不変普遍。
きっちり20席x9列。180席。当然満席。青山スパイラルホール。このほかに横の通路に立ち見の人々がステージを見つめています。小さな音量でずっと流れていたのは、アル・グリーンの最新作。定刻6時を15分ほど回った頃、ちょうど僕の大好きな「ミリオン・トゥ・ワン」が流れました。今日のステージの主人公とはまったく関係ありませんが・・・。ま、しいて言えば、レコード会社が東芝で同じということですが。さて、こんな前置きはおいといて・・・。
6時18分。司会者に導かれ今宵のスターが登場。バックバンドはコーラスを含め5人。今宵のスターとは、グラミー賞8部門に輝くノラ・ジョーンズ! ノラがプロモーションで来日し、この日ラジオのリスナーと媒体関係者を招いてショーケースを行ったのです。
アコースティックのピアノの前に座ったノラは、普通のジーンズに黒のブラウス。いたって素朴なそこらへんを歩いていそうな女の子という感じ。2月4日に発売されるニューアルバム『フィールズ・ライク・ホーム』から5曲、南部のカントリーロックシンガー、グラム・パースンズの作品「シー」の計6曲を歌いました。
この「シー」は、彼女たちが気に入って演奏したものですが、新作にははいっていません。このグラムは、元バーズのメンバーで、73年にドラッグの過剰摂取で26歳の若さで死去している人。そして、この曲自体は彼の72年のアルバム『G.P』に収録されています。
ギター、ギター、ドラム/パーカッション、ベース、コーラス、そしてピアノとヴォーカルにノラという編成。前回の来日が基本的にトリオだったのに比べると、少しバンドのスケールが大きくなっています。しかし、彼女の音楽自体は、まったく変わっていません。
アメリカの片田舎にありそうなピアノバー、カフェあたりで軽くやっているトリオかせいぜい5-6人のバンド、という感じ。その素朴な味わいはどこまで行っても、カントリーを彷彿とさせます。マンハッタンの摩天楼ではなく、テキサスの何も無いような暑い暑い砂漠にぽっかりと浮かぶカフェみたいなところでやっているような音楽。そんなイメージがします。砂漠のオアシスか。
それにしても、レス・イズ・モア。音数が少ないので、自然とノラの声に集中します。彼女の魅力は、この声です。この声が落ち着く。ジョス・ストーンももちろん、すごいですが、ノラの声はこう、肩の力が抜ける。BGMにも成りえるし、集中して聴くこともできる。このわかりやすさは、例えばカーペンターズを少しオーガニックにして、カントリー・フレイヴァーをまぶしたといったところではないでしょうか。だから日本でも80万枚ものセールスになるのでしょう。カレン・カーペンターのように、万人受けする声なのです。
「デューク・エリントンの作品に私が詞をつけてみました。あまりめったにやらないんだけど」と言って歌い始めたのが、「ドント・ミス・ユー・アット・オール」という作品。彼女ひとりがピアノの弾き語りで聴かせ、ぐいぐいとその声に引き込まれます。
彼女はグラミー賞をたくさん受賞し、おそらく、あちこちでもてはやされているにもかかわらず、前回来日した時と、ほとんど変わっていません。素朴で、純粋。ほんの少しの友人と、ほんの少しのいい音楽があれば、それで充分幸せだという感じです。彼女にとってぜいたくは必要ないのです。そういうところは、グラミー後の彼女がどうなるかという点で興味を持った者としては、ものすごく好感度アップです。
彼女は言いました。「今日(ステージで)履いてるブーツは4年前にペイレス(アメリカのどこにでもあるディスカウントショップ)で買ったもの。ジーンズも3年前のもの。日本にはペイレスは、あるの?」 グラミー前と後で唯一変わったのは、アパートだけだそうです。
いかにスーパースターになろうとも、ジーンズも変わらず、ブーツも変わらず、そして彼女の音楽のスピリットも変わらず。不変に普遍の魅力あり。拍手!
(2004年1月19日月曜・青山スパイラルホール=ノラ・ジョーンズ・ショウケース・ライヴ)
Setlist
show started 18.18
1. Sunrise
2. What Am I To You
3. Don’t Miss You At All
4. In The Morning
5. She (Gram Parsons)
6. Creepin’ In
show ended 18.45
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
P・S 大興奮大パワー炸裂タワー・オブ・パワーのレヴューは、明日ご紹介します。(笑)
きっちり20席x9列。180席。当然満席。青山スパイラルホール。このほかに横の通路に立ち見の人々がステージを見つめています。小さな音量でずっと流れていたのは、アル・グリーンの最新作。定刻6時を15分ほど回った頃、ちょうど僕の大好きな「ミリオン・トゥ・ワン」が流れました。今日のステージの主人公とはまったく関係ありませんが・・・。ま、しいて言えば、レコード会社が東芝で同じということですが。さて、こんな前置きはおいといて・・・。
6時18分。司会者に導かれ今宵のスターが登場。バックバンドはコーラスを含め5人。今宵のスターとは、グラミー賞8部門に輝くノラ・ジョーンズ! ノラがプロモーションで来日し、この日ラジオのリスナーと媒体関係者を招いてショーケースを行ったのです。
アコースティックのピアノの前に座ったノラは、普通のジーンズに黒のブラウス。いたって素朴なそこらへんを歩いていそうな女の子という感じ。2月4日に発売されるニューアルバム『フィールズ・ライク・ホーム』から5曲、南部のカントリーロックシンガー、グラム・パースンズの作品「シー」の計6曲を歌いました。
この「シー」は、彼女たちが気に入って演奏したものですが、新作にははいっていません。このグラムは、元バーズのメンバーで、73年にドラッグの過剰摂取で26歳の若さで死去している人。そして、この曲自体は彼の72年のアルバム『G.P』に収録されています。
ギター、ギター、ドラム/パーカッション、ベース、コーラス、そしてピアノとヴォーカルにノラという編成。前回の来日が基本的にトリオだったのに比べると、少しバンドのスケールが大きくなっています。しかし、彼女の音楽自体は、まったく変わっていません。
アメリカの片田舎にありそうなピアノバー、カフェあたりで軽くやっているトリオかせいぜい5-6人のバンド、という感じ。その素朴な味わいはどこまで行っても、カントリーを彷彿とさせます。マンハッタンの摩天楼ではなく、テキサスの何も無いような暑い暑い砂漠にぽっかりと浮かぶカフェみたいなところでやっているような音楽。そんなイメージがします。砂漠のオアシスか。
それにしても、レス・イズ・モア。音数が少ないので、自然とノラの声に集中します。彼女の魅力は、この声です。この声が落ち着く。ジョス・ストーンももちろん、すごいですが、ノラの声はこう、肩の力が抜ける。BGMにも成りえるし、集中して聴くこともできる。このわかりやすさは、例えばカーペンターズを少しオーガニックにして、カントリー・フレイヴァーをまぶしたといったところではないでしょうか。だから日本でも80万枚ものセールスになるのでしょう。カレン・カーペンターのように、万人受けする声なのです。
「デューク・エリントンの作品に私が詞をつけてみました。あまりめったにやらないんだけど」と言って歌い始めたのが、「ドント・ミス・ユー・アット・オール」という作品。彼女ひとりがピアノの弾き語りで聴かせ、ぐいぐいとその声に引き込まれます。
彼女はグラミー賞をたくさん受賞し、おそらく、あちこちでもてはやされているにもかかわらず、前回来日した時と、ほとんど変わっていません。素朴で、純粋。ほんの少しの友人と、ほんの少しのいい音楽があれば、それで充分幸せだという感じです。彼女にとってぜいたくは必要ないのです。そういうところは、グラミー後の彼女がどうなるかという点で興味を持った者としては、ものすごく好感度アップです。
彼女は言いました。「今日(ステージで)履いてるブーツは4年前にペイレス(アメリカのどこにでもあるディスカウントショップ)で買ったもの。ジーンズも3年前のもの。日本にはペイレスは、あるの?」 グラミー前と後で唯一変わったのは、アパートだけだそうです。
いかにスーパースターになろうとも、ジーンズも変わらず、ブーツも変わらず、そして彼女の音楽のスピリットも変わらず。不変に普遍の魅力あり。拍手!
(2004年1月19日月曜・青山スパイラルホール=ノラ・ジョーンズ・ショウケース・ライヴ)
Setlist
show started 18.18
1. Sunrise
2. What Am I To You
3. Don’t Miss You At All
4. In The Morning
5. She (Gram Parsons)
6. Creepin’ In
show ended 18.45
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
P・S 大興奮大パワー炸裂タワー・オブ・パワーのレヴューは、明日ご紹介します。(笑)
沸点。
「さあ、みんな、ソウルって言ってくれ(let me hear say "Soul")(もちろん大文字のS)」 既に総立ちの観客から「ソ〜〜〜ウル!」。 「さあ、みんな、タワーって言ってくれえ!(let me hear say "Tower")」 「タワ〜〜〜〜!」 観客と一体となったファンク・ショウ、ファンク・フェスティヴァル。熱もヴォルテージも最高潮。デイヴィッド・ガリバルディーのドラムが飛び、ロッコのベースが弾け、ハモンドB−3がうねり、5人のホーンセクションが炸裂、そして、サウンドが大爆発。それがリアル・ミュージシャン、タワー・オブ・パワーのリアル・ミュージックだ。会場外に雪が降ろうが、会場内は熱帯夜。
2002年8月に続く来日。しかも今回は病気療養中だった伝説のベーシスト、ロッコが復帰。5日間10回公演がなんと完売というものすごい人気ぶりを見せている。ラジオでかかるわけでもなく、近年大ヒットがあるわけでもない。(こういうバンドこそ、番組で紹介しなければね!) では、このタワーたちの根強い人気は何なのか。答えはひとつ。彼らがリアルなバンドだから。ファンキーで、最高にかっこいい。だからライヴを味わいたい。そこに尽きる。
どこがかっこいいって、リズム隊がしっかりしている。そして、この切れのいいホーンセクション。何度見ても、惚れ惚れする。2003年リリースの最新作『オークランド・ゾーン』からの4曲を含め、新旧とりまぜてのファンクン・ロールな74分。今時、こういう大型バンドがいないだけに、なおさら貴重だ。ワン・アンド・オンリーな存在。
1曲目から全開で飛ばし、名曲「タイム・ウィル・テル」でしばしスローダウンし、メンバー紹介になった。一人一人が紹介され、徐々に拍手が大きくなっていったが、ベースのロッコのところでその拍手は最高潮に達した。拍手と歓声がしばし鳴り止まない。もちろん、彼のベースがすばらしかったために得た拍手ということもあるだろうが、やはり、彼が肝臓移植という大手術を経て奇跡の復活を果たしたことを観客のほとんどが知っていて、そのカンバックへの大きな喝采だったように思えた。それは、「お帰りなさい、ロッコ」を意味する熱い拍手だった。7曲目の「ディギン・オン・ジェームス・ブラウン」で観客が一斉に立ち上がると、以後最後まで観客は座ることなく、アンコール曲「ホワット・イズ・ヒップ(新しくて最高なことって何?)」で会場の熱気は沸点まで達した。2004年、今ヒップなのは、タワー・オブ・パワーか。
前回来日時に日本初お目見えとなった新人リードシンガー、ラリー・ブラッグスの声質は、グループ初期のリード、レニー・ウィリアムス系のようだ。このタワーに非常にあっているような気がする。
ライヴが終った後、楽屋からでてきた彼とちょっと話した。彼は言う。「2000年の暮れにタワーに入ったんだ。僕が地元で別のバンドで歌っているのを、エミリオが聴いて、デモテープを送ってくれって言ってきた。で、テープを送ると、今度はオーディションをしたい、って。で、オーディションを受けたら、そのままメンバーになった。(笑) 最初は彼らの曲は3〜4曲くらいしか知らなかったんだよ。(笑) 『ダウン・トゥ・ザ・ナイト・クラブ』、『スティル・ア・ヤング・マン』あたりかな。でも、すぐに全部覚えたよ」
同じく楽屋からでてきたロッコの元にはファンが集まり始め、いつのまにかCDにサインをねだったり、写真を一緒に撮る者が列を作っていた。本当に元気になってよかった。まだまだ老け込むには若すぎる。なぜなら、You Are Still A Young Man!
