし核となるクエスト・ラヴなどは変わらずといったやり方が、ジョージ・クリントン&Pファンクあたりを思わせます。
ルーツというグループ名がいいですね。なんといっても、自分たちの先祖や、昔のソウル、ブラックミュージックへのリスペクト感がいいです。それに、生音感もね。リアル・ミュージック・バイ・リアル・ミュージシャンです。
(2003年12月03日(水)東京ブルーノート=ルーツ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Roots
キーボード、ギター2人、ベース、ドラム、パーカッション、そして、MC。ステージ上にいたのは7人。これに後半、ジャグワー・ライトが加わる。ブルーノートで行われたルーツのライヴ。
ジャグワー・ライトは、かっこいい。ソウル・シスター・ナンバー・ワンと紹介されて登場。その迫力ある歌声は、ちょっとどこかジェームス・ブラウン・ファミリーのリン・コリンズを思わせました。あの迫力は、ダイナマイトボディーゆえか。(笑)
それからもうひとり、マーティン・ルーサーというギタリストの歌が、けっこうお上手です。インターネットだけで自分のCDを出しているとか。なにより、今回感心したのは、クエスト・ラヴ(アミール・トンプソン)のドラムが意外としっかりしていて、非常によかったことです。
それにしても以前、ヴェルファーレや、お台場で見たときはパフォーマンスの時間が長かったんですが、この日は約1時間18分ほど。短くてよかった。(笑) たしか、「ノー・サンプリング、ノー・スクラッチ」で売り出したルーツ。なにか彼らのライヴを見ていると、メンバーがちょくちょく変わり、しかし核となるクエスト・ラヴなどは変わらずといったやり方が、ジョージ・クリントン&Pファンクあたりを思わせます。
ルーツというグループ名がいいですね。なんといっても、自分たちの先祖や、昔のソウル、ブラックミュージックへのリスペクト感がいいです。それに、生音感もね。リアル・ミュージック・バイ・リアル・ミュージシャンです。
(2003年12月03日(水)東京ブルーノート=ルーツ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Roots
ハイプ。
6時半から開演だと聞いていて、ずいぶん早いなあとは思ったが、なんと前座のDJがあったのね。それが約50分。ざっと見渡すと、アリーナのみで、2階席、3階席には客がいない。あんなにガラガラなドームを見たのは初めてでした。アリーナだけだったら、1万人くらいかな、というのが僕の目算でしたが、今朝のスポーツ紙などを見ると観客2万人という発表。本当ですか。5万人弱入るところへ1万しかいなければ、それはすきすき、ガラガラ感たっぷりでしょう。(笑)
ネットではチケットが250円で売られていたりといった話題もでましたが、でもまあ、考えてみれば、1万人でも来るってことは、武道館だったら、ひょっとしたらプラチナチケットになっていたかもしれません。(笑) 典型的なハイプ(虚像)のスターです。
さて、7時22分。タトゥーの2人登場。すぐに熱烈キス。彼女たちが登場するや、持ち上がる携帯、携帯、携帯の洪水。なかには、デジカメでフラッシュたいて写真とってる人もいる! もう、入口でのカメラチェックなんて、意味ないですねえ。(笑) 時代は確実に変化してます。それだけじゃなく、動画とってる人もいましたよ。(笑) まあ、もちろん画像はねえ、テレビほどじゃないでしょうけど。まあ、飲み屋あたりで、「ほらほら、タトゥー行ったんだよ」的には使えますね。音楽としてもその程度のもんですが。(笑) (この日はカメラOKだったんですか? すいません、よくわかりませんが)
セットリストを見ると13曲となっていますが、13曲目はただリミックスとだけ書かれていて、さらに大ヒットした「ノット・ゴーン・ゲット・アス」が10曲目、12曲目に入っているいたので実質は11曲かな。しかし、演奏も歌も実際にその場でやってるのか、わからないパフォーマンスが、テンポよく続きます。一曲が意外と短い。4分くらいで進むのかな。指折り計算したら、13曲あっても1時間にならないんじゃないか、なんて途中で心配したりして。
そしたら、案の定、ほぼ50分で彼女たちは退場しました。たぶん、「30ミニッツ」というスローの曲は、実際に歌っていたと思います。これは、実際、下手だったし。(笑) 歌っていたのが確認できたのは、これくらいかな。あと、掛け声は本物でしょう。ステージから長く続く花道は、よかったです。あれは、使えます。
要は西麻布あたりでやるクラブ・イヴェントみたいなものを東京ドームなんていうところでやってしまった、ということなんでしょうね。だから、寒かった。クラブ・イヴェントだったら、超もりあがるんじゃないでしょうか。あ、そうそう、大きなスクリーンに映し出されたちょっとエッチな映像はおもしろかった。そうねえ、タトゥの二人に何か言いたいことあるかって? 上原ひろみさんの爪の垢でも煎じて飲みなさい、と。(笑)
今回のライヴ(?)、イヴェントで学んだこと。1、カメラチェック意味なし。2、ドームに雨の日に行く時は、本当に外の床が滑りやすいので、滑らない靴を履いていくべし。ほんと、中にはいるまで、転ばないように足の筋肉使ったあ。
ハイプとは、「詐欺, 誇大広告」「(麻薬を注射して)興奮させる, 刺激する 」「だます, 誇大宣伝する 」といった意味です。パブリック・エナミーの大ヒットに「ドント・ビリーヴ・ハイプ」という曲がありますね。それと、「スリッパリー・ホエン・ウエット」は,道路標識の言葉。雨の時、スリップ注意、というあれの英語版です。コモドアーズの大ヒット曲でもあります。ワンポイント英語レッスンでした。(タトゥのネタで日記、こんな長く書くつもりなかったのに。(笑))
(2003年12月01日(月)東京ドーム・タトゥ=t.A.T.u=ライヴ)
PS えっ? 二日目はいっぱいだったんですか? 1日目のガラガラの東京ドームがテレビなんかで報道されて、ひやかし客がたくさん、きたとか。笑える。
参考リンク
日刊スポーツの記事
http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/p-et-tp0-031202-0002.html
スポニチの記事
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2003/12/02/02.html
6時半から開演だと聞いていて、ずいぶん早いなあとは思ったが、なんと前座のDJがあったのね。それが約50分。ざっと見渡すと、アリーナのみで、2階席、3階席には客がいない。あんなにガラガラなドームを見たのは初めてでした。アリーナだけだったら、1万人くらいかな、というのが僕の目算でしたが、今朝のスポーツ紙などを見ると観客2万人という発表。本当ですか。5万人弱入るところへ1万しかいなければ、それはすきすき、ガラガラ感たっぷりでしょう。(笑)
ネットではチケットが250円で売られていたりといった話題もでましたが、でもまあ、考えてみれば、1万人でも来るってことは、武道館だったら、ひょっとしたらプラチナチケットになっていたかもしれません。(笑) 典型的なハイプ(虚像)のスターです。
さて、7時22分。タトゥーの2人登場。すぐに熱烈キス。彼女たちが登場するや、持ち上がる携帯、携帯、携帯の洪水。なかには、デジカメでフラッシュたいて写真とってる人もいる! もう、入口でのカメラチェックなんて、意味ないですねえ。(笑) 時代は確実に変化してます。それだけじゃなく、動画とってる人もいましたよ。(笑) まあ、もちろん画像はねえ、テレビほどじゃないでしょうけど。まあ、飲み屋あたりで、「ほらほら、タトゥー行ったんだよ」的には使えますね。音楽としてもその程度のもんですが。(笑) (この日はカメラOKだったんですか? すいません、よくわかりませんが)
セットリストを見ると13曲となっていますが、13曲目はただリミックスとだけ書かれていて、さらに大ヒットした「ノット・ゴーン・ゲット・アス」が10曲目、12曲目に入っているいたので実質は11曲かな。しかし、演奏も歌も実際にその場でやってるのか、わからないパフォーマンスが、テンポよく続きます。一曲が意外と短い。4分くらいで進むのかな。指折り計算したら、13曲あっても1時間にならないんじゃないか、なんて途中で心配したりして。
そしたら、案の定、ほぼ50分で彼女たちは退場しました。たぶん、「30ミニッツ」というスローの曲は、実際に歌っていたと思います。これは、実際、下手だったし。(笑) 歌っていたのが確認できたのは、これくらいかな。あと、掛け声は本物でしょう。ステージから長く続く花道は、よかったです。あれは、使えます。
要は西麻布あたりでやるクラブ・イヴェントみたいなものを東京ドームなんていうところでやってしまった、ということなんでしょうね。だから、寒かった。クラブ・イヴェントだったら、超もりあがるんじゃないでしょうか。あ、そうそう、大きなスクリーンに映し出されたちょっとエッチな映像はおもしろかった。そうねえ、タトゥの二人に何か言いたいことあるかって? 上原ひろみさんの爪の垢でも煎じて飲みなさい、と。(笑)
今回のライヴ(?)、イヴェントで学んだこと。1、カメラチェック意味なし。2、ドームに雨の日に行く時は、本当に外の床が滑りやすいので、滑らない靴を履いていくべし。ほんと、中にはいるまで、転ばないように足の筋肉使ったあ。
ハイプとは、「詐欺, 誇大広告」「(麻薬を注射して)興奮させる, 刺激する 」「だます, 誇大宣伝する 」といった意味です。パブリック・エナミーの大ヒットに「ドント・ビリーヴ・ハイプ」という曲がありますね。それと、「スリッパリー・ホエン・ウエット」は,道路標識の言葉。雨の時、スリップ注意、というあれの英語版です。コモドアーズの大ヒット曲でもあります。ワンポイント英語レッスンでした。(タトゥのネタで日記、こんな長く書くつもりなかったのに。(笑))
(2003年12月01日(月)東京ドーム・タトゥ=t.A.T.u=ライヴ)
PS えっ? 二日目はいっぱいだったんですか? 1日目のガラガラの東京ドームがテレビなんかで報道されて、ひやかし客がたくさん、きたとか。笑える。
参考リンク
日刊スポーツの記事
http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/p-et-tp0-031202-0002.html
スポニチの記事
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2003/12/02/02.html
コネクト。
6曲目の「ダンサンド・パライーゾ」を終えて、万雷の拍手を受けた上原は一旦ステージを降り楽屋に戻ろうと僕の横を通った。その時、「ひろみさん!」とちょうど目の前に座っていた人が声をかけた。すると、その人たちを見た上原は「わ〜〜」と歓喜の声を上げた。
一息おいて再びステージに戻った上原はマイクを握ってしゃべり始めた。「私がこうやってピアノを弾いていられるのは、最初に出会ったピアノの先生がいたからです。今すごく驚いているのですが、彼女がここにいらっしゃって・・・。心から音楽を伝えることを教えてくれたひきた先生にこの曲を捧げます」 そして、彼女が弾いたアンコール曲は「ジョイ」。
上原ひろみのピアノの先生が目の前に座っていたのだ。これは話を訊かないわけにはいかない。正確には僕の斜め前に座っていたので、ソウルメイトUと席を代わってもらい、もうひとりのソウルメイトNとともに先生の真後ろに移動した。「あの〜〜、ちょっとお話をおうかがいしたいんですが・・・」と若干の前ふりをして、「一体、上原ひろみさんはどのような生徒さんだったのですか。他のお子さんと何か違いとかありましたか」 先生は突然の質問に面食らった様子だったが、口を開いてくれた。「いやあ、ちょっと変わっていました。それから絶対にあきらめない、というか頑固というか。自分が好きなことはとことんやる、という感じ。そのかわり、嫌いなことは一切やらないんです」
ひきた先生は上原が6歳のときからピアノを教え始めた。頑固さを示すこんなエピソードを話してくれた。「ピアノの曲でちょっと難しいブルグミュラーの『貴婦人の乗馬』という曲があるんですが、それが弾きたい、と言うんですね。でも、それはあなたにはまだちょっと難しいから、そこに行く前にこの曲が弾けるようにならないとだめよ、と言うと翌週にはその曲を弾けるようになってるんですよ。そして、これでどう、といわんばかりに『貴婦人・・・』を教えて、となるわけです」
ひきた先生は個人でクラシックピアノを教える先生だったが、プライヴェートではジャズも好きだった。そこで上原にクラシックだけではなくいろいろジャズを聴かせるようになると、すっかり彼女もジャズに傾注していった、という。6歳でオスカー・ピーターソンがお気に入りだったというから恐れ入る。「とにかくやりたい、と思うと頑固でしたね。そして、なにより、他の生徒と違って個性的でした」
しばらくして上原がやってきて、レコード会社の人が紹介してくれ、立ち話をした。「あなたは自分を天才だと思いますか」と聞くと、「さあ、わからないです」。「では、才能はあると思いますか」 「はい」ときっぱり。「では、いつ頃、自分に才能があると感じましたか」 「6歳の頃です」 「!!!!」 ソウルメイトNとの会話の中で、上原は6歳の時、生まれて初めてのピアノの発表会の時、ピアノの前に座った瞬間、「自分の家に戻ってきたような感じがした」と言ったという。
