【エリック・クラプトン〜お座りくださいませ】

余裕。

まさに王者の風格というか、余裕というか、ギター1本あれば、いつでもどこでも、演奏します、という感じの世界一有名なギタリストのライヴ。エリックはほとんどしゃべらず、話す言葉は「サンキュー、ありがとう」だけ。あとは、ひたすら演奏しまくる。超シンプルなライヴだ。昔のライヴは、みんなこうだったなあ、と思った。(笑) 

ドラムス、キーボード2、ギターはクラプトンを含めて3、ベース、コーラス2というシンプルな編成。ショーアップされているのは、背面の最新式と思われるLEDを使ったモニターパネルのようなもの。ここに映像というかちょっと動くデザインの絵などが映し出されたりする。観客の年齢層は圧倒的に高く、平均40代後半か。50−60代の人もいたように思える。男女比は6−4か7−3でかなり男性が多い。

それにしても、自分が好きな音楽(例えばブルーズ)、自分が好きな曲を、これほどの大音量で、しかもこれだけたくさんの人の前で演奏できて、さぞかし嬉しい、楽しいだろうなと思う。ライヴショーとしては、エンタテインメント性など過剰な演出はまったくなく、ただひたすら演奏を聴かせるだけ。本来だったら、小さなライヴハウスあたりでやるべきなんだろうが、いずれにせよ、クラプトンは有名になりすぎて大きな箱(会場)でやらなければならない。しょうがない。このミュージシャン一徹のところは、さすがだ。彼にとっては年間何十本か何百本やるライヴギグの1本なのだろうが、何も考えずにひたすらギターを弾く姿に「生涯一ギタリスト魂」を感じた。

全体的に見ると3部構成。前半バンドで、途中で座ってアコースティックっぽい編成でやり、最後はおなじみの曲ばかりをバンドで。一番盛り上がるのは、「アフター・ミッドナイト」以降の最後のところ。観客とのやりとりはまったくないが、「コケイン」の最後、曲終わりのところで、観客が「コケイン!」と叫ぶところが、唯一のコール&レスポンス。みんな知ってるんだ。

彼らのライヴなら、口パク、ミュージシャンのあてぶり(演奏している振りをして、音はプログラムされたものがでている)も、ないだろうなと確信した。(笑) そういうのとまったく無縁の、昔ながらの「ミュージシャンは、楽器を弾いてなんぼのもの、それを見せてなんぼのもの」という当たり前のライヴ・パフォーマンスが繰り広げられた。

「ノーバディー・ノウズ・ユー」という曲(1970年のアルバム『レイラ』から)、「横浜ホンキー・トンク・ブルーズ」っていう曲に似てるような気がした。たぶん、「横浜・・・」のほうが後だと思うが。(未確認) 松田優作、エディ藩、藤竜也、原田芳雄らが歌った曲だ。

しかし、1曲目からアリーナの観客は立ち上がっていたが、まあ、最初はいいとしても、2曲目以降とか座ってみればいいのに。(笑) クラプトンのライヴなど、別に踊れる曲をやってるわけじゃないんだから。

Eric Clapton Setlist @ Nippon Budoukan, 11/20/2006
エリック・クラプトン セットリスト (incomplete)

show started 19:11
01. Tell The Truth
02. Pretending
03. Got To Get Better In A Little While
04. Old Love
05. Motherless Children

-Accoustic Set
06. Drifting Blues (Solo)
07. Key To The Highway
08. Outside Woman Blues
09. Nobody Knows You When You’re Down and Out
10. Running On Faith

11. After Midnight
12. Little Queen of Spades
13. Before You Accuse Me
14. Wonderful Tonight
15. Layla
16. Cocaine
Enc. Crossroads
show ended 21:14

(2006年11月20日月曜、日本武道館=エリック・クラプトン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Clapton, Eric
2006-214
【R&B創生期のパイオニア、ルース・ブラウン死去】

パイオニア。

1940年代から50年代にかけてヒットを放ったR&B時代創生期のごく初期のスターである女性シンガー、ルース・ブラウンが2006年11月17日(金)、ラスヴェガス地区の病院で死去した。78歳だった。「ティアドロップス・フロム・マイ・アイズ」(1950年末のヒット、R&Bチャートで1位)、「5−10−15アワーズ」(1952年のヒット、R&Bで1位)など多数のヒットがある。

ルース・ブラウンは1928年1月12日ヴァージニア州ポーツマス生まれ。本名、ルース・アルストン・ウェストン。

デューク・エリントン楽団の歌手になったところ、その紹介でアトランティック・レコードと契約することになり、1949年、アトランティックからの「ソー・ロング」が初ヒット。以後、1960年頃までヒットを出し続けた。レイ・チャールズ登場以前のアトランティックのドル箱スターと言える。しかも、ジャズ、ゴスペル、創生期のR&B、ロックンロールなどありとあらゆるジャンルを超えて歌った。

しかし、60年代、70年代初期までは不遇で、一時期はバスの運転手、家事手伝い、教師などをしながら2人の息子を女手一人で育て、どん底の生活をしていたこともあった。

1982年、ワシントンDCで小さなライヴを行った後、一人の白人男性が昔のアルバムを持ってきて、ルースのサインを求めてきた。そのアルバムは、ルースが見たこともないアルバムだった。彼女はアルバムにサインをしながら、「私たちはこうしたアルバムから一銭たりとも、印税をもらってないのよ」とこぼした。この男性の名前は、ハウエル・ベーグル、エンタテインメント系の弁護士だった。そして、彼はルースのために、身を粉にして、未払い印税をメジャーレコード会社にさせるという前代未聞の仕事を始めたのだ。

そして、それから約5年をかけて、ハウエルとルースは、それらの貯まった未払い印税をレコード会社に支払わせることに成功したのである。1987年のことだった。こうして生まれたのが、同年発足の「リズム&ブルーズ・ファウンデーション(基金)」である。

様々な交渉を重ね、アトランティックのアーメット・アーティガンらから150万ドル(現在のレートで1億8千万円)の小切手をR&B基金宛てに拠出させたのだ。この基金から資金を運用したりして、R&Bの世界で実績がありながら、例えば保険に加入していないために病気治療が受けられない人へのサポート、未払い印税の支払いなどにあてるようになった。彼女にとっての最大のターニングポイントは、この交渉をかってでてくれたハウエル弁護士との出会いだった。

その後、映画、ミュージカルの仕事が入るようになりアーティストとしても奇跡的に復活。中でも、1989年1月からブロードウェイで始まったミュージカル『ブラック&ブルー』は2年間にわたるロングラン大ヒットとなり、オリジナル・サウンドトラックもグラミー賞を受賞、さらにルース自身のアルバム『ブルーズ・オン・ブルードウェイ』も、1989年度グラミー賞「ベスト・ジャズ・ヴォーカル・パフォーマンス」を獲得した。同ミュージカルは、トニー賞5部門にノミネート、ルースの最優秀女優賞を含む3部門を獲得した。また1993年には「ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム」(ロック殿堂)入りを果たすまでになった。

ルースは、ライヴでは1978年9月「モンタレー・ジャズ・フェスティヴァル」(=武道館。複数アーティストとの共演)への出演、1991年4月、渋谷クアトロでのライヴ、1995年1月、東京ブルーノート出演で来日している。また、甥にラッパーのラキームがいる。

(ルースの来日履歴について阿見博さんから貴重な情報をいただきました。訂正・追記しました。ありがとうございます)

ENT>OBITUARY>Brown, Ruth>January 12, 1928 − November 17, 2006 (78)
【サム・ムーア・ネタもう少し】

追記。

感動さめやらぬサム・ムーアのライヴ。ドラマーのトニーが、ニューヨークのタイ・スティーヴンスの友人ということで、すっかりなじんで話をすることができた。いくつか小ネタを。

トニーは、このサム・ムーアのソウルバンドの屋台骨を支えるブラザーだ。約3年ほどサム・バンドに在籍している、という。金曜のショーの冒頭のインストゥルメンタル曲が僕はわからなかったので彼に聞いたら、ジミー・スミスの「バック・アット・ザ・チキン・シャック」だと教えてくれた。調べてみると、同タイトルのアルバムが1963年にでていた。有名な曲なんだ。インストゥルメンタルは何曲かあって、適度にチェンジしているという。

サム・ムーアの何が素晴らしいかと言えば、ソウル・エンタテイナーとしての哲学だろう。昨日紹介したインタヴューの中での「お客を楽しませなければだめなんだ」というシンプルながら、当たり前の考え方を、身体で実行する。60年代から70年代にかけてのソウルスターたちには皆、身体に染み付いているものでもある。それをやり続けているところがまた見事。

バックコーラスのひとり、キャロウェイはなんとまだ15歳という若さだった。15歳で、夜のナイトクラブでライヴをやっていいのだろうか。(笑) サムはランディー・ジャクソン(最新作のプロデューサー)に紹介されたが、歌ってみなさい、といったところ、堂々と歌ってみせ、起用することにした。しかし、当初はサムさえも彼女に直接話しかけることはできずに、お母さんやマネージャーに話をしなければならなかった、という。

キャロウェイがソロで歌う「クレイジー」では、サム・ムーアがバックコーラスをいれる。しかしバックでサムが歌う「クレイジー〜〜」という声が目立って目立って、とてもバックに収まらない。(笑) バックがフロントを食うというのは、こういうことなのだろうと思った。キャロウェイは、歌はストレートでこれからだと思ったが、15歳と知ってからは、逆に「これはすごいわ」と思った。きっと伸び盛りだから、次回会う時にはもっともっとよくなっているだろう。

