◎ヒュー・マサケラ・ライヴ~笑う門(角)には福来る

【Hugh Masekela: Happiness Is Just Around The Laughing Corner (Door)】

笑。

なぜかヒュー・マサケラは、「俺は広島出身だ」という。たぶん、彼独特のジョークだと思うのだが。これを笑いながら言うので、実に楽しい。その場では言い方が面白いので、真実かどうかなどどうでもよくなってくる。(笑) 

南アフリカ出身の超ヴェテラン・トランペッター、ヒュー・マサケラの8年ぶりのライヴ。心待ちにしていた。前回は2005年。

地元アフリカの人たちかアフリカ大使館の人たちか、めちゃくちゃのりにのっている一団がいた。この日は観客の外国人比率が高かった。彼らは実に楽しそうににこにこしながら、踊っている。それを見ているとこちらまで楽しくなってくる。笑いは百薬の長。

ヒューの音楽には底抜けに明るさと権力への反発の大きさ、そして、ばねの力強さが共存している。

1939年4月4日南アフリカ生まれ。現在73歳。長く同地の「アパルトヘイト(人種隔離政策)」のために母国に戻れなかったエグザイル(亡命者)だ。

僕は「グレイジン・イン・ザ・グラス」のヒットで名前を知ったが、詳しく学んだのは1985年、ジャイヴから出たアルバム『ウェイティング・フォー・ザ・レイン』のライナーノーツを書いたとき。いろいろ調べて彼の生い立ちやディスコグラフィーなどを詳しく書いたが、そのとき彼の数奇な人生を知り感銘を受けた。のちに「ソウル・サーチン」を書いたときの候補の一人だった。1985年から数えても28年経っている。

歌にトランペットにちょっとした踊りというか動くしぐさなどを見て、また体全体を使って声を出す様子から、南アのアル・ジャロウのようにも思えてきた。あるいは音楽世界のネルソン・マンデラか。ヒュー・マサケラはネルソン・マンデラに直接電話ができてい話ができるらしい。すごい人なんだ。

ロックでファンキーなアフロ・ビートがブルーノートを彩る。

「マコッティ・ハレザマヘ(聴いた音をそのままカタカナにしただけ)」とは、「レッツ・ゴー・ブライド、お嫁さん、さあ、行こう」という意味らしい。

「アシコ」は、「ゲット・トゥゲザー、ユナイト(一致団結)」を意味するそうだ。この曲はオデッセイの「ゴーイング・バック・トゥ・マイ・ルーツ」を思わせるようなグルーヴ感あふれる作品で、観客ものりのりになった。

