(昨日からの続き)

【「幸運な息子」(フォーチュネイト・サン)物語(パート2)】

混迷。

ジョン・フォガーティーは、この曲についてこう語っている。

「これはニクソン(大統領)と自分の戦いのようなものなんだ。つまり、権力を持つ者、すべてをもっている者たちとの対決だ。ワシントンに住む連中に対して、僕は大きな車に乗っていて、とても尊敬できるような連中ではない、ネガティヴなイメージを持っていた。ヴェトナム戦争のとき、(人は行かせるのに)自分たち自身は戦争に行かないような連中だ。ドゥワイト・アイゼンハワー(大統領=34代)の孫デイヴィッドのことを思い浮かべていた。彼はニクソンの娘ジュリーと結婚していて、彼らはいかにも金持ちの家のおぼっちゃま、おじょうさまのようだった。

いずれにせよ、最初にバンドにこの曲を聴かせたときはまだほとんど歌詞はできていなかった。コード進行とエネルギーとタイトルの『フォーチュネイト・サン』があったくらいだ。

そして、ベッドルームにいって、フエルトペンでレポート用紙に歌詞を書き始めた。すぐに、it ain’t me, I ain’t no fortunate son(俺じゃあない、俺は幸運な息子、恵まれた息子じゃない)というフレーズがでてきた。心の中で叫んでいた。声にはださなかったが、3ページにわたって(歌詞を)書いた。ほんの20分くらいで全部書けたよ。

まさに、ニクソンがインスピレーションを与えてくれた作品だ。彼は『名誉ある平和』『わが国を、愛するか、去るか』なんてことを言っていたが、今やこの男がまちがいなく悪魔だったことをみんな知っている」

「1969年当時、国民の8割は戦争肯定派だったんだ。だが、事実を注意深く見守っている連中は、まちがいなく大きなトラブルに向かっていると考えていた。僕はニクソン支持でもなかったし、政治家の息子たちが戦争に行かないことも知っていた。僕はその頃23歳で、なんでもない普通の若者たちは、彼ら自身が戦争反対の考えをもっていても戦争に行かなければならないのに、権力者の息子たちはそんなことすら考えなくてよかったんだ。彼らは恵まれていたよ、幸運だったんだ。そういう連中は「(戦争は)アメリカのためになる」と言っていたが、その子供は誰一人戦場には行っていない」(コメントは、クリーデンスの非公式バイオ・ブックに掲載されたジョンのもの)

戦争肯定派と反戦派。それぞれが入り混じった1969年。混迷の時代の傑作だ。

というところで、「フォーチュネイト・サン」の訳詞を「ダイ・ハード・ヴァージョン」でやってみました。(冒頭の4行の部分は、ダブルミーニングです)

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Fortunate Son (John Forgerty)
フォーチュネイト・サン(ダイ・ハード・ヴァージョン訳詞)
訳・ザ・ソウル・サーチャー
(オリジナルの歌詞は7月19日付けにあります)

生まれながらに愛国心いっぱいの連中がいる
(生まれながらに国旗を振るのが大好きな連中がいる)
共産主義者でも、保守派でも、無党派でも
(その星条旗の色は赤、白、青)
バンドが『ヘイル・トゥ・ザ・チーフ』(大統領のために演奏する楽曲。チーフ=大統領に忠誠を、といった意味)を奏でるとき、国は実はおまえに大砲を向けてくるんだ、神様

俺は違う、俺は国会議員の息子なんかじゃない
俺はぜんぜん恵まれてない、俺は世界一運のない男

金持ちの家に生まれる連中もいる
奴らを助けることなんかない
税務署が(金持ちの家に)来たときは、家は投売り後のようにもぬけの殻さ

俺は違う、俺は大金持ちの息子なんかじゃない
俺にはツキがない、俺は世界一運のない男

熱烈なアメリカ愛国の魂を持った連中がいる
でも、そんな連中はおまえたちを戦場に送り込むだけ
国民がどれだけ(戦場に)人を送ればいいかと尋ねれば
彼らは答える。「もっと、もっと、もっと(多くの国民を)」と。

俺は違う、俺は軍人の息子じゃない
俺にはツキがない、俺は世界一運のない男

俺にはツキがない、俺は世界一運のない男
ツキがない、俺は世界一最悪の、不幸の星の元に生まれた男なんだ

(訳・ザ・ソウル・サーチャー)

■「フォーチュネイト・サン」収録のCCRの傑作アルバム、通算4作目『ウィリー・アンド・ザ・プア・ボーイズ』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000000XCF/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>MUSIC>SONG>Fortunate Son
ENT>MUSIC>ARTIST>CCR
ENT>MOVIE>Die Hard 4.0
【ココ・テイラー・ライヴ】

貫禄。

「ワン・アンド・オンリーのクイーン・オブ・ブルーズは誰だあああっ??」 観客が答える。「コ・コ・テイラー!!」 さらに煽って「ワン・アンド・オンリーのクイーン・オブ・ブルーズは誰だあああっ??」 より大きな声で観客が答える。「コ・コ・テイラー!!」 

ヴェテラン女性ブルーズ歌手、ココ・テイラーの1991年5月以来16年ぶり2度目の来日公演。今回はバックにわれらが日本代表のブルーズマン菊田俊介が入っている。彼は2001年からココのバンドに入っていて、シカゴを本拠に全米のブルーズ・サーキットを回っている根っからのブルーズ・ギタリストだ。フィールドは違えどイチローよりも前に、アメリカに渡り、本場のブルーズの現場に飛び込んだ。ボストンのバークリー音楽院に入った1986年からアメリカにいるので、在米21年という。

ライヴは、確かなリズムにのりのいいブルーズ・サウンドで、後半は踊りだす観客も。この日は、渋谷デュオに席を作ってゆったり見られるようになっていた。観客の年齢はさすがに高いがそれでもかなりの数の20代から30代の人もいた。また驚いたのが約2割以上は女性だったこと。

