◎秋の風物詩ジョー・ライヴ
2010年9月24日 音楽◎秋の風物詩ジョー・ライヴ
【Man Of Autumn: Joe Live At Billboard Live】
形式美。
このところ、毎年秋になるとやってくる「マン・オブ・オータム」(命名ソウルサーチャー)ジョー。ビルボードライブの秋の風物詩になりつつある。今年で4年連続この時期にビルボードに登場。
それにしても、ジョーの女性間の人気は抜群。ゆったりしたグルーヴ系ミディアムがノンストップで続く間、ファンは総立ちで体を揺らす。ギター、ドラムス、ベース、キーボードの4人のバンドにジョー。前2列は全員女性ファンで全員目がハートマーク。全席でもやはり8-2で女性ファン。
ジョーとバンドは2分程度で次々とノンストップで曲をつなぎ歌い続ける。息つく間もない。後半、アコースティック・コーナーでは例によってジョーがギターで弾き語り。それまで立っていた女性ファンも座る。
女性同士や女性一人のファンはとろけ、カップルで来ている人たちはいちゃついている。きっと、昔のマーヴィン・ゲイのライヴでもこうだったろう。
セットリストは毎年ほとんど同じだが、ここまでパターンを作ると、ジョーの形式美という感じもしてくる。そして、何度でも見たくなるのがファンの心理だ。アンコールが終わっても、ジョーがステージを降りようとしても、ファンからもみくちゃにされ、サインをせがまれると、彼もできるだけ応える。そのため、ステージをはけるまでにずいぶんと時間がかかった。バンドは、途中からインストのジャムになった。ここまでファンに尽くしてくれれば満足だろう。
ところで、コーラスがシークエンス(コンピューター)から出てくるのだが、これだとちょっと微妙。うそでもいいから、バック・ミュージシャンのところにマイクを置いて、彼らがコーラスをつけてるように振りを付けたらどうだろうか。(笑)
○ビルボードライブ大阪で9月24日、25日、ビルボードライブ東京で9月27日、28日も。
詳細はこちら
(大阪)↓
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=calendar&shop=2
(東京)↓
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=calendar&shop=1
■ ライヴの模様を再現~ライヴ・フロム・ジャパン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003NHX4NW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 過去記事
2009年10月05日(月)
ジョー・ライヴ~R&B王道を行くソウル・シンガー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10357422271.html
October 20, 2008
ジョーとピーボの共通点~ジョー・ライヴでの発見
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081020.html
September 05, 2007
ジョー、ビルボードライブに初登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070905.html
2003/12/13 (Sat)
Sex & Soul: That’s What Joe Is
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200312/diary20031213.html
■ メンバー
ジョー / Joe(Vocals)
ジャスモン・チャマール・ジョイナー / Jasmon Chamar Joyner(Keyboards)
ウォルター・ウィリアムズ Ⅳ / Walter Williams IV(Guitar)
レイトン・ランバラン / Leighton Rambaran(Bass)
ウィリー・パーカーJr / Willie Parker Jr.(Drums)
■セットリスト ジョー @ビルボードライブ東京 2010年9月21日(火)
Setlist: Joe @ Billboard Live Tokyo, September 21, 2010
show started 21:35
00. Intro
01. Where You At
02. If I Was Your Man
03. Let’s Stay Home
04. Miss My Baby
05. We Need To Roll
06. My Love
07. Stutter
08. Ride With You
09. Man In Your Life
10. More And More
11. I Wanna Know
>Acoustic guitar section
12. All That I Am (with acoustic guitar)
13. No One Else Comes Close (with acoustic guitar)
>with band
14. Worst Case Scenario
15. All The Things (Your Man Won’t Do)
16. Good Girls
17. Magic
Enc. Can’t Get Over You [Maze Featuring Frankie Beverly]~I’m In Love~Jam session
show ended 23:02
(2009年10月4日日曜、ビルボードライブ東京=ジョー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Joe
2010-156
【Man Of Autumn: Joe Live At Billboard Live】
形式美。
このところ、毎年秋になるとやってくる「マン・オブ・オータム」(命名ソウルサーチャー)ジョー。ビルボードライブの秋の風物詩になりつつある。今年で4年連続この時期にビルボードに登場。
それにしても、ジョーの女性間の人気は抜群。ゆったりしたグルーヴ系ミディアムがノンストップで続く間、ファンは総立ちで体を揺らす。ギター、ドラムス、ベース、キーボードの4人のバンドにジョー。前2列は全員女性ファンで全員目がハートマーク。全席でもやはり8-2で女性ファン。
ジョーとバンドは2分程度で次々とノンストップで曲をつなぎ歌い続ける。息つく間もない。後半、アコースティック・コーナーでは例によってジョーがギターで弾き語り。それまで立っていた女性ファンも座る。
女性同士や女性一人のファンはとろけ、カップルで来ている人たちはいちゃついている。きっと、昔のマーヴィン・ゲイのライヴでもこうだったろう。
セットリストは毎年ほとんど同じだが、ここまでパターンを作ると、ジョーの形式美という感じもしてくる。そして、何度でも見たくなるのがファンの心理だ。アンコールが終わっても、ジョーがステージを降りようとしても、ファンからもみくちゃにされ、サインをせがまれると、彼もできるだけ応える。そのため、ステージをはけるまでにずいぶんと時間がかかった。バンドは、途中からインストのジャムになった。ここまでファンに尽くしてくれれば満足だろう。
ところで、コーラスがシークエンス(コンピューター)から出てくるのだが、これだとちょっと微妙。うそでもいいから、バック・ミュージシャンのところにマイクを置いて、彼らがコーラスをつけてるように振りを付けたらどうだろうか。(笑)
○ビルボードライブ大阪で9月24日、25日、ビルボードライブ東京で9月27日、28日も。
詳細はこちら
(大阪)↓
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=calendar&shop=2
(東京)↓
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=calendar&shop=1
■ ライヴの模様を再現~ライヴ・フロム・ジャパン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003NHX4NW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 過去記事
2009年10月05日(月)
ジョー・ライヴ~R&B王道を行くソウル・シンガー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10357422271.html
October 20, 2008
ジョーとピーボの共通点~ジョー・ライヴでの発見
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081020.html
September 05, 2007
ジョー、ビルボードライブに初登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070905.html
2003/12/13 (Sat)
Sex & Soul: That’s What Joe Is
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200312/diary20031213.html
■ メンバー
ジョー / Joe(Vocals)
ジャスモン・チャマール・ジョイナー / Jasmon Chamar Joyner(Keyboards)
ウォルター・ウィリアムズ Ⅳ / Walter Williams IV(Guitar)
レイトン・ランバラン / Leighton Rambaran(Bass)
ウィリー・パーカーJr / Willie Parker Jr.(Drums)
■セットリスト ジョー @ビルボードライブ東京 2010年9月21日(火)
Setlist: Joe @ Billboard Live Tokyo, September 21, 2010
show started 21:35
00. Intro
01. Where You At
02. If I Was Your Man
03. Let’s Stay Home
04. Miss My Baby
05. We Need To Roll
06. My Love
07. Stutter
08. Ride With You
09. Man In Your Life
10. More And More
11. I Wanna Know
>Acoustic guitar section
12. All That I Am (with acoustic guitar)
13. No One Else Comes Close (with acoustic guitar)
>with band
14. Worst Case Scenario
15. All The Things (Your Man Won’t Do)
16. Good Girls
17. Magic
Enc. Can’t Get Over You [Maze Featuring Frankie Beverly]~I’m In Love~Jam session
show ended 23:02
(2009年10月4日日曜、ビルボードライブ東京=ジョー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Joe
2010-156
○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMNソウル放談(パート8=最終回)
2010年9月23日 音楽○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMNソウル放談(パート8=最終回)
【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 8 of 8 parts)】
(昨日からの続き)
ソウル放談。
2010年8月2日から4日まで3回にわたってお送りした「YMN参集・ソウル放談」、先日そのパート4~7までをお届けしました。今日は、いよいよ最終回パート8。中田さんの衝撃の最新プロジェクトなど。
パート1から7までは、こちら。
2010年08月02日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100802.html
2010年08月03日(火)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html
2010年08月04日(水)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100804.html
2010年09月18日(土)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート4)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100918.html
2010年09月19日(日)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート5)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100919.html
2010年09月20日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート6)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100920.html
2010年09月22日(水)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート7)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100920.html
■ サー・ジョー・クゥオーターマンとのレコーディング話
大型バンドは大変といったとりとめのない話が続く。そんな中から飛び出した衝撃情報。
中田。「いや、実はね、今、サー・ジョー・クゥオーターマンとレコーディングしようか、なんていう話も持ち上がっています。まだまだこれからですが」
吉岡。「ええええっ、うそうそ、すごい。彼はどこ、ニューヨーク、アトランタ?」
中田。「ワシントンDCです。今は目立った活動はしてないようですが、つい先日ヨーロッパでライヴをやったところです。サー・ジョー・クゥオーターマンが4曲くらい作曲してね、テープ送ってきて、一緒にレコーディングしようって。名義はまだどうなるかわかんないですけどね、僕はサー・ジョー・クゥオーターマンで出すのがいいと思ってますけどね」
吉岡。「じゃあ、(中田さんが)マーヴァ・ホイットニーのアルバムを作るような感じですか」
中田。「そうです、そうです」
吉岡。「原盤は日本ってこと」
中田。「そうなるかもしれませんね」
吉岡。「それはすごいニュースじゃない。書いてもいいの?」
中田。「まだまだ未定の状態です。すいません。でも、今の若手のDJに、『どうかな話題になるかな?』と訊いてみても、『サー・ジョー・クゥオーターマンすかあ、そうっすかあ、いいッスねえ』くらいしか返ってこないんですよ。もう少し、盛り上がってくれよ、みたいな(笑)」
松尾。「サー・ジョー・クゥオーターマンって日本ではどれくらい売れてるんだろうね」
吉岡。「当時はトリオだったけど、1000枚以内くらいじゃないかなあ」
ジョー・クゥオーターマンは、1972年にニューヨークのGSFレーベルから「アイヴ・ガット・ソー・マッチ・トラブル・イン・マイ・マインド」のファンク・ヒットを放ったグループ。いわゆるジェームス・ブラウン・ファンクをコピーした当時のブラウン・ファンクの流れにあるフォロワーのひとつだった。これは、のちにサード・ベース、シャインヘッド、UTFOなどがサンプリング。ファンク・クラシックのひとつとなった。リリース当時は輸入盤しか入手できず、当時のディスコDJはやっきになってこの輸入盤を入手。ファンキー系のディスコではイントロがなると一斉にダンスフロアがいっぱいになったほどのヒットとなった。その後、日本ではトリオ・レコードからリリースされたが、十分なプロモーションもなく、一般的なヒットにはいたらなかった。その後1975年にメジャーのマーキュリーに移り、同じくJBズ・マナーの「ゲット・ダウン・ベイビー」をヒットさせたが、以後は音沙汰がなかった。現在、NHK-FMのオダイジュンコさんの『ソウル・ミュージック』(毎週木曜午後11時~12時)のコーナーのテーマにも使われている。中田さんがプロデュースするなり、レコード制作になんらかの形でかかわり、CDがリリースされるとなると、マーヴァ・ホイットニーに続いてクラシック・ファンク・アーティストの発掘プロジェクトとなる。
◎サー・ジョー・クゥオーターマン&フリー・ソウル
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000ACPFTE/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■クインシー・ジョーンズの素晴らしさ
松尾さんに大きな影響を与えたクインシー・ジョーンズの話は、何度かソウル・トーキングの中で出てきた。夜も更けた中ででたクインシー談義。
中田。「クインシーは、もちろん、尊敬してるんですけど、なんかね、音符がなんかこう…。うまく言えないんだけど…」
松尾。「クインシーは、ブラック・ミュージックをゴリゴリに好きな人から敬遠される部分はあるんですよねえ。やっぱりちょっとグリッティーな黒さに欠ける。彼はもともとバークリー出身だし、その後パリのコンセルヴァトワールで音楽教育者ナディア・ブーランジェに学んでるくらいで、ソルフェージュ能力も高い。つまり黒人音楽以外の音楽理論を武器とすることで、それゆえ『スリラー』がクロスオーヴァーな普遍性を獲得したというのはあると思う」
中田。「ああそうです、そういう意味です。平均律すぎる、クラシックの影響が強すぎるということが気になるんです。ブラック・ミュージックなら、通常はミュージシャンはできる限り平均律からはずすことをやると思うんですよ」
松尾。「まあ、(クインシーは)破綻がないように聴こえちゃう」
中田。「クインシーは、その点、外にはずしていくというよりも、中に寄せていくって感じがします。そのあたりがジャズでも、ポップをやっているときでも、ちょっと違和感を感じるんですが」
松尾。「たぶん、クインシーはバランスってことを意識してるから破綻がないんですよねえ。クリフォード・ブラウンとヘレン・メリルの『ユード・ビー・ソー・ナイス・カム・ホーム・トゥ』って名盤があるでしょう。あれ、クインシーが21歳のときにスコア書いてるんですよ。あれと『スリラー』を同じ人がやってるんだから、確かに驚きますよね(笑)。それをやるために、自分の中のブラックネスの何かを売ってる、と思われちゃうんだなあ、コアなブラック・ミュージック・ファンには」
◎ ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン (1954年=クインシー21歳のときの作品)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008KJU6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ マイケル・ジャクソン『スリラー』(1982年)(クインシー49歳のときの作品)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00273D3Z2/soulsearchiho-22/ref=nosim/
中田。「それは、何なんでしょうね。レイ・チャールズもカントリーやって、『セルアウト(裏切り)』って言われたけど、クインシーもなんか『セルアウト組』みたいに言われるのかなあ。(笑) それはシアトルっていう土地とか、なにか関係あるのかなあ」
松尾。「僕はね、音作り、ソングライティングでクインシーが一番好きかっていえば、そんなことはない。やっぱり、曲を書くという点ではスキップ・スカーボローとか、ギャリー・グレンとか、アシュフォード&シンプソンとかが好きですよ。でも、職業としてプロデューサーとして考えたときに、ロッド・テンパートンに曲を書かせて、アレンジをグレッグ・フィリンゲインズにやらせて、クインシーは自分ではスコア書いてないけど、やっぱりクインシー・サウンドになってるってことの凄さ。で、グレッグが別のところで鍵盤弾いたときに、クインシーっぽい音になるかっていうと、ちょっと違う。グレッグがアトランティック・スターなんかと一緒にやってもちょっと違うじゃないですか。ロッド・テンパートンもヒートウェイヴのものと、クインシー・ジョーンズ名義でやってるものと違うでしょう。ロッド・テンパートンだけでやったミーシャ・パリスとか、いまイチじゃないですか。だから、やっぱり、あれだけ譜面をきわめてるクインシーの譜面を越えた求心力が、それこそがプロデュースってことなのかなって思うんですよ。アレンジメントもソングライティングもやってない楽曲でさえ、クインシー・ジョーンズ・サウンド!」
中田。「そうですよね、書ける人なのに、書いてないですよね。それがおもしろいところですよね。きっと(クインシーは)自分でさくさくさくって書けるはずなんですよね」
松尾。「一時期は死ぬほどあれだけ映画のスコアやってたわけだから」
中田。「ただ、今は自分のセンスでは時代についていけへんっていうのをわかってるから、(若いのに)やらすんじゃないですか」
松尾。「やっぱり、年少者がクインシーと組むときは、ミスター・ジョーンズに気に入ってもらえるようなものってことで、みんな同じ方向見てやるから、しかも、そこに若い人の感性もプラスされて、アップデートしたものになって。だから、若い連中うまく使って、クインシーは『錆びない人』ってことになるんじゃないかな」
吉岡。「そういうことだよねえ。まさに」
中田。「そうなんですよね」
■ジャズからポップスへ移行して回収
松尾。「そんなクインシーも、そういう商業的な、いわゆるポップ・チャートのことを意識せずに作れるような『カラーパープル』のサントラとか、晩年のフランク・シナトラのアルバム『L.A.イズ・マイ・レイディ』とか、サミー・ネスティコとやる時はオケの指揮者としてスタジオで張り切ってタクト振っちゃうわけですよ。だけど、流行歌の制作に関してはけっこう若手に任せるんですよね。ただ、チェックは厳しいと思いますけどね。なんかそのあたりの非情な采配っていうのかな。たぶんね、そばで仕事してたらね、あんな嫌な人はいないって思うと思いますよ(笑)。 あんまりいいたとえじゃないけど、どっかの大学の研究室で、助手が寝ずに研究したことを教授が全部吸い上げるみたいな、ね(笑)」
◎ カラーパープル(DVD)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HC66/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ L.A.イズ・マイ・レディ フランク・シナトラ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003F31OAY/soulsearchiho-22/ref=nosim/
吉岡。「それはあるかもねえ。(笑) フランク・シナトラはクインシーが自分でスコア、書いてるんだ」
松尾。「書いてるのは1曲だけですけど、自らオーケストラの指揮をやってますよ(笑)」
中田。「ジャズとポップをうまく分けてるんでしょうね」
松尾。「金にならないジャズもたくさんやってきたわけだけど、ジャズっていうのは商業的なところは抜きにして、音楽的なプレスティージはあるわけじゃない? ミュージシャンズ・ミュージシャンたりうる人たちだから。意地悪な言い方をすれば、そのジャズで苦労してきたことを(クインシーは)ポップで徴収、回収してんですよね(笑)」
吉岡。中田。「(爆笑)」
吉岡。「売れないジャズで勉強してポップで回収かあ。いいなあ。僕なんか売れないソウルについて書いてても、なかなかポップで回収できないんだけど。(笑) 種蒔くばっかりだよ。僕の『ハーヴェスト・フォー・ザ・ワールド』はいつになるんだ (笑)」
松尾。「(笑) 吉岡さんねえ…。あの~~、『ソウル・サーチン』を毎月やればいいんじゃないですか(笑)」
吉岡。「あれ、毎回赤字だよ。(笑) 僕の趣味だからね」
松尾。「どこで回収しますかね。どこかから、吉岡さんの研究協力費を集めるとか。(笑)」
オチにもならないような話で、さらにソウル談義は続き、恵比寿の夜は更けていった。まもなく、アリ・オリの閉店時間となり、3人は散会した。
松尾さん、中田さん、貴重なお話、ありがとうございます。また、いずれやりましょう。
(この3人対談は、2010年7月30日金曜、恵比寿の「ソウル・ドレッシング」と「アリ・オリ」で行われました)
ESSAY>YMN
【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 8 of 8 parts)】
(昨日からの続き)
ソウル放談。
2010年8月2日から4日まで3回にわたってお送りした「YMN参集・ソウル放談」、先日そのパート4~7までをお届けしました。今日は、いよいよ最終回パート8。中田さんの衝撃の最新プロジェクトなど。
パート1から7までは、こちら。
2010年08月02日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100802.html
2010年08月03日(火)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html
2010年08月04日(水)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100804.html
2010年09月18日(土)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート4)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100918.html
2010年09月19日(日)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート5)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100919.html
2010年09月20日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート6)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100920.html
2010年09月22日(水)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート7)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100920.html
■ サー・ジョー・クゥオーターマンとのレコーディング話
大型バンドは大変といったとりとめのない話が続く。そんな中から飛び出した衝撃情報。
中田。「いや、実はね、今、サー・ジョー・クゥオーターマンとレコーディングしようか、なんていう話も持ち上がっています。まだまだこれからですが」
吉岡。「ええええっ、うそうそ、すごい。彼はどこ、ニューヨーク、アトランタ?」
中田。「ワシントンDCです。今は目立った活動はしてないようですが、つい先日ヨーロッパでライヴをやったところです。サー・ジョー・クゥオーターマンが4曲くらい作曲してね、テープ送ってきて、一緒にレコーディングしようって。名義はまだどうなるかわかんないですけどね、僕はサー・ジョー・クゥオーターマンで出すのがいいと思ってますけどね」
吉岡。「じゃあ、(中田さんが)マーヴァ・ホイットニーのアルバムを作るような感じですか」
中田。「そうです、そうです」
吉岡。「原盤は日本ってこと」
中田。「そうなるかもしれませんね」
吉岡。「それはすごいニュースじゃない。書いてもいいの?」
中田。「まだまだ未定の状態です。すいません。でも、今の若手のDJに、『どうかな話題になるかな?』と訊いてみても、『サー・ジョー・クゥオーターマンすかあ、そうっすかあ、いいッスねえ』くらいしか返ってこないんですよ。もう少し、盛り上がってくれよ、みたいな(笑)」
松尾。「サー・ジョー・クゥオーターマンって日本ではどれくらい売れてるんだろうね」
吉岡。「当時はトリオだったけど、1000枚以内くらいじゃないかなあ」
ジョー・クゥオーターマンは、1972年にニューヨークのGSFレーベルから「アイヴ・ガット・ソー・マッチ・トラブル・イン・マイ・マインド」のファンク・ヒットを放ったグループ。いわゆるジェームス・ブラウン・ファンクをコピーした当時のブラウン・ファンクの流れにあるフォロワーのひとつだった。これは、のちにサード・ベース、シャインヘッド、UTFOなどがサンプリング。ファンク・クラシックのひとつとなった。リリース当時は輸入盤しか入手できず、当時のディスコDJはやっきになってこの輸入盤を入手。ファンキー系のディスコではイントロがなると一斉にダンスフロアがいっぱいになったほどのヒットとなった。その後、日本ではトリオ・レコードからリリースされたが、十分なプロモーションもなく、一般的なヒットにはいたらなかった。その後1975年にメジャーのマーキュリーに移り、同じくJBズ・マナーの「ゲット・ダウン・ベイビー」をヒットさせたが、以後は音沙汰がなかった。現在、NHK-FMのオダイジュンコさんの『ソウル・ミュージック』(毎週木曜午後11時~12時)のコーナーのテーマにも使われている。中田さんがプロデュースするなり、レコード制作になんらかの形でかかわり、CDがリリースされるとなると、マーヴァ・ホイットニーに続いてクラシック・ファンク・アーティストの発掘プロジェクトとなる。
◎サー・ジョー・クゥオーターマン&フリー・ソウル
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000ACPFTE/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■クインシー・ジョーンズの素晴らしさ
松尾さんに大きな影響を与えたクインシー・ジョーンズの話は、何度かソウル・トーキングの中で出てきた。夜も更けた中ででたクインシー談義。
中田。「クインシーは、もちろん、尊敬してるんですけど、なんかね、音符がなんかこう…。うまく言えないんだけど…」
松尾。「クインシーは、ブラック・ミュージックをゴリゴリに好きな人から敬遠される部分はあるんですよねえ。やっぱりちょっとグリッティーな黒さに欠ける。彼はもともとバークリー出身だし、その後パリのコンセルヴァトワールで音楽教育者ナディア・ブーランジェに学んでるくらいで、ソルフェージュ能力も高い。つまり黒人音楽以外の音楽理論を武器とすることで、それゆえ『スリラー』がクロスオーヴァーな普遍性を獲得したというのはあると思う」
中田。「ああそうです、そういう意味です。平均律すぎる、クラシックの影響が強すぎるということが気になるんです。ブラック・ミュージックなら、通常はミュージシャンはできる限り平均律からはずすことをやると思うんですよ」
松尾。「まあ、(クインシーは)破綻がないように聴こえちゃう」
中田。「クインシーは、その点、外にはずしていくというよりも、中に寄せていくって感じがします。そのあたりがジャズでも、ポップをやっているときでも、ちょっと違和感を感じるんですが」
松尾。「たぶん、クインシーはバランスってことを意識してるから破綻がないんですよねえ。クリフォード・ブラウンとヘレン・メリルの『ユード・ビー・ソー・ナイス・カム・ホーム・トゥ』って名盤があるでしょう。あれ、クインシーが21歳のときにスコア書いてるんですよ。あれと『スリラー』を同じ人がやってるんだから、確かに驚きますよね(笑)。それをやるために、自分の中のブラックネスの何かを売ってる、と思われちゃうんだなあ、コアなブラック・ミュージック・ファンには」
◎ ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン (1954年=クインシー21歳のときの作品)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008KJU6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ マイケル・ジャクソン『スリラー』(1982年)(クインシー49歳のときの作品)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00273D3Z2/soulsearchiho-22/ref=nosim/
中田。「それは、何なんでしょうね。レイ・チャールズもカントリーやって、『セルアウト(裏切り)』って言われたけど、クインシーもなんか『セルアウト組』みたいに言われるのかなあ。(笑) それはシアトルっていう土地とか、なにか関係あるのかなあ」
松尾。「僕はね、音作り、ソングライティングでクインシーが一番好きかっていえば、そんなことはない。やっぱり、曲を書くという点ではスキップ・スカーボローとか、ギャリー・グレンとか、アシュフォード&シンプソンとかが好きですよ。でも、職業としてプロデューサーとして考えたときに、ロッド・テンパートンに曲を書かせて、アレンジをグレッグ・フィリンゲインズにやらせて、クインシーは自分ではスコア書いてないけど、やっぱりクインシー・サウンドになってるってことの凄さ。で、グレッグが別のところで鍵盤弾いたときに、クインシーっぽい音になるかっていうと、ちょっと違う。グレッグがアトランティック・スターなんかと一緒にやってもちょっと違うじゃないですか。ロッド・テンパートンもヒートウェイヴのものと、クインシー・ジョーンズ名義でやってるものと違うでしょう。ロッド・テンパートンだけでやったミーシャ・パリスとか、いまイチじゃないですか。だから、やっぱり、あれだけ譜面をきわめてるクインシーの譜面を越えた求心力が、それこそがプロデュースってことなのかなって思うんですよ。アレンジメントもソングライティングもやってない楽曲でさえ、クインシー・ジョーンズ・サウンド!」
中田。「そうですよね、書ける人なのに、書いてないですよね。それがおもしろいところですよね。きっと(クインシーは)自分でさくさくさくって書けるはずなんですよね」
松尾。「一時期は死ぬほどあれだけ映画のスコアやってたわけだから」
中田。「ただ、今は自分のセンスでは時代についていけへんっていうのをわかってるから、(若いのに)やらすんじゃないですか」
松尾。「やっぱり、年少者がクインシーと組むときは、ミスター・ジョーンズに気に入ってもらえるようなものってことで、みんな同じ方向見てやるから、しかも、そこに若い人の感性もプラスされて、アップデートしたものになって。だから、若い連中うまく使って、クインシーは『錆びない人』ってことになるんじゃないかな」
吉岡。「そういうことだよねえ。まさに」
中田。「そうなんですよね」
■ジャズからポップスへ移行して回収
松尾。「そんなクインシーも、そういう商業的な、いわゆるポップ・チャートのことを意識せずに作れるような『カラーパープル』のサントラとか、晩年のフランク・シナトラのアルバム『L.A.イズ・マイ・レイディ』とか、サミー・ネスティコとやる時はオケの指揮者としてスタジオで張り切ってタクト振っちゃうわけですよ。だけど、流行歌の制作に関してはけっこう若手に任せるんですよね。ただ、チェックは厳しいと思いますけどね。なんかそのあたりの非情な采配っていうのかな。たぶんね、そばで仕事してたらね、あんな嫌な人はいないって思うと思いますよ(笑)。 あんまりいいたとえじゃないけど、どっかの大学の研究室で、助手が寝ずに研究したことを教授が全部吸い上げるみたいな、ね(笑)」
◎ カラーパープル(DVD)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HC66/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ L.A.イズ・マイ・レディ フランク・シナトラ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003F31OAY/soulsearchiho-22/ref=nosim/
吉岡。「それはあるかもねえ。(笑) フランク・シナトラはクインシーが自分でスコア、書いてるんだ」
