○■「ソウル・ブレンズ」~チャック、ドナ・サマー追悼特集

【Soul Blends Features Donna Summer & Chuck Brown】

追悼。

今日(2012年5月20日・日曜)午後1時から首都圏インターFM(76.1mhz)で放送される『ソウル・ブレンズ』では、16日、17日逝去したチャック・ブラウンとドナ・サマーを追悼し特集します。番組ではゲストにドナ・サマー、そのプロデューサーであるジョルジオ・モローダーにもインタヴューしたことがあり、ドナ・サマーをデビュー初期からフォローしている音楽評論家の村岡裕司さんをお迎えします。村岡さんの登場は午後1時半頃から。

関東地区の方はラジコでも聴けます。
http://radiko.jp/player/player.html#INT

またAUのスマートフォンなどでも有料アプリを使えば、日本全国で聴けます。ほかに、スカパーと契約されていれば、全国で聴けます。

ドナ・サマーに関しての詳しさは彼の右に出る者はいないといわれるほどのドナ・サマー通の村岡さんに、何か質問などがあれば、番組あてメール、あるいは、ツイッターなどでお寄せください。

吉岡正晴ツイッター
https://twitter.com/soulsearcher216

ツイッターで@soulsearcher216あてにつぶやいていただければ、番組中ピックアップします。

番組あてメール・アドレス
marvin@interfm.jp
メールソフトにコピー&ペーストしてお使いください

特集にともない「ソウル・サーチン」と「オッシー・ヨッシーのセレブレーション」のコーナーはお休みになります。

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ライナーノーツ。

ドナ・サマーについては、たしか2枚目のアルバム『ラヴ・トリロジー』(1976年)から何枚かライナーノーツを書いた。また、彼女のボックスセット(4枚組み)がフォノグラムから出たときにも、かなり詳細なドナのバイオを書いた。村岡さんはワーナーに来てからのライナーをずっと書いている。そして、1994年アルバム『メロディー・オブ・ラヴ』リリース時にプロモーションでやってきたときに、インタヴューを行なっている。ほかにもライヴ後の楽屋でセイ・ハローなどもしているそうだ。また、ジョルジオも来日時にインタヴューしているという。僕もドナについて、自分のライナーを読んで復習して、村岡さんとドナ談義に備えたい。

■ドナ・サマー死去について毎日新聞の取材に答えた記事。
http://mainichi.jp/enta/news/20120518dde041200091000c.html

■チャック・ブラウン訃報記事
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11253828647.html

■ドナ・サマー訃報記事
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11253948424.html

■ドナ・サマー『ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー』 すべてはここから始まった

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001F9M/soulsearchiho-22/ref=nosim/"


■グレイテスト・ヒッツ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CBNZTU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■最大のヒット「バッド・ガールズ」「ホット・スタッフ」バッド・ガールズ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001F8N/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■最新作『クレヨン』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0018Q7I6E/soulsearchiho-22/ref=nosim/"


■チャック・ブラウンCD

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000005FLA/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000251D2W/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■バスティン・ルーズ(MP3ヴァージョン)CDはかなり高いです

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ANNOUNCEMENT>RADIO>Soul Blends
RADIO>SOUL BLENDS>Chuck Brown & Donna Summer
OBITUARY>Brown, Chuck / Summer Donna
● ドナ・サマー、63歳で死去~クイーン・オブ・ディスコ~「ソウル・ブレンズ」緊急特集

【Queen Of Disco: Donna Summer Dies At 63】

訃報。

1970年代から80年代にかけて数多くのディスコ・ヒットを放ち、世界的スーパースターとなったディーヴァ、ドナ・サマーが、2012年5月17日(木)、フロリダ州キーウェストの自宅で亡くなった。63歳。癌だった。ディスコ創世記に世界的な成功を収めた初の「ディスコ・クイーン」のひとり。

1948年12月31日、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン生まれ。本名、ラドナ・エイドリアン・ゲインズ。十代の頃からシンガーを目指し、ロックバンドに参加。1967年、ブロードウェイ・ミュージカル『ヘア』のオーディションを受け、アメリカ版には合格しなかったが、そのヨーロッパ版で声がかかり、ドイツに移住。そこで音楽活動を続けるうちに、ドイツのプロデューサー、ジョルジオ・モローダーに見出され、ディスコ作品をリリースするようになった。

1974年、オーストリア人の俳優ヘルムート・ソマーと結婚。これを機に芸名もドナ・サマーにした。ジョルジオと誰か他のシンガー用に作ろうとした「ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー」をドナがデモ・テープとして録音したところ、ジョルジオのアドヴァイスで本人のレコードとして出すことになった。

当初、スタジオではドナはマリリン・モンローのような雰囲気をだせればとセクシーに歌った。歌詞も、まだ完成しておらず、タイトル部分をただ繰り返しただけだった。

できあがった7インチ(約3分のヴァージョン)をアメリカの新興レーベル、カサブランカのニール・ボカート社長に送った。ニールが開いていたパーティーでこれをかけたところ、一度かかり終わると客からもう一度かけてくれ、と言われ、それが終わるとまた別の客からもう一度と言われ、このときにもっと長いヴァージョンを作ることを思いつく。

すぐにニールはジョルジオにアルバム片面分のロング・ヴァージョンの制作を依頼、これが出来て全米のディスコにリリースされると、瞬く間にダンスフロアの人気となった。

以後、次々とディスコでのヒットが続き、スターの座についた。1975年の「ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー」以降、「オン・ザ・レイディオ」、「バッド・ガールズ」「ホット・スタッフ」「アイ・フィール・ラヴ」「マッカーサー・パーク」などの大ヒットを立て続けに送り出し、「クイーン・オブ・ディスコ」と呼ばれるようになった。グラミー賞17回ノミネートされ、5回受賞している。

「アイ・フィール・ラヴ」は、マドンナ、ホイットニー・ヒューストン、ダイアナ・ロスら多くのアーティストにサンプリングされている。

ドナ・サマーは、『ライヴ&モア』『バッド・ガールズ』そして、『オン・ザ・レイディオ』と3作(いずれも2枚組みアルバム)連続、で、ビルボード・アルバム・チャートで1位になった唯一のアーティスト。

ドナ・サマーの音楽面での大成功を支えたのが、ミュンヘンのプロデューサー・チーム、ジョルジオ・モローダー&ピート・ベロッテの二人組み。彼らが作り出すビートのシンプルなサウンドがディスコ大ブームとあいまって世界的に支持された。

ジョルジオの作り出すサウンドは先鋭的で、特に「アイ・フィール・ラヴ」は後のハウス、テクノ・サウンドのさきがけとなり、後身の同様のアーティストの原形ともいえるサウンドになっている。

そして、シンプルなディスコ・サウンドは、後にマドンナ、さらにジャネット・ジャクソンなどダンス系アーティストのキャリアにも大きな影響を与えた。

日本でもディスコ・ヒットを中心に人気を集め、1979年6月の初来日を皮切りに、1987年12月、1991年3月、1994年12月と公演のため4回来日している。(ほかにプロモーション来日が1回)

ディスコというメディアから登場し、世界的なスーパースターになった実質的な女性シンガーといえる。80年代後期以降は、いわゆる「ディスコ・シンガー」としての枠組みから飛び出ようと試行錯誤していた。

2008年リリースの『クレヨンズ』が最新作。ちょうど、次の作品をレコーディングしている最中だったという。

1980年、レーベル・メイトのグループ、ブルックリン・ドリームスのメンバー、ブルース・スダノと再婚。二人の子(最初の結婚でミミという女の子がいる)を設けた。

葬儀はブルース、さらにその子供たち、ブルックリン、アマンダ、ミミによって執り行われる。

■『ソウル・ブレンズ』で2時間ドナ・サマー緊急追悼特集

2012年5月20日(日)午後1時~3時の「ソウル・ブレンズ」(インターFM、関東地区76.1mhz)で、ドナ・サマー&チャック・ブラウン追悼で2時間お送りします。コメント・ゲストに音楽評論家でドナ・サマー、ジョルジオ・モローダーにインタヴューしている村岡裕司さんをお迎えします。

ラジコでも。
http://radiko.jp/player/player.html#INT

■ドナ・サマー『ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー』 すべてはここから始まった

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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CBNZTU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■バッド・ガールズ

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■最新作『クレヨン』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0018Q7I6E/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

OBITUARY>Summer, Donna (December 31, 1948 – May 17, 2012, 63-year-old)



(速報)  ● ドナ・サマー、63歳で死去~クイーン・オブ・ディスコ

【Queen Of Disco: Donna Summer Dies At 63】

訃報。

1970年代から80年代にかけて数多くのディスコ・ヒットを放ち、世界的スーパースターとなったディーヴァ、ドナ・サマーが、2012年5月17日(木)、フロリダ州キーウェストの自宅で亡くなった。63歳。癌だった。

1948年12月31日、アメリカ・ボストン生まれだが70年代にミュージカルの仕事でヨーロッパに移住。ドイツのプロデューサー、ジョルジオ・モローダーに見出され、ディスコ作品をリリースするようになったところ、これが次々とヒットし、スターの座についた。1975年の「ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー」を皮切りに、「オン・ザ・レイディオ」、「バッド・ガールズ」「ホット・スタッフ」などの大ヒットを立て続けに送り出し、「クイーン・オブ・ディスコ」と呼ばれるようになった。グラミー賞を5回受賞している。夫は、ブルース・スダノ。

日本でもディスコ・ヒットを中心に人気を集め、1979年6月の初来日を皮切りに、1987年12月、1991年3月、1994年12月と4回来日している。

(詳細は、また後ほど)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CBNZTU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

OBITUARY>Summer, Donna (December 31, 1948 – May 17, 2012, 63-year-old)



●チャック・ブラウン死去~ゴー・ゴー・サウンドの先駆者~

【”Godfather Of Go-Go” Chuck Brown Dies At 76】

訃報。

ワシントンDCで生まれた独特のファンク・サウンド「ゴー・ゴー・サウンド」の生みの親であるチャック・ブラウンが2012年5月16日(水曜)、ワシントンDCのお隣メリーランド州バルティモアにあるジョンズ・ホプキンス大学病院で敗血症からの多臓器不全などで死去した。地元のメディアは75歳と報じている。日本には1987年の初公演以来、直近では2008年2月、2010年3月と計7度来日している。4月18日から体調を崩し入院し、5月のライヴ公演の予定をキャンセルしていた。

チャック・ブラウンは地元ではヒーローで、彼の訃報は地元のテレビ・ニュースでも報じられている。

チャック・ブラウンは日本でも「ゴー・ゴー・サウンド」の好きなファンク・ファンの間で圧倒的な人気を誇るアーティスト。チャック・ブラウン率いるソウル・サーチャーズのライヴは、BPM100程度のビートで延々とノンストップで続くことで知られる。また日本にもチャック・ブラウン風のサウンドを真似たバンドもいくつかあるほど。シルキー藤野さんがゴー・ゴー・サウンドばかりをやるバンドなども結成している。また、リズムがファンキーで強烈であることから、多くのヒップホップ・アーティストも彼の作品をサンプリングしている。

しゃべると低音の渋い声を聞かせ、ひじょうにフレンドリーな人柄で多くのミュージシャン仲間からも愛されていた。

評伝。

チャック・ブラウンは、1935年8月22日メリーランド州生まれ。(生年については、今回、多くのメディアやウィキペディアが1936年8月生まれを取っているが、筆者は2008年来日時に本人から1935年8月22日生まれと聞いたので本稿では1935年としておく。この場合、死去は76歳) 幼少の頃から音楽活動をしていたが、自動車窃盗で刑務所に入っていたこともあり、チャック本人はそれを隠すこともなく、よくインタヴューで語っていた。

