●ボビー・スミス(スピナーズ・リード・シンガー)76歳で死去

【Bobby Smith Dies At 76】

訃報。

デトロイトの高校時代の同級生で結成したR&Bヴォーカル・グループ、スピナーズのリード・シンガーだったボビー・スミスが2013年3月16日、デトロイトで死去した。76歳。ニューヨークのブラック専門放送局WBLSやデトロイトのMix92.3局が報じた。ボビー・スミスのスペルは Bobby Smith, Bobbie Smith どちらもある。

スピナーズの主要メンバーでは、ビリー・ヘンダーソン(1939年8月9日生まれ)が2007年2月2日、パーヴィス・ジャクソン(1938年5月17日生まれ)が2008年8月18日、フィリッペ・ウィン(1941年4月3日生まれ)が1984年7月14日、43歳で死去している。オリジナル・メンバーでは、ヘンリー・ファンブロー(1938年5月10日生まれ)が健在だ。

スピナーズはデトロイトのグループで当初モータウンで「イッツ・ア・シェーム」などをヒットさせたが、その後1972年にアトランティックに移籍。フィラデルフィアでトム・ベルのプロデュースのもと「アイル・ビー・アラウンド」「クド・イット・ビー・アイム・フォーリング・イン・ラヴ」などの「フィラデルフィア・ソウル」で大ヒットを多数放った。

(詳細はのちほど)

Spinners - I’ll Be Around
軽快にリードを取るのがボビー・スミス

http://youtu.be/AMVSiLfJdmw



The spinners - could it be i’m falling in love

http://youtu.be/7DbcOUEgHso



GAMES PEOPLE PLAY (they just cant stop it) by Spinners.mpeg
(メンバー自己紹介あり)

http://youtu.be/Q7oZJkH8zgc



フィリッペのヴォーカルはソフトで甘い感じだが、ボビーはパンチのあるソウルフルな歌声で対照的。


■過去関連記事

November 10, 2006
The World Of Linda Creed: Portrays The Blackness
【リンダ・クリードの描くブラックの世界】
スピナーズの「ゲットー・チャイルド」の訳詞
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_10.html

2003/01/18 (Sat)
Games People Play
バーバーショップ。
スピナーズの「ゲームス・ピープル・プレイ」における「12:45」と歌うパーヴィスについて
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030118.html

■テレビ番組『アンサング』~スピナーズ (TV-Oneのドキュメンタリー、スピナーズの回、約40分)

http://www.dailymotion.com/video/xv6rhf_unsung-documentary-the-spinners-generation-soul-disco-funk_music


Unsung (Documentary) - The Spinners... 投稿者 GENERATIONDISCOFUNK

OBITUARY>Smith, Bobby (April 10, 1936 – March 16, 2013 – 76 year old)

■スピナーズ・アトランティック時代作品、5枚はいって2637円(輸入盤) (1枚あたり500円強、これは安い)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003097BAK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■2013年3月20日、日本盤1枚・1000円でリリース

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AY1NW3W/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD9PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD98G/soulsearchiho-22/ref=nosim/

●ボビー・スミス(スピナーズ・リード・シンガー)76歳で死去

【Bobby Smith Dies At 76】

訃報。

デトロイトの高校時代の同級生で結成したR&Bヴォーカル・グループ、スピナーズのリード・シンガーだったボビー・スミスが2013年3月16日、フロリダ州オーランドーで死去した。76歳。しばらくN1H1ウィルス(インフルエンザ)に感染しており、肺炎を併発した。また、スミスは昨年11月、肺がんになっていた。死去は16日午後1時55分のこと。家族が確認した。死去に関してはニューヨークのブラック専門放送局WBLSやデトロイトのMix92.3局が報じた。ボビー・スミスのスペルは Bobby Smith, Bobbie Smith どちらもある。

スピナーズの主要メンバーでは、ビリー・ヘンダーソン(1939年8月9日生まれ)が2007年2月2日、パーヴィス・ジャクソン(1938年5月17日生まれ)が2008年8月18日、フィリッペ・ウィン(1941年4月3日生まれ)が1984年7月14日、43歳で死去している。オリジナル・メンバーでは、ヘンリー・ファンブロー(1938年5月10日生まれ)が健在だ。またフィリッペの後任として参加し30年以上スピナーズの一員だったジョン・エドワーズも車椅子ながら健在。

スピナーズはデトロイトのグループで当初モータウンで「イッツ・ア・シェーム」などをヒットさせたが、その後1972年にアトランティックに移籍。フィラデルフィアでトム・ベルのプロデュースのもと「アイル・ビー・アラウンド」「クド・イット・ビー・アイム・フォーリング・イン・ラヴ」などの「フィラデルフィア・ソウル」で大ヒットを多数放ち人気ヴォーカル・グループとなった。

ボビーは多くのヒットのリードを取ったいわばスピナーズの顔ともいうべき存在。1970年代の一時期、ソフトなヴォーカルを聴かせるフィリッペ・ウィンとともにツー・トップのリード・シンガーとなった。

彼らはデトロイトのグループだが、大ヒットした作品の多くがいわゆる「フィリー・サウンド」だったために、フィラデルフィアのグループと思われることもあったが、ソウル史上に残る名ヴォーカル・グループであることはまちがいない。

(なお、Philippéは、eの上に「´」アキュート・アクセント・マークがついているが、これによりフィリップではなくフィリッペと発音・表記する)

評伝。

ボビー・スミスは1936年4月10日デトロイト生まれ。高校時代に学校の仲間とR&Bヴォーカル・グループ、ドミンゴスを結成。当初は遊び半分でパーティーや街角でドゥーワップを歌っていたが、徐々に本気になり、1960年、ベリー・ゴーディーの姉グエンを通じて当時人気のドゥーワップ・グループ、ムーングロウズのリーダー、ハーヴィー・フークワと出会う。ハーヴィーが彼らのことを気に入り、彼のレーベル、トライファイと契約。それまでドミンゴスと名乗っていたが、このときにスピナーズと改名。「ザッツ・ホワット・ア・ガールズ・アー・メイド・フォー」を1961年にリリース。リード・シンガーはボビー・スミス。以後、基本的にはずっとリードはボビーとなった。これが見事にヒット。またこの曲では当時新生ムーングロウズの一員となっていたハーヴィーにあこがれていたマーヴィン・ゲイがドラムスを叩いている。この当時のメンバーは、ボビー・スミス、ビリー・ヘンダーソン、ヘンリー・ファンブロー、パーヴィス・ジャクソン、エドガー・チコ・エドワーズ。

以後、ハーヴィーは彼らをマネージ。トライファイがモータウンに買収されその傘下になったため、彼らもモータウン契約アーティストに。1967年、チコ・エドワーズにかわりGCキャメロンが参加。ここで「イッツ・ア・シェーム」(スティーヴィー・ワンダー作品)などのヒットが生まれた。しかし、モータウンでは他に多くの男性R&Bヴォーカル・グループがいたことから、なかなか重要視されず、売れなかった。一時期はベリー・ゴーディーの運転手やモータウンの他のアーティストの運転手、雑用などもしていたという。

その後1972年、アリーサ・フランクリンの推薦でアトランティックに移籍。このときGCはモータウンとの契約があったこと、またGCがベリー・ゴーディーの姉グエンとつきあっていたことから、アトランティックに移籍できず、GCのいとこフィリッペ・ウィンを推薦、フィリッペがスピナーズ入り。アトランティック移籍後、スピナーズは次々とヒットを放ち、70年代を代表するアメリカのソウル・ヴォーカル・グループとなった。

ボビー・スミスがリードを取る「アイル・ビー・アラウンド」がミリオン・セラーとなり、スピナーズは人気グループに。1973年の「クド・イット・ビー・アイム・フォーリング・イン・ラヴ」(ボビー・スミス・リード)、「ワン・オブ・ア・カインド」(フィリッペ・リード)など多数のヒットが生まれる。

Spinners - I’ll Be Around
軽快にリードを取るのがボビー・スミス

http://youtu.be/AMVSiLfJdmw



The spinners - could it be i’m falling in love

http://youtu.be/7DbcOUEgHso



GAMES PEOPLE PLAY (they just cant stop it) by Spinners.mpeg
(メンバー自己紹介あり)

http://youtu.be/Q7oZJkH8zgc



フィリッペのヴォーカルはソフトで甘い感じだが、ボビーはパンチのあるソウルフルな歌声で対照的。とはいうものの、声質はよく似ているので区別をつけ辛い。

ゴムバンドを使って遊びながら歌う「ラバーバッドマン」のリードをフィリッペが初めて全面にでてリードを取り、これが大ヒット。

1977年、リードを取り人気が上がってきたフィリッペが自身の名前をグループ名(フィリッペ&スピナーズなど)につけるよう要求、認められず脱退、ジョン・エドワーズに交代。リードはボビーとジョンの二人体制になった。フィリッペはその後、スピナーズ参加以前に知己を得ていたPファンク(ジョージ・クリントン)に戻り、ソロ・アルバムもリリースしたがスピナーズ時代ほどの成功は得られなかった。フィリッペのスピナーズ在籍期間はしたがって1972年から1977年初頭まで約5年ということになる。

1977年5月、スピナーズはジョン・エドワーズを含んで初来日。(フィリッペは帯同せず)来日は1990年代にもあるがそのときはボビーは病気のため帯同していなかった。

