★『ジミー・ウォーカーを探して(パート3)』 ~『ヴァニシング・ポイント』のサントラで歌っていたシンガーその歴史
【Searching For Jimmy Walker (Part 3 of 4 Parts)】
(昨日からの続き)
(謎のシンガー、ジミー・ウォーカーを探してリサーチした結果、様々な過去が浮かび上がった。ジミー・ウォーカー・ストーリー。)
R&Bのドゥ・ワップ・グループ、ビートルズ風グループ・サウンド、ブルー・アイド・ソウルの人気デュオ、ライチャス・ブラザーズの片割れと着実に階段を上がっているように見えるジミー・ウォーカーだが、そのジミーを見出したプロデューサー、ジェリー・フラーはほんのちょっとした運命のいたずらでゲイリー・パケット&ユニオン・ギャップで大当たりを出す。
ジミー。
こうして売れっ子プロデューサーとなったジェリー・フラーは、社内でも自由にアーティストを獲得することができるようになり、ジミー・ウォーカーを再度コロンビアに迎えようとする。このときには、もうチャレンジとの契約も切れていて、難なく契約となった。そうして出来たのが3枚のシングルだ。いずれも1969年から1970年にかけてリリースされたもの。
The Greatest Love / Dawn (Go Away) (Columbia 4-44742) (1969)
I Got The Best Of You / Your Past Is Beginning To Show (Columbia 4-44884) (1969)
"Chop No Wood" / "Feel The Warm" (Columbia 45181) (1970)
Jimmy Walker - I Got The Best Of You
http://www.youtube.com/watch?v=UqcvV9rcNsM
この曲のプロデュースは、ジェリー・フラーで彼は曲も書いているが、アレンジャーのウィリアム・クランドールはニッカボッカーズ時代からのビル・クランデルのことである。
これらは、明らかにゲイリー・パケット路線を狙った作品で、ジェリーは昔馴染みを「第二のゲイリー・パケット」にしようとしたのだろう。ひょっとしたらジェリーの頭には、チャレンジ時代にジミーを「ブルー・アイド・ソウル・シンガー」として売り出そうという考えがあったかもしれないが、実現しなかった。それが、ゲイリー・パケットの出現で花開いたのかもしれない。
いずれにせよ、ジミーのこれら3枚のシングルはいい楽曲だとは思うが、まったくヒットにならなかった。ゲイリー・パケットに似すぎているという見方もあるかもしれない。大ヒットの裏に隠れてしまう影のシンガーということかもしれない。
映画。
そして、次に彼の名前が出るのが、『ジミー・ウォーカーを探して』のきっかけとなった映画『ヴァニシング・ポイント』のサントラだ。1971年のリリース。この映画はコロラドからカリフォルニアまで車を陸送するドライヴァーを描いたいわゆるカーチェイスものの元祖的映画。途中に黒人DJスーパー・ソウルがかっこよく出てきて、ハイウェイを走るトラックのカーラジオからごきげんな音楽が流れてくる。
このサントラは、ジミー・ボウエン(1937年ニューメキシコ出身)が中心となって作っていたものだが、プロデューサーからジェリー・フラーに誰かいいシンガーはいないかと相談がいき、ジェリーがジミーに声をかけた。
Jimmy Walker-Where Do We Go From Here
Vanishing point (1971) soundtrack,Jimmy Walker-where do we go from here
http://www.youtube.com/watch?v=s7bixhF5Dfo
このジミーが歌う「ホエア・ドゥ・・・」はマイク・ポストというカントリー系のシンガー・ソングライターが書いた作品。このサントラで3曲も提供しているが、ちょっとしたヴェテランだった。彼はケニー・ロジャーズ・バンドにいた人物で、自身のソロ・アルバムも出していた。
しかしながら、映画はそこそこ当ったがこのサントラ盤はヒットせず、ジミーは一時期ワイオミングで引退生活を送るようになる。しかし、70年代半ばにまた音楽業界に戻ってきたという。
ジミー・ウォーカーとジェリー・フラーはこのように深い結びつきあり、現在でも1-2ヶ月に一度電話で話したりして、交流は続いているそうだ。つい先日も電話で他愛ない話をしたと言っていた。
その後ジミーは、オアシス(あのロック・グループとは同名異グループで、タワー・オブ・パワーのようなブラス・ロックっぽいサウンド)、また1982年にホット・ストリート(タワー・オブ・パワーのギタリスト、ブルース・コンテが参加)という5人組グループを結成していて、そこでドラムスを担当している。
1990年には一度ニッカボッカーズが再結成したときにも参加している。
