●(速報) オハイオ・プレイヤーズのシュガーフット死去

【(Bulletin) Leroy “Sugarfoot” Bonner Of Ohio Players Dies】

訃報。

1970年代に多数のヒットを放ったオハイオ出身の大型セルフ・コンテインド・グループ、オハイオ・プレイヤーズのリード・シンガーでギターも弾く「シュガーフット」ことリロイ・ボナーが2013年1月26日(土)、オハイオ州で亡くなった。69歳とみられる。詳細は後送。

シュガーフットは2013年10月までライヴ・コンサートの予定が入っていた。日本にはオハイオ・プレイヤーズとして5回来日、さらにシュガーフットは2010年6月、「シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズ」として来日している。

そのときのライヴ評↓

オハイオ・プレイヤーズ・ライヴ
2010年06月06日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10554930961.html

シュガーフット・トークス
シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズ(パート2)
2010年06月07日(月)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10556046804.html
シュガーフットとの会話の様子。

OBITUARY>Bonner, Sugarfoot, Leroy (March 14, 1943 – January 26, 2013, 69-year old)

2枚組ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000068FUN/soulsearchiho-22/ref=nosim/

名盤 ハニー (各アルバムが600円以下なので3枚買っても1800円)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G07/soulsearchiho-22/ref=nosim/"


同じく名盤 スキン・タイト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G03/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

名盤 ファイアー

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■ 今日の「ソウル・サーチン・レイディオ」は、ロニー・ストゥーツ追悼

【A Tribute To Ronnie Angel Stoots】

追悼。

今日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM、76.1mhz、日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン・レイディオ」(午後2時半~)では、先月亡くなったスタックスのマーキーズのメンバーであり、スタックスのグラフィック・デザイナーでもあったロニー・エンジェル・ストゥーツの追悼をご紹介。

マーキーズ作品は基本的にはインストゥルメンタルなので、主に彼がジャケット・デザインをてがけた作品を中心にご紹介します。


関東地区の方はラジコで。
http://radiko.jp/#

詳細はこちら

元マーキーズ・メンバー、ロニー・エンジェル・ストーツ死去~スタックスのロゴ描く
2013年01月25日(金)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11455992658.html

彼がてがけたジャケット(25日付ブログで紹介したもの以外)↓

■ウィリアム・ベル

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD9EK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■エディー・フロイド

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■ブッカーT&ザ・MGズ

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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AY1NXTA/soulsearchiho-22/ref=nosim/

RADIO>Soul Blends>Soul Searchin

◎ハンク西山~スムーズ・ジャズからファンク~ヒーリング系まで~再発ライヴ

【Hank Nishiyama’s Re-Release Party】

再発パーティー。

2000年に出した名盤『アンノウン・ムード』がアイテューンズで配信が開始され、ジャケットも新装なったアルバムがリリース。そのCD再発を祝してライヴ・ツアーを敢行したのがギタリスト、「はんこや」さんこと西山ハンク史翁(にしやま・ふみお)。

このアルバムではトミー・キャンベルや今は亡きハイラム・ブロックなども参加しており、当時としてはかなりぜいたくなセッション・レコーディングだった。現在も一部の好事家から求められアマゾンなどでも4000円近い値段がついている。

それが新装再発。なんとCD盤面のハンクのイラストは仕事仲間でもあるシャンティが描いたもの。

当時のレコーディングに参加したメンバーも集まり、このアルバムを中心にライヴを聞かせた。全体的にはスムーズ・ジャズ、癒し系、オーガニックなサウンドだが、曲によってはやたらファンキーな曲もある。幅広いところを聴かせる。

アルバム未収録で、まだ録音していない「HB」と題された曲が実にかっこよかった。これは、旧友ハイラム・ブロックが亡くなったのを受けて書いた曲。最高にのりのいいファンク・ナンバーになった。HBはハイラム・ブロックのこと。これはオンエアしたい。セットリストの曲目のところに強力な花丸を書いたほど。

それにしてもハンコ屋さんのゆるいトークは実におもしろい。やはり人柄を表わすというか、そのほんわかした感じが全部のステージに出ていた。

ハンクはこのほかに京都・大阪でもCD再発ライヴを行なう。

2013年2月19日(火)京都ラグ(RAG)
http://www.ragnet.co.jp/live_spot_top.html

2013年2月20日(水)大阪ミスター・ケリーズ 
http://www.misterkellys.co.jp/ 

■ハンク西山オフィシャル・ウェッブ

http://hank711.blog134.fc2.com/

■ ちなみにこれは廃盤になったもの。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005EVUV/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

G)西山HANK史翁 (EWI/Sax)住友紀人 (Ds)鶴谷智生 (B)金森佳朗
★Special Guest (Key)Philip Woo
★Special Guest Singer (Vo)Wornell Jones

■セットリスト

Set First

01.No Miss Match
02.Beyond
03.Unknown Part Of The City (Wornell on Bass)
04.That’s The Way Of The World [EWF] (Wornell on vocal)
05.Shadows

Set two

Show started 21:20
01.True Blue
02.Journey
03.ワイン仲間~Circumstance
04.HB (Wornell on Bass)
05.Soul Takin’ (Wornell on vocal)
06.Key Of Mellowness
Enc. If It Ain’t Got Soul, Ain’t Got Nothing [Buzzy Feiten]
Show ended 22:50

(2013年1月17日木曜、目黒ブルース・アレイ、ハンク西山ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Nishiyama, Hank, Fumio
●元マーキーズ・メンバー、ロニー・エンジェル・ストーツ死去~スタックスのロゴ描く

【Ronnie Stoots, Former Mar-Key Dies At 71】

訃報。

元マーキーズ・メンバーでシンガー、さらにスタックス・レコードでアルバムのデザイナーでもあったロニー・エンジェル・ストーツ Ronnie “Angel” Stoots が2012年12月18日、メンフィスのメソジスト・セントラル病院で死去した。71歳。癌を患っていたが一応治ったとされていた。

メンフィスの新聞のウェッブサイト
http://bit.ly/VmjNqj

評伝。

1941年12月6日生まれ。本名、ロニー・ジョー・ストゥーツ Ronnie Joe Stoots。1950年代から地元メンフィスでバンド活動を開始した。リージェンツ、ロイヤル・スペーズに参加。後者がマーキーズとなる。スティーヴ・クロッパーとはこの頃からの仲間。ニックネームはロニー・エンジェル。この名は地元のDJ、ジョージ・クレインが名付け親。「エンジェルのように歌う」ことから彼はそう名付けたという。

ロイヤル・スペーズは、ジェリー・リー・スムーキー・スミス(キーボード)、ロニー・エンジェル・ストゥーツ(ヴォーカル)、ウェイン・ジャクソン(サックス、トロンボーン、トランペット)、テリー・ジョンソン(ドラムス、ピアノ)によって1950年代後期にメンフィスで結成された。学校のプロム、パーティー、基地、小さなライヴハウスなどでプレイして地元ではちょっとした人気となっていた。この頃のミュージシャン仲間には、スティーヴ・クロッパー、ドン・ニックス(サックス)、ドナルド・ダック・ダン、チャーリー・フリーマン(ギター)、チャールズ・パッキー・パクストン(テナー・サックス)らがいた。パクストンは後にスタックスを始めるエステル・アクストンの息子。クロッパー、ダン、ジョンソンはメシック高校に、ストゥーツはホワイト・ステーション高校に通っていた。

エステルがロイヤル・スペーズからグループを改名したほうがいいと助言。マーキーズの名前のオリジナル・アイデアは、ドン・ニックスがMarquisマーキーズ(映画館や劇場の正面玄関上に歩道に突き出してでている看板のこと)はどうだ、といったことが発端だ。ところが、スティーヴ・クロッパーが「このあたりの人間(メンフィスの人たち)は、フランス語は読めない」というので、英語読みしやすいMar Keysという表記になった。さらにフロイド・ニューマン(サックス、ヴォーカル)、ギルバート・ケイプル、カーティス・グリーンらが参加。マーキーズは、エステルが設立したサテライト・レコーズで「ラスト・ナイト」を1961年に録音。ソウル・チャートで2位、ポップで3位を記録。当時で100万枚以上のセールスを記録したという。メンフィス・サウンドの土台を作ることになっていく。

マーキーズはメンバーがツアー、スタジオでひんぱんに入れ替わっているが、アーティスト写真としてドン・ニックス、スティーヴ・クロッパー、パッキー・アクストン、ダック・ダン、テリー・ジョンソン、ロニー・ストゥーツ、ウェイン・ジャクソンが映っているものがある。

ロニー・ストゥーツは、愛称でもあるロニー・エンジェル名義でシングルなども残している。

音楽だけでなく、デザインのセンスもあり、スタックスの有名な初期のロゴを作った。さらに、アルバムのジャケット・デザインもてがけた。

彼が作ったスタックスのロゴ


下記はロニーがてがけたジャケット作品。

オーティス&カーラのジャケット。http://bit.ly/XwdCxV
 
サム&デイヴの「ホールド・オン・アイム・カミン」などのジャケットをデザイン。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AY1NWM8/soulsearchiho-22/ref=nosim/

オーティス・レディング=ソウル辞典

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD8VY/soulsearchiho-22/ref=nosim/

オーティス&カーラ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD9E0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

60年代から70年代にかけて、オニックス・スタジオ(Onyx Studio)を設立、運営していた。さらに地元のグラミー賞の支部も担当していた。さらに、スティーヴ・クロッパーらとトランス・マキシマス・レコーディング・スタジオ(TMI)、レコード会社を開始。このTMIで1972年、自身のソロ・アルバム「アシュズ・トゥ・アシェズ」をだしている。

また、ロニー・ストゥーツは自身のデザイン会社、「メンフィス・マジック」を経営していた。

ロニー自身は葬儀が嫌いで、生涯で2度ほどしかお葬式に行っていないという。その2度は自身の父と母のそれだという。そこで妻は、葬儀はやらないが、親しい友人を呼んでシャンペーン・トーストを自宅でやりたいと考えている。妻、娘2人、息子、そして3人の孫がいる。

■ロニー・ストゥーツ自身の唯一のアルバムAshes To Ashes (TMI 1002)

■ スタックス・CD9枚組み初期の全シングル・パッケージ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004VPVFPO/soulsearchiho-22/ref=nosim

OBITUARY>Stoots, Ronnie Angel (December 6, 1941 – December 18, 2012, 71 year old)

◎ヴィクター・ベイリー・ライヴ~Vファンクでぶりぶり

【V Funk Explosion : Victor Bailey Live】

Vファンク。

ベース奏者ヴィクター・ベイリーの自己名義としては初のライヴ。彼のベースプレイは何度か見た記憶があり、ファンキーでグルービーなかっこいいベースを聴かせるということはわかっていた。しかし、それが全部、誰か他のアーティストのサポートだったとは思わなかった。なんと30年以上一線で活躍している彼の、これは日本では初の自己名義だから驚く。

タイトルにVファンクと記していたが、これがまさにタイトル通り、そのまんまのネーミングであった。

杖をつきながらステージに登場し、スツールに座りながらプレイ。しかし、座ってもグルーヴ感は完璧だ。(病気のために若干歩くのが困難だそうだ)

ステージで「今回の来日は31回目。初めて日本に来たのはサダオ・ワタナベに呼ばれてきた1979年」と説明。ちゃんと勘定しているのもすごいが、渡辺貞夫さんの才能を見出す才能にも改めて感銘する。ヴィクターの名前が出てくるのは1980年代半ば以降。渡辺さんによって初来日し、その後なんども日本の土を踏むことになるアーティストのなんと多いことか。

ヴィクターは1960年3月27日フィラデルフィア生まれ。1982年、ウェザー・リポートにジャコ・パストリアスの後任として参加したことによって大きな注目を集めるようになる。

それにしてもごきげんなライヴだった。特に「僕はパーラメント/ファンカデリックが大好きで子供の頃からよく聴いてきた」と説明して始めたPファンクのヒット曲「ニー・ディープ」のすごさは驚いた。ファンクとジャズがいい具合にブレンドしていた。彼がやると、PファンクならぬヴィクターだからVファンクだ!