彼女は6歳の時に、自分に才能があると認識し、自らの人生の道を見出し、しかもその道をしっかりと進むべき道と確信したのだ。6歳で、これは、天才というより早熟の極みではないだろうか。そして、こんな幸せな人生はないだろう。
上原はピアノを弾くとき満面の笑みを見せる。僕は尋ねた。「あの満面の笑みはどこからでるのですか。笑顔の練習でもするんですか(笑)」 「いや、別に。(笑) (ピアノを弾いていると)楽しいから」 「じゃあ、一日のうち寝てる時と食事をしている以外の16時間、ピアノを弾いていてもオーケー?」 「ぜんぜん、オッケーです」と顔色ひとつ変えず彼女は言う。
「挫折したことは?」 「ないです」 「曲はどうやって作りますか?」 「曲はすぐできます。いくらでもあります」 確かに、彼女はできなければできるまでやる。だから、できないことはない。従って、それは挫折に値しない。極めて明快だ。そうかあ、できなければできるまでやればいいのか。っていったって、なかなか現実にはそうもいかない・・・。でも、それは彼女が正しい。
「ライヴをしている時は何を考えていますか、あるいはどんな感じなんでしょう?」 「トランス状態かな」 「では、弾いている時、神は降りてきている感じはありますか?」 「はい、あります」 「それは、いつも?」 「毎回です」 「毎回、降りてくるの?」 「観客の前で弾いてれば、降りてきます」 「では、練習の時は?」 「練習の時は、ちょっと違います・・・」
「好きなピアニストは?」 ちょっと困った顔をして「いっぱいいすぎて・・・」 「では好きなベース奏者は?」 「アンソニー・ジャクソン(笑)」 「好きなドラマーは?」 「マーティン・ヴァリホラ(笑)」(この日のドラマーのこと) 「共演したい相手は、例えば、黒人、白人、あるいは日本人など特に問わないのですか」 「えー、関係ないですね。コネクトすれば(OKです)」 「!!!! コネクトすれば!!!!」(僕) すばらしい! (コネクトするとは、つながることができれば、とか、フィーリングがあえば、とか、ミュージシャンシップが通じあえば、といったニュアンスです) 僕はこの「コネクトすれば」という一言にものすごく感銘を受けた。(ちなみに『ソウル・ブレンズ』のキャッチは、「R&Bコネクト」です)
多くの子供たちにとって、例えばピアノのレッスンは親や先生から言われたりする「やらなければならないもの」だっただろう。だが、彼女にとって、それは「やりたいもの」だったのだ。だから、やることは何の苦でもなかった。そして、やれないものは、やれるまでやるのが彼女の信条だった。やれるものをやってきて、彼女は今のこの位置に立つ。ほんの数分の立ち話だったが、彼女の意思の強さとガッツを強烈に感じた。そして、何かものすごく強いオーラから元気をもらったような気がした。「自分も何かをやらなければ」という気持ちがふつふつと湧いてきたのだ。
「だから彼女には、(これまでのところ)ソウル・サーチンがないというか、必要がないのね」とNが言った。僕は答えた。「いや、今のところないけれど、何年かのうちに彼女がソウル・サーチンをすれば、さらにもう一周りもふた周りも大きな存在になると思うな。それが見てみたいな」
上原はライヴを見せる時、神とコネクトしている。神とコネクトできるピアニストなんて、そうそういない。ピアノの近くから漂う白い光は、神とコネクトして起こった化学反応の産物だ。彼女は天才? あるいは彼女は神の媒介者なのかもしれない。ということは、僕は神の使者と話をしたんだ。いいなあ、コネクトできて。うらやましい。
Setlist
show starts 21.46
1. Summer Rain
2. Another Mind
3. Kung Fu World Champion (new song, will be on next album)
4. If (with Honma Masato)
5. XYZ (with Honma Masato)
6. Dancando No Paraiso
(encore)
7. Joy
show ends 22.08
(2003年11月30日(日)ジェイジー・ブラット=JZ Brat=上原ひろみ・ライヴ)
6曲目の「ダンサンド・パライーゾ」を終えて、万雷の拍手を受けた上原は一旦ステージを降り楽屋に戻ろうと僕の横を通った。その時、「ひろみさん!」とちょうど目の前に座っていた人が声をかけた。すると、その人たちを見た上原は「わ〜〜」と歓喜の声を上げた。
一息おいて再びステージに戻った上原はマイクを握ってしゃべり始めた。「私がこうやってピアノを弾いていられるのは、最初に出会ったピアノの先生がいたからです。今すごく驚いているのですが、彼女がここにいらっしゃって・・・。心から音楽を伝えることを教えてくれたひきた先生にこの曲を捧げます」 そして、彼女が弾いたアンコール曲は「ジョイ」。
上原ひろみのピアノの先生が目の前に座っていたのだ。これは話を訊かないわけにはいかない。正確には僕の斜め前に座っていたので、ソウルメイトUと席を代わってもらい、もうひとりのソウルメイトNとともに先生の真後ろに移動した。「あの〜〜、ちょっとお話をおうかがいしたいんですが・・・」と若干の前ふりをして、「一体、上原ひろみさんはどのような生徒さんだったのですか。他のお子さんと何か違いとかありましたか」 先生は突然の質問に面食らった様子だったが、口を開いてくれた。「いやあ、ちょっと変わっていました。それから絶対にあきらめない、というか頑固というか。自分が好きなことはとことんやる、という感じ。そのかわり、嫌いなことは一切やらないんです」
ひきた先生は上原が6歳のときからピアノを教え始めた。頑固さを示すこんなエピソードを話してくれた。「ピアノの曲でちょっと難しいブルグミュラーの『貴婦人の乗馬』という曲があるんですが、それが弾きたい、と言うんですね。でも、それはあなたにはまだちょっと難しいから、そこに行く前にこの曲が弾けるようにならないとだめよ、と言うと翌週にはその曲を弾けるようになってるんですよ。そして、これでどう、といわんばかりに『貴婦人・・・』を教えて、となるわけです」
ひきた先生は個人でクラシックピアノを教える先生だったが、プライヴェートではジャズも好きだった。そこで上原にクラシックだけではなくいろいろジャズを聴かせるようになると、すっかり彼女もジャズに傾注していった、という。6歳でオスカー・ピーターソンがお気に入りだったというから恐れ入る。「とにかくやりたい、と思うと頑固でしたね。そして、なにより、他の生徒と違って個性的でした」
しばらくして上原がやってきて、レコード会社の人が紹介してくれ、立ち話をした。「あなたは自分を天才だと思いますか」と聞くと、「さあ、わからないです」。「では、才能はあると思いますか」 「はい」ときっぱり。「では、いつ頃、自分に才能があると感じましたか」 「6歳の頃です」 「!!!!」 ソウルメイトNとの会話の中で、上原は6歳の時、生まれて初めてのピアノの発表会の時、ピアノの前に座った瞬間、「自分の家に戻ってきたような感じがした」と言ったという。
彼女は6歳の時に、自分に才能があると認識し、自らの人生の道を見出し、しかもその道をしっかりと進むべき道と確信したのだ。6歳で、これは、天才というより早熟の極みではないだろうか。そして、こんな幸せな人生はないだろう。
上原はピアノを弾くとき満面の笑みを見せる。僕は尋ねた。「あの満面の笑みはどこからでるのですか。笑顔の練習でもするんですか(笑)」 「いや、別に。(笑) (ピアノを弾いていると)楽しいから」 「じゃあ、一日のうち寝てる時と食事をしている以外の16時間、ピアノを弾いていてもオーケー?」 「ぜんぜん、オッケーです」と顔色ひとつ変えず彼女は言う。
「挫折したことは?」 「ないです」 「曲はどうやって作りますか?」 「曲はすぐできます。いくらでもあります」 確かに、彼女はできなければできるまでやる。だから、できないことはない。従って、それは挫折に値しない。極めて明快だ。そうかあ、できなければできるまでやればいいのか。っていったって、なかなか現実にはそうもいかない・・・。でも、それは彼女が正しい。
「ライヴをしている時は何を考えていますか、あるいはどんな感じなんでしょう?」 「トランス状態かな」 「では、弾いている時、神は降りてきている感じはありますか?」 「はい、あります」 「それは、いつも?」 「毎回です」 「毎回、降りてくるの?」 「観客の前で弾いてれば、降りてきます」 「では、練習の時は?」 「練習の時は、ちょっと違います・・・」
「好きなピアニストは?」 ちょっと困った顔をして「いっぱいいすぎて・・・」 「では好きなベース奏者は?」 「アンソニー・ジャクソン(笑)」 「好きなドラマーは?」 「マーティン・ヴァリホラ(笑)」(この日のドラマーのこと) 「共演したい相手は、例えば、黒人、白人、あるいは日本人など特に問わないのですか」 「えー、関係ないですね。コネクトすれば(OKです)」 「!!!! コネクトすれば!!!!」(僕) すばらしい! (コネクトするとは、つながることができれば、とか、フィーリングがあえば、とか、ミュージシャンシップが通じあえば、といったニュアンスです) 僕はこの「コネクトすれば」という一言にものすごく感銘を受けた。(ちなみに『ソウル・ブレンズ』のキャッチは、「R&Bコネクト」です)
多くの子供たちにとって、例えばピアノのレッスンは親や先生から言われたりする「やらなければならないもの」だっただろう。だが、彼女にとって、それは「やりたいもの」だったのだ。だから、やることは何の苦でもなかった。そして、やれないものは、やれるまでやるのが彼女の信条だった。やれるものをやってきて、彼女は今のこの位置に立つ。ほんの数分の立ち話だったが、彼女の意思の強さとガッツを強烈に感じた。そして、何かものすごく強いオーラから元気をもらったような気がした。「自分も何かをやらなければ」という気持ちがふつふつと湧いてきたのだ。
「だから彼女には、(これまでのところ)ソウル・サーチンがないというか、必要がないのね」とNが言った。僕は答えた。「いや、今のところないけれど、何年かのうちに彼女がソウル・サーチンをすれば、さらにもう一周りもふた周りも大きな存在になると思うな。それが見てみたいな」
上原はライヴを見せる時、神とコネクトしている。神とコネクトできるピアニストなんて、そうそういない。ピアノの近くから漂う白い光は、神とコネクトして起こった化学反応の産物だ。彼女は天才? あるいは彼女は神の媒介者なのかもしれない。ということは、僕は神の使者と話をしたんだ。いいなあ、コネクトできて。うらやましい。
Setlist
show starts 21.46
1. Summer Rain
2. Another Mind
3. Kung Fu World Champion (new song, will be on next album)
4. If (with Honma Masato)
5. XYZ (with Honma Masato)
6. Dancando No Paraiso
(encore)
7. Joy
show ends 22.08
(2003年11月30日(日)ジェイジー・ブラット=JZ Brat=上原ひろみ・ライヴ)
歓喜。
満面の笑み。首を左右に、上下に振り、時にピアノの椅子から立ち上がり、動き、踊る。なぜあそこまで解放できるのか。何かが乗り移り、指先だけでなく彼女の肉体すべてが媒介となる。この一月ほどちょっとばかりマイ・ブームな驚異のピアニスト、上原ひろみのライヴをやっと見ることができた。27日、28日は既に満員で入れず、追加の30日の分に行った。(11月7日付け日記参照)
このテンション、この躍動感、このスピード感。恐るべき24歳。やはり、天才か。細かい点ではいくつか思うところはあるが、全体的には非常に楽しめたライヴだった。ベースはもう一人の匠、アンソニー・ジャクソン、ドラムスは若手のマーティン・ヴァリホラ。約82分のライヴを終えてまず思ったのが、彼女のソロだけで見てみたい、ということだった。
この日のライヴは、ひとりの天才とひとりの超一流の職人とひとりの発展途上新人のトリオだった。もちろん、アンソニーのベースは最高だ。しかし、上原くらいのレベルになると、トリオでやる必然性があるのかとさえ思ってしまう。トリオはトリオで楽しめるのだが、ソロで見たい。飾り気のないネイキッドな上原ひろみを見たい。そう強く感じた。それは、深町純のソロ・ピアノ演奏が、他のミュージシャンとのコラボレーションよりも圧倒的にすばらしいという点でも証明されている。一般論として、かなりレベルの高いミュージシャンになると、普通のミュージシャンとコラボレートするとどうしても全体的に凡庸(ぼんよう)になってしまう危険性がつきまとうのだ。(この日の上原はもちろん凡庸ではなかった。アンソニーも超一流だ)
今回のベースはアンソニー・ジャクソン。となると、平凡な聴き手としては、やはりドラムに黒人のドラマーを従えて見てみたいとも思う。例えば、誰かといえば、デニス・チェンバースとか、ソニー・エモリー、ハーヴィー・メイソンあたりはどうだろう。しかし、上原はコラボレートするのが誰であろうと、すでに自分のリズムを持っている。独特のグルーヴ感を持っている。そして独特の色をもっている。この弾け感。シャンパーンのようなバブリングな感触。そして、彼女のすべての感情がピアノ自体に伝わり、ピアノから観客に到達する。その時、文字通りピアノ自体が彼女の肉体の一部になっていた。She’s became a part of piano, or she is a piano.
