◆20周年記念~松尾潔さんと吉岡正晴

【Happy 20th Anniversary: Matsuo KC Kiyoshi & Yoshioka Masaharu】

20周年。

1990年7月、今から20年ほど前に、僕は青山1丁目にあった当時のワーナーパイオニアのオフィースで、当時新進気鋭のR&Bシンガー、ザン(Zan)のインタヴューをした。そして、僕の前にとある新進気鋭のR&Bライターが、ザンにインタヴューしていた。そして、その担当だったディレクターの田中さんが入れ替わるときにその人物を紹介してくれ、名刺を交換した。この人物が、誰あろう松尾潔さんである。

その後も、松尾さんとはライヴ会場などでよく顔を会わせ、顔なじみになっていくので、いつ初めて会ったのかを僕は忘れていたのだが、ここ数年、公私共に大変親しくさせていただいている。僕の『ソウル・サーチン』のイヴェントにトークで参加していただいたり、彼のトーク・イヴェントに僕が出たり、ライヴを一緒に見に行ったりしている。

そんな中しばらく前に、松尾さんが僕と初めて会ったのは、ザンのインタヴューをした日だ、ということを覚えていた。(彼は何でも細かいことを覚えている)そこで、僕はザンのインタヴュー・テープをひっぱりだした。(僕は何でもとっておく) すると、そこに1990年7月19日と書かれていた。つまり、このザンと会った日が松尾さんと初めて会った日ということになる。大げさに言うと、ザンが2人を引き合わせた? (いや、ザンじゃなくても、その後必ずどこかで出会ったと思いますが…(笑))

となると、2010年7月19日は、なんと2人が初めて出会ってちょうど20周年ではないか。ということで、しばらく前から、今年の7月19日になにか周年イヴェントをやろうとなり、19日にシャンパーンとケーキで20周年をささやかに祝うことにした。Happy 20th Anniversary!

僕のことをご存知の方は、ご存知だと思うが、僕もなんでもとっておく派、何でもメモする派で、物をなかなか捨てられないタイプ。(メモしたことを忘れるとも言われるが) だから部屋が物であふれ散らかっていて非難される。『捨てる技術』といった本を買ったりしても、「そうそう、そうしなきゃ」と思いつつ、実行はできない。曰く「1年経って使わないものは捨てろ」。いや、ライナーとかアーティストのレコードなんて5年前、10年前のものをひっぱりだすことも多々ある。10年使わなくたって、20年目に使うかもしれない。ザンのCDなんて、松尾さんが持ってきて、僕は20年ぶりに拝んだ。ニュージャック・スウィングのサウンドで超懐かしかった。

書いたライナーノーツには、必ず、書いた年月日をいれる。これがどれほど重要な情報かあとになってわかる。ライナーを書く人には最低でも年月をいれてほしいと思う。インタヴュー・テープも年月日をいれる。これもあとになってその重要度がわかる。(たとえば、今回のように) 1986年9月以降は、原稿をワープロで書くことになった。以降の原稿は基本的にはデータが残っているのだが、それ以前のものは、現物を持っていないと原稿は残っていない。ワープロだと入力日が入るので、なにかと便利だ。

というわけで、松尾さんと初めて会った日が特定できたのも、「なんでも捨てられない派」だからだと思っている。(笑) (部屋が整理できないことの言い訳にしか聴こえない?(笑))

20年前、新進気鋭のR&Bライターは、今や日本の音楽業界を代表するヒット・プロデューサーとなっている。ところで、ザンは最近、どうしてるんでしょうか。そして、元ワーナーの田中さんにも感謝です。松尾さん、これからもよろしくお願いします。次は25周年ですかね。(笑) 

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■松尾潔オフィシャル・ウェッブ

http://www.nevertoomuch.jp/top.html

■松尾潔さんレギュラー出演中

NHK-FM『松尾潔のメロウな夜』 www.nhk.or.jp/mellow/
毎週水曜日23:00~24:00 (毎月最終週はお休み)

TBS『週刊EXILE』 www.tbs.co.jp/program/weekly_exile.html
毎週月曜日24:55~25:25

松尾さんは、12年ぶりにBMR誌(日本におけるブラック・ミュージックの専門誌)にコラムを書き始めています。

BMR 2010年8月号

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■ザン (僕たちの出会いのキューピッド)

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ENT>ESSAY>20th Anniversary


★ジョージ・デューク~ジョー・サンプルとマイルスのまねはイージー

【George Duke: Said Imitate Of Joe Sample & Miles Are Eazy】

モノマネ。

しばらく前にライヴでも来日していたロスの人気キーボード奏者、ジョージ・デュークが先週一瞬来日、7月12日(月)のレイラ・ハザウェイのライヴを観覧していた。

偶然、楽屋で遭遇。実は別ルートからジョージの来日を聴いていたのだが、まさかブルーノートで会うとは思ってなかったのでちょっとびっくり。ちょうど、今秋にリリース予定のケイコ・リーの新作の2曲をプロデュースするために来日していた。

楽屋では、レイラがさかんにジョージにプロデュースして、何か歌わせて、といったことを話していた。レイラはステージでも「私の最初のメントゥアー(恩師)のひとりです、ミスター・ジョージ・デューク」と紹介していた。ひょっとしてステージにあがるかとおもいきや残念ながら、上がらずだった。ジョージ・プロデュースのレイラ作品というのも聴いてみたい。

ジョージ・デュークは、その昔(正確には1983年8月=そう僕がマイケル邸に行ったのと同じ週)、ロスアンジェルスの自宅に行き、インタヴューをした。あれも午前中で、「ちょうどストロング・コーヒーを飲んで、目覚めさせるんだ」と言ってから話が始まったのを覚えている。確かブラックの相当濃いコーヒーを飲んでいた。最近では、ジョー・サンプルとジョージが一緒にライヴをやったときに会った。

しばし軽く雑談をし僕は西麻布に向かおうと楽屋を後にし、外に出ると、ちょうどジョージも楽屋出口から出てきて、またばったり。じゃあ、ということで、ホテルまで送ることになった。

車中では他愛のない話をしていたのだが、ジョー・サンプルとジョージを一度三宿のソウルナッツに連れて行った思い出話になり、そこからジョーの話になった。ジョーと最近話したというジョージは、ジョーのモノマネで「いやあ、オレはオールドマンだ。なんとか生きてるぜ」といったことをやりだした。それが、実にジョー・サンプルそっくりで笑い転げた。「そういえば、あなたが小川隆夫さんのラジオ番組で、マイルス・デイヴィスのモノマネをしていましたよね。あれ、ラジオ聴いてたんですよ。ほんと、うまいですね」 「おおっ、そうか・・・」といってすかさずマイルスのモノマネをしてくれた。「ジョーとマイルスは、イージーだよ(笑) 奴らのしゃべり方は簡単さ」と言ってのけた。

「そうそう、アル・ジャロウのバンドで(東京ジャズに)来る話がちょっとあったんだが、アルに断られた。アルはオレをクビにしたんだ。(笑) ま、彼は自分のバンドがあるんで、そっちでやりたかったんだろう。オレのはトリオだからね、彼はバンドがよかったみたいだよ。だから、いまのところ、次の来日予定は特にないな」

東京ジャズの話になり、「クルセイダーズで、ジョーとウェイン・ヘンダーソンが一緒にやるんですよ」というと、えらく不思議そうに「ウソだろ。I dought it(本当にやるかね)」とつぶやいた。歴史を振り返ると、ジョーとウェインが衝突して分裂したことがわかる。果たして、ちゃんと同じステージに立てるか。まあ、でも、2人とも大人になっているのだから、やると思うが。(笑)

こういうささいな、とりとめのない話っておもしろい。それにしても、いつ話しても、本当にきさくなジョージ・デュークだ。あっという間にホテルのロビーまで着いてしまった。

■ ジョージ・デューク 『エッセンシャル』 とりあえずの1枚

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そして名盤

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名曲「スイート・ベイビー」はこちら

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ENT>ARTIST>Duke, George

◎☆チャリート&ハーヴィー・メイソン

【Charito & Harvey Mason At Body & Soul】

マイケル曲。

フィリピン出身東京在住のジャズ・シンガー、チャリートが先ごろ、マイケル・ジャクソン楽曲ばかりを歌ったカヴァー・アルバムをリリース。ご縁があり、ライヴを東京・青山のジャズ・クラブ、ボディー&ソウルで見た。

チャリートのアルバム『ヒール・ザ・ワールド』は、なんとLAの売れっ子ドラマー、ハーヴィー・メイソンがプロデュースしている。事務所プロデューサー坂井さんによると、2008年初めからハーヴィーとずっと話をしていた、という。どんな曲をやるかいろいろミーティングを重ねているうちに、2009年6月25日、マイケル・ジャクソンが急逝。それを受けて、マイケルの曲を歌う企画が持ち上がり、レコーディング。今年になって完成した。なかなかいい感じでマイケル曲がジャズ風、それもスムーズ・ジャズ風に仕上がっている。

さて、ライヴはドラムス、ベース、ピアノのトリオ。2曲インストで暖めて、チャリート登場。3曲歌ったところで、客席にいたハーヴィー・メイソンを招き入れた。ハーヴィーは、「いい気分で聴いていたんだよ。僕は何をやればいいんだい?(笑)」といいながら、ドラムセットへ。そして、アルバム収録の「ヒューマン・ネイチャー」をやり始めた。もちろん、リハーサル、譜面などもなし。ぶっつけ本番だ。そして、「アイル・ビー・ゼア」へ。チャリートはジャズだけでなく、なんでも歌えるようだ。

ライヴ後、ハーヴィーと話すと、彼は先週のカメレオン・バンドでブルーノート、コットンでのライヴをこなしたあと、しばらく滞在して、次のマリーナ・ショウのライヴでまた叩く、という。この間は彼にとって、オフだそうだ。「いやあ、日本が大好きで。日本でやるときは、コンサートじゃなくて、クラブでやりたいんだ。そうしたら、1週間、日本にいられるだろ(笑) フォー・プレイのときは1週間。今回は全部で4週間くらいの滞在になるかな。ソウル・サーチャー? じゃあ、僕の息子を知ってるよね」 「アリスタ時代のあなたのアルバム、持ってますよ」というと、「そんな古いの持ってるのか。ははは」と笑った。

ボディー&ソウルは、名うてのミュージシャンが気軽にやってきて、飛び入りをしていくジャズ・クラブだ。ブルーノートからも徒歩3分くらい。今、まだ車道はできていないが、直線で歩ける道が出来ている。この道は近く駒沢通りの延長線として開通するようだ。

■ チャリート『ヒール・ザ・ワールド』(2010年7月7日発売)

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■メンバー

チャリート(vocal) 野力奏一(pf) 坂井紅介(b) 加納樹麻(ds) 

■セットリスト チャリート@ボディー&ソウル
Setlist: Charito @ Body & Soul, July 18,2010

Show started 22:07
01. Velas (Instrumental)
02. (Instrumental)
03. You Don’t Know What Love Is
04. Blue
05. People
06. How Do You Keep The Music Playin’
07. Human Nature (+Harvey Mason)
08. I’ll Be There (+Harvey Mason)
Enc. Bye Bye Blackbird (+Harvey Mason)
Show ended 23:27

(2010年7月19日日曜、青山ボディー&ソウル、チャリート・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Charito
2010-108


◎TLCライヴ~間近でみるスーパースターへ熱狂

【TLC Live】

まー近。

1992年にデビューしてから、まさに1990年代をかけぬけたアメリカの女性R&Bトリオ、TLC。1999年8月の初来日公演(宇多田ヒカル、モニカと)、その後2002年レフトアイの不慮の事故死を経て、2009年4月の『スプリング・グルーヴ』以来3度目の来日公演。今回は小さなビルボードライブでのライヴ。こんな間近でTLCを見れるとは。それはファン、狂喜乱舞間違いなし。

さすがにTLCは日本でも多くのCDを売っているだけに熱狂的なファンが多数いる。しかも女性がかなり多く会場は超満員。1曲目から1階ファンは立ち上がる。大変な盛り上がりっぷりだ。

ドラムス、ギター、ベース、キーボードの4人バンドに、TLC2人。ステージバックにさまざまな映像を映し出し、2人は口を動かしながら踊り、ゆるくヒット曲を見せていく。レフトアイについて触れたあたりでは会場のファンの涙を誘う。

彼女たちの日本におけるこの爆発的な人気の秘密は何だろうと考えた。楽曲がよかった、「曲よすぎ」と言えるくらいよかった、そして、その素晴らしい楽曲にTLC3人のそれぞれの個性的なキャラクターがうまくはまり、世界的スーパースターになった、ということに尽きるのではないだろうか。1992年から紆余曲折あってすでに18年。たとえば16歳でTLCを知った人たちもいまや34歳になる。

本編最後「アンプリティー」が終わるあたりで、舞台をはけるが、そこで観客にサインのサーヴィス。するとそれに多くのファンが群がり、はけられなくなり、結局、そのままアンコール曲「ノー・スクリブ」へ突入。この曲が終わっても、またサインが延々と続いた。サインを書いてもらい超感激しているファンも多かった。

■TLC やはりファースト!

