■今日の「ソウル・サーチン」にあのジェームス藤木さん生ゲスト登場

【James Fujiki On Soul Searchin Radio】

初ゲスト。

ロックン・ロールの超ヴェテラン・グループ、クールスのギターとヴォーカル担当として知られるジェームス藤木さんが初めてのソロ・アルバム『笑顔の奇跡』(ピンク&ブルー・レコーズ)を2013年1月16日リリース。このプロモーションで今日の『ソウル・ブレンズ』(日曜午後1時~3時、関東地区インターFM、76.1mhz)内「ソウル・サーチン・レイディオ」(午後2時半~)のコーナーに、生ゲストで登場する。

関東地区の方はラジコで。
http://radiko.jp/#
(ここでInterFMをクリック)

ジェームス藤木さんは1951年3月20日東京生まれ。幼少の頃、父に連れられ米軍基地で見たレイ・チャールズに衝撃を受け、音楽の道に。1974年12月バイクチームとしてクールスが結成され、1975年9月、ロックン・ロール・バンド、クールスとしてデビュー。ジェームスさんはこの頃までにギターとヴォーカルで参加。クールスはライヴとヒット曲で瞬く間に人気に。ジェームスさんはソングライターとしても多数の作品を書いている。またクールス時代には山下達郎さんがクールスをプロデュースしたこともある。現在もクールスとして、またジェームス藤木ソロとして、あるいはときにソウルバンド、リスペクト・オール、東京モウタウン・ショー、ジェームス藤木&ザ・デュークスなどでライヴ活動をしている。なお、ジェームス藤木のジェームスは大好きなジェームス・ブラウンから取っている。

~~~

お久しぶり。

ジェームスさんのライヴには何度も行っているが、最近ちょっとごぶさたしていた。お久しぶりなので、楽しみだ。

■ジェームス藤木さん過去関連記事・ライヴ・リポートなど
October 30, 2006

No.1 Soul Show In Tokyo; James Fujiki & Tokyo Mowtown Show
【ジェームス藤木&トウキョウ・モウタウン・ショウ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_10_30.html


2002/11/06 (Wed)
Street Cafe 5th Anniversary 
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200211/diary20021106.html

2003/06/04 (Wed)
Oldest Funk Band in Tokyo at Newest Live House
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030604.html

2003/11/10 (Mon)
Party To Party: Street Cafe To Brown Sugar
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20031110.html

2004/05/31 (Mon)
James Fujiki & Respect All Live At Graffiti
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20040531.html

May 01, 2006
James Fujiki’s New Soul Band: Tokyo Mowtown Show Debut
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_05_01.html

ストリート・カフェ~明日のスター?
2008年04月12日(土)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10087579428.html

■ジェームス藤木、久々のソロ・アルバム『笑顔の奇跡』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B009VSPAW0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

こんな超強力ソウル・カヴァー・アルバムも

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0049SGS0K/soulsearchiho-22/ref=nosim/


ENT>ARTIST>Fujiki, James
RADIO>SOUL BLENDS>Soul Searchin Radio

●マーヴァ・ホイットニー葬儀の模様レポート(中田さんより)

【Marva Whitney’s Funeral】

葬儀。

2012年12月22日、ジェームス・ブラウン・ファミリーのファンキー・ディーヴァのひとり、マーヴァ・ホイットニーが地元カンサス・シティーで死去した。68歳だった。その葬儀が2013年1月5日カンサスで行われ、マーヴァの作品をプロデュースしたオーサカ=モノレールのリーダー、中田亮さんが出席した。その話を聞いた。

中田さんは1月4日日本発、同日着、5日に朝から葬儀に出席。午前9時からメモリアル・ミッショナリー・バプティスト教会(11424Hickman Mills Drive)で棺を囲んでバンドがゴスペルを演奏したり牧師が説教、友人が弔辞を述べたりした。出席者はかなり多く数百人以上はいた。それはまるでパーティーのようだった。

アメリカの葬儀は、「ホームゴーイング・セレブレーション」と言って、いわばお祝い的なものとして捉えられている。死者は今はベター・プレイス(より良い場所)に行かれた、というニュアンスだ。

マーヴァは6人兄弟の長女で下5人はいずれも男兄弟。母親であるウィル・メイ・マニングがまだご健在。このほかに2人の子供、シェリー・ウィットニーとエリス・テイラー・ジュニア、他に5人の孫、2人ひ孫がいる。

ジェームス・ブラウンのオリジナル・ダンサーの一人、ジョアン・ヒューストンはアトランタから車を18時間走らせ参列した。

その後墓地に移動。ここには家族・親戚、親しい友人のみだったがそれでも車10台程度に乗り込んで墓地に。そこで棺が地中に埋められるのだが、最近はみんながいるときには地中に埋めないで、弔問客が帰った後に墓地の人たちがその作業をするらしい。その後、親戚一堂で食事をした。

そして、翌日帰国便搭乗。7日成田戻り。という超強行弾丸葬儀参列だった。

マーヴァの直接の死因は肺炎。最初の旦那さんの名字がホイットニーで、長くホイットニー姓を受け継いでいた。2番目の夫はエリス・テイラーというミュージシャンでフォルテ・レーベルをやっていた。兄弟、いとこ、親戚だけで7-80人以上はいたようで、最後に集まった食事の席で全員で記念撮影をした。

地元カンサス・シティー・スター紙でも、「6000マイルかなたの日本からの友人も出席」と中田さんのことが紹介され、中田さんの「カンサス・シティーの人には彼女は日本やヨーロッパで愛されていたということを知って欲しい」というコメントも新聞に掲載されている。

Singer Marva Whitney is given a soulful sendoff at ‘homegoing’
BY JAMES A. FUSSELL
The Kansas City Star
Posted on Sat, Jan. 05, 2013 10:39 PM

http://www.kansascity.com/2013/01/05/3996595/the-late-marva-whitney-is-given.html

http://www.kcur.org/post/marva-whitney-remembered-kansas-city

http://numerogroup.wordpress.com/2012/10/29/announcing-eccentric-soul-the-forte-label/

http://archive.kcur.org/kcurViewDirect.asp?PlayListID=7037

http://www.wefunkradio.com/extra/marva

~~~

再評価。

マーヴァのアルバムを作った中田さんだが、マーヴァはジェームス・ブラウンのキング・レコード時代に3枚アルバムを出している。その3枚のCD化実現に向けて動いているという。また、オフィシャルに出たファースト・アルバム『イッツ・マイ・シング』の前に、ジャズ・トリオで録音されたスタンダード曲ばかりを集めたアルバムがあり、これがずっと未発表になっている。この初CD化も期待される。

このほか、キングの後に2番目の夫エリス・テイラーがやっていたフォルテ・レコードに残されたシングル盤を今はその息子エリス・テイラー・ジュニアが管理しており、そのCD化の動きもある。

また、しばらく前に完成していたマーヴァ・ホイットニーの自伝もあり、これがイギリスの出版社からリリースされることになっている。タイトルは、”God, The Devil And James Brown!! Memoires Of A Funky Diva” というもので、Charles Waring という人が書いている。

今年の命日くらいをメドにこうしたプロジェクトが日の目をみるとマーヴァの追悼にもなる。

■マーヴァ・ウイットニー追悼記事(ニューヨーク・タイムズ)

http://www.nytimes.com/2013/01/01/arts/music/marva-whitney-singer-in-the-james-brown-revue-dies-at-68.html?ref=obituaries&_r=0

■訃報記事

(速報)マーヴァ・ホイットニー68歳で死去
2012年12月24日(月)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11433812425.html

