【ソウル・サーチャーズ、アレサを語る】
思い出。
ファーストセットの途中で、ミュージシャン3人にもアレサについて一言、語ってもらった。
60年代風アフロ・ヘアーをしたブレンダ・ヴォーンのコメント。「私が子供だった夏休み、おばあちゃんのところによく行っていた。12−3人の親戚のおばやおじがいて、みんなシンガーなの。で、その彼らはアレサの歌を聴いて、みんな泣いてるのね。聴きながら、涙を拭いたりして。この時は、なぜ彼らが泣くのか(子供だったせいもあって)わからなかった。でも、私が大人になってからアレサのレコードを聴くようになって、それが理解できるようになった。アレサは、本当にすばらしい「ストーリーテラー(語り部)」なのよね。物語に感情を込め、ストーリーを語りかける。それは、本当にすばらしい部分だわ」
フィリップ・ウーのコメント。「僕がアレサを初めて聴いたのは7歳の時だった。『リスペクト』が最初の曲だった。アレサの音楽や歌は僕の人生のBGMになっていた。特にアレサのピアノ・プレイにはやられた。なぜなら彼女は自身のピアノプレイで、バンド全体をのらせてひっぱっていったから。それから、自分がプロになってから、アレサと会ったり、何度も同じステージに立ったりする機会があった。そして、アレサのレコードでプレイしているキーボード奏者は、僕の大好きな人たちなんだ。まず、ダニー・ハザウェイ、そして、リチャード・ティーだ」
そして、ケイリブ・ジェームス。「ソウル・サーチンをやってきて、みんなから女性シンガーはやらないのかってメールをもらうようになっていた。で、女性をやるとなったら、まず、一番最初にやらなければならないのは、この人をおいて他にいない。クイーン・オブ・ソウル、アレサ・フランクリンだ。(拍手) もちろん、他にもたくさんすばらしいシンガーはいる。だけど、まず、アレサだ。
アレサの曲で最初に僕がひじょうによく覚えているのが、『ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック』という曲。実は、これを書いたのが僕と同じ街に住んでいるウエルドン・アービンという男だった。子供のころというのは、どんな曲をどう聴いたとかそれほど覚えていないけれど、この曲は強烈によく覚えている。実は僕の出身はニューヨークのクイーンズ地区なんだけど、ここからは本当に多くの才能あふれるミュージシャンがでてきている。すばらしいジャズのキーボード奏者、ウエルドン・アーヴィンという人物がこの『ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック』の歌詞を書いている。彼は3年ほど前に亡くなってしまったけれどね。このパワフルなタイトルの曲を、地元の人間が書いたということで、ものすごく(僕にとっても)インパクトがあったんだ。若くて、才能あふれて、そして、黒人だ、と言ってるんだよね。その頃は今とはまったく時代が違う。自分は若くて、才能があり、しかも、黒人であることを声高に言うなんてことは、なかなかできなかった。ジェームス・ブラウンが『セイ・イット・ラウド・アイム・ブラック・アンド・プラウド』(黒人であることを声高に言え、誇りに思うと言え)と同じように、ものすごいことだったんだ。そのタイトルを聴いただけで、僕は鳥肌が立ったよ。それをクイーン・オブ・ソウル、アレサ・フランクリンが歌ったわけだからね。なおさらだ。当時、あのようなタイトルの曲を歌うには、ものすごく大変な勇気がいったと思うよ。ま、それが最初で、その後、アレサの曲で踊ったりガールフレンドとセックスしたり、まあ、いろいろあったよ。(笑) そう、だから、アレサの作品は大好きなんだ(笑)」
尾臺さんは、NHKの『ソウル・ミュージック』にゲストでやってくるアーティストに影響を受けたアーティストを聴くと、実に多くの人がアレサを選ぶと紹介。それだけ、多くのブラック・アーティストに影響を与えている。
実は、ブレンダはおととしの『エッセンス・ミュージック・フェスティヴァル』でアレサを見ているので、その話も聴こうかと思ったが、時間切れになってしまいました。3人もそれぞれアレサへの思いがあったので、最初からもっと時間をとっておけばよかったな、とかなり反省です。
このトークの後に、アレサの1971年の『モントルー』での映像から、「コール・ミー」と「ブラン・ニュー・ミー」を紹介したが、本当は「コール・ミー」は誰かに歌ってもらおうかと思っていた。実は、ケイリブとフィル・ペリーの秀逸なカヴァー・ヴァージョンがあり、それをもとにどう、と振っていたのだが、それがあまりにすばらしい出来であること、むずかしい曲であること、他にもたくさんの曲があったので、結局没になった。また、ケイリブが語った「ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック」は、当初ケイリブ・ピアノ、ブレンダの歌でやる予定だったが、時間の関係でセットリストから落ちた。
ライヴが終わってみんなで軽く打ち上げをしたのだが、その中で「満席になったのなら、次は2日どうですか。もう一日あれば、もっといいパフォーマンスができる」と口々に言う。おお、なるほど、と思った。
(明日、メンバーのウェッブ一覧をご紹介します。また、明後日のこのブログでフィリップ・ウーの4月19日に行われるビリー・プレストン・トリビュートについて、彼のインタヴューも含めお送りします)
ENT>MUSIC>LIVE>Soul Searchin: The Session
思い出。
ファーストセットの途中で、ミュージシャン3人にもアレサについて一言、語ってもらった。
60年代風アフロ・ヘアーをしたブレンダ・ヴォーンのコメント。「私が子供だった夏休み、おばあちゃんのところによく行っていた。12−3人の親戚のおばやおじがいて、みんなシンガーなの。で、その彼らはアレサの歌を聴いて、みんな泣いてるのね。聴きながら、涙を拭いたりして。この時は、なぜ彼らが泣くのか(子供だったせいもあって)わからなかった。でも、私が大人になってからアレサのレコードを聴くようになって、それが理解できるようになった。アレサは、本当にすばらしい「ストーリーテラー(語り部)」なのよね。物語に感情を込め、ストーリーを語りかける。それは、本当にすばらしい部分だわ」
フィリップ・ウーのコメント。「僕がアレサを初めて聴いたのは7歳の時だった。『リスペクト』が最初の曲だった。アレサの音楽や歌は僕の人生のBGMになっていた。特にアレサのピアノ・プレイにはやられた。なぜなら彼女は自身のピアノプレイで、バンド全体をのらせてひっぱっていったから。それから、自分がプロになってから、アレサと会ったり、何度も同じステージに立ったりする機会があった。そして、アレサのレコードでプレイしているキーボード奏者は、僕の大好きな人たちなんだ。まず、ダニー・ハザウェイ、そして、リチャード・ティーだ」
そして、ケイリブ・ジェームス。「ソウル・サーチンをやってきて、みんなから女性シンガーはやらないのかってメールをもらうようになっていた。で、女性をやるとなったら、まず、一番最初にやらなければならないのは、この人をおいて他にいない。クイーン・オブ・ソウル、アレサ・フランクリンだ。(拍手) もちろん、他にもたくさんすばらしいシンガーはいる。だけど、まず、アレサだ。
アレサの曲で最初に僕がひじょうによく覚えているのが、『ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック』という曲。実は、これを書いたのが僕と同じ街に住んでいるウエルドン・アービンという男だった。子供のころというのは、どんな曲をどう聴いたとかそれほど覚えていないけれど、この曲は強烈によく覚えている。実は僕の出身はニューヨークのクイーンズ地区なんだけど、ここからは本当に多くの才能あふれるミュージシャンがでてきている。すばらしいジャズのキーボード奏者、ウエルドン・アーヴィンという人物がこの『ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック』の歌詞を書いている。彼は3年ほど前に亡くなってしまったけれどね。このパワフルなタイトルの曲を、地元の人間が書いたということで、ものすごく(僕にとっても)インパクトがあったんだ。若くて、才能あふれて、そして、黒人だ、と言ってるんだよね。その頃は今とはまったく時代が違う。自分は若くて、才能があり、しかも、黒人であることを声高に言うなんてことは、なかなかできなかった。ジェームス・ブラウンが『セイ・イット・ラウド・アイム・ブラック・アンド・プラウド』(黒人であることを声高に言え、誇りに思うと言え)と同じように、ものすごいことだったんだ。そのタイトルを聴いただけで、僕は鳥肌が立ったよ。それをクイーン・オブ・ソウル、アレサ・フランクリンが歌ったわけだからね。なおさらだ。当時、あのようなタイトルの曲を歌うには、ものすごく大変な勇気がいったと思うよ。ま、それが最初で、その後、アレサの曲で踊ったりガールフレンドとセックスしたり、まあ、いろいろあったよ。(笑) そう、だから、アレサの作品は大好きなんだ(笑)」
尾臺さんは、NHKの『ソウル・ミュージック』にゲストでやってくるアーティストに影響を受けたアーティストを聴くと、実に多くの人がアレサを選ぶと紹介。それだけ、多くのブラック・アーティストに影響を与えている。
実は、ブレンダはおととしの『エッセンス・ミュージック・フェスティヴァル』でアレサを見ているので、その話も聴こうかと思ったが、時間切れになってしまいました。3人もそれぞれアレサへの思いがあったので、最初からもっと時間をとっておけばよかったな、とかなり反省です。
このトークの後に、アレサの1971年の『モントルー』での映像から、「コール・ミー」と「ブラン・ニュー・ミー」を紹介したが、本当は「コール・ミー」は誰かに歌ってもらおうかと思っていた。実は、ケイリブとフィル・ペリーの秀逸なカヴァー・ヴァージョンがあり、それをもとにどう、と振っていたのだが、それがあまりにすばらしい出来であること、むずかしい曲であること、他にもたくさんの曲があったので、結局没になった。また、ケイリブが語った「ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック」は、当初ケイリブ・ピアノ、ブレンダの歌でやる予定だったが、時間の関係でセットリストから落ちた。
ライヴが終わってみんなで軽く打ち上げをしたのだが、その中で「満席になったのなら、次は2日どうですか。もう一日あれば、もっといいパフォーマンスができる」と口々に言う。おお、なるほど、と思った。
(明日、メンバーのウェッブ一覧をご紹介します。また、明後日のこのブログでフィリップ・ウーの4月19日に行われるビリー・プレストン・トリビュートについて、彼のインタヴューも含めお送りします)
ENT>MUSIC>LIVE>Soul Searchin: The Session
【ソウル・サーチャーズ・メンバー動向】
動向。
『ソウル・サーチン』に参加していただいたミュージシャン、パネリストなどはそれぞれの場所で活躍ちゅう。近々の動向をまとめました。『ソウル・サーチン』でのパフォーマンスがお気に入りになられたら、ぜひ、各アーティストたちの個々のライヴへ足をお運びください。
■音楽ディレクター、ケイリブ・ジェームス
http://www.kalebjames.com/
(4月19日ブルースアレーでフィリップ・ウーの『トリビュート・トゥ・ビリー・プレストン』に参加。詳細は明日のブログで)
◎ケイリブ・ジェームスとフェイトが参加するラジオ番組、4月1日からスタート 『ブレイク・イット・ダウン』(FM横浜、毎週日曜夜10時半〜11時)
■東京レディーソウルナンバーワン、ブレンダ・ヴォーン
http://www.brendavaughn.com
◎ブレンダがアレサ・トリビュートについて語っている部分が収録されている「メトロポリス」マガジンのアイポッドヴァージョン。プログラムの中盤あたりです。インタヴューはカマサミ・コング。
http://metropolis.co.jp/podcast/files/679.mp3
■フィリップ・ウー・ウェッブ (スケジュールなど)
http://www.k5.dion.ne.jp/~p.woo/
フィリッブ・ウー・ブログ
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo
(4月19日にブルースアレーで『トリビュート・トゥ・ビリー・プレストン』があります。その詳細を明日のブログで、フィリップのインタヴューも含めご紹介します)
◎フィリップ・ライヴ予定
♪4/4 Hank’s Night @Mobius
♪4/15 Philip Woo Band featuring "Donyale Renee" @Midas
♪4/19 Philip Woo Presents "A Tribute To Billy Preston" @Blues Alley Japan
♪4/24 Jay Stixx R&B Special Live @IKISPARI
その後5月には久保田利伸のツアーに参加
■シンガー、神野ユリのダイアリー
http://plaza.rakuten.co.jp/divafresh/diary/
■シンガー、マルのオフィシャル・ウェッブ
http://www.marudiva.com/
シンガー、マルのブログ
http://marudiva.sblo.jp/
◎マル・ライヴ
2007年4月7日(土曜)
御茶ノ水NARU ジャズ系ライヴ
お茶の水ナル 03-3291-2321
http://www.jazz-naru.com/index.html
ステージPM7:30〜(日曜,祭日PM7:15〜)
b塩田哲嗣 pデイビット・バークマン ds Mogu-san vo MARU
◎2007年5月14日(月曜)
渋谷プラグ
http://www.shibuya-plug.tv/top.html
maru バンド
■木下航志オフィシャル・ウェッブ
http://www.kishitakohshi.com/index2.html
■ガッツ・オフィシャル・ウェッブ(一時休止中)
http://gats.tv/
◎GATSライヴ
2007年05月09日(Wed)
BLUES ALLEY JAPAN Players Nite〜GATS soul vibrations〜
(Vo/G)GATS (Harmonica/Key)西脇辰弥 (B)日野“JINO”賢二 (Ds)高田真 (Per)木村“キムチ”誠 (Tp)小林正弘、佐久間勲 (Sax)竹上良成(Vo)有坂美香 (Cho/G)渕上祥人★Special Guest (G/Vo)森広隆
前売・当日共通 テーブル席(指定)5,500 立見(自由)4,500 (各税込)
■高山広オフィシャル・ウェッブ
http://www.schop.jp/
■ゲイリー・スコット・オフィシャル・ウェッブ
http://www.gshstudios.com/home
■尾臺順子NHKソウルミュージックのウェッブ
http://www.nhk.or.jp/soul/index_odai.html
NHK−FM『ソウル・ミュージック』は、毎週木曜夜11時から12時10分まで放送中。
■吉岡正晴ソウル・サーチン・オフィシャル・ウェッブ
http://www.soulsearchin.com/
『ソウル・ブレンズ』内『山野ミュージック・ジャム』(インターFM76.1毎週日曜午後3時〜5時)
+++++
◎Tokyo Mowtown Show (Ikumi Street)
2007年4/14(Sun)
"六本木AMANIS"
東京都港区六本木5-5-1 ロイビルB1
電話 03-5474-5547
http://amanisjapan.com/
◎岡伸昭
グループ展 「クロスオーバー・ナウ〜今を越えて〜日韓交流美術展」
2007年4月13日(金)〜17日(火)午前11時〜18時まで
山脇ギャラリー
〒102-0074 東京都千代田区九段南4-8-21
電話 03-3264-4027
Soul Searchin’ Presents〜Nobuaki Oka Exhibition
After The Dance Featuring “The Master” Nick Okai
2007年7月7日(土)〜8月10日(金)AM9:00〜PM7:00/年中無休
由布院駅アートホール
http://www.yufuin.gr.jp/
+++++
ENT>MUSIC>LIVE>Soul Searchin
動向。
『ソウル・サーチン』に参加していただいたミュージシャン、パネリストなどはそれぞれの場所で活躍ちゅう。近々の動向をまとめました。『ソウル・サーチン』でのパフォーマンスがお気に入りになられたら、ぜひ、各アーティストたちの個々のライヴへ足をお運びください。
■音楽ディレクター、ケイリブ・ジェームス
http://www.kalebjames.com/
(4月19日ブルースアレーでフィリップ・ウーの『トリビュート・トゥ・ビリー・プレストン』に参加。詳細は明日のブログで)
◎ケイリブ・ジェームスとフェイトが参加するラジオ番組、4月1日からスタート 『ブレイク・イット・ダウン』(FM横浜、毎週日曜夜10時半〜11時)
■東京レディーソウルナンバーワン、ブレンダ・ヴォーン
http://www.brendavaughn.com
◎ブレンダがアレサ・トリビュートについて語っている部分が収録されている「メトロポリス」マガジンのアイポッドヴァージョン。プログラムの中盤あたりです。インタヴューはカマサミ・コング。
http://metropolis.co.jp/podcast/files/679.mp3
■フィリップ・ウー・ウェッブ (スケジュールなど)
http://www.k5.dion.ne.jp/~p.woo/
フィリッブ・ウー・ブログ
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo
(4月19日にブルースアレーで『トリビュート・トゥ・ビリー・プレストン』があります。その詳細を明日のブログで、フィリップのインタヴューも含めご紹介します)
◎フィリップ・ライヴ予定
♪4/4 Hank’s Night @Mobius
♪4/15 Philip Woo Band featuring "Donyale Renee" @Midas
♪4/19 Philip Woo Presents "A Tribute To Billy Preston" @Blues Alley Japan
♪4/24 Jay Stixx R&B Special Live @IKISPARI
その後5月には久保田利伸のツアーに参加
■シンガー、神野ユリのダイアリー
http://plaza.rakuten.co.jp/divafresh/diary/
■シンガー、マルのオフィシャル・ウェッブ
http://www.marudiva.com/
シンガー、マルのブログ
http://marudiva.sblo.jp/
◎マル・ライヴ
2007年4月7日(土曜)
御茶ノ水NARU ジャズ系ライヴ
お茶の水ナル 03-3291-2321
http://www.jazz-naru.com/index.html
ステージPM7:30〜(日曜,祭日PM7:15〜)
b塩田哲嗣 pデイビット・バークマン ds Mogu-san vo MARU
◎2007年5月14日(月曜)
渋谷プラグ
http://www.shibuya-plug.tv/top.html