+++++++++++++++++++++++
Complete Set List:
Tower Of Power
2004.1.19 (Monday) Second Show
At Blue Note Tokyo
Transcribed By The Soul Searcher
show started 21:43
01. Can’t You See (You Doin’ Me Wrong) -- "Back To Oakland" (1974)
02. Get Yo’ Feet Back On The Ground -- "Tower Of Power" (1973)
03. Credit -- "Power" (1987)
04. This Type Of Funk -- "Oakland Zone" (2003)
05. Give Me Your Love -- "Oakland Zone" (2003)
06. Time Will Tell -- "Back To Oakland" (1974)
-- Introducing members
07. Diggin’ On James Brown -- "Souled Out" (1995)
08. Oakland Zone -- "Oakland Zone" (2003)
09. Happy ’Bout That -- "Oakland Zone" (2003)
10. Only So Much Oil In The Ground -- "Urban Renewal" (1974)
Funk Medley: (11-14)
11. You Got To Funkifize -- "Bump City" (1972)
12. Down To The Night Club -- "Bump City" (1972)
13. This Time It’s Real -- "Tower Of Power" (1973)
14. Knock Yourself Out -- "Easy Bay Grease" (1970)
Encore
15. What Is Hip -- "Tower Of Power"(1973)
show ended 22:57
+++++++++++++++++++++++
ブルーノートのウェッブ。
http://www.bluenote.co.jp/art/20040119.html
日本のタワー・オブ・パワーの公式ファンクラブのウェッブ。音楽評論家でありタワー・オブ・パワーの日本一の研究家、櫻井隆章氏らが運営。
http://www.towerofpower.jp/
+++++++++++++++++++++++
(2004年1月19日月曜・ブルーノート東京=タワー・オブ・パワー・ライヴ)
「さあ、みんな、ソウルって言ってくれ(let me hear say "Soul")(もちろん大文字のS)」 既に総立ちの観客から「ソ〜〜〜ウル!」。 「さあ、みんな、タワーって言ってくれえ!(let me hear say "Tower")」 「タワ〜〜〜〜!」 観客と一体となったファンク・ショウ、ファンク・フェスティヴァル。熱もヴォルテージも最高潮。デイヴィッド・ガリバルディーのドラムが飛び、ロッコのベースが弾け、ハモンドB−3がうねり、5人のホーンセクションが炸裂、そして、サウンドが大爆発。それがリアル・ミュージシャン、タワー・オブ・パワーのリアル・ミュージックだ。会場外に雪が降ろうが、会場内は熱帯夜。
2002年8月に続く来日。しかも今回は病気療養中だった伝説のベーシスト、ロッコが復帰。5日間10回公演がなんと完売というものすごい人気ぶりを見せている。ラジオでかかるわけでもなく、近年大ヒットがあるわけでもない。(こういうバンドこそ、番組で紹介しなければね!) では、このタワーたちの根強い人気は何なのか。答えはひとつ。彼らがリアルなバンドだから。ファンキーで、最高にかっこいい。だからライヴを味わいたい。そこに尽きる。
どこがかっこいいって、リズム隊がしっかりしている。そして、この切れのいいホーンセクション。何度見ても、惚れ惚れする。2003年リリースの最新作『オークランド・ゾーン』からの4曲を含め、新旧とりまぜてのファンクン・ロールな74分。今時、こういう大型バンドがいないだけに、なおさら貴重だ。ワン・アンド・オンリーな存在。
1曲目から全開で飛ばし、名曲「タイム・ウィル・テル」でしばしスローダウンし、メンバー紹介になった。一人一人が紹介され、徐々に拍手が大きくなっていったが、ベースのロッコのところでその拍手は最高潮に達した。拍手と歓声がしばし鳴り止まない。もちろん、彼のベースがすばらしかったために得た拍手ということもあるだろうが、やはり、彼が肝臓移植という大手術を経て奇跡の復活を果たしたことを観客のほとんどが知っていて、そのカンバックへの大きな喝采だったように思えた。それは、「お帰りなさい、ロッコ」を意味する熱い拍手だった。7曲目の「ディギン・オン・ジェームス・ブラウン」で観客が一斉に立ち上がると、以後最後まで観客は座ることなく、アンコール曲「ホワット・イズ・ヒップ(新しくて最高なことって何?)」で会場の熱気は沸点まで達した。2004年、今ヒップなのは、タワー・オブ・パワーか。
前回来日時に日本初お目見えとなった新人リードシンガー、ラリー・ブラッグスの声質は、グループ初期のリード、レニー・ウィリアムス系のようだ。このタワーに非常にあっているような気がする。
ライヴが終った後、楽屋からでてきた彼とちょっと話した。彼は言う。「2000年の暮れにタワーに入ったんだ。僕が地元で別のバンドで歌っているのを、エミリオが聴いて、デモテープを送ってくれって言ってきた。で、テープを送ると、今度はオーディションをしたい、って。で、オーディションを受けたら、そのままメンバーになった。(笑) 最初は彼らの曲は3〜4曲くらいしか知らなかったんだよ。(笑) 『ダウン・トゥ・ザ・ナイト・クラブ』、『スティル・ア・ヤング・マン』あたりかな。でも、すぐに全部覚えたよ」
同じく楽屋からでてきたロッコの元にはファンが集まり始め、いつのまにかCDにサインをねだったり、写真を一緒に撮る者が列を作っていた。本当に元気になってよかった。まだまだ老け込むには若すぎる。なぜなら、You Are Still A Young Man!
+++++++++++++++++++++++
Complete Set List:
Tower Of Power
2004.1.19 (Monday) Second Show
At Blue Note Tokyo
Transcribed By The Soul Searcher
show started 21:43
01. Can’t You See (You Doin’ Me Wrong) -- "Back To Oakland" (1974)
02. Get Yo’ Feet Back On The Ground -- "Tower Of Power" (1973)
03. Credit -- "Power" (1987)
04. This Type Of Funk -- "Oakland Zone" (2003)
05. Give Me Your Love -- "Oakland Zone" (2003)
06. Time Will Tell -- "Back To Oakland" (1974)
-- Introducing members
07. Diggin’ On James Brown -- "Souled Out" (1995)
08. Oakland Zone -- "Oakland Zone" (2003)
09. Happy ’Bout That -- "Oakland Zone" (2003)
10. Only So Much Oil In The Ground -- "Urban Renewal" (1974)
Funk Medley: (11-14)
11. You Got To Funkifize -- "Bump City" (1972)
12. Down To The Night Club -- "Bump City" (1972)
13. This Time It’s Real -- "Tower Of Power" (1973)
14. Knock Yourself Out -- "Easy Bay Grease" (1970)
Encore
15. What Is Hip -- "Tower Of Power"(1973)
show ended 22:57
+++++++++++++++++++++++
ブルーノートのウェッブ。
http://www.bluenote.co.jp/art/20040119.html
日本のタワー・オブ・パワーの公式ファンクラブのウェッブ。音楽評論家でありタワー・オブ・パワーの日本一の研究家、櫻井隆章氏らが運営。
http://www.towerofpower.jp/
+++++++++++++++++++++++
(2004年1月19日月曜・ブルーノート東京=タワー・オブ・パワー・ライヴ)
シャンパーン。
ラリーの歌声がひときわ響く。CDよりさらにテンポを落して歌う。「計画や期待どおりに物事が進むなんてことはめったにないこと。人生なんてそんなものさ。時が経てばわかる。そうすれば僕たちのことをお互いよくわかりあえるはずだ。時がすべてを教えてくれる(time will tell)」 タワー・オブ・パワーのセカンドのセットリスト中、唯一のスローバラード「タイム・ウィル・テル」が沸点に達してる会場の熱を少しだけさまそうとしていた。
ライヴは連日満員なので、結局、僕は入口近くの立ち見席になった。そこで、立っているような、座っているような形で彼らの演奏を見ていると、カウンターにひじをついて、シャンパーンをボトルでとって飲んでいるひとりの紳士がいた。高級なスーツに身を包んだ一見エグゼクティヴ風だが、えらくのりがいい。その彼が、一緒に行っていたソウルメイトNに「あまちゃってるからさ、飲まない?」とシャンパーンをくれたのだ。Nは微笑みながら、シャパーングラスを受け取った。
「一緒に来た子がさ、よっぱらっちゃって、トイレで寝てるらしいんだよ。ここ来る前、シャンパーン2本くらい飲んじゃって。飲んで大騒ぎするの大好きだから」と彼は言った。そして、僕にもシャンパーン・グラスを手渡してくれた。その細身のグラスを右手であげて彼のグラスにぶつけた。ファンキーな曲が終るたびに、「イエ〜〜」と絶妙のタイミングで掛け声をいれる。「オレ、昔オークランドに2年くらい、住んでてさ。向こうでももちろん(彼らを)見たよ。(音楽は)黒人ばっかり聞いてたんだよ」 そりゃ、のりがいいわけだ。「オークランドだったら黒人ばっかりでしょ」 「そうなんだよ、やばいよ。(笑) でも彼ら白人のファンク(タワーのこと)も、こう、ちょっと軽くていいよね」 20年以上前、彼はオークランドで初めてブラック系のクラブに行った時、香水と体臭の匂いで気絶しそうになったことを鮮明に覚えているという。
「ガール、僕たちきっとうまく行くと思う。浮き沈みもあるだろう。すべてがパラダイスというわけじゃない。でも、一緒にいればきっと素敵だよ。Baby, I need you, I want you」 「タイム・ウィル・テル」の主人公は、そのガールと一緒になれるのだろうか。せつなさがじわりと胸に響く。
ちょうど、僕の後ろで女性がひとり、黙々と踊っていた。完璧に自分ひとりの世界に入り込んでいた。彼がその彼女にもシャンパーンを手渡した。この一帯が、なんとなくファミリーっぽくなっていた。彼女はミュージシャンの彼氏と一緒に来たのだが、席がわからなくなってしまって、ここで踊ってるという。ブルーノートは初めて、タワーのライヴも初めてだが、「最高! わたし、なんたって、I love music だから!」と言って踊りつづけていた。 その彼女の「I love musicだから」という言葉にちょっと「おおおっ」となった。いいねえ。シンプルにアイ・ラヴ・ミュージックだからって言うのが。
ちょうど一緒に来て席が離れてしまった別のソウルメイトNが通りがかった。「いやあ、もう生バンド、サイコーっすね」 アメリカあたりでライヴを見ると、そこにいる観客全員が「I love music」なんだなあ、ということを痛切に感じる。最近は日本でもそういうシーンを見ることが多くなったが、このタワーのライヴなんかも、かなりそんな感じの観客が多かったように思う。