松尾。「書いてるのは1曲だけですけど、自らオーケストラの指揮をやってますよ(笑)」
中田。「ジャズとポップをうまく分けてるんでしょうね」
松尾。「金にならないジャズもたくさんやってきたわけだけど、ジャズっていうのは商業的なところは抜きにして、音楽的なプレスティージはあるわけじゃない? ミュージシャンズ・ミュージシャンたりうる人たちだから。意地悪な言い方をすれば、そのジャズで苦労してきたことを(クインシーは)ポップで徴収、回収してんですよね(笑)」
吉岡。中田。「(爆笑)」
吉岡。「売れないジャズで勉強してポップで回収かあ。いいなあ。僕なんか売れないソウルについて書いてても、なかなかポップで回収できないんだけど。(笑) 種蒔くばっかりだよ。僕の『ハーヴェスト・フォー・ザ・ワールド』はいつになるんだ (笑)」
松尾。「(笑) 吉岡さんねえ…。あの~~、『ソウル・サーチン』を毎月やればいいんじゃないですか(笑)」
吉岡。「あれ、毎回赤字だよ。(笑) 僕の趣味だからね」
松尾。「どこで回収しますかね。どこかから、吉岡さんの研究協力費を集めるとか。(笑)」
オチにもならないような話で、さらにソウル談義は続き、恵比寿の夜は更けていった。まもなく、アリ・オリの閉店時間となり、3人は散会した。
松尾さん、中田さん、貴重なお話、ありがとうございます。また、いずれやりましょう。
(この3人対談は、2010年7月30日金曜、恵比寿の「ソウル・ドレッシング」と「アリ・オリ」で行われました)
ESSAY>YMN
○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート7)
2010年9月22日 音楽○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート7)
【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 7)】
(昨日からの続き)
ソウル放談。
2010年8月2日から4日まで3回にわたってお送りした「YMN参集・ソウル放談」、先日そのパート4~6までをお届けしました。今日は、パート7。運営のむずかしい大型セルフ・コンテインド・グループを維持していくには。
パート1から6までは、こちら。
2010年08月02日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100802.html
2010年08月03日(火)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html
2010年08月04日(水)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100804.html
2010年09月18日(土)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート4)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100918.html
2010年09月19日(日)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート5)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100919.html
2010年09月20日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート6)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100920.html
■ 大ヒットがあれば、すべてうまく回るか
ジェームス・ブラウンのJBズも、ブッツィー・コリンズのバンドも大人数のバンド。1970年代は一大「セルフ・コンテインド・グループ・ブーム」になっていた。「セルフ・コンテインド・グループ」とは、自分たちで曲を書き、プロデュースし、演奏、歌も歌うというすべてを「自給自足」するグループのこと。だが、大人数を養うのは経済的にだんだん難しくなり、70年代以降はそうしたグループも人数を減らしたりしてサヴァイヴァルの道を模索している。つい最近11年ぶりに来日したキャメオも一時期は12-3人になったこともあるが、現在は4人程度。あとは、サポート・メンバーでライヴをまかなう。アースも4人程度がメイン。そんな中、日本を代表するセルフ・コンテインド・グループ、オーサカ=モノレールも大人数の運営は大変だという話になった。
中田。「やはり10人近くいると、(運営は)大変になりますよね。1曲でもヒット曲とかあればいいんでしょうけれどね。いい曲書いたら売れるはずだし。僕たちがお金持ちじゃないというのを、世の中のせいにするのは間違いだと思います。そういう才能がなくて、それだけのものをまだ出してない、というだけのことと思ってるんですよ。クール&ザ・ギャングも、「セレブレーション」はどうかわかりませんが(笑)、ほかにもいい曲、かっこいい曲たくさんあるし、アース・ウィンド&ファイアーなんか、(音楽的な内容と商業的な成功が)両立してると思うんですよ。かっこええもんわ、かっこええ。
中田。「年に何回か、仕事もなんもせずに、これからどうしたらいいかっていうのを喫茶店でずっと考えるっていう日を作るんですけど、なかなかいいこと思いつかないんですよ。(笑) 日本で(人数多いバンドは)かなり大変ですね。エグザイルも人数多いけど、次元が違いますからね。(笑)」
松尾。「素人が聞いてもわかるような突出した普遍性を持った万人向けのヴォーカリストをいれるっていうのは一番現実的かもしれないですよね。だって、ハロルド・メルヴィンだって、テディー・ペンダグラスに会ってなければ、あくまでローカルなグループで終わったわけだし」
吉岡。「クルギャン(クール&ザ・ギャング)も、JTテイラーいれたから、あれだけブレイクしたわけだもんね。っていうことは、オーサカ=モノレールに強烈なヴォーカリストをいれるっていうのはどうなの?」
中田。「それは、誰かいて『やりたい』っていったら、ぜんぜんOKですよ。僕は今年38(歳)なんですけど、いままでにある程度やりたいことはやりつくしたという気持ちもあります。もちろん、できてないことはいろいろありますけど。だから、ヴォーカリストをいれることに抵抗はないですね」
吉岡。「ということは、クルギャンのJTみたいなものをいれるのか、アースのフィリップ・ベイリーなのか、強烈なコマーシャルなファンク曲、インストでもね、出すか。『ピック・アップ・ザ・ピーセス』(AWBのヒット)みたいのか、『ソウル・パワー』(ジェームス・ブラウンのヒット)みたいなのか、そういうのがあれば、オーサカもブレイクできる」
中田。「そうですね。人生1回きりだから、売れる曲をがんばって作るっていうのは挑戦しがいがあることだとは思います。ジェームス・ブラウンなんかとびきりコマーシャルだし。クインシーの『ミュージック&ビジネス』っていうのはもっともだし。ただ、1曲でお金を生むっていうのは、だんだん(時代の流れで)なくなってきましたよね。今だと、ただヒット曲がそのまますぐにお金を生み出さないでしょう。その人のキャラクターなどが大事で、キャラクター・ビジネスみたいのは成り立つのかとは思いますけど」
吉岡。「いや、でも、ヒットがあれば、ライヴにお客さんが来るようになるよ。これからは、だからCDがダウンロードだろうが、CDそのもの(フィジカル)だろうが、ライヴが出来るアーティストっていうのが一番強いと思うよ。最初は100人の会場かもしれないけど、(ヒットがあって)力があれば500人、1000人って増えてくわけだしね。最終的に1万人のところで出来るようになるかもしれない。ヒット曲があれば、そういうことが可能になる。ライヴが出来ることのベースになるよね。オーサカの場合、もうライヴはできるわけだから、ヒット曲が出る出ないはきっかけひとつだと思いますよ」
中田。「がんばります(笑)」
松尾。「日本語で歌ったりとかは考えたりします?」
中田。「いやあ、考えたことないんですよ」
■強力なリード・シンガーを探す
吉岡。「日本語のファンクもあったらおもしろいかもしれないですね。で、(日本の音楽界で)新しいジャンルを作るとかね」
中田。「うーん、(日本語は)考えたことないし、(歌うのが)恥ずかしいなあ。(笑) 基本的には無理だろうなって思う。たとえば誰かシンガーが入ったりとか、そういうのはぜひやってみたいし」
松尾。「じゃあ、若くてイケメンの男の子を探すってことですかね。(笑)」
吉岡。「むははは」
松尾。「いま僕はTBSでやってるEXILE(エグザイル)主催のオーディションに関わっているんですが、落選者3万人の中にも十分可能性がある人いるんですよ。顔は100点、歌は60点の人とか、顔も歌も70点とか、そういう人、たくさんいるんです。でも、すべてのバランスがきれいな六角形を描くような人材となると、これがなかなかいないものですよ。六角形でも小ぶりだったり、ある角だけ異様に突出してたりとかね」
吉岡。「ということはどういうのがいいの? やっぱり、六角形が一番大きいのがいいのかな、あたりまえか(笑)」
松尾。「そりゃあ、そうですよね。理想ですよね」
中田。「でも、たとえば、歌めちゃくちゃうまいけど、顔いまひとつみたいのをいれて、引き立て役にするなんていうのも、方法のひとつですよね。ありはありですよね」
吉岡。「オーサカ=モノレール、ヴォーカリスト募集か?(笑)」
中田。「ただ、ソウル&ファンクというジャンルについて言えば、昔のレア・グルーヴとかアシッド・ジャズなんかの盛り上がりが(90年代に)あって、それが現在までずっとつながってきたのだと思うんですが、この数年ヨーロッパ行って感じるのは、だいぶしぼんできたんじゃないか?ということなんですよ。90年代には、クラブに行ってる連中もソウル&ファンクに対してリスペクトしているなあという感じはあったんですが、今はそういうのをあんまり感じない。たとえば、ミュージシャンでマーヴィン・ゲイを知らなくても、別に恥ずかしいことではなくなってきてるんじゃないか? いま聴かれる音楽との関係性が薄れてきているんじゃないか、と思うんです。ソウル&ファンクっていうのが、基本、ベイシックではなくなってるような気がするんですよ。たとえば、下世話なクラブ行くと、90ズ(ナインティーズ)・ナイトってやっています。90ズ・ナイトとか、シャニースとか、ヒップホップとR&B、メアリー・J・ブライジとか、かかる。そこにおいてはソウル&ファンクとかはあんまり関係ないんですよね。メアリー・Jのほうがクラシックっていう感じ。まあ、そんなこと危惧しても意味ないのかなあ。僕としてはヨーロッパでもがんばってやり続けるつもりです。それでいろんな思い出が作れたらいいかなと思ってます(笑)」
吉岡。「でも、年1回ヨーロッパを演奏旅行できるっていうのは、幸せだよねえ」
中田。「幸せですよ。しぼんでいっても、ヨーロッパなんかで、なんか小さな幸せをもてればいいかな、と。(笑)」
松尾。「まあ、だけど、継続してやってれば、魅力ある新ヴォーカリストが入ってくることはありますからね」
(この項つづく)
◎ オーサカ=モノレール ルンブルン・ストラッグル (2001年作品)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005S717/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ オーサカ=モノレール Thankful (2004年作品)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002V042Q/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ESSAY>YMN talk
【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 7)】
(昨日からの続き)
ソウル放談。
2010年8月2日から4日まで3回にわたってお送りした「YMN参集・ソウル放談」、先日そのパート4~6までをお届けしました。今日は、パート7。運営のむずかしい大型セルフ・コンテインド・グループを維持していくには。
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■ 大ヒットがあれば、すべてうまく回るか
ジェームス・ブラウンのJBズも、ブッツィー・コリンズのバンドも大人数のバンド。1970年代は一大「セルフ・コンテインド・グループ・ブーム」になっていた。「セルフ・コンテインド・グループ」とは、自分たちで曲を書き、プロデュースし、演奏、歌も歌うというすべてを「自給自足」するグループのこと。だが、大人数を養うのは経済的にだんだん難しくなり、70年代以降はそうしたグループも人数を減らしたりしてサヴァイヴァルの道を模索している。つい最近11年ぶりに来日したキャメオも一時期は12-3人になったこともあるが、現在は4人程度。あとは、サポート・メンバーでライヴをまかなう。アースも4人程度がメイン。そんな中、日本を代表するセルフ・コンテインド・グループ、オーサカ=モノレールも大人数の運営は大変だという話になった。
中田。「やはり10人近くいると、(運営は)大変になりますよね。1曲でもヒット曲とかあればいいんでしょうけれどね。いい曲書いたら売れるはずだし。僕たちがお金持ちじゃないというのを、世の中のせいにするのは間違いだと思います。そういう才能がなくて、それだけのものをまだ出してない、というだけのことと思ってるんですよ。クール&ザ・ギャングも、「セレブレーション」はどうかわかりませんが(笑)、ほかにもいい曲、かっこいい曲たくさんあるし、アース・ウィンド&ファイアーなんか、(音楽的な内容と商業的な成功が)両立してると思うんですよ。かっこええもんわ、かっこええ。
中田。「年に何回か、仕事もなんもせずに、これからどうしたらいいかっていうのを喫茶店でずっと考えるっていう日を作るんですけど、なかなかいいこと思いつかないんですよ。(笑) 日本で(人数多いバンドは)かなり大変ですね。エグザイルも人数多いけど、次元が違いますからね。(笑)」
松尾。「素人が聞いてもわかるような突出した普遍性を持った万人向けのヴォーカリストをいれるっていうのは一番現実的かもしれないですよね。だって、ハロルド・メルヴィンだって、テディー・ペンダグラスに会ってなければ、あくまでローカルなグループで終わったわけだし」
吉岡。「クルギャン(クール&ザ・ギャング)も、JTテイラーいれたから、あれだけブレイクしたわけだもんね。っていうことは、オーサカ=モノレールに強烈なヴォーカリストをいれるっていうのはどうなの?」
中田。「それは、誰かいて『やりたい』っていったら、ぜんぜんOKですよ。僕は今年38(歳)なんですけど、いままでにある程度やりたいことはやりつくしたという気持ちもあります。もちろん、できてないことはいろいろありますけど。だから、ヴォーカリストをいれることに抵抗はないですね」
吉岡。「ということは、クルギャンのJTみたいなものをいれるのか、アースのフィリップ・ベイリーなのか、強烈なコマーシャルなファンク曲、インストでもね、出すか。『ピック・アップ・ザ・ピーセス』(AWBのヒット)みたいのか、『ソウル・パワー』(ジェームス・ブラウンのヒット)みたいなのか、そういうのがあれば、オーサカもブレイクできる」
中田。「そうですね。人生1回きりだから、売れる曲をがんばって作るっていうのは挑戦しがいがあることだとは思います。ジェームス・ブラウンなんかとびきりコマーシャルだし。クインシーの『ミュージック&ビジネス』っていうのはもっともだし。ただ、1曲でお金を生むっていうのは、だんだん(時代の流れで)なくなってきましたよね。今だと、ただヒット曲がそのまますぐにお金を生み出さないでしょう。その人のキャラクターなどが大事で、キャラクター・ビジネスみたいのは成り立つのかとは思いますけど」
吉岡。「いや、でも、ヒットがあれば、ライヴにお客さんが来るようになるよ。これからは、だからCDがダウンロードだろうが、CDそのもの(フィジカル)だろうが、ライヴが出来るアーティストっていうのが一番強いと思うよ。最初は100人の会場かもしれないけど、(ヒットがあって)力があれば500人、1000人って増えてくわけだしね。最終的に1万人のところで出来るようになるかもしれない。ヒット曲があれば、そういうことが可能になる。ライヴが出来ることのベースになるよね。オーサカの場合、もうライヴはできるわけだから、ヒット曲が出る出ないはきっかけひとつだと思いますよ」
中田。「がんばります(笑)」
松尾。「日本語で歌ったりとかは考えたりします?」
中田。「いやあ、考えたことないんですよ」
■強力なリード・シンガーを探す
吉岡。「日本語のファンクもあったらおもしろいかもしれないですね。で、(日本の音楽界で)新しいジャンルを作るとかね」
中田。「うーん、(日本語は)考えたことないし、(歌うのが)恥ずかしいなあ。(笑) 基本的には無理だろうなって思う。たとえば誰かシンガーが入ったりとか、そういうのはぜひやってみたいし」
松尾。「じゃあ、若くてイケメンの男の子を探すってことですかね。(笑)」
吉岡。「むははは」
松尾。「いま僕はTBSでやってるEXILE(エグザイル)主催のオーディションに関わっているんですが、落選者3万人の中にも十分可能性がある人いるんですよ。顔は100点、歌は60点の人とか、顔も歌も70点とか、そういう人、たくさんいるんです。でも、すべてのバランスがきれいな六角形を描くような人材となると、これがなかなかいないものですよ。六角形でも小ぶりだったり、ある角だけ異様に突出してたりとかね」
吉岡。「ということはどういうのがいいの? やっぱり、六角形が一番大きいのがいいのかな、あたりまえか(笑)」
松尾。「そりゃあ、そうですよね。理想ですよね」
中田。「でも、たとえば、歌めちゃくちゃうまいけど、顔いまひとつみたいのをいれて、引き立て役にするなんていうのも、方法のひとつですよね。ありはありですよね」
吉岡。「オーサカ=モノレール、ヴォーカリスト募集か?(笑)」
中田。「ただ、ソウル&ファンクというジャンルについて言えば、昔のレア・グルーヴとかアシッド・ジャズなんかの盛り上がりが(90年代に)あって、それが現在までずっとつながってきたのだと思うんですが、この数年ヨーロッパ行って感じるのは、だいぶしぼんできたんじゃないか?ということなんですよ。90年代には、クラブに行ってる連中もソウル&ファンクに対してリスペクトしているなあという感じはあったんですが、今はそういうのをあんまり感じない。たとえば、ミュージシャンでマーヴィン・ゲイを知らなくても、別に恥ずかしいことではなくなってきてるんじゃないか? いま聴かれる音楽との関係性が薄れてきているんじゃないか、と思うんです。ソウル&ファンクっていうのが、基本、ベイシックではなくなってるような気がするんですよ。たとえば、下世話なクラブ行くと、90ズ(ナインティーズ)・ナイトってやっています。90ズ・ナイトとか、シャニースとか、ヒップホップとR&B、メアリー・J・ブライジとか、かかる。そこにおいてはソウル&ファンクとかはあんまり関係ないんですよね。メアリー・Jのほうがクラシックっていう感じ。まあ、そんなこと危惧しても意味ないのかなあ。僕としてはヨーロッパでもがんばってやり続けるつもりです。それでいろんな思い出が作れたらいいかなと思ってます(笑)」
吉岡。「でも、年1回ヨーロッパを演奏旅行できるっていうのは、幸せだよねえ」
中田。「幸せですよ。しぼんでいっても、ヨーロッパなんかで、なんか小さな幸せをもてればいいかな、と。(笑)」
松尾。「まあ、だけど、継続してやってれば、魅力ある新ヴォーカリストが入ってくることはありますからね」
(この項つづく)
◎ オーサカ=モノレール ルンブルン・ストラッグル (2001年作品)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005S717/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ オーサカ=モノレール Thankful (2004年作品)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002V042Q/soulsearchiho-22/ref=nosim/
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◎キャメオ・ライヴ~「W-O-R-Dアップ」
2010年9月21日 音楽◎キャメオ・ライヴ~「W-O-R-Dアップ」
【Cameo Live At Cotton Club】
ファンク。
1999年8月以来11年ぶりの来日となったニューヨークのファンク・グループ、キャメオ(キャミオ)のライヴ。今回は、リーダー、ラリー・ブラックモンのほか、アンソニー・ロケット、トミー・ジェンキンス、チャーリー・シングルトン、アーロン・ミルズというほぼオリジナル・メンバーが結集し、この5人がステージのフロントを占めた。このフロント5は実に強力。さらに、バックを支えるドラムスは名手ジョナサン・モフェット(ジャクソンズのツアーなど多数、レコーディングはマドンナ、ジャクソンズなど多数)だ。ラリー自身、元々ドラムスを担当するだけにドラマーの選抜は厳しいはずだ。その目にかなったジョナサンはもちろん文句なし。
フロント・ステージ、客席から見て左から順にアンソニー(白い帽子)、アーロン(ベース=頭の王冠が印象的)、ラリー、トミー(ヴォーカルのみ)、チャーリー(ギター)という布陣。後列左のブラックのキーボードがケヴィン・ケンドリック、右サイドがジェフ・ネルソン、そしてドラムスがジョナサンだ。ラリーはトレードマークの真っ赤なサポーターをシンボルとして堂々と見せる。
「Tokyo, are your ready for funk?」の掛け声とともに始まったファンク・ショー。フロント5が、センターに半円陣でお辞儀をしながらスタート。しっかりとした振り付けがついたファンク曲がほぼノンストップで続く。曲の中では、チャーリー・シングルトンのギター・ソロ、アンソニー・ロケットのギター・ソロ、2人のギター・バトルなども。ベースのアーロンの動きはどこかアースのヴァーディン・ホワイトを思わせる。バンドが実にかっこいい。タイトで、ファンクの存在理由を百も承知という感じで、そんなことを語るのもヤボというノリで普通にグルーヴ・ワールド、ファンク・エンタテインメントを当たり前に作り上げる。
最終日セカンドはさすがに観客も相当熱くなっていて、暗転した瞬間から総立ちとなり、ずっと踊りまくっていた。セカンドはファーストに1曲プラス、最終日のセカンドはさらにエクストラで予定セットリストになかった「シェイク・ユア・パンツ」が増量となった。一方で、途中にはさまるバラードの名曲「スパークル」などは、ひときわ人気が高く支持を集めていた。
下記セットリストでなじみがあまりないと思われるのが、7曲目の「ホワイ・ハヴ・アイ・ロスト・ユー」。これは調べてみると2枚目『アグリー・エゴ』と5枚目のアルバム『キャメオシス』に入っている曲だった。後半ノンストップでヒット曲がプレイされると、ファンの興奮も最高潮。そして、「ワード・アップ」では、「W-O-R-Dアップ」「C-A-M-E-O」と客に言わせ、一体化マックスへ。
バンドのキーボードを担当しているケヴィン・ケンドリックとライヴ後少し話をする機会があった。ケヴィンによると、マドンナのブロンド・ツアーにも参加したり、キャメオにもオン&オフで参加、キャメオのレパートリーは5-60曲ほとんど覚えている、という。ここでは70分のショーだが、90分でも2時間弱でもいくらでも長いショーはできるそうだ。「シェイク・ユア・パンツ」も、あの場でラリーがやるといったので、メンバーもすぐに対応した。
(トミー・ジェンキンスとの話、後日ご紹介します)
◎キャメオ 『ワードアップ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001FKH/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ ベスト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000BHJUO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
キャメオ
Larry Blackmon(vo)
Tomi Jenkins(vo)
Charlie Singleton(g)
Anthony Lockett(g)
Aaron Mills(b)
Jonathan "Sugarfoot" Moffett(ds)
Kevin Kendrick(key)
Jeff Nelson(key)
■ セットリスト:キャメオ(キャミオ)
Setlist: Cameo Live At Cotton Club, September 19, 2010
Show started 20:01
01. She’s Strange
02. Single Life
03. Attack Me With Your Love
04. I’ve Got Your Image
05. Flirt
06. Talking Out The Side Of Your Neck
07. Why Have I Lost You
08. Sparkle
09. Candy
10. I Just Wanna Be
11. Keep It Hot
12. Shake Your Pants
13. Back & Forth
14. Word Up
Show ended 21:12
(2010年9月19日日曜、丸の内コットンクラブ=キャミオ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Cameo
2010-
【Cameo Live At Cotton Club】
ファンク。
1999年8月以来11年ぶりの来日となったニューヨークのファンク・グループ、キャメオ(キャミオ)のライヴ。今回は、リーダー、ラリー・ブラックモンのほか、アンソニー・ロケット、トミー・ジェンキンス、チャーリー・シングルトン、アーロン・ミルズというほぼオリジナル・メンバーが結集し、この5人がステージのフロントを占めた。このフロント5は実に強力。さらに、バックを支えるドラムスは名手ジョナサン・モフェット(ジャクソンズのツアーなど多数、レコーディングはマドンナ、ジャクソンズなど多数)だ。ラリー自身、元々ドラムスを担当するだけにドラマーの選抜は厳しいはずだ。その目にかなったジョナサンはもちろん文句なし。
フロント・ステージ、客席から見て左から順にアンソニー(白い帽子)、アーロン(ベース=頭の王冠が印象的)、ラリー、トミー(ヴォーカルのみ)、チャーリー(ギター)という布陣。後列左のブラックのキーボードがケヴィン・ケンドリック、右サイドがジェフ・ネルソン、そしてドラムスがジョナサンだ。ラリーはトレードマークの真っ赤なサポーターをシンボルとして堂々と見せる。
「Tokyo, are your ready for funk?」の掛け声とともに始まったファンク・ショー。フロント5が、センターに半円陣でお辞儀をしながらスタート。しっかりとした振り付けがついたファンク曲がほぼノンストップで続く。曲の中では、チャーリー・シングルトンのギター・ソロ、アンソニー・ロケットのギター・ソロ、2人のギター・バトルなども。ベースのアーロンの動きはどこかアースのヴァーディン・ホワイトを思わせる。バンドが実にかっこいい。タイトで、ファンクの存在理由を百も承知という感じで、そんなことを語るのもヤボというノリで普通にグルーヴ・ワールド、ファンク・エンタテインメントを当たり前に作り上げる。
最終日セカンドはさすがに観客も相当熱くなっていて、暗転した瞬間から総立ちとなり、ずっと踊りまくっていた。セカンドはファーストに1曲プラス、最終日のセカンドはさらにエクストラで予定セットリストになかった「シェイク・ユア・パンツ」が増量となった。一方で、途中にはさまるバラードの名曲「スパークル」などは、ひときわ人気が高く支持を集めていた。
下記セットリストでなじみがあまりないと思われるのが、7曲目の「ホワイ・ハヴ・アイ・ロスト・ユー」。これは調べてみると2枚目『アグリー・エゴ』と5枚目のアルバム『キャメオシス』に入っている曲だった。後半ノンストップでヒット曲がプレイされると、ファンの興奮も最高潮。そして、「ワード・アップ」では、「W-O-R-Dアップ」「C-A-M-E-O」と客に言わせ、一体化マックスへ。
バンドのキーボードを担当しているケヴィン・ケンドリックとライヴ後少し話をする機会があった。ケヴィンによると、マドンナのブロンド・ツアーにも参加したり、キャメオにもオン&オフで参加、キャメオのレパートリーは5-60曲ほとんど覚えている、という。ここでは70分のショーだが、90分でも2時間弱でもいくらでも長いショーはできるそうだ。「シェイク・ユア・パンツ」も、あの場でラリーがやるといったので、メンバーもすぐに対応した。
(トミー・ジェンキンスとの話、後日ご紹介します)
◎キャメオ 『ワードアップ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001FKH/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ ベスト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000BHJUO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
キャメオ
Larry Blackmon(vo)
Tomi Jenkins(vo)
Charlie Singleton(g)
Anthony Lockett(g)
Aaron Mills(b)
Jonathan "Sugarfoot" Moffett(ds)
Kevin Kendrick(key)
Jeff Nelson(key)
■ セットリスト:キャメオ(キャミオ)
Setlist: Cameo Live At Cotton Club, September 19, 2010
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01. She’s Strange
02. Single Life
03. Attack Me With Your Love
04. I’ve Got Your Image
05. Flirt
06. Talking Out The Side Of Your Neck
07. Why Have I Lost You
08. Sparkle
09. Candy
10. I Just Wanna Be
11. Keep It Hot
12. Shake Your Pants
13. Back & Forth
14. Word Up
Show ended 21:12
(2010年9月19日日曜、丸の内コットンクラブ=キャミオ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Cameo
2010-
○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート6)
2010年9月20日 音楽○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート6)
【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 6)】
(昨日からの続き)
ソウル放談。
2010年8月2日から4日まで3回にわたってお送りした「YMN参集・ソウル放談」のパート4、5までをお届けしました。今日は、パート6。ジェームス・ブラウンの研究家でもある中田さんが、分析するJBズのからくり。そこにはまらなかったブーツィー・コリンズ。
パート1から5までは、こちら。
2010年08月02日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100802.html
2010年08月03日(火)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html
2010年08月04日(水)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100804.html
2010年09月18日(土)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート4)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100918.html
2010年09月19日(日)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート5)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100919.html
+++++
■ 大型バンドとしての苦労~JBズのからくり
中田さんのオーサカ=モノレールは、現在9人組。もともとその名の通り大阪出身のグループだ。彼らは当初、大阪を本拠に活動を続けていた。だが、じょじょに東京での仕事も増え、遂に本拠を東京に移す。
松尾。「(レコーディングするときは)スタジオはどのあたり使ってるの?」
中田。「もうばらばらですね。僕らは1日20万もするようなスタジオは使えないんで、せいぜい5万とか、個人スタジオで3万くらいのところの場合もありますよ。そういうときはホーンセクションだけ後から録ったり。ただマルチ(レコーダー)は自分たちで持っていきます」
松尾。「ところで、中田さんが、上京してきたのはいつですか?」
中田。「2003年かなあ」
松尾。「そのときは、もう東京にあてがあったんですか」
中田。「はい、すでにヒップランド・ミュージックでいろいろ仕事をしていたんで、まあ、なんとかなるかな、と。ただバンドメンバーは、そんなに仕事なかったんで、半分くらいは(東京に)引っ越せなかったんですよ」
松尾。「(来てくれた人は)みんな思い切ってくれましたね」
中田。「ほんとですね。みんな思い切ってくれました。ただ、まあ、その後、経済的なことや家庭の事情で辞めざるをえなかった者もでましたが」
松尾。「そりゃあそうですよね。大所帯のバンドの宿命というか、あのキャメオなんてバンドがメンバーを大幅に減らしたわけですからね」
キャメオも大型バンドだが、JBズも、そして、中田さんのオーサカ=モノレールも大型バンド。大型バンドの運営には想像もつかない苦労が伴う。そんな中、ジェームス・ブラウンとその組織を綿密に研究している中田さんが、JBズについてユニークな研究を披露した。
中田。「JBズっていうのは、人身掌握術の一環なんですよ。たとえば、ピーウィーとか、メイシオ・パーカーとかは、バンド・リーダーやって一生懸命やってるのに、給料上がらんかったし。有名にもならんかったし、ソロレコードも出されへんから、辞めていった。(これは60年代後期までの話し。後に、メイシオは、1974年にジェームス・ブラウンのピープル・レーベルでメイシオ&ザ・マックス名義でアルバムを出している) 次に入ったブーツィーなんかには、お前らのレコードださせてやるぞっていう、飴のために、JBズが存在してるんですよ。もうひとつ、1971年にジェームス・ブラウンはポリドールと契約してるんですけど、ごっつぃ契約しとるんですよ。今まではキング・レコードと契約してたんですけど、(キングでは)単にレコードできたらそれを(キングから)出して、という風にやってたんですけど、ポリドールに移籍してくるときにLPをジェームス・ブラウンだけじゃなくて、いろいろなソウル・アーティストのアルバムを年間に何枚か出すという契約したんですよ」
松尾。「バリー・ホワイトもそうだよね。アンリミテッド・ゴールド・レーベル」
吉岡。「そうですね。20世紀からCBS傘下になるんですよね」
