★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (73回~75回)
2011年4月9日 音楽★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (73回~75回)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月31日~4月02日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第73回(3月31日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第73回 スリー・ドット・ダッシュはVサイン
#73 Party Night
Written on Thursday, 31 March 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 31 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/299-walking-on-planet-c-party-night
左・グリーンウィッチ・ヴィレッジを通り越し、ザ・ビターエンド・クラブに到着、僕の右はアイズハン、右・僕とビートボクサー、キッド・ラッキー
僕はグリーンウィッチ・ヴィレッジを通り越し、ザ・ビターエンド・クラブに到着した。今日は、「スリー・ドット・ダッシュ・グローヴァル・ティーン・リーダーズ(GTL)」のパーティー・ナイトだった。
今夜は、癌手術以来初めてギターを持ってステージに上った。
GTLのみんなやビターエンドのマネージャーたち(ビターエンドは、僕が16歳のときプレイした初めてのクラブだった)、僕の忠実なギター・テック(ギターの面倒をすべて見るアシスタント技術者)のテリー、そして、ウィ・アー・ファミリー基金のスタッフたちにサポートされるのは本当に嬉しく幸せだった。多くのパフォーマーたちが登場し、素晴らしい夜だった。
インパクト・レパートリー・シアターが「スリー・ドット・ダッシュ」をライヴで演奏した。僕はアンコールで、彼らとともに「ウィ・アー・ファミリー」をプレイした。見せ掛けのエンディング(=音楽業界用語:本当のエンディングではなく、一見終わったように見せるエンディングのこと)の後、ビートボックス(ヒューマン・ビートボックス)をやる連中がステージに上がり、「ウィ・アー・ファミリー」を繰り返し、GTLのすべてのメンバーがステージに駆け上がった。なぜかって? パーティー・ナイトだからだ!
(スリー・ドット・ダッシュのビデオ)
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第74回(4月1日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第74回 彼らが僕にしてくれたこと
#74 What They Do for Me
Written on Friday, 01 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 01 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/300-walking-on-planet-c-what-they-do-for-me
暗雲に覆われた空の下、ブロードウェイを「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらファンキーに歩く
暗雲に覆われた空の下、僕はブロードウェイを「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらファンキーに歩いていた。「アイ・ウォナ・ダンス」は、ザ・シック・オーガニゼーションがクール&ザ・ギャングと手を組んで完成した新曲だ。
癌に侵される以前からこの曲に取りかかり始めていたが、僕がコントロールできない様々な問題が起き、プロジェクトは保留にされていた。
僕は音楽を愛している。音楽の力には戸惑うほどだ。そしてその力は僕に生きる理由を与えてくれる。僕のセラピーの過程で様々な歌を自分自身のために歌っている。音楽、思い出、人々、楽曲。そうしたものが僕のエンジンを動かす燃料だ。それらは、僕に人生の意味、人生の目的を教えてくれる。それこそが彼らやそうしたものが僕に与えてくれるものなのだ。
僕の人生を変えた作品を集めたコンピレーション・アルバムを作った。このレコードを元パートナー、バーナード・エドワーズと日本の人々を称えるために、日本でリリースする。15年前、バーナードは東京で亡くなったが、その後、僕の人生に大いなる意味をもつ楽曲を歌うために、再度日本に招かれた。
そんな特別な日本の友人たちのため、バーナードとの愛と音楽とダンスの思い出を称えるために、僕は毎年、日本に戻る。
先ごろの悲劇的な地震、そしてその後遺症は、今年、僕にとってもっとも重要な関心事となった。日本の人々の強さは、僕のスピリット(精神)を奮い立たせてくれる。
彼らが僕のためにしてくれたことを、今度は僕が彼らのためにするつもりだ。
+++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第75回(4月2日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第75回 明るく陽気に
#75 Staying Upbeat
Written on Saturday, 02 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 02 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/301-walking-on-planet-c-staying-upbeat
左・コンピューターで癌手術日からの自分自身の写真を眺める、右・神経を麻痺させる局部麻酔のコマーシャルの真似をしてみんなを笑わせた
今日、僕はコンピューターで癌手術日からの自分自身の写真を眺めていた。点滴や僕の体4箇所から出ているチューブなどの激痛を感じながらも、明るく振舞おうとしていた。
僕は、神経を麻痺させる局部麻酔のコマーシャルの真似をしてみんなを笑わせた。
術後の体調面での症状は過去四ヵ月、大きな変化はない。しかし、気持ちの上、メンタル面ではかなり明るく上向いている。僕にはこれからたくさんやらなければならないことがある。疾患からくる体調をコントロールすることはできないが、気持ちの中で幸せと心の平和を得ようとしている。
だが、メンタル面でそのような極地に至るのは簡単ではない。自身どうありたいかという究極の例については、いつも自分にこう言い聞かせている。「もし僕が乗っている飛行機が墜落するとわかったら、そのとき、人生を思い浮かべる最後の思い出が楽しいものであればいい」
(2011年)4月6日、僕は『エヴリバディ・ダンス!』のコンピレーションCDをリリースする。これは元僕のパートナー、バーナード・エドワーズと日本の人々へ捧げるものだ。バーナードは15年前に日本で死去し、また、日本は今壊滅的な危機に直面しているが、このCDにはハッピーで平和的な音楽があふれている。音楽を作るとき、僕は明るく陽気なものを作ることを意識している。
Walking on Planet C>73-75>Party Night / What they Do For Me / Staying Upbeat
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月31日~4月02日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第73回(3月31日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第73回 スリー・ドット・ダッシュはVサイン
#73 Party Night
Written on Thursday, 31 March 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 31 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/299-walking-on-planet-c-party-night
左・グリーンウィッチ・ヴィレッジを通り越し、ザ・ビターエンド・クラブに到着、僕の右はアイズハン、右・僕とビートボクサー、キッド・ラッキー
僕はグリーンウィッチ・ヴィレッジを通り越し、ザ・ビターエンド・クラブに到着した。今日は、「スリー・ドット・ダッシュ・グローヴァル・ティーン・リーダーズ(GTL)」のパーティー・ナイトだった。
今夜は、癌手術以来初めてギターを持ってステージに上った。
GTLのみんなやビターエンドのマネージャーたち(ビターエンドは、僕が16歳のときプレイした初めてのクラブだった)、僕の忠実なギター・テック(ギターの面倒をすべて見るアシスタント技術者)のテリー、そして、ウィ・アー・ファミリー基金のスタッフたちにサポートされるのは本当に嬉しく幸せだった。多くのパフォーマーたちが登場し、素晴らしい夜だった。
インパクト・レパートリー・シアターが「スリー・ドット・ダッシュ」をライヴで演奏した。僕はアンコールで、彼らとともに「ウィ・アー・ファミリー」をプレイした。見せ掛けのエンディング(=音楽業界用語:本当のエンディングではなく、一見終わったように見せるエンディングのこと)の後、ビートボックス(ヒューマン・ビートボックス)をやる連中がステージに上がり、「ウィ・アー・ファミリー」を繰り返し、GTLのすべてのメンバーがステージに駆け上がった。なぜかって? パーティー・ナイトだからだ!
(スリー・ドット・ダッシュのビデオ)
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『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第74回(4月1日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第74回 彼らが僕にしてくれたこと
#74 What They Do for Me
Written on Friday, 01 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 01 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/300-walking-on-planet-c-what-they-do-for-me
暗雲に覆われた空の下、ブロードウェイを「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらファンキーに歩く
暗雲に覆われた空の下、僕はブロードウェイを「アイ・ウォナ・ダンス」を歌いながらファンキーに歩いていた。「アイ・ウォナ・ダンス」は、ザ・シック・オーガニゼーションがクール&ザ・ギャングと手を組んで完成した新曲だ。
癌に侵される以前からこの曲に取りかかり始めていたが、僕がコントロールできない様々な問題が起き、プロジェクトは保留にされていた。
僕は音楽を愛している。音楽の力には戸惑うほどだ。そしてその力は僕に生きる理由を与えてくれる。僕のセラピーの過程で様々な歌を自分自身のために歌っている。音楽、思い出、人々、楽曲。そうしたものが僕のエンジンを動かす燃料だ。それらは、僕に人生の意味、人生の目的を教えてくれる。それこそが彼らやそうしたものが僕に与えてくれるものなのだ。
僕の人生を変えた作品を集めたコンピレーション・アルバムを作った。このレコードを元パートナー、バーナード・エドワーズと日本の人々を称えるために、日本でリリースする。15年前、バーナードは東京で亡くなったが、その後、僕の人生に大いなる意味をもつ楽曲を歌うために、再度日本に招かれた。
そんな特別な日本の友人たちのため、バーナードとの愛と音楽とダンスの思い出を称えるために、僕は毎年、日本に戻る。
先ごろの悲劇的な地震、そしてその後遺症は、今年、僕にとってもっとも重要な関心事となった。日本の人々の強さは、僕のスピリット(精神)を奮い立たせてくれる。
彼らが僕のためにしてくれたことを、今度は僕が彼らのためにするつもりだ。
+++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第75回(4月2日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第75回 明るく陽気に
#75 Staying Upbeat
Written on Saturday, 02 April 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 02 April 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/301-walking-on-planet-c-staying-upbeat
左・コンピューターで癌手術日からの自分自身の写真を眺める、右・神経を麻痺させる局部麻酔のコマーシャルの真似をしてみんなを笑わせた
今日、僕はコンピューターで癌手術日からの自分自身の写真を眺めていた。点滴や僕の体4箇所から出ているチューブなどの激痛を感じながらも、明るく振舞おうとしていた。
僕は、神経を麻痺させる局部麻酔のコマーシャルの真似をしてみんなを笑わせた。
術後の体調面での症状は過去四ヵ月、大きな変化はない。しかし、気持ちの上、メンタル面ではかなり明るく上向いている。僕にはこれからたくさんやらなければならないことがある。疾患からくる体調をコントロールすることはできないが、気持ちの中で幸せと心の平和を得ようとしている。
だが、メンタル面でそのような極地に至るのは簡単ではない。自身どうありたいかという究極の例については、いつも自分にこう言い聞かせている。「もし僕が乗っている飛行機が墜落するとわかったら、そのとき、人生を思い浮かべる最後の思い出が楽しいものであればいい」
(2011年)4月6日、僕は『エヴリバディ・ダンス!』のコンピレーションCDをリリースする。これは元僕のパートナー、バーナード・エドワーズと日本の人々へ捧げるものだ。バーナードは15年前に日本で死去し、また、日本は今壊滅的な危機に直面しているが、このCDにはハッピーで平和的な音楽があふれている。音楽を作るとき、僕は明るく陽気なものを作ることを意識している。
Walking on Planet C>73-75>Party Night / What they Do For Me / Staying Upbeat
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (70回~72回)
2011年4月8日 音楽★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (70回~72回)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月28日~3月30日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第70回 ラヴ・トレイン
#70 Love Train
Written on Monday, 28 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 28 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/296-walking-on-planet-c-love-train
「ジャスト・ピース・サミット」に顔を出したあと、治療のためのウォーキングに
一日、「ウィ・アー・ファミリー基金」(WAFF)が行っている「ジャスト・ピース・サミット」に顔を出したあと、治療のためのウォーキングに出た。
過去二日、オージェイズの「ラヴ・トレイン」が僕の脳裏から片時も離れない。
僕は心ではヒッピーで、いつも愛の力を信じている。そして、癌を宣告されて以来、さらにそれを感じ感謝している。
「WAFFジャスト・ピース・サミット」は、十代の若者たちが集まる団体「スリー・ドット・ダッシュ」が行う企画イヴェントだ。「スリー・ドット…」は、世界中から「グローヴァル・ティーン・リーダーズ(地球的規模で物を考える十代のリーダーたち)」(GTL)を集めている。
僕の頭から「ラヴ・トレイン」が離れないのも無理はない。様々な十代の若者たち、その保護者、サポーターらと一緒にいるときに、「ラヴ・トレイン」の歌詞が頭の中をループしていた。
(コーラス)世界中の人々よ、手を組もう。そして、愛の列車(ラヴ・トレイン)を走らせるんだ。ラヴ・トレインを。
(ヴァース)まもなく次の停車地だ。ロシアや中国の仲間にも伝えてくれ。みんな、この列車に乗ろう。そして、この列車を走り続けさせよう
(コーラス)世界中の人々よ、手を組もう。そして、愛の列車(ラヴ・トレイン)を走らせるんだ。ラヴ・トレインを。
(ヴァース)アフリカの同胞たちよ、エジプトやイスラエルの仲間にも伝えてくれ。この列車に乗り遅れないでくれ。もしこれを逃すと、君たちが後悔すると思うから
(コーラス)世界中の人々よ、手を組もう。そして、愛の列車(ラヴ・トレイン)を走らせるんだ。ラヴ・トレインを。
+++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第71回 大笑い
#71 A Lot of Fun
Written on Tuesday, 29 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 29 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/297-walking-on-planet-c-a-lot-of-fun
左・「スリー・ドット・ダッシュ」の音楽ビデオを見ているととてもハッピーに。右・僕とジャマル
今日、「スリー・ドット・ダッシュ」の音楽ビデオを見ていると、とてもハッピーになった。「ウィ・アー・ファミリー基金」のイヴェント「ジャスト・ピース・サミット」中、僕はずっとハッピーだった。たくさんの楽しいことがあったからだ。
癌手術後の状態としては、今日はかなり悪かったが、そんなことにくよくよしてても始まらない。「グローヴァル・ティーン・リーダーズ」(世界的視野で見る十代のリーダーたち)がニューヨークに来ていて、僕たちは日々、多くの問題を克服している。僕たちはいかに個々のプログラムの連携を図るかについて一緒になってアイデアを出しあい、グループとしてより効果的なものを作り上げようとしている。
僕たちは真剣に懸命に勉強しているが、それでもたくさん楽しいことがある。ときに、最高の結果というのは、最悪な状況から生まれるものだ。
僕のもっとも売れたシングル、アトランティック・レコードから国内だけで600万枚売れた「ル・フリーク」は、もともと抗議の歌として始まった。実は大晦日にディスコ「スタジオ54」(註1)でライヴをやっていたグレイス・ジョーンズ(註2)に招待され、そこに行ったところ、シックは中にいれてもらえなかったのだ。ディスコのドアマンは僕たちをののしり、目の前でドアをびしゃりと閉めた。グレイスに言われてバックステージのところに行ったのだが、「ファック・オフ」(くそったれ=四文字ワード=放送禁止用語のようなもの)と言われたのだ。
僕たちはもはや中に入れないと悟ったので、アパートに戻り「あ~~、ファック・オフ」というフレーズをいれたグルーヴでジャム・セッションを始めた。それから、僕たちは(「ファック・オフ」というのはあまりにひどいので)「あ~~、フリーク・オフ」と変えて、さらに、最終的には「ア~~、フリーク・アウト」と変えて歌った。世界でもっとも話題を集めていたホットなディスコに入れてもらえなかった失望感にもかかわらず、僕たちはそのことを大いに笑い飛ばし、曲作りで楽しいひと時を過ごし、僕たち最大のナンバー・ワン・シングルを生み出したのだ。
今日、現在コロンビア大学映画学校の部長を勤めている、僕が16歳の頃から知っている友人の一人、ジャマル・ジョセフが、長時間、とても有益な勉強になるレクチャーをしてくれた。それは今日の「スリー・ドット・ダッシュ・ジャスト・ピース・サミット」の中で、映画製作についてのとても難しいワークショップだった。それは厳しく、集中したものだったが、とても楽しいものだった。
(註1)1970年代中期にニューヨークでもっとも流行ったディスコ。マンハッタン54丁目にあったので、「ステジオ54」という名前をつけていた。当時、多くのセレブ、有名人が集まり、そうしたセレブ目当てに一般の客も来たが、ドアマンがおしゃれな人間しかいれなかったために、かなり敷居の高いディスコとして知られていた。ナイルたちは、まだ当時は無名だったので、顔を知られていなかったために、中にいれてもらえなかった。
(註2)1970年代中期、ディスコで大変人気のあった黒人女性アーティスト。ひじょうにファッショナブルで、もともとモデルから転じてシンガーになった。
+++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第72回 スリー・ドット・ダッシュはVサイン
#72 Three Dot Dash
Written on Wednesday, 30 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 30 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/298-walking-on-planet-c-three-dot-dash
「ジャスト・ピース・サミット」に戻るため、ミッドタウンの駐車場に車を停め、会場まで歩く
「ウィ・アー・ファミリー基金」(WAFF)の「ジャスト・ピース・サミット」に戻るため、ミッドタウンの駐車場に車を停め、会場まで歩くことにした。僕は2010年10月の終わりに悪性前立腺癌と診断されて以来、ウォーキングを日課にしている。言ってみれば、「スリードット・ダッシュ・サミット」へ歩いていくことで、二つの目的(会場に行くこと、ウォーキングをすること)を遂げることができるわけだ。
「スリー・ドット・ダッシュ」は、WAFFが企画運営する地球規模の新たな取り組み、戦略だ。WAFFは、世界中で積極的に様々な活動をする「グローヴァル・ティーン・リーダーズ(地球規模で物を考える十代のリーダー)」を支援する。その活動は、人類が根本的に必要とする食料、水、健康、最低限の住まい、安全、教育、環境問題などを軸に、より平和な社会を作り、推進しようというものである。「スリー・ドット・ダッシュ」という名前は、電報で使われるモールス信号と二本の指で形作られる「ピース・サイン」つまり「Vサイン」をあわせたものだ。モールス信号で、「V」は、「・・・-(トン・トン・トン・ツーーー))となる。
僕は以前の拠点だったザ・パワー・スーテーション・スタジオ(現アヴァター・スタジオ)の前を通り過ぎた。そこでは、かつて僕たちはあらゆるヴァージョンの「ウィ・アー・ファミリー」を録音した。スパイク・リー・ヴァージョン、チルドレン・ヴァージョン、そして、1978年にオリジナルのシスター・スレッジ・ヴァージョンだ。
そしてもう1曲別の作品をそこで録音した。インパクト・レパートリー・シアターによる「スリー・ドット・ダッシュ」だ。
(下記にビデオ)
Walking on Planet C>70-72>Love Train / A Lot of Fun / Three Dot Dash
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月28日~3月30日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第70回 ラヴ・トレイン
#70 Love Train
Written on Monday, 28 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 28 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/296-walking-on-planet-c-love-train
「ジャスト・ピース・サミット」に顔を出したあと、治療のためのウォーキングに
一日、「ウィ・アー・ファミリー基金」(WAFF)が行っている「ジャスト・ピース・サミット」に顔を出したあと、治療のためのウォーキングに出た。
過去二日、オージェイズの「ラヴ・トレイン」が僕の脳裏から片時も離れない。
僕は心ではヒッピーで、いつも愛の力を信じている。そして、癌を宣告されて以来、さらにそれを感じ感謝している。
「WAFFジャスト・ピース・サミット」は、十代の若者たちが集まる団体「スリー・ドット・ダッシュ」が行う企画イヴェントだ。「スリー・ドット…」は、世界中から「グローヴァル・ティーン・リーダーズ(地球的規模で物を考える十代のリーダーたち)」(GTL)を集めている。
僕の頭から「ラヴ・トレイン」が離れないのも無理はない。様々な十代の若者たち、その保護者、サポーターらと一緒にいるときに、「ラヴ・トレイン」の歌詞が頭の中をループしていた。
(コーラス)世界中の人々よ、手を組もう。そして、愛の列車(ラヴ・トレイン)を走らせるんだ。ラヴ・トレインを。
(ヴァース)まもなく次の停車地だ。ロシアや中国の仲間にも伝えてくれ。みんな、この列車に乗ろう。そして、この列車を走り続けさせよう
(コーラス)世界中の人々よ、手を組もう。そして、愛の列車(ラヴ・トレイン)を走らせるんだ。ラヴ・トレインを。
(ヴァース)アフリカの同胞たちよ、エジプトやイスラエルの仲間にも伝えてくれ。この列車に乗り遅れないでくれ。もしこれを逃すと、君たちが後悔すると思うから
(コーラス)世界中の人々よ、手を組もう。そして、愛の列車(ラヴ・トレイン)を走らせるんだ。ラヴ・トレインを。
+++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第71回 大笑い
#71 A Lot of Fun
Written on Tuesday, 29 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 29 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/297-walking-on-planet-c-a-lot-of-fun
左・「スリー・ドット・ダッシュ」の音楽ビデオを見ているととてもハッピーに。右・僕とジャマル
今日、「スリー・ドット・ダッシュ」の音楽ビデオを見ていると、とてもハッピーになった。「ウィ・アー・ファミリー基金」のイヴェント「ジャスト・ピース・サミット」中、僕はずっとハッピーだった。たくさんの楽しいことがあったからだ。
癌手術後の状態としては、今日はかなり悪かったが、そんなことにくよくよしてても始まらない。「グローヴァル・ティーン・リーダーズ」(世界的視野で見る十代のリーダーたち)がニューヨークに来ていて、僕たちは日々、多くの問題を克服している。僕たちはいかに個々のプログラムの連携を図るかについて一緒になってアイデアを出しあい、グループとしてより効果的なものを作り上げようとしている。
僕たちは真剣に懸命に勉強しているが、それでもたくさん楽しいことがある。ときに、最高の結果というのは、最悪な状況から生まれるものだ。
僕のもっとも売れたシングル、アトランティック・レコードから国内だけで600万枚売れた「ル・フリーク」は、もともと抗議の歌として始まった。実は大晦日にディスコ「スタジオ54」(註1)でライヴをやっていたグレイス・ジョーンズ(註2)に招待され、そこに行ったところ、シックは中にいれてもらえなかったのだ。ディスコのドアマンは僕たちをののしり、目の前でドアをびしゃりと閉めた。グレイスに言われてバックステージのところに行ったのだが、「ファック・オフ」(くそったれ=四文字ワード=放送禁止用語のようなもの)と言われたのだ。
僕たちはもはや中に入れないと悟ったので、アパートに戻り「あ~~、ファック・オフ」というフレーズをいれたグルーヴでジャム・セッションを始めた。それから、僕たちは(「ファック・オフ」というのはあまりにひどいので)「あ~~、フリーク・オフ」と変えて、さらに、最終的には「ア~~、フリーク・アウト」と変えて歌った。世界でもっとも話題を集めていたホットなディスコに入れてもらえなかった失望感にもかかわらず、僕たちはそのことを大いに笑い飛ばし、曲作りで楽しいひと時を過ごし、僕たち最大のナンバー・ワン・シングルを生み出したのだ。
今日、現在コロンビア大学映画学校の部長を勤めている、僕が16歳の頃から知っている友人の一人、ジャマル・ジョセフが、長時間、とても有益な勉強になるレクチャーをしてくれた。それは今日の「スリー・ドット・ダッシュ・ジャスト・ピース・サミット」の中で、映画製作についてのとても難しいワークショップだった。それは厳しく、集中したものだったが、とても楽しいものだった。
(註1)1970年代中期にニューヨークでもっとも流行ったディスコ。マンハッタン54丁目にあったので、「ステジオ54」という名前をつけていた。当時、多くのセレブ、有名人が集まり、そうしたセレブ目当てに一般の客も来たが、ドアマンがおしゃれな人間しかいれなかったために、かなり敷居の高いディスコとして知られていた。ナイルたちは、まだ当時は無名だったので、顔を知られていなかったために、中にいれてもらえなかった。
(註2)1970年代中期、ディスコで大変人気のあった黒人女性アーティスト。ひじょうにファッショナブルで、もともとモデルから転じてシンガーになった。
+++++
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第72回 スリー・ドット・ダッシュはVサイン
#72 Three Dot Dash
Written on Wednesday, 30 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 30 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/298-walking-on-planet-c-three-dot-dash
「ジャスト・ピース・サミット」に戻るため、ミッドタウンの駐車場に車を停め、会場まで歩く
「ウィ・アー・ファミリー基金」(WAFF)の「ジャスト・ピース・サミット」に戻るため、ミッドタウンの駐車場に車を停め、会場まで歩くことにした。僕は2010年10月の終わりに悪性前立腺癌と診断されて以来、ウォーキングを日課にしている。言ってみれば、「スリードット・ダッシュ・サミット」へ歩いていくことで、二つの目的(会場に行くこと、ウォーキングをすること)を遂げることができるわけだ。
「スリー・ドット・ダッシュ」は、WAFFが企画運営する地球規模の新たな取り組み、戦略だ。WAFFは、世界中で積極的に様々な活動をする「グローヴァル・ティーン・リーダーズ(地球規模で物を考える十代のリーダー)」を支援する。その活動は、人類が根本的に必要とする食料、水、健康、最低限の住まい、安全、教育、環境問題などを軸に、より平和な社会を作り、推進しようというものである。「スリー・ドット・ダッシュ」という名前は、電報で使われるモールス信号と二本の指で形作られる「ピース・サイン」つまり「Vサイン」をあわせたものだ。モールス信号で、「V」は、「・・・-(トン・トン・トン・ツーーー))となる。
僕は以前の拠点だったザ・パワー・スーテーション・スタジオ(現アヴァター・スタジオ)の前を通り過ぎた。そこでは、かつて僕たちはあらゆるヴァージョンの「ウィ・アー・ファミリー」を録音した。スパイク・リー・ヴァージョン、チルドレン・ヴァージョン、そして、1978年にオリジナルのシスター・スレッジ・ヴァージョンだ。
そしてもう1曲別の作品をそこで録音した。インパクト・レパートリー・シアターによる「スリー・ドット・ダッシュ」だ。
(下記にビデオ)
Walking on Planet C>70-72>Love Train / A Lot of Fun / Three Dot Dash
◎ オリト・トリビュート・ライヴ~オリトのもとに一致団結
2011年4月7日 音楽◎オリト・トリビュート・ライヴ~オリトのもとに一致団結
【Orito Tribute Live : One Nation Under Orito】
トリビュート。
2008年2月、43歳で急逝したシンガー、オリトを偲ぶトリビュート・ライヴが2011年4月5日、渋谷デュオで、オリトとゆかりのあるミュージシャン、シンガーたちが集まって行われた。会場は椅子を置きほぼ満席。観客は9割がた女性。2008年7月に同所で、行われたトリビュート・ライヴの再現という趣。
今回は、5日の渋谷デュオと10日の大阪のジャニスというライヴハウスで行われるものを録音し、夏くらいまでにCDとして発売する計画がある、という。今回は、ゴスペラーズの村上てつやさんらが中心となり、ミュージシャンなどと連絡を取り合い、取り仕切った。