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そしてセカンドも。

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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000DFTD/soulsearchiho-22/ref=nosim/

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昨年出たベスト。最初に買うならこれがいいかも。

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■ メンバー

ティー・ボズ / T-BOZ(Vocals)
チリ / CHLLI(Vocals)

ケネス・ナイト / Kenneth Knight(Keyboards)
エリック・ウォールズ / Erick Walls(Guitar)
トレ / TRE’S(Bass)
レックス / Lex(Drums)

■ セットリスト
Setlist : TLC @ Billboard Live Tokyo, July 16, 2010

show started 21:35
01. Intro
02. What About Your Friends
03. Baby Baby Baby
04. Creep
05. Red Light Special
06. Diggin’ On You
07. Waterfalls
08. Girl Talk
09. Damaged
10. Turntable
11. Silly Ho
12. Unpretty
Enc. No Scrubs
Show ended 22:41

(2010年7月16日金曜、ビルボードライブ東京=TLCライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>TLC
2010-107

◎ティト・ジャクソン・ライヴ~父のレガシーを受け継いで

【Tito Jackson Live At Bluenote】

レガシー。

ジャクソン兄弟の次男ティト・ジャクソンがソロとして2006年12月以来2度目の来日。前回は丸の内コットンクラブだったが、今回は青山ブルーノート。僕は前回見られなかったので、今回が初めて。前回はバンド5人+ティトの計6人編成だったが、今回はなんと、5人のバンドにホーン3人、コーラス&ダンスで3人、ティトをいれて計12人がオンステージという豪華編成になった。マイケルの急逝を受けて、前回来日時以上にマイケル・ファンがつめかけたようだ。おもしろいことに9人兄弟の中で唯一ソロ・アルバムを出していないのが、ティトだ。その彼がマイケル逝去以前からソロ活動をしている。

露出度マックスのダンサー兼コーラス・ガールズ3人が登場し、「ハーイ、パパ・ティー!(ティトだから、ティー)」の掛け声から、ティトが「さあ、やるぞ」と言ってショーはスタート。「パパ・ティー」という掛け声が昔の昭和巡業エンタテインメント風で、個人的には超受けた。始まって35分ほどは、ティトがブルーズっぽい曲を中心にやる。唯一知っていたのが「フーチークーチー・マン」だった。

ステージ上では、朴訥とギターを弾き、ときに歌う。なんかティトの人の良さ、「すごくいい人」という雰囲気が出ていた。

ところで、彼が演奏するこれらのブルーズっぽい曲を聴いていて、ティトのそのオールドスクールぶりは、父親(ジョー・ジャクソン)譲りかなと思った。おそらく、自身ギターを弾きバンド活動をしていた父親が1960年代に自分のバンドでやっていたであろうR&B、ブルーズ曲というイメージだ。しかも、ティトのキャリアは父親のギターを隠れて弾いたところから始まった。ティトも父親同様、昔のブルーズ・アーティスト、古めのR&Bアーティストにあこがれていたのだろう。さすがにこれらの曲はこの日の観客はどうしていいか戸惑っていた。ブルーズ評論家の鈴木啓志氏あたりが、このバンドをどうみるかきいてみたい。(笑)

セットリスト6曲目「ドッグ」なんて曲は、ルーファス・トーマスあたりがやりそうなノヴェルティー・ソング。コーラスガールズたちとのやりとりも笑える。まさにジョークっぽい酒場系エンタテインメントだ。1960年代、鉄鋼の街ゲイリーの小さく環境劣悪な酒場兼ライヴハウス(当時はジューク・ジョイントなどと呼んでいた)あたりで1日6ステージもやらなければならない過酷な状況をふと思い浮かべた。父親ジョーは、こうしたバンド活動をしているうちに、いつしか自分の息子たちを単なるジューク・ジョイントのバンドから一流のシアター(シカゴのリーガル・シアターやニューヨークのアポロ・シアター、フィラデルフィアのアップタウン・シアターなど)に出るアーティストに育て上げようと夢を持ってやっていたに違いない。「いつか、こんなところを抜け出すぞ」という強い意志をもって。そして、父親がギターを弾いている姿を見て、ティトはそれにあこがれ、父親のようになりたいと思ったのだ。そういう意味ではジャクソン兄弟たちの原点的なバンドを見せてもらったということで意義はあった。

そして、その前半が終わったところで、おもむろに客席に背を向けたティトは、ゆっくりと大きなアフロのカツラを被って前を向いた。

ぼそぼそとしゃべった。「少し、昔に戻ってみたいんだ。1969年頃にね、みんな、いいかな」 するとひときわ大きなキャーという黄色い歓声が。そして、「アイ・ウォント・ユー・バック」のピアノのイントロが流れると歓声も最大級に。ブルーノートのスタッフが「あんな黄色い歓声、いままでここで聞いたことありませんでした」と驚くのも無理はない。ジャクソン・ファイヴ・メドレーが始まり、「ハートブレイク・ホテル」、「シェイク・ユア・ボディー」(ピアノとベースが少々しょぼいのでグルーヴ感がでない。だがファンには関係なく、歓声はすごい)。ドラムス(元ギャップ・バンドなどとやっていたというレイモンド・カフーン)とベースは前回と一緒。ティトのいるソウル・カヴァー・バンドという感じかな。

なんと驚いたのがアンコール。今となってはほとんど誰も知らないであろうマイケル・ジャクソン1972年のソロ・ヒットのひとつ「ロッキン・ロビン」を取り上げた。もともとは1958年(マイケルの生年)にR&Bシンガー、ボビー・デイがヒットさせたヒットのカヴァー。マイケルのソロ曲であれば、「ベン」などもあるが…。このあたりを選ぶならジャクソン・ファイヴ時代の「ルッキン・スルー・ザ・ウィンドウ」とか「ハレルヤ・デイ」、ジャクソンズ時代の『トライアンフ』あたりからの曲を選ぶという手もあったような気もする。それとも、ティトにとって、弟マイケルの1曲と言った場合、この「ロッキン・ロビン」なのだろうか。その真意はどこにあったのか。きいてみたい。

9人兄弟の中で唯一ソロを出していないティト。しかし今では、ジャネットを除いては、ライヴをやっているのが彼のみという点も興味深い。それだけギターを持ってステージに立ちたいという気持ちが強いのだろう。他の兄弟たちとちがってセレブセレブした雰囲気があまり好きじゃないのかな。一ギタリスト、一ミュージシャンとしてのほうが居心地がいいのかもしれない。

ティトはまだ『ディス・イズ・イット』を見ていないそうだ。その喪失感は我々の想像以上のようだ。マイケルについてのコメントは、ショーの間中一切なかった。逆にブルーズ曲が半分以上というセットリストは、彼がブルーズをやって気を紛らわしているのかもしれないとも思った。それだけマイケルを失ったことが、ティトの心に大きな穴をあけ続けていることの査証かもしれない。マイケル曲ばかりをカヴァーして1ステージ60分をこなすシンガーとはレヴェルが違うとも感じた。

■メンバー

ティト・ジャクソン(ギター)Tito Jackson(g)
ニコール・ジャクソン(ヴォーカル)Nicole Jackson(vo)
ラ・シェイ・パスカル(ヴォーカル)La Shaye Paschal(vo)
ナディーン・フォード(ヴォーカル)Nadine Ford(vo)
カル・ベネット(サックス)Cal Bennett(sax)
カーメロ・スカッフィディ・アルゼンティーナ(トランペット)Carmelo Scaffidi Argentina(tp)
トム・ロールズ(tb)Tom Ralls(tb)
ジョエル・スコット(キーボード)Joel Scott(key)
ジェローム・アカデミア(キーボード)Jerome Academia(key)
アンジェロ・アール(ギター)Angelo Earl(g)
モーリス・レンティ(ベース) Morris Rentie(b)
レイモンド・カルホーン(ドラムス)Raymond Calhoun(ds)

■セットリスト: ティト・ジャクソン @ ブルーノート 2010年7月22日木曜 
Setlist: Tito Jackson @ Bluenote Tokyo, July 22, 2010

Show started 21:31
01. Jammer Street
02. I Gotta Play
03. T-Bone
04. Hoochie Coochie Man [Willie Dixon, Muddy Waters]
05. Caledonia [Louis Jordan]
06. Dawwg (Dog)
07. Scratch That I Tell
08. Jackson Five Medley: I Want You Back – ABC – The Love You Save –
I’ll Be There
09. Heartbreak Hotel
10. Shake Your Body (Down To The Ground)
11. Dancing Machine
Enc. Rockin’ Robin [Bobby Day, Michael Jackson]
Show ended 22:43

(2010年7月15日木曜、青山ブルーノート=ティト・ジャクソン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Jackson, Tito
ENT>MICHAEL JACKSON
2010-106

◎トク@ボディー&ソウル~トクの周りはセッションがいっぱい

【Toku Live At Body & Soul: Always Jam Session】

アフター・アワーズ。

前日(13日・火曜)カメレオン・バンド・ライヴのコットンで会ったトクが「明日、ボディー&ソウルでライヴやります」というので、青山に。この日(14日)は午後から、予定がいくつも狂ってしまい、6時半の食事会にも欠席となり、なんとかボディー&ソウルのセカンドに間に合った。そして会場に行くとトクの事務所社長夫妻が、「こっちこっち」と手招きするので、一緒に鑑賞することに。社長夫妻がお揃いでライヴ現場とは珍しい。(笑) 

彼はレイラのライヴに何度も接し(土曜日、月曜日も飛び入り)、前日あたりから、そこでレイラが歌っていたルーサー・ヴァンドロスの「フォーエヴァー・フォー・オールウェイズ・フォー・ラヴ」にいたく感銘を受け、さっそく自分のレパートリーに加えるべく、一日中聴いて歌詞を覚えているという。そこで、ボディー&ソウルで初お披露目となった。ジャズ・ミュージシャンっていうのは、すぐに曲が歌えるようになっちゃうんだからすごい。セカンドセットの3曲目で歌われたが、ここではベースにファンキーな後藤克臣さんが飛び入り。さらに、4曲目ではニューヨークのピアニスト、デイヴィッド・バークナムが飛び入り。アンコールでは、若い女性シンガー、マヤ・ハッチが「マイ・フーリッシュ・ハート」を一緒に歌った。飛び入り三昧。

ちょうど社長夫妻の友人というTBSアナウンサー、高野さんが途中からご一緒になったのだが、TOKUライヴは初体験ということで、何度も何度も「トクさん、かっこいいっすね、かっこいい」と繰り返していた。「あの、(飛び入りの)人たちって何もリハとかやらずにいきなり、あんなにできちゃうんですか、すごいすごい」と驚嘆。

今回のバンドは、前回トクがブルーノートでやったバンドとはちょっと違い、全員若手メンバーを集めてやった。みんなちゃんとうまい。トクちゃんはこういう若手、どこで見つけてくるんですか。(笑) 

ライヴはこのところいつもアンコール最後の曲となる「アワ・ラヴ・ストーリー」(最新作に収録)で、みんなに両腕を左右に振らせて幕。

で、終わったあとミュージシャンたちがだらだら残っていると、なんと、すぐ近くのブルノでライヴを終えたレイラとレイラ・バンドのギタリスト、松野啓太さんがこっちに来るとのニュース。

片付け始めていた楽器を、もういちど、ちょっと出し、レイラたちを迎える。一緒にレイラ盟友の松浦さん、北山陽一さんも登場。トクは、ドラム、ギター、ベース、ピアノをバックにレイラの「フォーエヴァー・フォー・オールウェイズ・フォー・ラヴ」を歌う。すると、レイラはなんとバッグからハンディビデオカメラを取り出し、撮影開始。途中でやんやの喝采も。そしてもう一曲「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」をトクがやり終えると、「じゃあ、何か一緒にやろう」と、レイラと遊びで「ナイト・アンド・デイ」を。このジャム感覚で2人がさくっとやってしまうのがたまらない。そういえば、レイラは昔「ナイト・アンド・デイ」を録音していた。トクの周りにはいつもジャム・セッションがあるなあ。いいね。その後、レイラはピアノの前に座り、ぽろぽろ試しに弾いていた。これも絵になる。

最高のアフター・アワーズというところだろうか。

■ トク最新作『ラヴ・アゲイン』~「ノスタルジコス」「アゲイン」「ロック・ウィズ・ユー」「アワ・ラヴ・ストーリー」など満載。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001HBQLDG/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■レイラ・ハザウェイ最新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0015XF90C/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

