◎デニス・エドワーズ・テンプテーションズ~半世紀かけて培われる「形式美」

【Beauty Of Form Isn’t Only Skin Deep: Temptation’s Review】

形式美。

アル・マッケイにせよ、このデニス・エドワーズのテンプテーションズにせよ、長くひとつのことをやり続けているアーティストというのは、長い時間をかけてひとつの「型」を作り上げていて、それがひじょうに完成形に近いものになっている。

モータウン、アメリカを代表するナンバー・ワン・ソウル・ヴォーカル・グループ、テンプテーションズ。そのデニス・エドワーズ版。このところ毎年やってきて、毎回同じものを見るのだが、それでも飽きないというのは、山下達郎さんが口癖のように言う「いいものは何度見てもいいんです」という完成度の高い「作品」への思慕ではないかと思う。

バックバンド編成も同じ、テンプスの5人のメンバーも昨年と同じ。そして曲の流れもほぼ同じ。青のスーツに斜めに虹がデザインされているおそろいの衣装で、曲ごとに決まった振り付けをこなしながら、ショーを進める。この振り付けがいちいち決まっているところが、古くからのソウル・ヴォーカル・グループ・ファンにはたまらない。冒頭からアップテンポで曲をたたみかけ、ちょっとバラード「レイニー・ナイト・イン・ジョージア」などで箸休め。

今年の最大のハイライトは、その「レイニー…」の後に、デニス・エドワーズが、「今年、悲劇的なことに、アリ・オリ・ウッドソンが亡くなりました。ここで、彼が好きだった曲を歌って彼に捧げたいと思います」と神妙な面持ちで語り、アリの作った「サム・エンチャンテッド・イヴニング」というバラードを歌ったこと。

ショーの間は、何度か観客席に降り、観客とのやりとりもうまくこなす。客がうまく歌えれば拍手をし、いまひとつだと顔をしかめて、それはそれで笑いを取る。

マイクから離れてノー・マイクの生歌で熱唱するデイヴィッドの「アイ・ウィッシュ・イット・ウド・レイン」の一部。いつでもその振り付けがかわいい「ビューティー・イズ・オンリー・スキン・ディープ」。どんなにライヴ本数を重ねようとも、波があったとしても、ある程度、最低限のクオリティーは絶対に保つ。それが、結局一流ということなのだろう。

初代リードのデイヴィッド・ラッフィンを引き継いだデニス・エドワーズがグループに入ってからもその歴史は40年以上になる。歌唱、振り付け、観客とのコール&レスポンス、ほとんどトークなしの、間延びしない、無駄のない構成。観客に時が経つのを忘れさせる究極のエンタテインメント。この形式美は、まさに40年以上の歳月という時の試練を経て確立しているものだ。とても表面だけのものではない。Beauty of form isn’t only skin deep.

■テンプテーションズ・レヴューは、12月31日のカウントダウンまで丸の内コットンクラブで
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/

■ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001AMZ/soulsearchiho-22/ref=nosim/

DVD テンプテーションズのメンバーの1人オーティス・ウィリアムズが執筆した自伝『テンプテーションズ』(1989発売)をテレビ映画化した作品

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002QBT33G/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■過去関連記事~テンプテーションズ、アリ・オリ・ウッドソン

2010年06月01日(火)
アリ・オリ・ウッドソン58歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10550564987.html

2009年11月07日(土)
テンプテーションズ~ポール・ウィリアムス・ジュニアをフィーチャー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20091107.html

December 25, 2008
テンプテーションズ&G.C.キャメロン
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081225.html

December 27, 2008
テンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081227.html

November 26, 2007
歴史
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071126.html

November 27, 2007
【デニスとアリ・オリ、『ソウル・ブレンズ』にやってきた】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071127.html

November 28, 2007
【レジェンドとしてのテンプス】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071128.html

November 29, 2007
【アリ・オリ・アリ・オリに登場】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071129.html

■メンバー

ザ・テンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズ

Dennis Edwards(vo)
David Sea(vo)
Chris Arnold(vo)
Mike Pattillo(vo)
Paul Williams Jr.(vo)

Raymond Harris(tb)
David Camon(key)
Greg Dokes(key)
Luis Valle(tp)
川村裕司(sax)

Ric Archer(g)
James McKay(b)
Llewellyn Dunn(ds)

Thomas Finley(valet)

■セットリスト 
Setlist : The Temptations Review Featuring Dennis Edwards @ Cotton Club, December 29, 2010
[ ] indicates first lead vocalist

Show started 20:01
01. Intro
02. Standing On The Top [Dennis]
03. Get Ready [Chris]
04. Ain’t Too Proud To Beg [David]
05. Lady Soul [David]
06. Don’t Look Back [Paul]
07. Papa Was A Rolling Stone [David - Chris]
08. Rainy Night In Georgia [Mike]
09. Some Enchanted Evening [David]
10. Beauty Is Only Skin Deep [David]
11. The Way You Do The Things You Do [Chris]
12. I Wish It Would Rain [David]
13. Treat Her Like A Lady [Dennis]
Enc. My Girl [Dennis &David] ~ Just My Imagination [Chris] ~ Stay Till The Morning[Paul] ~My Girl [Dennis &David]
Show ended 21:13

(2010年12月29日水曜、丸の内コットンクラブ=テンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Temptations Review Featuring Dennis Edwards
2010-213

◎アル・マッケイ・オールスターズ~アースがもっとも輝いていた時代を再現するシャイニング・スターたち

【Al McKay All Stars: Recreate The Sound When EWF Was Most Shining】

輝き(Shining)。

元アース・ウィンド&ファイアーの名ギタリストでソングライターの一人でもあるアル・マッケイが、アース時代、それも一番輝いていた時期の作品をこれでもか、これでもかとたたみかけて演奏する「アル・マッケイ・オールスターズ」のライヴ。彼らがやってきたのは、ちょうど昨年(2009年)12月だから1年ぶり。毎年12月の風物詩になるか。

それにしても、ソリッドでファンキーでポップなバンドだ。基本的には、観客を煽って煽って、躍らせ踊らせ、ブギーなワンダーランドに連れて行く。そして、ところどころに挟み込まれる「アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン」や、「リーズンズ」(ここでのヴォーカル、ティムとサックスのエド・ウィンのかけあいは壮絶。見所です)、「キャント・ハイド・ラヴ」などのバラード。バラードとアップテンポのダンスソングが絶妙のコントラストを描く。楽曲の硬軟を、柔軟に自由自在に操り、観客を手中に収める。そのステージ・マナーは超一流の四半世紀以上ライヴ・ステージで培われた経験から来る究極のエンターテインメントだ。

アル・マッケイ・オールスターズのレパートリーでもっとも新しいものは、1981年のヒット「レッツ・グルーヴ」。一番古くて1975年の「ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワールド」。そう、アースが一番輝いていた時期限定のセットリストなのだ。これはアース・ファンとしては嬉しい限り。

たとえば、ブラス・セクションが実にかっこいい「マジック・マインド」。ホーンが一瞬止まりブレイクになる瞬間、ステージが暗くなり、音が止まった一瞬だけ、ステージ中央にピンスポットがあたり、中央のアル・マッケイを照らす。まさに、アルが輝く瞬間だ。また「ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワールド」では、アルを3人のヴォーカリストたちが囲み、ソロを聴かせる。それ以外は、アルはひたすら後ろで地道にしかし確実にギターを刻む。

そして、途中のMCで当日死去が報じられたティーナ・マリーへの追悼の言葉も忘れなかった。

「セプテンバー」では全員がジャンプ、ジャンプ。アンコールは、去年はなかった「ブギー・ワンダーランド」と毎度おなじみの「レッツ・グルーヴ」のメドレーに。途中から1階の観客は総立ちになっていた。アル・マッケイ、彼もまた、シャイニング・スター(輝くスター)だ。これは、毎年必ず見に行く。

■アースは、もし1枚だけなら、このエッセンスが比較的お勧め

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002J54OQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/

あるいは、各アルバムを揃えるなら『暗黒への挑戦』から『黙示録』『フェイセス』あたりまで。これら6枚は無敵です。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002J54MI/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002J54MS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002J54N2/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002J54NC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001ZX66O/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002J54NM/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■アル・マッケイ関連・過去記事

2009年12月30日(水)
マイケル・ジャクソン~三浦大知~アル・マッケイ・オールスターズ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20091230.html
同記事の英語版がアル・マッケイのウェッブに掲載されています
http://www.almckay.com/reports.php?news_id=42&start=0&category_id=9&parent_id=9&arcyear=&arcmonth=

April 29, 2009
アル・マッケイ・オールスターズ・ライヴ、タイトにファンキーに灼熱の狂宴
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090429.html
同記事の英語版がアル・マッケイのウェッブに掲載されています
http://www.almckay.com/reports.php?news_id=36&start=0&category_id=9&parent_id=9&arcyear=&arcmonth=

March 21, 2008
Al McKay Allstars Live : Big Party Is Happening On The Stage
【アル・マッケイ・オールスターズ~ステージ上は大パーティー騒ぎ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_03_21.html
同記事の英語版がアル・マッケイのウェッブに掲載されています
http://www.almckay.com/reports.php?news_id=35&start=0&category_id=9&parent_id=9&arcyear=&arcmonth=

April 14, 2008
Some Times, A Piece Might Influenced Somebody
【時にひとつの文章が、誰かに影響を与えることもある】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_04_14.html

◎アース・ウインド・アンド・ファイアーの名ギタリスト、アル・マッケイの挑戦 (インタヴュー記事)お勧めです
http://www.barks.jp/feature/?id=52241463

◎アル・マッケイ・オールスターズ・ライナーノーツ
『ライヴ・アット・マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル2002』
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/linernotes/mccay20030723.html

2003/06/12 (Thu)
Crash Between Maurice White And Al McKay
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200306/diary20030612.html

◎アース・ウィンド&ファイアー『ライヴ・イン・リオ』(アル・マッケイ在籍のアースのライナーノーツ)
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/linernotes/earth20030326.html

January 19, 2006
Earth, Wind & Fire: Live At Budoukan, Why They Didn’t Play Encore Song?
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_01_19.html
(ここにアース関連・過去記事一覧)

■メンバー

アル・マッケイ / Al McKay (Lead Guitar)
ティム・オウェンズ / Tim Owens(Vocals)
クロード・ウッズ / Claude Woods(Vocals)
ディヴィア・デュケット / DeVere Duckett(Vocals)
マイケル・ハリス / Michael Harris(Trumpet)
マット・フロンク / Matt Fronke(Trumpet)
エド・ワイン / Ed Wynne(Saxophone)
ジャスティン・カーク / Justin Kirk(Trombone)
ベン・ダウリング / Ben Dowling(Keyboards)
ディーン・ガント / Dean Gant(Keyboards)
フレディー・フルウェレン / Freddie Flewelen (Bass)
アーロン・ハガティ / Aaron Haggerty(Drums)
デイヴィッド・リーチ / David Leach(Percussion)

■セットリスト アル・マッケイ・オールスターズ、2010年12月27日
Setlist: Al McKay All Stars

show started 21:33
00. Intro: On The Way Up
01. Serpentin Fire
02. Got To Get You Into My Life
03. Can’t Let Go
04. Saturday Nite
05. After The Love Has Gone
06. Reasons
07. In The Stone
08. Fantasy
09. Jupiter
10. Getaway
11. Magic Mind
12. Let your Feelings Show
13. Can’t Hide Love
14. That’s The Way Of The World
15. September
Enc. Boogie Wonderland
Enc. Let’s Groove
show ended 22:55

(2010年12月27日月曜、ビルボードライブ東京=アル・マッケイ・オールスターズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>McKay, Al All Stars
2010-
●ティーナ・マリー追悼(パート2)~レニーの追悼、ミニーの思い出話など

【RIP. Teena Marie Continues】

発作。

R&Bシンガー、ソングライター、ティーナ・マリーが2010年12月26日(日曜)カリフォルニア州の自宅で死去したニュースは瞬く間に世界中に広まった。今回も、第一報はツイッター、そして、そのツイッターからツイッターへ一挙にニュースは広まる。当初ははっきりしていなかった死因なども一日経って徐々に情報がでてきた。

それらを総合すると、25日(土曜日)午後9時過ぎ(アメリカ西海岸・現地時間)まで、ティーナはツイッターに書き込みをしていた。その後深夜12時半過ぎまでに就寝、その時点ではボディーガードが付き添っていた。朝には付き添いはいなくなり、ティーナは一度、午前11時半ごろ目を覚ますが、その後二度寝。午後3時頃に娘が起こしに行くとすでに息をしていなかったので、救急車を呼んだという。自然死と確認された。だが、就寝中に発作を起こし、死去した可能性もある。検視は行われるが、いわゆるドラッグ関連のものはないと見られている。

ティーナは、一ヶ月ほど前に大きな神経系の発作を起こし、その時には横に娘のアリア・ローズがいたため、すぐに救急車を呼び、病院に運ばれた。だがその救急車の中でもまた発作を起こした。以来、発作を止める薬を常用していたが、その薬の副作用が強いために、しばらく量を減らし、やめる方向になっていた、という。しかし、本人は発作が起こることが怖かったので、寝るときにはいつでも誰かにそばにいて欲しいと言っていた。

ティーナのパブリシスト、リン・ジーターによると、前日電話で話したときは、週末のアトランタでのライヴ・パフォーマンスを楽しみにしていた、という。

ティーナ・マリー死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101228.html

++++

●レニー・クラヴィッツ・ティーナ・マリーについて語る

衝撃的。

それにしても、各界からの追悼のメッセージが止まらない。ラジオ局も相当な時間を割いてティーナ・マリーをかけている。WBLSでは、ティーナの曲をかけながら、聴取者と電話でつなぎ、リスナーが持つティーナの思い出を語ってもらっていた。

