Shanti Live At Motion Blue

2007年7月15日
【シャンティー・ライヴ@モーションブルー】

台風。

台風接近で、かなりの雨の中、横浜モーション・ブルーでシャンティーのライヴ。基本的には下記ライヴ評で書いた5月のブルース・アレーで行われたもののショート・ヴァージョンという感じ。今回は入れ替え制のために、全17曲だったところが9曲に。半分なので物足りないが、こういう制約ではしょうがないかな。メンバーはドラムスが違っていることと、サックス&パーカッションにゲイリー・スコットが参加している点が違う。

今回特に関心したのは、アコースティック・ピアノのフィリップ・ウーとサックスのゲイリーがからみあったところ。下記セットリスト4の「クワイエットリー」でのアコースティック・ピアノとサックスが醸し出すバックはなかなかのものだった。フィリップのアレンジ力がやっぱりすごいのだろう。特に7曲目「アズ・ゴッド・ラヴズ・ユー」のピアノなどは、ジョージ・デュークか、ジョー・サンプルかというくらいのセンスのよさがでていた。

アンコールを含めてセットが60分強しかないので、1曲目のインストはちょっと長すぎた。曲順と選曲に課題が残った感がある。つい一週間ほど前までパリに行っていたシャンティーはまだ時差ぼけが残っているという。声の調子がまだ戻ってなかったのかもしれない。やはり60分でも、その60分で「これがシャンティーの世界だ」というのをがーんと前面に打ち出したいところ。

さて、既報通り、シャンティーをフィーチャーしたアコースティック・ソウル・サーチャーズ(ケイリブ・ジェームス&ゲイリー・スコット)のトリオによるライヴが藤が丘のマルターノで8月16日と17日に行われる。これはほぼソウルのカヴァー曲ばかりをアコースティック・セットで。また、オリジナルを中心にしたライヴが9月27日目黒ブルースアレーで行われることが決まった。

またフィリップ・ウーのブルース・アレーでのライヴも決まった。11月8日。まだ内容はわからない、という。フィリップはその前に10月1日、同じくブルース・アレーでグレッグ・ハーティジというサックス奏者のバックも担当する。

May 17, 2007
Shanti Live @ Blues Alley ; Music & Shanti Will Be As One
http://blog.soulsearchin.com/archives/001775.html

June 30, 2007
Acoustic Soul Searchers Featuring Shanti Will Be Performing At Martano : Second Spin Off Project Of Soul Searchin’
http://blog.soulsearchin.com/archives/001848.html

■メンバー

シャンティ SHANTI(vo)、Philip Woo(key)、西山 "HANK" 史翁(g)、渡邉裕美(b)、Gary Scott(per,sax,cho)、鶴谷智生(ds)

Setlist
show started 18:32
01. Shadows (Instrumental)
02. Summer In The City
03. Spooky
04. Quietly
05. Wake Up To The Sun
06. Formentera Sea
07. As God Loves You
08. The Road To There
Enc. Summer Sun
show ended 19:40

(2007年7月14日土曜、横浜モーション・ブルー=シャンティー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Shanti
2007-88

Ichiro’s Masterpiece 

2007年7月14日
【イチローの傑作】

作品。

7月10日(現地時間=日本時間11日)にアメリカで行われた野球のオールスターで、イチロー選手が3安打を放った。そのうちの一本はご存知の通り、ランニング・ホームランとなった。

イチローはこれらの打撃を「ピッチャーの指先からボールが離れた瞬間からイメージどおりに来て、打てた。作品のようだった」といった趣旨のことをコメントしている。

このコメントには、やられた。本当にすごい。こんなせりふを言える野球選手がいまだかつていただろうか。あの世界の王選手でも、落合選手でも、こんな文学的な形容はしたことがない。

おそらく、イチローには相当な「自分なりの野球の美学」というものがあるのだろう。類まれな集中力から生まれる、たかが一本の「ヒット」をひとつの「作品」という高みに持ち上げる。

僕には「作品」がたまっていけば、その中には、ただのひとつの「作品」だけでなく、「傑作=Masterpiece」が誕生するだろうと思う。ただの「ヒット」を「作品」にし、「作品」を「傑作」にするイチロー。自分で選んだ「作品ベスト10」などを聞いてみたい。あの「レーザービーム」も文句なくベスト10入りの作品だろう。

イチローが書いた文章というのを読んだことはないのだが、彼が書く文章も読んでみたい。目を大事にしているので、パソコンはやらないとか。

ところでランニング・ホームランは、和製英語なんですか。英語ではinside-the-park homer というそうで。

ESSAY>Baseball
【ライヴM! 追加公演決定】

追加。

2007年6月30日付けソウル・サーチン・ブログで告知したアコースティックス・ソウル・サーチャーズ:ライヴM(8月17日金曜、藤が丘・マルターノ店)が好評につき、急遽追加日程を決定した。追加日程は、前日の8月16日木曜。すでに17日分は予約がいっぱいになっているので、今後は8月16日分の予約を受け付ける。

ライヴの内容は次のブログを。

June 30, 2007
Acoustic Soul Searchers Featuring Shanti Will Be Performing At Martano : Second Spin Off Project Of Soul Searchin’
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_06_30.html

まだはっきり確定的なことはいえないが、地元近辺に住む一流ミュージシャンの飛び入りもあるかもしれない。

■ 記 ■  LIVE M 追加公演

Soul Searchin’ Presents: LIVE "M" at Martano Fujigaoka
ソウル・サーチン・プレゼンツ・ライヴM アット・マルターノ藤が丘

出演 アコースティック・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・シャンティー、ウィズ・ケイリブ&ゲイリー

The Acoustic Soul Searchers:

Shanti (Vocal)
Kaleb James (Keyboards, Vocal)
Gary Scott (Percussion, Sax, Vocal)

ライヴ日時 2007年8月16日(木) 開場午後6時 開演第一部午後7時 第二部午後8時半 (二部構成・入れ替えなし)
場所 ピッツェリア・バール・マルターノ藤が丘店 
住所 神奈川県横浜市青葉区藤が丘1−29−2−2F 
(東急・田園都市線・藤が丘駅前徒歩1分。藤が丘駅までは、渋谷から約30分。駅に降りるとすぐお店が見えます)
電話 045-973-5844
ミュージックチャージ 店内 3500円  立ち見・テラス席 2000円 この他にご飲食代がかかります なおテラス席は、若干みづらくなりますのでご了承ください (席数・店内約50、テラス席約20)
予約の仕方 (3通りあります)
1)電話045-973-5844マルターノへ直接電話予約する方法
2)Eメール info@martano.jp へお名前、電話番号、人数などを書いて予約する方法。折り返し確認メールが届きます
3)店頭で予約 店頭で係りのものへ予約の旨お伝えください
お席は予約の段階で決めさせていただきますが、当日7時までにご来店されない場合、一旦キャンセルとなり、ご来店のお客様を優先的にお席にご案内する場合がございます。

お願い 当日はテラス席をのぞいて禁煙になります。18歳未満の方のご入場をお断りさせていただきます。写真、ビデオ撮影、録音はご遠慮ください。席に限りがあるため、ご相席をお願いすることがございます。あらかじめご了承ください。

マルターノウェッブ
http://www.martano.jp/
ライヴM情報
http://martano.exblog.jp/

■出演者オフィシャル・ウェッブ

シャンティー
http://snydersmarket.com/shanti.html
ケイリブ・ジェームス
http://www.kalebjames.com/
ゲイリー・スコット
http://www.gshstudios.com/home

今回もマルターノのご好意で10席をソウル・サーチン・ブログ読者のために確保いただきました。前回分(8月17日分)はおかげさまでソールドアウトとなりました。

■『ソウル・サーチン・ブログ読者に10席確保』

今回も『ライヴM』(追加公演=8月16日木曜)の座席を10席ほどソウル・サーチン・ブログ、ダイアリーの読者のために確保していただきました。店内は約50席ほどしかなく、すでに予約が入り始めています。当ブログ読者の方で、このライヴをごらんになりたい方はsoul_searchin_the_session@yahoo.co.jp  までお名前、人数、電話番号をお書きの上Eメールをお送りください。折り返し確認メールをお送りします。先着順のご案内となります。

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ENT>MUSIC>LIVE>ANNOUNCEMENT>LIVE M
【「ソウルパワー2007」パンフレットはインタヴュー満載】

満載。

今月末(7月30日、31日)東京で2回、来月(8月11日)大阪で1回行われるソウル系アーティストが集うイヴェント「ソウルパワー・サミット2007」のパンフレット原稿を執筆している。今回は主だったアーティストのインタヴューをたくさん載せることになり、これまで一気に取材をさせていただいた。

締め切りがもはや限界になってきているが、それぞれのファンの方にはかなり読み応えがあるものになっていると思うので、ぜひライヴにお運びのさいはごらんください。

昨年のパンフレットはおかげさまで大変好評で、スタッフ間にもほとんど残っていない。完売した。そこで今回は少し部数を増やす予定らしいが、パンフレットを集められている方は、早めに入手されたほうがいいかもしれない。

