◎ レディー・ガガ『徹子の部屋』~ガガとマイケル・ジャクソン
2011年7月12日 音楽◎レディー・ガガ『徹子の部屋』~ガガとマイケル・ジャクソン
【Lady Gaga on Tetsuko’s Room: Gaga & MJ】
インパクト。
レディー・ガガが先日来日したときに収録した『徹子の部屋』が、昨日(2011年7月11日)午後テレビ朝日系列で放送された。ファッションとヴィジュアルで強烈なインパクトを残した。
さっそく、ユーチューブに一部がアップされた。(削除される可能性はありますので、ごらんになるのはお早めに)
http://youtu.be/LVuyjeSUen8
http://youtu.be/LdvFEzmI8BE
第一印象。冒頭、ものすごい靴とファッションで、巨人みたいになっているが、ガガの身長は155センチほどだという。どれだけ、上げ底なのか。すごい。(笑)
レディー・ガガのチャリティーに対する考え方などは、マイケル・ジャクソンなどと近いと思う。
また、音楽的にレディー・ガガはソウルとかブラック・ミュージックのジャンルには入らないが、マイケル・ジャクソンがアプローチしたロック寄りのエリアにいる。それは、マドンナともかぶる。そのため、ダンスの要素がとても強い。ダンス・オリエンテッド・ロックといったエリアだ。
ジェームス・ブラウン→マイケル・ジャクソン→マドンナ→レディー・ガガという流れはダンスという軸で一本筋が通っている。だが、もはや彼女にとっても聴き手にとっても音楽ジャンルなどは関係ないはず。
ここまで現象的な人気になると、レディー・ガガという音楽が、マイケル・ジャクソンがひとつの音楽ジャンルになったのと同じように、それ自体ひとつの音楽ジャンルになったともいえる。これは本当にすごいこと。
マイケルとの違いは、ガガの家庭が裕福だったこと。そして、十代の頃には、自らアルバイトなどで一般社会との接点を多数持ったことなどがある。一方マイケルは10代初期からスターになってしまったために、一般社会との接点が持てなかった。それが後に性格形成で大きな影響を与えた。そこが大きく違うと思う。考え方などしっかりしていて、とても好感が持てる。
マイケルが歌のうまさとダンスの素晴らしさゆえに、不幸にもみなそこに目が奪われ彼の真摯なメッセージがなかなか伝わらなかった側面がある。レディー・ガガのこの奇抜なファッションだけが広がってしまい、彼女の地に足の付いたきちんとしたメッセージが伝わらなくならないように願いたい。
ガガくらいの存在になると、ひとつ間違えるとメディアがいっせいに叩くことをするので、ぜひそういう隙を与えないでほしいと切に願う。
きっと、マイケルが生きていたら、間違いなくガガのファンになっていただろうと思う。僕は彼女のこうした奇抜なファッションよりも、もっと素の彼女のほうが魅力的だと思う。いずれ、そういうのも出てくるのだろう。今なら、何でも出来て、何でも受け入れられる。
また、この放送では、同時通訳の声とガガの声がかぶって聞きづらい。字幕もしくは二ヶ国語放送にすべきだ。
一箇所、ユーチューブの「徹子の部屋~ガガ1」3分12秒あたりで、ガガがyouと言った部分を通訳は「徹子さんも世界にインスピレーションを~」と訳してるが、たぶん、前後の流れから言うと、「日本人も世界にインスピレーションを~」と言ってるのではないだろうか。
黒柳徹子さんの風邪声みたいなのが心配になる。滑舌も悪い。永六輔さんもラジオで大活躍を続けるが、以前と違いかなり聴きづらい。とはいえ、どちらも放送界の超大御所。番組プロデューサーは悩みどころだ。
レディー・ガガ、本名ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ、1986年3月28日生まれ。25歳。昭和61年生まれの寅年です。3月28日は神田うのと同じ誕生日だ。
BS朝日で2011年7月14日(木)17時30分~18時から再放送される。
■最新作
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004RED9QW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ボーン・ディス・ウェイ (スペシャル・エディション(2CD))
posted with amazlet at 11.07.11
レディー・ガガ
ユニバーサルインターナショナル (2011-05-23)
売り上げランキング: 17
Amazon.co.jp で詳細を見る
ENT>ARTIST>Lady Gaga
【Lady Gaga on Tetsuko’s Room: Gaga & MJ】
インパクト。
レディー・ガガが先日来日したときに収録した『徹子の部屋』が、昨日(2011年7月11日)午後テレビ朝日系列で放送された。ファッションとヴィジュアルで強烈なインパクトを残した。
さっそく、ユーチューブに一部がアップされた。(削除される可能性はありますので、ごらんになるのはお早めに)
http://youtu.be/LVuyjeSUen8
http://youtu.be/LdvFEzmI8BE
第一印象。冒頭、ものすごい靴とファッションで、巨人みたいになっているが、ガガの身長は155センチほどだという。どれだけ、上げ底なのか。すごい。(笑)
レディー・ガガのチャリティーに対する考え方などは、マイケル・ジャクソンなどと近いと思う。
また、音楽的にレディー・ガガはソウルとかブラック・ミュージックのジャンルには入らないが、マイケル・ジャクソンがアプローチしたロック寄りのエリアにいる。それは、マドンナともかぶる。そのため、ダンスの要素がとても強い。ダンス・オリエンテッド・ロックといったエリアだ。
ジェームス・ブラウン→マイケル・ジャクソン→マドンナ→レディー・ガガという流れはダンスという軸で一本筋が通っている。だが、もはや彼女にとっても聴き手にとっても音楽ジャンルなどは関係ないはず。
ここまで現象的な人気になると、レディー・ガガという音楽が、マイケル・ジャクソンがひとつの音楽ジャンルになったのと同じように、それ自体ひとつの音楽ジャンルになったともいえる。これは本当にすごいこと。
マイケルとの違いは、ガガの家庭が裕福だったこと。そして、十代の頃には、自らアルバイトなどで一般社会との接点を多数持ったことなどがある。一方マイケルは10代初期からスターになってしまったために、一般社会との接点が持てなかった。それが後に性格形成で大きな影響を与えた。そこが大きく違うと思う。考え方などしっかりしていて、とても好感が持てる。
マイケルが歌のうまさとダンスの素晴らしさゆえに、不幸にもみなそこに目が奪われ彼の真摯なメッセージがなかなか伝わらなかった側面がある。レディー・ガガのこの奇抜なファッションだけが広がってしまい、彼女の地に足の付いたきちんとしたメッセージが伝わらなくならないように願いたい。
ガガくらいの存在になると、ひとつ間違えるとメディアがいっせいに叩くことをするので、ぜひそういう隙を与えないでほしいと切に願う。
きっと、マイケルが生きていたら、間違いなくガガのファンになっていただろうと思う。僕は彼女のこうした奇抜なファッションよりも、もっと素の彼女のほうが魅力的だと思う。いずれ、そういうのも出てくるのだろう。今なら、何でも出来て、何でも受け入れられる。
また、この放送では、同時通訳の声とガガの声がかぶって聞きづらい。字幕もしくは二ヶ国語放送にすべきだ。
一箇所、ユーチューブの「徹子の部屋~ガガ1」3分12秒あたりで、ガガがyouと言った部分を通訳は「徹子さんも世界にインスピレーションを~」と訳してるが、たぶん、前後の流れから言うと、「日本人も世界にインスピレーションを~」と言ってるのではないだろうか。
黒柳徹子さんの風邪声みたいなのが心配になる。滑舌も悪い。永六輔さんもラジオで大活躍を続けるが、以前と違いかなり聴きづらい。とはいえ、どちらも放送界の超大御所。番組プロデューサーは悩みどころだ。
レディー・ガガ、本名ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ、1986年3月28日生まれ。25歳。昭和61年生まれの寅年です。3月28日は神田うのと同じ誕生日だ。
BS朝日で2011年7月14日(木)17時30分~18時から再放送される。
■最新作
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004RED9QW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ボーン・ディス・ウェイ (スペシャル・エディション(2CD))
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ENT>ARTIST>Lady Gaga
◎トク・ライヴ~スティーヴィー楽曲ばかりでライヴ
2011年7月11日 音楽◎トク・ライヴ~スティーヴィー楽曲ばかりでライヴ
【Toku Live; Playing Only Stevie Songs】
飄々(ひょうひょう)。
この4月に久々のアルバムで、スティーヴィー・ワンダーの作品ばかりをレコーディングしたシンガー/フルーゲルホーン奏者、トク(TOKU)が、このアルバムからの作品を中心に全国ミニツアーを行い、最終日、東京を見た。会場は渋谷の元映画館を改造したプレジャー・プレジャー。300超のキャパだというが、超満員で後ろの椅子を一部取っ払って、立ち見エリアを作るほど。6-4か7-3で女性が多い。また、普段、ブルーノートやボディー&ソウルにやってくるライヴ観客層とかなり違う感じがした。やはり、ライヴ・ハウスでのライヴというのは、敷居が高いのだろうか。
レコーディングも一緒にしているアトランタ在住のキーボード、宮本貴奈(みやもと・たかな)にコーディネートなどを頼んで作った最新作は、スティーヴィー楽曲ばかりを、独自のアレンジでまとめた力作。ぜひ、一枚スティーヴィーに渡して、彼がどんな風に感じるか聞いてみたい。
トクがやるだけに、独特のトクの雰囲気が全面に出たCD、ライヴになっているが、このまったり感の世界がなんとも言えない。全体的にはスローっぽい曲が多いのだが、「ユーヴ・ガット・イット・バッド・ガール」や「コンテュージョン」などのミディアム調のグルーヴ感ある作品でのカルタさんドラムが僕にはツボだ。
ひとつ間違えるとホテルのラウンジ・バーでのライヴみたいになってしまいそうなのだが、そこをきっちりコンサート・ホール・ライヴにしているところが、アーティストの「力」があるところだ。
途中ゲストで入ったヴォーカル、アキコとの言葉のやりとりが二人とも飄々(ひょうひょう)としていておもしろかった。
■トク最新作。『シングス・スティーヴィー・ワンダー』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004OUK2EQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■過去関連記事
2011年03月22日(火)
深夜のジャム・セッション~軽音部、トクズ・ラウンジ・スペシャル
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10837098296.html
2010年10月28日(木)
ミッドナイト・カンヴァー・セッション 「トクズ・ラウンジ」
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10689147109.html
2010年09月16日(木)
トクズ・ラウンジ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100916.html
(過去記事一覧も)
2010年07月24日(土)
トクズ・ラウンジ~黒沢薫飛び入り
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100724.html
2010年07月17日(土)
トク@ボディー&ソウル~トクの周りはセッションがいっぱい
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100717.html
2010年06月22日(火)
トク、デビュー10周年~9年ぶりのブルーノート単独公演
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10569607424.html
2010年04月29日(木)
トクズ・ラウンジ~真夜中のセッションのダイアログ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10520684304.html
2010年04月04日(日)
トクズ・ラウンジ~ゆるーく、しかし、マジで
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100404.html
2010年02月27日(土)
トクズ・ラウンジ:深夜の熱きセッション
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10468984654.html
2009年12月31日(木)
トクズ・ラウンジ~ジャム・セッションの爆発
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10423256472.html
2009年12月26日(土)
フランク・マッコム・ライヴ@モーション・ブルー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20091226.html
June 24, 2009
トクズ・ラウンジ~ロイ・ハーグローヴ・グループが参加
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090624.html
May 30, 2009
トクズ・ラウンジ:素晴らしきミュージシャンシップの大爆発
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10270594203.html
2008年12月01日(月)
トク、ニュー・アルバム『ラヴ・アゲイン』
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10171970339.html
February 21, 2006
TOKU: Birthday Live At Body & Soul
http://blog.soulsearchin.com/archives/000849.html
2004/11/10 (Wed)
Toku Live At Alfie: Only Two Men On The Stage
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200411/diary20041110.html
2004/04/28 (Wed)
Toku Hangover: Live At Sweet Basil
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20040428.html
■ TOKUオフィシャル
http://www.toku-jazz.com/index-j.html
■メンバー members
TOKU トク (vo&flgh)
Miyamoto Takana宮本貴奈 (key)
Yoshida Satoshi吉田智(guitar)
Sato Hachi Yasuhiko 佐藤"ハチ"恭彦(bass)
Ootsuki Kalta Hidenobu大槻"KALTA"英宣(drums)
Akiko (vocal)
Akim Margot (sax)
■セットリスト TOKU、2011年6月11日(土)渋谷プレジャープレジャー
setlist: TOKU, June 11, 2011, Shibuya Pleasure, Pleasure
show started 18:24
01.Part Time Lover
02.I Can’t Help It
03.Knocks Me Off My Feet
04.You’ve Got It Bad Girl
05.Creepin
06.Overjoyed
07.You’re The Sunshine Of My Life (+Akiko)
08.Contusion (instrumental) (+Akim)
09.Send One Your Love
Enc. Ribbon In The Sky
Enc. My Cherie Amour (+Akiko)
Show ended 20:31
(2011年6月11日土曜、渋谷プレジャー・プレジャー、トク・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Toku
2011-
【Toku Live; Playing Only Stevie Songs】
飄々(ひょうひょう)。
この4月に久々のアルバムで、スティーヴィー・ワンダーの作品ばかりをレコーディングしたシンガー/フルーゲルホーン奏者、トク(TOKU)が、このアルバムからの作品を中心に全国ミニツアーを行い、最終日、東京を見た。会場は渋谷の元映画館を改造したプレジャー・プレジャー。300超のキャパだというが、超満員で後ろの椅子を一部取っ払って、立ち見エリアを作るほど。6-4か7-3で女性が多い。また、普段、ブルーノートやボディー&ソウルにやってくるライヴ観客層とかなり違う感じがした。やはり、ライヴ・ハウスでのライヴというのは、敷居が高いのだろうか。
レコーディングも一緒にしているアトランタ在住のキーボード、宮本貴奈(みやもと・たかな)にコーディネートなどを頼んで作った最新作は、スティーヴィー楽曲ばかりを、独自のアレンジでまとめた力作。ぜひ、一枚スティーヴィーに渡して、彼がどんな風に感じるか聞いてみたい。
トクがやるだけに、独特のトクの雰囲気が全面に出たCD、ライヴになっているが、このまったり感の世界がなんとも言えない。全体的にはスローっぽい曲が多いのだが、「ユーヴ・ガット・イット・バッド・ガール」や「コンテュージョン」などのミディアム調のグルーヴ感ある作品でのカルタさんドラムが僕にはツボだ。
ひとつ間違えるとホテルのラウンジ・バーでのライヴみたいになってしまいそうなのだが、そこをきっちりコンサート・ホール・ライヴにしているところが、アーティストの「力」があるところだ。
途中ゲストで入ったヴォーカル、アキコとの言葉のやりとりが二人とも飄々(ひょうひょう)としていておもしろかった。
■トク最新作。『シングス・スティーヴィー・ワンダー』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004OUK2EQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■過去関連記事
2011年03月22日(火)
深夜のジャム・セッション~軽音部、トクズ・ラウンジ・スペシャル
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10837098296.html
2010年10月28日(木)
ミッドナイト・カンヴァー・セッション 「トクズ・ラウンジ」
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10689147109.html
2010年09月16日(木)
トクズ・ラウンジ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100916.html
(過去記事一覧も)
2010年07月24日(土)
トクズ・ラウンジ~黒沢薫飛び入り
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100724.html
2010年07月17日(土)
トク@ボディー&ソウル~トクの周りはセッションがいっぱい
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100717.html
2010年06月22日(火)
トク、デビュー10周年~9年ぶりのブルーノート単独公演
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10569607424.html
2010年04月29日(木)
トクズ・ラウンジ~真夜中のセッションのダイアログ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10520684304.html
2010年04月04日(日)
トクズ・ラウンジ~ゆるーく、しかし、マジで
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2010年02月27日(土)
トクズ・ラウンジ:深夜の熱きセッション
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10468984654.html
2009年12月31日(木)
トクズ・ラウンジ~ジャム・セッションの爆発
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2009年12月26日(土)
フランク・マッコム・ライヴ@モーション・ブルー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20091226.html
June 24, 2009
トクズ・ラウンジ~ロイ・ハーグローヴ・グループが参加
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090624.html
May 30, 2009
トクズ・ラウンジ:素晴らしきミュージシャンシップの大爆発
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10270594203.html
2008年12月01日(月)
トク、ニュー・アルバム『ラヴ・アゲイン』
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10171970339.html
February 21, 2006
TOKU: Birthday Live At Body & Soul
http://blog.soulsearchin.com/archives/000849.html
2004/11/10 (Wed)
Toku Live At Alfie: Only Two Men On The Stage
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200411/diary20041110.html
2004/04/28 (Wed)
Toku Hangover: Live At Sweet Basil
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20040428.html
■ TOKUオフィシャル
http://www.toku-jazz.com/index-j.html
■メンバー members
TOKU トク (vo&flgh)
Miyamoto Takana宮本貴奈 (key)
Yoshida Satoshi吉田智(guitar)
Sato Hachi Yasuhiko 佐藤"ハチ"恭彦(bass)
Ootsuki Kalta Hidenobu大槻"KALTA"英宣(drums)
Akiko (vocal)
Akim Margot (sax)
■セットリスト TOKU、2011年6月11日(土)渋谷プレジャープレジャー
setlist: TOKU, June 11, 2011, Shibuya Pleasure, Pleasure
show started 18:24
01.Part Time Lover
02.I Can’t Help It
03.Knocks Me Off My Feet
04.You’ve Got It Bad Girl
05.Creepin
06.Overjoyed
07.You’re The Sunshine Of My Life (+Akiko)
08.Contusion (instrumental) (+Akim)
09.Send One Your Love
Enc. Ribbon In The Sky
Enc. My Cherie Amour (+Akiko)
Show ended 20:31
(2011年6月11日土曜、渋谷プレジャー・プレジャー、トク・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Toku
2011-
○ 故・岡伸昭遺品、フリーマーケット出店のお知らせ~シャンティが捧げる歌を書き下ろし
2011年7月10日 音楽○故・岡伸昭遺品、フリーマーケット出店のお知らせ~シャンティが捧げる歌を書き下ろし
【Oka’s Memento To Be On Flea Market】
フリマ。
イヴェント「ソウル・サーチン」のパネリストとして、またフライヤー・デザイナーでもあり、各美術学校での講師も務め、自身アーティストとして「フット・ペインティング」という手法を考案した岡伸昭さんが2011年5月26日、44歳の若さで急逝した。(下記訃報記事参照)
ソウル好きで、おしゃれだった岡さんの遺品などを遺族・友人たちが整理、このつどフリーマーケットで販売することになった。膨大な数の遺品があるが、その一部を放出する。ここでの売り上げは全額遺族に渡し、今後の作品管理費などに充当する。
かつて、岡さんの作品に触れられた方、興味のある方はぜひお越しください。なお今回は岡さんの作品、レコードコレクションなどは基本的には販売しない。作品群は一度総合目録などを作ってから、展覧会、あるいは販売を検討する。今回は岡さんの衣類、靴、DJ機材など。
なお、岡さんとも親交のあったソウル・サーチン・ファミリーでもあるシンガー/ソングライターのシャンティが、岡さんに捧げる曲を何か書き下ろすと言う。タイトルは、岡ブルーにちなんで、「なんとかブルー…、のような感じにするわ」とシャンティは言っている。シャンティが自ら絵を描いたり、個展をしていたことから、アーティストでもある岡さんと親交があった。また、シャンティのインディからのデビュー作『シェア・マイ・エア』の国内サンプル盤のジャケット・デザインを岡さんがてがけていた。
フリーマーケットの詳細は次の通り。
名称:明治公園スーパージャンボフリーマーケット
日時:2011年7月17日(日曜)
開催時間:午前10時から15時30分まで(受付開始9時予定)
場所:明治公園
最寄り駅:JR千駄ヶ谷駅、JR信濃町駅、東京メトロ外苑前駅
地図:http://bit.ly/nhG3rH
アクセス: 千駄ヶ谷駅からキラー通りを青山方向へ向かい2個目の信号の左角のエリア。日本青年館の隣の公園。
備考・雨天中止
問い合わせ先 木下将080-3456-9858 susumu_kinoshita@sirius.ocn.ne.jp
当日の正確な位置は、参加者入場順で決まるため、現時点ではわかりません。当日、お探しくださるか、主催・木下までご連絡ください。
~~主催者からのご案内~~
先日の6月26日 お別れ会Second Round & パーティ & 遺品のフリーマーケットの際はご多忙中のもかかわらず、多数の方々に来ていただきありがたく深謝申し上げます。
岡さんの遺品を大切に扱ってくださる方々にお買い上げいただけたことを故人もとても喜んでいる事と思います。
さて、今度は"本当"のフリーマーケットに出店します。
明治公園スーパージャンボフリーマーケットです。
日時は7月17日日曜日午前10時から午後3時30までです。
雨天の場合は中止になります。
先日の岡さんの家のフリーマーケットに御来場できなかった方、
岡さんのコレクションを末永く大切にしてくださる方。
今回も当日は袋等が不足しますので、故人を偲ぶ御心と大きなバックを持って御来場ください。
なお、今回の出店も我々は営利目的ではなく得た収益は経費を除きご遺族の方に還元し今後の遺品管理や諸費用等に使用されます。
名称:明治公園スーパージャンボフリーマーケット
開催時間:10時から15時30分まで(受付開始9時予定)
場所:明治公園
最寄り駅:JR千駄ヶ谷駅、JR信濃町駅、東京メトロ外苑前駅
地図:http://bit.ly/nhG3rH
雨天中止
今回は一般のフリーマーケットに出店いたします。ご連絡の際は、下記木下宛にご連絡をくださいますようお願いいたします。
問い合わせ先
susumu_kinoshita@sirius.ocn.ne.jp
080-3456-9858
木下将
■岡伸昭・過去関連記事 (一部)
2011年05月27日(金)
岡伸昭さん、44歳で死去~『フット・ペインティング』を考案
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10904015237.html
2009年06月06日(土)
ソウル・サーチン美術部~岡伸昭先生講座と推薦の展覧会
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10275010076.html
2008年10月18日(土)
ニック岡井x岡伸昭 フット・ペインティング展スタート
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081018.html
2008年09月21日(日)
ソウル・パワー・サミット2008東京
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10141841262.html
2004/06/18 (Fri)
Footsteps Of The Master Of Dance, Nick Okai Explode
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200406/diary20040618.html
2008年10月15日(水)
ニック&岡、フット・ペインティング展ビデオ、You Tubeに
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081015.html
2007年06月24日(日)
個展
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10037726916.html
November 12, 2007
Nick Okai Dies At 60
http://blog.soulsearchin.com/archives/002142.html
November 13, 2007
Nick Okai Tribute: “My Girl” Is A Song Made His Life Change
http://blog.soulsearchin.com/archives/002144.html
November 19, 2007
Nick Okai’s Funeral Day One: His Memorial Song “My Girl” Was Played…
【ニック岡井氏通夜~「マイ・ガール」が流れて・・・】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002150.html
November 20, 2007
Nick Okai’s Funeral Day Two: Someone Should Record These Culture
http://blog.soulsearchin.com/archives/002151.html
++++
【Oka’s Memento To Be On Flea Market】
フリマ。
イヴェント「ソウル・サーチン」のパネリストとして、またフライヤー・デザイナーでもあり、各美術学校での講師も務め、自身アーティストとして「フット・ペインティング」という手法を考案した岡伸昭さんが2011年5月26日、44歳の若さで急逝した。(下記訃報記事参照)
ソウル好きで、おしゃれだった岡さんの遺品などを遺族・友人たちが整理、このつどフリーマーケットで販売することになった。膨大な数の遺品があるが、その一部を放出する。ここでの売り上げは全額遺族に渡し、今後の作品管理費などに充当する。
かつて、岡さんの作品に触れられた方、興味のある方はぜひお越しください。なお今回は岡さんの作品、レコードコレクションなどは基本的には販売しない。作品群は一度総合目録などを作ってから、展覧会、あるいは販売を検討する。今回は岡さんの衣類、靴、DJ機材など。
なお、岡さんとも親交のあったソウル・サーチン・ファミリーでもあるシンガー/ソングライターのシャンティが、岡さんに捧げる曲を何か書き下ろすと言う。タイトルは、岡ブルーにちなんで、「なんとかブルー…、のような感じにするわ」とシャンティは言っている。シャンティが自ら絵を描いたり、個展をしていたことから、アーティストでもある岡さんと親交があった。また、シャンティのインディからのデビュー作『シェア・マイ・エア』の国内サンプル盤のジャケット・デザインを岡さんがてがけていた。
フリーマーケットの詳細は次の通り。
名称:明治公園スーパージャンボフリーマーケット
日時:2011年7月17日(日曜)
開催時間:午前10時から15時30分まで(受付開始9時予定)
場所:明治公園
最寄り駅:JR千駄ヶ谷駅、JR信濃町駅、東京メトロ外苑前駅
地図:http://bit.ly/nhG3rH
アクセス: 千駄ヶ谷駅からキラー通りを青山方向へ向かい2個目の信号の左角のエリア。日本青年館の隣の公園。
備考・雨天中止
問い合わせ先 木下将080-3456-9858 susumu_kinoshita@sirius.ocn.ne.jp
当日の正確な位置は、参加者入場順で決まるため、現時点ではわかりません。当日、お探しくださるか、主催・木下までご連絡ください。
~~主催者からのご案内~~
先日の6月26日 お別れ会Second Round & パーティ & 遺品のフリーマーケットの際はご多忙中のもかかわらず、多数の方々に来ていただきありがたく深謝申し上げます。
岡さんの遺品を大切に扱ってくださる方々にお買い上げいただけたことを故人もとても喜んでいる事と思います。
さて、今度は"本当"のフリーマーケットに出店します。
明治公園スーパージャンボフリーマーケットです。
日時は7月17日日曜日午前10時から午後3時30までです。
雨天の場合は中止になります。
先日の岡さんの家のフリーマーケットに御来場できなかった方、
岡さんのコレクションを末永く大切にしてくださる方。
今回も当日は袋等が不足しますので、故人を偲ぶ御心と大きなバックを持って御来場ください。
なお、今回の出店も我々は営利目的ではなく得た収益は経費を除きご遺族の方に還元し今後の遺品管理や諸費用等に使用されます。
名称:明治公園スーパージャンボフリーマーケット
開催時間:10時から15時30分まで(受付開始9時予定)
場所:明治公園
最寄り駅:JR千駄ヶ谷駅、JR信濃町駅、東京メトロ外苑前駅
地図:http://bit.ly/nhG3rH
雨天中止
今回は一般のフリーマーケットに出店いたします。ご連絡の際は、下記木下宛にご連絡をくださいますようお願いいたします。
問い合わせ先
susumu_kinoshita@sirius.ocn.ne.jp
080-3456-9858
木下将
■岡伸昭・過去関連記事 (一部)
2011年05月27日(金)
岡伸昭さん、44歳で死去~『フット・ペインティング』を考案
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10904015237.html
2009年06月06日(土)
ソウル・サーチン美術部~岡伸昭先生講座と推薦の展覧会
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10275010076.html
2008年10月18日(土)
ニック岡井x岡伸昭 フット・ペインティング展スタート
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081018.html
2008年09月21日(日)
ソウル・パワー・サミット2008東京
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10141841262.html
2004/06/18 (Fri)
Footsteps Of The Master Of Dance, Nick Okai Explode
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200406/diary20040618.html
2008年10月15日(水)
ニック&岡、フット・ペインティング展ビデオ、You Tubeに
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081015.html
2007年06月24日(日)
個展
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10037726916.html
November 12, 2007
Nick Okai Dies At 60
http://blog.soulsearchin.com/archives/002142.html
November 13, 2007
Nick Okai Tribute: “My Girl” Is A Song Made His Life Change
http://blog.soulsearchin.com/archives/002144.html
November 19, 2007
Nick Okai’s Funeral Day One: His Memorial Song “My Girl” Was Played…
【ニック岡井氏通夜~「マイ・ガール」が流れて・・・】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002150.html
November 20, 2007
Nick Okai’s Funeral Day Two: Someone Should Record These Culture
http://blog.soulsearchin.com/archives/002151.html
++++
◎ マサ小浜スペシャルVol 4
2011年7月9日 音楽◎マサ小浜スペシャルVol 4
【マサ小浜スペシャル第4回】
4回目。
このところすっかり売れっ子ギタリストになったマサ小浜の単独ライヴ第4回目。前回が行われたのは3月10日。そう、あの大震災の前日だった。
それからおよそ4ヶ月。今回も、ソウル、ブルーズ、ロック、R&B、フュージョン、ジャズ、さまざまなスタイルのギターをマサ小浜は聴かせてくれた。ブルース・アレイは超満員で、立ち見が出るほど。すっかり安定した人気を得ている。
今回のゲストは、サックス奏者、小林香織。久しぶりに見たが、すっかりステージ慣れしていた。
今回セットリストにプリンスがけっこうあった。下記セットリストをごらんいただくとわかるが、「リトル・レッド・コーヴェット」「クリーム」「パープル・レイン」と3曲ある。で、この「クリーム」を聴いているときに、来年の「ソウル・サーチン」でプリンスをやろうかと思いついた。そのとき思いついた選曲が「シュガー・ウォール」、「グラマラス・ライフ」、マッドハウス、タイムのファースト、「マニック・マンデイ」、「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」、「ナッシング・コンペアーズ…」、「エロティック・シティー」などなど。
僕はセカンドから見たが、香織ちゃんのサックスによる「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」などは、まさにスムース・ジャズな雰囲気。そして、一番迫力があったのが、ジョニー・ギター・ワトソンの曲(8曲目)。これは、マサのソロも、ケイリブのソロも最高にかっこよかった。そして、アンコールがすっかり定番となっている「レッド・ライト・スペシャル」と「パープル・レイン」。後者のギター・ソロは、マサが一番輝くところだ。アンコールにうってつけの曲だ。
マサ小浜はこのまま順調に行けば、今の時代の高中正義的存在になれると思う。次回、マサ小浜は、「ソウル・サーチン」でマイケル楽曲をやってくれる。マサ小浜ファンは要チェックだ。
ライヴ終わった日の深夜、ちょっと揺れたね。
■『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」で、この日の模様を独占オンエアー
ライヴの内容がよかったので、特別に同録音源を借りてきて、「ソウル・サーチン」でご紹介します。
■「マサ小浜スペシャル」日曜「ソウル・サーチン」でご紹介
2011年7月10日(日)『ソウル・ブレンズ』(インターFM、76.1mhz、日曜午後1時~3時)内、「ソウル・サーチン」(午後2時30分~50分)でマサ小浜ライヴ・アット・ブルース・アレイの音源をご紹介します
■関連記事(一部)
2011年06月07日(火)
ユリ・マサ・ライヴ~自由度の高いライヴ:Juju、トータス松本さん飛び入り
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10915057661.html
2011年03月12日(土)
マサ小浜3回目のライヴ~「レッド・マサ・スペシャル」、アツシ飛び入りも
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10827190545.html
2010年07月09日(金)
マサ小浜、初ソロ・ライヴ~ソウルとファンクとスムース・ジャズと
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10584972682.html
2010年08月21日(土)
ユリ・ライヴ@代官山ループ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10625111213.html
2009年10月15日(木)
シンガー、ユリ@ブルース・アレイ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10364864050.html
2008年08月05日(火)
ユリ、ブルース・アレー単独ソロ名義で初登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10123734321.html
August 10, 2007
Yuri’s First Her Own Live:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070810.html