ジミーのマネージャーであるケイティーは、ジミー・ウォーカーとアルヴォン・ジョンソンの二人による2012年のライヴの音源をユーチューブにアップしていた。
http://www.youtube.com/watch?v=1eCsJl241w8
また、ジミーは最近ソロ・アルバム『プレイン・トゥ・ウィンPlayin’ To Win』を制作、リリース。これは i-tunes などで入手できるという。
ジミー・ウォーカーのフェイスブック(プロフィールがある)
https://www.facebook.com/pages/JIMMY-WALKER/274927943523?sk=info
同マイスペース(10曲ほど聞ける)
http://www.myspace.com/jimmywalkerprofile/music/playlists/jimmy-s-playlist-104698
しばらく前までラスヴェガス在住だったが、最近はカリフォルニアの北部に住んで、ときどきライヴ活動をしているようだ。
それにしても、ちょっとしたきっかけで、このジミー・ウォーカーの歴史を紐解くことになった。
ドゥーワップっぽいロックンロールのキャッスル・キングス→ビートルズもどきのニッカボッカーズ→まさに典型的ブルー・アイド・ソウル、ライチャス・ブラザーズ→ソロ・シンガーという華麗な経歴の持ち主ということになる。それにしてもたった一曲の、それもほとんどヒットはしていない曲のシンガーにこれだけの豊潤なストーリーがあるとは夢にも思わなかった。まさに「人に歴史あり」。「ヒット曲として我々が目撃するのは、ほんの氷山の一角」という思いを強くした。
今回は電話で話しただけだが、じっくり対面インタヴューができれば、ジミー・ウォーカーのソウル・サーチン・ストーリーなどを聞いてみたいと思った。
このリサーチの過程でジミーのマネージャーのケイティーと知り合い、ジミーに直接電話インタヴューする機会を得た。大方の流れは書けていたのだが、実際にインタヴューして加筆修正したのが本稿だ。
~~~
さて、ジミー・ウォーカーのストーリーは大体終わったのだが、このリサーチの過程で大変おもしろい発見があった。それが、ニュー・ジャージーのWIBGというオールディーズ専門のラジオ局だ。このDJにスティーヴ・カプラスキーという人物がいて、デイヴがこのジミーにインタヴューしていたのだ。
(この項続く)
Very special thanks to Katy, Jimmy Walker for your support
ENTERTAINMENT>ARTIST>Walker, Jimmy
【Searching For Jimmy Walker (Part 3 of 4 Parts)】
(昨日からの続き)
(謎のシンガー、ジミー・ウォーカーを探してリサーチした結果、様々な過去が浮かび上がった。ジミー・ウォーカー・ストーリー。)
R&Bのドゥ・ワップ・グループ、ビートルズ風グループ・サウンド、ブルー・アイド・ソウルの人気デュオ、ライチャス・ブラザーズの片割れと着実に階段を上がっているように見えるジミー・ウォーカーだが、そのジミーを見出したプロデューサー、ジェリー・フラーはほんのちょっとした運命のいたずらでゲイリー・パケット&ユニオン・ギャップで大当たりを出す。
ジミー。
こうして売れっ子プロデューサーとなったジェリー・フラーは、社内でも自由にアーティストを獲得することができるようになり、ジミー・ウォーカーを再度コロンビアに迎えようとする。このときには、もうチャレンジとの契約も切れていて、難なく契約となった。そうして出来たのが3枚のシングルだ。いずれも1969年から1970年にかけてリリースされたもの。
The Greatest Love / Dawn (Go Away) (Columbia 4-44742) (1969)
I Got The Best Of You / Your Past Is Beginning To Show (Columbia 4-44884) (1969)
"Chop No Wood" / "Feel The Warm" (Columbia 45181) (1970)
Jimmy Walker - I Got The Best Of You
http://www.youtube.com/watch?v=UqcvV9rcNsM
この曲のプロデュースは、ジェリー・フラーで彼は曲も書いているが、アレンジャーのウィリアム・クランドールはニッカボッカーズ時代からのビル・クランデルのことである。
これらは、明らかにゲイリー・パケット路線を狙った作品で、ジェリーは昔馴染みを「第二のゲイリー・パケット」にしようとしたのだろう。ひょっとしたらジェリーの頭には、チャレンジ時代にジミーを「ブルー・アイド・ソウル・シンガー」として売り出そうという考えがあったかもしれないが、実現しなかった。それが、ゲイリー・パケットの出現で花開いたのかもしれない。