maru バンド
■木下航志オフィシャル・ウェッブ
http://www.kishitakohshi.com/index2.html
■ガッツ・オフィシャル・ウェッブ(一時休止中)
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◎GATSライヴ
2007年05月09日(Wed)
BLUES ALLEY JAPAN Players Nite〜GATS soul vibrations〜
(Vo/G)GATS (Harmonica/Key)西脇辰弥 (B)日野“JINO”賢二 (Ds)高田真 (Per)木村“キムチ”誠 (Tp)小林正弘、佐久間勲 (Sax)竹上良成(Vo)有坂美香 (Cho/G)渕上祥人★Special Guest (G/Vo)森広隆
前売・当日共通 テーブル席(指定)5,500 立見(自由)4,500 (各税込)
■高山広オフィシャル・ウェッブ
http://www.schop.jp/
■ゲイリー・スコット・オフィシャル・ウェッブ
http://www.gshstudios.com/home
■尾臺順子NHKソウルミュージックのウェッブ
http://www.nhk.or.jp/soul/index_odai.html
NHK−FM『ソウル・ミュージック』は、毎週木曜夜11時から12時10分まで放送中。
■吉岡正晴ソウル・サーチン・オフィシャル・ウェッブ
http://www.soulsearchin.com/
『ソウル・ブレンズ』内『山野ミュージック・ジャム』(インターFM76.1毎週日曜午後3時〜5時)
+++++
◎Tokyo Mowtown Show (Ikumi Street)
2007年4/14(Sun)
"六本木AMANIS"
東京都港区六本木5-5-1 ロイビルB1
電話 03-5474-5547
http://amanisjapan.com/
◎岡伸昭
グループ展 「クロスオーバー・ナウ〜今を越えて〜日韓交流美術展」
2007年4月13日(金)〜17日(火)午前11時〜18時まで
山脇ギャラリー
〒102-0074 東京都千代田区九段南4-8-21
電話 03-3264-4027
Soul Searchin’ Presents〜Nobuaki Oka Exhibition
After The Dance Featuring “The Master” Nick Okai
2007年7月7日(土)〜8月10日(金)AM9:00〜PM7:00/年中無休
由布院駅アートホール
http://www.yufuin.gr.jp/
+++++
ENT>MUSIC>LIVE>Soul Searchin
【ブルース・ブラザース・バンド、ライヴ〜ハッピーバースデイ・トゥ・キヨシロー】
誕生日。
その昔のスタックスのR&Bが大好きな白人二人組、ブルース・ブラザースが結成されたのは、1978年のこと。以来、29年、彼らはソウルをプレイしつづけている。2003年1月以来約4年3ヶ月ぶりの来日。そうか、前回評を読み返して、エディー・フロイドが来ていたことを思い出す。
相変わらず、タイトないいバンド、いいサウンド。昔ながらの顔がステージにずらりと並ぶ。スティーヴ・クロッパーのギター、ちょっとやせた御茶ノ水博士みたいなキーボードのアンソニー・クラウド、山本監督風のスティーヴ・ハワード、サングラス姿がちょっとミスターマリック的風貌のサックス・ルー・マリーニ、ダニー・デヴィート似のギター、ジョン・トロペイ。
ところで、『ソウル・サーチン:ザ・セッション〜アレサ・フランクリン』の「シンク」のパフォーマンスのときに、ダンスを踊ってくれた日本のブルース・ブラザース・バンドもやってきて、「シェイク・ア・テイル・フェザー」が始まると、客席で踊りだした。赤のスーツに帽子サングラスのナニワ・エルウッドと、黒のスーツに帽子サングラスのジェイク・タモン(二人そろうと、ちょー目立つ)。完璧だ。なんと、ステージ上の本物より、ちゃんと踊るではないか。(笑) 彼らはちなみに、火曜、土曜、日曜は二人揃っていくそうだ。他の曜日はどちらか一人になる、という。(いずれもセカンド)
みんなサム&デイヴや、スタックス・サウンドが大好きで、それをコピーして楽しんでいる、というのが伝わってくる。日本のブルース・ブラザースは結局、アンコールでステージにあげられた。次は、やはり「シェイク〜」のところで舞台に上がってもらいたい。
「ソウル・マン」を終え、万雷の拍手の中、彼らがもどってくると、サックスのマリーナがメンバー紹介を始めた。「27年、ずっと、いや、29年か、一緒にやってきている。でも実は、今だに僕は学生なんだけどね。専攻は、ウーマン(女性)。女性について勉強してるんだ。また東京に来れて、うれしい、なにしろ一週間、同じホテルに滞在できるんだからな」 そして、マイクがブルース・ブラザースに渡され、MCが続いた。「ずっと昔からブルース・ブラザースのファンである人物が今日、誕生日なんだ。ハッピーバースデイと言いたい。キヨシロー!!」
お〜〜っと、また、来たか。 忌野清志郎! サム・ムーア以来だ。しっかり来てる、すばらしい。ステージに上がると、ノーメークながら、髪がふさふさになっている。前回、このブルーノートで見たときには、スキンヘッドだった。スタッフから大きな誕生日ケーキがプレゼントされ、ろうそくを吹き消す。拍手。そしてMCが言った。「彼は医者には歌ってはいけないと言われているそうだが、ここの扉をひとたび開けてしまえば関係ない。一曲歌ってくれるよ。『イン・ザ・ミッドナイト・アワー』だ!」 お〜〜〜っ。そして、バンドが演奏を始めた。客席も、みな立ち上がった。僕も。
イントロから歌に入ると、しっかり声がでているではないか。前回の「アイ・サンキュー」の時より、もっとでているような気がした。体調いいのかな。彼もまた、サム&デイヴやスタックスのレコードが大好きで、ブルース・ブラザースやスティーヴ・クロッパーなどのミュージシャンと親しくなった。清志郎節の「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」は熱かった。途中、ワンフレーズくらいを日本語にして。いやあ、いいなあ。歌自体は、本家のブラザース二人より、ソウルなんじゃないか? (笑) 彼はソウルの曲ばっかり歌うライヴとかしないのかなあ。彼の体調が万全に戻ったら、一度見てみたい。
「いやあ、本当に、こんなすばらしい誕生日をありがとう、イエー」 清志郎は歌い終えて一言叫んだ。彼は1951年4月2日生まれだったんですね。56歳、おめでとうございます。
実は、この日はシャイ・ライツか、ブルース・ブラザースか迷っていたのだが、盟友ハセヤンがブルース・ブラザースに行こうぜ、と強引に誘ってくれたので、こっちに来た。大感謝。大正解。もちろん、シャイ・ライツも明日以降に行きますけどね。(笑)
ライヴが終わって、何人かミュージシャンがでてきた。スティーヴ・クロッパーがファンに囲まれ、サインをしていた。なんとカタカナで自分の名前を書いていた。名刺を渡しながら、「いつもソウルをサーチンしてるんです。今日は、ソウルを見つけましたよ」と言ったら、「まあ、そこそこかな」と手を広げた。その冷めたところが妙によかった。(笑)
(フィリップ・ウー・インタヴュー、ビリー・プレストン・トリビュートについては明日以降にご紹介します)
■過去関連記事
2003/01/22 (Wed)
Blues Brothers @ Bluenote
ブルース・ブラザースの前回の来日時のライヴ評
http://www.soulsearchin.com//entertainment/movie/review/diary20030122.html
November 18, 2006
Sam Moore With Surprising Finale: Sam, You Are So Beautiful
サム・ムーア来日時のライヴ評 清志郎さん飛び入り。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200611/2006_11_18.html
November 15, 2006
We Want More Moore, Not Some Moore
サム・ムーア・ライヴ評
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_15.html
■メンバー: Members
Tommy "Pipes" McDonnell (Vocal, Harp)
Rob "The Honeydripper" Paparozzi (Vocal, Harp)
Larry "Dog Bone" Farrell (Trombone)
Lou "Blue Lou" Marini (Sax)
Steve "Catfish" Howerd (Trumpet)
Anthony "Rusty" Cloud (Keyboards)
"Smokin" John Tropea (Guitar)
Steve "The Colonel" Cropper (Guitar)
Eric "The Red" Udel (Bass)
Lee "Funkytime" Finkelstein (Drums)
■Setlist : Blues Brothers Band @ Blue Note, April 2, 2007
セットリスト ブルース・ブラザース・バンド ブルーノート東京、2007年4月2日セカンドセット
show started 21:33
01. Green Onions
02. Peter Gunn -- A Riff Of "Soul Finger"
03. Gimme Some Lovin’
04. She Caught The Katy
05. Looking For A Fox
06. Messin’ With The Kid
07. Shake A Tail Feather
08. A Riff Of "Sukiyaki" -- Flip, Flop, Fly
09. Shot Gun Blues
10. Minnie The Moocher
11. Sweet Home Chicago
12. Soul Man -- I Can’t Turn Your Loose
Enc1. In The Midnight Hour (Imawano Kiyoshiro)
Enc2. Everybody Needs Somebody To Love
show ended 22:58
(2007年4月2日月曜、東京ブルーノート、ブルース・ブラザース・バンド・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Blues Brothers Band
2007-38
誕生日。
その昔のスタックスのR&Bが大好きな白人二人組、ブルース・ブラザースが結成されたのは、1978年のこと。以来、29年、彼らはソウルをプレイしつづけている。2003年1月以来約4年3ヶ月ぶりの来日。そうか、前回評を読み返して、エディー・フロイドが来ていたことを思い出す。
相変わらず、タイトないいバンド、いいサウンド。昔ながらの顔がステージにずらりと並ぶ。スティーヴ・クロッパーのギター、ちょっとやせた御茶ノ水博士みたいなキーボードのアンソニー・クラウド、山本監督風のスティーヴ・ハワード、サングラス姿がちょっとミスターマリック的風貌のサックス・ルー・マリーニ、ダニー・デヴィート似のギター、ジョン・トロペイ。
ところで、『ソウル・サーチン:ザ・セッション〜アレサ・フランクリン』の「シンク」のパフォーマンスのときに、ダンスを踊ってくれた日本のブルース・ブラザース・バンドもやってきて、「シェイク・ア・テイル・フェザー」が始まると、客席で踊りだした。赤のスーツに帽子サングラスのナニワ・エルウッドと、黒のスーツに帽子サングラスのジェイク・タモン(二人そろうと、ちょー目立つ)。完璧だ。なんと、ステージ上の本物より、ちゃんと踊るではないか。(笑) 彼らはちなみに、火曜、土曜、日曜は二人揃っていくそうだ。他の曜日はどちらか一人になる、という。(いずれもセカンド)
みんなサム&デイヴや、スタックス・サウンドが大好きで、それをコピーして楽しんでいる、というのが伝わってくる。日本のブルース・ブラザースは結局、アンコールでステージにあげられた。次は、やはり「シェイク〜」のところで舞台に上がってもらいたい。
「ソウル・マン」を終え、万雷の拍手の中、彼らがもどってくると、サックスのマリーナがメンバー紹介を始めた。「27年、ずっと、いや、29年か、一緒にやってきている。でも実は、今だに僕は学生なんだけどね。専攻は、ウーマン(女性)。女性について勉強してるんだ。また東京に来れて、うれしい、なにしろ一週間、同じホテルに滞在できるんだからな」 そして、マイクがブルース・ブラザースに渡され、MCが続いた。「ずっと昔からブルース・ブラザースのファンである人物が今日、誕生日なんだ。ハッピーバースデイと言いたい。キヨシロー!!」
お〜〜っと、また、来たか。 忌野清志郎! サム・ムーア以来だ。しっかり来てる、すばらしい。ステージに上がると、ノーメークながら、髪がふさふさになっている。前回、このブルーノートで見たときには、スキンヘッドだった。スタッフから大きな誕生日ケーキがプレゼントされ、ろうそくを吹き消す。拍手。そしてMCが言った。「彼は医者には歌ってはいけないと言われているそうだが、ここの扉をひとたび開けてしまえば関係ない。一曲歌ってくれるよ。『イン・ザ・ミッドナイト・アワー』だ!」 お〜〜〜っ。そして、バンドが演奏を始めた。客席も、みな立ち上がった。僕も。
イントロから歌に入ると、しっかり声がでているではないか。前回の「アイ・サンキュー」の時より、もっとでているような気がした。体調いいのかな。彼もまた、サム&デイヴやスタックスのレコードが大好きで、ブルース・ブラザースやスティーヴ・クロッパーなどのミュージシャンと親しくなった。清志郎節の「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」は熱かった。途中、ワンフレーズくらいを日本語にして。いやあ、いいなあ。歌自体は、本家のブラザース二人より、ソウルなんじゃないか? (笑) 彼はソウルの曲ばっかり歌うライヴとかしないのかなあ。彼の体調が万全に戻ったら、一度見てみたい。
「いやあ、本当に、こんなすばらしい誕生日をありがとう、イエー」 清志郎は歌い終えて一言叫んだ。彼は1951年4月2日生まれだったんですね。56歳、おめでとうございます。
実は、この日はシャイ・ライツか、ブルース・ブラザースか迷っていたのだが、盟友ハセヤンがブルース・ブラザースに行こうぜ、と強引に誘ってくれたので、こっちに来た。大感謝。大正解。もちろん、シャイ・ライツも明日以降に行きますけどね。(笑)
ライヴが終わって、何人かミュージシャンがでてきた。スティーヴ・クロッパーがファンに囲まれ、サインをしていた。なんとカタカナで自分の名前を書いていた。名刺を渡しながら、「いつもソウルをサーチンしてるんです。今日は、ソウルを見つけましたよ」と言ったら、「まあ、そこそこかな」と手を広げた。その冷めたところが妙によかった。(笑)
(フィリップ・ウー・インタヴュー、ビリー・プレストン・トリビュートについては明日以降にご紹介します)
■過去関連記事
2003/01/22 (Wed)
Blues Brothers @ Bluenote
ブルース・ブラザースの前回の来日時のライヴ評
http://www.soulsearchin.com//entertainment/movie/review/diary20030122.html
November 18, 2006
Sam Moore With Surprising Finale: Sam, You Are So Beautiful
サム・ムーア来日時のライヴ評 清志郎さん飛び入り。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200611/2006_11_18.html
November 15, 2006
We Want More Moore, Not Some Moore
サム・ムーア・ライヴ評
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_15.html
■メンバー: Members
Tommy "Pipes" McDonnell (Vocal, Harp)
Rob "The Honeydripper" Paparozzi (Vocal, Harp)
Larry "Dog Bone" Farrell (Trombone)
Lou "Blue Lou" Marini (Sax)
Steve "Catfish" Howerd (Trumpet)
Anthony "Rusty" Cloud (Keyboards)
"Smokin" John Tropea (Guitar)
Steve "The Colonel" Cropper (Guitar)
Eric "The Red" Udel (Bass)
Lee "Funkytime" Finkelstein (Drums)
■Setlist : Blues Brothers Band @ Blue Note, April 2, 2007
セットリスト ブルース・ブラザース・バンド ブルーノート東京、2007年4月2日セカンドセット
show started 21:33
01. Green Onions
02. Peter Gunn -- A Riff Of "Soul Finger"
03. Gimme Some Lovin’
04. She Caught The Katy
05. Looking For A Fox
06. Messin’ With The Kid
07. Shake A Tail Feather
08. A Riff Of "Sukiyaki" -- Flip, Flop, Fly
09. Shot Gun Blues
10. Minnie The Moocher
11. Sweet Home Chicago
12. Soul Man -- I Can’t Turn Your Loose
Enc1. In The Midnight Hour (Imawano Kiyoshiro)
Enc2. Everybody Needs Somebody To Love
show ended 22:58
(2007年4月2日月曜、東京ブルーノート、ブルース・ブラザース・バンド・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Blues Brothers Band
2007-38
【フィリップ・ウー、ビリー・プレストン・トリビュートを企画】
アイドル。
キーボード・ウィザード、フィリップ・ウーが自らのあこがれのキーボード奏者ビリー・プレストン(William Everett Preston =September 2, 1946 ー June 6, 2006) へのトリビュート・ライヴを2007年4月19日木曜日、目黒ブルースアレーで行う。