ライヴ・アーティストは観客が育てる。そして、アーティストも観客を育てる。その双方向のやりとりがあって、観客もライヴアーティストも成長していく。タワー・オブ・パワーとその観客は、互いにリスペクトしあいながら、非常にいい関係を持っているように思えた。こういう観客の前で演奏ができるアーティストも幸せだろうな。そして、こういうバンドをあれほど小さな会場で見られる観客も幸せだ。タワー・オブ・パワーのライヴには、幸せのオーラが漂っている。彼らの音楽とそのグルーヴは、知らぬ者同士も、お互い引き寄せてしまうマジックを持っているかのようだ。シャンパーンとタワー・オブ・パワーの力で二人の見知らぬ者が接点を持った。シャンパーンをくれた彼と僕は名刺を交換して言った。「今度はアイズレーだね」 「まちがいない!」
アンコール曲「ホワット・イズ・ヒップ」が終る頃には、再び会場の温度は沸点をはるかに超えていた。
(2004年1月19日月曜・ブルーノート東京=タワー・オブ・パワー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tower Of Power
>Kさんへ
昨日は残念でしたね。見事に真横ですれちがったんですね。Kちゃん、眼鏡かコンタクトしてくれ。(笑) 近いうちに…。
ラリーの歌声がひときわ響く。CDよりさらにテンポを落して歌う。「計画や期待どおりに物事が進むなんてことはめったにないこと。人生なんてそんなものさ。時が経てばわかる。そうすれば僕たちのことをお互いよくわかりあえるはずだ。時がすべてを教えてくれる(time will tell)」 タワー・オブ・パワーのセカンドのセットリスト中、唯一のスローバラード「タイム・ウィル・テル」が沸点に達してる会場の熱を少しだけさまそうとしていた。
ライヴは連日満員なので、結局、僕は入口近くの立ち見席になった。そこで、立っているような、座っているような形で彼らの演奏を見ていると、カウンターにひじをついて、シャンパーンをボトルでとって飲んでいるひとりの紳士がいた。高級なスーツに身を包んだ一見エグゼクティヴ風だが、えらくのりがいい。その彼が、一緒に行っていたソウルメイトNに「あまちゃってるからさ、飲まない?」とシャンパーンをくれたのだ。Nは微笑みながら、シャパーングラスを受け取った。
「一緒に来た子がさ、よっぱらっちゃって、トイレで寝てるらしいんだよ。ここ来る前、シャンパーン2本くらい飲んじゃって。飲んで大騒ぎするの大好きだから」と彼は言った。そして、僕にもシャンパーン・グラスを手渡してくれた。その細身のグラスを右手であげて彼のグラスにぶつけた。ファンキーな曲が終るたびに、「イエ〜〜」と絶妙のタイミングで掛け声をいれる。「オレ、昔オークランドに2年くらい、住んでてさ。向こうでももちろん(彼らを)見たよ。(音楽は)黒人ばっかり聞いてたんだよ」 そりゃ、のりがいいわけだ。「オークランドだったら黒人ばっかりでしょ」 「そうなんだよ、やばいよ。(笑) でも彼ら白人のファンク(タワーのこと)も、こう、ちょっと軽くていいよね」 20年以上前、彼はオークランドで初めてブラック系のクラブに行った時、香水と体臭の匂いで気絶しそうになったことを鮮明に覚えているという。
「ガール、僕たちきっとうまく行くと思う。浮き沈みもあるだろう。すべてがパラダイスというわけじゃない。でも、一緒にいればきっと素敵だよ。Baby, I need you, I want you」 「タイム・ウィル・テル」の主人公は、そのガールと一緒になれるのだろうか。せつなさがじわりと胸に響く。
ちょうど、僕の後ろで女性がひとり、黙々と踊っていた。完璧に自分ひとりの世界に入り込んでいた。彼がその彼女にもシャンパーンを手渡した。この一帯が、なんとなくファミリーっぽくなっていた。彼女はミュージシャンの彼氏と一緒に来たのだが、席がわからなくなってしまって、ここで踊ってるという。ブルーノートは初めて、タワーのライヴも初めてだが、「最高! わたし、なんたって、I love music だから!」と言って踊りつづけていた。 その彼女の「I love musicだから」という言葉にちょっと「おおおっ」となった。いいねえ。シンプルにアイ・ラヴ・ミュージックだからって言うのが。
ちょうど一緒に来て席が離れてしまった別のソウルメイトNが通りがかった。「いやあ、もう生バンド、サイコーっすね」 アメリカあたりでライヴを見ると、そこにいる観客全員が「I love music」なんだなあ、ということを痛切に感じる。最近は日本でもそういうシーンを見ることが多くなったが、このタワーのライヴなんかも、かなりそんな感じの観客が多かったように思う。
ライヴ・アーティストは観客が育てる。そして、アーティストも観客を育てる。その双方向のやりとりがあって、観客もライヴアーティストも成長していく。タワー・オブ・パワーとその観客は、互いにリスペクトしあいながら、非常にいい関係を持っているように思えた。こういう観客の前で演奏ができるアーティストも幸せだろうな。そして、こういうバンドをあれほど小さな会場で見られる観客も幸せだ。タワー・オブ・パワーのライヴには、幸せのオーラが漂っている。彼らの音楽とそのグルーヴは、知らぬ者同士も、お互い引き寄せてしまうマジックを持っているかのようだ。シャンパーンとタワー・オブ・パワーの力で二人の見知らぬ者が接点を持った。シャンパーンをくれた彼と僕は名刺を交換して言った。「今度はアイズレーだね」 「まちがいない!」
アンコール曲「ホワット・イズ・ヒップ」が終る頃には、再び会場の温度は沸点をはるかに超えていた。
(2004年1月19日月曜・ブルーノート東京=タワー・オブ・パワー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tower Of Power
>Kさんへ
昨日は残念でしたね。見事に真横ですれちがったんですね。Kちゃん、眼鏡かコンタクトしてくれ。(笑) 近いうちに…。
心臓発作。
1月13日はダニー・ハザウェイの命日ですが、1月21日はもう一人のR&Bグレイト、ジャッキー・ウィルソンの命日です。ジャッキー・ウィルソンは、1934年6月9日デトロイト生まれ。58年にベリー・ゴーディーが書いた「トゥ・ビー・ラヴド」の初ヒット以来、次々と大ヒットを放ち、50年代後期から60年代に爆発的な人気を得たR&Bシンガーです。かなり迫力ある歌唱を聞かせるシンガーで、踊りも抜群にうまかったようです。ステージのかっこよさで人気になったごく初期のシンガーです。彼のハイテナーの声は、非常に特徴的で、彼の人気の大きな要因でした。僕も彼が動く姿は昔のテレビの映像でほんの少ししか知りませんが、CDは比較的入手しやすいです。
最近『ニューヨーク・ハーレム・ゴスペル』というミュージカルの中でも、ウィルソンのヒット曲のひとつ「 ア・ウーマン・ア・ラヴァー・ア・フレンド」がテレンス・アーチーというシンガーによってカヴァーされていました。このミュージカルは、ニューヨークで大ヒットした『ママ・アイ・ウォント・トゥ・シング』をてがけたヴァイ・ヒギンセンがプロデュースしたミュージカルで、ハーレムが全盛期を迎えていた1940年代以降を舞台にした様々なブラック・ミュージックを見せるもの。
ジャッキー・ウィルソンのヒットで有名なものは、「ロンリー・ティアドロップス」、「ドッギン・アラウンド」、先の「 ア・ウーマン・ア・ラヴァー・ア・フレンド」などですが、そのウィルソンは1975年9月25日、41歳の時にニュージャージー州ラテンカシノでライヴ中に心臓発作で倒れ、以来復活することなく、84年1月21日に49歳で亡くなります。約9年弱、彼はベッドでの生活を強いられました。
この年のグラミー賞は、マイケル・ジャクソンが『スリラー』で賞を総なめしますが、この時マイケルはジャッキー・ウィルソンへの追悼の意を表していました。
ウィルソンの初ヒット「トゥ・ビー・ラヴド」(1958年)は、後にモータウンを作るベリー・ゴーディーの作品です。きしくも、ベリー・ゴーディーも、ジャッキー・ウィルソンも一時期ボクサーとして活躍していたことがありました。そのあたりでも、二人は意気投合したのでしょう。しかし、ベリー・ゴーディーの自伝『モータウン、わが愛と夢』(東京FM出版)によれば、ウィルソンはヒット曲がでるようになって、かなり大物ぶるようになり、一ソングライターであるベリーにむずかしい条件をつけるようになった、とのことです。
ベリー・ゴーディーのその自伝の原題は「トゥ・ビー・ラヴド」です。それは、「人に愛されるということがいかに、重要か」ということをゴーディーが知って、つけたものです。
1月13日はダニー・ハザウェイの命日ですが、1月21日はもう一人のR&Bグレイト、ジャッキー・ウィルソンの命日です。ジャッキー・ウィルソンは、1934年6月9日デトロイト生まれ。58年にベリー・ゴーディーが書いた「トゥ・ビー・ラヴド」の初ヒット以来、次々と大ヒットを放ち、50年代後期から60年代に爆発的な人気を得たR&Bシンガーです。かなり迫力ある歌唱を聞かせるシンガーで、踊りも抜群にうまかったようです。ステージのかっこよさで人気になったごく初期のシンガーです。彼のハイテナーの声は、非常に特徴的で、彼の人気の大きな要因でした。僕も彼が動く姿は昔のテレビの映像でほんの少ししか知りませんが、CDは比較的入手しやすいです。
最近『ニューヨーク・ハーレム・ゴスペル』というミュージカルの中でも、ウィルソンのヒット曲のひとつ「 ア・ウーマン・ア・ラヴァー・ア・フレンド」がテレンス・アーチーというシンガーによってカヴァーされていました。このミュージカルは、ニューヨークで大ヒットした『ママ・アイ・ウォント・トゥ・シング』をてがけたヴァイ・ヒギンセンがプロデュースしたミュージカルで、ハーレムが全盛期を迎えていた1940年代以降を舞台にした様々なブラック・ミュージックを見せるもの。
ジャッキー・ウィルソンのヒットで有名なものは、「ロンリー・ティアドロップス」、「ドッギン・アラウンド」、先の「 ア・ウーマン・ア・ラヴァー・ア・フレンド」などですが、そのウィルソンは1975年9月25日、41歳の時にニュージャージー州ラテンカシノでライヴ中に心臓発作で倒れ、以来復活することなく、84年1月21日に49歳で亡くなります。約9年弱、彼はベッドでの生活を強いられました。
この年のグラミー賞は、マイケル・ジャクソンが『スリラー』で賞を総なめしますが、この時マイケルはジャッキー・ウィルソンへの追悼の意を表していました。
ウィルソンの初ヒット「トゥ・ビー・ラヴド」(1958年)は、後にモータウンを作るベリー・ゴーディーの作品です。きしくも、ベリー・ゴーディーも、ジャッキー・ウィルソンも一時期ボクサーとして活躍していたことがありました。そのあたりでも、二人は意気投合したのでしょう。しかし、ベリー・ゴーディーの自伝『モータウン、わが愛と夢』(東京FM出版)によれば、ウィルソンはヒット曲がでるようになって、かなり大物ぶるようになり、一ソングライターであるベリーにむずかしい条件をつけるようになった、とのことです。
ベリー・ゴーディーのその自伝の原題は「トゥ・ビー・ラヴド」です。それは、「人に愛されるということがいかに、重要か」ということをゴーディーが知って、つけたものです。
ヴァリュー。
「住めば必ず人気役者になれる伝説の館」があるという。かつてそこのアパートに住んでいた人の中から多くのスターが育っていった。今、そこに住む6人の若者たち。オーディションも受けなくなり、日々惰性で生きている彼らが求めているものは何か。そして、彼らがその中から気が付くものは…。放送作家としてこのところすっかり超売れっ子となっているカニリカ氏原作のコメディーの舞台最新作。補助席まででて330席x5回プラス追加公演、計6回が売り切れ御礼というからすごい。
これは、カニ先生にはいろいろお世話になっているファミリーとしては見に行かないわけにはいかない。カニ氏の舞台作は初めて見た。なるほど。いや、いいねえ、舞台ね。舞台終了後に、出口近辺にでてきたカニ氏に一言。「おもしろいじゃない!」 けっこう笑った。
アパートのリヴィングルームのみで、物語が繰り広げられる。舞台展開なしで、演出の展開だけでこれだけもたせるのだから、たいしたものだ。登場人物は7人。アパートの管理人(山川恵理佳)、イケメンのお笑い芸人(涼平)、アクション俳優(イジリー岡田)、ゲイっぽいミュージカル俳優(小浦一優)、歌舞伎役者(ヒロシ)、役者志望の若者(小田マナブ)、アングラ劇団員(剣持直明)。それぞれの個性が、そこそこでていて、キャラクター作りもおもしろい。
途中全員でやるミニコントのところが、毎回アドリブだそうだが、受けないコントをやってすべるところで、受けをとるという手法は、やられた、という感じ。(笑) つまらなければ、つまらないほど面白い、っていうシーン。それぞれの出演者の肉体的個性を自然に使っているところもうまい。背の高いイケメンお笑い芸人と歌舞伎役者の背丈の違いをネタにしたところなど、単純に笑える。全体的に、細かいところ、ちょっとした隙に、なにかしらネタをいれてくるのでその辺でコンスタントに笑いがもれる。普段から隙あらばギャグをかましてくるカニ氏ならではの面目躍如だ。きっと頭の中は1日24時間週7日ギャグのこと、受けることしか考えていないのであろう。(笑) 演出が個性ある役者のキャラを持ち上げ、ギャグに息吹を与える感じだ。きっと、リハーサルも楽しいんだろうな、と思った。また歌舞伎ネタをいれるところなど、歌舞伎フリークのカニ氏ならではのところだろうか。