1960年代から積極的に活動をし、1970年代に入るとクラレンス・エイヴォントの始めたインディ・レーベル、サセックス・レコードと契約、1972年「シンク」などのヒットを放つ。すでにこの時点で、いわゆるのちに「ゴー・ゴー・サウンド」とされるはねるリズムのビートをつくりだしているが、しばらくはこの「ゴー・ゴー・サウンド」が世界的に認知されることはなかった。

この「ゴー・ゴー」が一挙に知られるようになったのは、1979年のチャックたちの大ヒット「バスティン・ルーズ」、さらに1986年イギリスの音楽シーンでこの「ゴー・ゴー」が注目され、アイランド・レコードなどが積極的にゴー・ゴー・サウンドのアーティストと契約、一挙にプッシュしてから。以来、チャックは「ゴッドファーザー・オブ・ゴー・ゴー」と呼ばれている。この流れを受け、チャック・ブラウンたちは1987年初来日。多くのファンを熱狂させた。

豪快な性格で、何事にも前向きに進むそのキャラクターは誰からも愛されていた。

ジャズ・シンガー、エヴァ・キャシディーを発掘、育てたことでも知られる。

最後の来日となった2010年3月のライヴでは、そこに参加していたリトル・ベニーが翌月急死するという悲運にも見舞われた。

功績。

チャック・ブラウンの音楽界に残した功績は、ブラック・ミュージックのひとつのジャンルとして「ゴー・ゴー・サウンド」を確立し、その人気を世界的なものにしたことが最大なもの。そして、そのリズムは多くの若手ヒップホップ・アーティストたちによってサンプリングされたりして、若い世代からの支持も集めていた。

彼が生み出した「ゴー・ゴー・サウンド」は、一時的に世界的に注目されたが、それ以降大きくブレイクしなかったのは、このサウンドがあくまでワシントンDCのライヴでのローカル・カルチャーだったことが大きな要因だと思う。基本的には、ライヴ・メディアの大カルチャーで、レコード(CD)だけではその魅力の半分も伝わらない。一度そのライヴを経験すれば、誰もがその魔力にとりつかれるが、ライヴをするためには、ミュージシャンたちが世界各地にいかなければならない。ライヴ・メディアのもの、たとえば、ミュージカルなどは、それ自体がツアーをしなければ、なかなか世界中に広がらない。それゆえ、ゴー・ゴーもワシントンDCのローカル・カルチャーとして温存されたのかもしれない。

~~~

ソウル・サーチン。

それにしても、このところ素晴らしいミュージシャンたちの訃報が多すぎる。日曜日にドナルド・ダック・ダンがあったばかり。

チャック・ブラウンを初めて知ったヒット「シンク」は1972年か。40年前のことだ。そのときは、「ゴー・ゴー・サウンド」などという言葉は知らなかった。その後アルバムをだし、大体買っていたが、1979年の「バスティン・ルーズ」が大ヒットしたときも、昔となんら変わらないな、と思った。そして1986年、イギリスで火がついた「ゴー・ゴー・サウンド」。ここで、初めて「ワシントン・ゴー・ゴー」なる名称を知る。

その流れで初来日。芝浦インクスティックは興奮の坩堝となったことを昨日のように思い出す。以後来日のたびにライヴには参戦したが、最近では2008年と2010年の来日が印象的だ。何をやっても、ゴー・ゴー・サウンド、どこを切ってもゴー・ゴー・サウンド。あれは麻薬だ。ほぼ同じテンポで延々とリズムが続く。そこに乗っかるメロディーがいろいろと変わるだけ。どうしても日本のラジオ向きではないので、一般的知名度はなかったが、コアなR&Bファン、ファンク・ファンでチャック・ブラウンのファンクを嫌いな人はいないだろう。

2008年の来日時に一緒に写真を撮る機会があった。もうこれは今や家宝だ。

僕が「ソウル・サーチン」を2000年に出版したとき、7アーティストをピックアップしたが、チャック・ブラウンも書く候補にしていて、けっこうな量の資料を集めて読んだ。なにしろ、刑務所から音楽界のスターへ成り上がるというところがジョン・ホワイトヘッドあたりと重なる部分があって、ひじょうに面白かったのだ。いずれ彼についてはまとまったものを書いてみたいと思っている。

ご冥福をお祈りする。

■過去チャック・ブラウン関連記事

チャック・ブラウン&ソウル・サーチャーズ・ライヴ
2010年03月21日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10487162243.html

2008年02月18日(月)
チャック・ブラウン・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080218.html
(前回ライヴ評)

2008年02月19日(火)
チャック・ブラウンかく語りき
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080219.html

2008年02月21日(木)
チャック・ブラウン来日履歴
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080221.html

■チャック・ブラウンCD

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000005FLA/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000251D2W/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■バスティン・ルーズ(MP3ヴァージョン)CDはかなり高いです

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003VVN3CC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

OBITUARY>Brown, Chuck August 21, 1935(1936) - May 16, 2012, 76 (75)year-old 76-year old)

◇チベットの少年についての映画『オロ』(パート2)

【Olo. The Boy From Tibet (Part 2)】

大転換。

映画試写上映後、少しだけ岩佐監督と話ができた。

1934年生まれの岩佐監督は、自身の人生で2度の劇的な変化を体験している、という。「ひとつは1945年8月の終戦です。そしてもうひとつは2011年3月11日です。これ以来すべての価値観が変わってしまいました。チベットの人たちもそうだと思うんです」

チベットの場合、1959年の外圧(中国の侵攻)によって、弾圧されるという価値観の大逆転、大転換が起こってしまった。

前作から今作までずいぶんと時間がかかってしまったが、それはご本人ののんびりした性格と、ある種締め切りのようなプレッシャー、外圧がないとできないアーティスト性のためのようだ。話をしていて、けっこうのんびりした方という印象を持った。

岩佐さんの言葉で印象的だったのは、「『なるようにしかならない』ということは、『なるようになる』と同義語だ。そのプロセスがおもしろい」といった意味のことをおっしゃった部分だ。

それはこの作品、ドキュメンタリーというものを普遍的に核心をついた言葉だった。

オロは、現地のスタッフが何人か候補をみつけてくれていたが、結局、岩佐監督が探した少年になった。

ロケハンでみつけたオロだが、そこからどういうストーリーが展開していくのかは、その時点では本人もわからない。「事前にある程度、ストーリーを考えて、それに沿って撮影をしたりするのですか」と尋ねると、「そういうことはまったくしない。淡々と撮影するだけ」との答え。

「あ、ただ冒頭の廊下のようなトンネルのシーンだけは、何度かやってもらって、演出をしました」

~~~

映画。

岩佐さんは、「ドキュメンタリーと(フィクションの、あるいはエンタテインメントの)映画とジャンル分けは考えない。本質的にどちらも映画だ」とも言う。

また、オロがこうして映画になって露出して、万が一中国当局に本人が見つかってしまうとまずいので、名前なども変えている、という。そのあたりは大変ナーヴァスな問題なので、とても気をつけたそうだ。これまでのところ、岩佐監督とスタッフは、中国当局から目を付けられたり、撮影を妨害されたりしたことはないそうだ。

一応、英語の字幕をつけて、海外の映画祭への出品も考えているという。

そして、最後に岩佐監督に「では、10年後に、このオロが20歳くらいになった頃、もう一度、撮影してください」と言うと、「いやいや…。年齢的にもうこれ(今作)でおしまいにしたいです」と笑われた。

しかし、岩佐監督、仕事をしていない時は体調がイマイチすぐれないのに、映画の話をしている時や、撮影の現場へ行くとなると、しゃきっと別人のように変身してしまうそうだ。

(この映画は6月下旬から渋谷ユーロスペースにてロードショー。その後、全国順次公開予定。詳しくは、製作委員会にお問い合わせください)

メインホームページ(準備中)
http://www.olo-tibet.com/

チベットの少年・製作委員会
〒180-0013 東京都武蔵野市西久保3-4-12 スコブル工房内
Eメール tibetoshonen@gmail.com
ファクス 0422-36-06010

なお、岩佐監督は『チベット2002~ダラムサラより』(68分)という作品も出している。

■チベット関連、チベットから亡命したアーティスト、ヤンチェン・ラモのライヴ

2004/07/06 (Tue)
Watanabe Sadao Blows Theme For Yungchen Lhamo’s Voyage To India
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200407/diary20040706.html

資料

岩佐監督の撮影を現地でサポートした方のブログ

2010年06月10日
岩佐監督「チベットの少年」撮影隊の動向
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51463611.html

2010年10月03日
「チベットの少年オロ(仮題)」
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51505063.html

チベットを自由に・学生連合のホームページ
http://www.sftjapan.org/
チベット難民、亡命者を支援。

チベット証言集。亡命しているチベット人のインタヴュー
http://www.lung-ta.org/testimony/ngawang_wangdon.html
チベットからの亡命者の証言。


MOVIE>Olo, The Boy From Tibet
◇チベットの少年についての映画『オロ』(パート1)

【Olo. The Boy From Tibet (Part 1)】

チベット。

ドキュメンタリーで何をどう伝えるか。そのメッセージは、しかし、題材を取捨選択した瞬間、半分は伝わっていると言ってもいいかもしれない。

2002年、チベットから亡命している一人の老婆を追ったドキュメンタリー映画『モゥモ・チェンガ』を製作・発表した岩佐寿弥(いわさ・ひさや)監督が、それから10年を経て、再びチベットを題材にした新たな作品を完成させた。新作のタイトルは、『オロ(OLO. The Boy From Tibet)』。6歳のときにチベットから亡命した少年とその周辺を描いたドキュメンタリーだ。

チベットは1959年以来50年以上にわたり長く中国によって不当に支配・弾圧され、故国を追われたチベット難民はネパールやインドの難民キャンプに亡命し、そこで不本意な生活を続けている。チベットから亡命しようとする人は後を絶たず、しかし、それが途中で中国当局に発見されると、牢屋にいれられ拷問を受けたり、最悪の場合逃げるときに射殺されるなど、大変な目に逢う。チベット問題は国際社会でも大きな問題になっているが、なかなか継続的に世界的な重大関心事に至らない。

とはいうものの、インターネットがこれだけ普及し、情報が行き来するようになると、チベット解放の動きが徐々に加速しているかのようでもある。特にここ最近、チベットの人たちによる抗議の焼身自殺のニュースはひっきりなしに伝えられ、少しずつ関心を集めるようになっている。

人権が蹂躙(じゅうりん)されていること。それを声高に叫ぶのでもなく、しかし、市井(しせい)の人々の言葉できっちりと描くことによって、その弾圧の残虐さを逆に描くことにも成功している、本作はそのようなドキュメンタリーだ。大声や金きり声もない。もちろん血もでてこない。唯一映し出されるのは普通の生活から生まれる言葉と笑いと、そして真実から滲み出る涙だけ。それだけで、そこにあるメッセージはじわじわと伝わってくる。