5曲約45分ほどバンドがウォームアップして、いよいよココの登場。銀ラメのジャケット、それにおそろいの帽子、黒いパンツといういでたちで貫禄十分。次々とのりのいいブルーズを歌う。1928年(昭和3年)生まれというので今年の9月の誕生日で79歳になるらしいが、それにしては元気。(なお、生年については他にもいくつかある) 一時期体調を崩したというが、そんなことは微塵も思わせない。

別にこの日のギグが特別なものではないだろう。彼らにしてみれば、普通のいつものライヴだ。だが、そんなあたりまえの日常のライヴ、その約90分、渋谷がシカゴのサウスサイドになった。

再会。

こんなライヴをシカゴまで行かなくても自宅から30分のところで見られるというだけでも、お得感いっぱいだ。そして、アフリカン・アメリカンの中にただひとり、日本人の菊田俊介がいるというだけでも、嬉しい。

ライヴ後、すぐにミュージシャンたちがでてきたが、菊田さんとは11年ぶりの再会。(前回の来日時は、会えなかった) 1996年に、僕がシカゴに行ったときに街を案内してもらった。そのときは、彼がその夜プレイするサウスサイドのあやしげなブルーズ・バーにつれていってもらった。あのときの菊田さんもかっこよかったなあ。しかし、彼のブログやCDなども聴いているので、あんまり11年ぶりという感じもしない。

ところで、下記オフィシャル・ウェッブのスケジュールのところを見ていたら、今日22日(日)の日比谷野音での「ジャパン・ブルーズ・アンド・ソウル・カーニヴァル」出演後、23日(月)にシカゴでのギグが入ってるではないか。(笑) すごいスケジュールだ。まあ、日本時間日曜にライヴを終えて、23日朝のシカゴ行きに乗れば、シカゴの同日23日(月)の昼過ぎには着く。夜のライヴには間に合うというわけだ。すごい。がんばれ! 

早くからアメリカに渡ったギタリストといえば、もうひとり山岸潤史さんがいるが、最近どうしてるかな。

■菊田俊介オフィシャル・ウェッブ
http://www.shunkikuta.com/japanese/

■菊田俊介最新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000PDZLU6/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ココ・テイラー最新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000P0I8RW/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ココ・テイラーは今日「ジャパン・ブルーズ・アンド・ソウル・カーニヴァル」に出演

JAPAN BLUES & SOUL CARNIVAL ’07
出演:ココ・テイラー/ローリー・ベル/
   吾妻光良&スウィンギン・バッパーズ/マダムギター長見順
日程 7月22日(日)開場15:00/開演15:45
会場 日比谷野外音楽堂
料金 ¥7,000(全席指定・税込) ※雨天決行
お問い合わせ M&I カンパニー 03-5453-8899

■メンバー

Koko Taylor (vocal)
Shun Kikuta (guitar)
Melvin Smith (bass)
Sonny "A Train" Edwards (keyboards)
Calvin “Vino” Louden (guitar)
Rick (drums)

■Setlist : Koko Taylor & Blues Machine @ Shibuya Duo, July 20th, 2007
セットリスト ココ・テイラー 渋谷デュオ 2007年7月20日(金)

show started 19:05
-Band-
01. (If You’re Gonna) Love Somebody
02. Never Make You Move Too Soon
03. Help Me (Sonny Boy)
04. Little By Little (Jr. Wells)
05. I Just Want To Make Love To You (Willie Dixon)
-Koko Taylor-
06. Let The Good Times Roll
07. Ernestine
08. Come To Mama
09. I’m A Woman
10. Jump For Joy
11. Wang Dang Doodle
Enc. Sweet Home Chicago
show ended 20:40

(2007年7月20日金、渋谷デュオDUO=ココ・テイラー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Taylor, Koko
2007-90
【ブッシュ大統領のことを書いた本のタイトルも『フォーチュネイト・サン』】

慧眼(けいがん)。

「フォーチュネイト・サン」について書いたが、その後わかったのだが、同名の本がでていた。『Fortunate Son: George W. Bush and the Making of an American President 』という現在のブッシュ大統領のことを書いた本。もちろん、親が元大統領のブッシュ、その息子のブッシュは現大統領、まさに曲が歌うところの「フォーチュネイト・サン(幸運な息子)」である。

この本は、2001年に全米発売されたときに、ブッシュ側が発売を差し止めようとしたらしく、10万部が回収されたらしい。現在はペーパーバックなどで発売されている。ブッシュ家の暗部がかなり暴露されているようだ。特にブッシュが最初に石油ビジネスを始めようというときに資金援助をしたのが、ビンラディンのアメリカ代表のような人物だったというあたりはかなり衝撃的。日本版もでている。日本語のタイトルは、『幸運なる二世ジョージ・ブッシュの真実 (単行本) 』。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4899980167/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ところで、「フォーチュネイト・サン」の曲については、アメリカでは、これが誰を指しているのかという話題がでたそうで、たとえば、現在のブッシュ大統領や、アル・ゴアなども上院議員の息子というジャンルで語られることもあるようだ。ただ、この曲を書いたジョン・フォガティーは、一昨日までのブログに書いたとおり、ニクソンとその周辺をイメージして書いていた。もちろん、1969年のことなので、ブッシュの息子などは、まだテキサス州知事にもなっていない。

しかし、この曲が言わんとすることは、1969年に書かれたことであっても、見事に現在にも当てはまるところがすごい。ヴェトナム戦争が、湾岸戦争に、あるいは、イラク戦争に名前が変わっただけだ。イラクに行く米国の兵士にとっては、まさにこの「フォーチュネイト・サン」は、その通りだと強く同意する作品であろう。作者のジョン・フォガティー、まさに慧眼(けいがん)である。