ジョン・エドワーズがスタジオでサム・クックの曲を遊びで歌っていたら、周囲から「すごくいい」と言われ、サム・クックの「キューピッド」を録音。ヒットに。

スピナーズは1999年、ヴォーカル・グループ殿堂入り。

2000年頃、ジョン・エドワーズが発作のため車椅子状態になったため、2000年から2002年にかけてGCキャメロンが復帰、その後フランク・ワシントン、チャールトン・ワシントンと入れ替わっている。

2004年、ビリー・ヘンダーソンが脱退、ハロルド・ボンハートへ交代。ヘンダーソンは2007年2月2日、糖尿病が元で67歳で死去。初期メンバーのCPスペンサーも2004年10月20日、心臓発作で死去。一時期メンバーになっていたというジョージ・ディクソンも2005年に死去。オリジナル・メンバー、パーヴィス・ジャクソンは2008年8月18日癌のため死去。初期オリジナル・メンバー、エドガー・チコ・エドワーズも2011年12月3日死去。その後もジェシー・ロバート・ペック、マーヴィン・テイラー、ハロルド・スパイク・ボンハート(1961年生まれ)などの新メンバーを加え活動を続けていた。

2011年9月、スピナーズはロックンロール殿堂にノミネートされた。

彼らはイギリスでは、イギリスに「スピナーズ」という白人のグループがいたことから「デトロイト・スピナーズ」と呼ばれる。

(修正)3月19日午前2時半。死去した場所をデトロイトからフロリダ州オーランドーに訂正、死因にインフルエンザからの肺炎、また昨年11月に肺癌になっていたことを追記しました。

■過去関連記事

November 10, 2006
The World Of Linda Creed: Portrays The Blackness
【リンダ・クリードの描くブラックの世界】
スピナーズの「ゲットー・チャイルド」の訳詞
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_10.html

2003/01/18 (Sat)
Games People Play
バーバーショップ。
スピナーズの「ゲームス・ピープル・プレイ」における「12:45」と歌うパーヴィスについて
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030118.html

■アンサング~スピナーズ

http://www.dailymotion.com/video/xv6rhf_unsung-documentary-the-spinners-generation-soul-disco-funk_music

Unsung (Documentary) - The Spinners... 投稿者 GENERATIONDISCOFUNK

これを見ると最後にでてくるジョン・エドワーズのコメントに泣けてくる。彼がスピナーズ入りしたときは、それまでにアトランタのアウェアから出していたソロ・アルバムがものすごくよかったので、日本の熱心なソウル・ファンが狂喜乱舞したものだった。しかしそのソロはアメリカではほとんど売れておらず、ジョン本人はスピナーズという大グループの一員であることをずっと誇りに思っていた。1977年にスピナーズに入って以来30年以上、スピナーズの一員なのだから自身の人生はほとんどスピナーズとともにあったと言っていいだろう。

OBITUARY>Smith, Bobby (April 10, 1936 – March 16, 2013 – 76 year old)

■スピナーズ・アトランティック時代作品、5枚はいって2637円(輸入盤) (1枚あたり500円強)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003097BAK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■2013年3月20日、日本盤1枚・1000円でリリース

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AY1NW3W/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD9PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD98G/soulsearchiho-22/ref=nosim/

○■ 発表! 吉岡正晴の新番組「ソウル・サーチン・レイディオ」が始まります

【Yoshioka Masaharu’s “Soul Searchin Radio” Will Start April】

新番組。

インターFM(東京地区76.1mhz)で現在放送中のインター史上最長長寿番組『ソウル・ブレンズ』(日曜午後1時~3時)が終了するのにともない、マーヴィン・デンジャーフィールドが金曜夕方6時からの新番組『ファンキー・スタッフ』をスタート、「ソウル・サーチン」のコーナーを担当していた吉岡正晴が、一本の新番組『ソウル・サーチン・レイディオ』を開始します。番組は毎週火曜夜8時~10時までの2時間、生放送。

現在の「ソウル・サーチン」(日曜午後2時半~)では約20分でひとつの旬のネタ、テーマなどをご紹介していますが、4月からは2時間の枠の中でさまざまな話題をさらに深く掘り下げてご紹介します。

番組のサブキャッチは、「ソウル・ミュージックの過去・現在・未来、すべてをご紹介します」。

諸事情でなかなか正式発表できませんでしたが、やっと情報解禁となりました。

メール・アドレスは、soul@interfm.jp です。番組へのリクエスト、ご意見、ご希望などどんどんおよせください。また、番組のツイッター・アカウント、フェースブック・ページも立ち上げる予定です。

また、来日ソウル・アーティストへの積極的なインタヴューなども行なったり、生ゲストとしてスタジオに呼んだりする予定です。

ご期待ください。

RADIO>Soul Searchin Radio

◎エスペランザ・スポールディング・ライヴ~ベースの天使が微笑むとき

【When Angel Of Bass Smiles】

天使。

まさにエスペランザは天使のよう。ベースの神様がエスペランザに降り立ち、彼女を白く光らせているかのようだ。

最新作『レイディオ・ミュージック・ソサエティー』からの作品を中心にしたツアー。2012年9月の東京ジャズ以来、半年振り。東京ジャズ同様、ジャケットと同じような大きなラジカセの絵がホーンセクションの椅子前に張られている。コンセプトは、ラジオだ。ラジオから流れてくる音楽。それは人の人生をも変えることがある。東京ジャズでは60分程度だったが、この日、完全ヴァージョンが披露された感じだ。

バックに11人を従え、エスペランザは堂々とステージに登場。それにしてもあんなにかわいくて、ベースが弾けて、歌もうまく歌えて、天は二物も三物も与えている。渋谷オーチャードは1階と2階はほぼ埋まっていて、3階は空いていたようだが、十分な入りではないだろうか。男女比が8-2で男性が多く、しかも年齢層が意外と高そう。30代から40代が中心のよう。ジャズという範疇で捉えられて、その主要な客層が集まっているのかもしれない。彼女のようなルックスだともっと女性ファンが多そうでもいい感じだが、女子には受けないのだろうか。

香港、シンガポールでライヴをやってきて東京1日だけのコンサート。

アコースティック・ベース、エレキ・ベースを存分にプレイし、しかも歌う。これがちょっとミニー・リパートンを思わせるようなトーンの高い声で思わせぶりな歌を聴かせる。高音から低い音まで声を自由自在に扱う。そして、細い腕で大きなダブル・ベースを抱きかかえると、ちょっと心配になってしまうが、そんなことはまったく余計なお世話。

ジャズファンが静かに聴くせいか、会場のオーチャードの空気のせいか、静かにコンサートは進んでいった。時折、エスペランザのベースに当たるスポットライトが反射して観客の目にまぶしく入ってくる。

前日、ヒュー・マサケラを見に来ていたときはアフロヘアが小さかったが、この日はどーんと大きく成長していた。これはステージではこの大きさで、ふだんは髪を縛るというか、小さく押さえているのか、それとも上部だけウィグ(かつら)なのか。聞けばよかった。

それにしても、エスペランザの音は気持ちよく、聴く側のアルファー派が思う存分排出される。

メンバー紹介やいくつかの言葉を発するとき、それがメロディーに乗る。単語が言霊になる瞬間だ。

最後、「レイディオ・ソング」では、サビの部分を観客に歌わせ、コール&レスポンスをするのだが、ちょっと歌詞が日本人には難しくないか? 非英語圏では、「ナーナーナー」とか、「ラーラーラー」のほうがもっと観客も反応すると思う。

この音楽性の高さながら、オーチャードでライヴが出来るのだから、たいしたもの。ライヴ103分という長さもちょうどいい感じに思えた。

男性バック・ヴォーカルのクリス・ターナーは、ダニー・ハザウェイ的な声で、ロバータ・フラックがもろに大好きそうな声だった。なかなかいい感じ。ダニーやマーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、アル・グリーンなどの1970年代のソウル・シンガーが大好きだという。エスペランザとのデュエットぽくなった「ブラック・ゴールド」は、最後の「レイディオ・ソング」とともに今日のハイライト。

ちなみに、ギターは前回のジェフ・リー・ジョンソン(東京ジャズのあと、アメリカで急逝、下記ブログ参照)からリカルドへ。

天真爛漫にベースをプレイし、天に向かって歌う姿を一言で言えば、エスペランザは音楽の神に愛されてる天使だと思った。

驚いたことに、ライヴ後、サイン会。長蛇の列ができていた。

■ 2012年の映像(約56分) Esperanza Spalding "Radio Music Society" - 36th Vitoria-Gasteiz Jazz Festival

http://youtu.be/GjG8IsPMF-4


これを見ながら、ライヴを反芻(はんすう)。

もう一本。

Esperanza Spalding - 33th Leverkusener Jazztage 2012

http://youtu.be/Z8Vwu4cdFFw



上記2本の動画(ライヴ映像)ではギタリストが今は亡きジェフ・リー・ジョンソン。2013年1月28日54歳で逝去。

■ ジェフ・リー・ジョンソン死去~ソウル・サーチンもろもろ
2013年01月31日(木)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11460168128.html

■過去関連記事

エスペランザ・スポールディング・ライヴ~コマーシャル性とのバランス
2011年02月19日(土)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10805416028.html

エスペランザ・スポールディング~日本びいき 東京ジャズ(パート6)
2012年09月16日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11355434399.html

■(註)Esperanzaの発音表記について。本人に「エスペランサかエスペランザか」と確認したところ、やはり、エスペラン「ザ」と答えたので、引き続きエスペランザで表記していきます。