そんな中でも、今回衝撃的だったのが、あのレニー・クラヴィッツのYoutubeでのコメントだ。一足先にツイッターでご紹介したが、改めて、ここに掲載する。

レニー・クラヴィッツは無名時代、16歳頃といっているから寝るところもなかった時期にティーナと出会い、彼女がずっとレニーを育てていた、という。食べ物を与え、楽器を与え、レコーディング・セッションに連れて行った、そうだ。これは、初めて知った。詳細は次の通り。

レニーは、これをパリからアイフォンで録音し、12月27日、自らユーチューブにアップした模様だ。昨日ご紹介した時点では、アクセス数が300程度だったが、さきほど見たら37000を超えていた。

http://www.youtube.com/watch?v=7VW9j9xr_Qg&feature=player_embedded



(一番下に、レニーの英文を記載しました)

おはよう。僕は、今、パリにいます。悲しいニュースで起こされました。僕の同士であり長い間の友人であるティーナ・マリーが昨日亡くなりました。僕のすべての愛と尊敬とお悔やみを遺された家族に捧げたいと思います。

ティーナ・マリーは宝物であり、天才です。彼女はとてもユニークで、最大限に過小評価されたコンポーザー、アレンジャー、シンガー、ミュージシャンでした。

もし彼女がいなければ、今の僕はいませんでした。彼女が僕にチャンスを与え、この業界にいれてくれたのです。僕が16歳の頃、まだストリート・ミュージシャンだった頃、住む所もなくあちこちをたらいまわしにされていました。(そんなとき)彼女がベッドルームを与えてくれ、僕を食べさせてくれ、料理を作ってくれ、本当に僕のめんどうをみてくれました。

そして、楽器を与えてくれ、彼女が行くレコーディング・セッションやコンサートにも連れていってくれました。彼女はまさに僕を育ててくれたんです。そして、今の僕を作りあげるのに大いに力を貸してくれました。

今まで僕はこの話を深くほとんどどこでもしていませんでした。今の僕は、彼女なしには、存在しないのです。彼女は僕の人生を変えてくれました。アーティストとしてだけでなく、一人の人間として、彼女は、僕をありのままの自分自身を愛せるように変えてくれたのです。

ここ数年、連絡を取っていませんでしたが、僕はティーナに言いたい。僕はいつでも、これからもずっと愛して、尊敬していきます。ありがとう。僕の友達でいてくれて。神様、ティーナ・マリーに人生を与えてくださって、ありがとうございます。

2分38秒のメッセージ
2010年12月27日アップ

レニーは、1994年のティーナのアルバム『パッション・プレイ』で「メイン・スクーイズ」という曲でゲスト出演していた。これには、ある意味、恩返しという気持ちが込められていたのだろう。

楽曲の音源がこちらで聴けます。(形式はYoutubeですが、静止画で音だけ)
Main Squeeze : Teena Marie featuring Lenny Kravitz
http://www.youtube.com/watch?v=SMbXE_WkIBI

+++++

思い出。

僕のティーナとの思い出といえば、2000年4月に会ってインタヴューしたときのことだ。ティーナ・マリーはこのとき、横浜に新規開店した「モータウン・カフェ」(現在は閉店)のオープニング・パーティーのエンタテインメントとしてデニス・エドワーズのテンプテーションズ・レヴューらとともに来日。そのパーティーが、横浜だけでなく、東京・六本木の今はなき「タトゥー・クラブ」で行われた。一般公演ではなかったので、一部の人しか知られなかったのが残念だ。

そのライヴも見た。このときティーナはサックス奏者を従えてライヴステージに立った。正確には、ずっとピアノを弾き語りしながら、しっとりとサックス奏者を伴奏につけ、「デジャヴー」などを熱唱していた。1-2曲弾き語りで歌い、最後、立ち上がってミラクルズの「ウー・ベイビー・ベイビー」を見事な歌唱で披露した。20分余のライヴだったが、声の強さ、そのブラックっぽい声は、目をつぶると本当に黒人のようだった。

インタヴューはホテル・ニューオータニのロビー階の庭が見えるカフェ。確か、一緒に娘がいたような記憶がある。それが、どうやらアリア・ローズだったらしい。彼女は1991年12月25日生まれ(今回の死去報道で誕生日を知る)ということなので、あの頃(2000年4月)は8歳だ。ティーナは2作目『レディーT』(1980年)のアルバムをリチャード・ルドルフという人物にプロデュースを依頼している。リチャードとは、あの故ミニー・リパートン(「ラヴィン・ユー」で有名)の夫であり、ミニーの音楽プロデューサーだった人物である。

そして、ティーナは、そのレコーディング中にさまざまなミニーの影を感じる。その後、娘アリアが生まれ、アリアはミニー・リパートンそっくりに歌うという話をしてくれた。ティーナに、ミニーの話を聞く予定はなかったので、そういう話が出て、僕はものすごく驚いた。なぜなら、ちょうどそのとき、『ソウル・サーチン』の執筆が佳境で、ミニー・リパートンの章もかなり大詰めにきていたからだ。ティーナに聞いたミニーの話は、さっそく、『ソウル・サーチン』の本編に入れ込んだ。

あのインタヴューは本当に興奮した。だって、まったく予期せぬ展開で、ミニーの話が取材できたわけだから。あれこそ、神様の思し召しなのだろう、と思った。

本当にご冥福をお祈りする。

+++++

Lenny Kravitz message for the beautiful Teena Marie

Good Morning, I’m in Paris, I’ve just woke up, I woke up to the tragic news that my sister, longtime friend Teena Marie has passed away yesterday.

I just want to send all my love and respect out to the family and I just want to say Teena Marie was a treasure, was a genius, composer, arranger, singer, musician, unique, underrated by far.

I wouldn’t be here if it wasn’t for Teena. She took me in when I was around 16. I was just a musician on the street. I was living from pillar to post. She took me in, she gave me a bedroom, she fed me, she cooked for me, she took care of me. She gave me instruments to play, she took me to all her recording sessions. She took me to concerts, she nurtured me and helped me to become who I am.

I’ve never really talked much about it in depth, but I would not be here. She changed my life, not only as an artist, but as a person who truly loved me for who I was.

We’d been out of contact for the last few years, but I just want to say, Teena, that I will always love and respect you. Thank you for being my friend. Thank you, Father, for the life of Teena Marie.

OBITUARY>Marie, Teena (March 5, 1956 – December 26, 2010, 54 year-old)

●ティーナ・マリー、54歳で急死

【Teena Marie Dies At 54: Motown’s First White Female Funk Star】

訃報。

モータウン・レコードで、ファンク・マスター、リック・ジェームスに見出されリックのプロデュースでデビューしたティーナ・マリーが、カリフォルニア週パサディナの自宅で2010年12月26日(日曜)までに死去した。54歳だった。午後1時ごろ、娘がティーナを起こしに行ったところ、すでに死去していた、という。死因はまだ発表されていない。ティーナは一ヶ月ほど前に、神経系の病気による大きな発作を起こし、救急車で病院に運ばれていた。この発作と、今回の死去が関連あるのかは不明。自宅での死去のため、検視が行われるものとみられる。

前日(クリスマス=12月25日)まで、普通に元気に過ごしており、当人のツイッターでも、25日夜9時頃にツイートしているのが残っている。死亡時刻は、25日夜9時以降、26日の午後1時までの間になりそうだ。

ティーナ・マリーは、1956年3月5日カリフォルニア州生まれ。本名、メリー・クリスティン・ブロッカート。愛称レディー・T。1970年代半ば、モータウンとソングライター契約をし、モータウン・オフィースでピアノを弾いていたところをファンク・マスター、リック・ジェームスに見出され、リックのプロデュースでデビュー。当初は白人ながらひじょうにファンキーでソウルフルな歌声でソウル・ファン、ブラック・ミュージック・ファンから支持を集めた。モータウンの初の白人女性ソウル・シンガーとして成功。その後、顔を出して白人であることにファンは驚かされたが、支持は広がり、順調に作品をリリース。

1982年、モータウンと作品のリリースについて衝突。裁判となりカリフォルニアで「レコードをリリースせずに、自社にアーティストを押さえておくことを禁止する」いわゆる「ブロッカート・イニシアティヴ」別名「ティーナ・マリー・ロウ」が成立、1983年エピックに移籍する。1984年に発表した「ラヴァーガール」がポップチャートでも4位を記録する大ヒットとなり、メジャーな存在になった。これを含むアルバム『スターチャイルド』はプラチナム・ディスク(100万枚以上のセールス)を獲得。最大のヒットに。その後インディで3枚のアルバムを出した後、2009年、往年のソウル・レーベル、スタックス二移籍『コンゴ・スクエア』をリリースしている。

ティーナは、デビュー当初は、「ブルーアイド・ソウル・シンガー」「ファンク・シンガー」というくくりで語られるようなったが、実際はもっと多様性のある音楽を聴かせる女性シンガー・ソングライターだった。もちろん、そのソウルフルな声、歌唱は、ブラックをほうふつとさせ、最大の魅力だった。

ティーナ・マリーは、2000年4月、横浜にオープンした「モータウン・カフェ」(その後閉店)のオープニング・パーティーに出演するために来日。数曲歌うショーケースを行った。

多数のアメリカのR&Bアーティストたちが、ツイッターなどでティーナの死去を追悼している。

ティーナは、過去1979年の『ワイルド・アンド・ピースフル』から、2009年の、結果として遺作となった『コンゴ・スクエア』まで13枚のアルバムを出している。

■ティーナ・マリー・アルバム タイトル・リリース年・レーベル

01. Wild and Peaceful (1979) (Gordy)
02. Lady T (1980) (Gordy)
03. Irons in the Fire (1980) (Gordy)
04. It Must Be Magic (1981) (Gordy)
05. Robbery (1983) (Epic)
06. Starchild (1984) (Epic)
07. Emerald City (1986) (Epic)
08. Naked to the World (1988) (Epic)
09. Ivory (1990) (Epic)
10. Passion Play (1994) (Sarai)
11. La Doña (2004) (Cash Money)
12. Sapphire (2006) (Cash Money)
13. Congo Square (2009) (Stax)

4=イット・マスト・ビー・マジック

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000078JLP/soulsearchiho-22/ref=nosim/

アルティメート・コレクション(モータウン時代の作品)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000046PUF/soulsearchiho-22/ref=nosim/

最新作 コンゴ・スクエア

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001XJBDHQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/

上記9のアイヴォリーは、なんとアマゾン中古で1円。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000UVAXAG/soulsearchiho-22/ref=nosim/

エメラルド・シティー

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000UUP11I/soulsearchiho-22/ref=nosim/

OBITUARY>Marie, Teena (March 5, 1956 – December 26, 2010 – 54year-old)
★■デイヴィッド・T・ウォーカー、『ソウル・ブレンズ』に登場(パート1)

【David T. Walker On Soul Blends~Fullness Of The Heart】

感無量。

「ソウル・サーチン」コーナーのテーマ曲「ホワッツ・ゴーイング・オン」は、デイヴィッド・T・ウォーカーが演奏しています。そのデイヴィッドさんが、「ソウル・サーチン」に登場してくれました。それだけで感無量です。そして、珍しく上がりました。(笑) めったなことでは上がったりしないんですが。

12時45分、ホテルに迎えに行ったところ、なんと何か催事があるのか、ものすごい人。僕は車がすいていて20分も前に着いてしまった。(笑) ロビーに降りてきたデイヴィッド。「一体、何が起きてるんだ? Now what’s going on,today?」「たぶん、セールでもやってるみたい。駐車場もものすごく込んで15分待ちとかになってた」「いやあ、エレヴェーターがすぐに乗れなかったんだよ。2-3回やりすごした」 そう、それほどの人混みだった。いずれにせよ、デイヴィッドをピックアップし、一路インターFMのスタジオへ。途中で、デイヴィッドが毎日練習しようとしている、という話になった。昔は一日何時間でもやっていたが、最近は1-2時間程度とのこと。

山手通りも空いていて、ほぼ定刻通り1時半にはスタジオへ到着。最初乗ったときは、車で『アイ・ウォント・ユー』をかけていたのだが、1時を回ったので、インターにして、「今日ゲストにでていただくのは、この番組です。DJのマーヴィンはデトロイト出身だけど、もう20年以上日本に住んでいます」と説明。スタジオに到着すると、ちょうどマーヴィンが出てきたので、すぐにご紹介。

ちょこっと「こんな感じで話を進めます」という打ち合わせをして、長めの曲がかかっている間にサウンド・チェックへ。デイヴィッドがコードをギターにつないでいる間に、僕はビデオをセッティング。三脚を広げていたら、ポロポロと音がでてきた。もちろん、もうデイヴィッドの音。「もう少しリヴァーヴなしで、ナチュラルな音にして…」とデイヴィッド。ディレクターの進ちゃんが、EQのつまみをいじり、「OK、いいよ」。まだ、こちらはセッティングができてない。「ええっ、もう終わり? はやっ」 そう、あっという間だった。

「そうすると、あと30分くらい、僕たちには時間があるのかな」 「そうです。特にやることはありません(笑)」 「マサハル、じゃあ、本番が始まる5分くらい前に教えてくれ。僕はアウタハウス(Outa house)に行かないと行けないんでね」 「アウタハウス?」 「南部ではトイレのことをそういうんだ(笑)」

そして、2時15分、「ホワッツ・ゴーイング・オン」と共にコーナーがスタート。マーヴィンが軽快な流れで僕を紹介し、僕がデイヴィッドを紹介。デイヴィッドの声がイアフォーンから流れてくると、実にディープでかっこいい。そして、デイヴィッドは、ちょこちょこと、ポイントでギャグをいれてきます。

「あなたはいつも、スーツを着ていますね」「ああ、このスーツは今朝作ったばかりなんだ」(笑)

「次に僕が来るときには、ポップコーンを用意しといてくれ」 ずいぶんと日本にひんぱんに来て、今回は1月上旬まで残るという。12月の上旬から来ているので、「40デイズ・40ナイツ・イン・東京」。すると、デイヴィッドは、「みなさんはあまりご存知ないかもしれませんが、僕は新宿生まれなんだ(笑) だからしょっちゅう日本に戻ってくるんだよ」。