ギター、ベース(ヴィクター本人)、ドラムス、キーボードのたった4人で超豪華なファンク・サウンドを作る。ギターも実にうまい。そしてドラムスも、キーボードもインパクトがある。このバンドは超強力。ドラムスはアヴェレージ・ホワイト・バンドで来日したこともあるという。

次回のライヴはもっと事前に告知してみんなに勧めようと思う。

■メンバー

Victor Bailey (b, vo), Marcus Machado (g), Theo Hill (key), Rocky Bryant (ds)

■セットリスト
Setlist : Victor Bailey

Show started 18:32
1. Goose Bumps
2. Slow Soft Funk
3. Knee Deep
4. If You Say So
5. Ya Bref Stink
Enc. Ape School
Show ended 19:40

(2013年1月18日金曜、丸の内コットンクラブ、ヴィクター・ベイリー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Bailey, Victor

■ヴィクター・ベイリー

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0047XL3N4/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

◎ケム初来日~親密空間でのケム宇宙

【KEM First Ever Japan Concert : The KEM Universe In Intimate Space】

初。

アメリカでは収容人数1万人以上のアリーナ・クラスの会場でやるというデトロイトのR&Bシンガー、ケム(KEM)が初来日。毎年ニューオーリンズで行なわれる「エッセンス・ミュージック・フェスティヴァル」でも人気アーティストのひとり。それがブルーノートいう親密空間で見られるということもあり、日本のファンは大ラッキー。

これまでに出した3枚のオリジナル・スタジオ・アルバム(プラス・クリスマス・アルバムもある)がいずれもゴールド・ディスク(50万枚以上のセールス)ながら日本盤は一切でておらず、ファンは輸入盤のみで知っているというソウル界のエアポケットにいるR&Bシンガーだ。だからアメリカと日本での人気の格差が最大級のアーティストでもある。日本の選挙で問題にされる一票の格差どころではない、日米人気格差は完全違憲状態だ。

音楽的にはいわゆるネオ・ソウルというかレトロ・ソウルというかいかにもここ10年の王道を来たという感じのライヴで心地よいひと時となった。「『ポスト・ディアンジェロ』をしばらく預かりました」という立ち位置のように思えた。自分で曲も書くので、ソウル版シンガー・ソングライターという香りが存分にする。その意味で、21世紀のビル・ウィザーズあたりなのかなあとも思った。

声が独特でとても印象に残る。顔が誰かに似てるなあと思うのだが、どこにでもいそうで逆に思い出せない。(笑) ちょっとした雰囲気がシール似かなあ、などとも思ってみたが、ちょっと違う。顔とか雰囲気とか、声などがカール・アンダーソンあたりのイメージに近いとも感じたが、そうか、井出らっきょ説も出てたか。(押野説)(笑)

ネオ・ソウル独特の軽さが、今の時代にちょうどよく、クールに熱くという空気感だ。メンバー全員、黒系のスーツにきちっとネクタイというおしゃれ系。

たとえば1曲目はアル・ジャロウ風、2曲目はジョージ・ベンソン風などちょっとジャズ風な雰囲気から徐々にR&Bテイストへ移行。5曲目「ホワイ・・・」はピアノをケム自ら弾いて歌う。7曲目「ファインド・ユア・ウェイ」では観客に「バック・イン・マイ・ライフ」の部分を歌わせるコール&レスポンスをけっこう長くやった。ちょうどこの日はデトロイト出身のブラザーが観客にいたようで、それとのかけあいもおもしろかった。ケムはかなり観客とやりとりをする。

そして自分の出自を語る場面もあった。僕のメモが汚くて読めないところもあったが、大意はこんな感じだった。8曲目「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」のところだ。

「僕は22年前デトロイトでホームレスだった。アル中になりドラッグ中毒になり病院に入りリハビリをした。刑務所にも入った。だがそんなことを今は恥じていない。その頃学んだ人生における最高の教訓は、人間みな試行錯誤をしたり、迷ったり、遠回りしたり、挫折したり、苦悩したりする。そうしたものが人間を作る、ということだ。そうした苦労や苦難を乗り越えられれば、なんとかなる。希望を持って先に進もう。そんなことを僕は今人々に伝道している。信じれば、きっと成し遂げられる。(if you believe, you can make it)」(「Can’t Stop Loving You」のところで彼がしゃべったことの大意)

まさに本人自身が「ソウル・サーチン」をしているということがよくわかった。同じくソウル・サーチンしているRケリー的なところも感じられた。

バンドもしっかりしている。ちなみにベースのアル・ターナーはデトロイトでケムとは10年近く一緒にやっているという。たまたま彼は翌週のアール・クルーでもベースをプレイするので、日本にそのまま居残り。

親密な小さな空間でのケム宇宙が生み出された夜だった。

ケム・オーエンズ、1969年7月23日テネシー州ナッシュヴィル生まれデトロイト育ち。現在43歳の苦労人だ。

ライヴ後はサイン会。最初写真はNGだったが、最後結局OKになって多くのファンと本人は写真撮影。残った人が少なかったからかもしれない。そういえば、さすがに大物だけあって、アーティストの取り巻きも多かった。

「アメリカでは大きな会場でしかやらないが、日本だけは特別に小さなブルーノートでやる」とケムが思ってくれればいいのだが。ちょうどナイル・ロジャーズがそう思うように。

ツイッターでは、KEMのライヴを思い出して余韻をつぶやくハッシュタグまで登場しました。4公演コンプリートの日本一のケムファン、アキコさんの作品。→ #KEMJapantour2013 

■メンバー

KEM(vo)ケム(ヴォーカル)
Brian O’ neal(key)ブライアン・オニール(キーボード)
Randy Bowland(g)ランディ・ボウランド(ギター)
Al Turner(b)アル・ターナー(ベース)
Ron Otis(ds)ロン・オーティス(ドラムス)

■ケム・セットリスト
KEM Setlist:
@KEM_Intimacy 
January 18, 2013 @ Bluenote Tokyo

show started 21:39
01.Golden Days
02.Brother Man
03.True Love
04.I’m Missing Your Love
05.Why Should You Stay
06.Share My Life
07.Find Your Way (Back In My Life)
08.Can’t Stop Loving You
09.Inside
10.Love Calls
Enc. Matter Of Time
Enc. Merry Christmas Baby
Show ended 23:00

(2013年1月18日金曜、ブルーノート東京、ケム・ライヴ)
ENT>LIVE>KEM

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003L7JV7C/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007PALI4/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008BNUJ/soulsearchiho-22/ref=nosim/

○(速報) クインシー・ジョーンズ、7月の広島イヴェントに来日

【Quincy Jones Coming To Japan August As Curator】

18年ぶり。

アメリカ音楽業界最大の大物プロデューサー、クインシー・ジョーンズが2013年7月のイヴェントのために来日する。広島県が行なうイヴェント「ピース・アーチ・ひろしま」の一環で行なわれるコンサートのプロデューサー(キュレーター)出演者としてのもの。クインシー・ジョーンズは平和コンサートのためのアーティストの選出、演出をてがけ、出演する。

現在一応「出演」と発表されているので、自身で選抜したクインシー・ファミリーのバンド「クインシー・ジョーンズ楽団」の指揮者としてクインシーがステージに立つ可能性が高い。その場合、1981年以来32年ぶりの来日ステージとなる。また、来日は1989年、1995年のプロモーション来日以来18年ぶり。

「ピース・アーチ・ひろしま」は、国際平和拠点ひろしまから世界平和を求めていこうというイヴェント。イヴェントは2013年7月27日から8月3日まで広島で行なわれる。

クインシーは8月3日(土)に行なわれる「エターナル・ピース・コンサート」(仮題)にプロデューサー、出演者として参加すると発表された。

公式ホームページ
http://www.peace-arch-hiroshima.net/

クインシーの賛同・参加決定のお知らせ
http://www.peace-arch-hiroshima.net/pdf/20121226.pdf

このイヴェントは、広島が2020年オリンピック候補地から降りたことで、それに代わる世界平和のイヴェントを行なおうとプロジェクトが始まったという。

クインシー・ジョーンズは75歳の2008年7月、スイスでおこなわれたモントルー・ジャズ・フェスティヴァルで75歳を祝うイヴェントを行なっている。クインシーの本格的ライヴとしてはこれ以来、約5年ぶりとなる。今年の3月で80歳をむかえる。

(情報提供、澤田さん、広島のソウルバー「スティーヴィー」熊谷さん、ありがとうございます)

■ 過去関連記事 クインシー・ジョーンズ・ライヴ・リポート

July 17, 2008
Quincy Jones Tribute Live Lasted 5 Hours
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080717.html

世界一早かった松尾特派員のクインシー・ゲネ・プロ・リポート
July 15, 2008
Montreux Jazz Festival: Celebrates Quincy Jones
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080715.html

モントルー・ジャズ・フェスを伝えるニュース映像
http://www.euronews.net/en/article/18/07/2008/montreux-musicians-toast-quincy-jones/

クインシー・ジョーンズ75歳誕生日セレブレーション
2008年07月22日(火)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10118776908.html