■メンバー

Esperanza Spalding (Electric & Double Bass, Vocal)
Leo Genovese (Piano, Keyboards)
Lyndon Rochelle (Drums, Background Vocal)
RicArdo Vogt (Guitar, Vocal)
Christ Turner (Vocal)

Leala Cyr (Trumpet, vocal)
Jeff Galindo (Trombone)
Corey King (Trombone)
Igmar Thomas (Trumpet)
Renato (Tenor Sax)
Hailey N. (MD, Alto Sax)
Brian L. (Tenor Sax)

■セットリスト
Setlist: Esperanza Spalding @ Shibuya Orchard Hall, March 19, 2013

show started 19:05
01.US
02.Hold On Me~ Can’t Help It
03.Smile Like That
04.Crowned & Kissed
05.Black Gold (duo with Chris Turner)
06.Cinnamon Tree
07.Endangered Species
08.Radio Song
Enc. I Know You Know
Show ended 20:48

(2013年3月19日火曜、渋谷オーチャード・ホール、エスペランザ・スポールディング・ライヴ)

Special Thanks to for making setlist and members list: Chris Turner, Leo Genovese


■エスペランザ・スポールディング 『レイディオ・ミュージック・ソサエティー』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B006J1JJRY/soulsearchiho-22/ref=nosim/


■エスペランザ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0014HC56K/soulsearchiho-22/ref=nosim/

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◎ヒュー・マサケラ・ライヴ~笑う門(角)には福来る

【Hugh Masekela: Happiness Is Just Around The Laughing Corner (Door)】

笑。

なぜかヒュー・マサケラは、「俺は広島出身だ」という。たぶん、彼独特のジョークだと思うのだが。これを笑いながら言うので、実に楽しい。その場では言い方が面白いので、真実かどうかなどどうでもよくなってくる。(笑) 

南アフリカ出身の超ヴェテラン・トランペッター、ヒュー・マサケラの8年ぶりのライヴ。心待ちにしていた。前回は2005年。

地元アフリカの人たちかアフリカ大使館の人たちか、めちゃくちゃのりにのっている一団がいた。この日は観客の外国人比率が高かった。彼らは実に楽しそうににこにこしながら、踊っている。それを見ているとこちらまで楽しくなってくる。笑いは百薬の長。

ヒューの音楽には底抜けに明るさと権力への反発の大きさ、そして、ばねの力強さが共存している。

1939年4月4日南アフリカ生まれ。現在73歳。長く同地の「アパルトヘイト(人種隔離政策)」のために母国に戻れなかったエグザイル(亡命者)だ。

僕は「グレイジン・イン・ザ・グラス」のヒットで名前を知ったが、詳しく学んだのは1985年、ジャイヴから出たアルバム『ウェイティング・フォー・ザ・レイン』のライナーノーツを書いたとき。いろいろ調べて彼の生い立ちやディスコグラフィーなどを詳しく書いたが、そのとき彼の数奇な人生を知り感銘を受けた。のちに「ソウル・サーチン」を書いたときの候補の一人だった。1985年から数えても28年経っている。

歌にトランペットにちょっとした踊りというか動くしぐさなどを見て、また体全体を使って声を出す様子から、南アのアル・ジャロウのようにも思えてきた。あるいは音楽世界のネルソン・マンデラか。ヒュー・マサケラはネルソン・マンデラに直接電話ができてい話ができるらしい。すごい人なんだ。

ロックでファンキーなアフロ・ビートがブルーノートを彩る。

「マコッティ・ハレザマヘ(聴いた音をそのままカタカナにしただけ)」とは、「レッツ・ゴー・ブライド、お嫁さん、さあ、行こう」という意味らしい。

「アシコ」は、「ゲット・トゥゲザー、ユナイト(一致団結)」を意味するそうだ。この曲はオデッセイの「ゴーイング・バック・トゥ・マイ・ルーツ」を思わせるようなグルーヴ感あふれる作品で、観客ものりのりになった。

ヒューは本当に元気だ。渋い枯れたトランペットの響きと陽気なアフリカ大陸のダンス、というか動きが実に楽しい。

フェラ・クティー(3月13日のフェラブレーション)→ヒュー・マサケラという流れは東京の夜の演出としては最高だ。

~~~

CD。

ライヴ後楽屋に行くと、その『ウェイティング・フォー・ザ・レイン』の、なんとCDがあり、ファンの方のサインを待ち受けていた。僕はCDになっていたのを知らなかったので、ちょっと見せてもらうと僕のライナーがついていた。

ヒューが言う。「これは、今、ここで買えるのか。何枚か欲しいんだよ。これは、ほら、ジャケットが違うだろう」

そうそう、これジャケット、日本盤はおしゃれな大草原のような風景写真に変えていた。思い出した。でも、今はもう廃盤だ。

「これは近年だしたアルバムの中では自分が一番気に入ってるアルバムなんだ」とも言う。「近年」「最近」がたぶん、ここ30年くらいの幅があるんだと思う。アフリカの人たちが、「ああ、あそこは隣町だからすぐだよ」という距離が50キロや100キロだったりするのと同じ感覚かもしれない。

このアルバムが出たときはまだ「アパルトヘイト」(1948年制定から1994年撤廃)のためにヒューはエグザイル(亡命者)だった。「この時代にはあなたの音楽は、ラジオで放送禁止(banned)だったんでしょう」とふると、「俺自身が禁止(I was banned)されてたんだよ」と笑いながら答えた。

彼の「I was banned」は僕に対して強烈なパンチだった。そうだった。アパルトヘイトが終わって20年近く経つが、きっとその傷跡はまだまだ残っているのだろう。歴史の一ページを垣間見た瞬間だった。

名刺を見ながら、「マサハル~~~、マサケラ~~。兄弟みたいだな」と大声で笑った。笑う門には福来る!

~~~

そして、ヒューの今回のツアー・マネジャーであるジョッシュといろいろと話していたら、思わぬ展開が。なんと彼は例の『シュガーマン 奇跡に愛された男』のレコード店オウナー、シガーマンとも大の知り合いで、南アでロドリゲスがライヴをやったときのプロモーター的な役割を担っていた、という。

