"Ain’t No Way" is the Classic
2003年6月11日名唱。
たしかに、「エイント・ノー・ウェイ」はクラシックです。名曲です。アレサのヴァージョンは名唱です。ではしばらく、ちょっとこの話を続けましょうか。
この「エイント・ノー・ウェイ」は、シングル「シンス・ユーヴ・ビーン・ゴーン」のB面に収められて68年2月にリリースされます。「シンス・・」はミディアム調のジャンプナンバー。一方、「エイント・・・」はじっくりとしたスローバラード。ともに、67年12月12日にニューヨークのスタジオで録音されました。
なぜこちらがB面になったのかはわかりません。おそらく、ジャンプナンバーのほうがラジオプレイを得やすいと思ったのでしょう。実際、「シンス・・・」はソウルチャートで1位、「エイント・・・」は9位が最高位でした。
この曲もプロデューサーのジェリー・ウェクスラーが、アレサの妹のキャロリン・フランクリンに「エイント・ノー・ウェイ・・・」というコンセプトで曲を作ってくれといってできたものでした。
これら二曲ともバックコーラスを担当しているのは、ご存知スイート・インスピレーションズです。女性3人組で、こうしたR&Bヒットのバックコーラスを得意としていました。このうちの一人がシシー・ヒューストン、すなわち、ホイットニー・ヒューストンのお母さんです。ホイットニーもこの曲をライヴで歌ったりしていますね。
この「エイント・ノー・ウェイ」はその後も多数のシンガーがカヴァーしています。最近ではメアリー・J・ブライジ、その他、ジーン・カーン、シェリル・ペプシ・ライリーのヴァージョンは小ヒットしましたね。また、アーロン・ネヴィル、ミーシャ・パリスもカヴァーしています。
「あなたを愛する方法はまったくないのかしら」という悲恋の歌です。アレサはこれをレコーディングしたとき、まだ25歳でした。歴史に残る名唱のひとつでしょうね。
たしかに、「エイント・ノー・ウェイ」はクラシックです。名曲です。アレサのヴァージョンは名唱です。ではしばらく、ちょっとこの話を続けましょうか。
この「エイント・ノー・ウェイ」は、シングル「シンス・ユーヴ・ビーン・ゴーン」のB面に収められて68年2月にリリースされます。「シンス・・」はミディアム調のジャンプナンバー。一方、「エイント・・・」はじっくりとしたスローバラード。ともに、67年12月12日にニューヨークのスタジオで録音されました。
なぜこちらがB面になったのかはわかりません。おそらく、ジャンプナンバーのほうがラジオプレイを得やすいと思ったのでしょう。実際、「シンス・・・」はソウルチャートで1位、「エイント・・・」は9位が最高位でした。
この曲もプロデューサーのジェリー・ウェクスラーが、アレサの妹のキャロリン・フランクリンに「エイント・ノー・ウェイ・・・」というコンセプトで曲を作ってくれといってできたものでした。
これら二曲ともバックコーラスを担当しているのは、ご存知スイート・インスピレーションズです。女性3人組で、こうしたR&Bヒットのバックコーラスを得意としていました。このうちの一人がシシー・ヒューストン、すなわち、ホイットニー・ヒューストンのお母さんです。ホイットニーもこの曲をライヴで歌ったりしていますね。
この「エイント・ノー・ウェイ」はその後も多数のシンガーがカヴァーしています。最近ではメアリー・J・ブライジ、その他、ジーン・カーン、シェリル・ペプシ・ライリーのヴァージョンは小ヒットしましたね。また、アーロン・ネヴィル、ミーシャ・パリスもカヴァーしています。
「あなたを愛する方法はまったくないのかしら」という悲恋の歌です。アレサはこれをレコーディングしたとき、まだ25歳でした。歴史に残る名唱のひとつでしょうね。
Live, Live, Live
2003年6月10日チッタ。
ニック・プレゼンツのソウル・ディスコ・ナイトのイヴェントが川崎のクラブチッタで行われ、行ってきました。何年かぶりのチッタでしたが、周りがまとめてものすごくきれいになっていたので、びっくり。
7時過ぎに到着。すでに、フロアは満員で、バンドがKC&サンシャイン・バンドの「ザッツ・ザ・ウェイ」を演奏していました。そして、まもなく、『ゲロッパ』の井筒監督が登場。映画にも登場したニックとドン勝本氏らと3人で、映画について話をしました。
すると、井筒監督、ニックたちに「ちょっと『マザー・ポップコーン』踊ってもらおうか」と言い出しました。事前の予定がなかったようですが、レコードもでてきたので、急遽二人が、これを踊り始めました。
ほかに出し物としては、キング・オブ・ソウルのモータウン・メドレーのダンスなどをはさみ、クック&ニックの「かわいい人よ」が歌われました。それにしても、このクックさん、おもしろい。酔っ払っていて、非常におもしろいキャラだしてます。ニックとクックで、とりあえず、漫才でもやってみたらどう、って感じ。
閑話休題。
日曜の『ソウル・ブレンズ』はライヴ音源特集。これは、よかった。予想以上によかったねえ。日曜夕方に、ダニー・ハザウエイの「ゲットー」12分がノンストップで、ノーカットでかかるなんて番組、日本で他には考えられません。(笑) ほんと、途中のパーカッション部分から聞いた人なんて、何がどうなってるか、わからないでしょう。いいセレクションでした。
まだまだ、ありますよ。今日でなかったもので、マーヴィン・ゲイ、アース、クール&ギャング、ソーラー・オールスターズ、アレサ、テディ・ペンダーグラス、ジャクソンズ、OVライト、アル・グリーン、コモドアーズ、テンプテーションズ、ベイビーフェイス、パティー・ラベル、オーティス・レディング、ジョニー・ギル・・・。
おもいつくまま書いてもこれだけあるし。半期に一度といわず、ワンクール(3ヶ月)に一度くらいやりましょう。(笑) ライヴの曲ばっかり聞いていると、気分が高揚してきます。
ニック・プレゼンツのソウル・ディスコ・ナイトのイヴェントが川崎のクラブチッタで行われ、行ってきました。何年かぶりのチッタでしたが、周りがまとめてものすごくきれいになっていたので、びっくり。
7時過ぎに到着。すでに、フロアは満員で、バンドがKC&サンシャイン・バンドの「ザッツ・ザ・ウェイ」を演奏していました。そして、まもなく、『ゲロッパ』の井筒監督が登場。映画にも登場したニックとドン勝本氏らと3人で、映画について話をしました。
すると、井筒監督、ニックたちに「ちょっと『マザー・ポップコーン』踊ってもらおうか」と言い出しました。事前の予定がなかったようですが、レコードもでてきたので、急遽二人が、これを踊り始めました。
ほかに出し物としては、キング・オブ・ソウルのモータウン・メドレーのダンスなどをはさみ、クック&ニックの「かわいい人よ」が歌われました。それにしても、このクックさん、おもしろい。酔っ払っていて、非常におもしろいキャラだしてます。ニックとクックで、とりあえず、漫才でもやってみたらどう、って感じ。
閑話休題。
日曜の『ソウル・ブレンズ』はライヴ音源特集。これは、よかった。予想以上によかったねえ。日曜夕方に、ダニー・ハザウエイの「ゲットー」12分がノンストップで、ノーカットでかかるなんて番組、日本で他には考えられません。(笑) ほんと、途中のパーカッション部分から聞いた人なんて、何がどうなってるか、わからないでしょう。いいセレクションでした。
まだまだ、ありますよ。今日でなかったもので、マーヴィン・ゲイ、アース、クール&ギャング、ソーラー・オールスターズ、アレサ、テディ・ペンダーグラス、ジャクソンズ、OVライト、アル・グリーン、コモドアーズ、テンプテーションズ、ベイビーフェイス、パティー・ラベル、オーティス・レディング、ジョニー・ギル・・・。
おもいつくまま書いてもこれだけあるし。半期に一度といわず、ワンクール(3ヶ月)に一度くらいやりましょう。(笑) ライヴの曲ばっかり聞いていると、気分が高揚してきます。
女王。
まさしく女王の名にふさわしいシンガーといえば、アレサ・フランクリンです。『レディー・ソウル』というアルバムは、1968年2月に発売されたアトランティック・レコードからの3枚目の作品です。傑作アルバムの一枚と言えるでしょう。タイトルもいい。
この中からは4曲のヒットが生まれました。「ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン」、「チェイン・オブ・フールス」、「スイート・スイート・ベイビー・シンス・ユーヴ・ビーン・ゴーン」、そして「エイント・ノー・ウエイ」です。どの曲もみなすばらしい。
「ユー・メイク・ミー・・・」は、キャロル・キングとジェリー・ゴーフィンのコンビが書いた作品。これは、アレサのプロデューサー、ジェリー・ウェクスラーがキャロルたちにこういうコンセプト、タイトルでアレサ用に一曲書いてくれと注文して書いてもらった作品です。言ってみればアレサ用の特注曲、カスタムメイドの作品なのです。そして、アレサで見事にヒットして、後にキャロル・キングが自分のアルバムを作るときに自ら歌ったヴァージョンを録音し、それに収録したわけです。そのアルバムこそ71年に発表され、現在まで売れ続けている傑作『タペストリー(つづれおり)』です。
ですから、誰がオリジナルか、という問題はむずかしいのですが、書いたオリジナルはキャロル・キングたち、一番最初に歌ってヒットさせたオリジナルはアレサ、みたいなことになるのでしょう。キャロル・キングたちがこの曲をアレサに提供したとき、まさか将来的にキャロル本人がこれを録音するであろうなどということはまったく夢にも思わなかったはずです。60年代は、ソングライターとシンガーの仕事は、まったく別物でしたから。いわゆるシンガー・ソングライターという存在が注目されるのは70年代に入ってからです。
このアルバムには、「グッド・トゥ・ミー・アズ・アイ・アム・トゥ・ユー」という曲が収録されています。プロデューサーのジェリー・ウェクスラーは、相棒のプロデューサー、アーメット・エルテガンから一人のギタリストを紹介されます。当時ヤードバーズというグループにいたエリック・クラプトンという人物です。この曲でクラプトンはギターを弾いています。レコーディング初日、クラプトンはうまく弾けませんでした。しかし、翌日スタジオに現れた彼は、見事にそのギターパートを弾きこなしたということです。
ここには、別のギタリストがいます。その彼はすでにスターになっていたR&Bシンガー、ウィルソン・ピケットに「アイム・イン・ラヴ」(67年12月からヒット)を提供していた人物でもあります。その名はボビー・ウーマック。
そして、もうひとり、「チェイン・オブ・フールズ」でブルージーなギターを弾くのはやはり南部で活躍するミュージシャン、ジョー・サウス。後に自ら「ゲームス・ピープル・プレイ」(スピナーズの同名曲とは違います)の大ヒットを放つ人。
また彼女はこのアルバムでジェームス・ブラウン、レイ・チャールズ、そして、カーティス・メイフィールドの作品もカヴァーしています。
中でもカーティスの傑作曲「ピープル・ゲット・レディー」のアレサによる解釈は、圧巻です。このインプレッションズのヒット曲でさえ、アレサが歌うと、アレサのためのカスタムメイドの作品かと思ってしまうほどです。
ここから大ヒットした「チェイン・オブ・フールズ」は、グラミー賞女性R&B部門を獲得します。アルバムはソウル・アルバム・チャートで16週にわたってナンバー・ワンを独走。
このアルバムのアレンジを担当していたのは、当時、プロデューサー、ジェリー・ウェクスラーの下でみようみまねで仕事をしていたアリフ・マーディンです。アリフは、その後自らプロデューサーとして、アレサ、シャカ・カーン、ビージーズ、アヴェレージ・ホワイト・バンド、ラスカルズ、ホール&オーツなど数々のアーティストをてがけスーパープロデューサーとなる人物です。今話題のノラ・ジョーンズの作品をプロデュースしたのもこのアリフです。
というわけで、この『レディー・ソウル』のアルバムにかかわった人たちの何人かは、その後、大出世することにもなるわけです。
まさしく女王の名にふさわしいシンガーといえば、アレサ・フランクリンです。『レディー・ソウル』というアルバムは、1968年2月に発売されたアトランティック・レコードからの3枚目の作品です。傑作アルバムの一枚と言えるでしょう。タイトルもいい。
この中からは4曲のヒットが生まれました。「ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン」、「チェイン・オブ・フールス」、「スイート・スイート・ベイビー・シンス・ユーヴ・ビーン・ゴーン」、そして「エイント・ノー・ウエイ」です。どの曲もみなすばらしい。
「ユー・メイク・ミー・・・」は、キャロル・キングとジェリー・ゴーフィンのコンビが書いた作品。これは、アレサのプロデューサー、ジェリー・ウェクスラーがキャロルたちにこういうコンセプト、タイトルでアレサ用に一曲書いてくれと注文して書いてもらった作品です。言ってみればアレサ用の特注曲、カスタムメイドの作品なのです。そして、アレサで見事にヒットして、後にキャロル・キングが自分のアルバムを作るときに自ら歌ったヴァージョンを録音し、それに収録したわけです。そのアルバムこそ71年に発表され、現在まで売れ続けている傑作『タペストリー(つづれおり)』です。
ですから、誰がオリジナルか、という問題はむずかしいのですが、書いたオリジナルはキャロル・キングたち、一番最初に歌ってヒットさせたオリジナルはアレサ、みたいなことになるのでしょう。キャロル・キングたちがこの曲をアレサに提供したとき、まさか将来的にキャロル本人がこれを録音するであろうなどということはまったく夢にも思わなかったはずです。60年代は、ソングライターとシンガーの仕事は、まったく別物でしたから。いわゆるシンガー・ソングライターという存在が注目されるのは70年代に入ってからです。
