○謹賀新年

2011年1月1日 音楽
○謹賀新年

【Happy New Year】

謹賀新年。

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
ソウル・サーチャーは、今年もソウル・サーチンに精進いたします。

みなさんにとっても、幸多き一年になりますように。

2011年1月1日

吉岡正晴
The Soul Searcher

+++++

検証。

さて、昨年一昨年15項目の目標を書きました。今年それに2項目加えました。

1) 聴いたCDは、そのCDのプラスチックケースの中に必ず戻す。そして、最初にあったところに必ず戻す。
2) 届いた郵便物は3日以内に必ず封を切る。
3) いらないものはすぐ捨てる。そして大掃除。
4) しっかりプランを練る。予定や目標や企画を立てて、紙に書く。そして実行する。
5) 聴いたこと、見たこと、感じたことは、忘れないうちにすぐ書き記す。
6) スタンダード1000曲を覚える。
7) オールタイム・ベスト100アルバムを選出する。
8) 50・50・50をなんとか一度は成し遂げてみたい。 (ライヴ50本、書籍50冊、映画50本を見る)
9) 「ソウル・サーチン・ウェッブ」のリノヴェーションをしたい。
10) 「ソウル・サーチン」イヴェントと、その周辺アーティストのライヴを充実させたい。
11) ソウル関係の本を何か出す。
12) 音楽映像番組を作る。 (ドキュメンタリーでも音楽番組でも)
13) 週刊誌か月刊誌でコラムをはじめる。
14) 何か月1でもいいので、これぞというソウル番組をラジオでやりたい。
15)また、アーティストたちとからんで、これまでと違う何かクリエイティヴなことをやってみたい。
16)電子書籍、メルマガなどをやってみたい。(2011年の新項目)
17)過去に書いたもののデータベースを作ってみたい。(2011年の新項目)

2010年の最大の心残り。いわゆる本当の大掃除ができなかったこと。(去年から持ち越しか(笑))

やはり、昨年から、どうも、これといった発展、進化がない。日々に流され、あっという間に1年が過ぎていく…。(去年から変化なし)

さて、2010年の検証。1はまあまあできました。2は、年末のものが、若干停滞中。3は、小規模な掃除と模様替えをした。4、ぜんぜんだめ。5は、比較的メモ魔なので、まあOK。6-7-8-9、去年から持ち越し、新年の目標に。ライヴは去年は200本は越えたが、どう考えてもライヴの数を減らさないと、映画、本の50はむずかしいなあ。

10の「ソウル・サーチン」は、2010年年内にはできなかったが、2011年2月に行います。少なくとも年1にしないと、みんなに忘れられてしまう。でも、そのためにはどうしてもスポンサーが必要。企画書書かないとだめか。11の本は、2009年マイケル本は一冊だしたが、その後はなし。

12から15は、そのまま持ち越しの宿題。テーマですね。

16、電子書籍元年ということで、僕がこれまでに書いたものを電子書籍化できれば、それもおもしろいかもと思い始めている。具体的には『ソウル・サーチン』を加筆して、再リリースだ。初版は2000年発行なので、もう10年以上経っている。その間に亡くなった人も多数あり、新しく入った情報もある。そのあたりをまとめてみたい。

また、改めてメルマガにも興味を持ち出した。そして、過去書いたものをまとめたい。僕は1986年9月以降、ワープロで原稿を書いているので、テキストデータが初期のものはキャノワードのデータでフロッピーに残っている。これをMS-DOS化して、データベースにして、自由自在に使えるようにしたい。

■ツイッターとユーストリーム

2010年で大きな出来事といえば、ツイッターを本格的に始めたこと。2009年8月にアカウントは取っていたが、最初は何がなんだかよくわからなかったが、2010年の11月くらいから本格的に稼動した。情報の入り方、出方が圧倒的に早くなった。海外のアーティストの訃報は、まずツイッターで知ることになった。自分の情報発信も1日に1回のブログより、さらにこまめにできるようになった。ユーストリームも実験的に使ったみたが、これもおもしろい。

今後も、ツイッターとユーストリーム、そしてブログ、その他のメディアを連動させた何かで発信できるものがあれば、そのあたりも視野にいれて何かやりたいと思います。おきたいと思います。

というわけで、今年もよろしくお願いします。

ENT>ANNOUNCEMENT>
◆「ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010」(パート1)

【Best Of Soul Searchin 2010 (Part 1)】

ベスト。

ソウル・ミュージックに関する情報を独自の視点でお送りする「ソウル・サーチン・ダイアリー」は、2002年6月からスタート。2002年10月6日以降は、当初はほんの一言しかないものもありましたが、10月以降は徐々に文字量が増え、その多少はありますが、一日も欠かさず現在まで続いています。文字量の最低数は600字。多いものは2-3000字におよびます。訃報記事などが飛び込んできた場合、1日複数の投稿が掲載されることもあります。そこで、年間最低365本の記事から読み応えのあるベスト・エントリーを選ぶ、恒例「ベスト・オブ・ソウル・サーチン」。今日はそのパート1、まず2010年1月から3月までのエントリー約90本の中から選びます。

なお2002年6月以降の『ソウル・サーチン・ダイアリー』のアーカイヴは次のところにすべてあります。年月のところをクリックすると、その月のタイトル一覧がでます。2008年12月まで。2007年3月以降はアメブロにあります。「ベスト・オブ」は2004年分以降のエントリーから毎年翌年1月の最初に選んでいます。したがって、2002年分、2003年分の「ベスト・オブ」が未選出です。2004年から2010年まで過去7年分の「ベスト・オブ」を選んであります。

http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/index.html
2002年6月から2008年12月までのアーカイヴ。月ごとに整理してあります。

http://ameblo.jp/soulsearchin/
2007年3月から現在まで

【1月~今月の1本】

2010年01月09日(土)
『ソウル・ディープ』をより理解するための書籍など(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100109.html

2010年01月10日(日)
『ソウル・ディープ』6回目を見て~すっぽり抜け落ちた1980年代
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100110.html

2010年01月11日(月)
『ソウル・ディープ』にアリシアは入らず。21世紀のブラック・ミュージックは、アリシア・キーズの
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100111.html

2010年01月13日(水)
『ソウル・ディープ』NHK放送のカット部分
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100113.html

一連の『ソウル・ディープ』関連の記事をまとめて。BBCが制作したテレビ・ドキュメンタリーは、さまざまな賛否両論がありましたが、議論を提供するという意味でいいたたき台になりました。

【その他の候補】

2010年01月07日(木)
ウィリー・ミッチェル~メンフィス・ソウルの重鎮、81歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100107.html

2010年01月14日(木)
(緊急寄稿) テディー・ペンダーグラス『トゥルーリー・ブレスド』ライナーノーツ 復刻
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100114.html

2010年01月16日(土)
テディー・ペンダーグラス死去:フィリーのメッセージをのせて
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100116.html
ソウル・シンガー、テディー・ペンダーグラスの訃報記事関連。

2010年01月19日(火)
キング牧師誕生日~国民の祝日になるまでの紆余曲折
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100119.html

2010年01月25日(月)
ハイチ~天災と人災とヴードゥー:日曜午後のうんちく
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100125.html

2010年01月31日(日)
ピーボ・ブライソン&レジーナ・ベル・ライヴ(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100131.html

2010年02月10日(水)
ピーボ・ブライソン(パート2)~テディーとマイケルを語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100210.html

+++

【2月~今月の1本】

2010年02月13日(土)
『ディス・イズ・イット』秘話(パート1)~バシリ・ジョンソン語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100213.html

2010年02月17日(水)
『ディス・イズ・イット』秘話(パート2)~バシリ・ジョンソン語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100217.html
『ディス・イズ・イット』のパーカッション奏者、バシリ・ジョンソンが語る『ディス・イズ・イット』の裏側。さすがにこうした一次情報は圧巻。

【その他の候補】

2010年02月02日(火)
第52回グラミー、もっとも印象に残った10の瞬間
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100202.html

2010年02月04日(木)
『ウィ・アー・ザ・ワールド:25 フォー・ハイチ』続報
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100204.html

2010年02月07日(日)
ツイッターとUストリーム:今後の可能性
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100207.html

2010年02月20日(土)
Uストリームを使ってみて~ワックスポエティックス・トークイヴェント
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100220.html
Uストリームの可能性と実際に使ってみて。

2010年02月09日(火)
ケント・モリ~その存在理由
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100209.html
マイケルとマドンナに認められたダンサー、ケント・モリ。そのインタヴュー。

2010年02月21日(日)
「赤坂ムゲン1968の会」~マイク鈴木さんに再会」
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100221.html

+++

【3月~今月の1本】

2010年03月14日(日)
映画『ソウル・パワー』6月に日本公開決定 (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100314.html

2010年03月15日(月)
映画『ソウル・パワー』6月に日本公開決定 (パート2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100315.html
映画『ソウル・パワー』について。

【その他の候補】

2010年03月07日(日)
ドラマティックスのロン・バンクス死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100307.html

2010年03月08日(月)
ドラマティックスのロン・バンクス58歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100308.html

2010年03月17日(水)
マイケル・ジャクソン・エステート、ソニーと2億ドルの契約
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100317.html

2010年03月28日(日)
クール&ザ・ギャング@ビルボード~すべてヒット曲のパーティー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100328.html

ESSAY>DIARY>
◆ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010、パート2

【Best Of Soul Searchin 2010 : Part 2】

パート2。

「ソウル・サーチン・ブログ」の2010年のベスト・オブ、パート2、4月から6月までのエントリーからの選抜です。

【2010年4月の1本】

2010年04月11日(日)
(独占)『ディス・イズ・イット』、これがリハ最後の未公開セットリストだ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100411.html

【その他の候補】

2010年04月05日(月)
『ソウル・サーチン』再開第一回
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100405.html

2010年04月08日(木)
父と子の共演、日野皓正と日野賢二ライヴ~「ただのギグ」が「ザ・ギグ」になる瞬間
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100408.html

2010年04月09日(金)
ジョー・ヘンリーからソロモン・バークへの伝言
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100409.html

2010年04月14日(水)
映画『プレシャス』~16歳プレシャスの運命は~今年のブラック・ムーヴィーの傑作
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100414.html

2010年04月19日(月)
映画『プレシャス~小説「プッシュ」を元に~』
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100419.html

2010年04月18日(日)
中国政府クチパクを禁止~クチパク歌手に初の罰金
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100418.html

2010年04月27日(火)
シック~ナイル・ロジャース(パート2): 自伝を執筆中
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100427.html

+++

【5月の1本】

2010年05月22日(土)
NTTのウェッブから削除されたイチローのエコCM
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100522.html
大変反響があったエントリーでした。

【その他の候補】

2010年05月01日(土)
セヴィアン・グローヴァー・ライヴ (パート1)~自由に溢れたタップの世界
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100501.html
2010年05月02日(日)
セヴィアン・グローヴァー・ライヴ (パート2)~自由に溢れたタップの世界
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100502.html
タップダンサー、セヴィアン・グローヴァー。

2010年05月07日(金)
『ドリームガールズ』トーク・イヴェント無事終了
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100507.html

2010年05月11日(火)
リナ・ホーン死去~私は私:人種の壁を乗り越えた92年の人生
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100511.html

2010年05月15日(土)
「才能は誰にでもある。要は引き出されたかどうかだ」
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100515.html
2010年05月16日(日)
「評価されない覚悟を持ってやっている」
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100516.html
このふたつのエントリーは非常に示唆に富んでいます。

2010年05月20日(木)
奇跡の完全復活~ナタリー・コール (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100520.html
2010年05月24日(月)
ナタリー・コール(パート2):レパートリーは800曲以上
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100524.html
2010年05月30日(日)
ナタリー・コール(パート3):そのステージを裏側から見ると~
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100530.html
ナタリー・コールのライヴ。3部作。

2010年05月21日(金)
ミュージカル『ドリームガールズ』始まる (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100521.html

2010年05月23日(日)
マイケル・ジャクソンのスピリットとソウルが舞い降りたMJスピリット (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100523.html
2010年06月04日(金)
MJスピリット(パート2): マイケル・ジャクソンのスピリットとソウルが舞い降りたMJスピリッ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100604.html

2010年05月27日(木)
フィリー特集(パート1): アルバム5枚紙ジャケットで発売 ~「ソウル・サーチン~ジョン・ホワイトヘッドについて
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100527.html
2010年05月28日(金)
フィリー特集(パート2): 「ソウル・サーチン~ジョン・ホワイトヘッド」 
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100528.html

2010年05月31日(月)
(速報・訃報) アリ・オリ・ウッドソン(元テンプテーションズ)58歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100531.html

2010年05月31日(月)
キング・ソロモン・バークのピュアなハートとソウル (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100531.html
2010年06月03日(木)
キング・ソロモン・バーク・ライヴ(パート 2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100603.html
2010年06月09日(水)
キング・ソロモン・バーク復活までの道のり
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100609.html
ソロモン・バークの来日。

+++

【6月の1本】

2010年06月01日(火)
アリ・オリ・ウッドソン58歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100601.html
2010年06月15日(火)
アリ・オリ・ウッドソン葬儀の報告~アレサの鎮魂歌流れる
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100615.html
親日家でもあったアリ・オリ死去の衝撃。

【その他の候補】

2010年06月05日(土)
『ストンプ』~舞台全体がグルーヴになる
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100605.html

2010年06月23日(水)
ケント・モリ『ドリーム&ラヴ』~マイケルとマドンナが奪い合ったダンサーの物語
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100623.html

ESSAY>DIARY
◆ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010、パート3

【Best Of Soul Searchin 2010 : Part 3】

パート3。

ソウル・ミュージックに関する情報を独自の視点でお送りする「ソウル・サーチン・ダイアリー」は、2002年6月からスタート。2002年10月6日以降は、当初はほんの一言しかないものもありましたが、10月以降は徐々に文字量が増え、その多少はありますが、一日も欠かさず現在まで続いています。文字量の最低数は600字。多いものは2-3000字におよびます。訃報記事などが飛び込んできた場合、1日複数の投稿が掲載されることもあります。そこで、年間最低365本の記事から読み応えのあるベスト・エントリーを選ぶ、恒例「ベスト・オブ・ソウル・サーチン」。その「ソウル・サーチン・ブログ」の2010年のベスト・オブ、パート3、7月から9月までのエントリーからの選抜です。パート1、2は、前日、前々日のブログをごらんください。

ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010、パート3

【2010年7月の1本】

2010年07月08日(木)
ハーヴィー・フークワ80歳で死去~ムーングロウズのリード・シンガー:マーヴィン・ゲイの育ての親
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100708.html
個人的には、「ソウル・サーチン」で取り上げたハーヴィーの死去が、大変インパクトがあったので、これを今月の1本に選びました。

【その他の候補】

2010年07月01日(木)
リーラ・ジェームス、4年ぶりの来日ライヴ~炸裂するソウル・エクスペリエンス
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100701.html
リーラ・ジェームス・ライヴ評。

2010年07月02日(金)
『キャプテンEO』ついに再開~驚異の4Dエクスペリエンス
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100702.html
2010年07月03日(土)
『キャプテンEO』と『マイケル・ジャクソン死の謎』
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100703.html
マイケル『キャプテンEO』関連2本。20年ぶりくらいに見る『キャプテンEO』

2010年07月04日(日)
『アメリカン・トップ40』40周年
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100704.html

2010年07月10日(土)
マイケル・ジャクソン遺品展~遺品から放たれるオウラ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100710.html

2010年07月12日(月)
レイラ・ハサウェイ~スペースのある自由度あふれるライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100712.html
2010年07月14日(水)
ジャム・セッション・スペシャル~レイラ・ハザウェイ、アンジェラ・バンドらと
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100714.html
レイラ・ハサウェイ関連。

2010年07月18日(日)
ティト・ジャクソン・ライヴ~父のレガシーを受け継いで
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100718.html

2010年07月21日(水)
ジョージ・デューク~ジョー・サンプルとマイルスのまねはイージー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100721.html

2010年07月22日(木)
20周年記念~松尾潔さんと吉岡正晴
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100722.html
松尾潔さんと知り合ってちょうど20年、ということで20周年記念イヴェント。

2010年07月25日(日)
プリンス・フランスとベルギーでのライヴ・レポート(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100725.html
2010年07月26日(月)
プリンス・フランスとベルギーでのライヴ・レポート(パート2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100726.html
ツナさんのプリンス・ライヴ・レポート。力作! ツナさんに感謝。

2010年07月29日(木)
アル・グッドマン(レイ・グッドマン&ブラウン=モーメンツ)63歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100729.html

2010年07月31日(土)
ハーレム・ナイツ第9回(パート1)~マイク・デイヴィスがトリ~モノマネ、ヴォイパありの多彩な2
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100731.html
2010年08月01日(日)
ハーレム・ナイツ第9回(パート2) ~ 出演者はすぐにサイン会
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100801.html

+++

【2010年8月の1本】

8月の1本は、YMN参集パート1から8までの長丁場に。3回にわけてアップしたものです。話題は多岐にわたりました。8月の1本というには、多すぎますが、ま、一特集という感じで。

2010年08月02日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100802.html
2010年08月03日(火)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html
2010年08月04日(水)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100804.html
2010年09月18日(土)
YMNソウル放談(パート4)~ YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100918.html
2010年09月19日(日)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート5)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100919.html
2010年09月20日(月)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMNソウル放談(パート6)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100920.html
2010年09月22日(水)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート7)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100922.html
2010年09月23日(木)
YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMNソウル放談(パート8=最終回)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100923.html

計8回にわたったソウル放談。8月はこれで決定。相当読みであります。これ、雑誌でやったら何ページくらいになるんだろう。

【その他の候補】

2010年08月05日(木)
フィリップ・ウー&フレンズ・ライヴ(パート1): 東京ナンバーワン・ソウルフル・ナイト ~ 
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100805.html
2010年08月06日(金)
フィリップ・ウー&フレンズ・ライヴ(パート2): ケーブルテレビを無料で見る方法
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100806.html

2010年08月10日(火)
スティーヴィー・ワンダー・ライヴ~圧倒的余裕の自己紹介ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100810.html

2010年08月11日(水)
ハヴァナ・ラカタン~灼熱の音楽とダンスが爆発
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100811.html

2010年08月18日(水)
タカヒロ・プロデュース「シックス・ドアーズ」~クラシックとヒップホップの融合
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100818.html

2010年08月22日(日)
ミュージカル『イン・ザ・ハイツ』(パート1)~ヒスパニックとヒップホップの融合
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100822.html
2010年08月23日(月)
ミュージカル『イン・ザ・ハイツ』(パート2)~ヒスパニックとヒップホップの融合
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100823.html

2010年08月25日(水)
渋谷HMV、20年の歴史に幕 ~ ◆HMV渋谷閉店が残すもの
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100825.html
これは、とても印象的なエントリーでした。今年は、渋谷HMVのほか、渋谷ヤマハも閉店しました。

2010年08月30日(月)
リビー・ジャクソン来日~モーリス氏著作写真集『マイケル・ジャクソン~ザ・リアル・カムバック』
マイケル・ジャクソン誕生時刻~ゲイリーの時間帯
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100830.html

+++

【2010年9月の1本】

2010年09月08日(水)
フランクリン・アヴェニュー、20年ぶりに新メニューを追加
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100908.html
島津山の瀟洒なハンバーガーショップが20年ぶりに新メニューを追加。それは数年かけて開発したブルーチーズ・バーガー。

【その他の候補】

2010年09月04日(土)
ロバータ・フラック~進化し続ける女神
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100904.html

2010年09月10日(金)
ラリー・グラハム&グラハム・セントラル・ステーション:爆音ファンク
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100910.html

2010年09月12日(日)
下北沢ソウル・サミット~第4回白川会
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100912.html

2010年09月13日(月)
オマー・ハキム・トークス~スーパー・ドラマー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100913.html

2010年09月25日(土)
『ソウル・パワー2010』第一日
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100925.html
2010年09月26日(日)
ソウル・パワー・サミット2010第1日レポート
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100926.html
2010年09月27日(月)
ソウル・パワー・サミット2010 第二日レポート:日本版「ソウル・レヴュー」か
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100927.html
2010年09月28日(火)
ソウル・パワー・サミット2010:アフター・ザ・ダンス
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100928.html

2010年09月29日(水)
ディック・グリフィー死去~ソーラー・レコードの生みの親
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100929.html

2010年09月30日(木)
トミー・ジェンキンス、製作中の映画『アイスモーセス』を語る~70年代ファンク・バンドの栄枯盛衰
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100930.html

ESSAY>DIARY
◆ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010、パート4

【Best Of Soul Searchin 2010 : Part 4】

パート4。

「ソウル・サーチン・ブログ」の2010年のベスト・オブ、パート3、10月から12月までのエントリーからの選抜です。1月から9月までは、前日までをごらんください。じっくりごらんください。

ベスト・オブ・ソウル・サーチン パート4

【2010年10月の1本】

2010年10月21日(木)
デイヴィッド・フォスター&フレンズ~シャリースがすべてを持っていった夜
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101021.html
2010年10月22日(金)
デイヴィッド・フォスター・ライヴ~時代の変遷によって入れ替わるスター
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101022.html
2010年10月24日(日)
シャリースの未来~若年層向けヒットと「ビッグ・ソング」での大ヒット
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101024.html
この月の話題を集めまくったフィリピン出身のシャリース・ペンペンコちゃんを含むデイヴィッド・フォスターのライヴ評。

【その他の候補】

2010年10月03日(日)
ラムゼイ・ルイスのジャズ・セミナー~ラムゼイ・ルイス語る(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101003.html
2010年10月04日(月)
ラムゼイ・ルイスのジャズ・セミナー~ラムゼイ・ルイス語る(パート2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101004.html
これは、ひじょうにインフォーマティヴ(情報量の多い)な、セミナーでした。

2010年10月05日(火)
ゴールド・コンサート第7回~9歳の少女佐藤英里さん「アメージング・グレイス」で観客を圧倒~初の
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101005.html
9歳の少女佐藤英里さんの衝撃。

2010年10月07日(木)
ジョン・レジェンド新作『ウェイク・アップ』は彼の最高傑作 (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101007.html
2010年10月08日(金)
ジョン・レジェンド新作『ウェイク・アップ』は彼の最高傑作 (パート2)~「ウェイク・アップ・エ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101008.html
2010年10月09日(土)
ジョン・レジェンド新作『ウェイク・アップ』は彼の最高傑作 (パート3)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101009.html
ジョン・レジェンドの最新作について。

2010年10月11日(月)
ソロモン・バーク急死~LAからアムステルダムへ向かう機中で死去か
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101011.html

2010年10月16日(土)
ヘネシー・アーティストリー・ライヴ~Qティップ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101016.html

2010年10月19日(火)
ジェネラル・ジョンソン(チェアメン・オブ・ザ・ボード)死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101019.html
2010年10月23日(土)
音楽の力 ~ ヴェトコン兵士が口ずさんだ曲 : 「ギヴ・ミー・ジャスト・ア・リトル・モア・タイム」
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101023.html
ジェネラル・ジョンソンの死去と、そこから出た「音楽の力」の話。今月の1本にしてもいい話です。

2010年10月26日(火)
宇多田ヒカル「自分のCDを買わないでくれ」とツイッターで発表
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101026.html
ツイッターを始めた宇多田ヒカルが、ユニバーサルから出るベスト・アルバムについて不満を表明。アーティストの本音が出てくるツイッター。

2010年10月27日(水)
フォーブス誌デッド・セレブリティー・ランク(物故者長者番付)でマイケル堂々一位
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101027.html

+++

【2010年11月の1本】

2010年11月07日(日)
山下達郎、デビュー35周年ライヴ・ツアー~刻まれ続ける音楽と人生の年輪
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101107.html
2010年11月09日(火)
山下達郎ライヴ2010、39本終演~物質に付加価値を与える「体験」
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101109.html
山下達郎ライヴ評、セットリストも。

【その他の候補】

2010年11月01日(月)
シャニース・ライヴ~14歳でデビューしたシンガー、大人のシンガーへ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101101.html

2010年11月03日(水)
吉野弘の「祝婚歌」~コピーレフトで転載
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101103.html
この「祝婚歌」の詩は、とても素敵です。

2010年11月04日(木)
オークションでの手の込んだ新手の詐欺にご注意
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101104.html

2010年11月05日(金)
TVワンの強力ソウル・ドキュメンタリー「アンサング」
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101105.html
アメリカTVワン局のドキュメンタリーについて。こういうドキュメンタリー作りたい。

2010年11月10日(水)
キャサリン、ジョー、子供たち、オプラ・ウィンフリーに語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101110.html

2010年11月15日(月)
へザカイア・ウォーカー~ゴスペルの洪水に溺れる
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101115.html
ゴスペルのヘザカイア・ライヴ評。初めて見ました。

2010年11月19日(金)
ランディー・ジャクソン、ツイッターで質問に答える
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101119.html

2010年11月24日(水)
ピアニスト深町純氏急死
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101124.html
2010年11月25日(木)
ピアニスト 深町純さん急死 (パート2)~これまでに書いたもの一覧
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101125.html
2010年11月29日(月)
深町純キーボードパーティー第119回~主なきパーティー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101129.html
突然の死去に僕自身呆然とした深町純さんの訃報記事など。

2010年11月27日(土)
マイケル・ジャクソン・トーク・イヴェント初日~マイケル訳詞をジャンルで「仕分け」
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101127.html
2010年11月28日(日)
マイケルが遺した言葉・一旦終了イヴェント(2日目)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101128.html
マイケルの歌詞を研究した大西さんとのトーク・イヴェントのレポート。歌詞の「仕分け」がとてもおもしろかった。

+++

【2010年12月の1本】

2010年12月13日(月)
宇多田ヒカル、坂本龍一ライヴのUストリーム中継から見る未来の音楽業界
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101213.html
Uストリームは、音楽業界にどのような影響を与えるか。まだまだわからないその将来と期待も含めた展望。

【その他の候補】

2010年12月08日(水)
竹内まりや10年ぶりのライヴ~芳醇に色香を持つ楽曲の輝き
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101208.html
10年ぶりにしてどこも時のブランクを感じさせることのないライヴ

2010年12月09日(木)
白川会第5回~ヴォーカル・グループ好きの光石研さん登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101209.html

2010年12月10日(金)
カシオ・ファミリー、オプラに語る~マイケル・ジャクソンについての詳細
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101210.html

2010年12月11日(土)
アレサ・フランクリン~すい臓がんで手術~5月までの予定キャンセル
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101211.html

2010年12月12日(日)
ジェームス・ムーディー、すい臓がんで死去~サックスの偉人
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101212.html

2010年12月14日(火)
デイヴィッド・T・ウォーカー~ギターの匠・人間国宝
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101214.html
2010年12月27日(月)
デイヴィッド・T・ウォーカー、『ソウル・ブレンズ』に登場(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101227.html
デイヴィッド関連、2エントリー。まだ続きます。

2010年12月18日(土)
ネルソン・ジョージ著『スリラー マイケル・ジャクソンがポップ・ミュージックを変えた瞬間』
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101218.html
2010年12月19日(日)
ネルソン・ジョージから学んだこと
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101219.html
ネルソン・ジョージについて。

2010年12月20日(月)
サム・ムーアのおしゃべりには周りに人が集まる
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101220.html

2010年12月24日(金)
マイケル・ラブ・ナイト第二回~和田唱節ギターと歌で炸裂
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101224.html

2010年12月25日(土)
マイケル・ジャクソン・ディス・イズ・イット・ツアーのダンサーが集結イヴェント~
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101225.html

2010年12月28日(火)
ティーナ・マリー、54歳で急死
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101228.html
2010年12月29日(水)
ティーナ・マリー追悼(パート2)~レニーの追悼、ミニーの思い出話など
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101229.html
年末、衝撃の訃報。

