【パーフェクト・パフォーマンス】

ファーストクラス。

なんと表現したらいいのか、うまい言葉が見つからない。あまりにいいライヴを見ると、どうしてもあれも書きたい、これも書きたい、こんなことを思った、などとどんどん書いてしまい、感想文が長くなるという大きな欠点がある。読むほうは短いがいいにきまってる。それはわかっているのだが、どうしても、あれもこれもとなってしまう。今日はちょっと長くなりそうなので、あらかじめ予告しておこう。

今、日本にいるアメリカのブラック系女性シンガーでダントツにすばらしい人だ。いや、このままニューヨークにもっていっても、堂々と人に紹介できる。もっとも、彼女はニューヨーク出身で、すでに向こうでも歌っているのだが。(苦笑) 9月にピアニンのフィーチャード・ヴォーカルで歌っていたデイナ・ハンチャードのライヴである。彼女が横浜モーションブルーで自己のグループでライヴをするというので相当な期待を持って出向いたが、想像以上のパフォーマンスだった。

彼女は、たとえば、ダイアン・リーヴス、カサンドラ・ウィルソン、ディー・ディー・ブリッジウォーター、あるいは、タック&パティーのパティー、さらにもう少し広げるとロバータ・フラックあたりを彷彿させる音楽的教養があり素養の高いシンガーだ。そうしたビッグネームに匹敵するファーストクラスのシンガー・ソングライターだ。

まず歌の表現力がすばらしい。ミュージシャンが間奏を演奏している間でさえ、彼女は歌に身をゆだね、表現し続けている。パフォーマーだ。個々の単語、言葉の意味を完全に理解し、その言葉を聴く者にていねいに伝えようとする。しかも、超低音から、かなりの高音までなめらかに高さを上下する。歌が音階も寸分狂わず、見事に歌いきる。絶対音感を英語でパーフェクトピッチという。略してPP。彼女のパフォーマンスは、パーフェクト・パフォーマンスだ。略してPP。

そして、音楽の多様性が見事だ。ベースにクラシックとジャズがあり、さらに、ソウル、ラテン、ロックなどの要素さえ取り込む。なにより、音楽の理解度、吸収度が圧倒的で、それを自分の体内でろ過し、排出する様がすばらしい。

それらは、いくつかのいわゆるカヴァー曲に現れる。カヴァーなのでなんとなく聴いたことがあるメロディーなのだが、完璧にデイナ本人のものになっている。ポップなアソシエーションの曲をこれほど、ジャジーにするとは。おそらく、それらオリジナルを知らずに聴いたら、みなデイナの作品だと思うだろう。それくらいデイナ色に染まっている。カヴァー曲をどれだけ自分のものにするかで「音楽度」を測るとすれば、デイナの音楽度は異様に高い。

さらに、歌への集中力が本当にすばらしい。デイナが歌へ集中すればするほど、聴くこちら側もどんどん集中していく。ファーストセットが終わった時点でどっと疲れがでたほどだ。もちろん、気持ちのいい疲労感だ。

ファーストとセカンドは、入れ替えがないため、まったく違う曲を歌った。まず、ファーストの「フーズ・クレイジー」から「ニアネス・オブ・ユー」へつないで歌っていくところなど鳥肌が立った。一瞬、ピアニストがデイナを見ていたので、予定外なのかとさえ思ったほど。客席も半分程度の入りだが、このパフォーマンスと値段は、相当なヴァリュー(お値打ち)だ。

ファーストより、セカンドのほうがより集中度が高まり、パフォーマンスもより高度になっていく。セカンドではどれもすばらしいが、4曲目に歌われた「アイ・ケア・フォー・ユー」は見事。さらに、アカペラの一人歌いで始めた「ビューティフル・シティー」も圧巻。その歌う姿に見とれている子の表情が、本当に「うっとり」しているようだった。観客の何人かはデイナが現在音楽を教えている生徒さんだったという。音楽教師というと、ロバータ・フラックもそうだった。

ただひとつだけ、音楽的に僕個人の贅沢を言えば、バンド自体があまり黒さを持っていないので、もうちょっとだけ黒くなってグルーヴ感が出ると、さらによくなるのではないだろうか。まあ、これは好みの問題か。

たとえば、こんなラインアップで彼女の歌を聴いてみたい。ピアノにジョー・サンプル、アコースティック・ベースにクリス・ミン・ドーキー、ドラムスにジャズをやるときのリッキー・ロウソン、ギターにデイヴィッド・T・ウォーカー、曲によってトゥーツ・シールマンスのハーモニカといったメンバーの中にこのデイナをいれてみたい。どんな化学反応が起こるのだろう。想像しただけで興奮する。

モーションで月一定期的にやったらどうだろうか。都内でもいいけど。僕がブルース・ランドヴァール(ブルーノート社長)の携帯番号を持っていれば、すぐに電話する。そんな風に思った。アメリカには、こうしたクラスのシンガーがいくらでもいるんだろうな、とも思った。

確かに歌をちょっと目指す者がいて、彼女のパフォーマンスを見たら、歌をやめようと思うのもいたしかたない。

「どうやったら、あなたのように歌えるようになるのでしょう」ときくと、彼女は「ただ歌うのよ。ひたすら歌い続けることよ。そして、Listen to everybody(ありとあらゆる人を聴きなさい)」と答えた。

トイレに行ったら、小さなブラックの男の子が一生懸命手を洗っていた。人なつっこい笑顔をしていたので、ひょっとしてデイナの息子さんかと思い、「デイナの子供さん?」と尋ねると、「そうだ」と言う。「Your mother is so good!」というと、ひとこと「サンキュー」と答えた。彼の名前はバスク。11歳だそうだ。将来歌うようになるのだろうか。

彼女の声、あのリチャード・ボナの女ヴァージョンのようにも思えてきた。それにしても彼女の声は、イメージの広がる声だ。恐れ入った。

Setlist (all songs are Dana’s original except otherwise indicated)

1st set

show started 18.32
01. Divee Down
02. Holy Water
03. Windy (Association, 1966)
04. Who’s Crazy
05. Nearness Of You (Standard)
06. Mystery
07. Deep Down Into The Well
08. Right Here
09. I Follow You
show ended 19:31

2nd set

show started 20:30
01. Tombo
02. Black Rice Cake
03. Doralice (Joao Gilberto)
04. I Care For You
05. Charly For A Young Brave
06. Back This Way Again
07. Cover Me
08. Beautiful City
Enc. My Romance (standard)
show ended 21:44

■メンバー
道下和彦 Kazu Michishita, guitar
河村竜 Riyu Kawamura, bass
ユキ・アリマサ Yuki Arimasa, piano
平山しげお Shigeo Hirayama, drums

■デイナとの初遭遇。9月8日分ライヴ評。
September 10, 2005
Pianin & Dana Hanchard Live: Dana Said My Language Is Music
http://blog.soulsearchin.com/archives/000496.html

■デイナ・ハンチャード・ウェッブ
http://www.danahanchard.com(バイオ、ディスコグラフィーなど充実。英語です)

(2005年10月7日金曜、横浜モーションブルー=デイナ・ハンチャード・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Hanchard, Dana

Al Kooper Live

2005年10月7日
【アル・クーパー・ライヴ】

まったり。

アル・クーパーというと、ブラッド・スウェット&ティアーズとかそのあたりを思い浮かべるが、この日のライヴはさすがに年季の入ったロックファンが多数かけつけていた。普段のブラック系のライヴとも、ジャズ系のライヴともまったく違うタイプの人たちだ。こういう人たちはいつもは、どこにいるのだろうか。ジャズファンがジャズバーやジャズ喫茶にいるとすれば、彼らはロックバーにいるのだろうか。そんなこともないか。

一曲演奏した後、いきなりブッカーTの「グリーン・オニオン」がきた。マイク・ブルームフィールドとのライヴアルバムにも収録されていた曲だ。ブルース色の強い人だなあとは思っていたが、さすがの選曲。それにしても渋い。黒地にラメ入りのジャケットで、インカムをつけて、ハモンドオルガンを弾きながら歌う。時にはギターも。

「何年もにわたってたくさんの曲を書いてきて、どの曲が一番人気かと聞かれることがあるんだが、それは毎年、少しずつ違う。ところがある年に、ある曲が人気になった。『ジョリー』だ。何が起こったのかと思ったら、日本でテレビCMに使われたらしい。たくさんお金がはいってくれば、悪くない」といったようなことを言っていた。

客席に降りて、マイクをつけながら一周してみたり、観客の帽子をちょっと被って、ニ・三歩歩いて投げて返したり、あいてる席に座ってバンド演奏を聞いたり、まあ、かなりまったりした雰囲気のライヴであった。

ダニー・ハザウェイ他にカヴァーされて知られる「アイ・ラヴ・ユー・モア・ザン・ユー・エヴァー」、そして、さいごの曲「カミン・バック・イン・ア・キャデラック」を終えて、一度引っ込んだアル・クーパーは、拍手に答えて再登場。「客席の明かりを明るくしてくれ。女の子の顔をみたいんだ。今晩一緒に過ごしてくれる女の子を探すんだ。名前は〜〜」 そして、アンコール曲として「ジョリー」を歌った。

Setlist: Al Kooper Japanese Tour
Ocotober 6, 2005 At Kokusai Forum Hall C

show started 19:08
01. Can’t Keep From Crying
02. Green Onions
03. My Hands Are Tied
04. How My Ever Gonna Get Over You
05. I Wish You Would
06. Going Going Gone
07. I Can’t Quit Her
08. Don’t Tell Me
09. I Want You To Tell Me The Truth
10. Childish Love/Stealer
11. Flute Thing
12. I Love You More Than You Ever
13. Comin’ Back In A Cadillac
Enc. Jolie
show ended 20:57

(2005年10月6日木曜、東京国際フォーラム・ホールC=アル・クーパー・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Cooper, Al

Steve Tyrell Talks 

2005年10月6日
(昨日からのつづき)

【スティーヴ・タイレル語る】

歌好き。

それにしても、一曲が短い。だいたい3ー4分前後。これは気持ちいい。次から次へとほとんどMCもなく、曲が歌われる。それも、ほとんどなじみのスタンダードばかり。アメリカのクラブではバカ受けするだろう。