現在、インタヴューしたのは、鈴木雅之さん、ゴスペラーズ、スクープ・オン・サムバディー、エナメル・ブラザース、武田哲也。そして残るのが東方神起。すでに出演者たちは、入念なリハーサルを開始している模様だ。

インタヴューする出演者、全員が例外なく、昨年よりもさらにパワーアップしたものを見せると意気込んでおり、かなりおもしろいイヴェントになりそうだ。

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■「SOUL POWER TOKYO SUMMIT 2007」

公演日時:
2007年7月30日(月) 開場 17:30 / 開演 18:30
2007年7月31日(火) 開場 17:30 / 開演 18:30
会場:日本武道館
出演:鈴木雅之 / ゴスペラーズ / Skoop On Somebody / 東方神起 / エナメル・ブラザーズ / 武田哲也 / DANCE☆MAN / ZOOCO / JAYE & SILKY and more...
チケット料金:7,000円(税込) ※3歳以上の方はチケットが必要です
チケット発売日:2007年6月24日
お問い合わせ:ディスクガレージ TEL:03-5436-9600(月〜金曜日12:00〜19:00のみ受付)

■「SOUL POWER なにわ SUMMIT 2007」

公演日時:2007年8月11日(土) 開場 14:00 / 開演 16:00
会場:万博公園もみじ川芝生広場
出演:鈴木雅之 / ゴスペラーズ / Skoop On Somebody / 東方神起 / エナメル・ブラザーズ / 武田哲也 / DANCE☆MAN / ZOOCO / SAKURA and more...
チケット料金:ブロック席指定7,000円(税込) ※3歳以上の方はチケットが必要です
チケット発売日:2007年6月24日
お問い合わせ:キョードーチケットセンター TEL:06-6233-8888(月〜日曜日10:00〜19:00)

ENT>MUSIC>LIVE>ANNOUNCEMENT>Soul Power

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【ミラーボール星人のプライド】

プライド。

昨日、静岡K−MIXで放送されている『ブギー・ナイツ』(DJ大西貴文=毎週金曜午後7時〜)という番組に、一宇宙人のゲストがやってきた。はるばる3億光年のかなたからやってきたダンス★マンだ。でっかいアフロヘア、はだけた胸元から飛び出す胸毛、ミラーボール星人ならではの濃ゆ〜〜いヒゲともみあげ。宇宙旅行にはかなりの時間がかかって時差ぼけなどないだろうかと心配したら、それには及ばなかった。ダンス★マン曰く「(瞬時に)ワープしてきますから」 インタヴューには、よどみない日本語で答えた。

7月11日に最新作『ダンス★マン・リターンズ』がリリースされ、そのプロモーションの一環だ。DJの大西さんが「では、ダンス★マンをご紹介しましょう」というと、開口一番、「みゃおおおおっ」。

最新作からの一押し曲は「シャツたたんで収納」。これは、ジョージ・デュークの大ヒット「シャイン・オン」を高度な空耳で完成させた。ダンス★マンによると、これは「もともとは『社員採用』という言葉でずっと暖めていたんですが、どうしてもその先が続かなくて。で、あるときツアーで同室になりたくないのは誰だっていったときに、ダンス★マンが一番になったんですよ。ま、とにかく、片付けができない。散らかす。水周りがきたない。そこで「収納」って言う言葉がでてきて。そうしたら、またたくまに、その後の言葉がぽんぽんでてきて完成したんです。まあ、ご縁があるというか」だという。

パーフェクト空耳スト・ダンス★マンとしては、ただタイトルだけ空耳で歌詞全体がちゃんとしてないと、そういうのは、許せない、と。最初の「社員採用」は、ダンス★マン的には「レベルの低い空耳度」だったという。ダンス★マンは一言で言い切った。「(いろいろ作ってくると、確かに)レベルの低いものから、高いものまでいろいろあります。低いものは、ただの替え歌です(きっぱり)」。

なるほど。空耳にかけるダンス★マンのプライドを見た! 

ちなみに、この曲、バックコーラスに耳をこらすとゴスペラーズの面々とズーコまで参加している。「ということは、ダンス★マンがゴスペラーズに歌唱指導したんですか」と尋ねると「いや、指導というか、こういう感じてって一言言うと、こうしようか、とか、こんな感じのハモリでどう、なんてどんどんすぐにできちゃうんですよ。たぶん、1−2テイクでできたんじゃないかな」とのこと。

「ところで、ミラーボールでは、こうしたダンス、ディスコ曲とか、ユーロビートなんかもはやってるんですか」と尋ねると、「いや、個人的にはユーロビートみたいのは、あんまり好きじゃないんですが・・・」とのこと。どうやら、たとえば、「ジンギスカン」みたいな曲は、昔は死ぬほど嫌いだったけど、もはや、「敵はそこにはない」と確信するに至ったらしい。最近「ヘヴィーメタル系」のほうが、音楽的に熱く、怖いと感じているそうだ。

どうやら元々はブラックのファンク好きだったらしく、「ジンギスカン」のような曲は見下ろしていたらしい。なるほど、ここにもダンス★マンのダンスミュージックにかけるプライドを見た! 

■ダンスマン・ウェッブ
http://danceman.jp/index.html

■ダンスマン リターンズ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000RRD49U/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ダンスマン、ソウルパワー(7月30日、31日武道館、8月11日大阪)に出演。また2007年9月9日(日)『サマー・ファンク・フェスティヴァル」(横浜ランドマーク・ホール)で主演する。

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【ガッツ、ドリカムのコーラスに抜擢される】

大抜擢。

『ソウル・サーチン:ザ・セッション』イヴェントでもレギュラーとして、またソウル・サーチャーズのギター&ヴォーカルとして、さらにソロ・アーティストとしても活動を続けるガッツが、このほど、日本の人気グループ、ドリームズ・カム・トゥルー(アーティスト名の表記は、DREAMS COME TRUE)(以下、ドリカム)のツアーのバックコーラスの一員に抜擢された。

これは『史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007』と題される全国のドームを中心に計13本行われる大規模ツアーで、1991年から4年に一度行われているもの。今年はおよそ35万人を動員する、という。

今回はこのバックコーラスを一般公募で集めた。約3000人の応募があり、まず、書類選考で10人が選ばれ、その中から5人が選ばれ6月末のイヴェントに参加、そして、最終的に2人が選ばれ、本ツアーへの参加となった。ガッツは、その2人のうちの1人。倍率は1500倍ということになる。ガッツは他の応募者同様に必要種類と資料を提出し、オーディションを受け、栄光の切符を手に入れた。この書類には、彼は本名の「中澤信栄(なかざわ・のぶよし)」で応募、合格が発表されたときも、この名前が告知された。

なお、この5人の中には、同じくソウル・サーチャーでもあるマル(maru)が、ガッツとはまったく別に一般応募、選ばれていたが、残念ながら最後の2人には入ることができなかった。ソウル・サーチャーから3000人中5人の中に2人が入ったことも驚異的だ。

ガッツは、アーティスト表記を、しばらく前に関ジャニ∞(カンジャニ・エイト)に楽曲を提供したときから、それまでのGats からGatz に変更しており、ドリカムのツアーのときにはGatzの表記になる模様。ツアーは2007年8月4日の札幌ドームからスタートするが、チケットはほぼ完売になっているという。

ガッツは、正式な合格通知を7月1日にもらい、2日からすでにリハーサルに入っている。その合格の喜びを自分のブログに書いている。

http://tkb.gats.tv/
(↓2007年7月5日付けの日記)
http://tkb.gats.tv/?day=20070705

■ガッツ・過去関連記事

May 10, 2007
Gats Live: Mr. Bassman Will Be Break This Year
【今年は火がつくガッツのライヴ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001762.html
(↑ここにガッツの過去記事一覧)

■ガッツは2007年8月23日(木曜)、24日(金曜)、横浜モーション・ブルーで単独ライヴを行う。これはオーディション合格前から決まっていたもの。

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■史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007

2007.08.04 札幌ドーム
08.05 札幌ドーム[Official Fan Club POWER PLANT SPECIAL LIVE]
08.11 福岡Yahoo!JAPANドーム
08.12 福岡Yahoo!JAPANドーム
08.18 さぬき市野外音楽広場テアトロン
08.19 さぬき市野外音楽広場テアトロン
08.25 つがる地球村 野外円形劇場
09.01 ナゴヤドーム
09.02 ナゴヤドーム
09.08 京セラドーム大阪
09.09 京セラドーム大阪
09.22 国立競技場
09.23 国立競技場
(詳細は、ドリームズ・カム・トゥルーの公式ページなどをごらんください)
http://www.dwl2007.com
http://www.dctgarden.com

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Marlene Live 

2007年7月9日
【マリーン・ライヴ】

継続。

2007年4月25日にメジャーから16年ぶりのアルバム『ジャズン・アウト(Jazz’n Out)』をリリースしたフィリピン出身のジャズ・シンガー、マリーンが大阪、名古屋のブルーノートを経てブルーノート東京で2日間ライヴを行った。マリーンといえば、1980年代初頭からずっと日本のジャズシーンで人気を得たシンガー。なんと土日ということもあってか、2日間4ステージすべて超満員。3桁の数の予約を断らなければならないほどの大入りになった。