■1981年のクインシー・ジョーンズ・ライヴ

クインシー・ジョーンズ、1981年のライヴの詳細は次の通り。

1981年7月6日、9日、日本武道館、
7月7日 神戸国際会館
7月10日 福岡サンパレス

計4本。

来日メンバーは次の通り。

Patti Austin
Toots Thielemans
Louis Johnson
Carlos Rios
Rod Temperton
John Robinson
Jerry Hey
Greg Philinganes
James Ingram
Peter Christlieb
Ollie Brown
Jerome Richardson

+Hara Nobuo & Sharps & Flats

ANNOUNCEMENT>Jones, Quincy

■クインシー・ジョーンズ・ライヴ・アット・モントルー(ブルーレイ)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002CPD5LM/soulsearchiho-22/ref=nosim/

同日本盤・通常DVD

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0098PEDVU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■クインシー・ジョーンズ自叙伝

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/430926610X/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■ジェームス藤木さん「ソウル・サーチン」に生ゲストで登場

【James Fujiki On Soul Searchin Radio】

クールス。

2013年1月20日日曜日、「ロックン・ロールの伝説」ジェームス藤木さんが「ソウル・ブレンズ」に生ゲストで登場した。60歳を超え、キャリア30年超で初のソロ・アルバム『笑顔のキセキ』をリリース、そのプロモーションの一環だ。

ロックン・ロールのグループ、「クールス」は元々バイク仲間が集まったところから始まっている。そのバイク仲間の軍団は1973年に結成され、1974年にシャナナを模したロックン・ロール・バンドをやろうと音楽グループが始まった。そし9月キング・レコードからデビュー。そのクールスでギターとヴォーカルを担当しているのがジェームス藤木さんだ。再来年にはクールス・デビュー40周年になる。

ジェームスさんはロックン・ロール・バンド、クールスに在籍しながらそもそもソウル好きで、クールスとは別に自身でソウル好き仲間を集めたソウル・バンドをやっている。「リスペクト・オール」「東京モータウン・ショー」あるいは「デュークス」といったバンドだ。

僕はここ10年くらいそのジェームスさんのソウル・バンドのライヴを何度か見るようになっている。ソウル・バー、ストリート・カフェの長野さんがベースを担当するワンダラーズ関連のイヴェントやライヴで拝見している。ところがジェームスさんとはもっと昔、勝本氏(元エンバシー、全国ディスコ協会、キング・オブ・ソウル)を通じて、エンバシー時代に会っていた。だからそういう意味ではおつきあいはかなり長いということになる。勝本氏やニック岡井氏、江守アイ氏らとは新宿時代からの知りあいだ。

今回そんなジェームスさんが『ソウル・ブレンズ』に生ゲストで登場した。その中でも触れられていたが、「60過ぎてますます創作意欲が衰えないんだよ」というところがすごい。このアルバムを作るにあたって40曲くらいプロデューサーに提出したそうで、その中からクールスとは違うジェームスさんの魅力を出したもの、ソングライターとしての魅力を出したものを中心に選曲した。

よりファンキーなもの、ソウルっぽいものも今回収録されなかったものの中にあるが、そうしたものは次回作以降にしようということになった。

ジェームスさんは1951年3月15日生まれ。(ウィキなどの20日生まれは間違い) 現在61歳。「60なんて、まだまだこれからでしょう。(ソロとして)新人ですから、よろしくお願いします」と笑いながら言う。

ジェームスさんは本当に「現場」が好きだ。「まあ、現場主義だからね」と軽く言う。実際、ライヴもセットリストがちょくちょくかわり、その場の観客ののりでリクエストなどにも気軽に応じる。ソウル・カヴァーのショーをやっていても、ファンがクールスの曲をどうしても聞きたいといえば、一曲くらいは軽くやってくれる。ギター一本の弾き語りからフルバンドのジェームス・ブラウンのようなパッケージ・ソウル・ショーも、そしてクールスとしても、なんでもできる。このあたりがつくずくすごいなあ、と思う。

「シニアの人たち(60歳以上)って300万人以上いるそうだ。だが、自分も含めてそういう人たちに情報を届ける方法がすくない、だから自分たちのような音楽を見に来てくれれば、絶対またリピーターになってくれるが、なかなかやっていることを知らせることができない、なんとかしたい」ということを力説していた。「みんな子育ても一段落して、遊びたいんだよね。でも、そういう場所がない」とジェームスさんは言う。

「僕は外国人だから、『還暦』っていってもあんまりぴんとこないんだけどね」と笑うジェームスさん。お父さんはアイリッシュ系アメリカンで父が彼にジェームスと名付けた。「アイリッシュだからなのか、『反骨精神』みたいのがすごいんだよね」という。

僕もずっと彼はジェームス・ブラウンが好きだから芸名でジェームスと付けたというのは違っていた。訂正します。(笑)

今回のゲスト出演には、ディスコDJの大御所、松本みつぐさんらの強力なお力添えがありました。ありがとうございます。

そうそう、下記ブログ「ストリート・カフェ~明日のスター? 2008年04月12日(土)」で書いたゆうや君がジェームスさんの御つきでスタジオに遊びに来た。大きくなっててびっくりした。小学校5年生になったという。ちょうど今声変わり中、あれからずっとギターをやって、ギターの腕をかなりあげているらしい。もう5年近くも前なんだ。時が経つのは本当にはやい。ますます将来楽しみだ。その日のブログをプリントアウトして彼にあげた。最近は「トライ・ア・リトル・テンダーネス」は歌ってないらしい。

■ライヴ情報

出演 ジェームス藤木
会場 埼玉県草加市松原団地駅前・アパッチ・ジャンクション (アメリカン・レストラン)埼玉県草加市栄3-1-20
048-936-4424 (東武伊勢崎線松原団地駅東口徒歩3分。東口駅前通り1つ目の信号(松屋のある交差点)を左折、約100m先の右側。
松原団地駅から275m)
日時 2013年1月26日土曜、夜2ステージ

■「ソウル・サーチン・レイディオ」ポッドキャスト期間限定でアップ

Soul Searchin Radio 01-13-2013 James Fujiki Live Guest
https://soundcloud.com/soul_searchin_13/soul-searchin-radio-01-13-2013

■ジェームス藤木さん過去関連記事・ライヴ・リポートなど
October 30, 2006

No.1 Soul Show In Tokyo; James Fujiki & Tokyo Mowtown Show
【ジェームス藤木&トウキョウ・モウタウン・ショウ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_10_30.html


2002/11/06 (Wed)
Street Cafe 5th Anniversary 
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200211/diary20021106.html

2003/06/04 (Wed)
Oldest Funk Band in Tokyo at Newest Live House
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030604.html

2003/11/10 (Mon)
Party To Party: Street Cafe To Brown Sugar
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20031110.html

2004/05/31 (Mon)
James Fujiki & Respect All Live At Graffiti
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20040531.html

May 01, 2006
James Fujiki’s New Soul Band: Tokyo Mowtown Show Debut
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_05_01.html

ストリート・カフェ~明日のスター?
2008年04月12日(土)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10087579428.html

■ジェームス藤木、久々のソロ・アルバム『笑顔の奇跡』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B009VSPAW0/soulsearchiho-22/ref=nosim/


こんな超強力ソウル・カヴァー・アルバムも

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0049SGS0K/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>ARTIST>Fujiki, James
RADIO>SOUL BLENDS>Soul Searchin Radio

●マーヴァ・ホイットニー葬儀の模様レポート(中田さんより)

【Marva Whitney’s Funeral】

葬儀。

2012年12月22日、ジェームス・ブラウン・ファミリーのファンキー・ディーヴァのひとり、マーヴァ・ホイットニーが地元カンサス・シティーで死去した。68歳だった。その葬儀が2013年1月5日カンサスで行われ、マーヴァの作品をプロデュースしたオーサカ=モノレールのリーダー、中田亮さんが出席した。その話を聞いた。

中田さんは1月4日日本発、同日着、5日に朝から葬儀に出席。午前9時からメモリアル・ミッショナリー・バプティスト教会(11424Hickman Mills Drive)で棺を囲んでバンドがゴスペルを演奏したり牧師が説教、友人が弔辞を述べたりした。出席者はかなり多く数百人以上はいた。それはまるでパーティーのようだった。

アメリカの葬儀は、「ホームゴーイング・セレブレーション」と言って、いわばお祝い的なものとして捉えられている。死者は今はベター・プレイス(より良い場所)に行かれた、というニュアンスだ。

マーヴァは6人兄弟の長女で下5人はいずれも男兄弟。母親であるウィル・メイ・マニングがまだご健在。このほかに2人の子供、シェリー・ウィットニーとエリス・テイラー・ジュニア、他に5人の孫、2人ひ孫がいる。

ジェームス・ブラウンのオリジナル・ダンサーの一人、ジョアン・ヒューストンはアトランタから車を18時間走らせ参列した。

その後墓地に移動。ここには家族・親戚、親しい友人のみだったがそれでも車10台程度に乗り込んで墓地に。そこで棺が地中に埋められるのだが、最近はみんながいるときには地中に埋めないで、弔問客が帰った後に墓地の人たちがその作業をするらしい。その後、親戚一堂で食事をした。

そして、翌日帰国便搭乗。7日成田戻り。という超強行弾丸葬儀参列だった。

マーヴァの直接の死因は肺炎。最初の旦那さんの名字がホイットニーで、長くホイットニー姓を受け継いでいた。2番目の夫はエリス・テイラーというミュージシャンでフォルテ・レーベルをやっていた。兄弟、いとこ、親戚だけで7-80人以上はいたようで、最後に集まった食事の席で全員で記念撮影をした。

地元カンサス・シティー・スター紙でも、「6000マイルかなたの日本からの友人も出席」と中田さんのことが紹介され、中田さんの「カンサス・シティーの人には彼女は日本やヨーロッパで愛されていたということを知って欲しい」というコメントも新聞に掲載されている。