かけた曲は次の通り。

01. Eleanore Rigby
---CM
---Play a riff of “I Want You Back”, “Loving You”
02. Ribbon In The Sky
---Play some riff.
03.Didn’t I Blow Your Mind

デイヴィッドは何を弾いても、どう弾いても、一瞬にして彼のサウンドということがわかります。そこで、それを質問しました。「どのようにして、その独自のサウンドが出来上がるのか」 すると、デイヴィッドは答えました。「タッチとトーンに集中している」 ちなみに彼が使うギターは、特注のもの。スイッチでアコースティック的なギター音と、エレキ・ギターの音が自由自在に変えられるといいます。

CM明けで、生ギターをちょっと弾いてもらったのだが、なんと、このとき、彼の耳元には自分のギター音が返ってきませんでした。モニターなしで、そのまま弾いていたのです。そのときは、まったく分からなかったが、次の曲がかかっている間に、それが判明しました。オンエア的にはまったく問題なかったのですが、では、もう一度リヴェンジということで、再度、ちょっとだけリフをやっていただいた。おまけという感じで、ものすごく得した感じだった。彼が弾いたリフは、ジャクソン5の「アイ・ウォント・ユー・バック」。あのタララララララッラというギター・リフが、デイヴィッドのものだった。「イントロのピアノがジョー・サンプルだって聞いたんですが」「その通りだよ。同じセッションにいたよ」

「だけど、モータウンでは、ほとんどミュージシャンの名前をクレジットしてくれなかった、そんな中でマーヴィン・ゲイやスティーヴィーは、ミュージシャンの名前をちゃんとクレジットしてくれたんだ」(デイヴィッド)

生放送が終わって、ちょっとお願い事を思いついた。あのデイヴィッドのギターで、「ソウル・ブレンズ」のジングルを作ってもらおうと。そこでお願いすると、快く引き受けてくれました。結局「ホワッツ・ゴーイング・オン」をほんのちょっとだけ弾き、オッシーが「ハッピー10th アニヴァーサリー、ソウル・ブレンズ」と言ってください、と頼むと、ギターをぽろりと弾き、このセリフをばっちり決めてくれた。「これは、来週からヘヴィー・ローテーションでいきます(笑)」とオッシー。来週の「ソウル・ブレンズ」からお披露目になるはずです。

それにしても、いろいろ、よくしゃべっていただき大感謝です。しかも、ギター・プレイも最高でした。ありがとうございます。

あっという間の30分余で、僕はあがったままだったが、番組終了後、記念撮影などをした。その後、彼らが時間があるというので、島津山のフランクリン・アヴェニューにお連れすることにした。

(この模様は続く。ブルーチーズ・ハンバーガーを食しながら、マーヴィンの話や、アレサの話、いろいろ雑談で話を聞いた。とてもおもしろかった。)

■過去デイヴィッド関連記事

2010年12月14日(火)
デイヴィッド・T・ウォーカー~ギターの匠・人間国宝
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101214.html
(ここに過去関連記事一覧があります)

■デイヴィッド・T・ウォーカー・アンオフィシャルウェッブ (デイヴィッドに関するウェッブでは世界一詳しいものです)

http://homepage2.nifty.com/ueb/davidt/

■デイヴィッド最新作『フォー・オール・タイム』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0045WCE30/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■デイヴィッド前作(クリスマス・ソング入り)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002OIH7JS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■デイヴィッド・T・ウォーカー 『デヴィッド・T・ウォーカー』(「ホワッツ・ゴーイング・オン」収録)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000JVS49Y/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>RADIO>Soul Blends
○■デイヴィッド・T・ウォーカー、今日の『ソウル・ブレンズ』に登場~丸ビルライヴも大盛況

【David T. Walker Will Be On Soul Blends Today】

出演。

人間国宝ギタリスト、デイヴィッド・T・ウォーカーが、今日(2010年12月26日・日曜)の『ソウル・ブレンズ』(インターFM、関東地区76.1mhz。毎週日曜午後1時~3時)にゲストで生出演する。本人の登場は、吉岡正晴の「ソウル・サーチン」コーナー拡大版で、午後2時15分くらいからの予定。デイヴィッドは、本人の演奏するCD曲「ホワッツ・ゴーイング・オン」のテーマにのって登場することになる。

この「ソウル・サーチン」のコーナーは、2003年10月から2005年7月まで、さらに、時間変更・休止などで、2010年4月から再開、現在まで続いている。2010年12月26日で通算第127回目。コーナーでは2003年の第1回からデイヴィッド・Tの「ホワッツ・ゴーイング・オン」をテーマ曲に使っている。

テーマ曲をプレイしているデイヴィッド本人がゲストで登場というのは、コーナー担当者として感無量だ。ぜひお聴きください。

+++++

関東圏の方は、パソコンでも聞けます。
http://radiko.jp/player/player.html#INT

インターFM「ソウル・ブレンズ」のページ。
http://www.interfm.co.jp/soul/index.php?mode=sun&id=57

ゲストの紹介ページ(今はデイヴィッドがでています)
http://www.interfm.co.jp/guests/

『ソウル・ブレンズ』、および、『ソウル・サーチン』のコーナーへのメールあて先はAmarvin@interfm.jp です。

デイヴィッドに質問などがあれば、どんどんお寄せください。可能なかぎりお答えしていきます。

また、僕のツイッターでも受け付けます。 http://twitter.com/soulsearcher216 までどうぞ。番組始まるぎりぎりまでつぶやきます。ツイッターは番組中も見ていますので、質問にお答えできるかもしれません。

+++++

◎デイヴィッド・T、丸の内をとろけさせる

【David T. Melt Marunouchi】

Melt(とろける)。

デイヴィッド・T・ウォーカーが、丸の内丸ビルで2010年12月25日17時半から無料ライヴ・コンサートを行い、1000人以上の観客をとろけさせた。これは、同ビルが12月10日から行ってきたイヴェント「Marunouchi Bright Christmas 2010」の一環。ここでは、数多くのアーティストがこの期間に無料ライヴを行ってきたが、デイヴィッド・Tは、そのトリを務めた。

夕方5時半を前に、会場近辺は大変なひとだかり。吹き抜けの3階まで人がぎっしり。イヴェントの司会は、インターFMでおなじみの岡村有里子さん。この日は日本人ミュージシャン3人を従え、いつものデイヴィッド節が炸裂した。

4曲目は、完全にデイヴィッドだけのソロ。これだけざわざわした空間で、デイヴィッドのギターだけが、スピーカーから鳴り響く。しかし、ギター一本でこれだけお客さんを惹きつけるというのは、すばらしい。本当に、どこでどんな環境でプレイしても、デイヴィッドの音になるって、すごい。丸ビルもとろけてた。CGの映像でビル自体がとろけるようなイメージがした。(笑)

最後2曲、ユリが登場してクリスマス・ソングを歌った。しかし、丸ビルに通りすがりでこんなライヴに遭遇した人ってものすごくラッキーだと思う。

■デイヴィッド最新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0045WCE30/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■デイヴィッド前作(クリスマス・ソング入り)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002OIH7JS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

David T.Walker (Guitar)
Oogiya Kento (Keyboards)  扇谷研人
Hamada Naoya (Drums)  濱田尚哉
Shimono Hitoshi (Bass) 下野人司
Yuri (Vocal) ユリ

■セットリスト デイヴィッド・T・ウォーカー
Setlist : David T.Walker @ Marunouchi Maru-Building

event started17:33
MC Okamura Yuriko
performance started 17:39
01Eleanor Rigby
02Lovin’ You
03Santa Claus Is Coming To Town
04A riff of “Little Drummer Boy” to “Christmas Song” (David solo)
05Silent Night (+Yuri on vocal)
06We Wish You A Merry Christmas And Happy New Year (+Yuri)
Performance ended 18:17
Event ended 18:22

(2010年12月25日土曜、丸の内・丸ビル1階=デイヴィッド・T・ウォーカー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Walker, David T.
2010-
◎マイケル・ジャクソン・ディス・イズ・イット・ツアーのダンサーが集結イヴェント~そこに蘇るマイケルのソウル

【This Is It Dancers On Stage】

集結。

マイケル・ジャクソンの2009年7月からスタートする予定だった『ディス・イズ・イット』ツアーのダンサーが集結し、マイケルを蘇らせるというイヴェントが2010年12月23日(木・祝日)東京渋谷のアックスで行われた。この日は4時と7時の回、2度行われ、この模様は汐留でも観客を集めたパブリック・ヴューイングが行われた。

これは、12月24日、日本テレビが金曜ロードショーの枠で映画『ディス・イズ・イット』を地上波初公開することを受け、その前にマイケルを盛り上げようという一環でのイヴェント。「ディス・イズ・イット」のダンサーから8人と同映画の振り付けを担当した、トラヴィスとステイシーの計10人が来日し、オンステージに登場した。オリジナル・ダンサーからチャッキー、メキア、デヴィンが来日していなかったが、8人は映画にも登場しているダンサーたち。2人(トラヴィスとステイシー)は、ダンサーたちの振り付けの先生だから、この10人は生粋の「ディス・イズ・イット・ダンサーズ」だ。

ステージは通常レヴェルのステージの上にもう一段ステージが作られ2段になっている。

イヴェントは、赤坂泰彦さんが司会で登場し、「それでは3Dメガネをおかけください」という言葉から、開始。

まず、いきなり、3Dの「スリラー」用映像が映し出された。3Dは若干画面が小さいせいか、圧巻という感じではないが、それでも、目の前にいろいろなものが飛び出てくると、「うぉおおっ」となる。これだけ、3D画面を駆使したライヴ・ショーなんて、世界でマイケルだけ。きっと、これから何人かのアーティストが追随するだろう。

そして、4つの棺とステージ横、上段のステージからもダンサーが登場。いきなり、圧巻なすべりだし。「ジャム」では、上段ステージで4人がいわゆる「トースター」(下からばね仕掛けで飛び出てくる方法)で出てきたのだ。やはり、あれは目の前で見るとかっこいい。

「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」では、なんとオリアンティーがギターを持って登場。各所にインタヴューを交える。「スムース・クリミナル」が始まる前にはちゃんと映画同様のモノクロの映像を映すが、これがまた、3Dになっていた。そして、ここでは、しっかり上段の8人がびしっと「ゼロ・グラヴィティー」(斜め前に倒れ、そして、また元に戻る動き)を決め、大きな歓声を集めていた。いやあ、これは上がる。本当に興奮する。

「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」では、なんと、ダンサーのタイン・ステックラインが魅力的なウォーキングを披露。そして、「ビリー・ジーン」は4人による「ビリー・ジーン」で、最後にはあの帽子を4つ、観客席に投げ入れた。

「デンジャラス」は、あの圧巻なダンス。そして、驚いたことに「ヒール・ザ・ワールド」では、オリアンティーが再び登場し、ギターだけでなく、歌まで歌った。最後は、「アース・ソング」が始まる前に流された3D映像が紹介された。

それにしても、マイケルという主人公の肉体(ボディー)はそこにはなかったにも関わらず、マイケルの魂(ソウル)は、間違いなくそこにはあった。まさに、彼ら10人+オリアンティーはこの夜、見事にマイケルのエクステンションになっていた。

それにしても、歌のライヴではなく、そして歌の主人公なしのダンサーのショーであるにもかかわらず、これだけ圧倒され、そして、感激させられてしまうことを考えると、マイケル・ジャクソンとは、いったいどれほどすごい存在なのかと思わざるを得ない。

■メンバー

トラヴィス・ペイン Travis Payne Producer, Choreographer
ステイシー・ウォーカー Stacy Walker Associate Choreographer

ダンサー

ニック・ベース Nick Bass
ミーシャ・ガブリエル Misha Gabriel
ティーモー・ステフェンズ Timor Steffens
ドレス・リード Dres Reid
タイン・ステックライン Tyne Stecklein
クリス・グラント Kriyss Grant
ダニエル・セレブレ Daniel Celebre
シャノン・ホルツァフェル Shanon Holtzapffel

オリアンティー Orianthi (guitar)

MC 赤坂泰彦Akasaka Yasuhiko

■セットリスト 渋谷アックス 2010年12月23日木曜・祝
Setlist: Michael Jackson This Is It Dancers

Event started 19:02
MC Akasaka Yasuhiko
00. Introduction video for Thriller
01.Thriller
02.Jam
> Interview Travis
03.Drill
04.They Don’t Care About Us~A Riff of History
>Interview Travis
05.Smooth Criminal
>Orianthi Interview
06.The Way You Make Me Feel
07.Billie Jean
08.Dangerous
09.Heal The World (Orianthis sings)
10.Introduction video for Earth Song
MC Akasaka Yasuhiko
Event ended 20:08

(2010年12月23日木曜、渋谷アックス=マイケル・ジャクソン・ディス・イズ・イット・ダンサーズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>This Is It Dancers
2010-207
◎マイケル・ラブ・ナイト第二回~和田唱節ギターと歌で炸裂

【Michael Jackson Love Night Vol.2】

第二回。

昨年行われ好評だった「マイケル・ジャクソン・ラブ・ナイト」の第二回が、2010年12月22日お台場のイヴェントスペース、東京カルチャー・カルチャーで行われた。今回は、西寺郷太さん、吉岡正晴に加え、スペシャル・ゲストにトライセラトップスの和田唱さんを迎え、3人でトーク。さらに第二部からは、マイケル・ジャクソンのウェッブを運営しているトヨさんも参加、4人でのトークとなった。

今回は、和田さんがギターを持って、その場でマイケル曲を少しずつどんどんと歌い、大いに会場がわいた。大体、なんでも歌えるようで、特に受けたのが、郷太くんと一緒にデュエットで歌った「ガール・イズ・マイン」。郷太くんがポール・マッカートニー役。曲は、「ビリー・ジーン」「ウォナ・ビー・スターティン・サムシン」「バタフライ」、そして、最新作から「ベスト・オブ・ジョイ」(これなど、話のネタになるごとにフレーズが飛び出し、大うけ)、「ヒール・ザ・ワールド」、「ロック・ウィズ・ユー」まで。最後は、「ヒューマン・ネイチャー」の「バッ」と終わるエンディングで、イヴェントを終了した。

