●ソウル界に訃報続く~ジョニー・オーティス、リロイ・テイラー、ウォルター・ゲインズ、ヘンリー・デイヴィス

【Deep Week For Soul Music World】

訃報。

今週、ソウル界に訃報が続いている。

まず、「ゴッドファーザー・オブ・リズム&ブルーズ」として知られるR&Bアーティスト、DJジョニー・オーティスが2012年1月17日(火)、カリフォルニア州オルタディーナの自宅で死去。90歳。「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」などの大ヒットを1940年代から放った。(下記に評伝)

1970年代に活躍した大型ファンク・グループ、ニューバース/ナイトライターズのベース奏者だったリロイ・“スロー・モーション”・テイラーが1月18日、ケンタッキー州ルイスヴィルで癌のため死去。年齢まだ不明。ニューバースなどのメンバーでありつつ、セッションの仕事もこなし、テンプテーションズの1971年の大ヒット「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」の印象的なベース・ラインはこのリロイのもの。

モータウンのヴォーカル・グループ、ジ・オリジナルズのバリトン・シンガー、ウォルター・ゲインズが1月17日午前7時15分、カリフォルニア州グレンデールで妻に看取られながら死去。75歳とみられる。マーヴィン・ゲイがプロデュースした「ベイビー・アイム・フォー・リアル」などの大ヒットがある。同グループは4人だったが、オリジナル・メンバーは3人はすでに死去しており、ゲインズの死去で、オリジナル・メンバー全員が死去したことになる。

大型ファンク・グループ、LTDのベース奏者兼ヴォーカルのヘンリー・デイヴィスが、1月18日前後に死去。年齢まだ不明。LTDは、「バック・イン・ラヴ・アゲイン」などのヒットで有名。ヘンリー・デイヴィスは最近では、LTD再結成や、地元の教会で演奏活動をしていた。

まさに、しばらく前にはジミー・キャスターの訃報もあり、今週はソウル・ミュージック界のディープ・ウィークとなった。

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●ジョニー・オーティス~「ゴッドファーザー・オブ・リズム&ブルーズ」

評伝。

ジョニー・オーティスは、1921年(大正10年)12月28日カリフォルニア州ヴァレーオ生まれ。本名はジョン・アレキサンダー・ヴェリオテス。黒人と思われがちだが、両親はギリシャからの移民で、生粋のギリシャ人。育った環境(カリフォルニア州バークリー近辺)が黒人が多かったことから、黒人文化に精通し、黒人音楽をプレイするようになった。1939年、ドラマーとして音楽活動を開始、1945年には16人のビッグ・バンドを結成。いわゆるスイングのビッグ・バンドで、さらに、ロスのワッツ地区にライヴ・クラブを経営し始める。このクラブで歌い始めたシンガーに、リトル・エスター・フィリップス、コースターズのロビンズなどがいる。1940年代には、ビッグ・ジョー・マクニーリー、エタ・ジェームス、ビッグ・ママ・ソーントンなどを発掘、レコード・プロデュースなども行った。

キング・レコードの、現在で言うA&Rマンとなり、ジャッキー・ウィルソン、ハンク・バラード、リトル・ウィリー・ジョンなどそうそうたるソウル・シンガー、ブルーズ・シンガーを世に売り出した。

1948年、ジョニー・オーティス・オーケストラで「ザッツ・ユア・ラスト・ブギー」がR&B
チャートで10位、続く1950年の「ダブル・クロッシング・ブルーズ」が9週間1位となりブラック・コミュニティーでブレイク。1950年代はコンスタントにヒットを送り出し、1958年、自らの名義で「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」が大ヒット。これは、ポップ・チャートでも9位を記録、ジョニー・オーティスの代表曲となった。

「ダブル・クロッシング・ブルーズ」

http://youtu.be/eYT0U9lzHkI



「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」

http://youtu.be/TEeeGMpM_Nk



彼のビッグ・バンドは、通常のビッグ・バンド・ジャズの要素に加え、ゴスペルの要素、ブルーズの要素などを加えた独特のものとなり、黒人色が強くなった。これは1955年のロックン・ロール誕生に少なからず影響を与えたとされる。

ヒット曲「ウィリー…」は、1974年、エリック・クラプトンによってカヴァーされ、現在ではクラプトンの持ち歌としてよく知られる。その後、楽曲自体も「ロックン・ロール殿堂」入りしている。また、オーティスが1952年に書いた「エヴリ・ビート・オブ・マイ・ハート」は、グラディス・ナイト&ザ・ピップスも録音しヒットさせている。

また、彼が1952年ビッグ・ママ・ソーントンに書いた「ハウンド・ドッグ」は、その4年後の1956年エルヴィス・プレスリーによってカヴァーされ、大ヒットし、ロックン・ロールの幕を開けることになる。

1950年にR&Bチャートで9週間1位。「ダブル・クロッシング・ブルーズ」(ジョニー・オーティス、リトル・エスター)

1970年代に活躍するリズム&ブルーズ系アーティスト、シュギー・オーティスの父にあたる。シュギー・オーティスは、1976年、ブラザーズ・ジョンソンに「ストロベリー・レター23」のヒットを提供。

こうしたブラック・ミュージックへの貢献から彼は「ゴッドファーザー・オブ・リズム&ブルーズ」と呼ばれるようになる。

彼を恩人とするエタ・ジェームスは、1994年、オーティス本人が「ロックン・ロール殿堂」入りするときに、自身の「グル」(恩師、師)と称えた。

また、1950年代からラジオDJ(KFOX局など)を、また1954年から1961年までテレビ番組のホストしていたが、1980年代から2005年頃までKPFA局で『ザ・ジョニー・オーティス・ショー』という週一のR&B中心のラジオ番組のDJを担当していた。多くの番組は、インディアナ大学にアーカイブとして残されている。

最近では、サンフランシスコ郊外に牧場を買い、コーヒー・ショップや、ライヴ・クラブなどを経営していた。

彼はミュージシャン、ソングライターだけでなく、政治的活動家、牧師であり、作家であり、晩年はオーガニック農業家だった。近年、教会を作り、牧師となり、ホームレスに食事を与えたり、チャリティーの仕事にも熱心にかかわっていた。

彼の黒人音楽・文化への傾注ぶりを表わす有名な言葉がこれだ。「遺伝子的には完璧にギリシャ人だが、心境的、環境的、文化的に、自分はブラック・コミュニティーの一員であることを選んだ」。“Genetically, I’m pure Greek, Psychologically, environmentally, culturally, by choice, I’m a member of the black community.”

2010年に出版された『ミッドナイト・アット・ザ・バレルハウス』という伝記を元にしたドキュメンタリー映画『エヴリ・ビート・オブ・マイ・ハート:ジョニー・オーティス・ストーリー』が製作中とのこと。

非黒人でありながら、黒人音楽、文化に精通し、ブラック・チャートに多くのヒットを送り出したジョニー・オーティス。彼が作り出す音楽のジャンルの呼び方にはこだわらなかった。それは、彼にとって「すべてアフリカン・アメリカンの音楽」だった。

1993年、サンフランシスコ・クロニクル紙にこう語った。「(アフリカン・アメリカンの)音楽とは、ただ音符があるだけじゃない。音楽とは、おばあちゃんの料理方法、おじいちゃんが話す昔話、子供たちの町の歩き方、話し方、そうしたもの全てを含んだ文化なんだよ」

■ニューヨーク・タイムズの記事

http://www.nytimes.com/2012/01/20/arts/music/johnny-otis-musician-dies-at-90.html?_r=1

LAタイムズ記事

http://www.latimes.com/news/obituaries/la-me-johnny-otis-20120119,0,2183487.story