Singer Marva Whitney is given a soulful sendoff at ‘homegoing’
BY JAMES A. FUSSELL
The Kansas City Star
Posted on Sat, Jan. 05, 2013 10:39 PM

http://www.kansascity.com/2013/01/05/3996595/the-late-marva-whitney-is-given.html

http://www.kcur.org/post/marva-whitney-remembered-kansas-city

http://numerogroup.wordpress.com/2012/10/29/announcing-eccentric-soul-the-forte-label/

http://archive.kcur.org/kcurViewDirect.asp?PlayListID=7037

http://www.wefunkradio.com/extra/marva

~~~

再評価。

マーヴァのアルバムを作った中田さんだが、マーヴァはジェームス・ブラウンのキング・レコード時代に3枚アルバムを出している。その3枚のCD化実現に向けて動いているという。また、オフィシャルに出たファースト・アルバム『イッツ・マイ・シング』の前に、ジャズ・トリオで録音されたスタンダード曲ばかりを集めたアルバムがあり、これがずっと未発表になっている。この初CD化も期待される。

このほか、キングの後に2番目の夫エリス・テイラーがやっていたフォルテ・レコードに残されたシングル盤を今はその息子エリス・テイラー・ジュニアが管理しており、そのCD化の動きもある。

また、しばらく前に完成していたマーヴァ・ホイットニーの自伝もあり、これがイギリスの出版社からリリースされることになっている。タイトルは、”God, The Devil And James Brown!! Memoires Of A Funky Diva” というもので、Charles Waring という人が書いている。

今年の命日くらいをメドにこうしたプロジェクトが日の目をみるとマーヴァの追悼にもなる。

■マーヴァ・ウイットニー追悼記事(ニューヨーク・タイムズ)

http://www.nytimes.com/2013/01/01/arts/music/marva-whitney-singer-in-the-james-brown-revue-dies-at-68.html?ref=obituaries&_r=0

■訃報記事

(速報)マーヴァ・ホイットニー68歳で死去
2012年12月24日(月)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11433812425.html

■ 唯一の単独日本公演の模様↓

June 09, 2006
Marva Whitney: It’s Her Thing, Waiting For The Day For 30+ Years
【マーヴァ・ホイットニー・ライヴ~30年以上待ちつづけたその日】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001065.html

Marva Whitney: It’s My Thing

http://youtu.be/7PKpQwQ4ZGQ



■マーヴァ・ホイットニー・ウィズ・オーサカ=モノレール

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000K2VFPC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ファンキー・ディーヴァ(オムニバス)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000067L7/soulsearchiho-22/ref=nosim/"


OBITUARY>Whitney, Marva (May 1, 1944 – December 22, 2012, 68 year old)
■今日の「ソウル・サーチン」にあのジェームス藤木さん生ゲスト登場

【James Fujiki On Soul Searchin Radio】

初ゲスト。

ロックン・ロールの超ヴェテラン・グループ、クールスのギターとヴォーカル担当として知られるジェームス藤木さんが初めてのソロ・アルバム『笑顔の奇跡』(ピンク&ブルー・レコーズ)を2013年1月16日リリース。このプロモーションで今日の『ソウル・ブレンズ』(日曜午後1時~3時、関東地区インターFM、76.1mhz)内「ソウル・サーチン・レイディオ」(午後2時半~)のコーナーに、生ゲストで登場する。

関東地区の方はラジコで。
http://radiko.jp/#
(ここでInterFMをクリック)

ジェームス藤木さんは1951年3月20日東京生まれ。幼少の頃、父に連れられ米軍基地で見たレイ・チャールズに衝撃を受け、音楽の道に。1974年12月バイクチームとしてクールスが結成され、1975年9月、ロックン・ロール・バンド、クールスとしてデビュー。ジェームスさんはこの頃までにギターとヴォーカルで参加。クールスはライヴとヒット曲で瞬く間に人気に。ジェームスさんはソングライターとしても多数の作品を書いている。またクールス時代には山下達郎さんがクールスをプロデュースしたこともある。現在もクールスとして、またジェームス藤木ソロとして、あるいはときにソウルバンド、リスペクト・オール、東京モウタウン・ショー、ジェームス藤木&ザ・デュークスなどでライヴ活動をしている。なお、ジェームス藤木のジェームスは大好きなジェームス・ブラウンから取っている。

~~~

お久しぶり。

ジェームスさんのライヴには何度も行っているが、最近ちょっとごぶさたしていた。お久しぶりなので、楽しみだ。

■ジェームス藤木さん過去関連記事・ライヴ・リポートなど
October 30, 2006

No.1 Soul Show In Tokyo; James Fujiki & Tokyo Mowtown Show
【ジェームス藤木&トウキョウ・モウタウン・ショウ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_10_30.html


2002/11/06 (Wed)
Street Cafe 5th Anniversary 
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200211/diary20021106.html

2003/06/04 (Wed)
Oldest Funk Band in Tokyo at Newest Live House
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030604.html

2003/11/10 (Mon)
Party To Party: Street Cafe To Brown Sugar
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20031110.html

2004/05/31 (Mon)
James Fujiki & Respect All Live At Graffiti
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20040531.html

May 01, 2006
James Fujiki’s New Soul Band: Tokyo Mowtown Show Debut
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_05_01.html

ストリート・カフェ~明日のスター?
2008年04月12日(土)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10087579428.html

■ジェームス藤木、久々のソロ・アルバム『笑顔の奇跡』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B009VSPAW0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

こんな超強力ソウル・カヴァー・アルバムも

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0049SGS0K/soulsearchiho-22/ref=nosim/


ENT>ARTIST>Fujiki, James
RADIO>SOUL BLENDS>Soul Searchin Radio

■★ソウル・サックスマン、キング・カーティスが歌謡曲を吹いていた

【Revealed: Funky King Curtis Recorded J-Pop Songs】

(昨日の「パイレーツ・ロック」の折田さんの話の続き)

歌謡ソウル。

キング・カーティスといえば、アトランティック・ソウルで欠かせないソウル・サックス奏者。アトランティックだけでなく東海岸ニューヨーク近辺のソウル、ジャズ・セッションに1950年代終盤から1960年代、1970年代初期までもっともお呼びがかかったファンキー・ソウル・サックス奏者だ。日本でも一部で熱狂的なファンもいる。

キング・カーティスは1934年2月7日生まれ。テキサスに育った。ライオネル・ハンプトン・バンドに参加したあと、1952年、18歳でニューヨークへ。ここでセッション・ミュージシャンとして活動を始める。そんな中、コースターズの「ヤケティー・ヤック」(1958年)などのサックス・プレイが評判となり、アーティストとしてインディ・レーベルと契約。自身名義で「ソウル・ツイスト」(1962年)、「ソウル・セレナーデ」(1964年)などのヒットをだし、1965年にはアトランティックと契約。以後も「メンフィス・ソウル・シチュー」(1967年)など多数の作品を生み出した。

The Coasters - Yakety Yak
http://youtu.be/-cHB3Rbz1OI



King Curtis - Memphis Soul Stew
http://youtu.be/ukOs3am7CtE



カーティスはアトランティックのプロデューサー、ジェリー・ウェクスラーとひんぱんに仕事をしていたが、1970年、アリーサ・フランクリンの名盤『アリーサ・ライヴ・アット・フィルモア・イースト』、さらに『フィルモア・ウェスト』にも参加。サックス奏者としての名声を決定付ける。テレビ番組『ソウル・トレイン』の初代のテーマ曲もキング・カーティスの「ホット・ポテートス」だ。ソウルでもジャズでも実にファンキーな味を出すサックスで当時はレコーディングにもライヴにも引っ張りだこだった。

アレサ・ライヴ・アット・フィルモア・ウェスト(デラックス・エディション)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000WPP9EU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

そんなサックス奏者として超人気だったカーティスだが、1960年代後期には日本でもサム・テイラー、ブーツ・ランドルフなどのサックス奏者が人気だった。

そこで、折田さんは名サックス奏者、キング・カーティスを日本で売ろうと、彼に1967年頃の日本の歌謡曲ヒットをカヴァーさせるアルバムを企画した。選曲して音源を送り、キング・カーティスは録音を了承。ニューヨークの超一流どころを集めて1968年2月、3日間にわたってニューヨークで制作された。

期待されたこのアルバムだが、日本でリリースされても、結局2000枚も売れずに、アトランティックのボス、ネスヒ・アーティガンにこっぴどく叱られた、という。この日本盤は折田さん本人も持っておらず、アルバムのタイトルさえも覚えていない、という。

~~~

■「真赤な太陽」などを録音

歌謡曲。

ということでさっそくその作品を調べてみたら、アルバムそのもののタイトルやレコード番号などはでてこなかったが、レコーディング・データがでてきた。

データは次の通り。メンバーと曲名、録音日が書かれている。日本語のタイトルが想像できるものを書いてみた。

King Curtis Octet

George Dessinger (flute, bassoon) King Curtis (tenor saxophone, alto saxophone) Paul Griffin (piano) Billy Butler (guitar) Al Chernet (guitar, mandolin) Ron Carter (bass) Bobby Donaldson (drums) Jack Jennings (percussion)
NYC, February 5, 1968

13859HallelujahAtlantic unissued
13860Koyubi No Omoide-
13861Futari No Shiokaze-
13862Please Take Me

13859 「恋のハレルヤ」?(黛ジュン)
13860 「小指の思い出」(1967年、伊東ゆかり)、
13861「潮風のふたり」(伊東ゆかり)、
13862 ?

(左側の5桁の数字はマトリックス・ナンバーといってレコーディングした楽曲それぞれに付けられた番号。レコード番号とは別のもの。だいたい録音した順に番号付けされる)-

King Curtis Octet

Romeo Penque (flute, oboe) King Curtis (tenor saxophone, alto saxophone) Paul Griffin (piano) Billy Butler, Al Chernet (guitar) Richard Davis (bass) Bobby Donaldson (drums) George Devens (percussion)
NYC, February 6, 1968

13863In A Lonesome CityAtlantic unissued
13864Mona Lisa’s Smile-
13865Azura No Arukayiri-
13866Aiwa Oshiminaku

13863 「寂しい街で~」「悲しみの街角」とかそういうのか。これはちょっと思いつかない。
13864「モナリザの微笑み」(タイガーズ)
13865「青空のある限り」?(ワイルド・ワンズ)、oがぬけ、gがyと打ち間違えられているとみられる
13866「愛は惜しみなく」(園まり)

King Curtis Octet

Romeo Penque (flute, oboe) King Curtis (tenor saxophone, alto saxophone) Ernie Hayes (organ, piano, electric piano) Billy Butler, Al Chernet (guitar) Richard Davis (bass) Bobby Donaldson (drums) George Devens (percussion)
NYC, February 7, 1968

13867Makka Na Taiyo
13868Love Only For You-
13869I Really Don’t Want To Know-
13870Danny Boy-
13871Land Of 1000 Dances-

13867「真赤な太陽」(美空ひばり、1967年)、
13868「君だけに愛を」? (タイガーズ、1967年)
13869「知りたくないの」?(菅原洋一、1967年)
13870「ダニー・ボーイ」(アイルランド民謡、アンディー・ウィリアムスなど)
13871「ダンス天国」(ウィルソン・ピケット)

これによると1968年2月5日から7日にかけて3日間で13曲録音し、いずれも未発売とある。おそらく、このうちの何曲かが1枚のアルバムとなり日本ではでたが、アメリカでは出なかったということだ。

折田さんはレコーディングには立ち会えなかったそうだ。「そんな、当時はなかなか行かせてくれないよ。ジャケットも(アメリカ盤はないから)こっちで『あり写真』を適当に使って作ったんだよ」と言う。

折田さんが日本に受けるだろうと選曲してアメリカにリクエストして録音してもらったというこのアルバム、いやあ、聴いてみたいなあ。もちろんCD化などされていない。まずは、このアナログ盤を探さないと。(笑) アメリカにマスターテープは残ってないのでしょうか。