ヒューは本当に元気だ。渋い枯れたトランペットの響きと陽気なアフリカ大陸のダンス、というか動きが実に楽しい。

フェラ・クティー(3月13日のフェラブレーション)→ヒュー・マサケラという流れは東京の夜の演出としては最高だ。

~~~

CD。

ライヴ後楽屋に行くと、その『ウェイティング・フォー・ザ・レイン』の、なんとCDがあり、ファンの方のサインを待ち受けていた。僕はCDになっていたのを知らなかったので、ちょっと見せてもらうと僕のライナーがついていた。

ヒューが言う。「これは、今、ここで買えるのか。何枚か欲しいんだよ。これは、ほら、ジャケットが違うだろう」

そうそう、これジャケット、日本盤はおしゃれな大草原のような風景写真に変えていた。思い出した。でも、今はもう廃盤だ。

「これは近年だしたアルバムの中では自分が一番気に入ってるアルバムなんだ」とも言う。「近年」「最近」がたぶん、ここ30年くらいの幅があるんだと思う。アフリカの人たちが、「ああ、あそこは隣町だからすぐだよ」という距離が50キロや100キロだったりするのと同じ感覚かもしれない。

このアルバムが出たときはまだ「アパルトヘイト」(1948年制定から1994年撤廃)のためにヒューはエグザイル(亡命者)だった。「この時代にはあなたの音楽は、ラジオで放送禁止(banned)だったんでしょう」とふると、「俺自身が禁止(I was banned)されてたんだよ」と笑いながら答えた。

彼の「I was banned」は僕に対して強烈なパンチだった。そうだった。アパルトヘイトが終わって20年近く経つが、きっとその傷跡はまだまだ残っているのだろう。歴史の一ページを垣間見た瞬間だった。

名刺を見ながら、「マサハル~~~、マサケラ~~。兄弟みたいだな」と大声で笑った。笑う門には福来る!

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そして、ヒューの今回のツアー・マネジャーであるジョッシュといろいろと話していたら、思わぬ展開が。なんと彼は例の『シュガーマン 奇跡に愛された男』のレコード店オウナー、シガーマンとも大の知り合いで、南アでロドリゲスがライヴをやったときのプロモーター的な役割を担っていた、という。

One thing leads to another. なんでもつながるなあ。で、この続きは明日へ。

(この項続く)

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■動画

Hugh Masekela Bring Back Nelson Mandela

In 1987, Hugh Masekela had a hit single with Bring Him Back Home which became an anthem for the movement to free Nelson Mandela.

http://www.youtube.com/watch?v=opUEIVlG1BQ&feature=share&list=AL94UKMTqg-9BMo_t696CxbXnWu9XVMTcJ


■過去関連記事

July 21, 2005
Hugh Masekela: Signed Autograph On His Autobiography
【ヒュー・マサケラ自筆のサインを貰う】
http://blog.soulsearchin.com/archives/000401.html

この本を久々に読もうと探したが出てこない。ずっとライヴに行く前から読み返そうと探してる。まだ出てこない。どこに行ったのか。まさかブックオフなんかに間違って出してないよねえ。(笑) 

ワールド・カップ・キックオフ・コンサート~アリシア、ジョン・レジェンドなど
2010年06月12日(土)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100612.html

映画『ソウル・パワー』6月に日本公開決定 (パート1)
2010年03月14日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100314.html

■メンバー

Hugh Masekela(flh,tp,vo) ヒュー・マセケラ(フリューゲルホーン、トランペット、ヴォーカル)
Cameron Ward(g,vo) キャメロン・ワード(ギター、ヴォーカル)
Randal Skippers(key,vo) ランダル・スキッパーズ(キーボード、ヴォーカル)
Abednigo Zulu(b) アベデネコ・ズールー(ベース)
Lee-Roy Sauls(ds,vo) リー-ロイ・サウルス(ドラムス、ヴォーカル)
Francis Fuster(per,vo) フランシス・フスター(パーカッション、ヴォーカル)

■セットリスト
Hugh Masekela @ Bluenote Tokyo, March 18, 2013

show started 21:34
01.The Boy
02.Chileshe
03.Marketplace
04.Ha Le Se
05.Lady
06.Makoti
07.Ashiko
Enc. Rekpete
Show ended

(2013年3月18日月曜、東京ブルーノート、ヒュー・マサケラ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Masekela, Hugh
2013-

■ウェイティング・フォー・ザ・レイン

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000UUOMMM/soulsearchiho-22/ref=nosim

■ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0012GMUWC/soulsearchiho-22/ref=nosim

■自伝 (英語)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003FCVFQ8/soulsearchiho-22/ref=nosim/


◎エスペランザ・スポールディング・ライヴ~ベースの天使が微笑むとき

【When Angel Of Bass Smiles】

天使。

まさにエスペランザは天使のよう。ベースの神様がエスペランザに降り立ち、彼女を白く光らせているかのようだ。

最新作『レイディオ・ミュージック・ソサエティー』からの作品を中心にしたツアー。2012年9月の東京ジャズ以来、半年振り。東京ジャズ同様、ジャケットと同じような大きなラジカセの絵がホーンセクションの椅子前に張られている。コンセプトは、ラジオだ。ラジオから流れてくる音楽。それは人の人生をも変えることがある。東京ジャズでは60分程度だったが、この日、完全ヴァージョンが披露された感じだ。

バックに11人を従え、エスペランザは堂々とステージに登場。それにしてもあんなにかわいくて、ベースが弾けて、歌もうまく歌えて、天は二物も三物も与えている。渋谷オーチャードは1階と2階はほぼ埋まっていて、3階は空いていたようだが、十分な入りではないだろうか。男女比が8-2で男性が多く、しかも年齢層が意外と高そう。30代から40代が中心のよう。ジャズという範疇で捉えられて、その主要な客層が集まっているのかもしれない。彼女のようなルックスだともっと女性ファンが多そうでもいい感じだが、女子には受けないのだろうか。

香港、シンガポールでライヴをやってきて東京1日だけのコンサート。

アコースティック・ベース、エレキ・ベースを存分にプレイし、しかも歌う。これがちょっとミニー・リパートンを思わせるようなトーンの高い声で思わせぶりな歌を聴かせる。高音から低い音まで声を自由自在に扱う。そして、細い腕で大きなダブル・ベースを抱きかかえると、ちょっと心配になってしまうが、そんなことはまったく余計なお世話。

ジャズファンが静かに聴くせいか、会場のオーチャードの空気のせいか、静かにコンサートは進んでいった。時折、エスペランザのベースに当たるスポットライトが反射して観客の目にまぶしく入ってくる。

前日、ヒュー・マサケラを見に来ていたときはアフロヘアが小さかったが、この日はどーんと大きく成長していた。これはステージではこの大きさで、ふだんは髪を縛るというか、小さく押さえているのか、それとも上部だけウィグ(かつら)なのか。聞けばよかった。

それにしても、エスペランザの音は気持ちよく、聴く側のアルファー派が思う存分排出される。

メンバー紹介やいくつかの言葉を発するとき、それがメロディーに乗る。単語が言霊になる瞬間だ。

最後、「レイディオ・ソング」では、サビの部分を観客に歌わせ、コール&レスポンスをするのだが、ちょっと歌詞が日本人には難しくないか? 非英語圏では、「ナーナーナー」とか、「ラーラーラー」のほうがもっと観客も反応すると思う。

この音楽性の高さながら、オーチャードでライヴが出来るのだから、たいしたもの。ライヴ103分という長さもちょうどいい感じに思えた。

男性バック・ヴォーカルのクリス・ターナーは、ダニー・ハザウェイ的な声で、ロバータ・フラックがもろに大好きそうな声だった。なかなかいい感じ。ダニーやマーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、アル・グリーンなどの1970年代のソウル・シンガーが大好きだという。エスペランザとのデュエットぽくなった「ブラック・ゴールド」は、最後の「レイディオ・ソング」とともに今日のハイライト。

ちなみに、ギターは前回のジェフ・リー・ジョンソン(東京ジャズのあと、アメリカで急逝、下記ブログ参照)からリカルドへ。

天真爛漫にベースをプレイし、天に向かって歌う姿を一言で言えば、エスペランザは音楽の神に愛されてる天使だと思った。

驚いたことに、ライヴ後、サイン会。長蛇の列ができていた。

■ 2012年の映像(約56分) Esperanza Spalding "Radio Music Society" - 36th Vitoria-Gasteiz Jazz Festival

http://youtu.be/GjG8IsPMF-4


これを見ながら、ライヴを反芻(はんすう)。

もう一本。

Esperanza Spalding - 33th Leverkusener Jazztage 2012

http://youtu.be/Z8Vwu4cdFFw



上記2本の動画(ライヴ映像)ではギタリストが今は亡きジェフ・リー・ジョンソン。2013年1月28日54歳で逝去。

■ ジェフ・リー・ジョンソン死去~ソウル・サーチンもろもろ
2013年01月31日(木)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11460168128.html

■過去関連記事

エスペランザ・スポールディング・ライヴ~コマーシャル性とのバランス
2011年02月19日(土)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10805416028.html

エスペランザ・スポールディング~日本びいき 東京ジャズ(パート6)
2012年09月16日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11355434399.html

■(註)Esperanzaの発音表記について。本人に「エスペランサかエスペランザか」と確認したところ、やはり、エスペラン「ザ」と答えたので、引き続きエスペランザで表記していきます。

■メンバー

Esperanza Spalding (Electric & Double Bass, Vocal)
Leo Genovese (Piano, Keyboards)
Lyndon Rochelle (Drums, Background Vocal)
RicArdo Vogt (Guitar, Vocal)
Christ Turner (Vocal)

Leala Cyr (Trumpet, vocal)
Jeff Galindo (Trombone)
Corey King (Trombone)
Igmar Thomas (Trumpet)
Renato (Tenor Sax)
Hailey N. (MD, Alto Sax)
Brian L. (Tenor Sax)

■セットリスト
Setlist: Esperanza Spalding @ Shibuya Orchard Hall, March 19, 2013

show started 19:05
01.US
02.Hold On Me~ Can’t Help It
03.Smile Like That
04.Crowned & Kissed
05.Black Gold (duo with Chris Turner)
06.Cinnamon Tree
07.Endangered Species
08.Radio Song
Enc. I Know You Know
Show ended 20:48

(2013年3月19日火曜、渋谷オーチャード・ホール、エスペランザ・スポールディング・ライヴ)

Special Thanks to for making setlist and members list: Chris Turner, Leo Genovese


■エスペランザ・スポールディング 『レイディオ・ミュージック・ソサエティー』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B006J1JJRY/soulsearchiho-22/ref=nosim/


■エスペランザ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0014HC56K/soulsearchiho-22/ref=nosim/

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○■ 発表! 吉岡正晴の新番組「ソウル・サーチン・レイディオ」が始まります

【Yoshioka Masaharu’s “Soul Searchin Radio” Will Start April】

新番組。

インターFM(東京地区76.1mhz)で現在放送中のインター史上最長長寿番組『ソウル・ブレンズ』(日曜午後1時~3時)が終了するのにともない、マーヴィン・デンジャーフィールドが金曜夕方6時からの新番組『ファンキー・スタッフ』をスタート、「ソウル・サーチン」のコーナーを担当していた吉岡正晴が、一本の新番組『ソウル・サーチン・レイディオ』を開始します。番組は毎週火曜夜8時~10時までの2時間、生放送。

現在の「ソウル・サーチン」(日曜午後2時半~)では約20分でひとつの旬のネタ、テーマなどをご紹介していますが、4月からは2時間の枠の中でさまざまな話題をさらに深く掘り下げてご紹介します。

番組のサブキャッチは、「ソウル・ミュージックの過去・現在・未来、すべてをご紹介します」。

諸事情でなかなか正式発表できませんでしたが、やっと情報解禁となりました。

メール・アドレスは、soul@interfm.jp です。番組へのリクエスト、ご意見、ご希望などどんどんおよせください。また、番組のツイッター・アカウント、フェースブック・ページも立ち上げる予定です。

また、来日ソウル・アーティストへの積極的なインタヴューなども行なったり、生ゲストとしてスタジオに呼んだりする予定です。

ご期待ください。

RADIO>Soul Searchin Radio

●ボビー・スミス(スピナーズ・リード・シンガー)76歳で死去

【Bobby Smith Dies At 76】

訃報。

デトロイトの高校時代の同級生で結成したR&Bヴォーカル・グループ、スピナーズのリード・シンガーだったボビー・スミスが2013年3月16日、フロリダ州オーランドーで死去した。76歳。しばらくN1H1ウィルス(インフルエンザ)に感染しており、肺炎を併発した。また、スミスは昨年11月、肺がんになっていた。死去は16日午後1時55分のこと。家族が確認した。死去に関してはニューヨークのブラック専門放送局WBLSやデトロイトのMix92.3局が報じた。ボビー・スミスのスペルは Bobby Smith, Bobbie Smith どちらもある。

スピナーズの主要メンバーでは、ビリー・ヘンダーソン(1939年8月9日生まれ)が2007年2月2日、パーヴィス・ジャクソン(1938年5月17日生まれ)が2008年8月18日、フィリッペ・ウィン(1941年4月3日生まれ)が1984年7月14日、43歳で死去している。オリジナル・メンバーでは、ヘンリー・ファンブロー(1938年5月10日生まれ)が健在だ。またフィリッペの後任として参加し30年以上スピナーズの一員だったジョン・エドワーズも車椅子ながら健在。

スピナーズはデトロイトのグループで当初モータウンで「イッツ・ア・シェーム」などをヒットさせたが、その後1972年にアトランティックに移籍。フィラデルフィアでトム・ベルのプロデュースのもと「アイル・ビー・アラウンド」「クド・イット・ビー・アイム・フォーリング・イン・ラヴ」などの「フィラデルフィア・ソウル」で大ヒットを多数放ち人気ヴォーカル・グループとなった。

ボビーは多くのヒットのリードを取ったいわばスピナーズの顔ともいうべき存在。1970年代の一時期、ソフトなヴォーカルを聴かせるフィリッペ・ウィンとともにツー・トップのリード・シンガーとなった。

彼らはデトロイトのグループだが、大ヒットした作品の多くがいわゆる「フィリー・サウンド」だったために、フィラデルフィアのグループと思われることもあったが、ソウル史上に残る名ヴォーカル・グループであることはまちがいない。

(なお、Philippéは、eの上に「´」アキュート・アクセント・マークがついているが、これによりフィリップではなくフィリッペと発音・表記する)

評伝。

ボビー・スミスは1936年4月10日デトロイト生まれ。高校時代に学校の仲間とR&Bヴォーカル・グループ、ドミンゴスを結成。当初は遊び半分でパーティーや街角でドゥーワップを歌っていたが、徐々に本気になり、1960年、ベリー・ゴーディーの姉グエンを通じて当時人気のドゥーワップ・グループ、ムーングロウズのリーダー、ハーヴィー・フークワと出会う。ハーヴィーが彼らのことを気に入り、彼のレーベル、トライファイと契約。それまでドミンゴスと名乗っていたが、このときにスピナーズと改名。「ザッツ・ホワット・ア・ガールズ・アー・メイド・フォー」を1961年にリリース。リード・シンガーはボビー・スミス。以後、基本的にはずっとリードはボビーとなった。これが見事にヒット。またこの曲では当時新生ムーングロウズの一員となっていたハーヴィーにあこがれていたマーヴィン・ゲイがドラムスを叩いている。この当時のメンバーは、ボビー・スミス、ビリー・ヘンダーソン、ヘンリー・ファンブロー、パーヴィス・ジャクソン、エドガー・チコ・エドワーズ。

以後、ハーヴィーは彼らをマネージ。トライファイがモータウンに買収されその傘下になったため、彼らもモータウン契約アーティストに。1967年、チコ・エドワーズにかわりGCキャメロンが参加。ここで「イッツ・ア・シェーム」(スティーヴィー・ワンダー作品)などのヒットが生まれた。しかし、モータウンでは他に多くの男性R&Bヴォーカル・グループがいたことから、なかなか重要視されず、売れなかった。一時期はベリー・ゴーディーの運転手やモータウンの他のアーティストの運転手、雑用などもしていたという。

その後1972年、アリーサ・フランクリンの推薦でアトランティックに移籍。このときGCはモータウンとの契約があったこと、またGCがベリー・ゴーディーの姉グエンとつきあっていたことから、アトランティックに移籍できず、GCのいとこフィリッペ・ウィンを推薦、フィリッペがスピナーズ入り。アトランティック移籍後、スピナーズは次々とヒットを放ち、70年代を代表するアメリカのソウル・ヴォーカル・グループとなった。

ボビー・スミスがリードを取る「アイル・ビー・アラウンド」がミリオン・セラーとなり、スピナーズは人気グループに。1973年の「クド・イット・ビー・アイム・フォーリング・イン・ラヴ」(ボビー・スミス・リード)、「ワン・オブ・ア・カインド」(フィリッペ・リード)など多数のヒットが生まれる。

Spinners - I’ll Be Around
軽快にリードを取るのがボビー・スミス

http://youtu.be/AMVSiLfJdmw



The spinners - could it be i’m falling in love

http://youtu.be/7DbcOUEgHso



GAMES PEOPLE PLAY (they just cant stop it) by Spinners.mpeg
(メンバー自己紹介あり)

http://youtu.be/Q7oZJkH8zgc



フィリッペのヴォーカルはソフトで甘い感じだが、ボビーはパンチのあるソウルフルな歌声で対照的。とはいうものの、声質はよく似ているので区別をつけ辛い。

ゴムバンドを使って遊びながら歌う「ラバーバッドマン」のリードをフィリッペが初めて全面にでてリードを取り、これが大ヒット。

1977年、リードを取り人気が上がってきたフィリッペが自身の名前をグループ名(フィリッペ&スピナーズなど)につけるよう要求、認められず脱退、ジョン・エドワーズに交代。リードはボビーとジョンの二人体制になった。フィリッペはその後、スピナーズ参加以前に知己を得ていたPファンク(ジョージ・クリントン)に戻り、ソロ・アルバムもリリースしたがスピナーズ時代ほどの成功は得られなかった。フィリッペのスピナーズ在籍期間はしたがって1972年から1977年初頭まで約5年ということになる。

1977年5月、スピナーズはジョン・エドワーズを含んで初来日。(フィリッペは帯同せず)来日は1990年代にもあるがそのときはボビーは病気のため帯同していなかった。

ジョン・エドワーズがスタジオでサム・クックの曲を遊びで歌っていたら、周囲から「すごくいい」と言われ、サム・クックの「キューピッド」を録音。ヒットに。

スピナーズは1999年、ヴォーカル・グループ殿堂入り。

2000年頃、ジョン・エドワーズが発作のため車椅子状態になったため、2000年から2002年にかけてGCキャメロンが復帰、その後フランク・ワシントン、チャールトン・ワシントンと入れ替わっている。

2004年、ビリー・ヘンダーソンが脱退、ハロルド・ボンハートへ交代。ヘンダーソンは2007年2月2日、糖尿病が元で67歳で死去。初期メンバーのCPスペンサーも2004年10月20日、心臓発作で死去。一時期メンバーになっていたというジョージ・ディクソンも2005年に死去。オリジナル・メンバー、パーヴィス・ジャクソンは2008年8月18日癌のため死去。初期オリジナル・メンバー、エドガー・チコ・エドワーズも2011年12月3日死去。その後もジェシー・ロバート・ペック、マーヴィン・テイラー、ハロルド・スパイク・ボンハート(1961年生まれ)などの新メンバーを加え活動を続けていた。

2011年9月、スピナーズはロックンロール殿堂にノミネートされた。

彼らはイギリスでは、イギリスに「スピナーズ」という白人のグループがいたことから「デトロイト・スピナーズ」と呼ばれる。

(修正)3月19日午前2時半。死去した場所をデトロイトからフロリダ州オーランドーに訂正、死因にインフルエンザからの肺炎、また昨年11月に肺癌になっていたことを追記しました。

■過去関連記事

November 10, 2006
The World Of Linda Creed: Portrays The Blackness
【リンダ・クリードの描くブラックの世界】
スピナーズの「ゲットー・チャイルド」の訳詞
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_10.html

2003/01/18 (Sat)
Games People Play
バーバーショップ。
スピナーズの「ゲームス・ピープル・プレイ」における「12:45」と歌うパーヴィスについて
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030118.html

■アンサング~スピナーズ

http://www.dailymotion.com/video/xv6rhf_unsung-documentary-the-spinners-generation-soul-disco-funk_music

Unsung (Documentary) - The Spinners... 投稿者 GENERATIONDISCOFUNK

これを見ると最後にでてくるジョン・エドワーズのコメントに泣けてくる。彼がスピナーズ入りしたときは、それまでにアトランタのアウェアから出していたソロ・アルバムがものすごくよかったので、日本の熱心なソウル・ファンが狂喜乱舞したものだった。しかしそのソロはアメリカではほとんど売れておらず、ジョン本人はスピナーズという大グループの一員であることをずっと誇りに思っていた。1977年にスピナーズに入って以来30年以上、スピナーズの一員なのだから自身の人生はほとんどスピナーズとともにあったと言っていいだろう。

OBITUARY>Smith, Bobby (April 10, 1936 – March 16, 2013 – 76 year old)

■スピナーズ・アトランティック時代作品、5枚はいって2637円(輸入盤) (1枚あたり500円強)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003097BAK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■2013年3月20日、日本盤1枚・1000円でリリース

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AY1NW3W/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD9PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD98G/soulsearchiho-22/ref=nosim/

●ボビー・スミス(スピナーズ・リード・シンガー)76歳で死去

【Bobby Smith Dies At 76】

訃報。

デトロイトの高校時代の同級生で結成したR&Bヴォーカル・グループ、スピナーズのリード・シンガーだったボビー・スミスが2013年3月16日、デトロイトで死去した。76歳。ニューヨークのブラック専門放送局WBLSやデトロイトのMix92.3局が報じた。ボビー・スミスのスペルは Bobby Smith, Bobbie Smith どちらもある。

スピナーズの主要メンバーでは、ビリー・ヘンダーソン(1939年8月9日生まれ)が2007年2月2日、パーヴィス・ジャクソン(1938年5月17日生まれ)が2008年8月18日、フィリッペ・ウィン(1941年4月3日生まれ)が1984年7月14日、43歳で死去している。オリジナル・メンバーでは、ヘンリー・ファンブロー(1938年5月10日生まれ)が健在だ。

スピナーズはデトロイトのグループで当初モータウンで「イッツ・ア・シェーム」などをヒットさせたが、その後1972年にアトランティックに移籍。フィラデルフィアでトム・ベルのプロデュースのもと「アイル・ビー・アラウンド」「クド・イット・ビー・アイム・フォーリング・イン・ラヴ」などの「フィラデルフィア・ソウル」で大ヒットを多数放った。

(詳細はのちほど)

Spinners - I’ll Be Around
軽快にリードを取るのがボビー・スミス

http://youtu.be/AMVSiLfJdmw



The spinners - could it be i’m falling in love

http://youtu.be/7DbcOUEgHso



GAMES PEOPLE PLAY (they just cant stop it) by Spinners.mpeg
(メンバー自己紹介あり)

http://youtu.be/Q7oZJkH8zgc



フィリッペのヴォーカルはソフトで甘い感じだが、ボビーはパンチのあるソウルフルな歌声で対照的。


■過去関連記事

November 10, 2006
The World Of Linda Creed: Portrays The Blackness
【リンダ・クリードの描くブラックの世界】
スピナーズの「ゲットー・チャイルド」の訳詞
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_10.html

2003/01/18 (Sat)
Games People Play
バーバーショップ。
スピナーズの「ゲームス・ピープル・プレイ」における「12:45」と歌うパーヴィスについて
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200301/diary20030118.html

■テレビ番組『アンサング』~スピナーズ (TV-Oneのドキュメンタリー、スピナーズの回、約40分)

http://www.dailymotion.com/video/xv6rhf_unsung-documentary-the-spinners-generation-soul-disco-funk_music


Unsung (Documentary) - The Spinners... 投稿者 GENERATIONDISCOFUNK

OBITUARY>Smith, Bobby (April 10, 1936 – March 16, 2013 – 76 year old)

■スピナーズ・アトランティック時代作品、5枚はいって2637円(輸入盤) (1枚あたり500円強、これは安い)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003097BAK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■2013年3月20日、日本盤1枚・1000円でリリース

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AY1NW3W/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD9PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008PVD98G/soulsearchiho-22/ref=nosim/

#◇『シュガーマン 奇跡に愛された男』を紹介して~「コーズ」の意味は?

【Talk About “Searching For Sugar Man”】

解釈。

昨日(2013年3月17日)『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン・レイディオ」で
映画『『シュガーマン 奇跡に愛された男』を紹介し、サントラから「シュガーマン」「コーズ」「アイル・スリップ・アウェイ」をかけた。

ところで、この「コーズ」という曲、とてもメロディーも歌詞も気に入っているのだが、どうにも意味がわからないところがある。特に下記歌詞にある固有名詞の「モリー・マクドナルド」「ウィリー・トンプソン」「ミセス・アーニー・ジョンソン」のところだ。久々にまったく意味がわからない曲に出会った。

最初にサントラを聴き始めた1月末からけっこう覚えるほど聴いていて、とくにこの「モリー・マクドナルド」ところがキャッチーで妙に耳にひっかかる。日本盤の訳詞も見たが、なんとなく雰囲気はわかるが、この固有名詞に何か意味があるのではないか、それは何だろう、とずっともやもやしている。

そこで、昨日マーヴィン・デンジャーフィールドとピーター・バラカンさんに尋ねた。彼らも何度か歌詞を読んで「この固有名詞に特に意味はないのではないか、たまたまこういう名前のひょっとしたら自分の知り合いかなんかじゃないか」と言う。ピーターさんは「売春婦とかじゃないかなあ。ほかに深い意味があるかは、ちょっと今すぐにはわからないけど」と意見を教えてくれた。放送中に曲がかかってる間に歌詞カードを読んで、いろいろ考えてくれた。ありがとうございます。

ロドリゲスのBBSなどでも、これらの単語が何を意味するのかという質問が2-3あがっていたが、答えはでていなかった。

ま、ただ何でもなく、たとえば山田太郎とか鈴木一郎的なよくある名前、音感上いい音の名前を選んだなら、それはそれで別にいいのだが。ロドリゲスに聞く質問ができた。もし何かこうではないかという解釈がありましたら、教えてください。

考えすぎかな。(笑) 

(追記、2013年3月18日・午前11時30分)(ここから)

音楽評論家の五十嵐正さんからさっそく、これはフィクションの名前です、と情報をいただきました。

「名前は架空のものだそうです。
CB: In your music you mention names like Jane S Piddy, Molly MacDonald and Willlie Thompson. Who are they?
R: The people are fictional. I tapped on the writer’s poetic licence giving them names and shape. Almost as a caricature works for the visual artist.」

■チケットのウェッブからの予約サイト。ここから日時・席まで決められます
https://t.kadokawa-cineplex.co.jp/ticket/p0010.do?th=0017

http://youtu.be/oKFkc19T3Dk



五十嵐さん、貴重な情報ありがとうございました。すっきりしました。(追記ここまで)

http://youtu.be/oKFkc19T3Dk



【昨日のオンエア、期間限定でポッドキャストアップしました】

https://soundcloud.com/soul-searchin-14-1/soul-searchin-radio-2013-03-17
(約24分)

Soul Searchin in Soul Blends 2013-03-17 #151(#240) Searching For Sugar Man
14:30--
TM

M1Sugar Man 3:47

BGMCrucify Your Mind 2:30
BGMI Wonder 2:34

M2Cause 5:28

BGMCan’t Get Away 3:53
BGMLike Janis 2:35

M3I’ll Slip Away 2:50