サムの歌声の強さは恐れ入った。ステージでも何度かマイクを離し、素の声だけで会場に響かせた。「何か声の強さを維持する秘密はあるのですか」という黒沢さんの問に、「いやあ、別に何もないよ(笑)」と軽く答えた。本当に、声帯が強いのだろう。子供の頃からゴスペルで鍛えた喉、喉の基礎体力が圧倒的に違うようだ。サムは「まあ、いつも大きい声で歌うことかな」と付け加えたのだが・・・。いや、だから、なんでそんな大きな強い声が出るのかを知りたいんです。(笑) 

それにしても、金曜のセットリストを改めて眺めているだけで、その日のライヴの様子が思い出される。ちゃんとしたセットリストというのは、素晴らしき瞬間の思い出へのパスポートだ。サムのショーは、今年ブルーノートで見たライヴの中で僕にとってはナンバーワンだ。

(2006年11月17日金曜、東京ブルーノート=サム・ムーア・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Moore, Sam
2006-213
【サム・ムーアかく語りき】

誇り。

前日(11月17日)のサム・ムーアの最終日ライヴの余韻も残る午後、ゴスペラーズの『ソウル・コネクション』へのサムのゲスト出演が急遽決まり、録音を行った。ゴスペラーズは昨日に引き続き、全員集合。スタジオにはメンバー5人、サム本人、通訳の方、そして僕が入り、大変な熱気に。(この模様は、即日=11月18日土曜=に生放送内でオンエアした)

番組で使える時間は約12分程度だが、なんとサムは昔ながらの友達に会うのを懐かしむように、40分を超える収録となった。その後には、東京FMの生放送(スペイン坂で行われる番組)への出演が控えていて、かなりあわただしかった。

サムは、こんどの新作『オーヴァーナイト・センセーショナル』をレコーディングするにあたり、ゴスペラーズとのコラボレーションも考えていたという。いきなり、収録前の雑談では「バックストリート・ボーイズの曲をやろうかと思っているんだが、君たち一緒にどうだい」みたいな話まで飛び出した。さらに、「実はな、僕のバックバンドのメンバーが君たちのことをずいぶんと気に入って、君たちのバックをやりたいとか言ってるんだよ(笑)」 

サムは、こんどの新作が始まった経緯、最近のアメリカの音楽業界の状況、日本での反応、声量の秘密、シンガーとしての心構え、若いミュージシャンとの交流について、など縦横無尽に語った。

後半で村上さんが、かつてサムからもらった言葉、「ソウルとは、汗と涙と叫びだと言われたこと、さらに『マイ・ニュー・ベスト・フレンド』とサインを書かれたこと」を胸に秘め、ずっと今日までやってこれましたというと、サムも「よく覚えておいてくれたな」と感激。「その音楽がソウルであれ、カントリーであれ、ジャズであれ、心を込めてお客に対して歌えば、お客も感じる。最近では大規模な仕掛けいっぱいのショー(プロダクション=作品)も多いが、別にそれはそれでもかまわないが、お客さんをそのショーに参加させないとだめなんだ。仕掛けもいいが、なによりもそのショーで大事なのはお客さんなんだよ」と語った。

ゴスペラーズのメンバーがサムに会ったときは、まだゴスペラーズはブレイクしておらず、スターにはなっていなかった。しかし、その後ヒットし、名前が知られるようになった。サムはそんな彼らの成功を大変喜んでいるようにみえた。

そして最後に彼はこう言った。「I’m proud of you(僕は君たちを誇りに思うよ) 君たちをファミリーと呼んでいいかな」 「もちろん」 そしてメンバーから拍手・・・。

大急ぎで記念写真を撮影し、サムご一行は、急ぎ足で次の生放送の現場に向かった。後片付けをして家に戻る車中で、今そこにいたばかりのサム・ムーアの声がFMから流れてきた。

ENT>MUSIC>ARTIST>Moore, Sam
【サム・ムーア、驚きと感動のフィナーレ】

感動。

生きる伝説、見事なソウル・サヴァイヴァー、歴史そのもの・・・。いくら言葉を探そうにも、完璧な言葉は見つからない。あまりに多くのものがありすぎて、超おなかいっぱいになったサム・ムーア・ライヴ最終日。

徐々に週前半の評判が効いて来たのか、この日は超満員で立ち見も出た。楽屋からステージまでの道のり、たくさんのファンに握手を求められ、かなり時間がかかっていた。バンドも熱ければ、観客も熱い。本人もかなりやる気いっぱいで、予定ではインストゥルメンタルだった「ホールド・オン」を途中から歌い出した。ドラマーのトニーによると、これはアレサ・フランクリンのヴァージョンだそうだ。

「ノック・オン・ウッド」の次に、セットリストでは「ソウル・シスター・・・」だったが、なぜか飛んで「カム・オン・カム・オーヴァー」へ。サムのよく通る甲高い声が、本当に素晴らしい。声も、マイクになんのエフェクトもつけず、素の声が会場を包み込む。そして、歌の「タメ」が、ものすごく見事だ。ここで歌い始めそうという瞬間から、さらに一歩タメてから、その歌詞を歌い始める。これは実に味わい深い。

ずば抜けてうまいというわけではない。しかし、その歌声には、味がある、渋さがある、艶がある、そしてクラース(品)がある。彼がそこに立って、ちょっと腕を動かすだけで、雰囲気と存在感があふれ出る。シンプルでストレートな歌だけに、聴くものの心に、ソウルに直球で語りかけてくるのだろう。彼の声を聴いていると、雰囲気も含めて、少しばかり日本のキングトーンズのリードシンガー、内田正人を思わせた。

観客にサビを歌わせる「ブレイム・イット・オン・ザ・レイン」では、日本人が2−3人歌った後、なんと、通路からステージに一人のブラックの女性が進んで行って手を挙げた。サムが彼女にマイクを手渡した。我らがブレンダ・ヴォーンだ!! ゴスペルっぽく、思い切りシャウトして歌うと、会場の空気が一挙に沸騰した。サムがそれを見て、あきれたように喜びを表した。

「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」のエンディングでは「ワン・モア・タイム??」と客を煽り、何度も終わりそうで終わらない。その度に客席は盛り上がっていく。こういったエンタテインメントは最高だ。70年の歴史だろう。

そして感動のバラード「サムシングス・ロング・ウィズ・マイ・ベイビー」。シンプルなバックに、切々と歌うサム。「俺のベイビーが出て行ってしまった。何が悪かったんだ・・・」とセリフを言うサム。曲のストーリー(物語)に立体感を与えるパフォーマンス。ここでのタメも、うならされてしまう。そして、泣かされる。ソウル、R&Bの真髄である。

会場が静まり返って歌が終わると万雷の拍手。そこに奥さんのジョイスが登場し説明を始めた。「30年前、一人の若者がサムの元にやってきました。その若者はその後大スターになりました。その彼が今夜、ここに来ています。みなさんへのサプライズ・ゲストです。キヨシロー!!」 

客席から「おおおっ、ええええっ」という歓声があがる。ステージ左手からノーメークの忌野清志郎が現れた。そして、サムと一緒に「アイ・サンキュー」を歌ったのだ!! あの清志郎節だ。声も元気そう。「アイ・サンキュー」のところを、「ありがとう」にしたりして歌った。闘病中とは思えない雰囲気だった。1曲終えて、2人はステージ中央でハグ。観客は全員総立ちだ。

サムは言った。「昔彼が来た時、私の荷物を持って、あちこちに行ってくれたものなんだ」 当時無名だった忌野清志郎にとって、サム&デイヴはまさに神様に近い存在だっただろう。それがこうして何十年ぶりにステージ上で再会できるのは、彼にとってもものすごく嬉しいことだったに違いない。サム同様、清志郎も見事なソウル・サヴァイヴァーになって欲しい。

そして、サムは続けた。「まだショーは終わらないよ。もう一組のサプライズ・ゲストをみんなにご紹介しよう。ゴスペラーズ!!」 

5人全員が客席からステージに上がった。そして始まったイントロは、「ソウル・マン」。総立ちの観客のヴォルテージはさらに上がる。ブルーノートの温度は一挙に5度は上がったに違いない。主として村上てつや、黒沢薫の2人が、「ソウル・マン」を歌い、そこにゴスペラーズのメンバーがコーラスをつける。もちろん、「ソウ〜〜ルマン」というところを、サムも歌う。この曲の部分は、メドレーになっていて、その間中、彼らはステージでサビを歌ったり、踊ったり、大パーティーになった。

ショーはまだ終わらない。前半、飛ばされていた「ソウル・シスター、ブラウン・シュガー」がここで披露された。なるほど、そういうことだったのか。もちろん、4ヶ月前、エナメル・ブラザースとして歌った黒沢薫とサム・ムーアのツートップだ。ところが、エナメルでは黒沢はサムのパートを歌っており、デイヴのパートは覚えていなかったので、かなり焦って歌詞を覚えたらしい。ステージに出て歌い始めるときには、彼は歌詞カードを手に持っていたのだが、歌い始めると、もう見ていなかった。「覚えてた」という。さすが、「飛び入り慣れ」している黒沢ならではだ。(笑) このデュオ、ソウルフルだったなあ。

大盛り上がりの「ソウル・シスター」で、ゴスペラーズのメンバーがステージを降りる頃には観客席は熱気で溢れかえっている。サムが話し始めた。「この4日間(本当は5日間だが、気にしない、気にしない)、ずっと、ビリー(・プレストン)がここ(会場)にいてくれたような気がします。本当に楽しい時間を過ごすことができました。ビリーに捧げます。ビリー、ユー・アー・ソー・ビューティフル・・・」

熱狂から静寂へ。淡々と歌うサムを600の瞳が凝視する。

You are so beautiful To me
You are so beautiful To me
Can’t you see

You’re everything I hoped for
You’re everything I need
You are so beautiful To me

"You Are So Beautiful"
(Written By Billy Preston/Bruce Fisher)