いくつか細かい点で気付いたこと。些細のことだが、基本的にはよかったんだが、音楽、効果音の音量と役者の声のバランスがちょっと微妙なところがあった。アンプを通した音はどうしても大きくなるから、肉声とのバランスをうまくとらないと。もうひとつ、いわゆる硬軟のうちのしんみりシーンがどうしてもテンポ感がなくなってしまう。もう少し減らすか、いっそのこと、このあたりばっさりカットして、2時間笑わせ倒したら、どうなんだろう。とはいうものの、そのしんみりシーンからエンディングへつながるので、このエンディングだとどうしても、こういうところが必要になるのだが。そして、やはり最後のオチがなあ、僕はもっと大きいどかーんとくるものを期待しちゃったなあ。オチにもうひとひねり、キャッチーなものというか、ガツンとくるものが欲しい。終ったときに、「え、これで終るのかよ」と思ってしまった。
あの最後のフリートークは、「告知」までいれて、超テレビ的。さすが、テレビの人。おもしろいと思った。そのうち舞台と観客の間の「コール&レスポンス」なんかが入るようになるのだろうか。まあ、やってるのも既にあるかもしれないが。(笑) 総評を一言でいうなら、3800円のヴァリューは充分あった。楽しめた。1万円はちょっと厳しいが。(笑) 再演もいいだろうし、次回作も必ず行きます。
(2004年1月23日=新宿シアターサンモール=『どれミゼラブル』公演)
「住めば必ず人気役者になれる伝説の館」があるという。かつてそこのアパートに住んでいた人の中から多くのスターが育っていった。今、そこに住む6人の若者たち。オーディションも受けなくなり、日々惰性で生きている彼らが求めているものは何か。そして、彼らがその中から気が付くものは…。放送作家としてこのところすっかり超売れっ子となっているカニリカ氏原作のコメディーの舞台最新作。補助席まででて330席x5回プラス追加公演、計6回が売り切れ御礼というからすごい。
これは、カニ先生にはいろいろお世話になっているファミリーとしては見に行かないわけにはいかない。カニ氏の舞台作は初めて見た。なるほど。いや、いいねえ、舞台ね。舞台終了後に、出口近辺にでてきたカニ氏に一言。「おもしろいじゃない!」 けっこう笑った。
アパートのリヴィングルームのみで、物語が繰り広げられる。舞台展開なしで、演出の展開だけでこれだけもたせるのだから、たいしたものだ。登場人物は7人。アパートの管理人(山川恵理佳)、イケメンのお笑い芸人(涼平)、アクション俳優(イジリー岡田)、ゲイっぽいミュージカル俳優(小浦一優)、歌舞伎役者(ヒロシ)、役者志望の若者(小田マナブ)、アングラ劇団員(剣持直明)。それぞれの個性が、そこそこでていて、キャラクター作りもおもしろい。
途中全員でやるミニコントのところが、毎回アドリブだそうだが、受けないコントをやってすべるところで、受けをとるという手法は、やられた、という感じ。(笑) つまらなければ、つまらないほど面白い、っていうシーン。それぞれの出演者の肉体的個性を自然に使っているところもうまい。背の高いイケメンお笑い芸人と歌舞伎役者の背丈の違いをネタにしたところなど、単純に笑える。全体的に、細かいところ、ちょっとした隙に、なにかしらネタをいれてくるのでその辺でコンスタントに笑いがもれる。普段から隙あらばギャグをかましてくるカニ氏ならではの面目躍如だ。きっと頭の中は1日24時間週7日ギャグのこと、受けることしか考えていないのであろう。(笑) 演出が個性ある役者のキャラを持ち上げ、ギャグに息吹を与える感じだ。きっと、リハーサルも楽しいんだろうな、と思った。また歌舞伎ネタをいれるところなど、歌舞伎フリークのカニ氏ならではのところだろうか。
いくつか細かい点で気付いたこと。些細のことだが、基本的にはよかったんだが、音楽、効果音の音量と役者の声のバランスがちょっと微妙なところがあった。アンプを通した音はどうしても大きくなるから、肉声とのバランスをうまくとらないと。もうひとつ、いわゆる硬軟のうちのしんみりシーンがどうしてもテンポ感がなくなってしまう。もう少し減らすか、いっそのこと、このあたりばっさりカットして、2時間笑わせ倒したら、どうなんだろう。とはいうものの、そのしんみりシーンからエンディングへつながるので、このエンディングだとどうしても、こういうところが必要になるのだが。そして、やはり最後のオチがなあ、僕はもっと大きいどかーんとくるものを期待しちゃったなあ。オチにもうひとひねり、キャッチーなものというか、ガツンとくるものが欲しい。終ったときに、「え、これで終るのかよ」と思ってしまった。
あの最後のフリートークは、「告知」までいれて、超テレビ的。さすが、テレビの人。おもしろいと思った。そのうち舞台と観客の間の「コール&レスポンス」なんかが入るようになるのだろうか。まあ、やってるのも既にあるかもしれないが。(笑) 総評を一言でいうなら、3800円のヴァリューは充分あった。楽しめた。1万円はちょっと厳しいが。(笑) 再演もいいだろうし、次回作も必ず行きます。
(2004年1月23日=新宿シアターサンモール=『どれミゼラブル』公演)
"Motown 45" Will Be Held In April
2004年1月25日モータウン45。
1983年に行われた歴史的イヴェント『モータウン25』から21年、2004年に『モータウン45』が行われることになった。来る2004年4月4日、ロスアンジェルスのシュライン・オーディトリウムでライオネル・リッチー、ジャスティン・ティンバーレークの司会で収録され、5月にABCテレビ系列で放送される予定。詳細な出場アーティストはまだ発表されていないが、新旧多数のモータウン関連アーティストが出場するものと見られる。
モータウン・レコードは、デトロイト生まれのベリー・ゴーディーが1959年1月に家族から800ドルの資金を借りて始めたインディペンデントのレコード会社。60年にミラクルズの「ウェイ・オーヴァー・ゼア」が初ヒットを記録し、以後徐々にヒットがでるようになり、60年代にはスティーヴィー・ワンダー、シュプリームス、テンプテーションズなどを世界的なスターに育て上げた。
1983年3月にロスアンジェルス郊外シヴィック・オーディトリウムで行われた『モータウン25』では、ジャクソンズ、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、テンプテーションズ、フォー・トップスなど錚々たるメンバーがライヴを見せ大きな話題となった。特にジャクソン5とジャーメイン・ジャクソンの再会、さらに、マイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」におけるムーンウォークを初めて見せたパフォーマンスは、すでに爆発的に売れていた『スリラー』のアルバムセールスをさらに加速した。同年5月に全米ネットワークで2時間に編集され放送された『モータウン25』は30%以上の視聴率を獲得し、翌年テレビ業界のエミー賞・最優秀ヴァラエティー・プログラム部門を受賞した。
なお、なぜ25周年が83年で45周年が2004年かという点だが、基本的にはモータウンのスタートをどこにするかで変わってくる、ということだ。次のように解釈できる。彼は1957年頃からソングライターとして、曲を書き始めた。しかし、まもなくソングライターでは収入があまりに少ないことに気が付き、いわゆる原盤制作(レコードのマスターテープを作って、それを自身もしくは他のメジャーの販売網で発売すること)に乗り出す。ベリーが原盤制作をしたミラクルズの「ウェイ・オーヴァー・ゼア」は58年2月、チェス・レコードから発売された。そして、59年1月、マーヴ・ジョンソンの「カム・トゥ・ミー」がタムラ・レーベル(ベリー・ゴーディーが最初に作ったレーべル。後のモータウンとともに、タムラ/モータウンとして主要レーベルとなる)から発売された。これが正真正銘のモータウン第一号のレコードとなる。ミラクルズから数えれば83年が25周年。マーヴ・ジョンソンから数えれば04年は45周年ということになる。アメリカは意外とこのあたりは、ルーズである。
1983年に行われた歴史的イヴェント『モータウン25』から21年、2004年に『モータウン45』が行われることになった。来る2004年4月4日、ロスアンジェルスのシュライン・オーディトリウムでライオネル・リッチー、ジャスティン・ティンバーレークの司会で収録され、5月にABCテレビ系列で放送される予定。詳細な出場アーティストはまだ発表されていないが、新旧多数のモータウン関連アーティストが出場するものと見られる。
モータウン・レコードは、デトロイト生まれのベリー・ゴーディーが1959年1月に家族から800ドルの資金を借りて始めたインディペンデントのレコード会社。60年にミラクルズの「ウェイ・オーヴァー・ゼア」が初ヒットを記録し、以後徐々にヒットがでるようになり、60年代にはスティーヴィー・ワンダー、シュプリームス、テンプテーションズなどを世界的なスターに育て上げた。
1983年3月にロスアンジェルス郊外シヴィック・オーディトリウムで行われた『モータウン25』では、ジャクソンズ、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、テンプテーションズ、フォー・トップスなど錚々たるメンバーがライヴを見せ大きな話題となった。特にジャクソン5とジャーメイン・ジャクソンの再会、さらに、マイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」におけるムーンウォークを初めて見せたパフォーマンスは、すでに爆発的に売れていた『スリラー』のアルバムセールスをさらに加速した。同年5月に全米ネットワークで2時間に編集され放送された『モータウン25』は30%以上の視聴率を獲得し、翌年テレビ業界のエミー賞・最優秀ヴァラエティー・プログラム部門を受賞した。
なお、なぜ25周年が83年で45周年が2004年かという点だが、基本的にはモータウンのスタートをどこにするかで変わってくる、ということだ。次のように解釈できる。彼は1957年頃からソングライターとして、曲を書き始めた。しかし、まもなくソングライターでは収入があまりに少ないことに気が付き、いわゆる原盤制作(レコードのマスターテープを作って、それを自身もしくは他のメジャーの販売網で発売すること)に乗り出す。ベリーが原盤制作をしたミラクルズの「ウェイ・オーヴァー・ゼア」は58年2月、チェス・レコードから発売された。そして、59年1月、マーヴ・ジョンソンの「カム・トゥ・ミー」がタムラ・レーベル(ベリー・ゴーディーが最初に作ったレーべル。後のモータウンとともに、タムラ/モータウンとして主要レーベルとなる)から発売された。これが正真正銘のモータウン第一号のレコードとなる。ミラクルズから数えれば83年が25周年。マーヴ・ジョンソンから数えれば04年は45周年ということになる。アメリカは意外とこのあたりは、ルーズである。
冗長。
土曜日昼下がり。築地。「ほお、ここがほんの1週間ほど前に、芥川賞、直木賞を決めたところなのかあ…」 築地の有名料亭「新喜楽」。一見さんははいれないという、非常に敷居の高いところ。毎年、芥川賞、直木賞の選考委員会が開かれるところ。新大橋通り沿い、築地の市場の前にある古めかしい和風の建物だ。
ソウルメイトMのお三味線の発表会がここであり、この日は「普通の人」(笑)も入れるというので、築地の未開ゾーンを探索することができた。
入口を入っていくと、番頭さんが靴を預かってくれた。会場は二階なので、階段を上がっていく。どうもあちこちに部屋があるようだ。歌の発表会があるところは、5-60畳はあるような大広間。天井が高い。部屋の前方のほうがステージ然と仕切られ、幕が人の手によって開け閉めされる。とはいうものの、ステージは高くなってはいない。客席側と同じレヴェルだ。ステージから見て、縦に2列テーブルが並べられ、その両側にすでに人がいっぱい座っていた。
お三味線を弾く人と、歌を歌う人がペアで登場する。歌われる演目と歌う人などの式次第があるので、それを見ていくと、今なんという曲が歌われているかがわかる。さらに、各曲の歌詞だけが印刷された小冊子があり、演目を歌詞カードを見ながら聴くこともできる。この歌詞カード集が、便利。何を歌っているか、聴いていても皆目わからないが、これを見るととりあえず、何を歌っているかわかる。もっともその意味がわかるかどうかは次のレヴェルの問題。雰囲気がわかる歌もあれば、言葉の意味がわからないものも多数ある。そのあたりをイマジネーションを最大限使いながら聴いていると、けっこうおもしろい。