~~~~

Cause (Rodriguez)
Written and sung by Rodriguez

Cause I lost my job two weeks before Christmas
And I talked to Jesus at the sewer and the Pope said it was none of his God-damned business
While the rain drank champagne my Estonian Archangel came and got me wasted

Cause the sweetest kiss I ever got is the one I’ve never tasted
Oh but they’ll take their bonus pay to Molly McDonald,
Neon ladies, beauty is that which obeys, is bought or borrowed

Cause my heart’s become a crooked hotel full of rumors
But it’s I who pays the rent for these fingered-face out-of-tuners
and I make 16 solid half hour friendships every evening
Cause your queen of hearts who is half a stone And likes to laugh alone
is always threatening you with leaving

Oh but they play those token games on Willy Thompson
And give a medal to replace the son of Mrs. Annie Johnson

Cause they told me everybody’s got to pay their dues
And I explained that I had overpaid them
So overdue I went to the company store
and the clerk there said that they had just been invaded
So I set sail in a teardrop and escaped beneath the door sill
Cause the smell of her perfume echoes in my head still

Cause I see my people trying to drown the sun
In weekends of whiskey sours

Cause how many times can you wake up in this comic book and plant flowers?

Track duration: 05:28

"Cause" written by Sixto Diaz Rodriguez

~~~

クリスマスの2週間前に失業した俺は
下水道のところで イエスに語りかけたが
法王には「知ったことか」と一蹴された
周りが楽しくやっている間に

俺はエストニアの大天使にヘトヘトにされた
最高のキスもまだ味わってないんだ
でもやつらはモリー・マクドナルドやネオン街の女たちにボーナスを貢ぎ
カネで買ったものだろうと 借り物だろうと 美にかしずくだろう

俺の心は噂話だらけのインチキなホテルに成り下がり
俺は後ろ指をさされる
ならず者たちを居座らせ毎晩のように
次々と刹那的な友情を交わす
おまえを虜にする女の心は半分石でできている
だから彼女は一人で笑うことを好み
おまえは置き去りにされるのではといつも怯えている
やつらはウィリー・トンプソンをいわゆるトークンとして使い
アニー・ジョンソン夫人の息子の代わりとしてメダルを与える

やつらに言われたよ
人は皆苦労すべきなのだと
だから言ってやったんだ 十分すぎるくらい経験してきたと
そんな俺が売店に行ったら店員に言われたよ
今しがた強盗にやられたばかりだと
俺は涙にくれながら立ち去り
敷居の下に逃げ隠れたのさ

彼女の香水の匂いが今でも頭の中にこだまする
酒池肉林の週末を過ごす仲間たちが
太陽を溺れさせようとしているのが見える
一体何度この滑稽な世界で目覚め虚飾を施せばいいのか

訳詞=安江幸子

~~~

■映画『シュガーマン 奇跡に愛された男』2013年3月16日(土)から角川シネマ有楽町などでロードショー公開

映画公式ホームページ。予告編など。
http://www.sugarman.jp/

■サントラ:ロドリゲスの歌が入ってます

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AAKVWZM/soulsearchiho-22/ref=nosim


■ロドリゲスの幻のデビュー・アルバム 『コールド・ファクト』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001BKVWYG/soulsearchiho-22/ref=nosim

■ロドリゲスの2作目『カミング・フロム・リアリティー』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001TCHDPS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

SONG>Cause>Rodriguez
MOVIE>Searching For Sugarman
■◇ 『シュガーマン 奇跡に愛された男』~今日の「ソウル・サーチン・レイディオ」

【Searching For Sugar Man on Soul Searchin】

映画。

今日の「ソウル・サーチン・レイディオ」は、昨日(2013年3月16日)からロードショー公開されている音楽ドキュメンタリー映画『シュガーマン 奇跡に愛された男 (原題、Searching For Sugar Man)』についてご紹介します。

ちなみに試写を見たときの感想はこちら。

映画『シュガーマン 奇跡に愛された男~Searching For Sugar Man』
2013年02月01日(金)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20130201.html

『ソウル・ブレンズ』(インターFM、76.1mhz毎週日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン・レイディオ」(午後2時半~)は、関東地区の方はラジコを通じてパソコンでも聞けます。

http://radiko.jp/#

~~~

『シュガーマン 奇跡に愛された男~Searching For Sugar Man』とは

掲示板。

1970年3月、一枚のアルバム『コールド・ファクト』がロスのサセックスからリリースされた。ロドリゲスというシンガー・ソングライターの作品だ。自らギターを弾き、社会への鋭いまなざしで独特の歌詞を持っていた。そのときは、「ネクスト・ボブ・ディラン」などともてはやされた。1971年11月、さらに第二作『カミング・フロム・リアリティー』が出たが、アメリカではまったく売れなかった。ところが、これがオーストラリアや南アフリカでリリースされるとじわじわと人気となった。ロドリゲスの熱心なファンとなった南アフリカでレコード店を経営する愛称「シュガーマン」ことシガーマンとクレイグ・バーソロミューが、この謎のシンガー、ロドリゲスについて調べ始める。噂では客に集中して聴いて欲しいためにステージで客に背を向けて歌う、ステージ上で銃で自殺した、いや焼身自殺したなどの都市伝説が語られていた。1997年4月、インターネットで「The Great Rodriguez Hunt」というロドリゲスを探すウェッブサイトを開設、ロドリゲスに関する情報を集め始める。1997年9月、これを見た「ロドリゲスの娘」と名乗るエヴァが書き込みを残す。果たして、ロドリゲスは生きているのか? まさに「事実は小説より奇なり」を地でいく圧巻のストーリーである。これをドキュメンタリー映画にしたのが、この『シュガーマン 奇跡に愛された男(サーチング・フォー・シュガーマン)』だ。

~~~

サーチング。

ロドリゲスのことを調べれば調べるほど、おもしろい。

ロドリゲスに関するあらゆる情報があるメインのサイトは、こちら。(英語)
http://www.sugarman.org/index.html

ロドリゲスを探し出した南アフリカの「シュガーマン」ことスティーブン・シガーマンStephen ’Sugar’ Segermanが共同オーナーの南ア・ケープタウンにあるレコード/CDショップ「マブ・ヴァイナル」のサイト。
http://www.mabuvinyl.co.za/

Mavu Vinal
2 Rheede Street, Gardens
Cape Town 8001 South Africa
+ 27 (0) 21-423-7635

Shop Hours:
Mabu is open 7 days a week....
Monday-Friday: 9am till 7pm
Saturday: 9am till 6pm
Sunday: 11am till 3pm

週7日営業で休みなし。朝9時からレコード屋さん、やってるんだ。ちなみに日本との時差はマイナス7時間。日本が夕方6時(18時)のとき南アは午前11時。

いまや、ここは映画のヒットもあり世界的な観光地化しているという。7インチ、12インチのレコード、アナログLP、CD、カセット、雑貨などのほかにレコード・プレイヤーなども置いてあるという。中古LPなどの買取・販売もしているようだ。