One thing leads to another. なんでもつながるなあ。で、この続きは明日へ。

(この項続く)

~~~

■動画

Hugh Masekela Bring Back Nelson Mandela

In 1987, Hugh Masekela had a hit single with Bring Him Back Home which became an anthem for the movement to free Nelson Mandela.

http://www.youtube.com/watch?v=opUEIVlG1BQ&feature=share&list=AL94UKMTqg-9BMo_t696CxbXnWu9XVMTcJ


■過去関連記事

July 21, 2005
Hugh Masekela: Signed Autograph On His Autobiography
【ヒュー・マサケラ自筆のサインを貰う】
http://blog.soulsearchin.com/archives/000401.html

この本を久々に読もうと探したが出てこない。ずっとライヴに行く前から読み返そうと探してる。まだ出てこない。どこに行ったのか。まさかブックオフなんかに間違って出してないよねえ。(笑) 

ワールド・カップ・キックオフ・コンサート~アリシア、ジョン・レジェンドなど
2010年06月12日(土)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100612.html

映画『ソウル・パワー』6月に日本公開決定 (パート1)
2010年03月14日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100314.html

■メンバー

Hugh Masekela(flh,tp,vo) ヒュー・マセケラ(フリューゲルホーン、トランペット、ヴォーカル)
Cameron Ward(g,vo) キャメロン・ワード(ギター、ヴォーカル)
Randal Skippers(key,vo) ランダル・スキッパーズ(キーボード、ヴォーカル)
Abednigo Zulu(b) アベデネコ・ズールー(ベース)
Lee-Roy Sauls(ds,vo) リー-ロイ・サウルス(ドラムス、ヴォーカル)
Francis Fuster(per,vo) フランシス・フスター(パーカッション、ヴォーカル)

■セットリスト
Hugh Masekela @ Bluenote Tokyo, March 18, 2013

show started 21:34
01.The Boy
02.Chileshe
03.Marketplace
04.Ha Le Se
05.Lady
06.Makoti
07.Ashiko
Enc. Rekpete
Show ended

(2013年3月18日月曜、東京ブルーノート、ヒュー・マサケラ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Masekela, Hugh
2013-

■ウェイティング・フォー・ザ・レイン

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000UUOMMM/soulsearchiho-22/ref=nosim

■ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0012GMUWC/soulsearchiho-22/ref=nosim

■自伝 (英語)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003FCVFQ8/soulsearchiho-22/ref=nosim/


◇ヒュー・マサケラからシュガーマンへ~南アフリカでつながる点と線

【Hugh Masekela To Sugar Man: Dot Is Connected】

シュガーマン。

8年ぶりの来日を果たした南アフリカのトランペッター、ヒュー・マサケラ。

そのマネージャー役として来ていたジョッシュに南アフリカ音楽事情などを聴いていたとき、当然話は『シュガーマン 奇跡に愛された男』になる。「ケープタウンのマブ・ヴァイナルは行ったことあるか?」と聞くと、「あのオーナーのひとり、シガーマンは大の友達だよ。南アで1990年代にシュガーマンのライヴをやったとき、仕切ったんだ」というではないか。

ちょうど横にいたヒュー・マサケラはこの映画をまだ見ていなかった。「ヒュー、この映画は見たほうがいい。南アでブレイクしたアメリカのシンガーの物語なんだ」とヒューに言うと、彼も「そうか、そうか」とうなづく。

「なんでロドリゲスの音楽はアメリカからはるか離れたアフリカで人気になったんでしょう?」

ジョッシュ。「それは(彼の音楽が)いい音楽だからだろ」

「彼の音楽もラジオではかからなかったんでしょう?」

「かからないね。でも、ロドリゲスの音楽を聴いた地元のミュージシャンたちが、ライヴハウスなどでロドリゲスの曲をカヴァーして歌っていたんだ。それが徐々に広まった」

「なるほど。そして、(レコードショップのオーナー)シガーマンがその人気ぶりに興味を持ち、ロドリゲスを探し始めるわけだ」

「ロドリゲスのライヴを南アフリカでやって、彼とはいろいろと話したよ。彼は本当に自分の欲がないヤツなんだ。もらったギャラを全部3人の娘たちにやってしまうんだよ。娘たちは、それですぐにバッグなんか買っちゃうんだけどね。(笑) 映画にも映っていたように彼は昔も今も、あの古い家に住んでいる。電気のないような家にね」

「一度、ロンドンでライヴをやったとき、付いていった。ロンドンでも大いに受けていた」

ジョッシュは現在ヨハネスブルグに住んでいる。ヨハネスブルグと「マブ・ミュージック」があるケープタウンは飛行機で2時間ほどの距離だそうだ。

マブ・ミュージックのシガーマンと一度メールのやりとりをしたといったら、「おおっ、じゃあ、彼に俺(ジョッシュ)と東京で会ってハングアウトしたって伝えてくれ」と。(笑)

ロドリゲスは南アで何度かツアーをやっている。そして彼の音楽は黒人だけでなく、白人の支持も得た。

ロドリゲスの音楽は、アメリカ・デトロイトの社会の底辺にいる人々について歌っている。ときに黒人よりも下に見られることもあるメキシカンらしい抑圧された側からの訴えが、南アフリカの人々の心に響いたのだろう。

ロドリゲスの音楽が南アフリカで受けたのは「彼の音楽がよかったから」とジョッシュは言う。では、なぜアメリカでは受けなかったのか。タイミングなのだろうが、それはいまだに謎だ。

「南アフリカに来たことあるか?」と言われたので、「いやあ、ない」と答えると、「来るべきだ」と言われた。

翌日彼らはドバイ経由で南アフリカに戻った。長旅だ。

【『シュガーマン』映画の紹介、期間限定でポッドキャストアップ】

https://soundcloud.com/soul-searchin-14-1/soul-searchin-radio-2013-03-17
(約24分)

■関連記事

映画『シュガーマン 奇跡に愛された男~Searching For Sugar Man』
2013年02月01日(金)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20130201.html

『シュガーマン 奇跡に愛された男』~今日の「ソウル・サーチン・レイディオ」
2013年03月17日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11491738910.html

『シュガーマン 奇跡に愛された男』を紹介して~「コーズ」の意味は?
2013年03月18日(月)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11492611519.html

■映画『シュガーマン 奇跡に愛された男』2013年3月16日(土)から角川シネマ有楽町などでロードショー公開

映画公式ホームページ。予告編など。
http://www.sugarman.jp/
(ここで座席の予約などもできる)

■サウンドトラック『シュガーマン 奇跡に愛された男』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AAKVWZM/soulsearchiho-22/ref=nosim

■1970年リリース・ファースト・アルバム

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001BKVWYG/soulsearchiho-22/ref=nosim

■1971年リリース・セカンド・アルバム

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001TCHDPS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■DVD Searching For Sugar Man (輸入盤)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008JFUTT0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>MOVIE>Sugar Man
ENT>

■今日の『ソウル・サーチン』は、ボビー・スミス追悼と4月新番組のご紹介

【Tribute To Bobby Smith (of Spinners) and New Program Soul Searchin Radio】

紹介。

今日(2013年3月24日)の「ソウル・ブレンズ」(インターFM、76.1mhz、毎週日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン・レイディオ」(午後2時半~)では、デトロイト出身のフィリー・ソウル・グループ、スピナーズのリード・シンガー、ボビー・スミス追悼をお送りします。

ボビー・スミス(スピナーズ・リード・シンガー)76歳で死去
2013年03月19日(火)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11493070092.html

また、『ソウル・ブレンズ』内では初めて、4月からの新番組『ソウル・サーチン・レイディオ』(毎週火曜日夜8時~10時)についてご紹介します。

すでにマーヴィン・デンジャーフィールドの4月からの新番組『ファンキ・ン・スタッフ』についての発表がありましたが、「ソウル・サーチン・レイディオ」については、3月20日午前0時から情報公開ということだったので、『ソウル・ブレンズ』内では今日初めて詳しくお話をします。

Spinners - I’ll Be Around
軽快にリードを取るのがボビー・スミス

http://youtu.be/AMVSiLfJdmw



The spinners - could it be i’m falling in love

http://youtu.be/7DbcOUEgHso



GAMES PEOPLE PLAY (they just cant stop it) by Spinners.mpeg
(メンバー自己紹介あり)

http://youtu.be/Q7oZJkH8zgc



■過去関連記事

November 10, 2006
The World Of Linda Creed: Portrays The Blackness
【リンダ・クリードの描くブラックの世界】
スピナーズの「ゲットー・チャイルド」の訳詞
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_10.html

2003/01/18 (Sat)
Games People Play
バーバーショップ。
スピナーズの「ゲームス・ピープル・プレイ」における「12:45」と歌うパーヴィスについて
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030118.html

発表! 吉岡正晴の新番組「ソウル・サーチン・レイディオ」が始まります
2013年03月20日(水)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11493663694.html

■アンサング~スピナーズ