三味線の歌は、色もの、恋話(こいばな)が多い。そして、状況を描く表現に、侘び寂び(わびさび)がにじみでてて、なかなかに味わい深い。ちょっと女々しい歌詞(歌詞とは、三味線の世界では言わないらしいが、ここではまあ、わかりやすく・・・)なんかがあると、ソウルの世界では、一体誰に近いだろう、などと考えて聴いてしまう。
例えば、「玉川」という作品はこんな歌詞。
「玉川の水にさらせし雪の肌、つもる口舌そのうちに、とけし島田のもつれ髪、思い出さずに忘れずに、また来る春とまつぞへ」
口舌(くぜつ)=いい争い。特に、恋のうらみ言や痴話(ちわ)げんか。
島田=島田髷(まげ)。芸者が結う髷の一種。
「玉川の水にさらされた雪のように白い肌。二人は、いろいろなことで言い争いもするけれど、お前の髪の毛がほどけるように、言い争いも解けていく。それを思い出さずに、でも、忘れるということもなく春がやってくるのを待っている…」といった状況描写。(解釈はあまり自信ありません。間違いがありましたら、お知らせください。あるいはもっと深い解釈があるのかも) つもる口舌と積もっている雪。髪がほどけるのと雪が解けるがかかっている。ルーサーあたりか、ブライアン・マクナイトあたりか。さっと読めば20秒程度のものを3-4分かけて歌う。情緒あります。そして、見事なまでに冗長の美学。
一番最後のパートは、師匠の歌と演奏。さらに、芸者さんがその歌にあわせて舞を踊る。優雅でゆったりとした時間が流れる。昔の人は、食事をしながら、こいうエンタテインメントを楽しんでいたんですね。ま、今もか。太古の時代からこのリズムだと、リズム感はアフリカン・アメリカンにはかなわない、などとも思ったりするわけだが…。(笑) しかし、これは日本の文化だ。
外に出ると、もうすっかり暗くなっていた。あちこちの寿司屋のネオンが我々を呼んでいた。
(2004年1月24日・土曜日・哥沢新年会・築地新喜楽)
土曜日昼下がり。築地。「ほお、ここがほんの1週間ほど前に、芥川賞、直木賞を決めたところなのかあ…」 築地の有名料亭「新喜楽」。一見さんははいれないという、非常に敷居の高いところ。毎年、芥川賞、直木賞の選考委員会が開かれるところ。新大橋通り沿い、築地の市場の前にある古めかしい和風の建物だ。
ソウルメイトMのお三味線の発表会がここであり、この日は「普通の人」(笑)も入れるというので、築地の未開ゾーンを探索することができた。
入口を入っていくと、番頭さんが靴を預かってくれた。会場は二階なので、階段を上がっていく。どうもあちこちに部屋があるようだ。歌の発表会があるところは、5-60畳はあるような大広間。天井が高い。部屋の前方のほうがステージ然と仕切られ、幕が人の手によって開け閉めされる。とはいうものの、ステージは高くなってはいない。客席側と同じレヴェルだ。ステージから見て、縦に2列テーブルが並べられ、その両側にすでに人がいっぱい座っていた。
お三味線を弾く人と、歌を歌う人がペアで登場する。歌われる演目と歌う人などの式次第があるので、それを見ていくと、今なんという曲が歌われているかがわかる。さらに、各曲の歌詞だけが印刷された小冊子があり、演目を歌詞カードを見ながら聴くこともできる。この歌詞カード集が、便利。何を歌っているか、聴いていても皆目わからないが、これを見るととりあえず、何を歌っているかわかる。もっともその意味がわかるかどうかは次のレヴェルの問題。雰囲気がわかる歌もあれば、言葉の意味がわからないものも多数ある。そのあたりをイマジネーションを最大限使いながら聴いていると、けっこうおもしろい。
三味線の歌は、色もの、恋話(こいばな)が多い。そして、状況を描く表現に、侘び寂び(わびさび)がにじみでてて、なかなかに味わい深い。ちょっと女々しい歌詞(歌詞とは、三味線の世界では言わないらしいが、ここではまあ、わかりやすく・・・)なんかがあると、ソウルの世界では、一体誰に近いだろう、などと考えて聴いてしまう。
例えば、「玉川」という作品はこんな歌詞。
「玉川の水にさらせし雪の肌、つもる口舌そのうちに、とけし島田のもつれ髪、思い出さずに忘れずに、また来る春とまつぞへ」
口舌(くぜつ)=いい争い。特に、恋のうらみ言や痴話(ちわ)げんか。
島田=島田髷(まげ)。芸者が結う髷の一種。
「玉川の水にさらされた雪のように白い肌。二人は、いろいろなことで言い争いもするけれど、お前の髪の毛がほどけるように、言い争いも解けていく。それを思い出さずに、でも、忘れるということもなく春がやってくるのを待っている…」といった状況描写。(解釈はあまり自信ありません。間違いがありましたら、お知らせください。あるいはもっと深い解釈があるのかも) つもる口舌と積もっている雪。髪がほどけるのと雪が解けるがかかっている。ルーサーあたりか、ブライアン・マクナイトあたりか。さっと読めば20秒程度のものを3-4分かけて歌う。情緒あります。そして、見事なまでに冗長の美学。
一番最後のパートは、師匠の歌と演奏。さらに、芸者さんがその歌にあわせて舞を踊る。優雅でゆったりとした時間が流れる。昔の人は、食事をしながら、こいうエンタテインメントを楽しんでいたんですね。ま、今もか。太古の時代からこのリズムだと、リズム感はアフリカン・アメリカンにはかなわない、などとも思ったりするわけだが…。(笑) しかし、これは日本の文化だ。
外に出ると、もうすっかり暗くなっていた。あちこちの寿司屋のネオンが我々を呼んでいた。
(2004年1月24日・土曜日・哥沢新年会・築地新喜楽)
緊張感。
実はライヴに行く前は、白人の軟弱クロスオーヴァーだったら、何も書かないでおこう、と思っていた。ところが、どっこい、えらい奴らだった。このホワイト・キャッツたちは、心底ソウルを知っていた。
まあ、冷静に考えてみれば、このメンツだったら、間違いないわけだ。認識甘かったです。すいません。(って、誰に謝ってるんだか) ギターのジョン・トロペイ(繊細かつ大胆)を中心に、ルー・マリーニ(サックス=ブルース・ブラザース・バンドにいた人だ!)、クリス・パルメーロ(キーボード=先週のタワーに引き続き、ハモンドB−3の渋い音がBNに響き渡る)、アンソニー・ジャクソン(ベース=ファンクの大黒柱。機械のような完璧さ)、スティーブ・ガッド(ドラムス=もう一人のミスター・パーフェクト。ファンクの屋台骨)らの5人編成。
全員が職人、匠。それも超一流の。何も決して新しいことはないが、きっちりと、基本で当たり前のことをやり遂げる連中だ。一々、かっこよく決めるところを決める連中でもある。ミュージシャンとしてのレヴェルが非常に上のクラスの連中同士だけでやっていると、のりとか、その瞬間の空気とか、それが秒単位で上向いてくるのがわかる。曲の始まりより、中盤、さらに、後半とどんどんとテンションが高くなっていく。「オレがこういういいプレイをしたから」「あいつがこんな風にいいプレイで返してきた」「だったら、オレもこんなことをやってやろう」みたいな、会話が成り立つ。
圧巻だったのは、アンコール前のセット最後の曲「(テイク・ミー・バック・トゥ・)ジ・オールド・スクール」。各人のソロが披露され、最後にスティーヴとアンソニーのインタープレイが繰り広げられた。ギターのように弾くベース。チョッパーなどやらずとも、充分にその存在感を見せるアンソニー・ジャクソン。いやあ、誰をサポートしてもかっこいい。前回は上原ひろみだった。出すぎず、しかし、しっかり「オレはここにいるよ」とベースが語りかけてくる。そして、あの独特のスティーヴ節との掛け合い。ある程度の年季が行った者同士だけができる火花の散らしあいだ。
5人の間に張り詰める緊張感が心地よく観客席に伝わる。それぞれが自分のポジションでベストの仕事を淡々とこなす。各自独立しつつ、しかし、ユニットとしての統一感もある。ふとスティーヴ・ガッドに目をやれば、そこだけに白い光があたり、彼のプレイが浮かび上がり、ふとアンソニーに目をやれば、そこに白い光があたり、ベースの音が体に伝わってくる。ジョン・トロペイに着目すれば、しっかりした繊細かつ大胆なギターの音色が耳から直接脳に入り込んでくる。舞台左クリスのハモンドオルガンを見つめれば、オルガンのグルーヴが飛び込んでくる。そして、ルーに目をやればやはりそこに白いスポットライトがあたり、サックスが炸裂してくる。それぞれ目線を変えた瞬間、そのミュージシャンの音がくっきりと輪郭を持って浮かび上がる。
やはり、アンソニーのベースとスティーヴのドラムスが大黒柱となって支える家はファンクな家として聳(そび)え立つ。今日の一言はこれで決まりだ。「あなたたち、ソウルがありますね(I know you got soul)、わかってるよ」。
(2004年1月26日月曜=ブルーノート東京セカンド=ジョン・トロペイ・バンド・ライヴ)
>あ〜やんさん
Woman To Woman、ビンゴです。
実はライヴに行く前は、白人の軟弱クロスオーヴァーだったら、何も書かないでおこう、と思っていた。ところが、どっこい、えらい奴らだった。このホワイト・キャッツたちは、心底ソウルを知っていた。
まあ、冷静に考えてみれば、このメンツだったら、間違いないわけだ。認識甘かったです。すいません。(って、誰に謝ってるんだか) ギターのジョン・トロペイ(繊細かつ大胆)を中心に、ルー・マリーニ(サックス=ブルース・ブラザース・バンドにいた人だ!)、クリス・パルメーロ(キーボード=先週のタワーに引き続き、ハモンドB−3の渋い音がBNに響き渡る)、アンソニー・ジャクソン(ベース=ファンクの大黒柱。機械のような完璧さ)、スティーブ・ガッド(ドラムス=もう一人のミスター・パーフェクト。ファンクの屋台骨)らの5人編成。
全員が職人、匠。それも超一流の。何も決して新しいことはないが、きっちりと、基本で当たり前のことをやり遂げる連中だ。一々、かっこよく決めるところを決める連中でもある。ミュージシャンとしてのレヴェルが非常に上のクラスの連中同士だけでやっていると、のりとか、その瞬間の空気とか、それが秒単位で上向いてくるのがわかる。曲の始まりより、中盤、さらに、後半とどんどんとテンションが高くなっていく。「オレがこういういいプレイをしたから」「あいつがこんな風にいいプレイで返してきた」「だったら、オレもこんなことをやってやろう」みたいな、会話が成り立つ。
圧巻だったのは、アンコール前のセット最後の曲「(テイク・ミー・バック・トゥ・)ジ・オールド・スクール」。各人のソロが披露され、最後にスティーヴとアンソニーのインタープレイが繰り広げられた。ギターのように弾くベース。チョッパーなどやらずとも、充分にその存在感を見せるアンソニー・ジャクソン。いやあ、誰をサポートしてもかっこいい。前回は上原ひろみだった。出すぎず、しかし、しっかり「オレはここにいるよ」とベースが語りかけてくる。そして、あの独特のスティーヴ節との掛け合い。ある程度の年季が行った者同士だけができる火花の散らしあいだ。
5人の間に張り詰める緊張感が心地よく観客席に伝わる。それぞれが自分のポジションでベストの仕事を淡々とこなす。各自独立しつつ、しかし、ユニットとしての統一感もある。ふとスティーヴ・ガッドに目をやれば、そこだけに白い光があたり、彼のプレイが浮かび上がり、ふとアンソニーに目をやれば、そこに白い光があたり、ベースの音が体に伝わってくる。ジョン・トロペイに着目すれば、しっかりした繊細かつ大胆なギターの音色が耳から直接脳に入り込んでくる。舞台左クリスのハモンドオルガンを見つめれば、オルガンのグルーヴが飛び込んでくる。そして、ルーに目をやればやはりそこに白いスポットライトがあたり、サックスが炸裂してくる。それぞれ目線を変えた瞬間、そのミュージシャンの音がくっきりと輪郭を持って浮かび上がる。
やはり、アンソニーのベースとスティーヴのドラムスが大黒柱となって支える家はファンクな家として聳(そび)え立つ。今日の一言はこれで決まりだ。「あなたたち、ソウルがありますね(I know you got soul)、わかってるよ」。
(2004年1月26日月曜=ブルーノート東京セカンド=ジョン・トロペイ・バンド・ライヴ)
>あ〜やんさん
Woman To Woman、ビンゴです。
(映画『ミスティック・リバー』の感想文です。ネタバレは最小限ですが、ごらんになっていない方は、ご注意ください)
タッチ。
グランドピアノに向かって二人の男が座って話をしている。一人は白人の男。嬉しそうに隣の男に質問をなげかける。もう一人の男、サングラスをしたしわがれ声の黒人は体を揺らしながら答える。質問をする男は当代きってのフィルムメイカー、クリント・イーストウッド、答える男はソウル・ミュージックの生みの親レイ・チャールズ。くしくも、レイもクリントも1930年生まれの同じ年だ。イーストウッド自身が監督し、2003年9月PBS系列で放送されたドキュメンタリー映画『ピアノ・ブルーズ』(総監督マーチン・スコセシー。DVDでも発売中)の一シーンだ。イーストウッド自身、ピアノをたしなむ。彼は母親が自宅でかけていたファッツ・ウォーラー(1904〜1943=1920年代から40年代にかけて大活躍したジャズピアノの人気アーティスト)のレコードを聴いて以来の大のピアノ・ファンだ。