なんかここの店内の写真などを見ていると、下北沢の「フラッシュディスク・ランチ」あたりを思い浮かべる。

~~~~

芸名。

ロドリゲスが2枚のアルバムをだしながらも、まったくアメリカでは売れなかった。その理由はひとつだけはないだろうが、いろいろな観察がある。

音楽評論家の五十嵐正さんは、「1960年代半ばのプロテスト・フォークには遅く、1970年代のニュー・ソウルには早い、という2つの社会的メッセージがこめられた音楽ムーヴメントのちょうど谷間というタイミングの悪さがあったのでは」という。

その通りだと思う。また、1970年という年を考えると、僕はレコード会社から「ロドリゲス」でなく、芸名「ロバート・ロドリゲス」などとしたらどうか、と言われたが、彼は頑として拒絶したという話にも興味をもった。実際、最初のシングルは「ロッド・リゲス (Rod Riguez)」というアーティスト名で「ロッド」というアメリカ風の名前になっていた。

当時メキシコ系アーティストはほとんどおらず、それに対するラジオDJの無意識の拒絶感を考えるともっともな提案だ。それを断るロドリゲス本人の姿勢も筋が通っている。

同じサセックス・レコードから1971年にデビューするビル・ウィザースが見事にヒットしていくが、それを考えると、ロドリゲス登場は1年ほどタイミングが早かったのかとも思える。

サセックスの社長、クラレンス・エイヴォントはロドリゲスにある程度かけていたと思う。何しろ、ちゃんとした予算を取ってレコーディングはしていたからだ。それは音を聴けばわかる。

南アフリカで人気であるなら、同地のラジオでどの曲が人気となったのか調べようとしたが、どうやら放送禁止になったようで、南アのチャートなどにはまるで記録がないようだった。ただし、シュガーマンのサイトでは、南アフリカでは「アイ・ワンダー」「シュガーマン」が人気だったという。ラジオではまったくかからなかったが、同地のミュージシャンたちがライヴハウスで彼の作品をカヴァーして歌っていて、人気を得ていたという。

また、南アでは特に黒人はラジオを「聴くこと」さえ禁じられていた。それほど文化的にも遮断されていた。そこで彼らはいろいろなものにカモフラージュしたラジオを考え出して作りだしていた。

こんな本まであった。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4757207778/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

CBSテレビ『60ミニッツ』

http://www.cbsnews.com/video/watch/?id=7424704n



「重労働は恥ずかしいことではない。貧しいことも恥ずかしいことではない。貧しいからといって馬鹿ということではない」(ロドリゲス)

新録音。

さて、ロドリゲスはすでに30曲以上の新曲を用意していて、いつでもレコーディングできるそうだ。新作フル・スタジオ・アルバムとしては42年ぶりとなる。

3月はオーストラリア・ツアー。

TOUR DATES*:
2013-
March 19 Tue, Mon 25 & Tue 26 Mar - Enmore Theatre, Sydney
Sun 31 Mar & Mon 1 Apr - The Tivoli, Brisbane

ロドリゲスについては、まだまだ奥が深いのでまた何かちゃんとまとめてみたい。

■映画『シュガーマン 奇跡に愛された男』2013年3月16日(土)から角川シネマ有楽町などでロードショー公開

映画公式ホームページ。予告編など。
http://www.sugarman.jp/

■サントラ:ロドリゲスの歌が入ってます

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AAKVWZM/soulsearchiho-22/ref=nosim

■ロドリゲスの幻のデビュー・アルバム 『コールド・ファクト』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001BKVWYG/soulsearchiho-22/ref=nosim

■ロドリゲスの2作目『カミング・フロム・リアリティー』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001TCHDPS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

◇『ラジオのこちら側で』(岩波新書)

【Peter Barakan’s Book】

新書。

インターFM、日曜日夕方3時からの「バラカン・ビート」。ちょうど「ソウル・ブレンズ」が3時までなので、このところピーターさんとは必ず顔をあわせる。彼から最近リリースされた著作『ラジオのこちら側で』を頂いて早速読んだ。

1950年イギリス・ロンドン生まれのピーターさんが1974年、日本にやってきてから今日までの仕事とラジオとのかかわり、音楽とのかかわりを時系列にしたがって語り下ろしたのが本書だ。

自身が子供の頃からラジオに夢中になり、さらに音楽に夢中になり、DJになることが夢だった。ピーターさんは、それを日本にやってきて実現させる。

全編、彼のラジオへかける情熱と音楽に対する愛が語られる。ピーターさんはもちろん多くの友人がいるが、鷲津功さんがそんな昔からエディー・コクランのレコードをきっかけに意気投合していたとは知らなかった。

また、レイ・チャールズにインタヴューしたときのレイのリクエストが珍しい曲で、それが入っているのは8枚組みのCDボックスセットだった。そのリクエスト1曲のためだけにそのボックスを買った、つまり1曲のためだけに買ったもっとも高い値段になったというエピソードは面白かった。

(岩波新書=約15万字弱。760円+税)


http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004314119/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

本文にも出てくるピーターさんの名著。『魂のゆくえ』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4903951057/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

BOOKS>Barakan, Peter

◎フェラ・クティー/アフロビートで盛り上がる青山の夜

【Fela Kuti’s Felabration Tokyo 2013】

アフロビート。

このところフェラ・クティーがちょっと僕の周辺でミニ盛り上がりだ。というのも、翻訳家の菊池淳子さんが1982年にリリースされたフェラ・クティーの定番自伝を何年もかけて訳していて、それが5月にいよいよリリースされるということ。ニューヨークでフェラを題材にしたミュージカル『フェラ』が人気を集めていることなどがある。そんな折、東京青山のカイでフェラ・クティーを称えるイヴェントがあり、しかもそこに「渋さシラず」の演奏にウッディーファンクとセルジオ・ムトウさんらが参加するという。どこで何がどうつながるかわからないのが、おもしろいところ。さっそく足を運んでみた。

ちなみにフェラ・クティーは1938年から1997年まで生きたナイジェリアのミュージシャンであり黒人解放運動家。いわゆる「アフロビート」の創始者といわれる。

ウッディーたちの出演が9時半すぎということでその頃会場に入ると、カイはアフリカっぽいグッズや関連CD、カレーなどが売られDJがアフロビートをかけていて、アフリカ祭りの様相を呈していた。タバコを吸う人も多く、入るなり煙くなり、おそらく着てるものもめちゃくちゃタバコ臭くなる。 

お客さんは20代から30代の男女が中心の感じ。彼らはみんなフェラ・クティーが好きなのか、それとも渋さ知らズのファンなのだろうか。あるいはウッディー/セルジオ・ファンか。少なくともこの会場ではフェラやアフロビートは異様に盛り上がっている。

今回のイヴェントは大阪在住のこばやしひろみさんがフェラ・クティー好きが昂じて企画した。渋さ知らズはフェラのレコード、CDになっていない楽曲ばかりをプレイするというコンセプト。そこにセルジオ・ムトウとウッディーファンクが参加した。


大音量でアフロビートが続く

延々と続くリズムがどんどんと陶酔感を煽っていく。そして、音がものすごく大きい。青山カイであれほどの大音量を聴いたことはあまりない。フェラ・クティーの音楽っておそらくレコードやCDよりも、絶対にライヴでその魅力が爆発するのだろう、と思った。チャック・ブラウンのゴーゴーなんかもまさにそのタイプで延々と同じリズムが続くところにこそその真骨頂がある。

それにしても大所帯のバンドでその人数の多さにも圧倒された。オンステージには14-5人いた。けっこう前のほうで見ていたが、メンバーに隠れて後ろに座っているメンバーが見えなかったりもした。

この場にいる限り、アフロビートとフェラは超盛り上がっている。なんとかあちこちに広まっていって欲しいと思う。

これを書いている今も、まだ耳が変な感じ。それほど大音量でアフロビートに浸ったということか。(笑)

帰り際菊池さんたちが、翻訳版『フェラ・クティー』の電子書籍版と紙の書籍版のチラシを配っていた。



チラシ。2013年5月に『フェラ』日本版発売予定。電子書籍と紙の書籍も。

■イヴェントのウェッブ

https://www.spiral.co.jp/e_schedule/detail_474.html

■メンバー 渋さ知らズ

不破大輔b
川口義之bs
鬼頭哲bs
広沢リマ哲ts
佐藤帆ts
立花秀輝as
後藤篤tb
辰巳光英tp
関根真理per
ファンテイルgt
山口コーイチp
藤掛正隆ds
湊雅史ds、

セルジオ・ムトウ vocal
ウッディーファンク vocal


■ セットリスト
Setlist: Felabration Tokyo 2013
Shibusa Shirazu & Serujio Muto & Woddyfunk

Show started 21:44
01.Senior Brother Of Parabulator
02.Big Blind Country
03.M.A.S.S.
Show ended 22:48

(2013年3月13日水曜、青山カイ、フェラブレーション・東京2013ライヴ)
ENT>MUSIC>Kuti, Fela
ENT>EVENT>Felabration Tokyo 2013

■フェラ・クティー表紙のワックスポエティックス

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861134234/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■日本人ジャーナリスト、板垣真理子さんのフェラ・クティー本

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883203115/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■CD27枚組、1枚DVDという集大成もの (約1万3000円)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0042FXINK/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■フェラ・クティー紙ジャケの1枚

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003ENTNKI/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

◎サンタナ・ライヴ~初来日から40周年

【Santana : Since 1973】

サンタナ。

サンタナということで年齢層が高い、車で来る人の率が高い、と思っていつもより早めに家を出た。カーステレオには『キャラヴァンサライ』をいれて。

あの虫の鳴き声。僕は当時まだレコードが買えず友人から借りたと思う。

果たして6時半過ぎには武道館入口まで来たのだが、なんと早くも第一駐車場は満車。ユーターンして第二、第三とまわるが、空いているのにもう入れないようになっている。何台か車が入ろうと並んでいるが、入れないのでバックしようとしている。いつも思うのだが、人がいるわけでもないので、機械が精算するのだから、コンサートの日だけでも6時とかに閉鎖せずに、発券の機械の電源だけでもいれておけばいいのにと思う。管理者にぜひお願いしたい。

ということで、駐車場難民となり、あちこちを放浪。結局30分近く探し回って、なんとあたま3曲ほど聞き逃した。

九段下から武道館に歩いて向かう途中で何度もダフ屋の人に声をかけられた。ひとりは「8000円に割引するよ~~」と声をだしていた。始まっても、まだ8000円なのか。(笑) 1000円とか2000円にはならないのかな。

ちょうど武道館の横、入口までの間で「ブラック・マジック・ウーマン」が漏れてきた。

1973年に初来日してから40年。たぶん、それは見ているはずだ。

中に入ると超満員。アリーナはほとんどが立ち上がっていた。ステージ正面上にライヴの映像を映し出すモニター。サンタナたちが映っていた。

「自分の人生には何人もの尊敬する自分のキャリアを作り上げてくれた人がいる。ビル・グラハム(ウッドストックに出させてくれた)、クライヴ・デイヴィス(CBSでレコード・デビューさせてくれ、その後アリスタ・レコードに移籍しサンタナの作品を出してくれた)、そして日本のミスター・ウドー(日本に初めて呼んだ)だ」と言って、ミスター・ウドー(ウドー音楽事務所・会長)にギターをステージでプレゼント。親日家、日本大好きと言ってはばからないサンタナらしいはからいだ。

単独公演としては10年ぶりだという。来日自体は7年ぶり、通算14回目とのこと。客層はさすがに年齢層が高い。平均50代後半ではないか。ひょっとすると60代かもしれない。9-1か8-2で圧倒的に男性客が多い。

繰り広げられる音楽は、ラテン・ロック、ラテン・ジャズ。パーカッション二人とドラムスが繰り出す躍動感あふれるラテンのリズム。

そして当たり前だが、バンド・メンバーがみんなうまい。普段ブルーノートあたりでうまさを見せ付けるようなクラスのミュージシャンが武道館という大きなスペースでなんなく勝負しているという感じだ。

ドラムスは重いヘヴィーなドラムスを聴かせるデニス・チェンバースでこれが実にいいのだが、一曲「コラゾン」のところで、シンディー・ブラックマン(サンタナ現婦人)が同じドラム・セットで登場、ソロを披露。シンディーは1959年オハイオ生まれ。ジャズ・ドラマー。1993年からレニー・クラヴィッツのバンドに入り、その後、2010年7月、オンステージでサンタナから求婚され結婚。

ちなみにデニス・チェンバースも1959年生まれで、彼は2005年からサンタナのツアーに参加。

サンタナの泣きのギターも、早弾きも、存在感のあるギタリストだ。

「ジンゴ」がすごくかっこよかったなあ。

サンタナは途中のMCで、日本に呼んでくれたことを感謝し、「観客のみんなファミリーだ」と言った。彼の声、話し方を聴いていると、ナラダ・マイケル・ウォルデンとものすごく似た感じがした。袂を分ったスリ・チンモイの影響なのだろうか。

ライヴ終了後、外に出るのにえらく時間がかかり、そのとき音楽評論家の佐藤英輔さんから肩を叩かれ一緒に九段下まで歩く。彼はなんとデニチェンのドラムスが「重いからあんまり好きじゃない」ということで、僕は「重いから好き」と正反対でおもしろかった。

シンディーについてのうんちくを佐藤氏より聞きながら、「ウォーネル・ジョーンズはどこに住んでいるのだ」と聞かれ、「たぶん、吉祥寺だ」というと、「ロックのバンドにいる黒人のアーティストが好きなんだ」と言う。ライヴあるとき教えて、「(彼が参加している)ニルス・ロフグレンのレコード持ってってサインもらうから」とのことなので、次にブルース・アレイあたりでライヴがあるときにご案内すると伝える。

すると、今週土曜日昼何していると聞かれたので、何、と言うと、佐藤氏が四谷の「いーぐる」という正統派ジャズ喫茶でおしゃべりとレコードをかける会をやるからよかったらどうぞ、とのこと。

そんな音楽談義をしながら歩いたが、武道館を出てから九段下までたどり着くのに30分以上かかった。

ライヴにはサンタナの『ロータス』と『アミーゴ』ジャケットをてがけたデザイナー/イラストレーターの横尾忠則さんもいらして旧交を温めたようだ。

~~~~

佐藤英輔氏イヴェント

ジャズ喫茶いーぐる・連続講演第494回 「オーネット・コールマン(関連)のハーモロディック・ファンク」
選曲・お話・佐藤英輔

2013年3月16日(土)午後3時半から
チャージ600円+飲食代

ジャズ喫茶いーぐる
http://www.jazz-eagle.com/
〒160-0004 東京都新宿区四谷1丁目8
03-3357-9857
四谷駅から新宿通りを新宿方面に向かって右側。


佐藤英輔氏ブログ
http://43142.diarynote.jp/

■セットリスト~サンタナ
Setlist : Santana, Budoukan, March 12, 2013

show started
00. Milky Way Intro
01.Cloud Nine
02.Love Is You Love Is Me
03.Black Magic Woman
04.Gypsy Queen
05.Oye Como Va
06.Maria Maria
07.Foo Foo
08.Europe
09.Batuka
10.No One To Depend On
11.Taboo
12.Exdus
13.Corazon Espinado (Cindy Blackmon drum solo)
14.Jingo – a riff of Message In A Bottle– a riff of Land Of 1000 Dances, a riff of Wanna Be Startin’ Something (Soul Makossa)
15.Incident At Neshabur
16.Evil Ways
17.A Love Supreme
18.Smooth
19.Dame Tu Amor
Enc. Soul Sacrifice
Enc. Bridegroom
Ending. Toussiant L’ Overture
Show ended 21:13