前回ライヴ評。ここに過去関連記事一覧。
■メンバー
マサ小浜 (ギター)
ケイリブ・ジェームス (キーボード、ヴォーカル)
ジェイ・スティックス(ドラムス)
息才隆浩 (ベース)
ゲスト:小林香織 (サックス)
■セットリスト
Setlist : Masa Kohama Special Vol.4 @Blues Alley, Meguro. July 7, 2011
( ) denotes original acts
First set
01.Little Red Corvette (Prince)
02.Nothing But The Party (George Benson)
03.Pride & Joy (Steve Ray Vaughn)
04.Anytime, Any Place, Anywhere (Janet Jackson)
05.P.Y.T. (Michael Jackson)
06.Never Can Say Goodbye (Jackson Five)
07.Private Eyes (Hall & Oates)
08.Panama (Van Halen)
09.Untitled (D’Angelo)
Second set
Show started 21:20
01.Something Something (Maxwell)
02.For The Love Of You (Isley Brothers)
03.Cream (Prince)
04.I Get Lonely (Janet Jackson)
05.Cruise Control (George Benson)
06.Angel (Sarah McLachlan)
07.I Keep Forgetting (Michael McDonalds)
08.Doing Wron Woman Blues (Johnny Guitar Watson)
09.Who’s That Lady (Isley Brothers)
Enc. Red Light Special (TLC)
Enc. Purple Rain (Prince)
Show ended 22:51
(2011年7月7日木曜、目黒ブルース・アレイ、マサ小浜ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Kohama, Masa
2011-
【マサ小浜スペシャル第4回】
4回目。
このところすっかり売れっ子ギタリストになったマサ小浜の単独ライヴ第4回目。前回が行われたのは3月10日。そう、あの大震災の前日だった。
それからおよそ4ヶ月。今回も、ソウル、ブルーズ、ロック、R&B、フュージョン、ジャズ、さまざまなスタイルのギターをマサ小浜は聴かせてくれた。ブルース・アレイは超満員で、立ち見が出るほど。すっかり安定した人気を得ている。
今回のゲストは、サックス奏者、小林香織。久しぶりに見たが、すっかりステージ慣れしていた。
今回セットリストにプリンスがけっこうあった。下記セットリストをごらんいただくとわかるが、「リトル・レッド・コーヴェット」「クリーム」「パープル・レイン」と3曲ある。で、この「クリーム」を聴いているときに、来年の「ソウル・サーチン」でプリンスをやろうかと思いついた。そのとき思いついた選曲が「シュガー・ウォール」、「グラマラス・ライフ」、マッドハウス、タイムのファースト、「マニック・マンデイ」、「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」、「ナッシング・コンペアーズ…」、「エロティック・シティー」などなど。
僕はセカンドから見たが、香織ちゃんのサックスによる「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」などは、まさにスムース・ジャズな雰囲気。そして、一番迫力があったのが、ジョニー・ギター・ワトソンの曲(8曲目)。これは、マサのソロも、ケイリブのソロも最高にかっこよかった。そして、アンコールがすっかり定番となっている「レッド・ライト・スペシャル」と「パープル・レイン」。後者のギター・ソロは、マサが一番輝くところだ。アンコールにうってつけの曲だ。
マサ小浜はこのまま順調に行けば、今の時代の高中正義的存在になれると思う。次回、マサ小浜は、「ソウル・サーチン」でマイケル楽曲をやってくれる。マサ小浜ファンは要チェックだ。
ライヴ終わった日の深夜、ちょっと揺れたね。
■『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」で、この日の模様を独占オンエアー
ライヴの内容がよかったので、特別に同録音源を借りてきて、「ソウル・サーチン」でご紹介します。
■「マサ小浜スペシャル」日曜「ソウル・サーチン」でご紹介
2011年7月10日(日)『ソウル・ブレンズ』(インターFM、76.1mhz、日曜午後1時~3時)内、「ソウル・サーチン」(午後2時30分~50分)でマサ小浜ライヴ・アット・ブルース・アレイの音源をご紹介します
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ユリ・ライヴ@代官山ループ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10625111213.html
2009年10月15日(木)
シンガー、ユリ@ブルース・アレイ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10364864050.html
2008年08月05日(火)
ユリ、ブルース・アレー単独ソロ名義で初登場
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August 10, 2007
Yuri’s First Her Own Live:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070810.html
前回ライヴ評。ここに過去関連記事一覧。
■メンバー
マサ小浜 (ギター)
ケイリブ・ジェームス (キーボード、ヴォーカル)
ジェイ・スティックス(ドラムス)
息才隆浩 (ベース)
ゲスト:小林香織 (サックス)
■セットリスト
Setlist : Masa Kohama Special Vol.4 @Blues Alley, Meguro. July 7, 2011
( ) denotes original acts
First set
01.Little Red Corvette (Prince)
02.Nothing But The Party (George Benson)
03.Pride & Joy (Steve Ray Vaughn)
04.Anytime, Any Place, Anywhere (Janet Jackson)
05.P.Y.T. (Michael Jackson)
06.Never Can Say Goodbye (Jackson Five)
07.Private Eyes (Hall & Oates)
08.Panama (Van Halen)
09.Untitled (D’Angelo)
Second set
Show started 21:20
01.Something Something (Maxwell)
02.For The Love Of You (Isley Brothers)
03.Cream (Prince)
04.I Get Lonely (Janet Jackson)
05.Cruise Control (George Benson)
06.Angel (Sarah McLachlan)
07.I Keep Forgetting (Michael McDonalds)
08.Doing Wron Woman Blues (Johnny Guitar Watson)
09.Who’s That Lady (Isley Brothers)
Enc. Red Light Special (TLC)
Enc. Purple Rain (Prince)
Show ended 22:51
(2011年7月7日木曜、目黒ブルース・アレイ、マサ小浜ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Kohama, Masa
2011-
★●ブルース・スプリングスティーンのクラレンス・クレモンズへの弔辞
2011年7月8日 音楽★●ブルース・スプリングスティーンのクラレンス・クレモンズへの弔辞
【Bruce Springsteen’s Eulogy For Clarence Clemons】
弔辞。
2011年6月18日脳卒中の合併症のために69歳で死去したクラレンス・クレモンズの葬儀が、6月21日フロリダ州パーム・ビーチのロイヤル・ポインシアーナ教会で行われた。長く共に歩んできたブルース・スプリングスティーンが長文の弔辞を読んだ。その弔辞が7月に入り、ブルースのオフィシャル・サイトに掲載され、その翻訳がソニー担当の白木さんのブログに6日アップされた。ツイッターでご紹介したところ、反響が多かったので、翻訳された五十嵐正さんと、ソニー・ミュージックの了承を得て、本ブログでもご紹介する。
訃報記事
2011年06月21日(火)
クラレンス・クレモンズ69歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10928810412.html
本ブログでこうした演説などをご紹介するのは、オバマ大統領の就任演説、村上春樹さんのイスラエルでの講演全訳以来。それらに匹敵する素晴らしいメッセージだ。
この中の「ソウルの寺院(Temple of Soul)」という表現は、ソウルマン、クラレンスのことをひじょうにうまく表現していると思う。そして、一番の感動ラインは、ここだ。
「クラレンスは死んでもEストリート・バンドを去りません。彼がバンドを去るのは僕らが死ぬときです」
1700ワード弱、5000字弱の長文ですが、ゆっくりごらんください。
■6日にアップされたソニー白木さんのブログ
2011-07-06
クラレンス・クレモンズの思い出(33):ブルース・スプリングスティーンの弔辞
http://ameblo.jp/high-hopes/entry-10945420166.html
■ソニー・ミュージックのページ
ブルース・スプリングスティーンのページ
http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/BruceSpringsteen/
■クラレンスへの弔辞
http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/BruceSpringsteen/message.html
+++++
ブルース・スプリングスティーンの弔辞(2011年6月21日、フロリダ州パーム・ビーチ、ロイヤル・ポインシアーナ教会)
ビッグ・マンに捧ぐ
僕はここに座って、みんながクラレンスについて語るのをずっと聴きながら、すぐそこにある僕ら2人の写真を見つめていました。それはスクーターとビッグ・マン(アルバム『ボーン・トゥ・ラン(明日なき暴走)』収録の楽曲「Tenth Avenue Freeze-Out(凍てついた十番街)」の登場人物)の写真で、時に僕らは彼らだったんです。見ての通り、特にこの写真ではクラレンスが自分の筋肉を自慢していて、僕はそのことに無頓着なふりをしながら、彼に寄りかかっています。僕は頻繁にクラレンスを頼って寄りかかりました。ある意味では僕はそうすることで自分のキャリアを成功させたんです。
クラレンスと人生を分かち合った僕らは彼の愛と彼の混乱を分かち合いました。「C」は年を重ねるにつれて丸くなりましたが、彼の生き方はいつだって激しく、予測のつかないものでした。今日ここに彼の息子たち、ニッキー、チャック、クリストファー、ジャロッドが座っていますが、彼らの中に「C」の特性の多くが映し出されているのがわかります。彼の輝き、彼の暗闇、彼の優しさ、彼の荒々しさ、彼の穏やかさ、彼の怒り、彼の明晰さ、彼の立派さ、彼の善良さが見えるんです。でも、君たちが知っての通り、君たちのパパは簡単に理解できるような人ではなかった。
「C」の生きた人生では、彼は自分のやりたいことをやって、その行動に対して誰であれ何であれがどう言おうがかまわなかったんです。僕らの多くと同じく、君たちのパパは素晴らしい魔法を生み出す能力を持つだけでなく、かなり困った状況を作り出すこともできました。それが君たちの父さんで、僕の素晴らしい友だちの人間性だったんです。
クラレンスの無条件の愛情は心の底からのものでしたが、たくさんの条件を伴ってもいました。君たちのパパは常に作業半ばの大きなプロジェクトだったんです。「C」は何に対しても線を辿って取り組むことは決してなかった。彼の人生が直線で進むことは決してなかった。彼がA... B.... C.... Dと進むことは絶対になく、いつだってA... J.... C.... Z... Q... I....だったんです! それがクラレンスの生き方で、そうやって世の中を渡っていきました。そのことはたくさんの混乱をもたらし、人を傷つけうると僕は知っています。でも、君たちの父さんはたくさんの愛情も運びました。そして、君たち一人一人をとても、とても深く愛していたと僕は知っています。
クラレンス・クレモンズの面倒を見るには村中の人たちの協力が必要でした。ティナ、君がここにいてくれて、とても嬉しいよ。僕の友だちの面倒を見てくれて、彼を愛してくれてありがとう。ヴィクトリア、君はクラレンスにとって、夫を愛する優しく、思いやりのある妻でした。そして歩くことすら簡単じゃなかった時期に、彼の人生を見違えるものにしてくれました。「C」を支えてくれたおびただしい数の人たちのネットワーク、その名前は多すぎてここでは触れられませんが、あなたたちは自分のことだってわかっているでしょう。どうもありがとう。あなたたちへの報酬は天国の門で待っているでしょう。僕の仲間は手に負えない奴だったけど、あなたたちの人生に唯一無二のものをもたらし、彼がその愛の明かりを灯したときには、それがあなたたちの世界を明るくしてくれました。僕はとても幸運なことに約40年もの間、その明かりの中、クラレンスの心のそば、「ソウルの寺院」の中に立っていたんです。
そこで、ちょっぴり昔話を。クラレンスと僕が一緒に旅していた初期の日々から、僕らがその晩の宿に着くと、数分のうちに「C」は自分の部屋を彼自身の世界に作り変えてしまったものです。取り出したのは、電気スタンドを覆う様々な色のスカーフ、香料入りの蝋燭、お香、パチョリ油、ハーブ、音楽で、昼間は消え去り、お楽しみが次々と登場し、シャーマンのクラレンスが君臨し、魔法を働かせたものです。来る夜も来る夜もです。クラレンスのクラレンスであることを楽しむ能力は途方もありません。
彼は69歳まで思う存分生きました。だって、彼は平均的人間の人生で言えば10人分くらい、690年を既に生きていたんですから。どの晩にだって、どの場所でも、その魔法は「C」のスーツケースから飛び出してくるんです。成功のおかげでそれが可能になるとすぐに、彼の控え室はホテルの部屋と同じような装飾が施されるようになって、その部屋を訪ねるのは、膨大な埋蔵量の油田を掘り当てたばかりの独立国への旅のようにまでなりました。
「C」はどう生きるべきかを常に知っていました。プリンスがおむつを卒業するよりずっと前に、ビッグ・マンの世界では好色な神秘主義の気配が支配していたんです。僕は数脚の素敵なソファとスポーツ用ロッカーを備えた自分の控え室から彼の部屋に足を踏み入れ、自分が何を間違えているのかと考えてしまったものです! そういった歳月のどこかの時点で、これらすべてが「ソウルの寺院」と名付けられ、「C」はにこにこしながらその秘密とその喜びを支配する主宰者を務めました。その寺院の不思議な世界への入場を許されることは素敵な体験でした。
僕の息子サムは幼かった頃、ビッグ・マンに心を奪われてしまいました・・・驚きじゃないですね。子供にとって、クラレンスは何かとてもエキゾティックな童話から出てきた、見上げるように大きなおとぎ話の人物でしたから。彼はドレッドロック・ヘアの巨人で、大きな手と優しさと心づかいの感じられる太い低音の甘い声の持ち主でした。そして・・・幼い白人の少年だったサムにとっては、彼は強烈な印象を与える神秘的な黒人でした。サミーの目に「C」はアフリカ大陸のすべてがアメリカ的なクールさで満たされ、暖かく歓迎して愛してくれる一人の人物になったように見えたに違いありません。だから・・・サミーは僕のワークシャツを拒否すると決め、クラレンスのスーツと王様のようなローブに魅せられるようになりました。彼は父のヴァンの座席を断り、「C」の長い車体のリムジンを選び、彼の隣に座ってショウの会場までのゆっくりとしたドライヴを楽しんだのです。彼はどこにでもあるロッカーの前での夕食はおもしろくないと判断し、廊下をぶらぶら歩き、「ソウルの寺院」の中に消えていきました。
もちろん、彼に心を奪われたのは、サムの父親も同じでした。アズベリー・パークの半分しかお客さんの入っていないバーの暗がりから僕の仲間が大股で歩いてくるのを見た初めての出会いからずっとです。彼の前に道が開けるのが見えました。僕の兄弟が、僕のサックスマンが、僕のインスピレーションが、僕のパートナーが、僕の生涯の友人がやってきたんです。クラレンスの隣に立つことはこの惑星で最高にすごいヤツの隣に立つようなものです。自分が誇らしく、逞しく思え、起こるかもしれないことに、彼と一緒ならできるかもしれないことに、わくわくさせられ、楽しくて笑いました。昼や夜が何をもたらしても、何たりとも自分を傷つけられないと感じたんです。
クラレンスは繊細なところもありましたが、力と安心感を発散させていました。そして愉快なやり方で、僕らはお互いの保護者になったんです。たぶん僕は今もなお大男の黒人であることがそんなに楽ではない世界から「C」を守ったのだと思います。人種差別はずっと存在していましたし、彼と一緒の年月の間、僕らはそれを目にしてきました。クラレンスの名声と体格をしても、彼は差別から逃れられませんでした。また、たぶん「C」も不安を抱えた風変わりなやせっぽちの白人少年であることがそんなに楽なわけではない世界から僕を守ってくれたんだと思います。
でも、一緒に立つと、どの晩にだって僕らは最高の仲間でした。僕らの得意とする領域では、この惑星の最高に素晴らしいヤツ数組にも並びました。僕らは一心同体で、僕らは強く、僕らは本物で、僕らは揺るぎなく、僕らは愉快で、僕らはひどくダサく、このうえなく真剣でした。そして僕らは皆さんの町へ行って、皆さんを揺さぶり、目を覚まさせました。僕らは一緒に僕の歌と音楽の中で書いてきたものを超える友情のもつ可能性についてのもっと古い、もっと豊かな物語を語ったのです。クラレンスはそれを心の中に持っていました。その物語ではスクーターとビッグ・マンは街をまっぷたつにしてしまっただけでなく、僕らは大暴れして、その街を作り直してしまった。僕らの友情がそれほど例外的ではない類の場所を作ったんです。そして、そのことを僕はこれからずっと残念に思うでしょう。毎晩のようにその誓いを新たにしてその物語への賭けを倍額にする機会を失ったのです。なぜなら、それは特別なことでした。それこそが僕らが・・・僕ら2人が一緒にやった最も重要なことだからです。クラレンスは大きく、彼は僕に大きく感じて、考え、愛し、夢を見させてくれました。ビッグ・マンがどれほど大きかったって? 死ぬにはあまりに馬鹿でかかった。それは事実です。彼の墓石にそう刻むこともできます。君の胸にそうタトゥーを入れてもいい。受け入れてください・・・これは(彼のいない)新しい世界なんだって。
クラレンスは死んでもEストリート・バンドを去りません。彼がバンドを去るのは僕らが死ぬときです。
だから、僕は自分の友だちを、彼のサックスを、彼のサウンドの持つ自然の力を、彼の栄光を、彼の馬鹿げたところを、彼の業績を、彼の顔を、彼の手を、彼のユーモアを、彼の肌を、彼の騒音を、彼の混乱を、彼の力を、彼の平穏を思い出して寂しく感じるでしょう。でも、彼の愛と彼の物語、彼が僕にくれた物語、彼が耳元で囁き、僕に語ることを許してくれた・・・そして彼がみなさんに与えた物語は続いていきます。僕は神秘主義者ではないんですが、それに反して、クラレンスと僕の友情の力と神秘は僕をこう信じる気にさせます。僕らは別のもっと古い時代にも、他の川沿いで、他の街で、他の平野で、一緒に立って、神の仕事の我々のささやかな解釈を何度もやっていたに違いないと。そしてその仕事はまだ完成していないんだとも。だから、僕の兄弟にさよならは言いません。ただこう言うだけです。次の人生で、この道の先で、また会おう。そこで僕らは再びその仕事を始めて、やり遂げるんです。
ビッグ・マン、君の優しさに、君の力に、君の献身に、君の仕事に、君の物語にありがとう。その奇跡に・・・そしてこのちっぽけな白人少年をソウルの寺院の横のドアから忍び込ませてくれてありがとう。
さあ、紳士淑女の皆さん、いつも最後の紹介になりますが、決して一番小さな存在ではありません。盛大な拍手をお願いします。大惨事をもたらす名人、大物祈祷師、サックスの癒し(セクシュアル・ヒーリングとサックアル・ヒーリングをかけている)で博士号を持つ男、パデューカの公爵、世界の王様、オバマは気をつけて、(クラレンスは)死んでしまっても次の黒人米国大統領なんですから。みんなが彼のようになりたいと願うが、それは無理なんです! 紳士淑女の皆さん、あなたがこれまでに見た中でも最も巨大な男! 繰り返して、C-L-A-R-E-N-C-E 。何のスペルだい? クラレンスだ! 何のスペルだい? クラレンスだ! アーメン。
今日は最後にビッグ・マン自身の言葉でみなさんとお別れします。前回のツアーの最後のショウを終えて、バッファローから帰ってくる飛行機の中で交わした言葉です。僕らはフロントキャビンでお互いを称えながらお祝いをして、僕らが共にしてきた多くの素晴らしいショウやロックした夜、楽しい時間についての話をしていました。「C」は静かに座っていて、それらの話をすべて聞いてから、グラスを揚げて、微笑みながら、集まったみんなに言いました。「これはもっと大きな何かの始まりに違いないよ」。
愛しているよ、「C」。
(日本語訳・五十嵐正)
原文
http://www.brucespringsteen.net/news/index.html
日本のクラレンス・クレモンズ追悼ページ
http://www.sonymusic.co.jp/BOSS/
Bruce Springsteen Eulogy for Clarence Clemons (June 21, 2011, at Royal Poinciana Chapel, Palm Beach)
FOR THE BIG MAN
I’ve been sitting here listening to everyone talk about Clarence and staring at that photo of the two of us right there. It’s a picture of Scooter and The Big Man, people who we were sometimes. As you can see in this particular photo, Clarence is admiring his muscles and I’m pretending to be nonchalant while leaning upon him. I leaned on Clarence a lot; I made a career out of it in some ways.
Those of us who shared Clarence’s life, shared with him his love and his confusion. Though "C" mellowed with age, he was always a wild and unpredictable ride. Today I see his sons Nicky, Chuck, Christopher and Jarod sitting here and I see in them the reflection of a lot of C’s qualities. I see his light, his darkness, his sweetness, his roughness, his gentleness, his anger, his brilliance, his handsomeness, and his goodness. But, as you boys know your pop was a not a day at the beach. "C" lived a life where he did what he wanted to do and he let the chips, human and otherwise, fall where they may. Like a lot of us your pop was capable of great magic and also of making quite an amazing mess. This was just the nature of your daddy and my beautiful friend.
Clarence’s unconditional love, which was very real, came with a lot of conditions. Your pop was a major project and always a work in progress. "C" never approached anything linearly, life never proceeded in a straight line. He never went A... B.... C.... D. It was always A... J.... C.... Z... Q... I....! That was the way Clarence lived and made his way through the world. I know that can lead to a lot of confusion and hurt, but your father also carried a lot of love with him, and I know he loved each of you very very dearly.
It took a village to take care of Clarence Clemons. Tina, I’m so glad you’re here. Thank you for taking care of my friend, for loving him. Victoria, you’ve been a loving, kind and caring wife to Clarence and you made a huge difference in his life at a time when the going was not always easy. To all of "C’s" vast support network, names too numerous to mention, you know who you are and we thank you. Your rewards await you at the pearly gates. My pal was a tough act but he brought things into your life that were unique and when he turned on that love light, it illuminated your world. I was lucky enough to stand in that light for almost 40 years, near Clarence’s heart, in the Temple of Soul.
So a little bit of history: from the early days when Clarence and I traveled together, we’d pull up to the evening’s lodgings and within minutes "C" would transform his room into a world of his own. Out came the colored scarves to be draped over the lamps, the scented candles, the incense, the patchouli oil, the herbs, the music, the day would be banished, entertainment would come and go, and Clarence the Shaman would reign and work his magic, night after night. Clarence’s ability to enjoy Clarence was incredible.
By 69, he’d had a good run, because he’d already lived about 10 lives, 690 years in the life of an average man. Every night, in every place, the magic came flying out of C’s suitcase. As soon as success allowed, his dressing room would take on the same trappings as his hotel room until a visit there was like a trip to a sovereign nation that had just struck huge oil reserves.
"C" always knew how to live. Long before Prince was out of his diapers, an air of raunchy mysticism ruled in the Big Man’s world. I’d wander in from my dressing room, which contained several fine couches and some athletic lockers, and wonder what I was doing wrong! Somewhere along the way all of this was christened the Temple of Soul; and "C" presided smilingly over its secrets, and its pleasures. Being allowed admittance to the Temple’s wonders was a lovely thing.
As a young child my son Sam became enchanted with the Big Man... no surprise. To a child Clarence was a towering fairy tale figure, out of some very exotic storybook. He was a dreadlocked giant, with great hands and a deep mellifluous voice sugared with kindness and regard. And... to Sammy, who was just a little white boy, he was deeply and mysteriously black. In Sammy’s eyes, "C" must have appeared as all of the African continent, shot through with American cool, rolled into one welcoming and loving figure. So... Sammy decided to pass on my work shirts and became fascinated by Clarence’s suits and his royal robes. He declined a seat in dad’s van and opted for "C’s" stretch limousine, sitting by his side on the slow cruise to the show. He decided dinner in front of the hometown locker just wouldn’t do, and he’d saunter up the hall and disappear into the Temple of Soul.
Of course, also enchanted was Sam’s dad, from the first time I saw my pal striding out of the shadows of a half empty bar in Asbury Park, a path opening up before him; here comes my brother, here comes my sax man, my inspiration, my partner, my lifelong friend. Standing next to Clarence was like standing next to the baddest ass on the planet. You were proud, you were strong, you were excited and laughing with what might happen, with what together, you might be able to do. You felt like no matter what the day or the night brought, nothing was going to touch you.
Clarence could be fragile but he also emanated power and safety, and in some funny way we became each other’s protectors; I think perhaps I protected "C" from a world where it still wasn’t so easy to be big and black. Racism was ever present and over the years together, we saw it. Clarence’s celebrity and size did not make him immune. I think perhaps "C" protected me from a world where it wasn’t always so easy to be an insecure, weird and skinny white boy either.
But, standing together we were badass, on any given night, on our turf, some of the baddest asses on the planet. We were united, we were strong, we were righteous, we were unmovable, we were funny, we were corny as hell and as serious as death itself. And we were coming to your town to shake you and to wake you up. Together, we told an older, richer story about the possibilities of friendship that transcended those I’d written in my songs and in my music. Clarence carried it in his heart. It was a story where the Scooter and the Big Man not only busted the city in half, but we kicked ass and remade the city, shaping it into the kind of place where our friendship would not be such an anomaly. And that... that’s what I’m gonna miss. The chance to renew that vow and double down on that story on a nightly basis, because that is something, that is the thing that we did together... the two of us. Clarence was big, and he made me feel, and think, and love, and dream big. How big was the Big Man? Too fucking big to die. And that’s just the facts. You can put it on his grave stone, you can tattoo it over your heart. Accept it... it’s the New World.
Clarence doesn’t leave the E Street Band when he dies. He leaves when we die.
So, I’ll miss my friend, his sax, the force of nature his sound was, his glory, his foolishness, his accomplishments, his face, his hands, his humor, his skin, his noise, his confusion, his power, his peace. But his love and his story, the story that he gave me, that he whispered in my ear, that he allowed me to tell... and that he gave to you... is gonna carry on. I’m no mystic, but the undertow, the mystery and power of Clarence and my friendship leads me to believe we must have stood together in other, older times, along other rivers, in other cities, in other fields, doing our modest version of god’s work... work that’s still unfinished. So I won’t say goodbye to my brother, I’ll simply say, see you in the next life, further on up the road, where we will once again pick up that work, and get it done.
Big Man, thank you for your kindness, your strength, your dedication, your work, your story. Thanks for the miracle... and for letting a little white boy slip through the side door of the Temple of Soul.
SO LADIES AND GENTLEMAN... ALWAYS LAST, BUT NEVER LEAST. LET’S HEAR IT FOR THE MASTER OF DISASTER, the BIG KAHUNA, the MAN WITH A PHD IN SAXUAL HEALING, the DUKE OF PADUCAH, the KING OF THE WORLD, LOOK OUT OBAMA! THE NEXT BLACK PRESIDENT OF THE UNITED STATES EVEN THOUGH HE’S DEAD... YOU WISH YOU COULD BE LIKE HIM BUT YOU CAN’T! LADIES AND GENTLEMEN, THE BIGGEST MAN YOU’VE EVER SEEN!... GIVE ME A C-L-A-R-E-N-C-E. WHAT’S THAT SPELL? CLARENCE! WHAT’S THAT SPELL? CLARENCE! WHAT’S THAT SPELL? CLARENCE! ... amen.
I’m gonna leave you today with a quote from the Big Man himself, which he shared on the plane ride home from Buffalo, the last show of the last tour. As we celebrated in the front cabin congratulating one another and telling tales of the many epic shows, rocking nights and good times we’d shared, "C" sat quietly, taking it all in, then he raised his glass, smiled and said to all gathered, "This could be the start of something big."
Love you, "C".