+++++
ワーナーブラザーズのロゴが消えるなりシンプルなピアノ演奏が始まった。この音だけでクリント・イーストウッドの世界が劇場の空間を埋め尽くす。『マジソン郡…』も『プレイ・ミスティー・フォー・ミー(恐怖のメロディ)』も、イーストウッドの映画はピアノが心地よく映像をサポートする。そして、今始まった『ミスティック・リバー』。
ボストンのちょっと荒れた地域に生まれ育った3人の少年たちが路上でホッケーを楽しんでいる。ホッケーのボールが下水道に落ちてしまった。手持ち無沙汰になった3人はまだ固まっていないコンクリートに自分たちの名前を彫り込んだ。そこに刑事然とした2人の大人が登場。彼らをたしなめ、3人のうち1人デイヴだけを連れ去る。残る2人、ジミーとショーンは車が走り去っていくところをなすすべもなくただ見守るしかなかった。森の奥深くに監禁されたデイヴは命からがら自力で脱出する。しかし、その4日間に彼に起こったことはデイヴの心の奥底に深く大きな傷となって沈殿していった。そのトラウマは、残った2人にも同じように暗い影をなげかけた。この日を境に、彼らは何かを失ったのだ。
それから25年の歳月が流れた。ジミー(ショーン・ペン)は前科のあるドラッグストアのオウナー、学生時代は野球がうまかったが現在は低所得労働者となったデイヴ(ティム・ロビンス)、そして、家庭状況がうまく行っていないショーン(ケヴィン・ベイコン)は刑事となり、3人はそれぞれの人生を静かにひっそりと生きていた。そんな中、ひとつの殺人事件が運命の糸がからむように、離れ離れになっていた3人を引き寄せる。ひとりは、殺人事件の被害者の父として、ひとりはその容疑者として、そして、もうひとりはそれを解決する刑事としてクロスロードで遭遇した。
ミステリー作家デニス・ルへインの原作『ミスティック・リバー』を、クリント・イーストウッドが非常にオーソドックスに監督。まずこのプロット、物語自体が圧倒的におもしろい。そして、主要登場人物3人さらに、その脇役たちの演技も見事というほかはない。演技と物語が完全に同化している。
時間の流れが多くあればあるほど、別の言葉で言えば、時間が凝縮されればされるほど、そして、不条理、矛盾、不正義がまかり通ることがあればあるほど、その物語は劇的におもしろくなる。時にそれは後味の悪さを残すこともあるが、黒白がつかず、どちらも正しい、あるいはどちらも正しくない、どうしようもないやるせない部分を描ききると、観客に考えさせる余白が生まれ、映画としての深みがでる。喪失感、トラウマから生まれる考えられない行動。そうしたことが起こるから、思いもつかぬ事件が現実に起こる。それもまた人生の真実なのだ。既存の正義の枠で片付けられない様々な矛盾。そこにストーリーが浮かび上がり、ドラマが生まれる。その中で、ある者はなんらかのソウル・サーチンを試みる。イーストウッドは常にその影に光を当てる。
この『ミスティック・リバー』は、時間の凝縮と人生の不条理というその両者が完璧に揃う。もちろん、本作は殺人事件が起こったことによって、犯人探しの側面もあるが、それ以上に、3人と2人の妻、それぞれの人生がしっかり描かれているところがすばらしい。世の中には理屈で説明できないことが多い。納得がいかないことも多々ある。そこを掘り起して淡々と描くところが、このイーストウッドという監督、「職人フィルムメイカー」の底知れぬ力だ。ある意味で非常に冷静にジャーナリスティックに物語を見つめ、そして、それを丁寧に描写する。しかも超一流の俳優陣の演技によって。俳優に委ね、演技に任せ、ハンドルの「遊び」を作る。その遊びは見るものに「考える」余白を与える。
満点に近いこの映画を見て唯一こうしたらいいのではないかと思ったところ。それは、前半導入部と、後半一気に物語が解決に向かうところは、実にテンポよく進むのだが、中盤なぜか冗長になる点だ。あの中盤部分をもう少し削いで、テンポアップし、あと20分短縮できれば完璧になるような感じがした。ひょっとすると、イーストウッド監督が、3人のあまりの演技のすばらしさに目がくらみ、どうしてもエディットできなくなったのではないだろうか。それはそれで痛いほどわかるのだが…。それでも、そこを泣く泣くエディットするのが監督の仕事だ。あそこで中だるみを感じさせては、元も子もない。
もう一点、日本の映画会社の「もうひとつの『スタンド・バイ・ミー』」というキャッチフレーズ。これはない。そういうキャッチをつけたくなる気持ちもわからなくはないが、もっともっと頭を絞って絞って考えだしてほしい。
デイヴ(ティム・ロビンス)の行方がわからなくなった時、刑事ショーン(ケヴィン・ベーコン)が、ジミー(ショーン・ペン)に「最後にデイヴを見たのはいつか」と尋ねる。ジミーは宙を見て、「11歳の時、車に連れ去れた時だ…」とぽつりとつぶやく。その一言にショーンは返す言葉がない。2人は25年前、車が走り去った方をぼんやりと眺める。3人の重い、しかし決して忘れることができない25年間。時間が凝縮され、誰もが正解を知ることができないゆえの苦悩と沈黙が多くを物語る絶妙のシーンだ。
ラストの部分、ボストンで行われるパレードのシーン。刑事ショーンは、遠くにいるジミーを見つけ、右手で拳銃の形を作り、撃つ真似をする。これも様々に受け取れるシーンだ。
イーストウッドは、基本的に映画とはこういうものだ、という自分のパターンをしっかりと持っている。僕はその基本的な考え方に強く同意できるので、彼の作品が大好きだ。彼が作る、クラス(品格)があり、痒いところに手が届くような「映画らしい映画」が楽しめる。それはそのエンディングが仮にいかに不条理であろうと、映画作品として楽しめるのだ。
映画のエンディングで、大きなミスティック・リバーが映し出される。そこにかぶさる後テーマは再びシンプルなピアノのメロディーだった。それはイーストウッドのトレードマーク。そのゆったりとしたピアノの旋律は、まるで彼が「この物語についてじっくりお考えください」と観客に問いかけているかのようだ。クレジットロールがゆっくり回りだして驚いた。このテーマ曲自体をクリント・イーストウッド自身が書いていたのだ。
『ミスティック・リバー』でイーストウッドはスクリーンには一切出てこない。だが、この作品のあらゆるところにイーストウッドの香りがたちこめる。彼はカメラの裏側にしっかり立ち、編集作業をするスタジオや、音楽の録音スタジオにいて彼の魂をこのフィルムにこめているのだ。『ミスティック・リバー』、それは「完璧なイーストウッド・タッチ」。
…
タッチ。
グランドピアノに向かって二人の男が座って話をしている。一人は白人の男。嬉しそうに隣の男に質問をなげかける。もう一人の男、サングラスをしたしわがれ声の黒人は体を揺らしながら答える。質問をする男は当代きってのフィルムメイカー、クリント・イーストウッド、答える男はソウル・ミュージックの生みの親レイ・チャールズ。くしくも、レイもクリントも1930年生まれの同じ年だ。イーストウッド自身が監督し、2003年9月PBS系列で放送されたドキュメンタリー映画『ピアノ・ブルーズ』(総監督マーチン・スコセシー。DVDでも発売中)の一シーンだ。イーストウッド自身、ピアノをたしなむ。彼は母親が自宅でかけていたファッツ・ウォーラー(1904〜1943=1920年代から40年代にかけて大活躍したジャズピアノの人気アーティスト)のレコードを聴いて以来の大のピアノ・ファンだ。
+++++
ワーナーブラザーズのロゴが消えるなりシンプルなピアノ演奏が始まった。この音だけでクリント・イーストウッドの世界が劇場の空間を埋め尽くす。『マジソン郡…』も『プレイ・ミスティー・フォー・ミー(恐怖のメロディ)』も、イーストウッドの映画はピアノが心地よく映像をサポートする。そして、今始まった『ミスティック・リバー』。
ボストンのちょっと荒れた地域に生まれ育った3人の少年たちが路上でホッケーを楽しんでいる。ホッケーのボールが下水道に落ちてしまった。手持ち無沙汰になった3人はまだ固まっていないコンクリートに自分たちの名前を彫り込んだ。そこに刑事然とした2人の大人が登場。彼らをたしなめ、3人のうち1人デイヴだけを連れ去る。残る2人、ジミーとショーンは車が走り去っていくところをなすすべもなくただ見守るしかなかった。森の奥深くに監禁されたデイヴは命からがら自力で脱出する。しかし、その4日間に彼に起こったことはデイヴの心の奥底に深く大きな傷となって沈殿していった。そのトラウマは、残った2人にも同じように暗い影をなげかけた。この日を境に、彼らは何かを失ったのだ。
それから25年の歳月が流れた。ジミー(ショーン・ペン)は前科のあるドラッグストアのオウナー、学生時代は野球がうまかったが現在は低所得労働者となったデイヴ(ティム・ロビンス)、そして、家庭状況がうまく行っていないショーン(ケヴィン・ベイコン)は刑事となり、3人はそれぞれの人生を静かにひっそりと生きていた。そんな中、ひとつの殺人事件が運命の糸がからむように、離れ離れになっていた3人を引き寄せる。ひとりは、殺人事件の被害者の父として、ひとりはその容疑者として、そして、もうひとりはそれを解決する刑事としてクロスロードで遭遇した。
ミステリー作家デニス・ルへインの原作『ミスティック・リバー』を、クリント・イーストウッドが非常にオーソドックスに監督。まずこのプロット、物語自体が圧倒的におもしろい。そして、主要登場人物3人さらに、その脇役たちの演技も見事というほかはない。演技と物語が完全に同化している。
時間の流れが多くあればあるほど、別の言葉で言えば、時間が凝縮されればされるほど、そして、不条理、矛盾、不正義がまかり通ることがあればあるほど、その物語は劇的におもしろくなる。時にそれは後味の悪さを残すこともあるが、黒白がつかず、どちらも正しい、あるいはどちらも正しくない、どうしようもないやるせない部分を描ききると、観客に考えさせる余白が生まれ、映画としての深みがでる。喪失感、トラウマから生まれる考えられない行動。そうしたことが起こるから、思いもつかぬ事件が現実に起こる。それもまた人生の真実なのだ。既存の正義の枠で片付けられない様々な矛盾。そこにストーリーが浮かび上がり、ドラマが生まれる。その中で、ある者はなんらかのソウル・サーチンを試みる。イーストウッドは常にその影に光を当てる。
この『ミスティック・リバー』は、時間の凝縮と人生の不条理というその両者が完璧に揃う。もちろん、本作は殺人事件が起こったことによって、犯人探しの側面もあるが、それ以上に、3人と2人の妻、それぞれの人生がしっかり描かれているところがすばらしい。世の中には理屈で説明できないことが多い。納得がいかないことも多々ある。そこを掘り起して淡々と描くところが、このイーストウッドという監督、「職人フィルムメイカー」の底知れぬ力だ。ある意味で非常に冷静にジャーナリスティックに物語を見つめ、そして、それを丁寧に描写する。しかも超一流の俳優陣の演技によって。俳優に委ね、演技に任せ、ハンドルの「遊び」を作る。その遊びは見るものに「考える」余白を与える。
満点に近いこの映画を見て唯一こうしたらいいのではないかと思ったところ。それは、前半導入部と、後半一気に物語が解決に向かうところは、実にテンポよく進むのだが、中盤なぜか冗長になる点だ。あの中盤部分をもう少し削いで、テンポアップし、あと20分短縮できれば完璧になるような感じがした。ひょっとすると、イーストウッド監督が、3人のあまりの演技のすばらしさに目がくらみ、どうしてもエディットできなくなったのではないだろうか。それはそれで痛いほどわかるのだが…。それでも、そこを泣く泣くエディットするのが監督の仕事だ。あそこで中だるみを感じさせては、元も子もない。
もう一点、日本の映画会社の「もうひとつの『スタンド・バイ・ミー』」というキャッチフレーズ。これはない。そういうキャッチをつけたくなる気持ちもわからなくはないが、もっともっと頭を絞って絞って考えだしてほしい。
デイヴ(ティム・ロビンス)の行方がわからなくなった時、刑事ショーン(ケヴィン・ベーコン)が、ジミー(ショーン・ペン)に「最後にデイヴを見たのはいつか」と尋ねる。ジミーは宙を見て、「11歳の時、車に連れ去れた時だ…」とぽつりとつぶやく。その一言にショーンは返す言葉がない。2人は25年前、車が走り去った方をぼんやりと眺める。3人の重い、しかし決して忘れることができない25年間。時間が凝縮され、誰もが正解を知ることができないゆえの苦悩と沈黙が多くを物語る絶妙のシーンだ。