このアルバムには、「グッド・トゥ・ミー・アズ・アイ・アム・トゥ・ユー」という曲が収録されています。プロデューサーのジェリー・ウェクスラーは、相棒のプロデューサー、アーメット・エルテガンから一人のギタリストを紹介されます。当時ヤードバーズというグループにいたエリック・クラプトンという人物です。この曲でクラプトンはギターを弾いています。レコーディング初日、クラプトンはうまく弾けませんでした。しかし、翌日スタジオに現れた彼は、見事にそのギターパートを弾きこなしたということです。
ここには、別のギタリストがいます。その彼はすでにスターになっていたR&Bシンガー、ウィルソン・ピケットに「アイム・イン・ラヴ」(67年12月からヒット)を提供していた人物でもあります。その名はボビー・ウーマック。
そして、もうひとり、「チェイン・オブ・フールズ」でブルージーなギターを弾くのはやはり南部で活躍するミュージシャン、ジョー・サウス。後に自ら「ゲームス・ピープル・プレイ」(スピナーズの同名曲とは違います)の大ヒットを放つ人。
また彼女はこのアルバムでジェームス・ブラウン、レイ・チャールズ、そして、カーティス・メイフィールドの作品もカヴァーしています。
中でもカーティスの傑作曲「ピープル・ゲット・レディー」のアレサによる解釈は、圧巻です。このインプレッションズのヒット曲でさえ、アレサが歌うと、アレサのためのカスタムメイドの作品かと思ってしまうほどです。
ここから大ヒットした「チェイン・オブ・フールズ」は、グラミー賞女性R&B部門を獲得します。アルバムはソウル・アルバム・チャートで16週にわたってナンバー・ワンを独走。
このアルバムのアレンジを担当していたのは、当時、プロデューサー、ジェリー・ウェクスラーの下でみようみまねで仕事をしていたアリフ・マーディンです。アリフは、その後自らプロデューサーとして、アレサ、シャカ・カーン、ビージーズ、アヴェレージ・ホワイト・バンド、ラスカルズ、ホール&オーツなど数々のアーティストをてがけスーパープロデューサーとなる人物です。今話題のノラ・ジョーンズの作品をプロデュースしたのもこのアリフです。
というわけで、この『レディー・ソウル』のアルバムにかかわった人たちの何人かは、その後、大出世することにもなるわけです。
恐怖症。
マーヴィン・ゲイの1980年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルにおけるライヴアルバムが発売されるにあたって、いろいろとマーヴィンのライヴアルバムを聞いています。それにしても、マーヴィンの84年4月1日の死後、ものすごい数の怪しげなライヴが出てます。調べてみると、最低でも7種類のライヴが『ラスト・ツアー』とか、『ファイナル・ツアー』とか、ただ単に『ライヴ』とかといったタイトルで発売されています。一体どういうことなんでしょうね。(笑)
マーヴィンのオフィシャルなモータウンからのライヴは3枚ですが、やはり、なんと言っても74年の『ライヴ』(オークランド・コロシアムにおける録音)と77年の2枚組『ライヴ・アット・ザ・ロンドン・パレイディアム』ですね。
今後者を聞きながら、この日記を書いています。ずいぶん久しぶりに聞きますが、オープニングの「オール・ザ・ウエイ・アラウンド」、いい感じ! そして、「レッツ・ゲット・イット・オン」。元祖「ゲット・イット・オン・ミュージック」、マーヴィンの面目躍如ですね。
マーヴィンの思い出はいくつもありますが、やはり、79年9月の来日公演。2日間武道館に通いました。そして、83年8月の結果的にファイナル・ツアーになったロスでのライヴのライヴ体験は、ハイライトですね。
今回CD化されるのは、80年7月のスイス・モントルーでのライヴです。メンタル的にはかなり落ち込んでいる時期のライヴですが、なかなかこれも、いい雰囲気です。これは、ちゃんとした映像もあるし、音もいいので、きっちりしたライヴアルバムといえます。
ところで、マーヴィンは、なぜライヴパフォーマンス恐怖症だったのでしょうか。1967年夏、「エイント・ノー・マウンテイン・ハイ・イナフ」などのデュエット・ヒットを一緒に歌っていたタミー・テレルが脳腫瘍が原因で、マーヴィンとのステージで倒れるます。タミーはマーヴィンに抱かれたまま意識不明となり、そのまま病院に運ばれます。その後入退院を繰り返し、症状は一進一退で、結局、70年タミーは死去。この事件がマーヴィンに大きな痛手を与えるわけです。
やはり、これがマーヴィンのライヴ恐怖症の布石になっているのではないでしょうか。しかし、それ以上の理由があるとなると、われわれには知る由もありません。しかし、いずれその謎解きを試みてみたいと思います。
+++++
ペコさん。
禁煙がんばってください。僕はその昔、たった一度で止めました。お体大切に。
マーヴィン・ゲイの1980年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルにおけるライヴアルバムが発売されるにあたって、いろいろとマーヴィンのライヴアルバムを聞いています。それにしても、マーヴィンの84年4月1日の死後、ものすごい数の怪しげなライヴが出てます。調べてみると、最低でも7種類のライヴが『ラスト・ツアー』とか、『ファイナル・ツアー』とか、ただ単に『ライヴ』とかといったタイトルで発売されています。一体どういうことなんでしょうね。(笑)
マーヴィンのオフィシャルなモータウンからのライヴは3枚ですが、やはり、なんと言っても74年の『ライヴ』(オークランド・コロシアムにおける録音)と77年の2枚組『ライヴ・アット・ザ・ロンドン・パレイディアム』ですね。
今後者を聞きながら、この日記を書いています。ずいぶん久しぶりに聞きますが、オープニングの「オール・ザ・ウエイ・アラウンド」、いい感じ! そして、「レッツ・ゲット・イット・オン」。元祖「ゲット・イット・オン・ミュージック」、マーヴィンの面目躍如ですね。
マーヴィンの思い出はいくつもありますが、やはり、79年9月の来日公演。2日間武道館に通いました。そして、83年8月の結果的にファイナル・ツアーになったロスでのライヴのライヴ体験は、ハイライトですね。
今回CD化されるのは、80年7月のスイス・モントルーでのライヴです。メンタル的にはかなり落ち込んでいる時期のライヴですが、なかなかこれも、いい雰囲気です。これは、ちゃんとした映像もあるし、音もいいので、きっちりしたライヴアルバムといえます。
ところで、マーヴィンは、なぜライヴパフォーマンス恐怖症だったのでしょうか。1967年夏、「エイント・ノー・マウンテイン・ハイ・イナフ」などのデュエット・ヒットを一緒に歌っていたタミー・テレルが脳腫瘍が原因で、マーヴィンとのステージで倒れるます。タミーはマーヴィンに抱かれたまま意識不明となり、そのまま病院に運ばれます。その後入退院を繰り返し、症状は一進一退で、結局、70年タミーは死去。この事件がマーヴィンに大きな痛手を与えるわけです。
やはり、これがマーヴィンのライヴ恐怖症の布石になっているのではないでしょうか。しかし、それ以上の理由があるとなると、われわれには知る由もありません。しかし、いずれその謎解きを試みてみたいと思います。
+++++
ペコさん。
禁煙がんばってください。僕はその昔、たった一度で止めました。お体大切に。
Just Hit The Stage! Michael!
2003年6月7日ステージ。
2万人の大観衆のステージにクリス・タッカーが登場しました。登場するなり、セリフもしゃべらずに、アクションで、マイケル・ジャクソンの真似をします。観客はやんやの喝采。そして、例によってまくしたてます。「実はこの前、マイケル・ジャクソンから電話がかかってきたんだ。オレは電話に出た。オレは聞いた。『誰だい?』 すると(か細いマイケルの真似をして)『クリス、マイケル・ジャクソンだけど、君に一言言いたいんだよ』、オレは尋ねた。『何だい?』、マイケルが言った。『「ラッシュ・アワー2」を見たんだけど、君のステップが間違ってるんだよ』」 そして観客、大爆笑。
これは、2001年9月にニューヨーク・マジソン・スクエア・ガーデンで行われたマイケル・ジャクソン活動30周年イヴェントにおけるワンシーンです。このライヴは、大変な数のアーティストがマイケルにトリビュートしたものです。登場したアーティストも、グラディス・ナイト、ホイットニー・ヒューストン、ディオンヌ・ワーウィック、デスティニー・チャイルド、ミッシー・エリオット、マーク・アンソニー、98°&ルーサー・ヴァンドロスなどなど錚々(そうそう)たるものです。
そして、最大のハイライトはジャクソンズ(ジャーメインとランディー・ジャクソンを含む)の再結成です。「アイ・ウォント・ユー・バック」「アイル・ビー・ゼア」「シェイク・ユア・ボディ」などなど。84年の『ヴィクトリー・ツアー』を思わせる大復活です。
やっぱり、マイケルはゴシップでテレビに出るより、ステージで所狭しと歌い、踊っている姿が本当に一番です。no more gossip, just hit the stage! (ゴシップはいらない! ただ、ステージに上がってくれ!)という感じですね。
2001年9月の7日と10日に行われたのですが、日本では残念ながらテレビ放送されませんでした。僕はエアチェックのビデオを見ることができました。2度目のショウは9月10日でした。そう、その翌日あの9月11日の事件が起こるのです。もし、あの事件が先に起こっていたら、このイヴェントは間違いなく中止になったでしょう。9月10日の夜、ガーデンに集まった2万人は疑うことなく最高に幸せを感じて帰路についたことに違いありません。
しかし、夜が明けて11日の朝、前日最高の幸せを感じていたニューヨーカーたちは、最悪の悲しみに打ちひしがれるわけです。アース・ウィンド&ファイアーの歌声が聞こえてきそうです。"That’s The Way Of The World..." 世界とは、そんなものなのでしょうか。それにしてもこの2時間余にわたるエンタテイナーたちのパフォーマンスはものすごいものでした。そして、マイケルの人生はステージの上にこそある、ということを改めて確認したわけです。
(2001年9月7日、10日、ニューヨーク・マジソン・スクエア・ガーデン、ビデオで)
2万人の大観衆のステージにクリス・タッカーが登場しました。登場するなり、セリフもしゃべらずに、アクションで、マイケル・ジャクソンの真似をします。観客はやんやの喝采。そして、例によってまくしたてます。「実はこの前、マイケル・ジャクソンから電話がかかってきたんだ。オレは電話に出た。オレは聞いた。『誰だい?』 すると(か細いマイケルの真似をして)『クリス、マイケル・ジャクソンだけど、君に一言言いたいんだよ』、オレは尋ねた。『何だい?』、マイケルが言った。『「ラッシュ・アワー2」を見たんだけど、君のステップが間違ってるんだよ』」 そして観客、大爆笑。
これは、2001年9月にニューヨーク・マジソン・スクエア・ガーデンで行われたマイケル・ジャクソン活動30周年イヴェントにおけるワンシーンです。このライヴは、大変な数のアーティストがマイケルにトリビュートしたものです。登場したアーティストも、グラディス・ナイト、ホイットニー・ヒューストン、ディオンヌ・ワーウィック、デスティニー・チャイルド、ミッシー・エリオット、マーク・アンソニー、98°&ルーサー・ヴァンドロスなどなど錚々(そうそう)たるものです。
そして、最大のハイライトはジャクソンズ(ジャーメインとランディー・ジャクソンを含む)の再結成です。「アイ・ウォント・ユー・バック」「アイル・ビー・ゼア」「シェイク・ユア・ボディ」などなど。84年の『ヴィクトリー・ツアー』を思わせる大復活です。
やっぱり、マイケルはゴシップでテレビに出るより、ステージで所狭しと歌い、踊っている姿が本当に一番です。no more gossip, just hit the stage! (ゴシップはいらない! ただ、ステージに上がってくれ!)という感じですね。
2001年9月の7日と10日に行われたのですが、日本では残念ながらテレビ放送されませんでした。僕はエアチェックのビデオを見ることができました。2度目のショウは9月10日でした。そう、その翌日あの9月11日の事件が起こるのです。もし、あの事件が先に起こっていたら、このイヴェントは間違いなく中止になったでしょう。9月10日の夜、ガーデンに集まった2万人は疑うことなく最高に幸せを感じて帰路についたことに違いありません。
しかし、夜が明けて11日の朝、前日最高の幸せを感じていたニューヨーカーたちは、最悪の悲しみに打ちひしがれるわけです。アース・ウィンド&ファイアーの歌声が聞こえてきそうです。"That’s The Way Of The World..." 世界とは、そんなものなのでしょうか。それにしてもこの2時間余にわたるエンタテイナーたちのパフォーマンスはものすごいものでした。そして、マイケルの人生はステージの上にこそある、ということを改めて確認したわけです。
(2001年9月7日、10日、ニューヨーク・マジソン・スクエア・ガーデン、ビデオで)
理由。
映画を見るときどうしても、その映画の中で音楽がどのように使われているかに気が行ってしまうことがあります。もちろん、基本的にはストーリーに入りこんでいくんですが、ふと、ある曲がいい場所でかかったりすると、そのシーンを覚えてしまったりします。どの曲が、どの映画のどのシーンでかかったか、というのが一覧でわかるサイトがあったら、本当にうれしいのですが。
あの曲、どの映画でかかってたっけ、なんていうの、よっぽどじゃないとなかなか覚えてられません。もちろん、サントラがあれば、Aという曲を探して、Bという映画のサントラに入っていれば、Bという映画に使用されたんだな、ということはわかりますが。あとミュージシャンの固有名詞。誰の口からどんなアーティストの名前がでてくるかも楽しみです。