ビリー・プレストンは、1946年テキサス生まれ。10歳の頃からキーボードの天才振りを発揮し、ジェームス・クリーヴランド、マヘリア・ジャクソンなどのゴスペル・アーティストのライヴでピアノやオルガンを弾き、周囲を驚かせていた。1962年、リトル・リチャードのバックバンドの一員としてイギリスでライヴを行ったときに、当時はまだ無名だったビートルズと知り合い、その後ビートルズのレコーディング・セッションなどに参加。特に1969年の『ゲット・バック・セッション』への参加、さらに、ビートルズが公衆の面前で行った最後のライヴとなるいわゆる「ルーフトップ・ライヴ(屋上ライヴ)」でのキーボードプレイで注目された。ビートルズのシングルで唯一「ビートルズ・ウィズ・ビリー・プレストン」と名前がクレジットされている人物。
その後、自身名義で作品をだし、「ナッシング・フロム・ナッシング」「ウィル・イット・ゴー・ラウンド・イン・サークルス」など多数のヒットを放った。後年はエリック・クラプトンのバックなどもてがけている。2006年6月6日、長く患っていた肝臓の病気で他界した。59歳だった。
(ビリー死亡記事↓)
June 08, 2006
Billy Preston Dies At 59: Piano Man On Rooftop
【ビリー・プレストン死去〜屋根の上のピアノ弾き】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200606/2006_06_08.html
フィリップがビリー・プレストンへの思いを熱く語る。
「彼と一緒にプレイしたことはないが、彼のピアノ、オルガンのプレイには相当影響を受けている。それに、彼が曲の中で臆面もなく『神』について語るところも好きなんだ。それはけっこう勇気がいることなんだよ」
「僕が中学校時代にビリーのオルガンを、アレサ・フランクリンのアルバム『ライヴ・アット・ザ・フィルモア』(1971年)で聴いた。ちょうどその頃、友達と車に乗りだすようになって、車の中で、8トラックのテープでこのアルバムをかけていた。何度も、何度もね。そして、(ビリーがプレイしているオルガンの)ハモンドB3を、いつの日か自分も弾きたいと思った。僕にとって最初のハモンドは16歳の時に買った。それまで一度もゴスペルはプレイしたことはなかったが、アレサのそのアルバムとビリーのオルガン・プレイでまさにゴスペルに目覚めさせられたようなものだ。ビリーの音は、まさに教会から飛び出てきたサウンドだった」
「『アイ・ロート・ア・シンプル・ソング』(1971年)のアルバムが、僕が初めて買ったビリーのアルバムだ。これは高校時代、僕にひじょうに大きな影響を与えた。ビリーのビートルズへの影響が大きく感じられた。僕はビートルズの大ファンでもあり、彼らの作品は今でも全部CDでそろえている」
「僕のビリー作品でのお気に入りは、『ユー・アー・ソー・ビューティフル』、『ザッツ・ザ・ウェイ・ゴッド・プランド・イット』、『ウィズ・ユー・アイム・ボーン・アゲイン』、『ゴッド・イズ・グレイト』、『スペース・レース』、『ジョン・ヘンリー』、『ザ・バス』。『ウイル・イット・ゴ・ラウンド・イン・サークルス』などだ。もちろん、ライヴでは、ビートルズの作品もやろうと思っている。『アメージング・グレイス』もね」
+++++
フィリップが中心となって行われる『ビリー・プレストン・トリビュート』は、4月19日(木)に目黒ブルースアレー。
Philip Woo presents “A Tribute to Billy Preston”
(Pf/HAMMOND B-3/Key)Philip Woo (Key/Vo)Kaleb James
(G)“Hank”Nishiyama (B)Cliff Archer (Ds)Jay Stixx (Sax)春名正治
(Tp)佐々木史郎 (Tb)佐野聡
★Guest (Vo)Robbie Danzie
前売券 テーブル席(指定)4,000 当日券は500UP (各税込)
http://www.bluesalley.co.jp/index.html
◆ 予約専用 TEL : 03−5740−6041
【電話予約受付時間】 月〜土/12:00〜20:00
上記時間外はインターネット予約 (24時間受付)
※ 公演当日のお問合せ : 03−5496−4381 (店頭)
会場 目黒・ブルースアレー http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
行き方 JR山手線・目黒駅西口を降りて、恵比寿方向へ進み目黒通り(一方通行)を左折、100メートル弱・坂を降りた右側。地下一階。駅から徒歩3分。 1階がホテル・ウィング・インターナショナル。
(この項明日へ続く)
ENT>LIVE>ANNOUNCEMENT>Philip Woo, Billy Preston Tribute
ENT>ARTIST>Woo, Philip
アイドル。
キーボード・ウィザード、フィリップ・ウーが自らのあこがれのキーボード奏者ビリー・プレストン(William Everett Preston =September 2, 1946 ー June 6, 2006) へのトリビュート・ライヴを2007年4月19日木曜日、目黒ブルースアレーで行う。
ビリー・プレストンは、1946年テキサス生まれ。10歳の頃からキーボードの天才振りを発揮し、ジェームス・クリーヴランド、マヘリア・ジャクソンなどのゴスペル・アーティストのライヴでピアノやオルガンを弾き、周囲を驚かせていた。1962年、リトル・リチャードのバックバンドの一員としてイギリスでライヴを行ったときに、当時はまだ無名だったビートルズと知り合い、その後ビートルズのレコーディング・セッションなどに参加。特に1969年の『ゲット・バック・セッション』への参加、さらに、ビートルズが公衆の面前で行った最後のライヴとなるいわゆる「ルーフトップ・ライヴ(屋上ライヴ)」でのキーボードプレイで注目された。ビートルズのシングルで唯一「ビートルズ・ウィズ・ビリー・プレストン」と名前がクレジットされている人物。
その後、自身名義で作品をだし、「ナッシング・フロム・ナッシング」「ウィル・イット・ゴー・ラウンド・イン・サークルス」など多数のヒットを放った。後年はエリック・クラプトンのバックなどもてがけている。2006年6月6日、長く患っていた肝臓の病気で他界した。59歳だった。
(ビリー死亡記事↓)
June 08, 2006
Billy Preston Dies At 59: Piano Man On Rooftop
【ビリー・プレストン死去〜屋根の上のピアノ弾き】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200606/2006_06_08.html
フィリップがビリー・プレストンへの思いを熱く語る。
「彼と一緒にプレイしたことはないが、彼のピアノ、オルガンのプレイには相当影響を受けている。それに、彼が曲の中で臆面もなく『神』について語るところも好きなんだ。それはけっこう勇気がいることなんだよ」
「僕が中学校時代にビリーのオルガンを、アレサ・フランクリンのアルバム『ライヴ・アット・ザ・フィルモア』(1971年)で聴いた。ちょうどその頃、友達と車に乗りだすようになって、車の中で、8トラックのテープでこのアルバムをかけていた。何度も、何度もね。そして、(ビリーがプレイしているオルガンの)ハモンドB3を、いつの日か自分も弾きたいと思った。僕にとって最初のハモンドは16歳の時に買った。それまで一度もゴスペルはプレイしたことはなかったが、アレサのそのアルバムとビリーのオルガン・プレイでまさにゴスペルに目覚めさせられたようなものだ。ビリーの音は、まさに教会から飛び出てきたサウンドだった」
「『アイ・ロート・ア・シンプル・ソング』(1971年)のアルバムが、僕が初めて買ったビリーのアルバムだ。これは高校時代、僕にひじょうに大きな影響を与えた。ビリーのビートルズへの影響が大きく感じられた。僕はビートルズの大ファンでもあり、彼らの作品は今でも全部CDでそろえている」
「僕のビリー作品でのお気に入りは、『ユー・アー・ソー・ビューティフル』、『ザッツ・ザ・ウェイ・ゴッド・プランド・イット』、『ウィズ・ユー・アイム・ボーン・アゲイン』、『ゴッド・イズ・グレイト』、『スペース・レース』、『ジョン・ヘンリー』、『ザ・バス』。『ウイル・イット・ゴ・ラウンド・イン・サークルス』などだ。もちろん、ライヴでは、ビートルズの作品もやろうと思っている。『アメージング・グレイス』もね」
+++++
フィリップが中心となって行われる『ビリー・プレストン・トリビュート』は、4月19日(木)に目黒ブルースアレー。
Philip Woo presents “A Tribute to Billy Preston”
(Pf/HAMMOND B-3/Key)Philip Woo (Key/Vo)Kaleb James
(G)“Hank”Nishiyama (B)Cliff Archer (Ds)Jay Stixx (Sax)春名正治
(Tp)佐々木史郎 (Tb)佐野聡
★Guest (Vo)Robbie Danzie
前売券 テーブル席(指定)4,000 当日券は500UP (各税込)
http://www.bluesalley.co.jp/index.html
◆ 予約専用 TEL : 03−5740−6041
【電話予約受付時間】 月〜土/12:00〜20:00
上記時間外はインターネット予約 (24時間受付)
※ 公演当日のお問合せ : 03−5496−4381 (店頭)
会場 目黒・ブルースアレー http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
行き方 JR山手線・目黒駅西口を降りて、恵比寿方向へ進み目黒通り(一方通行)を左折、100メートル弱・坂を降りた右側。地下一階。駅から徒歩3分。 1階がホテル・ウィング・インターナショナル。
(この項明日へ続く)
ENT>LIVE>ANNOUNCEMENT>Philip Woo, Billy Preston Tribute
ENT>ARTIST>Woo, Philip
【フィリップ・ウー、ビリー・プレストン・トリビュートを企画】
トリビュート。
フィリップ・ウーは、これまでに自分のライヴでも何曲かビリーの曲を演奏している。しかし、今回は全曲ビリー・プレストンおよび、その関連作品ばかりだ。
フィリップはこう振り返る。
「僕のビリー・プレストンの思い出というと、彼は人生を最高に最大級に生きた人物だということかなあ。彼は僕に、キーボード奏者がおもしろくて、マジカル(魔法のような)なものだということを教えてくれた。彼のオンステージでのイメージは、とてもエキサイティングで、彼の衣装もいつもかっこよかった」
フィリップ自身、ブルースアレーに置かれているオルガンのハモンドB3gが大のお気に入り。自分でもこれが欲しいと言ってはばからない。
「彼は、あらゆるキーボードのプレイにおいて、自身のスタイルと、優雅さをかもし出していた。彼のファンキーなクラヴィネットの演奏、ワウワウの入ったそうした演奏方法は、スティーヴィーもやっているが、ものすごく重要だった。ビリーのオルガンも、すばらしいソウルと味わいがあった。彼のピアノ・プレイこそ、自分が真似てみたいと思ったものだ。彼のシンセサイザーは、「ARPスクール」仕込みだ。(訳注、ARP社のシンセを使っていた、ということ。シンセは当時は、ARP社製か、ムーグ社製のものが多く、どちらかが使われていた。ここでは、ムーグ・スクールに対して、という意味で使われた) そのプレイはクインシーのアルバム『ボディー・ヒート』でも実にかっこよく聴かれる」
僕の個人的な思い出は、1973年ごろにさかのぼる。当時六本木のソウル・ディスコ「エンバシー」でDJを始めたころ、そこにひとりのアフロヘアの従業員兼DJがいた。たしか、コー坊といっていたと思う。(その後、中野坂上のジーンズショップで働くようになったはずだ) その彼がDJをやると、決まってビリーの「ナッシング・フロム・ナッシン」をかけるのだ。それが実にいつもいいところでプレイするので、しかも何度もかけるから、耳たこ状態になった。それだけでなく、僕がレコードを回している時にも、「ビリーの『ナッシン・フロム・ナッシン』かけてよ」とリクエストしてくるのだ。後年彼と会った時も、彼の顔・イコール・ビリーの『ナッシン・フロム・ナッシン』になっていた。彼のテーマ曲のようなものだ。(笑)
ビリーの生の姿はずっと後になってから、確か、エリック・クラプトンのライヴで来日した時に見たような気がする。武道館あたりで、メンバー紹介されて、それまではビリーが来ているというのは知らなかった。ただ、やたらファンキーなオルガンを弾く人だなと思っていたのだが、ビリーと紹介され、えらく納得した。
今、ビリー・プレストンの『アルティメート・コレクション』という20曲入りのベスト盤を聴いている。この15曲目に「ユー・アー・ソー・ビューティフル」が入っている。
昨年(2006年)11月、サム・ムーアが来て青山ブルーノートでライヴをやった時、親友ビリーへのトリビュートもこめて、この曲をアンコール最後にもってきていた。サムは最後、時に涙しながら歌っていて感動的だった。
フィリップ・ウーの4月19日(木曜)に目黒ブルースアレーで行われるビリー・プレストン・トリビュートヴォーカルには、ロビー・ダンジー、ケイリブ・ジェームスもいるので、ヴォーカル陣も充実し、かなりいいライヴになることは間違いない。楽しみだ。
ベスト・オブ・ビリー・プレストン
~ ビリー・プレストン http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000BHJPI/soulsearchiho-22/ref=nosim/
メンバー
Kaleb James(vo,key),Robbie Danzie,Jay Stixx,Hank Nishiyama,Cliff Archer, and Shiro Sasaki(tpt),Satoshi Sano(t-bone) and Shoji Haruna(sax & perc.)
■フィリップ・ウー・ウェッブ (スケジュールなど)
http://www.k5.dion.ne.jp/~p.woo/
フィリッブ・ウー・ブログ
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo
■過去関連記事
February 16, 2007
Philip Woo & Friends @ Cha Cha House
(ここにフィリップに付いて書かれた膨大な記事の一覧があります)
http://blog.soulsearchin.com/archives/001592.html
フィリップ・ウー・ストーリー(2回)
フィリップ・ウーのこれまでのキャリアについての簡単な紹介
October 08, 2006
Philip Woo Will Be At Cotton Club With Roy Ayers: Reunion First In 28 Years : Philip Reveals His First Encounter With Roy (Part 1)
フィリップがロイとの出会いを語る
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_10_08.html
October 09, 2006
Philip Reveals His First Encounter With Roy (Part 2)
フィリップ・ウー・ヒストリー
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_10_09.html
ENT>LIVE>ANNOUNCEMENT>Philip Woo, Billy Preston Tribute
ENT>ARTIST>Woo, Philip
トリビュート。
フィリップ・ウーは、これまでに自分のライヴでも何曲かビリーの曲を演奏している。しかし、今回は全曲ビリー・プレストンおよび、その関連作品ばかりだ。
フィリップはこう振り返る。
「僕のビリー・プレストンの思い出というと、彼は人生を最高に最大級に生きた人物だということかなあ。彼は僕に、キーボード奏者がおもしろくて、マジカル(魔法のような)なものだということを教えてくれた。彼のオンステージでのイメージは、とてもエキサイティングで、彼の衣装もいつもかっこよかった」
フィリップ自身、ブルースアレーに置かれているオルガンのハモンドB3gが大のお気に入り。自分でもこれが欲しいと言ってはばからない。
「彼は、あらゆるキーボードのプレイにおいて、自身のスタイルと、優雅さをかもし出していた。彼のファンキーなクラヴィネットの演奏、ワウワウの入ったそうした演奏方法は、スティーヴィーもやっているが、ものすごく重要だった。ビリーのオルガンも、すばらしいソウルと味わいがあった。彼のピアノ・プレイこそ、自分が真似てみたいと思ったものだ。彼のシンセサイザーは、「ARPスクール」仕込みだ。(訳注、ARP社のシンセを使っていた、ということ。シンセは当時は、ARP社製か、ムーグ社製のものが多く、どちらかが使われていた。ここでは、ムーグ・スクールに対して、という意味で使われた) そのプレイはクインシーのアルバム『ボディー・ヒート』でも実にかっこよく聴かれる」
僕の個人的な思い出は、1973年ごろにさかのぼる。当時六本木のソウル・ディスコ「エンバシー」でDJを始めたころ、そこにひとりのアフロヘアの従業員兼DJがいた。たしか、コー坊といっていたと思う。(その後、中野坂上のジーンズショップで働くようになったはずだ) その彼がDJをやると、決まってビリーの「ナッシング・フロム・ナッシン」をかけるのだ。それが実にいつもいいところでプレイするので、しかも何度もかけるから、耳たこ状態になった。それだけでなく、僕がレコードを回している時にも、「ビリーの『ナッシン・フロム・ナッシン』かけてよ」とリクエストしてくるのだ。後年彼と会った時も、彼の顔・イコール・ビリーの『ナッシン・フロム・ナッシン』になっていた。彼のテーマ曲のようなものだ。(笑)
ビリーの生の姿はずっと後になってから、確か、エリック・クラプトンのライヴで来日した時に見たような気がする。武道館あたりで、メンバー紹介されて、それまではビリーが来ているというのは知らなかった。ただ、やたらファンキーなオルガンを弾く人だなと思っていたのだが、ビリーと紹介され、えらく納得した。
今、ビリー・プレストンの『アルティメート・コレクション』という20曲入りのベスト盤を聴いている。この15曲目に「ユー・アー・ソー・ビューティフル」が入っている。
昨年(2006年)11月、サム・ムーアが来て青山ブルーノートでライヴをやった時、親友ビリーへのトリビュートもこめて、この曲をアンコール最後にもってきていた。サムは最後、時に涙しながら歌っていて感動的だった。
フィリップ・ウーの4月19日(木曜)に目黒ブルースアレーで行われるビリー・プレストン・トリビュートヴォーカルには、ロビー・ダンジー、ケイリブ・ジェームスもいるので、ヴォーカル陣も充実し、かなりいいライヴになることは間違いない。楽しみだ。
ベスト・オブ・ビリー・プレストン
~ ビリー・プレストン http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000BHJPI/soulsearchiho-22/ref=nosim/
メンバー
Kaleb James(vo,key),Robbie Danzie,Jay Stixx,Hank Nishiyama,Cliff Archer, and Shiro Sasaki(tpt),Satoshi Sano(t-bone) and Shoji Haruna(sax & perc.)
