レイ・チャールズ、53年のライヴ人生で初めてツアーをキャンセル.

生涯初。

ヴェテラン・ソウル・シンガー、レイ・チャールズがプロとして歌いだし53年のキャリアの中で初めて体調不良のためにコンサート・ツアーをキャンセルした。チャールズは7月29日のヴァージニア州アレキサンドリアで行われたショウを最後に、以後のツアーを約2週間分キャンセルしていたが、そのキャンセルが今年いっぱいまで続くことになった。彼は急性の股関節障害がでてその治療をしている。

「本当に残念で心が痛む。私の人生は、ツアーをし、パフォーマンスを見せるためのものだったから。それが私がすべきことだからだ。だが、医師がしばらくは休息し、治療に専念しなさいと言うので、それに従うことにした」という声明を発表した。

現在72歳のレイ・チャールズは、過去53年間のライヴ人生でツアーをキャンセルしたことは一度もなかった。去る5月には通算10000万回目のショウを行っていた。

医師は休むよう言っているが、レイは事務的な仕事は依然こなしている、という。

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基本。

ソウル・ミュージックの誕生を語るときにはずせないのが、レイ・チャールズ。たまたま出向いたソウル・バー、ミッドナイト・アワーでレイ・チャールズの作品が何曲かかかった。

そんな中に『星空』という1965年の映画のサントラがあった。原題は『バラード・イン・ブルー』。そこにあったのは、なんと日本盤でその解説を読むと、映画がおもしろそうなのだ。アルバムとしてはそれまでのレイのヒット曲などがけっこう入っていて、映画と関係なくとも、ベストアルバムの一枚としても捉えられる一作。

映画の内容は、レイ・チャールズがロンドン公演に出向いたとき、そこでつい最近盲目になってしまった少年と仲良くなる。レイはパリの眼科専門の先生を紹介する。少年に目が見えるようになるための手術をしてもらうよう、取り計らう。手術の成功率は100分の1。親は反対するが、周囲の説得もあって、その手術を受けることになるのだが・・・。というもの。

そのライナーノーツには、当然ストーリーは途中までしか書いていない。で、それを読んでいたらなかなかいい話そうに思えて、先が知りたくなってしまったほどだった。だが、その映画、今ビデオで入手可能なのかどうか、わからない。さっと見たところ、やはり現状、日本では無理のようだ。あとは、アメリカからVHSでも取り寄せるという手くらいしかない。

レイのヒット曲を聴いていると、本当に「ソウルの基本」という感じがしてくる。改めて例のボックスセットでも聴いてみるとしますか。

それと、早く元気になって欲しいところです。



魔術師。

前回ブルーノートで見たのは2001年5月なので、2年以上前のことになる。そのときは多数のパーカッション奏者を並べた非常にユニークな実験的な演奏だったのでよく覚えている。それがキップ・ハンラハンの「ディープルンバ」の公演だった。

今回はキップ・ハンラハンの「コンジュアー」としての公演。キップは、言ってみればバンドマスターで、様々なメンバーを集めて、違うユニットを組む。これもそのひとつということになる。

「コンジュア」とは、まじない、魔法、呪文といったような意味。「コンジュラー」は、まじないをする人、魔術師、といった意味になる。

キップ・ハンラハンという人物はものすごく異端だ。今回のこのユニットの最大の目玉は「ポエトリー・リーディング」、つまり詩の朗読だ。先鋭的な黒人詩人、イシュメール・リードの詩作の朗読に、音楽をつけたりしている。

ブルーノートの階段を降りていくと、すでにライヴはスタートしていて、誰かが歌っているのが聴こえた。ヴォーカルがいるとは思っていなかったので、少し驚いた。そして、まもなくリードの詩の朗読が始まった。音楽をバックに読む。

「戦争という状況の中では、そんなことが起こる・・・」というサビが何度も繰り返され、戦争が起こるときの悲惨な例が次々と紹介される。すべてを聞き取ることはできなかったが、なにかを言ったあと、ヴォーカルのアルヴィン・ヤングブラッドが「戦争という状況の中では、そんなことが起こる・・・」というセリフを繰り返しているのが非常に印象に残った。まさにコール&レスポンスの世界だ。

これを聴きながら、以前ニューヨークのカフェかどこかで体験したポエトリー・リーディングを思い出した。まさに、Sooooo New Yorkな空気がぷんぷんしていた。しかも、アップタウンではなく、ダウンタウンのヴィレッジあたりのヒッピー、モッズ風のカフェだ。ニューヨークのポエトリー・リーディングの会って、聴いてる人は聴いているけど、聴いてない人は自分たちで勝手にしゃべってるので、けっこう騒々しい。もちろん、シーンとしてるのもあるのかもしれないが。

英語の詩は、たぶん、かなりわかりにくいと思うが、一遍日本語の詩を作って読んでいた。それが「アザブ・カフェ」というタイトルの詩だ。「麻布喫茶店、毎晩ここに座る。ゴハンは、タバコ。水はウイスキー。(あなたに)手紙を書きます」 これを英語、日本語で繰り返す。最初日本語がよくわからなかったが、何度か繰り返されるうちに意味がわかった。全体的には、非常にカルチャー的におもしろいライヴだった。でも、きっと、来ているお客さんの8割は、なんなんだろう、これは、と思っていたのではないだろうか。なんとなく、キップ・ハンラハンを見にきたというより、ブルーノートにやってきました、という人が多かったのではないだろうか。(笑)  逆にいえば、なかなか滅多に見られないソ〜〜〜・ニューヨークのキップ・ハンラハンのライヴを東京で見られるのだから、ラッキーだ。コンジュアー、まさに、呪文、魔術。そのグループ名が音楽を表していた。

ライヴが終わったあと、ヴァイオリン奏者のビリー・バングという人物がたまたま近くに来てはなすことになった。「日本に初めて来たのは81年。キップとは昔からの知り合いだ。彼はオレと同じブロンクス生まれだからね。日本には3−4回目かな。ヨコハマ知ってるぞ。ヨコハマギンバエ知ってるんだ」 

なぜ横浜の話になったか、思い出せないが、まあ、とにかく横浜の話になった。「な、な、なんで横浜銀蝿なんて知ってるの?」と尋ねると、そのいきさつをこう説明してくれた。「初めて来日したとき、なぜかどこかでスーツケースがなくなってしまったんだ。で、着るものなんかなくなって途方にくれていたんだが、みんながいろんなTシャツとかをたくさんくれたんだよ。そんな中に、一枚のTシャツがあって、気に入って着ていた。そこに書かれていたのが、ヨコハマギンバエって字だったんだよ。日本のロックンロール・グループなんだろ。聴いたことはないんだけどね。(笑) ギンバエってどういう意味なんだ?」

「シルヴァー(銀)・フライ(蝿)かな。ぶ〜〜ん、て飛ぶような」 「ほんとか?」 「ほんとだよ。で、あなたはいつもヴァイオリンを弾いてるの」と尋ねると、一言「サムタイムス(時々な)」(笑)。「サムタイムスかあ。ははは」 「彼はミスター・サカイ、彼はシンガーなんだ。彼のグループは、100万枚も日本でCDが売れるんだよ」 「ワオ! それじゃ、オレは彼のグループでプレイしなきゃ。(笑)。グループの名前はなんていうんだ?」 「ゴスペラーズっていうんだよ」 「何だって? オレは歌ってたよ、子どもの頃」 「いや、そうじゃなくて、彼のグループの名前がゴスペラーズっていうんだ」 ビリーはものすごく驚いた顔を見せて、「なんでそんな名前をつけたんだ?」 「僕たちゴスペルが大好きで、テイク6というグループが大好きだったからんなんですよ」とミスター・サカイが答える。 「へえ、君の音楽は今、もってないのかい?」 「今は、ないなあ」 「じゃあ、ぜひ送ってくれ」と言って彼が名刺を出してきた。