http://www.dailymotion.com/video/xv6rhf_unsung-documentary-the-spinners-generation-soul-disco-funk_music


Unsung (Documentary) - The Spinners... 投稿者 GENERATIONDISCOFUNK

OBITUARY>Smith, Bobby (April 10, 1936 – March 16, 2013 – 76 year old)

■スピナーズ・アトランティック時代作品、5枚はいって2637円(輸入盤) (1枚あたり500円強)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003097BAK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■2013年3月20日、日本盤1枚・1000円でリリース

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AY1NW3W/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD9PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD98G/soulsearchiho-22/ref=nosim/


ENT>RADIO>Soul Searchin

★●■ スピナーズ~「モータウンフィリー」~ボビー・スミスを追悼しつつ

【Motownphilly – The Spinners】

追悼。

昨日の「ソウル・サーチン・レイディオ」では、スピナーズのリードシンガー、ボビー・スミスを追悼した。ちょうどこの訃報が入ったのが前週の『ソウル・ブレンズ』が終わった後。ということですぐに次回「ソウル・サーチン」で追悼しようと、先週はヒマさえあればずっとスピナーズを聴いていた。

改めてスピナーズの音楽を聴いていると、ほんとに当時のレコードはよく出来ていると何度も感心した。

昨日は、「アイル・ビー・アラウンド」「クド・イット・ビー・アイム・フォーリング・イン・ラヴ」「ゲームス・ピープル・プレイ」をかけた。

どれもプロデューサー、トム・ベルのプロデュースぶりがあまりに見事で改めて曲に聞きほれてしまった。どれも曲調が同じではなく、少しずつ違う感じになっている。

「ゲームス・ピープル・プレイ」なんか、ボビー→フィリッペ→途中の「12:45」でパーヴィス→バーバラ・イングラムなどと実にいろいろな声が代わる代わる出てくる。

2003/01/18 (Sat)
Games People Play
バーバーショップ。
スピナーズの「ゲームス・ピープル・プレイ」における「12:45」と歌うパーヴィスについて
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030118.html

ところで、この声、今、バーバラ・イングラムと書いたが、ウィキにはなんとこれはヘンリー・ファンブローの声をスピードアップして使っている、という。

いやあ、しかし、これはどう考えても、女性の声でしょう。(笑) で、調べるとスピナーズのアルバム・ライナーを書いているAスコット・ギャロウェイによれば、トム・ベルの言葉としてメンバーのヘンリーがレコーディングのときロンドンに行っていたので、フィラデルフィアでヘンリーに近い声のバーバラの声でそのラインを録ったという。

動画を見ると、その部分は確かにヘンリーが口パクであてているのだが。ヘンリーによれば、「あの部分を僕が歌っても、みんなレコードとの違いがわからないんだよ」という。

GAMES PEOPLE PLAY (they just cant stop it) by Spinners.mpeg
(メンバー自己紹介あり)

http://youtu.be/Q7oZJkH8zgc



スピナーズは生粋のデトロイト出身のヴォーカル・グループ。しかし、彼らが多数のヒットを放つのはフィラデルフィアに来てから。トム・ベルがプロデュースしてからだ。だから、スピナーズ・イコール・フィラデルフィアのグループという印象も強い。

昨日の話でおもしろかったのは、ベリー・ゴーディーの姉、グエン・ゴーディー。最初はハーヴィー・フークワとくっつき、ハーヴィーがどこかへ行ってしまうと、GCキャンメロンとくっつく。GCキャメロンは、スピナーズがモータウンを離れるときに、グエンと恋仲にあったので、モータウンを離れられず、スピナーズにはいとこのフィリッペ・ウィンを紹介する。そしてスピナーズはアトランティックに移籍、大ヒット。GCはモータウンに残るものあんまり大ヒットには恵まれなかった。ジャクソン5から抜けるジャーメイン・ジャクソンを思い出してしまう。

そんなスピナーズ、まさに彼らこそ「モータウンフィリー」なのだ。

■昨日の「ソウル・サーチン・レイディオ」、期間限定でポッドキャストアップ。

https://soundcloud.com/soul-searchin-14-1/soul-searchin-2013-03-24

Soul Searchin Radio in Soul Blends 2013-03-24 #152(#241) A Tribute To Bobby Smith (of Spinners)

14:30--
(Jingle 1 - 3:24-3:40 Soul Blends, Soul Searchin-- (16 seconds)

M1I’ll Be Around (3:10)
BGMHow Could I Let You Go Away (3:45)
BGMSadie (3:30)
M2Could It Be I’m Falling In Love (4:12)
BGMMighty Love(4:56)
M3Games People Play (3:28)

Bobby Smith Dies At 76: blog
ameblo.jp/soulsearchin/entry-11493070092.html

■過去関連記事

November 10, 2006
The World Of Linda Creed: Portrays The Blackness
【リンダ・クリードの描くブラックの世界】
スピナーズの「ゲットー・チャイルド」の訳詞
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_10.html

2003/01/18 (Sat)
Games People Play
バーバーショップ。
スピナーズの「ゲームス・ピープル・プレイ」における「12:45」と歌うパーヴィスについて
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030118.html

発表! 吉岡正晴の新番組「ソウル・サーチン・レイディオ」が始まります
2013年03月20日(水)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11493663694.html

■アンサング~スピナーズ

ブラックテレビ専門局TVワンのソウル・ミュージシャンにスポットをあてたドキュメンタリー番組『アンサング』でのスピナーズの回

http://www.dailymotion.com/video/xv6rhf_unsung-documentary-the-spinners-generation-soul-disco-funk_music


Unsung (Documentary) - The Spinners... 投稿者 GENERATIONDISCOFUNK

OBITUARY>Smith, Bobby (April 10, 1936 – March 16, 2013 – 76 year old)

■スピナーズ・アトランティック時代作品、5枚はいって2637円(輸入盤) (1枚あたり500円強)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003097BAK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■2013年3月20日、日本盤1枚・1000円でリリース

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AY1NW3W/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD9PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD98G/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>RADIO>Soul Searchin

◎サナンダ・マイトレヤ(元テレンス・トレント・ダービー)初ライヴ~ロックン・ソウル・マンとしての矜持を見せつけて

【Sananda Maitreya’s First Live In Japan】

初。

1987年、テレンス・トレント・ダービーの名前でデビューし世界的なヒットを放った彼が、ある日突然名前をサナンダ・マイトレヤと変え、それまでの音楽にきっぱりと別れを告げ、まったくの新人として活動を始めた。2001年のことだ。

テレンス時代の来日公演は1993年12月、1995年5月、また来日としては2001年サナンダになってプロモーション来日があり、12年ぶり。初来日時1993年には武道館、大阪フェスティヴァル・ホールなど名古屋、福岡、仙台も回った。ライヴとしては18年ぶり、サナンダとしてのライヴはもちろん初めてだ。(ああ、ややこしい(笑))

オンステージは3人。サナンダ(ギターとピアノ、ヴォーカル)、ドラムス、ベースだけだ。基本的には3人のパワーロック・バンドでヴォーカルが異様にソウルフルという感じだ。僕はサナンダのヴォーカルにサム・クック的なものを感じるが、さまざまなものがミックスしている。何しろこの声が出てくると、それだけにノックダウンさせられる。声そのものがソウルだ。

かつて武道館で見たときは、バンドが比較的なよなよしていた感じをもったが、今回のは引き締まったバンドという印象で、サナンダ本人が一ミュージシャン、一バンドマンという様相を呈していて驚いた。ボブ・マーリー、ジョン・レノン、モハメドアリが大好きという超反骨精神の彼は現在メジャーを離れ、インディで孤軍奮闘。その芯のぶれないミュージシャンとしての矜持を3人の音から感じた。ギターを弾きながらロックっぽい音を出したりするところなどちょっとプリンスをも思わせた。

サム・クック的なヴォーカルは、彼によると「マエストロ・サム・クックは、マエストロ・ロッド・スチュワートに教わった。彼のレコードやフェイセスのレコードから教えてもらった」という。サナンダは過去のレジェンドに対して「ミスター」ではなく、「マエストロ」とつける。

サナンダとしての最新作『リターン・トゥ・ズーアサロン』が出たばかりでここからの曲が多い。会場でCD(パッケージはDVDのケースと同じサイズ)を売っていたが、3月からアマゾンでフル・アルバムが1500円で買える。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00BKJMF1C/soulsearchiho-22/ref=nosim/

たぶんチャールズ・ブコウスキーの言葉を引用したのだと思う。サナンダは言った。「チャールズ・ブコウスキーがかつてこんなことを言っていた。自分が好きなもの(愛するもの)を探せ。それに溺れろ」 

乱暴に言うと「ブラック・ロック」のトリオだが、実際は「ブラック・ロック・アンド・モア・・・ウィズ・ソウル」という雰囲気。

ドラムスのニック・スティックスは、バーナード・パーディーからJBズのドラマー、ベニー・ベンジャミンなど黒人のドラマーをリスペクト。ベースのエネアもモータウンのジェームス・ジェマーソン、スタックスのドナルド・ダックダンなど、王道のミュージシャンたちを好んでいる。2人ともイタリア人だが、ソウル、ファンクをよく研究していて、実際のプレイもファンクに根付いている。

サナンダの声は力強く、実に破壊力がある。

テレンス時代の曲はすべて封印している。彼によれば「TTDは、死んだ」そうだ。僕もほとんど知らない曲ばかりだったが、演奏と歌に圧倒され楽しめた。若干、前日にツイートしたサナンダのサイトにある曲の動画を見ていて、覚えていた曲もあった。

現在は2002年からイタリア・ミラノに住んでおり、奥さんがイタリア人。彼女との間に二人の子供がいる。

