Another Great Poet Aku Yu Dies At 70
2007年8月4日【阿久悠氏死去】
悪友。
1960年代後期から1970年代にかけて多数の歌謡曲の作詞を担当、3000曲近くの作品を残した作詞家、阿久悠(あく・ゆう=本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)氏が2007年8月1日午前5時29分、慈恵会医大病院で尿管癌のため死去した。70歳。音楽業界誌オリジナル・コンフィデンスによると、作詞家として6000万枚以上のセールスを記録、これは記録が残るオリコン史上歴代堂々の1位だという。(2位は松本隆氏) 阿久悠氏は1937年(昭和12年)2月7日兵庫県生まれ。大学卒業後、広告代理店に入社、その後1967年から作詞家、文筆家として活動を開始、多数のヒットを生み出した。(なお、阿久悠氏の作品数については、今回の訃報記事で5000曲以上と報道されているが、JASRAC(日本音楽著作権協会)に登録されている楽曲数は2800曲余なので、とりあえず、ここでは3000曲近くということにしておく)
++++
僕個人としては、阿久悠さんは面識はないが、昔『スター誕生』での怖そうな審査員、さらにピンク・レディー他の多数の歌謡曲の作詞家として名前だけは存知あげていた。
たまたま、アメリカの作詞家ロン・ミラーの訃報と彼の作品について書いていて、そこに「Great Poet(偉大なる作詞家)」と名づけたが、もちろん、阿久悠氏はもうひとりのグレイト・ポエットである。
阿久悠氏が、単なる作詞家というだけでなく、偉大なプロデューサーであることも音楽業界では知られている。そのアーティストの方向性、キャラクターなどを考え、どうやって売リ出したら売れていくのか、そういうトータル的なプロデュース・ワークをされていた極初期の方だと思う。ピンク・レディーの成功などはまさにその金字塔だろう。そうした流れは後年の秋元康氏などに受け継がれる。
そして、もちろん「言葉のプロ」であった。数多くの作品を丹念に調べれば、その言葉のプロとしての表現がいくつも出てくるにちがいない。
僕はかつて「売れっ子作詞家になるためにはどうしたらいいか」という設問に、こう答えた。「売れっ子作曲家を捕まえることだよ」 この逆はまずありえない。つまり、「売れっ子作曲家になるために、売れっ子作詞家を捕まえればいい」ということには、基本的にはならないのだ。だが、阿久悠氏に限って言えば、そのセオリーも例外かもしれない。
UFOに乗って、また逢う日まで、
ご冥福をお祈りしたい。
ENT>OBITUARY>Aku, Yu/ 1937.2.7-2007.08.01 (70)
悪友。
1960年代後期から1970年代にかけて多数の歌謡曲の作詞を担当、3000曲近くの作品を残した作詞家、阿久悠(あく・ゆう=本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)氏が2007年8月1日午前5時29分、慈恵会医大病院で尿管癌のため死去した。70歳。音楽業界誌オリジナル・コンフィデンスによると、作詞家として6000万枚以上のセールスを記録、これは記録が残るオリコン史上歴代堂々の1位だという。(2位は松本隆氏) 阿久悠氏は1937年(昭和12年)2月7日兵庫県生まれ。大学卒業後、広告代理店に入社、その後1967年から作詞家、文筆家として活動を開始、多数のヒットを生み出した。(なお、阿久悠氏の作品数については、今回の訃報記事で5000曲以上と報道されているが、JASRAC(日本音楽著作権協会)に登録されている楽曲数は2800曲余なので、とりあえず、ここでは3000曲近くということにしておく)
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僕個人としては、阿久悠さんは面識はないが、昔『スター誕生』での怖そうな審査員、さらにピンク・レディー他の多数の歌謡曲の作詞家として名前だけは存知あげていた。
たまたま、アメリカの作詞家ロン・ミラーの訃報と彼の作品について書いていて、そこに「Great Poet(偉大なる作詞家)」と名づけたが、もちろん、阿久悠氏はもうひとりのグレイト・ポエットである。
阿久悠氏が、単なる作詞家というだけでなく、偉大なプロデューサーであることも音楽業界では知られている。そのアーティストの方向性、キャラクターなどを考え、どうやって売リ出したら売れていくのか、そういうトータル的なプロデュース・ワークをされていた極初期の方だと思う。ピンク・レディーの成功などはまさにその金字塔だろう。そうした流れは後年の秋元康氏などに受け継がれる。
そして、もちろん「言葉のプロ」であった。数多くの作品を丹念に調べれば、その言葉のプロとしての表現がいくつも出てくるにちがいない。
僕はかつて「売れっ子作詞家になるためにはどうしたらいいか」という設問に、こう答えた。「売れっ子作曲家を捕まえることだよ」 この逆はまずありえない。つまり、「売れっ子作曲家になるために、売れっ子作詞家を捕まえればいい」ということには、基本的にはならないのだ。だが、阿久悠氏に限って言えば、そのセオリーも例外かもしれない。
UFOに乗って、また逢う日まで、
ご冥福をお祈りしたい。
ENT>OBITUARY>Aku, Yu/ 1937.2.7-2007.08.01 (70)