上原のパフォーマンスを見ていて感じたこと,沸いた疑問のいくつか。彼女は、ステージに上るときにあがったり、緊張したり、ナーヴァスになったりすることがあるのだろうか。そのパフォーマンスからは彼女があがることなど到底想像できない。ステージから観客席の方に向かって見せる満面の笑み。その時、彼女は何を見ているのだろうか。何かを感じているのか。エネルギーを吸収しているのか。あるいは何かを発散しているのか。
6曲目の「ダンサンド・パライーゾ」でおもしろいことが起こった。ドラムソロになったときだ。思い切りドラムを叩いていたマーティンのスティックが力余ってアンソニー・ジャクソンの所に飛んで行ってしまったのだ。そのスティックがアンソニーのベースに一瞬当たって床に落ちた。アンソニーがしかめっ面をする。(彼はだいたいいつもしかめっ面ではあるが・・・) それはあたかも「若いの、オレのベースに向かってなんてことをするんだ」とたしなめるかのようだった。ちょうど手があいていた上原がスティックを拾いマーティンに手渡した。それを受け取った彼は、アンソニーに向かって、「ごめんなさい」というジェスチャーをした。客席からはちょっとした笑いが漏れた。以後、ドラム・ソロは萎縮した。(笑) 平静に戻るまでに若干の時間が必要だった。そして、アンソニーは指で自分のベースに大丈夫かと尋ねるように愛撫したのだ。スティックがぶつかったときのアンソニーの表情と、愛撫するときのアンソニーの表情がなんとも言えなかった。
88の鍵盤から発せられる音は、歓喜、狂喜、興奮、神聖にあふれる。ピアノの近くから煙がでる如く白い光が漂うかのよう。しかも煌めく光は、白だけでなく、赤、紫、青など様々な彩りを見せる。鍵盤の数は88に限られている。が、彼女のプレイの可能性は無限大だ。彼女は24歳にして88のマスター、達人。なぜ彼女はこんなピアノが弾けるのか。
ライヴ後幸運なことに彼女と、さらに彼女のピアノの先生と少しだけだが、話すことができた。その話は、また明日に続く。いくつかの謎へのヒントが明らかになる。
(2003年11月30日(日)ジェイジー・ブラット=JZ Brat=上原ひろみ・ライヴ)
満面の笑み。首を左右に、上下に振り、時にピアノの椅子から立ち上がり、動き、踊る。なぜあそこまで解放できるのか。何かが乗り移り、指先だけでなく彼女の肉体すべてが媒介となる。この一月ほどちょっとばかりマイ・ブームな驚異のピアニスト、上原ひろみのライヴをやっと見ることができた。27日、28日は既に満員で入れず、追加の30日の分に行った。(11月7日付け日記参照)
このテンション、この躍動感、このスピード感。恐るべき24歳。やはり、天才か。細かい点ではいくつか思うところはあるが、全体的には非常に楽しめたライヴだった。ベースはもう一人の匠、アンソニー・ジャクソン、ドラムスは若手のマーティン・ヴァリホラ。約82分のライヴを終えてまず思ったのが、彼女のソロだけで見てみたい、ということだった。
この日のライヴは、ひとりの天才とひとりの超一流の職人とひとりの発展途上新人のトリオだった。もちろん、アンソニーのベースは最高だ。しかし、上原くらいのレベルになると、トリオでやる必然性があるのかとさえ思ってしまう。トリオはトリオで楽しめるのだが、ソロで見たい。飾り気のないネイキッドな上原ひろみを見たい。そう強く感じた。それは、深町純のソロ・ピアノ演奏が、他のミュージシャンとのコラボレーションよりも圧倒的にすばらしいという点でも証明されている。一般論として、かなりレベルの高いミュージシャンになると、普通のミュージシャンとコラボレートするとどうしても全体的に凡庸(ぼんよう)になってしまう危険性がつきまとうのだ。(この日の上原はもちろん凡庸ではなかった。アンソニーも超一流だ)
今回のベースはアンソニー・ジャクソン。となると、平凡な聴き手としては、やはりドラムに黒人のドラマーを従えて見てみたいとも思う。例えば、誰かといえば、デニス・チェンバースとか、ソニー・エモリー、ハーヴィー・メイソンあたりはどうだろう。しかし、上原はコラボレートするのが誰であろうと、すでに自分のリズムを持っている。独特のグルーヴ感を持っている。そして独特の色をもっている。この弾け感。シャンパーンのようなバブリングな感触。そして、彼女のすべての感情がピアノ自体に伝わり、ピアノから観客に到達する。その時、文字通りピアノ自体が彼女の肉体の一部になっていた。She’s became a part of piano, or she is a piano.
上原のパフォーマンスを見ていて感じたこと,沸いた疑問のいくつか。彼女は、ステージに上るときにあがったり、緊張したり、ナーヴァスになったりすることがあるのだろうか。そのパフォーマンスからは彼女があがることなど到底想像できない。ステージから観客席の方に向かって見せる満面の笑み。その時、彼女は何を見ているのだろうか。何かを感じているのか。エネルギーを吸収しているのか。あるいは何かを発散しているのか。
6曲目の「ダンサンド・パライーゾ」でおもしろいことが起こった。ドラムソロになったときだ。思い切りドラムを叩いていたマーティンのスティックが力余ってアンソニー・ジャクソンの所に飛んで行ってしまったのだ。そのスティックがアンソニーのベースに一瞬当たって床に落ちた。アンソニーがしかめっ面をする。(彼はだいたいいつもしかめっ面ではあるが・・・) それはあたかも「若いの、オレのベースに向かってなんてことをするんだ」とたしなめるかのようだった。ちょうど手があいていた上原がスティックを拾いマーティンに手渡した。それを受け取った彼は、アンソニーに向かって、「ごめんなさい」というジェスチャーをした。客席からはちょっとした笑いが漏れた。以後、ドラム・ソロは萎縮した。(笑) 平静に戻るまでに若干の時間が必要だった。そして、アンソニーは指で自分のベースに大丈夫かと尋ねるように愛撫したのだ。スティックがぶつかったときのアンソニーの表情と、愛撫するときのアンソニーの表情がなんとも言えなかった。
88の鍵盤から発せられる音は、歓喜、狂喜、興奮、神聖にあふれる。ピアノの近くから煙がでる如く白い光が漂うかのよう。しかも煌めく光は、白だけでなく、赤、紫、青など様々な彩りを見せる。鍵盤の数は88に限られている。が、彼女のプレイの可能性は無限大だ。彼女は24歳にして88のマスター、達人。なぜ彼女はこんなピアノが弾けるのか。
ライヴ後幸運なことに彼女と、さらに彼女のピアノの先生と少しだけだが、話すことができた。その話は、また明日に続く。いくつかの謎へのヒントが明らかになる。
(2003年11月30日(日)ジェイジー・ブラット=JZ Brat=上原ひろみ・ライヴ)
Album Between Elbert & Errison
2003年11月30日クロスロード。
僕のレコード棚は、基本的にグループ、男性ソロ、女性ソロに分けて、それぞれアーティストの苗字(ファミリー・ネーム)のABC順で並べてあります。男性シンガー、ソロアーティストのダニー・エルバートとキング・エリソンの間に一人のソウル・シンガーのレコードがはいっています。「EL」と「ER」の間です。EM EN EO EP EQ などがきますね。個人名でEO EQなんてありませんね。それは1982年2月21日にRCAレコード(当時)から発売されたアルバムでした。タイトルは『ミッドナイト・ランナー』。
覚えてますよ。このアルバム。ものすごいソウルフルなアルバム。ウィルソン・ピケットみたいなジャケット。20年以上ぶりにひっぱりだしたアナログ・アルバムの中にはレコード会社が作ったチラシとともに、初回プレスだけだったか、17センチシングルが3枚収録されていました。これは、プロモーション盤だけだったのかな。いかにもソウルのシングル盤みたいなデザインのおしゃれな、いい感じの7インチです。そうだ、あった、あった。ライナー、桜井ユタカ氏。
RCAからのキャッチフレーズは「スーパーソウル・シャウター」。B面一曲目の「スイート・リトル・ラナ」は、ミディアム調の南部風ファンキーソウル。これ、よく聴きました。
さて、アルバム『ミッドナイト・ランナー』を歌っているのは円道一成さんという和製ソウル・シンガーです。今でこそ、J-ソウルなどと言われることがありますが、円道一成さんはまさに日本のソウルシンガーの第一期のシンガーです。円道(えんどう)なので、ENのあたりにあるわけです。久保田利伸さんなどよりも、さらに前の世代ですね。上田正樹さんらの少し後くらいになります。でも実際に会ったり、ライヴを見たりしたことはありませんでした。
なんで彼の話題を出したかというと、なんと昨日の深町純さん定例ピアノ会で、円道一成さんがゲストで登場し、一曲歌っていったのです。いやあ、驚いたなあ。最初、深町さんが「僕の友人のエンドー君。エンドー・イッセイ君・・・」と言って紹介したときにはちょっとわからなかったですが、すぐに思い出しました。彼は「一瞬だけ頭を使わなくていい音楽をやります」と言って、「いえ〜〜〜」と声を張り上げました。
深町さんのゴスペル調のピアノに、まささんというパーカッション奏者の演奏にのせて、それをなんと30秒も続けたのです。永遠に続くかと思った。イントロでがっちり観客全員のソウルをわしづかみ状態。拍手喝采。そして一言。「死ぬかと思った」で爆笑をとる。あの少ししわがれた声は、昔とまったく変わりません。曲は「スタンダ・バイ・ミー」。まいった。それにしてもよく声がでている。
高校時代夢中になっていたラグビーの練習中に骨折。その入院していた病院でラジオから流れてきたオーティス・レディングに感銘を受けて、ソウルシンガーになったのが、円道一成さんです。80年CBSソニーからデビュー後、82年RCAから第2弾アルバムをだしました。それが『ミッドナイト・ランナー』でした。ソニーからの作品は残念ながら持っていませんでした。(彼の作品、アルファから出たのかと思っていたのですが、RCAだったんですね。ちょっと勘違い)
約9分の「スタンド・バイ・ミー」の堂々とした熱唱は、途中観客とのコール&レスポンスを含め、静かなアートカフェの観客を立たせ、躍らせ、歌わせ、そして、深町さんを再び嫉妬させた。(笑) アートカフェ、ソウルカフェに転じた瞬間でした。深町さん、熱気の中で終了した後、こう言い放った。「これは、刺身のつまですからね」(爆笑) まあ、でも、この「スタンド・バイ・ミー」のバックの深町さんは、リチャード・ティーみたいにファンキーでいつもとまったく違うのりで、かっこよかったですよ。(←フォロー)
ライヴが終った後、ちょっと円道さんと話をした。「アルバム、持ってますよ。今はどのようなご活動を?」と聞くと、いろいろライヴ活動を中心に、作品も自らインディで発表しているとのこと。ホームページに詳細がでている、という。その間もひっきりなしに握手を求める人たちが。
http://www.team-ize.com/item.htm
なるほど。いろいろCMなどもやられているんですね。
レコードが出たときには会う機会がなかったのに、20年以上もたってから、まったく予期せぬところで出会うんですねえ。しかも、深町さんのライヴでねえ。これだから、やめられないですね。(笑) 彼が歌い続けてきたことを知らなかったですからね。フルライヴ、見に行きましょう。
円道さんは20年以上ソウルを歌い続けてこの日アートカフェにやってきた。そして、僕は20年以上ソウルを聴き続けてこの日アートカフェにやってきた。アートカフェは、クロスロードです。
そして、エルバートとエリソンの間にひっそり眠っていたエンドーのアルバムが20年ぶりに僕のターンテーブルに乗った。
(2003年11月29日(土)恵比寿アートカフェ=深町純ライヴ、円道一成ゲスト)
僕のレコード棚は、基本的にグループ、男性ソロ、女性ソロに分けて、それぞれアーティストの苗字(ファミリー・ネーム)のABC順で並べてあります。男性シンガー、ソロアーティストのダニー・エルバートとキング・エリソンの間に一人のソウル・シンガーのレコードがはいっています。「EL」と「ER」の間です。EM EN EO EP EQ などがきますね。個人名でEO EQなんてありませんね。それは1982年2月21日にRCAレコード(当時)から発売されたアルバムでした。タイトルは『ミッドナイト・ランナー』。