そして、話はポエトリー・リーディングになり、「君は、こういうのに興味があるのか」とビリーが尋ねてくる。「あるよ。でも、よくわからないんだ。英語だから。(笑)。しかし、今日のライヴはものすごくニューヨークを思わせたよ」 ミスター・サカイも言う。「僕も、そう思った」 僕が続けた。「しかも、1969年くらいのニューヨークのヴィレッジって感じだ」「ははは、それは、おもしろいな。そう思ったか」 「ちょうど、ブラックパワーの頃、セイ・イット・ラウド、アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウドの頃を思わせたよ」 「あんた、おもしろいな。ははは、ジェームス・ブラウンだな。じゃあ、アミリ・バラカって知ってるか。彼はこの前の911の事件についての詩を書いたんだが、ユダヤ人たちからものすごく反発をくらってるんだよ。ああ、このアミリは、昔リロイ・ジョーンズっていう名前だった男だよ。みんな、ムスリムで名前を変えるんだ」 「カシアス・クレイがモハメド・アリになったみたいに?」 「そうだ、そうだ」といいながら、彼がなぜヴァイオリン奏者になったのか話始めた。

とにかくこのビリー、よくしゃべる。年の頃、40代後半か50代前半のアフリカン・アメリカンと思って調べたら、1947年9月20日アラバマ州モービル生まれ。55歳だ。昭和22年生まれ、いのしし年です。

つい先月はカナダのモントリオール・ジャズ・フェスティヴァルに出演してきた、という。「生まれはモービル・アラバマだけど、すぐにニューヨークに移り住んだ。オレの名前はもともとビリー・ウォーカーだったんだけど、政府がオレのウォーカーって名前をどこかに捨ててきやがってな。オレのパスポートにはウォーカーって名前がないのさ。オレは昔はバイオリンなんて、大嫌いだった。だってとても男がやるようなものじゃないだろう。途中でパーカッションをやったこともあるんだ。子どもの頃はゴスペルだな」 

このあたりで、スタッフが彼らミュージシャンたちを呼びにきた。帰りのバスの用意ができたのだ。「そうかあ、もう、行かなきゃならんのだ。オレたちは、この話の続きをせにゃあかんなあ。今週、また来ないのか。あるいは、ホテルのほうに来て貰ってもいいぞ。お茶でもしながら話をしよう。we should finish this conversation」

何がなんだかわからないうちに、というか、嵐が去るようにビリーは出て行った。で、なんで、彼はヴァイオリンを弾いているのか。その話は、トゥ・ビー・コンティニュードだ。あああ。謎はそのまま残った。Mystery still remains... 

ニュー・エディションはアップタウンのアポロ劇場から、そして、このハンラハンはダウンタウン・ヴィレッジのカフェ。この日は一日でニューヨークのアップタウンとダウンタウンを経験してしまった。

(2003年8月6日水曜・東京ブルーノート・セカンド=キップ・ハンラハンズ・コンジュア)


全身全霊。

ニュー・エディション、二日目。前日よりお客さんの数が多い。7時24分、真っ暗になったステージにバンドメンバー4名が登場。白いスーツを着た5人がまもなくステージに現れ、マイクを握る。一曲目の「N.E.ハートブレイク」ですでに会場から「ジョニー! ジョニー!」の掛け声がかかる。会場が熱気にあふれている。「ボーイズ・トゥ・メン」ではすでに前面にジョニー・ギルがでて歌う。

レコーディングのスケジュールがうまくあき、突然来られることになったゴスペラーズの黒沢氏、始まる前から「ジョニー、何歌うの? はやくジョニー、見たいなあ」と、すっかりジョニー熱にうなされていたが、会場の多くの人も同じだったようだ。なぜか「ラルフ〜〜〜」の声はかからないが、「ジョニー、ジョニー」の掛け声はあちこちでかかる。恐るべし、ジョニー人気。

「ハードコアなニュー・エディション・ファンにお送りしよう」と言って歌い始めたのが、83年彼らの初ヒット「キャンディ・ガール」から始まるヒットメドレー。「ミスター・テレフォン・マン」「クール・イット・ナウ」など、83年から85年にかけての大ヒットが次々と飛び出す。当時を知る人にとっては、もうたまらない怒涛の選曲だ。

「ロスト・イン・ラヴ」はジョニーがリードを取るが、"stay with me tonight"のトゥナイトというところを、ジョニーはあのジョニー節で伸ばす。もうそれだけで、会場がジョニーのものになる。観客の手渡すハンカチで汗をぬぐい、それをまた返すというサーヴィスも忘れない。

基本的にはラルフがソロ・リードを取ることが多いが、BBDの3人、ジョニーにもしっかり出番がある。「イズ・ディス・ジ・エンド」は、舞台右手で椅子のうえに4人が座り、その前にラルフがひざまずいて歌う。ティーン(当時)の失恋ソングをこうやってサーティー(30代)になっても歌えるというあたりが、ラヴソングの普遍性か。もっとも恋や愛に10代も20代もないが。70超えて父親になる役者もいるわけだから。

ニュー・エディション・メドレーが終わると、ロニーが一人ひとりメンバー紹介して、ジョニーのパートへ。「ラブ・ユー・ザ・ライト・ウェイ」でいきなり全開モード。ジョニーの歌いっぷりはいつものことながら、なんでまた、あんなに弾けているのだろう。全身全霊で、自分が出せる最大の声と、自分が動かせる最大の体の動きを見せる。どちらも自分のマックスで勝負という感じで、余裕を持ってなんてことはしない。一言で言えば、熱い。

「ラブ・ユー・・・」が終わると、「さあ、どうだ」と言わんばかりに、両手を広げる。う〜〜ん、まさに「ジョニー・ウィズ・アティテュード(Johnny with attitude)」。しばし拍手の嵐が続き、その中で次の曲のイントロが始まる。イントロだけで、観客はその曲を知る。お待ちかねの「マイ・マイ・マイ」だ。こんなスローバラードなのに、めちゃくちゃ熱い。このライヴでの燃え滾る(たぎる)ジョニーを見ると、レコーディングのとき、どうやってその欲情を抑えていたのだろうかとふと疑問に思う。

そして、今度はベル・ビヴ・デヴォーの時間。「ドゥ・ミー」「ポイズン」・・・。「ドゥ・ミー」はそんなに今回はいやらしさを感じさせなかった。リッキーのソロで「スマイル・アゲイン」(BBDのCD『ポイズン』収録)、さらに続いてはラルフのソロ「センシティヴィティー」へ。この間ジョニーは、後ろでギターを弾いている。まあ、シンガー多数いれど、あのジョニー・ギルをバックコーラスやバックのギターで使うことができるグループはこのニュー・エディションだけだ。

彼らの振り付け(コレオグラフィー)には、大変感心した。どの曲にも徹底して振り付けが決まっている。どの曲もなかなかだったが、最後から一曲前の「イフ・イット・イズント・ラヴ」の振り付けは、最高だ。何度も見たくなる、やりたくなるような、振り付けで、実によくできている。こうした決まった振り付けで満たされた王道のR&Bライヴをみていると、いつしか渋谷のAXがニューヨーク125丁目のアポロシアターになったかのような錯覚に陥る。

ライヴ終了後、黒沢氏、酒井氏らと楽屋におもむく。汗を拭き、着替えてやってきたメンバーの中で、ジョニーはちょっと小柄。頭にターバンのようなものを巻いてサングラスをしていたので、最初ちょっとわからなかった。楽屋には昨日も来ていたFM『ソウル・トレイン』のリュウ夫妻もまた来てた。「優子がこんなにきれいなアルバム、持ってるんで、サインもらうんだ」と2枚のアルバムを見せてくれた。確かに、ジャケットは傷もなくきれい。中古レコードのレーティングで言えば、「ミント・コンディション」だ。

黒沢氏がジョニーに言う。「大ファンで、あなたの歌もラジオの番組で歌いました」 ジョニー。「おおお、それはありがとう」 そして、サインをもらう。もってきたCDは、88年の『ハートブレイク』。ライヴのオープニングで歌われた「N.E.ハートブレイク」「イフ・イット・イズント・ラヴ」なども収録されているアルバムだ。「ほら、これ、(ボビーが抜けて)ジョニーがリードになった作品だから。完璧でしょ」と解説。とはいうもののちょっと上がり気味か。

石島さんは、ジョニーに「3G」のグループの謎を尋ねている。結局、この「3G」はジョニー・ギルではないと言われたらしい。酒井氏はその間もにこにこしている。みんなでジョニー、ラルフと写真をとったあたりで、メンバーはもう帰るというので、他の3人とゆっくりしゃべることもできずに解散となってしまった。ジョニーに、いつからギターを弾き出したのか聞くのを忘れた。

前日より、曲目は同じなのにショウは10分も長く、のりもよかった。「昨日は、昨日着いたばかりのメンバーもいたんで、やっぱり疲れてたんじゃないでしょうか」と、スタッフの人が言った。とはいうものの、やっぱりこういう王道のR&Bヴォーカル・グループは、いい。