中田。「で、そのときジェームス・ブラウンはピープル・レーベルを立ち上げるんですよ。そこからJBズとかリン・コリンズとかハンク・バラードとかメイシオを出す。ジェームス・ブラウンがハンク・バラードをリスペクトしていたかというと、そんなにはしてなくて、単なる『数合わせ』的に出してた節もあるわけです。(笑) みんなミュージシャンたちは、(ジェームス・ブラウンの組織では)下のほうにいて、お金もない、だから、レコードださせてやる、ということを(おいしいネタとして)言うわけです。もっとおもろいことはね、これは僕がすごくおもしろいって思ってるんですけど、レヴュー(Revue=ダンス・歌など複数の出し物、アーティストを組み合わせて見せるショー)ってあるでしょう。モータウンでも、スタックスでもモータウン・レヴュー、スタックス・レヴューですよ。ジェームス・ブラウンも『ジェームス・ブラウン・レヴュー』なんですよ。モータウンやスタックスがレヴューっていうのは(たくさんアーティストがいるから)わかるんですけど、ジェームス・ブラウンのレヴューなんて、たいしたことないじゃないですか。(笑) マーヴァ、ハンク、ジェームス・クロフォードとかその程度。それでもジェームス・ブラウンは一貫してレヴューにしたがるんですよ。ポリドールと契約するときも、一アーティスト、ジェームス・ブラウンと契約するんじゃなくて、ジェームス・ブラウン・プロダクションとして契約するんです。包括契約みたいなものです。そうやって単価を上げてるんです」
松尾、吉岡。「なるほど」
中田。「この前の『ソウル・パワー』の映画もそうなんですけど、ジェームス・ブラウンのショーとJBズのショーは、別の2つのショーなんです。別のギャラが発生するわけです」
松尾、吉岡。「なるほどねえ」(ハモリ)
中田。「ちょっと子供騙し的な感じなんですけど」
吉岡。「その辺のずるさみたいなものは、ジョージ・クリントンが受け継ぐよね」
中田。「そうです、そうです。当時は、ジェームス・ブラウン・レヴューはそれぞれのアーティストで別請求。マーヴァもボビー・バードも別請求なんですよ。まあ、たぶん、それが60年代のからくりなんでしょうけどね。それでね、マーヴァ・ホイットニーがよくこぼしてるのが、マーヴァとしてのギャラいくらっていうのが、契約書も存在していて、請求書の明細にあがっているのだから、それは私のお金じゃないか、って言うことなんですよ。なんぼかはコミッション取られてもいいけど、それ自体は私のギャラだと。でも、ジェームス・ブラウンの組織は給料制。マーヴァも、メイシオもどうなってるんだって言うんですけど、ジェームス・ブラウンはうまくそれを隠すんですね」
◎ JBズ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00004VN3M/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ マーヴァ・ホイットニー(オーサカ=モノレールとともに)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000K2VFPC/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ストリートワイズなブーツィー・コリンズ
中田。「こないだ、ブーツィー・コリンズがフジ・ロックに来たんですよ。ちょうど僕たちも出ていた年のフジ・ロックだったんで、見に行ったんですよ。そしたら、ジェームス・ブラウン・トリビュート・ショーで4部構成になってて、一番最初、ジェームス・ブラウンをトリビュートするために、4つのアーティストを紹介するんですよ。最初は、なんかパブリック・エナミーの後期にツアーに出たらしいハードロックバンド、ちょっとリヴィング・カラーみたいなバンドですよ。なんか、ジェームス・ブラウンの曲、ちょっとやるんですが、メンバーはジェームス・ブラウンになんのゆかりもなにもない。(笑) 2番目がフレッド・ウェスリー・バンド、メンバーは若手なんですけど、『パス・ザ・ピーズ』とか『ギミ・サム・モア』とかやってるんです。まあ、そんなにおもしろくないフレッド・ウェスリー・ショーみたいなものです。(笑) そして3番目にヴィッキー・アンダーソン・ショーがあって、それは息子が仕切ってました。それでやっと、最後にブーツィー・コリンズが出てくる、ジャボ・スタークスとか、ダニー・レイとかも一緒にね。計4部構成だから、ずいぶん時間かかるんですよ。2時間以上かな。どうみてもね、そんなに連れてくる必要ないだろって感じなんですよ。たぶん単価も相当高くなったんじゃないでしょうか。(笑) ジェームス・ブラウンが60年代に開発した『人数を増やして儲ける、パッケージの値段を上げる』っていう商法がいまだに生き続けてるというわけですよ。(笑)」
松尾。「つまり、JBに搾取された人たちは、JBがやったのと同じように搾取していく、と。(笑) 覚えたわけです。負の連鎖か。(笑)」
中田。「いや、別にお客さんは楽しんで帰ってもらえれば、そんなことはどうでもいいんですけどね。(笑)」
吉岡。「いや、そうだけど、ジョージ・クリントンのパーラメントとファンカデリックのやり方なんて、どう考えたって、普通じゃありえないわけじゃない。ジョージの場合は、似たようなこと、つまり同じものを名前変えて売る、というやり方を、二つのレコード会社相手にやったということだよね。(笑)」
松尾。「だから、中田さんも、トウキョウ・サブウェイって始めればいいんだよね。(笑)」
中田・吉岡。「(爆笑)」
中田。「ブーツィー・コリンズは音楽的にもそうですし、ビジネス面的にもそのあたりをしっかり押さえてるってことなんじゃないでしょうか。それで、ジョージ・クリントンにもそういう情報を提供してるんじゃないかな」
吉岡。「ということは、やっぱり、ブーツィーはかなり頭いいんだ」
中田。「頭いいと思いますよ。もちろん、偏差値的なものとは違うかもしれませんけど、いわゆる『ストリートワイズ』(訳注、都会で生きていく[身を守る]ための知識[抜け目なさ]を持つ、世慣れた、の意)の頭の良さはあるでしょうね」
吉岡。「ということは、メイシオとかフレッドはそういう才覚、ストリートワイズさはなかったんですか」
中田。「なかったですねえ。まあ、南部の出身の人たちですから、そんな、ゲットーのストリートワイズというのではなく、南部のよく言えば牧歌的なというか…」
松尾。「たぶん、当時の南部出身の人たちの感覚からすると、『印税商売』っていう発想には至らないですよね」
吉岡。「絶対、至らない至らない」
松尾。「1ヵ月後の1000ドルより、目の前の100ドル、あるいはひょっとしたら目の前の20ドルを選ぶかもしれない」
中田。「そのあたりって、僕ら日本人にはわからないですよね。黒人が、白人から『印税か現金、どっち取るか』と訊かれれば、みんな現金取ったということなのではないでしょうか」
松尾。「レイ・チャールズが映画の中で、ギャラを全部1ドル紙幣でもらってましたよね」
吉岡。「そうだった、そうだった。ところでブーツィーは会ったことは、ある?」
中田。「見たことはありますけど、(個人的に)しゃべったことはないです。彼、背高いですよね。あと、ブーツィーが賢いなって思うのね、ジェームス・ブラウンのドキュメンタリーとかPファンクのドキュメンタリーとかあると、絶対ブーツィーって出てくるじゃないですか。で、ようしゃべる。それ見てて、賢いなと思うんですよ」
松尾。「社交がうまいんでしょう。ほら、『永遠のモータウン』という映画でも、ブーツィーはぜんぜんモータウンと関係ないのに、出てたでしょう」
中田。「そうそう、(笑) ぜんぜん関係ないのにね。ブーツィーはね、だからそこがうまい。つまり、しゃべって白人のオーディエンスが喜びそうなことをうまく言えるんですよ。(笑) そうすると、また次の仕事が来るわけです。ストリートワイズなんじゃないかなあ」
吉岡。「だから、ブーツィーはジェームス・ブラウンより20歳くらい若いけど、そういうのを見よう見真似で覚えてきたんだろうね」
中田。「ジェームス・ブラウンもがっちりストリートワイズなんですけど、だからそれゆえに、ストリートワイズの奴は扱えないんですよ、きっと」
松尾・吉岡。「あああっ、なるほど!」
中田。「自分みたいな奴は扱えないんですよ、きっと。見抜かれてるみたいなもんだから」
中田。「それで、うち(オーサカ=モノレール)の場合は、僕がストリートワイズでもないし、お金もない。飴も鞭もない。(笑) そのうえで僕が望むサウンドを実現するために、ズバ抜けて良いミュージシャンを集めるためには、と考えると、思考回路を変えてもらわないといけないと思うんです。つまり、雇われてここにいるのではなく、望んでここにいるんだ、という風に」
◎ ブーツィー・コリンズ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003097AFQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
(この項続く)
ENT>ESSAY>YMN talk
【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 6)】
(昨日からの続き)
ソウル放談。
2010年8月2日から4日まで3回にわたってお送りした「YMN参集・ソウル放談」のパート4、5までをお届けしました。今日は、パート6。ジェームス・ブラウンの研究家でもある中田さんが、分析するJBズのからくり。そこにはまらなかったブーツィー・コリンズ。
パート1から5までは、こちら。
2010年08月02日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1)
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2010年08月03日(火)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html
2010年08月04日(水)
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2010年09月18日(土)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート4)
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2010年09月19日(日)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート5)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100919.html
+++++
■ 大型バンドとしての苦労~JBズのからくり
中田さんのオーサカ=モノレールは、現在9人組。もともとその名の通り大阪出身のグループだ。彼らは当初、大阪を本拠に活動を続けていた。だが、じょじょに東京での仕事も増え、遂に本拠を東京に移す。
松尾。「(レコーディングするときは)スタジオはどのあたり使ってるの?」
中田。「もうばらばらですね。僕らは1日20万もするようなスタジオは使えないんで、せいぜい5万とか、個人スタジオで3万くらいのところの場合もありますよ。そういうときはホーンセクションだけ後から録ったり。ただマルチ(レコーダー)は自分たちで持っていきます」
松尾。「ところで、中田さんが、上京してきたのはいつですか?」
中田。「2003年かなあ」
松尾。「そのときは、もう東京にあてがあったんですか」
中田。「はい、すでにヒップランド・ミュージックでいろいろ仕事をしていたんで、まあ、なんとかなるかな、と。ただバンドメンバーは、そんなに仕事なかったんで、半分くらいは(東京に)引っ越せなかったんですよ」
松尾。「(来てくれた人は)みんな思い切ってくれましたね」
中田。「ほんとですね。みんな思い切ってくれました。ただ、まあ、その後、経済的なことや家庭の事情で辞めざるをえなかった者もでましたが」
松尾。「そりゃあそうですよね。大所帯のバンドの宿命というか、あのキャメオなんてバンドがメンバーを大幅に減らしたわけですからね」
キャメオも大型バンドだが、JBズも、そして、中田さんのオーサカ=モノレールも大型バンド。大型バンドの運営には想像もつかない苦労が伴う。そんな中、ジェームス・ブラウンとその組織を綿密に研究している中田さんが、JBズについてユニークな研究を披露した。
中田。「JBズっていうのは、人身掌握術の一環なんですよ。たとえば、ピーウィーとか、メイシオ・パーカーとかは、バンド・リーダーやって一生懸命やってるのに、給料上がらんかったし。有名にもならんかったし、ソロレコードも出されへんから、辞めていった。(これは60年代後期までの話し。後に、メイシオは、1974年にジェームス・ブラウンのピープル・レーベルでメイシオ&ザ・マックス名義でアルバムを出している) 次に入ったブーツィーなんかには、お前らのレコードださせてやるぞっていう、飴のために、JBズが存在してるんですよ。もうひとつ、1971年にジェームス・ブラウンはポリドールと契約してるんですけど、ごっつぃ契約しとるんですよ。今まではキング・レコードと契約してたんですけど、(キングでは)単にレコードできたらそれを(キングから)出して、という風にやってたんですけど、ポリドールに移籍してくるときにLPをジェームス・ブラウンだけじゃなくて、いろいろなソウル・アーティストのアルバムを年間に何枚か出すという契約したんですよ」
松尾。「バリー・ホワイトもそうだよね。アンリミテッド・ゴールド・レーベル」
吉岡。「そうですね。20世紀からCBS傘下になるんですよね」
中田。「で、そのときジェームス・ブラウンはピープル・レーベルを立ち上げるんですよ。そこからJBズとかリン・コリンズとかハンク・バラードとかメイシオを出す。ジェームス・ブラウンがハンク・バラードをリスペクトしていたかというと、そんなにはしてなくて、単なる『数合わせ』的に出してた節もあるわけです。(笑) みんなミュージシャンたちは、(ジェームス・ブラウンの組織では)下のほうにいて、お金もない、だから、レコードださせてやる、ということを(おいしいネタとして)言うわけです。もっとおもろいことはね、これは僕がすごくおもしろいって思ってるんですけど、レヴュー(Revue=ダンス・歌など複数の出し物、アーティストを組み合わせて見せるショー)ってあるでしょう。モータウンでも、スタックスでもモータウン・レヴュー、スタックス・レヴューですよ。ジェームス・ブラウンも『ジェームス・ブラウン・レヴュー』なんですよ。モータウンやスタックスがレヴューっていうのは(たくさんアーティストがいるから)わかるんですけど、ジェームス・ブラウンのレヴューなんて、たいしたことないじゃないですか。(笑) マーヴァ、ハンク、ジェームス・クロフォードとかその程度。それでもジェームス・ブラウンは一貫してレヴューにしたがるんですよ。ポリドールと契約するときも、一アーティスト、ジェームス・ブラウンと契約するんじゃなくて、ジェームス・ブラウン・プロダクションとして契約するんです。包括契約みたいなものです。そうやって単価を上げてるんです」
松尾、吉岡。「なるほど」
中田。「この前の『ソウル・パワー』の映画もそうなんですけど、ジェームス・ブラウンのショーとJBズのショーは、別の2つのショーなんです。別のギャラが発生するわけです」
松尾、吉岡。「なるほどねえ」(ハモリ)
中田。「ちょっと子供騙し的な感じなんですけど」
吉岡。「その辺のずるさみたいなものは、ジョージ・クリントンが受け継ぐよね」
中田。「そうです、そうです。当時は、ジェームス・ブラウン・レヴューはそれぞれのアーティストで別請求。マーヴァもボビー・バードも別請求なんですよ。まあ、たぶん、それが60年代のからくりなんでしょうけどね。それでね、マーヴァ・ホイットニーがよくこぼしてるのが、マーヴァとしてのギャラいくらっていうのが、契約書も存在していて、請求書の明細にあがっているのだから、それは私のお金じゃないか、って言うことなんですよ。なんぼかはコミッション取られてもいいけど、それ自体は私のギャラだと。でも、ジェームス・ブラウンの組織は給料制。マーヴァも、メイシオもどうなってるんだって言うんですけど、ジェームス・ブラウンはうまくそれを隠すんですね」
◎ JBズ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00004VN3M/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ マーヴァ・ホイットニー(オーサカ=モノレールとともに)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000K2VFPC/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ストリートワイズなブーツィー・コリンズ
中田。「こないだ、ブーツィー・コリンズがフジ・ロックに来たんですよ。ちょうど僕たちも出ていた年のフジ・ロックだったんで、見に行ったんですよ。そしたら、ジェームス・ブラウン・トリビュート・ショーで4部構成になってて、一番最初、ジェームス・ブラウンをトリビュートするために、4つのアーティストを紹介するんですよ。最初は、なんかパブリック・エナミーの後期にツアーに出たらしいハードロックバンド、ちょっとリヴィング・カラーみたいなバンドですよ。なんか、ジェームス・ブラウンの曲、ちょっとやるんですが、メンバーはジェームス・ブラウンになんのゆかりもなにもない。(笑) 2番目がフレッド・ウェスリー・バンド、メンバーは若手なんですけど、『パス・ザ・ピーズ』とか『ギミ・サム・モア』とかやってるんです。まあ、そんなにおもしろくないフレッド・ウェスリー・ショーみたいなものです。(笑) そして3番目にヴィッキー・アンダーソン・ショーがあって、それは息子が仕切ってました。それでやっと、最後にブーツィー・コリンズが出てくる、ジャボ・スタークスとか、ダニー・レイとかも一緒にね。計4部構成だから、ずいぶん時間かかるんですよ。2時間以上かな。どうみてもね、そんなに連れてくる必要ないだろって感じなんですよ。たぶん単価も相当高くなったんじゃないでしょうか。(笑) ジェームス・ブラウンが60年代に開発した『人数を増やして儲ける、パッケージの値段を上げる』っていう商法がいまだに生き続けてるというわけですよ。(笑)」
松尾。「つまり、JBに搾取された人たちは、JBがやったのと同じように搾取していく、と。(笑) 覚えたわけです。負の連鎖か。(笑)」
中田。「いや、別にお客さんは楽しんで帰ってもらえれば、そんなことはどうでもいいんですけどね。(笑)」
吉岡。「いや、そうだけど、ジョージ・クリントンのパーラメントとファンカデリックのやり方なんて、どう考えたって、普通じゃありえないわけじゃない。ジョージの場合は、似たようなこと、つまり同じものを名前変えて売る、というやり方を、二つのレコード会社相手にやったということだよね。(笑)」
松尾。「だから、中田さんも、トウキョウ・サブウェイって始めればいいんだよね。(笑)」
中田・吉岡。「(爆笑)」
中田。「ブーツィー・コリンズは音楽的にもそうですし、ビジネス面的にもそのあたりをしっかり押さえてるってことなんじゃないでしょうか。それで、ジョージ・クリントンにもそういう情報を提供してるんじゃないかな」
吉岡。「ということは、やっぱり、ブーツィーはかなり頭いいんだ」
中田。「頭いいと思いますよ。もちろん、偏差値的なものとは違うかもしれませんけど、いわゆる『ストリートワイズ』(訳注、都会で生きていく[身を守る]ための知識[抜け目なさ]を持つ、世慣れた、の意)の頭の良さはあるでしょうね」
吉岡。「ということは、メイシオとかフレッドはそういう才覚、ストリートワイズさはなかったんですか」
中田。「なかったですねえ。まあ、南部の出身の人たちですから、そんな、ゲットーのストリートワイズというのではなく、南部のよく言えば牧歌的なというか…」
松尾。「たぶん、当時の南部出身の人たちの感覚からすると、『印税商売』っていう発想には至らないですよね」
吉岡。「絶対、至らない至らない」
松尾。「1ヵ月後の1000ドルより、目の前の100ドル、あるいはひょっとしたら目の前の20ドルを選ぶかもしれない」
中田。「そのあたりって、僕ら日本人にはわからないですよね。黒人が、白人から『印税か現金、どっち取るか』と訊かれれば、みんな現金取ったということなのではないでしょうか」
松尾。「レイ・チャールズが映画の中で、ギャラを全部1ドル紙幣でもらってましたよね」
吉岡。「そうだった、そうだった。ところでブーツィーは会ったことは、ある?」
中田。「見たことはありますけど、(個人的に)しゃべったことはないです。彼、背高いですよね。あと、ブーツィーが賢いなって思うのね、ジェームス・ブラウンのドキュメンタリーとかPファンクのドキュメンタリーとかあると、絶対ブーツィーって出てくるじゃないですか。で、ようしゃべる。それ見てて、賢いなと思うんですよ」
松尾。「社交がうまいんでしょう。ほら、『永遠のモータウン』という映画でも、ブーツィーはぜんぜんモータウンと関係ないのに、出てたでしょう」
中田。「そうそう、(笑) ぜんぜん関係ないのにね。ブーツィーはね、だからそこがうまい。つまり、しゃべって白人のオーディエンスが喜びそうなことをうまく言えるんですよ。(笑) そうすると、また次の仕事が来るわけです。ストリートワイズなんじゃないかなあ」
吉岡。「だから、ブーツィーはジェームス・ブラウンより20歳くらい若いけど、そういうのを見よう見真似で覚えてきたんだろうね」
中田。「ジェームス・ブラウンもがっちりストリートワイズなんですけど、だからそれゆえに、ストリートワイズの奴は扱えないんですよ、きっと」
松尾・吉岡。「あああっ、なるほど!」
中田。「自分みたいな奴は扱えないんですよ、きっと。見抜かれてるみたいなもんだから」
中田。「それで、うち(オーサカ=モノレール)の場合は、僕がストリートワイズでもないし、お金もない。飴も鞭もない。(笑) そのうえで僕が望むサウンドを実現するために、ズバ抜けて良いミュージシャンを集めるためには、と考えると、思考回路を変えてもらわないといけないと思うんです。つまり、雇われてここにいるのではなく、望んでここにいるんだ、という風に」
◎ ブーツィー・コリンズ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003097AFQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
(この項続く)
ENT>ESSAY>YMN talk
○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート5)
2010年9月19日 音楽○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート5)
【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 5)】
(昨日からの続き)
ソウル放談。
2010年8月2日から4日まで3回にわたってお送りした「YMN参集・ソウル放談」のパート4を昨日お届けしました。今日は、パート5。松尾さんの隠された過去、彼がクインシーから学んだこと、『ソウル・トレイン』とYMOの話など、話は尽きません。
パート1から4までは、こちら。
2010年08月02日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100802.html
2010年08月03日(火)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html
2010年08月04日(水)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100804.html
2010年09月18日(金)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート4)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100918.html
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■中田氏はAIの大ファン
吉岡。「ところで、中田さん、さっき、(日本のR&Bシンガー)AIが大好きだって言ってましたよね」
中田。「そうなんですよ」
松尾。「AIちゃんが、デフジャムからデビューしたって思ってる人、多いですよね。もともと勝本さんのとこから出てきたってこと知らない人も多いですよね。本人は何も隠してないけど、BMGから出たこと、ほとんどなかったような形になってる。(笑) (オーサカと)セッションとかはやってないんですか?」
中田。「(セッションは)やったことないですねえAIちゃん個人的に大ファンなんです、すごい好きですね」
松尾。「(セッション)やればいいのに!」
吉岡。「ほんとほんと、やればいいのに! 電話しようか?(笑)」
松尾。「オーサカ=モノレールの音にものすごくあうと思うなあ。まあ、アルバムの中に1曲とかあってもおかしくないよねえ。双方リスクもないし」
中田。「(笑) 日本人で、こんな言い方したらおかしいかもしれないけど、ほんまにいいなあ、ちゃんと声でてるしって思いますね」
松尾。「彼女は、デビュー前にメアリー・J・ブライジのステージに参加したりやジャネットのPVで踊ってたりしたからね。歌が歌いたんだけど、そこにたどり着くまでに踊って、ラップして、歌まで行ったっていう。すごいバイタリティーの持ち主ですよね。僕は、だから彼女のことを(日本の)クイーン・ラティーファって呼んでるんですけど。(笑)」
吉岡。「うまい!」
◎ AI 初のベストアルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002GKRSAW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■役者から音楽プロデューサーへ: 松尾さんの隠れたる過去とクインシーから学んだこと
松尾さんも多くのブラック・ミュージック界のアーティスト、プロデューサーに会ってインタヴューをしている。その中で、クインシー・ジョーンズに会ったときのことは、彼のキャリアの中で大きなターニング・ポイントになった。この時のことは、彼が一度BMR(ブラック・ミュージック・レヴュー)誌に寄稿している。
松尾。「20代の頃、初めてクインシーに会ったとき『あなたは音楽とビジネスをうまく両立されてきましたけど…』と、少し揶揄するような物言いをしたんですよ。そうしたら、クインシーの目の色がキッと変わってね。『オレはミュージックとビジネスではなく、“ミュージック・ビジネス”を一貫してやってきたんだ、このふたつを分けて考えることなんてできないんだ』ってきっぱり言われてね。『わかったか、ヤング・マン』ですよ。日本語にしたら、『わかったか、若造』って感じですよねえ。マジでビビりました。怖かったなあ。(笑)でも、こういう人がいるってことは、音楽プロデュースこそ男子一生の仕事、とその時思ったんですよ」
さらに続く。「僕は一時期、20代前半の頃、大橋巨泉さん系の事務所に預かってもらったりして、音楽の仕事もしたいけど、メディアの仕事もしたいなって思ってたこともありましてね。巨泉さん自身がもともとジャズ評論家で『ビリー・ホリデイ自伝』を訳したりしているわけだから…」
吉岡。「(その事務所で)何やってたの?」
松尾。「前、話しませんでしたっけ。(笑) 役者としてちょこっと映画に出たこともありましたよ。巨泉さんと親しい河野洋さんという放送作家の大御所がいらして、その方の奥さまが女優の藤田弓子さんなんですよ。彼女に『松尾くんは役者の目をしてる、音楽のお仕事もいいけど役者のほうに向いてるんじゃない?』って言われて、ちょっとその気になったんですが(笑)、当然そんな才能もないし、何より音楽のほうが好きでね。音楽のほうが好きなんだけど、音楽の仕事やっても食えるのかなあ、っていうのがあって、バブルもはじけて景気もどんどん悪くなってきて。大学時代の話です。藤田弓子さんのお嬢さんが当時ラジオDJをやられてて、僕はbay-fm(千葉県のFM局。東京などでも一部で聴ける)で一緒に番組やってたんです。その彼女から『うちのお父さんがあなたのこと気に入りそうだから紹介する』と河野さんを紹介されたんです。でも、河野さん藤田さんご夫妻とは2、3年くらいで縁遠くなっちゃうんですが。ところが、そのbay-fmでやってた番組を(渡辺)祐(わたなべたすく)さんが聴いてくださってて。祐さんはBMRの愛読者でもあり、その文章から絶対に自分より(松尾さんのことを)年上だろうと思ってたらしく、でも、ラジオ聴いたら松尾潔ってのはチャラチャラした若者っぽくて、これはほんとに同一人物なのかってことで、『一度会っていただけませんか』って連絡をいただいたんです」
松尾。「会って、意気投合して。よくよく話を聞いてみれば祐さんは大学の先輩、彼の事務所(Do The Monkey)のもうひとりの看板だった川勝正幸さんは僕の高校の先輩ってこともわかり、こりゃご縁があるなってわけで事務所に入ったんですけど。ところが、祐さんの事務所は、どちらかというと文章を書く編集がメイン。だんだん僕の関心が音楽制作のほうに移ってきたんですよ。僕自身がシカゴのスティーヴ・シルク・ハーリーとかニューヨークのゴードン・チェンバースと知り合って、日本のエージェントになってくれ、なんていわれるようになってきたし。じゃあ、エージェントになろうかっていうときに(事務所には)僕のほかに英語ができるスタッフはいない。こりゃ環境変えるタイミングかなってことで辞めたわけです。結局ここも2年足らずで」
松尾。「その頃、NHKのBSが始まったばかりだったんで、けっこうゆるかったんで、いろいろ企画出しましたよ。エディー・マーフィー・インタヴューとか、ミネアポリスに行ってペイズリー・パークで自分でカメラ回して撮ってくるとかやりましたね。ジェシー・ジョンソン追っかけ取材とか。さすがにNHK的にボツになりましたけどね。(笑) NHK-BSでは『エンターテインメント・ニュース』というエンタメ系情報番組のキャスターを3年くらいやらせてもらいました」
吉岡。「ええっ、ジェシー・ジョンソン、僕もインタヴューしたよ。今は亡きアドリブに記事書いた。あの頃のアドリブはよかったなあ(笑)」
◎ 『奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝』大橋巨泉・油井正一訳
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794912560/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ テレビ番組『ソウル・トレイン』放送の選定とYMO
松尾。「ま、長い目で考えれば、それが今のNHK-FMの番組(『松尾潔のメロウな夜』=毎週水曜夜11時~12時)につながるわけですが。それで、これは祐さんからのご紹介なんですが、(テレビ番組)『ソウル・トレイン』の構成をやらせていただくようになって、LAのユニヴァーサル・スタジオにブラザー・コーンさんと行って、番組収録中のドン・コーネリアスにも会えたんですよ。僕、けっこう自分の仕事、書いたものとか出たものとか、ぜんぜん保存してないんですけど、LAのスタジオにドンに会いに行ったときの特番があって、それ、僕の手元にもないんですけど、新宿2丁目の(ソウル・バー)『ソウル・ジョイント』でたまに流れてるらしいですよ。(笑)」
中田。「僕は、学生で毎週見てましたよ。あれは、全部を放送してたわけじゃないでしょう。どういう基準で選んでたんですか」
松尾。「あれは、渋谷陽一さんが選んでたんですよ」
吉岡・中田。「へええっ、そうなんだ」(驚く)
吉岡。「僕はJUN(当時大人気の男性服ブランド)提供で12チャンネルでやってたころの映像、かなりベータ(のビデオ・テープ)で持ってますよ。あ、でも、ベータの機械10年以上動かしてないから、動くかなあ…。その後がTBSか。あれ、逆か?」
松尾。「YMOや久保田利伸さんが出た『ソウル・トレイン』は、ユーチューブとかにでてるんですかね」
中田。「あります、あります。YMOは見ました。英語でのやりとりにすごく困ってる3人っていうのが、ものすごく印象に残ってます。(笑)」
松尾。「たとえば、僕は、あの頃、小林克也さんを名義上のメンバーにでもすればよかったんじゃないかと思いますね。テレビとかメディアに対応するときだけでもね。そうすれば海外で英語のやりとりも問題なくできて、もっとアピールできたんじゃないかと」
中田。「そうですね、確かに、英語がしっかりしゃべれる人がいたら、ちがったかもしれませんね。歌詞の面ではピーター・バラカンさんが入ってちゃんとやってましたもんね。さすが、そういう視点がプロデューサーだなあ。(笑) 勉強になるなあ。(笑)」
松尾。「当時のブラック・ミュージック・シーンは、ほとんどシングル・ヒットで、それもラジオから生まれるという時代でしたよ。アルバムなんて持ってる人はほんの少数でしたよ」
中田。「せっかく、『ソウル・トレイン』に出るときに、がつっと小林克也さんが出てしゃべってたら、もっとアメリカでもヒットしてたかもしれないですよね。アメリカでブレイクしてたら、大変なことになってたでしょうね。クラフトワークなんて、ある程度売れたわけだから」
松尾。「そういう意味でいえば、今言ってもしょうがないんだけど、売り逃したところもあるんじゃないかなあ…」
◎ ソウル・トレインDVD (新発売)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003YEF0FE/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ ディーヴァ・オン・ソウルトレイン DVD (新発売)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003YEGMEW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ESSAY>YMN Summit
【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 5)】
(昨日からの続き)
ソウル放談。
2010年8月2日から4日まで3回にわたってお送りした「YMN参集・ソウル放談」のパート4を昨日お届けしました。今日は、パート5。松尾さんの隠された過去、彼がクインシーから学んだこと、『ソウル・トレイン』とYMOの話など、話は尽きません。
パート1から4までは、こちら。
2010年08月02日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100802.html
2010年08月03日(火)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html
2010年08月04日(水)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100804.html
2010年09月18日(金)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート4)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100918.html
+++++
■中田氏はAIの大ファン
吉岡。「ところで、中田さん、さっき、(日本のR&Bシンガー)AIが大好きだって言ってましたよね」
中田。「そうなんですよ」
松尾。「AIちゃんが、デフジャムからデビューしたって思ってる人、多いですよね。もともと勝本さんのとこから出てきたってこと知らない人も多いですよね。本人は何も隠してないけど、BMGから出たこと、ほとんどなかったような形になってる。(笑) (オーサカと)セッションとかはやってないんですか?」
中田。「(セッションは)やったことないですねえAIちゃん個人的に大ファンなんです、すごい好きですね」
松尾。「(セッション)やればいいのに!」
吉岡。「ほんとほんと、やればいいのに! 電話しようか?(笑)」
松尾。「オーサカ=モノレールの音にものすごくあうと思うなあ。まあ、アルバムの中に1曲とかあってもおかしくないよねえ。双方リスクもないし」
中田。「(笑) 日本人で、こんな言い方したらおかしいかもしれないけど、ほんまにいいなあ、ちゃんと声でてるしって思いますね」
松尾。「彼女は、デビュー前にメアリー・J・ブライジのステージに参加したりやジャネットのPVで踊ってたりしたからね。歌が歌いたんだけど、そこにたどり着くまでに踊って、ラップして、歌まで行ったっていう。すごいバイタリティーの持ち主ですよね。僕は、だから彼女のことを(日本の)クイーン・ラティーファって呼んでるんですけど。(笑)」
吉岡。「うまい!」
◎ AI 初のベストアルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002GKRSAW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■役者から音楽プロデューサーへ: 松尾さんの隠れたる過去とクインシーから学んだこと