ENT>ARTIST>Clemons, Clarence
ENT>ARTIST>Springsteen, Bruce
OBITUARY>Clemons, Clarence
【Bruce Springsteen’s Eulogy For Clarence Clemons】
弔辞。
2011年6月18日脳卒中の合併症のために69歳で死去したクラレンス・クレモンズの葬儀が、6月21日フロリダ州パーム・ビーチのロイヤル・ポインシアーナ教会で行われた。長く共に歩んできたブルース・スプリングスティーンが長文の弔辞を読んだ。その弔辞が7月に入り、ブルースのオフィシャル・サイトに掲載され、その翻訳がソニー担当の白木さんのブログに6日アップされた。ツイッターでご紹介したところ、反響が多かったので、翻訳された五十嵐正さんと、ソニー・ミュージックの了承を得て、本ブログでもご紹介する。
訃報記事
2011年06月21日(火)
クラレンス・クレモンズ69歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10928810412.html
本ブログでこうした演説などをご紹介するのは、オバマ大統領の就任演説、村上春樹さんのイスラエルでの講演全訳以来。それらに匹敵する素晴らしいメッセージだ。
この中の「ソウルの寺院(Temple of Soul)」という表現は、ソウルマン、クラレンスのことをひじょうにうまく表現していると思う。そして、一番の感動ラインは、ここだ。
「クラレンスは死んでもEストリート・バンドを去りません。彼がバンドを去るのは僕らが死ぬときです」
1700ワード弱、5000字弱の長文ですが、ゆっくりごらんください。
■6日にアップされたソニー白木さんのブログ
2011-07-06
クラレンス・クレモンズの思い出(33):ブルース・スプリングスティーンの弔辞
http://ameblo.jp/high-hopes/entry-10945420166.html
■ソニー・ミュージックのページ
ブルース・スプリングスティーンのページ
http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/BruceSpringsteen/
■クラレンスへの弔辞
http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/BruceSpringsteen/message.html
+++++
ブルース・スプリングスティーンの弔辞(2011年6月21日、フロリダ州パーム・ビーチ、ロイヤル・ポインシアーナ教会)
ビッグ・マンに捧ぐ
僕はここに座って、みんながクラレンスについて語るのをずっと聴きながら、すぐそこにある僕ら2人の写真を見つめていました。それはスクーターとビッグ・マン(アルバム『ボーン・トゥ・ラン(明日なき暴走)』収録の楽曲「Tenth Avenue Freeze-Out(凍てついた十番街)」の登場人物)の写真で、時に僕らは彼らだったんです。見ての通り、特にこの写真ではクラレンスが自分の筋肉を自慢していて、僕はそのことに無頓着なふりをしながら、彼に寄りかかっています。僕は頻繁にクラレンスを頼って寄りかかりました。ある意味では僕はそうすることで自分のキャリアを成功させたんです。
クラレンスと人生を分かち合った僕らは彼の愛と彼の混乱を分かち合いました。「C」は年を重ねるにつれて丸くなりましたが、彼の生き方はいつだって激しく、予測のつかないものでした。今日ここに彼の息子たち、ニッキー、チャック、クリストファー、ジャロッドが座っていますが、彼らの中に「C」の特性の多くが映し出されているのがわかります。彼の輝き、彼の暗闇、彼の優しさ、彼の荒々しさ、彼の穏やかさ、彼の怒り、彼の明晰さ、彼の立派さ、彼の善良さが見えるんです。でも、君たちが知っての通り、君たちのパパは簡単に理解できるような人ではなかった。
「C」の生きた人生では、彼は自分のやりたいことをやって、その行動に対して誰であれ何であれがどう言おうがかまわなかったんです。僕らの多くと同じく、君たちのパパは素晴らしい魔法を生み出す能力を持つだけでなく、かなり困った状況を作り出すこともできました。それが君たちの父さんで、僕の素晴らしい友だちの人間性だったんです。
クラレンスの無条件の愛情は心の底からのものでしたが、たくさんの条件を伴ってもいました。君たちのパパは常に作業半ばの大きなプロジェクトだったんです。「C」は何に対しても線を辿って取り組むことは決してなかった。彼の人生が直線で進むことは決してなかった。彼がA... B.... C.... Dと進むことは絶対になく、いつだってA... J.... C.... Z... Q... I....だったんです! それがクラレンスの生き方で、そうやって世の中を渡っていきました。そのことはたくさんの混乱をもたらし、人を傷つけうると僕は知っています。でも、君たちの父さんはたくさんの愛情も運びました。そして、君たち一人一人をとても、とても深く愛していたと僕は知っています。
クラレンス・クレモンズの面倒を見るには村中の人たちの協力が必要でした。ティナ、君がここにいてくれて、とても嬉しいよ。僕の友だちの面倒を見てくれて、彼を愛してくれてありがとう。ヴィクトリア、君はクラレンスにとって、夫を愛する優しく、思いやりのある妻でした。そして歩くことすら簡単じゃなかった時期に、彼の人生を見違えるものにしてくれました。「C」を支えてくれたおびただしい数の人たちのネットワーク、その名前は多すぎてここでは触れられませんが、あなたたちは自分のことだってわかっているでしょう。どうもありがとう。あなたたちへの報酬は天国の門で待っているでしょう。僕の仲間は手に負えない奴だったけど、あなたたちの人生に唯一無二のものをもたらし、彼がその愛の明かりを灯したときには、それがあなたたちの世界を明るくしてくれました。僕はとても幸運なことに約40年もの間、その明かりの中、クラレンスの心のそば、「ソウルの寺院」の中に立っていたんです。
そこで、ちょっぴり昔話を。クラレンスと僕が一緒に旅していた初期の日々から、僕らがその晩の宿に着くと、数分のうちに「C」は自分の部屋を彼自身の世界に作り変えてしまったものです。取り出したのは、電気スタンドを覆う様々な色のスカーフ、香料入りの蝋燭、お香、パチョリ油、ハーブ、音楽で、昼間は消え去り、お楽しみが次々と登場し、シャーマンのクラレンスが君臨し、魔法を働かせたものです。来る夜も来る夜もです。クラレンスのクラレンスであることを楽しむ能力は途方もありません。
彼は69歳まで思う存分生きました。だって、彼は平均的人間の人生で言えば10人分くらい、690年を既に生きていたんですから。どの晩にだって、どの場所でも、その魔法は「C」のスーツケースから飛び出してくるんです。成功のおかげでそれが可能になるとすぐに、彼の控え室はホテルの部屋と同じような装飾が施されるようになって、その部屋を訪ねるのは、膨大な埋蔵量の油田を掘り当てたばかりの独立国への旅のようにまでなりました。
「C」はどう生きるべきかを常に知っていました。プリンスがおむつを卒業するよりずっと前に、ビッグ・マンの世界では好色な神秘主義の気配が支配していたんです。僕は数脚の素敵なソファとスポーツ用ロッカーを備えた自分の控え室から彼の部屋に足を踏み入れ、自分が何を間違えているのかと考えてしまったものです! そういった歳月のどこかの時点で、これらすべてが「ソウルの寺院」と名付けられ、「C」はにこにこしながらその秘密とその喜びを支配する主宰者を務めました。その寺院の不思議な世界への入場を許されることは素敵な体験でした。
僕の息子サムは幼かった頃、ビッグ・マンに心を奪われてしまいました・・・驚きじゃないですね。子供にとって、クラレンスは何かとてもエキゾティックな童話から出てきた、見上げるように大きなおとぎ話の人物でしたから。彼はドレッドロック・ヘアの巨人で、大きな手と優しさと心づかいの感じられる太い低音の甘い声の持ち主でした。そして・・・幼い白人の少年だったサムにとっては、彼は強烈な印象を与える神秘的な黒人でした。サミーの目に「C」はアフリカ大陸のすべてがアメリカ的なクールさで満たされ、暖かく歓迎して愛してくれる一人の人物になったように見えたに違いありません。だから・・・サミーは僕のワークシャツを拒否すると決め、クラレンスのスーツと王様のようなローブに魅せられるようになりました。彼は父のヴァンの座席を断り、「C」の長い車体のリムジンを選び、彼の隣に座ってショウの会場までのゆっくりとしたドライヴを楽しんだのです。彼はどこにでもあるロッカーの前での夕食はおもしろくないと判断し、廊下をぶらぶら歩き、「ソウルの寺院」の中に消えていきました。
もちろん、彼に心を奪われたのは、サムの父親も同じでした。アズベリー・パークの半分しかお客さんの入っていないバーの暗がりから僕の仲間が大股で歩いてくるのを見た初めての出会いからずっとです。彼の前に道が開けるのが見えました。僕の兄弟が、僕のサックスマンが、僕のインスピレーションが、僕のパートナーが、僕の生涯の友人がやってきたんです。クラレンスの隣に立つことはこの惑星で最高にすごいヤツの隣に立つようなものです。自分が誇らしく、逞しく思え、起こるかもしれないことに、彼と一緒ならできるかもしれないことに、わくわくさせられ、楽しくて笑いました。昼や夜が何をもたらしても、何たりとも自分を傷つけられないと感じたんです。
クラレンスは繊細なところもありましたが、力と安心感を発散させていました。そして愉快なやり方で、僕らはお互いの保護者になったんです。たぶん僕は今もなお大男の黒人であることがそんなに楽ではない世界から「C」を守ったのだと思います。人種差別はずっと存在していましたし、彼と一緒の年月の間、僕らはそれを目にしてきました。クラレンスの名声と体格をしても、彼は差別から逃れられませんでした。また、たぶん「C」も不安を抱えた風変わりなやせっぽちの白人少年であることがそんなに楽なわけではない世界から僕を守ってくれたんだと思います。
でも、一緒に立つと、どの晩にだって僕らは最高の仲間でした。僕らの得意とする領域では、この惑星の最高に素晴らしいヤツ数組にも並びました。僕らは一心同体で、僕らは強く、僕らは本物で、僕らは揺るぎなく、僕らは愉快で、僕らはひどくダサく、このうえなく真剣でした。そして僕らは皆さんの町へ行って、皆さんを揺さぶり、目を覚まさせました。僕らは一緒に僕の歌と音楽の中で書いてきたものを超える友情のもつ可能性についてのもっと古い、もっと豊かな物語を語ったのです。クラレンスはそれを心の中に持っていました。その物語ではスクーターとビッグ・マンは街をまっぷたつにしてしまっただけでなく、僕らは大暴れして、その街を作り直してしまった。僕らの友情がそれほど例外的ではない類の場所を作ったんです。そして、そのことを僕はこれからずっと残念に思うでしょう。毎晩のようにその誓いを新たにしてその物語への賭けを倍額にする機会を失ったのです。なぜなら、それは特別なことでした。それこそが僕らが・・・僕ら2人が一緒にやった最も重要なことだからです。クラレンスは大きく、彼は僕に大きく感じて、考え、愛し、夢を見させてくれました。ビッグ・マンがどれほど大きかったって? 死ぬにはあまりに馬鹿でかかった。それは事実です。彼の墓石にそう刻むこともできます。君の胸にそうタトゥーを入れてもいい。受け入れてください・・・これは(彼のいない)新しい世界なんだって。
クラレンスは死んでもEストリート・バンドを去りません。彼がバンドを去るのは僕らが死ぬときです。
だから、僕は自分の友だちを、彼のサックスを、彼のサウンドの持つ自然の力を、彼の栄光を、彼の馬鹿げたところを、彼の業績を、彼の顔を、彼の手を、彼のユーモアを、彼の肌を、彼の騒音を、彼の混乱を、彼の力を、彼の平穏を思い出して寂しく感じるでしょう。でも、彼の愛と彼の物語、彼が僕にくれた物語、彼が耳元で囁き、僕に語ることを許してくれた・・・そして彼がみなさんに与えた物語は続いていきます。僕は神秘主義者ではないんですが、それに反して、クラレンスと僕の友情の力と神秘は僕をこう信じる気にさせます。僕らは別のもっと古い時代にも、他の川沿いで、他の街で、他の平野で、一緒に立って、神の仕事の我々のささやかな解釈を何度もやっていたに違いないと。そしてその仕事はまだ完成していないんだとも。だから、僕の兄弟にさよならは言いません。ただこう言うだけです。次の人生で、この道の先で、また会おう。そこで僕らは再びその仕事を始めて、やり遂げるんです。
ビッグ・マン、君の優しさに、君の力に、君の献身に、君の仕事に、君の物語にありがとう。その奇跡に・・・そしてこのちっぽけな白人少年をソウルの寺院の横のドアから忍び込ませてくれてありがとう。
さあ、紳士淑女の皆さん、いつも最後の紹介になりますが、決して一番小さな存在ではありません。盛大な拍手をお願いします。大惨事をもたらす名人、大物祈祷師、サックスの癒し(セクシュアル・ヒーリングとサックアル・ヒーリングをかけている)で博士号を持つ男、パデューカの公爵、世界の王様、オバマは気をつけて、(クラレンスは)死んでしまっても次の黒人米国大統領なんですから。みんなが彼のようになりたいと願うが、それは無理なんです! 紳士淑女の皆さん、あなたがこれまでに見た中でも最も巨大な男! 繰り返して、C-L-A-R-E-N-C-E 。何のスペルだい? クラレンスだ! 何のスペルだい? クラレンスだ! アーメン。
今日は最後にビッグ・マン自身の言葉でみなさんとお別れします。前回のツアーの最後のショウを終えて、バッファローから帰ってくる飛行機の中で交わした言葉です。僕らはフロントキャビンでお互いを称えながらお祝いをして、僕らが共にしてきた多くの素晴らしいショウやロックした夜、楽しい時間についての話をしていました。「C」は静かに座っていて、それらの話をすべて聞いてから、グラスを揚げて、微笑みながら、集まったみんなに言いました。「これはもっと大きな何かの始まりに違いないよ」。
愛しているよ、「C」。
(日本語訳・五十嵐正)
原文
http://www.brucespringsteen.net/news/index.html
日本のクラレンス・クレモンズ追悼ページ
http://www.sonymusic.co.jp/BOSS/
Bruce Springsteen Eulogy for Clarence Clemons (June 21, 2011, at Royal Poinciana Chapel, Palm Beach)
FOR THE BIG MAN
I’ve been sitting here listening to everyone talk about Clarence and staring at that photo of the two of us right there. It’s a picture of Scooter and The Big Man, people who we were sometimes. As you can see in this particular photo, Clarence is admiring his muscles and I’m pretending to be nonchalant while leaning upon him. I leaned on Clarence a lot; I made a career out of it in some ways.
Those of us who shared Clarence’s life, shared with him his love and his confusion. Though "C" mellowed with age, he was always a wild and unpredictable ride. Today I see his sons Nicky, Chuck, Christopher and Jarod sitting here and I see in them the reflection of a lot of C’s qualities. I see his light, his darkness, his sweetness, his roughness, his gentleness, his anger, his brilliance, his handsomeness, and his goodness. But, as you boys know your pop was a not a day at the beach. "C" lived a life where he did what he wanted to do and he let the chips, human and otherwise, fall where they may. Like a lot of us your pop was capable of great magic and also of making quite an amazing mess. This was just the nature of your daddy and my beautiful friend.
Clarence’s unconditional love, which was very real, came with a lot of conditions. Your pop was a major project and always a work in progress. "C" never approached anything linearly, life never proceeded in a straight line. He never went A... B.... C.... D. It was always A... J.... C.... Z... Q... I....! That was the way Clarence lived and made his way through the world. I know that can lead to a lot of confusion and hurt, but your father also carried a lot of love with him, and I know he loved each of you very very dearly.
It took a village to take care of Clarence Clemons. Tina, I’m so glad you’re here. Thank you for taking care of my friend, for loving him. Victoria, you’ve been a loving, kind and caring wife to Clarence and you made a huge difference in his life at a time when the going was not always easy. To all of "C’s" vast support network, names too numerous to mention, you know who you are and we thank you. Your rewards await you at the pearly gates. My pal was a tough act but he brought things into your life that were unique and when he turned on that love light, it illuminated your world. I was lucky enough to stand in that light for almost 40 years, near Clarence’s heart, in the Temple of Soul.
So a little bit of history: from the early days when Clarence and I traveled together, we’d pull up to the evening’s lodgings and within minutes "C" would transform his room into a world of his own. Out came the colored scarves to be draped over the lamps, the scented candles, the incense, the patchouli oil, the herbs, the music, the day would be banished, entertainment would come and go, and Clarence the Shaman would reign and work his magic, night after night. Clarence’s ability to enjoy Clarence was incredible.
By 69, he’d had a good run, because he’d already lived about 10 lives, 690 years in the life of an average man. Every night, in every place, the magic came flying out of C’s suitcase. As soon as success allowed, his dressing room would take on the same trappings as his hotel room until a visit there was like a trip to a sovereign nation that had just struck huge oil reserves.
"C" always knew how to live. Long before Prince was out of his diapers, an air of raunchy mysticism ruled in the Big Man’s world. I’d wander in from my dressing room, which contained several fine couches and some athletic lockers, and wonder what I was doing wrong! Somewhere along the way all of this was christened the Temple of Soul; and "C" presided smilingly over its secrets, and its pleasures. Being allowed admittance to the Temple’s wonders was a lovely thing.
As a young child my son Sam became enchanted with the Big Man... no surprise. To a child Clarence was a towering fairy tale figure, out of some very exotic storybook. He was a dreadlocked giant, with great hands and a deep mellifluous voice sugared with kindness and regard. And... to Sammy, who was just a little white boy, he was deeply and mysteriously black. In Sammy’s eyes, "C" must have appeared as all of the African continent, shot through with American cool, rolled into one welcoming and loving figure. So... Sammy decided to pass on my work shirts and became fascinated by Clarence’s suits and his royal robes. He declined a seat in dad’s van and opted for "C’s" stretch limousine, sitting by his side on the slow cruise to the show. He decided dinner in front of the hometown locker just wouldn’t do, and he’d saunter up the hall and disappear into the Temple of Soul.
Of course, also enchanted was Sam’s dad, from the first time I saw my pal striding out of the shadows of a half empty bar in Asbury Park, a path opening up before him; here comes my brother, here comes my sax man, my inspiration, my partner, my lifelong friend. Standing next to Clarence was like standing next to the baddest ass on the planet. You were proud, you were strong, you were excited and laughing with what might happen, with what together, you might be able to do. You felt like no matter what the day or the night brought, nothing was going to touch you.
Clarence could be fragile but he also emanated power and safety, and in some funny way we became each other’s protectors; I think perhaps I protected "C" from a world where it still wasn’t so easy to be big and black. Racism was ever present and over the years together, we saw it. Clarence’s celebrity and size did not make him immune. I think perhaps "C" protected me from a world where it wasn’t always so easy to be an insecure, weird and skinny white boy either.
But, standing together we were badass, on any given night, on our turf, some of the baddest asses on the planet. We were united, we were strong, we were righteous, we were unmovable, we were funny, we were corny as hell and as serious as death itself. And we were coming to your town to shake you and to wake you up. Together, we told an older, richer story about the possibilities of friendship that transcended those I’d written in my songs and in my music. Clarence carried it in his heart. It was a story where the Scooter and the Big Man not only busted the city in half, but we kicked ass and remade the city, shaping it into the kind of place where our friendship would not be such an anomaly. And that... that’s what I’m gonna miss. The chance to renew that vow and double down on that story on a nightly basis, because that is something, that is the thing that we did together... the two of us. Clarence was big, and he made me feel, and think, and love, and dream big. How big was the Big Man? Too fucking big to die. And that’s just the facts. You can put it on his grave stone, you can tattoo it over your heart. Accept it... it’s the New World.
Clarence doesn’t leave the E Street Band when he dies. He leaves when we die.
So, I’ll miss my friend, his sax, the force of nature his sound was, his glory, his foolishness, his accomplishments, his face, his hands, his humor, his skin, his noise, his confusion, his power, his peace. But his love and his story, the story that he gave me, that he whispered in my ear, that he allowed me to tell... and that he gave to you... is gonna carry on. I’m no mystic, but the undertow, the mystery and power of Clarence and my friendship leads me to believe we must have stood together in other, older times, along other rivers, in other cities, in other fields, doing our modest version of god’s work... work that’s still unfinished. So I won’t say goodbye to my brother, I’ll simply say, see you in the next life, further on up the road, where we will once again pick up that work, and get it done.
Big Man, thank you for your kindness, your strength, your dedication, your work, your story. Thanks for the miracle... and for letting a little white boy slip through the side door of the Temple of Soul.
SO LADIES AND GENTLEMAN... ALWAYS LAST, BUT NEVER LEAST. LET’S HEAR IT FOR THE MASTER OF DISASTER, the BIG KAHUNA, the MAN WITH A PHD IN SAXUAL HEALING, the DUKE OF PADUCAH, the KING OF THE WORLD, LOOK OUT OBAMA! THE NEXT BLACK PRESIDENT OF THE UNITED STATES EVEN THOUGH HE’S DEAD... YOU WISH YOU COULD BE LIKE HIM BUT YOU CAN’T! LADIES AND GENTLEMEN, THE BIGGEST MAN YOU’VE EVER SEEN!... GIVE ME A C-L-A-R-E-N-C-E. WHAT’S THAT SPELL? CLARENCE! WHAT’S THAT SPELL? CLARENCE! WHAT’S THAT SPELL? CLARENCE! ... amen.
I’m gonna leave you today with a quote from the Big Man himself, which he shared on the plane ride home from Buffalo, the last show of the last tour. As we celebrated in the front cabin congratulating one another and telling tales of the many epic shows, rocking nights and good times we’d shared, "C" sat quietly, taking it all in, then he raised his glass, smiled and said to all gathered, "This could be the start of something big."
Love you, "C".
ENT>ARTIST>Clemons, Clarence
ENT>ARTIST>Springsteen, Bruce
OBITUARY>Clemons, Clarence
◆ 松本龍(前復興相)のCDコレクション
2011年7月7日 音楽◆松本龍(前復興相)のCDコレクション
【Matsumoto Ryu’s CD Collection】
趣味。
昨日のブログ(下記参照)で松本龍前復興相が辞任を決めた店のことなどを書いた。そこに彼がインタヴューを受けたときのリンクを貼っておいたが、その記事の一番下に、CDの入ったダンボールが映っていた。
(写真)
で、これをよく見ると、ソウル、ジャズなどクロっぽいものばかり。そのことを写真リンクを貼ってツイートしたら、意外にもいろいろな反響が出たので、ちょっと書いてしまおう。
ジャケットの背から見えるだけでも、アース・ウィンド&ファイアー、オーティス・レディング、マーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」、マイルス・デイヴィスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」「オン・ザ・コーナー」、ビル・ウィザース、スピナーズ、スティーヴィー・ワンダー(「心の詩」「ファースト・フィナーレ」)、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、ハービー・ハンコック(「ヘッドハンターズ」)、デニース・ウィリアムス(「ディス・イズ・ニーシー」)、カーティス・メイフィールド(「アンソロジー」)、アイザック・ヘイズ、キャンディ・ステイトン、スタックス50周年、スライ&ファミリー・ストーン(「フレッシュ」)、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ(「キャッチ・ア・ファイアー」)、アル・グリーン、ドナルド・バードなどがある。
これは、2010年4月に公開されたインタヴュー記事の写真なので、その時点でたぶん事務所に置いてあったCDなのだろう。封が切られていない輸入盤がかなり多いが、きっと、自宅にはもっとたくさんのCDやレコードがあるにちがいない。なんで封が切られてないのかな。忙しくて聴くヒマなどないのだろうか。
そういうわけで、九州出身B型短気還暦者の音楽遍歴に興味を持った。記者会見でフィービ・スノウのこともでていたが、普通の人からすればかなりの音楽好き、それも黒い音寄りのものが好きと見受けられる。
ツイートへの反響は、おおむね「ものすごい嫌な奴だが、親近感がわく」、「趣味が同じで驚いた」といったトーンだが、そんな中、渡辺祐さんのツイートに膝を打った。
「趣味が一緒でも、その人を理解できるかどうかは別というオトナの悩みですよ、コレは」(@MakeItFunky)
確かにそうだよなあ。(笑) オトナの悩み。
ほかにも、
「反吐が出る程嫌なオヤジと思った心が揺れる。」 (@luna5884さん)
「人は様々な面を持っていて表面(特にマスコミやTwitter)だけ捉えて評価してはいけないですね。僕もこれ見た時に親近感が湧きました。」(@YS140182さん)
「あかん、好感度があがってしまう」(@tenngaichiさん)
まあ、あの偉そうな御仁が意外な音楽趣味をもっていて、好感度が上がったとすれば、これも幅広い意味で「音楽の力」ということですね。
キング・ハーヴェストでばったり会ったら、ちょっと話をしてみたいですね。(笑)
■関連記事
2011年07月06日(水)
松本龍(前・復興相)が辞任を決めた店「キング・ハーヴェスト」
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110706.html
+++++
フィービ。
あと、同じく、記者会見で触れられたフィービ・スノウの件も音楽ファンの間でちょっとした話題に。
カズオ・イシグロの著作「ネヴァー・レット・ミー・ゴー」と、フィービ・スノウの「ネヴァー・レッティング・ゴー」という曲のことを言ったのではないかと推測されている。
詞の一部。「紳士のように立ち去ることもできるが、君を守るために戦う。君を簡単にあきらめることなんてできっこない」 君が大臣の座かも。ソニーの白木さんのブログでそのことに触れられていた。どなたかが、君は被災地の人々の可能性もある、と書いておられたが、さあ、どうでしょうねえ。
奇しくも、フィービのアルバム4点が追悼盤として8月に紙ジャケットで発売されるそう。
ソニーが仕込んだプロモーションだったら、すごいですね。(笑) な、わけはない。っていうか、プラス・プロモーションになるか、下手したら、マイナス・プロモーションになってしまうかもしれない。(笑) でも、松本龍が記者会見で話したフィービ・スノウというのが、話題になるのだから、それはそれでよしということだろうか。