(2003年8月6日水曜・渋谷AX=ニュー・エディション・ライヴ)


New Edition Live At AX 

2003年8月7日
王道。

淡いブルー系のスーツに身を包んだ5人がステージに登場すると、いきなりそこには光が広がった。5人組R&Bヴォーカル・グループ、ニュー・エディションの初来日コンサート。メンバーは、ジョニー・ギル、ラルフ・トレスヴァント、リッキー・ベル、マイケル・ビヴィンズ、ロニー・デヴォー。

彼らは、これまでに日本でもジョニー、ラルフはそれぞれソロ・ライヴを行ったことがあり、また、後者3人もベル・ビヴ・デヴォーとしてライヴをやっている。しかし、彼らがまとまって登場するのは今度が初めてということになる。おしむらくは、もうひとりのリード・シンガー、ボビー・ブラウンが一緒に来日すれば、という感じはある。

しかし、全体的には典型的なR&Bヴォーカル・グループの系譜をしっかりと歩んできた姿を見せてくれた。たとえば、そこにはテンプテーションズの粋があり、ジャクソン・ファイヴの香りが漂い、マンハッタンズの洗練がにじみ出ていた。一番感心したのは、かなり多くの曲にしっかりした振り付け(コレオグラフィー)がなされているという点。70年代風というか、一昔前風という感じはするのだが、いかにもヴォーカル・グループはこう踊るんです、という王道を行っている。この踊り、振り付けはなんと言っても最高だ。

全体的な構成は、最近のニュー・エディションのヒット、初期のヒット、ジョニーのソロ、ラルフのソロ、ベル・ビヴ・デヴォーとしてのパート、といったところで、さすがにボビー・ブラウンのソロ・ヒット・パートはなかったが、まあ、だいたいのところはすべて網羅した感じ。

おもしろいことに、10数年前のあのニュー・ジャック・スゥイング系のヒットが歌われると、時代が古く感じられる。さすがに、あれほどの大ブームだと、ある時期に特化して記憶が焼き付けられるのだろう。

選曲はヒット曲を網羅しているのでファンにとってはだいたいいいと思うが、個人的には彼ら自身もヒットさせた「アース・エンジェル」「ティアーズ・オン・マイ・ピロウ」あたりのドゥワップ・ソングをさりげなくいれて欲しかった。

さて、一番個人的に盛り上がったのは、ジョニー・ギルのソロパート。「マイ・マイ・マイ」を約10分に渡り、赤いバラを配りながら歌った。驚いたのは、彼が途中でギターを持ってそれを弾いたところ。前回の時もこんなシーンはあったっけ。覚えてない。いつからギター弾くようになったんだろう。サビの「マイ、マイ、マイ・・・」というところは、観客が大合唱する。こういうのは気持ちいいだろうな。

やはり、ジョニーとラルフがシンガーとしては一歩抜き出ている感じ。観客層はちょっと年齢層高く、いかにも10年前ニュー・ジャック・スゥイングで踊り倒しました風の人も多かったように思える。ただし、急な来日ということもあり、客の入りは半分より少々多い程度でした。ちょっとかつて、BBDやラルフの単独ショウを見た今は亡き有明MZAのすきすきライヴを思い出した。大雨の中出向いた1時間31分のライヴ、外に出ると雨は小ぶりになっていた。

(2003年8月5日火曜・渋谷AX=ニュー・エディション・ライヴ)

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謎。

「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」、そんな昔から2ヴァージョンあったんですか。知りませんでした。いやあ、びっくり。NHK「ソウル・ミュージック」のBBSで、ホイットニーのファーストアルバムについての話題がでていて、そこで知りました。

アメリカ盤のデビュー・アルバム『ホイットニー』http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&;uid=CASS80305190557&sql=Amzaqoarabijzのジャケットはオレンジ色を基調とした髪の毛も非常に短いかなりエキゾチックなホイットニーの顔のアップの写真が使われています。日本盤は、海辺の水着を着たホイットニーの姿になっています。

当時ジャケットを変えたのは、アメリカ盤がかなりエキゾチックで日本人受けしそうにない、というためだと担当のディレクターから聞きました。

僕はずっとこの日本盤しか聴いていなかったので、その「グレイテスト・ラヴ・・・」に2ヴァージョンあるとは夢にも思っていませんでした。日本盤の同曲はイントロがアコースティック・ピアノで弾かれ、アメリカ盤はエレキピアノで弾かれているとの指摘でした。確かに日本盤はアコースティックピアノです。輸入盤(アメリカ盤)もどこかにあるんですが、ちょっと探したところ見当たりませんでした。

もっとも、2000年5月にホイットニーの『グレイテスト・ヒッツ』というCD2枚組がでましたが、このときの「グレイテスト・・・」のイントロがエレキピアノなんで、ちょっと「あれ?」と思ったんです。なんか音違うなあ、などと思ったのですが、リマスターかリミックスでもしたのか、くらいにしかあんまり気にもとめなかったんですね。この『グレイテスト・ヒッツ』用にね。

しかし今回改めて聞くと、当初の日本盤ヴァイナルはアコースティックピアノです。で、その『グレイテスト・ヒッツ』のははっきりエレピ。録音が違う。イントロの長さも違う。でもヴォーカルは同じです。

でも、よく考えるとちょっとおかしいですよねえ。なんでアメリカ盤がエレキピアノヴァージョンに差し変わってるのでしょう。謎です。最初に出たのがエレキピアノヴァージョンで、日本盤が後から出たときに、アコースティックヴァージョンに差し替えられた。となると、話のつじつまが合わない。これはありえなさそうです。

こう考えられるのではないでしょうか。最初は、アメリカも日本もアコースティックヴァージョンだった。あるいは最初にマスターが日本に来たときにはアコースティックだった。しかし、後に、アメリカでこれをシングルカットするときかなにかに、エレキピアノヴァージョンを録音しなおした。それをアルバムにいれたか、あるいはシングルとしてリリース。アルバムのほうも、それに差し替えた。しかし、日本盤はもうすでに、旧ヴァージョンでプレスが進んでいたので、差し替えることなく昔のままのヴァージョンが残った。そして、アメリカ盤はエレキヴァージョン、日本盤にはアコースティックヴァージョンが残った。

もし仮にこうだとすると、アメリカの初期のプレスにはアコースティックヴァージョンが残っていることになりますね。そうなるとこれは、超レアものになります。一挙にヴァリューがあがるんじゃないでしょうか。しかしジャケットだけからでは初期のプレスかどうかなんてわからない。それとも最初のプレスからエレキピアノだったのでしょうか。

この「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」にはもうひとつ謎というかミステリーがあります。それは、ホイットニーの最初のヒット「ユー・ギヴ・グッド・ラヴ(そよ風の贈りもの)」のシングルのB面に収録されているのです。そして、それからおよそ1年後の86年3月、この曲はこんどはA面扱いで、改めてシングル「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」としてリリースされるのです。このときのシングル盤を持っているかというと、持ってないような気がします。これらのシングル・ヴァージョンはどっちなのでしょう。最初のB面のがアコースティックで、86年に出たシングルがエレピだったりするのでしょうか。これは両方ともシングルを聴いてみたい。

もっとも、当初「グレイテスト・・・」がシングルのB面になったのは、彼女がこれほどまでのスーパースターになるとは予想できなかったためなのです。この曲をシングルにする予定はなかったのです。しかし次々ヒットをだし、アルバムからできるだけ多くのシングルを切りたいと考えたとき、後になってこの曲はいいので、B面で一度使っていたものの改めてシングルカットしたわけです。

アルバム自体はアメリカ盤は85年2月14日発売、日本盤は4月1日発売でした。

ホイットニーのマニアの人たちは、このことを知っているんでしょうか。この謎の答をおもちの方はぜひ教えてください。

早急にどこかに埋もれているアメリカ盤を探さないことには、気になって夜も寝れなくなります。(笑) 


Whitney Will Turn 40 

2003年8月5日
誕生日。

昨日のWBLSの「サンデイ・クラシック」(107.5Mhz-New York=http://www.wbls.com/)では、さかんにホイットニー・ヒューストンがかかっている。と思ったら、そう、ホイットニーは8月9日が誕生日なんですね。ちなみに生まれは1963年、昭和で言えば38年、ということはウサギ年です。