松尾さんも多くのブラック・ミュージック界のアーティスト、プロデューサーに会ってインタヴューをしている。その中で、クインシー・ジョーンズに会ったときのことは、彼のキャリアの中で大きなターニング・ポイントになった。この時のことは、彼が一度BMR(ブラック・ミュージック・レヴュー)誌に寄稿している。
松尾。「20代の頃、初めてクインシーに会ったとき『あなたは音楽とビジネスをうまく両立されてきましたけど…』と、少し揶揄するような物言いをしたんですよ。そうしたら、クインシーの目の色がキッと変わってね。『オレはミュージックとビジネスではなく、“ミュージック・ビジネス”を一貫してやってきたんだ、このふたつを分けて考えることなんてできないんだ』ってきっぱり言われてね。『わかったか、ヤング・マン』ですよ。日本語にしたら、『わかったか、若造』って感じですよねえ。マジでビビりました。怖かったなあ。(笑)でも、こういう人がいるってことは、音楽プロデュースこそ男子一生の仕事、とその時思ったんですよ」
さらに続く。「僕は一時期、20代前半の頃、大橋巨泉さん系の事務所に預かってもらったりして、音楽の仕事もしたいけど、メディアの仕事もしたいなって思ってたこともありましてね。巨泉さん自身がもともとジャズ評論家で『ビリー・ホリデイ自伝』を訳したりしているわけだから…」
吉岡。「(その事務所で)何やってたの?」
松尾。「前、話しませんでしたっけ。(笑) 役者としてちょこっと映画に出たこともありましたよ。巨泉さんと親しい河野洋さんという放送作家の大御所がいらして、その方の奥さまが女優の藤田弓子さんなんですよ。彼女に『松尾くんは役者の目をしてる、音楽のお仕事もいいけど役者のほうに向いてるんじゃない?』って言われて、ちょっとその気になったんですが(笑)、当然そんな才能もないし、何より音楽のほうが好きでね。音楽のほうが好きなんだけど、音楽の仕事やっても食えるのかなあ、っていうのがあって、バブルもはじけて景気もどんどん悪くなってきて。大学時代の話です。藤田弓子さんのお嬢さんが当時ラジオDJをやられてて、僕はbay-fm(千葉県のFM局。東京などでも一部で聴ける)で一緒に番組やってたんです。その彼女から『うちのお父さんがあなたのこと気に入りそうだから紹介する』と河野さんを紹介されたんです。でも、河野さん藤田さんご夫妻とは2、3年くらいで縁遠くなっちゃうんですが。ところが、そのbay-fmでやってた番組を(渡辺)祐(わたなべたすく)さんが聴いてくださってて。祐さんはBMRの愛読者でもあり、その文章から絶対に自分より(松尾さんのことを)年上だろうと思ってたらしく、でも、ラジオ聴いたら松尾潔ってのはチャラチャラした若者っぽくて、これはほんとに同一人物なのかってことで、『一度会っていただけませんか』って連絡をいただいたんです」
松尾。「会って、意気投合して。よくよく話を聞いてみれば祐さんは大学の先輩、彼の事務所(Do The Monkey)のもうひとりの看板だった川勝正幸さんは僕の高校の先輩ってこともわかり、こりゃご縁があるなってわけで事務所に入ったんですけど。ところが、祐さんの事務所は、どちらかというと文章を書く編集がメイン。だんだん僕の関心が音楽制作のほうに移ってきたんですよ。僕自身がシカゴのスティーヴ・シルク・ハーリーとかニューヨークのゴードン・チェンバースと知り合って、日本のエージェントになってくれ、なんていわれるようになってきたし。じゃあ、エージェントになろうかっていうときに(事務所には)僕のほかに英語ができるスタッフはいない。こりゃ環境変えるタイミングかなってことで辞めたわけです。結局ここも2年足らずで」
松尾。「その頃、NHKのBSが始まったばかりだったんで、けっこうゆるかったんで、いろいろ企画出しましたよ。エディー・マーフィー・インタヴューとか、ミネアポリスに行ってペイズリー・パークで自分でカメラ回して撮ってくるとかやりましたね。ジェシー・ジョンソン追っかけ取材とか。さすがにNHK的にボツになりましたけどね。(笑) NHK-BSでは『エンターテインメント・ニュース』というエンタメ系情報番組のキャスターを3年くらいやらせてもらいました」
吉岡。「ええっ、ジェシー・ジョンソン、僕もインタヴューしたよ。今は亡きアドリブに記事書いた。あの頃のアドリブはよかったなあ(笑)」
◎ 『奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝』大橋巨泉・油井正一訳
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794912560/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ テレビ番組『ソウル・トレイン』放送の選定とYMO
松尾。「ま、長い目で考えれば、それが今のNHK-FMの番組(『松尾潔のメロウな夜』=毎週水曜夜11時~12時)につながるわけですが。それで、これは祐さんからのご紹介なんですが、(テレビ番組)『ソウル・トレイン』の構成をやらせていただくようになって、LAのユニヴァーサル・スタジオにブラザー・コーンさんと行って、番組収録中のドン・コーネリアスにも会えたんですよ。僕、けっこう自分の仕事、書いたものとか出たものとか、ぜんぜん保存してないんですけど、LAのスタジオにドンに会いに行ったときの特番があって、それ、僕の手元にもないんですけど、新宿2丁目の(ソウル・バー)『ソウル・ジョイント』でたまに流れてるらしいですよ。(笑)」
中田。「僕は、学生で毎週見てましたよ。あれは、全部を放送してたわけじゃないでしょう。どういう基準で選んでたんですか」
松尾。「あれは、渋谷陽一さんが選んでたんですよ」
吉岡・中田。「へええっ、そうなんだ」(驚く)
吉岡。「僕はJUN(当時大人気の男性服ブランド)提供で12チャンネルでやってたころの映像、かなりベータ(のビデオ・テープ)で持ってますよ。あ、でも、ベータの機械10年以上動かしてないから、動くかなあ…。その後がTBSか。あれ、逆か?」
松尾。「YMOや久保田利伸さんが出た『ソウル・トレイン』は、ユーチューブとかにでてるんですかね」
中田。「あります、あります。YMOは見ました。英語でのやりとりにすごく困ってる3人っていうのが、ものすごく印象に残ってます。(笑)」
松尾。「たとえば、僕は、あの頃、小林克也さんを名義上のメンバーにでもすればよかったんじゃないかと思いますね。テレビとかメディアに対応するときだけでもね。そうすれば海外で英語のやりとりも問題なくできて、もっとアピールできたんじゃないかと」
中田。「そうですね、確かに、英語がしっかりしゃべれる人がいたら、ちがったかもしれませんね。歌詞の面ではピーター・バラカンさんが入ってちゃんとやってましたもんね。さすが、そういう視点がプロデューサーだなあ。(笑) 勉強になるなあ。(笑)」
松尾。「当時のブラック・ミュージック・シーンは、ほとんどシングル・ヒットで、それもラジオから生まれるという時代でしたよ。アルバムなんて持ってる人はほんの少数でしたよ」
中田。「せっかく、『ソウル・トレイン』に出るときに、がつっと小林克也さんが出てしゃべってたら、もっとアメリカでもヒットしてたかもしれないですよね。アメリカでブレイクしてたら、大変なことになってたでしょうね。クラフトワークなんて、ある程度売れたわけだから」
松尾。「そういう意味でいえば、今言ってもしょうがないんだけど、売り逃したところもあるんじゃないかなあ…」
◎ ソウル・トレインDVD (新発売)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003YEF0FE/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ ディーヴァ・オン・ソウルトレイン DVD (新発売)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003YEGMEW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
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○YMNソウル放談(パート4)~ YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴
2010年9月18日 音楽 コメント (1)○YMNソウル放談(パート4)~ YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴
【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 4)】
ソウル放談。
大変長らくお待たせいたしました。先月8月2日から4日まで3パートにわけてお送りしたYMNソウル放談、そのパート4以降をお送りします。実は、パート2でお届けしたマーヴァ・ホイットニーの部分は後半のところで、パート3、パート4が冒頭の部分、言ってみれば、『エピソード1、2』にあたります。(笑) 今回は中田さんの音楽的ルーツの話、イギリスの音楽シーンの話など。パート8まで続きます。
パート1から3までは、こちら。↓
2010年08月02日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100802.html
2010年08月03日(火)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html
2010年08月04日(水)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100804.html
■ オーサカ=モノレールのヨーロッパ進出について。
大型ファンク・バンド、オーサカ=モノレールは、最近では年に一度ヨーロッパ・ツアーをする。そして、昨年はその模様を『ライヴ・イン・スペイン』として、CD・DVDとしてリリースした。彼らはヨーロッパでも安定した人気を獲得しているが、そのヨーロッパ進出はいかにして実現するようになったのだろうか。
中田。「(それまでの先輩アーティストと比べた場合)僕らの場合は、インターネットがあったんでね。マイスペース作ったのが、2005年か2006年かな。アメリカ人の友達に、『おまえ、マイスペース作れ』って言われて、『なんや、それ』とか思ったんですけど、作ったんです。でも、これはでかかったですよね。それと、僕たちは7インチのアナログ・シングルを出してたんで、これも大きかったですね。そういうのがヨーロッパで出回ってて、僕たちが(ヨーロッパ・ツアー)するぞって言ったら、あちこちからオファーが来ましたね。ただ、向こうが飛行機代も出すから、来てくれ、という話はこないんですが、僕たちが行くってなったら、じゃあ、ブッキングする、っていう話はでましたね。だから、ヨーロッパに行くっていう最終的な決心をしたのは自分なんですけど、赤字にあるか黒字になるかはわかんなかったんですけど、とりあえず、行くってなったら受け入れてくれるところはあった、という感じですね」
松尾。「あっちからすると、呼ぶには人数多すぎだしね。(笑)」
中田。「今でも全部めんどう見てくれる人はいないんですよ。だから、このライヴが(ギャラが)いくらとか、旅行日程や飛行機代とか計算してそういうのを組み合わせてくんです。だから、ライヴの日は向こうが用意してくれるんでいいホテルに泊まれるんですけど、ライヴのない日はかなり安いモーテルだったりするんですよ。(笑) 一泊10ユーロとかね」
吉岡。「10ユーロ!(約1200円)それは安い!」
松尾。「ライヴ、どんなところでやってるんですか。(ロンドンの)ジャズカフェとかやったんですか」
中田。「あ、ジャズカフェ、やりましたよ」
松尾。「イギリス人の黒人音楽趣味に強いシンパシーを覚える僕からすると、(イギリスの国営放送)BBCでかけてもらって、ジャズカフェでプレイできたら、死んでもいい、みたいな感覚はあるなあ」
中田。「BBC行きましたよ、生ライヴ、やりましたよ」
◎ オーサカ=モノレール ライヴ・イン・スペイン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002TTI3T0/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 中田氏の原点~もともとYMOからキーボードを教わった
松尾。「ところで、中田さんは、そもそも歌うことが好きだったんですか」
中田。「いや、ぜんぜん好きじゃないんです。(笑) トランペット吹いてたんです。最初、僕は、YMOが好きだったんです」
松尾。「いつごろ?」
中田。「YMOは僕が小学校6年生のときに解散、いや、『散開』(1983年12月)したんです」
松尾。「お兄ちゃんとかおねえちゃんはいたの?」
中田。「いなんですけど」
松尾。「それは早熟だねえ」
中田。「それで、テレビとかやってるので、見て、反応して。あれ、(坂本龍一が)弾いてるのはなんや、と。ピアノじゃないし。そしたら、友達が言うには『あればキーボードというらしい』って教わって。(笑) 僕、奈良の田舎の子供だったから。『ええっ? キーボードっていったら、パソコンやろ』(笑) それが一番最初の音楽談義かなあ(笑) 1983年か84年ごろですよねえ」
吉岡。「YMOがブレイクするのは、『増殖』(1980年6月発売)でしょ、1980年くらいか。あのときは?」
中田。「あのときはまだ、興味持ってないんです。『増殖』なんかはあとから中学生になって買った感じ、(自分で買ったのは)85年くらいじゃないかな。(中田さんは1972年10月生まれ) ぜんぜんリアルタイムじゃないんですよ。ほかに朝日放送の『MTV』なんか見始めた。ジェームス・ブラウンをなんで好きになったかは、よー覚えてないんですけど。ただ、YMOの細野晴臣がジェームス・ブラウンを呼んだでしょう(1986年・武道館)、あのあたりが、最初に知るきっかけですかねえ。武道館は、まだ僕は中学生だったから、行ってません。(笑) それでも、そのときも(ジェームス・ブラウンについては)まだぴんとはきてなかったんですけどね」
松尾。「細野さんはやっぱり天才ですよねえ。僕はYMO関係は誰も個人的にはお会いしたことないんですけど。僕の好きなエピソードは、1970年代に渋谷のヤマハに日本で初めてスティール・ドラムが輸入されて、ディスプレイされてたときの話があるんです」
中田。「まあ、いまでこそ(スティール・ドラムは)誰でも知ってるけど、当時は誰も知らないような楽器ですよね」
松尾。「細野さんはモノ自体はご存じなわけです。そこに行って、『ほお、これかあ』って触り始めて、いろいろ音を出してみてたらしいんです。そうしたら、だんだんだんだん人が集まり始めたそうで。30分後には、すでに曲らしきものを奏でていた、っていうんですよね。それはやっぱり音感の天才というか、楽器の天才というか。教授は教授でクールな方ですよね。去年お出しになった自伝には興味ぶかいエピソードが載っていました。高橋幸宏さんと会ったときに、たしかに自分は楽典的な知識は高いけど、幸宏さんの鼻歌には絶対かなわないなあって痛感したとか。あ、脱線しちゃってごめんなさい。中田さん、鍵盤に興味を持って~どうしたんでしたっけ?(笑)」
中田。「しかし、松尾さん、何でも知ってますねえ。(笑)」
松尾。「いや、知ってることを何でもしゃべってるだけ。(笑) 単純におふたりの通訳的な立場にいるってことです(笑)」
中田。「小学校のときには鍵盤はうちにありましたね。中学生くらいで坂本龍一にあこがれて、中2でピアノを習い始めて…。バイエルみたいのを始めたんですけど、すぐやめちゃって。その頃は坂本龍一とか矢野顕子が好きやったんです。それで、バンドを組もうと思ったが組めず。YMOのコピーバンドみたいのを中学時代にはちょっとやったんですけど、坂本龍一が『未来派野郎』みたいのとか、ヴァージンと契約してやったアルバムなんかを出してた頃です。矢野顕子の昔のレコードとか、当時はやっぱり手に入らなくてね。ファンクラブの通信販売限定CDとかを買ったりしました。なかなか手に入らなかった。苦労しましたよ」
◎ YMO増殖
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007KKZ5/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■松尾さん、バンド時代を明かす~DJ、ミュージシャンの社会的地位
松尾。「でも、これって、やっぱり地方の少年の底力ですよね。夢見る少年の馬鹿力。逆にやみくもに『がーっ』と邁進する力がね。僕は博多なんですけど、周りはパンクスばっかりでね。ファンクが好きって言っても、パンク? って聞きまちがえられちゃうくらいでね。もちろん音楽は盛んだったんですけど、僕なんか四面楚歌ですよ。僕は中学の終わりくらいからマチュアな黒人音楽ばかり聴いてきたんだけど。高校でバンドをやろうにも、同志がいない。それで、僕なりの妥協点でやったのが、スタイル・カウンシルだったんです。僕、ベース弾きながら歌ってたんですけど、仕方なくスタカンとか、ポリスとか、黒人音楽が好きな非黒人の音楽をやってたんです。東京の学校に行けば黒人音楽好きな連中はきっとたくさんいるんだろうに…って嘆きながら、博多の高校生がオークションでレコード落としてたんですよ。今のヤフオクとか違って、何円とか書いて、レコード屋に送ってね。毎月、東京とか名古屋のレコード屋からリストを送ってもらって。ボー・ウィリアムスのキャピトル盤、サム・ディーズ提供楽曲入りで落札開始価格1200円とかなってて、1201円で入札して。『誰も、これに入れませんように』って祈りながら、でも、けっこうそれで買えたりして。東京行けば、こんなレコードがいくらでもあるんだろうなあ、って幻想を抱くんですけど。東京に来てもそんなのは最初に入荷しただけで、売り切れたら終わり。全然ありゃあしない。(笑)」
中田。「レアグルーヴの前ですか」
松尾。「高校卒業したのが1986年だから、イギリスではレアグルーヴ始まってるけど、日本ではまだかなあ…。イギリスのチャーリーとかKテルとかのレーベルのことを知るころですかねえ」
吉岡。「なるほどなるほど」
松尾。「イギリスの僕の好きなラジオDJであり、ヨーロッパのMTVの司会者として人気だったこともあり、ときにはA&Rもやるトレヴァー・ネルソンって知ってます? 数年前に亡くなったリンデン・デイヴィッド・ホール、っていましたよね。UK版ディアンジェロって触れ込みで。トレヴァー・ネルソンが発掘して、A&Rかって出て、クールテンポからデビューさせたんだけど。僕は平井堅のプロデュースやってる時にコラボしたくて、平井さん本人を連れてリンデンに会いに行ったことがあります。結局かなわなかったんだけど。で、トレヴァーはイギリスのブラック・ミュージック・シーンでもっとも影響力のある男だといわれてるんです。今でもバリバリやってますよ。トレヴァー・ネルソンのホームページありますよ、見てください。トップページでこうやって座ってる写真が出てるんです。『あれ、これって、JBの“In the Jungle Groove”のジャケットじゃない?』って思うんだけど、3秒くらいたったら、トレヴァーがぐっと動きだすんですよね。粋なんです。ネットでBBCの番組、聴けますよ。イギリスってすごいのは、そういうトレヴァー・ネルソンに勲章与えちゃうんですよね。MBEかな」
中田。「ノーマン・ジェイもMBEです。ノーマン・ジェイって(そういう意味では)そんなにすごくないじゃないですか。(笑) 本人から直接聞いた話なんですけど、ある日突然、郵便受けに手紙が入ってて、MBE授賞式にきてください、ということだったらしいです。イギリスはすごいなあ」
松尾。「それって日本で置き換えると、沖野修也さんのところに、ある日突然園遊会のお誘いが来るみたいなもんでしょう。(笑)」
吉岡。「日本じゃありえない…」
◎リンデン・デヴィヴィッド・ホール 2005年作品
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00092QT0E/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■イギリスでは無名ミュージシャンにも失業保険
中田。「ケブダージなんかと一緒にDJやっていたリンカーンっていうのがいるんですけど、どういうことなのかよくわからないのですが、中学校か小学校でクラブに社会見学に行ったらしいですよ。彼は40くらいかな。学校でやるんですからすごいですね」
松尾。「『債』(債権=Bond)っていうのがありますよね、イギリスには。ビートルズ債とか、デイヴィッド・ボウイ債とか。ああいうのが、経済活動として認められているってことと、外貨獲得の歴史があるから。イギリスの人たちと話してすごいなと思うのは、1回もレコードデビューしたことないような自称ミュージシャンが失業手当もらえるらしいんですよ」
吉岡。「へええええっ~(笑) だけど、それってどうやって証明するの?」
中田。「まあ、ミュージシャンとしての地位が認められてるってことじゃないですか。ライヴ活動のチラシとか提出するんですかね」
松尾。「オレは音楽一生懸命やってる。だけど、たまたまデビューできてない、だから失業してる、って理屈だと」
吉岡。「で、失業保険、っていくらくらいもらえるの?」
松尾。「そ、そこまでわかんない…。そこまでつっこまないでください。(笑) 今まで、この話すると、大体、みんな『へえええっ』って感心して終わってたんだけどなあ。(笑)」
中田。「吉岡さん、やっぱすごいですよね、ジャーナリストだから(笑)、質問攻めにしますね」
(パート5)につづく
ENT>ESSAY>YMN Summit
【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 4)】
ソウル放談。
大変長らくお待たせいたしました。先月8月2日から4日まで3パートにわけてお送りしたYMNソウル放談、そのパート4以降をお送りします。実は、パート2でお届けしたマーヴァ・ホイットニーの部分は後半のところで、パート3、パート4が冒頭の部分、言ってみれば、『エピソード1、2』にあたります。(笑) 今回は中田さんの音楽的ルーツの話、イギリスの音楽シーンの話など。パート8まで続きます。
パート1から3までは、こちら。↓
2010年08月02日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100802.html
2010年08月03日(火)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html
2010年08月04日(水)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100804.html
■ オーサカ=モノレールのヨーロッパ進出について。
大型ファンク・バンド、オーサカ=モノレールは、最近では年に一度ヨーロッパ・ツアーをする。そして、昨年はその模様を『ライヴ・イン・スペイン』として、CD・DVDとしてリリースした。彼らはヨーロッパでも安定した人気を獲得しているが、そのヨーロッパ進出はいかにして実現するようになったのだろうか。
中田。「(それまでの先輩アーティストと比べた場合)僕らの場合は、インターネットがあったんでね。マイスペース作ったのが、2005年か2006年かな。アメリカ人の友達に、『おまえ、マイスペース作れ』って言われて、『なんや、それ』とか思ったんですけど、作ったんです。でも、これはでかかったですよね。それと、僕たちは7インチのアナログ・シングルを出してたんで、これも大きかったですね。そういうのがヨーロッパで出回ってて、僕たちが(ヨーロッパ・ツアー)するぞって言ったら、あちこちからオファーが来ましたね。ただ、向こうが飛行機代も出すから、来てくれ、という話はこないんですが、僕たちが行くってなったら、じゃあ、ブッキングする、っていう話はでましたね。だから、ヨーロッパに行くっていう最終的な決心をしたのは自分なんですけど、赤字にあるか黒字になるかはわかんなかったんですけど、とりあえず、行くってなったら受け入れてくれるところはあった、という感じですね」
松尾。「あっちからすると、呼ぶには人数多すぎだしね。(笑)」
中田。「今でも全部めんどう見てくれる人はいないんですよ。だから、このライヴが(ギャラが)いくらとか、旅行日程や飛行機代とか計算してそういうのを組み合わせてくんです。だから、ライヴの日は向こうが用意してくれるんでいいホテルに泊まれるんですけど、ライヴのない日はかなり安いモーテルだったりするんですよ。(笑) 一泊10ユーロとかね」
吉岡。「10ユーロ!(約1200円)それは安い!」
松尾。「ライヴ、どんなところでやってるんですか。(ロンドンの)ジャズカフェとかやったんですか」
中田。「あ、ジャズカフェ、やりましたよ」
松尾。「イギリス人の黒人音楽趣味に強いシンパシーを覚える僕からすると、(イギリスの国営放送)BBCでかけてもらって、ジャズカフェでプレイできたら、死んでもいい、みたいな感覚はあるなあ」
中田。「BBC行きましたよ、生ライヴ、やりましたよ」
◎ オーサカ=モノレール ライヴ・イン・スペイン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002TTI3T0/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 中田氏の原点~もともとYMOからキーボードを教わった
松尾。「ところで、中田さんは、そもそも歌うことが好きだったんですか」
中田。「いや、ぜんぜん好きじゃないんです。(笑) トランペット吹いてたんです。最初、僕は、YMOが好きだったんです」
松尾。「いつごろ?」
中田。「YMOは僕が小学校6年生のときに解散、いや、『散開』(1983年12月)したんです」
松尾。「お兄ちゃんとかおねえちゃんはいたの?」
中田。「いなんですけど」
松尾。「それは早熟だねえ」
中田。「それで、テレビとかやってるので、見て、反応して。あれ、(坂本龍一が)弾いてるのはなんや、と。ピアノじゃないし。そしたら、友達が言うには『あればキーボードというらしい』って教わって。(笑) 僕、奈良の田舎の子供だったから。『ええっ? キーボードっていったら、パソコンやろ』(笑) それが一番最初の音楽談義かなあ(笑) 1983年か84年ごろですよねえ」
吉岡。「YMOがブレイクするのは、『増殖』(1980年6月発売)でしょ、1980年くらいか。あのときは?」
中田。「あのときはまだ、興味持ってないんです。『増殖』なんかはあとから中学生になって買った感じ、(自分で買ったのは)85年くらいじゃないかな。(中田さんは1972年10月生まれ) ぜんぜんリアルタイムじゃないんですよ。ほかに朝日放送の『MTV』なんか見始めた。ジェームス・ブラウンをなんで好きになったかは、よー覚えてないんですけど。ただ、YMOの細野晴臣がジェームス・ブラウンを呼んだでしょう(1986年・武道館)、あのあたりが、最初に知るきっかけですかねえ。武道館は、まだ僕は中学生だったから、行ってません。(笑) それでも、そのときも(ジェームス・ブラウンについては)まだぴんとはきてなかったんですけどね」
松尾。「細野さんはやっぱり天才ですよねえ。僕はYMO関係は誰も個人的にはお会いしたことないんですけど。僕の好きなエピソードは、1970年代に渋谷のヤマハに日本で初めてスティール・ドラムが輸入されて、ディスプレイされてたときの話があるんです」
中田。「まあ、いまでこそ(スティール・ドラムは)誰でも知ってるけど、当時は誰も知らないような楽器ですよね」
松尾。「細野さんはモノ自体はご存じなわけです。そこに行って、『ほお、これかあ』って触り始めて、いろいろ音を出してみてたらしいんです。そうしたら、だんだんだんだん人が集まり始めたそうで。30分後には、すでに曲らしきものを奏でていた、っていうんですよね。それはやっぱり音感の天才というか、楽器の天才というか。教授は教授でクールな方ですよね。去年お出しになった自伝には興味ぶかいエピソードが載っていました。高橋幸宏さんと会ったときに、たしかに自分は楽典的な知識は高いけど、幸宏さんの鼻歌には絶対かなわないなあって痛感したとか。あ、脱線しちゃってごめんなさい。中田さん、鍵盤に興味を持って~どうしたんでしたっけ?(笑)」
中田。「しかし、松尾さん、何でも知ってますねえ。(笑)」
松尾。「いや、知ってることを何でもしゃべってるだけ。(笑) 単純におふたりの通訳的な立場にいるってことです(笑)」
中田。「小学校のときには鍵盤はうちにありましたね。中学生くらいで坂本龍一にあこがれて、中2でピアノを習い始めて…。バイエルみたいのを始めたんですけど、すぐやめちゃって。その頃は坂本龍一とか矢野顕子が好きやったんです。それで、バンドを組もうと思ったが組めず。YMOのコピーバンドみたいのを中学時代にはちょっとやったんですけど、坂本龍一が『未来派野郎』みたいのとか、ヴァージンと契約してやったアルバムなんかを出してた頃です。矢野顕子の昔のレコードとか、当時はやっぱり手に入らなくてね。ファンクラブの通信販売限定CDとかを買ったりしました。なかなか手に入らなかった。苦労しましたよ」
◎ YMO増殖
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007KKZ5/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■松尾さん、バンド時代を明かす~DJ、ミュージシャンの社会的地位
松尾。「でも、これって、やっぱり地方の少年の底力ですよね。夢見る少年の馬鹿力。逆にやみくもに『がーっ』と邁進する力がね。僕は博多なんですけど、周りはパンクスばっかりでね。ファンクが好きって言っても、パンク? って聞きまちがえられちゃうくらいでね。もちろん音楽は盛んだったんですけど、僕なんか四面楚歌ですよ。僕は中学の終わりくらいからマチュアな黒人音楽ばかり聴いてきたんだけど。高校でバンドをやろうにも、同志がいない。それで、僕なりの妥協点でやったのが、スタイル・カウンシルだったんです。僕、ベース弾きながら歌ってたんですけど、仕方なくスタカンとか、ポリスとか、黒人音楽が好きな非黒人の音楽をやってたんです。東京の学校に行けば黒人音楽好きな連中はきっとたくさんいるんだろうに…って嘆きながら、博多の高校生がオークションでレコード落としてたんですよ。今のヤフオクとか違って、何円とか書いて、レコード屋に送ってね。毎月、東京とか名古屋のレコード屋からリストを送ってもらって。ボー・ウィリアムスのキャピトル盤、サム・ディーズ提供楽曲入りで落札開始価格1200円とかなってて、1201円で入札して。『誰も、これに入れませんように』って祈りながら、でも、けっこうそれで買えたりして。東京行けば、こんなレコードがいくらでもあるんだろうなあ、って幻想を抱くんですけど。東京に来てもそんなのは最初に入荷しただけで、売り切れたら終わり。全然ありゃあしない。(笑)」
中田。「レアグルーヴの前ですか」
松尾。「高校卒業したのが1986年だから、イギリスではレアグルーヴ始まってるけど、日本ではまだかなあ…。イギリスのチャーリーとかKテルとかのレーベルのことを知るころですかねえ」
吉岡。「なるほどなるほど」
松尾。「イギリスの僕の好きなラジオDJであり、ヨーロッパのMTVの司会者として人気だったこともあり、ときにはA&Rもやるトレヴァー・ネルソンって知ってます? 数年前に亡くなったリンデン・デイヴィッド・ホール、っていましたよね。UK版ディアンジェロって触れ込みで。トレヴァー・ネルソンが発掘して、A&Rかって出て、クールテンポからデビューさせたんだけど。僕は平井堅のプロデュースやってる時にコラボしたくて、平井さん本人を連れてリンデンに会いに行ったことがあります。結局かなわなかったんだけど。で、トレヴァーはイギリスのブラック・ミュージック・シーンでもっとも影響力のある男だといわれてるんです。今でもバリバリやってますよ。トレヴァー・ネルソンのホームページありますよ、見てください。トップページでこうやって座ってる写真が出てるんです。『あれ、これって、JBの“In the Jungle Groove”のジャケットじゃない?』って思うんだけど、3秒くらいたったら、トレヴァーがぐっと動きだすんですよね。粋なんです。ネットでBBCの番組、聴けますよ。イギリスってすごいのは、そういうトレヴァー・ネルソンに勲章与えちゃうんですよね。MBEかな」
中田。「ノーマン・ジェイもMBEです。ノーマン・ジェイって(そういう意味では)そんなにすごくないじゃないですか。(笑) 本人から直接聞いた話なんですけど、ある日突然、郵便受けに手紙が入ってて、MBE授賞式にきてください、ということだったらしいです。イギリスはすごいなあ」
松尾。「それって日本で置き換えると、沖野修也さんのところに、ある日突然園遊会のお誘いが来るみたいなもんでしょう。(笑)」
吉岡。「日本じゃありえない…」
◎リンデン・デヴィヴィッド・ホール 2005年作品
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00092QT0E/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■イギリスでは無名ミュージシャンにも失業保険
中田。「ケブダージなんかと一緒にDJやっていたリンカーンっていうのがいるんですけど、どういうことなのかよくわからないのですが、中学校か小学校でクラブに社会見学に行ったらしいですよ。彼は40くらいかな。学校でやるんですからすごいですね」
松尾。「『債』(債権=Bond)っていうのがありますよね、イギリスには。ビートルズ債とか、デイヴィッド・ボウイ債とか。ああいうのが、経済活動として認められているってことと、外貨獲得の歴史があるから。イギリスの人たちと話してすごいなと思うのは、1回もレコードデビューしたことないような自称ミュージシャンが失業手当もらえるらしいんですよ」
吉岡。「へええええっ~(笑) だけど、それってどうやって証明するの?」
中田。「まあ、ミュージシャンとしての地位が認められてるってことじゃないですか。ライヴ活動のチラシとか提出するんですかね」
松尾。「オレは音楽一生懸命やってる。だけど、たまたまデビューできてない、だから失業してる、って理屈だと」
吉岡。「で、失業保険、っていくらくらいもらえるの?」
松尾。「そ、そこまでわかんない…。そこまでつっこまないでください。(笑) 今まで、この話すると、大体、みんな『へえええっ』って感心して終わってたんだけどなあ。(笑)」
中田。「吉岡さん、やっぱすごいですよね、ジャーナリストだから(笑)、質問攻めにしますね」
(パート5)につづく
ENT>ESSAY>YMN Summit
☆キャサリン・ジャクソン(マイケルの母)、AEGを訴える
2010年9月17日 音楽☆キャサリン・ジャクソン(マイケルの母)、AEGを訴える
【Michael Jackson’s Mother Sues Concert Promoter】
訴え。
マイケル・ジャクソンの母、キャサリン・ジャクソンが故マイケルの2009年7月から行われる予定だった『ディス・イズ・イット』ツアーを企画・運営したイギリスのコンサート・プロモーター、AEG社を2010年9月15日(水曜)、ロスアンジェルスの上級裁判所に訴えた。2010年9月16日、海外のメディアが一斉に報じた。AEGが、シンガーの命を救うための十分な機材、また、シンガーを監督するにたりる医師を用意できなかったとしている。『ディス・イズ・イット』をてがけたケニー・オルテガも被告人の名にある。
AEGは、まだコメントしていない。
訴状では、マイケル・ジャクソンは生命を維持するための十分な機材が供給されるべきだった、コンラッド・マレー医師はジャクソンを監督・保護すべだったとしている。
また訴状では、マイケルの3人の子供のうち、長男プリンスは父の最期を目撃したために精神的に大きな打撃を受けている、という。
キャサリンの弁護士は、この訴訟の目的は、「マイケル・ジャクソンの死の真相を明らかにすることにある」としている。
なお現在進行中のマレー医師の裁判と、これはまた別のもの。
http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-11324635
16 September 2010 Last updated at 08:17 GMT
Michael Jackson’s mother sues concert promoter
Jackson was preparing for a series of concerts at the time of his death The mother of pop star Michael Jackson has begun legal proceedings against concert promoter AEG, claiming it did not give her son proper medical care.