パワー・ロック・ソウル・トリオと思って聴くと、実にソウルフル。

おもしろいのがほぼ全曲、歌う歌詞がバックのスクリーンにスライドで映されること。仮に聞き取れなくても、文字で少しわかる手助けになる。曲名を言うのはスライドの担当に歌詞を用意させなければならないため。言わないときは、たぶん、イントロなどで曲名を判断しているのだろう。

基本、ギターを弾きながら歌うが、途中で3曲程度、ピアノで弾き語りをした。

サナンダ・マイトレヤの発言は実におもしろい。サナンダ語録いくつか。

「テレンス(TTD)から名前をサナンダ・マイトレヤに突然変えた。プリンスみたいですね」というと、「プリンスとの違いがある。彼の(シンボルマーク)は発音できないが、俺のはできるよ」

「ポエット(詩、歌詞)は、社会の下の層から生まれるんだ。コーポレーション(会社組織)からは絶対に生まれてこない。音楽のマーケティングなんかファックだ。ジェームス・ブラウンのマーケットがあったか? ジミ・ヘンドリックスのマーケットがあったか?」 

「俺のヒーローはたくさんいる。マスター・モハメド・アリ、マスター・ジミ・ヘンドリックス、マスター・サム・クック、マスター・ジョン・レノン、マスター・ジェームス・ブラウン・・・。」

けっこう曲がいいので、初めて聴く曲でもすぐに溶け込める。そして、なにより驚いたのがサナンダのファンへのサーヴィスっぷり。ライヴ後、サイン会をしたのだが、終わったのは2時すぎだ。ひとりひとりに丁寧に話をし、サインをし、写真を撮るのでそれほどの時間がかかったのだ。これには本当に頭が下がる。

そのキャラクターなどからすっかりファンになってしまった。再来日希望。

■ここで今回のライヴで歌った曲が何曲か聞けます

http://www.youtube.com/watch?v=E-x7L-Xn2CI&list=SP49F88F1042A46652



■メンバー

SANANDA MAITREYA & The Nudge Nudge

Sananda Maitreya(vo,g,key,p) サナンダ・マイトレヤ(ヴォーカル、ギター、キーボード、ピアノ)
Enea ’Il Conte’ Bardi(b) エネア “イル・コンテ” バルディ(ベース)
Nik ’The Sticks’ Taccori(ds,back vo) ニック “ザ・スティックス” タッコーリ(ドラムス、バック・ヴォーカル)

■セットリスト
Setlist : Sananda Maitreya @ Bluenote Tokyo, March 21, 2013

show started 21:38
01.I’m Your Daddy
02.Duchess
03.I Saw Her
04.The Ballad Of LeBron & Kobe
05.Christine
06.Albuquerque
07.Stagger Lee - Part 1
08.Stagger Lee - Part 2
09.Ornella Or Nothing
10.Camel
11.Save Me
11.If All I’ve Got
12.O Divina
13.Return To Zooathalon
14.Dancing With Mr. Nostalgia
15.If I Go Away
16.Free To Be
17.Kangaloo
Enc. O Divina
Enc. Just Go Easy
Show ended 23:16

(2013年3月21日木曜、東京ブルーノート、サナンダ・マイトレヤ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Maitreya, Sananda

■サナンダ最新作 『リターン・トゥ・ズーアサロン』(アマゾンでは、MP3ヴァージョンが入手可能。フィジカルCDはライヴ会場とサナンダのサイトの通販のみでの販売)1500円

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00BKJMF1C/soulsearchiho-22/ref=nosim/

◎グレッチェン・パーラート~万華鏡のような音世界

【Gretchen Parlato : Sounds Like Kaleidoscope】

万華鏡。

ニューヨーク近辺のたとえば、ロバート・グラスパーやホセ・ジェームスあたりから、はてはハービー・ハンコック、ウェイン・ショーターなどの大物ジャズ・ミュージシャンまでを虜にしているジャズ・ヴォーカリスト、グレッチェン・パーラート。3度目の来日。日本でも熱心なファンがいて祝日ということもあってか会場は満員。僕は周囲からソウル系ともつながりがあるので、見た方がいいと言われて初めて見た。

客層は30代から50代中心か、若干20代もいるかもしれないが、6:4で男性が多い印象。やはりメインはジャズ・ファンなのかな、それにクラブ、DJ系の音楽を好むファンが加わる感じ。

ドラムスとベースがブラックで、どうも冒頭の録音された呼び込みアナウンスはベース奏者の声らしい。実に低くていい声。番組のタイトルコールでもやってもらいたいと思った。(笑) 

グレッチェンも事前にセットリストがない。最初の1-2曲と全体的な骨格だけ決めておいてあとはでたとこ勝負、そのときの雰囲気とのりで曲を自由自在に入れ替える。

ただし今回のセットリストは、3枚目のアルバム『ザ・ロスト・アンド・ファウンド』からの作品が中心。シンプリー・レッドのカヴァー、ハービー・ハンコック作品、オリジナル曲などアンコール含めて8曲、60分強。

バンドはドラムス、ベース、キーボード3人にグレッチェン。ステージに向かう姿、写真のイメージとまったくちがい、とても小柄。160センチくらいか。一言で言えば見事なヴォーカリーズ。喉、声が様々な表情を見せる。透明感のある声がささやくように歌う姿を見て、以前見た『コクリコ坂から~』のテーマを歌う手嶌葵を思い浮かべた。声が楽曲の中のツールになっているという意味で。あと、セルジュ・ゲンズブール&ジェーン・バーキンの「ジュ・テーム」あたりも思い浮かべた。音が静かで、音楽的にはずいぶんと実験的なこともチャレンジしている。

全体的にはラウンジっぽい感じで、軽い雰囲気、静かな空気だ。

ドラムスはアフロヘアで一見ルーツのクエストラヴみたい、ベースは帽子を被り最近のおしゃれミュージシャン風、キーボードもピアノ、エレピ、両方を曲によって使い分ける。

ときどき(1曲目や6曲目)、グレッチェンが両手に小さなパーカッションというか紐がついたものを持ってうまく振り回して、変わった音を出していた。なかなかいいアクセントをつけていたが、見たことがなかったので、あれはなんという楽器かとライヴ後本人に尋ねた。

「いや、私もよく知らないの。ガーナから友人がおみやげでくれたの。その友人はこれのことを『カチャサ』とか『キジプ』と言っていた。私もどんなスペルかもわからないのよ、実は(笑)。 けっこう練習した。アフリカではなんか子供たちが誰もがこれを使って遊んでいるそう。おもちゃらしいわ」と言う。

その「カチャサ」か「キジプ」とやらを使った6曲目はポルトガル語で歌われ、他の3人のミュージシャンたちもそれぞれの楽器を「叩いて」パーカッションにしていた。ピアノは鍵盤の下あたりを叩き、ベースもボディーを叩く。ドラムはパーカッションぽく叩く。打楽器とグレッチェンのヴォイスだけでその曲が生まれた。同じ楽器でもこんな使い方で万華鏡のように違う音が生み出される。

彼女のヴォイス、歌唱を聴いているとシャーデーや日本のTOKU、「コーリング・ユー」のジェヴェッタ・スティールあたりを思い浮かべた。そしてウォン・カーワイあたりが作る映画の音楽になったらぴったりあいそうな気がした。映画用のBGMにとてもあうと思う。

アンコールで歌った「マグナス」という曲はロスの友人の息子マグナス君のことを歌った曲だそう。

声を楽器のひとつのように使うという意味で、アル・ジャロウ、ボビー・マクファーリン的な立ち位置のシンガーと感じた。

CDを聴いてファンになってライヴを見れば、もっとファンになるだろう。まちがいない。しかし、ニューヨークのミュージシャンの層は厚いなあ。

■グレッチェン 3枚目最新作(2011年)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004OCCLCA/soulsearchiho-22/ref=nosim

■2枚目(2009年)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002FUIICU/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■ファースト(2005年)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000ROAOTG/soulsearchiho-22/ref=nosim

■ドラムスは違いますが、ほかのサポートは同じ

http://youtu.be/MLVu7G1oiz8



■ メンバー

Gretchen Parlato(vo) グレッチェン・パーラト(ヴォーカル)
Taylor Eigsti(p,key) テイラー・アイグスティ(ピアノ、キーボード)
Burniss Travis(b) バーニス・トラヴィス(ベース)
Justin Brown(ds) ジャスティン・ブラウン(ドラムス)

■セットリスト
Setlist : Gretchen Parlato @ Bluenote Tokyo, March 20, 2013

show started 17:02
01.Juju (Wayne Shorter)
02.Holding Back The Years (Simply Red)
03.Butterfly (Herbie Hancock)
04.Circling (Original)
05.Blue In Green
06.Alô Alô
07.Better Than (Original)
Enc. Magnus (Original)
Show ended 18:05

(2013年3月20日水曜、東京ブルーノート、グレッチェン・パールト・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Parlto, Gretchen

●ディーク・リチャーズ死去~「コーポレーション」の一員~ジャクソン5デビューからてがける

【Deke Richards Dies At 68 – One Of The Member Of “The Corporation”】

訃報。

モータウン・レコードのソングライター/プロデューサー・チーム「コーポレーション」の一員であるディーク・リチャーズ Deke Richards が2013年3月24日(日)、アメリカ・ワシントン州ベリングハムのホワットコム・ホスピス・ハウスで死去した。68歳。食道がんだった。妻、兄弟、2人の甥らによって送られる。

つい最近までマーサ&ザ・ヴァンデラスのリミックス作業を行なっていた。これは4月頃にリリースされる予定。また、2012年のジャクソン5の未発表曲ばかりを集めたアルバム『カム・アンド・ゲット・イット:ザ・レア・パールズ』もてがけていた。

評伝。

ディーク・リチャーズは、本名デニス・ルシアー、1944年4月8日ロスアンジェルス生まれ。白人。父は脚本家。十代の頃から音楽活動を始め、ディークは1962年の映画『イーガー(Eagah)』のバンド・メンバー役で出演しているという。その後デビー・ディーンというシンガーのバックバンドのメンバーになり、曲も書いていた。1966年、ハリウッド・パレスで行われたシュープリームスのコンサートでベリー・ゴーディーと出会い、ゴーディーはディークとプロデューサー・ソングライターとして契約。彼はモータウンのアーティストへ曲を書くようになる。

マーサ&ザ・ヴァンデラスやダイアナ・ロス&シュープリームス、ジャクソン5などのほかボビー・ダーリンなどにも曲を提供した。最初の大ヒットは、ダイアナ・ロス&シュープリームスの全米ナンバーワン、「ラヴ・チャイルド」。

1968年、モータウンからヒット曲を次々と送り出していたプロデューサー・チーム、ホランド・ドジャー・ホランドがモータウンを離れ、ホットワックス/インヴィクタスを設立したのを機に、ディークやフレディー・ペレンといった若い世代が起用されるようになる。