OBITUARY>Otis, Johnny (December 28, 1921 – January 17, 2012, 90-year old)
OBITUARY>Taylor, Leroy ( - January 18, 2012)
OBITUARY>Gaines, Walter (1936 - January 17, 2012, 75-year old?)
OBITUARY>Davis, Henry ( - January 18?, 2012)

●(速報)エタ・ジェームス73歳で死去

【Queen Of Blues: Etta James Dies At 73】

訃報。

「ブルーズの女王」と呼ばれたブルーズ・シンガー、R&Bシンガー、エタ・ジェームスが長い闘病生活の末、2012年1月20日、ロスアンジェルスの病院で家族らに看取られ、死去した。73歳。白血病、血液感染症を発症し、12月には末期状態になっていることが報道されていた。

ジミー・キャスターに始まり、ジョニー・オーティスからエタ・ジェームスまで、今週はまるで「ソウル・ミュージックが死んだ週」の様相を呈している。あいつぐソウル・ミュージシャン訃報のまとめをブログに。
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11140980319.html

ここにジョニー・オーティスの評伝を書いたがそこに、エタの名前も。その矢先のエタ・ジェームスの訃報だ。

エタ・ジェームスは1938年1月25日ロスアンジェルス生まれ。父親が白人の有名なハスラー、ビリヤード・プレイヤーのミネソタ・ファッツだったとされる。黒人としては肌の色が薄かったために、さらに差別を受け苦労。ブルーズ・シンガーとしてシカゴのチェス・レコードでヒットを出す。

ジャニス・ジョプリンは無名時代、エタにあこがれエタのようになりたくて、彼女の元を訪れたが、「もっと魂を込めてソウルを歌わないとだめ」と言われ失意に。その数年後、彼女がデビュー後、再会するとエタは「ソウルを知ったわね」と言ったという。

しかし、エタ自身は、多くのプレッシャーからヘロイン中毒などで苦労。エタの人生は波乱万丈、ソウルサーチンの連続だった。彼女の人生と所属していたチェス・レコードの栄枯盛衰を描いたのが『キャデラック・レコード』でここではビヨンセがエタ役を演じた。この流れもあり2009年1月オバマ大統領就任のパーティーでビヨンセがエタの代表曲「アット・ラスト」を歌った。

日本には1992年8月一度だけ来日。インタヴューした。あのときのことは忘れない。

ご冥福をお祈りしたい。

すでに全米の主要メディアも一斉に報道。

http://www.chicagotribune.com/news/sns-ap-us-obit-etta-james,0,3158505.story

http://www.essence.com/2011/12/17/legendary-singer-etta-james-dies-at-age-73/

http://www.youtube.com/watch?v=EsBrsQe0Vmo



■エタ・ジェームス アット・ラスト

http://youtu.be/ADDigK8LwyE



■アイド・ラーザー・ゴー・ブラインド

http://youtu.be/YApNirMC9gM



■オール・アイ・クド・ドゥ・ワズ・クライ

http://youtu.be/0_i-AI61PEo




■ エタのアルバム。「アット・ラスト」収録

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002EEKYCO/soulsearchiho-22/ref=nosim/


■ 最新作 『ドリーマー』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B005ND87MC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■エタ・ジェームス自伝 デイヴィッド・リッツ/エタ・ジェームス著 (英語)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0306812622/soulsearchiho-22/ref=nosim/"


OBITUARY>James, Etta (January 25, 1938 – January 20, 2012, 73-year old)


● エタ・ジェームス、73歳で死去~波乱万丈のソウル・サーチン人生

【Etta James Dies At 73: The Roller Coaster Soul Searchin Life】

訃報。

1960年代から活躍し多くの女性シンガーに影響を与えたR&Bシンガー、エタ・ジェームスが2012年1月20日(金)朝カリフォルニア州リヴァーサイドの自宅近くの病院で家族らに看取られながら死去した。73歳。最近は白血病などいくつかの病気を患い、感染症も引き起こしていた。認知症、腎臓疾患もあった。ここ10年ほどは体重にも悩まされ、200ポンド(90キロ)近くを落とす手術も受けたという。

エタを見い出し育てた恩師、ジョニー・オーティスも1月17日(火)に90歳で死去。エタはまるでオーティスの後を追うように死去した。エタは41年間連れ添った夫アーティス・ミルズと二人の子供、多くの孫らによって送られる。

エタの死去は、全米メディアでもいち早く報道され、その関心の高さがうかがわれる。

http://www.chicagotribune.com/news/sns-ap-us-obit-etta-james,0,3158505.story

http://www.essence.com/2011/12/17/legendary-singer-etta-james-dies-at-age-73/

http://www.nytimes.com/2012/01/21/arts/music/etta-james-singer-dies-at-73.html?_r=1

■死去を報じるテレビ・ニューズ (0分42秒)
http://www.youtube.com/watch?v=EsBrsQe0Vmo

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● エタ・ジェームス~誰にも媚びない生き方

追悼。

こうした中で、エタの最新作のジャケット写真を撮影し、このところエタを間近で撮影していた写真家、アラン・マーサー氏のブログに、すばらしい写真と追悼文が掲載されている。

リンクはこちら。
http://amprofile.blogspot.com/2012/01/etta-james-tribute.html

ここでも触れられているが、エタはいわゆる「セレブの世界」には興味がない。自分の楽屋に有名人だからと人をいれることはない。

僕は1992年8月にエタが唯一の来日をしたときに、インタヴューする機会をえた。すでに何度もそのことは書いているが、一番印象的だったのは、頑固一徹で、何者・何物にも媚びないという姿勢だった。マーサー氏の楽屋に有名人をいれて、そこが社交場にはならない、という文章を読んで、まさにそうだろうな、と思った。

もうひとつ印象的だったのは、ホテルの部屋がそんなに明るくなく、けっこう暗かったこと。たぶん、素顔をあまり明るいところで見せたくなかったのだろう。しかし、言葉、ひじょうにストレートで、まさに歯に衣着せぬ物言い、という感じだった。

1989年以降、エタの再評価が始まるが、その後もインタヴューなどを読むと、ストレートに物事を言うのが気持ちよかった。その分、誤解されることも多かったかもしれない。ドラッグのために、自分の人生やキャリアがずたずたになっていることも十分承知している。

彼女は、ブルーズ、R&B、ゴスペル、なんでも歌うが、ジャズ、スタンダードも歌う。思った以上にヴァーサタイル(多様性のある)なシンガーだ。

今回の記事の中で、1992年のLAタイムズのコメントが印象深い。

“A lot of people think the blues is depressing,” she told The Los Angeles Times in 1992, “but that’s not the blues I’m singing. When I’m singing blues, I’m singing life. People that can’t stand to listen to the blues, they’ve got to be phonies.” (多くの人がブルーズは憂鬱で暗く意気消沈するものだと思っている。でも、私が歌うブルーズはそうじゃない。私が歌うブルーズとは、人生を歌うこと。ブルーズを聴くのが我慢できないという人は、まあ、偽者(phonies)ってことね)。

本当にストレート、直球だ。僕はふと、美空ひばりを思い浮かべた。エタ・ジェームスってひょっとしてアメリカの美空ひばりなのだろうか。

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評伝。

エタ・ジェイムスは、1938年(昭和13年)1月25日、ロスアンジェルスに生まれた。本名はジェームセッタ・ホウキンスJamesetta Hawkins。母は未婚の14歳、母によれば父はアメリカでその名を轟かせていたビリヤード・プレイヤー、ミネソタ・ファッツだという。5歳の頃から歌のレッスンを受け、1950年には母とサン・フランシスコに移住、この地で友人たちとドゥー・ワップ・グループを結成した。母はいろいろな男性と関係を持ったが、そうした男は、エタに暴力を振るったりすることもあり、子供心にトラウマができた。