TOKU(vo,flh) 菊池太光(pf) 楠井五月(b) 福森康(ds) 吉田智(g) 
飛び入り 後藤克臣 デイヴィッド・バークナム マヤ・ハッチ

■ セットリスト

show started 22:02
01. Rock With You
02. Delfino??
03. Forever, For Always, For Love
04. Summertime
05. Again
06. Nostalgicos
07. Kiss Of Life
Enc. My Foolish Heart (Maya Hatch)
Enc. Our Love Story
Show ended 23:30

(2010年7月14日水曜、青山ボディー&ソウル=TOKU(トク)ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>TOKU


◎ハーヴィー・メイソン、パトリース・ラッシェンなど七変化のカメレオン・バンド

【Chameleon Band Featuring Harvey Mason, Patrice Rushen, Bill Summers,】

プロ。

ハービー・ハンコックの大ヒット「カメレオン」を含む名作『ヘッドハンターズ』のドラムスを担当していたハーヴィー・メイソンを始め、同じく同アルバムに参加しているビル・サマーズなどロスアンジェルスの名うてのミュージシャンたちが集まったハービー・ハンコック関連作品をプレイするというユニークなユニット、それがその名も「カメレオン・バンド」だ。全員、それぞれソロ・アルバムを出したり、リーダー・ライヴを行えるほどの実力者たちが集まっているだけに、ライヴはもう大船(おおぶね)に乗ったように、気持ちよく酔える。ドラムス、ギター、ベース、キーボード、パーカッションの5人組。

各楽曲で、それぞれにソロ・パートを与えられ一方、自分たちの持ち場はしっかり守る。やらなければならないことを、みなきっちりやっている、そんな感じだ。全員スタジオでも活躍しているメンバーなので、ステージの上は、まるでレコーディング・スタジオで一発録音をしているかのような錯覚に陥る。

パーカッションの名手、ビル・サマーズは白い帽子を被っているので一見メイズのフランキー・ビヴァリー風、ベースのイエロー・ジャケッツのジミー・ハスリップは一見チック・コーリア風、ドラムス・ハーヴィーは後姿がアル・マッケイ風、サックスのエイザーはプロレスラーのブッチャー風、そして、キーボードのパトリースは、小柄なところがちょっとブレンダ・ヴォーン風であった。

彼らのパフォーマンスは、カメレオンのごとく七変化。終わりごろ、トクちゃんがやってきて、セットリストを見て解説してくれた。3曲目は「ウェイン・ショーターの書いた曲で、『マイルス・マイルス』に入ってる。4曲目はジョン・コルトレーンの曲、5曲目はウエストコーストの曲、ジェリー・マリガンがまだ無名のチェット・ベイカーをいれてやった曲」 アンコールの予定曲は「フォーレスト・フラワーズ」だったが、この日は『ヘッドハンターズ』収録の「スライ」になっていた。

ステージ中央のビル・サマーズが、さまざまなパーカッションを持ち出し、音を出す動きがとてもおもしろかった。リーダー格のハーヴィーが舞台右手にいたのは、全員を見られる位置を取っているのだろう。パトリースもしっかり、バンド・メンバー全員を見ていた。ミュージシャンたちは、お互い目と目で合図するだけでなく、相手の音を実によく聴いている。全員が最新の注意を払って全員の音に耳を傾けている。相手を聴かないといいコラボは生まれない。いつも全員を聴いて、自分の立ち位置を知っているから、自分に順番が回ってきたとき、最高のパフォーマンスができる。プロのお仕事を見せてもらった。

この日は、パトリースのアナログを何枚かもっていって、サインをもらった。

■ハーヴィー・メイソン『ウィズ・オール・マイ・ハート』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000DJW8M/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

ハーヴィー・メイソン “カメレオン・バンド”フィーチャリング・パトリース・ラッシェン、ジミー・ハスリップ、エイザー・ローレンス & ビル・サマーズ

Harvey Mason(ds)
Patrice Rushen(p)
Jimmy Haslip(b)
Azar Lawrence(sax)
Bill Summers(per)

■セットリスト ハーヴィー・メイソン「カメレオン・バンド」
Setlist: Chameleon Band

Show started 21:32
01. Watermelon Man
02. Butterfly
03. Footprints
04. Naima
05. Burnies Tune
06. Chameleon
Enc. Sly
Show ended 23:07

(2010年7月13日火曜、丸の内コットンクラブ=カメレオン・バンド・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Chameleon Band
2010-103

○ファンク軍団、キャメオ~11年ぶりに来日

【Cameo Japan Live: First In 11 Years】

11年ぶり。

1970年代から多くのファンク・ヒットを放っているニューヨークのファンク・グループ、キャメオが11年ぶりに来日する。2010年9月17日(金)から19日(日)まで、一日2回公演、計6公演、丸の内のコットンクラブ。7月24日からウェッブで先行予約を受ける。初来日は1989年9月に横浜ベイサイドクラブ、以後1990年8月汐留パックスシアター、1995年8月横浜クラブ・へヴン、六本木ヴェルヴェット(旧ジャングルベース)、1996年10月ファンク・イヴェント『レッツ・グルーヴ』日比谷野外音楽堂、1999年8月国際フォーラム『モントルー・ジャズ・フェスティヴァル』以来6回目の来日。

キャメオは、1975年頃、ニューヨークでラリー・ブラックモンによって結成されたファンク・グループ。当初はニューヨーク・シティー・プレイヤーズと名乗っていたが、デビューにあたってすでに同名グループがいたため、キャメオと名前を変更。1975年11月、シングル「ファインド・マイ・ウェイ」でカサブランカ・レコード傘下チョコレート・シティー・レーベルからデビュー。第2弾シングル「リゴー・モーティス」が1976年10月末にリリースされ、これが年をあけてから初ヒットとなった。アルバムもコンスタントに発表、1979年6月にリリースされた4作目『シークレット・オーメン』が名実ともにベストセラーに。ここから「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・ビー」の大ヒットが生まれ、人気を決定付けた。その後通算12枚目となる『ワード・アップ』から「ワード・アップ」がポップ・チャートでも大ヒット。これは、のちにヒップホップ系アーティストたち(チャンキーA、スヌープ・ドッグ)やロック・アーティストなどによっても、多数カヴァー、サンプリングされるようになった。一時期、ゴルティエのファッションに身を包み、ファッション・トレンド・リーダーとしても注目を集めた。

オリジナル・スタジオ・アルバムとしては、2000年発表の『セクシー・スウィート・シング』が最新作。他に2007年にライヴ盤『ナスティー・ライヴ&ファンキー』が出ている。

ほかにも、「バック&フォース」(スヌープ・ドッグ、ウータン・クランらがサンプリング)、「キャンディー」(2パック、マライア・キャリーらがサンプリング)、「リゴー・モーティス」(ブランド・ヌビアン、へヴィーDなど)、「シェイク・ユア・パンツ」(ビスティー・ボーイズなど)、「シーズ・ストレンジ」(2パック、リル・キムなど)などがサンプリングされている。それだけオリジナリティーが高いファンク・サウンドを作り上げていることを証明している。

ファンク・バンドとしては、バーケイズ、コン・ファンク・シャン、あるいは、Pファンクなどのファンからも同じように人気が高いアーティスト。

詳細・予約などはこちら↓
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/cameo/

■ ベストアルバム

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009N2V1E/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ ワードアップ(1986年)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001FKH/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ANNOUNCEMENT>LIVE>Cameo


◎ジャム・セッション・スペシャル~レイラ・ハザウェイ、アンジェラ・バンドらと

【Toku’s Lounge Special Session: Jam Unlimited, Music Is Universal Language】

無限。

しかし、おそれいった。(笑) 毎月一度自由なジャム・セッションを行っているトクが、この日は来日中のレイラ・ハザウェイのバンドと、アンジェラ・ジョンソンのバンドのそれぞれメンバーを集めて、ジャム・セッションを楽しもうという企画を立てた。トクとレイラ・バンドの松野啓太さん、そして、同じくレイラ・バンドの横浜公演でベースで入ったカツオミさんの3人がメンバーに声をかけた。

2アーティストのバンドに加え、日本からも有坂美香、マル、スクープのTAKE、小沼ようすけ(ギター)、上條頌(ギター)、本間将人(サックス)、田中TAK拓也(ギター)、福森康(ドラムス)、柴田敏弥(キーボード)、井上”KB”幸法(ギター)、ジョイなどなど(順不同・敬称略・すべては把握できませんでした。漏れた方、陳謝)、多数のメンバーが集まり、一晩中、ジャムを繰り広げた。

2アーティストのバンドは、次の通り。アンジェラ本人は来なかったが、レイラはやってきた。

Lalah Hathaway(vo)
Jason Morales(vo)
Michael Aaberg(key)
Kay-Ta Matsuno(g)
Jairus Mozee(b)
Eric Brown(ds)

Angela Johnson(vo,key) (不参加)
Darien(vo)
James Spears(key)
Mark Kelley(b)
Les Cleveland(ds)
Lisala Beatty(back vo) (不参加)

ホスト
TOKU,
Katsuomi Goto 後藤克臣
Kay-Ta Matsuno 松野啓太

この日、トクはレイラ・ハザウェイ・ライヴ中「サマータイム」で飛び入り。レイラに負けず劣らずの低音ヴォイスを聴かせ、レイラをうならせた。レイラはその感想をツイッターに書き込んだ。

@tokujazz you sing awesome. really, great sound. Congratulations for not being a tenor!! Love it when a guys voice is lower than mine...

あなた見事に歌うわね、あなたの歌、すばらしいわ。テナーでなくて、おめでとう。私より低い声で男性(シンガー)が歌うのは大好き。

レイラとバンドは、ブルーノートのライヴが終わり、サイン会もこなして、登場。セッションが始まったのが、0時45分。最初のセッションは、トク、カツオミ(ベース)、本間(サックス)、福森(ドラムス)、田中(ギター)、啓太(ギター)、柴田(キーボード)という7人で始まったが、2曲目には早くもキーボードがレイラ・バンドのマイケル・アーバーグへ。

30分ほど暖めて、ヴォーカル曲「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」へ。ロバータ・フラック、マリーナ・ショウなど多くのヴァージョンがあるスタンダードだ。ここでは、レイラ・バンドのベースのジャイルス・モージーが、本職のギターではいり、その場にいたヴォーカリストが入れ替わり登場。マル、有坂美香、ジェイソン・モラレス、それぞれ1番、ある者は1番と2番などと歌う。そして、トクがマイクを取り、レイラの説明をして呼び出すと、暗い客席からレイラがおもむろに登場。レイラは、マイクをもらうと、例のお得意のスキャットをひとしきり。その合間にやんやの喝采があがる。レイラのスキャットは、すごいな。声色七変化というより、声色総合商社か。客も、レイラが来てそこで歌っているのが信じられないといった表情だ。そして、歌詞の一部をレイラが歌いだしレイラのヴァージョンによる「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」へ。一段落終わるとトクとハグ。バンドは演奏を静かに続けている。「レイラ・ハザウェイ!!」 大拍手。トクがあとを受け、もう少しこの曲を歌いしめた。なんと、この「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」は、37分に及んだ。至福の「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」だった。

このあとドラマーがアンジェラのドラマー(レス・クリーヴランド)、ベース(マーク・ケリー)、田中拓也(ギター)に変わり、一曲かなりドライヴ感のあるインスト曲。その後、アースの「キャンと・ハイド・ラヴ」へ。ここで、スクープのTAKE、登場。(あれ、TAKEと一緒に歌ってた、ゲイリーって、だれだ?(笑)メモにはタケとゲイリーって書いてるけど、ゲイリーってどちらのバンドにもいないなあ。ま、とにかくぐちゃぐちゃだったもので)途中で誰かが、TAKEのヒット「ナイス・アンド・スロー」のフレーズを歌い、少し、それに応じる一場面もあった。

また、アンジェラと来日したダリエンも最後のほうの曲で日本人女性シンガー(ジョイ、ユーコ)と熱くからむデュエットを聴かせ、観客を沸かせた。結局、セッションが終わったのは、3時37分。ほぼ3時間。入れ替わり立ち代りといえども、みんな疲れ知らずだ。これくらい狭い場所で聴くと、誰が何をやっても迫力たっぷりに聴こえるからおもしろい。ヴァイブもミュージシャンみんながもりあがっているから、本当にテンション高く、あげあげになっている。いわば、全員がハイ状態。それは、熱いジャム・セッションになる。

誰もが止めようとしない、まさに、終わりなきジャム(Unlimited Jam)。音楽は共通言語(music is universal language)。楽しいね。トクさん、カツオミさん、ケイタさん、楽しい企画ありがとう。そして、参加したミュージシャン、全員に、Thank you for great time, fun music。外に出たら、もう明るかった。