2010年12月30日(木)
アル・マッケイ・オールスターズ~アースがもっとも輝いていた時代を再現するシャイニング・スターたち
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101230.html

2010年12月31日(金)
デニス・エドワーズ・テンプテーションズ~半世紀かけて培われる「形式美」
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101231.html

ESSAY>
●2010年死去したアーティスト

【2010 Obituary : Your Soul Forever】

訃報。

2010年も多くの訃報が届いた。この「ソウル・サーチン」でご紹介した訃報およびその関連記事をまとめました。改めて、ご冥福をお祈りしたいと思います。なお、ブログで書けなかったもので、ツイッターでご紹介したものもここにまとめました。来月のグラミー賞授賞式でも、これらのアーティストたちが追悼されると思います。なお下記日時はブログのアップ日で、死去日ではありませんのでご注意ください。

2010年01月06日(水)
(速報)ウィリー・ミッチェル~メンフィスソウルの重鎮、81歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100106.html
2010年01月07日(木)
ウィリー・ミッチェル~メンフィス・ソウルの重鎮、81歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100107.html

2010年01月14日(木)
テディー・ペンダーグラス59歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100114.html

2010年03月07日(日)
(速報)ドラマティックスのロン・バンクス死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100307.html
2010年03月08日(月)
ドラマティックスのロン・バンクス58歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100308.html

マルコム・マクラーレン64歳で死去。
http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010040901000259.html  http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/8610423.stm
posted at 13:34:40 April 9th, 2010

2010年04月22日(木)
ラッパー、グールー47歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100422.html

2010年05月11日(火)
リナ・ホーン死去~私は私:人種の壁を乗り越えた92年の人生
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100511.html

2010年05月18日(火)
ジャズ・ピアニスト、ハンク・ジョーンズ91歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100518.html

2010年05月31日(月)
(速報・訃報) アリ・オリ・ウッドソン(元テンプテーションズ)58歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100531.html
2010年06月01日(火)
アリ・オリ・ウッドソン58歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100601.html
2010年06月15日(火)
アリ・オリ・ウッドソン葬儀の報告~アレサの鎮魂歌流れる
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100615.html

2010年06月02日(水)
リトル・ベニー(ワシントンDCのゴーゴーのヴェテラン)46歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100602.html

2010年06月08日(火)
マーヴィン・アイズレイ56歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100608.html

2010年06月18日(金)
ゲイリー・シャイダー(Pファンク)56歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100618.html

2010年07月08日(木)
ハーヴィー・フークワ80歳で死去~ムーングロウズのリード・シンガー:マーヴィン・ゲイの育ての親
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100708.html

レゲエ・シンガー、シュガー・マイノット、2010年7月10日ジャマイカの病院で死去。54歳
http://www.google.com/hostednews/ap/article/ALeqM5hGF8fGSpvNNgiFRNRKQmzMKzAfrwD9GT5KS80 RIP
posted at 16:21:18 July 12, 2010

2010年07月13日(火)
ウォルター・ホウキンス(ゴスペル)、シュガー・マイノット(レゲエ)死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100713.html

2010年07月29日(木)
アル・グッドマン(レイ・グッドマン&ブラウン=モーメンツ)63歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100729.html

今野雄二さん死去。合掌。 
http://mainichi.jp/select/today/news/20100803k0000m040123000c.html
posted at 02:47:37 August 3rd, 2010

2010年08月08日(日)
ボビー・へブ72歳で死去~「サニー」の大ヒッ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100808.html

2010年08月14日(土)
キャットフィッシュ・コリンズ死去~JBズ、Pファンク軍団でギター
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100814.html

2010年08月17日(火)
ロバート・ウィルソン(ギャップ・バンド)53歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100817.html

谷啓さん急死。家の中には危険がいっぱい。http://bit.ly/a0F2iA
3:34 PM Sep 11th webから

2010年09月29日(水)
ディック・グリフィー死去~ソーラー・レコードの生みの親
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100929.html

2010年10月11日(月)
ソロモン・バーク急死~LAからアムステルダムへ向かう機中で死去か
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101011.html

2010年10月19日(火)
ジェネラル・ジョンソン(チェアメン・オブ・ザ・ボード)死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101019.html

クールなReggae vocalistレゲエ・ヴォーカリスト、グレゴリー・アイザックスGregory Isaacs 2010年10月25日、ロンドンで肺がんのため死去。Dies At 59歳。http://wapo.st/9cDMwJ 合掌。
10:54 PM Oct 25th webから

野沢那智氏死去。http://bit.ly/cHIexc 昔、『パック・イン・ミュージック』金曜深夜聴いていました。もちろん、アランドロンなどの声優も。『ナポレオンソロ』のイリヤクリアキンの声もよかったなあ。合掌。
7:00 PM Oct 30th webから

2010年11月24日(水)
ピアニスト深町純氏急死
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101124.html
2010年11月25日(木)
ピアニスト 深町純さん急死 (パート2)~これまでに書いたもの一覧
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101125.html
2010年11月29日(月)
深町純キーボードパーティー第119回~主なきパーティー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101129.html

2010年12月07日(火)
ウェルドン・マクドゥーガル3世死去~モータウンで初期マイケルをプローモート
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101207.html

2010年12月12日(日)
ジェームス・ムーディー、すい臓がんで死去~サックスの偉人
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101212.html

2010年12月28日(火)
ティーナ・マリー、54歳で急死
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101228.html
2010年12月29日(水)
ティーナ・マリー追悼(パート2)~レニーの追悼、ミニーの思い出話など
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101229.html

ヴェテラン・ジャズ・ピアニストであり、ジャズの歴史を教える教育者でもあったドクター・ビリー・テイラー氏が2010年12月28日、ニューヨークブルックリンの自宅で心臓発作のため死去。89歳。http://wapo.st/idSCNp チャーリー、ディジー、マイルスなどとも共演。
4:24 AM Dec 30th webから

ボニーMのメンバー、ボビー・ファレルが2010年12月30日(木)、ロシア・サンクトペテルブルクのホテルで死去。61歳。http://aol.it/hnTUKs 「ダディー・クール」「ラスプーチン」などの大ヒット。レコードのジャケットに彼の顔はでていたが実際は歌っていなかった。

12:38 PM Dec 31st webから

OBITUARY>2010
○ソウル・サーチンVol.9~クインシー・ジョーンズ準備進む~2011年2月に開催~最新情報

【Next Soul Searchin Will Be Featuring Quincy Jones】

クインシー。

一組のアーティストにスポットを当て、そのアーティストに関するトークとリアル・ミュージシャンによるそのアーティストの作品を生演奏で楽しむイヴェント『ソウル・サーチン:ザ・セッション Vol.4』(『ソウル・サーチン』としては、通算9回目)が、2011年2月3日(木)、4日(金)に目黒のブルース・アレイで行われる。今回スポットをあてるのは、伝説的プロデューサー、クインシー・ジョーンズ。その準備が進んでいる。

今回もゲストに「ソウル・サーチン」の常連、木下航志が登場して、クインシー作品を歌うことが決定した。ほかにゲストを打診中。また、トーク・パネルは吉岡正晴の司会に、松尾潔さんが、どちらかの日程で登場を調整中。前回アイズレイ・ブラザースのときも、初日にトーク・パネルで登場した。

またスケジュールの関係で若干のメンバーの変更も。ベースが当初のジーノから、小松秀行氏に。コーラスのひとり、ポーラ・ジョンソンが有坂美香さんに変更になっている。

先日、ケイリブと深夜、スカイプで選曲打ち合わせ。いま、だいたい20数曲候補を選んでいるが、時間的にできるのは、せいぜい20曲程度。いまのところ、トークを第一部と第二部の頭にそれぞれ15分程度見込んでいるが、ライヴが各70分程度として10~13曲あたりが最大。過去「ソウル・サーチン」では、大体20曲程度を演奏している。今回は60年代の曲は若干短いので、比較的曲数は増やせるとも思うが、果たして。

結局、今回、クインシー作品群の中でもホーン・セクションを含めたビッグバンド作品は、ホーンがいないので、あきらめることに。「それは予算があるときに、パート2でやろう」とケイリブと話した。ただサックス奏者は、われらがゲイリー・スコットがいるので、例えば、ジェームス・ムーディーの部分はゲイリーに任せられる。

クインシーは、同じ楽曲を新しい人でカヴァーすることをよくやっている。たとえば、マイケルの「ロック・ウィズ・ユー」をブランディー、「ストンプ」をストンプのメンバー、ブラザース・ジョンソンの「トゥモロー」をテヴィン・キャンベル、ブラザース・ジョンソンの「アイル・ビー・グッド・トゥ・ユー」をレイ・チャールズ、シャカ・カーンなど。どちらのアレンジで行くかなどもおもしろいところ。

フィリップ・ウーは、「エヴリシング・マスト・チェンジ」をインストゥルメンタルでやってみたい、という。これはなかなかのチャレンジでおもしろそう。オリジナルでは、作者のベナード・アイグナーが歌ったり、ランディー・クロフォードのヴァージョンでも知られる。「ソウル・サーチン」でも、この曲の後半はフィリップとヴォーカルとのかけあいという手もある。

しばらく前に亡くなったジェームス・ムーディーの「ムーディーズ・ムード」は、トリビュートの意味合いも込められる。

トークでは、僕も2度クインシーにインタヴューしているので、そのときの話なども織り交ぜたいと思う。

ジャズ、ソウル、R&B、ポップ、映画音楽、テレビ、ヒップホップ、ラテン、ワールドまで、あらゆる音楽をてがけてきた巨匠クインシー・ジョーンズの魅力に迫る「ソウル・サーチン~クインシー・ジョーンズ」。ぜひたっぷりお楽しみください。

+++++

■『ソウル・サーチン:ザ・セッション~クインシー・ジョーンズ・トリビュート』

2011年2月3日(木)、4日(金)
目黒ブルース・アレイ 午後7時半~

ケイリブがやってくれたプロモ・ビデオ
http://www.bluesalley.co.jp/schedule/video/movie.html?c_code=Schedule-20101028161957

ブルース・アレイ2月のサイト(1月がでてきますので、NEXTで2月に進んでください)
http://www.bluesalley.co.jp/schedule/live.html#
ここから詳細、予約(reservation)へ行くと予約ができます

■ メンバー

「ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー」

ケイリブ・ジェームス(キーボード&ヴォーカル)Kaleb James
フィリップ・ウー (キーボード、ハモンド・オルガン) Philip Woo
高田真(ドラムス)Takada Shin
マサ小浜(ギター) Masa Kohama
小松秀行 (ベース) Komatsu Hideyuki
ゲイリー・スコット(サックス、パーカッション、ヴォーカル)Gary Scott

オリヴィア・バレル(ヴォーカル) Olivia Burrell
有坂美香(ヴォーカル) Arisaka Mika
サユリー(ヴォーカル) Sayulee

ユリ(ヴォーカル)Yuri
マル/ファイアーリリー (ヴォーカル) Maru / Fire Lily (2月3日のみ)
木下航志(ヴォーカル&キーボード)Kishita Kohshi

トーク・パネリスト吉岡正晴(司会)、松尾潔(日にち未定)Yoshioka Masaharu, Matsuo Kiyoshi

メンバー他トークパネル未定が若干あります

「ソウル・サーチン」はこれまでに8回行われている。

SOUL SEARCHIN: history

1Stevie Wonder @Brave Bar, Roppongi 11/27/2003 (only record playing and panel)
2Stevie Wonder @ Rukuya, Nakameguro 04/22/2004 (only Kaleb, and panel)
3Donny Hathaway @ Rakuya, Nakameguro 09/22/2004 (only Kaleb, and panel)
4Ray Charles @Blues Alley 06/26/2005 (Kaleb with Kohshi’s band + Ohta Ken and panel)
5Marvin Gaye @Blues Alley 04/01/2006 (band with no name + panel)
6Luther Vandross @Blues Alley 07/01/2006 (Soul Searchin : The Session Vol.1) (Kaleb & The Soul Searchers + panel )
7Aretha Franklin @Sweet Basil 138, 03/26/2007 (Soul Searchin : The Session Vol.2)
8Isley Brothers @Blues Alley 07/14/15/2009 (Soul Searchin : The Session Vol.3)
9Quincy Jones @Blues Alley 02/03/2011(Thursday), 02/04/2011(Friday) (Soul Searchin : The Session Vol.4)

◆クインシー最新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003H4WZ4A/soulsearchiho-22/ref=nosim/

◆クインシー、75周年記念ライヴ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0029V4FAO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

同ブルーレイ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002BYLO9Y/soulsearchiho-22/ref=nosim/

同輸入盤ブルーレイ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002CPD5LM/soulsearchiho-22/ref=nosim/

EVENT>SOUL SEARCHIN>Vol 9
●ボニーMのボビー・ファレル死去~フランク・ファリアンの成功の影で

【Bobby Farrell Of Boney M Dies At 61】

訃報。

ヨーロッパを拠点に活躍しているディスコ・グループ、ボニーMのメンバー、ボビー・ファレルが2010年12月30日(木)、ロシア・サンクトペテルブルクのホテルで死去した。61歳。ツアー中だった。ウェイクアップ・コールがなっても起きてこないことを不審に思ったホテルのスタッフが部屋に入り、死亡しているのを確認した。前日夜、ライヴを行っていた。

http://aol.it/hnTUKs 

■元祖フェイク・シンガーが表に出たグループ

フェイク。

ボニーMは、1974年暮れ、西ドイツのプロデューサーでR&B、ブラック・ミュージック好きだったフランク・ファリアンがディスコでのヒットを狙ってスタジオ・ミュージシャンなどを集めてディスコ曲「ベイビー・ドゥ・ユー・ウォナ・バンプ」を作ったのが始まり。しかし、このヴォーカルを担当していたのは、自身シンガーでもあったフランク本人だった。その後、これがヒットしたために、フランクは、テレビ用にちゃんとしたシンガーをフロントに立てることを考え、シンガーのメイジー・ウィリアムス、ダンサーのボビー・ファレルなどをオーディションで抜擢。グループとしての体をなすことにさせた。その後、ボニーMは、フランクのプロデュースで、1970年代中期以降「ダディー・クール」「サニー」「マ・ベイカー」「ベルファースト」「リヴァーズ・オブ・バビロン」「ラスプーチン」などがヨーロッパを中心に大ヒット。一躍スターの座についた。日本でも、「ラスプーチン」「サニー」などがディスコで大ヒットし、大変な人気を獲得した。