何度も繰り返される「You are so beautiful(君は素晴らしい)」のフレーズ。サム・ムーアは、天国のビリー・プレストンに向かって歌う。同時に、そこにいる観客に向かって歌う。そして、観客は思う。サム、ユーアー・ソー・ビューティフル、と。(サム、あなたは素晴らしい) 

歌い終えて、曲の最後でサムは言った。「Goodnight Billy, to me」 演奏が終わる頃には、再びスタンディングオヴェーションだ。そして、彼がステージから楽屋に戻るまで、皆に手を差し出され、もみくちゃにされ、長い時間がかかった。その間中も、拍手は鳴り止まなかった。

いやあ、よかった・・・。ため息がでた。1時間56分、火曜日より20分近く長くなっていた。僕も最後に立ち上がって長い間拍手を続けた。こんなに長い時間、手が痛くなるまで拍手をし続けたのは、本当に久しぶりだった。

■ブルーノートウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20061113.html

■メンバー
Sam Moore (Vocal)
Crispin Cioe (Sax)
Ohno Kiyoshi (Sax)
Larry Etkin (Trumpet)
Aoki Taisei (Trombone)
James Dower (Keyboard, Back Vocal)
Mark Newman (Guitar, Back Vocal)
Ivan Bodley (Bass, Back Vocal = Musical Director)
Tony Lewis (Drums)
Omar Martinez (Percussion)
Elaine Caswell (Back Vocal)
Calloway (Back Vocal)

■Setlist @ Bluenote Tokyo, 11/17/2006
Sam Moore サム・ムーア・セットリスト
original artist with year hit in the ( )

show started 20:03
01. Back At The Chicken Shack (Instrumental) (Jimmy Smith - 1963)
02. Soul Finger (Instrumental) (Bar Kays - 1967)
03. Peter Gunn (Instrumental) (Henry Mancini - 1959, From "Blues Brothers"-1980)
------Sam on the stage
04. Hold On, I’m Coming (Instrumental) (Sam & Dave - 1966)
05. Knock On Wood (Eddie Floyd - 1966)
06. Come On, Come Over (Jaco Pastorius with Sam & Dave - 1976)
07. Rainy Night In Georgia (Brook Benton - 1970) (Sam Moore & Conway Twitty - 1994)
------From Sam Moore’s New Album "Overnight Sensational"
08. None Of Us Are Free (2006) (Ray Charles - 1993, Lynyrd Skynyrd - 1997)
09. I Can’t Stand The Rain (2006) (Ann Peebles -1973, Tina Turner - 1984)
10. Blame It On The Rain (2006) (Milli Vanilli - 1989)
11. Ain’t No Love (2006) (Paul Carrack - 2003)
------Featuring female singers
12. Tell Mama (Elaine Caswell) (Etta James - 1967)
13. Crazy (Calloway) (Gnarls Barkley - 2006)
------All The Classic Section
14. Don’t Play That Song (Ben E King - 1962)
15. I Can’t Turn You Loose (Otis Redding - 1965)
16. When Something’s Wrong With My Baby (Sam & Dave - 1967)
17. I Thank You (Sam & Dave - 1968) (+Imawano Kiyoshiro)
18. Medley: Soul Man (Sam & Dave - 1967) / Dance To The Music (Sly & Family Stone - 1968) / A riff of Land Of 10000 Dances (Wilson Pickett - 1967) (+Gospellers)
19. Soul Sister, Brown Sugar (Sam & Dave - 1969) (+Gospellers)
20. You Are So Beautiful (2006) (Joe Cocker, Billy Preston-1974)
show ended 21:59

(2006年11月17日金曜、東京ブルーノート=サム・ムーア・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Moore, Sam
2006-213
【フィリップの手にかかればすべて黄金のファンクに】

マイダス・タッチ。

このところ実に精力的にライヴ活動を行っているフィリップ・ウーが、六本木のヴェルファーレの向かいにあるクラブ「マイダス」でライヴを行った。経営者はガーナ出身のフランクさん。普段はソウル系のレコードをかけ、ときおり、バンドをいれるという。週末はチャージを取るが、ウイークデイはノーチャージだそうだ。ただこの日はバンドが入るので、チャージはあった。

フィリップたちが先日ヴェルファーレでやった「東京ディスコナイト」を、このオウナーが見ていて、自分の店でもライヴをやってみないか、ということで声がかかった、という。

メンバーはフィリップ(キーボード)、はんこやさん(ギター)、ドラムスにジェイ・スティックス、ベースにジェームス・ノーウッド、ゲスト・ヴォーカルにドネール・レネイ。

ちょっとお客さんが少なくて可哀相だったが、演奏が始まると徐々にバンドメンバーも熱くなったようだ。特にキーボードソロになると、フィリップのファンク魂が炸裂する。まさに、彼の腕は、ファンクのマイダス・タッチ! 

ヴォーカルのドネールは初めて見るが、ちょっとグラディス・ナイト系か。あと、SOSバンドのリードシンガー、メリー・デイヴィスにも雰囲気が似ている。ベースのジェームスは、以前、チャチャハウスで見ていた。一応歌も歌う。しかし、一見、アースのヴァーディン・ホワイト風で、動きもそんな感じ。「東京のヴァーディン・ホワイト」とでも命名してみようかな。(笑) 

お客さんに、サム・ムーア・バンドのドラマー、トニーが来ていた。トニーとフィリップは以前、アメリカで一緒にツアーしたこともあった、という。

[Midas = 《ギリシャ神話》ミダス:手に触れるものを金に変える力を与えられたPhrygiaの王.]

■フィリップのブログ
http://music.geocities.yahoo.co.jp/gl/funky_philip_woo

■メンバー

(Keyboard) Philip Woo
(Drums) Jay Stixx
(Guitar) Hank Nishiyama
(Bass) James Norwood
(Vocal) Donyale Renee

■Setlist @ Midas, Roppongi 11/16/2006
セットリスト フィリップ・ウー・バンド

show started 22:55
01. Space Race (Billy Preston) (Instrumental)
02. Use Me (Bill Withers)
03. Neither One Of Us (Gladys Knight & Pips)
04. Lady Marmalade (LaBelle)
05. Tell Me Something Good (Rufus featuring Chaka Kahn)
06. Ooh Child (Five Stairsteps)
07. Disco Nights (GQ)
show ended 23:49

(2006年11月16日木曜、六本木マイダス=フィリップ・ウー・バンド・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Woo, Philip
2006-212
(若干ネタバレになります。これからご覧になる方は、あなたのリスクにおいてお読みください)

【AI、ツアー開始】

成長。

AI(アイ)が、新作アルバム『ホワッツ・ゴーイング・オン AI』をリリースし、全国ホールツアーを開始した。その初日が渋谷公会堂。おっと、渋谷公会堂、名前が変わっていた。なんと、「CCレモン・ホール」!! なんだこれ。(笑) 正面のところにCCレモンの大きな看板が。このところ、野球場やいろいろなホールにスポンサーがついて、こういうことになっているわけだ。ま、別にいいけど。(笑) 

さてAIのツアーはほとんどすべて見ているが、今回はオープニングがすごいという噂。ステージは一見三階建てになっている。通常のステージの高さをレヴェル1(1階)とすると、2階にミュージシャンが揃って演奏。キーボード2、ドラムス、ギター、ベース、コーラス3、DJ1、そして、ダンサーが6人。これにAIが加わり、計16人がオンステージ。3階は、時によって、AIやダンサーたちが昇ってパフォーマンスを見せる。最新のLEDを使い、映像を映し出しながらも、少し向こう側が透き通って見えて、映像演出もすばらしい。

AIは、その3階の上のほうから、下に降りてきた。いやあ、度肝を抜かれる。そういえば、マドンナも宙から大きなミラーボールが降りてきて、そこから姿を出したが、あれは、本人はミラーボールの下から入って出てきた。これは、上から直接生身のAIが降りてくるから、大変。

オープニングの「アイ・ウォナ・ノウ」から6曲目「ラヴ・イズ」までのダンサーを縦横無尽に配置して躍らせながら、息もつかせぬノンストップの24分余は、完璧だ。まったく無駄なし。ここまで来たか、AIという感じ。オープニングのMC(おしゃべり)までの流れは、先日のゆるかったマライア・キャリーより全然よかった。

そしてMCに入るが、もう観客が圧倒的に熱狂していて、トークも炸裂。彼女の気取りのない、ダウントゥアースな話し、かなりおもしろいね!! 笑い転げました。観客層も、以前は9−1で圧倒的に女性だったが、今回は7−3あるいは、6−4くらいまで女性比率が減り、男性ファンが増えてきたような感触だ。

アンコールでのチェンジを含めて5回の衣装チェンジで、いろいろなAIの姿も披露。バンドも、前回ツアーのメンバーで相当タイトでいい。ケイリブ・ジェームス、日野賢二、ペニーK、ロレンゾなどなどが作り出すリズムは、見事にソウル・ショウ、R&Bショウになっている。

MCで笑わせ、アップテンポでダンサーとともに躍らせ、そして、バラードで泣かせと、ショウを縦横無尽にコントロール。いやあ、ほんと、日々成長だ。

トータル2時間20分だが、後半、若干間延びするところがあるので、このあたりをごっそり削ったりすれば完璧になるのではないか。MCを2箇所くらい減らして、観客に歌わせるところをもう少し短くしたり、ダンサーのソロを短くすれば、密度がぐーんと濃くなる。

ヒットしたバラード「ビリーヴ」「ストーリー」などは、観客席をシーンとさせた。本編が終わり、アンコールが始まるまでの短い時間に、客席のどこからともなく、「マイ・フレンド」の大合唱が始まった。いいねえ! AIが言うところの「あんたたち、サイコーよ」だ。

ツアー・ファイナルは12月13日の武道館。それまでにもどんどんと進化していくことだろう。どんな完成形を見せてくれるのか、今から待ちきれない。まだ最高のものは訪れていない。