覚えてますよ。このアルバム。ものすごいソウルフルなアルバム。ウィルソン・ピケットみたいなジャケット。20年以上ぶりにひっぱりだしたアナログ・アルバムの中にはレコード会社が作ったチラシとともに、初回プレスだけだったか、17センチシングルが3枚収録されていました。これは、プロモーション盤だけだったのかな。いかにもソウルのシングル盤みたいなデザインのおしゃれな、いい感じの7インチです。そうだ、あった、あった。ライナー、桜井ユタカ氏。
RCAからのキャッチフレーズは「スーパーソウル・シャウター」。B面一曲目の「スイート・リトル・ラナ」は、ミディアム調の南部風ファンキーソウル。これ、よく聴きました。
さて、アルバム『ミッドナイト・ランナー』を歌っているのは円道一成さんという和製ソウル・シンガーです。今でこそ、J-ソウルなどと言われることがありますが、円道一成さんはまさに日本のソウルシンガーの第一期のシンガーです。円道(えんどう)なので、ENのあたりにあるわけです。久保田利伸さんなどよりも、さらに前の世代ですね。上田正樹さんらの少し後くらいになります。でも実際に会ったり、ライヴを見たりしたことはありませんでした。
なんで彼の話題を出したかというと、なんと昨日の深町純さん定例ピアノ会で、円道一成さんがゲストで登場し、一曲歌っていったのです。いやあ、驚いたなあ。最初、深町さんが「僕の友人のエンドー君。エンドー・イッセイ君・・・」と言って紹介したときにはちょっとわからなかったですが、すぐに思い出しました。彼は「一瞬だけ頭を使わなくていい音楽をやります」と言って、「いえ〜〜〜」と声を張り上げました。
深町さんのゴスペル調のピアノに、まささんというパーカッション奏者の演奏にのせて、それをなんと30秒も続けたのです。永遠に続くかと思った。イントロでがっちり観客全員のソウルをわしづかみ状態。拍手喝采。そして一言。「死ぬかと思った」で爆笑をとる。あの少ししわがれた声は、昔とまったく変わりません。曲は「スタンダ・バイ・ミー」。まいった。それにしてもよく声がでている。
高校時代夢中になっていたラグビーの練習中に骨折。その入院していた病院でラジオから流れてきたオーティス・レディングに感銘を受けて、ソウルシンガーになったのが、円道一成さんです。80年CBSソニーからデビュー後、82年RCAから第2弾アルバムをだしました。それが『ミッドナイト・ランナー』でした。ソニーからの作品は残念ながら持っていませんでした。(彼の作品、アルファから出たのかと思っていたのですが、RCAだったんですね。ちょっと勘違い)
約9分の「スタンド・バイ・ミー」の堂々とした熱唱は、途中観客とのコール&レスポンスを含め、静かなアートカフェの観客を立たせ、躍らせ、歌わせ、そして、深町さんを再び嫉妬させた。(笑) アートカフェ、ソウルカフェに転じた瞬間でした。深町さん、熱気の中で終了した後、こう言い放った。「これは、刺身のつまですからね」(爆笑) まあ、でも、この「スタンド・バイ・ミー」のバックの深町さんは、リチャード・ティーみたいにファンキーでいつもとまったく違うのりで、かっこよかったですよ。(←フォロー)
ライヴが終った後、ちょっと円道さんと話をした。「アルバム、持ってますよ。今はどのようなご活動を?」と聞くと、いろいろライヴ活動を中心に、作品も自らインディで発表しているとのこと。ホームページに詳細がでている、という。その間もひっきりなしに握手を求める人たちが。
http://www.team-ize.com/item.htm
なるほど。いろいろCMなどもやられているんですね。
レコードが出たときには会う機会がなかったのに、20年以上もたってから、まったく予期せぬところで出会うんですねえ。しかも、深町さんのライヴでねえ。これだから、やめられないですね。(笑) 彼が歌い続けてきたことを知らなかったですからね。フルライヴ、見に行きましょう。
円道さんは20年以上ソウルを歌い続けてこの日アートカフェにやってきた。そして、僕は20年以上ソウルを聴き続けてこの日アートカフェにやってきた。アートカフェは、クロスロードです。
そして、エルバートとエリソンの間にひっそり眠っていたエンドーのアルバムが20年ぶりに僕のターンテーブルに乗った。
(2003年11月29日(土)恵比寿アートカフェ=深町純ライヴ、円道一成ゲスト)
性。
夜うちにいたら、ブリオのソウルバーのページを担当している高畠さんから電話があり、うちの近くにある行きつけのミッドナイトアワー(2003年7月13日付け日記)に撮影に来ているので、いらっしゃいませんか、とのお誘い。そういう誘いだと、とるものもとりあえず、速攻スクランブルしてしまうsoul searcher。何か、どこかにソウルは落ちていないかと探し求めに街に出てしまうのが、soul searcherの悲しい性(さが)。
ものの10分ほどで到着すると、すでにカウンターには何人かお客さんがいて、撮影の準備中。次号ブリオ(12月24日発売)で、このミッドナイトアワーが紹介されます。フォトグラファーの影田さんがカップルのポラロイドを撮影した後、本番撮影になるとき、マスター「じゃあ、音楽変えますから、本番用に」と言ってかかった曲が、な、な、なんとRCサクセション! 「彼ら、これが大好きなんですよ」
次のお客さんの時の本番撮影の時のBGMは、ステイプル・シンガーズだった。撮影もわきあいあいと終了し、その後、再び高畠さんと「ソウル・バー談義」。「ソウル談義」は、まあ、あちこちでよくあると思うのですが、「ソウル・バー談義」はかなりマニアック。(笑) 高畠さん、今度の月曜日、富士市にあるソウルバーへ取材に行くという。12月1日ですね。で、ミッドナイト・アワーも含めて24日発売の号の分です。「おお、かなりせっぱつまってますね! ということはストックとかまったくなしですか」 「え〜〜、まあ、取って出しって感じですかねえ(笑)」 「取って出しかあ(笑)」
ブリオのソウルバー紹介のページ、来年の4月号で丸5年になるそうです。99年にスタートしたんですね。J-Waveのラジオ番組『ソウル・トレイン』と同じ時期に始まった。すでに全国で100軒以上を紹介したことになります。同氏によると、そのうち10軒くらいが、すでに閉店しているそうです。比較的「老舗(しにせ)」と呼ばれるところは、長く続いていて、新しい店の中には苦しくて閉店してしまう店があるとのことです。
せっかくミッドナイト・アワーに行くので手ぶらで行くのもなんなんでと思い、それこそそこらへんに置いてあったアナログを何枚か取って出してきました。デイヴィッド・T・ウォーカーの「ホワッツ・ゴーイング・オン」が入っているアルバム、カール・グレイヴスのアルバム、オーティス・クレイの『ライヴ・イン・ジャパン』(ビクターからでた2枚組)などです。みんなかけてもらいました。自宅で聴くのとちょっと違うんですよねえ。
ソウルバーで、自分のお気に入り曲をかけてもらうがために、レコードやらCDを持ち込むというのもsoul searcherの性か。あ〜〜〜。
ENT>SOULBARS>MIDNITE HOUR
夜うちにいたら、ブリオのソウルバーのページを担当している高畠さんから電話があり、うちの近くにある行きつけのミッドナイトアワー(2003年7月13日付け日記)に撮影に来ているので、いらっしゃいませんか、とのお誘い。そういう誘いだと、とるものもとりあえず、速攻スクランブルしてしまうsoul searcher。何か、どこかにソウルは落ちていないかと探し求めに街に出てしまうのが、soul searcherの悲しい性(さが)。
ものの10分ほどで到着すると、すでにカウンターには何人かお客さんがいて、撮影の準備中。次号ブリオ(12月24日発売)で、このミッドナイトアワーが紹介されます。フォトグラファーの影田さんがカップルのポラロイドを撮影した後、本番撮影になるとき、マスター「じゃあ、音楽変えますから、本番用に」と言ってかかった曲が、な、な、なんとRCサクセション! 「彼ら、これが大好きなんですよ」
次のお客さんの時の本番撮影の時のBGMは、ステイプル・シンガーズだった。撮影もわきあいあいと終了し、その後、再び高畠さんと「ソウル・バー談義」。「ソウル談義」は、まあ、あちこちでよくあると思うのですが、「ソウル・バー談義」はかなりマニアック。(笑) 高畠さん、今度の月曜日、富士市にあるソウルバーへ取材に行くという。12月1日ですね。で、ミッドナイト・アワーも含めて24日発売の号の分です。「おお、かなりせっぱつまってますね! ということはストックとかまったくなしですか」 「え〜〜、まあ、取って出しって感じですかねえ(笑)」 「取って出しかあ(笑)」
ブリオのソウルバー紹介のページ、来年の4月号で丸5年になるそうです。99年にスタートしたんですね。J-Waveのラジオ番組『ソウル・トレイン』と同じ時期に始まった。すでに全国で100軒以上を紹介したことになります。同氏によると、そのうち10軒くらいが、すでに閉店しているそうです。比較的「老舗(しにせ)」と呼ばれるところは、長く続いていて、新しい店の中には苦しくて閉店してしまう店があるとのことです。
せっかくミッドナイト・アワーに行くので手ぶらで行くのもなんなんでと思い、それこそそこらへんに置いてあったアナログを何枚か取って出してきました。デイヴィッド・T・ウォーカーの「ホワッツ・ゴーイング・オン」が入っているアルバム、カール・グレイヴスのアルバム、オーティス・クレイの『ライヴ・イン・ジャパン』(ビクターからでた2枚組)などです。みんなかけてもらいました。自宅で聴くのとちょっと違うんですよねえ。
ソウルバーで、自分のお気に入り曲をかけてもらうがために、レコードやらCDを持ち込むというのもsoul searcherの性か。あ〜〜〜。
ENT>SOULBARS>MIDNITE HOUR
感謝。
おつかれさまでした。いやあ、楽しんでいただけたでしょうか。『ソウル・サーチン・トーキング・イヴェント』にいらっしゃっていただいたかた、ありがとうございます。僕たちの前のイヴェントが押していたせいか、スタートがかなり遅れてしまい、席などがなかったりかなり混乱してしまい申し訳ありませんでした。当初は1時間の予定で、延びて1時間半くらいかなというメドをたてていたのですが、実際は1時間45分くらいやっていたんでしょうか。
何話したんでしょうね。(笑) Uさんは、「ずいぶん押さえた、しゃべるの」というし、僕は僕で、「話がまとまらなかったなあ」、Sさんは「Yさん、しゃべりすぎよ〜〜」という感じでしたが。
簡単におさらいを。
オープニング: サー・デューク
テーマ1 初めて聴いたスティーヴィー
U選曲 「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」(アルバム『トーキング・ブック』から)
S選曲 「トゥ・ハイ」(アルバム『インナーヴィジョンズ』より)
Y選曲 「ユー・アンド・アイ」(アルバム『トーキング・ブック』より)
テーマ2 特別思い入れのあるアルバム
U選曲 「ルッキング・フォー・アナザー・ピュア・ラヴ」(アルバム『トーキング・ブック』より)
S選曲 「サマーソフト」(アルバム『キー・オブ・ライフ』)
Y選曲 「リボン・イン・ザ・スカイ」(アルバム『オリジナル・ミュージックエリアム』
テーマ3 スティーヴィーのカヴァーソング
U選曲 「イフ・アイ・ドント・ラヴ・ユー」(G.Cキャメロン)
S選曲 「センド・ワン・ユア・ラヴ」(ブライアン・マクナイト)
Y選曲 「ラヴズ・イン・ニード・オブ・ラヴ・トゥデイ」(テイク6)
特に目新しい選曲(GCキャメロンは珍しいですが!)でもなかったですが、あれもこれもとしっちゃかめっちゃかになったような気もしますが、まあ、そこそこしゃべりました。ふ〜〜。ご来場されたかた、感謝です。昨日はいらっしゃれなかったかた、次回の機会にでも。