ENT>LIVE>TOKU’s Special Session

▲ウォルター・ホウキンス(ゴスペル)、シュガー・マイノット(レゲエ)死去

【Walter Hawkins Dies At 61 , Suga Minott Dies At 54】

訃報。

訃報が2件相次いで入ってきた。

2010年7月11日、ゴスペル界の重鎮、ビショップ・ウォルター・ホウキンスがカリフォルニア州リポンの自宅で死去した。61歳。癌だった。

ウォルター・ホウキンスは、1949年5月18日カリフォルニア州オウクランド生まれ。兄にやはりゴスペル界の重鎮エドウィン・ホウキンスがいる。また一時期、トレメインと結婚しており、彼女はトレメイン・ホウキンスとしてゴスペル界で活躍、二人の間には息子のウォルター・ジェイミー・ホウキンス、娘のトリスタン・ホウキンスがいる。

幼少期から兄の持つ「北カリフォルニア州ユース・クワイア」の一員として活躍。後に兄のエドウィンとともに、エドウィン・ホウキンス・シンガーズを結成、一員となった。エドウィン・ホウキンス・シンガーズは、1969年「オー・ハッピー・デイ」の大ヒット(全米ソウル・チャートで2位、ポップで4位、ゴールド・ディスク獲得)を放ち、一躍全米にその名をしられるようになった。ゴスペル曲が全米ヒットチャートでここまで大ヒットしたのは、これが実質的に初めてで、ゴスペル界の金字塔となった。この作品は後に『天使にラヴソング』などでも歌われ日本でも人気の高いゴスペル曲となっている。

その後、ウォルターはエドウィン・ホウキンス・シンガーズを脱退し、カリフォルニア州オウクランドで「ラヴ・センター・チャーチ」を設立。ここでレコーディングを続け、その「ラヴ・アライヴ」シリーズはベストセラーとなった。

彼は多数のオリジナル・ゴスペル・ソングを作り、多くが長く歌われるようになった。作品には”Marvelous”, ”Going Up Yonder”, ”Changed”, ”Be Grateful”, ”Thank You”, ”He’s That Kind Of Friend”, ”Until I Found The Lord”, ”Jesus Christ Is the Way”などがある。

1980年度グラミー賞「ベスト・ゴスペル・パフォーマンス、コンテンポラリー・オア・インスピレーショナル」部門を、他のアーティストとともにアルバム『ザ・ロードズ・プレイヤー』で獲得した。

また、ウォルター・ホウキンスは、ヴァン・モリソン、シルヴェスター、ジェフリー・オズボーンなどともレコーディングしている。

ニュース記事:ウォルター・ホウキンス死去
http://www.google.com/hostednews/ap/article/ALeqM5iq69nIPkv7FFFrMQTm2Mp7zvWpvQD9GT9HK80

ベストアルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000ASDG4O/soulsearchiho-22/ref=nosim/

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この訃報は最初、ブレンダが電話で教えてくれた。彼女は、オウクランド出身。このあたりの事情に明るい。今年の初めから癌であることが知らされ、闘病していた、という。ブレンダによると、つい最近、ウォルターのほかに、オウクランド出身のチャック・ウェッブ(オルガン奏者=Charles Renard “Chuck Webb”)、オウクランドで活動していた音楽関係のローレンス・ルーベンという人物が相次いで亡くなり、オウクランドの音楽シーンは落ち込んでいるそうだ。

チャック・ウェッブのフェイスブック。
http://www.facebook.com/pages/Charles-Renard-Chuck-Webb/131536960213840
お悔やみの言葉が次々と投稿されている。

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シュガー・マイノット、54歳で死去

【Sugar Minott Dies At 54】

訃報。

レゲエ・シンガー、シュガー・マイノットが2010年7月10日、ジャマイカ・キングストンのユニバーシティー病院で死去した。54歳だった。

シュガー・マイノットは1956年5月25日、ジャマイカのキングストン生まれ。1960年代後半からアフリカン・ブラザースというレゲエ・トリオで活躍を始めた。70年代に入り、ソロ活動。同地のスタジオ・ワン・レコードから「ヴァニティー」「ミスターDC」などのヒットを放ち、1981年、ジャクソン・ファイヴのカヴァー「グッド・シング・ゴーイング」がイギリスなどでヒットし、一躍知名度をあげた。同曲はイギリスで最高位4位を記録した。

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シュガー・マイノットはアメリカではヒットしてないが、1981年の「グッド・シング・ゴーイング」はよく覚えている。1981年だから、僕は西麻布の「トミーズ・ハウス」でよくこの曲をかけた記憶がある。今回よく調べてみると、確かに大ヒットはたくさんないのだが、この曲だけで彼のことを覚えていた、のかもしれない。ちょうど、あの頃は、サード・ワールドとか、もちろん、ボブ・マーリーはいつの時代もだが、レゲエが夏時期に定番になりつつあった時代でもあった。

シュガー・マイノット死亡記事
http://www.latimes.com/news/obituaries/la-me-passings-20100712,0,3236605.story

シュガー・マイノット
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002QPTQM/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>OBITUARY>Hawkins, Walter (May 18, 1949 – July 11, 2010 – 61 year-old)
ENT>OBITUARY>Minott, Sugar (May 25, 1956 – July 10, 2010 – 54 years-old)

■レイラ・ハサウェイ~スペースのある自由度あふれるライヴ

【Lalah Hathaway : A Lot Of Flexibility With Freedom Space On Musical World】

自由度。

最近では2003年に2回、2004年5月、2006年2月、そして2008年5月と来日しているレイラ・ハサウェイの約2年2ヶ月ぶりのライヴ。コンスタントに来日しては多くのファンを魅了してきているレイラ・ハサウェイ。一言で言えば、シンガーとしてアーティストとして素晴らしい。

7年前に書いたライヴ評から引用しよう。

「彼女が歌えば、アルファベットの羅列である単語に息吹が与えられ、単語の連続である文章に生命が宿り、メロディーとともにソウルが浮かび上がる」

今回のバンドは、直前にニューオーリンズで行われたエッセンス・ミュージック・フェスティヴァルでのライヴと来日ツアー用のバンドということだが、レイラのミュージシャンの操り方がやはりうまい。ミュージシャンにスペースと自由を与え、彼らにいつでもどこでもソロを取らせたり、自分も自由にメロディーをもてあそびあらゆる音階を行き来する。まさに音と楽しむ、だ。そのミュージシャンの音の楽しみ方は、リスナーにも伝わる。全体的な音楽性、バンド自体は普通のソウル系シンガーのものとは格が一段も二段も上だ。

今回も見所はいくつもあったが、驚いたことに、この日は客席にキーボード奏者として名高いパトリース・ラッシェンが来ていて、長尺の「サマータイム」の途中で見事なキーボード・ソロを披露してくれた。レイラはステージでラッシェンの大ヒット曲「フォーゲット・ミー・ノッツ(忘れな草)」の一部を歌いだし、「この曲は私が初めてジェラルド(・オルブライト)のホーン・ソロを覚えた曲なの」と紹介した。「サマータイム」は、レイラがほぼ毎回ステージで歌う曲だが、これが毎回違うアレンジ、テンポだったりして、自由に変化させている。「サマータイム」に「フォーゲット・ミー・ノッツ」を乗せるあたりがすごい。ラッシェンのソロは、さすがに熟練という感じで、同じキーボードでも奏者が違うと音が変わるというのが如実にでるからおもしろい。

前回来日時にもやっていたが、彼女が歌うルーサー・ヴァンドロスの「フォーエヴァー・フォー・オールウェイズ・フォー・ラヴ」は何度聴いても素晴らしい。ルーサーも思い浮かび、一方でレイラ節も存分に出る。彼女は多数のカヴァーを歌うが、何度も書いているが楽曲の解釈力、咀嚼力が抜群に素晴らしい。これは、アレサ・フランクリンなどに匹敵する。この曲の後半で今回参加の日本人ギタリスト、松野 啓太さんが徐々にソロをビルドアップし後半大いに盛り上げた。ソロが終わると、観客の一部がスタンディング・オヴェーションになった。お見事。おもしろかったのは、それや、パトリースのソロに影響を受けてか、予定になかったにもかかわらず、その後すぐにキーボードのマイケルがソロをやりだし、歌おうとしたレイラが「it’s alright」(わかった、いいわよ)とソロを認めたのだ。かなり長尺のソロだったが、ソロ終了後スタンディング・オヴェーションはなかった。(笑) さて、これは?(笑)

そして、もう一箇所、最大のハイライトがマイケル・ジャクソン・メドレー。「ロック・ウィズ・ユー」をベースにして、以後は自由にレイラがマイケルの曲をどんどん歌っていく。いやあ、これにはまいった。次々と、おなじみのヒットが、レイラ節で畳み掛けられ歌われる。ミュージシャンも、次に彼女が何を歌うのか知らない。その日の気分によって、若干曲も入れ替わるようだ。土曜日モーション・ブルーでは、「マン・イン・ザ・ミラー」が入っていたそうだ。ほんの数小節ではあるが10曲もマイケル曲が一気に歌われるなんて初めて聴いた。このメドレーはなるほどこういうやり方があるか、と思わせられた。これも、レイラの音楽的自由度の高さゆえだろう。

彼女のヒットのひとつ「イッツ・サムシング」では、スキャットが自由自在に、まさに変幻自在に、声色七変化が聴かれる。それはまさに大空を自由に飛ぶフリーバードのようだ。本当にワン&オンリーのシンガーだ。この日、レイラはサンダルを履いていた。

今回、土曜日にモーションで飛び入りしたトク、AI、それにマル、アムリタ賢二さんなどと一緒に見ることになったのだが、レイラの低い魅力的な歌声って、AIなんかとちょっと共通するところがあるなとも感じた。AIは、「やばいっす、やばいっす」とレイラのことを心底気に入ったようだった。

(この項、続く)

■ レイラ・ハサウェイ・ライヴはブルーノートで水曜(2010年7月14日)まで。
http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html

■ レイラ・ハサウェイ・オフィシャル
http://lalahhathaway.com/index.html

■ レイラ・ハサウェイ過去関連記事
(Soul Searchin’ Archives On Lalah Hathaway)

2008年05月14日(水)
レイラ・ハザウェイ~ダニーに抱きしめられて
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080514.html
前回来日ライヴ評。

February 04, 2006
Lalah Hathaway: Some Songs Were Too Long
http://blog.soulsearchin.com/archives/000809.html
前々回来日ライヴ評。

>さらに過去関連記事

1999年6月8日
ジョー・サンプル&レイラ・ハザウエイ・ライヴ評。『魔術師の指』
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/sample19990608.html
アルバム『ソング・リヴズ・オン』発売後のライヴ。

2003/02/15 (Sat)
Barefoot Diva:Lalah Hathaway「裸足のディーヴァ:レイラ・ハザウェイ」
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200302/diary20030215.html
2003年来日時ライヴ。

2003年2月14日
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/lalah20030214.html
レイラ・ライヴ評。新聞用とオルタナティヴ・ヴァージョン。

2003年4月30日
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030430.html
レイラのウェッブから。Knocking on Father’s Door (レイラが父ダニーの作品をどう思っているかなどについて)

2003年8月19日
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200308/diary20030819.html
レイラ、マーカス、テイク6らのライヴ評。レイラ、「サムデイ・ウィル・ビー・トゥゲザー」を歌う

2004/05/11 (Tue)
As If Two Hathaways As One: Lalah Hathaway & Frank McComb Live
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040511.html
レイラ&フランク・マッコムのライヴ評

■ レイラ・ハサウェイ最新盤

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0015XF90C/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ジョー・サンプルとのデュオ=レイラの最高傑作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0012IWIEA/soulsearchiho-22/ref=nosim/

2004年、前作。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002ZMJCA/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ メンバー

レイラ・ハサウェイ(ヴォーカル)Lalah Hathaway(vo)
ジェイソン・モラレス(ヴォーカル)Jason Morales(vo)
マイケル・アーバーグ(キーボード)Michael Aaberg(key)
松野 啓太(ギター)Kay-Ta Matsuno(g)
ジャイルス・モゼー(ベース)Jairus Mozee(b)
エリック・ブラウン(ドラムス)Eric Brown(ds)

■ セットリスト レイラ・ハサウェイ 7月11日日曜ブルーノート東京
Setlist : Lalah Hathaway July 11, 2010; Blue Note Tokyo

Show started 20:49
01. Let Go
02. Breathe
03. One Day I’ll Fly Away
04. Summertime [featuring Patrice Rushen] ~ including riff of “Forget Me Nots”"Remind Me" etc.
05. When Your Life Was Low
06. Better & Better
07. Forever, For Always, For Love
08. Michael Jackson Medley: Rock With You ~ Human Nature ~ I Wanna Be Where You Are ~ Remember The Time ~ You Are Not Alone ~ Wanna Be Startin’ Something ~ Never Can Say Goodbye ~ Billie Jean ~ Thriller ~ Girl Friend ~ Forget Me Nots ~ Rock With You
09. It’s Something
Enc. Street Life
Show ended 22:23