そして、さらにいろいろ調べているとウォルター・モズリーという黒人作家がいて、彼もまた「Fortunate Son」という本を出していることがわかった。これは生まれながらに病気をもったベイビーが成長していく話。2006年に全米で出た。日本版はまだない。

いやあ、『ダイ・ハード』の「フォーチュネイト・サン」からここまで引っ張るとは思わなかった。(笑) もう打ち止めにします。

ENT>MUSIC>SONG>Fortunate Son
ENT>MUSIC>ARTIST>CCR
ENT>MOVIE>Die Hard 4.0
【「モア・モア・モア」誕生秘話】

ひょうたん。

来月(2007年8月)ビクターからリリースされる『ディスコ・チャンピオン・リミテッド』というディスコヒットのオムニバスの解説原稿を書いていて、その中におなじみの「モア・モア・モア」があり、いろいろ調べていたらこの曲のおもしろい誕生秘話がでてきた。ライナーノーツではほんの200字程度しか書けないので、このブログでご紹介したい。

この「モア・モア・モア」は、アンドレア・トゥルーという元ポルノ映画スターが歌って放ったヒット。全米では1976年2月からヒットし、ソウルで23位、ポップで4位、ディスコで2位を記録、ゴールド・ディスクになっている。この他に「ニューヨーク・ユー・ガット・ミー・ダンシング」などのディスコ・ヒットがあり、アルバムも3枚出している。

さて、アンドレア・トゥルーは、これまで1952年5月29日テネシー州ナッシュヴィル生まれとされていた。ジョエル・ウィットバーン著のチャートブックではいずれもこの生年月日が紹介されている。ところが、今回調べたところ、アメリカのウィッキペディアによると、ナッシュヴィルは同じなのだが、なんと1943年7月26日生まれとなっているではないか。9歳も違う。しかも、月日もぜんぜん違う。一般的に生年月日は古いほうが真実に近いので、これは彼女は9歳ほどサバを読んでいたのであろうか。まず、これに驚嘆。

彼女はナッシュヴィルの保守的なセント・セシリア・アカデミーという学校で寄宿舎生活をしていた。ここを1956年に卒業。これが本当であれば、1952年生まれはありえない。また1943年生まれでも、13歳だ。もし18歳で卒業していれば、さらに5歳増え、1938年あたりになってしまう。あるいは成績優秀で飛び級で早く卒業できたのかもしれないが。卒業年がもう少し後ろなのか。どうも、このあたりのバイオグラフィーは信頼性に乏しい。

いずれにせよ、卒業後、彼女は映画スターを夢見てニューヨークに向かう。いくつか、小さな役を得ることが出来たが、大きな役は取れなかった。そんな失意の頃、彼女の元にポルノ映画出演の話が舞い込み、これを受ける。以降彼女は多数のポルノ映画に出演、50本以上のポルノにでて、そのほとんどがX指定だ。

生年から考えると、1950年代後半か1960年代の話と思えるが、インターネット・アダルト・フィルム・データベース(しかし、すごいデータベースがあるものだ=(笑))を調べると、彼女がアクティヴだったのは、1971年から1983年くらいまでとある。そして、作品リストがどっとでてきた。28歳で初出演だと1943年生まれになる。この時代、いくつか芸名を持っていた。たとえば、「インガー・キッシン」「アンドレア・トラヴィス」「シン・ロウ」「シング・ロウ」などだ。

さて、1975年、アンドレアはジャマイカの不動産会社のCMに出演することになり、その撮影のために、ジャマイカに向かった。ところが彼女がジャマイカ滞在中に、政治的な変革で、国外への外貨持ち出しが禁止されてしまった。つまり、CMを撮影してもそのギャラをアメリカに持って帰れないというのだ。

そこで彼女は一計を案じた。以前から知り合いだったニューヨークの音楽プロデューサー、グレッグ・ダイアモンドに連絡し、ジャマイカで曲をレコーディングして、そのマスターテープを持って帰ろうというのだ。テープであれば、現金ではないので、国外に持ち出せる。もらったギャラを、当地のミュージシャンたちへのギャラ、スタジオ代などで使ってしまおうというアイデアだ。

グレッグは、急にふってわいた話だったが、とりあえず歌なしのインストゥルメンタル・トラックだけをいれたマスターテープを持ってジャマイカにやってきた。そこで、アンドレアとともに急遽歌詞を書き、現地のホーンセクションなどのミュージシャンを起用してレコーディングを完成させた。

無事このマスターテープをアメリカに持ち帰ったアンドレア・トゥルーとグレッグ・ダイアモンドは、まだミックス(トラックダウン)前のマスターを、「ディスコ・ミックスの父」ことトム・モウルトンに聴かせた。トムはこの作品を気に入り、ミックスをすることを引き受け、「モア・モア・モア」は、「ア・トム・モウルトン・ミックス」で完成。

これは1976年1月に12インチが配布され、瞬く間にディスコで話題を集め始め、ディスコ、ソウル・ラジオ、はてはトップ40でも大ブレイクした。現金を持ち出すことができなくなったおかげでジャマイカでレコーディング・セッションを行い、それが大ヒットに結びついたのだから、音楽の神様はどこでどう微笑むかわからない。まさにひょうたんから駒だ。

アンドレア・トゥルーはその後もディスコを狙った作品をだし、デビュー作に収録されていた「ニューヨーク・ユー・ガット・ミー・ダンシング」などは、ディスコでも大いに受けていた。

3作目がヒットしなかった後、アンドレアは一時期ポルノ業界に戻ろうとしたが、30代中盤を越えていた彼女にはなかなか仕事はこなかった。一方、彼女は喉におおきな腫れ物が出来る病気にかかり、結局、手術をする。このことによって、歌手生命も絶たれ、その後は静かにプライヴェート・ライフを送っていた。