ホイットニーはデビュー前から注目されてました。83年、ポール・ジャバラ(今は亡き)のアルバムで、一曲「エターナティー」という曲をフィーチャード・シンガーとして歌うんですが、これがけっこういい曲でした。そのあと、当時の先鋭的なジャズ・ファンク・グループ、マテリアルでも一曲歌ってました。そして、翌年84年、テディー・ペンダグラスとのデュエット「ホールド・ミー」のヒットです。

84年7月に彼女に会いました。デビュー前です。ニューヨークのお隣コネチカット州にあるプロデューサー、カシーフの家に遊びに行ったときにたまたま彼女が来てたんですね。そのとき彼女が「私、日本に行ったことあるのよ。なにかの音楽祭で母親について」というのでびっくりしました。それが、ヤマハの音楽祭ですね。シシーのバックで、当時16歳のホイットニーが来ていたわけです。

この時期になると、アメリカの業界内ではかなり話題になってましたね。そして、85年2月、満を持してデビューですね。これは衝撃的でした。だけど、日本ではぜんぜん注目されなかったんですよ。日本盤が85年5月くらいにでたのかな。発売当初は。確か、デビュー・アルバムの初回出荷は2000枚程度だったはずです。

その日本盤のジャケットは、アメリカ盤と違っています。84年暮れに日本の雑誌マリークレールがいち早く現地取材をしたのですが、そのときに撮影した水着の写真をジャケットにしました。この頃、よくアメリカ盤ジャケットと日本盤のそれを変更することがありましたから、その流れですね。アメリカ盤のがホイットニーの顔のアップであんまり日本人受けしないと思ったのでしょう。

最初のシングル「ユー・ギヴ・グッド・ラヴ」は、日本ではぜんぜん話題にならず、そして、続く「セイヴィング・オール・マイ・ラヴ」がアメリカで大ヒットしたあたりから火が徐々につき始めました。そして、「ハウ・ウィル・アイ・ノウ」、「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」で完全に大ブレイクですね。

その後は、もはや歴史です。85年夏、ホイットニーのライヴをニューヘヴンだったかで見ました。ジェフリー・オズボーンの前座でした。短かったですが、まあ、よかったです。その後、ライヴ・ショウはどんどんよくなっていきますね。先の「エタニティー」という曲、彼女の初来日時にはステージで歌っていました。

ちょっと最近のホイットニーは、見るのが辛いですねえ。先日ドラッグから立ち直ったっていう告白をしたそうですが、はやく元気のいいディーヴァに戻って欲しいものです。ホイットニー今年の誕生日で、ちょうど40歳。まだ、40歳なんですからもう一花もふた花も咲かせてください。



スタックス・オープニング・イヴェントのライヴを放映。

2003年4月30日にメンフィスで行われたスタックス・ミュージアムのオープン記念イヴェントのライヴ模様が、アメリカPBSで8月9日に放送される。正式な番組タイトルは『ソウル・カムズ・ホーム: ア・スタックス・レコーズ・アンド・メンフィス・ソウル・ミュージック』。

出演アーティストは、ソロモン・バーク、アル・グリーン、エディー・フロイド、カーラ・トーマス、マイケル・マクドナルド、レンス・アレン、ジミー・ヴォーン、ウィリアム・ベル、リトル・ミルトン、メヴィス・ステイプルスなど。

PBSでは、この模様を収めたCDとDVDを2004年1月の一般発売に先がけて発売する。番組のエグゼクティヴ・プロデューサー、マーク・クロスビーは、「モータウンを思うとき、人々はデトロイトを連想する。このライヴを見る視聴者にも、同じようにスタックスとメンフィスのつながりを感じてもらえればと思う」という。

クロスビーは、この番組とは別にスタックス・レコードのドキュメンタリー番組も制作中だという。

一方、UPNは、今年7月3日から5日までニューオーリンズのスーパードームで行われた『ザ・2003・エッセンス・ミュージック・フェスティヴァル』の模様を2時間にまとめて放送する。登場アーティストは、アシャンテ、エリカ・バドゥ、フェイス・エヴァンス、ジャヒーム、パティー・ラベール、ジェラルド・リヴァート、LLクールJ、シャカ・カーン、タミア、アッシャー、スティーヴィー・ワンダーなど。放映は9月12日、午後8時(東部時間、西部時間とも)から。

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ライヴ。

アメリカで、ソウルファンの気になるライヴ映像があいついで放映される。一本がスタックス・ミュージアムのオープンを記念して行われたイヴェントのライヴ、もう一本が今年のエッセンス・ミュージック・フェスティヴァルのライヴだ。

どちらも、実際に行けなかったライヴ。これは、映像でいいからはやいところみたいもの。出演アーティストがなかなか気になるところがたくさんでている。後者は、DVDにでもなるのだろうか。


候補。

第9回ソウルトレイン・レディー・オブ・ソウル・アワードのノミネートが発表された。これは、ソウルトレイン・ミュージック・アワードから派生した賞。女性シンガー、アーティストだけを対象とする。

ノミネートは次の通り。発表は8月23日、カリフォルニアのパサディナ・シヴィック・オーディトリウムで行われる。ノミネートは9部門。エリカ・バドゥ、インディア・アリーなどのグラミー組もノミネートされている。
The 9th Annual (2003) Soul Train Lady of Soul Awards Nominees

1.Best R&B/Soul Single, Solo

"Love Of My Life (An Ode To Hip Hop)" Erykah Badu Featuring Common
"Emotional Rollercoaster" Vivian Green
"He Is" Heather Headley
"So Gone" Monica


2.Best R&B/Soul Single, Group, Band or Duo

"I Do (Wanna Get Close To You)" 3LW
"I Still Love You" 702
"Say Yes" Floetry
"Girl Talk" TLC

3.R&B/Soul Album of the Year, Solo

"Love Story" Vivian Green
"This Is Who I Am" Heather Headley
"Just Whitney..." Whitney Houston
"Voyage To India" India.Arie

4.R&B/Soul Album of the Year, Group, Band or Duo
"Star" 702
"Floetic" Floetry
"3D" TLC
"The Tortoise & The Hare" The Jazzyfatnastees

5.R&B/Soul or Rap Song of the Year

"Love Of My Life (An Ode To Hip Hop)" Erykah Badu Featuring Common
"Full Moon" Brandy
"Work It" Missy "Misdemeanor" Elliott
"Floetic" Floetry

6.Best R&B/Soul or Rap New Artist, Solo

"Emotional Rollercoaster" Vivian Green
"He Is" Heather Headley
"Nothin’s Free" Oobie Featuring Lil Jon & The East Side Boyz
"Angel" Amanda Perez

7.Best R&B/Soul or Rap New Artist, Group, Band or Duo

"Say Yes" Floetry
"How It’s Gonna Be" LovHer
"Virginity" TG4

8.Best R&B/Soul or Rap Music Video

"Love Of My Life (An Ode To Hip Hop)" Erykay Badu Featuring Common
"Work It’ Missy "Misdemeanor" Elliott
"The Jump Off" Lil’ Kim Featuring Mr. Cheeks
"Feelin’ You (Part II)" Solange Featuring N.O.R.E.

9.Best Gospel Album

"Dorinda Clark-Cole" Dorinda Clark-Cole
"Incredible" Mary Mary
"Churchin’ With Dottie" Dottie Peoples
"Determined" Angela Spivey


クリスタル。

アーロン・ネヴィルの新譜『ゴスペル・ルーツ』(東芝EMI=8月6日発売)という作品が届けられた。彼はEMIとソロ・シンガーとしての契約を結んでいて、これまでに2枚のアルバム『デヴォーション』(2000年)と『ビリーヴ』(2003年)を出しているが、この新譜はそれら2枚のアルバムからの作品と初公開曲1曲を含む作品。

ところが不覚にもその2枚の作品を未チェックで聴いていなかった。なのでほとんど初めて聴く曲だった。冒頭「アヴェ・マリア」は、以前A&Mからの作品に収録されていて、また日本でもコマーシャルに使われておなじみの曲。初公開曲は、ビートルズの「レット・イット・ビー」。

今回特に胸を打たれたのが、意外な選曲キャット・スティーヴンスの作品「モーニング・ハズ・ブロークン」と、これはいかにも歌いそうなサム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」。それにしても「モーニング・・・」は、完璧にはまっている。これはシングルカットいけたでしょう。でも、されなかったのかな。まるでアーロンのために書かれたようなヴァージョンにしあがった。

CDの帯には、シルキー・ヴォイスと書いてあるが、むしろこの透明感あふれる声はクリスタル・ヴォイスという感じだ。う〜〜ん、この声は、人間国宝と言ってもいい。

スピーカーの前の聴き手はその声にひれ伏す。彼の声を浴びると、時の流れが今ここに瞬間冷凍されるような気持ちになる。時間を止める声。The Voice Freeze The Time. そして、その声は長き時の試練に耐え、いつまでも輝きを持ちつづける。The Voice Stands The Time.