(2010年7月11日日曜、青山ブルーノート東京=レイラ・ハサウェイ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Hathaway, Lalah
2010-100

●アンジェラ・ジョンソン・ライヴ~グッド・ヴァイブを見せて

【Angela Johnson Live @ Cotton Club】

ヴァイブ。

通算5回目の来日となるアンジェラ・ジョンソンのライヴ。初来日は2002年8月モーション・ブルーでクーリーズ・ホット・ボックスとして、以後アンジェラ・ジョンソンとして2004年6月モーション・ブルー、2008年5月コットン、2008年12月ブルーノートでトーチャード・ソウルとして。以来1年7ヶ月ぶりの来日。日本では「インディ・ソウルのクイーン」などと言われて人気。ちょうど、フランク・マッコムなどと並べられて語られることも多い。

ドラムス、ベース、キーボードにコーラス1人という編成にアンジェラが歌う。アンジェラの歌声はかなりオールドスタイルだが、バンドがいわゆるネオ・ソウル系。このバランス感覚がおもしろい。ほぼ満席。いきなり、ルーファスの「ユー・ガット・ラヴ」。かなりファンキーに、今風にドライヴ感たっぷりに暴れまわる荒々しいバンドにアンジェラのヴォーカルが乗る。

今回のセットリストは6月にリリースされたばかりのアンジェラの新作ソロ3作目『イッツ・パーソナル』からの曲が8曲も入り、新作サポート・ライヴになっている。途中でアルバムでもデュエットを聴かせるダリエンもゲストで入る。ダリエンは初来日だそう。ちょっと雰囲気がエリック・ベネイ、ギル・スコット・ヒーロンに似ている。CDではいい感じをだしていた。

ときに、アリシア・キーズ風、ときにジェニファー・ハドソン風。ソウルフルな歌声を聴いていて、ちょうど日本のこのあたりが好きなソウル系シンガー、マルやユリのことを思い浮かべた。彼女たちや彼女たちを取り巻く日本人の若手のソウル系ミュージシャンたちと、アンジェラおよびその周辺のミュージシャンたちのサウンド志向にものすごく同じにおい、同じヴァイブを感じたのだ。昔からのソウルを聴き、ネオ・ソウルなどの影響もあって、それらをたくみにミックスしたようなサウンド。それがアメリカで生まれたか、日本で生まれたかだけの違いのような気がした。

ちょうど、この日はソウルのライヴは1970年代からすべて見ている重鎮のご意見番、安井さんがいたので隣で一緒に見た。安井さんは前回のライヴがほんとに素晴らしかったと言っていたが、「レコードの音はあまりオレの好みじゃないんだよなあ(笑) 」と言う。(ちなみに安井さんは超オールドスクールです。その安井さんが評価しているアンジェラは、シンガーとしてはたいしたものということです)(笑)

ネオ・ソウル風にアレンジしたマーヴィン・ゲイの「ガット・トゥ・ギヴ・イット・アップ」など、いまどきのカヴァーだとこうなるか、と感じた。

ということで、マルなんかとコラボレーションしたら、おもしろいのではないか、と思った。それは、13曲目の「キャント・ストップ」を聴いていて特にそう思った。マルのオリジナルにも「キャント・ストップ」があって、似てるなあ、と感じたから。マルは、アンジェラの同曲を知らなかった。偶然、似たのかもしれない。

ライヴ後、アンジェラに会いにいくと、もう6歳になったという娘さん(メイサ)がいた。アンジェラに影響を受けたアーティストはと尋ねると、「いちばんは、母ね。ピアノを弾いてゴスペルを歌うの。もちろん、アル・グリーン、パトリース・ラッシェン、アレサ・フランクリン、マイケル・ジャクソン、いっぱいいすぎるわ」。

ちょうどマーヴィン・ゲイの「ガット・トゥ・ギヴ・イット・アップ」の後半、ジャクソンズの「シェイク・ユア・ボディー」をメドレーで歌っていた。「以前、マイケル・トリビュートで3曲歌ったことがあるのよ。『ベイビー・ビー・マイン』、『ウォナ・ビー・スターティン・サムシン』、そして、『シェイク・ユア・ボディー』」 「ベイビー・ビー・マイン」は、ロッド・テンパートンの曲。「そう、会ったことはないんだけど、いつか、会いたいわ。マイケルには会ったことがないけど、マイケルをよく知っている人には会ったことがある」

というわけで、今日の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」では、アンジェラ・ジョンソンの新作『イッツ・パーソナル』を紹介します。

■ ソウル・ブレンズ 日曜午後1時~3時、インターFM(76.1mhz)「ソウル・サーチン」のコーナーは2時半から。20分弱。
http://radiko.jp/ でインターネットでも聴けます。

■ 過去関連記事

クーリーズ・ホット・ボックス・フィーチャリング・アンジェラ・ジョンソン
【2002年8月22日木曜・横浜モーション・ブルー、ファースト、セカンド・ステージ】
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/coolie20020822.html

■ 最新作 『イッツ・パーソナル』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003HE2IMY/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ 『ガット・トゥ・レット・イット・ゴー』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001DD1ZC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ メンバー:アンジェラ・ジョンソンウィズ・スペシャル・ゲスト・ダリエン

Angela Johnson(vo,key)
Darien(vo)
James Spears(key)
Mark Kelley(b)
Les Cleveland(ds)
Lisala Beatty(back vo)

■ セットリスト アンジェラ・ジョンソン@コットンクラブ、2010年7月9日
Setlist: Angela Johnson @ Cotton Club, July 9,2010
[ ] denotes original artists

Show started 19:08
01. You Got The Love [Rufus]
02. Only One (* from new CD)
03. Be Myself (* from new CD)
04. Days (* from new CD)
05. Better (* from new CD)
06. Hurts Like Hell (* from new CD)
07. All In Me (* from new CD) (Duet with Darien)
08. Composure (Darien)
09. Love Revolution (Darien)
10. For You (* from new CD)
11. Crying Over U
12. All I Need
13. Can’t Stop
14. Got To Give It Up [Marvin Gaye] ~ A Riff Of “Shake Your Body (Down To The Ground)”[Jacksons]
Enc. On The Radio (* from new CD)
Show ended 20:28

(2010年7月9日金曜、丸の内コットンクラブ=アンジェラ・ジョンソン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Johnson, Angela
2010-98

⊿マイケル・ジャクソン遺品展~遺品から放たれるオウラ

【Michael Jackson The Official Exhibition @ Tokyo Tower】

オウラ。

東京タワーで行われているマイケル・ジャクソンの遺品展にまた行った。北山陽一さんが見に行きたいので一緒にいかがですかとのことで、彼が声をかけた友人たちとともに7月の昼下がりに。

冒頭入場前に、今回の企画をしたジュリアナズ・アーバン開発グループのテイラー社長が軽く説明してくれた。「こちらに展示してあるのは、すべてマイケルのネヴァーランドにあったもので、マイケル財団から承認を受けて、貸してもらったものです。他でやっているような金儲けのものとは違います。いろいろあるんですが、最後のほうに100円ショップで売られているようなタッパウェアが飾られているのですが、これはマイケルが亡くなった日にマイケルの子供たちがマイケルのためにお弁当を作って渡したものです。で、その説明を書いていたら、この前で倒れる人がたくさん出たので、今は説明文を変えました。私は、今から別件があるので、あとはゆっくりごらんください」

すでに多くの人がこの遺品展を見ていると思うが、やはり、実際にマイケルが装着したもの、使ったものの前に来ると、不思議な感覚に襲われる。何なのだろう。ただあの偉大なマイケル・ジャクソンが、着ていたという理由だけだろうか。ただ、手につけていただけでオウラを感じるのか。

ごく初期の契約書のコピーから始まり、トライアンフ・ツアーの衣装、ヴィクトリー・ツアーの衣装、キラキラのアクセサリーの数々、ルーラー・オブ・ザ・ワールド(1995年、ヒストリー・ツアーで使用された銅像)、『ディス・イズ・イット』ツアーのホログラフ付きチケット8種、「リーヴ・ミー・アローン」のビデオで使われた緑黄赤のロケットシップ、『ディス・イズ・イット』ツアーでの「スリラー」の時に使われる数々の衣装、クモの模型、「ビリー・ジーン」時のスワロフスキー付きの手袋数種、エリザベス・テイラーから贈られたおしゃれな木馬、金箔のついた王座、そして、エリザベス・テイラーと一緒によくドライヴしたというロールス・ロイス、ディズニーから贈られた仕掛けおもちゃ箱などなど。

遺品にはそれぞれにストーリーがある。この展示会のボードに書かれた簡単な説明文以上のものがそれぞれにある。そして、そのストーリーのいくつかには、マイケルだけでなく、マイケルのファン自身にも思いいれやストーリーがある。ここにある遺品はあらゆるマイケル・ファンに様々な思い出をフラッシュバックさせる。展示会のビデオモニターから流れるさまざまなショートフィルム、あるいは、実際にヴィクトリー・ツアーや、バッド・ツアーを見たファンの思い出。そうした思いがこの空間に凝縮されることによって、独特の空気感が生まれるのだと思う。

見所はいくつもあるが、肖像画に記されたマイケル自作の詩作は印象に残る。それにはこう書かれている。訳は書き写せなかったので、自分で訳した。

I am the thinker, the thinking, the thought
I am the seeker, the seeking, the sought
I am the dewdrop, the sunshine, the storm
I am the phenomenon, the field, the form
I am the desert, the ocean, the sky
I am the Primeval Self
In you and I

Michael Jackson

僕は考える人、考え考え考える、考えることそのもの
僕は捜し求める人、捜し求め探し続け、探し続けることそのもの
僕は露の雫(しずく)、僕は太陽、僕は嵐
僕は現象、僕は現場、僕は現形
僕は砂漠、僕は大海原、僕は大空
僕は、あなたと僕の中に眠る太古の自我

マイケル・ジャクソン
(この部分の訳はザ・ソウル・サーチャー=吉岡正晴)

これは、マイケルが1992年に発表した詩集『ダンシング・イン・ザ・ドリーム』に収められている作品「アー・ユー・リスニング?」の詩の一部だ。これは、「自分は誰か、君は誰か、僕たちはどこからやってきたのか」といった問いから自分自身をさらに深く掘り下げる詩だ。まさに詩人マイケル・ジャクソンならではだが、他にもこの詩集からの抜粋が展示されていた。

そして、テイラーさんから説明を受けたタッパのところへ。確かに説明文が簡単なものに変わっていた。マイケル・ジャクソン遺品展に行ったことをツイッターに書いたら、フォロワーの方から「タッパ泣き注意!」と書かれた。「タッパ泣き」という言葉があるのを初めて知った。(笑) 

マイケル・ジャクソンの遺品展。遺品から放たれるソウルは、永遠の輝きを放つ。

■東京タワーでの展示は7月11日まで。その後24日から大阪展。

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遺品展~大阪へ

5月1日からすでに50万人以上が足を運んだという公式展は、来る2010年7月24日(土)から大阪に場所を移す。会場は大阪梅田スカイビル。大阪展では貴重品の展示に加え、初の試みとして 「CLUB MJ」と銘打ちマイケル・ジャクソンをテーマとしたクラブ・ラウンジが開設されるという。ここでは、ジュリアナ東京で名を上げたジョン・ロビンソンほかのDJが夜間、深夜までマイケル・ジャクソン関連曲をかける。ちなみに、マイケルの命日(6月25日)は、東京展開催時にあたり、一方、マイケルの誕生日(8月29日)は、大阪開催時にあたる。

【イヴェント概要】
タイトル:マイケル・ジャクソン公式展 ネバーランド・コレクション
日時:2010年7 月24 日(日)より
場所:梅田スカイビル5F(大阪府大阪市北区大淀中1-1-88)
入場料:未定

ENT>MICHAEL JACKSON>The Official Exhibition

△マサ小浜、初ソロ・ライヴ~ソウルとファンクとスムース・ジャズと

【Masa Kohama: First Own Live: Soul, Funk And Smooth Jazz】

多様性。

長くアメリカで活躍し数年前に日本に戻ってきて、以来、日本の音楽シーンでひっぱりだことなったファンキーなギタリスト、マサ小浜が「人生初の」自身名義のライヴを行った。これまで、幾多のサポート、また自身が参加したバンドでのライヴはあるが、マサ小浜としてのライヴは名実ともに初だそうだ。ブルース・アレイのマネージャー、高橋さんが1年くらい前から「ソロやってくださいよ」と口説き落として、この日を迎えた。

