誘発。

ルーサー・ヴァンドロスの初めてのライヴ・アルバムがリリースされました! 今年の2月にニューヨークのレイディオ・シティー・ミュージック・ホールで録音されたライヴ。まってました! タイトルは『ライヴ〜ラジオ・シティー・ミュージック・ホール』(BMGファンハウス=アメリカ盤は10月28日発売、日本盤は11月26日発売)。ルーサーの奇跡の歌声が続く75分36秒。今宵あなたをルーサーの愛のライヴにお誘いしましょう。すべてのあなたが、とろける夜を---。

これまでにルーサーのライヴのヴィデオ映像は発売されていましたが、CDとしては初めてのもの。ここで聴かれる声からはとてもその2ヵ月後に心臓発作で倒れるなんてこと、神でさえ予想だにしなかったのではないでしょうか。

あちこちの曲の途中で「マママママ・・・」とか「ウォオオオオオ」とか、例のルーサー節全開です。そのたびごとに、「おお、ルーサー」と声をあげてしまいます。「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」のイントロでは、手持ちマイクを口元から離したり近づけたりして、声が大きくなったり小さくなったりします。歌の途中で「キャ〜〜」という悲鳴にも似た声が観客席から飛び交います。

うらやましかったのが、9曲目の「アイド・ラザー」。前々作アルバム『ルーサー・ヴァンドロス』(2001年)収録の一曲ですが、観客が歌うんですねえ。一緒に。この曲がこんなに人気があるとは知りませんでした。やはり、ホームでやるライヴは違いますねえ。

11曲中5曲までがカヴァーでしめられています。とはいうものの、彼の解釈によるカヴァーは、カヴァーのレベルを超えています。誰かが先に録音した曲ではありますが、すでに、ルーサーが歌った瞬間ルーサーの歌になってしまっています。これがなんといってもすごい。こんなシンガーは、めったにいない。

「これまでに録音した曲のなかでも、これはとっても気に入っている曲のひとつです。この曲はめったに歌わないんだけど、今夜は、今、ここで(here and now)歌うよ! これは、みなさんの曲かな?(Is this your song?)」 こうルーサーが語って歌い始めたのが、ブレンダ・ラッセル作の「イフ・オンリー・フォー・ワンナイト」。

「もしできるなら、せめてたった一晩だけでも(If only for one night)、君を僕の傍においておきたい。一晩だけでも、それはとても素敵なこと」 そして、この後にスティーヴィー・ワンダーの「クリーピン」へ。「君の吐息が聴こえる。僕の横にいてくれるんだね。どうして、君は僕の夢の中に入り込んでくるの?」 2曲セットで完璧です。というよりも、むしろ全曲の流れが完璧です。75分余で語られるラヴストーリーが展開されます。愛の伝道師ルーサー・ヴァンドロスの面目躍如。愛の力がにじみ出ています。このライヴ・アルバムは、愛を誘発するアルバムかもしれません。



饒舌。

放送作家カニリカさんが登場して、まもなく来日するテイク6について好き勝手におしゃべりしてってくれました。しっかし、よくしゃべるなあ。会話の96%はカニリカさんが支配してましたね。大阪生まれじゃないのか、千葉生まれなんてウソだろ。

僕もいろいろネタは用意しておいたんですが、紹介する隙まったくなしです。感服します。カニさん立て板に水、ボク横板に雨垂れ(あまだれ)、ははは。しかし、カニさん、新作本のプロモーションに来たんじゃなかったっけ。その話は、冒頭でちらっとしただけ。ま、いいっか。

さすがに、厳しい放送業界で活躍されているだけありますねえ。ちょっと隙があるかと思うと、すぐに何かギャグをはさまないといられない。まあ、おしゃべり放送作家の性(さが)ですかねえ。転んでも絶対にただじゃ起きないぞ、と。7転び10起きくらいですね。すばらし。

そしてなによりも誰よりも沈黙を恐れる。コンマ5秒、会話が途切れるだけで、指にしびれが来て、唇が震えだし、瞬時に言葉が自分の頭の回転よりも早く、声帯から飛び出してくる。沈黙こそ彼女の恐怖! 沈黙こそ彼女の弱点。カニリカさんを無音室にいれたら、果たしたどんな突然変異が起こるのか。生物学的にヒジョーに興味がある。

最近つくづく思うんですが、文章をきちんと書ける人で、しゃべれる人の話って、おもしろいんですよねえ。しゃべりはうまいが文章はだめという人もいれば、文章はうまいがしゃべりはだめ、という人もいる。しゃべりはうまい人にも、内容があるしゃべりができる人と、まったく口だけの人もいる。そうやってみると、いろんな人がいますねえ。

石原慎太郎都知事とか、田中康夫長野県知事とかね、もともと文章書きですが、口もうまいからね。それは説得力でますね。文章が書けるということは、頭の中で物事を整理することが上手なんですね。で、うまく整理した上で話をするから、話自体がわかりやすい。もちろん、政治家の中には口だけうまいという人もいるわけですが。というわけで、都知事、県知事と並んでカニリカさんを語るというのも、あまりに大胆不敵ですが。誉め殺し、いや、誉め生かし。ま、いいっか。

しかも、お笑い系にも強いってことで、ひとりでボケとツッコミやります。一人二役ですから、おつかれさまです。歌舞伎、パバロッティーから、テイク6、ウィル・スミス、エミネムまで。守備範囲広いでっせ。

というわけでカニ先生の本をご紹介です。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index%3Dbooks-jp%26field-author%3D%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%83%AA%E3%82%AB/250-7533342-0805807

どんな人かというのを知りたい方はこちらへ。

http://book.asahi.com/topics/index.php?c_id=96

http://shopping.msn.co.jp/softcontent/softcontent.aspx?scpId=862&;scmId=250

テイク6の印象より、カニリカさんの印象の方が強かったかもしれないなあ。ははは。そんなこたあ、ないか。

あ、ちなみにWater To Standing Board, Raindrops To Board Horizontalってこれ適当な訳です。しゃれで訳してみました。もちろん「立て板に水」と、「横板に雨垂れ」。もし、もっといい言い回し、英語表現、あるいは正しい言い方があったら、教えてください。

PS: アプルーヴ(承認)もらわずに、日記にさくっと、そして、堂々とアップしちゃおうっと。文句来る前に。ははは。

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「立て板に水」=すらすらとよく話すさま。弁舌の流暢(りゅうちょう)なさま。
「横板に雨垂(あまだ)れ」=つかえながらものを言うことのたとえ。弁説の流暢(りゅうちょう)でないたとえ。

+++++

PEOPLE>Kani, Rika



最高峰。

テイク6は、かなりお気に入りのグループです。デビューアルバムから聴いています。そのデビュー作はアメリカでは88年3月にリリースされていますが、日本盤がでたのは89年6月。その前だったか、ロスアンジェルスのBRE(ブラック・レイディオ・エクスクルーシヴ誌)のコンヴェンションでライヴを見ました。いやあ、たまげました。なにしろ、6人のアカペラですからね。そのハーモニーがどうなっているのか、初めて見たときは、まったくわからなかった。

テイク6の存在を知ったのは88年秋。ブレンダ・ラッセルのライヴが終った後、スタッフやミュージシャンたちがホテルの一室に集まり打ち上げをしていて、そこのラジカセでテイク6のデビュー作が大きな音でかかっていたのです。そして、みんながこれらの曲にあわせて歌っていた。その衝撃といったら。名前を聞き、CDのジャケットを見せてもらい、翌日輸入盤を買いに行きました。

もちろん、それまでもアカペラグループは大好きでした。パースエイジョンズ、パースエーダーズ、ストリート・コーナー・シンフォニーなどなど。他にもドゥワップ・グループにもたくさん好きなグループがいました。一方、スゥイングル・シンガースなんていうアカペラコーラスもいた。マンハッタン・トランスファーなんかもいましたね。だが、そうしたアカペラ・グループとこのテイク6はまったく違っていた。その違いにも驚いたものです。

ソウル、ジャズ、ゴスペル、こうしたものが見事に融合していたのです。中でもジャズとゴスペルの融合は、アカペラグループとしては初だったように思えた。そして、89年11月、五反田のゆうぽーとで初来日公演。以来、彼らの来日は2003年12月で13回目を数えます。今年なんか8月にも来て、また12月だ。しかもブルーノートのドル箱アーティストになっている。そこでライヴアルバムさえ作っているのだから、彼らの日本への肩入れもたいしたものですね。

他の追従を許さない、とはまさにこのこと。日本でもハーモニーやアカペラがちょっとしたブームになっていますが、そうしたコーラス、アカペラを目指す人たちが最高峰として彼らを崇めたてるのも当然といえば当然です。


壮絶。

それにしてもすっごいなあ。この映像。思わず見るこちらも体に力がはいりまくり、エンドロールが終る頃にはかなりの脱力感。「マトリックス・レヴォリューションズ」を見ました。最初、よく何がなんだかわからなかったので、改めて、パンフレットをじっくり読んだ。99年の「マトリックス」のパンフも引っぱりだしました。少しわかったところもあったが、わからなかったことも依然ありました。(笑)

すっかり忘れてた。「2」は、見てないし。(笑) 基本的な設定を知らないといけないということを知った。映画をこれから見る人も、これは知っておいたほうがいいという基本設定。舞台は2197年近く。人間が作り出した人工知能、マシンが謀反を起こし、逆に人類を制圧し、マシンが人間の熱を栄養として生きていた。マシンが作り出した仮想現実の世界が「マトリックス」の世界だ。