ドラムス、ギター、ベース、ピアノ、キーボード、そして、サックスという6人編成にスティーヴ本人。彼は実にエンタテイナーぶりを発揮する。それほど客数も多くないが、笑顔をふりまき、観客を指差し、コンタクトを欠かさない。

こういう言い方は若干失礼になるが、ロッドの『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』をライヴで聞いているかのようだ。

16曲目の「イット・ハド・トゥ・ビー・ユー」が終わって一度舞台を降りたが、観客の拍手に迎えられてステージに戻ってきて彼はマイクを握った。「よく聞かれるんです。あなたがもっとも影響を受けたシンガーは誰ですか、と。その答えは簡単です。彼の音楽は、僕が初めて聴いた日からずっと僕のソウルに触れてきました。一言で、彼の声にやられました。幸運なことに、僕は彼と一緒に仕事をし、プロデュースする機会がありました。では、僕のフェヴァリット・アーティストの曲を歌いましょう」

一瞬、レイ・チャールズのことかと思ったが、彼がレイをプロデュースしたとはきいていなかったので、誰だろうと思ったら、流れてきた曲は「ジョージア・オン・マイ・マインド」だった。「おお、やっぱり!」 スティーヴの歌声の節々にやはり、レイの面影はあるのだ。なんといっても、CDでこれを聞いたときには、ほんとは黒人じゃないか、と思ったほどだったから。

それまでのスタンダードを歌うスティーヴとは明らかに違っていた。彼がレイをプロデュースした作品は、今月新譜として出るレイのデュエットアルバムの第二弾に収録されている。

ライヴが終わって、彼が客席にでてきたので、少し立話をした。50歳からのデビューということがあったので、「いつ頃から歌いはじめたのですか」と尋ねた。「ずっと、生涯歌ってるよ。たまたま、映画のオーディションのときに、僕のテープがよかったらしくて、実際に歌ってみればと言われて、歌ったら評判がよくなってね。それで、レコードデビューして、あとはご存知の通り」

「レパートリーは、そうだな、100曲、いやもっとあるなあ。自分がレコーディングした曲は全部歌えるし、たとえば、自分がプロデュースしたロッドのものなんかも、アレンジは僕がしてるので、使えるし、歌えるよ。セットリストも、よく変えてる。アメリカでは、ファーストセットにきた客がそのままセカンドにも残ってることが多いんだ。だから、そういうときは、全部曲を変えるよ」

「『スターダスト』は今日はファーストで歌いましたか? あなたのヴァージョンが大好きなんですよ」「あれには、トゥーツ(・シールマン)がはいってる! いや、あれはしばらく歌ってないな。歌ってほしければ歌えるよ」と言って、「and now the purple dusk of twilight time〜」とさわりをその場で歌ってくれた。おおおっ。気さくでフレンドリーです。

「ロッドが第4集を作ったと聞いてるんですが」 「ああ、もうすぐ出る、あと2週間くらいでリリースされるんじゃないかな。3作目も今度のも僕がプロデュースしている。ロッドは、僕の1枚目を聞いて僕のファンになったんだ。それで、同じようなアルバムを作りたいと思って連絡してきた。だから、彼が僕のスタジオにやってきて、僕のミュージシャンたちを使わせてあげた。1作目はまあまあだと思うけど、3作目はとてもいいできだと思う。二人(ロッドとスティーヴ)にとって初のグラミーになったからね。自分の新作は、『シングス・フランク・シナトラ』だ。これは自分のアルバムの中でベストだよ。今年の初め、ハリウッドボウルで、クインシーの指揮でシナトラの曲を歌う機会があって、それが大評判だった。そうしたら、レコード会社がシナトラの曲ばかりのアルバムを作ってくれ、といってきた。それで録音したんだ。シナトラ・ファミリーの最大限のバックアップをもらえてね。ジュニアも奥さんもみんな知ってるんだ。フランク・シナトラ・ジュニアは、一曲僕と一緒に歌ってるんだよ。彼はうまいシンガーだよ。もうすぐアメリカででる」

「あなたの声は、ルー・ロウルズに似てると思うのですが」 「ああ、ルーもいい友達だ」と言って、ルーのヒット曲 You’ll never find another love like mine〜とちょっと歌う。いやいやほんとに歌がお好きな人なんですね。ただしルーのヒットは、正式なレパートリーには入ってないそうだ。

■日曜日の「ソウル・サーチン」でスティーヴ・タイレルをご紹介します

■スティーヴのライヴは、10月9日=日=、10日=月・祝日=、11日=火=と3日間ブルーノートであります。古き良きヴォーカルをお求めのかたは、ぜひ。

■ブルーノートウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20051009.html

(2005年10月4日火曜、横浜モーションブルー=スティーヴ・タイレル・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Tyrell, Steve
【スティーヴ・タイレル・ライヴ〜『グレイト・ソングブック』の影の仕掛け人】

渋声。

彼の声を初めて聞いたとき、あのソウル・シンガー、ルー・ロウルズによく似た渋い声だなあと思って、思わず聞き耳を立てた。黒人なのか、白人なのかちょっとわからなかった。マイケル・ボルトンよりは黒っぽいし、しかし、ルーほど黒くない。そして、知ったのがスティーヴ・タイレルだった。『スタンダード・タイム』(2002年)だった。この前に一枚『ニュー・スタンダード』(1999年)がでている。これらが、スタンダードばかりを歌った実にいいアルバムで、一時期よく聞いていた。一番のお気に入りは、「スターダスト」、そして、もう一曲「ジョージア・オン・マイ・マインド」。

しかし、日本ではまったくと言っていいほど知名度がない。アルバムの内容が、いいだけにもったいない。ロッド・スチュワートの一連の『グレイト・ソング・ブック』第1集から第3集までがこのところ大人気だが、まさにあれと同じ雰囲気を漂わせている。実際、第3集をプロデュースしたのは、このスティーヴ・タイレルなのだ。たぶん、CMなどに使われたらそこそこブレイクすることは間違いないのだが、まあ、タイミングというか、今、その波が来ていないということだけなのだろう。

で、いろいろ調べてみるとこの人のキャリアは実に多彩だ。テキサスに生まれ、ジョー・サンプルとは幼なじみ。99年のソロデビュー時に「50歳の遅咲きデビューと」宣伝されたので、1949年生まれではないかと書かれているが、実際はもう少し行っていると思う。64-65年くらいに19歳くらい、つまり1945-46年くらいではないだろうか。

ハイスクール時代にR&Bバンドに参加して歌っていた。テキサスのレコード・ディストリビューター(卸元)で働いているうちに、レコード会社の人間と知り合い、ニューヨークのインディ・レーベル、セプター・レコードに入社。ここで、レコード業界のイロハを教わる。当時はA&R(アーティスト&レパートリー=ひとことで言えば制作のディレクター)という言葉はなかったが、制作まわりの雑用をすべてやらされた。そのころのセプターは、バート・バカラックとディオンヌ・ワーウィックが手を組み大ヒットを次々に出していた頃。その後、BJトーマスの売出しにも成功。さらに、ロスにやってきて、テレビ関係、映画音楽関係の仕事を多数やるようになった。

ひょんなことから、映画『花嫁の父親』のなかでクラブシンガーの役で歌ったところ、これが大評判を得て、レコード・デビューすることに。裏方からいきなり表舞台にでることになった。アトランティックで1枚スタンダードばかりを収録したアルバムを出したところ、ジャズシーンで大ヒット。

これを聞いたロッド・スチュワートは、スティーヴに惚れ込み、自分も同じようなアルバムを作りたいと連絡してきた。そして、ロッドが録音したアルバムが『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』だった。ロッドはこの一部をスティーヴのスタジオでレコーディングしている。これを作っているときには、ロッドは10万枚も売れればいいだろう、と思っていたという。ところがリリースされると100万枚以上の大ヒットになり、第2集、さらにその続編とリリースされる。そして、第3集では、スティーヴ自身がプロデュースすることになった。この第3集は、3作のなかでも一番売れ、両者にグラミー賞をもたらした。

スティーヴのアルバムを聞いて、ロッドのあのアルバムを思い浮かべるのは自然なことなのだ。

そんなスティーヴが初来日。初日横浜モーション・ブルーでライヴを見た。バックはたった6人なのに、ビッグバンドのようなサウンドアレンジ。さすが、名アレンジャーだけある。そして、CDと同じ歌声を響かせた。いやあ、しびれた。

(この項明日へ続く)

(スティーヴのライヴは、10月9日=日=、10日=月・祝日=、11日=火=と3日間ブルーノートであります。古き良きヴォーカルをお求めのかたは、ぜひ)

■ブルーノートウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20051009.html

■Setlist: Steve Tyrell @ Motion Blue, Second Set, October 4, 2005

show started 21:33
01. Nevertheless I’m In Love With You
02. You’d Be So Nice Come Home To
03. Just In Time
04. Isn’t It Romantic
05. The Nearness Of You
06. I’ve Got A Crush On You
07. This Guy’s In Love With You
08. I Wonder, I Wonder, I Wonder
09. A Kiss To Build A Dream On
10. Until The Real Thing Comes Along
11. The Mood That I’m In
12. What A Little Moonlight Can Do
13. Don’t Get Around Much More
14. The Way You Look Tonight (From "Father Of Bride")
15. I Can’t Give You Anything But Love
16. It Had To Be You
Enc. Georgia On My Mind
Enc. Ain’t It Misbehavin’
show ended 22:45

(2005年10月4日火曜、横浜モーションブルー・セカンド=スティーヴ・タイレル・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Tyrell, Steve
【エリック語る】

三昧(ざんまい)。

横浜レンガ倉庫にあるモーションブルーは、ブルーノートより少しだけ小さい。場所的に若干不便だが、エリック・ベネイはさすが超満員。日曜セカンドには、トクや日野賢二、ケイリブ・ジェームスなども来ていた。日野さん、一曲目始まるなり全開で「スライ、スライ!」と叫ぶ。もちろん、「アイ・ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」が始まれば、「プリンス! プリンス!」。やっぱりあのファルセットは、プリンスの影響強しだと思う。

