◎レデシー・ライヴ~貫禄と余裕

【Ledisi Live:】

貫禄。

レデシーの存在を知ったのは、2002年ごろ、サンフランシスコを本拠とするピアニスト、サヤのCD『デスティネーション・ファーアウェイ』に参加していたとき。彼女は「アンティル・ウィ・ミート・アゲイン」という曲を歌っている。このアルバムは、ほかにブラクストン・ブラザーズなども参加していて、ちょっとした一枚だ。レデシーは2001年にソロを出して以来、今日まですでに6枚のアルバムを出すまでになっている。

2002年6月大阪ブルーノート初来日、2007年11月(東京初ライヴ=ビルボード)、2009年1月(コットン)、2010年1月(ビルボード)以来、通算5度目の来日。(2011年4月(ブルーノート)はキャンセル)

キーボード2名、ギター、ベース、ドラムス、コーラス2人にレデシーという布陣。

一言でいえばとてもいいライヴだった。しっかりしたバンド、そして、なによりシンガーとしての貫禄がでて、ステージ裁きも余裕がでてきたような気がした。低い声はレイラ・ハサウェイを思わせるような、そして高い声はかわいらしく。それにしても、音の安定感といったらない。加えて声の力が強い。ちょっとマイクを離しても、その歌声はきっちり通る。ライヴでこれだけしっかりぶれることなく歌えるというのは、本当に基礎の基礎ができあがっていることの証明だ。

バラード・メドレーなんかもひじょうによかった。すでにデビューから10年を超える中堅シンガー。しかも最新作はグラミー賞ノミネート(受賞は残念ながらできず)となり、上り調子絶好調だ。

バックコーラスの2人も途中でソロを取ったが、どちらもうまい。ダネトラのほうは、アンジー・ストーンでも来日していた。

■過去関連記事

2007年11月15日(木)
ギブス
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10056387099.html

■最新作『ピーセス・オブ・ミー』(輸入盤)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004UJBP38/soulsearchiho-22/ref=nosim/


■ピーシズ・オブ・ミー(日本盤)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0061P66EW/soulsearchiho-22/ref=nosim/


■ロスト・アンド・ファウンド

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000RO8UAQ/soulsearchiho-22/ref=nosim

■メンバー

レディシ / Ledisi(Vocals)
ダネトラ・ムーア / Danetra Moore(Background Vocals)
サラ・ウィリアムズ / Sara Williams(Background Vocals)
アンソニー・ウォーカー / Anthony Walker(Keyboards)
ロレンゾ・ジョンソン / Lorenzo Johnson(Hammond B-3)
ネイト・マースロウ / Nate Mercereau(Guitar)
アイドリス・デイヴィス / Idris Davis(Bass)
ティム・スティール / Tim Steele(Drums)

■セットリスト レデシ
Setlist : Ledisi @ Billboard Live Tokyo, March 21, 2012

Show started 21:42
01.Raise Up
02.Higher Than This
03.Joy
04.Simple
05.Hate Me
06.Knockin’
07.Slow Jam Medley: Love Never Change Us – Think Of You – Goin’ Through Changes – I Miss You Now – Get To Know You
08.Bravo
09.Pieces Of Me
10.What A Wonderful World [Louis Armstrong]
11.Alright
Show ended 23:05

(2012年3月21日水曜、ビルボードライブ東京、レデシー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Ledisi
2012-
▽◆ハワイで一番人気の「テディーズ・ビガー・バーガー」

【Hawaii’s Number One Burger: Teddy’s Bigger Burger: Another Soul Burger】

バーガー。

水曜日、来週29日の「ソウル・サーチン~スライ・ストーン」の告知のために、久しぶりにカマサミ・コングさんの「メットポッド」の収録におじゃましたら、そこに女性フルート奏者、フルータースクーターとテディーズ・ビガー・バーガーのオウナー、テッド・チャキリスさんがいた。いろんな話をきいていたら、とてもそのテディーズ・バーガーがおいしそうに思えたので、そのお店でのインタヴューにも同席した。

このテディーズ・ビガー・バーガーは、1998年4月にハワイでオープン、その後人気を獲得し、なんでも、6年連続ハワイで1番人気のハンバーガー・レストランだそうで、地元で絶大な人気を誇っているという。そのため、日本や海外からのお客さんも多数やってくるらしい。

そのテディーズ・ビガー・バーガーの初めての日本店が、2009年10月1日に原宿にオープンした。このバーガーの特徴は、太る成分を極力減らしヘルシーにし、胃に負担が少ないバーガーになっている点。パン(バンズ)も通常のものと違い表面の硬さをやわらかくしている。このあたりは、オウナーのテッド・チャキリスさんが、つきっきりで、日本の食材メーカーと何度も試行錯誤をして作り上げたそうだ。そのこだわりぶりに、彼のバーガー・マニアぶりを感じた。


ロゴ、カウンター。懇切丁寧にメニューについて教えてくれる

カマサミさんはハワイ時代からここのバーガーが大好きでよく食べていた。なによりも、そのジューシーなバーガーと大きさにほれ込んでいるという。

実際に食べてみると、実にジューシーで食べているうちに汁がぽたりぽたりとこぼれていて、床を汚したりする。

大きさは、3つ。「ビッグ」というサイズが5オンス(140グラム=1200円)、「ビッガー」が7オンス(200グラム1400円)、そして、「ビッゲスト」が9オンス(255グラム1600円)。これはポテト・ドリンクなどをつけたコンボ(セット)の値段。単品はそれぞれ880円、1180円、1480円。

テッドさんによると、最初は「ビッガー」がいいというので、それをいただいたら、実にジューシーで美味しかった。島津山の「フランクリン・アヴェニュー」のハンバーガーも確かに胃もたれしないのだが、ここのものも胃もたれしない。バーガーでがっつり、脂っこいものを食べたいという人には物足りないかもしれないが、僕なんかには実にちょうどいい。これはまた食べたい。

なにしろ、一番小さなものが「ビッグ」、次が「ビッガー」、そして「ビッゲスト」となると、どうやっても手で持ちきれない、口に入りきらない、ということで、僕はしばしば大きなバーガーを食べるときは、ふたつにナイフで切って食するのだが、テディーさんによると、「バーガーをナイフで切るなんてもってのほか」と一刀両断された。そして、彼が正しいバーガーの食べ方を目の前で見せてくれた。

それがこれだ。

  

(写真1,2、3)

両手でしっかり掴んで、口に持ってきて、がぶっ。

■本ブログ・プリントアウトして20%オフ!

さて、いろんな話がでたが、なんとテディーさんから、この「ソウル・サーチン・ブログ」読者にもクーポンをいただいた。2012年3月31日までとちょっと期間が短いが、この写真部分かこのブログページをプリントアウトするか、カウンターでスマートフォンなどで見せれば、トータル金額の20%引きにしてくれるという。

 
このページをプリントアウトするか、スマホなどでこの画面を見せれば、2012年3月31日までトータルから20%オフ!写真左の右側に映っているのは、「東京タワー」というバーガー4つをのっけたもので、4000円のもの。ひょっとすると名前を「スカイツリー」に変えるかもしれないと言っている。

写真は、ここではなく、本サイトをごらんください。アドレスは、http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20120323.html ここに写真がでています

(写真4、5)

テディーズ・ビガー・バーガー
http://teddysbiggerburgers.com/index-jp.html
メニュー
http://teddysbiggerburgers.com/docs/Menu_Japanese.pdf
トップページ
http://tbbjapan.co.jp/web/

場所は、原宿・明治通り沿い。表参道・神宮前交差点(4隅に元ギャップビル、ロッテリア、コンドマニア、ラフォーレがある交差点)から渋谷方向へ右側を約200メートル。徒歩3分。右側の2階。

店内にはギターやボブ・マーリーの写真などが飾られており、全体的なコンセプトは50年代から60年代のアメリカン・ダイナー風のハンバーガー・レストランだそう。またカラフルな彩りはティム・バートンの映画の世界のような雰囲気だ。

またオウナーのテディーさんは、今回は4月末くらいまで滞在し、ほぼ毎日、開店からずっと店舗にでているという。唯一の息抜きは毎日近くのジムに行き、マーシャル・アーツ(ジュジュツ)の練習をすることくらいだという。店長のクロさんも以前、音楽業界にいたということで、なんと僕のことをライヴハウスなどで見かけて、本なども読んで知っていたという。「ソウル好きの方、ぜひいらしてください」とのメッセージをもらった。テディーさんはさかんにハンバーガーに「スピリット(魂)」を込めていいものを作っている、と言っていたが、まあ、これも「ソウル・バーガー」なのではないだろうか。

■テディーズ・ビガー・バーガー
〒150-0001
東京都渋谷区神宮前6-28-5宮崎ビル2階
電話:03-5774-2288
営業時間 平日11時~21時、日曜祭日11時~20時

RESTAURANT>Teddy’s Bigger Burger


○★■「ソウル・サーチン」予習~スライ&ファミリー・ストーン (Part 3)

【Soul Searchin – Sly & The Family Stone】

予習。

「ソウル・サーチン Vol.11~スライ・ストーン」は、ケイリブのアイデアから始まった。もともと昨年のマイケルが終わった後、次の「ソウル・サーチン」として、6月にプリンスを取り上げようと考えていた。ひとつには、マサ小浜のライヴを何度もみるうちに、彼のライヴでプレイされる「パープル・レイン」がとてもよくて、あれをフィーチャーしてプリンスをやりたいと思い始めたということがある。プリンス周辺のアーティスト、たとえば、シーラE、アポロニア、ファミリー、タイム、シーナ・イーストン、バングルス、ジャム&ルイス関連作品などたくさんの曲があるので、それらをできたらいいなあ、とおぼろげに考えていた。

そして、その準備を進めるうちに、ケイリブが3月がスライ・ストーンの誕生日だから、スライはどうだ、と言ってきた。そこで、スライなら次のプリンスの前哨戦としては、最適だと思ったので、やることにした。ただスライ・ストーンはどうも一般的人気がなく、知名度もないということで、2デイズではなく、1日でやることになった。

スライの初来日のときは、えらく盛り上がったのだが。

ところで、毎回「ソウル・サーチン」の予約は前日や当日にぐっと伸びる。そうなると、席がなくなり、立ち見になってしまう可能性が高い。なので、来ようかなあと思ったら、ぜひお早目のご予約をお勧めします。

+++

歴史。

さて、スライの歴史は1968年のデビューから、1975年くらいまでをひとつの時期、それ以降と分けられる。1968年から1975年の間でも、今日は少し中期から後期のヒット曲をご紹介。

昨日もご紹介したが、スライ楽曲をカヴァーするアーティストも多いが、サンプリングするアーティストも多い。そうやって、彼らの作品が知らず知らずのうちに浸透していっている。