そんな前置きはおいといて。先日WOWOWで『ラッシュアワー2』をやっていました。マシンガントーク、クリス・タッカーと不死身のアクションスター、ジャッキー・チェーンの二人。で、おもしろかったセリフ。
ジャッキーがカジノの裏に潜入するために、クリスが守衛やカジノのスタッフの気を引こうとして、クラップス・テーブルでそこのディーラーに因縁をつけます。チップを買おうとすると、500ドル分しかもらえずに、彼は「白人には1000ドル分渡すのに、黒人には500ドルか。人種差別する気か。ここのカジノは、黒人エンタテイナーは、使ってないじゃないか」とまくし立てます。すると、支配人風の男「うちでは、ライオネル・リッチーをいれてるよ」。「ライオネルは、黒人を廃業したんだよ。ピーチェス&ハーブ(字幕ではボツ=(笑))、グラディス・ナイト&ピップス(ピップスの部分は字幕でボツ)、アイク&ティナ・ターナーはどうなんだよ。そういう黒人は使わないのかよ。彼らは元のさやに戻ると思うけどな」と、さらに倍速でしゃべりまくります。
仮にですが、ライオネル・リッチーがこの『ラッシュアワー2』を映画館なんかで見てたら、どうなんだろう、とふと思いました。(笑) でも、なんで、アイク&ティナが元に戻るなんて、思うんだろう。根拠なんてないんだろうな。どうせ、口からでまかせか。
一般的に、日本語字幕は1秒間に4文字と言われています。こういう早口の場合困りますよねえ。字幕製作者の方、ご苦労さまです。ま、それ以上にかわいそうなのは、字幕でカットされたピーチェス&ハーブの二人です。その理由は、文字制限のためか、あるいは、日本での知名度がないせいか、どっちなんだろう。
そして、『ラッシュアワー2』、エンディングではマイケル・ジャクソンの「ドント・ストップ」が流れ、クリスがステップを踏みながら、画面の奥の方に消えていきました。
映画を見るときどうしても、その映画の中で音楽がどのように使われているかに気が行ってしまうことがあります。もちろん、基本的にはストーリーに入りこんでいくんですが、ふと、ある曲がいい場所でかかったりすると、そのシーンを覚えてしまったりします。どの曲が、どの映画のどのシーンでかかったか、というのが一覧でわかるサイトがあったら、本当にうれしいのですが。
あの曲、どの映画でかかってたっけ、なんていうの、よっぽどじゃないとなかなか覚えてられません。もちろん、サントラがあれば、Aという曲を探して、Bという映画のサントラに入っていれば、Bという映画に使用されたんだな、ということはわかりますが。あとミュージシャンの固有名詞。誰の口からどんなアーティストの名前がでてくるかも楽しみです。
そんな前置きはおいといて。先日WOWOWで『ラッシュアワー2』をやっていました。マシンガントーク、クリス・タッカーと不死身のアクションスター、ジャッキー・チェーンの二人。で、おもしろかったセリフ。
ジャッキーがカジノの裏に潜入するために、クリスが守衛やカジノのスタッフの気を引こうとして、クラップス・テーブルでそこのディーラーに因縁をつけます。チップを買おうとすると、500ドル分しかもらえずに、彼は「白人には1000ドル分渡すのに、黒人には500ドルか。人種差別する気か。ここのカジノは、黒人エンタテイナーは、使ってないじゃないか」とまくし立てます。すると、支配人風の男「うちでは、ライオネル・リッチーをいれてるよ」。「ライオネルは、黒人を廃業したんだよ。ピーチェス&ハーブ(字幕ではボツ=(笑))、グラディス・ナイト&ピップス(ピップスの部分は字幕でボツ)、アイク&ティナ・ターナーはどうなんだよ。そういう黒人は使わないのかよ。彼らは元のさやに戻ると思うけどな」と、さらに倍速でしゃべりまくります。
仮にですが、ライオネル・リッチーがこの『ラッシュアワー2』を映画館なんかで見てたら、どうなんだろう、とふと思いました。(笑) でも、なんで、アイク&ティナが元に戻るなんて、思うんだろう。根拠なんてないんだろうな。どうせ、口からでまかせか。
一般的に、日本語字幕は1秒間に4文字と言われています。こういう早口の場合困りますよねえ。字幕製作者の方、ご苦労さまです。ま、それ以上にかわいそうなのは、字幕でカットされたピーチェス&ハーブの二人です。その理由は、文字制限のためか、あるいは、日本での知名度がないせいか、どっちなんだろう。
そして、『ラッシュアワー2』、エンディングではマイケル・ジャクソンの「ドント・ストップ」が流れ、クリスがステップを踏みながら、画面の奥の方に消えていきました。
魂爆発。
初めて行くライヴハウスは、いつもちょっとしたどきどき感があります。渋谷に昨年秋にできたというプラグ(http://www.plug.tv/contents.html)という店。地図によると、山の手線ぞいだというのですが、あんなところに、ライヴハウスなんてあるのだろうか、と思って歩いていくと、確かにありました。これは知らなきゃ、わからないわ。
地下へ行く階段をけっこう降りて、会場に到着。ちょうど、演奏が始まりました。会場は立ちで100人くらいは入るでしょうか。中くらいのハコ。オンエア(渋谷)の小さい方くらいでしょうか。聞き覚えのあるグルーヴ、そう、曲はジェームス・ブラウンの「スーパーバッド」(のりのり抜群)です。演奏しているのは、超ヴェテラン、ジェームス藤木&リスペクト・オール、フィーチャリング・イクミ。このバンドは以前にも見たことがありまして、っていうか、長いですから、ジェームスさんのバンドは、そこそこライヴハウス行って日本のファンク系、ソウル系、あるいは、ロックンロール系に通ってる人なら、誰でも一度は触れるであろう、バンドです。
「スーパーバッド」からファンク炸裂です。これだけのグルーヴ感、タイトのリズムっていうのは、改めてすごいな、と思いました。オオサカモノレールもまっつあおっていう感じでしょうか。(笑) そして、「ムスタング・サリー」(ロッケンロールの味も)。どこを切ってもソウルがあふれでてきますねえ。
そして、バンドの紅一点、イクミが登場。ラベルの「レディー・マーマレード」をぎんぎんに歌います。イクミちゃんの迫力は昔ゴスペルでも歌ってたんじゃないか、ってほどですね。その他に、彼女はこの日、リン・コリンズの「シンク」、「ロック・ミー・アゲイン」(迫力)、マリリン・マックー&ビリー・ディヴィス・ジュニアの「ユー・ドント・ハヴ・トゥ・ビー・ア・スター(邦題、星空の二人)」(ジェームスさんとデュエット)、シルヴィアの「ピロー・トーク」(腰をセクシーにくねらせる)、そして、再びグラディス・ナイト&ピップスの「ニーザー・ワン・オブ・アス(邦題、さよならは悲しい言葉)」(おなじみ、超しっとり)などを歌ってくれました。
強力です。バンドはツー・ステージ。「ギヴ・イット・アップ・ターン・イット・ルーズ」、「アイ・フィール・グッド」、「セックス・マシン」などジェームス・ブラウンのナンバーを軸に、ソウル、R&Bヒットのオンパレードです。彼らのような、ライヴたたき上げのバンドは、やっぱり違いますね。
まあ、日本最古のファンクバンドが、東京の最新ライヴハウスで魂を爆発させたっていうところでしょうか。これぞソウル・エクスプロージョン!
(2003年6月1日、渋谷プラグ)
初めて行くライヴハウスは、いつもちょっとしたどきどき感があります。渋谷に昨年秋にできたというプラグ(http://www.plug.tv/contents.html)という店。地図によると、山の手線ぞいだというのですが、あんなところに、ライヴハウスなんてあるのだろうか、と思って歩いていくと、確かにありました。これは知らなきゃ、わからないわ。
地下へ行く階段をけっこう降りて、会場に到着。ちょうど、演奏が始まりました。会場は立ちで100人くらいは入るでしょうか。中くらいのハコ。オンエア(渋谷)の小さい方くらいでしょうか。聞き覚えのあるグルーヴ、そう、曲はジェームス・ブラウンの「スーパーバッド」(のりのり抜群)です。演奏しているのは、超ヴェテラン、ジェームス藤木&リスペクト・オール、フィーチャリング・イクミ。このバンドは以前にも見たことがありまして、っていうか、長いですから、ジェームスさんのバンドは、そこそこライヴハウス行って日本のファンク系、ソウル系、あるいは、ロックンロール系に通ってる人なら、誰でも一度は触れるであろう、バンドです。
「スーパーバッド」からファンク炸裂です。これだけのグルーヴ感、タイトのリズムっていうのは、改めてすごいな、と思いました。オオサカモノレールもまっつあおっていう感じでしょうか。(笑) そして、「ムスタング・サリー」(ロッケンロールの味も)。どこを切ってもソウルがあふれでてきますねえ。
そして、バンドの紅一点、イクミが登場。ラベルの「レディー・マーマレード」をぎんぎんに歌います。イクミちゃんの迫力は昔ゴスペルでも歌ってたんじゃないか、ってほどですね。その他に、彼女はこの日、リン・コリンズの「シンク」、「ロック・ミー・アゲイン」(迫力)、マリリン・マックー&ビリー・ディヴィス・ジュニアの「ユー・ドント・ハヴ・トゥ・ビー・ア・スター(邦題、星空の二人)」(ジェームスさんとデュエット)、シルヴィアの「ピロー・トーク」(腰をセクシーにくねらせる)、そして、再びグラディス・ナイト&ピップスの「ニーザー・ワン・オブ・アス(邦題、さよならは悲しい言葉)」(おなじみ、超しっとり)などを歌ってくれました。
強力です。バンドはツー・ステージ。「ギヴ・イット・アップ・ターン・イット・ルーズ」、「アイ・フィール・グッド」、「セックス・マシン」などジェームス・ブラウンのナンバーを軸に、ソウル、R&Bヒットのオンパレードです。彼らのような、ライヴたたき上げのバンドは、やっぱり違いますね。
まあ、日本最古のファンクバンドが、東京の最新ライヴハウスで魂を爆発させたっていうところでしょうか。これぞソウル・エクスプロージョン!
(2003年6月1日、渋谷プラグ)
Curtis Mayfield & Linda Clifford
2003年6月4日デュエット。
1日(日曜)のWBLSの番組『サンデイ・クラッシック』を聴いていたら、やたらカーティス・メイフィールドの曲がかかるなあ、と思ったわけです。ちょっと調べたら、6月3日生まれだったんですね。カーティス。そこで、ミニ・カーティス特集というわけです。
その中で、えらく感じのいいスローバラードのデュエット曲がかかっていました。なんていう曲かわからなくて、じっと曲紹介を待ちました。「フレディーズ・デッド」、「スーパーフライ」と続いてやっとDJクレイ・ペリーが登場しました。
曲名言ってくれました。「ビトゥイーン・ユー・ベイビー・アンド・ミー」という曲でした。一緒に歌っていたのは、リンダ・クリフォード。そうだ、ふたりのデュエット・アルバムあった、あった。早速調べると、79年のヒット。そのデュエット・アルバムにはいっていました。改めて聴くと、な〜るほど、いい曲。でも、こんなのいちいち覚えてないですねえ。(笑) ちなみに、この曲自体はカーティスのソロ『ハートビート』にも収録されていました。
クレイ・ベリーが言います。「なんという才能! そしてすばらしい音楽! 『スーパーフライ』の映画、覚えてる?」と相棒のDJデビー・ビーに尋ねます。「もちろん」 「70年代には、あんな風な洋服を着ていたの?」とクレイが聞くと、「あなたがそういう服、着ていたんでしょう」と答えます。すると、彼は、無視して曲紹介に進んでしまいました。そのあと、笑い声。
「カーティスは、今年61歳、もし生きていれば。でも、99年12月に長い闘病の後、亡くなっています。ブルックリンのステージで照明が彼の上に落ちて以来、半身不随になってしまいました。でも、彼の音楽はここに生きつづけています」
後半のいい感じのサックスはクレジットによるとソニー・シールズという人のようです。いい曲だなあ。それにしても、忘れてるこういういい曲なんて、たくさんあるんでしょうねえ。
1日(日曜)のWBLSの番組『サンデイ・クラッシック』を聴いていたら、やたらカーティス・メイフィールドの曲がかかるなあ、と思ったわけです。ちょっと調べたら、6月3日生まれだったんですね。カーティス。そこで、ミニ・カーティス特集というわけです。
その中で、えらく感じのいいスローバラードのデュエット曲がかかっていました。なんていう曲かわからなくて、じっと曲紹介を待ちました。「フレディーズ・デッド」、「スーパーフライ」と続いてやっとDJクレイ・ペリーが登場しました。
曲名言ってくれました。「ビトゥイーン・ユー・ベイビー・アンド・ミー」という曲でした。一緒に歌っていたのは、リンダ・クリフォード。そうだ、ふたりのデュエット・アルバムあった、あった。早速調べると、79年のヒット。そのデュエット・アルバムにはいっていました。改めて聴くと、な〜るほど、いい曲。でも、こんなのいちいち覚えてないですねえ。(笑) ちなみに、この曲自体はカーティスのソロ『ハートビート』にも収録されていました。
クレイ・ベリーが言います。「なんという才能! そしてすばらしい音楽! 『スーパーフライ』の映画、覚えてる?」と相棒のDJデビー・ビーに尋ねます。「もちろん」 「70年代には、あんな風な洋服を着ていたの?」とクレイが聞くと、「あなたがそういう服、着ていたんでしょう」と答えます。すると、彼は、無視して曲紹介に進んでしまいました。そのあと、笑い声。
「カーティスは、今年61歳、もし生きていれば。でも、99年12月に長い闘病の後、亡くなっています。ブルックリンのステージで照明が彼の上に落ちて以来、半身不随になってしまいました。でも、彼の音楽はここに生きつづけています」
後半のいい感じのサックスはクレジットによるとソニー・シールズという人のようです。いい曲だなあ。それにしても、忘れてるこういういい曲なんて、たくさんあるんでしょうねえ。
Is It You? Who Is It? Who Are You?