ボニーMは、1975年から1988年までの間に38曲のトップ10(各国でのトップ10をカウントして)、ドイツで15曲のナンバーワン、イギリスで5曲のナンバーワンを記録する未曾有の成功を収める。

しかし、フロントに出てジャケットにも顔出ししたメンバーであるボビーはレコーディングには参加せず、基本はステージではクチパク、ときどき歌っていたという。女性シンガーは、マーシャ・バレットとリズ・ミッチェルが実際にはほとんどの部分を歌っていて、もう一人のメイジー・ウィリアムスは楽曲の歌唱クレジットにあまり名前がでていない。

ボニーM自体は、1970年代はヨーロッパを中心に爆発的人気を獲得していたが、1980年代後半になると、あまり大ヒットらしい大ヒットはでなくなったが、それまでの大ヒットの実績でヨーロッパではライヴ需要があり、彼らは何人かメンバーを変えたりして、ライヴの仕事を積極的に行っていた。またボニーM自体もファリアン本家のものとボビーの分派のものも活動していた。

その後、ファリアンは1980年代後期に、ミリ・ヴァニリという黒人二人組みのディスコ・グループを世に出すが、これもレコーディングではプロのスタジオ・シンガーを起用するが、ライヴやテレビなどでは、モデル兼ダンサーのフロント・マンを雇いクチパクで歌わせた。ミリ・ヴァニリの楽曲は、プロモーション・ビデオもあり、なんと、その後世界的大ヒット。それだけでなく、グラミー賞新人賞などを獲得した。しかし、実際にレコードでこの曲を歌っていたシンガーが、その事実を公表、スキャンダルとなり、最終的にファリアンもこれを認めたため、グラミー賞を剥奪されるという前代未聞の事件となった。

ボビー・ファレルは、ボニーMのフロント・マンとしてダンスをし、近年では若干のコーラスなどをつけていたようだ。

ボビー・ファレルは、1949年10月6日、西インド諸島・小アンティル諸島のアルバ(オランダ領)に生まれた。15歳以降セーラー(水兵)として働き世界の海を航海していたが、ノルウェイ、オランダなどに住み、その後ドイツにわたりDJなどをするようになった。1975年頃、西ドイツ(当時)のプロデューサー、フランク・ファリアン(1941年生まれ)に声をかけられ、ボニーMに参加した。

なお、1916年12月29日、ロシアの怪人物として名高いラスプーチンが、ボビーが死去した同じサンクトペテルブルグで死去している。命日が一日違いだ。

一方、ファリアンの活動は続き、2006年8月、ボニーMを題材としたミュージカル『ダディー・クール』をロンドンで公開したりしている。

+++

才人プロデューサー、フランク・ファリアン

ボニーMは、日本でも新宿のディスコを中心に曲が多数ブレイクし、その後有線、ラジオなどで大ヒットした。アラベスクなどと並んで、いわゆる「ミュンヘン・サウンド」のディスコ・アーティストとして日本でも大変な人気を獲得した。ボニーM成功の最大の立役者は、フランク・ファリアンだ。

実はフランク・ファリアンという人物はとても個人的には興味があって、これまでにもエラプションや、ボニーMなどのライナーノーツで少し書いたことがあった。だが、最近、新たに判明したことなどもあり、そのあたりをいずれまとめてみたい。元々、ロックンロールの洗礼を受け、60年代にはオーティス・レディングの「ミスター・ピティフル」をカヴァーしレコーディングしていたようなR&B好きの人物なのだ。

■ベスト・オブ・ボニーM

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001ACLN6W/soulsearchiho-22/ref=nosim/

OBITUARY>Farrell, Bobby (October 6, 1949 – December 30, 2010, 61 year –old)
◎SWVライヴ~謹賀新年ライヴ初め

【SWV Live: No.1 Live This Year So Far】

1番。

今年(2011年)初めてのライヴが、SWVとあいなった。ちょうど昨年も同時期(2010年1月)に来ていたが、締切に追われ見られていなかった。その前、ココ=シャニース=ニッキーという企画物ライヴがあった。(下記ライヴ評参照)

新春、ほぼ満席。圧倒的に観客は女性が多い。7-3か8-2で女性ファンではないだろうか。そういえば、TLCも同じく女性ファンが多く、SWVやTLCは女性に人気ということになる。女性ファンが多いということはそれだけリアクションも大きく、会場は熱くなり、盛り上がる。

バンドは、ドラムス、ベース、キーボードの3人。キーボードが3台のキーボードを一人で扱い、さまざまな音を交える。ドラムスは、ココのだんなさん、マイケル・クレモンズ。冒頭ビデオが5分、バンドのイントロが2分あって、やっと3人が登場。

一番顔が小さいココが多くの曲でリードを取る。それにしても客の反応が熱狂的。ちょうどみんな彼女たちのヒット曲で育ったのだろう。途中で客をステージに乗せるシーンが2度。最初は「イッツ・オール・アバウト・ユー」のところで男性2人を乗せた。一人はブラックの人、もう一人が日本人のマサくん。マサくんは、感極まって泣いてしまった。優しくメンバーがハグする。3人が登場して本編が終わるまで43分、若干短いなと思ったら、アンコールの「ウィーク」も観客を数人上げ、いじり、15分近く楽しんだ。さすがにここでも客席で涙ぐむ人多数。

ステージ前の熱心なファンに、「あなたのこと、覚えてるわよ」と気軽に声をかけ、ファンとの交流を楽しむ。

ステイプル・シンガーズや、パティー・ラベルのカヴァーって、やっぱりいいなあ。このあたりを持ってくるのが。

全曲、セットリストは昨年と同じだったようだが(曲順若干入れ替え)、新年恒例の褒め言葉。「SWV、今年見たライヴで1番! でした」(まだ1本目ですが…)

■ベスト・オブ・SWV

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005RDCC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■関連記事

2008年06月20日(金)
レディーズ・ナイト~ニッキー、シャニース、ココ歌う
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10108076025.html

■メンバー

SWV (Sister With Voices)
シェリル‘ココ’ギャンブル / Cheryl "Coko" Gamble(Vocals)
タマラ‘タージ’ジョンソン / Tamara "Taj" Johnson(Vocals)
リアン‘リリー’ライオンズ / LeAnne "Lelee" Lyons(Vocals)

イーヴァン・ブライス / Evan Brice(Keyboards)
チャブラ・C・メーサー / Chabra C Mercer(Bass)
マイケル・クレモンズ / Michael "Big Mike"Clemons (Drums)

■セットリスト SWV ビルボードライブ東京、2011年1月7日
Setlist: SWV January 7, 2011 @ Billboard Live Tokyo

show started 21:34
00.Video
01.Intro
02.(Medley) Human Nature/Right Here [Michael Jackson] – I’m So Into U – Anything
03.It’s All About You – A riff of “I’ll Take You There” [Staple Singers]
04.I Wanna Be Where You Are [Michael Jackson]
05.Rain
06.Use Your Heart
07.If Only You Knew [Patti Labelle]
08.You’re The One
Enc. Weak
Show ended 22:41

(2011年 1月 7日金曜、ビルボードライブ東京=SWVライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>SWV
2011-001
●ラリー・ハンコック死去~元S.O.U.L.、トゥルース

【Larry Hancock Dies At 62】

訃報。

1970年代からオハイオ州クリーヴランドを本拠に、S.O.U.L.、トゥルースなどのソウル・グループで活躍し、その後ソロに転じたラリー・ハンコックが2011年1月3日、オハイオ州クリーヴランドの自宅で心臓発作のため死去した。62歳だった。3日夜7時ごろ、オハイオ州クリーヴランドの自宅で胸の痛みを感じ、妻と娘に支えながら起き、マッサージを受けたが、救急車が到着する前に死去した。数年前に軽い発作を起こしたが、以後もライヴ活動、レコーディングも続けていた。

ラリーとアルは死去5日前に、ラリー宅で二人で一緒に曲を書いていた。アルの父の葬儀が、2010年12月24日にクリーヴランドであり、そこでラリーは、「ザ・ローズ・プレイヤー」を歌った。

ラリー・ハンコックの葬儀は次のところで、2011年1月10日、午前11時から行われる。The Word Church on South Miles in Cleveland, Ohio at 11:00am on Monday Jan.10, 2011.

ラリーは本名ローレンス・エドワード・ハンコック(Lawrence Edward Hancock July 29th 1948)、1948年7月29日オハイオ州クリーヴランド生まれ。同地で1971年に、S.O.U.Lというグループにヴォーカルとオルガン奏者として参加。これは、「サウンド・オブ・ユニティー・アンド・ラヴ」の略。1972年にここに加入するビロイド・テイラーは、後にアース・ウィンド&ファイアーに楽曲(「ゲットアウェイ」)を提供したりするようになる。このグループは、クリーヴランドで行われたバンド・コンテストで優勝、賞金1000ドルを獲得し、ご褒美としてニューヨークのミュージコー・レーベルと契約、シングル、アルバムをリリースしてデビュー。このS.O.U.L.は、「ディス・タイム・アラウンド」(1973年、ソウル44位)、「ザ・ジョーンゼズ」(1975年ソウル65位)のヒットを放つ。ただし、S.O.U.L.のファースト・アルバムには、なぜかラリーの名はない。レコーディングには参加しなかったようだ。

その後、S.O.U.Lが解散した後、ラリーは、同郷の友人アル・ボイド、レオ・グリーン、ラッセル・ワッツらとトゥルースというグループを結成。アル・ボイドはその後、ソングライターとしてテンプテーションズに「シェーキー・グラウンド」を提供する。しかし、最初のトゥルースはなかなか目が出ず、ラリーとグリーを残して二人が脱退。ラリーとレオ・グリーンで地元のデヴァーキー・レコードからアルバム『カミング・ホーム』作品を発表。これが、日本のソウル・ファンなどの間でも評判となったが、アメリカではまったくヒットしなかった。そのため、ラリーはこの後ロス・アンジェルスに出向き一旗あげようとする。ロスで、アルフィー・サイラスとのデュエットもレコーディングするが、思うようにヒットせず、一時期は同じクリーヴランド出身のソニー・ターナーの勧めでソニーのプラターズの一員としてツアーにでたこともあった。そして、再びクリーヴランドに戻り、1988年、フランスのレコード会社から出たソロ・アルバム『ボーダーライン』が話題になった。

また、アルとオージェイズのエディー・リヴァートが知り合いだったことから、アルとラリーが共に書いた「テイク・ミー・トゥー・ザ・スターズ」という曲は、オージェイズの1979年のアルバム『ソー・フル・オブ・ラヴ』に収録されている。

OBITUARY>Hancock, Larry (Lawrence Edward Hancock) July 29th 1948-January 3rd 2011, 62-year-old
◎アラン・トゥーサン~ニューオーリンズの香りを漂わせて

【Allen Toussaint : With A Touch Of New Orleans】

いぶし銀。

ニューオーリンズというローカルの良質の音楽が、レコード、CDというメディアにのって世界中に運ばれ、それが人気となって、アーティスト本人が日本にまでやってきて、その本場の音楽を披露する。アラン・トゥーサンのライヴは、そんなニューオーリンズ直輸入版そのものだった。きっと、アランは世界中のどこでどんな風に演奏しようとも、そのニューオーリンズの香りは絶対にはがせない。(ま、もちろん、どのようなアーティストも決してその出自は消せないものだが・・・) 2007年10月、2009年5月以来のビルボードへの登場。

一体、ニューオーリンズのリズムの秘密はなんなのだろう。どうやって生まれたのか、そして、どうやって発展したのか。トゥーサン教授に教えを請いたい。ニューオーリンズ独特の「セカンド・ライン」のリズムから、ブギーウギーのようなリズム、ソウル、ファンク、はてはクラシックまで。ありとあらゆるタイプの音楽を縦横無尽にクロスオーヴァーしていた。僕はトゥーサンはもっと「ニューオーリンズ・ニューオーリンズ」しているのかと思ったら、想像以上に多様性のある音楽家だった。

一番盛り上がったのは、12曲目の「バーボン・ストリート・パレード」。このノリは、本当にすごい。ルイ・アームストロング風のヴォーカルをサックス奏者が歌い、どんどん煽っていく。

そして、一番受けたのは、本編最後の「サザン・ナイト」。弾き語りからバンド演奏へ進み、一旦終了し、アンコールへ。アンコールの「ロング・ロング・ジャーニー」は、この日一番染みた。「700万人がこの古い街に住んでいる」という歌詞が、なんともいい雰囲気だった。そして、途中のピアノのフリースタイルでは、まさに好き勝手、自由自在、ありとあらゆる音楽をポップからクラシック、日本の「スキヤキ」「ティップティーナ」「チャタヌガ・チューチュー」などまで混ぜて、ピアノだけで聴かせる即興。これには驚いた。トゥーサンの横顔がときにベートーヴェンのように、そして、なぜかアインシュタインのようにも見えた。自由なピアノ即興をほぼ終えると、エンディングでもう一度「サザン・ナイト」に戻り締めた。このピアノ即興のときに、初めてピアノはスタインウェイでないとだめなんだと思った。こんなに自由自在に音楽を操る達人とは知らなかった。彼の場合、レコードもいいが、それ以上にライヴでその楽しさが感じられるアーティストという気がした。それも多くのライヴをこなし、ライヴに生きてきた経験から生まれるまさにいぶし銀のライヴを奏でるアーティストだ。