■ 唯一の単独日本公演の模様↓

June 09, 2006
Marva Whitney: It’s Her Thing, Waiting For The Day For 30+ Years
【マーヴァ・ホイットニー・ライヴ~30年以上待ちつづけたその日】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001065.html

Marva Whitney: It’s My Thing

http://youtu.be/7PKpQwQ4ZGQ



■マーヴァ・ホイットニー・ウィズ・オーサカ=モノレール

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000K2VFPC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ファンキー・ディーヴァ(オムニバス)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000067L7/soulsearchiho-22/ref=nosim/"


OBITUARY>Whitney, Marva (May 1, 1944 – December 22, 2012, 68 year old)
■ジェームス藤木さん「ソウル・サーチン」に生ゲストで登場

【James Fujiki On Soul Searchin Radio】

クールス。

2013年1月20日日曜日、「ロックン・ロールの伝説」ジェームス藤木さんが「ソウル・ブレンズ」に生ゲストで登場した。60歳を超え、キャリア30年超で初のソロ・アルバム『笑顔のキセキ』をリリース、そのプロモーションの一環だ。

ロックン・ロールのグループ、「クールス」は元々バイク仲間が集まったところから始まっている。そのバイク仲間の軍団は1973年に結成され、1974年にシャナナを模したロックン・ロール・バンドをやろうと音楽グループが始まった。そし9月キング・レコードからデビュー。そのクールスでギターとヴォーカルを担当しているのがジェームス藤木さんだ。再来年にはクールス・デビュー40周年になる。

ジェームスさんはロックン・ロール・バンド、クールスに在籍しながらそもそもソウル好きで、クールスとは別に自身でソウル好き仲間を集めたソウル・バンドをやっている。「リスペクト・オール」「東京モータウン・ショー」あるいは「デュークス」といったバンドだ。

僕はここ10年くらいそのジェームスさんのソウル・バンドのライヴを何度か見るようになっている。ソウル・バー、ストリート・カフェの長野さんがベースを担当するワンダラーズ関連のイヴェントやライヴで拝見している。ところがジェームスさんとはもっと昔、勝本氏(元エンバシー、全国ディスコ協会、キング・オブ・ソウル)を通じて、エンバシー時代に会っていた。だからそういう意味ではおつきあいはかなり長いということになる。勝本氏やニック岡井氏、江守アイ氏らとは新宿時代からの知りあいだ。

今回そんなジェームスさんが『ソウル・ブレンズ』に生ゲストで登場した。その中でも触れられていたが、「60過ぎてますます創作意欲が衰えないんだよ」というところがすごい。このアルバムを作るにあたって40曲くらいプロデューサーに提出したそうで、その中からクールスとは違うジェームスさんの魅力を出したもの、ソングライターとしての魅力を出したものを中心に選曲した。

よりファンキーなもの、ソウルっぽいものも今回収録されなかったものの中にあるが、そうしたものは次回作以降にしようということになった。

ジェームスさんは1951年3月15日生まれ。(ウィキなどの20日生まれは間違い) 現在61歳。「60なんて、まだまだこれからでしょう。(ソロとして)新人ですから、よろしくお願いします」と笑いながら言う。

ジェームスさんは本当に「現場」が好きだ。「まあ、現場主義だからね」と軽く言う。実際、ライヴもセットリストがちょくちょくかわり、その場の観客ののりでリクエストなどにも気軽に応じる。ソウル・カヴァーのショーをやっていても、ファンがクールスの曲をどうしても聞きたいといえば、一曲くらいは軽くやってくれる。ギター一本の弾き語りからフルバンドのジェームス・ブラウンのようなパッケージ・ソウル・ショーも、そしてクールスとしても、なんでもできる。このあたりがつくずくすごいなあ、と思う。

「シニアの人たち(60歳以上)って300万人以上いるそうだ。だが、自分も含めてそういう人たちに情報を届ける方法がすくない、だから自分たちのような音楽を見に来てくれれば、絶対またリピーターになってくれるが、なかなかやっていることを知らせることができない、なんとかしたい」ということを力説していた。「みんな子育ても一段落して、遊びたいんだよね。でも、そういう場所がない」とジェームスさんは言う。

「僕は外国人だから、『還暦』っていってもあんまりぴんとこないんだけどね」と笑うジェームスさん。お父さんはアイリッシュ系アメリカンで父が彼にジェームスと名付けた。「アイリッシュだからなのか、『反骨精神』みたいのがすごいんだよね」という。

僕もずっと彼はジェームス・ブラウンが好きだから芸名でジェームスと付けたというのは違っていた。訂正します。(笑)

今回のゲスト出演には、ディスコDJの大御所、松本みつぐさんらの強力なお力添えがありました。ありがとうございます。

そうそう、下記ブログ「ストリート・カフェ~明日のスター? 2008年04月12日(土)」で書いたゆうや君がジェームスさんの御つきでスタジオに遊びに来た。大きくなっててびっくりした。小学校5年生になったという。ちょうど今声変わり中、あれからずっとギターをやって、ギターの腕をかなりあげているらしい。もう5年近くも前なんだ。時が経つのは本当にはやい。ますます将来楽しみだ。その日のブログをプリントアウトして彼にあげた。最近は「トライ・ア・リトル・テンダーネス」は歌ってないらしい。

■ライヴ情報

出演 ジェームス藤木
会場 埼玉県草加市松原団地駅前・アパッチ・ジャンクション (アメリカン・レストラン)埼玉県草加市栄3-1-20
048-936-4424 (東武伊勢崎線松原団地駅東口徒歩3分。東口駅前通り1つ目の信号(松屋のある交差点)を左折、約100m先の右側。
松原団地駅から275m)
日時 2013年1月26日土曜、夜2ステージ

■「ソウル・サーチン・レイディオ」ポッドキャスト期間限定でアップ

Soul Searchin Radio 01-13-2013 James Fujiki Live Guest
https://soundcloud.com/soul_searchin_13/soul-searchin-radio-01-13-2013

■ジェームス藤木さん過去関連記事・ライヴ・リポートなど
October 30, 2006

No.1 Soul Show In Tokyo; James Fujiki & Tokyo Mowtown Show
【ジェームス藤木&トウキョウ・モウタウン・ショウ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_10_30.html


2002/11/06 (Wed)
Street Cafe 5th Anniversary 
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200211/diary20021106.html

2003/06/04 (Wed)
Oldest Funk Band in Tokyo at Newest Live House
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030604.html

2003/11/10 (Mon)
Party To Party: Street Cafe To Brown Sugar
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20031110.html

2004/05/31 (Mon)
James Fujiki & Respect All Live At Graffiti
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20040531.html

May 01, 2006
James Fujiki’s New Soul Band: Tokyo Mowtown Show Debut
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_05_01.html

ストリート・カフェ~明日のスター?
2008年04月12日(土)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10087579428.html

■ジェームス藤木、久々のソロ・アルバム『笑顔の奇跡』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B009VSPAW0/soulsearchiho-22/ref=nosim/


こんな超強力ソウル・カヴァー・アルバムも

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0049SGS0K/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>ARTIST>Fujiki, James
RADIO>SOUL BLENDS>Soul Searchin Radio

○(速報) クインシー・ジョーンズ、7月の広島イヴェントに来日

【Quincy Jones Coming To Japan August As Curator】

18年ぶり。

アメリカ音楽業界最大の大物プロデューサー、クインシー・ジョーンズが2013年7月のイヴェントのために来日する。広島県が行なうイヴェント「ピース・アーチ・ひろしま」の一環で行なわれるコンサートのプロデューサー(キュレーター)出演者としてのもの。クインシー・ジョーンズは平和コンサートのためのアーティストの選出、演出をてがけ、出演する。