それからおよそ20年後、1999年、カナダのグループ、レンが「モア・モア・モア」のリフを使い、「スティール・マイ・サンシャイン」という曲をヒットさせたことから、再びアンドレアも脚光を浴びることになった。これを機に彼女は「あの彼らは今どこへ」といったテレビ番組などで取り上げられるようになる。VH1が作成した「100グレイテスト・ダンス・ソングス・イン2001」で45位に選出されたり、「VHS1・100グレイテスト・ワンヒット・ワンダー・イン2003」に選出されたりしていた。

その中で、彼女は、「人々に快感を与えた人物として覚えておいてもらいたい。私の音楽でね」といったコメントをしている。ポルノではなく、音楽で快感を与えた、というところがおもしろいところだ。

彼女は現在はフロリダ在住で、星占いなどをしたり、ドラッグ中毒者に対するカウンセラーなどを行っている、という。1943年7月26日生まれだとすると、まもなく64歳である。

■アンドレア・トゥルー・コネクションの『モア・モア・モア』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002UP0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>MUSIC>SONG>STORY>More, More, More
ENT>MUSIC>ARTIST>True, Andrea Connection

Ron Miller Dies At 74 

2007年7月25日
【モータウン初の白人ソングライター、ロン・ミラー死去】

名作。

モータウンのスタッフ・ソングライターとして数々のヒット曲を書いてきたソングライター(主に作詞)、ロン・ミラーが去る2007年7月23日(月曜)、サンタモニカのUCLAメディカル・センターで亡くなった。74歳。ミラーは長く肺がん、肺気腫を患っていた。

ロン・ミラーは、1932年シカゴにロナルド・ノーマン・グールドとしてスーとハリー・グールド夫妻の3人兄弟の長男として生まれた。母スーが最初の父と離婚し、再婚したのがジョー・ミラーという人物で、そのため、ロン・ミラーとなった。初めて自作の曲を書いたのは5歳のときで、そのときは、戦争に行っている父への思いを記した、という。

1960年代の初期、シカゴのピアノ・バーで弾き語りをしていたある日、彼が歌う曲ごとに5ドルものチップをくれる人物がいた。その人物は、ロンの歌や彼が書いた自作曲に感銘し、自分が始めた新しいレコード会社のスタッフ・ライターにならないかと誘ってきた。その人物こそ、モータウンを始めたばかりのベリー・ゴーディー・ジュニアだった。

それまで、ロン・ミラーは、音楽では食べることはできず、洗濯機のセールスマンや、さまざなアルバイトをしていた。アメリカ海軍に入隊し、海軍時代には世界各国に行ったという。そんなミラーにとって大好きな音楽を書くだけで生活ができるなどということは夢のような話だったので、すぐにミラーは一家でシカゴからデトロイトに引っ越した。ミラーは、そのときモータウンにやってきた初の白人のソングライターだった。彼の作品は、スティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロスなどモータウンのアーティストにレコーディングされヒットするが、そうした作品が他のアーティストによっても多数カヴァーされた。

有名な作品にはスティーヴィーの「フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ」、「ア・プレイス・イン・ザ・サン(太陽のあたる場所)」「イエスタ・ミー・イエスター・ユー・イエスターデイ」「ヘヴン・ヘルプ・アス・オール」、また、ダイアナ・ロスの「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」(マイケル・マッサーと共作)、シャーリーンの「アイヴ・ネヴァー・ビーン・トゥ・ミー(愛はかげろうのように)」、カール・アンダーソンなど多くのヴァージョンが録音されている「イフ・アイ・クド」などがある。

「フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ」は、スティーヴィー・ワンダーとトニー・ベネットのデュエットで、2006年度グラミー賞「ベスト・ポップ・コラボレーション」、「ベスト・インストゥルメンタル・ヴォーカル付き」を受賞した。

1970年代には、多くのミュージカル作品『ダディー・ゴッドネス』『チーリー』などをてがけた。

メジャーの野球チーム、シカゴ・カブスの熱狂的なファン。

メモリアル・サーヴィスは8月4日に行われる。

ところで、彼の娘のリサ・ドーン・ミラーはシンガーとして活動しており、デビュー・アルバム『フライ・アウェイ』がこの6月にリリースされた。このアルバムには父ロン・ミラーの作品などが収録されている。

■リサ・ドーン・ミラーのサイト(英語)
http://www.lisadawnmiller.com/

■関連記事

ロン・ミラーの傑作曲のひとつ「イフ・アイ・クド」をめぐるひじょうにいいストーリー

カール・アンダーソン『人生で一番高い買い物』
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/story/anderson199501.html

2004/02/27 (Sat)
Carl Anderson Dies At 58: The Most Memorable Interview I’ve Ever Done
http://www.soulsearchin.com/entertainment/obituary/diary20040227.html

2002/10/08 (Tue)
If I Could
「イフ・アイ・クド」についての日記
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200210/diary20021008.html

■関連CD

◎スティーヴィー・ワンダー 『フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007ZJ3LK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

◎シャーリーン 『愛はかげろうのように』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FMWH/soulsearchiho-22/ref=nosim/

◎レイ・チャールズ 『ジーニアス・ラヴズ・カンパニー』 (グラディス・ナイトとのデュエット「ヘヴン・ヘルプ・アス・オール」を収録)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002IE2H2/soulsearchiho-22/ref=nosim/

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ENT>OBITUARY>Miller, Ron / July 23, 2007 (74)
(註、ネタばれがあります。これからごらんになる方は、あなたのリスクにおいてお読みください)

【『ハーレム・ナイツ第6回』、俺は繰り返さない〜オマー・エドワーズ】

プライド。

このところすっかり夏休みの横浜の風物詩のひとつとなった感のあるイヴェント『ハーレム・ナイツ』。数えて6回目。今回もさっそく初日を見た。昨年はアリソン・ウィリアムスだった。もうあれから、1年か。なんと早いこと。今年は、ヴォーカルのロイとタップダンスのオマー以外はメンバー一新。すでに全公演ほぼ満席であとは立ち見だけだという。もはや、『ハーレム・ナイツ』というイヴェントに観客が来ていることは間違いない。年齢層も10代から60代くらいまで、男女比も半々くらい。年配の男性、女性が多いのが特徴だ。