このライヴは、新作でタグを組んだ本田雅人率いるビッグバンドとの共演。マリーンのライヴはずいぶん前に六本木のライヴハウスでバンド編成で見たが、今回はビッグバンドをバックということでずいぶん贅沢な感じがした。

それにしてもこの人気は何なのだろう。久々のメジャーからの新作、本田さんのビッグバンドとの共演、昔からの固定したファン層、このリッチなビッグバンドに日本人受けする人気曲の選曲。さまざまな要因がからまっているのだろう。ステージを見ていて、彼女のかわいらしいキャラクターも人気の秘密の一部だということも感じた。また、歌い続けること、継続が力、それが人気の土台になっている。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000NQDES6/soulsearchiho-22/ref=nosim/

メンバー

Marlene(vo)
マリーン(ヴォーカル)
Masato Honda(sax)
本田雅人(サックス)
=Big Band Station=
Andy Wulf(sax)
アンディ・ウルフ(サックス)
Kazuhiko Kondo(sax)
近藤和彦(サックス)*7/8sun.のみ
Yuya Yoneda(sax)
米田裕也(サックス)
Shuuichi Kuwata(sax)
鍬田修一(サックス)
Satoshi Sano(tb)
佐野聡(トロンボーン)
Taro Kiyooka(tb)
清岡太郎(トロンボーン)
Gakutaro Miyauchi(tb)
宮内岳太郎(トロンボーン)
Mitsuaki Uchida(tb)
内田光昭(トンボーン)
Isao Sakuma(tb)
佐久間勲(トロンボーン)
Naruhiro Kikuchi(tp)
菊地成浩(トランペット)
Ueishi Osamu(tp)
上石統(トランペット)
Masahiro Kobayash(tp)
小林正弘(トランペット)
Jun Kajiwara(g)
梶原順(ギター)
Shinji Akita(p)
秋田慎治(ピアノ)
Kiichiro Komobuchi(b)
コモブチキイチロウ(ベース)
Setsu Fujii(ds)
藤井摂(ドラムス)

Setlist : Marlene @ Blue Note Tokyo, July 8, 2007
セットリスト マリーン ブルーノート東京 2007年7月8日

Show started 21:17
01. Theme For B.B.S(Instrumental)
02. Sing Sing Sing
03. Can’t Take My Eyes Off Of You
04. In The Quiet Blue
05. You’ll Never Get To Heaven (If You Break My Heart)
06. Left Alone (Sano Satoshi on Harmonica)
07. It’s Magic
08. I Was Born To Love You
Enc.1. Dazzle The Night
Enc.2. Tennessee Waltz
show ended 22:58

(2007年7月8日日曜、東京ブルーノート=マリーン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Marlene
2007-87


【オリジナル・ドリフターズ、ビル・ピンクニー死去】

オリジナル。

1950年代後半から1960年代初期にかけていくつものR&Bヒットを放ったR&Bヴォーカル・グループ、ドリフターズのオリジナル・メンバーのひとり、ビル・ピンクニーが2007年7月4日、フロリダ州のホテル「ヒルトン・デイトナ・ビーチ・オーシャンフロント・リゾート」で死去した。81歳だった。ピンクニーはこの夜、ここでライヴを行う予定だった。死因は発表されていないが、事件性はない模様。独立記念日のライヴは彼なしで行われ、ライヴ終了後にピンクニーの死が発表された。彼の死により、ドリフターズのオリジナル・メンバーは全員死去したことになる。

ビルは、1925年8月15日サウス・キャロライナ州ダルゼルという街に生まれた。ゴスペルを歌っていたが、幼少の頃の夢は野球選手になることで、ニグロ・リーグの「ニューヨーク・ブルー・ソックス」のピッチャーでもあった。その後第二次世界大戦に従軍、除隊後、再びゴスペルを歌いだした。

1953年、クライド・マックファーターに誘われ、彼の新しいヴォーカル・グループ、ドリフターズの創世期に参加。当初はベース・バリトンを担当していたが、まもなくベース専任になる。1954年に録音された「ホワイト・クリスマス」は、後の1990年、映画『ホーム・アローン』で使われた。

しかし、1958年金銭面でグループ・マネージャーと衝突、ドリフターズを脱退。この時点までに、グループの創設者クライド・マクファーターは、グループの名前の権利をマネージャーに売却。クライドはその後、ソロ・シンガーに転じた。マネージャーは新たにメンバーを募り、オリジナルとはまったく別個の新生ドリフターズを結成。ここにベンEキングらがいた。ドリフターズはその後「アンダー・ザ・ボードウォーク」、「セイヴ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー」などの大ヒットを放つ。このとき、ほぼオリジナル・メンバーが脱退したため、ビルは彼らを誘い、新たに「オリジナル・ドリフターズ」を結成。本家と争いながらも、精力的にライヴ活動を続け、人気を集めた。

ビルのドリフターズはある意味で、オリジナルとして認知され、「リズム&ブルーズ基金」、「ロックンロール・ホール・オブ・フェーム」など多くの賞を獲得した。

□関連記事
ドリフターズ・ライヴ

February 24, 2007
Drifters Live: Nice Oldies Show, Impressed By Bass Vocal
http://blog.soulsearchin.com/archives/001606.html

ENT>OBITUARY> Pinkney, Bill(August 25, 1925 - July 4th, 2007, 81 years old)
【”Jazz”アルバムにマルがゲスト】

ジャズ。

『ソウル・サーチン』でもおなじみの女性シンガー、マル(アーティスト表記はMaru)がニューヨークを本拠として活躍するベース奏者塩田哲嗣(しおた・のりひで)さんプロデュースのアルバム『JAZZ!!』で2曲でゲスト・ヴォーカルを披露している。このアルバムは、サックスの太田剣さん、アーブ(urb)の類家心平さんらを集めてジャズのスタンダードを録音した作品。そこで、マルが「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」と「ラウンド・ミッドナイト」でジャズ・ヴォーカルを聞かせている。かなり大人っぽい雰囲気だ。

マルは、このところ、ソウル・シーカーズでのソウル曲、また、六本木のライヴハウス、アルフィーでのジャズ系ライヴ、そして、自分自身のバンドでのコンテンポラリーでソウルフルな作品群など、幅広い活躍を見せている。

アルバムのタイトルは、『SUPER★STARS』と★印が入る。じつは、塩田さんは名刺にも星マークをいれている。ファンキーなベース奏者、ブッチー・コリンズもロゴの一部に★印をいれているが、そののり。たまたま以前インタヴューしたときに、僕の名刺を渡したら、僕の名刺にも星印があって、「ここにも星印があるじゃないですか」ということでファンキー・ピープルに星は必須だという結論になった。(笑) 

またマルは、9月に行われるあるシンガーのバックコーラスに抜擢された。まだ発表できないが、まもなく詳細が発表されるだろう。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000PIU0M0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>ARTIST>maru
【スターバックス、ポール・マッカートニーと契約】

融合。

コーヒーでおなじみのスターバックスが音楽に本格的に参入、「ヒア・ミュージック」というレーベルを2007年3月にスタートさせ、その第一弾アーティストとして、ポール・マッカートニーと契約、同レーベルからのデビュー作『オールモスト・メモリー・フル』を2007年6月リリースした。

スターバックスは、限られたオムニバス・アルバムなどをすでに店内で発売していたが、新録による新譜をリリースするのは初めてのこと。

スターバックスの音楽部門「ヒア・ミュージック」には現在4つのセクションがあり、1)CDのスターバックスにおける店頭販売、2)店内でのXMラジオという衛星ラジオ放送の運営、3)「ヒア・ミュージック」のロゴを冠した音楽ショップ、4)「ヒア・ミュージック・レーベル」の運営を担当する。

2006年末現在で3)にあたる「ヒア・ミュージック・コーヒー・ショップ」はサンタモニカ(カリフォルニア州=2004年3月オープンの1号店)、サンアンオトニオ(テキサス州)、マイアミ(フロリダ州)、ベルヴュー(ワシントン州)と計4店舗ある。このほか、スターバックスのコーヒー店10店舗には、「ヒア・ミュージック」の「メディア・バー」というものがあり、ここではパソコンが置いてあり、料金を払って多くの楽曲から独自のCDを焼けるようになっている、という。

これらの店頭でのシステムはコーヒー・ハウスのライブラリーにあるCDをバーコードでスキャンして店のPCなどで聞く。ここまでは無料。その中で気に入ったものがあれば、それぞれ規定の料金を払って、好きに独自のCDに焼くことができる。もちろん、一枚のCDそのものを買うこともできるし、7曲まで8ドル99セントで焼くことができる。(追加は1曲ごとに99セント)。店内には約2500枚のCDがある。