2003年6月3日誰?
「だれえ?」と聞くときにも、いろいろな聞き方があります。リー・リトナーの81年の大ヒットは「イズ・イット・ユー?」。直訳すると「君かい?」っていう感じ。扉が閉まっていて、ノックの音がする。そこに、たとえば彼女が来る予定になっていたりする。そういう時は、「イズ・イット・ユー?」(君かい) 女性が男性を待っていれば「あなた?」 あるいは、新聞の集金が来ることがわかっていれば、そんなときも「イズ・イット・ユー?」と使ってもいい。あらかじめわかっている相手のときに使います。
それに比べると「フー・イズ・イット?」は、相手が誰かわからず、文字通り、「誰?」という意味。ドアがノックされた。誰かわからない。一体誰だろう。そんなとき、「フー・イズ・イット?」(誰?) どちらの表現も、電話でも使えますね。電話が鳴る。とる。声に聞き覚えがある。確認する意味で「イズ・イット・ユー?」 誰かわからないときで、相手が名乗らなければ「フー・イズ・イット?」(誰?) この二つは相手の顔が見えていないときに使います。
で、一方「フー・アー・ユー?」は、実際に面と向かって会っていて、「あなたは誰?」と聞く場合に使う。あるいは「あなたは、何者?」と聞くとき。ただし、使い方によっては「あんた、誰よ」みたいなけんか腰的なのりになることもあるので、注意しないといけません。
なので、初対面のときは、「フー・アー・ユー」はあまりお勧めしません。まず自分の名前を名乗り、「お名前聞いてもいいですか(メイ・アイ・アスク・ユア・ネーム?)」といったあたりから、会話を始めるのが一般的です。
リー・リトナーの「イズ・イット・ユー」も、彼女が来るのを待っている彼が、ノックの音を聞いて「イズ・イット・ユー」というところから始まる3分間の物語です。そういえば、マイケル・ジャクソンがアルバム『デンジャラス』で、「フー・イズ・イット」という曲を歌っていましたね。
といった話を「イズ・イット・ユー」をかけているときに、オフ・ザ・マイクでお話していました。講師は僕で、マーヴィンが「そうそう」とうなずいていました。以上、今日のワン・ポイント・イングリッシュ・レッスンでした。
「だれえ?」と聞くときにも、いろいろな聞き方があります。リー・リトナーの81年の大ヒットは「イズ・イット・ユー?」。直訳すると「君かい?」っていう感じ。扉が閉まっていて、ノックの音がする。そこに、たとえば彼女が来る予定になっていたりする。そういう時は、「イズ・イット・ユー?」(君かい) 女性が男性を待っていれば「あなた?」 あるいは、新聞の集金が来ることがわかっていれば、そんなときも「イズ・イット・ユー?」と使ってもいい。あらかじめわかっている相手のときに使います。
それに比べると「フー・イズ・イット?」は、相手が誰かわからず、文字通り、「誰?」という意味。ドアがノックされた。誰かわからない。一体誰だろう。そんなとき、「フー・イズ・イット?」(誰?) どちらの表現も、電話でも使えますね。電話が鳴る。とる。声に聞き覚えがある。確認する意味で「イズ・イット・ユー?」 誰かわからないときで、相手が名乗らなければ「フー・イズ・イット?」(誰?) この二つは相手の顔が見えていないときに使います。
で、一方「フー・アー・ユー?」は、実際に面と向かって会っていて、「あなたは誰?」と聞く場合に使う。あるいは「あなたは、何者?」と聞くとき。ただし、使い方によっては「あんた、誰よ」みたいなけんか腰的なのりになることもあるので、注意しないといけません。
なので、初対面のときは、「フー・アー・ユー」はあまりお勧めしません。まず自分の名前を名乗り、「お名前聞いてもいいですか(メイ・アイ・アスク・ユア・ネーム?)」といったあたりから、会話を始めるのが一般的です。
リー・リトナーの「イズ・イット・ユー」も、彼女が来るのを待っている彼が、ノックの音を聞いて「イズ・イット・ユー」というところから始まる3分間の物語です。そういえば、マイケル・ジャクソンがアルバム『デンジャラス』で、「フー・イズ・イット」という曲を歌っていましたね。
といった話を「イズ・イット・ユー」をかけているときに、オフ・ザ・マイクでお話していました。講師は僕で、マーヴィンが「そうそう」とうなずいていました。以上、今日のワン・ポイント・イングリッシュ・レッスンでした。
Hurricane, Hurricane, Hurricane
2003年6月2日台風。
東京は来たんだが、来なかったんだか。湿度は高く、ちょっと動くとじめっとする。なんだか梅雨みたいな気候。台風関連の曲でまず思い浮かぶのが、キャロル・ダグラスの「ア・ハリケーン・イズ・カミング・トゥナイト」(1975年)ですね。彼女のデビュー・アルバム『ザ・キャロル・ダグラス・アルバム』からの第二弾シングルヒットでした。
「ハリケーン」っていう曲はたくさんのアーティストが、さまざまなヴァージョンを作っているんですね。あと、ハリケーン・スミスなんてのもいました。「オー・ベイブ・ワット・ウド・ユー・セイ」というヒットを出しましたね。あれはいい曲だった。あ、これはソウルじゃありませんよ。ジョニー&ハリケーンズなんてのもいましたね。これも、ソウルじゃないですが。
そういえば、『ハリケーン』(1999年)という映画ありました。無実の罪で投獄されたのではないかというボクサー、ルービン・ハリケーン・カーターが無罪を獲得するまでの物語ですね。これは、主演がデンゼル・ワシントンなので、少しはソウルっぽいでしょうか。
もっとソウルっぽいので言えば、DJハリケーンというのがいますね。
ま、軽いハリケーンつながりでした。
東京は来たんだが、来なかったんだか。湿度は高く、ちょっと動くとじめっとする。なんだか梅雨みたいな気候。台風関連の曲でまず思い浮かぶのが、キャロル・ダグラスの「ア・ハリケーン・イズ・カミング・トゥナイト」(1975年)ですね。彼女のデビュー・アルバム『ザ・キャロル・ダグラス・アルバム』からの第二弾シングルヒットでした。
「ハリケーン」っていう曲はたくさんのアーティストが、さまざまなヴァージョンを作っているんですね。あと、ハリケーン・スミスなんてのもいました。「オー・ベイブ・ワット・ウド・ユー・セイ」というヒットを出しましたね。あれはいい曲だった。あ、これはソウルじゃありませんよ。ジョニー&ハリケーンズなんてのもいましたね。これも、ソウルじゃないですが。
そういえば、『ハリケーン』(1999年)という映画ありました。無実の罪で投獄されたのではないかというボクサー、ルービン・ハリケーン・カーターが無罪を獲得するまでの物語ですね。これは、主演がデンゼル・ワシントンなので、少しはソウルっぽいでしょうか。
もっとソウルっぽいので言えば、DJハリケーンというのがいますね。
ま、軽いハリケーンつながりでした。
あてぶり。
まあ、いろいろイヴェントはあるわけですよ。ちょっと内輪ネタが続いて申し訳ないのですが。(笑) 先日の白金ダンステリアにおけるイヴェントは『エンバシー・ナイト』というタイトル。何をやるかと言えば、別にたいしたことはやりませんが、かつて72年頃から80年代初期まで六本木にあった伝説的ディスコ「エンバシー」を一夜だけ復活させようという試みってところでしょうか。で、「エンバシー」にちょっとつながりがある人が集まって何かやる、と。
とはいうものの、大体メンツは決まってるわけですね。そんな中、昨日のメインイヴェントは、「グラディス・ケイコ・ナイト&ピップス・エレキバンズ」によるあてぶりの「夜汽車よ、ジョージアへ」。
いやあ、グラディス・ケイコ、顔黒いよ。鼻の穴でかいよ。唇厚いよ。で〜は〜だよ。(派手だよ)
「年とってるんで、ピップス・エレキバンズという名前にしました」(マイケル談)というバックの男性3人組。
手拍子たたくよ。踊りが決まるよ。ターンが揃うよ。みんなまとめて、笑えるよ。
こんな、手軽なエンタテインメント、もっともっとあるといいですね。ピップス・エレキバンズのメンバーは、江守アイさん、ニック岡井さん、マイケル鶴岡さん。平均年齢52.7歳。フッ、フッ〜(ピップス風に)
あてぶり、って英語でなんていうか、考えました。もちろん、ないと思います。直接的な単語は。口パクと踊りの真似、ということで、リップ・シンクとコレオグラフィー・シンクというのを考え出しました。通じるかどうか、自信ないですが。英語の得意な方、なにかいい表現あったら、教えてください。
そうそう、少し自己主張しましょう。僕も、このあてぶりエンタテインメントに少しだけお手伝いしました。この曲の歌詞カードを探して提供したんです。グラディスが歌う部分の歌詞は、それこそ、すぐにでてくるんですが、バックコーラスの部分が入った歌詞はなかなかなくてねえ。ネットでいろいろ探して、やっとの思いで見つけて、グラディス・ケイコに渡したわけです。
で、せっかく探して、CD聞きながらこの歌詞を見ていたら、訳したくなったので、全面的に訳して、日記に書いたわけですね。それが4月19日付け日記です。本当は4月末のイヴェントで踊る予定だったのですが、みなさんスーパーダンサーだけにお忙しくリハーサルのスケジュールが調整できなかったために、今月にずれ込んだわけです。
しっかりビデオ撮りましたよ。ビデオで見ると、グラディス・ケイコ、ほんとに歌ってるみたいに見えるから面白いですね。終わったあと、マイケルに言われました。「ビデオ、ちゃんと撮ったか。そしたら、それ持って、営業取ってきて」 忘年会のネタあたりには、いいと思うんだが。ま、営業もできるか。ギャラはいくらくらいまで言ってもいいのだろうか。
でも、これ受けるのって、この「夜汽車よ、ジョージアへ」を知ってる人たちだよねえ。けっこう年齢層高いかもしれませんね。年末の「お笑い物まね大作戦」あたりにいれこむか。…そんな番組ないって。
ビデオとりの、営業とりの早起き鳥・・・。フッ、フッ〜〜〜(もう一度ピップス風に)
まあ、いろいろイヴェントはあるわけですよ。ちょっと内輪ネタが続いて申し訳ないのですが。(笑) 先日の白金ダンステリアにおけるイヴェントは『エンバシー・ナイト』というタイトル。何をやるかと言えば、別にたいしたことはやりませんが、かつて72年頃から80年代初期まで六本木にあった伝説的ディスコ「エンバシー」を一夜だけ復活させようという試みってところでしょうか。で、「エンバシー」にちょっとつながりがある人が集まって何かやる、と。
とはいうものの、大体メンツは決まってるわけですね。そんな中、昨日のメインイヴェントは、「グラディス・ケイコ・ナイト&ピップス・エレキバンズ」によるあてぶりの「夜汽車よ、ジョージアへ」。
いやあ、グラディス・ケイコ、顔黒いよ。鼻の穴でかいよ。唇厚いよ。で〜は〜だよ。(派手だよ)
「年とってるんで、ピップス・エレキバンズという名前にしました」(マイケル談)というバックの男性3人組。
手拍子たたくよ。踊りが決まるよ。ターンが揃うよ。みんなまとめて、笑えるよ。
こんな、手軽なエンタテインメント、もっともっとあるといいですね。ピップス・エレキバンズのメンバーは、江守アイさん、ニック岡井さん、マイケル鶴岡さん。平均年齢52.7歳。フッ、フッ〜(ピップス風に)
あてぶり、って英語でなんていうか、考えました。もちろん、ないと思います。直接的な単語は。口パクと踊りの真似、ということで、リップ・シンクとコレオグラフィー・シンクというのを考え出しました。通じるかどうか、自信ないですが。英語の得意な方、なにかいい表現あったら、教えてください。
そうそう、少し自己主張しましょう。僕も、このあてぶりエンタテインメントに少しだけお手伝いしました。この曲の歌詞カードを探して提供したんです。グラディスが歌う部分の歌詞は、それこそ、すぐにでてくるんですが、バックコーラスの部分が入った歌詞はなかなかなくてねえ。ネットでいろいろ探して、やっとの思いで見つけて、グラディス・ケイコに渡したわけです。
で、せっかく探して、CD聞きながらこの歌詞を見ていたら、訳したくなったので、全面的に訳して、日記に書いたわけですね。それが4月19日付け日記です。本当は4月末のイヴェントで踊る予定だったのですが、みなさんスーパーダンサーだけにお忙しくリハーサルのスケジュールが調整できなかったために、今月にずれ込んだわけです。
しっかりビデオ撮りましたよ。ビデオで見ると、グラディス・ケイコ、ほんとに歌ってるみたいに見えるから面白いですね。終わったあと、マイケルに言われました。「ビデオ、ちゃんと撮ったか。そしたら、それ持って、営業取ってきて」 忘年会のネタあたりには、いいと思うんだが。ま、営業もできるか。ギャラはいくらくらいまで言ってもいいのだろうか。
でも、これ受けるのって、この「夜汽車よ、ジョージアへ」を知ってる人たちだよねえ。けっこう年齢層高いかもしれませんね。年末の「お笑い物まね大作戦」あたりにいれこむか。…そんな番組ないって。
ビデオとりの、営業とりの早起き鳥・・・。フッ、フッ〜〜〜(もう一度ピップス風に)
Promotional Talk
2003年5月31日雑談。
ニック岡井、マイケル鶴岡とともに、J-Waveの『ソウル・トレイン』に遊びに行きました。主たる目的は、ニック・プレゼンツ・ディスコ・ソウル・ナイトのイヴェントの告知。いわゆるプロモーションですね。
まあ、打ち合わせもなく、ただひたすら雑談をしてくるという感じなんですが、それでもインターネットの話になって、ニックが「僕の名前、いれると百何件もでてくるんだよね」と言いました。「でも、ニックさん、自分ではそのページ開けないんですよ」と僕。 リュウ「ほんとですか? そういえば、ニックさん最近携帯持ってますよね」 マイケル「でも、メール送っても返事来ないんだよねえ」 僕「そうそう、本人自分のメールアドレス、わかんないのよ」
ニックがたまらず、「もう、僕の話はいいよ〜〜」 といったところで、6月8日のイヴェントの告知。プレゼントとして3組6名さまにあげました。
リスナーの人から、「今、また『ソウル・サーチン』読み返してます」というメールや「『ソウル・サーチン』は私のバイブルです」というメールが来ました。うれしいですね、ありがとうございます。
最近どうですか、とリュウに聞かれたマイケルが、「Yさんのホームページ毎朝見るのが楽しみでねえ。コーヒー飲みながらね。ルーサー、やばいんだ、とか、バリー・ホワイトだいじょうぶか、とかね。そこで勉強するのよ」と答えたのには笑えましたです。はい。
さくっと終わって、ニック、マイケルらとともに、恵比寿ブラウンシュガーへ。カウンターに3人で座ったら、マスター白川氏、「濃い〜〜ですねえ」と。しばし、再び生産性のまったくない雑談を、DJ恵子ちゃんなども交えながら、軽くかわし、終了。ニックを送って行き、「じゃあ、また明日」と言って解散。