現在一応「出演」と発表されているので、自身で選抜したクインシー・ファミリーのバンド「クインシー・ジョーンズ楽団」の指揮者としてクインシーがステージに立つ可能性が高い。その場合、1981年以来32年ぶりの来日ステージとなる。また、来日は1989年、1995年のプロモーション来日以来18年ぶり。

「ピース・アーチ・ひろしま」は、国際平和拠点ひろしまから世界平和を求めていこうというイヴェント。イヴェントは2013年7月27日から8月3日まで広島で行なわれる。

クインシーは8月3日(土)に行なわれる「エターナル・ピース・コンサート」(仮題)にプロデューサー、出演者として参加すると発表された。

公式ホームページ
http://www.peace-arch-hiroshima.net/

クインシーの賛同・参加決定のお知らせ
http://www.peace-arch-hiroshima.net/pdf/20121226.pdf

このイヴェントは、広島が2020年オリンピック候補地から降りたことで、それに代わる世界平和のイヴェントを行なおうとプロジェクトが始まったという。

クインシー・ジョーンズは75歳の2008年7月、スイスでおこなわれたモントルー・ジャズ・フェスティヴァルで75歳を祝うイヴェントを行なっている。クインシーの本格的ライヴとしてはこれ以来、約5年ぶりとなる。今年の3月で80歳をむかえる。

(情報提供、澤田さん、広島のソウルバー「スティーヴィー」熊谷さん、ありがとうございます)

■ 過去関連記事 クインシー・ジョーンズ・ライヴ・リポート

July 17, 2008
Quincy Jones Tribute Live Lasted 5 Hours
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080717.html

世界一早かった松尾特派員のクインシー・ゲネ・プロ・リポート
July 15, 2008
Montreux Jazz Festival: Celebrates Quincy Jones
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080715.html

モントルー・ジャズ・フェスを伝えるニュース映像
http://www.euronews.net/en/article/18/07/2008/montreux-musicians-toast-quincy-jones/

クインシー・ジョーンズ75歳誕生日セレブレーション
2008年07月22日(火)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10118776908.html

■1981年のクインシー・ジョーンズ・ライヴ

クインシー・ジョーンズ、1981年のライヴの詳細は次の通り。

1981年7月6日、9日、日本武道館、
7月7日 神戸国際会館
7月10日 福岡サンパレス

計4本。

来日メンバーは次の通り。

Patti Austin
Toots Thielemans
Louis Johnson
Carlos Rios
Rod Temperton
John Robinson
Jerry Hey
Greg Philinganes
James Ingram
Peter Christlieb
Ollie Brown
Jerome Richardson

+Hara Nobuo & Sharps & Flats

ANNOUNCEMENT>Jones, Quincy

■クインシー・ジョーンズ・ライヴ・アット・モントルー(ブルーレイ)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002CPD5LM/soulsearchiho-22/ref=nosim/

同日本盤・通常DVD

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0098PEDVU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■クインシー・ジョーンズ自叙伝

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/430926610X/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

◎ケム初来日~親密空間でのケム宇宙

【KEM First Ever Japan Concert : The KEM Universe In Intimate Space】

初。

アメリカでは収容人数1万人以上のアリーナ・クラスの会場でやるというデトロイトのR&Bシンガー、ケム(KEM)が初来日。毎年ニューオーリンズで行なわれる「エッセンス・ミュージック・フェスティヴァル」でも人気アーティストのひとり。それがブルーノートいう親密空間で見られるということもあり、日本のファンは大ラッキー。

これまでに出した3枚のオリジナル・スタジオ・アルバム(プラス・クリスマス・アルバムもある)がいずれもゴールド・ディスク(50万枚以上のセールス)ながら日本盤は一切でておらず、ファンは輸入盤のみで知っているというソウル界のエアポケットにいるR&Bシンガーだ。だからアメリカと日本での人気の格差が最大級のアーティストでもある。日本の選挙で問題にされる一票の格差どころではない、日米人気格差は完全違憲状態だ。

音楽的にはいわゆるネオ・ソウルというかレトロ・ソウルというかいかにもここ10年の王道を来たという感じのライヴで心地よいひと時となった。「『ポスト・ディアンジェロ』をしばらく預かりました」という立ち位置のように思えた。自分で曲も書くので、ソウル版シンガー・ソングライターという香りが存分にする。その意味で、21世紀のビル・ウィザーズあたりなのかなあとも思った。

声が独特でとても印象に残る。顔が誰かに似てるなあと思うのだが、どこにでもいそうで逆に思い出せない。(笑) ちょっとした雰囲気がシール似かなあ、などとも思ってみたが、ちょっと違う。顔とか雰囲気とか、声などがカール・アンダーソンあたりのイメージに近いとも感じたが、そうか、井出らっきょ説も出てたか。(押野説)(笑)

ネオ・ソウル独特の軽さが、今の時代にちょうどよく、クールに熱くという空気感だ。メンバー全員、黒系のスーツにきちっとネクタイというおしゃれ系。

たとえば1曲目はアル・ジャロウ風、2曲目はジョージ・ベンソン風などちょっとジャズ風な雰囲気から徐々にR&Bテイストへ移行。5曲目「ホワイ・・・」はピアノをケム自ら弾いて歌う。7曲目「ファインド・ユア・ウェイ」では観客に「バック・イン・マイ・ライフ」の部分を歌わせるコール&レスポンスをけっこう長くやった。ちょうどこの日はデトロイト出身のブラザーが観客にいたようで、それとのかけあいもおもしろかった。ケムはかなり観客とやりとりをする。

そして自分の出自を語る場面もあった。僕のメモが汚くて読めないところもあったが、大意はこんな感じだった。8曲目「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」のところだ。

「僕は22年前デトロイトでホームレスだった。アル中になりドラッグ中毒になり病院に入りリハビリをした。刑務所にも入った。だがそんなことを今は恥じていない。その頃学んだ人生における最高の教訓は、人間みな試行錯誤をしたり、迷ったり、遠回りしたり、挫折したり、苦悩したりする。そうしたものが人間を作る、ということだ。そうした苦労や苦難を乗り越えられれば、なんとかなる。希望を持って先に進もう。そんなことを僕は今人々に伝道している。信じれば、きっと成し遂げられる。(if you believe, you can make it)」(「Can’t Stop Loving You」のところで彼がしゃべったことの大意)

まさに本人自身が「ソウル・サーチン」をしているということがよくわかった。同じくソウル・サーチンしているRケリー的なところも感じられた。

バンドもしっかりしている。ちなみにベースのアル・ターナーはデトロイトでケムとは10年近く一緒にやっているという。たまたま彼は翌週のアール・クルーでもベースをプレイするので、日本にそのまま居残り。

親密な小さな空間でのケム宇宙が生み出された夜だった。

ケム・オーエンズ、1969年7月23日テネシー州ナッシュヴィル生まれデトロイト育ち。現在43歳の苦労人だ。

ライヴ後はサイン会。最初写真はNGだったが、最後結局OKになって多くのファンと本人は写真撮影。残った人が少なかったからかもしれない。そういえば、さすがに大物だけあって、アーティストの取り巻きも多かった。

「アメリカでは大きな会場でしかやらないが、日本だけは特別に小さなブルーノートでやる」とケムが思ってくれればいいのだが。ちょうどナイル・ロジャーズがそう思うように。