当初はゴスペルを歌っていたが、まもなく世俗音楽=ソウル、R&B、ブルーズを歌い始める。

1952年、バンド・リーダー、ジョニー・オーティスのオーディションで認められ、彼のプロデュースでハンク・バラードのヒット曲「ウォーク・ウィズ・ミー、アニー」のアンサー・ソング「ロール・ウィズ・ミー、ヘンリー」を録音、これはタイトルが、「ウォールフラワー」となり、エタ・ジェイムス&ピーチェス名義で1955年にヒット。R&Bチャートで堂々1位になった。この曲は白人のジョージア・ギブスがカヴァーし、再びヒットさせる。エタの芸名は、このジョニーのアイデアで、本名(ジェームス・エッタ)をひっくり返して短くした。

エタはグループのピーチェスとは別れその後ソロで活動。1960年、シカゴのチェス・レコードと契約。同レーベルの傘下アーゴ、あるいはキャデット・レコードからシングル、アルバムを出すようになる。以後、エタは「グッド・ロッキン・ダディー」(1955年=R&Bで6位)、「オール・アイ・クド・ドゥー・ワォズ・クライ」(1960年=R&B2位)、「アット・ラスト」(1961年=R&B2位)、「テル・ママ」(1967年=R&B10位)などのヒットを出す。一時期、マーヴィン・ゲイの育ての親、ドゥー・ワップ・グループ、ムーングロウズの低音のシンガー、ハーヴィー・フークワとデュエットを組み、ヒットも生みだした。ハーヴィーとは一時期つきあっていた。

この頃のソウルフルな歌唱は他の多くのシンガーに影響を与えたが、中でも、ジャニス・ジョプリンはエタから大いにインスピレーションを受け、白人版エタ・ジェイムスとまで言われた。

しかし、エタは1960年代中期からヘロイン中毒、アルコール中毒になり、その間、コンサートに穴をあけたりしてなかなか成功できなかった。それでも1974年頃までに、中毒から脱出、しかしまた中毒と、ドラッグ渦とのリヴォルヴィング・ドアを行き来した。エタ自身、ドラッグが自分のキャリアをつぶした要因だということを認めていた。

エタがドラッグにはまってしまった理由のひとつとして、彼女自身は、あこがれていたビリー・ホリデイがヘロインなどをやっていたことをあげている。「あの歌の素晴らしさは、ドラッグでハイになっているからだと、当時は考えてしまった」

ジャニス。

ジャニス・ジョプリンは無名時代、エタにあこがれエタのようになりたくて、彼女の元を訪れ「どうやったらあなたのようにソウルを歌えるようになるのでしょうか」と尋ねる。そこでエタの前で歌うが、エタは「もっと魂を込めてソウルを歌わないとだめ」と言いジャニスは失意のどん底に落ちる。しかし、ジャニスは努力を続け、デビュー。その数年後、ジャニスとエタが再会するとエタは「(遂に)あなたはソウルを知ったわね」と言ったという。

一方、自伝を共同執筆したデイヴィッド・リッツによれば、「エタがもっとも影響を受けたのは、(ブルーズ・シンガーの)ジョニー・ギター・ワトソンだ」と言う。エタは1960年代初期からジョニーのオープニング・アクトなどを務めていた。

エタは、自分がヒットを出し、有名になってから、一度も会ったことがない父親と会うことになるが、その席で父親は「覚えてないんだ。本当に覚えてないんだ」と語ったという。「ミネソタ・ファッツ」に関しては、映画になっているが、これはエタにとっては相当複雑な心境だっただろう。

1978年、チェスからワーナーへ移籍。またこの年、エタはローリング・ストーンズのオープニング・アクトを務めた。その後、1989年、エタはアイランド・レコードへ移籍、『セヴン・イヤー・ビッチ』のアルバムをリリース。その後1992年、エレクトラに移籍、同年8月、ジャズ・フェスの出演アーティストの一人として初来日公演を行っている。その後、1993年プライヴェート・ミュージック・レーベルへ移籍、現在に至っている。プライヴェート・ミュージックからのアルバム『ビリー・ホリデイ・トリビュート』アルバムは、グラミー賞ジャズ部門でノミネート。また1993年、「ロックン・ロール殿堂」入り。

最近では、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルや、モントレー・ジャズ・フェスティヴァルなど多くのフェスティヴァルに参加。

そして、2008年12月、エタをモデルにした役をビヨンセが演じた映画『キャデラック・レコード』によって、再び脚光を浴びることになった。この流れで、2009年1月、アメリカ初の黒人大統領オバマの就任パーティーで「アット・ラスト」が歌われたが、これを歌ったのは、エタではなくビヨンセだった。エタは『キャデラック・レコード』を演じたビヨンセは評価していたが、大統領就任パーティーで歌えなかったことにはショックを受け、自分が歌いたかった、と語っている。エタは、ビヨンセが「アット・ラスト」を歌った直後、「もう、ビヨンセにはがまんできない。彼女があの曲を歌う理由なんてない、勝手に歌わないでよ」とコメント。後に、これはジョークだったと弁解、しかし、そのパーティーに招待されなかったことに傷ついたと語った。

14歳の母親から里親の元へ。不明の父。ゴスペルから世俗へ。ドラッグ中毒。短気のかんしゃく。激しい気性からの周囲との衝突。刑務所入り。レコード会社とのトラブル。様々な訴訟。エタの人生は、ローラー・コースターのように激しくアップ・ダウンを続けたソウル・サーチンの連続だった。

ジョニー・オーティス、ジョニー・ギター・ワトソンからエタへ。エタからジャニスへ、そして、ジョス・ストーンへ。エタのスピリットは、次々と新しい世代に受け継がれている。

彼女が正しく評価されだすのは、1989年以降。これ以降、音楽業界で受賞したアワードは30を超える。グラミー賞6つ、ロックン・ロール殿堂、ブルーズ・ファンデーション・アワードなど多数。

エタ・ジェームスは、デイヴィッド・リッツとともに自伝『レイジ・トゥ・サーヴァイヴ』を発表している。エタ・ジェームスは、ゴスペル、ソウル、R&B、ブルーズ、ジャズなども歌うブラック・ミュージック史上に残る重要な女性シンガーである。

恩師ジョニー・オーティスが旅立って3日後に、エタは後を追った。天国で思い出話に花を咲かせることだろう。

■DVD『キャデラック・レコード』(廉価版がありました!) かなりフィクションもありますが、一応、全体的な流れはこんな感じということで。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003U13K94/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

ブルーレイでも1600円強

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003UTHUD8/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■エタ・ジェームス自伝 デイヴィッド・リッツ/エタ・ジェームス著 (英語)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0306812622/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■エタ・ジェームス最新作 『ドリーマー』(輸入盤)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B005ND87MC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ 『グレイテスト・アメリカン・ソングブック』「アット・ラスト」収録。エタのスタンダード曲集。2009年8月日本発売。日本盤ライナーノーツ・吉岡正晴

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002EEKYCO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■エタ・ジェームス アット・ラスト

http://youtu.be/ADDigK8LwyE



■アイド・ラーザー・ゴー・ブラインド

http://youtu.be/YApNirMC9gM



■オール・アイ・クド・ドゥ・ワズ・クライ

http://youtu.be/0_i-AI61PEo



OBITUARY>James, Etta (January 25, 1938 – January 20, 2012, 73-year old)