白金ダンステリアでは、昨日のイヴェント「エンバシー・ナイト」で「グラディス・ケイコ&ピップス」の「夜汽車よ、ジョージアへ」が見られました。ケイコは、このDJ恵子、そして、ピップスはニックにマイケルに江守アイ氏だ。「キング・オブ・ソウル」は、江守さんではなく、ドン勝本なのだが、このピップスは、言ってみれば「裏キング・オブ・ソウル」って感じでしょうか。
ニック岡井、マイケル鶴岡とともに、J-Waveの『ソウル・トレイン』に遊びに行きました。主たる目的は、ニック・プレゼンツ・ディスコ・ソウル・ナイトのイヴェントの告知。いわゆるプロモーションですね。
まあ、打ち合わせもなく、ただひたすら雑談をしてくるという感じなんですが、それでもインターネットの話になって、ニックが「僕の名前、いれると百何件もでてくるんだよね」と言いました。「でも、ニックさん、自分ではそのページ開けないんですよ」と僕。 リュウ「ほんとですか? そういえば、ニックさん最近携帯持ってますよね」 マイケル「でも、メール送っても返事来ないんだよねえ」 僕「そうそう、本人自分のメールアドレス、わかんないのよ」
ニックがたまらず、「もう、僕の話はいいよ〜〜」 といったところで、6月8日のイヴェントの告知。プレゼントとして3組6名さまにあげました。
リスナーの人から、「今、また『ソウル・サーチン』読み返してます」というメールや「『ソウル・サーチン』は私のバイブルです」というメールが来ました。うれしいですね、ありがとうございます。
最近どうですか、とリュウに聞かれたマイケルが、「Yさんのホームページ毎朝見るのが楽しみでねえ。コーヒー飲みながらね。ルーサー、やばいんだ、とか、バリー・ホワイトだいじょうぶか、とかね。そこで勉強するのよ」と答えたのには笑えましたです。はい。
さくっと終わって、ニック、マイケルらとともに、恵比寿ブラウンシュガーへ。カウンターに3人で座ったら、マスター白川氏、「濃い〜〜ですねえ」と。しばし、再び生産性のまったくない雑談を、DJ恵子ちゃんなども交えながら、軽くかわし、終了。ニックを送って行き、「じゃあ、また明日」と言って解散。
白金ダンステリアでは、昨日のイヴェント「エンバシー・ナイト」で「グラディス・ケイコ&ピップス」の「夜汽車よ、ジョージアへ」が見られました。ケイコは、このDJ恵子、そして、ピップスはニックにマイケルに江守アイ氏だ。「キング・オブ・ソウル」は、江守さんではなく、ドン勝本なのだが、このピップスは、言ってみれば「裏キング・オブ・ソウル」って感じでしょうか。
Dance With My Father
2003年5月30日父。
ルーサー・ヴァンドロスの新作アルバム『ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー』(全米で6月10日、日本では7月9日発売予定)のタイトル曲がオンエアされ始めています。といっても、ニューヨークのFMですが。WBLSが一足先に、プレイしていました。毎週日曜日の『サンデイ・クラシック』の5月4日放送分で、御大ハル・ジャクソンが紹介していました。
以下は、そのエアチェック(正確にはネットチェック?=インターネットで聞きながらカセットに録音した)したものを聞き取って、一部訳してみました。音が途切れたり、よく聞き取れなかったりしているので、とりあえず、仮訳ということでご了解ください。(笑)
すでに書いたとおり、ルーサーの父は、ルーサーが8歳頃の時に他界しています。なので、彼にとっては7−8歳くらいまでしか父の記憶はありません。以来、母親に育てられてきたわけです。その彼が父親との思い出をつづったのが、この「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」です。
ここでは、「ダンス・ウィズ・・・」は直接的には父とダンスを踊る、ということになりますが、全体的なニュアンスからすると、父親と一緒に過ごす、遊ぶ、戯れる、といったことすべてを指しているようです。父がほぼいなかったに等しいルーサーが、「もし父がいれば一緒に遊びたかった」と心の内を吐露する傑作です。ルーサーの母がこれを聞いて「よく7歳くらいまでの記憶がこんなにあるものだ」と言って号泣したのもうなづけます。
ゆったりとしたちょっとだけリズムのあるスロー・バラード。こういう状況でもあるので、大ヒットまちがいありません。ひょっとして、全米ナンバーワンにもなるかもしれません。もちろん、彼が元気でも、この曲は彼にとって「ヒア・アンド・ナウ」以来の大ヒットになるでしょう。単純に父と息子というテーマは、曲のテーマとして、永遠に不滅です。
「僕が子供だった頃、すべては無邪気だった。父は母や僕と一緒にダンスを踊ってくれた。寝付くまで、僕をあやしてくれた。そんな時確信したものだ。僕は愛されている、って。
もう一度チャンスがあるなら、一緒に父と散歩をしたり、踊ってみたい。きっと母だって父ともう一度踊ってみたいと思っているだろう。
母の言い付けに僕が納得できない時、父は僕を笑わせ、慰め、結局母の言い付けたことを僕にやらせてしまったものだ。
もう一度父を見ることができるなら、最後のダンスを一緒にできるなら、僕は決して終わることがない歌をかけよう。なぜって、僕はもう一度、父と一緒にダンスをとっても、とっても踊りたいから」
ルーサーは、ブラックチャートでは7曲のナンバーワン・ソングを記録していますが、まだ、ポップチャートでは1位になったことがありません。この「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」はルーサーにとって初のポップにおけるナンバーワンになるでしょう。注目していてください。ほんと、胸を打つめちゃくちゃいい曲です。すでに何度もリピートして、今週の僕のへヴィーローテーションです。
この歌詞の一部を借りるなら、「もう一度チャンスがあるなら、僕はルーサーのライヴを見たい。 If I could get another chance, I’d love to see Luther sings」っていう感じです。WBLSでこの曲が終わったときに、ドロップ(アーティストなどのちょっとした声のメッセージのこと)が入りました。ルーサー本人の元気な声です。「ハ〜イ、ルーサー・ヴァンドロスです。僕がニューヨークにいる時は、ハル・ジャクソンのサンデイ・クラシックを聞いています。107.5、WBLS−New York」
ルーサー・ヴァンドロスの新作アルバム『ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー』(全米で6月10日、日本では7月9日発売予定)のタイトル曲がオンエアされ始めています。といっても、ニューヨークのFMですが。WBLSが一足先に、プレイしていました。毎週日曜日の『サンデイ・クラシック』の5月4日放送分で、御大ハル・ジャクソンが紹介していました。
以下は、そのエアチェック(正確にはネットチェック?=インターネットで聞きながらカセットに録音した)したものを聞き取って、一部訳してみました。音が途切れたり、よく聞き取れなかったりしているので、とりあえず、仮訳ということでご了解ください。(笑)
すでに書いたとおり、ルーサーの父は、ルーサーが8歳頃の時に他界しています。なので、彼にとっては7−8歳くらいまでしか父の記憶はありません。以来、母親に育てられてきたわけです。その彼が父親との思い出をつづったのが、この「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」です。
ここでは、「ダンス・ウィズ・・・」は直接的には父とダンスを踊る、ということになりますが、全体的なニュアンスからすると、父親と一緒に過ごす、遊ぶ、戯れる、といったことすべてを指しているようです。父がほぼいなかったに等しいルーサーが、「もし父がいれば一緒に遊びたかった」と心の内を吐露する傑作です。ルーサーの母がこれを聞いて「よく7歳くらいまでの記憶がこんなにあるものだ」と言って号泣したのもうなづけます。
ゆったりとしたちょっとだけリズムのあるスロー・バラード。こういう状況でもあるので、大ヒットまちがいありません。ひょっとして、全米ナンバーワンにもなるかもしれません。もちろん、彼が元気でも、この曲は彼にとって「ヒア・アンド・ナウ」以来の大ヒットになるでしょう。単純に父と息子というテーマは、曲のテーマとして、永遠に不滅です。
「僕が子供だった頃、すべては無邪気だった。父は母や僕と一緒にダンスを踊ってくれた。寝付くまで、僕をあやしてくれた。そんな時確信したものだ。僕は愛されている、って。
もう一度チャンスがあるなら、一緒に父と散歩をしたり、踊ってみたい。きっと母だって父ともう一度踊ってみたいと思っているだろう。
母の言い付けに僕が納得できない時、父は僕を笑わせ、慰め、結局母の言い付けたことを僕にやらせてしまったものだ。
もう一度父を見ることができるなら、最後のダンスを一緒にできるなら、僕は決して終わることがない歌をかけよう。なぜって、僕はもう一度、父と一緒にダンスをとっても、とっても踊りたいから」
ルーサーは、ブラックチャートでは7曲のナンバーワン・ソングを記録していますが、まだ、ポップチャートでは1位になったことがありません。この「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」はルーサーにとって初のポップにおけるナンバーワンになるでしょう。注目していてください。ほんと、胸を打つめちゃくちゃいい曲です。すでに何度もリピートして、今週の僕のへヴィーローテーションです。
この歌詞の一部を借りるなら、「もう一度チャンスがあるなら、僕はルーサーのライヴを見たい。 If I could get another chance, I’d love to see Luther sings」っていう感じです。WBLSでこの曲が終わったときに、ドロップ(アーティストなどのちょっとした声のメッセージのこと)が入りました。ルーサー本人の元気な声です。「ハ〜イ、ルーサー・ヴァンドロスです。僕がニューヨークにいる時は、ハル・ジャクソンのサンデイ・クラシックを聞いています。107.5、WBLS−New York」
舌雅。
読み方は、「たんまさ」。4月始めに小冊子が送られてきた。高校時代の同窓生向けに年1回発行される雑誌で、これが2号目だった。表紙は歌舞伎の市川右近さん。A4版40ページ程度の薄い雑誌なのだが、ぱらぱらとめくっているうちに、一枚の写真にひっかかった。
それはヤマハの全面広告だった。男の人が居酒屋風のところで楽しそうにギターを弾いている写真。コピーは、「ブルースが好きで好きで習い始めた。もう一杯、いやもう一曲いかがですか?」 広告の狙いは音楽好きのみなさん、ギターでも習い始めましょう、というものだ。しかし、僕が惹かれたのは、コピーもさながら、その彼の後ろの壁に貼られていた一枚のポスターだった。
「Club Paradise, O.V.Wright...Little Eddie Wright...」 明らかにアメリカ南部の小さなライヴハウスのライヴ告知ポスターだ。O.V.ライトのポスターを貼るとは、むむ、これは・・・。お主、何者ぞ。この店に行きたい、と当然思う。ところが、店の名前、住所電話番号などがまったく書かれていない。よく見ると、「平尾雅和・牛たん料理店店主、四十四歳、続・音楽時代はじまる。」と書いてある。だが、店名は? ヤマハの音楽レッスンの広告なので、その案内は書かれているのだが。
そして、目を皿のようにして何度もその写真を見ていると、右端のほうに、一枚の紙が貼られている。「炭火牛たん焼、舌雅(たんまさ) 目黒鷹番」 ええ〜〜? これが店の名前なのかなあ。しかし手がかりがこれだけだ。店の看板というか、こんなところに張らないだろう。でも、店紹介データを載せないかわりに、この看板のような一枚の紙をここに貼ったのかとも思い、ネットで検索してみた。
すると出てきた。はい。舌雅。目黒・鷹番。間違いなし。住所、電話番号、確認。そうかあ。ソウル牛タン屋か・・・。いや、ブルーズ牛タン屋か。
そして、それから一ヶ月余。行く機会が訪れた。「ゲロッパ」の試写の帰り。そこで会った人たちに声をかけた。「ちょっと、鷹番の面白そうな牛タン屋行かない?」 さすがに住宅街にあったので、なかなか探せなかったが、匂いでわかるというか、あれじゃないの、というちょうちん風の店を発見。
引き戸をあけて中に入ると、カウンター10席だけの小さな店。そして、あのポスターが貼ってあった。広告と位置は違ってたが。きっと、撮影用に場所を変えたんだろう。そして、主人もあの写真に映っていたその人だった。われわれが入ると席すべてがふさがってしまった。主人一人が次々と注文をさばいているが、それぞれに丁寧な仕事をしているためか、なかなかゆっくりしたペースだ。一人で10人のオーダーをこなすのは、かなり大変だ。こちらも、ゆっくり構えることにする。
まずはパリパリ浅漬け。うまい。牛タン、うまかった。ゆでたタン、タン塩。豆腐よう。鮭のハラス焼。うまい。どれもていねいな仕事がしてある。豆腐ようなどは、そのまま仕入れているそうだが。(笑) ゴーヤのさっと炒め、あたりめ、う〜ん、思い出すだけでも、また食べたくなる。パリパリ浅漬けなんて、店にはいってまず頼み、後半でもう一度頼んでしまった。牛タン、しっかりした厚みがあり、味がある。これはまた食べたくなる。
この日は食することができなかったが、シチューもある。そこで、パンもある。となりのカップルがシチューを頼んでいて、それをじ〜っと見ていたら、声をかけられた。「これ、おいしいんですよ」 「そ、そうみたいですね。次回、絶対頼みます」 非常に質の高い牛タンという感じがした。焼酎も30本近く種類がある。主人は次々と料理と飲み物を作るのに忙しいので、やたらと話し掛けるのがはばかられたが、それでも何か声をかければ、誠実に答えてくれる。
かすかに流れるBGMは、ばりばりのブルーズ。やっぱりねえ、ポスター見て、想像はした。マスターに尋ねた。このBGMは? 「あ、これ、有線なんです」 おっと、有線でしたかあ。しかし、この店で、ポスター以上に僕の目を点にしたのが、チェスなどの7インチシングルを数枚ほど壁に直接貼ってあったところ。マニアックだ。2000年6月オープンで、まもなく3周年。
死ぬほど食べてひとり約3500円。帰り際に「ショップカードありますか?」と尋ねると、「あなた様のご多幸を心より祈って。舌雅、ご縁袋」という名刺大の小さな袋をもらった。手渡された瞬間、袋の中に硬いものがあるのを知った。指先が5円玉の存在を教えてくれた。
O.V.ライトに導かれた隠れ家的牛タン屋さん。O.Vに感謝!
