再結成。

さて、そのノディーシャ、および、プロデューサーのジャム&ルイスに会ってきました。昼間インタヴュー、さらに記者会見、夜ライヴ、最後にレセプション・パーティー。非常に密度の濃い一日でした。

ジャム&ルイスは以前ミネアポリスのフライトタイム・スタジオに訪ねて話を聴いたことがあります。86年のことですね。彼らの来日は、宇多田ヒカルのライヴのとき以来2度目。90年のタイムの来日時には、彼らは直前でキャンセルになっていました。ジミーが「何度も来る機会はあったけど、いつも、そのときになってなにかが起こって、来られなくなってしまったんだ」と言ってました。

気になるタイムの再結成について聞くとジミー・ジャムは、「う〜〜ん、never say never(絶対にないとは、絶対に言えない)かなあ。ただし、例えばあと3年もすれば、タイム結成25周年になる。(2006年) そうしたら、そのときにベストアルバムを出したり、そこで新曲を録音したりということはできるかもしれないね」と答えました。

一方、テリー・ルイスはこう言います。「僕たちは、タイムは解散したとは決して言ってないんだよ。(笑) モーリス・デイは確か、ハリウッドレコードとソロ契約したんじゃないかな。実は、モーリスと一緒にタイムのレコードを録音しているんだ。まあ、いつになったら出るかわからないんだけどね。昔ながらのタイムのサウンドで、一曲は『カウガール』、もう一曲『ベイビーラヴ』はとっても楽しい曲だ」 タイムのメンバーで録音! そんなことがあったんですか。これは、ニュースですね。

ジャム&ルイスが並ぶと、たいがいしゃべる役はジミー・ジャムになりますが、レセプションの席ではテリーもたくさんの人と歓談していました。ノディーシャは、まったくものおじしない、はきはきした女の子という感じ。オーディションの席上で、テリー・ルイスの目の前のテーブルの上に乗って、ダンスを見せ、テリーを圧倒させたというガッツの持ち主です。

ノディーシャのライヴで印象に残ったのは、ダンスが非常に上手だということです。一足先にプロモヴィデオを見て、ジャネットばりのダンスに感心しましたが、ライヴでもかなりいけてます。しかも、スローの曲などは、かなりセクシーでいい感じ。これで本当に18歳、と思いました。

ライヴ後のパーティーでは兄弟グループ、ブレス・フォーがみんなそろって、アカペラでジャム&ルイスの前で歌を一曲披露しました。堂々と歌った彼らが歌を終えると、ジャム&ルイスの二人が拍手をし、回りからも拍手が巻き起こりました。いやあ、いままできっと、こうして彼らの前でアカペラで歌を披露してきたグループってたくさんあって、その中の何組かは、本当にデビューに至ったんじゃないかな、って思いましたよ。ブレス・フォーの面々が一生懸命アカペラでジャム&ルイスの前で歌っている姿は絵になっていた。

さらにそのパーティー席上に、今月アルバムが出るエミリ(アーティスト表記はEmyli)とそのご両親がいらしてました。実はこのエミリちゃん、そのアドヴァンスCDを聴いて、大変気に入っていたところなのです。彼女のデビューアルバムは、『フラワー・オブ・ライフ』(BMG、9月25日発売)。この中の8曲目「ホエンエヴァー・ユー・コール・マイ・ネーム」にとにかくノックアウトさせられました。英語で歌いその堂々たる姿はアリシア・キーズばりです。彼女については、近々書こうと思っていたので、いずれゲストに入る前に、少しまとまったものを書きます。

ジャム&ルイスの話、ノディーシャの話、そして、エミリ・ファミリーの話、日記3−4日分の量です。ふ〜。



熱鉄。

ノディーシャという新人がいます。日本では10月22日リリースの『ノディーシャ』でデビューする18歳のR&Bシンガーです。彼女は、なんとあのミネアポリスのプロデューサー、ジャム&ルイス一押しの新人ということでのデビュー。となれば、期待も高まります。

で、そのデビュー作、聴きました。なかなか、いかにも今風の音作り。「オールモスト・ゼア」などのバラードはちょっとジャネット・ジャクソン風でもあります。最初のシングル「ゲット・イット・ホワイル・イッツ・ホット」は、アップテンポのシンプルなコードに彼女の歌声が乗るという非常にダンサブルな曲。しかも、繰り返し聴いてくると、おまじないのように、また聴きたくなる、そんな中毒性のある曲です。

そして、続く第二弾シングルが「ザッツ・クレイジー」。ジャネット・ミーツ・メアリーJっていう感じでしょうか。全体的には、ミニ・ジャネットという感じかな。

最初のシングルのビデオが見られます。下記のサイトでビデオに進んでください。

http://www.nodesha.com/

さて、ここで、ワンポイント・イングリッシュ・レッスン。 Get It While It’s Hot 直訳すれば「それが熱いうちに手に入れよ」といったところでしょうか。さて、これに近い日本語があるんですねえ。そう、「鉄は熱いうちに打て」。鉄も熱いうちにはいろいろ形を変えられる、だから、そのうちに打って、有効な形にせよ、という意味です。なんでも、ホットなとき、売れてるとき、いい時期に手に入れることは大事です。確かにGet It While It’s Hot だとかなり即物的ではありますが。

また、「鉄は熱いうちに打て」は転じて、「機会を逃すな」という意味にもなるそうです。そうなると、Get It While It’s Hot とはかなり近くなりますね。

今日は新人のノディーシャの紹介と、Get It While It’s Hot のワンポイントイングリッシュレッスンでした。

ノディーシャの新譜CDも、Get It While It’s Hot (売れてる間に入手して)

Little language goes a long way...



老若。

一般的に、何歳というときに、英語では 〜years old (year-oldでも大丈夫) と言います。ジェームス・ブラウンは70イヤーズ・オールドです、という感じ。ところが、年齢が行った人に使うとき、70イヤーズ・ヤングという表現をすることがあります。

70歳の老い、ではなく、70歳の若さ、というわけです。ほんの些細な違いですが、この表現はいいですよねえ。僕がこの表現を知ったのは、WBLSの毎度おなじみ『サンデイ・クラシック』の中ででした。だれだったか、忘れましたが、アーティストの誕生日を紹介し、彼は今週60イヤーズ・ヤングになる、なんて言ってました。

英語らしい前向きな表現です。英語で人生の先輩と年齢の話になったときには、ぜひこれを使いましょう。日本もどんどん高齢化社会になっているというような記事が新聞を賑わしています。となると、意識としても70歳の若さ、ということが必要になります。日本語では単純に〜歳と書くので、古いも若いもありませんが。

さて、ジェームス・ブラウンは1933年生まれで、今年70歳。まさに70イヤーズ・ヤングです。彼にとっても、Age Ain’t Nothing But A Number(年なんて関係ない、ただの数字さ)という感じです。