■AIの最新作についての記事

http://www.aimusic.tv/pc/

http://www.universal-music.co.jp/ai/UPCI-1049.html

■SETLIST セットリスト

(セットリストに関しては、12月13日のツアー終了まで公表しないでください、とのアーティスト側の意向のため、12月14日以降に改めて掲載します)

(2006年11月13日月曜、渋谷シーシー・レモン・ホール[旧・渋谷公会堂]=AI(アイ)ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>AI
2006-209
(ネタばれになります。これからご覧になる方はご注意ください)

【もっとムーアを】

サヴァイヴァー。

伝説のソウルマン、サム・ムーア、東京に参上。サムの来日は1969年、1970年、そして、1980年(ひょっとして1981年)以来、4回目。もちろん、サムのソロとしては初。御年71歳、果たしてどこまで歌えるのか。どこまで踊れるのか。伝説のソウル・サヴァイヴァーの今日の姿はいかに。興味は尽きない。しかし、結論から言えば、これはなかなかのソウル・ショウだった。

いやあ、声も良く出ていた。こんなに出るとは思わなかった。おおまかに分けると、サム&デイヴ時代のヒット、新作『オーヴァーナイト・センセーショナル』からの曲、間で女性シンガーが2曲、サム&デイヴ時代のヒット、という流れ。オープニング3曲はバンド演奏で、本人はでてこない。3曲目のインスト「ホールド・オン・アイム・カミン」の途中からサム、おもむろに登場。いきなり観客が立ち上がる。

これが終わり始まった曲のイントロは、エディー・フロイドで大ヒットした「ノック・オン・ウッド」。声を出すと、あの独特の甲高い声がよく出ている。バンドは、ドラムス、ギター、ベース、キーボード、パーカッション、管楽器4人、女性コーラス2人の計11人。個々のメンバーの技量がどうということではなく、でてくる音が、ソウルバンドでいい感じだ。

数は多くないが、熱狂的なサム・ファンが見受けられた。ブルース・ブラザースそっくりの黒スーツに黒サングラスの2人組み。また音楽関係者もこの日は多数いた。おもしろかったのは、コール&レスポンスで「ブレイム・イット・オン・ザ・レイン」を観客に歌わせたとき。その中の男性客がゴスペルでも歌っているのか、けっこううまく、最後には「lord have mercy」などと歌ったところ、サムに大受け。歌に自信がある人はこの「ブレイム・イット・オン・ザ・サン」のサビの部分を覚えて行きましょう。歌わせてもらえます。(笑) 

新作からの「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」を終えると、サムは言った。「もう1曲、続けて雨の歌を歌おう。これは・・・」 音楽監督のベース奏者イヴァン・ボドリーが「新作からの1曲です」と助け舟。 「新作かい? そうか、知らなかった。まあ、とにかく歌うよ(笑)」 新作から4曲を歌い終えて、サムは小休止。ここまで約42分のオンステージだった。

2曲はエレーン(黒髪の女性)がエタ・ジェームスの「テル・ママ」を、もうひとりのキャロウェイ(金髪の女性)1曲「クレイジー」を歌う。その「クレイジー」の後半からサムがバックコーラスとして入ってきた。

「ソウル・シスター」「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」などの往年のヒットはさすがに歌いなれているだけに、サム節が歌にも、それほど激しくは踊らないが、ちょっとした仕草にも、でてくる。

泣けるのが、サム&デイヴとしての究極の悲しみのバラード「ホエン・サムシングス・ロング・ウィズ・マイ・ベイビー(邦題、僕のベイビーに何か)」。バンド演奏も押さえ気味で、淡々とサムが歌う。やはり、傍らにデイヴがいて欲しいと思うが、ここは、サムの歌声だけでもよしとしよう。サムは時に、マイクから離れて、歌う。会場の視線がサム一点に集中する瞬間だ。

最後、奥さんでマネージャーのジョイスが、サムに白のガウンを被せた。さすがにジェームス・ブラウンのように、振りほどきはしなかったが(笑)・・・。

そして最後、新作に収録され、ビリー・プレストンがオルガンで入っている「ユー・アー・ソー・ビューティフル」が歌われた。歌い終えたサムが最後に小さな声で一言だけ言った。"Goodnight Billy"(おやすみ、ビリー(・プレストン)。これまた、ぐっときた。観客が立ち上がり、スタンディングオヴェーションの中、サムはステージを降りた。ソウル・サヴァイヴァー、まさに生き延びてきたその歴史を垣間見た。

ライヴが終わってしばらくしてから、彼はサイン会のために出てきた。もっとサム・ムーアを見たい、そして、聴きたい。よくここまでサヴァイヴ(生き延びた)してくれた、と感謝したい。

■過去関連記事

October 21, 2006
Sam Moore Suddenly Will Coming To Japan
http://blog.soulsearchin.com/archives/001341.html

August 23, 2006
Sam Moore’s First Solo Album In 34 Years
サム・ムーアの新作について
http://blog.soulsearchin.com/archives/001216.html

2004/02/17 (Tue)
Only The Strong Survive: The Soul Movie
映画『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ』内容紹介と映画評。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200402/diary20040217.html

2004/06/24 (Thu)
Talk About "Only The Strong Survive" At Relocated Soul Bar Sugar Hill
同映画日本での公開決まる。
http://www.soulsearchin.com//entertainment/soulbars/diary20040624.html

2004/11/07 (Sun)
"Only The Strong Survive": Some Questions & Answers
イヴェントでの質疑応答。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200411/diary20041107.html

July 18, 2006
Two Interesting Compilation Album Has Released: "Atlantic Unearthed: Soul Brothers" & "Atlantic Unearthed: Soul Sisters"
サム&デイヴ時代の曲を含むアルバム
http://blog.soulsearchin.com/archives/001146.html

■公演は金曜まで。

2006年11月13日(月)〜11月17日(金)
【 SAM MOORE(vo) - Premium Soul Legend Nights - 】
サム・ムーア 〜プレミアム・ソウル・レジェンド・ナイツ〜

ミュージック・チャージ:¥13,650(税込)
ライヴ:午後8:00(本公演は、1日1ショウのみ)
http://www.bluenote.co.jp/art/20061113.html


■Setlist @ Bluenote Tokyo, 11/14/2006
Sam Moore サム・ムーア・セットリスト
original artist with year hit in the ( )

show started 20:07
01. Soul Finger (Instrumental) (Bar Kays - 1967)
02. Peter Gunn (Instrumental) (Henry Mancini - 1959, From "Blues Brothers"-1980)
03. Hold On, I’m Coming (Instrumental) (Sam & Dave - 1966)
------Sam on the stage
04. Knock On Wood (Eddie Floyd - 1966)
05. Soul Sister, Brown Sugar (Sam & Dave - 1969)
06. Come On, Come Over (Jaco Pastorius with Sam & Dave - 1976)
07. Rainy Night In Georgia (Brook Benton - 1970) (Sam Moore & Conway Twitty - 1994)
------From Sam Moore’s New Album "Overnight Sensational"
08. None Of Us Are Free (2006) (Ray Charles - 1993, Lynyrd Skynyrd - 1997)
09. I Can’t Stand The Rain (2006) (Ann Peebles -1973, Tina Turner - 1984)
10. Blame It On The Rain (2006) (Milli Vanilli - 1989)
11. Ain’t No Love (2006) (Paul Carrack - 2003)
------Featuring female singers
12. Tell Mama (Elaine Caswell) (Etta James - 1967)
13. Crazy (Calloway) (Gnarls Barkley - 2006)
------All The Classic Section
14. I Can’t Turn You Loose (Otis Redding - 1965)
15. When Something’s Wrong With My Baby (Sam & Dave - 1967)
16. I Thank You (Sam & Dave - 1968)
17. Medley: Soul Man (Sam & Dave - 1967) / Dance To The Music (Sly & Family Stone - 1968) / Mustang Sally (Wilson Pickett - 1967)
18. You Are So Beautiful (2006) (Joe Cocker, Billy Preston-1974)
show ended 21:44

(2006年11月14日火曜、東京ブルーノート=サム・ムーア・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Moore, Sam
2006-210
【ソウルDJイヴェントのお知らせ】

告知。

ソウルDJイヴェントのお知らせです。

ソウル、R&B、ダンスクラシックス、メロー・グルーヴ!! 

ソウルブラザーOSSHYと吉岡正晴がR&Bファンに贈る限定シリーズイヴェント、『MELLOW RIDAZ(メロー・ライダーズ)』第4弾。今回は同じくインターFM『ソウルブレンズ』のスタッフでもあるDJ Namiも参加して2006年の締めくくりを盛り上げます。

今年最初で最後のSOUL、FUNK NIGHT。2006年のフィナーレはこのイヴェントで! ソウル好き、ファンク好きの方のご来場をお待ちしています。

=実施要綱=

『mellow ridaz vol.4 @ 横浜Luther 』

■日時:2006年12月27日(水) 20:00〜
■料金:¥3,000/2ドリンクつき
■DJ:OSSHY、吉岡正晴[The Soul Searcher]、Nami、他
■場所 横浜ルーサー
■住所:横浜市西区南幸2-10-18 東海屋ビル3F
■電話:045-314-8993
■営業時間:20:00〜4:00 定休日:日曜n

【1】本イヴェントは一般入場不可、事前予約制の貸切イヴェントです。
【2】チケット購入ご希望の方は氏名、住所、年齢、連絡先、このイヴェント情報をどこでお知りになったかを明記の上、次のアドレスにメールをお送りください。
 info@osshy.com
【3】応募締切りは2006年11月30日(木)です。
【4】厳選な抽選の末、限定枚数を販売致します。
【5】20歳未満の方には販売出来ません。予約名とIDとの確認があります。予約名とIDが違う場合入場できません。
【6】お一人様1枚限りの販売とさせていただきます。ご了承ください。
【7】抽選結果は2006年12月6日(水)迄にメールにてお知らせいたします。

