Temptations: History Of Members Changing
2007年6月12日【テンプテーションズのメンバー変遷】
複数。
先日の「スマスマ」に登場していたフェイク・シュープリームス、テンプテーションズに関連して、シュープリームスに続いて、テンプテーションズのメンバー変遷をまとめてみよう。かなり複雑なので、エクセルかなにかで一覧表にしたほうがわかりやすいかもしれない。(笑)
1955年、ザ・プライムス(エディー・ケンドリックス、ポール・ウィリアムスほか)とザ・ディスタンツ(オーティス・ウィリアムス、エルブリッジ・アル・ブライアント、メルヴィン・フランクリン、リチャード・ストリートほか)という二つのヴォーカル・グループがデトロイトで活動を始めた。この二つのグループが合体して、ひとつのグループになった。この時は、エルジンズと名乗ったが、同名のグループがいたために、検討の結果、テンプテーションズに。1961年3月、モータウンとテンプテーションズとして契約。このときのラインアップは、オーティス・ウィリアムス、エルブリッジ・ブライアント、メルヴィン・フランクリン、エディー・ケンドリックス、ポール・ウィリアムスの5人だった。この頃のリードは、ポールとエディーが中心で、一部でその他3人が歌っていた。
1963年12月、エルブリッジ・ブライアントが昼間の仕事に専念するためにグループを脱退、後任にデイヴィッド・ラッフィンが加入。1964年1月、「ザ・ウェイ・ユー・ドゥ・ザ・シングス・ユー・ドゥ」発表。見事なヒットに。1964年12月、世紀の名曲「マイ・ガール」発表。このリードがデイヴィッドで、以後デイヴィッドのリード曲が増え、それにともない彼の人気も急上昇。しかしその後、デイヴィッドのエゴが増大。結局、解雇に。
1968年6月、デイヴィッドが解雇され、デニス・エドワーズが加入。その後1969年頃から、オリジナル・メンバーのポール・ウィリアムスの体調が悪くなり、なかなかステージでもしっかりしたパフォーマンスが行えず、ステージ横でリチャード・ストリートが彼の部分を影で歌うようになった。1970年11月、エディー・ケンドリックスがそれまでのグループ内での待遇に不満を持ち、脱退しソロへ。エディーの後釜はリッキー・オーエンス。しかし、すぐになじまず脱退。1971年4月、体調不良のポールが正式に脱退。リチャード・ストリートが正式に再加入。ポールは1973年8月17日、34歳で自殺。
ポールに代わって、デイモン・ハリスが参加。この時点でラインアップは、オーティス・ウィリアムス、デニス・エドワーズ、メルヴィン・フランクリン、リチャード・ストリート、デイモン・ハリス。
1974年秋、アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』レコーディング時期に、デイモン・ハリスが不適切な態度が続いたため解雇。グレン・レオナードが参加。
1976年、『ザ・テンプテーションズ・ドゥ・ザ・テンプテーションズ』のレコーディング後、デニス・エドワーズが脱退。後任にルイス・プライス。
この後、テンプスはアトランティックと契約、2枚のアルバムを発表するが、1980年、再びモータウンへ。
ルイス・プライスが脱退し、それまでソロシンガーとして活動していたデニス・エドワーズが復帰。
1982年、エディー・ケンドリックス、デイヴィッド・ラッフィンを迎えた『リユニオン』企画が実現。
1983年、グレン・レオナードが脱退、ロン・タイソンに交代。
1984年、デニスが再度脱退(事実上の解雇)。アリ・オリ・ウッドソンが加入。同年、アース・ウインド&ファイアーのアル・マッケイ・プロデュースの「トリート・ハー・ライク・ア・レイデイ」が誕生。
1987年、アリ・オリが脱退し、デニス・エドワーズが3度目の加入。そのときできたアルバムが、『トゥゲザー・アゲイン(再び一緒に)』。
しかし、1989年秋、デニスは再度解雇。アリ・オリが再度参加。同年、テンプスが「ロックンロール殿堂」入り。このとき表彰されたのは、オーティス・ウィリアムス、メルヴィン・フランクリンのほか、デニス・エドワーズ、デイヴィッド・ラッフィン、エディー・ケンドリックスだった。これを機に、「ラッフィン、ケンドリック、エドワーズ、フォーマー・リーズ・オブ・ザ・テンプテーションズ」というグループができて、何本かツアーをした。
しかし、デイヴィッドは1991年6月1日、ドラッグのオーヴァードーズで死去(50歳)、エディーは肺がんを患い1992年10月5日死去(52歳)した。
1993年、リチャード・ストリートが脱退、セオ・ピープルスが参加。1995年2月23日、メルヴィン・フランクリン、死去(52歳)。しばらく4人で活動後、ハリー・マクギルベリーが加入。