Katherine Jackson contends it failed to provide life-saving equipment and oversee a doctor who was hired to look out for the pop star’s well-being.
Her legal action claims the singer was put under great pressure to complete the London concerts for which he was rehearsing at the time of his death.
AEG has yet to comment on the action.
Ms Jackson’s civil action, which seeks unspecified damages, was filed in Los Angeles Superior Court on Wednesday.
Kenny Ortega, director of the planned This is It series of concerts, was also named as a defendant.
Katherine Jackson contends that AEG and its agents told her son it would provide the equipment and hire Dr Conrad Murray to care for him so he could perform at the concerts in London.
Her action alleges its representations were false "because in reality AEG was merely doing whatever it took to make sure that Michael Jackson could make it to rehearsals and shows".
"At the time of his death, Michael Jackson was under the immediate care of a doctor selected by, hired by, and controlled by AEG," the complaint continues.
It claims the company "demanded and required" the singer be treated by Dr Murray, who is alleged to have administered a lethal dose of Propofol and other drugs which resulted in the pop star’s death on 25 June 2009.
Michael Jackson’s parents have both filed wrongful death lawsuits Dr Murray has pleaded not guilty to a charge of involuntary manslaughter and is expected to stand trial next year.
Katherine Jackson is the guardian of the singer’s three children and is suing AEG on their behalf.
Her action claims Jackson’s eldest son, Prince, suffered great trauma and severe emotional distress because he witnessed his father’s final moments.
"The purpose of this lawsuit is to prove to the world the truth about what happened to Michael Jackson, once and for all," Katherine Jackson’s lawyer said in a statement.
Earlier this year Jackson’s father, Joe, filed a wrongful death lawsuit against Dr Murray, accusing him of professional negligence.
Mr Murray’s attorneys filed a motion on Wednesday seeking a dismissal of that action, which did not name AEG.
そのほかの情報源
http://www.etonline.com/news/2010/09/91098/
http://www.kmph.com/Global/story.asp?S=13162204
ENT>MICHAEL JACKSON>
【Michael Jackson’s Mother Sues Concert Promoter】
訴え。
マイケル・ジャクソンの母、キャサリン・ジャクソンが故マイケルの2009年7月から行われる予定だった『ディス・イズ・イット』ツアーを企画・運営したイギリスのコンサート・プロモーター、AEG社を2010年9月15日(水曜)、ロスアンジェルスの上級裁判所に訴えた。2010年9月16日、海外のメディアが一斉に報じた。AEGが、シンガーの命を救うための十分な機材、また、シンガーを監督するにたりる医師を用意できなかったとしている。『ディス・イズ・イット』をてがけたケニー・オルテガも被告人の名にある。
AEGは、まだコメントしていない。
訴状では、マイケル・ジャクソンは生命を維持するための十分な機材が供給されるべきだった、コンラッド・マレー医師はジャクソンを監督・保護すべだったとしている。
また訴状では、マイケルの3人の子供のうち、長男プリンスは父の最期を目撃したために精神的に大きな打撃を受けている、という。
キャサリンの弁護士は、この訴訟の目的は、「マイケル・ジャクソンの死の真相を明らかにすることにある」としている。
なお現在進行中のマレー医師の裁判と、これはまた別のもの。
http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-11324635
16 September 2010 Last updated at 08:17 GMT
Michael Jackson’s mother sues concert promoter
Jackson was preparing for a series of concerts at the time of his death The mother of pop star Michael Jackson has begun legal proceedings against concert promoter AEG, claiming it did not give her son proper medical care.
Katherine Jackson contends it failed to provide life-saving equipment and oversee a doctor who was hired to look out for the pop star’s well-being.
Her legal action claims the singer was put under great pressure to complete the London concerts for which he was rehearsing at the time of his death.
AEG has yet to comment on the action.
Ms Jackson’s civil action, which seeks unspecified damages, was filed in Los Angeles Superior Court on Wednesday.
Kenny Ortega, director of the planned This is It series of concerts, was also named as a defendant.
Katherine Jackson contends that AEG and its agents told her son it would provide the equipment and hire Dr Conrad Murray to care for him so he could perform at the concerts in London.
Her action alleges its representations were false "because in reality AEG was merely doing whatever it took to make sure that Michael Jackson could make it to rehearsals and shows".
"At the time of his death, Michael Jackson was under the immediate care of a doctor selected by, hired by, and controlled by AEG," the complaint continues.
It claims the company "demanded and required" the singer be treated by Dr Murray, who is alleged to have administered a lethal dose of Propofol and other drugs which resulted in the pop star’s death on 25 June 2009.
Michael Jackson’s parents have both filed wrongful death lawsuits Dr Murray has pleaded not guilty to a charge of involuntary manslaughter and is expected to stand trial next year.
Katherine Jackson is the guardian of the singer’s three children and is suing AEG on their behalf.
Her action claims Jackson’s eldest son, Prince, suffered great trauma and severe emotional distress because he witnessed his father’s final moments.
"The purpose of this lawsuit is to prove to the world the truth about what happened to Michael Jackson, once and for all," Katherine Jackson’s lawyer said in a statement.
Earlier this year Jackson’s father, Joe, filed a wrongful death lawsuit against Dr Murray, accusing him of professional negligence.
Mr Murray’s attorneys filed a motion on Wednesday seeking a dismissal of that action, which did not name AEG.
そのほかの情報源
http://www.etonline.com/news/2010/09/91098/
http://www.kmph.com/Global/story.asp?S=13162204
ENT>MICHAEL JACKSON>
◎トクズ・ラウンジ
【Toku’s Lounge ~ Standing Room Only】
超満員。
なんだか、異様に混雑。NHK『ソングス』で出たり、月曜(2010年8月30日)のWOWOWで放送された西麻布特集に出たりしたからか、トクズ・ラウンジが異様に混雑していた。ミュージシャンも多数。7~80席が満席で、たぶん、これが2回転くらいするのだろう。
ミュージシャンであり、フルーゲルホーン奏者のトクが主宰するDJとジャムセッション。ある程度のレベルのミュージシャンであれば、誰でも飛び入り可能。
それにしても、混みこみで、ファーストが終わってからもぜんぜん座れそうな気配もなかったので、この日はファーストだけでおいとましてしまった。(笑)
次回は、9月29日。またまたマイルス・デイヴィスを特集する予定らしい。
■ 過去関連記事
2010年07月24日(土)
トクズ・ラウンジ~黒沢薫飛び入り
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100724.html
2010年04月29日(木)
トクズ・ラウンジ~真夜中のセッションのダイアログ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10520684304.html
2010年04月04日(日)
トクズ・ラウンジ~ゆるーく、しかし、マジで
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100404.html
2010年02月27日(土)
トクズ・ラウンジ:深夜の熱きセッション
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10468984654.html
2009年12月31日(木)
トクズ・ラウンジ~ジャム・セッションの爆発
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10423256472.html
June 24, 2009
トクズ・ラウンジ~ロイ・ハーグローヴ・グループが参加
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090624.html
May 30, 2009
トクズ・ラウンジ:素晴らしきミュージシャンシップの大爆発
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10270594203.html
■参考CD
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001HBQLDG/soulsearchiho-22/ref=nosim/
□ メンバー
TOKU(ヴォーカル、フルーゲルホーン、トランペット)
藤井伸昭 (ドラムス)
後藤克臣 (ベース)
吉田サトシ (ギター)
柴田敏弥 (キーボード)
石川シュン (ドラムス)
永田ジョージ (キーボード)
荻原亮 (ギター)
ほか
□ セットリスト
01.
02.
03. Rock With You
04. Feel Like Making Love
(2010年8月30日月曜、西麻布=トクズ・ラウンジ)
ENT>MUSIC>LIVE>Toku’s Lounge
2010-141
【Toku’s Lounge ~ Standing Room Only】
超満員。
なんだか、異様に混雑。NHK『ソングス』で出たり、月曜(2010年8月30日)のWOWOWで放送された西麻布特集に出たりしたからか、トクズ・ラウンジが異様に混雑していた。ミュージシャンも多数。7~80席が満席で、たぶん、これが2回転くらいするのだろう。
ミュージシャンであり、フルーゲルホーン奏者のトクが主宰するDJとジャムセッション。ある程度のレベルのミュージシャンであれば、誰でも飛び入り可能。
それにしても、混みこみで、ファーストが終わってからもぜんぜん座れそうな気配もなかったので、この日はファーストだけでおいとましてしまった。(笑)
次回は、9月29日。またまたマイルス・デイヴィスを特集する予定らしい。
■ 過去関連記事
2010年07月24日(土)
トクズ・ラウンジ~黒沢薫飛び入り
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100724.html
2010年04月29日(木)
トクズ・ラウンジ~真夜中のセッションのダイアログ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10520684304.html
2010年04月04日(日)
トクズ・ラウンジ~ゆるーく、しかし、マジで
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100404.html
2010年02月27日(土)
トクズ・ラウンジ:深夜の熱きセッション
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10468984654.html
2009年12月31日(木)
トクズ・ラウンジ~ジャム・セッションの爆発
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10423256472.html
June 24, 2009
トクズ・ラウンジ~ロイ・ハーグローヴ・グループが参加
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090624.html
May 30, 2009
トクズ・ラウンジ:素晴らしきミュージシャンシップの大爆発
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10270594203.html
■参考CD
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001HBQLDG/soulsearchiho-22/ref=nosim/
□ メンバー
TOKU(ヴォーカル、フルーゲルホーン、トランペット)
藤井伸昭 (ドラムス)
後藤克臣 (ベース)
吉田サトシ (ギター)
柴田敏弥 (キーボード)
石川シュン (ドラムス)
永田ジョージ (キーボード)
荻原亮 (ギター)
ほか
□ セットリスト
01.
02.
03. Rock With You
04. Feel Like Making Love
(2010年8月30日月曜、西麻布=トクズ・ラウンジ)
ENT>MUSIC>LIVE>Toku’s Lounge
2010-141
○校正終了、あとは、印刷のみ~「SOUL POWER」、高中正義のパンフ
2010年9月15日 音楽○校正終了、あとは、印刷のみ~「SOUL POWER」、高中正義のパンフ
【Proof Reading Done Now】
終了。
9月末に行われる「SOUL POWER」のパンフレットと、ギタリスト高中正義さんのパンフレットの制作にかかわらせていただいた。どちらも今日校了し、入稿だ。さっきまで、必死に校正をしていたが、たまたま2本が同時期にあることで重なってバタバタになってしまった。
「SOUL POWER SUMITT 2010」のパンフは、今年は40ページに大増ページ。たくさんの写真と、超読み応えのある5者対談。これはなんと16ページにわたってのソウル談義。座談会当日は、コーンさんが面白い話をたくさん披露し、その現場での面白さを文字にするのは至難の技。なんとか、文字にしてみた。その場にいる面白さを読者の方が感じてくれたら、嬉しいのだが。果たしてあの面白さは何パーセントくらい伝わっただろうか。
他にもゴスペラッツの撮り下ろし写真たっぷりの記事なども。ファンの方はぜひ、当日会場でお手にとって見てください。たぶん、立ち読みでは読みきれないのでご購入を。(笑)
さて、もう一本、スーパー・ギタリスト高中正義さんのライヴが9月22日(水)から始まり、そのためのパンフ用にインタヴューを行った。昨年までのパンフはインタヴューがなかったが、今年は8ページで高中インタヴューを掲載。文字がぎっしり。僕が話を聞くと、ソウル系のアーティストのことに偏りがちなため、アル・マッケイ(アース・ウィンド&ファイアーの元ギタリスト。高中氏と共演)の話なんかを聞いている。また、なかなか面白いと思うのが、高中さんの朝起きてから夜寝るまでのスケジュールというのを聞き出したこと。表にして載せたのだが、けっこうおもしろいと思う。このほかにも、彼の現在のiPodに入ってる曲目リストもいれている。こちらも、高中ファンの方は、ぜひチェックしてみてください。これも立ち読みでは読みきれません。
それにしても、パンフ作りは楽しい。
■ 「SOUL POWER SUMITT 2010」
日時:2010年9月24日(金)午後5時30分開場、午後6時30分開演
2010年9月25日(土)午後4時開場、午後5時開演
開場:日本武道館
料金:7000円
出演:鈴木雅之、ゴスペラーズ、スクープ・オン・サムバディー、ブラザー・コーン、久保田利伸、ゴスペラッツ、ファンクス、クリスタル・ケイ(9月25日)、ライムスター(9月24日)ほかサプライズ。
チケットぴあ 0570-02-9999(Pコード:110-528)
ローソンチケット 0570-084-003(要Lコード、Lコード:71142)
イープラス http://eplus.jp/
※3歳以上チケット必要
http://www.diskgarage.com/sp/soulpower/
■ 高中正義40周年 前年祭
日時:2010年9月22日(水)東京:中野サンプラザホール 18:30開演
2010年9月23日(木・祝)大阪:森ノ宮ピロティホール 17:30開演
2010年9月26日(日)名古屋:Zepp Nagoya 17:00開演
【メンバー(予定)】
青柳 誠(key,sax), 斎藤ノブ(Percussion), 松原秀樹(Bass),宮崎まさひろ(Drums), 森村 献(key)
料金:全席指定\7,000(税込)
※ 名古屋公演のみ別途1ドリンク代\500が必要となります
お申し込みはこちらから→ http://eplus.jp/tnmy-ohp/
ENT>ANNOUNCEMENT>Takanaka, Masayoshi
【Proof Reading Done Now】
終了。
9月末に行われる「SOUL POWER」のパンフレットと、ギタリスト高中正義さんのパンフレットの制作にかかわらせていただいた。どちらも今日校了し、入稿だ。さっきまで、必死に校正をしていたが、たまたま2本が同時期にあることで重なってバタバタになってしまった。
「SOUL POWER SUMITT 2010」のパンフは、今年は40ページに大増ページ。たくさんの写真と、超読み応えのある5者対談。これはなんと16ページにわたってのソウル談義。座談会当日は、コーンさんが面白い話をたくさん披露し、その現場での面白さを文字にするのは至難の技。なんとか、文字にしてみた。その場にいる面白さを読者の方が感じてくれたら、嬉しいのだが。果たしてあの面白さは何パーセントくらい伝わっただろうか。
他にもゴスペラッツの撮り下ろし写真たっぷりの記事なども。ファンの方はぜひ、当日会場でお手にとって見てください。たぶん、立ち読みでは読みきれないのでご購入を。(笑)
さて、もう一本、スーパー・ギタリスト高中正義さんのライヴが9月22日(水)から始まり、そのためのパンフ用にインタヴューを行った。昨年までのパンフはインタヴューがなかったが、今年は8ページで高中インタヴューを掲載。文字がぎっしり。僕が話を聞くと、ソウル系のアーティストのことに偏りがちなため、アル・マッケイ(アース・ウィンド&ファイアーの元ギタリスト。高中氏と共演)の話なんかを聞いている。また、なかなか面白いと思うのが、高中さんの朝起きてから夜寝るまでのスケジュールというのを聞き出したこと。表にして載せたのだが、けっこうおもしろいと思う。このほかにも、彼の現在のiPodに入ってる曲目リストもいれている。こちらも、高中ファンの方は、ぜひチェックしてみてください。これも立ち読みでは読みきれません。
それにしても、パンフ作りは楽しい。
■ 「SOUL POWER SUMITT 2010」
日時:2010年9月24日(金)午後5時30分開場、午後6時30分開演
2010年9月25日(土)午後4時開場、午後5時開演
開場:日本武道館
料金:7000円
出演:鈴木雅之、ゴスペラーズ、スクープ・オン・サムバディー、ブラザー・コーン、久保田利伸、ゴスペラッツ、ファンクス、クリスタル・ケイ(9月25日)、ライムスター(9月24日)ほかサプライズ。
チケットぴあ 0570-02-9999(Pコード:110-528)
ローソンチケット 0570-084-003(要Lコード、Lコード:71142)
イープラス http://eplus.jp/
※3歳以上チケット必要
http://www.diskgarage.com/sp/soulpower/
■ 高中正義40周年 前年祭
日時:2010年9月22日(水)東京:中野サンプラザホール 18:30開演
2010年9月23日(木・祝)大阪:森ノ宮ピロティホール 17:30開演
2010年9月26日(日)名古屋:Zepp Nagoya 17:00開演
【メンバー(予定)】
青柳 誠(key,sax), 斎藤ノブ(Percussion), 松原秀樹(Bass),宮崎まさひろ(Drums), 森村 献(key)
料金:全席指定\7,000(税込)
※ 名古屋公演のみ別途1ドリンク代\500が必要となります
お申し込みはこちらから→ http://eplus.jp/tnmy-ohp/
ENT>ANNOUNCEMENT>Takanaka, Masayoshi
○デイヴィッド・フォスター16年ぶりに来日: ルーベン・スタッダート、シャリース、ナタリー・コールほかステージに登場
【David Foster Live: First In 16 Years; R&B Star Ruben Studdard First Commercial Gig】
16年ぶり。
ヒットメイカー、ヒットプロデューサーとしてその名を全世界に轟かせているデイヴィッド・フォスターが2010年10月、来日コンサートを行う。フォスターが来日しコンサートを行うのは、1994年、当時の『JTスーパー・プロデューサー・シリーズ』以来16年ぶりとなる。前回は、セリーヌ・ディオン、ピーボ・ブライソン、エアプレイなどそうそうたるメンバーが参加。今年は、ナタリー・コール、ピーター・セテラの大御所に加え、R&Bシンガー、ルーベン・スタッダード、さらにフィリピン出身でフォスターが惚れ込んだ新人シャリースも参加する。
ルーベン・スタッダードは、2004年3月、プロモーションで来日、渋谷デュオでショーケース・ライヴを行っているが、一般公演は初。来日は6年半ぶり。ナタリー・コールは、2010年5月以来5ヶ月ぶり。セリーヌ・ディオンは2008年3月以来2年7ヶ月ぶりの来日になる。
ソウル・サーチン的に今回の最大の目玉は、ルーベン・スタッダード。前回6年前のショーケースはギターとの2人だけのアコースティックだったが、今回はフルオーケストラ。ダニー・ハサウェイを彷彿とさせる「歌える」R&Bシンガーの魅力がオーケストラで倍加することは間違いない。ルーベンは『アメリカン・アイドル』2年目の2003年の優勝者。その後、Jレコーズからデビューし、デビュー作は200万枚を売った。
ナタリー・コールは2008年の来日時、満身創痍だったが、2010年の来日では元気になってステージをこなしていた。
また、バンドはドラムスにクインシー・ファミリーでおなじみのジョン・ロビンソン、キーボードに『ディス・イズ・イット』のモー・プレジャーが予定されている。
◎次回(2010年9月19日日曜)「ソウル・サーチン」(インターFM76.1mhz、日曜午後2時30分~)でデイヴィッド・フォスター特集します
■ 出演者過去記事
◎ルーベン・スタッダード
2003/09/09 (Tue)
Ruben Studdard: A Star Is Born
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030909.html
『アメリカン・アイドル』で歌った曲目一覧
2004/04/01 (Thu)
Ruben Studdard Live At Duo: Ruben, Piano & Guitar
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040401.html
2004年のショーケースライヴの模様
◎ナタリー・コール
2010年05月20日(木)
奇跡の完全復活~ナタリー・コール (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100520.html
2010年05月24日(月)
ナタリー・コール(パート2):レパートリーは800曲以上
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100524.html
2010年05月30日(日)
ナタリー・コール(パート3):そのステージを裏側から見ると~
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10548256700.html
(ここにナタリーに関する過去記事一覧)
◎ セリーヌ・ディオン
2008年03月09日(日)
セリーヌ・ディオン・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080309.html
■デイヴィッド・フォスター&フレンズ ジャパン・ツアー
開催日: 2010年10月19日(火)、10月 20日(水)18時開場、19時開演
会場: 東京国際フォーラム ホールA
出演: デイヴィッド・フォスター, ピーター・セテラ, ナタリー・コール, シャリース, ルーベン・スタッダード, カナディアン・テナーズ
>バンドメンバー
John Robinson(ds), Nathan East(b), Tarioh Akoni(g). Boh Cooper(kyd), Mo Pleasure(kyd)
料金: S席13,500円、A席12,500円、B席11,500円
問い合わせ: キョードー東京 03-3498-9999
詳細はキョードー東京の特設サイトへ。
http://kyodotokyo.com/dff
■NHK総合:『SONGS』「フォスター特集」放送決定。プロデューサーを地上波で特集
放送日: 2010年9月15日(水)NHK総合:SONGS「デイヴィッド・フォスター特集」(放送時間:22時55分~23時24分)
■ デイヴィッド・フォスター来日記念コンピレーション2枚組(2010年9月15日発売)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003TYKGZS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
デイヴィッド・フォスター自伝
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860203690/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ルーベン・スタッダード:ファースト・アルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001E3DD6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ナタリー・コール 「アンフォーゲッタブル」はデイヴィッド・フォスター・プロデュース
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HECA/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ANNOUNCEMENT>Foster, David
【David Foster Live: First In 16 Years; R&B Star Ruben Studdard First Commercial Gig】
16年ぶり。
ヒットメイカー、ヒットプロデューサーとしてその名を全世界に轟かせているデイヴィッド・フォスターが2010年10月、来日コンサートを行う。フォスターが来日しコンサートを行うのは、1994年、当時の『JTスーパー・プロデューサー・シリーズ』以来16年ぶりとなる。前回は、セリーヌ・ディオン、ピーボ・ブライソン、エアプレイなどそうそうたるメンバーが参加。今年は、ナタリー・コール、ピーター・セテラの大御所に加え、R&Bシンガー、ルーベン・スタッダード、さらにフィリピン出身でフォスターが惚れ込んだ新人シャリースも参加する。
ルーベン・スタッダードは、2004年3月、プロモーションで来日、渋谷デュオでショーケース・ライヴを行っているが、一般公演は初。来日は6年半ぶり。ナタリー・コールは、2010年5月以来5ヶ月ぶり。セリーヌ・ディオンは2008年3月以来2年7ヶ月ぶりの来日になる。
ソウル・サーチン的に今回の最大の目玉は、ルーベン・スタッダード。前回6年前のショーケースはギターとの2人だけのアコースティックだったが、今回はフルオーケストラ。ダニー・ハサウェイを彷彿とさせる「歌える」R&Bシンガーの魅力がオーケストラで倍加することは間違いない。ルーベンは『アメリカン・アイドル』2年目の2003年の優勝者。その後、Jレコーズからデビューし、デビュー作は200万枚を売った。
ナタリー・コールは2008年の来日時、満身創痍だったが、2010年の来日では元気になってステージをこなしていた。
また、バンドはドラムスにクインシー・ファミリーでおなじみのジョン・ロビンソン、キーボードに『ディス・イズ・イット』のモー・プレジャーが予定されている。
◎次回(2010年9月19日日曜)「ソウル・サーチン」(インターFM76.1mhz、日曜午後2時30分~)でデイヴィッド・フォスター特集します
■ 出演者過去記事
◎ルーベン・スタッダード
2003/09/09 (Tue)
Ruben Studdard: A Star Is Born
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030909.html
『アメリカン・アイドル』で歌った曲目一覧
2004/04/01 (Thu)
Ruben Studdard Live At Duo: Ruben, Piano & Guitar
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040401.html
2004年のショーケースライヴの模様
◎ナタリー・コール
2010年05月20日(木)
奇跡の完全復活~ナタリー・コール (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100520.html
2010年05月24日(月)
ナタリー・コール(パート2):レパートリーは800曲以上
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100524.html
2010年05月30日(日)
ナタリー・コール(パート3):そのステージを裏側から見ると~
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10548256700.html
(ここにナタリーに関する過去記事一覧)
◎ セリーヌ・ディオン
2008年03月09日(日)
セリーヌ・ディオン・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080309.html
■デイヴィッド・フォスター&フレンズ ジャパン・ツアー
開催日: 2010年10月19日(火)、10月 20日(水)18時開場、19時開演
会場: 東京国際フォーラム ホールA
出演: デイヴィッド・フォスター, ピーター・セテラ, ナタリー・コール, シャリース, ルーベン・スタッダード, カナディアン・テナーズ
>バンドメンバー
John Robinson(ds), Nathan East(b), Tarioh Akoni(g). Boh Cooper(kyd), Mo Pleasure(kyd)
料金: S席13,500円、A席12,500円、B席11,500円
問い合わせ: キョードー東京 03-3498-9999
詳細はキョードー東京の特設サイトへ。
http://kyodotokyo.com/dff
■NHK総合:『SONGS』「フォスター特集」放送決定。プロデューサーを地上波で特集