ツイッターでは、KEMのライヴを思い出して余韻をつぶやくハッシュタグまで登場しました。4公演コンプリートの日本一のケムファン、アキコさんの作品。→ #KEMJapantour2013 

■メンバー

KEM(vo)ケム(ヴォーカル)
Brian O’ neal(key)ブライアン・オニール(キーボード)
Randy Bowland(g)ランディ・ボウランド(ギター)
Al Turner(b)アル・ターナー(ベース)
Ron Otis(ds)ロン・オーティス(ドラムス)

■ケム・セットリスト
KEM Setlist:
@KEM_Intimacy 
January 18, 2013 @ Bluenote Tokyo

show started 21:39
01.Golden Days
02.Brother Man
03.True Love
04.I’m Missing Your Love
05.Why Should You Stay
06.Share My Life
07.Find Your Way (Back In My Life)
08.Can’t Stop Loving You
09.Inside
10.Love Calls
Enc. Matter Of Time
Enc. Merry Christmas Baby
Show ended 23:00

(2013年1月18日金曜、ブルーノート東京、ケム・ライヴ)
ENT>LIVE>KEM

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003L7JV7C/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007PALI4/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008BNUJ/soulsearchiho-22/ref=nosim/

◎ヴィクター・ベイリー・ライヴ~Vファンクでぶりぶり

【V Funk Explosion : Victor Bailey Live】

Vファンク。

ベース奏者ヴィクター・ベイリーの自己名義としては初のライヴ。彼のベースプレイは何度か見た記憶があり、ファンキーでグルービーなかっこいいベースを聴かせるということはわかっていた。しかし、それが全部、誰か他のアーティストのサポートだったとは思わなかった。なんと30年以上一線で活躍している彼の、これは日本では初の自己名義だから驚く。

タイトルにVファンクと記していたが、これがまさにタイトル通り、そのまんまのネーミングであった。

杖をつきながらステージに登場し、スツールに座りながらプレイ。しかし、座ってもグルーヴ感は完璧だ。(病気のために若干歩くのが困難だそうだ)

ステージで「今回の来日は31回目。初めて日本に来たのはサダオ・ワタナベに呼ばれてきた1979年」と説明。ちゃんと勘定しているのもすごいが、渡辺貞夫さんの才能を見出す才能にも改めて感銘する。ヴィクターの名前が出てくるのは1980年代半ば以降。渡辺さんによって初来日し、その後なんども日本の土を踏むことになるアーティストのなんと多いことか。

ヴィクターは1960年3月27日フィラデルフィア生まれ。1982年、ウェザー・リポートにジャコ・パストリアスの後任として参加したことによって大きな注目を集めるようになる。

それにしてもごきげんなライヴだった。特に「僕はパーラメント/ファンカデリックが大好きで子供の頃からよく聴いてきた」と説明して始めたPファンクのヒット曲「ニー・ディープ」のすごさは驚いた。ファンクとジャズがいい具合にブレンドしていた。彼がやると、PファンクならぬヴィクターだからVファンクだ!

ギター、ベース(ヴィクター本人)、ドラムス、キーボードのたった4人で超豪華なファンク・サウンドを作る。ギターも実にうまい。そしてドラムスも、キーボードもインパクトがある。このバンドは超強力。ドラムスはアヴェレージ・ホワイト・バンドで来日したこともあるという。

次回のライヴはもっと事前に告知してみんなに勧めようと思う。

■メンバー

Victor Bailey (b, vo), Marcus Machado (g), Theo Hill (key), Rocky Bryant (ds)

■セットリスト
Setlist : Victor Bailey

Show started 18:32
1. Goose Bumps
2. Slow Soft Funk
3. Knee Deep
4. If You Say So
5. Ya Bref Stink
Enc. Ape School
Show ended 19:40

(2013年1月18日金曜、丸の内コットンクラブ、ヴィクター・ベイリー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Bailey, Victor

■ヴィクター・ベイリー

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0047XL3N4/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

●元マーキーズ・メンバー、ロニー・エンジェル・ストーツ死去~スタックスのロゴ描く

【Ronnie Stoots, Former Mar-Key Dies At 71】

訃報。

元マーキーズ・メンバーでシンガー、さらにスタックス・レコードでアルバムのデザイナーでもあったロニー・エンジェル・ストーツ Ronnie “Angel” Stoots が2012年12月18日、メンフィスのメソジスト・セントラル病院で死去した。71歳。癌を患っていたが一応治ったとされていた。

メンフィスの新聞のウェッブサイト
http://bit.ly/VmjNqj

評伝。

1941年12月6日生まれ。本名、ロニー・ジョー・ストゥーツ Ronnie Joe Stoots。1950年代から地元メンフィスでバンド活動を開始した。リージェンツ、ロイヤル・スペーズに参加。後者がマーキーズとなる。スティーヴ・クロッパーとはこの頃からの仲間。ニックネームはロニー・エンジェル。この名は地元のDJ、ジョージ・クレインが名付け親。「エンジェルのように歌う」ことから彼はそう名付けたという。

ロイヤル・スペーズは、ジェリー・リー・スムーキー・スミス(キーボード)、ロニー・エンジェル・ストゥーツ(ヴォーカル)、ウェイン・ジャクソン(サックス、トロンボーン、トランペット)、テリー・ジョンソン(ドラムス、ピアノ)によって1950年代後期にメンフィスで結成された。学校のプロム、パーティー、基地、小さなライヴハウスなどでプレイして地元ではちょっとした人気となっていた。この頃のミュージシャン仲間には、スティーヴ・クロッパー、ドン・ニックス(サックス)、ドナルド・ダック・ダン、チャーリー・フリーマン(ギター)、チャールズ・パッキー・パクストン(テナー・サックス)らがいた。パクストンは後にスタックスを始めるエステル・アクストンの息子。クロッパー、ダン、ジョンソンはメシック高校に、ストゥーツはホワイト・ステーション高校に通っていた。

エステルがロイヤル・スペーズからグループを改名したほうがいいと助言。マーキーズの名前のオリジナル・アイデアは、ドン・ニックスがMarquisマーキーズ(映画館や劇場の正面玄関上に歩道に突き出してでている看板のこと)はどうだ、といったことが発端だ。ところが、スティーヴ・クロッパーが「このあたりの人間(メンフィスの人たち)は、フランス語は読めない」というので、英語読みしやすいMar Keysという表記になった。さらにフロイド・ニューマン(サックス、ヴォーカル)、ギルバート・ケイプル、カーティス・グリーンらが参加。マーキーズは、エステルが設立したサテライト・レコーズで「ラスト・ナイト」を1961年に録音。ソウル・チャートで2位、ポップで3位を記録。当時で100万枚以上のセールスを記録したという。メンフィス・サウンドの土台を作ることになっていく。

マーキーズはメンバーがツアー、スタジオでひんぱんに入れ替わっているが、アーティスト写真としてドン・ニックス、スティーヴ・クロッパー、パッキー・アクストン、ダック・ダン、テリー・ジョンソン、ロニー・ストゥーツ、ウェイン・ジャクソンが映っているものがある。

ロニー・ストゥーツは、愛称でもあるロニー・エンジェル名義でシングルなども残している。

音楽だけでなく、デザインのセンスもあり、スタックスの有名な初期のロゴを作った。さらに、アルバムのジャケット・デザインもてがけた。

彼が作ったスタックスのロゴ


下記はロニーがてがけたジャケット作品。

オーティス&カーラのジャケット。http://bit.ly/XwdCxV
 
サム&デイヴの「ホールド・オン・アイム・カミン」などのジャケットをデザイン。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AY1NWM8/soulsearchiho-22/ref=nosim/