EVENT>ANNOUNCEMENT>Mellow Ridaz

Gerald Levert, Forever:

2006年11月13日
【ジェラルド・リヴァート安らかに〜】

暑。

『プライヴェート・ライン』のアルバムを聴いている。まだあどけなさも残るジェラルド・リヴァートの顔が前面にでている1991年の作品だ。ここには、ジェラルドと父エディーのデュエットが収録されている。やはり、親子だけあって、声質も似ているし、暑苦しい歌い方が、これまた父親譲り。最高の1曲だ。

今から11年前、1995年11月に父エディーと息子ジェラルドがアメリカの雑誌エッセンスのインタヴューに答えた。その時、ジェラルドは父についてこう語っている。「僕が子供の頃、父はいつも旅にでていていなかった。だからいつも、会いたいと思っていた。そこで、自分が父親になったら、僕がいつも子供たちのそばにいようと誓ったものだ。だが、実際(自分がヒットをだして有名になってしまうと)、外にでると人が集まってきて大変なことになる。また、やはり、僕自身の仕事は多くの旅をしなければならない。その点クリーヴランドに住むということは、いいものだ」

父エディーは、「父親という存在がどのような意味を持つのか」という問にこう答えている。「父とは、子供たちにとって、まず何よりもひとりの人間であるべきだろう。泣いたり、悲しんだり、怒ったり、感動したり、そういうことをする普通の人間だということだ。ジェラルドはいつも私のことをひとりの人間として見て、接してくれてきた。息子は私の欲望や、弱さを知っている。だから何でも話してくれるのだろう。一方、私も子供たちを、仲間と思い、世界中で一番の親友だと思って接している」

アメリカのブラックミュージック業界が、歌がうまいことを重視しなくなって久しい。本当に歌のうまい歌手たちの不遇な時代が続いている。そんな中で、ジェラルドは歌のうまさが正当に評価された最後の世代のシンガーではないだろうか。

木曜日(9日)に、静岡のKMIXでオンエアーされている『ブギーナイツ』内の「ブラック&ホワイト」のコーナーで、リヴァートを特集、収録してきた。そのために、前日にいろいろリヴァートのCDを聴いたり、調べていたりしたのだが、それから2日後の土曜午後に、ジェラルドの訃報を、守島さんからのメールで知った。なんというタイミングか。(いつも最新情報ありがとうございます) 死去の報をいれていないので、一部を再録することになるだろう。

リヴァートは、有明のMZAで見たことがあったような気がしたのだが、どうもそれは勘違いで、オージェイズを見たことと混同していたようだ。(あるいは、来たがインタヴューはしなかったか) オージェイズのエディー・リヴァートには来日時にインタヴューした。あと、僕がインタヴューしたのは、同じジェラルドでも、ジェラルド・アルストンだったので、それも勘違いの元かもしれない。

映画『永遠のモータウン(Standing In The Shadows Of Motown)』のDVDを引っ張り出して見た。始まってまもなくジェラルド・リヴァートがフォートップスのヒット「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」を歌う。途中で、ジュニア・ウォーカーの「ショットガン」も歌う。このバックを支えるファンク・ブラザースの中で2002年にリチャード・ピストル・アレンが撮影後まもなく他界している。しかし、ここに登場するアーティストで、まさか次にこの世からいなくなるのが、若きジェラルドになるなどとは誰も夢にも思わないだろう。

フォートップスのリード・ヴォーカルも、熱血ヴォーカルだ。そして、ジェラルドも同じように暑くソウルフルだ。

彼が1986年に設立したプロダクションの名前は「トレヴェル(Trevel)」 という。辞書にはでていない。おわかりになるだろう。Levert を引っくり返したものだ。

ジェラルド・リヴァート、安らかに。

ENT>OBITUARY>Levert, Gerald/July 13, 1966 - November 10, 2006 (40)
【ジェラルド・リヴァート心臓発作で40歳で急死】

急死。

R&Bシンガー、ジェラルド・リヴァートが2006年11月10日(金曜)、オハイオ州クリーヴランドの自宅で心臓発作のため急死した。40歳だった。家族によると、就寝中に他界した模様。クリーヴランド郊外のジョーガ・メディカル・センターに運ばれてきた時には、すでに死去していた、という。ジェラルドはグループ「リヴァート」のリードシンガー。ソロとしても活躍。父親は数々のヒットを放ったオージェイズのエディー・リヴァート。父親の出身地、オハイオ州カントンには、彼らの名前を冠したストリートがある。

アトランティック・レコードは、「アトランティックの全スタッフはこのまったく予期せぬ彼の死に衝撃を受け、深い悲しみに包まれている。私たちの時代のもっとも素晴らしい声の持ち主の一人だった。シンガーとしてだけでなく、プロデューサー、ソングライターとしても素晴らしかった」とコメント。

パティー・ラベルは「私にとっては、息子のような存在。驚くべき才能の持ち主だった。大変なハードワーカーで、行くべきところに行き、すべきことをする人物でした。仲間がいるところにはいつも現れ、人々に触れたものです」と述べ、葬儀で歌うと語った。

ジェラルド・リヴァートは1966年7月13日、オハイオ州クリーヴランド生まれ。父親のエディー・リヴァートは、フィラデルフィア・サウンドで人気となったR&Bヴォーカル・グループ、オージェイズのリード・ヴォーカル、エディー・リヴァート・サー。ジェラルドは1984年に、弟のショーン・リヴァート(1968年9月28日生まれ)と幼少時代からの友人マーク・ゴードンとともにR&Bヴォーカル・グループ、リヴァートを結成。

1985年、地元のインディ・レーベル、テンプレから出した「アイム・スティル」が小ヒット。その後メジャーのアトランティックに移籍し、1986年7月、「(ポップ・ポップ・ポップ・ポップ)ゴーズ・マイ・マインド」がブラックチャートでナンバーワンとなり、一躍人気グループに。以後、「カサノヴァ」(1987年)、「アディクテッド・トゥ・ユー」(1988年)、「ジャスト・クーリン」(1989年)など多数のヒットを生み出した。

1991年には映画『ニュー・ジャック・シティー』のサウンドトラックで、父親たちのヒット曲「フォー・ザ・ラヴ・オブ・マネー」、「リヴィン・フォー・ザ・シティー」をカヴァー。

さらに同年、ジェラルドはグループ活動とは別にソロ活動を開始。初ソロアルバム『プライヴェート・ライン』を発表。この中で父親エディー・リヴァートと「ベイビー・ホールド・オン・トゥ・ミー」をデュエット。これは1992年になってからブラックチャートでナンバーワンを記録する大ヒットになった。

弟のショーン・リヴァートも1995年、ソロ・デビュー。ショーン名義の1995年作品「セイム・ワン」には、ジェラルド、さらに父エディーも参加した。1995年には、ジェラルドとエディーは『ファーザー&ソン』というアルバムを発表している。

ジェラルドは、1997年、R&Bシンガー、キース・スゥエット、ジョニー・ギルとともに、ワンショット的に「LSG」というグループを結成。これは、リヴァート、スゥエット、ギルの頭文字を取ったもの。

最新作はジェラルド・リヴァート名義がスタジオアルバムとしては2004年の『ドゥ・アイ・スピーク・フォー・ザ・ワールド』、2005年にこれまでの作品を集めたコンピレーション的アルバム『ヴォイセス』を出している。また、グループ、リヴァート名義では1997年の『ザ・ホール・シナリオ』で、その後2001年ベストが1枚でた。

父親譲りの荒々しくソウルフルな歌唱が最大の魅力で、80年代の歌えるシンガーとして大きな人気を博した。

ジェラルドには4人の子供がいる。

ENT>OBITUARY>Levert, Gerald/July 13, 1966 - November 10, 2006 (40)
【ジェラルド・リヴァート心臓発作で急死】

急死。

R&Bシンガー、ジェラルド・リヴァートが2006年11月10日(金曜)、オハイオ州クリーヴランドの自宅で心臓発作で急死した。40歳だった。ジェラルドはグループ、「リヴァート」のリードシンガー。ソロとしても活躍。父親は数々のヒットを放ったオージェイズのエディー・リヴァート。

(詳細は後ほど)

ENT>OBITUARY>Levert, Gerald/ 2006.11.10 (40)
【グラディス・ナイト、スタンダードを歌う新作】

敬意。

超ヴェテラン・ソウル・シンガー、グラディス・ナイトが新作『ビフォー・ミー』をだす。ナタリー・コール、シャカ・カーン、ロッド・スチュワート、バリー・マニロウ、ダイアナ・ロスと次々とスタンダードを歌うシンガーが続出しているが、グラディスも最新作でスタンダードに挑戦した。

もともとグラディスは、カヴァーのうまいシンガー。アルバムの中でもしばしば他のアーティストの作品をカヴァーしてきた。それが今回は全編、しかも、ジャズっぽいスタンダードばかりのカヴァーだ。

これが、なかなかはまっている。ナタリーが『アンフォーゲッタブル』を世に出した時と同じような感覚を持った。

プロデュースは、最近のジョー・サンプル&ランディー・クロフォードの作品をてがけたトミー・リピューマとビリー・ジョエルなどのプロデュースで知られるフィル・ラモーン。

全13曲ひじょうに洗練されたオーケストレーションとグラディスの深みのある声がマッチする。かつて、グレイト・ディーヴァたち、エラ・フィッツジェラルド、ビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーン、リナ・ホーンらに敬意、尊敬の念を表しつつ、グラディスが彼女たちの作品を歌う。

例えば、「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」。またまたここで、耳に止まるピアノの旋律が流れてくると思えば、ジョー・サンプル。「グッド・モーニング・ハートエイク」も、ジョーだ。それにしても、グラディス、歌がうまい。