■フィリップ・ウー・ウェッブ (スケジュールなど)
http://www.k5.dion.ne.jp/~p.woo/
フィリッブ・ウー・ブログ
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo
■過去関連記事
February 16, 2007
Philip Woo & Friends @ Cha Cha House
(ここにフィリップに付いて書かれた膨大な記事の一覧があります)
http://blog.soulsearchin.com/archives/001592.html
フィリップ・ウー・ストーリー(2回)
フィリップ・ウーのこれまでのキャリアについての簡単な紹介
October 08, 2006
Philip Woo Will Be At Cotton Club With Roy Ayers: Reunion First In 28 Years : Philip Reveals His First Encounter With Roy (Part 1)
フィリップがロイとの出会いを語る
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_10_08.html
October 09, 2006
Philip Reveals His First Encounter With Roy (Part 2)
フィリップ・ウー・ヒストリー
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_10_09.html
ENT>LIVE>ANNOUNCEMENT>Philip Woo, Billy Preston Tribute
ENT>ARTIST>Woo, Philip
Chi-Lites Live At Cotton Club
2007年4月6日【シャイ・ライツ・ライヴ、コットンクラブ】
伝統。
シカゴの灯ことシャイ・ライツ。シカゴ・ソウルの代表的ヴォーカル・グループの86年9月、渋谷ライヴイン以来、約20年以上ぶりの来日。(その前に新宿ルイードに来日しているようだ)
20年の間にメンバーは激しく変遷、さらにシャイ・ライツの中心人物、ソングライターでありリード・シンガーだったユージーン・レコードは、2005年7月に亡くなっている。それ以前からガンを患っていたために、グループ活動は行っていなかった。ユージーンの現在の後釜的存在が、今回初来日となるフランク・リードという新人だ。今回の来日で唯一オリジナルは、ステージ向かって左に位置していたロバート・レスター。「大きな拍手を、みなさん、47年間やっています。オリジナル・シャイ・ライツ、ロバート・レスター!!」と別のメンバー、アンソニーが紹介する。
黒いスーツに粋な帽子を被り、まさにシカゴのギャングスター、しかもちょっとチンピラ風。アルカポネの時代にいそうな雰囲気だ。本当だったら、もっと曲によって振り付けが決まっているのだろうが、この灯は、いや、この日はあまり踊ってくれなかった。
フランクにユージーンの代わりを求めるのは相当酷な話だ。全体的には、シャイ・ライツのヒット曲ばかりをやるカヴァーのヴォーカル・グループがやっています、でもオリジナル・メンバーもひとりいます、的なのりで見ているとちょうどいい感じ。
「オー・ガール」のイントロでは、キーボードではなくて、ちゃんとハーモニカ吹いて欲しいなあ。下手でもいいから。(笑) 女性シンガー、タラ・トンプソンは、1曲アリシア・キーズを歌ったが、基本的にはバックヴォーカルの位置付けか。
とは言っても、シャイ・ライツは、ユージーンのソングライターとしての優れた部分もあって、いい楽曲が揃っていることは間違いない。下記セットリストを見ても、ほとんどヒット曲ばかり。また、間髪をいれずメドレー形式で、次々と曲を歌っていく流れは、往年のR&Bヴォーカル・グループの伝統でいい。
■ベスト・オブ・シャイ・ライツ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00092QVH0/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank
■過去関連記事
July 24, 2005
Eugene Record Of Chi-Lites Dies At 64
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_07_24.html
July 25, 2005
Tribute To Eugene Record Of Chi-Lites
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_07_25.html
■メンバー
ザ・シャイ・ライツ
Anthony Hicks(vo), Tara Thompson(vo), Robert Lester(vo), Frank Reed(vo),
Marvin Weatherspoon(key), Walter Scott(g), Gregory Lee(b), Frank Morrow(ds)
■セットリスト
Setlist : Chi-Lites @ Cotton Club, April 4th, 2007
(transcribed by yoshioka.masaharu)
セットリスト シャイ・ライツ コットンクラブ
show started 21:32
01. Are You My Woman
02. (For God’s Sake) Give More Power To The People
03. A Lonely Man
04. Let Me Be The One My Daddy Was
05. I Want To Pay You Back (For Loving Me)
06. Give It Away
07. Toby
08. Stone Out Of My Mind
09. You Don’t Know My Name (Tara Thompson sings) (Alicia Keys)
10. Homely Girl
11. That’s How Long
12. A Letter To Myself
13. Oh Girl
14. Have You Seen Her
15. Hot On A Thing (Called Love)
show ended 22:41
(2007年4月4日、水曜、丸の内コットンクラブ=シャイ・ライツ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Chi-Lites
2007-40
伝統。
シカゴの灯ことシャイ・ライツ。シカゴ・ソウルの代表的ヴォーカル・グループの86年9月、渋谷ライヴイン以来、約20年以上ぶりの来日。(その前に新宿ルイードに来日しているようだ)
20年の間にメンバーは激しく変遷、さらにシャイ・ライツの中心人物、ソングライターでありリード・シンガーだったユージーン・レコードは、2005年7月に亡くなっている。それ以前からガンを患っていたために、グループ活動は行っていなかった。ユージーンの現在の後釜的存在が、今回初来日となるフランク・リードという新人だ。今回の来日で唯一オリジナルは、ステージ向かって左に位置していたロバート・レスター。「大きな拍手を、みなさん、47年間やっています。オリジナル・シャイ・ライツ、ロバート・レスター!!」と別のメンバー、アンソニーが紹介する。
黒いスーツに粋な帽子を被り、まさにシカゴのギャングスター、しかもちょっとチンピラ風。アルカポネの時代にいそうな雰囲気だ。本当だったら、もっと曲によって振り付けが決まっているのだろうが、この灯は、いや、この日はあまり踊ってくれなかった。
フランクにユージーンの代わりを求めるのは相当酷な話だ。全体的には、シャイ・ライツのヒット曲ばかりをやるカヴァーのヴォーカル・グループがやっています、でもオリジナル・メンバーもひとりいます、的なのりで見ているとちょうどいい感じ。
「オー・ガール」のイントロでは、キーボードではなくて、ちゃんとハーモニカ吹いて欲しいなあ。下手でもいいから。(笑) 女性シンガー、タラ・トンプソンは、1曲アリシア・キーズを歌ったが、基本的にはバックヴォーカルの位置付けか。
とは言っても、シャイ・ライツは、ユージーンのソングライターとしての優れた部分もあって、いい楽曲が揃っていることは間違いない。下記セットリストを見ても、ほとんどヒット曲ばかり。また、間髪をいれずメドレー形式で、次々と曲を歌っていく流れは、往年のR&Bヴォーカル・グループの伝統でいい。
■ベスト・オブ・シャイ・ライツ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00092QVH0/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank
■過去関連記事
July 24, 2005
Eugene Record Of Chi-Lites Dies At 64
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_07_24.html
July 25, 2005
Tribute To Eugene Record Of Chi-Lites
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_07_25.html
■メンバー
ザ・シャイ・ライツ
Anthony Hicks(vo), Tara Thompson(vo), Robert Lester(vo), Frank Reed(vo),
Marvin Weatherspoon(key), Walter Scott(g), Gregory Lee(b), Frank Morrow(ds)
■セットリスト
Setlist : Chi-Lites @ Cotton Club, April 4th, 2007
(transcribed by yoshioka.masaharu)
セットリスト シャイ・ライツ コットンクラブ
show started 21:32
01. Are You My Woman
02. (For God’s Sake) Give More Power To The People
03. A Lonely Man
04. Let Me Be The One My Daddy Was
05. I Want To Pay You Back (For Loving Me)
06. Give It Away
07. Toby
08. Stone Out Of My Mind
09. You Don’t Know My Name (Tara Thompson sings) (Alicia Keys)
10. Homely Girl
11. That’s How Long
12. A Letter To Myself
13. Oh Girl
14. Have You Seen Her
15. Hot On A Thing (Called Love)
show ended 22:41
(2007年4月4日、水曜、丸の内コットンクラブ=シャイ・ライツ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Chi-Lites
2007-40
Joy Denalane Showcase Live:
2007年4月7日【ジョイ・デナラーニ・ショーケース・ライヴ】
人気。
ジャーマン・ソウルの新星というキャッチフレーズで売り出し中の女性シンガー、ジョイ・デナラーニのショーケース・ライヴが4月3日、渋谷デュオであった。
実物の本人は、写真よりもはるかにきれいで可愛く、驚いた。ドイツと南アフリカのハーフだとのこと。音的にはメアリー・J、ジル・スコット、ちょっとアリシア・キーズ風、最近のニュー・R&B系のサウンドと歌で聴きやすい。ドラムス、ギター、ベース、キーボードにコーラス2人という編成にジョイがリード。
なかなかパンチのある声をしている。本編最後の曲が終わったあたりで、観客から「アフター・パーティーはどこ?」みたいな声がかかった。すると、「ノーノー、私は人妻なので、パーティーはしないの(笑)」との返答。いやあ、結婚してるとは思わなかった。またまた驚いた。(その後ライナーを読んだら、ミュージシャンと結婚していることが書かれていた)
個人的に一番印象に残った曲は、セットリストには入っていなかったアンコール曲。これは「ソエト」という曲で、彼女のルーツが南アフリカにあることと関連している。ソエトは南アフリカにおいて人種隔離政策がとられていた頃、黒人居住地区となっていた場所。今でも多くの黒人が住む。人種隔離政策の、また、黒人解放運動の象徴的な街でもある。この曲がベースパターン、リズムが実にファンキーで印象に残った。ライヴ終了後、バックコーラスの女性シンガーと話をして、曲名を聴いた。
もともとはファースト・アルバム『ママーニ』に収録されていた「Im Ghetto von Soweto (Auntie’s House) feat. Hugh Masekela (Album Version)」が原曲。日本でもリリースされて今話題の最新作『ボーン・アンド・レイズド』(日本で2枚目)にも、そのリミックス・ヴァージョンが収録されていた。CDでは南アフリカ出身のトランペター、ヒュー・マサケラも参加している。訳詞を読むと、ソエトでの悲惨な状況が描かれていた。
(Mr.歌姫さん、情報提供ありがとうございます)
■ジョイ・デナラーニ☆FM各局で大人気
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000LP4PWI/soulsearchiho-22/ref=nosim/"; name="amazletlink" target="_blank
Setlist : Joy Denalane @ Shibuya Duo, April 3rd, 2007
セットリスト ジョイ・デナラーニ 渋谷デュオ
show started 20.12
01. Intro
02. Change
03. Born & Raised
04. 7 Years Itch
05. Despite It All
06. Let Go
07. One In A Million
08. Heaven Or Hell
09. Start Over -- A Riff Of "Freddie’s Dead"
Enc. Soweto
show ended 21.07
(2007年4月3日火曜、渋谷デュオ=ジョイ・デナラーニ )
ENT>MUSIC>LIVE>Denalane, Joy
2007-39
人気。
ジャーマン・ソウルの新星というキャッチフレーズで売り出し中の女性シンガー、ジョイ・デナラーニのショーケース・ライヴが4月3日、渋谷デュオであった。
実物の本人は、写真よりもはるかにきれいで可愛く、驚いた。ドイツと南アフリカのハーフだとのこと。音的にはメアリー・J、ジル・スコット、ちょっとアリシア・キーズ風、最近のニュー・R&B系のサウンドと歌で聴きやすい。ドラムス、ギター、ベース、キーボードにコーラス2人という編成にジョイがリード。
なかなかパンチのある声をしている。本編最後の曲が終わったあたりで、観客から「アフター・パーティーはどこ?」みたいな声がかかった。すると、「ノーノー、私は人妻なので、パーティーはしないの(笑)」との返答。いやあ、結婚してるとは思わなかった。またまた驚いた。(その後ライナーを読んだら、ミュージシャンと結婚していることが書かれていた)
個人的に一番印象に残った曲は、セットリストには入っていなかったアンコール曲。これは「ソエト」という曲で、彼女のルーツが南アフリカにあることと関連している。ソエトは南アフリカにおいて人種隔離政策がとられていた頃、黒人居住地区となっていた場所。今でも多くの黒人が住む。人種隔離政策の、また、黒人解放運動の象徴的な街でもある。この曲がベースパターン、リズムが実にファンキーで印象に残った。ライヴ終了後、バックコーラスの女性シンガーと話をして、曲名を聴いた。
もともとはファースト・アルバム『ママーニ』に収録されていた「Im Ghetto von Soweto (Auntie’s House) feat. Hugh Masekela (Album Version)」が原曲。日本でもリリースされて今話題の最新作『ボーン・アンド・レイズド』(日本で2枚目)にも、そのリミックス・ヴァージョンが収録されていた。CDでは南アフリカ出身のトランペター、ヒュー・マサケラも参加している。訳詞を読むと、ソエトでの悲惨な状況が描かれていた。
(Mr.歌姫さん、情報提供ありがとうございます)
■ジョイ・デナラーニ☆FM各局で大人気
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000LP4PWI/soulsearchiho-22/ref=nosim/"; name="amazletlink" target="_blank
Setlist : Joy Denalane @ Shibuya Duo, April 3rd, 2007
セットリスト ジョイ・デナラーニ 渋谷デュオ
show started 20.12
01. Intro
02. Change
03. Born & Raised
04. 7 Years Itch
05. Despite It All
06. Let Go
07. One In A Million
08. Heaven Or Hell
09. Start Over -- A Riff Of "Freddie’s Dead"
Enc. Soweto
show ended 21.07
(2007年4月3日火曜、渋谷デュオ=ジョイ・デナラーニ )
ENT>MUSIC>LIVE>Denalane, Joy
2007-39
Earth Wind And Fire: A Tribute Album
2007年4月8日【アース・トリビュート・アルバム】
トリビュート。
今日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM=76.1午後3時〜5時)内の「山野ミュージック・ジャム」(午後4時半から)では、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのトリビュート・アルバムをご紹介する。
これは、アメリカで往年のR&Bレーベル、スタックス・レコードが再開するのにともない、その記念作品としてリリースされる一枚。正式なタイトルは、「Interpretations: Celebrating The Music Of Earth Wind & Fire」という長いもの。
ここには、新生スタックスと契約したアンジー・ストーン、ベイエリアで人気のレデシー、あるいは、シャカ・カーン、ミント・コンディション、カーク・フランクリン、レイラ・ハザウェイなど10組のアーティストがアースの楽曲を10曲歌っている。
中でもカーク・フランクリンの「セプテンバー」は、アースの「セプテンバー」の一部をサンプリングしていて、キャッチーなことこの上ない。
10曲はいずれもアースの大ヒット、有名曲ばかりで、アース・ファンにとってはかなり楽しめるような作品になった。
実は、このアルバムのライナーノーツを書いたのだが、モーリス・ホワイト自身もこのアルバムにコメントを寄せており、モーリス自身の言葉も紹介した。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000MQ4ZIA/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
ENT>MUSIC>ALBUM>A Tribute To Earth Wind & Fire
トリビュート。
今日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM=76.1午後3時〜5時)内の「山野ミュージック・ジャム」(午後4時半から)では、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのトリビュート・アルバムをご紹介する。
これは、アメリカで往年のR&Bレーベル、スタックス・レコードが再開するのにともない、その記念作品としてリリースされる一枚。正式なタイトルは、「Interpretations: Celebrating The Music Of Earth Wind & Fire」という長いもの。
ここには、新生スタックスと契約したアンジー・ストーン、ベイエリアで人気のレデシー、あるいは、シャカ・カーン、ミント・コンディション、カーク・フランクリン、レイラ・ハザウェイなど10組のアーティストがアースの楽曲を10曲歌っている。
中でもカーク・フランクリンの「セプテンバー」は、アースの「セプテンバー」の一部をサンプリングしていて、キャッチーなことこの上ない。
10曲はいずれもアースの大ヒット、有名曲ばかりで、アース・ファンにとってはかなり楽しめるような作品になった。
実は、このアルバムのライナーノーツを書いたのだが、モーリス・ホワイト自身もこのアルバムにコメントを寄せており、モーリス自身の言葉も紹介した。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000MQ4ZIA/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
ENT>MUSIC>ALBUM>A Tribute To Earth Wind & Fire
Joss Stone: 3rd Album And Live
2007年4月9日【ジョス・ストーン新作3作目と待望の来日公演】
期待。
ジョス・ストーンのことを初めて聞いたのは、ピータ・バラカンさんからだった。2003年9月のこと。その後、日本盤が翌年になって出て、日本でも大きな話題に。なにしろ、その年齢に似合わないソウルフルな歌声が衝撃的だった。そして、2枚目がでて、ショーケースでライヴが行われ、つい先月3作目の新作が出た。この「ソウル・サーチン・ダイアリー」でもずいぶんといろいろ書いた。(下記参照)
この3作目、プロデュースにトニ・トニ・トニのラファエル・サディークがあたっていて、なかなかの出来栄えになっている。なんと言っても、3作目にもかかわらず、アルバムタイトルに『イントロデューシング(ご紹介)』とつけているあたりが、本人の力の入りようがわかるというもの。近作は、レコード会社や周囲の意見などに左右されずに、自分自身でかなりのクリエイティヴ・コントロールをもって制作できた作品になったという。プロデューサーの選択なども彼女自身の意見が通った。
ところで、僕は彼女のファーストのほうがセカンドより売れたのかと思っていたが、調べてみたら、なんとファーストは全世界で300万枚のセールス、セカンドは550万枚売れている。ということでセカンドのほうがより多く売れていた。ちなみに、サードはまだ発売一か月弱で全世界で40万枚弱、これからどんどん売れていくのだろう。
さて、そのジョスが2004年11月のショーケース・ライヴに続いて、2度目の来日公演を4月9日に行う。チケットは即完売だったとか。大変な人気だ。前回、不完全燃焼だった彼女、果たしてどのようなステージを見せてくれるのだろうか。
■ジョス・ストーン過去記事
2003/09/22 (Mon)
Soul Synchronicity: R&B Connect With Jaco
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200309/diary20030922.html