そして、それに気付いた一部の人間がマシン軍に対し、再度戦いを挑む、という物語。その人間たちが住んでいるのが、ザイオンという場所。ザイオンは地底2000キロにあり、人口は25万人。その人類の救世主となるかもしれないのが、ネオ(キアヌ・リーヴス)だ。それでもちょっとわからないところが、いくつかある。

そして、見た人がいて、内容を完璧に理解している人がいたら、わかりやすく説明してください。

(これ以後は、映画をこれから見る人は見ないほうがいいです) 

最後、太陽がうつくしく輝く公園での老女オラクルと老人アーキテクト(?)のやりとりはどういう意味だったのでしょうか。

地下鉄の駅で、黒猫がでてきて、それが変化し、ホームに横になっていたインド人の女の子が目を覚まします。あれは、「マトリックス」の世界から、現実の世界に戻ったのでしょうか。それとも、23世紀から、21世紀の今日に戻ったということなんですか? その前段として、インド人の女の子と一家は地下鉄に乗って、「マトリックス」の世界に行きましたよねえ、確か。そのとき、ネオはその地下鉄に乗せてもらえなかった。でも、そうなると、ネオがいたところは、どっちなんだろう。一応、あそこは、現実とマトリックスの世界の境界線のようなところですよね。ぱ〜とキアヌが走っていっても、また元にもどってしまう。

しつこいくらいの宿敵、スミス(ヒューゴ・ウィービング)がコピー能力をもち、複数の自分を作りだしたのはわかった。しかし、スミスは、「1」では死んだはずなのに、どうして、どのようにして生き返ったの? 地上にあるマシン世界の究極のパワー、デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)は、滅びたの? それともまだ生きてるの?

さて「ソウル・サーチン」的には、人類の戦士のひとりにノーナ・ゲイがいました。そう、マーヴィン・ゲイの娘です。『アリ』につづいて、すっかり女優ですね。他には、ローレンス・フィッシュバーン、ジェイダ・ピンケットなども堂々登場。ラリーは、いつもいい味だしてます。サミュエル・ジャクソンと並んで大好きな俳優です。ジェイダも『ジェイソンズ・リリックス』以来のファン。

「始まりがあるものすべてに終わりがある・・・」という言葉から思い浮かぶのは、Beginning Of The Endという単語です。「終わりの始まり」という概念です。意味深い言葉ですねえ。逆にいえば、終わりがあるものすべてに始まりあり、ということでもあります。

『マトリックス・レヴォリューションズ』、結局僕の結論は、もう一度じっくり見たほうがいいというものです。それはつまり、「終わりとは2度目の始まり」なり・・・。

(映画『マトリックス・レボリューションズ』)
8歳。

昨日の日記で書いた世界的なグループとは、もうすでにおわかりの人はおわかりだと思いますが、マンハッタン・トランスファーのことです。マンハッタン・トランスファーを見ていて、ふと思いついたことを書いてみました。というのは、たぶんメンバーのジャニス・シーゲルの息子だと思われる子どもが、ブルーノートをちょろちょろしていて、舞台に行くときや帰るときに、彼がぴったりジャニスにくっついていたところを目撃したのです。

ずいぶんママのことが大好きなんだな、と感じました。で、ほんとはその子に話しかけていくつか質問したかったんですが、さすがにステージ終ると、彼は楽屋にこもっちゃって出てこないんですね。当たり前ですよね、ママのところにびったりなんだから。

で、まあ、インタヴューできないなら、想像してみようかな、と。そこで、フィクションというただし書きをつけました。この日記ではいろいろと実験的にやってみようと思ってまして。いくつかちょろっと調べたりはしましたが。本当は、彼がママのことをどう思っているのかとか、世界中を旅するのはどんな感じかとか、クラスメートと会えないのは寂しくないのかとか、スターの息子であることはどんな気分なのかとか、いろいろ訊きたかったんですね。

8歳の子どもの目線であの世界的に有名なマンハッタン・トランスファーはどう見えてるのかっていうのはいいテーマのように思えました。ひょっとしたら、彼にとってステージなんて一秒でも早く終って欲しいものかもしれません。そうすればママが自分の所に戻ってくるわけですから。あるいは、自分も歌うことが大好きで、ママがステージに上がって歌っているのを、めちゃくちゃ大好きかもしれません。で、いつかはママと同じステージに立ちたい、という夢を持っているかもしれない。

マンハッタン・トランスファーのライヴは、たぶん20年くらい前の初来日かその後くらいに見ていて、そのときは本当にうまいなあ、すごいなあと思いましたが、今ではこれだけ他にも優れたコーラス・グループやらアカペラ・グループがでてくると、彼らだけがめちゃくちゃすごいということはなくなりますね。(笑) 

彼らのライヴはある意味で20年前と同じでした。確かに、パパとママのための音楽かもしれません。ふと、彼らは同じことを20年以上やって飽きないのかな、とも疑問に思いました。彼らにとっては毎日フレッシュに、新しいことができているのでしょうか。そうかもしれないし、そうでないかもしれません。

とは言うものの、この種のグループとしてほぼ最初に大きな人気を獲得したということで、やはりリスペクトされるべきグループであります。実際文句なくうまいし。しかもブルーノートが満員になるんだから、人気抜群です。

(2003年11月12日水曜ブルーノート東京・ファースト=マンハッタン・トランスファー・ライヴ)


Mama Is Always On The Stage

2003年11月13日
ママ。

僕の名前はガブリエル。僕のママは有名なヴォーカル・グループの一員。アメリカ中、世界中旅をしてまわる。僕は、いつもママと一緒にいたいから、ママについて世界中を旅する。グループは結成してもう30年近くたつらしい。僕はまだ8歳だから、僕が生まれるずっと前の話だ。男女2人ずつの4人組。ママはそのうちのひとり。

ママたちは本当に世界中どこへでも行く。勉強はママが教えてくれる。まあ、たまには学校に行ってクラスメートに会うというのもいいかもしれないけど、毎日クラスメートに会うよりも、毎日ママと一緒にいたほうがいいや。それに、他のグループのメンバーもみんなやさしいし。

夜遅くまでライヴハウスにいて、眠くなったりしないかって。大丈夫だよ。もう慣れっこさ。それに本当に眠くなったら楽屋で寝ちゃえばいいんだから。どこでもいつでも寝られるのが僕の特技さ。

今日も東京のライヴハウスでママが歌う。超満員だ。このライヴハウスは広くて、しかも天井が高くて、とてもかっこいい。立ち見もでてる。ママたち、日本でも人気なんだ。ママたちが歌っている曲は、スタンダードっていうらしい。昔からある曲らしいんだ。それを4人でハモッテる。でも、僕はいつも見ているからね。ママたちが歌ってるとき、僕はいつも舞台の袖で見てる。近くにいたいからさ。時々、ママは僕の方を見てくれる。ママが歌って、観客席からママに拍手が送られるととっても嬉しいんだ。僕もいつかあのステージに上ってみたいな。ママたちの音楽は、ママたちのママやパパたちが好きそうな音楽みたいだね。

ママはシンプルなライフスタイルが好きらしい。うちには、いまだかつてテレビっていうものがないの。それから、皿洗い機もないよ。以前、同じ年くらいの子と話したときテレビがないって言ってたら、驚いていた。テレビの話題はついていけないんだ。でも、同年代の子たちとしゃべる機会はあんまりないし、テレビがないっていうのが当たり前だから、別に気にならないよ。テレビの代わりに、いつもママたちのステージがあるからね。それに同年代の子たちが行けないようなところにも行けるわけだし。

ママは「知らない人と話ちゃいけない」ってよく言ってる。だから、あんまり知らない人とはしゃべらないんだ。ママはだいたいいつもゴキゲンだけど、たまにうまく歌えなかったりすると、楽屋で落ち込んでたりする。それから、風邪とかひかないように、すごく気をつけてるみたい。

あとね、うちではいつも歌ってるよ。サックスが好きでよく吹いてる。前はよくピアノを弾いてたんだけど、最近はいつもサックスだ。最初のうちはえらくうるさかったけど、このところ、まあまあって感じになってきたかな。ママは友達には「サックスは趣味だから」って言ってるみたい。メディテーションもよくやってる。僕にもやれって言うんだけど、たいくつだからすぐ飽きちゃうんだ。あんな長い時間なんで、じっと座ってられるんだろうね。

マンハッタンのアパートのうちの隣にとても音楽好きのおじさんが住んでるんだ。で、部屋にいるときはいつも音楽を大音量で鳴らしてる。僕は、うるさいなあって思うんだけど、ママはときどき聞き耳を立てて聞いてる。今では、友達になって、いろんな音楽情報を交換してるみたいなんだよ。おじさんは映画監督らしい。何を作ってるかは知らないんだけどね。でも、とにかくいろんな古い音楽を知ってるらしくて、ママが感心してた。ママがアルバム作るときも、そのおじさんから勧められた曲なんかも歌ってるみたいだ。

もちろんママがスタジオにレコーディングに行くときもいつも一緒さ。スタジオはライヴと雰囲気が違うね。ママもけっこう普段着で行くし。あと、スタジオにはいろんなゲームマシンがあって大好きさ。でも、ママは歌入れもあっという間に終らせてしまう。

あ、ショウが終った。ママがステージから降りてくる。一旦楽屋に戻って、また出てくるんだ。ママはいつもステージの上。そこで、観客からの拍手喝采をもらって、毎日の栄養にしてるみたい。ステージのママもおうちのママもどっちも大好きさ。


(この物語はフィクションです)

Welcome To Number One! 