●エタ・ジェームス、訃報続報~最期の瞬間

【Etta James News Continues: Final Moments of Etta】

続報。

2012年1月20日(金)、73歳で死去したエタ・ジェームス。その死がアメリカ音楽業界に与えた衝撃は、日本で想像する以上のものだ。

依然、エタ関連のニューズが報道されている。

いくつかエタの人となりを語るコメントもでている。

30年以上マネージャーを務めたルペ・デレオンが言う。「エタ・ジェームスはとてもマネージできない。私は、なんとかマネージャーのようなものだったが」

エタはかなり気難しく、なかなか一筋縄ではいかない人物だった。

エタの影響を受けたシンガーとして、最近ではイギリスのアデルが、そのことを表明している。

アデルは、アリーサ・フランクリンと並んで、エタ・ジェームスをもっとも好きなシンガーとしてあげている。

そしてこう一言。「音楽の辞書の『シンガー』という項目を探せば、彼女たち(アリーサやエタ)の名前があるはずだ」

エタの持ち歌で知られ、ビヨンセもオバマ大統領就任のパーティーで歌った「アット・ラスト」は、元々1941年のグレン・ミラーのヒット。エタのヴァージョンはシングルがリリースされたときは、それほどのヒットにはならなかったが、何年もの歳月を経て、エタの18番になった。

エタの父とされる全米をまたにかけて活躍したビリヤード・プレイヤー、ミネソタ・ファッツは、1961年の映画『ハスラー』のモデルとなった。彼は全米のビリヤード場に行き、次々と勝負をし、すべて勝っていった。ただこのミネソタ・ファッツというのは、映画用の役で、そのモデルとなっているのが、ルドルフ・ワンダーワンという人物。実際は、「ニューヨーク・ファッツ」などと呼ばれていたそうだ。

■エタ、最後の瞬間

最期。

エタ・ジェームスには夫、2人の子供、そして、4人の孫がいるという。

そして、エタは、息子のひとりドント・ジェームス(43歳)の胸の中で息を引き取ったそうだ。彼は言う。「確かに大変な一日だったが、とても感謝している。母は僕の腕の中で息を引き取った。母に言うべきことはすべて言った。僕が言っていることが聴こえているかと尋ねると、瞬きをして、すぐに僕を見つめてくれた。それまではしばらくまったく反応がなかったのに。とてもスピリチュアルな瞬間だった。母と一緒にいることが、真の神様からの贈り物のように思えた。僕たちの腕の中で息を引き取る以上のことは考えられなかった」

ドントによると、木曜の夜にはかなり状態は悪くなっていたという。ドントは母にこう言ったという。「あなたを愛してますよ。あなたは素晴らしい母でした。素晴らしい仕事をなしとげました。あなたの7人の孫たちはみなあなたを愛しています。子供たちはみな大丈夫です」

ビヨンセは言う。「エタは私たちの時代のもっとも素晴らしいヴォーカリストの一人です。そのようなクイーンに会うことができ本当に光栄です。彼女の音楽への貢献は生涯続くでしょう。エタ役を演じるということは、私自身に多くのことを教えてくれました。彼女の音楽は私をさらに強力なアーティストへとしてくれるインスピレーションを与えてくれました。彼女が口を開けば、彼女の痛みと偉業が聴こえてきます。彼女はなんのフィルターもかけずに彼女自身の人生の物語を、彼女の感情を深く移入して歌い込むのです。彼女は何物も恐れず、勇気があり、本当に惜しまれます」

エタ・ジェームスの遺作『ザ・ドリーマー』は全米でリリースされたばかりだが、2011年10月の時点でエタは、自分の死期を悟っていたようだ。このアルバムでレコーディングから引退する旨を発表していた。

エタの代表曲でこのところひんぱんにプレイされている「アット・ラスト」は、最近アメリカの結婚式の定番になりつつあるという。

記事AP:Sat Jan 21, 09:38 AM配信(日本時間、22日午後11時38分)

http://m.ctv.ca/topstories/20120121/etta-james-death-son-20120121.html

■「アット・ラスト」

http://youtu.be/ADDigK8LwyE



■アット・ラスト収録

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002EEKYCO/soulsearchiho-22/ref=nosim/


OBITUARY>James, Etta (January 25, 1938 – January 20, 2012, 73-year-old)

◎久保田利伸『パーティー・エイント・ア・パーティー』ツアー終了

【Kubota Toshinobu’s “Party Ain’t A Party” Ended】

金棒。

久保田利伸の2011年10月から始まっていた「ゴールド・スクール」ツアー26本、1月のアリーナー・ツアーである「パーティー・エイント・ア・パーティー」ツアー6本が、2012年1月22日(日)すべて終了した。

最終日を、「正確に言うと国立代々木競技場第一体育館」(久保田風)で見た。

「このパーティーは、ただのパーティーじゃないぞ」というこのライヴは、まさにデビュー25周年の久保田ライヴを集大成した大パーティーだった。

「ゴールド・スクール」で11月に見たツアーをベースに若干の曲を入れ替え、会場が広いだけにスケールアップしたライヴ・パフォーマンス。何より観客数が多いだけに、盛り上がりがハンパではない。

DJマスのDJタイム最後の曲がキャムロンの「Party Ain’t A Party」、そこから生演奏に入っていく。ちゃんと計算されている。

全体的には、しっかりしたバンドがバックを支えるので来日ブラック系アーティストのライヴを見ているような感じさえしてくる。しかし、すべて日本語で歌い、日本語でMCをするので、そこは完全Jポップ。十分日本人にもアピールする。アメリカのファンキーなソウル、グルーヴのあるサウンドと、日本的メロディー、歌詞とを融合させて、一般的人気を得ているというのは、ブラック・ミュージックを日本に根付かせたという意味でもひとつの金字塔だろう。

基本はそのタイトでファンキーなバンドで久保田が歌うのだが、今回は大掛かりなLEDパネルを大量に使った豪華絢爛なステージ・セットでも見せるので、これはまさに鬼に金棒だ。

この日、アンコールでは、オカザイル(岡村隆史)が登場。まさか僕のすぐ後ろに座っていたとは。超びっくり。(笑) 久保田と一緒に観客席を3つにわけ、それぞれのダンスを教え、観客に踊ってもらった。彼が担当したのは、ステージに向かって左サイドの「ザ・バード」(ザ・タイムのヒット)のダンス。右サイドは体を激しく揺らすダンス、そして、センターアリーナは、ただ単純に上にジャンプするマサイ族のダンス。これが途中から実際のアフリカのジャンプ・ダンスの映像が出た。このあたりの観客とのコール&レスポンスも、手練手管。

DJタイムから3時間超。これだけのものを見せて、聴かせてくれれば、まさに楽しいメリー・ゴー・ラウンド状態だ。

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音楽一筋。

日曜ということで17時開演。若干暗転してDJのヴォリュームが大きくなった。そこでかかるソウル、R&Bヒットの数々。(詳細はセットリスト参照) 会場は3階席まで超満員、これが二日だからすごい。暗くなったところで、色とりどりの蛍光ペンライトが揺れ、実に美しい。本編でMC(おしゃべり)は2箇所だけ。ひたすら曲を歌い聴かせ、見せる。音楽一本勝負という形だ。

これについては、MCの中で、しばらく前にプロモーション・ビデオを撮影するために、監督から指示をされたが、それがなかなか守れず、自分に演技は向いていない、だからこそ、こうして歌一本だけで今日までやってこれました、という話を披露。ここにも音楽一本勝負のエピソードが出ていた。

たぶん、久保田の中には自分が大好きなブラック・ミュージックをどこまで、自分の音楽の中に入れ込めるかというのは、大きな課題であり、喜びであると同時にときには悩みであったろうと思う。どれくらいまで入れ込めるか、そのさじ加減こそが、彼の過去25年の苦悩の闘いだっただろう。それがこうした最高の形で音と歌をプレゼンテーションでき、それがこれほどの支持を集めているのだから、最高だ。その苦悩も十分に報われるものだ。