「ヒア・ミュージック」自体は、1990年に設立されたカタログを扱う会社だったが、1999年、スターバックスに買収されていた。当初は、アトランティック、モータウン、ブルーノートなどの旧譜のコンピレーション・アルバムなどを独自に制作、スターバックスのレジ前などで販売していた。2004年にレイ・チャールズの遺作となった『ジニアス・ラヴズ・カンパニー』のアルバムを店頭で販売したところ、爆発的に売れ、最終的には280万枚以上の全米でのセールスのうち、70万枚近くをスターバックスで販売するに至った。

これを機にスターバックスでは新作の販売を強化し始めるようになり、2005年にはアラニス・モリセットのアコースティック・ヴァージョンの『ジャグド・リトル・ピル』のアルバムをスターバックス独占で6週間発売した。

そして、2007年3月12日、スターバックスはコンコルド・ミュージックと販売契約を結び、「ヒア・ミュージック・レーベル」をスタート。その記念すべき第一弾アーティストとしてポール・マッカートニーと契約した。第一弾アルバム『メモリー・オールモスト・フル』は日本でも先月リリースされている。

スターバックスのヒア・ミュージックのサイトに行くと、同店でプレイされているアルバムのベスト10なども発表されているが、これが、通常のビルボードのベスト10などとは違ってユニークでおもしろい。

http://www.hearmusic.com/#NOW_PLAYING

従来のCDショップでの販売とインターネットでのダウンロードでの音楽販売のちょうど中間点的な音楽販売方法だ。逆にCDショップでもこうした販売方法も模索できそうだ。

□ポール・マッカートニー新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000PDZNQS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>MUSIC>NEWS
【悲しみを黄金に変えるピアニスト、フジ子ヘミング】

黄金。

楽譜とは、音の高さ、長さをメモ書きしたものにすぎない。楽譜とは、小説や文章で言えば、ただの一文字の羅列だ。

文章をコンピューターが読むと、ひじょうに平板になる。よくある機械音が話すような抑揚がない感じだ。しかしナレーション、朗読が上手な人が読めば、心がこもる音になり物語に血が通う。文章をどのように上手に読むか、それはその読む人、声を出す人の心、気持ち、ソウルにかかってくる。歌も同じだ。歌詞カードに書かれた文字は、どのような文字で書かれていても、みな同じである。しかし、そこに感動が吹き込まれるのは歌い手によって「命」が与えられるからだ。

日曜日(2007年7月1日)にテレビ朝日系列で放送された『永遠のカンパネラ〜フジコ・ヘミング愛と魂の200日〜』がなかなかおもしろかった。その中で美輪明宏との対談で、クラシック・ピアノ奏者フジ子ヘミングは、とある音楽評論家が彼女のショパンの演奏を、楽譜で書かれた音符よりも何倍も演奏して何事かと批判的に書いていたことを笑っていた。

彼女と美輪明宏の言葉には、いくつも素晴らしいメッセージがあった。そのいくつかをアットランダムに。

フジコ。「ごはんは残すのが嫌い。米粒ひとつ残すのも嫌い。そういう風に母、祖母に育てられたんですよ。あるとき、ごはん粒をこぼして、納屋にいれられたことがあった。でも、あれはいい教育だったと思いますね。今、日本のレストランってたくさん物を残すでしょう。あれだけのものがあれば、どれだけ世界中の人を救えるのか。どうなっちゃってるんでしょうねって思いますね」

フジコ。「ある音楽評論家が、私のショパンを聞いて、楽譜では四分音符なのに、なぜ、フジコは3倍も伸ばすのかって批判してた。譜面にかかれている中から詩を読み取って、人に涙を流させる演奏をするのが、演奏家の才能であってね。譜面にないことをするのが、演奏家なんですよ(笑)」

美輪。「初めてテレビであなたの演奏を見て、それからCD買って聴いて、演奏会に行って、いつも言うんだけど、あなたの音楽は『現代のもの』とは思えないって。それに感動しちゃってね・・・。(あなたの音楽の素晴らしさは)時代とか、人間性とか、(あなたが持つ)美意識だと思う。美しいものに対する感度ね・・・」

フジコ。「ミシャ・マイスキー(ラトビアの世界的チェロ奏者)が(私のピアノを聴いて)別世界だと言ったそうよ」

フジコ。「自分の演奏を、(上手に弾いて)聴かせてやろうなんて思うと、必ず間違える。神様のバチがあたるのね。いったい、神様、どこで見てるんだろうって(笑)」

フジコ。「(ピアニストとしていい演奏をしても)ずっと認められないで終わる人もたくさんいますよ。でも私の場合(幸運にも)一夜にして認められた。きっと、神様が私のために(そういう)プログラムを作っておいてくれたんだと思う。いつも、周りの人に愛を与えなさい、って言われてたから、そうしてきた。それをやってれば、神が助けてくれますよって。モーツァルトは、(晩年不遇で)死んでしまったけど、私は生きて、今こうしている・・・」

フジコ。「相手を受け入れるということをすれば、戦争なんか起きないわよ。相手が気に入らない、ってことがあるからいさかいが起こる」

美輪。「音楽というのは、情緒とか心とか、そういうプラス・アルファだと思うんですよね。人間が持っている心、魂、ロマンとか、そうしたものがその指先から出て、ピアノに伝わって振動となってお客さんの心に波動として伝わる。お客さんにそういう受信機があれば、その波動が伝わる。つまり、それは『精神の波動』ね。メカニックのようなものと音楽という芸術のようなものは、まったく対極にあると思う。そうしたメカニックな(心が通っていない)ものばっかりに触れていると、若い人は精神的、神経的におかしくなってしまうのではないかしら。そこには潤い(うるおい)とか、美意識とか、情緒とかそうしたものがないから。だから、平気で人を傷つけたり、殺したりして『なんでいけないの』ってなことになってしまうんだと思う」

フジコ。「私は自分のピアノ聴いて、泣くなんてことはない。泣くなんて浅いですよ。若い頃、涙が枯れるくらい本当に泣いたからね。(笑)(数々の自分の苦難の歴史による)悲しみが、私(の場合)は、黄金になったからね。今、思い出したら、よかったと思いますよ。(あの頃のことが)私の雨となり、血となって、汗となって、私の体に入り込んだんだから。あれがなかったら(何もない)」

芸術家、アーティストという職業は、どんな苦しいこと、悲しいこと、そして、うれしいことが何十年と続いてもそれを黄金に変えられる唯一の職業である。だから、これ以上どん底はない、悲しい、苦しいと思ったら、職業をアーティストにしてしまえばいい。

彼女のピアノは「魂のピアノ」と呼ばれる。

彼女はその「魂のピアノ」を弾く自分の指を「大根のような指」という。

彼女は60歳を超えてから注目されるようになった。

彼女は「黄昏(たそがれ)」が好きだ。特に10月の。

彼女は20匹近くのネコと1匹の犬とともに(日本では)下北沢に暮らしている。

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フジ子ヘミングの表記は、フジコ・ヘミング、フジ子・ヘミングなどがあります。また英文字表記は、Fujiko Hemming が一般的ですが、正確にはIngrid Fuzjko Von Georgii-Hemming とFuzjkoになるようです。

ENT>MUSIC>TV>Hemming, Fujiko
ENT>MUSIC>ARTIST>Hemming, Fujiko
【スライ&ファミリー・ストーンこの夏再結成】

奇跡。

1960年代後期にサンフランシスコで結成され、ファンクとロックを融合し独特のサウンドを作り上げたスライ・ストーン率いるスライ&ファミリー・ストーンがグループを久々に結成。この夏10都市でのヨーロッパ・ツアーを敢行する。

日程は次の通り。下記リストは2007年7月、()内が日にち。7月12日イタリアのウンブリア・ジャズ・フェスがトップを飾る。

Umbria Jazz - Umbria, Perugia, Italy (July 12)
Montreux Jazz Festival - Montreux, Switzerland (July 13)
Blue Note Festival - Gent, Belgium (July 14)
North Sea Jazz Festival - Rotterdam, Holland (July 15)
Nice Jazz - Nice, France (July 19)
Pori Jazz festival - Pori, Finland (July 20)
Lovebox Weekender, London, England (July 21)
Olympia Hall - Paris, France (July 23)
Jazzaldia - San Sebastian, Spain (July 27)
Opera House, Bournemouth Opera House (July 28)

スライ・ストーンは昨年2月のグラミー賞に2分少々顔を見せたが、それだけでも話題を集めた。イギリスでのライヴが行われるのは、1987年以来20年ぶりとなる、という。おそらく、ツアーもそれ以来、また、スライが入るものとなると、それ以上ぶりのことになるのだろう。

今年のヨーロッパで行われるジャズ・フェスの大きな目玉となりそうだ。

グループには、オリジナル・メンバーのシンシア・ロビンソンなども参加するが、ベース奏者のラリー・グラハムの名前は見えない。

スライについては、過去10数年、実質的な活動がなく、ドラッグ中毒でなかなか再起できないのではないかとうわさされていた。そこで昨年、グラミーにほんの瞬間だったが、登場したことは大きな期待を抱かせた。1970年代には数々のどたキャンなどを見せてきたスライたち、果たしてツアーは無事終了するか、大いに注目される。しかも、ライヴがよかったりした場合、奇跡の復活ということになりそうだ。