2003年11月12日
パワステ。

以前からK氏と一度ゆっくり食事&飲みをしましょう、ということで、ミスティークのライヴのあと、ケイさんご推薦の赤坂の和食の店へ。その場で作ってくれる豆腐、かなりおいしいです。豆の香りがぷ〜〜んとしてきて、やわらかいが、しかし、ふんわり固まっている。これは絶品だ。同じく豆腐で海苔がかかっているものも食したが、今度は海苔の香りがぷ〜〜んとしてきて、トリップ感覚。う〜〜ん、たまりません。

次々といろんな話題がでてきて、話が止まりません。(笑) 彼がMCを担当している前回のプライドがものすごかったという話を聴いていると、なんだか現場にいたかったなあ、と思いました。ストーンズの時よりも、東京ドームものすごいグルーヴだった、そうです。

その後、世田谷ストリートカフェへ移動。僕の車で移動したんですが、動かし始めたとき、「ゴーゴー」とハンドルがなるんですよねえ。ここんところ、動かし始めによくなるなあとは思っていました。そしたら車にもかなり詳しいKさん、「センセ、これ、パワステのオイルいれたほうがいいですよ。そうしないと、パワステ、焼きついちゃいますよ」というアドヴァイス。「へえ、焼きついちゃうの? 知らなかった。それは大変だ」

ストリートカフェでは次々かかるインディ・ソウルの名曲に酔いしれます。途中で、リアル・ブラッド、ヒューマン・ソウルの話題になり、マスターが何曲かヒューマン・ソウルとリアル・ブラッドの曲を続けてかけてくれました。外は小雨が続き、「シルクの雨」がかかったので「恋は上々」をリクエスト。「リアル・ブラッドのアルバム、タワーあたりでもあんまり売ってないんですよねえ」とNマスター。K氏「あ、そうそう。トムがテレビなんか出てリアル・ブラッドのCDの告知するとき、トムのPHSの番号がでてるんだよね(笑) お、今、電話してみよう」 

しかし、リアル・ブラッドの一枚目はなんと手売りでライヴハウスなどで5000枚も売ったという。すごい数字だ。そしてトムさん、その昔、ピアノの調律師をやっていたそうです。絶対音感があるそうで。今度お会いしたときには、ぜひとも、そのあたりの話を聴いてみたいもんです。そういえば、話題のピアニスト、上原ひろみも絶対音感ありましたねえ。その模様をテレビでもやってました。ドライアーの音を聴かせどの音かを当てさせる、というもの。

様々な話の中で僕が非常に感銘したのが、これ。「まあ、いろいろな人と出会いますよねえ。で、仕事もプライヴェートも仲良くなってよく会うような人もでてきます。それで、長く続く人たちっていうのは、結局、みんな親戚になっちゃうんですよね。どこがで途切れちゃう人は、それで途切れちゃう。でも、友達づきあいが続く人は、ずっと続いて絆みたいのが深まっていく。継続は力なりというか、継続は親戚にというか」 おっしゃる通りです。「長くつきあっていくと(みな)親戚になる」((C) KG) 黒人の世界とか非常にそんな感じがしますね。ソウル・ファミリーって感じでね。

ソウルのカヴァー曲の話題で、しばしソウル・トーク。そんな中でいろんなライヴの話に。Kさん、10年以上前に日清のパワーステーション(今はなくなってしまったライヴハウス)で見たエディー・ケンドリックス、デニス・エドワーズらテンプスのライヴに行ったときの話をしてくれました。このライヴは僕も見ましたが、既にそのときに肺がんで余命いくばくもないエディーが最後の力を振り絞って来日してくれたライヴでしたが、それに感激したKさんは、アポもなく楽屋まで彼らに会いにでかけます。入口でマネージャーのような人物に「オレは日本でナンバーワンのDJだが彼らに会いたいんだ」と言うと、マネジャーは中にいれてくれた。そして、エディー、デニスたちが会ってくれたのです。それまで酸素を吸って横になっていたエディーが、彼らが部屋に入るや、一瞬にしてびしっと立ち上がり、一言「ウェルカム・トゥ・ナンバーワン! (よく来てくれたな、ナンバーワン!)」と言って手を差し伸べてきました。それにKさんが大感激したのは言うまでもありません。「ウェルカム・トゥ・ナンバーワン!」という歓迎の言葉が泣かせますねえ。かっこいい!

ストリート・カフェは、すべてマスターNさんの手作り。つまり、日曜大工ですべてテーブルとか棚とかを作った。すると、Kさん「僕も、昔店作ったとき、全部やりましたよ。大工トークできますよ」と言い、しばし、マスターと大工トーク。う〜〜む、入り込めません。(笑) というわけで、大工トークにインディ・ソウルに明け暮れた夜でした。

そして、今日さっそくオートバックスに行って、パワステのオイル入れてきました。音がしなくなって、気持ちハンドルが軽くなったような気がしました。(笑) なんだ、はやくいれればよかった。パワステにオイルを入れるように言われ、パワステでのいい話を聞かされ、すっかりパワステ三昧でお送りしました。チャンチャン。


記憶。

小雨降る渋谷AX。入口でショウの始まりを待っていると、再びSE氏登場。僕を見るや、一拍おいて、「まあ、これはねえ、来るよね」。イギリスから登場した女性R&Bグループ3人組、ミスティークの初ライブ。会場の入りはまあゆったりとした感じ。6割ぐらいか。

前座はCDにほぼ全曲口パクで登場の新人タイムス・フォー(Tymes 4)というグループ。「ルックスからして、決してアイドルではない」というのがちょっと小耳にはさんだ評判。約30分のステージを終えて、DJ・KG氏一言。「う〜〜ん、テレビ『ソウルトレイン』の収録みたいで、いいですねえ」 (笑) そうそう、『ソウルトレイン』の収録は、きっとこんな感じなんでしょうね。レコードにあわせて、観客も出演者もただ踊る。タイムス・フォーは衣装も普段着みたいなので、でてました。日本在住の黒人グループなのかとさえ思った。実際はこれもイギリス出身らしいです。このライヴを見ていた若干14歳ソウルシスター、M一言「踊り、ひとり以外、あんまりうまくないよ。これじゃ売れないでしょ」。斬る、切る、キル・ビル。

さて、いよいよミスティーク登場。これはバンド付きで、ちゃんと歌っています。やっとメンバーの名前と顔が一致しました。え〜と、ブランディー似の一番リードを取る子がサブリナ、ラップを担当し顔が一番小さいのがアリーシャ、そして、ちょっとマライア・キャリー似なのが、スー・エリス。「ワタシタチ、3人アワセテ、ミスティーク!」とステージで挨拶。

かなり、踊ります。スー・エリス、踊りがんばってます。アリーシャ、ラップ上手です。サブリナ、一番たくさん歌います。途中にTLCなどへのトリビュートも含め約86分。若干途中間延びした感はありましたが、新人としてはまあまあのできじゃないでしょうか。

ミスティークがライヴを始めてしばらくしたら、ちょうど僕の真後ろに、さきほどまでステージにいたタイムス・フォーのメンバーが、実に真剣にミスティークのライヴを見ていた。こういう場合の彼女たちはどういう思いでライヴを見ているのだろうか、と気になり、思わず、インタヴューしてしまおうか、と思った。勉強しているのか、自分たちの方が勝ってる、あるいは、負けてるとか思うのだろうか。

バンドは、ドラムス、ベース、ギター、キーボード、コーラス2人、DJという7人。バンドの音が、ちょっとロックっぽいところがあって、個人的にはもう少しR&Bっぽいといいなと思った。途中で一度お色直しあり。白から赤に変わった。みな、何を着てもかわいい。ステージ見ながら、名前と顔を復誦。「サブリナ・ブランディ、小顔アリーシャ・ラップ、マライア・スーエリス・・・」 さあ、覚えたぞ。後で会うチャンスがあったら、名前をしっかり呼んでみよう。

ライヴが終ると、なんと彼女たちは3人揃ってサイン会を開催。6-70人が列を作っていた。名前を記憶した成果を直接会って発揮しようと思ったが、その列に負けて帰ることにした。残念。

(2003年11月10日月曜・渋谷AX=ミスティーク・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Mis-teeq
恫喝。

いやあ、ロングデイでした。まず、ストリートカフェの6周年記念パーティー@六本木エリアへ。ちょっと遅れてしまったら、どうも、ストリートカフェのひとり娘ミーのショウが終ったところだったらしい。

まもなく、日本一うさんくさいインチキソウルバンド、ワンダラーズ登場。あいかわらず、かっこいい。よくここまで徹底して楽しませてくれる。基本的にはロックンロールのオールディーズのカヴァーをやるが、中にはいい感じのソウル、R&Bのカヴァーも。歌い、飛び跳ね、踊り、ステップを踏む。黒のスーツにサングラスがどこかブルース・ブラザースを思わせる雰囲気。

彼らのお得意のウォーの「ロウライダー」なんか、ハーモニカの音も実にファンキー。そして、一番印象に残ったのがトランプスのヴァージョンの「ジング・ウェント・ザ・ストリング・オブ・マイ・ハート」。シュアなドラムスに、低音と中域の声の二人がトランプスよろしく歌う。フィリーサウンドを熱くした感じのアレンジに感心した。