グラディス・ナイト『ビフォー・ミー』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000IJ7KEM/soulsearchiho-22/ref=nosim/";

ENT>MUSIC>ALBUM>Knight, Gladys
【リンダ・クリードの描くブラックの世界】

黒さ。

引き続き、リンダ・クリード・ネタで。彼女はきっとかなりのインテリで、しかも、ストリートの底辺の人たちの気持ちもよくわかっているのだろう。だからこそ、当時の黒人たちから支持された。

ここではスタイリスティックスの『ラウンド2』に収録されている「チルドレン・オブ・ザ・ゲットー」とスピナ−ズの『ニュー・アンド・インプルーヴド』に収められている「ゲットー・チャイルド」を選んで訳してみた。

当時はプロモーション・ビデオなんてものはなかったが、この歌詞を読むだけで、プロモ・ビデオの映像が想像できるではないか。それだけストーリー構成、描写がうまいということだ。歌詞から映像が浮き上がる詞というのはとても優れている。

「チルドレン・・・」は後に同じくフィラデルフィアのガール・グループ、ジョーンズ・ガールズがカヴァーする。この2曲とも、ものすごく「ブラックネス(黒さ)」が感じられる。他にも、「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」なんか、もろブラックだ。

しばし、リンダ・クリードの描く世界をご堪能あれ。できれば、一緒にレコード(CD)でも聴きながら。

■スタイリスティックスのこの曲は、あまりベストなどに収録されていない。現在カタログに残っているのはスタイリスティックスの5枚組のCDだった。『ラウンド2』は在庫切れだが、12月には再発されるので、それをお待ちください。スピナーズは、「ベスト・オブ・スピナ−ズVOL.1』に収録。

スタイリスティックス『ラウンド2』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000K2VGBU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

スピナ−ズ『ベスト、VOL.1』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000566PS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

+++++

Children Of The Night
(Thom Bell / Linda Creed)

チルドレン・オブ・ザ・ナイト

The Stylistics - 1972 アルバム『ラウンド2』
Also recorded by: The Jones Girls

夜遅く、世界が夢に包まれ心配事など何もないとき、
僕は歩道の影を歩く
深夜、僕のソウルが空っぽになり、寂しくなる

そんな時、僕は夜の闇へ向かう
たった一人で、僕と同じような寂しい人間に
出会うまでストリートを彷徨う
誰か、仲間がいないかと。

夜の申し子・・・

深夜、不安な気持ちが僕を襲う
どうにもならない
深夜、僕と似た人間にいて欲しい
この気持ちを理解して欲しい

再び僕は夜の闇を探しにでかける
たった一人で、同類に出会うまで、
あらゆるストリートを彷徨う
同じ仲間を探して

夜の申し子・・・

ナナナナ〜

【訳詞=ザ・ソウル・サーチャー】

+++++

Ghetto Child
(Thom Bell / Linda Creed)

Artist: Spinners
アルバム『ニュー・アンド・インプルーヴド』

17の時、家出した
それまでの全てから逃げ出した
僕は人生に疲れきっていた
憎しみと狭い心に溢れる都会に住むことにも
飽き飽きしていた

みんなが僕のことをあざ笑っていた
子供たちが僕を呼ぶ時、僕はどこかに逃げ隠れた
この世に生まれてきたことさえ恥じたものだ
僕は自分がやっていない罪で罰せられた
ついてない男だった

ゲットーに生まれると
人生は易しくない
ゲットーに育つと
人生は簡単ではない

僕のパパは考えられる限りそんなゲットー・ライフを
うまく切り抜けたってことを誰もわかっていない

子供は過ちから厳しい現実を知っていく
夢のようなおとぎ話は、金持ちだけに訪れる物語
今や、子供時代の夢はいまだに実現すると
思う振りをするだけ

あちこちの街を旅しながら僕は考える
一つの街に留まるのは、自分のスタイルじゃない
なぜゲットーの子供は、辱められ、いじめられ、
あざけり笑われなければならないのか
僕たちは、みな同じ人間なのに

ゲットーに生まれると
人生は易しくない (僕が証人さ)
ゲットーに育つと
人生は簡単ではない (オー、イエー)

ゲットーに生まれると
人生は易しくない (人生は荒れていく)
ゲットーに育つと
人生は簡単ではない (どんどん泥沼にはまっていく)

ゲットーに生まれると
人生は易しくない (何かを変えなければ)
ゲットーに育つと
人生は簡単ではない (何かを変えなければ)

【訳詞=ザ・ソウル・サーチャー】

+++++

Children Of The Night
(Thom Bell / Linda Creed)
By The Stylistics
1972

Late at night
When all the world is safe within their dreams
I walk the shadows
Late at night
An empty feeling creeps within my soul
I feel so lonely

So I go into the darkness of the night
All alone I walk the streets until I find
Someone who is just like me
Looking for some company

Children of the night

Late at night
A restless feeling takes control of me
And I can’t fight it
Late at night
I feel the need for someone who like me
Needs understanding

So once again I’ll search the darkness of the night
All alone I’ll walk each street until I find
Someone who is just like me
Looking for some company, no, yeah, hea

Children of the night

So once again I’ll search the darkness of the night
All alone I’ll walk each street until I find
Someone who is just like me
Looking for some company, no, yeah, hea

Children of the night
Children of the night
Children of the night

Na, na, na, na, na, na, na, na
Na, na, na, na, na, na, na, na
Na, na, na, na, na, na, na
Na, na, na, na, na, na, na, na

Na, na, na, na, na, na, na, na
Na, na, na, na, na, na, na, na
Na, na, na, na, na, na, na
Na, na, na, na, na, na, na, na

+++++

Ghetto Child
(Thom Bell / Linda Creed )
By The Spinners
1973

When I was 17
I ran away from home
And from everything
I had ever known
I was sick and tired
Living in a town
Filled with narrow minds
And hate

They used to laugh at me
The children called me names
I would ran and hide
Feelin’ so ashamed
Just for being born
I was just a boy
Punished for a crime
That was not mine

Life ain’t so easy
When you’re a ghetto child (Oh, baby)
Life ain’t so easy
When you’re a ghetto child

No one tried to understand
Papa did the best a man could do

A child reality
Is paid for by his faults
Fancy fairy tales
Are born and sold by those
Who can well afford
Time to make believe
Childhood dreams can still come true
Uh, huh, huh, huh

So I’ve been wandering
Traveling all around
Guess it ain’t my style
To live in just one town
Still I’ll never know
Why a child is blamed
Ridiculed and shamed
We’re all the same

Life ain’t so easy
When you’re a ghetto child (I’m a witness, baby)
Life ain’t so easy
When you’re a ghetto child (Yeah...)

Ooh...ooh...yeah...

Life ain’t so easy
When you’re a ghetto child (Oh, baby)
Life ain’t so easy
When you’re a ghetto child

Life ain’t so easy (Yeah...hey...hey...)
When you’re a ghetto child (Life can be rough)
Life ain’t so easy (The going gets tough)
When you’re a ghetto child (Yeah...but remember)

Life ain’t so easy (Things gotta change)
When you’re a ghetto child (Things gotta change, gotta change, yeah, yeah)
Life ain’t so easy
When you’re a ghetto child (Whoa...oh...oh...whoa...oh...oh...I’m a ghetto boy)

Life ain’t so easy
When you’re a ghetto child

ENT>MUSIC>SONGS>Child Of The Night
ENT>MUSIC>SONGS>Ghetto Child
【ソウル・サーチャーの選ぶリンダ・クリード・ソングベスト15】

リスト。

昨日、作詞家リンダ・クリードのことを少し書いた。ざっと、彼女が書いた作品群のリストを見ながら、「あーこれも好き、あれも好き」みたいなことを考えていたら、無性にベスト10を作りたくなった。で、選んでいたら10曲では収まらず、結局ソウル・サーチャーの選んだリンダ・クリード作品ベスト15になった。  

歌詞の見地から選んでみたが、やっぱり、耳なじみのある曲が圧倒的に多い。しかも、15曲中スタイリスティックスが9曲、スピナ−ズが4曲、ホイットニー、テディー・ペンダグラス、フィリス・ハイマンが各1曲だ。

Top 15 Linda Creed Songs Selected By The Soul Searcher

01. Greatest Love of All / Whitney Houston
02. You Make Me Feel Brand New / Stylistics
03. Betcha by Golly, Wow / Stylistics
04. You Are Everything / The Stylistics
05. Break Up To Make Up / Stylistics
06. Life Is a Song Worth Singing / Teddy Pendergrass
07. Children of the Night / Stylistics
08. Ghetto Child / Spinners
09. I Don’t Want to Lose You / Spinners
10. I’m Stone In Love With You / Stylistics
11. I’m Coming Home / Spinners
12. Old Friend / Phyllis Hyman
13. People Make the World Go Round / Stylistics
14. Stop, Look, Listen (To Your Heart) / Stylistics
15. You’re as Right as Rain / Stylistics

Stylistics 9 songs
Spinners 4 songs
Whitney Houston 1 song
Teddy Pendergrass 1 song
Phyllis Hyman 1 song

やはり1位は「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」かなあ。これはリンダのソウルサーチンにもなっているが、実際は曲を書いたマイケル・マッサーのソウルサーチン曲でもある。(詳細は、拙著『ソウル・サーチン』〜マイケル・マッサーの章をご覧ください) そして、2位は新婚の気分を描いた「誓い」。文句なく3位は「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」。このあたりは甲乙つけ難い。6位のテディペンの曲も、コンセプトがすばらしい。7位、8位は彼女の「ゲットー・シリーズ」の傑作。13位「ピープル・・・」も社会派の1曲で、このあたりに作詞家としての着目点の良さが感じられる。