□スライ&ザ・ファミリー・ストーン 『暴動』アルバム(紙ジャケ)

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ENT>MUSIC>ARTISTS>Sly & Family Stone
【幸せの黄色いリボン・物語】

象徴。

日本では『幸せの黄色いハンカチ』という映画が有名になった。山田洋次監督による1977年の作品だ。

その元になったのが、トニー・オーランドー&ザ・ドーンが1973年に放った全米ナンバーワン・ヒット「タイ・ア・イエロー・リボン・オール・オーク・トゥリー(邦題、幸せの黄色いリボン=直訳は、古い樫の木に黄色のリボンを巻きつけておいて)」という曲。

曲か映画のどちらかはご存知の方は多いと思うが、一応「幸せの黄色いリボン」のストーリーをご存知ない方のために簡単にご紹介しよう。このストーリーは、1971年コラムニスト・作家であるピート・ハミルがニューヨーク・ポスト紙に書いた「ゴーイング・ホーム」という記事が元になっているとされる。

ひとりの学生がフロリダ州フォート・ローダーデールからバスに乗った。その中で刑期を終えた元囚人と知り合う。その彼は故郷に帰るが、妻にもしまだ自分とやり直せるのなら、その街の入口にある樫の木に黄色いリボンを一本巻いておいてくれと手紙を書いていた。もしリボンが巻かれていたら、自分はそこでバスを降りて君の元に戻る。しかし、もし結婚していたり、僕とやり直せないと思ったらリボンは巻かないでいい。リボンがなければ、自分はそっとそのままバスに乗り続けどこかもっと遠くへ行こう。

その話は、バスに乗っていたみんなの知るところとなり、その街に近づくにつれ全員が緊張してきた。果たしてリボンは巻かれているか否か。ついに彼の故郷の街の入口にやってきた。そこで彼らが見たものは、一本ではなく、樫の木いっぱいに巻かれていた無数のリボンだった。それを見たバスの客たちは歓喜の歓声をあげた。

この感動的なストーリーは、9ヵ月後の1972年6月号の「リーダーズ・ダイジェスト」誌に載録され、さらに多くの人たちが知ることになった。

ピート・ハミルは、これを口伝えの伝説として聞き、記事に書いたとのことだ。

「リーダーズ・ダイジェスト」に掲載されてまもなく、1972年6月に三大ネットワークのABCがこの話をドラマ仕立てにしてオンエアした。このときの元囚人は、ブラックの俳優ジェームス・アール・ジョーンズが演じた。

そして、それから1ヵ月半後、ソングライターのアーウィン・レヴィンとL・ラッセル・ブラウンの二人が「タイ・ア・イエロー・リボン・ラウンド・ジ・オール・オーク・トゥリー」という曲を書き、その楽曲の著作権登録をしたという。彼ら自身は、このストーリーを軍隊にいた頃に聞いたという。

この曲はトニー・オーランドー&ザ・ドーンによってレコーディングされ、1973年2月から大ヒット。300万枚のセールスを記録、世界中で聞かれることになる。そして、このヒットを見て穏やかでなくなったのが、先にこのストーリーをコラムに書いたピート・ハミルだ。そこでこの曲のことを知ったピート・ハミルは、彼ら(ソングライター)に対して訴訟を起こした。

この楽曲は続く17年間にラジオでトータルで300万回はプレイされたと推計された。

訴訟は、しかし、ソングライターたちがこの物語がハミルが書く以前に書かれた似たようなストーリーを見つけ出し、取り下げられることになった。

そして、この曲の話を聞いた日本の映画監督山田洋次がぜひとも日本ヴァージョンを作りたいと考え、少しばかり日本風にアレンジして『幸せの黄色いハンカチ』として映画化したわけである。日本版では囚人役を高倉健が演じていた。ずっと待ちつづけた妻が倍賞千恵子、旅のお供が武田鉄也と桃井かおりだ。

以後、この「黄色いリボン」は、たとえば、捕らえられている人が解放されるとき、囚人が戻ってくるとき、さらにそれが広義に捉えられ、イランのアメリカ大使館人質事件の人質実解放のとき(1981年1月)、湾岸戦争の兵士が帰国するとき(1991年1月以降)などに、象徴的に使われるようになった。

この「幸せの黄色いリボン」をプロデュースした二人のうち一人が、ハンク・メドレスだった。

ENT>MUSIC>STORY>Tie A Yellow Ribbon ’Round The Ole Oak Tree
【「ライオンは寝ている」のメンバー、ハンク・メドレス死去】

ライオン。

1960年代に活躍した白人ヴォーカル・グループ、トーケンズのメンバーで後にプロデューサーとなったハンク・メドレスが2007年6月18日(月曜)ニューヨーク・マンハッタンの自宅で肺がんのため死去した。68歳だった。

ハンク・メドレスは1938年11月19日ニューヨーク・ブルックリン生まれ。彼は地元ブルックリンのリンカーン・ハイスクール生だった十代の1955年、友人で同級生のニール・セダカらとともに「リンク・トーンズ」という5人組ヴォーカル・グループを結成。当時ニューヨークでは多くの若者が、街角で歌うストリート・コーナー・シンフォニーを作り、明日への成功を夢みていた。ニール・セダカはソロになるために1958年グループを脱退するが、4人でグループを継続、若干のメンバーチェンジを経て「トーケンズ」となった。

1961年トーケンズは、1952年にウィーヴァーズというグループがヒットさせた「ウイモエー」という曲を「ライオン・スリープス・トゥナイト」と改題し世に送り出し、1962年初頭から大ヒット。ただしここでハイヴォイスを聞かせるのはリード・シンガー、ジェイ・シーゲル。「ライオン・・・」は、アカペラ、ドゥー・ワップなどの愛好者からもっとも愛されている作品のひとつで、最初にヴォーカル・グループをやろうとするときに基本として練習するようなクラシックになった。

トーケンズはその後小ヒットを出すが、メドレスらは若手育成に力を注ぎ、ガール・グループ、シフォンズをてがけ、彼女たちの「ヒーズ・ソー・ファイン」(1963年2月からヒット、全米ナンバーワン)、「ワン・ファイン・デイ」(1963年6月からヒット、全米5位)などが大ヒットした。これを機にメドレスの興味は自分が表だって歌うのではなく、裏方でヒットを作るほうへ移っていったといわれる。

メドレスは、パートナーのデイヴ・アッペルとともに1970年代に入ってトニー・オーランドー&ザ・ドーンをプロデュース。ドーンは「キャンディダ」(1970年7月、全米3位)、「ノック・スリー・タイムス」(1970年11月からヒット、全米1位)、「タイ・ア・イエロー・リボン・ラウンド・ジ・オール・オーク・トゥリー(邦題、幸せの黄色いリボン)」(1973年2月からヒット、全米1位)などポップな大ヒットを放つ。この「幸せの黄色いリボン」は、実話を元にした歌詞で、そのストーリーに感銘を受けた山田洋次監督が日本で『幸せの黄色いハンカチ』と改題し映画化、ヒットした。「キャンディダ」でバックコーラスをつけていたひとりは、「ライオン」のリード・シンガー、ジェイ・シーゲルだそうだ。

1980年代には、ニューヨーク・ドールズのシンガー、デイヴィッド・ヨハンセンをプロデュースしたりしていた。

1990年から1992年までカナダのEMI音楽出版の社長に就任、ニューヨークに戻ってからはライヴハウス「ボトム・ライン」が始めた「ボトム・ライン・レコード」をてがけていた。

メドレスは、4人の子供、2人の孫によって送られた。

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ニュース。

このハンク・メドレス死去のニュースは昨日日曜(1日)の山下達郎さんの『サンデイ・ソング・ブック』を聞いていて知った。あわてて調べると、もう2週間前に亡くなっているではないか。気が付かなかった。そこで、さっそく調べて訃報記事を書いたのが上記のもの。

で、いろいろ調べていたら、けっこうおもしろいことがわかった。メドレスについては、僕は最初はドーンのプロデューサーとして知った。1970年頃だ。いわゆる「バブルガム・ポップ」のプロデューサーという認識だった。その後、トーケンズのメンバーだったことを知る。だが、それ以降はすっかり意識もしていなかった。

今回調べて、トーケンズの前身にニール・セダカがいたとか、ドーンの「キャンディダ」のバックにトーケンズのリードシンガー、ジェイがはいっていたとか、また、例の「幸せの黄色いリボン」の誕生秘話の詳しいヴァージョンなどを知った。「黄色いリボン」は、コラムニスト、ピート・ハミルのコラム原稿から始まったのかと思っていたが、どうもそれ以前にストーリーがあったらしい。

そのあたりについては明日、書いてみたい。

ENT>OBITUARY>Medress, Hank (November 19, 1938 - June 18, 2007, 68 years old)
【混乱と悶絶と新たな旅立ち】