予告編。

http://youtu.be/V18pWvUgC0M



~~~

少年。

1959年、中国のチベット侵攻に反対運動をして中国当局から拘束され、その後拷問されながら33年投獄されていたチベットの老僧パルデン・ギャツォ(Palden Gyatso)が2008年7月来日したときに、岩佐監督は再びチベットをテーマにした映画を撮ってみたいと強く思った、という。

その後、題材とすべき少年を探し、追い、その少年が見ている日常と周辺を撮影、3年かけて作品にまとめ『オロ』を完成させた。

■ 岩佐監督2002年のドキュメンタリー映画『モゥモ・チェンガ』について

2004/07/18 (Sun)
Movie "Moumochennga" : An Old Lady Talks About The Facts Of Life
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200407/diary20040718.html

今作『オロ』の舞台はチベット亡命政府があり、多くのチベット人が住むインド北部ダラムサラのマクロード・ガンジという標高1800メートルの小さな街。主人公オロは夏休みの間だけこのマクロード・ガンジに親戚の叔父さんを訪ねやってきた。オロが夏休みの間世話になるその叔父さんは、中国に対して強硬な姿勢を取る。そのひと夏の物語を中心にオロの冬休みなども撮影されている。

映画ではひたすら彼と彼の周囲の人々の日常が描かれる。坂道の多い街を駆けるオロ。河で水遊びをするオロ。大人と話をするオロ。少年だが、大人への階段をのぼりかけているオロは、少しずつチベットのこと、中国のことを叔父さんや周辺の大人たちから学び始める。この何でも吸収するオロの純粋無垢さが、実に気持ちいい。その無邪気な生き様を見ていると、彼らが不当に弾圧され苦労を強いられているということさえ忘れさせられてしまうほどだ。

しかし、インタヴューの中で、夫が映画を撮影したために中国当局に拘束されている妻、一度目の亡命に失敗し、中国警察に捕まり、ひどい体験をした少年の話などからも、中国の不当な弾圧ぶりが淡々と語られていく。

映画の撮影開始から完成まで3年間、オロは成長する。大人の3年間と違い、子供の3年間の成長ぶりは著しい。監督は、「僕の中でオロは『チベットの少年』という枠をこえて、地球上のすべての少年を象徴するまでに変容していった」と言う。

~~~

再会。

今回の『オロ』を製作するにあたり、岩佐監督らは、2009年11月にロケハンに行き、オロとなる少年を探し、その後2010年3月、6月、2011年1月と3回にわたり撮影を敢行した。基本的にはオロの学校が休みのときにしか撮影できないからだ。

この作品のハイライトのひとつは岩佐監督がオロを連れて、10年前に撮影したモゥモ・チェンガにまる2日かけて会いに行くところだ。

オロを撮影したマクロード・ガンジからモゥモ・チェンガが住んでいるネパールのポカラというチベット難民キャンプまでは車で2日以上かかる。監督によると、ほんとうに延々とでこぼこ道をひたすら走り、やっとの思いで到着するような場所だそうだ。そして、10年ぶりの再会だ。

チベットの難民はネパールやインドの難民キャンプにいるが、ネパールとお隣インドとの関係は良好で、インド・ネパール間は事実上パスポートなしでも出入りができるという。

岩佐監督の前作映画『モゥモ・チェンガ』は、チベットに住むごく普通の市井の人々に注目し、その中の老婆モゥモ・チェンガにフォーカスしてその姿を描いた。

一方、今回は少年オロにフォーカスして、その目を通して描いている。『オロ』と『モゥモ・チェンガ』両作品を見ると、それらがまるで車の両輪のようになって、チベットの姿がリアルに動き出す。視聴者にじっくり考えさせる「スペース」を持った作品だ。

2本を見て立体化してくる様は、まるで3D映画さながらともいえる。10歳前後のこれからの将来を担う少年と、80歳を越えるかというすべてを知り尽くした老婆との対比が実におもしろい。

この『オロ』と『モゥモ・チェンガ』を、ぜひアメリカで公開し、これらをリチャード・ギアーやジョージ・クルーニー、バーブラ・ストライサンドらに見て欲しい。そしてアメリカで1週間でもいいので公開してもらって、アカデミー外国映画部門にノミネートだ!

メインホームページ
http://www.olo-tibet.com/

6月から渋谷ユーロスペースなどで公開。全国では順次各地の単館系映画館で公開されます。詳細・予定などは上記ホームページをごらんください。

チベットの少年・製作委員会
〒180-0013 東京都武蔵野市西久保3-4-12 スコブル工房内
Eメール tibetoshonen@gmail.com
ファクス 0422-36-06010

(この項つづく)

MOVIE>Olo, The Boy From Tibet

◎鈴木雅之・四半世紀プラスワン・ライヴ

(公演が月末までありますので、あまりネタばれにならないようにしております。詳細は、またツアー終了後に)

【Masayuki Suzuki : Quarter Century Plus One Live】

プラスワン。

「ラヴソングの帝王、鈴木雅之、ラヴソングを歌い続けて、今年で四半世紀と1年になりました。四半世紀・プラスワン、ということで、みなさん、ご一緒に!」 「四半世紀~~」 観客が「プラスワン!」 「もっと元気に!」 「四半世紀?」 「プラスワン!!!」

マーチンこと鈴木雅之がソロデビュー(1986年)から26年、四半世紀プラス1年の2012年、全国ツアーを、約2年ぶりに行っている。5月末、仙台まで続く。

今回のテーマは、最新シングルにもなっている「コード=暗号」。ということで、毎回かっこいいオープニング・ナレーションを飾るケイ・グラントさんの声も、映画『ミッション・インポッシブル』(スパイ大作戦)風。

ケイさん曰く、「ここ十数年のマーチンの中で、一番いいできですよ。前回も同じことを言いましたが、また言ってしまいます」。

いやあ、おっしゃるとおりです。マーチンの声が、以前にもましてよく出てる。そして、選曲・構成力抜群。

アイデア、情熱、気力。それらがうまく一体となり、いいステージを作り上げている。

12日の渋谷が見られないので、1日先に、大宮まで足を延ばした。

この大宮でのライヴの日は、ビデオの収録があった。多数のテレビカメラで、BSフジでの放送と、DVDの発売が予定されているという。楽しみだが、MC部分で「今までは収録があったのでちょっとかしこまってたけど、ここは使わないから」と前置きして話し出したトーク(大宮まで来る途中の渋滞話)が、またおもしろかった。

ロージー。

ところで、この日僕が個人的にもっともぐっときたのが、マーチンが歌った「おやすみロージー」だ。1987年のマーチン・アルバム『レディオ・デイズ』に収録された山下達郎さんが、マーチンにプレゼントした曲。

ステージにはショーが始まったときから、バーカウンターの横に大きな実物大のジューク・ボックスが置いてあった。

マーチンがそのジュークにコインをいれると、それが動き出し、「おやすみロージー」のバックトラックが流れ出した。そうもちろん達郎さんが歌ったものだ。しかし、この日使われたバックトラックは今回新たに達郎さんが、自身のツアーのために作り直したもの。それを特別に達郎さんから借りたという。

つまり、この日(5月11日)、カラオケの「おやすみロージー」は、沖縄と大宮で流れ、沖縄では達郎さんが歌い、大宮ではマーチンが歌ったのだ。まさに沖縄と大宮が「ロージー」という赤い糸で結ばれていたのである。

(この「ロージー」話は、改めて後日詳しくその経緯をブログでご紹介します)

■最新作 コード

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「おやすみロージー」収録。『ラジオデイズ』

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■ メンバー

小松秀行 ベース、音楽ディレクター
江口信夫 ドラムス
知念輝行 ギター
松本圭司 キーボード
竹野昌邦 サックス、フルート
高尾直樹 コーラス
有坂美香 コーラス
ノゾム  コーラス

■セットリスト(セットリストは、27日仙台が終わってからご紹介します)

show started 18:40
00.CD Trouble Man (Marvin Gaye)
00.CD Theme From 007
01.~~~
show ended 21:11

(2012年5月11日金曜、大宮ソニックシティー、鈴木雅之ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Suzuki, Masayuki
2012-

●ドナルド・ダック・ダン、最終公演翌日に東京で死去

【Donald “Duck” Dunn Dies In Tokyo At 70】

訃報。

メンフィス・ソウルの立役者の一人であり、ブッカー・T&ザ・MGズのベース奏者、ドナルド・ダック・ダンが、2012年5月13日日曜日、東京都内のホテルで死去した。70歳。ダンは、前日土曜日まで5日間コットンクラブとブルーノートで計10本のショーをこなしていた。土曜日のブルーノートでのセカンド・ステージが最後のステージとなった。ホテルでおそらく睡眠中に死去した模様。

ダンは、相棒のスティーヴ・クロッパー(ギター)、レスター・スネル(キーボード)、スティーヴ・ポッツ(ドラムス)、エディー・フロイドとともに、5人で「スタックス」名義のライヴを行なっていた。

スティーヴ・クロッパー、ブッカーTらも弔辞を述べている。特にスティーヴ・クロッパーとは、誕生日も一月ほどしか違わないため、同時代の仲間だ。

来日中にソウル系アーティストが死亡した例は、1996年5月17日、横浜のライヴハウスで、ステージに上がった直後にそこで倒れ、そのまま息を引き取ったブルーズ・アーティスト、ジョニー・ギター・ワトソン、また、1996年4月18日、シックのベース奏者、バーナード・エドワーズがライヴの翌日に亡くなった件がある。

筆者は5月12日(土)のファースト・ステージを見たが、確かに椅子に座ってプレイしていたので、疲れていたのかとも思ったが、特別変わった様子には見受けられなかった。ただ、先週予定されたインタヴューを背中が痛いということでキャンセルしたりして、体調は万全ではなかったらしい。

今回のツアー自体も、体調が悪いので、キャンセルする話も若干あったようだったが、本人は行きたいということで、来日した。

最終日土曜日もファースト・ステージを終えた後、周囲のメンバーから「セカンドは、無理してやらなくてもいいよ」と言われていたが、「(ツアーの)最後だから」といってステージを勤め上げたという。これが生涯最期のステージになってしまった。

ダンおよびエディー・フロイド、スティーヴ・クロッパーらは翌日日曜日午前にホテルをチェックアウトする予定だったが、集合時刻になってもダンが現れず、部屋の応答がなかったため、ホテルのマスターキーで部屋を開けたところ、ベッドでダンが息を引き取っていたという。

ダンは、相棒のスティーヴ・クロッパー(ギター)、レスター・スネル(キーボード)、スティーヴ・ポッツ(ドラムス)とともに、4人で「スタックス」名義のライヴを行なっていた。

スティーヴ・クロッパー、ブッカーTらも弔辞を述べている。

メンフィス音楽シーン関連では、ここ一ヶ月で、リヴォン・ヘルム、アンドリュー・ラヴ、スキップ・ポッツらの死去が相次いでおり、大きな痛手となっている。

スキップ・ポッツ死去(5月1日死去)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11240284003.html

アンドリュー・ラヴ死去(4月12日死去)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11223452899.html


■ブッカーT&ザ・MGズ 映像 (60年代のメンバー、ダンも映っている)

これは、ダンのアップが映ってる。

http://youtu.be/U-7QSMyz5rg



http://youtu.be/dHq4laFwAEM



高齢化社会 / 忌野清志郎 (ここには、アンドリュー・ラヴも。打ち上げなどでもダンが映っている)

http://youtu.be/5IbCbbOFQsw



Booker T. & the MG.’s
 Steve Cropper / Guitar
 Donald "Duck" Dunn / Bass
 Booker T. Jones / Keyboards
 Anton Fig / Drums
Memphis Horns and Jim Horn
 Andrew Love Tenor Sax
 Wayne Jackson / Trumpet
 Charles Rose / Trombone
 Jim Horn / Baritone Sax


+++++

評伝。

ドナルド・ダック・ダンは1941年11月24日テネシー州メンフィス生まれ。盟友ギタリストのスティーヴ・クロッパーとは、学生時代からの親友同士で50年以上の友人。高校時代にスティーヴ・クロッパーらとバンドを結成。ミュージシャンとして活動を開始。60年代に入って、ブッカーTのMGズのメンバーになり、スタックス・レコードのハウス・ミュージシャンとなった。