マサ本人は、「客が5人くらいしか来なかったらどうしようかと思ったけど、こんなに来てくれて本当にありがとうございます」とあいさつ。ほぼ満員、立ち見もでるほどの盛況だ。

マサ小浜は、基本的にブラック・ミュージック、R&B、ソウルが好きだ、ということがプレイや選曲からリアルにわかる。下記セットリストをじっくりご覧いただけばわかるように、「白い曲」はほとんどない。しいて言えば、ドゥービーズの「ミニット・バイ・ミニット」くらいだが、これとてソウルフルな1曲。

しかし、マサ小浜はそのブラック・ミュージックの中のファンク、R&B、ソウル、ブルーズ、ジャズ、そして若干のロックの要素をふんだんに自由自在に取り入れる。ヴァーサタイル(多様性)ではあるが、自身の根っことなるルーツに忠実で、ただ単に「いろいろなジャンルを寄せ集めました」的な安いオムニバスになっていないところが素晴らしい。Versatile, but stick to rootsという感じだ。ひとつの根っことなる土台がしっかりしているために、様々な多様性ある音楽がひときわ輝きを増す。ソウルとファンクとスムース・ジャズの見事な融合、そんな感じだ。

ギターの音色もいいし、プレイもいい。そして、バックのバンドもソリッドで完璧だ。いつも、ジーノのベースの音が、ここブルース・アレイで聴くときにひじょうによく聴こえるのだが、それをジーノに尋ねると、「ほら、ドラマー(ジェイ)がいいからさ。ジェイのキックと相性がいいんだよ」。いやあ、それもあるだろうけど、たぶん、ジーノのパフォーマンスがいいに決まってる。

そしてセカンド・セット、ブルーズの2曲をやり終えたところでマサ小浜が言った。「いやあ、楽しいなあ」。マサは曲の中に、ちょっとした有名曲のフレーズをほんのひとかけらだけちょくちょくいれる。これがディズニーで隠れミッキーを探すように、実に楽しい。「あ、これなんだっけ」、でも考えてるともう元の曲に戻ってるといった感じだ。たとえば「レッド・ライト・スペシャル」(ケイリブが女目線の歌詞を男なのに歌ったのが面白かった)の最後にちょっとだけアイズレイの「サマー・ブリーズ」を挟み込んだり。「ロック・ウィズ・ユー」にアースの「ブラジリアン・ライム」を入れたり。

アーニー・アイズレイ、ジョージ・ベンソン、デイヴィッド・T・ウォーカー、ジミ・ヘンドリックス、プリンス、BBキング…。さまざまなギター名手の音が浮かび上がる。それまでマサ小浜が影響を受けてきたギタリストが、彼の体をフィルターにしてその音を表出させる。

マサのギターは歌う。マサのギターは跳ねる。マサのギターは飛ぶ。マサのギターは泣く。マサのギターは汗が飛び散る。そして、マサのギターは、ソウルがあふれている。

アンコールでの「パープル・レイン」は、マサ小浜のギター・ソロが見事に輝いた圧巻の出来だった。そして、客席にブレンダ・ヴォーンの姿を見つけたマサは、ギターを弾きながらブレンダを呼び込むジェスチャーをする。一瞬ためらったブレンダは結局ステージに上がり、いきなり「パープル・レイン」の最後のフレーズを、独自アレンジの即興で歌った。お見事。さらに圧巻は、後半。マサが説明する。「『パープル・レイン』って、後半とてもスピリチュアルな曲でしょう。だから弾きながら、ブレンダ向きにチャーチ(教会的)な曲をやろうと、その場で思いついて『アメイジング・グレイス』を弾いた」 そう、「パープル・レイン」のギター・ソロがゆっくり静かになったところで、マサが「アメイジング・グレイス」を弾き出したのだ。もちろん、ブレンダにとっては、この曲は朝飯前。またまたスリリングな即興「アメイジング・グレイス」が披露された。いやあ、ここのアンコール部分は、全員のミュージシャン力に特に感銘を受けた。

ライヴ後、ミュージシャンたちみんなといろいろ話をしたが、なんと今回リハーサルは当日の午後1時半から5時半までの4時間だけだという。いやあ、それを聞いて、二度びっくりだ。曲を決め、それぞれが宿題をやってきて、曲のソロや終わりは、マサが合図をする。それにしても、いつも他のアーティストのサポートなどでよく顔をあわせ一緒にやっている仲間同士だからできる芸当なのだろう。

ギター・ソロのライヴというので、ヴォーカルがほとんどなく、若干退屈になるかと思ったのだが、そんなことはまったくの杞憂。実にソウルフルでファンクで、ここまでR&B・R&Bしたギタリストは日本広しと言えどもなかなかいない。マサはこの日膨大な数のエフェクターと、8本以上のギターを持ってステージに上がっていた。ステージの人数は少ないが、機材で足の踏み場がないほどだった。素晴らしい初ソロライヴだった。スター・ギタリストの誕生だ。そして、この日の観客は女子率がえらく高かった。年内に再演しそうだ。

■ メンバー

(G)マサ小浜 (Key)Kaleb James (B)日野“JINO”賢二 (Ds)JAY Stixx
Brenda Vaughn (vocal)

■ セットリスト マサ小浜@ブルースアレイ
Setlist

Show started 19:47
01. Let The Goodtime Roll (Kaleb on vocal) [Louis Jordan]
02. That’s The Way Love Goes [Janet Jackson]
03. Creepin [Stevie Wonder]
04. All I Can [Al Jarreau]
05. P.Y.T. [Michael Jackson]
06. Red Light Special [TLC] (Kaleb on vocal)
07. Never Can Say Goodbye [Jackson Five]
08. Rock With You [Michael Jackson]
09. Little Wing [Jimi Hendrix]
Performance ended 21:00

Performance started 21:22
01. C Smooth [George Benson]
02. Minute By Minute [Doobie Brothers]
03. Anytime, Anywhere [Janet Jackson]
04. Hideaway [Blues]
05. Have You Ever Loved A Woman [Blues] (Kaleb on vocal)
06. Yearnin’ For Your Love [Gap Band]
07. Never Too Much [Luther Vandross](Kaleb on vocal)
Enc. Purple Rain [Prince] (Kaleb, Brenda on vocal) – Amazing Grace [Brenda]
Show ended 22:37

(2010年7月6日火曜、目黒ブルース・アレイ=マサ小浜ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Kohama, Masa
2010-


☆ハーヴィー・フークワ80歳で死去~ムーングロウズのリード・シンガー:マーヴィン・ゲイの育ての親

【Harvey Fuqua Dies At 80】

訃報。

1950年代名門ドゥー・ワップ・グループ、ムーングロウズのリーダーでありリード・シンガー、ハーヴィー・フークワが2010年7月6日デトロイトの病院で死去した。80歳だった。

ハーヴィー・フークワは、1950年代ムーングロウズのメンバーとして「シンシアリー」、「モースト・オブ・オール」「テン・コマンドメンツ・オブ・ラヴ」などの大ヒットを出し、その後、マーヴィン・ゲイと知り合い、マーヴィンを自身のグループに。マーヴィンはソロとしてモータウンと契約。彼を育てる一役を担った。ドゥー・ワップ・グループとして、ムーングロウズをヒットさせた最大の立役者がハーヴィーだ。

本拠としたデトロイトで、1960年代初期に自身のレーベル、トライ・ファイを設立。ジュニア・ウォーカー&オール・スターズ、スピナーズなどを発掘、育てた。さらに、70年代に入ると、シルヴェスター、ニュー・バースなどを発掘、育てている。1950年代から70年代、80年代までR&B業界で活躍。

1988年5月、スモーキー・ロビンソンの来日に帯同していた。また、日本では山下達郎氏がアルバム『オン・ザ・ストリート・コーナー』で「モースト・オブ・オール」をカヴァー。彼のファンや、ドゥー・ワップ・ファンの間では大変人気の高いグループだった。

一月ほど前から体調を崩し、デトロイトの病院に入院していた。冠状動脈の問題があり、心臓発作で死去したという。

■ 『ソウル・サーチン~第二章~ハーヴィー・フークワ』(吉岡正晴著)
http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/2.html

■ ハーヴィー・フークワ死去のニューズ
ABCニューズ
http://abcnews.go.com/Entertainment/wireStory?id=11103904
AP
http://www.google.com/hostednews/ap/article/ALeqM5hLAx9zj0WzOV6E1H4NrSnVBYrsUQD9GPUU0G0
EURWEB
http://www.eurweb.com/?p=34412

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プロフィール。

ハーヴィー・フークワは1929年(昭和4年)7月27日ケンタッキー州ルイヴィル生まれ。やはり1950年代に活躍したインクスポッツのチャーリー・フークワのいとこにあたる。1951年地元でドゥー・ワップ・グループ、クレイジー・サウンズを結成、その後本拠をオハイオ州クリーヴランドに移住。ここの有力DJアラン・フリードの力添えで名前をムーングロウズとする。ムーングロウズは、ロマンティックなドゥー・ワップ・サウンドで「シンシアリー」、「モースト・オブ・オール」、「テン・コマンドメンツ・オブ・ラヴ」などの大ヒットを出した。特にハーヴィーは、低音の魅力でファンを獲得。1958年、ハーヴィーは他のメンバーと折り合いが悪くなり、グループを脱退。そんな頃、当時マーキーズというグループと知り合い、このリード・シンガー、マーヴィン・ゲイに注目する。ハーヴィーはこのマーキーズを新しいムーングロウズとして活動するようになる。当時十代だったマーヴィンは、ムーングロウズ、とりわけハーヴィーの声の大ファンであり、あこがれであった。

ハーヴィーはこの頃、シカゴのチェス・レコードに所属、同レーベル所属のエタ・ジェームス(一時期、ハーヴィーとつきあっていた)とのデュエットなども録音している。その後、ハーヴィーは裏方で活躍するようになり、1960年、トライ・ファイ・レーベルを設立。ジュニア・ウォーカー&オール・スターズ、マーヴィン・ゲイを迎える。一方、ハーヴィーと恋仲になったグエン・ゴーディーはアンナ・レコードを設立。そこにはスピナーズ、ラモント・ドジャー、ジョー・テックスなどが在籍。両者はふたつのレーベルを統合。しかし、このレーベルが経済的に行き詰まり、グエンの弟であるベリー・ゴーディー(モータウン社長)に身売り、これにともない、このレーベルにいたアーティストは自動的にモータウン所属となった。

ハーヴィーは、モータウンでA&R(制作担当ディレクター)の仕事をして、レコード制作、宣伝などを担当。この時期、ハーヴィーはマーヴィン&タミーの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」、「ユア・プレシャス・ラヴ」などをプロデュース。ハーヴィーは1970年までにモータウンを退社。インディペンデント・プロデューサーとして活動、RCAと契約。ここでニュー・バース、ナイトライターズをてがけた。さらに、70年代中期、サンフランシスコで活躍していたゲイのシンガー、シルヴェスターも発掘、ヒットさせている。ここからの派生プロジェクト、トゥー・トンズ・オー・ファン、のちにウェザー・ガールズをヒットさせる。

マーヴィンは、ベリー・ゴーディーの姉アンナと結婚、またハーヴィーは同じくグエンと結婚していたことから、一時期、義理の兄弟関係にあった。

その後、1981年から1982年にかけて、モータウンを辞めていたマーヴィン・ゲイのCBSレコード移籍第一弾となるアルバムを手伝い、完成させる。それが『セクシュアル・ヒーリング』となり、マーヴィンは奇跡の復活を果たす。

しかし、マーヴィンは1984年4月1日、父親の銃弾に倒れるという衝撃の結末を迎え、ハーヴィーも衝撃を受ける。ハーヴィーはその後、モータウン時代の旧友であり親友のスモーキー・ロビンソンと公私共にすごしながら悠々自適な生活をしていた。

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ソウル・サーチン。

ご存知の方はすでにご存知だと思うが、僕が2000年7月に発表した作品『ソウル・サーチン』(音楽之友社)は、7人(組)のソウル・アーティストたちが体験する「ソウル・サーチン」の人生を描いたものである。ソウル・ミュージシャンを描いた作品としては他に類のない著作だ。ここの第二章でハーヴィー・フークワを書いた。ハーヴィーには1988年6月にインタヴューして、素晴らしい話を聞くことができた。あのときのインタヴューしていたときの空気感は、22年経った今も、そして、生涯忘れることはない。

ちょうどそのときは、スモーキー・ロビンソンが初来日していたときで、共同会見の席で大きなブラックの人がいて、スモーキーが彼を紹介した。その名前を聞いて僕は驚嘆した。それがハーヴィー・フークワだった。彼はあのムーングロウズの低音のリード・シンガーだったのだ。そこでその場でインタヴューを申し込んだ。彼は快く引き受け、翌々日、ライヴ後にホテルでインタヴューすることになった。