ニューオーリンズはフランスの香りがあるからか、どこか小じゃれたところがある。そして、アラン・トゥーサンの音楽にも、南部の泥臭さだけでない何か、ちょっとした洗練が端々に感じられる。事前に予定されたセットリストから大きく離れて、ミュージシャンをどんどんひっぱっていって、ショーを繰り広げた。きっと、毎日、ライヴは違った雰囲気になるのだろう。病み付きになりそうなライヴだ。もちろん、今年一番のライヴでした。(笑) (まだ、2本目ですが)

+++++

(下記セットリスト5曲目の2本のリコーダーのようなフルートのようなものを同時に吹くところから始まるゆったりしたスロー曲がわかりませんでした。最後にトゥーサンが「look around coast」とか小さな声で言ったような気がしたんですが、たぶん、違ってます。「街を眺めると、たくさんのプリティフェイスが見える」みたいな歌詞だったと思います。どなたか曲名ご存知の方、いらっしゃったら、教えてください)

■アラン・トゥーサン 「ザ・ブライト・ミシシッピ」(2009年4月発売)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001TZIKMU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■エルヴィス・コステロとの作品 (2006年5月発売)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000FDF1CY/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

アラン・トゥーサン / Allen Toussaint(Vocals, Piano)
レナード・ポーチェ / Renard Poche(Guitar)
ハーマン・ルボー / Herman LeBeaux(Drums)
ローランド・ゲリン / Roland Guerin(Bass)
ブライアン・‘ブリーズ’・カヨリ / Brian "Breeze" Cayolle(Tenor Sax)
クレアレンス・’レジナルド’・トゥーサン / Clarence "Reginald" Toussaint(Percussions)

■セットリスト アラン・トゥーサン、2011年1月9日日曜、セカンドセット、ビルボードライブ東京
Setlist : Allen Toussaint @ Billboard Live Tokyo, Second set, January 9th,2011

Show started 19:30
01.Traffic
02.Sneaking Sally Through The Alley
03.Sweet Touch Of Love
04.Get Out Of My Live Woman
05.?? (ballad, play two flutes by Roland at the same time) (“Look Around Coast”??)
06.Who’s Gonna Help Brother Get Further
07.Saint James Infirmary
08.Egyption Fantasy
09.Ruler Of My Heart
10.Play Something Sweet
11.What Do You Want The Girl To Do
12.Bourbon Street Parade
13.Southern Night
Enc. Long Long Journey – freestyle jam – Southern Night
Show ended 2053

(2011年1月9日日曜、ビルボードライブ東京=アラン・トゥーサン・ライヴ)
ENT>LIVE>Toussaint, Allen
2011-002
○ソウル・サーチンVol.9~クインシー・ジョーンズ準備進む~2011年2月に開催~最新情報

【Next Soul Searchin Will Be Featuring Quincy Jones】

クインシー。

一組のソウル・レジェンド、アーティストにスポットを当て、そのアーティストに関するトークとリアル・ミュージシャンによるアーティストの作品を生演奏で楽しむソウル・ミュージック・ファン期待のイヴェント『ソウル・サーチン:ザ・セッション Vol.4』(『ソウル・サーチン』としては、通算9回目)が、2011年2月3日(木)、4日(金)に目黒のブルース・アレイで約1年5ヶ月ぶりに行わます。今回スポットをあてるのは、伝説的プロデューサー、クインシー・ジョーンズ。エラ、サラ、フランク・シナトラからブラザース・ジョンソン、シャカ・カーン、映画音楽、テレビ・ドラマのテーマ、そして、マイケル・ジャクソンまで。アメリカ音楽界、エンタテインメント界の頂点に立つ男、クインシー・ジョーンズ。彼は一体何を成し遂げ、アメリカの音楽史、エンタテインメントの歴史にどのような足跡を残したのか。その彼の半世紀におよぶ音楽活動を振り返ります。

スケジュールの関係で若干のメンバー変更があったのでお知らせ。ベースが今回は息才隆浩(そくさい・たかひろ)さんに変更になりました。また、新たにサックスにアンディー・ウルフさんの参加が決定。

セットリストもほぼ大枠で決まり、バンドマスターのケイリブが資料、歌詞などをメンバーに送りました。リハーサル予定も確定、スタジオも取れました。

僕が行った2度にわたるクインシーのインタヴューは、確かビデオに収めてあります。ただ古いテープなので、うまくコンバードしてDVDにできれば、一部でもお見せできればと思います。

ジャズ、ソウル、R&B、ポップ、映画音楽、テレビ、ヒップホップ、ラテン、ワールドまで、あらゆる音楽をてがけてきた巨匠クインシー・ジョーンズの魅力に迫る「ソウル・サーチン~クインシー・ジョーンズ」。ぜひたっぷりお楽しみください。

■『ソウル・サーチン・プレゼンツ~~ソウル・サーチン:ザ・セッション~ア・トリビュート・トゥ・クインシー・ジョーンズ』(ソウル・サーチンVol.9)
Soul Searchin Presents : Soul Searchin: The Session – A Tribute To Quincy Jones
Kaleb James&The Soul Searchers Featuring Philip Woo

日時  2011年2月3日(木)、4日(金)午後7時半開演
会場  目黒・ブルース・アレイ http://www.bluesalley.co.jp/
住所  〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14 電話番号03-5496-4381
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
予約電話  03-5740-6041 Call for reservation

前売券 テーブル席(指定)5500円+ 席料525円 立見(自由)4500円
当日券は各料金500円UP (各税込)

ケイリブがやってくれた告知プロモ・ビデオ
http://www.bluesalley.co.jp/schedule/video/movie.html?c_code=Schedule-20101028161957

ブルース・アレイ2月のサイト(1月がでてきますので、NEXTで2月に進んでください)
http://www.bluesalley.co.jp/schedule/live.html#
ここから詳細、予約(reservation)へ行くと予約ができます

■ メンバー

「ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー」

ケイリブ・ジェームス(キーボード&ヴォーカル、音楽監督)Kaleb James
フィリップ・ウー (キーボード、ハモンド・オルガン) Philip Woo
高田真(ドラムス)Takada Shin
マサ小浜(ギター) Masa Kohama
息才隆浩 (ベース) Sokosai Takahiro
ゲイリー・スコット(サックス、パーカッション、ヴォーカル)Gary Scott
アンディー・ウルフ(サックス) Andy Wolf

有坂美香(ヴォーカル) Arisaka Mika
オリヴィア・バレル(ヴォーカル) Olivia Burrell
サユリー(ヴォーカル) Sayulee

ゲスト:

ユリ(ヴォーカル)Yuri
マル/ファイアーリリー (ヴォーカル) Maru / Fire Lily (2月3日のみ)
木下航志(ヴォーカル&キーボード)Kishita Kohshi

トーク・パネリスト吉岡正晴(司会)、松尾潔(日にち未定)Yoshioka Masaharu, Matsuo Kiyoshi

メンバー他トークパネル未定が若干あります

■ソウル・サーチン前回の模様

前回の「ソウル・サーチン~アイズレイ・ブラザーズ」の模様。

2009年07月15日(水) 02時01分35秒
soulsearchinの投稿
ソウル・サーチン: ザ・セッションVol.3 14日無事終了
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090715.html

2009年07月16日(木) 12時28分37秒
soulsearchinの投稿
◎『ソウル・サーチン~アイズレイ・ブラザーズ』満員御礼無事終了
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090716.html

2009年07月17日(金) 05時32分50秒
soulsearchinの投稿
☆『ソウル・サーチン~アイズレイ・ブラザーズ』
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090717.html

2009年07月19日(日) 05時17分19秒
soulsearchinの投稿
⊿『ソウル・サーチン~アイズレイ・ブラザーズ』曲目解説
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090719.html

+++++

■過去8回の「ソウル・サーチン」。

SOUL SEARCHIN: history

1Stevie Wonder @Brave Bar, Roppongi 11/27/2003 (only record playing and panel)
2Stevie Wonder @ Rukuya, Nakameguro 04/22/2004 (only Kaleb live performance and panel)
3Donny Hathaway @ Rakuya, Nakameguro 09/22/2004 (only Kaleb, and panel)
4Ray Charles @Blues Alley 06/26/2005 (Kaleb with Kohshi’s band + Ohta Ken and panel)
5Marvin Gaye @Blues Alley 04/01/2006 (Kaleb & The Soul Searchers + panel)
6Luther Vandross @Blues Alley 07/01/2006 (Soul Searchin : The Session Vol.1) (Kaleb & The Soul Searchers + panel )
7Aretha Franklin @Sweet Basil 138, 03/26/2007 (Soul Searchin : The Session Vol.2) (Kaleb & The Soul Searchers + panel )
8Isley Brothers @Blues Alley 07/14/15/2009 (Soul Searchin : The Session Vol.3) (Kaleb & The Soul Searchers + panel )
9Quincy Jones @Blues Alley 02/03/2011(Thursday), 02/04/2011(Friday) (Soul Searchin : The Session Vol.4) (Kaleb & The Soul Searchers + panel )

◆クインシー最新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003H4WZ4A/soulsearchiho-22/ref=nosim/

◆クインシー、75周年記念ライヴ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0029V4FAO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

同ブルーレイ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002BYLO9Y/soulsearchiho-22/ref=nosim/

同輸入盤ブルーレイ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002CPD5LM/soulsearchiho-22/ref=nosim/


EVENT>SOUL SEARCHIN>Vol 9
●スティーヴ・マンチャ死去~100プルーフなどデトロイト・ソウル・シーンで活躍

【Steve Mancha, Detroit Soul Man Dies At 65】

訃報。

デトロイト出身のソウルフルなシンガーで、ノーザン・ソウル・シーンを代表する歌手の一人でもあったスティーヴ・マンチャが、2011年1月8日午後4時8分、地元デトロイトのフォード病院で死去した。65歳だった。長く病気を患っていた、という。

1月23日に、デトロイトで友人たちが集まってトリビュート・イヴェントが行われる。

スティーヴ・マンチャは、その迫力のあるヴォーカルが最大の持ち味。個人名義のほか、100プルーフ(ワン・ハンドレッド・プルーフ)、エイス・デイ(8thデイ)などでも活躍、前者は「サムバディーズ・ビーン・スリーピング」(1970年=ソウルで6位、ポップで8位)が自身の歌でヒット、後者は「シーズ・ノット・ジャスト・アナザー・ウーマン」(1971年=ソウルで3位、ポップで11位)のヒットにかかわった。

スティーヴ・マンチャは、本名クライド・ダーネル・ウィルソン、1945年12月25日、サウス・キャロライナ州ウォーレル生まれ。5歳の頃(1951年頃)デトロイトに引越してきて、その後1960年頃までには、デトロイトの教会などで歌うようになっていた。デトロイトの音楽シーンで知り合ったメルヴィン・デイヴィス、トニー・ニュートン、そして、デイヴィッド・ラッフィン(のちにテンプテーションズのリード・ヴォーカルの一人に)らと「ジェイウォーカーズ」というグループを結成。その後、クライドはウィルバート・ジャクソンと「ザ・トゥー・フレンズ」という二人組み(デュエット)を結成、デトロイトでインディ・レーベルを始めていたハーヴィー・フークエがやっていた「HPCレコード」と契約、シングル「Just Too Much To Hope For c/w Family reunion」を1960年にリリース。ほとんどヒットはしなかったが、前者は、1967年、モータウンのタミー・テレルにカヴァーされる。その後、ハーヴィーは別のレーベルを、グエン・ゴーディー(モータウンを始めたベリー・ゴーディーの姉)とともに立ち上げるが、なかなか資金的にもうまく行かず、自身のアーティストを含めてレーベルをベリー・ゴーディーに売却してしまう。トゥー・フレンズとしてモータウンではヒットは出なかったが、二人はソングライターとしてモータウンでいくつかの曲を書くようになった。マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの「マイ・リトル・ラヴ」、モニターズの「ナンバー・ワン・イン・ユア・ハート」などがモータウン時代の作品。

クライドは、モータウンを離れ、同じくデトロイトのもう一人のドン、ドン・デイヴィスと親しくなり、彼の勧めで芸名をつけることにした。それが、スティーヴ・マンチャという名だった。1965年10月、ドンの持つグルーヴスヴィル・レコードから「ユーアー・スティル・イン・マイ・ハート(You’re Still In My Heart)」さらに、1966年3月に「アイ・ドント・ウォント・トゥ・ルーズ・ユー(I Don’t Want To Lose You)」(ビルボード・ソウル・チャートで34位を記録=初チャートヒット)などでデトロイトではかなりの人気シンガーとなった。

ドン・デイヴィスは、南部メンフィスのスタックス・レコードともつながりがあり、その後1969年に、ドンが持っていたスティーヴのマスターを、『レア・スタンプス』というアルバムにしてスタックスからリリース。ただし、このアルバムは、片面がスティーヴでもう片面がJJバーンズという珍しい2人アーティストのアルバムだった。

スティーヴは、その後もいくつかのヴォーカル・グループを転々とし、地元では有名な存在に。この頃残したシングル盤が後にイギリスのソウル・ミュージック・シーンで、いわゆる「ノーザン・ソウル」(南部のソウル=アメリカのサザン・ソウルに対して北部のソウル、という意味とイギリス・ロンドンより北の地域のクラブなどで人気があったノーザンという両方の意味がある)ということで注目を集め、スティーヴもちょっとした人気シンガーとなった。

1969年、モータウンを辞めたソングライター・チーム、「ホランド・ドジャー・ホランド」が設立したホットワックス/インヴィクタス・レコードと「ワン・ハンドレッド・プルーフ・エージド・イン・ソウル」というグループの一員として契約。100プルーフは1971年「サムバディーズ・ビーン・スリーピング」というミディアム調の作品をヒットさせ、これはゴールド・ディスクになる大ヒットとなった。100プルーフは3人組で、スティーヴ・マンチャのほか、エディー・ホリデイ、そして、ジョー・スタッブスからなる。ジョーは、フォー・トップスのリード・シンガー、リーヴァイ・スタッブスの弟。またジョーは、コントゥアーズ、オリジナルズ、ファルコンズなどデトロイトの名門グループを渡り歩いてきた。100プルーフは、1973年までに解散。