~~~

急死。

そんなキング・カーティスも、1971年8月13日、ニューヨーク86丁目のアパート前で暴漢に刺され死去するという悲劇の最期をとげる。37歳だった。

暑い夏の夜、真夜中近く。カーティスはエアコン(クーラー)の大きな荷物を持ってマンハッタン86丁目の自宅アパートに入ろうとしていた。すると、そのアパート前に二人のジャンキーがいてドラッグでハイになっていた。カーティスは彼らに「そこをどいてくれ」と言うと、言い争いになった。彼らは殴りあいになり、相手の男ジュアン・モンタネズが持っていたナイフでカーティスの胸を刺した。

カーティスはすぐにそれを抜いて相手を4箇所ほど刺し返すが、彼らは逃げ去った。カーティスは救急車で近くのルーズベルト病院に運ばれたが、傷が深く約1時間後死亡した。

ほぼ同じ頃、その同じルーズベルト病院に体を何箇所か刺された男が治療にやってきた。それが、カーティスを刺した男と同じ人物だった。警察は状況からすぐにこの人物を逮捕、結局刑務所に入ることになった。

カーティスの葬儀にはアリーサ・フランクリン、シシー・ヒューストン、デュアン・オールマン、スティーヴィー・ワンダーなど錚々たるメンバーが参列。フランクリンは「ネヴァー・グロウ・オールド」を歌い、ワンダーは「エイブラハム、マーティン、アンド・ジョン、アンド・ナウ・キング・カーティス」として歌った。

カーティスの遺体は、ファーミングデールのパインローン・メモリアル公園に埋葬されている。ジャズのカウント・ベイシーやジョン・コルトレーンと同じ墓地だ。

2000年3月6日、「ロック殿堂」入りを果たした。

■『パイレーツ・ロック』(毎週日曜日夜8時~10時、大阪FMココロ、再放送毎週木曜夜11時~深夜1時)

http://cocolo.jp/

http://cocolo.jp/pages/timetable_detail.php?pid=4230

関西地区ではラジコで聴けます。

出演予定は次の通り。

2013年
1月20日 青野浩史さん(元ユニバーサル)
1月27日 山本正実さん(元エピックソニー)

2月3日(日)吉岡正晴
2月10日(日)東郷かおる子さん(元ミュージック・ライフ誌編集長)
2月17日(日)我妻広巳さん(元オリジナル・コンフィデンス誌編集者)
2月24日(日)折田育三さん(元ポリドール、元ワーナー・パイオニア、元ポリドール社長、ユニバーサル相談役)

■収録の模様について。野中さんのブログ

2013-01-17
2月の個性たち
テーマ:FM Cocolo「パイレーツロック」
http://ameblo.jp/nihonyogaku/entry-11450884061.html

RADIO>Pirates Rock

■キング・カーティスのアトランティック1000円シリーズで出たもの

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD9CM/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■名盤ライヴ・アット・フィルモア・イースト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0026A5TWG/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■『パイレーツ・ロック』(FM COCOLO)収録

【Pirates Rock On FM Cocolo】

収録。

大阪のFM局FMココロで毎週日曜日午後8時から10時まで放送されている強力な音楽番組『パイレーツ・ロック』に元ソニーの野中さんからお誘いをいただき、その収録に行って来ました。

これは音楽業界に長く携わっている人に、その人の思い出の楽曲を選び、語ってもらうという番組で、レコード会社で洋楽を担当してきたディレクターや関係者などが多数出演しているもの。2時間分の選曲とそれにまつわる話をする。2010年4月から始まり今3年目の終盤。2013年4月からは、堂々4年目に入る長寿番組だ。

1960年代から80年代にかけて洋楽担当ディレクターだった人たちや音楽評論家などがでてきて、自身がてがけた楽曲や、自分が気に入っていた楽曲などを自由自在にかける。これがみなさん業界裏エピソードが豊富で実におもしろい。

この日の収録には、僕のほか、元ミュージックライフ誌編集長東郷かおる子さん、元オリジナル・コンフィデンス我妻広巳さん、そして、元ポリドール、ワーナー・パイオニア、ユニバーサルの折田育三さんが登場。伊藤政則さんのガイダンスのもと、おしゃべりを繰り広げる。

我妻さんと僕は比較的、自分がどのように洋楽にのめりこんでいったかを話したが、3回目出演の東郷さんは映画スターと音楽の話を、また6回目出演の折田さんは自身がてがけてられてきたアトランティック・ソウルの話をされた。東郷さんがあんなに映画好きだったとは知りませんでした。我妻さんが、僕と同年生まれで通っていたところがかなりかぶっていたことも知りびっくり。早稲田の「キャプテン」、四谷の「ライブ」、渋谷の「ヤマハ」なんかでは絶対に知らないうちにすれ違っていただろう。

いやあ、それにしてもみんなしゃべるしゃべる。タイム・キーパーをしている伊藤さんがストップウォッチとにらめっこしながら、「じゃあ、ここは1曲減らしましょうか」などとやりとりをしながら収録した。


ディレクター、タイムキーパーも担当ヘヴィメタの大御所伊藤政則さん

ガラス越し。

僕も当初の予定から3曲ほどカット。僕は中学時代から深夜放送、FENなどで音楽、とりわけ洋楽にのめりこみ、徐々にソウルに傾注していった話をほぼ時系列に沿って話した。実はここでおしゃべりをするために、いろいろと自分の中で頭の整理をしたり、細かいところを調べたりしていたら、けっこう自分のキャリアがおもしろくなってきて、一度ブログかなんかにまとめてみようかなと思った。

さて、準レギュラー折田さんは、初回登場時にはしゃべりすぎて通常20曲ちかくかかる番組で4曲しかかからなかったという。今回も話はどんどん脱線していて、実におもしろかった。

あと固有名詞がなかなか出てこなくて、アトランティック・ソウル→アリーフ・マーディンの流れから、「ほら、あの、この前死んだやつの娘、ほら、あれ・・・」とガラス越しに聞かれ、「ああ、ラヴィ・シャンカールの娘のノラ・ジョーンズですね」とお伝えしたりして、楽しかった。他にも固有名詞が出てこないのはいくつもあり、「それも含めて折田さんの最高の魅力です」と伊藤政則さんも言う。

折田さんが1969年9月にメンフィス・スタックス・レコードのオフィース、スタジオ、ナッシュヴィル、ニューヨークに行ったときのお土産話などもソウル・ファンにはたまりませんでした。

ちなみに僕が生まれて初めて書かせていただいたライナーノーツが1975年7月のメジャー・ハリスの『マイ・ウェイ』というアルバムで、これが折田さんから依頼されたもの。37年以上前のこと。僕としてはとても感慨深いです。

(折田さんがトークで触れられたキング・カーティスが録音した歌謡曲アルバムについて、明日書きます。)

ぜひ関西地区の方は、毎週この『パイレーツ・ロック』をお聴きください。再放送もあります。

収録後はみんなで反省会。と称して軽く食事&飲み。ここの模様も収録すればおもしろいですね。で、何か特番か総集編のようなときに、この反省会トークの一部もいれこんだりしたら、おもしろいのでは?(笑) 折田さんのところはたくさん編集しなければいけなさそうですが。いやあ、楽しかったです。野中さん、伊藤さん、お誘いいただきありがとうございます。この番組、全国で流して欲しいなあ。

■『パイレーツ・ロック』(毎週日曜日夜8時~10時、大阪FMココロ、再放送毎週木曜夜11時~深夜1時)

http://cocolo.jp/

http://cocolo.jp/pages/timetable_detail.php?pid=4230

関西地区ではラジコで聴けます。

出演予定は次の通り。

2013年
1月20日 青野浩史さん(元ユニバーサル)
1月27日 山本正実さん(元エピックソニー)

2月3日(日)吉岡正晴
2月10日(日)東郷かおる子さん
2月17日(日)我妻広巳さん
2月24日(日)折田育三さん

■収録の模様について。野中さんのブログ

2013-01-17
2月の個性たち
テーマ:FM Cocolo「パイレーツロック」
http://ameblo.jp/nihonyogaku/entry-11450884061.html

■記念写真


左から、伊藤政則さん、見学のテイチク菅沼さん、財津さん、吉岡、折田さん、我妻さん、野中さん


RADIO>Pirates Rock

野中さんにもピックアップされた「ソウル・ドラキュラ」(ダウンロードMP3)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004BUEDR6/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■オムニバスCD

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B005LI78EM/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

RADIO>Pirates Rock

◎オーサカ=モノレール~冬でも夏でもいつでもファンク三昧

【The Four Seasons Of Funk: The Osaka Monaurail】

ファンク。

ジェームス・ブラウン・ファンクを追求して今年でグループ結成20周年となるオーサカ=モノレールのライヴ。代官山ループは、スクービー・ドゥーとのダブル・ビル(ふたつのアーティストが登場する、対バン)で立錐の余地もないほどの超満員。

ライヴはあいかわらずファンキーでグルーヴィーで、ごきげん。ホーンセクションのトランペットをぐるぐる回すアクションや、全体で同じ動きをする振り付けなんかも、ちゃんと決まっていて、バンドとして固まっている印象が強い。これなら海外にでても絶賛を浴びるだろうというのがよくわかる。

この日のオープニングはマーヴァ・ホイットニー追悼も込めて「イッツ・マイ・シング」。

御大中田亮は、「ダウン・アンド・アウト」からおもむろに登場。ときどきキーボードを弾いたり、何より独特のアジテーションが印象的だ。年号を言ってその年に起きた出来事をワンフレーズずつシャウトするのも、なんか面白い。そして、曲間をあけずノンストップで一気に行くところがソウルバンドだ。

オーサカはこの後1月下旬はオーストラリア・ツアー。オーストラリアは今真夏の真っ最中だ。冬でも夏でも秋でも春でもオーサカ=モノレールは一年中四季いつでもファンク三昧だ。The Four Seasons Of Funk!