ということは、年齢を聞くときにも質問は、how old are you? ではなく、how young are you? ってなるのかなあ。でも、これはある程度の年齢の人には失礼にはならないかな。ま、聞くときはhow old are you? で、答えが63 years old.とか返ってきたら、oh you are 63 years young! とか言えば、いい感じでしょうか。



つながり。

たとえば、ブルースのBBキングのグレイテスト・ヒッツ・アルバムを聴けば、彼のオリジナル・アルバムを聴きたくなります。あるいは、他のブルース界のジャイアントたちのアルバムも聴きたくなります。BBとジョン・リー・フッカーは、どう違うのかとか。ロバート・ジョンソンはどんなスタイルなのかとか。全体像の中でBBの位置はどこにあるのだろうか、とか興味はどんどん広がります。

同じことが、たとえばボブ・マーリーを聴くときにも言えます。ボブ・マーリーの場合、歌詞にかなりのメッセージが込められているので、中身も知りたくなります。その歌詞を理解するには、彼のことを周囲の状況も含めて知らなければならない。すると、彼の歴史に興味が沸くようになります。

BBに影響を受けたアーティストは、誰か。それこそ星の数ほどいるでしょう。BBスタイルを引き継ぐ人は誰か。それを探るのもおもしろいかもしれません。そのときに、エリック・クラプトンの名前がでてきても自然なことです。そして、そのエリック・クラプトンはボブ・マーリーの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をカヴァーして、オリジナルよりもヒットさせてしまいました。

BBキングとボブ・マーリーという、一見まったく接点がないような二人の音楽をつなぐエリック・クラプトンとは何者か。そこにも研究の余地が生まれます。こうやっていくと、どんどん音楽を聴くフィールドが広くなっていきます。

最近、いわゆるそのジャンルの巨匠たちの作品を聴くにつけ、音楽の世界の深さをひしひしと感じている今日この頃です。そして、今度はジャズ界の天才ベース奏者、ジャコ・パストリアスをちょっと研究してみます。


べブ・シルヴェッティ死去。

1977年世界的に「スプリング・レイン」がディスコでヒットしたシルヴェッティーことベブ・シルヴェッティーが、去る7月5日にマイアミで死去していたことがわかった。直接の死因は肺炎。59歳。日本では電気グルーヴが97年にリリースした「シャングリラ」でこの「スプリング・レイン」をサンプリングして、知られるようになった。

べブ・シルヴェッティーは1944年3月27日アルゼンチン生まれ。当初はクラシックを聞いていた。地元でレコード制作をしていたが、77年録音した「スプリング・レイン」がアメリカのサルソウル・レコードから発売されアメリカのディスコだけでなく世界的にヒット。その後ワーナー傘下サイアー・レコードから「サン・アフター・ザ・レイン」をリリース。小ヒット。

彼はピアノ奏者でもあったが、アレンジャーとしても活躍。シルヴェッティー名義の作品以外で、他のアーティストの作品をプロデュースしたりしていた。彼がてがけた作品にはヴィッキー・カー、ルイス・ミゲール、ラリー・エルガート、ポール・アンカなど多数。最近でもエンゲルベルト・フンパーディンクなどをプロデュースしていた。

また今年9月第一週に発表された2003年「ラテン・グラミー賞」では、ベスト・プロデューサー・オブ・ジ・イヤーに輝いている。

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偶然。

シルヴェッティーのことをちょっと調べていたら、なんと彼が既にこの7月5日に死去していたことを知った。ほとんど報じられていなかったのでびっくりだ。バリー・ホワイトが他界した日と同じということになる。ビルボードのサイトにもでていなかったので、一応この日記でも掲載しておくことにした。死亡記事は、ある程度有名だとけっこう入手できるが、少しマニアックだとなかなかでてこなかったりする。しばらく前のホーマー・バンクスなんかもそうだった。ここでは遅くなってもその情報を入手した時点で掲載していく。

シルヴェッティーはなんといっても「スプリング・レイン」だ。日本では「シャングリラ」の元歌ということで知られている。まあ、実質的なカヴァーと言ってもいいだろう。だが、シルヴェッティーとしては他に大ヒットらしいヒットはないので、典型的なワンヒット・ワンダーだ。

今回の死で知ったが、いろいろラテンコミュニティーを中心にレコーディングやアレンジの仕事などをしていたようだ。その証拠に先週、ラテングラミーでプロデューサー賞を獲得している。しかし、そのラテングラミーでのベストプロデューサー賞は、本人は受け取れなかったことになる。奥さんが受け取ったのだろうか。59歳とは若すぎる死だ。

ご冥福を祈りする。



ご褒美。

「オリジナル・エー・アイ!」こと「アイちゃ〜〜ん」の初のワンマンライヴ。初かあ。何度も見ているのだが、ワンマン、フルショウは初めてですか。クアトロの入口で妹のサチとばったり会った。今はおねえちゃんと一緒に住んでるという。アイは日本で最初のレコード会社が決まる前からのつきあいだから、けっこうもう古い。

初めて会ったのが99年、歌のうまさにうちのめされてもう4年か。英語の歌も、日本語の歌もここまで歌える歌手はなかなかいない。ちょうど宇多田ヒカル旋風真っ只中だった。宇多田が出て、アイを聴いたときには時代が変わったと思った。しかもアイはラップもできて、ダンスもできるときた。

アイはこれまでにアルバムを2枚だし、デフジャム移籍第一弾アルバム『オリジナル・アイ』は徐々に売れてきて7万枚を超えるという。この日クアトロは超満員。800人近くでもうこれ以上はいれられないという雰囲気。

さて、問題のライヴだが・・・。注文ありすぎ。基本的にアイは歌がうまくラップも上手なのだから、そうしたアーティストとしての良さをできるだけ出してくれればそれでかなりいいショウになる。今まで見た彼女のライヴは時間も短かったせいか、歌って、踊って、ラップしてまとまっていた。ところが今日のは、まず、長い。アンコール(どこまでがアンコールかどうかもわからないゆるゆる具合だが)含めて2時間15分。これ、楽勝で1時間半に凝縮できるでしょう。

曲間のトークがとにかくだるい。話すこと考えておいてくれ。あれだったら話さずに一気に歌いきったほうがかっこいい。そういう意味では1時間半か、まあ、百歩譲って1時間45分のショウの構成をまず考えたほうがいい。

バンドだが、ベースはかっこいいと思ったら、日野賢二だったのね。これは間違いない(アイ風に)。でもドラムスが、どうなんですかねえ。どういうバックグラウンドの人なのだろう。ロックが好きな人なのかなあ。アイがハウス系の軽いのりの歌手なら、これでもいいんだろうが、アイの場合かなり黒い感覚のグルーヴ感があるので、頭ではなく体でグルーヴ感を知っているドラマーがいい。まあ、なかなか日本にはいないんですが。確かDJとからむところがあったが、DJのスクラッチののりとぜんぜんあってない。