ショーが始まる冒頭、村上氏が簡単に震災と今回のトリビュートについてあいさつ、その後フリー・ファンクの演奏でトリビュートが始まった。みな、オリト楽曲をそれぞれ独自の解釈で演奏、パフォーマンス。
村上さん、今回の音頭を取った鈴木さんらによると「オリトの曲を残したい。歌い継がれてほしい。そのためにはオリト楽曲をレコーディングしたい。だが、たくさんのアーティストを集めて(1曲1曲)レコーディングするのは、物理的になかなか大変だ。では、ライヴをやって、それをレコーディングしたらどうだろう、という話になった」との説明。
ハウスバンドは、前半がフリー・ファンク、後半がオリトのバックバンドをつとめたダンデライオンが担当。さまざまなアーティストが1-2曲ずつ歌った。
村上てつやは、「DJフィールグッド」と「Ex-Life」。みな、それぞれオリトのアルバムからお気に入りを選んできている。
エンディング前でジェイ公山さんとチャカさんのデュエットで「ユーヴ・ガッタ・フレンド」を。二人は「一卵性他人」というほどの似たものシャウト系で、実に熱い。そして、シュガー・ピンプスが「感謝の歌」を。日本のサム&デイヴ風な感じでこれもシャウト系。アンコールでは、全員でアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」。やはり、オリトというとこの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」だ。彼の名刺代わりの1曲というほどのインパクトがある。ガッツ→トミー→チャカという順でリードを取り、全体で。全員がステージに横に並ぶと圧巻だ。トミーさんは、以前、ブルースアレイで拝見したことがあるはず。体格と声の感じから、「日本のフィル・ペリー」という印象を受けた。
一応、映像もカメラ3台で押さえた。映像の一部がひょっとしたら、CDに特典映像的につくかもしれない。
ライヴ後の打ち上げも、参加ミュージシャンが多数なだけに、会場となったモリゲンも表まで人があふれる。
それにしても、オリトは本当に多くのシンガー/ミュージシャンたちに愛されていたのだなあ、と思う。オリトのもとに多くのミュージシャンたちがひとつになった夜だった。まさに、「One Nation Under Orito」という感じだ。その一体感は何物にも代え難いものだ。ミュージシャンたちの団結力がすごい。
なお、大阪では、清水興さんなども参加、セットリストも若干変わるという。
■過去関連記事
2008年02月27日(水)
オリト死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080227.html
2008年07月16日(水)
オリト・トリビュート・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080716.html
March 13, 2006
OA Farewell Party
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200603/2006_03_13.html
2004/08/10 (Tue)
Orito Live At Blues Alley: Homework Is Still Remain
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200408/diary20040810.html
■ オリト・公式ウェッブ
http://oritosoul.com/
■1枚目 ソウル・ジョイント
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000565UR/soulsearchiho-22/ref=nosim/
2作目 ソウルフード
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005GXHW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
3作目ロスト・アンド・ファウンド
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005GXQO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
4作目(編集ベスト・アルバム)イモータルソウル
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001A9TJJ8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
団子と珈琲
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0019HB2CS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■2011年4月10日に大阪公演
OSAKA~大阪公演~
【日時】2010年4月10日(日) OPEN 17:00 / START 18:00
【場所】心斎橋 JANUS
TEL: 06-6214-7255
【出演】*敬称略
清水 興(ベース)、SASSY TOMO(キーボード)、せきこーぢ 星川薫(ギター)中村岳(ドラム)
村上てつや、CHAKA JAYE公山 Ko-Jayes 福原タカヨシ TOMICA 高橋 篤 DJ刃頭
【チケット情報】
料金 前売 ¥4,500 / 当日 5,000 ※税込、1ドリンク別
■メンバー (東京分)
フリー・ファンク Free Funk
Toshifumi "FREEFUNK艦長" Sakuratani vocal & guitar
Yoshitaka "Uratch" Urakami drums & vocal
Shinri "Sammy" Usami keyboards
Kenji "Shibaken" Koshiba baritone sax, alto sax
Mei-Me Watari vocal & tombourine
Kimikazu "Taylor" Hiraoka tenor sax
Kohei "ESP" Kiyota trumpet
Shingo "Mee-Mo" Yusa bass
タイラヨヲ Taira Yo
シュガ・ピンプス Suga Pimps
ルーサー市村 Luther Ichimura
シンヴァ Shimva
中澤信栄 Nakazawa Nobuyoshi
トミー Tommy 富永Tommy弘明
ジェイド Jay’ed
ジェイ公山 Jaye Kouyama
チャカ Chaka
村上てつや Murakami Tetsuya
シュウタロウ Shutaro (talk box)
木村佳代子 Kimura Kayoko サックス
ORITOバンド
星川 薫(ギター)池間 史規 六川 正彦(ベース)三浦 晃嗣(ドラム)中道 勝彦 加藤 実(キーボード) TOMICA(ボーカル)
■セットリスト オリト・トリビュート・ライヴ 2011年4月5日 渋谷デュオ
Setlist: Orito Tribute Live
( )=演奏・歌
Show started 19:01
00.あいさつ (村上てつや)
01.大丈夫 大丈夫 (フリー・ファンク)
02.I Never Thought (フリー・ファンク)
03.ありがとう (タイラヨヲ)
04.メイフィールド (シュガー・ピンプス)
05.Our Beat (ルーサー市村)
Ended 19:40
Break
Started 19:48
06.Nene (バンド演奏、インスト)
07.Lisa 横田基地物語 (シンヴァ)
08.そして僕を愛して (中澤信栄)
09.De Ja Vu (中澤信栄)
10.夢中になる性格 (トミー)
11.Why (ジェイド)
12.I’m Yours (ジェイ公山)
13.Afraid Of Losing You (チャカ)
14.DJ Feelgood (村上てつや)
15.Ex-Life (村上てつや)
16.You’ve Got Friends (ジェイ公山&チャカ)
17.感謝の歌 (ジェイ公山&チャカ &村上てつや、シュガー・ピンプス)
18.Let’s Stay Together (全員)~ a riff of ありがとう
Show ended 21:54
(2011年4月5日火曜、渋谷デュオ、オリト・トリビュート・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Orito Tribute
2011-
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (67回~69回)
2011年4月6日 音楽★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 (67回~69回)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月25日~3月27日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第67回 ドクター・ラヴ
#67 Doctor Love
Written on Friday, 25 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 25 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/293-walking-on-planet-c-doctor-love
今朝、この界隈は一面雪に覆われた
今朝、この界隈は一面雪に覆われた。僕は膝のエクソサイズを裏のベランダで行った。今日はもっと外で過ごしたかったからだ。癌になって以来、日々のエクソサイズは大事な現在進行形のセラピー(治療)になっている。
昨日、ソウル・サーチャー(@soulsearcher216)がロリータ・ハロウェイ(註1)が亡くなったことを教えてくれた。ソウル・サーチャーは、リスペクトされている日本のジャーナリストで、僕のブログをずっと(日本語に)翻訳してくれている。
ロリータ・ハロウェイはマイクの前に現れたもっとも素晴らしいシンガーの一人だ。彼女の名人芸とも呼べるヴォーカルは、フィリー・ソウル(フィラデルフィア・ソウル)(註2)、ダンス/ディスコ時代が頂点にあった頃、ダンスフロアーを狂喜乱舞させていた。僕は一晩中、彼女のことを考えていた。
ウォーキングを始めるとファースト・チョイスの「ドクター・ラヴ」を歌った。彼女たちは、ロリータ・ハロウェイと同じゴールド・マインド・レコードに所属するレーベルメイトで、ロリータと同じ音楽的DNAを持つ。僕はこの曲の12インチ・ヴァージョンのすべてのメロディーを覚えている。そして、僕はウォーキングのペースにあわせて、曲のテンポを速くした。簡単なことだ。僕はミュージック・プレイヤーを持ち歩かず、DJは僕の頭の中にいるからだ。膨大な量のプレイリストがあり、そのときのムードにあわせて選曲できる。今日は、フィリー・ソウルばかりを歌った。「ヒット&ラン」、「ラヴ・センセーション」(どちらもロリータ・ハロウェイ)、「ザ・プレイヤー」、「アームド・アンド・エクストリームリー・デンジャラス」(どちらもファースト・チョイス)、「ラヴ・イズ・ザ・メッセージ」(MFSB)、「ザッツ・ホエア・ハッピー・ピープル・ゴー」(トランプス)、「スマーティー・パンツ」、「ラヴ・サング」(ファースト・チョイス)、そして、「ドクター・ラヴ」のリプレイで締めた。
Doctor Love / Hit & Run
Love Sensation / That’s Where Happy People Go
ウォーキングの間、ディスコ全盛期に活躍したアーティストの死(ロリータの死のこと)の影から逃れられたわけではない。だが、僕は自分の健康の面倒を見てくれる勤勉なスタッフのおかげで、死を免れている。
家に戻り、留守電とEメールをチェックすると、僕の術後の様子について3人の医師(ドクター)からのメッセージが残されていた。まさに、ドクター・ラヴだ(愛のドクター)だ。
+++++
(註1)ロリータ・ハロウェイ。1946年11月シカゴ生まれ。2011年3月21日死去。64歳。詳細はこちら。http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110324.html
(註2)フィリー・ソウル=フィラデルフィア・ソウル 1970年代初期、ペンシルヴェにア州フィラデルフィアで生まれたソウル・ミュージック。同地のプロデューサー、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフ、トム・ベル、ボビー・マーティンなど多くのプロデューサー、アレンジャー、ミュージシャンが独特のサウンドの作品を作りヒットを生み出した。代表アーティストにはオージェイズ、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、スタイリスティックス、ブルー・マジック、ビリー・ポールなど。ロリータ、ファースト・チョイスともに、フィラデルフィアで録音した作品がヒットした。特に1980年代に入るまで高い人気を集めた。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第68回(3月26日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第68回 それ以上の
#68 So Much More
Written on Saturday, 26 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 26 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/294-walking-on-planet-c-so-much-more
今日、僕はとてもハッピー
今日、僕はとてもハッピーだ。ウォーキングを早めに切り上げた。というのも、まもなく、「スリー・ドット・ダッシュ・ジャスト・ピース・サミット」(註1)が始まるからだ。これは、911テロの悲劇後に僕が設立した「ウィ・アー・ファミリー基金」が行う大きな企画イヴェントのひとつだ。
当初バーナードと僕がシスター・スレッジのために「ウィ・アー・ファミリー」を書いたとき、僕たちはこの曲がR&B、ポップ、ダンスの大ヒットになることは間違いないと思った。だが、実際は、大ヒット以上のものに育った。ピッツバーグ・パイレイツ(註2)が1979年のワールド・シリーズのチャンピオンになったときに、彼らのテーマ曲として使って以来、世界中の人々はこの曲を「結束」の象徴的なテーマと考えるようになった。今では、この曲をかけない祝い事、ウエディング、「バル・ミツバー」(ユダヤ人の男子が13歳になる時に行われる成人式)のほうが少ない。
癌との闘いの初期から僕はこのブログを始めた。その治療となっている朝のウォーキングのまさに初日に僕が歌った曲、それが「ウィ・アー・ファミリー」だった。
初日のブログ↓
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110118.html
この曲は多くの点で僕の人生を変えた。もちろん、僕の作品群の中でもっとも収益をあげる1曲だ。だが、スピリチュアルなレヴェルで、この作品には収益以上の意味がある。それは僕の人生における多くの他の大事なものと同様だ。
僕は癌消滅と言われていて、癌という名の災難後初めてのコンサートをまもなく行う。それは、考えられないような大きな悲劇の只中にある日本の、バーナードが死去した東京で、その死去からちょうど15周年に行われる。
これは、「ウィ・アー・ファミリー基金・ジャスト・ピース・サミット」のすぐ直後ということになる。これらのイヴェントは、うまくタイミングを合わせて計画したわけではなく、多くの人はこれを単なる偶然だと見るかもしれない。ただ僕の心の中では、それ以上のものを感じているのだ。
(註1) 「スリー・ドット・ダッシュ」。「ウィ・アー・ファミリー基金」が運営するイヴェントのひとつ。ナイル・ロジャーズが始めたグローバルな戦略・企画で、世界のティーンのリーダーを育て、応援しようというもの。
http://threedotdash.org/legacy/Initiative.aspx
その年次総会が、2011年3月25日から4月1日までニューヨークで行われている。
(註2)ピッツバーグ・パイレイツ。ペンシルヴェニア州ピッツバーグを本拠とする野球のチームで、1979年にワールド・チャンピオンに。このときから、「ウィ・アー・ファミリー」をチームのテーマ曲に起用。このときはバルティモア・オリオールズと対戦、1勝3敗から3連勝してワールド・チャンピオンに輝いた。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第69回(3月27日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第69回 ポップ・ディーヴァ
#69 Pop Divas
Written on Sunday, 27 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 27 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/295-walking-on-planet-c-pop-divas
今日は朝のウォーキングを少し後ろにずらした
今日は朝のウォーキングを少し後ろにずらした。テレビ・スペシャル『ポップ・ディーヴァ』の出演があったからだ。僕はディーヴァとは、流れを変えることができる超一流の女性アーティストであるべきだと考えている。
僕がてがけた最初のスーパースターは、ダイアナ・ロスだった。あらゆる時代において最大のポップ・ディーヴァのひとりだ。ダイアナは僕の親しい友人のひとりだが、そのアルバム制作は生涯でもっとも困難なものだった。それまでに、またその後も彼女クラスのアーティストに作品を書いたことはなかったので、(さまざまな困難を)受け入れざるをえなかった。
癌と診断されて以来、僕は多くの難しい問題を受け入れている。多くのサポートや、医療的ケアを受けているが、僕の日常の人生を取り戻すために一生懸命やらなければならない。
ジャーナリストが、マドンナやデビー・ハリーをプロデュースし、マライア・キャリー、ブリットニー・スピアーズ、アレサ・フランクリンなどのためにギターをプレイすることについて尋ねてきた。そういう話をするのはとても楽しいが、ふと、一緒に仕事をしたアーティストが亡くなっていることを思うと悲しくなる。それは僕が受け入れなければならないもうひとつの事実ということだ。
スティーヴ・レイ・ヴォーン、バーナード・エドワーズ、テディー・ペンダグラス、ルーサー・ヴァンドロス、そして、インエクセスのマイケル・ハッチェンス。みな、超一流の流れを変えたアーティストたちだ。しかし、今あげたアーティストはみな男性だ。ディーヴァの対になる言葉がディーヴォだが、ディーヴァほどのインパクトはない。
そこで、微笑を取り戻し、VH-1局のテレビ・スペシャルで音楽監督をし、一緒に仕事をしたダイアナ・ロス、ドナ・サマー、マライア・キャリー、フェイス・ヒルなどについての話をし、ポップ・ディーヴァたちとの仕事がどれほど好きかを語った。
ダイアナ・ロス/マドンナ
ブリットニー・スピアーズ/マライア・キャリー
デビー・ハリー/アリサ・フランクリン
スティーヴ・レイ・ヴォーン/バーナード・エドワーズ
テディー・ペンダーグラス/マイケル・ハッチェンス
ルーサー・ヴァンドロス/ドナ・サマー
フェイス・ヒル
Walking On Planet C>(67)Doctor Love / (68)So Much More / (69)Pop Divas
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月25日~3月27日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第67回 ドクター・ラヴ
#67 Doctor Love
Written on Friday, 25 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 25 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/293-walking-on-planet-c-doctor-love
今朝、この界隈は一面雪に覆われた
今朝、この界隈は一面雪に覆われた。僕は膝のエクソサイズを裏のベランダで行った。今日はもっと外で過ごしたかったからだ。癌になって以来、日々のエクソサイズは大事な現在進行形のセラピー(治療)になっている。
昨日、ソウル・サーチャー(@soulsearcher216)がロリータ・ハロウェイ(註1)が亡くなったことを教えてくれた。ソウル・サーチャーは、リスペクトされている日本のジャーナリストで、僕のブログをずっと(日本語に)翻訳してくれている。
ロリータ・ハロウェイはマイクの前に現れたもっとも素晴らしいシンガーの一人だ。彼女の名人芸とも呼べるヴォーカルは、フィリー・ソウル(フィラデルフィア・ソウル)(註2)、ダンス/ディスコ時代が頂点にあった頃、ダンスフロアーを狂喜乱舞させていた。僕は一晩中、彼女のことを考えていた。
ウォーキングを始めるとファースト・チョイスの「ドクター・ラヴ」を歌った。彼女たちは、ロリータ・ハロウェイと同じゴールド・マインド・レコードに所属するレーベルメイトで、ロリータと同じ音楽的DNAを持つ。僕はこの曲の12インチ・ヴァージョンのすべてのメロディーを覚えている。そして、僕はウォーキングのペースにあわせて、曲のテンポを速くした。簡単なことだ。僕はミュージック・プレイヤーを持ち歩かず、DJは僕の頭の中にいるからだ。膨大な量のプレイリストがあり、そのときのムードにあわせて選曲できる。今日は、フィリー・ソウルばかりを歌った。「ヒット&ラン」、「ラヴ・センセーション」(どちらもロリータ・ハロウェイ)、「ザ・プレイヤー」、「アームド・アンド・エクストリームリー・デンジャラス」(どちらもファースト・チョイス)、「ラヴ・イズ・ザ・メッセージ」(MFSB)、「ザッツ・ホエア・ハッピー・ピープル・ゴー」(トランプス)、「スマーティー・パンツ」、「ラヴ・サング」(ファースト・チョイス)、そして、「ドクター・ラヴ」のリプレイで締めた。
Doctor Love / Hit & Run
Love Sensation / That’s Where Happy People Go
ウォーキングの間、ディスコ全盛期に活躍したアーティストの死(ロリータの死のこと)の影から逃れられたわけではない。だが、僕は自分の健康の面倒を見てくれる勤勉なスタッフのおかげで、死を免れている。
家に戻り、留守電とEメールをチェックすると、僕の術後の様子について3人の医師(ドクター)からのメッセージが残されていた。まさに、ドクター・ラヴだ(愛のドクター)だ。
+++++
(註1)ロリータ・ハロウェイ。1946年11月シカゴ生まれ。2011年3月21日死去。64歳。詳細はこちら。http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110324.html
(註2)フィリー・ソウル=フィラデルフィア・ソウル 1970年代初期、ペンシルヴェにア州フィラデルフィアで生まれたソウル・ミュージック。同地のプロデューサー、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフ、トム・ベル、ボビー・マーティンなど多くのプロデューサー、アレンジャー、ミュージシャンが独特のサウンドの作品を作りヒットを生み出した。代表アーティストにはオージェイズ、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、スタイリスティックス、ブルー・マジック、ビリー・ポールなど。ロリータ、ファースト・チョイスともに、フィラデルフィアで録音した作品がヒットした。特に1980年代に入るまで高い人気を集めた。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第68回(3月26日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第68回 それ以上の
#68 So Much More
Written on Saturday, 26 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 26 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/294-walking-on-planet-c-so-much-more
今日、僕はとてもハッピー
今日、僕はとてもハッピーだ。ウォーキングを早めに切り上げた。というのも、まもなく、「スリー・ドット・ダッシュ・ジャスト・ピース・サミット」(註1)が始まるからだ。これは、911テロの悲劇後に僕が設立した「ウィ・アー・ファミリー基金」が行う大きな企画イヴェントのひとつだ。
当初バーナードと僕がシスター・スレッジのために「ウィ・アー・ファミリー」を書いたとき、僕たちはこの曲がR&B、ポップ、ダンスの大ヒットになることは間違いないと思った。だが、実際は、大ヒット以上のものに育った。ピッツバーグ・パイレイツ(註2)が1979年のワールド・シリーズのチャンピオンになったときに、彼らのテーマ曲として使って以来、世界中の人々はこの曲を「結束」の象徴的なテーマと考えるようになった。今では、この曲をかけない祝い事、ウエディング、「バル・ミツバー」(ユダヤ人の男子が13歳になる時に行われる成人式)のほうが少ない。
癌との闘いの初期から僕はこのブログを始めた。その治療となっている朝のウォーキングのまさに初日に僕が歌った曲、それが「ウィ・アー・ファミリー」だった。
初日のブログ↓
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110118.html
この曲は多くの点で僕の人生を変えた。もちろん、僕の作品群の中でもっとも収益をあげる1曲だ。だが、スピリチュアルなレヴェルで、この作品には収益以上の意味がある。それは僕の人生における多くの他の大事なものと同様だ。
僕は癌消滅と言われていて、癌という名の災難後初めてのコンサートをまもなく行う。それは、考えられないような大きな悲劇の只中にある日本の、バーナードが死去した東京で、その死去からちょうど15周年に行われる。
これは、「ウィ・アー・ファミリー基金・ジャスト・ピース・サミット」のすぐ直後ということになる。これらのイヴェントは、うまくタイミングを合わせて計画したわけではなく、多くの人はこれを単なる偶然だと見るかもしれない。ただ僕の心の中では、それ以上のものを感じているのだ。
(註1) 「スリー・ドット・ダッシュ」。「ウィ・アー・ファミリー基金」が運営するイヴェントのひとつ。ナイル・ロジャーズが始めたグローバルな戦略・企画で、世界のティーンのリーダーを育て、応援しようというもの。
http://threedotdash.org/legacy/Initiative.aspx
その年次総会が、2011年3月25日から4月1日までニューヨークで行われている。
(註2)ピッツバーグ・パイレイツ。ペンシルヴェニア州ピッツバーグを本拠とする野球のチームで、1979年にワールド・チャンピオンに。このときから、「ウィ・アー・ファミリー」をチームのテーマ曲に起用。このときはバルティモア・オリオールズと対戦、1勝3敗から3連勝してワールド・チャンピオンに輝いた。
+++++
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳 第69回(3月27日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第69回 ポップ・ディーヴァ
#69 Pop Divas
Written on Sunday, 27 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 27 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/295-walking-on-planet-c-pop-divas
今日は朝のウォーキングを少し後ろにずらした
今日は朝のウォーキングを少し後ろにずらした。テレビ・スペシャル『ポップ・ディーヴァ』の出演があったからだ。僕はディーヴァとは、流れを変えることができる超一流の女性アーティストであるべきだと考えている。
僕がてがけた最初のスーパースターは、ダイアナ・ロスだった。あらゆる時代において最大のポップ・ディーヴァのひとりだ。ダイアナは僕の親しい友人のひとりだが、そのアルバム制作は生涯でもっとも困難なものだった。それまでに、またその後も彼女クラスのアーティストに作品を書いたことはなかったので、(さまざまな困難を)受け入れざるをえなかった。
癌と診断されて以来、僕は多くの難しい問題を受け入れている。多くのサポートや、医療的ケアを受けているが、僕の日常の人生を取り戻すために一生懸命やらなければならない。
ジャーナリストが、マドンナやデビー・ハリーをプロデュースし、マライア・キャリー、ブリットニー・スピアーズ、アレサ・フランクリンなどのためにギターをプレイすることについて尋ねてきた。そういう話をするのはとても楽しいが、ふと、一緒に仕事をしたアーティストが亡くなっていることを思うと悲しくなる。それは僕が受け入れなければならないもうひとつの事実ということだ。
スティーヴ・レイ・ヴォーン、バーナード・エドワーズ、テディー・ペンダグラス、ルーサー・ヴァンドロス、そして、インエクセスのマイケル・ハッチェンス。みな、超一流の流れを変えたアーティストたちだ。しかし、今あげたアーティストはみな男性だ。ディーヴァの対になる言葉がディーヴォだが、ディーヴァほどのインパクトはない。
そこで、微笑を取り戻し、VH-1局のテレビ・スペシャルで音楽監督をし、一緒に仕事をしたダイアナ・ロス、ドナ・サマー、マライア・キャリー、フェイス・ヒルなどについての話をし、ポップ・ディーヴァたちとの仕事がどれほど好きかを語った。
ダイアナ・ロス/マドンナ
ブリットニー・スピアーズ/マライア・キャリー
デビー・ハリー/アリサ・フランクリン
スティーヴ・レイ・ヴォーン/バーナード・エドワーズ
テディー・ペンダーグラス/マイケル・ハッチェンス
ルーサー・ヴァンドロス/ドナ・サマー
フェイス・ヒル
Walking On Planet C>(67)Doctor Love / (68)So Much More / (69)Pop Divas
★スライ・ストーンがツイッター開始
2011年4月5日 音楽★スライ・ストーンがツイッター開始
【Sly Stone Started Twitter】
開始。
アメリカでも日本でもすっかりおなじみになったツイッター。今回の大震災では、通常の携帯メールでは送信から受信までかなり時間がかかってしまったが、ツイッターでのダイレクト・メールは比較的すぐに到着していて、また、さまざまなリアルタイムの情報共有にひじょうに有効だったことで、有事のツイッター、という認識が生まれてきた。
アメリカでは、フォロワー何百万人というセレブもいるが、なんとブラック・ミュージック・ファンにとってはびっくりのスライ・ストーンが、公式ツイッターを始めた。
IDは、 @HigherSlyStone で、3月24日から始めた。たまたま僕がいつものように、翻訳するためにナイル・ロジャーズのブログを見ていたら、そこのナイルへのツイートの中に、スライがツイッターを始めたという情報を見つけた。
さっそくスライのツイッターをみると、ちゃんと認証済みアカウント。これは、本物だ。まだ、4つしかツイート(つぶやき)がないが、さっそくフォロー。そして、僕のツイッターに「なんと、スライ・ストーンがツイッターを開始!Sly Stone has just started twitter. @HigherSlyStone In few hours, already got 1381 followers.」と18時30分ごろ書き込んだところ、一挙に広まった。僕がフォローした時点で1381人のフォロワーだったが、19時40分現在で1739人、22時半で2000人突破。時速154人の増え方。
いろいろ調べてみると、息子のひとり @BabyStoneMusic が、父にレクチャーしているようだ。
詩人。
スライ・ストーンは詩人である。来日中も、楽屋などどこでも、そこら辺にある紙に思いついた言葉をペンで書き付ける。世話をしてくれた人に、すぐに手書きでサンキュー・レターを書く。しかも、そのヴォキャブラリー、言葉の使い方が独特で、なかなか難解だ。
とりあえず、初ツイートから4つ目までしかないので、そのツイートを軽く分析。(時刻は、僕が日本でツイッターを見るので、日本時間のはず)