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Go For Higher Ground, Crystal

クリスタル。

そして、クリスタル・ケイのライヴをブリッツで見た。彼女のライヴは昨年の渋谷AX以来2度目。しかし、17歳でこれだけのことができるんだから、たいしたものです。まあ、バンドとかバックには細かい点で宿題が多いですが。一点だけ。ドラムがロックのそれで、ソウルのグルーヴがないです。バンド全体にも。CDがかなり作りこんでいるので、下手するとCDのほうがグルーヴ感があったりします。沼澤尚さんあたりを起用してほしいな。そんなこと言っても、クリスタル10年後でもまだ27歳ですから末恐ろしいです。(笑) それにクリスタルの場合、楽曲がいいからねえ。キャッチーで彼女の等身大の作品がうまく作られている。がんばれ、クリちゃん。どんどん高い山、めざせ。

(2003年7月31日木曜・赤坂ブリッツ=クリスタル・ケイ・ライヴ)


ダイアモンド。

いやあめちゃくちゃよかった。始まって5分もしないうちに、これはすごいと思った。驚いた。今年見た数あるライヴの中で、個人的に今のところ1位かもしれない。西アフリカ、ナイジェリアのフェミ・クティと彼のバンド、ポジティヴ・フォースのライヴだ。フェミはやはりアフリカ音楽の巨匠とも言えるフェラ・クティーの息子。

ドラマーがいい、ベースがいい、ギターがいい。ホーンセクションがいい。セクシーなダンサーが、これまたいい。パーカッションがいい。このリズムにやられた。祭りであり、エンタテインメントであり、もちろん、リアル・ミュージック・バイ・リアル・ミュージシャン。こんなに楽しく、しかも、演奏がしっかりしているバンドなんてなかなかお目にかかれない。

バンド演奏が始まり、パープルの上下のアフリカ風衣装に身を包んだフェミがステージに上がると、彼は丁寧に両手をあわせ、ゆっくり深々とお辞儀をした。何か神聖な儀式が始まるかのようだ。床に置かれていた3本のペットボトルの横に、まだほとんど汗をぬぐっていないタオルをきっちりと置いた。彼の几帳面さを垣間見て、血液型がA型じゃないかと思った。(笑)

バックバンド、ダンサー、フェミ本人を加えオンステージには総勢15名。所狭しと踊り、演奏し、歌う。強烈なカーニヴァルがそこで繰り広げられた。

その中におそらく7−8歳と思われる子どもが、これまたかわいらしい小さなパーカッション(太鼓は2つだけ)を懸命に叩いていた。一曲目を終えたところで、フェミが紹介した。「僕の息子です。彼は3歳半の時に、トランペットで遊んでいて『ブアーン』という音を鳴らしたんです。それ以来、祖母は彼にドラムスを叩かせなさいと言い続けるようになりました。そして、(腕と指で彼を紹介する仕草)。父親であることと、こうして仕事として一緒にステージに立つことを両立するのはちょっとむずかしいですが・・・」

一曲目を演奏している時にはちょっとばかり険しい表情だったフェミが、「僕の息子です」と紹介した時、その顔は瞬時に父親の顔になっていた。その息子はいつも、父親の方を見ながらスティックを叩く。フェミ・クティー自身はまだ始めて2年というトランペットや、やはり始めて3年というキーボードなども使い、バンド演奏をリードする。彼はサックスと歌がもっとも得意だ。

それにしても、目の前で徹底して腰を振るこの女性ダンサーたちのハッピーでセクシーなことよ。なんであんなに腰を早く動かせるのか。アフリカ風の化粧とその激しいダンスは、それだけで観客を興奮のるつぼに陥れる。Shake Your Booty: 彼女らはThe Greatest Booty Shakers In The World.

強烈なリズム隊にホーンセクション。アフリカのファンクは、もはやアフリカだけにとどまらない。彼らの音楽性の中にアフリカの要素はあるものの、アメリカのソウル、R&Bのファンクと、根っこで同じだということが感じられる。フェミの音楽のルーツを求めて地球を下に掘って掘っていくと、ジェームス・ブラウンのルーツを掘ってたどり着くところと同じ地点にたどりつく。こういうライヴを見ると、一日も早くアフリカの地を訪れたいと痛感する。

後半、上半身裸になったフェミの背中や頭から汗が滴り落ちるようになった。時間の経過とともに二の腕あたりの血管が浮き出てくる。頭をちょっと左右に動かすだけで、汗が飛び散る。客席に背中を見せるとそこは全身汗できらきらと光る。褐色の肌に光るこの美しき汗はいい音楽を作り出すときに生まれた光り輝くダイアモンドだ。

1時間40分の情熱の爆発と野性の躍動。最後の曲が終わった後、観客席からはアンコールを求める拍手が5分以上続いた。珍しい。あまりに多くの見るべきもの、聞くべきものがあり、まだあと2−3回味わいたいが、昨日のショウで帰国してしまう。来年、またぜひ。


(2003年7月31日水曜・東京ブルーノート・セカンド=フェミ・クティ&ザ・ポジティヴ・フォース)

ブルーノートの紹介ページ
http://www.bluenote.co.jp/art/20030727.html


アクション。

NHK-BS『アクターズ・スタジオ』(29日午後11時10分から)にサミュエル・L・ジャクソンがでていたので、思わず見てしまった。ブラック俳優でも大好きなひとり。出てる映画もいいし、それぞれの役どころもみんないい。

彼はしゃべるし、思った通りおもしろかった。彼が明かしたスパイク・リー監督、クエンティン・タランティーノ監督のエピソードなど最高だ。タランティーノは、いろいろな映画を引用して説明するという話、カメラの向こうで撮影中笑いを堪えているシーンなんか、ジャクソンがタランティーノを真似するところもおもしろい。いかにも、タランティーノって感じだった。

彼が出た『ジャングル・フィーヴァー』(スパイク・リー監督)ではドラッグ中毒の役をやっていたが、その10日ほど前まで彼は本当の中毒だったという。リハビリテーションを受け、そこからでてきてまもなくこの撮影に入った。あの迫真の演技。なるほど。ジャクソンは言った。「(ドラッグについては)まあ、たくさんリサーチしたからな(笑)」  そして、その映画の中で薬中のジャクソンは父親に撃たれて死ぬのだが、その点を「あの時に、オレのドラッグとの関係には終止符を打たれたんだ」ときっぱり言い切った。

今、改めてあのシーンを見て、ふとマーヴィン・ゲイの父親が息子を撃ったというシーンが頭に浮かんだ。もちろんその現場を見たわけではないが。初めて『ジャングル・フィーヴァー』を見たときは、思いつかなかったんだが。厳格な父親とドラッグ中毒の息子。金をせびる息子を見て、何度同じことを繰り返しているのか、もう愛想が尽きた父親。そして、実の息子に銃弾を打ち込む。父が息子を銃で撃つというシーン。ひょっとして、スパイク・リーは、マーヴィンのことを考えていたのだろうか。たまたま偶然か。

実際の元ドラッグ中毒が、ドラッグ中毒役を迫真の演技で演じる。しかし、「オレがドラッグをやめて、頭をクリアにしていたから、できたと思うな」とジャクソンは冷静に振り返る。つまり、リハビリが完了していなければ、あそこまでの演技はできなかったのだろう。

ところで、この番組、いろいろな俳優たちが登場してきて話も面白く大好きなのだが、どうしても司会者リプトンの進行が好きになれない。彼は事前に質問をかなり綿密に用意している。そして、それを何がなんでも聞こうとする。というか、用意した質問はすべてきっちり出すぞ、という感じなのだ。そこで、ゲストが何かおもしろい話をしても、その話から生まれる質問というのがなく、いったん話が途切れて、次の話題(質問)に移ってしまうのである。だから、かなり聞き足りない、ストレスがたまるのだ。