中田さんは、1月頭にマーヴァ・ホイットニーの葬儀に参列してきた。そのときの話をじっくり聞いたので明日以降に。

■関連記事

(速報)マーヴァ・ホイットニー68歳で死去
2012年12月24日(月)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11433812425.html

オーサカ=モノレール、憧れのフレッド・ウェスリーと共演
2012年12月03日(月)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11418319264.html

オーサカ・モノレール、フレッド・ウェスリーと共演
2012年11月22日(木)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11409505298.html
(ここにオーサカ関連過去記事一覧)

■メンバー

オーサカ=モノレール Osaka Monaurail

Ryo Nakata (Vocal, Keyboard, Percussion)
Katsutoshi Hiraishi (Trombone)
Yohichi Masago (Trumpet)
Kentaro Yamagata (Trumpet)
Shimon Mukai (Tenor Sax)
Dan Hayami (Guitar)
Yuichi Ikead (Guitar)
Dai Nakamura (Bass)
Soki Kimura (Drums)

■ セットリスト 2013年1月12日(土)、オーサカ=モノレール、代官山ループ

( ) indicates original. Others are Osaka Monaurail original

show started 18:05
01.Introduction
02.It’s My Thing (Marva Whitney)
03.Wine Spot (JB’s)
04.Blessed Blackness (JB’s)
05.Introduction
06.Down & Out
07.Quicksand
08.Give It Up, Turn It Loose (James Brown)
09.Hot Rod (Ray Charles)
10.People Make The World Go Round (Stylistics)
11.Stop Doggin’ Me Around
Show ended 18:58

(2013年1月12日土曜、代官山ループ、オーサカ=モノレール・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE> Osaka Monaurail
2013-

オーサカ=モノレールと共演したアルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000K2VFPC/soulsearchiho-22/ref=nosim/


http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00004YTZH/soulsearchiho-22/ref=nosim/


◎ニック・ウォーターハウス~60年代のレトロ・ソウルを現代に蘇らせる若き才人

【Nick Waterhouse: 60s In The Present】

60年代。

デビュー・アルバムのジャケット(下記参照)からして昔のブルーノート・レーベルのようなデザインになっている新人、ニック・ウォーターハウスの初来日ライヴ。

ドラムス、ベース、ギター、キーボード、パーカッションにサックス2人、コーラス2人の計9人が奏でる音は、まさに60年代風、モッズ風、ちょっとしたおしゃれ系のサウンドだった。ホーンが2人参加するので、いかにも60年代風のサウンドになる。そして曲がいずれも短いのも60年代風。みんなスーツにネクタイできちっとしていてヴィジュアル・イメージも60年代風でクールに統一されている。

バックコーラスの女性で黒人がブリットニー、白人がエリン。特に10曲目(下記セットリスト参照)の「レイナ」のガールズのタンバリンの入れ方が気に入った。二人が一瞬歌うシーンがあったが、どちらもなかなかよかった。ニック自身はギターを弾きながら歌う。

ニックは1986年2月8日カリフォルニア州サンタ・アナ生まれ。昭和61年生まれ、寅年(とらどし)。まだ26歳、来月27歳。父親は消防士、母親はセールスウーマンで、ハンティントン・ビーチに引っ越した後、大学はサンフランシスコに行った。そこのルームメイトがソウルやポップのシングル盤をたくさん持っていて古い作品を知るようになった。

ライヴ後、すぐにサイン会。一番の興味はこんなに若くしてなぜこれほど古い60年代風の音楽ばかりをやるようになったのかということ。しばらく立ち話をしたがそこでちょっときいた。

なんでまたこのような音楽に?「さあ、よくわからないんだけど、最初はイギリスのロック・バンドを好きになった。ラジオ、レコード、友達が持ってるレコードを聴いて知った。キンクス、フー、スペンサー・デイヴィス・グループなんかだ。キンクスなんか好きだった。シングル盤を買うようになって、いまでは3000枚くらい持ってる。でも、コレクターじゃあないなあ。コレクターと言うならサンフランシスコの(大学時代の)ルームメイトは1万枚以上持ってるんじゃないか。彼はコレクターだよ。別に両親が音楽家ということでもなく、それほど音楽に熱中していたということもないんだよ。ただ聴いて、気に入った、それだけなんだよね」

では、このようなタイプの音楽に近いモッズ・カルチャーには傾注したのですか? 「いや、それほどでもないなあ。ソー・ソーという感じ。別に嫌いじゃないけど、それほど自分がモッズになったりということもない」

「今のバンドは一人だけ3年ほど一緒にやってきてるが、残りは約3ヶ月くらい一緒にやっている。ヨーロッパあたりだと6人編成で行くけど、日本は全部で9人でやってきた」

サンフランシスコの大学生時代には、同地のレコード店でアルバイトもして、そのときに古き良き時代のソウル、R&Bなどのシングル盤に思い切り触れることができたという。

ドラムスのジェフリーがショーの冒頭、紙を見ながら日本語でちょっとしゃべったが、彼は以前新潟で英語の先生をやっていたことがあるそうだ。それで少し日本語がわかるという。その他のメンバーは日本に来たのは初めて。

この古めのソウル、R&Bやロックを元にしたアーティストがこのところ本当に増えた。ベン・ロンクル・ソウル、しばらく前のフローレッツ、エレクトリック・エンパイアーなどなど。やはり、彼らにとって1960年代のポップス、ロックは新鮮でかっこいいものに映るのだ。ニックにとっては、古いR&B、60年代のヒットははるか彼方の過去に存在するのではなく、今この時代にもしっかりと存在していると言う。そんな目で当時のR&B、ロックを見ているニック・ウォーターハウスももちろんかっこいい。

Nick Waterhouse - "Some Place" (Official Music Video)
http://youtu.be/zwQxIOlm_xQ



Nick Waterhouse - Say I Wanna Know

http://youtu.be/BYYnxNvRcH8


■メンバー

Nick Waterhouse(vo,g)
ニック・ウォーターハウス(ヴォーカル、ギター)
Timothy Hill(sax,tb)
ティモシー・ヒル(サックス、トロンボーン)
George Schafer(sax)
ジョージ・シェイファー(サックス)
Kyle Stephens(key)
カイル・スティーブンス(キーボード)
Jack Payne(b)
ジャック・ペイン(ベース)
Jeffrey Luger(ds)
ジェフリー・ルガー(ドラムス)
Andres Renteria(per)
アンドレス・レンテリア(パーカッション)
Erin Jo Harris(vo)
エリン・ジョー・ハリス(ヴォーカル)
Brit Manor(vo)
ブリット・マナー(ヴォーカル)


■セットリスト

show started 19:01
01.Intro
02.Indian Love Call
03.(If) You Want Trouble
04.Mon-ney
05.It Number 3
06.Gyoza
07.Sleepin’ Pills
08.Don’t You Forget It
09.I Can Only Give You Everything
10.Raina
11.Say I Wanna Know
12.Teardrop Will Follow You
13.That Place
14.Some Place
15.Time’s All Gone
16.Is That Clear
Enc. Voodoo Working
Show ended 20:13

(2013年1月11日金曜、ブルーノート東京、ニック・ウォーターハウス・ライヴ)
ENT>LIVE>Waterhouse, Nick
2013-

■ニック・ウォーターハウス

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B007KFZ7RE/soulsearchiho-22/ref=nosim/
●『シンディグ!』司会者ジム・オニール死去

【Jim O’Neill, Shindig! MC, Dies At 73】

訃報。

1964年9月から1966年1月まで全米で放送された音楽テレビ番組『シンディグShingdig!』の司会者、ジム・オニールが2013年1月11日(金)に死去した。ジムの娘がフェイスブックで明かした。1940年1月8日生まれ73歳とみられる。心臓に問題があり、糖尿病も長く患っていたという。

『シンディグ!』は、当時のポップやソウル・アーティストらがスタジオでヒット曲を歌い、ダンサーが派手に踊る番組。一足先に始まっていた『アメリカン・バンドスタンド』的な番組だ。しかし、『バンドスタンド』と違いいわゆるリップシンク(口パク)ではないのが大きな特徴。ハウスバンドが常駐していた。当初は毎週水曜日夜の30分番組だったが人気が出て、1時間番組となりそれを2パートに分けて火曜と木曜(土曜)に放送。その後再び30分番組に戻った。「シンディグ」は、「大騒ぎ」「ダンスをするにぎやかなパーティー」を意味する単語。

放送期間は『アメリカン・バンドスタンド』ほど長期にわたらなかったが、当時の若者カルチャーに多大な影響を与え、そのアーカイブ映像が今も残されている。ライノが1990年代に一時期映像作品をリリースしていた。

ジム・オニールはその司会者であり、脚本も書いていた。

番組のパイロット版(レギュラー番組になる前のお試し版。これで評判がよければレギュラーに昇格する)では、サム・クックが登場している。『シンディグ!』は、もともとABCで放送されていた『フーテナニー』という音楽番組のレーティング(視聴率)が、「ブリティッシュ・インヴェージョン」(ビートルズなどのイギリス・アーティストのアメリカ侵攻)のために落ちてきたため、急遽その「後番組」として企画されたものだった。

番組プロデューサー、ジャック・グッドはもともとイギリス人で、イギリス人の彼ゆえにビートルズ、ローリング・ストーンズらイギリス勢を出演させることができた。

『シンディグ!』は、その「ブリティッシュ・インヴェージョン」を、ロンドンのスタジオで収録。ローリング・ストーンズ、ビートルズらを番組に呼んで放送した。

番組には当時の人気アーティストが多数出演した。ソウル関連でもジェームス・ブラウン、サム・クック、アリーサ・フランクリン、マーヴィン・ゲイ、ドビー・グレイ、フォー・トップス、テンプスなどモータウン勢、ロック関連でエルヴィス、ライチャス・ブラザーズ、トニー・ベネット、イギリス勢でビートルズ、ローリング・ストーンズなどなど。

この『シンディグ!』の人気を見て、ライヴァル局のNBCは、1965年1月から似たタイプの『フラバルー Hullabaloo』という番組を開始。さらに他のプロダクションが『シヴァリー Shivaree』、『ハリウッド・ア・ゴー・ゴー Hollywood A Go-Go』といった類似番組を制作、放送され後に続いた。

『シンディグ!』には、「シンディガーズ」と呼ばれるダンサーが登場。毎回最新のダンスを披露していた。この振り付けはデイヴィッド・ウィンターズら。このダンサーの中からテリー・ガーはその後女優に。また、デイヴィッドのアシスタントをやっていたのが、アントニア・バシロッタといい、これが後に「ミッキー」の大ヒットを出すトニー・バジルだった。またハウスバンドは、「シンドッグ」と名乗るようになり、ここには若き日のグレン・キャンベル、ビリー・プレストン、デラニー・ブラムレット、ラリー・ネクテル、リオン・ラッセルらもいた。ドナ・ローレン、ジャッキー・デシャノン、ボビー・シャーマンらは比較的何度も登場したアーティストだった。

バックコーラスを担当したのはダーレン・ラヴを含むザ・ブロッサムズ。ダーレン・ラヴは、「ウォント・アズ」のヒットを放つハニー・コーンのリード・シンガー、エドナ・ライトの姉。

『シンディグ!』はそのフォーマットがひじょうに確立されていたために、多くのパロディーなどのモデルにされた。

SHINDIG #12 (1964) - [4of4] - Neil Sedaka, Tina Turner
http://youtu.be/IrTqACDpJkg