Thank You Falettinme Be Mice Elf Agin – Sly & The Family Stone (1970/1, Pop #1, Soul #1)

http://youtu.be/BF24CaUrNSI



シングルではB面が「エヴリバディー・イズ・ア・スター」。ホット100、ソウル100両チャートでナンバーワンを記録。

Family Affair  Sly & The Family Stone (1970/1, Pop #1, Soul #1)

http://youtu.be/NdiRhzTsSnk



「ファミリー・アフェア」をサンプリングしたブラック・アイド・ピーズ

Black Eyed Peas - Weekends (Featurig Esthero)

http://youtu.be/GLQ19Jy0zh4



グラミー賞で、ジョン・レジェンド、ジョス・ストーン、ヴァン・ハントがコラボしてカヴァー。

Family Affair : John Legend, Joss Stone, Van Hunt (Grammys)

http://youtu.be/u3DmjWHrOQo



If You Want Me To Stay – Sly & The Family Stone (1973/6, Popu #12, Soul #3)

http://youtu.be/TdorgC9qUkI



同曲をスライ大好きのプリンスがカヴァー。

Prince - If You Want Me To Stay

http://youtu.be/Tksz0csmX28




I Get High On You – Sly & The Family Stone (1975/12, Popu #12, Soul #3)

http://youtu.be/wG8lg21zNDI



ジェシー・ジョンソンが、スライ・ストーンをゲストに迎えて。

Crazy : Jesse Johnson & Sly Stone (1986/9, Pop #53, Soul#2)

http://youtu.be/Ozq3zQ7N0E0

■『ソウル・サーチン:ザ・セッション、Vol.11~ア・トリビュート・トゥ・スライ&ザ・ファミリー・ストーン』 予約について

日時 2012年3月29日(木) 開場午後6時、開演午後7時半、2セット入れ替えなし

場所 目黒・ブルース・アレイ
http://www.bluesalley.co.jp/
住所  〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14 電話番号03-5496-4381
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F

料金 テーブル席(指定)5500円、立ち見5000円。当日券は500円アップ。(各税込み)ドリンク・フード・オーダーなどは別途。この他にテーブル席のシートチャージとして525円がかかります。飲食代などは当日精算。

【予約に関するお問合せ】
BLUES ALLEY JAPAN 
電話:03-5740-6041(月~土/12:00~20:00)20時以降は店舗直接 03-5496-4381

(この項、つづく)

EVENT>SOUL SEARCHIN>Sly& The Family Stone
ARTIST>Sly & The Family Stone

○★■「ソウル・サーチン」予習~スライ&ファミリー・ストーン (Part 2)

【Soul Searchin – Sly & The Family Stone】

ファンク。

来週3月29日(木)「ソウル・サーチン」のイヴェントでとりあげるスライ&ザ・ファミリー・ストーン。彼らはしばしば「ブラック・ロック」「サイケデリック・ソウル」というジャンルで語られたり、また、ジェームス・ブラウンと並んでファンクの創始者としても語られる。その予習編第二弾。

彼らが人気を集め始めた1968年当時というと、黒人の公民権運動が盛り上がっていた時期で、また、彼らが本拠にしてたサンフランシスコという土地は、いわゆる「ヒッピー・ムーヴメント」「サイケデリック」の中心地でもあった。そうした自由な雰囲気と、白人も黒人も一緒にという空気がこの時代と場所に充満していたために、スライたちの音楽が従来のブラック・ミュージックと白人のロックが融合したものになっていってもなんら違和感はない。

そんな彼らのヒットからいくつか代表曲を聞いていこう。

Dance To The Music / Sly & The Family Stone (1968) (1968/1 : Pop #8, Soul #9)

http://youtu.be/4URogrXiKsI 



これは、まさに当時でいうところの「サイケデリック・ソウル」のはしりともなった作品。この大ヒットを見た多くのアーティストが、こうした「サイケデリック・ソウル」的な作品を出すようになった。テンプテーションズの「サイケデリック・シャック」から一連のヒットなどだ。

Everyday People (1968/12, Pop #1, Soul #1)

http://youtu.be/GqzatgOvDKs



この「エヴリデイ・ピープル」は、当時の「ヒッピー文化」の色彩を色濃く反映している曲。訳詞と解説があるので、こちらをごらんください。

2004/10/04 (Mon)
Everyday People: Summer Of 69
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200410/diary20041004.html

スライ&ザ・ファミリー・ストーンのグループ名の由来。

2007年05月07日(月)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10032883816.html

そして、この曲はアレステッド・デヴェロップメントの「ピープル・エヴリデイ」にインスパイアーを与えた。

People Everyday : Arrested Development

http://youtu.be/dgtcTVDcjH0



プリンスがファミリー・ストーンとコラボして「エヴリデイ・ピープル」

Everyday People – The Family Stone & Prince

http://youtu.be/drHuzxLtq2k



I Want to Take You Higher – Sly & The Family Stone (1969/8 : Pop #38, Soul #24)

http://youtu.be/M6Fyn193gNE



すぐにアイク&ティナ・ターナーがカヴァーし、ヒットさせた。

I Wanna Take You Higher – Ike & Tina Turner (1972)

http://youtu.be/-lHtYsMGuVU



Medley : Hot Fun in the Summertime – Don’t Call Me Nigger, Whitey – I Want To Take You Higher  (1969/8 : Hot Fun : Pop #2, Soul #3)

http://youtu.be/Q8f7MTvMET4



この「ホット・ファン・イン・ザ・サマータイム」は、1968年8月17日ニューヨーク郊外ウッドストックで行われた「ウッドストック・ミュージック・アンド・アート・フェスティヴァル」で初めて披露された。その後、シングルとしてリリース。これはもともと次のアルバム『エヴリバディー・イズ・ア・スター』用にレコーディングされたが、そのアルバムは完成せず、結局、1970年リリースの『ザ・グレイテスト・ヒッツ』に収録されることになった。

この曲にインスパイアーされてフィル・コリンズはこんな曲を作った。

Phil Collins : Misunderstanding

http://youtu.be/e3zzsPwHMD0



そして、トトのこれも、同じく。

Toto : Hold The Line

http://youtu.be/ZcVEOc7ZYgk



そして、おまけにビーチ・ボーイズまでがカヴァー。

Hot Fun In The Summertime / Beach Boys

http://youtu.be/fAq0vvnjdJE



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■CD『エッセンシャル』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000NVL96A/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■『ソウル・サーチン:ザ・セッション、Vol.11~ア・トリビュート・トゥ・スライ&ザ・ファミリー・ストーン』 予約について

日時 2012年3月29日(木) 開場午後6時、開演午後7時半、2セット入れ替えなし

場所 目黒・ブルース・アレイ
http://www.bluesalley.co.jp/
住所  〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14 電話番号03-5496-4381
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F

料金 テーブル席(指定)5500円、立ち見5000円。当日券は500円アップ。(各税込み)ドリンク・フード・オーダーなどは別途。この他にテーブル席のシートチャージとして525円がかかります。飲食代などは当日精算。

【予約に関するお問合せ】
BLUES ALLEY JAPAN 
電話:03-5740-6041(月~土/12:00~20:00)20時以降は店舗直接 03-5496-4381

(この項、つづく)

EVENT>SOUL SEARCHIN>Sly& The Family Stone
ARTIST>Sly & The Family Stone

○今年もシック・ギター・コンテスト

【Chic Guitar Contest 2012】

コンテスト。

このところ、毎年恒例となっているナイル・ロジャーズ&シックの「ル・フリーク」ギター・コンテストが今年も行われる。今年からは、「エア・ギター」もOKとなり、応募者も増えそうだ。

参加までの流れは次の通り。われと思わん方はぜひ。

自身で「ル・フリーク」を演奏し動画サイト(ユーチューブ)にアップ。それをスタッフとナイル・ロジャーズが見て、予選通過者を決定。予選通過者は、2012年4月21日土曜日セカンド・ショーの決勝戦でギターを披露。ナイル・ロジャーズ本人が優勝者を決める、というもの。優勝者には、ナイル・ロジャーズ本人のサイン入りフェンダー・スタンダード・ストラトキャスターがプレゼントされる。

応募期間は、2012年3月1日から4月1日(日)まで。予選通過者は4月6日までに連絡がいく。

エントリー資格。2012年4月21日時点で20歳以上の方。

ナイルの動画、詳細はこちら。
http://www.bluenote.co.jp/jp/event/chic-guitar-contest/

■ナイル・ロジャーズ関連記事

「ソウル・サーチン」では、ナイル・ロジャーズ、シック関連記事が膨大な量あります。一応、ここに過去記事一覧があるので、ご参照ください。

2011年04月15日(金)
ナイル・ロジャーズ来日記念特集~過去ナイル関連記事
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10861031113.html

■ベストアルバム

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L295PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/


ENT>CONTEST>Chic

◎ベン・ロンクル・ソウル~60年代ソウルを今、洗練されたグルーヴ

【Ben L’oncle’s Soul: Pop, Fashionable, And Real Soul】

ソウル。

「みんなは、ソウル・ミュージックは好きかあ???」「オオッ、イエー」限りなく観客席も熱く盛り上がる。ほぼ無名の新人ながらブルーノートは超満員。みんな情報早いなあ。観客は若いファンとブルーノートのファンと外人グループ。

ステージ中央、サスペンダーに蝶ネクタイという実におしゃれないでたちのベン・ロンクル・ソウルたちが観客を煽る。彼らの日本初来日ライヴ。なんと2010年にフランスのモータウンと契約し、デビュー。2011年のジャズ・フェスでいきなり大注目を集めた新人グループだ。今回は東京2日だけ。

もちろん初めて見たが、予想以上に素晴らしいライヴだった。きっちりした「ソウル・ショー」、バンド演奏も歌も、そして、踊りを含めたパフォーマンス、すべてが完成していた。

そこにはジェームス・ブラウン、テンプス、マーヴィン、スティーヴィーなどのモータウン、オーティス・レディング、サム&デイヴなどのスタックス、アイク&ティナ・ターナーまで、1960年代のソウルのエッセンスがこれでもかと詰まっていた。こんなソウル・ショーはなかなか見られない。最近のものでいえば、ラファエル・サディーク、エイミー・ワインハウス、そして、ライアン・ショーなどの流れと同一線上にいる素晴らしいソウル・グループだ。僕がレコード会社のA&Rマンだったら、何も言わず即座に契約する、そんなアーティストだった。

彼らは2009年ごろ、フランスで結成された、現在は9人組。トランペット、サックス、ギター、ベース、キーボード、ドラムスにコーラス2人、そして、リード・シンガーのベン・ロンクル・ソウル。

アップテンポの曲で始まった「ソウル・ショー」は、いきなりダニー・レイを思わせるMCからジェームス・ブラウン・バンドばりのブリッジで曲に突入。バンドはブラス・セクションが2人いることから、実に60年代のリアルなソウル・バンドという感じが醸し出される。しかも二人のコーラスは、実に激しく動く。エイミー・ワインハウスのコーラス/ダンサー並みによく踊る。それも、シンプルな動きなので、観客もすぐに覚えられそう。それがまたバックのメンバーをからめた振り付けをするので、実に楽しい。

各楽器のソロも存分に見せるが、なによりもショーすべてがショーアップされ、徹底的にエンタテインメントとして完成されているから、飽きることがない。しかも、みんなネクタイをしていて、ちゃんとした洋服で、それがいちいちおしゃれだ。ベンなどサスペンダーにめがねというのが、トレードマークで自分のブランド・スタイルといういでたちだ。全体的なプロデュースがとてもよくできている。ファンク、グルーヴたっぷりだが、それがヨーロッパのせいか大変よく洗練されている。ファンク曲でもメロディアスなところがあり、日本人好み。

そして何よりも、ベンのソウルフルな声が素晴らしい。これまでだとライアン・ショー、ラファエル、しばらく前だとイギリスのファイン・ヤング・カニバルズあたりを思わせる声自体がソウルな声だ。僕はファイン・ヤング・カニバルズを思い出した。(そういえば彼らはどうしたんだろう) オーティス・レディングの声を声質はそのままに、少しポップに明るくしたような声とでもいえばいいだろうか。このポップかげんがちょうどいい。