ジェームス藤木&リスペクト・オールは、もう変わらず、ファンク炸裂。(2003年6月4日付け日記)フィーチャード・シンガー、イクミも迫力満点。ジェームスさんのバンドは、曲も事前に決まっておらず、そのときの気分で次の曲が決まる、という。やはり、ジェームス・ブラウンと同じだ。(笑) 時にはテンポがはやかったりしてしまうこともある。するとジェームスさん途中で、「ちょっとテンポ、はやいんだよ」とドラマーに一言。すると、少しBPMが落ちる。非常にフリーフォームの、スポンテニアスな感じでバンド演奏が続く。きっちり決められたというよりも、その場の盛り上がり方で変幻自在のライヴ・バンドたたき上げの、言ってみれば、ライヴ・バンド中のライヴ・バンドといったところだろう。お立ち台のダンサー、付け毛のミーもかなりダンスうまい。

この会場でばったり、ニック岡井氏に遭遇。「お〜○○! あとでブラウン、行こうよ。来るんだろ」と軽く恫喝はいる。ジェームス・バンドを見終え外にでると霧雨。音が大きかったので、ちょっとだけ静かなところでワン茶してから、ニックの恫喝に従い恵比寿ブラウン・シュガーへ。入口のところの看板に、なんとSさん(オーナー)とダニー・レイ、フレッド・トーマスのスリーショットの写真が飾ってあるではないか。

エレヴェーターが3階につき、扉が開くと、中はものすごい熱気。ダンスパーティーになっていた。ニック、中にいて「オ〜ッス」。20年ぶり以上に会う元レコード会社の人や、アーティストの事務所の人や、他のソウルバーオウナーさんなどいろいろな人が来ていた。

カウンターの一番左端に座ってしまったためDJに直接リクエストできなかったので、DJに聴きたい曲をメールした。曲はもちろん、トランプスの「ジング・ウェント・ザ・ストリングス・オブ・マイ・ハート」だ。しばらくして、かかった。いやあ、名曲です。いつのまにか、ニックはいなくなっていた。


(2003年11月9日・日曜・六本木エリア=ストリートカフェ6周年記念イヴェント)


カタチ。

アーマッド・ジャマルのライヴを見て以来ピアノトリオを見たいなあと思っていた僕としては、ちょっとだけ期待して山下洋輔のトリオを見に、はるばる池袋まで出かけていったんです。うわさの山下洋輔トリオ、初体験でした。

う〜〜ん、しかしこれは厳しいなあ。トリオあり、邦楽の和太鼓などありで即興などもするのですが、一言で言えば、みんながそれぞれ勝手にばらばらにやっている、という印象です。コラボレーションという雰囲気にはなってないですねえ。かなり爆睡させていただきました。会場も大きすぎるのかもしれません。池袋芸術劇場の中ホール、600人以上入ります。彼のトリオだと100人くらいのライヴハウスの方が迫力がでるのかもしれません。ちょっと距離もあったし。ピアノの力強さはなにも感じなかった。ミュージシャン間に張り詰めた緊張の糸は、少なくとも、僕には感じられなかった。

それでも、これだけのお客さんがやってくる、というのが興味深い。20年以上も前に山下洋輔のライヴを見たという人物は、「う〜ん、むかしはもっとかっこよかったけどなあ。坂田明と一緒にやったときなんか、すごかったですけどねえ〜」 まあ、人間丸くなったんでしょうか。

ライヴ終ってロビーに出ると、佐藤英輔氏とばったし。またまた僕がこんなところにいるのをいぶかしげに見る。彼は僕がブラック以外のライヴに来ていると必ず不思議がる。一言「ああ、バックに黒人がいるから、来たの?」 それを無視して「で、どうなのよ、こういうのって」と僕。「う〜〜ん、あれが、もうカタチだからねえ」 「あああ、なるほど。そうだ! あれがもうカタチなんだね!」 「僕はもっとめちゃくちゃなフリージャズっぽいほうが好きなのよ」と英輔氏。とはいうものの、カタチを持っている人は、それが個性なわけでして。

これだけの人っていうのが多いのか少ないのかはわからないが、山下さんは文化人だから人が集まる、そうなのだ。なるほど、それも納得。僕も確かに山下さんの書く物とかけっこう読んでおもしろかったと思う。話し方とか、話自体はおもしろいし好きですが。まあ、今日のライヴは、別に僕のソウルには触れませんでした。

それにしても、改めて、あのアーマッドのライヴのすごさはなんだったんだ、ということを強く強く確認した夜でもありました。

(2003年11月20日木曜・池袋芸術劇場=山下洋輔ライヴ)


周年。

先日新宿の「ソウル・ジョイント」の2周年記念パーティーの案内をしましたが、今週から続々と都内ソウルバー関係の周年記念パーティーなどがあります。まとめてご紹介します。

1) 世田谷・ストリートカフェ・オープン6周年記念イヴェント

タイトル Street Cafe Review Vol.6 六本木エリア
日時 2003年11月9日(日) 18時開場、18時半開始
ライヴ出演 ジェームス藤木&リスペクトオール・ウィズ・イクミ、ワンダラーズ
DJ出演 キンヤ
場所 六本木エリア(六本木日拓ビル地下)
電話 03-3479-3721
料金 前売り 4500円、当日5000円(フリードリンク、フリーフード)
問い合わせ 黒人音楽酒場 ストリートカフェ 03-3706-2344

2) 恵比寿ブラウンシュガー3周年記念イヴェント

日時 2003年11月9日(日) 20時から
場所 恵比寿ブラウンシュガー
住所 東京都渋谷区恵比寿1-22-17 興和ビル3F
電話 03-3441-6266
料金 2500円 2ドリンク
特典 先着30名様にDJケイコ特別編集CDをプレゼント
問い合わせ 恵比寿ブラウンシュガー 03-3441-6266

3) 要町フィリーズ1周年記念パーティー

日時 2003年11月15日(土) 20時から
場所 要町フィリーズ
住所 豊島区池袋3-3-11音羽ビル1階
電話 03-3957-0430
料金 4000円 Tシャツ付き
問い合わせ 要町フィリーズ 03-3957-0430

4) 板橋ゲット1周年記念パーティー

日時 2003年12月7日(日) 17時から20時
場所 池袋駅東口 アルコミール(Alcomeal)
住所 豊島区東池袋1-15-3
電話 03-3985-8179
料金 男性6000円、女性5000円
問い合わせ 板橋バー・ゲット 板橋区板橋2-64-16
電話 03-3963-8623

5) 新宿ソウルジョイント2周年記念パーティー

日時 2003年11月7日(金)、8日(土) 19時から真夜中まで
場所 新宿ソウルジョイント
住所 新宿区新宿3-10-7 前田ビル 2階
電話 03-3353-5102
料金 3000円飲み放題

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この中で1)のジェームス藤木さんのバンドは、ジェームス・ブラウンのコピーを実にうまくやります。かれらについては、2003年6月4日の日記に。

それぞれのパーティー、秋の夜長お楽しみください。


(明日は山下洋輔トリオのライヴのお話です)

新入社員。

「君は新しいピアニスト、ヒロミ・ウエハラっていうの知ってるか」 こう話かけてきたのは、先日のピアノバーXEX(ゼクス)で弾き語りをしているケイリブだった。(10月26日付け日記) 「この前、CDショップの試聴機で聴いたんだが、ものすごいんだよ。で、そこにはヴィデオもあって、それも見た。激しくて、ものすごい迫力なんだ。アーマッド・ジャマルがプロデュースしているらしい。ピアノを叩く感じだな。とにかく一度聴いてみなよ」 僕はその名前は知らなかったが、ケイリブがあまりに熱心に言うので、その名前をメモした。

それからしばらく僕はその名前を忘れていた。そして、先週アーマッド・ジャマルのライヴに行った。(10月30日、31日付け日記) そこで、彼のプロフィールをブルーノートで見ていると、上原ひろみという名前がでてきた。「あれ、どこかで聴いたことある名前だな」と思い、メモ帳を取り出すと、果たして、ケイリブが話していたその彼女のことだった。

家に帰り調べてみると既にちょっとした話題になっているらしい。しかも、10月19日にTBS系のテレビ番組『情熱大陸』で彼女が取り上げられたという。そこで、さっそくCDとそのヴィデオを見た。

アルバムは『アナザー・マインド』(6月25日発売)。最初の曲を聴いた瞬間、僕はあのミッシェル・カミロを思い出した。彼のCDを売り出した時の日本のレコード会社のキャッチコピーは今でも鮮明に覚えている。それはこうだ。「鍵盤の上は嵐です」 上原ひろみを聴いて、鍵盤の上は嵐だと思った。

『情熱大陸』を見た。いいねえ。しっかりしていて。インタヴューに答えている様を見て、シアトル・マリナーズのイチロー選手と同質のものを感じた。それは自分がすべきことを自分自身がよく知っていて、自分自身その目的のために最大級の努力をしているという自負がある点においてだ。多くの人は、ミュージシャンに限らず、なかなか自分自身がすべきことがわからないものだ。それを彼女はすでに24歳にして知っていた。ひょっとしたらアメリカに来て約4年間のうちにそれを学んだのかもしれない。

ケイリブが熱く語る。「なんかで、彼女のCDレヴューを読んだんだ。そうしたら、そのライターはまあまあの評価しかしていなかった。オレは訊きたい。アンタにとっての最高のピアニストは誰なんだ、と。彼女に賛辞を贈らずして、一体誰を誉めるんだ、とね。(笑) まあ、評論家なんて、そのアーティストを誉めもしなければ、けなしもしないのが多いからな。(笑)」 