おつかれさまでした。いやあ、楽しんでいただけたでしょうか。『ソウル・サーチン・トーキング・イヴェント』にいらっしゃっていただいたかた、ありがとうございます。僕たちの前のイヴェントが押していたせいか、スタートがかなり遅れてしまい、席などがなかったりかなり混乱してしまい申し訳ありませんでした。当初は1時間の予定で、延びて1時間半くらいかなというメドをたてていたのですが、実際は1時間45分くらいやっていたんでしょうか。
何話したんでしょうね。(笑) Uさんは、「ずいぶん押さえた、しゃべるの」というし、僕は僕で、「話がまとまらなかったなあ」、Sさんは「Yさん、しゃべりすぎよ〜〜」という感じでしたが。
簡単におさらいを。
オープニング: サー・デューク
テーマ1 初めて聴いたスティーヴィー
U選曲 「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」(アルバム『トーキング・ブック』から)
S選曲 「トゥ・ハイ」(アルバム『インナーヴィジョンズ』より)
Y選曲 「ユー・アンド・アイ」(アルバム『トーキング・ブック』より)
テーマ2 特別思い入れのあるアルバム
U選曲 「ルッキング・フォー・アナザー・ピュア・ラヴ」(アルバム『トーキング・ブック』より)
S選曲 「サマーソフト」(アルバム『キー・オブ・ライフ』)
Y選曲 「リボン・イン・ザ・スカイ」(アルバム『オリジナル・ミュージックエリアム』
テーマ3 スティーヴィーのカヴァーソング
U選曲 「イフ・アイ・ドント・ラヴ・ユー」(G.Cキャメロン)
S選曲 「センド・ワン・ユア・ラヴ」(ブライアン・マクナイト)
Y選曲 「ラヴズ・イン・ニード・オブ・ラヴ・トゥデイ」(テイク6)
特に目新しい選曲(GCキャメロンは珍しいですが!)でもなかったですが、あれもこれもとしっちゃかめっちゃかになったような気もしますが、まあ、そこそこしゃべりました。ふ〜〜。ご来場されたかた、感謝です。昨日はいらっしゃれなかったかた、次回の機会にでも。
昇華。
アリシア・キーズが12月3日待望の第二作アルバムをリリースします。タイトルは、『ザ・ダイアリー・オブ・アリシア・キーズ』。「アリシア・キーズの日記」ということですね。2001年9月にリリースされたデビュー作は、瞬く間に大ヒット。アリシアは翌年2002年春のグラミー賞の話題を独占しました。
なんと言っても、しっかりした歌唱、楽曲、20歳という若さと美貌という文字通り才色兼備なシンガー・ソングライターだったことから大ブレイクしたわけです。
僕がアリシアのCDを聞いて驚いたのは、なんと言ってもほとんど全曲自作していたことです。もちろん、曲によって共作者もいましたが。しかも、シングルヒットした「フォーリン」は、ジェームス・ブラウンの曲でもサンプリングしたかとも思えるほどの重厚な70年代風ソウルのマナーを自分のものに消化、昇華していました。
2002年5月の初来日も、衝撃でした。CDがこれだけ売れた彼女のライヴ・アーティストとしての力は未知数でしたが、これも強烈でした。ふと、アレサやグラディスのような70年代のレディー・ソウルたちが降臨しているかのようでした。基礎のあるソウル・シンガーは、いつの時代に登場しても同じだな、という基本的なことを確認したものでした。
さて、新作も相変わらず、マイペースのいい出来です。話題としては、トニ・トニ・トニをフィーチャーしたり、NAS&ラキームなどをゲストに迎えたりとR&Bとヒップホップの要素を巧みにミックスしています。しかし、なんと言っても彼女の堂々とした歌いっぷりが聴かれる作品が圧倒的に輝きます。
6曲目の「イフ・アイ・エイント・ガット・ユー」や7曲目の「ダイアリー」(フィーチャリング・トニ・トニ・トニ)などの聴かせる歌は独壇場でしょう。そして、4曲目でかつてのグラディス・ナイト&ピップスの大ヒット「イフ・アイ・ワー・ユア・ウーマン」をカヴァーしています。グラディスのヴァージョンはかなりしっとりとしたアレンジですが、アリシアのヴァージョンは最近の打ち込み風の音でまとめています。こういう曲聴くと、本当に70年代のソウルのエッセンスを感じてしまいます。
過去の先達の遺産を完璧に自分の体内で消化し、自らの血液の中に栄養として取り入れ、それを新たな作品として昇華できる稀有な才能をもった人ですね。アリシアは。これでまだ22歳なんて。アリシア・キーズ、1981年1月25日生まれ。昭和56年生まれはトリ年です。
アリシア・キーズが12月3日待望の第二作アルバムをリリースします。タイトルは、『ザ・ダイアリー・オブ・アリシア・キーズ』。「アリシア・キーズの日記」ということですね。2001年9月にリリースされたデビュー作は、瞬く間に大ヒット。アリシアは翌年2002年春のグラミー賞の話題を独占しました。
なんと言っても、しっかりした歌唱、楽曲、20歳という若さと美貌という文字通り才色兼備なシンガー・ソングライターだったことから大ブレイクしたわけです。
僕がアリシアのCDを聞いて驚いたのは、なんと言ってもほとんど全曲自作していたことです。もちろん、曲によって共作者もいましたが。しかも、シングルヒットした「フォーリン」は、ジェームス・ブラウンの曲でもサンプリングしたかとも思えるほどの重厚な70年代風ソウルのマナーを自分のものに消化、昇華していました。
2002年5月の初来日も、衝撃でした。CDがこれだけ売れた彼女のライヴ・アーティストとしての力は未知数でしたが、これも強烈でした。ふと、アレサやグラディスのような70年代のレディー・ソウルたちが降臨しているかのようでした。基礎のあるソウル・シンガーは、いつの時代に登場しても同じだな、という基本的なことを確認したものでした。
さて、新作も相変わらず、マイペースのいい出来です。話題としては、トニ・トニ・トニをフィーチャーしたり、NAS&ラキームなどをゲストに迎えたりとR&Bとヒップホップの要素を巧みにミックスしています。しかし、なんと言っても彼女の堂々とした歌いっぷりが聴かれる作品が圧倒的に輝きます。
6曲目の「イフ・アイ・エイント・ガット・ユー」や7曲目の「ダイアリー」(フィーチャリング・トニ・トニ・トニ)などの聴かせる歌は独壇場でしょう。そして、4曲目でかつてのグラディス・ナイト&ピップスの大ヒット「イフ・アイ・ワー・ユア・ウーマン」をカヴァーしています。グラディスのヴァージョンはかなりしっとりとしたアレンジですが、アリシアのヴァージョンは最近の打ち込み風の音でまとめています。こういう曲聴くと、本当に70年代のソウルのエッセンスを感じてしまいます。
過去の先達の遺産を完璧に自分の体内で消化し、自らの血液の中に栄養として取り入れ、それを新たな作品として昇華できる稀有な才能をもった人ですね。アリシアは。これでまだ22歳なんて。アリシア・キーズ、1981年1月25日生まれ。昭和56年生まれはトリ年です。
紅白。
スティーヴィーの紅白、ということがBBSに書かれていたので、ふと思いつきました。しばらく前からスティーヴィーが年末に日本にいるので、NHKが紅白への出場を要請しているというニュースが芸能誌などにでています。なるほど。スティーヴィー紅白出演、となれば、これはいいですよねえ。たしかにニュース、ニュース。
確かに30日とか31日とか、別にどこかでライヴがあるわけではないので、スケジュール的には可能かもしれません。しかし、様々な交渉が行われ、最終的にスティーヴィー出演ということが決まるとなると、今度は担当者は死ぬほど大変な思いをすることになります。(笑) 一体どんなことが起こるか、簡単にシミュレーションしてみましょう。題して『スティーヴィーが紅白にやってくる日』。
まず、スティーヴィーはリハーサルをやるのか。やるとしたら、いつどこで? 紅白のリハは相当綿密にタイムスケジュールが決められており、何時何分から何分まで、どこそこで、誰々が、どのバンドとリハ、とかなってるわけです。それこそ何十というアーティストがでるわけですから、そりゃあ、仕切るの大変です。基本は「時間厳守」。(笑)
しかし、それがスティーヴィーにできるか。(笑) じゃあ、仮にリハはいつもの自分のバンドでやるからしなくてもいい、ということにしましょう。では本番。本当に時間どおり、前もってNHKに来るのか。何時間か前に入れるか。パターンとしては、予定通り、時間どおりにリハもやり、本番も出番よりも何十分も前にNHK入りして準備万端になっていることが一番の理想形です。
次が少し遅れる場合。仮に出番を9時としましょう。8時までに来てくれれば、なんとかなります。しかし、8時50分だったら、どうする。出番を他の出演者とチェンジし、9時半にしてもらうか。始まっても、ぜんぜん来なくて、NHKに10時40分に来たらどうする。11時15分にでてもらうか。それとも、トリをやってもらうか。(笑) ありとあらゆるシミュレーションをしなければなりません。
それからひとたびステージに上がって、もし盛り上がった場合どうなる。当初の予定は5-6分の出演だったとして、実際演奏は15分続いたらどうする? CMいれるわけにはいかない。誰も止められなくなったら? もし後半の出番で最後の時間調整さえできなくなったら? トリのシンガーが歌えなくなったら? 僕は別にスティーヴィーが15分歌おうが、30分歌おうが嬉しいですけどね。
なんて考えていたら、プロデューサーは胃がいくつあってもたりないですね。(笑) かように、スティーヴィーのライヴは、大変なんですよ。グラミー賞にだって、堂々と遅刻するわけだし。でも、ちゃんと出演すれば、完璧にステージはこなしてくれますけどね。
スティーヴィーは、レコーディングの人として知られているようですが、実際はものすごくライヴもうまいライヴの人でもあるんですね。レコーディングも凝って完璧、ライヴもスポンテニアスに出来て、完璧。なかなかこういう両方が文句なくできるアーティストって少ないんですね。プリンスやマイケルも、両方できます。
もし、万一、スティーヴィーが紅白に出演することになったら、その前日くらいから、31日終了まで、詳細ドキュメントをぜひ読みたいもんです。相当しっちゃかめっちゃかになって、みんな胃がきりきりしてることと思います。(笑) ま、最後は拍手喝采で終るでしょうが。トリの北島三郎(?)あたりの歌がぶっとんだりしたら、前代未聞だろうなあ。
(紅白の訳"Team Of Red & White Performance Battle"は、思いつきの訳です。なにかびたっとくる訳語があれば教えてください)
スティーヴィーの紅白、ということがBBSに書かれていたので、ふと思いつきました。しばらく前からスティーヴィーが年末に日本にいるので、NHKが紅白への出場を要請しているというニュースが芸能誌などにでています。なるほど。スティーヴィー紅白出演、となれば、これはいいですよねえ。たしかにニュース、ニュース。
確かに30日とか31日とか、別にどこかでライヴがあるわけではないので、スケジュール的には可能かもしれません。しかし、様々な交渉が行われ、最終的にスティーヴィー出演ということが決まるとなると、今度は担当者は死ぬほど大変な思いをすることになります。(笑) 一体どんなことが起こるか、簡単にシミュレーションしてみましょう。題して『スティーヴィーが紅白にやってくる日』。
まず、スティーヴィーはリハーサルをやるのか。やるとしたら、いつどこで? 紅白のリハは相当綿密にタイムスケジュールが決められており、何時何分から何分まで、どこそこで、誰々が、どのバンドとリハ、とかなってるわけです。それこそ何十というアーティストがでるわけですから、そりゃあ、仕切るの大変です。基本は「時間厳守」。(笑)
しかし、それがスティーヴィーにできるか。(笑) じゃあ、仮にリハはいつもの自分のバンドでやるからしなくてもいい、ということにしましょう。では本番。本当に時間どおり、前もってNHKに来るのか。何時間か前に入れるか。パターンとしては、予定通り、時間どおりにリハもやり、本番も出番よりも何十分も前にNHK入りして準備万端になっていることが一番の理想形です。
次が少し遅れる場合。仮に出番を9時としましょう。8時までに来てくれれば、なんとかなります。しかし、8時50分だったら、どうする。出番を他の出演者とチェンジし、9時半にしてもらうか。始まっても、ぜんぜん来なくて、NHKに10時40分に来たらどうする。11時15分にでてもらうか。それとも、トリをやってもらうか。(笑) ありとあらゆるシミュレーションをしなければなりません。