■ソニーの白木さんブログ。フィービについて
2011-07-05
【追悼企画】 フィービ・スノウ 紙ジャケット・コレクション
http://ameblo.jp/high-hopes/entry-10944356705.html#main
■フィービ・スノウ Never Letting Go (輸入盤)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000025AO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
同上紙ジャケット(2011年8月3日発売)Never Letting Go 邦題 薔薇の香り (邦題と原題がかけ離れているので注意が必要です)奇しくも8月にフィービ作品がいくつか紙ジャケででます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0052PN7MG/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ESSAY>Matsumoto Ryu, Snow, Phoebe
【Matsumoto Ryu’s CD Collection】
趣味。
昨日のブログ(下記参照)で松本龍前復興相が辞任を決めた店のことなどを書いた。そこに彼がインタヴューを受けたときのリンクを貼っておいたが、その記事の一番下に、CDの入ったダンボールが映っていた。
(写真)
で、これをよく見ると、ソウル、ジャズなどクロっぽいものばかり。そのことを写真リンクを貼ってツイートしたら、意外にもいろいろな反響が出たので、ちょっと書いてしまおう。
ジャケットの背から見えるだけでも、アース・ウィンド&ファイアー、オーティス・レディング、マーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」、マイルス・デイヴィスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」「オン・ザ・コーナー」、ビル・ウィザース、スピナーズ、スティーヴィー・ワンダー(「心の詩」「ファースト・フィナーレ」)、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、ハービー・ハンコック(「ヘッドハンターズ」)、デニース・ウィリアムス(「ディス・イズ・ニーシー」)、カーティス・メイフィールド(「アンソロジー」)、アイザック・ヘイズ、キャンディ・ステイトン、スタックス50周年、スライ&ファミリー・ストーン(「フレッシュ」)、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ(「キャッチ・ア・ファイアー」)、アル・グリーン、ドナルド・バードなどがある。
これは、2010年4月に公開されたインタヴュー記事の写真なので、その時点でたぶん事務所に置いてあったCDなのだろう。封が切られていない輸入盤がかなり多いが、きっと、自宅にはもっとたくさんのCDやレコードがあるにちがいない。なんで封が切られてないのかな。忙しくて聴くヒマなどないのだろうか。
そういうわけで、九州出身B型短気還暦者の音楽遍歴に興味を持った。記者会見でフィービ・スノウのこともでていたが、普通の人からすればかなりの音楽好き、それも黒い音寄りのものが好きと見受けられる。
ツイートへの反響は、おおむね「ものすごい嫌な奴だが、親近感がわく」、「趣味が同じで驚いた」といったトーンだが、そんな中、渡辺祐さんのツイートに膝を打った。
「趣味が一緒でも、その人を理解できるかどうかは別というオトナの悩みですよ、コレは」(@MakeItFunky)
確かにそうだよなあ。(笑) オトナの悩み。
ほかにも、
「反吐が出る程嫌なオヤジと思った心が揺れる。」 (@luna5884さん)
「人は様々な面を持っていて表面(特にマスコミやTwitter)だけ捉えて評価してはいけないですね。僕もこれ見た時に親近感が湧きました。」(@YS140182さん)
「あかん、好感度があがってしまう」(@tenngaichiさん)
まあ、あの偉そうな御仁が意外な音楽趣味をもっていて、好感度が上がったとすれば、これも幅広い意味で「音楽の力」ということですね。
キング・ハーヴェストでばったり会ったら、ちょっと話をしてみたいですね。(笑)
■関連記事
2011年07月06日(水)
松本龍(前・復興相)が辞任を決めた店「キング・ハーヴェスト」
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110706.html
+++++
フィービ。
あと、同じく、記者会見で触れられたフィービ・スノウの件も音楽ファンの間でちょっとした話題に。
カズオ・イシグロの著作「ネヴァー・レット・ミー・ゴー」と、フィービ・スノウの「ネヴァー・レッティング・ゴー」という曲のことを言ったのではないかと推測されている。
詞の一部。「紳士のように立ち去ることもできるが、君を守るために戦う。君を簡単にあきらめることなんてできっこない」 君が大臣の座かも。ソニーの白木さんのブログでそのことに触れられていた。どなたかが、君は被災地の人々の可能性もある、と書いておられたが、さあ、どうでしょうねえ。
奇しくも、フィービのアルバム4点が追悼盤として8月に紙ジャケットで発売されるそう。
ソニーが仕込んだプロモーションだったら、すごいですね。(笑) な、わけはない。っていうか、プラス・プロモーションになるか、下手したら、マイナス・プロモーションになってしまうかもしれない。(笑) でも、松本龍が記者会見で話したフィービ・スノウというのが、話題になるのだから、それはそれでよしということだろうか。
■ソニーの白木さんブログ。フィービについて
2011-07-05
【追悼企画】 フィービ・スノウ 紙ジャケット・コレクション
http://ameblo.jp/high-hopes/entry-10944356705.html#main
■フィービ・スノウ Never Letting Go (輸入盤)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000025AO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
同上紙ジャケット(2011年8月3日発売)Never Letting Go 邦題 薔薇の香り (邦題と原題がかけ離れているので注意が必要です)奇しくも8月にフィービ作品がいくつか紙ジャケででます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0052PN7MG/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ESSAY>Matsumoto Ryu, Snow, Phoebe
◆ 松本龍(前・復興相)が辞任を決めた店「キング・ハーヴェスト」
2011年7月6日 音楽◆松本龍(前・復興相)が辞任を決めた店「キング・ハーヴェスト」
【Red Card For Matsumoto Ryu】
辞任。
ほんの1週間前までその名前さえ知らなかった松本龍が、キックオフ→ノーサイド→レッドカードとなり、いちやくその存在を全国区にした。もう本当に突っ込みどころ満載の宮城県知事との会談映像だが、さすがに世論の風を感じたか、一気に辞任。その一連の流れを見ていてあまりのくだらなさにあきれるのも通り越していたが、なんと、その辞任前日、それを決めた夜にいたのが、赤坂のソウル・ジャズの店「キング・ハーヴェスト」だっということがわかり、にわかに個人的に注目のニュースになった。
下記に会見全文。僕はこれを見て、「キング・ハーヴェスト」のことを知った。万一同名の店だったらまずいので、さっそく平野さんのキング・ハーヴェストに確認の電話をいれたら、「昨日、来てました」とのこと。そこで、ブログに書くことにした。
「キング・ハーヴェスト」は以前に何度かこのブログでも触れたが、元CBSソニー、エピックの平野さんが2002年に開いたレストラン。当初はアフリカ出身のトニーさんがおいしい料理を作っていた。今はトニーさんはいないが美味しい料理はかわらない。平野さんは、一時期マーチン(鈴木雅之)さんの担当もしていたので、マーチンさんなどとも何度か足を運んでいる。ソウル・バーめぐりをするときの起点だったりもする。この松本事件を機に、キング・ハーヴェスト人気が高まればいいと思う。応援します。
さて、松本龍の宮城県知事との会談で疑問に思うところ。
1)そもそも大臣のほうが宮城県知事より偉いのか。
やはり、国務が地方行政よりも上に来るのか。ところで、松本龍・前大臣(1951年生まれ)は福岡で12万票程度の集票。(前回衆院選) 村井・宮城県知事(元自衛隊、1960年生まれ)は64万票以上の集票(前回知事選)。数字が全てではないが、12万票が60万票を見下ろすというのがおもしろい。国の大臣が地方の長より偉いのか。偉いのかな。誰か教えてください。
2)そもそも大臣は客なのか。
客人を待たせるのは無礼かもしれないが、そもそも大臣が客なのか。知事も言っていた通り、お互いイーヴンの立場ではないか。どっちが客というより、ビジネス・パートナー的立ち位置ではないのだろうか。両方で手をあわせて、復興しようということではないのか。
3)なぜあんな偉そうな口をきくのか
これは、九州出身だから、B型だからというのはまったく関係ない。この松本という人間の人間性の問題に尽きる。育ちと言ってもいい。たぶん、自分が大臣ということで、「偉いもの」と勘違いしているのだろう。こういう人間には政治家は大衆のための「公僕」であるというマインドはまったくないに違いない。
4)オフレコ問題
「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか? 皆さん。絶対書いたらその社は終わりだから」 そもそもオフレコというのを、こんなにたくさんの報道陣がいる前で言うというのもおかしい。それに、オフレコというのは、先に宣言して言うものではないか。しかも、今の最後の言葉がどれを指すのか不明。長幼の序のことだろうか。あるいは、客が来るときは先に入ってろ、のあたりか。それよりも、あの一連発言のどこをオフレコにしなければならないのか。オフレコにする理由は何か。何かやましいところがあったからオフレコにしたかったのではないか。
5)「長幼の序」問題
この人は長幼の序の意味を少し取り違えてるようだ。あの場での使い方をみると、自衛隊などを例にしているので目上のものを尊重しろということを言いたいらしい。半分はあっているのだろうが、辞書などによると「年長者と年少者との間にある秩序。子供は大人を敬い、大人は子供を慈しむというあり方」とある。「物事をするのにあたって、年長者と年少者の間に一定の順序がある」ともある。となると、年下の知事は、先に年上の自分が来るのを待ってろ、ということか。もし、知事が年上で、大臣が年下だったら、どうなるのだろう。
6)宋文洲さんのツイートが興味深かった
宋さんの一連のツイートが現実的で面白い。「別に松本を擁護するわけではないが、この日本には、あんな無礼なおじさんはいくらでもいる。ここ(日本)で成功するためには、そうした連中ともうまく付き合わなければならない」といった趣旨のツイートを連投。いくつかその宋さんのツイートから。
「日本で成功したいならば、まず日本人を理解することだ。日本で仕事したいならばまず年寄りと偉い人に礼儀を尽くすことだ。日本人の癖にそれが知らないならば、終わっている。」(2011年7月5日10:53:45)
「松本さんくらいの態度でびっくりしたり、怒ったりしている人は、殆ど日本社会の深部に入れていない人だろう。権力や富や地位に近付こうとするならば、こんなおじさんがゴロゴロして毎日平常心で礼儀を尽くしてパスするものだ。前進のみだ。」(2011年7月5日10:59:20)
「ソフトバンク孫さんが生き延び発展できたのは徹底的に権力を持つおじい様に「礼儀」を尽くした。堀江さんはなぜダメか。未だにそれを知らないからだ。三木谷さんがお二人の間だ」(2011年7月5日10:18:56)
松本龍の後任は、平野達男という人になった。松本が辞任を決めた店が平野さんの店、その後任が平野さんという人。なにかおもしろい。
■キング・ハーヴェスト~松本龍が辞任を決めた店
住所東京都港区赤坂6丁目3-8 高松ビルB1F
電話03-5545-4758
アクセス東京メトロ千代田線赤坂駅6番出口より徒歩で4分
営業時間月~金・土 18:00~01:00
■関連記事、リンク
松本龍インタヴュー。そこのプロフィール、お気に入りの店でキング・ハーヴェストの名前も。インタヴューの一番したにおそらく事務所のダンボールなどに入ったCDの束の写真。みんなソウル系。
http://www.the-journal.jp/contents/politician/mb/32_1.html
キング・ハーヴェスト(グルナヴィ)
http://bar-navi.suntory.co.jp/shop/0355454758/index.html
松本龍、会見全文。最後にキング・ハーヴェストの名前がでてくる
http://www.asahi.com/politics/update/0705/TKY201107050213.html
不愉快極まりない松本龍動画。なんと3日以降120万回以上の再生。
http://youtu.be/VtUqWdbjnTk
ESSAY>Matsumoto, Ryu
【Red Card For Matsumoto Ryu】
辞任。
ほんの1週間前までその名前さえ知らなかった松本龍が、キックオフ→ノーサイド→レッドカードとなり、いちやくその存在を全国区にした。もう本当に突っ込みどころ満載の宮城県知事との会談映像だが、さすがに世論の風を感じたか、一気に辞任。その一連の流れを見ていてあまりのくだらなさにあきれるのも通り越していたが、なんと、その辞任前日、それを決めた夜にいたのが、赤坂のソウル・ジャズの店「キング・ハーヴェスト」だっということがわかり、にわかに個人的に注目のニュースになった。
下記に会見全文。僕はこれを見て、「キング・ハーヴェスト」のことを知った。万一同名の店だったらまずいので、さっそく平野さんのキング・ハーヴェストに確認の電話をいれたら、「昨日、来てました」とのこと。そこで、ブログに書くことにした。
「キング・ハーヴェスト」は以前に何度かこのブログでも触れたが、元CBSソニー、エピックの平野さんが2002年に開いたレストラン。当初はアフリカ出身のトニーさんがおいしい料理を作っていた。今はトニーさんはいないが美味しい料理はかわらない。平野さんは、一時期マーチン(鈴木雅之)さんの担当もしていたので、マーチンさんなどとも何度か足を運んでいる。ソウル・バーめぐりをするときの起点だったりもする。この松本事件を機に、キング・ハーヴェスト人気が高まればいいと思う。応援します。
さて、松本龍の宮城県知事との会談で疑問に思うところ。
1)そもそも大臣のほうが宮城県知事より偉いのか。
やはり、国務が地方行政よりも上に来るのか。ところで、松本龍・前大臣(1951年生まれ)は福岡で12万票程度の集票。(前回衆院選) 村井・宮城県知事(元自衛隊、1960年生まれ)は64万票以上の集票(前回知事選)。数字が全てではないが、12万票が60万票を見下ろすというのがおもしろい。国の大臣が地方の長より偉いのか。偉いのかな。誰か教えてください。
2)そもそも大臣は客なのか。
客人を待たせるのは無礼かもしれないが、そもそも大臣が客なのか。知事も言っていた通り、お互いイーヴンの立場ではないか。どっちが客というより、ビジネス・パートナー的立ち位置ではないのだろうか。両方で手をあわせて、復興しようということではないのか。
3)なぜあんな偉そうな口をきくのか
これは、九州出身だから、B型だからというのはまったく関係ない。この松本という人間の人間性の問題に尽きる。育ちと言ってもいい。たぶん、自分が大臣ということで、「偉いもの」と勘違いしているのだろう。こういう人間には政治家は大衆のための「公僕」であるというマインドはまったくないに違いない。
4)オフレコ問題
「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか? 皆さん。絶対書いたらその社は終わりだから」 そもそもオフレコというのを、こんなにたくさんの報道陣がいる前で言うというのもおかしい。それに、オフレコというのは、先に宣言して言うものではないか。しかも、今の最後の言葉がどれを指すのか不明。長幼の序のことだろうか。あるいは、客が来るときは先に入ってろ、のあたりか。それよりも、あの一連発言のどこをオフレコにしなければならないのか。オフレコにする理由は何か。何かやましいところがあったからオフレコにしたかったのではないか。
5)「長幼の序」問題
この人は長幼の序の意味を少し取り違えてるようだ。あの場での使い方をみると、自衛隊などを例にしているので目上のものを尊重しろということを言いたいらしい。半分はあっているのだろうが、辞書などによると「年長者と年少者との間にある秩序。子供は大人を敬い、大人は子供を慈しむというあり方」とある。「物事をするのにあたって、年長者と年少者の間に一定の順序がある」ともある。となると、年下の知事は、先に年上の自分が来るのを待ってろ、ということか。もし、知事が年上で、大臣が年下だったら、どうなるのだろう。
6)宋文洲さんのツイートが興味深かった
宋さんの一連のツイートが現実的で面白い。「別に松本を擁護するわけではないが、この日本には、あんな無礼なおじさんはいくらでもいる。ここ(日本)で成功するためには、そうした連中ともうまく付き合わなければならない」といった趣旨のツイートを連投。いくつかその宋さんのツイートから。
「日本で成功したいならば、まず日本人を理解することだ。日本で仕事したいならばまず年寄りと偉い人に礼儀を尽くすことだ。日本人の癖にそれが知らないならば、終わっている。」(2011年7月5日10:53:45)
「松本さんくらいの態度でびっくりしたり、怒ったりしている人は、殆ど日本社会の深部に入れていない人だろう。権力や富や地位に近付こうとするならば、こんなおじさんがゴロゴロして毎日平常心で礼儀を尽くしてパスするものだ。前進のみだ。」(2011年7月5日10:59:20)
「ソフトバンク孫さんが生き延び発展できたのは徹底的に権力を持つおじい様に「礼儀」を尽くした。堀江さんはなぜダメか。未だにそれを知らないからだ。三木谷さんがお二人の間だ」(2011年7月5日10:18:56)
松本龍の後任は、平野達男という人になった。松本が辞任を決めた店が平野さんの店、その後任が平野さんという人。なにかおもしろい。
■キング・ハーヴェスト~松本龍が辞任を決めた店
住所東京都港区赤坂6丁目3-8 高松ビルB1F
電話03-5545-4758
アクセス東京メトロ千代田線赤坂駅6番出口より徒歩で4分
営業時間月~金・土 18:00~01:00
■関連記事、リンク
松本龍インタヴュー。そこのプロフィール、お気に入りの店でキング・ハーヴェストの名前も。インタヴューの一番したにおそらく事務所のダンボールなどに入ったCDの束の写真。みんなソウル系。
http://www.the-journal.jp/contents/politician/mb/32_1.html
キング・ハーヴェスト(グルナヴィ)
http://bar-navi.suntory.co.jp/shop/0355454758/index.html
松本龍、会見全文。最後にキング・ハーヴェストの名前がでてくる
http://www.asahi.com/politics/update/0705/TKY201107050213.html
不愉快極まりない松本龍動画。なんと3日以降120万回以上の再生。
http://youtu.be/VtUqWdbjnTk
ESSAY>Matsumoto, Ryu
★カリンバ奏者、ケヴィン・スピアーズ語る
2011年7月5日 音楽★カリンバ奏者、ケヴィン・スピアーズ語る
【Kevin Spears Talks】
カリンバ。
カリンバ。アフリカの楽器だ。日本では指ピアノなどとも紹介される。だいたい15くらいの鍵盤が付いていて、それを両手で持ちながら、指ではじいて音を出す。ただこの鍵盤の数も別に決まっているわけではないそう。形状も決まりはない。よって、さまざまな種類のカリンバがある。オルゴールの原形・起源とも言われる。しかも、名前もアフリカの場所によって様々に呼ばれる。ンビラ、ンビラ・ニュンガ、カリンバ、マリンバ、オケメなどなど。
このサウンドを広く世界に紹介したのは、アース・ウィンド&ファイアーのリーダー、モーリス・ホワイトだ。彼が1970年代初期から自身のグループのレコーディングの中で積極的にこの楽器を使い、一気に広まった。とは言うものの、楽器自体が珍しいこと、演奏家が少ないことなどから、だれもかしこもやって大ブームということにはならなかった。しかし、それでも、徐々にアフリカ音楽をプレイする以外のアーティストたちにも浸透していった。
僕など、アースのサウンドをもっとも際立たせている楽器が、カリンバだと感じているので、カリンバの音が流れるだけで、アース! と条件反射で思ってしまう。
さて、そのカリンバを巧みに操るのがプロのカリンバ奏者、ケヴィン・スピアーズだ。先日、少し話を聞いた。
彼がそもそもカリンバに興味を持ったのは、彼の姉が大のアース・ウィンド&ファイアー好きだったからだ。姉がアースのアルバムを持っていて、それを聴いているうちに、モーリスが持っていたカリンバという楽器に興味を持った。1974年のこと、彼が10歳頃のことだった。アルバムは、『オープン・ユア・アイズ(邦題、太陽の化身)』(1974年3月リリース)だった。この中ジャケに各メンバーの写真がそれぞれあり、モーリスがカリンバを持って映っていた。
これは、オリジナルのアルバムの中に入っているLPレコードをいれる中ジャケットの写真のことで、今リリースされているCDにはその写真は入っていない。モーリスは、さまざまなタイプの打楽器を置いて、写真に映っている。カリンバもいくつかの種類を見せている。この写真が、いわば、ケヴィンのその後の人生を変えた。
ケヴィンは、1964年8月27日ケンタッキー州レキシトン生まれ。15年ほど前からアトランタ在住。11歳の誕生日(1975年)に、母親に「洋服も何もいらないから、カリンバを誕生日プレゼントにほしい」とねだり、買ってもらってから、毎日のようにカリンバで遊びようになった。彼によると、ケンタッキーというのは本当に畑くらいしかなく、何もない田舎の土地なので、カリンバにはかなり集中して練習したという。
ケンタッキーというと、たしか、モハメド・アリがケンタッキー生まれではなかったか、とケヴィンに言うと「おおっ、そうだ。アリはルイヴィル。僕はレキシントンという街だ。そこから車で1時間くらいのところだよ。よく知ってるな。(笑) ケンタッキー出身の人は、何もない田舎だから、けっこう隠したがるものなんだよ」と笑った。
おそらく、30ドルくらいで母親が買ってくれたのだろう。しかし、教則本もなければ、コーチもいなかったので、すべて独学。ひたすらアースのレコードを聴いて、どんな風に鳴っているかを耳で覚え、勉強していった、という。
そして、20代になると、少しずつプロとしての仕事が入ってくるようになり、1996年ごろ、アトランタに本拠を移し、多くのアーティストとかかわるようになった。
これまでに、ヴィクター・ウーテン、ブルース・ハンプトン、エリック・ベネイ、アレステッド・デヴェロップメント、ビル・サマーズなどと共演。プロのカリンバ奏者として知名度を上げている。
ステージでは、ループ・ステーションというその場で音を録音したものを、再生し、それにあわせてさらにプレイしたものを聴かせ、録音を重ねる機材を使い、おもしろいことを聴かせる。ケヴィンによれば、ここ4年ほど、このループ・ステーションを使っている、という。ただし、「プリ・レコード(事前に録音した音源)は、使わない主義だ」という。
ケヴィンのループ・ステーションを使ったパフォーマンス例
http://www.youtube.com/watch?v=e3BBAG1i5uw&feature=player_embedded
カリンバをプレイする人はやはりそれほど多くはないらしい。これまでに、カリンバを弾いていたら、ワイルドな動物が近づいてきたこともあるそうだ。
また、最近、彼は複数のカリンバをプレイすることもある。彼はカリンバをベースやロック風ギター、ヴォコーダーっぽく演奏してみたい、と考えている。そして、かつて、レス・ポールやジミ・ヘンドリックス、ハービー・ハンコックらがそれぞれの楽器で新たなサウンドをクリエイトしたように、このカリンバで新しい音、演奏方法などを生み出したいと思っている。
■「ジャズ・ファンク・アフリカ」のライヴは2011年7月9日(土)赤レンガ倉庫で
詳細↓
http://www.jfafesta.com/
横浜公演
【日時】2011年7月9日(土)
【場所】横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール
【開場】15:00
【演奏】1st: 16:00~17:30 / 2nd: 18:30~20:00 (入替無し)
【ワークショップ】カリンバ、コラ、アフリカンドラム
【物販コーナー】
☆アフリカのハープ「コラ」の展示販売。最高峰のToumani Diabate工房製
☆マリの「泥染め」衣装 ☆西アフリカの「パーニュ」布の衣装、小物
☆コンゴの木工芸品、美しい砂絵、愛らしい子供服
☆東アフリカの布「カンガ」。美しい柄にスワヒリ語の諺などの文字がプリントされており、女性がその気分に合った文字のプリントされたカンガを身に纏い、意思表示としても使われます。
【入場料】 前売¥3500(ペア¥6000) 当日¥4000(ペア¥7000)
(何れも小学生以下無料)
※ご入場は受付番号順です。ご入金確認後受付番号をメールでお送り致します。
【お申込方法】
Jazz Funk Africa!公式ホームページの『ご案内・ご予約/Ticket』(下記URL)にあるお申込フォームをご利用下さい。
http://www.jfafesta.com/ticket001.html
【問合せ先】jazz.african@gmail.com
http://youtu.be/mNsG2W7Z_d0
カリンバ・マジックのサイト(英語)
http://kalimbamagic.com/index.php
同サイトに掲載されているケヴィン・スピアーズのインタヴュー
http://kalimbamagic.com/newsletters/newsletter5.09/interview.shtml
アース・ウィンド&ファイアー 『太陽の化身』(ここにそのなも「カリンバ・ストーリー」という作品が収録されています
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002J54M8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■カリンバ 17000円もするものから8弦の2100円のものまで
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004I8U0SW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0041FFZ3C/soulsearchiho-22/ref=nosim/
+++++
ENT>MUSIC>ARTIST>Spears, Kevin
【Kevin Spears Talks】
カリンバ。
カリンバ。アフリカの楽器だ。日本では指ピアノなどとも紹介される。だいたい15くらいの鍵盤が付いていて、それを両手で持ちながら、指ではじいて音を出す。ただこの鍵盤の数も別に決まっているわけではないそう。形状も決まりはない。よって、さまざまな種類のカリンバがある。オルゴールの原形・起源とも言われる。しかも、名前もアフリカの場所によって様々に呼ばれる。ンビラ、ンビラ・ニュンガ、カリンバ、マリンバ、オケメなどなど。
このサウンドを広く世界に紹介したのは、アース・ウィンド&ファイアーのリーダー、モーリス・ホワイトだ。彼が1970年代初期から自身のグループのレコーディングの中で積極的にこの楽器を使い、一気に広まった。とは言うものの、楽器自体が珍しいこと、演奏家が少ないことなどから、だれもかしこもやって大ブームということにはならなかった。しかし、それでも、徐々にアフリカ音楽をプレイする以外のアーティストたちにも浸透していった。
僕など、アースのサウンドをもっとも際立たせている楽器が、カリンバだと感じているので、カリンバの音が流れるだけで、アース! と条件反射で思ってしまう。
さて、そのカリンバを巧みに操るのがプロのカリンバ奏者、ケヴィン・スピアーズだ。先日、少し話を聞いた。
彼がそもそもカリンバに興味を持ったのは、彼の姉が大のアース・ウィンド&ファイアー好きだったからだ。姉がアースのアルバムを持っていて、それを聴いているうちに、モーリスが持っていたカリンバという楽器に興味を持った。1974年のこと、彼が10歳頃のことだった。アルバムは、『オープン・ユア・アイズ(邦題、太陽の化身)』(1974年3月リリース)だった。この中ジャケに各メンバーの写真がそれぞれあり、モーリスがカリンバを持って映っていた。
これは、オリジナルのアルバムの中に入っているLPレコードをいれる中ジャケットの写真のことで、今リリースされているCDにはその写真は入っていない。モーリスは、さまざまなタイプの打楽器を置いて、写真に映っている。カリンバもいくつかの種類を見せている。この写真が、いわば、ケヴィンのその後の人生を変えた。
ケヴィンは、1964年8月27日ケンタッキー州レキシトン生まれ。15年ほど前からアトランタ在住。11歳の誕生日(1975年)に、母親に「洋服も何もいらないから、カリンバを誕生日プレゼントにほしい」とねだり、買ってもらってから、毎日のようにカリンバで遊びようになった。彼によると、ケンタッキーというのは本当に畑くらいしかなく、何もない田舎の土地なので、カリンバにはかなり集中して練習したという。
ケンタッキーというと、たしか、モハメド・アリがケンタッキー生まれではなかったか、とケヴィンに言うと「おおっ、そうだ。アリはルイヴィル。僕はレキシントンという街だ。そこから車で1時間くらいのところだよ。よく知ってるな。(笑) ケンタッキー出身の人は、何もない田舎だから、けっこう隠したがるものなんだよ」と笑った。
おそらく、30ドルくらいで母親が買ってくれたのだろう。しかし、教則本もなければ、コーチもいなかったので、すべて独学。ひたすらアースのレコードを聴いて、どんな風に鳴っているかを耳で覚え、勉強していった、という。
そして、20代になると、少しずつプロとしての仕事が入ってくるようになり、1996年ごろ、アトランタに本拠を移し、多くのアーティストとかかわるようになった。
これまでに、ヴィクター・ウーテン、ブルース・ハンプトン、エリック・ベネイ、アレステッド・デヴェロップメント、ビル・サマーズなどと共演。プロのカリンバ奏者として知名度を上げている。
ステージでは、ループ・ステーションというその場で音を録音したものを、再生し、それにあわせてさらにプレイしたものを聴かせ、録音を重ねる機材を使い、おもしろいことを聴かせる。ケヴィンによれば、ここ4年ほど、このループ・ステーションを使っている、という。ただし、「プリ・レコード(事前に録音した音源)は、使わない主義だ」という。
ケヴィンのループ・ステーションを使ったパフォーマンス例
http://www.youtube.com/watch?v=e3BBAG1i5uw&feature=player_embedded
カリンバをプレイする人はやはりそれほど多くはないらしい。これまでに、カリンバを弾いていたら、ワイルドな動物が近づいてきたこともあるそうだ。
また、最近、彼は複数のカリンバをプレイすることもある。彼はカリンバをベースやロック風ギター、ヴォコーダーっぽく演奏してみたい、と考えている。そして、かつて、レス・ポールやジミ・ヘンドリックス、ハービー・ハンコックらがそれぞれの楽器で新たなサウンドをクリエイトしたように、このカリンバで新しい音、演奏方法などを生み出したいと思っている。
■「ジャズ・ファンク・アフリカ」のライヴは2011年7月9日(土)赤レンガ倉庫で
詳細↓
http://www.jfafesta.com/
横浜公演
【日時】2011年7月9日(土)
【場所】横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール
【開場】15:00
【演奏】1st: 16:00~17:30 / 2nd: 18:30~20:00 (入替無し)
【ワークショップ】カリンバ、コラ、アフリカンドラム
【物販コーナー】
☆アフリカのハープ「コラ」の展示販売。最高峰のToumani Diabate工房製
☆マリの「泥染め」衣装 ☆西アフリカの「パーニュ」布の衣装、小物
☆コンゴの木工芸品、美しい砂絵、愛らしい子供服
☆東アフリカの布「カンガ」。美しい柄にスワヒリ語の諺などの文字がプリントされており、女性がその気分に合った文字のプリントされたカンガを身に纏い、意思表示としても使われます。
【入場料】 前売¥3500(ペア¥6000) 当日¥4000(ペア¥7000)
(何れも小学生以下無料)
※ご入場は受付番号順です。ご入金確認後受付番号をメールでお送り致します。
【お申込方法】
Jazz Funk Africa!公式ホームページの『ご案内・ご予約/Ticket』(下記URL)にあるお申込フォームをご利用下さい。
http://www.jfafesta.com/ticket001.html
【問合せ先】jazz.african@gmail.com
http://youtu.be/mNsG2W7Z_d0
カリンバ・マジックのサイト(英語)
http://kalimbamagic.com/index.php
同サイトに掲載されているケヴィン・スピアーズのインタヴュー
http://kalimbamagic.com/newsletters/newsletter5.09/interview.shtml
アース・ウィンド&ファイアー 『太陽の化身』(ここにそのなも「カリンバ・ストーリー」という作品が収録されています
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002J54M8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■カリンバ 17000円もするものから8弦の2100円のものまで
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004I8U0SW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0041FFZ3C/soulsearchiho-22/ref=nosim/
+++++
ENT>MUSIC>ARTIST>Spears, Kevin
●レイモンド・ジョーンズ52歳で死去
2011年7月4日 音楽●レイモンド・ジョーンズ52歳で死去
【Raymond Jones Dies At 52】
訃報。
ニューヨークを本拠に活躍していたキーボード奏者、アレンジャー、プロデューサー、作曲家、レイモンド・ジョーンズが2011年7月1日頃、現在住居を置いているアトランタで死去した。52歳だった。(当初ニューヨークで死去とツイッターなどでお知らせしましたが、アトランタだったので訂正します)
レイモンドは、1958年12月13日ニューヨーク生まれ。1970年代初期にナイル・ロジャーズ、バーナード・エドワーズらが結成したシックのキーボードとして参加。その後、ニューヨークのライヴ、スタジオ・シーンで活躍した。
これまでに参加したセッションは、シック関連以外でドナ・アレン、利さ・フィッシャー、ランディー・ホール、デビー・ハリー、ノナ・ヘンドリックス、マイルス・ジェイ、ジョイス・ケネディー、パティー・ラベル、ビル・ラズウェル、マテリアル、ステファニー・ミルズ、ジェフリー・オズボーン(「ステイ・ウィズ・ミー・トゥナイト」)、トム・トム・クラブ、ホイットニー・ヒューストン(「サムワン・フォー・ミー」)など多数。
また、映画でも活躍し、スパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライト・シング』のスコア、サウンドトラック、『ゲット・オン・ザ・バス』、あるいは、『メテオマン』、などにもかかわった。
1997年、レイモンドは、インディからアルバム『アクツ・オブ・ラヴ』をリリースしている。その後1997年7月から1998年3月までフォックステレビの『キーナン・アイヴォリー・ウェイアンズ・ショー』の音楽ディレクターに就任。その後、1999年、2作目『ネイキッド・ソウル』をリリース。2001年『インティメート』をリリース。その後2004年にピアノ・ソロ『ソー・アメージング』、2007年『ヒルサイド・ストーリーズ』をリリースした。
ナイル・ロジャーズをはじめ、仲間のミュージシャンたちが次々と追悼のメッセージを、レイモンドのフェイスブックなどに書いている。ナイルは自身のブログ(2011年7月3日付け)で綴っている。
ナイルに、レイモンドのキーボードでもっとも印象的なものは何かと尋ねたら、「もっとも重要な楽曲は、シックの『グッド・タイムス』のフェンダーローズだ」と教えてくれた。そこで、昨日の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」でも、「グッド・タイムス」をかけてレイモンドを追悼した。
ナイルは、ブラジルから帰国したその日、ニューヨークに到着して携帯電話を見たところ、レイモンドの死を知って衝撃を受けたという。
ご冥福をお祈りします。
ジェフリー・オズボーン「ステイ・ウィズ・ミー」
キーボードの細い方がレイモンド。この曲はレイモンドも作曲に名を連ねている
Jeffrey osborne - stay with me tonight 投稿者 mickeynold
レイモンドのウェッブ
http://www.uegmusic.com/main.htm
http://radiofacts.com/2011/07/02/musician-raymond-jones-has-died/
レイモンドのウェッブ
http://www.uegmusic.com/main.htm
Donna Allen Heaven on EarthProducer
Adele BerteiBuild me a bridge (1979)Co-writer
Chic C’est Chic (1978)Keyboards
Chic Risque (1979)Keyboards
Chic Real People (1980)Keyboards
Chic Take It Off (1981)Keyboards
Chic Dance Dance Dance: Best of Chic (1991)Keyboards, Fender Rhodes
Lisa Fischer So Intense (1991)Piano, Producer, Synthesizer Bass
Randy Hall Love You Like a StrangerGuitar