彼がアンコールを終えて言った一言、「今日ここに来てくれた観客のみなさんは、世界一のファンキー・ピープル、僕の宝です」は、心の底からの言葉に違いない。

25年をフラッシュバックし、心を込めて歌った3時間。久保田は、次の25年を見据える。

■久保田利伸過去記事

2011年11月26日(土)
久保田利伸 『ゴールド・スクール』ツアー~ゴールドの道を行く
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20111126.html

2010年07月30日(金)
久保田利伸ライヴ@国際フォーラム
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10603911387.html

2010年06月28日(月)
久保田利伸『タイムレス・フライ』ツアー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10575093029.html

2010年08月24日(火)
久保田利伸『タイムレス・フライ・ツアー』セットリスト
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100824.html

2010年03月01日(月)
久保田利伸さん、『ソウル・ブレンズ』を1時間ジャック
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10470448295.html

July 30, 2006
Kubota Toshinobu Shouted "You Are My Soul" At The Center Of The Stage
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_30.html

August 07, 2006
Groovy Performance For Groovy People: Kubota Toshinobu Live
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_08_07.html

March 09, 2007
Kubota Toshinobu: MTV Icon TV Shooting Live
http://blog.soulsearchin.com/archives/001633.html

December 25, 2006
After Johnny Gill; Japanese Soul Men Summit
http://blog.soulsearchin.com/archives/001478.html

■久保田利伸 オフィシャル・ホームページ
http://www.funkyjam.com/artist/kubota/

■ゴールド・スクール(初回限定盤)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0056WFP1G/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■通常盤

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0056WFP2A/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ メンバー

Toshinobu Kubota (vocal)

Yoichiro Kakizaki (keyboards)
Ralph Rolle (drums)
Philip Woo (keyboards)
Wataru Suzuki (bass)
Yosuke Onishi (guitar)
DJ Mass (DJ)

Yuri (background vocal)
Ty Stephens (background vocal)
Felicia Graham=Fenix (background vocal)

Miho Brown (dancer)
Ricky (dancer)
Kae The Funk (dancer)

■ セットリスト 久保田利伸 パーティー・エイント・ア・パーティー・ツアー
Setlist : “Party Ain’t A Party”: Kubota Toshinobu @ Kokuritsu Yoyogi Dai-Ichi Taiikukan, January 22 (Sunday), 2012

DJ*(DJ Mass)

DJ started 17:01
01.Get Involved [Raphael Saadiq featuring Q Tip]
02.Funkin For Jamaica [Tom Brown]
03.She’s A Bad Mama Jama [Carl Carlton]
04.Mama Used To Say [Junior]
05.Candy [Cameo]
06.I Got A Woman [Ray Charles]
07.Give It To Me Baby [Rick James]
08.Party Ain’t A Party [Cam’ron & Vado featuring Jaz]

Live performance started 17:19
00. Intro
01. Jungle Love
02. 北風と太陽
03. Winds
>MC
04. Medley: Candy Rain ~ 雨音 ~ 一途な夜 無傷な朝 ~永遠の翼 ~ The Sound Of Carnival
05. Wednesday Lounge 
06. Mama Udongo ~まぶたの中に~
07. Missing
08.Medley : Mercy Mercy Me [Marvin Gaye] (Ty Stephens) – Square Biz [Teena Marie] (Felicia)
09.DJ Play: Kubota Medley: Never Turn Back ~ Breaking Through ~Soul Bangin’ ~ Sunshine Moonlight ~ Soul Mate~君がいるから~ ~ Give Your My Love ~ Dance If You Want It ~ Messengers’ Rhyme-Rakushow, It’s Your Show! ~ AHHHHH!
10. 流星のサドル
11. Just The Two Of Us (duet with Yuri)
12.R n’ B Healing
13.声にできない
14.Cry On Your Smile
15.Indigo Waltz
16.La La La Love Song
17.流れ星と恋の雨
18.Love Rain ~恋の雨~

19. Timeシャワーに射たれて…
20. Tawawa ヒットパレード~ A riff of “Go Go Sound”, “Jungle Boogie”, “The Bird” ~ “Crazy In Love” ~ “Jungle Love”
CDAfter The Dance [Marvin Gaye]
CDAlways & Forever [Heatwave]
Show ended 20:03
(2012年1月22日日曜、東京・国立代々木第一体育館、久保田利伸ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Kubota, Toshinobu
2012-

○「ソウル・サーチン関連」ライヴもろもろ~ケイリブ、グリニス、ブレンダらライヴ告知

【Soul Searchin Related Live Announcement】

告知。

「ソウル・サーチン」第11回は3月29日(木)に目黒・ブルース・アレイで行われるが、その前に、ソウル・サーチャー関連のアーティストのライヴがいくつかあるので、まとめてご紹介。いずれも、会場はブルース・アレイ。

まず、ケイリブ・ジェームス。ケイリブの「WTFライヴ」。ケイリブに「WTF」って何?と尋ねると、「来たら、わかる」という答え。横にいたカマサミが、「ウェンズデイ、サースデイ、フライデイWednesday, Thursday, Fridayだろ」と言った。だが、「ホワッタ・ザ・ファック」の略らしい。(笑) 内容はよくわからないが、ケイリブが好きな曲のカヴァーではないだろうか。

ケイリブ・ジェームス

2012年2月3日金曜
Kaleb’s WTF Live
(Key/Vo)Kaleb James (G)マサ小浜 (B)日野JINO賢二 (Ds)Jay Stixx (Sax)Andy Wulf and more
前売券 テーブル席(指定)\5,000 立見(自由)\4,500
当日券は各料金\500UP (各税込)

+++

グリニス・マーティン

続いて、「フィリー・ソウル・サーチン」でも登場してくれたグリニス・マーティン。3ヶ月ぶりのブルース・アレイ登場。前回は、ロナルド・アイズレイばりにステッキ、派手なコートで登場したが、今回も、70年代、80年代ソウル系のヒットのカヴァー中心になりそう。

2011年11月03日(木)
グリニス・マーティン・ライヴ、豪華に
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11066474958.html

2012年2月10日金曜
Glynis Martin Presents LOVE NIGHT!
(Vo)Glynis Martin (Key)Penny-K、Gakushi (G)マサ小浜 (B)滝元堅志
(Ds)Jay Stixx
★Special Guest (Vo)Argie Phine
前売・当日共通 テーブル席(指定)\5,000 (税込)

+++

ブレンダ・ヴォーン

われらがブレンダ・ヴォーン。12月のライヴがブレンダのスケジュールでなくなったので、久しぶりのライヴ。ブルースアレイは、彼女のホームベース。現在仕事で長期シンガポール滞在しているが、久々の凱旋ライヴとなる。また、しばらく日本を離れるので、ブレンダ・ファンはお見逃しなく。

2010年10月29日(金)
ブレンダ・ヴォーン「レディー・ソウル・ナンバー・ワン」
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10690184338.html

2012年2月17日金曜
Brenda Vaughn Solo Live show
“Everybody has a Story...... Sing for Japan......”
(Vo)Brenda Vaughn (Key)Phillip Woo、Kaleb James (B)Kenji“Jino”Hino
(G)Masa Kohama (Ds)Jay Stixx (Cho)David King、Tahirih Walker and more
前売・当日共通 テーブル席(指定)\5,000 立見(自由)\5,000 (各税込)

+++

フェイト(ケイリブのロック・ユニット)