ベース奏者と2人のコーラス、ベンがブラックだが、あとは白人。白人にグルーヴは作り出せないと言ったのは誰だ。それが間違いだということを彼らは証明している。

ベン・ロンクルはフランスのトゥール出身。本名、ベンジャミン・ドゥテールド。お母さん、おばあさんがソウル・ミュージック好きで、自然にそういうものに親しみ、好きになっていったという。ステージでベンは、オーティス・レディング、スティーヴィー・ワンダー、レイ・チャールズ、マーヴィン・ゲイ、ジェームス・ブラウン、ダニー・ハサウェイ、スライ&ファミリー・ストーンらの名前をよく聞いてきたアーティストとしてあげていた。

2004年、19歳か20歳の頃、トゥールーズのフィティアヴァナ・ゴスペル・クワイアーに参加。同グループは2009年に『アイ・ハヴ・ア・ドリーム』をリリース。

その後、自身のグループを作り、いくつかカヴァー曲を録音しそのビデオを作りインターネットにアップした。その中のホワイト・ストライプスの「セヴン・ネーション・アーミー」がフランス・モータウンの目に留まり契約。最初6曲入りのEP『ソウルウォッシュ』を出し、その後フル・アルバム『ベン・ロンクル・ソウル』を出した。最初からジャケットなどイメージが統一されており、かなりプロデュースされている感じがする。

ライヴではコール&レスポンスもうまく、途中のブレイクで客をじらすあたりも、ジェームス・ブラウンや先輩ソウル・アーティスト譲り。

ベンはなんども「ドゥ・ユー・ライク・ソウル・ミュージック?」と聞く。きっと「R&B」ではなく、「ソウル・ミュージック」なのだろう。

彼は昔はロンクル・ベンとみんなに呼ばれていたそうだ。それは、彼がいつもサングラスをして帽子を被っていて、アメリカのライスのブランド、ベン・ロンクルのキャラクターと似ていたから。しかし、ロンクル・ベンだと、商標権などの問題がありそうなので、ベン・ロンクルとひっくりかえしてバンド名にした。

ライヴの最後は、手で「ピース(Vサイン)」「ラヴ(ハートマーク)」、「ソウル(握りこぶしをつきあげる)」のジェスチャーで締めくくった。

ファーストから超満員。なんと前日当日でいきなり予約が伸びたそうだ。何があったのだろうか。それにしてもこれほど素晴らしいライヴを見せてくれれば、次は4-5日ブルーノートでできそうだ。

ここ1-2年で見た新人では一番よかった。彼らのように完成しているアーティストだったら「即・契約」というのは最大の褒め言葉だ。

そうそう、一体このベン・ロンクル、いくつなのだろうって気になった。そこで彼に誕生日を尋ねたら、1984年11月10日生まれということで、まだ27歳である。若い! 当然、ジェームス・ブラウン、オーティス、サム・クックなど、みんな彼が生まれる前のスターということになる。こうやって音楽の鎖はつながっていくのだなあ、と思った。若い世代がこうして昔のソウルを今風の解釈でやるのは、だんぜんありだと思う。

いやあ、だから、エレクトリック・エンパイアーにしろ、このベン・ロンクル・ソウルにしろ、こういうグループって、絶対に日本でもできると思うんだけどなあ。

■音源・映像

Ben, l’oncle Soul - Seven Nation Army

http://youtu.be/C4XKNNl31Gc

http://www.youtube.com/watch?v=C4XKNNl31Gc&feature=relmfu

Ben L’Oncle Soul - Soulman
http://youtu.be/-nuutH_TRNs


ギターのリフに「ドック・オブ・ザ・ベイDock Of The Bay」

Ben l’Oncle Soul - "Petite soeur" official video clip
http://youtu.be/Pa3GwHbYKFQ



これはマーヴィン&タミーの「エイント・ノー・マウンテイン・ハイ・イナフ Ain’t No Mountain High Enough」を下敷きにしたような曲。

■ベン・ロンクル・ソウル

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003IWOVN4/soulsearchiho-22/ref=nosim/


■ メンバー

Ben L’oncle Soul(vo) ベン・ロンクル・ソウル(ヴォーカル)
Ulrich Adabunu(back vo) ウルリック・アダブヌ(バック・ヴォーカル)
Cyril Mencé(back vo) シリル・メンセー(バック・ヴォーカル)
Julien Duchet(sax,tp) ジュリアン・デュシェ(サックス、トランペット)
Bertrand Luzignant(tb) ベルトラン・ルージニャン(トロンボーン)
Christophe Lardeau(g) クリストフ・ラルドー(ギター)
Gabin Lesieur(key) ガビン・レシエル(キーボード)
Olivier Carole(b) オリヴィエ・キャロル(ベース)
Loic Gerard(ds) ロイック・ジェラルード(ドラムス)

DJ : March 17, DJ JIN

■ セットリスト
Setlist : Ben L’oncle Soul, Bluenote Tokyo, March 17, 2012

show started 18:02
01.Intro – Seven Nation Army [White Stripes]
02.Soul Man (Original)
03.Elle Me Dit
04.I Don’t Wanna Waste
05.Come Home
06.Crazy [Gnarls Barkley]
07.Petite Soeur
08.My Girl [Temptations]
09.Kiss [Prince]
10.What’d I Say [Ray Charles]
11.Ain’t Off The Back
Show ended 19:23

(2012年3月17日土曜、ブルーノート東京、ベン・ロンクル・ソウル)
ENT>LIVE>Ben L’oncle Soul
2012-

○★■ ソウル・サーチン~スライ・ストーン、来週29日~スライ・ストーン特集1

【Soul Searchin Event Will Be On 29th】

予習。

いよいよ音楽イヴェント「ソウル・サーチン」の第11回が、来週3月29日(木)に迫ってきた。今回のテーマは、スライ・ストーン。スライ&ファミリー・ストーン。前々回クインシー・ジョーンズ(2011年2月)、前回マイケル・ジャクソン(2011年8月)に続くもの。スライ・ストーンの誕生日が1943年3月15日ということで、誕生月にトリビュートを行うことになった。

今回の「ソウル・サーチン~スライ・ストーン」トリビュートの最大の目玉は、毎回2回あるトーク部分で、スライ・ストーンの過去2年間に撮影された秘蔵映像をご紹介するところ。スライ・ストーンがロスアンジェルスで音楽仲間と曲作りをしているシーンやリハーサルシーンなどを紹介する。

そこで、スライ・ストーンについて、今週と来週の「ソウル・サーチン」(インターFM76.1mhz、毎週日曜午後2時半~)でミニ特集をお送りする。今週はスライ・ストーン自身のヒットから、次週はスライから派生した作品をご紹介する予定。

また、本ブログでも今週タイミングをみて、スライ・ストーン特集をお送りする。今回はまず第一回。

ラジオ番組の「ソウル・サーチン~スライ・ストーン・ミニ特集」は、関東地区の方は、パソコンのラジコでも聴けます。また、スカパー、AUのスマートフォンでも聴けます。(ともに有料)

http://t.co/MFFLnjET

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ファンク。

スライ・ストーンは1943年(昭和18年=未年)3月15日テキサス州デントン生まれ。本名シルヴェスター・スチュワート。幼少の頃にサンフランシスコ郊外ヴァレジョー(ヴァレーホー)に移り、そこで育った。子供の頃から両親に連れられて教会で歌いだし、まもなく楽器を手にするようになり、バンド活動を始めた。

1967年、『ア・ホール・ニュー・シング』でCBS・エピックからメジャー・デビュー。ソウルとファンク、ロックなどの要素をまぜあわせた独特の新しいファンク・ミュージックを築き、一世を風靡した。1970年代にはいってヒットを出したが、本人がドラッグ依存症になり、ライヴに穴をあけたりして、徐々に一線から遠のいてきた。

ジェームス・ブラウンなどと並び、ファンク・ミュージックの基礎を作り上げたアーティストとして歴史に名を残している。

しかし、2006年2月、グラミー賞授賞式で「スライ・トリビュート」が行われ、スライ・ストーン本人が2分ほど登場。その後2007年夏にヨーロッパでのツアーが行われ、本格的にカンバックした。その流れを受けて2008年8月、「東京ジャズ」出演のため来日、その中でブルーノート東京でも1日だけ公演を行い、これは伝説のライヴとなった。さらに、2010年1月、ルーファスのギター奏者、トニー・メイデンとともにスライ・ストーンは再来日。メイデンのライヴでステージにあがった。

■予約について

【予約に関するお問合せ】
BLUES ALLEY JAPAN 
電話:03-5740-6041(月~土/12:00~20:00)20時以降は店舗直接 03-5496-4381

■ 公演詳細

『ソウル・サーチン:ザ・セッション Vol.11~A Tribute To Sly & The Family Stone』

出演 ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ

ケイリブ・ジェームス(キーボード)
日野ジーノ賢二(ベース)、
マサ小浜(ギター)、
ゲイリー・スコット(サックス&パーカッション)、
シン・タカダ(ドラムス)、
グレッグ・ハートリッジ(オルガン&ヴォーカル)

フィリップ・ウー(キーボード)1月18日追加決定
アージー・パイン(ヴォーカル)1月18日追加決定
ポーラ・ジョンソン(ヴォーカル)1月18日追加決定

司会トーク・パネル 吉岡正晴 ゲスト・スピーカーは後日発表

日時 2012年3月29日(木) 開場午後6時、開演午後7時半、2セット入れ替えなし

場所 目黒・ブルース・アレイ
http://www.bluesalley.co.jp/
住所  〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14 電話番号03-5496-4381
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F

料金 テーブル席(指定)5500円、立ち見5000円。当日券は500円アップ。(各税込み)ドリンク・フード・オーダーなどは別途。この他にテーブル席のシートチャージとして525円がかかります。飲食代などは当日精算。

■スライ・ストーン関連 過去記事

2011年09月28日(水)
スライ・ストーン、ヴァンで生活中~仕事をくれと語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11031022325.html

2011年04月05日(火)
スライ・ストーンがツイッター開始
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10851629101.html

2010年01月17日(日)
ルーファス&スライ・ストーン、ライヴ@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10436078971.html

2009年09月10日(木)
スライ・ストーン今年も来日していた 衝撃情報
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10338859350.html

2008年09月03日(水)
スライ&ファミリー・ストーン@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10134870915.html

September 01, 2008
Sly Stone @ Tokyo Jazz (Part 1) : 36 Minutes Long On The Stage
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10133999546.html
8月31日の国際フォーラム・ライヴ評。

August 29, 2008
Brenda Will Sing For Sam Moore,: Are You Ready For Sly?
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10132829691.html
スライは8月31日、何分ステージにいるかのアンケート。

June 19, 2008
Sly & The Family Stone’s Live Review 2007
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10107754472.html
2007年スライ&ファミリー・ストーン・ヨーロッパでのライヴ評。

June 18, 2008
What If Sly Stone Would Show Up The Stage
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10107430498.html#main

June 17, 2008
Sly & TheFamily Stone Will Coming To Japan August
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10107102979.html#main
スライ&ザ・ファミリー・ストーン初来日決定

July 04, 2007
Sly & Family Stone Reunion: Hit The European Tour
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10038715448.html
2007年ヨーロッパツアー開始