■ Members

Carlos Santana (guitar)
Andy Vargas (vocal)
Tony Lindsay (vocal)
Thomas Maestu (guitar)
Benny Rietveld (bass)
Dennis Chambers (drums)
David K. Mathews (keyboards)
Karl Perazzo (percussion)
Raul Rekow (percussion)
Bill Ortiz (trumpet)
Jeff Cressman (trombone)
---
Cindy Blackman (drums)

(2013年3月12日火曜、サンタナ・ライヴ、日本武道館)
ENT>MUSIC>LIVE>Santana

■横尾忠則アートワーク=サンタナ 『ロータス』(通常盤)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000026FVC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ 横尾忠則アートワーク=サンタナ 『アミーゴ』(通常盤)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005G9DA/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■キャラヴァンサライ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000A2I1B/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

■エッセンシャル

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0027BECTK/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◇『モータウン:ザ・ミュージカル』プレヴュースタート

【Motown The Musical: Preview Starts】

モータウン。

1960年代に大きな成功を収め、ダイアナ・ロス、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、マイケル・ジャクソンといった多くのスターを生み出したモータウン・レコードとその創始者ベリー・ゴーディーにスポットを当てたミュージカル『モータウン:ザ・ミュージカル』が2013年3月11日からニューヨークでプレヴューが始まった。4月14日から正式にオープン、6月22日まで続く予定だ。

会場はニューヨーク・ブロードウェイのラントフォンターン劇場で46丁目、8番街とブロードウェイの間。

物語は1959年、元ボクサーのベリー・ゴーディーがモータウンを設立するところから始まり、多くのヒットが生まれていく過程を描いているという。実際、脚本はベリー・ゴーディー。

ベリー・ゴーディーは1994年に自伝『Berry Gordy : To Be Loved: The Music, The Magic, The Memories Of Motown』(邦題、モータウン、わが愛と夢)をリリース、これは1996年7月日本語版がリリースされた。今回のミュージカルも基本的にはこの自伝をベースにしているものとみられる。

メイキングと出演者インタヴュー

http://youtu.be/SZkSG3dXTe8



こういうのを見てしまうと、いてもたってもいられなくなる。(笑)

ベリー・ゴーディーが出演するクライスラーとミュージカルのタイアップ広告

http://youtu.be/L1NCSrwa2Us



http://youtu.be/zu434JUL5yU



オフィシャル・ウェッブ
http://www.motownthemusical.com/
ここでチケットも買えます。また、プロモ・ビデオなども多数あります。

キャスト。

ベリー・ゴーディー役にブランドン・ヴィクター・ディクソン、ダイアナ・ロス役にヴァリシア・リケー、スモーキー・ロビンソン役にチャール・ブラウン、マーヴィン・ゲイ役にブライアン・テレル・クラーク、若いマイケル・ジャクソン役にレイモンド・ルーク・ジュニア、青年のマイケルにジブリール・モーリー、なんとスティーヴィー・ワンダー役に日本でもデビュー作が話題になったライアン・ショーがキャスティングされている。ほか多数の出演者が登場。

脚本はベリー・ゴーディー、監督はチャールズ・ランドルフ・ライト、振り付けパトリシア・ウィルコックス、ウォーレン・アダムス、プロデューサーはケヴィン・マッカラムとダグ・モリス。

プレイされる曲の一部は次の通り。

Diana Ross - Ain’t No Mountain High Enough
The Temptations - Ball Of Confusion (That’s What the World Is Today)
Martha Reeves & The Vandellas - Dancing In The Street
Stevie Wonder - For Once In My Life
The Temptations - Get Ready
Marvin Gaye - I Heard It Through The Grapevine
Marvin Gaye – What’s Going On
The Temptations - My Girl
Mary Wells - My Guy
The Supremes - Stop! In The Name Of Love
Smokey Robinson & The Miracles - You’ve Really Got A Hold On Me
Jackson 5 - I Want You Back
Jackson 5 - I’ll Be There

まさにモータウンの黄金のヒットが次々と演奏されるので、たぶん、ミュージカルというよりもライヴ・ショー的な色彩も濃く、ミュージカルが苦手な人でも楽しめる作品になっていると思われる。

3月11日プレヴューなので、しばらくするとそのライヴ・レヴューが出てくると見られるのでそのときまたご紹介しよう。

◆Berry Gordy Gearing Up For ’Motown: The Musical’ Premiere
Posted Mar 11th 2013 10:55AM by Associated Press
http://www.theboombox.com/2013/03/11/berry-gordy-motown-the-musical-premiere/

MUSICAL>Motown The Musical

■モータウン・ヒッツのオムニバス50曲入り

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ベリー・ゴーディー・自伝『モータウン、わが愛と夢』(中古なら入手可能)

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◎ キース・ヘインズ&ピックフォード・ライヴ・クリュー&フレンズ~元ロジャー/ザップのアーロン・ブラックマンも参加

【Keith R. Haines Presents Pickford Live Crew & Friends】

ライヴ。

「ソウル・サーチン:ザ・セッション」でもプリンスの回に華麗なキーボードとプログラミングを担当してくれた日本在住のもうひとりのキーボード・ウイザード、キース・ヘインズが、かつて活躍していたピックフォード・ライヴでのバンド/曲を再現しようという「ピックフォード・ライヴ・クリュー&フレンズ」を渋谷のライヴハウス「クロコダイル」で定期的に行っている。前々から行こうと思っていたのだが、やっと2013年3月8日(金)行くことができた。

ちなみにこのピックフォード・ライヴ・クリューというのは、その昔(1980年代から2000年代)六本木にあった伝説のライヴハウス「ピックフォード」で活躍していたバンドやその仲間という意味。「ピックフォード」には基本的に2-3ヶ月滞在する黒人の「ハコ・バンド」がいて、夜な夜な当時のソウル、R&Bのトップ40曲を生で演奏していた。そこにハコ・バンドとしてやってきて、日本の住み心地がよく日本に定住したブラック・ミュージシャンも多い。


アクション、ソウル、ファンキー。左からアシュトン、ウィンゼル、AJ、アーロン(元キロジャー/ザップ)

キースの緻密なプログラミングぶりは前々からよく知っていたが、これを支えるリアル・ミュージシャンによるバンド・メンバーがみなすばらしい。ドラムス、ギター、ベース、キーボードにヴォーカル4人という編成だが、バンドがとにかくファンキーでかっこいい。

ちょうどお店に到着したときキャメオの「キャンディー」「ワード・アップ」のメドレーのところで、ギターがあまり顔がわからなかったのだが、えらくファンキーだなあと感心していたら、なんとそのギターが元ロジャー/ザップのアーロン・ブラックマンだった。そりゃ、ファンキーなわけだ。(笑) アーロンはヴォーカルの一人、ウインゼルとともに現在名古屋在住で、この日はわざわざ名古屋からやってきて参加したという。元キャメオのアーロンが名古屋にいるとは知らなかった。

ヴォーカル陣はすでに日本にすっかりなじんだアシュトン・ムーア、ウィンゼル・バート、アンソニー・ジョンソン、そして、タヒラ・ウォーカー。楽曲も1980年代から1990年代のソウル、R&Bヒットが次々と演奏され、楽しさ抜群だ。(下記セットリスト参照)

キースは「ただのカヴァー曲をやるバンドじゃなくて、ちゃんとユニフォームも着て、踊ったり、パッケージとしてエンタテインメントできるようなものにしたい」と意気込みを語る。僕は「これだけしっかりしたバンドなんだから、絶対にグループ名、それもかっこいいやつをつけるべきだ」とアドヴァイスした。「ピックフォード・なんたら」じゃなくて、キース・ヘインズ&なんとか、というびしっとした名前だ。それもワンワードか2ワードのわかりやすくキャッチーなものがいい。

こういう汗の飛び散るリアル・ミュージシャンのライヴ・バンドっていうのは、ほんと、いつ見ても気持ちいい。

次回は2013年4月12日(金)、再びクロコダイルとのこと。ちょっと古めの「オールド・スクール・ソウル」好きだったらまちがいなく楽しめる。

CROCODILE  ~クロコダイル~
〒150-0001 渋谷区神宮前6-18-8 ニュー関口ビルB1
Tel: 03-3499-5205 Fax: 03-3499-5206
http://www.crocodile-live.jp/index2.html

(キースたちの音源をいずれ「ソウル・サーチン・レイディオ」でご紹介したいと思います)

■メンバー

Keith Haines (Keyboard, Musical Director)
Keith Williamson (Bass)
Aaron Blackman (Guitar, Vocal)
Shinny T. (Takada Shin) (Drums)

Ashton Moore (Vocal)
Anthony “AJ” Johnson (Vocal)
Winzel Bert Jr. (Vocal)
Tahirih Walker (Vocal)

■セットリスト:キース・ヘインズ&ピックフォード・ライヴ・クリュー&フレンズ~
Setlist: Keith Haines & Pick Ford Live Crew & Friends

( ) denotes original artists

First Set:

01.Don’t Be Cruel (Bobby Brown)
02.This Is How We Do It (Montel Jordan)
03.No Crime (Babyface)
04.All Around The World (Lisa Stansfield)
05.Easy Lover (Phil Collins & Phlip Bailey)
06.No Parking (On The Dance Floor) (Midnight Star)
07.Dynamite (Taio Cruz)

Second Set

01. Pastime Paradise (Gangsta’s Paradise)  (Stevie Wonder, Coolio)
02. Candy (Cameo)
03. Word Up (Cameo)
04. I Wanna Know (Joe)
05. You Rock My World (Michael Jackson)
06. Forget Me Nots (Patrice Rushen)
07. Sunday Morning (Maroon 5)

Third Set

01.Intro : Shining Star (EWF)
02.Get Down On It (Kool & The Gang)
03.Every Little Step (Bobby Brown)
04.My Prerogative (Bobby Brown)
05.Midas Touch (Midnight Star)
06.Higher Ground (Stevie Wonder)
Enc. That’s The Way Of The World (EWF)

(2013年3月8日金曜、渋谷クロコダイル、キース・ヘインズ・プレゼンツ・ピックフォード・ライヴ・クリュー&フレンズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>Haines, Keith
2013-

■ベスト・オブ・キャメオ

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■ボビー・ブラウン ドント・ビー・クルーエル

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(訂正)当初、アーロン・ブラックマンさんを「元キャメオ」としていましたが、誤りでした。正しくは「元ロジャー/ザップ」です。訂正します。

◆311によせて~again

【For 311】

瞬間。

これからきっと毎年3月11日になると、日本国民みながあの日、あの瞬間のことに思いを馳せ、今一度立ち止まって何かをしなければと考えるのだろうと思う。

2011年いっぱいは、本当にどよーんとした沈みこんだ一年だった。2012年は少し精神的な回復基調が見られたような気がする。だがそれとて、僕のように被災地から離れて住んでいるから言えることだろう。

311以上の地震が来ないとは誰もいえない。311の原発事故以上の事故が起こらないとは誰もいえない。それより311の原発事故は依然収束に向かっていないのだ。

自民党政権に戻り、「民主党政権」などそれそのもの自体が歴史の中で「なかったこと」にでもされそうな勢いだが、そこで起こった多くの間違いは歴史の中で精査されなければならない。

誰かを血祭りに上げるのではなく過ちが起こった過程を正確に調べ、記し、次に過ちが起こらないようにする。それこそが人類が持てる英知だ。

僕は今自分でできることがほとんどないのでとてももどかしい。来年の今頃、今年はこんなことができる、やっている、と言えればいいと思っている。

■関連記事

2011年03月13日(日)
東北地方太平洋沖地震
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110313.html

2011年03月14日(月)
巨大地震=東日本大震災
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110314.html

2011年03月16日(水)
311 Catastrophe : My Thoughts For Earthquake
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110316.html

3月11日によせて
2012年03月11日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11186100778.html

ESSAY>311

★ニュー・ジャージーのオールディーズ専門番組『レリックス&レアリティーズ』~DJデイヴ・ザ・レイヴ~『ジミー・ウォーカーを探して(パート4)』 

ニュー・ジャージーのオールディーズ専門番組『レリックス&レアリティーズ』

(昨日の続き)

デイヴ・ザ・レイヴ。

さて、このジミー・ウォーカーのリサーチの過程でアメリカのオールディーズ・ラジオ番組『レリックス&レアリティーズ』とそのDJデイヴ・カプラスキーの存在を知った。彼の2010年5月放送の番組でジミー・ウォーカーをゲストに向かえた回があることがわかったのだ。彼のショーは過去2年分がアーカイブとして誰でも聴くことができる。ところがジミーの登場回は3年前ということで、そのアーカイブの中に発見できなかった。そこで、そのデイヴにジミーについての問合せとジミーの回を再度アップしてくれるか、送ってくれないかと尋ねたところ、2週間ほどしてその回を再度アップしてくれたのである。

デイヴ・ザ・レイヴのウェッブ
http://www.davetherave.com/index.html
ここの右側にあるオーディオ・ファイルのジミー・ウォーカー5-22-10(2010年5月22日放送)をクリックすると約74分の番組が聴ける。

この回を聞いたのは、僕がジミーに直接電話インタヴューした後だったが、やはり参考になる話がでている。

デイヴ・カプラスキー(Dave Kapulsky=愛称デイヴ・ザ・レイヴ)は、ニュー・ジャージー在住のレコード・コレクター、DJ。自宅には1960年代のレコードを中心に10万枚のコレクションがある。主として7インチ(17センチ)シングル盤だ。他にアナログLP、もちろん最近はCDが1万枚程度ずつあるという。