2004/01/13 (Tue)
Joss Stone / The Soul Sessions: The Soul Is Here To Stay
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200401/diary20040113.html
2004/09/19 (Sun)
Joss Stone: New Album "Mind, Body & Soul" Just Came Out
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/album/diary20040919.html
2004/11/21 (Sun)
Joss Stone Showcase Live At Club Quatro
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200411/diary20041121.html
■アルバム
最新作(3枚目) 『イントロデューシング』
(2007年3月発売)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000MQ51D8/soulsearchiho-22/ref=nosim/";; name="amazletlink" target="_blank
2枚目『マインド・ボディー・アンド・ソウル』
(2004年9月発売)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002MONAY/soulsearchiho-22/ref=nosim/";; name="amazletlink" target="_blank
衝撃のファーストアルバム『ザ・ソウル・セッション』
(2003年11月発売)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001FX9QQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/";; name="amazletlink" target="_blank
++++
ENT>MUSIC>ALBUM>Stone, Joss
ENT>MUSIC>ARTIST>Stone, Joss
期待。
ジョス・ストーンのことを初めて聞いたのは、ピータ・バラカンさんからだった。2003年9月のこと。その後、日本盤が翌年になって出て、日本でも大きな話題に。なにしろ、その年齢に似合わないソウルフルな歌声が衝撃的だった。そして、2枚目がでて、ショーケースでライヴが行われ、つい先月3作目の新作が出た。この「ソウル・サーチン・ダイアリー」でもずいぶんといろいろ書いた。(下記参照)
この3作目、プロデュースにトニ・トニ・トニのラファエル・サディークがあたっていて、なかなかの出来栄えになっている。なんと言っても、3作目にもかかわらず、アルバムタイトルに『イントロデューシング(ご紹介)』とつけているあたりが、本人の力の入りようがわかるというもの。近作は、レコード会社や周囲の意見などに左右されずに、自分自身でかなりのクリエイティヴ・コントロールをもって制作できた作品になったという。プロデューサーの選択なども彼女自身の意見が通った。
ところで、僕は彼女のファーストのほうがセカンドより売れたのかと思っていたが、調べてみたら、なんとファーストは全世界で300万枚のセールス、セカンドは550万枚売れている。ということでセカンドのほうがより多く売れていた。ちなみに、サードはまだ発売一か月弱で全世界で40万枚弱、これからどんどん売れていくのだろう。
さて、そのジョスが2004年11月のショーケース・ライヴに続いて、2度目の来日公演を4月9日に行う。チケットは即完売だったとか。大変な人気だ。前回、不完全燃焼だった彼女、果たしてどのようなステージを見せてくれるのだろうか。
■ジョス・ストーン過去記事
2003/09/22 (Mon)
Soul Synchronicity: R&B Connect With Jaco
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200309/diary20030922.html
2004/01/13 (Tue)
Joss Stone / The Soul Sessions: The Soul Is Here To Stay
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200401/diary20040113.html
2004/09/19 (Sun)
Joss Stone: New Album "Mind, Body & Soul" Just Came Out
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/album/diary20040919.html
2004/11/21 (Sun)
Joss Stone Showcase Live At Club Quatro
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200411/diary20041121.html
■アルバム
最新作(3枚目) 『イントロデューシング』
(2007年3月発売)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000MQ51D8/soulsearchiho-22/ref=nosim/";; name="amazletlink" target="_blank
2枚目『マインド・ボディー・アンド・ソウル』
(2004年9月発売)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002MONAY/soulsearchiho-22/ref=nosim/";; name="amazletlink" target="_blank
衝撃のファーストアルバム『ザ・ソウル・セッション』
(2003年11月発売)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001FX9QQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/";; name="amazletlink" target="_blank
++++
ENT>MUSIC>ALBUM>Stone, Joss
ENT>MUSIC>ARTIST>Stone, Joss
Joss Stone: Soulful Voice With Soul Band
2007年4月10日【ジョス・ストーン・ライヴ】
ごきげん。
ジョス・ストーン、新譜発売に伴った待望のショーケース・ライヴ。恵比寿リキッドは超満員。ドラムス、ギター、ベース、キーボード2人、トランペット、サックス、コーラス3人という10人の豪華バンドを従えてジョスが歌う。
音が始まり、まず感じたのが、前回同様、音が小さい、ということ。なんでだろう。けっこう贅沢なバンドでいいバンドのように思えるが、音が小さいために、なんか、こう、ガツーンとくるものがない。ジョスの歌声も気持ち押さえ気味というか、小さめ。声量がそれほどないみたいだ。だが、CDと同じ、あのソウルフルな歌声は健在だ。とにかく、この声とこの歌唱はいい。ただ、やはりゴスペルの素養をもった黒人ではないため、ソウルにはなりきらない。CDのほうがソウルを感じてしまうから不思議。
一聴して感じたのが、21世紀のジャニス・ジョプリンという雰囲気。ただジャニスだったら、もっと汗だくになってソウルがほとばしりでたような気がする。ジョスは若いながらも、とても上品で、きれいに洗練されて、うまくまとまっているという印象だ。
本編最後の曲でバックコーラス3人がメンバー紹介でそれぞれ少しずつ歌うシーンがあったが、その彼ら(いずれも黒人)の声量はかなりのものがあった。結局、ジョスの声量にあわせたバンドの音量なのだろう。なにしろ、喉のポリープの問題もあったから、ここは無理しないのかもしれない。
また、選曲は実質全12曲中8曲が最新作からのもので、完璧に新作『イントロデューシング』のプロモートに照準をあわせたものだ。(他にファーストから2曲、セカンドから2曲) ただ、全体的な流れからすると、曲順に関してはもう少し煮詰めてもいいかもしれない。最後の「ダーティー・マン」はメンバー紹介も含めて20分もやっていて、これは長すぎる。他の曲が短く、次から次へといいテンポでいっていたのでちょっと残念。とはいうものの、まだ19歳。(4月11日で20歳) これからどんどんいろいろなライヴを見たり聴いたりして、いいショーを作っていくようにすればいいとおもう。最初からそんな、完璧なものはできない。
さて、驚いたのがバンドのサックスになんとジェフ・ワトキンスがいたこと。ライヴ中は、遠めから見ていたのでわからなかったが、ライヴ後にJBマニアでおなじみの関さんがいて、なんでまた? と尋ねたら、ジェフから連絡があった、という。しばらくして、ジェフが登場。彼も、なんとなく覚えていてくれた様子。ジェフは1993年以降のJBズのメンバーで、昨年ももちろん来日している。
彼にバンドマスターは誰かと尋ねたら、ラファエル・サディークだという。彼が集めたらしい。それを聞いて、「なるほど、だから、バンドいいのかあ」と思った。ラファエルは、やはり音楽的にすごくセンスがいいのだろうと感じた。このバンドは2月くらいから、当初、ジョスの新作のプロモーションのために集められた。4月くらいまでプロモーション、ショーケースなどでやって、その後5月から正式なツアーが始まり、夏にまた来日する、という。
ジョスのバンドは、まさにソウル・バンドだなあ、と感じた。
ジョスがショーが終わった後でてくるとその背の高さに驚いた。180センチは楽にあるだろう。しかも、ハイヒールもはいているので185くらいの印象がある。でも、ういういしくて、かわいらしい。ちょっとだけ会話した。僕の質問。「あなたのその声はどこから生まれたのですか。お母さんもそのような声をしているの?」 「いいえ、私の母はぜんぜん違うわ。この声がどこから来たか、まったくわからないわ(笑)」 ジョスは今回の来日、超ごきげんのようだ。次回の来日は、ラファエルも来てもらおう。
Setlist : Joss Stone At Liquid Room, Ebisu, April 9th, 2007
セットリスト : ジョス・ストーン
( ) denotes Albums
show started 19:15
01. Intro
02. Girl They Won’t Believe It (3)
03. Headturner (3)
04. Jet Lag (2)
05. Arms Of My Baby (3)
06. Tell Me What We’re Gonna Do Now (3)
07. Put Your Arms Baby (3)
08. Music (3)
09. Super Duper Love (1)
10. Big Ol’ Game (3)
11. Tell Me ’Bout It (3)
12. Dirty Man (introducing members) (1)
Enc. Right To Be Wrong (2)
show ended 20:30
(2007年4月9日月曜、恵比寿リキッドルーム=ジョス・ストーン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Stone, Joss
2007-41
ごきげん。
ジョス・ストーン、新譜発売に伴った待望のショーケース・ライヴ。恵比寿リキッドは超満員。ドラムス、ギター、ベース、キーボード2人、トランペット、サックス、コーラス3人という10人の豪華バンドを従えてジョスが歌う。
音が始まり、まず感じたのが、前回同様、音が小さい、ということ。なんでだろう。けっこう贅沢なバンドでいいバンドのように思えるが、音が小さいために、なんか、こう、ガツーンとくるものがない。ジョスの歌声も気持ち押さえ気味というか、小さめ。声量がそれほどないみたいだ。だが、CDと同じ、あのソウルフルな歌声は健在だ。とにかく、この声とこの歌唱はいい。ただ、やはりゴスペルの素養をもった黒人ではないため、ソウルにはなりきらない。CDのほうがソウルを感じてしまうから不思議。
一聴して感じたのが、21世紀のジャニス・ジョプリンという雰囲気。ただジャニスだったら、もっと汗だくになってソウルがほとばしりでたような気がする。ジョスは若いながらも、とても上品で、きれいに洗練されて、うまくまとまっているという印象だ。
本編最後の曲でバックコーラス3人がメンバー紹介でそれぞれ少しずつ歌うシーンがあったが、その彼ら(いずれも黒人)の声量はかなりのものがあった。結局、ジョスの声量にあわせたバンドの音量なのだろう。なにしろ、喉のポリープの問題もあったから、ここは無理しないのかもしれない。
また、選曲は実質全12曲中8曲が最新作からのもので、完璧に新作『イントロデューシング』のプロモートに照準をあわせたものだ。(他にファーストから2曲、セカンドから2曲) ただ、全体的な流れからすると、曲順に関してはもう少し煮詰めてもいいかもしれない。最後の「ダーティー・マン」はメンバー紹介も含めて20分もやっていて、これは長すぎる。他の曲が短く、次から次へといいテンポでいっていたのでちょっと残念。とはいうものの、まだ19歳。(4月11日で20歳) これからどんどんいろいろなライヴを見たり聴いたりして、いいショーを作っていくようにすればいいとおもう。最初からそんな、完璧なものはできない。
さて、驚いたのがバンドのサックスになんとジェフ・ワトキンスがいたこと。ライヴ中は、遠めから見ていたのでわからなかったが、ライヴ後にJBマニアでおなじみの関さんがいて、なんでまた? と尋ねたら、ジェフから連絡があった、という。しばらくして、ジェフが登場。彼も、なんとなく覚えていてくれた様子。ジェフは1993年以降のJBズのメンバーで、昨年ももちろん来日している。
彼にバンドマスターは誰かと尋ねたら、ラファエル・サディークだという。彼が集めたらしい。それを聞いて、「なるほど、だから、バンドいいのかあ」と思った。ラファエルは、やはり音楽的にすごくセンスがいいのだろうと感じた。このバンドは2月くらいから、当初、ジョスの新作のプロモーションのために集められた。4月くらいまでプロモーション、ショーケースなどでやって、その後5月から正式なツアーが始まり、夏にまた来日する、という。
ジョスのバンドは、まさにソウル・バンドだなあ、と感じた。
ジョスがショーが終わった後でてくるとその背の高さに驚いた。180センチは楽にあるだろう。しかも、ハイヒールもはいているので185くらいの印象がある。でも、ういういしくて、かわいらしい。ちょっとだけ会話した。僕の質問。「あなたのその声はどこから生まれたのですか。お母さんもそのような声をしているの?」 「いいえ、私の母はぜんぜん違うわ。この声がどこから来たか、まったくわからないわ(笑)」 ジョスは今回の来日、超ごきげんのようだ。次回の来日は、ラファエルも来てもらおう。
Setlist : Joss Stone At Liquid Room, Ebisu, April 9th, 2007
セットリスト : ジョス・ストーン
( ) denotes Albums
show started 19:15
01. Intro
02. Girl They Won’t Believe It (3)
03. Headturner (3)
04. Jet Lag (2)
05. Arms Of My Baby (3)
06. Tell Me What We’re Gonna Do Now (3)
07. Put Your Arms Baby (3)
08. Music (3)
09. Super Duper Love (1)
10. Big Ol’ Game (3)
11. Tell Me ’Bout It (3)
12. Dirty Man (introducing members) (1)
Enc. Right To Be Wrong (2)
show ended 20:30
(2007年4月9日月曜、恵比寿リキッドルーム=ジョス・ストーン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Stone, Joss
2007-41
(ネタばれになります。これからごらんになる方は、あなたのリスクにおいてお読みください)
【ビヨンセ〜危険なライヴ】
進化系。
いやあ、まいった。ビヨンセとしての世界ツアーの初日を日本にもってきたということで、ツアーの予行演習のつもりなのかとも思ったが、初日から大爆発だった。メジャーリーグの投手が、開幕第一線に照準をあわせるかのように、ビヨンセはこの日に照準を合わせ、すべて準備万端で臨んだようだ。
歌、踊り、映像とのリンク、選曲、構成、ファッションも含めたヴィジュアルなど、すべて完璧だった。暗転から1時間50分、まったく息つく間もなく、次々と繰り広げられる21世紀超エンタテインメント絵巻。でるのはため息ばかりだった。ビヨンセがまさにドームを自分の手中に収めた。この密度濃いライヴを半年以上やって最後のニューヨークあたりになったら、いったいどれほどすごいものになるのか、まったく想像もできない。ビヨンセの進化系の行く末は?
マイケル・ジャクソンを見たときにも感じたが、これまでのブラック・エンタテインメントの歴史、もっているものすべてをここにつぎ込み、しかも、自分のものに消化している。ジェームス・ブラウンが開墾した道、マイケルが舗装した道、ジャネットが拡張した道、マドンナが通った道、それらの道をさらにビヨンセは未来へ向けて広げ、開拓している。おそるべしビヨンセ。しかも、可愛く、美しくセクシー。非の打ち所がない。
ドラムス(2人!=ジェームス・ブラウン・バンドを彷彿とさせる)、パーカッション、ギター、ベース、キーボード2人、ホーン3人、コーラス3人という12人バンドにビヨンセ。さらに、女性6人、男性4人のダンサー、最大計23人という大所帯。しかも、ダンサーに男性4人がいるほか、バンドメンバーは全員女性だ。みんなかわいい。このヴィジュアルもまたすごい。そして、ドレスチェンジも5回。
かつて女性だけバンドというと、ロバート・パーマーがやったことがあった。最近ではシーラEのバンドが小規模ながら試みているが、これは女性バンドとしてはお見事としかいいようがない。
構成もデスチャ・メドレーを中央にはさみ、最後には『ドリームガールズ』までいれる大サーヴィスぶり。1時間50分、本当に堪能できた。今年大きな会場で見たライヴでは文句なく一番だ。2007年現在、現存する世界最高のエンタテイナーと言っていい。これは何度も見たい。癖になりそうな危険なライヴだ。
■過去ライヴ評
September 05, 2006
Beyonce: B’Day Party
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200609/2006_09_05.html
April 16, 2005
Past, Present & Future Of R&B: Destiny’s Child Live
http://blog.soulsearchin.com/archives/000042.html
2001年6月ライヴ評
http://www.barks.jp/feature/?id=52247987
■ビヨンセ・アルバム
◎Bデイ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000MZHT5C/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎デンジャラスリー・イン・ラヴ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00009KMEO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ドリームガールズ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000LP4PW8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ Setlist: Beyonce, Tokyo Dome April 10th, 2007
セットリスト ビヨンセ 東京ドーム
show started 19:45
00. Queen B Fanfare Intro
01. Crazy In Love
02. Freakum Dress
03. Green Light
--. (Drum Solo)
--. *dress change*
--. (John Coltrane Intro)
04. Baby Boy
05. Beautiful Liar
06. Naughty Girl
07. Me, Myself And I
--. *dress change*
--. (Bumble B Intro)
--. Dangerously Prelude
08. Dangerously In Love
--. *dress change*
--. (Pink Panther Intro)
09. DC (Destiny’s Child)Medley: (10 songs)
Independent Woman
Bootylicious
No, No, No
Bug A Boo
Bills, Bills, Bills
Cater 2 U
Say My Name
Jumpin’, Jumpin
Soldier
Survivor
10. Speechless
--. *dress change*
11. I Be Damn
12. Ring The Alarm
13. Suga Mamma
14. Upgrade U
15. Bonnie And Clyde
16. Check On It
17. Get Me Bodied
--. (Bass Solo; A Riff Of "Don’t Look Any Further", "Don’t Stop Till You Get Enough" etc)
18. Deja Vu
--. *dress change*
--. (Hollywood Video Sequence)
19. Dream Girls
20. Listen
21. Irreplaceable
show ended 21:35
(2007年 4月10日火曜、東京ドーム=ビヨンセ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Beyonce
2007-42
【ビヨンセ〜危険なライヴ】
進化系。
いやあ、まいった。ビヨンセとしての世界ツアーの初日を日本にもってきたということで、ツアーの予行演習のつもりなのかとも思ったが、初日から大爆発だった。メジャーリーグの投手が、開幕第一線に照準をあわせるかのように、ビヨンセはこの日に照準を合わせ、すべて準備万端で臨んだようだ。
歌、踊り、映像とのリンク、選曲、構成、ファッションも含めたヴィジュアルなど、すべて完璧だった。暗転から1時間50分、まったく息つく間もなく、次々と繰り広げられる21世紀超エンタテインメント絵巻。でるのはため息ばかりだった。ビヨンセがまさにドームを自分の手中に収めた。この密度濃いライヴを半年以上やって最後のニューヨークあたりになったら、いったいどれほどすごいものになるのか、まったく想像もできない。ビヨンセの進化系の行く末は?