ゲストが最初の質問に答える。そこから、「それは、なに?」とか「どうやってそうなった」とか質問の中から生まれる疑問とか、広がりが必ずあるのだが、そういうのをばっさり切る。だから言ってみれば質問のオムニバスを見ているようなのだ。もちろん、短い時間に多くの質問と答えを詰め込みたいというのはわかるが、「流れ」というものが考えられておらず、ゲストが持っている「ストーリー」が分断されている。

ひとつのストーリーが出てきて、そこから面白い話が展開すれば、それはそれでいいと思う。自然な感じの話が転がれば、それでいいのに。僕が司会者だったら、ある程度の方向性は筋道をつけるが、あそこまで厳格に質問用紙にはこだわらないなあ。まあ、テレビという特性もあるのかもしれないが。それともかなり編集されているのかな。

サミュエル・ジャクソンのような優れた俳優を見ていると、その演技が優れたジャズミュージシャンが演奏するプレイを見ているかのように思えるときがある。アドリブやインプロヴィゼーションがあり、遊びがあり、人々を感動させたり、笑わせたり、泣かせたりするフレーズがあるのだ。そして何より、彼にはリズムがある。

サミュエル・L・ジャクソン、1948年12月21日ワシントンDC生まれ。昭和23年生まれ、ネズミ年です。じっくり話を聞きたい人物のひとりだ。もちろん、彼も聞き応えのあるソウル・サーチン・ストーリーを持っている男にちがいない。


無名。

ミニーつながりで、クインシー・ジョーンズの作品から「ボディーヒート」、「イフ・アイ・エヴァー・ルーズ・ディス・ヘヴン」(どちらも、ミニーが歌っています)などを聴いているうちに、彼のベストアルバム(2枚組)と『デュード』(81年)をゆっくり聴いてしまった。クインシーの歴史は大変なものだが、この70年代から80年代中期にかけての作品っていうのは、もう神がかっているとしか言いようがありません。

「イフ・アイ・エヴァー・・・」なんか、ミニー・リパートン、アル・ジャロウ、そして、リオン・ウェアが一緒に歌ってるんですからねえ。3人とも74年当時には無名です。ミニーがブレイクするのは75年「ラヴィン・ユー」で、アルは76年の『グロウ』のアルバムから。リオンは、裏方として、やはり76年のマーヴィンの『アイ・ウォント・ユー』あたりからです。

次から次へと当時は無名だが、後に有名になるような若き才能たちが結集して、これでもかというほどのリアル・ミュージックを聴かせる。ミュージシャンたちが奏でるその音は、すべて生音。やはり、音楽というのはすぐれたミュージシャンが作らないといけないんだなあ、とつくづく感じる。コンピューターを扱う人間が音楽を作っても、だめだということですね。

クインシーの81年のアルバム『デュード』は、でた当時もすりきれるほど聴いたものだが、今聴いても、本当に新鮮。またクインシーは若い連中と仕事をするのが大好きで、ここでもいろいろと抜擢している。一番脚光を浴びたのはやはり当時はまったく無名のジェームス・イングラムです。もともとソングライターが書いたデモテープで歌っていたところ、クインシーにこの声が欲しいと言われ、その曲を本番でも歌い、それがヒットしたという歌手です。その曲は、「ジャスト・ワンス」。ジェームス・イングラムの実質的なデビュー・ヒットになりました。ピアノのイントロから始まる美しい曲。そして、彼はもう一曲「ワン・ハンドレッド・ウェイズ」という曲も歌い、これもヒットさせます。

この「ワン・ハンドレッド・・・」で、彼はグラミーを獲得。クインシーに、自らのデビューアルバムを出す前にグラミー賞を獲得してしまった男、と呼ばれることになります。それまで、一曲50ドル程度のギャラで、作曲家のデモテープで歌っていた無名のシンガーは、クインシーに認められたことで、一躍スターのシンガーになりました。ジェームスは、100の方法でクインシーに感謝してもしきれないでしょう。



接点。

ミニー・リパートンのバラードばかりを集めたCDが東芝からでるので、いろんな昔の彼女の作品を聴いています。ミニーの「ラヴィン・ユー」が入っているアルバム『パーフェクト・エンジェル』に続く作品が『アドヴェンチャー・イン・パラダイス』です。この中で、リオン・ウェアの曲がいくつか歌われているわけですね。

このアルバムは、75年5月に発売されていますが、ちょうど、「ラヴィン・ユー」が大ヒットした直後の作品です。「ラヴィン・ユー」に続くとなると、みな「ラヴィン・ユー」系の曲を望んだのですが、見事にそのタイプの曲はない。ここが潔いというか、あっぱれというか。

さて、リオン・ウェアとスコット・ギャロウェイという人がいます。リオンは、昔からけっこうアルバムをだし、アンダーグラウンドでは非常に人気の高いシンガー・ソングライターです。スコットは、まあ、誰も知らないと思いますが、アメリカの音楽ジャーナリストで、コンピレーションの編纂、選曲などもする人。彼は、ミニーの2枚組『ペタルス』を編纂しています。そこにいたるまでの苦労話がなかなか興味深かった。

リオンがミニーと出会ったのは、なんとクインシー・ジョーンズのセッションでした。クインシーの74年5月に発表されたアルバム『ボディーヒート』の中に、「イフ・アイ・エヴァー・ルーズ・ディス・ヘヴン」というリオンが書いた曲があります。これはその1年後75年8月からアヴェレージ・ホワイト・バンドがカヴァーして大ヒットさせますが、その曲をリオンと一緒に歌っているのがミニー・リパートンです。この時点で、ミニーはまだ「ラヴィン・ユー」のヒットを出していませんから、まあ、無名です。

そして、リオンが曲作りに参加した『アドヴェンチャー…』が75年5月に発売されます。また、リオンはこの後、彼がプロデュースなどに参加したマーヴィン・ゲイのアルバム『アイ・ウォント・ユー』が76年4月からヒットします。こうして、リオンの名は業界内でどんどんと高まっていくわけです。

果たして、リオンとミニーの接点、どんな展開になるんでしょうねえ。

公開録音。

何十本というスポットライトが、2階の遠くからステージを照らす。ずいぶんとライトとステージの間には距離があるのに、ステージ上ではその熱が感じられるほど暑い。

横浜クイーンズスクエアで公開録音が、26日夕方行われた。公開放送は、5月の青山通り沿いでの仮設スタジオ以来だが、このクイーンズスクエアのほうは、集まっている人の数がはんぱではなかった。1階から3階まで、ステージが見えるところには、かなりの人が集まっている。その数約1500人ほど。

ガッツTKBショウ、光永亮太、そして、ゴスペラーズという豪華ゲストを従えての公開放送ということで、各アーティストの熱心なファンが、ステージ前のほうに立ったまま陣取っている。すでに何時間も待ってる人たちもいて、その手には団扇も。

そんな中、マーヴィンとたまちゃんが、つつがなく進行。『ミュージック・ジャム』のコーナーも、今回は公開で録音。紹介したのは、話が楽なマライア・キャリーにした。前回5月の時には、U2などを選んでしまって、ちょっと苦労したので。(笑)

たくさんの人の前や、照明などの暑さの中にいると、しゃべることなんかをぱっと忘れてしまう。冷静にこれとあれをしゃべろうと思ってもなかなか、100パーセントは思い通りに行かないもの。やはり頭の回転が普段より2−3割は落ちているような感じがした。ま、そのほうが早口にならなくていいんですが。(笑)

その点、マライアならネタはいくらでもあるので、あれを忘れたり、これを忘れたりしても、大丈夫。会場に来ていた人の中で、マライアを知ってる人、ときいたら、ほとんどの人が知っていた。好きな人と聞くと、まあまあ7割くらいかな。で、先月のライヴ行った人、と聞いたら、ほとんど拍手がなかった。これが意外でおもしろかったというか、ずっこけた、というか。みんなマライア見に行ってないのだろうか。(笑)

それより、観客とのやりとりという点では、ゴスペラーズの曲のイントロを一瞬だけ聞かせてその曲名を当ててもらい、賞品をあげるというコーナーではすごいものを見せてもらった。(笑) イントロ、ほんの1秒の半分くらいで、会場から「は〜〜い」と一斉に声があがった。また、逆回転クイズというのもやって、ある曲を逆回転で聞かせ曲名を当ててもらうというものだが、これも、すぐに正解がでた。この部分は放送では使われないんだが。