番組の中で、彼女はいくつもすばらしい言葉を語っていた。「例えばうまく弾けない日が3ヶ月続いたとしても、原因は自分にある(とわかった)時点で、それは苦労でも挫折でもないですね。曲が出来ないからスランプとか、うまく弾けないからスランプだとか、そんなのは(関係ない)、とにかく、できるまでやれ、と。(笑)」

「(自分には決められた)労働時間なんてないですよ。(その道を)極めたければ極めたいだけ働けということなので、死ぬまでにどこまで極められるかは自分の労働時間にかかっている」

こういうセリフがものすごくイチローっぽい。表情とか言葉のしゃべり方とか。(笑) 別に彼女がイチローのファンということはないだろうが。

「荷物が全部なくなっても、靴と衣装とピアノさえあればなんとかなる」

「まだまだ駆け出しですからね。演奏させてくれるところがあればどこへでも行く。営業取ろうと必死になっている新入社員と同じですよ」

彼女は現在ボストン在住。ニューヨークの名門ジャズクラブ「ジャズ・スタンダード」に出演するときは、朝、10ドルの長距離バスで4時間半かけてニューヨークに行き、演奏を終えて、吉野屋の3ドルのビーフボール(牛丼)を一人で食べてから、再び終夜バスで戻る。日帰りの長い一日だ。飛行機なら4-50分の距離だが、まだまだ新入社員は飛行機には乗れない。しかし、重い荷物を持ってマンハッタンのパークアヴェニューを歩く彼女にはそんなことはものともしない充分なガッツがあった。

テレビ番組放映後、CDの売り上げがどーんと伸び、現在品切れになっている、という。このドキュメンタリーを見たら、日本人なら誰でも彼女を応援したくなるだろう。アーマッド・ジャマルのライヴ以来、ピアノ・トリオをたくさん見たい僕としては、はやくライヴが見てみたい。そして直接話をしてみたい。

「ひとつ山の頂上を昇るとまた目の前に大きな山が立ちはだかってるんですよねえ。ずっと続くんじゃないでしょうか」と彼女は言う。 マンハッタンからボストンに帰る深夜バスは、喋り声さえまったく聞こえず、かすかな寝息がもれてくるだけ。彼女も疲れでうとうとしているだろう。下手をするとボストンに着く頃には朝になっているかもしれない。だが、きっと近い将来、彼女はニューヨークに移動するときにも飛行機を使うようになり、ライヴが終ってもその日はニューヨークのホテルでゆっくり熱いバスタブに浸かって体を休めることができるようになるだろう。荷物も彼女自身が持たなくてもよくなるにちがいない。

1979年3月26日静岡生まれ。24歳未年のこの新人社員は、将来大出世まちがいなしだ。

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上原ひろみオフィシャル・ホームページ

http://www.yamaha-mf.or.jp/art/official/hiromiuehara/
http://www.hiromimusic.com/index.htm
http://www.universal-music.co.jp/jazz/j_jazz/hiromi/

毎日新聞に掲載された記事。

http://www.mainichi.co.jp/life/music/cia/2003/0609.html

(明日はいくつかのソウルバーの周年記念イヴェントについてご紹介します)

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>はにゃさんへ

「灯ともし頃ならば〜〜」というフレーズもステキですが、「人々が間違いを起こす夜」という表現も感銘しました。この言葉でひとつ文章書けますね。すばらし。
2周年。

新宿のソウルバー、ソウル・ジョイントがこの11月で2周年を迎え、その記念パーティーが11月7日(金曜)、8日(土曜)に行われます。この二日間は夜7時から真夜中まで、3000円で飲み放題。

ソウル・ジョイントは、新宿3丁目の界隈のソウルバーの中では新しい部類にはいります。僕もオープンしてまもなくソウルメイトUに連れられ行きました。プレイするのはCDのみですが、オープン当初から比べるとずいぶんとCDの数が増えています。

カウンター横の壁にいつのまにかCD棚ができていました。マスターは60年代から70年代のソウル、R&Bがお好きなようです。オーティス・レディング、OVライト、アレサ・フランクリン、チャイライツなどなど・・・。彼は2年ほど前サラリーマンをきっぱりやめて、このソウルバーを始めました。比較的大人向けのソウルバーでしょうか。一度ぜひ。

ソウル・ジョイント
〒160-0022 新宿区新宿3-10-7
前田ビル 2階
03-3353-5102
日曜祝日・休み

新宿通りと靖国通りの間。要通りの一本新宿寄りの道沿いにあります。

(明日は驚異の新人ピアニスト・上原ひろみのお話です)
ランデヴー。

「ホワット・ユー・ウォント・ドゥ・フォー・ラヴ(風のシルエット)」がアメリカでヒットし始めたのは1978年10月からのこと。日本にはその輸入盤アルバムが同年暮れに入った。日本盤がCBSソニーから発売されるのは79年3月。79年の夏は六本木あたりに現れ始めたカフェバーなるもので、こうしたボビーやボズ・スキャッグスなどの聴きやすくメロディアスな作品がアルバム単位でプレイされるようになっていた。原宿のメロディーハウスや青山のパイドパイパー・ハウス(ともに当時流行っていた輸入盤専門店)では、日本盤が出る前に爆発的に売れていた。

それらの音楽は日本ではまもなく「AOR」という言葉で語られるようになる。アダルト・オリエンテッド・ロック、すなわち大人向けロックという意味だ。アメリカで「AOR」というとアルバム・オリエンテッド・ロックなのだが、いつしか日本ではAORは、こうしたボズやボビーなどのサウンドを指すようになった。サーファーが好きそうなタイプの音楽ということで、サーファー・サウンド的な受け入れられ方もした。

「風のシルエット」は90年代に入って、アリーヤ、モナリサ、グル、2パックなど多数のヒップホップ系アーティストたちによってサンプリングされ、一部のサビのメロディーは大変浸透度が高くなっている。そして、「風のシルエット」がでてから4半世紀、90年代にはいって何度も来日し根強い人気を持っているボビー・コールドウェルが再び超満員のブルーノートに登場した。僕が彼のライヴを見るのは79年の初来日と90年のパーラメントでのライヴ以来だと思う。

アンコールを含めて12曲、70分。メロディアスな作品群は、観客を70年代後半から80年代初期に連れ戻す。もっともヒットした頃には聴いていない新しい世代にとっては、新鮮な音楽に映る。すっかり日本通の彼は、曲間で時折日本語を交える。

カヴァー曲がおもしろかった。ディオンヌ・ワーウィックなどでおなじみのバカラックたちの名作「ウォーク・オン・バイ」、エモーションズの大ヒット「ドント・アスク・マイ・ネイバーズ」、アーロン・ネヴィルの「テル・イット・ライク・イット・イズ」など、けっこうボビー節になっていた。声もしっかりよくでていた。あの顔が誰か有名人に似ているような気がしたが、思い浮かばなかった。

やはり一番受けていたのは「風のシルエット」だった。「風のシルエット」というシングルの邦題もすごいが、このアルバムの邦題もすごい。それは『イブニング・スキャンダル』! そして、お宝発掘だあ! 79年頭に日本のレコード会社が作ったチラシの文句はこうだ!  

「シルエットは揺れ動く、スキャンダラスな夜、今夜はトロピカル・ランデヴーとシャレてみようぜ!」

どうだ! トロピカルっていう言葉も、かなり死語ですねえ。(笑) ランデヴーは、デートのこと。でも、このアルバムはたくさん売れて、ボビーは一躍人気洋楽アーティストになった。今夜の会場のカップルは、トロピカル・ランデヴーとシャレてみたかな。


Artist: Bobby Caldwell

WHAT YOU WON’T DO FOR LOVE
Bobby Caldwell

I guess you wonder where I’ve been
I searched to find a love within
I came back to let you know
Got a thing for you and I can’t let go

My friends wonder what is wrong with me
Well I’m in a daze from your love, you see
I came back to let you know
Got a thing for you and I can’t let go

Some people go around the world for love
But they may never find what they dream of
What you won’t do, do for love
You’ve tried everything but you don’t give up
In my world only you makes me do
For love what I would not do

But then I only want the best it’s true
They can’t believe the things I do for you
What you won’t do, do for love
You’ve tried everything but you don’t give up
In my world, only you makes me do
For love what I would not do
Makes me do for love what I would not do


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(2003年11月3日月曜ファースト・東京ブルーノート=ボビー・コールドウェル・ライヴ)

(明日はソウルバー、ソウルジョイント2周年記念パーティーのお知らせです)


鹿。

真鍋太郎さんの個展を見てきました。代官山で行われている個展は鹿を描いた作品が18点プラス大きな作品で4点。真鍋さんは、かつて子どものころアメリカの西部劇を見て、馬やインディアンなどにすごく惹かれ、たくさんの馬を描いてきましたが、今回は馬ではなく鹿を描きました。

なんでまた鹿を? 映画『ディア・ハンター』でもお好きなんですか。「ええ、あれも好きなんですが…(笑) 鹿にはやさしいところもあれば、野性的なところもあるでしょう。二面性というか。そういうところをちょっと描いてみたかったんですよ。マイケル・ジャクソンだって、やさしそうなところもあれば、すごく普通の人からみると変わっているところもあるでしょう。みんなどこかしら、そういう二面性みたいなものがあると思うんですよ」と彼は語ります。

ちょうど、耳のところに安全ピンが刺さった鹿がいたので、「これはなんで、ピンが刺さってるんですか」と尋ねると、「これは、ちょっとワルの鹿です・・・」とのお答え。ワルの鹿とグッドな鹿、なるほど。ピアスをしているような感じです。たしかに可愛い鹿、こわもての鹿、いろいろいます。