ニール・セダカがピアノを弾いて、ティナ・ターナーが歌う。

評伝。

ジム・オニールは、1940年1月8日オクラホマ州エニッド生まれ。ピッツバーグの小さなラジオ局KQVを経て、1959年まだ19歳でロスアンジェルスのラジオ局KRLA-AMでDJとなり、1960年には20歳で聴取率ナンバーワンを記録、これは当時最年少記録だったという。ここで62年まで活躍。さらにその人気を背景にナイトクラブ「パンドラズ・ボックス」をオープン。さらにこれが成功し、「ショーボード」「シェ・パリー」をオープン。1962年にはトークショーながらチャンネル13・KCOP局でテレビ・デビュー。1963年から1967年までラジオ局KFWBでDJ。その間の1964年9月からテレビ番組『シンディグ!』の司会となった。この番組は大ヒットし彼も人気スターとなったが、1966年1月の放送で終了。

プライヴェートでは1961年、シャロン・シーリー(1940年4月4日ロスアンジェルス生まれ、2002年5月17日シャーマンオークスで死去、62歳)と結婚。約5年結婚生活は続いた。シャロンは18歳でソングライターとしてリッキー・ネルソンの「プア・リトル・フール」の大ヒットを書いたことをきっかけに多数のロックンロール初期の作品を書くことになる。ジミーの前には、エディー・コクランのガールフレンドだった。シャロンとエディー・コクラン、ジーン・ヴィンセントは1960年4月17日、イギリスのウィルシュアで交通事故にあい、エディー・コクランは21歳の若さで死去。シャロン、ヴィンセントは生き残った。

ジミーは番組終了と同時期に最初の妻(シャロン)とも別れ、これにショックを受けた彼は自暴自棄となりアルコール依存症にまでなってしまった。1966年からしばらくは、仕事がなくあらゆる仕事をしたという。

その後1969年から71年までKDAY、1984年から85年にKRLA、同じくKRLAに1990年から93年までDJをしていた。

関連記事

Jimmy O’Neill, TV host of ’Shindig!’ featuring the Beatles and others, has died (Photos)

JIMMY O’NEILL JANUARY 13, 2013 BY: STEVE MARINUCCI

http://www.examiner.com/article/jimmy-o-neill-tv-host-of-shindig-featuring-the-beatles-and-others-has-died?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

OBITUARY>O’Neill, Jimmy (January 8, 1940 – January 11, 2013, 73 year old)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/6302043123/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

◆「スムーズ」か「スムース」か

【Pronunciation For Smooth Jazz】

「ス・ズ」。

愛読している岩佐徹さんのブログで、「スムース」か「スムーズ」というエントリーがあった。とても興味深かったので、僕もこのテーマでひとつ。

岩佐さんのコラム↓
スムースorスムーズ?~岩佐徹的アナウンス論108~2013/01/13
http://toruiwa.exblog.jp/17613900/

実は僕もこれ、けっこう悩んでいる単語だ。一番多く出てくるのがSmooth Jazz。「スムーズ・ジャズ」か「スムース・ジャズ」か。調べたら、僕もそのときの気分で適当に書いていた。

岩佐さんのブログでも指摘されている通り、いろいろ調べて結論を言うと「スムーズ」が正しい。広辞苑で「スムース」の項では、「スムーズの訛り」とあり、最初から広辞苑引けばよかったと思った。(笑) 「スムース」という表記は誤りだ。

マイケル・ジャクソンの「Smooth Criminal」も「スムーズ・クリミナル」だ。

これからは「スムーズ」「スムーズ・ジャズ」で統一します。

発音。

そこで英語の発音なら任せてのマーヴィン・デンジャーフィールド先生にさっそく訊いた。すると「Smooth Jazz は、スムーズ・ジャズです。ズ、zの音が入る感じ。スムースだと外人はわからない、通じないかもね」とずばり。

「じゃあ、日本で言う『ルーズ・ソックスLoose Socks』は?」 「あれは、ルース・ソックス。ルーズLoseだと無くなっちゃったソックスだよ(笑)」 「Loose Ball(こぼれ玉)は?」「ルース・ボール」。

じゃあ、なんで「ルーズ」が「ルース」になってしまったのだろう。

確かにSmooth Jazz もSmooth Criminalも早くしゃべると「ズ」か「ス」かわからなくなる。マーヴィンも「ス」と「ズ」の間くらいだと言う。特にマイケル・ジャクソンは単語を最後まではっきり言わずに短くするので、その傾向が強いとも言う。

それと、岩佐さんご指摘のように5年ほど前のJRの広告で堂々と「スムース」と打ち出されている。タバコのマイルドセブンも「スムース」とどーんと出している。

http://www.jti.co.jp/investors/press_releases/2011/1129_01/index.html
「マイルドセブン」は「スムース」なのか?

こうなると、代理店が新しい日本語を慣習付けていくのか、代理店に正しい日本語教師を送り込め、という気になってきますね。(笑) 

正しい表記、発音は「ズ」だが、早口で言う場合は「ス」に聴こえることもある、といった認識を共有したい。ただ誤用が習慣化し、一般化するということはありますから面倒といえば面倒です。

もし、A代理店が「スムース」を打ち出したら、B代理店が「スムーズ」を全面的に打ち出して、「ス」「ズ」対決なんてことになったら、おもしろいですね。

■スムーズ・ジャズ・オムニバス

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002JCMZD2/soulsearchiho-22/ref=nosim/


ESSAY>Smooth Jazz
ENGLISH>Smooth

○■今日の「ソウル・サーチン・レイディオ」はパースエージョンズ・インタヴュー

【Persuasions Interview On Soul Searchin Radio】

インタヴュー。

昨年(2012年)末、結成50年にして初来日を果たした伝説のアカペラ・グループ、パースエージョンズにソウル・サーチャーがインタヴュー。その模様を今日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1mhz、毎週日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン・レイディオ」(2時30分~)でご紹介します。

これはそもそもパースエージョンズの来日を紹介した「ソウル・サーチン・レイディオ」で、マーヴィンが「吉岡さん、彼らに会えるの? 会えるなら、ちょっとIDもらってきてよ」というコメントから、僕が慣れないICレコーダーを持って彼らに会ってきたときの模様です。

最初はID(ラジオのジングル、「は~い、私たちはパースエージョンズです。『ソウル・ブレンズ』をお聴きです」といったような一言コメント)をもらって時間があれば、話を聴く、という感じでした。

IDをくださいと紙に書いたメモを渡したら、全員で「じゃあ、ムーンライト歌ってから、これを読もう」とその場でなって、いきなり、4人がはもり始めました。ほんと、すぐ歌うんですね、彼ら。

で、IDもすぐにいただけて、時間もまだ少しだけあったので、4人に話を聴きました。

その様子を今日、ご紹介します。内容の一部は下記12月30日付けブログにも書いてあります。

午後2時半から。関東地区の方はラジコでも聴けます。

インターFM76.1mhz、午後2時半~
ラジコでも。http://radiko.jp/#
こちらでInter FMをクリック。

■過去関連記事

(パースエージョンズについての詳細記事)

パースエージョンズ・インタヴュー~歌うために生まれてきた男たち
2012年12月30日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11436790323.html


結成50年ア・カペラの超大物パースエージョンズ奇跡の初来日
2012年09月27日(木)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11364865098.html

来日詳細はこちら。
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/2012/1226_persuasions

ジョー・ラッセル(パースエージョンズ)、死去~名門アカペラ・グループの一員
2012年05月10日(木)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11245727557.html

続・パースエージョンズ・トリビュート
2012年05月12日(土)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11247440195.html


http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000008N7/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005UT6R/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000D9PHK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>MUSIC>LIVE>Persuasions
ENT>ARTIST>Persuasions

●クロード・ノブス76歳で死去~モントルー・ジャズ・フェス創始者

【Claude Nobs Dies At 76】

訃報。

スイスで毎年夏に行なわれている「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」の創始者であるクロード・ノブスが2013年1月10日スイスの病院で死去した。76歳。2012年12月24日クロスカントリーのスキー練習中に転倒、入院手術をしていたが、ずっと意識不明の状態が続いていた。世界中の音楽ファン、ミュージシャンたちから追悼の言葉が寄せられ始めている。

「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」はスイス・ジュネーヴ湖のほとりで毎年7月に約3週間弱にわたって行なわれる一大音楽フェス。1967年から始まり、現在までヨーロッパ最大の音楽フェスとなっている。当初はジャズがメインだったが、徐々に音楽ジャンルもポップ、ロック、ソウル、ワールド・ミュージックなどありとあらゆる音楽をカヴァーするようになった。

またノブスはごく初期からライヴ・パフォーマンスの映像を記録、それらが徐々にDVD化され、これらのアーカイブの価値が改めて評価されている。1996年の時点でアーカイブは2000時間にものぼり、その内の10パーセントほどしかビデオ/DVD化されていないという。権利関係に時間がかかるため、徐々にDVD化している。

マイルス・デイヴィスの出演、クインシー・ジョーンズの75歳誕生日トリビュートなど大きなエポックメイキングなライヴも多数あった。

モントルー・ジャズ・フェスティヴァルの公式ページがトップページに写真と追悼文を各国語で掲載している。

http://www.montreuxjazz.com/

2013年2月10日に行われるグラミー賞授賞式の席でも追悼コーナーが設けられるとみられる。

評伝。

クロード・ノブスは1936年(昭和11年)2月4日スイス・モントルー生まれ。料理人として仕事をした後モントルー観光局に就職。モントルーの知名度を上げ観光客を誘致しようということで音楽フェスティヴァルを企画。1966年、ニューヨークのアトランティック・レコードに同レコード会社創立者のひとり、ネスヒ・アーティガンをアポなしで訪ね、協力を仰いだ。1967年7月、アトランティックの協力も得て第一回「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」が開催され成功。第一回の出演アーティストは、チャールズ・ロイド、キース・ジャレット、ジャック・デジョネなど。以降、毎年行なわれるようになり、多数のアーティストが出演した。徐々にこのフェスティヴァルはジャズ愛好家の注目するものとなり、世界中から人々を集めるようになった。

1971年12月、フェスの会場でもあるモントルー・カジノでフランク・ザッパがライヴ中、火事が発生。ノブスは中にいた若者を果敢に助けた。ちょうどレコーディングのために滞在していたハード・ロック・グループ、ディープ・パープルがそのことをアルバム『マシン・ヘッド』に収録された「スモーク・オン・ザ・ウォーター」で歌い大ヒット。この歌詞の中で「ファンキー・クロード~funky Claude was running in and out pulling kids out the ground(ファンキー・クロードが子供たちを外に逃がした)」とノブスのことが触れられている。