マイケル・ジャクソンを見たときにも感じたが、これまでのブラック・エンタテインメントの歴史、もっているものすべてをここにつぎ込み、しかも、自分のものに消化している。ジェームス・ブラウンが開墾した道、マイケルが舗装した道、ジャネットが拡張した道、マドンナが通った道、それらの道をさらにビヨンセは未来へ向けて広げ、開拓している。おそるべしビヨンセ。しかも、可愛く、美しくセクシー。非の打ち所がない。
ドラムス(2人!=ジェームス・ブラウン・バンドを彷彿とさせる)、パーカッション、ギター、ベース、キーボード2人、ホーン3人、コーラス3人という12人バンドにビヨンセ。さらに、女性6人、男性4人のダンサー、最大計23人という大所帯。しかも、ダンサーに男性4人がいるほか、バンドメンバーは全員女性だ。みんなかわいい。このヴィジュアルもまたすごい。そして、ドレスチェンジも5回。
かつて女性だけバンドというと、ロバート・パーマーがやったことがあった。最近ではシーラEのバンドが小規模ながら試みているが、これは女性バンドとしてはお見事としかいいようがない。
構成もデスチャ・メドレーを中央にはさみ、最後には『ドリームガールズ』までいれる大サーヴィスぶり。1時間50分、本当に堪能できた。今年大きな会場で見たライヴでは文句なく一番だ。2007年現在、現存する世界最高のエンタテイナーと言っていい。これは何度も見たい。癖になりそうな危険なライヴだ。
■過去ライヴ評
September 05, 2006
Beyonce: B’Day Party
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200609/2006_09_05.html
April 16, 2005
Past, Present & Future Of R&B: Destiny’s Child Live
http://blog.soulsearchin.com/archives/000042.html
2001年6月ライヴ評
http://www.barks.jp/feature/?id=52247987
■ビヨンセ・アルバム
◎Bデイ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000MZHT5C/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎デンジャラスリー・イン・ラヴ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00009KMEO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ドリームガールズ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000LP4PW8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ Setlist: Beyonce, Tokyo Dome April 10th, 2007
セットリスト ビヨンセ 東京ドーム
show started 19:45
00. Queen B Fanfare Intro
01. Crazy In Love
02. Freakum Dress
03. Green Light
--. (Drum Solo)
--. *dress change*
--. (John Coltrane Intro)
04. Baby Boy
05. Beautiful Liar
06. Naughty Girl
07. Me, Myself And I
--. *dress change*
--. (Bumble B Intro)
--. Dangerously Prelude
08. Dangerously In Love
--. *dress change*
--. (Pink Panther Intro)
09. DC (Destiny’s Child)Medley: (10 songs)
Independent Woman
Bootylicious
No, No, No
Bug A Boo
Bills, Bills, Bills
Cater 2 U
Say My Name
Jumpin’, Jumpin
Soldier
Survivor
10. Speechless
--. *dress change*
11. I Be Damn
12. Ring The Alarm
13. Suga Mamma
14. Upgrade U
15. Bonnie And Clyde
16. Check On It
17. Get Me Bodied
--. (Bass Solo; A Riff Of "Don’t Look Any Further", "Don’t Stop Till You Get Enough" etc)
18. Deja Vu
--. *dress change*
--. (Hollywood Video Sequence)
19. Dream Girls
20. Listen
21. Irreplaceable
show ended 21:35
(2007年 4月10日火曜、東京ドーム=ビヨンセ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Beyonce
2007-42
【ビヨンセがステージにいる瞬間、瞬きはするな】
瞬き。
けっこうたくさん見所はあった。曲も短く次々メドレー形式にしていくのでひじょうにテンポがよい。ダンサーは男性4人、女性6人の計10人。ダンサーがでてくるところは、本当に派手に華やかになる。
一番驚いたのが、「アイ・ビー・ダム」から「リング・ジ・アラーム」のあたりだったか、モニター・スクリーンにシルエットで映るダンサーと、実際のステージ上のダンサーの動きがかなりシンクロしていたところ。最初は生のダンサーを撮影して映し出しているのかと思ったら、事前に撮影されたシルエットを映し出していた。
あるいは、すでに「ロンドン・ライヴ」でも見られたが、デスティニーズ・チャイルド・メドレーの中の「ビルズ、ビルズ、ビルズ」あたりでの、7人が一本のバーにからみながら踊るシーンなどもよかった。ダンスは、もちろん、みんなよかったんだが。
冒頭でのステージ上部から銀幕が降りてきて、しばらくそれが宙からぶるさがっているが、どうやって片付けるのだろうと思っていたら、ばさっと下に落として撤収した。
「デンジャラスリー・イン・ラヴ」では、舞台後方から大きな羽を広げた男性ダンサーがでてきて、徐々にビヨンセに近づき、最後にステージ中央で彼女をその羽で包み込む。
「バンブルビー・イントロ」では、バレーダンサーのような振りが印象的。歌では、「スピーチレス」がひじょうにセクシーなスローだった。また、最後に「ドリームガールズ」と同映画から「リッスン」を歌い、うまく締めにもっていく。
もちろん、デスチャ時代にやってきたことの積み重ねはあるとしても、これだけの振り付け、総合演出、いったい誰がやっているんだろう。すべてビヨンセ本人なのか。リハーサルは何回くらいやるのだろうか。
瞬きする間もない、密度の濃いショーだ。はやく、このツアーがDVDになって、何度も見返してみたい。
というわけで、このライヴを見て、またまた映画『ドリームガールズ』を再見したくなった。
(2007年 4月10日火曜、東京ドーム=ビヨンセ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Beyonce
2007-42
瞬き。
けっこうたくさん見所はあった。曲も短く次々メドレー形式にしていくのでひじょうにテンポがよい。ダンサーは男性4人、女性6人の計10人。ダンサーがでてくるところは、本当に派手に華やかになる。
一番驚いたのが、「アイ・ビー・ダム」から「リング・ジ・アラーム」のあたりだったか、モニター・スクリーンにシルエットで映るダンサーと、実際のステージ上のダンサーの動きがかなりシンクロしていたところ。最初は生のダンサーを撮影して映し出しているのかと思ったら、事前に撮影されたシルエットを映し出していた。
あるいは、すでに「ロンドン・ライヴ」でも見られたが、デスティニーズ・チャイルド・メドレーの中の「ビルズ、ビルズ、ビルズ」あたりでの、7人が一本のバーにからみながら踊るシーンなどもよかった。ダンスは、もちろん、みんなよかったんだが。
冒頭でのステージ上部から銀幕が降りてきて、しばらくそれが宙からぶるさがっているが、どうやって片付けるのだろうと思っていたら、ばさっと下に落として撤収した。
「デンジャラスリー・イン・ラヴ」では、舞台後方から大きな羽を広げた男性ダンサーがでてきて、徐々にビヨンセに近づき、最後にステージ中央で彼女をその羽で包み込む。
「バンブルビー・イントロ」では、バレーダンサーのような振りが印象的。歌では、「スピーチレス」がひじょうにセクシーなスローだった。また、最後に「ドリームガールズ」と同映画から「リッスン」を歌い、うまく締めにもっていく。
もちろん、デスチャ時代にやってきたことの積み重ねはあるとしても、これだけの振り付け、総合演出、いったい誰がやっているんだろう。すべてビヨンセ本人なのか。リハーサルは何回くらいやるのだろうか。
瞬きする間もない、密度の濃いショーだ。はやく、このツアーがDVDになって、何度も見返してみたい。
というわけで、このライヴを見て、またまた映画『ドリームガールズ』を再見したくなった。
(2007年 4月10日火曜、東京ドーム=ビヨンセ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Beyonce
2007-42
Beyonce To "Dreamgirls"
2007年4月13日【ビヨンセ〜『ドリームガールズ』】
ドリームス。
ビヨンセ効果か、またまた『ドリームガールズ』を見たくなってしまった。(笑) 『ドリームガールズ』の映画版のDVDが6月に発売されるという。
去年の映画『レイ』並に、ベストセラーになるのではないだろうか。
それにしても、ジェニファー・ハドソンが歌う2曲「アンド・アイム・テリング・ユー・アイム・ノット・ゴーイング」と「アイ・アム・チェンジン」は圧倒的。さらにビヨンセが歌う「リッスン」もすばらしい。1981年のミュージカル・ヴァージョンでは、ジェニファー・ホリデイが最初の2曲を歌い、これが大ヒットになったが、ミュージカルの中でももっともいい場所で歌われる。まさにショー・ストッパー。
「アンド・アイム・・・」は、ジェニファー(エフィー役)がドリームスをクビになる時に歌う作品。「私は、去らないわ」という必死な願いがここに込められている。そして、もう一曲は同じジェニファーが落ちぶれた後、場末のクラブで仕事をもらう時に歌う作品。「私は、変わったのよ」というメッセージだ。ジェニファー・ハドソンは、ジェニファー・ホリデイに負けじと大爆発。ここにスター誕生だ。
ビヨンセ(ディーナ役)が、ジェイミー・フォックス(カーティス役)の元から独立するところなどはなかなかの演技。それにしても、ビヨンセのパートはダイアナ・ロスを思わせる。
ジェニファーの兄、CCは、やはりモータウンのソングライターを複数まぜあわせたようなキャラクターだ。ホランド・ドジャー・ホランド、スモーキー・ロビンソン、ノーマン・ホイットフィールドあたり。特に、弟がヴェトナム戦争に行って、それを歌にしたメッセージソングをエディー・マーフィー(ジェームス・アーリー役)が録音したときに、ジェイミー・フォックスは「メッセージソングはだめだ。音楽は売れなければだめだ」というシーンなどは、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」発売時のエピソードだ。
『ドリームガールズ』のために、ビヨンセは10キロほど減量したという。今回のツアーで見せた体は、したがって、若干元に戻っているようだ。がっしりした印象がある。とは言っても、トレーニングをしているせいか、決して太っているという印象はない。
日本でも2月に公開されて以来この映画は100万人近くを動員したらしい。ものすごい大ヒットになった。
■映画『ドリームガールズ』のサントラ、デラックスエディション
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000MGBS58/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■映画評
December 20, 2006
Musical Movie "Dreamgirls": Born In 1981
【映画『ドリームガールズ』〜1981年に生まれて】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200612/2006_12_20.html
December 22, 2006
"Dreamgirls"(Part 2) : Between Fiction And Non-Fiction
(12月20日付け日記の続き)
【フィクションとノンフィクションの間で】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_12_22.html
ENT>MOVIE>Dreamgirls
ドリームス。
ビヨンセ効果か、またまた『ドリームガールズ』を見たくなってしまった。(笑) 『ドリームガールズ』の映画版のDVDが6月に発売されるという。
去年の映画『レイ』並に、ベストセラーになるのではないだろうか。
それにしても、ジェニファー・ハドソンが歌う2曲「アンド・アイム・テリング・ユー・アイム・ノット・ゴーイング」と「アイ・アム・チェンジン」は圧倒的。さらにビヨンセが歌う「リッスン」もすばらしい。1981年のミュージカル・ヴァージョンでは、ジェニファー・ホリデイが最初の2曲を歌い、これが大ヒットになったが、ミュージカルの中でももっともいい場所で歌われる。まさにショー・ストッパー。
「アンド・アイム・・・」は、ジェニファー(エフィー役)がドリームスをクビになる時に歌う作品。「私は、去らないわ」という必死な願いがここに込められている。そして、もう一曲は同じジェニファーが落ちぶれた後、場末のクラブで仕事をもらう時に歌う作品。「私は、変わったのよ」というメッセージだ。ジェニファー・ハドソンは、ジェニファー・ホリデイに負けじと大爆発。ここにスター誕生だ。
ビヨンセ(ディーナ役)が、ジェイミー・フォックス(カーティス役)の元から独立するところなどはなかなかの演技。それにしても、ビヨンセのパートはダイアナ・ロスを思わせる。
ジェニファーの兄、CCは、やはりモータウンのソングライターを複数まぜあわせたようなキャラクターだ。ホランド・ドジャー・ホランド、スモーキー・ロビンソン、ノーマン・ホイットフィールドあたり。特に、弟がヴェトナム戦争に行って、それを歌にしたメッセージソングをエディー・マーフィー(ジェームス・アーリー役)が録音したときに、ジェイミー・フォックスは「メッセージソングはだめだ。音楽は売れなければだめだ」というシーンなどは、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」発売時のエピソードだ。
『ドリームガールズ』のために、ビヨンセは10キロほど減量したという。今回のツアーで見せた体は、したがって、若干元に戻っているようだ。がっしりした印象がある。とは言っても、トレーニングをしているせいか、決して太っているという印象はない。
日本でも2月に公開されて以来この映画は100万人近くを動員したらしい。ものすごい大ヒットになった。
■映画『ドリームガールズ』のサントラ、デラックスエディション
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000MGBS58/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■映画評
December 20, 2006
Musical Movie "Dreamgirls": Born In 1981
【映画『ドリームガールズ』〜1981年に生まれて】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200612/2006_12_20.html
December 22, 2006
"Dreamgirls"(Part 2) : Between Fiction And Non-Fiction
(12月20日付け日記の続き)
【フィクションとノンフィクションの間で】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_12_22.html
ENT>MOVIE>Dreamgirls
Can You Hear Digital Radio?
2007年4月14日【NHKデジタル・ラジオ】
デジタル。
NHKのデジタル・ラジオの番組に出ます。デジタル・ラジオは、デジタル専用のチューナーか、今後発売されるデジタル受信機能を備えた携帯電話などで聴けますが、一般的にはまだまだ普及していません。デジタル・ラジオは、CD並に音がいいそうです。
番組表などは次のところにあります。
http://www.nhk.or.jp/dr/
この中で平日(月〜金)午後6時から6時半、土日の午後3時から3時半までの間で放送される『ロックの殿堂』という番組のブラックアーティストを担当しています。
現在この『ロックの殿堂』は計30本あり、そのうちの5本を紹介しました。DJは、湯川れい子さん、小倉エージさん、伊藤正則さん、大友博さん、そして、吉岡正晴の5人。複数回リピートで放送されるようです。
番組内容は、1986年から始まったアメリカの『ロックの殿堂」に入ったアーティストを順に紹介するというもの。これまで約120を超えるアーティストが殿堂入りしていますが、まず第一期で30のアーティストを紹介しています。
デジタル放送の番組は、インターネットでの放送もされています。基本しゃべりだけのものは、すぐにインターネットで流れるようですが、音楽が入ると著作権の問題がまだクリアされていないので、しばらく時間がかかりそうです。
ちなみに、僕はアレサ・フランクリン、ジェームス・ブラウン、サム・クック、アイズレー・ブラザース、マーヴィン・ゲイの5組を選んで紹介しました。もし、番組を聴くことができたら、ご感想などお知らせください。
ENT>ANNOUCEMENT>RADIO
ENT>RADIO>Rock N Roll Hall Of Fame
デジタル。
NHKのデジタル・ラジオの番組に出ます。デジタル・ラジオは、デジタル専用のチューナーか、今後発売されるデジタル受信機能を備えた携帯電話などで聴けますが、一般的にはまだまだ普及していません。デジタル・ラジオは、CD並に音がいいそうです。
番組表などは次のところにあります。
http://www.nhk.or.jp/dr/
この中で平日(月〜金)午後6時から6時半、土日の午後3時から3時半までの間で放送される『ロックの殿堂』という番組のブラックアーティストを担当しています。
現在この『ロックの殿堂』は計30本あり、そのうちの5本を紹介しました。DJは、湯川れい子さん、小倉エージさん、伊藤正則さん、大友博さん、そして、吉岡正晴の5人。複数回リピートで放送されるようです。
番組内容は、1986年から始まったアメリカの『ロックの殿堂」に入ったアーティストを順に紹介するというもの。これまで約120を超えるアーティストが殿堂入りしていますが、まず第一期で30のアーティストを紹介しています。
デジタル放送の番組は、インターネットでの放送もされています。基本しゃべりだけのものは、すぐにインターネットで流れるようですが、音楽が入ると著作権の問題がまだクリアされていないので、しばらく時間がかかりそうです。
ちなみに、僕はアレサ・フランクリン、ジェームス・ブラウン、サム・クック、アイズレー・ブラザース、マーヴィン・ゲイの5組を選んで紹介しました。もし、番組を聴くことができたら、ご感想などお知らせください。
ENT>ANNOUCEMENT>RADIO
ENT>RADIO>Rock N Roll Hall Of Fame
【迫力のベイエリア・ファンクロック・グループ、コールド・ブラッド】
ジャニス。
60年代後期から70年代にかけて、いわゆるサンフランシスコのベイエリアでタワー・オブ・パワーなどと並んで人気を集めたファンク・ロック・グループ、コールド・ブラッドが初来日。さっそく足を運んだ。
僕もアルバムをアナログで何枚かもっている程度で、それほど熱心に聞いて来たわけではなかったが、ライヴはかなりよくて楽しめた。なによりも、リズム隊、そして、トランペットとサックスのバンドと、ヴォーカルのリディアの歌がパンチがあってよかった。ただ、やはりタワーの迫力とドライヴ感と比べてしまうと、若干地味かな、という部分もある。あと、決定的な大ヒット、名刺代わりの1曲がないのが、タワーと比べると観客動員などでも大きな差がでてしまうのかもしれない。
全体的なサウンドは、やはりジェームス・ブラウン・ファンクなどを元にした白人のソウルバンドという位置付け。タワー・オブ・パワー、アヴェレージ・ホワイト・バンドなどと並ぶバンドだ。古いバンドだとチェース、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズなどもこのジャンルにはいりそうだ。
この週は月曜日にジョス・ストーンを見たが、ジョスを見ていたときも、ふとジャニス・ジョプリンを思い浮かべたが、このコールド・ブラッドのリディアを聴いていても、またジャニスを思い浮かべた。今週は2回もジャニスの面影を見たということになる。
MCで「29年間、ずっと歌っているリディア!」と紹介していたが、彼女もう50は超えているのかな。身長は、とても小柄で145センチくらいではないだろうか。ハスキーないい声だった。
日本ではほとんど知名度もないはずなので、集客が心配だったが、半分以上ははいっていて、中には熱心なファンもいたようで、とりあえずは形になっていてよかった。一時期グループ活動を停止していたらしく、そういう意味では彼らももう一組の「ソウル・サヴァイヴァー」なのかもしれない。
■コールド・ブラッド
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000HDZ9EC/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■コットンクラブ
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/schedule/#
4月16日まで。
リディア・ペンス & コールド・ブラッド
Lydia Pense(vo), Rob Zuckerman(sax), Richard Armstrong(tp), Steve Salinas(key), Steve Dunne(g), Evan Palmerson(b), Pep Salinas(ds)
Setlist : Cold Blood @ Cotton Club, April 13, 2007
(transcribed by yoshioka.masaharu)
セットリスト コールド・ブラッド
show started 21:34
01. Can’t Take It, I Don’t Give A Damn (Lavelle White)
02. Down To The Bone (1972)
03. (Got To Got To) Come Back To Yourself (?)
04. I’m A Good Woman (1969)
05. Guide Me Home (From latest CD "Transfusion")
06. Funky On My Back (1971)
07. Face The Music (From latest CD "Transfusion")
08. Wait For You (From latest CD "Transfusion")
09. I Just Want To Make Love To You (1969)
10. Back Here Again (1976)
11. You Got Me Hummin’ (1969)
Enc. You Make Me Sweat (From latest CD "Transfusion")
show ended 22:46
(2007年4月13日金曜、丸の内コットンクラブ=コールド・ブラッド&リディア・ペンス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Cold Blood
2007-43
ジャニス。
60年代後期から70年代にかけて、いわゆるサンフランシスコのベイエリアでタワー・オブ・パワーなどと並んで人気を集めたファンク・ロック・グループ、コールド・ブラッドが初来日。さっそく足を運んだ。
僕もアルバムをアナログで何枚かもっている程度で、それほど熱心に聞いて来たわけではなかったが、ライヴはかなりよくて楽しめた。なによりも、リズム隊、そして、トランペットとサックスのバンドと、ヴォーカルのリディアの歌がパンチがあってよかった。ただ、やはりタワーの迫力とドライヴ感と比べてしまうと、若干地味かな、という部分もある。あと、決定的な大ヒット、名刺代わりの1曲がないのが、タワーと比べると観客動員などでも大きな差がでてしまうのかもしれない。
全体的なサウンドは、やはりジェームス・ブラウン・ファンクなどを元にした白人のソウルバンドという位置付け。タワー・オブ・パワー、アヴェレージ・ホワイト・バンドなどと並ぶバンドだ。古いバンドだとチェース、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズなどもこのジャンルにはいりそうだ。
この週は月曜日にジョス・ストーンを見たが、ジョスを見ていたときも、ふとジャニス・ジョプリンを思い浮かべたが、このコールド・ブラッドのリディアを聴いていても、またジャニスを思い浮かべた。今週は2回もジャニスの面影を見たということになる。
MCで「29年間、ずっと歌っているリディア!」と紹介していたが、彼女もう50は超えているのかな。身長は、とても小柄で145センチくらいではないだろうか。ハスキーないい声だった。
日本ではほとんど知名度もないはずなので、集客が心配だったが、半分以上ははいっていて、中には熱心なファンもいたようで、とりあえずは形になっていてよかった。一時期グループ活動を停止していたらしく、そういう意味では彼らももう一組の「ソウル・サヴァイヴァー」なのかもしれない。
■コールド・ブラッド
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000HDZ9EC/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■コットンクラブ
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/schedule/#
4月16日まで。
リディア・ペンス & コールド・ブラッド
Lydia Pense(vo), Rob Zuckerman(sax), Richard Armstrong(tp), Steve Salinas(key), Steve Dunne(g), Evan Palmerson(b), Pep Salinas(ds)
Setlist : Cold Blood @ Cotton Club, April 13, 2007
(transcribed by yoshioka.masaharu)
セットリスト コールド・ブラッド
show started 21:34
01. Can’t Take It, I Don’t Give A Damn (Lavelle White)
02. Down To The Bone (1972)
03. (Got To Got To) Come Back To Yourself (?)