現在は毎週土曜日夜10時から深夜3時まで5時間、地元のラジオ局WPDQ-FM(89.7mhz)で『レリックス&レアリティー』を担当。彼は毎週約2000枚のシングル盤を持っていって、DJ番組を放送する。

彼の選曲のポリシーは、半分は有名な誰でも知ってるオールディーズ、半分は誰も知らないおそらくラジオで初めてかかるであろう珍しい曲をかける、というもの。リスナーからは、何年も前に聴いて曲名などがわからない曲の問合せが来て、それに応えるという。主として1960年代のシングル盤がかかる。ジャンルはポップ、ロック、ソウル、ドゥーワップ、サーフ・ミュージックなど。

ラジオの生放送が終わると近くの「ゴールデン・ベル・ダイナー」でデイヴとリスナーが会ってオールディーズ話に花を咲かせるそうだ。

デイヴが初めて手に入れたシングルは、メジャーズの「ア・ワンダフル・ワールド」(インペリアル・レコード)。1962年8月からヒットしたR&B曲だ。地元のダンスコンテストで優勝してもらった賞品だったそうだ。その後まもなく、父親がビートルズのレコードをくれた。すでにビートルズのファンだったので、父は『ミート・ザ・ビートルズ』のアルバムを買ってくれたという。

彼はまた黒人音楽(ソウル・ミュージック、ブラック・ミュージック)の有力なサポーターでもある。彼は言う。「多くの人はブラック・ミュージックを好きなんだが、白人のラジオ局ではなかなかエアプレイを得られない。オーティス・レディングがなかなか白人のラジオ局でプレイされていなかったことに怒り心頭だった。飛行機事故で彼が死去し、僕は彼を『キング・オブ・ソウル』として称えた。『ドック・オブ・ザ・ベイ』がエアプレイされたのは飛行機事故が起こってからだった。そして、公民権運動はブラック・ミュージックにとても反映している」

彼のラジオのDJスタイルは、1960年代に人気だったWABCのDJ、カズン・ブルース・モローをイメージしてやっているという。

デイヴは、ブルースが1987年に記した著作『Cousin Brucie: My Life in Rock ’n’ Roll Radio』を読み、その中の最後の言葉を忘れない。「ラジオはもう誰かの友達ではないのか?」 ブルースは依然そうであって欲しいと願っているが、デイヴは残念ながら友達でなくなりつつあるとも思うという。しかし、デイヴがマイクに向かうとき、常にDJとしては誰かの友達であろうとしている。特にリスナーは、ベイビーブーマー(日本では団塊の世代)が大人になっている連中が大多数だ。

普段は保険のセールスをしているデイヴは、自宅2階にレコード・コレクション専用の部屋を作っている。そこに10万枚以上のシングル盤の一部が置かれているが、デイヴはマニアックなコレクターなら誰でもそうであるように、誰それのなんと言う曲のシングル盤をすぐに取り出せる、という。そして、その部屋にはちゃんと鍵をかけているそうだ。

ブルース・ファン。

もうひとつ彼が有名なことがある。彼がニュー・ジャージー出身ということで、超強力・熱狂的ブルース・スプリングスティーンのファンということだ。

デイヴは1973年にニュー・ジャージーの当時のトレンテン・ステイト(現在のニュー・ジャージー大学)で、ブライアン・オーがー・オビリヴィオン・エクスプレスの前座ででていたブルースを見て、そのエネルギーに感激、「彼は絶対に次のボブ・ディランになる」と確信し、以後小さなライヴハウスに通いまくり、ブルースを探し続けた。何箇所も見ているうちに一人の人物と知り合う。それがサウス再度・ジョニー&アズブリー・ジュークスのマネージャーという人物で彼らは友達となり、そのマネージャーがブルースを知っていた。

ブルースがその頃、あるレコードをずっと探していると知り、デイヴはそれを探してプレゼントすることにする。それがオーティス・レディングが歌う「メリー・クリスマス・ベイビー」だった。すでにヴェテランのレコード・コレクターになっていた彼はすぐに探し出し、ブルースの名ソー・コロシアムでのライヴのときに楽屋で手渡す。1980年のことだった。以来彼らも友人になった。

1973年に初めてブルースを見て以来、デイヴはこれまでに450回以上ブルースのライヴを見ているという。『ボーン・イン・ザUSA』ツアー(1984年)のときは全米を回ったそうだ。そうして、1989年には彼はロック雑誌「ローリング・ストーン」誌で「ニュー・ジャージーのナンバーワン・ブルース・ファン」として紹介されるほどにまでなった。

現在はさすがに世界や全米をフォローはできないが、車で行ける範囲のライヴはすべて行くという。

膨大なレコード・コレクション、アーティストとのインタヴューなどもあるため、レコード会社から、コンピレーションの編纂やライナーノーツ執筆依頼なども多い。ポール・リヴィア&レイダーズ、ジェイ&ザ・アメリカンズなどのコンプリート編集もの、ガール・グループのボックス(グラミーにノミネートされたという)などをてがけている。

デイヴのショーは週末生放送で、メールを送ったり、チャットでメッセージなどを送ると、その場で返事をくれたり、シャウトアウトしてくれる。

デイヴのショーは週末生放送で、メールを送ったり、チャットでメッセージなどを送ると、その場で返事をくれたり、シャウトアウトしてくれる。デイヴの放送は次の時間帯で日本でも聴ける。いずれもアメリカ東部時間。日本から通常で14時間遅れ。夏時間だと13時間遅れ。ニュー・ジャージーが土曜の朝9時だと日本は土曜の夜11時。

Dave The Rave: Dave Kapulsky DJ
US Time / Japan Time / Station-Access

1) Saturday 9am-10am 日本時間土曜日午後11時~12時 WQMA1520 AM
http://www.q1520radio.com/8TrackThursday.html

2) Saturday 4pm - Flaming Oldies 日本時間日曜午前6時
http://www.loudcity.com/stations/flaming-oldies/files/show/listen_20now_20page.htm
(ここでListen nowの3つのどれかをクリック。ひとつがダメでもあなたのPCとあうどれかで再生できます)

3) Saturday 10pm-3am 日本時間日曜昼12時~午後5時 Top Shelf Oldies
http://www.topshelfoldies.org/
Listen Linksでどれかをクリック。一番左のWINAMPが推奨されています

4) Sunday 8-10am EST 日本時間日曜夜10時~12時 WIBG-FM
http://wibg.fm/
右上のListen Liveをクリック。別窓が開き、15秒程度で放送開始

5) Sunday 1pm- 日本時間月曜午前3時~ Flaming Oldies
http://www.loudcity.com/stations/flaming-oldies/files/show/listen_20now_20page.htm
(ここでListen nowの3つのどれかをクリック。ひとつがダメでもあなたのPCとあうどれかで再生できます)

僕は上記の3と4を聴けるときは聴いています。メッセージを送るとすぐに反応してくれます。

PERSONALITY>Kaplusky, Dave
DJ>Dave The Rave
ENT>ARTIST>Walker, Jimmy


■今日の『ソウル・サーチン・レイディオ』は、ボビー・ロジャーズ、オマー・チャンドラー・トリビュート

【Soul Searchin Radio: Features Bobby Rogers And Omar Chandler Tribute】

トリビュート。

毎週日曜午後生放送でお送りしている『ソウル・ブレンズ』(インターFM、76.1mhz午後1時~3時)内「ソウル・サーチン・レイディオ」の今日放送分では、ミラクルズのボビー・ロジャーズとオマー・チャンドラーの追悼をお送りします。

関東地区の方はラジコを通じてパソコンで聞けます。
http://radiko.jp/#
(ここでインターFMをクリック)

ボビー・ロジャーズ(ミラクルズ創設メンバー)、73歳で死去
2013年03月05日(火)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11483489467.html

オマー・チャンドラー、51歳で死去
2013年03月08日(金)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11485479451.html


■一番のお勧めはこのボックス (4枚組み)5355円

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■簡単なベスト、1枚もの

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■アンソロジー、中古であれば、一番安く入手できます

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■オマー・チャンドラー (中古1円から! これは買いだ(笑))

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日本盤の中古

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セカンド

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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000DUQ5/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■オー・ガール (チャイ・ライツの曲とは同名異曲)

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RADIO>Soul Searchin Radio




★『ジミー・ウォーカーを探して(パート3)』 ~『ヴァニシング・ポイント』のサントラで歌っていたシンガーその歴史

【Searching For Jimmy Walker (Part 3 of 4 Parts)】

(昨日からの続き)

(謎のシンガー、ジミー・ウォーカーを探してリサーチした結果、様々な過去が浮かび上がった。ジミー・ウォーカー・ストーリー。)

R&Bのドゥ・ワップ・グループ、ビートルズ風グループ・サウンド、ブルー・アイド・ソウルの人気デュオ、ライチャス・ブラザーズの片割れと着実に階段を上がっているように見えるジミー・ウォーカーだが、そのジミーを見出したプロデューサー、ジェリー・フラーはほんのちょっとした運命のいたずらでゲイリー・パケット&ユニオン・ギャップで大当たりを出す。

ジミー。

こうして売れっ子プロデューサーとなったジェリー・フラーは、社内でも自由にアーティストを獲得することができるようになり、ジミー・ウォーカーを再度コロンビアに迎えようとする。このときには、もうチャレンジとの契約も切れていて、難なく契約となった。そうして出来たのが3枚のシングルだ。いずれも1969年から1970年にかけてリリースされたもの。

The Greatest Love / Dawn (Go Away) (Columbia 4-44742) (1969)
I Got The Best Of You / Your Past Is Beginning To Show  (Columbia 4-44884) (1969)
"Chop No Wood" / "Feel The Warm" (Columbia 45181) (1970)

Jimmy Walker - I Got The Best Of You 
http://www.youtube.com/watch?v=UqcvV9rcNsM

この曲のプロデュースは、ジェリー・フラーで彼は曲も書いているが、アレンジャーのウィリアム・クランドールはニッカボッカーズ時代からのビル・クランデルのことである。

これらは、明らかにゲイリー・パケット路線を狙った作品で、ジェリーは昔馴染みを「第二のゲイリー・パケット」にしようとしたのだろう。ひょっとしたらジェリーの頭には、チャレンジ時代にジミーを「ブルー・アイド・ソウル・シンガー」として売り出そうという考えがあったかもしれないが、実現しなかった。それが、ゲイリー・パケットの出現で花開いたのかもしれない。

いずれにせよ、ジミーのこれら3枚のシングルはいい楽曲だとは思うが、まったくヒットにならなかった。ゲイリー・パケットに似すぎているという見方もあるかもしれない。大ヒットの裏に隠れてしまう影のシンガーということかもしれない。

映画。

そして、次に彼の名前が出るのが、『ジミー・ウォーカーを探して』のきっかけとなった映画『ヴァニシング・ポイント』のサントラだ。1971年のリリース。この映画はコロラドからカリフォルニアまで車を陸送するドライヴァーを描いたいわゆるカーチェイスものの元祖的映画。途中に黒人DJスーパー・ソウルがかっこよく出てきて、ハイウェイを走るトラックのカーラジオからごきげんな音楽が流れてくる。

このサントラは、ジミー・ボウエン(1937年ニューメキシコ出身)が中心となって作っていたものだが、プロデューサーからジェリー・フラーに誰かいいシンガーはいないかと相談がいき、ジェリーがジミーに声をかけた。

Jimmy Walker-Where Do We Go From Here
Vanishing point (1971) soundtrack,Jimmy Walker-where do we go from here
http://www.youtube.com/watch?v=s7bixhF5Dfo

このジミーが歌う「ホエア・ドゥ・・・」はマイク・ポストというカントリー系のシンガー・ソングライターが書いた作品。このサントラで3曲も提供しているが、ちょっとしたヴェテランだった。彼はケニー・ロジャーズ・バンドにいた人物で、自身のソロ・アルバムも出していた。

しかしながら、映画はそこそこ当ったがこのサントラ盤はヒットせず、ジミーは一時期ワイオミングで引退生活を送るようになる。しかし、70年代半ばにまた音楽業界に戻ってきたという。

ジミー・ウォーカーとジェリー・フラーはこのように深い結びつきあり、現在でも1-2ヶ月に一度電話で話したりして、交流は続いているそうだ。つい先日も電話で他愛ない話をしたと言っていた。

その後ジミーは、オアシス(あのロック・グループとは同名異グループで、タワー・オブ・パワーのようなブラス・ロックっぽいサウンド)、また1982年にホット・ストリート(タワー・オブ・パワーのギタリスト、ブルース・コンテが参加)という5人組グループを結成していて、そこでドラムスを担当している。

1990年には一度ニッカボッカーズが再結成したときにも参加している。

ジミーのマネージャーであるケイティーは、ジミー・ウォーカーとアルヴォン・ジョンソンの二人による2012年のライヴの音源をユーチューブにアップしていた。

http://www.youtube.com/watch?v=1eCsJl241w8



また、ジミーは最近ソロ・アルバム『プレイン・トゥ・ウィンPlayin’ To Win』を制作、リリース。これは i-tunes などで入手できるという。

ジミー・ウォーカーのフェイスブック(プロフィールがある)
https://www.facebook.com/pages/JIMMY-WALKER/274927943523?sk=info