1996年、アリ・オリが体調問題で脱退、テリー・ウィークスが参加。この時点でのメンバーは、オーティス・ウィリアムス、ロン・タイソン、セオ・ピープルス、ハリー・マクギルベリー、テリー・ウィークス。このメンバーで、『スーパーボール』に登場した。
1998年、セオ・ピープルスが脱退し、バリントン・ボー・ヘンダーソンが加入。しかし、2003年、脱退。元スピナーズのGCキャメロンが参加。さらに、ハリー・マクギルベリーがジョー・ハーンドンに交代。ハリーは2006年4月3日、56歳で死去。よって、現在のメンバーは、オーティス、ロン、バリントン、ジョー、テリーの5人。
さて、現状でテンプスからの派生グループには次のようなものがある。
■ザ・テンプテーションズ
本家本元。
メンバー オーティス・ウィリアムス、ジョー・ハーンドン、ロン・タイソン、セオ・ピーブルス、テリー・ウィークス。
■デニス・エドワーズのテンプテーションズ
名称: 『ザ・テンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズ』
このメンバーは、デニス・エドワーズ、デイヴィッド・シー、マイク・パティーヨ、クリス・アーノルド、バーナード・ギブソン。(のちにバーナードからアリ・オリ・ウッドソンへ交代)。
アリ・オリは一時期、自身のグループ「アリ・オリ・ウッドソン&ジ・エンペラー・オブ・ソウル」というグループをやっていた。
■デイモン・ハリスのグループ
1990年代前半に結成。
名称: 『ザ・テンプテーションズ・レヴュー』、現在は『ザ・テンプテーションズ・トリビュート』
■リチャード・ストリートのグループ
名称: 『リチャード・ストリート』
リチャードは、自伝本『ボール・オブ・コンフュージョン』(仮題)を執筆中。
■グレン・レオナードのグループ
名称: 『ザ・テンプテーションズ・エクスペリエンス』
メンバー、グレン・レオナード、ジョー・ハーンドン(のちにテンプテーションズ本体へ加入)→レイ・デイヴィス(2005年7月5日死去)、ハリー・マクギルベリー(2006年4月3日死去)。
来日していたのは、リチャード・ストリートのグループのように思えるが、ほかのメンバーがわからないので、正確には不明。
というわけで、テンプテーションズもいろいろ、それぞれの人生もいろいろだ。
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複数。
先日の「スマスマ」に登場していたフェイク・シュープリームス、テンプテーションズに関連して、シュープリームスに続いて、テンプテーションズのメンバー変遷をまとめてみよう。かなり複雑なので、エクセルかなにかで一覧表にしたほうがわかりやすいかもしれない。(笑)
1955年、ザ・プライムス(エディー・ケンドリックス、ポール・ウィリアムスほか)とザ・ディスタンツ(オーティス・ウィリアムス、エルブリッジ・アル・ブライアント、メルヴィン・フランクリン、リチャード・ストリートほか)という二つのヴォーカル・グループがデトロイトで活動を始めた。この二つのグループが合体して、ひとつのグループになった。この時は、エルジンズと名乗ったが、同名のグループがいたために、検討の結果、テンプテーションズに。1961年3月、モータウンとテンプテーションズとして契約。このときのラインアップは、オーティス・ウィリアムス、エルブリッジ・ブライアント、メルヴィン・フランクリン、エディー・ケンドリックス、ポール・ウィリアムスの5人だった。この頃のリードは、ポールとエディーが中心で、一部でその他3人が歌っていた。
1963年12月、エルブリッジ・ブライアントが昼間の仕事に専念するためにグループを脱退、後任にデイヴィッド・ラッフィンが加入。1964年1月、「ザ・ウェイ・ユー・ドゥ・ザ・シングス・ユー・ドゥ」発表。見事なヒットに。1964年12月、世紀の名曲「マイ・ガール」発表。このリードがデイヴィッドで、以後デイヴィッドのリード曲が増え、それにともない彼の人気も急上昇。しかしその後、デイヴィッドのエゴが増大。結局、解雇に。
1968年6月、デイヴィッドが解雇され、デニス・エドワーズが加入。その後1969年頃から、オリジナル・メンバーのポール・ウィリアムスの体調が悪くなり、なかなかステージでもしっかりしたパフォーマンスが行えず、ステージ横でリチャード・ストリートが彼の部分を影で歌うようになった。1970年11月、エディー・ケンドリックスがそれまでのグループ内での待遇に不満を持ち、脱退しソロへ。エディーの後釜はリッキー・オーエンス。しかし、すぐになじまず脱退。1971年4月、体調不良のポールが正式に脱退。リチャード・ストリートが正式に再加入。ポールは1973年8月17日、34歳で自殺。