音楽的には、アジザ(Aziza)というアーティスト名で活動している女性が、音楽ディレクターとしてバンドをまとめていた。が、実はこのアジザ、以前リンダ・ウィリアムスという名前で、アリスタで1979年に『シティー・リヴィング(City Living)』というアルバムを出していた人物。最近では、ナタリー・コールのツアーの音楽ディレクターを担当したりしていた、という。日本は初めて。ナタリーの歌で知られる「ラ・コスタ」は、彼女の作品ということで、彼女も演奏していた。

最初のシンガー、マーベルはミシシッピー生まれニューヨーク在住の本格派女性R&Bシンガー。かなり力はある。迫力もあり、ゴスペルに根ざしたシンガーで安心して聴ける。日本にも数回来日したことがある、という。そのうちの1回はブルーノートのレジーナ・ベルのバックコーラスを担当したそうだ。

第二部、最後にでてくるロイは昨年もでていたが、いきなり、バリー・ホワイトばりの低音で迫ってきた。他に、サム・クック、オーティス・レディングなどのオールド・スクールものをこなした。

しかし、この日のハイライトはやはりタップ・ダンスのオマー・エドワーズだ。

下記セットリストの11「イントロ」では舞台下手(観客席から見て左手)にちょっとしたボックスがあり、その下の部分だけがあいている。そこから白いスーツの足元だけが見えるようになっている。その足元だけがタップを踏み、まもなく、全身を現す。なかなかやるものだ。

オマーのタップは、体の中心線がぶれない。それにしても、いろいろなアイデアを次々と出してくる。タップのアイデアの総合デパートだ。ロナルド・アイズレーなみのステッキを持って床を叩く。パンパンパンと実に心地よいリズム感あふれる音が響く。(下記セットリストで14)

そして、舞台下手から2メートルくらいの写真パネルが登場した。ちょっと遠めからはわからなかったが、そこに映っていたのは、あの伝説のボクサー、モハメド・アリだった。そして、そのパネルの裏に行ったオマーがそこから出てくると、彼はボクサー・パンツだけを履いて完璧にボクサーになって登場した。いきなり、ボクシングをしながら、タップだ。ボクサー、タップダンサー。なんという斬新なアイデア。彼の手にかかると、いや、足にかかると、どんなことでも、タップになってしまうのだな、と痛感した。

第二部で「僕のかあちゃん、アフリカから来た」といいながら、はだしのタップに。(下記セットリスト18)(なぜ裸足かは過去記事をごらんください)

ただ、バンド全体、オマーもまだ初日ということもあってか、全開という感じはしなかった。おそらく、2−3日すると、徐々にギアもトップに入り、もっともっとすごいものになっていくのだろう。

ライヴが終わると、すぐにシンガー、ミュージシャンたちが出てきてお客さんと写真を撮ったり、サインをしたりしてくれる。こうしたフレンドリーなところも、とてもすばらしい。

オマーがでてきたので、さっそく声をかけた。「去年も、おととしも見ましたよ」というと、ほんとなのか「君のことを覚えてるよ」といい、いきなり、「マハメド・アリはわかったか?」ときいてきた。「ボクサーのところ?」 「そうだ、あれはアリなんだよ」 「ああ、なるほど〜〜」 「アリのダンスだ」 「ああ、そうだ、アリはいつも自分のボクシングをダンスだと言っていたもんね」 「そうなんだ。みんなわかったかなあ」 「いや、わからないんじゃないか。はっきり、言葉で言ったほうがいいよ、トリビュート・トゥ・モハメド・アリとか」 「なんで、またアリを?」 「彼の夢を見たんだ。去年くらいかな。それでやることにした」

彼の周りにも写真やサインを求める人たちが集まり、一息あって、「僕はあなたの『ニューズペーパー』のパフォーマンス(2年前に見せた演目)が大好きなんだ。またやらないの?」と尋ねた。「おお、あれか。気に入ってくれてるのか。だが、俺は(同じことは)繰り返さないんだ(I don’t repeat)」ときっぱり。なるほど、それゆえ、次々といろいろなアイデアを無尽蔵に、そして惜しげもなく出してくるのか。「でも、いつかじゃあ、君のためにやるよ」 ほんとなのか。(笑)

この『ハーレム・ナイツ』の目玉の出し物がオマー・エドワーズのタップに、まちがいなくなっている。タップやダンスに興味がある人たちにお勧めだ。しかも、毎回すべての出し物が違うところがすばらしい。

「アイ・ドント・リピート(俺は繰り返さない)」に、オマーのプライドが光る。

■ライヴは、7月25日(水)から29日(日)まで、毎日。詳細は下記ランドマーク・タワー・ウェッブへ

問い合わせ先 ランドマークホール:TEL 045-222-5050 (月〜金 10:00〜17:00) ランドマークプラザ:TEL 045-222-5015 (月〜日 11:00〜20:00)

■横浜ランドマークタワー公式ページ
http://www.yokohama-landmark.jp/event/details/0707_harlem.html

■過去3回のライヴ評

July 28, 2006
Harlem Nights Vol.5: Alyson Williams Sings Wide Variety Of Music, Omar Edwards Taps With New Idea
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_28.html

July 29, 2005
Harlem Nights: Omar Edwards, Barefoot Tap Dancer
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200507/2005_07_29.html

2004/07/31 (Sat)
Harlem Nights III: Bring Your Cake For Lonnie’s Birthday
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200407/diary20040731.html

■メンバー 

Omar Edwards (Tap Dancer)

Aziza (Linda Williams) (Keyboards, Musical Director)
Marbel Allen (Singer)
Roy Bennett (Singer)
Mike Grey (Trombone)
Sly Scott (Sax)
Emanuel Chulo Gatewood (Bass)
Alex Alexander (Drums)