一時間余の短い時間だったが、めくるめくソウル・ヒストリーだった。まるで映画を見ているようなストーリーだった。低音のしびれるような声で、しかも話がうまい。それより3ヶ月前にジョン・ホワイトヘッドから聞いたストーリーとはまったく違っていたが、ひとつだけ共通点があった。それが「ソウル・サーチン」ということだった。ジョンとハーヴィーの2人から話を聞いて、「ソウル・サーチン」という言葉が僕の中で大きなものになっていった。そして、それから12年を経て『ソウル・サーチン』は一冊の著作になった。

『ソウル・サーチン』では、もちろん成功者におけるアップダウン、激動する運命と心の動き、悩みを描くことが第一義だったが、いわゆる「ソウル・ジャイアント」についても描いてみたかった。それは、オーティス・レディング、サム・クック、マーヴィン・ゲイなどだ。そして、マーヴィンの生涯を、その恩師であるハーヴィーの視点から書いたのである。サムは、ウーマック・ウーマックの視点から、オーティスはその一時的な弟子でもあったジョン・ホワイトヘッドの視点から書いた。

7章のうちいくつかをネットに公開しているが、ハーヴィーのものは公開している。これを機にじっくりお読みいただければ幸いである。(上記リンクアドレス)

ハーヴィーにはもう一度会いたいとずっと思っていた。高齢になっていることは知っていたが、その望むが絶たれたことが残念でならない。

■ザ・フラミンゴス・ミート・ザ・ムーングロウズ(とりあえず、ムーングロウズのいいベストが見つからなかったので、これを)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000563OJ/soulsearchiho-22/ref=nosim/

OBITUARY>Fuqua, Harvey (July 27, 1929 – July 6, 2010 – 80year old)

◎トラヴィス・ペイン『徹子の部屋』に登場

【Travis Paye On “Tetsuko No Heya”】

出演。

マイケル・ジャクソンのダンス、振り付けを担当、映画『ディス・イズ・イット』でも活躍していた振り付け師トラヴィス・ペインが、2010年7月6日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系列=13時20分~13時55分)に出演した。

トラヴィスは、ジャニーズ系の舞台『プレイゾーン』の振り付けで約5週間日本に滞在。彼はこの『プレイゾーン』にも長くかかわってきていたという。(ちなみに『プレイゾーン』は、東京で7月9日から8月1日、大阪で8月14日~22日まで行われる)

トラヴィスは、マイケルの寛容性、人間性などが大好きで、マイケルは世界を癒してくれる人などと評した。また、現在、トラヴィスはレディーガガの振り付けをしているが、マイケル自身も早くからレディーガガに注目していたことも明かした。マイケルが匿名で寄付をしたり、人々のことを思っていることも話した。トラヴィスは5歳のときに、初めてマイケルを見て以来ファンになったという。

2009年6月25日について。「あと、8日でロンドンに行くことになっていた。そして、その日はマイケルの家に向かうところだった。そこで電話が入って、ニュースを知った。そのショックは言葉にできない」 マイケルは今回の『ディス・イズ・イット』のライヴが一ヶ所で50回できるために、移動の負担が少なかった。「ロンドンの後、どこに行こうか、話していた。日本もその候補だった。日本にはたくさんのいい思い出があった」 東京ドームでライヴが終わった後、「ブロックごとに順番に退場することに、驚いた。日本はとても規律がしっかりしている」 「マイケルの音楽、歌とダンスは、彼の言語だった。どのように人々とコミュニケーションをとるか、ということだった。彼はそれが世界中の人たちと大変うまくできた。素晴らしい体験だった」「日本には何度も来ていて、しゃぶしゃぶが好き」

トラヴィスの物腰、話し方はとてもソフトスポークンで中性的なところが印象に残った。

トラヴィスは1971年7月5日アトランタ生まれ。1990年、ジャネット・ジャクソンの『リズムネーション1814』のツアーに参加したことが大きなブレイクとなった。その後、プリンス、デビー・アレン、アン・ヴォーグなど、そしてマイケル・ジャクソンなどとかかわりを持つようになった。大きな仕事は、マイケルの『デンジャラス・ワールド・ツアー』(1992年6月から1993年11月まで)。また、1997年の『ゴースト』にもダンサーとして参加。経験を積んだトラヴィスは、以後もマドンナ、スティング、ジェニファー・ロペス、ブリットニー・スピアーズ、アッシャー、ビヨンセなど錚々たるアーティストたちと仕事をするようになった。プシーキャット・ドールズのニコール・シュレジンガーのビデオなども振り付けし、2007年での『MTVビデオ・ミュージック・アワード』のニコールの振り付けも担当した。

マイケルの急死後に行われた7月7日のメモリアル・サーヴィスでも振り付けを担当した。2009年12月、レディーガガのツアーも振り付け、さらに2009年の『紅白歌合戦』でのスマップが踊ったマイケル・ジャクソン・トリビュートの振り付けも担当した。

また、2010年1月、フィリピン・セブ島にあるリハビリテーション・センターでの大人数の受刑者たちによる「スリラー」の振り付けも担当、ディレクションをした。ペインは同じく『ディス・イズ・イット』の出演者であるダンサー、ドレス・リードらとともに1500人に振り付けを教えた。

■マイケル・ジャクソン『ディス・イズ・イット』(通常DVD) トラヴィスの姿も多数みられる

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002YK4U4G/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■『ライヴ・イン・ブカレスト』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BNM8AG/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>MICHAEL JACKSON>Payne, Travis

○吉弘知鶴子ゴスペル・ナイト

【Yoshihiro Chizuko Gospel Night】

ゴスペル。

ブラック・シンガーが4人、それぞれ思い入れのあるゴスペル楽曲を選んで、自由自在に魂を込めて歌う。定例吉弘知鶴子さんのゴスペル・ナイト。よく見れば吉弘さん以外すべてブラック。彼女がブラック・ゴスペルにこだわるだけのことはある。そして、4人のシンガーそれぞれがその曲を選んだ理由を語ってから、歌うのだが、これが実によかった。

最初に登場したのは、タイニース。彼女はこんな話をした。「私は、すべてを失った時期がありました。仕事もなく、お金もなく、すべてをなくしていたんです。でも、そんなとき、車を運転していてふと目に入った教会があり、そこに足を踏み入れました。そこで、みんなが歌っていて、それに加わりました。とても感動して、そこの神父さんに、今日ここに初めて来たけれどこのクワイアーに入りたいんです、というと、神父さんは私が歌えるかどうかも確かめずに、一本のカセットテープをくれました。カセットというところで、時代がわかってしまうかもしれませんね。(笑) これを来週までに覚えてらっしゃい、と彼は言いました。その曲が、私が選んだ『ウィ・アー・ワン』という曲です」

そして、それをじっくりと歌って聴かせる。スローの曲だけに、じわじわと胸を打ってくる。そして、フランクは、「ベスト・イン・ミー」について語る。

「自分も昔、バッド・ボーイでした。誰もが自分を認めてくれない、誰も自分を愛してくれない、などとふてくされたこともありました。でも、神様は、いつの時代でも、どんなときでも、自分のどこかに最高のもの(best in me)があるんだということを教えてくれました。必ず、あなたにはベストのものがあるんだ、ということなのです」 こう説明しながら「ベスト・イン・ミー」を歌って聴かせる。フランクの声は、ちょっとテディー・ペンダグラス風のシャウト・ハスキー系のソウルフルなもの。

フランクは、セカンド・セットでアージーとともに、ビー・ビー&シー・シー・ワイナンズの作品「ネヴァー・ソート」をデュエットで聴かせた。これがまたよかった。アージーの声は、爆発的な声量はないのだが、細めの綺麗ないい声なので、レコーディングなら完璧に映えるタイプの声。

そして、トリで登場したのが、一番のビッグ・シンガー、シスター・リード。彼女はこんなことを言った。「私がこの曲を選んだのは、曲のタイトルの通りのことを思うからです。私には母も父もいます。素晴らしい人たちです。でも、それでも神とは比べられない。あなたが病気になったら、神が直し、癒してくれます。お金がなければ、どこからかそれを持ってきてくれます。心配事があれば、解決策をもたらしてくれます。私も、以前はあまりいい人ではなかった。でも、神は私にベストを見出してくれたのです」 そして、歌われた「ゼイズ・ノーン・ライク・ユー」。この日一番の声量と歌唱、迫力だった。まさにブルーズ・アレイ転じてゴスペル・アレイになった夜だ。感極まったシスター・リードは、曲が終わる頃にはハンカチで涙を拭いていた。素晴らしい。

各曲について、吉弘さんが学校の先生みたいにとてもわかりやすく解説をしてくれる。ゴスペルについての歴史やニュアンスなどを学びながら、ライヴでそれを楽しめるという、まさに一石二鳥のライヴだ。

■ メンバー

吉弘知鶴子 Gospel Night

(Pf/HAMMOND B-3)吉弘知鶴子 (Ds)Bert Adams (B)Keith Williamson (G)Albert Martin (Vo)Frank Legree、Tynice Brooks、Sister Gwendlyn Reid、Argie Martin


■セットリスト
Setlist : Yoshihiro Chizuko @ Blues Alley Japan, June 28, 2010

show started 19:43
01. He Looked Beyond My Faults (Instrumental)
02. Oh How I Love Jesus (Instrumental)
03. Hold Out
04. We Are One (Tynice’s choice)
05. Best In Me (Frank’s choice)
06. He’s Done Enough (Chizuko’s choice with Sister Reid on lead)
Performance ended 20:54

Second set

Show started 21:16
07. Power In The Blood (Instrumental)
08. Never Thought (Argie & Frank duo)
09. You’ll Never Thirst (Argie’s choice)
10. There Is None Like You (Sister Reid’s choice)
11. Awesome God
Enc. Oh, Happy Day
Show ended 22:48

(2010年6月28日月曜、目黒ブルース・アレイ=吉弘千鶴子ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Yoshihiro, Chizuko

◆マイケル・ジャクソン・トーク・イヴェント@大阪

【Michael Jackson Talk Event】

トークイヴェント。

2010年7月3日(土)、『マイケル・ジャクソン・ラヴ・ナイト~デイ・ドリーム・パーク』というイヴェントに西寺郷太さんと出演した。会場は、大阪心斎橋にある「サウンドチャンネル」というクラブ。『マイケル・ジャクソン・ラヴ・ナイト』は、2009年12月にお台場で行ったものの、第二弾。初の遠征。また、『デイ・ドリーム・パーク』は、郷太くんがずっと三宿のウェッブで毎月最終金曜日に続けているDJイヴェント。今回はこの二つを合体したイヴェントだ。

前半が僕とのトークショー。後半が、郷太くん、ノーナ・リーヴスの小松さん、奥田さんらがDJ。小規模ならライヴもできるようなお店だ。新幹線の中で、打ち合わせがてら郷太くんとマイケル話が盛り上がってしまったが、新大阪に着いたら、雨。会場まで乗ったタクシーが、かなり心細く、場所をよくわからず、迷う。途中で先方に電話をかけながら運転し、ちょっと行き過ぎてしまったら、その前の一方通行の道を逆行するわ、デタラメな運転手だった。(笑) 

トークショーは二部構成で、第一部が始まる前にサイン会をし始めたら、けっこうファンの方が並び始め、開始時刻になったため、しきれなかった方にはトークショー後にすることに。

雨にもかかわらず満員、ご来場いただいた方、ありがとうございます。冒頭は、郷太くんが八王子で講演をした話(養老孟司の講演会より人が集まった=観客爆笑)、1日からディズニーランドで公開された『キャプテンEO』の話、フジテレビで放送された番組と父親ジョー・ジャクソンの話など。

ジョーの著作『息子マイケル・ジャクソンへ~天国への遺言状~』についての話を中心に、ジョーの話がことのほか長くなり、しかし、けっこうおもしろかった。郷太君は同著作のゲラを読んだが、ゲラをもらった翌日に直すところがあったら、直してください、と言われたそうだ。だが、間違いがありすぎて、お手上げになった、とのこと。(笑) 続いて、今回プラスチックケースで再発されたマイケル・ジャクソン、ジャクソンズのCD14枚の話、訳詞の話、『マイケル・ジャクソン・エステート』の話、『ソウル・トレイン』DVDの話など話題は多岐にわたった。

「これ(『ソウル・トレイン』)は、今、ギャオ(Gyao)で無料で見られます」と観客からの情報。「でも、期間限定です」。「じゃあ、今日帰ったらすぐにネットにアクセスですね」と僕。すると郷太くん「いや…。今日は(僕)DJがあるんで、みなさんも明日にでも…」(爆笑) さらに、B(ブランドン)ハワードの話など。ブランドンが郷太君に言った「リアリー?」がマイケルそっくりだったという話などもえらく受けた。