しかし、ベリー・ゴーディーはホランド・ドジャー・ホランドが名前を出していたことから彼らにスポットが当たったことを懸念し、以後のソングライター・チームには匿名でやらせようと考える。そこでゴーディーはまず「ザ・クラン」というチーム、さらに「コーポレーション」というチームで若手を集めた。匿名にしたもうひとつの理由としては、特定のメンバーにこだわらず、強力なヒットを生み出せるチームとしてこの「ザ・クラン」や「コーポレーション」を作り上げたことがある。

「ザ・クラン」は、Rディーン・テイラー、フランク・ウィルソン、パム・サウヤー、そして、ディーク・リチャーズの4人。1967年に結成、シュープリームスの「ラヴ・チャイルド」さらに「アイム・リヴィン・イン・シェーム(スラムの小鳩)」をてがけた。これがメンバーを変え「コーポレーション」に発展したと見ることもできる。

「コーポレーション」はベリー・ゴーディー、フレディー・ペレン、アルフォンゾ“フォンス”マイゼル、ディーク・リチャーズ、ペレンの妻クリスティーン・ヤリアンなども参加することがあるが、基本は最初の4人組。ジャクソン5のデビュー曲「アイ・ウォント・ユー・バック」(1969年)から「ABC」、「ザ・ラヴ・ユー・セイヴ」、「ママズ・パール」、「メイビー・トゥモロー」などのヒットを生み出し、一躍人気ソングライター・チームとなった。

コーポレーションの4人で残っているのはベリー・ゴーディーだけとなってしまった。

アルフォンゾ・マイゼル(1943年1月15日~2011年7月5日、68歳)
フレディー・ペレン(1943年5月15日~2004年12月16日、61歳)
ディーク・リチャーズ(1944年4月8日~2013年3月24日、68歳)
ベリー・ゴーディー・ジュニア(1929年11月28日~、83歳)

■フォンス・マイゼル訃報

フォンス・マイゼル(マイゼル・ブラザーズ)死去~ジャクソン5の初期のヒットなどをてがける
2011年07月13日(水)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10951301599.html

■記事

http://www.detroitnews.com/article/20130325/ENT04/303250429/1361/Deke-Richards--of-Motown-s-The-Corporation--dies

■ディーク・リチャーズ、昨年の作品 ジャクソン5 Come & Get It: Rare Pearls (輸入盤)2854円 (ライナーノーツも)(ジャクソン5時代の未発表作品収録。3枚組み)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008UTV73W/soulsearchiho-22/ref=nosim/


■同日本盤 6800円

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B009K6GJXW/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ジャクソン5ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002CNV2RS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

OBITUARY>Richards, Deke (April 8, 1944 – March 24, 2013, 68 year old)
◎タック&パティー~愛一杯のステージ

【Tuck & Patti : Always Full Of Love】

愛。

これほどシンプルなステージはない。いつもと同じようにタックがギターを持って立ち、その横にパティーがマイクを持って立つ。少し後ろに小さなテーブルがあり、綺麗な花と水などが置かれている。たった二人だけで、ギターと声だけでこの空間を愛の暖かさと優しさで溢れさせる。

そのシンプルなセッティングは毎回同じだが、歌われる演目は毎回違う。その場ののりで曲が変わっていき、ときにはオーディエンスからリクエストを募る。この日もタックのインストゥルメンタル曲(演奏曲)が終わった後、パティーがリクエストを募った。客席から次々と曲名が飛び出す。そして歌われたのが「ハニー・パイ」だった。

ライヴ後サイン会に20歳の女子学生がお父さんに連れられてやってきた。お父さんがアイパッドの中にいれているたくさんの曲の中からこのタック&パティーの曲を気に入り、いつかライヴを見たいと思っていた。そして20歳になったらお父さんがブルーノートに連れて行ってあげると約束し、この日初めてブルーノートに来て、初めてタック&パティーのライヴを見たという。そして、タック&パティーの二人に直接会えて大感激し、彼らに会うなりもう泣いていたのだ。それを見て、パティーが「まあ、なんてスイートなの」と言ってもらい泣き。

2012年12月に彼らがタイのチェンマイに行ったとき、そこでチャリティー・イヴェントに出たという話をしていた。「3つの学校に行った。それぞれの学校で恵まれない子供たちがいた。そこで人々に愛を感じられるよう手助けした。あなたも愛を広めるミッションに手を貸すことができます」といったようなことを言い、「ラヴ・ウォーリアーズ」を歌った。

いやあ、それにしてもパティーは誰のどの曲を歌っても、完璧に「自分のもの」にしてしまう。本当にこの音楽の解釈力は素晴らしい。

それにしても本当にいい人たちで、誰にでも愛を授ける彼らは真の愛の伝道師であり愛の戦士だ。

それにしても彼らの音楽を知って25年以上経つがその音楽はまったく色褪せない。

ところで、とても彼らと音楽的接点はないと思いきや、パティーも十代の頃ジェームス・ブラウンを聴いていたという。そのあたりはまた後日。タックのギター・ソロでジェームス・ブラウンの曲、何かやってもらいたいなあ、と思った。

ライヴは今日・金曜丸の内コットンクラブ、日曜にも横浜モーションブルーであります。一度見るとまた行きたくなるそんな典型的なアーティストだ。

彼らの音楽って、大々的に宣伝されるわけでもなく、ただひたすら地道に二人で世界中を旅して音楽をプレイし、その音楽だけで人々をファンにして、支持されているという、音楽家としてはあらゆる意味で理想的な形だと思う。

■In My Life – Tuck & Patti (From TV)

http://youtu.be/WB6eHS8Bwos



■Wonderful World (Audio only)

http://youtu.be/OAy6jv3mtdg



■Lovin’ You (Audio only)

http://youtu.be/vdZ7Z4Zawaw



■金曜日コットンクラブ、日曜日横浜モーションブルー

COTTON CLUB コットンクラブ
〒100-6402 東京都千代田区丸の内2-7-3 東京ビルTOKIA 2F
TEL 03-3215-1555
http://www.cottonclubjapan.co.jp/
2013年3月29日金曜、6時半、9時

Motion Blue Yokohama
〒231-0001 横浜市中区新港一丁目1番2号 横浜赤レンガ倉庫2号館3F
電話 045-226-1919
http://www.motionblue.co.jp/access/index.html
2013年3月31日日曜、5時半、8時半

■タック&パティー・オフィシャル・ウェッブ(英語)

http://www.tuckandpatti.com/index.shtml

■ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002HMHQI8/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■過去記事

タック&パティー(パート1):復興は始まったばかりというメッセージを語る
2011年05月25日(水)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10901629875.html

「タイム・アフター・タイム」物語~タック&パティー(パート2)
2011年05月26日(木)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10901672522.html

2010年05月09日(日)
タック&パティー:愛の常設店
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10529460212.html

2008年06月27日(金)
タック&パティー・ライヴ~愛に包まれて
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080627.html

January 09, 2006
Tuck & Patti Control Time & Space
http://blog.soulsearchin.com/archives/000756.html

2003/05/14 (Wed)
The Moment of Truth: Tuck & Patti Sung for Me
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030514.html

【1994年11月28日・青山ラス・チカス】
タック&パティー・ライヴ『感動のリサイクル・マシン』
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/tuck19941128.html

■メンバー

Tuck Andress (guitar)
Patti Cathcart (vocal)

■セットリスト

show started 21:31
01.Tears Of Joy
02.In My Life
03.You Ain’t Seen Nothing Yet
04.Better Than Anything
05.Tossin & Turnin
06.A Foggy Day (In London Town)
07.Castle Made Of Sand
08.Little Wing
09.I Wish (Tuck solo, instrumental)
10.Europe (Tuck solo, instrumental)
11.Honey Pie(by audience’s request)
12.Love Warriors
13.All The Love
14.Time After Time
show ended 23:01

(2013年3月26日火曜、ブルーノート東京、タック&パティー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tuck & Patti
2013-
◇★サム・クック伝記映画、企画進行中

【Two Sam Cooke Bio Pic Projects Underway】

進行中。

伝説のソウル・シンガー、サム・クックの伝記映画のプロジェクトが少なくとも2本進行中だ。

まず最初のものがしばらく前に製作の話がでてきたもので、ピーター・ギュラルニックが書いたサム・クックの伝記本『ドリーム・ブギー、ザ・トライアンフ・オブ・サム・クック』を元にした映画。これは脚本をディック・クレメントとイアン・ラ・フレネスが執筆するもの。ディックとイアンはジュリー・テイマーの『ユニヴァース』や『ザ・コミットメンツ』の映画の脚本を書いている。ちなみにグラルニック自身もサム・クックのドキュメンタリー『サム・クック・レジェンド』を製作している。

この映画は、サムの1931年誕生から1964年死去までの生涯を描くもので、サムに関するあらゆる権利をサムの財産を管理するエステートから借り受けて製作する。まだ監督は決まっておらず、キャスティングもまだ。

もう一本は、カール・フランクリンが脚本、監督を担当するプロジェクト。フランクリンはこれまでに『デヴィル・イン・ア・ブルー・ドレス、ワン・フォルス・ムーヴ』、最近では『ブレス・ミー、アルティマ』を手がけている監督だ。こちらの製作はマーク・シアルディ、ゴードン・グレイ、ジュディー・クラインがプロデュース(製作)にあたる。そして、アブコ・フィルムスがこのプロジェクトをバックアップする。同社はすでに『サム・クック・レジェンド』のDVDを発売したり、音楽関連の映像作品などをリリースしている。アブコから出た音楽ドキュメンタリーとしてはローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、ジョージ・ハリソン、ボブ・ディラン、リンゴ・スターなどがある。すでにサム・クック役の候補を選ぶ作業が始まっているという。