このインヴィクタス/ホットワックス時代には、レーベルメイトでもあったジョージ・クリントンのパーラメントのヒット「ブレイクダウン」などにも、クレジットなしで傘下していたこともあるという。1970年のパーラメントの『オズミウム』収録の「カム・イン・アウト・オブ・ザ・レイン」などでも迫力のあるヴォーカルを聞かせている。そして、100プルーフとほぼ同時に、スティーヴが書いた作品「シーズ・ノット・ジャスト・アナザー・ウーマン」という曲をレコーディング、これはエイス・デイ(8th Day)名義でリリースされ、またまた大ヒット。エイス・デイは、グループの実体を作るために、スティーヴの古くからの友人メルヴィン・デイヴィスをグループに推薦、メルヴィンが同グループのリード・ヴォーカルとなった。正式にはメルヴィンがリード・ヴォーカルということになっている。スティーヴ・マンチャは、その後再びソロ・シンガーとして活動していた。特にイギリスの「ノーザン・ソウル・シーン」では、引き続き人気を得ていた。

そうした人気を背景に、1998年ごろ、イギリスのディスコ、ソウル系のプロデューサー、イアン・レヴィンが彼と契約、イギリス録音の作品をいくつかリリースした。イアン・レヴィンは、アメリカのソウル・ミュージックが大好きで、契約のないソウル・シンガーと次々と契約し、レコード作りをしていた。イアンの持つ「モーター・シティー」レーベルでは、スティーヴ・マンチャの作品も残されている。

■100プルーフ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002OHD74I/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■スティーヴ・マンチャ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003XPZ9OQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■『レア・スタンプス』(JJバーンズ、スティーヴ・マンチャ)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000561P5/soulsearchiho-22/ref=nosim/

OBITUARY>Mancha, Steve (December 25, 1945 – January 8th, 2011, 65year old)

○『ディスコティック・ラヴ』~ディスコオムニバス、DJオッシーが選曲

【”Discotheque Love”】

選曲。

毎週日曜日午後の東京の定番ラジオ『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1mhz=午後1時~3時)のプロデューサーでもあり、選曲もし、ディスコ、クラブなどでもDJをしているDJオッシーがディスコ作品を選曲した2枚組みコンピレーション・アルバム、その名も『ディスコティック・ラヴ』が201年2月2日、発売される。

今回の選曲でDJオッシーが留意した点について次のように言う。「いろいろなディスコのオムニバスに入っていそうで入ってない曲、それでもフロアでいまだに大人気の曲をできるだけいれようとしました」とのこと。具体的には、「1曲目にいれたトム・ブラウンの『ファンキン・フォー・ジャマイカ』は、1991年の12インチミックスです。それから、ホイットニーとジャーメインの『やさしくマイ・ハート』もなかなか入っていません。ルーサー・ヴァンドロスの『スーパーレディ』も、まず入ってません。他に、ピーター・ブラウンの『ゲーム』、アレサ・フランクリンの『ゲット・イット・ライト』、ジャクソンズの『ウォーク・ライト・ナウ』、グロリア・エステファンの『ワーズ・ゲット・イン・ザ・ウェイ』、ジム・メッシーナの『シーイング・ユー』なども今回自慢の選曲です」と言う。

もちろん、今回収録されたのは全34曲。このほかに何十曲と候補があり、レコード会社の許諾がでなかったものなども多数あった。こうしたコンピレーションの編纂は、結局許諾が来ないと入れられないので、なかなか思うようにならないのが、選曲家の悩みどころ。

1枚目がいわゆる踊れるディスコヒット、そして2枚目がスローを集めたチーク用。

このアルバムの発売に関連して、2011年2月6日(日)の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」のコーナーで、DJオッシーが、初めて番組に「ゲストとして」登場する。オッシー&ヨッシーのかけあいをおたのしみに。

トラックリスト

ディスク:1
1. ファンキン・フォー・ジャマイカ (1991 12” Remix) トム・ブラウン
2. やさしくマイ・ハート (Duet With Jermaine Jackson) ホイットニー・ヒューストン&ジャーメイン・ジャクソン
3. トゥゲザー・フォーエヴァー リック・アストレー
4. ダンシング・シスター ノーランズ
5. ベスト・オブ・マイ・ラヴ エモーションズ
6. パーティ・ナウ レイ・パーカー
7. ガット・トゥ・ビー・リアル シェリル・リン
8. スーパー・レディ ルーサー・ヴァンドロス
9. シャイン・オン ジョージ・デューク
10. レッツ・グルーヴ アース・ウィンド&ファイアー
11. レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ デニース・ウィリアムス
12. ゲーム ピーター・ブラウン 
13. ゲット・イット・ライト アレサ・フランクリン
14. イージー・ラヴァー (with フィル・コリンズ) フィリップ・ベイリー
15. プライベート・アイズ ホール&オーツ
16. ウォーク・ライト・ナウ ジャクソンズ
17. ソー・エキサイテッド ポインター・シスターズ

ディスク:2
1. ファースト・タイム サーフィス
2. ワーズ・ゲット・イン・ザ・ウェイ グロリア・エステファン
3. ワン・オン・ワン ホール&オーツ
4. キープ・オン・ラヴィング・ユー REOスピードワゴン
5. オープン・アームズ ジャーニー
6. クール・ナイト ポール・デイヴィス
7. フリーベイビー(ベイビー、アイ・ラヴ・ユア・ウェイ~フリーバード・メドレー) ウィル・トゥ・パワー
8. ユー・ガット・イット・オール ジェッツ
9. タイム・アフター・タイム シンディ・ローパー
10. ウィアー・オール・アローン ボズ・スキャッグス
11. アイ・ミス・ユー クライマックス
12. リーズンズ アース・ウィンド&ファイアー
13. シーイング・ユー ジム・メッシーナ
14. 99 TOTO
15. アフター・ザ・ラヴ・イズ・ゴーン アース・ウィンド&ファイアー
16. スウィート・ベイビー ジョージ・デューク&スタンリー・クラーク
17. ウーマン・ニーズ・ラヴ レイ・パーカー

■アルバム ディスコティック・ラヴ 2011年2月2日発売予定

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004D6PZ02/soulsearchiho-22/ref=nosim/


ENT>ALBUM
●バーナード・ウィルソン(ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ)死去

【Bernard Wilson (Harold Melvin & The Bluenotes) Dies At 64】

訃報。

フィラデルフィアを本拠に活躍していたR&Bヴォーカル・グループ、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツのメンバーの一人、バーナード・ウィルソンが2010年12月26日、ニュージャージー州ヴォアヒーズのクレッソン・ヴュー・センターで心臓発作のため死去した。64歳だった。

ブルー・ノーツのメンバーは、リード・シンガーのテディー・ペンダーグラスが昨年(2010年)1月13日死去、またリーダーのハロルド・メルヴィンが1997年3月24日死去、その他のメンバーも死去しており、このウィルソンの死去によってオリジナル・メンバーで存命しているのは、ロイド・パークスだけとなった。ジョン・アトキンス、デイヴィッド・イーボなどもすでに他界していた。ローレンス・ブラウンは2008年4月6日63歳で、ルーズベルト・ブローディーという1950年代にメンバーだった人物は2010年7月13日に75歳で、それぞれ他界。ジェリー・カミングスは聖職者として活動を続けている。

今回亡くなったバーナード・ウィルソンは、1946年、ノース・フィラデルフィア生まれ。生粋のフィラデルフィア育ち。両親が早くに亡くなり、祖母に育てられた。16歳で独立(実質的な家出)しエンタテイナーとしての成功を夢見た。

一方、1954年、同じくフィラデルフィア出身のハロルド・メルヴィンが「ブルー・ノーツ」の前身「チャルマネーズCharlemagnes」を結成。1956年までに、バーナード・ウィルソン(まだ10歳)は、ハロルド・メルヴィンらと知り合い、徐々にグループに参加、グループ名もブルー・ノーツに。この時期のブルー・ノーツのメンバーは、ハロルド・メルヴィン、バーナード・ウィルソン、ルーズヴェルト・ブローディー、ジェシー・ジリス、フランクリン・パーカー。この5人がオリジナル・メンバーとされる。当初はドゥーワップ・グループとしてスタート、東海岸のインディ・レーベルからシングルなどを出すが大きなヒットにはなっていない。その後、ギリスとピーカーが、ジョン・アトキンス、ローレンス・ブラウンに交代。初ヒット「マイ・ヒーロー」が1960年に生まれる。

バーナードは、メルヴィンとは一時期離れたこともあったが、1971年にグループがケニー・ギャンブル&レオン・ハフの始めたフィラデルフィア・インターナショナル・レコードと契約するまでには、グループに戻り、正式メンバーとなっていた。グループには、1970年までにテディー・ペンダーグラス、ロイド・パークスが参加。この時点では、ハロルド・メルヴィン、バーナード、テディー、ローレンス・ブラウン、ロイド・パークス。その後、同グループはリード・シンガー、テディー・ペンダーグラスの歌唱とともに大ブレイク。最大のヒットは「イフ・ユー・ドント・ノウ・ミー・バイ・ナウ(二人の絆)」(1972年)、ほかに「バッド・ラック」「ウェイク・アップ・エヴリバディー」などが生まれた。こうした大ヒットを背景にテディーは1976年にソロに転身。バーナードも1977年にグループを脱退。同じくブルー・ノーツを辞めたロイド・パークスらと、ハロルド・メルヴィンのものとは違う「ブルー・ノーツ」を結成し、マイアミのTKレコード傘下マーリンからアルバム一枚を出すが、ヒットはしなかった。その後は地元でソロ・シンガーとして活動を続けていた。

1971年から1976年までのハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツのアーティスト写真、クレジットにはもちろん、バーナード・ウィルソンの名前・顔がある。しかし、レコーディング・セッションではリード・シンガーのテディー以外はスタジオに呼ばれず、コーラスなどは、テディーとプロデューサーのギャンブル&ハフ、ハロルド・メルヴィンらがつけるということもあった。ただ、ライヴ・ステージでは、彼らはテディーのバックをつけヴォーカル・グループの形を整えていた。

テディーはその後ソロ・シンガーとして成功。ハロルド・メルヴィンのブルー・ノーツは、フィラデルフィア・インターからABCレコードへ移籍。新リードを加入させるが、大ヒットは生まれなかった。

■関連記事

2010年01月14日(木)
(緊急寄稿) テディー・ペンダーグラス『トゥルーリー・ブレスド』ライナーノーツ 復刻
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100114.html

2010年01月16日(土)
テディー・ペンダーグラス死去:フィリーのメッセージをのせて
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100116.html

2008年07月08日(火)
シャロン・ページは来ています~ハロルド・メルヴィンズ・ブルーノーツ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080708.html

February 27, 2006
Harold Melvin & The Blue Notes Live: The Legacy Still Continues
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200602/2006_02_27.html

February 28, 2006
Harold Melvin & The Blue Notes: Behind The Scene
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_02_28.html
どちらの来日もバーナードはいません。

■これは、超貴重。ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツのクチパクではない「二人の絆」。途中の指を鳴らすところなど、最高。

http://www.youtube.com/watch?v=S2m0FVJq9Rk&feature=player_embedded

↑この映像では、センターがテディー・ペンダーグラス、映像で向かってそのすぐ左隣がバーナード・ウィルソンと思われる。一番右がハロルド・メルヴィン。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001ZX678/soulsearchiho-22/ref=nosim/

↑このジャケットでは向かって左から2番目がバーナードと思われる。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005R6FF/soulsearchiho-22/ref=nosim/

↑このジェケットでは向かって一番左。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000666W14/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■英文記事

http://www.variety.com/article/VR1118029470

http://www.allaboutjazz.com/php/news.php?id=72869

http://www.eurweb.com/?p=73872

http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-12086395

http://www.philly.com/philly/news/20101227_Bernard_Wilson_of_Blue_Notes_fame_dead_at_64.html

OBITUARY>Wilson, Bernard (1946- December 26, 2010, 64-year-old)
◆マイ・ファースト・ライナーノーツ

【My First Linernotes】

ライナーノーツ。

先日、「ソウル・サーチン」のイヴェントのフライアーを配りにいくつかのソウルバーめぐりをしたのだが、下北沢のリトル・ソウル・カフェに立ち寄ったとき、たまたま他にお客さんがいなかったので、しばしマスターの宮前さんと雑談とあいなった。そこで、そのとき話がでたライナーノーツについてを書いてみよう。

■初ライナー

日付。

雑談の中で、宮前さんに「吉岡さんが初めて書いたライナーノーツはなんですか」と聞かれ、「メジャー・ハリスのファーストです、1975年の7月か8月に書きました」と答えると、なんと暗がりの中のレコード棚からそのアルバム『マイ・ウェイ』が出てきた。(リトル・ソウル・カフェは何でもある) しかも、輸入盤ではなく日本盤。これはさすがに驚いた。だいたいソウルバーには輸入盤はあるが、なかなか日本盤はないのだが…。ということで、ライナーノーツを中からひっぱりだして見ると、しっかり原稿と僕の名前があり、そこには7月25日と書かれていた。1975年7月25日に書いたのだ。僕はライナーノーツには1枚目から必ず書いた日付をいれている。日付というのは最も重要な情報のひとつだからだ。このライナーは、当時のワーナーパイオニアの折田育三さん(のちにユニバーサル社長)から執筆を依頼されたもので、1600字程度の短いものだった。書き出しはおなじみの書き出し(「今度あなたのレコード・ライブラリーに加わることになった一枚のアルバムをご紹介します」)をここから使った。