エリックは、毎日ライヴが終わった後、サイン会をやっていた。この日もしていた。とりあえず『ハリケーン』にサインしてもらった後、少し話す機会があった。

エリックがステージで話す声を聴いていて、ずっと誰かの声に似ているなあ、と思っていたのだが、どうしてもそれが思い出せなかった。エリックと話始めてすぐに、それがわかった。あってるかどうかわからないのだが、つまり、似てないという人もいるかもしれないが、テニスプレイヤーのアガシの声、話し方に似ていると僕には思えたのだ。アガシがインタヴューなどで話している声と話し方、それとエリックがステージで話している時の声。僕にはとても似てるように感じた。木曜からずっと考えていて、やっとわかってほっとした。

「あなたの声やしゃべりかたが、ある人に似てると思ってたんです。アガシです」 「誰?」 「テニスプレイヤーのアガシ」 「え、僕の声がアガシに似てるの? 今まで言われたことないな。彼は歌うの?」 「いや、歌わないと思う」 

「ところで、あなたの誕生日は、69年の10月15日であってますか?」と尋ねると、「いや、66年だよ。僕はオールドマンなんだ。(笑い)」 「ええ? じゃあ、69年というのは、間違ってる?」 「うん、間違ってるよ」 ということは来週の土曜日で39歳だ。公式のバイオグラフィーなどで2年サバを読むのはとても一般的なのだが、この場合3年。微妙におもしろい。

「スティーヴィー・ワンダーは好きですかDo you like Stevie Wonder?」と尋ねたら、どうも発音が悪くて「Do you write Stevie Wonder?(スティーヴィーに曲を書く?)」と取り違えられ「ノー、ノー」とびっくりされた。改めてゆっくり言うと、「おお、もちろん」との答え。「新作はきいた?」と聞くと「スティーヴィーが何曲か聞かせてくれたよ」と実際、会って聞かせてもらったということを話してくれた。まあ、スティーヴィーに曲を書くシンガー・ソングライターなんて、まず今はいない。

それにしても、エリックは次々並ぶファンに一枚一枚ていねいにサインをしていた。

モーションのライヴは、ブルーノート木曜セカンドより一曲少なかった。木曜の13曲目「ホエア・ダズ・ラヴ・ゴー」がカットされていた。また、ラテン調の「ホワイ・ユー・フォロー・ミー」を聞いているとき、この曲、ヒロミ・ゴーが歌ったら、日本でもヒットしそう、などと思った。

モーションを出た後、久々にソウルバー、シュガーシャックに行って「今、ベネイ帰りです」と言ったら、オウナー石川さんが、シンバッドのライヴイヴェントでデニース・ウィリアムスとエリック・ベネイがデュエットしている映像を見せてくれた。わお! サンクス! 二人は「ホエン・ユー・シンク・オブ・ミー」と、マーヴィン&タミー・テレルでおなじみの「エイント・ナッシング・ライク・ア・リアル・シング」を歌っていた。エリックは真っ白のスーツを着ていた。

この数日、エリック三昧なり。

Setlist : Eric Benet, 2005.10.2 @ Motion Blue

(1)=1st album, (2)=2nd album, (3)=3rd album

show started 20.32
01. If You Want Me To Stay (Sly & Family Stone) (1)
02. When You Think Of Me (2)
03. India (3)
04. Be Myself Again (3)
05. I Wanna Be Your Lover (Prince)
06. Spiritual Thang (1)
07. Why You Follow Me (2)
08. Hurricane (3)
09. Spend My Whole Life With You (2)
10. "David Foster Song: Snippet" After The Love Has Gone / Through The Fire / I Will Always Love You
11. The Last Time I Fall In Love (3)
12. I Wanna Be Loved (3)
Enc. Georgy Porgy (including "What You Won’t Do For Love") (Toto)(2)
show ended 22.00

(2005年10月2日日曜セカンドセット、モーションブルー横浜=エリック・エネイ・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Benet, Eric
(速報) エボニーズ公演中止に
Ebonys Canceled Upcoming Japan Tour

11月末に予定されていたソウル・ヴォーカル・グループ、エボニーズの来日公演がメンバーの病気のため中止となった。メンバーのひとりが、風邪をこじらせ、感染症になり、冬場の長旅にドクターストップがかかったため。改めて来日公演へ向けてスケジュールを再度組みなおす。チョコレート・クリーム・プロダクションが3日、発表した。

問い合わせ先 チョコレート・クリーム・プロダクション
電話 03-3487-4176
http://chocolatecream.co.jp/
Eメール chococri@ceres.ocn.ne.jp

ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Ebonys
(昨日のパート1からの続き)

【人生の交差点--Part 2】

灯火。

彼女はなにかがふっきれて、東京に戻ってきた。それを見た、彼女をいつも応援してくれていた女友達が一言つぶやいた。「ようやくわかったみたいね」 彼女にはすべて見えていたかのようだった。

2000年。そんな彼女がテレビで見た音楽ヴィデオの映像に目をとめ、そのアーティスト名をメモしていた。CDショップに行ったときに、そのメモを見ながらCDを探した。それがエリック・べネイのセカンドアルバム『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』だった。

家に戻りCDをかけると、一曲目からノックアウトさせられた。もうやられっぱなしだった。それこそ擦り切れるほど聴いた。自分が音楽をやることをやめてから、やみくもにただ音楽を趣味として聴いていた彼女が再び、自分でも音楽を作りたいと思い出すようになった。こんな声で歌われたらたまらない。だが、自分でもこれだけ人の魂を揺さぶる曲が作れたらいいなあ、という思いが少しずつ湧き上がってきた。音楽を止める決意をしてから5年以上の月日が経っていた。

改めて曲作りをするようになると、10年前の自分がいかに似非(えせ)シンガー・ソングライターだったかが、痛いほどわかった。10年間の経験が彼女にさまざまなことを教え、人間に深みを与えていたのだ。

2005年、もちろん3作目も出たらすぐ買った。エリックのことをいろいろ読んだ。すると、エリックの苦労と挫折に感動し、その人生が妙に自分と重なってきてしまった。『ハリケーン』のいくつかの曲の歌詞を読めば読むほど、エリックの気持ちがわかってきた。

エリックは最初の妻と死別していた。次の奥さん、ハリウッドの大女優ハル・ベリーとも離婚していた。自分には子供はいなかったが、同棲していた彼氏と別れていた。

人に惑わされずもう一度自分自身になる決意を表明する「ビー・マイセルフ・アゲイン」、ハリケーンしか痛みを洗い流す方法がないときもあるという「ハリケーン」、僕は愛されたいと懇願する「アイ・ウォナ・ビー・ラヴド」・・・。いずれも、エリックが過去15年で経験してきたさまざまな出来事が投影されてきた作品だ。最初の妻の死、その忘れ形見インディア、そのインディアへの愛、親権をめぐる争い、新たな恋と別れ。個々の出来事が、それぞれの曲から実際には見てもいないのに、映画のワンシーンのように、フラッシュバックしてきた。そして、自分の10年を振り返ると、音楽での成功を夢見て東京にでてきたこと、しかし、いろいろあって音楽を止めたこと、まったくおもいがけず不倫をして、しかしそこから生きる糸口を見つけたこと、溺れかかったときに「生きたい」と強く感じたこと、同棲していた彼氏との別れなど、さまざまなシーンがリアルによみがえった。

彼女にとって、エリックの音楽は、自分の人生の節目節目に見事に現れてきた。自分の人生に迷いがあったとき、エリックの歌と声が、彼女にとっての漆黒の海原を照らす一筋の光を灯す灯台さながらとなっていたのだ。

+++++

直撃。

3作目『ハリケーン』を買ってからまもなくエリック・ベネイが来日することを知った。とるものもとりあえず予約した。最初土曜日を予約した。しかし、何日かして土曜日一日だけでは十分ではないのではないかと思い、初日も追加で予約した。

初日当日、最初はブルーノートには2時くらいに来るつもりだった。だが、ちょっと寝坊して、4時くらいになってしまった。予約番号は60番台だった。本当は一番前で見たいと思っていたが、一人だったのでなんとか前から数列目に座ることができた。9時過ぎに席に座り、ジントニックをオーダーした。テーブルにはハンカチを置き、準備万端にした。始まるまでの間、彼女は『ハリケーン』のCDの解説書と歌詞の日本語訳を読んでいた。歌詞を徹底的に頭の中にいれようと思っていたのだ。「その歌が歌われたとき、内容がストレートに私の中にはいってくるようにと思って」彼女は歌詞を丹念に読んでいた。彼女は、横に座っていた男がその姿を見て、心の中で「この彼女は本当にエリックが好きなんだな。ハンカチをテーブルに置いてるということは、本気で泣く気だな」などと推理していたとは夢にも知らなかった。

9時半スタートの予定がなかなか始まらず、彼女はちょっといらいらしてきた。だが、あこがれのエリックのライヴがまもなく始まると思うと、いらいらよりも、どきどきのほうが高まってきた。彼女の向かいの席はひとつ空いていたが、両隣にはカップルが座っていた。彼女の隣に座っていた女の子が男性に「エリックっていくつくらいなのかしら」と尋ねていた。彼が「う〜んと、1969年か68年くらいの生まれじゃなかったかなあ。36か37かな」と言っていた。「へえ、けっこういってるんだ〜。でもかっこいいよね〜」

彼女の耳はダンボになっていた。「ブルーノートのホームページちゃんと予習したよ。そこにはエリックは1969年の10月15日生まれだって書いてあるよ〜〜。私と誕生日2日しか違わないんだから、ちゃんと覚えてるよ」と心の中でつぶやいていた。「68年じゃないよ〜〜。しかもまだ誕生日前だから、35だよ」 思わずとなりの会話に口を挟もうかと思ったが、さすがにやめた。

観客席のライトが落ち、ミュージシャンたちがステージにあがってきた。もう興奮は最高潮だ。彼らが音を出し、エリックが楽屋からでてきたら、気持ちは最大限に爆発していた。一曲目から立ちあがりたかったが、ちょっとだけ我慢して、椅子に座りながら踊った。無意識のうちに激しく体が反応していた。エリックの年を聞いていた隣の女の子には少し迷惑になったかもしれない。