May 07, 2007
Why "Family Stone"? : Are There Black Hippies?
http://blog.soulsearchin.com/archives/001759.html

May 05, 2007
Back In 1968: When LP Records Were New
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10032883816.html

May 04, 2007
Sly & Family Stone’s Paper Sleeve Jackets CD Released
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10032636181.html#main
スライ&ファミリー・ストーン紙ジャケット発売

■CDとりあえずは、『エッセンシャル』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000NVL96A/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■自伝

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860203380/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

SOUL SEARCHIN EVENT>Sly Stone
ARTIST>Stone, Sly


■「ラジカントロプス~クインシー・ジョーンズ」ポッドキャスト、アップ

【”Radikan-thropus 2.0” now available on Podcast】

ポッドキャスト。

3月14日のクインシー・ジョーンズの79歳の誕生日を前に、2012年3月11日(日)深夜放送された「吉岡正晴のラジカントロプス2.0~クインシー・ジョーンズ」(司会・植竹公和 @kimikazu5uetak ) のポッドキャスト版がアップされました。本放送でカットされた部分もすべて入っています。ポッドキャストでは、音楽がかかりませんが、トーク部分だけで約70分あります。

ポッドキャストはインターネット環境があれば、世界中どこでも聴けます。
http://media.jorf.co.jp/podcast/radio/120311_yoshiokamasaharu_01.mp3

前半は、ホイットニー・ヒューストンの話などもしています。

収録の模様については、こちらのブログ。

http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11185644120.html

なお、これはクインシーの1979年くらいまでの活動のお話で、マイケルとかかわる『オフ・ザ・ウォール』以降の話は、後日放送される「パート2」になります。

■クインシー、ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000JAAC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ウォーキング・イン・スペース

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004LPHVYI/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

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(お知らせ) 毎週日曜の「ソウル・サーチン」のポッドキャストが、たぶん僕のパソコンの調子が悪くてずっとアップできてません。このところ、パソコンのパフォーマンスが著しく悪くて、重くなってアップできないようです。なにか改善できたら、またアップします。

ENT>RADIO>Radikan-thropus 2.0



◇『熱風』で「続・上を向いて歩こう~蘇生と復活の奇跡~」連載始まる

【”Sukiyaki” Saga Continues】

続。

昨年発行され大きな話題を集めた『上を向いて歩こう』(佐藤剛・著、岩波書店)は、同名曲の誕生、それがなぜアメリカに渡り全米ナンバーワンになったかを、ひじょうに詳細に取材し、記した音楽ドキュメンタリーの傑作だ。これはもともとスタジオ・ジブリが発行している月刊誌「熱風」に連載していたものを加筆して一冊の本にまとめたもの。同書では、だいたい1963年くらいまでのことを書いていた。

その佐藤さんが、「上を向いて歩こう」のその後についての連載を、再び「熱風」最新号(2012年3月号)から始めた。

佐藤さんから送っていただいたものを読んだら、なんと15ページにもわたるビッグなヴォリュームで驚いた。文字数でも15000字は超えている。「続・上を向いて歩こう」は、1978年ロスから始まった物語を描く。

佐藤さんは1981年初頭からヒットしたテイスト・オブ・ハニーの「スキヤキ」にフォーカスし、この周辺を徹底取材している。

実はしばらく前から、1978年前後のアメリカのブラック・ミュージック・シーンの状況や、ディスコ・シーンの状況などの話を聞かせてください、と頼まれ、いろいろと話をさせていただいた。で、それなら、テイスト・オブ・ハニーの「スキヤキ」のプロデューサー、ジョージ・デュークに直接話を聞いたらよいのではないかと提案。ジョージは年に1-2回来日しているので、と思ったら、3月頭にさっそく半年振りに来日。そこで、ビルボードライブの協力を得て、ジョージのインタヴューをアレンジした。このときの話は、連載で徐々にでてくると思うので、ぜひそちらをごらんください。

佐藤さんは、このテイスト・オブ・ハニーの「スキヤキ」についても、僕が知らなかったことを徹底して調べ上げていて、本当に頭が下がる。僕のところにもグループに関しての当時の紙資料や雑誌などがあるので、ある限り提供している。

佐藤さんの発見でちょっと面白かったのは、テイスト・オブ・ハニーの初代のA&Rディレクター(制作担当ディレクター)は、ラーキン・アーノルドで、僕も2-3度インタヴューしている。その彼は、のちにCBSに移籍する。一方、テイスト・オブ・ハニーの「スキヤキ」時のディレクターは、ボビー・コロンビーといい、元CBSのディレクターでCBSからキャピトルに移籍してきた。ちょうど形としては入れ替わったようになっていた。

ちなみにボビー・コロンビーは元ブラッド・スゥエット&ティアーズのメンバーで、ジャクソンズの3枚目のアルバム『デスティニー』のプロデューサーでもある。

そして、今回の連載で書かれていて、もっと驚いたのが、テイスト・オブ・ハニーが1974年に「ヤマハ・世界歌謡祭」出演で来日したが、そのときの司会が坂本九で、彼がテイスト・オブ・ハニーを紹介した、ということ。テイスト・オブ・ハニーがその後、「スキヤキ」をカヴァーするなんて、なんという奇遇だろうか。様々な多くの事実という点を丹念に掘り起こしていくと、必ずや、その点のどれかが線になっていく。こうして調べることが病みつきになっていく。

次号以降の連載が実に楽しみだ。

■上を向いて歩こう/坂本九

http://youtu.be/mvuO0BsEEss



■Sukiyaki / A Taste Of Honey

http://youtu.be/xqFkUNqBwMw



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活字好きにとってのフェヴァリット・マガジン「熱風」はフリーペーパー。主要書店で配布されています。

「熱風」のホームページ
http://www.ghibli.jp/shuppan/np/

「熱風」本体は無料の雑誌。次のような書店においてありますが、10日過ぎに配布されると瞬く間になくなってしまうそうです。

「熱風」配布書店リスト
http://www.ghibli.jp/shuppan/shoten/

そこで、郵送料実費での定期購読の方法があります。

定期購読の案内。年間2000円。
http://www.ghibli.jp/shuppan/np/007495/

■「上を向いて歩こう」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000222198/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■ 同じく「熱風」連載から単行本になった「亀渕昭信のロックンロール伝~ビートルズ以前、16歳の僕はドーナッツ盤に恋をした」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4636869230/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

BOOKS>Sukiyaki
MAGAZINES>Neppu

◎クリヤ・マコト:ホイットニー・トリビュート・ライヴ

【Kuriya Makoto Plays Whitney Houston】

トリビュート。

キーボード/ピアノ奏者、クリヤ・マコトさんが急遽モーション・ブルーでホイットニー・ヒューストン・トリビュートをやることを決めた。当初はピアノ、ベース、ドラムスだけのトリオでツアーに出るので、その前哨戦として軽くやろうと考えていたのだが、その話を周囲にすると、私も、私も歌う、とコトが大きくなり、結局はシンガー3人、プラス、サックスにアンディー・ウルフまで参加する大所帯なライヴになった。

ブレンダは、今度の土曜日木下航志ライヴにゲストで出て、何曲か歌うが、日本での残り日がカウントダウンになっているので、一際エモーショナルになる。

僕はファーストは時間の都合で見られなかったが、ファースト最後でマルと黒沢薫さんの強力なデュオが繰り広げられたらしい。ちょうどセカンド始まる直前にモーションに入ったので、見逃したが、ライヴ後、マルが一部の資料映像を見せてくれた。ファーストを見た観客も、二人のデュエットはすごかったですよ、と証言した。これはマライアとホイットニーのデュエットだ。デュエットとしてはいい選曲。

実は二人がデュエットするというのは事前に聞いていて、ジャーメインとホイットニーとのデュエット「テイク・グッド・ケア・オブ・マイ・ハート」やテディー・ペンダグラスとのデュエット「ホールド・ミー」などもあるということを言っていたのだが、マライアとのデュエットを選ぶとは思いつかなかった。どうやら前日、二人で特訓したらしい。それでもバンドとのあわせは、当日の2回程度というから、みんなプロだ。

■ ホイットニー&マライア 『ホエン・ユー・ビリーヴ』

http://youtu.be/eAM2-hg7xJs



マルはほかにもミディアム調の「ダンス・ウィズ・サムバディー」や最新作「ミリオン・ダラー・ビル」などを。「ミリオン・ダラー・ビル」なんか、マルっぽくて、なかなかあっている。

黒沢さんは、この日、シークレット・ゲストで登場だが一部のファンは知っていたようだ。第二部では、3曲目で登場。マイケルとホイットニーの両方の葬儀に出てきた人物としてスティーヴィーを紹介。ホイットニーの葬儀で歌った曲を歌った。それが「リボン・イン・ザ・スカイ」。途中でスティーヴィーが歌ったように、「アイ・ウィル・オールウエイズ・ラヴ・ユー」の一部をいれたりした。ほんと、黒沢さんは芸が細かい。ちなみに、この曲の頭には、マイケルの「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」の一フレーズもアカペラでいれて、ホイットニーにつないだ。どこを取っても、あの独特の黒沢節になるところが、受ける。しかし、この「リボン…」を聞いていて、ふと、これを日本語にして黒沢節で歌ったら、どうなるだろう、などとも思ってしまった。訳詞でもやってみようかな。(笑) 

そして、この日の圧巻は、やはり彼女も歌いなれているブレンダの「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」。この曲は彼女の「グレイテスト・パフォーマンス・オブ・オール」という感じだ。後半は徐々に教会っぽくなり、熱唱を爆発させた。

ホイットニー・トリビュートはこれからしばらく続くだろうが、ホイットニーの曲は、マイケルほど難しくはない。いずれ「ソウル・サーチン」でもやりたいと思う。そのときはとっておきのエピソードなどを交えて紹介してみたい。

ところで、この日黒沢さんはマネージャーなしで、なんと電車で横浜まで来た。そこで帰りはマルらと一緒に車で第三京浜を走って東京に戻った。車中、黒沢さんがずっと歌い続けていたということはない。

■マル・Fire Lily ワンマンライヴ

Spring Special Live
2012年4月13日(金)午後7時半、21時
渋谷JZ(ジェイ・ジー)ブラット
予約3800円、当日4300円 
予約は
marumusicvox@gmail.com  まで直接メールかお店(03-5728-0168)まで。

■『ディーヴァ:ホイットニー・ヒューストン 物語』ジェフリーボウマン著 吉岡正晴訳 (1996年11月発売)

日本で最初にリリースされた彼女の伝記本 

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4924880906/soulsearchiho-22/ref=nosim/"


■メンバー

クリヤ・マコト(p,key,arr)、
コモブチキイチロウ(b)、
則竹裕之(ds)
Andy Wulf(sax)、

ゲスト:MARU from Fire Lily(vo)、
Brenda Vaughn(vo)、
黒沢薫(vo)

■セットリスト 2012年3月13日火曜、モーション・ブルー クリヤ・マコト・ライヴ
Setlist: Kuriya Makoto Live @ Motion Blue, March 13, 2012

1st

01.Peninsula (Instrumental / Kuriya Makoto original)
02.Saving All My Love For You (Maru)
03.I Will Always Love You (Maru)
04.How Will I Know (Maru + Brenda)
05.Shoop Shoop (Exhale) (Andy)
06.When You Believe (Maru & Kaoru Kurosawa)

2nd

show started 21:05
01.Voyager (Instrumental / Kuriya Makoto original)
02.I Wanna Dance With Somebody (Maru + Andy)
03.She’s Out Of My Life – Ribbon In The Sky [Michael – Stevie] (Kaoru Kurosawa)
04.All The Man That I Need (Instrumental) (Andy)
05.Greatest Love Of All (Brenda)
06.Million Dollar Bill (Maru)
Encore Imagine (All)
Show ended 22:18

(2012年3月13日火曜、横浜モーション・ブルー、クリヤ・マコト・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Kuriya, Makoto
2012-

◆ ブラザー・マルコムの『太古の日本語に宿る英知』

【Brother Malcolm’s Ancient Japanese Words of Wisdom】

英知。

マイ・ロングタイム・ブラザー、マルコム・アダムスさんが、『Brother Malcolm’s Ancient Japanese Words of Wisdom』というビデオ・プログラムを思いついたように始めた。アダムスさんはアメリカの元CBS-TVの記者で、東京発のニューズをアメリカに送っていたりしたが、この10年は静岡県・掛川に移住し、そこを本拠に活動をしている。

この『Brother Malcolm’s Ancient Japanese Words of Wisdom 太古の日本語に宿る英知』というコラムは、その名前の通り、昔からの日本語に潜む、日本語独特の言い回しやコンセプト、メンタリティーを英語で解説しようというもの。

第一回では、こんなフレーズを解説。

Naite kurasu mo issho, waratte kurasu mo issho.
泣いて暮らすも一緒、笑って暮らすも一緒
It is the same life whether we spend it crying or laughing.