同マイスペース(10曲ほど聞ける)
http://www.myspace.com/jimmywalkerprofile/music/playlists/jimmy-s-playlist-104698

しばらく前までラスヴェガス在住だったが、最近はカリフォルニアの北部に住んで、ときどきライヴ活動をしているようだ。

それにしても、ちょっとしたきっかけで、このジミー・ウォーカーの歴史を紐解くことになった。

ドゥーワップっぽいロックンロールのキャッスル・キングス→ビートルズもどきのニッカボッカーズ→まさに典型的ブルー・アイド・ソウル、ライチャス・ブラザーズ→ソロ・シンガーという華麗な経歴の持ち主ということになる。それにしてもたった一曲の、それもほとんどヒットはしていない曲のシンガーにこれだけの豊潤なストーリーがあるとは夢にも思わなかった。まさに「人に歴史あり」。「ヒット曲として我々が目撃するのは、ほんの氷山の一角」という思いを強くした。

今回は電話で話しただけだが、じっくり対面インタヴューができれば、ジミー・ウォーカーのソウル・サーチン・ストーリーなどを聞いてみたいと思った。

このリサーチの過程でジミーのマネージャーのケイティーと知り合い、ジミーに直接電話インタヴューする機会を得た。大方の流れは書けていたのだが、実際にインタヴューして加筆修正したのが本稿だ。

~~~

さて、ジミー・ウォーカーのストーリーは大体終わったのだが、このリサーチの過程で大変おもしろい発見があった。それが、ニュー・ジャージーのWIBGというオールディーズ専門のラジオ局だ。このDJにスティーヴ・カプラスキーという人物がいて、デイヴがこのジミーにインタヴューしていたのだ。

(この項続く)

Very special thanks to Katy, Jimmy Walker for your support

ENTERTAINMENT>ARTIST>Walker, Jimmy



●オマー・チャンドラー、51歳で死去

(おことわり: 連続物『ジミー・ウォーカーを探して』(パート3)は、明日お送りします)

【Omar Chandler Dies At 51】

訃報。

1991年アルバム『オマー・チャンドラー』をリリースし、ネクスト・テディー・ペンダーグラスなどと言われ活躍が期待されたR&Bシンガー、オマー・チャンドラーが2013年3月4日までにサウス・キャロライナ州ハーツヴィルで死去した。51歳。家族が前週の木曜(2月28日)から連絡が取れないことから4日月曜日にハーツヴィルの彼のアパートに行ったところ、何者かに殺害されていた。連絡を受けた警察は、その様子から殺人事件と断定、捜査を始めた。チャンドラーの車、財布、携帯電話などがなくなっているという。

評伝。

オマー・チャンドラーは本名スペンサー・チャンドラー。1962年1月16日ニューヨーク・ハーレム生まれ。1981年、同地のブランダイス・ハイスクール卒業。1983年ごろ、タクシーの運転手をしていたときに客としてまだ無名のテディー・ライリーが乗ってきて、車内で歌っていたチャンドラーと意気投合。二人は、一緒にアポロ・シアターの「アマチュア・ナイト」に参加。彼らが参加したのは1983年12月24日、ここで見事1位に輝き、テディーの音楽活動が陽の目をあびるにつれ、コラボレーションをするようになり、ニューヨークの音楽業界でも知られるようになった。

ラッパー、ロブ・ベースの「ジョイ・アンド・ペイン」(メイズのカヴァー)でリード・ヴォーカルを取り、これが1989年4月からヒットしたことで彼はしばらく「ミスター・ジョイ・アンド・ペイン」などと呼ばれるようになる。その後、テディー・ライリー・プロデュースのボビー・ブラウン作品などでバックコーラスを担当したりしていた。

1988年MCAレコードと契約したが、MCAがモータウン買収などでバタバタして結局彼のソロ・アルバム『オマー・チャンドラー』がリリースされるのは1991年のこと。これは、ネクスト・テディー・ペンダーグラスを思わせる本格的なヴォーカルを聴かせる作品とテディー・ライリーのニュー・ジャック・スウィング的なのりのいい作品がうまく収録され、一部のファンから高い評価を得た。

このほかに、レゲエのシェリー・サンダーの「ワーキング・ガール」、リッチ・ナイスの「ザ・リズム?」に客演している。

しかし、全米では大きなヒットにはならず、MCAを離れ、その後1995年10月、イギリスのエクスパンションから2枚目のアルバム『ピーセス・オブ・マイ・ハート』が出た。

1990年代にテディー・ライリーらがサウス・キャロライナに移ったのにともない同地へ引っ越していたのかもしれない。

オマーはテディー・ライリーの妹ジョイス・ライリーと結婚している。

デビュー作からのシングル・ヒットは、ニューヨークのファースト・コール・シンガー、オードリー・ウィーラーとのデュエットで「ディス・マスト・ビー・ヘヴン」。これは元々デトロイト出身のブレインストームというグループが録音していた作品のカヴァー。

2010年、テディー・ペンダーグラスの追悼コンサートではオマー・チャンドラーもペンダーグラスの曲を歌っている。

2011年10月、自身が持つインディ、BOCエンタテインメントから「オー・ガール」のシングルをリリース。これは配信でも入手できる。

■オマー・チャンドラー (中古1円から! これは買いだ(笑))

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■オー・ガール (チャイ・ライツの曲とは同名異曲)(MP3ダウンロード)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B005VT8CPU/soulsearchiho-22/ref=nosim/



OBITUARY>Chandler, Omar (circa 1961 – by March 1st, 2013 – 51-year old)





(速報) ◎グレゴリー・ポーター~ジャズとソウルの境界線を彷徨って

【Gregory Porter : Walking On Thin Line Between Jazz And Soul】

両部門。

ニューヨーク在住の新進気鋭ジャズ・シンガー、グレゴリー・ポーターの本人名義としては初来日ライヴ。1971年11月4日ロス・アンジェルス生まれというので、41歳ということになる。これまでに、ハーレム・ジャズ・マシーンのメンバーとして、2008年7月、2010年9月に来日している。

2010年11月にリリースされた『ウォーター』がグラミー賞の「ベスト・ジャズ・ヴォーカル・アルバム」にノミネートされ、2012年2月リリースの2作目『ビー・グッド』はグラミー賞の「ベスト・トラディショナルR&B」部門にノミネート。つまり、ジャズ、R&B両部門で評価されているわけだ。そして、イギリス、ヨーロッパでも人気が沸騰中だそう。

そんな中での来日はブルーノート1日とコットンクラブ1日公演。

昨年のオランダ・フリーラントにおける「イントゥー・ザ・グレイト・ワイド・オープン」という音楽フェスティヴァルでのライヴ映像が約1時間ネットで見られる。これを見てからライヴに臨んだのでかなり楽しめた。今回はこのメンバーがそっくりそのまま来日。サックスのヨウスケ・サトウ(佐藤洋祐)さんは日本人。2008年頃ニューヨークに行ってまもなく、出入りするようになったジャズ・クラブでグレゴリーらと知り合い、すでに4年くらい一緒にやっているそうだ。このメンバーはほぼ不動という。

●Into The Great Wide Open 2012ライヴ映像。(2012年9月のもの)(約1時間以上) (オランダ・フリーラントにおける「イントゥー・ザ・グレイと・ワイド・オープン」音楽フェスティヴァルでのライヴ映像)

http://www.youtube.com/watch?v=d-NO0SV3kfI&feature=share&list=PLMFHVdi7XW44Gjs8GSm3YYgxYqyhB7tug





境界線。

ポーターは、ロス・アンジェルス生まれ。大学はフットボールの奨学金を得て行ったが肩を怪我して諦め音楽の道へ。ジャズ・クラブで歌っているうちにヒューバート・ロウズ、エロイーズ・ロウズらと知り合い、ミュージカルなど幅広く活躍するようになった。

声を聴くと、ソウルとジャズのちょうど中間あたりにいて、彼自身で言うナット・キング・コール、ダニー・ハザウェイらの影響が色濃いトーンだ。一言で言えば、ジャズだが若干のソウル寄りな雰囲気があって、それこそうまくいけば「第二のダニー・ハザウェイ」としてもいけるのではないかと思った。(褒めすぎか(笑))

僕は彼の歌声を聴いていて、ウィル・ダウニングや、カール・アンダーソンらのそんなにシャウトしないブラック系シンガーの系統のように感じた。まさに、ジャズとソウルの間にある薄い境界線の上を彷徨っているかのような存在だ。

同じくセカンドを見たブラック・ミュージックの音楽評論家、林剛さんは、「ジャズを歌うときのビリー・ポールみたい。アルバム『ゴーイング・イースト』のような音と歌の世界だ」と感想を述べていた。

偶然青山の食事処でばったり会った松尾潔さん川口大輔さんらと一緒にブルノに行き、ライヴ後歓談。松尾さんは「今年ブルノで見たライヴではもっともいいライヴじゃないかと思いました。番組でも何度もかけていたんで、期待度高かったのもありますけどね。ビル・ウィザーズとか、テリー・キャリアとか、黒人のシンガー・ソングライター的にもいいし、『1960ホワット?』なんて、ハウス的な見地から見ても、そういうDJ好みの声としてもいい」ととてもお気に召した様子。

なんと松尾さんは「アワ・ラヴ」という曲の歌詞をとても気に入り番組で訳して朗読したほどだという。あいにくこの日はこの曲をやってくれなかった。松尾さんは詩人としてのグレゴリーも高く評価しているようなので、僕も彼の歌詞をちょっとじっくり読んでみようと思う。

フレンドリー。

サイン会後、下りてきたグレゴリーと軽く話せたが、そのとき松尾さんが「なんで『アワ・ラヴ』やってくれなかったんですか」と言うと、「じゃあ、シャウトしてくれよ。僕は何を歌おうか迷ってたりするから(笑)」との切り返し。

グレゴリーのライヴも事前にセットリストなしだそう。なので、観客のリクエストがあればその場でやり始めることもあるらしい。8日にコットンクラブに行かれる方は覚えていくといいかもしれない。

彼に新作はと問うと「今年中には出せると思う」。この新作は、なんとユニバーサル・フランスからでるもので、グレゴリーは同社と契約。ジャン・フィリップ・アラールがプロデュースするという。ユニバーサル・フランスでディー・ディー・ブリッジウォーターなどをプロデュースしてきた人物。

そして、どういう経緯で「1960ホワット?」を作ったのかと聞いたところ、「1960年代にはあちこちで、いろいろな人が殺された。マーティン・ルーサー・キング、マルコムX、JFK、デトロイトだけのことではないんだ。あの頃のこと全般を描きたかったんだよ」とのこと。すると「裏の『ドリームガールズ』ですね」と松尾さん。

僕は彼の歌にあまりゴスペル臭を感じなかったが、昔はゴスペルを歌っていたそうだ。

実際に会うとグレゴリーは実に大きい。190センチはあるのではないか。まさにスポーツ選手体格だ。そして誰とでも気軽に話し、とてもフレンドリー。いっぺんにファンになった。ステージを見るだけでなく、ちょっとでも会って話をすることは、そのアーティストを知るために、とっても有益だ。

彼は現在ベッドフォード・スタイヴェサントに住んでいるというので、「(同地に住む、映画監督の)スパイク・リーは友達か?」と聞いたら、「うーん、会ったことはある」と答えた。

ライヴはもう一日コットンクラブで2013年3月8日にもある。この種類の音楽が好きな人には強力にお勧めだ。

COTTON CLUB コットンクラブ
〒100-6402 東京都千代田区丸の内2-7-3 東京ビルTOKIA 2F
TEL 03-3215-1555
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/index.html

~~~

■セカンド・アルバム『ビー・グッド』(2012年2月)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B006OE7XM4/soulsearchiho-22/ref=nosim/

「ビー・グッド」PV
http://youtu.be/9HvpIgHBSdo



■『ウォーター』2010年11月、ファースト・アルバム

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003D5X3VM/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■サックス佐藤さんのホームページ

http://yosukesato.sub.jp/

■メンバー

Gregory Porter (vo) グレゴリー・ポーター(ヴォーカル)
Aaron James (b) アーロン・ジェイムス(ベース)
Chip Crawford (p) チップ・クロフォード(ピアノ)
Yosuke Satoh (sax) ヨウスケ・サトウ佐藤洋祐(サックス)
Emanuel Harrold (ds) エマニュエル・ハロルド(ドラムス)

■Setlist Gregory Porter @ Blue Note Tokyo, March 6, 2013

Show started 21:37
01.God Bless The Child
02.Mother’s Song
03.Be Good (Lion’s Song)
04.On My Way To Harlem
05.Bye Bye Blackbird
06.Wisdom
07.Illusion
08.Work Song (Chain Gang Song)
09.I Fall In Love Too Easily
10.1960 What?
Enc. The Way You Want To Live
Show ended 23:04

(2013年3月6日水曜、ブルーノート東京、グレゴリー・ポーター・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Porter, Gregory
2013-
★『ジミー・ウォーカーを探して(パート2)』 ~『ヴァニシング・ポイント』のサントラで歌っていたシンガーその歴史

【Searching For Jimmy Walker (Part 2 of 4 Parts)】

(昨日からの続き)

(謎のシンガー、ジミー・ウォーカーを探してリサーチした結果、様々な過去が浮かび上がった。ジミー・ウォーカー・ストーリー。)