今回の作品は、実際さまざまな紙などの素材に絵を描いたものをデジタルデータ化し、それをデジタルプリントしたものだということです。で、そのデジタルプリントをクロース(布)などに施しています。それぞれの作品は限定で10作品ずつ、1から10までナンバリングされています。

真鍋さんは、ジャズ、カントリー、そして、ソウル、R&Bなどを聴いてきました。彼はどんな素材のもの上にも絵を描きます。雑誌の紙の上を白く塗ったりして、そこに書きます。ここはこっちから、そこは別のところから素材をとってきたりもします。ただ「コラージュとはちょっと違う」と彼は言います。しいて音楽の世界の言葉で言えば「素材をリミックス」したり、あるいは、「サンプリング」したりして絵を描いている、あるいは、作品を作っているというニュアンスでしょうか。

例えば彼が案内の葉書に掲載した鹿の絵は黒ですが、デジタル処理でやろうと思えばこの黒の鹿の色をどのような色にもできます。それこそ、アンディー・ウォーホールが同じデザインの絵を色違いで数十点も並べたようなことが、今ではいとも簡単にできるわけです。そして、鹿の絵自体は同じものの、下地が違っています。これなど、基本的な絵は同じですが、まさにちょっとしたリミックス違い、といった感じです。

その鹿の頭上にはバナナが描かれています。ウォーホールっぽいですよねえ。「このバナナは、ここにバナナがあったらどうなるかな、と思って描いてみたんですよ。そしたら、きっとウォーフォールもそんな感じでいろんなものを描いていたんじゃないかな、って思って」 ウォーホールとピカソが、真鍋さんのアイドルだそうです。なるほど。「もし、ウォーホールやピカソが生きていたら、絶対こういうデジタル技術を使って作品を作っていたと思うんですよ」 

真鍋さんも、ヒップホップ系イラストレーターということになるのでしょうか。少なくとも充分にオルタナティヴです。あ、西部劇が大好きだから、会社名が「ボナンザ」なんですね! 今、気付きました。

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picaro taro真鍋太郎、鹿を描く。
ディア フレンドDear Friend, @ HUSK in 代官山
2003.11.2(sun)~11.24(mon)毎日OPEN◆11:00→→19:00
HUSK ギャラリースペース
渋谷区恵比寿西 2-12-14 TEL◆03-5459-1539

(明日はボビー・コールドウェルのライヴ感想文です)



ハックルベリー・フレンド。

「ムーン・リヴァー」っていい曲ですね。(10月15日付け日記) この曲の歌詞の意味を何度も何度も聞いて再考しました。映画『ティファニーで朝食を』を借りて見ました。なるほど。映画を見て、新たな発見、納得した部分がありましたので、少し書いて見ます。

映画の主人公ホリー(オードリー・ヘップバーン)は訳ありの美しい女性。その彼女のアパートの上に住んでいる作家(ジョージ・ペパード)も金持ちのご夫人のつばめもしているという訳ありの男。この映画は彼らふたりの間のラヴストーリーです。

映画の中ではオードリーがアパートの窓辺でギター片手に歌います。これは名シーン。この曲は、ヘンリー・マンシーニがあまり音域のないオードリーのために、音も一オクターブ以内で作られました。そして、このオードリーが歌うようにジョニー・マーサーによって歌詞が書かれました。当初このシーンは、映画会社はカットしようとしたそうです。しかし、オードリー本人の希望もあり、採用されます。

タイトルとしては「ジューン・リヴァー」「レッド・リヴァー」「ブルー・リヴァー」などの候補もあがったといいます。しかし、結局、作詞家ジョニー・マーサーの実家近くに流れている「バック・リヴァー」の愛称「ムーン・リヴァー」に決めました。

曲のテーマは、映画の主人公オードリーが誰にも束縛されずに生きたい、世界に飛び出して、いろいろなものを見たいという希望をもつところにあります。その世界にでていく道筋がこの「ムーン・リヴァー」に象徴的に描かれています。

「いつか私は優雅にこの川を渡ってみせる」は、まさに優雅に世界に飛び出してみせる、という意味です。ティファニーにあこがれているオードリーです。優雅に世界にでるに決まっています。そして、この川のむこうには、夢もあれば、挫折もあります。そして、二人の漂流者が世界に一緒に飛び出す。この二人は、結局、オードリーとジョージになっていきます。二人の愛はなかなか最初のうちかみあっていません。だが、二人は同じ虹のかなたをめざしていたのです。それぞれ別の道で虹にアプローチしていたんですが、結局行きつく先は同じだった、というわけです。

そして、一番むずかしい一行が次です。

「マイ・ハックルベリー・フレンドとムーン・リヴァーと私」。さて、訳では「マイ・ハックルベリー・フレンド」を「冒険を共にする友達」としました。前の日記で書いたようにこれはマーク・トゥエインの小説からきています。一緒に川を上っていく友達です。さて、しかし、これは一体誰のこと? ジョージ・ペパードのことだと思いますか。違うんです。今回、わかりました、映画見て。(もっとも僕の解釈ですが)

その秘密はエンディングにありました。もし映画見てない人で映画を見る予定の人は、これより先に進まないように。(笑) もっとも何度もテレビなどでも放映されてますから、みなさんこのエンディングはご存知かもしれませんね。

エンディングで再び「ムーン・リヴァー」が流れます。このシーンでオードリーはずっと飼っていて、ブラジルに行くためについさきほど路上に捨ててしまった猫を雨の中で探します。同じくその猫を探しに来たジョージ。オードリーが猫を見つけ、ジョージと目があい、猫を間に抱いたままふたりは熱いキスをします。そう、この猫ちゃんこそ、ハックルベリー・フレンドとしか言いようがないのです! 二人とこの猫ちゃん=ハックルベリー・フレンド。3人で、一緒にこれから生きていくのです。

こういうのって100回くらい聞いていて、ふと101回目に「あ、そうだ!」ってわかるもんなんですねえ。現場100回とはよく言ったものです。翻訳の時も、わからないときは、「原文100回」ですね。(笑) 

そして、今度は最後のハックルベリー・フレンドの次に来るムーン・リヴァーは、ジョージのことも隠喩しているとも受け取れます。それまでジョージはずっとオードリーに生きる道筋をアドヴァイスしてきた。世界にでていくムーンリヴァーは、まさにジョージが照らしてきた川なんです。

映画のエンディングのところではちょっとだけ歌詞が違っています。最初のヴァージョンはTwo drifters off to see the world なんですが、エンディングではMoon River off to see the worldになってるんです。

ですから、「川の流れに私は身をゆだねる。ムーンリヴァーは世界に続く・・・」という意味になります。そして、猫ちゃんとジョージと私で、虹のかなたの夢に向かっていく、というわけです。

たかだか9行程度の歌なのにとても深みのあるお話ですね。以上、今日の世界名曲物語でした。

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ムーン・リヴァー

ムーン・リヴァー、それは1マイル(1.6キロ)以上の幅の大きな川
いつか、私は優雅にこの川を渡ってみせる
この川のかなたには夢もあれば、失望もある
川の流れのままに、私は身を任せる
二人の漂流者は、世界に出るために川を進んでいく

見るべき世界は数知れない
私たちは同じ虹のかなたを追い求めている
きっとその虹のかなたにはいいことが待っている
冒険を共にする友達と、ムーン・リヴァーと私

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(明日は真鍋太郎さんの個展のお話です)
個展。

イラストでおなじみの真鍋さんの個展が11月2日から開かれます。

真鍋さんのイラストは、以前から存知あげていましたが、彼がソウル、ドゥワップ好きであることはあとになって知りました。 送っていただいたメッセージにはサム・クック、テンプテーションズ、ミラクルズなどからTLCなどの名前もでてきます。

ところで文字を書く人間とイラストレーターは、紙面では一緒になっていても、意外と直接会ったりすることはないものです。2年弱の連載中、お会いする機会はありませんでした。僕がイラストの掲載許可をお願いするために連絡したときも、近いうちにお会いしましょう、と言いつつ今日までのびのびになっていました。お会いできるのを楽しみにしてます。

真鍋さんのイラストのファンの人がいて、その雑誌のコラムを読んでいる人がいました。その人物はイラストに引かれて原稿を読んだのですが、それが昔からの僕の知り合いだったことから、僕に連絡をしてきたことがありました。雑誌の原稿なんて誰が書いているかなどなかなか気にもなりませんが、イラストや絵は、誰が書いたか一目見ただけでわかるからすごいものがあります。

タイトルや、小見出し、フォントを見ても誰の文章かはわかりませんが、イラストや絵はすぐにわかります。うらやましい。僕は昔から絵が上手な人に、いつもちょっとした嫉妬心を持っています。(笑)  というわけで、真鍋さんの個展、興味あるかたはぜひ一度足をお運びください。



『真鍋太郎 鹿を描く』
場所:代官山HUSKギャラリースペース
     http://www.bagzn.com/20021101/p2/s3.htm
     http://more.shueisha.co.jp/shop/details/d35.html
住所:渋谷区恵比寿西2−12−14 03−5459−1539
地図:http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.38.50.701&;el=139.42.32.245&fi=1
日時:2003年11月2日(日)〜24日(月) 11時から19時まで。


(明日はスタンダードの「ムーンリヴァー」のお話です)