そのDJの10分くらいのショウはいらないでしょう。あれは、曲の中に8小節とかDJプレイをいれたほうが絶対にかっこいい。DJのソロをいれる曲が2−3曲あればいいんじゃないだろうか。まあ、アイを休ませるために必要なのかもしれないが、1時間半にすれば一気に行けます。途中で、こういうブレイクがあると、どうしても流れが分断されて、そのたびにテンションが下がる。

アンコール前、トークで終わって舞台を下りるのはどうでしょう。客は次がアンコールだということがわからない。一応終わったとは思わずに、休憩に行ったと思う。やはり歌いきって、曲が終わって「サンキュー」とか言って下りないと、アンコールの拍手のしようもない。実際、観客はとまどっていた。拍手はなく、また戻ってくるものと思っていた。最後も同じ。そして、バンドのメンバー紹介も長く感じた。もっとコンパクトに凝縮できるはず。え〜〜願いましては、トーク20分、DJ10分、バンド紹介7分、引きますと〜〜1時間38分のショウになります。そうなれば完璧です。

さて、カヴァーの部分だが、「リアル・ラヴ」(メアリーJ)、「サムバディー・エルスズ・ガイ」(ジョスリン・ブラウン)、「ソウル・ヒット・メドレー(5曲)」は、さすがにうまくこなす。水を得た魚状態。メアリーJを聴いていると、アイも日本のメアリーJかと思ってしまったり、「サムバディーズ・・・」を聴けば、さすがにのり抜群でこんなにグルーヴ感を出して歌える歌手はいないと感心し、「キリング・ミー・ソフトリー〜ドゥワップ」と来た日には、ローリンが乗り移ったかとため息をつかされる。こういうのを聴くと、ほんとに普通に洋楽を聴いているのと同じレベルで聴いてしまう。なので、これらの配置をもう少し考えるといいんじゃないかなあ。聞かせ方、見せ方よ。そして、残るはいいオリジナル曲。これ急務。

なにしろ、アイの場合、歌に力があるから、それがすばらしい。それを思い切りうまく見せることが一番なのだ。アンコールの「最終宣告」の後、サプライズ・ゲストが登場した。先日『フィールン・ソウル』にゲストでやってきて、一緒に歌い「このおにいちゃんとまた一緒に歌いたい」と言っていたゴスペラーズの黒沢さんだ。番組でも歌ったモニカの「ビフォー・ユー・ウォーク・アウト・オブ・マイ・ライフ」だ。アイが紹介し、彼が登場すると、歓声が巻き起こる。アイが曲名を言ったら、近くの人が「私、この曲大好きなの」と言うのが聞こえた。

アイと黒沢さんのコンビネーションはおもしろい。そして、こういう曲を歌うときのアイは最高だ。どうしてもアイに初めて会ったときの印象が『歌えるシンガー』というイメージが強いので、それを思わせる楽曲がくると、ぐっとくる。黒沢さんは「僕が10年前だったらかなわないよ。(彼女と同じ年くらいの)10年前に絶対あんなに歌えなかったもん」という。彼の説によると、男性シンガーは歌がうまくなるのに時間がかかるが、女性の場合は早い時期から、あるいは生まれながらにうまいというのがある、という。女性のほうがませているからかもしれない、と。なかなか日本人だと男女のデュエットってあんまりいいコンビネーションをみかけませんが、これはいい感じ。

黒沢さんは、スタジオでは歌詞を見ていたが、今日はしっかり覚えていた。「覚えたんですよ〜〜」 いやいや、いつの間に。さすが、プロです。

たくさん、注文だしました。それだけ期待が大きいというわけです。とはいうものの、まだまだ初のワンマンですから。徐々に微調整していってください。時間はいくらでもある。きっと、次回は今回より、その次はさらに次より、どんどんよくなりますよ。彼女のあのキャラクターは、誰からも愛されるもの。あのキャラに、あの歌のうまさ。これは、最大級の武器です。

大丈夫、大丈夫、ちゃんと階段一歩一歩あがってます。階段上がった頂上にはグラミー賞のご褒美があるよ。(予定よりちょっと遅れてますが。(笑))

(2003年9月12日金曜・渋谷クアトロ=アイ・ライヴ)



香月下。

リアル・ブラッドのソウルを浴びた後は、当然気分はソウル・バーです。恵比寿にしばらく前にできていて一度入ってみようと思っていたオーディオ(Audio)という店にロケハンがてら行ってみました。(なんのロケハンだ) 場所は簡単です。恵比寿のラーメン香月の地下。オン駒沢通り。恵比寿駅から駒沢通りを中目黒方向に右側を歩いていくと最初の四つ角のところ。

階段を降りていくと重厚な扉。上部が一部ガラスになっていて、覗くと確かにバーだ。入っていくと、カウンター、ボックス、ソファ席とけっこう広い。35席くらいある。カウンターの奥にDJブース。その前は低めのソファ席、4人がけx3、手前に6人くらいが座れるやはりソファ席。奥正面にビデオ映像が映し出されている。

全体的にはこの日は80年代のダンスクラシック中心にかかっていた。お店のスタッフが注文をとりにきたので、「ここは、ソウルバーですか?」と質問すると、「そうです」と答えてくれた。チラシやショップカードなどを見ると、なんと恵比寿で鳥英、郷などを経営している会社がやっている。両方行ったことあった店だった。ということもあってか、それらのお客さんが流れてくるような雰囲気もあった。

フライアーには「70年代、80年代のソウル、ジャズ、ディスコ・ミュージックが流れるレトロモダンな空間で、ハードリカーを飲みながら、あの頃の話で盛り上がる、気軽に素敵に飲めるDJバー」と書いてある。ジャズもかかるようだ。

この日はカウンターに座れなかったので、お店の人とあまり話ができなかったが、何かの2次会とか気楽に来られそうな感じの店だ。




満月。

「日本一のファルセット〜〜〜! シルキー藤野〜〜〜」「すばらしいバリトンテナー、ジェイ公山!」 「すばらしいスキンヘッド! ルーサー・ナンバーワン市村!」 (笑) ブラザー・トムの軽快絶妙爆笑トークで進行する日本が誇るソウル・ヴォーカル・グループ、リアル・ブラッドのライヴ。

「日本一低予算で世界一ハイクオリティーなステージを!」というキャッチフレーズのリアル・ブラッドのライヴ。笑い、踊り、体を揺らし、チークタイムに身をゆだね、70年代に連れて行かれる1時間40分(予定のアンコールと、観客の拍手によってやるかやらないかわからなかったが結局やったアンコール含む)。

いやあ、まいった、まいった。楽しい。うわさには聞いていましたが、おそれいりました。完璧なエンタテインメントですね。日本のソウル界に彼らありといわれたヒューマン・ソウルのメンバーとブラザー・トムが組んでできたリアル・ブラッドのライヴは、ソウルたっぷりでした。ソウルと言っても特に70年代ソウルです。