Setlist: Harlem Nights Vol.6 @ Landmark Hall, July 25, 2007
セットリスト: ハーレム・ナイツ Vol.6 @ランドマーク・ホール
( ) indicates songs’ original acts or the acts who make the song popular

show started 19:03
-band-
01. Do Re Mi
02. Party People
03. La Costa (Natalie Cole)
04. Knocks Me Off My Feet (Stevie Wonder)
-Marbel Allen-
05. For Your Love
06. Moondance
07. What A Difference A Day Makes (Esther Phillips, others)
08. You Don’t Know What Love Is (Standard-1941)
09. Love For Sale (Cole Porter)
10. My Favorite Thing (From The Sound Of Music)
-Omar Edwards-
11. (Intro) Call The Law
12. Minnie The Moocher (Cab Calloway)
13. Reasons (Earth Wind And Fire)
14. Puttin’ On The Ritz (Ko Kaine) (Harry Richman)
15. The Greatest Dancer (A Tribute To Muhammad Ali)
show ended 20:23

Second set
show started 20:46
-Omar Edwards-
16. I Feel Hornsy (with sax and trombone players)
17. Entourage/Cuban B
18. Wind For Me
19. Jammin (cross battle with drummer and tap dancer)
20. You Don’t Know My Name (Alicia Keys)
-Roy Bennett-
21. I’m Gonna Love You Just A Little More Baby (Barry White)
22. Can’t Get Enough Of Your Love, Babe (Barry White)
23. (What A) Wonderful World (Sam Cooke)
24. Chain Gang (Sam Cooke)
25. Love TKO (Teddy Pendergrass)
26. Only You (Teddy Pendergrass)
27. I’ve Been Loving You Too Long (To Stop Now) (Otis Redding)
28. (Sittin’ On) The Dock Of The Bay (Otis Redding)
29. (Get Up I Feel Like Being Like A) Sex Machine (James Brown)
30. It’s A Man’s Man’s Man’s World (James Brown)
31. I’ll Take You There (Staple Singers)
32. I Believe I Can Fly (R Kelly)
-all-
33. Amen (Impressions, Otis Redding, etc)
performance ended 21:48
show ended 21:50

(2007年7月25日水曜、横浜ランドマーク・ホール=ハーレム・ナイツ VOL.6)
ENT>MUSIC>LIVE>Harlem Nights Vol 6
ENT>MUSIC>LIVE>Edwards, Omar
ENT>MUSIC>LIVE>Allen, Marbel
ENT>MUSIC>LIVE>Bennett, Roy
2007-91
【木下航志NHK−FM『ソウル・ミュージック』にゲスト出演】

時々刻々。

シンガー、木下航志くんが、8月2日放送NHK−FM『ソウル・ミュージック』(毎週木曜午後11時〜12時10分)にゲスト出演する。その収録があり、見学した。

NHKの502スタジオには、昔ながらスタンウェイのピアノがあり、毎日調律されている。これがなかなかいい音をする。本番前に、何曲か木下くんに練習がてら歌ってもらった。

番組内での弾き語り、当初は2曲の予定だったが、リハーサルのときに、8月の品川教会でのライヴで歌う予定曲をちょっと聞かせてもらっていたら、それを聞いたDJの尾臺さんがそれもやってください、とのことで急遽ライヴ3曲とあいなった。

2曲は、3月の『ソウル・サーチン』で歌った曲の一人ヴァージョン。『ソウル・サーチン』のイヴェントにいらした方、また本ブログを読まれている方ならご存知の曲だが、放送前なのでここでは曲名を書かないが、まったく違ったヴァージョンに仕上がっており、びっくりした。ものすごくシンプルながら彼の声が前面にでた、ちょっとゴスペル調の歌いまわしが印象的だ。『ソウル・サーチン』ではバンドだったが、ここではピアノの弾き語りということで、それにしてもこうも変わるかという感じ。

もう1曲は、8月の品川教会でのライヴで初お披露目の予定曲。僕が選曲を提案していたのだが、どれくらいできているか、ちょっと聴いてみたいと思ってやってもらった。元の曲(正確には彼に聞いてもらったCDのヴァージョン)は、ギターを主体とした夏向きのバラードで、ギターソロなども入る作品なのだが、これを見事にピアノに置き換えてやっている。大体、85-90パーセントくらい完成している感じだ。ちょっと英語の発音などで微調整が必要なのだが、この英語に関しては8月の第一週にブレンダ・ヴォーンじきじきの英語発音練習の日が一日か二日あるので、その特訓でかなりレベルがあがるだろう。

で、この問題の曲。最初、やったヴァージョン(これはもちろん録音されていない)と、本番用にやったヴァージョン(これは録音され、放送される)が、もうすでに微妙に違う。ちょっと裏声を使うところがあるのだが、そのアドリブが変わって、思わずおおっと感心した。なんか、日々、いや時々刻々、変化、成長、伸張している感じだ。

ということで、この曲は品川教会でのライヴが初披露のはずだったが、NHK-FMでのほうが世界初公開になった。

この模様は、次週2007年8月2日(木)午後11時からNHK−FM『ソウル・ミュージック』で放送されます。航志くんファンは、ぜひエアチェックの用意を。(笑) 

ENT>MUSIC>RADIO>FM>Soul Music
ENT>MUSIC>ARTIST>Kishita, Kohshi
【ライヴM、ビデオ収録】

収録。

来る8月16日(木)、17日(金)に、東急田園都市線藤が丘駅前のピッツェリア「マルターノ」で行われるアコースティック・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・シャンティーのライヴの模様がビデオ収録されることになった。ライヴ収録は、前回の『ソウル・サーチン:ザ・セッション〜アレサ・フランクリン』を収録したレムTV。インターネットでの放映を考えている。『ソウル・サーチン』の関連イヴェントは、一応記録に残していこうというコンセプトで行っていく。