ことわざ。

スリー・ディグリーズあるいはスプリームスあたりの70年代ソウルのガール・グループをパロディー化した日本のスリー・ビックリーズを渋谷のクラブ、アヴァロンでみました。以前からうわさは聞いていました。さまざまなディスコヒットを次々と歌います。ディスコヒットも、かなり日本でのヒットに重心を置いてます。黒く肌を塗り、派手な70年代風の衣装に、大きなアフロヘア。ヴィジュアル・インパクトあります。約30分のショウ、笑えます。

そして、こんな曲まで。来た来た! 「ジンギスカン」! 出た出た! 「ダンシング・クイーン」 おやおや! 山本リンダか? (笑) 営業仕事、向いてます。(笑) 何かのイヴェントの華にいいアクセントになるかもしれません。年末、営業たくさん稼いでね。

さて、渋谷からほんの10分の代官山へ移動。先週同様、ケイリブが弾き語り。今日は黒人女性シンガー、エボニー・フェイが帯同。エボニーは、ロバータ・フラック、アニタ・ベイカー、パティー・オースティン系のハスキーな声。ケイはジェームス・イングラム系の声。どちらもいい声をしている。エボニーがロバータ・フラックの「キリング・ミー・ソフトリー」を、さらに、ケイとエボニーで「クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」を歌う。う〜〜ん、いいねえ、この流れは。

一緒に行ったマイケル・ジャクソン・マニアの放送作家Kに「リクエストあれば、ものによっては歌ってくれるよ」と言うと、「う〜〜ん、じゃあねえ、じゃあねえ・・・
ピアノバーだし・・・。『私はピアノ』・・・」  「誰よ、それ」 「うん、高田みずえ」 「君ねえ・・・」 

スタッフから小さな紙切れが彼らに渡される。おそらくリクエストだ。なんだろう、と思って聞き耳をたてていると、歌い始めた曲はアレサの「ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン」。これをところどころ、二人でデュエットして歌う。本来この店はあまりシャウトせずに静かにさらっと歌って、会話の邪魔にならない程度の歌を聞かせる場所だが、なんとエボニーはどんどんと曲の中に入り込んで行き、かなり盛り上げた。

エボニーは妙な日本語を知ってる。「サルモキカラオチル」「チリモツモレバヤマトナル」 「ナマムギナマゴメナマタマゴ」! なんで、こんな言葉知ってるんだ?(笑) そこで、僕は新しい日本語を教えることにした。「コーボーモフデノアヤマリ」 エボニーが繰り返す。「コーボーモ・・・?」 「フデノ」 「フデノ?」 「アヤマリ」 「アヤマリ? どういう意味?」 「弘法という書の上手な人がいたんだけど、そういう人でも、間違うことがある、という意味だよ。猿も木から落ちると同じ。だから、その二つを続けて言うとみんな驚くよ」 「OK I got it!」  

帰り際、エボニーにもう一度尋ねた。「さあ、言ってごらん」 「コーボーモフデノ・・・」 「アヤマリ」 「アヤマリ!」 「You got it!」 かなり、耳がいい。今日は僕は国語の先生になった。

Little language goes a long way...
(2003年10月30日渋谷アヴァロン=スリー・ビックリーズ・ライヴ)
(2003年10月30日代官山・XEX(ゼクス)・The BAR=ケイリブ・ジェームス、エボニー・フェイ・ライヴ

(明日は真鍋太郎さんの個展のおはなしです)

集中。

昨日の続き。アンコールが終って、3人がステージでお辞儀をする。その時、アーマッドはアイドリースと腕をしっかり組んでいた。手をつなぐのはよく見るが、腕を組むんだ、彼は。そして、通路へ。その間中、みな「すごいね、すごいね」の連発だ。「あ〜〜〜、ピアノ弾きたくなった!」とソウルメイトN。「これはすごいねえ、終りそうで、終らないとこなんか息を飲むね」とソウルメイトM。「マイルスが彼を見て、自分のバンドに欲しがるの、わかるよねえ」 僕が「音が小さくなったところがすごいなあ」というと「でも、輪郭がはっきりしてるんですよね」とソウルメイトU。「ホント、レス・イズ・モア(少ないほうが、より多くのものを)・・・だよなあ。まさに!」と僕。するとMが「そうそう、それが○○さんに欠けてるとこよ。いつも、モア&モアなんだから」(一同爆笑) 

確かに日記も長い・・・。だが、モア・イズ・モアだ! (多く書けば書くほど、より多くのものを) 初心に戻ってもっと短くするか。そうなると、レス・イズ・レスになったりして。

それはおいといて。いいライヴを見ると、本当にそのライヴを見た感想をできるだけはやく文字にしたいと思う。書かないと忘れてしまうから。とりあえず書けば残る。そこで、書くためにはメモをする。その音を聴いた瞬間浮かんだ言葉や、イメージをちょこっと書くだけで、後で文章にするときに助けになる。仮にミュージシャンがよくしゃべる人だと、それもキーワードを書いておく。これがおもしろいもので、当たり前と言えば当たり前なのだが、あんまり心にこないライヴはイマジネーションも広がらないから、メモする文字も少ないのだ。アーマッドのライヴは、見ながら次々と言葉が浮かんできた。いいライヴは聴くものにたくさんのイメージやらインスピレーションを与えてくれる。

これだけの興奮のライヴを見せられたら、ちょっとそのスターたちとお話がしたい。この感動を相手に言葉で伝えたい。アーマッドさんへの面会を申し込むものの、残念ながらお疲れのようで却下。しばし一緒に行ったソウルメイトたちとアーマッド談義。

「彼の音楽は、媚びてないねえ。あくまで攻撃的だよな」とM。その通り、本当に媚びない。それを受けて、ふと感じた。「あ、そうか、今、ふと思ったよ。彼、ブラック・モスリムでしょう。アーマッド・ジャマルってくらいなんだから。ってことは、やっぱり、媚びないでしょう」 「ええ? 意味わからない」とN。「うん、つまり、このアーマッド・ジャマルっていう名前、これ本名じゃないと思うけど、その名前からしてブラック・モスリムっていう宗教に入っている人たちの名前なのよ。(ちょうどもっていた紙資料に本名フレデリック・ラッセル・ジョーンズとある) そこに入ると、アーマッドとか、マハマドとか、ジャマールとかそういう類の名前をつけるの。これは60年代に大きな勢力になった黒人急進派の考え方なんだよね。だから絶対に白人には日和らないし。かなりとんがってる。だから彼も昔はもっととんがってたんじゃないかな。でも、そのベースには前向きに、アグレシヴに行く姿勢が絶対にある。そういうのも、彼の音楽が媚びてないところの理由のひとつでもあるんじゃないかなあ」

バスルームに行こうとすると、なんとベースのジェームスがカウンターにいるではないか。早速バスルームに行くのをやめ、声をかける。「○○です。ジェームスさん! いやあ、すばらしいショウでした。彼とは何年ほど?」 「20年かな」 「最後のあなたとアーマッドとのベースとピアノのバトルがすばらしかった! いつもあんな風にやるんですか」 「ああ、いつもだよ。とても自由な形でやる。インプロヴァイズ(即興)でやる。僕は、アーマッドの音を緊張して聴かなければならない」 「事前にやる曲のセットリストはないんですね」 「ないよ。ぱっと、でたらその曲。こうでたら、別の曲だ。アーマッドが何かを弾いたら、それについていくんだ。アレンジもなければ、事前の予想もない」 

「なるほど、今日の演奏曲目の中で唯一知っていたのは『ポインシアーナ』でした。他は知らない曲だった。でも、とても僕のソウルに触れました」 「ははは、サンキュー。もちろん基本的なコード進行は知ってるよ。何百曲ってレパートリーが頭には入ってるんだが、あんまりめったに弾かない曲だと、最初の音を聴いて、頭の中のコンピューターが『これは、なんだっけ』って回るんだ。(笑) で、思い出せないときもあるが、まあ、大体ついていけるな。アーマッドは、その瞬間にアレンジするんだよ。アレンジは自然発生する。僕は、彼に反応しなければならない。だから、集中して、緊張して、彼の音を聴かなければならないんだ」

「となると、いろんなキューがあるんですか」 「うん、いくつかあるよ。これ(両手でバツを作るジェスチャー)は、ストップ、これ(別の指サイン)はブリッジに進むとかね。もちろん、なにかいいものができるときもあれば、できないときもある。言ってみれば、『リスニング・セッション』なんだ。とにかく集中して(アーマッドの音を)聴かなければならない。Very intense! 」 「レパートリーは何曲くらい?」「(笑) さあ、わからないなあ。100? ノーノー、もっとだ。5−600? あるかもしれないな」 

「リハーサルはしますか?」 「We never rehears(リハーサルなんか決してしないよ)! 唯一、彼が新曲を書いたときだけだな。(笑) サウンドチェックのときかなんかに、彼が言うんだ。『新曲、書いたんだ。ちょっとやってみよう』、こうやって、ああやってと指示を受け、それをやる。僕は、速攻で覚えなければならない。簡単な楽譜を書くこともあるけど、彼が弾いてそれを覚えるということもやるよ。音楽は流れに乗らないとだめなんだ。例えば、海に行くだろう。サーフボードを持って海に入る。波に逆らってはだめだ。なぜなら波はあまりに大きすぎるから」 

このアーマッドのライヴは、もう一度見たいと思ったが、残念ながら東京は2日だけ。しかも、この4回、セットリストはほとんどちがったらしい。あと別の地方のブルーノートが今週いっぱいある。見たいなあ。それも一番前で見てみたい。アーマッドとジェームス、アイドリース(みんなはアイドリースと言ってるように聞こえた。リにアクセントがくる)のその瞬間のやり取りを見てみたい。