同フェスには、マーヴィン・ゲイ、プリンス、ジョージ・クリントン、また、クインシー・ジョーンズの声がけでマイルス・デイヴィスも出演。確固たるステイタスを築いた。

1980年には7万5千人、1994年には12万人だった同フェス集客は2004年には、ショーは2週間行なわれ延べ20万人まで成長。

ここでのライヴが録音されアルバムとなった例も多数。

ノブスはライヴ中は舞台袖でアーティストのパフォーマンスを見ていることが多かったが、ときに趣味でたしなむハーモニカをステージ上で披露することもあった。その音楽を愛する姿勢から、多くのミュージシャンから慕われ、愛され、尊敬されていた。

■ナイル・ロジャーズもブログに交流を記載

ナイル・ロジャーズも2013年1月8日付けブログで意識不明のクロードについて文章を掲載している。

ナイルによると、初めてシックがヨーロッパ・ツアーをしたときノブスがツアー・マネージャーだったこと、デイヴィッド・ボウイと「レッツ・ダンス」を録音したとき、モントルーのスタジオを使用したこと、数年前モントルー・ジャズ・フェスでシックが「マイルス・デイヴィス・ゴールド・メダル」を受賞したこと、なにより昨年(2012年)7月に「エヴォリューション・オブ・ダンス・ミュージック」というタイトルで、ナイルがキュレーション(出演アーティストを選考し、オーガナイズすること)を任されたことを深く感謝している。

http://www.nilerodgers.com/blogs/planet-c-in-english/2598-freakout-let-s-dance

~~~

モントルー関連

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003VQ31FQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0098PEDVU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008YINQJ2/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

OBITUARY>Nobs, Claude (Feb 4, 1936 – January 10, 2013, 76 year old)
○■ 今日大西貴文の『ザ・ナイト』に出ます

【Yoshioka Will Be On “The Nite”】

全国ネット。

今日(2013年1月11日金曜)、ラジオ番組「大西貴文のザ・ナイト」に出ます。この番組は午後9時から12時まで全国のコミュニティーFMをネットで結んで放送しています。下記にネット局リストをあげておきますので、お近くの放送局でどうぞ。また、各地のコミュニティーFMはインターネット配信をしていますので、全国各地でインターネットでも聴けます。

吉岡正晴がこの「ザ・ナイト」に出演するのは2011年2月1日以来約2年ぶり。

今回のテーマは『ソウル・サーチン』の電子書籍について。電子書籍の買い方、読み方、今後など。これまでにリリースされた3作品についてなど詳しく語ります。

番組の聴き方(いずれも無料)

(2)のインターネットでの聴取がお勧めです

1)全国のコミュニティーFMで聴く方法

全国約70 以上のコミュニティーFM局で聴けます。ただコミュニティーFMは放送出力が5-20ワットと微弱なため、各局は極めて限られた地域でしかきけません。ご自宅の場所と下記コミュニティーFM局一覧を参照され、お近くのコミュニティーFM局をお探しください。また番組は3時間ですが、3時間フルで流すところや1時間、2時間流すところなどいろいろあります。

『ザ・ナイト』ファン・サイト。放送局・放送時間一覧
http://zelen.web.fc2.com/THE_NITE/
(ここに各局の放送時間が書かれています。3時間フルで放送されているところの、インターネット放送をお聴きになるといいと思います)

2)各コミュニティーFMのサイマル・ラジオ(インターネット・ラジオ)で聴く方法

サイマル・ラジオ(インターネットで聴けるラジオ)を放送している局の一覧はこちら。局によって放送時間が違いますので、ご注意ください。
http://www.jcbasimul.com/

これらの局のインターネット放送で聴けますが、たとえば、3時間フルで放送しているFM鹿島は次のアドレス(直接リンク)です。
http://www.simulradio.jp/asx/FmKashima.asx
このアドレスをコピーしてWindows Media Player, I-tunesなどにつないで直接お聴きになれます。あるいはこのアドレスをクリックすれば、ラジオを聴けるソフトが自動的に立ち上がると思います。

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今日のテーマ、吉岡正晴の電子書籍については、こちら
http://ameblo.jp/soulsearchin/

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番組概要

『大西貴文のザ・ナイト』 DJ大西貴文 
FMバードおよびコミュニティーFM全国70局以上ネット 月~金21時~24時
放送日 2013年1月11日(金)出演22時15分~23時の約45分(生放送)
(コミュニティーのネット局一覧=下記参照。ネット局は時間帯によって変更になっている場合もあります。ご了承ください)

FMミュージックバード
http://musicbird.jp/cfm/

DJ大西貴文ブログ
http://blog.livedoor.jp/tkcompany/

メールのあて先 nite@musicbird.co.jp

吉岡正晴のツイッターでも質問など受け付けます
http://www.twitter.com/soulsearcher216

『大西貴文のザ・ナイト』 DJ大西貴文 
FMバードおよびコミュニティーFM全国ネット局一覧です。コミュニティー・ラジオの周波数などは、お住まいの各地の新聞・ウェッブなどをごらんください。

〔北海道〕エフエムわっぴー FMおたる FMアップル FMねむろ FMいるか FM e-niwa

〔青森〕FMジャイゴウェーブ FMいわぬま
〔秋田〕FMゆーとぴあ FM765
〔福島〕FMきたかた Mot.Comもとみや FM-POCO
〔岩手〕奥州FM
〔宮城〕ほほえみ
〔山形〕

〔新潟〕Radio CHAT FMピッカラ FMゆきぐに FM-J エフエムとおかまち ラジオアガット
〔富山〕FMとなみ ラジオたかおか
〔福井〕ラジオあいらんど
〔石川〕

〔群馬〕(FM OZE) ラジオななみ いせさきFM
〔茨城〕FMパルルン FMかしま FMひたち
〔千葉〕かずさエフエム (木更津エフエム)
〔埼玉〕(エフエム茶笛) FMチャッピー
〔東京〕調布エフエム FM844(立川)
〔神奈川〕レディオ湘南 エフエム戸塚FMブルー湘南 

〔山梨〕FM-KOFU (Radio VILLA)FM八ヶ岳
〔静岡〕FM マリンパル FMボイスキュー FMチャオ G-sky765
〔長野〕FMさくだいら FM軽井沢 エルシーブイFM769 エフエムとなみ
〔愛知〕FMやしのみ(豊橋)FMおかざき MID FM(名古屋)SHANANA! FM RADIO LOVEAT メディアスFM
〔岐阜〕FM PIPI FMラインウェーブ

〔三重〕Port Wave FMなばり スズカヴォイスFM
〔京都〕FMいかる FMキャッスル
〔奈良〕FMハイホー
〔大阪〕FM HANAKO エフエム貝塚 千里ニュータウンFM
〔和歌山〕FMマザーシップ
〔兵庫〕エフエムみっきぃ FMジャングル エフエム宝塚

〔岡山〕エフエムゆめウェーブ レディオモモ
〔広島〕FM尾道
〔山口〕しゅうなんFM カモンエフエム
〔島根〕FM愛ステーション(エフエムいずも)

〔香川〕エフエム サン (FM まんでがん815)
〔徳島〕B-FM791
〔愛媛〕エフエム ラジオバリバリ

〔福岡〕スターコーンFM
〔熊本〕熊本CITY FM 791 (KAPPA FM)
〔宮崎〕サンシャインFM
〔長崎〕レインボーFM 壱岐FM
〔大分〕さいきFM
〔佐賀〕からつFM

ENT>RADIO>The Night
ANNOUNCEMENT>E Books>Soul Searchin
◎ゴスペラーズ・ツアー「フォー・ファイヴ」続く

【Gospellers “For Five” Tour Continues】

いろいろ。

ゴスペラーズの『ゴスペラーズ坂ツアー2012~2013“For Five”』が、2012年11月から始まり、3月17日宮城県仙台まで続いている。そのうちの2013年初めてになるライヴを1月8日(火)、神奈川県民ホールで見た。

今回のツアーは僕も初めて見るが、一応ネタばれにならないようにしてください、とのことなので、簡単に一部だけに絞って。

もちろん新作『STEP FOR FIVE』からの作品、アカペラ・コーナー、そしてメンバー5人のそれぞれの個性を出した「ソロ・コーナー」的なところなど、いつもどおり盛りだくさん。今回印象に残ったのがこの5人のソロ・コーナー。

村上、黒沢、酒井、北山、そして安岡とそれぞれがまったく違う音楽方向性を見せていて、これだけベクトル(矢印)は五方向違って向いているのに、5人がまとまるときちんと正五角形になっているなあ、という感じがして興味深かった。

個人的には以前にちょっと見せられていた黒沢さんの「クラッシュ」は、まさにマイケル・ジャクソンの要素「全部入り」で面白かった。たぶんマイケル・ファンが見たら相当楽しめると思う「出し物」だ。まだこの曲を書いた西寺郷太さんは見ていないということなので、彼の反応を見たい。(笑) なお、この振り付けはユーコ・スミダ・ジャクソンさん。それにしてもこの曲は不思議な「熱量」がある。

新作アルバム収録の村上さん曲「ソウル・ソング・ジューク」は、最初のギターの一音からオーティス・レディングを思わせるソウルフルな歌で聞き入った。ライヴ向きな曲だと思った。オーティスを神と崇めた忌野清志郎さんも思わせるが、大元がオーティスなので自然なことなのだろう。

酒井さんの声が、僕は昭和歌謡的なものにあっているような気がして、ここで歌われたものの方向性を更につきつめてもおもしろいと思った。たぶんゴスペラッツ参加がひとつのきっかけになっているような気がする。

安岡さんは、一方で、80年代のJロック的なニュアンスが強いと思った。僕はそれほど詳しくないが、たとえば藤井ふみや的なロックというか。ギターの福原さんがロック・ギターを見せると水を得た魚のよう。

そして北山さんは、ブライアン・マクナイト的なアーバンでメロディアスな歌で、もちろんこれもあっているのだが、これとは別に佐藤善雄さんらと一緒にやるような低音もので、たとえば「60ミニット・マン」みたいな低音リードが歌う曲も聴いてみたい。

このように五人五様のコーナーはこれまでになく楽しめた。

そして、今回の最大の印象は「みんな、たくさん、踊ったよねえ」っていうこと。冒頭、そして終盤近辺の怒涛のダンス連発メドレーは、すごい。

ということで、詳細セットリストやメンバーなどは3月18日公演終了後に。

■ツアー予定などは、ゴスペラーズ・オフィシャルへ

http://www.5studio.net/live/

東京は、2013年3月2日(土)、3日(日)国際フォーラム。

■初回限定盤

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0090S4B1M/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■通常盤

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0090S4C9I/soulsearchiho-22/ref=nosim/"


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