オーティス・レディング=ソウル辞典

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD8VY/soulsearchiho-22/ref=nosim/

オーティス&カーラ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD9E0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

60年代から70年代にかけて、オニックス・スタジオ(Onyx Studio)を設立、運営していた。さらに地元のグラミー賞の支部も担当していた。さらに、スティーヴ・クロッパーらとトランス・マキシマス・レコーディング・スタジオ(TMI)、レコード会社を開始。このTMIで1972年、自身のソロ・アルバム「アシュズ・トゥ・アシェズ」をだしている。

また、ロニー・ストゥーツは自身のデザイン会社、「メンフィス・マジック」を経営していた。

ロニー自身は葬儀が嫌いで、生涯で2度ほどしかお葬式に行っていないという。その2度は自身の父と母のそれだという。そこで妻は、葬儀はやらないが、親しい友人を呼んでシャンペーン・トーストを自宅でやりたいと考えている。妻、娘2人、息子、そして3人の孫がいる。

■ロニー・ストゥーツ自身の唯一のアルバムAshes To Ashes (TMI 1002)

■ スタックス・CD9枚組み初期の全シングル・パッケージ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004VPVFPO/soulsearchiho-22/ref=nosim

OBITUARY>Stoots, Ronnie Angel (December 6, 1941 – December 18, 2012, 71 year old)

◎ハンク西山~スムーズ・ジャズからファンク~ヒーリング系まで~再発ライヴ

【Hank Nishiyama’s Re-Release Party】

再発パーティー。

2000年に出した名盤『アンノウン・ムード』がアイテューンズで配信が開始され、ジャケットも新装なったアルバムがリリース。そのCD再発を祝してライヴ・ツアーを敢行したのがギタリスト、「はんこや」さんこと西山ハンク史翁(にしやま・ふみお)。

このアルバムではトミー・キャンベルや今は亡きハイラム・ブロックなども参加しており、当時としてはかなりぜいたくなセッション・レコーディングだった。現在も一部の好事家から求められアマゾンなどでも4000円近い値段がついている。

それが新装再発。なんとCD盤面のハンクのイラストは仕事仲間でもあるシャンティが描いたもの。

当時のレコーディングに参加したメンバーも集まり、このアルバムを中心にライヴを聞かせた。全体的にはスムーズ・ジャズ、癒し系、オーガニックなサウンドだが、曲によってはやたらファンキーな曲もある。幅広いところを聴かせる。

アルバム未収録で、まだ録音していない「HB」と題された曲が実にかっこよかった。これは、旧友ハイラム・ブロックが亡くなったのを受けて書いた曲。最高にのりのいいファンク・ナンバーになった。HBはハイラム・ブロックのこと。これはオンエアしたい。セットリストの曲目のところに強力な花丸を書いたほど。

それにしてもハンコ屋さんのゆるいトークは実におもしろい。やはり人柄を表わすというか、そのほんわかした感じが全部のステージに出ていた。

ハンクはこのほかに京都・大阪でもCD再発ライヴを行なう。

2013年2月19日(火)京都ラグ(RAG)
http://www.ragnet.co.jp/live_spot_top.html

2013年2月20日(水)大阪ミスター・ケリーズ 
http://www.misterkellys.co.jp/ 

■ハンク西山オフィシャル・ウェッブ

http://hank711.blog134.fc2.com/

■ ちなみにこれは廃盤になったもの。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005EVUV/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

G)西山HANK史翁 (EWI/Sax)住友紀人 (Ds)鶴谷智生 (B)金森佳朗
★Special Guest (Key)Philip Woo
★Special Guest Singer (Vo)Wornell Jones

■セットリスト

Set First

01.No Miss Match
02.Beyond
03.Unknown Part Of The City (Wornell on Bass)
04.That’s The Way Of The World [EWF] (Wornell on vocal)
05.Shadows

Set two

Show started 21:20
01.True Blue
02.Journey
03.ワイン仲間~Circumstance
04.HB (Wornell on Bass)
05.Soul Takin’ (Wornell on vocal)
06.Key Of Mellowness
Enc. If It Ain’t Got Soul, Ain’t Got Nothing [Buzzy Feiten]
Show ended 22:50

(2013年1月17日木曜、目黒ブルース・アレイ、ハンク西山ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Nishiyama, Hank, Fumio
■ 今日の「ソウル・サーチン・レイディオ」は、ロニー・ストゥーツ追悼

【A Tribute To Ronnie Angel Stoots】

追悼。

今日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM、76.1mhz、日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン・レイディオ」(午後2時半~)では、先月亡くなったスタックスのマーキーズのメンバーであり、スタックスのグラフィック・デザイナーでもあったロニー・エンジェル・ストゥーツの追悼をご紹介。

マーキーズ作品は基本的にはインストゥルメンタルなので、主に彼がジャケット・デザインをてがけた作品を中心にご紹介します。


関東地区の方はラジコで。
http://radiko.jp/#

詳細はこちら

元マーキーズ・メンバー、ロニー・エンジェル・ストーツ死去~スタックスのロゴ描く
2013年01月25日(金)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11455992658.html

彼がてがけたジャケット(25日付ブログで紹介したもの以外)↓

■ウィリアム・ベル

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD9EK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■エディー・フロイド

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD99U/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ブッカーT&ザ・MGズ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000034CL/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AY1NXTA/soulsearchiho-22/ref=nosim/

RADIO>Soul Blends>Soul Searchin

●(速報) オハイオ・プレイヤーズのシュガーフット死去

【(Bulletin) Leroy “Sugarfoot” Bonner Of Ohio Players Dies】

訃報。

1970年代に多数のヒットを放ったオハイオ出身の大型セルフ・コンテインド・グループ、オハイオ・プレイヤーズのリード・シンガーでギターも弾く「シュガーフット」ことリロイ・ボナーが2013年1月26日(土)、オハイオ州で亡くなった。69歳とみられる。詳細は後送。

シュガーフットは2013年10月までライヴ・コンサートの予定が入っていた。日本にはオハイオ・プレイヤーズとして5回来日、さらにシュガーフットは2010年6月、「シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズ」として来日している。

そのときのライヴ評↓

オハイオ・プレイヤーズ・ライヴ
2010年06月06日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10554930961.html

シュガーフット・トークス
シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズ(パート2)
2010年06月07日(月)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10556046804.html
シュガーフットとの会話の様子。

OBITUARY>Bonner, Sugarfoot, Leroy (March 14, 1943 – January 26, 2013, 69-year old)

2枚組ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000068FUN/soulsearchiho-22/ref=nosim/

名盤 ハニー (各アルバムが600円以下なので3枚買っても1800円)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G07/soulsearchiho-22/ref=nosim/"


同じく名盤 スキン・タイト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G03/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

名盤 ファイアー

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G05/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

◆大貫憲章さんとソウル・コーヒーでお茶するの巻

【Soul Coffee With Mr.Ohnuki】

接点。

イギリス・ロックのオーソリティー、音楽評論家、イヴェント・オルガナイザー、大貫憲章さんと自由が丘の珈琲屋さん、アンセーニュダングルでお茶をした。

大貫さんがツイッターでお茶をしているところの写真を載せたのを見て、すぐにアンセーニュとわかり、メールでやりとりをして、じゃあこんどここでお茶しましょう、と言ってから1年くらいは経ってしまったかもしれないが、やっとそれが実現した。ここに至るまではずいぶんと時間がかかったが(笑)。