一曲目からはやくも放心状態だった。通路を歩いてきたそのスーツ姿のエリックを見ただけで来てよかったと思った。そして、マイクを握り、歌い始めた瞬間卒倒しそうになった。「やっぱり、あの声なのよ。すべての苦労があの声に入ってるのよ。だから、私のソウルに直撃なの」 彼女はそう思った。「インディア」では体が凍りついた。「ハリケーン」には涙があふれた。

さいごのアンコール曲ではもう会場も立ちあがっていたので、自分も立ちあがって踊った。エリックが後ろ側の通路を通ってステージに向かった時、思わず、小走りにエリックに向かって、ちょっとだけ触ってしまった。

自分の過去10年と、エリックの過去10年。もちろん、その10年は場所も、スケールも、人生の中身もすべて違うものだったが、このエリックのライヴ空間に来たことで、まったく歩みの違ったふたつの人生が一瞬交わったような気がした。彼女と同じように、ベネイの音楽に影響を受けた人もたくさんいるだろう。ベネイのように自身の人生を歌に託すシンガー・ソングライターには、男でも女でも共感者が多い。エリック・ベネイは、彼自身人生のいくつもの交差点を通り過ぎてきた男だが、彼はまた、さまざまな他の人たちの人生の交差点にも立つ男だ。

ライヴが終わると力が抜けて、彼女は魂の抜けたぬけ殻になっていた。ソウルなきボディーだ。すると、となりに座っていた彼が声をかけてきた。「エリック、相当お好きなんですね」 その日、ひとりで行動していてほとんどしゃべっていなかった彼女は、水道管の蛇口をひねったように、いっきにしゃべり始めた。今見たライヴの感動を語り合いたかった彼女は、それだけでなく、自分が札幌から歌手を目指してでてきたこと、エリックの音楽との出会い、そして、エリックと自分のことについてずっと話し続けた。ふと気付くと店内のBGMは消え、満員だった席には彼女らしか残っていなかった・・・。

ENT>MUSIC>ESSAY>Benet, Eric
(今日と明日にわけてお送りします。また今日の分も2部に分割になりました。(Part 1 of 2 Parts)--1からお読みください)

Part 1 of 2 Parts)--2

足をばたばたさせると、水が口の中にはいってきた。苦しい。ダイヴィングの機材が急に重く感じられた。海底のほうから、何かが自分の足を引っ張るような感覚がした。しかし、おぼれ始めて、自分が何がどうなったのかわからなくなったその瞬間に、彼女は思ったのだ。「死にたくない!」 そして、思いの丈をこめ彼女は叫んだ。「助けて〜〜〜!!!」

周囲の人たちがかけつけ、大事に至らずに彼女は助かった。このおぼれそうになった時感じた「死にたくない」という気持ちを、彼女は感慨深く考えていた。「私は、死にたくないんだ」 岸に引き上げられた彼女は、何度もその気持ちを反芻(はんすう)した。生への執着が生まれた瞬間だった。

(明日のパート2へ続く)

ENT>MUSIC>ESSAY>Benet, Eric
(今日と明日にわけてお送りします。また今日の分も2部に分割になりました。(Part 1 of 2 Parts)--1からお読みください)

【人生の交差点】

期待。

ライヴが始まる前は、観客の期待感も徐々に高まっている。特に満員のセカンドセットとなれば、その温度もかなり熱くなっている。エリック・ベネイ初日、一人できていたその彼女はジントニックを係りの者にオーダーすると、おもむろにバックからハンカチを取り出し、テーブルに置き、さらに最新CD『ハリケーン』の解説書まで取り出した。そして、その解説文(ライナーノーツ)をさらりと読み、歌詞の日本語訳を熟読していた。まさに来るべきショウへの予習を熱心にしていたのだ。

約20分遅れで始まったショウ。バンドが音を出した瞬間から、その彼女はたったひとりで来ていたにもかかわらず、大爆発して座りながらも激しく体をゆすり踊り始めた。何人かグループで来て、盛り上がって踊り出す連中はよくいる。しかし、たったひとりできて、こののりは。いったいなぜ、彼女はこれほどエリック・ベネイの音楽に反応しているのか・・・。

+++++

挫折。

1994年、札幌に住んでいた歌手志望の彼女は、真剣に歌手になる夢を求めていた。札幌時代にいくつかデモテープを作って売り込んだところ、とあるレコード会社が声をかけてくれ、レコード・デビューへの話が進み、とりあえず東京にやってきた。都内に部屋を借り、ちょっとアルバイトをしながら、ひたすら曲を作リ始めた。自分はいっぱしのシンガー・ソングライターだと思っていた。自分が他人よりも感性があることはうっすら気付いていた。自分が何かの出来事に感じる悲しみや喜びの度合いが他の人たちよりはるかに大きいのだ。だから嬉しいときはとても嬉しいが、悲しいときは相当落ち込む。その感情の起伏の激しさゆえに、なかなか友達も作り辛かった。

男2人と彼女でとりあえずユニットを作り、ライヴの準備も進めた。レコード会社の指導の元でレコーディングをしてみた。だが自分が作った作品について、ディレクターがあれこれ口出しをしてきた。もちろん、その曲をよくしようという建設的な意見なら、それもいいだろう。しかし、根本的な音楽的な違いからくる意見の相違は、なかなか受け入れることが難しかった。それでも、まだ何も音楽業界のことを知らない、10代のうぶな新人は、できるだけ、ディレクターや周囲の人に好かれようと、彼らの言う意見をどんどんとりいれた。

目指すサウンドは、スイングアウト・シスターズやシャーデーのようなちょっとおしゃれでクールな都会的サウンドだった。ところが、彼女は地があっけらかんとしていて、「がはは」と大きな声で笑うような豪快な女性だったから、目指す音とは少し違っていた。そして、周囲の意見に基づいて直して出来あがったデモ・テープの音は、彼女が最初に作ったものとは、似ても似つかぬものに変貌していた。ライヴも、MC(トーク)は、クールに行くようにといわれていたが、ひとたび話し始めるとオヤジギャグ満載でかなりファンキーになってしまった。観客からはバカ受けしたが、メンバーとスタッフは眉間にしわを寄せていた。

そして、次のライヴでは、自分を殺してクールにやってみた。しかし、自分で自分が自分じゃないように思えた。そんなこんなで、徐々に彼女にはストレスがたまっていった。曲も思うようにできなくなり、彼女は煮詰まって煮詰まって、部屋にこもるようになった。典型的な引きこもりだ。そして、悩みに悩んだ末、彼女は音楽をやめようと一大決心を固める。

収入も途絶え、なんとかわずかな蓄えとアルバイトでその日暮らしを続けたが、毎日がつまらなかった。大好きだった音楽を止めて、なにか自分の体から魂が抜けてしまったようだった。自分はせみのぬけがらのようだったと彼女は感じていた。挫折の日々だった。

自殺。

自分の顔を鏡で見ても、とても嫌な顔になっていた。そんなとき、アルバイト先のひとりの女性がいつも彼女のことを応援してくれいてた。なぜかはわからないが、落ち込み、元気のない彼女を「だいじょうよ、いいことが起こるから」と声をかけてくれた。もちろん、彼女にとっては少しは嬉しかったが、それほどの励ましにはならなかった。躁鬱(そううつ)のうつ状態がずっと続いた。自分が嫌いで、何度も自殺したいと思った。「でも、痛いのは怖いので、本当に自殺する勇気はないの。だから、何かの事故にでもあって死ねればいいのになんて本気で考えていた」

そんな彼女は、自分ではひじょうにまっとうに生きてきて、曲がったこと、道理にそぐわないことが大嫌いな性格だった。竹を割ったような性格で、白黒をはっきりさせるタイプだ。たとえば、男女関係で言えば、不倫などもってのほか、絶対に許せないことであり、自分が妻子持ちなどに興味を持つことなどありえなかった。彼女はそのころ、ミュージシャンの彼氏と同棲していた。

彼女のバイト先は飲食店だった。そこにはさまざまなタイプの客がやってきた。そんな中で彼女に積極的にアプローチしてくる男がいた。だが第一印象から、彼女はその男が大嫌いだった。自分の嫌いなタイプだったのだ。客なので、それほどそでにもできないが、彼女なりにかなり邪険に扱っていた。何度も顔を合わせるようになってしばらくしてから、店のスタッフとその客の男と何人かで飲みに行くことになった。宴が終わり、帰ることになると、その大嫌いな男と家の方向が同じだったので、その彼が彼女を送ることになった。彼女はかなり酔っていた。彼の家のまえで別れ際に、なんと彼女のほうから彼にキスを求めてしまったのだ。

「それがわからないのよ。なんでそうなったのか。よっぱらっていたからか。嫌いなはずなのに、しつこく、これでもかこれでもかってアプローチされて、だんだん惹かれていたのか。わからない」。そして、これを機に彼女は彼と会うようになり始める。

ところが、彼女が一番感じたのが、その彼に会うことによって、自分がうつから少しずつ抜け出せるような気がしてきたということだった。彼女はそれが信じられなかった。しかし、しかし、その彼には妻子がいることが発覚したのだ。絶対に不倫などしないと思っていた自分がよりによって気になり始めた男に妻子があったのだ。彼女は、またここで多いに葛藤する。

彼女は、いつも自分は死にたいと思っていた。そんな死にたいと思っていた95年1月、阪神大震災が起き、さらに2ヶ月後の3月には地下鉄サリン事件が起こる。魂の抜け殻の体で「ぼーっと」その映像をテレビで見ていて、彼女は思った。「私が、地震で死ねばよかったのに。私がサリンで死ねばよかったのに。死にたい私がこうして死ねないでいるのに、なんで死にたいなんてこれっぽっちも思っていない多くの人が死ななければならないの? これはおかしい。私は、神にひょっとして生かされているのかもしれない。私は生きていかなければならないのかもしれない」と。

生。

そんなあるとき、彼女は友人たちに屋久島へ数日間の旅を誘われる。うつ状態からも少しずつ抜け出し、しかし、不倫で悩んでいることもあり、悩みの状態は続いていた。心機一転する意味でこの旅行にでかけることにする。