1500人以上の人の前でなにかをしゃべったのって、ひょっとして初めてかも。かなり圧倒されました。


Motown Forever

2003年7月27日
モータウン。

なぜか、モータウンのカヴァーアルバムがほぼ時を同じくして2枚発売される。一枚が、既に7月9日に日本発売された元ドゥービー・ブラザースのマイケル・マクドナルドのその名も『モータウン』(ユニヴァーサル)。もう一枚が、なんとギタリスト、リー・リトナーの『ア・トゥイスト・オブ・モータウン』(ヴァーヴ)で、これは9月3日日本発売。

マイケル・マクドナルドのほうは、実によく練られて制作された感がある。まあ、ブルーアイドソウル・シンガーとして、マクドナルドは以前から定評があったので、彼がモータウンのヒットをカヴァーしても、非常に納得がいくところだ。選曲もなじみの深い曲を中心に、いいアレンジでまとめた。マーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」、「ディスタント・ラヴァー」など、マクドナルド風でもあり、マーヴィンの面影も感じられ、なかなかいいヴァージョン。また、テンプスの「シンス・アイ・ロスト・マイ・ベイビー」も彼の声にあっていて、かなりいい。全体的に、いい雰囲気のポップアルバムにしあがっている。

20年前だったら、僕は彼がこのようなアルバムを出しても、そんなに耳を傾けなかったと思う。これを今何度も何度もプレイヤーに乗せて、へヴィーローテーションで聴いてしまうというのは、僕のソウルに対する許容度が広くなっていることと、やはり時代的に、歌物が恋しいという背景があるのだろう。この程度のソウル度でも、十分ソウルっぽく感じてしまう周りとの比較級の問題だと思う。つまり、昔はもっともっと濃いソウルがあったから、そっちに行っていたが、今はほとんどそういうのがないから、マクドナルドのソウル度に感じてしまうというわけだ。彼自身のソウル・ミュージックに対するスタンス、距離感はまったく変わっていない。別に否定的に言ってるわけではない。

さて、一方のリー・リトナーのアルバムは、う〜〜む、なんというか、はっきり言うとマイケルのアルバムと比較するとかなり、やっつけ仕事の感がする。これは彼の『ツイスト・オブ・ジョビン』、『ツイスト・オブ・マーリー』に続くカヴァーシリーズの第3弾ということになる。「インナー・シティー・ブルース」「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」など全11曲選曲はいいが、演奏は軽くまとめた、という感じ。なにかの番組のBGMには使えるが、一曲しっかり正座して耳を傾けましょう、というところまではいかない。

おそらくみんなワンテイクかツーテイクで録音したような感じの出来だ。もちろん、ゲストの名前はすばらしい。ジョージ・ベンソン、ウィル・ダウニング、リサ・フィッシャー(「パパ」を歌う)、ブレンダ・ラッセル(「トラックス・オブ・マイ・ティアーズ」)、ジェラルド・オルブライトなどなど。アイデアでこれはと思ったのは、エドウィン・スターの「ウォー」とマーヴィンの「ホワッツ・ゴーイング・オン」をメドレーにしてで録音したところ。メッセージ的にもつなげられる2曲だ。

そうは言ってもモータウン・ファンは、やっぱり買うだろう。モータウン企画は、永遠に不滅だ。



シカゴ警察、アイス・キューブに謝罪

シカゴ警察が、22日、ラッパーで俳優でもあるアイス・キューブに、シカゴ近辺で起きている暴行事件の容疑者がアイス・キューブに似ていると発表したことに対し、謝罪した。

警察はシカゴのウィッカー公園で起きた3件の女性暴行事件の容疑者を追っているが、20日(日曜)に容疑者は20代半ばの黒人で、人気ラップアーティスト、アイス・キューブを思わせる人物と発表していた。シカゴのCBS系列のテレビ局は21日にその発表に基づきニュースを報じるときに、アイス・キューブのビデオを流した。

警察のスポークスパーソンは、「このような表現はすべきではなかった。すぐに取り消そうとしたが、アイス・キューブ氏には深くお詫び申し上げる。なんら悪意はなかった」と発表した。

一方、そのアイス・キューブは今週から、昨年リリースされてヒットした映画『バーバーショップ』の続編『2』の撮影に入っている。

   +++

味。

このところ、ラッパーというよりもっぱら俳優仕事のほうが多いアイス・キューブだが、僕が初めて彼の俳優としての存在感に感心させられたのは、やはり、92年の『ボーイズ・ン・ザ・フッド』だった。これは、当時新進気鋭のジョン・シングルトン監督の作品。

こうしたリアルなブラック・コミュニティーを描いた映画を見せつけられると、本当にやるせなくなる。今の日本はかなり危ない状況ではあるが、それでも、たとえば映画の舞台となるようなカリフォルニアのサウスコンプトンとかに比べれば、まだ日本は安全といえるだろう。シングルトンの作った映画、あるいは、アイス・キューブが出てくる映画などを見ていると、映画なのにドキュメンタリーを見ているような気になってくる。

そういう意味では、アイス・キューブって、実に味のある俳優になっているなあ、と思う今日このごろでした。歌手上がりの俳優はなかなか成功しないが、ラップ上がりの俳優は、みないいです。トゥパックもね。


苛斂誅求。

まず読めないでしょうね。初めてこの四文字熟語、聞きました。読みは「かれん・ちゅうきゅう」です。gooの辞書によるとこうです。 〔「斂」は収める、「誅」は責めるの意〕 年貢・税金などをむごくきびしく取り立てること。「取り立てが―をきわめる」

重い税金、税金の取り立てが厳しいことなんですね。で、だから何? それが、今日のライヴを見せたグループ、「neo.jp(ネオ・ドット・ジェイピー)」の一曲目に演奏された曲のタイトルです。

neo.jpは、シターラという独特の楽器をプレイする石間秀機さん、キーボードの深町純さん、ドラムスの堀越彰さんの3人組。他の誰もやらないような音楽をやろうということで集まった3人です。

石間さんによってシタ−ラと名づけられたギターは、6弦ですが、ゆるくチューニングしているために、普通に弾くよりは低い音がでて、上の弦を弾くと、あたかもベースを弾いているかのような音がでます。シタールとギターをあわせたような楽器で、これは、この石間さんが考案し、完全カスタムメードで作らせたもの。一応、注文があれば、作ることは作るが、とりあえずまだ石間さんしか持っていない、というオリジナル楽器です。

また、ドラムスの堀越さんは、かなりパワフルで歯切れがよく、ずっと聴いていたら、どこかかのパワフルドラマー、デニス・チェンバースを思わせられた。相当強力です。

石間さんのコンセプトは「ア・ニュー・サウンド・フロム・ジャパン」ということで、それがグループ名にも現れています。

そして、このグループによって演奏される曲名が、どれもおもしろい。石間さんが簡単に紹介してから演奏を始めます。「カレンチュウキュウ」なんて聴いたってわかりません。そこで、電子辞書に文字を打ち込むと、じゃ〜〜〜ん! 変換! 「苛斂誅求」 と出てきます。でも、液晶暗いので読むのちょっと大変。

さらに、「優曇華(うどんげ)」(3000年に一度しか咲かない花)、「偶詠(ぐうえい)」(ふでの遊び)、「禅問答・そもさん」、「空谷(くうこく)の跫音(きょうおん)」(寂しい山中に響く足音。転じて、寂しく暮らしているときの思いがけない訪問やうれしい便りのたとえ)と続きます。

第二部のオープニングは、「懸壅垂(けんようすい)」、そして「迦陵頻伽(かりょうびんか、または、からびんか)」「テレクション・インテリ」「採蘇羅(さそら)」「起請文(きしょうもん)」と続きます。それぞれの言葉の意味を知りたい方は、ぜひ辞書などをおひきください。gooの辞書に、コピー&ペーストして国語辞典で検索すれば、さくっと意味がでます。曲名を耳で聞いて、なんのこっちゃと思い、辞書を引くと、必ずでてくるんで、びっくりです。

メンバーで集まってこういう感じ、などと言いながら、ジャムセッションをして、曲を作りあげていくそうです。3人、それぞれがほかにない音楽、日本だけの音楽を作ってみたいという共通認識を持って、試行錯誤を繰り広げているユニットということでしょうか。既存の言葉で言えば、ジャンルはまったくありませんが、ジャズというか、ファンクというか、激しいリズムに、前衛的なギターとキーボードのサウンドが絡み合って、独特の世界を生み出しています。このトリオの音がある次元から上に来ると、聞き手のそのときのスピリット・レヴェルがあがっていくような効果もあるようです。