Debbie Harry Kookoo (1981)Keyboards
Nona Hendryx Skin Diver (1989)Piano
Nona Hendryx Transformation: The Best of Nona... (1999)Keyboards
Homeboy Project Brother (1990)Keyboards, Programming, Producer, Engineer, Drum Programming
Miles Jaye Miles (1987)Synthesizer, Programming, Producer, Drum Programming
France Joli Witch of LoveAssociate producer, writer, keyboards
Joyce Kennedy Wanna Play Your Game (1985)Keyboards
Patti Labelle Be Yourself (1989)Keyboards, Producer
Bill Laswell Deconstruction: Celluloid... (1993)Synthesizer, Piano (Electric)
Branford Marsalis Music from Mo Better Blues (1990)Producer, Adaptation
Material One Down (1982)Piano, Piano (Electric)
Material Best of Material [Charly] (1999)Piano (Electric)
Lonette McKee Natural Love (1992)Vocals (bckgr)
Stephanie Mills Greatest Hits: 1985 to 1993 (1996)Associate Producer
Stephanie Mills 20th Century Masters - The... (2000)Producer
Jeffrey Osborne Stay with Me Tonight (1983)Synthesizer, Piano
Perri Tradewinds (1990)Keyboards, Producer, Engineer, Drum Programming
Vivian Reed Ready and WaitingArranger
Diana Ross Diana (1980)Keyboards
Sylvia Saint James Magic (1981)Keyboards
Sister Sledge Love Somebody Today (1980)Keyboards
Sister Sledge We Are Family [Deluxe Edition] (1995)Keyboards, Piano (Electric)
State of ArtCommunity (1992)Keyboards, producer
State of Emergency Society in Crisis, Vol. 1 (1994)Vocals (bckgr)
Tom Tom Club Close to the Bone (1983)
Norma Jean Norma Jean (1978)
Original Score Do the Right Thing [Score] (1988)Producer
Original Soundtrack Do the Right Thing [Soundtrack] (1988)Keyboards, Producer, Drum Programming, Rhythm Arrangements, Keyboard Programming, Production
Original Soundtrack Meteor Man (1993)Keyboards, Programming, Producer, Engineer, Mixing
Original Soundtrack Clockers [Original Soundtrack] (1995)Arranger, Producer
Original Soundtrack Get on the Bus (1996)Piano, Drums, Keyboards, Producer, Engineer, Drum Programming
Various Artists Celluloid Funk (1998)Keyboards
COMPOSITIONS APPEAR ON
Donna Allen Heaven on Earth
Baha Men Kalik
Homeboy Project Brother
Whitney Houston Whitney Houston
Miles Jaye Miles
ShyheimShaolin Style
Patti Labelle Be Yourself
Stephanie Mills Greatest Hits: 1985 to 199 / Power of Love: A Ballads Collection
Jeffrey Osborne Stay with Me Tonight
Perri Tradewinds
Original Soundtrack Clockers [Original Soundtrack] / Get on the Bus /School Daze/Mo Better Blues/Do the Right Thing
OBITUARY>Jones, Raymond (December 13, 1958 – July 1st, 2011, 52 Years Old)
【Raymond Jones Dies At 52】
訃報。
ニューヨークを本拠に活躍していたキーボード奏者、アレンジャー、プロデューサー、作曲家、レイモンド・ジョーンズが2011年7月1日頃、現在住居を置いているアトランタで死去した。52歳だった。(当初ニューヨークで死去とツイッターなどでお知らせしましたが、アトランタだったので訂正します)
レイモンドは、1958年12月13日ニューヨーク生まれ。1970年代初期にナイル・ロジャーズ、バーナード・エドワーズらが結成したシックのキーボードとして参加。その後、ニューヨークのライヴ、スタジオ・シーンで活躍した。
これまでに参加したセッションは、シック関連以外でドナ・アレン、利さ・フィッシャー、ランディー・ホール、デビー・ハリー、ノナ・ヘンドリックス、マイルス・ジェイ、ジョイス・ケネディー、パティー・ラベル、ビル・ラズウェル、マテリアル、ステファニー・ミルズ、ジェフリー・オズボーン(「ステイ・ウィズ・ミー・トゥナイト」)、トム・トム・クラブ、ホイットニー・ヒューストン(「サムワン・フォー・ミー」)など多数。
また、映画でも活躍し、スパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライト・シング』のスコア、サウンドトラック、『ゲット・オン・ザ・バス』、あるいは、『メテオマン』、などにもかかわった。
1997年、レイモンドは、インディからアルバム『アクツ・オブ・ラヴ』をリリースしている。その後1997年7月から1998年3月までフォックステレビの『キーナン・アイヴォリー・ウェイアンズ・ショー』の音楽ディレクターに就任。その後、1999年、2作目『ネイキッド・ソウル』をリリース。2001年『インティメート』をリリース。その後2004年にピアノ・ソロ『ソー・アメージング』、2007年『ヒルサイド・ストーリーズ』をリリースした。
ナイル・ロジャーズをはじめ、仲間のミュージシャンたちが次々と追悼のメッセージを、レイモンドのフェイスブックなどに書いている。ナイルは自身のブログ(2011年7月3日付け)で綴っている。
ナイルに、レイモンドのキーボードでもっとも印象的なものは何かと尋ねたら、「もっとも重要な楽曲は、シックの『グッド・タイムス』のフェンダーローズだ」と教えてくれた。そこで、昨日の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」でも、「グッド・タイムス」をかけてレイモンドを追悼した。
ナイルは、ブラジルから帰国したその日、ニューヨークに到着して携帯電話を見たところ、レイモンドの死を知って衝撃を受けたという。
ご冥福をお祈りします。
ジェフリー・オズボーン「ステイ・ウィズ・ミー」
キーボードの細い方がレイモンド。この曲はレイモンドも作曲に名を連ねている
Jeffrey osborne - stay with me tonight 投稿者 mickeynold
レイモンドのウェッブ
http://www.uegmusic.com/main.htm
http://radiofacts.com/2011/07/02/musician-raymond-jones-has-died/
レイモンドのウェッブ
http://www.uegmusic.com/main.htm
Donna Allen Heaven on EarthProducer
Adele BerteiBuild me a bridge (1979)Co-writer
Chic C’est Chic (1978)Keyboards
Chic Risque (1979)Keyboards
Chic Real People (1980)Keyboards
Chic Take It Off (1981)Keyboards
Chic Dance Dance Dance: Best of Chic (1991)Keyboards, Fender Rhodes
Lisa Fischer So Intense (1991)Piano, Producer, Synthesizer Bass
Randy Hall Love You Like a StrangerGuitar
Debbie Harry Kookoo (1981)Keyboards
Nona Hendryx Skin Diver (1989)Piano
Nona Hendryx Transformation: The Best of Nona... (1999)Keyboards
Homeboy Project Brother (1990)Keyboards, Programming, Producer, Engineer, Drum Programming
Miles Jaye Miles (1987)Synthesizer, Programming, Producer, Drum Programming
France Joli Witch of LoveAssociate producer, writer, keyboards
Joyce Kennedy Wanna Play Your Game (1985)Keyboards
Patti Labelle Be Yourself (1989)Keyboards, Producer
Bill Laswell Deconstruction: Celluloid... (1993)Synthesizer, Piano (Electric)
Branford Marsalis Music from Mo Better Blues (1990)Producer, Adaptation
Material One Down (1982)Piano, Piano (Electric)
Material Best of Material [Charly] (1999)Piano (Electric)
Lonette McKee Natural Love (1992)Vocals (bckgr)
Stephanie Mills Greatest Hits: 1985 to 1993 (1996)Associate Producer
Stephanie Mills 20th Century Masters - The... (2000)Producer
Jeffrey Osborne Stay with Me Tonight (1983)Synthesizer, Piano
Perri Tradewinds (1990)Keyboards, Producer, Engineer, Drum Programming
Vivian Reed Ready and WaitingArranger
Diana Ross Diana (1980)Keyboards
Sylvia Saint James Magic (1981)Keyboards
Sister Sledge Love Somebody Today (1980)Keyboards
Sister Sledge We Are Family [Deluxe Edition] (1995)Keyboards, Piano (Electric)
State of ArtCommunity (1992)Keyboards, producer
State of Emergency Society in Crisis, Vol. 1 (1994)Vocals (bckgr)
Tom Tom Club Close to the Bone (1983)
Norma Jean Norma Jean (1978)
Original Score Do the Right Thing [Score] (1988)Producer
Original Soundtrack Do the Right Thing [Soundtrack] (1988)Keyboards, Producer, Drum Programming, Rhythm Arrangements, Keyboard Programming, Production
Original Soundtrack Meteor Man (1993)Keyboards, Programming, Producer, Engineer, Mixing
Original Soundtrack Clockers [Original Soundtrack] (1995)Arranger, Producer
Original Soundtrack Get on the Bus (1996)Piano, Drums, Keyboards, Producer, Engineer, Drum Programming
Various Artists Celluloid Funk (1998)Keyboards
COMPOSITIONS APPEAR ON
Donna Allen Heaven on Earth
Baha Men Kalik
Homeboy Project Brother
Whitney Houston Whitney Houston
Miles Jaye Miles
ShyheimShaolin Style
Patti Labelle Be Yourself
Stephanie Mills Greatest Hits: 1985 to 199 / Power of Love: A Ballads Collection
Jeffrey Osborne Stay with Me Tonight
Perri Tradewinds
Original Soundtrack Clockers [Original Soundtrack] / Get on the Bus /School Daze/Mo Better Blues/Do the Right Thing
OBITUARY>Jones, Raymond (December 13, 1958 – July 1st, 2011, 52 Years Old)
◎ アース・トリビュート~アフリカン・リズムの輝き
2011年7月3日 音楽◎アース・トリビュート~アフリカン・リズムの輝き
【Jazz Funk Africa: Sparkles Of Rhythm】
輝き。
ベースの坂本竜太さんが仕切り、ジェイ・スティックスやアフリカのミュージシャンを集めて「アース・ウィンド&ファイアー」のトリビュートをやるというので、ブルース・アレイに参上。
そうしたら、このアフリカン・リズムの素晴らしさに完璧にノックアウトさせられた。まあ、アースに釣られて行ったのだが、アフリカに釣られた感じだ。
ちょっと遅れて行ったので、ファーストの「ブラジリアン・ライム」から。二人のアフリカン・ブラザーたちのパーカッションの強烈さにびっくり。パーカッションひとつだけで、リズムに生を与え、音楽に息吹を与えるなんて、本当にすごい。コンゴ出身のBBモフラン、タブー・ンゴンゴ、ジャン・ポール・センセイ、セネガル出身のママドゥ・ロー、アブドゥ・バイファル、トリニダッド出身のトニー・グッピー(スティール・パン)らが集まり、強烈なリズム隊を作り上げていた。なんで彼らはただ物を叩くだけなのに、高揚感が生まれるのだろうか。まさに輝きのリズム、リズムの輝き。
僕はアースのトリビュートということで見に来たのだが、本当のライヴの趣旨はアフリカ音楽を聴かせることだった。これはこれで大変嬉しい誤算だった。僕はこういうドラムスとかパーカッションの肉感的なリズム・サウンドが大好きだからだ。『ドラムライン』や『ノイズ&ファンク』はもちろんのこと、日本の和太鼓ものでさえ食指が動く。
下記セットリスト・セカンドの3曲目にあたるチーム・セネガルのインプロヴィーゼーションのところは、後半ママドゥーの強烈なアフリカン・ダンスまで見せてくれた。こういうのは実に上がる。客席にいた、おそらく友人なのだろう。アフリカ系の人が日本語で「すげー」と連発していたのが、めちゃおもしろかった。
また、トニーのスティール・パンの音色が実に素晴らしい。2日前のライヴ、「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」ではスティール・パンの音をシンセサイザーで代用したが、本物の音は美しい。
第二部最後はアース曲3連発となったが、さすがにめちゃくちゃ盛り上がる。そして、もう一点おもしろいのが、メンバーのコミカルな日本語のトーク。サンコンさんやボビー・オロコンさんのようなアフリカ人特有の日本語でのトークが、受ける。
鬱(うつ)。
これを主催した平山さんによると、スティーヴィー・ワンダーの傑作『キー・オブ・ライフ』(1976年10月リリース)を後年聴いて、そこに入っている「Ngiculela(I Am Singing)」(ンギクレラ=アイ・アム・シンギング)という曲、特にそのサウンドにノックアウトさせられたのがそもそものきっかけだという。その音というのがアフリカの楽器コラのサウンドを、スティーヴィーがシンセサイザーで真似て作ったものだ。そこから平山さんはその楽器コラ、はてはアフリカの音楽をサーチンするようになり、いろいろなことを知るうちにアフリカの文化に傾注し、さまざまなアフリカ系のライヴに通うようになり、2009年12月、知己を得たアフリカのミュージシャンたち(みな、日本在住)に声をかけ、横浜の赤レンガ倉庫でライヴを行った。
実はその平山さんは、最後あいさつでステージにあがったが、その中で、自分は鬱だったが、アフリカの音楽に触れて鬱が治ったと証言した。
このライヴ、イヴェントのコンセプトは、あらゆる音楽の起源は結局アフリカに行き着く。そのアフリカの音楽を多くの人に紹介したいということ。2009年12月のライヴは内容的には好評を博したが、興行的には大赤字で終わったそうだ。しかし、アフリカ音楽への熱い情熱は衰えることなく、2年間個人で貯めた資金でまた同様の企画を再演することになった。その一環で、1年半ぶりに横浜赤レンガ倉庫でのライヴ、さらにブルース・アレイでのライヴを行った。
「アフリカそのものだとなかなかお客さんが来てくれないのでアースのトリビュートという形にしました。アースの音楽にもカリンバがあったり、ピラミッドがでてきたり、グループのアフリカへの志向は大変強いものがあり、アースのアフリカ的魅力からこのイヴェントに足を運んでもらえれば嬉しいです」と平山さんは言う。
また、ブルース・アレイでのライヴはアース寄りだが、横浜のライヴはよりアフリカ寄りになる、という。
今回、バンドマスターとしていろいろ仕切った坂本さんに聞くと、「みんな楽譜読めないから、音源渡して、覚えてもらった。リハも大変だった」と言う。それにしては、アース楽曲のアレンジはレコード音源とまったく違っていて、ひじょうに個性的でおもしろかった。ファンキー・ベースマンでおなじみの坂本さんも、このアフリカのリズム隊になんら違和感なくなじんでいたのが、これまたすごい。(笑)
平山さんは言う。「アース・ウィンド&ファイアーや、マイケル・ジャクソンの『チェンジ』のメッセージ、スティーヴィー・ワンダーの強いメッセージは、音楽というものの中に、すべてがあるからだと思います。アフリカでの音楽というものは、会話であり、史実の伝承であり、ときには病気治癒としても何千年も前から使われてきました。興味深いことにそうした文化の中には、ほとんど文字がなかったんです。アフリカ人には書く習慣がなかったのです。だからこそ音楽が重要だった」
そうした生活感あふれるアフリカの音楽がアメリカに来て、アースやスティーヴィー、マイケルの音楽のDNAの中に組み込まれた。だからそのメッセージは強いというわけだ。そこで、そのルーツ的な意味も持ったアフリカの音楽を紹介したいという思いがこのイヴェントに込められている。
■今日の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」(午後2時半~、インターFM76.1mhz)で、このライヴ音源を使用してご紹介します。
関東地区の方は、パソコン通してラジコで聞けます。
http://radiko.jp/player/player.html#INT
■平山さんの人生を変えたスティーヴィー・ワンダーの「Ngiculela - Es Una Historia - I am Singing」
http://youtu.be/FIJzT5BtmQE
■「ジャズ・ファンク・アフリカ」のライヴは2011年7月9日(土)赤レンガ倉庫で
詳細↓
http://www.jfafesta.com/
横浜公演
【日時】2011年7月9日(土)
【場所】横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール
【開場】15:00
【演奏】1st: 16:00~17:30 / 2nd: 18:30~20:00 (入替無し)
【ワークショップ】カリンバ、コラ、アフリカンドラム
【物販コーナー】
☆アフリカのハープ「コラ」の展示販売。最高峰のToumani Diabate工房製
☆マリの「泥染め」衣装 ☆西アフリカの「パーニュ」布の衣装、小物
☆コンゴの木工芸品、美しい砂絵、愛らしい子供服
☆東アフリカの布「カンガ」。美しい柄にスワヒリ語の諺などの文字がプリントされており、女性がその気分に合った文字のプリントされたカンガを身に纏い、意思表示としても使われます。
【入場料】 前売¥3500(ペア¥6000) 当日¥4000(ペア¥7000)
(何れも小学生以下無料)
※ご入場は受付番号順です。ご入金確認後受付番号をメールでお送り致します。
【お申込方法】
Jazz Funk Africa!公式ホームページの『ご案内・ご予約/Ticket』(下記URL)にあるお申込フォームをご利用下さい。
http://www.jfafesta.com/ticket001.html
【問合せ先】jazz.african@gmail.com
【出演アーチスト】
B.B.モフラン (key, perc, vo) from RDCongo
http://www.myspace.com/bbmofranc
Tabu Ngongo タブー・ンゴンゴ(as, perc, vo) from RDCongo http://www.myspace.com/tabungongomusic
Mamadou Doumbia ママドゥ・ドゥンビア(kora) from Mali http://mamadoujpn.web.fc2.com/index.html
Mamadou Lo ママドゥ・ロー(perc, vo) from Senegal
http://www.mamadoulo.net/
Abdou Bayefall アブドゥ・バイファル(Sabar Dance) from Senegal
http://bayefall-lj.blogspot.com/
Tony Guppy トニー・グッピー(steel pan) from Trinidad and Tobago http://tonyguppy.com/homejp.htm
Jean Paul Sensey ジャン・ポール・センセイ(gt, ba, perc, vo) from RDCongo http://www.myspace.com/546271435
Davie Joseph Daudi デヴィ・ジョセフ・ダウディ(gt, ba, perc, vo) from Tanzania
LaouLaou Bangoura (ラウラウ・バングーラ)(perc) from Ginea
Kevn Spears ケヴィン・スピアーズ( Kalimba, perc, vo) from USA http://www.myspace.com/kevinspears
SEBENE Jazz African Company from Japan
JunJun from Japan
他
【主催】わーるどのーとmusic
【協力】横浜赤レンガ倉庫1号館(公益財団法人 横浜市芸術文化振興財団)
【協賛】(財)International Women’s Club Japan、(株)道祖神、(株)セブン銀行、 (株)レゾワゾ、(有)アフリカンスクエアー、ポレポレオフィス、 マデリーフ&カニールス、Sheepdog Global Project、Doudou & Mimi’s Art、 konkoina
【後援】コンゴ民主共和国大使館、タンザニア大使館、マダガスカル大使館、 マリ共和国大使館、エチオピア大使館 他
■メンバー (7月1日ブルース・アレイ分)
“Jazz Funk Africa!”~グルーヴミュージックから音楽の源流へ~
Tribute to Earth Wind&Fire
(B)坂本竜太 (Ds)Jay Stixx (Key/Per/Vo)B.B.Mo-franck
(Sax/Per/Vo)Tabu Ngongo (G/Per/Vo)Jean Paul Sensey
(Per)Mamadou Lo (Dance/Per)Abdou Bayefall (Steel Pan)Tony Guppy
(Key)高瀬順 and (Kalimba) Kevin Spears
「FIRE HORNS」 (Tp)湯本淳希 (Sax)近藤淳也 (Tb)半田信英
■ セットリスト:
Setlist
01.Bambala
02.Fatouyo
03.Salia
04.Bango Wanna (B.B’s original)
05.Sesse Sengola
06.Kalimba Story
07.Brazilian Rhyme
08.In The Stone
Performance ended 20:55
2nd set
performance started 21:21
01.Kevin Solo Improvisation
02.Kevin Solo Improvisation
03.Team Senegal Improvisation
04.Summertime
05.Hoochie Coochie Man
06.Got My Mojo Working
07.Sing A Song
08.Let’s Groove
Encore September
Show ended 22:28
(2011年7月1日金曜、目黒ブルース・アレイ、Jazz Funk Africa~Tribute To Earth Wind&Fireライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE> Jazz Funk Africa~Tribute To Earth Wind&Fire
2011-
【Jazz Funk Africa: Sparkles Of Rhythm】
輝き。
ベースの坂本竜太さんが仕切り、ジェイ・スティックスやアフリカのミュージシャンを集めて「アース・ウィンド&ファイアー」のトリビュートをやるというので、ブルース・アレイに参上。
そうしたら、このアフリカン・リズムの素晴らしさに完璧にノックアウトさせられた。まあ、アースに釣られて行ったのだが、アフリカに釣られた感じだ。
ちょっと遅れて行ったので、ファーストの「ブラジリアン・ライム」から。二人のアフリカン・ブラザーたちのパーカッションの強烈さにびっくり。パーカッションひとつだけで、リズムに生を与え、音楽に息吹を与えるなんて、本当にすごい。コンゴ出身のBBモフラン、タブー・ンゴンゴ、ジャン・ポール・センセイ、セネガル出身のママドゥ・ロー、アブドゥ・バイファル、トリニダッド出身のトニー・グッピー(スティール・パン)らが集まり、強烈なリズム隊を作り上げていた。なんで彼らはただ物を叩くだけなのに、高揚感が生まれるのだろうか。まさに輝きのリズム、リズムの輝き。
僕はアースのトリビュートということで見に来たのだが、本当のライヴの趣旨はアフリカ音楽を聴かせることだった。これはこれで大変嬉しい誤算だった。僕はこういうドラムスとかパーカッションの肉感的なリズム・サウンドが大好きだからだ。『ドラムライン』や『ノイズ&ファンク』はもちろんのこと、日本の和太鼓ものでさえ食指が動く。
下記セットリスト・セカンドの3曲目にあたるチーム・セネガルのインプロヴィーゼーションのところは、後半ママドゥーの強烈なアフリカン・ダンスまで見せてくれた。こういうのは実に上がる。客席にいた、おそらく友人なのだろう。アフリカ系の人が日本語で「すげー」と連発していたのが、めちゃおもしろかった。
また、トニーのスティール・パンの音色が実に素晴らしい。2日前のライヴ、「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」ではスティール・パンの音をシンセサイザーで代用したが、本物の音は美しい。
第二部最後はアース曲3連発となったが、さすがにめちゃくちゃ盛り上がる。そして、もう一点おもしろいのが、メンバーのコミカルな日本語のトーク。サンコンさんやボビー・オロコンさんのようなアフリカ人特有の日本語でのトークが、受ける。
鬱(うつ)。
これを主催した平山さんによると、スティーヴィー・ワンダーの傑作『キー・オブ・ライフ』(1976年10月リリース)を後年聴いて、そこに入っている「Ngiculela(I Am Singing)」(ンギクレラ=アイ・アム・シンギング)という曲、特にそのサウンドにノックアウトさせられたのがそもそものきっかけだという。その音というのがアフリカの楽器コラのサウンドを、スティーヴィーがシンセサイザーで真似て作ったものだ。そこから平山さんはその楽器コラ、はてはアフリカの音楽をサーチンするようになり、いろいろなことを知るうちにアフリカの文化に傾注し、さまざまなアフリカ系のライヴに通うようになり、2009年12月、知己を得たアフリカのミュージシャンたち(みな、日本在住)に声をかけ、横浜の赤レンガ倉庫でライヴを行った。
実はその平山さんは、最後あいさつでステージにあがったが、その中で、自分は鬱だったが、アフリカの音楽に触れて鬱が治ったと証言した。
このライヴ、イヴェントのコンセプトは、あらゆる音楽の起源は結局アフリカに行き着く。そのアフリカの音楽を多くの人に紹介したいということ。2009年12月のライヴは内容的には好評を博したが、興行的には大赤字で終わったそうだ。しかし、アフリカ音楽への熱い情熱は衰えることなく、2年間個人で貯めた資金でまた同様の企画を再演することになった。その一環で、1年半ぶりに横浜赤レンガ倉庫でのライヴ、さらにブルース・アレイでのライヴを行った。
「アフリカそのものだとなかなかお客さんが来てくれないのでアースのトリビュートという形にしました。アースの音楽にもカリンバがあったり、ピラミッドがでてきたり、グループのアフリカへの志向は大変強いものがあり、アースのアフリカ的魅力からこのイヴェントに足を運んでもらえれば嬉しいです」と平山さんは言う。
また、ブルース・アレイでのライヴはアース寄りだが、横浜のライヴはよりアフリカ寄りになる、という。
今回、バンドマスターとしていろいろ仕切った坂本さんに聞くと、「みんな楽譜読めないから、音源渡して、覚えてもらった。リハも大変だった」と言う。それにしては、アース楽曲のアレンジはレコード音源とまったく違っていて、ひじょうに個性的でおもしろかった。ファンキー・ベースマンでおなじみの坂本さんも、このアフリカのリズム隊になんら違和感なくなじんでいたのが、これまたすごい。(笑)
平山さんは言う。「アース・ウィンド&ファイアーや、マイケル・ジャクソンの『チェンジ』のメッセージ、スティーヴィー・ワンダーの強いメッセージは、音楽というものの中に、すべてがあるからだと思います。アフリカでの音楽というものは、会話であり、史実の伝承であり、ときには病気治癒としても何千年も前から使われてきました。興味深いことにそうした文化の中には、ほとんど文字がなかったんです。アフリカ人には書く習慣がなかったのです。だからこそ音楽が重要だった」
そうした生活感あふれるアフリカの音楽がアメリカに来て、アースやスティーヴィー、マイケルの音楽のDNAの中に組み込まれた。だからそのメッセージは強いというわけだ。そこで、そのルーツ的な意味も持ったアフリカの音楽を紹介したいという思いがこのイヴェントに込められている。
■今日の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」(午後2時半~、インターFM76.1mhz)で、このライヴ音源を使用してご紹介します。
関東地区の方は、パソコン通してラジコで聞けます。
http://radiko.jp/player/player.html#INT
■平山さんの人生を変えたスティーヴィー・ワンダーの「Ngiculela - Es Una Historia - I am Singing」
http://youtu.be/FIJzT5BtmQE
■「ジャズ・ファンク・アフリカ」のライヴは2011年7月9日(土)赤レンガ倉庫で
詳細↓
http://www.jfafesta.com/
横浜公演
【日時】2011年7月9日(土)
【場所】横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール
【開場】15:00
【演奏】1st: 16:00~17:30 / 2nd: 18:30~20:00 (入替無し)
【ワークショップ】カリンバ、コラ、アフリカンドラム
【物販コーナー】
☆アフリカのハープ「コラ」の展示販売。最高峰のToumani Diabate工房製
☆マリの「泥染め」衣装 ☆西アフリカの「パーニュ」布の衣装、小物
☆コンゴの木工芸品、美しい砂絵、愛らしい子供服
☆東アフリカの布「カンガ」。美しい柄にスワヒリ語の諺などの文字がプリントされており、女性がその気分に合った文字のプリントされたカンガを身に纏い、意思表示としても使われます。
【入場料】 前売¥3500(ペア¥6000) 当日¥4000(ペア¥7000)
(何れも小学生以下無料)
※ご入場は受付番号順です。ご入金確認後受付番号をメールでお送り致します。
【お申込方法】
Jazz Funk Africa!公式ホームページの『ご案内・ご予約/Ticket』(下記URL)にあるお申込フォームをご利用下さい。
http://www.jfafesta.com/ticket001.html
【問合せ先】jazz.african@gmail.com
【出演アーチスト】
B.B.モフラン (key, perc, vo) from RDCongo
http://www.myspace.com/bbmofranc
Tabu Ngongo タブー・ンゴンゴ(as, perc, vo) from RDCongo http://www.myspace.com/tabungongomusic
Mamadou Doumbia ママドゥ・ドゥンビア(kora) from Mali http://mamadoujpn.web.fc2.com/index.html
Mamadou Lo ママドゥ・ロー(perc, vo) from Senegal
http://www.mamadoulo.net/
Abdou Bayefall アブドゥ・バイファル(Sabar Dance) from Senegal
http://bayefall-lj.blogspot.com/
Tony Guppy トニー・グッピー(steel pan) from Trinidad and Tobago http://tonyguppy.com/homejp.htm
Jean Paul Sensey ジャン・ポール・センセイ(gt, ba, perc, vo) from RDCongo http://www.myspace.com/546271435
Davie Joseph Daudi デヴィ・ジョセフ・ダウディ(gt, ba, perc, vo) from Tanzania
LaouLaou Bangoura (ラウラウ・バングーラ)(perc) from Ginea
Kevn Spears ケヴィン・スピアーズ( Kalimba, perc, vo) from USA http://www.myspace.com/kevinspears
SEBENE Jazz African Company from Japan
JunJun from Japan
他
【主催】わーるどのーとmusic
【協力】横浜赤レンガ倉庫1号館(公益財団法人 横浜市芸術文化振興財団)
【協賛】(財)International Women’s Club Japan、(株)道祖神、(株)セブン銀行、 (株)レゾワゾ、(有)アフリカンスクエアー、ポレポレオフィス、 マデリーフ&カニールス、Sheepdog Global Project、Doudou & Mimi’s Art、 konkoina
【後援】コンゴ民主共和国大使館、タンザニア大使館、マダガスカル大使館、 マリ共和国大使館、エチオピア大使館 他
■メンバー (7月1日ブルース・アレイ分)
“Jazz Funk Africa!”~グルーヴミュージックから音楽の源流へ~
Tribute to Earth Wind&Fire
(B)坂本竜太 (Ds)Jay Stixx (Key/Per/Vo)B.B.Mo-franck
(Sax/Per/Vo)Tabu Ngongo (G/Per/Vo)Jean Paul Sensey
(Per)Mamadou Lo (Dance/Per)Abdou Bayefall (Steel Pan)Tony Guppy
(Key)高瀬順 and (Kalimba) Kevin Spears
「FIRE HORNS」 (Tp)湯本淳希 (Sax)近藤淳也 (Tb)半田信英
■ セットリスト:
Setlist
01.Bambala
02.Fatouyo
03.Salia
04.Bango Wanna (B.B’s original)
05.Sesse Sengola
06.Kalimba Story
07.Brazilian Rhyme
08.In The Stone
Performance ended 20:55
2nd set
performance started 21:21
01.Kevin Solo Improvisation