Nana korobi, ya oki.
七転び八起き
to fall seven times, to rise eight times

Sugitaru wa nao oyobazaru ga gotoshi.
過ぎたるは、なお、及ばざるがごとし
Let what is past flow away downstream.

~~~~++++~~~~

リクエスト。

で、彼がこれを始めて僕が思い出したのが、その昔FEN(米軍放送)でやっていた「ワンフレーズ・日本語」のコーナー。窪田ひろ子さんという方が、日本語のちょっとしたフレーズを紹介し、その意味を外国人向けに英語で解説するというもの。日本語が簡単ということと、英語の解説がわかりやすいので、けっこう毎日好きで楽しみにしていた。

このたった2分程度のラジオ・コラムで窪田さんは、最後をこう〆ていた。「a little language goes a long way」(ちょっとした言葉が大きく役立つ。意訳で、千里の道も一歩から)

そして、僕の頭の中には、いつも英語にならない、英語にできない日本語というものがテーマとしてある。

そこで、マルさんに「侘び寂びwabi sabi」を英語ではどう説明するか、教えてください、とリクエストを書き込んだ。

そうしたら、速攻、英語で簡単な解説を教えてくれたのだが、それだけでなく、なんと11分程度のビデオを作って、アップしてくれたのだ。

アメリカ人、イギリス人など西洋の人に、東洋・日本の「侘び・寂び」のコンセプトを説明すると、少しは日本人や日本人の考え方などが理解されるのではないだろうか。下記の動画をぜひご活用ください。

Japan Journal: The Internet’s No.1 English Online Cybercast From Japan:

“Brother Malcolm’s Ancient Japanese Words of Wisdom”
http://youtu.be/BZ8JP0Mix0s



ブラザー・マルコムに聞きたい日本語があったら、お知らせください。マルコムにきいてみます。

ESSAY>Language
TV>Brother Malcolm’s Ancient Japanese Words Of Wisdom




◎シンディー・ロウパー(シンディ・ローパー)~あれから1年後に“帰国”

【Cindy Lauper: Since 311】

運命。

まさにその運命の日、彼女は来日した。2011年3月11日。日本にランディングした後、周囲の帰国の勧めを拒絶し、日本全国をツアーしたシンディー・ロウパー。

その彼女が1年ぶりに日本に帰ってきた。まさに、気分は「お帰りなさい、シンディー!」という感じだ。東京初日(3月9日)を見た。

セットリストも前年から半分以上変えて、昨年見た人も十分楽しめる選曲になっている。また、バンドも昨年と同じ5人に加え、ハーモニカのチャーリー・マッセルホワイトを加えた6人組になりパワーアップ。

冒頭から観客席は総立ちで、ほぼライヴ中、総立ち。

4曲目でマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」を、まさにシンディー節で。

シンディーはかつて売れる前に、ニューヨークの日本レストラン「ミホ」で歌っていた。その頃、一緒にプレイしていたギタリストからこれを歌ったらどうだと言われ、覚えた曲があった。そんな1曲が「忘れないわ」。この曲は、1960年代日本でも人気があったアメリカのシンガー、(リトル)ペギー・マーチが日本のために日本語で歌ったもの。これを、シンディーも日本語で歌ってみせた。親日家ならではの1曲だった。

忘れないわ:ペギー・マーチ
http://youtu.be/AETBr6yFm0A



3月11日は、シンディーの東京での3日目で、この日は昨年ツアーに帯同した日本のフルーゲルホーン奏者、トクも飛び入りで「トゥルー・カラーズ」に参加したそう。

さらに、3月12日は、外国特派員協会でも記者会見を行った。これらの情報なども、こんご多数出てくるだろう。

ところで、今回のツアーには、とても内容の濃いパンフレットが出来ていた。昨年の詳細なツアー・レポート、湯川れい子さんの原稿、多くの写真など、最近洋楽アーティストのライヴでパンフレットがあまりないので、こういうのは嬉しい。

シンディーが一年ぶりに、約束通り、日本に戻ってきた、ということがもっとも大きな意味だろう。これはまさに“帰国”凱旋公演と言ってもいい。ここまで日本に根付いた洋楽アーティストって、本当に珍しい。

最近の「タイム・アフター・タイム」
http://youtu.be/W0kWZ-Nk5i4



■過去記事(昨年ライヴ評)
2011年03月18日(金)
シンディー・ロウパー(シンディ・ローパー)~歌声は復興への灯火
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10833419437.html

■シンディ・ローパー『メンフィス・ブルーズ』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004D6PZ1Q/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001CCHIBE/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

Cyndi Lauper (Vocal, Keyboards)
Steve Potts (Drums)
Michael Toles (Guitar)
William Wittman (Bass)
Steve Gaboury (Keyboards) 向かって左手の白人
Archie Turner (Keyboards) 向かって右手の黒人
Charlie Musselwhite (Harmonica)

■ セットリスト
Setlist: Cyndi Lauper, @Tokyu, Orchard Hall, March 9, 2012

Show started 19:20
01.She Bop
02.Set Your Heart
03.When You Were Mine
04.What’s Going On
05.Lyfe
06.Just Your Fool
07.Wa Su Re Naiwa
08.Down Don’t Bother Me
09.All Through The Night
10.Time After Time
11.I Drove All Night
12.Change Of Heart
13.Money Changes Everything
Enc. Goonies
Enc. Girls Just Want o Have Fun
Enc. True Colors
Show ended 20:45

(2012年3月9日金曜、渋谷東急オーチャード・ホール、シンディー・ロウパー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Lauper, Cyndi
2012-

◎フランク・マッコム・トリオ~ハービー・ミーツ・スティーヴィー

【Frank McComb: Herbie Meets Stevie】

魅力。

昨年(2011年)3月、震災直前に来日してからちょうど1年ぶりのフランク・マッコムのコットンでのライヴは、彼もインドネシアで行われた「ジャヴァ・ジャズ・フェス」帰り。コットン3日、モーション・ブルー1日行った。2004年初来日以来、何度も来日してすっかり日本びいきのフランクは固定ファンも獲得。

さて、時間ぎりぎりにセンターの空いてる席に座ったら隣は、柴田敏弥(敏孝)さん、神谷エリさん、向こうにはまた高田真さん。

いきなり、ローズでの長めのイントロから「キューピッドズ・アロー」でその渋い喉を聴かせる。キーボード・プレイももちろんいいのだが、やはり、半分は歌って欲しいところ。(笑) と思ったら、この日はずいぶんとフランクは歌った。途中に長いソロをいれたものもあるが、一応、全曲歌った。

どの曲もオリジナルからかなりスタイル、雰囲気を変えて独自のアレンジで、くずして歌う。ここまで自身の曲を自分で新しいものに出来るというのはアレンジの才能なのだろう。

おもしろいのは、ローズを弾いていると、ちょっとハービー・ハンコック風だが、それにあわせて歌い始めるとスティーヴィー・ワンダー風になるところ。まるでハービー・ミーツ・スティーヴィーという感じだ。

キーボードは実に力強くアドリブのタッチに、よくベースのアンソニーとドラムスのロニーがきっちりついてくる。このトリオは昨年も一緒だったが、もうまさに阿吽(あうん)の呼吸で、フランクがどこで何をしようが対応してくる。

彼らは楽譜に書かれたことだけでなく、そこに3人のその瞬間瞬間のミュージシャンシップから生まれる空気とグルーヴをプレイする。だから、楽譜以上の演奏がでてくるわけだ。このあたりが、実に力強い。

フランクの魅力ってなんだろうと改めて考えた。やはりこの強力なキーボード・プレイと、このしなやかで柔軟性のある歌声だ。ときにスティーヴィー、ときにダニーを思わせるこの声は、それだけで武器だ。

フランクは、ジャカルタのジャヴァ・ジャズ・フェスが終わった後、宿泊先のホテルのラウンジでジャム・セッションをしていた。ちょうど、フランクの持ち歌でもあるスティーヴィーの「スーパースター(ホエア・アー・ユー・ホエン・アイ・ニード・ユー)」を歌っていたら、スティーヴィー本人とジョージ・デュークがやってきて、そのままジョイント・セッションになったという。それまで、そのセッションを見てる人はそれほどではなかったが、スティーヴィーとジョージが来たら、いきなり大変な人だかりとなり、みんなが携帯で写真や動画を撮り始めたという。フランクによると、まだ自分も見ていないので、動画などあったら、フランクのサイトに送ってくれ、と呼びかけているそうだ。

その動画がアップされた。

http://www.youtube.com/watch?v=Fot43PgbjLo



画面左下にフランク、中央にスティーヴィー(立って歌う)、右の奥にジョージ・デューク。フランクは「スーパーウーマン」を歌っていたが、そこにスティーヴィーが参加。

そんなわけで、今回のフランクのステージは、いつになく、ダニー色よりスティーヴィー・ワンダー色が強かったような気がする。

また、アコースティック・ピアノで3曲(下記セットリスト3~5)ほど歌ったが、これもなかなかよかった。この間は、ベースとドラムスは、いい感じでフランクのソロを楽しんでいるようだ。

昨年もやっていたが、「スーパースティション」は、よりハードに、後半の盛り上がりがすごい。そして、これも昨年同様だが、アンコールの「ドゥ・ユー・リメンバー・ラヴ」も徐々に盛り上がり、後半では、スティーヴィーの「ユーヴ・ガット・バッド・ガール」を入れ込んだ。フランク、アンソニー、ロビーの3人が一体となり、強烈なソウル玉となって観客に降り注ぐ。

途中のMCで日本のみんながいつもサポートしてくれて感謝している、自分はマネージャーもレコード会社もない。全部自分でやっている。こうやってここコットンクラブに来られるのは、みなさんのおかげだ。だから、津波・地震にやられた日本のみなさんのために、今日は自分のCD、普通は2000円以上するものを1000円でお分けして、後でサインもする、とアナウンス。

ライヴ後さっそくサイン会を始めたが、1000円のCDは、本人のアルバムだが、なんと自分でカラーコピーのジャケットをつけて自分で焼いたCDだったので受けた。(笑)

だが、サインもして、写真も撮って、サーヴィス精神旺盛だ。

今回のライヴは、ヴォーカルが多かったので、何かとても聞き易かった。

コットンクラブのサイト。ライヴ映像がアップされています
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/120307_frank/

■フランク・マッコム「ラヴ・ラヴ・ラヴ」動画

http://youtu.be/CocoZhYhYXw



■フランク・マッコム過去記事(一部)
(2004年の初来日からかなり追っかけてます)

2011年03月09日(水)
フランク・マッコム・ライヴ~新作『ニュー・ビギニング』を従えて
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10824696197.html
(過去記事全一覧はここに)

2004/02/16 (Mon)
Second Coming Of Donny Hathaway? : Frank McComb Is Keep On Runnin’ Like Forrest Gump
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200402/diary20040216.html
(フランクのインタヴューも含めたいい紹介の記事)

2009年12月26日(土)
フランク・マッコム・ライヴ@モーション・ブルー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10419667061.html