ジミー・ウォーカーが参加していたニッカボッカーズは、ジェリー・フラーというプロデューサーに見出された。

このジェリー・フラーという人物がまた業界の大物になる男で、おもしろい。ジェリーはまず1959年にチャレンジ・レコードとカントリー・シンガー、アーティストとして契約。同年「テネシー・ワルツ」(パティー・ページで大ヒット)のロカビリー版を録音、これがちょっとしたヒットになっている。

Jerry Fuller - Tennessee Waltz (1959)
http://www.youtube.com/watch?v=BNdYELhhBS8

その後はチャレンジ・レコードでシングルなどを出していたがヒットは生まれず、曲提供や新人発掘、プロデュースなど裏方的な仕事をするようになっていた。

そんな彼が1965年、たまたま東海岸のオルバニーに来ていたとき、ニッカボッカーズをみかけ、スカウト。チャレンジ・レコードに迎えた。

ニッカボッカーズは、チャレンジ・レコードからシングル3枚をヒットさせる。

Lies - The Knickerbockers
http://www.youtube.com/watch?v=1n03a7cLf0M

これが1965年12月からヒットし、ポップチャートで最高位20位を記録。幸先よいスタートを切った。その後2枚のシングルがヒット。映像には4人しか映っていないので、キーボードは辞めていたかもしれないが、このドラマーがジミー・ウォーカーということになる。これを聴けばわかるように、まさにビートルズ風を狙ったグループ・サウンドだ。

彼らはこのヒットを機に、多くのテレビ番組などに出演、一躍その名前が売れた。ジミーが言う。「あの頃はあらゆるテレビに出たよ。『ディック・クラーク』『アメリカン・バンドスタンド』『シェブリー』『ハルバルー』『シンディグ』『ホエア・ジ・アクション・イズ』…。」

「シンディグ」の名前が出たので、その司会者ジム・オニールが死去したことを知らせると、「ええっ、それは知らなかった。君がそのニュースを知らせてくれた最初の人間だ」と驚いた様子。

また、このニッカボッカーズ時代のアレンジャーにはのちにブレッド(「メイク・イット・ウィズ・ユー」「イフ」などの大ヒット)で有名になるデイヴィッド・ゲイツもいた。

ニッカボッカーズはその後2枚のシングルが小ヒット。しかし、ヒットは長続きはしなかった。彼らは1968年までに自然解散となる。

■ ニッカボッカーズのベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000009QJD/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ロイヤル・ティーンズの「ショート・ショーツ」(タモリ倶楽部のテーマ)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000008GU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ジェリー・フラーの「テネシー・ワルツ」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B006UJZWS0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ライチャス・ブラザーズ。

そんなとき、ジミーのもとに一足先に「ブルー・アイド・ソウル・グループ」として大人気だったライチャス・ブラザーズのビル・メドレーがグループを辞めるので、その後釜に入らないかという話が舞い込む。ライチャスはすでに多数のヒットがあったので、ジミーはすぐにこの話にのり、ライチャス・ブラザーズのメンバーとして活動。

ライチャス・ブラザーズはビル・メドレー(1940年9月19日~)とボビー・ハットフィールド(1940年8月10日~2003年11月5日)の二人でたくさんのヒットを放ったグループだが、ビルがソロ・シンガーになるためにグループ(デュオ=2人組)を脱退、ボビーがライチャスの名前を引き継ぎ、ジミーがボビーの相手役となった。こうしてボビーとジミーの二人でライチャス・ブラザーズと名乗ることになった。1968年のことである。この二人のライチャス・ブラザーズで日本に来たこともあるという。ジミーによると日本のナイトクラブでショーをやったという。

Andy Williams and The Righteous Brothers - What’d I Say(Year 1965)
http://youtu.be/KGClv9GKYmo
これは珍しいライチャス・ブラザーズとアンディ・ウィリアムス。金髪がボビー・ハットフィールド、黒髪がビル・メドレー。

そして、ボビー・ハットフィールドとジミーの二人で1969年、『リ・バース(Re-Birth)』というアルバムをリリースした。しかし、残念ながらヒットには至らなかった。

一方、ニッカボッカーズを見出したジェリー・フラーは1967年頃、CBSコロンビアにA&Rマンとして入社。フラーは旧知のジミー・ウォーカーを同レーベルに迎えようとして、曲も用意した。それが「ウーマン・ウーマン」という曲だった。カントリー・シンガーのジミー・グラッサー Jimmy Glaser(1937年12月16日ネブラスカ生まれ)が書いた曲で彼のヴァージョンもある。

Jim Glaser-Woman, Woman
http://youtu.be/2C93c549YQQ



これを聞かされレコーディングはやる気満々だったジミーだが、その時点で彼にはまだチャレンジ・レコードとの契約が残っていたため、そのレコーディングはできなくなってしまった。

一方ほぼ同じ頃、ジェリー・フラーはボーリング場でゲイリー・パケット&ザ・ユニオン・ギャップというグループと出会う。フラーは彼らに先の「ウーマン・ウーマン」を録音させ彼らをデビューさせる。するとそのソウルフルな歌声とともにこれが大ヒット。ライチャス・ブラザーズ同様、いわゆる「ブルー・アイド・ソウル」作品として受け入れられたのだ。

歴史にもしはないのだが、もしこの「ウーマン・ウーマン」をジミーがレコーディングしていれば彼がスターになっていたかもしれない。

ゲイリー・パケットはそのソウルフルな歌声で、「ウーマン・ウーマン」以後、「ヤング・ガール」「レディー・ウィルパワー」など5曲のトップ10ヒットを生み、押しも押されぬスターとなる。

http://www.youtube.com/watch?v=_nNXi66N2oc



こうしてジミー・ウォーカー周辺は劇的に動いていく。

(この項続く)

ENTERTAINMENT>ARTIST>Walker, Jimmy



★『ジミー・ウォーカーを探して(パート1)』 ~『ヴァニシング・ポイント』のサントラで歌っていたシンガーその歴史

【Searching For Jimmy Walker (Part 1 of 4 Parts)】

リサーチ。

2013年1月6日(日)の『バラカン・ビート』(インターFM午後3時~6時)でジミー・ウォーカーというシンガーの「Where Do We Go From Here?」という曲がかかった。ちょうどそれがかかっているときバラカンさんのスタジオにおじゃまして雑談していた。いい曲だったのでとても興味を持った。これは1971年の映画『ヴァニシング・ポイント』のサウンドトラックに収録されている曲で、リスナーからのリクエストだった。(音源は下記ユーチューブを)

Jimmy Walker-Where Do We Go From Here
Vanishing point (1971) soundtrack,Jimmy Walker-where do we go from here
http://www.youtube.com/watch?v=s7bixhF5Dfo

映画はずいぶん昔に見ていたが、内容などすっかり忘れていて、改めて紹介されてやっと思い出した。そしてバラカンさんが、映画の中に登場するDJがものすごくかっこいい、その名は「スーパーソウル」と言ったので思いだした。そう、そのスーパーソウルという名のDJがかっこよかったのをものすごくよく覚えている。低い声の持ち主だ。

リスナーは「このジミー・ウォーカーという人について教えてください」と書いていて、バラカンさんもいろいろ調べたが、あまりよくわからなかった、という。そのときは、ニッカボッカーズというグループにいたメンバーだろうと思うが、ほかにも同名のシンガーなどがいるので、はっきりしない、というコメントをした。

この曲を聴くとものすごく黒人ぽいが、白人かもしれない、サウンドがABC/ダンヒル・サウンドっぽい、と僕は感じた。

けっこう気に入ったので僕も家に帰ってから調べてみた。すると次々といろいろおもしろいことが判明した。その過程で現在ジミー・ウォーカーのマネージャーという人物とメールのやりとりができ、いくつか不明な点を質問したら、「だったら、電話インタヴューしたらいかが?」と誘われ、時間を決めて直撃電話インタヴューをすることになった。以下がそのリサーチによるジミー・ウォーカーについてと、彼のインタヴューの報告だ。まさに「シュガーマンを探して」の「ソウル・サーチン・ヴァージョン」~「ジミー・ウォーカーを探して」という感じだ。それぞれにユーチューブをつけたので、ゆっくりと音楽の旅をお楽しみください。(4回連続予定)

~~~~~~

ドゥーワップ。

ジミー・ウォーカーという名前は僕の頭の片隅にあり、このジミーもブッダ・レーベルかどこかでアルバムを出していたシンガーではないか、というおぼろげな記憶があった。実際は違ったのだが、この名前だと実によくある名前なので、いろいろ検索しても、10人くらいでてくるのではないだろうか、とバラカンさんに言うと、「そう、調べたらたくさん出てきて、はっきりどれと確定できなかった」と言われた。僕が知っていたブッダのジミー・ウォーカーは、コメディアン・タレントの黒人ジミー・ウォーカーだった。

そして、今回のジミー・ウォーカーは確かに1960年代初期に活躍したニッカボッカーズのメンバーだった。このグループはビートルズが出てきた後、1965年ビートルズ風のバンドとしてシングル「ライズ」を全米でヒットさせた。これは聞けばわかるようにサウンドも風貌もビートルズ風を狙ったものだ。(音源は下記ユーチューブを)

ジミー・ウォーカーはニューヨーク・ブロンクス出身。1941年4月10日生まれ。現在71歳だ。(来月72歳になる) 幼少の頃から音楽が好きで、十代のときにはすでにストリート・コーナーで友人3人たち(Eddie Adlum, Frankie Tennerie, Billy Jantd)と4人組のアカペラ・グループを作って歌っていたという。グループ名はキャッスル・キングス(The Castle Kings)。

これがなんとミッド・マンハッタンの歩道で歌っていると、アトランティック・レコード創始者の一人アーメット・アーティガンが通りがかり、名刺を渡され翌日オフィースに行くとアトランティックと契約ということになった。彼らはキャッスル・キングス名義でシングルを2枚レコーディングする。

The Castle Kings:

You Can Get Him – Frankenstein / Loch Lomond (Atlantic 2107)(1961/6)

Jeanette / The Caissons Go Rolling Along (Atlantic 2158)(1962/9)

ここで上の2曲(A-B面)が聞けます
http://shop.frathoprecords.com/?pid=52075382

Jeanette
http://www.youtube.com/watch?v=RGD2n6CCZB8

ジミーが言う。「この『ケイソンズ・ゴー・ローリング・アロング』は、アトランティックのスタジオで当時導入したばかりの最新の8トラック・レコーダーで録音された初めての曲なんだよ。それまでは2トラックだった。当時最新鋭の機種を使って録音したんだ」

プロフィールにはアトランティックで3枚のシングルを出したと書いてあるが、アトランティック、さらにアトコのレーベル・ディスコグラフィーを調べても上記2枚しかでてこない。ひょっとすると、3枚目は録音したもののボツになってしまったのかもしれない。ジミーによれば2枚シングルが出たとのこと。ただこのリード・シンガーがジミーかどうかはわからないが、いずれにせよ、ジミーはこの中にいた。上記の曲は、アーティガン、フィル・スペクターらが書いた初期ロックンロール曲だ。

ニッカボッカーズ。

この後、ジミーはニューヨークのお隣ニュージャージー州バーゲンフィールドに引っ越し、ここで1962年に結成されたロック・グループ、ニッカボッカーズに誘われる。このニッカボッカーズは、元々ボー・チャールズ、ジョン・チャールズの兄弟とネッド・ブラウンが作ったもので、1964年にバディー・ランデール、さらにジミー・ウォーカーが加わり5人組となった。ちなみにこのバディー・ランデールは1958年に「ショート・ショーツ」の大ヒットを放ったロイヤル・ティーンズのメンバーでもあった。この「ショート・ショーツ」は日本でも大変よく知られた曲だ。ユーチューブでお聴きいただこう。

Royal Teens - Short Shorts
http://www.youtube.com/watch?v=2OOTr04YTwE


サックスがバディー・ランデールか? ユーチューブのクレジットではフランク・コッポラとあるが。ピアノはボブ・ゴーディオ。

こんな動画があるなんて。そう、おなじみテレビ番組『タモリ倶楽部』のテーマ曲だ。このロイヤル・ティーンズは、ニュージャージー州バーゲンフィールドで1956年に結成されているが、ここには後にフォー・シーズンズで成功するボブ・ゴーディオ、さらに、ブラッド・スゥエット&ティアーズを大ヒットさせるアル・クーパーも一時期参加した。このロイヤル・ティーンズでサックスを吹いていたのが、ビル・クランデル(のちのバディー・ランデール)である。この動画のサックスがビル・クランデルだ。(ビル・クランデルは1998年死去)

そのビルとジミーが一緒に参加したニッカボッカーズは、ソングライターでありカントリー系、ロカビリー系のシンガーでもあるジェリー・フラー(1938年テキサス生まれ)に見出され、彼の口利きでロスアンジェルスのチャレンジ・レコードと契約する。

このジェリー・フラーという人物がまた業界の大物になる男で、おもしろい。

(この項続く。明日はジェリー・フラーの話から)

ENTERTAINMENT>ARTIST>Walker, Jimmy

■ ニッカボッカーズのベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000009QJD/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ロイヤル・ティーンズの「ショート・ショーツ」(タモリ倶楽部のテーマ)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000008GU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

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