ラストの部分、ボストンで行われるパレードのシーン。刑事ショーンは、遠くにいるジミーを見つけ、右手で拳銃の形を作り、撃つ真似をする。これも様々に受け取れるシーンだ。
イーストウッドは、基本的に映画とはこういうものだ、という自分のパターンをしっかりと持っている。僕はその基本的な考え方に強く同意できるので、彼の作品が大好きだ。彼が作る、クラス(品格)があり、痒いところに手が届くような「映画らしい映画」が楽しめる。それはそのエンディングが仮にいかに不条理であろうと、映画作品として楽しめるのだ。
映画のエンディングで、大きなミスティック・リバーが映し出される。そこにかぶさる後テーマは再びシンプルなピアノのメロディーだった。それはイーストウッドのトレードマーク。そのゆったりとしたピアノの旋律は、まるで彼が「この物語についてじっくりお考えください」と観客に問いかけているかのようだ。クレジットロールがゆっくり回りだして驚いた。このテーマ曲自体をクリント・イーストウッド自身が書いていたのだ。
『ミスティック・リバー』でイーストウッドはスクリーンには一切出てこない。だが、この作品のあらゆるところにイーストウッドの香りがたちこめる。彼はカメラの裏側にしっかり立ち、編集作業をするスタジオや、音楽の録音スタジオにいて彼の魂をこのフィルムにこめているのだ。『ミスティック・リバー』、それは「完璧なイーストウッド・タッチ」。
…
探索。
どうしても、デューク・エリントンの「メランコリア」という曲の入ったCDが欲しかったので、渋谷のタワーに行った。次の予定との間に15分くらいしか時間がなかったがすぐに見つかるだろうと思っていた。ジャズ売り場は5階。「デューク・エリントンのCDはどこにありますか?」とお店の人に尋ねた。すると、こちらです、と案内された。うむ、楽に4-50枚は並んでいる。
片っ端から、曲目を見るがなかなか見つからない。そこで、途中で「デューク・エリントンの『メランコリア』という曲を探してるんですが、どこにありますか?」と別のお店の人に尋ねると、「あ、それはわかりませんねえ」とにべもない。「曲目を検索できる機械はありますが・・・」というので、そこを案内してもらい、デューク・エリントン、メランコリアと入力するが・・・。リアクションが遅くて、かったるい。1枚当該曲が入ったアルバムのタイトルがでてきて、プリントアウトしたが、もちろんそれは店頭在庫にはなかった。時間もなかったので、もうめんどうだから、棚のCDを全部見ることにした。
CDを抜いては裏ジャケットを見て、曲目をチェック。3段近くあったが、全部見た。だが、残念ながら目指す「メランコリア」はなかった。時間もなかったので、とりあえず、今日は帰ることにした。しかし、やはりこうなると、ネットで買うほうに走るよねえ。CDショップは、サーヴィスで稼ぐようにしないと。「メランコリア」を探してるんですけど、と言ったら、一緒に探すとかしないとね。デューク・エリントンのヴァージョンでなくても、あればとりあえず買うわけだし。その店に行くのは、その場でその日に欲しいからだからねえ。
さて出口に向かうと、ワゴンセールみたいのをやっていて、ちらっとみると、ジャズピアノのボックスセットがあった。でかくてすごいボックスセット。手にとってみると、オスカーピーターソンだ、アート・テイタムだ、アーマッド・ジャマルだ、とそこそこよさげ。しかも、40枚組。これはすごいわと思ったが、値段を見て、さらにびっくり。7090円なり!! 1枚200円以下じゃない! こりゃ買うしかないわ。さらに、サッチモ10枚組ボックスセット、2290円。わかりました。買います。新譜1枚と変わらぬ値段で10枚も。生CDじゃないんだからねえ。(笑) ビリー・ホリデイなどのディーヴァもの5枚組セット1390円! まじっすか。というわけで、トータル55枚お買い上げ。どうするんだ、ただでさえCD置き場ないのに…。
今、これを書きながら流れているのはアート・テイタム(1909〜1956)です。これもピアノの基本でしょうか。全然、このあたり詳しくないんですけど。(笑) ガーシュインの「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー」が流れています。僕がアート・テイタムのことを知ったのは83年のこと。ニューヨークのカシーフが、教えてくれました。「どんなキーボード奏者が好きなのか」と聞いたら、まっさきにこのアート・テイタムの名前をあげました。僕はその頃ジャズ系の名前をほとんど知らなかったので、当時はレコードだったか1枚くらい買ったのかな。
さて、なんでデューク・エリントンの「メランコリア」という曲か。実はノラ・ジョーンズの待望の第二弾アルバム『フィールズ・ライク・ホーム』が2月4日に発売されますが、その中に「ドント・ミス・ユー・アット・オール」という曲があります。ピアノ一本にノラが弾き語りを聴かせるしっとりとした曲で、アルバムの中で一番気に入りました。「雪が降ってくるのが見える。でも、あなたのことを思い出したりなんかしないわ(I don’t miss you at all)。子供たちが遊び、笑うのが聴こえる。でもあなたの微笑みなんか思い出さない。あなたが戻ってこないのなら、あなたは私のはるかかなたの想い出に…。窓の外、光が暗くなっていく…」という、恋人が去っていってしまって寂しいが、あなたなんか思い出さないわよ、というちょっといじらしい歌です。いい曲なんですよ、これが。
で、この曲の元歌がなんと、デューク・エリントンの「メランコリア」なんです。「メランコリア」は僕は持っておらず、聴いたこともないんですが、どうやらインストゥルメンタルの曲らしいんですね。そして、その曲がとても気に入っていたノラは、「どうしてもこの曲を『歌いたい!』と思って」自分で勝手に詞をつけて4年ほど前から歌っていたのです。今回、エリントンの遺族に了解を得て、この歌詞でレコーディングしたというわけです。
さてさて、支払いをすませ、えらく重くなった袋を持ってエレヴェーターの方に向かうと、出口のところで、ピーピーとなるではないか。係りの人が「すいません、まだ充分に消せてないようで」と言って、また袋から全部取り出して、盗難防止用のデータを消す作業をし始めた。急いでいるときに限ってこれだ。(笑) もう一度袋につめてもらい、おそるおそるゲートを通ると今度は無事に静かに、何事もなく通ることができた。ふ〜っ。しかし、「メランコリア」一曲を探しに来たのに、なんでCD55枚も買って帰るんだ。ふ〜っagain。
どうしても、デューク・エリントンの「メランコリア」という曲の入ったCDが欲しかったので、渋谷のタワーに行った。次の予定との間に15分くらいしか時間がなかったがすぐに見つかるだろうと思っていた。ジャズ売り場は5階。「デューク・エリントンのCDはどこにありますか?」とお店の人に尋ねた。すると、こちらです、と案内された。うむ、楽に4-50枚は並んでいる。
片っ端から、曲目を見るがなかなか見つからない。そこで、途中で「デューク・エリントンの『メランコリア』という曲を探してるんですが、どこにありますか?」と別のお店の人に尋ねると、「あ、それはわかりませんねえ」とにべもない。「曲目を検索できる機械はありますが・・・」というので、そこを案内してもらい、デューク・エリントン、メランコリアと入力するが・・・。リアクションが遅くて、かったるい。1枚当該曲が入ったアルバムのタイトルがでてきて、プリントアウトしたが、もちろんそれは店頭在庫にはなかった。時間もなかったので、もうめんどうだから、棚のCDを全部見ることにした。
CDを抜いては裏ジャケットを見て、曲目をチェック。3段近くあったが、全部見た。だが、残念ながら目指す「メランコリア」はなかった。時間もなかったので、とりあえず、今日は帰ることにした。しかし、やはりこうなると、ネットで買うほうに走るよねえ。CDショップは、サーヴィスで稼ぐようにしないと。「メランコリア」を探してるんですけど、と言ったら、一緒に探すとかしないとね。デューク・エリントンのヴァージョンでなくても、あればとりあえず買うわけだし。その店に行くのは、その場でその日に欲しいからだからねえ。
さて出口に向かうと、ワゴンセールみたいのをやっていて、ちらっとみると、ジャズピアノのボックスセットがあった。でかくてすごいボックスセット。手にとってみると、オスカーピーターソンだ、アート・テイタムだ、アーマッド・ジャマルだ、とそこそこよさげ。しかも、40枚組。これはすごいわと思ったが、値段を見て、さらにびっくり。7090円なり!! 1枚200円以下じゃない! こりゃ買うしかないわ。さらに、サッチモ10枚組ボックスセット、2290円。わかりました。買います。新譜1枚と変わらぬ値段で10枚も。生CDじゃないんだからねえ。(笑) ビリー・ホリデイなどのディーヴァもの5枚組セット1390円! まじっすか。というわけで、トータル55枚お買い上げ。どうするんだ、ただでさえCD置き場ないのに…。
今、これを書きながら流れているのはアート・テイタム(1909〜1956)です。これもピアノの基本でしょうか。全然、このあたり詳しくないんですけど。(笑) ガーシュインの「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー」が流れています。僕がアート・テイタムのことを知ったのは83年のこと。ニューヨークのカシーフが、教えてくれました。「どんなキーボード奏者が好きなのか」と聞いたら、まっさきにこのアート・テイタムの名前をあげました。僕はその頃ジャズ系の名前をほとんど知らなかったので、当時はレコードだったか1枚くらい買ったのかな。
さて、なんでデューク・エリントンの「メランコリア」という曲か。実はノラ・ジョーンズの待望の第二弾アルバム『フィールズ・ライク・ホーム』が2月4日に発売されますが、その中に「ドント・ミス・ユー・アット・オール」という曲があります。ピアノ一本にノラが弾き語りを聴かせるしっとりとした曲で、アルバムの中で一番気に入りました。「雪が降ってくるのが見える。でも、あなたのことを思い出したりなんかしないわ(I don’t miss you at all)。子供たちが遊び、笑うのが聴こえる。でもあなたの微笑みなんか思い出さない。あなたが戻ってこないのなら、あなたは私のはるかかなたの想い出に…。窓の外、光が暗くなっていく…」という、恋人が去っていってしまって寂しいが、あなたなんか思い出さないわよ、というちょっといじらしい歌です。いい曲なんですよ、これが。
で、この曲の元歌がなんと、デューク・エリントンの「メランコリア」なんです。「メランコリア」は僕は持っておらず、聴いたこともないんですが、どうやらインストゥルメンタルの曲らしいんですね。そして、その曲がとても気に入っていたノラは、「どうしてもこの曲を『歌いたい!』と思って」自分で勝手に詞をつけて4年ほど前から歌っていたのです。今回、エリントンの遺族に了解を得て、この歌詞でレコーディングしたというわけです。
さてさて、支払いをすませ、えらく重くなった袋を持ってエレヴェーターの方に向かうと、出口のところで、ピーピーとなるではないか。係りの人が「すいません、まだ充分に消せてないようで」と言って、また袋から全部取り出して、盗難防止用のデータを消す作業をし始めた。急いでいるときに限ってこれだ。(笑) もう一度袋につめてもらい、おそるおそるゲートを通ると今度は無事に静かに、何事もなく通ることができた。ふ〜っ。しかし、「メランコリア」一曲を探しに来たのに、なんでCD55枚も買って帰るんだ。ふ〜っagain。
クリーン。
映画「ミスティック・リヴァー」から始まり、イーストウッドの『ブルーズ・ピアノ』、さらにデューク・エリントンの「メランコリア」、ノラ・ジョーンズの「アイ・ドント・ミス・ユー・アット・オール」、そして、ジャズピアノ40枚組セットと、いやにピアノづいている今週ですが、なんと今日から3日間、ピアノライヴが続きます。ピアノライヴ、3デイズ! サヤ、妹尾武、深町純だ。みなそれぞれスタイルが違うからおもしろい。
まず、デイ・ワンは、約半年振りのサヤ。今回は大阪出身の魚谷のぶまさ(ベース)、加納樹麻(ドラムス)とのトリオ。会場は東京勝どきにあるトリトンスクエア内の第一生命ホール。初めて来たが、実にきれいな収容人数約800の会場だ。天井が非常に高く、音が異様にライヴ。かなり反響があった。アンコールを含め全14曲、1時間42分。
やはり全体的にはオリジナルの作品がいいメロディーを持っていて、印象が強い。3曲目に新曲「ブルーム」を披露したが、これがなかなかよかった。