読み方は、「たんまさ」。4月始めに小冊子が送られてきた。高校時代の同窓生向けに年1回発行される雑誌で、これが2号目だった。表紙は歌舞伎の市川右近さん。A4版40ページ程度の薄い雑誌なのだが、ぱらぱらとめくっているうちに、一枚の写真にひっかかった。
それはヤマハの全面広告だった。男の人が居酒屋風のところで楽しそうにギターを弾いている写真。コピーは、「ブルースが好きで好きで習い始めた。もう一杯、いやもう一曲いかがですか?」 広告の狙いは音楽好きのみなさん、ギターでも習い始めましょう、というものだ。しかし、僕が惹かれたのは、コピーもさながら、その彼の後ろの壁に貼られていた一枚のポスターだった。
「Club Paradise, O.V.Wright...Little Eddie Wright...」 明らかにアメリカ南部の小さなライヴハウスのライヴ告知ポスターだ。O.V.ライトのポスターを貼るとは、むむ、これは・・・。お主、何者ぞ。この店に行きたい、と当然思う。ところが、店の名前、住所電話番号などがまったく書かれていない。よく見ると、「平尾雅和・牛たん料理店店主、四十四歳、続・音楽時代はじまる。」と書いてある。だが、店名は? ヤマハの音楽レッスンの広告なので、その案内は書かれているのだが。
そして、目を皿のようにして何度もその写真を見ていると、右端のほうに、一枚の紙が貼られている。「炭火牛たん焼、舌雅(たんまさ) 目黒鷹番」 ええ〜〜? これが店の名前なのかなあ。しかし手がかりがこれだけだ。店の看板というか、こんなところに張らないだろう。でも、店紹介データを載せないかわりに、この看板のような一枚の紙をここに貼ったのかとも思い、ネットで検索してみた。
すると出てきた。はい。舌雅。目黒・鷹番。間違いなし。住所、電話番号、確認。そうかあ。ソウル牛タン屋か・・・。いや、ブルーズ牛タン屋か。
そして、それから一ヶ月余。行く機会が訪れた。「ゲロッパ」の試写の帰り。そこで会った人たちに声をかけた。「ちょっと、鷹番の面白そうな牛タン屋行かない?」 さすがに住宅街にあったので、なかなか探せなかったが、匂いでわかるというか、あれじゃないの、というちょうちん風の店を発見。
引き戸をあけて中に入ると、カウンター10席だけの小さな店。そして、あのポスターが貼ってあった。広告と位置は違ってたが。きっと、撮影用に場所を変えたんだろう。そして、主人もあの写真に映っていたその人だった。われわれが入ると席すべてがふさがってしまった。主人一人が次々と注文をさばいているが、それぞれに丁寧な仕事をしているためか、なかなかゆっくりしたペースだ。一人で10人のオーダーをこなすのは、かなり大変だ。こちらも、ゆっくり構えることにする。
まずはパリパリ浅漬け。うまい。牛タン、うまかった。ゆでたタン、タン塩。豆腐よう。鮭のハラス焼。うまい。どれもていねいな仕事がしてある。豆腐ようなどは、そのまま仕入れているそうだが。(笑) ゴーヤのさっと炒め、あたりめ、う〜ん、思い出すだけでも、また食べたくなる。パリパリ浅漬けなんて、店にはいってまず頼み、後半でもう一度頼んでしまった。牛タン、しっかりした厚みがあり、味がある。これはまた食べたくなる。
この日は食することができなかったが、シチューもある。そこで、パンもある。となりのカップルがシチューを頼んでいて、それをじ〜っと見ていたら、声をかけられた。「これ、おいしいんですよ」 「そ、そうみたいですね。次回、絶対頼みます」 非常に質の高い牛タンという感じがした。焼酎も30本近く種類がある。主人は次々と料理と飲み物を作るのに忙しいので、やたらと話し掛けるのがはばかられたが、それでも何か声をかければ、誠実に答えてくれる。
かすかに流れるBGMは、ばりばりのブルーズ。やっぱりねえ、ポスター見て、想像はした。マスターに尋ねた。このBGMは? 「あ、これ、有線なんです」 おっと、有線でしたかあ。しかし、この店で、ポスター以上に僕の目を点にしたのが、チェスなどの7インチシングルを数枚ほど壁に直接貼ってあったところ。マニアックだ。2000年6月オープンで、まもなく3周年。
死ぬほど食べてひとり約3500円。帰り際に「ショップカードありますか?」と尋ねると、「あなた様のご多幸を心より祈って。舌雅、ご縁袋」という名刺大の小さな袋をもらった。手渡された瞬間、袋の中に硬いものがあるのを知った。指先が5円玉の存在を教えてくれた。
O.V.ライトに導かれた隠れ家的牛タン屋さん。O.Vに感謝!
The Song That Changed His Life
2003年5月28日鳥肌。
DJマーヴィンが尋ねます。「なぜ、この曲を選んだんですか」 ニックが答えます。「この曲、リアルタイムで聴いてたんですよ。向こう(アメリカ)ではやっていた頃。やっぱりね、僕は、これ聴いて何十年とここまでやってきたような感じなんでね。この曲だけは、お墓に入るときもこの曲を流して欲しいな、って思って。(笑) それくらい好きです!」
『ソウル・ブレンズ』でのニックさんセレクションの2曲目は、彼のこのコメントとともに紹介されたテンプテーションズの「マイ・ガール」でした。アメリカでは1965年1月からヒットし始めたので、1947年9月29日生まれのニック岡井は、その時17歳でした。まだ青山あたりで遊んでいる頃のことでした。
そして、その曲を聴いて、ソウル、ダンスの魅力にとりつかれたニックは、大学を一年で辞め、どっぷりこちら側の世界に足を踏み入れました。以来、38年、ニックは今日まで踊り続けています。生涯一ダンサー、生涯一ソウルブラザーです。まさに「マイ・ガール」はニックの人生を変えた一曲ということになります。
ある一曲をDJなり、ラジオのパーソナリティーが紹介するとき、そこに選曲の必然性があれば、そのプレイされる曲には「かけられる意味」が生まれます。その曲は、プレイする人にとってどんな意味があるのか、あるいは、それを歌うシンガーにとってどんな意味を持った曲なのか、それを解説してプレイすれば、聞く人々もその曲をよりよく理解することができ、ときには感動することもできるのです。
今まで何千回と聞いてきた同じ曲が、それをかけるDJの一言によって、あるいは紹介されるエピソードによって、まったく違った輝きを放つことにもなるのです。そして、そのエピソードを聞いてリスナーがその曲をより好きになったとすれば、それは曲を紹介する側としても大いなる意義があるわけです。DJや音楽を紹介する者は、本来そうしたことにもっと力を注ぐべきなのですが、最近はとてもそんなことをする人が少なくなりました。それはとりもなおさず、DJたちが音楽の魅力を、リスナーに伝えていないということなのです。
だから、音楽の力が弱くなり、まあ、コピーでいいか、MP3でいいか、CD焼けばいいか、ということにつながっていくのです。もちろん、音楽の力が弱くなっているのはDJだけのせいではありません。ミュージシャン自身も弱くなっているのでしょう。
「これを聴いて、何十年とここまでやってきた」 大ヴェテラン、ニック岡井の歴史的記念すべき第一歩がテンプテーションズの「マイ・ガール」だったわけです。そして、そのエピソードを披露した彼は、見事に「マイ・ガール」にゴールドの輝きを与えたのです。
テンプテーションズの「マイ・ガール」に、その瞬間、特別な意味が付加されました。だからラジオの前の人の鳥肌が立つのも当然なのです。
DJマーヴィンが尋ねます。「なぜ、この曲を選んだんですか」 ニックが答えます。「この曲、リアルタイムで聴いてたんですよ。向こう(アメリカ)ではやっていた頃。やっぱりね、僕は、これ聴いて何十年とここまでやってきたような感じなんでね。この曲だけは、お墓に入るときもこの曲を流して欲しいな、って思って。(笑) それくらい好きです!」
『ソウル・ブレンズ』でのニックさんセレクションの2曲目は、彼のこのコメントとともに紹介されたテンプテーションズの「マイ・ガール」でした。アメリカでは1965年1月からヒットし始めたので、1947年9月29日生まれのニック岡井は、その時17歳でした。まだ青山あたりで遊んでいる頃のことでした。
そして、その曲を聴いて、ソウル、ダンスの魅力にとりつかれたニックは、大学を一年で辞め、どっぷりこちら側の世界に足を踏み入れました。以来、38年、ニックは今日まで踊り続けています。生涯一ダンサー、生涯一ソウルブラザーです。まさに「マイ・ガール」はニックの人生を変えた一曲ということになります。
ある一曲をDJなり、ラジオのパーソナリティーが紹介するとき、そこに選曲の必然性があれば、そのプレイされる曲には「かけられる意味」が生まれます。その曲は、プレイする人にとってどんな意味があるのか、あるいは、それを歌うシンガーにとってどんな意味を持った曲なのか、それを解説してプレイすれば、聞く人々もその曲をよりよく理解することができ、ときには感動することもできるのです。
今まで何千回と聞いてきた同じ曲が、それをかけるDJの一言によって、あるいは紹介されるエピソードによって、まったく違った輝きを放つことにもなるのです。そして、そのエピソードを聞いてリスナーがその曲をより好きになったとすれば、それは曲を紹介する側としても大いなる意義があるわけです。DJや音楽を紹介する者は、本来そうしたことにもっと力を注ぐべきなのですが、最近はとてもそんなことをする人が少なくなりました。それはとりもなおさず、DJたちが音楽の魅力を、リスナーに伝えていないということなのです。
だから、音楽の力が弱くなり、まあ、コピーでいいか、MP3でいいか、CD焼けばいいか、ということにつながっていくのです。もちろん、音楽の力が弱くなっているのはDJだけのせいではありません。ミュージシャン自身も弱くなっているのでしょう。
「これを聴いて、何十年とここまでやってきた」 大ヴェテラン、ニック岡井の歴史的記念すべき第一歩がテンプテーションズの「マイ・ガール」だったわけです。そして、そのエピソードを披露した彼は、見事に「マイ・ガール」にゴールドの輝きを与えたのです。
テンプテーションズの「マイ・ガール」に、その瞬間、特別な意味が付加されました。だからラジオの前の人の鳥肌が立つのも当然なのです。
伝説。
ディスコの歴史も、すでに30年以上数えます。これだけの長き年月があれば、そこには伝説のひとつやふたつは生まれます。1965年、ラジオから流れてきたテンプテーションズの「マイ・ガール」に心打たれた当時17歳の男は、以来、ソウル、R&B、そして、ダンスにどっぷりとつかり今日まで、ソウル一筋、ダンス一筋でやってきました。ミスター・ニック岡井! その人です。そのニックが来る6月8日(日)、ニック・プレゼンツとして初めてのイヴェントを川崎クラブチッタで行います。
詳細は、下記サイトで。チケットプレゼントもあります。
http://www.teccom.jp/contents/souldisco_nite.htm
日本独自の文化のひとつであるステップダンスの考案者として、また現役ダンサーとしていまだに数多くのイヴェントで踊ったり、ステップダンスの教則ビデオでの講師役など、そして、日本語のダンスクラシック「可愛い人よ」を歌うクック・ニック&チャッキーのひとりとして、幅広いフィールドで大活躍中です。言ってみれば、現役であり伝説でもあるダンサー、それがニック岡井です。
このイヴェントは、ニックさんたちのクラシック・ダンス、さまざまなステップ・ダンス、ライヴ・バンドの演奏なども行われます。そして、映画『ゲロッパ』の井筒監督などもスペシャル・ゲストとして登場する予定です。
日本におけるソウル、ダンスの歴史が一夜に凝縮されるイヴェントでもいうことになるのでしょうか。みなさんも、お時間ある方は、ぜひ。
ビッグ・シャウト・アウト・トゥ、ミスター・ニック岡井、55歳。生涯一ダンサー!