屋久島はもちろん、彼女にとって初めてだった。ここで彼女は初のダイヴィングに挑戦することになった。初めてのダイヴィングは楽しかった。彼女はどんどん調子にのって沖に進んでいった。まったくの初心者だったので、自分では方向性がわからず、沖から岸に戻ろうとしているのに、実際は岸にはまったく近づいていなかった。ちょっと不安に思ったその瞬間、彼女の足がつった。そして、そこで彼女はおぼれかかったのだ。

足をばたばたさせると、水が口の中にはいってきた。苦しい…
【フィリーの伝説的ヴォーカル・グループ、エボニーズ初来日】

初。

1971年フィラデルフィア・インターナショナル・レコードから「ユーアー・ザ・リーズン・ホワイ」をヒットさせ、注目を集めたR&Bヴォーカル・グループ、エボニーズが2005年11月に初来日する。11月27日(日)、28日(月)、渋谷デュオ、その後30日(水)福岡クロッシング・ホールでライヴを行う。名盤を残しつつも、活動状況が謎に包まれていただけに、来日はまさに奇跡かもしれない。今回の来日メンバーは、オリジナル・メンバーのデイヴィッド・ビーズレーを中心にローナ・グロス、デシー・スコット、スタンフォード・ルイスの4人。

エボニーズは、「ユーアー・・・」のほか「イッツ・フォーエヴァー」の名曲もあり、アルバム数は少ないがひじょうに人気の高いアーティスト。ヒット曲が続かなかったために、一時期自然解散。メンバーのひとり、ジェニー・ホルムスは後にクリーム・デ・ココアというグループに参加する。

エボニーズは、1968年頃、ニュージャージー州キャムデンで結成された4人組R&Bヴォーカル・グループ。メンバーは、ジェームス・テューテン、デイヴィッド・ビーズレー、クラレンス・ヴォーン、そして、紅一点のジェニー・ホルムス。一枚インディでシングルを出した後、71年、ケニー・ギャンブル&リオン・ハフが設立したばかりのフィラデルフィア・インターナショナル・レコードと契約、71年初頭に「ユーアー・ザ・リーズン・ホワイ」をリリース。これが、ソウルチャートで最高位10位を記録。華々しいスタートを飾った。時あたかもフィリー・ソウルが大爆発する直前で、後に来るフィラデルフィア・サウンドの大ブームの夜明け時期の傑作だった。

その後、73年に「イッツ・フォーエヴァー」の名曲を出し、これが14位を記録するが、その頃同様にフィラデルフィアから登場してきたレーベル・メイトのハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、オージェイズなどが次々と大ヒットを放つため、いまひとつ同レーベルでの「ファースト・プライオリティー(第一優先のアーティスト)」になりきれず、大ブレイクにはいたらなかった。

76年、ブッダ・レコードに移籍、アルバムを出すが、大ヒットにはなっていない。結局、グループとしてはフィラデルフィアでアルバム1枚、ブッダで1枚の計2枚で伝説のヴォーカル・グループとなった。しかし、デビュー作『エボニーズ』は、ソウル・ヴォーカル・グループの作品の中でも傑作と呼ばれるようになり、ソウル・クラシックの一枚として長く愛されつづけるようになった。このアルバムは、1974年2月16日にリリースされスマッシュヒットを記録。しかし、名盤ながら在庫流通が少なくアナログ盤には一時期ちょっとした高値がついたこともある。その後、93年に日本でもCD化された。さらに、2003年5月21日、ボーナス・トラック4曲を含めて改めてCD化。現在はこのヴァージョンが店頭に並んでいる。また、一昨年最新アルバム『ザッツ・フォーエヴァー』をインディから出している。

全体的には、ブルーノーツ、オージェイズ的な正統派ヴォーカル・グループで聴き応え十分だ。

+++++

THE EBONYS Japan Tour 2005
*今年のソウル愛好会presentsは、あのエボニーズの奇跡の来日!
名作1stアルバム「THE EBONYS」もSONYより10/21に再発されます。

・11月27日(日)&28日(月) 2日間共6時開場、7時開演
 渋谷duo(O-EAST1階) 2ステージ入替無し(2日間とも)
 テーブル席1万円(限定250席/1日)、立見¥7,000

 Info.:duo music exchange 03-5459-8711www.duomusicexchange.com
チョコレートクリーム 03−3487−5442
                 www.chocolatecream.co.jp

・11月30日(水) 7時開場、8時開演
 西中洲 クロッシング・ホール(ホテル・イルパラッツォB1F)
 自由席・立見共¥8,000
Info.:クロッシング・ホール 092−716−3333
    GOODIE’S 092ー713−0295

THE EBONYS
David Beasley/ Lorna Gross/ Desi Scott/ Standford Laws

■チョコレート・クリーム・ウェッブ
http://chocolatecream.co.jp/

+++++

ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Ebonys
(ネタばれになります。これからごらんになる方で事前の先入観を持たれたくない方はご注意ください)

【エリック・べネイ・ライヴ】

襞(ひだ)。

4時過ぎの仕事の前に、3時20分ごろブルーノートによってチケットを買おうとしたら、なんと何人も並んでいた。2時過ぎからすでに並んだ人たちがいたそうだ。すごい人気。そして、それから約6時間以上を経て、エリックはセカンドステージに登場した。1997年8月、1999年7月に続いて3度目の来日公演。

ストライプのはいった小粋なスーツにシャツとネクタイ、そして、サングラス。ゆっくりと少し体をくねくねさせながら、ステージに上がってきたエリック・べネイを見て、瞬間にプリンスっぽいな、と感じた。オープニングは、ファーストアルバムにはいっているスライ・ストーンのヒット「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」。プリンスがあこがれたスライの曲から始める、プリンスにあこがれた男、エリック・ベネイ。会場の女性(7割は女性ではないか?)に「if you want me to stay」と歌わせ、男性に「stay with me」と歌わせ、いきなり観客をこの空間に巻きこみ一体感を演出した。

楽屋からでてきた姿だけでも、かっこいい。これは女性ファンに圧倒的に受ける。スロー・バラード、ミディアム調、R&B風、ラテン調、ポップ調までさまざまなタイプの曲が次々と、時に解説つきで歌われる。歌ものライヴとしてはかなり満喫した。キーボード2台、ギター、ベース、ドラム、コーラスひとりという布陣もしっかりしていた。

「僕には13歳になる娘がいる。ときどき、自分が13歳の娘の父親であることが信じられなくて、自分をつねってみたりすることがある。女の子からレディーになっている。この曲はその娘、インディアのために書いた曲だ。もちろん、現在の13歳の娘にも聞いてもらいたいが、彼女が30年後に43歳になった時に、この曲を聴いて、父親である僕がその当時彼女のことをこれほど愛していたんだとわかってくれれば、嬉しいと思う。人生はいろいろなことがある。これは、できない、あれもできない、と言って悩むこともあるだろう。だけど、おまえのパパは、おまえなら出来るよと言う。そんな歌」 こう解説して歌い始めた「インディア」。新作アルバム『ハリケーン』の中でもタイトル曲とならんで白眉の出来の作品。そして、ソウルのこもったパフォーマンスだ。

さらに、新作から「ビー・マイセルフ・アゲイン」。これもまた、エリックにとってのソウル・サーチン・ソングだ。つまり人生にさまざまなことが起こり、自分を見失っていた彼が、「自分自身に戻る」という歌だ。暗くなりそうなテーマを、実に明るいポップ調な曲に仕上げた。

ステージに登場してから、ずっとプリンスっぽいなあ、と思っていたら、なんとここで、プリンスの79年の大ヒット「アイ・ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」が歌われるではないか。頼んでないのに! やってくれた。ほんとに、プリンスが好きなんだということを確信した。この曲がはやった79年、エリックは10歳である。このヒットに心を奪われたのだろう。スライ→プリンス→エリックと3世代のソウルの歴史がここに実を結んでいる。「アイ・ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」と同じギターリフをそのままひっぱって「スピリチュアル・サング」へ。

「さて〜、ニュー・アルバム『ハリケーン』、ショップにあるよ〜〜。インディアには新しい靴が必要なんだ。(笑い) だから、アルバムを買ってね。アルバムの3曲目にいれてあるタイトルの『ハリケーン』は、僕にとってメタファー(比喩)なんだ。たとえば、みな誰しも人生にはさまざまなことがおこる。そこから再出発しなければならないことがある。たとえば、家族の死、男女関係の終焉、経済的な破綻、ハリケーンで家が全壊したりすることもあるだろう。でも、それに立ち向かわなければならない。そういうときには、人のもっとも強い部分をだして、人生を再構築しなければならない。僕は、(そんな人生の)階段を1歩1歩あがっていくことを選びたい。この曲は、そんなことを歌った歌です」

ひときわ何度となく聴いてきた「ハリケーン」という曲が染みる。新作は売れっ子プロデューサー、デイヴィッド・フォスターのプロデュース曲が何曲か入っている。そこで、エリックはデイヴィッドの作った作品をいくつかワンフレーズほど歌ってみせた。(下記セットリスト参照) 「デイヴィッドと話たんだ。一緒に、ずっと長い間歌い継がれる歌を作ろうってね。今から100年後にも歌われるような、そして、100年後にも書いたときと同じ感動が呼び起こされるような曲をね。たとえば、昔フランク・シナトラやビリー・ホリデイが歌ったような作品を作ろう、と。そしてできたのが、『ザ・ラスト・タイム・アイ・フェル・イン・ラヴ』」

エリックの過去15年の人生にはさまざまなことが起こった。最初の妻の交通事故死、その妻との間に生まれたインディアの成長。女優ハル・ベイリーとの結婚、離婚。レコード会社とのトラブル。そうした苦悩と挫折から生まれた経験はエリックの深い歌声に刻み困れている。まさに彼の人生もソウル・サーチンの連続だった。彼の歌声に刻まれたソウル・サーチンの結晶は、彼の歌声の襞(ひだ)になって聴くものに熱く届く。