放送日: 2010年9月15日(水)NHK総合:SONGS「デイヴィッド・フォスター特集」(放送時間:22時55分~23時24分)
■ デイヴィッド・フォスター来日記念コンピレーション2枚組(2010年9月15日発売)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003TYKGZS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
デイヴィッド・フォスター自伝
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860203690/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ルーベン・スタッダード:ファースト・アルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001E3DD6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ナタリー・コール 「アンフォーゲッタブル」はデイヴィッド・フォスター・プロデュース
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HECA/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ANNOUNCEMENT>Foster, David
★オマー・ハキム・トークス~スーパー・ドラマー
2010年9月13日 音楽★オマー・ハキム・トークス~スーパー・ドラマー
【Omar Hakim Talks】
トーク。
東京ジャズの日曜日(2010年9月5日)夜の回、ケイリブと楽屋で会った。なんと渡辺香津美さんバンドでプレイするドラマー、オマー・ハキムに会いに行くというので、くっついていった。オマーとはたぶんブルーノートで一度くらいは会ってると思うが、ゆっくり話をしたことはなかった。
オマーの楽屋に入ると、彼はセットリスト順にちょうど楽譜を並べていた。ミュージシャンたちは演奏する楽曲が決まっていれば、楽譜をその順番に並べておくのが常だ。
オマーとケイリブは、ニューヨーク時代から友達。オマーの弟とケイリブが、同級生だったことで、その兄であるオマーとも知り合っている。オマーは1959年生まれでケイリブは1963年生まれ。オマーが言う。「いやあ、あの頃の4歳違いって、けっこう大きいよね。今、この年齢になるとぜんぜん関係ないけどね、(笑)」 ケイリブ。「オマーの弟が、あの頃、うちの兄貴が『ロック・シット(rock shit=糞のようなロック、くだらないロック)』をやってるんだ、ってしょっちゅう言ってた。(笑) それからしばらくしてからかな、オマーがスティングや、デイヴィッド・ボウイやりだして、おおっ、と思ったんだ。デイヴィッド・ボウイの『レッツ・ダンス』を初めてラジオで聴いたとき、これは絶対オマーだってわかったよ」
あれ、それってトニー・トンプソンじゃなかったっけ。オマー。「いや、あれは、両方(トニーとオマー)クレジットされてるんだけど、『レッツ・ダンス』や『チャイナ・ガール』なんかは、ほとんど僕が叩いてるんだ」 「あの、派手なドラムスの音(そういいながらケイリブが音を真似る)は、間違いなくオマーだよ」とケイリブ。
オマーは、マイク・マイニエリがてがけた渡辺香津美のアルバムなどにも起用され、マイクをこの業界に引き入れてくれた恩人と思っている。1980年代初頭のことだ。その後、まもなくウェザー・リポートから誘われる。そのときの話をおもしろおかしくしてくれた。
誰から電話が来たんだい、というケイリブの質問に答えて「ジョー・ザビヌルだよ。ちょうど僕は外出していて、母親が電話に出た。母親は、苗字の名前をうまく聞き取れなくて、『Zから始まる妙な苗字の人から電話があったよ。その彼は、おかしなことを言うんだ。天気予報がどうのこうのって』とつぶやいたんだよ」。それを聞いてオマーは飛び上がる。ウェザー・リポートのジョー・ザビヌルと瞬時にわかったのだ。大興奮するオマー、しかし、ジョーの電話番号を書いた紙切れを母親はどこかへやってしまったらしく、オマーの狂喜乱舞ぶりに母親は大慌てになってしまったそうだ。
オマー・ハキムは、シックのライヴでも来日している。オマー・ハキムは、ウェザー・リポート、ダイアー・ストレイツ、スティング、マイルス・デイヴィス、ミック・ジャガー、リー・リトナー、マライア・キャリーなどそうそうたるメンバーのドラムを担当しているスーパードラマーだ。
楽屋に一緒に行った松本幸三さんは、昔ドラムスを叩き、今でも余暇でドラムを叩くので、オマーに会えたことで大感激。さっそく一枚一緒に写真を撮っていた。
オマーは、東京ジャズの前に、自身のグループ、トリオ・オブ・オズでコットンクラブでライヴも行った。ドラムス、ピアノ(レイチェルZ)、アコースティック・ベース(メイヴ・ロイス)、そしてドラムス、オマー。オマーが、そのグループのCD『The Trio Of Oz』 をくれた。これが実にかっこよかった。
■ オマーのドラムス・シリーズ(ほんの一部): デイヴィッド・ボウイ『レッツ・ダンス』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002SVPMSO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ ダイアー・ストレイツ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009A21R6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ スティング 『ブリング・オン・ザ・ナイト』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007X6ST2/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ マイルス・デイヴィス TUTU
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002LAB/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Hakim, Omar
【Omar Hakim Talks】
トーク。
東京ジャズの日曜日(2010年9月5日)夜の回、ケイリブと楽屋で会った。なんと渡辺香津美さんバンドでプレイするドラマー、オマー・ハキムに会いに行くというので、くっついていった。オマーとはたぶんブルーノートで一度くらいは会ってると思うが、ゆっくり話をしたことはなかった。
オマーの楽屋に入ると、彼はセットリスト順にちょうど楽譜を並べていた。ミュージシャンたちは演奏する楽曲が決まっていれば、楽譜をその順番に並べておくのが常だ。
オマーとケイリブは、ニューヨーク時代から友達。オマーの弟とケイリブが、同級生だったことで、その兄であるオマーとも知り合っている。オマーは1959年生まれでケイリブは1963年生まれ。オマーが言う。「いやあ、あの頃の4歳違いって、けっこう大きいよね。今、この年齢になるとぜんぜん関係ないけどね、(笑)」 ケイリブ。「オマーの弟が、あの頃、うちの兄貴が『ロック・シット(rock shit=糞のようなロック、くだらないロック)』をやってるんだ、ってしょっちゅう言ってた。(笑) それからしばらくしてからかな、オマーがスティングや、デイヴィッド・ボウイやりだして、おおっ、と思ったんだ。デイヴィッド・ボウイの『レッツ・ダンス』を初めてラジオで聴いたとき、これは絶対オマーだってわかったよ」
あれ、それってトニー・トンプソンじゃなかったっけ。オマー。「いや、あれは、両方(トニーとオマー)クレジットされてるんだけど、『レッツ・ダンス』や『チャイナ・ガール』なんかは、ほとんど僕が叩いてるんだ」 「あの、派手なドラムスの音(そういいながらケイリブが音を真似る)は、間違いなくオマーだよ」とケイリブ。
オマーは、マイク・マイニエリがてがけた渡辺香津美のアルバムなどにも起用され、マイクをこの業界に引き入れてくれた恩人と思っている。1980年代初頭のことだ。その後、まもなくウェザー・リポートから誘われる。そのときの話をおもしろおかしくしてくれた。
誰から電話が来たんだい、というケイリブの質問に答えて「ジョー・ザビヌルだよ。ちょうど僕は外出していて、母親が電話に出た。母親は、苗字の名前をうまく聞き取れなくて、『Zから始まる妙な苗字の人から電話があったよ。その彼は、おかしなことを言うんだ。天気予報がどうのこうのって』とつぶやいたんだよ」。それを聞いてオマーは飛び上がる。ウェザー・リポートのジョー・ザビヌルと瞬時にわかったのだ。大興奮するオマー、しかし、ジョーの電話番号を書いた紙切れを母親はどこかへやってしまったらしく、オマーの狂喜乱舞ぶりに母親は大慌てになってしまったそうだ。
オマー・ハキムは、シックのライヴでも来日している。オマー・ハキムは、ウェザー・リポート、ダイアー・ストレイツ、スティング、マイルス・デイヴィス、ミック・ジャガー、リー・リトナー、マライア・キャリーなどそうそうたるメンバーのドラムを担当しているスーパードラマーだ。
楽屋に一緒に行った松本幸三さんは、昔ドラムスを叩き、今でも余暇でドラムを叩くので、オマーに会えたことで大感激。さっそく一枚一緒に写真を撮っていた。
オマーは、東京ジャズの前に、自身のグループ、トリオ・オブ・オズでコットンクラブでライヴも行った。ドラムス、ピアノ(レイチェルZ)、アコースティック・ベース(メイヴ・ロイス)、そしてドラムス、オマー。オマーが、そのグループのCD『The Trio Of Oz』 をくれた。これが実にかっこよかった。
■ オマーのドラムス・シリーズ(ほんの一部): デイヴィッド・ボウイ『レッツ・ダンス』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002SVPMSO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ ダイアー・ストレイツ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009A21R6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ スティング 『ブリング・オン・ザ・ナイト』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007X6ST2/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ マイルス・デイヴィス TUTU
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002LAB/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Hakim, Omar
◆下北沢ソウル・サミット~第4回白川会
2010年9月12日 音楽◆下北沢ソウル・サミット~第4回白川会
【4th Shirakawa-kai: Shimokitazawa Soul Sumit】
盛況。
ファンキー・ボーズ(本職・住職)こと白川さんの音頭で始まった下北沢ソウル・サミット、通称「白川会」の第4回が2010年9月10日(金)下北沢のソウルおでん屋「しずおか屋」で行われた。2008年12月、2009年5月、2009年12月以来。佐藤善雄さん、松尾潔さん、鈴木啓志、小西さん、ロージーさん、りんりんさんら多数(約17名プラスしずおか屋オウナー、富田夫妻)が、とりとめのないソウル談義を繰り広げた。今回も光石研(単語登録済)さんはひじょうに残念ながらロケがはいってしまい不参加。みんなでなんとか光石さん参加でやりましょうと話が盛り上がった。光石さんは、大のシャネルズ・ファンで、たまたましばらく前にタワー・レコードでラッツ&スターの通称ブラック・ボックスを見つけ、狂喜乱舞、即買い求め、ロケなどに行くときにアイポッドなどにいれていつも楽しんでいる、という。(光石研さんの音楽遍歴としずおか屋については下記参照)
2008年12月13日(土)
光石研さんとしずおか屋
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081213.html
さて、この日は途中で佐藤善雄(元シャネルズ、前ラッツ&スター、現ゴスペラッツ)さんの誕生日が9月12日ということで2日早くサプライズ・ハッピーバースデイが。
佐藤さんと話してて、先日このブログに掲載したYMN(吉岡・松尾・中田対談)で、佐藤さんのファイル・レコードの話(そこからクール・スプーン、ゴスペラーズ、ライムスター、スチャダラパーなどを輩出したファイル・レコードはすごいという話)を中田さんと松尾さんがしたが、それを読んで大変感激したという。若い中田さんが、そのあたりをちゃんと評価してくれたことで、昨今のインディのレコード/CDの低迷ぶりに若干気持ちが萎えていたところ、これを読んで心の中でガッツポーズをしたそうだ。いい話だ。
2010年08月02日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10607154402.html#main
(ちなみに、このYMN原稿、パート3までアップしてありますが、パート4もできております。ただパート5、6くらいまでがまだ文字起こしができてなくて、それができたら、まとめて3パートにわたってお届けする予定です。)
おもしろかったのは鈴木さんの一人息子、一路(かずみち=英語読みはOne Way=外人に紹介するときは、This is One Way Suzuki, nice to meet youとなる…かな(笑))君が、隣に座った佐藤さんと話をしているときに、周囲からラッツの話を聞いて「(シャネルズ、ラッツの頃)顔に泥塗ってたんですか」。「泥じゃないよ、ドウランだよ」(佐藤さん)というまるでコントのようなやりとり。
この日意外だったのは、鈴木啓志さんと話をしていて、鈴木さんがここ20年くらいはジャズのレコードも聴いている、と明らかになったこと。「鈴木さんがジャズ??」 なんでも鈴木さん曰く。「ジャズのビート=4ビートはジャズの遺産だ。これも含めバップ、ハードバップなどもジャズ・ファンクという中で捉えると大変重要だ。特に4ビートは独自のものであり基本。それに対してリスペクトを持って聴かないとダメだ」
「しかし、なんでソウルがちがちの鈴木さんがジャズを?」と尋ねると、おもしろい答えが返ってきた。「いやあ、昔から自分が欲しいレコード、海外から買う場合、たとえば、デルフォニックスとかすごい高いんだけど、ジャズのもの、ロイ・エヤーズとかハービー・ハンコックとかけっこう安いんだよね。だから、もし聴かなくなったら売っちゃえばいいや、と思ってしょうがなく買ってたら、そういう(ジャズ系)のが増えちゃって、聴いてたら、けっこうはまっちゃったんだよ。マイルスなんて全盛期のはほんと、素晴らしいよ。ソウルは高くても、ジャズとゴスペルは安かったんだ(笑)」 これは怪我の功名か。(笑) でも、そんな雑談の中、鈴木さんこんな素晴らしいことを酔いながらも言ってくれた。いや、酔ってたから言ったのかもしれない。
鈴木啓志、本日の名言。「音楽も、知ってるものだけ聴いて終わってたら、つまらない。新しいものをどんどんと聴かないと損する」(なんか、がちがちソウルしか聴かないイメージの鈴木さんが言うところが受ける)
すると、しずおか屋オウナー富田さんが鈴木さんと熱き討論。富田さん。「いや、だから、(鈴木さんに)君は音楽を聴く範囲が狭いんだよ。いろいろ聴かなきゃだめなんだよ。サザン・ソウルはそりゃあ君は詳しいけど、例えば、(ちょうど何かカントリー曲をソウル歌手がカヴァーしているものがかかり)これなんか、元はカントリーなんだよ。それも知ってないと」と酒の勢いで説教気味。鈴木さん富田さんの前では神妙。
そして、僕のブログのことに話が飛ぶと、鈴木さんが「ブログ、書いてお金になるの」と質問。「なりません」と僕が答える間もなく、「そんなこと言ってるからだめなんだ。そういう問題じゃないんだよ」と富田さんヴォルテージ・アップ!(笑)
いやあ、おもしろい。みんなで記念撮影するときに、富田さんにおなかのあたりをつねられ、「吉岡君は運動不足だな」と言われた。酒勢。
深夜12時、しずおか屋閉店近く。主催者白川さんは、翌日は読経が1セッション。「明日は1ステージだから(今日は遅くなっても)大丈夫だよ。多い日は5ステージくらいやるからね」と二次会のセッティングに余念がなかった。白川セッション、もちろん2ステージも5ステージも、観客は総入れ替えです。
■過去の白川会および「しずおか屋」関連記事↓
2009年12月18日(金)
白川会@しずおか屋~ソウル談義の夜は更けて
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20091218.html
(前回第3回)
May 25, 2009
レコード地獄に足を一歩踏み入れた新人19歳とどっぷり頭までつかった61歳の邂逅
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090525.html
(第2回)
December 03, 2008
Another Soul Summit At Shizuoka-Ya
【もうひとつのソウル・サミット~鈴木啓志氏パソコン始める】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081203.html
(第1回)
2008年12月13日(土)
光石研さんとしずおか屋
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081213.html
November 04, 2009 02:58:28
しずおか屋35周年パーティー、開かれる
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10380305472.html
January 26, 2006
Excello/Shizuoka Ya @ Shimokitazawa: Soul Oden Restaurant
【しずおか屋~下北沢のソウル・おでん屋】
http://blog.soulsearchin.com/archives/000795.html
2003/04/03 (Thu)
As the boy, so the man
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030403-1.html
2003/12/19 (Fri)
Synchronicity @ Shizuoka-Ya & Little Soul Cafe
http://www.soulsearchin.com/entertainment/soulbars/diary20031219.html
■EXCELLO しずおか屋 (エクセロ しずおかや)
住所: 東京都世田谷区北沢2-6-6 澤田ビル202
電話: 03-3465-6154
営業時間: 18:00~24:00
定休日: 日曜 (祭日は営業)
行きかた: 下北沢駅南口より徒歩約3分
(現在の場所には2005年4月移転。)
■ CHAPS (チャップス) ソウルバー
〒155-0031東京都世田谷区北沢2-17-10 第2滝本ビル3F
電話: 03-3424-2545
営業時間: 20:00~5:00くらい(不定休)
開店: 2009年2月17日
ホームページ
http://www3.ocn.ne.jp/~chaps/
ブログ
http://chaps-project.blog.ocn.ne.jp/
ENT>ESSAY>
ENT>EVENT>Shirakawa-kai, Shimokitazawa Soul Summit
SOUL BARS>Excello/Shizuokaya, Chaps
【4th Shirakawa-kai: Shimokitazawa Soul Sumit】
盛況。
ファンキー・ボーズ(本職・住職)こと白川さんの音頭で始まった下北沢ソウル・サミット、通称「白川会」の第4回が2010年9月10日(金)下北沢のソウルおでん屋「しずおか屋」で行われた。2008年12月、2009年5月、2009年12月以来。佐藤善雄さん、松尾潔さん、鈴木啓志、小西さん、ロージーさん、りんりんさんら多数(約17名プラスしずおか屋オウナー、富田夫妻)が、とりとめのないソウル談義を繰り広げた。今回も光石研(単語登録済)さんはひじょうに残念ながらロケがはいってしまい不参加。みんなでなんとか光石さん参加でやりましょうと話が盛り上がった。光石さんは、大のシャネルズ・ファンで、たまたましばらく前にタワー・レコードでラッツ&スターの通称ブラック・ボックスを見つけ、狂喜乱舞、即買い求め、ロケなどに行くときにアイポッドなどにいれていつも楽しんでいる、という。(光石研さんの音楽遍歴としずおか屋については下記参照)
2008年12月13日(土)
光石研さんとしずおか屋
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081213.html
さて、この日は途中で佐藤善雄(元シャネルズ、前ラッツ&スター、現ゴスペラッツ)さんの誕生日が9月12日ということで2日早くサプライズ・ハッピーバースデイが。
佐藤さんと話してて、先日このブログに掲載したYMN(吉岡・松尾・中田対談)で、佐藤さんのファイル・レコードの話(そこからクール・スプーン、ゴスペラーズ、ライムスター、スチャダラパーなどを輩出したファイル・レコードはすごいという話)を中田さんと松尾さんがしたが、それを読んで大変感激したという。若い中田さんが、そのあたりをちゃんと評価してくれたことで、昨今のインディのレコード/CDの低迷ぶりに若干気持ちが萎えていたところ、これを読んで心の中でガッツポーズをしたそうだ。いい話だ。
2010年08月02日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10607154402.html#main
(ちなみに、このYMN原稿、パート3までアップしてありますが、パート4もできております。ただパート5、6くらいまでがまだ文字起こしができてなくて、それができたら、まとめて3パートにわたってお届けする予定です。)
おもしろかったのは鈴木さんの一人息子、一路(かずみち=英語読みはOne Way=外人に紹介するときは、This is One Way Suzuki, nice to meet youとなる…かな(笑))君が、隣に座った佐藤さんと話をしているときに、周囲からラッツの話を聞いて「(シャネルズ、ラッツの頃)顔に泥塗ってたんですか」。「泥じゃないよ、ドウランだよ」(佐藤さん)というまるでコントのようなやりとり。
この日意外だったのは、鈴木啓志さんと話をしていて、鈴木さんがここ20年くらいはジャズのレコードも聴いている、と明らかになったこと。「鈴木さんがジャズ??」 なんでも鈴木さん曰く。「ジャズのビート=4ビートはジャズの遺産だ。これも含めバップ、ハードバップなどもジャズ・ファンクという中で捉えると大変重要だ。特に4ビートは独自のものであり基本。それに対してリスペクトを持って聴かないとダメだ」
「しかし、なんでソウルがちがちの鈴木さんがジャズを?」と尋ねると、おもしろい答えが返ってきた。「いやあ、昔から自分が欲しいレコード、海外から買う場合、たとえば、デルフォニックスとかすごい高いんだけど、ジャズのもの、ロイ・エヤーズとかハービー・ハンコックとかけっこう安いんだよね。だから、もし聴かなくなったら売っちゃえばいいや、と思ってしょうがなく買ってたら、そういう(ジャズ系)のが増えちゃって、聴いてたら、けっこうはまっちゃったんだよ。マイルスなんて全盛期のはほんと、素晴らしいよ。ソウルは高くても、ジャズとゴスペルは安かったんだ(笑)」 これは怪我の功名か。(笑) でも、そんな雑談の中、鈴木さんこんな素晴らしいことを酔いながらも言ってくれた。いや、酔ってたから言ったのかもしれない。
鈴木啓志、本日の名言。「音楽も、知ってるものだけ聴いて終わってたら、つまらない。新しいものをどんどんと聴かないと損する」(なんか、がちがちソウルしか聴かないイメージの鈴木さんが言うところが受ける)
すると、しずおか屋オウナー富田さんが鈴木さんと熱き討論。富田さん。「いや、だから、(鈴木さんに)君は音楽を聴く範囲が狭いんだよ。いろいろ聴かなきゃだめなんだよ。サザン・ソウルはそりゃあ君は詳しいけど、例えば、(ちょうど何かカントリー曲をソウル歌手がカヴァーしているものがかかり)これなんか、元はカントリーなんだよ。それも知ってないと」と酒の勢いで説教気味。鈴木さん富田さんの前では神妙。
そして、僕のブログのことに話が飛ぶと、鈴木さんが「ブログ、書いてお金になるの」と質問。「なりません」と僕が答える間もなく、「そんなこと言ってるからだめなんだ。そういう問題じゃないんだよ」と富田さんヴォルテージ・アップ!(笑)
いやあ、おもしろい。みんなで記念撮影するときに、富田さんにおなかのあたりをつねられ、「吉岡君は運動不足だな」と言われた。酒勢。
深夜12時、しずおか屋閉店近く。主催者白川さんは、翌日は読経が1セッション。「明日は1ステージだから(今日は遅くなっても)大丈夫だよ。多い日は5ステージくらいやるからね」と二次会のセッティングに余念がなかった。白川セッション、もちろん2ステージも5ステージも、観客は総入れ替えです。
■過去の白川会および「しずおか屋」関連記事↓
2009年12月18日(金)
白川会@しずおか屋~ソウル談義の夜は更けて
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20091218.html
(前回第3回)
May 25, 2009
レコード地獄に足を一歩踏み入れた新人19歳とどっぷり頭までつかった61歳の邂逅
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090525.html
(第2回)
December 03, 2008
Another Soul Summit At Shizuoka-Ya
【もうひとつのソウル・サミット~鈴木啓志氏パソコン始める】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081203.html
(第1回)
2008年12月13日(土)
光石研さんとしずおか屋
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081213.html
November 04, 2009 02:58:28
しずおか屋35周年パーティー、開かれる
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10380305472.html
January 26, 2006
Excello/Shizuoka Ya @ Shimokitazawa: Soul Oden Restaurant
【しずおか屋~下北沢のソウル・おでん屋】
http://blog.soulsearchin.com/archives/000795.html
2003/04/03 (Thu)
As the boy, so the man
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030403-1.html
2003/12/19 (Fri)
Synchronicity @ Shizuoka-Ya & Little Soul Cafe
http://www.soulsearchin.com/entertainment/soulbars/diary20031219.html
■EXCELLO しずおか屋 (エクセロ しずおかや)
住所: 東京都世田谷区北沢2-6-6 澤田ビル202
電話: 03-3465-6154
営業時間: 18:00~24:00
定休日: 日曜 (祭日は営業)
行きかた: 下北沢駅南口より徒歩約3分
(現在の場所には2005年4月移転。)
■ CHAPS (チャップス) ソウルバー
〒155-0031東京都世田谷区北沢2-17-10 第2滝本ビル3F
電話: 03-3424-2545
営業時間: 20:00~5:00くらい(不定休)
開店: 2009年2月17日
ホームページ
http://www3.ocn.ne.jp/~chaps/
ブログ
http://chaps-project.blog.ocn.ne.jp/
ENT>ESSAY>
ENT>EVENT>Shirakawa-kai, Shimokitazawa Soul Summit
SOUL BARS>Excello/Shizuokaya, Chaps
◎ラスカルズ初来日ライヴ
2010年9月11日 音楽◎ラスカルズ初来日ライヴ
【Rascals First Gig In Tokyo】
初来日。
1960年代にいわゆる「ブルー・アイド・ソウル」のグループとして数々のヒットを放ったラスカルズ。その中心的人物フェリックス・キャヴァリエが率いるラスカルズが初来日、ライヴを行った。
主なヒットが60年代だけあって、さすがに年季の入ったポップス・ファンが集まった感じがしたが、圧倒的に当時をリアル・タイムで聞いた人が少ないせいか、満員とはなっていない。
ドラムス、ギター、ベースにコーラス、そして、キーボードとヴォーカルでキャヴァリエ。コーラスの女性はフェリックスの娘さんだ。
フェリックスの声は予想外によく出ていて、バンドもこれならぜんぜん問題ない。次々出てくるヒット曲は、当時ラスカルズになじんだファンなら涙物。サウンドがオルガンを使うこともあって、60年代っぽい。なんか、昔のモノクロテレビに映る60年代のグループサウンズのようで味がある。あちこちに、今のヒット曲をちょこちょこちりばめるあたりが、サーヴィス精神旺盛のところ。
やはり、「グルーヴィン」「ピープル・ガット・トゥ・ビー・フリー」などは、かなり盛り上がる。
→9月4日(土)まで東京ブルーノートで
■ ベストアルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000331T/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
フェリックス・キャヴァリエ(ヴォーカル、キーボード)Felix Cavaliere(vo,key)
アリア・キャヴァリエ(ヴォーカル)Aria Cavaliere(vo)
スティーブン・マンディル(ギター)Stephan Mandile(g)
ジョン・ハワード(ベース)John Howard(b)
チャールズ・タイリー(ドラムス)Charles Tilley(ds)
■ セットリスト
show started 19:02
01. Lonely Too Long
02. In The Midnight Hour (including a riff of “Thank You”, “Billie Jean”)
03. A Beautiful Morning
04. Love Is A Beautiful Thing
05. Groovin’
06. A Girl Like You (including a riff of “My Girl”, “Just My Imagination”)
07. I Ain’t Gonna Eat Out My Heart Anymore
08. Mustang Sally
09. How Can I Be Sure
10. I Can’t Stand It
11. People Got To Be Free (including a riff of “Love Train”)
Enc. Good Lovin’ ~ La Bambada ~ Hang On ~ Whole Lotta Love ~ Purple Haze ~ What’s Going On ~ Good Lovin’
Show ended 20:16
(2010年9月9日木曜、ブルーノート東京=フェリックス・キャヴァリエズ・ラスカルズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE> Felix Cavaliere’s Rascals
【Rascals First Gig In Tokyo】
初来日。
1960年代にいわゆる「ブルー・アイド・ソウル」のグループとして数々のヒットを放ったラスカルズ。その中心的人物フェリックス・キャヴァリエが率いるラスカルズが初来日、ライヴを行った。
主なヒットが60年代だけあって、さすがに年季の入ったポップス・ファンが集まった感じがしたが、圧倒的に当時をリアル・タイムで聞いた人が少ないせいか、満員とはなっていない。
ドラムス、ギター、ベースにコーラス、そして、キーボードとヴォーカルでキャヴァリエ。コーラスの女性はフェリックスの娘さんだ。
フェリックスの声は予想外によく出ていて、バンドもこれならぜんぜん問題ない。次々出てくるヒット曲は、当時ラスカルズになじんだファンなら涙物。サウンドがオルガンを使うこともあって、60年代っぽい。なんか、昔のモノクロテレビに映る60年代のグループサウンズのようで味がある。あちこちに、今のヒット曲をちょこちょこちりばめるあたりが、サーヴィス精神旺盛のところ。
やはり、「グルーヴィン」「ピープル・ガット・トゥ・ビー・フリー」などは、かなり盛り上がる。
→9月4日(土)まで東京ブルーノートで
■ ベストアルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000331T/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
フェリックス・キャヴァリエ(ヴォーカル、キーボード)Felix Cavaliere(vo,key)
アリア・キャヴァリエ(ヴォーカル)Aria Cavaliere(vo)
スティーブン・マンディル(ギター)Stephan Mandile(g)
ジョン・ハワード(ベース)John Howard(b)
チャールズ・タイリー(ドラムス)Charles Tilley(ds)
■ セットリスト
show started 19:02
01. Lonely Too Long
02. In The Midnight Hour (including a riff of “Thank You”, “Billie Jean”)
03. A Beautiful Morning
04. Love Is A Beautiful Thing
05. Groovin’
06. A Girl Like You (including a riff of “My Girl”, “Just My Imagination”)
07. I Ain’t Gonna Eat Out My Heart Anymore
08. Mustang Sally
09. How Can I Be Sure
10. I Can’t Stand It
11. People Got To Be Free (including a riff of “Love Train”)
Enc. Good Lovin’ ~ La Bambada ~ Hang On ~ Whole Lotta Love ~ Purple Haze ~ What’s Going On ~ Good Lovin’
Show ended 20:16
(2010年9月9日木曜、ブルーノート東京=フェリックス・キャヴァリエズ・ラスカルズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE> Felix Cavaliere’s Rascals
◎ラリー・グラハム&グラハム・セントラル・ステーション:爆音ファンク
2010年9月10日 音楽◎ラリー・グラハム&グラハム・セントラル・ステーション:爆音ファンク
【Larry Graham & Graham Central Station: Explosion Of Funk】
爆音。
昨年(2009年)も来日していたラリー・グラハム、昨年はスケジュールの関係で見られなかったが、今年は満を持しての参戦。この前に、3日間、人気ベース奏者マーカス・ミラーとの共演というプログラムもあり、こちらはソールド・アウトの超人気。こちらは、ラリー自身のバンド、グラハム・セントラル・ステーションのライヴだ。ラリーは十数年前、五反田ユーポートで見た記憶があるが、かなり久しぶり。
ドラムス、ギター、キーボード2人、パーカッションにラリー・グラハムのベース&ヴォーカルという編成。
さて、MCがちょっと煽ってから、メンバーがなんと2階(4階)から、マーチング・バンドよろしく白いスーツ姿で登場した。まさに「アントロー」のようだった。そして、全員ステージに揃うと、いきなり大爆音が会場にこだました。ここまで大きな音は、ビルボードでもかなり珍しいような気がする。なにしろ、ドラムの音よりラリー・グラハムのベースの音が大きく、まるでフルセットのドラムが軽いパーカッションのようにさえ思えてしまうほど。(笑) ラリーのベース音って一体どれだけのもの?