ちょっと気が付いたこと。グルーヴ感のある「マホガニー」さらに、「イントゥ・ザ・スカイ」が一番最後の部分にでたが、これをもう少し前のほうに持ってきたらどうだろうか。メロディーがきれいな曲が多いので、どうしても、じっくり落ち着いて聴いてしまい、彼女のグルーヴ感のあるピアノを忘れてしまう。そして、オリジナル曲のメロディーが美しいものが多いので、ひとつまちがえると安易なイージー・リスニングになってしまう危険性がある。ここは、やはり元ネヴィル・ブラザースのバンドの一員としてのソウルあるところを見せて欲しい。どうまちがっても、リチャード・クレイダーマンにはなって欲しくないと思った。なるとしたら、ジョー・サンプルの方向に行って欲しい。
ビル・エヴァンスで知られる「アワ・デライト」がフォービートでかなりジャズっぽい雰囲気だったが、ジャズ風は唯一この曲だけ。この路線もう1曲くらいあってもいいかもしれない。
今回のライヴの印象は、全体的にきれいで、クリーンという感じだった。
今回のツアーでは、ライヴ後にCDが飛ぶように売れるという。おそらく、まだCDを持ってない人で、なんらかのきっかけでライヴに来て、とても心地よかったので、彼女のCDを買おうと思った人が多いようだ。ということは、彼女の音楽はたくさん露出すればするほど売れる可能性が高い、ということでもある。ライヴ終了後、サイン会をすると告知したところ、少なくとも40人が列を作ってサヤのサインをもらうのを待っていた。
ふと通路を見ると、本日演奏された曲目がしっかり張り出されていた。お客様にフレンドリーです。
セットリスト
show started 19.26
1. 花のワルツ (チャイコフスキー)
2. カム・トゥゲザー (ビートルズ)
3. ブルーム (オリジナル=新曲)
4. アワ・デライト (ビル・エヴァンスなど)
5. 別れの曲 (ショパン)
6. ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス (グローヴァー・ワシントン/ビル・ウィザース)
7. オーヴァー・ザ・レインボウ (ジュディー・ガーランド)
8. アイ・ウィッシュ (スティーヴィー・ワンダー)
9. エタニティ (オリジナル=『ビューティフル・デイ』から)
10. マホガニーのテーマ (ダイアナ・ロス)
11. イントゥ・ザ・スカイ (オリジナル=『ビューティフル・デイ』から)
12. チキン (ジェームス・ブラウン)
アンコール
13. ダンス・ユア・ハート (オリジナル=『ダンス・ユア・ハート』から)
14. ウィッシング・ウェル (オリジナル=『ビューティフル・デイ』から)
show ended 21.08
(2004年1月29日木曜=東京・勝どき第一生命ホール=サヤ・ライヴ)
映画「ミスティック・リヴァー」から始まり、イーストウッドの『ブルーズ・ピアノ』、さらにデューク・エリントンの「メランコリア」、ノラ・ジョーンズの「アイ・ドント・ミス・ユー・アット・オール」、そして、ジャズピアノ40枚組セットと、いやにピアノづいている今週ですが、なんと今日から3日間、ピアノライヴが続きます。ピアノライヴ、3デイズ! サヤ、妹尾武、深町純だ。みなそれぞれスタイルが違うからおもしろい。
まず、デイ・ワンは、約半年振りのサヤ。今回は大阪出身の魚谷のぶまさ(ベース)、加納樹麻(ドラムス)とのトリオ。会場は東京勝どきにあるトリトンスクエア内の第一生命ホール。初めて来たが、実にきれいな収容人数約800の会場だ。天井が非常に高く、音が異様にライヴ。かなり反響があった。アンコールを含め全14曲、1時間42分。
やはり全体的にはオリジナルの作品がいいメロディーを持っていて、印象が強い。3曲目に新曲「ブルーム」を披露したが、これがなかなかよかった。
ちょっと気が付いたこと。グルーヴ感のある「マホガニー」さらに、「イントゥ・ザ・スカイ」が一番最後の部分にでたが、これをもう少し前のほうに持ってきたらどうだろうか。メロディーがきれいな曲が多いので、どうしても、じっくり落ち着いて聴いてしまい、彼女のグルーヴ感のあるピアノを忘れてしまう。そして、オリジナル曲のメロディーが美しいものが多いので、ひとつまちがえると安易なイージー・リスニングになってしまう危険性がある。ここは、やはり元ネヴィル・ブラザースのバンドの一員としてのソウルあるところを見せて欲しい。どうまちがっても、リチャード・クレイダーマンにはなって欲しくないと思った。なるとしたら、ジョー・サンプルの方向に行って欲しい。
ビル・エヴァンスで知られる「アワ・デライト」がフォービートでかなりジャズっぽい雰囲気だったが、ジャズ風は唯一この曲だけ。この路線もう1曲くらいあってもいいかもしれない。
今回のライヴの印象は、全体的にきれいで、クリーンという感じだった。
今回のツアーでは、ライヴ後にCDが飛ぶように売れるという。おそらく、まだCDを持ってない人で、なんらかのきっかけでライヴに来て、とても心地よかったので、彼女のCDを買おうと思った人が多いようだ。ということは、彼女の音楽はたくさん露出すればするほど売れる可能性が高い、ということでもある。ライヴ終了後、サイン会をすると告知したところ、少なくとも40人が列を作ってサヤのサインをもらうのを待っていた。
ふと通路を見ると、本日演奏された曲目がしっかり張り出されていた。お客様にフレンドリーです。
セットリスト
show started 19.26
1. 花のワルツ (チャイコフスキー)
2. カム・トゥゲザー (ビートルズ)
3. ブルーム (オリジナル=新曲)
4. アワ・デライト (ビル・エヴァンスなど)
5. 別れの曲 (ショパン)
6. ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス (グローヴァー・ワシントン/ビル・ウィザース)
7. オーヴァー・ザ・レインボウ (ジュディー・ガーランド)
8. アイ・ウィッシュ (スティーヴィー・ワンダー)
9. エタニティ (オリジナル=『ビューティフル・デイ』から)
10. マホガニーのテーマ (ダイアナ・ロス)
11. イントゥ・ザ・スカイ (オリジナル=『ビューティフル・デイ』から)
12. チキン (ジェームス・ブラウン)
アンコール
13. ダンス・ユア・ハート (オリジナル=『ダンス・ユア・ハート』から)
14. ウィッシング・ウェル (オリジナル=『ビューティフル・デイ』から)
show ended 21.08
(2004年1月29日木曜=東京・勝どき第一生命ホール=サヤ・ライヴ)
贅沢。
ピアノライヴ、2日目。会場は、これも僕は初めての銀座王子ホール。収容約330。これも昨日同様、非常に綺麗な施設だ。天井は第一生命ホールほど高くなく、反響音はかなり少ない。普段はクラシックを中心にコンサートをやっているという。なによりも、銀座三越の真裏という絶好の場所。
銀座山野楽器のインストアライヴから今度は銀座王子ホールということで、「銀座を渡り歩くピアニスト」(!)になりつつある妹尾武の初のコンサートホール、フル・ライヴ。ファン層は年齢も幅広く20代から40代まで、男女比は2:8くらいでしょうか。
CDで聴かれるそのままの優しさ、暖かさ、叙情が、咳払いひとつや紙をめくる音さえ雑音になるような静かな静かな王子ホールに広がる。ラフなジーンズで登場した彼は、いきなり最新作『Seasons』の1曲目「The Season Comes」から、「春にして君を想う」、「帰郷」まで、CDの流れをそのまま再現してみせた。このCDを聴きこんできた人なら、思わず曲の流れを目をつぶってなぞることでしょう。
あいさつ、おしゃべりをはさんで僕が大好きな「材木座海岸」。歌詞もないのに、すっかりこのメロディーが僕を材木座に連れてってくれます。インストゥルメンタル曲でここまで持ってってくれる曲はそうめったにはありません。
前半は彼がひとりで、休憩をはさんで後半はゲストにチェロの古川展生、ヴォーカルのLyrico(リリコ)を迎えてのパフォーマンス。後半一曲目の「蒼茫(そうぼう)」、さらに続く「ニュー・シネマ・パラダイス」は、チェロとのコラボレーションが映画そのものを思い出させ、「エタニティー」では、リリコが登場。いきなり、歌の力を見せつけました。インストゥルメンタル曲が続く中で、ぽっと歌詞のある歌が入ると、その印象は強烈です。正統派シンガーである彼女はさらにエルヴィス・プレスリーの「好きにならずにはいられない」と「キセキノハナ」を見事に歌いきりました。
妹尾メロディーは本当に聴いていると、いろんなイメージが沸いてきます。
そこで、勝手にキャッチフレーズ・シリーズ。第一弾。「恋の始まりと、恋の最中と、恋の終わりに・・・。妹尾メロディーはいつも恋するあなたの傍らに・・・」
第二弾。「ソウルではないが、魂があり、クラシックではないが、伝統があり、ピアノ以外何もないが、そこには一番の贅沢がある・・・」
ニュー・アルバムのレコーディングは完了したそうです。5月発売の予定。その中にはスティーヴィーの「オーヴァージョイド」をちょっとユニークな方法でカヴァーしているとのことです。
Setlist
01. The Season Comes
02. 春にして君を想う
03. 帰郷
04. 材木座海岸
05. 星の灯篭〜太った三日月の夜
06. 新大阪
07. 冬物語
08. 浜辺の歌
09. 永遠に
休憩約12分
10. 蒼茫
11. ニューシネマ・パラダイス
12. 爪痕
13. Eternity
14. Can’t Help Falling In Love(好きにならずにはいられない)
15. 男はつらいよ
16. キセキノハナ
encore
17. 街角
18. 星霜
(2004年1月30日金=銀座王子ホール=妹尾武ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Takeshi, Senoo
ピアノライヴ、2日目。会場は、これも僕は初めての銀座王子ホール。収容約330。これも昨日同様、非常に綺麗な施設だ。天井は第一生命ホールほど高くなく、反響音はかなり少ない。普段はクラシックを中心にコンサートをやっているという。なによりも、銀座三越の真裏という絶好の場所。
銀座山野楽器のインストアライヴから今度は銀座王子ホールということで、「銀座を渡り歩くピアニスト」(!)になりつつある妹尾武の初のコンサートホール、フル・ライヴ。ファン層は年齢も幅広く20代から40代まで、男女比は2:8くらいでしょうか。
CDで聴かれるそのままの優しさ、暖かさ、叙情が、咳払いひとつや紙をめくる音さえ雑音になるような静かな静かな王子ホールに広がる。ラフなジーンズで登場した彼は、いきなり最新作『Seasons』の1曲目「The Season Comes」から、「春にして君を想う」、「帰郷」まで、CDの流れをそのまま再現してみせた。このCDを聴きこんできた人なら、思わず曲の流れを目をつぶってなぞることでしょう。
あいさつ、おしゃべりをはさんで僕が大好きな「材木座海岸」。歌詞もないのに、すっかりこのメロディーが僕を材木座に連れてってくれます。インストゥルメンタル曲でここまで持ってってくれる曲はそうめったにはありません。
前半は彼がひとりで、休憩をはさんで後半はゲストにチェロの古川展生、ヴォーカルのLyrico(リリコ)を迎えてのパフォーマンス。後半一曲目の「蒼茫(そうぼう)」、さらに続く「ニュー・シネマ・パラダイス」は、チェロとのコラボレーションが映画そのものを思い出させ、「エタニティー」では、リリコが登場。いきなり、歌の力を見せつけました。インストゥルメンタル曲が続く中で、ぽっと歌詞のある歌が入ると、その印象は強烈です。正統派シンガーである彼女はさらにエルヴィス・プレスリーの「好きにならずにはいられない」と「キセキノハナ」を見事に歌いきりました。
妹尾メロディーは本当に聴いていると、いろんなイメージが沸いてきます。
そこで、勝手にキャッチフレーズ・シリーズ。第一弾。「恋の始まりと、恋の最中と、恋の終わりに・・・。妹尾メロディーはいつも恋するあなたの傍らに・・・」
第二弾。「ソウルではないが、魂があり、クラシックではないが、伝統があり、ピアノ以外何もないが、そこには一番の贅沢がある・・・」
ニュー・アルバムのレコーディングは完了したそうです。5月発売の予定。その中にはスティーヴィーの「オーヴァージョイド」をちょっとユニークな方法でカヴァーしているとのことです。
Setlist
01. The Season Comes
02. 春にして君を想う
03. 帰郷
04. 材木座海岸
05. 星の灯篭〜太った三日月の夜
06. 新大阪
07. 冬物語
08. 浜辺の歌
09. 永遠に
休憩約12分
10. 蒼茫
11. ニューシネマ・パラダイス
12. 爪痕
13. Eternity
14. Can’t Help Falling In Love(好きにならずにはいられない)
15. 男はつらいよ
16. キセキノハナ
encore
17. 街角
18. 星霜
(2004年1月30日金=銀座王子ホール=妹尾武ライヴ)
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