トーク内容は、最初は和田・西寺の最初の出会い、3人で初めて会ったときのこと(Bハワードのライヴ後、3人でファミレスに行き、話しが盛り上がったこと)、最新作『マイケル』の声問題、初めて買ったマイケル作品、マイケルに会えるとしたら何を伝えたいかなど。

声問題は、和田さんは初めて試聴会で2回通して聴いて、「最初は5曲くらい「怪しい」と思ったが、2回目を聴いて、いわゆる「カシオ・トラック」が怪しいと思った、それは今でも変わらない、だが、みなさんはみなさんなりに聴いていただければいい。もし、僕が怪しいと思った曲でも、将来それが完璧にマイケルのものと証明されたら、それはめちゃくちゃ嬉しい」と語る。

「初めて「ドント・ストップ」を聴いたとき、これマイケルじゃないと思った、でもそれは小学生のときのことだから、今とはちょっと違う」とも。そこで、テディー・ライリーが使ったとされるメロダイン、オートチューンの説明もしてくれた。

オーディエンスからの質問をいくつか取り上げたが、マイケルとデュエットできるとしたら、どの曲をデュエットしたいかという質問に、和田さんは、即座に「バッド」をあげ、ギターで弾き、歌いだした。郷太くんは、「アイ・ジャスト・キャント・ストップ・ラヴィン・ユー」を選曲。郷太くん「次回やるときは、もう少し、リハーサル時間が欲しいね!」(拍手) ただ、ギター持ってきて、と和田さんに頼み、軽くやるつもりだったのが、これだけ曲をやるなら、もっとやりたい、という。

それにしても、和田唱さんは早口でまくしたて、まさにマシンガン・トーク炸裂。初マイケルアルバムは、「バッド」と「スリラー」のアルバムを同時に買ってもらい、その後、「オフ・ザ・ウォール」を買った。そのときには、古いなと思った、という。今ではすっかり気に入っているそうだが。ちなみに最初に買ったのは、郷太くんは、すでにご存知の通りジャクソンズの『ヴィクトリー』。

いやあ、笑った、笑った、楽しかった。みなさんおつかれさま、そして、ご来場いただいた方ありがとうございます。

■メンバー

西寺郷太
吉岡正晴
和田唱
木下豊人

■セットリスト 和田唱&西寺郷太
(順不同=曲は、フルサイズではなく、一部です)

01.Girl Is Mine
02.Billie Jean
03.Wanna Be Startin’ Somethin’
04.Best Of Joy
05.Butterfly
06.Childfood
07.Heal The World
08.She’s Out Of My Life
09.Rock With You
10.Bad
11.I Just Can’t Stop Loving You
12.Human Nature

(2010年12月22日水曜、東京カルチャーカルチャー=マイケル・ジャクソン・ラブ・ナイトVol.2)
◎パティー・オースティン・ライヴ

【Patti Austin Live: Very Spontaneous Gig】

ソウル。

今回はジャズではなく、ソウル、R&Bを歌うというパティー・オースティンの約1年4ヶ月ぶりのライヴ。前回は、2009年8月、ビルボードライブだった。

パティーは、ステージ慣れしていて、ミュージシャンたちと音で遊ぶ。そして、曲間のトークでも、ちょっとした笑いを取る。バックコーラス3人を従えた、強力なコーラス隊としっかりしたバンド。なにより、パティーの歌のうまさはピカ一なので、安心していられる。ただ、今回は僕が見たのが初日のせいか、バンドがまだこなれていないのか、「ジャスト・フィット」という感じがしなかった。徐々にまとめていくと思う。

冒頭のクインシー・メドレーなどを聴いていると、次の「ソウル・サーチン」でクインシーをやることが思い浮かび、こういうメドレーもありだなあ、などと妙に参考にしてしまう。

前回のセットリストをチェックしてみたら、同じように始めていた。今回は、12月ということもあり、クリスマス・ソングをいれたり、3年かけて作っている新作アルバムに入るポール・マッカートニーの「レット・エム・イン」を披露したり、サーヴィス精神はいっぱい。

今回一番印象に残ったのは、前回もやっていたんだが、ビル・ウィザースの「リ―ン・オン・ミー」。彼女は、今年の初めの「ウィ・アー・ザ・ワールド25、ハイチへ向けて」のなかで、これを歌った。かなりしっとりしていて、よかった。

先週、サム・ムーアがステージに立っていたが、あのとき、サムのマネージャーであり、奥さんのジョイスが途中でステージにあがり、しゃべる場面があった。今日のパティーは、そのジョイスとちょっと雰囲気が似てるところがあって、ジョイスが残ってステージで歌っているのかなどとありえない妄想をしてしまった。(笑)

本編最後を終えて、アンコールになったとき、ミュージシャンたちがちょろちょろと音を出していたら、そのドラムスのリズムパターンの曲を少しずつその場で歌い始めた。全部即興だ。いろいろな曲を思いつきでドラマーが叩き、それをパティーやバックコーラスが歌いだす。ミュージシャンがスタジオで遊んでいるような感じでとてもいい雰囲気だった。ほんの数小節だったが、その曲をメモした。最初にやりだしたのが、ダニー・ハザウェイの「ゲットー」で、これはちょっと続いた。なかなかいい感じだった。あんな中から次の日にやる曲が決まっていくみたいだった。

あ、そうそう、聞き忘れたが、パティーのマイクはかなり良さそうなマイク。あれは、自分で持ってきた「マイ・マイク」なのかな。ちょっと気になる。

ライヴ後、コーラスのリン・フィドモントと再会。去年のパティー以来だった。そして、そのとき、横にベースのイアン・マーティンがいたが、そのときはどこかで会ったことがあるような気がしたが、うちに帰って、分かった。なんと、彼とは9月にデイヴィッド・フォスターのライヴで会っていたのだ。彼も、帰った後、気づいたらしく、メールをくれた。また、ドラムスのトレヴァーが今回のバンドの音楽監督だが、なんと彼はこれまでに15回くらい来日していて、最近ではハービー・ハンコックで来日、1999年にはソロ(ヴォーカル・グループ)のライヴでも来ていた、という。そして、エミネムの最新作で、曲をかなり書いている、とも付け加えた。みたら、今年出たアルバムで曲を書いていた。ゆっくり話したら、またおもしろい話が聞けそうだ。

◎ライヴは、12月25日まで1日2ステージ、東京ブルーノートで
http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html

■エンド・オブ・ア・レインボー 名曲この日もやった「セイ・ユー・ラヴ・ミー」はこちらに収録

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000H5U0DK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■エラに捧ぐアルバム

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005V2SP/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■この日はなぜかやらなかった、パティー楽曲では、日本で一番人気曲「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」収録

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003UI50CM/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■過去関連記事パティー・オースティン

2009年08月23日(日)
パティー・オースティン・ライヴ~パティーとの楽しい夕べ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10326302948.html
(前回来日ライヴ評)

2008年02月06日(水)
パティー・オースティン孤軍奮闘
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080206.html
(前々回来日ライヴ評)

■メンバー

Patti Austin(vo) パティー・オースティン(ヴォーカル)
Lamont Van Hook(back vo) ラモント・ヴァン・フック(バック・ヴォーカル)
Lynne Fiddmont(back vo) リン・フィドモント(バック・ヴォーカル)
Fred White(back vo) フレッド・ホワイト(バック・ヴォーカル)
Noriko Wright(key) ノリコ・ライト(キーボード)
Andy Weiner(key) アンディ・ウェイナー(キーボード)
James Harrah(g) ジェイムス・ハラー(ギター)
Ian Martin(b) イアン・マーティン(ベース)
Trevor Lawrence Jr.(ds) トレヴァー・ローレンスJr.(ドラムス)

■セットリスト パティー・オースティン、ブルーノート東京、2010年12月21日火曜
Setlist : Patti Austin Bluenote Tokyo, December 12, 2010

Show started 21:33
01.Stomp
02.Give Me The Night
03.Razzamatazz
04.Say You Love Me
05.Smoke Gets In Your Eyes
06.Baby Come To Me
07.How Do You Keep The Music Playin’
08.Let ‘Em In
09.Winter Wonderland (Christmas song Medley 09-11)
10.The Most Wonderful Time Of The Year
11.Have Yourself A Merry Christmas
12.Love Wins
13.Lean On Me
Enc. (snippets of) Ghetto, Stop To Love, Rosanna, Real Love, Don’t Look Any Further, Rock With You
Enc. You Gotta Be
Show ended 22:49

(2010年12月21日火曜、ブルーノート東京=パティー・オースティン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Austin, Patti
2010-

○ソウル・サーチンVol.9、2011年2月に開催決定~クインシー・ジョーンズ

【Next Soul Searchin Will Be Featuring Quincy Jones】

1年7ヶ月ぶり。

一組のアーティストにスポットを当て、そのアーティストに関するトークとリアル・ミュージシャンによるそのアーティストの作品を生演奏で楽しむイヴェント『ソウル・サーチン:ザ・セッション Vol.4』(『ソウル・サーチン』としては、通算9回目)が、2011年2月3日(木)、4日(金)に目黒のブルース・アレイで行われることが決まった。今回スポットをあてるのは、伝説的プロデューサー、クインシー・ジョーンズ。「ソウル・サーチン」が、プロデューサーにスポットライトを当てるのは初めて。前回が2009年7月のアイズレイ・ブラザーズだったので、1年7ヶ月ぶりになる。

ケイリブがやってくれたプロモ・ビデオ
http://www.bluesalley.co.jp/schedule/video/movie.html?c_code=Schedule-20101028161957

ブルース・アレイ2月のサイト
http://www.bluesalley.co.jp/schedule/live.html#
ここから詳細、予約(reservation)へ行くと予約ができます

++++

しばらく前にケイリブと青山のスタバで、打ち合わせをした。で、いろいろ資料を持っていき、候補を検討した。そのとき、テーブルにあがったのが、ジェームス・ブラウン、マイケル、プリンス、ホイットニー、アース、クール&ギャング、オーティス、カーティス、アル・グリーン、シャカ・カーンなどなど。マイケルは、前回2009年7月だったときに、アイズレイから急遽、マイケルに変更するという手もあったんですが、さすがに準備の時間がなかった。そして以来、かなりやりたいんですが、どうしてもやるならダンサーをいれたい。それには、舞台が狭すぎという難点がある。また、あれ以来たくさんのマイケル・トリビュートのライヴを見て来て、本当にうまくみんなカヴァーができないということを痛切に感じていた。

これまでの過去8回(7アーティスト)をみると、いずれもソウル・ミュージックの歴史に大きな足跡を残してきた人たちばかり。ホイットニーは、もちろん素晴らしいシンガーだが、他のジャイアントたちから比べると、ちょっとまだ早いんじゃないか、とケイリブが言った。そういう意味で言うと、シャカ・カーンも現役ばりばりで、早いのかなあという気持ちもしてくる。

そして、リストをみている中でクインシーの名前を見つけた。で、ぴーんときた。クインシーの歴史を振り返れば、それは極端に言えばブラック・ミュージックの歴史をすべて振り返ることになる。しかも、マイケルも含められる。ジャズ、ポップ、ソウル、R&B、ヒップホップまでも含められる。

サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、フランク・シナトラ、レイ・チャールズ、ブラザース・ジョンソン、ジェームス・イングラム、パティ・オースティン、シャカ・カーン、そして、彼がアレンジしたり人、彼の元でミュージシャンとして活躍した人など、アメリカの音楽業界のフーズフー(百科事典)になる。音楽的にもとてもヴァラエティーに富んだものになるはず。

ケイリブと二人で話しているうちにどんどんショーの内容のアイデアが浮かび、興奮してきた。

予約がまもなくできるようになりますので、ぜひ、お運びください。

■ メンバー

「ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー」

ケイリブ・ジェームス(キーボード&ヴォーカル)Kaleb James
フィリップ・ウー (キーボード、ハモンド・オルガン) Philip Woo
高田真(ドラムス)Takada Shin
マサ小浜(ギター) Masa Kohama
日野賢二 (ベース) Hino Jino Kenji
ゲイリー・スコット(サックス、パーカッション、ヴォーカル)Gary Scott

オリヴィア・バレル(ヴォーカル) Olivia Burrell
ポーラ・ジョンソン(ヴォーカル) Paula Johnson
サユリー(ヴォーカル) Sayulee

ユリ(ヴォーカル)Yuri
マル/ファイアーリリー (ヴォーカル) Maru / Fire Lily
木下航志(ヴォーカル&キーボード)Kishita Kohshi

トーク・パネリスト 司会 吉岡正晴、松尾潔(日にち未定)Yoshioka Masaharu, Matsuo Kiyoshi

メンバー他トークパネル未定が若干あります

「ソウル・サーチン」はこれまでに8回行われている。

SOUL SEARCHIN: history

1Stevie Wonder @Brave Bar, Roppongi 11/27/2003 (only record playing and panel)
2Stevie Wonder @ Rukuya, Nakameguro 04/22/2004 (only Kaleb, and panel)
3Donny Hathaway @ Rakuya, Nakameguro 09/22/2004 (only Kaleb, and panel)
4Ray Charles @Blues Alley 06/26/2005 (Kaleb with Kohshi’s band + Ohta Ken and panel)
5Marvin Gaye @Blues Alley 04/01/2006 (band with no name + panel)
6Luther Vandross @Blues Alley 07/01/2006 (Soul Searchin : The Session Vol.1) (Kaleb & The Soul Searchers + panel )
7Aretha Franklin @Sweet Basil 138, 03/26/2007 (Soul Searchin : The Session Vol.2)
8Isley Brothers @Blues Alley 07/14/15/2009 (Soul Searchin : The Session Vol.3)
9Quincy Jones @Blues Alley 02/03/2011(Thursday), 02/04/2011(Friday) (Soul Searchin : The Session Vol.4)

