●クロード・ノブス76歳で死去~モントルー・ジャズ・フェス創始者
2013年1月12日 音楽●クロード・ノブス76歳で死去~モントルー・ジャズ・フェス創始者
【Claude Nobs Dies At 76】
訃報。
スイスで毎年夏に行なわれている「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」の創始者であるクロード・ノブスが2013年1月10日スイスの病院で死去した。76歳。2012年12月24日クロスカントリーのスキー練習中に転倒、入院手術をしていたが、ずっと意識不明の状態が続いていた。世界中の音楽ファン、ミュージシャンたちから追悼の言葉が寄せられ始めている。
「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」はスイス・ジュネーヴ湖のほとりで毎年7月に約3週間弱にわたって行なわれる一大音楽フェス。1967年から始まり、現在までヨーロッパ最大の音楽フェスとなっている。当初はジャズがメインだったが、徐々に音楽ジャンルもポップ、ロック、ソウル、ワールド・ミュージックなどありとあらゆる音楽をカヴァーするようになった。
またノブスはごく初期からライヴ・パフォーマンスの映像を記録、それらが徐々にDVD化され、これらのアーカイブの価値が改めて評価されている。1996年の時点でアーカイブは2000時間にものぼり、その内の10パーセントほどしかビデオ/DVD化されていないという。権利関係に時間がかかるため、徐々にDVD化している。
マイルス・デイヴィスの出演、クインシー・ジョーンズの75歳誕生日トリビュートなど大きなエポックメイキングなライヴも多数あった。
モントルー・ジャズ・フェスティヴァルの公式ページがトップページに写真と追悼文を各国語で掲載している。
http://www.montreuxjazz.com/
2013年2月10日に行われるグラミー賞授賞式の席でも追悼コーナーが設けられるとみられる。
評伝。
クロード・ノブスは1936年(昭和11年)2月4日スイス・モントルー生まれ。料理人として仕事をした後モントルー観光局に就職。モントルーの知名度を上げ観光客を誘致しようということで音楽フェスティヴァルを企画。1966年、ニューヨークのアトランティック・レコードに同レコード会社創立者のひとり、ネスヒ・アーティガンをアポなしで訪ね、協力を仰いだ。1967年7月、アトランティックの協力も得て第一回「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」が開催され成功。第一回の出演アーティストは、チャールズ・ロイド、キース・ジャレット、ジャック・デジョネなど。以降、毎年行なわれるようになり、多数のアーティストが出演した。徐々にこのフェスティヴァルはジャズ愛好家の注目するものとなり、世界中から人々を集めるようになった。
1971年12月、フェスの会場でもあるモントルー・カジノでフランク・ザッパがライヴ中、火事が発生。ノブスは中にいた若者を果敢に助けた。ちょうどレコーディングのために滞在していたハード・ロック・グループ、ディープ・パープルがそのことをアルバム『マシン・ヘッド』に収録された「スモーク・オン・ザ・ウォーター」で歌い大ヒット。この歌詞の中で「ファンキー・クロード~funky Claude was running in and out pulling kids out the ground(ファンキー・クロードが子供たちを外に逃がした)」とノブスのことが触れられている。
同フェスには、マーヴィン・ゲイ、プリンス、ジョージ・クリントン、また、クインシー・ジョーンズの声がけでマイルス・デイヴィスも出演。確固たるステイタスを築いた。
1980年には7万5千人、1994年には12万人だった同フェス集客は2004年には、ショーは2週間行なわれ延べ20万人まで成長。
ここでのライヴが録音されアルバムとなった例も多数。
ノブスはライヴ中は舞台袖でアーティストのパフォーマンスを見ていることが多かったが、ときに趣味でたしなむハーモニカをステージ上で披露することもあった。その音楽を愛する姿勢から、多くのミュージシャンから慕われ、愛され、尊敬されていた。
■ナイル・ロジャーズもブログに交流を記載
ナイル・ロジャーズも2013年1月8日付けブログで意識不明のクロードについて文章を掲載している。
ナイルによると、初めてシックがヨーロッパ・ツアーをしたときノブスがツアー・マネージャーだったこと、デイヴィッド・ボウイと「レッツ・ダンス」を録音したとき、モントルーのスタジオを使用したこと、数年前モントルー・ジャズ・フェスでシックが「マイルス・デイヴィス・ゴールド・メダル」を受賞したこと、なにより昨年(2012年)7月に「エヴォリューション・オブ・ダンス・ミュージック」というタイトルで、ナイルがキュレーション(出演アーティストを選考し、オーガナイズすること)を任されたことを深く感謝している。
http://www.nilerodgers.com/blogs/planet-c-in-english/2598-freakout-let-s-dance
~~~
モントルー関連
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003VQ31FQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0098PEDVU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008YINQJ2/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