それからひとたびステージに上がって、もし盛り上がった場合どうなる。当初の予定は5-6分の出演だったとして、実際演奏は15分続いたらどうする? CMいれるわけにはいかない。誰も止められなくなったら? もし後半の出番で最後の時間調整さえできなくなったら? トリのシンガーが歌えなくなったら? 僕は別にスティーヴィーが15分歌おうが、30分歌おうが嬉しいですけどね。
なんて考えていたら、プロデューサーは胃がいくつあってもたりないですね。(笑) かように、スティーヴィーのライヴは、大変なんですよ。グラミー賞にだって、堂々と遅刻するわけだし。でも、ちゃんと出演すれば、完璧にステージはこなしてくれますけどね。
スティーヴィーは、レコーディングの人として知られているようですが、実際はものすごくライヴもうまいライヴの人でもあるんですね。レコーディングも凝って完璧、ライヴもスポンテニアスに出来て、完璧。なかなかこういう両方が文句なくできるアーティストって少ないんですね。プリンスやマイケルも、両方できます。
もし、万一、スティーヴィーが紅白に出演することになったら、その前日くらいから、31日終了まで、詳細ドキュメントをぜひ読みたいもんです。相当しっちゃかめっちゃかになって、みんな胃がきりきりしてることと思います。(笑) ま、最後は拍手喝采で終るでしょうが。トリの北島三郎(?)あたりの歌がぶっとんだりしたら、前代未聞だろうなあ。
(紅白の訳"Team Of Red & White Performance Battle"は、思いつきの訳です。なにかびたっとくる訳語があれば教えてください)
謎。
木曜日のスティーヴィーのトーク・イヴェントのために、このところちょっとスティーヴィー・モードになっています。4年4ヶ月ぶりの来日ということになりますが、今回の来日が14回目となります。そして、72年の『ミュージック・オブ・マイ・マインド(心の詩)』から現在までちょうどオリジナル・アルバム14枚出してるんですね。
本来は今回の来日は95年に発売された『カンヴァセーション・ピース』以来8年ぶりのスタジオ録音による新譜の発売と関連してのワールドツアーの一環という位置付けだったらしいのですが、例によってスティーヴィーのことなので、アルバムの発表が遅れ、結局ツアーだけスタートということになったわけです。
だから、逆にいうと、アルバムが完成しないので、ツアーを延期だ、なんてこともなくはない・・・。それは、ないと信じて(笑)、『心の詩』(72年)から14枚でて、次のアルバムは15枚目になるんですね。ただその間、直近はご存知の通り『ライヴ・アルバム』、また、『オリジナル・ミュージックエイリアム』はベスト・プラス4曲新曲だったので、実質新作としては13枚目になります。またその中に映画サントラが3枚あるので、スタジオフルアルバムは、9枚、次が10枚目ということになりますね。30年で10枚か・・・。どうなんですか。これ、多いのか少ないのか。(笑)
スティーヴィーの不思議っていっぱいありますねえ。本当に目が見えないのか。ハーモニカはなんで上手なのか。楽器がうまいが、ギターだけはやらないようだが、なぜ。ストック曲は一体何曲あるのか? スティーヴィーのターニングポイントは? いつから自作曲を歌い始めたのか。ダニーハザウェイとスティーヴィーの関係。スティーヴィーの女性関係は? スティーヴィーの知りたいこと、トリヴィア、できるだけ調べて行きましょう。(笑)
なにか、知りたいこと、こんなことを話して欲しいなどということがありましたら、BBSなどに書き込んでください。できるだけ対応したいと思います。
木曜日、エイスワンダーの謎を解き明かします。
木曜日のスティーヴィーのトーク・イヴェントのために、このところちょっとスティーヴィー・モードになっています。4年4ヶ月ぶりの来日ということになりますが、今回の来日が14回目となります。そして、72年の『ミュージック・オブ・マイ・マインド(心の詩)』から現在までちょうどオリジナル・アルバム14枚出してるんですね。
本来は今回の来日は95年に発売された『カンヴァセーション・ピース』以来8年ぶりのスタジオ録音による新譜の発売と関連してのワールドツアーの一環という位置付けだったらしいのですが、例によってスティーヴィーのことなので、アルバムの発表が遅れ、結局ツアーだけスタートということになったわけです。
だから、逆にいうと、アルバムが完成しないので、ツアーを延期だ、なんてこともなくはない・・・。それは、ないと信じて(笑)、『心の詩』(72年)から14枚でて、次のアルバムは15枚目になるんですね。ただその間、直近はご存知の通り『ライヴ・アルバム』、また、『オリジナル・ミュージックエイリアム』はベスト・プラス4曲新曲だったので、実質新作としては13枚目になります。またその中に映画サントラが3枚あるので、スタジオフルアルバムは、9枚、次が10枚目ということになりますね。30年で10枚か・・・。どうなんですか。これ、多いのか少ないのか。(笑)
スティーヴィーの不思議っていっぱいありますねえ。本当に目が見えないのか。ハーモニカはなんで上手なのか。楽器がうまいが、ギターだけはやらないようだが、なぜ。ストック曲は一体何曲あるのか? スティーヴィーのターニングポイントは? いつから自作曲を歌い始めたのか。ダニーハザウェイとスティーヴィーの関係。スティーヴィーの女性関係は? スティーヴィーの知りたいこと、トリヴィア、できるだけ調べて行きましょう。(笑)
なにか、知りたいこと、こんなことを話して欲しいなどということがありましたら、BBSなどに書き込んでください。できるだけ対応したいと思います。
木曜日、エイスワンダーの謎を解き明かします。
Eric Clapton’s Soul Searchin’
2003年11月24日人間発見.
日経新聞が11月21日付けまで夕刊の「人間発見」コラムでエリック・クラプトンをとり あげていた。5日間で、一回の文字量が1500字弱。トータルでも7500字弱(200字で37 枚くらい)と短いがなかなか読み応えがあった。
いかにエリックが黒人のブルーズに傾注し、その深みを求めて旅をしているかがわか る。そして、自分自身が決してその黒人ブルーズが持つ深みの境地には達することが できないことを知っているところがすばらしい。白人が黒人音楽を真似るとき、どう しても、自分のほうが人気がでてしまい、えらぶることが多いが、エリックの姿勢は 謙虚で非常に好感がもてた。
彼のストーリーもまさにソウル・サーチンの物語だ。女性問題、麻薬問題、そして、子 どもの事故死。アップス&ダウンズの連続は、ジェットコースターの人生である。
マディー・ウォーターズ(ブルースの巨人のひとり)が彼に言った「ブルースを死なせ てはだめだ。そのためにはお前が必要だ」という言葉が励みだという。
ひとつ記事中で「アメリカ人はそれ(ブルーズ)に感謝しなかった」という表現があ る。英語はおそらくappreciateだと思うが、この場合、感謝というよりも、評価しな かった、というほうがしっくりくる。
第一回にでてきたエリックの言葉、「人生で音楽より重要なもの、それが家族だと知 りました。今困難な状況に陥っても、昔のようにギターに助けを求める必要はありま せん。妻や子供たちの下に帰ればいいんですから」には、ちょっと感動した。
日経を購読されている方もそうでない方も、ぜひご一読をお勧めします。ネットで読 めるかと思ったのですが、どうも読めないようですね。
リラックス。
この前の日曜日、K先生の友人が吉祥寺方面にお住まいということで、成り行きでそちら方面へ行くことになった。うむ、そこで、はたとおもいついた。吉祥寺にソウルバーがあるというのを聴いていたので、せっかくだから寄ることにする。しかし、店名も場所もわからないので、ブラウンのDJケイコにメールすると、すぐに「ライス&リブス」という店で、「なんとか八幡の前」だと返信がきた。吉祥寺に住むその人が「なんとか八幡」がわかるというので、そこに行くと、すぐ一発でわかった。目の前です。ラッキー。
階段を数段下りて入る。外からも比較的入りやすい店。ソウルバーとは謳っていない。しかし、中に入ると8人くらいは座れる大きな丸テーブル、6人がけのテーブルとやはり4人くらい座れるカウンターがあるバーだった。中くらいの音でアル・グリーン、OVライトなどハイ・レーベル関係のレコードがかかっていた。
丸テーブルのあたりにカップルが。そこにあったあのJB人形をいじって、音を出している。そう、「アイ・フィール・グッド」だ。R&Bアーティストのライヴのポスターや、ジャケットなどが飾ってあり、中にはいると確かにソウルバー的雰囲気がある。
吉祥寺の駅からは若干あるか。徒歩7ー8分。五日市街道からちょっとだけ横に入ったところにある。ふだんはレコードかCDをかけている。
「あの〜マスターですか? ブラウンのケイコちゃんから聞いてやってきました」というと、「〇〇さんですか・・・」と返ってきた。おや、なんで? 先に電話でもまわっていたか。(笑) 昔からどこかで顔を見て知っていた、という。う〜む、びっくり。何で知らない人が、僕のことを知ってるのだろう。(謎)
「吉祥寺近辺はジャズのお店が多いですよねえ。ソウルバーは他にあるんですか。ジャズ・バーはあの、(野口)伊織さんがたくさんやられていましたよね」と僕。「そうなんですよね、ジャズは多いんですが、ソウルはあんまり、っていうか、ほとんどないですね」とマスター。
さっきまでいたお客さんがテイク6の話をしていたのを聴いていて、その話をこのソウルバーでマスターにしていったのだという。なんという偶然。ここにいるK先生がその相手でございます。聴いてる人、いるのか。思わずK先生に「ちゃんと知らない人が聞いてたよ!」とつぶやいた。しかし、お笑い系・文化人・作家K先生のゲスト出演は、話題独占ですなあ。(笑) 次回はマイケル・フランクスですかねえ。(あ〜〜、こわっ)
お店は91年にオープン。すでに13年目に突入です。そして、昨日、その方がBBSに書き込みをされた。いやあ、驚きました。というわけで、吉祥寺近辺にお立ちよりの際は、ぜひどうぞ。落ち着きます。
Bar & Kitchen
ライス&リブス
Rice ’n’ Ribs
東京都武蔵野市吉祥寺北町
営業時間 18時〜深夜2時
水曜定休
この前の日曜日、K先生の友人が吉祥寺方面にお住まいということで、成り行きでそちら方面へ行くことになった。うむ、そこで、はたとおもいついた。吉祥寺にソウルバーがあるというのを聴いていたので、せっかくだから寄ることにする。しかし、店名も場所もわからないので、ブラウンのDJケイコにメールすると、すぐに「ライス&リブス」という店で、「なんとか八幡の前」だと返信がきた。吉祥寺に住むその人が「なんとか八幡」がわかるというので、そこに行くと、すぐ一発でわかった。目の前です。ラッキー。
階段を数段下りて入る。外からも比較的入りやすい店。ソウルバーとは謳っていない。しかし、中に入ると8人くらいは座れる大きな丸テーブル、6人がけのテーブルとやはり4人くらい座れるカウンターがあるバーだった。中くらいの音でアル・グリーン、OVライトなどハイ・レーベル関係のレコードがかかっていた。
丸テーブルのあたりにカップルが。そこにあったあのJB人形をいじって、音を出している。そう、「アイ・フィール・グッド」だ。R&Bアーティストのライヴのポスターや、ジャケットなどが飾ってあり、中にはいると確かにソウルバー的雰囲気がある。
吉祥寺の駅からは若干あるか。徒歩7ー8分。五日市街道からちょっとだけ横に入ったところにある。ふだんはレコードかCDをかけている。
「あの〜マスターですか? ブラウンのケイコちゃんから聞いてやってきました」というと、「〇〇さんですか・・・」と返ってきた。おや、なんで? 先に電話でもまわっていたか。(笑) 昔からどこかで顔を見て知っていた、という。う〜む、びっくり。何で知らない人が、僕のことを知ってるのだろう。(謎)