それにしてもブラザー・トムが言う「日本一のファルセット」シルキー藤野のファルセットは、本当にすごいですね。CDではわからない魅力にライヴで完璧に圧倒させられびっくりです。最近のフィリップ・ベイリーより強力です。そして、ゴスペル臭漂わせるジェイ公山のソウルフルヴォイスはデイヴィッド・ラッフィン、デニス・エドワーズか、さらに、いつも渋い顔のルーサー市村のベースパートはメルヴィン・フランクリンか、ウィンフレッド・ブルーか。なんちゃって言い過ぎました。でも4人の声がそれぞれ個性が立っていて、ヴォーカルグループとしてのヴァリエーションをだしているところが立派です。

いろいろ細かいところで、おもしろいネタがあるのですが、圧巻は途中の70年代ディスコメドレー。40代以上の人たちには涙ものでしょう。これをブラザー・トムのDJスタイルで次々と披露します。ターンテーブルで曲を変えるジェスチャーをするとバンドが次の曲を演奏し始めます。ターンテーブルの早回転、逆回転、スクラッチ、針飛びまで見事に再現します。すばらしい芸です。芸術です。国宝級です。このパートだけでもアポロのアマチュアナイトに持っていきたい。

「ハッスル」「レッツ・グルーヴ」・・・「ユール・ネヴァー・ファインド・アナザー・ラヴ・ライク・マイン」・・・。そして、新宿風のディスコDJまで入ります。これ最高。アナウンスが入るとき、フェ−ダーを下げるジェスチャーをするのですが、その下げ方を両腕でやる。昔のフェ−ダーは今みたいに片手で簡単にできないんですね。実に芸が細かい。

彼らのもうひとつのキャッチフレーズは、「貴方はこの4人のステージを必ず人に観せたくなる」。完璧に同意です。この会場に来た人が次回友達を必ず1人ずつ連れてくれば、次回はこの倍の客がきます。その次も、友達を連れてくればこの日の4倍に、さらに、その次は8倍に・・・。この計算で行けば、東京ドームも楽勝だ。リアル・ブラッド、目指せ東京ドーム。(うそ) そんな大きな所じゃ、見たくない。(笑)  やはり生声で会場全員に聞かせられるスケールにとどめておいてください。彼らもCDより絶対的にライヴのグループです。お笑いとソウルのフュージョン・グループ、リアル・ブラッド。

アカペラの「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」で舞台を降りていった4人。この日、外にでるとまん丸の大きな月がぽっかりと夜空に浮かんでいた。満月の夜に満足のライヴを満喫。


(2003年9月10日(水) 渋谷BOXX=リアル・ブラッド・ライヴ)
組み合わせ。

このところ、テレビで盛んに放送されていい感じなのが、マドンナとミッシー・エリオットのギャップのコマーシャル。ギャップのCMは、いつもセンスがいいですが、これも実にキャッチーで人目を引く。曲はマドンナの85年のヒット「イントゥ・ザ・グルーヴ」と「ハリウッド」をうまくミックスしたというもの。べースは「イントゥ・ザ・グルーヴ」です。この特別製CD、ギャップの商品をいくらか以上買うともらえるとか。

最初何気についていたテレビからこの曲が流れてきたときにはさすがに画面を見た。そうしたら、マドンナとミッシーが一緒に映っているので、二度びっくり。おもしろい組み合わせですねえ。なんか、マドンナが10年くらい前のマドンナみたいで、なんとなく若返った感じがあって高感度ア〜〜ップ。

最近はCM曲にもいろんなソウルの曲がかかっています。車の宣伝にマーヴィン・ゲイの「マーシー・マーシー・ミー」や、同じマーヴィンの作品を日本のトータス松本がカヴァーした「スタバン・カインド・オブ・フェロー」が別の車のCMに使われたり。「ホワッツ・ゴーイング・オン」も何かに使われていましたね。

ところで、ギャップのジーンズの次のCMは、なんとアース・ウィンド&ファイアーの「セプテンバー」です。アメリカのものがそのまま日本でオンエアされるかどうかはわかりませんが。ここの「セプテンバー」、微妙に編集されてます。でも、映像と曲とのマッチングはあいかわらずいいですね。上手です。

http://www.gap.com/assets/tv/gap/fall03/fall_2_tv_2_hi.wmv

(もし見られない場合は、http://www.gap.com/asp/home_gap.html?wdid=0からTV SPOTSのところへ)



誕生。

アメリカにおける人気テレビ番組『アメリカン・アイドル』の今年の優勝者、ルーベン・スタッダードのデビュー・シングル「フライング・ウィズアウト・ウィングス」をやっと聞くことができました。プロモ・ビデオを入手して見ました。いやあ、思ったとおりすばらしいシンガーです。絶対お勧めです。まだアメリカでもアルバムはでていないんですが、来月あたりでるのかな。日本はその後でしょうか。(はっきりしたら、また書きます)

『アメリカン・アイドル』は、昨年から始まったいわゆる日本の『アサヤン』みたいなアマチュアのシンガーたちが勝ち抜いていく番組です。昨年の優勝者はケリー・クラークソン。一足先にヒットしています。そして、今年の優勝者がこのルーベン・スタダードという歌唱力・圧巻のアフリカン・アメリカンの巨漢です。

声質はルーサーをちょっと太くして、ダニー・ハザウェイをかけあわせるといった感じでしょうか。僕は彼のデビューを見て、10年以上前にでてきたデイヴィッド・ピーストンというやはり巨漢のシンガーを思い起こしました。シングルになった「フライング・ウィズアウト・ウィングス」はゆったりしたスローバラード。イントロがちょっとだけ「グレテスト・ラヴ・オブ・オール」を思わせます。

『アメリカン・アイドル』は12週間の勝ち抜き戦です。なかなか大変です。最後の週、12週目はテレビ視聴者が2人の候補の歌を聞き、電話で投票します。今回の彼のライヴァルはクレイ・エイキンでした。過去12週、どんな歌をルーベンが歌ってきたか調べてみました。いやあ、この選曲リスト見せられたら、もうノックアウトです。全部テレビ見たかったですねえ。

このリストは次の『アメリカン・アイドル』の公式サイトにありました。

http://www.idolonfox.com/contestants/rubenstuddard.htm#

Ruben Studdard

"A House Is Not A Home" - 5/20/03
"Imagine" - 5/20/03
"Flying Without Wings" - 5/20/03
"Signed, Sealed, Delivered" - 5/13/03
"Smile" - 5/13/03
"If Ever You’re In My Arms Again" - 5/13/03
"How Can You Mend a Broken Heart" - 5/6/03
"Nights On Broadway" - 5/6/03
"Breaking Up Is Hard To Do" - 4/29/03
"Aint Too Proud To Beg" - 4/29/03
"Music Of My Heart" - 4/22/03
"Just The Way You Are" - 4/15/03
"Kiss and Say Goodbye" - 4/8/03
"Can’t Get Enough Of Your Love" - 4/1/03
"Sweet Home Alabama" - 3/25/03
"A Whole New World" - 3/18/03
"Baby I Need Your Lovin’" - 3/11/03
"Superstar" - 2/11/03