04. I’m A Good Woman (1969)
05. Guide Me Home (From latest CD "Transfusion")
06. Funky On My Back (1971)
07. Face The Music (From latest CD "Transfusion")
08. Wait For You (From latest CD "Transfusion")
09. I Just Want To Make Love To You (1969)
10. Back Here Again (1976)
11. You Got Me Hummin’ (1969)
Enc. You Make Me Sweat (From latest CD "Transfusion")
show ended 22:46
(2007年4月13日金曜、丸の内コットンクラブ=コールド・ブラッド&リディア・ペンス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Cold Blood
2007-43
Ketz Started Her Own Company
2007年4月16日【Ketzさんはダンス界のカリスマ】
カリスマ。
縁あってダンサーであり、ダンス・イヴェントのプロデュース、あるいは、ダンス関係のファッションなどもデザインし、さまざまな表現形態で自らの世界をクリエートする才媛KETZ(ケッツ=奥山結実)さんのイヴェント「UMU凝レクション」を青山スパイラルのレストラン「カイ」で見た。
ケッツさんはいろいろなシンガー(安室奈美恵 、エム・フロー、イグザイルなど多数)のダンスの振り付けをしたりしているうちに、そのダンスにあったファッションなども相談され、実際デザインして、洋服やアクセサリーなども製作するようになり、そうした注文がけっこう増えたりしたので、ダンス・クリエイティヴ全般を取り扱う会社を設立するにいたった。今回のイヴェントは、その会社の設立パーティー。5時間にわたって、さまざまなアーティストたちがパフォーマンスを繰り広げた。
これまでにデザインした洋服やアクセサリーなどがところ狭しと飾られ、イヴェント時間中には、実際にメイクや、ライヴペインティングなども。もちろん、ケッツさん他のダンサーたちのダンスショーもあった。
ケッツさんのダンスは、うわさでは聞いていた。初めて見たが、かなり素敵だった。切れもよくセクシーでいい感じ。レストラン「カイ」の椅子とテーブルをすべて取り払い、広くなっていたが、前方のステージだけでなく、中央にもお立ち台のようなものを置き、そこでもセクシーに体をくねらせた。また中央の大きな桜の木も印象的だった。全体的なステージというか、舞台構成などもなかなかのもの。
そんなこんなで見ていたら、ダンススタイル、ルイールなどの編集人でもあられる坂上さんとばったり。彼はケッツさんとは何度も仕事をして、モデルもしてもらったこともあり、ダンス界ではちょっとしたカリスマ的存在だと教えられた。
ケッツさんの会社のウェッブ(プロフィールなども)
http://www.umutz.com/top.php
(2007年4月15日日曜、青山カイ[CAY}=UMU凝レクション)
ENT>MUSIC>DANCE>EVENT
2007-45
カリスマ。
縁あってダンサーであり、ダンス・イヴェントのプロデュース、あるいは、ダンス関係のファッションなどもデザインし、さまざまな表現形態で自らの世界をクリエートする才媛KETZ(ケッツ=奥山結実)さんのイヴェント「UMU凝レクション」を青山スパイラルのレストラン「カイ」で見た。
ケッツさんはいろいろなシンガー(安室奈美恵 、エム・フロー、イグザイルなど多数)のダンスの振り付けをしたりしているうちに、そのダンスにあったファッションなども相談され、実際デザインして、洋服やアクセサリーなども製作するようになり、そうした注文がけっこう増えたりしたので、ダンス・クリエイティヴ全般を取り扱う会社を設立するにいたった。今回のイヴェントは、その会社の設立パーティー。5時間にわたって、さまざまなアーティストたちがパフォーマンスを繰り広げた。
これまでにデザインした洋服やアクセサリーなどがところ狭しと飾られ、イヴェント時間中には、実際にメイクや、ライヴペインティングなども。もちろん、ケッツさん他のダンサーたちのダンスショーもあった。
ケッツさんのダンスは、うわさでは聞いていた。初めて見たが、かなり素敵だった。切れもよくセクシーでいい感じ。レストラン「カイ」の椅子とテーブルをすべて取り払い、広くなっていたが、前方のステージだけでなく、中央にもお立ち台のようなものを置き、そこでもセクシーに体をくねらせた。また中央の大きな桜の木も印象的だった。全体的なステージというか、舞台構成などもなかなかのもの。
そんなこんなで見ていたら、ダンススタイル、ルイールなどの編集人でもあられる坂上さんとばったり。彼はケッツさんとは何度も仕事をして、モデルもしてもらったこともあり、ダンス界ではちょっとしたカリスマ的存在だと教えられた。
ケッツさんの会社のウェッブ(プロフィールなども)
http://www.umutz.com/top.php
(2007年4月15日日曜、青山カイ[CAY}=UMU凝レクション)
ENT>MUSIC>DANCE>EVENT
2007-45
NHK-BS "Ougon No Yougaku Live"
2007年4月17日【『黄金の洋楽ライブ』で解説します】
シュープリームス。
また告知で恐縮です。(笑) NHK-BSで昨年から定期的に放送されている洋楽のライヴ映像を放送する番組『黄金の洋楽ライブ』(基本・隔週土曜23時〜=NHK-BS2)の、4月21日(土)放送分「シュープリームス」の回で、簡単な解説をします。お時間ある方は、ぜひごらんください。
この番組では、これまでにもジェームス・ブラウン、クイーン、ドアーズなど新旧の洋楽アーティストの映像を集めて放送しています。そのアーティストに思い入れのある人が前後の解説をつとめています。今回は『黄金の洋楽ライブ』その第21回。
シュープリームスの1968年春にスウェーデンのストックホルムで収録された映像を中心にお送りします。この時、ダイアナ・ロスは、24歳。まだまだ初々しいシンガーでした。映像はモノクロです。
また番組では1968年の映像のほかに、1964年と1965年の映像も数曲ご紹介します。そこには、グループを解雇されるフローレンス・バラードも映っています。
シュープリームスの物語は、映画『ドリームガールズ』のヒントになった元ネタです。そのあたりのお話もちょっとしています。
■NHKBS公式ウェッブ
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2007-04-21&ch=12&eid=31246
■『黄金の洋楽ライブ〜VOL.21〜シュープリームス』
放送日 2007年4月21日(土曜日)23時00分〜24時15分(75分間)
放送チャンネル NHK-BS2
ENT>MUSIC>TV>Ougon No Yougaku Live
ENT>MUSIC>ARTIST>Supremes
シュープリームス。
また告知で恐縮です。(笑) NHK-BSで昨年から定期的に放送されている洋楽のライヴ映像を放送する番組『黄金の洋楽ライブ』(基本・隔週土曜23時〜=NHK-BS2)の、4月21日(土)放送分「シュープリームス」の回で、簡単な解説をします。お時間ある方は、ぜひごらんください。
この番組では、これまでにもジェームス・ブラウン、クイーン、ドアーズなど新旧の洋楽アーティストの映像を集めて放送しています。そのアーティストに思い入れのある人が前後の解説をつとめています。今回は『黄金の洋楽ライブ』その第21回。
シュープリームスの1968年春にスウェーデンのストックホルムで収録された映像を中心にお送りします。この時、ダイアナ・ロスは、24歳。まだまだ初々しいシンガーでした。映像はモノクロです。
また番組では1968年の映像のほかに、1964年と1965年の映像も数曲ご紹介します。そこには、グループを解雇されるフローレンス・バラードも映っています。
シュープリームスの物語は、映画『ドリームガールズ』のヒントになった元ネタです。そのあたりのお話もちょっとしています。
■NHKBS公式ウェッブ
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2007-04-21&ch=12&eid=31246
■『黄金の洋楽ライブ〜VOL.21〜シュープリームス』
放送日 2007年4月21日(土曜日)23時00分〜24時15分(75分間)
放送チャンネル NHK-BS2
ENT>MUSIC>TV>Ougon No Yougaku Live
ENT>MUSIC>ARTIST>Supremes
【ロバータ・フラック・ライヴ〜マーヴィンが降りてきた夜】
自由度。
超ヴェテラン、ロバータ・フラックのライヴ。僕自身は前回(2005年6月)を見ておらず、2000年4月のブルーノート以来なので、7年ぶりとなる。前回は、このブログが始まる前なので、ブログには載っていないが、どこかにその時のことを書いた。初日に見たのだが、そこにはなんとそのとき来日していたシーラEとデズリーが飛び入りして歌ったり、演奏したりして、大変盛り上がった。
さて、今回はバンドメンバーが少し変わっていた。ベースのトレスは、今回が初参加、彼は12月にジョニー・ギル、9月にフランク・マッコムで来日していた。そして、バックヴォーカルの男性のほうは、なんとトニー・テリー。その昔、「ラヴィー・ダヴィー」(1988年)の大ヒットを放ったことがある男性シンガーだ。他のメンバーもこの5年くらいらしい。トニーは2005年、2000年にも来ていたという。
ロバータのライヴは、常に淡々と進む。その進み具合が時として退屈に感じられることもあるが、この日はまったくそんなことはなかった。彼女の自由度が高いミュージシャンシップが存分に発揮され、あれだけ、スローやスローミディアムの曲ばかりだったにもかかわらず、独特の「ロバータ・フラック・ワールド」を作り上げていた。まさに彼女は、この80分間、ブルーノートの時間と空間を手中に収め、すべてを支配していた。
圧巻だったのは、下記セットリストで5にあたる「マーヴィン・ゲイ・メドレー」。実はその前の前の「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」の中で、マーヴィンの「ユー・シュア・ラヴ・トゥ・ボール」のフレーズをいれて、歌っていたので、そのあたりから、マーヴィンが来ていたのかもしれない。
この3曲はいずれも傑作『ホワッツ・ゴーイング・オン』収録の作品。特に「セイヴ・ザ・チルドレン」では、男性のトニー・テリーと、言葉のやりとりを自由自在にしていて迫力があった。まるで、ちょっとしたポエトリー・リーディングか、演劇を見ているかのようだった。
一緒に見た盟友でありソウルメートのハセヤンは、「女マーヴィンっていうのは、いないと思ったけど、ロバータは女マーヴィンだねっ!」と宣言した。
ベースのトレスによると、なんと、このマーヴィン・ゲイ・メドレーは前日にはやってなくて、この日のファーストからロバータの思いつきで始まったという。それをもう少しソリッドにしたのがこのセカンドで聴けたヴァージョン。トニーとロバータの言葉のやりとりはファーストではなかったそうだ。となると、あのかけあいは、本当のアドリブだったことになる。これは恐るべし。すばらしいミュージシャンシップだ。
ロバータには、あの瞬間、間違いなくマーヴィンが降りてきていた。前回見たときは、ダニー・ハザウェイとスティーヴィーが降りてきていたが、この日はマーヴィンだ。
ロバータのライヴは、彼女が中央のピアノに座って、自分が歌いたい歌を自由に始めるという点で、ある種、スティーヴィーと似ているところがある。彼女が何かを弾き出すと、ミュージシャンがそれについていくというスタイルだ。下記セットリストで4曲目(「ヘイ、ゼアイズ・ノー・ウェイ・・・」)や5曲目(マーヴィン・メドレー)などは、事前には予定されていなかった作品。しかし、ブルーノートのホームページに発表されたセットリストによれば、前日歌った「エターナリー」はこの日は歌わなかった。
それにしても、声が若々しい。キラー・ソング「キリング・ミー・ソフトリー」や「ファースト・タイム・アイ・エヴァー・・・」などを聴いていると、実年齢(1937年2月10日生まれの70歳=生年については、38年〜40年まであるが、37年が正しいと思われる)が想像つかない。ライヴ・パフォーマンスとしては、急遽ギタリストが来日せずに、ギターパートはキーボードで差し替えていたりして、完璧ではなかったが、あのまったり感、ゆったり感で、聴く側を集中させてしまうロバータ・フラックのミュージシャン力はすばらしい。
(この項・続く)
■ロバータ・フラック・ベストCD
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000FDF49E/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ブルーノートウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20070416.html
ライヴは、木曜を除いて日曜22日まで。
■メンバー
Roberta Flack (Vocal, Piano)
Morris Pleasure (Keyboards)
Nova Payton (Background Vocal)
Tony Terry (Background Vocal)
Tres Gilbert (Bass)
Rick Jordan (Drums, Musical Director)
■ Setlist : Roberta Flack @ Bluenote Tokyo, April 17, 2007
セットリスト ロバータ・フラック
(transcribed by yoshioka.masaharu)
show started 21:46
01. Oasis
02. Will You Still Love Me Tomorrow
03. A Riff Of "Family Affair" to Feel Like Making Love to A Riff Of "You Sure Love To Ball"
04. Hey, That’s No Way To Say Goodbye (Leonard Cohen) (From "First Take" Album)
05. Margin Gaye Medley:
a) Inner City Blues (Make Me Wanna Holler)
b) Save The Children
c) Mercy Mercy Me
06. Disguises (From Album "Roberta Flack Featuring Donny Hathaway)
07. Where Is The Love (Duo With Tony Terry)
08. Baby Calls (Tony Terry, Lead) (New)
09. Feelin’ That Glow (From Album "Feel Like Making Love")
10. Say No (New)
11. Killing Me Softly With His Song
12. Soft And Gentle (New?)
13. The First Time I Ever Saw Your Face
14. Back Together Again
show ended 23:05
(2007年4月17日火曜、東京ブルーノート=ロバータ・フラック・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Flack, Roberta
2007-48
自由度。
超ヴェテラン、ロバータ・フラックのライヴ。僕自身は前回(2005年6月)を見ておらず、2000年4月のブルーノート以来なので、7年ぶりとなる。前回は、このブログが始まる前なので、ブログには載っていないが、どこかにその時のことを書いた。初日に見たのだが、そこにはなんとそのとき来日していたシーラEとデズリーが飛び入りして歌ったり、演奏したりして、大変盛り上がった。
さて、今回はバンドメンバーが少し変わっていた。ベースのトレスは、今回が初参加、彼は12月にジョニー・ギル、9月にフランク・マッコムで来日していた。そして、バックヴォーカルの男性のほうは、なんとトニー・テリー。その昔、「ラヴィー・ダヴィー」(1988年)の大ヒットを放ったことがある男性シンガーだ。他のメンバーもこの5年くらいらしい。トニーは2005年、2000年にも来ていたという。
ロバータのライヴは、常に淡々と進む。その進み具合が時として退屈に感じられることもあるが、この日はまったくそんなことはなかった。彼女の自由度が高いミュージシャンシップが存分に発揮され、あれだけ、スローやスローミディアムの曲ばかりだったにもかかわらず、独特の「ロバータ・フラック・ワールド」を作り上げていた。まさに彼女は、この80分間、ブルーノートの時間と空間を手中に収め、すべてを支配していた。
圧巻だったのは、下記セットリストで5にあたる「マーヴィン・ゲイ・メドレー」。実はその前の前の「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」の中で、マーヴィンの「ユー・シュア・ラヴ・トゥ・ボール」のフレーズをいれて、歌っていたので、そのあたりから、マーヴィンが来ていたのかもしれない。
この3曲はいずれも傑作『ホワッツ・ゴーイング・オン』収録の作品。特に「セイヴ・ザ・チルドレン」では、男性のトニー・テリーと、言葉のやりとりを自由自在にしていて迫力があった。まるで、ちょっとしたポエトリー・リーディングか、演劇を見ているかのようだった。
一緒に見た盟友でありソウルメートのハセヤンは、「女マーヴィンっていうのは、いないと思ったけど、ロバータは女マーヴィンだねっ!」と宣言した。
ベースのトレスによると、なんと、このマーヴィン・ゲイ・メドレーは前日にはやってなくて、この日のファーストからロバータの思いつきで始まったという。それをもう少しソリッドにしたのがこのセカンドで聴けたヴァージョン。トニーとロバータの言葉のやりとりはファーストではなかったそうだ。となると、あのかけあいは、本当のアドリブだったことになる。これは恐るべし。すばらしいミュージシャンシップだ。
ロバータには、あの瞬間、間違いなくマーヴィンが降りてきていた。前回見たときは、ダニー・ハザウェイとスティーヴィーが降りてきていたが、この日はマーヴィンだ。
ロバータのライヴは、彼女が中央のピアノに座って、自分が歌いたい歌を自由に始めるという点で、ある種、スティーヴィーと似ているところがある。彼女が何かを弾き出すと、ミュージシャンがそれについていくというスタイルだ。下記セットリストで4曲目(「ヘイ、ゼアイズ・ノー・ウェイ・・・」)や5曲目(マーヴィン・メドレー)などは、事前には予定されていなかった作品。しかし、ブルーノートのホームページに発表されたセットリストによれば、前日歌った「エターナリー」はこの日は歌わなかった。
それにしても、声が若々しい。キラー・ソング「キリング・ミー・ソフトリー」や「ファースト・タイム・アイ・エヴァー・・・」などを聴いていると、実年齢(1937年2月10日生まれの70歳=生年については、38年〜40年まであるが、37年が正しいと思われる)が想像つかない。ライヴ・パフォーマンスとしては、急遽ギタリストが来日せずに、ギターパートはキーボードで差し替えていたりして、完璧ではなかったが、あのまったり感、ゆったり感で、聴く側を集中させてしまうロバータ・フラックのミュージシャン力はすばらしい。
(この項・続く)
■ロバータ・フラック・ベストCD
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000FDF49E/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ブルーノートウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20070416.html
ライヴは、木曜を除いて日曜22日まで。
■メンバー
Roberta Flack (Vocal, Piano)
Morris Pleasure (Keyboards)
Nova Payton (Background Vocal)
Tony Terry (Background Vocal)
Tres Gilbert (Bass)
Rick Jordan (Drums, Musical Director)
■ Setlist : Roberta Flack @ Bluenote Tokyo, April 17, 2007
セットリスト ロバータ・フラック
(transcribed by yoshioka.masaharu)
show started 21:46
01. Oasis
02. Will You Still Love Me Tomorrow
03. A Riff Of "Family Affair" to Feel Like Making Love to A Riff Of "You Sure Love To Ball"
04. Hey, That’s No Way To Say Goodbye (Leonard Cohen) (From "First Take" Album)
05. Margin Gaye Medley:
a) Inner City Blues (Make Me Wanna Holler)
