【さまざまなシュープリームスの巻】

ドロドロ。

せっかく6月5日付日記を書くにあたってシュープリームスとテンプテーションズの現在の複数のグループについて調べたので、それらをわかりやすくまとめてみたい。

まず、シュープリームス。

シュープリームスは、フローレンス・バラード、メリー・ウィルソン、ダイアナ・ロス、ベティー・マクグロンの4人で1959年に結成。その後ベティーはバーバラ・マーティンに交代、その後脱退。以後はフローレンス、メリー、ダイアナ3人で。もともと、フローレンスがメリーと一緒に作ったところに、後からダイアナが入ったことで、フローレンスとメリーはかなり「オリジナル・メンバー」としての意識が強かったようだ。

しかし、酒やドラッグなどでフローレンス・バラードがさまざまなトラブルを起こすようになり、1967年解雇され、シンディー・バードソングが加入。

ダイアナ・ロスが1970年1月1日からソロに独立。ダイアナにかわってジーン・テレルがリードシンガーに。

1972年、一時期シンディーがグループを離れるがそのとき、リンダ・ローレンスが加入。シンディーは1973年に復帰。

1973年、ジーン・テレルが脱退し、シェリー・ペインが加入。

1976年、シンディーが脱退し、彼女に代わりスゼイ・グリーンが参加。この時点で、メアリー、シェリー、スゼイがシュープリームス。ここで、モータウンとの契約が切れ、シュープリームスの歴史はいったん終わる。オフィシャルにはここでシュープリームスは解散。

この後、ジーン・テレル、シェリー・ペイン、リンダ・ローレンスが、1986年ごろから「フォーマー・レディーズ・オブ・シュープリームス」という名前で営業活動を開始。1989年イギリスのディスコ・プロデューサー、イアン・レヴィンの元で何曲かレコーディング。

1992年、ジーン・テレルが脱退し、新メンバー、サンドレ・タッカーが加入。しかし、このサンドレがすぐにいなくなったようで、1996年フレディー・ポールというシンガーを加えて、ツアーを行う。

一方、メリー・ウィルソンは1979年にソロアルバムを出した後、1980年までにモータウンとの契約が切れる。以後彼女は、「シュープリームス・ショー・スターリング・メリー・ウィルソン」あるいは「シュープリームス・ショー・ウィズ・メリー・ウィルソン」という名義でライヴ活動を行うようになった。ちなみに、今回来日していたメンバーは、このときのバックコーラスの一員としてメリーをサポートしていた。

さて、2000年、ダイアナ・ロス、メリー・ウィルソン、シンディー・バードソングの3人にとあるプロモーターが、「シュープリームス再結成」の企画をもちかけた。いったんはツアーが行われそうになったが、ダイアナ以外がこの提案を拒否したために、ダイアナが別の二人のシンガー(シェリー・ペインとリンダ・ローレンス)を雇い入れツアーを行ったが、あまり客が入らずに途中で終了した。しかも、ダイアナ、リンダ、シェリーは3人が同時にシュープリームスにいたことはない。

実はこのとき、プロモーターはダイアナに1500万ドル(18億円)、メリーに300万ドル(3.6億円)、シンディーには、100万ドル(1億2千万円)以下のギャラを提示したという。この金額が、どういう根拠で算出されたのかはわからないが、ダイアナ以外がこれを知って拒絶したらしい。

といったわけで、さまざまな女のドラマがこのシュープリームス周辺にはある。けっこうドロドロである。

(テンプテーションズについても後日書きます)

■過去関連記事

June 05, 2007
The Fake Supremes On The Stage
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_06_05.html

ENT>MUSIC>ARTIST>SUPREMES