◆クインシー最新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003H4WZ4A/soulsearchiho-22/ref=nosim/

◆クインシー、75周年記念ライヴ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0029V4FAO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

同ブルーレイ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0029V4FAO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

同輸入盤ブルーレイ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002CPD5LM/soulsearchiho-22/ref=nosim/

EVENT>SOUL SEARCHIN>Vol 9
◎クリスマス時期の風物詩~スタイリスティックス~日本との相性抜群

【Christmas Season Is Stylistics’ Season】

風物詩。

まさにこのところ12月の風物詩となりつつあるスタイリスティックスの来日コンサート。

司会役のハーブ・マレルが、なんと、中央で高いスツールに座って歌っているではないか。一番びっくりした。彼はずっと座っていたが、1曲だけ自身がリードを取る「ディスコ・ベイビー」のときだけ、立って振付けながら、歌った。ひょっとして、どこか怪我でもしたのか、ちょっと心配になり、後で聞くと、3週間ほど前、ロンドンあたりでちょっと腰を痛めたらしく、日本でも何度か針治療をしているそうだ。ただ、まあ、ちくちくするらしいが、時間をかければ直るらしい。「日本から帰れば、1月には2週間のオフがあるので、そのときには直せると思うよ」とハーブは元気そうに言っていた。

ハーブが座っている以外、すべて変わらぬ、「普遍」「不変」ショー。月曜ファーストというのに、ほぼ満員。このスタイリスティックスの集客力はすごい。

基本の立ち位置は、向かって左側(下手)からエアリオン・ラヴ、ヴァン・フィールズ、座ってるハーブ・マレル(MC)、そして一番右がイーバン(リード・シンガー=ファルセット)。セットリストは、もちろん昨年とは若干入れ替えているが、おなじみのヒット曲満載であることにはまちがいない。

そして思うのが、彼らの楽曲がとても日本人向けにできている、ということ。今回のアンコール「フロム・ザ・マウンテン」など、まさに日本の演歌曲にさえなりそう。アメリカの演歌だ。なので、この曲の日本語版を作って日本人シンガー(それも演歌の)なんかに歌ってもらったら、おもしろいのではないか、と思った。そして、そこから発展して、またスタイリスティックスが何かまた日本の曲をカヴァーするなんて企画も十分にいいかもしれない。スタイリスティックス楽曲を日本のソウル系シンガーがカヴァーし、トリビュート盤を作るのもいい。

毎度のことながら、低音のハーブのMCぶりが実に粋でかっこいい。MCでの自己紹介で、メンバーがそれぞれ自分の星座を言う。いかにもアメリカのソウルグループっぽい。エアリオン・ラヴ=8月8日生まれ・リブラ(しし座)、ヴァン・フィールズ=11月12日生まれ・スコーピオ(さそり座)、イーバン=6月14日生まれ・ジェミナイ(ふたご座)、ハーブ・マレル=4月27日生まれ・ターラス(おうし座)だ。

■スタイリスティックス・最新ベスト盤 『"シングルズ 1970~1977"』

2010年12月8日発売=スタイリスティックスのアヴコ/H&L時代のシングルのA面B面両面を1977年まですべて収録した2枚組み。最初のシングルのB面(レット・ザ・ジャンキー・バスト・ザ・プッシャー )は、長くLP未収録だったため本邦初CD化となった。ライナーノーツ、書いています。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0043C3F6C/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■スタイリスティックス公演は2010年12月25日(土)までビルボード東京で。
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=calendar&shop=1

この後、横浜(26日)、札幌(28日)がある。

■スタイリスティックス過去記事

2009年12月25日(金)
クリスマスにスタイリスティックス~継続アーティストだけがもてる特権
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20091225.html

December 23, 2008
スタイリスティックス~ザット・セイム・ウェイ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081223.html

April 16, 2008
Stylistics : Magic Of The Song
【「愛がすべて」、その魔力のすべて】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080416.html

December 22, 2007
Stylistics : Take Me Back To The 70s
【スタイリスティックス・ライヴ~70年代のあのころへフラッシュバック~】 
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071222.html

December 24, 2007
Stylistics : They Love Japan, Japan Love Stylistics
【スタイリスティックス、日本を愛す、日本人、スタイリスティックスを愛す】 
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071224.html

April 14, 2005
Stylistics Live At Kentos: After 37 Years, They Still Keep On Singing
http://blog.soulsearchin.com/archives/000035.html
ソウル・サーチャーが行った前回のライヴ。

April 15, 2005
Never Dreamed I’d Meet Them 30 Years After
http://blog.soulsearchin.com/archives/000041.html
そのときの続き。

スタイリスティックス 『スタイリスティックス登場』ライナーノーツ
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/linernotes/stylistics20011024.html

November 08, 2006
Linda Creed: Great Lyricist
http://blog.soulsearchin.com/archives/001381.html
スタイリスティックスの初期の大ヒット作品の歌詞を多数書いたリンダ・クリードについて。

November 09, 2006
Top 15 Linda Creed Songs Selected By The Soul Searcher
http://blog.soulsearchin.com/archives/001382.html
そのリンダ・クリードが世に送り出した作品の、ソウル・サーチャーが選んだトップ15。

November 10, 2006
The World Of Linda Creed: Portrays The Blackness
http://blog.soulsearchin.com/archives/001383.html
リンダ・クリード、スタイリスティックスのヒット「チルドレン・オブ・ザ・ナイト」、スピナーズのヒット「ゲットー・チャイルド」の訳詞。

■ メンバー

スタイリスティックス=

エアリオン・ラヴ / Airrion Love(Vocals)
ハーバート・マレル / Herbert Murrell(Vocals)
ハロルド‘イーバン’ブラウン / Harold ’Eban’ Brown(Vocals)
ヴァン・フィールズ / Van Fields(Vocals)

ハーヴェイ・ペリー / Harvey Perry(Keyboards)
ジェノ・メイヤー / Jeno Meyer(Keyboards)
ラザフォード・ゲイ / Rutherford Gay(Guitar)
ロビン・J・レオナード / Robin J.Leonard(Bass)
ラッセル・ウィークリー / Russell Weekley(Drums)

■セットリスト スタイリスティックス、2010年12月20日月曜、ビルボードライブ東京
setlist Stylistics, Billboard Live Tokyo, December 20, 2010

show started 18:33
00.Intro
01.Rockin’ Roll Baby
02.Break Up To Make Up
03.Stop, Look, Listen (To Your Heart)
04.You Are Everything
05.It’s A Miracle
06.I’m Stone In Love With You
07.Betcha By Golly Wow
08.Disco Baby
09.Have Yourself A Merry Christmas
10.Sing Baby Sing
11.That Same Way
12.Members Introducing (including a riff of Funkin For Jamaica)
13.Let’s Put It All Together
14.You Make Me Feel Like Brand New
15.Funky Weekend
Encore From The Mountain
Encore Can’t Give You Anything But My Love ~ A riff of Billie Jean
Show ended 19:45

(2010年12月20日月曜、ビルボードライブ東京=スタイリスティックス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Stylistics
★サム・ムーアのおしゃべりには周りに人が集まる

【People Came To Sam’s Backstage】

話題。

サム・ムーアは、相変わらず元気だった。そして、おしゃべり好き。すでに楽屋には何人かのお客さんがいたが、なにかについて話していた。

途中でころあいを見て、「今回は1日2回のステージは、大変でしょう」ときくと、「ああ、今日は1ステージだったけどな。日曜1ステージ、昨日が2ステージ、今日が1ステージ、明日が2ステージ、1-2-1-2だ。ふ~~っ」 今までは、毎日1ステージだったのが、今回は1日2ステージの日があるのだ。75歳のサム・ムーア、それでもがんばっている。

すると、途中から「去年、アポロにきたxxx、わかるか?」 名前がよく聴き取れずわからなかったが、何度か聞いているうちに、和田アキ子さんということがわかった。興奮気味にサムが話す。

「すごいんだよ、アポロが超満員、スタンディング・ルーム・オンリー(立ち見のみしか残ってない)。しかも、観客は、全員日本人だ。ニューヨークにこんなに日本人が住んでたなんて、夢にも思わなかったぞ。(笑) しかも、彼女はリハーサルを5時間もやってるんだ。5時間だぞ、信じられるか? 5アワーズ!」

と言って、両手を広げる。「で、本番も5時間あるんだ。本番で5時間も歌い続けるなんて、信じられん。で、最後ショーが終わって彼女が俺のところにやってきた。『サム、サム…、もう声が出ない』とかすれ声で言ってくる。でも、タバコすってるんだ」 「あれ、彼女はタバコ、やめたんでは?」 「おお、そうか? そんときは吸ってた、去年の9月のことだ」

サムは休憩時間に、アポロの歴史室みたいなところに歴代のR&Bシンガーたちの写真が飾られているところを案内した、という。「そうしたら、ジャッキー・ウィルソンの前で、『ワオ、ジャッキー、アイドルなんです』と彼女は感激していた。もちろん、そこには、他にもジェームス・ブラウン、アレサ、サラ…、ありとあらゆる伝説の人たちの写真があるので、いちいち感激してたんだ」

「彼女は、アポロのステージ横にある有名な樫の木の切り株には触ったのでしょうか」「もちろんだ、触ってたよ。彼女にとっては、ジャッキー、レイ(・チャールズ、そして、俺(サム・ムーア)がアイドルらしいよ」

というわけで、ブルーノートの1階の入り口には和田アキ子さんからの大きな花束が飾られていた。

誰かがちょうど、クラプトンが北朝鮮からライヴに来ないかと誘われていた情報がウィキリークスで流れた文書の中にあったという話をしだした。サムもそれを知っていたらしく、「おおっ、そうだったな、知ってるよ。でもな、クラプトンが北朝鮮に行ったって、『コケイン』を歌えないだろう」 そして、『コケ~~イン』とちょっと鼻歌っぽく歌う。(一同爆笑) 「あそこの(キムジョンイルの)息子が、ロック好きなんだろ。でも、コケインは、ダメだ(笑)」

そこで、僕が「いやあ、クラプトンが北朝鮮に行ったら、歌うべきいい曲がありますよ。それは、『チェンジ・ザ・ワールド』です!」というと、「『チェンジ・ザ・ワールド』かあ、そりゃあ、いい! 彼は絶対にあそこで歌うべきだな」と大いに受けた。

それにしても、サム翁、フル・ショーをやり終えた後も、よくしゃべる、しゃべる。しかも、表情豊かで、時々ステージでも見せるコミカルなちょっとコメディアンのような話し方で話すものだから、回りの人間はみなおもしろがる。だから自然と人が集まってくるのだろう。ああいうシーンを見ると、サムがみんなから愛されていることがよくわかる。


■現在までのところ最新作

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そして、サム&デイヴといえば~

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ENT>ARTIST>Moore, Sam
◆ネルソン・ジョージから学んだこと

【Lesson From Nelson George】

日本。

ネルソン・ジョージには、1980年代に2-3回会った。1度は正式にインタヴューした。あの頃、僕は毎年夏にニューヨークで行われる「ニュー・ミュージック・セミナー」というのに参加していて、そこでいろんな業界人と知り合ったが、ネルソンはインタヴューをオファーし、アポイントをとって行った。

しかし、そのアポはなかなか取れなかったことを覚えている。あの頃はメールがなかったので、エアメールか、ファクスか、しつこいほど電話をしたんだと思う。とにかく、アメリカのそういう業界人は、相手を知らないと、折り返し電話をかけてこない。もちろん、当時は携帯もないので、相手のオフィースに電話、こちらはホテルの部屋で待機、みたいなものだ。あと、みんなページャーというポケベルを持っていた。

何度かやりとりがあって、やっとのことで彼に会えることになった。ミッドタウンにあるビルボードのオフィースに行ったが、会うなりいきなり、僕に「日本でのR&B、ブラック・ミュージックの状況はどうだ、誰が人気があるか、ラジオはどうだ、何局くらいあるんだ」など立て板に水で質問を矢継ぎ早にしてきて面食らった。さすが、ジャーナリストだなと思った。ジャーナリストっていうのは、どんどん質問しないといけないんだ、ということを知ったのが、彼と会ってからだ。ほぼ同時期に、ミネアポリスの新聞の記者(名前を思い出せないのだが、60代くらいの品のいい女性だった)にも会ったが、同じく質問攻めに合い、いかに効率よく的確に質問すべきかということを学んだ。そして、遠慮なんてものをしていては、あっという間に時間はなくなり、インタヴューは終わる。アメリカ人の質問は直接的で、ずばっとくる。誰もがそうなので、基本的にそれでいいんだと思うようになった。

ネルソンも、ミネアポリスのジャーナリストも、日本に漠然と興味を持っていたのだろう。それで、そういうことを訊かれた。だが、僕はそれほど「日本」について知らなかった。ちょうどその頃からだと思う。外国に行くと、日本についてきちんと説明ができないといけないということを認識するのが。

それこそ、ささいなネタでも日本について、説明できないと場がもたないのだ。たとえば、食べ物の話になれば、すしの話をしなければならない。魚の名前を英語で言えないといけない。そんなことは、いまだにできない。(笑) ま、最近は日本通の外国人は、すしのネタを日本語で知ってるからいいんだけどね。(笑)

ネルソン・ジョージは、ちょうど『リズム&ブルースの死』を出し、以後コンスタントに著作を発表する。いつの間にか、ハリウッドとコンタクトが出来、ビルボードを辞めて、作家となり、映画の脚本なども書くようになったらしい。彼がビルボードを辞めてからは、なかなか彼のブラック・ミュージックのレポートを見る機会が減ったが、時折、ローリング・ストーン誌やら、なにかで彼の記事が出てたりすると、けっこう読んだものだ。

ネルソンの記事がおもしろかったのは、彼が黒人であって、黒人の目から黒人の音楽シーンをきちんと見ていたからだ。それも、かなりきちんとした文章で書いていたので読み応えがあった。当たり前だが、ビルボードにいたので、きちんと取材をして書いていた。