再出発。

先月まで恵比寿アートカフェで行われていた月一のピアノ・パーティーが、アートカフェの閉店により終了し、場所を改めて「キーボード・パーティー」になり再スタート。場所は、深町さんが昨年12月に祐天寺にオープンした自身のカフェ「FJ’ズ」。

すべてが変わり、いろいろと興味深かった。気づいた点をいくつか。

最大の違いは、ここではアコースティックのグランド・ピアノではなく、ヤマハのCP80という電気ピアノがプレイされているということ。これは電子ピアノではなく、実際に弦がありそれをハンマーで叩き、その叩いた音をピックで拾いアンプで増幅しスピーカーに出す。ちょうどエレキ・ギターのようなものだ、と深町さんは解説する。ある意味アナログな電気ピアノだ。

この日なによりも驚いたのが、深町さんがライヴ・スタートして1時間以上、まったくしゃべらずにピアノを弾き続けたこと。4曲を約65分ほどノンストップで演奏。前代未聞だ。かと思えば、それから約1時間弱、しゃべり続けた。

CP80からかもし出される音は、ときにシンセサイザーのようでもあり、クラビネットのようでもあり、アコースティック・ピアノに似た音だったりする。音色が多数あるのが、グランド・ピアノとの決定的な違いだ。ひとつのキーボードから即興演奏でこれだけのヴァリエーションが次々だされたら、それはそれで楽しい。

最初僕は深町さんの正面に座っていたのだが、音がなかなか僕に入り込んでこなかったので、どこかいい場所はないかと探したら、二つのスピーカーの正面中央がそこそこいい場所ということに気づき、席を移動することにした。常連さんたちは先にそこら辺に座っていて、なるほどと思った。

ところが移動後もなかなか集中できなかったので、いろいろ考えてみた。ドアがオープンされていて、駒沢通りを行き来する車の音がけっこう聞こえてくる。この「FJ’ズ」の床がコンクリートのような素材、さらに天井がほぼ打ちっぱなし風、配管などが剥き出しのままなので、音の環境がライヴ、つまり、かなり響く。アートカフェは、床は木、壁もしっくいということで意外と音を吸収していた。また、この日は観客が20名少しということで人が多ければもっと吸収されたであろうが、それもなかった。

しかし、それでも決定的に違うのは音が二つのスピーカーから聞こえてくることだった。正確に言うと、二つのスピーカーからしか聞こえてこないのである。グランドピアノは、ピアノという楽器すべてから音がでてくる。演奏者が鍵盤を叩く、それが弦を叩く、叩かれた弦の音が共鳴して、音が空気の振動となって人々に伝わる。だが、スピーカーからでてくる音だけでは、どうしても空気の振動がものたりない。音量が大きくてもただ大きいだけでだめなのだ。アートカフェでは、アンプ、スピーカーは使っていなかった。グランドピアノが体すべてで生み出す音そのものを空気の振動で感じていた。だから、この日は楽器の音を聞いているというより、むしろ、電気の機械から出てくる音を聞いている感じだった。そう、楽器ではなく機械だ。あるいは、ちょっと音の大きなステレオから音がでてくる、そんなニュアンスだ。

これは想像でしなかないが、おそらく演奏者である深町さんも無意識のうちにアートカフェ・マナーでこのCP80をプレイし、その返り、応答がまったく違うので戸惑ってしまったのではないだろうか。演奏家は観客とコール&レスポンスしながらパフォームする。観客のレスがよければ、それは演奏にも跳ね返る。そのコール&レスポンスは、実は演奏家は演奏家と楽器の間でもやっているのだ。

最初、深町さんはこのCP80をあまりプレイしていないのかと思った。しかし演奏後に聞けば、深町さんはこのCP80はすでに20年以上プレイしているという。ということは、この機械の特性や、得意とするところは熟知しているはずだ。実際、クラビネット風の音などは70年代ファンクバンドがやりそうな感じで僕にとってはひじょうに新鮮だった。

珍しく途中休憩もなく演奏とトークが続いた。さらに前代未聞、深町さんは曲を終えて弱音を吐いた。「どうも、今日はだめなんだよねえ。いいフレーズがうかんでこない。実は、(先月までの)アートカフェでは毎月60人くらいの人が来てくれていたんです。でも、今日はそこからは10人くらいしか来てない。初めての人もいますが。それがちょっとショックでねえ。アートカフェだから行くというのもわかるんですが」 常連から檄や応援、喝采も飛んだ。「アートカフェと深町さんという融合で化学反応が起こってああなったわけで、まだここでは初めてなんだから、これから作ればいいんじゃないですか」といったことを僕も言った。「不安な音楽家の機微がいいね(苦笑)」と声が飛んだ。

しかしおもしろいことも言っていた。「いい演奏ができないと、いい演奏ができるまでいくらでも弾いちゃうかもしれない」 それはそれでいいかもなんて思った。

そんな弱音の後プレイした曲はかなりおもしろかった。僕は勝手にその曲にタイトルをつけた。「悶絶(もんぜつ)」だ。相当な苦悩ともんもんとした様子が読み取れた。

そしてこの曲を聴いているときに思った。深町純という卓越したキーボード奏者のダイナミズムにこのCP80という機械は十分に応えられるキャパシティーがないのではないか、と。どうしてもでてくる音が平板な印象がぬぐえないのだ。プレイヤーの力量と機械の力の差が出てしまう。少なくともグランドピアノの場合は拮抗していたにもかかわらずである。

おそらく、グランドピアノにはグランドピアノに向いたプレイの仕方、シンセにはシンセ向きのプレイ、そして、このCP80という電気ピアノにはそれ向きの、しかも、この「FJズ」という会場でのプレイの仕方があるのだろう。それがまだ見出せていないのだが、深町さんのことだから、すぐにその解答を見出すだろう。

なにしろ、床も違う、天井も違う、壁も違う、ハコが違う。何より楽器が違う。音楽を楽しむ上の諸条件いくたある中で唯一同じものは、演奏家が深町純であるというだけだ。気にすることはありません。きっと何年か経ってこの第一回のことを思い出したら、「ああ、あの日はどうなることかと思った」と笑って振り返ることができるだろう。「FJ’ズ」でのキーボード・パーティーをこれから作っていけばいいのだ。

聞く側も演奏する側も、6年以上アートカフェに慣れてきた。そこからの脱却は一朝一夕でいかなくとも恥じることはない。

テレビシリーズでもシーズン2の初回などは時間延長で放送するもの。(笑) 前代未聞の3時間弱休憩なしのライヴ、混乱と悶絶と発見によって再出発の扉が開いた。

(深町純、キーボード・パーティーは毎月最終土曜日、東急・東横線祐天寺・「FJ’ズ」にて開催されます。次回は7月28日です)

■深町純オフィシャル・ウェッブ
http://www.bekkoame.ne.jp/~cisum/

■FJ’ズ オフィシャル・ウェッブ
http://fjs.fukamachi-jun.com/

■Setlist: Fukamachi Jun #78 @ FJ’s, Yutenji, June 30th, 2007 (Saturday)
セットリスト 深町純 キーボードパーティー第78回(第1回)

show started 19:45
01. 2007年6月30日19時45分の作品 (24.24)
02. 2007年6月30日20時10分の作品 (12.23)
03. 2007年6月30日20時22分の作品 (14.51) 
04. 2007年6月30日20時37分の作品 (13.13)
>talk (54 minutes)
05. 2007年6月30日21時44分の作品 (19.30)
>talk(4 minutes)
06. 2007年6月30日22時08分の作品(悶絶)(17.23)
07. 2007年6月30日22時25分の作品(宮沢喜一氏へ捧ぐ)(8.24)
show ended 22:35

■過去の音楽比率(ライヴ全体の中での音楽の割合を表します)(単位は%)

2005年11月 第一部 41.70 第二部 51.82
2005年12月 第一部 39.86 第二部 58.91
2006年01月 第一部 58.81 第二部 67.23
2006年02月 第一部 38.4  第二部 49.7
2006年03月 第一部 50.9  第二部 92.7
2006年04月 第一部 53.1   第二部 57.3
2006年05月 第一部 45.15 第二部 82.08
2006年06月 第一部 52.16 第二部 59.02
2006年09月 第一部 47.77 第二部 77.63
2007年01月 第一部 65.53 第二部 54.97
2007年02月 第一部 53.88 第二部 49.33
2007年04月 第一部 65.26 第二部 68.58
2007年05月 第一部 40.89 第二部 58.19
2007年06月 第一部(通し)64.78

(2007年6月30日土曜、祐天寺FJ’ズ=深町純ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Fukamachi, Jun
2007-86
【アコースティック・ソウル・サーチャーズ、デビュー】