スティーヴと作ったバンドは、ロイヤル・スペーズ、さらにマーキーズと名前を変え、後者は1961年「ラスト・ナイト」のヒットを放つ。1962年、ブッカーTとスティーヴ・クロッパーがMGズを結成。グループは1962年、「グリーン・オニオン」がヒットして一躍メインストリームに躍り出るが、この曲のベースはダンではない。最初のベース奏者はルイー・スタインバーグという人物だったが、1964年、ダンに変わった。

ダンのベースは、数々のスタックスのヒットで聴かれる。代表的な作品はオーティス・レディングの「リスペクト」「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」、サム&デイヴの「ホールド・オン・アイム・カミング」など。1967年の「ヒップ・ハウグ・ハー」のヒットで、さらに人気を高める。

またヒップホップ世代がサンプリングするようになると、彼らの「メルティング・ポット」などのベースラインは、しばしばサンプリングされるようになった。

2000年代には、ダンはエリック・クラプトン、ロッド・スチュワート、スティーヴ・ニックス、トム・ぺティーらとプレイするようになった。

2012年4月19日に亡くなったリヴォン・ヘルムのRCOオールスターズとも一緒に活動をしていた。

また1980年の映画『ブルース・ブラザーズ』でも顔をだしている。

■ドナルド・ダック・ダン、ライヴ評

忌野清志郎、ブッカーT&ザ・MGズライヴにまたまた飛び入り
2008年11月21日(金)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081121.html

■ブッカーT&ザ・MGズ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000QUCPWU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

OBITUARY>Dunn, Duck, Donald (November 24, 1941 – May 13, 2012, 70-year-old)

◎山下達郎~全国をかけ抜けたツアー・シーズン3

【Tatsuro Yamashita Tour Season 3 Completed】

完走。

昨年(2011年)から始まっていた山下達郎・全国ツアー64本が2012年5月12日土曜日、沖縄で無事終了した。僕は4月5日に見て、その感想を4月9日付けブログで書いたが、ツアー終了セットリスト解禁とともに本ブログにもセットリストを掲載する。

(ライヴ感想文)↓
■~~今回のシーズン3のライヴを見て

山下達郎の音楽を知っている人生と、知らない人生
2012年4月9日
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20120409.html

過去シーズン2、シーズン1ともに下記ブログでツアー終了後にセットリストも載せているが、見比べていただくとわかるが、実にうまく曲が入れ替えられている。定番中の定番は決してはずすことなく演奏されるが、それほどダブりはない。

64本、本当におつかれさまです。

クラッカー。

このツアーの中で、秋田で行なわれた公演で、「レッツ・ダンス」での恒例クラッカーが会場から禁止されるという事件があった。どうやら会場の支配人が変わったとかで、クラッカーを禁止したらしいが、ファンも、そして、達郎さんサイドも相当怒り心頭になったようだ。はっきり言って、会場側の考え方は話にならない。

世の中では、311以降実に多くの不条理が露出してきたが、これなんかもその一例だ。官僚の無責任体質、責任回避体質という悪弊が、日本全国隅々まで行き渡っているということなのだろう。まあ、それを政治のトップが悪いからだと言うこともできるのだろうが、そんなことを言っても始まらない。

仮にアーティストがクラッカーをやらないでください、と観客にお願いして、それでも観客が強行してやったら、どうなるのだろう。主催者は始末書でも書けばいいのだろうか。それともなんらかのお咎めがあるのか。以後、出入り禁止になるくらいのことはあるかもしれないが、それくらい何でもないだろう。

クラッカー、やったらどうなっただろう、というのはちょっと野次馬的には気になっている。(笑)

アカペラ。

達郎さんのショー中盤でのハイライトは、これも定番となっている「アカペラ・コーナー」。今回は、「おやすみロージー」がかかった。

それも、今回彼は旧式の、おそらく1980年代くらいのラジカセを使った。それにあわせて歌うという演出を見せた。

ラジカセにあわせて歌う、というアイデアが、実に素晴らしい。元々アカペラは、ストリートに生まれ育った文化。楽器を買うお金のない若者、黒人、ラテン系、ヒスパニック系らが、声だけで生み出した歌だ。1980年代に入り、ヒップホップが台頭してきたとき、ブレイク・ダンサーやラッパーたちは、大きなラジカセ(彼らはブーン・ボックスなどとも呼んでいた)を歩道に置いて、踊ったり、ラップをしたり、ときに歌ったりした。きっと1950年代にラジカセがあったら、彼らはラジカセを使ってアカペラをやっていただろう。

そして、5月11日、達郎さんが沖縄でライヴをやっている日。その同じ曲を、沖縄から何千キロか離れた大宮でマーチン(鈴木雅之)が、歌った。マーチンは、達郎さんから借り受けたコーラス・トラックを、なんと、ジューク・ボックスから音を出すという演出で歌ってみせたのだ。ジューク・ボックスも1940年代から1960年代にかけて世界規模で広がった音楽デヴァイス、音楽メディアだが、今となっては、ラジカセとともに「オールド・スクール」になっている。

ラジカセから流れてくる「おやすみロージー」。ジューク・ボックスから流れてくる「おやすみロージー」。まさに二つの点が、赤い糸でつながった瞬間だった。

あ~、しかし、今回のシーズン3は1回しか見れなかったなあ…。反省。

(明日以降・マーチン・鈴木雅之ライヴ評に続く)

■山下達郎・過去関連記事
(今回は古い順に並べて見ました)

=2008年、ライヴ復帰、シーズン1=
May 07, 2008
Yamashita Tatsuro Live At Hamarikyu Asahi Hall
【山下達郎~素晴らしき人生】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080507.html

May 11, 2008
Yamashita Tatsuro Acoustic Mini Live @ Hamarikyu Asahi Hall
【山下達郎・アコースティック・ミニ・ライヴ・セットリスト】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080511.html
(2008年5月アコースティック・ミニ・ライヴ記事)

大阪フェスティヴァル・ホール最後の日↓
December 29, 2008
Yamashita Tatsuro @ Osaka Festival Hall Final
【山下達郎~フェスティヴァル・ホール最後の日】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081229.html

2009年05月12日(火)
全身全霊でかけぬけた50本~山下達郎2008-2009ツアー最終日終了
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090512.html

+++

2010年07月08日(木)
ハーヴィー・フークワ80歳で死去~ムーングロウズのリード・シンガー:マーヴィン・ゲイの育ての親
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10584608240.html

+++

=2010年、シーズン2=

山下達郎、デビュー35周年ライヴ・ツアー~刻まれ続ける音楽と人生の年輪
2010年11月07日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101107.html

山下達郎ライヴ2010、39本終演~物質に付加価値を与える「体験」
2010年11月09日(火)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10701547198.html

=2011~2012、シーズン3=

山下達郎の音楽を知っている人生と、知らない人生
2012年4月9日
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20120409.html

■山下達郎オフィシャルウェッブ

http://www.tatsuro.co.jp/
ライヴスケジュール
http://www.tatsuro.co.jp/live/

■『TATSURO YAMASHITA PERFORMANCE 2011-2012』
メンバー 山下達郎2011~2012

山下達郎 (歌、ギター)
伊藤広規 (ベース)
難波弘之 (ピアノ、ローズ)
柴田俊文 (キーボード)
佐橋佳幸 (ギター)
宮里陽太 (サックス)
小笠原拓海 (ドラムス)
国分友里恵 (バックヴォーカル)
佐々木久美 (バックヴォーカル)
三谷泰弘 (バックヴォーカル)

■山下達郎  Ray Of Hope

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0052VI2N4/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ライド・オン・タイム

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005UD3W/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■フォー・ユー

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005UD3X/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■セットリスト 山下達郎
Setlist : April 5, 2012, Nakano Sun Plaza

lights off Theme started 18:35
01、Opening (Ray Of Hope - Prelude)
02、The Theme From Big Wave
03、Sparkle
04、Donut Song
05、素敵な午後は
06、僕らの夏の夢
07、プロポーズ
08、Solid Slider
09、俺の空
10、雨は手のひらにいっぱい
(アカペラ・コーナー11-14)
11、ばら色の人生(ラヴィアン・ローズ)
12、Don’t Ask Me To Be Lonely
13、おやすみロージー—Angel Baby へのオマージュ
14、When You Wish Upon A Star (星に願いを)~Joy To The World(もろびとこぞりて)
15、クリスマス・イブ
16、希望という名の光~This Land Is Your Land~友よ~蒼氓~Ray Of Hope
17、さよなら夏の日
18、今日はなんだか
19、Let’s Dance Baby~A riff of シーサイド・バウンド(タイガース)~君といつまでも(加山雄三)~思い出の渚(ワイルドワンズ)~真冬の帰り道(ランチャーズ)~バラ色の雲(ヴィレッジ・シンガーズ)~愛する君に(ゴールデンカップス)~君だけに愛を(タイガース)~ダウンタウン(シュガー・ベイブ)~Mean Woman Blues (Roy Orbison)
20、高気圧ガール
21、アトムの子~A Riff of どらえもん
Encore
22、街物語
23、Ride On Time
24、恋のブギ・ウギ・トレイン
25、Your Eyes
26、Ending CD “That’s my Desire”
CD end 22:06

(2012年4月5日木曜、中野サンプラザ、山下達郎ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Yamashita, Tatsuro
2012-

★スティーヴィー・ワンダー62歳

【Happy Birthday Stevie Wonder】

誕生日。

今日5月13日日曜は、スティーヴィー・ワンダーの誕生日。1950年5月13日生まれなので、今日で62歳になる。デビュー自体が1962年、12歳なので、すでに50年のキャリア。半世紀、アメリカのエンタテインメント業界で活躍し続けていることになる。50年のキャリア、おめでとうございます。

最近は、もっぱら新作CDはでないが、さまざまなイヴェントなどに登場し、ファンを驚かせている。

しばらく前の3月にはインドネシアで行なわれたジャヴァ・ジャズ・フェスティヴァルでメイン・アクトとして登場。大きな支持を得ていた。

そのほか、先週9日にはホワイト・ハウス(ワシントンDC)で行なわれたバート・バカラック&ハル・デイヴィッドをトリビュートするガーシュウィン賞(Library of Congress’ 2012 Gershwin Prize)(米国議会図書館・ガーシュウィン賞)の席にも顔をだしていた。スティーヴィーは「メイク・イット・イージー・オン・ユアセルフ」と「アルフィー」を歌った。ほかに、ダイアン・クロール、シェリル・クローらも参加した。この模様はPBS局で5月21日に放送される。

このガーシュウィン賞は、不世出の作曲家、ガーシュウィンにちなみ、ポピュラー音楽の世界で素晴らしい作品を残した作詞作曲家、パフォーマーを称える賞で2007年から始まった。

2007年からの受賞者は、ポール・サイモン(2007)、スティーヴィー・ワンダー(2008)、ポール・マッカートニー(2009)、バート・バカラック&ハル・デイヴィッド(2011)ら。バカラックたちは、2011年に授与が発表され、その授賞式が2012年5月9日にホワイト・ハウスで行われた。2010年度はおやすみ。

+++

今日の『ソウル・ブレンズ』(日曜・午後1時~3時、関東地区・インターFM76.1mhz)内「ソウル・サーチン」(日曜・午後2時半~)では、スティーヴィー・ワンダーをご紹介します。

関東地区の方はラジコでも。
http://radiko.jp/player/player.html#INT

■『キー・オブ・ライフ』
スティーヴィー、26歳の作品

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00004SZWD/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■最新ベスト「オーヴァージョイド」も収録

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003OTLV3Y/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>ARTIST>Wonder, Stevie