02.Kevin Solo Improvisation
03.Team Senegal Improvisation
04.Summertime
05.Hoochie Coochie Man
06.Got My Mojo Working
07.Sing A Song
08.Let’s Groove
Encore September
Show ended 22:28
(2011年7月1日金曜、目黒ブルース・アレイ、Jazz Funk Africa~Tribute To Earth Wind&Fireライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE> Jazz Funk Africa~Tribute To Earth Wind&Fire
2011-
◎デイヴィッド・キング~マイケル・ジャクソン・トリビュート
2011年7月2日 音楽◎デイヴィッド・キング~マイケル・ジャクソン・トリビュート
【David King Sings Michael Jackson】
マイケル。
日本在住のソウル・シンガー、デイヴィッド・キングが主催したライヴ。今回は昨年6月に引き続き、命日近くに「マイケル・ジャクソン・トリビュート」。
デイヴィッドは宣言。「昨年もここでトリビュートを行った。今年もこうやってやっている。来年もまたやる」
前回の6月のものを見られなかったので、デイヴィッド主催でのマイケルものは初めて。下記記事にある10月の秋谷さんのもので見たことはあった。
デイヴィッドのハイ・ヴォイスがマイケルのものを彷彿とさせる瞬間があり、一瞬、マイケルが蘇る。特にバラード系にその傾向が顕著。
今回はキーボードのキース・へインズが、あらゆるサウンドをシークエンスでプログラミング。これにあわせて、リアル・ミュージシャンが生演奏をする。このプログラミング、キースによると1ヶ月半かかったそうだ。ドラムスのジェイ、ベースのキース・ウィリアムス、ギターのマサ小浜はこの音を聴きながら演奏する。
途中で、マイケルを2度日本に呼んだポジティヴ・プロダクションのブロデリック・モーリスさんが登場し、マイケル来日時に氏が主催したパーティー(2007年3月8日、9日、モーリスさんによる)でデイヴィッドらが歌ったときのことを紹介。デイヴィッドはものすごくマイケルの前で緊張したそうだ。だが、その緊張したデイヴィッドも終演後にはマイケルから写真を撮りたいと言われ、大喜びしたとか。
デイヴィッドは、白い手袋などを用意し万全の体制でステージにのぞむ。可愛かったのが、デイヴィッドの子供、カイ君とマイちゃん。そして、デイヴィッドの親友でしばらく前に死去したカルヴィンの息子タク君たちが、「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」でステージにあがってダンスを見せたところ。ちゃんとリズムにのって踊ってるところがいい。
アンコールでは、デイヴィッドが友人たちをみなステージに上げて「ヒール・ザ・ワールド」を。それにしても、マイケルの曲は、どれを聴いても上がる。そして、バラードはしんみりする。
8月に行われる「ソウル・サーチン:ザ・セッション~マイケル・ジャクソン」でも、デイヴィッド・キングが中心となって歌うので、ぜひお楽しみに。ちなみに、ここでもギターは、マイケル~フィリップ・ウーで2日連続で会ったマサ小浜。
■同様ライヴ、横浜でも開催
場所 レストラン ダンゼロ Danzero
住所 神奈川県横浜市西区みなとみらい1-1-1 パシフィコ展示ホール2F 電話045-633-3563
アクセス http://www.y-subzero.com/danzero/location.html
日時 2011年7月8日(金)19時開場、19時半ディナー、20時半ショー
料金 ディナーコース付き12,000円、ショーのみ4,000円
出演 デイヴィッド・キング&バンド
問い合わせ予約などは 上記ダンゼロへ
■「ソウル・サーチンVol.10~マイケル・ジャクソン」予約はこちら
ついに「ソウル・サーチン」でマイケルをとりあげます。初日予約がかなり満杯に近づいています。立ち見は可能。2日目(月曜)はまだ大丈夫ですが、お早目のご予約をお勧めします。
http://www.bluesalley.co.jp/schedule/live.html
ここで8月28日、あるいは、29日のReservationボタンを押して、指示通りに進んでください。
電話予約の場合は、03-5740-6041(12時~20時)03-5496-4381 (20時以降。店舗直接)
内容の詳細はこちら
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10921788278.html
■ブロデリック・モーリス著『マイケル・ジャクソン リアルカムバック 2006』
マイケル・ジャクソン リアルカムバック 2006 《THE REAL COMEBACK Japan 2006》posted with amazlet at 11.07.01ブロデリック・モーリス きこ書房 売り上げランキング: 210074Amazon.co.jp で詳細を見る
■過去関連記事
2009年06月30日(火)
「タッチ・オブ・エレガンス」~往年のソウル・ショーを現代に蘇らせる
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090630.html
2009年10月06日(火)
マイケル・ジャクソン・トリビュート・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10358177119.html
2010年02月26日(金)
クラッシーなソウル・グループが東京に蘇る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10468195889.html
■メンバー
Michael Jackson’s Memorial Tribute Live 2
(Vo)David King (Ds)Jay Stixx (B)Keith Willamson (Key)Keith Haines
(G)Masa Kohama (Sax/Per/Vo)Pierre Andre
(Cho)Natsumi Takeda、Seiko Sasaki、Shoko Higashionna
Special Guest (Vo) Kai&Taku, Mai,
Broderick Morris
■セットリスト
Setlist: David King @Blues Alley, June 30, 2011
First set
01.Intro
02.Heartbreak Hotel
03.Rock With You
04.Human Nature
05.The Girl Is Mine ~ Say Say Say
06.ABC (Kai on vocal)
07.I’ll Be There (Kai on vocal)
08.I Feel Good (Taku on vocal)
09.Gone Too Soon
10.You Rock My World
11.Shake Your Body (Down To The Ground)
Second set
Show started 21:13
01.Billie Jean
02.Black Or White
03.I Just Can’t Stop Loving You
04.She’s Out Of My Life
~~ A riff of Lady In My Life
05.Working Day & Night
06.Remember The Time
07.The Way You Make Me Feel
08.Thriller
Enc. Heal The World
Ending Man In The Mirror (Instrumental, BGM)
Show ended 22:09
(2011年6月30日木曜、目黒ブルース・アレイ、デイヴィッド・キング・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>King, David
MICHAEL JACKSON>King, David
2011-
【David King Sings Michael Jackson】
マイケル。
日本在住のソウル・シンガー、デイヴィッド・キングが主催したライヴ。今回は昨年6月に引き続き、命日近くに「マイケル・ジャクソン・トリビュート」。
デイヴィッドは宣言。「昨年もここでトリビュートを行った。今年もこうやってやっている。来年もまたやる」
前回の6月のものを見られなかったので、デイヴィッド主催でのマイケルものは初めて。下記記事にある10月の秋谷さんのもので見たことはあった。
デイヴィッドのハイ・ヴォイスがマイケルのものを彷彿とさせる瞬間があり、一瞬、マイケルが蘇る。特にバラード系にその傾向が顕著。
今回はキーボードのキース・へインズが、あらゆるサウンドをシークエンスでプログラミング。これにあわせて、リアル・ミュージシャンが生演奏をする。このプログラミング、キースによると1ヶ月半かかったそうだ。ドラムスのジェイ、ベースのキース・ウィリアムス、ギターのマサ小浜はこの音を聴きながら演奏する。
途中で、マイケルを2度日本に呼んだポジティヴ・プロダクションのブロデリック・モーリスさんが登場し、マイケル来日時に氏が主催したパーティー(2007年3月8日、9日、モーリスさんによる)でデイヴィッドらが歌ったときのことを紹介。デイヴィッドはものすごくマイケルの前で緊張したそうだ。だが、その緊張したデイヴィッドも終演後にはマイケルから写真を撮りたいと言われ、大喜びしたとか。
デイヴィッドは、白い手袋などを用意し万全の体制でステージにのぞむ。可愛かったのが、デイヴィッドの子供、カイ君とマイちゃん。そして、デイヴィッドの親友でしばらく前に死去したカルヴィンの息子タク君たちが、「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」でステージにあがってダンスを見せたところ。ちゃんとリズムにのって踊ってるところがいい。
アンコールでは、デイヴィッドが友人たちをみなステージに上げて「ヒール・ザ・ワールド」を。それにしても、マイケルの曲は、どれを聴いても上がる。そして、バラードはしんみりする。
8月に行われる「ソウル・サーチン:ザ・セッション~マイケル・ジャクソン」でも、デイヴィッド・キングが中心となって歌うので、ぜひお楽しみに。ちなみに、ここでもギターは、マイケル~フィリップ・ウーで2日連続で会ったマサ小浜。
■同様ライヴ、横浜でも開催
場所 レストラン ダンゼロ Danzero
住所 神奈川県横浜市西区みなとみらい1-1-1 パシフィコ展示ホール2F 電話045-633-3563
アクセス http://www.y-subzero.com/danzero/location.html
日時 2011年7月8日(金)19時開場、19時半ディナー、20時半ショー
料金 ディナーコース付き12,000円、ショーのみ4,000円
出演 デイヴィッド・キング&バンド
問い合わせ予約などは 上記ダンゼロへ
■「ソウル・サーチンVol.10~マイケル・ジャクソン」予約はこちら
ついに「ソウル・サーチン」でマイケルをとりあげます。初日予約がかなり満杯に近づいています。立ち見は可能。2日目(月曜)はまだ大丈夫ですが、お早目のご予約をお勧めします。
http://www.bluesalley.co.jp/schedule/live.html
ここで8月28日、あるいは、29日のReservationボタンを押して、指示通りに進んでください。
電話予約の場合は、03-5740-6041(12時~20時)03-5496-4381 (20時以降。店舗直接)
内容の詳細はこちら
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10921788278.html
■ブロデリック・モーリス著『マイケル・ジャクソン リアルカムバック 2006』
マイケル・ジャクソン リアルカムバック 2006 《THE REAL COMEBACK Japan 2006》posted with amazlet at 11.07.01ブロデリック・モーリス きこ書房 売り上げランキング: 210074Amazon.co.jp で詳細を見る
■過去関連記事
2009年06月30日(火)
「タッチ・オブ・エレガンス」~往年のソウル・ショーを現代に蘇らせる
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090630.html
2009年10月06日(火)
マイケル・ジャクソン・トリビュート・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10358177119.html
2010年02月26日(金)
クラッシーなソウル・グループが東京に蘇る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10468195889.html
■メンバー
Michael Jackson’s Memorial Tribute Live 2
(Vo)David King (Ds)Jay Stixx (B)Keith Willamson (Key)Keith Haines
(G)Masa Kohama (Sax/Per/Vo)Pierre Andre
(Cho)Natsumi Takeda、Seiko Sasaki、Shoko Higashionna
Special Guest (Vo) Kai&Taku, Mai,
Broderick Morris
■セットリスト
Setlist: David King @Blues Alley, June 30, 2011
First set
01.Intro
02.Heartbreak Hotel
03.Rock With You
04.Human Nature
05.The Girl Is Mine ~ Say Say Say
06.ABC (Kai on vocal)
07.I’ll Be There (Kai on vocal)
08.I Feel Good (Taku on vocal)
09.Gone Too Soon
10.You Rock My World
11.Shake Your Body (Down To The Ground)
Second set
Show started 21:13
01.Billie Jean
02.Black Or White
03.I Just Can’t Stop Loving You
04.She’s Out Of My Life
~~ A riff of Lady In My Life
05.Working Day & Night
06.Remember The Time
07.The Way You Make Me Feel
08.Thriller
Enc. Heal The World
Ending Man In The Mirror (Instrumental, BGM)
Show ended 22:09
(2011年6月30日木曜、目黒ブルース・アレイ、デイヴィッド・キング・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>King, David
MICHAEL JACKSON>King, David
2011-
◎フィリップ・ウー、自身の40年の歴史を振り返る
2011年7月1日 音楽◎フィリップ・ウー、自身の40年の歴史を振り返る
【Philip Woo Reflects His Own 40 Years】
歴史。
日本をベースに活躍するソウル・キーボード奏者、フィリップ・ウーが自身の音楽活動の歴史を振り返るというライヴを、誕生日に行った。これまでに、フィリップが関係してきたアーティストの作品群を、その思い出話とともにバンドで演奏するという趣旨だ。何年か前に、「フィリップの歴史を振り返るライヴをやって」と言っていたので、それが実現してひじょうに嬉しい。
この日は、一部・二部のセットリストを、「幼少期」「キャリアを始めて」「ピーク」と分け、子供の頃自分がどんな音楽に触れて、キーボードを触りだしたかなどを当時の写真をスクリーンに映しながら、語り、演奏をした。曲解説やアーティストとのエピソードなどがなかなかおもしろく、全部、文字起こししたいくらい。
初めてピアノで曲を覚えて弾いたのがビートルズで聞いた「マネー」。オリジナルはデトロイトのバレット・ストロング。さらにアニマルズ、ラスカルズ、ジミー・マグリフなど、ピアノで覚えた曲を弾き始めた。
そして、1975年、ロイ・エヤーズに誘われニューヨークに本拠を移し、キャリアをスタート。1976年7月全米リリースのロイのアルバム『エヴリバディー・ラヴズ・サンシャイン』で実質的な初レコーディング。以後、ロイのバンド、アシュフォード&シンプソンのバンド、グローヴァー・ワシントンのバンドなどに参加。その他のレコーディングやワンショットでのライヴ・パフォーマンスで多くのアーティストと共演してきた。
ニューヨークにやってきて、アップタウンにあったライヴハウス「ミケルズ」。ここはフィリップのアパートから近かったことからよく顔をだしていた。そこで多くのミュージシャンたちと知り合った、という。
僕も80年代に2-3度行ったことがあるのだが、ひょっとしたらすれ違っていたかもしれない。そうだ、思い出した。ここにわざわざシシー・ヒューストンのライヴを見に行った。ひょっとしたら娘のホイットニーも飛び入りするかななどと思って行ったのだが、ホイットニーは来なかったが、なんとルーサーがいて、飛び入りで歌った。ルーサーのフルショーのライヴは見てないが、飛び入りは見てたことを思い出した。
後半、グローヴァーの話、フィリス・ハイマンの話、シンディ・ローパーの話などなかなかおもしろかった。
今回のバンド、ヴォーカルはブレンダ、タヒーラ、アシュトン。ブレンダは風邪気味で体調が悪かったそうだが、この日はフィリップ誕生日ということで若干無理してやってきたという。そのせいか、いつもほどの元気がなくちょっと心配になった。アシュトンの歌声は、ジェフリー・オズボーンや、メイズ調の曲にとてもあってる気がした。また、タヒーラもひじょうに聴き易いシンガーだった。タヒーラは、「ソウル・サーチン~マイケル・ジャクソン」にも登場する。
そして、本編が終わり、アンコールに戻ってきたフィリップとメンバーは、「みんながなんでメイズの曲をやらないのか」と言われ続けてきたが、今日はやってみよう」と言って、2曲を披露。やはり、この2曲は鉄板だ。すでに観客席も総立ちで、「ジョイ! アンド~~ ペイン!」の掛け声は、いつのまにかコール&レスポンスに。
当たり前だが、曲がすべておなじみの曲ばかりだけに、満員の観客ののりもよく、パート2の期待も膨らむ。
■メンバー:
(Pf/HAMMOND B-3/Fender Rhodes/Key)Philip Woo (G)マサ小浜
(Ds)Jay Stixx (Vo)Brenda Vaughn、Ashton Moore, Tahirih Walker (B)Cliff Archer (Sax) Andy Wolf
■セットリスト:フィリップ・ウー 2011年6月29日水曜
Setlist Philip Woo, June 29, 2011, At Blues Alley Meguro
1st
show started 19:44
~~Childhood~~
01.Money (That’s What I Want) [Barrett Strong, Beatles]
02.Don’t Let Me Be Misunderstood [Animals]
03.Groovin’ [Rascals]
04.Brown Bread [Jimmy McGriff]
05.The Ghetto [Donny Hathaway]
~~Start Career~~
06.Everybody Loves The Sunshine [Roy Ayers]
07.Ain’t No Mountain High Enough [Marvin Gaye & Tammi Terrelle, Ashford & Simpson]
08.Ain’t Nothing A Real Thing [Marvin Gaye & Tammi Terrelle, Ashford & Simpson]
09.I’m Every Woman [Chaka Khan, Ashford & Simpson]
Show ended 20:59
2nd
Show started 21:29
~~Peak~~
01.Mr. Magic [Grover Washington Jr.]
02.Just The Two Of Us [Grover Washington Jr.]
03.Betcha By Golly Wow [Stylistics, Philis Hyman]
04.On & On [Gladys Knight & The Pips]
05.Back In Love Again [LTD, Jeffrey Osborne]
06.True Colors [Cyndi Lauper]
07.Lady Marmalade [LaBelle, Patti LaBelle]
Enc. Joy & Pain [Maze]
Enc. Before I Let Go [Maze]
Show ended 23:14
■フィリップ・ウー本人のページ
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo/
■ フィリップ・ウー関連過去記事 (このほかに「ソウル・サーチン」イヴェントのライヴ評などが膨大な量あります)
2011年05月14日(土)
ドクター・フィリップ・ウー~ブルーノートをファンキー・ジョイントに(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10890040428.html
先月行われた2時間超のブルーノート東京におけるライヴの模様
(2010年)
2010年08月05日(木)
フィリップ・ウー&フレンズ・ライヴ(パート1): 東京ナンバーワン・ソウルフル・ナイト
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10610344511.html
2010年08月06日(金)
フィリップ・ウー&フレンズ・ライヴ(パート2): ケーブルテレビを無料で見る方法
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10610466616.html
(2009年)
2009年10月10日(土)
フィリップ・ウー、メイズについて語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10361274843.html
2009年09月12日(土)
フィリップ・ウー・ライヴ: フィリップとブレンダのマイケル
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10340423746.html
(『ソウル・サーチン』は、日本で一番フィリップ・ウーの記事が読めるウェッブサイトです)
May 02, 2009
フィリップ・ウー・ライヴ(パート1)~東京1ソウルなバンド
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090502.html
(ブルース・アレイ・ライヴ評)
May 05, 2009
フィリップはハモンド・オルガンが大好き
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090505.html
(ブルース・アレイ・ライヴ評)
(2008年)
March 07, 2008
フィリップ・ウー・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080307.html
March 29, 2008
フィリップ・ウー&ブレンダ・ヴォーン@コットン・クラブ
テーマ:ブログ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080329.html
October 11, 2008
フィリップ・ウー・セッション
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081011.html
(2007年以前)
November 10, 2007
Philip Woo With Maxyan: Philip Dedicates Show To His Father
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071110.html
October 02, 2007
Philip Woo Live At Blues Alley
【フィリップ・ウー・ライヴ】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071002.html
June 06, 2007
Philip Woo: A Tribute To Billy Preston Live
【フィリップ・ウー、ビリー・プレストンへ捧げる】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070606.html
June 04, 2007
Philip Woo Promotes His Own Gig
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070604.html
May 24, 2007
Philip Woo’s Billy Preston Tribute Again; Jino’s Funky Gig Will Be On Next Week
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070524.html
May 23, 2007
Philip & Hank, Yuri Kamino : Mind To Mind Communication
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070523.html
April 04, 2007
Philip Woo: Tribute To Billy Preston (Part 1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070404.html
April 05, 2007
Philip Woo: Tribute To Billy Preston (Part 2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070405.html
February 16, 2007
Philip Woo & Friends @ Cha Cha House
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_02_16.html
(ここにさらにフィリップ関連過去記事一覧があります)
ENT>ANNOUNCEMENT>Woo, Philip
ARTIST>Woo, Philip
+++++
.
【Philip Woo Reflects His Own 40 Years】
歴史。
日本をベースに活躍するソウル・キーボード奏者、フィリップ・ウーが自身の音楽活動の歴史を振り返るというライヴを、誕生日に行った。これまでに、フィリップが関係してきたアーティストの作品群を、その思い出話とともにバンドで演奏するという趣旨だ。何年か前に、「フィリップの歴史を振り返るライヴをやって」と言っていたので、それが実現してひじょうに嬉しい。
この日は、一部・二部のセットリストを、「幼少期」「キャリアを始めて」「ピーク」と分け、子供の頃自分がどんな音楽に触れて、キーボードを触りだしたかなどを当時の写真をスクリーンに映しながら、語り、演奏をした。曲解説やアーティストとのエピソードなどがなかなかおもしろく、全部、文字起こししたいくらい。
初めてピアノで曲を覚えて弾いたのがビートルズで聞いた「マネー」。オリジナルはデトロイトのバレット・ストロング。さらにアニマルズ、ラスカルズ、ジミー・マグリフなど、ピアノで覚えた曲を弾き始めた。
そして、1975年、ロイ・エヤーズに誘われニューヨークに本拠を移し、キャリアをスタート。1976年7月全米リリースのロイのアルバム『エヴリバディー・ラヴズ・サンシャイン』で実質的な初レコーディング。以後、ロイのバンド、アシュフォード&シンプソンのバンド、グローヴァー・ワシントンのバンドなどに参加。その他のレコーディングやワンショットでのライヴ・パフォーマンスで多くのアーティストと共演してきた。
ニューヨークにやってきて、アップタウンにあったライヴハウス「ミケルズ」。ここはフィリップのアパートから近かったことからよく顔をだしていた。そこで多くのミュージシャンたちと知り合った、という。
僕も80年代に2-3度行ったことがあるのだが、ひょっとしたらすれ違っていたかもしれない。そうだ、思い出した。ここにわざわざシシー・ヒューストンのライヴを見に行った。ひょっとしたら娘のホイットニーも飛び入りするかななどと思って行ったのだが、ホイットニーは来なかったが、なんとルーサーがいて、飛び入りで歌った。ルーサーのフルショーのライヴは見てないが、飛び入りは見てたことを思い出した。
後半、グローヴァーの話、フィリス・ハイマンの話、シンディ・ローパーの話などなかなかおもしろかった。
今回のバンド、ヴォーカルはブレンダ、タヒーラ、アシュトン。ブレンダは風邪気味で体調が悪かったそうだが、この日はフィリップ誕生日ということで若干無理してやってきたという。そのせいか、いつもほどの元気がなくちょっと心配になった。アシュトンの歌声は、ジェフリー・オズボーンや、メイズ調の曲にとてもあってる気がした。また、タヒーラもひじょうに聴き易いシンガーだった。タヒーラは、「ソウル・サーチン~マイケル・ジャクソン」にも登場する。
そして、本編が終わり、アンコールに戻ってきたフィリップとメンバーは、「みんながなんでメイズの曲をやらないのか」と言われ続けてきたが、今日はやってみよう」と言って、2曲を披露。やはり、この2曲は鉄板だ。すでに観客席も総立ちで、「ジョイ! アンド~~ ペイン!」の掛け声は、いつのまにかコール&レスポンスに。
当たり前だが、曲がすべておなじみの曲ばかりだけに、満員の観客ののりもよく、パート2の期待も膨らむ。
■メンバー:
(Pf/HAMMOND B-3/Fender Rhodes/Key)Philip Woo (G)マサ小浜
(Ds)Jay Stixx (Vo)Brenda Vaughn、Ashton Moore, Tahirih Walker (B)Cliff Archer (Sax) Andy Wolf
■セットリスト:フィリップ・ウー 2011年6月29日水曜
Setlist Philip Woo, June 29, 2011, At Blues Alley Meguro
1st
show started 19:44
~~Childhood~~
01.Money (That’s What I Want) [Barrett Strong, Beatles]
02.Don’t Let Me Be Misunderstood [Animals]
03.Groovin’ [Rascals]
04.Brown Bread [Jimmy McGriff]
05.The Ghetto [Donny Hathaway]
~~Start Career~~
06.Everybody Loves The Sunshine [Roy Ayers]
07.Ain’t No Mountain High Enough [Marvin Gaye & Tammi Terrelle, Ashford & Simpson]
08.Ain’t Nothing A Real Thing [Marvin Gaye & Tammi Terrelle, Ashford & Simpson]
09.I’m Every Woman [Chaka Khan, Ashford & Simpson]
Show ended 20:59
2nd
Show started 21:29
~~Peak~~
01.Mr. Magic [Grover Washington Jr.]
02.Just The Two Of Us [Grover Washington Jr.]
03.Betcha By Golly Wow [Stylistics, Philis Hyman]
04.On & On [Gladys Knight & The Pips]
05.Back In Love Again [LTD, Jeffrey Osborne]
06.True Colors [Cyndi Lauper]
07.Lady Marmalade [LaBelle, Patti LaBelle]
Enc. Joy & Pain [Maze]
Enc. Before I Let Go [Maze]
Show ended 23:14
■フィリップ・ウー本人のページ
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo/
■ フィリップ・ウー関連過去記事 (このほかに「ソウル・サーチン」イヴェントのライヴ評などが膨大な量あります)
2011年05月14日(土)
ドクター・フィリップ・ウー~ブルーノートをファンキー・ジョイントに(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10890040428.html
先月行われた2時間超のブルーノート東京におけるライヴの模様
(2010年)
2010年08月05日(木)
フィリップ・ウー&フレンズ・ライヴ(パート1): 東京ナンバーワン・ソウルフル・ナイト
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10610344511.html
2010年08月06日(金)
フィリップ・ウー&フレンズ・ライヴ(パート2): ケーブルテレビを無料で見る方法
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10610466616.html
(2009年)
2009年10月10日(土)
フィリップ・ウー、メイズについて語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10361274843.html
2009年09月12日(土)
フィリップ・ウー・ライヴ: フィリップとブレンダのマイケル
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10340423746.html
(『ソウル・サーチン』は、日本で一番フィリップ・ウーの記事が読めるウェッブサイトです)
May 02, 2009
フィリップ・ウー・ライヴ(パート1)~東京1ソウルなバンド
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090502.html
(ブルース・アレイ・ライヴ評)
May 05, 2009
フィリップはハモンド・オルガンが大好き
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090505.html
(ブルース・アレイ・ライヴ評)
(2008年)
March 07, 2008
フィリップ・ウー・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080307.html
March 29, 2008
フィリップ・ウー&ブレンダ・ヴォーン@コットン・クラブ
テーマ:ブログ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080329.html
October 11, 2008
フィリップ・ウー・セッション
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081011.html
(2007年以前)
November 10, 2007
Philip Woo With Maxyan: Philip Dedicates Show To His Father
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071110.html
October 02, 2007
Philip Woo Live At Blues Alley
【フィリップ・ウー・ライヴ】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071002.html
June 06, 2007
Philip Woo: A Tribute To Billy Preston Live
【フィリップ・ウー、ビリー・プレストンへ捧げる】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070606.html
June 04, 2007
Philip Woo Promotes His Own Gig
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070604.html
May 24, 2007
Philip Woo’s Billy Preston Tribute Again; Jino’s Funky Gig Will Be On Next Week
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070524.html
May 23, 2007
Philip & Hank, Yuri Kamino : Mind To Mind Communication
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070523.html
April 04, 2007
Philip Woo: Tribute To Billy Preston (Part 1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070404.html
April 05, 2007
Philip Woo: Tribute To Billy Preston (Part 2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070405.html
February 16, 2007
Philip Woo & Friends @ Cha Cha House
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_02_16.html
(ここにさらにフィリップ関連過去記事一覧があります)
ENT>ANNOUNCEMENT>Woo, Philip
ARTIST>Woo, Philip
+++++
.