ライナーノーツはご存知のようにもともと資料性の高い原稿だ。特に日本の場合、邦楽アーティストの盤にはつかないが、洋楽のものには必ずついていて、そのアーティストに関する情報がいろいろと書かれている。アメリカ輸入盤にはなかなかそうしたライナーノーツはないが、最近ではいわゆる古いものを編纂したライノ・レコードから出ているアーカイブ、集大成的なCDにはひじょうに詳しいライナーノーツが入っていたりする。また1960年代から1970年代初期のアメリカ盤には、ラジオDJが書く「推薦文」のようなライナーノーツがついていたが、これはあまり資料性はなかった。ライナーを書かせて、番組でかけてもらう、というニュアンスが強かったから、特に内容はどうでもよかったのだろう。もちろん、美辞麗句・賛辞が文面を飾る。

■ライナーに込めるもの

情報欲求。

僕も洋楽に興味を持ち始めた頃、買ったレコードのライナーは本当に隅から隅までよく読んだ。そこに書かれている情報から、そのアーティストの歴史、そのアーティストが影響を受けたアーティストや好きなアーティスト、カヴァー曲があれば、そのオリジナルを探してみたり、と音楽情報欲求はライナーノーツの情報でどんどんと膨らんでいった。

なので、僕がライナーを書き始めたときには、読者に出来るだけアーティストの生の声、事実をありのまま伝え、音楽への興味が広がってくれるようと考えた。そのアーティストが過去に出した作品、シングル盤やアルバムがあれば、それをすべてリストアップする。アーティストのインタヴュー発言があれば、それを紹介する。プロデューサーや参加シンガー、ミュージシャンなどの関係者の証言があれば、それを書く。そうした情報を読みやすいように編集して書く。そこには、そのライターの個人的な感想文などはまったく必要ない。ただの感想文ならば、その作品を聴いたリスナーがそれぞれ感じればいいだけのことだからだ。

そうして事実(バイオグラフィーやディスコグラフィー、インタヴュー)を突き詰めていくと、その原稿(ライナーノーツ)を書いた日付というのはひじょうに重要になってくる。たぶん、書いたときには筆者もそれほど重要とは考えないのだが、これが何年か経つと、この原稿はいつ書かれたものかというのが重要になってくる。ライナーノーツの「賞味期限」というのは、おそろしく長いものだ。もちろん、その作品を初めて聴いたときの印象と何年か後に聴いた印象が違ってくるのは当然のこと。そうしたものではなく、書かれたときは事実とされたものも、後から違ってきたりすることもある、ということだ。

■長いスパンで読まれるライナーノーツ

賞味期限。

新聞や週刊誌、月刊誌は次の号が出れば、だいたい前の号は捨てられる。もちろんアーカイブとして残るものもあったり、古い資料として使われることもあるが、だいたい読み捨てられる。ところがライナーノーツは少なくとも次の作品が出たとき(1年後か2年後か5年後かわからない)、必ず読まれることが多い。そしてアーティストに歴史があればあるほど、古い作品のライナーは読まれる。だから、僕なども10年前の原稿を読み返したりすることが多々ある。

さすがに今ではライナーノーツの賞味期限が長いということを意識して書いているが、昔はそんなことは夢にも思わなかったので、ただひたすらアーティストについて調べ、取材ができればして、書いていた。だが、10年後に読み返すとさすがに恥ずかしい記述などがなくはない。僕の場合は資料性・事実を追及して感想文などを極力排除しているので比較的それが少ないように感じているが、それでも元々の事実が違っていたりすることもある。再発のときなどはチェックが必要だ。

書いた日付が重要になってくるのは、こんなときだ。たとえば、当初発表された情報が間違っていたり、あるいは恣意的にレコード会社に都合のいいストーリーが作られて発表されていたりすることがある。それが何年か経つと明らかになって間違いが訂正されたりする。そうすると、その原稿を10年後に見たときに、いつの時点で書かれたものかがものすごく重要になってくる。「これは、まだ当初の間違った情報を元に書かれたものだからしょうがない」とか、「この時期にまだこんな情報を書いてるということは、書き手として情報収集がなってない」といったことが判断されるわけだ。

■ジャーナリスティックな視点でのライナーノーツ

修正。

またライナーノーツは発売日の関連もあってひじょうに限られた時間内に書かなければならないから、どうしても情報収集にも限界がある。たとえば、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』のアルバムなど、これがリリースされたときには、なぜマーヴィンがこのようなアルバムを出したのかなど、わかる人はほとんどいなかっただろう。そんな情報はどこにも出てないからだ。

だが、今ではマーヴィンの自伝を読めば、なぜこのようなアルバムが出来たか、その必然性が痛いようにわかる。だから、もしこのアルバムが再発されるときには、当然そうした新しい情報を元に修正したライナーノーツが書かれるべきだ。

恣意的に情報が操作されるという点では、アーティストの生年月日がある。よくあるのが、実際より2歳年を若く発表するパターンだ。プリンスはデビュー当初、1960年生まれとされた。それがアルバム何枚か出るうちに、いつのまにか1958年になっていた。正確にいつ正しい情報に変更されたかは、今は覚えてないが、僕が1984年にアドリブ誌で「プリンス物語」を連載で書いたときには、すでに1958年生まれになっていたはずで、1978年から1984年までのどこかで、正しい情報になっていた。そうすると、最初の1-2枚のアルバムでは1960年生まれを前提に書かれていたとしてもしょうがないが、4枚目以降それを前提に書いているとまずいということになる。

誕生日。

また、僕がなぜアーティストに誕生日を聞くのかというと、誕生日というのは、そのアーティストの歴史が始まった記念すべき日だと考えているからだ。アーティストによっては、特に女性アーティストは、生年を明かすことを嫌がる場合が多いので、無理強いはしないのだが(笑)、だいたい何年に生まれたかわかると、14-5歳~20歳くらいまでが西暦何年くらいで、その頃ヒットした曲が何でということがわかり、ある程度の影響というものが読めてくる。

人間は、大体自分の歴史を自分の年齢で覚えている。「自分が何歳のとき、何々をした。あんなことをした。何歳でどこそこに引っ越した。学校に入った」といった具合で、これを西暦で語る人は少ない。史実を探ろうとすると、これがやっかいなのだ。読者や一般の人は、その人が15歳のときが、西暦何年かはまず考えない。それを西暦に直さないと、情報が整理されにくい。1940年生まれのアーティストの15歳(1955年)と、1950年生まれの15歳(1965年)、はては1980年生まれの15歳(1995年)では、音楽的ベースがかなり違ってくる。

1940年生まれの15歳、1955年にはロックンロールが誕生する。それを目の当たりに感じる。1950年生まれの15歳、1965年にはビートルズがすでに世界を席巻している。誰もがビートルズの影響なしには語れないはず。

そんなことをやって事実を突き詰めていくと、不思議なことにそのアーティストの人となりなどが自然と浮かびあがってくる。そういう意味で僕は調べて調べて調べて書くというタイプで、考えて書く評論家というより、ジャーナリスト的視点が強まったと思う。

(この項~ライナーノーツについて~つづく)

メジャー・ハリスの『マイ・ウェイ』(注:下記の盤には、僕のライナーはついていません)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000B8GIC0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイング・オン』(この盤のライナー筆者はわかりません)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000PWQQ6U/soulsearchiho-22/ref=nosim/


ENT>ESSAY>Linernotes
◆マイ・ファースト・ライナーノーツ(パート2)

(昨日からのつづき)

【My First Linernotes (Part 2)】

■ジャズ・ファンク・アルバム

アイス。

宮前さんから僕が書いた最初のライナーノーツを尋ねられたが、2枚目もよく覚えている。フランスのジャズ・ファンク・グループ、アイスというグループの『フリスコ・ディスコ』というアルバムだ。1975年12月に執筆。これは当時のビクター音産の横田さん(のちにヴァージン・ジャパン社長)から依頼された。たぶん、タイトルがディスコとついているので、ディスコについて詳しかった僕に依頼が来たのだと思う。メジャー・ハリスはそこそこアメリカでヒットしたので、存在を知ってる人も多いが、このアイスはほとんどヒットしなかったので、誰も知らないと言ってもいい。

ところが、リトル・ソウル・カフェにはこのアメリカ盤(プレステージ盤)があった。輸入盤なので、さすがに僕のライナーは見ることができなかったのだが、宮前さんは、「ジャズ・ファンクのアルバムでしょう?」と知っていた。おそるべし。

このグループは、リリース時にはそれほどヒットせず、またアーティストについても詳しくはわからなかったのだが、フランス・パリを本拠にしたファンク・グループで、後のインコグニートやブラン・ニュー・ヘヴィーズ的な今で言うジャズ・ファンク・バンドだった。当時はまだ「ジャズ・ファンク」という名称さえなかった。そして、このグループは、後に名前をラファイエット・アフロ・ロック・バンドと名称を変える。そして、さらにもっと後になると、このバンドの「ハーイエイク」という楽曲や「ダーケスト・ライト」という曲が、ジェイZやビズ・マーキー、DJホンダ、その他のヒップホップ系のアーティストによって、サンプリングで使われることになり、ちょっとした話題になる。そして、このアイス/ラファイエットのプロジェクトを仕切っていたのが、ピエール・ジョベールというフランス人の音楽業界人だった。

ピエールは、その後、個人的にもメールのやりとりをするようになるのだが、このアイス→ラファイエット・アフロ・ロック・バンドをベースに、このメンバーでいろいろなディスコっぽい曲を作り、違うグループ名でヒットを出すようになる。その中で日本でよく知られているのが、キャプテン・ダックス名義で出た「(ドクター・ビザール・)ソウル・フランケンシュタイン」という楽曲だ。これはディスコで大ヒット。

その後も、ニューヨークのウエストエンドから出たミッシェルの「マジック・ラヴ」(トム・モウルトンがリミックスを担当)なども、ジョベールの作品でこれも日本のディスコでもヒットした。もちろん、そうした話題は、リリースより後の出来事なので、アイスのアルバム・ライナーには触れられていない。もし、今これを書き直すとなると、そうしたネタをすべて含めて書いたほうがいいということになる。

■1986年9月以降ワープロへ

3枚目。

さて、自分が書いたライナーノーツは2枚目までは覚えていたのだが、それ以降はっきりしなかったので、家に戻って調べてみた。

すると、3枚目は当時日本フォノグラムから出たホワットノウツのアルバム(1976年1月21日執筆)、そして、次がなんとパーラメントの『マザーシップ・コネクション』(1976年2月23日執筆)だった。さらに、リムショッツ、ディスコのオムニバス、チャック・ジャクソン、ドナ・サマーと続いた。

僕は1975年に最初のライナーノーツを書いたが、1986年9月まで手書き。1986年9月以降ワープロを手に入れ、ワープロで書くようになった。正確には、その3-4ヶ月ほど前に、1行だけ液晶画面に文字が出るワープロを使い始めたのだが、それは保存ができず、書いてプリント・アウトすると、それっきりという代物だった。9月以降のものは、キャノワードで書き、書いたものをフロッピーディスクに保存し始めたので、基本的には文字データとしてすべて残っている。

以来、ライナーノーツは1200枚以上書いたと思う。1000枚までは数えていたのだが、以降、数えるのをやめてしまったのだ。もう一度、資料を整理したほうがよさそうだ。

中には、同じアルバムを再発のときに改めて書き直したりしたものもある。また、ほんの数枚だが、原稿は書いたもののレコードが未発売になり、陽の目を見なかった原稿もある。没になった原稿は、生原稿が戻ってくることが少ないので、何を書いたか覚えていない。そんな中で覚えているのは、ルイス・ジョンソンのソロ・アルバムというのがあった。1983年ごろだったと思う。あと、マッスル・ショールズ・ホーンズのアルバムも書いたようだが、発売がボツになっていた。

■なぜライナーノーツが好きか

自由。

僕はライナーノーツを読むのも書くのも大好きなのだが、その最大の理由が、大まかな字数の制限はあるものの、何でも自由に書けるという点がある。雑誌や新聞だと、何文字x何行、とびしっと文字数が制限される。あるいはトータルの文字数で2000字でといった具合だ。ライナーの場合、当初は大体4000字くらいで依頼されるが、それが若干プラス・マイナスしても特に問題はない。ゆえに自由にいろいろと書ける。また、小見出しなども自由に付けられるので、ある程度原稿を書くと編集的な作業もできる。

そうした中で、そのアーティストに関する詳細な情報、アルバムの聞きどころ、参加ミュージシャンなどについて、いろいろ書けるのが楽しい。

さて、ライナーノーツというテーマだといくらでも、書いているうちに思い出すので、まだこのテーマで続くかもしれない。しばしおつきあいを…。(笑) 

(ライナーに関しては続くかも)

ESSAY>Linernotes
★△ナイル・ロジャーズ、癌を公表

【Nile Rodgers Reveals Prostate Cancer】

公表。

シック(シーク)のプロデューサーであり、ギタリストでもあるナイル・ロジャーズが2011年1月14日(金)(日本時間、15日朝)ブログ、フェイスブック、ツイッターなどで癌であることを公表した。それらの情報を総合すると、昨年(2010年)10月27日、医師から癌であることを告知され、治療方法の選択肢を提示され、結局、2011年1月11日(火)に手術を行い、無事手術は終了した。当初は癌の種類などは明かされていなかったが、日本時間17日夜7時半過ぎにアップされたブログなどで、前立腺癌であること、グリーソンスコア(癌の進行などを数値化したもの)ではかなり高い点(つまり、かなり悪性)であることを明かした。入院した病院は、ニューヨークのプレスビテリアン病院Presbyterian Hospital(マンハッタン68丁目)とみられる。ナイル・ロジャーズは2011年4月にブルーノートでの来日公演が決まっており、本人も来日すると明言している。

手術の数週間前、アース・ウィンド&ファイアーのオープニングを務めたときに、指に力が入らずギター・ピックを握れず、結局素手でギターを弾き、急場をしのいだという。いろいろと検査をして、複数の医師に診断をあおいだが、結局、さまざまな選択肢から根治手術を選択。1月11日に手術を行った。

そして、1月14日(日本時間で15日午前7時半ごろ)、ブログ、ツイッター、フェイスブックなどで癌を公表した。

2011年1月14日(アメリカ日時=日本時間15日午前7時半ごろ)アップされた記事
http://nilerodgers.com/blog/walking-on-planet-c
(全訳は下にあります)(Walking On Planet C)