( )内の日付は番組でその曲を歌った放送日です。

プロモ・ヴィデオの中でワンフレーズだけ、「スーパースター」が歌われます。また、上記サイトではジョン・レノンの「イマジン」が動画で見聞きできます。初めて聞きましたが、これもなかなか。ダニー・ハザウェイが好きというのもうなづけます。余談ですが、審査員のひとりは、ご存知かもしれませんが、ポーラ・アブドゥル。ルーベン・スタダード、来年のグラミー賞新人賞の有力候補の一人です。まさに、スター誕生。

Answer Song

2003年9月9日
返答歌。

今ちょうどWBLSでシャーリー・ブラウンの「ウーマン・トゥ・ウーマン」がかかっています。75年の大ヒット曲です。いわゆる当時大流行していた不倫ソングのひとつ。そして、それに続いてかかっているのが、バーバラ・メイソンの「フロム・ヒズ・ウーマン・トゥ・ユー」。いわゆるアンサー・ソングというものです。

前者は、浮気をされた妻が浮気相手に対して、女同士で(ウーマン・トゥ・ウーマン)話し合いましょう、という歌。イントロからかなり長い語りがはいる曲。これが大ヒットしたので、それに対する曲が「彼の愛人からあなたへ」という挑戦状です。

アメリカではこういうアンサーソングがけっこうあります。有名な歌ではニール・セダカがヒットさせた「オー・キャロル」、これは当時はまだ無名だったキャロル・キングにあてた歌だったのですが、これがヒットした後、キャロル・キングは「オー・ニール」という曲をヒットさせました。

ラップの世界でもありましたよね。ちょっと今思い出せないんですが。LLクールJの曲に誰かがアンサーしたのがありましたね。またアンサー・ソングではないのですが、アル・ヤンコビックの作品はみなオリジナルをパロディー化したものですね。マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」に対して、「イート・イット」なんていう曲が大受けしてました。

そのたぐいで僕が昔きにいっていたのが、フローターズの大ヒット・名曲の「フロート・オン」に対するアンサーソング。チーチ&チョンというお笑いの二人組が歌った「ブロートオン」という曲です。まあ、これもアル・ヤンコビック的なパロディーでしょうか。アンサー・ソング特集というか一覧とかあると便利ですねえ。

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PS エラ・フィッツジェラルドとサッチモの「ニアネス・オブ・ユー」、聴き惚れました。女性ジャズ・ヴォーカルを何か聴きたいなんていうとき、エラはお勧めですね。もっとじっくり研究してみましょう。


カミングアウト。

白金近辺から明治通りを新宿に進んだんですが、原宿あたりから渋滞。すっかり忘れてました。明治通りの工事。昼も夜も、ぜんぜんうごかないんですよねえ。15分で着くかと思ったら40分以上かかってしまった。そして、駐車場も夜中なので入口がいくつも閉鎖されていて、けっこう歩かないといけない。いら。

新宿歌舞伎町近辺をこんな夜中に歩くのかなりぶりかもしれません。あやしい店や危なそうな人たちがたくさんうろうろしています。コマ劇場のところまで行くのに、やばそうな外国人の方に二度ほど声をかけられました。こわ。

プリンスのイヴェント。といってもプリンス本人は来ませんが、いろいろなプリンス・ファンが全国から集まってきました。BBSにもいつも書き込んでいただいているTsunaさんらがオルガナイズした「デジタル・ガーデン・ヴォリューム5・オール・プリンス・イヴェント2003」と題されたイヴェントです。なんと夜中の12時からドーン(夜明け)まで。じつはそれまでは、同じ会場で別のイヴェントがあったため、こういう時間帯になっているそうです。すご。

それにしても、こんなに日本にもプリンスファンがいたんですねえ。なんと大阪や熊本からいらっしゃった方もいました。「プリンス・ファンは自分がプリンス・ファンであることをなかなかカミングアウトできないんです。だからこういうイヴェントでみんなが知り合えるととても嬉しいんですよ」とTsunaさんの解説。うむ。

たまたま隣にいたMさんはなんと8-9歳の頃からプリンスが気に入っていたといいます。Mさんはその頃はやっていたシンディ・ローパーが気に入ってデビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』を買って毎日聴いていたら、3曲目の「ホエン・ユー・ワー・マイン」という曲がなんともいえなくものすごく好きになりました。で、この曲は誰が書いたんだろうと思ってみたらプリンスだったので、「おお、こいつはすごい」と思って、プリンスのアルバムを買ったのです。非常に音楽を聴く姿勢として、まっとうですばらしい。えら。

84年頃のことですが、それ以来かなりプリンス好きになったということです。その頃だとまあ、一般的にはマイケル・ジャクソンが世界を席巻している時期ですから、普通の子だったらマイケルに行きそうですが、「マイケルより、ぜったいプリンス」と思ったのですから、かなりユニークでおませです。「だいたいそんな年の頃は、マイケル、プリンスなんていうレベルじゃなくて、みんな回りは邦楽でした」とのこと。まあ、そうでしょうねえ。ふむ。

大阪から夫婦でいらした方は、前回の来日公演、奥さんのほうはすべて行かれたそうです。だんなさんは仕事で3回ほど行けなかったので、夫婦間できまづくなったとか。すごいレベルの話だ。うお。

プリンスのコピーバンドをしている方も紹介されました。なるほど。そうか。そういえば日本でプリンス風といえばミッチーくらいですか。そして、外にでたらドーン(夜明け)でした。やば。




Ichiro Fukuda Dies At 78

2003年9月7日
福田一郎さん死去。

音楽評論家・福田一郎さんが9月4日都内の病院で死去した。78歳。6月に腸閉塞の手術をし、その後回復したが、このところ体調不良のため入院していた。

福田氏は1925年(大正14年)2月16日東京深川生まれ。日本大学在学中から洋楽に傾注し昭和30年代から雑誌、ラジオなどで音楽評論活動を始めた。海外取材の回数も多数で、現在もオリジナルコンフィデンス誌で毎週のコラムを執筆していた。1970年代にはTBS「パック・イン・ミュージック」、さらにFMが開局してからは、インターFM、FM横浜などでも番組を持っていた。著書に「ロックの巨人たち」「世界のロックグループ」などがある。