第二部は、ジャクソンズのアルバムの話を中心に、各作品について郷太くんが詳細解説。これがまた、ちょっとしたモノマネをしたり、こだわるところがあったりとおもしろい。最初のアルバムのプロデューサー、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフのこと、3作目『デスティニー』のボビー・コロンビーについて、さらに、なぜマイケルはクインシーとなることになったかの謎など。ボビー・テイラーのことなど。

今回は、デスクの上に、CDプレイヤーを用意していたので、いくつか曲をかけながら話をしたので、お客さんにもわかりやすかったと思う。

「『オフ・ザ・ウォール』のブリッジのところは、一番大好きなところ」と解説しながらそこの部分をかけたり。マイケルの「ッアッ」という掛け声のいれるところの完璧さの解説など。

郷太くんが、去る6月18日にNHK文化センター(八王子教室)で「先生」としてご登壇したときに、しゃべることをまとめた紙(A3で3枚)があり、これを元に話しましょうか、となったが、やはり、話はあちこちに脱線し、ひじょうに楽しかった。

「僕ゴキ」「青ハイ」とは、「僕はゴキゲン」、「青春のハイウェイ」のこと。郷太くんは、アルバム・タイトルを略して話す。(笑) 後半は郷太くんも絶好調となり、瞬く間に時間がなくなった。(笑) 

トークショー終わったあと、軽くサイン会をし、その後近くにタコヤキを食べに行き、会場に戻り、郷太くんは、ノーナ・リーヴスのメンバー(奥田さん、小松さん)がジョインしてきて、深夜帯のDJタイムに突入。

いらっしゃったみなさま、郷太くん、サウンドチャンネルの前田さん、スタッフのみなさん、ありがとうございます。そして、いろいろお土産などをお持ちいただいたみなさま、ありがとうございます。またこのようなトーク・イヴェントの機会があれば、ぜひお越しください。

■ジョー・ジャクソン著 『息子 マイケル・ジャクソンへ ~天国への遺言状~ アイ・ラヴ・ユー・モア』

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■マイケル・ジャクソン著 『ムーンウォーク』

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ENT>MICHAEL JACKSON

★『アメリカン・トップ40』40周年

【Radio Programme “American Top 40” Celebrate 40th Year】

40周年。

アメリカを始め全世界のラジオ局で放送されているチャート番組『アメリカン・トップ40』が、今日2010年7月4日で初オンエアからちょうど40年を迎える。『アメリカン・トップ40』は、ケイシー・ケイスンの発案、DJで、1970年7月4日から全米のラジオ局7局で放送が始まった。同番組は、アメリカの音楽業界誌ビルボードのシングル・チャート『ホット100』の上位40曲を40位から1位まで順にすべてをかけていくシンプルな構成で人気を獲得。アメリカのみならず、全世界で配給され、日本でも1972年10月14日から当時のラジオ関東(AM)で『全米トップ40』というタイトルで放送が始まった。この日本版は、DJに湯川れい子さん、ラジオ関東アナウンサーの坂井隆夫さんが担当。当時洋楽を聴く音楽ファンのバイブル的存在となった。

『アメリカン・トップ40』は、しばしば「AT40(エイティー・フォーティー)」と呼ばれ、ネット局も増えた。当初は3時間で40曲すべてをフルコーラスかけることを大前提にしていたが、70年代後期になると、一曲の長さが長くなり、1978年から放送が4時間になった。最盛期には全世界50カ国、500局以上のラジオ局で放送された。

その後、ケイシー・ケイスンと番組制作会社との意見の相違から、ケイスンが1988年8月6日の『AT40』で離脱、翌8月13日から新人のシャドー・スティーヴンスに交代。しかし、翌年1989年1月21日から、ケイスンは独立し『ケイシーズ・トップ40』という番組をスタート。これは、ラジオ&レコード誌のチャートをもとに40曲をカウントダウンした。その後、ケイスンは『アメリカン・トップ40』に戻るが、2004年1月からライアン・シークレストがホストDJとなった。また1995年1月から1998年3月まで番組は休止した。また、使用するチャートは当初のビルボード誌からラジオ&レコーズ誌、その中のチャートもいろいろと変わった。

日本ではラジオ関東以降、東京FM、FM横浜などで放送され、現在はZIP-FM(名古屋)で放送されている。また、日本の米軍放送局AFRTS(現在のAFN)(通称FEN)でも放送されていた。

40年の歴史の中には、さまざまなエピソードが残されているが、そのうちのいくつか。

初回放送(1970年7月4日)の最初のオンエア曲は、すなわちビルボード誌ホット100(1970年7月11日付け)の40位だった曲。それは、マーヴィン・ゲイの「ジ・エンド・オブ・アワ・ロード」だった。

初回放送の1位は、スリー・ドッグ・ナイトの「ママ・トールド・ミー・ノット・トゥ・カム」。

1978年8月から、同番組では世界中にリスナーがいることから、「ロング・ディスタント・デディケーション(遠距離メッセージ)」というコーナーをスタート。その初回は、ドイツに住むガール・フレンド、デズリーへのメッセージをニール・ダイモンドの「デズリー」とともにリクエストしたアメリカ在住の男性のお便りが紹介された。

ケイシー・ケイスンは1932年(昭和7年)4月27日ミシガン州デトロイト生まれ。両親はレバノン人。1950年代中期からラジオ業界で仕事を始めた。全米のラジオ局でDJをしているうちに、1970年7月から『アメリカン・トップ40』をスタートさせた。2009年7月4日、『アメリカン・トップ20』『アメリカン・トップ10』の番組を終了、39年間におよぶ『アメリカン・トップ40』DJを引退した。しかし、1970年代から80年代にかけての番組が現在でも200以上の放送局で再放送されている。

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バイブル。

『アメリカン・トップ40』は、日本各地にその研究会ができるほど、アメリカのポップス好きにとってはバイブル的存在だった。かく言う僕も大学生時代、この番組をFEN、ラジオ関東と毎週聴いてそのチャートをノートに書き取っていたほど。土曜の午後まずFENで英語版を聴き、夜10時からラジオ関東の湯川れい子さんの解説で聴いた。現在音楽業界(特に洋楽)で活躍している人たちで、この『アメリカン・トップ40』にお世話になっていない人はほとんどいないだろう。洋楽の情報がまだほとんどなかった頃、無名アーティストの情報などが放送されて重宝したものだ。

ケイシー・ケイスンの英語が、発音もはっきりし、比較的ゆっくり話すので聞き取りやすかったのもよかった。チャートを40位から1位までカウントダウンしていくというシンプルな構成なので、英語の言い回しにいくつかパターンがあり、何度か聴いているうちにそれらを覚えるようにもなった。

『アメリカン・トップ40』の大きな魅力はその台本にあった。ひじょうによく練られた英語で、それはまさに英語の教科書のような正しい文章、しかも発音も聴き取りやすい英語だった。そこで明かされるエピソードも、実に取材が行き届いていておもしろいものが多かった。

印象に残っているエピソードはいくつもあるが、1973年のドーンの大ヒット「幸せの黄色いリボン(Tie A Yellow Ribon Round The Oak Tree)」の誕生秘話などは特筆ものだった。これはのちに日本でも「幸せの黄色いハンカチ」となって映画化されるが、初めて聴いたときは、胸を打たれたものだ。

最近は、シングル自体が発売されないことも多いので、なかなかトップ40の意味合い、重要度も薄れてきてしまったが、それでも「全米ナンバーワン」というキャッチフレーズはいまでもそれなりに有効かもしれない。

ENT>RADIO>American Top 40


▲『キャプテンEO』と『マイケル・ジャクソン死の謎』

【”Captain EO” & TV Programme】

マイケル。

再開された『キャプテンEO』は、東京ディズニーランドではとりあえず1年間限定だが、人気が続けば延長もありそうだ。

これがアメリカのディズニーで公開された1986年9月という時期は、マイケルの『スリラー』が出て、さらに1984年7月からの『ヴィクトリー・ツアー』も敢行、終了、『スリラー』に続くアルバムがまだかまだかと待たれていた時期だ。

少しちょっと昨日勘違いしたかもしれないので訂正を。オリジナル上映時には、レーザーとスモークが劇場効果としてあったと資料にあるが、それは今回はなかった。正確にそのあたりの記憶が定かではない。その代わり、水の演出、椅子が動く効果が今回はあり、これは今回からのものらしい。昔も劇場効果があったと思ったが、『キャプテンEO』の後、これに準じたいろいろなアトラクションが出てきた。たとえば、「スターツアーズ」や、「スプラッシュ・マウンテン」などのライド系では、椅子が動いたり、水がかかったりするが、そのあたりと混同したかもしれない。1986年当時の自分の原稿をいろいろ調べてみたのだが、『EO』について記述したものが見当たらなかった。その頃ブログがあれば、事細かに書いていただろう。(笑)

ここに登場するキャラクターは、象の鼻を持つようなフーター、頭が二つあるギークス(アイディーとオーディー)、マイケルの肩にのる鳥ファズボール、ロボットのようなメージャードーモとその背中にばちっとはまるマイナードーモなど。前記3つのぬいぐるみが、当時アメリカで売られていたので、それを買った。ずっとトランクルームにしまいこんでいたものを引っ張り出した。ただ、これが東京ディズニーランドで売られていたか、どうも記憶が定かではない。改めて24年の年月の重みを感じる。

今回の『キャプテンEO』では、いわゆる「ファスト・パス」が発行される。これを入手すれば、指定された時刻に行けば、待たずに見ることができる。

+++++

テレビ番組。

昨日(7月2日)、フジテレビで『マイケル・ジャクソン死の謎』(7月2日、午前2時10分~4時10分)という2時間の番組が放送されていた。ぼくはこれについてまったく知らなかったのだが、ツイッターで知り、すぐ見た。ちょっと頭が欠けてしまったが、9割ぐらいは見られた。

正直に言うと、ドキュメンタリーというには、テーマのフォーカスが甘く、ちょっと内容が貧弱な感じだった。たとえばアメリカCBSの『60ミニッツ』をドキュメンタリーと言うなら、これなど関係者の証言を集めて編集したただの「関係者の証言集」というもので、その足元にも及ばない。インタヴューしている人があまり、ジョー・ジャクソンやジャクソンズ、マイケル周辺のことをよく知らないせいか、つっこみが甘く、本来だったら聞きだせる話も聞き出せていない。それでもジョー・ジャクソンがかなりしゃべっているところは一次情報として参考にはなる。

よく事情は知らないのだが、ひょっとするとジョー・ジャクソンの著作が出るので、そのプロモーションの一環として、この番組ができたのかもしれない。まあ、本のプロモーション番組ということであれば、言い分がほとんどジョー・サイドのものになっているのも納得で、そういう意識で見ればいい。逆にこういう番組を見るときに、どのような立ち位置で番組が製作されたのかをしっかり見極めないと、物事の本質を見誤ることになる。だから『ジョー・ジャクソン語る』あるいは『ジョー・ジャクソン~息子マイケルを語る』といったタイトルだったら、よかったのではないだろうか。

また、マイケル・ジャクソンが陰謀によって殺されたかどうかは、さすがに我々にはわからない。もっと取材が必要だ。この番組の取材レヴェルではまだオンエアするレヴェルではないと思う。オンエアするにはもっと取材を深めて、さら素材を集めて、それらの事実を精査し、煮詰めてからではないだろうかと感じた。

■ 今日、大阪でトーク・ショー

今日(2010年7月3日土曜)、大阪で西寺郷太さんとトーク・ショーを行います。ただし、会場が小さいため前売り券がソールドアウトになっています。

●「マイケル・ジャクソン L.O.V.E ナイト in 大阪」

場所: 大阪サウンド・チャンネル 
住所: 〒542-0086 大阪府大阪市中央区西心斎橋2-8-21 やすらぎビルB1
電話: 06-6212-5552
ウェッブ: http://www.sound-channel.jp/
日時: 2010年07月03日(土曜) 開場18時、開演18時半~21時半
サイン会: 21時半~22時
入場料: 3,000円 (限定80名) 当日別途ドリンク代500円
(前売り売り切れ)
出演: 西寺郷太(ノーナリーヴス) 吉岡正晴(音楽評論家)

「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」著者である西寺郷太と、「マイケル・ジャクソン全記録1958 - 2009」の翻訳・監修者の吉岡正晴による伝説のトークイヴェント「マイケル・ジャクソン L.O.V.E ナイト」が大阪で開催!!

■ 過去関連記事

2009年11月18日(水)
キャプテンEO、2010年1月米ディズニーで再公開へ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10390896932.html

2010年04月28日(水)
3D映画『キャプテンEO』、東京ディズニーランドで7月1日から再公開
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10519548213.html

ENT>MICHAEL JACKSON

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