2011年1月16日(アメリカ日時=日本時間17日午後7時半ごろ)にアップされた記事
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll
Walking on Planet C : Surgery Day

ナイルは、16日にアップされたブログ・エントリー(「手術当日Surgery Day」)の中で、自身が告知から手術、そしてリハビリ・完治までの過程を、多くの同じような病気になった、あるいはなるかもしれない患者のために、書き記すとしている。自身の恐怖の経験が少しでも同様の患者の手助けになり、共鳴してもらえればいい、という。

ちなみにこの日のエントリーでも自身の顔写真が出ているが、これは治療服(頭巾のようなもの)を着用している。また、下の写真はキャプションによると、マドンナがかつて住んでいた小さなアパート。この日、80年代に使っていたアドレス帳から、マドンナが電話番号を書き記したメモがぽろりと落ちた、という。それは彼女のマディソン・スクエア・ガーデンでのライヴ後の打ち上げが行われたパレイディアム(当時人気のディスコ)の紙(きっとショップカードのようなものだろう)に書かれたものだった。

下記のナイルのブログ・エントリーは、涙を誘う。全訳をしたので、ごらんください。

++++

2011年1月14日(アメリカ日時=日本時間15日午前7時半ごろ)アップされた記事
http://nilerodgers.com/blog/walking-on-planet-c
この全訳です。

ナイル・ロジャーズ著 惑星Cを歩きながら~Walking On Planet C

2010年10月27日、僕に悪性の癌が見つかった。その瞬間、僕の幸福な音楽人生は音を立てて崩れ落ちた。まるでジョーズに体の内側から食べられ始めているかのようだった。生体検査の結果、僕は一刻も早く、自身でひじょうに重要な決断を下さなければならなくなった。多くの医師にセカンド・オピニオンを聞き、根治手術を受けることを決めた。癌とその周辺すべてを除去する手術だ。僕はこのことをほんの数人にしか言わなかった。誰にも心配をかけたくなかったからだ。特にホリデー・シーズンが近づく家族には心配をかけたくなかった。僕は出来うる限り、いつもどおりに振舞った。ついにそうできなくなるまで。僕の手の筋力が突然なくなったのだ。以来、多くのストレスとなる出来事が起こり始めた。僕は病院から家に戻り、ファミリーみんなにしばらく家を留守にしていた理由を説明し、人生、音楽、人々への感謝の気持ちを分かち合おうとした。

手術をする前には、ありとあらゆる結果の可能性について心の準備を進めた。それは僕の人生の中でもっとも恐怖を感じていた期間だった。死がすぐそこまで押し迫ってきていた。だが、僕は周囲の仲間と同じようにテンションをあげて過ごしていた。毎日4マイル(6.4キロメーター)のウォーキングは、来るべき手術と長期間におよぶセラピーへの大事な準備だった。

ウォーキングのとき、僕が耳を傾けた唯一の音楽は、自分自身に向けて自分自身で歌っていた歌だった。あるいは、僕の周りに何気なく流れてきた音楽だけだった。

初めての朝のウォーキングは、この「プラネットC(惑星C)」において、ひじょうに不気味なものだった。この「プラネットC」というのは、友人の医者が、癌のことを表現した造語だ。(訳注:いわば「癌・惑星」というニュアンス)

夜明け前、霧があたりを覆っていた。(写真参照) そのとき、僕の脳裏をかすめたのが、「レッツ・ダンス」(デイヴィッド・ボウイ)だった。歩き始め、1.3マイル(約2キロ)ほど行くと、地元のダイナー(カフェ)にたどり着いた。そこで、中に入って珈琲を飲むことにした。

「ウイ・アー・ファミリー」(シスター・スレッジ)が流れ、店のスタッフ全員がそれにあわせて歌っていた。僕は「ワオ、これは僕の曲だ!」とつぶやいた。すると、彼らは僕が気でも狂ったのかという風に見つめた。僕はそこにいる全員を20年以上知っていただが、彼らのうち誰一人としてその曲を僕が共作したことを知らなかったのだ。僕の目に涙があふれた。どういうことなんだ。人々は、普通、どの曲を誰が書いたのかなど気にも留めないことを僕は知っている。だが、これは「ウイ・アー・ファミリー」で、バーナード・エドワーズとナイル・ロジャーズ、つまり、二人ともこの街に住んでいる男たちが書いているのだ。どういうわけか、僕はものすごく傷つき、涙があふれでてしまった。

癌は恐ろしい。癌になると多くのことを考えさせられる。僕のかつてのパートナー(バーナード)がこの世を去り、ほとんどの人々が、彼が作った曲を毎日歌っていても、彼が作ったことさえ誰も知らない。きっと、僕は死を恐れ、自身を不憫(ふびん)に思ったのだろう。癌になると、そんなことを思う。だが、僕の悲しみは真実の声だった。癌とは、自尊心を傷つけられる病気だ。だが僕はそれに立ち向かって堂々としていたい。僕は涙をぬぐい、ダイナーのスタッフに君たちが歌っている歌は僕たちが書いた曲なんだ、と明かした。珈琲を飲み終え、微笑み、みなとハグをして、手を振ってさよならを告げた。

僕の朝のウォーキングには二つの目的がある。自身で病を治すための力をつけるためにあらゆる方策を尽くし、癌を(自身の力で)叩くということ、そして、先に亡くなった作曲パートナー(バーナード・エドワーズのこと)との「グッド・タイムス」(良きあの頃)と幸せな思い出をその楽曲を聴く誰とも共有することだ。僕たちは二人で楽しい音楽を作り上げ、それは自分たちの精神を高揚させる。そのことを僕は誇りに思っている。

ダイナーを出ると僕は、家に帰る道すがら3度もフル・ヴァージョンで「ウイ・アー・ファミリー」を歌っていた。

+++

NEWS>Rodgers, Nile
★△ナイル・ロジャーズ「癌惑星を歩いて」~第二回、第三回

【Nile Rodgers: Walking On Planet C #2 & #3】

闘病記。

癌を公表したナイル・ロジャーズの癌闘病記。第二弾と第三弾の全訳をお届けします。

(ナイル・ロジャーズ氏本人の承諾を得ましたので、ナイルのブログと同じ写真も掲載いたします)

Walking on Planet C by Nile Rodgers
プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著

第二回 Surgery Day 手術当日 
Written on Monday, 17 January 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 17 January 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/227-walking-on-planet-c-surgery-day

手術の日は、一月の寒い朝だった。医師たちは僕の癌の値はかなり高いと言った。それまで「グリーソン・スケール」などというものは聞いたことがなかったが、これは前立腺癌の状態を示す数値だ。僕の癌はそこで最高値にあった。(訳注、数値は数字で示されるが、数値が高いほど、状態は悪い、という意味)

その数週間前に、アース・ウィンド&ファイアーのオープニングを務めたとき以来、僕は精神的にボロボロになっていた。そのとき、筋力を失い、ギターのピックさえ握れなくなっていたのだ。僕はパニックに陥った。だが、なんとか素手でギターを弾きショーを終えた。

それから数週間、事態は悪化し、僕は痛みを伴う生体検査を受けた。それはまるで中世の拷問のようだった。だが、何も明らかにされず、しかし、依然何も握れなかった。

手術当日の朝までに、もし僕自身もはやギターが弾けなくなったら、本来自身でコントロールできない「死」というものが、実行可能な選択肢となるのではないかとさえ思った。

これから数日にわたって、僕は、これまでの経緯、そして、今後の回復への道のりを紹介して行こうと思う。僕の場合、その詳細はかなり変わったものかもしれないが、同じような状況は誰にでも起こるだろう。僕たちは可能な限りベストな人生を送る権利がある。僕が直面した恐怖の体験が、あなたたちの恐怖を少しでも和らげられ、共感していただければと思う。

+++

Walking on Planet C by Nile Rodgers
プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著

第三回:The Morning After Surgery 手術後の朝
Written on Tuesday, 18 January 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time 18 January 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/228-walking-on-planet-c-the-morning-after-surgery

僕は朝6時に起きるが、夜はだいたい治療のためにウォーキングをしている。麻酔と痛み止めのために、口は渇き、意識はもうろうとし、心は荒んでいた。僕のベッドからは、(マンハッタンの)イースト・リヴァーの向こう側にある通称「ウェルフェア・アイランド(ルーズヴェルト島)」(クイーンズ側にある)の、僕が生まれた「刑務所」(訳注、ナイルは半分ジョークっぽく刑務所と書いてるが、かなりボロボロの場所という意味)が見える。僕の母は13歳で僕を妊娠し、学校にその「刑務所」に行かされた。僕は、自分が生まれたところからほんの数百メートルしか離れていない場所で死ぬのかと思いを巡らせた。

僕の体にはたくさんのチューブが取り付けられている。とても優美とは言えない代物だ。僕はクールを装おうとしたが、とても心配になった。日課のウォーキングを終えると、治療と検査のドクターたちがやってきた。彼らは患部のモデル(模型)を見せ、癌の範囲を示し、説明した。「もし、(スケール=数値が)1なら、扱いやすい、4だと悲惨なのだが、君のは強力な3だったよ」 ぎりぎり大惨事は免れたということか。彼らに感謝を述べ、「あなたたちは、私のヒーローだ」と言うと、彼らは僕にまたウォーキングをするように指示した。そして、彼らは他の患者の命を救うべく出ていった。

ウォーキングによって、僕は自身の目で見たものを基本に考えるようになってきた。見たものを信じる、そうすることによって、少しずつ恐怖感が和らいでいった。僕は、体力的な健康だけでなく、心身面、精神面での健全さのために歩く。歩くことで、その三つの要素が総体的に恩恵を被ることになるのだ。

+++

NEWS>Rodgers, Nile

◎ダズ・バンド・ライヴ~いつものグルーヴ、いつものソウル

【Dazz Band Live At Cotton Club】

グルーヴ。

ドラムスとキーボードのKC以外、黒のスーツに赤いネクタイをびしっと決めたメンバーがステージに勢ぞろい。オハイオ出身の洗練されたファンク・バンド、ダズ・バンドの約3年2ヶ月ぶりのライヴ。2006年、2007年以来。

あいかわらず、かっこよく、ファンキーで、最高のバンド。若干、空席があるなあ、と思ったら、始まる直前に「大声のDJアトム」参上。「イエエエッ~~」とバンドのヴォーカルよりでかい声を張り上げて、リアクション。すばらしい。一声だすだけで、アトム参上がわかるというのもすごい。

さて、キーボードのKCとベースのEQは、ともにコン・ファンク・シャンなどでも来日、ステージに上がっている売れっ子ミュージシャン。だから、そのプロのグルーヴ具合は、格別だ。

今回はドラムス、ギター、ベース、キーボード、そしてサックス、トランペットの6人。リーダー、ボビー・ハリス(サックスとヴォーカル)、そしてスキップ・マーティン(トランペットとヴォーカル)、ベースのEQのノリが抜群にいい。

大ヒット「レット・イット・ウイップ」のお尻をペンペンするようなジェスチャーや、いくつかの曲についた振り付けなどが、ソウル・バンド・マナーを彷彿とさせる。実に盛り上げ上手なバンドだ。

そんな中ちょっとだけしんみりしたのが、リード・ヴォーカル、スキップ・マーティンが「父親が一月ほど前に亡くなって、これを父に捧げます」と言って歌ったスロー・ミディアムの「ハートビート」。そして、同じくスキップが、「次の曲は元妻に捧げます。というのも、俺はマジ切れしてるんだから(笑)」と言って歌いだしたバラードのクラシック「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」。

ダンス・ナンバーは客席がみな踊りだす。メンバーがオーディエンスに語りかければ、アトムが大声で答える。「イエエエエエッ~~」「オーーーーーライト~~」。(観客10人分くらいのリアクションを一人で背負う。ま、とにかく声がでかい(笑) 彼も盛り上げ上手なソウルマン!)

ライヴが終わるとメンバーがすぐに客席に戻り、サイン会、ファンと写真を撮ったりして交流。というわけで、リーダーのボビーとEQとちょっと話ができた。

EQは、コン・ファンク・シャンで来たばかり。「どっちのバンドにも参加してるんだよ」 「じゃあ、もし同じイヴェントとかライヴで両方のバンドにでることになったら、どうするの?」と尋ねると、EQが答えた。「衣装を変えるだけだよ!(笑)」 「そう、衣装変えるだけ(笑)」(ボビー) 「まあ、気づく人もいるかもしれないけど、関係ないな(笑)」 なーるほど。コン・ファンク・シャンとダズ・バンドだったら、同じライヴ・ショーにブッキングされることも十分ありそうだ。

いつものグルーヴ、いつものソウル。いつも安心してみてられる。

■ダズ・バンド・ベスト(輸入盤)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001AHN/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ 過去関連記事

2007年11月14日(水)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071114.html

July 25, 2006
Disco + Jazz = Dazz: Dazzlin Funkin Dazz Band Showed Real Music
http://blog.soulsearchin.com/archives/001160.html

July 26, 2006
Funky Live That’s Where The Happy People Go
http://blog.soulsearchin.com/archives/001161.html

■メンバー

ザ・ダズ・バンド
Bobby Harris(sax,vo)
Skip Martin(vo,tp)
Marlon McClain(g,vo)
Kurt Clayton(key,vo)
Eric "EQ" Young(b)
Carlos Sargent(ds)

■セットリスト ダズ・バンド コットンクラブ 2011年1月
Setlist : Dazz Band

Show started 20:00
01.Intro ~ Who’s That Lady
02.Keep It Live
03.Swoop (I’m Yours)
04.Don’t Play No Game
05.Joystick
06.Dazz [Brick]
07.Heartbeat
08.Since I Fell For You
09.Let It All Blow
10.Let It Whip
Enc. Ain’t Nuthin’ But A Jam Y’All (Disco)
Show ended 21:13

(2011年1月16日(日)丸の内コットンクラブ=ダズ・バンド・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Dazz Band

1 2