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ご冥福。

朝刊(5日付け)を開いてびっくりした。福田先生が昨日(9月4日)お亡くなりになったという。非常に長く活躍された方なので、誰しも福田先生の思い出のひとつやふたつはお持ちだろう。最後にお会いしたのは、数ヶ月前、インターFMの廊下あたりでばったり遭遇した。福田先生は毎週日曜の深夜に「ロック・ザ・イチロー」という番組をもたれていて、その収録でいらしていた。そのときは、元気そうに見えた。今回のニュースで6月に手術をなさったということを知ったが、お会いしたのはそれより前だったのだろう。

今年3月のグラミー賞もニューヨークからの生中継をピーター・バラカンさんと担当されていた。「ノラ・ジョーンズの大量受賞は当然だ」というようなコメントをされていた。僕も今年のノラに関しては同じように感じていたので、我が意を得たりといった感じだった。

福田さんは最近ライナーノーツなどをあまりお書きにならなかったが、昔のアルバムのライナーで時々先生の文章に遭遇することがある。かなり情報量があるライナーだ。よく覚えているのは、スティーヴィー・ワンダーの『キー・オブ・ライフ』が76年に出たときのライナー、アースの『オール・ン・オール(太陽神)』が最初にでたときのライナーなど。頻繁に海外に行かれて情報収集されていたのでリアルタイムの情報をたくさんお持ちだった。

ご冥福をお祈りしたい。

ライヴ。

現在療養中のR&Bシンガー、ルーサー・ヴァンドロスのライヴアルバムが10月14日にアメリカで発売されることになった。タイトルは、『ライヴ・アット・レイディオ・シティー・ホール2003』。今年2月14日にニューヨークのレイディオ・シティー・ホールで行われたライヴの模様を録音したもの。ここで、ルーサーは、「ヒア・アンド・ナウ」「アイド・ラザー」「ネヴァー・トゥ・マッチ」「ストップ・トゥ・ラヴ」などを披露している。

ルーサーの長年の友人であり音楽監督を務めているナット・アダレイ・ジュニアがアルバムをプロデュース。「われわれ関係者全員が、ルーサーの初めてのライヴアルバムを、ルーサー自身が誇れるようなものにするために最大の努力をした。彼本人が(スタジオに)いなかったことで、かなりの面でむずかしいところもあったが、きっと多くの人がこのアルバムを気に入ってくれるだろう。部屋のそこにルーサーがいるみたいに思えるよ。彼が好きなら間違いなく聞かなければならないアルバムだ」とナットは言う。

またルーサーの健康状態は、特に顕著な変化はないが、一生懸命リハビリに精を出しているようだ。ルーサーの最新作『ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー』は現在120万枚を売っている。



特番。

突然ですが、今度の日曜日ディスコの特番をやることになり、急遽今日収録をしてきました。「ディスコ・インフルエンス2003」と題して、最近のディスコブームについて、話をするというもの。

集まったメンバーが宇治田みのるさん、元マハラジャ・チーフDJで現ビブロスチーフDJ長谷川さん、現マハラジャチーフDJカツさん、ユニバーサルレコードで数々のディスコヒットを送り出し、パパイヤ鈴木氏の親父ダンサーズの影の仕掛け人、加藤さん、そして、僕。司会は加藤和佐。スタジオ内は6人です。

まあ、予想されたとはいえ、話は止まりませんねえ。なぜクラブではなく、ディスコが最近盛り上がっているのか、とか。昔のディスコのVIPルームにみんながやってきたという設定で、いかにもディスコにいる雰囲気がぷんぷんです。昔ながらのディスコDJもはいります。これ、おもしろいです。

僕は通りすがりの構成者なので、一歩遠慮しておりましたが、宇治田さんの見事な仕切りで、次々いろいろな話が飛び出してきました。リクエストをかけるとチップがもらえた話とか、VIPルームに来る連中はなぜみなフルーツ盛り合わせをオーダーするのか、とか。止まらない、止まらない、Ain’t No Stoppin’ Us Now...

かかる曲も、マハラジャ、キサナドゥ、ビブロスで頻繁にプレイされる曲ばかりです。


特別。

ずっと仕事をしながら今日はふとクインシー・ジョーンズの『デュード(邦題、愛のコリーダ)』(81年)のアルバムを聴いていました。どの曲もすばらしく、まったく無駄がない完璧なアルバムですが、中でもジェームス・イングラムが歌う「ワン・ハンドレッド・ウェイズ」は、いつ聴いても素敵な曲です。

こんな歌です。「彼女のすることを誉め、ご褒美に薔薇を贈りなさい。彼女のお気に入りの歌を捧げなさい。今日、彼女を100の方法で愛してあげなさい。彼女に傍らにいてくれるように頼みなさい、100通りの方法で。もし、彼女が君に美しすぎるほどの借りがあると感じるのであれば、彼女も君にそれを返そうとするだろう、100通りの方法で」

プロデューサーのクインシー・ジョーンズはこう言っています。「この曲はあなたの彼女をいかにしてずっと幸せにしておくかのインストラクション・マニュアルです。この歌詞から知恵が得られるはずです」 クインシー先生、その通りです。

そして、もうひとつ、この曲をレコーディングした1980年のその日、これを歌ったジェームス・イングラムには2人目の娘ジェニファーが誕生していたそうです。その朝4時にジェニファーが生まれ、朝6時に彼は家にいったん戻り、そして朝10時にはスタジオに入りこの曲をレコーディングしました。

しかも、この日クインシーとジェームスは初めて対面したのです。それまで電話とデモテープだけで聴いていたジェームスの生の声にクインシーは触れたわけです。ジェームスからすれば、あのスーパープロデューサーであるクインシーと初めて会うわけですから、それがどれほど特別な日であったことでしょう。そして、そこでレコーディングされたこの上ないラヴ・ソング。そのラヴ・ソングは、もっと特別なものをもたらしました。ジェームスはこの作品で81年度のグラミー賞「ベストR&Bヴォーカル・パフォーマンス部門」を受賞したのです。

この曲はジェームスにとっても、その娘のジェニファーにとっても、クインシーにとっても特別な歌となりました。そして、世界中の恋人たちにとっても、特別な歌となっているに違いありません。特別中の特別という感じでしょうか。

後半印象的なサックスはアーニー・ワッツ、シンセサイザーとキーボードはグレッグ・フィリンゲインズ。地声からファルセットへ、そして次の瞬間また地声へ。ジェームスの声の七変化。この歌に彼の声はレインボウ・カラーを与えます。


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女王。

風格。5年ぶり。61歳。堂々。意気込み。圧倒。

歌い続けて何十年、そして、録音し続けたアルバムが何十枚となると、作品ごとの意気込みの違いというものは一体どれほどのものになるのだろうか。もちろん、毎回新作を作るときには、それなりの意気込みが絶対にあるはずだ。とはいうものの、そこは人間。相当な力が入るときもあれば、そうでもないときもあるだろう。だが、この新作には相当な意気込みがあった。