これらの曲は多数のアーティストがカヴァーしているので、そうしたヴァージョンで楽しまれてもいいだろう。

ENT>MUSIC>ARTIST>Creed, Linda

Linda Creed: Great Lyricist

2006年11月8日
【フィリーサウンドの偉大な作詞家リンダ・クリード】

乳がん。

スタイリスティックスの初期のアルバムのライナーノーツを頼まれ、いろいろ調べたりして書いている。今回書くのは2作目の『ラウンド2』(1972年)と3作目『ロッキン・ロール・ベイビー』(1973年)。1枚目のライナーも書いているし、またスタイリスティックスについては他の雑誌や来日時のプログラムなどにもかなりまとまったものを書いているので、今回はちょっと今まで書いたことがないネタを掘り起してみた。

そこで、これらのアルバムをプロデュースしたトム・ベルの作詞パートナー、リンダ・クリードにちょっとスポットを当ててみた。リンダは、1986年4月、わずか37歳で亡くなっている。なんとミニー・リパートン同様乳がんだった。26歳くらいで最初に発見され、それから約10年以上闘病生活を送った。

彼女は1948年生まれ。1972年に結婚。その時の喜びを歌に託して出来上がったのが、あの名曲「誓い(ユー・メイク・ミー・フィール・ブラン・ニュー)」だったそうだ。

そして、1976年、彼女はマイケル・マッサーから頼まれて詞を書く。それが「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」となってジョージ・ベンソンが歌い1977年にヒットする。それから7年後1984年、この曲は新人シンガーによって録音される。そう、ホイットニー・ヒューストンだ。アルバムが1985年2月に発売され、シングルが徐々にヒット。この「グレイテスト・・・」は1986年3月になってやっとシングルカットされチャートを駆け上った。

しかし、大ヒットし始めた矢先の1986年4月10日、リンダは乳がんのために他界。彼女はホイットニーのヴァージョンが全米ナンバーワンに輝くところを見ることなく天国へ行ってしまった。

この曲はマイケル・マッサーにとってもソウル・サーチンの作品だったが、リンダにとっても生涯の1曲となった。

■過去関連記事 

スタイリスティックスのライナーノーツ 『スタイリスティックス登場』
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/linernotes/stylistics20011024.html

ENT>MUSIC>ALBUM>Stylistics
【キーボードの神童とヴィブラフォーンの匠が出会うと】

恩人。

2日4ステージにわたって行われたフィリップ・ウー&ロイ・エアーズのライヴ。前半4曲までは、フィリップたちだけで、5曲目からがロイ・エアーズが加わった。フィリップは、ことの他、ロイと一緒にプレイできて嬉しそう。前半はけっこうゆったりしたゆるい感じの流れ。そして、ロイが登場してから、がぜん、盛り上がっていく。

ロイに見出され、28年以上前に音楽業界に入ったキーボード奏者、フィリップ・ウーがその恩人を迎えてのステージ。

特に僕が個人的に印象深かったのは、ブラックムーヴィー「コフィー」からのメドレー。全体的に、いかにも70年代初期のブラック映画の音楽という感じで、疾走感と泥臭さが混在していてよかった。こういう曲が流れてくると、黒人がひたすら走っている映像を思い浮かべてしまう。クリフォードのベースが安定していて、実にいい音を出している。

フィリップは、このメドレーを称して「ロイ・エアーズ・オタク・メドレー」と宣言した。それにしても、フィリップがソロになると、彼のファンク・キーボード奏者としてのセンスの良さが縦横無尽にでてくる。このファンク感覚というのはどこから出てくるのだろうか。やはり、自分が好きな音楽をひたすら聴き、そのインスピレーションを体内にいれて排出するからか。

フィリップは何度か、ロイを紹介するのに「恩人」という言葉を使っていた。ロイが言った。「君はメイズに何年いた? 13年か。その後、グローヴァー・ワシントンとかいろいろやったよな。名前を言ってごらん」 「パティー・ラベール、グラディス・ナイト、フィリス・ハイマン、ジェフリー・オズボーン、ロバータ・フラックなんかとプレイしました。その全てを始めさせてくれたのが、あなたです!」 そして、フィリップはこう続けた。「僕が今日、こうしていられるのも、彼がいたおかげです。今まで、公式に言ったことはなかったけれど、ここでロイに言いたい。『Thank You』。」 まさに恩人だ。

■メンバー

フィリップ・ウー & ロイ・エアーズ 〜ユビクィティー・リユニオン〜
Philip Woo(key), Roy Ayers(vib), Robbie Danzie(vo), Hank Nishiyama(g), Cliff Archer(b), Jay Stixx(ds), John Pressley(vo)

Setlist Philip Woo & Roy Ayers (11/06/2006)
セットリスト フィリップ・ウー&ロイ・エアーズ 

show started 19:03
01. Save The Children
02. Road To There (Philip original)
03. Blue Moonbeam (Philip original)
04. Blackbird
05. Searching
06. Medley: Fikisha
Coffy Is The Color
Red, Black & Green
07. Can’t You See Me
08. Everybody Loves The Sunshine
09. Running Away
Enc. Little Star (Philip original)
show ended 20:40

(2006年11月06日月曜、丸の内コットンクラブ=フィリップ・ウー&ロイ・エアーズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Woo, Philip & Ayers, Roy
2006-208
【フィリップ&ロイ、28年を経て今また】

恩人。

ステージの上で、ロイ・エヤーズがフィリップに尋ねた。「君は、僕のバンドの後、サンフランシスコの男のバンド・・・」 「フランキー・ベヴァリー&メイズね」 「そう、それだ、そこには何年いたんだ」 「13年いました。その前、ロイのバンドに4年ほど」 「その後もいろいろやったよな。アシュフォード&シンプソン、パティー・ラベール・・・。君を誇りに思うよ」 フィリップは言った。「僕が彼と知り合ったのは、まだ僕がハイスクールの生徒のころだった。彼のバンドに入ったのは19歳だった」

今年65歳になるヴァイブラフォーン奏者、ロイ・エヤーズは、派手な緑色のジャケットに、同系統の長いマフラーを首から下げ、華麗にパフォーマンスを繰り広げた。最近の言葉で言えば、まさに「チョイ悪オヤジ」風。きっと40年前から「チョイ悪オヤジ」だったんだろうな、と思わせられる。

前半は比較的ゆったりした作品群、後半に踊れるタイプの作品が演奏された。フィリップは自身の恩師とともに、ステージに立てるのが嬉しそうだ。前半4曲を終えて、スペシャルゲストが登場。ロイ・エヤーズだ。いきなり、「サーチン」から。さらに、70年代のいわゆる「ブラック・エクスプロイテーション・ムーヴィー」(黒人が主人公の黒人映画)から「コフィー」などをメドレーに。

お客さんもそこそこ入っていて、けっこう反応もよかった。

(この組合せのライヴは、今日=11月6日=まで。丸の内コットンクラブ)

■フィリップ関連過去記事

October 08, 2006
Philip Woo Will Be At Cotton Club With Roy Ayers: Reunion First In 28 Years : Philip Reveals His First Encounter With Roy (Part 1)
フィリップがロイとの出会いを語る
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_10_08.html

October 09, 2006
Philip Reveals His First Encounter With Roy (Part 2)
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_10_09.html

■メンバー

フィリップ・ウー & ロイ・エアーズ 〜ユビクィティー・リユニオン〜
Philip Woo(key), Roy Ayers(vib), Robbie Danzie(vo), Hank Nishiyama(g), Cliff Archer(b), Jay Stixx(ds)

Setlist Philip Woo & Roy Ayers (11/05/2006)
セットリスト フィリップ・ウー&ロイ・エヤーズ 

show started 20:02
01. Save The Children
02. Road To There
03. Blue Moonbeam
04. Blackbird
05. Searching
06. Medley: Fikisha
Coffy Is The Color
Red, Black & Green
07. Can’t You See Me
08. Everybody Loves The Sunshine
09. Running Away
Enc. Little Star
show ended 21:32

(2006年11月05日日曜、丸の内コットンクラブ=フィリップ・ウー&ロイ・エヤーズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Woo, Philip & Ayers, Roy
2006-207
【トウキョウ・ソウル・ショウ】

コンセプト。

昨日発表した、「ソウル・サーチン・プレゼンツ〜トウキョウ・ソウル・ショウVOL.1〜ザ・グレイト・ディーヴァ・グレイ・ショウ」は、すでにご予約をいただき始めている。ありがとうございます。ここで、少しこの「トウキョウ・ソウル・ショウ」のコンセプトについてご紹介しておきたい。

今年7月1日、「ソウル・サーチン・ザ・セッションVOL.1」で、ルーサーの幼馴染でニューヨークのスタジオ・セッション・シンガーの第一人者、ディーヴァ・グレイが、ルーサーの話をして、1曲ルーサーの「バイ・ミー・ア・ローズ」を歌い大喝采を集めた。現場でご覧になられた方はご記憶にあるかと思うが、彼女のトークの中で、「私はたくさんのバックコーラスなどをやってきた。チェンジの『パラダイス』もそうよ」と話した。すると、ピアノのケイリブが驚いて、その場で「パラダイス」のリフをピアノで弾いて、ディーヴァがそれに応じて、しばし即興で「パラダイス」が披露され、観客からやんやの喝采が巻き起こった。

その時純粋に驚いたのが、観客のみなさんがチェンジの「パラダイス」に興奮して反応したことだった。みんな、「パラダイス」知ってて、のってる! これは、こういう曲を集めたライヴをやったらいいのでは、それにはこのディーヴァは完璧なシンガーだと思ったのだ。