はっきり言って、いつ会っても、彼は若いです。
+++++
ディスコの歴史も、すでに30年以上数えます。これだけの長き年月があれば、そこには伝説のひとつやふたつは生まれます。1965年、ラジオから流れてきたテンプテーションズの「マイ・ガール」に心打たれた当時17歳の男は、以来、ソウル、R&B、そして、ダンスにどっぷりとつかり今日まで、ソウル一筋、ダンス一筋でやってきました。ミスター・ニック岡井! その人です。そのニックが来る6月8日(日)、ニック・プレゼンツとして初めてのイヴェントを川崎クラブチッタで行います。
詳細は、下記サイトで。チケットプレゼントもあります。
http://www.teccom.jp/contents/souldisco_nite.htm
日本独自の文化のひとつであるステップダンスの考案者として、また現役ダンサーとしていまだに数多くのイヴェントで踊ったり、ステップダンスの教則ビデオでの講師役など、そして、日本語のダンスクラシック「可愛い人よ」を歌うクック・ニック&チャッキーのひとりとして、幅広いフィールドで大活躍中です。言ってみれば、現役であり伝説でもあるダンサー、それがニック岡井です。
このイヴェントは、ニックさんたちのクラシック・ダンス、さまざまなステップ・ダンス、ライヴ・バンドの演奏なども行われます。そして、映画『ゲロッパ』の井筒監督などもスペシャル・ゲストとして登場する予定です。
日本におけるソウル、ダンスの歴史が一夜に凝縮されるイヴェントでもいうことになるのでしょうか。みなさんも、お時間ある方は、ぜひ。
ビッグ・シャウト・アウト・トゥ、ミスター・ニック岡井、55歳。生涯一ダンサー!
はっきり言って、いつ会っても、彼は若いです。
+++++
Mr. Dabada: Carlos Jean Showcase Live
2003年5月26日ダバダ。
回る、回る、頭の中を、止めどもなく回る。アップテンポの「ダバダ・・・」の響き。スキャットマン・ジョン風のノヴェルティー・ソング「ミスター・ダバダ」をヒットさせているのが、スペイン生まれのカルロス・ジーン。「バダバ、ダバダバ、ダバダバ・・・」 一度聞いたら、決して忘れません。超強烈な、いつのまにか口ずさんでしまいそうな、この夏に大ヒット間違いない一曲です。
そのカルロス・ジーンのショーケース・ライヴが24日(土曜日)、東京・青山のレストラン「カイ」で行われました。ほんの40分程度でしたが、バンドを従えてのもの。しかも、オープニングは、かなり凝ってました。
彼のファーストアルバム(日本未発)で、宇宙に行ったらしいのですが、このセカンド(本邦デビュー作=『ミスター・ダバダ』=原題バック・トゥ・ジ・アース)では、地球に戻ってくるわけです。そこで、宇宙服のようなものを着たメンバーがステージに登場して、大爆音とともにライヴが始まるという演出です。
ちょっと大げさに言えば、その昔のアース・ウィンド&ファイアーの演出にも似たものを感じました。もちろんアースほどおおがかりではありませんが。ドラム、ギター、ベースなどが刻むリズムは、すっきりしたファンク系の音。ま、言ってみれば、これが新しい「スパニッシュ・ファンク」ってところでしょうか。あるいは「ユーロディスコ・ファンク」かな。現地では昨年大ヒット、若干、テクノ系のようにも捉えられているようですが、ライヴバンドを見ると、ポップなファンク系の比重が強いように思えます。
そして、スキャットマン・ジョンなどに通じるめちゃくちゃ明るさがあって、ポップ、わかりやすくて、理屈抜き、それが最大の魅力です。ダバダのリズムは、誰でも踊れます。彼らがファンク、あるいは、ダンス・ミュージックへアプローチする方法は、ちょうど日本人やイギリス人がそうする方法と似ています。だから、日本人ミュージシャンもこれくらいできるだろう、と思えてきます。そういう意味ではゆるいファンクかな。
「オーラ・サンバ」は、サンタナのヒット「オエコモバ」をフィーチャーしてやっていました。この日ライヴではやりませんでしたが、CDでは「カンフー・ファイティング」をカヴァーしています。
ライヴが一通り終わり、カルロスがステージに戻ってきました。司会者のケイ・グラントさんといくつかの一問一答。ライヴ前にケイさんが彼のプロフィールを紹介したときに、「カルロスは1973年の6月生まれで、来月30歳になります」と言うと、観客から「えええっ」という驚きの声が。これは一体どういう意味でしょう。(笑) つまり、あの風貌からすると、もっと年をとっているように思えたのでしょうか。ま、きっとそうなんでしょうね。
そして、「今度のアルバムは、いろいろな音楽的要素を取り入れた。だから、これを聞けば世界中を旅できる、そんなアルバムだ」と彼はスペイン語で説明しました。スペイン語、皆目わかりません。「影響を受けたのは、最初の頃はマドンナ、マイケル・ジャクソン、それからファットボーイ・スリム、ジャミロクワイ、エミネム、ミゲール・ホセ、ウィリアム・オービット・・・などなど」 うむ、アーティスト名のところだけ、聞き取れた。
打ち上げの席にやってきた彼に、「ムーチョグスト」(こんにちは)、「メ・アレグロ・デ・コノセルレ」(お会いできて光栄です)の二つの言葉を、レコード会社の人が持っていたスペイン語会話の本から覚えて、本人にお声がけしました。通じたのかねえ。(笑) もうひとつ覚えました、スペイン語。「サル〜」(乾杯)
(2003年5月24日(土)東京青山レストランCAY)
回る、回る、頭の中を、止めどもなく回る。アップテンポの「ダバダ・・・」の響き。スキャットマン・ジョン風のノヴェルティー・ソング「ミスター・ダバダ」をヒットさせているのが、スペイン生まれのカルロス・ジーン。「バダバ、ダバダバ、ダバダバ・・・」 一度聞いたら、決して忘れません。超強烈な、いつのまにか口ずさんでしまいそうな、この夏に大ヒット間違いない一曲です。
そのカルロス・ジーンのショーケース・ライヴが24日(土曜日)、東京・青山のレストラン「カイ」で行われました。ほんの40分程度でしたが、バンドを従えてのもの。しかも、オープニングは、かなり凝ってました。
彼のファーストアルバム(日本未発)で、宇宙に行ったらしいのですが、このセカンド(本邦デビュー作=『ミスター・ダバダ』=原題バック・トゥ・ジ・アース)では、地球に戻ってくるわけです。そこで、宇宙服のようなものを着たメンバーがステージに登場して、大爆音とともにライヴが始まるという演出です。
ちょっと大げさに言えば、その昔のアース・ウィンド&ファイアーの演出にも似たものを感じました。もちろんアースほどおおがかりではありませんが。ドラム、ギター、ベースなどが刻むリズムは、すっきりしたファンク系の音。ま、言ってみれば、これが新しい「スパニッシュ・ファンク」ってところでしょうか。あるいは「ユーロディスコ・ファンク」かな。現地では昨年大ヒット、若干、テクノ系のようにも捉えられているようですが、ライヴバンドを見ると、ポップなファンク系の比重が強いように思えます。
そして、スキャットマン・ジョンなどに通じるめちゃくちゃ明るさがあって、ポップ、わかりやすくて、理屈抜き、それが最大の魅力です。ダバダのリズムは、誰でも踊れます。彼らがファンク、あるいは、ダンス・ミュージックへアプローチする方法は、ちょうど日本人やイギリス人がそうする方法と似ています。だから、日本人ミュージシャンもこれくらいできるだろう、と思えてきます。そういう意味ではゆるいファンクかな。
「オーラ・サンバ」は、サンタナのヒット「オエコモバ」をフィーチャーしてやっていました。この日ライヴではやりませんでしたが、CDでは「カンフー・ファイティング」をカヴァーしています。
ライヴが一通り終わり、カルロスがステージに戻ってきました。司会者のケイ・グラントさんといくつかの一問一答。ライヴ前にケイさんが彼のプロフィールを紹介したときに、「カルロスは1973年の6月生まれで、来月30歳になります」と言うと、観客から「えええっ」という驚きの声が。これは一体どういう意味でしょう。(笑) つまり、あの風貌からすると、もっと年をとっているように思えたのでしょうか。ま、きっとそうなんでしょうね。
そして、「今度のアルバムは、いろいろな音楽的要素を取り入れた。だから、これを聞けば世界中を旅できる、そんなアルバムだ」と彼はスペイン語で説明しました。スペイン語、皆目わかりません。「影響を受けたのは、最初の頃はマドンナ、マイケル・ジャクソン、それからファットボーイ・スリム、ジャミロクワイ、エミネム、ミゲール・ホセ、ウィリアム・オービット・・・などなど」 うむ、アーティスト名のところだけ、聞き取れた。
打ち上げの席にやってきた彼に、「ムーチョグスト」(こんにちは)、「メ・アレグロ・デ・コノセルレ」(お会いできて光栄です)の二つの言葉を、レコード会社の人が持っていたスペイン語会話の本から覚えて、本人にお声がけしました。通じたのかねえ。(笑) もうひとつ覚えました、スペイン語。「サル〜」(乾杯)
(2003年5月24日(土)東京青山レストランCAY)
He is News Maniac
2003年5月25日ニュース魔。
「ゲロッパ」の試写会の続き。ここでは、何人かの知り合いに会ったのですが、テレビのワイドショウなどで活躍されているD.Sさんと久々に話しました。会うなり、「ルーサー大変だよねえ。僕、前シカゴで(ライヴ)見てね。もう、最高だよねえ。これが音楽だよね。今の音楽は、つまらないよねえ。きちんとメロディー歌わないもんね。ホイットニー・ヒューストンがだめにしたんだろうね。こう、メロディーくずす歌い方始めちゃって。(シカゴでは)両親と一緒に行ったんだけど、ほとんど黒人で、白人なんて僕たちくらいしかいなかった。でも、みんなおしゃれしててね」とひとしきり、ルーサー話をまくしてたてたかと思ったら、「バリー・ホワイトは大丈夫みたいよ」ときたもんだ。みんな見てるニュースは一緒なんですね。(笑)
ホイットニー悪役説は、初めて聞きました。(笑) どうなんですかねえ。そこんとこ、もう少し検証してみたいですね。彼はシカゴ出身で、なぜかソウル・ミュージックが大好きで、昔からどこかで会うとソウル話に花が咲く。「今、マックだと、一曲99セントで、昔のソウルのヒット曲とかを合法的にダウンロードできるの、知ってる? これも便利。Yさん、どっち? あ、ウィンドウズか。それ、もうしばらくしたら、できるようになるよ。で、ためしにスピナーズの『ゲームス・ピープル・プレイ』ダウンロードしてみた。いったんハードディスクに落とすから、一度落とせばいつでも聞けるし、そのままCDに焼いてもいいし。あの曲、好きなのよね。決済? クレジットカード。でも、アメリカ発行のやつみたい。たぶん、承認の問題があるんじゃないかな」
ということは、日本からではまだだめかな。アメリカ国内で発行されたカードを持ってればいいわけですね。サイトの名前を聞いたのですが、ちょっと度忘れしてしまいました。だから、その場でメモしなきゃいけないんですよねえ。メモ、メモ。D.Sさんは、ニュース魔だからねえ。いろんなニュース知ってます。
「ゲロッパ」のサントラというのが、映画公開にあわせて発売されます。ジェームス・ブラウンの「セックス・マシン」、「マザー・ポップコーン」など映画で使われた曲が収録されています。強力なコンピです。たしかインナーライフの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」も収録されるとか聞いたんですが、はいってませんね。これは、没になったのかな。
エンディングでは、ドン勝本、ニック岡井、マイケル鶴岡、3人あわせてキング・オブ・ソウルもばっちり映ってます。
「ゲロッパ」の試写会の続き。ここでは、何人かの知り合いに会ったのですが、テレビのワイドショウなどで活躍されているD.Sさんと久々に話しました。会うなり、「ルーサー大変だよねえ。僕、前シカゴで(ライヴ)見てね。もう、最高だよねえ。これが音楽だよね。今の音楽は、つまらないよねえ。きちんとメロディー歌わないもんね。ホイットニー・ヒューストンがだめにしたんだろうね。こう、メロディーくずす歌い方始めちゃって。(シカゴでは)両親と一緒に行ったんだけど、ほとんど黒人で、白人なんて僕たちくらいしかいなかった。でも、みんなおしゃれしててね」とひとしきり、ルーサー話をまくしてたてたかと思ったら、「バリー・ホワイトは大丈夫みたいよ」ときたもんだ。みんな見てるニュースは一緒なんですね。(笑)