そして、ケイリブのロック・ユニット、フェイトのライヴ。前回は渋谷・クロコダイルだったが、今回はブルース・アレイに登場。

2011年11月07日(月)
ケイリブ・ジェームスのロック・バンド、フェイト・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11069638600.html

2012年3月16日金曜
PHATE Live at BLUE ALLEY.
(Vo/Key)Kaleb James (G)Dickey Fukuda (Ds)Armin T. Linzbichler
(B)Cliff Archer and more
★Guest (Key)Shinichi Kusama(予定)
前売券 テーブル席(指定)\4,000当日券は\500UP (各税込)

+++

「ソウル・サーチン~スライ・ストーン」

『ソウル・サーチン・ザ・セッション Vol. 11 ~スライ・ストーン』

そして、2003年からスタートの「ソウル・サーチン」、第11回は、スライ・ストーン。スライとスライにゆかりのある人の大特集。スライ~ラリー・グラハム、ボビー・ウーマック、モーリス・ホワイトまで。スライの最近の秘蔵映像もご紹介します。これは、スライ・ファンは必見です。世界中ほかのどこでも見られないものです。ブルースアレイ・クラブ会員は予約受付中。一般予約開始は2月1日14時から。スライ・ストーンについては、ライヴ前に、本ソウル・サーチン・ブログで、スライとはどんなアーティストかの特集をします。それを見て、予習できるような特集にする予定です。

前回ソウル・サーチン
2011年08月31日(水)
『ソウル・サーチン~ハッピー・バースデイ・マイケル・ジャクソン』
http://ameblo.jp/soulsearchin/archive1-201108.html

2012年3月29日木曜
Soul Searchin The Session Vol.11
~A Tribute To Sly&The Family Stone~
≪Kaleb James&The Soul Searchers≫
(Key/Vo)Kaleb James (B)Kenji“JINO”Hino (G)Masa Kohama
(Key/Harp)Philip Woo (Ds)Shin Takada (Per/Sax/Vo)Gary Scott
(Org/Vo)Greg Hartridge (Vo)Paula Johnson、Argie Phine
(MC)Yoshioka Masaharu
前売券 テーブル席(指定)\5,500 立見(自由)\5,000当日券は各料金\500UP (各税込)
★BAJ Club会員先行予約開始日:先行予約受付中
 インターネット予約のみ(先着順・テーブル席/30名様まで)
 ※予約フォーム内ご要望欄にID&PASSを記入して下さい。
★一般予約開始日:2月1日(水)14:00~インターネットまたは電話予約

会場・ブルース・アレイ

■目黒ブルース・アレイ

住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14ホテルウィング・インターナショナル目黒 B1F
電話 03-5496-4381 (14時~23時)
電話 03-5740-6041 (チケット予約専用)(月曜~土曜、12時~20時)
ライヴ営業 開場(通常18時~)~24時 ライヴ終演22時30分頃
Eメール webmaster@bluesalleyia.co.jp

ANNOUNCEMENT>Soul Searchin

○ジェームス・ブラウン特集、ネット番組『ソウル・マジック』で2月7日放送

【James Brown Sings Too Good: On Soul Magic】

ブラウン。

2012年2月7日火曜、八木カナさんのインターネット番組『ソウル・マジック』に吉岡正晴が佐藤潔さんと生出演する。八木さんは札幌、佐藤さんは仙台、吉岡は東京からそれぞれスカイプでつないで生放送する。

この番組はユー・ストリームの「カナ・チャンネル」でパソコンさえあれば、世界中どこでも聞くことができる。生放送終了後はアーカイブに。
http://www.ustream.tv/channel/kanachan-nel

ちなみに、過去吉岡がゲスト出演した回もアーカイブになって、いつでも聴けます。2011年11月29日、第14回分。

そのときの模様。↓
2011年12月01日(木)
『ソウル・マジック第14回』無事2時間以内に終了
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20111201.html

今回(2012年2月7日)の出演は、八木カナさん、「ジェームス・ブラウン愛好家」佐藤潔さん、僕と3人でジェームス・ブラウンについて語る。題して「歌のうまいジェームス・ブラウン」。これは佐藤さんのアイデアで、たまたま1月14日、15日に彼が仙台で行われた山下達郎さんのライヴを見に行って、かつて僕が書いたブログを思い出した、というところから出ている。

2006年12月25日付け
December 25, 2006
After Johnny Gill; Japanese Soul Men Summit
http://blog.soulsearchin.com/archives/001478.html

ここで達郎さんは「歌がうまいシンガー」についてこう言ってる。達郎さん「俺は、ジェームス・ブラウンだよ。みんなあの人をそういう風には評価しないけど、何がなんでも歌が一番うまいね」。そこで、歌のうまいジェームス・ブラウンというテーマで話をしようというもの。

僕も最近、マイケル・ジャクソンを改めて聴きこんだとき、ジェームス・ブラウンの影響、ジェームス・ブラウンの歌のうまさを感じた。それまでおぼろげだった考えが、はっきりくっきりとしたものになった。そのあたりの話もしてみたい、と思っている。

募集。

「ソウル・マジック」のリスナーのみなさんからジェームス・ブラウンの作品で、「歌がうまい」と思われるものを、募集します。

ツイッターで、#soulmagicをつけてコメントしていただくか、僕や八木さん、佐藤さんのツイッターに返信していただければOKです。

吉岡ツイッター https://twitter.com/soulsearcher216
八木カナさんのツイッターアカウント https://twitter.com/ky00950
佐藤潔さんのツイッターアカウント https://twitter.com/#!/bopgun1962

ハッシュタグとは、#(ハッシュ・マーク)をつけて、ツイッターでコメントすると、それをつけたコメントが一覧になって、同じトピックのコメントが一度に見られるというもの。ツイッターで自分の発言の一番最後に #soulmagic をつけると、『ソウル・マジック』を聴いている人たちがそのコメントを共有してみられる。そこにリクエスト曲などを書いてもらえれば、こちら側にもすぐに伝わるというわけです。

+++

12月25日。

ところで、上記ブログはジェームス・ブラウンが一番歌がうまいという断言をする達郎さんの話がでて、ジェームス・ブラウン談義に花が咲いているが、日付をごらんになって驚かれないだろうか。なんと、これはミスター・ブラウンの命日となったのだ。日本では時差の関係で、25日の夕方過ぎにニュースが伝わる。このソウル談義が行われたのは12月20日のことだった。そしてブログにアップしたのが、25日の午前(24日の深夜)。アップして12時間もしないうちに、ミスター・ブラウンの逝去のニュースを知るのだから、僕も腰を抜かすほど驚いた。

というわけで、歌のうまさが出てくるジェームス・ブラウン楽曲、あなたのお好みの曲をお知らせください。ツイッターをやられていない方は、メールでもOKです。 ebs@st.rim.or.jp まで、件名にジェームス・ブラウンといれてください。当日は10曲くらいかけたいと思っています。ミスター・ブラウンの楽曲ならほぼすべて持っているという佐藤さんがいるので、まずリクエストにはお答えできるかと思います。(笑) 

■4枚組み

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G1E/soulsearchiho-22/ref=nosim/"


ANNOUNCEMENT>Soul Magic>James Brown


◇映画『レッド・テイルズ』~ルーカスが自腹で製作したブラック・ムーヴィー

【Red Tails; The Movie George Lucus Financed By Himself】

赤尾。

2012年1月20日に全米公開された映画『レッド・テイルズ』が話題を集めている。これは、ジョージ・ルーカスが製作したもので、第二次世界大戦時にアラバマ州タスキギーの米空軍基地を本拠に活躍した黒人兵士たちの物語。主要出演者は黒人ばかりなので、いわゆる「ブラック・ムーヴィー」的なジャンルに入る。キューバ・グッディング・ジュニア、テレンス・ハワード、二大ブラック俳優が主演。他にもニーヨ、メソッドマン、ダニエラ・ルーアらが出演。「レッド・テイルズ」(赤いしっぽ)は、彼らが乗るウォーホーク戦闘機の尾翼が赤く塗られていたために、愛称となった。