01. This is Sylvester Stewart. The real Sly Stone.
7:40 AM Mar 24th webから
これが初ツイート。
「シルヴェスター・スチュワートだ。本物のスライ・ストーンだ」
02. MAY THE HAIRS OF A THOUSAND MILLIPEDES NESTLE IN YOUR NOSE NIGHTLY
3:42 PM Mar 27th Tweetie for Macから
もうわからない。どういう意味だろう。
「無数のやすで(ムカデのような昆虫)の毛が、君の鼻に夜な夜な心地よくうずくまりますように」
スライは詩人である。アーティストである。
03. Gotta give @higherslystone a twitter lesson soon so you guys can see more of the awesome things he has to say! :) (via @BabyStoneMusic)
5:05 PM Apr 1st Tweetie for Macから
これは息子のツイート。
u@higherslystoneにツイートのレッスンしないと。すぐに、みんな、彼がつぶやくすごい言葉を見ることができるよ」
04. THIEVES ARE BEING SURROUNDED
12:40PM April 4th webから
「泥棒は包囲されている」
なんだろう。
ツイート2と4を解説できる方、してください。
■スライ・ストーン過去関連記事
スライ・ストーンとしてのライヴ、ルーファスにゲストで登場。
2010年01月17日(日)
ルーファス&スライ・ストーン、ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436078971.html
2009年09月10日(木)
スライ・ストーン今年も来日していた 衝撃情報
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10338859350.html
2008年09月03日(水)
スライ&ファミリー・ストーン@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10134870915.html
2008年09月01日(月) 03時09分45秒
soulsearchinの投稿
☆スライ・ストーン、36分間ステージに立つ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10133999546.html
スライ&ファミリー・ストーン エッセンシャル
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000NVL96A/soulsearchiho-22/ref=nosim/
バイオグラフィー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860203380/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Stone, Sly
【Sly Stone Started Twitter】
開始。
アメリカでも日本でもすっかりおなじみになったツイッター。今回の大震災では、通常の携帯メールでは送信から受信までかなり時間がかかってしまったが、ツイッターでのダイレクト・メールは比較的すぐに到着していて、また、さまざまなリアルタイムの情報共有にひじょうに有効だったことで、有事のツイッター、という認識が生まれてきた。
アメリカでは、フォロワー何百万人というセレブもいるが、なんとブラック・ミュージック・ファンにとってはびっくりのスライ・ストーンが、公式ツイッターを始めた。
IDは、 @HigherSlyStone で、3月24日から始めた。たまたま僕がいつものように、翻訳するためにナイル・ロジャーズのブログを見ていたら、そこのナイルへのツイートの中に、スライがツイッターを始めたという情報を見つけた。
さっそくスライのツイッターをみると、ちゃんと認証済みアカウント。これは、本物だ。まだ、4つしかツイート(つぶやき)がないが、さっそくフォロー。そして、僕のツイッターに「なんと、スライ・ストーンがツイッターを開始!Sly Stone has just started twitter. @HigherSlyStone In few hours, already got 1381 followers.」と18時30分ごろ書き込んだところ、一挙に広まった。僕がフォローした時点で1381人のフォロワーだったが、19時40分現在で1739人、22時半で2000人突破。時速154人の増え方。
いろいろ調べてみると、息子のひとり @BabyStoneMusic が、父にレクチャーしているようだ。
詩人。
スライ・ストーンは詩人である。来日中も、楽屋などどこでも、そこら辺にある紙に思いついた言葉をペンで書き付ける。世話をしてくれた人に、すぐに手書きでサンキュー・レターを書く。しかも、そのヴォキャブラリー、言葉の使い方が独特で、なかなか難解だ。
とりあえず、初ツイートから4つ目までしかないので、そのツイートを軽く分析。(時刻は、僕が日本でツイッターを見るので、日本時間のはず)
01. This is Sylvester Stewart. The real Sly Stone.
7:40 AM Mar 24th webから
これが初ツイート。
「シルヴェスター・スチュワートだ。本物のスライ・ストーンだ」
02. MAY THE HAIRS OF A THOUSAND MILLIPEDES NESTLE IN YOUR NOSE NIGHTLY
3:42 PM Mar 27th Tweetie for Macから
もうわからない。どういう意味だろう。
「無数のやすで(ムカデのような昆虫)の毛が、君の鼻に夜な夜な心地よくうずくまりますように」
スライは詩人である。アーティストである。
03. Gotta give @higherslystone a twitter lesson soon so you guys can see more of the awesome things he has to say! :) (via @BabyStoneMusic)
5:05 PM Apr 1st Tweetie for Macから
これは息子のツイート。
u@higherslystoneにツイートのレッスンしないと。すぐに、みんな、彼がつぶやくすごい言葉を見ることができるよ」
04. THIEVES ARE BEING SURROUNDED
12:40PM April 4th webから
「泥棒は包囲されている」
なんだろう。
ツイート2と4を解説できる方、してください。
■スライ・ストーン過去関連記事
スライ・ストーンとしてのライヴ、ルーファスにゲストで登場。
2010年01月17日(日)
ルーファス&スライ・ストーン、ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436078971.html
2009年09月10日(木)
スライ・ストーン今年も来日していた 衝撃情報
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10338859350.html
2008年09月03日(水)
スライ&ファミリー・ストーン@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10134870915.html
2008年09月01日(月) 03時09分45秒
soulsearchinの投稿
☆スライ・ストーン、36分間ステージに立つ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10133999546.html
スライ&ファミリー・ストーン エッセンシャル
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000NVL96A/soulsearchiho-22/ref=nosim/
バイオグラフィー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860203380/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Stone, Sly
▲ソウルバー相次いでクローズへ:ベイビー・ベイビー・ベイビー、オハイオ、ダンステリアなど
【Three Soul Bar Will Be Closed Soon】
閉店。
ソウルバー、ソウル関連の店が4月から6月にかけて相次いでクローズする。
まず、2011年4月9日(土曜)を最後に閉店するのが、三軒茶屋のベイビー・ベイビー・ベイビー。2007年10月にオープンして以来、3年半の歴史に幕を下ろす。
最終営業日の9日は、「特にイヴェントにすることもなく、常連が集まり、朝まで、ひょっとしたら昼くらいまでやっているかもしれない」とマスター。現在のところ、次の移転先などは予定なし。
次に、中町~武蔵小山~自由が丘と居を移していたオハイオが、5月13日(金)に閉店。
オハイオは世田谷区中町に「ソリッド・スライダー」として1995年にオープン、その後2002年まで営業。2002年から武蔵小山に移転し、名称を「オハイオ」に変更。その後2005年に「オハイオ」のまま自由が丘に移転したまさに、流浪のソウルバーだ。次の物件が見つかり次第、心機一転オープンする。
そして、ソウル・ディスコ、ソウル・スポットの老舗、白金ダンステリアが27年の歴史を閉じる。2011年6月26日(日)が最終営業日。ダンステリアは、1984年、全国ディスコ協会のドン勝本氏がオープンした店で、今では「ソウルステップの総本山」的存在となった店。週末はディスコ営業、ウイークデイはソウルをかける店として営業していた。勝本氏が2007年4月19日に死去した後は、息子の有輝さんと勝本氏の右腕、矢作幸裕さんが運営していた。26日の最終営業日は大々的にパーティーを行う。
また、ソウルバーではないが、ソウル関係のレコードを販売していたエボニー・レコード(沖縄)も2011年夏の閉店を発表している。エボニー・レコードは、1989年からソウル関係のレコードを通信販売、1996年から2003年まで新宿で店舗も営業、現在は通信販売のみで営業中だった。
バー・ベイビー・ベイビー・ベイビー
http://www.bar-baby3.com/
東京都世田谷区三軒茶屋2-10-14
なかみち通り 昭和ビル B1 03-3421-2879
20時~ 月曜定休
チャージ 500円
2011年4月9日閉店予定(2007年10月オープン)
ソウルバー・オハイオ
http://www.geocities.jp/ohio_funkysoul/sub-info.htm
東京都目黒区区自由ヶ丘1-2-14 2F TEL:03-3718-0096
17時~0時まで 定休日:日曜日
チャージ 500円
2011年5月15日閉店予定(2005年5月23日から現在地で開店)
関連記事
June 02, 2005
Soul Bar "Ohio" Moved To Jiyugaoka
http://blog.soulsearchin.com/archives/000300.html
白金ダンステリア
http://danceteria.web.fc2.com/
東京都港区白金1-29-13白金ヴィレッジ B1 Tel 03-3444-0097
20時~4時 定休日:月・火・水
入場料: 男性3000円、女性2500円
2011年6月26日閉店予定(1984年オープン)
関連記事
2007年04月20日(金)
ドン勝本氏、57歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070420.html
エボニー・レコード
http://www.diana.dti.ne.jp/~ebonyrec/
〒900-0014沖縄県那覇市久茂地3-15-23-201
Phone / Fax 098-861-5355
営業時間:14:00-21:00 日曜、祝日は19:00まで
定休日:月曜日
2011年夏をめどに閉店予定(1998年通販レコードショップとしてオープン)
SOUL BAR>
【Three Soul Bar Will Be Closed Soon】
閉店。
ソウルバー、ソウル関連の店が4月から6月にかけて相次いでクローズする。
まず、2011年4月9日(土曜)を最後に閉店するのが、三軒茶屋のベイビー・ベイビー・ベイビー。2007年10月にオープンして以来、3年半の歴史に幕を下ろす。
最終営業日の9日は、「特にイヴェントにすることもなく、常連が集まり、朝まで、ひょっとしたら昼くらいまでやっているかもしれない」とマスター。現在のところ、次の移転先などは予定なし。
次に、中町~武蔵小山~自由が丘と居を移していたオハイオが、5月13日(金)に閉店。
オハイオは世田谷区中町に「ソリッド・スライダー」として1995年にオープン、その後2002年まで営業。2002年から武蔵小山に移転し、名称を「オハイオ」に変更。その後2005年に「オハイオ」のまま自由が丘に移転したまさに、流浪のソウルバーだ。次の物件が見つかり次第、心機一転オープンする。
そして、ソウル・ディスコ、ソウル・スポットの老舗、白金ダンステリアが27年の歴史を閉じる。2011年6月26日(日)が最終営業日。ダンステリアは、1984年、全国ディスコ協会のドン勝本氏がオープンした店で、今では「ソウルステップの総本山」的存在となった店。週末はディスコ営業、ウイークデイはソウルをかける店として営業していた。勝本氏が2007年4月19日に死去した後は、息子の有輝さんと勝本氏の右腕、矢作幸裕さんが運営していた。26日の最終営業日は大々的にパーティーを行う。
また、ソウルバーではないが、ソウル関係のレコードを販売していたエボニー・レコード(沖縄)も2011年夏の閉店を発表している。エボニー・レコードは、1989年からソウル関係のレコードを通信販売、1996年から2003年まで新宿で店舗も営業、現在は通信販売のみで営業中だった。
バー・ベイビー・ベイビー・ベイビー
http://www.bar-baby3.com/
東京都世田谷区三軒茶屋2-10-14
なかみち通り 昭和ビル B1 03-3421-2879
20時~ 月曜定休
チャージ 500円
2011年4月9日閉店予定(2007年10月オープン)
ソウルバー・オハイオ
http://www.geocities.jp/ohio_funkysoul/sub-info.htm
東京都目黒区区自由ヶ丘1-2-14 2F TEL:03-3718-0096
17時~0時まで 定休日:日曜日
チャージ 500円
2011年5月15日閉店予定(2005年5月23日から現在地で開店)
関連記事
June 02, 2005
Soul Bar "Ohio" Moved To Jiyugaoka
http://blog.soulsearchin.com/archives/000300.html
白金ダンステリア
http://danceteria.web.fc2.com/
東京都港区白金1-29-13白金ヴィレッジ B1 Tel 03-3444-0097
20時~4時 定休日:月・火・水
入場料: 男性3000円、女性2500円
2011年6月26日閉店予定(1984年オープン)
関連記事
2007年04月20日(金)
ドン勝本氏、57歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070420.html
エボニー・レコード
http://www.diana.dti.ne.jp/~ebonyrec/
〒900-0014沖縄県那覇市久茂地3-15-23-201
Phone / Fax 098-861-5355
営業時間:14:00-21:00 日曜、祝日は19:00まで
定休日:月曜日
2011年夏をめどに閉店予定(1998年通販レコードショップとしてオープン)
SOUL BAR>
◎ インコグニート「イッショニタテナオソー!」
2011年4月3日 音楽◎インコグニート「イッショニタテナオソー!」
【Let’s Rebuilt Japan, Together Said Bluey】
建て直し。
親日家と言う言葉ではもはや表せないほど日本に根付いているブルーイ、そして、彼が率いるグループ、インコグニート。2010年11月以来、半年あけずの来日。
そのオープニングの一言は「イッショニ、タテナオソー」だった。ブラック・ミュージック、グルーヴィーな曲が好きなイギリス本拠のミュージシャンたち(ブルーイは、モーリシャス出身)が、ブラック・ミュージックをポップにわかりやすくパフォーマンスする。それがリアル・ミュージシャンによるリアル・ミュージックとなって、ファンを魅了という感じだ。
4曲目「パリジャン・ガール」は、1979年の作品。ブルーイはステージで「グループが出来た頃に時計を戻そう。1979年、当時、僕たちに(オリジナルの)曲はなかった。そこで、スタジオに入ってみんなでジャム・セッションを繰り広げた。これはそうやってジャムった曲」と解説した。
驚いたのがこの曲の次。ブルーイが「日本の素晴らしいギタリストと一緒にレコーディングをすることになった。その彼をご紹介しよう」と言って紹介したのが、小沼ようすけだった。二人は冒頭でかなりギターの掛け合いを繰り広げ、「コリブリ」を演奏。かなりいい感じだった。
インコグニートと小沼ようすけ、さらに数人の日本人シンガーも参加し、震災へのチャリティー・ソングを録音する、とブルーイはステージで発表。この日ライヴ後にスタジオに入ってレコーディングするという。
前回も印象が強かった女性ヴォーカル、ヴァネッサは相当な声力の持ち主だ。
インコグの音を聴いていると、本当にアース・ウィンド&ファイアーや、クール&ギャングといったファンキーなバンドを聴いて気に入った連中が、楽しくそうした音楽を演じているという雰囲気が実によく伝わる。前にも書いたかもしれないが、日本でも同様のコンセプトのバンドがあってもいいような気がする。
最後にブルーイが話しかけた。「僕が子供の頃、いつかきっと自分は日本に行くだろうと思った。でも、その頃は、それが怖かった。というのも、そこがとても暗い国のように思えてからだ。そして、初めて来て、それは違った。広島に行ったとき、市民も明るく、街も明るかった。あそこの場所も、再建したのだ。ストリートで会った人に微笑みかけると、相手も微笑を返してくれた。これは素晴らしいと思った。だから思う。あなたたちは、また元に戻れます。You can come back。広島がカンバックしたように、日本はカンバックします」(拍手)
そして、エンディング。「歴史は僕に語りかける。日本のみなさんは、必ず、復活します。歴史がそう語っています」「肌の色、人種を越え、ワン・ネーション・アンダー・ア・グルーヴ!」と最後にあいさつをしてショーを締めくくり、ボブ・マーリーの「ワン・ラヴ」が流れた。インコグのエンディングはいつも、この「ワン・ラヴ」だ。
■過去関連記事
2010年11月20日(土)
インコグニート・ライヴ~匿名性からほとばしり出るグループとしての独自性
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10711972464.html
2008年03月04日(火)
インコグニートは親日家
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080304.html
2008年03月06日(木)
インコグニートのブルーイ語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080306.html
2002/11/26(TUE)
Grandfather’s lesson
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200211/diary20021126.html
インコグニート(ジャン・ポール・ブルーイ・モニーク)インタヴュー
『トラヴェリング・ミュージシャンのソウル』(2002年12月10日)
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/interview/incognito20021210.html
2002/12/19 (Thu)
One Nation Under A Groove
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200212/diary20021219.html
■最新作『トランスアトランティック』
トランスアトランティック・RPMposted with amazlet at 10.11.19インコグニート
Pヴァイン・レコード (2010-07-14)
売り上げランキング: 1305
Amazon.co.jp で詳細を見る
■ベスト・オブ
オールウエイズ・ゼア:ベスト・オブ・インコグニートposted with amazlet at 10.11.19インコグニート
ユニバーサル インターナショナル (2006-01-25)
売り上げランキング: 28176
Amazon.co.jp で詳細を見る
■メンバー
ジャン・ポール“ブルーイ”モニック(ギター、ヴォーカル)Jean Paul "Bluey" Maunick(g,vo)
クリス・バリン(ヴォーカル)Chris Ballin(vo)
ヴァネッサ・ヘインズ(ヴォーカル)Vanessa Haynes(vo)
ロレイン・ケイト-プライス(ヴォーカル)Lorraine Cato-Price(vo)(この日は体調くずし休み)
シッド・ゴウルド(トランペット)Sid Gauld(tp)
アリスター・ホワイト(トロンボーン)Alistair White(tb)
ジェイミー・アンダーソン(サックス)Jamie Anderson(sax)
マット・クーパー(キーボード)Matt Cooper(key)
ジュリアン・クランプトン(ベース)Julian Crampton(b)
ピート・レイ・ビギン(ドラムス)Pete Ray Biggin(ds)
■セットリスト インコグニート 2011年3月31日(木)、ブルーノート東京
■Setlist : Incognito, March 31, 2011, Bluenote Tokyo
show started 21:41
01.Roots
02.Labour Of Love
03.Good Love
04.Parisienne Girl
05.Colibri (+Onuma Yousuke)
06.Lowdown
07.Expresso Maudureira
08.Living Against The River
09.Always There
Enc. Reach Out
Enc. Everyday
Enc. Jacob’s Ladder
CD One Love (Bob Marley)
Show ended 23:06
(2011年3月31日木曜、東京ブルーノート、インコグニート・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Incognito
2011-
【Let’s Rebuilt Japan, Together Said Bluey】
建て直し。
親日家と言う言葉ではもはや表せないほど日本に根付いているブルーイ、そして、彼が率いるグループ、インコグニート。2010年11月以来、半年あけずの来日。
そのオープニングの一言は「イッショニ、タテナオソー」だった。ブラック・ミュージック、グルーヴィーな曲が好きなイギリス本拠のミュージシャンたち(ブルーイは、モーリシャス出身)が、ブラック・ミュージックをポップにわかりやすくパフォーマンスする。それがリアル・ミュージシャンによるリアル・ミュージックとなって、ファンを魅了という感じだ。
4曲目「パリジャン・ガール」は、1979年の作品。ブルーイはステージで「グループが出来た頃に時計を戻そう。1979年、当時、僕たちに(オリジナルの)曲はなかった。そこで、スタジオに入ってみんなでジャム・セッションを繰り広げた。これはそうやってジャムった曲」と解説した。
驚いたのがこの曲の次。ブルーイが「日本の素晴らしいギタリストと一緒にレコーディングをすることになった。その彼をご紹介しよう」と言って紹介したのが、小沼ようすけだった。二人は冒頭でかなりギターの掛け合いを繰り広げ、「コリブリ」を演奏。かなりいい感じだった。
インコグニートと小沼ようすけ、さらに数人の日本人シンガーも参加し、震災へのチャリティー・ソングを録音する、とブルーイはステージで発表。この日ライヴ後にスタジオに入ってレコーディングするという。
前回も印象が強かった女性ヴォーカル、ヴァネッサは相当な声力の持ち主だ。
インコグの音を聴いていると、本当にアース・ウィンド&ファイアーや、クール&ギャングといったファンキーなバンドを聴いて気に入った連中が、楽しくそうした音楽を演じているという雰囲気が実によく伝わる。前にも書いたかもしれないが、日本でも同様のコンセプトのバンドがあってもいいような気がする。
最後にブルーイが話しかけた。「僕が子供の頃、いつかきっと自分は日本に行くだろうと思った。でも、その頃は、それが怖かった。というのも、そこがとても暗い国のように思えてからだ。そして、初めて来て、それは違った。広島に行ったとき、市民も明るく、街も明るかった。あそこの場所も、再建したのだ。ストリートで会った人に微笑みかけると、相手も微笑を返してくれた。これは素晴らしいと思った。だから思う。あなたたちは、また元に戻れます。You can come back。広島がカンバックしたように、日本はカンバックします」(拍手)
そして、エンディング。「歴史は僕に語りかける。日本のみなさんは、必ず、復活します。歴史がそう語っています」「肌の色、人種を越え、ワン・ネーション・アンダー・ア・グルーヴ!」と最後にあいさつをしてショーを締めくくり、ボブ・マーリーの「ワン・ラヴ」が流れた。インコグのエンディングはいつも、この「ワン・ラヴ」だ。
■過去関連記事
2010年11月20日(土)
インコグニート・ライヴ~匿名性からほとばしり出るグループとしての独自性
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10711972464.html
2008年03月04日(火)
インコグニートは親日家
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080304.html
2008年03月06日(木)
インコグニートのブルーイ語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080306.html
2002/11/26(TUE)
Grandfather’s lesson
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200211/diary20021126.html
インコグニート(ジャン・ポール・ブルーイ・モニーク)インタヴュー
『トラヴェリング・ミュージシャンのソウル』(2002年12月10日)
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/interview/incognito20021210.html
2002/12/19 (Thu)
One Nation Under A Groove
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200212/diary20021219.html
■最新作『トランスアトランティック』
トランスアトランティック・RPMposted with amazlet at 10.11.19インコグニート
Pヴァイン・レコード (2010-07-14)
売り上げランキング: 1305
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■ベスト・オブ
オールウエイズ・ゼア:ベスト・オブ・インコグニートposted with amazlet at 10.11.19インコグニート
ユニバーサル インターナショナル (2006-01-25)
売り上げランキング: 28176
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■メンバー
ジャン・ポール“ブルーイ”モニック(ギター、ヴォーカル)Jean Paul "Bluey" Maunick(g,vo)
クリス・バリン(ヴォーカル)Chris Ballin(vo)
ヴァネッサ・ヘインズ(ヴォーカル)Vanessa Haynes(vo)
ロレイン・ケイト-プライス(ヴォーカル)Lorraine Cato-Price(vo)(この日は体調くずし休み)
シッド・ゴウルド(トランペット)Sid Gauld(tp)
アリスター・ホワイト(トロンボーン)Alistair White(tb)
ジェイミー・アンダーソン(サックス)Jamie Anderson(sax)
マット・クーパー(キーボード)Matt Cooper(key)
ジュリアン・クランプトン(ベース)Julian Crampton(b)
ピート・レイ・ビギン(ドラムス)Pete Ray Biggin(ds)
■セットリスト インコグニート 2011年3月31日(木)、ブルーノート東京
■Setlist : Incognito, March 31, 2011, Bluenote Tokyo
show started 21:41
01.Roots
02.Labour Of Love
03.Good Love
04.Parisienne Girl
05.Colibri (+Onuma Yousuke)
06.Lowdown
07.Expresso Maudureira
08.Living Against The River
09.Always There
Enc. Reach Out
Enc. Everyday
Enc. Jacob’s Ladder
CD One Love (Bob Marley)
Show ended 23:06
(2011年3月31日木曜、東京ブルーノート、インコグニート・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Incognito
2011-
★マーヴィン・ゲイ・誕生日トリビュート
2011年4月2日 音楽★マーヴィン・ゲイ・誕生日トリビュート
【Marvin Gaye Tribute Songs】
トリビュート。
昨日は、マーヴィン・ゲイの命日だが、今日(4月2日)は、マーヴィン・ゲイの誕生日。1939年(昭和14年)4月2日生まれなので、ウサギ年だ。もし生きてれば今日で72歳になった。年男だ。
そこで、おもいつくままにマーヴィン・ゲイ・トリビュート・ソングを。
マーヴィンが1984年4月1日に死去して以来、一番最初に出たのは、ダイアナ・ロスの「ミッシング・ユー」、1984年11月にリリースされ、ソウル・チャートで1位になった。その後1985年1月、コモドアーズの「ナイトシフト」が登場。これもソウルで3位。その後は、雨の後竹の子というかんじでたくさんでた。
Diana Ross-"Missing You",
Commodores-"Nightshift",
Teena Marie-"My Dear Mr.Gaye",
Maze-"Silky Soul"
Edwin Starr “Marvin”,
Speech--Like Marvin Gaye Said
Bobby Brown : Rockwithcha (これはトリビュートということではなく、マーヴィンの名前が歌詞にでてきます)
Sylvia & Kevin Keyes “Love Overture/ Distant Lover”
ちょっとユーチューブを集めてみた。たぶん、もっとあるでしょう。あと、マーヴィン・ゲイの名前が出てくるというだけの楽曲だと、さらにありそう。
Diana Ross-"Missing You",
http://www.youtube.com/embed/aVlbbk4SPC4
Commodores-"Nightshift",
http://www.youtube.com/embed/FrkEDe6Ljqs
Teena Marie-"My Dear Mr.Gaye",
http://www.youtube.com/embed/F7-JmJQWWFM
Maze-"Silky Soul"
http://www.youtube.com/embed/rI7gBu5m45s
Edwin Starr “Marvin”,
http://www.youtube.com/embed/OuTpWzN_SKM
Speech - Like Marvin Gaye Said
http://www.youtube.com/watch?v=xIG6Qgntm44&feature=player_detailpage
Bobby Brown : Rockwithcha
http://www.youtube.com/embed/eI0-n3bkRno
Sylvia & Kevin Keyes “Love Overture/ Distant Lover”(ラヴスミスさん情報)
あと、こんなのあったんだ。(笑) 「ホワッツ・ゴーイング・オン」が「いつが都合いいの?」 これ、グッチ裕三さんかな。受けた!