ポールに代わって、デイモン・ハリスが参加。この時点でラインアップは、オーティス・ウィリアムス、デニス・エドワーズ、メルヴィン・フランクリン、リチャード・ストリート、デイモン・ハリス。
1974年秋、アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』レコーディング時期に、デイモン・ハリスが不適切な態度が続いたため解雇。グレン・レオナードが参加。
1976年、『ザ・テンプテーションズ・ドゥ・ザ・テンプテーションズ』のレコーディング後、デニス・エドワーズが脱退。後任にルイス・プライス。
この後、テンプスはアトランティックと契約、2枚のアルバムを発表するが、1980年、再びモータウンへ。
ルイス・プライスが脱退し、それまでソロシンガーとして活動していたデニス・エドワーズが復帰。
1982年、エディー・ケンドリックス、デイヴィッド・ラッフィンを迎えた『リユニオン』企画が実現。
1983年、グレン・レオナードが脱退、ロン・タイソンに交代。
1984年、デニスが再度脱退(事実上の解雇)。アリ・オリ・ウッドソンが加入。同年、アース・ウインド&ファイアーのアル・マッケイ・プロデュースの「トリート・ハー・ライク・ア・レイデイ」が誕生。
1987年、アリ・オリが脱退し、デニス・エドワーズが3度目の加入。そのときできたアルバムが、『トゥゲザー・アゲイン(再び一緒に)』。
しかし、1989年秋、デニスは再度解雇。アリ・オリが再度参加。同年、テンプスが「ロックンロール殿堂」入り。このとき表彰されたのは、オーティス・ウィリアムス、メルヴィン・フランクリンのほか、デニス・エドワーズ、デイヴィッド・ラッフィン、エディー・ケンドリックスだった。これを機に、「ラッフィン、ケンドリック、エドワーズ、フォーマー・リーズ・オブ・ザ・テンプテーションズ」というグループができて、何本かツアーをした。
しかし、デイヴィッドは1991年6月1日、ドラッグのオーヴァードーズで死去(50歳)、エディーは肺がんを患い1992年10月5日死去(52歳)した。
1993年、リチャード・ストリートが脱退、セオ・ピープルスが参加。1995年2月23日、メルヴィン・フランクリン、死去(52歳)。しばらく4人で活動後、ハリー・マクギルベリーが加入。
1996年、アリ・オリが体調問題で脱退、テリー・ウィークスが参加。この時点でのメンバーは、オーティス・ウィリアムス、ロン・タイソン、セオ・ピープルス、ハリー・マクギルベリー、テリー・ウィークス。このメンバーで、『スーパーボール』に登場した。
1998年、セオ・ピープルスが脱退し、バリントン・ボー・ヘンダーソンが加入。しかし、2003年、脱退。元スピナーズのGCキャメロンが参加。さらに、ハリー・マクギルベリーがジョー・ハーンドンに交代。ハリーは2006年4月3日、56歳で死去。よって、現在のメンバーは、オーティス、ロン、バリントン、ジョー、テリーの5人。
さて、現状でテンプスからの派生グループには次のようなものがある。
■ザ・テンプテーションズ
本家本元。
メンバー オーティス・ウィリアムス、ジョー・ハーンドン、ロン・タイソン、セオ・ピーブルス、テリー・ウィークス。
■デニス・エドワーズのテンプテーションズ
名称: 『ザ・テンプテーションズ・レヴュー・フィーチャリング・デニス・エドワーズ』
このメンバーは、デニス・エドワーズ、デイヴィッド・シー、マイク・パティーヨ、クリス・アーノルド、バーナード・ギブソン。(のちにバーナードからアリ・オリ・ウッドソンへ交代)。
アリ・オリは一時期、自身のグループ「アリ・オリ・ウッドソン&ジ・エンペラー・オブ・ソウル」というグループをやっていた。
■デイモン・ハリスのグループ
1990年代前半に結成。
名称: 『ザ・テンプテーションズ・レヴュー』、現在は『ザ・テンプテーションズ・トリビュート』
■リチャード・ストリートのグループ
名称: 『リチャード・ストリート』
リチャードは、自伝本『ボール・オブ・コンフュージョン』(仮題)を執筆中。
■グレン・レオナードのグループ
名称: 『ザ・テンプテーションズ・エクスペリエンス』
メンバー、グレン・レオナード、ジョー・ハーンドン(のちにテンプテーションズ本体へ加入)→レイ・デイヴィス(2005年7月5日死去)、ハリー・マクギルベリー(2006年4月3日死去)。
来日していたのは、リチャード・ストリートのグループのように思えるが、ほかのメンバーがわからないので、正確には不明。
というわけで、テンプテーションズもいろいろ、それぞれの人生もいろいろだ。
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