「吉祥寺近辺はジャズのお店が多いですよねえ。ソウルバーは他にあるんですか。ジャズ・バーはあの、(野口)伊織さんがたくさんやられていましたよね」と僕。「そうなんですよね、ジャズは多いんですが、ソウルはあんまり、っていうか、ほとんどないですね」とマスター。
さっきまでいたお客さんがテイク6の話をしていたのを聴いていて、その話をこのソウルバーでマスターにしていったのだという。なんという偶然。ここにいるK先生がその相手でございます。聴いてる人、いるのか。思わずK先生に「ちゃんと知らない人が聞いてたよ!」とつぶやいた。しかし、お笑い系・文化人・作家K先生のゲスト出演は、話題独占ですなあ。(笑) 次回はマイケル・フランクスですかねえ。(あ〜〜、こわっ)
お店は91年にオープン。すでに13年目に突入です。そして、昨日、その方がBBSに書き込みをされた。いやあ、驚きました。というわけで、吉祥寺近辺にお立ちよりの際は、ぜひどうぞ。落ち着きます。
Bar & Kitchen
ライス&リブス
Rice ’n’ Ribs
東京都武蔵野市吉祥寺北町
営業時間 18時〜深夜2時
水曜定休
Lettuce & MeShell Ndegeocello Live
2003年11月22日ヴェクトル。
なかなかの迫力。目の前のキーボード奏者の音がとにかくすごい。たまたまステージ右側、キーボードの前に座ってしまったので、全体的な音というよりも、そのキーボードの音の直撃を受けてしまった。この日のライヴは、前半がソウライヴのメンバーが結成したレタスというジャムバンド系のファンクサウンド。後半が昨年も来ているミッシェル・ウンデゲオチェロ。2つのバンドがそれぞれ約40分ずつ。
レタスのほうは、かなり迫力があって、ベースもドラムも、キーボードもホーンセクションもみんな熱かった。それぞれがかなりのつわもので、迫力一杯のものすごいジャムバンドのファンクを聞かせてくれた。もし自分がミュージシャンだったら、こういうバンドのメンバーと一緒にプレイしたいだろう、と思うようなバンドだった。これだけ確実で、しかも、ファンキーでしっかりしたミュージシャンたちと一緒にバンド演奏ができたら、それはそれは楽しいことだろう。彼らのサウンドは別に観客のために演奏しているというよりも、むしろ、自分たちがやって満足できて、楽しくて、結果的にそこに来ている人たちも楽しめればそれでいい、という雰囲気のものだ。それだけにミュージシャンのヴェクトルはミュージシャンの内面に向いている。
そのヴェクトルがより内面に向いていたのが約12分のインターミッションをおいて登場したミッシェル・ウンデゲオチェロのバンドだ。彼らはまったく観客に向いていない。レタスよりさらに内省的だ。自分たちがスタジオでリハーサルをやっているのと同じように、このステージでも演奏している。そこに観客のヴァイブの取り入れはほとんどない。よってコール&レスポンスもない。メンバー全員もみな好き勝手に演奏している、という雰囲気だった。もちろん、このバンドのコンセプトはそういうものなんだから、それはそれでいいのだろう。だが僕は少々眠くなった。なにしろ、ミッシェルなんて、ほとんど後ろ向きで、観客に背を向けてベースをプレイするのだ。
ミュージシャンにもいろいろいる、ということだ。ところで、まったくほとんど接点が見られないふたつのグループの登場順だが、ミッシェルを先に出し、その後にレタスを出したほうが盛り上がっていいと思う。
(2003年11月21日金曜ブルーノート東京・ファースト=レタス、ミッシェル・ウンデゲオチェロ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Lettuce, Ndegeocello, MeShell
なかなかの迫力。目の前のキーボード奏者の音がとにかくすごい。たまたまステージ右側、キーボードの前に座ってしまったので、全体的な音というよりも、そのキーボードの音の直撃を受けてしまった。この日のライヴは、前半がソウライヴのメンバーが結成したレタスというジャムバンド系のファンクサウンド。後半が昨年も来ているミッシェル・ウンデゲオチェロ。2つのバンドがそれぞれ約40分ずつ。
レタスのほうは、かなり迫力があって、ベースもドラムも、キーボードもホーンセクションもみんな熱かった。それぞれがかなりのつわもので、迫力一杯のものすごいジャムバンドのファンクを聞かせてくれた。もし自分がミュージシャンだったら、こういうバンドのメンバーと一緒にプレイしたいだろう、と思うようなバンドだった。これだけ確実で、しかも、ファンキーでしっかりしたミュージシャンたちと一緒にバンド演奏ができたら、それはそれは楽しいことだろう。彼らのサウンドは別に観客のために演奏しているというよりも、むしろ、自分たちがやって満足できて、楽しくて、結果的にそこに来ている人たちも楽しめればそれでいい、という雰囲気のものだ。それだけにミュージシャンのヴェクトルはミュージシャンの内面に向いている。
そのヴェクトルがより内面に向いていたのが約12分のインターミッションをおいて登場したミッシェル・ウンデゲオチェロのバンドだ。彼らはまったく観客に向いていない。レタスよりさらに内省的だ。自分たちがスタジオでリハーサルをやっているのと同じように、このステージでも演奏している。そこに観客のヴァイブの取り入れはほとんどない。よってコール&レスポンスもない。メンバー全員もみな好き勝手に演奏している、という雰囲気だった。もちろん、このバンドのコンセプトはそういうものなんだから、それはそれでいいのだろう。だが僕は少々眠くなった。なにしろ、ミッシェルなんて、ほとんど後ろ向きで、観客に背を向けてベースをプレイするのだ。
ミュージシャンにもいろいろいる、ということだ。ところで、まったくほとんど接点が見られないふたつのグループの登場順だが、ミッシェルを先に出し、その後にレタスを出したほうが盛り上がっていいと思う。
(2003年11月21日金曜ブルーノート東京・ファースト=レタス、ミッシェル・ウンデゲオチェロ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Lettuce, Ndegeocello, MeShell
I’d Rather: Another Great Song By Luther
2003年11月21日未練。
ルーサー・ヴァンドロスの『ライヴ〜ラジオ・シティー・ミュージック・ホール』の9曲目に収録されている「アイド・ラザー」。彼が今年の2月にこのライヴで歌った時点では「前作」アルバム『ルーサー・ヴァンドロス』(2001年7月発表)に収録されていた作品。一応、シングルカットはされR&Bチャートで40位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでも17位を記録している作品です。でも、大ヒットとはいえません。
この曲を書いたシェップ・クロフォードはデボラ・コックスの大ヒット「ノーバディー・サポーズト・トゥ・ビー・ヒア」で一躍注目されています。他にもボーイズ・トゥ・メン、ホイットニー・ヒューストンなどにいろいろと作品を提供している若手のソングライター、プロデューサーです。
しかし、この曲を会場の人たちが歌うのには驚いた。初めてこのライヴを聴いて、なんでなんで、と思ってしまいました。ニューヨークではみんなこの曲知ってるんですね。すっかり、この曲の虜です。いい曲だなあ。まいった。
歌の主人公たち二人はきっと、くっついたり、別れたりしてるんでしょう。で、今回も別れた。でも、よくある別れだから、別にそれほど気にもとめていなかった。しかし今回の別れは二人に厳しかった。そこで、彼は彼女とよりを戻したいと思う。
それにしても、ルーサーらしい弱弱しいラヴソングですね。(笑) こういう女々しい歌を歌わせると天下一品。未練ソングの究極ですね。未練ソウルといえば、ルーサーのお家芸。
ルーサーがI’d rather have bad times with you, と歌うと、観客がthan good times with someone elseと歌う。もうたまりませんね、このコール&レスポンス!
こんな内容の歌です。「アイド・ラザー」は、後ろに「ザン」を伴って、私はむしろ〜〜よりも、〜〜したい、という意味です。
+++++
「アイド・ラザー」(歌ルーサー・ヴァンドロス)
(シェップ・クロフォード作)
時にはお互いしばらく距離を置いて一人でいることが必要だ
と思ったんだ。
君は、今回ばかりはとてもつらいでしょう、と言った。
でも、僕にはその意味がわからなかった。
僕はよくあるすばらしいラヴストーリーの終焉かと思った。
だから、僕は君をひとり家において、でていった。
そして、このことがどれほどの真実の重みを持っているか、
確かめようと思った。
つまり、僕は君なしには、生きていけるのかという真実を。
今、よくわかった。僕は、考え方を変えるよ。
僕はだれか他の人と楽しいひと時をすごすより、むしろ、
つらくてもいいから君とすごしたいと思う。
僕は何も心配なく暖かいところで一人で過ごすよりも、むしろ、
君とともに嵐の中にいるほうがよっぽどいい。
二人が別れて楽に暮らすよりも、君と一緒に苦難の
道を歩むほうがいい。
僕の心をしっかりつかんでくれている君と一緒に
いるほうがいい。
そして、僕は別の女性に会った。君の代わりになれるかと思った。
僕たちはそこそこうまく行ったよ。
でもそれは結局時間の無駄だった。なぜなら、彼女は君では
ないからだ。
僕たちは楽しいひと時を過ごした。でも、楽しいふりをしていた
だけだということを二人とも知っていた。
愛とは、嘘の中には育たないんだね。
だから、僕はもう一度ここに戻ってきた。
君との愛が真実の愛だってことに気付いたからだ。
今、よくわかった。つまり、僕は君なしには、生きていけない、
という真実を。
僕は、考え方を変えるよ。
僕はだれか他の人と楽しいひと時をすごすより、むしろ、
つらくてもいいから君とすごしたいと思う。
僕は何も心配なく暖かいところで一人で過ごすよりも、むしろ、
君とともに嵐の中にいるほうがよっぽどいい。
二人が別れて楽に暮らすよりも、君と一緒に苦難の
道を歩むほうがいい。
僕の心をしっかりつかんでくれている誰かと一緒に
いるほうがいい。
君が僕の元を去っていってしまってもしょうがないね。
僕が出て行ってしまったように。
僕にはこの真実を時間かけて証明するしかないからね。
僕のものになっておくれ。
ルーサー・ヴァンドロスの『ライヴ〜ラジオ・シティー・ミュージック・ホール』の9曲目に収録されている「アイド・ラザー」。彼が今年の2月にこのライヴで歌った時点では「前作」アルバム『ルーサー・ヴァンドロス』(2001年7月発表)に収録されていた作品。一応、シングルカットはされR&Bチャートで40位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでも17位を記録している作品です。でも、大ヒットとはいえません。
この曲を書いたシェップ・クロフォードはデボラ・コックスの大ヒット「ノーバディー・サポーズト・トゥ・ビー・ヒア」で一躍注目されています。他にもボーイズ・トゥ・メン、ホイットニー・ヒューストンなどにいろいろと作品を提供している若手のソングライター、プロデューサーです。
しかし、この曲を会場の人たちが歌うのには驚いた。初めてこのライヴを聴いて、なんでなんで、と思ってしまいました。ニューヨークではみんなこの曲知ってるんですね。すっかり、この曲の虜です。いい曲だなあ。まいった。
歌の主人公たち二人はきっと、くっついたり、別れたりしてるんでしょう。で、今回も別れた。でも、よくある別れだから、別にそれほど気にもとめていなかった。しかし今回の別れは二人に厳しかった。そこで、彼は彼女とよりを戻したいと思う。
それにしても、ルーサーらしい弱弱しいラヴソングですね。(笑) こういう女々しい歌を歌わせると天下一品。未練ソングの究極ですね。未練ソウルといえば、ルーサーのお家芸。
ルーサーがI’d rather have bad times with you, と歌うと、観客がthan good times with someone elseと歌う。もうたまりませんね、このコール&レスポンス!