December 29, 2007
Frank McComb & Gatz Live: Back To Back
【「もっと歌って」のフランク・マッコム・ライヴ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002232.html

December 07, 2006
Frank McComb Live At Cotton Club
http://blog.soulsearchin.com/archives/001440.html

■ニュー・ビギニング (最新作)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004H7I46Y/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■ザ・トゥルース (名盤)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001924R2/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■メンバー

Frank McComb (keyboards, piano, vocal)
Anthony Crawford (bass)
Robert Miller (drums)

■セットリスト
Setlist : Frank McComb, Cotton Club, March 8, 2012

Show started 21:32
1. Cupid’s Arrow
2. Inspire A Life
3. Gotta Find A Way
4. Time And Time Again
5. Left Alone
6. Superstition
Enc. Do You Remember Love – a riff of You’ve Got Bad Girl
Show ended 22:53

(2012年3月8日木曜、丸の内コットンクラブ、フランク・マッコム・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>McComb, Frank
◆3月11日によせて

【311— Change Yourself】

変化。

2011年3月11日午後2時46分。僕は自宅にいた。自宅も僕も特に大きな被害はなかった。もちろん東北地方があんなことになっていることなどまったくわからなかった。

しかし、この瞬間を境に、日本は劇的に変化した。それまでの価値観が音を立てて崩れ、それまでに経験もしたことがないようなものが現れ始めた。それを、第二次大戦の終戦とかぶせて語る人もいた。それまで正しいとされていたものが、間違っているということになったのだ。

特に震災後の日本の政治に対する失望感、不信感は計り知れないほど大きい。中でも原発を巡るさまざまな垢や膿(うみ)が次々と露呈し、失望感だけでなく、怒りの感情がまきおこる。いまだに原発を再稼動させようとしている政府など、まるで戦前の価値観同様だ。これまでの価値観をばっさり切り捨て、「チェンジ」する勇気が必要だ。政府自体を全部、総とっかえしなければならない。そもそも、なぜ東電に強制捜査が入らず、誰ひとりとして逮捕されないのか。なぜ東電はまだ倒産しないのか。なぜ東電は告訴されないのか。

僕自身も最初は意識していなかったのだが、この震災の影響がじわじわと精神的に来ているような気がする。結局、音楽もそうだが、音楽についての評論・紹介など、衣食住とは違い、もっとも必要のないものだということを痛感し、無力感を持った。

また首都圏に大地震が来たらどうなるのだろう、原発が爆発したらどうなるのだろう、などと考えると、不安が増大する。こんな気持ちは今まで持ったことがなかった。マイケルが言う「(2009年から)あと4年以内(=2013年)になんとかしなければならない」という予言が刻々と真実味を帯びてくる。

311を前に多くのドキュメンタリーや特集が組まれているが、そんな中で紹介される苦難、苦労、絶望感を見ていると、どんどんと気分が落ち込む。そして、被災し、さらに仮設住宅で自殺する人までいることに心が痛む。天災(地震・津波)と人災(原発と政治)に苦しめられる人々には、本当に何と言っていいかわからない。やはり、「あなたは一人ではないYou Are Not Alone」という言葉を伝えるしかない。

「チェンジ」を訴える「Man In The Mirror」。改めてマイケル・ジャクソンのメッセージが心に沁みる311だ。

■マイケル・ジャクソン「マン・イン・ザ・ミラー」について、訳詞も

http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10406077277.html

http://youtu.be/D2jSiY-Vo8g



http://youtu.be/W5W_uin5CDA



■関連記事

2011年03月13日(日)
東北地方太平洋沖地震
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110313.html

2011年03月14日(月)
巨大地震=東日本大震災
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110314.html

2011年03月16日(水)
311 Catastrophe : My Thoughts For Earthquake
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110316.html

■『ヒストリー』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003IGMIZI/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

ESSAY>311


○■「ラジカントロプス2.0」~クインシー・ジョーンズ特集にゲスト出演

【Radikan-thropus 2.0】

特集。

関東のAM(中波)放送局、ラジオ日本(1422khz)で毎週日曜深夜24時から放送されている異色のラジオ番組『ラジカントロプス2.0』の次回放送2012年3月11日分で、吉岡正晴がゲスト出演し、クインシー・ジョーンズの話をする。

この番組は歌う放送作家の異名を持つ植竹公和さん、ラジオ日本の福田良平さんらが構成、進行などを自由自在に行うもので、毎週何かしらのテーマでゲストを呼び、トークをするというもの。ラジオ放送は1時間だが、ポッドキャスト版が後日(だいたい放送3日後の水曜くらい)トーク部分をノーカットでウェッブにアップされる。

この番組では、「芥川賞・直木賞滅多斬り」という企画が大人気で、最近ではこのポッドキャスト版は70万アクセスを記録したという。

さて今回のクインシーだが、クインシーの歴史はひじょうに長く50年の長きにわたるため、急遽、1979年までをパート1、それ以降をパート2として、2回にわけて行うことになった。

クインシーの誕生日が3月14日(1933年)で今年79歳になるが、その誕生日にあてたハッピーバースデイ企画。

告知ページができています。
http://www.jorf.co.jp/PROGRAM/radio.php

番組自体は、通常のラジオで、また関東地区の方はラジコで。
http://radiko.jp/#
(ラジオ日本)をクリック。

このほかスマートフォン、スカパーなどでも全国で聴けます。

第一回は2012年3月11日日曜深夜24時。ポッドキャストは水曜までにアップされる。これは全世界どこでも聴けます。

http://www.jorf.co.jp/PROGRAM/radio.php

+++

○■ 収録を終えて~

プログラム。

今回このクインシーの話をするにあたっていろいろ探していたら、1981年7月の来日プログラムがでてきた。同時に、このときのライヴの30センチ・アナログ盤もでてきた。豪華なミュージシャンたちで、しかも、このときは武道館2日もやっていた。

そして、驚いたのが、記者会見のときに、クインシー本人からサインをもらっていたこと。

クインシーとはその後1989年と1995年、2度プロモーションで来日したときに会って直接インタヴューをする機会があったが、1981年のときにサインをもらっていたのは忘れていた。

植竹さんは、昨年の『ソウル・サーチン~Vol.Q~クインシー・ジョーンズ』の回に来ていただき、イヴェント自体を大変気に入っていただいた。「バンドのクオリティーがすごいんでびっくりしました。どうやってああいうメンバーを集めたんですか」と聞かれたりした。

僕はふだんは無口だが、聞き上手の人に乗せられるとけっこうベラベラ、知ってることをしゃべってしまうようだ。植竹さんが聞き上手なので、話の前後関係なく、聞かれたことに脱線も含め話していたら、例によって最初の曲をかけるまで、40分くらいしゃべってしまったようだ。かなりゆるい収録なので、まるで打ち合わせ感覚でストップウォッチも見ていなかった。(苦笑)ディレクターが途中で困り顔になっていた。途中からストップウォッチを借りて、時間を見るようになった。

まあ、次回収録のときは、もう少し話を整理して、短めにしゃべることにします。

そんな話も含め、とりとめもなく、クインシーの話をしたので、編集するディレクターは相当大変だと思うが、果たしてどうのように編集されているか楽しみ。

1979年以降、マイケルのプロデューサーとしての話、クインシーの80年代以降の話はパート2ですることになっている。パート2の放送日は未定。


収録後、軽く記念撮影。手に持っているのが、1981年の来日時コンサート・プログラムと『ライヴ・アット・武道館』のLP。右が植竹さん。植竹さんが持っているのは、プレス用資料の封筒で、そこにクインシーのサインがあった

植竹さんのブログ。
http://d.hatena.ne.jp/sugarbabe49/

これまでの出演者らとの写真がでています。

植竹さんは、テレビ番組の放送作家などをしつつ、作詞作曲もするというので、打ち合わせのときの雑談がやたらおもしろかった。お笑い関係の仕事もいろいろとされている方。角松敏生さんらとも交流があり、作詞作曲した作品を提供していた。ブラザー・コーンさんなどとも学生時代からのつきあいだというので、おもしろいつながりだなあ、と思った。

RADIO> Radikan-thropus 2.0

●ジミー・エリス(トランプスのリード・シンガー)74歳で死去~「ディスコ・インフェルノ」の大ヒット

【Jimmy Ellis, Lead Singer Of Trammps, Dies At 74】

訃報。

1970年代に「ディスコ・インフェルノ」などの大ヒットで一世を風靡したディスコ、ソウル・ヴォーカル・グループ、トランプスのリード・シンガー、ジミー・エリスが2012年3月8日木曜・朝、サウス・キャロライナ州のナーシング・ホーム(老人ホーム)で死去した。74歳。アルツハイマー症の合併症で死去したと娘さんのエリカ・スティンソンさんが語っている。同州ロック・ヒルという街に生まれ、今でもそこに住んでいた。妻ベヴァリーさん、3人の兄弟、姉妹、息子、8人の孫、2人のひ孫によって送られる。「ディスコ・インフェルノ」の「バーン・ベイビー・バーン、ディスコ・インフェルノ~~」のフレーズはいまだに世界中のダンサーの脳裏に焼きついている。

評伝。

ジミー・エリスは、本名、ジェームス・トーマス・エリス2世、1937年11月15日サウス・キャロライナ州ロック・ヒル生まれ。6人兄弟の長男。十代の頃からセント・メリー教会でゴスペルを歌っていた。地元のエメット・スコット・ハイスクール卒業後、フィラデルフィアに移り、ヴォルケイノスやエクセプションズ(「ダウン・バイ・ザ・オーシャン」の小ヒット)に参加。このヴォルケイノスは、1970年代に入り、トランプスへ。

トランプスの由来は彼らがフィラデルフィアのストリートで歌っていた頃、警官から「you are tramps (お前たち、浮浪者、ホームレス)」などと言われていたから。しかし、そこにもう少しハイクラスな雰囲気を出そうと「m」をもうひとつ付け加えてTrammpsにした。

1972年、ブッダ・レコードからジュディ・ガーランドの作品をドゥーワップ調にカヴァーした「ジング・ウェント・ザ・ストリングス・オブ・マイ・ハート」がニューヨークのディスコでヒットしたことから、ダンサブルな作品を多数出すようになり、フィリー・ソウルの大ブームとあいまって、人気となった。

一連のヒットの迫力ある高音のソウルフルなリード・ヴォーカルがジミー・エリス。トランプスの顔とも言える人物だ。

このトランプスには、もう一人、ドラマー兼ヴォーカルを担当するアール・ヤングがおり、ヤングは大変低い声の持ち主で、トランプスのベース・ヴォーカルも支えた。ヤングとエリスの高音、低音があるために、実にヴァリエーションに富んだヴォーカル・ハーモニーが楽しめ、単なるディスコ・グループの枠を超え、ソウル・ヴォーカル・グループとしても大きな魅力を持っていた。