★続・パースエージョンズ・トリビュート

【Persuasions CDs – A Tribute To Sweet Joe Russell】

72歳。

2012年5月5日にア・カペラ・グループ、パースエージョンズのスイート・ジョー・ラッセルが死去した。その訃報記事を書くために、いろいろとパースエージョンズのことを調べていたが、何枚かアマゾンでCDを買った。すぐに届いたので改めて聞いた。3枚届いたCDの2枚は元はキャピトルから出たもので、アナログLPはもっているが、CDはなかったもの。

『スプレッド・ザ・ワード』のライナーノーツの中に、今回死去したジョセフ・ラッセル(ジョー・ラッセル)の誕生日が書いてあった。前記事では1939年頃の生まれとしておいたが、正しくは1939年9月25日とのこと。ということは72歳で死去ということになる。ただここでは、グループは1966年から一緒にやっている、と書いてある。このあたりは、さらに精査しよう。

"Acappella"

これはもともと1968年にフランク・ザッパから声がかかり彼のビザール/ストレート・レーベルから出たもの。当時のアルバムA面がライヴ音源で、B面がスタジオ録音もの。ライヴの録音状態はそんなによくない。たぶん、ライン録りのようなものなのだろう。しかし、ライヴ感は満点。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00195I3EA/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

Street Corner Symphony-Golden Classics

これは、彼らの代表作「バッファロー・ソルジャー」を含むもの。同曲を1曲目にしている。彼らが1971年から1972年、キャピトルで残した3枚のアルバムの2枚目。1972年リリース。テンプス、カーティス・メイフィールドなどのヒットのカヴァー、ホリーズのカヴァー、「ソー・マッチ・イン・ラヴ」など。ひじょうにとっつきやすい一枚。しかし、何でもア・カペラにしてしまう彼らのワン・アンド・オンリーな魅力は本当にすばらしい。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000008N7/soulsearchiho-22/ref=nosim/"


Spread the Word

これはキャピトルから1972年に出たアルバムの3枚目。ビル・ウィザースの「リ―ン・オン・ミー」を迫力たっぷりにきかせる。ムーングロウズの「テン・コマンドメンツ・オブ・ラヴ」も素晴らしい。低音の声なんかが、佐藤善雄さんを思わせる。なんとなくラッツ&スターとかぶる。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000008P2/soulsearchiho-22/ref=nosim/"


こういうア・カペラだけのアルバムを聴いていると、もっともっとア・カペラばかり聴きたくなるから不思議だ。

結局、音楽の中で一番魅力的なのが、人間の声ということなのだろうか。

Do It A Cappella

スパイク・リーがア・カペラ・グループばかりを追って作ったドキュメンタリー。パースエージョンズももちろん参加。スパイク・リーとパースエージョンズは出身が同じ。これは同名のビデオもあるが、現在は廃盤のようだ。このビデオは当時、何度も繰り返し見た。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002H86/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

ARTIST>Persuasions

○キャリン・ホワイト、6月に17年ぶり来日

【Karyn White Will Come To Japan First In 17 Years】

17年ぶり。

1980年代後期から90年代にかけて活躍したR&Bディーヴァのひとり、キャリン・ホワイトが2012年6月、およそ17年ぶりに来日する。日程は、6月22日(金)と23日(土)ビルボードライブ東京、25日(月)ビルボードライブ大阪。

キャリンは、1987年6月、ジェフ・ローバーとともに彼のゲスト・シンガーとして初来日。その後キャリン・ホワイトとして1989年6月、有明MZA、90年代に入り、NKホールでアルBシュアー、ロブ・ベースとのジョイント・ライヴ、1992年3月、2作目『リチュアル・ラヴ』発表後のコンサート・ツアーで来日。その後1995年4月に来日。このときはコンサートホールで全10本のライヴをこなす人気振りをみせていた。これまでに計5回来日で、今回は約17年ぶり6回目(自身名義では5回目)の来日となる。

「スーパーウーマン」の大ヒットでスターダムにのしあがった。

彼女は1994年3作目の『メイク・ヒム・ドゥ・ライト』以来、アルバムは出しておらず、活動休止状態だった。しかし、最近新作『Carpe Diem』をリリースする予定で、ここ2-3年で活動を再開し始めている。これが、6月に日本のPヴァインからリリースされる。

+++

キャリン・ホワイトは1965年10月14日ロスアンジェルス生まれ。5人兄弟の末っ子。教会でゴスペルを歌うところから始まった。

ロスのジャズ・フュージョン・キーボード奏者、ジェフ・ローバーのシングル「ファクツ・オブ・ラヴ」でゲストとしてフィーチャーされ脚光を集め、その後、ワーナー・ブラザーズとソロ契約。1988年、『キャリン・ホワイト』でデビュー。これはLAリード&ベイビーフェイスがプロデュース。ここから「ザ・ウェイ・ユー・ラヴ・ミー」「シークレット・ランデヴー」「スーパーウーマン」「ラヴ・ソウ・イット」が大ヒットし、スーパースターの座についた。

その後1991年『リチュアル・ラヴ』(ジミー・ジャム&テリー・ルイスのプロデュース)から「ロマンティック」が大ヒット。そして1994年『メイク・ヒム・ドゥ・ライト』をリリース。そこそこのヒットにはなったが、ワーナーからは離れた。つまり、キャリンは、LAリード&ベイビーフェイスと、ジャム&ルイスという1980年代もっとも売れっ子だったプロデューサー・チームの元で作品を出したアーティストということになる。

2012年に18年ぶりのアルバム『Carpe Diem』をリリース。

プライヴェートでは、1992年にテリー・ルイス(ジャム&ルイスの片割れ)と結婚したが、後に離婚している。その後、プロデューサーのボビーGという人物と再婚した。

最近では、インテリア・デザインの会社、不動産業で成功しているという。

■キャリン・ホワイト最新作『カルペ・ディエム-シーズ・ザ・デイ』(2012年6月13日発売)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B007W1C18Y/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000NOKAOY/soulsearchiho-22/ref=nosim

■ビルボードライブ

http://www.billboard-live.com/

http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=8067&shop=1

http://www.billboard-live.com/membersarea/divas.html

ANNOUNCEMENT>White, Karyn

●ジョー・ラッセル(パースエージョンズ)、死去~名門ア・カペラ・グループの一員

【Joe Russell of Persuasions Dies】

訃報。

ゴスペルをベースにしたア・カペラ・グループとして1960年代から活躍してきたニューヨークのパースエージョンズのテナー・シンガー、ジェシー・“スイート・ジョー”・ラッセル(Joe Russell)が、2012年5月5日、ニューヨークの病院で死去した。1939年頃の生まれ、72-3歳とみられる。長く腎臓を悪くしており、週3回透析を行ないながら、腎移植を待っていた。パースエージョンズは30枚近くのアルバムを出しているア・カペラ・グループ中のア・カペラ・グループ。ボーイズ・トゥ・メン、テイク6、ナチュラリー・7、ロッカペラら後輩のア・カペラ・グループに影響を与え、彼らもパースエージョンズを師と仰ぐほどの存在。

評伝。

ジェシー・“スイート・ジョー”・ラッセル(ノース・キャロライナ出身)は、ジェリー・ローソン(1944年生まれ=フロリダ出身。リード・シンガー)、ジョイオーティス・ワシントン、ハーバート・“トゥーボ”・ロード(1944年~1988年)、ジミー・“ブラ”・ヘイズ(ヴァージニア州出身、ベース担当)とともに1962年頃にニューヨーク・ハーレムでパースエージョンズを結成した。ジェリーはお店のガードマン(万引き監視員)、ジミーはエレヴェーター・オペレーター、ジョーは肉屋、ジョーイオーティスは配管工、ターボは靴のセールスマン。

ジミーが鼻歌まじりに歌いながらエレヴェーターを運転していたところに、ジェリーが乗り、「歌うのか」と声をかけたのがきっかけ。ジェリーがジョーを、ジョーがトゥーボを紹介し、5人が集まったという。当初はバンドを雇おうと思ったが大きな仕事のときに、ギタリストが来なかったため、以後、あてにならないミュージシャンを使うのはやめて、ア・カペラ一本で行こうと、ずっとア・カペラ・グループとしてやることになる。彼らはしばしば地元のバスケット・ボールのコートなどで歌っていた。地元のクラブや、ディオンヌ・ワーウィックの前座なども勤めるようになる。

大きなブレイクは1969年。なんとロックのフランク・ザッパに認められ、彼の誘いでロスアンジェルスに飛び、そこでファースト・アルバムをレコーディング、リリースした。『ア・カペラ』というアルバムだ。フランク・ザッパは、「電話越しでさえ、連中は何か特別だってわかるさ」とまで言う。後に、フランクに捧げるという意味で『フランクリー・ア・カペラ』というアルバムも出した。その後、キャピトルと契約、3枚のアルバムをリリース。1974年にはA&Mから2枚、そのほかにMCAなどからもアルバムを出し、1977年にはエレクトラから『チーピン』というアルバムを出す。そのほかにインディ・レーベルで30枚近くの作品を出している。

グレイトフル・デッドやU2、ビートルズなどの楽曲を取り上げたトリビュート作品なども出している。

1982年、映画『ET』のなかで、彼らの「Papa Oom Mow Mow」(パパ・ン・マー・マー)が使用された。

「Papa Oom Mow Mow」
http://youtu.be/CaUcRS4Jr6g

メンバーのうち、ハーバート・“トゥーボ”・ロードは、1988年12月8日、ツアー中に44歳の若さで死去。彼の遺灰は本人の希望でサンフランシスコ湾に撒かれた。

その後彼らは4人組としてグループを続け、ライヴ会場では必ずトゥーボをグループのメンバーとして紹介していた。

1990年10月、映画監督スパイク・リーがア・カペラにスポットを当てたドキュメンタリー映画『ドゥ・イット・ア・カペラ』を製作、この中でもパースエージョンズがフィーチャーされた。

その後、1990年代中期にやはり彼らのファンで映画監督のフレッド・パーンズという人物が彼らを主人公にしたドキュメンタリー『スプレッド・ザ・ワード:ザ・パースエージョンズ・シング・ア・カペラ』を製作、これは、後にPBSでテレビ放映された。

1996年、元ドリフターズのバーナード”B.J.”ジョンソンが加入。さらに1999年3月、ファースト・テナーにレイモンド・X・サンダースが加入、一時期6人組となった。

2003年に、リード・シンガーのジェリー・ローソンがグループを脱退。ジェリーは自身のグループ、トーク・オブ・ザ・タウンを結成した。

2009年、グループは、「ドゥー・ワップ殿堂」入りを果たした。

ジョーは2009年ごろから体調をくずし、腎機能が落ち、移植を待っていた。

+++

深海。

トム・ウエイツは彼らについてこう言った。「彼らは本当に深い深い深海にもぐっている。僕なんかボートに乗ってるただの釣り人だよ」

「彼らの存在は、ボクシング界で言えば、モハメド・アリのようなものだ。無敵で革新的で、オリジナルで、そして、素晴らしい」(LAウイークリー)

「パースエージョンズのスタイルは、情熱と知性の完璧な結婚だ」(グリル・マーカス)

まさに後に輩出するテイク6、ナチュラリー・7らのア・カペラ・グループの大先駆者だ。

ジョーの葬儀は、2012年5月9日、水曜日、ブルックリンのウッドワード・ローレンスH葬儀屋で行なわれる。パブリック・ヴューイングは午後2時~6時、葬儀は午後6時から。