◆6月最終の週末~今年も半分終了
2011年6月30日 音楽◆6月最終の週末~今年も半分終了
【Busy Week: Half year passed】
猛暑。
しかし、29日(水)、ものすごい暑さだった。30日で、今年も半分終了。なんという速さ。
珍しく6月末が忙しかった。ルーファスのトニー・メイデンが来日して、約1週間、ラジオだ、ライヴだとつきあった。移動時間などにいろいろと話をしたのが溜まっているので、いずれブログにまとめたい。トニーの来日、マイケル・ジャクソンの命日、マリーナ・ショー&デイヴィッドTらの来日、「ソウル・パワー」の原稿、白川会…。なんで、一時期に重なるんだろう。(笑)
22日(水)、昼トニー・メイデン「メットポッド」、映画『あぜ道のダンディ』新宿。夜トニー・メイデン。(ライヴ評アップ済み)
23日(木)、昼ヘアカット、夜エリーシャ・ラヴァーン。(ライヴ評アップ済み)、深夜、東京FMで湯川れい子さんと『ビッグ・スペシャル』でマイケル・ジャクソンの特集を25時から28時まで生放送。あっという間の3時間。冒頭、ちょっとしたハプニングもあったが、生放送ならではの対応。(笑)
24日(金)、昼エリーシャ・ラヴァーン「メットポッド」。カマサミさん、ケイリブらと。夜、第6回白川会。下北沢。光石研さん、プロモーション中の大忙しの中、ご参加。2日前に見て買ったプログラムにサインをもらう。(嬉)
25日(土)、昼六本木ハリウッド・プラザで『湯川れい子、西寺郷太マイケル・ジャクソン・トークショー』観戦。飛び入り。このホールと、建物にびっくり。
26日(日)、『ソウルブレンズ』「ソウル・サーチン」でマリーナ・ショー紹介→調布MJM(マイケル・トーク・ショー)→マリーナ・ショー→岡さんお別れ会(パート2)→白金ダンステリア最終日。
24日~28日にかけて「ソウル・パワー」のパンフ用原稿書き。ほんとは、金曜~日曜で終わらせる予定が、結局火曜までずれこんでしまった。申し訳ない。(→編集者さま) 大作です。ぜひ期待してください。読み応えあります。
28日深夜。たまったナイル・ロジャーズ・ブログ、4本翻訳。
29日(水)、猛暑。夜ブルースアレイでフィリップ・ウー・ライヴ。
ということで、トニー・メイデン・ネタ、白川会、ダンテリ最終日など、おいおいまとめます。
ESSAY>Bits & Pieces
【Busy Week: Half year passed】
猛暑。
しかし、29日(水)、ものすごい暑さだった。30日で、今年も半分終了。なんという速さ。
珍しく6月末が忙しかった。ルーファスのトニー・メイデンが来日して、約1週間、ラジオだ、ライヴだとつきあった。移動時間などにいろいろと話をしたのが溜まっているので、いずれブログにまとめたい。トニーの来日、マイケル・ジャクソンの命日、マリーナ・ショー&デイヴィッドTらの来日、「ソウル・パワー」の原稿、白川会…。なんで、一時期に重なるんだろう。(笑)
22日(水)、昼トニー・メイデン「メットポッド」、映画『あぜ道のダンディ』新宿。夜トニー・メイデン。(ライヴ評アップ済み)
23日(木)、昼ヘアカット、夜エリーシャ・ラヴァーン。(ライヴ評アップ済み)、深夜、東京FMで湯川れい子さんと『ビッグ・スペシャル』でマイケル・ジャクソンの特集を25時から28時まで生放送。あっという間の3時間。冒頭、ちょっとしたハプニングもあったが、生放送ならではの対応。(笑)
24日(金)、昼エリーシャ・ラヴァーン「メットポッド」。カマサミさん、ケイリブらと。夜、第6回白川会。下北沢。光石研さん、プロモーション中の大忙しの中、ご参加。2日前に見て買ったプログラムにサインをもらう。(嬉)
25日(土)、昼六本木ハリウッド・プラザで『湯川れい子、西寺郷太マイケル・ジャクソン・トークショー』観戦。飛び入り。このホールと、建物にびっくり。
26日(日)、『ソウルブレンズ』「ソウル・サーチン」でマリーナ・ショー紹介→調布MJM(マイケル・トーク・ショー)→マリーナ・ショー→岡さんお別れ会(パート2)→白金ダンステリア最終日。
24日~28日にかけて「ソウル・パワー」のパンフ用原稿書き。ほんとは、金曜~日曜で終わらせる予定が、結局火曜までずれこんでしまった。申し訳ない。(→編集者さま) 大作です。ぜひ期待してください。読み応えあります。
28日深夜。たまったナイル・ロジャーズ・ブログ、4本翻訳。
29日(水)、猛暑。夜ブルースアレイでフィリップ・ウー・ライヴ。
ということで、トニー・メイデン・ネタ、白川会、ダンテリ最終日など、おいおいまとめます。
ESSAY>Bits & Pieces
★深町純さんの奥様からのメール
2011年6月29日 音楽★深町純さんの奥様からのメール
【A Letter From Mrs. Fukamachi Jun】
メール。
2010年11月22日急死したピアニスト、深町純さん。その奥様からご丁寧なメールをいただいた。そこには、純さんと奥様との最期の朝のやりとりが書かれていた。大変、胸を打たれたので、許可を得て、その一部をご紹介したい。
深町さんが急逝されて半年。奥様はなかなか深町さんに関する記事など、目を通せなかったが、メールを送られてきた前日に僕のブログを読んで、メールをくださった。
彼女は、僕の次の文章に打たれたそうだ。
~~ 彼は昨日の夜、「僕の人生は素晴らしい人生だった」と言えただろうか。言えたと僕は信じている。 ~~
奥様が読まれた記事全文はこちら↓。
2010年11月24日(水)
ピアニスト深町純氏急死
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10716152876.html
そして、奥様からのメール(一部)は次の通り。
~~~~~
余談ですが、心情的に、この半年近く純さんに関する記事など、なかなかネットにも目を通す事が出来なかったのですが、昨日、吉岡さんの11月に書かれたブログを読ませて頂きました。
純さんの最期に「僕の人生は素晴らしい人生だった」と彼は言えたと信じている…と書かれたのを読んだとき、思わず涙がこぼれました。
最期の朝、私が仕事に出かける時に、何かの話の流れで、
「音楽家で生涯生き切るなんて恵まれた生き方だね」と言いました。
「この音楽界の中で仕事をするには恵まれているとは思わないけど、
でも、もちろん僕は僕の音楽に誇りを持っているし、仕合せな人生を生きているよ、それは良い人生だと思う」と言いました。
そして「僕は音楽家だ」
そう言って、身体を起こし爪をバチバチと切りました。
その後、ピアノに向かったのが最期でした。
身体の調子が悪い自分が許せず、音楽家だ、僕は音楽をしなければいけないと、奮起して常に自分が在るべき場所に立ち向かった姿でした。
猫のように死に際も見せず、その生き様どおり、潔く旅立ちましたが、ピアノの下に真っ直ぐに倒れたその後ろ姿は、本当に立派な最期の生き様でした。
最期に、深町純は、「良い人生だった」素晴らしい人生だった、吉岡さんの信じているとおりに、彼がそう確信した事は事実です。
それだけを、吉岡さんにお伝えしたく、長々と心情を書きまして失礼しました。
吉岡さんにこのメールを書こうとおもったのは、深町純からのメッセージかも知れないと、そんな事を思いながら、送らせて頂きます。
ご報告まで。
~~~~~
↑メール、ここまで。
とても清々しい文章です。「猫のように死に際も見せず…」。深町さんは猫が大好きだった。よく「うちの猫は、(自分の)音楽を聴いてくれない」とこぼしていたのを思い出す。それにしても、もう半年以上経ったのか。
■過去関連記事
2010年11月25日(木)
ピアニスト 深町純さん急死 (パート2)~これまでに書いたもの一覧
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10716970858.html
2010年11月29日(月)
深町純キーボードパーティー第119回~主なきパーティー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10720889599.html
OBITUARY>Fukamachi, Jun
ARTIST>Fukamachi, Jun
【A Letter From Mrs. Fukamachi Jun】
メール。
2010年11月22日急死したピアニスト、深町純さん。その奥様からご丁寧なメールをいただいた。そこには、純さんと奥様との最期の朝のやりとりが書かれていた。大変、胸を打たれたので、許可を得て、その一部をご紹介したい。
深町さんが急逝されて半年。奥様はなかなか深町さんに関する記事など、目を通せなかったが、メールを送られてきた前日に僕のブログを読んで、メールをくださった。
彼女は、僕の次の文章に打たれたそうだ。
~~ 彼は昨日の夜、「僕の人生は素晴らしい人生だった」と言えただろうか。言えたと僕は信じている。 ~~
奥様が読まれた記事全文はこちら↓。
2010年11月24日(水)
ピアニスト深町純氏急死
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10716152876.html
そして、奥様からのメール(一部)は次の通り。
~~~~~
余談ですが、心情的に、この半年近く純さんに関する記事など、なかなかネットにも目を通す事が出来なかったのですが、昨日、吉岡さんの11月に書かれたブログを読ませて頂きました。
純さんの最期に「僕の人生は素晴らしい人生だった」と彼は言えたと信じている…と書かれたのを読んだとき、思わず涙がこぼれました。
最期の朝、私が仕事に出かける時に、何かの話の流れで、
「音楽家で生涯生き切るなんて恵まれた生き方だね」と言いました。
「この音楽界の中で仕事をするには恵まれているとは思わないけど、
でも、もちろん僕は僕の音楽に誇りを持っているし、仕合せな人生を生きているよ、それは良い人生だと思う」と言いました。
そして「僕は音楽家だ」
そう言って、身体を起こし爪をバチバチと切りました。
その後、ピアノに向かったのが最期でした。
身体の調子が悪い自分が許せず、音楽家だ、僕は音楽をしなければいけないと、奮起して常に自分が在るべき場所に立ち向かった姿でした。
猫のように死に際も見せず、その生き様どおり、潔く旅立ちましたが、ピアノの下に真っ直ぐに倒れたその後ろ姿は、本当に立派な最期の生き様でした。
最期に、深町純は、「良い人生だった」素晴らしい人生だった、吉岡さんの信じているとおりに、彼がそう確信した事は事実です。
それだけを、吉岡さんにお伝えしたく、長々と心情を書きまして失礼しました。
吉岡さんにこのメールを書こうとおもったのは、深町純からのメッセージかも知れないと、そんな事を思いながら、送らせて頂きます。
ご報告まで。
~~~~~
↑メール、ここまで。
とても清々しい文章です。「猫のように死に際も見せず…」。深町さんは猫が大好きだった。よく「うちの猫は、(自分の)音楽を聴いてくれない」とこぼしていたのを思い出す。それにしても、もう半年以上経ったのか。
■過去関連記事
2010年11月25日(木)
ピアニスト 深町純さん急死 (パート2)~これまでに書いたもの一覧
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10716970858.html
2010年11月29日(月)
深町純キーボードパーティー第119回~主なきパーティー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10720889599.html
OBITUARY>Fukamachi, Jun
ARTIST>Fukamachi, Jun
☆ 調布MJMでマイケル追悼イヴェント
2011年6月28日 音楽☆調布MJMでマイケル追悼イヴェント
【Talk Event @ MJM, Choufu】
トーク。
マイケル・ジャクソンが大好きで大好きでしかたないという長田さんが、調布でマイケルのグッズなどをたくさん集めたカフェ&バー、その名も「MJM」を昨年6月24日にオープン。その一周年記念イヴェントで、御呼ばれし、日曜日(6月26日)小一時間ほど話をしてきた。今回は日本音楽家協会の佐藤さんのご尽力で、このイヴェントに参加させていただいたが、そのお店は、小さいが、マイケルへの愛があふれた素敵な店だった。あらゆるグッズや、マイケル関連のものが多数あった。
いろいろとマイケルの話のネタはあって、箇条書きにしたものがあるのだが、そこにいらした方にあわせて話をしようと考えていた。今回はお店が小さいということもあり、30名限定とのこと。最初に、そこでお客様に尋ねた。すると、前日の六本木で行われた湯川れい子さん西寺郷太さんのトーク・イヴェントに参加された方が数名、木曜深夜東京FMのラジオ番組を聴かれた方が数名。ということで、そこで出た話ではない話をすることに。
またマイケルを聴き始めたころの時代を4つに分けて尋ねた。1)デビューから、2)『オフ・ザ・ウォール』あたりから、3)90年代から、4)マイケルが亡くなってから、と大まかにわけて聞いたところ、大体同じような比率だった。ものすごく偶然にもバランスがよく別れていた。挙手をお願いしたのだが、「デビューから聞いてきたかたは?」と尋ねると、「年がわかっちゃうわ(苦笑)」との声も漏れておもしろかった。確かに年齢層もひじょうに幅広かった。
そこでマイケルがジャクソン5の一員として1969年にデビューした頃、そのオリジナリティーについて、たとえば、ジャクソン5の後を追って、次々と柳の下の二匹目のどじょうを狙っていろいろなグループが出てきた、それはジャクソン5にそれだけのオリジナリティーがあったから、といった話から始めた。
その後、マイケルがさまざまなプロデューサーたちと接するうちに多くのことを吸収していったことを、いくつかの例で話した。マイケルの最初の先生は父親ジョー・ジャクソン、それからモータウンのベリー・ゴーディー、そして、クインシー・ジョーンズ。その間に、フィラデルフィアのギャンブル&ハフというのもいる。そういう人たちから吸収したことは計り知れない、といった話をした。
また、マイケルの自宅に行ったときの話や、その同じ週にまだ17歳のジャネットにインタヴューしたときの話、そこでマイケルの子供の頃、父親の顔色をうかがいながらインタヴューに答えていたが、ジャネットも同じだった、と紹介。そのシャイなところは、マイケルとジャネットは共通している、しかし、他の兄弟たちはそういうところがあまりなく、普通に話ができる、といったことを紹介した。
後半、参加者からの質問に答えた。
「ビリー・ジーン」が、ホール&オーツの「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」にインスピレーションを得て作られた話、「スマイル」の話など、マイケルの死を予期していたか、マーヴィン・ゲイとマイケル・ジャクソンの接点はあったのか、などの質問に答えた。
前者から、マイケルのどこからかインスピレーションを持ってきても、それを自分の中に吸収し、消化し、昇華する能力、解釈力、料理する才能がずば抜けている、という話をした。「スマイル」は、エピックに来て唯一カヴァーした曲。そのこと自体が事件、ニュースではないか。あらゆるマイケルの気持ちや、先輩への思い、リスペクトが込められている、といった話をした。
トーク・イヴェント終了後、みなさんと記念撮影。本へのサイン。そして、その後、ライヴなどもあったという。残念ながら僕は別の用事があったので、一足先においとましてしまった。30名限定ということもあってか、ずいぶんと濃厚なマイケルへの愛にあふれたイヴェントだった。お越しいただき、ありがとうございます。お誘いありがとうございます。
プレゼントをいただいたノンさん、ありがとうございます。大事に食したいと思います。(笑)
また、佐藤さん、長田さん、その娘さんサヤカさん、みなさん大変よくしていただき、ありがとうございました。
■次回マイケル・ジャクソン関連イヴェントは「ソウル・サーチン」、8月28日、29日
内容の詳細はこちら
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10921788278.html
予約はこちら
http://www.bluesalley.co.jp/schedule/live.html
ここで8月28日、あるいは、29日のReservationボタンを押して、指示通りに進んでください。
電話予約の場合は、03-5740-6041(12時~20時)03-5496-4381 (20時以降。店舗直接)
■カフェ&バーMJM
店名 Cafe & Bar MJM
所在 東京都調布市下石原1-57-1
電話 042-446-4757
携帯 090-2338-3717
営業時間 15:00~0:00
定休日 毎日曜日
http://cafebarmjm.jimdo.com/
MICHAEL JACKSON>MJM, Café&Bar
【Talk Event @ MJM, Choufu】
トーク。
マイケル・ジャクソンが大好きで大好きでしかたないという長田さんが、調布でマイケルのグッズなどをたくさん集めたカフェ&バー、その名も「MJM」を昨年6月24日にオープン。その一周年記念イヴェントで、御呼ばれし、日曜日(6月26日)小一時間ほど話をしてきた。今回は日本音楽家協会の佐藤さんのご尽力で、このイヴェントに参加させていただいたが、そのお店は、小さいが、マイケルへの愛があふれた素敵な店だった。あらゆるグッズや、マイケル関連のものが多数あった。
いろいろとマイケルの話のネタはあって、箇条書きにしたものがあるのだが、そこにいらした方にあわせて話をしようと考えていた。今回はお店が小さいということもあり、30名限定とのこと。最初に、そこでお客様に尋ねた。すると、前日の六本木で行われた湯川れい子さん西寺郷太さんのトーク・イヴェントに参加された方が数名、木曜深夜東京FMのラジオ番組を聴かれた方が数名。ということで、そこで出た話ではない話をすることに。
またマイケルを聴き始めたころの時代を4つに分けて尋ねた。1)デビューから、2)『オフ・ザ・ウォール』あたりから、3)90年代から、4)マイケルが亡くなってから、と大まかにわけて聞いたところ、大体同じような比率だった。ものすごく偶然にもバランスがよく別れていた。挙手をお願いしたのだが、「デビューから聞いてきたかたは?」と尋ねると、「年がわかっちゃうわ(苦笑)」との声も漏れておもしろかった。確かに年齢層もひじょうに幅広かった。
そこでマイケルがジャクソン5の一員として1969年にデビューした頃、そのオリジナリティーについて、たとえば、ジャクソン5の後を追って、次々と柳の下の二匹目のどじょうを狙っていろいろなグループが出てきた、それはジャクソン5にそれだけのオリジナリティーがあったから、といった話から始めた。
その後、マイケルがさまざまなプロデューサーたちと接するうちに多くのことを吸収していったことを、いくつかの例で話した。マイケルの最初の先生は父親ジョー・ジャクソン、それからモータウンのベリー・ゴーディー、そして、クインシー・ジョーンズ。その間に、フィラデルフィアのギャンブル&ハフというのもいる。そういう人たちから吸収したことは計り知れない、といった話をした。
また、マイケルの自宅に行ったときの話や、その同じ週にまだ17歳のジャネットにインタヴューしたときの話、そこでマイケルの子供の頃、父親の顔色をうかがいながらインタヴューに答えていたが、ジャネットも同じだった、と紹介。そのシャイなところは、マイケルとジャネットは共通している、しかし、他の兄弟たちはそういうところがあまりなく、普通に話ができる、といったことを紹介した。
後半、参加者からの質問に答えた。
「ビリー・ジーン」が、ホール&オーツの「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」にインスピレーションを得て作られた話、「スマイル」の話など、マイケルの死を予期していたか、マーヴィン・ゲイとマイケル・ジャクソンの接点はあったのか、などの質問に答えた。
前者から、マイケルのどこからかインスピレーションを持ってきても、それを自分の中に吸収し、消化し、昇華する能力、解釈力、料理する才能がずば抜けている、という話をした。「スマイル」は、エピックに来て唯一カヴァーした曲。そのこと自体が事件、ニュースではないか。あらゆるマイケルの気持ちや、先輩への思い、リスペクトが込められている、といった話をした。
トーク・イヴェント終了後、みなさんと記念撮影。本へのサイン。そして、その後、ライヴなどもあったという。残念ながら僕は別の用事があったので、一足先においとましてしまった。30名限定ということもあってか、ずいぶんと濃厚なマイケルへの愛にあふれたイヴェントだった。お越しいただき、ありがとうございます。お誘いありがとうございます。
プレゼントをいただいたノンさん、ありがとうございます。大事に食したいと思います。(笑)
また、佐藤さん、長田さん、その娘さんサヤカさん、みなさん大変よくしていただき、ありがとうございました。
■次回マイケル・ジャクソン関連イヴェントは「ソウル・サーチン」、8月28日、29日
内容の詳細はこちら
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10921788278.html
予約はこちら
http://www.bluesalley.co.jp/schedule/live.html
ここで8月28日、あるいは、29日のReservationボタンを押して、指示通りに進んでください。
電話予約の場合は、03-5740-6041(12時~20時)03-5496-4381 (20時以降。店舗直接)
■カフェ&バーMJM
店名 Cafe & Bar MJM
所在 東京都調布市下石原1-57-1
電話 042-446-4757
携帯 090-2338-3717
営業時間 15:00~0:00
定休日 毎日曜日
http://cafebarmjm.jimdo.com/
MICHAEL JACKSON>MJM, Café&Bar
◎ エリーシャ・ラヴァーン~ソウル・サーチャーズをバックに
2011年6月27日 音楽◎エリーシャ・ラヴァーン~ソウル・サーチャーズをバックに
【Elisha La’Verne: First Gig In Seven Years】
7年ぶり。
2002年、2004年以来、ほぼ7年ぶりの単独コンサートとなったイギリス出身の歌姫エリーシャ・ラヴァーン。7年ぶりということもあってか、一日しかない東京ライヴが超満員。1994年に日本でデビューしてから、エイベックスの強力なプロモーションを得て、日本でちょっとしたスターダムにのし上がった。
今回のライヴのバックを務めるのは、われらがケイリブ・ジェームスと、『ソウル・サーチン』でおなじみソウル・サーチャーズの面々。8月末に行われるマイケル・ジャクソン・トリビュートもオリヴィア(前回は参加)を除いてこのメンバーだ。また、ケイリブとエリーシャは、なんとその昔エイベックスが始めたカッティング・エッジというレーベルでのレーベル・メイトだったそうだ。このメンバーなら、バンドは手堅く間違いない。
エリーシャは、最新作からの曲を中心に、昔のヒットも交え、約80分歌った。この中でおもしろい選曲は荒井由実時代のヒット「あの日に帰りたい」を英語詞にして歌ったもの。アップテンポのファンキーなアレンジで聴かせた。
本編最後の曲で男性シンガーが出てきたのだが、ビルボードライブのスタッフ運天くんが出てきたのかと思った。運天くんに似てたんだもの。(笑)
アンコール「ポストカード」では、マサ小浜のソロ・ギターがひときわ輝いていた。
■最新作 『361ディグリーズ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004D1MBIQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■メンバー
エリーシャ・ラヴァーン / Elisha La’Verne(Vocals)
ケイリブ・ジェームス / Kaleb James(Keyboards/Back Ground Vocals/MD)
オリヴィア・バーレル / Olivia Burrell(Back Ground Vocals)
ゲイリー・スコット / Gary Scott(Saxophone/Back Ground Vocals)
マサ 小浜 / Masa Kohama(Guitar)
キース・ウィリアムソン / Keith Williamson(Bass)
高田 真 / Shin Takada(Drums)
(ゲスト)
マット・キャブ / Matt Cab (Vocal)
■セットリスト エリーシャ・ラヴァーン
Setlist: Elisha La’Verne
Show started 19:02
01.Flawless
02.We Blong Together
03.Those Were The Days (あの日に帰りたい)
04.You Are The One
05.Medley: a) I May Be Single
b) Give Me A Reason
c) I’m Not Dreaming
d) I Don’t Mind
06.Raindrops
07.Can’t Hide
08.Can’t Hide Love
09.Playing Hard To Get
10.In My Skin
11.Close To You (+Matt Cab)
Enc. Postcards
Show ended 20:24
(2011年6月23日木曜、ビルボードライブ東京、エリーシャ・ラヴァーン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>La’Verne, Elisha
2011-
【Elisha La’Verne: First Gig In Seven Years】
7年ぶり。
2002年、2004年以来、ほぼ7年ぶりの単独コンサートとなったイギリス出身の歌姫エリーシャ・ラヴァーン。7年ぶりということもあってか、一日しかない東京ライヴが超満員。1994年に日本でデビューしてから、エイベックスの強力なプロモーションを得て、日本でちょっとしたスターダムにのし上がった。
今回のライヴのバックを務めるのは、われらがケイリブ・ジェームスと、『ソウル・サーチン』でおなじみソウル・サーチャーズの面々。8月末に行われるマイケル・ジャクソン・トリビュートもオリヴィア(前回は参加)を除いてこのメンバーだ。また、ケイリブとエリーシャは、なんとその昔エイベックスが始めたカッティング・エッジというレーベルでのレーベル・メイトだったそうだ。このメンバーなら、バンドは手堅く間違いない。
エリーシャは、最新作からの曲を中心に、昔のヒットも交え、約80分歌った。この中でおもしろい選曲は荒井由実時代のヒット「あの日に帰りたい」を英語詞にして歌ったもの。アップテンポのファンキーなアレンジで聴かせた。
本編最後の曲で男性シンガーが出てきたのだが、ビルボードライブのスタッフ運天くんが出てきたのかと思った。運天くんに似てたんだもの。(笑)
アンコール「ポストカード」では、マサ小浜のソロ・ギターがひときわ輝いていた。
■最新作 『361ディグリーズ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004D1MBIQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■メンバー
エリーシャ・ラヴァーン / Elisha La’Verne(Vocals)
ケイリブ・ジェームス / Kaleb James(Keyboards/Back Ground Vocals/MD)
オリヴィア・バーレル / Olivia Burrell(Back Ground Vocals)
ゲイリー・スコット / Gary Scott(Saxophone/Back Ground Vocals)
マサ 小浜 / Masa Kohama(Guitar)
キース・ウィリアムソン / Keith Williamson(Bass)
高田 真 / Shin Takada(Drums)
(ゲスト)
マット・キャブ / Matt Cab (Vocal)
■セットリスト エリーシャ・ラヴァーン
Setlist: Elisha La’Verne
Show started 19:02
01.Flawless
02.We Blong Together
03.Those Were The Days (あの日に帰りたい)
04.You Are The One
05.Medley: a) I May Be Single
b) Give Me A Reason
c) I’m Not Dreaming
d) I Don’t Mind
06.Raindrops
07.Can’t Hide
08.Can’t Hide Love
09.Playing Hard To Get
10.In My Skin
11.Close To You (+Matt Cab)
Enc. Postcards
Show ended 20:24
(2011年6月23日木曜、ビルボードライブ東京、エリーシャ・ラヴァーン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>La’Verne, Elisha
2011-
☆マイケル・ジャクソン・トークショー:湯川れい子さん、西寺郷太さんに飛び入り
2011年6月26日 音楽☆マイケル・ジャクソン・トークショー:湯川れい子さん、西寺郷太さんに飛び入り
【Michael Jackson Talk Event】
飛び入り。
木曜日深夜に東京FM系列の『ビッグ・スペシャル』の生放送で、いろいろマイケル話をしていて、「土曜日の西寺郷太さんとのトークショーを見たいのですが、といったら、湯川さんが、『いらっしゃいよ、来たら、ステージに上げるから』」とのお言葉。
ということで、前半はじっくり二人の話に耳を傾けていたが、第二部の後半に御呼ばれして、ステージに上がりました。
第一部では、「湯川さんの携帯番号ツイッターで流出事件」をおもしろおかしく話したり、たとえば、西寺さんが『スリラー』のアルバム・ライナーノーツ(1982年11月執筆)で、湯川さんが、「マイケルは、ギネスに残るような存在になるだろう」といった趣旨を書いていることに、彼が驚いたことを紹介。執筆時点では、もちろん、誰も『スリラー』が『オフ・ザ・ウォール』を越えることはないだろう、と思っていた、そんな状況下で、これだけの予言をしていたのは、本当にすごい、と賞賛。すると、湯川さんは、『オフ・ザ・ウォール』からの流れを見ていると、「確信があった」と話した。
話を聞いていて、改めて思い出したのが、『オフ・ザ・ウォール』を正しく評価できていない人ほど、『スリラー』を評価できない、というセオリーだ。『スリラー』の大ヒットは、すべて『オフ・ザ・ウォール』を土台にした上にある。少なくとも、日本の音楽ライターでは、ブラック・ミュージックをある程度聴いていないと、『オフ・ザ・ウォール』のすごさは理解できていない。それは単純に突き詰めるとブラック・ミュージックへの免疫というか、親しみ度が、日本人にはなかったということになるのだが、ひじょうに残念なことではある。そのあたりを湯川さんは、「皮膚感覚」というか、その場では「子宮で理解」といった言葉で説明していたが、そうしたもので感じ取られていたのだろう。湯川さん自体は、ディスコは嫌いだったが、一度ディスコの流行が終わった後、またマイケルがディスコっぽいものをやったことで、改めて強く認識した、という話をしていた。
それまでで、ブラック・ミュージックのアルバムとしては、歴史上もっとも売れたアルバムが、『オフ・ザ・ウォール』だった。そして、それを越えたアルバムを作ろうとしたマイケル。だが、あのクインシー・ジョーンズさえも、越えられるとは思っていなかった。マイケルだけが、越えるものを作るという「確信」を持っていた。そこで、西寺さんは、「マイケルと湯川さんくらいしか、当時、このアルバム(スリラー)が『オフ・ザ・ウォール』を越えると世界中で思ってなかったと思います」と解説した。
フラッシュバック。
そして、ステージに上がり、いろいろと湯川さんや西寺さんと話をしていると、キーワードからそれまで話してなかったことが、ぽんぽんと思い出されてきた。
左から吉岡・西寺・湯川各氏
僕は、食べ物、スポーツのあたりから、ジャッキーたちがやっていた草野球の試合を見に行って、マイケルがスポーツはやらないんだよ、という話を思い出したり、運命の1983年8月5日のマイケル邸でセルジオ・メンデスが来ていた、という話をすると、湯川さんが個人的にも親しいセルジオ・メンデスが、秋田犬を飼ってるのよ、という話が飛び出てきたり、とてもおもしろかった。
途中からスタッフの人が、「あと10分」「あと5分」といった紙を我々の前に出すのだが、誰一人として、話を止めようとしないのが受けた。(笑)
さっそく湯川れい子さんがツイート。「@yukawareiko さっき終わった六本木でのマイケル・ジャクソン三回忌カルチャー・センターのトーク。西寺郷太さんと、客席から呼び上げた吉岡正晴さんと、信頼できる楽しい話が出来て、もう最高!! 日本どころか、世界で話をしても負けない濃さかも。良い会でした。ありがとう!!」
こちらこそ、ありがとうございました。
ちなみに、このトークの模様は、後日1時間程度に編集されて、NHK第二(中波)で放送されるとのこと。
++++
今日(26日)は僕は、調布でトークイヴェント。ただ、場所が狭いために、すでにソールドアウトになっています。申し訳ございません。
++++
次回『ソウル・サーチンVOL.10』、ついにマイケル・ジャクソンをフィーチャー。詳細は、こちら。
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10921788278.html
2011年8月28日(日)、29日(月) 目黒・ブルースアレイ
++++
【Michael Jackson Talk Event】
飛び入り。
木曜日深夜に東京FM系列の『ビッグ・スペシャル』の生放送で、いろいろマイケル話をしていて、「土曜日の西寺郷太さんとのトークショーを見たいのですが、といったら、湯川さんが、『いらっしゃいよ、来たら、ステージに上げるから』」とのお言葉。
ということで、前半はじっくり二人の話に耳を傾けていたが、第二部の後半に御呼ばれして、ステージに上がりました。
第一部では、「湯川さんの携帯番号ツイッターで流出事件」をおもしろおかしく話したり、たとえば、西寺さんが『スリラー』のアルバム・ライナーノーツ(1982年11月執筆)で、湯川さんが、「マイケルは、ギネスに残るような存在になるだろう」といった趣旨を書いていることに、彼が驚いたことを紹介。執筆時点では、もちろん、誰も『スリラー』が『オフ・ザ・ウォール』を越えることはないだろう、と思っていた、そんな状況下で、これだけの予言をしていたのは、本当にすごい、と賞賛。すると、湯川さんは、『オフ・ザ・ウォール』からの流れを見ていると、「確信があった」と話した。
話を聞いていて、改めて思い出したのが、『オフ・ザ・ウォール』を正しく評価できていない人ほど、『スリラー』を評価できない、というセオリーだ。『スリラー』の大ヒットは、すべて『オフ・ザ・ウォール』を土台にした上にある。少なくとも、日本の音楽ライターでは、ブラック・ミュージックをある程度聴いていないと、『オフ・ザ・ウォール』のすごさは理解できていない。それは単純に突き詰めるとブラック・ミュージックへの免疫というか、親しみ度が、日本人にはなかったということになるのだが、ひじょうに残念なことではある。そのあたりを湯川さんは、「皮膚感覚」というか、その場では「子宮で理解」といった言葉で説明していたが、そうしたもので感じ取られていたのだろう。湯川さん自体は、ディスコは嫌いだったが、一度ディスコの流行が終わった後、またマイケルがディスコっぽいものをやったことで、改めて強く認識した、という話をしていた。
それまでで、ブラック・ミュージックのアルバムとしては、歴史上もっとも売れたアルバムが、『オフ・ザ・ウォール』だった。そして、それを越えたアルバムを作ろうとしたマイケル。だが、あのクインシー・ジョーンズさえも、越えられるとは思っていなかった。マイケルだけが、越えるものを作るという「確信」を持っていた。そこで、西寺さんは、「マイケルと湯川さんくらいしか、当時、このアルバム(スリラー)が『オフ・ザ・ウォール』を越えると世界中で思ってなかったと思います」と解説した。
フラッシュバック。
そして、ステージに上がり、いろいろと湯川さんや西寺さんと話をしていると、キーワードからそれまで話してなかったことが、ぽんぽんと思い出されてきた。
左から吉岡・西寺・湯川各氏
僕は、食べ物、スポーツのあたりから、ジャッキーたちがやっていた草野球の試合を見に行って、マイケルがスポーツはやらないんだよ、という話を思い出したり、運命の1983年8月5日のマイケル邸でセルジオ・メンデスが来ていた、という話をすると、湯川さんが個人的にも親しいセルジオ・メンデスが、秋田犬を飼ってるのよ、という話が飛び出てきたり、とてもおもしろかった。
途中からスタッフの人が、「あと10分」「あと5分」といった紙を我々の前に出すのだが、誰一人として、話を止めようとしないのが受けた。(笑)
さっそく湯川れい子さんがツイート。「@yukawareiko さっき終わった六本木でのマイケル・ジャクソン三回忌カルチャー・センターのトーク。西寺郷太さんと、客席から呼び上げた吉岡正晴さんと、信頼できる楽しい話が出来て、もう最高!! 日本どころか、世界で話をしても負けない濃さかも。良い会でした。ありがとう!!」
こちらこそ、ありがとうございました。
ちなみに、このトークの模様は、後日1時間程度に編集されて、NHK第二(中波)で放送されるとのこと。