舞台は1944年、人種差別が色濃い南部アラバマ州タスキギーの米空軍トレーニング・センター。当初、黒人パイロットらはドイツ空軍との空中戦など高度な任務を与えられず、対地上への爆撃など技術的に低い仕事しかさせてもらえなかったが、爆撃機の護衛の仕事などから成果をあげ、徐々に評価をあげていき、リスペクトを得ていく、という物語。

ジョージ・ルーカスがこの話を友人から聞き、映画化を考えたのは1988年のこと。当初は1992年公開を目指した。ルーカスはこのとき、『ローレンス・オブ・アラビア(アラビアのローレンス)』のような詳細に綴る作品を考えたが、何度も脚本を煮詰めていく中で、物語の戦闘部分にフォーカスすることにした。彼は、自身の1988年作品『タッカー』(Tucker: The Man and His Dream)をイメージしたものにしようと考えたという。(『タッカー』は実在した自動車タッカーについての物語)実在する多くのタスキギーのパイロットらにインタヴューし、2007年、ジョン・リドリーが脚本家となり、脚本を完成。この時点では、ルーカスはサミュエル・ジャクソンに監督・主演を打診するが、最終的にジャクソンは脚本は絶賛するが、どちらの役も引き受けなかった。その後監督はアンソニー・ヘミングウェイ(黒人)に。

2009年1月からプリ・プロダクションが開始されたが、製作・配給に関して、メジャーの映画会社が「主要出演者が黒人のため、世界規模で売れない」と難色を示し、結局、総制作費5800万ドル(1ドル80円として約46億円)、さらに配給費用3500万ドル(同・約28億円)をルーカス自ら負担して、完成にこぎつけた。

紆余曲折を経て、2012年1月20日全米で20世紀フォックスの配給で公開され、約1週間で2000万ドルの興行収入をあげている。

ちなみに、このタスキギーの黒人空軍兵士を描いたテレビ映画『タスキギー・エアメンTuskegee Airmen』が1995年に公開されており、このときの主役もキューバ・グッディング・ジュニアが演じている。

黒人の間では、この映画を劇場で見て、積極的にサポートしようという動きも出てきた。また、ホワイトハウスでオバマ大統領らもこの映画を鑑賞している。

アラバマ州タスキギーは、ソウル・ファンにとっては、コモドアーズ/ライオネル・リッチーの出身地として名高い。

■映画予告編

http://youtu.be/wityJA7DlII



■映画サウンドトラック盤 (2012年2月7日発売)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B006PTL0UE/soulsearchiho-22/ref=nosim/


MOVIE>Red Tails



◎ プリンス・トーク・イヴェント~安齋肇+湯浅学

【Prince Talk Event At Small Place】

クローズド。

『空耳アワー』ホストでもおなじみの人気イラストレーター、安齋肇さんと、音楽評論家、湯浅学さんが、プリンスのことを好き勝手にしゃべるというトーク・イヴェントが、2012年1月27日(金)、渋谷宇田川町の「アップリンク・ファクトリー」で行われた。ここは、かつて、映画『ソウル・パワー』のDVD発売記念イヴェントを行ったところだ。前日に、日本一のプリンス・マニア、ツナさんからこういうのがあると情報が入り、急遽一緒に行くことになった。

僕はその前に、渋谷西武でラルフ・ロールの「ソウル・スナックス」をのぞきに行っていて、ちょっと遅れてしまった。7時15分くらいに着いた。まあ、どうせ、安齋さんのことだから、遅刻して7時半くらいから始まるだろう、とタカを括っていたのだ。そうしたら、なんと、会場ではすでにイヴェントは始まり、安齋さんはすでにそこにいた! ツナさんがなんと一番前の席をプリンス・マニア軍団とともに取っておいてくれ、そこに座った。入っていくときに、安齋さんに「これは、これは…」みたいないじられ方をしたので、思わず「遅刻しなかったんだ…」と言うと、「騙されたんだよ」と。どうやら、7時開始のイヴェントで、5時に集合と言われていたらしい。「おかしいと思ったんだけどさあ」とイヴェント後にワイングラス片手にポツリと言った。

湯浅さんは活躍はもちろん存知あげているが、多分、お会いするのは初めてだと思うので、終了後名刺交換などしたが、彼がこんなにプリンスが好きとは知らなかった。

今回のイヴェントは、プリンスがテレビに出た映像や、最近のライヴ映像などをかけながら、それを見つつ、安齋さん、湯浅さんが好き勝手にしゃべるというもの。テレビの副音声のようなものだ。

この日の映像を集めていたのは、青林工藝舍という出版社で編集の仕事をされている浅川満寛さん。ネットに落ちていたものを、丹念に集めて、DVDに焼いて持ってきた。

「なんでこんなイヴェントをやったかというと、僕がものすごくプリンスが好きで、プリンスのことを話したいんだけど、僕の回りに誰もいないんですよ。今でもプリンス好きな人ってここ(会場)にしかいないような感じで(笑)、安齋さんとプリンスの話をしたかった」と湯浅さん。すると、安齋さん「(プリンスのファンが少なくて)堕落してるねえ! ダメだよね!」。

最初に昨年8月のスイス公演の映像から、「ゴールド」と「パープル・レイン」。最近のオーディエンスはみんなスマートフォンやデジカメを持っていて、それぞれ1-2分、あるいはもう少し長く撮影し、それをユーチューブにアップする。そうした複数ある映像を、なんと全部取り込んで、どこかの「編集小僧」が、プロ顔負けの編集をするのだ。一体カメラ何台あるのか。冒頭の映像など、多数のカメラからの映像があって、テレビを見ているみたい、というか、その場にいる気にさえなってきた。こう好き勝手に撮って、編集までして、さらにそれをネットにアップして楽しめる。まるで、グレイトフル・デッドのような感じだ。

で、映像見ながら、ああだ、こうだ、彼らがいちいち茶々をいれるので、楽しい。友達のリヴィングでお酒を飲みながら、プリンスのライヴ映像を見て、あーだこうだ、言ってる感じだ。安齋さんは冒頭から赤ワインで飛ばしている。

そして、曲によっては、彼らが「ここが見所」「ここに注目」などという感じで、いろいろと説明してくれるので、これまたおもしろい。たとえば、3曲目のビートルズの「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープ」では、途中からプリンスがステージを乗っ取る形になるのだが、そこをおもしろおかしく安齋さんたちが盛り上げるので、えらくおもしろくなる。

湯浅さん、安齋さんの語録、記憶の中から。

プリンスというのは「付き合うのはやだけど、そばにいたい(笑)」(安齋)。

アルバム『コントラヴァージー』に封入されていたプリンスのほぼヌードのポスターを取り出し、詳細に解説。「これ、トイレに貼れないでしょう」(湯浅)

「(そのポスターを)友達が来るたんびに見せていたので、ついには折れ筋が切れた」(安齋)

「プリンスがローリング・ストーンズの前座で猛烈なブーイングを受け、プリンスがトイレで泣いた。そこをデイヴィッド・ボウイに見られ、慰められた。っていう話があるが、それは、ウソだと思う(爆笑)」(安齋)

(ポスター見ながら)「プリンス、ボタン好きだよね」(湯浅)

「イラストレーターの湯村輝彦さんは、プリンスのこと嫌いなの。『あいつは、ボタンが多いから』って。(笑) 子供の頃、(湯村さんは)ボタンを縦に踏んづけて、ものすごく痛かったらしい。それ以来、ボタンが大嫌いになったんだって(会場爆笑)」(安齋)