アトランティックに移籍しリリースした「ディスコ・インフェルノ」が1977年末公開の映画『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』(ジョン・トラヴォルタ主演のディスコ映画)で使われたことから世界的な人気アーティストとなった。

同サウンドトラックは当時1500万枚以上売れ、マイケル・ジャクソンの『スリラー』が登場するまで、音楽史上もっとも売れたアルバムとなっていた。1979年にグラミー賞「アルバム・オブ・ジ・イヤー」を獲得。ここに収録されたアーティストはすべてグラミーのトロフィーをもらったので、ジミーもグラミー受賞シンガーということになる。

ジミーは、2000年、生まれ故郷ロック・ヒルに戻り、静かに暮らしていたが、2010年くらいまではトランプスの仕事があればでてきていたようだ。2008年ごろからアルツハイマーの症状が少しずつ出てき始めていたという。

■「なるほど! ザ・ワールド」のテーマ

日本では、「トランプス・ディスコ・テーマ」が、フジテレビ系列で1981年から放映され人気を集めた番組『なるほど!ザ・ワールド』の番組スタート時から1990年までオープニング・テーマ曲となり、よく知られるようになった。また、これはその後2006年ANA(全日空)、2011年、エネオス(ENEOS)エネファームのCM曲としても使用された。

この曲の成り立ちはひじょうにユニークで、こんな歴史がある。

そもそもこれは、上記で触れた彼らの初ヒット「ジング・ウェント・ザ・ストリングス・オブ・マイ・ハート」のシングルのB面に同曲のインストゥルメンタルが収録されていた。これが当時のディスコDJの間で人気となり、シングル2枚使いでディスコ・プレイされたりしていた。インストが大変よく出来ていたため、彼らは75年これをゴールデン・フリースから出すアルバムで再録音した。それが、「トランプス・ディスコ・テーマ」とタイトルされた。だから、本当だったら、「ジング…」が元歌なのだが、もはや彼らの作品になってしまったのだ。

そして、日本ではこのインストがテレビのテーマに使われ、毎週かかることから、当時はシングルがけっこう売れてヒットした。

+++

なお、ジミー・エリスというと、アメリカでは同名のボクサーが有名で、検索をかけると、そのボクサーのことが多数でてくる。

今週金曜(9日)、地元で、また後日、フィラデルフィアでメモリアル・サーヴィスが行われるという。

+++

「シャウト」(アイズレイ・ブラザーズのカヴァー)まさに現代版ドゥーワップ。

http://youtu.be/_HPQ4uySAYA



長くアルバムがなかったため、当時はシングル盤しかなく、僕もよくシングルをディスコでもかけた。しかも「ホエア・ドゥ・ウイ・ゴー・フロム・ヒア」のシングルのB面で、チャート的にはヒットしない。今回この映像を発見して、かなり驚いた。

「ジング・ウェント・ザ・ストリングス・オブ・マイ・ハート」
http://youtu.be/vx0pnqoenbQ


これの最初の高音ヴォイスがジミー・エリス、次にでてくるベース・ヴォーカルがアール・ヤング。グループのドラマーでもある。彼らの快進撃はすべてここから始まった。このブッダからのシングル盤のB面にインスト・ヴァージョンが収録され、それが当時重宝された。後にトム・モールトンがこれをリミックスする。

「トランプス・ディスコ・シーム」

http://youtu.be/dZp9ugHctCY


「ジング…」をインストにし、洗練されたサウンドにしたもの。もともと「ジング…」のシングルのB面に入っていたインスト・ヴァージョンを再録音した。これは日本では1980年代に人気となったフジテレビ系列の番組『なるほどザ・ワールド』のテーマ曲になった。本来なら「ジング…」の作者がクレジットされるべきなのだが、ここではトランプスのメンバーがクレジットされている。

「ディスコ・インフェルノ」

http://youtu.be/A_sY2rjxq6M



いずれも、リードがジミー・エリス。おなじみ、彼らの最大のヒット。

++++

トランプスについては、もう少し続くかもしれません。

++++

■トランプス (「シャウト」「ディスコ・テーマ」など収録)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000Y3JG6M/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■伝説のジング・アルバム (すべてはここから始まった)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000UV9M1M/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■『ディスコ・インフェルノ』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002I91/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

OBITUARY>Ellis, Jimmy, Nov 15, 1937 – March 8, 2012, 74 year-old

+++

▽ 六本木ナバーナ、3月10日で閉店

【Nirvana Closed On March 10th After 3 Years】

閉店。

2008年11月から六本木のディスコとして人気を集めてきた「ナバーナ」が、来る2012年3月10日で閉店する。

ナバーナの前身は1979年5月から1980年8月までオープンし、いわゆる「サーファー・ディスコ」として一世を風靡した人気ディスコ、キサナドゥー、その後、名称をナバーナと変え1984年ごろまで営業していた。今回は約3年4ヶ月営業を続けた。

毎週金曜・土曜はDJオッシーらが登場、当時のサーファー・ディスコでプレイされるような作品をかけていた。

ナバーナは今後新しい場所が見つかり次第、再度新装オープンする計画がある。

最終日はDJオッシーほか、オールスターDJが集合してまわす。

またこの場所には6月頃に、ディスコではない新たな店がオープンとのこと。

入口の壁画は、江守アイさんが書いた作品だが、その壁画がどうなるかは未定。

また、このナバーナ閉店にともない、来る4月から恵比寿のアクトスクエアで月一回金曜に「ナバーナ・ナイト」のイヴェントを行うことになった。

初回は2012年4月13日(金)、その後5月18日(金)、6月29日(金)と開催される。

また、今ディスコ・ファンの間では、「ナバーナ」営業最後の曲は何になるかが話題になっている。

ちなみに、「キサナドゥー」が1980年にクローズするときには、アヴェレージ・ホワイト・バンドの「レッツ・ゴー・ラウンド・アゲイン」、「ナバーナ」がクローズするときは、アーハの「テイク・オン・ミー」だったという。

果たして最後の曲は何になるだろうか。

■オフィシャル・ウェッブ
http://www.nirvana08.net/index.html
(ここにシステム、DJ予定表なども)

■ディスコ・ナバーナ Disco Nirvana

郵便番号106-0032 東京都港区六本木3-13-12 B1 電話番号03-5771-2760
六本木交差点から東京タワー方向へ向かい、二つ目、佐世保バーガーの角を左折。突き当たりの右手地下。

◎アル・ジャロウ&ジョージ・デューク~47年を経てのコラボレーション

【Al Jarreau & George Duke: After 47 Years】

途中下車。

1940年3月12日生まれのアル・ジャロウ、1946年1月12日生まれのジョージ・デューク。6歳違い。アル71歳(来週の誕生日がすぎれば72歳)、ジョージ66歳。どちらも、アメリカ・ジャズ界では確固たる地位を築いているヴェテランだ。片やまさに「虹色の声(ヴォイス・オブ・レインボー)」と呼ぶにふさわしい声帯の魔術師アル・ジャロウ。片やファンクからメロディアスなとろけるアコースティック・ピアノまで多様性のあるピアノ/キーボードを聴かせるキーボードの匠ジョージ・デューク。この二人に超ハイ・エナジーなドラムスとゴリゴリのグルーヴ・ベースの計4人だけで強烈なライヴを繰り広げる。

ジャカルタで毎年この時期に行われているジャズ・フェス『ジャヴァ・ジャズ・フェスティヴァル』(3月2日金曜~4日日曜の3日間、野外・屋内に20近いステージが同時進行する。2005年から始まり今年は8回目)には多くのジャズ・ミュージシャンからポップ・ミュージシャンなども出演する。今年の目玉はスティーヴィー・ワンダーだったが、そこに出演したアーティストたちがアメリカに帰る際にほんの数日だけ日本に立ち寄ってライヴを行っていく。ジョージ・デューク・グループもそうだが、フランク・マッコム、デイヴィッド・ガーフィールド・グループなどもそう。ジョージ/アルは東京と大阪で1日ずつライヴをして、アメリカに戻る。帰国途中下車、という感じだ。

47年。

さて、アル・ジャロウとジョージ・デュークは、一昨年あたりからジョージ・デュークのトリオでアルが歌うという企画が持ち上がったらしいが、アルが自分の若手のトリオでツアーにでてしまったために、これが実現しなかった。

アル・ジャロウは1940年(昭和15年)ウイスコンシン州に生まれ、大学卒業後、サンフランシスコでリハビリのカウンセラーとして仕事をしていた。ちょうどその頃同地にいたジョージ・デュークと知り合い、ジョージのトリオでジャズを歌い始める。1962年頃のことだ。まだこの頃は、ジョージもアルも音楽では食べていけなかった。夜な夜なジャズ・クラブで何セットも演奏して食いつないでいた時代だ。

たまたま、この頃ジョージがアルの歌でデモ・テープを録音した。もちろん当時はデモ・テープを作って、レコード会社に売り込みに行き、レコード契約を取ろうとした。しかし、どこにもって行っても、相手にされず、彼らもそのテープのことさえ忘れてしまった。

アルはその後本拠をロスに移し、やはりジャズ・クラブで歌っていた。徐々にその声、独特のスキャットの歌い方、体全体を使っての歌い方が評判を呼び始め1975年、アルのそんなパフォーマンスをワーナー・ブラザーズのディレクターが「発見」し、契約。アルはメジャーなレコーディング・アーティストとしてデビューする。デビュー作『ウィ・ガット・バイ』は、ジャズ・シーンを中心に話題となり、アルは徐々にヒットも出し、有名になっていく。

一方ジョージも1960年代後期からジャズ・フュージョン畑(当時はまだそういう名称はなかったが)のキーボード奏者として徐々に頭角を現し始める。1970年代にはロックのフランク・ザッパのバンドに加入。ユニークなキーボード奏者として業界内で知られていく。

1970年代後期からはエピック・レコードで自身のアルバムを出し、ジャズからファンク寄りのアプローチをみせて人気を集めるようになっていた。さらに、1981年、ジョージはア・テイスト・オブ・ハニーの「スキヤキ」をプロデュース。これが全米で200万枚以上売れる大ベストセラーとなり、以後プロデューサーとして超売れっ子となっていく。

そんなジョージとアルが一昨年あたりに再会し、昔のようなトリオで歌うスタイルをやろうということになった。ちょうどその頃、ジョージが自宅に古いテープがあるのを発見。それが1965年、当時まだ二人とも無名だった頃のデモ・テープだった。ジョージはこれを発見し、大興奮。アルに電話し、自宅に遊びに来るよう伝え、アルがやってくると、このテープを聴かせた。そのテープとは45年ぶりくらいの再会だった。アルはこのテープが流れると、ぼろぼろと涙を流し始めたという。アルの脳裏に思い浮かんだのは45年前の無名で、これからジャズ・シンガーとしてやっていこうと夢と希望に燃えていたあの頃のことだったのかもしれない。

結局、このテープをCD化、そして、ツアーをすることになった。

アルは別の若手トリオで一度ツアーにでたが、今年になってジョージとツアーに出て、3月にはインドネシア・ジャカルタのジャズ・フェスに登場した。その帰り道、東京・大阪で1日ずつの貴重なライヴが行われたというわけだ。

1965年。

この音源のCDは、当日即売し、サイン会もしていたが、まだあまり輸入盤が出回っていないようだ。そうしたら、すでにアイチューンズiTunesに乗っていた。

Al Jarreau and the George Duke Trio "Live" at the Half Note 1965 (VOL 1)

http://itunes.apple.com/jp/album/al-jarreau-george-duke-trio/id429594414

ステージはアルとジョージが2-3曲ずつ交互にやって後半は両者が一緒にパフォーマンスするという形。今回のセットリストでは、「カム・レイン・オア・カム・シャイン」「スイート・パンプキン」といった作品が1965年のデモ作品から歌われた。

やはり、アル・ジャロウの虹色の声がおもしろい。足元は若干おぼつかなく、杖をついて歩いたり、スツールに座ったまま歌ったりと、この前のボビー・ウーマックのようでもあったが、声、声色、その声のだしっぷりは特に問題はなかった。そして大きな会場で見るより、こうした小さな会場で見るほうがいい。