僕が海外の評論家で一目置いていたのが、トニー・カミングス、デイヴィッド・ネイサン、そして、ネルソンだった。評論家ではないが、デイヴィッド・リッツも注目していた。トニーもデイヴィッド・ネイサンも、いずれもイギリスの白人。リッツも白人、だから、ネルソンがアメリカの黒人の視点でブラック・ミュージックを語るのが新鮮だったのだ。

■ネルソン・ジョージの著作 『スリラー マイケル・ジャクソンがポップ・ミュージックを変えた瞬間』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4401634616/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■デス・オブ・リズム&ブルース

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4152034289/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>BOOK>George, Nelson
☆ネルソン・ジョージ著『スリラー マイケル・ジャクソンがポップ・ミュージックを変えた瞬間』

【Nelson George : “Thriller The Musical Life Of Michael Jackson】

新刊。

17日が締切ということで、こもりきりで原稿。いま、必死にやっているのは、こちら。→
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4822263495/soulsearchiho-22/ref=nosim/

編集担当の方から、「リビーのインタヴュー、涙ぐんでしまいました。読まれた方はみなそうなると思います」というメールを。書いてるときは、熱中しててそこまで思いがいかなかったが、改めて読み直すと、確かにいい感じ。

さて、このマイケル特集本の話は、後日、またしますが、今日は、ツイッターとかぶりますが、ネルソン・ジョージの著作をご紹介。

昨日(16日)、ネルソン・ジョージ著『スリラー マイケル・ジャクソンがポップ・ミュージックを変えた瞬間』(五十嵐正・翻訳=シンコー・ミュージック・エンタテイメント、1800円+税)が到着。四六版232ページ、『マイケル・ジャクソン全記録』などと同じ版型、薄いので全記録の半分くらいの厚さ。持ったら意外と軽かったので、図ってみたら260グラムでした。(そんなことは、どーでもよい) 

表紙など、アマゾンは送料無料。
http://amzn.to/fgo0or

さらっと後半だけ目を通して、17日の午後のツイート感想を。

アメリカの黒人音楽評論家ネルソン・ジョージ @nelsongeorge が書いた新刊マイケル・ジャクソン本『スリラー』 http://amzn.to/fgo0or 日本版到着。「BAD」の元になった私立学生がNYの警官に撃たれた記事はネルソンが書いていたことを発見。

ネルソンは、私立学校に通っていた学生がなぜ死んだのかをヴィレッジヴォイスに書き、それがニューヨークタイムスによってさらに取材され掲載され、たぶん、そのあたりが、「BAD」のビデオのインスピレーションになった。『BAD』以降、マイケルには実質的には「締切」がなかった。

クインシー卒業後、一番その頃、音楽的に信頼していたのは、テディー・ライリーだったようだ。LAのララビースタジオを1年間ブロックで借り上げ、ホームシックになったテディーに、家族・友人も費用マイケル持ちで、みなLAに引っ越させた。

ネルソンは、本書を「伝記ではない。音楽評論と回顧録と文化史の混合」と形容している。最後は、『ディス・イズ・イット』の映画を見たところで終わる。(なお、ここでは「モータウン25」が84年と印刷されてるが、83年です) 翻訳は五十嵐正 @taddihno さん。

+++

基本的には、レコードワールド誌、ビルボード誌という音楽業界誌で活動していたネルソン・ジョージの視点で、音楽評論家っぽい視点でマイケル・ジャクソン現象を眺めて、書いているという感じ。彼が『スリラー』が出た後、マイケルの簡単なバイオグラフィー本を書いて、それは日本ではスイング・ジャーナル社から出たが、それを基にして書き足した新作。

なにより、テディー・ライリーやクインシー・ジョーンズなどにビルボード時代にじかにインタヴューしているので、そのあたりの一次情報はさすがに価値がある。

+++

ネルソン・ジョージと言えば、『R&Bの死』『モータウン・ミュージック』という名著が日本でも訳されてリリースされている。

■ネルソン・ジョージの著作 『スリラー マイケル・ジャクソンがポップ・ミュージックを変えた瞬間』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4401634616/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■デス・オブ・リズム&ブルース

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■モータウン・ミュージック

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ENT>BOOK>George, Nelson
■マイケル・ジャクソン特番など~「ソウル・トレイン」のYMO

【Michael Jackson Special Program On J-Wave & YMO on “Soul Train”】

特番。

今度の土曜日(2010年12月18日)深夜12時から1時まで東京のFM局J-Waveでマイケル・ジャクソンの特番が放送され、それにゲストで出演、昨日(12月16日)収録に行ってきた。ナヴィゲーターは、ジョン・カビラさん。コメント・ゲストで西寺郷太さん、ケント・モリさんらも出演する。

番組タイトルは、「フォーエヴァー・マイケル」。
http://www.j-wave.co.jp/original/jwavespecial/2010/12/15/

カビラさんとは、彼がCBSソニー時代からの旧知の仲ということもあり、とても話しやすかった。たぶん、僕の部分はオンエアでは10分程度に編集されると思うが、軽い打ち合わせも含め小一時間スタジオで、あれやこれや雑談兼本番のトークをしていたように思う。

ポイントは、この新作『マイケル』はどのようなアルバムか、どのような経緯で出来たか、エステートのジョン・マクレインの話(かつてジャネット時代に2度ほどインタヴューしたことがある)、なぜ、このアルバムにはクインシーはかかわっていないのか、このアルバムをどう捉えるか、「ビハンド・ザ・マスク」の話など。そして、声の真贋について。

■「ソウル・トレイン」YMOの話

「ソウル・トレイン」。

「ビハインド・ザ・マスク」が出た1980年頃、カビラさんはアメリカに留学していて、たまたまテレビの『ソウル・トレイン』を見ていたら、YMOが出てきたという。そのとき、演奏を終えて、ドン・コーネリアス(司会者)がメンバーに近寄って、さあ、誰が答えるんだ、と凝視していたら、なんと坂本龍一さんではなく、高橋幸宏さんが英語で答えていたのが印象的だった、という。

たしか、YouTubeにあるのではと思って探したら、案の定、あった。そうだ、アーチー・ベル&ドレルスの「タイトゥン・アップ」をカヴァーしていたんで、それをやった。これは、クチパクではなく、実際の演奏のよう。たぶん、このシーンは東京でテレビで見たような気がする。NHKの再放送だったかなあ。TBSだったか、12チャンネルだったか、はっきり覚えてないんだが。

http://www.youtube.com/watch?v=2cKg0FxNN7Q&feature=player_embedded

たぶん、曲にかぶさる声は、小林克也さんだと思う。

キーボードは、矢野顕子さん、そして、ギターは大村憲司さん。「タイトゥン・アップ」は、もちろん、「ソウル・トレイン」にどんぴしゃ。なんと、このときは、もう1曲テクノ風の「ファイアー・クラッカー」も演奏していた。

http://www.youtube.com/watch?v=yqoWryBLmNI&feature=player_embedded

要は「ビハインド・ザ・マスク」が、もし『スリラー』に入っていたらどうなったか、などの話から雑談が広がってしまった。(ゆえにこのあたりは、オンエアー的にはボツネタ。(笑))

ドンと幸宏さんのやりとりも、おもしろい、っていうか、ドンのいじわるっぷりがおもしろい。

しかし、30年も前の映像が、いまや、クリックひとつで見られるんだから、ほんと、すごいことだ。

++++

真贋については、自分でも話してて、途中からわけがわからなくなり、ちょっとトーク自体の整合性がなくなってしまい、たぶん、カットされると思う。(笑)もう少し、整理してから話さないとだめみたいだ。

ENT>RADIO>Jackson, Michael
ENT>TV>Soul Train>YMO
◎サム・ムーア、清志郎ファミリーに捧げる

【Sam Moore Live: Dedicate To Kiyoshiro Family】

捧げる。

1982年横浜スタジアムにサム・ムーアとして来日し、清志郎と同じステージに立ち、その後2006年11月に再来日してから2008年まで3年連続で来日して以来、およそ2年ぶりソロとして5度目の来日となったサム・ムーア。(ちなみに、サム&デイヴとしては、1969年、1970年計2回来日)(訂正=当初書いた81-2年の来日は、1982年横浜スタジアムでのライヴで、これはサム&デイヴとしてではなく、サム・ムーア・ソロでした。訂正します。2010年12月17日)

今回は、日曜1ショー、月曜2ショー、火曜1ショー、水曜2ショーという1-2-1-2ショーでのライヴ。前回と若干セットリストを代えてきており、全体的には、まったりした落ち着いた感じがした。それと2年ぶりのサム翁、若干お年を召したか。

下記セットリスト15曲目の前、サムの奥さんジョイスさんが登場し、清志郎さんの話をして、この日その家族がいらしている、と紹介した。「清志郎は彼が15歳の頃、サムのところにやってきた。ここ何年か毎回サムが来日すると、来てくれた。前回も来てくれ、医者が歌ってはだめだと言ってたにもかかわらず、ステージに上がって歌ってくれた。そして、ご存知のように彼は昨年亡くなりました。今日は、そのご家族がいらしています」 こう言って、そこにスポットが当てられ、ご家族が立ち上がって会釈した。サムは、続いて「ユー・アー・ソー・ビューーティフル」を熱唱。家族の方々は、泣いているように見えた。

数えてみたら、僕は清志郎の飛び入りライヴをこのブルーノートで5回見ていた。サム・ムーア、ブルース・ブラザース・バンド、そして、ブッカーT&ザ・MGズ。たまたま彼が見に来た日に僕も行っていた、ということなんだが、確かに引きが強いかもしれない。(笑) 

バックグラウンド・シンガーの一人、キャロウェイはこれで4回連続の来日だが、ますます磨きがかかっている。彼女は、ジョス・ストーンあるいは、ティーナ・マリー的なソウルフルなシンガーになれる。彼女はいいなあ。

セットリストをもう一度見返すと、キラー・チューンの「When Something Is Wrong With My Baby」や、「Soul Sister, Brown Sugar」がなかった。もっとスタックス色を出してもいいかなとも感じた。オーティス曲をやったときもあったしね。また、「Blame It On The Rain」でいつもの通り観客にそのサビを歌わせるのだが、覚えさせる歌詞がちょっと日本人には長すぎて、一般的な日本人には難しい。事前に歌詞カードを配るか、字幕をスクリーンに出すとかしないと、ちょっとあれは歌えない。せいぜい「オー、イエー」くらいなら、いいのだが。ま、課題といえば、課題。

とはいうものの、サム・ムーアは元気印であることにかわりない。ライヴ後、軽く表敬訪問に楽屋を訪れたが、ただの世間話が、30分以上続いた。ほんとにおしゃべり好きのサム翁(おう)だ。そのあたりは、明日以降に。ブルーノート入り口には、和田アキ子さんからの大きな花束が飾られていた。

(この項続く)

■サム・ムーア 過去関連記事

2008年09月02日(火)
東京ジャズのサム・ムーア
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080902.html

2008年09月04日(木)
サム・ムーア・ライヴ~昨年よりも強力に
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080904.html

2008年09月05日(金)
サム・ムーア:「ザ・ソウル・ショウ」@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080905.html

2008年09月06日(土)
サム・ムーア・ライヴの秘密
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080906.html

2008年09月07日(日)
アップタウン・ホーンズとは何者?
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10136308886.html

November 02, 2007
Everybody Loves Sam Moore: A Night Of Soul Explosion (Part 1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071102.html

November 03, 2007
More Sam Moore: A Night Of Soul Explosion (Part 2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071103.html

November 15, 2006
We Want More Moore, Not Some Moore
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_15.html

November 18, 2006
Sam Moore With Surprising Finale: Sam, You Are So Beautiful
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_18.html

October 21, 2006
Sam Moore Suddenly Will Coming To Japan
http://blog.soulsearchin.com/archives/001341.html

August 23, 2006
Sam Moore’s First Solo Album In 34 Years
サム・ムーアの新作について
http://blog.soulsearchin.com/archives/001216.html

2004/02/17 (Tue)
Only The Strong Survive: The Soul Movie
映画『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ』内容紹介と映画評。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200402/diary20040217.html

2004/06/24 (Thu)
Talk About "Only The Strong Survive" At Relocated Soul Bar Sugar Hill
同映画日本での公開決まる。
http://www.soulsearchin.com//entertainment/soulbars/diary20040624.html

2004/11/07 (Sun)
"Only The Strong Survive": Some Questions & Answers
イヴェントでの質疑応答。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200411/diary20041107.html

July 18, 2006
Two Interesting Compilation Album Has Released: "Atlantic Unearthed: Soul Brothers" & "Atlantic Unearthed: Soul Sisters"
サム&デイヴ時代の曲を含むアルバム
http://blog.soulsearchin.com/archives/001146.html

■現在までのところ最新作

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そして、サム&デイヴといえば~

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■メンバー

サム・ムーア(ヴォーカル)Sam Moore(vo)
キャラウェイ(ヴォーカル)Calloway(vo)
ナオミ・マーゴリン(ヴォーカル)Naomi Margolin(vo)
タビサ・ゲイル・フェア(ヴォーカル)Tabitha Gail Fair(vo)
ジェイムス・ダウアー(キーボード)James Dower(key)
マーク・ニューマン(ギター)Mark Newman(g)
アイヴァン・ボドリー(ベース)Ivan Bodley(b)
トニー・ルイス(ドラムス)Tony Lewis(ds)
オマー・マルティネス(パーカッション)Omar Martinez(per)
クリスピン・シーオー(サックス)Crispin Cioe(sax)
ラリー・エトキン(トランペット)Larry Etkin(tp)
大野 清(サックス)Kiyoshi Ohno(sax)
橋本 佳明(トロンボーン)Yoshiaki Hashimoto(tb)