このカフェについてはこれまでに2回ほど書いている。

2002/12/15 (Sun)
Enseigned’angle Where the soul coffee is
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200212/diary20021215.html
自由が丘のおしゃれな珈琲屋アンセーニュダングルのマスターのジェームス・ブラウンとの出会い。こんな風に影響を受けた人が世界中にいるはずです。(内容に訂正あり)

January 20, 2007
A Toast To Soul Coffee: Real Thing Is Here To Stay
【ソウル・コーヒーに乾杯】 
http://blog.soulsearchin.com/archives/001526.html

大貫さんもこのアンセーニュはときどき利用していたが、「実はそこのマスター、ジェームス・ブラウン好きなんですよ」というのを教えたところ、カウンターで音楽談義に花が咲いたそう。なんとここには、やはり近くにお住まいのピーター・バラカンさんも来店したことがあるらしい。なにしろ、普段クラシックばかりかかっている店内と営業後の掃除タイムのBGM(大体ソウル系、ときにストーンズなどもかかるらしい)の落差に大貫さんも度肝を抜かれたという。

ただ雑談なんだが、マスターも交えてしゃべるしゃべる。(笑) 自ら「僕は無口なんで」というマスターが、ジェームス・ブラウンのことになると、けっこうしゃべるんです。

若干の訂正があります。

マスターがジェームス・ブラウンの「アイ・ガッタ・ア・フィーリング」(「アイ・フィール・グッド」ではなかった)を聴いて、がぜんやる気を出すわけだが、それは喫茶店ではなくて、立ち食い蕎麦屋で有線で聴いたとのこと。無料のネギを山ほど蕎麦の中にいれて食べていたときのことだという。ただ聴いたその日は、誰のなんという曲かはわからず、何度もレコード屋に行って、尋ねてはわからず、いろいろ探してはわからず、やっとの思いでシングル盤を見つけ出したそうだ。

すると、大貫さんもジェームス・ブラウンの最初の衝撃はこの「アイ・ガッタ・ア・フィーリング」で奇しくも同じ曲だった。

アンセーニュの原宿店のオープンは1975年(昭和50年)、広尾店は1979年(昭和54年)、そして自由が丘店は1984年(昭和59年)だ。原宿店に初めて行った日は覚えていないが、広尾はオープン直後から行っているので、かれこれ30年以上は通ってる計算にはなる。

マスターは、パソコン一切やらず、携帯電話さえももたない。「僕はアナグロですから」「えっ? アナログですね」(笑) 「あ、そうそう、アナログ」

多岐にわたった話題。大貫さんが中学生の頃からACB(アシベ)などのライヴハウス(ジャズ喫茶)に通い、グループ・サウンズを見ていたこと、かなりグループ・サウンズ系に詳しい。大貫さんの相棒であるDJカッチンがパンクから最近突然ノーザン・ソウルに目覚めて7インチを集め始めている、ということなど。これはおもしろかったなあ。

■ノーザン・ソウルについて
「ノーザン・ソウル」とは~フローレッツ・ライヴから(パート2)
2012年11月16日(金)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11404710578.html

2時間半以上しゃべってたと思うが、大貫さん曰く「これ、もったいないよねえ、ユーストかなんかできるよね。月一くらいでまたお茶しようよ」。そうしましょう。ユーストも出来ると思います。

僕と大貫さんは音楽的にほとんど接点がないのだが、西麻布のトミーズでお互いDJをやっていて、妙に接点がある。1980年頃のことだ。そうそう、ジミー・ウォーカーからニッカボッカーズの話になり、そこからオールディーズ番組の話になり、えらく最後に盛り上がった。この話はまた詳細、後日におとどけします。


写真:左から大貫さん、マスター・林さん、吉岡。マスターの顔が小さいのは、遠近法のため。一応念のため。マスターは僕たち二人がしゃべってる間も豆を挽き黙々と珈琲をいれている

■ ジェームス・ブラウンの「アイ・ゴット・ザ・フィーリング」で人生を変えられたマスター

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G1E/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■ニッカボッカーズ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000009QJD/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ESSAY>Ohnuki
●シュガーフット(オハイオ・プレイヤーズ)69歳で死去~「オハイオ・ファンク」の雄

【Leroy “Sugarfoot” Bonner Dies At 69】

訃報。

「オハイオ・ファンク」を代表するグループ、オハイオ・プレイヤーズのヴォーカル、ギター担当のシュガーフットことリロイ・ボナーが2013年1月26日(土)朝、オハイオ州デイトン・トロットウッドで死去した。69歳。癌を患っていた。親しい友人たちには単に「シュガー」「フット」とも呼ばれていた。シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズのオフィシャル・フェイスブックに続いてオハイオのメディアでも27日に発表(日本時間28日)された。

Ohio Players frontman Leroy ‘Sugarfoot’ Bonner dies日本時間2013年1月28日(月)午前11時44分配信
http://www.daytondailynews.com/news/news/local/ohio-players-frontman-leroy-sugarfoot-bonner-dies/nT8BJ/

(速報) オハイオ・プレイヤーズのシュガーフット死去
2013年01月27日(日) 12時45分
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11457787580.html

オハイオ・プレイヤーズは、1970年代中期に「ファイアー」「ラヴ・ローラーコースター」などのファンク作品で大ヒットを放ち、一世を風靡した。オハイオ出身のファンク・バンドたちによる「オハイオ・ファンク」のシーンをリードしたバンド。また多くの作品がのちのヒップ・ホップ・アーティストによってサンプリングされている。ファンクの歴史の中でも一ページを記す重要なグループのひとつとなった。特にオハイオ・プレイヤーズは、ファンクとジャズの要素を巧みにブレンドしたサウンドがひじょうに特徴的でオハイオ・プレイヤーズの個性を形作った。

前回来日評↓
オハイオ・プレイヤーズ・ライヴ
2010年06月06日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10554930961.html

シュガーフット・トークス
シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズ(パート2)
2010年06月07日(月)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10556046804.html
シュガーフットとの会話の様子。

評伝。

「シュガーフット」ことリロイ・ボナーは、オハイオ・プレイヤーズの顔とも言える人物。1943年3月14日オハイオ生まれ。

オハイオ・プレイヤーズは1959年(昭和34年)、地元オハイオ州デイトンでロバート・ワード、マーシャル・ジョーンズ、クラレンス・サッチェル、ラルフ・ピーウィー・ミドルブルックス、コーネリアス・コンソンによって結成されたオハイオ・アンタッチャブルズが前身。1962年1月、オハイオ・アンタッチャブルズはロバート・ワードの親類が始めた「ルパイン・レコード」所属のファルコンズの「アイ・ファウンド・ア・ラヴ」のレコーディングでバックを務め、これは1962年6月にソウル・チャートで6位を記録。このファルコンズのリード・シンガーは、後に「ダンス天国」などの大ヒットを放つウィルソン・ピケットである。

オハイオ・アンタッチャブルズはルパインの他のアーティストのバックを録音したり、自らシングルを録音する。しかしヒットには至らず、ロバートはソロになり、一旦グループ活動は消滅する。

この頃残ったミドルブック、ジョーンズ、サッチェルの3人は新たにアンドリュー・ノーラン、グレッグ・ウェブスター、リロイ・シュガーフット・ボナー、ジョー・ハリスを迎え再度グループを結成。これを機にグループはオハイオ・プレイヤーズと改名。以来この名前で活動を続けた。