http://www.youtube.com/embed/WTl6qX1D5As
ENT>MUSIC>Gaye, Marvin
【Marvin Gaye Tribute Songs】
トリビュート。
昨日は、マーヴィン・ゲイの命日だが、今日(4月2日)は、マーヴィン・ゲイの誕生日。1939年(昭和14年)4月2日生まれなので、ウサギ年だ。もし生きてれば今日で72歳になった。年男だ。
そこで、おもいつくままにマーヴィン・ゲイ・トリビュート・ソングを。
マーヴィンが1984年4月1日に死去して以来、一番最初に出たのは、ダイアナ・ロスの「ミッシング・ユー」、1984年11月にリリースされ、ソウル・チャートで1位になった。その後1985年1月、コモドアーズの「ナイトシフト」が登場。これもソウルで3位。その後は、雨の後竹の子というかんじでたくさんでた。
Diana Ross-"Missing You",
Commodores-"Nightshift",
Teena Marie-"My Dear Mr.Gaye",
Maze-"Silky Soul"
Edwin Starr “Marvin”,
Speech--Like Marvin Gaye Said
Bobby Brown : Rockwithcha (これはトリビュートということではなく、マーヴィンの名前が歌詞にでてきます)
Sylvia & Kevin Keyes “Love Overture/ Distant Lover”
ちょっとユーチューブを集めてみた。たぶん、もっとあるでしょう。あと、マーヴィン・ゲイの名前が出てくるというだけの楽曲だと、さらにありそう。
Diana Ross-"Missing You",
http://www.youtube.com/embed/aVlbbk4SPC4
Commodores-"Nightshift",
http://www.youtube.com/embed/FrkEDe6Ljqs
Teena Marie-"My Dear Mr.Gaye",
http://www.youtube.com/embed/F7-JmJQWWFM
Maze-"Silky Soul"
http://www.youtube.com/embed/rI7gBu5m45s
Edwin Starr “Marvin”,
http://www.youtube.com/embed/OuTpWzN_SKM
Speech - Like Marvin Gaye Said
http://www.youtube.com/watch?v=xIG6Qgntm44&feature=player_detailpage
Bobby Brown : Rockwithcha
http://www.youtube.com/embed/eI0-n3bkRno
Sylvia & Kevin Keyes “Love Overture/ Distant Lover”(ラヴスミスさん情報)
あと、こんなのあったんだ。(笑) 「ホワッツ・ゴーイング・オン」が「いつが都合いいの?」 これ、グッチ裕三さんかな。受けた!
http://www.youtube.com/embed/WTl6qX1D5As
ENT>MUSIC>Gaye, Marvin
★マーヴィン・ゲイ命日~エイプリル・フールの衝撃
2011年4月1日 音楽★マーヴィン・ゲイ命日~エイプリル・フールの衝撃
【Marvin Gaye’s Death Anniversary】
命日。
大震災のニュースばかり見ているとどんどんと落ち込んでいく。これはまさにネガティヴ情報の洪水、津波だ。東京にいても精神的に二次被災している気持ちだ。落ち込んでばかりもいられない。年度も変わったので、心機一転行こうと思う。
さて、4月1日といえば、マーヴィン・ゲイの命日。マーヴィンの話を少しばかり。
1984年4月1日、マーヴィン・ゲイが実の父親の銃弾に倒れた。翌日(4月2日)に誕生日を控えての急死だった。44歳での死去だった。
このニュースは日本では時差の関係で翌日4月2日(月)午後に届いた。ちょうどテレビ朝日がアメリカの放送局CNNと提携し、CNNの映像を流し始め、その初日のニュースのひとつとなった。4月1日死去というニュースで、ほんとうにたちの悪いエイプリル・フールかと思った。
いつも、4月1日になると、マーヴィンのことを思い出す。
マーヴィンは一度1979年秋に来日して武道館公演が2日あったので、両日見た。あんなセクシーなシンガーを見たのは初めてだった。それはそれは衝撃だった。
その後1983年8月、ロス・アンジェルスで彼のライヴを見た。グリークシアターだったと思う。屋外の会場だ。1979年に見たときとはまったく違い、自信にあふれ、堂々としていたように見えた。もちろん、1982年秋からの「セクシュアル・ヒーリング」の大ヒットを受けてのライヴ、しかも、文字通り『ホーム』でのライヴだけに観客も熱狂的で、のりも全然ちがった。
しかし、ステージ横にいるボディーガードの存在がものすごく異様に感じられた。
1985年、デイヴィッド・リッツによって書かれたマーヴィンの自伝『引き裂かれたソウル』が全米リリースされ、それを読むと、マーヴィンの人となりが本当によくわかった。
来日時には、相当メンタルで落ちていたこと、ハワイ、ヨーロッパでの隠遁生活中だったこと、ドラッグ中毒はかなりのところまで行っていたことなど、知らないことがたくさん書かれていた。
その後2009年5月、マーヴィンの自伝の存在を知ってから四半世紀を経て、その翻訳をてがけリリースした。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860203186/soulsearchiho-22/ref=nosim/
イヴェント『ソウル・サーチン』でも、2006年4月1日にマーヴィン・ゲイをとりあげた。
マーヴィン・ゲイに関して書いたものは多数ある。いくつかピックアップしてご紹介。お時間あるときにでも、どうぞ。下記のリンクをピックアップしていたら、思わず自分でも古い記事を読んでしまった。(笑)
2009年04月01日(水)
マーヴィン・ゲイ、1984年4月1日、ロス・アンジェルス
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10234220188.html
マーヴィン・ゲイ自伝『引き裂かれたソウル』著者、デイヴィッド・リッツ・インタヴュー
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/interview/ritz19940509.html
2002/10/22 (Tue)
What’s Going On -3-
マーヴィン・ゲイ・「ホワッツ・ゴーイング・オン」について
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200210/diary20021022.html
2010年07月08日(木)
ハーヴィー・フークワ80歳で死去~ムーングロウズのリード・シンガー:マーヴィン・ゲイの育ての親
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10584608240.html
2009年10月16日(金)
グレイト・ストーリーテラー、リオン・ウェアはノンストップでしゃべる
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10365609468.html
マーヴィン・ゲイの傑作『アイ・ウォント・ユー』を作ったリオン・ウェアがマーヴィンを語る
2009年06月21日(日)
マーヴィン・ゲイ人物相関図
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10284488546.html
2009年05月11日(月)
アーニー・バーンズ70歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10258761217.html
『アイ・ウォント・ユー』のジャケットを描いたアーニー・バーンズについて。
2009年04月28日(火)
ユーミン、マーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」を語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10250444144.html
2009年04月08日(水)
マーヴィン物故者高額所得番付に13位で初登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10238620798.html
2009年01月22日(木)
オバマに望む3つの奇跡~就任演説を聴いて
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10196105585.html
オバマ大統領とマーヴィンの『ホワッツ・ゴーイング・オン』について。
2009年01月07日(水)
マーヴィン・ゲイ自伝~『ディヴァイデッド・ソウル(引き裂かれたソウル)』について
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10188810497.html
■ホワッツ・ゴーイング・オン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007FOMP/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■アイ・ウォント・ユー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000060NN/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■レッツ・ゲット・イット・オン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007FOMQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■セクシュアル・ヒーリング~紙ジャケットで再リリース
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004KBHC6A/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Gaye, Marvin
【Marvin Gaye’s Death Anniversary】
命日。
大震災のニュースばかり見ているとどんどんと落ち込んでいく。これはまさにネガティヴ情報の洪水、津波だ。東京にいても精神的に二次被災している気持ちだ。落ち込んでばかりもいられない。年度も変わったので、心機一転行こうと思う。
さて、4月1日といえば、マーヴィン・ゲイの命日。マーヴィンの話を少しばかり。
1984年4月1日、マーヴィン・ゲイが実の父親の銃弾に倒れた。翌日(4月2日)に誕生日を控えての急死だった。44歳での死去だった。
このニュースは日本では時差の関係で翌日4月2日(月)午後に届いた。ちょうどテレビ朝日がアメリカの放送局CNNと提携し、CNNの映像を流し始め、その初日のニュースのひとつとなった。4月1日死去というニュースで、ほんとうにたちの悪いエイプリル・フールかと思った。
いつも、4月1日になると、マーヴィンのことを思い出す。
マーヴィンは一度1979年秋に来日して武道館公演が2日あったので、両日見た。あんなセクシーなシンガーを見たのは初めてだった。それはそれは衝撃だった。
その後1983年8月、ロス・アンジェルスで彼のライヴを見た。グリークシアターだったと思う。屋外の会場だ。1979年に見たときとはまったく違い、自信にあふれ、堂々としていたように見えた。もちろん、1982年秋からの「セクシュアル・ヒーリング」の大ヒットを受けてのライヴ、しかも、文字通り『ホーム』でのライヴだけに観客も熱狂的で、のりも全然ちがった。
しかし、ステージ横にいるボディーガードの存在がものすごく異様に感じられた。
1985年、デイヴィッド・リッツによって書かれたマーヴィンの自伝『引き裂かれたソウル』が全米リリースされ、それを読むと、マーヴィンの人となりが本当によくわかった。
来日時には、相当メンタルで落ちていたこと、ハワイ、ヨーロッパでの隠遁生活中だったこと、ドラッグ中毒はかなりのところまで行っていたことなど、知らないことがたくさん書かれていた。
その後2009年5月、マーヴィンの自伝の存在を知ってから四半世紀を経て、その翻訳をてがけリリースした。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860203186/soulsearchiho-22/ref=nosim/
イヴェント『ソウル・サーチン』でも、2006年4月1日にマーヴィン・ゲイをとりあげた。
マーヴィン・ゲイに関して書いたものは多数ある。いくつかピックアップしてご紹介。お時間あるときにでも、どうぞ。下記のリンクをピックアップしていたら、思わず自分でも古い記事を読んでしまった。(笑)
2009年04月01日(水)
マーヴィン・ゲイ、1984年4月1日、ロス・アンジェルス
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10234220188.html
マーヴィン・ゲイ自伝『引き裂かれたソウル』著者、デイヴィッド・リッツ・インタヴュー
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/interview/ritz19940509.html
2002/10/22 (Tue)
What’s Going On -3-
マーヴィン・ゲイ・「ホワッツ・ゴーイング・オン」について
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200210/diary20021022.html
2010年07月08日(木)
ハーヴィー・フークワ80歳で死去~ムーングロウズのリード・シンガー:マーヴィン・ゲイの育ての親
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10584608240.html
2009年10月16日(金)
グレイト・ストーリーテラー、リオン・ウェアはノンストップでしゃべる
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10365609468.html
マーヴィン・ゲイの傑作『アイ・ウォント・ユー』を作ったリオン・ウェアがマーヴィンを語る
2009年06月21日(日)
マーヴィン・ゲイ人物相関図
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10284488546.html
2009年05月11日(月)
アーニー・バーンズ70歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10258761217.html
『アイ・ウォント・ユー』のジャケットを描いたアーニー・バーンズについて。
2009年04月28日(火)
ユーミン、マーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」を語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10250444144.html
2009年04月08日(水)
マーヴィン物故者高額所得番付に13位で初登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10238620798.html
2009年01月22日(木)
オバマに望む3つの奇跡~就任演説を聴いて
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10196105585.html
オバマ大統領とマーヴィンの『ホワッツ・ゴーイング・オン』について。
2009年01月07日(水)
マーヴィン・ゲイ自伝~『ディヴァイデッド・ソウル(引き裂かれたソウル)』について
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10188810497.html
■ホワッツ・ゴーイング・オン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007FOMP/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■アイ・ウォント・ユー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000060NN/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■レッツ・ゲット・イット・オン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007FOMQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■セクシュアル・ヒーリング~紙ジャケットで再リリース
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004KBHC6A/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Gaye, Marvin
◎ 佐藤英里(ひらり)・ロビー・コンサート~「可能性」と「将来」と「夢」
2011年3月31日 音楽 コメント (1)◎ 佐藤英里(ひらり)・ロビー・コンサート~「可能性」と「将来」と「夢」
【Satoh Hirari Lobby Concert: Prospect, Future, & Dream】
9歳。
昨年のゴールド・コンサート(下記過去記事参照)で準優勝を果たした新潟県のシンガー・ソングライター、佐藤英里(さとう・ひらり)ちゃんが、2011年3月29日小さなロビー・コンサートを東京で開いた。当初は、別の会場で予定されていたが、東北大震災の影響でそこでのイヴェントができなくなり、急遽六本木のノビルデューカというイヴェントスペースでの開催となった。
今回はゴールド・コンサートを主催するNPO法人日本バリアフリー協会が主催。元々アメリカのジャズ・シンガーで、前回ゴールド・コンサートの審査員を務めていたオーラ・リードさんと一緒にやる予定だったが、やはり震災の影響で来日できなくなり、急遽、ゴールド・コンサート第3回の優勝者、ダージリンさんが出演した。約40名が観覧。ユーストリームでも生中継した。
左・ダージリンさん、右・佐藤英里(ひらり)さん
ピアノの弾き語りで全5曲、最後にダージリンさんと一緒に2曲を披露した。ひらりちゃんは、まだ9歳。来月10歳になる。いきものがかりから、美空ひばり、そして、ヴァネッサ・カールトンまで、ヴァラエティーに富んだ選曲。
曲間のMCでも、なかなかおもしろいことを言う。「私が好きな食べ物は、おくらとメカブです。ネバネバ・ズルズルが好きです。納豆も。いくらや生卵も好きです」 「将来の夢はなんですかと聞かれたら、昔は、『歌手です』と答えていましたが、今は、『シンガー・ソングライター』です」 ハキハキとマイクの前でしゃべる。9歳にとっての「昔」とは、果たして、何年前、なんて思って見ていた。本人は、始まったあたりで、声がうまくでなかったことを気にしていた。
アンコールでは、教科書にも使われている赤い鳥の「翼をください」を、「みなさんも一緒に歌ってください」と観客に語りかけた。
間違いなく音楽の才能があり、これから、歌、ヴォイス・トレーニングなど、可能な限り音楽の基礎、基本を勉強し、たくさん良質の音楽を聞いて、まっすぐ進めば、無限の可能性を秘める。
この震災被災で日本自体が精神的に沈没中の今、「可能性」「将来」「夢」というものを間近に見て嬉しかった。
翌日、バリアフリー協会の貝谷さんのところでひらりちゃんに会った。にこにこして、いつも元気に飛び跳ねている。「誰とでも人見知りしないで、おしゃべりするんですよ」とお母さんの絵美さん。この明るさは最高にいい。昨年のゴールド・コンサートでの準優勝以来、地元ではあちこちから声がかかるようになったという。
「可能性」「将来」「夢」っていい言葉だ。
甘いパンが好きです
■過去関連記事
2010年10月05日(火)
ゴールド・コンサート第7回~9歳の少女佐藤英里さん「アメージング・グレイス」で観客を圧倒~初のスター誕生か
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10666809323.html
■セットリスト 佐藤英里、ダージリン・ライヴ @ノビルデューカ、2011年3月29日
( )=オリジナル
佐藤英里
performance started 18:10
01.ありがとう (いきものがかり)
02.愛燦燦(あい・さんさん) (美空ひばり)
03.A Thouthsand Miles (Vanessa Carlton)
04.ふるさと (トラディショナル)
05.Amazing Grace (トラディショナル、本田美奈子)
Performance ended 18:38
ダージリン(Darjiling)
MC started 19:00
01.
02.
03.
04.ヒーロー
05.
Enc1. You Raise Me Up [ダージリン+佐藤英里](ケルティック・ウーマン、シークレット・ガーデン、ジョッシュ・グローバン)
Enc2. 翼をください [ダージリン+佐藤英里](赤い鳥、川村かおり・他)
Show ended 19:51
(2011年3月29日火曜、六本木・ノビルデューカ、佐藤英里&ダージリン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Satou, Hirari / Darkiling
2011-
【Satoh Hirari Lobby Concert: Prospect, Future, & Dream】
9歳。
昨年のゴールド・コンサート(下記過去記事参照)で準優勝を果たした新潟県のシンガー・ソングライター、佐藤英里(さとう・ひらり)ちゃんが、2011年3月29日小さなロビー・コンサートを東京で開いた。当初は、別の会場で予定されていたが、東北大震災の影響でそこでのイヴェントができなくなり、急遽六本木のノビルデューカというイヴェントスペースでの開催となった。
今回はゴールド・コンサートを主催するNPO法人日本バリアフリー協会が主催。元々アメリカのジャズ・シンガーで、前回ゴールド・コンサートの審査員を務めていたオーラ・リードさんと一緒にやる予定だったが、やはり震災の影響で来日できなくなり、急遽、ゴールド・コンサート第3回の優勝者、ダージリンさんが出演した。約40名が観覧。ユーストリームでも生中継した。
左・ダージリンさん、右・佐藤英里(ひらり)さん
ピアノの弾き語りで全5曲、最後にダージリンさんと一緒に2曲を披露した。ひらりちゃんは、まだ9歳。来月10歳になる。いきものがかりから、美空ひばり、そして、ヴァネッサ・カールトンまで、ヴァラエティーに富んだ選曲。
曲間のMCでも、なかなかおもしろいことを言う。「私が好きな食べ物は、おくらとメカブです。ネバネバ・ズルズルが好きです。納豆も。いくらや生卵も好きです」 「将来の夢はなんですかと聞かれたら、昔は、『歌手です』と答えていましたが、今は、『シンガー・ソングライター』です」 ハキハキとマイクの前でしゃべる。9歳にとっての「昔」とは、果たして、何年前、なんて思って見ていた。本人は、始まったあたりで、声がうまくでなかったことを気にしていた。
アンコールでは、教科書にも使われている赤い鳥の「翼をください」を、「みなさんも一緒に歌ってください」と観客に語りかけた。
間違いなく音楽の才能があり、これから、歌、ヴォイス・トレーニングなど、可能な限り音楽の基礎、基本を勉強し、たくさん良質の音楽を聞いて、まっすぐ進めば、無限の可能性を秘める。
この震災被災で日本自体が精神的に沈没中の今、「可能性」「将来」「夢」というものを間近に見て嬉しかった。
翌日、バリアフリー協会の貝谷さんのところでひらりちゃんに会った。にこにこして、いつも元気に飛び跳ねている。「誰とでも人見知りしないで、おしゃべりするんですよ」とお母さんの絵美さん。この明るさは最高にいい。昨年のゴールド・コンサートでの準優勝以来、地元ではあちこちから声がかかるようになったという。
「可能性」「将来」「夢」っていい言葉だ。
甘いパンが好きです
■過去関連記事
2010年10月05日(火)
ゴールド・コンサート第7回~9歳の少女佐藤英里さん「アメージング・グレイス」で観客を圧倒~初のスター誕生か
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10666809323.html
■セットリスト 佐藤英里、ダージリン・ライヴ @ノビルデューカ、2011年3月29日
( )=オリジナル
佐藤英里
performance started 18:10
01.ありがとう (いきものがかり)
02.愛燦燦(あい・さんさん) (美空ひばり)
03.A Thouthsand Miles (Vanessa Carlton)
04.ふるさと (トラディショナル)
05.Amazing Grace (トラディショナル、本田美奈子)
Performance ended 18:38
ダージリン(Darjiling)
MC started 19:00
01.
02.
03.
04.ヒーロー
05.
Enc1. You Raise Me Up [ダージリン+佐藤英里](ケルティック・ウーマン、シークレット・ガーデン、ジョッシュ・グローバン)
Enc2. 翼をください [ダージリン+佐藤英里](赤い鳥、川村かおり・他)
Show ended 19:51
(2011年3月29日火曜、六本木・ノビルデューカ、佐藤英里&ダージリン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Satou, Hirari / Darkiling
2011-
○シック来日記念CDリリース~シック歓迎イヴェント
2011年3月30日 音楽○シック来日記念CDリリース~シック歓迎イヴェント
【Chic/Nile Rodgers: Countdown To Show】
来日。
ナイル・ロジャーズ率いるシックが4月に来日。2011年4月12日コットンクラブからツアーが始まる。今回は、ナイルにとっては盟友でありベース奏者だったバーナード・エドワーズが1996年4月18日に東京でのライヴ後に死去して15周年、また本人も癌宣告からの復活という意味で、いつになく大きな意味を持つライヴ・ショーとなる。
この15周年を機に、シックの来日記念CDのリリース、歓迎イヴェントなどがいくつか行われる。
CDは、『エヴリバディ・ダンス!』と題され、2枚組み。1枚目がシック自体のヒット曲集。2枚目がシック、ナイル・ロジャーズがプロデュースした作品を集めている。特にプロデューサーズ・サイド(2枚目)では、一般的なコピレーション・アルバムではなかなか収録許可がおりないマドンナやデイヴィッド・ボウイの作品も収録され、文字通りナイル/シックの集大成的アルバムに仕上がっている。これは、ナイル本人がボウイらの事務所に直接交渉し、実現した。また、ここにはクール&ザ・ギャングとの新録による新曲「アイ・ウォナ・ダンス」が収録される。ライナーノーツ・吉岡正晴。
エヴリバディ・ダンス!posted with amazlet at 11.03.29オムニバス ナイル・ロジャース シック
ワーナーミュージック・ジャパン (2011-04-06)
売り上げランキング: 5543
Amazon.co.jp で詳細を見る
ナイル・ロジャーズの癌闘病ブログ(毎日更新)については、本ソウル・サーチン・ブログで毎日翻訳アップデートしているのはご存知の通り。
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html
2011年1月14日に最初のブログがアップされて以来、毎日更新されている。日本語版はナイル本人の了承を得て、本ソウル・サーチン・ブログで2-3日程度に1回まとめて紹介している。なお、日々の文字のみの仮訳は、ツイッターで毎日すぐにご紹介している。
◎ナイル・ロジャーズ/シック・ツアー公演
コットンクラブ=2011年4月12日(火曜)
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/schedule/index.php?yr=2011&mn=04#
ブルーノート公演=2011年4月14日(木曜)~18日(月曜)
http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/nile-rodgers/
大阪・心斎橋 クラブ・クアトロClub Quattro=2011年4月20日(水曜)
http://www.smash-jpn.com/band/2011/04_nilerogers/index.php
6:30PM/7:30PM
◎ナイル・ロジャーズ恒例ギター・コンテスト
http://www.bluenote.co.jp/jp/event/chic-guitar-contest/
▽歓迎イヴェントは次の通り。
◎ナバーナ六本木。ナイル・ロジャーズ・トリビュート・ナイト
2011年4月9日(土)
http://www.nirvana08.net/index.html
4.9sat. 7:00p.m.-1:00a.m.