パースエージョンズ・サイト

http://www.thepersuasions.info/index.html

+++

スパイク・リー監督『ドゥ・イット・ア・カペラ』からパースエージョンズの「ルッキング・フォー・アン・エコー」

http://youtu.be/GQl7dGHogPI



たぶん、左から2番目の赤っぽいセーターを着ている人物がジョー。これは1990年の作品だが、その2年前にターボを失っているので、ここでは4人組。この映像ではでてこないが、別の曲では最後、シルエットが映し出され、ターボへのトリビュートがなされる。

スパイク・リーとジョーやメンバーとは、同じ地区ベッド=スタイに住んでいて顔なじみ。

同映画から「アップ・オン・ザ・ルーフ」。冒頭にスパイク・リーのインタヴュー
http://youtu.be/E-n3jEQlwQ8


向かって左から2番目がジョー・ラッセル

All I Have To Do Is Dream (Everly Brothers)
5人が映っている1974年の映像。後ろの段、中央がジョー・ラッセル

http://youtu.be/hamL-QU8fZI



司会者は、モーリス・リチャード(Maurice Richard "Maury" Povich)。エヴァリー・ブラザースのカヴァーの後に歌うゴスペル曲は、"Somewhere to Lay My Head"。ここでは、ウイリー・ダニエルズというメンバーが入っている。

1971年の映像。バッファロー・ソルジャー

http://youtu.be/hGlZQQFqmcc


最初のナレーションと全体的なリードはジェリー・ローソン。ナレーション後のヴォーカルがジョー・ラッセル。

オールディーズ・メドレー 
http://youtu.be/ilrVyeM4v-E



しかし、彼らの古い映像がたくさん出てくるので驚く。Sincerely – A Thousand Miles Away – etc

「レット・イット・ビー」がゴスペルに変身
http://youtu.be/hDT8SfBH28U

2012年4月19日にWFDU-FMのイヴェントでジョーを除いたメンバーがジョーに捧げたパフォーマンス

http://youtu.be/rxgFW5vzyHM



+++

『ドゥ・イット・アカペラ』映画サウンドトラック

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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002GYE/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00195I3EA/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

OBITUARY>Russell, Joe ( - May 5th, 2012)

◎ノーナ・リーヴス、新作発売リリース・ライヴ~ライヴ見て、CDがお土産

【Nona Reeves Live At Billboard】

申し子。

ビルボード・レーベルから主として1980年代から90年代の洋楽ヒットのカヴァー曲を集めたアルバム第二弾『チョイス II』のリリース記念ライヴ。ゴールデンウイークの冒頭で、客席は超満員。

セットリストはこのアルバムからの曲が中心に。

初日ファーストの1曲目は、ヒューイ・ルイス&ザ・ニューズの「パワー・オブ・ラヴ」だったが、歌い終えた後、郷太くんのところにスタッフがかけより、照明のセッティングがうまくいっていなかったとの連絡。急遽、機材を再起動してもう一度歌うということに。今度は、ずいぶんと明るい派手な照明になった。確かにこっちのほうが断然いい。

全編通していると、本当に彼らが80年代~90年代ポップスの申し子だなあ、と思う。本人は「ビルボードの申し子」と。80年代の英米のヒット曲を芯の芯まで聞いてきて、それが骨の髄までしみこんで、それを楽しんでいる様子が見て取れる。

なんか、こういうライヴを見ていると小林克也さんの『ベスト・ヒットUSA』などが思い浮かんでくる。『ベスト・ヒット』にはゲストででないんですか。(笑)

CDには郷太くんの詳細な曲目解説あり。このCD、今回はライヴ・チケット購入者に先行でもれなくプレゼントされた。つまり、ライヴ見て最新CDがお土産に渡される、というわけだ。新しい試みかも。ライヴにCD付きって、マドンナみたい! え、なに、ビルボードで照明がトラぶったのってハービー・ハンコック以来なんですか? ハービー、マドンナと並ぶノーナ・リーヴス! すごっ。

■ Billboard Records カヴァー・アルバム第二弾 2012年6月6日発売

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B007RN7LDC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

SONG LIST

1. YOU GET WHAT YOU GIVE
ホワット・ユー・ギヴ
(originally recorded by NEW RADICALS)
2. STEP BY STEP
ステップ・バイ・ステップ
(originally recorded by NEW KIDS ON THE BLOCK)
3. HUMAN NATURE
ヒューマン・ネイチャー
(originally recorded by MICHAEL JACKSON)
4. THE POWER OF LOVE
パワー・オブ・ラヴ
(originally recorded by HUEY LEWIS & THE NEWS)
5. WHAT HAVE I DONE TO DESERVE THIS?
とどかぬ想い
(originally recorded by PET SHOP BOYS with DUSTY SPRINGFIELD)
6. THAT’S THE WAY OF THE WORLD
ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワールド ~暗黒への挑戦~
(originally recorded by EARTH, WIND & FIRE)
7. DON’T BE CRUEL
ドント・ビー・クルエル ~冷たくしないで~
(originally recorded by ELVIS PRESLEY)
8. TENDER
テンダー
(originally recorded by BLUR)
9. CRAZY FOR YOU
クレイジー・フォー・ユー
(originally recorded by MADONNA)

■新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書 (新潮文庫) 2012年5月29日発売

新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書 (新潮文庫)posted with amazlet at 12.05.08西寺 郷太 新潮社 売り上げランキング: 162503Amazon.co.jp で詳細を見る

■メンバー

西寺 郷太 / Gota Nishidera(Vocals)
奥田 健介 / Kensuke Okuda(Guitar)
小松 シゲル / Shigeru Komatsu(Drums)
真城 めぐみ / Megumi Mashiro(Background Vocals)
村田 シゲ / Shige Murata(Bass)
冨田 謙 / Yuzuru Tomita(Keyboards)
松井 泉 / Izumi Matsui(Percussions)

■セットリスト ノーナ・リーヴス
Setlist : Nona Reeves @ Billboard Live Tokyo, April 29, 2012

Show started 16:35
01.The Power Of Love (Played twice)
02.Step By Step
03.Human Nature
04.土曜日の恋人
05.Crazy For You
06.The Sphynx
07.You Get What You Give
08.What Have I Done To Deserve This?
09.Easy Love
10.Enjoyee (Your Lifetime)
11.If You Were There
12.Kokomo
13.Magical
Show ended 18:02

(2012年4月29日(日曜)、ビルボードライブ東京、ノーナ・リーヴス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Nona Reeves
2012-

◎丸本修さんのファンケストラでファンク爆発

【Funkestra: Led By Marumoto Osamu】

ゴーゴー。

ソイソウルなどでぶりぶりベースを聴かせるファンキー・ベースマン、丸さんこと丸本修さん率いるファンクをやるバンド、ファンケストラのライヴ。

1部の終わりに到着。2部は、なんと頭からワシントンDCのゴーゴー・サウンドのリズムでノンストップで始まった。イントロからガーシュインの「サマータイム」、そして、ジョージ・ベンソンなどで知られる「ディス・マスカレード」と、延々とほぼ同じBPMでひたすらゴーゴーのリズムにチャカさんのヴォーカルが乗る。まさに、チャック・ブラウン並みのゴーゴーのグルーヴだ。

そして、この日のゲスト・ヴォーカルでふだんはジャズを歌っているというチャカさんのトークが、さすが大阪人だけあってめちゃおもしろい。「30年ほど前、丸さんに声かけられて、バンドに参加しました。私はティナ・ターナーみたいなのをやりたかったんですが、これ、覚えてきて、と言われたのが、チック・コーリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーの『ホワット・ゲーム・シャル・ウィ・プレイ』でした。騙されたんです。(笑) 次に渡されたのが、パーラメントの『ギヴ・アップ・ザ・ファンク』(メロディーを低い声で歌う)! 私はもっと高い声で歌いたいの!(笑)。丸さんのベースは、一体何度王将に忘れられたか、質にも入りました。でも、その丸さんに毒されて、ファンクが好きになってしまいました。丸さんは(私にとっての)ファンクの父です」

「それから、(今日のサックス担当の)渡辺ファイヤーのCDがあります。えー、お帰りの際は、『退場料』として、ぜひお買い求めください(笑)」

入場料ならぬ退場料って! (笑) 

そのファイヤーさんたち、5月24日、同じくこの会場グレープフルーツ・ムーンにてライヴ。

■ファンケストラ・ライヴ@三軒茶屋グレープフルーツ・ムーン

■ メンバー

佐藤純朗(g) 柿崎洋一郎(kb) 丸本修(b) 芳垣安洋(ds) 渡辺ファイヤー(sax) 帆足哲昭(per)中島オバヲ(per) 【GUEST】 CHAKA(vo) 

■ セットリスト
Setlist :Funkestra @ Grapefruit Moon, April 27, 2012

01.Memphis Soul Stew
02.Our Roots
03.Caravan
04.Sivad
05.Rigor Mortis

Set 2

Show started 20:59
01.Intro
02.Summertime (George Gershwin, Billie Holiday)
03.This Masquerade (George Benson, Leon Russell)
04.Que Sera Sera (Doris Day, Sly & Family Stone)
05.Feel Like Making Love (Roberta Flack, Marlena Shaw)
06.A Night In Tunisia (Guillespie, Chaka Khan)
07.Never Make Your Move Too Soon (B.B.King)
Show ended 21:55

(2012年4月27日金、三軒茶屋グレープフルーツ・ムーン、ファンケストラ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Funkestra

◎三浦大知~愛にあふれた初武道館

【Miura Daichi Live At Budokan: Filled With Love】

愛。

デビューして15年、ソロになって7年。そんな音楽業界ヴェテランの三浦大知も、まだ24歳。1987年8月生まれ、今年の夏でやっと25歳だ。

小さなクラブから始まり、ライヴハウス、コンサートホール、そして、ついに日本武道館。MCで彼は言った。「24までには、武道館でやるのを目標にしてきました。そして今日という日、武道館にやってきました。みなさん、ありがとう」

着実に階段を上っている三浦大知。歌と踊りで勝負するソロ男性アーティストといったら、今、彼の右に出るものはいない。

予定から29分遅れて武道館が暗転し暗闇に包まれた瞬間大歓声が巻き起こった。観客の9割以上は女性。月並みな表現をすれば、黄色い歓声がものすごい。ステージ正面から南側に花道が突き出ている。ステージの前面は、大きなカーテンで後ろが隠されている。歓声の中、スポットが当たると、その花道先端に5-6メートルほどステージがつきあがり、そのてっぺんに、日の丸の真下に三浦大知が堂々とした立ち姿で登場した。ゆっくり腕を上下に動かすと、それにつれて照明が動く。まるでマイケル・ジャクソンのよう。

そして音が出て、カーテンがぱっと落ちると、ステージに3階建てのような踊り場ができていて、その踊り場や、ステージに20人近いダンサーたちが美しくシルエットになってフリーズしていた。

曲が始まるや、ダンサーが動き出し、瞬時にステージにアクションが宿った。

曲終盤で、なんと後ろにあった4本の柱は、瞬間消えた。そう、そこは全面LEDパネルになっていて、さまざまな映像を映し出すようになっていたのだ。

リアルなバンドは、ガクシ、滝元、上條、岸田という若手の強力なラインアップ。まちがいない。あとはコーラスだけだ。

ライヴ・ショー全編を通して、歌と踊り、そして、バックの映像とのコラボレーションが圧倒的だ。LEDスクリーンを使うと、実際のステージの様子も映し出すこともでき、さらに、事前収録の映像もかっこよく演出に使える。

ステージの左右・縦横・上下とまさに360度すべてを使ってのショーは、まるでプロモーション・ビデオをその場で生で見ているかのようだ。なにしろ、一人で、そしてダンサーたちとここまで踊れるというところがすごい。それに加え、しっかりと、決して口パクはせず、すべて歌いきるというところがまたすごい。