シュガーはこれ以降、オハイオ・プレイヤーズの主要メンバーとして活躍していく。

1967年、ジョニー・ブラントレーというマネージャーの尽力でコンパス・レコードと契約。ここからのシングル「トレスパッシング」が1968年にはソウル・チャート入り。シングルをもう一枚とアルバムをリリース。その後キャピトルに移籍、1969年、ここでもアルバムを出す。

シュガーフットによれば、彼らがここで録音した「オーヴァー・ザ・レインボウ」はジュディー・ガーランドの葬儀でかけられた」という。

1971年、デトロイトのインディ・レーベル、ウェストバウンドに移籍。1972年1月、アルバム「ペイン」をリリース。リード・ヴォーカルは、ウォルター・ジュニー・モリソン、他のメンバーはグレッグ・ウェブスター、アンドリュー・ノーランド、マーシャル・ジョーンズ、リロイ・ボナー、ラルフ・ミドルトン、ブルーズ・ネピア、マーヴィン・ピアース。このアルバム・ジャケットでは大胆に女性のヌード写真を採用。この路線が大成功の大きな要因のひとつにもなる。

以後ウェストバウンドで「ファンキー・ウォーム」などコンスタントにヒットを放ち、オハイオ・プレイヤーズは全国的な人気を高めていく。しかし、1973年までに金銭面でレコード会社ともめ、ウェストバウンドを辞め、1974年、マーキュリーに移籍。

マーキュリー。

1974年4月「ジャイヴ・ターキー」がリリースされすぐにヒット。これまでよりもはるかに大きなレヴェルで大ヒットが出るようになる。さらに、「スキン・タイト」がミリオン・セラーになり、「ファイアー」は全米1位を獲得。「ラヴ・ローラーコースター」、バラードの傑作「スイート・スティッキー・シングス」などが次々と大ヒット。当時はクール&ザ・ギャング、アース・ウィンド&ファイアーなどの大型グループが全盛だったこともあり、そうした流れの中で彼らも人気となった。

以後、1979年アリスタ、1981年ボードウォークなどレーベルを転々とするようになる。

1979年、ダイアモンド、クラレンス・チェット・ウィリス、ビリー・ベックの3人はオハイオ・プレイヤーズを脱退、シャドウを結成、3枚のアルバムをエレクトラからリリース。

一方、シュガーフットはザップのロジャーらとセッションの仕事をしたり、ビリーもシャーリー・マードックの「アズ・ウィ・レイ」(1986年)を共作したりとオハイオ・ファンク・シーンで活躍を続けた。1985年、ワーナーからシュガーフット名義のソロ・アルバム『シュガー・キス』も出した。これはザップ・ファミリーのサポートを得ている。

アルバム『スキン・タイト』収録の「ヘヴン・マスト・ビー・ライク・ディス」は後にディアンジェロがカヴァー。

シュガーフットはオハイオ・プレイヤーズから長く離れており、数年前に自身のバンドを再結成するときに、名前としてはオリジナル創始メンバーが持っていた「オハイオ・プレイヤーズ」が使えず、「シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズ」という名義で活動するようになった。

オハイオ・プレイヤーズは1980年1月米軍横田基地のライヴで初来日。その後一般公演で1988年10月芝浦インクスティック、1989年か90年頃有明エムザ、1991年3月横浜バード(のちのベイホール)、1992年4月大阪ブルーノート、1995年9月日比谷野外音楽堂の「レッツ・グルーヴ95」。2010年6月ビルボード東京・大阪に来日。

過去在籍したメンバーで次の人たちが逝去している。

クラレンス・サッチ・サッチェル (サックス/ギター)(1940年4月15日~1995年12月30日)
ラルフ・ピー・ウィー・ミドルブルックス(トランペット/トロンボーン)(1939年8月20日~1997年11月15日)
ロバート・ワード (ヴォーカル/ギター)(1938年10月15日~2008年12月25日)
コーネリアス・ジョンソン(ドラムス)(1937年7月12日~2009年2月1日)
リロイ・シュガーフット・ボナー (ギター/ヴォーカル)(1943年3月14日~2013年1月26日)

■映像

Ohio Players – Fire シュガーフットがギターを弾きながらライヴで歌っているヴァージョン。これは長尺でなかなかすごい。テレビ番組『ミッドナイト・スペシャル』から。

http://youtu.be/Y47G-Wa4qfs



Ohio Players - Skin Tight 1975

http://youtu.be/K_M0k9ez_uI


Ohio Players "Love Rollercoaster"

http://youtu.be/aBkVV9xxCHE



Funky Worm

http://youtu.be/NEscJWErZ0I



■シュガーフット・ソロ『シュガーフット・キス』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004ODXUWY/soulsearchiho-22/ref=nosim

Skin Tight

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G03/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

Honey

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G07/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

Fire

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G05/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

Angel + Jass-Ay-Lay=Dee の2枚を1枚のCDにしたもの

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0039L1JF2/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

ウェストバウンド時代の

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0083Q2K7Y/soulsearchiho-22/ref=nosim/


OBITUARY>Bonner, “Sugarfoot”, Leroy, (March 13, 1943 – January 26, 2013, 69 Year-old)
● オハイオ・プレイヤーズ~シュガーフット追悼

(昨日からの続き)

【A Tribute To Sugarfoot: Ohio Players】

基地。

オハイオ・プレイヤーズは、ファンク軍団の中でも別格だ。あの洗練されたジャジーな長尺の曲、そして、グルーヴ感溢れるサウンド。ねばっこいヴォーカル。オハイオたちはアース、クール、Pファンクたちとも違う独自路線を切り開いてきた。これら4グループは、こうしたファンク・グループの中でもずば抜けていた。

彼らを初めて見たのが1980年1月。米軍横田基地のUSOクラブ(ユーエスオークラブ)だった。やはりソウル好きの誰かがオハイオ・プレイヤーズが基地に来るらしいということで、なんとか入れるように手配して、はるばる横田まで行った。チケット代は10ドルもしなかったと思う。ただ1980年だと1ドル230円くらいしていたので、2300円くらいにはなる。それでも日本で見るよりはかなり安いはずだ。

横田基地の中に入るのも初めてだったので、何もかも目を見張るような体験だった。なにしろ、基地の中は道が広くまるでアメリカのようだった。ドリンク代もドルで払う。会場のクラブは広いホールのようなところで、特段おしゃれな感じではないが、一段高いところにステージがあり、客はテーブルで食事や飲んだりしてライヴを見る。無造作にテーブルが並べられていて、テーブルとテーブルの間で余裕で踊れる感じだった。

オハイオ・プレイヤーズはばりばりの全盛期でもあったので、彼らの演奏はワイルドでファンキーだったことは覚えている。ただ「スイート・スティッキー・シング」を彼らが演奏しているときに、チーク・ダンスを客が踊っていたかどうかは覚えていない。さすがにセットリストは書き記していないので、何をどれくらいやったかは、もうほとんど覚えていない。

その後、僕はもう2-3度横田基地に入ることになる。1982年4月、FENを取材する機会に恵まれたときとアトランティック・スターをやはり基地内で見ることになったときだ。このときはUSOクラブではなく、飛行機の格納庫だった。他にコメディアン、シンバッドを見たがこれが横田か横須賀がはっきり覚えていない。このあたりの話はまた別の機会に。