六本木ナバーナ
tel : 03-5771-2760
http://www.nirvana08.net
DJ AKIRA, OSSHY
80年代六本木でOPENし一世風靡した伝説のDiscotheque。ナイル・ロジャーズの直筆サイン入りCDプレゼント等の企画もあり。Inter FM「SOUL BLENDS」(毎週日曜 13:00~15:00)も大プッシュのスペシャルパーティー。
◎フィアット・スペース青山 2011年3月31日(木)と4月18日(月)
http://fiatcaffe.jp/space/331thu-nile-rodgers-chic-welcome-back-to-japan-tribute-party/
★3月31日木曜日
NILE RODGERS & CHIC
WELCOME BACK TO JAPAN
TRIBUTE PARTY
18:00-LATE
MEN: 2500YEN W1D+ FINGER FOOD
LADY: 2000YEN W1D + FINGER FOOD
FLYER 持参で500円割引
フードは、21時までとなっております。
18:00-21:00 HAPPY HOUR 500YEN DRINK あり
★4月18日月曜日
NILE RODGERS & CHIC
AFTER PARTY 後夜祭
21:00-LATE
2000YEN WITH ONE DRINK
(整理券を発行いたしますのでご予約を承っております。定員60名様のみ)
予約方法:
FACE BOOK もしくは、FIAT SPACEのTWITTERからお名前と人数を送って頂きますとこちらから整理番号をお送り致します。TWITTER以外の場合、FIAT SPACEまでお電話もしくは、メールにてご予約をお待ちしております。
◎日比谷DIANA
2011年4月13日(水)午後7時~12時
tel : 03-5501-1115 http://www.clubdiana.jp
+++++
ANNOUNCEMENT>Chic
【Chic/Nile Rodgers: Countdown To Show】
来日。
ナイル・ロジャーズ率いるシックが4月に来日。2011年4月12日コットンクラブからツアーが始まる。今回は、ナイルにとっては盟友でありベース奏者だったバーナード・エドワーズが1996年4月18日に東京でのライヴ後に死去して15周年、また本人も癌宣告からの復活という意味で、いつになく大きな意味を持つライヴ・ショーとなる。
この15周年を機に、シックの来日記念CDのリリース、歓迎イヴェントなどがいくつか行われる。
CDは、『エヴリバディ・ダンス!』と題され、2枚組み。1枚目がシック自体のヒット曲集。2枚目がシック、ナイル・ロジャーズがプロデュースした作品を集めている。特にプロデューサーズ・サイド(2枚目)では、一般的なコピレーション・アルバムではなかなか収録許可がおりないマドンナやデイヴィッド・ボウイの作品も収録され、文字通りナイル/シックの集大成的アルバムに仕上がっている。これは、ナイル本人がボウイらの事務所に直接交渉し、実現した。また、ここにはクール&ザ・ギャングとの新録による新曲「アイ・ウォナ・ダンス」が収録される。ライナーノーツ・吉岡正晴。
エヴリバディ・ダンス!posted with amazlet at 11.03.29オムニバス ナイル・ロジャース シック
ワーナーミュージック・ジャパン (2011-04-06)
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ナイル・ロジャーズの癌闘病ブログ(毎日更新)については、本ソウル・サーチン・ブログで毎日翻訳アップデートしているのはご存知の通り。
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html
2011年1月14日に最初のブログがアップされて以来、毎日更新されている。日本語版はナイル本人の了承を得て、本ソウル・サーチン・ブログで2-3日程度に1回まとめて紹介している。なお、日々の文字のみの仮訳は、ツイッターで毎日すぐにご紹介している。
◎ナイル・ロジャーズ/シック・ツアー公演
コットンクラブ=2011年4月12日(火曜)
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/schedule/index.php?yr=2011&mn=04#
ブルーノート公演=2011年4月14日(木曜)~18日(月曜)
http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/nile-rodgers/
大阪・心斎橋 クラブ・クアトロClub Quattro=2011年4月20日(水曜)
http://www.smash-jpn.com/band/2011/04_nilerogers/index.php
6:30PM/7:30PM
◎ナイル・ロジャーズ恒例ギター・コンテスト
http://www.bluenote.co.jp/jp/event/chic-guitar-contest/
▽歓迎イヴェントは次の通り。
◎ナバーナ六本木。ナイル・ロジャーズ・トリビュート・ナイト
2011年4月9日(土)
http://www.nirvana08.net/index.html
4.9sat. 7:00p.m.-1:00a.m.
六本木ナバーナ
tel : 03-5771-2760
http://www.nirvana08.net
DJ AKIRA, OSSHY
80年代六本木でOPENし一世風靡した伝説のDiscotheque。ナイル・ロジャーズの直筆サイン入りCDプレゼント等の企画もあり。Inter FM「SOUL BLENDS」(毎週日曜 13:00~15:00)も大プッシュのスペシャルパーティー。
◎フィアット・スペース青山 2011年3月31日(木)と4月18日(月)
http://fiatcaffe.jp/space/331thu-nile-rodgers-chic-welcome-back-to-japan-tribute-party/
★3月31日木曜日
NILE RODGERS & CHIC
WELCOME BACK TO JAPAN
TRIBUTE PARTY
18:00-LATE
MEN: 2500YEN W1D+ FINGER FOOD
LADY: 2000YEN W1D + FINGER FOOD
FLYER 持参で500円割引
フードは、21時までとなっております。
18:00-21:00 HAPPY HOUR 500YEN DRINK あり
★4月18日月曜日
NILE RODGERS & CHIC
AFTER PARTY 後夜祭
21:00-LATE
2000YEN WITH ONE DRINK
(整理券を発行いたしますのでご予約を承っております。定員60名様のみ)
予約方法:
FACE BOOK もしくは、FIAT SPACEのTWITTERからお名前と人数を送って頂きますとこちらから整理番号をお送り致します。TWITTER以外の場合、FIAT SPACEまでお電話もしくは、メールにてご予約をお待ちしております。
◎日比谷DIANA
2011年4月13日(水)午後7時~12時
tel : 03-5501-1115 http://www.clubdiana.jp
+++++
ANNOUNCEMENT>Chic
◆ 「フライ・ジン(Fly-Jin)」新語登場
2011年3月29日 音楽◆「フライ・ジン(Fly-Jin)」新語登場
【Fly-Jin is New Word】
新語。
言葉は生き物。新しい言葉はいつでも、どこでも生まれる。
昨日僕が知った言葉。それは、Fly-Jin(フライ・ジン)。フェイスブックで見かけて、なんだろうなあと思って、いろいろ読んでみたり、ググってみると、すでにたくさん使用例がでている。
Fly-Jinとは、飛行機で東京(あるいは日本)から逃げていく外国人のことを指す。311以来、放射能問題が報道されてから、成田が一挙に活気付き、外国人出国ラッシュが起こった。そのあたりで出来た言葉らしい。そうした人々をFly-Jin (Fly と Gaijinをあわせて)と呼ぶようになった。
そして、そのFly-Jinたちがそろそろ、日本に戻り始める例もでてきている。すると、こんどはその彼らを、日本にずっと留まっていた人々が白い目で見るようになることも起こっているそうだ。
タイム・アウトのウェッブ版(2011年3月23日付け)では、すでに大挙して日本を脱出する外国人についてリポートしていた。
Don’t call me ’flyjin’
Time Out talks to a few of the foreigners who left Tokyo
http://www.timeout.jp/en/tokyo/feature/2672/Dont-call-me-flyjin
日本語版
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2692
おもしろいのが、外国人は「まず家族、そして、会社」というメンタリティーだが、日本人は「まず会社、そして、家族」というメンタリティーだ、と考えられていること。なるほど、一般論的にはそうなのかなあ、という気もしてくる。
ところで、彼ら外国人が日本を出国したのは、地震・津波のせいではない。例の原発問題ゆえだ。原発、放射能に関しては彼らは日本人以上にナーヴァスだ。そしてさまざまな情報を得ようとするが、実際日本の政府・東電の発表はまったくあてにならない。すべてが後手後手に回っていて、その対処も不安を増幅するだけ。それゆえ、彼らが日本を出たのはいたしかたないだろう。
このまま放っておくと、地震以上の災害になる可能性がある。今の政府・東電に処理能力がないことはよくわかった。外圧でいいので、どこかリーダーシップをとって、ガツンと処理して欲しい。
今回知ったのだが、河野太郎・衆議院議員は、以前からこの原発問題を取り上げていて、とてもわかりやすく説明しており、ひじょうに信頼できると思った。
河野太郎ブログ
http://www.taro.org/gomame/
彼が東電の圧力でテレビにでられなくなったという話をきいて、さもありなんと感じた。
+++
昨日紹介したナース(看護師)ブログ。多くのツイッターでリツイートされたり、「ほぼ日」やさまざまなブログで紹介され、一挙に広まっている。さきほど見たら、コメントが1200を越えていた。どなたも、みなこの長文を一気に読んでいるようだ。3月28日14時20分すぎに、本人が「こちらこそありがとうございます。」という一文をアップしている。
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing
■東日本大震災関連記事
2011年03月28日(月)
被災地にたなびく赤い旗 ~看護士の方のブログ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110328.html
2011年03月26日(土)
ニューヨーク・タイムズの震災写真~「ソウル」の二重露光
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10841006248.html
2011年03月21日(月)
大震災~節電も不便もすぐに慣れる
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10835930782.html
2011年03月17日(木)
日本復興と絆
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10832394911.html
2011年03月16日(水)
311 Catastrophe : My Thoughts For Earthquake
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10831890596.html
2011年03月14日(月)
巨大地震=東日本大震災
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10829793774.html
2011年03月13日(日)
東北地方太平洋沖地震
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10828766120.html
ESSAY>
【Fly-Jin is New Word】
新語。
言葉は生き物。新しい言葉はいつでも、どこでも生まれる。
昨日僕が知った言葉。それは、Fly-Jin(フライ・ジン)。フェイスブックで見かけて、なんだろうなあと思って、いろいろ読んでみたり、ググってみると、すでにたくさん使用例がでている。
Fly-Jinとは、飛行機で東京(あるいは日本)から逃げていく外国人のことを指す。311以来、放射能問題が報道されてから、成田が一挙に活気付き、外国人出国ラッシュが起こった。そのあたりで出来た言葉らしい。そうした人々をFly-Jin (Fly と Gaijinをあわせて)と呼ぶようになった。
そして、そのFly-Jinたちがそろそろ、日本に戻り始める例もでてきている。すると、こんどはその彼らを、日本にずっと留まっていた人々が白い目で見るようになることも起こっているそうだ。
タイム・アウトのウェッブ版(2011年3月23日付け)では、すでに大挙して日本を脱出する外国人についてリポートしていた。
Don’t call me ’flyjin’
Time Out talks to a few of the foreigners who left Tokyo
http://www.timeout.jp/en/tokyo/feature/2672/Dont-call-me-flyjin
日本語版
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2692
おもしろいのが、外国人は「まず家族、そして、会社」というメンタリティーだが、日本人は「まず会社、そして、家族」というメンタリティーだ、と考えられていること。なるほど、一般論的にはそうなのかなあ、という気もしてくる。
ところで、彼ら外国人が日本を出国したのは、地震・津波のせいではない。例の原発問題ゆえだ。原発、放射能に関しては彼らは日本人以上にナーヴァスだ。そしてさまざまな情報を得ようとするが、実際日本の政府・東電の発表はまったくあてにならない。すべてが後手後手に回っていて、その対処も不安を増幅するだけ。それゆえ、彼らが日本を出たのはいたしかたないだろう。
このまま放っておくと、地震以上の災害になる可能性がある。今の政府・東電に処理能力がないことはよくわかった。外圧でいいので、どこかリーダーシップをとって、ガツンと処理して欲しい。
今回知ったのだが、河野太郎・衆議院議員は、以前からこの原発問題を取り上げていて、とてもわかりやすく説明しており、ひじょうに信頼できると思った。
河野太郎ブログ
http://www.taro.org/gomame/
彼が東電の圧力でテレビにでられなくなったという話をきいて、さもありなんと感じた。
+++
昨日紹介したナース(看護師)ブログ。多くのツイッターでリツイートされたり、「ほぼ日」やさまざまなブログで紹介され、一挙に広まっている。さきほど見たら、コメントが1200を越えていた。どなたも、みなこの長文を一気に読んでいるようだ。3月28日14時20分すぎに、本人が「こちらこそありがとうございます。」という一文をアップしている。
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing
■東日本大震災関連記事
2011年03月28日(月)
被災地にたなびく赤い旗 ~看護士の方のブログ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110328.html
2011年03月26日(土)
ニューヨーク・タイムズの震災写真~「ソウル」の二重露光
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10841006248.html
2011年03月21日(月)
大震災~節電も不便もすぐに慣れる
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10835930782.html
2011年03月17日(木)
日本復興と絆
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10832394911.html
2011年03月16日(水)
311 Catastrophe : My Thoughts For Earthquake
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10831890596.html
2011年03月14日(月)
巨大地震=東日本大震災
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10829793774.html
2011年03月13日(日)
東北地方太平洋沖地震
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10828766120.html
ESSAY>
◆被災地にたなびく赤い旗 ~看護士の方のブログ
2011年3月28日 音楽◆被災地にたなびく赤い旗 ~看護士の方のブログ
【Flag Flowing Suffered Area】
ブログ。
東日本大震災の被災地に派遣された看護士の方(匿名・都内在住・女性)が、派遣されていた約1週間のことを自身のブログに書いた。これを知り、膨大な量でかなり読むのにも時間がかかったが、全部読んだ。感銘を受けたので、ご紹介したい。このブログは彼女が2011年3月23日午後に帰京してアップされたようだ。
JKTS
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing
ここに、3月16日から23日までのことがほぼ1日ずつに分けられて描かれている。派遣されるときの生半可な気持ちで行くな、という言葉から始まり、壮絶な現場入り。「被災者の前で泣いてはいけない」「次から次へとでてくる遺体」「さまざまな物資の不足」「劣悪な環境」。現場で仕事をされた方ならではの描写に胸を打たれる。これは新聞やテレビなどのマスメディアにはほとんど出てこない、生のリアルな情報だ。メディアはどうしても俯瞰した全体像しか捉えようとしない。こうした下からのフィールド・レポートという視点がないので、本当に貴重だ。
このブログによると、瓦礫に覆われた被災地にはあちこちに赤い旗が立てられているという。それは、遺体が発見された場所を記す目印だという。それがそれこそあちこちに立てられていて、その惨状のすさまじさを物語る。
かと思えば、この1週間あまりの短い滞在中、知り合った6歳の女の子とのふれあいには思わず目頭が熱くなった。
27日(日)午後11時半現在ですでに360件以上のコメントがよせられている。僕は『ソウル・ブレンズ』のDJチーちゃんから教わって、番組中ひたすら携帯で読んでいたのだが、その頃はコメントも150件程度だったと記憶するので、いま、相当読まれているのだろう。ツイッターなどでもたくさん紹介されている。
++++
停電。
ところで、そのチーちゃんの住んでいるエリアはすでに計画停電で2度停電したそうだ。やはり、超不便になるが、真っ暗になると、意外と自分の部屋でも何がどこにあるか覚えていない、わからない、という。そして、結局、やることもないので、布団に入ってねちゃう、そうだ。
また、一度車ででているときに停電になったが、信号が止まることが本当に怖いという。真っ暗なところで、突然、自転車が横から出てきたりする。
冷蔵庫は、停電中は、もう何がなんでも開けないことにしているそうだ。
今回の大震災は、直接的な被災者でもない僕たちも、その後の状況で、まるで「二次被災」しているようなものだ。原発問題も含めて相当な長期戦になるものと覚悟を決めなければならない。
まだまだ出口の見えないトンネルの中にいる。
■東日本大震災関連記事
2011年03月26日(土)
ニューヨーク・タイムズの震災写真~「ソウル」の二重露光
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10841006248.html
2011年03月21日(月)
大震災~節電も不便もすぐに慣れる
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10835930782.html
2011年03月17日(木)
日本復興と絆
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10832394911.html
2011年03月16日(水)
311 Catastrophe : My Thoughts For Earthquake
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10831890596.html
2011年03月14日(月)
巨大地震=東日本大震災
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10829793774.html
2011年03月13日(日)
東北地方太平洋沖地震
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10828766120.html
ESSAY>
【Flag Flowing Suffered Area】
ブログ。
東日本大震災の被災地に派遣された看護士の方(匿名・都内在住・女性)が、派遣されていた約1週間のことを自身のブログに書いた。これを知り、膨大な量でかなり読むのにも時間がかかったが、全部読んだ。感銘を受けたので、ご紹介したい。このブログは彼女が2011年3月23日午後に帰京してアップされたようだ。
JKTS
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing
ここに、3月16日から23日までのことがほぼ1日ずつに分けられて描かれている。派遣されるときの生半可な気持ちで行くな、という言葉から始まり、壮絶な現場入り。「被災者の前で泣いてはいけない」「次から次へとでてくる遺体」「さまざまな物資の不足」「劣悪な環境」。現場で仕事をされた方ならではの描写に胸を打たれる。これは新聞やテレビなどのマスメディアにはほとんど出てこない、生のリアルな情報だ。メディアはどうしても俯瞰した全体像しか捉えようとしない。こうした下からのフィールド・レポートという視点がないので、本当に貴重だ。
このブログによると、瓦礫に覆われた被災地にはあちこちに赤い旗が立てられているという。それは、遺体が発見された場所を記す目印だという。それがそれこそあちこちに立てられていて、その惨状のすさまじさを物語る。
かと思えば、この1週間あまりの短い滞在中、知り合った6歳の女の子とのふれあいには思わず目頭が熱くなった。
27日(日)午後11時半現在ですでに360件以上のコメントがよせられている。僕は『ソウル・ブレンズ』のDJチーちゃんから教わって、番組中ひたすら携帯で読んでいたのだが、その頃はコメントも150件程度だったと記憶するので、いま、相当読まれているのだろう。ツイッターなどでもたくさん紹介されている。
++++
停電。
ところで、そのチーちゃんの住んでいるエリアはすでに計画停電で2度停電したそうだ。やはり、超不便になるが、真っ暗になると、意外と自分の部屋でも何がどこにあるか覚えていない、わからない、という。そして、結局、やることもないので、布団に入ってねちゃう、そうだ。
また、一度車ででているときに停電になったが、信号が止まることが本当に怖いという。真っ暗なところで、突然、自転車が横から出てきたりする。
冷蔵庫は、停電中は、もう何がなんでも開けないことにしているそうだ。
今回の大震災は、直接的な被災者でもない僕たちも、その後の状況で、まるで「二次被災」しているようなものだ。原発問題も含めて相当な長期戦になるものと覚悟を決めなければならない。
まだまだ出口の見えないトンネルの中にいる。
■東日本大震災関連記事
2011年03月26日(土)
ニューヨーク・タイムズの震災写真~「ソウル」の二重露光
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10841006248.html
2011年03月21日(月)
大震災~節電も不便もすぐに慣れる
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10835930782.html
2011年03月17日(木)
日本復興と絆
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10832394911.html
2011年03月16日(水)
311 Catastrophe : My Thoughts For Earthquake
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10831890596.html
2011年03月14日(月)
巨大地震=東日本大震災
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10829793774.html
2011年03月13日(日)
東北地方太平洋沖地震
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10828766120.html
ESSAY>
★△ナイル・ロジャーズ・ブログ 第62回(3月20日)~第66回(3月24日) □.
2011年3月27日 音楽 ★△ナイル・ロジャーズ・ブログ 第62回(3月20日)~第66回(3月24日) □.
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月20日~3月24日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第62回 日本と僕の復活
#62 Better Than Before
Written on Sunday, 20 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 20 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/288-walking-on-planet-c-better-than-before
ストレッチは嫌いな運動だが、今朝は大爆笑
ストレッチは嫌いな運動にもかかわらず、今朝は笑いが止まらなかった。ちょうどバーナードのインタヴューを見終えて、大爆笑したのだ。
バーナードがグループの解散と再結成について語っていた。彼は、僕たちが別居期間中も常に二人の間には愛があり、再結成したとき、「まるで(その間)何もなかったように、笑い始めた」と言っている。これはそれでも「世紀の過小評価」だ。そんなものではない。僕たちは(そのとき笑い始めたのではなく)四六時中爆笑していた。何でそんなに笑ってばかりいたのかはわからないのだが。
癌と診断されて以来、根治手術をし、今、癌が消滅し、僕は今まで以上に人生を満喫し、愛に感謝し、笑っている。
日本の友人が今日、こんなメーセージを送ってくれた。彼女は僕が襲われたこの事件でどれほど落ち込んでいるかを知っているからだ。「740年前から、日本にはこんな叡智に富んだ言い伝えがあります。『大悪起これば大善きたるー』」(悪いことが起こったら、その後にいいことがある、という言い伝え)(註1)
バーナードと僕が会わなくなったとき、本当に最悪だと感じた。(大悪) だが、また縁りを戻したとき、以前にも増して良い感じになった。(大善) そう、日本も以前よりも絶対に良くなるだろう。
(註1)この原文の前には「大事には小瑞なし(大きなことが起きる前には小さな前触れは起きない)」とある。これが転じて、「大きないいことの前には小さな前触れはない」とも読める。
++++
第63回 あのオールド・スクールの感覚よ、もう一度
#63 That Old-School Feeling Again
Written on Monday, 21 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 21 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/289-walking-on-planet-c-that-old-school-feeling-again
ウォーキングにでるとき歌っていたのは「アイ・ウォナ・ダンス」
朝のウォーキングに出るときル・クリブ・スタジオ(註1)で歌っていたのは「アイ・ウォナ・ダンス」だった。これはシック・オーガニゼーションとクール&ザ・ギャングが一緒に録音した新曲だ。
僕たちは一緒に曲を書き、プロデュースした。これは本当の意味でのコラボレーションで、レコーディング中はあのオールド・スクール(「昔懐かしい」と、音楽スタイルとしての「オールド・スクール」をかけている)な感覚が蘇った。
僕はいわゆるメインストリーム(主流、メジャーな)の音楽業界からずっとドロップアウトしている。もはや今の業界には何も興奮するところがないからだ。かつて夢に描いたことは自分でもほとんどすべて実現してしまった。
癌を生き延びてから人生観が変わった。死の淵を彷徨(さまよ)ったとき、自身が愛してきた多くのものを思い浮かべた。そして、たとえ、それが1回限りだとしても、あのオールド・スクールの感覚でレコードを作りたいと思った。
僕はこれまでに一度も、成功というものを自分が売ったレコードの枚数で評価したことはなかった。僕は、その作品作りから学べるものによって評価している。作品作りとはつねに、僕がスタジオで感じたものをいかに一般に伝えられるか、それを見極める実験とも言える。
ナイル・ロジャーズの『エヴリバディー・ダンス!』のアルバムに収められている作品群はすでに大成功を収めたものばかりだ。そこに実験的なボーナス・トラック「アイ・ウォナ・ダンス」が収録されているが、それはここに収められている他の曲が醸し出す「あのオールド・スクールの感覚よ、もう一度」と同じ感触を与えてくれる。
(註1)ナイルがコネチカット州に持っている自宅スタジオ。
4月に日本で先行発売されるエヴリバディ・ダンス!
のジャケットとインナー・デザイン (アマゾンで予約可↓)
++++
第64回 人生は素晴らしく、予期できない
#64 Life Is Beautiful and Unpredictable
Written on Tuesday, 22 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 22 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/290-walking-on-planet-c-life-is-beautiful-and-unpredictable
人生とは素晴らしきもの、そして、予期できぬもの
人生とは素晴らしきもの、そして、予期できぬもの。
まさに初めて春満開になった一日だった。だが、雪が降った。信じられない。僕はウォーキングを終えたが、外に出て、今シーズン最後の雪を楽しむべく、もう一度外に出てみた。
まるで童心に返ってか、あるいは、癌から生き延びたから、それともその両方の理由で、はしゃいでいるのか。たぶん両方だと思う!
人生で多くのことをやってきた。そしてこれからもまだたくさんやりたいことがある。まさに、人生とは素晴らしきもの、そして、予期できぬものだ。
癌告知以来、右手の筋力が失われることに最大の恐怖を感じていた。今、ほぼそれは100パーセントまで戻り、東京で逝去したバーナード・エドワーズの15周年を記念するコンサートに日々近づいている。
日本に行きたい、プレイをしたい、歌いたい、「アイ・ウォナ・ダンス(踊りたい)」。
人生とは素晴らしきもの、そして、予期できぬもの。
4月に日本で先行発売されるエヴリバディ・ダンス!