「プリンスはでかいボタンの洋服多い。だから、湯村さんの敵なんだよ」(湯浅)

「背が小さいことへのコンプレックスはあるよね。プリンスって爆笑問題の田中くらいしかないんだよ」(湯浅)

「だから、田中がメイクして歌ってると思ってね(爆笑)」(安齋)

「メイシオ! って声かけるけど、(プリンスより)年上だよね」

さすがに、こういうのだとユーストリームはできない。まさに、こうしたクローズドなトーク・イヴェントだけでできることだ。結局10時過ぎまで3時間以上の熱いトークとなった。しかし、プリンス好きの仲間たちと映像みながら、あーだこーだ言ってくのは楽しい。

以前、ツナさん安齋さんと僕の3人でトーク・ショーを新宿のロフトでやったが、久々にあのときのことを思い出した。もう6年も前なんだ。

■過去関連記事・プリンス・トークショー

March 20, 2006
Prince Talk Event Vol.3 Report
http://blog.soulsearchin.com/archives/000905.html

March 21, 2006
Prince Talk Event Vol.3 (Part 2) : Mr. Anzai, Banzaii!!
http://blog.soulsearchin.com/archives/000906.html

July 10, 2006
Prince Talk Event Vol.4
http://blog.soulsearchin.com/archives/001138.html

July 11, 2006
Prince Talk Event Vol.4: Mr. Anzai Talks About Prince
http://blog.soulsearchin.com/archives/001139.html

ツナさんが今回のセットリストを作ったので、それをさっそくご紹介しよう。

■セットリスト~(製作・ツナ):プリンス・トーク・ショー(湯浅学、安齋肇、浅川満寛)2012年1月27日(金)@渋谷アップリンク

event started 19:00
01. Gold, 2011/08/17のスイス公演の映像(Welcome 2 Americaヨーロッパツアー最終日)(数々のオーディエンスショットを編集)
02.Purple Rain, 2011/08/17のスイス公演の映像(Welcome 2 Americaヨーロッパツアー最終日)
03. While My Guitar Gently Weeps(プリンスの途中からのステージの乗っ取り方に爆笑)2004/03/15のRock’N’ Roll Hall of Fame
04. I Wanna Be Your Lover 1980/01/26のAmerican Bandstandディック・クラークに対してふてくされた表情で応対
05. Why You Wanna Treat Me So Bad? 1980/01/26のAmerican Bandstandディック・クラークに対してふてくされた表情で応対
06.I Wanna Be Your Lover 1980/01/06のThe Midnight Special(ラムちゃん)←正月からダメだろうw
07. Party Up 1981/02/21のSaturday Night Live
08. 1999 1983/01/28のSolid Gold
09. Purple Rain(なんでスタンドマイク置いてあるの?)1985/01/28のAmerican Music Awards、このあとに「ウィ・アー・ザ・ワールド」のレコーディングが行われるが、プリンスは参加しなかった
10. Come Together(Beatlesのカヴァー)2011/06/30のフランスでのコンサートでカメラマンがステージから落ちるところを助けるシーン(僕がちょうどトイレに行って、一番いいところを見逃した)
11. KISSのPV
12. Gett Offでの酒池肉林 1991/09/05のMTV Video Music Awards
13. Betcha By Golly WowのPV
14.Baby I’m A Star(会場のお客さんからのリクエスト)1985/02/26のグラミー
Event ended 22:10

■湯浅・安齋対談が14ページにわたって収録されている漫画誌「アックス」84号

アックス 第84号posted with amazlet at 12.01.29青林工藝舎 Amazon.co.jp で詳細を見る

同社ウェッブ
http://www.seirinkogeisha.com/

■"あの貴公子" についてのトーク・イヴェント!
2012.01.23
安齋肇と湯浅学のパープル新年会
渋谷の夜で、画伯と音楽評論家の湯浅学さんが
延々トークしながらビデオを見たりするパープル新年会です。
どなた様もお気軽にご参加下さい!
< 出 演 > 安齋 肇(イラストレーター)、湯浅 学(音楽評論家)
< 司 会 > 浅川満寛(青林工藝舍)
■ 日 時:2012年1月27日(金) / OPEN 18:30、START 19:00
■ 会 場:UPLINK FACTORY(渋谷区宇田川町37-18 トツネビル 2F)

■安齋肇ウェッブ
http://www.office-123.com/harold/news.html
■アップリンク・ウェッブ
http://www.uplink.co.jp/factory/log/004276.php

(ツナさんのご協力を得ました。改めて感謝です)

TALK EVENT>Prince


◎デイヴィッド・T・ウォーカー・ライヴ~古典となった芸術的ギターの音色

【While His Guitar Gentle Weeps】

古典。

何度見てもいつも同じだが、何度見てもいつもいい。それはまるで古典の芸術作品に触れるような肌触りと言っていい。古典落語でも、歌舞伎でも、そうした「古典」と称され賞賛されているものは、長い時代を経て評価が確立しているものだ。時の流れが下す診断とは、厳しいものである。

デイヴィッドTのライヴ・パフォーマンスを見ていると、いつも同じだが、いつも素晴らしいと感じ入る。そして、彼のギターの音色そのものが、もはや古典なのだな、と再確認してしまう。

2007年5月に自己名義で単独来日して以来、すっかり日本の土を踏むことが多くなったデイヴィッド・T・ウォーカーの約1年1ヶ月ぶりの来日ライヴ。ただし昨年5月にマリーナ・ショーのバックで来ているので来日自体は8ヶ月ぶりだ。

前回来日と同じメンバー、ウンドゥグ・チャンスラー(ドラムス)、バイロン・ミラー(ベース)、クラレンス・マクドナルド(ピアノ)とデイヴィッドTという4人の侍たちが、再び、ビルボードのステージに立つ。ヴェテラン同士息もあい、おそらくアイコンタクトせずとも、音の響きだけで、意思疎通が出来ているような気さえしてくる。

彼らの場合、けっこうファンキーでグルーヴのある曲(スライの「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」など)も、実にうまく聴かせ、「ユール・ネヴァー・ファインド~ラヴズ・シーム」などのメロディアスな作品もこなす。

そして、デイヴィッドのギターもスペースのある、「余白」の感じられるギター・サウンドだ。

どこを切っても金太郎飴のように、デイヴィッド・Tのギターの音色が醸し出される。まさにワン・アンド・オンリーだ。

デイヴィッドのギターがむせび泣く限り、その瞬間には愛と平和が訪れる。

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2007年05月14日(月)
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■「ホワッツ・ゴーイング・オン」収録アルバム

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003I51JUO/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■ライヴDVDアット・コットンクラブ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000T9M2A8/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

David T Walker (Guitar)
Clarence McDonald (Piano, Keyboards)
Leon Ndugu Chancler (Drums)
Byron Miller (Bass)

■セットリスト
Setlist : David T Walker, @ Billboard Live Tokyo, January 28, 2012 (Saturday)

Show started 18:02
00.Intro
01.For All Time (Overture)
02.Eleanore Rigby
03.Going Up
04.Global Mindfulness
05.Look Of Love / What’s Going On
06.If You Want Me To Stay
07.You’ll Never Find Another Love Like Mine / Love’s Theme
08.A riff of I Want You Back / Never Can Say Goodbye
09.Lovin’ You
10.With A Little Help From My Friends / A riff of Put A Little Love In Your Heart
Enc. Soul Food Café
Show ended 19:23

(2012年1月28日土曜日、ビルボードライブ東京、デイヴィッドTウォーカー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Walker, David T.
2012-

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