b) Save The Children
c) Mercy Mercy Me
06. Disguises (From Album "Roberta Flack Featuring Donny Hathaway)
07. Where Is The Love (Duo With Tony Terry)
08. Baby Calls (Tony Terry, Lead) (New)
09. Feelin’ That Glow (From Album "Feel Like Making Love")
10. Say No (New)
11. Killing Me Softly With His Song
12. Soft And Gentle (New?)
13. The First Time I Ever Saw Your Face
14. Back Together Again
show ended 23:05
(2007年4月17日火曜、東京ブルーノート=ロバータ・フラック・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Flack, Roberta
2007-48
(前日からの続き)
【自由度の高いロバータ・フラックのライヴ】
自由度。
ロバータ・フラックのライヴがミュージシャンとして自由度が高いものだと昨日書いた。例えば、セットリストの3曲目で彼女は「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」(マリーナ・ショウでも有名)を歌う。しかし、この冒頭にスライ・ストーンの「ファミリー・アフェアー」をいれた。おそらく、これはロバータの気分でちょっとこれをやってみようと思ったのだろう。ひょっとして前日にもやっていたかもしれないが、とてもアドリブ性が高いアレンジだった。
同曲の最後の部分にマーヴィンの曲をいれた。これも「フィール・ライク・・・」からの流れでぱっと付け足したものだと思う。歌詞の面からもつながりが感じられる。
ライヴ後、客席にでてきたミュージシャンの何人かと話す機会があった。一番よくしゃべってくれたのが、ベースのトレス・ギルバート。現在アトランタ・GA(ジー・エー=ジョージア州のこと)在住。ロバータ・バンドには初参加。しかも、月曜に初めてリハをやったので、この日がまだセカンド・デイだった。
ロバータの曲はほとんど知っているのか、と尋ねると、「いやあ、ロバータは自分の持ち歌だけで150曲くらいあるんじゃないかな。全部はとてもじゃないけど、覚えていない。15−20曲分の楽譜があるが、ロバータは楽譜がない曲もやる。それに楽譜とキーが違ったりするんだ。アレンジもレコードとは大幅に変えていたりするしね」
「事前に決めたセットリスト自体はあるの?」と尋ねると、「あることは、あるけど、ロバータはすぐに変えるよ(笑)」という。案の定。ロバータはほぼステージ中央のピアノにすわり、彼女のピアノから曲が始まっていくので、ステージをほぼ手中に収める。彼女が思いついて始めた曲を、ミュージシャンたちはついていかなければならない。そのあたりの自由度、アドリブ性の高いところが、スティーヴィーやジェームス・ブラウンのライヴに似ている。
「では、もしまだ自分が知らない曲が始まったらどうするの?」と聞いた。トレスはこう答えた。「僕の秘密を教えようか。(笑) ちょうど僕の位置からはキーボードのモリスの手が見える。そこで、モリスが弾くコードを見て、取るんだ。そして、そのコードをベースで弾いていくというわけさ。僕は、ひとたびコードがわかれば、何でも弾ける。それに、知っている曲であれば、キーがいくら変わっても弾けるんだ」
バックコーラスのひとり、トニー・テリー。最初は昔ヒットをだしたトニーとはわからず、ただ聴いていたが、彼が歌った作品を聴いて、声質がダニー・ハザウェイ、時にルーサー・ヴァンドロスを思わせるなあ、と感じていた。そして、彼にもダニー、ルーサー、スティーヴィー、そして、マーヴィンの流れを感じた。それは、果たしてロバータ・フラックとともに歌っているからか。しかし、トニーとロバータのかけあいによる「セイヴ・ザ・チルドレン」はよかったなあ。また聴きたい。
トニーによれば、「ロバータのバンドにはここ数年、出たり入ったりだが、参加している。2005年、2000年にも来日したよ。ところで、最近、アルバムを作ったんだ。ゴスペル・アルバムだ、ぜひ聴いてくれ」とのこと。
ところで、この日は会場に『ソウル・サーチン』でも歌ってくれたディーヴァ・グレイ、マクサン、そして、マルまで来ていた。そういえば、ディーヴァはロバータのライヴでは歌っていないが、レコード(CD)で何曲かバックをつけていた。久々に会ったディーヴァに、1月のライヴの記録用映像はまだかと催促された。すっかり渡したと思っていた。(笑)
■セットリストなどは、昨日付けの日記に
(2007年4月17日火曜、東京ブルーノート=ロバータ・フラック・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Flack, Roberta
2007-48
【自由度の高いロバータ・フラックのライヴ】
自由度。
ロバータ・フラックのライヴがミュージシャンとして自由度が高いものだと昨日書いた。例えば、セットリストの3曲目で彼女は「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」(マリーナ・ショウでも有名)を歌う。しかし、この冒頭にスライ・ストーンの「ファミリー・アフェアー」をいれた。おそらく、これはロバータの気分でちょっとこれをやってみようと思ったのだろう。ひょっとして前日にもやっていたかもしれないが、とてもアドリブ性が高いアレンジだった。
同曲の最後の部分にマーヴィンの曲をいれた。これも「フィール・ライク・・・」からの流れでぱっと付け足したものだと思う。歌詞の面からもつながりが感じられる。
ライヴ後、客席にでてきたミュージシャンの何人かと話す機会があった。一番よくしゃべってくれたのが、ベースのトレス・ギルバート。現在アトランタ・GA(ジー・エー=ジョージア州のこと)在住。ロバータ・バンドには初参加。しかも、月曜に初めてリハをやったので、この日がまだセカンド・デイだった。
ロバータの曲はほとんど知っているのか、と尋ねると、「いやあ、ロバータは自分の持ち歌だけで150曲くらいあるんじゃないかな。全部はとてもじゃないけど、覚えていない。15−20曲分の楽譜があるが、ロバータは楽譜がない曲もやる。それに楽譜とキーが違ったりするんだ。アレンジもレコードとは大幅に変えていたりするしね」
「事前に決めたセットリスト自体はあるの?」と尋ねると、「あることは、あるけど、ロバータはすぐに変えるよ(笑)」という。案の定。ロバータはほぼステージ中央のピアノにすわり、彼女のピアノから曲が始まっていくので、ステージをほぼ手中に収める。彼女が思いついて始めた曲を、ミュージシャンたちはついていかなければならない。そのあたりの自由度、アドリブ性の高いところが、スティーヴィーやジェームス・ブラウンのライヴに似ている。
「では、もしまだ自分が知らない曲が始まったらどうするの?」と聞いた。トレスはこう答えた。「僕の秘密を教えようか。(笑) ちょうど僕の位置からはキーボードのモリスの手が見える。そこで、モリスが弾くコードを見て、取るんだ。そして、そのコードをベースで弾いていくというわけさ。僕は、ひとたびコードがわかれば、何でも弾ける。それに、知っている曲であれば、キーがいくら変わっても弾けるんだ」
バックコーラスのひとり、トニー・テリー。最初は昔ヒットをだしたトニーとはわからず、ただ聴いていたが、彼が歌った作品を聴いて、声質がダニー・ハザウェイ、時にルーサー・ヴァンドロスを思わせるなあ、と感じていた。そして、彼にもダニー、ルーサー、スティーヴィー、そして、マーヴィンの流れを感じた。それは、果たしてロバータ・フラックとともに歌っているからか。しかし、トニーとロバータのかけあいによる「セイヴ・ザ・チルドレン」はよかったなあ。また聴きたい。
トニーによれば、「ロバータのバンドにはここ数年、出たり入ったりだが、参加している。2005年、2000年にも来日したよ。ところで、最近、アルバムを作ったんだ。ゴスペル・アルバムだ、ぜひ聴いてくれ」とのこと。
ところで、この日は会場に『ソウル・サーチン』でも歌ってくれたディーヴァ・グレイ、マクサン、そして、マルまで来ていた。そういえば、ディーヴァはロバータのライヴでは歌っていないが、レコード(CD)で何曲かバックをつけていた。久々に会ったディーヴァに、1月のライヴの記録用映像はまだかと催促された。すっかり渡したと思っていた。(笑)
■セットリストなどは、昨日付けの日記に
(2007年4月17日火曜、東京ブルーノート=ロバータ・フラック・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Flack, Roberta
2007-48
Don Katsumoto, King Of Soul, Dies At 57
2007年4月20日【ドン勝本氏、57歳で死去〜キング・オブ・ソウル、ダンステリア・オウナー、プロデューサー】
キング。
アメリカのR&Bシンガー、「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」ことジェームス・ブラウンと30年以上にわたる親交を結び、日本のソウル・ミュージックの発展に大きく寄与し、ソウル・ミュージック、ソウル・ダンスステップの情報発信地でもある白金「ダンステリア」のオウナーであり、自らダンサー、振付師、音楽プロデューサーとして活躍したドン勝本氏(本名・勝本謙次)が2007年4月19日(木曜)、午後7時08分ごろ、広尾の日赤病院で大腸がんのため死去した。57歳だった。葬儀は、4月26日(木曜)午前11時から臨海斎場(東京都大田区東海1丁目3ー1)で行われる。喪主は長男・勝本有輝氏。
勝本氏は、1949年(昭和24年)5月20日岐阜生まれ。国士舘大学在学中から新宿のディスコなどに出入りするようになり、そこでかかっているジェームス・ブラウンを始めとするR&B、ソウル・ミュージックに魅せられた。1970年頃、六本木のディスコ「大使館」に参加、さらに、これが店名を「エンバシー」と変更した72年頃から店長に。
1973年2月、初来日したジェームス・ブラウンのライヴを見た後、本人に会いに行き、意気投合。この時、勝本氏が当時日本でソウル・ミュージックが広まっていないと嘆いたところ、ジェームス・ブラウンから「俺はアメリカでがんばるから、おまえは日本で(ソウル・ミュージックの普及に)がんばれ」と言われ、感動。以来、ブラウンを師、神と仰ぎ、日本でのソウル・ミュージックの普及に尽力した。
1973年に初めて渡米。アメリカでのソウル・ミュージック、ディスコ・シーンを視察、それを受け、1974年、当時横のネットワークがまったくなかった日本の全国のディスコティックを組織化。「全国ディスコ協会」を設立、会長に就任した。ディスコ協会では全国にDJを派遣したり、全国規模の「ダンスコンテスト」などを多数行い、ディスコ・ヒット、ソウル・ミュージックの浸透に力を添えた。1978年、赤坂にディスコ「マンハッタン」をオープン。このオウナーは細木数子氏だった。同年、日本で初めてのディスコ情報誌「エクスプロージョン」を発刊、ディスコからの情報を発信した。
さらにこの頃までに何度か渡米。アメリカにおけるソウル・シーン、ディスコ・シーンを見聞し、日本でのディスコ会議を企画。1979年8月、帝国ホテルで『全国ディスコ・フォーラム(Japan Disco Forum)』を開催、アメリカから著名ディスコDJ(リッチー・リヴェラなど)を招聘し、日本におけるディスコ発展の一翼を担った。
自らダンサーとしても活躍、また、オリジナルのソウルステップなども考案、コレオグラファー(振付師)としても森高千里、つんく、モーニング娘など多くの日本人シンガーの振り付けを担当した。自らが育てた歌って踊れるグループ、リフ・ラフ(1984年デビュー)には、SAM(のちのTRF)や、現在勝本氏の右腕として現在も多方面で活躍している矢作幸裕氏も在籍していた。
1984年、白金にディスコ「ダンステリア」をオープン。現在も営業を続ける「ダンステリア」は、ソウル・ステップの総本山的存在になっており、「チャ・チャ・」「ソウルCC」などのソウル・ステップを学びたければ、まず、「ダンステリア」へ行け、というほどにまでなっている。「ダンステリア」では後身の指導にあたる一方、古くから伝わるソウルダンス、ソウルステップの歴史の生き証人として、ニック岡井氏とともに、そうしたダンスを教えている。
1990年、ドン勝本氏は、マイケル鶴岡氏、ニック岡井氏とともにダンス・ユニット「キング・オブ・ソウル」を結成。歌って、踊れるグループとしてメジャー・デビュー。そのライヴの模様を映した映像を、ジェームス・ブラウン本人の前で見せると、ブラウンも大喜びした。
1995年、それまでに何度も会っているジェームス・ブラウンをオーガスタに訪ねた時には、ブラウン自らにブラウンゆかりの地を案内され、自宅に招かれた。その後、1996年1月のブラウンの当時の妻エイドリアンの葬儀に出席、この時もジョージア州オーガスタ郊外の自宅に招かれた。
テレビ出演も「ソウル・トンネルズ」「ダンス・ダンス・ダンス」など多数。また映画『ゲロッパ』(2003年)では、ダンス指導、またキング・オブ・ソウルとしても出演している。
最近では、大人気となったシンガーAI(アイ)を発掘、メジャーデビューさせた。
2006年、それまでのソウル、ディスコ、ダンスの歴史を一冊の本にまとめ「オール・アバウト・ソウル・ディスコ・ダンス」(メディアミル、星雲社・発売)として発表している。
2006年3月、ジェームス・ブラウンが来日した際、東京でのライヴ・ステージでブラウンに呼び出され1曲踊ったのが、奇しくも、ブラウンのそして、勝本氏の最後のステージとなってしまった。ジェームス・ブラウンは、彼のことを「キング・オブ・ソウル、ドン勝本、35年来の友人」と人々に紹介する。
2006年12月31日、勝本氏はインターFM『ソウル・ブレンズ』でジェームス・ブラウン(2006年12月25日死去)の追悼特集をしたときにゲストで登場。ブラウンについて多くを語った。これも最後のラジオ出演となった。
2週間ほど前から体調が悪くなり広尾の病院に入院。火曜日(17日)個室に移り、木曜(19日)に容態が急変し、19日午後7時過ぎ、家族、多くの仲間に看取られながら息を引き取った。
ご冥福をお祈りする。
(あまりに近い仲間である勝本さんについての個人的な思い出は後日、ゆっくり書きます。しばらく時間をください=吉岡正晴)
■訃報記事(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070420-00000003-mai-peo
■ドン勝本氏関連サイト。ダンステリアのウェッブ
http://www1.ocn.ne.jp/~danteri/main.htm
July 16, 2006
"All About Soul Disco Dance": Book Is Released
【ソウル・ステップ・ダンスの踊り方教則本・発売】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001144.html
ENT>OBITUARY>Katsumoto, Kenji/1949.5.20 - 2007.4.19 (57)
キング。
アメリカのR&Bシンガー、「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」ことジェームス・ブラウンと30年以上にわたる親交を結び、日本のソウル・ミュージックの発展に大きく寄与し、ソウル・ミュージック、ソウル・ダンスステップの情報発信地でもある白金「ダンステリア」のオウナーであり、自らダンサー、振付師、音楽プロデューサーとして活躍したドン勝本氏(本名・勝本謙次)が2007年4月19日(木曜)、午後7時08分ごろ、広尾の日赤病院で大腸がんのため死去した。57歳だった。葬儀は、4月26日(木曜)午前11時から臨海斎場(東京都大田区東海1丁目3ー1)で行われる。喪主は長男・勝本有輝氏。
勝本氏は、1949年(昭和24年)5月20日岐阜生まれ。国士舘大学在学中から新宿のディスコなどに出入りするようになり、そこでかかっているジェームス・ブラウンを始めとするR&B、ソウル・ミュージックに魅せられた。1970年頃、六本木のディスコ「大使館」に参加、さらに、これが店名を「エンバシー」と変更した72年頃から店長に。
1973年2月、初来日したジェームス・ブラウンのライヴを見た後、本人に会いに行き、意気投合。この時、勝本氏が当時日本でソウル・ミュージックが広まっていないと嘆いたところ、ジェームス・ブラウンから「俺はアメリカでがんばるから、おまえは日本で(ソウル・ミュージックの普及に)がんばれ」と言われ、感動。以来、ブラウンを師、神と仰ぎ、日本でのソウル・ミュージックの普及に尽力した。
1973年に初めて渡米。アメリカでのソウル・ミュージック、ディスコ・シーンを視察、それを受け、1974年、当時横のネットワークがまったくなかった日本の全国のディスコティックを組織化。「全国ディスコ協会」を設立、会長に就任した。ディスコ協会では全国にDJを派遣したり、全国規模の「ダンスコンテスト」などを多数行い、ディスコ・ヒット、ソウル・ミュージックの浸透に力を添えた。1978年、赤坂にディスコ「マンハッタン」をオープン。このオウナーは細木数子氏だった。同年、日本で初めてのディスコ情報誌「エクスプロージョン」を発刊、ディスコからの情報を発信した。
さらにこの頃までに何度か渡米。アメリカにおけるソウル・シーン、ディスコ・シーンを見聞し、日本でのディスコ会議を企画。1979年8月、帝国ホテルで『全国ディスコ・フォーラム(Japan Disco Forum)』を開催、アメリカから著名ディスコDJ(リッチー・リヴェラなど)を招聘し、日本におけるディスコ発展の一翼を担った。
自らダンサーとしても活躍、また、オリジナルのソウルステップなども考案、コレオグラファー(振付師)としても森高千里、つんく、モーニング娘など多くの日本人シンガーの振り付けを担当した。自らが育てた歌って踊れるグループ、リフ・ラフ(1984年デビュー)には、SAM(のちのTRF)や、現在勝本氏の右腕として現在も多方面で活躍している矢作幸裕氏も在籍していた。
1984年、白金にディスコ「ダンステリア」をオープン。現在も営業を続ける「ダンステリア」は、ソウル・ステップの総本山的存在になっており、「チャ・チャ・」「ソウルCC」などのソウル・ステップを学びたければ、まず、「ダンステリア」へ行け、というほどにまでなっている。「ダンステリア」では後身の指導にあたる一方、古くから伝わるソウルダンス、ソウルステップの歴史の生き証人として、ニック岡井氏とともに、そうしたダンスを教えている。
1990年、ドン勝本氏は、マイケル鶴岡氏、ニック岡井氏とともにダンス・ユニット「キング・オブ・ソウル」を結成。歌って、踊れるグループとしてメジャー・デビュー。そのライヴの模様を映した映像を、ジェームス・ブラウン本人の前で見せると、ブラウンも大喜びした。
1995年、それまでに何度も会っているジェームス・ブラウンをオーガスタに訪ねた時には、ブラウン自らにブラウンゆかりの地を案内され、自宅に招かれた。その後、1996年1月のブラウンの当時の妻エイドリアンの葬儀に出席、この時もジョージア州オーガスタ郊外の自宅に招かれた。
テレビ出演も「ソウル・トンネルズ」「ダンス・ダンス・ダンス」など多数。また映画『ゲロッパ』(2003年)では、ダンス指導、またキング・オブ・ソウルとしても出演している。
最近では、大人気となったシンガーAI(アイ)を発掘、メジャーデビューさせた。
2006年、それまでのソウル、ディスコ、ダンスの歴史を一冊の本にまとめ「オール・アバウト・ソウル・ディスコ・ダンス」(メディアミル、星雲社・発売)として発表している。
2006年3月、ジェームス・ブラウンが来日した際、東京でのライヴ・ステージでブラウンに呼び出され1曲踊ったのが、奇しくも、ブラウンのそして、勝本氏の最後のステージとなってしまった。ジェームス・ブラウンは、彼のことを「キング・オブ・ソウル、ドン勝本、35年来の友人」と人々に紹介する。
2006年12月31日、勝本氏はインターFM『ソウル・ブレンズ』でジェームス・ブラウン(2006年12月25日死去)の追悼特集をしたときにゲストで登場。ブラウンについて多くを語った。これも最後のラジオ出演となった。
2週間ほど前から体調が悪くなり広尾の病院に入院。火曜日(17日)個室に移り、木曜(19日)に容態が急変し、19日午後7時過ぎ、家族、多くの仲間に看取られながら息を引き取った。
ご冥福をお祈りする。
(あまりに近い仲間である勝本さんについての個人的な思い出は後日、ゆっくり書きます。しばらく時間をください=吉岡正晴)
■訃報記事(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070420-00000003-mai-peo
■ドン勝本氏関連サイト。ダンステリアのウェッブ
http://www1.ocn.ne.jp/~danteri/main.htm
July 16, 2006
"All About Soul Disco Dance": Book Is Released
【ソウル・ステップ・ダンスの踊り方教則本・発売】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001144.html
ENT>OBITUARY>Katsumoto, Kenji/1949.5.20 - 2007.4.19 (57)
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