10年に一度ではなく、毎年来て欲しい。この形式のトリオをもっと見てみたい。でも、100回見ても、これほどの衝撃のものは、1回あるかないかだろう。宝石は滅多にでてこないのだ。掘って、掘って、掘りまくらないと。だからこそ回数見た中でこういうライヴに巡り会えたときは、喜びもひとしおだ。

アーマッドがブルーノートのヴィデオインタヴューで言った。「(私の)ライヴは観客にも多くのものが要求されるよ。緊張し、集中して見てくれ」 それにしても、いつのまにかいつになく緊張し、集中させられていた。そうさせたのは、もちろん、アーマッドたちである。すごいことだ。

ほとんど観客が帰った後、アーマッドが帰りのエレヴェーターに乗るところに遭遇した。「写真、一緒にいいですか?」 「もちろん」というと、彼は僕の腕をしっかり組んでポーズをとってくれた。

(2003年10月28日・火曜・東京ブルーノート・セカンド=アーマッド・ジャマル・ライヴ)

(明日はスリービックリーズのショウとケイリブ&エボニー・フェイのショウについての話です)
宝石。

階段を降りて中に入るとふと不思議に思った。「あれ、ピアノの位置がいつもと違う」 まあ、でも、トリオだし。これもありか。日本公演は12年ぶりということで、一度は見ておこうと足を運んだライヴ。名前くらいは知っていて、アルバムも1-2枚持っていて、その中の「ジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー」(ビリー・ジョエルのカヴァー)が気に入っていたくらいの予備知識しかなかった。

ベースのジェームス・カンマック、ドラムスのアイドリス・マハマドがステージにあがって準備をする。向かって左にドラムス、中央にベース、そして、中央やや右にピアノが置かれている。ブルーノートの通常のピアノの位置と違う。普通はピアノの位置は、向かって左だ。例えばジョー・サンプルは、そこからバンド全体を見回して、ミュージシャンにアイコンタクトなどで指示をだす。だが、この日のピアノの位置はなぜか逆だった。彼らが準備万端となり、この夜の主人公が足取り軽くステージにあがる。すでに拍手が巻き起こっている。二人の前を足早に通り、ピアノの前に進む。椅子に座ろうという瞬間、もうすでにその10本の指は鍵盤の上にあった! 彼は立ったまま演奏を始めたのだ。すぐに座ったが、その「いきなりぶり」にまず度肝を抜かれた。「1,2,3・・・」などのカウントさえないのである。鍵盤を叩いた瞬間が、ゲームの開始を告げるゴングだった。ゴングが鳴った瞬間、雷が落ちた。雷を轟かせたその男の名はアーマッド・ジャマル。

演奏が始まっても、ときどき、アーマッドは無意識のうちに瞬間立ち上がったりする。時に左右に、上下に体が動く。ゆったりと動くときもあれば、激しく震えるときもあり、背中が静止しているときもある。その対照的な動と静から、体がジャズを、体が音楽を自然に醸し出している様が読み取れる。普通に話すように音楽を紡ぎだし、普通に歩くようにリズムを生み出す。何度も、アーマッドは後ろを振り返り、ドラムスとベースの二人を見る。なぜ、ピアノを逆サイドに置かないのだろう。鍵盤側を舞台右手に置けば、正面にベースとドラムスが来るので、振り返らずにすむのに。

だがその疑問はすぐに解けた。ドラムスのアイドリスとベースのジェームスが、ものすごく集中してアーマッドの手元を見ていたのだ。だから、ピアノの位置はこの場所、この角度でなければならなかったのだ。僕は残念ながら見ることができなかったのだが、今年のオスカー・ピーターソンがやはりこの位置にピアノを置いていた、という。ブルーノートで舞台右にピアノを置いていたのは彼ら二人だけだ。

アーマッドのピアノを聴いていると、聴く側がものすごく集中していくことに気付く。特にピアノの音が小さくなればなるほど、一音も聴き逃すまいとどんどん集中力が高まりアーマッドの世界に吸い込まれていく。それは、ひとたび足を踏み入れたら決して逃げることができない蟻地獄のようだ。

一体この緊張感は何なのか。それは、ステージ上の3人の間にある目には見えないが、しかし、確実に存在するぴーんと張り詰めた糸ゆえだ。これを緊張の糸という。本当に3人の間に隙がない。この最小限の編成で最大の効果を出すそれは、マジックさながらだ。アーマッドのトリオは、ミニマリズムのマジシャンたち。何度も書いているが、そのエッセンスはless is more. 少ないもののほうがより多くを伝えられる。アーマッドからジェームスへ、アーマッドからアイドリスへ。アイドリスからジェームスへ。張り詰められた糸のトライアングルの中に緊張の極限があった。しかし、それは心地よい。

彼のピアノにはソウルがあった。そして、スウィングがあり、グルーヴがあり、何事にも妥協を許さない厳しさがある。彼のピアノを表現すればスウィング&ソウルだ。メインストリームではなくオルタナティヴ。決して日和らず、媚びず、後ろを振り返らず、この前向きなアグレシヴさ。それも、彼の73歳という年齢を知れば、この前進あるのみの姿勢に感動も倍増だ。ジェームス・ブラウンの70歳にも驚嘆したが、73歳のアーマッドにも驚愕した。

時に地から足が離れるが如くの浮遊感を与えてくれ、その心地よさに身を委ねた瞬間、アーマッドのソウルが、ジェームスのソウルが、そして、アイドリスのソウルが、僕のソウルに触れた。

ここで、よく知っているスタンダードでもやられた日には泣きそうだ、くらいに感じていたら、彼は僕の気持ちを見透かしたかのように名作「ポインシアーナ」を演奏し始めた。今日の曲目の中で唯一のスタンダードだ。ピアノの神様の声がどこからともなく聞こえてくる。「むずかしい曲は実は簡単なんだ。本当にむずかしいのは、シンプルで簡単な曲なんだよ」 3歳からピアノを弾き、11歳の時にはすでに神童と呼ばれたアーマッドの指先から、慣れ親しんだ「ポインシアーナ」のメロディーが流れてきた瞬間、目頭が熱くなった。別にこの曲に思い入れや、とりたてて思い出など何もないのにもかかわらずだ。

このピアノの音には、彼がピアノを弾き始めて70年という濃厚な歳月が凝縮されているのだろう。実に軽いこのメロディーにその「時の重み」が乗り移った瞬間、メロディーは翼を持ち、空に舞い上がった。その気持ちよさといったら筆舌に尽くし難い。70年の経験を持つ70年目のピアニストが醸し出す音だけができる奇跡だ。

さらに圧巻だったのは、アンコール2曲目の途中のアーマッドとアイドリスとのかけあい、さらに、アーマッドとジェームスのかけあいだ。アーマッドが弾くメロディーをジェームスが追いかける。ジェームスのメロディーをアーマッドがなぞる。そして、「後はおまえがやれ」とでも言った風にジェームスに任せ、彼のソロが続く。アコースティック・ベースで、しかも一音一音が実にクリアだ。舞台左で小休止しながらも、アーマッドはジェームスを暖かいまなざしで見つめる。ミュージシャンシップの暖かさと厳しさがそこに同棲していた。

このトリオが繰り出すリズムは、まるで人が呼吸をしているかのようだ。呼吸するリズム。呼吸する音楽には命が宿る。命が宿った音楽は、そこで生き生きと輝き、華々しく生命力の美しさを放っていた。アーマッドはステージで一言も聴衆に向けてしゃべらなかった。唯一彼がマイクを取ったのは、最後にメンバー紹介をしたときだけだ。しかし、彼らがステージにいた84分間、彼ら3人は、英語でもなければ、日本語でもフランス語でもない言葉ーーー音楽という名の言葉(ランゲージ)をずっとしゃべり続けていたのだ。そしてその言葉のメッセージは強烈に僕たちに届いた。

彼がちょんと鍵盤を叩くと、それがゲーム終了のゴングだ。壮絶な早弾きを見せた2曲目のアンコールが終った瞬間、観客席から思わず声があがった。「Yes, Sir!」 その言葉以外、かける言葉はない。

アーマッドは言う。「私の頭には無数のメロディーがある。だがそれ全部を書き留めるわけではない。私が書き下ろすのは、宝石だけだ。だから、宝石を手にしたら、私はスタジオに入る。宝石はめったに見つからない。深く深く掘っていかないと」("I have a thousand melodies in my head, but I don’t write them all down. I write down the jewels. So when I have a jewel I go into the studio. Jewels are hard to find--you have to dig.")

今夜は宝石箱からジュエリーがあふれんばかりにこぼれていた。宝石は見ているだけで楽しく、幸せになる。

(2003年10月28日・火曜・東京ブルーノート・セカンド=アーマッド・ジャマル・ライヴ)

今後のライヴ予定

Oct 27-28 The Blue Note - Tokyo, Japan
Oct 29-30 The Blue Note - Fukuoka, Japan
Oct 31-Nov 1 The Blue Note - Nagoya, Japan
Nov 3-4 The Blue Note - Osaka, Japan


ブルーノート東京のホームページ
http://www.bluenote.co.jp/art/20031027.html

アーマッド・ジャマルのホームページ
http://www.ahmadjamal.info/

ENT>MUSIC>LIVE>Jamal, Ahmad

(明日はアーマド・ジャマルのパート2です)


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