ザ・ソウル・サーチャーが今年、収容人数500人以下の会場で見たライヴの中で、個人的にベストだ。

Setlist (1)=1st album, (2)=2nd album, (3)=3rd album

show started 21:50
01. If You Want Me To Stay (Sly & Family Stone) (1)
02. When You Think Of Me (2)
03. India (3)
04. Be Myself Again (3)
05. I Wanna Be Your Lover (Prince)
06. Spiritual Thang (1)
07. Why You Follow Me (2)
08. Hurricane (3)
09. Spend My Whole Life With You (2)
10. "David Foster Song: Snippet" After The Love Has Gone / Through The Fire / I Will Always Love You
11. The Last Time I Fall In Love (3)
12. I Wanna Be Loved (3)
13. Where Does The Love Go (3)
Enc. Georgy Porgy (including "What You Won’t Do For Love") (Toto)(2)
show ended 23:15

■アルバム

1. True To Myself (1996)
2. A Day In The Life (1999)
3. Hurricane (2005)

■エリック・ベネイ過去記事

June 21, 2005
Eric Benet’s New Album "Hurricane" Portrays His Soul Searchin’ Story
http://blog.soulsearchin.com/archives/000339.html

July 27, 2005
Eric Benet Will Be Coming To Japan On September
http://blog.soulsearchin.com/archives/000412.html

■ブルーノートウェッブ

http://www.bluenote.co.jp/art/20050929.html

(2005年9月29日木曜、東京ブルーノート=エリック・ベネイ・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Benet, Eric

Ciara & Mashonda Live

2005年9月29日
【胸騒ぎの腰つき】

腰。

昨年11月にデビューまもなくプロモーションでやってきて、ショーケース・ライヴを行ったR&Bダンサー、シアラが今度は正式なライヴで登場。今回は渋谷オー・イーストで、前座にこれまた新進気鋭の新人マションダを従え、堂々としたライヴを見せた。会場は、渋谷デュオの上になり、超満員。いつのまに、シアラってこんなに大スターになったのか。それも、観客は8割方女の子。ダンサーかダンサー志望という感じのBガール多し。やはり、全米でシングルヒット5曲とそのダンス、また、ちょっとおしゃれなファッションなどが支持されたのだろう。

マションダは、2人のダンサーを従え、約20分弱、トラック(カラオケ)で歌を見せた。マションダのサウンドを一手に作っているのが、ヒップホップ、R&Bの世界を席巻しているプロデューサーのひとり、スイズ・ビーツ。このバウンシーなサウンドプロダクションはたまらない。

そして、マションダが引いてから30分以上待たせて、シアラ登場。DJひとりと男女のダンサー2人ずつ計4人を従えてのパフォーマンス。圧倒的にダンスで見せる。前回来日時より、体が引き締まり、筋肉トレーニングの効果がけっこうでているように見える。そして、サウンド、歌、ダンス、全部あわせると、やはりジャネット色がますます強くなった感じがする。

両者ともかなりの部分は口パクだと思われるが、まあ、基本はダンサーで、ダンスは徹底的にかっこいいので、これで十分だろう。それにしても、シアラの腰振りダンスのワイルドなセクシーさにはやられる。まさにワイルド・キャットだ! う〜む、胸騒ぎの腰つきだ。(笑) 汗と官能の50分弱だ。

■前回のライヴ評

2004/11/09 (Tue)
Ciara & "Crunk & B": That’s New Sound From Atlanta
クランク&B。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200411/diary20041109.html

Setlist: Mashonda (according to record company’s press release)

show started 19:01
Medley:1. Jay Z Intro
    2. Gotta Man
    3. Hold Me Tight
    4. Me & You
    5. Ask Of You
6. Hold Me
7. Back Of The Club
8. Yes, Sir
9. Black Out
show ended 19:18

Setlist: Ciara

show started 19:51
1. DJ Intro
2. Intro-Lose Control
3. Goodies
4. Hotline-(Don’t’Ya)
    MC
5. Thug Style-(R.Kelly)
6. Pick Up The Phone
    MC
7. (Nobody’s Gonna Do) Like You
8. And I
    MC
9. DJ Break
10. Oh
11. 1,2 Step
12. DJ Outro
show ended 20:38

(2005年9月28日水曜、渋谷オーイースト=シアラ、マションダ・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Ciara, Mashonda
【全米でデジタル配信開始】

リリース。

アメリカ・アイテューンズ(iTunes)でのスティーヴィーのアルバムの配信が2005年9月27日(火曜)から開始した。全15曲がダウンロードできる。日本からダウンロードできるかは、未確認。これによって、アルバムは、ついに世界に向けて「リリース」されたことになる。

また、CNNのニュースサイトで、スティーヴィー本人がインタヴューに答え、さらに「シェルター・イン・ザ・レイン」をライヴパフォーマンスしているシーンがネットで見られる。

http://www.cnn.com/video/ へ行き、 the Entertainmetの部分の’Shelter In The Rain’ をクリック。このインタヴューによると、ここ1年ほどで身内にいくつかの不幸があって大変だったといったことが語られている。シリータだけではなかったようだ。

さらに、アルバムがダウンロードできない場合、とりあえず15秒ほどの試聴が次のサイトでできる。ほんのさわりというかんじだが。

http://music.msn.com/album/?album=44414202

また、各曲のクレジットが到着。いくつか訂正を。

先日の日記で「マイ・ラヴ・イズ・オン・ファイアー」のフルートをボビー・ハンフリーかと書いたが、正しくはヒューバート・ロウズでした。また、同じ曲でベイビーフェイスかと書いたが、クレジットにはベイビーフェイスの名前は確認できなかった。男性の名前はキース・ジョンとセバスチアン・ミーゴの二人しか見当たらない。ベイビーフェイスらしき声は、キース・ジョンなのかな。あるいはスティーヴィーか。しかし、5曲目の「プリーズ・ドント・ハート・マイ・ベイビー」のバックコーラスに、ベイビーフェイスの兄、ケヴォン・エドモンズの名前があった。

ENT>MUSIC>ARTIST>Wonder, Stevie
ENT>MUSIC>ALBUM>A Time To Love

Stevie Wonder Update:

2005年9月27日
【スティーヴィー・アップデート】

刻一刻。

発売日はとりあえず、昨日の報告の通りだが、デジタル配信についての若干の付記。アメリカのデジタル配信会社は数社あるが、そこから9月27日に配信されることになっている。ただ各社によって、微妙に配信開始日、もしくは時刻が変わってくるかもしれない。刻一刻かわるスティーヴィー情報。

また、アメリカに本拠をおいた配信会社の場合、配信先がアメリカ国内に限定されるかもしれない。これは、まだかなり不確定要素が多く不明。全世界地域へのダウンロードの可能性もある。

配信先をアメリカ限定というのは、正確には、決済をアメリカで行うという限定になり、このために、たとえば、アメリカ国内発行のクレジットカードを持っている人がダウンロードできることになる。日本国内でもアメリカ国内発行のクレジットカードを持っていればダウンロードは可能になる。あるいは、IPアドレスなどから、アメリカ国内からのアクセスのみに反応するように設定されることも可能かもしれない。いずれにせよ、スティーヴィーの新譜がどの地域まで配信可能かはまだ不明。

日本におけるデジタル配信は、やるとしても、アイテューンズになるが、まだ準備は整っていないので、実質的にはCD盤のほうがはやくなるかもしれない。

日本にはマスターは到着し、アートワークの一部が今日あたりになる模様だが、とりあえず進行している。だが、日本盤は、日本の発売元が、先にお伝えした8センチミニCDをボーナストラックとしてつけたいという希望があり、ぎりぎりの調整をしているところだ。やはり、輸入盤との価格差を考えるとボーナスCDは、戦略的にもどうしてもつけたいところ。仮にモータウンからボーナストラック2曲が来てそれを日本盤にだけつけられることになるなら、日本盤発売日自体を若干遅らせてもかまわないというスタンスだ。しかし、これがどうなるかはまったくわからない。

シングルは、日本では当初第二弾シングルとして「フロム・ザ・ボトム・オブ・マイ・ハート」の予定で品番も決まっていたが、これはいったん取り消しになり、アルバムを先に発売することになった。また、アメリカでは次のシングルは、「シェルター・イン・ザ・レイン」になり、10月11日あたりに発売となる。これにともない日本でも次のシングルは、「シェルター・・・」になる可能性が強い。

アルバムのオンエアーなどの解禁日に関しては未定。デジタル配信日が解禁日になるのか、これもまだわからない。

ENT>MUSIC>ALBUM>Wonder, Stevie
到着。

このところ急展開を見せたスティーヴィーの新作『ア・タイム・トゥ・ラヴ』のマスターが到着。ついにその全貌が明らかになった。アルバムは、全米では9月27日からデジタル配信、CD自体は10月18日発売。日本におけるCD発売は10月19日の予定。これで、スティーヴィーの気分があと2日以内に変わらない限り、まず新作は発売されるだろう。10月中のCDリリース確率は99.8%。今までで最高をつけました。

まだ1−2回しか聴いていないが簡単に曲目と聞いた感想をご紹介しよう。ただし参加ミュージシャンなどのクレジットがまだ一切手元に届いていないので、参加者の詳細はまた後日。ポール・マッカートニー、ベイビーフェイスあたりも参加している模様。

"A Time 2 Love"

1. If Your Love Cannot Be Moved (Featuring Kim Burrell)

 ドライヴ感のあるミディアム調の作品。ちょっとストリングス風の音が入っている。スティーヴィーが歌い始め、すぐにキムのヴォーカルがかぶさる。このキムはなかなかソウルフルなシンガー。2度3度と聴きたくなる一曲。

2. Sweetest Somebody I Know

 サンプラーに入っていた一曲。ゆったりした軽いミディアム調の曲。途中にスティーヴィーのハーモニカがはいる。

3. Moon Blue

 日本で演奏されていたマイナー調のスロー曲。

4. From The Bottom Of My Heart

 すでに日本では第二弾シングルとなっている曲。スティーヴィーらしいメロディアスなゆったりとしたミディアム曲。

5. Please Don’t Hurt My Baby

 イントロからファンキーなサウンドで迫るミディアム・アップ曲。『ジャングル・フィーヴァー』近辺の打ちこみ主体のサウンド。エンディングの人々の声の効果音がマーヴィンゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」風。

6. How Will I Know (Featuring Aisha Morris)

 すでに『オプラ・ウィンフレー・ショウ』などで披露されているバラード。娘のアイシャとのデュエット。ジャジーな雰囲気で、これはシングルヒット十分可能。アルバム中、個人的にはこれがベストカット。