途中には、ピアノの弾き語り、スペシャル・サプライズ・ゲストで、ラップのクレバが登場したりと盛りだくさん。

アンコールの始まる前だったか、万雷の拍手に迎えられステージに戻った大知は、かみしめるように「幸せです」と言った。「この瞬間、すべてが、(自分の)人生の中で大事です。集まってくれてありがとう」と言うと、観客席からも「ありがとう、大知」の声があちこちからかかる。奇しくも彼も言った「愛にあふれてますね」という言葉が、この日の武道館を一番端的に表わしているかもしれない。

唯一気になったのは、本編を終えてからアンコール部分が47分もあったこと。本人も一分でも長くステージにいたかったのだろう。そんな気持ちが観客席に伝わってきた。ただ、構成的にはアンコールの2曲くらいを本編に組み込んで、アンコールはコンパクトにまとめたほうが、「もっと見たい」「また来る」という期待感がより高まるのではないだろうか。

夏からツアーをスタートすることも発表した大知は、「武道館は、新しいスタートです。これからもよろしく」と叫んで、ショーを終えた。

いやあ、渋谷のオンエアやアックスで見てた頃から比べたら、格段の成長振りだ。本当に階段を確実に上っている。これからももっともっと上を目指して進んで欲しい。

■2011ツアーのDVD

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■最新曲

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B007NBRX3G/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■過去関連記事

三浦大知ライヴ~その進化と飛躍
2011年10月13日(木)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11045884705.html

2009年12月30日(水)
マイケル・ジャクソン~三浦大知~アル・マッケイ・オールスターズ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10422528611.html

February 07, 2006
Miura Daichi: Rock The House
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200602/2006_02_07.html

2004/11/22 (Mon)
Watch Out For Daichi: Miura Daichi Live At O-West
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200411/diary20041122.html

■オフィシャル

http://avexnet.or.jp/daichi/index.html

■メンバー

三浦大知(歌、ダンス)

上條頌(ギター)
岸田容男 (ドラムス)
ガクシ (キーボード)
滝元堅志 (ベース)

大自然(DJ)

ダンサー:

矢野祐子
ショージ 
ショータ(義井翔大)
プリ
オグリ
メドゥーサ
ノッポ
カズキ
コハル

■ セットリスト
Daichi Miura Live 2012 [D.M.] in Budokan, May 3, 2012

Show started 17:29
01.Illusion Show
02.Touch Me
03.Inside Your Head
04.Who’s The Man
05.4 Am
06.The Answer
07.Stay With Me
08.Crazy
09.Only You
10.Lullaby
11.Dance Numbers 1) 2) 3) I Can Make You Dance (Zapp)
12.Superstar
13.True Colors
14.別れのベル
15.Your Love
--. Band Member Introducing
16.蜃気楼
17.Runway
18.Love Is Like A Bass Line
19.Turn Off The Light
20.Shout It

Enc. Black Hole
Enc. Elevator
Enc. Two Hearts (new)
Enc. Magic Word
Enc. Keep It Goin’ On – 2012 Mix (track)
Show ended 20:12

(2012年5月3日木曜、日本武道館、三浦大知ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Miura, Daichi

●ビースティー・ボーイズのMCA(アダム・ヤウク)47歳で死去

【Adam Yauch (MCA) of Beastie Boys Dies At 47】

訃報。

ヒップホップ黎明期に登場した初の白人ラップ・グループ、ビースティー・ボーイズのリーダー的存在で、ラップ担当、またベース奏者でもあるアダム・ヤウク(通称MCA)が2012年5月4日、ニューヨークの病院で癌のため死去した。47歳。2009年に癌と診断され、治療を続けていた。

アダム・ヤウクは1964年8月5日、ニューヨーク生まれ。高校時代にハード・ロック・グループのビースティー・ボーイズを結成。アダムの17歳の誕生日(1981年8月5日)に初めて人前でライヴを行なった、という。

ビースティー・ボーイズは元々ロック・グループとしてスタートしたが、1980年代初期、ニューヨークで大きな動きと成り始めた黒人のヒップ・ホップ・ムーヴメントに大きな興味を持ち、白人ながらラップをするようになり、それまでのヒップホップのオーディエンスに多くの白人観客を呼び込んだ。ラップ、ヒップホップが単に黒人のローカル・カルチャーから、白人、さらには世界の文化になったことに大きく寄与した。

その後、ヒップホップ・アーティストとして成功してからは、ハードロックなども含めた音楽的にも多様性を発揮、音楽バンドとしても活動。ロック音楽とラップの融合を試み、成功させた。

グループは、2012年、ロック殿堂入りを果たしている。

1984年、ラップ・レーベルとして飛ぶ鳥をも落とす勢いとなるリック・ルービン/ラッセル・シモンズのデフジャムと契約。白人ヒップホップ・アーティストとして、カーティス・ブローの前座や、ランDMC、LLクールJらとツアーにでて人気を高めた。

1986年のデビュー・アルバム『ライセンス・トゥ・イル』は、なんとデビュー作ながら、しかもラップ・アルバムとして初の全米ナンバーワンに輝いた。

その後、現在まで9枚のオリジナル・アルバムをリリースしている。1998年リリースの5作目『ハロー・ナスティー』ではグラミー賞を獲得。

来日は1987年を皮切りに、2007年のフジロックまで8回。

++++

チベット。

MCAことアダム・ヤウクは、1990年代初期からチベット問題に興味を持ち、チベットの人々を救うためのチャリティーや活動を積極的に行なっている。

チベットは、過去50年以上、中国に不当に抑圧され、多くの僧などが虐待されたりして、チベットの人々は隣国ネパール、インドなどに亡命している。

アダムは、チベットの人々のために資金を提供するために、1994年、ミラレバ基金を設立、ライヴを行いその収益を同基金に寄付。さらにこれが発展し、1996年6月、「チベタン・フリーダム・コンサート」などを各地で開催するに至った。これはその後、年恒例となって開催されている。

グループとしても、2001年9月11日の911テロを受け、チャリティー・コンサートを開催したり、イラク戦争への反対を表明したり、政治的発言も積極的に行なってきている。

2008年には、オバマ大統領候補を全力で支援した。

また、アダムは映像作家としても知られ、ナサニエル・ホーンブローワーの変名でビースティーズのプロモーション用ビデオやその他の映像作品を制作している。

■なんといっても、ファースト『ライセンス・トゥ・イル』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000024JN/soulsearchiho-22/ref=nosim/"


■グラミー受賞作、通算5作目『ハロー・ナスティー』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000089U6/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

OBITUARY>Yauch, Adam (MCA), (August 5, 1964 – May 4, 2012, 47-year-old)



■アース特集~しゃべり足らず

【Thanks For Listening To Big Special featuring EWF】

感謝。

5月2日(水)深夜放送の『ビッグ・スペシャル』3時間生放送、お聴きいただいた方、聴取ありがとうございます。多くのメッセージ、ツイッターなどでのコメント、ありがとうございます。すべてにはお答えできませんでした。すいません。

また、やはり、しゃべる予定のこと、しゃべろうかと思っていたことの10分の1もしゃべれませんでした。(笑)

スタジオで話そうと思って、話せなかったことなどを思いつくままに。

今回一番参考にしたのは、僕が1997年にアースの6枚組ボックスセット(通販商品)を制作したときに書いた詳細なアース・ウィンド&ファイアー・ストーリーです。今回改めて読み返してみましたが、モーリスを始め、メンバーのインタヴューを含めた3万字超の壮大なストーリーで、これは今まで日本語で書かれたアース・ストーリーでは一番の内容のものになっていました。忘れていたことなども思い出し、とても参考になりました。モーリスの発言、インタヴューなど番組でも紹介できました。(たぶん、1000人くらいの人しか読めていないと思われるので、要望が高まればいずれ何かいい形で改めて出したいですね)

モーリス・ホワイトとアル・マッケイの確執については少し話しましたが、もう少しつっこんでもよかったかもしれません。今回アル・マッケイをいろいろ調べていて、やはり、アルがアースに貢献したポップな部分の大きさを改めて強く感じました。

モーリスがよりスピリチュアルな世界、高みに行こうとするのに対し、アルは、よりストリートに、よりエンタテインメントに行こうとしていました。1981年くらいまでは、結局、それがギリギリうまく化学反応を起こしていたのでしょう。81年までにアルが脱退して、そうした化学反応、マジックが消えてしまいました。ここはもっと研究してみたいと思います。

ラムゼイ・ルイスのモーリス評、モーリスに僕がインタヴューしたときの話、アルやフィリップ・ベイリーに実際に話をきいたときの話などができませんでした。

モーリスのコメントはいくつかご紹介できましたが、長いものはラジオには向きませんね。

ロータリー・コネクションの話、チャールズ・ステップニーの話はもう少ししたかった。

ブラック・グループとしての苦悩については、彼らが白人だったら、もっと人気がでただろう、という彼らの発言についての話ですが、できませんでしたね。

アース・サウンドの変遷の特徴をうまく解説できれば、よかった。

長岡秀星さん(アースのジャケットを書いた日本人アーティスト)の話もしたかった。

ということで、このあたりをまとめるとけっこうなアース本になりますねえ。「アース・ウィンド&ファイアーの教科書」として書きましょうかね。(笑)  電子書籍とかで読みたい人は何人くらいいるでしょう。

アースのチケットは売り切れてしまったのに、アースのライヴのCMが東京地区は流れてました。

番組でオンエアした曲は次の通り。

1am
01. Boogie Wonderland / Eath, Wind & Fire
02. Jupiter / Eath, Wind & Fire
03.Serpentine Fire / Eath, Wind & Fire
04.Sun Goddess / Ramsey Lewis
05.Sing A Song / Eath, Wind & Fire
06.Shining Star / Eath, Wind & Fire
07.Kalimba Story / Eath, Wind & Fire
08.Evil / Eath, Wind & Fire
09.A fter The Love Is Gone / Eath, Wind & Fire
10.Brazilian Rhyme / Eath, Wind & Fire
11.That’s The Way Of The World / Eath, Wind & Fire

2am
12.September / Eath, Wind & Fire
13.Reasons / Eath, Wind & Fire
14.In The Stone / Eath, Wind & Fire
15.Devotion (Live) / Eath, Wind & Fire
16.Got To Get You Into My Life / Eath, Wind & Fire
17.Fantasy / Eath, Wind & Fire
18.Let’s Groove / Eath, Wind & Fire
19.Mighty Mighty / Eath, Wind & Fire
20.Jupiter / Eath, Wind & Fire
21.Magic Mind / Eath, Wind & Fire

3am
22.Back On The Road / Eath, Wind & Fire
23.Saturday Nite / Eath, Wind & Fire
24.Skip To My Lou / Finis Henderson
25.Treat Her Like A Lady / The Temptations
26.Free / Deniece Williams
27.Easy Lover / Philip Bailey & Phil Collins
28.Best Of My Love / Emotions
29.La La Means I Love You / Pockets
30.Sunny Side Up / Splendor
31.I Need You / Maurice White

■過去記事一覧はこちら

http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11239085128.html

RADIO>Big Special>EWF

●チャールズ“スキップ”ピッツ~「シャフト」のギタリスト、死去

【Charles Pitts Dies At 65 : Wah Wah Guitar of “Shaft” Fame】

訃報。

メンフィスをベースに活躍したソウルフルなギタリスト、チャールズ“スキップ”ピッツが、2012年5月1日、メンフィスの病院で死去した。65歳。癌を患っていた。ピッツでもっとも有名なギターリフは、アイザック・ヘイズの大ヒット「シャフト」。ワウワウがかかったそのギター・サウンドが特に印象的だった。葬儀はワシントンDCで行なわれ、メンフィスでお別れの会が開催される予定だという。