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今日(26日)は僕は、調布でトークイヴェント。ただ、場所が狭いために、すでにソールドアウトになっています。申し訳ございません。
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次回『ソウル・サーチンVOL.10』、ついにマイケル・ジャクソンをフィーチャー。詳細は、こちら。
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10921788278.html
2011年8月28日(日)、29日(月) 目黒・ブルースアレイ
++++
☆マイケル・ジャクソン命日:3時間特番
2011年6月25日 音楽☆マイケル・ジャクソン命日:3時間特番
【2 Years Passed The Day The Music Died: Emperor’s House Looking Through The Windows】
命日。
2009年6月25日。世界に衝撃が走った日。日本では26日の早朝から、ニュースが駆け巡った。あれから、2年。
24日(金)は、FM東京系列で午前1時から4時まで『ビッグ・スペシャル』で湯川れい子さんと3時間生放送だった。湯川さんは都合により午前2時からの登場。あっという間だった。
僕も話す予定のネタを一覧にしてもっていったのだが、曲と曲についてのエピソードなんかを話していると、あっという間に、時間が経ってしまい、考えていたほどの1割も話せなかった。(笑) また、湯川さんと話していると、僕も次々と話が広がっていくというか、脱線していくので、それでまた、時間がなくなる。ずいぶんと、あれでも曲をカットした。
また、当初の予定の選曲はラフな形で3週間前くらいに決めていたのだが、その時点では月から水曜までマイケル一色でやっていることを知らずに、割と定番曲を選んでいたので、かなりダブルこともあり、その場で曲を大幅に変更した。
僕はツイッターの #bigsp のハッシュタグを携帯で見ていたのだが、たくさんツイートが寄せられて、おもしろかった。ありがとうございます。そのうちのいくつかを紹介したかったのだが、湯川さんと話をしていると、あっという間に曲の時間に突入し、なかなか紹介できなかった。
何とか、ひとつ紹介した。「マイケルに会ったときのことを話してください」というもので、湯川さんと僕が、それぞれ自宅に行ったときの話をした。
湯川さんからの質問で、「なぜダイアナ・ロスは葬儀に顔をださなかったのですか。彼女はライヴもやっていて、元気なはずなのに」というのがあり、「それが、僕にも謎なんですが。葬儀に出席もできないほど、ショックを受けた、ということかもしれません」と推測した。エリザベス・テイラーも出席していないが、彼女は体調がすぐれていなかったらしい。
2時からの一時間は、マイケルが影響を受けたアーティストを紹介した。ジャッキー・ウィルソン、サム・クック、ジェームス・ブラウンなど。それぞれの楽曲を初めて聴くというリスナーの方がとても多かったので、こういう特集、切り口もそれなりの意味合いがあったと感じた。
「シルクド・ソレイユ」のマイケル・ジャクソン・メモワール・ショーが2011年10月からモントリオールで始まるが、ここにグレッグ・フィリンゲインズが参加するそうだ。湯川さんとグレッグは個人的にも仲が良いそう。湯川さんは、おそらく、2年にわたって世界を回り、再来年(2013年)くらいには日本にもやってくるのではないかとの見通しを語った。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去るもの。3時間、あっという間でした。最後にノーナ・リーヴスの「スムース・クリミナル」をかけて、西寺郷太くんは聴いているかな、と言ったのだが、彼はぐっすり寝ていた。(というのが、あとからお礼の電話が来て、わかった)
番組終わり頃になると、外は明るくなり始め、スタジオのガラス越しに(looking through the windows)に皇居が見えてきた。
湯川さん、スタッフのみなさま、おつかれさまでした。そして、朝早くまで聞いていただいたみなさま、本当にありがとうございました。
■「ソウル・サーチン」イヴェントは遂にマイケル・ジャクソン、8月28日、29日目黒・ブルースアレイで。
詳細はこちら
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10921788278.html
■マイケル・ジャクソン関連記事
(>MICHAEL JACKSON関連をごらんください。マイケル関連はすべてここにあります)(過去記事の中から好評をいただいたエントリーを一部選びました)
2009年06月27日(土)
マイケル・ジャクソンが成し遂げたこと
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090627.html
2009年06月29日(月)
マイケル・ジャクソンの死とマーヴィン・ゲイの死~その父からの影響
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090629.html
2009年07月09日(木)
マイケル・ジャクソン・メモリアル:5人のグローヴに見る兄弟の絆
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme35-10014963447.html#main
2009年07月12日(日)
マイケルの急死を悼んで~マイケル・ジャクソンとメディアの戦い (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090712.html
2009年07月13日(月)
マイケルの急死を悼んで~マイケル・ジャクソンとメディアの戦い(パート2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090713.html
2009年07月28日(火)
マイケル・ジャクソン~徐々に出され始めたメディアの膿
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090728.html
ENT>MICHAEL JACKSON>Big Special
【2 Years Passed The Day The Music Died: Emperor’s House Looking Through The Windows】
命日。
2009年6月25日。世界に衝撃が走った日。日本では26日の早朝から、ニュースが駆け巡った。あれから、2年。
24日(金)は、FM東京系列で午前1時から4時まで『ビッグ・スペシャル』で湯川れい子さんと3時間生放送だった。湯川さんは都合により午前2時からの登場。あっという間だった。
僕も話す予定のネタを一覧にしてもっていったのだが、曲と曲についてのエピソードなんかを話していると、あっという間に、時間が経ってしまい、考えていたほどの1割も話せなかった。(笑) また、湯川さんと話していると、僕も次々と話が広がっていくというか、脱線していくので、それでまた、時間がなくなる。ずいぶんと、あれでも曲をカットした。
また、当初の予定の選曲はラフな形で3週間前くらいに決めていたのだが、その時点では月から水曜までマイケル一色でやっていることを知らずに、割と定番曲を選んでいたので、かなりダブルこともあり、その場で曲を大幅に変更した。
僕はツイッターの #bigsp のハッシュタグを携帯で見ていたのだが、たくさんツイートが寄せられて、おもしろかった。ありがとうございます。そのうちのいくつかを紹介したかったのだが、湯川さんと話をしていると、あっという間に曲の時間に突入し、なかなか紹介できなかった。
何とか、ひとつ紹介した。「マイケルに会ったときのことを話してください」というもので、湯川さんと僕が、それぞれ自宅に行ったときの話をした。
湯川さんからの質問で、「なぜダイアナ・ロスは葬儀に顔をださなかったのですか。彼女はライヴもやっていて、元気なはずなのに」というのがあり、「それが、僕にも謎なんですが。葬儀に出席もできないほど、ショックを受けた、ということかもしれません」と推測した。エリザベス・テイラーも出席していないが、彼女は体調がすぐれていなかったらしい。
2時からの一時間は、マイケルが影響を受けたアーティストを紹介した。ジャッキー・ウィルソン、サム・クック、ジェームス・ブラウンなど。それぞれの楽曲を初めて聴くというリスナーの方がとても多かったので、こういう特集、切り口もそれなりの意味合いがあったと感じた。
「シルクド・ソレイユ」のマイケル・ジャクソン・メモワール・ショーが2011年10月からモントリオールで始まるが、ここにグレッグ・フィリンゲインズが参加するそうだ。湯川さんとグレッグは個人的にも仲が良いそう。湯川さんは、おそらく、2年にわたって世界を回り、再来年(2013年)くらいには日本にもやってくるのではないかとの見通しを語った。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去るもの。3時間、あっという間でした。最後にノーナ・リーヴスの「スムース・クリミナル」をかけて、西寺郷太くんは聴いているかな、と言ったのだが、彼はぐっすり寝ていた。(というのが、あとからお礼の電話が来て、わかった)
番組終わり頃になると、外は明るくなり始め、スタジオのガラス越しに(looking through the windows)に皇居が見えてきた。
湯川さん、スタッフのみなさま、おつかれさまでした。そして、朝早くまで聞いていただいたみなさま、本当にありがとうございました。
■「ソウル・サーチン」イヴェントは遂にマイケル・ジャクソン、8月28日、29日目黒・ブルースアレイで。
詳細はこちら
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10921788278.html
■マイケル・ジャクソン関連記事
(>MICHAEL JACKSON関連をごらんください。マイケル関連はすべてここにあります)(過去記事の中から好評をいただいたエントリーを一部選びました)
2009年06月27日(土)
マイケル・ジャクソンが成し遂げたこと
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090627.html
2009年06月29日(月)
マイケル・ジャクソンの死とマーヴィン・ゲイの死~その父からの影響
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090629.html
2009年07月09日(木)
マイケル・ジャクソン・メモリアル:5人のグローヴに見る兄弟の絆
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme35-10014963447.html#main
2009年07月12日(日)
マイケルの急死を悼んで~マイケル・ジャクソンとメディアの戦い (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090712.html
2009年07月13日(月)
マイケルの急死を悼んで~マイケル・ジャクソンとメディアの戦い(パート2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090713.html
2009年07月28日(火)
マイケル・ジャクソン~徐々に出され始めたメディアの膿
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090728.html
ENT>MICHAEL JACKSON>Big Special
◎トニー・メイデン(ルーファス)ライヴ、ファンク娘。とともに
2011年6月24日 音楽◎トニー・メイデン(ルーファス)ライヴ、ファンク娘。とともに
【Daughters Of Funk: Make It Funky】
ファンク娘。
トニー・メイデンのルーファス、2008年10月は、メイサ・リークをフィーチャリング、2010年1月は、スライ・ストーンをゲストに向かえて、思い切りファンクの渦を巻き起こしてきた。今回は、趣向を変えて、トニーの娘、アマンダ、シャカ・カーンの娘ミリニ、そして、スライ・ストーンの娘ファンの3人を、その名も「ドーターズ・オブ・ファンク(ファンク娘。)」と名付けて、これでもかとファンクを聴かせる。
それにしても、シャカの娘、スライの娘、どちらも一目見ただけで、そうとわかる。すごいこと。アマンダはお母さん似。お母さんを知っていれば、そうとわかる。
「僕は、ファンク・マンだから」と言ってはばからないのがルーファスのギタリストでありこのバンド・リーダー、トニー・メイデン。彼らのライヴは、ファンク、ソウル炸裂だ。特に3人のドーターズのソウルフルな歌声は、この夏をより熱くする。特にシャカの歌声は、シャカそっくり。
今回改めて感じたのが、トニーが今回はチューブでトークボックスの音をやったり、様々なギターをとっかえひっかえプレイしたり、いろいろなエフェクトで音をだしたりと、まさに「ギター少年」「ギター・マニア」にはうってつけのライヴだということ。ギター好きだったら、一番前でトニーのプレイをガン見したくなるのではないだろうか。
■トニー・メイデン、メットポッドで語る
Tony Maiden Talks On MetPod
http://metropolis.co.jp/podcast/2011/06/22/metpod-mini-special-featuring-tony-maiden-of-rufus-now-in-tokyo-at-the-blue-note/
短縮アドレス
http://bit.ly/khaODa
■ライヴ
ライヴは、6月22日(水)から24日(金)まで、東京ブルーノート。一日2セット。
トニー&ルーファスのライヴ詳細はこちら
http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/rufus/
■ルーファス過去記事(前回、前々回ライヴ評、インタヴューなど)
2010年01月17日(日)
ルーファス&スライ・ストーン、ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436078971.html
2010年01月18日(月)
トニー&アマンダ・メイデン(ルーファス)、『ソウル・ブレンズ』に登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436835618.html#main
前回ライヴ評。↑
前々回来日時のルーファス特集↓
2008年11月13日(木)
ルーファス・ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10164090490.html
2008年11月15日(土)
ルーファス(パート2)~トニー・メイデン語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10164913911.html
2008年11月16日(日)
ルーファス(パート3)~ケヴィン・マーフィー語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10165405612.html#main
2008年11月17日(月)
ルーファス(パート4)~マダム・ディー語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10165844327.html#main
2008年11月18日(火)
ルーファス(パート5)~ヴァル・ヤング語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10166274990.html#main
■メンバー
トニー・メイデン(ヴォーカル、ギター)Tony Maiden(vo,g)
アマンダ・メイデン(ヴォーカル)Amanda Maiden(vo)
インディラ・ミリニ・カーン(ヴォーカル)Indira Milini Khan(vo)
ファン・ロビンソン・ストーン(ヴォーカル)Phunne Robinson Stone(vo)
ミチコ・ヒル(キーボード)Michiko Hill(key)
マイケル・スティーヴァー(トランペット、キーボード)Michael Stever(tp, Key)
ロバート・リー・ヒル(ベース)Robert Lee Hill(b)
アンソニー・フィッツジェラルド・ムーア(ドラムス)Anthony Fitzgerald Moore(ds)
■セットリスト ルーファス・フィーチャリング・ドー他-ズ・オブ・ファンク
Setlist Rufus June 22, 2011 @ Bluenote Tokyo
(Lead singer in the ( ) (メインのリードシンガーを曲目の後に)
show started 21:39
01.Take Time (Instrumental)
02.Once You Get Started (Tony)
03.You Got The Love (Amanda)
04.Any Love (Tony)
05.Thank You [Sly & Family Stone] (Phunne)
06.Hold On (New song) (Amanda)
07.Everlasting Love (Milini)
08.Stay
09.Dance With Me
10.Tell Me Something Good (Milini)
11.Sweet Thing (Amanda)
12.You’re Welcome, Stop On By (Amanda)
13.Ain’t Nobody (Amanda)
Enc. Do You Love What You Feel ~ I Wanna Take You Higher [Sly & Family Stone]
Show ended 23:04
(2011年06月22日水曜、東京ブルーノート=ルーファス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Rufus
2011-
【Daughters Of Funk: Make It Funky】
ファンク娘。
トニー・メイデンのルーファス、2008年10月は、メイサ・リークをフィーチャリング、2010年1月は、スライ・ストーンをゲストに向かえて、思い切りファンクの渦を巻き起こしてきた。今回は、趣向を変えて、トニーの娘、アマンダ、シャカ・カーンの娘ミリニ、そして、スライ・ストーンの娘ファンの3人を、その名も「ドーターズ・オブ・ファンク(ファンク娘。)」と名付けて、これでもかとファンクを聴かせる。
それにしても、シャカの娘、スライの娘、どちらも一目見ただけで、そうとわかる。すごいこと。アマンダはお母さん似。お母さんを知っていれば、そうとわかる。
「僕は、ファンク・マンだから」と言ってはばからないのがルーファスのギタリストでありこのバンド・リーダー、トニー・メイデン。彼らのライヴは、ファンク、ソウル炸裂だ。特に3人のドーターズのソウルフルな歌声は、この夏をより熱くする。特にシャカの歌声は、シャカそっくり。
今回改めて感じたのが、トニーが今回はチューブでトークボックスの音をやったり、様々なギターをとっかえひっかえプレイしたり、いろいろなエフェクトで音をだしたりと、まさに「ギター少年」「ギター・マニア」にはうってつけのライヴだということ。ギター好きだったら、一番前でトニーのプレイをガン見したくなるのではないだろうか。
■トニー・メイデン、メットポッドで語る
Tony Maiden Talks On MetPod
http://metropolis.co.jp/podcast/2011/06/22/metpod-mini-special-featuring-tony-maiden-of-rufus-now-in-tokyo-at-the-blue-note/
短縮アドレス
http://bit.ly/khaODa
■ライヴ
ライヴは、6月22日(水)から24日(金)まで、東京ブルーノート。一日2セット。
トニー&ルーファスのライヴ詳細はこちら
http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/rufus/
■ルーファス過去記事(前回、前々回ライヴ評、インタヴューなど)
2010年01月17日(日)
ルーファス&スライ・ストーン、ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436078971.html
2010年01月18日(月)
トニー&アマンダ・メイデン(ルーファス)、『ソウル・ブレンズ』に登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436835618.html#main
前回ライヴ評。↑
前々回来日時のルーファス特集↓
2008年11月13日(木)
ルーファス・ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10164090490.html
2008年11月15日(土)
ルーファス(パート2)~トニー・メイデン語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10164913911.html
2008年11月16日(日)
ルーファス(パート3)~ケヴィン・マーフィー語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10165405612.html#main
2008年11月17日(月)
ルーファス(パート4)~マダム・ディー語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10165844327.html#main
2008年11月18日(火)
ルーファス(パート5)~ヴァル・ヤング語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10166274990.html#main
■メンバー
トニー・メイデン(ヴォーカル、ギター)Tony Maiden(vo,g)
アマンダ・メイデン(ヴォーカル)Amanda Maiden(vo)
インディラ・ミリニ・カーン(ヴォーカル)Indira Milini Khan(vo)
ファン・ロビンソン・ストーン(ヴォーカル)Phunne Robinson Stone(vo)
ミチコ・ヒル(キーボード)Michiko Hill(key)
マイケル・スティーヴァー(トランペット、キーボード)Michael Stever(tp, Key)
ロバート・リー・ヒル(ベース)Robert Lee Hill(b)
アンソニー・フィッツジェラルド・ムーア(ドラムス)Anthony Fitzgerald Moore(ds)
■セットリスト ルーファス・フィーチャリング・ドー他-ズ・オブ・ファンク
Setlist Rufus June 22, 2011 @ Bluenote Tokyo
(Lead singer in the ( ) (メインのリードシンガーを曲目の後に)
show started 21:39
01.Take Time (Instrumental)
02.Once You Get Started (Tony)
03.You Got The Love (Amanda)
04.Any Love (Tony)
05.Thank You [Sly & Family Stone] (Phunne)
06.Hold On (New song) (Amanda)
07.Everlasting Love (Milini)
08.Stay
09.Dance With Me
10.Tell Me Something Good (Milini)
11.Sweet Thing (Amanda)
12.You’re Welcome, Stop On By (Amanda)
13.Ain’t Nobody (Amanda)
Enc. Do You Love What You Feel ~ I Wanna Take You Higher [Sly & Family Stone]
Show ended 23:04
(2011年06月22日水曜、東京ブルーノート=ルーファス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Rufus
2011-
○トニー・メイデン(ルーファス)、ライヴ前プロモーション中~ライヴは水曜から金曜
2011年6月23日 音楽○トニー・メイデン(ルーファス)、ライヴ前プロモーション中~ライヴは水曜から金曜
【Tony Maiden Promotion】
先乗り。
ルーファスのギタリスト、トニー・メイデンが今日2011年6月22日(水)からのブルーノート東京でのライヴを前に、プロモーションで先乗り。いくつかのラジオ番組などに出演した。
トニーと娘のアマンダが来日したのは土曜日夕方。まず、第一弾は、日曜日午後の生放送『ソウル・ブレンズ』(インターFM)内「ソウル・サーチン」(午後2時半~)のコーナー。ここでは、アコースティック・ギターを持参し、今回の東日本大震災のために作った「ホールド・オン」というバラード調の曲を、アマンダの歌とトニーのギターで披露した。
さらに、翌日はNHK-FMの『ソウル・ミュージック』へのゲスト収録。ここでは、NHKの大きなスタジオ(505スタジオ)で、なんと日本のヴェテラン・ドラマー、つのだ☆ひろさんのバンドと共演。数曲を収録。また、インタヴューも。この分の収録は、2011年7月7日木曜『ソウル・ミュージック』(NHK-FM、午後1時~12時)で放送される。詳細は、番組放送後に。
火曜日は、下北沢の小さなライヴ・ハウス「カラード・ジャム」でミュージシャン志望の若者と自由なジャム・セッションを繰り広げた。
この「カラード・ジャム」でのセッションを見たが、次々とアマチュア、音楽学校の学生、セミ・プロのミュージシャンたちが、トニーと自由にセッションするのだが、驚いたのが、トニーのタフさだ。アマチュアたちは、代わる代わる演奏に入るのだが、トニーはずっと弾きっ放し。それでも、相当楽しんでる様子。3時間近くやったと思うが、そのタフさに驚いた。
楽器を媒介に、見ず知らずの、それも年齢も親子ほど離れた、しかも国籍も人種も違う者同士が、ひとつの音を作る。ジャム・セッションの醍醐味だ。
このとき感じたのが、日本の若いミュージシャン志望の学生たちは、トニーの目を見ないということ。中には若干見る者もいたが、少ない。トニーがミュージシャンの方に積極的に顔を向けるのだが、学生たちが恥ずかしがりやなのか、下を向いたりして、アイコンタクトを取らない。なぜなのだろう。アイコンタクトと、相手の音をしっかり聴くというのは、生バンドの演奏、特にジャム・セッションの基本中の基本。ふだん打ち込みなどで宅録が多いと、生身のミュージシャンたちとの共演などの経験が少ないからなのだろうか。
「ちょっとブルーズをやろう、Bフラットだ」「じゃあ、レゲエをやろう」「ファンクをやろう」などとその場で、テンポ、スタイル、キーだけを決めて、次々とジャム・セッションが続いた。
途中スペシャルで、ドラマーのトニー・ムーアとトニー・メイデン、そして、アマンダ・メイデンによる即興歌・演奏があって、大いに盛り上がった。最後はみんなで記念撮影。きっと、学生たちには素晴らしい思いでになっただろう。
そして、水曜日午後に、カマサミ・コングのメットポッドの収録。水曜リハーサル前に、ちょっとだけ話を聞いた。さっそく、メットポッドにアップされている。マイケルの話なども語っている。
http://metropolis.co.jp/podcast/2011/06/22/metpod-mini-special-featuring-tony-maiden-of-rufus-now-in-tokyo-at-the-blue-note/
短縮アドレス
http://bit.ly/khaODa
■ライヴ
ライヴは、6月22日(水)から24日(金)まで、東京ブルーノート。一日2セット。
トニー&ルーファスのライヴ詳細はこちら
http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/rufus/
■ルーファス過去記事(前回、前々回ライヴ評、インタヴューなど)
2010年01月17日(日)
ルーファス&スライ・ストーン、ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436078971.html
2010年01月18日(月)
トニー&アマンダ・メイデン(ルーファス)、『ソウル・ブレンズ』に登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436835618.html#main
前回ライヴ評。↑
前々回来日時のルーファス特集↓
2008年11月13日(木)
ルーファス・ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10164090490.html
2008年11月15日(土)
ルーファス(パート2)~トニー・メイデン語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10164913911.html
2008年11月16日(日)
ルーファス(パート3)~ケヴィン・マーフィー語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10165405612.html#main
2008年11月17日(月)
ルーファス(パート4)~マダム・ディー語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10165844327.html#main
2008年11月18日(火)
ルーファス(パート5)~ヴァル・ヤング語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10166274990.html#main
■今回のメンバー
トニー・メイデン(ヴォーカル、ギター)Tony Maiden(vo,g)
アマンダ・メイデン(ヴォーカル)Amanda Maiden(vo)
インディラ・ミリニ・カーン(ヴォーカル)Indira Milini Khan(vo)
ファン・ロビンソン・ストーン(ヴォーカル)Phunne Robinson Stone(vo)
ミチコ・ヒル(キーボード)Michiko Hill(key)
マイケル・スティーヴァー(トランペット)Michael Stever(tp)
ロバート・リー・ヒル(ベース)Robert Lee Hill(b)
アンソニー・フィッツジェラルド・ムーア(ドラムス)Anthony Fitzgerald Moore(ds)
ENT>ANNOUNCEMENT>Rufus
ENT>ARTIST>Rufus, Maiden Tony & Amanda
【Tony Maiden Promotion】
先乗り。
ルーファスのギタリスト、トニー・メイデンが今日2011年6月22日(水)からのブルーノート東京でのライヴを前に、プロモーションで先乗り。いくつかのラジオ番組などに出演した。
トニーと娘のアマンダが来日したのは土曜日夕方。まず、第一弾は、日曜日午後の生放送『ソウル・ブレンズ』(インターFM)内「ソウル・サーチン」(午後2時半~)のコーナー。ここでは、アコースティック・ギターを持参し、今回の東日本大震災のために作った「ホールド・オン」というバラード調の曲を、アマンダの歌とトニーのギターで披露した。
さらに、翌日はNHK-FMの『ソウル・ミュージック』へのゲスト収録。ここでは、NHKの大きなスタジオ(505スタジオ)で、なんと日本のヴェテラン・ドラマー、つのだ☆ひろさんのバンドと共演。数曲を収録。また、インタヴューも。この分の収録は、2011年7月7日木曜『ソウル・ミュージック』(NHK-FM、午後1時~12時)で放送される。詳細は、番組放送後に。
火曜日は、下北沢の小さなライヴ・ハウス「カラード・ジャム」でミュージシャン志望の若者と自由なジャム・セッションを繰り広げた。
この「カラード・ジャム」でのセッションを見たが、次々とアマチュア、音楽学校の学生、セミ・プロのミュージシャンたちが、トニーと自由にセッションするのだが、驚いたのが、トニーのタフさだ。アマチュアたちは、代わる代わる演奏に入るのだが、トニーはずっと弾きっ放し。それでも、相当楽しんでる様子。3時間近くやったと思うが、そのタフさに驚いた。
楽器を媒介に、見ず知らずの、それも年齢も親子ほど離れた、しかも国籍も人種も違う者同士が、ひとつの音を作る。ジャム・セッションの醍醐味だ。
このとき感じたのが、日本の若いミュージシャン志望の学生たちは、トニーの目を見ないということ。中には若干見る者もいたが、少ない。トニーがミュージシャンの方に積極的に顔を向けるのだが、学生たちが恥ずかしがりやなのか、下を向いたりして、アイコンタクトを取らない。なぜなのだろう。アイコンタクトと、相手の音をしっかり聴くというのは、生バンドの演奏、特にジャム・セッションの基本中の基本。ふだん打ち込みなどで宅録が多いと、生身のミュージシャンたちとの共演などの経験が少ないからなのだろうか。
「ちょっとブルーズをやろう、Bフラットだ」「じゃあ、レゲエをやろう」「ファンクをやろう」などとその場で、テンポ、スタイル、キーだけを決めて、次々とジャム・セッションが続いた。
途中スペシャルで、ドラマーのトニー・ムーアとトニー・メイデン、そして、アマンダ・メイデンによる即興歌・演奏があって、大いに盛り上がった。最後はみんなで記念撮影。きっと、学生たちには素晴らしい思いでになっただろう。
そして、水曜日午後に、カマサミ・コングのメットポッドの収録。水曜リハーサル前に、ちょっとだけ話を聞いた。さっそく、メットポッドにアップされている。マイケルの話なども語っている。
http://metropolis.co.jp/podcast/2011/06/22/metpod-mini-special-featuring-tony-maiden-of-rufus-now-in-tokyo-at-the-blue-note/
短縮アドレス
http://bit.ly/khaODa
■ライヴ
ライヴは、6月22日(水)から24日(金)まで、東京ブルーノート。一日2セット。
トニー&ルーファスのライヴ詳細はこちら
http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/rufus/
■ルーファス過去記事(前回、前々回ライヴ評、インタヴューなど)
2010年01月17日(日)
ルーファス&スライ・ストーン、ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436078971.html
2010年01月18日(月)
トニー&アマンダ・メイデン(ルーファス)、『ソウル・ブレンズ』に登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436835618.html#main
前回ライヴ評。↑
前々回来日時のルーファス特集↓
2008年11月13日(木)
ルーファス・ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10164090490.html
2008年11月15日(土)
ルーファス(パート2)~トニー・メイデン語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10164913911.html
2008年11月16日(日)
ルーファス(パート3)~ケヴィン・マーフィー語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10165405612.html#main
2008年11月17日(月)
ルーファス(パート4)~マダム・ディー語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10165844327.html#main
2008年11月18日(火)
ルーファス(パート5)~ヴァル・ヤング語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10166274990.html#main
■今回のメンバー
トニー・メイデン(ヴォーカル、ギター)Tony Maiden(vo,g)
アマンダ・メイデン(ヴォーカル)Amanda Maiden(vo)
インディラ・ミリニ・カーン(ヴォーカル)Indira Milini Khan(vo)
ファン・ロビンソン・ストーン(ヴォーカル)Phunne Robinson Stone(vo)
ミチコ・ヒル(キーボード)Michiko Hill(key)
マイケル・スティーヴァー(トランペット)Michael Stever(tp)
ロバート・リー・ヒル(ベース)Robert Lee Hill(b)
アンソニー・フィッツジェラルド・ムーア(ドラムス)Anthony Fitzgerald Moore(ds)
ENT>ANNOUNCEMENT>Rufus
ENT>ARTIST>Rufus, Maiden Tony & Amanda