7. My Love Is On Fire

 もともと『ルーサー・トリビュート』に収録されることになっていた作品。ゆったりしたミディアム調の曲。途中のフルートはボビー・ハンフリーか。元のトラックは10年以上前に録音されたトラックかもしれない。途中にベイビーフェイスらしき声が。

8. Passionate Raindrops
 
 ゆったりとしたマイナー調のバラード。スティーヴィーらしいバラードでぐいぐいと聴くものを引きつける。何度も繰り返して聴きたくなるすばらしい曲。これも「レイトリー」同様チャート的にはそれほど上位にこなくとも、ファンの支持を集める一曲になりそう。

9. Tell Your Heart I Love You

 ちょっとビートの強いゆったりした、しかしグルーヴ感のある曲。これにもハーモニカがたくさん登場する。今回のアルバムには、スティーヴィーのハーモニカがずいぶんと登場するので、一見ハーモニカプレイヤーのアルバムかと思ってしまうほど。(半分ジョークですが) 

10. True Love

 日本でも演奏されていたバラード。これは、「リボン・イン・ザ・スカイ」「レイトリー」的なバラードで、印象に残る。「ハイ・ウィル・アイ・ノウ」路線の一曲。

11. Shelter In The Rain

 もともと昨年7月に他界したスティーヴィーの最初の妻、シリータのために書かれた作品。すばらしいバラードだ。アメリカでの次のシングルとしてまもなく発売されることが決定している。これは、ヒットだ。ポップ・チャートでトップ10は行けると思う。曲のメッセージがいい。I’ll be your shelter in the rainというところが、シリータへ向けたメッセージだが、今、カトリーナの被災者へのメッセージになった。4分16秒カットアウトでしっとりと終わる。

12. So What The Fuss

 アルバムにさきがけてシングルリリースされていた作品。途中のギターソロはプリンス。コーラスはアンヴォーグ。これも日本で演奏されていた。

13. Can’t Imagine Love Without You

 これも日本公演で歌われた作品。やはり、「リボン・・・」「レイトリー」的なピアノで歌われるバラード。かなりいい曲。シングルとしてチャート成績はそれほど上がらなくとも、ファンの間で根強く支持されるようなタイプの曲。ティピカル・スティーヴィー・バラード。

14. Positivity (Featuring Aisha Morris)

 アイシャとデュエットしているミディアム調の曲。

15. A Time To Love (Featuring India.Arie)

 インディア・アリーとの共作で、デュエットもしている。アルバムタイトル曲にふさわしい一曲。どこか「カンヴァセーション・ピース」を思わせるマイナー調のドラマティックな一曲。

全米のデジタル配信まであと2日、日本盤CD発売まで23日。真のカウントダウンが始まる。

ENT>MUSIC>ALBUM>Wonder, Stevie
【日本語にできない言葉】

和訳不能。

『ソウル・ブレンズ』にはリスナーからいろんなメールがやってくる。18日の放送では、2時半から約1時間にわたって「山野ビッグバンド・コンテスト」の模様をオンエアしていた。そうしたら、たまたまそれを聴いた、番組自体を初めて知ったリスナーからメールをいただいた。とてもそのバンド演奏が気に入ったようで、感謝の言葉が添えられていたのだが、最後にかかれていた一行(いちぎょう)にスタッフ一同うなった。それが〜〜

日本語にできない言葉がある。それは、ジャズ。

という言葉だ。これはいい! とすぐにオンエアー。この話題についてみんなで話していると、DJオッシー「吉岡さん、ぱくらないでくださいよ〜〜(笑)」。「いやいや、広く使わせていただきたいと思います(笑)」 そして、いくつか違うヴァージョンを考えた。

「日本語にできない言葉がある。それは、ソウル」

「『魂』って訳せるよ!」「あちゃ〜〜」

「日本語にできない言葉がある。それはカントリー」

「『田舎』だよ!」「おりゃ〜〜」

で、いろいろ考えた。リズムは「拍子」、ビートは「拍子をとる、打つ」、ブルースは「哀歌」。けっこう、無理やりだが日本語に変換できる。

そんなこんな考えていたら、しばらくしてから、別のリスナーから「(さきほどの言葉)使わせていただきます」。これほどの名言はみんな使いたがる。(笑)

というわけで、こんなものを思いつきました! 

「日本語にできない言葉がある。それは、ファンク」

これは、できない。説明しても、音を聞かせないと厳しい。それから、これもできないぞ。

「日本語にできない言葉がある。それは、ニュー・ジャック・スウィング」

「日本語にできない言葉がある。それは、レゲエ」

「日本語にできない言葉がある。それは、レゲトン」

説明はできるが、ずばり決まった訳語はない。そんな言葉は、まだまだありそうだ。

ENT>MUSIC>ESSAY>The Word
【サヤ1年ぶりの凱旋】

生音。

サンフランシスコを本拠とするピアニスト、サヤがほぼ1年ぶりに凱旋。ひさしぶり にライヴを行った。サヤと初めて会ったのは1998年か99年あたりか。以前どこかに書 いたかもしれないが、友人の作家デイヴィッド・リッツの紹介で知り合った。その頃、 デイヴィッドがネヴィル・ブラザースの伝記を書いていて、かなり深い取材をしてい た。その中で、一時期ネヴィルのバックバンドの一員として活躍していたサヤと知り 合い、ちょうど彼女が自主制作で軽いジャズトリオのアルバムを作り、そのライナー をデイヴィッドが書いていた。

彼女はニューオーリンズのロヨロ大学で音楽を学んだ。卒業後、ニューオーリンズ・フ ァンクの重鎮、ネヴィル・ブラザースのキーボード奏者として加入。彼女はネヴィルと ともに全世界をツアー。結局、ニューオーリンズには約7年ほど住んでいた。その後、 サンフランシスコに本拠を移し、2001年には日本のポニーキャニオンと契約、現在ま でコンスタントに5枚のアルバムを出している。というわけで、僕にはサヤ=ニュー オーリンズというイメージがあって、最近の作品のイメージが完全に西海岸さわやか系なので、当初のものとは違っている。

今回の来日では、やはり、ニューオーリンズの惨事へのメッセージがMCで語られ た。また、湯川れいこさん主催のニューオーリンズエイドへの協力も表明している。「ニューオーリンズでは、ちょっとした洪水は毎年のこと。自分のアパートが水浸し になって枕がぷかぷか浮いていたこともある。だから、この程度なら毎年のことと思 って逃げ遅れた人がいたみたいです。本当に心配です」などと語った。

ところで、ライヴだが、ファーストの後半に到着し、最初はステージより一段高い2階 席で聴いていたが、セカンドはミュージシャンたちの一番前で聴くことができた。す ると、2階で聴いていた音とはまったく違った音世界が広がった。ジェイジーのような こんなに小さな空間でもちょっとした上下の違いだけで、こんなにも音が違うのかと かなりびっくりした。

おそらく、2階(といっても、実際は中2階。ステージレベルより階段で5−6段高い 程度)だと、ピアノの音がマイク、アンプを通した音で聴こえてくる。一階のまん前 だと、直接ピアノの音がまざって聴こえる。ドラムの音などすべて生音だ。そのあた りのミックス具合がよかったのだろう。やはり、音楽、しかも生音もいい音で聴かな いとだめだな、と痛感した。逆にいうと、マイク、アンプを通した音は今一つという ことか。これはエンジニアの問題か、それとも、箱自体の問題か。よくわからない。

全体的には7月20日に発売になった新作『タイムレス』収録の作品を中心に演奏。これ はクラシックの作品などジャズ風に、イージーリスニング風にしたもの。セカンド のオープニングを名曲「シンプル・ポエム」で始めたが、これが実によかった。やは り、何度聴いてもこれは彼女が書いた曲の中で今のところベストだと思う。

Setlist (second)
show started 22.04
01. Simple Poem
02. Flower Waltz(チャイコフスキー)
03. Air (G線上のアリア) (バッハ)
04. Piano Sonata op.8 No.2 (悲愴)(ベートーヴェン)
05. Wishing Well
06. Clair Du Lune (月の光)(ドビュッシー)
07. Shooting Star
08. Into The Sky
Enc. Higher
show ended 23.09

■メンバー
サヤ(ピアノ)
コモブチキイチロウ(ベース)
加納樹麻(ドラムス)

■過去の記事
2003/08/10 (Sun)
Saya: She’s No Chicken, She’s Great Chick
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20030810.html
2004/01/30 (Fri)
Piano Live Three Days: Day One: A Night With Saya
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200401/diary20040130.html
2004/04/09 (Fri)
Saya Live At JZ Brat
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040409.html

■サヤ・オフィシャル・ウェッブ
http://www.saya.com/jp/

■サヤ・ツアー
2005.9.20(火)東京・渋谷 Jz Brat
問)Jz Brat: 03-5728-0168
http://www.jzbrat.com/
□Saya(pf)、コモブチキイチロウ (b)、加納樹麻(ds)
2005.9.21(水)千葉・舞浜 Club Ikspiari
問)Club Ikspiari:047-305-5659
http://www.ikspiari.com/club/index.iks
□Saya(pf)、佐藤慎一(b)、加納樹麻(ds)
2005.9.22(木)東京・銀座 Swing City
問)Swing City :03-3575-0419
http://www.ttp-r.dlenet.com/%7Eswing/
□Saya(pf)、コモブチキイチロウ(b)、加納樹麻(ds)
2005.9.23(金)東京・六本木 Alfee
問)Alfee :03-3479-2037
http://homepage1.nifty.com/live/alfie/
□Saya(pf)、佐藤慎一(b)、加納樹麻(ds)
2005.9.26(月)東京・新宿 Dag
問)Dug :03 - 3354 - 7776
http://www.dug.co.jp/
□Saya(pf)、坂井紅介(b)、加納樹麻(ds)
2005.9.27(火)大阪  Mr.Kelly’s
問)Mr.Kelly’s :06-6342-5821
http://www.mmjp.or.jp/live-info/shop/mkelly.html
□Saya(pf)、魚谷のぶまさ(b)、加納樹麻(ds)
2005.9.28(水)名古屋・栄 Doxy
問)Doxy :052-242-1227
http://www.doxy.biz/
□Saya(pf)、日景 修(b)、加納樹麻(ds)
2005.9.30(金)京都 Rag
問)Rag :075-241-0446
http://www.ragnet.co.jp/
□Saya(pf)、日景 修(b)、加納樹麻(ds)