派生。

『ソウル・サーチン:ザ・セッション』を中心に活躍するハウス・バンド、ソウル・サーチャーズ。そのソウル・サーチャーズのアコースティック・ヴァージョンが、東急・田園都市線・藤ヶ丘駅前にあるレストラン、ピッツェリア・バール「マルターノ藤が丘店」でライヴを行いデビューを果たす。ソウル・サーチン派生プロジェクトとしては、今年1月、元シックのリード・シンガーのひとり、ディーヴァ・グレイのライヴに次ぐ第2弾。ライヴは8月17日(金)、7時と8時半の2セット。タイトルは、マルターノにちなんで「ライヴM」。詳細は下記に。

ソウル・サーチャーズは、毎回ソウル・レジェンドにスポットをあててトークとライヴで紹介するイヴェント『ソウル・サーチン:ザ・セッション』のハウス・バンドでケイリブ・ジェームスが音楽ディレクター。このソウル・サーチャーズは、ひじょうにユニークなユニットでさまざまな顔を見せる。『ソウル・サーチン』でのフルバンドが核だが、今回はキーボード、サックス、パーカッション、ヴォーカルというアコースティック・ヴァージョンでデビューする。ヴォーカルは、『ソウル・サーチン』マーヴィン・ゲイ、ルーサー・ヴァンドロスの回でゲスト登場し好評を博していたシャンティー。

今回は、ケイリブ、シャンティーのヴォーカルにゲイリー・スコットのパーカッションとサックスが加わる。基本はこのトリオで、ソウル・ヒットのカヴァーを中心にライヴを行う。歌われる曲はまだ決まっていないが、シャーデー、ノラ・ジョーンズ、スティーヴィー、ルーサー、ダニー・ハザウェイ、ビル・ウィザースなどの作品がセットリスト候補にあがっている。もちろん、ケイリブ、シャンティーらのことなので、単なるカヴァーという枠に収まらない独自の解釈を見せることになるだろう。

このライヴは、「マルターノ」オーナー大西さんのライヴをやりたいという以前からの希望から始まった。ピッツェリアという性格上、また広さなどからフルバンドは難しいので、トリオか4人くらいのアコースティック・バンドでどうだろうかという話になり、『ソウル・サーチン』のマーヴィン、ルーサーの回を見ていたことから、ケイリブ、ゲイリー、そして、シャンティーらに白羽の矢が立った。

今回はすべてが初めてで実験的ということで、とりあえず、お店周辺にフライアーを配り告知、さらに、来店されるお客様にお知らせして予約を取っている。また、この近辺にはあまりライヴを見せるレストランなどがないので、初めてレストラン・ライヴを経験される方にもなじみの深いソウルのカヴァー集でセットリストをまとめる方針になった。

ケイリブのソウルあふれるヴォーカルと、ナチュラルなソングバードことシャンティーのやさしさに満ちたヴォーカル、そこにときにケニーGを思わせるゲイリーのアダルトなサックスが絶妙のコンビネーションを聴かせる。また、近くに住むミュージシャンの飛び入りの可能性もある。

大西さんの夢は、すでにこのブログでもご紹介しているが、本格的なライヴハウスをやること。その店名は、「グッドタイムス」。「マルターノ藤が丘店」の壁一面にシックのメンバーが描かれている。(下記過去記事参照) 今回のライヴMは、その第一歩となる。

また、ソウル・サーチャーズはこの後8月29日(水曜)既報通り、木下航志ライヴのバックを務める。

June 10, 2007
Kishita Kohshi Will Sing At Church With The Soul Searchers
http://blog.soulsearchin.com/archives/001819.html

■『ソウル・サーチン・ブログ読者に10席確保』

なお、大西さんのご好意で今回『ライヴM』の座席を10席ほどソウル・サーチン・ブログ、ダイアリーの読者のために確保していただきました。店内は約50席ほどしかなく、すでに予約が入り始めています。当ブログ読者の方で、このライヴをごらんになりたい方はsoul_searchin_the_session@yahoo.co.jp までお名前、人数、電話番号をお書きの上Eメールをお送りください。折り返し確認メールをお送りします。先着順のご案内となります。

■     記 

Soul Searchin’ Presents: LIVE "M" at Martano Fujigaoka
ソウル・サーチン・プレゼンツ・ライヴM アット・マルターノ藤が丘

出演 アコースティック・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・シャンティー、ウィズ・ケイリブ&ゲイリー

The Acoustic Soul Searchers:

Shanti (Vocal)
Kaleb James (Keyboards, Vocal)
Gary Scott (Percussion, Sax, Vocal)

ライヴ日時 2007年8月17日(金) 開場午後6時 開演第一部午後7時 第二部午後8時半 (二部構成・入れ替えなし)
場所 ピッツェリア・バール・マルターノ藤が丘店 
住所 神奈川県横浜市青葉区藤が丘1−29−2−2F 
(東急・田園都市線・藤が丘駅前徒歩1分。藤が丘駅までは、渋谷から約30分。駅に降りるとすぐお店が見えます)
電話 045-973-5844
ミュージックチャージ 店内 3500円  立ち見・テラス席 2000円 この他にご飲食代がかかります なおテラス席は、若干みづらくなりますのでご了承ください (席数・店内約50、テラス席約20)
予約の仕方 (3通りあります)
1)電話045-973-5844マルターノへ直接電話予約する方法
2)Eメール info@martano.jp へお名前、電話番号、人数などを書いて予約する方法。折り返し確認メールが届きます
3)店頭で予約 店頭で係りのものへ予約の旨お伝えください
お席は予約の段階で決めさせていただきますが、当日7時までにご来店されない場合、一旦キャンセルとなり、ご来店のお客様を優先的にお席にご案内する場合がございます。

お願い 当日はテラス席をのぞいて禁煙になります。18歳未満の方のご入場をお断りさせていただきます。写真、ビデオ撮影、録音はご遠慮ください。席に限りがあるため、ご相席をお願いすることがございます。あらかじめご了承ください。

マルターノウェッブ
http://www.martano.jp/
ライヴM情報
http://martano.exblog.jp/

■出演者オフィシャル・ウェッブ

シャンティー
http://snydersmarket.com/shanti.html

ケイリブ・ジェームス
http://www.kalebjames.com/

ゲイリー・スコット
http://www.gshstudios.com/home

■マルターノ過去関連記事 

January 13, 2006
Like The Show Must Go On, The Story Must Go On (Part 1 of 2 Parts)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200601/2006_01_13.html

January 14, 2006
The Show Must Go On: The Story Must Go On (Part 2 of 2 Parts)
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_01_14.html

2006年1月12日付け
その時のマルターノ大西さんの日記
http://martano.exblog.jp/m2006-01-01/#3008158

April 12, 2006
Nile Rodgers & Chic Live: One Small Step For A Man...
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200604/2006_04_12.html

マルターノ日記=2006年4月12日付け
Field of Dreams
http://martano.exblog.jp/m2006-04-01/#3470666

September 13, 2006
Watch Out For New Martano’s Wall Painting
http://blog.soulsearchin.com/archives/001266.html

ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Live M
【エナメル・ブラザース、ロナルドの分身】

分身。

7月11日にいよいよ正式メジャー・デビューを果たすエナメル・ブラザース。ブラザー・スズとブラザー・クロの二人組ユニットだ。昨年の『ソウル・パワー・サミット』で突如現れたナゾの二人組。そのときは、アマチュアだった彼らが念願かなって一年かけてプロとなり、メジャー・デビューである。

そのアーティスト写真がこれだ! ↓
http://www.enamelbrothers.com/

おおおおっ、まさにロナルド・アイズレー! このステッキは?? 

そうか、2004年3月、ブラザー・スズとブラザー・クロは、ブルーノートでアイズレイ・ブラザースのライヴを見た。それぞれ別々に来ていたが、そこで顔をあわせたことで意気投合。ブラザー・スズが、「このエナメル・ブラザースは、ロナルド・アイズレーに導かれた」と語るように、いつしか二人はユニット結成への道を歩み始める。

そして、2006年7月、『ソウル・パワー・サミット』でその全貌を現した。そのときは「ダブル・ダイナマイト」の異名をとるスタックス・レコードの人気ソウル・デュオ、サム&デイヴの「ソウル・シスター・ブラウン・シュガー」などを歌った。しかし、このときはまだアマチュアの新人であった。「もし、このユニットに興味があるメジャー・レーベルがあれば、ぜひお声がけを」と宣言。それから1年。お声がけがあった。

7月の『ソウル・パワー2007』では、アマチュアから一歩抜け出し、プロとして、メジャー・レコード・アーティストとして晴れ舞台に立つ。前回出場時は私物だった白いスーツとエナメル・シューズ。今度のデビューにあたって白いスーツはオーダーメード。白黒のエナメル・シューズも特注で作った。おっと、黒光りするステッキはブラザー・スズの私物だそうで。さあ、気合がはいった。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000PWQS18/soulsearchiho-22/ref=nosim/
【スタックス・レコード創立50周年】