のジャケットとインナー・デザイン(アマゾンで予約可↓)
+++++
ナイル・ロジャーズ著 第65回(3月23日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第65回 たまには過去を訪れて
#65 A Nice Place to Visit
Written on Wednesday, 23 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 23 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/291-walking-on-planet-c-a-nice-place-to-visit
僕は昔のあの頃がどれほど楽しかったに思いを寄せた
朝のウォーミング・アップをしている間、僕は昔のあの頃がどれほど楽しかったに思いを寄せた。僕の人生は、ライヴ・ミュージック(生演奏の音楽)に囲まれていた。それは本当に「グッド・タイムス(いい時代)」だった。ある程度、今もそうであればと思う。ただ僕は過去にしがみつこうというのではない。過去を、振り返って訪ねてみるのもいいものだと、言っているのだ。
2010年10月27日、悪性の癌と診断されて以来、もうあまり長くはライヴ・ミュージックをプレイできないだろうと思った。だが、僕には優秀な医師団がいて、強力な幸運が味方につき、素晴らしい友達がいた。その結果、今日、僕は依然しっかりと生きてこの物語を語っている。
かつてのあの頃、どれほどパーティー三昧をしても、僕自身から僕を救ってくれたのは、音楽に対する純粋な気持ち、音楽への愛だった。まったく何もないところから、まとまったコンセプトを作り上げていくクリエイティヴな作業ほど、やりがいのあるものはそう多くはない。
僕はこの「アイ・ウォナ・ダンス」をクール&ザ・ギャングとともに出来たことをとても誇りに思っている。クールたちは、僕がティーンエイジャーだった頃から音楽的に意識してきた伝説的グループだからだ。だが、僕は過去にしがみつこうとしているわけではない。ただ、過去を振り返り、ときには訪ねてみるのもいいものだと言いたいのだ。
++++
シック&クール&ザ・ギャング「アイ・ウォナ・ダンス」 フル・ヴァージョン発表!!
オリジナルのサイトのビデオをごらんください
左・ロバート・クール・ベル(クール&ザ・ギャング=以下K&Gベース)、右・ナイル・ロジャーズ(シック)
左・ジョージ:ブラウン(ドラムス、キーボード、K&G)、右・リッチ・ヒルトン(キーボード、シック)
左・ラルフ・ロール(ドラムス、シック)、右・カリース・ベル(サックス、ヴォーカル、K&G)
左・デニス・トーマス(サックス、K&G)、右・ミリサ・ヒミネス(ヴォーカル、シック)
左・ビル・ホロマン(サックス、シック)、右・キム・デイヴィス(ヴォーカル、シック)
++++
ナイル・ロジャーズ著 第66回(3月24日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第66回 可能な限り最高の人生
#66 The Best Life Possible
Written on Thursday, 24 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 24 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/292-walking-on-planet-c-the-best-life-possible#disqus_thread
わかった。そうか、僕は間違っていたんだ。今朝、また雪が降った。だが言い訳をすれば、こうも言ったはずだ。「人生とは予期できぬもの」。
僕は自分が癌に侵されるとは決して予期できなかった。そして先週、検査で癌消滅の結果がでることも予期できなかった。
癌が「再発しない限りは癌消滅」だということは十分わかっている。癌消滅を維持するために、最大限努力はするが、それ以上に大事なのは「可能な限り最高の人生」を送るべく最大限努力することだ。僕にはそれしかなす術はないからだ。僕の身に起こったこと、周辺に起こったことを僕は直接的にはコントロールできない。僕がコントロールできるのは、そのことが起きたときに僕が対処することだけだ。
15年前、東京でバーナード・エドワーズが亡くなったとき、僕は「可能な限り最高の人生」を謳歌していた。僕が盟友であるベース奏者を失い、死がバーナードと僕を分かち、彼がギター奏者を失った後も、日本の人々はシック・オーガニゼーションを存続させる力を与えてくれた。僕たちが「ヒトミ・ナンバー1」あるいは、「ヒット・ミー(Hit Me)」と呼ぶ日本の特別なファンは、はるばるアメリカまで来てバーナードの全葬儀に参列してくれた。彼は今や、シック・オーガニゼーションの一員である。
僕はこれからもずっとバーナード・エドワーズ、トニー・トンプソン、ルーサー・ヴァンドロス、シック・オーガニゼーション、そして、日本の人々に感謝を捧げ、恩義を感じ続ける。彼らはみな、僕が「可能な限り最高の人生」を送るための意欲を授けてくれるのだ。
上左・バーナード、上右・トニー・トンプソン、下ルーサー・ヴァンドロス
Walking on Planet C>62-66>Better Than Before / That Old-School Feeling Again / Life Is Beautiful and Unpredictable / A Nice Place To Visit / The Best Life Possible
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月20日~3月24日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第62回 日本と僕の復活
#62 Better Than Before
Written on Sunday, 20 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 20 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/288-walking-on-planet-c-better-than-before
ストレッチは嫌いな運動だが、今朝は大爆笑
ストレッチは嫌いな運動にもかかわらず、今朝は笑いが止まらなかった。ちょうどバーナードのインタヴューを見終えて、大爆笑したのだ。
バーナードがグループの解散と再結成について語っていた。彼は、僕たちが別居期間中も常に二人の間には愛があり、再結成したとき、「まるで(その間)何もなかったように、笑い始めた」と言っている。これはそれでも「世紀の過小評価」だ。そんなものではない。僕たちは(そのとき笑い始めたのではなく)四六時中爆笑していた。何でそんなに笑ってばかりいたのかはわからないのだが。
癌と診断されて以来、根治手術をし、今、癌が消滅し、僕は今まで以上に人生を満喫し、愛に感謝し、笑っている。
日本の友人が今日、こんなメーセージを送ってくれた。彼女は僕が襲われたこの事件でどれほど落ち込んでいるかを知っているからだ。「740年前から、日本にはこんな叡智に富んだ言い伝えがあります。『大悪起これば大善きたるー』」(悪いことが起こったら、その後にいいことがある、という言い伝え)(註1)
バーナードと僕が会わなくなったとき、本当に最悪だと感じた。(大悪) だが、また縁りを戻したとき、以前にも増して良い感じになった。(大善) そう、日本も以前よりも絶対に良くなるだろう。
(註1)この原文の前には「大事には小瑞なし(大きなことが起きる前には小さな前触れは起きない)」とある。これが転じて、「大きないいことの前には小さな前触れはない」とも読める。
++++
第63回 あのオールド・スクールの感覚よ、もう一度
#63 That Old-School Feeling Again
Written on Monday, 21 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 21 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/289-walking-on-planet-c-that-old-school-feeling-again
ウォーキングにでるとき歌っていたのは「アイ・ウォナ・ダンス」
朝のウォーキングに出るときル・クリブ・スタジオ(註1)で歌っていたのは「アイ・ウォナ・ダンス」だった。これはシック・オーガニゼーションとクール&ザ・ギャングが一緒に録音した新曲だ。
僕たちは一緒に曲を書き、プロデュースした。これは本当の意味でのコラボレーションで、レコーディング中はあのオールド・スクール(「昔懐かしい」と、音楽スタイルとしての「オールド・スクール」をかけている)な感覚が蘇った。
僕はいわゆるメインストリーム(主流、メジャーな)の音楽業界からずっとドロップアウトしている。もはや今の業界には何も興奮するところがないからだ。かつて夢に描いたことは自分でもほとんどすべて実現してしまった。
癌を生き延びてから人生観が変わった。死の淵を彷徨(さまよ)ったとき、自身が愛してきた多くのものを思い浮かべた。そして、たとえ、それが1回限りだとしても、あのオールド・スクールの感覚でレコードを作りたいと思った。
僕はこれまでに一度も、成功というものを自分が売ったレコードの枚数で評価したことはなかった。僕は、その作品作りから学べるものによって評価している。作品作りとはつねに、僕がスタジオで感じたものをいかに一般に伝えられるか、それを見極める実験とも言える。
ナイル・ロジャーズの『エヴリバディー・ダンス!』のアルバムに収められている作品群はすでに大成功を収めたものばかりだ。そこに実験的なボーナス・トラック「アイ・ウォナ・ダンス」が収録されているが、それはここに収められている他の曲が醸し出す「あのオールド・スクールの感覚よ、もう一度」と同じ感触を与えてくれる。
(註1)ナイルがコネチカット州に持っている自宅スタジオ。
4月に日本で先行発売されるエヴリバディ・ダンス!
のジャケットとインナー・デザイン (アマゾンで予約可↓)
++++
第64回 人生は素晴らしく、予期できない
#64 Life Is Beautiful and Unpredictable
Written on Tuesday, 22 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 22 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/290-walking-on-planet-c-life-is-beautiful-and-unpredictable
人生とは素晴らしきもの、そして、予期できぬもの
人生とは素晴らしきもの、そして、予期できぬもの。
まさに初めて春満開になった一日だった。だが、雪が降った。信じられない。僕はウォーキングを終えたが、外に出て、今シーズン最後の雪を楽しむべく、もう一度外に出てみた。
まるで童心に返ってか、あるいは、癌から生き延びたから、それともその両方の理由で、はしゃいでいるのか。たぶん両方だと思う!
人生で多くのことをやってきた。そしてこれからもまだたくさんやりたいことがある。まさに、人生とは素晴らしきもの、そして、予期できぬものだ。
癌告知以来、右手の筋力が失われることに最大の恐怖を感じていた。今、ほぼそれは100パーセントまで戻り、東京で逝去したバーナード・エドワーズの15周年を記念するコンサートに日々近づいている。
日本に行きたい、プレイをしたい、歌いたい、「アイ・ウォナ・ダンス(踊りたい)」。
人生とは素晴らしきもの、そして、予期できぬもの。
4月に日本で先行発売されるエヴリバディ・ダンス!
のジャケットとインナー・デザイン(アマゾンで予約可↓)
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ナイル・ロジャーズ著 第65回(3月23日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第65回 たまには過去を訪れて
#65 A Nice Place to Visit
Written on Wednesday, 23 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 23 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/291-walking-on-planet-c-a-nice-place-to-visit
僕は昔のあの頃がどれほど楽しかったに思いを寄せた
朝のウォーミング・アップをしている間、僕は昔のあの頃がどれほど楽しかったに思いを寄せた。僕の人生は、ライヴ・ミュージック(生演奏の音楽)に囲まれていた。それは本当に「グッド・タイムス(いい時代)」だった。ある程度、今もそうであればと思う。ただ僕は過去にしがみつこうというのではない。過去を、振り返って訪ねてみるのもいいものだと、言っているのだ。
2010年10月27日、悪性の癌と診断されて以来、もうあまり長くはライヴ・ミュージックをプレイできないだろうと思った。だが、僕には優秀な医師団がいて、強力な幸運が味方につき、素晴らしい友達がいた。その結果、今日、僕は依然しっかりと生きてこの物語を語っている。
かつてのあの頃、どれほどパーティー三昧をしても、僕自身から僕を救ってくれたのは、音楽に対する純粋な気持ち、音楽への愛だった。まったく何もないところから、まとまったコンセプトを作り上げていくクリエイティヴな作業ほど、やりがいのあるものはそう多くはない。
僕はこの「アイ・ウォナ・ダンス」をクール&ザ・ギャングとともに出来たことをとても誇りに思っている。クールたちは、僕がティーンエイジャーだった頃から音楽的に意識してきた伝説的グループだからだ。だが、僕は過去にしがみつこうとしているわけではない。ただ、過去を振り返り、ときには訪ねてみるのもいいものだと言いたいのだ。
++++
シック&クール&ザ・ギャング「アイ・ウォナ・ダンス」 フル・ヴァージョン発表!!
オリジナルのサイトのビデオをごらんください
左・ロバート・クール・ベル(クール&ザ・ギャング=以下K&Gベース)、右・ナイル・ロジャーズ(シック)
左・ジョージ:ブラウン(ドラムス、キーボード、K&G)、右・リッチ・ヒルトン(キーボード、シック)
左・ラルフ・ロール(ドラムス、シック)、右・カリース・ベル(サックス、ヴォーカル、K&G)
左・デニス・トーマス(サックス、K&G)、右・ミリサ・ヒミネス(ヴォーカル、シック)
左・ビル・ホロマン(サックス、シック)、右・キム・デイヴィス(ヴォーカル、シック)
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ナイル・ロジャーズ著 第66回(3月24日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第66回 可能な限り最高の人生
#66 The Best Life Possible
Written on Thursday, 24 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 24 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/292-walking-on-planet-c-the-best-life-possible#disqus_thread
わかった。そうか、僕は間違っていたんだ。今朝、また雪が降った。だが言い訳をすれば、こうも言ったはずだ。「人生とは予期できぬもの」。
僕は自分が癌に侵されるとは決して予期できなかった。そして先週、検査で癌消滅の結果がでることも予期できなかった。
癌が「再発しない限りは癌消滅」だということは十分わかっている。癌消滅を維持するために、最大限努力はするが、それ以上に大事なのは「可能な限り最高の人生」を送るべく最大限努力することだ。僕にはそれしかなす術はないからだ。僕の身に起こったこと、周辺に起こったことを僕は直接的にはコントロールできない。僕がコントロールできるのは、そのことが起きたときに僕が対処することだけだ。
15年前、東京でバーナード・エドワーズが亡くなったとき、僕は「可能な限り最高の人生」を謳歌していた。僕が盟友であるベース奏者を失い、死がバーナードと僕を分かち、彼がギター奏者を失った後も、日本の人々はシック・オーガニゼーションを存続させる力を与えてくれた。僕たちが「ヒトミ・ナンバー1」あるいは、「ヒット・ミー(Hit Me)」と呼ぶ日本の特別なファンは、はるばるアメリカまで来てバーナードの全葬儀に参列してくれた。彼は今や、シック・オーガニゼーションの一員である。
僕はこれからもずっとバーナード・エドワーズ、トニー・トンプソン、ルーサー・ヴァンドロス、シック・オーガニゼーション、そして、日本の人々に感謝を捧げ、恩義を感じ続ける。彼らはみな、僕が「可能な限り最高の人生」を送るための意欲を授けてくれるのだ。
上左・バーナード、上右・トニー・トンプソン、下ルーサー・ヴァンドロス
Walking on Planet C>62-66>Better Than Before / That Old-School Feeling Again / Life Is Beautiful and Unpredictable / A Nice Place To Visit / The Best Life Possible
◆ニューヨーク・タイムズの震災写真~「ソウル」の二重露光
2011年3月26日 音楽◆ニューヨーク・タイムズの震災写真~「ソウル」の二重露光
【Photographs Of New York Times: Double Exposure Of “Soul”】
写真力。
大震災のニュース記事同様に膨大な量の写真が日本の新聞や雑誌にも載っている。テレビやユーチューブには、これまた膨大な量の津波映像などもある。もちろんすべてを見ているわけではないが、そんな中で、ニューヨーク・タイムズ紙が集めた写真がどれも秀逸だ。この中には日本のメディアやフリーランスの日本人フォトグラファーのものも多数含まれる。これを見ていると、報道写真の力強さを感じさせられる。そのあたりを考えてみた。
まず、ニューヨーク・タイムズ紙の写真は次のファイルにある。(遺体などの写真も含まれますので、ご注意ください)
http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html?scp=1&sq=earthquake,%20japan,%20photo&st=cse#1
ここには、2011年3月11日以来毎日写真が追加されており、25日午後5時現在で計212枚のカラー写真が掲載されている。トップページでは、最新の写真があり、右端の→ボタンを押すと、順に古いものになっていく。写真の下に英文で小さな文字だがキャプション(説明)が付けられている。横に撮影者のクレジットもある。
中には日本の新聞ではお目にかかれない多数の棺や、ブルーシートに包まれた遺体もある。そうした写真は、圧倒的な力で見る者を圧迫する。大惨事が、小さな悲劇の集合体であることが、その小さな悲劇を切り取ることによって別のアングルで浮かび上がる。
左・March 12, 2011
In the aftermath of the tsunami, a woman sat amid the debris in Natori.
Toshiyuki Tsunenari/Asahi Shimbun, via Associated Press
右・March 22, 2011
A boat sat atop a building in Otsuchi, Iwate Prefecture.
Hiroto Nomoto/Yomiuri Shimbun, via Associated Press
(このブログでは画素数が落ちてしまっているので、迫力がありませんが、オリジナルのリンクで大画面で見るとかなり迫力があります)
ビートたけしが、「この震災を『2万人が死んだ一つの事件』と考えると被害者のことを全く理解できない。そこには『1人が死んだ事件が2万件あった』ってことなんだよ」と言ったという。その通りだと思う。我々もふとテレビなどの震災死者数報道などを見ていると、2万人が死んだ震災と思ってしまいがちだ。1人の死が2万件はとてつもなく重い。いわば2万の物語、ドラマがあるのだ。
すぐれた報道写真は、1万文字書いても語りきれないものを、瞬時に人々に語りかける。ただのスナップと力を持った写真の違いだ。
おそらくニューヨーク・タイムズの写真は世界中のフォトグラファーが撮影した何万枚という写真の中から、目をサラのようにして選んでいるのだろう。写真力のある作品だ。
二重露光。
これだけの写真を撮影できるポイントは何か。
ストーリーやテーマがあるかどうか、被写体を撮影する写真家にしっかりとした物事の見方、確かな洞察力があるか、フォーカスする視点が明確か、などが大きなポイントだと思う。それが結局、写真に現れるのだろう。写真がひとつの媒体であるだけでなく、作品として昇華されているかのようにも感じられる。
一方、テレビやユーチューブでの映像は、あまりにリアルすぎる。本当のことがリアルタイムで起こっていて、生の感覚が見ている側に直接伝わってくる。それを見ていると、本物感が強烈なだけに、見ていても救われない感じがしてくるのだ。
ところが、これらの写真を見ていると、たとえそこに遺体が映されていても、ある意味、なぜか救われる感じがする。これはなぜなのだろう。よくわからない。
10分の動画よりも、たった1枚のスチール写真のほうが胸の奥にささる場合がある。
ニューヨーク・タイムズの写真は、報道写真とは何か、という根源的な問いを投げかけているような気もしてくる。
たぶん、ここにある写真群は、フォトグラファー(写真家)たちの「ソウル」と、被写体である悲しみと絶望の人々の「ソウル」という二者の「ソウル」が二重露光(ダブル・エクスポージャー)されて、映された写真ゆえに力を持っているのだと思う。
+++
ESSAY>Earthquake
NEWS>Earthquake
【Photographs Of New York Times: Double Exposure Of “Soul”】
写真力。
大震災のニュース記事同様に膨大な量の写真が日本の新聞や雑誌にも載っている。テレビやユーチューブには、これまた膨大な量の津波映像などもある。もちろんすべてを見ているわけではないが、そんな中で、ニューヨーク・タイムズ紙が集めた写真がどれも秀逸だ。この中には日本のメディアやフリーランスの日本人フォトグラファーのものも多数含まれる。これを見ていると、報道写真の力強さを感じさせられる。そのあたりを考えてみた。
まず、ニューヨーク・タイムズ紙の写真は次のファイルにある。(遺体などの写真も含まれますので、ご注意ください)
http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html?scp=1&sq=earthquake,%20japan,%20photo&st=cse#1
ここには、2011年3月11日以来毎日写真が追加されており、25日午後5時現在で計212枚のカラー写真が掲載されている。トップページでは、最新の写真があり、右端の→ボタンを押すと、順に古いものになっていく。写真の下に英文で小さな文字だがキャプション(説明)が付けられている。横に撮影者のクレジットもある。
中には日本の新聞ではお目にかかれない多数の棺や、ブルーシートに包まれた遺体もある。そうした写真は、圧倒的な力で見る者を圧迫する。大惨事が、小さな悲劇の集合体であることが、その小さな悲劇を切り取ることによって別のアングルで浮かび上がる。
左・March 12, 2011
In the aftermath of the tsunami, a woman sat amid the debris in Natori.
Toshiyuki Tsunenari/Asahi Shimbun, via Associated Press
右・March 22, 2011
A boat sat atop a building in Otsuchi, Iwate Prefecture.
Hiroto Nomoto/Yomiuri Shimbun, via Associated Press
(このブログでは画素数が落ちてしまっているので、迫力がありませんが、オリジナルのリンクで大画面で見るとかなり迫力があります)
ビートたけしが、「この震災を『2万人が死んだ一つの事件』と考えると被害者のことを全く理解できない。そこには『1人が死んだ事件が2万件あった』ってことなんだよ」と言ったという。その通りだと思う。我々もふとテレビなどの震災死者数報道などを見ていると、2万人が死んだ震災と思ってしまいがちだ。1人の死が2万件はとてつもなく重い。いわば2万の物語、ドラマがあるのだ。
すぐれた報道写真は、1万文字書いても語りきれないものを、瞬時に人々に語りかける。ただのスナップと力を持った写真の違いだ。
おそらくニューヨーク・タイムズの写真は世界中のフォトグラファーが撮影した何万枚という写真の中から、目をサラのようにして選んでいるのだろう。写真力のある作品だ。
二重露光。
これだけの写真を撮影できるポイントは何か。
ストーリーやテーマがあるかどうか、被写体を撮影する写真家にしっかりとした物事の見方、確かな洞察力があるか、フォーカスする視点が明確か、などが大きなポイントだと思う。それが結局、写真に現れるのだろう。写真がひとつの媒体であるだけでなく、作品として昇華されているかのようにも感じられる。
一方、テレビやユーチューブでの映像は、あまりにリアルすぎる。本当のことがリアルタイムで起こっていて、生の感覚が見ている側に直接伝わってくる。それを見ていると、本物感が強烈なだけに、見ていても救われない感じがしてくるのだ。
ところが、これらの写真を見ていると、たとえそこに遺体が映されていても、ある意味、なぜか救われる感じがする。これはなぜなのだろう。よくわからない。
10分の動画よりも、たった1枚のスチール写真のほうが胸の奥にささる場合がある。
ニューヨーク・タイムズの写真は、報道写真とは何か、という根源的な問いを投げかけているような気もしてくる。
たぶん、ここにある写真群は、フォトグラファー(写真家)たちの「ソウル」と、被写体である悲しみと絶望の人々の「ソウル」という二者の「ソウル」が二重露光(ダブル・エクスポージャー)されて、映された写真ゆえに力を持っているのだと思う。
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ESSAY>Earthquake
NEWS>Earthquake
◆ 感動した高校野球の選手宣誓
2011年3月25日 音楽◆感動した高校野球の選手宣誓
【Moving a declaration by the players】
宣誓。
選抜高校野球が2011年3月23日から始まったが、その選手宣誓が素晴らしかった。僕は高校野球にはほとんど興味はないが、たまたまこの宣誓を一日遅れでツイッターで知り、動画を見て、感動してしまった。
まずは、ともあれ、その動画を。
Youtubeが直接リンクできない方はこちらから。
http://www.youtube.com/watch?v=FI2BFNwT0c0
彼の文言は次の通り。
「宣誓。私たちは16年前、阪神淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。人は、仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。がんばろう! 日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います」(約221字、約1分35秒)
この選手宣誓をした岡山県・創志学園の野山慎介主将は1995年生まれ。誕生日は調べてみたがまだわからなかったが、早生まれなのかな。(たぶん、1994年4月から1995年3月生まれの学年と推測) テレビなどの字幕では2年生と出ているが、まだこの時点では高校1年生だという説も出ている。
細かいことはさておき、15歳か16歳の彼のこの立派なスピーチはほんとうにすごい。
ツイッターで紹介したところ、ぜひ英訳を、との反応。そのユーチューブにすでにJaefuさんという方が英文を載せていたので、それに補足して転載します。
A declaration by the players
I swear!
We were born in the year of the Great Hanshin-Awaji Earthquake 16 years ago. Now, many precious lives are lost in the Great East Japan Earthquake, our hearts are filled with sorrow. All the people are united in the affected areas, and they are working very hard with their companions. We believe that the people can get over big difficulty with help from their companions.
What we can do now. Our answer is to play the game with utmost effort and bouncily.
Let’s do our best, Japan! (Let’s hang in there, Japan!)
We appreciate to our lives, and make a pledge to play the game fairly and squarely with heart and soul.
(Jaefuさんという方の訳)
「がんばろう! 日本」の「がんばろう」のイディオムが日本語にないので、適訳がないが、Let’s do our bestもいいと思う。hang toughとか、try hardもいいかもしれない。Let’s hang in there, Japan とか。ふんばれ、ジャパン、という感じ。
結局、言葉の力、自信にあふれた彼の魂(ソウル)を込めた発声が、人の心を揺さぶるのだと思う。今の政治家にもっとも欠けているものだ。管総理に、彼のつめの垢を煎じて飲ませたい。(笑)
■関連記事 The Great Earthquake Related Post (In English & Japanese)
2011年03月16日(水)
311 Catastrophe : My Thoughts For Earthquake
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10831890596.html
ESSAY>Declaration
NEWS>Declaration by the Players
【Moving a declaration by the players】
宣誓。
選抜高校野球が2011年3月23日から始まったが、その選手宣誓が素晴らしかった。僕は高校野球にはほとんど興味はないが、たまたまこの宣誓を一日遅れでツイッターで知り、動画を見て、感動してしまった。
まずは、ともあれ、その動画を。
Youtubeが直接リンクできない方はこちらから。
http://www.youtube.com/watch?v=FI2BFNwT0c0
彼の文言は次の通り。
「宣誓。私たちは16年前、阪神淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。人は、仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。がんばろう! 日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います」(約221字、約1分35秒)
この選手宣誓をした岡山県・創志学園の野山慎介主将は1995年生まれ。誕生日は調べてみたがまだわからなかったが、早生まれなのかな。(たぶん、1994年4月から1995年3月生まれの学年と推測) テレビなどの字幕では2年生と出ているが、まだこの時点では高校1年生だという説も出ている。
細かいことはさておき、15歳か16歳の彼のこの立派なスピーチはほんとうにすごい。
ツイッターで紹介したところ、ぜひ英訳を、との反応。そのユーチューブにすでにJaefuさんという方が英文を載せていたので、それに補足して転載します。
A declaration by the players
I swear!