■セットリスト、サム・ムーア
Setlist : Sam Moore @ Bluenote, Tokyo, December 14, 2010

show started 20:08
01.Peter Gunn [Henry Mancini]
02.Gimme Some Lovin’ (Omar Martinez on vocal) [Spencer Davis]
03.Will It Go Round In Circles (Calloway on vocal) [Billy Preston]
04.Rock Steady (Tabitha on vocal) [Aretha Franklin]
Sam came on the stage while “Hold On, I’m Coming”
05.Hold On, I’m Coming
06.Don’t Play That Song [Ben E King]
07.I Take What I Want
08.Looking For A Love [Bobby Womack]
09.Together We Are Strong
10.I’ve Got News For You
11.I Can’t Stand The Rain (Tabithia on vocal) [Ann Peebles]
12.None Of Us Are Free
13.Blame It On The Rain
14.Come On, Come Over [Jaco Pastorius]
15.You Are So Beautiful [Billy Preston] (dedicate to family of Kiyoshirou)
16.I Thank You
17.Soul Man – Dance To The Music – Shaft – Dance To The Music
Enc. Higher And Higher
Show ended 21:38

(2010年12月14日火曜、東京ブルーノート、サム・ムーア・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Moore, Sam
2010-201
◆ここ1-2週間のいろいろ~ソウル・サーチンからソウル・キッチン

【Bits & Pieces About Last 2 Weeks】

バタバタ。

今週はけっこうスケジュールがタイトで、厳しい。そこで、「棚つか」(棚からひとつかみ)ならぬ「ネタつか」。いくつかあるネタをぱっとつかんで、かいつまんでご紹介。12月はバタバタ・マンス。

12月14日(火)、まだマイケルの新作『マイケル』の本盤のCD届かず。アマゾンあたりで発注した人は月曜あたりに到着してるところもあるようだ。このアルバム、オーストラリア、ベルギー、ドイツでは、12月10日発売、イギリスが12月13日発売、アメリカ、ブラジル、台湾が12月14日発売、そして、日本が12月15日発売。ちなみに中国でも12月20日に発売される。

12月14日(火)午後、映画配給会社ビターズ・エンドから、今度公開される映画『ソウル・キッチン』のDVDが届く。先日、J-Waveの持田さんからご紹介され、見せていただくことに。60年代、70年代のソウル・ミュージックがふんだんに流れるドイツの大衆食堂を舞台にした映画で、とっても僕好みっぽそうな感じ。とりあえず、テレビで流しながら、原稿。
12月14日(火曜)は、ブルーノートでサム・ムーア。これは2年ぶりのライヴ。毎回見ているが、今回も元気いっぱいのよう。日曜日・コットンから始まり、月曜以降ブルーノート。今回は、ブルノでは一日2回のショーが組まれ、火曜だけワンショー。ゴスペラーズの村上・酒井両氏は月曜に行ったよう。楽屋でブレンダ・ヴォーンがサムから聞いた話として、「アレサの入院は検査入院なのに大きな騒動になっている」とのこと。今後の情報を注目したい。

1月初旬発売の日経トレンディ・特別増刊号のマイケル特集の記事の締切が五月雨式にやってきている。今週いっぱいこれに忙殺。8月に取っていたリビー・ジャクソン、2月に取ったバシリ・ジョンソン、5月のジュディス・ヒルのインタヴューなどを一挙に公開。

ここ1-2週間で見たライヴで、まだライヴ評をあげてないものがいくつか。

11月29日(月)AIのライヴは書いた。11月30日(火)、マイケル新作試聴会は書いた。12月1日(水)、和田唱さんのトライセラトップスのライヴ@渋谷AX。ストレートなロック。立錐の余地もないほどの超満員でびっくり。すごい人気。12月2日(月)深夜、Bハワードがジェネヴィーヴ・ジャクソンの誕生日を祝うパーティー。3日(金)、竹内まりやさん@武道館は書いた。12月6日(月)のフォー・プレイ。月曜日、ケイリブと「ソウル・サーチン」の打ち合わせをしていると、ケイリブがこのあと、ブルノでフォー・プレイを見るというので、一緒に行くことになり、そこでAIもジョイン。うまい匠たちのプレイは、文句なし。ケイリブに「ソウル・サーチン」告知用のプロモーション用ビデオを路上で撮影。するが、暗くて、結局使えず、再撮影に。12月7日(火)、白川会は書いた。白川会に出席したためMaruことFireflyに行けず。ごめん。11日(土)デイヴィッドTは書いた。12日(日)仲間内の忘年会。約30名参加。半分幹事なので、マイケルの神宮のイヴェント行けず。13日(火)軽音部、原稿につまり、欠席。ごめん。

12月10日(金)、フォトグラファー・ナサさんの写真二人展渋谷にて。ケイリブと一緒に見る。そこで、「ソウル・サーチン」プロモ用ビデオを再度撮影。ケイリブは立て板に水で、ほんとしゃべりもうまい。この写真展でモデルとなったシンガーのレイケイさんと名刺交換。彼が歌っている音源を昨日、メール便で受領。スティーヴィーの「リボン・イン・ザ・スカイ」などをハウス仕立てで歌っている。

■ソウル・サーチン:ザ・セッション~ア・トリビュート・トゥ・クインシー・ジョーンズ

さて、今回の「ソウル・サーチン」は、紆余曲折、さんざん悩んで、クインシー・ジョーンズに決定。一両日中にメンバーなど発表します。2011年2月3日(木)、4日(金)、目黒ブルース・アレイです。カレンダーにマークを。

ケイリブのプロモ
http://www.bluesalley.co.jp/schedule/video/movie.html?c_code=Schedule-20101028161957

ブルース・アレイ告知
http://www.bluesalley.co.jp/schedule/syousai.html?c_code=Schedule-20101028161957&status=ok&disp_date=201102&type=s#b

候補リストをもって行き、ケイリブと喧々諤々(けんけんがくがく)。僕は本当はマイケルやジェームス・ブラウンをやりたいのだが、マイケルをやる場合は、絶対にダンサーを入れたい。もちろん、ブルーツリー(MJ-Spirit)にお願いしたい。だが、ブルースアレイのステージではとても無理。なくなく諦める。それと、マイケル・トリビュートは過去1年以上何本も見ているが、やはり、誰がどうやっても、いいものにならない、ということを毎回痛感してきた。よほどアレンジ力、楽曲の解釈力がないと、いいものにならない。JBも、マイケルも、本当にワン&オンリーで難しいのだ。で、いろんなアーティストの名前が出た。

過去8回やってきた「ソウル・サーチン」はいずれもソウル・ジャイアントばかり。ソウルの歴史に偉大な足跡を残したアーティストばかりだ。そんな中、最後までプリンスは候補に残ったが、リストの中でクインシー・ジョーンズの名前が浮上。クインシーならマイケルも含められる、ジャズの歴史、ポップスの歴史、そしてブラック・ミュージックの歴史を俯瞰できるということで、クインシーに決まった。

クインシーに決めた後は、あれもこれもと期待が広がり、えらく自分でも興奮してきた。あの曲とあの曲をメドレーにして、ジーノにバチバチ・ベース叩いてもらおうとか。「イッツ・マイ・パーティー」(レスリー・ゴーア)やりたいなあ。

詳細は後日。

■マイケル・ジャクソン『マイケル』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0048BP3CW/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■クインシー・ジョーンズ・ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000JAAC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■クインシー・ジョーンズ自叙伝

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/430926610X/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■クインシー・トリビュート、2008年モントルー・ライヴ (通常DVD)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0029V4FAO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■クインシー・トリビュート、2008年モントルー・ライヴ(ブルーレイ)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002BYLO9Y/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■映画『ソウル・キッチン』サウンドトラックCD

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002WUWGCQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/


ENT>ESSAY
◎デイヴィッド・T・ウォーカー~ギターの匠・人間国宝

【David T. Walker ~ A Real National Treasure】

人間国宝。

2007年5月の日本における彼自身の初名義ライヴ以来、ひんぱんに来日して、大変人気の高いデイヴィッド・T・ウォーカー。今年、昨年ともにマリーナ・ショーのバックでも来ており、さらに、デイヴィッドは今回のこのライヴ以外、日本の人気グループ、ドリームズ・カム・トゥルーのライヴでもギターをプレイしている。このビルボードのライヴ後も、日本をゆっくり1週間ほど、楽しむためにオフにしているそうだ。「私は、日本が大好きだからねBecause I love Japan」とデイヴィッドは言う。

さて、4人の侍たちが、ステージに上がり、デイヴィッドがセンターのマイクに向かうと、いきなり「こんばんは!Konbanwa!」と声を出した。そして、イントロが流れたその瞬間、一挙に観客はデイヴィッドの世界に引きずり込まれる。この一音で、デイヴィッドとわからせるその指。どこをとっても、どこを切っても、デイヴィッドの音だ。

毎年やってくる彼だが、今回のライヴは、ちょうど2010年12月8日にリリースされたばかりの新作『フォー・オール・タイム』からの楽曲を多めに演奏した。それと、今回は曲間で、けっこうしゃべっていたような印象がする。曲のタイトルを必ず言ったり、新作からの作品だと説明したり、今まではただ黙々と演奏するだけだったのだが。

ちなみに実質的な1曲目となったビートルズの「エリノア・リグビー」は、以前は、曲間で軽くリフをいれるだけでやっていたもの。(下記の過去関連記事内・セットリスト参照=前回・前々回も「Going Up」のリフでこれをいれていた) それを今回は、アレンジを煮詰めてフル・サイズにしレコーディング、改めて完成品として披露した。ライヴでやって反応がよければ、レコーディングするというスタイルだ。

それにしても、このギターの音色は何度聴いてもトロトロでメロメロになる。デイヴィッドは、1941年6月25日生まれ。昭和16年、へび年の69歳。まさしく人間国宝だ。

次回、日曜日に日本にいるときは、ぜひ、「ソウル・ブレンズ」に生ゲストでの出演を依頼しよう。それにしても12月のミッドタウンはすごい人ごみ。駐車場も出るのも入るのも、超時間がかかる。

■過去関連記事

2009年12月16日(水)
ようこそデイヴィッドTのリヴィングへ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20091216.html

2009年08月03日(月)
マリーナ・ショウとドリーム・チームによるドリーミーな夜
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10312956175.html

2008年11月22日(土)
デイヴィッド・T・ウォーカー、ビルボード・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081122.html

2007年12月25日(火)
瞬間
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071225.html

2007年12月23日(日)
デイヴィッド・T・ウォーカー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071223.html

2007年12月19日(水)
デイヴィッド・T・ウォーカー、ギターは私の声だ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071219.html

2007年12月17日(月)
デイヴィッド・T・ウォーカー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071217.html

2007年05月11日(金)
職人
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070511.html

2007年05月12日(土)
音楽愛
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070512.html

2007年05月13日(日)
余韻
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070513.html

2007年05月14日(月)
ライヴ観客温度
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070514.html

■デイヴィッド・T 新作『フォー・オール・タイム』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0045WCE30/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■『デヴィッド・T・ウォーカー』(「ソウル・サーチン」(インターFM毎週日曜午後2時半~)のテーマ曲「ホワッツ・ゴーイング・オン」を収録)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000JVS49Y/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

David T. Walker (guitar)
Byron Miller (bass)
Leon Ndugu Chancler (drums)
Clarence McDonald (Keyboards)

■セットリスト
Setlist : David T Walker @ Billboard Live Tokyo, December 11, 2010

Show started 18:06
01.For All Time (Overture) (from new album)
02.Eleanor Rigby (from new album)
03.Holidays Are Mirrors
04.Global Mindfulness
05.Thoughts
06.Never Can Say Goodbye
07.Love’s Theme
08.Plum Happy
09.Lovin’ You
10.Justified (from new album)
11.Santa Claus Is Coming To Town
12.Soul, In Light & Grace (from new album)
Enc. Soul Food Café
Show ended 19:25

(2010年12月11日土曜、ビルボードライブ東京=デイヴィッド・T・ウォーカー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Walker, David T.
2010-200

◆宇多田ヒカル、坂本龍一ライヴのUストリーム中継から見る未来の音楽業界

【Utada Hikaru Live Ustream And Future Of Music Industry】

殺到。

シンガー・ソングライター、宇多田ヒカルが2010年12月8日と9日、横浜アリーナでライヴを行い、8日の分をUストリームで全世界に向けて生中継を敢行した。生中継は、回線の早いものと遅いもの用と2チャンネルで行われたが、生中継時点では両チャンネル合わせて9万人以上がアクセス。一方、終了後の同サイトでは合計視聴数780,995と出ていた。これは、延べ総アクセスのことのようで、Uスト側の発表では、92万以上のアクセス、ユニークユーザー数(実質的なアクセス者数)が34万5000人とのこと。配信中に「ソーシャルストリーム」機能で投稿されたツイッターやフェイスブックなどでのコメント数は18万5,000通。これは単純に2時間で割っても一分間に1500通以上のコメントがあった計算だ。

いわゆる有料のライヴをUストリームで無料で生中継する。しかも当代きっての人気者のライヴだ。これはアクセスが殺到するに決まっている。坂本龍一も積極的にUストリーム中継をしている。12月11日の国際フォーラムでのライヴは、ライヴを有料衛星テレビ局ワウワウ(WOWOW)が生中継する一方で、Uストリームでも中継するという実験的なこともした。この宇多田ヒカルや坂本龍一のUストリーム中継は今後の音楽業界、ライヴの世界にどのような影響を与えるのだろうか。

コピー。

一度、音楽がそもそもあったスタート地点に話を戻そう。音楽は、すべてまずは生のライヴ(言葉の意味が二重になってるが、とりあえずわかりやすく表記)だった。宮廷音楽にしろ、アフリカの土着の音楽であろうとすべては生の楽器をその場で演奏し、何人かの聴衆がいた。ここ何世紀かは、その音楽に対し、お金を払い、ミュージシャンはそのお金で生活をしていた。ここ130年ほどで音楽を録音するという技術が開発され、その技術によって、同じ音楽のコピー(複製)が大量に配布されることになった。しかし、その複製を作る技術はひじょうに高度なものだったため、ごく一部の人しか、複製を作ることはできなかった。そしてその複製作品には複製を作ることができる特権を持った者によってそれ相応の価値と価格が付けられ、そこにはさらに著作権という概念が付け加えられ、複製者、さらに著作権、原盤権を持つものには大きな利益が生まれることになった。言ってみれば著作権バブルが生まれた。