ベース自体にヴォーカル・マイクをつけ、それに向かいラリーも歌うが、そのファンキーでエンタテインに徹したところなどお見事。現役のファンク・バンドそのままだ。
もちろん、マーカス・ミラーも素晴らしいベース奏者であり大好きだが、マーカスがお行儀よく都会的に洗練され、しかもジャズを元にした感じなのに比べ、ラリーのベースは思い切りぶっとんで、ストリートで、泥臭く、エンタテインメントに徹している。日本ではマーカスのほうが一般的人気があるが、ラリーはその大先輩。チョッパーの元祖である。ラリー先生の前ではマーカスもひれ伏す、そんな偉大な存在だ。
全編ファンク一色で、ラリーの得意なバラードは一切なし。この徹底したところも素晴らしい。途中で「自分は、かつてあるバンドにいた。みんなわかるか?」と言うと、観客から「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」の掛け声。そして、観客からリクエストをつのり、それを演奏し始めた。途中、「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」では、観客から歌自慢の一般の人を集め、ステージにあげた。このときは、14歳だという黒人女性シャニータとスタン・ファンカファイドという白人男性がステージに立った。シャニータは実に堂々とした歌いっぷりで、驚いた。度胸たっぷりで、ヴォーカル・トレーニングしたらプロにもなれるだろう。スタンは白人だが、ラップを披露、その後、この歌を歌った。これも、なかなか素人離れしていた。
次から次々へとノンストップで繰り広げられるファンク絵図。ベース・ソロなんて、ベース・ソロだけで10分近くやって、しかも、それで決して観客を飽きさせない。どれだけ、エンタテイナーなんだ。
音楽の基本、リズムの基本は普通ドラムスだという。それは正解だが、このラリー・グラハムに限って、リズムの基本はラリーのはじけるベースだ。これがすべてのリズムのファンデーション(土台)だ。
後半スライ&ファミリー・メドレーになってからは、来日したスライよりもパワーあふれるスライ・ファンクを見せたような気がした。これくらいになると、オリジナルがいる派生バンドとして、堂々とした存在になるからすごい。同じカヴァー・バンドでも、シュガーフットがいるオハイオ・プレイヤーズはそこに精神的支柱があるだけで、よりオハイオっぽくなる。それと同じで、ラリー1人がいるだけで、よりスライ色が濃くなるのだ。
最後は、またアカペラになり、バンド隊になって、客席から楽屋にはけていった。そして、その後は、強烈なファンクの残り香が漂った。
(ビルボードで土曜日まで)
■ ベスト・アルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HG61/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002KF6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
ラリー・グラハム / Larry Graham(Bass/Vocals)
ウィルトン・ザイノマイト・ラブ / Wilton "Zynomite" Rabb(Guitar)
アシュリング・ビスケット・コール / Ashling "Biscuit" Cole(Vocals)
デイヴィッド・シティ・カウンシル / David "City" Council(Keyboards)
ジミ・ジョイ・マッキニー・ジュニア / Jimi "Joy" McKinney Jr.(Keyboards)
ブライアン・リオ・ブラジエル / Brian "Rio" Braziel(Drums)
■ セットリスト
show started 21:30
01. Intro (Entrow)
02. GCS (Acapella)
03. We’ve Been Waiting
04. Ain’t No Fun To Me
05. It’s Alright
06. Feel The Need In Me
07. I Can’t Stand The Rain
08. (Instrumental- Bass Solo)
09. Sly & Family Stone Medley: Family Affair
10. If You Want Me To Stay (including audience singing. Shanita & Stan Funkafied)
11. Dance To The Music
12. The Jam
13. Thank You ~ Dance To The Music ~ Thank You
Enc. (No Title: temporary titled Funky Jam)
Enc. Now D-U-Wanta Dance ~ Fired Up ~ I Wanna Take You Higher
Show ended 22:58
(2010年9月9日木曜、ビルボードライブ東京=ラリー・グラハム&グラハム・セントラル・ステーション・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Graham, Larry & Graham Central Station
2010-
【Larry Graham & Graham Central Station: Explosion Of Funk】
爆音。
昨年(2009年)も来日していたラリー・グラハム、昨年はスケジュールの関係で見られなかったが、今年は満を持しての参戦。この前に、3日間、人気ベース奏者マーカス・ミラーとの共演というプログラムもあり、こちらはソールド・アウトの超人気。こちらは、ラリー自身のバンド、グラハム・セントラル・ステーションのライヴだ。ラリーは十数年前、五反田ユーポートで見た記憶があるが、かなり久しぶり。
ドラムス、ギター、キーボード2人、パーカッションにラリー・グラハムのベース&ヴォーカルという編成。
さて、MCがちょっと煽ってから、メンバーがなんと2階(4階)から、マーチング・バンドよろしく白いスーツ姿で登場した。まさに「アントロー」のようだった。そして、全員ステージに揃うと、いきなり大爆音が会場にこだました。ここまで大きな音は、ビルボードでもかなり珍しいような気がする。なにしろ、ドラムの音よりラリー・グラハムのベースの音が大きく、まるでフルセットのドラムが軽いパーカッションのようにさえ思えてしまうほど。(笑) ラリーのベース音って一体どれだけのもの?
ベース自体にヴォーカル・マイクをつけ、それに向かいラリーも歌うが、そのファンキーでエンタテインに徹したところなどお見事。現役のファンク・バンドそのままだ。
もちろん、マーカス・ミラーも素晴らしいベース奏者であり大好きだが、マーカスがお行儀よく都会的に洗練され、しかもジャズを元にした感じなのに比べ、ラリーのベースは思い切りぶっとんで、ストリートで、泥臭く、エンタテインメントに徹している。日本ではマーカスのほうが一般的人気があるが、ラリーはその大先輩。チョッパーの元祖である。ラリー先生の前ではマーカスもひれ伏す、そんな偉大な存在だ。
全編ファンク一色で、ラリーの得意なバラードは一切なし。この徹底したところも素晴らしい。途中で「自分は、かつてあるバンドにいた。みんなわかるか?」と言うと、観客から「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」の掛け声。そして、観客からリクエストをつのり、それを演奏し始めた。途中、「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」では、観客から歌自慢の一般の人を集め、ステージにあげた。このときは、14歳だという黒人女性シャニータとスタン・ファンカファイドという白人男性がステージに立った。シャニータは実に堂々とした歌いっぷりで、驚いた。度胸たっぷりで、ヴォーカル・トレーニングしたらプロにもなれるだろう。スタンは白人だが、ラップを披露、その後、この歌を歌った。これも、なかなか素人離れしていた。
次から次々へとノンストップで繰り広げられるファンク絵図。ベース・ソロなんて、ベース・ソロだけで10分近くやって、しかも、それで決して観客を飽きさせない。どれだけ、エンタテイナーなんだ。
音楽の基本、リズムの基本は普通ドラムスだという。それは正解だが、このラリー・グラハムに限って、リズムの基本はラリーのはじけるベースだ。これがすべてのリズムのファンデーション(土台)だ。
後半スライ&ファミリー・メドレーになってからは、来日したスライよりもパワーあふれるスライ・ファンクを見せたような気がした。これくらいになると、オリジナルがいる派生バンドとして、堂々とした存在になるからすごい。同じカヴァー・バンドでも、シュガーフットがいるオハイオ・プレイヤーズはそこに精神的支柱があるだけで、よりオハイオっぽくなる。それと同じで、ラリー1人がいるだけで、よりスライ色が濃くなるのだ。
最後は、またアカペラになり、バンド隊になって、客席から楽屋にはけていった。そして、その後は、強烈なファンクの残り香が漂った。
(ビルボードで土曜日まで)
■ ベスト・アルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HG61/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002KF6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
ラリー・グラハム / Larry Graham(Bass/Vocals)
ウィルトン・ザイノマイト・ラブ / Wilton "Zynomite" Rabb(Guitar)
アシュリング・ビスケット・コール / Ashling "Biscuit" Cole(Vocals)
デイヴィッド・シティ・カウンシル / David "City" Council(Keyboards)
ジミ・ジョイ・マッキニー・ジュニア / Jimi "Joy" McKinney Jr.(Keyboards)
ブライアン・リオ・ブラジエル / Brian "Rio" Braziel(Drums)
■ セットリスト
show started 21:30
01. Intro (Entrow)
02. GCS (Acapella)
03. We’ve Been Waiting
04. Ain’t No Fun To Me
05. It’s Alright
06. Feel The Need In Me
07. I Can’t Stand The Rain
08. (Instrumental- Bass Solo)
09. Sly & Family Stone Medley: Family Affair
10. If You Want Me To Stay (including audience singing. Shanita & Stan Funkafied)
11. Dance To The Music
12. The Jam
13. Thank You ~ Dance To The Music ~ Thank You
Enc. (No Title: temporary titled Funky Jam)
Enc. Now D-U-Wanta Dance ~ Fired Up ~ I Wanna Take You Higher
Show ended 22:58
(2010年9月9日木曜、ビルボードライブ東京=ラリー・グラハム&グラハム・セントラル・ステーション・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Graham, Larry & Graham Central Station
2010-
○グルーヴ・セオリー初来日、フィリップ・ウー、ウェイン・ジョーンズ(オーストラリアのマーカス・ミラー)
【Groove Theory & Philip Woo Etc】
告知。
告知を3本ほど。日本でもたった一枚のアルバムで人気を獲得したネオ・ソウル系グループ、グルーヴ・セオリーが、グループとして初来日する。グルーヴ・セオリーは、1993年、ニューヨークでヴォーカリストのアメール・ラリューとラッパーのブライス・ウィルソンによって結成されたユニット。アルバム『グルーヴ・セオリー』を1995年にリリース、ここからメアリー・ジェーン・ガールズの曲「オール・ナイト・ロング」をサンプリングした「テル・ミー」が大ヒット。しかし、2枚目のアルバム制作中に2人は意見の相違でグループは自然解散した。アメールはその後ソロに転じ、アルバムをコンスタントにリリース。日本でも人気を獲得。2000年に初来日し、その後も2006年10月(コットンクラブ)、2008年5月(ビルボード・ライブ)など来日している。しかし、グルーヴ・セオリーとしての来日は初めてになる。2010年になり、アメールとブライスが、グループの再結成を発表。再結成してからこのブルーノートでのライヴが、世界で初めてになるという。
詳細は、ブルーノート・ウェッブ。
http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html
公演は2010年10月3日(日)から7日(木)まで、東京ブルーノート。
3日(日)は、午後6時と午後8時45分開演、4日から7日までは、午後7時と午後9時半から。料金8400円から。
ブルーノート東京
〒107-0062 東京都港区南青山6-3-16 ライカビル
電話03-5485-0088
東京メトロ表参道駅下車 徒歩約8分
■ グルーヴ・セオリー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005G3ZV/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ アメール・ラリュー 『インフィニット・ポシビリティ』(2000年)初ソロアルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00004RFX2/soulsearchiho-22/ref=nosim/
+++++
○ フィリップ・ウー&ウェイン・ジョーンズ、メビウスでライヴ
フィリップ・ウーが、「オーストラリアのマーカス・ミラー」と言われるベース奏者とともに、四谷のライヴハウス、メビウスでライヴを行う。フィリップのいつものフレンドたちにウェインがジョイン。ファンキーな夜を彩る予定。
ウェイン・ジョーンズのウェッブとマイスペース。
http://www.wayne-jones.com/bass-guitar/
http://www.myspace.com/waynejonesbass
2010年9月27日(月)
フィリィップ・ウー(Pf) , Wayne Jones(Bass), Cliff Archer (Bass), Hank Nishiyama (Guitar), Jay Stixx (Drums), Paula Vergus??(vocal)
四谷メビウス
http://www.mebius-yotsuya.jp/
東京都新宿区舟町8 舟町ビルB1
営団地下丸の内線 四ッ谷三丁目駅 徒歩3分
都営地下鉄新宿線 曙橋駅 徒歩3分
電話・FAX/03-3341-3732
チャージ3200円
ショー時間 1st 20:00~20:40、2nd 21:20~22:00、3rd 22:40~23:20
○ フィリップ・ウー、カモメ初登場
フィリップ・ウーが横浜のライヴハウス「カモメ」に初登場する。ヴォーカルはソウルフルなゲイリー・ウォーカー。
http://www.yokohama-kamome.com/
http://www.yokohama-kamome.com/pick-up/pick-up10.09.30.html#9/30
2010年9月30日(木)
Philip Woo Session
Philip Woo(P)(Key), Gary Walker(Vo), 西山"HANK"史翁(G), 息才 隆浩(B),下久保 昌紀(Ds)
¥3500
ショー 20時~
横浜カモメ 神奈川県横浜市中区住吉調6-76 電話045-662-5357
ENT>ANNOUNCEMENT>
【Groove Theory & Philip Woo Etc】
告知。
告知を3本ほど。日本でもたった一枚のアルバムで人気を獲得したネオ・ソウル系グループ、グルーヴ・セオリーが、グループとして初来日する。グルーヴ・セオリーは、1993年、ニューヨークでヴォーカリストのアメール・ラリューとラッパーのブライス・ウィルソンによって結成されたユニット。アルバム『グルーヴ・セオリー』を1995年にリリース、ここからメアリー・ジェーン・ガールズの曲「オール・ナイト・ロング」をサンプリングした「テル・ミー」が大ヒット。しかし、2枚目のアルバム制作中に2人は意見の相違でグループは自然解散した。アメールはその後ソロに転じ、アルバムをコンスタントにリリース。日本でも人気を獲得。2000年に初来日し、その後も2006年10月(コットンクラブ)、2008年5月(ビルボード・ライブ)など来日している。しかし、グルーヴ・セオリーとしての来日は初めてになる。2010年になり、アメールとブライスが、グループの再結成を発表。再結成してからこのブルーノートでのライヴが、世界で初めてになるという。
詳細は、ブルーノート・ウェッブ。
http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html
公演は2010年10月3日(日)から7日(木)まで、東京ブルーノート。
3日(日)は、午後6時と午後8時45分開演、4日から7日までは、午後7時と午後9時半から。料金8400円から。
ブルーノート東京
〒107-0062 東京都港区南青山6-3-16 ライカビル
電話03-5485-0088
東京メトロ表参道駅下車 徒歩約8分
■ グルーヴ・セオリー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005G3ZV/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ アメール・ラリュー 『インフィニット・ポシビリティ』(2000年)初ソロアルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00004RFX2/soulsearchiho-22/ref=nosim/
+++++
○ フィリップ・ウー&ウェイン・ジョーンズ、メビウスでライヴ
フィリップ・ウーが、「オーストラリアのマーカス・ミラー」と言われるベース奏者とともに、四谷のライヴハウス、メビウスでライヴを行う。フィリップのいつものフレンドたちにウェインがジョイン。ファンキーな夜を彩る予定。
ウェイン・ジョーンズのウェッブとマイスペース。
http://www.wayne-jones.com/bass-guitar/
http://www.myspace.com/waynejonesbass
2010年9月27日(月)
フィリィップ・ウー(Pf) , Wayne Jones(Bass), Cliff Archer (Bass), Hank Nishiyama (Guitar), Jay Stixx (Drums), Paula Vergus??(vocal)
四谷メビウス
http://www.mebius-yotsuya.jp/
東京都新宿区舟町8 舟町ビルB1
営団地下丸の内線 四ッ谷三丁目駅 徒歩3分
都営地下鉄新宿線 曙橋駅 徒歩3分
電話・FAX/03-3341-3732
チャージ3200円
ショー時間 1st 20:00~20:40、2nd 21:20~22:00、3rd 22:40~23:20
○ フィリップ・ウー、カモメ初登場
フィリップ・ウーが横浜のライヴハウス「カモメ」に初登場する。ヴォーカルはソウルフルなゲイリー・ウォーカー。
http://www.yokohama-kamome.com/
http://www.yokohama-kamome.com/pick-up/pick-up10.09.30.html#9/30
2010年9月30日(木)
Philip Woo Session
Philip Woo(P)(Key), Gary Walker(Vo), 西山"HANK"史翁(G), 息才 隆浩(B),下久保 昌紀(Ds)
¥3500
ショー 20時~
横浜カモメ 神奈川県横浜市中区住吉調6-76 電話045-662-5357
ENT>ANNOUNCEMENT>
◆フランクリン・アヴェニュー、20年ぶりに新メニューを追加
2010年9月8日 音楽◆フランクリン・アヴェニュー、20年ぶりに新メニューを追加
【Franklin Avenue Add New Flavor Of Hamburger First Since 1990】
ブルーチーズ・バーガー。
先日、ジョー・サンプルと五反田にある僕のお気に入りのハンバーガー屋フランクリン・アヴェニューでランチをした。(そのときの話は、難しい内容なのでまた後日まとめてブログに書きます) その時に、フランクリンのオウナー幸三さんが3年かけて試行錯誤したという、新作ブルーチーズ・バーガーを食べた。
ブルーチーズとゴーダチーズの二種類のチーズを混ぜ、パテの加減も従来より軽めのものに改良をし、今回世に出る事となった。なんでも、幸三さんが3年ほどまえにハワイのホテルで食べたブルーチーズ・バーガーにものすごく感銘を受け、自分の店でもメニューとして出したいと思ったのだという。ハワイのどのホテルで食べたのか尋ねると、それがよく覚えていないらしい。なるほど、場所よりもとにかくブルーチーズ・バーガーに衝撃を受けたのだろう。東京に帰ってきてから、あらゆるチーズを片っ端から試した。それこそ、つきあいのあるチーズ業者から、紀伊国屋、明治屋、デパートなどブルーチーズと見れば買い漁り、試した。100や200は試したらしい。だが、なかなかあのハワイの味は再現できない。途中何度もあきらめかけた。
それがたまたまつい最近、つきあいのある業者から、これとこれを試しに混ぜたらどうか、という提案を受け、試しにやってみたら、見事にはまった、という。「何でも、あきらめちゃいけないんですよね」と幸三さんは言う。1990年にオープンしたこのフランクリンで、ハンバーガーの新メニューを加えるのは、20年目にして今回が初めてのこと。フランクリンの歴史的事件、それほどの衝撃なのだ。
噂のブルーチーズ・バーガーは、なんともチーズがとろっとろっで見た目からして美味しそうだ。
半分にカットして、一口がぶりとすると、肉汁もたっぷりだが、チーズとのハーモニーが完璧だ。肉とトマト、たまねぎ、レタスとの絡みも最高で、一瞬にして僕を病み付きにさせた。幸三さんによると、「パテもいろいろ変えて、おなかに負担のない、食べても胃がもたれないものにしたんです。だから、濃い味や(一般の)ケミカルな味に慣れてる人には、ちょっと物足りなく感じられるかもしれませんが、また食べたくなるはずです。自信作です」
確かに、あんなに大きなヴォリュームなのにまったく胃にもたれない。不思議なハンバーガーだ。
ところで、僕は9月24、25日に開催される「ソウルパワー2010」のパンフレットの原稿に追われ、東京ジャズも終わり、ジョーも帰国した今、ついにお尻に火がついた。(笑)
そんなこんなで、バタバタ。本当は昨日はフェリックス・キャバリエ(ラスカルズ)に行く予定だったが、観たいライヴも我慢して原稿執筆に明け暮れている。
そんな中、ちょっと気分転換と思い、自宅から徒歩五分圏内のフランクリンでまたブルーチーズ・バーガーを今日(といっても昨日か)食べてきた。本当に癖になる味。もう僕は病み付き。
もちろんフランクリンでも校正したり、お仕事モード。(笑)
東京ジャズは幸三さんと行ったのだが、幸三さんはジョーたちに自作の「クラブ・ハウス・サンド」を差し入れた。ジョーはフランクリンの話をメンバーたちにずいぶんと話したようで、なんと、ウェイン・ヘンダーソンが「ジョーが君の(フランクリン)とこのハンバーガーは、best in the world 世界中でベストだって言ってたぞ」と言っていた。すごーい。
“Hamburger: Best In The World” by Joe Sample なんてのは、大変なキャッチフレーズではないか。
ハンバーガー好きの方は、ぜひ、この「ブルーチーズ・バーガー」を一度お試しあれ。人気赤丸急上昇間違いない。でも、まさかこれでまたフランクリンが行列になっちゃうと困るなあ…。
■ 過去関連記事
May 06, 2005
The Soul Of Hamburger: 7025 Franklin Avenue
【「魂のバーガー」~フランクリン・アヴェニューのハンバーガー】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_05_06.html
■フランクリン・アヴェニュー7025
フランクリンには公式のホームページはありません。ただ、例えば東京レストラン・ガイドには100近くのレヴューが載っています。
http://www.asku.com/cgi-bin/jrg/osform/JRGRead?osform_template=Restaurant.oft&adbid=0&anewdbid=0&pRestId=4167
【フランクリン・アヴェニュー7025】
正式には「7025 フランクリン アヴェニュー」
7025 Franklin Ave.
東京都品川区東五反田3-15-18
電話 03-3441-5028
営業時間 11時から21時 (日曜は19時半まで)(途中休みなし)
定休日 なし
ハンバーガー 950円~
予算 1人2-3000円
予約不可、カード使用不可
ESSAY>Franklin Avenue
【Franklin Avenue Add New Flavor Of Hamburger First Since 1990】
ブルーチーズ・バーガー。
先日、ジョー・サンプルと五反田にある僕のお気に入りのハンバーガー屋フランクリン・アヴェニューでランチをした。(そのときの話は、難しい内容なのでまた後日まとめてブログに書きます) その時に、フランクリンのオウナー幸三さんが3年かけて試行錯誤したという、新作ブルーチーズ・バーガーを食べた。
ブルーチーズとゴーダチーズの二種類のチーズを混ぜ、パテの加減も従来より軽めのものに改良をし、今回世に出る事となった。なんでも、幸三さんが3年ほどまえにハワイのホテルで食べたブルーチーズ・バーガーにものすごく感銘を受け、自分の店でもメニューとして出したいと思ったのだという。ハワイのどのホテルで食べたのか尋ねると、それがよく覚えていないらしい。なるほど、場所よりもとにかくブルーチーズ・バーガーに衝撃を受けたのだろう。東京に帰ってきてから、あらゆるチーズを片っ端から試した。それこそ、つきあいのあるチーズ業者から、紀伊国屋、明治屋、デパートなどブルーチーズと見れば買い漁り、試した。100や200は試したらしい。だが、なかなかあのハワイの味は再現できない。途中何度もあきらめかけた。
それがたまたまつい最近、つきあいのある業者から、これとこれを試しに混ぜたらどうか、という提案を受け、試しにやってみたら、見事にはまった、という。「何でも、あきらめちゃいけないんですよね」と幸三さんは言う。1990年にオープンしたこのフランクリンで、ハンバーガーの新メニューを加えるのは、20年目にして今回が初めてのこと。フランクリンの歴史的事件、それほどの衝撃なのだ。
噂のブルーチーズ・バーガーは、なんともチーズがとろっとろっで見た目からして美味しそうだ。
半分にカットして、一口がぶりとすると、肉汁もたっぷりだが、チーズとのハーモニーが完璧だ。肉とトマト、たまねぎ、レタスとの絡みも最高で、一瞬にして僕を病み付きにさせた。幸三さんによると、「パテもいろいろ変えて、おなかに負担のない、食べても胃がもたれないものにしたんです。だから、濃い味や(一般の)ケミカルな味に慣れてる人には、ちょっと物足りなく感じられるかもしれませんが、また食べたくなるはずです。自信作です」
確かに、あんなに大きなヴォリュームなのにまったく胃にもたれない。不思議なハンバーガーだ。
ところで、僕は9月24、25日に開催される「ソウルパワー2010」のパンフレットの原稿に追われ、東京ジャズも終わり、ジョーも帰国した今、ついにお尻に火がついた。(笑)
そんなこんなで、バタバタ。本当は昨日はフェリックス・キャバリエ(ラスカルズ)に行く予定だったが、観たいライヴも我慢して原稿執筆に明け暮れている。
そんな中、ちょっと気分転換と思い、自宅から徒歩五分圏内のフランクリンでまたブルーチーズ・バーガーを今日(といっても昨日か)食べてきた。本当に癖になる味。もう僕は病み付き。
もちろんフランクリンでも校正したり、お仕事モード。(笑)
東京ジャズは幸三さんと行ったのだが、幸三さんはジョーたちに自作の「クラブ・ハウス・サンド」を差し入れた。ジョーはフランクリンの話をメンバーたちにずいぶんと話したようで、なんと、ウェイン・ヘンダーソンが「ジョーが君の(フランクリン)とこのハンバーガーは、best in the world 世界中でベストだって言ってたぞ」と言っていた。すごーい。
“Hamburger: Best In The World” by Joe Sample なんてのは、大変なキャッチフレーズではないか。
ハンバーガー好きの方は、ぜひ、この「ブルーチーズ・バーガー」を一度お試しあれ。人気赤丸急上昇間違いない。でも、まさかこれでまたフランクリンが行列になっちゃうと困るなあ…。
■ 過去関連記事
May 06, 2005
The Soul Of Hamburger: 7025 Franklin Avenue
【「魂のバーガー」~フランクリン・アヴェニューのハンバーガー】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_05_06.html
■フランクリン・アヴェニュー7025
フランクリンには公式のホームページはありません。ただ、例えば東京レストラン・ガイドには100近くのレヴューが載っています。
http://www.asku.com/cgi-bin/jrg/osform/JRGRead?osform_template=Restaurant.oft&adbid=0&anewdbid=0&pRestId=4167