さて、その収録の下打ち合わせを「マルターノ」に出向いてしてきた。およそ1年ぶりにお店に来たが、ここが当日ライヴハウスになるかと思うと、なかなか楽しくなってきた。

このお店は店内のほかに、テラスがあって、そこは今回は当日予約なしで来られた方の立ち見席になる予定だが、ここに50インチか、もう少し大き目のプロジェクターを置いて、中の様子を映し出そうかという案もでてきた。

また入口が階段になっているのだが、そこにレッドカーペットでも敷いたらどうだ、とか、現場に行くと妙な案がどんどんでてくる。

大体のステージの位置と、テーブルの感じ、照明がどうなるかなどを見てきた。

この近くにはライヴハウスがないのだが、お店でこんどこういうライヴをやりますよ、というとけっこう興味を持つ方が多いという。確かに、この近くに住んでいたら、渋谷や目黒、果ては丸の内までライヴをわざわざ見に行くというのはかなり大変なこと。しかし、駅前に気軽に行けるライヴが聞ける場所ができれば、ちょっと帰りがけに寄っていこうかという感じになるかもしれない。しかし、すべてが初めてのことなので、一体どうなることか、こちらも期待がいっぱいだ。

追加公演の木曜日(8月16日)分も残り席が10席を切ったという。ご予約はお早めに。詳細は下記ウェッブへ。

■ライヴM 概要
http://blog.soulsearchin.com/archives/001891.html

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ENT>MUSIC>LIVE>ANNOUNCEMENT>Live M
【誰も彼をクビにできない】

自由。

「録音するのも自由、録画してもらうのも自由、写真とってもらってもいい。携帯の電源切らなくてもいいです」 深町純はことあるごとにそういう。「僕は、何々をしてはいけない、と言われるのが大嫌いでね。もし僕の理想の国家があるとすれば、それは法律がない国でしょう。何々をしてはいけないと誰も言わずとも、成り立っていれば、それは素晴らしい。法律などでいろいろと決めなければならない、してはいけないことをたくさん決めなければならない、というのは、国民のレベルが低い、と、僕は思う」 

恵比寿アートカフェから引っ越して祐天寺の深町さん本人のカフェ「FJズ」でのキーボード・パーティーになって2度目。通算79回目。

トークの中で意外な過去が明かされた。銀座の高級レストラン「マキシム」で学生時代にピアノを弾くアルバイトをしていた、という。深町純は、人がしゃべっていたら、そのうるささに負けないよう、がんばって「俺のピアノを聴け」とばかりにピアノを弾く。そのアティテュードは昔から、今も変わらない。だから音も大きくなる。支配人が呼び出して彼に言った。「深町君、君のピアノはうるさいんだよ」 そこで彼はまもなくクビになった。

ホテル・ニューオータニのバーでもアルバイトをした。ホテルのバーといえば、ちょっとした誰もが知っているようなスタンダードを静かに弾いて、ムードを作っているのが普通だ。しかし、人の曲をやるのがあまり好きではなかった彼は、人がやらないことをやろうといろんな曲をアレンジすることを考えた。しかし、よくあるジャズ・スタンダードではつまらないので「赤とんぼ」のような童謡を自分なりのアレンジで、うるさくならないようにプレイした。するとまもなく支配人に言われた。「深町君、ホテルのバーっていうのはどういうところかわかってるのかね。紳士がこれから女性を口説こうとしているときに、童謡で里心つかれちゃ、困るんだよ」 そして、彼はクビになった。

彼は2001年1月から、恵比寿のアートカフェで即興演奏のピアノ・パーティーを月一回定期的に行ってきた。それは「うるさい」とも言われず、「里心つかれる」とも文句を言われず、前回から場所は変わったが現在まで79回を数えている。そして今、彼をクビにする者はこの世に存在しない。彼は自由だ。

■深町純オフィシャル・ウェッブ
http://www.bekkoame.ne.jp/~cisum/

■FJ’ズ オフィシャル・ウェッブ
http://fjs.fukamachi-jun.com/

■Setlist: Fukamachi Jun #79 @ FJ’s, Yutenji, July 28, 2007 (Saturday)
セットリスト 深町純 キーボードパーティー第79回(第2回)

show started 19:47
01. 2007年7月28日19時47分の作品 (16:22)
02. 2007年7月28日20時19分の作品 (17.40)
03. 2007年7月28日お題拝借作品1.「え〜、無理」(1.13)
04. 2007年7月28日お題拝借作品2.(2.30)
show ended 20:44

second set
show started 21:12
00. 「千の風になって」のリフ
01. 2007年7月28日21時29分の作品 (25.06)
02. 2007年7月28日21時54分の作品 (10.07)
show ended 22:05

■過去の音楽比率(ライヴ全体の中での音楽の割合を表します)(単位は%)

2005年11月 第一部 41.70 第二部 51.82
2005年12月 第一部 39.86 第二部 58.91
2006年01月 第一部 58.81 第二部 67.23
2006年02月 第一部 38.4  第二部 49.7
2006年03月 第一部 50.9  第二部 92.7
2006年04月 第一部 53.1   第二部 57.3
2006年05月 第一部 45.15 第二部 82.08
2006年06月 第一部 52.16 第二部 59.02
2006年09月 第一部 47.77 第二部 77.63
2007年01月 第一部 65.53 第二部 54.97
2007年02月 第一部 53.88 第二部 49.33
2007年04月 第一部 65.26 第二部 68.58
2007年05月 第一部 40.89 第二部 58.19
2007年06月 第一部(通し)64.78 (2時間50分)
2007年07月 第一部 66.23 第二部 66.45

(2007年7月28日土曜、祐天寺FJ’ズ=深町純ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Fukamachi, Jun
2007-92
【ソウル・サーチャー、「ガンボズ・イアー第12回」に登場】