~~~

解説。

この記事を読む限り、最初に手を上げたディック・クレメントのプロジェクトは宙に浮いている感がある。一方このアブコが後ろについて監督カール・フランクリンまで決まったプロジェクトが一歩リードしているように思える。ただし、映画のプロジェクトは話がでてから完成するまで10年以上のスパンで、本当に時間がかかる。また話が出た中でも、たとえば10企画があっても実現までこぎつけるのはそのうちの1本といったあたりで、どこまで進むかはまだまだわからない。サムはこの2本のプロジェクトが進行中だが、マーヴィン・ゲイの伝記映画は4本以上企画がでているそうだ。

また企画が立ち上がった当初のプロデューサーが降りたり、監督が決まっていても降りたり、さまざまな紆余曲折が待ち受ける。スパイク・リーがてがける話があったジェームス・ブラウンの伝記映画は、スパイクが降り、ブライン・グレイザーがプロデュースすることになったという。

いずれにせよ、ファンとしてはきちんとした映画ができればいい。気長に待とう。

■ニュースソース Exclusive: Carl Franklin Set To Write & Direct Sam Cooke Biopic; Casting Underway
NEWS BY TAMBAY A. OBENSON
3月 26日 2013午後8:28

http://blogs.indiewire.com/shadowandact/exclusive-carl-franklin-set-to-write-direct-sam-cooke-biopic-casting-has-begun#.UVJmTctwyoc.twitter

~~~~

サム・クック、輸入盤、RCA時代のものが8枚で3785円。安い!

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B005APT72M/soulsearchiho-22/ref=nosim/

RCA以前の3枚組み

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006LI1I/soulsearchiho-22/ref=nosim

ライヴ・アット・ハーレム・スクエア・クラブ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000AO4NJU/soulsearchiho-22/ref=nosim/


MOVIE>Cooke, Sam
ARTIST>Cooke, Sam

■ヒストリー・オブ・ソウル・ブレンズ

【12 Years History Of Soul Blends】

年表。

インターFMの最長寿番組「ソウル・ブレンズ」が2013年3月31日(日)の放送で終了します。この番組は2001年4月1日からスタート。ちょうどまる12年オンエアしたことになります。これまでの12年の番組関連の出来事をいくつかまとめて年表形式にしてみました。

長らくご愛聴、ありがとうございました。

こうして並べてみると、本当にいろいろなことがありました。本日最終回は、マーヴィン、ちーちゃん、吉岡が2時間たっぷり昔話をする予定です。

なお、2013年4月からは、マーヴィン・デンジャーフィールドが金曜夜6時から8時まで「ファンキン・スタッフ」、吉岡正晴が火曜夜8時~10時に「ソウル・サーチン・レイディオ」で新番組をスタートします。ま、言ってみれば「ソウル・ブレンズ」から派生して2番組に細胞分裂して増えるということでもあります。

引き続きよろしくお願いします。

「ソウル・サーチン・レイディオ」はあさって4月2日火曜夜8時、「ファンキン・スタッフ」は4月5日夜6時スタートです。

今日の放送もラジコなどでお聴きください。
http://radiko.jp/#
(インターFM76.1mhz)

■ソウル・ブレンズ簡易年表

【2001年度】

2001年4月1日(日)スタート。田町。13時~15時。当初はマーヴィンひとり。まもなく、たまちゃん、吉岡が参加。
2001年 ベニーKコーナー
2001年 「ブラスト・フロム・ザ・パースト」(昔のソウルヒットの紹介、当初は選曲を担当していた吉岡がマーヴィンと話をするようになり登場)

【2002年度】

2002年4月~9月 13時~15時。山野ミュージック・ジャム(13時半~)スタート。(2010年3月まで)[全国100万人のインターFMおききのみなさん、こんにちは。全国山野楽器でショッピング中のお客様、いらっしゃいませ。ソウルブレンズが推薦する山野楽器的新定番をご紹介する山野ミュージックジャムの時間がやってまいりました。1時半の男、吉岡正晴です。]
2002年6月 「ソウル・サーチン」ホームページ、ブログ開始。(現在も続く)
2002年10月~2003年3月 13時~16時に拡大。
2002年12月8日 田町ビル・全館停電。7階まで歩きで昇る
2002年 クリスタル・ケイのコーナー「きいてミルク」

【2003年度】

2003年4月~9月 16時~18時 山野(16時半~)
2003年4月7日、横浜でクリスタル・ケイらと花見。根岸森林公園
2003年8月17日 ドン勝本生ゲスト
2003年10月12日~ 13時~17時 山野(16時半~)、新たに「ソウル・サーチン」(2時~2時20分)スタート。第一次「ソウル・サーチン」は2005年7月31日まで89回放送。
2003年12月7日 田町ビル・全館停電。

【2004年度】

2004年5月16日 ナイル・ロジャーズ生ゲスト
2004年5月23日 スガシカオ生ゲスト
2004年10月~ 13時~17時 マーヴィンの相方にたまちゃんから交代、しのきちさと登場。「ソウル・サーチン」2時半~に
2004年12月5日? 田町ビル・全館停電。
2005年1月、マーヴィンがブログを始めるが、すぐに挫折

【2005年度】

2005年4月~ 14時~17時 16時からスロー・ジャム
2005年5月26日 「ソウル・ブレンズ」イヴェント第1回 西麻布クラブ・クロス

【2006年度】

2006年5月26日 「ソウル・ブレンズ・ナイト」第2回 青山キサナドゥ
2006年7月 マーヴィン、再度ブログ開始。しばらく続く
2006年7月28日 「ソウル・ブレンズ・ナイト」第3回 青山キサナドゥ
2006年10月~ 
2006年12月3日 ハービー・ハンコック生ゲスト
2006年12月9日 お台場で公開録音。黒沢薫&ズーコ・ライヴ。
2006年12月31日 3時間(14時~17時)ジェームス・ブラウン追悼特集。ドン勝本生ゲスト。
2007年3月11日 鈴木雅之生ゲスト。(神谷町・段ボールよれよれテント仮設スタジオ)

【2007年度】

2007年4月~  15時~17時 (山野、勝手にキャッチフレーズ)
2007年4月 フレッド・ウェスリー、生ゲスト
2007年7月~ ガバ・ナチュラル・イングリッシュ
2007年8月「山野ビッグ・バンド・コンテスト」府中の森からオッシーパパ生中継
2007年11月15日~ 神谷町タリーズ珈琲内スタジオオープン
2007年11月18日 ニック岡井追悼
2007年11月25日 デニス・エドワーズ、アリ・オリ・ウッドソン生ゲスト
2007年12月8日 ヴィーナスフォートで公開録音。ソウェルなど。
2008年1月 外苑前パンテーラでゆるい番組イヴェント
2008年3月 ベン・シドラン生ゲスト、ジェロ生ゲスト

【2008年度】

2008年6月29日 カルロス菅野、鈴木雅之生ゲスト (神谷町、タリーズ内のちゃんとしたスタジオ)
2008年8月17日 「山野ビッグ・バンド・コンテスト」府中の森からオッシーパパ生中継
2008年8月29日 「ソウル・ブレンズ・ナイト」 第4回 青山パンテーラ (雷・豪雨の中。パンテーラ9月で終了、その後横浜マジック)
2008年9月14日 ブラザーコーン生ゲスト
2008年9月21日 マーヴィン代打大西貴文
2008年11月26日 ナバーナオープン。(2012年3月末まで)
2008年12月1日 押阪忍アナウンサー生活50周年イヴェント 新宿京王プラザ
2008年12月14日 「山野ミュージックジャム」シン・スン・フン紹介に古家正亨さん飛び入り
2009年1月11日~ この日から天王洲スタジオへ

【2009年度】

2009年6月25日 マイケル・ジャクソン死去。(日本時間では26日、28日放送分で全枠マイケル追悼)
2009年8月 「山野ビッグ・バンド・コンテスト」府中の森からオッシーパパ入り中継
2010年1月~ 13時~15時
2010年1月17日 トニー・メイデン、アマンダ・メイデン生ゲスト
2010年2月28日 久保田利伸・ソウル・ブレンズをジャック
2010年3月28日 「山野ミュージック・ジャム」最終回(8年416回) 名フレーズ「山野楽器へ直行」

【2010年度】

2010年4月~ 「ソウル・サーチン」(14時半~)復活(2005年7月終了以来の復活)
2010年5月9日 ケイ・グラント・ジャック
2010年6月27日 「イントロ・ドン」初登場
2010年7月27日(火) 「ソウル・ブレンズ・ナイト第5回」麻布十番ディックスラウンジ
2010年8月22日 イントロ・ドン
2010年8月8日~29日 銀座ミニクーパーショールーム銀座から公開生放送(4週)
2010年10月31日 川崎ラチッタデッラからハロウィン公開生放送
2010年12月23日、24日 オアゾで公開収録 23日三浦大知、24日ケイ・グラント、エミ・マリア
2010年12月26日 デイヴィッドTウォーカー生ゲスト
2011年1月23日 ケイリブ・ジェームス ソウル・サーチンにゲスト
2011年2月2日 オッシープロデュース『ディスコティック・ラヴ』CD発売
(2011年2月~3月前後?)13時~16時の+1時間特別編成
2011年3月11日(金) 東北地方大震災
2011年3月13日 特別編成

【2011年度】

2011年4月17日 ナイル・ロジャーズ生ゲスト
2011年6月19日 トニー・メイデン&アマンダ・メイデン生ゲスト
2011年7月24日 シェリル・リン・ライヴ音源独占放送
2011年8月7日 TMスティーヴンス生ゲスト
2011年10月30日 川崎ラチッタデッラからハロウィン公開生放送
2011年12月4日 ラルフ・ロール生ゲスト。(この放送を聴いた西武デパートの人がラルフのクッキーに興味を持ち、西武で販売)
2012年1月8日 タイ・スティーブンス、フェリシア・グラハム、フィリップ・ウー生ゲスト
2012年1月~ 不定期「オッシー・ヨッシーのセレブレーション」
2012年2月12日 ホイットニー急死にともない急遽1時間延長。1時から4時まで3時間全曲ホイットニーで追悼放送
2012年3月28日 『レッツ・ダンス』発売

【2012年度】

2012年4月22日 超イントロクイズ。(2月以来)
2012年4月29日 三浦大知生ゲスト
2012年5月 オッシー、雅・コラボ
2012年5月20日 ドナ・サマー、チャック・ブラウン追悼特集。村岡裕司さんゲスト
2012年7月~9月 14時~16時
2012年7月8日 ウッディーファンク生ゲスト
2012年8月23日(木)15時~17時半 『ソウル・ブレンズ・サマー・スペシャル』(マーヴィン&吉岡)
2012年9月2日 ベンEキング生ゲスト
2012年9月25日 マーヴィン代打亀井佐代子登場
2012年10月~2013年3月 13時~15時
2012年10月7日 マサ小浜・ライヴ音源放送
2012年10月28日 川崎ラチッタデラ・ハロウィン・スペシャル公開生放送
2012年10月31日 「ダイナスティー第6回」
2013年3月31日 「ソウル・ブレンズ」最終回

「年一レギュラー」
オッシーパパこと押阪忍氏(府中の森から)
大西康文氏(マーヴィン休みのとき代打)
カルロス菅野氏(夏場に必ず)

■オッシー・プロデュース 『レッツ・グルーヴ』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0052PN7QM/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B009W67NA8/soulsearchiho-22/ref=nosim/

RADIO>Soul Blends

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