いろいろ調べるとディーヴァは、シックのオリジナルメンバーであるだけでなく、さらにルーサーの作品でバックコーラスをやっているだけでなく、チェンジもやっているし、ソウル、ディスコだけでなく、ジャズ、フュージョン、ロック、ポップとありとあらゆるシンガーのバックを担当していたのだ。そこで、彼女がバックコーラスを担当した楽曲を選んで、彼女を前面にだした歌で聞くというコンセプトでライヴショウをやってみようと思ったのだ。たぶん、彼女はアメリカでもこんなことはやっていない。何よりもそんな選曲のショウを僕自身が見てみたいのである。

おそらく、日本ではブラコンと呼ばれた作品がとても人気があるので、彼女がてがけた作品群はかなり親しみ深いものではないかと思う。ディーヴァに歌ってもらう曲の候補も、大変な量になってしまい、彼女自身が覚えていないものさえある。

このところ、僕自身本当に数多くのライヴを見ていて、日本におけるブラック系ライヴミュージシャンがけっこういることを知っている。多くのアーティストのライヴの様子はこのブログで片っ端から紹介しているが、そうしたミュージシャンたちは、横のつながりがあるにはあるが、まだひとつにまとまっていない。そうした人たちのライヴは、単発的に行われている。だが、おぼろげながら、トウキョウ・ソウル・シーンというのがあるように見える。中にはひじょうにいいライヴもあるので、そうした良質なライヴショウをソウル・サーチンではぜひサポートしていきたい。

そこで、そういうトウキョウベースのソウル・ライヴ・ショウを不定期にでも微力ながら少しずつ紹介できればと思って、「ソウル・サーチン・ザ・セッション」の派生プロジェクトとして、「トウキョウ・ソウル・ショウ」という企画を立ち上げた。

「トウキョウ・ソウル・ショウ」は、東京をベースにライヴ活動をするソウル・アーティストにスポットをあてて、ライヴ・ショウを行うものだ。イメージとしては、ソウル・サーチャーズを軸に、そこに東京で活躍するソウル系アーティストがゆるやかに、セッションで参加したり気軽に入ってこれる形になるといいと思う。その総称を「トウキョウ・ソウル・プレイヤー」と名づけてもいい。フィラデルフィアにある「オーケイ・プレイヤー」たちの形が理想かもしれない。

一方、本体の「ソウル・サーチン・ザ・セッションVOL.2」は、まもなく、発表できるかと思う。「ザ・セッション」はこれまでどおり、1人(1組)のアーティストにスポットを当て、ライヴとトークでやっていく。その本編に参加するアーティストが派生プロジェクトで単独でライヴができれば、それはそれで面白いのではないだろうか。

ケイリブは自分のステージでいつも言っている。「Support live music and live musicians(ライヴ・ミュージックとライヴ・ミュージシャンをサポートしてください)」。その通り、ソウル・サーチンはサポートしていきたい。

(近いうちに、ディーヴァ・グレイのインタヴューを掲載します)

■「ソウル・サーチン・プレゼンツ〜トウキョウ・ソウル・ショウVOL.1〜ザ・グレイト・ディーヴァ・グレイ・ショウ」、予約の仕方など

November 04, 2006
Soul Searchin Presents: The Great Diva Gray Show Will Be Kick Off 2007
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_04.html

ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Soul Searchin: Diva Gray
ENT>MUSIC>LIVE>Gray, Diva
【ザ・グレイト・ディーヴァ・グレイ・ショウ〜2007年1月9日に開催】

ディーヴァ。

7月1日に行われた『ソウル・サーチン・ザ・セッション〜トリビュート・トゥ・ルーサー・ヴァンドロス』で、ルーサーの友人として登場し、ルーサーの思い出話をし、ルーサー作品「バイ・ミー・ア・ローズ」を歌い拍手喝采と、両手に持ちきれないほどのバラをもらった女性シンガー、ディーヴァ・グレイが初の単独ソロ・ライヴを行います。

タイトルは、「ソウル・サーチン・プレゼンツ〜トウキョウ・ソウル・ショウVOL.1〜ザ・グレイト・ディーヴァ・グレイ・ショウ」。イヴェント「ソウル・サーチン・ザ・セッション」の第1弾派生プロジェクトとして、ソウル・サーチンが大々的にサポートしてお送りします。

ディーヴァ・グレイは、ご存知の方も多いかと思われますが、70年代中期からニューヨークを本拠に、スタジオ・セッション、地元でのライヴを数多くこなしてきたヴェテランで、スタジオ・シーンではいわゆる「ファースト・コール」(プロデューサーがコーラスを録音したい時に、まず電話するミュージシャン)のシンガーとして業界内で圧倒的信頼を得てきました。

彼女がこれまでにセッションに参加したプロデューサー、アーティストは、クインシー・ジョーンズ、ルーサー・ヴァンドロス、ナタリー・コール、チェンジなどのソウル系アーティストからジョージ・ベンソン、ジョン・トロペイ、スパイロ・ジャイラなどのフュージョン系アーティスト、セリーヌ・ディオン、ベット・ミドラーなどのポップシンガー、さらにデイヴィッド・ボウイ、スティーリー・ダン、トーキング・へッズなどのロック・アーティストまで実に多岐にわたり、その参加アルバムは300枚以上を数えます。特にシックのメンバーとして初期のアルバムに関わったり、ルーサーのバックコーラスを担当したり、また本人名義のディスコヒットもあり、ニューヨーク産ヒットの影にディーヴァありと知られています。

この初ライヴでは、そんな彼女が実際にバックコーラスを歌ってきた無数の作品から素晴らしい楽曲、日本でも人気のある作品、また、ディーヴァ自身が思い入れのある作品を厳選して歌います。バックをサポートするのは、前回ソウル・サーチンでデビューしたケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ。

かつて、コーラスを歌ったその作品をディーヴァが、今、フロントに出て歌います。70年代から90年代、そして、現在に至るまでの広範なブラックミュージック、ソウルミュージックの偉大なモーメンツ(瞬間)にフラッシュバック。ソウル、ブラコン(ブラック・コンテンポラリー)、R&B、そして、若干のポップ、ロック、ジャズ・・・。すべてのリアル・ミュージックが、ジャンルを超え素晴らしきリアル・ミュージシャンによって奏でられスペシャルなワンナイト! この日はブルースアレーもライヴ初めとなります。

2007年の幕開けは、ディーヴァが飾ります。

ご期待ください。

(ディーヴァ・グレイ・ショウのコンセプトなどについて、明日以降のブログでご紹介します)

■ディーヴァ・グレイ過去関連記事

June 25, 2006
"Soul Searchin: The Session" Has Diva Gray Segment
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200606/2006_06_25.html

July 03, 2006
"Soul Searchin’ : The Session Vol.1" (Part 2): Full Of Roses In Her Arms
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_07_03.html

+++++

■イヴェント概要■

"The Soul Searchin Presents: Tokyo Soul Show Vol.1
The Great Diva Gray Show "
〜With Kaleb James & The Soul Searchers

「ザ・ソウル・サーチン・プレゼンツ〜トウキョウ・ソウル・ショウ VOL.1〜ザ・グレイト・ディーヴァ・グレイ・ショウ」

■出演

ディーヴァ・グレイ & ザ・ソウル・サーチャーズ
Diva Gray With Kaleb James & The Soul Searchers

Diva Gray (Vocal) ディーヴァ・グレイ(元シック)

Kaleb James & The Soul Searchers

Kaleb James (Keyboard, Vocal)
Takada Shin (Drums)
Gats (Guitar, Vocal)
Clifford Archer (Bass)
Gary Scott (Sax, Percussion, Vocal)

other background singers to be announced soon

日時 2007年1月9日火曜
開場 18時
ライヴ 第一部 19時30分〜 第二部 21時00分〜 (入れ替えはありません。また、一部と二部の内容は異なります。予約をされた方 で19時までにお入りいただければ、座席は確保いたします。以後は当日ご来場の方を ご案内する場合がありますのでご了承ください。座席数は約110です)
会場  目黒・ブルースアレー http://www.bluesalley.co.jp/
住所  〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話  03−5740-6041(予約専用電話)当日のお店の番号03-5496-4381
行き方  JR山手線・目黒駅西口を降りて、恵比寿方向へ進み目黒通り(一方通行)を左折、100メートル弱・坂を降りた右側。地下一階。駅から徒歩3分。
地図  http://www.bluesalley.co.jp/
料金  前売券 テーブル席(指定)4,500 立見(自由)4,000
当日券は各料金500UP (各税込)
ブルースアレーでの予約開始日:2006年11月15日(水)16:00〜
主催・制作  ソウル・サーチン・ザ・セッション実行委員会
連絡先  soul_searchin_the_session@yahoo.co.jp

■予約の仕方

お席は予約された方を優先してご案内しますので、ご予約をお勧め いたします。本ホームページでは本日より予約を承ります。ブルースアレーでは2006年11月15日水曜からの予約となります。今回も立ち見が予想されますので、お早目のご予約をどうぞ。

予約のしかた:二通りあります。

(1)「ソウル・サーチン・ホームページ」へ予約する方法(従来の方法です)
次のメールアドレスに次の事項を明記の上、予約メールをお送りく ださ い。
  1)お名前と人数、
  2)メールアドレス(できればいらっしゃる方全員のも のが あれば幸いです)、
  3)緊急の際の連絡先(グループの場合、代表の方だけでけっこう です)、
  4)このイヴェントを何でお知りになったか。
***折り返し確認メールを お送り します。
***予約受け付けメール  soul_searchin_the_session@yahoo.co.jp

(2)直接、ブルースアレーに予約をいれる方法
予約用ホームページ http://www.bluesalley.co.jp/
上記ホームページにアクセスし、必要事項を記入の上、予約をする方法。また、03−5740-6041(予約専用電話)に電話して予約する方法。(今回は11月15日以降になります) 

それでは、新年1月9日に目黒ブルースアレーでお会いしましょう。

ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Soul Searchin: Diva Gray

< 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 >