またジョージもアルがいないときは、思い切りファンク色をだし、アルがいると、アコースティック・ピアノで控えめな伴奏に徹する。ジョージが、シンガーのバックで、目立たないように地味に弾くプレイというのがまたいい感じだ。

マイルス。

おもしろかったのが、ジョージがマイルスの声色を真似ながら、マイルスに曲を提供したときの話。

「ある日、電話がかかってきた。(しわがれ声で) 『ヘイ、ジョージ・デュークか、マイルス・デイヴィスだ。君に曲を作ってもらいたいんだが』」

「マイルス、今、僕はジェフリー・オズボーンなどのプロデュースで忙しいんだ。1-2週間後に電話をくれないか」

「すると翌日も『ヘイ、ジョージ』(マイルスのモノマネ)ってまたかかってきた。その翌日も。そこでしかたないので、1曲デモ・テープを作って送った」

「しばらくして返事が来るかと待っていたが、全然こないので、逆に心配になって、何週間か経ってこちらからマイルスに電話した。ねえ、マイルス、この前送った曲は気に入ってくれたのかな?」

「するとマイルスは、(マイルスの声で)『ああ、気に入ったよ』という。そこで、僕はじゃあ、いつスタジオに入る?と尋ねた」

「(マイルスの声色)あ、あれかもうレコーディングしたよ」

「ちょっとまってくれ、僕なしでレコーディングしたっていうのか」

「(マイルス声で) お前、歌でもいれるのか? ちょっとあれに俺のトランペットをオーヴァーダブしただけだ。簡単なことさ」

「待ってくれ、あれはまだ『デモ・テープ』の段階だよ」 

だが、マイルスはもう録音してしまっていた。

そんな経緯でできたのが、マイルスの『トゥトゥTutu』のアルバムに入っている「バックヤード・リチュアル」だと紹介し、それをジョージが演奏した。ジョージの話し方がおもしろいので、けっこう笑い声もでていた。

1965年、サンフランシスコで夢を追っていた無名ミュージシャン二人が、それから47年後、どちらも有名になり、ジャカルタで、そして、東京でその頃を思い出してジャムセッションを楽しんだ夜だった。最後の曲が終わって二人がステージ中央でハグしていたが、なかなかよかった。この二人のコンビネーションはとてもいい。

サイン会。

ファーストとセカンドの両方を見たという人の話によると、セカンドのほうがアルののりがずいぶんとよかったそうだ。ビルボードにしては珍しく90分を超え、96分ほどの演奏時間となった。ライヴ後、ジョージ、アルともにすぐにサイン会に出てきた。サイン会はかなりの長蛇の列。終わったのは12時を過ぎていたのでは。

ライヴ後わかったが、この日の会場にはいつになく日本のミュージシャンたちが多数集結していた。アルとジョージというコンビネーションだと、ミュージシャンもぜひ見ておきたいと思うのだろう。次回は1日だけでなく、何日かできると思う。

■ジョージ・デューク・ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002KVSJ9Q/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■エッセンシャル ジョージ・デューク

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0006TPHHG/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■マイルス・デイヴィス 『トゥトゥ(Tutu)』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004WDPXN0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■マイルス・デイヴィス アマンドラ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002LH7/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■アル・ジャロウ ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002KVSJ9Q/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

アル・ジャロウ / Al Jarreau(Vocals)
ジョージ・デューク / George Duke(Keyboards)
ゴーデン・キャンベル / Gordon Campbell(Drums)
マイク・マンソン / Mike Manson(Bass)

■セットリスト アル・ジャロウ&ジョージ・デューク 
Setlist : Al Jarreau & George Duke @ Billboard Live Tokyo, March 6, 2012, Tuesday

show started 21:36
01.Moanin (Al)
02.Cold Duck (Al)
03.Oh-Oh (George)
04.Agua De Beber – Mas Que Nada (Al)
05.Teach Me Tonight ?? (Al)
06.We’re In This Love Together (Al)
07.Touch My Brain (George)
08.Backyard Ritual (Miles Davis) (George)
09.Cobra?? (George)
10.Sweet Baby (George)
11.In A Mellow Tone (+Al) (George)
12.Sweet Pumpkin (Al)
13.Come Rain Or Come Shine (Al)
14.Take 5 (Al)
15.Roof Garden (Al) – Reach For It (George)
Show ended 23:12

(2012年3月6日火曜、ビルボードライブ東京、アル・ジャロウ&ジョージ・デューク・ライヴ)
ENT>LIVE>Jarreau, Al & Duke George
2012-

●LAの名ギタリスト、ローランド・バティスタ、60歳で死去

【Roland Bautista Dies At 60】

訃報。

アース・ウィンド&ファイアーの初期、さらに、アル・マッケイ脱退後のアースに再度参加した名ギタリスト、ローランド・バティスタが2012年2月29日、死去した。60歳。心臓発作らしい。死去した場所、様子などまだ詳細はわからない。音楽ジャーナリストのスコット・ギャロウェイ氏が明らかにした。

バティスタは1951年5月30日、ロスアンジェルス生まれのメキシコ系アメリカ人。1972年にアース・ウィンド&ファイアーの『ラスト・デイズ・・・』に参加してから、ロスアンジェルスの音楽界で頭角を現し始めた。アースを70年代中期に脱退してからは、セッション・プレイヤーとして大活躍。ラムゼイ・ルイス、ランディー・クロフォード、ジョージ・デューク、クルセイダーズ、ヒューバート・ロウズなど多くのアーティストの作品にレコーディングやツアーで参加。超売れっ子ギタリストとなった。日本にもクルセイダーズのツアーなどで何度も来ている。クルセイダーズのライヴ・イン・ジャパン盤でもローランドのプレイが聴かれる。

特にリズム感のすばらしいカッティング・ギターに定評があった。

1981年、アースからギタリスト、アル・マッケイが脱退した後に、再度、モーリス・ホワイトから請われ、アースに復帰。『レイズ』、1982年の『パワーライト』、1983年の『エレクトリック・ユニヴァース』に参加。

1977年、当時あったABCレコードから自身名義のアルバム『バティスタ』、1978年『ヒート・オブ・ザ・ウィンド』をリリース。

また、ジャクソンズの『デスティニー』、トム・ウェイツの『ブルー・ヴァレンタイン』(1978年)などにも参加している。ジョージ・デュークの人気盤でブラジル録音『ブラジリアン・ラヴ・アフェア』でも全編エレキ・ギターを響かさせている。

George Duke Brazilian Love Affair

http://youtu.be/1gpRcPLnMoo



■ジョージ・デューク『ブラジリアン・ラヴ・アフェア』

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Roland Bautista : Gone

http://youtu.be/L6zDcUTJ2Mw



■Paul De Souza

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■アース、地球最後の日 ローランドの出世作

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■アースの『レイズ(天空の女神)』
ローランドが復帰してからの1枚

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OBITUARY>Bautista, Roland>May 30, 1951 – February 29, 2012, 60 year-old

●ホイットニー3作、アルバム・トップ10入り

【Whitney’s 3 Albums Now In Top 10】

急死。

ホイットニー・ヒューストンが2月11日に急死してから、彼女のCDが爆発的に売れている。

ビルボード誌3月10日付けトップ200アルバムス・チャートで、ホイットニーのCDが3タイトル、トップ10入りを果たし、アルバム・チャート・トップ10に3作品をいれた初の女性アーティストになった。

『グレイテスト・ヒッツ』が2位(今週の売り上げ17万4000枚)、『ボディーガード』が6位(同4万7000枚)、ファースト・アルバム『ホイットニー・ヒューストン』が9位(3万枚)だ。ほかにも、16位に最新作『アイ・ルック・トゥ・ユー』(1万9000枚)、30位に『マイ・ラヴ・イズ・ユア・ラヴ』(1万5000枚)、39位に『アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト』(1万3000枚)、105位に『プリーチャーズ・ハウス』(5000枚)、126位に『ジャスト・ホイットニー』(4000枚)、133位に『ホイットニー』(4000枚)、また73位に『ベイビー』『マイ・ラヴ』『ジャスト・ホイットニー』の3作品をワンセットにした3枚組みも7000セットを売り、チャート入りしている。

このほかに、2月26日までに32万枚のCD、37万3000トラック、ダウンロードがされた。死去以降66万8000枚のCD、276万トラックのダウンロードが記録されている。

トップ10アルバムに同時に3作品をいれたのは、1968年7月のサイモン&ガーファンクル以来、およそ44年ぶりの快挙。同時にトップ10に3作品をいれたのは、ほかに、ビートルズ、ピーター、ポール&マリー、ハーブ・アルバート&ティファナ・ブラスしかない、という。ハーブ・アルパートは、1966年4月4日で同時に4作品をいれた。

ただこの記録は、ビルボードのチャート・ルールが2009年12月5日に変更されたことで起こったもの。それまでは、いわゆる古い作品(今回だとホイットニーの1985年のデビュー・アルバム)などは、トップ200には入ってこなかった。そうした旧タイトルは、旧カタログを集めたチャート(トップ・コンプレヘンシヴ・アルバムス・チャート)のみに入っていたため、新譜中心のいわゆる「トップ200」にはラインインしてこなかった。だが、2009年12月以降、「トップ200」は新旧関係なく、その週に売れた枚数でチャートを決めるようになったため、このような変化が起こった。したがって、このようなルールが適用されれば、2009年6月25日のマイケル・ジャクソン死去後も、マイケル作品が多数トップ10入りを果たしたことになる。また、2009年9月には、ビートルズがリマスター盤を一斉に発売したが、それらも「トップ200」入りしていたとみられる。

いずれにせよ、大変なセールスが記録されていることにはまちがいない。

今年10月末に発表される物故者セレブ・ランキングにも入ってきそうだ。

全米アルバム・チャート2位に急上昇

■ ホイットニー:ザ・グレイテスト・ヒッツ(輸入盤)

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同日本盤

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■ボディーガード=今週6位

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■デビュー作 25周年記念盤~DVD付き

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■デビュー作 通常輸入盤

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ARTIST>Houston, Whitney

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