オハイオ・プレイヤーズは、1970年代中期六本木のディスコ、エンバシーで週末DJをやっていたときに、本当によくヘヴィー・ローテーションでかけた。彼らのヒットのアップテンポの曲、「ファイアー」や「ラヴ・ローラーコースター」あたりははブラザーたちも日本人も踊った。だが、「スイート・スティッキー・シング」なんて、ブラザーたちは腰をくねらせながらゆっくりリズムに乗って踊っていが、あれは日本人は踊れなかった。もちろんチークを踊る場合もあったが。

噂。

アルバム『ハニー』が出たときのこと。アルバム・ジャケットは裸の女性モデルが蜂蜜をたっぷり口にいれようとしているところを撮影したものになっている。このジャケットを広げると見開きで蜂蜜にまみれたそのモデルが映っている。プレイボーイ誌で月刊プレイメイトになったというモデルをジャケットに起用していた。

しばらくしてこんな噂が出回った。この蜂蜜まみれのモデルが、撮影中に体中に蜂蜜を塗ったために皮膚呼吸ができなくなり、窒息死したという。そして、このアルバムからの大ヒット「ラヴ・ローラーコースター」の途中にそのときの悲鳴が入っているというストーリーだ。別のストーリーではスタジオでレコーディング中にこのモデルがナイフで刺されて死んだというもの。ジェット誌あたりにも載り、ケイシー・ケイスンも『アメリカン・トップ40』でその噂を紹介したほどだが、確かに「ラヴ・ローラーコースター」の中には女性の悲鳴風の声が入っている。(下記ユーチューブで2分33秒くらいのところ)

これが一時話題になったが、結局、モデルが死んだということはなく、メンバーがその噂を否定して決着する。おそらく、レコード会社あたりが、話題作りのためにそうしたネタを作ってうまくリークしたのだろう。当時はこれが広まるのにけっこう時間がかかったが、今だったらツイッターで1日もあれば、噂は全世界に広がるにちがいない。

「ラヴ・ローラーコースター」はその後レッド・ホット・チリ・ペッパーズがカヴァーしている。オハイオ・プレイヤーズ作品のヒップホップ・アーティストによるサンプリングは200件以上超えているという。

その後何度か来日し、1991年3月、今度は横浜バードでのライヴでやってきたときに横浜のホテルでメンバー3人にロング・インタヴューをした。シュガーフット、ジェームス・ダイアモンド・ウィリアムス、クラレンス・ウィルスの3人だ。比較的細かいことにも答えてくれ、これを元にオハイオ・プレイヤーズ・ストーリーを後に出るボックス・セットに書いた。

そして、2010年6月。シュガーフットと再会。ごきげんな爺さんになっていた。ドラムスのジェームス・ダイアモンドは、TV-ONEの『アンサング』の中で、シュガーフットがフロントマンになったことを指して、「彼は我々のミック・ジャガーみたいなものだ」と言った。

ご冥福をお祈りします。

■アメリカTV-ONEの『UNSUNG』(オハイオ・プレイヤーズの回)(約40分、英語)
http://www.dailymotion.com/video/xsdlou_unsung-documentary-the-ohio-players-generation-soul-disco-funk_music?start=248#.UQenxx003AU

■次回「ソウル・サーチン・レイディオ」(インターFM、76.1mhz日曜午後2時半~)では、シュガーフット追悼オハイオ・プレイヤーズをお送りする予定です。

■Love Rollercoaster (Studio Version)

この2分33秒あたりに悲鳴風の声。しかし、実はこれはメンバーのビリー・ベックだという。

http://youtu.be/etebeZDt7Eo



■ Love Rollercoaster 『ミッドナイト・スペシャル』でのライヴ・ヴァージョン。リロイがギターを弾きながら声を出すのが映っている

http://youtu.be/aBkVV9xxCHE



■記事

Ohio Players frontman, Leroy ‘Sugarfoot’ Bonner, is dead at 69
Voice behind ’Love Rollercoaster’ and other hits dominated ’70s funk

BY JIM FARBER / DAILY NEWS MUSIC CRITIC

PUBLISHED: MONDAY, JANUARY 28, 2013, 11:36 AM
UPDATED: MONDAY, JANUARY 28, 2013, 1:44 PM

http://www.nydailynews.com/news/national/ohio-player-dead-article-1.1249522#ixzz2JIaQ3wfi

http://www.nydailynews.com/news/national/ohio-player-dead-article-1.1249522

■噂が飛び出た『ハニー』

Honey

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G07/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

OBITUARY>Bonner, “Sugarfoot”, Leroy, (March 13, 1943 – January 26, 2013, 69 Year-old)
◆● ジェフ・リー・ジョンソン死去~ソウル・サーチンもろもろ

【Soul Searchin Bits & Pieces】

まとめ。

ちょっとたてこんでいるので、ツイートをまとめます。このほかに「ビート・コネクション」で久保田さん見た、マギー司郎さんに会ったなどもまとめる予定です。

■フィリー・ギタリスト・ジェフ・リー・ジョンソン死去

訃報。

フィラデルフィア出身のギタリスト、ジェフ・リー・ジョンソン、Jef Lee Johnson 糖尿病の合併症で2013年1月28日死去。ジョージ・デューク、ディアンジェロ、エスペランザ・スポールディングなどとも共演。 http://bit.ly/114m7Zz  RIP

Jef Lee Johnson の約1時間の2009年ライヴ映像がアップされてます。
http://bit.ly/126dGfi  

なお、ジェフは1959年2月末前後の生まれと見られ享年53と思われます。まだ若い。クエストラヴ、ジョージ・デュークもすでに追悼コメント。

ジェフ・リー・ジョンソン Jef Lee Johnson は2011年3月のジョージ・デューク・ライヴ、2012年9月東京ジャズ、エスペランサ・スポールディングでも来日していた。

日本でもソウル系シンガーのズーコが一緒にレコーディングしていた。

ジャズだけでなく、ブルーズ、ソウル、ファンク、ロックあらゆるジャンルを超越したプレイを聴かせていた。

フィリー・コム誌(ウェッブ)版
http://www.philly.com/philly/obituaries/20130130_Jef_Lee_Johnson__54__undeground_Philly_jazz_legend.html
ここでは54歳と書いている。1958年生まれなのか、あるいは1959年1月生まれなのか。

■サマソニにアース登場。

今年のサマーソニック(2013年8月10日、11日)にアース・ウィンド&ファイアー、シンディー・ローパーなど参加。
http://bit.ly/T8zMdn  

■ヤマハ125周年イヴェント

ヤマハの創立125周年イヴェントが2013年1月25日(日本時間26日午後)ロスアンジェルスで行われ、その模様がユーストリームで生中継された。

アース、エルトン・ジョンら豪華なラインアップだった。

ヤマハ125周年記念イヴェント(ロスアンジェルス)、ライヴ・生ストリーム
http://bit.ly/WBAttP  
日本時間午後1時からスタート

■ブロードウェイ・ミュージカル『モータウン:ザ・ミュージカル』2013年3月公開

2013年3月公開のブロードウェイ・ミュージカル『モータウン:ザ・ミュージカル』とスポンサー、クライスラーとのタイアップCMにベリーー・ゴーディーが登場。
http://bit.ly/WjzFvE  


ミュージカル予告編。 
http://bit.ly/Y2pTgq  これは楽しみ



■プリンス、新しいウェッブサイト公開

プリンス Prince が新しいウェッブサイト公開。
http://20pr1nc3.com/  
新曲「スクリュー・ドライヴァー」PVなど3本の映像を公開。一本はアンディ・アロの静止画。

ENT>Soul Searchin

■ジェフ・リー・ジョンソン

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0032CJ3J2/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0032CJ3JC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005QVKS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

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