50周年。

アメリカ南部テネシー州メンフィスで設立された名門ソウル・レーベル、スタックスが今年(2007年)で創立50周年ということで、これを記念し、スタックス・レコードが再活動を始めた。スタックスは1975年に倒産して以来、新譜のレコーディングはなく、旧作の再発、編成物の発売などだけだったが、今年になって『アース・ウインド&ファイアー・トリビュート』、『スタックス50』などのオムニバスをリリース、さらには、アンジー・ストーン、アイザック・へイズ、ソウライヴなどのアーティストと契約、再契約をして新作をレコーディングする。

50周年にあわせてスタックスのヒット曲50曲を2枚組にしたオムニバス『スタックス50』は日本盤が6月27日に発売された。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000PDZNY0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

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スタックスについては、『ソウル・ブレンズ』(毎週日曜日午後3時〜5時、インターFM76.1mhz)内「山野ミュージック・ジャム」のコーナーで3週にわたって(6月17日〜7月1日)ご紹介している。

ところで、今後もスタックス関連のニュースは引き続きお知らせしていくが、ふと思ったのが、なんで今年が50周年なのだろうかという素朴な疑問だ。

これまでスタックス・レコードの設立は1959年とされていた。しかし、スタックスの創設者のひとりジム・スチュワートが最初作ったレーベルは「サテライト」と言っていたが、ここからの初リリースは1958年1月だった。その後1959年にさらにシングルを出し、このあたりがスタートと見られていた。1957年という年は、彼がいくつかの曲を録音し、それを地元のインディ・レーベルに売り込んだりしていた時期だった。そして、その「サテライト」も、西海岸に同名のレーベルがあるということで、1961年から正式にスタックスと名乗るようになった。

まあ、「モータウン25」の大イヴェントが行われたのも1983年のこと。このときは、1958年が設立とされたが、実際にモータウンからの最初のシングルが出たのは1959年1月のこと。1958年は、ベリー・ゴーディーがいろいろと曲をレコーディングして、売り込んでいた時期だった。このあたりのアバウトさは、アメリカ的といったところなのだろう。

■スタックス関連・過去記事

2003/03/20 (Thu)
Stax Museum
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200303/diary20030320.html

2003/07/15 (Tue)
Song Craftsman Homer Banks Died At 61
http://www.soulsearchin.com//entertainment/obituary/diary20030715-1.html

2003/08/03 (Sun)
PBS will airing "Soul Comes Home: A Celebration of Stax Records and Memphis Soul Music"
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200308/diary20030803.html

2005/01/09 (Sun)
Stax Story: Stax Is Answers From Southern To Motown In Nothern
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200501/diary20050109.html

2005/01/10 (Mon)
Stax Story Part 2: After Otis, It’s New Generation Of Stax
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200501/diary20050110.html

2005/01/15 (Sat)
”Soul Explosion" Album: Compilation Of Era Of Soul Explosion
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200501/diary20050115.html

August 10, 2005
Little Milton Dies At 70
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200508/2005_08_10.html

ENT>MUSIC>LABEL>Stax
【コルネイユ・ショーケース・ライヴ】

ルワンダ。

1977年ドイツ生まれ、ルワンダ育ち、現在カナダ・モントリオール在住というマルチ・インターナショナルなアーティスト、コルネイユがこのほど本邦デビューするにあたり、プロモーションで来日、ショーケース・ライヴを2007年6月25日カナダ大使館内オスカー・ピーターソン・シアターで行った。

カナダ大使館では、別の場所で別のアーティストのショーケースを見たことがあるが、このオスカー・ピーターソン・シアターでライヴを見るのは初めて。約200席が階段状になっていて、見やすい立派なホールだった。

まずは今回のアルバム『ザ・バース・オブ・コーネリアス』のライナーを執筆した松尾潔さんの司会で会はスタート。彼が一言二言フランス語で挨拶をし、コルネイユの解説をして、その後、今度はカナダ大使がコルネイユの略歴を語ってから本人が登場した。

ギタリストひとりを従えてのアコースティック・ライヴで6曲。CDで聞かれるような透明感のある歌声を披露した。

ある意味ソウルフルではあるのだが、ソウル・ソウルしているわけではなく、憂いのあるソウルというか、黒っぽいソウルではなく、心のソウルをかもし出しているようなひじょうにユニークなアーティスト。最近でいうとラウル・ミドン、しばらく前だとシール的な方向性を感じさせられた。彼の場合、音楽そのものよりも、彼の出自(ルワンダで両親を殺された=十二分にソウル・サーチン)が話題になってしまいそうだ。そこを売りにして、どこまで売れるか、そして売った後どうするか、彼のソウル・サーチン第二章はそこから始まるような気がする。

しかしライヴ終了後、関係者への顔見世もなく速攻で帰ってしまったのはなぜだろう。人見知りなのかな。

■日本デビュー盤

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000Q6GW1O/soulsearchiho-22/ref=nosim/

Setlist : Corneille @ Oscar Peterson Theater, Canada Embassy, June 25, 2007

show started 19:40
performance started 19:59
1. Back To Life
2. Love Is Good
3. Too Much Of Everything
4. I Never Loved You
5. I’ll Never Call You Home Again
6. A Man Of This World
performance ended 20:20
show ended 20:27

(2007年6月25日月曜、カナダ大使館オスカー・ピーターソン・シアター=コルネイユ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Corneille
2007-84
【ミッドナイト・スター:彼らが触れるものすべてがファンクに】

宣言。

ケンタッキー州出身の大型シンセ・ファンク・グループ、ミッドナイト・スターの十数年ぶりの来日。初来日が1987年12月渋谷のライヴイン、その後、MZA有明に2回(1988年12月と1989年2月)、そして、横浜ベイサイド・クラブに1991年ごろに来ている。(ベイサイドの正確な来日年月は要確認) ベイサイド以来ということで約15−6年ぶり5回目の来日になる。

さて今回の来日は紅一点ベリンダ・リップスコム、ボー・ワトソン、ボビー・ラヴレイス、ビル・シモンズ、ケネス・ギャン、メルヴィン・ジェントリーの6人。いずれも1976年に結成されたときのほぼオリジナル・メンバー。キャロウェイ兄弟がグループを脱退したりと若干の入れ替わりはあるが、基本的には来日したメンバーは30年来のオリジナルということで、これはこれですごい。

ドラムス、ギター、ベース(キーボード・ベースも)、キーボード、ヴォーカル2人という編成。主たるヴォーカルは、ベリンダとボーがとる。全体的には、いわゆる「シンセ・ファンク」をそのまま生でやるので、実にのりがいい。コットンに来ている70年代から80年代にかけて活躍したファンク系バンドはみな期待を裏切らないが、彼らも十分盛り上げてくれた。

黒いマントのようなもので体全体を隠しステージに登場、音とともにマントを広げるとボー、ベリンダ、メルヴィンの3人が姿を現す。この瞬間一挙にファンク・ショーが始まる。

演奏し、かなりの曲に振り付けをし、客を巻き込み、徹底したエンタテインメントに仕上げている。「フリーク・ア・ゾイド」あたりのロボットダンスや体を震わすシェークなども実に楽しい。基本はアップテンポのヒット曲だが、スローでもクラシックとなっている「スロー・ジャム」は14分近くの熱唱でひときわ会場を熱くした。

ドラムスの音がどこまでがリアルな音なのか、プログラムされた音なのかときどきわからなくなるが、その他の音とともにグルーヴ感があるので、まったく問題ない。キーボードでプレイするシンセ・ベースの音がなんとも気持ちがいい。

アーティスト写真はみな髪の毛がふさふさだが、来日6人中3人までが、かっこいいスキンヘッドになっているあたりに、30年の歴史を感じさせる。キーボード・シンセサイザーと肩にかけるシンセ・ベースさらに通常のエレキ・ベースをプレイするケネス・ギャントが時折見せる大きく目を見開くギョロ目がものすごく印象的であった。

彼らが演奏すると、何でもファンクに様変わり。ファンクのマイダス・タッチだ。

ライヴ後、メンバー全員が着替えて戻り、ファン・サーヴィス。サインをしたりおしゃべりしたり。僕自身も過去2度ほどインタヴューしていたが、みんな仲がよさそうで、気のいい連中という印象は十数年経ってもまったく変わらなかった。ライナーもけっこう書いている。「次の来日までに15年の歳月がかかることはありません」と彼らはステージで宣言した。

■メンバー

ミッドナイト・スター
Belinda Lipscomb(vo), Bo Watson(vo,key), Melvin Gentry(vo,g), Bill Simmons(key), Kenneth Gant(b), Bobby Lovelace(ds)

■Setlist : Midnight Star @ Cotton Club, June 25, 2007
セットリスト ミッドナイト・スター コットンクラブ 2007年6月25日(月)

show started 21:34
01. Electricity
02. Headlines
03. Feels So Good
04. Wet My Whistle
05. Midas Touch
06. Operator
07. Caught Up In The Moment
08. Night Rider
09. Don’t Rock The Boat
10. Curious
11. Slow Jam
12. Freak-A-Zoid
Enc No Parking (On The Dance Floor)
show ended 22:51

(2007年6月25日月曜、丸の内コットンクラブ=ミッドナイト・スター・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Midnight Star
2007-85

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