【フランクリン・アヴェニュー7025】
正式には「7025 フランクリン アヴェニュー」
7025 Franklin Ave.
東京都品川区東五反田3-15-18
電話 03-3441-5028
営業時間 11時から21時 (日曜は19時半まで)(途中休みなし)
定休日 なし
ハンバーガー 950円~
予算 1人2-3000円
予約不可、カード使用不可
ESSAY>Franklin Avenue
◎東京ジャズ(パート2):渡辺香津美~ジャズ・クルセイダーズ・ライヴ
2010年9月7日 音楽◎東京ジャズ(パート2):渡辺香津美~ジャズ・クルセイダーズ・ライヴ
【Watanabe Kazumi, Jazz Crusaders At Tokyo Jazz】
歴史。
3日にわたって行われた東京ジャズ。最終日午後、日本が誇るギタリスト、渡辺香津美とジャズ・クルセイダーズを見た。
前者は、1980年に渡辺香津美が発表した代表作『トチカ』のメンバーを30年ぶりに集め、再現しようというもの。マイク・マイニエリ・プロデュースで、ドラムにオマー・ハキム、ベースにマーカス・ミラーという高校時代からの同級生仲間を配し、ウォーレン・バーンハートという重鎮もいれたセット。30年の間に、みなそれぞれ立派に成長し、スーパー・ミュージシャンに育っているところがすごい。オマーはアルバム・リリース後のツアーに参加している。今から30年前、まだ無名だが、才能あふれる若者をピックアップしたところは、まさに慧眼だ。
ライヴ・パフォーマンスは、もう文句のつけどころがない完成度の高いもの。レコードを聴いているかのような安定感だ。MCで、「マーカスは(『トチカ』を録音するときに)当時、自転車でスタジオにやってきた。その彼がこんなにビッグになって、親としては嬉しい気持ちだ」といったようなことを語ったが、あれから30年を経て、こうして同じステージに立てるのだから素晴らしい。それは、オマー・ハキムも同じこと。(オマー・ハキムとライヴ前に少し話ができたので、そのあたりの様子はまた後ほど。とてもおもしろかった)
東京ジャズ3日間のオオトリを務めたのが、ジョー・サンプルとウェイン・ヘンダーソンを中心にしたジャズ・クルサイダーズ。1974年以来、オフィシャルにはそれぞれ別の道を歩んでいたジョーとウェインだが、今年になってリユニオンを発表。その前に、単発で同じステージに立ったことはあるようだが、今回の東京ジャズが実質的な初ステージになるようだ。ドラムスのモヤース・ルーカスは、ウェイン・ヘンダーソンとライヴをやったことがあり、元々のウェインのドラマーが今回スケジュールがあわずに、誘われたという。今回彼らとステージに立つのは初。ベースはしばらく前からジョーと接点があった。当初の予定では、サックスのウイルトン・フェルダーが参加だったが、病気になり、急遽、ジェラルド・オルブライトが参加。クルセイダーズは彼にとってあこがれの存在だったので、大変光栄だと述べている。
ウェインは車椅子で登場、杖をついていた。足が悪いらしい。ウェインがジョーを指して「ジョーはファンキーな奴だ」というが、どう見てもウェインのほうがファンキーだ。(笑) ウェインによれば、お互いジョーが5歳でウェインが4歳の時から友人。ウェインの母親の姉妹がジョーの家の隣に住んでいたとかで、本当にご近所づきあいだったという。
セットリストは大変興味深いが、「スクラッチ」に関して、これには2ヴァージョンがあり、ゴスペル調のアレンジのものと、ファンキーなものがあり、1967年と1977年のライヴでもやっている、という。この日は、ゴスペル調のアレンジで披露すると言って演奏した。
曲間で、このバンドの音楽ディレクターであるジョーが、盛んにドラマーのほうか、ミュージシャン全体か、「俺を見ろ、俺を見ろ」と合図していたのが印象的だった。目と目で合図をしあい、テンポや曲のニュアンスをやりとりしなければならないのだ。
「ストリート・ライフ」は、ウェインが入って初めて聴いた。これはとても珍しい。ウェインのトロンボーンは、前回、ブルーノートで見たときよりも、若干「骨太」な印象が薄かった。体調のせいもあるのかもしれない。
最後、メンバー紹介をするときに、ウェインは、「俺の子供時代の恋人だ(my childhood sweetheart)」と何度も言ったのだが、ジョーはスルー。あのやりとりがおもしろかった。
ジョーとウェインが1974年に袂を分かったのは、その2人の性格からすると、当然というか自然の成り行きな気がする。それが、30年以上を経て、同じステージに立ったのだから、両者とも大人になったということだろうか。久々に再会しお互い昔話などをしつつ、楽しいひとときを過ごしたようだ。
(この東京ジャズについては、続く)
■ クルセイダーズ1
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000AU1M7U/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ジャズ・クルセイダーズ DVD
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000FUU0KA/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 渡辺香津美 トチカ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005LCIC/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ セットリスト、渡辺香津美@国際フォーラム・A、2010年9月5日(日)
Setlist: Watanabe Kazumi @ Kokusai Forum, Forum A, Sep.5th,2010
show started 19:33
01. Liquid Fingers ~ Cokumo Island
02. Impressions
03. Half Blood
04. Tochika ~ Marcus Solo ~ Sayonara
05. Ensyu Tsumabe Gaeshi
06. Unicorn
Enc. Manhattan Flu Dance
Show ended 20:48
■ メンバー
Watanabe Kazumi (guitar)
Omar Hakim (drums)
Marcus Miller (bass)
Mike Mainieri (vibraphone)
Warren Bernhardt (keyboards)
■ セットリスト ジャズ・クルセイダーズ@国際フォーラム・A、2010年9月5日(日)
Setlist: Jazz Crusaders @ Kokusai Forum, Forum A, Sep.5th,2010
show started 21:04
01. On Broadway
02. Sunset In The Mountains
03. The Thing
04. Scracth
05. Snowflake
06. Street Life
07. Weather Beat
08. Way Back Home
09. New Time Shuffle
Show ended 22:10
■ メンバー
Joe Sample (piano)
Wayne Henderson (trombone)
Gerald Albright (sax)
Moyes Lucus Jr. (drums)
Grady Reginold Sullivan Jr. (bass)
ENT>MUSIC>LIVE> Tokyo Jazz 2010>Watanabe, Kazumi
ENT>MUSIC>LIVE>Tokyo Jazz 2010>Jazz Crusaders
【Watanabe Kazumi, Jazz Crusaders At Tokyo Jazz】
歴史。
3日にわたって行われた東京ジャズ。最終日午後、日本が誇るギタリスト、渡辺香津美とジャズ・クルセイダーズを見た。
前者は、1980年に渡辺香津美が発表した代表作『トチカ』のメンバーを30年ぶりに集め、再現しようというもの。マイク・マイニエリ・プロデュースで、ドラムにオマー・ハキム、ベースにマーカス・ミラーという高校時代からの同級生仲間を配し、ウォーレン・バーンハートという重鎮もいれたセット。30年の間に、みなそれぞれ立派に成長し、スーパー・ミュージシャンに育っているところがすごい。オマーはアルバム・リリース後のツアーに参加している。今から30年前、まだ無名だが、才能あふれる若者をピックアップしたところは、まさに慧眼だ。
ライヴ・パフォーマンスは、もう文句のつけどころがない完成度の高いもの。レコードを聴いているかのような安定感だ。MCで、「マーカスは(『トチカ』を録音するときに)当時、自転車でスタジオにやってきた。その彼がこんなにビッグになって、親としては嬉しい気持ちだ」といったようなことを語ったが、あれから30年を経て、こうして同じステージに立てるのだから素晴らしい。それは、オマー・ハキムも同じこと。(オマー・ハキムとライヴ前に少し話ができたので、そのあたりの様子はまた後ほど。とてもおもしろかった)
東京ジャズ3日間のオオトリを務めたのが、ジョー・サンプルとウェイン・ヘンダーソンを中心にしたジャズ・クルサイダーズ。1974年以来、オフィシャルにはそれぞれ別の道を歩んでいたジョーとウェインだが、今年になってリユニオンを発表。その前に、単発で同じステージに立ったことはあるようだが、今回の東京ジャズが実質的な初ステージになるようだ。ドラムスのモヤース・ルーカスは、ウェイン・ヘンダーソンとライヴをやったことがあり、元々のウェインのドラマーが今回スケジュールがあわずに、誘われたという。今回彼らとステージに立つのは初。ベースはしばらく前からジョーと接点があった。当初の予定では、サックスのウイルトン・フェルダーが参加だったが、病気になり、急遽、ジェラルド・オルブライトが参加。クルセイダーズは彼にとってあこがれの存在だったので、大変光栄だと述べている。
ウェインは車椅子で登場、杖をついていた。足が悪いらしい。ウェインがジョーを指して「ジョーはファンキーな奴だ」というが、どう見てもウェインのほうがファンキーだ。(笑) ウェインによれば、お互いジョーが5歳でウェインが4歳の時から友人。ウェインの母親の姉妹がジョーの家の隣に住んでいたとかで、本当にご近所づきあいだったという。
セットリストは大変興味深いが、「スクラッチ」に関して、これには2ヴァージョンがあり、ゴスペル調のアレンジのものと、ファンキーなものがあり、1967年と1977年のライヴでもやっている、という。この日は、ゴスペル調のアレンジで披露すると言って演奏した。
曲間で、このバンドの音楽ディレクターであるジョーが、盛んにドラマーのほうか、ミュージシャン全体か、「俺を見ろ、俺を見ろ」と合図していたのが印象的だった。目と目で合図をしあい、テンポや曲のニュアンスをやりとりしなければならないのだ。
「ストリート・ライフ」は、ウェインが入って初めて聴いた。これはとても珍しい。ウェインのトロンボーンは、前回、ブルーノートで見たときよりも、若干「骨太」な印象が薄かった。体調のせいもあるのかもしれない。
最後、メンバー紹介をするときに、ウェインは、「俺の子供時代の恋人だ(my childhood sweetheart)」と何度も言ったのだが、ジョーはスルー。あのやりとりがおもしろかった。
ジョーとウェインが1974年に袂を分かったのは、その2人の性格からすると、当然というか自然の成り行きな気がする。それが、30年以上を経て、同じステージに立ったのだから、両者とも大人になったということだろうか。久々に再会しお互い昔話などをしつつ、楽しいひとときを過ごしたようだ。
(この東京ジャズについては、続く)
■ クルセイダーズ1
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000AU1M7U/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ジャズ・クルセイダーズ DVD
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000FUU0KA/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 渡辺香津美 トチカ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005LCIC/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ セットリスト、渡辺香津美@国際フォーラム・A、2010年9月5日(日)
Setlist: Watanabe Kazumi @ Kokusai Forum, Forum A, Sep.5th,2010
show started 19:33
01. Liquid Fingers ~ Cokumo Island
02. Impressions
03. Half Blood
04. Tochika ~ Marcus Solo ~ Sayonara
05. Ensyu Tsumabe Gaeshi
06. Unicorn
Enc. Manhattan Flu Dance
Show ended 20:48
■ メンバー
Watanabe Kazumi (guitar)
Omar Hakim (drums)
Marcus Miller (bass)
Mike Mainieri (vibraphone)
Warren Bernhardt (keyboards)
■ セットリスト ジャズ・クルセイダーズ@国際フォーラム・A、2010年9月5日(日)
Setlist: Jazz Crusaders @ Kokusai Forum, Forum A, Sep.5th,2010
show started 21:04
01. On Broadway
02. Sunset In The Mountains
03. The Thing
04. Scracth
05. Snowflake
06. Street Life
07. Weather Beat
08. Way Back Home
09. New Time Shuffle
Show ended 22:10
■ メンバー
Joe Sample (piano)
Wayne Henderson (trombone)
Gerald Albright (sax)
Moyes Lucus Jr. (drums)
Grady Reginold Sullivan Jr. (bass)
ENT>MUSIC>LIVE> Tokyo Jazz 2010>Watanabe, Kazumi
ENT>MUSIC>LIVE>Tokyo Jazz 2010>Jazz Crusaders
◎ロバータ・フラックとアル・ジャロウとメイシオ・パーカー:東京ジャズ・セットリスト
【Roberta Flack @ Tokyo Jazz Setlist】
セットリスト。
毎年この時期に行われる東京ジャズ。3日間、5プログラム、多数のアーティストが出演するライヴ・イヴェントだが、今年は僕はアル・ジャロウと、ジャズ・クルセイダーズを見に行く感じ。メイシオ、ロバータは一足先にコットン、ブルーノートで見た。アル・ジャロウは、ビルボードで日曜なので、クルセイダーズとかぶる。日曜は、NHK-FMがほぼ全プログラムを生中継したので、そこでお楽しみいただいた方も多いと思う。
まず、土曜日のロバータ、ラジオの仕事を終え、大急ぎでかけつけたが、開演時間が押していたせいか、後半部分を見ることができた。大きな会場でも、ロバータの歌声は響きわたっていた。事前にセットリストを作っていたのは、おそらくテレビ向けのためなのだろう。前半部分が下記のように正確に演奏されたかは、僕にはわからないのだが、もらった手書きのセットリストをもとに、ブルーノートでのライヴ・セットリストと比較しながら作った。
アル・ジャロウも、ワンワードだけが書かれたセットリストで判読がむずかしかった。もし、間違いなどがありましたら、お知らせください。適宜、修正します。
アル・ジャロウは、しばらく前に倒れて入院した騒ぎがあったが、すっかり体調もよくなっていた様子。すくなくとも実質的なパフォーマンスには影響はないように見えた。ただ、昔の全盛期から比べると、年を取ったなあ、という雰囲気はあるが、あいかわらず、「喉と体、すべてが楽器」というアル・ジャロウの佇まいはかわらない。それは素晴らしい。ジャズのスタンダード「テイク5」をアル節にするところなど、音楽を手玉にとって楽しむ極地だ。
なお、土曜昼の部のメイシオのセットリストも追記した。
■ 関連記事
ロバータ・フラック・ライヴ評 2010年9月2日(木)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100904.html
メイシオ・パーカー・ライヴ評 2010年9月3日(金)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100905.html
アル・ジャロウ・ライヴ評(2004年)
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20040427.html
アル・ジャロウ・ライヴ評(2003年)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030323-1.html
■セットリスト ロバータ・フラック 東京ジャズ2010年9月4日(土)
Setlist : Roberta Flack @ Tokyo Jazz, Kokusai Forum Hall A, September 4th, 2010
01. Intro/Theme (Rise)
02. Killing Me Softly With His Song
03. Feel Like Making Love
04. Tonight I Celebrate My Love
05. Sweet Georgia Brown
06. The Closer I Get To You
07. Where Is The Love
08. Marvin Gaye Medley: Inner City Blues – Save The Children – Mercy Mercy Me
09. Soft & Gentle Rain
10. The First Time Ever I Saw Your Face
11. (End theme) Love Me In A Special Way
show ended 20:28
■メンバー
ロバータ・フラック(ヴォーカル、ピアノ)Roberta Flack(vo,p)
シェルトン・ベクトン(キーボード、ミュージカル・ディレクター)Shelton Becton(key, musical director)
アルチューロ・タッピン(サックス、フルート)Arturo Tappin(sax,flute)
ディーン・ブラウン(ギター)Dean Brown(g)
ニコラス・ブランカー(ベース)Nicholas Brancker(b)
チェ・マーシャル(ドラムス)Che Marshall(ds)
デリック・ヒューズ(バック・ヴォーカル)Derick Hughes(back vo)
ノヴァ・ネルソン(バック・ヴォーカル)Nova Nelson(back vo)
メリッサ・ラロシェル(バック・ヴォーカル) Mellisa Larochelle(back vo)
◎ アル・ジャロウ・セットリスト
2010年9月4日(土)国際フォーラム、東京ジャズ
Setlist (not completed, some titles are still unknown): Al Jarreau
show started 20:49
01. Save Me
02. Rainbow In Your Eyes ?? or Look To The Rainbow
03. You Don’t See Me
04. We Got By
05. Sweet Potato Pie
06. Easy
07. Take Five
08. She’s Leaving Home??
09. We’re In This Love Together
10. After All
11. Bogie Down
12. Vocal Acapella
13. Roof Garden
Show ended
■メンバー
アル・ジャロウ/Al Jarreau(Vocals)
ジョー・トゥラーノ/Joe Turano(Keyboards, Saxophone)
ラリー・ウィリアムス/Larry Williams(Keyboards)
クリス・ウォーカー/Chris Walker(Guitar)
ジョン・カルデロン/John Calderon(Bass)
マーク・シモンズ/Mark Simmons(Drums)
◎ メイシオ・パーカー・セットリスト 2010年9月4日土曜・昼
01. Fiesta
02. Off The Hook
03. Satin Doll (1 Chorus)
04. Make It Funky
05. Baby Knows
06. Gimme Some More
07. You Don’t Know Me (Ray Charles)
08. Uptown Up
09. Run Joe
10. What You Know About Funk?
11. Pass The Peas ~ Soul Power ~ To Be Or Not To Be ~ Fiesta
■ メンバー
メイシオ・パーカー
Maceo Parker(sax,fl,vo)
Corey Parker(vo)
Neta Hall(vo)
Ron Tooley(tp)
Dennis Rollins(tb)
Will Boulware(key)
Bruno Speight(g)
Rodney "Skeet" Curtis(b)
Jamal Thomas(ds)
ENT>MUSIC>LIVE>Flack, Roberta
ENT>MUSIC>LIVE>Jarreau, Al
ENT>MUSIC>LIVE>Parker, Maceo
【Roberta Flack @ Tokyo Jazz Setlist】
セットリスト。
毎年この時期に行われる東京ジャズ。3日間、5プログラム、多数のアーティストが出演するライヴ・イヴェントだが、今年は僕はアル・ジャロウと、ジャズ・クルセイダーズを見に行く感じ。メイシオ、ロバータは一足先にコットン、ブルーノートで見た。アル・ジャロウは、ビルボードで日曜なので、クルセイダーズとかぶる。日曜は、NHK-FMがほぼ全プログラムを生中継したので、そこでお楽しみいただいた方も多いと思う。
まず、土曜日のロバータ、ラジオの仕事を終え、大急ぎでかけつけたが、開演時間が押していたせいか、後半部分を見ることができた。大きな会場でも、ロバータの歌声は響きわたっていた。事前にセットリストを作っていたのは、おそらくテレビ向けのためなのだろう。前半部分が下記のように正確に演奏されたかは、僕にはわからないのだが、もらった手書きのセットリストをもとに、ブルーノートでのライヴ・セットリストと比較しながら作った。
アル・ジャロウも、ワンワードだけが書かれたセットリストで判読がむずかしかった。もし、間違いなどがありましたら、お知らせください。適宜、修正します。
アル・ジャロウは、しばらく前に倒れて入院した騒ぎがあったが、すっかり体調もよくなっていた様子。すくなくとも実質的なパフォーマンスには影響はないように見えた。ただ、昔の全盛期から比べると、年を取ったなあ、という雰囲気はあるが、あいかわらず、「喉と体、すべてが楽器」というアル・ジャロウの佇まいはかわらない。それは素晴らしい。ジャズのスタンダード「テイク5」をアル節にするところなど、音楽を手玉にとって楽しむ極地だ。
なお、土曜昼の部のメイシオのセットリストも追記した。
■ 関連記事
ロバータ・フラック・ライヴ評 2010年9月2日(木)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100904.html
メイシオ・パーカー・ライヴ評 2010年9月3日(金)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100905.html
アル・ジャロウ・ライヴ評(2004年)
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20040427.html
アル・ジャロウ・ライヴ評(2003年)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030323-1.html
■セットリスト ロバータ・フラック 東京ジャズ2010年9月4日(土)
Setlist : Roberta Flack @ Tokyo Jazz, Kokusai Forum Hall A, September 4th, 2010
01. Intro/Theme (Rise)
02. Killing Me Softly With His Song
03. Feel Like Making Love
04. Tonight I Celebrate My Love
05. Sweet Georgia Brown
06. The Closer I Get To You
07. Where Is The Love
08. Marvin Gaye Medley: Inner City Blues – Save The Children – Mercy Mercy Me
09. Soft & Gentle Rain
10. The First Time Ever I Saw Your Face
11. (End theme) Love Me In A Special Way
show ended 20:28
■メンバー
ロバータ・フラック(ヴォーカル、ピアノ)Roberta Flack(vo,p)
シェルトン・ベクトン(キーボード、ミュージカル・ディレクター)Shelton Becton(key, musical director)
アルチューロ・タッピン(サックス、フルート)Arturo Tappin(sax,flute)
ディーン・ブラウン(ギター)Dean Brown(g)
ニコラス・ブランカー(ベース)Nicholas Brancker(b)
チェ・マーシャル(ドラムス)Che Marshall(ds)
デリック・ヒューズ(バック・ヴォーカル)Derick Hughes(back vo)
ノヴァ・ネルソン(バック・ヴォーカル)Nova Nelson(back vo)
メリッサ・ラロシェル(バック・ヴォーカル) Mellisa Larochelle(back vo)
◎ アル・ジャロウ・セットリスト
2010年9月4日(土)国際フォーラム、東京ジャズ
Setlist (not completed, some titles are still unknown): Al Jarreau
show started 20:49
01. Save Me
02. Rainbow In Your Eyes ?? or Look To The Rainbow
03. You Don’t See Me
04. We Got By
05. Sweet Potato Pie
06. Easy
07. Take Five
08. She’s Leaving Home??
09. We’re In This Love Together
10. After All
11. Bogie Down
12. Vocal Acapella
13. Roof Garden
Show ended
■メンバー
アル・ジャロウ/Al Jarreau(Vocals)
ジョー・トゥラーノ/Joe Turano(Keyboards, Saxophone)
ラリー・ウィリアムス/Larry Williams(Keyboards)
クリス・ウォーカー/Chris Walker(Guitar)
ジョン・カルデロン/John Calderon(Bass)
マーク・シモンズ/Mark Simmons(Drums)
◎ メイシオ・パーカー・セットリスト 2010年9月4日土曜・昼
01. Fiesta
02. Off The Hook
03. Satin Doll (1 Chorus)
04. Make It Funky
05. Baby Knows
06. Gimme Some More
07. You Don’t Know Me (Ray Charles)
08. Uptown Up
09. Run Joe
10. What You Know About Funk?
11. Pass The Peas ~ Soul Power ~ To Be Or Not To Be ~ Fiesta
■ メンバー
メイシオ・パーカー
Maceo Parker(sax,fl,vo)
Corey Parker(vo)
Neta Hall(vo)
Ron Tooley(tp)
Dennis Rollins(tb)
Will Boulware(key)
Bruno Speight(g)
Rodney "Skeet" Curtis(b)
Jamal Thomas(ds)
ENT>MUSIC>LIVE>Flack, Roberta
ENT>MUSIC>LIVE>Jarreau, Al
ENT>MUSIC>LIVE>Parker, Maceo
◎メイシオ・パーカー:後姿はファンク・マスター
2010年9月5日 音楽◎メイシオ・パーカー:後姿はファンク・マスター
【Maceo Parker: The Master Of Funk】
マスター。
ファンク98%、残りがジャズ、そういってはばからない、元ジェームス・ブラウン・ファミリー、Pファンク・ファミリーのファンキーなサックス奏者、メイシオ・パーカーのライヴ。2009年2月に、キャンディー・ダルファーとメイシオのライヴを見ていたが、ライヴ評をアップしそこねていた。
メイシオは、何度見たか自分でもカウントできないほどだが、2007年、ビルボードでやったライヴ評は残っていた。
毎度おなじみのファンキー・サックスは、サングラスにスーツをびしっと決め登場。曲のブレイクでストップモーション(フリーズ)もびしっと決める。2曲目の「オフ・ザ・フック」のエンディングでは、ミュージシャン全員がびしっと凍りついたので、一瞬マイケル・ジャクソン・ライヴ風。
メイシオはまさにファンキー・マスター。時に観客に背を向け、ドラマーたちに指で合図を出したり、両手で指図をする。その様はだんだんジェームス・ブラウンを思わせるようになってきた。
今回のギターは、かなりユニークで、しかもファンキーで気に入った。下記セットリストで9曲目は、ちょっと曲名がわからなかったが、途中でメイシオの息子がラップで登場。何よりも、メイシオと頭の形が瓜二つなので、息子とわかった、と盟友ハセヤンが言った。すると、横から「長嶋一成みたいなもんですかね」との声も。(笑) これは褒め言葉か否か。(笑)
ファンク度満載のライヴなのだが、意外と観客の反応がおとなしかったのが不思議。それでも、このメイシオのファンクを味わいたければ、いつ来ても文句なし。エンディングでメイシオはまたサングラスをかけ、ステージを去った。サングラス・フェチには堪らないエンディングかもしれない。
■ メイシオ(2枚組み)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00127I3V8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
メイシオ・パーカー
Maceo Parker(sax,fl,vo)
Corey Parker(vo)
Neta Hall(vo)
Ron Tooley(tp)
Dennis Rollins(tb)
Will Boulware(key)
Bruno Speight(g)
Rodney "Skeet" Curtis(b)
Jamal Thomas(ds)
■ 過去記事
2007年09月15日(土)
100%
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10047305502.html
■セットリスト
Setlist: Maceo Parker @ Cotton Club September3,2010
Show started 21:34
01. Intro / Fiesta
02. Off The Hook (including a riff of “Papa’s Got A Brand New Bag”)
-- (riff of two standards)
03. Make It Funky
04. Let It Go (a riff of “Dance To The Music”)
05. Gimme Some More (a riff of “Give Up For The Funk”)
06. Let’s Get It On ~ No Woman, No Cry
07.
08. Stand By Me
09. (including a rap by Corey Parker)
10.
11. Pass The Peas ~ Soul Power
Show ended 22:51
(2010年9月3日金曜、丸の内コットンクラブ=メイシオ・パーカー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Parker, Maceo
【Maceo Parker: The Master Of Funk】
マスター。
ファンク98%、残りがジャズ、そういってはばからない、元ジェームス・ブラウン・ファミリー、Pファンク・ファミリーのファンキーなサックス奏者、メイシオ・パーカーのライヴ。2009年2月に、キャンディー・ダルファーとメイシオのライヴを見ていたが、ライヴ評をアップしそこねていた。
メイシオは、何度見たか自分でもカウントできないほどだが、2007年、ビルボードでやったライヴ評は残っていた。
毎度おなじみのファンキー・サックスは、サングラスにスーツをびしっと決め登場。曲のブレイクでストップモーション(フリーズ)もびしっと決める。2曲目の「オフ・ザ・フック」のエンディングでは、ミュージシャン全員がびしっと凍りついたので、一瞬マイケル・ジャクソン・ライヴ風。
メイシオはまさにファンキー・マスター。時に観客に背を向け、ドラマーたちに指で合図を出したり、両手で指図をする。その様はだんだんジェームス・ブラウンを思わせるようになってきた。
今回のギターは、かなりユニークで、しかもファンキーで気に入った。下記セットリストで9曲目は、ちょっと曲名がわからなかったが、途中でメイシオの息子がラップで登場。何よりも、メイシオと頭の形が瓜二つなので、息子とわかった、と盟友ハセヤンが言った。すると、横から「長嶋一成みたいなもんですかね」との声も。(笑) これは褒め言葉か否か。(笑)
ファンク度満載のライヴなのだが、意外と観客の反応がおとなしかったのが不思議。それでも、このメイシオのファンクを味わいたければ、いつ来ても文句なし。エンディングでメイシオはまたサングラスをかけ、ステージを去った。サングラス・フェチには堪らないエンディングかもしれない。
■ メイシオ(2枚組み)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00127I3V8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
メイシオ・パーカー
Maceo Parker(sax,fl,vo)
Corey Parker(vo)
Neta Hall(vo)
Ron Tooley(tp)
Dennis Rollins(tb)
Will Boulware(key)
Bruno Speight(g)
Rodney "Skeet" Curtis(b)
Jamal Thomas(ds)
■ 過去記事
2007年09月15日(土)
100%
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10047305502.html
■セットリスト
Setlist: Maceo Parker @ Cotton Club September3,2010
Show started 21:34
01. Intro / Fiesta
02. Off The Hook (including a riff of “Papa’s Got A Brand New Bag”)
-- (riff of two standards)
03. Make It Funky
04. Let It Go (a riff of “Dance To The Music”)
05. Gimme Some More (a riff of “Give Up For The Funk”)
06. Let’s Get It On ~ No Woman, No Cry
07.
08. Stand By Me
09. (including a rap by Corey Parker)
10.
11. Pass The Peas ~ Soul Power
Show ended 22:51
(2010年9月3日金曜、丸の内コットンクラブ=メイシオ・パーカー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Parker, Maceo