OBITUARY>Nobs, Claude (Feb 4, 1936 – January 10, 2013, 76 year old)
【Claude Nobs Dies At 76】
訃報。
スイスで毎年夏に行なわれている「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」の創始者であるクロード・ノブスが2013年1月10日スイスの病院で死去した。76歳。2012年12月24日クロスカントリーのスキー練習中に転倒、入院手術をしていたが、ずっと意識不明の状態が続いていた。世界中の音楽ファン、ミュージシャンたちから追悼の言葉が寄せられ始めている。
「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」はスイス・ジュネーヴ湖のほとりで毎年7月に約3週間弱にわたって行なわれる一大音楽フェス。1967年から始まり、現在までヨーロッパ最大の音楽フェスとなっている。当初はジャズがメインだったが、徐々に音楽ジャンルもポップ、ロック、ソウル、ワールド・ミュージックなどありとあらゆる音楽をカヴァーするようになった。
またノブスはごく初期からライヴ・パフォーマンスの映像を記録、それらが徐々にDVD化され、これらのアーカイブの価値が改めて評価されている。1996年の時点でアーカイブは2000時間にものぼり、その内の10パーセントほどしかビデオ/DVD化されていないという。権利関係に時間がかかるため、徐々にDVD化している。
マイルス・デイヴィスの出演、クインシー・ジョーンズの75歳誕生日トリビュートなど大きなエポックメイキングなライヴも多数あった。
モントルー・ジャズ・フェスティヴァルの公式ページがトップページに写真と追悼文を各国語で掲載している。
http://www.montreuxjazz.com/
2013年2月10日に行われるグラミー賞授賞式の席でも追悼コーナーが設けられるとみられる。
評伝。
クロード・ノブスは1936年(昭和11年)2月4日スイス・モントルー生まれ。料理人として仕事をした後モントルー観光局に就職。モントルーの知名度を上げ観光客を誘致しようということで音楽フェスティヴァルを企画。1966年、ニューヨークのアトランティック・レコードに同レコード会社創立者のひとり、ネスヒ・アーティガンをアポなしで訪ね、協力を仰いだ。1967年7月、アトランティックの協力も得て第一回「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」が開催され成功。第一回の出演アーティストは、チャールズ・ロイド、キース・ジャレット、ジャック・デジョネなど。以降、毎年行なわれるようになり、多数のアーティストが出演した。徐々にこのフェスティヴァルはジャズ愛好家の注目するものとなり、世界中から人々を集めるようになった。
1971年12月、フェスの会場でもあるモントルー・カジノでフランク・ザッパがライヴ中、火事が発生。ノブスは中にいた若者を果敢に助けた。ちょうどレコーディングのために滞在していたハード・ロック・グループ、ディープ・パープルがそのことをアルバム『マシン・ヘッド』に収録された「スモーク・オン・ザ・ウォーター」で歌い大ヒット。この歌詞の中で「ファンキー・クロード~funky Claude was running in and out pulling kids out the ground(ファンキー・クロードが子供たちを外に逃がした)」とノブスのことが触れられている。
同フェスには、マーヴィン・ゲイ、プリンス、ジョージ・クリントン、また、クインシー・ジョーンズの声がけでマイルス・デイヴィスも出演。確固たるステイタスを築いた。
1980年には7万5千人、1994年には12万人だった同フェス集客は2004年には、ショーは2週間行なわれ延べ20万人まで成長。
ここでのライヴが録音されアルバムとなった例も多数。
ノブスはライヴ中は舞台袖でアーティストのパフォーマンスを見ていることが多かったが、ときに趣味でたしなむハーモニカをステージ上で披露することもあった。その音楽を愛する姿勢から、多くのミュージシャンから慕われ、愛され、尊敬されていた。
■ナイル・ロジャーズもブログに交流を記載
ナイル・ロジャーズも2013年1月8日付けブログで意識不明のクロードについて文章を掲載している。
ナイルによると、初めてシックがヨーロッパ・ツアーをしたときノブスがツアー・マネージャーだったこと、デイヴィッド・ボウイと「レッツ・ダンス」を録音したとき、モントルーのスタジオを使用したこと、数年前モントルー・ジャズ・フェスでシックが「マイルス・デイヴィス・ゴールド・メダル」を受賞したこと、なにより昨年(2012年)7月に「エヴォリューション・オブ・ダンス・ミュージック」というタイトルで、ナイルがキュレーション(出演アーティストを選考し、オーガナイズすること)を任されたことを深く感謝している。
http://www.nilerodgers.com/blogs/planet-c-in-english/2598-freakout-let-s-dance
~~~
モントルー関連
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003VQ31FQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0098PEDVU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008YINQJ2/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
OBITUARY>Nobs, Claude (Feb 4, 1936 – January 10, 2013, 76 year old)