ソウルの女王アレサ・フランクリンの新作『ソー・ダム・ハッピー』を聴いての印象だ。前作『ローズ・イズ・スティル・ローゼス』は、そのバックの今風の音とアレサの声のマッチングに僕は若干違和感を感じていたが、この新作の堂々たることや、なんたるもの。バックの音が少々新しくたって、古くたって、そんなものは関係ない、私は私。という感じで、徹底的に声で圧倒してきた。アレサの声のシャワーがこの『ソー・ダム・ハッピー』に降り注ぐ。

『ソー・ダム・ハッピー』とは、「くそ、なんて幸せ!」といったニュアンスか。あるいは「超しあわせ!」とか。

1曲目「ジ・オンリー・シング・ミッシン」はアコースティックギターのイントロから始まるいかにも今風のミディアム調のサウンドだが、6秒のところから始まるアレサのその叫び声だけで持っていかれる。メアリーJブライジがらみの2曲(「ホールディング・オン」と「ノー・マター・ホワット」)も、いいマッチングだ。

アレサのセルフプロデュースによる「ソー・ダム・ハッピー」と「ユー・アー・マイ・ジョイ」は、70年代風のアレサを思わせる。ゆったりしたウォーキングテンポの作品とスローバラードは、クイーンが60年代から21世紀になってもいまだにクイーンであることを証明しているかのようだ。

アレサのルーツ、ゴスペルを思わせるのが、メンフィスのソウル・グループ、ソウル・チルドレンのメンバー、ノーマン・ウェストがプロデュースした「グッド・ニュース」。そして、もう一曲、ポップに迫るのがバート・バカラックの作・プロデュース「フォーリング・アウト・オブ・ラヴ」。

アレサのアルバムの歴史を振り返ると、これだけたくさんのアルバムをだしていながら、ポップ・アルバム・チャートでのナンバーワンがない。ゴールド、プラチナム・ディスクは多数。グラミーも多数。しかし、アルバムチャートの最高位は2位。唯一取れていないタイトルとも言える。初ヒットアルバムがでたのが1962年。それから41年の歳月が流れている。ルーサーが初の1位、アイズレー・ブラザースも初の1位を獲得している昨今、アレサ・フランクリンのポップ・アルバム・チャート初のナンバー・ワン・アルバムがこの新作によって記録されるのではないか。

彼女がこのアルバムにかけた意気込みとは一体なんだったんだろう。ものすごく興味がわいている。ツアーとの関連もあるのか。少なくとも前作にはなかった何かがここにはある。

Queen Is Still A Queen. クイーンは依然クイーンである。


『アレサンフランクリン/ソー・ダム・ハッピー
So Damn Happy』
2003年9月25日発売
BMGジャパン BVCA-21149
2548円(税込)



音行一致。

東京の朝10時は、ニューヨークの午後9時。9月に来日するリズ・ライトに電話で話を聴いた。彼女は現在ニューヨークに住んでいる。思った通りというか、物静かな知的な感じの女性だった。「自分の部屋では、静かにすごしているわ。静かな雰囲気が好き。大騒ぎはしないし」

電話の向こうから、ポットでお湯を沸かしている音が聞こえてくる。沸騰するとぴ〜となるポットだ。おそらく静かな夜を過ごしていたのだろう。

ジョー・サンプルと来日したときが初の日本体験だった。「日本は本当にあらゆることがオルガナイズされていて、驚いたわ。人々がきっちりしていて、それに私の友達のだれよりもみんな音楽を知っている。(笑) ライヴも静かに聞いてくれて、そして、真剣に音楽をアプリシエート(鑑賞)していることが伝わってきた」

リズ・ライトは2001年4月にユニヴァーサル・ミュージック傘下ヴァーブ・レコードと契約。デビュー作を出す前にジョー・サンプルとのセッションがセッティングされた、という。ジョーの作品で歌ったのは、現在のレコード会社の作戦だったわけだ。(当初はジョーとのレコーディングが、現在のレコード会社との契約に結びついたのかと思っていたが、逆だった) 

彼女は言う。「でも、初めて彼と会ったとき、ジョー・サンプルの音楽は知らなかったの。なぜなら、うちではゴスペルしか聴いていなかったから。それと若干のジャズだけね。ソウル、R&Bなどはほとんど知らなかった」 

父親が牧師だったためだ。「でも、ジョーとはお互いゴスペルをルーツにしていたので、すぐに打ち解けた。彼からはたくさんのことを学んだわ。その昔の人種差別のこと、彼の40年以上にわたる音楽の歴史、とても勉強になった」

ジャズなどを聴き始めたのもここ数年。では最近はどのようなものを聴いているのか。「オリ−タ・アダムス、ダイアン・リーヴス、カサンドラ・ウィルソン、トレイシー・チャップマン、ジョニ・ミッチェル・・・。オリータがハリウッドボールで歌った(ビリー・ホリデイの)『グッドモーニング・ハートエイク』はすばらしかったわ。元々オリ−タのファンだったし。彼女はピアノを弾きながら歌っていた。私もピアノは弾くけれど、ほんのちょっとだけ」

ウェイン・ショーター・グループで活躍中のパナマ出身のピアニスト、ダニーロ・ペレスの新作『ティル・ゼン』の中で、リズは2曲客演している。一曲はそのタイトルソング。そしてもう一曲はジョニ・ミッチェルの「フィドル・アンド・ザ・ドラム」という曲だ。ちなみにこのアルバムにはインストで、スティーヴィーの「オーヴァージョイド」の軽いカヴァーも収録されている。

ライヴではどんな曲をやるのか。「(自分のアルバム)『ソルト』からの作品、それから若干の新しい曲、スタンダードなんかかしら」 「あれ、ジョー・サンプルとの曲は?」 「やらないと思うわ。あれは、ジョーとやるときのためにとってあるの」 「えええっ? 聴きたいなあ、あの2曲は・・・」 「あら、OK, じゃあ、わかった。I try (やるようにがんばってみましょう)(笑)」 「お願いします」

ジョー・サンプルのアルバム『ピーカン・トゥリー』にはいっているのは、「ノーワン・バット・マイセルフ・トゥ・ブレイム」と「フールズ・ゴールド」だ。

音楽はそのミュージシャンを表すとは何度も書いてきた。電話の向こうのリズの声や話し方からでさえも、彼女のキャラクターの一部は伝わってきた。音行一致である。ライヴが今から楽しみだ。

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リズ・ライト・ライヴ
2003年9月17日〜20日 横浜モーションブルー
モーションブルーのサイト(日本語)
http://www.motionblue.co.jp/schedule/index.html

オフィシャルサイト(英語)
http://www.lizzwright.net/

ユニバーサルのサイト(日本語)
http://www.universal-music.co.jp/jazz/artist/lizz_wright/index.html