しかし、過去20年、その複製を誰もが簡単に安価に出来るようになり、複製することが誰の特権でもなくなり、コピーされるものの価値が著しく低下した。

そこで原点に返ると、コピーできるものの価値が低くなるにつれ、コピーできないものの価値は上がることになる。音楽の世界で言えば、レコード、CDなどは、コピー商品。絵画で言えば、大量に印刷されたポスターのようなもの。そして、ライヴ音楽は、一点物のオリジナルということになる。ライヴは、決して同じものを作ることはできない。

情報量。

ライヴとは、その場所に行き、何千人か何万人かとともにそのアーティストが奏でる音楽をリアルタイムで共有することだ。そこで感じること、そこにある情報は、音楽そのものだけでなく、空気、におい、照明などによる視覚、隣の人の体温などもすべてが要素のひとつになる。そしてそこには何よりもアーティストとの掛け合いがあり、完全な双方向性のやりとりがある。これらはすべて、録音されたものからは感じとることはできない。ライヴは一期一会でコピーできない。そこでしか体験できないこと、つまり、その人がそこで体験すること、それが大きな価値、ヴァリューだ。その価値、いわばその時間と場所に対して現代は対価を払うということになる。

さて、そんなライヴがテレビ中継、あるいは、Uストリームで中継される。現場まで行けない人にとっては、便利は便利だ。あるいは、現場に行くお金がない人にとっても、ありがたい。だが、Uストだろうが、テレビだろうが、そこで生中継されようが、録画で中継されようが、カメラ1台の映像だろうが、カメラ20台を使った豪華な映像だろうが、映し出されるモニターは1台で、平面、つまり2次元のもの、音も普通のものだ。そこから感じ取れる「情報量」は、現場で吸収できる情報量とは比べ物にならない。結局、中継されるものは、曲と演奏と歌と映像だけなのだ。

宇多田ヒカルが無料でライヴを中継しているのを見て、将来アーティストは誰もがUストなどで中継するのが、当たり前になるのだろうか。そのとき、中継をしないアーティストは時代遅れなのか、あるいはせこいのか、などと思いをめぐらせてしまった。僕は中継は無料だろうが、有料だろうが、どんどんすればいいと思う。ライヴをタダで中継したら、お客さんがチケット買ってまで来なくなってしまうのではないか、無料でUストなどしたら、ますます音楽はタダで見られるもの、余計お金をかけなくなる、と危惧する向きもあるだろう。最近の音楽に対する若い人たちの安直さを見ると、確かにその意見もむげに否定できない。CD現物でなくてダウンロードでいい、YouTubeの音でいい、MP3で十分だ、などという意見が大勢を占めると、そういう方向もあるのかなあ、とふと心配してしまう。だがライヴに来てこそ与えられるヴァリューを作り上げてこそのアーティストということになるだろう。

価値。

ここからは一般論になってしまうが、そのライヴが面白いと思えば、次には、たとえば翌日同じ会場であれば、当日券を買って行きたくなる可能性が高い。つまり、中継はサンプル(試供品)と捉えるのがいいのではないだろうか。音質だっていくら技術が発展したって、しばらくは会場と同じ質の音になるわけはない。そして、コンピューターの画面で宇多田ヒカルが歌っているのを見ていて感激するなら、実際に会場に来て生でそれを見たら、その感激は100倍以上になるはずだ。現場にはそういう価値(ヴァリュー)があるということを、音楽を作る側、広める側は、積極的に知らせていかなければならない。音楽のどこに価値があるのか、音楽のどこに人々は惹かれていくのか、そうしたものを知っている者は、それを知らない者たちへ広めていかなければならない。そんな地道な努力こそが、音楽業界の低迷化を少しずつ押さえていくことになる。なんにせよ、復興の近道なんてないのだ。

もちろん、絶対にUストなんてしない、そこに来てもらったお客さんに最大で最高品質のものを見せる、というアーティストがいてもいい。誰もがUストをする中で、あのアーティストは絶対にUストしないから、会場に行かないと見られないんだ、というのが定説になればそれでもいい。

また、総アクセス90万、ユニークユーザー30万はとてつもなくすごい数字だが、たとえば、一般の地上波のテレビで関東エリアの局の視聴率1パーセントは30万人に相当すると言われる。テレビで1パーセントの視聴率の番組ではどこでも話題にならないが、インターネットで30万人が見に来たとなると、とてつもなく大きな話題になる。そのあたりのバランス感覚もこれから覚えていかないといけないのだろう。

しかし、ひとつだけ確実なことが言える。それは、21世紀は、誰もが簡単にコピーできないものを作っていくことが求められる時代だということだ。音楽の内容そのものもそうだし、それを提供するメディア自体もそうだ。もちろん、作るほうは大変ですよ。十分わかります。でも、ぜひみなさん切磋琢磨して、何か新しい道を探しましょう。ただ、ライヴはコピーできない。この真実はずっと変わらない。

■宇多田ヒカルシングルコレクションVOL2

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004AM6JBS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■坂本龍一

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0041UOQA0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>ESSAY>UStream
●ジェームス・ムーディー、すい臓がんで死去~サックスの偉人

【Jazz Giant James Moody Dies At 85】

訃報。

ジャズ界の巨匠、サックスのマスター、ジェームス・ムーディーが2010年12月9日(木)午後1時07分、現在居住しているカリフォルニア州サンディエゴのホスピスで死去した。85歳。すい臓がんを患っていた。

妻のリンダが、12月9日付けで友人へ向けたあいさつを本人のウェッブページに書いている。
http://www.jamesmoody.com/linda_love.html

これによると約10ヶ月前、2月にすい臓がんが判明、医師はこの末期の癌をすべて切除すると命が危ないということで、一部の手術だけを行った。その後、5月に退院後は、放射線などの強い治療をするのではなく、ホスピスでの静かな生活を満喫したいという選択をしたようだ。すい臓がんであることは、先月、一般に公開した。ムーディーはこの1年の間に、二つの望みがあった。ひとつは、特別な友人の結婚式(2010年10月10日に行われた)に出席すること、ふたつはひ孫の顔を見ることだった。ひ孫は、無事10月22日に誕生した、という。

妻リンダとはムーディーが64歳の1988年に結婚、22年連れ添った。

ジェームス・ムーディーと言えば、“There I go, there I go, there I go, there I go ...”から始まる「ムーディーズ・ムード・フォー・ラヴ」。これは、アレサ・・フランクリン、ジョージ・ベンソン、ロッド・スチュワート、最近ではエイミー・ワインハウス、エリオット・ヤミンなど多数のアーティストがカヴァーしているスタンダードの名曲。

この曲は、1949年、パリで出会った人物からストックホルムでのレコーディングを誘われ、セッションの一番最後に「もう1曲録ろう」と言われ、レコーディングしたもの。元は「I’m In The Mood For Love」がオリジナルで、これをカヴァーした。しかし、1951年、ムーディーのヴァージョンにエディー・ジェファーソンがこのインスト・ヴァージョンに歌詞を付け、さらにキング・プレジャーが歌ったところ、大ヒットになった。ジェファーソンは1979年、銃で撃たれ死去。また、ムーディーのヴァージョンは、ニューヨークのラジオ局WBLSの人気DJフランキー・クロッカーがテーマ曲のように使って、ニューヨーカーなら誰でも知るスタンダードともなった。

クインシーは、木曜日にさっそく声明を発表。その中で、「ムーディーズ・ムード」を彼自身3回録音した、と書く。1972年アレサ、1980年ジョージ・ベンソン、そして、1995年、ブライアン・マクナイト、テイク6、ムーディー自身らを含めたチームで録音した。クインシーは、「現在のクインシーがあるのは、ムーディーのおかげだ」と言う。

ムーディーは、1925年(大正14年)3月26日ジョージア州サヴァンナ生まれ、その後ニュージャージーに育った。兵役後の1946年、ディジー・ガレスピー楽団に入り、以後、サックス奏者、フルート奏者として活躍。1948年、ブルーノート・レコードでレコーディング、その後約3年ほどヨーロッパに移住した。「ムーディーズ・ムード」を録音したのはこの頃。1952年にアメリカに戻り、プレスティージ・レーベルで作品を残した。その後、一時期、ディジーの元に戻るが、その後、ラスヴェガスのホテルのバンドに就任。これは、当時結婚し、子供が出来たため、ツアーに出るのをやめたかったから。

通常、ミュージシャン同士ではファースト・ネームのジムやジェームスなどと呼ばれることが多いが、ムーディーは、友人からはみな「ムーディー」と呼ばれる。それがあたかも彼のキャラクターを表すファースト・ネームのようなものだからだ。そして、彼は誰にでも等しく熱いハグと強い握手をするという。ユーモアのセンスも抜群だ。

“I’ve always wanted to be around people who know more than me, because that way I keep learning.”「私は、いつも自分より多くを知ってる人たちに囲まれていたいと思っている。なぜなら、そうすれば、いつも何かを学び続けられるだろう」 

もうひとつ、ムーディー語録。"If I’m the same tomorrow as I was yesterday, I’m losing," Moody said. "You should grow in some kind of way every day."「もし明日の私が、昨日と同じなら、負けだ。毎日、なんらかの形で成長しなければならない」

まだある。

“My goal is that I want to play better tomorrow than I did today, because I’m not in competition with anyone else,”「私の目標は、今日のプレイよりも、明日さらによいプレイをしたいということだ。他の誰とも競争しているわけではないから」

“If you’re practicing something you’ve played before, you’re not practicing. You have to play something new.” 「かつて演奏した何かを練習したとしても、それはもう練習じゃあない。何か新しいものをプレイしなければならない」

2008年にレコーディングされた最新作で遺作となった「ムーディー4B」は、昨年リリースされ、今年度のグラミー賞ジャズ部門でノミネートされている。

クインシーの声明。

“My heart is heavy with the news of the passing of my mentor, colleague and brother James Moody. James Moody had a sound, an imagination and heart as big as the moon. He was the quintessential saxophone player, and his ’Moody’s Mood For Love’ will forever be remembered in jazz history side by side with Coleman Hawkins’ classic ’Body and Soul.’

“I had the privilege to produce and arrange three versions of ’Moody’s Mood For Love’ -- in 1972 with Aretha Franklin, in 1980 with George Benson, and in 1995 with Brian McKnight, Take 6, Rachelle Ferrell, and Mr. Moody himself. And to this day, I can’t begin to tell you how many different generations of people come up to me and say…..`I remember my mom and dad playing that song over and over again when I was a kid.’

“James Moody was one of the people who allowed me to stand on his shoulders when I was coming up. And there can never be a value placed on that. So much of who I am today, is because of who James Moody was to me back then.

“Thank God there’s a difference between chemical and spiritual energy. His spiritual energy will be in the deepest part of my heart for as long as I live. There are simply no words I can say…there will never be another like him. Today we’ve lost not only one of the best sax players to ever finger the instrument, but a true national treasure. My love and all my condolences to his wife Linda to his beautiful, beautiful family.”

葬儀は12月18日土曜日、サンディエゴで行われる。

Saturday, December 18th. There will be a morning viewing at Greenwood Memorial Park, 4300 Imperial Avenue, San Diego, 92113 and graveside service at 12:30 PM.

■Moody 4B 最新作、グラミーノミネート作品

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003T05SSW/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■妻リンダのメッセージ。

December 9th 2010

Dear Friends,

My sweet, darling, precious husband died today at 1:07 PM after a 10 month fight with Pancreatic Cancer. Because my greatest wish was to ensure that Moody transitioned peacefully and quietly we have been at San Diego Hospice and Institute for Palliative Medicine since last Monday. With their help my wish was granted. I feel so grateful for the privilege of being this amazing man’s wife for almost 22 years. I learned so much from this beautiful gracious, kind person. The most important lesson being how to participate unconditionally in the most amazing love affair one could possibly imagine. Moody had two goals. One, to go to a special friend’s wedding on 10/10/10, and two, to see his great-grandson born on October 22nd. He made both of those goals and even came to Thanksgiving dinner long enough to tell the family how much he loved all of them. We have a very close, very loving family and Moody has made such a difference in our lives.

God has put people in our lives that have presented amazing gifts to us medically and personally. Moody and I have felt love all around us since we started this journey last February. I want to thank Moody’s internationally acclaimed surgeon, Dr. Babs Moossa, who has been our Angel and stood by us constantly since Moody was released from the hospital last May. Dr. Moossa has always given us the best advice and been there for all of Moody’s needs.

Many of you have met Dr. Jerome Robinson and his wife, Pamela on the Jazz cruises. They have been the reason Moody’s heart has kept ticking for the last 15 years. I wish to thank them for their wonderful friendship and going above and beyond for Moody’s care. Pam and Jerome are very special people.

Thank you to Dr. Charles Kossman, Moody’s oncologist, who has seen us through this last faze of my husband’s life. Dr. Kossman is a very kind, loving man and completely supported Moody’s decision not to have treatment and enjoy the time he had left.

I want to acknowledge Moody’s wonderful, caring Hospice Team; Yvonne, Al, Jack and Mindy, who were always there when we needed them.

Thank you to all the friends and Moody fans who have sent thousands of well wishes on Facebook, e-mail and cards to my precious husband. He was astonished at the outpouring of love.

A public service will be held on Saturday, December 18th. There will be a morning viewing at Greenwood Memorial Park, 4300 Imperial Avenue, San Diego, 92113 and graveside service at 12:30 PM. Then at 2 PM, there will be a celebration of Moody’s life at Faith Chapel, 9400 Campo Rd in Spring Valley, 91977, officiated by Pastor Charlie Gregg, who married us almost 22 years ago.

Thank you so much for your love and concern,

Mrs. James Moody (Linda)


ENT>OBITUARY>Moody, James

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