停滞化している音楽業界にこのneo.jpは空谷の跫音となるでしょうか。

(2003年7月23日水曜・横浜サムズアップ=neo.jp(ネオ・ドット・ジェイピー)のライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>neo.jp


熱厚暑。

なるほど、これがザディコですか。かなりアップテンポの感じで、なによりもアクセントはアコーディオン。そして、肩からエプロンのようにかけているパーカッション。これはラブボード、もしくはウォッシュボードという名前のようですが、確かに洗濯板みたい。このふたつがザディコの要っていう感じでした。

虎ノ門のJT本社ビルのホールで行われたニューオーリンズのクリス・アルドワンのライヴ。バンド・サウンドは、ドラム、ギター、ベースにアコーディオンと先のパーカッションの5人だけだが、実に厚い。ヴォーカルは、クリスとパーカッションがとるが、二人ともそのヴォーカルが実に熱い。もう鉄が炉の中で燃えたぎるようだ。そして、その熱くなった鉄で、会場の気温はどんどん暑くなる・・・かと思うと、実は、意外とそうではなかった。(笑)

会場がこ綺麗でおしゃれで、約100人のお客さんが小さなテーブルを前に、しっとり座ってるわけです。なんか、こういうザディコっていうような音楽は、もっと天井低くて、それこそタバコの煙ムンムンで、雑多でごった煮的な会場で、汗だくで聞くっていうのが、いいんじゃないでしょうか。(笑) 会場と音楽がアンバランスすぎる。(笑) 会場、ひょっとして禁煙? そういえば、みんな外のロビーでタバコ吸ってたなあ。JTなのに。(苦笑) 

ウィルソン・ピケットの「ドント・レット・ザ・グリーン・グラス・フール・ユー」やボブ・ディランの「ノッキン・オン・ヘヴズ・ドア」なんかが、ザディコのリズムになっておもしろかった。最後には、あの「テキーラ」までが、ザディコ風味に味付けされ、なんでもレゲエのリズムで味付けられるのと同じように、いかなる曲もザディコになるんだな、と思った。

音楽自体、ザディコ自体は熱く、厚く、暑くて、エンジョイしました。

涼冷爽。

そして、最後の曲を聞く前に、ブルーノートに移動。今度は、打って変わっての涼、冷、爽という文字が浮かび上がるようなジョイスのライヴ。クリスが熱厚暑だとすれば、ジョイスは、涼冷爽。気温が一気に下がった。しかも、湿度まで低くなった感じです。

今回はスペシャルゲストに、伝説のボサノヴァのギタリスト、カルロス・リラを迎えている。このカルロスが一曲ごとに、日本語で一言コメントをするのだが、これが、おもしろい。曰く・・・「次の曲は田舎のボサノヴァです」「次の曲はとても甘くてロマンティックなボサノヴァです」「次はジャズスタイルのボサノヴァです。わかりましたか? わかりませんかあ?」「次の曲は黒人スタイルのボサノヴァです」。黒人スタイルのボサノヴァ、よくわからなかった。(笑)

ボサノヴァも、ミュージシャンの人間性をよく投影する音楽だと思う。彼の歌と演奏を聞いてなんとなくそう思った。

土着的なニューオーリンズと都会的なブラジル・ボサノヴァ。蒸し暑くむさくるしいところから、一挙にさわやか爽快なところへ。

ちょっと肌寒い冷夏の東京の夜に瞬間移動。それは、ニューオーリンズからブラジルへの旅路。

(2003年7月22日火曜・虎ノ門JT本社ビル、アフィニス・ホール=クリス・アルドワン&ダブル・クラッチンのライヴ)
(2003年7月22日火曜・東京ブルーノート=ジョイス・スペシャル・ゲスト・カルロス・リラのライヴ)
(ジョイスは、7月26日まで)

クリス・アルドワン記事ページ。
http://www.chocolatecream.co.jp/datail/ChrisArdoin.html

ジョイス紹介記事ページ。ブルーノート東京。
http://www.bluenote.co.jp/art/20030721.html



Moominmamma & James Brown

2003年7月23日
ジェームス・ブラウンがフィンランドでライヴ。

ムーミン。

ジェームス・ブラウンが去る2003年7月17日(木曜)フィンランドのヘルシンキで行われたジャズ・フェスティヴァルでライヴを見せ、そのステージに、タルヤ・ハロネン・フィンランド大統領が登場、会場の大喝采をあびた。ハロネン大統領は同国始まって以来初の女性大統領。観客は、「タルヤ、タルヤ」の大合唱をし、大統領とジェームス・ブラウンを歓迎した。

今年59歳のハロネン大統領は、「ムーミン・ママ」との愛称で親しまれているが、髪を振り乱しながらジェームスブラウンの音楽で踊った、という。ただし、歌うようにうながされたが、歌は歌わずにマイクを通じて、「ここに来ていただいてありがとうございます。ミスター・ジェームス・ブラウン、ただ、私はショウガールではないので(歌えません)」とコメントした。

ハロネン大統領は、2000年3月に就任以来爆発的な人気を集め、世論調査によれば現在も94パーセントという驚異的な支持率を保っている、という。元外務大臣だった彼女は、以前から音楽好きとして知られ、様々なジャズフェスティヴァルなどに顔を見せていた。ムーミンママの愛称は、フィンランドの人気作家ヨハンセンが生み出したキャラクター、ムーミンから。

ジェームス・ブラウンは精力的にライヴを続けており、8月2日アトランティック・シティー、8月15日シカゴの「ハウス・オブ・ブルース」などで演奏した後、10月に来日する。




ザディコ。

夜7時過ぎから自由が丘のマルディグラで、守島さんのザディコを聴くイヴェントがあり、のぞきに行く。僕はザディコについては、ほとんど知らないのだが、初めて日本人バンド(キキ・ヨシタケ&ザディコ・バンド)のザディコ・ライヴを聴いた。このタイプも、CDよりライヴのほうが、絶対にもりあがる音楽だ。

今週火曜、水曜にライヴがあるクリス・アルドワンのCDも次々と紹介され、ちょっと予習できた。

「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」(テンプスのヒット)とか「パッス・ザ・ダッチー」(ミュージカル・ユースのヒット)などをいわゆるザディコ風にアレンジしてやってるんですね。レゲエという音楽スタイルが、なんでもかんでも、即座にその独自のスタイルにしてしまうのと同じ。このザディコを言葉で表すのは難しい。しいていえば、アコーディオンが特徴的な、ニューオーリーンズのケイジャンミュージックから派生した非常にのりのいい音楽、といったところか。

僕がザディコについて知ったのは、ジョー・サンプルのライヴでのこと。ただ、クリフトン・シェニエールというアーティストの名前は聞いたことがあり、たぶん、レコードも聞いたことがあったように思う。しかし、それがザディコというタイプの音楽というのはよくわからなかった。ちなみに、このジョー・サンプルのレヴューでは僕は「ザディゴ」と書いてますが、たぶん、そのとき、そう聞こえたんでしょう。「ザディコ」が正しいです。

そうそう、Zydecoの発音ですが、ズィディコとか、ザイディコとかの説もあるらしいのですが、僕はザディコでいいと思う。ニューオーリーンズにはめっぽう強い守島さんhttp://www.alles.or.jp/~morishim/によれば、フランス語のLes Haricotから来ている、と。これだと、フランス語のリエゾンで、「レザリコ」になって、ザディコになまっていくというのはとても自然です。

このイヴェントにも来ていたデイリー・ヨミウリのライター、レス・コールス氏のクリス・アルドワン紹介記事(2003年7月17日付けデイリー・ヨミウリhttp://www.yomiuri.co.jp/newse/20030717woa7.htm)によると、ザディコは、les haricots ne sont pas sales から来ているそうです。このフランス語の意味は、豆(ビーンズ)は塩辛くない。これが転じて、厳しいとき、そのときは辛いといったことを意味するそうです。

さて、せっかく自由が丘まで来たのだから、帰りに珈琲屋アンセーニュダングルによることにした。一人でカウンターに座ると、マスターがいきなり、「JB来ますねえ」とJB来日のチラシを出して、話しかけてきた。そして、しばしJBとソウル話に花が咲いた。

マスターがこの店のこと何か書かれましたか、と尋ねるので、自分のホームページの日記に書きました、というと、彼自身はインターネットはやらないそうだが、いろいろ人から聞いたりする、とのことでした。というわけで、ホームページのアドレスなどをお教えしてきました。

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