DVD。

話は変わりますが、最近はMTVが比較的簡単に見られて、最新のアーティストのヴィデオクリップに触れる機会も多くなっていますね。それにDVDになってオムニバスが発売されたり、レンタル店に行っても借りられる。

そんな中で、「クリップ・クワイエットストーム#1」なるデジタルグラフィー社から2000年12月に発売されているDVDを入手しました。8曲入ってるんですが、これがほとんどソウルものでも今まで見たことがなかったプロモヴィデオで編成されているんです。こんなのあったのか、っていう感じ。

収録曲は「ラヴィン・ユー」(シャニース)、「ラヴ・ミー」(トレイシー・スペンサー)、「ユー・ドント・ノウ・ナッシン」(フォーリアル)、「ユー・センド・ミー・スウィンギン」(ミントコンディション)、「ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」(フォー・ラヴァーズ・オンリー)、「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」(フレディー・ジャクソン)、「スカウンドレス・ゲット・ロンリー」(DRS)、「アット・ユア・ベスト」(アリーヤ)の8曲。

一番びっくりは、フォー・ラヴァーズ・オンリーです。もちろん他のもほとんど見たことはなかったんですが。フォー・ラヴァーズ・オンリーはモータウンのテンプテーションズの肝いりでデビューしたグループですが、アルバム1枚で消えてしまいました。90年代のロストソウルの一組です。(1月の『フィールン・ソウル』でもご紹介しました) おそらくほとんど日本のテレビ(ケーブルなども含めて)ではプレイされていないのではないでしょうか。

曲は最近ルーサー・ヴァンドロスとビヨンセがデュエットしてカヴァーしたロバータ&ダニーのヒットですが、高原でメンバー3人が歌っています。CDジャケットに似た感じのロケーション。こういう一発ヒットで消えていったアーティストの動く姿って本当に貴重です。しかもあまり大ヒットしていない曲のプロモクリップはなおさら目にする機会はありませんからねえ。

アリーヤのおなじみの曲は「ギャングスター・チャイルド・リミックス」で収録。こんなのもあったのか、とためいきです。シャニースも海辺であの「ラヴィン・ユー」を歌います。

もう1枚同社から発売されている『クリップR&B#1』というDVDには、オージェイズの「エモーショナリー・ユアーズ」なんかがはいっています。これは、全編モノクロの映像でスタジオにオージェイズの3人が円形に置いた3本のマイクに向かって歌うシーンと海辺の波が砕け散るシーンなどが適度にクロスされて作られています。これも初めて見ましたが、元々超大好きな曲なので、感動しましたね。オージェイズかっこいい。エディー・リヴァート、渋い。

もし中古屋さんなどで見かけたら、チェックしてみてください。改めて知らないプロモクリップもたくさんあるんだな、と痛感しました。こんなにあったら、いくら時間があっても、見切れませんね。



名演説。

今からちょうど40年前、1963年8月28日、マーチン・ルーサー・キング牧師はワシントンDCで演説をしました。それが後世に残る名演説『アイ・ハヴ・ア・ドリーム(私には夢がある)』です。今年はそれからちょうど40周年。これを記念して去る土曜日(23日)ワシントンDCのリンカーン・メモリアル公園に、多くの人が集まりました。

同様の集会は、過去1983年、1993年に行われ、今年は3回目。この『アイ・ハヴ・ア・ドリーム』は、非暴力による公民権運動の盛り上がりに大きく貢献しました。なにより象徴的だったのは、63年このスピーチを聞いた25万人の人々のうち5分の1は白人だったということです。

この全文をじっくり読んだことはなかったのですが、ネットで探したら、原文がありました。また一部訳ですが、それもありました。キング牧師の本などを購入すれば、全文なども載っているでしょう。

これを読んでいると、まるで、歌詞のような、そして、彼の演説を聞いたりすると、まるで質のいいラップを聴いているかのように錯覚します。話のもってき方が実にうまい。教会の牧師の話、説教も非常に陶酔性があるように思いますが、もともと牧師で話のうまいキング牧師が、ソウルを込めて語る演説は圧巻です。

一部訳がでている「私には夢がある・・・」以降、さらに「ニューハンプシャーの豊穣な丘の上から,自由の鐘を鳴らそうではないか」のライン、その繰り返しはすごいですね。これをその現場で聞いていたら、間違いなく気持ちが高揚してくるでしょう。

キング牧師は、68年4月4日、メンフィスで暗殺されます。80年10月、スティーヴィー・ワンダーがアルバム『ホッター・ザン・ジュライ』を発表。そこに、キング牧師の誕生日を国民の休日にするための応援歌「ハッピー・バースデイ」が収録されました。そして、1983年、キング牧師の誕生日が国民の休日に決定。86年から実施されることになりました。

今、1月の第3月曜日はキング牧師誕生日の祝日です。それにしても、この『アイ・ハヴ・ア・ドリーム』というフレーズは、今でも有効な普遍的な言葉です。

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上記スピーチ全文の一部に関する翻訳が下記サイトにありました。

http://www.labo-global.co.jp/spc-o-word/wordpro/king/king.html

私には夢がある。いつの日にか,ジョージアの赤土の丘の上で,かつて奴隷であった者たちの子孫と,かつて奴隷主であった者たちの子孫が,兄弟として同じテーブルに向かい腰掛けるときがくるという夢を。

私には夢がある。いつの日にか,私の4人の幼い子供たちが肌の色によってではなく,人となりそのものによって評価される国に住むときが来るという夢を。私の父が死んだ土地で,メイフラワーの清教徒達が誇りとした土地で,すべての山やまから自由の鐘を鳴らそうではないか。もしアメリカが偉大な国であるのなら,これは実現されなければならない。

ニューハンプシャーの豊穣な丘の上から,自由の鐘を鳴らそうではないか。
ニューヨークの稜々たる山やまから,自由の鐘を鳴らそうではないか。
ペンシルベニアのアルゲニー高原から,自由の鐘を鳴らそうではないか。
コロラドの雪を頂いたロッキー山脈から,自由の鐘を鳴らそうではないか。
カリフォルニアの曲線の美しい丘から,自由の鐘を鳴らそうではないか。
それらばかりではない。ジョージアの石ころだらけの山,テネシーの望楼のような山,そして,ミシシッピーの全ての丘から,自由の鐘を鳴らそうではないか!
すべての山々から,自由の鐘を鳴らそうではないか! 

そして私たちが自由の鐘を鳴らす時,私たちがアメリカの全ての村,すべての教会,全ての州,全ての街から自由の鐘を鳴らすその時,全ての神の子,白人も黒人も,ユダヤ人も非ユダヤ人も,新教徒もカソリック教徒も,皆互いに手を取って古くからの黒人霊歌を歌うことができる日が近づくだろう。

 「自由だ,ついに自由だ,全能の神よ,感謝します。ついに我々は自由になったのだ」と


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