こんな内容の歌です。「アイド・ラザー」は、後ろに「ザン」を伴って、私はむしろ〜〜よりも、〜〜したい、という意味です。
+++++
「アイド・ラザー」(歌ルーサー・ヴァンドロス)
(シェップ・クロフォード作)
時にはお互いしばらく距離を置いて一人でいることが必要だ
と思ったんだ。
君は、今回ばかりはとてもつらいでしょう、と言った。
でも、僕にはその意味がわからなかった。
僕はよくあるすばらしいラヴストーリーの終焉かと思った。
だから、僕は君をひとり家において、でていった。
そして、このことがどれほどの真実の重みを持っているか、
確かめようと思った。
つまり、僕は君なしには、生きていけるのかという真実を。
今、よくわかった。僕は、考え方を変えるよ。
僕はだれか他の人と楽しいひと時をすごすより、むしろ、
つらくてもいいから君とすごしたいと思う。
僕は何も心配なく暖かいところで一人で過ごすよりも、むしろ、
君とともに嵐の中にいるほうがよっぽどいい。
二人が別れて楽に暮らすよりも、君と一緒に苦難の
道を歩むほうがいい。
僕の心をしっかりつかんでくれている君と一緒に
いるほうがいい。
そして、僕は別の女性に会った。君の代わりになれるかと思った。
僕たちはそこそこうまく行ったよ。
でもそれは結局時間の無駄だった。なぜなら、彼女は君では
ないからだ。
僕たちは楽しいひと時を過ごした。でも、楽しいふりをしていた
だけだということを二人とも知っていた。
愛とは、嘘の中には育たないんだね。
だから、僕はもう一度ここに戻ってきた。
君との愛が真実の愛だってことに気付いたからだ。
今、よくわかった。つまり、僕は君なしには、生きていけない、
という真実を。
僕は、考え方を変えるよ。
僕はだれか他の人と楽しいひと時をすごすより、むしろ、
つらくてもいいから君とすごしたいと思う。
僕は何も心配なく暖かいところで一人で過ごすよりも、むしろ、
君とともに嵐の中にいるほうがよっぽどいい。
二人が別れて楽に暮らすよりも、君と一緒に苦難の
道を歩むほうがいい。
僕の心をしっかりつかんでくれている誰かと一緒に
いるほうがいい。
君が僕の元を去っていってしまってもしょうがないね。
僕が出て行ってしまったように。
僕にはこの真実を時間かけて証明するしかないからね。
僕のものになっておくれ。
Chic Drummer Tony Thompson Dies At 48
2003年11月20日シックのドラマー、トニー・トンプソン死去
シックのドラマーとして数々のヒットのドラムを担当してきたトニー・トンプソンが去る11月12日(水)カリフォルニア州エンシノで死去した。49歳の誕生日を3日後に控えてのことだった。48歳。死因は癌。
トニー・トンプソンは1954年11月15日ニューヨーク生まれ。70年代からニューヨークの音楽シーンでドラマーとして頭角をあらわし始めた。特に77年、ナイル・ロジャース、バーナード・エドワーズらと結成したシックでは、シュアなドラムを聞かせ、シック・サウンドの重要な土台を築いた。「ル・フリーク」、「グッドタイムス」などシックとしての大ヒットのほとんどすべて、さらに、ナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズらがプロデュースしたシスター・スレッジの「ウイ・アー・ファミリー」や、ダイアナ・ロスの「アップサイド・ダウン」など多数のヒットでドラムを聞かせている。
またシックのサウンドを支えるだけでなく、バーナード・エドワーズがプロデュースを担当したワンショット的なユニット、パワー・ステーションでもドラムを叩き、人気を集めた。彼のドラムスタイルは、R&Bだけでなく、ジャズ、フュージョン、ロックなどの要素があったため、幅広い音楽性を持っていた。パワー・ステーションに参加したメンバーでは、2003年9月26日同グループのリードシンガーだったロバート・パーマーが死去している。またシックのメンバーとしては、96年のバーナードの急逝に続く2人目の他界。
1985年7月にフィラデルフィアで行われた「ライヴ・エイド」のライヴでは、伝説のロックバンドで、トニー自身大ファンだったレッド・ゼッペリンからドラム(ジョン・ボーナムの代わり)を担当しないかと誘われ、演奏した。86年の同グループの復帰に参加する話もあったが、86年後半、トニーが大きな交通事故にあい、実現はしなかった。
80年代から90年代にかけては、スタジオのセッションドラマーとして売れっ子となるが、92年のシック復活には参加しなかった。ナイル、バーナードとトニーとの関係は微妙で、彼らがシックのサウンドでドラムマシンを使ったことにトニーは落胆していた。しかし、96年のバーナードの葬儀には出席。90年代後半からはセッションの数も少なくなっていた。
来る12月16日、トニーとその家族のために、ベネフィット・コンサートがロスアンジェルスのハードロック・カフェで行われる。
http://www.tonythompsonfund.com/
http://www.guardian.co.uk/arts/news/obituary/0,12723,1085807,00.html
http://www.nme.com/news/106756.htm
+++++++++++++++++
三位一体。
ナイルとバーナードとトニー。彼ら3人が作り出すギター、ベース、ドラムスのコンビネーションは最高のものだった。三位一体とは、彼らのために存在するような言葉だ。だが、シックというと、常にナイルとバーナードにスポットが当たっていた。そのことに少なからず、トニーは不満があったようだ。確かにサウンドプロデューサーとしてはナイル・ロジャースが一歩ぬきんでていた。おそらくスタジオの仕切り方や、ミュージシャンに対するリーダーシップの取り方がうまかったのだろう。音楽的にというより、むしろ、人間関係のとり方がうまかったような気がする。
トニーに正式にインタヴューする機会はなかった。しかし、周囲からわかる話はあった。トニーとバーナード、ナイルらのある種の確執については、『ソウル・サーチン』の第4章に書いた。
それにしても、あのトニーのドラムスはかっこいい。少しロックっぽいが、それ以上にファンキーだ。ロックの要素もあって、ファンクのエッセンスもあるドラマーというのはなかなかいない。もっともっと活躍してほしかった。しかし神様、48歳はないでしょう。あまりに若すぎる。
ご冥福をお祈りする。
Tony Thompson (born in November 15, 1954, died in November 12, 2003)
シックのドラマーとして数々のヒットのドラムを担当してきたトニー・トンプソンが去る11月12日(水)カリフォルニア州エンシノで死去した。49歳の誕生日を3日後に控えてのことだった。48歳。死因は癌。
トニー・トンプソンは1954年11月15日ニューヨーク生まれ。70年代からニューヨークの音楽シーンでドラマーとして頭角をあらわし始めた。特に77年、ナイル・ロジャース、バーナード・エドワーズらと結成したシックでは、シュアなドラムを聞かせ、シック・サウンドの重要な土台を築いた。「ル・フリーク」、「グッドタイムス」などシックとしての大ヒットのほとんどすべて、さらに、ナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズらがプロデュースしたシスター・スレッジの「ウイ・アー・ファミリー」や、ダイアナ・ロスの「アップサイド・ダウン」など多数のヒットでドラムを聞かせている。
またシックのサウンドを支えるだけでなく、バーナード・エドワーズがプロデュースを担当したワンショット的なユニット、パワー・ステーションでもドラムを叩き、人気を集めた。彼のドラムスタイルは、R&Bだけでなく、ジャズ、フュージョン、ロックなどの要素があったため、幅広い音楽性を持っていた。パワー・ステーションに参加したメンバーでは、2003年9月26日同グループのリードシンガーだったロバート・パーマーが死去している。またシックのメンバーとしては、96年のバーナードの急逝に続く2人目の他界。
1985年7月にフィラデルフィアで行われた「ライヴ・エイド」のライヴでは、伝説のロックバンドで、トニー自身大ファンだったレッド・ゼッペリンからドラム(ジョン・ボーナムの代わり)を担当しないかと誘われ、演奏した。86年の同グループの復帰に参加する話もあったが、86年後半、トニーが大きな交通事故にあい、実現はしなかった。
80年代から90年代にかけては、スタジオのセッションドラマーとして売れっ子となるが、92年のシック復活には参加しなかった。ナイル、バーナードとトニーとの関係は微妙で、彼らがシックのサウンドでドラムマシンを使ったことにトニーは落胆していた。しかし、96年のバーナードの葬儀には出席。90年代後半からはセッションの数も少なくなっていた。
来る12月16日、トニーとその家族のために、ベネフィット・コンサートがロスアンジェルスのハードロック・カフェで行われる。
http://www.tonythompsonfund.com/
http://www.guardian.co.uk/arts/news/obituary/0,12723,1085807,00.html
http://www.nme.com/news/106756.htm
+++++++++++++++++
三位一体。
ナイルとバーナードとトニー。彼ら3人が作り出すギター、ベース、ドラムスのコンビネーションは最高のものだった。三位一体とは、彼らのために存在するような言葉だ。だが、シックというと、常にナイルとバーナードにスポットが当たっていた。そのことに少なからず、トニーは不満があったようだ。確かにサウンドプロデューサーとしてはナイル・ロジャースが一歩ぬきんでていた。おそらくスタジオの仕切り方や、ミュージシャンに対するリーダーシップの取り方がうまかったのだろう。音楽的にというより、むしろ、人間関係のとり方がうまかったような気がする。
トニーに正式にインタヴューする機会はなかった。しかし、周囲からわかる話はあった。トニーとバーナード、ナイルらのある種の確執については、『ソウル・サーチン』の第4章に書いた。
それにしても、あのトニーのドラムスはかっこいい。少しロックっぽいが、それ以上にファンキーだ。ロックの要素もあって、ファンクのエッセンスもあるドラマーというのはなかなかいない。もっともっと活躍してほしかった。しかし神様、48歳はないでしょう。あまりに若すぎる。
ご冥福をお祈りする。
Tony Thompson (born in November 15, 1954, died in November 12, 2003)
アーサー・コンレー、オランダの片田舎で死去
60年代に活躍したソウル・シンガー、アーサー・コンレーが11月17日、居住していたオランダのルーローという田舎街で死去した。しばらく癌をわずらっていた。57歳だった。
コンレイーは1946年4月1日ジョージア州マッキントッシュ生まれ。59年にアーサー&コーヴェッツを結成、63年から64年にかけてアトランタのインディ・レーベルなどからシングルを出した。
その後、何枚かシングルを出した後、天才ソウル・シンガー、オーティス・レディングに見出され、オーティスが持つレーベル、ジョーティス・レコードへ移籍。オーティスが、師とあおぐサム・クックの作品「イエー・マン」を元に改作した「スイート・ソウル・ミュージック」をアーサーが録音した。この「スイート・ソウル・ミュージック」は、67年3月からヒット。アーサーにとって初のヒット、ミリオンセラーを記録、アーサーは以後オーティスとともにそのレビューに参加、人気を獲得する。
ところがオーティスは67年12月10日の飛行機事故で他界。たまたまアーサーはこれに乗り合わせておらず、生き長らえたが、彼は生涯この事故のショックを拭い去ることはできなかった、という。アーサーはその後もアメリカで音楽活動を続けたが、そのプレッシャーに耐えられず、70年代初期以降、ツアーで出向いたヨーロッパが気に入り、ベルギー、イギリスなどに住むようになった。1980年、オランダの片田舎に移住。名前も正式にリー・ロバーツと変え、若手のミュージシャンたちにアドヴァイスを与えていた、という。ロバーツは母親のメイデンネーム(旧姓)。
作家ジェリー・ハーシーは、『スイート・ソウル・ミュージック』というソウルミュージックについての本を発表している。
アーサー・コンレーが録音した「スイート・ソウル・ミュージック」は「Do you like good music that sweet soul music ?」といって始まる。後に、ロッド・スチュワートやホセ・フェリシアーノ、サム&デイヴなども録音しているクラシック曲だ。「甘く素敵なソウル・ミュージックが好きか?」と問われれば、僕たちSoul Searcherは誰もが、それに「Yeah, Man(もちろん)」と答える。Rest in Peace!
60年代に活躍したソウル・シンガー、アーサー・コンレーが11月17日、居住していたオランダのルーローという田舎街で死去した。しばらく癌をわずらっていた。57歳だった。
コンレイーは1946年4月1日ジョージア州マッキントッシュ生まれ。59年にアーサー&コーヴェッツを結成、63年から64年にかけてアトランタのインディ・レーベルなどからシングルを出した。
その後、何枚かシングルを出した後、天才ソウル・シンガー、オーティス・レディングに見出され、オーティスが持つレーベル、ジョーティス・レコードへ移籍。オーティスが、師とあおぐサム・クックの作品「イエー・マン」を元に改作した「スイート・ソウル・ミュージック」をアーサーが録音した。この「スイート・ソウル・ミュージック」は、67年3月からヒット。アーサーにとって初のヒット、ミリオンセラーを記録、アーサーは以後オーティスとともにそのレビューに参加、人気を獲得する。
ところがオーティスは67年12月10日の飛行機事故で他界。たまたまアーサーはこれに乗り合わせておらず、生き長らえたが、彼は生涯この事故のショックを拭い去ることはできなかった、という。アーサーはその後もアメリカで音楽活動を続けたが、そのプレッシャーに耐えられず、70年代初期以降、ツアーで出向いたヨーロッパが気に入り、ベルギー、イギリスなどに住むようになった。1980年、オランダの片田舎に移住。名前も正式にリー・ロバーツと変え、若手のミュージシャンたちにアドヴァイスを与えていた、という。ロバーツは母親のメイデンネーム(旧姓)。
作家ジェリー・ハーシーは、『スイート・ソウル・ミュージック』というソウルミュージックについての本を発表している。
アーサー・コンレーが録音した「スイート・ソウル・ミュージック」は「Do you like good music that sweet soul music ?」といって始まる。後に、ロッド・スチュワートやホセ・フェリシアーノ、サム&デイヴなども録音しているクラシック曲だ。「甘く素敵なソウル・ミュージックが好きか?」と問われれば、僕たちSoul Searcherは誰もが、それに「Yeah, Man(もちろん)」と答える。Rest in Peace!