いずれにせよ、ジミーのこれら3枚のシングルはいい楽曲だとは思うが、まったくヒットにならなかった。ゲイリー・パケットに似すぎているという見方もあるかもしれない。大ヒットの裏に隠れてしまう影のシンガーということかもしれない。
映画。
そして、次に彼の名前が出るのが、『ジミー・ウォーカーを探して』のきっかけとなった映画『ヴァニシング・ポイント』のサントラだ。1971年のリリース。この映画はコロラドからカリフォルニアまで車を陸送するドライヴァーを描いたいわゆるカーチェイスものの元祖的映画。途中に黒人DJスーパー・ソウルがかっこよく出てきて、ハイウェイを走るトラックのカーラジオからごきげんな音楽が流れてくる。
このサントラは、ジミー・ボウエン(1937年ニューメキシコ出身)が中心となって作っていたものだが、プロデューサーからジェリー・フラーに誰かいいシンガーはいないかと相談がいき、ジェリーがジミーに声をかけた。
Jimmy Walker-Where Do We Go From Here
Vanishing point (1971) soundtrack,Jimmy Walker-where do we go from here
http://www.youtube.com/watch?v=s7bixhF5Dfo
このジミーが歌う「ホエア・ドゥ・・・」はマイク・ポストというカントリー系のシンガー・ソングライターが書いた作品。このサントラで3曲も提供しているが、ちょっとしたヴェテランだった。彼はケニー・ロジャーズ・バンドにいた人物で、自身のソロ・アルバムも出していた。
しかしながら、映画はそこそこ当ったがこのサントラ盤はヒットせず、ジミーは一時期ワイオミングで引退生活を送るようになる。しかし、70年代半ばにまた音楽業界に戻ってきたという。
ジミー・ウォーカーとジェリー・フラーはこのように深い結びつきあり、現在でも1-2ヶ月に一度電話で話したりして、交流は続いているそうだ。つい先日も電話で他愛ない話をしたと言っていた。
その後ジミーは、オアシス(あのロック・グループとは同名異グループで、タワー・オブ・パワーのようなブラス・ロックっぽいサウンド)、また1982年にホット・ストリート(タワー・オブ・パワーのギタリスト、ブルース・コンテが参加)という5人組グループを結成していて、そこでドラムスを担当している。
1990年には一度ニッカボッカーズが再結成したときにも参加している。
ジミーのマネージャーであるケイティーは、ジミー・ウォーカーとアルヴォン・ジョンソンの二人による2012年のライヴの音源をユーチューブにアップしていた。
http://www.youtube.com/watch?v=1eCsJl241w8
また、ジミーは最近ソロ・アルバム『プレイン・トゥ・ウィンPlayin’ To Win』を制作、リリース。これは i-tunes などで入手できるという。
ジミー・ウォーカーのフェイスブック(プロフィールがある)
https://www.facebook.com/pages/JIMMY-WALKER/274927943523?sk=info
同マイスペース(10曲ほど聞ける)
http://www.myspace.com/jimmywalkerprofile/music/playlists/jimmy-s-playlist-104698
しばらく前までラスヴェガス在住だったが、最近はカリフォルニアの北部に住んで、ときどきライヴ活動をしているようだ。
それにしても、ちょっとしたきっかけで、このジミー・ウォーカーの歴史を紐解くことになった。
ドゥーワップっぽいロックンロールのキャッスル・キングス→ビートルズもどきのニッカボッカーズ→まさに典型的ブルー・アイド・ソウル、ライチャス・ブラザーズ→ソロ・シンガーという華麗な経歴の持ち主ということになる。それにしてもたった一曲の、それもほとんどヒットはしていない曲のシンガーにこれだけの豊潤なストーリーがあるとは夢にも思わなかった。まさに「人に歴史あり」。「ヒット曲として我々が目撃するのは、ほんの氷山の一角」という思いを強くした。
今回は電話で話しただけだが、じっくり対面インタヴューができれば、ジミー・ウォーカーのソウル・サーチン・ストーリーなどを聞いてみたいと思った。
このリサーチの過程でジミーのマネージャーのケイティーと知り合い、ジミーに直接電話インタヴューする機会を得た。大方の流れは書けていたのだが、実際にインタヴューして加筆修正したのが本稿だ。
~~~
さて、ジミー・ウォーカーのストーリーは大体終わったのだが、このリサーチの過程で大変おもしろい発見があった。それが、ニュー・ジャージーのWIBGというオールディーズ専門のラジオ局だ。このDJにスティーヴ・カプラスキーという人物がいて、デイヴがこのジミーにインタヴューしていたのだ。
(この項続く)
Very special thanks to Katy, Jimmy Walker for your support
ENTERTAINMENT>ARTIST>Walker, Jimmy