7年ぶり。

さまざまなジャンルの音楽に詳しい音楽愛好家・守島さん主催のイヴェント『ガンボズ・イアー』の第12回に、ザ・ソウル・サーチャー吉岡正晴がゲスト出演することになった。このイヴェントはゲストが登場しつつ、ひとつのテーマを決めレコードを紹介しているが、今回は守島さんからの依頼で何か秘蔵映像をお持ちください、とのことでふだん見られないような映像を紹介することになりそうだ。題して『ガンボズ・イアー〜ソウル・サーチン・ビデオ・ナイト』。

そもそも、守島さんは毎回『ソウル・サーチン』のイヴェントに来ていただいているが、そこで1−2曲珍しい映像を紹介しているのを見て、これならもっとイヴェントで出してないものがあるのではないか、と推理されて、話をもってこられた。(笑) 

ソウル・サーチャーがこのイヴェントに登場するのは、2000年10月の記念すべき第1回以来約7年ぶりとなる。そのときは、ちょうど拙著『ソウル・サーチン』が2000年7月に出てのトーク・ショーだった。

なお、このお店は約30席で満員となってしまうので、ご予約をお願いしたい。また、ソウル・サーチン関連イヴェントということで、守島さんから本ソウル・サーチン・ブログ読者用に10席を確保していただいた。いつものように下記要綱でメールをお送りください。

■『ソウル・サーチン・ブログ読者に10席確保』

今回の『ガンボズ・イアーVOL.12〜ソウル・サーチン・ビデオ・ナイト』(2007年8月19日・日曜午後7時)の座席を10席ほどソウル・サーチン・ブログ、ダイアリーの読者のために確保していただきました。店内は約30席ほどしかありませんので、ご予約をお願いします。当ブログ読者の方で、このイヴェントをごらんになりたい方はsoul_searchin_the_session@yahoo.co.jp  までお名前、人数、電話番号をお書きの上Eメールをお送りください。折り返し確認メールをお送りします。先着順のご案内となります。



イヴェント名: -Gumbo’s Ear Vol.12-
日時: 2007年8月19日(日曜) 開場:18:30 開演:19:00
場所: 自由が丘・マルディグラ (Mardi Gras)
住所: 東京都世田谷区奥沢5-29-10リブレB1
電話: 03-3722-6892
ウェッブ: www.jiyugaoka-mardigras.com 
地図: http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%C0%A4%C5%C4%C3%AB%B6%E8%B1%FC%C2%F45-29-10&lat=35.602665&lon=139.67116083&type=&gov=13112.8.5.28.10
(東急線・自由が丘駅から徒歩約4分)
VJ&Talk:吉岡正晴,守島尚彦
イヴェントチャージ:¥1000(別途テーブルチャージ=525円、飲食代などがかかります)
企画:守島尚彦
ガンボズ・イアー・ウェッブ: http://morishima.00page.com/
(ここに過去11回分の記録があります)
ソウル・サーチン・ウェッブ: http://www.soulsearchin.com/

EVENT>ANNOUNCEMENT>Gumbo’s Ear Vol.12
(少しだけネタばれがあります。ご注意ください)

【ソウル・パワー 2007始まる】

サプライズ満載。

いよいよ『ソウル・パワー・東京/ナニワ・サミット2007』が始まった。たっぷり3時間半、休みなし。一言で言うとこれもあり、あれもあり、なんでもあり超豪華な幕の内弁当、しかも、こんな食材があるかというサプライズ満載だ。8月11日(土)のナニワ・サミットが終了するまで、セットリストなどは公開しないでくださいとのことなので、今日は軽い感想を。

今回ひじょうにいいと思ったのは、アーティストの転換がひじょうにスムーズで、次々と矢継ぎ早にアーティストがでてきて、観客をまったく飽きさせない点。それを可能にしているのが、バックバンドとして、ナニワ・エキスプレスとスクープ・オン・サムバディーの2バンドが待機していること。60秒もないビデオが流れる間に、バンド転換、アーティスト転換がさっと進む。

また、とにかくたくさんのアーティストがでてくるので、まるでソウル・ライヴのオムニバス状態。さらに、それらのアーティストたちのコラボレーションがあちこちで見られるのでひじょうに楽しい。

本当にトイレ休憩がない。(笑) 実際、僕は6時半から最後のアンコール終了まで、一度も席を離れなかった。

いいなあ、と思ったのは、たとえばゴスペラーズと二人のヴォーカル・デュオとのコラボレーションなどを見ていると、本当に「ヴォーカル・グループいいなあ」と痛感する。ヴォーカル・グループの楽しさは、低音、中音、ハイ・ヴォイス、ファルセットなどの声が自由自在にからみあい、そして、無限大のヴァリエーションを生み出すところ。まさにいくつかのコラボレーションでそうした魅力が全開だ。アンコールの1曲目も、かなり有名なソウルカヴァーだが、これもヴォーカル・グループの醍醐味をだした。

何よりも昨年以上に、より密度が濃く「ソウル色」が強くなった。ソウル・ヒットのカヴァー曲がぐっと増えたこともあるし、振り付けがあちこちで見られたりということもある。一言でソウル度がぐっと上がったということだ。全35曲中、10曲以上がソウル関係のカヴァーという点もそれを証明している。

単なる幕の内というよりも、お正月の超豪華おせち料理かな。しかも、3段くらいの。(笑) 

■ソウル・パワー・サミット(Soul Power Summit 2007)は、今日7月31日(火曜)武道館、8月11日(土曜)大阪万博記念公園と2回公演があります。

■過去関連記事(昨年のソウルパワー・ライヴ評)

July 27, 2006
Soul Power Tokyo Summit 2006
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_27.html

August 01, 2006
Soul Power Tokyo Summit 2006: A Leader Said "Thank You" To Another Leader
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200608/2006_08_01.html

ENT>MUSIC>LIVE>Soul Power 2007, Tokyo Summit
2007-93

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