We were born in the year of the Great Hanshin-Awaji Earthquake 16 years ago. Now, many precious lives are lost in the Great East Japan Earthquake, our hearts are filled with sorrow. All the people are united in the affected areas, and they are working very hard with their companions. We believe that the people can get over big difficulty with help from their companions.
What we can do now. Our answer is to play the game with utmost effort and bouncily.
Let’s do our best, Japan! (Let’s hang in there, Japan!)
We appreciate to our lives, and make a pledge to play the game fairly and squarely with heart and soul.
(Jaefuさんという方の訳)
「がんばろう! 日本」の「がんばろう」のイディオムが日本語にないので、適訳がないが、Let’s do our bestもいいと思う。hang toughとか、try hardもいいかもしれない。Let’s hang in there, Japan とか。ふんばれ、ジャパン、という感じ。
結局、言葉の力、自信にあふれた彼の魂(ソウル)を込めた発声が、人の心を揺さぶるのだと思う。今の政治家にもっとも欠けているものだ。管総理に、彼のつめの垢を煎じて飲ませたい。(笑)
■関連記事 The Great Earthquake Related Post (In English & Japanese)
2011年03月16日(水)
311 Catastrophe : My Thoughts For Earthquake
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10831890596.html
ESSAY>Declaration
NEWS>Declaration by the Players
●ロリータ・ハロウェイ、64歳で死去~ソウル・ディスコ・ディーヴァ
2011年3月24日 音楽●ロリータ・ハロウェイ、64歳で死去~ソウル・ディスコ・ディーヴァ
【Loleatta Holloway Dies At 64】
訃報。
ゴスペル・シンガーからソウル・シンガーへ転じ、その後、ディスコ・ヒットも生み出したロリータ・ハロウェイが2011年3月21日(月)シカゴの病院で死去した。64歳だった。しばらく前に心臓の疾患で入院、2-3日前から昏睡状態になっていた。
ハロウェイには4人の子供、9人の孫がおり、近日中にシカゴのジェシー・ジャクソン教会でメモリアルが行われる。
各界から弔辞が寄せられている。イギリスのアシッド・ジャズ創始者ジャイルス・ピーターソンは、ロリータの「ヒット・アンド・ラン」が好きだと前置きし、「この曲にはソウル、感情、ディスコ、ロリータのすべてが一曲の中に込められているから」と述べた。
サルソウル・レコードのレーベルメイトであるキャロル・ウィリアムスは、ロリータのレコーディング様子のエピソードを語る。「普通、シンガーは(レコーディングでは)みんなマイクに近づくのよ。でも、ロリータは1フィートくらい離れてるのよ」 それだけ声量があったということだ。
リンダ・クリフォード。「彼女はとても大切な友人でした。ずっと彼女のことを愛します」
キャンディ・ステイトン。「本当に残念です。ロリータは、本当に素晴らしい声、ビッグ・ヴォイスを持ったシンガーのひとり。個人的には彼女はとっても楽しい人物で、人生を思い切り楽しんでいた。彼女のことをずっと思い続けるわ。音楽もずっと残り続けます」
マネージャーのロン・リチャードソンによれば、ロリータはとてもスイートな人物だが、またとても傷つきやすい人物でもあったと振り返る。彼女の1980年の大ヒット「ラヴ・センセーション」は後に1989年イギリスのブラックボックスがサンプリングし、「ライド・オン・タイム」というタイトルで大ヒットさせた。しかも、プロモーション用ビデオでは、モデルのキャサリン・クイノールを前面に押し出し、あたかもキャサリンが歌っているかのように見せ、ロリータのクレジットは載せなかった。結局、これは裁判でロリータ側の全面勝利となるが、彼女にとっては苦い経験になったようだ。
その後、マーキー・マークが「グッド・ヴァイブレーション」で彼女を正式に起用、これもヒット。また、最近ではロリータの「ウィアー・ゲッティング・ストロンガー」を、ホイットニー・ヒューストンが「ミリオン・ダラー・ビル」でサンプリングしている。
彼女の傑作曲である「クライ・トゥ・ミー」だが、これと同名異曲の「クライ・トゥ・ミー」を歌ったソウル・レジェンド、ソロモン・バークの誕生日が奇しくも1940年の3月21日、ロリータ・ハロウェイの命日となった。運命のめぐり合わせか。
+++++
ゴスペル~ソウル~ディスコ~ガレージ
評伝。
ロリータ・ハロウェイは、1946年11月5日イリノイ州シカゴ生まれ。母親がハロウェイ・ゴスペル・シンガーズという自身のグループのゴスペル・シンガーだったことから幼少の頃よりゴスペルを歌い始める。母親はゴスペル名門グループ、キャラヴァンズのアルバーティナ・ウォーカーと接点があり、ロリータは早くからキャラヴァンズでレコーディングを経験した。
1971年、ロリータが24歳ごろ、プロデューサーのフロイド・スミス(1917年1月25日生まれ、1982年3月29日死去、65歳)と知り合い、フロイドのプロデュースで「レインボウ71」を録音。これは、カーティス・メイフィールド作品でジーン・チャンドラーがヒットさせたもののカヴァー。インディから出て少しだけヒットした。ちなみに、フロイドとロリータは1970年代に結婚するが、その年の差は29歳だ。
その後、フロイドがアトランタに本拠を置くGRC(General Recording Company)傘下のアウェア・レコードとロリータの契約をまとめ、アルバム2枚を録音。これが、『ロリータ』(1973年)と『クライ・トゥ・ミー』(1975年)で、どちらもソウル・ファンからひじょうに高い支持を集め、傑作と呼ばれるようになった。ロリータのゴスペルに根付いたソウルフルな歌唱が圧倒的で魅力を出していた。日本でも当時はコロンビア・レコードからリリースされた。だが、このアウェアがまもなく倒産。ロリータは、フィラデルフィアのサルソウル・レコード傘下にできたゴールド・マインドと契約。
このアウェアの親会社GRCを取り仕切っていたのはマイケル・セヴィス(1932年ノースキャロライナ生まれ)という人物。彼は実は大物ギャングで、全米のポルノ産業を一手に牛耳っていた男だった。小さなポルノ雑誌の発売から始めて、いわゆるピープショー(覗き部屋)などのポルノショップを経営、これが大当たりし、一時期1970年代には年商1億ドル(当時のレートで360億円)をあげていたといわれる。しかし、殺人、脱税などでFBIに目を付けられ、1976年に逮捕。アウェアの倒産もそれと関連している。
サルソウルに移籍してからは、フィリーのプロデューサー、ノーマン・ハリスらのプロデュースで軽快なフィリー・サウンドの作品が作られ、いわゆるディスコ作品というジャンルにカテゴライズされ、実際ディスコ・チャートでもたくさんのヒットを生み出した。「ヒット・アンド・ラン」(1977年)、「ラン・アウェイ」(1977年)、「ラヴ・センセーション」(1980年)などだ。ダン・ハートマンの「リライト・マイ・ファイアー」(1979年)の客演もこの時期。いずれもディスコで大ヒットしたため、「ディスコ・ディーヴァ」の名前をほしいままにした。
1989年、イギリスのディスコ・プロデューサーが作ったブラックボックスというグループが「ラヴ・センセーション」をロリータのクレジットなしでサンプリングして「ライド・オン・タイム」というタイトルでリリース、これを大ヒットさせた。プロモ・ビデオでモデルを全面にだし、あたかもそのモデルが歌っているかのように見せたため、問題となり、ロリータ側が訴え、ロリータ側が実質的な勝訴(正確には示談)となった。
その後、マーキー・マーク(マーク・ウォールバーグ)&ザ・ファンキー・バンチが正式にロリータをフィーチャード・シンガーとして起用し、「グッド・ヴァイブレーション」が1991年ポップチャートで1位に輝いた。もちろん、これはクレジットも得て、ロイヤリティーも得ることができ、ロリータ最大のヒットになった。
さらに、2000年には日本のハウス・チーム、GTSの「ホワット・ゴーズ・アラウンド・カムズ・アラウンド」でロリータが起用されている。(リリースは2001年)
最近では、ホイットニー・ヒューストンがロリータの1976年の作品「ウィアー・ゲッティング・ストロンガー」を、「ミリオン・ダラー・ベイビー」でサンプリングしている。
ロリータのキャリアを振り返ると、ゴスペルから始まり、ソウルに転じ、さらに、ディスコ、ダンス・ミュージック、そして、ガレージ、ハウスへ変化していった。
オリジナル・アルバムは、アウェアで2枚、サルソウル(ゴールド・マインド)で4枚、ストリートワイズで1枚。そのほかオムニバス、コンピレーション、ベストものなど多数。
Loleatta (Aware 2003 - 1973)
Cry To Me (Aware 2008 - 1975)
Loleatta (Gold Mind 7500 - 1976)
Queen of the Night (Gold Mind 9501 - 1978)
Loleatta Holloway (Gold Mind 9504 -1979)
Love Sensation (Gold Mind 9506 - 1980)
Crash Goes Love (Street Wise 2230 – 1984)
1990年9月に初来日。このときは有明MZAでライヴを行った。1994年12月、西麻布イエロー。2002年12月29日、新木場アゲハのオープニング・パーティーでジョスリン・ブラウンとライヴを行っている。
★Loleatta の表記について
「ロレッタ」は明らかな間違いで「ロリータ」が正しい。コロンビア時代はロリータだった。Lorettaならロレッタになるが、leaがくるので、ロリータになる。アクセントが「リー」に来るので、「リータ・ハロウェイ」と聴こえることもある。単純にレコード会社の担当がロリータだとロリータ趣味と勘違いされそうなので、わざと正しい発音を無視しロレッタにしたという信じられない話。ハロウェイかホロウェイかは、どちらでもいいが、Hollywood(ハリウッド)と同様に考えれば、ハロウェイでよいだろう。
■過去関連記事
2002/12/31
Ageha : Journal To Death
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200212/diary20021231.html
アゲハ・オープニングに登場。
2003/01/29 (Wed)
Loleatta Holloway 表記。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030129.html
上記、「ロリータ」表記の話。
■ロリータ・ハロウェイYoutube
Cry To Me
Show Must Go On
Love Sensation
■ロリータ・ハロウェイCD
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001DETH6K/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007M8PX/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000008KY/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000024WJV/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank
OBITUARY>Holloway, Loleatta (November 5, 1946 to March 21, 2011, 64 year-old)
【Loleatta Holloway Dies At 64】
訃報。
ゴスペル・シンガーからソウル・シンガーへ転じ、その後、ディスコ・ヒットも生み出したロリータ・ハロウェイが2011年3月21日(月)シカゴの病院で死去した。64歳だった。しばらく前に心臓の疾患で入院、2-3日前から昏睡状態になっていた。
ハロウェイには4人の子供、9人の孫がおり、近日中にシカゴのジェシー・ジャクソン教会でメモリアルが行われる。
各界から弔辞が寄せられている。イギリスのアシッド・ジャズ創始者ジャイルス・ピーターソンは、ロリータの「ヒット・アンド・ラン」が好きだと前置きし、「この曲にはソウル、感情、ディスコ、ロリータのすべてが一曲の中に込められているから」と述べた。
サルソウル・レコードのレーベルメイトであるキャロル・ウィリアムスは、ロリータのレコーディング様子のエピソードを語る。「普通、シンガーは(レコーディングでは)みんなマイクに近づくのよ。でも、ロリータは1フィートくらい離れてるのよ」 それだけ声量があったということだ。
リンダ・クリフォード。「彼女はとても大切な友人でした。ずっと彼女のことを愛します」
キャンディ・ステイトン。「本当に残念です。ロリータは、本当に素晴らしい声、ビッグ・ヴォイスを持ったシンガーのひとり。個人的には彼女はとっても楽しい人物で、人生を思い切り楽しんでいた。彼女のことをずっと思い続けるわ。音楽もずっと残り続けます」
マネージャーのロン・リチャードソンによれば、ロリータはとてもスイートな人物だが、またとても傷つきやすい人物でもあったと振り返る。彼女の1980年の大ヒット「ラヴ・センセーション」は後に1989年イギリスのブラックボックスがサンプリングし、「ライド・オン・タイム」というタイトルで大ヒットさせた。しかも、プロモーション用ビデオでは、モデルのキャサリン・クイノールを前面に押し出し、あたかもキャサリンが歌っているかのように見せ、ロリータのクレジットは載せなかった。結局、これは裁判でロリータ側の全面勝利となるが、彼女にとっては苦い経験になったようだ。
その後、マーキー・マークが「グッド・ヴァイブレーション」で彼女を正式に起用、これもヒット。また、最近ではロリータの「ウィアー・ゲッティング・ストロンガー」を、ホイットニー・ヒューストンが「ミリオン・ダラー・ビル」でサンプリングしている。
彼女の傑作曲である「クライ・トゥ・ミー」だが、これと同名異曲の「クライ・トゥ・ミー」を歌ったソウル・レジェンド、ソロモン・バークの誕生日が奇しくも1940年の3月21日、ロリータ・ハロウェイの命日となった。運命のめぐり合わせか。
+++++
ゴスペル~ソウル~ディスコ~ガレージ
評伝。
ロリータ・ハロウェイは、1946年11月5日イリノイ州シカゴ生まれ。母親がハロウェイ・ゴスペル・シンガーズという自身のグループのゴスペル・シンガーだったことから幼少の頃よりゴスペルを歌い始める。母親はゴスペル名門グループ、キャラヴァンズのアルバーティナ・ウォーカーと接点があり、ロリータは早くからキャラヴァンズでレコーディングを経験した。
1971年、ロリータが24歳ごろ、プロデューサーのフロイド・スミス(1917年1月25日生まれ、1982年3月29日死去、65歳)と知り合い、フロイドのプロデュースで「レインボウ71」を録音。これは、カーティス・メイフィールド作品でジーン・チャンドラーがヒットさせたもののカヴァー。インディから出て少しだけヒットした。ちなみに、フロイドとロリータは1970年代に結婚するが、その年の差は29歳だ。
その後、フロイドがアトランタに本拠を置くGRC(General Recording Company)傘下のアウェア・レコードとロリータの契約をまとめ、アルバム2枚を録音。これが、『ロリータ』(1973年)と『クライ・トゥ・ミー』(1975年)で、どちらもソウル・ファンからひじょうに高い支持を集め、傑作と呼ばれるようになった。ロリータのゴスペルに根付いたソウルフルな歌唱が圧倒的で魅力を出していた。日本でも当時はコロンビア・レコードからリリースされた。だが、このアウェアがまもなく倒産。ロリータは、フィラデルフィアのサルソウル・レコード傘下にできたゴールド・マインドと契約。
このアウェアの親会社GRCを取り仕切っていたのはマイケル・セヴィス(1932年ノースキャロライナ生まれ)という人物。彼は実は大物ギャングで、全米のポルノ産業を一手に牛耳っていた男だった。小さなポルノ雑誌の発売から始めて、いわゆるピープショー(覗き部屋)などのポルノショップを経営、これが大当たりし、一時期1970年代には年商1億ドル(当時のレートで360億円)をあげていたといわれる。しかし、殺人、脱税などでFBIに目を付けられ、1976年に逮捕。アウェアの倒産もそれと関連している。
サルソウルに移籍してからは、フィリーのプロデューサー、ノーマン・ハリスらのプロデュースで軽快なフィリー・サウンドの作品が作られ、いわゆるディスコ作品というジャンルにカテゴライズされ、実際ディスコ・チャートでもたくさんのヒットを生み出した。「ヒット・アンド・ラン」(1977年)、「ラン・アウェイ」(1977年)、「ラヴ・センセーション」(1980年)などだ。ダン・ハートマンの「リライト・マイ・ファイアー」(1979年)の客演もこの時期。いずれもディスコで大ヒットしたため、「ディスコ・ディーヴァ」の名前をほしいままにした。
1989年、イギリスのディスコ・プロデューサーが作ったブラックボックスというグループが「ラヴ・センセーション」をロリータのクレジットなしでサンプリングして「ライド・オン・タイム」というタイトルでリリース、これを大ヒットさせた。プロモ・ビデオでモデルを全面にだし、あたかもそのモデルが歌っているかのように見せたため、問題となり、ロリータ側が訴え、ロリータ側が実質的な勝訴(正確には示談)となった。
その後、マーキー・マーク(マーク・ウォールバーグ)&ザ・ファンキー・バンチが正式にロリータをフィーチャード・シンガーとして起用し、「グッド・ヴァイブレーション」が1991年ポップチャートで1位に輝いた。もちろん、これはクレジットも得て、ロイヤリティーも得ることができ、ロリータ最大のヒットになった。
さらに、2000年には日本のハウス・チーム、GTSの「ホワット・ゴーズ・アラウンド・カムズ・アラウンド」でロリータが起用されている。(リリースは2001年)
最近では、ホイットニー・ヒューストンがロリータの1976年の作品「ウィアー・ゲッティング・ストロンガー」を、「ミリオン・ダラー・ベイビー」でサンプリングしている。
ロリータのキャリアを振り返ると、ゴスペルから始まり、ソウルに転じ、さらに、ディスコ、ダンス・ミュージック、そして、ガレージ、ハウスへ変化していった。
オリジナル・アルバムは、アウェアで2枚、サルソウル(ゴールド・マインド)で4枚、ストリートワイズで1枚。そのほかオムニバス、コンピレーション、ベストものなど多数。
Loleatta (Aware 2003 - 1973)
Cry To Me (Aware 2008 - 1975)
Loleatta (Gold Mind 7500 - 1976)
Queen of the Night (Gold Mind 9501 - 1978)
Loleatta Holloway (Gold Mind 9504 -1979)
Love Sensation (Gold Mind 9506 - 1980)
Crash Goes Love (Street Wise 2230 – 1984)
1990年9月に初来日。このときは有明MZAでライヴを行った。1994年12月、西麻布イエロー。2002年12月29日、新木場アゲハのオープニング・パーティーでジョスリン・ブラウンとライヴを行っている。
★Loleatta の表記について
「ロレッタ」は明らかな間違いで「ロリータ」が正しい。コロンビア時代はロリータだった。Lorettaならロレッタになるが、leaがくるので、ロリータになる。アクセントが「リー」に来るので、「リータ・ハロウェイ」と聴こえることもある。単純にレコード会社の担当がロリータだとロリータ趣味と勘違いされそうなので、わざと正しい発音を無視しロレッタにしたという信じられない話。ハロウェイかホロウェイかは、どちらでもいいが、Hollywood(ハリウッド)と同様に考えれば、ハロウェイでよいだろう。
■過去関連記事
2002/12/31
Ageha : Journal To Death
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200212/diary20021231.html
アゲハ・オープニングに登場。
2003/01/29 (Wed)
Loleatta Holloway 表記。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030129.html
上記、「ロリータ」表記の話。
■ロリータ・ハロウェイYoutube
Cry To Me
Show Must Go On
Love Sensation
■ロリータ・ハロウェイCD
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001DETH6K/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007M8PX/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000008KY/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000024WJV/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank
OBITUARY>Holloway, Loleatta (November 5, 1946 to March 21, 2011, 64 year-old)
◎ ニーヨ・ライヴ~不安と期待と
2011年3月23日 音楽◎ニーヨ・ライヴ~不安と期待と
【Ne-Yo Live: Fear & Expectation】
不安。
2006年に満を持してデビューしたニーヨ。同年の初来日以来、何度もコンサートやプロモーションで来日し、すっかり日本でもおなじみになった。フルサイズのワンマン・ライヴとしては、2006年6月(実質的には30分余のショーケース)、2007年2月、2009年1月以来のもの。その後2009年10月に複数アーティストによるライヴが埼玉スーパーアリーナなどで行われている。2008年サマーソニックにも。
大震災ゆえに来日中止もささやかれたニーヨだったが、結局、来日、ライヴを敢行することになった。もちろん、やるやらないは、関係者らで相当な議論を重ねたと思う。やることも、決断であり、中止も決断だ。外野としては、ただそれを受け止めるだけにとどめたい。今回の地震で、ダンサーの何人かが日本に来ることを怖がり、当初のメンバーが来日していないらしい。また、この後木曜日(24日)に新木場スタジオ・コーストでライヴが予定されていたが、これはこの日中止になった。
ライヴ中、大きな揺れがこないか、そんな不安と、一体どんなパフォーマンスを見せるのか、その期待が入り混じる。客席はほぼ満員。
すでに名古屋、神戸をこなしての横浜アリーナ。客席では、蛍光ペンライトがあちこちで光る。レーザーが飛び、ステージバック、こちらから見て正面には7~8メートルもするまん丸のスクリーン。ここにいろいろな映像が映し出される。
さて、ニーヨ、1曲目はキーボード一人だけを従え登場。2曲目からドラムスが入る。バンドはこの2人のみ。あとは4人のダンサー。かなり省エネな編成だ。基本9割以上の音は、このキーボードが出している。言ってみれば、キーボードがバックコーラスの声も含めてトラック(カラオケ)をすべて出す感じだ。また、ニーヨが実際に歌っているか、口パクかは、席が遠くだったので、確認はできなかった。ただ、歌声はCDのように音量もピッチもひじょうに安定していた。印象的だったのは、ライヴ中、何度も「ニッポン! ニッポン!」と声をかけたこと。
1979年10月18日生まれの未年(ひつじどし)。31歳。油の乗っている年齢だ。甘いメロディアスな楽曲が、やはり、とても日本人に受ける感じがする。
これは4分の1中国(つまりアジア)の血が入っていることも関係あるのだろうか。元々ソングライターから業界入りしたニーヨだけに、当たり前だが、楽曲がいい。
結局、いい曲を書ける優れたソングライターであること、いい曲をあの魅力的な声で歌い録音したCDが大変売れた。そして、大きな人気を得た。そこで大きな会場でライヴが出来る需要が生まれた。そして、大きな会場でライヴをやらざるを得なくなった。ほんとだったら、小さなクラブあたりで見るとめちゃくちゃ盛り上がるようなタイプのアーティストだ。
■Ne-Yo ジャパンツアー
2011/3/19(土) 名古屋ガイシホール
2011/3/20(日) 神戸ワールド記念ホール
2011/3/22(火) 横浜アリーナ
2011/3/24 (木) 東京 新木場スタジオ・コースト →中止
中止・払い戻しなどについての詳細はこちら
http://www.creativeman.co.jp/artist/2011/03neyo/
■過去関連記事
2009年01月14日(水)
ニーヨ、武道館・黒沢薫のライヴ・レポート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10192235286.html
June 10, 2006
Ne-Yo Was On Stage For Only 34 Minutes
http://blog.soulsearchin.com/archives/001066.html
(2006年6月のショーケースのようなライヴのレポート)
■ニーヨ最新作 リブラ・スケール
Libra Scale: +DVDposted with amazlet at 11.03.22Ne-Yo Def Jam (2010-11-22)売り上げランキング: 4998Amazon.co.jp で詳細を見る
■ベストコレクション
NE-YO:ザ・コレクション コンプリート・エディション(DVD付)posted with amazlet at 11.03.22Ne-Yo(ニーヨ) Utada カニエ・ウェスト ジェイ・Z ユニバーサル インターナショナル (2009-09-02)売り上げランキング: 27727Amazon.co.jp で詳細を見る
■ イン・マイ・オウン・ワーズ+3
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■ビコーズ・オブ・ユー
ビコーズ・オブ・ユーposted with amazlet at 11.03.22Ne-Yo(ニーヨ) ジェイ・Z ジェニファー・ハドソン USMジャパン (2009-03-04)売り上げランキング: 21768Amazon.co.jp で詳細を見る
■メンバー
ニーヨ(ヴォーカル、ダンス)
キーボード
ドラムス
ダンサー(女性4人)
■セットリスト ニーヨ 横浜アリーナ 2011年3月22日火曜
Setlist : Ne-Yo, Yokohama Arena, March 22, 2011
Show started 19:03
01. Beautiful Monster
02. So Sick
03. Because of you
04. Stay
05. Mad
06. Sexy Love
07. Telekinesis
(DJ Baby by Me) この3曲、ニーヨはステージを離れ着替え。その間CD音源を流した
(DJ Pretty Girl Rock)
(DJ Knock You Down)
08. One In A Million
09. Miss Independent
10. Cause I Said So
11. Can We Chill
12. Champagne Life
13. Do You
Enc. Go On Girl
Enc. Closer
show ended 20:23
(2011年3月22日火曜、横浜アリーナ、ニーヨ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Ne-Yo
2011-
【Ne-Yo Live: Fear & Expectation】
不安。
2006年に満を持してデビューしたニーヨ。同年の初来日以来、何度もコンサートやプロモーションで来日し、すっかり日本でもおなじみになった。フルサイズのワンマン・ライヴとしては、2006年6月(実質的には30分余のショーケース)、2007年2月、2009年1月以来のもの。その後2009年10月に複数アーティストによるライヴが埼玉スーパーアリーナなどで行われている。2008年サマーソニックにも。
大震災ゆえに来日中止もささやかれたニーヨだったが、結局、来日、ライヴを敢行することになった。もちろん、やるやらないは、関係者らで相当な議論を重ねたと思う。やることも、決断であり、中止も決断だ。外野としては、ただそれを受け止めるだけにとどめたい。今回の地震で、ダンサーの何人かが日本に来ることを怖がり、当初のメンバーが来日していないらしい。また、この後木曜日(24日)に新木場スタジオ・コーストでライヴが予定されていたが、これはこの日中止になった。
ライヴ中、大きな揺れがこないか、そんな不安と、一体どんなパフォーマンスを見せるのか、その期待が入り混じる。客席はほぼ満員。
すでに名古屋、神戸をこなしての横浜アリーナ。客席では、蛍光ペンライトがあちこちで光る。レーザーが飛び、ステージバック、こちらから見て正面には7~8メートルもするまん丸のスクリーン。ここにいろいろな映像が映し出される。