+++++

(2005年9月20日火曜、渋谷・ジェイジーブラット=JZ Brat=サヤ・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Saya

Willie Hutch Dies At 59 

2005年9月23日
【ウィリー・ハッチ死去】

コーポレーション。

モータウンで多くのヒット曲を制作、また、自らもシンガーとして活躍していたウィ リー・ハッチが9月20日(火曜)、テキサス州ダラスで死去した。59歳だった。死因は 発表されていない。

ウィリー・ハッチは1946年ロスアンジェルス生まれ。本名、ウィリー・マッキンレー・ ハッチンソン。テキサス州ダラスで育った。ヒップホップグループ、アボーヴ・ザ・ ロウのメンバー、グレゴリー・ハッチンソンの叔父にあたる。64年にインディでシン グルを出したこともある。1970年頃、友人のハル・デイヴィスに誘われ、モータウンで 曲作りに参加するようになった。

当初は、複数いるメンバーの一員としてソングライター、プロデューサーとして活動 していた。初期の作品には、ジャクソン・ファイヴで歌われ大ヒットした「アイル・ ビー・ゼア」(のちにマライア・キャリーもカヴァー)、「ネヴァー・キャン・セ イ・グッドバイ」、マイケル・ジャクソンのソロヒット「ガット・トゥ・ビー・ゼア」 などがある。ジャクソン・ファイヴ時代の作品のクレジットは「ザ・コーポレーション」となっていて、当時は個人の名前はでていなかった。「ザ・コーポレーション」 には、他にフレディー・ペレンなどもいた。ハッチはその後もモータウン所属のミラクルズ、マーヴィン・ゲイ、スモーキー・ロビンソンなどに作品を提供。

また、73年にはシンガーとしてブラックムーヴィー『ザ・マック』(リチャー ド・プライアー主演)のサントラを担当。ここから自らが歌った「ブラザース・ゴ ナ・ワーク・イット・アウト」「スリック」などがヒットした。さらに、ブラック ムーヴィーのクイーンとも言えるパム・グリアの『フォクシー・ブラウン』のサント ラにも参加。「フォクシー・ブラウンのテーマ」をヒットさせた。また、75年には 「ラヴ・パワー」が大ヒットしている。

ご冥福をお祈りしたい。
【続・スティーヴィー最新作情報】

続報。

スティーヴィー・ワンダーの新作発売が、「本当に」間近に迫った。昨日の情報に若干の訂正とアップデート情報。現在、日本およびアメリカ、世界で10月18日か19日の予定。9月26日にマスターとアートワーク(ジャケットなど印刷物)到着の予定。ここから一気に制作に入る。ライナーなどの再度の締め切りは22日、つまり今日。4月に書いたライナーを土台に、それに最新情報をいれこんで修正する。マスター着は26日なので、よって、音は聞けない。

また昨日お知らせした12センチCDと8センチCDの変則2枚組は、まだ企画段階で、アメリカモータウンのアプルーヴをもらったものではなかった。よって、この情報は削除。こんどの12センチCDに収録される時間は、15曲ですでに78分近くになっていると伝えられる。よって、日本のみのボーナストラックは収録できない。そこで、日本ボーナスとして、8センチCDの封入が可能かということが考えられた。もし、今作のレコーディングで収録15曲以外のものが入手できれば、それをボーナスCDにしたかったというニュアンスだが、時間的にかなり厳しくなっている。

また、現在日本では第二弾シングルが「フロム・ザ・ボトム・オブ・マイ・ハート」になっているが、アメリカではこのアルバムからの次のシングルとして「シェルター・イン・ザ・レイン」に白羽の矢が立っている。これは、もともとは昨年死去したスティーヴィーの最初の妻、シリータ・ライトへ捧げた作品だったが、今度のハリケーン・カトリーナの被害者へ捧げる歌として、リリースする可能性があるという。曲の歌詞からしても、被災者に対してぴったりでもある。

9月27日からダウンロードが開始となるとされているデジタル配信に、アルバム全曲が含まれるのか、何曲かが選ばれるのか、シングルだけなのか、などはまだはっきりしていない。

最新情報を入手しだいまたお伝えする。

■スティーヴィー・ワンダー、オフィシャルページ(日本語)
http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/stevie_wonder/

ENT>MUSIC>ALBUM>Wonder, Stevie
【今度こそ発売か? スティーヴィー新作トラックリスティング明らかに】

本当。

スティーヴィー・ワンダーの待たされに待たされているアルバム『ア・タイム・トゥ・ラヴ』の発売が今度こそ確定かという情報が入ってきた。現在全米日本とも発売が10月18日もしくは19日で進行中。全世界的に、この発売日に統一されるようだ。これにともない、アルバム収録曲リストが到着。また、下記15曲の歌詞カードの文字データも到着した。これによると、当初伝えられた16曲ではなく全15曲。日本盤ボーナス・トラックについては未定。

マスターテープはアメリカ・モータウンに手渡された模様で日本にも順調にいけば、26日(月曜)に到着の予定だ。10月中の発売確率は一挙にあがって98.8%。月曜日にマスターが到着したら99.5%にあがる。

また、アイスクワッドにおけるデジタル配信が9月27日から始まるとも伝えられている。さらに、今度のCDは、通常の12センチCDに加え小さな8センチCDが封入され、変則2枚組となる模様。76年の超大作『キー・オブ・ライフ』のときは30センチアルバム2枚と17センチEPという変則3枚組だったが、それを思わせる。9月27日デジタル配信が始まることによって、この日がリリース日となると、グラミー候補の締め切りに間に合うことになる。一応グラミーの規定はCDが発売された日とされているが、「リリース」という意味を拡大解釈すれば、確かに配信開始日は「リリース」になり、究極の裏技ということになる。

アイスクワッドのサイト。
http://i-squad.com/public/blurb.html

さて、ソウル・サーチン・ダイアリー2005年5月13日付けで収録曲予想をやったが、それと照らし合わせてみよう。まず今回明らかになったオフィシャルのもの。

A Time To Love: Tracklisting (Official)

1. If Your Love Cannot Be Moved (Featuring Kim Burrell)
2. Sweetest Somebody I Know
3. Moon Blue
4. From The Bottom Of My Heart
5. Please Don’t Hurt My Baby
6. How Will I Know (Featuring Aisha Morris)
7. My Love Is On Fire
8. Passionate Raindrops
9. (New) Tell Your Heart I Love You
10. True Love
11. Shelter In The Rain
12. So What The Fuss
13. Can’t Imagine Love Without You
14. Positivity (Featuring Aisha Morris)
15. A Time To Love (Featuring India.Arie)

次が2005年5月13日付けソウル・サーチン・ダイアリーでの予想。

"A Time To Love" Songs Order Speculated By Yoshioka Masaharu
(+)は、アルバム収録が有力視されている楽曲
(-)は、今回収録からもれた曲。

1. So What The Fuss(+)(Guitar by Prince)(日本で演奏)
2. From The Bottom of My Heart(+)
3. If Your Love Cannot Be Moved (Alicia Keys)(+)
4. Positivity(+)
5. True Love(+)(日本で演奏)
6. Moon Blue (+)(日本で演奏)
7. Sweet Somebody I Know(+)
8. (-)One Thing (Nigerian talking drum)

9. How Will I Know(+)(Duet With Aisha Wonder)
10. Please Don’t Hurt My Baby (+)
11. (-)Keep Fooling Yourself
12. (-)If the Creek Don’t Rise
13. I Can’t Imagine Love Without You (+) (日本で演奏)
14. Shelter in the Rain (for Syreeta and was written before she died)(+)
15. My Love Is On Fire(+)(Tribute To Luther)
16. A Time 2 Love(+)(Duet with India. Arie)

17. Bonus Passionate Raindrops
18. (-)Bonus Tears

まず、ボーナス含めて18曲を予想した中から、いずれも収録が有力視されていなかった4曲が落ち、1曲初めて見るタイトルが入った。それが、「テル・ユア・ハート・アイ・ラヴ・ユー」だ。そして、計15曲に。恐らく収録時間の関係で15曲どまりになったと思われる。

アルバムのトップは、予想を覆しなんとデュエット曲の「イフ・ユア・ラヴ・キャン・ノット・ビー・ムーヴド」。「ソー・ホワット・・・」がトップに来るかと思ったが、これは意外だった。しかも、この曲アリシア・キーズとデュエットしたヴァージョンがあるはずなのに、キム・バレルというシンガーに差し替えに。これもサプライズ。権利関係か。これがアルバム1曲目となると、次のシングル候補は、この「イフ・ユア・ラヴ・・・」になるのか。スティーヴィーの娘、アイシャの表記は「アイシャ・モリス」になった。

こんど初めて見る新曲「テル・ユア・ハート・アイ・ラヴ・ユー」は、5月13日に誕生した子供へ向けての曲のような感じだ。

もともとルーサー・トリビュートにも収録される予定だった「マイ・ラヴ・イズ・オン・ファイアー」は、トリビュートには入らず、スティーヴィーのこのアルバムだけの収録となった。ルーサー・トリビュートには、スティーヴィーは別の曲「ソー・アメイジング」をビヨンセとデュエットして、収録している。

This Time, It’s For Real. 今度こそ、本当であってほしい。続報があればすぐにお伝えする。

+++

■スティーヴィー新作についてのこれまでの記事

2005年5月12日付け日記
【スティーヴィー最新情報】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_05_12.html

2005年5月13日付け日記
【新作アルバムの曲順を大胆予想】。
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_05_13.html

上記以前のスティーヴィー新作関連記事

April 18, 2005
Stevie’s Album Info Update:
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_04_18.html

2005/03/24 (Thu)
Stevie’s New Album’s Track Listing Is Leaked?
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200503/diary20050324.html

2005/03/17 (Thu)
Predictions For "A Time To Love"
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200503/diary20050317.html

ENT>MUSIC>ALBUM>Wonder, Stevie
ENT>MUSIC>ARTIST>Wonder, Stevie

< 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 >