ホイットニー悪役説は、初めて聞きました。(笑) どうなんですかねえ。そこんとこ、もう少し検証してみたいですね。彼はシカゴ出身で、なぜかソウル・ミュージックが大好きで、昔からどこかで会うとソウル話に花が咲く。「今、マックだと、一曲99セントで、昔のソウルのヒット曲とかを合法的にダウンロードできるの、知ってる? これも便利。Yさん、どっち? あ、ウィンドウズか。それ、もうしばらくしたら、できるようになるよ。で、ためしにスピナーズの『ゲームス・ピープル・プレイ』ダウンロードしてみた。いったんハードディスクに落とすから、一度落とせばいつでも聞けるし、そのままCDに焼いてもいいし。あの曲、好きなのよね。決済? クレジットカード。でも、アメリカ発行のやつみたい。たぶん、承認の問題があるんじゃないかな」
ということは、日本からではまだだめかな。アメリカ国内で発行されたカードを持ってればいいわけですね。サイトの名前を聞いたのですが、ちょっと度忘れしてしまいました。だから、その場でメモしなきゃいけないんですよねえ。メモ、メモ。D.Sさんは、ニュース魔だからねえ。いろんなニュース知ってます。
「ゲロッパ」のサントラというのが、映画公開にあわせて発売されます。ジェームス・ブラウンの「セックス・マシン」、「マザー・ポップコーン」など映画で使われた曲が収録されています。強力なコンピです。たしかインナーライフの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」も収録されるとか聞いたんですが、はいってませんね。これは、没になったのかな。
エンディングでは、ドン勝本、ニック岡井、マイケル鶴岡、3人あわせてキング・オブ・ソウルもばっちり映ってます。
Get Up is The Name Of The Movie
2003年5月24日ゲロッパ。
ついに完成です。井筒和幸監督の新作映画『ゲロッパ』、見ました。思った通り、楽しかった。
収監を数日後に控えた組長、羽原大介(西田敏行)にはやり残したことがふたつある。ひとつは25年前に生き別れてしまった娘かおり(常盤貴子)と再会すること、そしてもうひとつは、大好きなジェームス・ブラウンの名古屋公演を見ること。組を解散すると意を決した羽原組長。その一番舎弟、金山(岸部一徳)はある決意を固め、子分(山本太郎)たちに命令を下す。それは「いますぐジェームス・ブラウンをさらいに行ってこい!」という命令だった。
だいたいジェームス・ブラウンをさらってこい、という命令が奇想天外で面白い。全編ダンスとファンクが炸裂する112分。ジェームス・ブラウンの「セックス・マシン」、「マザー・ポップコーン」や、エモーションズの「ベスト・オブ・マイ・ラヴ」、シェリル・リンの「ガット・トゥ・ビー・リアル」などがかかり、ソウルファンにとってはたまらない選曲です。
ストーリー展開も起承転結あり、思わぬどんでん返しありで楽しい。また、細かいネタで次々と笑わせるところはさすが。よくできてます。組長が、紆余曲折あってステージで「セックス・マシン」を歌いだすシーンには、ちょっと胸がいっぱいになりました。娘との再会とジェームス・ブラウンと会うことが、それぞれの運命の糸が徐々に引き寄せ合っていくように、重なります。組長(西田)と舎弟(岸部)がともにジェームス・ブラウン好きという設定が、そこだけでもおもしろい。
本当は、本編上映前に舞台挨拶をする予定だったという井筒監督は、ちょっと緊張していたためか、それを上映後にしました。普段は他人の作品をめった切りにしている監督が、いささか緊張気味に、そして、あがっていたところがなかなか印象的でした。「これから8月までは、営業に徹しますわ。どんどん口コミで広げていってほしいです」 と、告知、宣伝に徹していく気配です。
しいて言えば、組長がなんでこれほどジェームス・ブラウンが好きなのか、その好きになった理由、あるいはエピソードなどがはさまれていたら、もっとストーリーに幅と説得力が出たのではないかと思いました。あとは、もう少しテンポを早くして、尺を10分くらい短くしてもよかったのではないかと感じました。かなりいいテンポの映画ですが、JB並みのファンキーなリズムで映画のストーリーが流れるともっともっと密度が濃くなります。つまり使っている音楽はソウルなんですが、映画のリズムは超ドメスティックなのです。でも、十分楽しめるエンタテインメント作品です。これは、笑えます。
井筒監督は言います。「エンタテインメントのエッセンスが、つまるところ『ゲロッパ』だと思うんですよ。つまり、ゲットアップ、起きろ、奮い立て、と見る者すべてを励ますようなもの。それがエンタテインメント、と」
いやあ、それにしてもトータス松本のカメオ出演には驚いたなあ。そして子役の琴音ちゃん、かわいく、うまかった。将来楽しみ。
さて、これをジェームス・ブラウンさまにお見せしたい。そして、どのような感想をもたれるか、御大のお言葉を拝聴したい。
(2003年8月から公開。配給・シネカノン)
(ジェームス・ブラウン、10月に来日決定。10月2日・日本武道館ほか計5回公演。問い合わせ、JECインターナショナル=03-5474-5944)
ついに完成です。井筒和幸監督の新作映画『ゲロッパ』、見ました。思った通り、楽しかった。
収監を数日後に控えた組長、羽原大介(西田敏行)にはやり残したことがふたつある。ひとつは25年前に生き別れてしまった娘かおり(常盤貴子)と再会すること、そしてもうひとつは、大好きなジェームス・ブラウンの名古屋公演を見ること。組を解散すると意を決した羽原組長。その一番舎弟、金山(岸部一徳)はある決意を固め、子分(山本太郎)たちに命令を下す。それは「いますぐジェームス・ブラウンをさらいに行ってこい!」という命令だった。
だいたいジェームス・ブラウンをさらってこい、という命令が奇想天外で面白い。全編ダンスとファンクが炸裂する112分。ジェームス・ブラウンの「セックス・マシン」、「マザー・ポップコーン」や、エモーションズの「ベスト・オブ・マイ・ラヴ」、シェリル・リンの「ガット・トゥ・ビー・リアル」などがかかり、ソウルファンにとってはたまらない選曲です。
ストーリー展開も起承転結あり、思わぬどんでん返しありで楽しい。また、細かいネタで次々と笑わせるところはさすが。よくできてます。組長が、紆余曲折あってステージで「セックス・マシン」を歌いだすシーンには、ちょっと胸がいっぱいになりました。娘との再会とジェームス・ブラウンと会うことが、それぞれの運命の糸が徐々に引き寄せ合っていくように、重なります。組長(西田)と舎弟(岸部)がともにジェームス・ブラウン好きという設定が、そこだけでもおもしろい。
本当は、本編上映前に舞台挨拶をする予定だったという井筒監督は、ちょっと緊張していたためか、それを上映後にしました。普段は他人の作品をめった切りにしている監督が、いささか緊張気味に、そして、あがっていたところがなかなか印象的でした。「これから8月までは、営業に徹しますわ。どんどん口コミで広げていってほしいです」 と、告知、宣伝に徹していく気配です。
しいて言えば、組長がなんでこれほどジェームス・ブラウンが好きなのか、その好きになった理由、あるいはエピソードなどがはさまれていたら、もっとストーリーに幅と説得力が出たのではないかと思いました。あとは、もう少しテンポを早くして、尺を10分くらい短くしてもよかったのではないかと感じました。かなりいいテンポの映画ですが、JB並みのファンキーなリズムで映画のストーリーが流れるともっともっと密度が濃くなります。つまり使っている音楽はソウルなんですが、映画のリズムは超ドメスティックなのです。でも、十分楽しめるエンタテインメント作品です。これは、笑えます。
井筒監督は言います。「エンタテインメントのエッセンスが、つまるところ『ゲロッパ』だと思うんですよ。つまり、ゲットアップ、起きろ、奮い立て、と見る者すべてを励ますようなもの。それがエンタテインメント、と」
いやあ、それにしてもトータス松本のカメオ出演には驚いたなあ。そして子役の琴音ちゃん、かわいく、うまかった。将来楽しみ。
さて、これをジェームス・ブラウンさまにお見せしたい。そして、どのような感想をもたれるか、御大のお言葉を拝聴したい。
(2003年8月から公開。配給・シネカノン)
(ジェームス・ブラウン、10月に来日決定。10月2日・日本武道館ほか計5回公演。問い合わせ、JECインターナショナル=03-5474-5944)
Aretha sung "Amazing Grace" for Luther
2003年5月23日アレサ・フランクリン、「アメージング・グレイス」で全快の祈り 捧げる
クイーン・オブ・ソウルことアレサ・フランクリンが19日、闘病中のソウル・シンガー、ルーサー・ヴァンドロスのために、デトロイトの教会でキャンドルを灯し全快の祈りを捧げた。
アレサ・フランクリンをはじめとするシンガーたちは、デトロイトのリトル・ロック・バプティスト教会に集まり、アレサは5000人の前で「今、彼にはお祈りが必要だと感じています」と挨拶し、「アメージング・グレイス」を歌った。アレサのほか、フォー・トップス、オセア・バーンズ、アレサの子供たちなども歌った。
ヴァンドロスは、4月16日ニューヨークの自宅で倒れ、その後集中治療室で意識不明が続いている。また、彼はアレサのまもなく始まるツアーのための衣装をデザインしていた。
+++++
非過多。
先日はルーサーに続いて、バリー・ホワイトまで闘病中というニュースが伝わってきたが、どちらも、早くよくなって欲しいところ。最近、しばらく『ネヴァー・トゥ・マッチ』のアルバムを聞いていたが、それにしてもこのアルバムはよくできている。
ルーサーは言う。「長い間、他人のバック・ヴォーカルをやった後、僕の願いは自分自身の曲を自分自身で歌うということだった。ネヴァー・トゥ・マッチのアルバムは、一曲を除き、すべて僕が書いて、プロデュースした。バックからフロントにでて、一番の難しかったことといえば、僕がシャイだってことかな」
「ネヴァー・トゥ・マッチ」で、ルーサーは歌う。「君からの千回ものキスも、多すぎることはない(ネヴァー・トゥ・マッチ)。君の腕の中に100万日いたとしても、多すぎることはない」
そう、ルーサーの歌は、何万回聴いても、ネヴァー・トゥ・マッチ(トゥ・マッチであることは決してない。多すぎることは決してない。)
クイーン・オブ・ソウルことアレサ・フランクリンが19日、闘病中のソウル・シンガー、ルーサー・ヴァンドロスのために、デトロイトの教会でキャンドルを灯し全快の祈りを捧げた。
アレサ・フランクリンをはじめとするシンガーたちは、デトロイトのリトル・ロック・バプティスト教会に集まり、アレサは5000人の前で「今、彼にはお祈りが必要だと感じています」と挨拶し、「アメージング・グレイス」を歌った。アレサのほか、フォー・トップス、オセア・バーンズ、アレサの子供たちなども歌った。
ヴァンドロスは、4月16日ニューヨークの自宅で倒れ、その後集中治療室で意識不明が続いている。また、彼はアレサのまもなく始まるツアーのための衣装をデザインしていた。
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非過多。
先日はルーサーに続いて、バリー・ホワイトまで闘病中というニュースが伝わってきたが、どちらも、早くよくなって欲しいところ。最近、しばらく『ネヴァー・トゥ・マッチ』のアルバムを聞いていたが、それにしてもこのアルバムはよくできている。
ルーサーは言う。「長い間、他人のバック・ヴォーカルをやった後、僕の願いは自分自身の曲を自分自身で歌うということだった。ネヴァー・トゥ・マッチのアルバムは、一曲を除き、すべて僕が書いて、プロデュースした。バックからフロントにでて、一番の難しかったことといえば、僕がシャイだってことかな」
「ネヴァー・トゥ・マッチ」で、ルーサーは歌う。「君からの千回ものキスも、多すぎることはない(ネヴァー・トゥ・マッチ)。君の腕の中に100万日いたとしても、多すぎることはない」
そう、ルーサーの歌は、何万回聴いても、ネヴァー・トゥ・マッチ(トゥ・マッチであることは決してない。多すぎることは決してない。)