さて、ニーヨ、1曲目はキーボード一人だけを従え登場。2曲目からドラムスが入る。バンドはこの2人のみ。あとは4人のダンサー。かなり省エネな編成だ。基本9割以上の音は、このキーボードが出している。言ってみれば、キーボードがバックコーラスの声も含めてトラック(カラオケ)をすべて出す感じだ。また、ニーヨが実際に歌っているか、口パクかは、席が遠くだったので、確認はできなかった。ただ、歌声はCDのように音量もピッチもひじょうに安定していた。印象的だったのは、ライヴ中、何度も「ニッポン! ニッポン!」と声をかけたこと。
1979年10月18日生まれの未年(ひつじどし)。31歳。油の乗っている年齢だ。甘いメロディアスな楽曲が、やはり、とても日本人に受ける感じがする。
これは4分の1中国(つまりアジア)の血が入っていることも関係あるのだろうか。元々ソングライターから業界入りしたニーヨだけに、当たり前だが、楽曲がいい。
結局、いい曲を書ける優れたソングライターであること、いい曲をあの魅力的な声で歌い録音したCDが大変売れた。そして、大きな人気を得た。そこで大きな会場でライヴが出来る需要が生まれた。そして、大きな会場でライヴをやらざるを得なくなった。ほんとだったら、小さなクラブあたりで見るとめちゃくちゃ盛り上がるようなタイプのアーティストだ。
■Ne-Yo ジャパンツアー
2011/3/19(土) 名古屋ガイシホール
2011/3/20(日) 神戸ワールド記念ホール
2011/3/22(火) 横浜アリーナ
2011/3/24 (木) 東京 新木場スタジオ・コースト →中止
中止・払い戻しなどについての詳細はこちら
http://www.creativeman.co.jp/artist/2011/03neyo/
■過去関連記事
2009年01月14日(水)
ニーヨ、武道館・黒沢薫のライヴ・レポート
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June 10, 2006
Ne-Yo Was On Stage For Only 34 Minutes
http://blog.soulsearchin.com/archives/001066.html
(2006年6月のショーケースのようなライヴのレポート)
■ニーヨ最新作 リブラ・スケール
Libra Scale: +DVDposted with amazlet at 11.03.22Ne-Yo Def Jam (2010-11-22)売り上げランキング: 4998Amazon.co.jp で詳細を見る
■ベストコレクション
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■ イン・マイ・オウン・ワーズ+3
イン・マイ・オウン・ワーズ+3posted with amazlet at 11.03.22Ne-Yo(ニーヨ) LLクールJ ゴーストフェイス・キラー リック・ロス ピーディ・ピーディ USMジャパン (2009-03-04)売り上げランキング: 116547Amazon.co.jp で詳細を見る
■ビコーズ・オブ・ユー
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■メンバー
ニーヨ(ヴォーカル、ダンス)
キーボード
ドラムス
ダンサー(女性4人)
■セットリスト ニーヨ 横浜アリーナ 2011年3月22日火曜
Setlist : Ne-Yo, Yokohama Arena, March 22, 2011
Show started 19:03
01. Beautiful Monster
02. So Sick
03. Because of you
04. Stay
05. Mad
06. Sexy Love
07. Telekinesis
(DJ Baby by Me) この3曲、ニーヨはステージを離れ着替え。その間CD音源を流した
(DJ Pretty Girl Rock)
(DJ Knock You Down)
08. One In A Million
09. Miss Independent
10. Cause I Said So
11. Can We Chill
12. Champagne Life
13. Do You
Enc. Go On Girl
Enc. Closer
show ended 20:23
(2011年3月22日火曜、横浜アリーナ、ニーヨ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Ne-Yo
2011-
◎ 深夜のジャム・セッション~軽音部、トクズ・ラウンジ・スペシャル
2011年3月22日 音楽◎深夜のジャム・セッション~軽音部、トクズ・ラウンジ・スペシャル
【Jam Session】
ジャム。
ずっと家にこもっていてもしょうがない。外に出て普通に生活しよう。ということもあってか、金曜夜、西麻布で何人かのミュージシャンが集まって好きな曲を適当に歌ったり演奏したりするジャムセッションが行われた。当日突然決まったもので、そもそも北山さんが自宅で曲つくりや友人ミュージシャンとのジャムセッションをユーストリームでやろうと考えたのがそもそも。場所を西麻布に移し、三々五々集まった。
シンディー・ローパー終わりのトクもジョインするということで、トクズ・ラウンジ風になった。集まったのは澤田かおり(キーボード・ヴォーカル)、柴田亮(ドラムス)、ヴォイス・パーカッションのカズ(KAZ)、ベースの後藤克臣、北山陽一(ヴォーカル、ユーストリーム担当)、トミー・キャンベル(ドラムス)、永田ジョージ(キーボード)、トク(フルーゲル・ホーン、トランペット、ヴォーカル)ら。
結局、電波・回線の問題でユーストリーム自体はできなかったが、休憩含めて3時間超ゆるーくジャムセッションが行われた。
「クロース・トゥ・ユー」やスティーヴィー・ワンダーの曲をたくさん歌った澤田かおりさんは、最近、あちこちでよく見かけるが彼女の歌を聴いたのは初めて。なかなかよかった。彼女は英語はネイティヴなのかな。
また、ドラムスのトミー・キャンベルとヴォイス・パーカッションのカズさんの5分以上におよぶバトルはすごかった。こういうコール&レスポンスは、ライヴならではの醍醐味。
このカズさんは、2008年の「ビート・ボックス・ジャパン」のチャンピオンになったという。2009年には、イギリスで行われた世界大会にチームで出た。ナチュラリー7のレコードのチリチリ音の話をしたら、さっそく耳元でやってくれた。彼はループステーションという機材を使い、生でその場で録音したリズム、ビートをすぐに再生し、それにあわせてまたビートを作るという、一人で多重ライヴが出来る。一人ヒューマンビート・ボックス・オーケストラというわけだ。
■メンバー
澤田かおり(キーボード・ヴォーカル)、
柴田亮(ドラムス)、
カズ(KAZ)(ヴォイス・パーカッション)
後藤克臣(ベース)
北山陽一(ヴォーカル、ユーストリーム担当)、
トミー・キャンベル(ドラムス)、
永田ジョージ(キーボード)、
トク(フルーゲル・ホーン、トランペット、ヴォーカル
■セットリスト
01.Close To You
02.上を向いて歩こう
03.(Jam)
04.What You Won’t Do For Love
05.(Jam)
06.Don’t You Worry About A Thing
07.Overjoyed
08.Ribbon In The Sky
09.Feel Like Making Love
10.I Can’t Help It
11.Golden Lady
12.アイ (秦基博・曲)
13.My Cherie Amour
14.What’s Going On (Tighten Up)
Ended 4.18
(2011年3月18日金曜・深夜、軽音部セッション)
ENT>MUSIC>LIVE>Keion-Bu
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著(3月15日~19日)
2011年3月20日 音楽★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月15日~3月19日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第57回 微笑を与えてくれるバーナード
#57 It Also Makes Me Smile
Written on Tuesday, 15 March 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 15 March 2011 18:00)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/283-walking-on-planet-c-it-also-makes-me-smile
バーナードの最後のインタヴューを見ながらホームランナーでウォーキング
今日のウォーキングは、バーナードの最後のインタヴューを見ながら、ルームランナーで行(おこな)った。彼は、僕たちがどのようにして、まったく資金なしに最初のヒット曲(「ダンス・ダンス・ダンス」)を録音したかを語っていた。あの頃、僕たちはみなお互い助け合っていたので、録音が実現できたのだ。
癌が僕を襲ってから、多くの人たちが彼らの癌物語を語り、僕のブログを読んでくれるあらゆる人たちがコメントを寄せてくれる。それはまるでひとつのコミュニティーがここに出来、お互い助け合っているようだ。それはかつて、ルーサーやバーナード、その他の友人たちがお互い助け合っていた様子と同じだ。
ルーサー・ヴァンドロス、「ネヴァー・トゥ・マッチ」名盤
ルーサー・ヴァンドロス、「シンス・アイ・ロスト・マイ・ベイビー」同曲の収録されている『フォーエヴァー・フォー・オールウェイズ』
癌手術後初めてのコンサートは、4月に日本で行われることになっている。僕は人々のスピリットを信じている。僕はそれまで祈り、日本に行く頃には日本と僕たちの心がお互い癒しあえればと思う。僕たちは毎年やっているように、日本のみんなと一緒に歌い、踊り、そして愛を確認しあう。
4月は、バーナード逝去から15周年になる。僕は今度のショーを今までで最高のものにしたい。
バーナードの最後のインタヴューを何度も繰り返し見続けている。まるであたかもバーナードがここにいて、僕に強くなれと指示をしているかのように思える。それを見てまた、僕は微笑む。
シック「ダンス・ダンス・ダンス」、最初はブッダ・レコードから出た
シック「エヴリバディー・ダンス」
Bernard Videoがここに貼り付けられないので、原文のオリジナル・リンクをごらんください。
+++++
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第58回(3月16日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第58回 ほろ苦い
#58 Bittersweet
Written on Wednesday, 16 March 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 16 March 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/284-walking-on-planet-c-bittersweet
今日はほろ苦い
今日、検査の結果が出た。「癌消滅」だった。最高に嬉しかった。
だが、ニューズで日本の状況を見て、すぐに悲しくなった。原発での放射線レヴェルが高く、従業員が避難しなければならないと言っていた。
僕の幸運も、日本の人々を心配するあまりに、心地よくはない。今日はウォーキングを取りやめにした。
今夜は朝まで起きてCNNを見続けよう。今日は、ほろ苦い一日だ。
+++++
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第59回(3月17日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第59回 癌消滅
#59 Cancer Free
Written on Thursday, 17 March 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 17 March 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/285-walking-on-planet-c-cancer-free
今日、雨は降っていたが暖かかった
2日連続で医師のところに行った今日、雨は降っていたが暖かかった。今、僕は「癌消滅」と診断されたが、術後の症状は膨大な回復セラピーを必要とする。
昨日、「癌消滅」と言われたとき、僕は驚喜した。しかし、日本の地震、津波、そして、放射能漏れの可能性についての休むことなきニューズ報道に落ち込んでいる。
日本は僕にとってとても重要な地だ。数週間内にかの地に戻ることが待ちきれない。1996年4月、僕の長い間のパートナーであるバーナード・エドワーズは、モーニング・コールに起きなかった。彼が部屋で亡くなっていたのを僕は発見した。
彼の最後の言葉になったのは、3本の素晴らしいコンサートを終えた後、観客に言ったおやすみだった。あれは僕の人生の中でももっとも幸福な一夜だった。しかし、それが翌日、人生でもっとも悲しい日の一日となってしまった。
それは、昨日僕が癌消滅と宣言されたときに感じた複雑なほろ苦い感情と、とてもよく似ていた。
+++++
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第60回(3月18日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第60回 モダン・ラヴ
#60 Modern Love
Written on Friday, 18 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 18 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/286-walking-on-planet-c-modern-love
暖かい日、デッキに出て陽を浴びた
今日は2日間続く暖かい日の初日だ。デッキに出て陽を浴びた。ここ数日少し悲しかったが、癌消滅の思いにふけり、ハッピーでファンキーな人生を再生しようと思った。
元デュラン・デュランのギタリスト、アンディー・テイラーとそのすご腕マネージャー、オーストラリアにいるアッシャーからのメッセージに目覚めた。
癌戦争の初期から、応援してくれるEメール、ショート・メール、ツイートをたくさんもらっている。僕はそれを「ラヴ」あるいは「モダン・ラヴ」とニックネームをつけている。愛について考えるとき、僕は音楽のことを考える。そして、それが今日のウォーキングにでかけるキュー(きっかけ)となった。
僕は決してミュージック・プレイヤーを持ち歩かない。口笛を吹き、ハミングし、歌う。僕が見聞きしたり、何かのテーマを思いついたとたんいつでも曲を変えられるからだ。テンポもすぐに変えられるし、キーもアレンジもそのときのムードに従って変えられるのだ。
僕は今日ごきげんでノリノリだったので、踊りながらウォーキングしている感じだった。そこで、道を歩きながら歌ったのは、ザ・B52ズ(ビー・フィフティートゥーズ)の「ラヴ・シャック」だった。
ディスコのスピードになると、僕の脳内DJは、マドンナの「ドレス・ユー・アップ」、ABCの「ザ・ルック・オブ・ラヴ」、ダイアナ・ロスの「ラヴ・ハングオーヴァー」、マルーン5の「ディス・ラヴ」、そのほかの「愛」をテーマにした曲を次々とかけた。
Look of Love: the Very Best of ABC +DVDposted with amazlet at 11.03.19
今週、僕は「愛」に心を奪われている。音楽への愛、人生に対する愛、バーナード・エドワーズへの愛、日本の人々への愛、そして広がり続ける世界中のオンライン・ファミリーからの愛。自宅の道に近づいたときに流れてきた最後の曲は、デュラン・デュランの「ザ・ワイルド・ボーイズ」だ。デュランのサイモン・ルボンが日本でバーナードが亡くなったときに傍らにいてくれたことが何より嬉しく、そのことを思っていた。そして、それに続いて歌ったのが、もっともこのテーマにどんぴしゃのデイヴィッド・ボウイの「モダン・ラヴ」だった。
+++++
第61回 日本と僕の復活
#61 Rebirth of a Nation and Me
Written on Saturday, 19 March 2011 03:55 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 19 March 2011 16:55)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/287-walking-on-planet-c-rebirth-of-a-nation-and-me
暖かく気持ちのいい最高の日
昨日はこの季節で一番暖かい日だった。本当に気持ちのいい一日だった。
僕は自分の絶好調時のパフォーマンスに戻るまでに、膨大な量、肉体を動かさなければならない。だが、僕は生きていることが本当に嬉しい。
僕は音楽が持つ癒しの力を信じており、毎日何時間もギターを弾いている。プレイするメインのギターは、1960年のフェンダー・ストラトキャスター、1959年のメイプル・ネック付きのものだ。1973年にこれを300ドルで買った。僕はこれに「ザ・ヒットメイカー」と名づけた。というのもこれでプレイしたレコードの売り上げは10億ドル以上にもなっているからだ。
このギターでプレイしたレコードの売り上げは10億ドル以上にもなる
キャリアの初期、よく楽器店に行っては将来の夢の話をしていた。今、僕は日本の将来も輝いているとわかっている。
僕は今こそ日本にいてこのヒットメイカーを鳴らせればいいと思う。毎日、友人のミュージシャンたちからかの地でプレイし、コンサートでの日本のファンの素晴らしいヴァイヴについての話を次々と聴く。今、直面しているあらゆる困難の途上で、彼らはひじょうに強い精神力を持っている。
僕は、ギターを持って行き、日本と僕の復活の一翼を担うのが待ちきれない。
左・バーナードのギターマン・ベース Nard’s Guitarman Bass 右・僕のギターマン・ストラットMy Guitarman Strat
Walking on Planet C>57 - 61>It Also Make Me Smile / Bittersweet / Cancer Free / Modern Love / Rebirth of a Nation and Me
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 吉岡正晴訳
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、「ウォーキング・オン・プラネットC~プラネットCを歩いて」、2011年3月15日~3月19日分、写真・キャプション、ユーチューブ、訳注付き。
前回までのブログ、写真、ユーチューブ映像などはソウルサーチンの本サイト、ブログhttp://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください
このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています。第1回から http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10032211060.html のファイルにアーカイブが所蔵されています
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第57回 微笑を与えてくれるバーナード
#57 It Also Makes Me Smile
Written on Tuesday, 15 March 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 15 March 2011 18:00)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/283-walking-on-planet-c-it-also-makes-me-smile
バーナードの最後のインタヴューを見ながらホームランナーでウォーキング
今日のウォーキングは、バーナードの最後のインタヴューを見ながら、ルームランナーで行(おこな)った。彼は、僕たちがどのようにして、まったく資金なしに最初のヒット曲(「ダンス・ダンス・ダンス」)を録音したかを語っていた。あの頃、僕たちはみなお互い助け合っていたので、録音が実現できたのだ。
癌が僕を襲ってから、多くの人たちが彼らの癌物語を語り、僕のブログを読んでくれるあらゆる人たちがコメントを寄せてくれる。それはまるでひとつのコミュニティーがここに出来、お互い助け合っているようだ。それはかつて、ルーサーやバーナード、その他の友人たちがお互い助け合っていた様子と同じだ。
ルーサー・ヴァンドロス、「ネヴァー・トゥ・マッチ」名盤
ルーサー・ヴァンドロス、「シンス・アイ・ロスト・マイ・ベイビー」同曲の収録されている『フォーエヴァー・フォー・オールウェイズ』
癌手術後初めてのコンサートは、4月に日本で行われることになっている。僕は人々のスピリットを信じている。僕はそれまで祈り、日本に行く頃には日本と僕たちの心がお互い癒しあえればと思う。僕たちは毎年やっているように、日本のみんなと一緒に歌い、踊り、そして愛を確認しあう。
4月は、バーナード逝去から15周年になる。僕は今度のショーを今までで最高のものにしたい。
バーナードの最後のインタヴューを何度も繰り返し見続けている。まるであたかもバーナードがここにいて、僕に強くなれと指示をしているかのように思える。それを見てまた、僕は微笑む。
シック「ダンス・ダンス・ダンス」、最初はブッダ・レコードから出た
シック「エヴリバディー・ダンス」
Bernard Videoがここに貼り付けられないので、原文のオリジナル・リンクをごらんください。
+++++
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第58回(3月16日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第58回 ほろ苦い
#58 Bittersweet
Written on Wednesday, 16 March 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 16 March 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/284-walking-on-planet-c-bittersweet
今日はほろ苦い
今日、検査の結果が出た。「癌消滅」だった。最高に嬉しかった。
だが、ニューズで日本の状況を見て、すぐに悲しくなった。原発での放射線レヴェルが高く、従業員が避難しなければならないと言っていた。
僕の幸運も、日本の人々を心配するあまりに、心地よくはない。今日はウォーキングを取りやめにした。
今夜は朝まで起きてCNNを見続けよう。今日は、ほろ苦い一日だ。
+++++
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第59回(3月17日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第59回 癌消滅
#59 Cancer Free
Written on Thursday, 17 March 2011 04:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 17 March 2011 17:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/285-walking-on-planet-c-cancer-free
今日、雨は降っていたが暖かかった
2日連続で医師のところに行った今日、雨は降っていたが暖かかった。今、僕は「癌消滅」と診断されたが、術後の症状は膨大な回復セラピーを必要とする。
昨日、「癌消滅」と言われたとき、僕は驚喜した。しかし、日本の地震、津波、そして、放射能漏れの可能性についての休むことなきニューズ報道に落ち込んでいる。
日本は僕にとってとても重要な地だ。数週間内にかの地に戻ることが待ちきれない。1996年4月、僕の長い間のパートナーであるバーナード・エドワーズは、モーニング・コールに起きなかった。彼が部屋で亡くなっていたのを僕は発見した。
彼の最後の言葉になったのは、3本の素晴らしいコンサートを終えた後、観客に言ったおやすみだった。あれは僕の人生の中でももっとも幸福な一夜だった。しかし、それが翌日、人生でもっとも悲しい日の一日となってしまった。
それは、昨日僕が癌消滅と宣言されたときに感じた複雑なほろ苦い感情と、とてもよく似ていた。
+++++
★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第60回(3月18日)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第60回 モダン・ラヴ
#60 Modern Love
Written on Friday, 18 March 2011 03:50 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 18 March 2011 16:50)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/286-walking-on-planet-c-modern-love
暖かい日、デッキに出て陽を浴びた
今日は2日間続く暖かい日の初日だ。デッキに出て陽を浴びた。ここ数日少し悲しかったが、癌消滅の思いにふけり、ハッピーでファンキーな人生を再生しようと思った。
元デュラン・デュランのギタリスト、アンディー・テイラーとそのすご腕マネージャー、オーストラリアにいるアッシャーからのメッセージに目覚めた。
癌戦争の初期から、応援してくれるEメール、ショート・メール、ツイートをたくさんもらっている。僕はそれを「ラヴ」あるいは「モダン・ラヴ」とニックネームをつけている。愛について考えるとき、僕は音楽のことを考える。そして、それが今日のウォーキングにでかけるキュー(きっかけ)となった。
僕は決してミュージック・プレイヤーを持ち歩かない。口笛を吹き、ハミングし、歌う。僕が見聞きしたり、何かのテーマを思いついたとたんいつでも曲を変えられるからだ。テンポもすぐに変えられるし、キーもアレンジもそのときのムードに従って変えられるのだ。
僕は今日ごきげんでノリノリだったので、踊りながらウォーキングしている感じだった。そこで、道を歩きながら歌ったのは、ザ・B52ズ(ビー・フィフティートゥーズ)の「ラヴ・シャック」だった。
ディスコのスピードになると、僕の脳内DJは、マドンナの「ドレス・ユー・アップ」、ABCの「ザ・ルック・オブ・ラヴ」、ダイアナ・ロスの「ラヴ・ハングオーヴァー」、マルーン5の「ディス・ラヴ」、そのほかの「愛」をテーマにした曲を次々とかけた。
Look of Love: the Very Best of ABC +DVDposted with amazlet at 11.03.19
今週、僕は「愛」に心を奪われている。音楽への愛、人生に対する愛、バーナード・エドワーズへの愛、日本の人々への愛、そして広がり続ける世界中のオンライン・ファミリーからの愛。自宅の道に近づいたときに流れてきた最後の曲は、デュラン・デュランの「ザ・ワイルド・ボーイズ」だ。デュランのサイモン・ルボンが日本でバーナードが亡くなったときに傍らにいてくれたことが何より嬉しく、そのことを思っていた。そして、それに続いて歌ったのが、もっともこのテーマにどんぴしゃのデイヴィッド・ボウイの「モダン・ラヴ」だった。
+++++
第61回 日本と僕の復活
#61 Rebirth of a Nation and Me
Written on Saturday, 19 March 2011 03:55 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 19 March 2011 16:55)
Translated by Yoshioka Masaharu, The Soul Searcher
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/287-walking-on-planet-c-rebirth-of-a-nation-and-me
暖かく気持ちのいい最高の日
昨日はこの季節で一番暖かい日だった。本当に気持ちのいい一日だった。
僕は自分の絶好調時のパフォーマンスに戻るまでに、膨大な量、肉体を動かさなければならない。だが、僕は生きていることが本当に嬉しい。
僕は音楽が持つ癒しの力を信じており、毎日何時間もギターを弾いている。プレイするメインのギターは、1960年のフェンダー・ストラトキャスター、1959年のメイプル・ネック付きのものだ。1973年にこれを300ドルで買った。僕はこれに「ザ・ヒットメイカー」と名づけた。というのもこれでプレイしたレコードの売り上げは10億ドル以上にもなっているからだ。
このギターでプレイしたレコードの売り上げは10億ドル以上にもなる
キャリアの初期、よく楽器店に行っては将来の夢の話をしていた。今、僕は日本の将来も輝いているとわかっている。
僕は今こそ日本にいてこのヒットメイカーを鳴らせればいいと思う。毎日、友人のミュージシャンたちからかの地でプレイし、コンサートでの日本のファンの素晴らしいヴァイヴについての話を次々と聴く。今、直面しているあらゆる困難の途上で、彼らはひじょうに強い精神力を持っている。
僕は、ギターを持って行き、日本と僕の復活の一翼を担うのが待ちきれない。
左・バーナードのギターマン・ベース Nard’s Guitarman Bass 右・僕のギターマン・ストラットMy Guitarman Strat
Walking on Planet C>57 - 61>It Also Make Me Smile / Bittersweet / Cancer Free / Modern Love / Rebirth of a Nation and Me