評伝。

チャールズ・ピッツは、1947年4月7日、ワシントンDC生まれ。叔父がDCの有名なシアター、ハワード劇場の隣でホテルを経営していたことから、ハワードに登場する多くのR&Bアーティストらと知り合い、音楽業界に足を踏み入れた。

1960年代中期から同地を本拠にギタリストとして活動、R&Bグループ、コースターズ、ジーン・チャンドラー、ウィルソン・ピケット、アイズレー・ブラザーズなどとプレイした。ジーン・チャンドラーのヒット「レインボー65」ではギタープレイが録音されている。

特にアイズレーのバックバンドをしばらく担当し、その最中に、アイズレーの1969年3月から大ヒットとなった「イッツ・ユア・シング」のギターリフを生み出した。

1970年、アイザック・へイズの誘いでメンフィスに移住。アイザックのツアー・メンバーとして彼の死去まで帯同した。同時に同地のスタジオ、スタックス、ハイなどのセッションでも活躍。スタックス時代にはルーファス・トーマスの「ブレイクダウン」、ソウル・チルドレンの作品、テンプリーズの「デディケイテッド・トゥ・ザ・ワン・アイ・ラヴ」、アル・グリーンの「アイ・キャント・ストップ」、また、シンディー・ロウパーの最新作『メンフィス・ブルーズ』でもプレイしている。

彼のギターでもっとも有名なものは、アイザック・ヘイズで1971年に大ヒットし全米1位になった映画『シャフト』のテーマ。ワウワウがかかったギターリフがひじょうに印象的で、ヒットに大きく寄与した。また、これより先、アイズレー・ブラザーズのバンドに参加したことで、1969年にアイズレーの大ヒット「イッツ・ユア・シング」の印象的なギターもチャールズのプレイだ。「シャフト」や「イッツ・ユア・シング」などのギターリフはその後多数サンプリングで使用されている。

チャールズは、1972年のスタックス・レコードが行った大イヴェント『ワッツタックス』にもアイザック・ヘイズ・バンドの一員として登場している。

「シャフト」のレコーディング・セッションは、すでにこの曲が映画のとの部分に使われるかだいたい決まっていた。主役シャフト(リチャード・ラウンドトゥリー)が、タイムズ・スクエアのところを走ったりしているシーンだ。

スタジオでドラマーのウィリー・ヘイルが、シンプルなアップテンポのドラムを叩いていて、そこにアイザックがピアノでアクセントをつけようとしていた。そして、ちょうど、チャールズがいろいろなペダルで音をチューニングしていたところ、そのうちのひとつ、ワウワウの音が印象的だったので、アイザックがぴんときて「Gオクターヴでそれをやってくれ」と言い、あのリフが録音された。

スキップは、オーティスに傾注していたので、同じスタックスのギタリスト、スティーヴ・クロッパーも尊敬し、傾注していた。

1998年、スタックスのアーティスト、サー・マック・ライスの要請で結成されたボーキーズのメンバーに。ここにはスコット・ボマー(1974年6月15日メンフィス生まれ)、チャールズ、ベン・コーリー(元バーケイズ)、ハワード・グライムス(ハイ・セッションで有名)、アーチー・ターナーなどがメンバー。

ボーキーズとして『ザ・ロイヤル・セッション』を1998年にリリース、その後、アル・グリーンのカンバック・アルバム『アイ・キャント・ストップ』に参加した。その後、2005年映画『ハッスル&フロー』、2008年映画『ソウル・メン』などに3曲で参加。

■5月6日(日)の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」(インターFM76.1mhz、2時半~)で追悼特集する予定です。

関東地区の方は、ラジコでも聴けます。
http://radiko.jp/player/player.html#INT

メンフィスの裏方ミュージシャンとしては、先にメンフィス・ホーンズのアンドリュー・ラヴが2012年4月12日に死去している。

アンドリュー・ラヴ追悼~オーティスの「トライ・ア・リトル・テンダーネス」
2012年04月24日(火
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11225317174.html

■チャールズのギターリフとしてもっとも有名な「シャフト」

アイザック・ヘイズ「シャフト」(『ワッツタックス』から)
http://youtu.be/L2cHkMwzOiM



アイザック・ヘイズ「シャフト」(映画『シャフト』から)
http://youtu.be/rYriOuyJU5I

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000000ZML/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■アイズレー・ブラザーズ「イッツ・ユア・シング」(1969年のテレビ番組から)
http://youtu.be/pQ8g6ecFm7o



バックバンドの中央のギタリストが、チャールズらしい。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001HN57M/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ルーファス・トーマス「ブレイクダウン」

http://youtu.be/hEYKGj-K1rs



http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000RIWAQC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

OBITUARY>Pitts, Charles (April 7, 1947 – May 1, 2012, 65-year-old)

■ 今日、来日直前、アース・ウィンド&ファイアー特集:『ビッグ・スペシャル』

【Earth Wind & Fire Special】

生放送。

今日(2012年5月3日木曜)午前1時から4時まで東京FM系列全国35局ネットで生放送される『ビッグ・スペシャル』で、来日直前のアース・ウィンド&ファイアー特集が放送される。お相手は、吉岡正晴。

1時から4時まで生放送。番組宛のメールはこちら。ツイッター用ハッシュタグは、#bigsp 。

直接メールを送るフォーム↓
http://www6.jfn.co.jp/mailforms/index/94

関東地区は、関東のラジコで。その他の地区は各地区のラジコでも聞けます。関東用のラジコ↓
http://radiko.jp/player/player.html#FMT

この『ビッグ・スペシャル』は、毎週月曜深夜25時(火曜午前1時)から木曜深夜(金曜午前)まで生放送しているもので、約30以上の局でネットされる。(番組ホームページでは35局のネット局名が出ている)
http://www.fmsounds.co.jp/production/program_detail.php?b=1&p=62&PHPSESSID=vvnqkbcm

当日は生放送ですので、リスナーからのメール、ツイッターでのメッセージなども受け付けます。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002UGMF6Y/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■アース・ミニ・バイオ

融合。

アース・ウィンド&ファイアーは、1969年、シカゴのチェス・レコードで活躍していたラムゼイ・ルイス・トリオのドラマーでもあったモーリス・ホワイトが、結成した。当時のグループ名ソルティー・ペッパーズ。単なるソウル・バンド、R&Bバンドではなく、ソウル、ジャズ、ロック、ファンクなどを融合した音楽的に多様性のあるバンドを目指した。

1970年、活動の本拠をシカゴが西海岸のロスアンジェルスに移し、グループ名をアース・ウィンド&ファイアーと変更し、メンバーを増やした。デモ・テープを売り込み、1971年2月、ワーナー・ブラザーズから『アース・ウィンド・アンド・ファイアー』でデビュー。ワーナーでもう1枚アルバムを出した後、さらにメンバー・チェンジ。ニューヨークで彼らのライヴを見たクライヴ・デイヴィスがCBSコロンビア・レーベルへ誘い、契約。

コロンビアからのデビュー作『ラスト・デイズ・アンド・タイム』(通算3作目)を1972年4月リリース。以後、『ヘッド・トゥ・ザ・スカイ』(1973年)がアルバムが100万枚売れる大ベストセラーとなり、一挙にブレイク。さらに、『オープン・アワ・アイズ』(1974年)(100万枚)などで人気を高め、1975年3月リリースの『ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワールド』で大ブレイク。このアルバムは、全米で300万枚の大ベストセラーとなり、アースの人気を決定付けた。

以後、『グラティテュード』(1975年11月)、『スピリット』(1976年)、『オール・ン・オール(邦題、太陽神)』(1977年)、『ベスト・オブ』(1978年)、『アイ・アム(邦題、黙示録)』(1979年)とリリース。

特に日本では1977年の『オール・ン・オール』から「ファンタジー」、1978年の『ベスト・オブ』から「セプテンバー」、1979年の『アイ・アム』から「ブギー・ワンダーランド」の大ヒットが生まれるに至って、彼らの人気も爆発した。

1980年にリリースした2枚組み『フェイセス』が彼らにとって大きなターニング・ポイントとなり、このアルバム・リリース後に主要ギタリストのアル・マッケイが脱退するなどして、アース・サウンドが徐々に変化。シングル・ヒットが出にくくなった。それでも、1981年の『レイズ』からは、「レッツ・グルーヴ」が大ヒット。

以後は、コンスタントにアルバムを出すものの、1970年代に出したアルバムを超えるにはなっていない。

ソロ活動。

その後、グループのリード・シンガー、フィリップ・ベイリーがグループ活動と並行してソロ活動を開始。フィル・コリンズとのデュエットで「イージー・ラヴァー」の大ヒットを飛ばす。

また、グループのリーダー、モーリス・ホワイトもソロ・アルバムを発表。ここからは、「アイ・ニード・ユー」のヒットが出た。

また、アル・マッケイ、ラリー・ダン、ヴァーディン・ホワイト、モーリス・ホワイトらは、それぞれ、アースとは別の外部プロジェクトをてがけ、プロデュース活動、セッション活動などもするようになった。

特にモーリス・ホワイトは、自らカリンバ・プロダクションを始め、エモーションズ、デニース・ウィリアムスなどをプロデュース、ヒットさせる。

来日。

グループとしては、1979年3月に武道館3日を含め初来日。これまでに計12回来日。2012年5月のコンサートで13回目の来日となる。

テーマ。

話のテーマとしては、次のようなトピックを考えている。

1)アースのヒントとなったロータリー・コネクション
2)アレンジャー、チャールズ・ステップニー
3)アフリカ・エジプトへの思い
4)ブラック・グループゆえの苦悩
5)モーリス・ホワイトのヴィジョン
6)アースのライヴの様子。初来日から最近まで
7)アル・マッケイ・オールスターズのライヴの様子。
8)アースのグループの変遷
9)アース・サウンドの特徴
10)アース周辺のメンバーらの活動、など。


■アース・ウインド&ファイアー過去関連記事

「ソウル・サーチン・ブログ」における過去10年のアース・ウィンド&ファイアー関連記事。

フィリップ・ベイリー前回単独ライヴ↓

フィリップ・ベイリー・ライヴ~息子は父の背中を見て学ぶ
2010年11月14日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10705518314.html

フィリップ・ベイリー、デイヴィッド・フォスター・ライヴで来日

デイヴィッド・フォスター・ライヴ~素晴らしいシンガーを紹介する良質の音楽番組
2011年10月21日(金)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11053689806.html

アース・ウインド&ファイアー・ライヴ~普遍的ソウル・バンドの魅力
2009年12月12日(土)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10409104298.html
前回のセットリストも。

January 19, 2006
Earth, Wind & Fire: Live At Budoukan, Why They Didn’t Play Encore Song?
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_01_19.html

January 20, 2006
EWF: "That’s The Way Of The World" Should Be The Last Song
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_01_20.html

2004/09/04 (Sat)
Earth Wind & Fire: Set The Budokan On The Fire
武道館でのライヴ評
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200409/diary20040904.html

2004/09/05 (Sun)
After The Rain Has Gone: EWF Live At Budoukan
ライヴ評第2弾
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200409/diary20040905.html

2002/11/29 (Fri)
Big Daddy! Big Boss!
2002年のライヴ評。背中で歌うモーリス・ホワイト
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200211/diary20021129.html

2002/12/01 (Sun)
Maurice White Talks
モーリス・ホワイトへのインタヴュー
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200212/diary20021201.html

ARTISTS>Earth Wind & Fire
RADIO>Big Special>Earth Wind & Fire

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